首相官邸 首相官邸 トップページ
首相官邸 文字なし
 トップ会議等一覧司法制度改革推進本部検討会裁判員制度・刑事検討会

裁判員制度・刑事検討会(第17回) 議事録

(司法制度改革推進本部事務局)



1 日時
平成15年5月16日(金)10:00~11:40

2 場所
永田町合同庁舎第1共用会議室

3 出席者
(委 員) 池田修、井上正仁、大出良知、酒巻匡、四宮啓、髙井康行、土屋美明、樋口建史、平良木登規男、本田守弘(敬称略)
(説明者) 遠山 叡 日本新聞協会 人権・個人情報問題検討会幹事
雨宮秀樹 日本雑誌協会 編集倫理委員会委員長
石井修平 日本民間放送連盟 報道問題研究部会長
(事務局) 大野恒太郎事務局次長、辻裕教参事官

4 議題
ヒアリング

5 議事

○井上座長 それでは所定の時刻ですので、第17回裁判員制度・刑事検討会を開会させていただきます。
 皆様、御多忙の折、また朝から御参集いただきましてありがとうございます。
 先にお諮りいたしておりましたとおり、本日は報道機関の方々からのヒアリングを実施することになっております。席上に実施次第をお配りしておりますが、それに記載のとおり、日本新聞協会、日本雑誌協会、日本民間放送連盟という順で御意見を述べていただくことにいたします。
 具体的な進め方でございますけれども、それぞれの団体の代表発言者の方に15分程度口頭で御意見を述べていただいた上で、引き続いて10分程度の質疑応答の時間を設けることにいたします。1団体につき所要時間は合わせて25分程度ということで進めさせていただきたいと存じます。
 したがいまして、全体の所用時間は、御意見をいただく方の出入りの時間や若干の余裕も見込みましておおむね1時間30分程度と見込んでおります。進行に是非御協力をいただければと存じます。
 それでは早速ヒアリングに入りたいと存じます。まず日本新聞協会の方に入っていただけますか。

(日本新聞協会着席)

○ 井上座長 よろしいでしょうか。まず日本新聞協会から御意見を伺いたいと思います。日本新聞協会人権・個人情報問題検討会幹事の遠山叡さん、産経新聞東京本社法務室長をなさっておられます。どうぞよろしくお願いいたします。

○ 遠山氏 それでは、日本新聞協会の裁判員制度に対する見解を御説明いたします。
 既にお手元に各資料がわたっていると思いますが、日本新聞協会には、編集局長の集まりであります編集委員会というものがございまして、今、御紹介ありました「人権・個人情報問題検討会」は編集委員会の下部組織でございます。そこで裁判員制度に対する見解をまとめまして、昨15日、編集委員会で了承されたものであります。
 初めにお断りしておきますが、我々、その検討会の中では、裁判員制度の導入の是非論には踏み込みませんでした。したがいまして、この見解というのは、日本新聞協会が裁判員制度について是であるとか非であるとかという見解ではございません。その裁判員制度が導入された場合の問題点についての見解でございます。
 見解について、どういう並び方になっているかということを若干申し上げますと、もとより裁判員制度というものが「開かれた司法」あるいは「市民のための司法」というものを目指す以上、我々報道の役割は重要性を更に増すであろうという認識です。そういう裁判員制度を推進するためには、いわゆるたたき台の中にある報道にかかわる規定が、どういうとらえ方をすべきなのか、そういう観点から、まず総論を最初に置きまして、その後、たたき台に沿いまして裁判員等の個人情報の保護、裁判員等に対する接触の規制、それからたたき台では「裁判の公正を妨げる行為の禁止」となっておりますが、我々は「偏見報道の禁止」という具合に定義づけていますが、その条項、それから、「裁判員等の秘密漏洩罪」、いわゆる守秘義務の問題。この四つにつきまして、ポイントに絞った形で論議を進めました。
 そして最後に、裁判員制度が導入された場合、あるいはこれを市民の間で定着させていく場合には、報道の役割が重要性を増すといっても、ではその報道は一体何をすべきなのか、あるいはどうしようとしているのかということで、最後に報道の姿勢といいますか、報道機関による自主ルール制定というものを定めました。順を追って一応読み上げていきたいと思います。
 日本新聞協会は、司法制度改革推進本部事務局から提示された「裁判員制度のたたき台」、いわゆる「原案」について議論いたしました。その結果、「原案」には憲法で保障された「表現の自由」を実質的に制限する内容があり、このままでは刑事事件並びに裁判の取材・報道が制約を受け、国民の「知る権利」に応えられなくなるおそれが大きい、との結論に達しました。それは、今回の改革が目指す最大の目的の一つである「開かれた司法」の実現の障害にもなると考えております。以下、論点ごとに見解を述べていきます。
 まず、総論でございますが、資料では、囲ってあるところが、我々新聞協会の見解ということでございます。
 「制度設計に当たっては、『開かれた司法』の実現という観点から『表現の自由』『報道の自由』に十分配慮することを求める」。
 理由といたしまして、司法制度改革審議会などでの論議でも繰り返し指摘されてきましたように、日本において国民と司法との距離は遠く、今回の諸改革についての国民一般の理解も決して深いとはいえません。メディアはこれまで、国民と司法の間に横たわるこの溝を埋める役割を果たしてきましたが、その使命はますます大きくなるものと予想されます。
 裁判員制度に関しても、この新しい試みが社会に定着し、国民が進んで裁判員としての役目を果たすためには、十分な情報が伝えられ、制度が公正・透明なルールの下に運営されていると理解されることが不可欠であります。にもかかわらず、今回示されたいわゆる「たたき台」にはそうした観点が見受けられず、情報公開に関しては極めて閉鎖的な制度設計になっている。この基本的なスタンスを見直すことを求めたい、そう思うわけです。
 条項の各論に入ってまいりますが、まず「裁判員等の個人情報の保護」でございます。たたき台でいきますと、8(1)のアとイになりますが、たたき台の方は割愛させていただきます。
 これにつきまして、我々の見解としては、個人情報をすべて非公開にするような制度設計にはしないよう見直しを求めます。
 その理由として、裁判員に対する脅迫や嫌がらせなどは公正な裁判を行う上であってはならないことであり、個人情報の取扱いに慎重を期す必要があることは理解できます。しかし、どういう人が裁判員になり、どのような判断に加わったかが全く明らかにされなくては、「公正な裁判が行われている」という社会的信頼を得ることはできず、制度の定着にも結び付きません。国民の司法参加の一形態であり、半世紀以上に及ぶ実績がある検察審査会に審査員の氏名等の公表を禁止する規定がないことも踏まえて、さらに検討を深めていただきたい、そのように思うわけです。
 次にたたき台8(2)、これもアとイがありますが、「裁判員等に対する接触の規制」について申し上げます。これについての新聞協会の見解は、裁判員を退いた人にまで接触禁止の網をかけるべきではない、と思います。
 理由としまして、裁判の公正を保つために、利害関係者らによる裁判員への接触を禁止しなければならない必要性は理解できます。しかし、裁判員を退いた人に対してまで一律に接触禁止とすることには弊害が多いでしょう。裁判員を経験しての感想あるいは提言などを語ってもらうことは、この裁判員制度を定着・育成していく上で不可欠でありますし、裁判の経緯を事後的に検証することが必要な場合もあります。したがいまして、たたき台アの後段、「何人も、知り得た事件の内容を公にする目的で、裁判員又は補充裁判員であった者に対して、その担当事件に関し、接触してはならないものとする」という部分は削除するべきだと考えております。前段の「何人も、裁判員又は補充裁判員に対して、その担当事件に関し、接触してはならないものとする」、現職というとらえ方ですが、これについても検討の余地があると考えております。
 続きまして、たたき第8(3)、これもアとイがございますが、たたき台では、「裁判の公正を妨げる行為の禁止」という条項になっております。
 これにつきましては、ア、イともに全面削除を求めます。
 その理由といたしましては、メディアの取材・報道には、国民の「知る権利」に応えるという重大な使命がございます。特に、裁判員制度が対象とする重大事件に関する報道は国民の関心が強く、そしてその関心は自然なものでありましょう。また、メディアは、事件報道を通じ、国民の必要な情報を提供し、平穏な市民生活を守る上でも重要な役割を担っております。新たな裁判員制度によって、これまで国民に提供されてきた国民の生命、財産を守る情報が国民から遮断されてはならない、そのように考えます。
 翻ってこの規定を見ますと、たとえ訓示規定であっても、実質的には事件・裁判に関する報道を規制するものになりかねない上、何をもって「偏見」とするのかも明確ではありません。恣意的な運用を導くおそれの強い規定であり、表現の自由や適正手続を定めた憲法の精神に触れる疑いがあると思います。
 確かにメディアは、捜査当局の発表に流されたり、無実の市民を容疑者扱いにするなどの誤りも過去に例がないわけではございません。しかし、裁判員制度の下では、そうした先入観を捨て、あくまでも法廷に現れた証拠と法に基づいて判断するよう裁判員を適切に導くのが、裁判官をはじめとする法律専門家の役目であるはずだと思います。報道側もこれまでに寄せられた批判や反省を踏まえまして、事件報道に関する指針を定める、あるいは関係者からの苦情申立てなどに応じるため、外部識者をメンバーとする報道検証機関を設ける、あるいは新聞倫理綱領を改訂し、集団的加熱取材の回避策を講じるなどの対応をとり、努力を積み重ねてきております。
 こうした諸事情を考慮すれば、ことさら本規定を設ける必要はないと考えます。
 なお、これの資料といいますか、報道機関がどのような自主的な努力を重ねてきたかということにつきましては、参考資料の中の資料2の中に、これまでの経緯あるいは新聞倫理綱領などを付けてございます。
 次に「裁判員等の秘密漏洩罪」、いわゆる守秘義務でございますが、たたき台7(2)であります。
 これの、当協会の見解としては、守秘義務が課せられる内容の範囲や期限をより明確にするよう求めます。
 理由としましては、裁判の公正を保ち、関係者のプライバシーを保護する上で守秘義務は必要だと判断いたします。しかし、8(2)に関する部分でも触れましたように、裁判の公正さを担保し裁判員制度を定着させるには、制度への不断のチェック、いわゆる国民のチェックといいますか、それが必要不可欠だと思います。評議が適切に行われたかどうかは、上訴の理由にもなり得るでしょう。守秘義務が広範に課せられてしまっては、裁判がどのように行われたのかを事後検証することは極めて困難になります。したがって、守秘義務の範囲・期限は特定するべきであると考えます。
 最後に「報道機関による自主ルールの制定」について申し上げます。
 新聞協会加盟各社は、裁判員制度の導入を想定して取材・報道指針を作成する用意がございます。その中では、評議中の裁判員への接触取材や裁判員の特定につながる個人情報の報道などは原則自粛する方向になると考えております。また、こうしたルールを協会加盟社だけで定めても実効性は担保されないでしょう。したがいまして、同様の取り決めを制定・遵守するに当たりましては、日本民間放送連盟や日本雑誌協会と協調していく所存でございます。
 ここで一言、放送の方が、自主ルールについて、どのようなことを今やっておるかということについて、NHKの緒方さんの方から御説明をいただきたいと思います。

○ 緒方徹日本新聞協会人権・個人情報問題検討会委員 NHKの社会部長をやっております緒方と申します。今、御報告いただいたように、御承知かもしれませんけれども、この7月に、NHKと日本民間放送連盟が、これまでの組織を統一して新たに放送の人権侵害ですとか番組に関する苦情受付の窓口を強化するというシステムを構築しようとしております。これは、「放送番組委員会」「放送と青少年に関する委員会」、それにBROが運営しています「放送と人権等権利に関する委員会」、この三つの第三者機関を独立性を維持したまま引き継ぐという形にしております。苦情受付窓口を一本化して、事務局に新たに放送事業者以外の事務長を起用するほか、スタッフも増やし、そして機能強化を図る考えです。
 これまでにも、「放送と青少年に関する委員会」では、「バラエティ系番組に対する見解」ですとか、「衝撃的な事件・事故報道の子どもへの配慮についての提言」あるいは「消費者金融CMに関する見解」を出しておりますし、BRCにおきましては、勧告、これは放送局側に訂正放送を求めるなど何らかの義務が放送局に発生するものですが、これが2件。それから、人権侵害はないものの放送ルールに問題があるという場合に見解、これは9件出しておりますけれども、こうした自主努力を積み重ねてきていると。
 新しい7月からの組織の中では、指摘した放送倫理上の問題について、「当該放送局は一定期間内に改善策を含めた取組状況を委員会に報告すること」ということを新たに盛り込むということもしております。こうした自主努力を重ねているということをあえて補足させていただきました。以上です。

○ 遠山氏 最後に注意書きを付けております。ここで取り上げましたのは、たたき台の中のいわば罰則規定といいますか、「7 秘密漏洩罪」のところですが、それから「8 裁判員等の保護」、7と8にかかわるものでございますが、たたき台の文言だけでは趣旨がはっきりしない部分もございます。あるいは、裁判員制度が全体的にどういう制度設計になるのかという、1~6に関する設計がまだ固まっていないというところもあるでしょう。したがって、固まらなければ、意見を表明できない部分もございます。
 したがって、今後推進本部におかれましての議論の進展によりましては、新聞協会の意見も変わり得るものであるということは付記しておきます。なお、冒頭申し上げましたように、この「見解」は、裁判員制度の是非を論じたものではございません。裁判員制度が導入された場合に備えて検討したものであることをあえて付け加えておきます。
 最後に新聞協会からの要請でございますが、今日ヒアリングの機会をいただきまして感謝しております。ただ、これでもって1回で終わりということではなくて、例えば、たたき台からさらに一歩進んで、何か法案がもう少しまとまったとか、そういう節目のような段階で、再度新聞協会へのヒアリングの機会は是非与えていただきたいということを要望して御説明を終わります。
 ありがとうございました。

○ 井上座長 どうもありがとうございました。
 それでは続いて質疑応答に入りたいと存じます。ただいまの御意見について、御質問のある方はどなたからでもどうぞ。御質問という形で簡潔にお願いしたいと思います。

○ 大出委員 よろしいでしょうか。

○ 井上座長 どうぞ。

○ 大出委員 貴重な御意見をありがとうございました。一つは、1番のところで、個人情報の開示の問題にかかわって、どういう人が裁判員になり、どのような判断に加わったかが全く明らかにされなければ、「公正な裁判が行われている」という社会的信頼を得ることができないという御見解でいらっしゃるようなのですが、ただ、具体的に裁判の信頼性の確保という観点からいった場合には、このレポートの中でも、「偏見報道禁止」のところでおっしゃっていることですが、裁判の在りようとの関係でいけば、先入観を捨て、あくまでも法廷に現れた証拠と法に基づいて判断することが重要だということになるわけですから、報道においても、裁判がそのように行われたかどうかが重要なのであって、個々の裁判員が、どういう経歴若しくは何というお名前でいらっしゃるかということは、基本的には関係ないのではないかという気もするのです。その点について御意見を伺いたいということと、それから、守秘義務の範囲、期限を特定すべきだとおっしゃっていますが、具体的にどのような特定をお考えでいらっしゃるのか、もし御意見があればお聞きしたいと思います。
 3点目は、新聞協会等が、この間、報道の在り方についていろいろと御努力をされているのは私も承知しておりますし、資料にもいろいろと書かれてございますが、私などが気になりますのは、加盟各社がそれぞれ記者の方たちに対してどういう研修を刑事裁判についてやっていらっしゃるのか、どのような内容で、どのぐらいの時間をかけて、どういう形でおやりになっていらっしゃるのかということなのです。それについての何か具体的な集約結果があれば、お教えいただきたいと思います。
 その3点です。

○ 井上座長 よろしいですか。質問の趣旨ははっきりしていると思いますが。

○ 遠山氏 最初の個人情報の件ですけれども、現実問題として、我々検討会の中でもいろいろ議論はございました。どこまで公開することがいいのかと。要するに、裁判員を特定するに足る事実というものを公開してはならないということについては、ある種の理解は得られていると思います。ただし、このアとイを全体で読みますと、これは読みすぎかもしれませんが、永遠に非公開となるのではないかと。あるいは、制度設計の中で、判決書の中に果たして氏名というものは入るのだろうか。あるいは、裁判員が自ら、私はどこそこの誰の誰です、と名乗った場合にまで、それは個人の自由ということで氏名は公表してはならないのか。いろんな問題はあると思います。そういう状況下で全くの非公開は疑問ではないかというのが我々の意見でございます。
 これにつきましては、若干の補足を朝日新聞の津山さん、いかがですか。

○ 井上座長 簡潔にお願いできますか。

○ 遠山氏 はい。

○ 津山昭英日本新聞協会人権・個人情報問題検討会委員 個人情報に関して言えば、裁判関係者にはこれは公開されるわけですね。しかし、我々にとっても、これはもちろん制度設計がどういう形になるかによって変わってくると思いますが、例えば、どういう年齢構成で実際裁判が行われているかとか、どういう職業の人が入っているかとか、これはこの裁判員制度を理解してもらうためにもかなり重要な情報ではないかと考えるわけです。我々としては、どこどこの誰さんがやっていると誰もが分かる、そこまではやはり公開すべきでないだろうということで意見が一致しているのですが、それぐらいのことは報道機関として応えていかないといけない。一体どこの誰がやっているか分からない状況で裁判をすることが、果たして裁判員制度の定着につながるものだろうかという疑問を感じているところでございます。

○ 遠山氏 2番目の守秘義務の範囲について申し上げますが、実をいいますと、守秘義務が課せられなければならない、守秘義務の必要性というのは、十分新聞協会としては理解しておりますし、当然だろうと思います。ただし、その範囲はどこに絞るのか。そうすると、これは期限とリンクしてくると思うんです。つまり、裁判終了後、我々の報道にとって大事な、いわゆる検証報道をやる場合、あるいはこの中にもいらっしゃいますが、学者の方が学術研究をするためにいろんな判決などを検証する場合もあるでしょう。その場合、そういう裁判が終了した後、そういう守秘義務というのは外すべきではないかといった場合に、プライバシーに関することまで外していいのかという問題が必ず出てくると思います。そうすると、プライバシーというのは永遠にだめなのかなと。では、どのくらいの範囲だったら、このぐらいの期限だろうという、その辺のところは非常に複雑に入り組んでいるのではないか。したがって、書き方として、範囲、期限をより明確にするよう求めるということでございます。
 なお、この範囲につきましては、新聞協会の検討会の中では、制限列挙にすべきではないかという意見が大体大勢を占めておりました。
 それから、最後の個々の記者への研修という問題でございますが、これは、各社各社のやはり取組みというものがありますので、新聞協会全体の中で、こういう研修をすべきであるということは、どこまでできるのかなということは今後編集委員会などで検討していただく課題であるかと思っております。

○ 井上座長 ほかの方、いかがですか。どうぞ。

○ 酒巻委員 守秘義務の範囲、期限というお話に関連してお考えをお聴きしたいと思います。裁判員はおいておきまして、現在、職業裁判官には、死ぬまで守秘義務があるわけですけれども、その点についてはどのようにお考えになりますか。職業裁判官の場合と裁判員とは違うとお考えですか。

○ 遠山氏 確かに、裁判員と裁判官というのは、事実の認定、それから量刑、両方一緒にやるわけで、その限りにおいては同じかもしれませんが、もう一つ、裁判員というのは、いわゆる一般市民から選ばれるということがあると思います。そうすると、一般市民から選ばれている以上、プロはずっと退官されるまではプロなわけですけれども、ある意味では1回限りだと。そういう裁判員制度という、裁判員になった認識というものを、どういう意見を持っているか、あるいは裁判員になったことについてどう思うかということは次の世代に語り継いでいかないと、実際に皆さん方がねらっておられる「開かれた司法」、「市民のための司法」という、要するに、司法をいかに市民に近づけるかというのが裁判員制度のねらい、本義だろうと思うんです。
 それをするためには、未来永劫に裁判員に対して守秘義務を課すということは、プロの裁判官とやはりその辺の違いというのは私はあるのではないか。私はあるのではないかというか、我々新聞協会の内部討議の中では大体一致したような意見でございます。
 なお、簡単に意見があれば、毎日新聞の常田さん、いらっしゃいますか。

○ 常田照雄日本新聞協会人権・個人情報問題検討会委員 毎日新聞の社会部長の常田でございます。

○ 井上座長 御発言を止めるわけではないんですけれど、こちらの委員もできるだけ皆さんから質問していただきたいものですから……。

○ 常田氏 期限と範囲ということで各社意見が多少割れたところがあります。ただ、集約しますと、職務が終わった時点と裁判確定の時点が節目になるという考えは一致しています。私どもは、職務が終わった時点で、例えば裁判員制に対する建設的提言でありますとか、あるいは自分はどういう意見を持っていたかということについては自己表現する機会があって当然ではないかと考えます。被疑者のプライバシーでありますとか、被害者のプライバシー、あるいはほかの裁判員がどういう意見を持っていたかといったことは未来永劫にわたって守秘義務が課されても仕方がないというのが大筋の意見でございます。

○ 井上座長 私から、1点、御趣旨をお伺いしたいところがあります。提出していただいた御意見の2ページの接触禁止のところですが、たたき台ですと、事件の内容について公表する目的で事件に関して接触してはならないということになっているのですが、今の守秘義務とも関連するのですけれど、そのような場合にも接触禁止はすべきではないという御趣旨ですか。
 それとも、今おっしゃったように、裁判員をしたことによって経験を積んだとか、どういう感想を持ったとか、そういうことならいいという御趣旨なのですか。そこがちょっとよく分からないものですから。御意見の理由の3行目の記載を見ると、後者のようにも読めるのですけれども。

○ 遠山氏 8(2)のアは2つに分かれていると思うんですね。初めのところは「裁判員又は補充裁判員に対して」となって、後段のところが「裁判員又は補充裁判員であった者」となっておりますので、素直に読めば、いわゆる現職中の裁判員、あとの方は、裁判が終わった後の元裁判員だというぐあいに我々は理解しております。
 正直なところ言いまして、この前段についての、現職中にその裁判員に接触を可能にすべきなのかどうかということにつきましてはいろいろと意見が出ました、我々新聞協会の内部でも。特に、裁判員の資格に疑義が生じたとき、例えば、暴力団関係者のことが、そういう疑惑が浮かんだとか、そういったときに、我々新聞記者の一つの取材のルールとして、本人にやはり確かめるという、これは重要なポイントになってくるわけです。では、接触が不能ならばそれはできないではないか。その一方で、周辺取材なり違う取材の仕方もあるであろうという議論もあります。
 したがって、ここのところは非常に難しいところがありまして、少なくともその辺のところをどうお考えなのか。その担当事件に関し云々となっておりますので、担当事件以外ということで接触して、でもその担当事件に踏み込んじゃうということもありますので、「検討の余地があると考える」というような感じの表現になっております。
 もし、補足することがあれば、どなたか、日経さんどうですか。

○ 井上座長 私の質問の趣旨は少し違っていまして、たたき台の後段部分について、事件の中身について聴くために接触するということも禁止の網をかけるべきでないというのがこの御意見の趣旨ですかということなのですが。

○ 遠山氏 後段ですか。

○ 井上座長 ええ。

○ 遠山氏 後段はそうです。

○ 井上座長 そうですか。分かりました。

○ 遠山氏 中身というか、接触しますよね。接触をして、例えば本人の同意がなくて、Aという裁判員がBさんの意見はこうでしたというところまで話せるかというと、それは守秘義務の方で十分カバーできるのではないかというのが我々の感覚です。

○ 井上座長 接触はしていいのだけども、守秘義務がかかっているところはしゃべってはいけないだろうということですか。

○ 遠山氏 それは、裁判員の方の問題でしょう。裁判員の方が自分がどういう意見を持っているか、評議でどうしたのかという、自由な意見表明にまで、したいという機会を、例えば向こうから言ってきた場合もありますよ。そういうものにまで網かけるべきではないのではないかということです。

○ 井上座長 御趣旨ははっきりしたかと思います。ほかによろしいですか。もうお一人くらい。それではどうぞ。

○ 池田委員 今の接触禁止の関係で、裁判を事後的に検証する必要があるということでしたが、今の裁判でも、手続については公開の法廷で行われていて、どういう証拠が調べられているか分かるわけです。判断の中身については判決書があるわけで、その判断がどうしてそういう結論になったのかということは、判決書を見ることによって当然検証できるということになるわけです。しかし、裁判員制度が仮に導入された場合には、それ以上に何か検証の必要があるという趣旨なのですか。

○ 遠山氏 同じようなことではないでしょうか。今までもプロの裁判官、例えば合議体でしたら3人として、最後、大法廷でなければ5人ということになりますけれども、有罪か無罪かを決める過程というか、その評議の中身、本当にどういう評議、きちんとした判決が出たのかということは我々も資料の中に入れておりますが、各種のえん罪事件というものがやはり物語っているわけです。したがって、事後検証というのは報道にとっては非常に大事な一つの役割だと思っております。
 で、裁判員が加わって裁判をする以上、そういう役割というのは、裁判員制度の透明性を高め、裁判の公正さを担保していくためにはさらに重要なテーマになってくるのかなというような気がしております。

○ 井上座長 ほかにいかがですか。よろしいですか。
 時間がちょっと短いものですから、腹膨るる思いかもしれませんが、以上とさせていただきます。どうも朝早くからありがとうございました。

○ 遠山氏 では、再度のヒアリングを期待して。

○ 井上座長 御意見として伺っておきます。

○ 遠山氏 どうもありがとうございました。

(日本新聞協会退席)

○ 井上座長 それでは、お願いします。

(日本雑誌協会着席)

○ 井上座長 どうも本日はありがとうございます。

○ 雨宮氏 よろしくお願いいたします。

○ 井上座長 続きまして、日本雑誌協会から御意見を伺います。日本雑誌協会編集倫理委員会委員長の雨宮秀樹さん、文藝春秋の取締役社長室長をなさっておられます。それでは、よろしくお願いいたします。

○ 雨宮氏 私ども雑誌メディアの日ごろの感想としては、事件報道等に伴う、その後のプライバシー侵害あるいは名誉棄損等の訴えを受けての司法の場に感ずることがるるありまして、それはどうも裁判官の方々に一般的なコモンセンスが久しく欠けてきているなという、失礼ながら思う次第でありまして、余談ですが、長良川の19歳少年リンチ殺人事件などの一審、二審の判決でも、記事は氏名をもちろん伏せ、ディテールを消し、少年法の61条規定を守っての記事だったのでありますが、それでも判決は、当該被告、つまり原告ですが、裁判で言えば、面識のある者、あるいは刑事裁判を傍聴した者には、仮名といえども、あるいはXと表記したとしても分かってしまう。だからだめだと、こういう裁判でして、そうするとこの事件報道ないし社会がそこから知恵を得て、少年犯罪が起きないようにしていくという大事な知る権利も失われていく。まるで、大人としての、社会人としてのコモンセンスが欠けたような判決が相次いで、これは、最高裁でさすがに批判され差戻しを受けましたが、余談であります。そのようにコモンセンスが失われている。そうしてみると、そうした常識を兼ね備えた社会人が司法の場に加わるということには、基本的に方向性としての意味は見出せると、こういうふうに考えております。
 ただ、実際どのようにこの裁判員制度を作り運用していくのかということについての現在のたたき台を拝見する限りでは、随分問題が多いなと考えているところです。
 逐条的に申すよりも、私どもの理解は、時間軸で分けてみると、実際の何がどのように起きるかということが分かりやすいかなと考えまして、時間軸を、つまり裁判手続の開始前及び手続の係属中、それから審決が終わった後というふうに三つに分けて考えてみますと、まず、裁判員制度を適用するような社会的に大きな事件が起きます。
 これについて、報道機関は当然その報道に当たるのでありますが、ここで問題になってくるのが、8条(3)のアという項目でありまして、「報道機関は、裁判員候補者に事件に関する偏見を生ぜしめないように配慮しなければならない」、こう規定されておりますのですが、もちろん裁判の公正が確保されなければならないことは全く異論のないところでありますけれども、この時点での裁判員候補者というのはまだ選定されておりませんから、すなわち、当該地域に住む一般住民なわけですね。この方々の中から、いずれ選挙人名簿をもとに選定されると。
 つまり、事件が起きたときに、当該地域の一般住民であるこの人々に偏見を生じさせる報道が許されないということなのですが、ここでいう「偏見」が何を指すのかというのが非常に不分明ではっきりしない。つまり、事件報道というのは、その読みようによって有罪・無罪に影響を与える可能性が全くないということは言えないだろうと思うんですが、こういう規定だけでは絞りにならないだろうと考えます。
 「偏見」とは何か。これはつまり、事実に基づかないものの見方を指すのだろうと思うんですが、この「事実」が何であるかということは、この裁判手続開始前の、事件が生じて、警察発表があり、各報道機関が報じている段階では、この事実というのがまだ確定しておりませんね。断片的な情報がいろいろ得られ、しかし、互いにそれが矛盾することもありましょう。それを様々な新聞、放送、雑誌、その他のメディアが報じていって全体像が徐々に浮かび上がってくるという段階だと思います。この事実の基礎があるかどうかを偏見の根拠と考えるとしても、事実の基礎があるのかないのかを判定する立場の方が、まだ、これ裁判も終わっていませんし、始まってもいないのですから、存在しないということになりますね。そうすると、誰かがそれは「偏見」だと言えば、それが偏見を規定することになってしまう。
 これ、ちょっと時間がずれますが、その次の審理が始まった段階でいっても、検察あるいは弁護側が、そうした報道は、被告を一方的に不利にする、あるいは有利にするという偏見を生じさせる報道だと言い立てることもできます。本来は、報道機関は真実と信じた情報を様々報じることによって事件について多様な見方が社会的に確保されるものだと思います。ここで、事実に基づかない報道といって禁止してしまうと、そうした情報の自由な流通が失われ、そうするとかえって、あの犯人て、こういう人のようよ、というような噂・ルーマーがひとり歩きをして、かえって報道がないことによって、裁判員の偏見がそこで生み出されることにもなりかねない、そういうふうに考えます。
 また、仮に様々なメディアに接することによって裁判員の予断というか、そういうものが生じ得る。これはもちろん全面的に否定できませんが、そうした悪影響は、質問手続というものが設定されておりますので、ここで十分排除されると考えるというのがこの制度の趣旨であろうと思います。報道全般を規制してしまうのではなく、質問手続を十分活用することによって適切な裁判員の選任確保がなされ得るし、またそうすべきであろうと考えます。
 それは、米国の例を見ましても、適切な陪審員の選定手続さえ行われれば、いくら報道によって被告人に不利な事実というものが流布されているとしても、公正な陪審裁判を受ける権利が侵害されたことにはならないと、こういう判断がなされているところであります。これは当然我が国でもこうした判断に立つべきでありましょう。
 また、このように現在のたたき台では、報道機関に対してのみ配慮義務を求めているのでありますが、例えば、現在の通信技術の発展を見れば、インターネット等、個人の自由な情報発信ということが行われておりますけれども、こうしたことが全く図られない、そういうインターネットを通しての様々な予断を生ぜしめるような噂・ルーマー、そういうものが飛び交うことについては論及されておらず、ひたすら報道機関に対して配慮義務というのは奇妙なことと考えます。もちろん、「公正な裁判」を目指し、かつ「報道の自由」をも目指す、ここのすり合わせはどのようにしていくのかはなかなか社会的にも困難な問題であることは事実でありますが、そこは様々社会の知恵で乗り越えていくべきであって、あらかじめ配慮義務を法律で定めて報道を規制してしまうというようなことにはするべきでなく、私ども雑誌協会や、さっきお話の新聞協会、またこの次の民放連のような報道業界の様々自由な自主的な検討を優先させるべきであると考えています。
 次に、「裁判手続の係属中」という段階で考えてみたいと思います。
 これは、被疑者が起訴されて、裁判員が既に選定されています。審理が開始されて、ただし判決が下されるに至っていない時期のことでありますが、ここでは、「何人も、裁判員又は補充裁判員に対して、その担当事件に関し、接触してはならない」という8(2)アの前半の規定がございます。これは、裁判の公正を確保しようとする趣旨であろうことは理解できまして、その必要性はそれなりに理解できるということなのでありますが、実際こうした裁判は連日開廷されるという4(4)の規定がありますから、裁判員あるいは補充裁判員に対して接触してはならない規定も、そう長い間支配されるわけではないだろうことも理解できます。
 実際、報道機関というものは、みだりに、裁判員に直接接触して、あなた、今、審理中であるがどのようにお考えですかとか、ほかにはどういう裁判員がどんな意見を述べておられますかとか、そんなことをずかずか行って、あるいは裁判員の名前を明らかにしたりなんていうことをするわけがないのでありまして、そうしたところは、元来、原則的にメディアは考えるはずがない。ただし、これを法で定めてしまうと、例外的なケースに対して全くチェックが効かないということになります。
 今、仮に想定されるのは広域暴力団の組長が被告であるところの刑事事件ですとか、あるいは、カルト宗教集団の殺傷事件の裁判で、その代表者が被告であるとするようなケースで、どうも選定された裁判員自身が当該組織の構成員ではなかろうかという疑いが生じた場合、全く裁判員に接触してはならず、また8(1)イの規定で、裁判員の住所その他特定するに足る事実を公にしてはならないと規定されますと、全くチェックが効かなくなる。つまり、裁判が公正に行われるべき利益というのは非常に大きな公益性でありまして、この公益性を確保しなければならない。つまり、そうした、裁判員にある種の偏向あるいは同じ組織に属するというような疑義が生ずる場合、メディアは当然その裁判員に接触をし、特定をし、また公表をすべきであると考えられるわけです。それをアプリオリに道を閉ざしてしまう規定はよろしくない。これはやはり排除されるべきである。
 ですから、「接触の禁止」ということについては、あらかじめ厳しく禁ずるのではなくて、報道機関の、先ほど申し上げましたような良識と自主的な判断に任せるべきである。そうやってお任せくださったとしても、みだりに審理中に裁判員のところに押しかけたり、戸をたたいたり、無理に意見を求めたりなんていうことをすることは考えられないのでありまして、係属中についてはそういうことが考えられます。
 また、「裁判手続の終了後」についても様々このたたき台には問題がございまして、これは、判決が下された後の時期のことでありますが、ここには8(2)アの後半の規定が適用されてきます。「何人も、知り得た事件の内容を公にする目的で、裁判員又は補充裁判員であった者に対して、その担当事件に関し、接触してはならないものとする」。この規定は、恐らく7(2)に記されている裁判員の秘密漏洩罪に対応して、それを促すような行為を禁じたものと思われるのでありますが、この秘密漏洩罪の対象となるのは、「職務上知り得た秘密」を漏らすこと、それだけでなく、「担当事件の事実の認定、刑の量定等に関する意見」、これを述べることも含まれていて、極めて広範なものになっています。先に7(2)の方に話が及ぶのですが、この包括的な禁止規定を設けることにも極めて大きな問題があり、裁判員の秘密保持義務というものは、こうした規定ではなく、もっともっと範囲を縮小すべきものとまず考えます。
 で、メディア側でありますが、メディアは公表目的で接触することを禁止されるのですが、これは職務上知り得た秘密だけではなく、事実の認定、刑の量定等に関する意見すら聞き出してはならず、また、永久に、しかも例えば審理の係属中というだけではなく、判決の下された後も時間の指定が一切ございません、この規定には。未来永劫禁止するということになっております。
 しかし、こうした、仮に裁判員制度を新たに根づかせ発展させていくためには、その制度がいかようなものであり、どこに利点があり、また欠点があるのかということについて、国民がよくよくこの制度を知り、また練り上げていくことが必要であると、それが社会の知恵だと思うのでありますが、そのためにも、評議の在り方について、裁判員がどのように考えるのかを知恵としてくみ上げていかなければならない。こうした制度の現実の姿を考える資料を提供することが有意義であるにもかかわらず、将来にわたって永久にしゃべらせないということは極めて問題であります。これでは制度が熟成していかないのではないか。そうしたことは、伊佐千尋氏の、大宅壮一ノンフィクション賞をお取りになった有名なノンフィクション、『逆転』という、これは軍政下にあった沖縄の陪審制度がテーマになっておりますが、ああした形で陪審制度を認識することができることを考えれば、この裁判員制度についても様々な情報が提供されるべきである。
 つまり、裁判員Aさんが、Bさんはこう言っててね、とか、そうした裁判員の個々のプライバシー、これは意見ということですから、やはりプライバシーになりますね。そうしたことは当然職務上知り得た秘密になるわけで、裁判員の名前を伏せるなど当然のことでありますが、そうした伏せるなどして評議の秘密を秘密として守りながら、評議の在り方について論じ、またそれをメディアが伝えることは大変大切なことだと考えます。
 ですから、8(2)アの後半の規定というものは、報道の自由に対する極めて過剰な規制であって、不当でもあり、また、これでは裁判員制度を発展させることになるまいと考えます。その後半というまでもなく、基本的には、私どもは8(2)アの規定というものは全面的に削除されてしかるべきと考えておりますが、仮に百歩も千歩も譲って、全面的削除はないとした場合でも、少なくとも禁止される接触行動を、裁判員に課せられた秘密保持義務の違反になるような事象に限定すべきであると考えます。
 また、米国においては、陪審制の場合、判決言渡し後は個々の陪審員が自分の意見を述べる、論評することが自由とされておりまして、その場合、仄聞するところでは、まず裁判長が、皆さん御苦労であったと。本日、審決に至るまでのことでも、様々な意見は皆さん自由にお述べになってよろしい。ただし、お願いがあるが、個々の陪審員の名前ですとか、そうした固有の情報について触れることはお控えいただけないかと。一種の請願、お願いをすることを付け加えることが多いと伺っております。それにしても、つまり根幹は、陪審員は判決後は自由な論評が保障されているということであります。これが確かに制度を熟成させる大事な要素であろうと思われ、我が国の検討される裁判員制度についても、審決後は自由な論評ということを認めるべきで、報道機関が接触することも禁止すべきでないと考えます。
 以上、三つの時間ブロックで見てまいりましても、国民の知る権利と社会的な熟成、また報道の自由を確保する上で、現在の制度案は極めて問題が多いと申さざる得ず、慎重な検討が求められようと、こういうふうに雑誌協会は考えております。
 一通りここまで意見を申し上げさせていただきます。

○ 井上座長 どうもありがとうございました。
 それでは、ただいまの御意見につきまして、御質問のある方はどうぞ。

○ 髙井委員 従来の日本の裁判においては、合議体がどういう経過をたどって判決に至ったかという合議の秘密を守ることは、裁判の独立の基盤をなすと考えられていて、我々の間では非常に高い価値を持っているわけです。それは、多分、職業的には、マスコミの方の取材源の秘匿と等価値であろうと思っているわけです。
 先ほどからの御意見ではっきりしないので、確認のためにお聴きするわけですけれども、皆さん方としては、裁判員裁判においては、その合議の秘密は維持されるべきだというお立場なのか、それとも、裁判員裁判になれば合議の秘密は維持される必要がない、合議の内容は公開されるべきであるというのが基本的考え方であるのか、その点をお聴きしたい。

○ 雨宮氏 実情を申せば、現在の裁判官3人合議制の裁判が行われている場合、裁判官に直接取材をかけたりしたことはただの一度もないと思います。ですから、審理の内容、つまり判決で、裁判所の判断として様々示されますが、それに検討を加えるということはあり得ても、裁判官に対して取材をしたことはない。
 ただ、今度新しい制度をこうして作るについては、本当にそれが公正で有意義に運用されているのかどうかということは当然チェックをしていかなければならないであろう。そのチェックをしていく意味合いから、どのようなことがどの段階で起きてくるかなということはまだちょっと想定しにくいのでありますが、もちろん御心配のような、裁判員が選定された、そこへすぐメディアスクラムをかけて、あなた、今度こういう裁判に加わると伺っておるが、どのように考えておられるかとか、そういうことを事前に報道しようとか、あるいは審理が行われている最中に、またスクラムをかけて何かを聴き出そうとかいうことは全く念頭にございませんね。ただ、新しい制度がうまく有意義に運営されているのか。それから先ほども出ました危惧ですが、裁判員に選定された方が、当該事件に対して公正な完全に第三者的な立場にあるのかどうか、そうしたことはそっとウォッチしている形にはなりましょう。もちろん、直接アタックをかけるということではなくて。しかし、そういう疑義が生じた場合には、あえてチェックについて果敢な行動に移り、公表することも必要であろうと。ですから、あらかじめすべてを規定で禁じてしまう、報道機関の接触というものを、とするのは極めて危険であるという、基本的な考えです。

○ 井上座長 ちょっとよく分からなかったのですが、評議の公正さが疑われるというのは、例えばどういう場合ですか。

○ 雨宮氏 評議の公正さですか。

○ 井上座長 疑義が生じたときには、それをチェックするために果敢な行動を取る、とおっしゃったのですけれど。

○ 雨宮氏 これは、一番根本は、裁判員が選定された、いかなる裁判員であるかというところに。審理そのものは通常の裁判と同じように公開されているはずですから。

○ 井上座長 評議の公正さが疑われる場合とおっしゃった、その意味なのですが。

○ 雨宮氏 別室に。

○ 井上座長 そうです。別室で行われる評議の公正さについてです。

○ 雨宮氏 それはつまり、評議という意味でありまして、裁判官が強引な訴訟指揮をしたり、非常にバイアスのかかった裁判員がいたりすることはないかということのチェックであって、別室で行われる裁判員の評議が不公正という意味ではありません。

○ 井上座長 分かりました。

○ 髙井委員 もう少し聞かせていただいた方が議論が深まると思うのですが。

○ 井上座長 ではもう一点、簡潔にお願いします。

○ 髙井委員 裁判員の資格に疑義がある、例えば、被告人と同じ広域暴力団の構成員ではないかというような疑いが生じたから本人に確認したい。そういう場合は、例えば今の案でも、「その担当事件に関し」の中には含まれないという解釈もあり得るわけです。ですから、今の原案がそういう場合についてまで禁止しているかということになると、それは解釈の幅がある問題であろうと思います。また、今の御回答ですと、「公判中は」ということを盛んにおっしゃっていますが、合議の秘密を守るということは、従来は公判が終わってから、又は裁判の確定後もずっと守るというのが我々の職業倫理だというふうに言われているわけです。合議の秘密について、裁判の確定後、あるいは判決後については、どのようにお考えでしょうか。

○ 雨宮氏 その前に、最初におっしゃった広域暴力団の構成員が当該事件の裁判員に選定されたという場合、「担当事件に関し」ての接触ではないという御指摘はちょっと納得がいかないのですが。

○ 井上座長 髙井委員がおっしゃたのは、要するに、「事件に関し」という要件は、事件の中身について取材するという意味にとれるので、暴力団の構成員であるかどうかということは人の属性であって、事件の中身ではないのではないかという御趣旨なのでしょう。

○ 雨宮氏 当然、審決に影響しそうな位置にいる人物の背景ですね。

○ 髙井委員 事件の中身そのものを聴くわけではなくて、裁判員としての資格についての質問をするわけですから、この規制の範囲外という解釈もあり得ますねということです。例えば、もう少し言えば……。

○ 井上座長 そこは御意見として伺っておくことにします。

○ 雨宮氏 しかし、接触してはならないというのが全般にわたって網がかかっているんですね。

○ 井上座長 その点は、両様にとれると思いますが、規制の対象は限られているでしょうという御指摘ですから、そういう御意見もあったということで、またお考えくだされば結構だと思います。

○ 髙井委員 すいません、御回答をまだいただいてないと思いますけど。

○ 井上座長 事後的な場合ですね。裁判が終わってから後の合議の秘密についてですね。

○ 髙井委員 判決後、あるいは判決確定後も合議の秘密は守られるべきだというお考えなのか、それとも判決がなされてしまえば、もう合議の秘密は守られる必要はないというお考えなのかということです。

○ 雨宮氏 それは、おっしゃる御質問の後段の方と申し上げていいと思います。つまり、その場合、前提条件があって、当然これは常識的なことですが、合議のありようについて、個々に、井上座長はこうおっしゃっていたとか、大出委員はこうおっしゃっていたとかというような形の論評はあり得るはずもないわけであって、しかし、全体的にはこういうふうな問題点を論じましたよ、あるいはこうした被告にとっての斟酌すべき条件についても論じましたというような合議のおおよその方向性と模様、それは当然網がかけられず、論評の対象になってしかるべきだと考えています。

○ 井上座長 時間も限られていますので、平良木委員で終わりということでよろしいですか。

○ 平良木委員 裁判員に接触しなければ知り得ないことというのは、何か具体的に想定されていることがあるのですか。裁判員に接触するといろんな情報を得られるだろうということはよく分かるのですけれども、逆に、裁判員に接触しなければ知り得ないようなことというのを、何か念頭に置かれて立論をされているかということを質問したいということです。

○ 雨宮氏 今の御質問はどのレベルででしょうね。

○ 平良木委員 特に係属中と、それから裁判が確定した後のことですけれども。

○ 雨宮氏 係属中は、もう一度申し上げれば、今どんな審理が行われていますかとか、多数派はどんな模様ですかとか、有罪になりそうですか、というようなことを裁判員に直接尋ねに行くなんていうことはよもや考えておりません。別途たまたまメディアが知り得たところでは、何度も言ってくどいのですが、裁判員にあるバイアスがあるのではないかというときに直接裁判員にただし、あるいは周辺取材し、接触しないと分からないことがある。あなたはひょっとしてカルト集団に所属していませんか、というようなこと、こうこうこういう証拠というか、バックグラウンドが我々の手にはあるのですがどうかということは直接ただし、本人の弁明も聴かなければならない。

○ 平良木委員 それでは逆に、裁判員に接触することによって知り得るというのは、係属中のことなのでしょうか、あるいはその後のことなのでしょうか。

○ 雨宮氏 通常、知りたいことが生じ、またそれが許されるべきと考えているのは、審理の終わった後ですね。

○ 平良木委員 しかし、先ほどのお話ですと、合議の内容に含まれることは一切お聴きにならないということが前提ですね。

○ 雨宮氏 いえ、先ほど私、審理中のことを念頭に置いて、まだ判決前に様々裁判員が議論をしているときに、その別室での議論はどんなふうになっているんですか、といって取材をかけるようなことはしないと言っているので。

○ 平良木委員 合議が終わった後はやっぱりお聴きになるということですか。

○ 雨宮氏 審決後にですね。

○ 平良木委員 はい。判決後は取材をするということですか。

○ 雨宮氏 そうしないと、一体裁判員制度というのは、どこでどのように行われ、それが最終的な判決にどのようにつながっていったのだろうか。つまり、事件を知恵のある一般社会人たちはどのように見、議論したのか、また制度にそれがうまく知恵が反映される途中に何か隘路はなかったのかというようなことは当然チェックしていかないと、この制度も成熟しないのではないか。

○ 井上座長 ちょっと確認なのですが、髙井委員の御質問に対するお答えでは、事後的に裁判が終わってから問う場合にも、自分の意見については聴くけれども、他の裁判員であった井上がどう言ったかということや、多数はどうであったかといったことについては聴くことを控える、というような御趣旨だったと思うのです。そうすると、ちょっと今のお答えと少しずれているかなと思うのですが。

○ 雨宮氏 つまり、個々の裁判員固有のデータについて伏せる、あるいはそれは当然当該裁判員もお伏せになるであろうが、しかし、こういう意見もありました、こういう意見もありましたということについては披瀝していただきたい。

○ 井上座長 要するに、個人を特定せずに、こういう議論がありましたという形では明らかにするということですか。

○ 雨宮氏 そうです。あたかも少年法の61条のごとく、推知されるようなことは伏せた上で、このような議論が大筋で流れ、かつ少数意見としては、こういう形もありました、こういう意見もありました、ということは披瀝していく。

○ 井上座長 そういうことは明らかにしてもらいたいということですね。

○ 雨宮氏 ええ。

○ 井上座長 分かりました。どうぞ。

○ 大出委員 先ほど個人情報の関係で、広域暴力団の方が選任されたり何なりというようなことをメディアとしてチェックする必要があるということをおっしゃったのですが、こうした問題に関しては、もちろん選定手続があって、それなりに慎重な手続をやった上で裁判員を選定するということになっているわけですね。雑誌協会の御意見でも、偏見を生ぜしめる情報の問題については、選定手続が厳格に行われれば、それでいいではないかという御趣旨をおっしゃっているのですが、一方で、裁判員の資格の問題に関しては、その選定手続だけでは足りなくて、メディアがチェックをすること、ある意味では全員チェックするという話になりかねないという気もするのですが、そうしたチェックがどうしても必要だという御趣旨なんでしょうか。

○ 雨宮氏 恐らく、この質問手続で、あらかじめ非常に偏った当該事件に関する偏見を既に持ってきているのかどうか。本来、そういうことはあり得ず、立派な社会人というものは、もちろんNHKニュースも見ますし、民放も見る、ワイドショーも見る、週刊誌も見る、女性誌も見るかもしれない。そして、様々な情報を浴びているのでありますが、その中で自分の見識で様々取捨選択した上で、およそ事実の実態というのはこういうものであろうというのを形作っているはずですね。
 この制度は、ちょっと余談になりますが、裁判員に選ばれてくる一般市民というものをちょっと愚民化して御覧になっているのではないかという気がします。つまり、ワイドショーや週刊誌や女性誌などを読んでいると、あらかじめ、あれは悪い人ね、とかというような偏見をこびりつかせてきちゃうのではないかというような、だから、できればなるべく裁判員は隔離しちゃいたいとか、一切情報を浴びないようにしたいとかというお気持ちすらあるのではないだろうか。
 しかし、そういう人間を愚民と見てはいけないのであって、いろんな情報を浴びながら、そこでしかしきちんとした見解をお持ちになるだろう。もしそれが不十分な場合には、法廷で様々な証拠に接し、また、弁護側、検察官の陳述を聞く中で取捨選択され、またより正確に形づけられていくと考えるべきで、ですから、今の御質問のところに戻れば、質問手続ではそういう偏見の有無というものがただされるでありましょう。つまり、報道による偏見というものはもともとあるはずもないし、もし仮にあったとすれば、そこで選ばれ除外されるはずだというふうな考え方が第1。
 それから、第2のカルト集団や暴力団の構成員がいるかもしれないというのは、その偏見等あるなしの質問手続の中では漏れる可能性があるということですね。事件に対する見解はいろいろ聴いてみるでしょうけれど、あなた、だけど、どういう人ですか、と言ったって……。

○ 井上座長 簡潔にお願いできますか。

○ 雨宮氏 はい。自分はどこそこの構成員だ、と言うわけはないので、そこまでは裁判所のそうした選定手続では漏れる可能性がある。しかし、それはチェックする必要がある。すいません、長々と。

○ 井上座長 いえ、お考えはよく分かりました。よろしいですか。
 どうもありがとうございました。

(日本雑誌協会退席)
(日本民間放送連盟着席)

○ 井上座長 続きまして、日本民間放送連盟の方から御意見を伺います。日本民間放送連盟 報道問題研究部会長の石井修平さん、日本テレビ報道局長でいらっしゃいます。どうぞよろしくお願いいたします。

○ 石井氏 今日は、貴重な意見表明の機会をいただきましてありがとうございます。
 それでは、日本民間放送連盟として、昨日、意見をまとめましたので、それに沿って、資料としてお配りしてあると思います。素早くまず基本的な考えを御説明させていただきます。
 冒頭、まず印象として「開かれた司法」とはちょっとほど遠い閉鎖的な内容になっているのではないかという印象を例のたたき台を拝見して持ちました。それでは意見を申し上げます。
 我々民間放送事業者は、報道機関として、国民の「知る権利」に応えて、民主主義社会の健全な発展のために、公共性、公益性の観点に立って事実と真実を伝えることを目指しています。司法制度改革が、国民に開かれた司法を目指していることは、情報の自由な流れを重視する我々の基本的な立場とは一致しております。また、司法の国民的基盤を強固なものとするために、広く一般の国民が刑事重大事件の裁判に関与する裁判員制度が構想されていることの重要性も理解をしておるわけです。
 しかしながら、例のたたき台は、これは司法制度改革推進本部事務局がまとめられ、裁判員制度・刑事検討会に提出したものでございますが、取材・報道の自由の観点から見過ごすことのできない重大な問題がある。このままの形で制度が作られた場合、「開かれた司法」という司法制度改革の基本理念に反することになりかねないということで、以下、「報道の自由」を保障し、発展させていく観点から、意見を申し上げます。
 「1.基本的な考え方」といたしましては、裁判員制度の設計に当たっては、司法制度改革審議会の意見書にあるとおり、「司法と国民との接地面が太く広くなり、司法に対する国民の理解が進み、司法ないし裁判の過程が国民に分かりやすくなる」ことを目指すべきだと考えます。
 このことは、国民を裁判に参加させることだけでは完成せず、裁判に参加した一般市民の経験を社会にフィードバックしていくことが極めて重要と考えます。真に国民に開かれた司法を実現するためには、国民のリーガルマインドをさらに高める必要があり、その意味から、報道の果たすべき役割は大きいと思います。
 また、裁判の公正さを確保するために、裁判手続の透明性を高めることをより重視すべきであると考えます。この透明性は、単に法曹関係者の間で透明性が担保されるだけではなく、報道機関の活動によって広く公衆に知らされ、監視されることが不可欠と考えます。
 我々は、「国民の司法参加」と「裁判手続の透明性の確保」の二つの観点から、裁判員制度による裁判に関しても、公開性が最大限担保され、自由な取材・報道が行われるべきだと考えております。
 「2.事件報道との関係について」申し上げます。たたき台8(3)に記載された「偏見を生じせしめる行為」とは、具体的にどのようなことを指しているのか、極めてあいまいであると考えます。8(3)は削除すべきと考えます。報道に配慮を求める8(3)イについて言えば、現在の事件報道は、事件発生段階から取材・報道が始まり、容疑者の逮捕・起訴、そして初公判から判決、判決の確定まで継続的に行われています。裁判員制度が導入されたからといって、こうした一連の取材・報道に規制が加えられることがあってはならないと考えます。我々は、こうした一連の取材の過程で、容疑者・被告であっても、推定無罪の原則を尊重して取材・報道を行っています。にもかかわらず、こうした報道が「偏見を生じせしめる」というのであれば、裁判員はテレビ・新聞などを一定期間、全く目にしてはならないことになりますが、現代の情報化社会においては不可能です。したがって、裁判員が予断や偏見にとわられずに裁判を行うようにするためには、参加する裁判官が裁判員に対して、法廷で採用された証拠のみに基づいて事実認定し、量刑を決めるよう常に指導していくことも必要かと考えます。
 また、裁判員等に事件に関する偏見を生じせしめる行為を万人について禁止する8(3)アも問題です。そもそも、現行の職業裁判官に対する働きかけについては何の法的規制がないにもかかわらず、裁判員についてのみこの規定を設ける必要はありません。この一般的な規制が表現の自由・報道の自由を制約する危険性も考え、見直すべきです。
 さらに7(3)イで、事件の審判に影響を及ぼす目的で、裁判員又は補充裁判員に対し、担当事件に関する意見を述べたり、情報を提供した者への罰則が規定されていますが、このような抽象的規定では、通常のニュースや番組もこれに含まれると解釈されるおそれがあります。構成要件をより厳格にし、報道の自由が侵される可能性をなくす必要があります。
 「3.裁判員等への取材と報道について」。たたき台どおりの制度がつくられた場合、国民から選ばれた裁判員は、法廷で着席している姿を傍聴人が目撃する以外、一切公衆の面前には現れず、その氏名のみが公表される“幽霊”のような存在となりかねません。その氏名の部分もまだ不確定要素があるというふうに考えますが、公正な裁判の実施のために、公判中の裁判員に関する取材や報道は原則として慎まれるべきでありますが、公判後においては裁判員経験者の発言する権利とそれに対応する取材の自由が確保されるべきだと考えます。裁判員制度は国民参加型の司法制度であり、裁判員になって感じたこと、経験したことが社会的に共有されることが重要です。
 それによって、この制度の在り方を、常に市民の間で議論し、裁く側・裁かれる側が納得できるより良い制度に発展させることができると考えます。例えば、制度の趣旨に反して、職業裁判官が裁判員に一方的に自己の見解を押し付けることが慣例化されるような事態が起きていても、これが公のものとならなければ、制度を改善するための契機が失われることになります。主権者である国民には、裁判員制度の是非を判断するために必要な情報を知る権利があります。
 したがって、次のとおり、秘密保持の在り方、裁判員の個人情報の開示、裁判員への接触の禁止などについては、公判中と公判後を明確に区別して制度を作る必要があると考えます。
 たたき台7(2)「裁判員等の秘密漏洩罪」については、包括的に「その職務上知り得た秘密」の漏洩について、また、公判後においても罰則付きの守秘義務を裁判員に課しています。そうであれば、裁判員を経験した国民は、公判後も「内容を話すと刑事罰を科せられる」というプレッシャーの下に置かれるようになり、相当な精神的負担となります。裁判員への負担を軽減するためにも、秘密とすべき範囲をできるだけ明確にし、かつ限定的なものにすべきであります。また、公判後においてまで懲役刑付きの罰則を設ける必要があるかどうかも検討すべきです。民放連は必要はないと考えています。
 「裁判員等の個人情報の保護について」、たたき台8(1)。公判中については、事件の当事者・関係者から抗議や危害を加えられるおそれもあり、公正な審理を確保する観点から氏名以外の個人情報に一定の保護が必要な場合も想定されます。しかし、公判後においては、本人が特定されるような情報を報道してよいのかどうかの判断は、裁判員経験者本人にゆだねるべきと考えます。
 「裁判員等への接触禁止について」、たたき台8(2)。これは、報道機関にとっては取材の禁止を意味します。公判後においては、裁判員等経験者への取材を認める必要があると考えます。たたき台8(2)アの後段は削除すべきです。なお、公判中であっても、例えば、裁判員が担当事件に関して関係者から脅迫等被害を受けたり、請託を受けていることが発覚した場合、また、有名人が裁判員に選ばれ本人が了解している場合などは、例外的に取材を行うこともあり得るし、容認されるべきです。
 「4.報道界の自律的取り組みについて」言及します。裁判員制度の導入に合わせ、取材・報道に関する新たなルール作りの必要があるということは、我々は考えております。我々は、これまで、放送による権利侵害を救済するための自主的第三者機関であるBRC、「放送と人権等権利に関する委員会」の設置や、集団的過熱取材による被害の発生を防止するための対策、無罪推定の原則を尊重すべきことを定めた民放連・報道指針の制定など、様々な自律的な取組みを行っています。
 裁判員制度の設計に当たっては、法律による規制・制限は最小限なものとし、可能な限り報道界の自律的取組みにゆだねるべきです。その際、新聞協会や雑誌協会などと連携しながら、民放連として裁判員等への取材のルールなどについては自主的な指針を定める用意がございます。
 最後に、陪審制をとるイギリスの控訴院裁判官は、「私たちは裁判官として、公開法廷の原則、さらに、司法の運営が公開され、その手続と結果が共に監視を受けなければならない理由を十分認識している。これらを社会全般に正確に伝える任務は、メディアの関係者によって遂行される。彼らの努力がなければ、理論上はともかく、裁判手続は事実上閉ざされたものになるだろう」。これは英国編集者協会の「刑事法院の報道制限に関するガイドライン」の序文、2000年5月発行のものでございますが、と述べております。たたき台が提示している裁判員制度は、こうした「開かれた司法」という思想からはかけ離れたものとなっていると考えます。
 今後、裁判員制度・刑事検討会において、是非広範な国民各層の意見に直接耳を傾け、法曹関係者中心の視点から脱却した根本からの検討が行われることを切に望みます。
 なお、最後にもう一言、「国民に開かれた司法」を目指しているというのは、情報の自由な流れを重視する我々の立場と基本的に一致しております。それであればあるほど、我々のこの考えについての御理解を是非よろしくお願いしたいと思います。
 以上でございます。

○ 井上座長 どうもありがとうございました。
 それでは、ただいまの御意見に関しまして御質問をお願いします。

○ 髙井委員 先ほどのお話の中で、例えば、裁判員が不正な働きかけを受けているという疑いが生じたときには、直接接触することもあっていいではないかという御意見だったと思うんですね。

○ 石井氏 そうです。

○ 髙井委員 御意見の中で、裁判員が有名人で、本人の承諾がある場合も直接接触していいではないかという点があったと思いますが、その理由は何ですか。

○ 石井氏 基本的には、本人がいいということと、これはいろいろ議論あると思いますけれども、裁判員の制度に対する国民的関心ということからすると、例外的というか、そういうケースについては、むしろ積極的に報道した方が、制度の趣旨からしても妥当なのではないかということは言えると思います。

○ 井上座長 ほかにいかがですか。

○ 池田委員 今の場合には、どんなことを有名人に語ってもらってもいいということですか。公判中で、今、どういうようなことをみんなが考えているかということも語っていいということでしょうか。

○ 石井氏 それは一つは、先ほどちょっと申し上げましたが、公判中と公判後の裁判員制度の、例えば守秘義務の内容の在り方、そういった基本的な仕組みの中であくまで行われる取材と考えます。ただ、私たちは基本的には、例えばの話で有名人を出しましたけれども、状況によっては取材を認めるべきだという立場ですので、有名人だからといって何でもしゃべっていいと、そういう考え方ではありません。あくまで、制度の基本的な枠組みの中で考えるべきだと思います。

○ 酒巻委員 御意見の全体について、公判中と公判終了後で分けてお考えになっているとお聴きいたしましたけれども、例えば、守秘義務について、なぜ公判中と公判後で変わっていいのかという点についての理由がよく分からないのですが。

○ 石井氏 一つは、公判中であれば、最終的な判決が確定するという重要な司法制度上の仕組みの中でいろいろな議論が行われているということについては一定の節度ある対応が必要だろうと。しかし、もう一つの観点からすると、今申し上げたとおり、この制度というのは国民に開かれた司法ということでありますから、その開かれた程度に対する検証ということは必要であるというふうに我々は考えています。

○ 酒巻委員 検証というのは具体的にどのようなことをお考えになっているのでしょうか。

○ 石井氏 裁判員制度というのは、日本で初めて導入されるわけですから、例えば、職業裁判官と裁判員との関係の中で、本来の目的からちょっとそぐわないような状況が起きるという想定もあるわけですね。そういったものについて、国民全体に、この制度が実際どういう形で運用されたのかということについては知らしめる義務があると考えます。それは、我々の義務だけではなくて、皆さん司法関係者の義務でもあるというふうに考えています。

○ 髙井委員 よろしいですか。

○ 井上座長 どうぞ。

○ 髙井委員 おっしゃる趣旨はよく分かるのですが、裁判の過程は公開されておりますし、判決も公開されるわけです。裁判員制度にとって大事なことは、詰まるところは、正しい裁判が行われているかということだと思うんですね。一つの考え方としては、その正しい裁判が行われているかどうかということは、公開されている審理を見、判決書をしっかり検討すれば、事後的にそれを検証することは可能ではないかと思うのですが、それだけでは不十分だという趣旨でしょうか。

○ 石井氏 私はそう思います。

○ 髙井委員 不十分であると考えられる理由は何なんでしょうか。

○ 石井氏 今申し上げたとおり、初めて制度的に導入される中で、職業裁判官と一般市民の裁判の合議の中でどのような実態として制度が進行しているのかということを知らしめる責任があるということです。

○ 井上座長 その場合について、ちょっとよく分からないのですけれども、この御意見に書かれているのは、裁判官が裁判員に一方的に自己の見解を押し付けるというような事態だと思うのですけれども、そういう、あってはならない、あるいは例外的なことを主に想定した御意見なのか、それとも、ノーマルな、評議で裁判員が入った結果、どういうふうに従来と違ってきたのかということも知らしめるべきだという趣旨ですか。

○ 石井氏 抽象的に、開かれた制度として裁判員制度を導入するという理念的なものはありますけれども、それは一体具体的にどういうことなのか。それは、裁判の中のやりとりの中である程度検証する仕組みがないと、これはなかなか分かりにくいと思います。もちろん、職業裁判官が、例えば不当なプレッシャーをかけるといったような事態等についても想定しているというのは意見書のとおりであります。

○ 井上座長 分かりました。

○ 大出委員 よろしいですか。今の点にかかわるのですが、先ほどの質問にもありましたけれども、基本的には、今度の改革では口頭主義・直接主義ということが重視されるということになっていますし、公開の法廷で、証拠についての取材が行われて、記者の方たち自身が、その証拠と結論との整合性について判断するということは十分可能ではないかというふうにも考えられるのですが、そういうことでは足りないという趣旨なのでしょうか。
 それから、それにかかわって、現在でもその限りにおいては、同じような観点で裁判を御覧になっていらっしゃるのではないかと思うのですが、私の見るところ、一番の問題は、それについて、取材の体制が本当に確立されているのかどうかということだと思うのです。つまり、裁判担当という方が、実際に十分に取材をするだけの、つまり裁判を内容的にチェックするだけの対応体制をお持ちになっていらっしゃるのかどうかという点については、私は個人的には疑義を持っているのですが、その点について何らかの体制を整えるというようなことでお考えがあるのかどうかをお伺いしたいと思います。
 それから、さらには内容的なところで、取材に当たって十分に刑事裁判の原則に従った取材活動ができるような研修を、現時点でどの程度どういう形で加盟各社はおやりでいらっしゃるのか、もし把握していらっしゃったらお教えください。

○ 石井氏 体制については、そもそもこれはまだたたき台の段階ですし、これから議論が進むにつれて、もし今の通常の刑事裁判の在り方にシステムの上で大きな変化があれば、当然それは我々の方が考えるべきことだとは思いますが、それはもうちょっと状況を見ながらですね。裁判の取材そのものについての重要性は増していると私は考えています。それは、いろんな意味で増していて、例えば、取材VTRの証拠採用の問題等についていろんな議論があります。我々も、基本的な立場は別として、この間の和歌山の毒入りカレーの裁判の中でも、かなり感情的な判決文と私は受けとめているのですけれども、というのもあるわけですから、必ずしも機械のような正確な司法裁判の何か仕組みの中で無味乾燥なものではなくて、そういう人間的なものもあるわけですね。これは散見されるわけです。
 したがって、どっちかというと、事件の発生の取材と裁判の取材からすると、超有名な裁判は別として、やや事件物の取材の方にウエイトがあるかなと、特にテレビは思いますけれども、裁判の取材の重要性はこれからますます強まると思います。特にこういう裁判員制度の導入の問題などがあります。
 それについての研修は、個々、恐らくいろんな形でやっているとは思います。それについては把握しておりません。

○ 井上座長 ちょっと私からお伺いします。最後に自主的な努力というか、自分たちで考えていきたいということであったのですが、現時点のまだ固まってない御意見でもいいのですけれども、従来の裁判と違って裁判員が加わること、そういう裁判が行われることとの関係で、報道、特に民放連の方たちはどういうところに気をつけていくべきだとか、あるいはこういうことを考えていくべきだというお考えがあったらお教えいただきたいのですが。

○ 石井氏 この中にも入っているとは思うのですけれども、私どもは、表現の自由と同時に、裁判員も含めた、特にこういう刑事事件の裁判という、非常に重要かつ微妙なシステムに参加する個人、これについての十分な配慮はするべきだと思います。この中にもあるとおり、新しい取材ルールを自主的に検討すると、これは必要だと思います。それは、主として裁判員の方に対する取材の在り方を中心に検討することになると思います。

○ 井上座長 裁判員に対する取材の点で検討すべきことがあるだろうということですね。

○ 石井氏 一番大きな問題になると思います。実質的な取材ルールを、これから実際に形になっていくこの制度に合わせて検討する際に、この中にもあるとおり自主的に取材ルールを検討することは必要だろうと。その中の最も大きなテーマは裁判員に対する取材という点になるだろうということです。

○ 井上座長 「接触の禁止」というのを削除してという前提でということですね。

○ 石井委員 そうですね。私たちの基本的な考え方はここに述べています。

○ 井上座長 分かりました。どうぞ。

○ 髙井委員 取材ルールが適用される範囲ですが、私はまだ寡聞にしてあまり映像メディアの取材手法を正確には存じ上げていないのですが、その自主ルールというのは、映像メディア本体だけに適用されるべきものなのか。いわゆる外注先が取材する場合もありますね。

○ 石井氏 ございます。

○ 髙井委員 外注先についても適用されるべきものなのか、その点についてはどうなのですか。

○ 石井氏 外注先も含めて適用されるべきものと考えます。これはただし民放連で検討したわけではなくて、日本テレビの報道局長としてのお答えになります。

○ 井上座長 よろしいですか。
 それでは、本日は短い時間で申し訳ございませんでした。ありがとうございました。

○ 石井氏 どうも貴重な時間ありがとうございました。

○ 井上座長 どうもありがとうございました。

(日本民間放送連盟退席)

○ 井上座長 これですべての方の御意見を伺うことが終了しましたので、ヒアリングとしては以上で終了したいと思います。
 最後に、座長として、コメントを申し上げておきたいと思います。意見を述べていただいた方は退席されてしまっており、本当はいらっしゃるときに申し上げたかったのですが、今日御意見をお聴きした報道の自由との関係というのは、御承知のように裁判員制度の具体的な制度設計をする上で、十分かつ慎重な検討を有する重要な問題であると思います。これは皆様が等しく認識されておられることだと存じます。
 国民の「知る権利」との関係で、報道機関の方々のお仕事が果たしてこられた役割の重要性、現に果たしておられる役割の重要性というものについては、私どもも十分承知をしておりますし、今回の司法制度改革は、「国民に開かれた司法」ということを一つの理念としているということ、また、特にこの検討会で我々が今検討している裁判員制度の導入につきましては、何よりも広く国民の皆様御自身に理解していただき、御支持いただくことが不可欠であり、そのためには報道機関の方々のお力が大きいことも重々承知しているところであります。
 同時に、裁判員制度の具体的制度設計に当たっては、国民の皆様ができるだけ参加しやすいものとする必要があるということ、裁判員の加わる裁判体においても公正な裁判が行われることが確保されるようにすることもまた重要であるわけで、改革審の意見書もその意味から、裁判員の職務の公正さの確保や裁判員の安全保持などのためにとるべき措置についてもさらに検討する必要があるとしていることは御承知のことと存じます。
 そのような意味から、本日御意見をいただきました問題につきましては、この検討会として、本日伺いました御意見をも踏まえながら、これからさらに慎重に検討してまいることにしたいと存じます。
 ただ、この問題は、どちらかに割り切れば済むというものではありませんし、どのような制度を採り、あるいは採らなくても実際の運用の場面で様々な配慮が必要となることは間違いないわけです。報道機関及び報道関係者の方々におかれましても、今後も引き続きお考えをいただきまして、この制度がその趣旨に沿って円滑・順調に定着し育っていくように御協力いただければと存じます。
 これは本日御意見いただいた方がおられるという想定で申し上げたのですが、傍聴しておられる報道関係の方を通じて是非お伝え願いたいと思います。また傍聴されている方々もお考えいただきたいということを座長としてお願いしておきたいと思います。
 これで今日のヒアリングは閉会とさせていただきます。
 次回検討会は5月20日の午後1時30分からとなっておりますので、よろしくお願いしたいと思います。
 どうも、本日はありがとうございました。