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裁判員制度・刑事検討会(第18回) 議事概要

(司法制度改革推進本部事務局)
※速報のため、事後修正の可能性あり

1 日時
平成15年5月20日(火)13:30~17:40

2 場所
永田町合同庁舎第1共用会議室

3 出席者
(委 員)
池田修、井上正仁、大出良知、酒巻匡、四宮啓、髙井康行、土屋美明、樋口建史、平良木登規男、本田守弘(敬称略)
(事務局)
大野恒太郎事務局次長、辻裕教参事官

4 議題
「刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入」について

5 議事

 前回に引き続き、第13回検討会配布資料1「裁判員制度について」(以下「たたき台」という。)に沿って、刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入について議論が行われた。
 議論の概要は、以下のとおりである。

(1) 公判手続等
 たたき台の「4 公判手続等」に関し、主として、以下のような意見が述べられた。

ア 判決書等について(たたき台4(8)の関係)

・ 評決に達した後速やかに、裁判員がいる間に作成され、判断の実質的な流れが書かれたメモに基づいて、口頭で判決を言い渡し、その後、裁判官が判決書を作成するというイメージである。

・ 現在の実務は、審理の終結から判決言渡しまでに判決書の草稿がある程度出来上がっていて、言渡しの後は訴訟記録との照合をするなどして判決書の最終チェックをしている。判決の言渡しに裁判員が立ち会う場合、判決書は現状よりも簡略化したものにならざるを得ないであろう。判断の構造を示すということは変わらないであろうが、判決書作成に要する時間も短くなるように、細かい主張に対する判断というのは省かれることになろうし、そう努力すべきである。

・ 判決書の内容は簡略化された方がよい。現状の判決書は控訴された場合に備え、控訴審を意識して作成するため、内容が細かくなっている面があるが、そういった側面は除いて簡略化した、当事者向けの判決書を作成することが望ましい。

・ 判決書の作成に要する時間は、主張立証がどれだけ錯そうするかによるが、今後は争点整理が充実するので、作成に長時間を要するということは少なくなるのではないか。判決の言渡しは、完成した判決書に基づく必要はない。

・ 判決書の内容は、当事者の納得や信頼を得るということや、上訴による救済を可能ないし容易にするという要請を担保する必要性から決まるものであり、これら以外の要請から判決書の内容を簡略化するというのはいかがなものか。もっとも、争点整理がきちんとされれば、判決書は今よりも短い内容になるであろう。

・ 争いのある事件では判決言渡し用の草稿の作成にも時間を要するので、評議後直ちに判決を言い渡すことは難しいのではないか。

・ 裁判員が改めて裁判所に行かなければならなくなるという負担を考えると、評議後直ちに判決を言い渡すべきであろう。評議終了後言渡しまでの期間があくと、判決の内容が評議の結果を正確に反映したものであるかをチェックする必要が出てくる。上訴への対応は、訴訟記録によって担保されるされるべきもので、判決書でまかなわなくてもよいのではないか。

・ 司法制度改革審議会の意見では、判決書の内容それ自体として上訴による救済を可能ないし容易にするという要請を確保すべきとされている。

・ 判決言渡し用のメモの内容や詳細さは、裁判員がいる場で一緒になって作成する場合と、いない場で裁判官が作成する場合とでは異なるのではないかと思う。言渡しに必要なメモは、裁判員がいる場で作成すべきである。

・ 裁判員がいる場で作成するとすると、非常に複雑な事件では裁判員に相当の期間を待機してもらうことになるが、それでいいのか。

・ 判決書に裁判員は署名すべきである。署名をするということを通じて、裁判員に責任感をもって裁判に参加してもらえるのではないか。たたき台のB案が理想であるが、判決書の作成には時間を要する場合もあるであろうから、A案が現実的である。裁判員が署名のために再度裁判所に行かなければならないのはやむを得ない。

・ 例えば、裁判員には離島など遠方から裁判所に出てくる人もいるであろうから、裁判員の負担という観点から、裁判員が判決書に署名するためだけに裁判所に行かなければならないということは避けた方がよい。評議がまとまり次第、直ちに判決を言渡すのが望ましく、その意味で、C案がよい。

・ 裁判員の負担を考えると、C案がよい。裁判員も立ち会っている判決言渡しの場で、理由の要旨を詳しく述べることで、判決書に評議の結果が反映されることは担保されるであろう。

・ 判決書の作成には時間がかかるので、その間の被告人の身柄拘束の継続という問題も考えると、C案がよい。

・ 裁判員に責任感をもって参加してもらうということは、判決書への署名によらずとも、判決言渡しに立ち会うことで十分満たされるのではないか。

・ 言渡しの内容と判決書の内容に不一致があると判決の破棄理由になり得るので、それで判決書の正確性の担保としては十分であり、裁判員の負担も考えれば、C案でよい。

・ 裁判員による署名は絶対必要とは考えないが、評議の結果が言渡しの内容と一致していることが担保されていることが重要であろう。

・ 判決書に署名する者としない者との間で、本当に対等で実質的な議論ができるのかという疑問がある。

・ 判決言渡しの立会いで裁判員の主体的実質的関与の要請は満たされていると考えるので、C案でよい。

(2) 控訴審について(たたき台5の関係)
 たたき台の「5 控訴審」に関し、主として、以下のような意見が述べられた。

・ 控訴審は裁判官のみで構成すべきである。控訴審は、事実誤認又は著しい量刑不当を理由に第一審判決を破棄する場合には自判することはできないが、それ以外の理由で破棄する場合には自判できるという案を提案したい。これは、第一審判決に対する量刑判断に対する微調整は、控訴審みずからができるという考え方である。事実誤認の場合の事実認定のやり直しは、第一審に差し戻して、裁判員も加えて改めてするべきである。

・ A案を支持する。ただ、運用の問題として、破棄差戻しを原則とすべきである。自判か差戻しかの運用の仕方としては、C案に似た考え方に基づき、量刑不当が著しい場合には差戻しにすべきであろう。

・ 控訴審は、各地裁からの多くの事件の量刑判断を見ているので、事件間の量刑のバランスをとるには適当であるから、量刑不当の場合には、新たな証拠調べが必要な場合を除き、すべて控訴審で自判してよい。事実誤認の場合も自判できる場合にはわざわざ差し戻す必要はない。A案でよい。

・ B’案がよい。直接主義・口頭主義の下で裁判員が関与して判断した事実認定を、裁判官のみから構成される控訴審が書面中心の審理でひっくり返すのはおかしい。量刑判断については、他の事件とのバランスの問題や、量刑判断の幅の問題もあるので、控訴審は自判してもよいと考える。もっとも、量刑についても幅を超えるような場合には、差し戻して国民の判断を再度あおぐ余地を残す制度とする必要があろう。

・ 事実誤認を理由に破棄する場合は差戻しとすべきであろう。特に、自判して無罪判決が有罪判決に変わる場合は、審級の利益との関係でも問題があろう。量刑不当については、量刑不当が著しいか否かの線引きが難しいので、B’案でもよいのではないかとも考える。

・ C案もあり得る。第一審の判断を尊重するという趣旨で破棄理由を厳格化すれば、裁判官のみの判断で第一審の判断を破棄しても、裁判員制度の導入の趣旨に反するとはいえない。

・ 破棄理由の要件を加重すると、裁判官のみによる判決に対する破棄理由との二本立てとなるが、その説明が合理的にできるのか。

・ 裁判員が関与した判決は、裁判官のみから構成される控訴審も尊重するであろうから、実質的には破棄理由が加重されるのと同様の結果となろう。差戻しか自判かの判断基準は、第一審の判決を修正する程度であれば自判できるが、第一審の判断を無にして新たな判断をするような場合は差戻しということになろうが、その基準を法律の条文として書くのは難しいであろうから、A案を前提に適正な運用に任せるべきではないか。

・ 事実誤認の場合に控訴審で自判できるとすると、国民の中には最初から法律家に判断してもらえばいいという人も出てくるかもしれず、問題ではないか。

・ D案もあり得ると思うが、D案は制度的に重くなり、裁判員の負担も重くなるので、固執はしない。

(3) 差戻し審について(たたき台6の関係)
 たたき台の「6 差戻し審」に関し、主として、以下のような意見が述べられた。

・ 覆審だと手続が煩さになるので、続審とするA案が妥当である。

・ もう一度証拠調べをし直すと、証人の記憶の減退や証人に負担がかかるという問題があるし、続審としても、更新手続と同様に、従前の証拠調べの結果を明らかにする方法を工夫すればよいと考えるので、A案でよい。

・ 証人の負担という面でB案には問題があるかもしれない。A案の場合、公判をビデオで撮影して、その必要な部分を再生するなどの新たな工夫も必要であろう。

・ 差戻審の審理も直接主義・口頭主義に基づいて行われるべきであるから、B案がよい。証人の負担の問題は、工夫の余地はあるかもしれないが、原則としてはやむを得ない。

・ 世論調査の結果を見ると、情報提供後の種々の負担を理由に参考人の捜査への協力を得づらくなっており、証人の負担は大きな考慮要素であるから、B案には問題がある。

・ 覆審にすると、第一審と控訴審との間で事件が行き来することが繰り返されるおそれが理論上否定できないので、続審とするのがよい。

・ A案を前提に、更新手続をていねいに分かりやすく行うなどの工夫をすべきであろう。

(4) 罰則について(たたき台7の関係)
 たたき台の「7 罰則」に関し、主として、以下のような意見が述べられた。

ア 裁判員等の不出頭等について(たたき台7(1)の関係)

・ 裁判員の不出頭や宣誓拒否に対し制裁を科すのはやむを得ない。ただ、刑罰を科すのは重すぎるので、たたき台の案のとおり過料とするのが妥当である。

イ 裁判員等の秘密漏洩罪について(たたき台7(2)の関係)

・ 評議においてどのような論点を検討したかを明らかにさせないことによって何が守られるのかがよく分からない。

・ 例えば、最初から有罪方向で異論がなかったということを明らかにする場合でも、その言い方によっては、評議が十分に行われなかったのではないかとか、裁判体は予断を持っていたのではないかという疑念を生じさせ、裁判への信頼を損なうこともあり得るのではないか。

・ 評議の秘密は、裁判の公正さに対する信頼や裁判官の独立を守る見地から重要であり、評議の秘密は最大限守られなければならないと考えるので、たたき台の案でよい。

・ 秘密を守れば判決の内容が公正になるわけではない。他人の意見を明らかにするのは問題だが、自分の責任で自分の意見を明らかにすることは許されるべきではないのか。

・ 自分の意見というものが本当に正しく表現されるのかという問題があるし、自分の意見を明らかにするということで全員が明らかにすると、不正確な評議の再現になりかねず、その場合には裁判への信頼を失いかねない。裁判の結果は、判決書の内容と公開の法廷での傍聴を通じて検証するのが本来の在り方である。

・ 評議の秘密の趣旨の一つは、世評をおそれるなどして自分の考えを自由に述べることができないということを防止し、評議における自由な発言を確保するということである。その趣旨からすると、評議の秘密を守るべきという要請は、裁判が係属中であろうと終結後であろうと変わりはない。また、評議における自由な意見交換という制度を守るためのものであるから、自己責任の下で自己の意見を明らかにしてよいということにはならない。

・ 裁判員経験者がその周囲の者に何かを語ることが、裁判員制度導入の趣旨との関係で、意味あることと考えるのであれば、自由に述べてもよいことは何であるのかを明確にし、罰則によりそのような意味が失われないように留意する必要があろう。

・ たたき台の案でも、裁判員経験者が、「裁判員制度はいい制度だと思う。」、「司法を身近に感じるようになった。」といったような制度そのものへの一般的な意見を表明することは許されよう。

・ どれ位の時間を裁判員としての活動に費やしたかとか、裁判所のどのような部屋で職務を遂行したかなど事件を離れた経験や感想を明らかにするといったことも問題ないであろう。

・ 「担当裁判官による法律の説明は分かりやすかった。」ということを明らかにすることなども許されよう。

・ 「検察官の立証の仕方がよくなかった。」、「○日間裁判にかかったが、大変だった。」などといった裁く立場からの感想、裁判員としての負担感を明らかにすることなども許されるであろう。

・ 自己の意見の公表は、他の者の意見の公表にもなるから、許されないと解すべきである。最高裁以外の裁判所では少数意見を明らかにすることが許されていないのは、裁判官の独立に影響するからという考えに基づくのではないか。

・ 漏洩が禁止される範囲は、裁判官と裁判員の個別意見の内容、評議で行われた採決の結果、特に評議の秘密として合意された事項の3点に限定すべきである。評議が適正に行われなければ、それは控訴理由になるであろうし、裁判が現実にどのように行われたかを国民の立場で監視する必要があるので、評議について何も言えなくなるというのは問題である。裁判員であった者が自分の意見を明らかにしてはならないということには抵抗を感じる。
 また、裁判員経験者の声は、裁判員制度の改善に生かしていく役割があり、他の者にそれを伝えることが司法の国民的基盤を強化することになるから、裁判員経験者が何も言えなくなることにも疑問がある。検察審査会法に比べて、処罰範囲が広がっており、国民が裁判員として参加することをためらうということになるのではないかが気になる。

・ 被告人の生命、自由又は財産を奪うことにもなる判断を行う裁判員と、検察官の不起訴の判断の適正さを判断する検察審査会員とでは職務の性質・機能が異なり、同列には論じられない。

・ 裁判は国家権力の行使であるから、外部から検証する必要があるが、それは、裁判の公開と判決書によって担保するというのが制度の基本的な在り方であろう。

・ 他人の意見か否か、プライバシーを侵害するか否かなどは常識的に判断できるが、明らかにされた事項が事件の内容か否かの線引きは微妙なので、刑罰を科すことが妥当か否かは検討の余地がある。全員が自己の意見を表明したことによって、結果として評議の内容が明らかになっても問題はないと考える。

・ ある人が、自分は評議で無罪という意見を述べたということを明らかにすると、自己の意見を明らかにされたくないと思っている残りの人が有罪という意見であったということが明らかになってしまう。また、意見を明らかにすることを許すと収拾がつかなくなり、裁判が不安定なものになってしまう。

・ 裁判が係属中は、たたき台の案のとおりでよい。終結後は、裁判員であった者に話してはならないという義務を負うことによるプレッシャーを与えることになるし、司法の国民的基盤の拡大を阻害することになるので、係属中の場合と同列に論じることはできない。終結後については、職務上知り得た秘密を明らかにすることと、「各裁判官若しくは各裁判員の意見若しくはその多少の数」を明らかにすることのみを罰則の対象とすれば足り、それ以外の事項については罰則の対象とすべきではない。罰則の内容は、評議の秘密を明らかにする行為に対しては罰金刑のみとすべきだが、職務上知り得た秘密をもらす行為に対しては、自由刑を選択刑とする余地もあろう。

ウ 裁判員等に対する請託罪等について(たたき台7(3)の関係)

・ たたき台のとおり、裁判員等に対する請託罪等を設ける必要がある。

エ 裁判員等威迫罪について(たたき台7(4)の関係)

・ たたき台の案は基本的に妥当である。

・ 裁判員又は補充裁判員であった者に対する威迫等については、裁判の公正さを守るという要素はないし、「その他のいかなる方法によるかを問わず」というのは処罰の対象としては広いので、罰金刑も選択できるようにすべきではないか。

・ 裁判員又は補充裁判員であった者に対する威迫を軽い犯罪にすると、その程度しか保護してくれないのかということになって、将来の裁判員に対し影響を及ぼし、ひいては将来の裁判の公正さに対し悪影響を及ぼすことになる。

・ 威迫はあってはならないことであり、罰金刑ということは考えられない。法定刑を相当重い懲役刑にしないと抑止力は生じないのではないか。

・ 威迫にも様々な態様があるし、「親族」の範囲も広く、証人威迫罪にも選択刑として罰金刑があるので、罰金刑を選択できるようにしてもよい。

オ 裁判員候補者の虚偽回答罪等について(たたき台7(5)の関係)

・ たたき台の案に賛成である。不回答に対しては過料でよいが、虚偽回答に対しては、刑事罰を科す必要がある。

(5)裁判員の保護及び出頭確保等に関する措置について(たたき台8の関係)
 たたき台の「8 裁判員の保護及び出頭確保等に関する措置」に関し、主として、以下のような意見が述べられた。

ア 裁判員等の個人情報の保護について(たたき台8(1)の関係)

・ 裁判員等の個人情報は、保護に傾くあまり開示の道を断つことがないようにすべきであるが、開示の判断には本人の同意が必要と考える。

・ 氏名だけを特別扱いする理由はない。裁判員等が特定されないためには、氏名や住所を公開しないということの方が理由があろう。裁判員の職業、年齢、性別などは判決を分析論評する上で有意な情報であるので、原則として公開してよいと思うが、職業なども明らかにして欲しくない人もいるかもしれないので、個々の裁判員に意見を聴いて公開するか否かを判断するのがよいであろう。

・ 職業、年齢、性別が裁判内容に影響するという考え方には納得できない。そのような考え方を採ると、裁判員制度そのものが最初からいびつなものとして設計されていることになるのではないか。

・ 職業等により個別の判断が影響されるという考え方に基づいているのではなく、弊害がない限り、なるべく多くの情報が国民に公開されるべきだという趣旨である。個別事件の判決に対する批判を可能にするために公開すべきという趣旨ではない。

・ 一定期間を通じた裁判員の職業等についてのデータが明らかにされれば十分であり、個々の事件ごとに公開する必要はないのではないか。

・ 必要性があるから公開するという考え方ではなく、公開しても弊害のない情報は公開すべきであるということである。個々の事件ごとに公開することを有用だと考える人もいるであろう。

・ 職業等のデータが蓄積すると、それを分析して裁判員を選択するということが可能になり、それが商売になるかもしれないが、それは望ましくないと考える。たたき台の案のとおりでよいが、本人が個人情報を公開しても構わないという場合にまで公開を制限する必要はないであろう。

・ 種々の攻撃を受けるおそれを考えると、公開される個人情報は少ない方がよいので、たたき台の案がよい。

・ 裁判員等の生活の平穏を保護すべきであるから、たたき台の案に賛成である。

・ 個人が特定されるような形で個人情報を開示すべきではない。個人を特定しない限度での情報は、学術研究のためなど、目的や開示の相手方によっては、例外的に開示を認めてもいいのではないか。

・ 個人情報の公開の制限に期限を設けることも検討の余地がある。

・ 個人情報の保護は本人だけに関わる問題ではなく、その子孫にも関わる問題でもあることに留意する必要がある。

イ 裁判員等に対する接触の規制について(たたき台8(2)の関係)

・ たたき台の案に賛成である。裁判員等が知った情報というのは、公正な裁判を行うためのものであって、目的外で公にされることは想定されていない。したがって、他人が裁判員等が知った情報を得るということは、その情報が目的を外れて利用されるということであるから、そのために接触するというのは適当ではない。

・ 現職の裁判員等に対しては、一切接触できないとするなど、たたき台の案より広く制限することも考えられる。裁判員等であった者に対する接触制限については、裁判員が被告人と同じ組織に属していたか否かや、裁判員が収賄していたか否かを確認するための接触は、許されるべきであり、これも、「その担当事件に関し」に該当するというのであれば、それは広すぎるので、限定すべきである。

・ たたき台8(2)アの前段は理解できるが、後段は削除すべきである。後段の規制の対象はメディア関係者以外しか考えられないが、メディアを対象にした特別規定は好ましくない。裁判員の守秘義務に加え、さらに接触禁止を設けるのはいかがなものか。裁判員が被告人と同じ組織に属していたか否かや、裁判員が収賄していたか否かを確認するための接触は、裁判係属中は許されないが、終結後は許されてもよいのではないか。

・ 被告人と同じ集団に属する人が、知り得た事件の内容を公にする目的で、接触することもあるから、規制の対象がメディアに限られる訳ではない。裁判員制度の運用状況の検証は必要であるので、それが可能となるようにする必要はあるであろう。

・ 一般国民は、守秘義務を守るということに慣れておらず、毎日のようにくる取材に耐えるのは大変であるので、守秘義務に加えて、接触禁止を設ける意味がある。

・ 裁判員等の保護、裁判の公正の確保のために、たたき台のアの前段は必要である。裁判員が被告人と同じ組織に属しているのではないかといった疑いが生じたときは、その疑いを裁判所、検察官や弁護人に知らせて、解任等の手続で対応すべきであろう。後段については、守秘義務の対象となっている事項を公にする目的での接触の禁止という形で、目的をより限定するということも考えられる。

・ たたき台のアの前段に異論はないが、後段は、制限の対象が抽象的で広すぎ、学術研究目的のものも制限される可能性もあるので、削除すべきである。

・ たたき台のアの前段は必要である。後段についても、裁判員等は、裁判をするために事件の内容を知ることができたのであるから、目的外利用のために接触を認める必要はない。接触を許されることになると、誰でも接触できるということが明らかになり、それは裁判員にとって迷惑な話である。

・ メディアが裁判員等のところに押しかけることは望ましくないが、メディア側の自制に期待するのが一番であろう。また、威迫目的の接触とその他の場合を同列には扱えないであろう。

・ 働きかけなどから裁判員等を守るということを宣言する意味でも、接触禁止規定を設けることの意味は大きい。

・ 個人的に事件の内容を知りたいということで接触することが禁止されていないのであるから、裁判員であった者などの生活の平穏の侵害ということは防げないのではないか。

・ たたき台のイに反対はしないが、接見禁止等の運用は厳格にすべきである。

ウ 裁判の公正を妨げる行為の禁止について(たたき台8(3)の関係)

・ 裁判員制度が国民の信頼を得るためには、予断偏見のない裁判員によって判断されることが必要で、裁判員に予断偏見を与える行為を禁止する必要があろう。過去の一部の事件報道のような報道がなされた場合に、予断偏見のない裁判員を確保することができるのかという心配がある。一度形成された予断偏見を裁判官の説示などにより取り除くというのは、現実問題としては難しいであろうから、たたき台のイも必要であろう。

・ たたき台のアは当然のことであり、宣言すること自体に意味があるので、賛成である。

・ たたき台のアは削除すべきである。請託や威迫は刑罰により禁止されるのであり、広く禁止を設けるのは、報道機関以外の者の表現の自由の関係で問題があろう。予断偏見の形成の問題は、司法教育などを通じて対処すべきである。

・ 日本新聞協会、日本雑誌協会、日本民間放送連盟がそれぞれ自主的ルールの作成を表明しており、それによりたたき台が想定している問題は相当程度回避できるのではないか。「偏見を生ぜしめる行為」というのはあいまいで広すぎるので、妥当ではなく、たたき台のアもイも削除すべきである。

・ たたき台のアとイに賛成である。内容は当然のことであるが、法律で訓示規定として設けるのが妥当である。「偏見」という用語は、現行刑事訴訟法でも使用されており、意味が相当程度はっきりした言葉なのではないかと思う。

・ たたき台の案のような規定を設けなくてすむなら設けない方がいいと思うが、過去には問題になったケースもあり、メディアの自主的ルールの在り方も現時点では具体的な姿が分かりにくいといったことを踏まえると、何らかの訓示規定が必要かもしれない。

・ この場面では、表現の自由を重視すべきである。法律で訓示規定を設けると萎縮効果が相当あるので、躊躇を感じる。法律により規制するのではなく、裁判システムの中に偏見を防ぐ仕組みを設けるべきである。たたき台のイは削除すべきである。

・ たたき台のアもイも必要である。裁判手続内部に偏見を防ぐシステムを設けるのは当然だが、だからと言って、裁判手続の周囲の人たちが公正な裁判の実現に協力しなくてよいということにはならない。また、たたき台のイは、偏見を生ぜしめないよう配慮を求めているだけである。自主的ルールの策定は歓迎すべきであるが、それで十分なのか疑問がある。

・ 報道機関を特に対象にする規定を設けることは反対であるが、仮に設けるのであれば、報道の自由の尊重に関する総論的規定も併せて規定する必要がある。

エ 出頭の確保について(たたき台8(4)の関係)

・ 検察審査員の出頭の確保に苦労しているという現実を見ていると、たたき台のアのような規定を設けて、関係者に対して裁判員の出頭につき協力を求めることができるようにすることが必要である。

・ 事業主の負担などをも考慮しなければならないが、たたき台のイ、ウについても積極的な方向で検討すべきである。

・ たたき台のイ、ウ自体には異論がないが、企業に勤めている人以外の人についての出頭の確保が、たたき台のイ、ウで足りるのかという疑問がある。

・ プログラム規定的に、介護費用などの負担、個人事業主が代替のアルバイトを雇った場合の給料の支払いなどを国が配慮するという宣言をするようなことも必要があるのではないか。

(6) 次回以降の予定
 次回(5月30日)は、刑事裁判の充実・迅速化に関する検討を行う予定である。

(以上)