5 議事
○井上座長 それでは所定の時刻ですので、第15回裁判員制度・刑事検討会を開会させていただきます。
本日も御多忙の折、御参集いただきましてありがとうございました。
本日の議事は、前回に引き続いて「刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入」、いわゆる裁判員制度の導入に関する二巡目の議論の続きでございます。前回は、たたき台の項目「2 裁判員及び補充裁判員の選任」の「(1)裁判員の要件」まで議論をいたしましたので、本日は「(2)欠格事由」から議論をしていきたいと思います。
たたき台は、その欠格事由として、公務員一般についての欠格事由に加えまして、(ア)から(ウ)までの3項目を掲げております。このたたき台を参考にしながら、裁判員の欠格事由として掲げるべき事項、あるいは逆に欠格事由とはすべきでないという事項について御意見をいただければと思います。特に、(ウ)の「心身の故障のため裁判員の職務の遂行に支障がある者」という項目につきましては、こういう項目自体を設けないという選択肢もたたき台には掲げられておりますので、これらを踏まえまして、欠格事由に関して御意見をいただきたいと思います。どなたからでも、どうぞ。
○ 四宮委員 「一般の公務員に任命されることができない者」というのは、具体的には、今の法制ではどんな形になっているのでしょうか。
○ 辻参事官 一般の公務員の欠格事由は、国家公務員法第38条に規定がございまして、次の各号のいずれかに該当する者は、原則として官職に就く能力を有しないとされております。そして、第1号から第5号までの事由が挙げられておりまして、成年被後見人又は被保佐人、禁錮以上の刑に処せられ、その執行を終わるまで又は執行を受けることがなくなるまでの者、あるいは、懲戒免職の処分を受け、当該処分の日から2年を経過しない者といった事由が挙がっております。「一般の公務員に任命されることができない者」とは、具体的にはこれを指しているものです。
○ 四宮委員 ありがとうございました。
○ 髙井委員 もう一つ、いいですか。
○ 井上座長 どうぞ。
○ 髙井委員 現在の法制度で、例えば、裁判官が途中で疾病のために目が見えなくなったとか、耳が聞こえなくなった場合に、身分の得喪については何か定めがあるのでしょうか。
○ 辻参事官 裁判官分限法の第1条におきまして、「裁判官は、回復の困難な心身の故障のために職務を執ることができないと裁判された場合に」、その官を免ずることができるということになっております。
○ 井上座長 よろしいですか。今の説明をも踏まえまして、御意見をいただければと思いますが、いかがでしょうか。
○ 髙井委員 (ア)、(イ)についてはこのとおりでいいのではないかと思います。(ウ)についてはA案の、「心身の故障のため裁判員の職務の遂行に支障がある者」という事由はやはり欠格事由として挙げるべきではないかと思います。健常者と同様に、心身に故障のある人を社会参加させなければいけない、また、していただくように努力しなくてはいけないということについては一般論としては大賛成であって、そのように努力しなければいけないというふうに思っているわけでありますが、こと、裁判員については、五感の作用で証拠の信用性を判断するということになるわけですね。例えば、目が不自由であれば、実況見分調書の写真を見ることができないわけです。今までの具体的な例でも、供述の内容と実況見分の写真が一致してないというところから、その供述の信用性が弾劾されるという例は多々あったのであって、実況見分調書の写真を見ることができなければ、そういうような証拠の読み取りができない、証拠の適切な判断ができないということになるわけですから、裁判員としては適格を欠くのではないかと思われます。健常者と同様に心身に故障のある人も社会参加してもらわなければいけないという基本的な要請については、裁判以外の場面で社会参加に努めていただくということしかないのではないかと思います。
○ 井上座長 というのが髙井委員の御意見ですが、ほかの方はいかがですか。どうぞ。
○ 四宮委員 髙井委員に質問なのですけれど、それは一般的にということなんでしょうか。つまり、個々の裁判において、証拠が違ったり、事実関係が違ったりすると思うのですけれども、個々の事件ごとに、職務の遂行に支障があるかどうかを判断して、適格性があるかどうかを判断するという御意見なのか、あるいは、そういう五感の作用……。
○ 髙井委員 一律にですね。
○ 四宮委員 一律にという御意見ですか。
○ 髙井委員 はい。
○ 四宮委員 そうであれば、私は、むしろ事件によっては、仮に視力に障害のある方でも、心証形成ができる事件というのはあり得るだろうと思うんです。全く事実関係に争いがなく、今、髙井委員がおっしゃったような実況見分調書が、例えば、量刑の判断に重要な影響を与えるとは言えないというような事件もあり得るでしょうから、個々の事件ごとに選ばれた候補者が、当該事件の職務の遂行に支障があるかどうかを裁判官が判断をして、当該事件に関しては欠格であると判断するというふうに具体的に考えたらどうかと思いますけれど。
○ 酒巻委員 今のお二人の意見に関連して、事務局に質問があります。私は、A案の「心身の故障のため裁判員の職務の遂行に支障がある者」という表現は、髙井委員がおっしゃったような一律排除という趣旨ではなくて、四宮委員がおっしゃったように、個々の事件ごとに、事件の性質上、例えば、これは難しいとか、しかし、事件の性質によっては「職務の遂行」は可能であるというような、個別的判断を入れる余地がある表現だと理解しているのですが、それでよろしいですか。
○ 辻参事官 事務局としては、「職務の遂行」というのは、具体的に判断してもいいのではないかという考えで作っておりますが、そこはこの案にこだわっていただく必要は必ずしもないと思いますので、書き方はさておき、その両様の考え方のいずれが適当かについて御議論いただければと思います。
○ 酒巻委員 それでは、私の意見を申し上げます。髙井委員のおっしゃったとおり、裁判において、心身に障害がある方は、健常な方に比べて裁判員の職務を行うことが難しい場合があり得ることは否定できないと思いますので、このような形の欠格事由を設ける必要はあると思います。ただ、四宮委員がおっしゃったとおり、審理を十分に理解し裁判員としての職務を行うことが困難であるかどうかは、障害の程度とか、あるいは個々の事件の内容によって違ってくる場合もあるでしょうから、単に心身の故障があるということで一律排除するのではなくて、証拠に基づく事実の認定という裁判員の仕事に支障があるということを個別具体的に判断できるような形で欠格事由にする制度設計が妥当であろうと思います。
○ 平良木委員 私は、被告人とか証人の供述ないしは証言内容も重要ですけれども、それと併せて、被告人の供述態度、あるいは証人の証言態度というものが併せて重要であり、それによって、これが真実を述べているかどうかということの判断につながることというのは多々あるだろうという気がいたします。そうしますと、そういう観点で、もしそこのところが判断できないということになると、やはり問題があるということになるだろうと思います。したがって、原則として、職務の遂行に支障がある者は外していくべきだというふうに考えております。
○ 池田委員 心身の障害といってもいろいろな程度があって、そして、また事件にもいろいろな事件がありますので、すべての事件で、そして軽い障害の方も外すというのにはやはり抵抗があります。それぞれの障害の程度によって参加していただくべきであると思います。事件によって参加が可能なら、障害のある方にも参加していただくことができるのではないかと思いますけれども、事件によっては、聴覚が問題となる事件、音声、あるいは犯人の話し方と被告人の話し方の違いが問題になる事件とか、視覚が非常に重要になってくる事件、同一性の識別について、写真とその人との同一性の判断とかが重要になってくる事件もあります。ですから、その障害があるために、重要な点に支障が生ずるというような事件については裁判員から外れるということにならざるを得ないのではないかという気がいたします。
○ 本田委員 私もA案に賛成なのですけれども、おそらく、心身の故障があるから直ちに裁判員になれないということではないだろうと考えています。裁判員になれるかなれないかという判断は、証拠によって事実の認定をすることができるかできないかという観点から、いろいろな障害の内容、程度によって、具体的に行われるのだろうと思うのです。ただ、個々の事件について判断するという御意見が出たのですが、私が、ちょっと気になるのは、どういう証拠が法廷に出るかというのは裁判員を選任する段階ではまだ分かってないのではないかということです。つまり、事件によっては争いがないからといっても、量刑上いろんな重要な証拠が出てくるかもしれませんから、個々の事件についての判断が可能だろうかと思うのです。そういう意味では、髙井委員がおっしゃったように、証拠をきちんと評価して、正しく事実を認定できるかをどうかという観点から一般的に判断しないと難しいのではないかという気がするのですけれども。
○ 井上座長 障害の程度等については、個々的に判断せざるを得ないのだろうと思うのですが、支障の有無ということを個別の事件ごとに判断すべきなのかどうかという点が、御意見の分かれているところだと思われます。今、本田委員がおっしゃったのは、あらかじめ、個別の事件について支障があるかどうかということをどこまで本当に予測できるのか、実際にそういうことが判断できるのかという問題だろうと思うのですが、そういうことも含めて御意見いただければと思います。
○ 髙井委員 最初、裁判員の職務は五感の作用によって行うと言いましたけれども、大体、コミュニケーションというのは、言葉だけでやるものではなく、言葉によるコミュニケーションというのは、ある研究によれば3割ぐらいしかないというわけですね。どういう身振り手振りで言っているのか、どういう音色で言っているのかによってコミュニケーションというものは成立しているわけで、そういう意味では、全く目の見えない人でもいいという事件はあり得ないと思うのです。被告人がどういう顔をして反省の言葉を述べているのか、真摯に反省して言っているのか、見ようによっては薄ら笑いを浮かべながら謝っているのか、そういうのは全然分からないわけですね、全く目が見えなければ。
ですから、基本的には、この点は、裁判というものをどう見るかという本質的なものであって、妥協的に、こういう事件はいいのではないですかというような筋合いの問題ではないと思うのです。裁判の本質をどう見るか、事実認定の本質をどう見るか、人間と人間のコミュニケーションをどういうふうに見るのかという本質的な問題だと思うのです。そういう観点からいうと、私は、目がある程度見えれば、それはいいと思うのですけれど、目が全く見えないという人に適した事件というものはおよそ存在し得ないし、全く耳の聞こえない人に適した事件もおよそ存在し得ない、全く話しのできない人に適した事件というのも存在し得ないと思います。
○ 大出委員 今の御発言は、ごもっともだという感じもしないではないのですけれども、ただ、具体的におっしゃったこととの関係からすると、目の見えない方は目の見える人間以上に音に対して敏感な感覚を持っているとか、それを補うために、我々以上に、つまり健常者といわれる者以上にほかの感覚を利用して判断できるということは当然あり得ると思うんですね。それを、我々が、それはできないとかできるとかというようなことを一概に決めつけるわけにはいかない部分があるのだろうと思うんですね。だからといって、私も、全面的に支障がないだろうと言うつもりもないのですけれども、なかなかそこは微妙な部分があって、手続的にどういう形で処理をするのかということにかかわると思うんですけれども。ですから、もし支障が出た場合に、補充員に替えるというようなことがあり得るということであれば、そこは、かなり、ある程度緩やかな判断はあり得ると思うんです。確かに、本田委員のおっしゃるように、最初の段階で決めるわけにいかないから、そこは、一律にというんだけど、その一律に排除するための基準が、本当に確定的に、我々として形式的に決められるのかどうかはなかなか難しいかなという感じもするわけですね。私も、そこは悩んでいるところで、一般的に規定を置くことはやむを得ないのではないかと思うんですが、この後半部分、さっき酒巻委員がおっしゃったように、心身に故障があるということと同時に、職務遂行に支障があるかどうかというところの判断が必要だというふうに思うわけでして、なかなかそこは難しいところがあるかなという感じがするのですけれども。
○ 井上座長 後半部分とおっしゃいましたが、最終的には「裁判員の職務の遂行に支障がある者」というところに結び付いていくというところでは、皆さんの中で、御異論はないのではないですか。
○ 酒巻委員 髙井委員のおっしゃることは非常によく分かる面もあります。また、本田委員は、私の個々の事件ごとに判断すべきだという意見に対し、そのような判断は難しいのではないかとおっしゃったのですが、机上の空論と言われるかもしれませんけれども、裁判員事件においては準備手続が必ず行われて、その段階で、どういう事件であるかとか、証拠の性質がどういうものであるかということがある程度分かると思われます。そういう前提で、障害を持つ特定の候補者について、当該事件においては明らかに支障がないと言えるような場合があるとすれば、その方を排除する必要はないのではないかという趣旨なのです。
○ 井上座長 酒巻委員が言われたような趣旨を、文言にあえて表すと、「心身の故障のため、当該事件における裁判員の職務の遂行に支障がある」といった趣旨のものになるということですね。
○ 酒巻委員 そういうことです。
○ 髙井委員 準備手続をある程度やるわけですから、どういうところが争点になって、その争点について、どういう証人が出てきて、どういう証言をするかということはおよそ見当がつくと思います。だから、裁判員を選ぶ段階から、その程度の判断はつくのですが、では、出てきた証人が何を言うかということは、公判のその場になってみないと分からないわけです。ですから、準備手続が行われることを前提としても、酒巻委員が言われたような事例が存在するとはちょっと思えないし、そういう事態が存在すると想定することは、裁判における事実認定なり、証人の持つ意味をある程度軽視するものだと私は思います。確かに、この事案は簡単であると判断して、極端な言い方をしますと、どっちに転んだって執行猶予は見え見えじゃないですかと考えて、だから、そういう事案での判断は多少問題があったとしても、結論は動かないよという意味で、心身に障害がある裁判員であっても職務に支障がない事件というのはあるのかしれません。でも、そういう見方で裁判員の欠格事由を決めるということは本筋から外れているし、そういう理由で、例えば、目の不自由な方に裁判員に入っていただくというのは、非常に失礼なことだと私は思います。
○ 四宮委員 私は、今、日本の法制が障害を持った方にどう対応しようとしているかということを、新しい制度を作るときには考える必要があると思います。一番参考になるのは、検察審査会法が、近時、障害を持った人を欠格事由者から排除したということです。その改正においては、もちろん障害の程度とか事件の性質によることは大前提ですけれども、その上で、いろいろなサポートによって、そういう人たちも刑事事件に関する判断ができるという政策判断があったのだろうと思います。例えば、どんな表情で証言をしているのかというのは、今までは裁判官が同時に見ていてくれるということが大前提の尋問でしたけれども、今度は、検察官にしろ弁護士にしろ、もし視力の弱い方が裁判員にいたら、どういう表情で今証言をしたかというようなことをも口で言うことも必要になってくるわけですね。今までの検察官や弁護士、裁判官も含めてですけれども、訴訟活動の在り方というものは、国民が入る裁判員制度の下では根本的に変わっていかなければいけないと思います。そういった様々なサポート、聞くところによると、先ほど言った検察審査会法の改正後、今、裁判所ではそういった点字のサービスなどのサポート体制を完備しておられると聞いております。そういう形で対応できるものがあるはずだというのが一つです。
それから、証拠の関係については、今は、それぞれの委員の準備手続のイメージが多分違うのでいろいろな意見が出ると思うのですけれども、私は、どのような証拠をお互いに請求し、そして、それについての意見が述べられ、証拠決定がなされているかということは、恐らく準備段階で証拠の一つ一つについて三者が認識していると考えています。証拠の中身ではなく、どんな証拠が出るか、例えば、映像を使ったものが出るとか、写真を使ったものが出るとか、そういったことは認識をしていて、具体的に、もし候補者の中にこういった障害を持った方がいらしたときには、裁判官が、この証拠の調べについては大丈夫だろうかということが恐らくは分かる、また分かる程度に準備手続は充実させておく必要があるだろうと思います。
その意味で、先ほど座長のおっしゃったように、個々の事件ごとにという形で決めていくのがいいのではないかと思います。
○ 井上座長 「座長のおっしゃったように」と言われましたが、私は自分の意見として申したわけではなく、そういう意見もあったということを整理しただけですので。
○ 本田委員 障害を持った人になるべく社会参加の機会を広げていこうということ自体は、誰も否定する人はいないし、積極的に進めていかなければいけないことは当然のことだろうと思います。ただ、場面場面でどうしても無理な部分が出てきた場合には、合理的な理由があれば、そこはちょっと御遠慮願うということは当然あり得るのだろうと思います。例えば、今、四宮委員から、どういう表情で証言したのかということを言葉で表現するという御意見が出ましたが、そういうことになると、これは技術的に相当困難ではないかと思われます。つまり、そういう表現には表現する人の評価が入るわけですから、この人は今いいかげんな態度でしゃべりましたという人がいるかもしれないし、そうでないと感じる方もいますので、その点がまた大きな問題になってしまうのではないかと思うのです。だから、どうしても解決できない問題というのが残ってしまうのではないかという気がするのです。
もう一つの点は、我々は、今、裁判員制度になるべく多くの人に参加してもらいたいという観点から議論しているのは間違いないのですけど、裁判を受ける被告人の立場を考える必要があるのではないかということです。要するに、被告人がその裁判体に裁かれることに安心するといいますか、自分の言い分がきちんと伝わるのだと思うというようなことも多少は考慮しておく必要があるのかなという気がしないでもないですね。自分の言い分が果たして本当にうまく通じるのだとうかという、被告人の不安みたいなものが残ったらまずいのではなかろうかという気がしないでもないのです。
○ 樋口委員 裁判員制度のそもそもの趣旨が何かということなんだろうと思うのですけれども、これは、国民にとって、裁判員になることが権利として認められるのかということではないですよね。その趣旨が、民意を反映させる、国民的な基盤の確立を図るということであるとするならば、同時に、公判の円滑な運営というのも重要な命題であると思われます。その命題にいかに応えるかというのが重要なことではないのかといった場合に、職務の遂行に支障がある者には御遠慮いただくというのは当然のことではないかということであります。ただ、要するに、心身の故障のために職務の遂行に支障があると認められるかどうかという認定の問題なんだろうと思うのです。さらには、その認定が類型化できるかどうかということなのだろうと思います。
また、平成11年だと思いますが、障害者施策推進本部の決定に基づいて、各種の業法、規制法でも、この種の欠格事由の改正が行われていますが、そのあたりの平仄からいっても、こういった心身の故障のために業務に支障があると認められる者というのは必要ではないのかなというふうに思います。職務の遂行に支障があると認められた場合に御遠慮いただくというところに、ここに異論があるというのはどうも理解できない。認定が難しいということは言えると思います。
○ 大出委員 そこに異論があるわけではなくて、支障があるかどうかというところの判断がまさに難しいのではないかと思うのです。そういうことができるかできないかですが、これまで確かにそういうことで、目の見えない方とか、耳の聞こえない方とかということは支障があるのではないかという一般的な理解のもとに除外するというようなことが行われてきたかもしれませんけれども、本当に健常者がそのことについて、できるできない、と言ってみても始まらないと、私は思うのです。ですから、一般的に確定的なことも言えるのかどうか分かりませんけれども、そういった障害を持たれた方たちに、ちゃんと意見を聴いてみるというようなことができないのかどうか、というようなことは検討できないのでしょうか。
○ 井上座長 聴かないと分からないということですか。
○ 大出委員 いや、分からないというよりも、参考にするべき意見を伺うというようなことがあってもいいのではないかということです。
○ 土屋委員 私は、B案の「要件をもうけないものにする」という意見です。
○ 井上座長 一切要らないということでしょうか。
○ 土屋委員 実は、非常にB案に近いというふうに言った方がいいんでしょうか。やはり、職務の遂行に支障がある場合というのは、これは外さざるを得ないだろうと思うんですね。ですから、書き方として、最初からこういう人はだめだというふうな書き方をしてしまうということは、検察審査会法の改正の経緯だとかいろいろ考えますと、やはりちょっと抵抗があるということなのです。それから、今お話が出たみたいに、なかなか判断、識別が難しいのではないかと思います。ですから、具体的な事件の中で、やはりこの方は無理だというようなことになった場合には、あるいは、もうちょっと早い段階でも、裁判員として仕事をしてもらうには難しいというふうに、選定の段階で、当事者、検察側、弁護側、あるいは裁判官が印象をお持ちになったときには御辞退いただくというのか、外すといいましょうか、そういう形が一番いいのではないかと私は思います。
非常に悩ましいところで、A案の言わんとする趣旨はよく分かるのですけど、それをむき出しで書いてしまうことには抵抗感を感じるということです。
○ 井上座長 A案のような事由を書かないとすると、そういう支障がある場合に、裁判官が障害のある人をなぜ裁判員から外せるということになるのですか。
○ 土屋委員 それは、当然言われると思いました。
○ 井上座長 結局、皆さんの御意見が分かれているのは、A案的な事由を書いた場合に、さっき判断が難しいという御意見がありましたけれど、職務に支障があるかどうかを個別の事件の内容との対比で判断することは可能だと考えるのか、それとも、裁判員の職務というものについては、すべての事件について共通の、一定の統一したスタンダード的なもののイメージがあって、その職務のイメージとの関係で一般的に判断すべき事柄だと考えるのか、という点なのではないかと思うのですね。どっちが本当に難しい判断なのかは、一概には言えないような気もするのですが。
なお、最初に申し上げようと思っていたのですけれども、本日、御検討いただかなければならない項目は極めて多いのです。今御議論いただいている点は非常に重要なところなので時間をとって議論していただいていますが、なるたけ進行には御協力いただきたいと思います。そうでないと、他のいろいろな項目について不十分な形でしか検討できなくなると思いますので、そのことを念頭に置いて御議論いただければと思います。現在議論している論点についての御意見はほぼ出たと思いますので、関連した点でちょっと確認させていただきたいのですけれども、たたき台については、欠格事由に該当する人が誤って手続に関与した場合の法的効果についても言及をしています。つまり裁判員が権限を有する種類の裁判がなされていない限り、既になされた審理の効力には影響を及ぼさないとされていますが……。
○ 四宮委員 事由のところはもう終わっちゃったんですか。
○ 井上座長 事由のところですか。
○ 四宮委員 今、イに移ったんですね。
○ 井上座長 (ウ)の関係については、大体御意見が出たのではないかと思われますので。
○ 四宮委員 (ア)について意見を言いたいのです。
○ 井上座長 それでは、一緒に御議論いただけますか。たたき台の効果のところについても、御意見があれば御意見を伺っておいた方がよろしいかと思います。特に御異論がなければ、それで結構ですけれど。それ以外の点も、無論、もう終わったというわけではありませんので、(ア)についても御意見があれば、どうぞ。
○ 四宮委員 私は、(ア)の要件、中学校を卒業しない者を欠格事由とすることについては反対です。理由は、一つは意見書の考え方ですけれども、国民主権からこの裁判員制度を導いているわけで、国民の自律と、社会的な責任を果たしてもらう制度として言っております。その意味で、前回年齢についても話題になりましたけれども、選挙権とリンクするのが自然ではないかと私は考えています。そうだとすると、この、教育を要件とすることについては、まず、その点で疑問があるというのが一つですね。
それから、裁判員というのは裁判を担当するので一定の能力が求められるのだという御意見があるのかもしれませんけれども、裁判員に求められている判断力というのは、一般に社会生活を営んでいる人には当然備わっていると思われるものであれば足りると思います。つまり、通常にコミュニケーションがとれて、いわゆる健全な社会常識というものをいろんな人との議論の中で反映できる人。それは、普通に生活をしていればいいというふうに思います。
また、教育程度を、陪審員なり参審員なりの資格要件にしている法制も、私の知る限りではイタリアだけのように思います。むしろ、ここの要件は、私は、日本語を読み理解できないことを欠格事由として、日本語を読み理解できない者、とすべきではないかと思います。日本の法廷では日本語が使われるということが法律の定めるところですので、そういう要件に変えることを提案したいと思います。
○ 井上座長 最初の点ですが、国民主権云々とおっしゃたところは、審議会でもかなり難しい議論のあった点で、裁判員制度を導入する趣旨として、国民主権ということからストレートには出てくるものとは必ずしも位置づけられていないということは御理解いただきたいと思います。つまり、国民主権ないし民主制と司法の本質との関係についてかなり議論があったところで、もちろん四宮委員のような考え方もありましたけれども、審議会全体としては必ずしもそういう立場に立ったわけではないということです。そこは意見書でもちゃんと書き分けているはずですので、注意深く読んでいただきたいと思います。
○ 四宮委員 注意深く読んだつもりなんですけれども。国民的基盤の確立のところに…
○ 井上座長 総論のところでしょう。総論としては国民主権ということは書いてありますけれど。
○ 四宮委員 いや、国民的基盤の確立のところにも、「国民主権に基づく統治構造の一翼を担う司法の分野においても、国民が自律性と責任感を持ちつつ」という……。
○ 井上座長 審議会意見書は、国民主権ということからストレートに裁判員制度というものが導かれるという書き方にはなっていないということです。私のコメントということだけにとどめておきたいと思いますけれども。
○ 大出委員 確認といえば確認なんですが、中学校については、旧制中学は入るんですか、入らないんですか。
○ 井上座長 事務局のお考えはいかがですか。
○ 辻参事官 もちろん定め方次第ですが、たたき台の案自体は、義務教育という趣旨で考えておりますので、新制中学ということでございます。
○ 大出委員 つまり、年齢的にいって、70歳以上は、後で、辞退事由になるわけですけれども、義務教育化されてない段階での教育を受けた方がまだ適格者としていますよね。かなりいるはずですよね。その場合に、中学校を卒業してないということになるのですか。
○ 池田委員 ただし書きがあるんじゃないですか。
○ 本田委員 ただし書きでいいんです。
○ 大出委員 ただし書きでいくという趣旨ですか。
○ 井上座長 議論を封じるつもりはないのですけれども、その種の、いわば技術的ないし細かな点については、御注意いただくのは結構ですが、この段階でそこまで立ち入って議論するのはどうかと思います。
○ 大出委員 私も学歴で切るということには賛成しかねるというようなところがあるものですから、一応確認です。
○ 井上座長 分かりました。今の四宮委員の御意見は、学歴で切るべきではなく、日本語の読み書きということでいくべきだということですね。その点についていかがですか。
○ 髙井委員 総論的になるのですが、国民主権ということが言われているわけですけれども、この裁判員裁判の制度を考えるときに、被告人を、あるいは被害者を、国民主権のための国民の教育の手段にしてはいけないと、私は思います。これは、本質の問題として押さえておかなくてはいけない。四宮委員の先ほどの御意見は、そういう趣旨で言われたものではないことは理解しておりますが、ややもすると、被告人を手段にして国民に国民主権の教育をしようと、国民の主権者意識を醸成するための手段に被告人を使うということに結果的にならないかという気がします。そういう観点を常に注意しながらものを考えていくということが座標軸として必要なのではないかということを、あえて申し上げたいと思います。
○ 井上座長 さっきの四宮委員の具体的な提案については、特に御意見はないですか。
○ 髙井委員 私は、このただし書きがなければ問題だと思いますけれども、ただし書きがありますので、これで結構だと思います。
○ 本田委員 やはり、こういった、人を裁く側に立つ人間については、少なくとも、国が定めた義務教育を終えた程度のものは必要なのだろうと思います。先ほど四宮委員が、普通の生活をしている人でいいのではないかとおっしゃいましたが、普通の生活とは一体何なんだということが問題なのではないでしょうか。いや、普通の生活をしている人と法律に書くわけにはいきませんし、この欠格事由をそういう区切りで定めるというのは恐らく不可能だと思いますね。
○ 四宮委員 前回の年齢のことについては、衆議院議員を参考にすべきだとおっしゃったんですけれども、衆議院議員の被選挙資格というのは学歴は要求されていないですよね。そことの関係はどうお考えになるのでしょうか。
○ 本田委員 それは、年齢的に、ある程度、社会経験が25年、あるいは30年と積んできた人と、この場合、いくつで切るのかという話はあるのかもしれませんけれども、ただ、通常は、中学校を卒業し、あるいは同等の学識を有する人というのは、普通そういう人になるんじゃないですか。被選挙権にしても、全くそれがそうでない人がというのは、細かく理屈で言えばそういう人もいるのではないかという話があるかもしれませんけれども、一般的にいって、少なくともそうでない人がというのは常識的に考えられないと思うんですけれども。
○ 髙井委員 被選挙権の資格と裁判員の資格を同列に論ずることはそもそも妥当ではないと思いますけれども。
○ 四宮委員 いや、前回、同列に論ずる意見が結構多かったので。
○ 髙井委員 年齢を……。
○ 井上座長 申し訳ないのですが、座長というものが存在しますので、御発言の際には、一応こちらを通していただけますか。(ア)の点について、両様の御意見が出たのですが、ほかに御意見がなければ、先に……。
○ 池田委員 よろしいですか。
○ 井上座長 どうぞ。
○ 池田委員 欠格事由というのは絶対的控訴理由ということになっています。今、裁判官であれば、裁判官に任命された人か任命されていない人かというのはすぐ分かるわけで、そんなことは争いになるとは思えないわけですけれども、心身の故障によって資格がないとされるかどうかということになると、アの(ウ)についてどう定めるのかによっても違うと思うのですが、仮に、事件の性格に応じて、心身の故障のある方には資格はないという制度にすると、その判断は、若干相対的な判断になるので、絶対的な控訴理由とするよりは、場合によっては、相対的な控訴理由、訴訟手続の法令違反等にしてもいいのではないかという気がいたします。
○ 井上座長 という御意見です。要するに、個別具体的な事件の内容によって判断が変わり得るということだとすると、仮に後で間違っていたと、こういう支障があったという場合にも、絶対的な控訴理由ではなくて、相対的な控訴理由、すなわち、判決に影響を及ぼすかどうかという方で処置すべきだという御意見ですか。
○ 池田委員 そのあたりの、その個々の事件によってだめかどうかというと、非常に軽い判断ミスであるということであれば、その方が関与していたとしても、それが判決には効力を及ぼさないということもあり得るのではないかと思うんです。
○ 井上座長 その点はいかがですか。御意見があれば伺っておきたいと思います。
○ 髙井委員 これは、当然、当該事件の被告人の納得の問題もあるわけですけれども、裁判の持つ公正さ、あるいは正確さに対する国民全般の信頼の前提という側面もあると思うのです。そういった観点からいうと、欠格事由として絶対的な控訴理由とするというのが正しいと思います。
○ 井上座長 中身によっては判決に影響しないと判断できる場合があるのではないかという点はいかがですか。
○ 髙井委員 事実問題としては、それはないとは言えないと思うんですね。ごくまれにでもそれはあり得るかもしれません。しかし、その中身を知っている者はそう思うわけですけれども、国民全般が常にその中身を知っているわけではありませんので。
○ 井上座長 外見で判断するということでしょうか。
○ 髙井委員 「らしさ」の問題でいうと、そこを一律に決めるべきではないかと思います。
○ 井上座長 その点も、どちらで判断するのかは難しい問題ですね。結局、事件の審理に実質的な影響を及ぼすような支障だったかどうかということで、一律に、欠格事由に当たるかどうかの判断をするというとらえ方もあり得るし、欠格事由に該当するということを前提にしながら、そのことが判決に実質的な影響を及ぼしたかどうかを判断するというとらえ方もあり得て、どちらのとらえ方をするかは、紙一重のような気もするのですけれども。その辺はどうですか。
○ 池田委員 ですから、どちらの形で組み立てるかとなると、両方ともあり得るだろうとは思います。絶対的控訴理由とすると、そこを争われたら、当該裁判員はどうだったのかということを、常に非常に厳格に調べなければいけなくなるわけですね。相対的な控訴理由だとすると、仮に支障があったとしても、判決には影響ないという場合も出てくるわけです。そういう問題かということなんですけど、裁判官が……。
○ 井上座長 仮想の判断として、仮にそうであったとしても影響しないと判断できるならば、それ以上中身に入る必要はなくなるということでしょうか。相対的控訴理由にすれば、そこが違ってくるということですね。
○ 池田委員 はい。
○ 井上座長 その点は、新たな論点だろうと思いますので、今後さらに検討を続けさせていただきたいと思います。タイムキーパーとしてはかなり焦り気味でして、ちょっと先に進ませていただいてよろしいでしょうか。
次が、「就職禁止事由」と言われるものなのですけれども、この項目に関しては、主として、基本的な考え方としてどのように考えるべきかにつき御意見を伺いたいと思います。もちろん、たたき台に示された案を参考に、こんな事由もあるのではないかとか、あるいは、こんな事由まで就職禁止にすべきではないといった、個別的な事項についての御意見もおありだとは思うのですけれども、まず大きな考え方としてどうなのかということを伺うということにし、その例示としてこういう事項を掲げるのはいかがなものかということを指摘していただく、といった形で議論を進めるのが生産的だと思います。ある一つの事項だけで30分も40分も議論をするということになりますと、これから先、どこまで行けるか分からなくなってしまいますので、その点に御留意いただきまして議論していただければと思います。いかがでしょうか。
○ 土屋委員 私は、いろいろ言いたいことがありますけど、絞ります。まず、ここのたたき台で挙げられている就職禁止事由の禁止の範囲は広過ぎると思いまして、もっと絞るべきであると基本的に考えます。なぜかといえば、裁判員制度というのは、広く国民的な基盤を持った制度にすべきであると私は考えているわけです。ですから、極力、就職禁止という事項は狭くするべきだと思います。それが目指すべき制度ではないかと考えます。
一つは、立法機関の関係者なのですけれども、例示的に言えば、国会議員が就職禁止事由になっていますけれど、国会議員も会期中は国の行方を左右するようないろんな問題がありますから、就職禁止の期間とする理由はあるでしょうけれども、会期前でしたら、別に裁判員になってもいいのではないかと思います。例えば、ということです。
それから、行政機関の関係者についてはもっと言いたいことがありまして、公務員の責任というのでしょうか、公務員の負担が軽くて、民間が重いといういう印象を強く持ちます。公務員というのは、いわば良質な裁判員の供給源であるべきだと思います。例えば、ドイツなどは、公務員で参審制度がもっていると言われるくらい公務員の比率が高いと聞いています。ですから、そういう方向をもっと目指した方がいいだろうと私は思います。今の点は、ひっくり返せば、民間に対する負担のしわ寄せというのでしょうか、そういう問題と受け取る人もきっと多いだろうと思います。最後は司法関係者なのですけれども、司法関係者は、職種によって一律に除く考え方が強く出ていますけれども、そこはもうちょっと疑問で、具体的な刑事裁判との関連性において吟味する必要があるのではないかと思います。基本的には、裁判官と、刑事裁判の関係者は、捜査も含めて別として、それ以外の方はできるだけ参加していただくという方がよかろうと私は考えています。
○ 井上座長 そういう御意見ですが、どうぞ。
○ 酒巻委員 個々の点については述べませんが、私は、基本的な考え方において、今の土屋委員の御意見に、遺憾ながらほとんど反対なので、それを述べます。
基本的な考え方は、やはり制度趣旨から出てくると思います。制度趣旨は、一般国民の健全な社会常識を刑事裁判に反映していこうということです。この「一般国民」という意味は、職業裁判官と協働するという観点からいって、法律の専門家でない、プロフェッショナルでない人を加えて、新たな裁判体を創るということだと思います。したがって、司法権の行使あるいは刑事司法作用に密接にかかわる法律のプロ、あるいはその周辺の人たちが裁判員として関与するというのは、制度趣旨からいって望ましくないというのが第一点です。もう一点は、国家の刑事司法作用を実現行使するのが裁判ですから、憲法の三権分立の観点からいって、他の国権すなわち司法以外の行政と立法に直接携わっている方が裁判に関与するというのは適切でないと考えます。
基本的な枠組み、考え方は以上です。その枠組みで個々のものを見ますと、基本的には、大枠としてはこのように就職禁止事由が数として広くなるのはやむを得ないところではないかと考えております。
土屋委員のお考えですと、例えば、弁護士、あるいは検察官が裁判員になるということも想定しておられるように思うのですが、それは私にはいささか理解しがたいところであります。
○ 土屋委員 私は、検察官は訴追する側だからまずいと思うんですけれども……。
○ 井上座長 すみません。私を通していただけますか。どうぞ。
○ 土屋委員 先ほど捜査関係者というふうに言いましたのは、検察官を除外するという意味です。それから、警察官についても除外するという意味です。
○ 酒巻委員 弁護士はどうですか。
○ 土屋委員 その後に、刑事裁判との関係で判断すべきであろうと言いましたけれども、弁護士は一律に除外しなくてもいいであろうと思います。そこは、非常に悩ましい問題はありますけれども、例えば、私の友達でも、民事しかやってない弁護士もいるわけですね。
○ 酒巻委員 弁護士というのは法律のプロでありまして、裁判員制度というのは、法律のプロである裁判官とそうでない一般国民の協働というのが意見書の基本的な趣旨であると私は理解しているのです。この考え方と、法律専門家たる弁護士が裁判員になるという考え方は、およそ両立し得ないように思うのですけれども。
○ 井上座長 そこは、考え方が分かれるところだと思いますね。一般の方、社会常識を反映させ得るような方が入って来られて、法律のプロである裁判官とコミュニケーションをとりながら、協働して裁判をやっていくという場合に、入って来られた方の中に法律関係者がいるということの持つ意味ですが、それによりそうでない方たちの自由な議論とか実質的な関与が妨げられることになるのだとしますと、酒巻委員が言っておられるような方向の議論になりますし、別にそういう影響はないということですと、土屋委員のような御意見になり得るわけで、そこのところが御意見の分かれるところだと思います。
○ 髙井委員 結論的には酒巻委員の御意見に近いのですが、この就職禁止事由を考える場合には、とにかく三つの柱があると思います。一つは、先ほど来議論されているように、プロの裁判官に対して法律の素人の意見を入れるということによって、より確かな認定に至ろうとするということです。そういう意味では、法律職はやはりまずいのではないかということになります。
それから、酒巻委員は、立法・行政については三権分立の立場からというふうに言われており、確かにそういう理由もあろうかと思うのですが、一つは、そこでの合議が自由にできるということが必要だと思うのです。類型的に合議が自由にできないおそれのある職業の方はまずいのではないかと思うのです。そういう意味では、国会議員というのは、どこでどういう利害関係があるか分かりませんし、それは国会議員から見てもそうですし、他に参加する人から見てもそうです。ですから、そういう意味では国会議員が裁判員になるのは非常にまずいのではないかと思います。
それから、行政官についてですが、裁判官を、ある人たちは官僚裁判官だというふうに言うわけですけれども、いい意味でも悪い意味でも。そういう意味では、そこに官僚的な人を更に入れるというのはまずいのではないかという気もしないではないということです。
○ 四宮委員 基本的な考え方を申し上げます。一つは法律専門家の関係なのですけれども、これはまた座長や髙井委員からは違う理解があるかもしれませんが、私は、意見書を心して読んだ結果、もう一度繰り返しますけれども、裁判員制度というのは国民主権に基づく制度だというふうに考えます。そうだとすると、それに参加する人が法律家であってはならないということにはならないと思うのです。それが一つです。それから、今、発言の影響力の話もありましたけれども、さっき座長がまとめられたとおり、合議を妨げるおそれが定型的にあるのかどうかということです。ちょっと御紹介ですけれども、アメリカでは職業による禁止事由というものを撤廃する動きが急速に広まっております。今、30州になろうとしていると思いますけれども、そこでは、裁判官も検察官も弁護士も実際に陪審員に選ばれて仕事をしているという例がたくさんあります。そういう人たちに話を聞くと、そこに入るのは法律家として入るのではなくて、陪審員として入るのだというふうに言っておりますし、ほかの陪審員たちもそのような仲間としての議論をしているようであります。しかも、今度は裁判官がその評議の中にいるわけですので、そういった議論の調整というものも十分できるのではないかと思います。ですので、私は、基本的には、法律専門家だからといって禁止をする必要はないと考えます。ただ、裁判官と一緒に議論をするときに、裁判官がいることについては違和感がないわけではありません。
○ 井上座長 それはなぜですか。さっきの理屈ですと、それもいいような感じがするのですけれども。
○ 四宮委員 私の意見は、すべての法律専門家について禁止事由でなくていいというものですけれども、もし、そういう考えがあれば、それはそれで一つかなということです。
○ 井上座長 分かりました。
○ 四宮委員 もう一つ、三権分立の方なのですけれども、裁判員が事実認定と量刑判断を仮にやるとした場合には、例えば、国会のメンバーとか内閣のメンバーが裁判員になる場合を考えますと、それは、個人として入って、事実認定と量刑判断をするわけです。決して、そこのメンバーが、例えば、司法部に入って司法行政を担うとか、そういうことではないわけです。ですから、これが三権分立の原則に反するという御意見には疑問がありますし、三権分立制をとっている近代国家の中でも、こういった職業を禁止事由にしていない国もあるわけで、それは理由にならないと思います。つまり、(ア)と(イ)の国会議員と国務大臣は、ただ、職務の性質上、国会議員は会期中に限るという前提ですけれども、辞退事由にすればよろしいのではないかというのが私の意見です。
○ 井上座長 というのが四宮委員の御意見ですが、ほかの方はいかがですか。
○ 本田委員 髙井委員とほぼ同じような意見ですけれども、やはり、三権分立の観点、もう一つは、一般国民の健全な社会常識を反映させるのだという観点からすれば、こういったたたき台のスタンスは十分肯定できると思います。
今、四宮委員から、かなり広い範囲で、こういうのはやめにして辞退事由とすべきではないかという御意見があったのですけれども、そうすると、この裁判員制度を導入した趣旨は一体何だというところで、どうも焦点がぼやけてしまうのではないかと思います。理論的には、裁判官を入れてもいいでしょうという話になりかねないわけですね。
一つは、国会議員とか市町村長とかが挙げられていますが、こういう選挙で選ばれる人を裁判員に入れていいのか、一般的に広く、票を獲得する活動をしょっちゅうやっている人を裁判員に加えることが本当にいいのかなという気がしないでもないです。だから、そのあたりのところは実質的に考えて、この裁判員制度の趣旨から、こういった禁止事由というのは設けておく必要があるのだろうと思います。細かいところで検討すべき事項がまだあるのかもしれませんけれども、基本的なスタンスはこのたたき台の線でいいのだろうと考えます。
○ 井上座長 二通りの御意見がありましたが……。
○ 大出委員 私も、この禁止事由はちょっと広過ぎるのではないかと思うんですね。いろいろと基準はあり得るとはもちろん思いますけれども、今、国会議員あるいは選挙に絡む利害関係というような話が出ましたけれども、それよりも、選挙で直接選ばれる人たちは、直接選ばれたことによって国民の負託に応えるという役割を負っているわけですから、それは会期中に限定されるかどうかという問題はあると思いますけれども、裁判員という形で職務を遂行するに支障が生ずる場合が当然あり得ると思うんですね。それは、国民の負託に応えるということとの関係で生ずる障害ですから、そこは除外せざるを得ないだろうと思います。
ただ、そうすると、地方自治体の場合はどうかという問題があるわけですけど、地方自治体の場合には、国会議員との関係でいくと、会期というのはかなり短いはずで、それを辞退事由にしておくというようなことで処理ができるのではないかという感じがするのですね。いずれにせよ、その場合、国会議員の場合などは、恐らく辞退事由ということにしたときには、多分辞退されるのだろうと思うんですね。そうなってくると、まさに辞退ということによって、その場合、しかも認められるということになってくると、さっき土屋委員もおっしゃったように、ほかの方たちとのバランスの問題が出てくる可能性が出てくると思うんですね。ですから、そういう意味では、一律その辺は禁止にしておいた方がいいということに多分なるのだろうと考えます。その範囲で入ってくるというのは、国会議員と国務大臣と都道府県知事、市町村長あたりということに多分なるのだろうと思うんですね。
私も、法律専門家という点については、裁判に直接かかわりがあるような職務に就いている人たちは、それは国民が広く参加するということの持っている意味からいって、そこは除外する必要があると思います。それは、警察関係の方たちも含めてということになると思いますけれども、それ以外は除外しなくてもいいのではないかと私なんか思うんですね。
むしろ公務員の方たちは、もちろんここは微妙だとは思いますけど、公務員の方たちは、これは土屋委員もおっしゃったことですけれども、むしろ公務員の方たちがちゃんとなって範を示すということでないと、民間の方たちにとってみても差別感が残るというようなことにはなっては困るわけで、そこはちゃんとやっていただく必要があるのだろうと思うので、そういうことでいくとかなり絞れるのではないかと私は思っています。
○ 井上座長 一応、幹部職員ということで範囲を狭めてあるのですが、このたたき台では。
○ 大出委員 その後のところには、裁判所の職員の方とか法務省の職員の方とかというのは、私は除外する必要は多分ないだろうと思いますので。この方たちも公務員ですよね。
○ 井上座長 そっちの方を主に言っておられるのですか。二通りの御意見が出て、平行線という感じですが、さらに何か付け加えて御意見を伺っておくことがあれば伺いたいと思います。よろしいですか。考え方の筋としては、二通りないし三通りの考え方があったということですね。
ここでも、たたき台は、就職禁止事由に該当する者が誤って手続に関与した場合の法的効果についても言及しており、欠格事由の場合とは異なりまして、就職禁止事由違反の場合には、既になされた手続の効力には影響を及ぼさないという案になっております。その趣旨は、欠格事由の場合には、本来それに携わってはいけない、あるいはそういう能力がないということですので、そういう人が加わって裁判を行ったとすれば裁判の内容に影響するだろうと考えられるわけですが、就職禁止の場合は、そういうこととは別の理由でその職に就かせないということなので、裁判の内容に影響するわけではないということであったと思います。御意見をどうぞ。
○ 髙井委員 一点だけ。
○ 井上座長 どうぞ。
○ 髙井委員 これは、先ほど本田委員が言われたことと関連してくるわけですけれども、常に票を集める、常に、ある意味では周りの人の人気をとらなければいけないという立場にある人の判断が、実体的に信頼できるのかということは考える必要はないのですか。例えば、有罪評決をするのは非常に不人気になるというような案件があったとしますよね。そういうような案件で、例えば、国会議員、地元から出ている国会議員が裁判員に入った場合、そこで公正な判断がなされたと定型的に言えるのだろうか。逆にそれは、国民は逆の不安を定型的に抱くのではないかという気がするんですけど、そうすると、このウのような決め方で果たしていいのだろうかという気がしないでもない。
○ 辻参事官 そういう考慮であるとすると、それは、むしろ手続の効力の問題というよりも、この事由の場所を移すということになるのだと思います。
○ 井上座長 欠格事由にすべきだということですか。
○ 辻参事官 おっしゃるような趣旨からして、すべての事件について問題となることではないのではないかという感じもいたしますので、忌避理由ということで、個別の事件において、そういうことが問題となるのであれば対応できる範囲なのかどうかということをまず検討する必要があるのではないかと思います。もし、忌避事由では対応できないとすると、更に考える必要があるということになるのだと思います。
○ 井上座長 それは、就職禁止事由にしていることの趣旨をどう理解するかということではないでしょうか。髙井委員のおっしゃるように、公正さに影響があるかもしれないということだとしますと、ここにワン・オブ・ゼムとして掲げていること自体が適切かが問題になるということですね。この程度でよろしいですか。
次が「(4)除斥事由」なのですけれども、除斥事由に関しましては、被告人、被害者や事件と一定の関係を有する者は裁判員となることができないということにされています。この辺は、おそらくどなたも異論はないだろうと思いますけれども、それでは具体的にどういう事由を掲げるべきかという点について、このたたき台の案も参考にしながら御意見があれば伺っておきたいと思います。いかがでしょうか。ほぼ考えられるようなカテゴリーが挙がっているように思いますが、どうぞ。
○ 池田委員 細かい点ですが、(ケ)の検察審査員又は補充員として職務を行った者について、補充員というのは、補充員である限りは職務を行わないのではないかと。
○ 井上座長 事件に関して審理には加わらない……。
○ 池田委員 審理に加われば、審査員になっているのではないかという気がするのですが、非常に細かいことで申し訳ありません。
○ 井上座長 そういう意味で、この補充員というのは要らないだろうということですか。事件に関与すれば、検察審査員になっているのだからということですね。
○ 池田委員 ええ。
○ 井上座長 この点は、他に特に御意見ございませんか。
それでは、次の「(5)辞退事由」に進ませていただきます。この項目につきましても、まず基本的にどういうふうに考えればいいのかということを中心に御議論いただきたいと思いますが、このたたき台に示された案を手がかりに、そういう大きな考え方からすると、こういう事由はいかがなものか、あるいは、こういう事由を加えるべきであるというように、大きな考え方の例示として、先ほどのように組み立てて御意見いただく方がよろしいと思いますので、よろしくお願いします。いかがでしょうか、どなたからでも。
○ 四宮委員 加えるべきだというのは、さっき申し上げましたように、私は国会議員と国務大臣はここに加えるべきだというのが一つと、学生及び生徒ですけれども、確かに検察審査会法にも日本の陪審法にもこれがあるのですが、ここに大学の先生もたくさんいらっしゃるので、勉学にいそしむべしということで、裁判員になることで学業に影響があるということなのかもしれませんが、ただ、裁判員の経験というのも、国民の一人として、また、学問をする学生としてもプラスになることもあるし、例えば、試験などのようなハードシップがない場合もあるだろうということで、学生及び生徒であるということだけで辞退事由とするのはどうかなという気が、これを拝見していたしました。
○ 井上座長 最初の部分は、国会議員については先ほどの議論の帰結としてそうなるということですか。
○ 四宮委員 はい、そうです。
○ 井上座長 細かな点に踏み込むのは避けたいのですが、学生及び生徒に関して申しますと、四宮委員は授業に出ずに試験だけで卒業されたのかもしれませんけれど、学生というのは本来、学業に専念してもらう、学校で学ぶ以上、一心に集中して勉強してもらうということが求められているのですね。しかも、例えば社会に出て会社勤めをしている人の場合などでは、一時休んだとしても、誰かが代替すれば済むわけですが、学業の場合には、そのように他の誰かが代替できるという性質のものではないのです。誰かが代わりに授業に出てノートを取り、それを読めば済むというものでは本来ないということであり、学生や生徒を辞退事由にするのは理念的にはそういうことで説明がつくのかなという感じがします。ちょっと細かいのですが、大学の教師としては、そういうことを言っておきませんと、帰ると後ろから弾が飛んでくるかもしれませんので。
○ 土屋委員 私は、むしろもう一つ付け加えてほしい事由があります。それは市民生活に大きな影響のある職種の人です。例えば、消防隊員だとか救急隊員だとか、こういう人たちは辞退できるということを書いておくべきだと思います。特に、前のところで自衛隊員というのがありますから、それに比べて、これらの職業がないのはおかしいと私は思います。
○ 井上座長 就職禁止事由ではなく、辞退事由の方に加えるべきだということですか。
○ 土屋委員 私は、就職禁止は狭くすべきだと思っていますから、辞退事由でいいだろうと思います。
○ 井上座長 自らの意思で辞退したいという人には辞退を認めるということですか。
○ 土屋委員 例えば、当直勤務がその期間中は私は入っているというような人は辞退できるようにすべきだと思いますけれども、そういう体制に就いていない消防の職種の方もいらっしゃるわけですから、そういう人は辞退できないとしておいていただいた方がいいかなと思います。
○ 井上座長 消防とか救急、そういう緊急を要する職務に就いているということですね。
○ 土屋委員 はい。
○ 池田委員 今の関連なのですが、ここに掲げられているアからカまでは、自分がこういう場合であれば、申し入れれば辞退ができるという事由です。他方、キは、裁判官が困難であると認めた場合ということになっていますので、裁量的な部分が加わっているわけですが、今、土屋委員がおっしゃったような場合ももちろん、多分キで補われるだろうと思いますし、それを列挙するとかなり難しくならないかと思います。このキは、今回の裁判員制度を導入する目的からすると、かなり厳格に、制限的に、よほどの事情がないと辞退できないというようなことで運用せざるを得ないと思うのですが、キのような規定ぶりだけだと、何か裁判官の裁量に任されてしまっているので、バラツキが起こらないかという心配もないわけではありません。もう少し、例えば、キについて例示的なものを掲げて、その他、それに類するようなものということでいけないのかと思います。例えば、類型的に考えますと、今、土屋委員の言われたような、自分の仕事で、社会的に、自分が抜けることによって社会的な影響が大きいもの、あるいは、自分自身が病気だとか事情があって出られないというもの。それから、自分の周りに養育すべき者がいる、あるいは介護すべき人がいる、そういうような家庭なり自分の周りの問題。それから、勤め先なり経済的な事情で、自分が抜ければ、個人企業で仕事がやっていけなくなるとか、そういうようなものというように、何か類型分けをした上で、辞退できる事由を、ある程度厳しくしているのだということが分かるような規定ぶりにはできないだろうかと思っています。
○ 井上座長 今のところも、最終的に法文としてどこまでの規定ぶりにできるのかというのは、法制的な観点からも詰める必要があると思いますので、ここでそこまで議論することができるかどうかは別として、具体的にどういう場合なら辞退事由に当たるのだろうかという点について御意見をいただければと思います。この程度ならやってもらわないと困ると、そういったことを少し議論しておいていただいた方が、後々のためにもよろしいかと思いますので。今、池田委員からいくつかの例が挙げられましたけれども、それをも踏まえて皆さんの御意見をいただければと思います。このキに議論の範囲を限定したわけではないのですが、どなたからでも、どうぞ。
○ 髙井委員 このキについては、書きぶりではなくて、その内容、つまり、やむを得ない事情をどう考えるかということは、裁判員制度が果たして有効に動くのかどうかということにとって、非常に、ある意味では死活的な要素だと思うのです。と同時に、国民の方々も最も関心のある事柄の一つであろうと思うのです。先ほど池田委員の方から、ここは限定的にやるべきで、原則的に受けてもらわなければ困るのだというお考えが示されましたが、確かにそういう考え方もあるとは思うのですけれども、その場合、あまりに国民の負担が重くなりすぎないかという感じがします。例えば、確かに会社は動いていく、会社は動いていくのだけれども、非常に重要な商談があって、自分がそのときにいなくなると非常に困るだとか、あるいは、自分がいなくてほかの人にその商談を代わっても成立するかもしれないけれども、やはりそれまでのいきさつ上、自分がいないと困る、あるいは、あからさまな言い方をすれば、その後の人事考課等々の関係からいったら、自分がやりたいとか、いろんな要素があると思うんですね。ですから、どの範囲で合理的な辞退事由とするかということは、非常に難しいと思います。
あえて議論のために、池田委員が言われている意見の対極の意見を申し上げますが、私としては、その結果、裁判員になられる方は結局ハッピーリタイアをした人が中心になるような事態になってしまうということであっても、やむを得ないのかなというのが、最悪といいますか、最低ラインとして考えて制度設計をせざるを得ないのではないかと思います。
○ 井上座長 おっしゃっていることは、非常に重要な問題だと思いますね。アメリカの陪審制度などでもそうですし、他の国でもそこのところは悩みの種のようで、あまり鷹揚に辞退を認めますと、おっしゃるような結果になって、出される裁判の内容についても良い影響を与えていないといった指摘もありますし、他方、あまりに厳しくしますと、制度自体についての反感とか不満をあおることになるということもあって、実際運用に当たっている関係者にとっては悩みの種なのですが、大きな方向としては、できるだけ辞退を認めないで、無理をしてでも参加していただくという方向に向かっているのかなという感じがします。余計なことを言いましたが、いかがですか。
○ 四宮委員 私も池田委員のお考えに基本的に賛成です。やはり、今座長からもお話があったように、あまりルースに辞退を認めますと、制度そのものの基盤を損なうと思います。むしろ、そういった国民の負担というのは、この裁判員制度の議論の一番最後に、出頭の確保ということで、たぶん、これから、いろいろな社会制度の整備をするということが議論されると思いますけれども、なるべくそういったものを整備をしていって、負担を少なくして、そしてできるだけ参加をしていただくべきだと思います。その意味では、何らかの例示をするというのも一つではあると思います。
ただ、例示も、さっき申し上げた社会的な制度の整備との関係で慎重にしないと、そういった事由があれば、今度は辞退事由に当たるからいいのではないかという形になってしまってもちょっと心配かなという点はありますけれども、基本的な方向としては、ここは厳格に運用していっていただきたい部分だと思います。
○ 井上座長 さっき挙げられた例ですと、一つは、小さいお子さんがいて、養育しないといけないという場合がありました。あるいは、看護すべき方が家族あるいは親族にいて、ほかに看護する人がいないという場合も挙げられました。これは、事務局の説明の中でも例として挙がっていたのですが、そういう場合に裁判員になってしまうと、その養育とか看護に著しい支障が生ずるということならば、恐らくどなたも異論はないのではないかと思います。難しいのは、経済的損失とか会社の仕事等に支障が生ずるという場合なのでしょうね。本人とか雇用主など第三者の業務に著しい支障が生ずるという場合の、著しい支障が生ずるかどうかという点の認定がかなり難しいように思うのです。そういう場合にもいろいろあって、個人経営とか、あるいは中小企業の経営者などで、その人がいないと事業が頓挫してしまうというような場合から、大きな会社とか組織の一員ではあるのだけれども、重要な役目を負っていて、その人が欠けると重大な影響が及ぶというような場合もあるでしょう。あるいは、そこまではいかないのだけれども、実質的な影響がないわけではないという場合までいろいろあり、その辺はなかなか一律には言いにくいと思うのですが、どうぞ。
○ 本田委員 確かに、こういう制度ができるわけですから、国民に協力していただかなけれはいけないことは当然のことで、そういう意味では、制限的にこれを運用すべきだというのが一つの理屈だろうと思うんですね。そういう側面もあると思うんです。ただ、そこで一つ問題があるというならば、辞退事由を制限的に運用した結果、嫌々ながら裁判員やってもらうのでは、それも困るんですね。真摯に裁判員の仕事をやってもらわなければいけないので、無理やり連れてきて、嫌々ながらやってもらって、本当に裁判員制度が正しく動くのかという疑問もあるわけです。裁判員になる人に、納得してもらって裁判員になってもらうということが必要なので、辞退事由についても、一律に厳しく運用するということで解決できる問題ではないのだろうという気がします。やっぱり、裁判員が納得して、本当にこの仕事をやるのだという気持ちになってもらわないと、本業の仕事の方が気になって、上の空で裁判員やってもらうという事態になっては困るという気がします。
○ 井上座長 具体的に詰め出すとなかなか難しい問題なのですが、もう一つ、違う視点として、例えば、一日、二日とかの短い期間なら裁判員の職務を行えるけれども、例えば1週間以上掛かる、あるいは2週間も掛かるということではとても無理だといった事情がある人もいると思うのです。あるいは、子どもがいるので、学校とか幼稚園に行っている間の半日なら可能だけれども、それ以上は無理だという人もいるのではないかと思います。そういう言わば相対的な条件付きの辞退、逆に言いますと、条件付きでは職務に応じられるといった場合は、どう考えればよろしいのでしょうか。
○ 髙井委員 先ほど申し上げましたように、裁判員を選ぶのは、一応この裁判についてはだいたい何日ぐらいかかるというふうに予定が立っている段階だと思います。ですから、そういう意味では条件付きの辞退ということではなくて、一応二日間だったら大丈夫ですよというようなことになるのではないかと思いますね。
○ 井上座長 そうすると、裁判員に来てもらって辞退事由を説明するときに、この事件は大体どのくらい掛かりますと伝えて、それを前提に、このキの事由に当たるかどうかを判断し、当たると思えば申し出てくださいと言うということですか。
○ 髙井委員 私はそういうイメージでいます。2週間なら無理だけれども、一日ならいいという人は結構いると思うんですね。ですから、何日掛かるのかということは、選ばれた候補者は、当然聴きたいわけですから、それを告知するというのは当然だと思います。
○ 平良木委員 順序が逆のような感じがします。私は、別に意見書を出しておりますけれども、そこで述べている案は、こういう事態になってくるので、裁判員の意向を聴いて、むしろ裁判所が裁量を働かせる余地、あるいは選任委員会が選ぶ余地を残すべきではないかと考えているのです。これをそのまま事由に持ってくるというのはかなり問題があるというか、逆に恣意的なところに結び付くという批判が出てきはしないかという気がしないでもない。
○ 井上座長 今、二つのことを言われたのですが、本人に選ばせるというのはどういういうことでしょうか。
○ 平良木委員 私の立場で言うと、裁判員候補者のそういう意向を確認した上で、その事件に充てようということですから、私の考えだと矛盾がないだろうということです。ただ、一律に出てくる人をそういうことでもって辞退事由に当てるということがいかがなものかと思います。
○ 井上座長 具体的な事件のために呼び出す前に、候補者に挙がる段階で意向を聴くということですか。こういう条件なら受けられるけれども、こういう条件なら受けられませんと。
○ 平良木委員 そういういうことですね。
○ 井上座長 分かりました。そういう御意見も出ましたが、髙井委員の御意見は、裁判所に出頭してきた人に、この事件はこのくらいの期間掛かりますよということを伝えた上で、辞退を申し出るかどうか判断してもらうというものでしたね。
○ 髙井委員 手続的には、出頭する前に意向を確認するという手続の組み方もあろうかと思います。
○ 井上座長 なるほど。呼び出しのときなどに、あらかじめ意向を聞くというやり方もあり得るということですね。
○ 酒巻委員 先ほど来議論となっている、辞退事由のキの要件の書き方、やむを得ない事由をどうするかについては、座長が先ほど整理なさったとおり、病気を理由とする場合と、介護のような事情を理由とする場合についてははっきりしていると思います。もう一つの、仕事関係の支障の方は、具体的なよい知恵がないのですが、ただ、何らかの形で明確に書かないといけないと思います。辞退事由の規定の仕方が不明確だと、裁判所の判断の結果、辞退が認められずに裁判員に選任された人が、あいつは仕事を理由としてうまく辞退できたけれども、何でおれは辞退できないんだ、というような不満が出てくるおそれがある。このような事態は制度全体に対する信頼を損なうことになりますので、基準を明確にすることが絶対に必要であると思います。
○ 井上座長 その明確な基準について、何か良いアイディアをお持ちでしょうか。
○ 酒巻委員 誠に難問で、遺憾ながら、いいアイディアは浮かびません。これまで両様の御意見がありましたが、基本的な考え方としては、私は、池田委員がおっしゃったとおり、辞退の可否は、厳密に判断する方向が妥当だと思っております。
○ 大出委員 私も、基本的には、厳格に運営をすべきものだと思っています。今、例に挙げられたものが、果たして、例えば介護が必要であるとか、子どもの養育といいますか、子どもの面倒見る必要があるというのも、それ自体は代替可能性が全くないわけではないというふうに私は思うんですね。ですから、むしろ会社の、企業で社長1名しかいないということで、その社長がすべてやらざるを得ないというような場合と少し事情が違って、その場合は補償の問題が絡むかもしれませんけれども、つまり、財政的な問題がもちろん絡みますけれども、財政的にある程度代替可能性があって、対処可能な場合については補償するというシステムがあってもいいのだろうと思うんですね。
○ 井上座長 例に挙げたものは、代替が効かない場合という前提で挙げたのですが。
○ 大出委員 介護なり。
○ 井上座長 そうです。ほかに面倒見てくれる人とか、面倒見てくれるシステムがないという場合を想定しているわけです。それはお金だけの問題ではないと思うのですね。
○ 大出委員 それはあり得ることですね。
○ 井上座長 言うのは易しいですが、実際にはそう簡単なことではないと思うのです。
○ 大出委員 そういう限定がどうしても必要だろうと思います。
○ 井上座長 私が挙げた例もそういう前提ですし、池田委員がおっしゃったのもそういう意味だと思います。
○ 大出委員 いずれにせよ、私も厳格に運用するということで、なかなか基準というのは難しいだろうと思いますが、もう一つ、これは既に述べられた方もいらっしゃいますけれども、今、想定されている人数は、いずれにせよ、私の主張といいますか、法定合議ということになったとしても、その数は私が考えている数に比べればはるかに少ないだろうと思いますので、そういう中で、なおかつあいまいな基準で、あの人はやらなくて済んで、こっちがという、いずれにせよ、何の支障もない人は少ないだろうと思いますので、そういう中で不公平感が生まれてくるようなことには何としてもならないようにしなければいけないという感じがしますので、そこはできるだけ形式的にちゃんと手当てをする必要があるだろうと思います。
○ 髙井委員 ものの視点をどうするかということなんですけれども、例えば、年はある程度いっている、あるいは社会経験はある程度少ない、しかし、裁判員としての熱意と責任感でやる気はいっぱいあるという人と、判断力はこなれている、社会的にも一線で活躍している、しかし、今、本田委員も言われたけれども、頭のどこかには仕事のことが残っているという人に裁判員をやってもらうのと、果たしてどちらがいいのだということを考えますと、なるべく辞退を認めない方がよいという方は、国民主権というところから発想しておられるのではないかと思いますけど、実体的な真実を発見するという裁判の使命、あるいは被告人、被害者にとって納得のできる裁判をするという観点からすると、いかにしてやる気のある人、責任を持ってやってくれる人を選ぶかという視点が必要なのではないかと思うんですね。
○ 井上座長 その点は違わないと思うのですよ。問題は、境界領域のようなところだと思います。アメリカやその他の諸国でも、辞退や免除を緩やかに認めていたら、参加する人たちがある特定のカテゴリーに偏ってきてしまい、その結果、評議などが非活性的なものになったり、結果としての判断内容に一定の傾向が現れるようになったということが問題とされて、それで、できるだけ辞退や免除を認めない方向に持っていこうということになってきているわけです。ただ、その代わりに、いろいろな代替措置を講じているわけですが、その議論の時にも、境界領域にいる人というのは少なくないという認識があったように思います。つまり、確かに、陪審員や参審員候補者として呼び出された当初は、多くの人は、仕事もあるし嫌だなと思うのですが、しかし、いったん選任されて、具体的な事件を割り当てられ、生の事件内容に接したり、被告人等を目の当たりにしたときに、それに集中できないかというと、そうではないのです。実際にそういう立場に置かれると、真剣にやってくれる人たちが少なからずいる。だからこそ、辞退や免除の認定を厳しくしようという方向に動くこともできるのだろうと思うのです。もちろん、それでも絶対嫌だ、中身はどうでもいいから早く済ませたいという人もいるかもしれないということは、確かにそのとおりだとは思うのですけれども、今申したような境界領域というものをどこまで広いものとして見るのかということだろうと思うのです。
少し踏み込んで自分の意見言い過ぎたかもしれませんが。
○ 四宮委員 全くおっしゃるとおりだと思うのです。裁判員になった人が、たとえやる気があって責任感を持って来たとしても、その裁判が理解できないつまらないものだったならば、それはうんざりして帰って行くわけですね。今、座長がおっしゃったように、やりたくないなと思って来たけれども、もしその裁判が非常に理解のできる、そしてやりがいのあるものならば、一生懸命やっていってくれるわけで、そこはむしろ我々法律家のやり方に非常にかかわってくる部分ではないかと思います。
○ 井上座長 扱う事柄が極めて重大な事柄であり、重い責任を負わされますので、そういいかげんにはなり得ないのではないかと思うわけですが、そこはちょっと甘いのかもしれません。
○ 土屋委員 経済的理由での辞退ですよね。これについて、何か、やむを得ない事由と書くだけでなくて、具体的にもうちょっと書いておいた方がいいのかなという気が私はするんですね。
○ 井上座長 それは、酒巻委員の御意見と同じだと思いますが。
○ 土屋委員 はい。それでちょっと思ったんですけど、ドイツの参審制度について、最高裁の事務総局が監修して出している陪審・参審制度のドイツ編という本がありまして、それを見ていましたら、ドイツ裁判所構成法のことが書いてありまして、この規定ぶりなんかは参考になるのではないかと思ったんです。
○ 井上座長 どういうことでしょうか。
○ 土屋委員 ちょっと抜き出してきたんですけれども、「職務の行使が本人又は第三者にとって十分な経済的生活基盤を危険にさらす、あるいは著しく損なうことのゆえに、特別に過酷であることを疎明する者」、特別に過酷要件というんでしょうか、特別過酷要件、そういうふうに書いてあるんですね。もう一つは、「家族の世話が著しく困難な者」と、2つ書いてあります。
○ 井上座長 いずれも本人が疎明しろ、何か資料でも提出してその点を疎明しろということですか。
○ 土屋委員 自分は特別に過酷な状況にあるのだということを言わなければだめだということなんでしょうけど、私、これが実際的にどのように機能しているのかよく分からなくて、何とも言いようがないのですけれども、こんなふうに書いておくのも一つかなというふうに考えたりもしますけど。
○ 井上座長 分かりました。どこまで細かく規定ができるかどうかは別として、一つの参考になる例だということですね。この点は、このくらいでよろしいですか。どうぞ。
○ 平良木委員 前の方に戻ってしまうのですけれども、アの「年齢70年以上の者」という要件は辞退事由でいいのかという感じがするんですが。
○ 井上座長 欠格事由にすべきだということですか。
○ 平良木委員 年齢を少し上げて、欠格事由とすることも考えられるかなという気はしますけれども。
○ 井上座長 その理由はどういうことでしょうか。
○ 平良木委員 ちょっと、いわく言い難いんですけど。
○ 井上座長 御自分がその年齢に近くなってきたから、危ないんじゃないかということですか。
○ 平良木委員 それならもう少し真剣に。恐らく、裁判を行うに当たって、例えば、今の法律が、下級裁判所の裁判官が65歳、簡易裁判所判事と最高裁判所判事は70歳という年齢制限を設けていることには、合理的な理由があると思うのです。そういうことからすると、確かに、70歳を過ぎた人でも個人によっていい人もいれば悪い人もいる、つまり、裁判に耐えられる人もいれば耐えられない人もいるということはよく分かるのです。問題は、耐えられない人をどうやって外すかということが裁判所の方で逆に問題になってくるのではないかということなのです。ですから、本人の意向にかからせるということがいいのかどうか。むしろ、一定のところまでいったら、これはだめだという方が形としてはやりやすいのかなという気がちょっとするということです。
○ 井上座長 やり易さという意味ではですね。
○ 平良木委員 そういうことですね。
○ 井上座長 その点は他の方の御意見はいかがでしょうか。
○ 髙井委員 今後、高齢化社会になるわけですから、あまり高齢者をのけものにしてはいけないと思います。ですから、本人が辞退するのはいいんだけれども、例えば75歳以上は欠格事由ですというのはいかがなものかと考えます。
もう一つは、裁判というのは昔から長老が行うものというふうに言われているわけですね。それは、自然発生的にも。ですから、日弁連なんかは、若い判事補の裁判はどうなんだというようなことを言っているわけで、そういう意味では、本来、裁判というのは長老のものという歴史的な経過があるということは……。
○ 平良木委員 だけど、その割には年齢の下限を25歳にしているじゃないですか。
○ 髙井委員 一応そうなっているんです。私も若いものですから。
○ 井上座長 ちょっと雑談に流れて行っていますね。そういう御意見が出ましたし、なお検討を続けるということでよろしいですか。
もう一つだけやっておきたいのですが、次の「(6)忌避理由」、これはいわゆる理由付きの忌避のことですけれども、現行の刑事訴訟法の規定と同様に、「裁判員が不公正な裁判をするおそれがあるとき」という事由を設けるという案にたたき台ではなっています。この点についてはいかがでしょうか。これは要らないという御意見はおありでしょうか。「忌避」という用語がいかがなものかというのは、清原委員などから疑問が出されたところですが、「忌避」という語で呼ぶかどうかは別として、実質的にこのような、当事者の申立てに基づいて裁判体から外れてもらうという制度を設けるということについては、特に御異論ございませんか。よろしいでしょうか。
それでは、一応ここで区切りもよいことですので、10分程度休憩させていただきたいと思います。
(休 憩)
○ 井上座長 それでは、再開させていただきます。
次は、「(7)裁判員候補者名簿の作成」という項目ですけれども、この項目から「(9)質問手続」までは、裁判員が実際に選任されるまでの手続の流れに関する項目になっております。したがって、その性質上、かなり技術的な内容も含まれざるを得ないところがあるわけですが、先ほどもお願いしましたように、ここであまり細かなテクニカルな部分にまでわたって議論をするのは、検討会の性質からしてもふさわしくはなく、その辺は実務的なところでさらに詰めていただくということにしてもよいだろうと考えております。そこで、ここでは、まず各項目について、基本的な考え方につき御意見を伺うということにさせていただき、さらに、具体的あるいは細かな点については、こういう点は是非加えるべきだとか、あるいは逆にここはおかしいのではないかということがあれば、お伺いするという形で進めさせていただければと思います。
まず、「(7)裁判員候補者名簿の作成」という項目ですけれども、たたき台では、審議会意見書の、「裁判員の選任については、広く国民一般の間から公平に選任が行われるよう、選挙人名簿から無作為抽出した者を母体とすべきである」という提言を踏まえまして、選挙人名簿を基に裁判員候補者名簿を作成するという案が示されています。その名簿は、毎年、翌年の1年間に必要となると認められる員数の人をくじで選定してその名簿に登載するという案です。選挙人名簿を基に裁判員候補者名簿を作成するということ自体については、審議会意見書で決まっているというか、そういう前提で話が進められていることであり、このこと自体についてあまり御異論はないとは思いますけれども、いずれにしましても、この項目全体について御意見があればお伺いしたいと思います。どなたからでもどうぞ。
○ 大出委員 テクニカルな問題だという部分があるかもしれませんが、手続的に、1年間ということで選定した人に、名簿に登載されたということでの告知というようなことが必要ないのかどうかということなのですが、私は、その段階で一度連絡をするというようなことをした方がいいのではないかと思うんですね。今までの例からすると、検察審査会のときなんかもそうですが、やはり、突然来るということの持つ心理的影響はかなり大きいというような話もありますから、もちろん、最終的に呼び出しが行われるかどうかはともかくとして、名簿に登載されて1年間はそういう可能性があり得るというようなことが必要なのではないかと私は思っているところです。
○ 井上座長 外国の例などでは、名簿に載った段階で通知をするというような制度を取っているところが多いと思いますけれども、検審の場合も、通知はされているのではないでしょうか。
○ 池田委員 調査をしているので分かるはずなんですね。
○ 井上座長 今確認しましたが、法律の規定で、通知するということになっていますね。選管が検察審査員候補者名簿に登載された者にその旨を通知し、かつ、その氏名を告示するものとされています。裁判員の場合もそれに準ずれば、当然そういうことになるのかと思いますけれど。ほかに、この点はよろしいですか。
○ 髙井委員 内容ではないのですが、平良木委員から紙が出ていますけど。
○ 井上座長 それは、この後のところで扱わさせていただこうと考えていたのですが。
○ 髙井委員 そうですか。
○ 井上座長 しかし、せっかく口火を切っていただきましたので、平良木委員も御異論がなければ、そちらに移らせていただいてよろしいでしょうか。
○ 平良木委員 ええ、結構です。
○ 井上座長 今の名簿への登載の後、具体的な事件について裁判員候補者を召喚するという手続の間に、もう一つ選別の仕組みを組み込むべきではないかというのが平良木委員のお考えでして、本日、案を作って出していただいておりますので、問題提起をしていただければと思います。
○ 平良木委員 私は、ドイツの参審制度をいろいろ見てきましたけれども、これが評価されるにはいくつか要因があるだろうと思っておりました。一つは、これは今まで何度か言ってきましたけれども、対象事件が軽い事件であるということで、これが比較的うまくいっている。それから、もう一つは、質のいい参審員、これを確保しているということがあると思います。この二つが、うまくいくかどうかの分かれ目になるのではないかという気がいたします。そういう観点からしますと、特に、我が国のこれから導入される裁判員というのが、裁判官と同じ評決権を持つということですから、裁判に積極的にかかわるという意欲と同時に、その資質が必要とされるのではないかと思います。そうである以上、何よりも、裁判員の質の確保ということが重要になってくる。また、これまでいくつか議論が出てきましたけれども、個別の事件を受けることによる負担、例えば、多数回の開廷を要する事件がある、あるいは死刑事件がある、そういうことで、個々の裁判員に極めて大きな負担をかけることになるだろう。そうであるとすると、それに耐えられる裁判員の確保ということを考えなければいけない。
そのために、これから述べる、選任委員会というか、選定委員会というか、そういうものを作って選ぶという作業がやはり重要になってくるのではないかということです。私が当初考えたのは、今の我が国の在り方として、調停委員を選任するというやり方と、検察審査会の審査員を選任するというやり方、これが典型的な例として挙げられるだろう。今度の裁判員の選任の仕方というのは、どうも検察審査会を念頭に置いているようなところがあるのだけれども、調停委員の選任の方法というのを採るべきではないかというように私は基本的にずっと思ってきたわけです。もっとも、そうはいいましても、この検討会の役割が審議会の意見の実現ということにあるとすると、その意見に反するようなことは差し控えなければならないことも当然のことであります。そこで、まず、この意見書に従いまして、無作為抽出ということを前提にして、しかるべき段階で、選定委員会において裁判員を選定させる、こういうことが望ましいということになるだろう。すなわち、この選定手続については、一定の段階で、選任委員会と書いてありますが、選定委員会、どちらでも結構ですが、選定委員会を設定して選定する手続を採用すべきではないかということです。
3番目に書いておりますのは、ドイツにおいて、陪審裁判と参審裁判が併存していた時期、これは随分前のことですが、そういう時期がありましたけれども、ここでは、陪審員の選定と参審員の選定がほぼ同じでありました。そして、前者については、当事者に専断的忌避権を認めることとともに陪審員に宣誓させることとしたわけです。陪審員のことを、ドイツ語でゲシュボルネと言いますけれども、これは宣誓をしたという意味であります。陪審員には、そのように宣誓させたのに対して、後者は、選定委員会による選定をさせたという点に違いがあるわけです。そうしますと、我々のところでも、選定委員会を作って選定をさせるというのが有力なやり方ということになるわけです。
その選定委員会というのは、それでは現実にどうやって構成するかというと、法曹三者と有識者、これによって構成すべきだろうということです。
そのことを前提にして、それでは具体的な選定手続をどうしたらいいかといいますと、これは、①から⑤まで順序立てて書いてありますが、まず一つは、先ほど来議論になりました、衆議院であるか参議院であるか、これは議論が分かれますけれども、例えば、衆議院の選挙人名簿の中から、無作為で適当数を選出する。そして、そこで欠格事由、就職禁止事由等の有無を判断する。これは、検察審査会と同じことでありますが、そこでまずいったん判断をして、その上で、裁判員候補者原簿、これは必要数の3倍程度、これを作って、それを選定委員会に送付するということになるわけです。
そして、選定委員会では、これもこれから議論するところとよく似ておりますけれども、裁判員候補者に質問書を送って、面接あるいは書類選考、ここのところは、人数が多いこともあってやり方を工夫すべきでありますけれども、これを行うべきであろう。しかも、そのときには、これは全部選定委員会がやるというわけにはいきませんので、小委員会あるいは事務局員が行った上で、しかるべく資料を作成して、選定委員会が最終的に決定して裁判員名簿を作成する。その作成したものを裁判所に送付するという手続をとってはどうかということであります。
そうなってきますと、初回、つまり最初は、一定数の裁判員を確保しなければならないわけで、大変な作業になりますけれども、その後は、年3回ないしは4回に分けて、必要な数を適宜補充したらどうかということであります。
そして、裁判所は、送付された裁判員名簿の中に一定の数がありますので、それを、事件に応じて、特に性別、年齢構成、職業等を考慮した上、できるだけ名簿の順に裁判員を充てることにする。そのときに、バランスのとれた構成を考慮できるならばする方がいいだろうということであります。そして、この段階で、再度、欠格事由等について調査をするということで、実際の裁判員を選定していってはどうだろうか。
こういう選ぶ作業というものがありますから、したがって、当事者による専断的忌避権、つまり、理由を付さない忌避権というものは認めない方向で考えてみたらどうだろうかということで提案をしてみたわけです。
○ 井上座長 ありがとうございました。それでは御意見を。酒巻委員、どうぞ。
○ 酒巻委員 ただいまの平良木委員の御提案について、結論を先に申し上げますと、全部反対でありまして……。
○ 井上座長 今日は、全部反対というのが多いですね。
○ 酒巻委員 遺憾ながら反対でございまして、その理由を申し上げます。まず第一に、平良木委員の御意見は、審議会意見書の趣旨に形式的には則った提案でありますけれども、私は、実質的には意見書の述べる一般国民から無作為に裁判員を抽出するという、その核心部分・精神とは根本的に相反しているやり方ではないかと思います。平良木委員もおっしゃいましたとおり、確かに最初の段階に無作為抽出があり、それを基礎にするという点で形式的には意見書に完全に反しているわけではありませんが、一般国民から無作為に抽出することと意識的選定作業とは相容れないと思います。第二に、具体的な裁判員選定手続にかかわることで様々な疑問があります。まず、この選定委員会が実質的な決定をするということですけれども、そもそもこの選定委員会が、なぜ、法曹三者と有識者で構成されるのか、あるいは、有識者というのは一体誰がどうやって選ぶのか、そこについては明確な基準はないように思います。さらに、その選定委員会ができたとして、裁判員の資質の確保ということを平良木委員はおっしゃいましたけれども、その選定のための何か明確、客観的な基準があるのか、あるいは選定委員会の人たちがなぜそのような資質・適性というものを判断できるのか、さらには基本的な情報をどのように取得して、一体どういう判断をするのか、様々な点において不分明なところがあります。やはり無作為抽出という基本的な考え方にはなじまないのではないかというのが私の意見であります。
○ 井上座長 その選定委員会で選定する際の基準については、平良木委員はどうお考えなのですか。
○ 平良木委員 要するに、裁判員にふさわしいかどうかということになってきますけれども、これは、人数が限定されていますから、その意味でいうと相対的な基準にならざるを得ないだろうというように考えています。
○ 井上座長 それにしても、何か客観的で明確な基準がないとだめですよね。すべてお任せというわけにはいきませんでしょう。
○ 平良木委員 ですから、そういうことでいうと、いわゆるやり方は、できるだけいい方を全体の中から選んでいくということになると思われます。それから、もう一つは、先ほど述べましたように、多数回の開廷を要する事件、これに応えられる裁判員であるかどうかとか、あるいは前に問題になりましたように、極めて特異な事件について、対象事件から外していこうではないかという議論が出てきましたけれども、あのときに、私は、外すべきではない、外すなら、むしろ何かほかに、例えば管轄を考えるとか、裁判官を増やすことを考えるべきではないかということを申し上げましたけれども、これは実現可能性としては極めて低い。しかし、現実の問題として、そういう問題が残る以上、そこのところにやはり耐えられる人を優先的に見ていくべきではないかということです。
○ 井上座長 後ろの2点、期間の長さとかそういうことでしたらまだ分かる気もするのですが、しかし、それは、選定委員会方式でなくても、耐えられるかどうかということは判断できるように思いますね。一番難しいのは、やはり1番目のカテゴリーで、より良いというのは、ちょっと抽象的過ぎて、何を意味しておられるのか、よく分からないところがあるのです。そこを、酒巻委員は不明確ではないかと言われたのだと思いますが。
○ 平良木委員 その点は確かにそうなんですけれども、これはどこかで、言ってみると、質のいい裁判員の確保ということであるならば、できるだけいい者を選ばなければいけないということでありますから、質問書あるいは面接等を通じて判断していくということにならざるを得ないと思います。
○ 井上座長 判断の材料となる情報という点でも、そういう質問や面接ということを基に判断するということでしょうか。
○ 平良木委員 そうですね。ドイツではもっと広く情報を求めていますけれども、現実は恐らくこの程度でしょう。
○ 井上座長 そのような考えなのですが、ほかの方、いかがですか。どうぞ、髙井委員。
○ 髙井委員 酒巻委員と基本的に同じなんですが、平良木委員のようなお考えもそれは一理あると思います。正しい裁判をするという意味では必要なことだと思うのですが、同じような効果は、このたたき台に掲げてあるようなシステムでもできるのではないかと思います。こういう、選定委員会のようなものを作らなければできないことではないのだろうと思います。質だとおっしゃっていますが、選定委員会でどうやってそれを判断するのだという問題があり、結局、このたたき台にあるような手続でいろんな質問をする、そこで振り分けていくということにならざるを得ないわけで、そういう意味では、より司法制度改革審議会の意見に近い形で制度化した方がいいのではないかというふうに思います。
○ 井上座長 たたき台のような案で質問手続を経て、選定委員会という第三者ではなくて、最終的に当事者に任せるということで賄えるのではないかということですか。
○ 髙井委員 はい。
○ 本田委員 私も髙井委員と同じ意見ですけど、一つには、選定委員会が選ぶという方式による場合には、選定委員会の構成をどういうふうにきちんと信頼できるものにしていくかという点で、いろんな問題が出てくるだろうと思います。
もう一つは、髙井委員がおっしゃったように、その事件の当事者が関与した手続の中で裁判員を選んでいくというのが大事なのだろうという気がします。ここに、除斥事由など、いろんな事由が掲げてあって、その中でずっと判断していくわけですから、その方が実際的に動かしやすいのかなという気がしますけれども。
○ 井上座長 ほかの方、いかがですか。
○ 四宮委員 私も、結論は皆さんと同じですけれども、一つは意見書の立場です。広く一般の国民が、といっている趣旨、私は、これは先ほどから申し上げています国民主権の精神だというふうに考えていますので、選定委員会による方式は、一般国民から無作為に抽出するという仕組みと相容れないのではないかと思います。次に、公正な裁判の確保については、意見書は、このような御提案よりは、むしろ公正な裁判員を確保できるような適切な仕組みということで、括弧して、このたたき台にあるような欠格・除斥事由や忌避制度等という例示をしております。こういった制度で公正な裁判員を確保していくというのが意見書の考え方ではないかと考えます。
それから、3番目に私が気になるのは、選ぶのは誰かということで、選定委員会による方式の場合には、結局、法律家が裁判員を選ぶということになるのであって、これは、この制度の基本的な精神に反するのではないだろうかと思います。
それから、基準の点は今まで言われたとおりです。質という点がありますけれども、これは、私個人にとっては非常に気になる言葉ですけれども、むしろ、一般の国民に理解できる裁判にしていくということが求められているのであって、そういった意味では、こういう制度については意見書の精神からは賛成しかねるという結論です。
○ 井上座長 意見書の精神というところは、多分人によって考え方はいろいろあると思うのですが、平良木委員の名誉のために、ちょっと手助けしておきますと、意見書自体は、無作為で抽出したものを母体としつつ、欠格・除斥事由や忌避制度等の適切な仕組みにより公正な裁判体となるのにふさわしい裁判員を選ぶというふうに書いてありまして、その「等」というところでは、平良木委員が言われたようなアイディアを必ずしも排除していないという理解であったと思います。委員の中にも、そういう御意見があったものですから、実質的にそのような仕組みを採用するのが適切かどうかは別として、そういう可能性をも含めてさらに詰めましょうということだったのです。正確に申しますと、そういう仕組みはうまくいかないという意見の方がどちらかというと多かったように思いますが、そういう御意見もあったので、論理的には排除していないということです。無論、それが全体として基本的な考え方に反するかどうかは、御意見が分かれるところだと思いますけれども。
○ 大出委員 皆さんがおっしゃったこととそんなに違わないのですが、重要な点かと思いますので、私も意見を申し上げておきたいと思いますが、私も反対ということを申し上げざるを得ないだろうと思います。今まで、選定委員会のところでの基準等の問題もありましたけれども、さらに、④のところでは、裁判所に送付された裁判員名簿の中から、裁判所が判断をされるというようなことで、事件に応じてということで、括弧で「できる限り、バランスのとれた構成を」ということでおっしゃっていますけれども、ここでも具体的な基準がどうなるのか。「性別、年齢構成、職業等を考慮したうえ」ということでおっしゃっていますけれども、事件との関係で、これで、具体的に裁判所がどういう判断で、どういうバランスをとられるのかというようなことも、これだけでは見えてこないということにならざるを得ないのではないかと思いますし、そういった点も含めて、賛成しかねるということになります。
○ 平良木委員 先ほど述べたところで、少し付け加えておきますと、裁判員選定の過程でいろんな形でいろんな情報が入ってくるわけですが、その情報をどこの段階まで流すのがいいのかという問題も恐らくあるだろうと思います。プライバシーの問題が出てきたときに、果たして、裁判のところまで、当事者のところまで、情報を全部明らかにするというのはいかがなものかという意見が出てくるはずであって、それは、一定のところでとどめておかなければいけないということになるのではないでしょうか。そうなってくると、どこでとどめるかというと、恐らく、選定委員会の限りでとどめておくということがいいのだろうということであります。
確かに、私の根本的なもともとの発想というのは、最初に申し上げましたように、調停委員会方式の方がいいということで、広く情報を集めて自薦・他薦ということが前提になるということなので、「意見書」の無作為抽出ということを前提にする限り、私の意見書の案では中途半端だという感じを確かにぬぐえないところがあります。これは否定いたしません。しかし、先ほどの、例えば、多数回を要する事件とか、個人に非常に負担を与える事件があるというときに、ただ単に外すという議論でいいのかということに根本的な疑問を抱くということです。
○ 井上座長 裁判員制度の対象から外すということですね。
○ 平良木委員 ええ。やはり、裁判員制度で審理することを前提にして、そこのところ、もしどうしてもだめな場合には、ほかの裁判員に代わってもらうというようなことでも対処するとすべきだと思うのです。それ以外のやり方というのは、私はちょっとあるべきではないのではないかということです。
○ 井上座長 御意見には、二つの論点があって、一つは、一般的に質の良い人を確保するために選定委員会方式というものがあるだろうということであり、もう一つは、そういう特殊な長期間掛かりそうな事件の場合に備えて、それに耐え得るような人をどう選ぶのか、その仕組みとしても選定委員会方式は機能するのではないかということだろうと思います。
ただ、既にかなり時間をとって議論してきたわけですが、あまり余計なことを言ってはいけないかもしれませんが、正直、余り人気がないような感じがするのですが。
○ 平良木委員 最初に何か鋭いジャブを飛ばされたような感じですので、私も、これ以上こだわるつもりありませんので、どうぞ、進めていただいて結構です。
○ 井上座長 ありがとうございます。無論、おっしゃっていることの中身というか、御心配になっている点はもっともなことで、意味のあることだと思うのですね。特に、長期間掛かりそうな事件はどうするのかといった点は、やはり十分考えていかなければならないのではないかと思いますね。すみません、ジャブでなくて……。
○ 平良木委員 ストレートで。
○ 井上座長 ストレートでしたか。この辺で、たたき台の方に戻らせていただきまして、「(8)裁判員候補者の召喚」とその次の「(9)質問手続」という項目ですが、これらは、具体的な事件を担当する裁判員を選ぶために、その候補者を召喚して質問手続を行い、欠格事由や忌避理由を調査した上で、裁判員を選任するまでの一連の手続に関する項目です。
まず、(8)及び(9)のこういう枠組みの当否、あるいはこれとは違う組立て方もあり得るのではないかという御意見など、手続全体の構成について御意見があればお伺いしたいと思います。今の平良木委員の御意見も、この枠組みとは違う考え方もあるのではないかという御意見だったのですが、その点については既に議論していただいたので、それ以外にもこういう考え方があるのではないかということがあればお伺いしたいと思いますが、どうぞ。
○ 髙井委員 大きな枠組みでは、私は、このたたき台のような考え方でいいのではないかと思います。ただ、アの最初の行に、「必要な数の裁判員候補者を」とありますが、これをどの程度に想定するかということで、実質的に制度の在り方がかなり変わってくるのではないかと思います。私自身も平良木委員がおっしゃるように、豊かな判断力を持った裁判員、責任感旺盛な裁判員に集まっていただくということがやはり大事なことだと思うわけですけれども、そういう裁判員を選択するためには、なるべく候補者の数を多くして、その中から相対的により適格な方々に残っていただくというふうな手続をするべきではないのかと考えます。仮に、裁判員の数を、例えば5人なら5人とした場合に、5人+1名ぐらいの候補者しか選ばないという枠組みと、15人候補者を選んで、そこから5人を残すという枠組みとでは、相対的により適格な人に残ってもらえる確率は、はるかに後者の方が高いのではないかというふうに思うわけです。ですから、制度の作り方としては、候補者の数はなるべく多い方がいいのではないかというのが私の考え方です。
このたたき台では、「必要な数」と書いてありますが、ここは、技術的に可能かどうかは別にして、私のイメージとしては、例えば裁判員の数の3倍以上の候補者を選定するというような考え方でいくべきではないかと思うわけです。
○ 井上座長 それを、できれば法律に書けということですか。
○ 髙井委員 はい。
○ 井上座長 母数が大きい方が良いというのは分かったのですが、そこからどうやって、「質のいい」という言葉を使うかどうかは別として、ふさわしい人を絞り込んでいくのかについては、どのようにお考えですか。
○ 髙井委員 これは、検察官と弁護人に理由付き忌避権、あるいは理由なし忌避権というものを必要数だけ与えて、それを行使することによって、例えば15人だとして5人残すということだと思います。つまり、検事、弁護人に5票ずつ、重複しないような形で忌避権を与えるということになります。両方が5票ずつ使えば5人残るという形になると思うんですね、イメージ的に言えば。そういうような形で絞り込むことができないのかということです。
○ 井上座長 理由付き忌避の方は、理由がある限りは忌避が認められるわけですから、理由なし忌避の方を一定数与えるということですか。
○ 髙井委員 はい。
○ 井上座長 分かりました。というのが髙井委員の御意見ですが。
○ 池田委員 今の、必要な数については、何倍と決められればいいようなものですけれども、あまり固定してしまうと、今度は事件によって、かなりの人数が集められてしまうにもかかわらず、3分の2の方については、もう必要ない、帰ってくださいということになって無駄なことをさせはしないかという感じがします。やはり、事件ごとに、準備手続で、どの程度の争点でどの程度期間が掛かるかということも分かるわけですから、それに応じて、これはかなりの忌避等も行使されそうで、かなりシビアな事件になるから、ある程度多めに候補者を集めなければいけないだろうという事件と、そうではなさそうだという事件とでは、適宜、判断ができると思うのです。ですから、それに応じて、そういう事件の性格と審理予定期間、長期になれば補充員等も必要でしょうし、そういうものを考慮した上で必要な数で決めればいいのかなという気がしていたのですが、そこら辺はどうなんでしょうか。
○ 髙井委員 私の意見と今の池田委員の意見は、本質的に立脚点が異なっているというふうに私は感じるんですね。池田委員の意見は、必要な数というのは、例えば忌避者が多い、忌避対象者が多くなる事件、あるいは辞退者がたくさん出るのではないかというような観点から、必要数というものを考えていこうという考え方だろうと思うのですが、私も、そういう点はあるにしても、それよりも、およそどの事件においても、できる限りふさわしい人を選ぶという意味では、事件の難易度であるとか、必要な審理日数であるとか、そういうこととは関係なく、相対的により適格な人を選ぶという観点からはなるべく多い方がいいのではないかというふうに思っています。ですから、3分の2の方にお帰りいただくことになるわけですけれども、その結果、相対的にはより適格な方が残ったと考えれば、それも有益なことではないのかというふうに思うわけです。
もう一つは、これも、第一巡目のときとか、裁判員の員数のときに申し上げたかもしれないのですが、その事件にとっては、こういう体験を持った方が裁判員にいてくれるといいですよね、というような場合もあろうかと思うんですね。そういう場合にそういう方が裁判員に残るためにも、ある程度の数の候補者を選んだ方が、そういうふさわしい経験を持った裁判員を確保することにもつながっていくのではないかと思っています。
○ 井上座長 被告人側が全面的に認めている、事実関係にほぼ争いがないというような場合でもそうですか。
○ 髙井委員 そうですね。理念的には、よりふさわしい、より適格な方に残っていただくという意味があると思います。
○ 井上座長 具体的な項目の話になってしまっているのですが、大きな枠組みとしてはたたき台のようなことで、特に御異論はございませんか。なければ、具体的な項目に入ることになるのですが、既に髙井委員が御意見を言われたアなのですけど、これは、今、御紹介していただいたように、当該事件に関して、公判期日が定まった後、当該手続に関して必要な数の裁判員候補者を、名簿の中からくじで選定し、質問手続を行う期日に召喚する。そして、それに合わせて、事前に裁判員候補者の欠格事由等を確認するために、質問票を各候補者に送付するという案になっています。
この項目でも、「裁判官は」とされていますが、これは、最初の事務局からの説明にもありましたように、裁判所ないし裁判官という広い意味で使われているということですね。
○ 辻参事官 はい。
○ 井上座長 そういうことですが、既に御意見をいただきましたけれど、その点についてでも結構ですし、それ以外の点についてでも結構ですので、このアについて御意見があれば伺いたいと思います。
○ 四宮委員 私も髙井委員の考えに賛成で、一定数以上召喚するものとする、とすべきだと思います。その数は、私も3倍がいいのではないかと思います。今、池田委員がおっしゃったように、確かに、忌避される人が少ないこともあり得るのですが、ただ、これは召喚して質問してみないと分からない部分があるだろうと思うんですね。そういったものに対処する必要もあると思います。また、例えば戦前の陪審は、否認事件を対象にしていたわけですけれども、そこでは2倍来ないと選定手続は開けないという規定がありました。より当事者が納得し、そして公正らしい裁判員を得るために、私も、一定数以上、具体的には3倍以上。。上の方は事件によってはたくさん呼ばなければいけない場合があり得ると思いますので、以上という形がいいと思いますけれども。。そのように規定するのがいいと思います。
○ 井上座長 ほかの方はいかがですか。
○ 大出委員 テクニカルな問題で申し訳ないのですが、先ほど髙井委員の御説明に関してですが、5人ずつ忌避権を与えたときに、全部行使しなければいけないわけではないですよね。ですから、髙井説による5人という裁判員の人数になったときに、例えば、7人、8人残ったときの最終的なセレクトは誰がやるんですか。
○ 髙井委員 私のイメージでは全部行使するんです。
○ 大出委員 行使しなければいけないということですか。それはちょっと要求しがたい…
○ 髙井委員 練った意見ではなくて一つの意見として言っているわけですから。
○ 井上座長 フランスの方式がそういう形ですけれども、そういうやり方も考えられなくはないということでしょうか。
○ 四宮委員 髙井委員が、今、練ってないとおっしゃったけれども、戦前の陪審法では、定数と補充陪審員を合わせた数に至るまで双方が交代に忌避権を行使していくというシステムでしたから、髙井委員が今提案されたものが実際に運用されていたわけですね。
○ 井上座長 それは、おそらく、全体の仕組みがどうなるかによって違ってくるのだろうと思いますね。その点はよろしいですか。
○ 大出委員 分かりました。
○ 井上座長 ほかに、今の点について御意見がなければ、次に進みたいのですけれども。
次が、イの「検察官及び弁護人に対する事前の情報開示」という項目です。この点に関して、たたき台では、裁判員候補者の氏名については、質問手続の期日よりも前に当事者に名簿を送付するという形で開示するとしています。しかし、それ以外の情報については、質問票に対する回答を質問手続の当日に当事者に開示するという案を一応示しているわけです。
さらに、裁判員候補者の個人情報の保護のための措置として、A案及びB案が示されております。これらを踏まえまして、御意見を伺えればと思います。いかがでしょうか。
○ 池田委員 (ア)の点なんですけれども、質問手続の○日前にということで、事前に名前を分からせることがたたき台になっているわけですが、結局、この個人情報については、かなり厳格に扱ってもらわなければもちろん困るわけで、そのために(イ)もあるわけですが、早く渡す意味というのはどこにあるかということなのですが。
○ 井上座長 意味ですか。
○ 池田委員 ええ。それで、一方では早く知らせると、審理までの間に働きかけがあるとか、あるいはその人について、氏名だけにしても調べをして、いろいろと、この人がどういう性格の人でどういうことかということを、力のある人、あるいはお金を持っている人はそういうような調査までしかねない。そこが決して望ましいものではないのではないかというような気もしますので、この名前を渡すのはそんなに前でなくてもいいのではないか、直前でもいいのではないかという気がしているんですけれども、事務局で最低一日ぐらい必要だというのはどのような考え方によるのでしょうか。
○ 井上座長 辻参事官、いかがですか。
○ 辻参事官 おっしゃるとおり、当事者にとって、個人情報を知って、それに基づいて忌避等について判断をするという要請と、一方で、裁判員のプライバシー保護とか、周辺の調査をされると生活の平穏の侵害になるおそれもあるので、その防止という、両方の要請があるだろうと思います。この点は、このたたき台の御説明の際にも申し上げたとおりなのですが、その両方を勘案して、事前に渡すのは氏名だけというのが一つの案としてあり得るのではないかということで、お示ししたわけです。
さらに、具体的な趣旨としましては、氏名を何のために事前に開示するのかということになるかと思うのですが、事務局で主に想定していたのは、事件関係者のそのまた関係者も含めて、つまり、直接の事件関係者のほか、知人、友人、その身内とかも含めた意味での関係者というものに当たるかどうかの判断のために、氏名だけは事前に開示してもいいのではないかということです。
更に具体的に申し上げますと、検察官の場合であれば、捜査記録の中にいろいろな人名が、特に大きな事件になれば出てくるわけで、もちろん、主要な登場人物であれば、検察官の頭にも当然入っているわけでありましょうが、知人、友人のたぐいになってくると、記録を見てみないといけない場合もあるのではないかというように考えたということであります。一方、弁護人の方といたしましても、被告人からの聴き取り等による調査の結果との照らし合わせといった作業も必要でしょうし、場合によっては、被告人自身に候補者の氏名を尋ねてみるというようなことも必要ではないか、あるいは、必要というか、そういうことがあり得るので、そのためには若干の余裕があった方がいいのではないかという趣旨であります。
一方、当事者の調査ということにつきましては、たたき台を作成した立場から申し上げますと、氏名だけの開示ということになると、特定の手がかりとしては非常に限られているため、実際には各候補者の周辺を、検察官側、あるいは被告人側が調査するというのは恐らく不可能ではないかという想定の下で案を考えております。
○ 井上座長 よろしいですか。
○ 池田委員 今の、事件の関係者に近い、何らかの関係がある人がいるかどうかを当事者にチェックさせるということですが、当事者は、事前にもちろん記録を見ておられて、ある程度の範囲は分かるわけです。あとは、当然、質問票を事前に配って、質問票にはそういう被告人との関係、被害者との関係だとか、そういうことがないかどうかというのは聴いていると思うのです。もちろん、それで正確さがすべて担保できるかどうかについての懸念はあるわけですけれども、そういうことまですれば、あまり時間を与えなくてもいいのではないかというのが私の感覚です。ただ、当事者の経験者からは、そうではない、時間が要るのだと言われれば、それはまた別かもしれませんけれども。
○ 井上座長 どうですか、当事者の経験者としては。
○ 髙井委員 ここは、後の(9)の質問手続と連動してくる問題だと思うんですね。たたき台の案では、当事者自らは質問しないことになっているんですよね。裁判官に申し出て、裁判官が聴くことになっています。そういう場合と、当事者が自ら質問ができるというのではやはり違ってくると思うんですね。ですから、一つの組み方としては、今、池田委員がおっしゃっているように、質問手続の前には渡さずに、全部質問手続の日にやることにする。その代わり、当事者双方に質問権をきちんと与えるという仕組みもあると思うんですね。当事者として言わせていただくと、その方がいいかなと思います。
調査の問題については、確かに、私もこの辺はまだ意見が固まっているわけではないのですが、一つの考え方としては、今、事務局が示されているように、それなりにごく簡単な調査はできるようにした方がいいのではないかというのも一理はあると思うのですが、制度としての安定性といいますか、信頼性からいったら、両方とも事前調査はできませんという制度の方がすっきりしているかなと思います。専ら、質問当日のそれぞれの質問によって判断しなさいというのも、制度としてはすっきりしているかなという気も一方ではしているんですね。
○ 井上座長 質問手続で誰が質問するのかによって違うということなのですが、裁判官を通じて質問するという場合は、事前でないとまずいのですか。
○ 髙井委員 ということだと思いますね。当事者が心証をとりにくいと思うんですね。
○ 井上座長 そういうことではなくて、名前が事前に分かっているのとその日に分かるのとで違いがあるかどうかということなのですが。
○ 髙井委員 事前に名前が分かれば、もちろん名前だけではどこの人か特定できないということはあるのですけれども、しかし、それなりに調査の方法というのはあるわけですよね。
○ 井上座長 そうしますと、調査をした上で質問を考えて、裁判官に質問してもらうということですか。
○ 髙井委員 質問を軽くする代わりに調査をする時間を与えるか、調査をする時間を与えない代わりに質問を厚くできるようにするかということだと思うんですね、制度のつくり方としては。
○ 井上座長 後の方で議論していただければよいのですけれど、裁判官を通じて質問する場合には質問が軽くなるというのは、論理的には必ずしもそうならないのではないですか。
○ 髙井委員 このたたき台の案では、裁判官は常に当事者の要求に従って質問しなければならないという形にはなってないんですよね。裁判官の判断で、こんな質問は無駄だと思ったら、聴かなくていいことになっているわけです。そういう意味では、質問権が軽くなっていると思います。
○ 井上座長 その点は、そこのところでもう一度議論いただくとして、今議論している名前を何時伝えるかということもそのことと連動しているのではないかというのが、髙井委員の御意見です。
○ 本田委員 当事者として。事件と関係あるかどうかというのは、記録に当たったりしなければいけないわけですから、せめて名前だけは、質問手続の前に告知していただいておかないと困ると思います。それが当日になると、どうしても時間的に余裕がなくなって、スムーズに手続が進まないのではないかと思います。質問票で、確かにある程度の情報は上がってくるわけですが、その質問票に必ずしもすべて事実が記載されているという保証はないわけです。当事者としては、名前が分かっていれば、そういう名前の者が記録の中にあらわれてないか、一応確認した上で、記録に名前が出てきたら、質問票を見ながら、それをもとに的確な質問ができるようにしておいて、裁判官に質問してもらうということが可能になります。手続をスムーズにするという趣旨からも、たたき台の案のように、これを何日前にするかは検討しなければいけないのですけれども、そこはやはり事前に開示するということにしておいていただきたい。
情報の保護との関係でいうならば、先ほど事務局から説明がありましたけど、この程度のことであれば、情報の保護とその開示の必要性とのバランスがちょうどとれた制度ではないかなという気がします。
○ 井上座長 当事者経験のない方からも意見をいただければと思いますが。
○ 髙井委員 当事者です。私が、当事者、特に弁護人として、事前の通知についてどうかなと思うのは、例えば、調査能力については、訴追側と弁護人側では天地雲泥以上の差があるわけです。これは、もちろん、訴追側においてルール違反をされるということを言っているわけではないのですが、「らしさ」の問題からいうと、弁護人側は、裁判員候補者の名前だけではほとんど何の調査もできないと思われます。多分、被告人にこういう人を知っているかいと聴く程度のことしかできないのではないでしょうか。しかし、一方、訴追側は、その気になったらいろんなことができると思うのです。ですから、そういう疑心暗鬼を生むような制度というのは安定性を欠くのではないかと考えます。
制度の安定性というか、「らしさ」を考えると、事前の情報開示は行わずに、要するに、一発、質問手続期日のその日で勝負するという方がすっきりしているのではないかと思います。
○ 井上座長 「らしさ」というのは、公正らしさということですか。
○ 髙井委員 ええ。
○ 本田委員 ここで調査する事項というのは、裁判員候補者について、不公正な裁判をするおそれがないかどうか、除斥事由があるか、欠格事由があるかということを確認する、あるいは、忌避理由があるかということを確認するという話なのですけれども、そういう事項の調査というのは、弁護人と検察官の利害が対立する場合でなくて、恐らく、公正な裁判員を選ぶという共通した利益の上に立って行うべき手続ですから、確かに、検察官と弁護人には情報の量の差はあるかもしれませんけれども、それによって対立構造が生まれるという場面ではないのではないかと思いますけれども。
○ 辻参事官 先ほども申し上げましたように、事務局としては、検察官や警察であっても、開示される情報が氏名だけでは調べようがないのではないかと思い、そのような前提で、こういう案を考えてみたということであります。氏名だけの事前開示であっても、調査の能力に差があるため、実際の調査結果にも差が出るという前提をとるのであれば、もちろん別の結論になり得ると思います。しかし、地方裁判所の本庁だとすると、おそらく全県単位、あるいは支部でも裁判員裁判を実施するとすると、当該支部管轄の地域は除くのかもしれませんが、いずれにしても、かなり広い地域、少なくとも数十万人単位の母体から裁判員候補者が選ばれてくるものと想定されます。そして、その範囲で、名前だけを情報として何を調査することができるかというと、検察官としても、自分の手元にある資料で調査するのがせいぜいであり、候補者の周辺にまで及ぶ調査というのはできないのではないかと思われるので、そういう前提で、たたき台の案を考えていたということです。この前提が違うということであれば結論も違い得るのでしょうけれども。
○ 髙井委員 事務局のおっしゃることも一理も二理もあると思うのですけれども、例えば、記録は弁護人も読んでいるから同じだということなのでしょう。しかし、弁護人の調査というのは、被告人から話を聴くこと、それから、記録を読むこと、それだけですね。一方、訴追側は記録に出ている人から更にたぐっていくことはできるわけです。弁護人は、それはできないのです。もう一つ、本田委員が、対立構造云々ではないとおっしゃったのですが、私も対立構造になると言っているのではないのです。要するに、私は、弁護人の立場からいうと、被告人が、裁判体の構成についての公正さについて信頼するということは、裁判にとって死活的に大事なことだと思うのです。ですから、それに少しでも傷がつくというような制度は、できる限り避けた方がいいのではないかというのが、弁護人としての立場からの、私の意見です。
○ 井上座長 「らしさ」ですね。
○ 髙井委員 「らしさ」、特に、被告人にとっての「らしさ」、被告人にとっての安心感というのが大事ではないかということです。
○ 井上座長 本田委員が言っておられるのは、仮に、髙井委員がおっしゃるように、検察官側が記録に出ている人からたぐっていくことにより、事件関係者の関係者であったということが判明したような場合、それは、検察官と被告人・弁護人側の両方にとって共通して排除しないといけない人であるはずではないかということだろうと思うのですが。
○ 髙井委員 そのときの調査の対象は何かということが問題になるのだと思います。事件関係者かどうかというのは、当然調査の対象になると思いますけれども、調査の対象が、果たしてそれだけだったのかという、「らしさ」の問題もあるわけですね。そういう意味も兼ねて、私は申し上げているわけです。
○ 大出委員 だとすればと言いますか、私も髙井委員のおっしゃることは、訴追側か弁護側かというだけの問題ではなくて、調査能力に差が出てくるというようなことがあり得るという前提で考えざるを得ないということだとすれば、氏名だけで足りるのかどうかという問題も出てくるのではないかという気がするわけですね。つまり、質問票の回答についての開示は当日でいいのかどうかという問題も出てくるように思うんですね。ですから、もちろんプライバシーの問題、接触の問題というのは危惧されるところだということになると思いますので、その点については、A案でなくてB案、(イ)のところで、という形で措置をすることで、事前にもっと情報開示をするということでないと、そこでの力の差による情報格差というのは避けることができないことになるのではないか。ですから、もしそれができないということだとすれば、さっき髙井委員がもう一つ示された、当日にすべて告知するといいますか、情報開示するということにせざるを得ないのかなという気もするのですが。
○ 井上座長 逆の方の提案なものですから。
○ 髙井委員 私の意見にちょっと絡んでくる。
○ 井上座長 それでは簡潔にお願いします。
○ 髙井委員 私は、だから情報をたくさん開示しろと言うつもりは全くないんです。ですから、むしろ情報なんか事前に持たないで、一発勝負で決めるべきだというのが私の意見です。
○ 大出委員 それは一つの方法だと私も思います。
○ 池田委員 私が申し上げた、力の差と資力があるかどうかによって調査能力が違うという問題は、情報を事前に見せたら、その弊害はやはり大きくなるだけだと私は思うのです。ですから、事前の情報開示はない方がいいと思います。
○ 大出委員 氏名も含めてない方がいいという。
○ 池田委員 氏名も含めてです。
○ 四宮委員 弁護人の立場から。ちょっと別の観点ですけれども、候補者のプライバシーの保護とか、生活の平穏の保護ということはまず第一に考えなければいけないと思います。他方、忌避権の行使ということを、公正な裁判を確保する一つの仕組みとして、意見書も、またこのたたき台も設けている、ということも考えなければならないと思います。そうだとすると、忌避権を行使する前提としては、情報は多い方がいいわけですから、私は、情報を全然公開しないとか、あるいは一部公開するという、情報の範囲の規制の方法ではなくて、当事者の行動を規制するという方向でいくべきではないかと思います。つまり、漏洩をしてはならないとか、接触をしてはならないということです。
そういった形で調査等を禁止するということになれば、どういう形でこの質問票というのが想定されているか分かりませんけれども、まず、候補者の名前だけではなく、最初に候補者に送られる質問票に対する回答は、数日前に事前に全部開示すべきであると思います。さらに、忌避権を有効に行使するために、これは(8)と(9)の間ぐらいになるのかもしれませんけれども、具体的な事件によっては、裁判所に来てもらった候補者、あるいは裁判所に来る前ということも考え得るのかもしれませんが、あまり予想は好ましくないと思いますけれども、来てもらった候補者に、二次的に、当該事件に関する質問をするということもあり得るだろうと思うんですね。そうだとすると、先ほどのような規制の下で、そういった二次的な個別的な質問票の作成にも当事者が事前に関与して、これは当日ということになりますけれども、開示を受けて質問手続に臨むという制度がいいのではないかと思います。要するに、忌避権の行使を有効にするために、情報の範囲を規制するのではなくて、行動を規制すべきではないかという意見です。
○ 井上座長 大出委員の御意見とその点では同じですね。2番目の点は、ちょっと質の違う問題かなと思いましたけれども、質問手続に絡みますので、そちらでまた御議論いただければと思います。違う方向の御意見がお二人から出たのですけれども、それはプライバシーの保護等の点で問題があるのではないかということで、むしろ規制すべきではないかというのが、先ほどは共通した意見だったように思うのですが、ほかに御意見は。
○ 平良木委員 意見ということになるのかどうか分かりませんけれども、もし情報が極めて限定されるということになると、専断的忌避というのが極めて原則のない忌避になりかねないようなところも出てくると思われます。つまり、裁判員候補者の顔を見て、質問して、気に入ったかどうかというところで専断的忌避権が行使される可能性が出てきはしないかということです。このことは、実はドイツの陪審裁判のときに指摘されていて、専断忌避が非常にパターン化してきたということが言われているのです。恐らく、情報をたっぷり持って判断できるとすると、うまく機能するけれども、情報がないとそういうことになりかねない。しかし、逆に情報を開示するというと、先ほど池田委員が言ったようにプライバシーの問題が出てくるということで、恐らく、こういう問題が双方から出てくるだろうという気がするということです。
○ 髙井委員 専断的忌避を的確に行うためには情報が果たして必要なのかということですが、私は、それは必要ではないと思うのです。質問者である、弁護人あるいは検察官が資料をしっかり持つとか、情報をしっかり集めるということではなくて、その質問の仕方、内容を練れば、専断的忌避は的確にできるというのが私の判断です。
○ 酒巻委員 先ほど四宮委員は、(イ)のA案、B案にかかわる意見をおっしゃったんですが……。
○ 井上座長 開示する情報の範囲という点で限るのではなくて、具体的には何になるのか分かりませんが、罰則等により、当事者の行動の面で規制しろという御意見でしたね。
○ 酒巻委員 それについて意見を述べてよろしいですか。
○ 井上座長 どうぞ。
○ 酒巻委員 私は、このA案とB案は対立しているのでなくて、両立が可能であると考えています。私は、四宮委員がおっしゃったとおり、判断材料はできる限り多様なものがあっていいと思いますから、基本線はB案でいくべきだろうとは思うのですが、しかし一方で、個人の情報に本当に様々なものがあって、例外的には、どうしても外に出すべきではないという事項はあり得ると思うのです。だから、むしろB案を基本にして守秘義務というのを設定した上で、特にごく例外的でしょうけれども、一部情報開示制限もできるとすべきではないかと思います。A案とB案の折衷でありますけれども、こういう考えもあり得ると思うのです。
○ 井上座長 その点なのですが、情報が豊富な方が忌避権行使にとっては良いという点、その点はそれほど異論はないと思うのです。
○ 酒巻委員 そこはそうですね。
○ 井上座長 ただ、裁判員候補者のことを考えると、そんなに早く情報を開示して良いかという問題があるわけです。その問題と、忌避権を十分に行使できるようにするためにはどの段階で開示する必要があるのかという問題があり、その調整の結果が、本田委員あるいは池田委員、そして多分髙井委員も含めて同じ御意見だと思われますが、質問手続期日の当日に質問票の回答を見るということで十分ではないかということであったのですね。その理由は、質問票の回答を先んじて開示することにどれだけの意味があるのかということと、開示してしまうと弊害が起こる可能性があるのではないかということだと思われます。これに対して、四宮委員は、十分に忌避権を行使できるようにするためには、先んじて開示する必要があるという御意見であり、弊害については、罰則等で防止できるのではないかということです。このように意見を整理することができると思いますが、A案かB案かの点でそれほど御意見が分かれているわけではないと思います。この問題は、質問票の質問項目の中身にもよると思いますが、質問票で、かなり立ち入ったことを聴いている場合と、割と通り一遍と言ったらおかしいのですけれど、類型的な事項について聴いているだけである場合とでは、かなり事情が違うように思うのですね。もう少し先に進ませていただいてよろしいですか。
次が(9)の「質問手続」ですけれども、そのうちアは質問手続への出席者に関する項目です。たたき台では、裁判官、書記官のほか、検察官と弁護人が、常に立ち会うこととされ、被告人については、裁判官が必要と認めるときは立ち会わせることができるという案になっているわけですけれども、この点について御意見があれば伺いたいと思います。
○ 髙井委員 アについては、私はこの案のとおりで結構だと思います。
○ 井上座長 非常に簡潔に御意見を述べていただき、ありがとうございます。どうぞ。
○ 大出委員 情報の開示の仕方ということにかかわる部分もあると思うんですけれども、当事者である被告人の弁護人の側からすれば、被告人でないと判断がつかない部分というのはかなりあり得ると思うんですね。特に、事前に情報が開示されてないで当日ということになった場合には、やはり被告人が同席するということでないと、情報という意味では十分になくて、判断がつかない場合というのはあり得るだろうと思いますし、当然弁護人が権限を行使するだけではなくて、被告人は当事者であるわけですから、その権限行使というのは当然認められるべきだろうということからしますと。だからといって、被告人を全然排除できないというわけにも多分いかないだろうと思いますので、ですから、この規定の仕方というよりは、原則としては被告人が出席できるということで、ただ、被告人が出席することによって、いろいろとその選定に当たって支障が生ずるという場合というのは私もあり得ないと思いませんので、そういった場合には、例外的に一時出席を除外するというようなことがあっていいという点で、一応原則と例外をひっくり返すというようなことにしていただいた方がいいのではないかと思います。
○ 井上座長 被告人でないと判断つかない場合というのは、具体的にどういう場合でしょうか。
○ 大出委員 先ほど言いましたように、情報が事前に開示されているかないかということにかかわるかもしれませんけれども、やはり、関係者として、どれだけの関係があるのかとか、それから出てきた情報について、被告人でないと判断できないという場合はあり得るのではないかと思いますけれども、当日ということになってくると。
○ 井上座長 ちょっとまだ具体的にイメージがつかめないのですが。
○ 大出委員 私も、抽象的、一般的にあり得るということを申し上げざるを得ないだろうと思うだけであって。
○ 酒巻委員 たたき台によれば、氏名は質問手続期日の前に明らかになっていることが前提ですから、事件関係者かどうかということは、名前である程度分かると思います。それ以外のことを考えますと、大出委員の御心配は、たたき台のアの(イ)にある、弁護人の申し出によって、裁判官が必要と認めるときに被告人に立ち会ってもらい、意見を聴くという案では解消しないのでしょうか。たたき台の原則と例外を、なぜ、逆にしなければいけないのかがよく分からないのですが。
○ 大出委員 つまり、被告人は当事者であるわけですから、当事者に選択権というものを認めるということになったときに、もちろん弁護人がいて、弁護人がそれが従前だと配慮がきくという、きかないというつもりは全くないわけですけれども、被告人はまさにその事件の当事者であるわけですから、その当事者がそれなりに権限を行使する、あるいは納得のいくというような形での選定手続が行われる必要があるということになってくれば、原則としては被告人が同席しているということでいいわけで、さっき言ったように、私も絶対排除できないというふうに言っているわけではないわけですから、必要な場合には裁判所の判断でということでもいいと思いますが、排除するということはあり得るという前提で考えたときには、むしろそちらの方が自然ではないかと思いますが、なぜ、それではいけないのかというのを。
○ 井上座長 さらに何かあれば……。
○ 酒巻委員 私の考えは、弁護人がいるでしょうというのが一つの答えになります。弁護人を通じて十分な質問が行われることが期待できる。そして、どうしても被告人がいる必要があれば、裁判官に言って来てもらえばいいだろうということなのです。もう一つは、質問手続においては裁判員候補者の方々に対していろいろなことが聞かれるわけで、その回答内容には、被告人が聞かなくてもいい事柄、あるいは、候補者の私的な事柄にかかわる被告人がいる前では発言がしにくいような事項もあり得ると思うわけです。そちらの要素も勘案し忌避判断の素材をできるだけ得るという観点からすると、むしろたたき台の方でいいのではないかと思います。
○ 井上座長 お二人の御意見は分かりました。それでは他の方、どうぞ。
○ 四宮委員 私は、髙井委員が、なぜアでいいとおっしゃるのか、ちょっとよく分からなかったのです。なぜかというと、さっき、選定手続では、被告人に対する公正らしさというのは非常に重要だとおっしゃったので、そうであるとすると、私は、原則としては被告人は出席できるということにすべきではないかと思うのです。ただし、いろいろ例外的な場合には、裁判官が同席させないことができる、というような制度の方がいいのではないかと思います。このたたき台は、この同じページの一番下の(カ)というところで、当事者、つまり被告人にも忌避権を与えているわけですね。そうだとすると、その場にいるということが自然だろうと思います。また、現行法でも、裁判官の忌避について、弁護人は被告人の明示の意思に反して忌避してはならないというような規定があることも参考になるだろうと思いますし、刑訴規則で、準備手続には被告人の立会いが原則とされているということも参考になるのではないかと思います。さっき髙井委員がおっしゃった、被告人に対する公正らしさ、裁判体の選び方、また構成に対する公正らしさというようなものは、被告人がその場にいて手続が行われることが最もふさわしいのではないかと思います。
○ 井上座長 髙井委員は多分反論があると思うのですが。どうぞ。
○ 本田委員 私は、たたき台の案でいいのだろうと思います。いろいろな議論があるのですが、常時、被告人が出席していなければいけないという理由はないわけで、先ほどから出ていますように、弁護人を通じての質問も十分できるということと、どうしても被告人に確認しなければいけないときは被告人が立ち会えばいいわけで、それでいいのだと思うのです。
どうも先ほどから、被告人から見て公正な、というようなことが話が出て、質問手続において、常時、被告人が立ち会うのが原則だという話があるのですけれども、理屈になっているかどうか分かりませんけど、質問手続というのは選定手続ですが、そこで被告人に何かをさせるというのは、何か、裁かれる人が裁く人を選定するような印象を受けるのです。選定手続は、忌避理由とか除斥事由とか、欠格事由とか、そういったものについて、公正な裁判できるような、きちんとした人を選べるように、手続の中に当事者である法律家、つまり、検察官と弁護人が入って、きちんとした手続を担保すればいいと思うのです。それで、どうしても必要な場合は被告人を関与させるというのがむしろ素直ではないかなという気がするのです。
○ 大出委員 ちょっと一言、今の。
○ 井上座長 先ほどと同じ御意見だったら、ほかの方から伺った方がいいと思いますけれど、どうぞ。
○ 大出委員 今の意見に対しての。そこは誤解があったらまずいだろうと思いますので。もちろん、裁かれる立場の人間がというようなことですが、それはもちろん、裁かれる人間だって、手続の公正性を確保してもらう権利はあるわけでして、それは当然、先ほど四宮委員も指摘されましたけれども、専断的忌避という言い方がいいかどうか分かりませんが、そういう権限を与えるというのも、そういった観点からということになっているわけですから、そういう権限を認めている以上、その判断が具体的にできる保障をするというのはある意味では当然のことであって、そこは本田委員の御指摘は当たらない御指摘だろうと私は思いますが。
○ 井上座長 ほかの方はいかがですか。
○ 髙井委員 私としては論旨一貫しているつもりなので、弁護人が十分に質問すれば、それで足りると、公正らしさは十分担保されるというのが私の考え方です。
○ 池田委員 私もたたき台の案でいいのではないかと思います。被告人の立会いを原則とするかどうかということですが、一方では、もちろん被告人の権利の保護というのも大事であることは間違いないわけですけれども、逆に、裁判員候補者のプライバシーも十分守ってあげられるということでないと、裁判員として入って来られる方にはいろいろこれから負担をしていただくわけですから、そういう配慮というのもやはり必要なのではないかと思います。両者の調整をどこでつけるかということだろうと思います。検察官、弁護人に対しては、確かに、プライバシーについては、それを漏洩しないようにという罰則等も考えられるわけですが、被告人にはそれを課すわけにはいかないだろうという気もします。そうだとすると、被告人にとって、いや、あの顔を見てみないとこの名前の人がどうなのか分からないという必要性があるときには、当然質問手続に出てきてもらうとしても、その必要がないときにまで、質問手続をすべて被告人の目の前でやるという必要はないのではないかと思います。
○ 井上座長 土屋委員、いかがですか。
○ 土屋委員 私もたたき台で結構だと思います。
○ 井上座長 ちょっと先を急ぐようで申し訳ないのですけれども、今の点につきましてはほぼ御意見は出たかと思いますので、このくらいにさせていただいて、次に質問手続の中身に移りたいと思います。たたき台では、裁判員候補者に欠格事由等があるかどうかを確認するために、裁判官に質問権を与えるとなっており、当事者は、裁判官を通じて質問をしてもらうことができるという案が示されているわけです。先ほど髙井委員がこの点について御意見をお述べになりましたが、一応、全体の仕組みを先に申し上げますと、質問の結果、欠格事由、忌避理由、辞退事由等が明らかになった裁判員候補者については、裁判官が裁判員に選任しない旨の決定を行うこととされています。
さらに、いわゆる理由のない忌避、先ほどから、「専断的忌避」という、何でそういう訳が当てられたのかよく分からないような難しい言葉が使われていますが、その制度を認めることとして、その申立てがなされた裁判員候補者についても、裁判員に選任しない旨の決定を行うという仕組みが案として示されているわけです。
また、当事者は、理由付き忌避の申立てを却下する決定、忌避の理由がないという決定に対しては不服申立てをすることができるとされています。
なお、忌避された理由や忌避を申し立てたのが誰であるかということは、当の裁判員候補者には明らかにしないこととされております。
以上がたたき台に示されている案ですけれども、この手続に関して御意見があればお伺いしたいと思います。また、これについて、こういう制度も設けるべきではないか。あるいは、こういう点を考慮すべきではないかといった御意見があれば、併せてお聞かせ願いたいと思います。どうぞ。
○ 髙井委員 私は、(イ)について、たたき台では当事者は裁判官に質問を求めることができるという案になっていますが、それを、当事者自らが質問をできるようにするべきであるという意見を強く主張したいと思います。理由は、二つあるのですが、まず、裁判官に質問してもらうということになると、多分、当事者が質問事項を書いて提出し、それを読んだ裁判官が、自分の言葉に置き直して質問することになると思うんですね。仮に私が弁護人であれば、私が自分で聴くとおりの内容を言葉に書いて、裁判官の池田委員に渡して、じゃあ、このとおり、池田委員聴いてください、という方法をとるわけではなく、こういう項目について、池田委員聴いてくださいと、質問事項を渡すわけです。そして、それを、裁判官である池田委員は、自分の言葉で質問をするという形になるのだと思うのです。そういうやり方をすることとすると、それは私の質問ではなくて池田委員の質問なんです。同じことを聴いても、私が、私の想定しているような聴き方で聴く場合と、池田委員が自分で構成されて聴く場合と、これは全く別の質問になるということですね。
従来の実務でも、例えば、弁護人が質問しようとしていることを裁判官が引き取って質問なさるということがありますが、その場合は、ほとんど違う質問になっています。裁判官によっては、非常に質問のうまい方もおられるけれども、申し訳ないのですが、質問の下手な方もおられる。そんなふうに聴いちゃだめだよ、そんなふうに聴いちゃったら、答えを教えているようなもんじゃないのというような聴き方をされてしまう場合もあるわけですね。ですから、そういう意味では、裁判官に聴いていただくということは、本質的にも別の質問になってしまうというべきで、当事者の質問の趣旨が、そのとおりは絶対実現されないということになってしまうのです。池田委員のような有能な方であれば、それは大丈夫かもしれませんけど、すべてが池田委員のような有能ではないと思うんですね。そういう問題が一点めの問題です。
それから、もう一つは、私のイメージでは、この裁判については、こういう裁判員がほしいというイメージがあると思うんですね。それは、検察官は検察官で作られているでしょうし、弁護人は弁護人としてイメージを作ると思うのです。単に、忌避理由があるかどうかとか、除斥事由があるかどうかを確認するという質問ももちろんありますけれども、そうではなくて、この裁判については、こういう裁判員がふさわしいというイメージが必ずあり、そういうイメージにどれだけ近いか、そういうイメージからどれだけ外れているかということを確認するための質問も当然出てくると思うんですね。非常に極端なことを言いますが、例えば、私が、この事件について、紫色の好きな人はだめというような判断をしたとします。私には、私なりの、例えば、色彩心理学に基づく一定の根拠があったとして、そういう判断に至ったとしますね。そのとき、裁判官に、この人がどういう色を好きかを聴いてください、といったときには、髙井弁護士、何でこんなことが必要なんですかと裁判官が聞き返してくる、当然、そういう話になりますね。そのときに、実はこういう趣旨なんですよ、と説明していたのでは、手続も長くなるし、また、裁判員候補者の前でそのやりとりをやるのであれば、その質問の趣旨が裁判員候補者に分かってしまうということになって、的確な判断ができなくなるわけです。
そういう二つの意味で、裁判官に対して質問をすることを求めることができ、しかも、裁判官の判断で最終的に質問するかどうかを決めるという、たたき台のこの案のシステムは、弁護人、当事者としては非常に問題があると思います。
○ 井上座長 御主旨を明確にするために質問させていただきたいのですけれども、1点目は、例えばアメリカなどでは、両方の形があるわけですけれども、裁判官を通じて質問するという形の場合に、質問項目について、両当事者も含めて話し合いをして、合意をして文書の形にした上で、それに基づいて質問するという形をとっているところが多いと思うのですけど、そういう形でもやはり不十分だということなのかということです。2点目は、当事者が質問することができるとした場合に、裁判官として、不適切な質問を止めることはできるのかどうかという点です。いかがですか。
○ 髙井委員 あまり不適切なことを言った場合は、例えば、誹謗中傷するようなことであれば、それは当然止められると思います。例外的に止められる場合は当然にあると思います。
○ 井上座長 しかし、先ほどの例のように、紫が好きですか、という質問などは止められないということでしょうか。
○ 髙井委員 何か深い理由があって聴いているのだろうなと思って認めていただくとだと思います。
○ 井上座長 1番目の点はどうですか。当事者も裁判官も合意した上で、質問事項を作って質問するという方法では不十分なのかという点です。
○ 髙井委員 質問というのは、単に同じ言葉を一字一句同じに発しても、聞く人によっては答えが違ってくるものなのですね。尋問というものはそういうものなんです。
○ 井上座長 質問者の人格が乗り移っているということですか。
○ 髙井委員 そうです。非常に属人性の強いものだということですね。
○ 井上座長 髙井委員と話しているとそのことがよく分かりますね。どうぞ。
○ 酒巻委員 髙井委員のおっしゃることは、いつも法廷活動の御経験に基づいて、説得力があるように聞こえるのですが、そもそも質問手続は何のためにあるのかということを考えると、大いに疑問があります。この手続は、予断・偏見のある人を排除して、公正な裁判体を作るために行う手続であると思うのです。質問手続は、証人から有利な証言を引き出したり、あるいは逆にこれを弾劾したりする「尋問」とは違うというのが私のイメージなのです。そういう観点からいいますと、一つは、先ほど座長がおっしゃったように、そしてアメリカでも行われている例があるように、必ず弁護人や検察官が自ら質問しなければならないという理由はなく、お互いが全部合意した上で裁判官に質問してもらうという形でも、予断・偏見の疑いや、その他の忌避理由等をあぶりだすことは十分可能ではないかと思います。したがって必ず当事者が直接質問する制度でなければならぬとは言えないでしょう。
次に、髙井委員の御意見の後半、紫色の例については、ますますよく分からないところがあります。当事者がこの事件についてはこのような人に裁判員になってもらいたいと思う場合に、質問手続に、そのような構成にすることを可能にするところまで求めるのは行き過ぎではないか、なじまない、むしろ適切でないと私は思います。質問手続は、公正な、予断・偏見のない、予断・偏見を排除した裁判体を作る手続であって、それを超えて、当事者に有利な裁判体、あるいは当事者に好ましい裁判体を作るという発想それ自体が私には理解できない。根本的に間違っておるという気がいたします。
○ 髙井委員 私が申し上げた、紫の話の趣旨は、弁護人にとって、あるいは被告人にとって都合のいい裁判体を作ろうということではないのです。公正な裁判体であることは必要であり、これは当然ですね。もう一つ、私のイメージにあるのは、実体的に正しい事実認定のできる裁判体、単に中立で予断・偏見がないというだけではなくて、実体的に正しい判断のできる裁判体をどうやって構成するかというのが最大の眼目であって、私が例えに使った紫という話は、より実体に沿った事実認定のできる裁判体を見つけ出すための一つの手段であるという位置付けなのです。
○ 酒巻委員 実体に沿った正しい事実認定ができるかどうかが、当事者が、直接裁判員候補者に質問するということで本当に実現できるかどうか。
○ 髙井委員 できると思います。
○ 酒巻委員 私は、できないだろうというか、質問手続はそういう場ではないと思います。
○ 井上座長 そこは御意見が分かれているということでしょう。髙井委員がおっしゃるのは、裁判官に、紫が好きですか、と聴いてくれといった場合に、なぜ聴くのだということを説明しなければならないし、裁判官に、そんなことを聞くのはおかしいじゃないかとして、その質問をすることを斥けられるかもしれない。しかし、自分で聞く場合には、よほどおかしな質問でない限り、裁判官は止められないだろう。そういうところが違ってくるということだと思いますね。
○ 髙井委員 もう一つ、当事者側に質問させることについてのデメリットはないだろうということなんですね。
○ 井上座長 その点については、四宮委員に伺ってもよろしいのですけれども、アメリカなどでは、両当事者が質問手続を通じて、自分の側のストーリーや主張しようと思うことについて一種の刷り込みをしようということが少なからずあるのですね。現にそういうことに有能な質問手続専門の弁護士というのもいて、事件の中身についてある程度のインフォメーションを与えて、その候補者の傾向を見るということもあるのです。それが一つ考えられることなのですけれども、無論、それがいいかどうかはまた別問題なので、それもいいではないかという割り切り方をすれば、弊害でも何でもないということになるのだとは思いますが。
○ 髙井委員 私は、そういうことを前提にして申し上げているわけではありません。今、座長がおっしゃったような例は不当であろうと考えます。それは、裁判官によって制限されるべきであり、裁判官がチェックすればいいと思います。だから、原則と例外は逆ではないかということですね。
○ 池田委員 裁判員制度で、裁判員として裁判所に来ていただいた方には、できるだけ快くその手続に参加していただいて、しかも負担を軽くする必要があるわけで、この最初の質問手続というのもできるだけ簡潔に終われるようなことが望ましいと思うのです。そのために事前に質問票も送って、また、先ほど座長からも言われたように、その日に聴くべき、個別の事件との関連性等については、事前に両当事者から質問事項を出してもらって書面で聴く、あるいは口頭でさらに補充的に聴くことは可能だと思いますし、そういうことをすることによって、口頭での質問時間等を短くすることができると思うのです。私が聞いている話では、当事者に質問権を与えている、アメリカの一部の法域では、その手続に時間が掛かるというようなことも言われていて、あまり長く、裁判員候補者にとって踏み込んだようなことを、本当に関係があるのかどうか分からずにそのまま質問されるというのも、決して好ましいことではないのではないかと思うのです。やはり、裁判官を通じて聴くことで問題が生じるような、そんなに微妙な質問は、この段階ではないのではないかと私は思うのです。当然、事件によっては、事件の核心に迫るところでは、裁判官に聴かれたのでは困る、弁護人が自分で聴かせてくれという場合はあると思うのですが、質問手続は、この裁判員候補者が、この事件とのかかわりはどんなことがあって、そして、こういう種類の事件についてはどんなことを考えているのか、そういうような話だろうと思うのですけれども、そこはそんなに微妙な話はないのではないかという感じがしております。
○ 髙井委員 まず、第1点は、当事者に聴かせると、何か裁判員候補者に失礼なことを聴くのではないかという御趣旨の御意見だったのではないかと思いますが、質問手続の後に残っている人が裁判員になるわけですから、当事者としては、非常に不快感を与えるような質問をしたのでは不利なわけですから、当然、放っておいてもその辺は配慮するでしょうといえると思います。何だ、この弁護人、と思われるようになったのでは、その時点で3分の1ぐらい勝負に負けているわけですから、そういうばかなことは多分ないということです。にもかかわらず、そういうばかな弁護人がいたら、それはやはりチェックしていただく、あるいは制裁を科すということで対処できるだろうと考えます。
それから、時間については、どの程度の時間をもって長いと言われているのかよく分かりませんが、必要であれば、そこに時間制限をするという方法があると思います。例えば、2時間、3時間と延々とやって、引き延ばしに利用するような弁護人が出てきたらどうするのだというような御趣旨でおっしゃっているのであれば、それは持ち時間を決めて、その制限時間内に質問しなさいというふうにすれば、制度としては何ら問題ないのではないかと思います。
○ 井上座長 分かりました。どうぞ。
○ 四宮委員 私は、珍しくもないですが、髙井委員を応援したいと思います。
○ 井上座長 今何とおっしゃいましたか?
○ 四宮委員 応援したいと思います。私も、原則として、当事者に質問権を認めるべきであると考えます。ただし、裁判官が不当だと思う場合には制限をすればよいと思います。一つは、さっき私が申し上げましたように、事前の調査を制限するという制度を作る以上は、なるべく、この選定手続の中で情報の収集ができるようにすべきであるということです。さっき、池田委員は、ここでは微妙な質問はないとおっしゃいましたけれども、当事者経験のある私どもにとっては、非常に微妙な質問はあると思います。例えば、候補者がある職業についてどういう考えを持っているかとか、被害者の職業に対してどういう感じを持っているかなど、やはり、微妙な問題の一つではないかと思います。ですので、そういうような内容だけではなくて、やはり、忌避権を有効に行使するための心証形成に一番いいのは、我々、日々尋問している者の立場からすると、実際に質問させていただくことだ思います。
それから、もう一つは、このたたき台が予定している仕組みでいきますと、個々の候補者に関する情報というのは、当日与えられるわけですね。事件に関する一般的な情報は、準備段階で、我々は記録や打ち合わせの中から吸収できるわけですけれども、裁判員候補者の一人一人に関する情報は当日もらうという提案になっています。そうだとすると、個々の候補者に関する質問について、裁判官と事前に十分な打ち合わせをすることが果たしてできるのかという点も疑問であります。それが二つ目の理由です。
それから、アメリカでは、確かに裁判官に質問させるという法域があるわけですけれども、しかし、そこでも、多くの州では当事者にも質問を許すことができるという形になっております。そういうことから、私は、髙井委員に賛成をして、原則として当事者にも質問を認めるべきであると思います。
○ 井上座長 この点、特に何か付け加えて、さらに御意見がございますか。かなり時間が押しているものですから、なければ先に進みたいと思います。大出委員、今日は後ろの時間は大丈夫ですか。
○ 大出委員 大丈夫です。
○ 井上座長 飛行機の時刻、大丈夫ですね。
○ 大出委員 はい。
○ 四宮委員 イは終わるのでしょうか。
○ 井上座長 御意見がなければ、そうしたいと思いますが。
○ 四宮委員 さっきちょっと、私から申し上げたのですけど、二次的な質問票というような制度も事件によっては考えたらどうかと思うのです。
○ 井上座長 二次的なというのは、どういうことですか。
○ 四宮委員 つまり、最初、候補者を召喚するときに送る質問票は、私がこれを見る限りでは、結構定型的なものになる可能性もあるかもしれないと思うのです。そうだとすると、個別の事件に特有の事項について、もし質問したいことがあれば、もちろん、裁判所と検察官と弁護人が協議をした上ですけれども、召喚した後に、候補者に質問用紙を渡して書いてもらって情報を集めるということもあり得るのではないかということです。
○ 井上座長 それは、質問手続での質問という形ではだめなのですか。
○ 四宮委員 実際に、ということですね。
○ 井上座長 ええ。
○ 四宮委員 そういう形も、数が少なければあり得るかもしれませんけれども、全員に聴かなければいけないというようなこともあると思うんですね。そうだとすると、同じペーパーを皆さんに渡して書いてもらって、回収した方が効率的ではないかという趣旨です。
○ 井上座長 そこは、いろいろな形があり得るのではないでしょうか。事前の質問票の中に、定型的な事項に加えて、個々の事件ごとに適当な質問を付け加えるという形もあり得るかもしれないし、今、おっしゃったような形もあり得るかもしれない。また、質問手続の中で、そういう共通の項目については、裁判官なら裁判官から、これについて、こういう人は手を挙げてくださいといった形で聞くということもあり得るし、他に知られたらまずいようなことは、書いてもらうということもあるかもしれません。
○ 辻参事官 今の四宮委員の御発言の御趣旨を必ずしも正確に理解できていないのかもしれませんが、たたき台のイの質問手続の(ア)は、口頭又は書面で必要な質問を行うということにしています。今の御発言にあった書面の利用という御趣旨は、この部分とは違うお話なのでしょうか。
○ 井上座長 選択肢として書面でということになっているので、四宮委員の御提案は、これに含まれているということでしょうか。これは召喚後ですね。これでカバーされていれば、これでいいということでしょう。
○ 四宮委員 この書面の作成については、検察官、弁護人の事前の関与というものを認めてほしいと思います。
○ 井上座長 (イ)も(ア)を受けたものだとすれば、それは当然そうなるということではないですか。裁判官に対して質問を求め、裁判官がどういう形で質問をするかという点は、(ア)でカバーされているということならば、当然、そのような場合にも適用されることになるでしょう。御趣旨は分かりました。
○ 酒巻委員 イの質問手続に関することで、この議論に入る前に、髙井委員は、理由を示さない忌避については、認められた人数は全部行使するということをおっしゃったと思うのですが、私は、そうする必然性はなくて、理由を示さない忌避は、何名はできますとなっていても、それを全部行使しなければならないわけではないと理解しています。このたたき台も、そういう趣旨だと思うのですが、それを確認したいと思います。
○ 辻参事官 髙井委員がおっしゃったのは、裁判員あるいは補充裁判員として必要な数ぴったりまで、理由なし忌避も含めた忌避で減らしていくという仕組みをお考えだということだと思います。
○ 酒巻委員 了解、分かりました。
○ 井上座長 そこは、次のウに絡む話なので、そちらに移ってもよろしいですか。
○ 池田委員 イの(オ)によれば、理由付き忌避の申立て却下の決定に対しては、不服申立てができるという組み立てになっていて、それはそうだろうと思うのですが、今、裁判官についての忌避の申立ての場合には、忌避の申立てがあると、公判手続を停止しなければいけなくなっているのですね。今回イメージしている質問手続は、その日の朝にでも、例えば、裁判員候補者を呼んで質問手続を行い、当日の午後からでも、公判を始められる事件であればそこから始めようというものだと思います。その不服申立てを裁判所の決定に対する不服申立てだとして、抗告審へ持っていくということになると、手続が進まなくなってしまう可能性がありますので、そのあたりをどうするのかということは考えておかないといけないと思います。迅速に処理できる準抗告審にするとか、何らかの方法を考えないといけないのではないかということです。
○ 井上座長 不服申立てについての処理を行うのを準抗告審にするためには、元の裁判は裁判所によるものではなく、裁判官によるものでなければならないはずですが。
○ 池田委員 ここの手続は、裁判長だけにやらせるとかいう方法は考えられるのではないでしょうか。裁判所の判断にすると、同じように抗告になってしまいますので。
○ 井上座長 そういった迅速処理の要請がある一方、事柄の性質として裁判官一人の判断でよいのかどうかという問題があるわけで、その双方をにらんだ議論になると思うのですが、池田委員自身はどのようにお考えなのですか。
○ 池田委員 多分、全国いろんなところでやらなければいけないとなると、地裁の支部あたりでやったときに、高裁が抗告審ということになると、二日か三日間、手続が止まってしまうことになってしまいます。せっかく裁判員を呼んで、これから公判をやろうというときに、忌避の不服申立てがあって、そのまま先に進めないというのでは、これは負担が過重になるわけですから、それを迅速に解決できる手段を考えておかないといけないのではないかと思います。裁判員の場合には、今の裁判官の忌避とは違うような組み立てだって可能ではないかと思うのですけれども、まだ、どういうのが一番いいのかということは、私も分かっていないので申し訳ないのですけれども、考える論点ではないかなという気がいたしております。
○ 井上座長 結論が妥当かどうかは別として、一つの考え方として、裁判長がその点について判断することにして、却下の場合には準抗告という形で、同じ地方裁判所なら地方裁判所の合議体に審査してもらうという制度にすることが考えられる。そういうことでしょうか。
○ 池田委員 異議と構成できるかどうかとか、そういうことも検討する必要があると思います。
○ 井上座長 この点は、やや技術的な問題でもありますので、さらにもう少し先の段階で、詰めていただくことにしまして、この段階では、そういう問題点があるという御指摘を受けたということにとどめておきたいと思います。
(9)の最後のウの「裁判員及び補充裁判員の選任」についてですけれども、ここまでの手続で、裁判員に選任しない旨の決定がなされなかった、つまり、除かれなかった裁判員候補者のグループの人たちの中から、無作為抽出をして、具体的に裁判体を構成する裁判員と補充裁判員を選任するというのがたたき台で示された案なのですけれども、この点についてはいかがでしょうか。
先ほど、髙井委員がお述べになった方式ですと、こういうことにはならないのですよね。つまり、髙井委員の方式によれば、当事者が忌避権を行使して、排除する人はどんどん排除していき、生き残った人で裁判体を構成するということになるわけですけれど、たたき台の方は、裁判体を構成すべき裁判員ないし補充裁判員のトータルより多い数の候補者が残るであろうということを前提として、その人たちから無作為抽出で裁判員および補充裁判員となる人を絞り込むという案になっております。この点については、御意見いかがでしょうか。
○ 四宮委員 この点に関しては、イメージというか、制度はいろいろあると思うんですね。さっき申し上げたように、髙井委員のアイディアは、戦前の陪審法がとっていたアイディアです。それから、もう一つあり得ると思うのは、裁判員の定員が多分ありますけれども、定員分の人数の候補者、そのグループに最初いろいろ質問をして、それで忌避をして、そして椅子が空いたところに新しい候補者に入ってもらって、また、質問したり、忌避をして、最終的に両当事者がこれでいいです、という方法も考えられると思います。あるいは、ここに決められた理由なしの忌避権を使い果たしたときに、そこに座っている人が選ばれるというやり方もあるかもしれませんし、あるいは、さっき座長がおっしゃったフランスのように、一人一人呼んできて、一人一人を質問をして忌避をするかどうかを判断して、オーケイということになれば、その人が椅子に座っていくというようなやり方もあるわけですね。ほかにもいろいろやり方があるかもしれません。ただ、どういうやり方がいいのかというのは、いろいろな要素を総合して判断しなければいけないのですけれども、私は、このたたき台の案よりは、髙井委員の案の方が、当事者の関与というのがよりはっきり出てきますし、当事者の納得という点でも優れているのではないかと思います。くじということについて、たたき台では二度くじを導入するということになるわけですけれども、それよりは、選定手続に入った後は、当事者が選任されない人を決めるプロセスに積極的に関与していって、その結果、残った人たちを裁判員あるいは補充裁判員として選ぶ、という方がいいのではないかと思います。
○ 井上座長 その場合、忌避をする数は制限しないということなのですか。
○ 四宮委員 そうです。
○ 井上座長 しかし、それでは、当事者が嫌だと言い続けている限りは、延々と続きますよね。忌避権を行使し続けている限り、一定数になかなか達しないということは起こらないですか。
○ 四宮委員 そうではなくて、専断的忌避権の行使というのを、最終段階で選ぶ過程に組み込むわけです。最初、理由付きの忌避をやりますね。そうすると、理由付きの忌避で忌避されなかった人たちが残ります。それで、そこから専断的、つまり理由なしの忌避の手続に入るわけです。それは裁判員の定数まで使えるということなんですね。
○ 井上座長 そうしますと、専断的忌避権を行使できる数はその都度変動するということになりますね。専断的忌避権は差額分だけしか使えない、つまり、理由付きの忌避と両方合わせて考えるということでしょうか。
○ 四宮委員 そうです。さもないと、理由付き忌避が相当出た場合、理由なしの忌避の数によりますけれども、必要数を割ってしまうことがあり得るわけですね、観念的には。
○ 井上座長 候補者が足りなくなったときは補充するというお考えなのでしょうけれども。
○ 四宮委員 そうすると、選任手続をもう一回やらなければならなくなるということになりますね。
○ 井上座長 そこは、さっき言われたのと同じことですよね。ですから、そういう形で、専断的忌避の数が、差額分を2で割るのかどうか分かりませんけれども、トータルそれだけしか残さないということにして、専断的忌避の数はその都度違ってくるということですね。これは、選ぶべき人の数によっても違ってきますね。
○ 四宮委員 その意味で、冒頭に議論になった、裁判所に召喚する候補者の人数というのは非常に重要になってくると思うんですけれども。
○ 井上座長 そういうアイディアと、たたき台のようなアイディアと、順番を決めておいて残すかどうかを当事者に判断させていくというアイディアと、パターンとしては三つくらいあるということだろうと思いますけれども、ほかの方はいかがですか。平良木委員は、専断的忌避についてはどのようなお考えでしょうか。
○ 平良木委員 私は、専断的忌避はない方がいいという考えなものですから、いくつか問題があって、例えば、専断的忌避というのは、もともと、ある意味で、裁判される者が選ぶという色彩があることは否定できないし、そういったとき、どういう形で残したらいいかということになってきますけれども、もう一回無作為抽出というのは、私は反対で、選ぶことが、どこかで残らなければいけないだろうと思います。そうすると、これは裁判所がやるわけにいきませんから、結局は当事者がやるということになってくるのかなというふうに思いますけれども。
○ 髙井委員 先ほど来、裁かれる者が裁く人を選ぶのはおかしくないかという意見が出されておりますが、裁判員裁判を入れる以上は、それは理屈にはならないのではないのかと思うんですね。裁判官という有資格者については、裁かれる方に選択権がないとしても、これは当たり前なのですが、そこに裁判員という一般の人が、例えば四宮委員たちの言葉を借りれば、国民主権の在り方として入ってくるわけですから、そこから、当事者が専断的忌避権で消極的に選んでいくというのは、当然そういう制度にこそなじむものではないかと思います。もう一つは、一般の、法律家のプロでない人が入ってくるわけですから、一応自分たちが選んだ人に裁かれて有罪だと言われているのだから納得できるということにもなろうかと思うんですね。ですから、その辺の、裁かれる者が裁く人を選んでいいのかというのは、プロの裁判官の場合とは分けて考える必要があるのではないかというふうに思います。
○ 井上座長 さっき私が質問した点は、四宮委員のようなお考えだということですか。具体的な数はともかくとして、忌避権の行使に制限はあるということでしょうか。
○ 髙井委員 私は、今は、平良木委員に申し上げたかったんです。
○ 平良木委員 そう言われると少し反論せざるを得なくなるのだけれども、専断的忌避というのは、やっぱりどんなにきれいなこと言ってみたって、例えば、自分たちに有利なものを残して不利なものを外そうというように考えるのは当たり前だと思うんですね。しかも、そのことは否定できない。そうすると、自分たちに有利なものを残すという意味で、裁判員に関しては、少なくとも選ぶことになるのではないか、こういう意味で言っているわけです。
専断的忌避を認める以上、そういう構成にせざるを得ないし、例えば、忌避の手続をずっとやった結果、裁判員が残った場合にどうするかというときに、それを、当事者がやるか、あるいはその中からくじで選ぶか、これだけのことだと思うんですね。だから、私は、それだったら、くじというよりも選ばせた方がまだいいのかなということで言っているということです。
○ 辻参事官 具体的な選び方をどうするかということについてではありませんが、今のお話に関連して申し上げますと、アメリカの陪審裁判の運用を十分に承知しているわけではもちろんありませんけれども、アメリカでは、ややもすると、当事者が自分に有利な人を選ぶという面があるとも言われております。それは多分、両当事者ともだということだと思われます。そうすると、今、お話に出ました、当事者の納得、当事者の関与ということだけを考慮すればいいのかどうかというところは、若干検討が必要なのではないかという気がいたします。理由を示さない忌避が戦略的に運用される結果、質問手続等々でいろいろと時間が掛かる原因にもなっているとも指摘されていると承知しておりますので、そこはいろんな考えはもちろんあると思うのですが、御検討いただければと思います。
○ 井上座長 今の点は、考えなければならないことではあるのですね。きれいごとでは済まないところがあって、現にイギリスで専断的忌避の制度を廃止したのは、それがあまりにも戦略的・戦術的に使われ過ぎて混乱したからであったと承知しておりますので、もちろん当事者の納得ということも重要だと思うのですけれど、両面をにらんで、どの辺でバランスをとるのかだと思います。酒巻委員、どうぞ。
○ 酒巻委員 これまでたたき台を支持する意見がなかったように思いますが、私は、たたき台のウの(ア)、すなわち、残った候補者の中からくじ引きで決めるというのがよいと思います。先ほど辻参事官がおっしゃった点、加えて座長がおっしゃったことも考えますと、そうでないシステムはいろいろあり得るのですけれども、最後を無作為抽出にしませんと、アメリカの陪審員選任手続において現に生じている問題点、すなわち、当事者がそれを戦略的に利用し、また、手続が長引くという甚だ望ましくない副作用が懸念されます。私は、先ほど来申しているとおり、質問手続は、建前としても本音としても、客観的に公正な裁判体を作るための手続であると考えておりますので、そういう観点からも、最後もまたくじ引きというのが一番公正であろうと思います。
○ 井上座長 この点については、あと、少しにしていただけますか。
○ 髙井委員 私は、しかし、実際に実務を動かしていく場合に、裁判員の選び方をどうするか、あるいは、質問権の行使をどうするかというのは、実務的には重要なポイントだと思うんです。ですから、ここは十分に議論しておかなければいけないと思うのです。私自身も、戦略的あるいは戦術的に忌避権を使うことがいいと言っているわけではないので、そういう要素をなるべく排除するような仕組みにしなくてはいけないということについては大賛成です。そういうことがあるので、例えば、私は、冒頭申し上げているように、氏名を質問手続の当日以前に渡すとか、質問票を当日以前に渡して、作戦を練る期間を与えるということには反対をしているわけです。ですから、あまり戦術的・戦略的にならない範囲で、当事者が自分の質問で消極的に選択していくという制度が一番望ましいと考えています。
○ 池田委員 たたき台の案も十分あり得ると思うのですが、最後に無作為抽出をするより、順番を最初から決めておいて、残った人の中で、最初からの順番で定員に達するまでにするというのも非常に簡明で、陪審の場合にはそういうことでやっているところも多いようですので、そういうのでもいいのではないかという気がしています。
○ 平良木委員 私も全く同じ意見で、同じようなことを提言しようかと思っていましたけれども、やっぱり順番つけるというのがいい。
○ 井上座長 このくらいでよろしいですか。そろそろ閉会とすべき時刻なのですが、今日、あるところまでやっておきませんと、どんどん先に延びていってしまいますので、おおよそ6時ころまで続けるということをお許しいただけますでしょうか。
次が「(10) 裁判員に対する補償」という問題ですが、たたき台は、まずアで、裁判員などに旅費、日当、宿泊料を支給するという案を示しております。これは、審議会意見でも、裁判員やその候補者が相当額の旅費、手当等の支給を受けられるようにすべきことは当然であると提言していたのを受けたものです。
また、イでは、裁判員等が、職務に関連して受けた負傷等について補償を行うこととするという案が示されております。具体的な金額をどのくらいにするかとか、補償の枠組みをどのようなものにするかといったことはたたき台には示されておりませんけれども、それはかなりテクニカルな問題で、法制面の調整といったことも絡んできますので、今後事務局において、その辺を詰めて検討されるものと、そういうふうに私は理解しているのですけれども、そういうことでよろしいでしょうか。
○ 辻参事官 はい。
○ 井上座長 この点は、相手のある問題といいますか、関係方面との調整を必要とするところもあると思いますので、関係機関等との協議も含めて詰めていっていただく必要があるところだと思います。そのことを前提にして、基本的な考え方について御意見があれば伺いたいと思いますけれども。
○ 四宮委員 質問からですか。
○ 井上座長 質問でも結構です。
○ 髙井委員 イの「職務に関連して受けた負傷等に」とありますが、これはどの範囲のことを想定しておられるのか。
○ 辻参事官 どの範囲で補償するかも含めまして、検討が必要と考えております。いわゆる御礼参りという問題もありましょうし、通勤災害というような問題もあるのかもしれません。逆に、どこまで法制的に補償できるのかという問題もあるのかと思っていますけれども。
○ 井上座長 御質問に対する答えとしては、それでよろしいですか。
○ 髙井委員 はい。
○ 井上座長 それでは、御意見をどうぞ。
○ 四宮委員 相手方があることを十分承知の上での意見なのですけれども、アの日当等の中に、先ほどもちょっと話題になった、特に、介護を要する者がいる場合に、そのケアのための費用等を含めることを是非検討していただけないかと思います。とりわけ、子どもを抱えた場合ですけれども、あるアメリカのカウンティーでは、陪審員の職務を行うに際しての困難の6割が、子どもがいるために陪審員になれないという女性である、という統計もあります。実は、この裁判員制度を担う半分は女性のはずですので、相手のあるということを十分認識した上でですけれども、そういったケアに対する補償というものを、女性の参加のためにも御検討いただけないかと思います。
○ 井上座長 単なる補償だけの問題ではなくて、そういうケアを代替するシステムの整備ということも関連してきますので、そう簡単な事柄ではないかもしれません。御意見として承っておきます。
○ 四宮委員 今、おっしゃったとおり、これは、補償という項目なので、私はお金に限りましたけれども、座長がおっしゃるようにシステムの問題がまずあるだろうと思います。
○ 井上座長 そういうことにも配慮していかなければいけないという御意見だと承っておきます。どうぞ。
○ 土屋委員 今の点は、もう一つ、福祉面でも手当が大事だということは私も強調しておきたいと思います。要介護の人を抱えている家族の問題だとかというあたりも目配りしていかなければいけない話だと思います。この点はちょっと付言するだけです。
それから、もう一つは、仕事を休んでくる人が裁判員なわけですね。そういう人に対するタダ働き感があまりないような、ある程度の日当の面での配慮、これは財政上の問題いろいろあって難しいと思うんですけれども、そういう配慮も必要だろうと思います。裁判員制度に対する一つの反発として、とにかく自分たちに関係のない仕事に駆り出されて働かされるということを言う人が随分いるんですね。というのは、仕事を放り出してくるというのでしょうか、そんなことはとてもできないぞという前提で話している方が多いわけです。だから、裁判所に来て、裁判員の仕事をすることがある程度のタダ働きではないんだぞというような感じが出るようなことが必要かなと、実は前々から考えていました。それで、日当が出るということですから、そのことは事務局としても考えていらっしゃるということが分かるのですけれども、そこでの考え方の一つとして、私は、例えば、地方最低賃金審議会が毎年決めています、地域別最低賃金というのが一つの目安みたいになるのかなと思っています。各都道府県ごとに最低賃金というのを地域別に決めていて、東京が最高で時給が708円ですか、平成14年10月の数字ですけれども、最低が時給で604円ということですね。ですから、このあたりも、国として最低賃金を補償すべきであるというふうに引いているラインですので、このあたりを視野に入れながら考えていただくのがいいかなと思っております。
○ 井上座長 考え方として、得べかりし利益あるいは報酬について補償するという考え方と、基本的には義務であるということから発想していって、しかしなにがしかの手当ては支払うという考え方と、両様あり得ようかと思うのですけれども、そういう基本的な点について、お考えを示していただきたいのです。今、土屋委員は一つのお考えをおっしゃいましたが。
○ 土屋委員 私は、タダ働き感がないようにということです。
○ 井上座長 仮に、時間700円ですと、1日8時間相当として5,600円ということですね。
○ 土屋委員 私は、この検討会が机上の議論みたいなことばかりやっていて財政面のことを考えてないのだというようなことを、もし国会の方で受け取られるとしたら、そうではないんだよということを言っておかなければいけないと思うんです。そういうこともあります。
○ 井上座長 その点はそのとおりなのですけれども、ここで具体的な金額をこれだけにしましょうと決めても、何を勝手に言っているのだという話にもなりかねませんので。
○ 土屋委員 ですから、視野に入れてと。
○ 井上座長 基本的なお考えはよく分かりました。その点について、ほかの方は、特に御意見ございませんか。どうぞ。
○ 髙井委員 これは、問題点というか、私がこういう意見を持っているということではないのですが、ここに、裁判員に対する補償とありますので、裁判員以外に対しては補償しないというふうに考えていいわけですね。例えば、有能な社員を2週間裁判にとられたという場合、会社に損害が発生することがあり得ますね。そういうのは対象ではないというふうに考えているということですか。
○ 井上座長 たたき台ではそうですね。
○ 髙井委員 イの方は、「裁判員等が」とありますけれども、裁判員等であった者は含まないという趣旨ですか。論理的に言えばそういうことになりますけど。
○ 井上座長 裁判員であった者ですか。
○ 髙井委員 裁判員等であった者です。例えば、被告人が刑務所から出てきてからやられてしまったという場合には、被害を受けたときはもう裁判員ではないということになります。すでに裁判員ではないけれども、当時の裁判員としての職務に関して、御礼参りをされてしまったという場合は、補償の対象にはならないという趣旨ですか。
○ 辻参事官 そこは、検討すべき問題だと思っております。
○ 髙井委員 私は、ここは、「であった者」も含むべきではないかと思います。裁判員をやっている最中にいろいろな目に遭うということも、それはあり得ますけれども、終わってからの方があり得るのではないかと思うのです。
○ 井上座長 「職務に関連して」というところで押さえるということですか。
○ 髙井委員 はい。
○ 酒巻委員 今の件で質問があります。「証人等の被害についての給付に関する法律」というのがあったと思うのですが、これはどのような規定ぶりでしたでしょうか。
○ 井上座長 今の点についてですか。
○ 辻参事官 それは、証人であった人も入っています。
○ 酒巻委員 参考になるのではないでしょうか。
○ 井上座長 それに揃えるべきだという御意見ですか。
○ 酒巻委員 はい。
○ 井上座長 ここも、今後いろいろ詰めなければいけないところだと思いますので、そういう御意見があったと承っておきます。よろしいですか、この辺は。
あと、裁判員の選任に関連して、今まで話題にされた点以外に特に何か御意見があれば伺っておきたいと思います。なければ、次の項目に進ませていただきたいと思いますが、よろしいですか。
皆さんお疲れだとは思うのですけれども、もう少しお付き合いください。「3 裁判員等の義務及び解任」という点です。この項目については、裁判員等が負う義務と、裁判員等の義務違反等を理由にする解任の手続と、この二つに分けて案が示されているわけです。(1)は裁判員候補者の義務です。内容的には、質問手続期日への出頭義務と、質問票や質問手続における質問に対して、虚偽回答や正当な理由のない回答拒否をしてはならないという義務です。この当否や、これ以外にもこういう義務を課すべきではないかといった御意見があれば伺いたいと思います。どうぞ。
○ 四宮委員 出頭義務の関係なのですけれども、例えば、年齢が70歳以上である、これはいろいろな資料で疎明可能だと思うのですが、それが、客観的に明らかな場合にも出頭義務を負うという趣旨ですか。
○ 井上座長 70歳以上ということは、辞退事由となっていますね。
○ 四宮委員 辞退したいという場合です。
○ 井上座長 平良木委員の御意見では……
○ 平良木委員 欠格事由。
○ 井上座長 不適格事由かもしれませんが……。
○ 四宮委員 あるいは、欠格事由とか、とにかく選任されないことが客観的に明らかという……。
○ 井上座長 辞退の方も申し出れば辞退できるという場合ですか。
○ 四宮委員 ええ。
○ 井上座長 この点はどうですか。
○ 辻参事官 ここは、技術的にいろいろな制度を作ることが考えられるとは思います。ただ、何らかの、裁判所あるいは裁判官が確認するというような仕組みがあった方が、明確性の観点から望ましいという考慮は必要かもしれないという気はするのですけれども。
○ 井上座長 結局その点は、この出頭義務違反に対する制裁ということが実際に問題になった場合に、その違反に正当な理由があるかどうかという形で判断されるということになるのではないでしょうか。
○ 池田委員 運用を任される側としては、明確に就職禁止事項に当たる人に出頭を求めるというのはちょっと望ましくないのではないでしょうか。ですからそこは、明確に該当する人については、質問手続のための召喚はしないということがあっていいのではないかと思います。
○ 井上座長 問題は、辞退事由の場合に、それがあるということを確認してもらう手続を経る必要があるかどうかということだろうと思うのです。問題点はよく分かりました。そこは具体的な仕組みの上で配慮すべきだということですね。
○ 大出委員 (2)のウのところの3行目ですけど……。
○ 井上座長 (2)にまだ入っていないのですが。ごめんなさい。
○ 大出委員 質問だけ。
○ 井上座長 今、(1)について議論していたものですから。しかし、せっかく言っていただいたので、(2)の方に進ませていただきましょう。こちらの方は、裁判員に選ばれた人と補充裁判員に選ばれた人、その双方の義務ですけれど、アからオまで5つの項目が挙げられております。これらの義務の当否、あるいは、これ以外にもこういう義務を課すべきではないかといった御意見があれば伺いたいと思います。どうぞ。
○ 大出委員 失礼しました。ウの3行目のところ、先ほどのと逆なのですが、これは「これらの職にあった者」ということになっているわけですね。「裁判員及び補充裁判員」まではいいわけですが、「並びにこれらの職にあった者」、あった者を含めているわけですけれども、これが必要なのかどうか。どういう御趣旨なのか。これだとすると、延々、言ってみれば義務が続くということになるわけですね。しかも「裁判の公正さに対して信頼を損なうおそれのある行為」というとで、かなり広いことになる、これが何かということにもかかわりますけれども、果たしてそこまでの要求が必要なのかどうか。
○ 井上座長 分かりました。まずは、これはどういうことを意味しているのかということを説明していただけますか。
○ 辻参事官 オの評議の秘密ともかかわりますし、また、行為の内容にもよるのかもしれませんけれども、抽象的には、裁判が終わった後で、本当は無罪だったと思うとか、有罪だったと思うとか、そういうことを言うのが適当なのかどうかという点があります。あるいは、当事者なり被告人なりの行為、行動、同僚の裁判員とか裁判官の行為に対する批判ですが、内容とか程度によると思うんですけれども、そういったもので公正さに対する信頼を損なうおそれのある行為というのは、裁判進行中だけではなくて、終了後であっても考えられるのではないかという趣旨です。
○ 大出委員 今のお答えですと、今もありましたけれども、むしろ、オに入る部分であるということにはならないのでしょうか。それを超えて何か。
○ 辻参事官 例えば、自分は本当は有罪だと思っていたとか、無罪であったと思っていたという意見を公言して、あの裁判はなっていないと、そういうことを言ったとしても、それが、評議の秘密その他の職務上の秘密に必ず当たるとは限らないとは思います。例えば、その意見を評議で述べてないような場合です。
○ 大出委員 そうすると、オの方では、今の御説明でいきますと、オで必ずしも禁止されてないからということですか。
○ 辻参事官 そうですね。必ずしもオに当たらない場合もあるのではないかということです。
○ 井上座長 オとウの両方に当たる場合もあれば、オには当たらなくて、ウだけに当たる場合もあるということなのでしょう。
○ 辻参事官 そうですね。
○ 大出委員 そこは、どう、今の御説明だけで区分けがついたことになるのかどうかちょっと分からないのですが。
○ 髙井委員 裁判の公正らしさというものが維持されなければいけないというのは不可欠だと思うんですね。ですから、裁判の公正らしさというのは、裁判員をしているときだけの問題ではなくて、裁判員をやめてからの言動によって裁判の公正らしさというのが毀損されるということも十分あるわけですから、ここに、「これらの職にあった者」というものを含めるのは合理的理由があると思います。
○ 大出委員 私のさっきの質問は、その具体的中身だと思うんですね。ですから、一般的、抽象的には、確かにそういう、私は公正らしさというところを強調されることについては疑義がありますが、だとしてみても、具体的な中身として、それこそ死ぬまで、一遍裁判員を引き受けた以上、公正らしさについて、その裁判にかかわって義務が生じるというようなことになるわけですね、これは現実には。ですから、その範囲というのはかなり明確である必要があることは間違いないわけですから、一般的に抽象的に、品位、あるいは信頼を損なうということであっていいのかどうかということで、具体的に……。
先ほどのお話ですと、私は、オについて、これでいいかどうかということについては意見があるのですが、どこまでの範囲なのか。
○ 井上座長 今御意見承っているのはウですよね。
○ 大出委員 ええ。
○ 井上座長 ウの品位という点は、裁判員及び補充裁判員ということですから、現に職務を行っている場合ですね。後段の方は、「裁判の公正さに対する信頼を損なうおそれのある行為」ということで、これは禁止しなくても良いという御意見ですか。
○ 大出委員 今、挙げられた方だとすれば、それはここでということでないでしょうし、ほかに具体的に何か想定されていることがあるのかと思ったものですから。
○ 本田委員 いいですか。
○ 井上座長 どうぞ。
○ 本田委員 適当な例になるかどうか分かりませんが、例えば、裁判員であった者が、裁判所の裁判員というのはいいかげんだ、あいつらはよく証拠も見ないで判断しているという虚偽のことを公言したとしますよね。
○ 大出委員 ですから、それはオで禁止されるのではないかということですね。
○ 本田委員 オで、ですか。
○ 大出委員 ええ。
○ 本田委員 評議の秘密とかそんなのではないでしょう。
○ 大出委員 えっ?評議の経過並びに……。
○ 本田委員 私が言っているのは、嘘のことを言っている場合なのです。虚言を弄して誹謗中傷するようなことを言ったら、オには当たらないでしょうということなのです。実際にはなかったことを、そういうこととして言えば、オには当たらなくて、それはウじゃないですかということなのです。そういうこともあり得るでしょうと申し上げているのです。
○ 大出委員 いや、でも、それはまさに、嘘かどうかということの確認自体も難しいわけですよね。
○ 井上座長 それはだから……。
○ 大出委員 ですから、それは「評議の経過並びに各裁判官及び裁判員の意見並びに」、それにかかわるということにならないんですか。
○ 本田委員 嘘を言っているのだから、評議の経過でも何でもないですよ。
○ 井上座長 それは「経過」ではないのですよ。「経過」というのは、事実としてあったことということなのです。
○ 本田委員 事実でないことを言っているわけです。
○ 大出委員 ですから、事実にあったかどうかということについてというのはどうチェックをかけるわけですか。
○ 井上座長 それは、この違反が実際に問題になったときに、そういう訴えなら訴えがあって、その審理において、本当にそういうことがあったのかどうかを確認するしかないのではないですか。それで、事実があったとすればオに当たることになるし、そういう事実がなかったのならウに当たることになる、ということなのでしょう。事実がなかったのに虚偽のことを言っている場合はカバーしなくて良いのかというのが、本田委員が提起された問題なのです。
○ 酒巻委員 私は、大出委員の御意見に対しては、類型的に、オの、評議の秘密を含む職務上知り得た秘密だけでは補足できない、ウの後段に当たる場合があり得るので、これは必要だと思います。そして、ついでに言いますが、これは、現に職務中だけでなく、これらの職にあった者についても、禁止行為をかけなければいけないと思います。
○ 大出委員 私も、例が具体的に挙がるようであれば、反対する気はないのですが……。
○ 井上座長 今、挙げられたのではないですか。
○ 大出委員 ですから、だとすれば、もう少しその辺のところを、具体的に何らかの形で示すということはできないのかということはどうですか。つまり、信頼を損なうおそれがあるというようなことで、もう少し具体性を加味することはできないのかどうかですね。
○ 井上座長 御自身のアイディアを示してくださいませんか。
○ 大出委員 ですから、そこのところは私も考えますが、もう少し事務局で。つまり、さっき言ったように、一生その点について義務を負うことになるわけですから、やはりどの範囲なのかということが、ある程度、例示されるといいますか……。
○ 井上座長 これではまずいのですか。
○ 大出委員 何かかなり広い感じがしますよね。そうでもありませんか。
○ 本田委員 やっぱり、信頼を損なうおそれのある行為はしちゃいけないのでしょう。
○ 四宮委員 質問、よろしいですか。
○ 井上座長 どうぞ。
○ 四宮委員 このウの義務のうち、前段は、これは次の解任という法律効果に結び付く可能性があるわけですね。ただ、後段も、裁判員と補充裁判員については解任の効果が発生する可能性があるということですね。これらの職にあった者がこういう行為をした場合には、特に法律上の効果はないという理解でいいわけですか。訓示的な規定ということですか。
○ 井上座長 その点はいかがですか。
○ 辻参事官 特段ないと思います。この義務から直接出てくるものとしては特段ありませんが、たたき台の14ページから15ページに、「担当事件の事実の認定、刑の量定等に関する意見を述べたときは」罰則の対象になるというのがございます。この罰則は、職にあった者もカバーしておりまして、この罰則に当たる行為は同時に、ここの「裁判の公正さに対する信頼を損なうおそれのある行為」にも当たるということになろうかと思います。ただ、罰則ですから、別途規定しておりますので、「裁判の公正さに対する信頼を損なうおそれの行為」をしてはならないという、この義務から直接出てくるものではありません。
○ 井上座長 法制面のとらえ方が違うので、理屈の上では、ずれる可能性もあるということですね。
○ 四宮委員 私の意見なのですけれども、このウから、直接罰則が導かれないということなので、それほどいろいろ言うこともないのかもしれませんが、ただ、私はこれを読んだときに、あまりに、何ていうんでしょう、国民にあれしちゃいかん、これしちゃいかんと言っているような印象を受けました。特に、この「品位を辱めることのないように」というのは、これはなかなか抽象的ですし、どうなのかという気がするんですね。もちろん、最低限の義務は必要ですけれども、あれしちゃいかん、これしちゃいかんということは少ない方がいいというのが私の意見です。ですから、誠実に職務を行うとか、公正さ、信頼を損なってはならないというのはいいかもしれませんが、なるべく少なくしてほしいと思います。
○ 井上座長 品位とかいうのはやめてほしいということですね。その辺は、書きぶりの問題とか、他の法制とのすり合わせの問題がありますので、なお検討していただくということでよろしいでしょうか。どうぞ。
○ 土屋委員 私は、去年の9月に意見書を書きまして、その中でこの件に若干言及しているんですね。私の意見を言っておりますので、今さら口を閉じるわけにはいかないので、その繰り返しになって耳障りかもしれませんけれども、簡単に意見を言います。どういうことを言ったのかというと、その後、考え方の変化が特別あるわけではありません、基本的に。私は、裁判員であっても、あるいは候補者であっても、自分の意見を言うことはいいのではないかと考えているということなんです。ですから、後ろの方で、罰則がこの部分については被ってくるという構成のように思われますけれども、私は異論があります。というのは、自分の意見という、この事件について、どういう感想を持ったのかとか、評議の内容を言うのではなくて、そういう意見を話すことというのは、むしろ必要なのかな、必要な場合もあるのかなという感じがぬぐえないからですね。例えば、大きな裁判を私が裁判員になって経験した、そのとき、こんなことを実は感じたのだ、こういうことが問題あると思ったよというようなことというのは、私の意見としてなぜ言っちゃいけないのだろうかと思うのです。むしろ、そういうことを言って、自分の経験を広く世間に伝え、子どもたちに伝え、そういうふうにしていくことの方が、制度を良くする道につながるのではないかと感じたりもするんですね。ですから、裁判の公正さを損なうような行為を別に勧めているわけではなくて、自分の意見というのはそこまで拘束されなければいけないものなのだろうかという疑問が根本的にあるということなんです。
それから、もう一つ、守秘義務についても、私は意見書の中で時効の考え方みたいなことを書いています。つまり、墓場まで秘密を持っていかなければいけないのだろうかということです。守秘義務というのは、一定の年限で解除されていいのではないかというふうに思って考え方を書いています。それは、例えば、意見書の中でも書いていますけれども、最高の機密とされる国の政府の外交文書でも、非公開期間というのは30年です。特別な場合は公開されませんけれども、30年経てば、基本的には公開されるという政治的選択がされているわけですね。裁判も、ある程度、年月によって、風化するとは言いませんけれども、義務が軽減される考え方があってもいいのではないかと思いまして、意見書では、守秘義務は期間を限定されるべきであるという考え方を書きました。その当時は、10年でいいのではないかと意見書に書いています。10年ひと昔というわけではありませんけれども、どこまでやるのかという点は非常に悩ましいので、その期間が10年でいいと、今必ずしも思っているわけではありませんけれども、一定の年限が課されていいのではないかというふうに考えるということが一つです。
あと、もう一つだけです。それから、守秘義務がかぶる部分があるのは、私は当然だと思うんです。それをなしでいいとは思っていない。ただし、かぶる範囲というのは三つだけでいいのではないかと意見書に書きました。一つは、ほかの裁判官、裁判員の個別意見の内容。それから、判決が何対何で決まったかというような採決結果。それから、三つ目が、皆さんがこれは公開しないようにしようと合意した事項、例えば、人のプライバシーだとかそういったことですね。裁判員をやることによっていろいろ知ることがあるわけですから、そういうことは公開しないようにしようよというふうに確認した事項、そういったものについてはずっと守秘義務を守っていくべきだと思うという考え方を書いています。
たたき台と全然違う考え方だというのは承知した上ですけど、私は、去年の9月の時点で、意見書の中でそう書いているということです。
○ 井上座長 1点目ですけれども、事件の中身についての意見も外で言って良いということですか。伺った限りでは、裁判員を務めたことによって、この制度についてこういう感想を持ったとか、そういうことは言ってもよいのではないかという御説明だったのですけれど、具体的な事件の中身についてはどうなのでしょうか。
○ 土屋委員 事件の中身というのは、一種の評議の秘密ですよね。それと関連してきますよね。
○ 井上座長 そういうものも自分の意見としては言ってよいという御意見ですか。3番目のところで、そこはカバーしていなかったと思うのですけれど。
○ 土屋委員 非常に悩ましいところですけれども、私は積極的に勧めるわけではないのですけれども、そういう内容について触れることについてですね。ですけど、自分の意見を構築するため、相手を説得するためには、最低限出さなければならないファクトもあるのかもしれないという感じもするんですね。ただ、それは望ましくはないと思います。できるだけ私の個人の意見という形で公表する部分にとどめるべきであって、それを、客観的な事実がこうなのだよというようなことを公表するというのは、それは裁判の中身に入ってくる事実認定などに関わってくることでしょうから、あまり望ましくはなかろうと思います。ただ、意見という形で、最小限度許される部分があるだろうということです。
○ 井上座長 ちょっと御趣旨を確認したかったものですから。どうぞ。
○ 大出委員 前に申し上げたどうか分かりませんけれども、最後の部分は、少し私の方が強いのかもしれませんけれども、土屋委員の御意見に賛成で、つまり、その裁判員の責任にかかって発言できる範囲で、他のメンバーの意見等について、批判なりコメントを加えるというようなことはすべきではないと思いますけど、自分が裁判員としてその評議にかかわって、どういう立場でどういう意見を言って、当然結論は分かっているわけですから、中でどういう位置を占めたのかということについては、それはそれぞれの責任において発言することは認められてしかるべきだろうと思うんですね。それは、主体的、実質的に関与するということで、求められている裁判員の責務との関係からいってみても、御本人の判断で、もちろんここで一般的に禁止されている他の裁判員又は補充裁判員等々の評議の中身、それぞれの立場の方たちの意見にかかわる部分というのは、評議内容にしてみても、それから、全体の評議の経過等については漏らすというわけにいかないと思いますけれども、個人の発言にかかわる、個人の責任で処理できる部分については、認められてしかるべきではないかと私は考えているんですけれども。
○ 酒巻委員 私は、また遺憾ながら、全面的に反対であります。大出委員は、裁判員が評議の中で、自分が言った意見については公にしてよいという御意見ですが、それは違うと思います。評議の秘密保持の趣旨は、むしろ、このオの前に書いてあるエの部分、つまり、裁判員も裁判官も含めて評議で意見を述べる、自由に臆することなく他のことに煩わされずに、当事者に遠慮したり、後になって、どういう意見を言ったからということで何か言われるというような心配なしに、自由に意見を言うことのできる環境を整える、そのような場を保護するというのがこの評議の秘密の趣旨であると思います。そうだとすれば、自分の意見だからといって、自分で処分できるというような、そういう筋合いではないと思います。各人が自分の意見だから構わないということで外にしゃべることができるということになれば、今言ったような自由な意見交換の環境はなくなる。そうすると、究極的にはみんな評議の中身が将来外に出るかもしれないということを心配して、自由な意見交換ができなくなるものと思われます。そういう意味で、評議の秘密の制度趣旨に根本的に反するだろうと思います。
土屋委員の御意見も、もし自分の評議における意見は述べてよいという御趣旨だとすると、やはり私は評議の秘密という制度の趣旨になじまないのではないかと思います。
○ 井上座長 本田委員、どうぞ。
○ 本田委員 結論的には酒巻委員と同じなんですけれども、まず、裁判というのは裁判体の判断なわけですね。有罪と結論付けているのか、無罪と結論付けているのかはともかく、裁判体としては有罪なら有罪、無罪なら無罪という判断をしているわけですから、その内容について、各裁判員が、自分はこうだった、ああだったということを言い始めてしまったら、裁判そのものに対する信頼は極めて不安定なものになってしまうだろうという気がします。
それから、大出委員がおっしゃったのですけど、裁判員が各自責任持って自分の意見を言えばいいのではないか、それはいいのではないかとおっしゃいますけど、じゃあ、4人なら4人、5人、何人になるか分かりませんけれども、裁判員全員が自分の意見を言ったら、評議の内容はほとんど分かってしまうことになります。それでは、評議の秘密も何もないですよ。実質的には、評議の秘密を守るといっても守れないことになります。それでは、裁判に対する信頼は恐らく確保できないだろうというふうに思います。土屋委員の方の話は、公表してよいという意見が、制度的なものについてのものなのか、事件の中身に関する意見なのか、どちらに限定されているか、私もちょっと理解してないのですが、制度に関する意見という趣旨だとすると、事件とは離れた制度そのものの話だから、事件の内容に関する意見の公表とは扱いが若干違ってくるのかなという気はしています。ただ、守秘義務に関して、三つほどおっしゃいました内容の最後の部分、全員で公開しないことにしたものについては守秘義務をかける、例えばプライバシーの問題についてそのような扱いをするとおっしゃいましたが、他人のプライバシーの問題は、裁判員だけの合意で公表してよいかどうかが決まるような問題でないはずです。プライバシーの問題は、もともと合意するかどうかということとは無関係に保護すべきものだろうと思います。どうもそこがよく理解できませんでした。
○ 井上座長 分かりました。では、池田委員。
○ 池田委員 私自身も、評議の秘密は墓場まで持っていかなければならない人間ですけれども、そういう立場からすると、評議の秘密というのを公にするという御意見が出るのは、評議というのがどういうものなのかというのを十分理解していただいてないからなのではないかという気がしてならないんですね。確かにこれまで、酒巻委員や本田委員から言われたように、評議において人が寄っていいものを出すというのは、それぞれの人が自分の持ち味を出して、そしてより良いものにしようということであり、その中では、どんな議論でも、どんなことにひっかかっても話を出す、あるいは自分の言うことが間違っているかもしれない、それでも言ってみたら、ほかの人は、いや、そういう問題も実はあるかもしれない、それは実は大きい問題かもしれない、そういうことに議論が発展していく可能性は十分あるのです。そこで自由な発言が封じられたらいい評議はできないし、そしていい裁判には結び付かないと思うのです。その自由な評議を確保するというのは、いい裁判をするためには非常に重要なことで、そのためにはそれが後からでも脅かされないという保証が大事だと思うんですね。ですから、そのためには、自分の意見だからいいじゃないのと先ほど言われましたが、自分の意見を何人かが言えば大体分かってしまうとか、そういうことだってあり得るわけですし、10年後でもいいというわけにはやはりいかないのではないかと思います。ですから、私はたたき台の案でいいのではないかと思います。
○ 大出委員 一言。
○ 井上座長 御意見を封じるつもりはないのですけれど、6時という終了時刻を先ほどお示ししたにもかかわらず、本当に御協力いただけなくて、座長としてはまいっています。でも、どうぞ。
○ 大出委員 一言だけということですが、私は考え方の違いだと言われればそのとおりかもしれませんが、信頼感というものをどうやって作っていくのかということにかかわると思うんですね。裁判というものが信頼されるべきだというときに、秘密を守るというようなことで。みんなが言えば同じじゃないかと言いますが、必ずしも言うとは限らないわけですし、言わなければいけないという趣旨ではなくて、本人が自分の裁判にかかわった、逆に言えば、責任も非常に重たいわけですから、その責任の重たいものについては、自分がどういう立場でどういう判断をしたのかということを言うということがあっても、私は不思議ではないと思いますし、そのことが、だから他人の意見に対する誹謗であるとか中傷であるとか、そういうことにわたるということはもちろん禁止されるべきでありまして、あくまでも自分がどういう判断をしたのかということを表明するということはあっても私は不思議じゃないと思いますので、それがまさに、主体として、裁判にかかわるということでの意識というものをむしろ醸成するということもつながっていくということであると思いますし、先ほどちょっと出ましたけれども、禁止というようなことで、やることが全く義務というようなことだけで、負担感をさらに強くするというようなことは避けるべきだと思いますし、そういう意味では、書きぶりの問題も、ウのところについては、先ほど申し上げましたけれども、配慮する必要があるということとも通じる問題だというふうに私は考えています。
○ 髙井委員 自分の意見だから言ってもいいということではないのだと思います。大出委員は、義務を課す、義務を課すとおっしゃっていますけれども、仮に自分の意見だったら言ってもいいという法制度になったら、あんたの意見、一体何だったの、と聴く奴は必ず出てくるわけですね。そうすると、言いたくない人だったら、もし法律で禁止されていれば、おれは法律で禁止されているから言わないよ、と言えば済むのに、言ってもいいことになったら、自分の意見を言うまで、あんたの意見どうだったの、とやられちゃいますよね。全員にやったら、少なくとも裁判員がどういう票だったのかすぐ分かってしまう。それは決して裁判員のためにもならないと思います。
○ 井上座長 議論が大体平行線になってきたかと思いますので、この点はこのくらいにさせていただきたいと思います。あと一項目だけ残っており、そこまでは終えたいものですから、お許しいただければ、(3)について、もうあれこれ説明はいたしませんので、まとめて御意見があれば伺いたいと思います。裁判員の解任という事項ですが、たたき台の中身は読んでこられているだろうという前提で、御意見を伺いたいと思います。よろしいでしょうか。特に御意見がなければ、本日はこのくらいにさせていただきたいと思います。
事務連絡はありますか。
○ 辻参事官 ありません。
○ 井上座長 それでは、次回は4月25日の午後1時半になっておりますので、よろしくお願いいたします。長時間、どうもありがとうございました。