○井上座長 所定の時刻ですので、第18回裁判員制度・刑事検討会を開会させていただきます。
本日も御多忙の折、御参集いただきましてありがとうございます。
本日は前回に引き続き、「刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入」、いわゆる裁判員制度の導入に関する2巡目の議論の続きを行うことになっております。前回は、たたき台の項目4「公判手続等」の「(7)証拠調べ手続等」というところまで議論をしましたので、本日は、「(8)判決書等」から議論していくことにしたいと思います。
この点に関しまして、司法制度改革審議会の意見は、「判決の結論の正当性をそれ自体として示し、また、当事者及び国民一般に説明してその納得や信頼を得るとともに、上訴による救済を可能ないし容易にするため、判決書には実質的な理由が示されることが必要である。裁判員が関与する場合でも、判決書の内容は、裁判官のみによる裁判の場合と基本的に同様のものとし、評議の結果に基づき裁判官が作成することとすべきである。」としているところであり、たたき台はそれを踏まえて、案を示しているわけですが、この点に関して、御意見があればお伺いしたいと思います。
○四宮委員 まず最初に、イメージをみんなで共有できるかどうかという点なんですけれども、判決言渡しの時期の問題です。私のイメージでは、公判手続が終わって評議に入り、そして評決に達して速やかに判決の言渡しを行うというイメージでおりました。後で、判決書の方に議論が行くと思いますので、そこは多くは触れませんけれども、判決の言渡しというのは、裁判官が作成した、言渡しに必要なメモと申しますか、それこそ実質的な判断の流れを書いたものに基づいて言い渡す。その準備のための時間は短くなるだろうけれども、少なくともその間、裁判員の方もまだ裁判所におられて、そして判決を言い渡して任務が終わるというイメージでおります。ここら辺のイメージが皆さんと共有できているかどうかというのが、判決書の在り方にも関係するかと思って問題提起をさせていただきました。
○井上座長 評議の結果に基づいて宣告するまでは裁判員が裁判官と一緒にいるということでしょうか。その場合、宣告はメモに基づいて口頭でするのだけれども、判決書の方はそれを基に裁判官がもう少し時間をかけて作成するというイメージですか。
○四宮委員 はい。
○髙井委員 今、四宮委員が言われたことにも関連するのですが、これをどの案でいくかというのは、結審から判決宣告までの間をどう見るか。それから判決宣告から判決原本の作成までの期間をどう見るかということによるのだと思うんです。裁判員裁判においては、判決宣告から判決書原本の作成までどの程度の期間を要するということを前提にして議論すればよろしいのでしょうか。例えば、長銀の事件では、判決言渡しから判決書原本の交付まで約7か月ぐらい掛かっているわけですね。ですから、裁判員裁判でもそういうようなことが起こり得るということを前提にしなければならないのか、そうではなく、裁判員裁判になれば、判決宣告から原本交付まではせいぜい2~3週間で済むのだということだから、それを前提にして議論すればいいのか。この点がはっきりしないとなかなか議論がしづらいと思うんです。
○池田委員 現在の判決書の作成状況について話させていただきますと、確かに大きな事件で判決書原本の作成にある程度期間を要している事件があるのは間違いないと思うのですが、数か月というのはめったにないということは言えると思うんですね。今は、終結してから判決言渡しまでにある程度期間をとっていますので、その間に判決書のかなりの部分はできています。そして、言い渡した後は、記録をもう一度確認して判決書に記載した証拠の引用などに間違いがないか確かめるというような作業をしています。裁判員裁判となると、言渡しまでにある程度判決書を作成するということが困難になる分、言渡しから判決書原本作成までの期間が、今よりも長くなるという可能性がないわけではないと思うのです。要するに、終結してから判決の言渡しまでが短くなるとすると、その分、判決書作成の作業が後に残る可能性がないとは言えないと思うのです。
ただ、この裁判員制度になって、今、四宮委員あるいは髙井委員が言われたように、裁判員も言渡しまでは関与するというのが大体皆さんの感じだと思うんですね。そうすると、評議をして言渡しまで裁判員に入っていただくとなると、できるだけ裁判員の負担にならないように集中的に早めにやろうということになることは間違いないと思います。裁判員が立ち会ってもらって言い渡したものに対して、判決書作成の作業に更に時間が掛かるとしても、判決書は今よりはもう少し簡略なものにならざるを得ないのではないかと思うのです。裁判員を入れた評議というものが、非常に詳しいものになるのかどうかということもあると思うのですけれども、裁判員の社会常識に照らしても、これはそんなに問題ないところだということになれば、今まではかなり細かいところまで判断を示していたわけですけれども、そこら辺は場合によっては要らないということになるのではないか。そうすると、判決書というのはもう少し短くなってくるのではないかと思います。
ただ、そうは言っても、基本的な論理、何を認めて、どういう理由があって、どういう判断に至ったのかという基本的な構想を示すというのは現在と変わってはいけないと思いますし、そこは維持できると思うのですが、細かな主張に対する判断というようなことが今までよりは少なくなってくるのではないか。そういう意味では判決書を作成する期間というのも短くなるだろうと思いますし、また、そう努力しなければいけないのではないかと思います。
○井上座長 今までの御議論は、手続に要する時間の問題についてのものでしたけれども、ここでは判決書の内容の問題がむしろ中心ですので、その点を念頭に置いて議論していただければと思います。
○髙井委員 今の池田委員の御意見は、多分、裁判員は判決書に署名しないということを前提にしての話だったと思うんですね。この問題は、裁判員は判決書に署名しなくてもいいのかということを……。
○井上座長 それは、次のイの問題ですね。髙井委員の整理ですと順序が逆なんでしょうけれども、そこはオープンな形で議論していただければと思うのですが。
○髙井委員 判決書に裁判員が署名することにするかというのが非常に大事な問題だと思うのですが、基本的には、被告人の人生にとって重大な判断をするわけですから、単に判決宣告のときに立ち会えばいいというものではなくて、判決書に署名すべきではないかというふうに私は思うんです。そして、裁判員が署名するという前提で、判決書自体は裁判官が作成をするということは、ある意味では当然ではないかと思っているわけです。
○井上座長 判決書の内容についてはいかがですか。
○髙井委員 内容も、池田委員がおっしゃるように、ある程度簡略化されたものになるだろうと思います。また、そういうふうにしていただいた方がいいのではないか。特に、今の判決書は、被告人に言って聞かせる、被害者に言って聞かせる、遺族に言って聞かせるというよりは、そういう面もあるのですが、控訴審向けに書かれている。控訴審裁判官がこれを読んだときにどう判断するかということを意識して書かれている側面がかなりあるわけで、むしろそういう面は削っていただいて、簡略な、被害者向け、あるいは被告人向けというふうな判決書を書いていただいた方が新しい制度にはなじむのではないかと思います。
○平良木委員 判決書の作成にどの程度時間が掛かるかは、主張・立証がどの程度錯綜しているかということに恐らくかかってくるだろうと思いますが、今度の制度では、無駄を避けるために、まず争点整理を十分に行おうということになっている、つまり事前準備の段階で争点をできるだけ絞ろうということになっている。そうすると、無駄な主張・立証というのはかなり省かれるということが前提になるのではないか。そうなると、判決書原本の作成に時間を要するということは、今までよりもかなり少なくなってくるのではないかという気がします。
そのことを踏まえて、もう一つは、今の制度では、草稿に基づいて判決を宣告するということになっているけれども、これは次の問題とも絡みますけれども、原本に基づいて宣告する必要はないのかという問題が出てくるだろうという気がいたします。
○井上座長 どちらだというお考えですか。
○平良木委員 私は今までどおりで構わないと思いますが。
○井上座長 実質的な内容を口頭で宣告すれば、宣告としては満たされているということですか。
○平良木委員 結審して、その後、評議を行って、それに基づいて判決を宣告するということですから、それはそれでいいと考えます。
○本田委員 判決書を裁判官が作成するというたたき台の案のとおりでいいのだろうと思っています。内容については、先ほど座長から意見書の内容が紹介されましたけれども、この基本的なスタンスがきちんと維持されるべきだと思います。だから、上訴の救済を可能ないし容易にし、当事者及び一般国民に説明して納得や信頼を得るという二つの機能というものはきちんと担保されなければいけないだろう。だから、ほかの要請から簡略化する、あるいは裁判員裁判制度の中でほかの要素が働いて簡略化するというのは、どうも納得できないところがあると思っています。
もちろん一部の大規模な複雑な事件において膨大な判決書が今書かれているわけですけど、果たしてここまで必要かということなると、それはおのずから別の考慮が働くのであって、先ほど平良木委員からも話がありましたけれども、争点整理がされて、その争点をめぐったきちんとした判決書が書かれるならば、おのずから今までよりももっと短い判決書になるだろうとは思います。
○酒巻委員 私が言いたかったことの一つは、今、本田委員にほとんど言っていただきました。判決内容の精度につきましては、本田委員と同意見です。判決理由の核心部分についてこれを現在より簡略化する理由はないと考えます。それから、今まで判決言渡しから判決書作成までのプロセスについてのお話が出たのですが、最初に四宮委員が提示されたイメージについて、私は異なったイメージを持っています。評議が済んで、できればその後短い時間で判決の言渡しをするという、そういうイメージを四宮委員は示されたのですが、私の実務の理解が正しければ、判決の言渡しというのは、主文と通常は理由の要旨を告知するということですけれども、通常の事件であっても、争いのある事件であった場合、評議が済んで直ちに理由の言渡しまでできるものだろうか。多くの場合、判決書という格好にはなってなくても、言渡しのために本田委員がおっしゃったような内容を詰めた上での草稿を作成するのには、それなりの時間が掛かるのではないかと思います。ですから、争いのある事件では、評議が済んで、即、言渡しというのは難しいのではないかと思うのです。
言渡しのときにある程度詰めた内容が書いてある草稿に基づいて言い渡されるとすれば、裁判の評議が済んですぐ判決というようなイメージはちょっと違うのではないか思います。
○大出委員 今のイメージでいくと、評議が終わって、草稿を書き上げたところで、もう一度裁判員に集まってもらうということになるということですか。
○酒巻委員 草稿ができ言渡しを行う際に改めておいで願う、そういう場合もあり得るのではないかというのが私のイメージであり、そこがちょっと四宮委員のイメージとは違うところではないかと思います。
○大出委員 私も、これは、そこへ重点を置いた理由にするかどうかというのは微妙だとは思うんですが、つまり、この間いろいろ議論されていた裁判員の負担の問題からすると、日にちを置いて、改めてまた裁判員に来てもらってということにするということ自体、果たして妥当なのかどうかという問題があると思うんですね。その限りでは、私も、四宮委員がおっしゃったようなことで、評議が終わって、直ちに判決を、少なくとも宣告はするというつもりで、評議というものをまとめていくことにする必要があるのだろうと思うんです。
それともう一つは、もちろん裁判員が来て、裁判員に書いたものを読んでもらってチェックをしてもらうということになりますが、そうすると、期間が空いたりすると、果たして本当にそれが評議内容というものを正確に反映したものになっているのかどうか。そこは、髙井委員もおっしゃいましたけれども、今の判決書、これは反論があるかもしれませんけれども、法廷での当事者とか被告人、特に被告人に対しての説得とか納得がいくかどうかという問題よりは、例えば、控訴審向けにいろいろと配慮をし書き込むというようなことがあるのと同じように、それが一概に作文だというふうに申し上げるつもりありませんけれども、評議というものをストレートに反映したものになっているのかどうかというようなことについて、新たな視点から見直しが必要になるというものも出てくるのではないかと思うんです。ですから、そこはできるだけ、すぐに評議というものを反映したものとして言渡しをされるということでいいのではないか。
それから、中身の実質的な説得力だとか、あと問題になるのは、つまり上訴が認められているわけですから、上訴審になってのレビュー可能性というのはどう確保するかという問題だと思うんですけど、それは、判決理由というよりは、むしろ記録なり証拠がちゃんと確保されているかどうかという問題だと私は思うわけでして、そこのところをすべて判決理由のところでカバーする必要はないですし、それは少し話が違うのではないかと私は思います。
○井上座長 一番最初のところは、今の判決書も合議を反映してないのでチェックが必要だという御趣旨でしょうか。
○大出委員 それはちょっと違うと思いますね。恐らく職業裁判官の方たちだけという場合は、私、その辺は詳しいことは存じあげませんけれども、いろいろとお話を断片的に伺う限りでは、合議の仕方が、この裁判員裁判の場合とは違っている可能性があるだろうと思います。つまり、この間もお話が出たと思いますが、裁判官室では日常的に評議的なものが行われているというようなこととか、その後の書き込みの際にもいろいろと必要に応じて事実上いろんな議論が行われているというようなことがあるのでしょうから。
○井上座長 書き込みと言われるのが何なのかはよく分からないですけれども、後の方の上訴審との関係については、審議会意見書で、判決書自体でも上訴を可能ないし容易にするということは確保すべきであるとされています。もちろん、記録がきちんと作られていなければならないというのは当たり前のことですけれども、それだけではなく、判決書自体においても、そのような内容・質は維持すべきであるとされていますので、その点は外すわけにはいかないのですよ。
○大出委員 それは程度問題なのかもしれないのでして、私もなくていいというふうに言っているつもりはないんですが、ただ、そこでのまとめ、つまり、即刻といいますか、即日まとめをするということで、上訴を可能ないし容易にする内容を確保できないのかといえば、決してそうではないのではないかという趣旨です。
○井上座長 逆に言うと、確保できるところまで評議を続けなさいということですね。
○大出委員 そうですね。議論していって、そのまとまったところで言渡しになるわけですから、それがまとまらないのでは言渡しはできないというのは当然だと思うんです。つまり、少なくとも、全員が納得してこの結論に賛成するというところまでは評議するわけですから、それは当然理由があってまとまりがつくわけですから、そこまで議論に参加している人間にとっては、どういうことで有罪なり無罪なりという結論が出たのかということは分かるはずで、そこは書けるだろうということです。
○井上座長 御発言の趣旨を確認しているのですけれども、そうしますと、かなり複雑な事件の場合は、ほとんど草稿に近いような形になるまで合意ができるまで評議を続けるということですか。
○大出委員 そこは、イメージとして具体的には分からない部分がありますけど、複雑な事件では、多分そうならないと評議はまとまらないのではないでしょうか。
○井上座長 しかし、草稿にしろ、それができあがるまで間を置くという点では、期間的に同じことですよね。ただ、裁判員がずっと付き合っているから、内容を随時確認できるという点が違うということですね。
○大出委員 今の座長のまとめが、私の言ったことに合っているかどうか、ちょっと分からないのですが。
○井上座長 酒巻委員のイメージですと、評議は実質的に合意に達したけれど、事件によっては、それを文章化するのに一定の期間が掛かるかもしれない。そういった場合は、評議の終了と判決書の草稿の内容の確認との間が空くだろうということだと思うのですね。他方、大出委員のイメージですと、実質的に合意するためには、最終的なドラフトに近いようなところまで、ずっとみんな裁判所につめていて、ドラフトの内容を確認しなければ、評議は終わったことにはならないということではないのか、ということです。
○髙井委員 例えば、こういう場合どうするか。被害者Aの証言が信用できるかどうかが有罪・無罪を左右するとして、評議をしました。A証言は信用できるというふうに裁判員も言いました。裁判官もそう思いました。しかし、その評議の過程では、一見A証言とは矛盾するBという証拠物についてはあまり議論されていませんでした。それはなぜ議論されてなかったかというと、採り上げて議論するまでもなく、Bはあまり意味がない証拠だということで、評議の場では、証拠物Bの存在についてはほとんど議論されなかった。それでA証言は信用できるから有罪という結論に達しました。
ただ、判決書を書くときに、一見、A証言を否定するかのようなB証拠物があるという場合、ごく簡単に言うと、今だと判決書を書くときには、必ずB証拠物の存在に触れて、B証拠物が信用できないという理由をるる書いて、それで控訴されてもいいように準備をして判決書は確定するという流れだと思うんです。
そうすると、裁判員裁判のときに、今のような作業をそのとおり是認しているということになると、言渡しの時点と判決書を作成する時点がかなりずれてくるということを是認することになると思うんです。あるいは、大出委員がおっしゃっているように、B証拠物も挙げて、すべてについて評議をやるべきだという考え方もあるかもしれません。ただ、そうなってくると非常に評議が長くなってなかなかそれは難しい。そうすると、将来的には、裁判官はB証拠物なんていうのはほとんど無視してもいいようなものであれば、B証拠物に触れないまま評議を進めていって有罪認定をしてしまうということは当然あり得ると思うんです。
審議会意見書は、判決書の内容は裁判官のみによる裁判の場合と基本的に同様のものとしてありますが、その事実認定に至った理由、その論理構成が分からなければいけないという意味では基本的に同様のものだと思うのですが、今、私が申し上げたように、もしかして弁護士から控訴されたときに備えて、というような観点まで含めたものを裁判員裁判においても必要としていると考えると、不必要な細かい議論に立ち入らざるを得なくなって、評議と判決の言渡しの間が空いたり、あるいは、判決の言渡しと原本の作成の間が空き過ぎてしまったりという、裁判員裁判になじまない事態が起きるのではないかと懸念します。
そういう意味では、基本的には同様のものであることは必要だと思うのだけれども、その詳細さにおいて、現行と同程度のものということになるのはいかがなものかと思います。詳細さは、今よりももう少しラフなものでいいのではないかというふうに思います。
○四宮委員 髙井委員のおっしゃったケースを前提にして、とにかく裁判員裁判の場合の判決書というのは、裁判官と裁判員の間で行われた評議を正確に反映するといいますか、その評議に基づいて作られることが必要であることは多分争いがないところだと思うのです。もし、今のケースで、証拠物Bについてはほとんど評議で触れられなければ、それには触れないことが、むしろ評議の内容に基づいた判決書ということになるわけで、逆に触れてしまうのは、私はまずいと思うのです。
先ほど酒巻委員の提案と私のイメージとで、結果的にはトータルの時間が変わらないのかもしれないというお話もありましたけれども、ただ、裁判員がそこにいて一緒になってつくるものと、裁判員がいったん帰って、そして裁判官が裁判官室で作るものとはやはり違いが出てくるのではないかと思うのです。むしろ、この場合には評議を正確に反映するものを作るという意味で、やはり間を置いて、つまり裁判員が帰ってから裁判官が作るのではなくて、言渡しに必要なメモは評決に達した段階、あるいは少し整理に時間はあるかもしれませんけれども、少なくとも裁判員がいる間に作るという方がいいと思っております。
○井上座長 御意見は、一般論としては分かるのですが、実際にそういった事実認定に類する文章なども作ったことが私などにもあるのですけれども、非常に複雑な事項を文章化する場合にそう簡単にいくだろうか、疑問なのですね。相当の時間が掛かり、その間待っていてもらわないといけないということになりませんか。
○四宮委員 そういうケースもあるかもしれませんが、先ほど平良木委員がおっしゃったような、争点に沿ってそれぞれの意見の交換の経過を出していくという形で作成するなど、そこはまた工夫次第なんだろうと思うのです。
○井上座長 そこの1点だけの話ではなく、そこまで至る評議の積み重ねをどのようにしてやっていくのかということなのかもしれません。
○酒巻委員 今、髙井委員と四宮委員が出されたケースについての私の考えを言いますと、それはお二人と違って、もし、証拠物Bについての問題があるのであれば、やはり裁判員を交えて、信用できる証言との関係はどうなっているかということまで、評議を尽くすのが筋ではないかと思います。裁判員と共に評議を尽くした上で、その内容はちゃんと判決書に説明する。それが判決の結論の正当性をそれ自体として示すという、現在の判決書の在り方と基本的に同様なやり方であろうというのが私の意見です。
○髙井委員 私が言いたかったのは、今までの判決書は、当事者の立場からみると、何でここまでそんな神経使って触れなくちゃいけないのというふうなところまで触れている部分があるわけです。だから、そういうところまで触れる判決書をこれからも作っていくのだったら、審理の終結と間を置かないで判決宣告をするのはほとんど不可能なことであるし、判決宣告と間を置かず判決書原本ができ上がるということもほとんど不可能なことだということです。
○井上座長 要するに、争いになっていて評議で判断したものについては、当然、判決書に書くわけでしょうから、皆さんがおっしゃってることはそう大きく違ってはいないと思いますね。
○髙井委員 判決書をいつから書き始めるかということなんですね。例えば、準備手続があるわけですから、争いのない事実については、そこで下書きの下書きぐらいできるのではないか。
○井上座長 まだ公判を開いていない段階なので、それは無理ではないでしょうか。
○池田委員 先ほどからの設例で、要するに当事者も主張しないことを、後で、あれは大事だったから、判断しておかなければならないという事態は、ちょっと考えにくいのではないでしょうか。それは争点になっていれば何らかの判断が必要でしょうし、その点について評議ができて、Aさんの証言の信用性が認められるから、Bのことは触れなくてもいいということであれば、その結論だけ書けばいいわけです。先ほど来、今の判決書について、控訴審向けということばかり強調されますが、当事者が主張しているから答えているわけです。答えを示していないと当事者は困るのではないでしょうか。不服を申し立てる際に、何を根拠に、この判決が間違っていると主張するのかということが問題となるわけですから、そこはある程度理由を書かないとしようがないのではないですか。
○井上座長 現在の判決書が余計なことまで書いてあるのかどうかについては、それぞれの方で見方が違うのでしょう。
次は、イの「裁判員の署名押印、身分の終了時期」です。これは、判決書に裁判員が署名をすることにするのかどうか、それと、裁判員の身分・任務の終了時期をどの時点にするのか、といった論点に関する項目です。この点について、意見書は、「裁判員は、具体的事件ごとに選任され、一つの事件を判決に至るまで担当した上、それをもって解任されるものとすべきである。」と述べておりますが、これは、一事件ごとに裁判員が選任され、その事件が終了するとともに任務を終えるという趣旨ですけれども、担当した事件について、任務の終了が具体的にどの時点になるのかということについては、必ずしも明確にされていないのです。つまり、一つの事件を担当した後、また別の事件を担当するということにはならないということを言っているだけですので、担当した事件についての任務の終了時点についても御議論いただければと思います。
その二つの論点について、たたき台は、AからCの三つの案を示しています。このたたき台を踏まえながら、しかし、たたき台に示されている考え方以外に、こういう組み合わせもあるのではないか、あるいは、こういうやり方もあるのではないかということでも結構ですので、御意見を伺えればと思います。髙井委員は、裁判員も署名すべきだという御意見ですね。
○髙井委員 はい。私は、裁判員も署名すべきであるというふうに思いますから、A案かB案しかないということになると思います。その中では、B案が理想だと思うのですが、なかなかそれは現実問題として難しいと思いますので、基本的にはA案がよいかなと思います。
○井上座長 どちらでもいいということですか。
○髙井委員 はい。
○土屋委員 アの部分のところのイメージと重なるのですけれども、私は、第1ラウンドで裁判員の負担ということを言いまして、できるだけ裁判所に出て来る機会が少ないようにということを言いました。検察審査員を経験された方が寄せられた文章を読んでいますと、離島に住んでいる方は、検察審査会に出席するために2泊3日で往復したりしているんですね。そういう人たちが署名のためだけに出てくる、というようなことはできるだけ避けた方がいいと私は思っています。それから、冬場の東北なんかで勤務していますと、場所によっては、雪が深くて裁判所に出て来ること自体が大変なんですね。
そういう意味で、裁判員の負担というのは少なくすべきであると私は思っていて、評議がまとまり次第、できるだけ早く、その日のうちにでも判決の言渡しをしていただきたいと思うんです。その後に、裁判官が判決書を作ればいいのではないか、と私は思っています。
その延長線上でいくと、ここでは、C案になるのだろうと思うんですけれども、言渡しのときは、裁判員と裁判官が一緒になって言い渡すけれども、判決の署名は裁判官だけでもいいのではないか。判決書原本の作成も裁判官だけでやってもいいのではないか。私はそんなふうに考えています。
○本田委員 私も基本的には土屋委員と同じような考えです。やはり判決書原本に署名するために裁判所に再度出て来るというのは、裁判員にとってかなりの大きな負担だろうと思うんです。原本言渡しという考えもあるかと思うんですけれども、期間がどうしても掛かるものがあるだろうということになると、裁判官の負担というのもかなり大きくなるし、果たしてそれが現実的だろうかという気がします。そうすると、C案ということが考えられるのではないか。判決言渡し時に、裁判員が立ち会っている場で理由の要旨をある程度詳しく告げることで、判決書が評議内容を正しく反映していることというのは十分担保されるのではないか。そうすると、C案あたりが妥当な線かなという気はします。
○池田委員 先ほど判決書原本での言渡しが必要かどうかという議論がありましたが、これについては、現行法と同じように必要ないということにすべきだと思います。そうしなければ、執行猶予付きの懲役・禁錮刑の判決など、早く身柄を釈放をしなければいけないような場合に、早期の釈放をすることもできなくなってくるだろうということが理由としてあります。
裁判員の署名の関係については、私も、C案でいいのではないかと思います。裁判員が判決宣告時に立ち会っていれば、どのような内容で、どのような考え方で、その判断に至ったのかということは、そこで述べるわけですので、確認できます。それをどのような文章にするかは、あとは裁判官に任せていいのではないかと思います。
○髙井委員 今の本田委員と池田委員の御意見は、裁判員が立ち会う、あるいは署名するというものを、判決内容が評議のとおり行われたかどうかということに対する担保という観点からとらえられているわけで、そういう意味からいえば、署名は必要でないという考え方は当然あり得ると思うんです。
ただ、冒頭申し上げたように、例えば、死刑判決をするかもしれないわけですね。そういうときに、きちんと自分の名前を書くことによって、そういう負担を引き受けることによって、裁判員として責任ある議論に参加できる、参加するようになるということもあり得るのではないか。署名をしないと、自分がどういう者かは当然秘密にされているわけですから、そういう状態で裁判員が責任ある議論に果たして参加できるのかという懸念がないわけではない。
○井上座長 判決言渡しと署名の間の期間が空いても任務は終了せず、判決書原本ができたときに署名するために裁判員に出て来てもらうことになっても、それはやむを得ないというお考えでしょうか。
○髙井委員 やむを得ないと考えています。
○酒巻委員 今の髙井委員の責任を持って判決に関与するという御議論ですけれども、それは署名でなくても、まさに判決言渡しに立ち会うということ、また、それまで評議を尽くしているということで、十分満たされているのではないかと思うのです。署名ということそれ自体がそれほど大きな意味を持つのかどうかは、私はやや疑問を感じるところがあります。
○平良木委員 宣告した内容と判決書原本の内容が食い違うと、場合によっては破棄理由になります。ですから、そのような担保があるので、要するに、判決を宣告する段階で、裁判員がいて評議も終えて宣告したということであれば、十分だろうという気がします。また、裁判員の負担を考えると、私もC案でいいと思います。
○大出委員 悩むところではあるのですが、今までのお話を伺っていますと、池田委員の御説明でいくと、これは負担を回避する、つまり、最終的に判決書は裁判官の方がお書きになるということで任せて、それができ上がったときに裁判員が裁判所に出てくるのが負担をかけるということを考えれば、そこは署名がなくてもいいと、こういう論理だったように思うのですけれども、それはやはり少し違うのではないかと思います。私も署名が絶対に必要だとは思ってないわけでして、それはまさに判決宣告への立会い、評議が終わった段階で判決を言い渡すときに立会うということで責任は果たしようがあると思いますし、署名をすること自体だけが責任のとりようではないというのは酒巻委員がおっしゃったとおりだと、そこも私はそうだろうと思うわけです。ただ、先ほど来議論になっていましたように、そこは判決の中身がちゃんと責任を負う形で立ち会って、言い渡された内容として確定されているかどうかという問題だと思うんですね。そのことが担保されていれば、署名しているかどうかというのはどうでもいいという話なのであって、そこが、そういう論理でないところで御主張があったように思ったので、そこは筋が違うかなというふうに思っているんですが。
○髙井委員 裁判員と裁判官は対等で、裁判員は主体的に評議に参加するというふうに言われているわけですが、判決書に署名しなければいけない立場の人間と、判決に立ち会っているだけで署名する必要のない人間との間で、果たして対等かつ主体的な議論ができるのかということについて、私は本質的な疑問を持っています。
○井上座長 先ほどの池田委員の御発言も、当然、大出委員が言われたように、判決宣告のときに実質的な内容は固まっているということを前提にしているのではないですか。
○池田委員 同じ案を言うときに、同じ理由を何回も繰り返してもしようがないので、私は先ほど述べたことだけを付け加えましたけど、特にそれだけということではなくて、もちろん評議はきちんとしているわけですし、そこで大筋が決まらなければ言渡しができないわけです。また、きちんとそれを公開の法廷で告げるわけですから、裁判員が何についてどこまで裁判体として関与したかというのもはっきり分かるわけです、判決言渡しの時に。その内容が評議の結果から動くはずはないわけです。
○四宮委員 同じC案なんですけれども、髙井委員のおっしゃった裁判員の主体性・自主性というのは、まさに評議において求められているということと、それから、最終結論である判決の言渡しに立ち会うということで、その主体性・自主性、実質的な参加というものは果たされていると思います。
○井上座長 この点は、このくらいでよろしいですか。
次の「控訴審」という項目についての議論に入りたいと思います。
たたき台では四つの案が示されていて、1ラウンド目の議論で大体これらのアイディアが出たのではないかということでまとめられたのだと思いますので、それを前提として御議論していただきたいと思います。もちろん、これ以外にも、こんなアイディアがあるということがあれば、それもお出しいただいて結構です。
○髙井委員 控訴審は、事実誤認及び著しい量刑不当の場合は自判ができないとし、それ以外は自判ができるという案を提案したいと思います。要するに、懲役5年のものを6年にするとか、懲役4年のものを3年にするというものだったら、これは自判ができる。しかし、実刑のものを執行猶予にする、あるいは死刑を無期にする場合には、自判をすることはできず、差し戻さなければならないとする。要するに、量刑を微調整すればいいという場合だけは自判ができるとし、それ以外は自判はできないという案を、E案として提案します。とってもいい案ではないかと思います(笑)。
○井上座長 今の御提案は、第一審判決を破棄したときに、控訴審が自ら新たな判決を言い渡すのか、第一審に差し戻すのかという論点に関するものですね。
もう一点、大きな論点がありまして、それは控訴審の裁判体の構成をどうするのかという問題なのですが。
○髙井委員 その点は、当然裁判官のみの構成でいいと考えます。
○井上座長 理屈からいうと、量刑不当かどうかというのは、ある基準があって、それに照らして著しいかどうかという判断なのかなと思うのですけれども、髙井委員の提案された枠組みですと、この事件のこの被告人にはこの刑を言い渡すべきであったというものがあり、それと比べて第一審の量刑がどの程度隔たっているのかによって判断するということのようですので、ちょっと量刑不当に関する今までの考え方とは違うような気がしますね。
○髙井委員 書きぶりが難しいかなとは思います。
○井上座長 量刑不当では破棄するけれども、その場合に新たに言い渡すべき刑というのがかなりかけ離れているような場合は控訴審では自判できない、と法律に書くことになるのでしょうか。
○髙井委員 ですから、書きぶりとしては、量刑不当で破棄した場合には、こういう自判しかできませんよというような書き方になるかなと思いますけれども。
○井上座長 もう一点、御趣旨を伺いたいのですが、事実誤認と量刑不当でそういうふうに分ける理由というのは何なのでしょうか。
○髙井委員 基本的な考え方は、事実の認定は裁判員を入れてやるべきだということです。
○井上座長 量刑はそうではないということですか。
○髙井委員 はい。価値判断も入るでしょうし、今までの前例とのバランスというものも判断材料に入るでしょう。
○平良木委員 髙井委員に質問ですけれども、事実誤認で破棄する場合はどうなるんですか。
○髙井委員 事実誤認は破棄すれば全部差戻しというのが私の案です。
○平良木委員 そうですか。それから、量刑不当の場合に、著しい量刑不当とそうでない量刑不当とを分けるということだけれども、それは、いわゆる自判するかどうかという基準を法定するという意味で分けるということですか。
○髙井委員 はい。要するに、例えば懲役6年を5年にするためにもう一回地裁に戻して裁判員集めて裁判をやるのかと考えた場合に、そのようなことはむしろ無駄ではないか、そうであれば、その場合は、高裁で自判したらどうかということです。
○平良木委員 私の考えも近いようなんだけど、ちょっと違います。つまり、私は、たたき台の案の中で言うと、やっぱりA案だと思うんですね。ただ、前から言っているのは、運用の問題として、破棄の場合に差戻しを原則にするということです。運用の問題という言い方をしているのですが、どういう運用をするのかというと、恐らく私の考えでは、C案が運用の一つの基準になるのかなという気がしております。もっとも、運用の問題ですから、そこを法律で特に触れないということになる。現行法どおり、控訴審は、事後審で裁判員を入れない形でやるのがいいということになると思います。
○井上座長 現行法でも、原判決を破棄した場合に、原則は差し戻すことになっていますよね。
○平良木委員 はい。
○井上座長 しかし、それまでの控訴審での審理で、判決を直ちに言い渡せるというような場合には控訴審で言い渡してもよいとされており、実際の運用では、自判がほとんどになっている。そのような実務の現状を、むしろ原則の方に戻すということですか。
○平良木委員 そうですね。
○井上座長 その場合に、C案的な運用ということになると、破棄自体を非常に慎重にするということになるのですか。
○平良木委員 控訴理由は現行法のままで構わないと考えています。自判をするか、差戻しをするかという基準について、C案の考え方を使うのがいいということです。
○井上座長 破棄事由自体は加重するわけではなく、破棄はするのだけれども、著しい場合には、差戻しと自判のどちらになるのでしょうか。
○平良木委員 ずれが著しい場合に、量刑不当の場合は髙井委員と同じような結論になります。ただ、髙井委員の意見は、要するに、自判するかどうかというところの基準を法定しろということだけれども、私は、法定する必要はないということになります。
○酒巻委員 髙井委員と平良木委員の意見に対する質問ですが、破棄するかどうかの基準でなくて、差し戻すかどうかの基準について、なぜ、著しいと差し戻して、そうでないと差し戻さないということになるのでしょうか。
○髙井委員 著しい量刑不当の場合に自判をするということは、要するに、一審の判決を大きく変えるということですね。私の意見は、控訴審は裁判官だけで構成されるという前提ですから、裁判員が入って判断された量刑を大きく変えるときは、裁判官だけではなくて、やはりもう一回裁判員を入れて判断すべきでしょうというのが基本なんですね。
○井上座長 事実認定を変える場合というのは、性質上大きく変える場合というのに当たるということですね。
○髙井委員 はい。
○本田委員 私は、第1ラウンドでA案だというふうに主張したのですけれど、現在でもこれでいいのではないかと思っています。それから、例えば、著しい量刑不当の場合は差し戻すのだという御意見があるのですけれども、量刑というのはある程度公平でなければいけないわけです。控訴審というのは、各地裁からのいろんな事件が上がってきているわけで、他の事件との関係等をよく見ることができるところであります。これは第1ラウンドでもそう申し上げたんですが、そうすると、量刑不当については、むしろ控訴審でそのままで自判できるとするべきでしょう。ほかの証拠調べが必要とか、そういうのがあれば別ですけれども、第一審で調べた証拠に基づいてきちんと自判できるようなものであるならば、それは控訴審で自判しても構わないだろう。
事実誤認についても、やはり、基本的には、どうももうちょっと調べなければいけない証拠があって、これはもう一回一審で調べさせるべきだというなら別ですけれども、事後審としても、一審で調べた証拠で、明らかに事実誤認があってそこで判断できるということであるならば、何もわざわざもう一回差し戻す必要はないだろうという気がします。確かに裁判員を入れた趣旨ということから考えると、例えば、これは破棄理由と書いていますけれども、上訴理由を若干加重するようなことが検討の余地がないとは言いませんけれども、基本的には現行法どおりでいいのだろうと思います。
○井上座長 髙井委員が、「著しい量刑不当」と言われたのは、恐らく、典型的には死刑か無期かというような場合だと思うのですが、その点も含めて、控訴審で判断していいのではないかという御意見ですか。
○本田委員 はい。
○四宮委員 私はどちらかというと、B´案だと思います。今、平良木委員と本田委員が賛成されたA案なんですけれども、事実問題について、破棄した上での自判を認めるというのは、やはり新しい裁判員制度の下ではおかしいと思います。つまり、今回は、一審を充実させて強化しようという発想があるわけで、直接主義、口頭主義に基づいて、しかもそこに国民が入って行った判断、証拠の評価を、-私も控訴審は裁判官3人で構成するというのが前提ですが-、控訴審の3人の裁判官が書面中心に調べて、一審と異なる判断を行うということはやはりおかしいと思います。ですから、事実問題については、髙井委員と同じように、破棄の場合には差し戻すというのが私の意見です。
量刑の場合は、さっき本田委員がおっしゃったように量刑のバランスの問題ですとか、あるいはこれは第1ラウンドで出ましたけれども、これは幅の問題が相当にあるということで、控訴審で不当と判断した場合には自判を認めていいのではないかと思います。ただし、その破棄の場合は、さっきも出ましたように、量刑不当で破棄の場合も差戻しが原則だけれど自判もできるとして、あるいは逆にしてもいいのですが、差し戻せる場合は残しておく。つまり、特に幅を超える、先ほどから例に挙がっている一審が死刑で、それを無期に変えるとか、あるいは逆の場合ですとか、特にそういった問題については、もう一度国民の判断をあおぐ機会を残しておくというふうにしたらどうかと思います。そういった趣旨でB´案に賛成したいと思います。
○井上座長 髙井委員のE案との違いは、差し戻さなければならない場合として規定するのか、差し戻すことができると規定しておいて運用でやるのかという点にあるわけですね。事実誤認の場合についても、逆の発想をしますと、例外というのは全くないのでしょうか。例えば、明々白々に無実である場合には自判できるというようなことも、一つのアイディアとしてあるようにも思うのですけど。
○四宮委員 理屈でいきますと、逆に明々白々に有罪であるというような場合も自判が可能になるわけですね。
○井上座長 そうですね。
○四宮委員 それでは筋が通らなくなると思います。
○井上座長 そうすると、事実誤認の場合は全部差し戻すべきだということですか。
○四宮委員 そういうことです。
○大出委員 髙井委員の意見と四宮委員の意見との違いについて、私も事実問題については差し戻さないとまずいというふうに思っているわけですが、量刑については非常に悩ましい。私もB´案かなと思ったのですが、そういう意味では髙井委員の案がいい案だったのかもしれないんですが(笑)、ちょっとそこのところ、四宮委員の意見ですと、裁判所の判断として裁量的に戻す必要があると考えたときに戻せばいいという道を残しておくという話なわけですね。
髙井委員の案ですと、なかなか幅を決めて、必ず戻さなければいけないというようなところをどう切るのか、書きぶりが難しいというお話だったと思うんですが、そこのところは非常に決めにくいところで、その限りでは四宮委員の意見に賛成するということになろうかなという気がするんです。いずれにしても、そこは非常に難しい部分だろうと思って、ただ、一応意見を申し上げておかないとまずいと思ったので、申し上げます。
○井上座長 難しいという御意見ですね(笑)。
○大出委員 量刑問題については、そのどちらかだろうということです。
○井上座長 裁量的にした場合、例えば、無期を死刑にする、あるいは、死刑を無期にするという場合にも、差し戻さなくても違法とはいえない。そこが、おそらく四宮委員の意見と髙井委員の案との違いなのですよね。
○大出委員 髙井委員の場合にもそうなんですが、御趣旨としては、その場合だけに差し戻す場合を限るわけではないわけでしょう。
○髙井委員 原則として、これは差戻しなんです。ただ、例外的にさっきから言っているように、6年を5年にするような微調整のところまで差し戻す必要ないんでしょうということです。
○酒巻委員 私は、第1ラウンドで、確かC案にあたることを言ったと思うのですが、ここでも、C案もあり得るのではないかという意見を述べたいと思います。私は、A案を前提に、あとは運用に委ねるというのも可能だとは思います。四宮委員は、先ほど事実認定については必ず差し戻すべきで、それが裁判員制度導入の趣旨にかなうとおっしゃったのですけれども、第一審に、一般国民が主体的、実質的に関与した判断がなされているからといって、それを職業裁判官だけで破ったとしても、必ずしも、それだけで裁判員制度導入の趣旨が没却されるとは私には思われません。上訴審自体は事後審査で、今の建前どおりとする。ただ、第一審に職業裁判官以外の者が入って事実認定と量刑判断を行っているという趣旨を尊重するという観点から、C案のような形、すなわち事実誤認と量刑不当の両方について破棄理由を裁判員制度対象事件については厳格化するという形であれば、破棄を職業裁判官だけでやったとしても、裁判員制度の趣旨を没却することにはならないと思っています。
○井上座長 今までの議論とは、ちょっと攻めどころが違うのですね。つまり、酒巻委員が言っておられるのは、破棄事由のところなのです。その点を加重することによって一審を尊重する形にしようということですね。一方、今までの議論は、破棄したときに、控訴審で判決していいのか、第一審に差し戻すのかというところで考えようということなのです。酒巻委員は、後の問題、すなわち、破棄事由を加重した場合の破棄した後の取扱いについては、どうお考えですか。C案でいった場合の、差戻しか自判かということになりますけれど。
○酒巻委員 それは両方あり得るのでしょう。
○井上座長 論理的にはどうなっていくのでしょうか。破棄に至るまでの障壁が非常に高いわけで、その意味で第一審の判断を尊重していることになるのですが、著しい事実誤認とか量刑不当があったと認められ、破棄するというときに、差戻しと自判の両方があり得るのですか。
○酒巻委員 両方あると思うんですが、もう少し考えてみることにします。
○平良木委員 恐らく著しい量刑不当の場合には、例えば死刑が無期に変わるようなときには差し戻してやるべきだという考え方が出てくると思います。著しい事実誤認の場合には、戻しても、結局、結論は控訴審と同じことになるので、手間がかかるという意味では自判してもいいという考え方が出てくる余地があるかもしれません。
○井上座長 著しい事実誤認とまで言える場合は、明々白々ではないかということですか。
○平良木委員 そういうことです。ただ、今のような、ちょっとこれは話がずれてしまいますけれども、控訴理由を加重するということになると、従前の控訴理由をどうするのかという問題が出てくると思うんですね。二本立てでいくのか、あるいは、従前の控訴理由も同じように加重して統一し控訴理由にするのか、という問題が出てくる。そういう訳で、私はさっきから言っているように、裁判員制度において控訴理由を変えると、どうも全体のバランスが崩れてしまう。だから、運用に任せるのがいいという言い方をしたんです。
○井上座長 運用に任せながら、実態としては、一審に裁判員が入る場合は、その判断を尊重する趣旨で、著しい場合に限って破棄するという運用をするということでしょうか。
○平良木委員 そういうことです。
○大出委員 現行どおりというようなことで考えた場合、先ほど言わなかったので一言だけですが、自判ということになったときに、現行法上厄介な問題としては、審級の利益との関係の問題はあると思うんですね。これは、特に無罪が有罪になった場合に、結局、あとは上告審しか残ってない形になってしまうわけですね。それは私は問題があると思っているわけでして、事実誤認については差し戻すということが原則であるべきであって、量刑のところも、そこのところはどうしてもひっかかってこないわけではないと思うんですが、質的には違う問題だというふうに考えているということを一言付け加えさせていただきます。
○井上座長 今の御発言は、無罪を有罪にする場合と有罪を無罪にする場合と、論理的には二つの場合があり得て、その両方について違う判決が言い渡されれば、それぞれについて二回上訴が認められるべきだというお考えですね。
○大出委員 そうです。
○池田委員 控訴審は裁判官だけで構成することでいいと思うわけですけれども、その控訴審としては、第一審の判断を尊重することになるだろうと思います。ですから、そういう意味で、控訴理由についてはかなり運用が制限されてくるだろうという気がするんです。もう一つは、今度は、その後、自判するかどうかの場面についても、このときにも裁判員が加わって行った判断に、それを前提とするような、それを修正するようなものであれば、多分その趣旨を尊重することになるので、自判できるだろうと考えられると思うのですが、逆に、これを全く無にして、せっかく裁判員制度を加えた意味を失わせるような新たな判断をするようなものになるのだったら、差し戻すべきだという議論になってくるのではないかと思います。ただ、破棄できる場合の要件と、自判できる場合の要件を、法律的にきちんと書き分けられるかというと、非常に難しいのではないかと思います。
そうなると、現行法どおりのA案というのを前提に、あとは裁判員制度の趣旨を十分忖度した運用をしていくようにすることがいいのではないかと思います。
○井上座長 皆さんの御意見の実質はそんなに違っていないような気もしますが、技術的にそれをどう構成するのかという点で違いがあるということでしょうね。
○四宮委員 今、座長があまり変わってないとおっしゃるのは、結果的に新しい実務として出てくるものは、みんなが構想した案で変わってないだろうということで、その姿は、池田委員がおっしゃったようなことだと思うのです。ただ、特に事実問題についての組み立て方は、国民にどうアピールするかということも併せて考える必要があると思うんですね。もし、仮に、事実問題について、少なくとも今と同じ控訴のシステムで、最終的に裁判官が自判できるということになると、最初から、それだったら、プロの皆さんが最初からやってくださればいいのではないか、というふうに思う人がいないとも限らないですね。
ですから、ここはこれから協力していただく国民との関係も考えた控訴の在り方ということを検討しておく必要がある。そういう配慮もした上で制度を設計する必要があると思います。
○井上座長 そのことについては、制度上も法律にはっきり書くべきだという御意見ですか。
○四宮委員 はい。
○井上座長 それでは、差し戻す場合があり得るということ、広いか狭いかは別として、そういう議論になってきていると思いますので、次の「差戻し審」の在り方についてという項目に移りたいと思います。これは、5でA案ないしC案をとった場合、いずれも問題となる論点なのですけれども、たたき台は、AとBの2案を示しています。両案とも、新たな裁判員を選任して審理、裁判を行うという点は同じなのですが、A案は現行どおりということですので、いわゆる続審構造ということになります。これに対して、B案は、いわゆる覆審構造、つまり、審理をすべて最初からやり直すという方法をとるというもので、その点が違うところだと言えます。
このA、Bの両案に限らず、また、その点だけでなく、ほかの論点ももしあれば、それをも含めて、差戻しに関して御意見をいただければと思います。
○髙井委員 私はA案がいいと思います。覆審となりますと、手続は極めて煩瑣になりますよね。そういうようなことも含めて考えると、やはりA案が妥当であるというふうに思います。
○本田委員 私もA案に賛成です。覆審とした場合には再度証人を連れてきたり、もう一回調べるということになるわけですけれども、記憶の減退とかいろんな問題も出てくるでしょうし、証人の負担ということも考えると、A案でいくべきだろうと考えます。確かに、記録をいろいろ見なければいけないというような話もあるのでしょうけれども、その問題については、例えば、最初の第一審について、裁判員制度の下で新たな裁判員が入って手続の更新をやるときは同じようなことをやるわけで、結局、同じことなわけですね。そうすると、そこをきちんと工夫して分かりやすいようにやれば、A案が妥当だろうと考えます。
○大出委員 これは「現行法どおり」という言い方が正確なのかどうかという問題はあるんだろうと思うんですが、つまり、少なくとも現行の運用ですよね。運用ということでいくと、続審が、今のお話ですと、まさに更新説をとるという形をとっているのだろうと思いますので、今のようなやり方ではない工夫が必要だということは、今本田委員がおっしゃったとおりだと思うのです。私も、前回は、原則は覆審ではないかというようなことは申し上げたのですが、ただ、それが負担の面とかいろんな面で決してそれでいいということでも必ずしもないかもしれないという気はしているわけで、ただ、そのときに現行ということでの運用そのままが引き継がれるというようなことは問題があることは間違いないわけでして、そこの工夫をどうするのか、そこはやっぱり十分考える必要があるということだと思うんですね。
ですから、例えば、全公判審理というものをビデオ撮影しておいてみたいなことで、記録の代わりに必要なところについては当事者の了解を得てそこを再生するとかというようなアイディアも出されたと思いますけれども、その辺についての工夫が必要なのだろうというふうに思っています。
○井上座長 A案の趣旨は、法制度としては現行法どおり、というだけにとどまると思います。
○四宮委員 私はB案です。そもそも差戻しというのは、要するに、やり直すということだと思うのです。この場合、また裁判員が新たに入るわけですから、差戻し審の審理もやはり直接主義、口頭主義で行う必要があるだろうと思います。そうだとすると、続審的に考えると、やはり従前の記録、先ほど新しい工夫もできるではないかという御指摘もあって、それはそれで傾聴に値するのですが、やはり記録に基づく裁判というものは、やはりできる限り避けるべきではないか。そういう意味で、私は、やり直しという意味の覆審としてB案を主張したいと思います。
○井上座長 証人等の負担もやむを得ないということですか。
○四宮委員 原則はそうです。ただ、例えば、ケースによっては、特に被害者の方の供述などの場合については、証拠方法の工夫はあり得ると思いますし、また当事者の間で公判の作り方を工夫するということはあり得ると思うんですけれども、理屈の面ではやり直しということが原則だということです。
○樋口委員 証人の負担をどう考えるかという御意見が出ていますので、参考までに御紹介しますと、平成12年に予算措置を講じまして、20歳以上の男女2、000人について個別面接方式で調査した結果がございます。「あなたは犯人や事件について何か知っているときはどうしますか」という問いを発しまして、「自ら進んで連絡する」という人が49.9%でございました。それから、「警察から何か聴かれたら答える」または「知っていてもなるべく言いたくない」という人が42.9%でした。この後者の理由としてなんですけれども、「後々まで何度も聴かれて煩わしい」という人が最も多くて、40.6%でした。また、「情報提供の協力を得やすくするための方法はどのようなものでしょうか」という問いに対するものですが、「協力することに無駄な労力や時間が掛からないようにする」を選択した人が33.3%といったような結果が出ておりまして、捜査段階で国民の協力がだんだんと得づらくなっているような状況にあるわけです。控訴審をどうするかというところとも絡んでいると思いますけれども、この差戻しの際にも、証人への負担というのは結構大きな考慮要素かなというふうに考えます。
以上からいたしますと、やはり覆審構造にすることには問題があるのではないかと考えます。
○酒巻委員 四宮委員は覆審説ですが、私はこれに反対し、その他の方の意見であるA案に賛成で、続審がいいと思います。続審がいいと思う理由は、皆さんがおっしゃったのと同じです。1点付け加えますと、もし差戻し審を一審のやり直である覆審にすると、それに対してまた上訴があったときにぐるぐる回りになって際限なくなってしまう、つまり、再び控訴がなされて、またそれが破棄差戻しとなったら、また覆審ということが起こりうる制度になってしまいます。それはやはり耐え難いことであろうというのが、もう一つの理由であります。
○池田委員 私はA案でいいのではないかと思います。理由は、今まで皆さんが述べられたとおりです。
○平良木委員 私もA案でいいだろうと思います。
○井上座長 理由は同じですか。
○平良木委員 今まで出てきているとおりです。
○土屋委員 私は、第一ラウンドで、控訴審で覆審構造にして、裁判員を入れる選択があるのではないかということを言いましたけど、あれは選択肢としてそういう選択があるだろうという趣旨でありまして、必ずしもそれをやるべきだということではありません。制度的に非常に重くなってしまうというのがやはり気になるところなんですね。裁判員の負担も大きくなりますし、控訴審に入ることだって大変だろうということがあります。ですから、そこはこだわりません。
理屈としては、控訴審に裁判員を入れる制度だってあるではないだろうかと、半分本気で思っています。ただ、そこはこだわっておりません。控訴審については、職業裁判官3人の裁判があっていいだろうと私は思っています。差戻し審についても、A案の続審的に、前回のいろんな判断を引き継いでいくということを、これを裁判員に対してうまく説明ができるような工夫をしていただければ、A案でいいのではないかと私は思います。
それがどういうふうにできるのかという問題がありますけれども、できるだけ、更新手続のところのお話を本田委員がされましたけれども、そこを丁寧にしていただいて、差戻しですから論点はかなり絞られてきていると思うので、何が問題であるのか、どうなのかということを分かりやすくとにかく言っていただければ、A案でできるのではないかと私は思います。
○井上座長 次は、7の「罰則」です。この点については、念のため申し上げたいのですが、犯罪の構成要件というのは当然明確に規定をしなければならないことは大原則ですが、たたき台の案は、そこまで詰めた案では必ずしもありません。しかし、ここでは、実質について議論することが大事であり、実際にこういう規定を仮に設けるとした場合に、犯罪構成要件としてどういう規定ぶりにするのがよいかということを議論する場ではないと思うのです。そこまで、この検討会でつめて検討するのは非常に難しいと思いますので、これからの議論でも、たたき台に示されているような実質を持つ罰則を置くことが妥当なのかどうか、また、置くとしても、どの範囲の行為を処罰すべきなのか、そういった中身、基本的な考え方を中心にして議論していただければと思います。
その場合に、事務局の方でも、説明をしたいということがあれば、自由に発言していただきたいと思います。もちろん、法定刑などについても、これでは重過ぎないかとか、軽過ぎるのではないかといった御意見もいただければと思います。
まず、「(1)裁判員等の不出頭等」というところでは、裁判員候補者、裁判員又は補充裁判員の正当な理由がない不出頭、及び、裁判員又は補充裁判員の正当な理由のない宣誓拒否に対して、過料の制裁を設けるという案が示されております。こういう制裁を設けることの当否、及び制裁として、刑事罰ではなく秩序罰としての過料を科すということにしていることの当否などについて、御意見をいただければと思います。
○髙井委員 不出頭あるいは宣誓拒否について、一定の罰則といいますか、制裁をかけるということはやむを得ないことだと思います。また、それが刑罰にまでなるとちょっと重いのではないかと思いますので、この案にあるように、過料を科するというのは妥当なことであろうと考えます。
○本田委員 髙井委員と同じ意見です。
○井上座長 よろしいですか。
特に御異論がなければ、次に、「(2) 裁判員等の秘密漏洩罪」という項目ですけれども、たたき台の案は二つの内容から成っております。一つ目は、裁判員、補充裁判員及びこれらの職にあった者が、いわゆる評議の秘密を含む、職務上知り得た秘密を漏らした場合を処罰するというものです。二つ目は、これらの者が合議体の他の構成員以外の者に対し、その担当事件の事実の認定、刑の量定等に関する意見を述べた場合を処罰するというものです。
これらの点についても、罰則の要否、当否など、基本的な考え方を中心に御意見をいただければと思います。
○四宮委員 この1行目にある「評議の経過」ですけれども、後ろに、各裁判官又は裁判員の意見、多少の数が別に出されていますので、それ以外のものになると思うんですけれども、具体的にはどのようなものなのでしょうか。例えば、裁判員であった者が、評議の中で、評議が始まったときから、例えば、「有罪方向でほぼ異論がなかった」というような言い方をするというのが、この評議の経過を漏らしたということに当たるのかどうか。ほかにも何か具体的な、当たる例、当たらない例等があれば御紹介いただきたいと思います。
○井上座長 各裁判官若しくは各裁判員の意見以外に、どういうことがあるのかということですか。
○四宮委員 はい。
○辻参事官 このたたき台の「評議の経過」等は、現行の裁判所法と基本的に同じ趣旨でございますので、現行裁判所法の解説等により御説明いたしますと、「評議の経過」というのは、評議がどのような進行過程を経て結論に至ったかの道筋をいう、「各裁判官の意見及びその多少の数」とは、議題として提出された各問題点について、裁判官が表明した意見の内容及びこれを支持あるいは反対した意見の数をいう、とされております。必ずしも評決に際しての各裁判官の意見及びその多少の数には限らず、評決に至るまでに各裁判官によって交換された意見についてのものを含む、要するに、評議は、その外形的な進行過程及び実質的内容の一切について秘密を守ることを要するとの趣旨である、というふうにされているところであります。
そういうことからいたしますと、今、委員が例に挙げられた、最初から異論がなかったということは、この解釈を前提とする限り、評議の秘密に含まれるということになるかと思います。例えば、どのような論点を検討したかというようなことも入ってくると思われます。
○井上座長 例えば、ある証拠物なり、ある供述調書なら供述調書について、もう一度いろいろ点検したという事実は、意見そのものではないですが、そういうものも経過に入るということですか。
○辻参事官 そうですね。ここからは、私の個人的な意見にわたりますので、正しいかどうかは分かりませんけれども、証拠物を点検しようということは、恐らくその前提として何らかの論点というか、議論があったということでしょうから、意見と非常に密接に絡んでいるところで、やはり入るということになるのではないかと思います。ただ、そこは皆さんの御意見を伺った方がいいかと思います。
○四宮委員 例えば、論点を公にさせないというようなこと、あるいは、今座長がおっしゃった、この証拠について検討したというようなことを、公開させないというか、表明させないということによって、何を守ろうとするのかが、どうもよく分からないんですね。後に書いてある各自の意見とか多少の数というのは、個々人の意見が特定された形で外に出れば、プライバシーの問題もさることながら、自由な意見表明というものが阻害されるという、そういうものを守るということは理解できますし、数も、判決の信頼性といいますか、そういったものを守るということはよく分かるのですが、評議の経過で、今お話になったような点をつまびらかにさせないということで、何が維持できるのかというのがちょっとよく分からないんですね。
○井上座長 評議の秘密に関する現行法がそういう解釈だということです。現行法についても分からないということですか。
○四宮委員 そうですね。
○本田委員 四宮委員が今おっしゃったのは、有罪であることについては、最初から概ね異論はなかったと、こういうことを言うということですか。
○四宮委員 一つの例としてですね。
○本田委員 言い方によっては、評議がかなりいいかげんになされたと誤解を与えかねないですよね。最初から予断を持ってやっていたのかと。そういうことを細かく聴いていくとするならば、どこの段階でどういう証拠に基づいてそういう意見が集約されたのか、当然そちらの方に疑問はいくわけで、そういうことを言うこと自体が、裁判体がきちんと判断したにもかかわらず、裁判体の判断がいいかげんである、予断を持ってやったのではないかというような誤解を招くようなことになりかねない。そうすると、裁判に対する公正というものが果たしてそれで担保されるのかという気がするのですけど。
○四宮委員 今の例は一つの例でありまして、そう言ったからといって、それだけコメントするということはないわけで、いろいろなコメントをする中でそういう発言が出たときに、それもこの刑事罰に当たるのですかという質問です。
○髙井委員 これは、評議の秘密をどのように位置付けるかということだろうと思うんですが、私は、前回のヒアリングのときにも若干申し上げましたけれども、評議の秘密あるいは合議の秘密は、裁判に対する信頼性、内容に対する信頼と公正さに対する信頼、さらには裁判の独立を守る制度的な担保というような観点から、極めて重要なものだというふうに理解しているわけで、そういう意味では、裁判員裁判になっても同じことだと思うんですね。そういう意味では、評議の経過がどの範囲を指すかはともかくとして、評議の秘密は最大限守られなければならないと考えています。そういう観点から、この原案でいいのではないかと思います。
○大出委員 公正性が重要であることについては私も異論がないのです。しかし、その場合に、今の髙井委員のお話、あるいは本田委員のお話もそうだったかもしれませんが、本田委員の言い方は、私の考え方と近い部分もあるのですが、つまり、隠せばいい、隠せばという言い方が適切かどうかというのはちょっとあるのですが、秘密を守るということが直ちに公正性につながるということでは私はないと思うんですね。それはやはり違うわけで、一番大事なのは、内容がしっかり、ちゃんと言渡しの内容を担保し得るだけのちゃんとした評議が行われたかどうかということが実は本当は一番重要なわけですから、必ずしも隠せばいいというわけではない。ただ、評議自体はもちろん秘密で行われるわけですから、それを漏らさないようにしようというのは、結局確認のしようがないからだという部分があるのだろうと思うんですね。
つまり、そういうことを誰が言ったからといって、その人間が弁明するかどうかは、その人のまさに自由の問題であって、弁明しないから、発言したとされる人間がけしからんということは当然言えないわけですね。そういう観点からすると、だからこそ、前回も申し上げたと思いますが、その中のメンバーの他の人間がどう言ったかということ自体、確認の可能性が、つまり発言者が弁明をするというつもりがない限りは、確認の可能性がないわけですね。ですから、それは言うのはまずいだろうということだと思うんですね。
ただ、御本人が自分の責任で、自分の立場を表明されるということは、その限りにおいては責任の取りようもあるわけですし、他の人間との関係において、自分がどう言ったかということでない限りは、本人が自分の立場というものを説明されることはあってもいいということだと私などは思っているわけですね。
ですから、そこまでが評議の秘密に含まれてくるとなると、それはやはり問題があると私は思っているというところですけれども。
○四宮委員 議論の整理の関係ですが、たたき台では、裁判が続いている間の裁判員、補充裁判員と、職が終わった後の者とを一緒に主体として掲げているのですけれど、恐らく、裁判進行中については、むしろ意見がまとまりやすいのではないか。これは、主体を二つに分けて議論した方がいいのではないかと思うんですが、いかがでしょうか。
○井上座長 その点は、後で整理させていただければ結構かと思います。ただ、どちらかというと、皆さん関心があるのは職にあった者だろうと思いますので、そういうことを意識しながら、つまり、今、四宮委員から御指摘のあった点を意識しながら、意見を言っていただければと思います。
○髙井委員 大出委員の先ほどの、隠せばいいという、そういう表現は妥当ではないので、そこは十分注意をしていただきたいと思います。別に隠せと言っているわけではなくて、要するに、合議の内容を、ああだった、こうだったと世の中に言いふらしていいかどうかということなんですね、ですから、何か知られてはいけないものがあって、それを国民に知られないように隠すということを言っているわけではない。また、たたき台もそうではない。大出委員も多分そういう趣旨で言われたわけではないと思いますが、用語はちゃんと正確に使っていただかないと議事録に残るわけですから、その辺は注意していただきたい。そういう意味で、さらに申し上げたいのですが、仮に自分はこう思ったというのは言ってもいいのではないかというふうにおっしゃる。みんなが、自分がこう思ったというときに、じゃあ、合議の内容が正しくそこで再現されるのかという問題がありますね。いや、彼がそういうこと言うのだったら、おれも言うと、みんなが自分のことを言い出したら、いや、あの合議はこうだった、ああだったと言い出したら、一種、百家争鳴のような形になってしまって、しかも実際の合議に比べると多分不正確な再現になると思うんですね。ですから、そういうものがあちこちで行われるようになって、果たして裁判に対する信頼というのは守られるのか、ということを言いたいわけです。
むしろ、裁判に対する信頼であるとか、裁判の中の合議の経過というものは、判決書をしっかり読めば分かるわけであって、判決書にはこう書いてあるけど、実際は違って、こんなことがあったんだよという話が出るということを、期待される方がおかしいわけです。合議の内容というのは、公判を傍聴し判決書をしっかり読めば、それは事後的にも十分検証ができるものでありますから、わざわざ自分の意見を言うことを認めなければ裁判を検証できないのではないかというのはやはり筋が違うのではないかと思います。
○酒巻委員 今まで出た御意見の中で、私がどうしても納得できない、反対するところだけ申し上げます。一つは、評議の秘密、合議の秘密の制度趣旨は、もちろん、裁判の公正、信頼の確保なのですけれども、それは結局、評議で裁判体を構成する人間が余計なことに遠慮したり、世評をおそれたりして、自分の考えが自由に述べられないという事態が生ずることを防ぐ、そのことによって、完全に自由な討議、合議が行われる、それによって、よい裁判がなされて、裁判に対する信頼が生ずると、こういうことだろうと思うんですね。その観点から言いますと、一つは、四宮委員が、先ほど裁判中と終わった後で分けて考えるべきだとおっしゃったのですけれども、今言った趣旨からいって、裁判中であれ、終わった後であれ、そういう重要な評議の自由な意見表明の場を確保するという観点から言うと、裁判中であるか、裁判が終わった後であるかは全く関係がない。これは終わった後であっても、終わった後にそういう評議の内容が外に漏らされる可能性があるということになれば、将来にわたって自由な評議ができなくなるということは明らかです。
もう1点、大出委員がおっしゃった点にも私は反対です。今述べた趣旨からいって、そして今、髙井委員がまさに言ってくださったとおり、本人が自分の責任でしゃべる分には構わないという話にはならないわけです。評議の秘密は評議という制度を保護するためのもの、評議における自由な意見交換を保障するためのものですから、自分のしゃべった内容だからといって、自分の責任においてしゃべる分には構わないということには、全くならないだろうというふうに思います。
○樋口委員 今、おっしゃられた、評議を保護するための制度だからということは十分理解されるところで、それ以上申し上げられないのですけれども、別の観点から申し上げたいのです。この罰則として書いた場合に、構成要件できちんととらえられているか、漏れがないかといった観点からだけでいいのかということを申し上げたいのですけれども、つまり、そもそもに返りますと、国民的な基盤を確立するということで、民意の反映は裁判員が入ることによってそれは達成されているのかもしれませんし、ただ、基盤の確立といったところのかつての議論で、こういう御意見もあったと思うんですね。ちょっと場違いかもしれないのですけれども、コミュニティの中で一人か二人は経験者が出てくるといった状態を早く目指すべきだといったような御意見もあった。そういったことが国民的基盤の確立に資するのだという御意見があったやに記憶しているのです。
そのときに、私は、社会が一人のものであれ、その経験を共有できるような何かがあるのではないのか、それは、こういったいろいろな縛りとの関係で難しい面がありはしましょうけれども、というようなことを申し上げたわけです。語り部じゃないんですけれども、経験者が何かを語るということが、そもそも裁判員制度の導入の目的に資するといった判断がもしあるのであれば、この辺りの、やや観点は違うし、場が違うのかもしれないのですけれども、罰則がそういったことを少なくとも阻害はしない、といった配慮が必要ではないのかということでございます。
とすると、これは前段と後段があるのですが、職務上知り得た秘密というのは、これはそう問答の余地がないかもしれませんですけれども、後段の部分は、要するに、逆の見方をしますと、では何が言えるのだろうかという感じはいたします。
○井上座長 今、触れられた後段の二つ目の方、この点についても御意見をいただきたいと思っているのです。樋口委員の御意見ですと、担当事件の事実の認定、刑の量定に関する意見についてはいかがなのでしょうか。「等」のところに何が入っているのかというのが、今の御意見の趣旨なのかなと思うのですが。
○樋口委員 具体的なイメージが持てないのですけれども、要するに、こういうふうに縛ったときに、自由に任せられている部分というのは、後段に関してはどういうものがあるのだろうと、まず、事務局にもお聴きしたいなというところなんですが。
○本田委員 思いつきで申し上げます。
○井上座長 どうぞ。
○本田委員 例えば、裁判員制度というのは、自分が裁判員になって、確かにこれはいい制度だと思う、今まで刑事裁判というのはよく分からなかったのだけれども、裁判員となって参加してみたところ、やはり治安というものを身近にやっぱり感じるようになった、というような限度でしゃべる分には、別に評議の秘密にも何も触れない。あるいは、この裁判員制度というのは、意味がないなら意味がない、という反対の意見もあるでしょうし、制度そのものに対して何かいろんな意見を言うというのは別に評議の秘密でも何でもないということになろうかと思います。
○井上座長 事件の内容と切り離して、こんな発見をしたとかというのはどうなんですか。具体的な経験なのですけれども、事件の中身には触れていないということはあり得るんですか。
○池田委員 何時から何時までどういうところにいたとか、どういう部屋でどうなっていたとか、その間にどんなものを食べたとか、そういう事件を離れた感想というのはあり得るのかと思います。
○酒巻委員 私が想定していたのも、皆さんがおっしゃったことと似ているのですけれど、例えば、これは具体的な事件内容に関係はしますが、担当だった池田裁判長の、正当防衛という法制度についての、あるいは刑法の条文解釈についての説明はとても分かりやすかったとか、あるいは、刑法の解釈というのは難しいと思っていたけど、池田裁判長の説明がすごくよかったからとてもよくのみこめたとか、証拠・事実の法律への当てはめというのはどういうことなのかが分かったとか、この種のことは、当該裁判員になって、具体的な事件にまさに関与して体験・体得した事柄ですが、しかし、事件の内容そのもの、評議の内容についてしゃべっているわけではない、ということになるのではないかと思います。
○辻参事官 例えば、評議を離れて、検察官の立証の仕方はよく分からなかったとか、尋問がポイントからずれていたとか、裁く立場に立ってみて感じるところというのは当然あって、それは、今後の刑事司法の改善には非常に役立つ意見ではないかと思います。また、裁判員として仮に何日か出て来たとしたら、非常に大変だったとか、この後の人のことを考えるともっと早くすべきであるとか、もっとポイントが絞れないのかとか、事件の内容にかかわらない制度にかかわる意見というのを主に想定しています。
○樋口委員 私が言いたかったのは、裁判官に倫理として求められているものと同じものを求める、つまり、具体的な自分が参加した裁判、事件についての評価でありますとか、感想は許されないであろうということでございます。
○井上座長 池田委員にお伺いするのは気の毒かもしれないのですけれども、裁判官の場合、それはどうなのですか。もちろん、知り得た秘密や合議の秘密を漏らしてはいけないということは、確立していると思うんですけれども。
○池田委員 このたたき台にある前段の、評議の経過若しくは多少の数、そこまでは裁判所法の規定と同じですよね。そこは大事だと思っていますので、そこは言いませんけれども、ただ、感想的に、あの事件では大変だったとか、それからこういうところで苦労したとか、そういう話はしていますよね。
○井上座長 後段に明確に書いているのは、具体的な事実の認定、有罪・無罪の認定等とか刑の量定ですから、これは、合議の中でどういう意見を述べたかということではなく、それについて自分はどう思っているのだという意見を述べるということだと思うのです。例えば、刑を懲役10年にしたけれども、あれは軽過ぎたと自分は個人的に思っているとか、あるいは、判決では有罪にしたのだけれど、自分では今でも疑問を持っているとか、そういうことについては、現在の裁判官には、倫理上又は法令上どのような規制があるのかということなのですけれども。
○池田委員 かなり慎重にはなっていると思いますけれども、評議の秘密を侵さない範囲で感想めいたものを話している人がいることはいるように思いますね。
○井上座長 前段の方は、かなりはっきりした規制があるわけですね。これに違反したような場合は、懲戒になるのですか。
○池田委員 職務上の義務を怠った、義務に反したということになると、懲戒、あるいはひどい場合には罷免ということもあり得ます。
○平良木委員 前段の個人の意見の表明が禁止されるのは、恐らく合議の内容を明らかにしてはいけないということなんですが、要するに、言っている本人の意見を表明するということは、逆に言うと、ほかの者の意見の表明につながるというところがあると思うんですね。そういう点があるので、恐らく本人が同意しても、だめだという議論が出てくる。むしろ、後段の方は、例えば、最高裁判事に関して言うと、意見の表明というのは判決書で行うことになっている。いわゆる少数意見とか反対意見、補足意見とか、そういう形で行うことになっているけれども、そういうことを一切、これは下級審の裁判官は禁じられているわけです。
なぜ、禁じられているかというと、いわゆる裁判官の独立に影響するからだと思います。たたき台の表現というのは、やはり担当する事件に関して述べる意見ということで、事実認定とか刑の量定、これに匹敵するようなものというようなまとめ方をしているのではないかと思います。
○土屋委員 ちょっと四つほど気になっている点を述べたいと思うんです。
一つは、評議が適正に行われたかどうかというところですね。これは、恐らく控訴理由とかそういうところと関係してくる問題でもあると思うんですね。もしかして評議の内容について不満のある人というのもきっとあるかもしれない。そういったときにどう考えたらいいのかというのが、いま一つ、私にはよく分からないものがあります。
この間、新聞協会のヒアリングでも出ていましたけど、裁判に対する監視というのがメディアの一つの役割だという立場から新聞協会の意見が表明されているわけで、そのことをまたここで繰り返すつもりはありません。だけど、その中にはやはり裁判が現実にどういうふうに行われたかということを国民の立場できちんと見ておく必要があるだろうという認識はあるのだと思うんですね。その根拠はどこにあるのかというと、やはり適正に裁判が進行しているかどうか、そういう監視をする必要があるからだというふうに私は理解していまして、そういう立場からいくと、評議に参加した人が何も言えないというのはまずかろうと私は考えます。それが一つ気になるところです。
それから、もう一つは、そういう参加した経験を裁判員制度の改善に活かしていくという役割が、今ちょっとお話に出ましたけど、そういう役割が私はやはりあるのだと思うんです。それから、後継者のために経験を伝えていくという役割もあって、それが国民的な基盤を広げていくということにつながるのだと思うのですが、合議の秘密ということで何も言えない状態であると、そういうことが可能になるであろうかという根本的なところを、もう一つ疑問に感じます。
それから、三つ目は、現行の検察審査会法にはたたき台の後段のような規定がないんですよね。つまり、意見を述べたりした場合に処罰されるというのは、現行の検察審査会法にはない。そうすると、処罰範囲がある意味で広がることになるのではないかという懸念があります。
その結果として、四つ目になるのですが、処罰範囲が広がるということであれば、国民が裁判員制度に参加することに二の足を踏むというのでしょうか、ためらうというのでしょうか、そういう効果が出て来はしないか。そのところが私は気になります。
○酒巻委員 今、土屋委員がおっしゃったことのいくつかについてやや疑問がありますので申し上げます。裁判の監視、外部からの公正の確保という点をおっしゃいました。裁判というのは当然国家権力の行使ですから、それを国民と、国民の国政に関して知る権利に奉仕する報道機関が監視することは必要なことであり、公正な裁判が行われているかどうか、外部から検証するということは誠に重要なことでありますけれども、その点については、憲法上の保障として、今までも今後も、まさに「裁判の公開」という大原則が行われているわけで、公開の手続の下で裁判の過程を一般公衆が観察することができるという制度的な保障があり、そして、そこで生み出された判決書を当事者と国民が検討することができるというによって、外部からの検証を担保するというのが基本的な制度の仕組みとしてある。これに加えてさらに、私の理解によれば、同様に極めて重要な憲法上の価値を持つ裁判の公正を担保している評議の秘密の内容に立ち入って、外部からそれを検証するということは、私には理解できないところであります。
○土屋委員 私は秘密漏洩罪を設けることに反対ではないんです。賛成なんですね。合議の秘密というのは重要だと思います。それで、既に私は意見書を提出しているので繰り返す必要はないと思って繰り返さなかったのですが、私は三つのことを言っています。守秘義務の範囲を限定するべきだということで、一つは、裁判官と裁判員の個別意見の内容、それから、二つ目は、評議で行われた採決の結果、三つ目は、特に評議の秘密として合意された事項という範囲の限定をして、しかも、時効的な考え方で、裁判員が一定の期限を過ぎたときには守秘義務から開放されるという、そういう制度設計が望ましいのではないかという意見を既に述べております。
たたき台について言えば、職務上知り得た秘密というのが非常に重要なことは分かるんです。プライバシーだとか、そういうものが勝手に明らかになっていいわけはないのであって、その意味は分かるのですけど、ただ、職務上知り得た秘密となるとあまりにも広過ぎないかというのが、私は気になるんですね。
ですから、ここの「その他の職務上知り得た秘密」という書き方が前段ではちょっと疑問に思いますし、もう一度繰り返しになりますけど、後段の、自分の意見を言ってはいけないというような規定を設けることにも抵抗があるというふうに私は思います。
○大出委員 先ほど申し上げたことに補足ですが、先ほど樋口委員のお考えで、言えるのはどこかということで、少し具体的な意見になったわけですけれども、そこはなるほど、そういうことである程度区別がつくかもしれないというふうに思うわけですが、しかし、そこはかなり微妙な部分がどうしても残るわけですね。ですから、事件の本当に中身に入ったのか、入ってなかったのかというような微妙な部分はどうしても残るわけです。そこは、もちろん裁判官の方たちはプロでいらっしゃいますから、ある程度そこは区別がつくというようなことになるかもしれません。だけど、国民であっても、一般的な意味で、他人の意見やプライバシーにかかわる部分であるというところについての一般的な常識的な判断というのはもちろんできるわけでして、その限りでは最終的に、もちろん一定の倫理的なありようについての説明とか要求はあってしかるべきだと思いますが、その部分について刑罰をもって対処するということについては、果たしてやり方として妥当なのかどうか検討する余地があるだろうと思うわけです。
もちろん、先ほど言いましたように、私は少なくとも他人が述べたことについてとやかく言うというようなことはすべきではないというふうに思うわけでして、自分の範囲で、先ほど来、そう言ってしまったら、みんなが言い出すというようなことになってというふうに思いますけど、もちろん、それが、不当に他の人間が弁明せざるを得ないようなことになれば、それは他人にかかわったことを言ったということになるわけですから、それはやはり許されないと思いますが、しかし、それぞれ関与した人たちが自分の意見としてそういうことを言っておきたいと思うということは、それはあったっていいわけでして、そういうことになって、結果として、皆さんが意見を表明されて、何となく合議の中身について分かったということ、それは決してそのこと自体は禁止されるべきことではないだろうというふうに私なんか思うんですね。
○本田委員 自分の見解なら表明していいというお話なんですけれども、これは第1ラウンドでもちょっと話に出たと思うんですけど、例えば、裁判員が何人になるか分かりませんけれども、そのうちの何人かが、自分はあれは無罪だと思っていたと、こう言ってしまえば、全体の構成の中で、ほかの人は有罪だという判断をしたということが分かってしまいますね。いや応なしに、彼らの意見がそこで分かってしまう。そんなことは知られたくないのだという問題は解決できないですね。
○大出委員 それは私は違うと思うんです。その結果、つまりその評議に当たって、それぞれの方はもちろん御自分で確信を持ってその意見を表明されているわけですよね。ですから、そのことについて臆する必要はないわけです。
○本田委員 臆するかどうかという問題ではなくて、私がどういう意見を述べたか、評議の中でどういう意見を述べたかを、私は外部に漏らしたくないのだという人の利益というのが害されてしまうのではないですか。
○大出委員 直接的にはそういうことにならないんじゃないですか。間接的にそれぞれの人が言ったということにはなるかもしれませんけれども。
○井上座長 そこは、意見がすれ違うところだろうと思うのですね。
○本田委員 先ほど土屋委員が、検察審査会法には、後段のような規定がないとおっしゃったんですけど、裁判員と検察審査員では恐らく機能が全く違うわけで、裁判員は判決という、人の自由ないし財産あるいは生命を剥奪するという極めて重い判断をする。現在の検審というのは、将来は別ですけれども、要するに、検察官の処分に対する意見を言うだけの話です。裁判員とは重みが全く違うし機能が違う。これはちょっと比較の対象にならないのではないかという気がいたします。
いずれにしても、こういった評議の秘密とか職務上知り得た秘密というのがきちんと守られなければ、一つの裁判体として出した結論が極めて不安定なものになってしまう。ああでもない、こうでもないという話が出てきてしまうと、それが果たして裁判に対する信頼というものを保つようになるのか。当然全員一致が望ましいのでしょうけど、全員一致にならないことが前提の上で一つの制度ができるわけですね。しかし、それはそれなりに裁判体として結論を出したわけですから、私はあの結論には反対だったというような人があちこちで、どうだこうだと言い出したのでは収拾がつかなくなってしまうのではないかという気がするんです。その意味では、先ほど座長の方から指摘がありましたように、いろいろな構成要件上の問題はあるでしょうが、いずれにしても、実質的にはたたき台の案のようなものを設けて、そこは、ほかの守秘義務とのバランスから考えても、やはり罰則をもって担保する以外にはないだろうという気がします。
○井上座長 後段の方についても、今のような御趣旨で、つまり、評議の中で、自分はこういう意見を言ったんだということだけではなくて、現在、私はこういう意見を持っているのだということについても、罰則の対象にすべきだということですか。
○本田委員 はい。
○四宮委員 これはヒアリングで各メディアの方がおっしゃっておりましたし、座長も最後にコメントをおっしゃっておられましたけれども、要するに、公正な裁判と取材・報道の自由、あるいは個人の裁判員としての意見表明の自由というものについて、どっちか一方だけが優先するということではなくて、それをどう調整するかという問題だと思うんですね。
どうも今伺っていると、何か罰則を設けないと、裁判員というのは何でも全部しゃべってしまうというような雰囲気もうかがえないわけではないのです。ですが、調整原理というものは、段階によって、あるいは対象によって、違うのではないかと思います。
先ほど私が申し上げましたように、まず、裁判が続いている間は、ここに書いてある事柄すべて、後段も含めてですけれども、それが評決前に外に出たりすることは、厳に禁止されなければならないと思います。ですから、現職の裁判員、補充裁判員については、言わば調整原理としては、罰則をもって禁止をするということに合理性があるのだろうと思うんですね。
2番目に、裁判員等の任務が終わった後の話ですけれども、さっき樋口委員がおっしゃったように、罰則で禁止をしていくということが国民に与える影響というものも考える必要があるのではないかと思います。しゃべらないということによるプレッシャーというものもかなりある。つまり、しゃべってはならないということを罰則で強制することが、国民的な基盤を確立し増大させるということを阻害しないようにしなければいけないというようなお話が、先ほど樋口委員からあったと思いますけれども、そうであるとすると、仕事が終わった後、つまり、裁判が言い渡された後に守られるべきものと、裁判中のものとはやはり違うのではないかと私は思います。
そう考えますと、罰則によって規制するものと、あとは、言わば個人個人のモラル、そういったものに委ねられるべきもの、あるいは、その中間として、罰則はないけれども、言わば裁判のルール、あるいはエチケットとして守るべきものというものもあるのではないかと思うんですね。各人の意見、多少の数というのは、これは裁判が終わった後にも守られるべき、罰則をもって公開が禁止されるべきものだと思います。それはなぜかというと、先ほどから出ていますように、自由な意見表明を保障するという合理的な理由があると考えるからです。
また、職務上知り得た秘密も、これは裁判員としての仕事が終わってからも、むしろ仕事が終わってからこそ必要なものだと思います。ただ、あとで刑罰について触れますけれども、事実認定、刑の量定等に関する意見、これは、先ほどの評議の中での各人の意見、多少の数以外の部分で、これをすべて罰則をもって禁止するということは、その意見表明の自由を大きく阻害することになるのではないか。また、他方、それによって守られるべきものとの関係でバランスを欠くのではないかと思います。
そういうことで、私の意見は、裁判員等である者についてはこのたたき台の原案のとおりですけれども、これらの職にあった者については、別に項を起こして、罰則をもって制限するものを各人の意見若しくは多少の数に限定するというものです。
○井上座長 職務上知り得た秘密についてはどうお考えですか。
○四宮委員 職務上知り得た秘密については、その罰則なんですけれども、法定刑がこれはいずれも自由刑、懲役も入っていますね。ほかの制度と比較すると、評議の秘密に関する場合は大体罰金刑であろうと思うんです。ですから、それについては罰金刑として、職務上知り得た秘密については別途の扱いとするということも考えられます。
○井上座長 別途というのはどういう意味ですか。
○四宮委員 ちょっと私はここは悩んでいるところですけれども、一緒に罰金刑でもいいと思います。ただ、ほかの法制で、職務上知り得た秘密については懲役刑を科している場合があります。ただ、それと横並びにしなければいけないかどうかというと、これはまだ悩んでいるところですけれども、全部罰金刑でも場合によってはいいのではないかとは思っています。時間軸とか項目によって慎重な配慮をしていくべきだと思います。
○樋口委員 私の真意を簡単に申し上げますが、そもそも裁判員制度の導入によって、裁判員が何か自分の背景なり思いなりを伝えることに価値があると考えるのはどうかということでございまして、もし、価値があるという考え方があるのであれば、こうした禁止の網をかけた場合、それがどこまでその網がカバーしているかということが大変重要な部分で、網をかけたあと、残っている部分に、しゃべって意味のある部分が残っているのかどうかが気になる。
先ほど、事務局、本田委員からもこういうことがあるのではないかということをお話いただいたわけですが、私のそれに対する感想は、少しは意味のある部分も残っているのかなという感じでございます。
○辻参事官 今の四宮委員の御意見で、裁判員であった者の評議の秘密を、各人の意見と多少の数に限定するということは、評議の経過については禁止の対象に含めないという御趣旨ですか。
○四宮委員 罰則をもって規制する項目としては含めないという意味です。
○辻参事官 それは、どういう理由から、対象から除外するのでしょうか。
○四宮委員 判決言渡しが終わった後に、評議の公正さですとか裁判の公正さというものを担保するためには、そして、将来の評議における自由な発言を担保するには、各人の意見とか、多少の数というものを明らかにすることを罰則をもって禁止すれば、十分ではないかという考え方です。
○酒巻委員 同じ趣旨の質問ですが、評議の経過を罰則をもって担保しなければ、それが明らかになってしまう可能性があるわけですね。それが、将来の裁判員になる人の自由な評議を、私は妨げると思うんですけど、どうしてそこを除外するのですか。
○四宮委員 それは、「評議の経過」というものを入れないと裁判員が全部しゃべってしまうということを前提としているように私には聞こえます。逆に、「評議の経過」というものを入れてしまうと、さっき樋口委員もおっしゃっていましたけど、本当に広く網がかかってしまう。これが「評議の経過」に当たるのかどうかということを常に考えながら、あるいはびくびくしながら何かコメントしなければいけなくなる。そういう方法よりは、むしろ逆に罰則がかかるものは絞っておいて、あとは、いろいろなモラルですとか、あるいは裁判官の説示というものも非常に重要だと思いますけれども、そういったものに任せていった方がいいのではないかという意見です。
○井上座長 樋口委員の言われたのは後段の方ですよね。
○樋口委員 そうです。
○井上座長 ですから、樋口委員が言われたことは、評議の中で何が行われたのかというところまでカバーしていないので、四宮委員の御意見とはちょっと違うと思います。大体御意見は出たと思いますので、10分休憩させていただきます。
(休 憩)
○井上座長 それでは、再開させていただきます。
次は、「(3) 裁判員等に対する請託罪等」です。アが、いわゆる請託罪、イは、事件の審判に影響を及ぼす目的で、裁判員又は補充裁判員に対して担当事件に関する意見を述べる行為と、その担当事件に関する情報を提供する行為を処罰するというもので、事務局の説明では、担当事件に関する意見を述べる行為としては、「被告人は無罪だと思う。」というふうに結論といいますか、主文に関して直接的に意見を述べる場合と、「あの被害者の供述は信用できない。」というように証拠の評価を述べる場合などを想定している、ということであったと思います。
また、担当事件に関する情報を提供する行為というのは、「本件には警察も知らない目撃者がいる。」というように、発言者自身の評価や意見にわたらない情報を伝達する場合を想定している、そういう説明であったと思います。そういう説明をも踏まえまして、基本的な考え方を中心に、御意見をお伺いしたいと思います。
まず、最初の方の請託罪についてはいかがでしょうか。
○本田委員 請託罪について、罰則を設けるのは当然の話だと思います。職務に関し、請託をする行為というものが許されないのは当然のことで、罰則で担保するというのもまた当然の話だろうと考えます。
○井上座長 もし他に御意見がなければ、イの方に進み、事件に関する意見を述べる行為及び事件に関する情報を提供する行為についてはいかがでしょうか。ここも、法廷における正当な手続以外の方法で、個々の裁判員に対して意見や情報を伝えるということが想定されていると思うのですが、こういう罰則を設けるということについていかがでしょうか。
○髙井委員 これも、アと同様、罰則で禁止するのが当然であると考えます。
○井上座長 特に御異論がなければ、次に進みたいと思います。
それでは、次が「(4)裁判員等威迫罪」、これはアとイに分かれていますけれども、アは、裁判員、補充裁判員、これらの職にあった者、裁判員候補者、そしてこれらの者の親族に対して、担当事件に関して、威迫行為をした者を処罰するというものです。こういうことを罰則で予防しよう、あるいは、こういうことをした人を処罰しようという趣旨自体についてはあまり御異論がないかもしれませんが、法定刑の当否とか、その範囲等について御意見があればお伺いしたいと思います。
○酒巻委員 基本的に妥当な範囲だと思いますし、やや付言しますと、本人だけでなくて、親族に対する威迫も同じような効果を持ちますから、そこまで範囲を広げているのも妥当だと思います。それから、職にあった者についても対象になっていますが、これも、もしそのような行為が行われて、現に職務中でなくてもそういうことがあるということが処罰されないということになりますと、さらに将来にわたって悪い効果が生ずるという点では同じですから、処罰範囲としてもこのような範囲であることが妥当だと思います。
○土屋委員 たたき台では、刑罰が懲役だけなんですね。罰金もあっていいのではないか。程度によっては罰金という選択肢もあるんじゃないでしょうか。いろんな形のものがあっていいだろうと私は思います。
○井上座長 たたき台の趣旨については、辻参事官いかがですか。
○辻参事官 一応、程度は別にして、懲役刑が考えられるという趣旨で書いたわけですが、もちろんこの点についても御議論いただきたいということでございます。
○井上座長 土屋委員の御意見は、懲役刑に相当するものもあるかもしれないけど、もう少し軽いものもあるのではないかということですか。
○土屋委員 そうなんです。私、現職の裁判員とか補充裁判員については、進行中の裁判に影響を与えるという意味が非常に強いですから、それは懲役刑の選択もあるかもしれないです。しかし、これらの職にあった者というのは、もう公務を終えているわけですよね。これに対する威迫の行為というのは一種の御礼参りみたいな感じのこともあるのだろうとは思うんですけれども、そういう場合に守るべき裁判の公正さというような点からいえば、もう裁判は既に終わっているのですから、別のたぐいの犯罪かなという気もしていて、そうすると懲役刑しか選択肢がないのはいかがかなということで、罰金刑があった方がいいのかなと思います。
○井上座長 威迫をされた個人にとっての被害は同じですよね。違うのは、現職の裁判員等に対する場合は現在進行中の裁判に影響を与えるが、過去に裁判員等であった者に対する場合は、個人に対する害はあるけれども、裁判の公正さとかには影響を与えないのではないか。そういうことですか。
○土屋委員 つまり、軽重が出るのではないかという気がするんですね。それを一律に懲役刑だけというのはいかがなものか、という疑問をちょっと感じますというだけです。
○本田委員 確かに、土屋委員がおっしゃるように、当該裁判に関する限りは裁判は終わっているわけですから、そこには直接の影響が及ばないかもしれませんけれども、こういうものが果たして本当に軽い罪だろうかという疑問があります。威迫行為というものの現在又は将来の裁判員に対する悪影響というのは決して無視できないわけです。しかし、これが軽い罪ということになれば、裁判員としての職務が終わった後、威迫行為をされたとしても、しょせんは罰金程度でしか守ってくれないのかという話になるのだろうと思います。将来の裁判員裁判の公正を損なう行為という意味では非常に強い影響があるということになるので、現に裁判員である者に対してであろうと、裁判員であった者に対してであろうと、悪質さという点では、そんなに差があるとは思えない。裁判員等に対する威迫の禁止には、裁判の公正の確保というのと、もう一つは、裁判員あるいはその親族の保護という二つの面があるだろうということを考えると、裁判員等であった者に対する威迫も同じように考えていいのではないかという気がします。
○髙井委員 同じことなんですが、基本的には、アに書いてあるようなことは絶対あってはならないことなんです。あってもいいけれども、それは処罰しますということではなくて、本来絶対あってはいけないことで、こういうことがほんの数件起きただけでも、裁判員裁判の公正さがどうなるのかということについては、非常に大きな疑義が生じるわけで、そういう意味では、罰金刑を選択刑として残す、そういう選択はあり得ないと私は思うんです。もし罰金刑があるのだったら、これは威迫行為をやった方が得だということになりかねない。被告事件が死刑か無期かになりそうな事件だったら、罰金払ったっていいからやるぞというのが出てきたっておかしくないわけで、罰金刑があったら、むしろそれはおかしいと思います。たたき台は「○年以下」となっていますが、私はここはかなりの重い刑罰でないとおかしいのでないかと思います。例えば、これを2年以下の懲役というようなことであれば、果たして抑止力として十分なのかということすら思うわけで、そういう観点から言うと、少なくとも罰金刑をここで選択刑として残すということは絶対あってはいけないことだというふうに、強く思います。
○四宮委員 私も土屋委員と同じことを考えておりました。裁判の途中か、裁判が終わった後かで分けて考えるべきであるし、それから、この親族というのも非常に広い範囲になるわけです。また、犯行態様も、恐らくは威迫に当たるものとしても様々なものがあるだろうと思います。誤解を招かないように申し上げますが、私も、こういうことは絶対あってはならない、裁判員や補充裁判員、あるいは裁判員候補者も強く保護しなければいけないということには全く賛成です。ですから、厳罰に処する場合もあるでしょう。ただ、場合によって対応の仕方はいろいろあるのではないか。
参考になるかどうか分かりませんが、少なくとも、証人威迫罪は1年以下の懲役又は20万円以下の罰金となっています。証人の威迫も公正な裁判を害するという意味ではあってはならないことですけれども、選択刑としては罰金刑がある。
そういうこともいろいろ考え合わせると、罰金刑を入れておくこともいいのではないか。いろいろな場合に対処し得るのではないかと思います。
○髙井委員 従来の日本的な考え方だと選択の幅を広げるために罰金刑というふうなことを言われる意見が当然出てくるとは思うんですけれども、ここで注意しなくてはいけないのは、裁判員を保護するという制度としては、今回たたき台で構想されている制度はこれしかないということですね。例えば、裁判員が覆面をすることを認めるだとか、顔が見れないようにするとか、そういう制度をたたき台は何も提案していないわけですね。これだけで裁判員等を守らなくてはいけないわけで、そういう意味ではこの条文の持つ意味は非常に大きいと思うんです。
そういう意味からも、繰り返しになりますけれども、少なくとも罰金刑を持つような緩い担保ではいけないのではないかと思います。
○本田委員 四宮委員の方から、先ほど親族ということを書かれて幅も広いだろうというような意見があったのですけど、むしろ親族に対する威迫というのは、本人にとっては、自分が脅される以上に怖い場合というのがあるわけですね。自分の子どもとか、例えば親であるとか、奥さんであるとか、あるいは夫であるとか。そういう者に対する威迫というのは本人にとってはすごい恐怖なんですね。かえって悪質だとも評されるもわけで、むしろ、それは重くする方に働くのではないかという気がします。
○四宮委員 別に家族が威迫される場合の問題を否定しているわけではないのです。
○井上座長 範囲が広いということを問題にされているのでしょう。
○四宮委員 そうですね。
○土屋委員 私がちょっと心配しているのは、「その他のいかなる方法によるかを問わず」ということなんですよね。だから、威迫に当たる行為というのは一体どういう行為なのかというのが非常に広いんじゃないかということを感じてまして、そうすると、もちろん、こういう裁判員保護制度が必要だということは当然のことなんですけれども、明々白々な威迫でない場合というのも結構ありますよね。電話にしたって、無言電話をかけてくるとかいろいろあるわけですから、そういういろんな手法があり得るときに、それに対応して選択の幅があった方がいいのかなというふうに思うということです。
○井上座長 方法が何であるかという問題より、威迫に当たるかどうかという点が問題になると思うのですね。ですから、威迫の行為をしたという認定がなければ、当然、こういう刑は科せないわけで、威迫に当たるけれども、軽いと言える態様のものもあるのか、という問題だと思うのです。そこが、御意見が分かれている点かなと思います。
もう一点のイの方はいかがでしょうか。これは、組織犯罪処罰法7条の対象行為にアの威迫行為を加えるというものです。つまり、御存じだと思いますが、組織犯罪処罰法では、組織的な犯罪に関して一定の犯罪が行われた場合には、加重して処罰されることになっているのですが、アの処罰規定を前提にして、それが組織的犯罪に関して行われた場合には加重して処罰するようにするということです。具体的な内容は括弧の中に書かれておりますが、こういう案をベースに御議論いただければと思います。
○土屋委員 私はこれについてはたたき台に異論を唱えません。このままで結構だと思います。
○井上座長 アを前提にすると、ここはそれほど御異論はない点だと思いますので、このくらいにさせていただきたいと思います。
次が、「(5)裁判員候補者の虚偽回答罪等」ですが、この項目も二つありまして、アは、裁判員候補者が、質問票や質問手続における質問に対して、虚偽の回答をしたり、正当な理由なく質問に答えなかった場合に、秩序罰としての過料の制裁を科すというものです。
イは、裁判員候補者が虚偽の回答をした場合には、刑事罰を科すというもので、正当理由なく質問に答えなかっただけの場合には、刑事罰の対象とはしないということです。
こういう案を基に御意見を伺えればと思いますが、いかがでしょうか。
○本田委員 正当な理由がなく質問に答えなかったときは、恐らく過料でいいのだろうと思います。ただ、それを超えて積極的に虚偽の回答をした場合というのは本当に秩序罰でいいのかということになると、これは刑事罰で担保しないと、公正な裁判員の選定というものが著しく害されるということになるので、質問に答えなかったときは過料、積極的に虚偽の回答をしたときは罰金といったような構成がいいのではないというふうに思います。
○井上座長 内容的に虚偽の回答をした場合には重い制裁を科すべきだが、単に答えなかっただけの場合には秩序罰でいいということですね。
○本田委員 はい。
○井上座長 この点はよろしいですか。
それでは、次の8で、「裁判員の保護及び出頭確保等に関する措置」というものですが、「(1)裁判員等の個人情報の保護」という事項から「(4)出頭の確保」まで4項目に分かれております。
まず、「(1)裁判員等の個人情報の保護」から議論していただくことにしたいと思います。この項目は、二つの内容から成っておりまして、アは、裁判員、補充裁判員又は裁判員候補者の氏名以外の個人情報、氏名を除くそれ以外の個人情報が記載された訴訟書類は公開しないというものです。
次のイは、何人も、裁判員、補充裁判員又は裁判員候補者の氏名、住所その他のこれらのものを特定するに足る事実を公にしてはならない、というものです。
この項目の全体について、その当否や、具体的にこの点はこのようにすべきであるといったお考えなどがあればお伺いしたいと思います。
○土屋委員 今日お手元に一枚紙を出させていただきましたけれども、報道にかかわる部分がありますので、これで私の意見に代えますというと一番簡単なのですが、ちょっとしゃべらせていただきます。
○井上座長 どうぞ。
○土屋委員 私がお願いしましたヒアリングを、日本新聞協会、日本雑誌協会、日本民間放送連盟に対してやっていただきまして、お礼を申し上げたいと思います。
それで、事務局の方のたたき台も、実は、私はメディアにかかわる部分が罰則付きで規定されるのではないかという心配を非常に持っていたのですが、訓示規定にとどめられたということでありまして、これも事務局の配慮がうかがえると、私は思っております。それで、繰り返しになりますけれども、メディアの意見を尊重するような制度設計をしていただきたいということです。ヒアリングで3協会が述べた意見を最大限に尊重していただきたいということを、ここで言いたいと思います。
ヒアリングで注意していただきたいと思った点が三つあります。これは包括的な問題ですが、3協会とも非常に慎重な発言をしておりまして、この事務局のたたき台が即メディア規制であるというような言い方をどこもしておりません。つまり、「現段階では」という注釈付きではありますけれども、この制度の意義を認めて、それがきちんと機能していくようにメディアも協力したいという姿勢があらわれていたと私は思っています。
それから、2点目が、メディアの自主的対応を強調している点でありまして、これは公式に初めて表明した内容です。新聞協会が「自主ルールの制定」ということを言いましたし、民放連は「自主的な指針」を定める用意があるということを言いまして、雑誌協会も「自主的な検討」というようなことを言っています。これはまだ動いているところではあるのですが、その動向をもうちょっと見守っていただきたいというふうにお願いしたいと思います。
それで、単なる自主ルールというのは何の意味もないではないかという、恐らくそういう受けとめ方もあるのではないかと思うんですが、これはかなり実効性があると私は思っています。社内的には、そのルールに違反した行為が行われれば、処分だとか懲戒だとか、配置転換だとか、そういった問題につながりますし、場合によっては記者活動ができなくなる、そういう面もあるだろうと私は思っています。
それから、外国の例などを見ますと、例えば、イタリアなどは職業記者組合が憲章を作っておりまして、それに違反するような行為をすると職業記者としての活動自体ができなくなるという間接的な制約もあります。そういった、言わば自主ルールというものが実効性があるものとして作られる可能性もあるわけですね。ですから、口約束というふうに受けとめないでいただきたいということです。
三つ目は、現実に自主ルール作りが始まっているという事実です。現に私の所属する共同通信社では、編集局次長、社会部長、法務部長、それに私なども加わって、ルール作りの検討が始まっております。ですから、単なる口約束ではないということを見ていただきたいと思うということです。
それから、四番目の具体的な意見については、これから言及したいと思います。
一番最後に、とにかく制度設計がメディアの規制だ云々だというような形だけで議論されるようなことがないように私は願っているということでありまして、事務局に対してお願いみたいなことになってしまうかもしれませんが、場合によったら、報道の在り方についてパブリックコメントを求めるとか、そういうこともやっていただいたらいいかなと思います。以上です。
○井上座長 最後の点は、御意見として承っておきたいと思います。
今、土屋委員から御意見がありましたが、具体的に個人情報の保護にまず焦点を絞って御議論いただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
○四宮委員 質問ですけれども、氏名以外を公開しないということで、氏名だけを公開の対象としたという趣旨は、誰が裁判員になったかということが大事であろうという趣旨なのでしょうか。
○井上座長 正確には、氏名が記載された訴訟書類は、その限りではアの対象にはならないということなのですが、いかがですか。
○辻参事官 どのような範囲で公開するかということは、二つの要請と申しますか、公開の要請と裁判員の個人情報の保護の要請のバランスを考えるべき問題というふうに考えました。たたき台は、バランスの取り方の一つの在り方としてあり得るのではないかという趣旨でお示ししたものです。裁判員として、誰ということも分からないというのが適当かというのが、一つ考え方としてあり得るのではないかということでお示ししたということです。
○大出委員 今の御趣旨からすると、特に名前をそれ独自に公表するということはしないということですね。記録に残っているものが公表されてもやむを得ないという趣旨と理解してよろしいですか。
○辻参事官 公表といいますか、具体的には、刑事確定訴訟記録法により閲覧ができるという趣旨になります。
○大出委員 その限りで名前が出てくることはやむを得ないけれども、例えば、今日のこの裁判では、裁判員としてこの方たちが選ばれていますというようなことを公表するという趣旨ではないですね。
○辻参事官 そういう趣旨ではないです。
○井上座長 アの方は、先ほどの判決書への署名などもそうですけれど、そういったものに載っていて、それを閲覧すれば氏名を知ることができるわけで、それはやむを得ないということでしょうね。
○四宮委員 この、裁判員あるいは補充裁判員、裁判員候補者の個人情報ですけれども、どういうものが国民にとって必要性があるかということは、ケースによっても違うでしょうし、いろいろだと思うのですが、私個人は、氏名だけを特出しする理由というのはあまりないように思います。むしろ、逆にイとも関係しますけれども、特定をしないために、氏名や住所を公開しないということの方が理由があるようにも思うのです。
他方、これはメディア団体のヒアリングでも出ておりましたけれども、例えば裁判員を務めた人の職業ですとか年齢ですとか性別等が、むしろ裁判なり評決について、いろいろ分析をしたり、論評するといいますか、あるいは報道するといいますか、考える上で意味のある情報だと思うのです。氏名以外のものをすべて公開しないというふうに決めるのではなくて、むしろ、それぞれ考えていったらいい。他方、例えば、今申し上げた職業、年齢、性別についても人によっては言ってもらいたくないということがあるかもしれません。ですから、事件ごとに、すべての情報というのは難しいでしょうから、今申し上げた名前とか、職業、年齢、性別ぐらいについて、個々の裁判員など、ここに挙がっている人たちに意見を聴いて、出してもいいというもの、出しては困るというものがあると思いますので、当人の意見に係らしめるというのがいいのではないかと思います。ただ、一般的にいえば、職業、年齢、性別等は、原則としては、当人が異議があると言わない限りは出してもいいのではないか、と思います。
○井上座長 アについてもイについても、ということですか。
○四宮委員 イはこれでいいと思いますけど。
○井上座長 特定するようなものはだめで、特定する情報とは切り離して、職業などの情報を出すことを考えるべきだということですか。
○四宮委員 そうです。
○本田委員 四宮委員の意見にちょっと疑問があるのですけど、例えば、裁判員制度における裁判の在り方が、職業とか性別とか年齢によって影響を受けるのだということを前提にこの裁判員制度が設計されているというのは、ちょっと合点がいかないですね。要するに、そこは選挙人名簿から抽出された一般国民の健全な社会常識を反映させるという趣旨でこの裁判員制度が設計されているわけで、もし、それが職業とか性別とか年齢によって認定が違ってくるのだということになれば、この裁判員制度そのものがいびつなものとして最初から設計されているのかという疑問が生じてくるのですけど、いかがなんでしょうか。
○四宮委員 私はそういう趣旨で言っているのではなくて、先ほど来議論されているように、国民が参加する新しい裁判制度というものは、私は、できる限り、国民の許に情報が提供されるべきだと思います。おっしゃったのは、例えば、アメリカの陪審員の調査等でいろいろコンサルタント会社が活躍しているようなことを疑問としてお出しになったのかもしれませんけれども、国民がこの裁判員裁判について知るというのは何もそういう趣旨だけではなくて、そういったものも含めて、裁判の在り方ということもあるわけです。法律家もそうですけれども、なるべく多くの情報が、弊害のない範囲では、国民の許に届けられるべきだという趣旨です。ですから、年齢構成によって評決がどうなったのだとか、一定の職業の人、この人がいたからどうなったのか、そういう批判を可能にするためという趣旨で申し上げているのではありません。
○井上座長 個別の事件についてというような想定でお話になったものですから、そういうふうに聞こえたのかもしれません。今おっしゃったことを前提にすると、個別の事件の裁判員について、職業が何だったかということを公表する必要はあるのですか。例えば1年といった期間で統計をとり、その間に裁判員を務めた人はこういうところから選ばれています、年齢の分布はこうです、というふうなことが明らかにされるのでは不十分なのですか。
○四宮委員 両方必要だと思います。
○井上座長 個々の事件ごとにも必要ですか。例えば、裁判員の数は何人になるか分かりませんけれど、数が限られていますよね。
○四宮委員 むしろ名前を特定する、名前を公表することについては、どこの誰がやっているということを知る必要がある、あるいは知らせる必要があるというお話でしたけれども、職業や年齢などは、氏名よりはずっとレベルとしては特定性の低い個人情報だと思うんですね。私は、むしろそういうものは、裁判全体の情報の一部としてあった方がいいのではないかと思います。
○酒巻委員 四宮委員の御意見で私が分からない点は、無作為抽出された一般国民について、個別の事件ごとに、その具体的属性を知ることに何の意味があるのか、ということです。
○四宮委員 これは、情報とか報道の意義の問題だと思いますけれども、私は、情報は、必要だから出すのではないと思うんですね。必要かどうかは、それぞれ受け手が考えることです。出て弊害のないものはなるべく出す。必要があるから、役立つから出すということではないのだと思うのです。もちろん、裁判という特殊なフィールドですので、弊害とか配慮すべきものはたくさんあるとは思います。しかし裁判員に関して言えば、今申し上げた情報を出すことには弊害はないだろう、つまり、個人は特定されないだろうし、その情報を有用と感じる人は社会にはたくさんいるだろうと思います。
○髙井委員 質問と意見ですが、まず、四宮委員の御意見を聴きたいのですが、四宮委員のおっしゃっているようなことを仮にするとなると、裁判員制度が始まって2~3年の間はそういうことは起きないと思いますが、長年経てばデータがたまってくる。そのデータを分析して、結果的にこういう傾向があるというようなことは出てくるかもしれませんね。そうすると、それに基づいて裁判員の候補者を選択するときに、そのデータに基づいて、この事件だと、例えば年齢が若い方がいいからこうだというような形の作業が将来的には行い得る状況になると思うのですが、仮にそういうふうになったとして、それは好ましいというふうにお考えですか。
○四宮委員 まず二つありまして、一つは、例えば、すべてのケースで、裁判員全員の職業とか年齢を出せと言っているわけではなくて、原則として出るけれども、本人が嫌だったならば、それはやめるというのが、まず一つです。
2番目に、そういったデータがたまって外へ出る、そういったものを利用されるかもしれない、あるいは間違っているかもしれないと今おっしゃいましたけど、結局、そういうデータを誰かが分析して、それを、この地方ではこういう傾向があるとした場合、そのデータが正しいか正しくないかは、それはデータの市場で、つまり情報の市場で淘汰されるべきことだと私は思います。
○髙井委員 私が尋ねているのはそうではなくて、データで分析しますね。そうすると、例えば、こういう事件については、こういう裁判員だとこういう傾向が出てきますよというような、事件と裁判員構成の一定の連関性というようなものが出てきた場合に、それに基づいて、裁判員候補者から裁判員を選ぶときに、その理由ではじいていくというようなことも将来的には起こり得るわけですね。そういうような事態は、四宮委員としては望ましい事態だとお考えになっておられるのか、いや、そういう事態は本当は望ましくないというふうに思っておられるのか、という質問です。
○井上座長 アメリカの陪審裁判などについては、コンサルタント会社のようなものがあって、そこが社会的な調査をし、こういう人はこういう傾向になるというデータを当事者に有償で提供して、それに基づいて当事者が専断的忌避権の行使をするということが、実例としてあるのは御存じのことと思いますが、そういうやり方を正当と考えるのか、という質問だと思うのですね。
○四宮委員 それは、私は正当とも正当でないとも考えません。それは、ケースによって、そういう情報をありがたがって、高い金を払って買う法律家もいるかもしれない。しかし、全く信用しないで、そんなものに頼らずに、自分自身で選定手続をやっていく法律家もいるでしょう。それは法律家次第ですね。だから、そういうものがあるから、すべてがそういったものを買って、その情報に基づいた選定手続になっていくというのでなくて、それは法律家次第で、それぞれその情報にどういう価値を見出すのか、あるいは見出さないのか、それは法律家次第だと思います。それでいいと私は思います。
○髙井委員 そういう裁判員に関するデータが、卑近な言葉で言えば商売の対象になるというような社会になっても、それはそれでいいということですか。
○井上座長 本題の方に戻っていただきたいと思うのですが、四宮委員の御意見は分かりました。
○髙井委員 私は、裁判員に関するデータが商売の対象となるというようなことが将来的にあり得るし、私はそういう事態は好ましいことではないと思います。したがって、アについては、この原案どおりでいいのではないかということですから、イについても、基本的に原案どおりでいいのではないかと思います。ただ、本人が言いたいというときは、本人が私は公表してもらって構いませんよというのは、イでカバーしているのでしょうか。それは本人の同意が得られればそれは構わないということなんでしょうか。
例えばマスコミに、私は裁判員として関与しましたが、私の名前、住所を報道してもらっていいですよ、と言って、マスコミがそれを報道する。これはイでは構わないということになるのですか、それはだめなんですか。
○辻参事官 その問題については、あまり考えていませんでした。趣旨から考えますと、個人情報の保護ということですので、本人が同意していればいいということになるのではないかとは思います。
○髙井委員 そうであれば、私は、イは原案どおりで結構だと思います。
○平良木委員 私は、ここら辺の議論というのは、先ほど座長も言っていましたけれども、理由を付けない忌避をうまく運用させるかどうかということとかなり密接に結び付いているという感じがしております。もし、理由を付けない忌避というのをうまくやるとすると、個人情報も含めた情報というのはたくさんあればあるほどいいという議論が出てくる余地がある。
ところが一方では、これは次の議論とも結び付きますけれども、裁判員は、別に自分が望んだわけではなくて出てきて、いろいろな攻撃にさらされる余地がある。もし、ここのところが個人情報をきっかけにしていろんなことに巻き込まれるということになるとすると、これは制度の根幹を損なうことにつながっていくのではないかという気もする。そう考えると、この原案のようにできるだけ個人情報を保護するということに私は賛成です。
○本田委員 私もたたき台の案に賛成です。やはり裁判員制度というのは、国民に、裁判員になるという負担を負わせるのですから、それによって個人情報や生活の平穏が損なわれないというところまできちんと保障しないと、積極的な支持というのは得られないのではないかという気がします。その意味で、本人が望まないにもかかわらず、氏名や住所、こういう個人情報が公になってしまうということになるのはやはり問題だろうということで、ア、イ、いずれもたたき台の案に賛成です。
○大出委員 私も特定されるような形の公開自体は必要ない。これは、先日ヒアリングでメディアの方たちは、内容の公正性の担保みたいなおっしゃり方をしていましたが、あれは、私は筋が違うだろうというふうに思います。ただ、これは例外といいますか、我々の立場からしますと、そういう言い方が適切かどうか分かりませんが、学術研究というようなことで、最終的に情報を得たいといったときに全く例外を認めないという趣旨なのかどうかというのは、たたき台の文言だけではちょっと分からないのですが。
○井上座長 このたたき台の趣旨の確認ということですね。
○大出委員 つまり、私は多分必要ないと思いますけれども、先ほど出たように、つまりどういった方たちが、どういう形で選ばれて、どのぐらいの比重でどうなっていたのか、それが場合によっては、判決内容との相関というような問題についても、私は、研究対象としてはあり得ると思うんですね。ですから、ある段階で制度設計について見直すというときに、それはある期間を限って調査対象にして情報を確保するというようなこともあり得るとは思いますけれども、そこまで制約されるのはちょっとまずいだろうという感じはするのですけれども、もちろんその公表の仕方について、制約は当然伴うということになると思いますけれども。
○辻参事官 基本的に刑事確定訴訟記録法としてどう組み立てるかという問題だと思っております。このたたき台自体としては、そういうところまでは規定していないということになっています。
○井上座長 大出委員の御発言の趣旨は、研究の方法として、訴訟記録を閲覧するということもあるのではないかということですか。
○大出委員 はい。
○井上座長 そこは、検討を要すべき点だろうと思いますね。一般的に、個人情報保護が問題となる場合に、学術研究目的の情報収集との関係がどうなるのかという問題でもあると思います。
○平良木委員 今の点は、例えば、ドイツだとハノーファーの裁判所で半年にわたって調査したということがありますけれども、その調査というのは、個人情報とは別問題ですよね。つまり、特定の個人ではなくて、この事件にどういう人がいてと類型化してやっているので、その意味では、恐らく個人情報の問題と必ずしも結び付かないような感じがしますけれども。
○大出委員 特定というところまで必要かどうかというのはちょっと微妙だと思いますけれども、先ほど四宮委員が言われたような事項についてということになると思うんですけれども。
○井上座長 研究者は学術のことばかり言いますけれど、より一般的に言えば、正当な目的で、個人を特定するような形でなく情報を収集するということはあり得るのかどうか、それはどのような条件や範囲で許されるのか、そういう問題ですね。これは、今後、もし規制を設けるとした場合に、詰めていかなければならない問題ではないかと思います。
○土屋委員 一つ、期限の問題として、著作権法で、例えば50年とかありますよね。そういうのはないのでしょうか。つまり、研究対象とか、過去の裁判を点検するとか、そういうような意味合いが出てきたときに、何も手がかりがないというのも困るだろうと思うんですね。ですから、何らかのそういう期限を考えるというような考え方もあるのではないかという気もします。
○井上座長 実際に、例えば、明治初期の判決原本を大学で引き取って研究対象にするということがあって、そういう場合に個人情報の保護をどうするかが問題になったわけですが、100年前のものだから問題がないというわけにもいかないのですね。そこに名前が挙がっている人だけの問題ではなく、その子孫の人たちにも影響しますので、かなり難しい問題なのです。そういう問題もあるということに留意していただきたいと思います。
○土屋委員 新聞協会が、全面非公開とはしない、という微妙な言い方をしているのはそういった意味合いがあるのだと思います。研究対象、学術研究、事後の検証だとか、そういった必要性があるわけで、そこの扉を閉ざすような制度にはしないということを含めているわけです。
○井上座長 次は、「(2) 裁判員等に対する接触の規制」という項目です。この項目も、内容的には、大きく二つに分かれておりまして、アとイから成っていますが、アの方は、さらに二つの内容から構成されています。アの1番目は、何人も裁判員又は補充裁判員に対して、その担当事件に関し、接触してはならないというものです。二つ目の方は、裁判員や補充裁判員であった者に対する接触に関するもので、この場合には担当事件に関する接触のすべてを規制するというのではなく、そこにありますように、知り得た事件の内容を公にする目的での接触に限定して、これを規制するという案になっています。
事務局の説明によりますと、事件の内容にわたらない意見や感想については、これを公にする目的があっても、接触を禁止するものではないということであったと思います。また、知り得た内容に関しての接触であっても、これを公にする目的がない場合には規制の対象とならないことは、たたき台の記載からも明らかであると思われます。
そこで、こういう案であることを前提にし、これを踏まえて御意見をお伺いできればと思います。
○髙井委員 質問です。「担当事件に関し」とありますが、その範囲について、前回のヒアリングのときに、マスコミの代表者の方から指摘がありましたが、例えば、その裁判員が被告人と同じ組織に属しているのではないか、あるいは、もうちょっと極端な例を挙げれば収賄をしているのではないか、というような疑いが生じたときに、その点を確認するために裁判員に接触をするということは、その「担当事件に関し」に含まれるのか、含まれないのか、その点についてたたき台の趣旨を確認したいのですけど。
○辻参事官 「担当事件に関し」というのは、証人等威迫罪の構成要件を参考にして記載したわけでありますが、証人等威迫罪の方の解釈によると、自己又は他人の刑事事件に関してという意味であり、当該具体的事件と無関係な行為を本条の処罰対象から除外するとの趣旨である、というふうに解されているところであります。
そういうことを踏まえまして、今の設例について考えてみますと、結論として、担当事件に関しないというのはなかなか難しいかなという感じがします。同じ暴力団に属しているというのも、まさに当該事件の被告人と同じであるという意味になるのでありましょうし、賄賂というのも、恐らく当該事件に関して、職務行為に関連して贈られるということでありましょうから、そこの要件としては当たるというべきではないかという感じをしておりますが、そこは文言の書き方の工夫にも関わるところでありますので、御検討いただければと思います。
○髙井委員 今の質問は、「担当事件に関し」の定義の問題でしたが、それから離れて、実体論として、事務局としては、今の説例のような場合に接触してもいいとお考えなのか、それはまずいというふうにお考えなのか、その点はどうですか。
○辻参事官 本当にそういう理由であったら、恐らくだめだということは言いにくいのではないかと思いますが、そこも御意見をいただければと思います。
○井上座長 いかがですか。今の髙井委員の出された問題でも結構ですし、もう少し幅広く御意見をいただいても結構ですけれども。
○酒巻委員 基本的な考え方として、私は、たたき台の案の前段も後段も妥当だと思っています。特に、過去に裁判員であった者に対しては、「知り得た事件の内容を公にする目的で」という絞りをかけたこの調整の方法が妥当だと思っています。これまで、裁判が終わった後は別であるという観点からの御意見をしばしば耳に致しますが、裁判が終わった後であっても、そもそも裁判員は何をする人かというところから出発して考える必要がある。裁判員の仕事というのは、法廷に提出された証拠に基づいて事実を認定して量刑判断をする、要するに、公正な裁判を行うということであり、そこで裁判員の方々が知った事件の内容、情報、それは人の秘密にかかわるか、かかわらないかはあまり重要でなくて、要するに、そこで知った情報は、本来裁判の目的のために知った情報ですから、それをその目的以外に公にすることは、そもそも本来想定されていないことであるというのが基本だと思います。したがって、他人が、目的を外れて、事件の内容に関する情報を知ることは適当でない。先ほどの絞りをかけた上で接触を禁止するたたき台の案が相当だろうと思います。
なお、判決ですとか、公開された訴訟手続ですとか、事件記録ですとか、そういう制度的に公開された事柄を超えて、現職の裁判官に対して、過去に担当した事件について誰かが裁判官が知り得た情報を聞こうなどということは普通考えないわけなのでありますし、それ自体が妥当なことでないというのは当然だと思います。それは、同じ裁判をするという観点からいって、職業裁判官であれ、一般国民であれ、基本的に変わるところがないと考えております。
○井上座長 先ほど髙井委員が出されたような場合についてはどうなのですか。
○酒巻委員 誰がそれをどうやって知るのかというのはよく分かりませんけれども、ただ、私は、それは極めてまれな事態ではあろうと思っていまして、そういうまれな場合については、先ほど辻参事官が言ったように、もし、それを探知して公にするしか途がないということであれば、それはやむを得ないとは思いますけれども、そういう特殊な事態だけを想定して接触禁止は一切許されないという議論をするのはいかがなものか。やはり原則形態は、今、私が申しましたように、たたき台の案のとおりでよいと思います。
○髙井委員 私は、まず担当事件に関しというものは狭く解すべきではないかと考えます。ですから、事件の中身を知りたいというようなことに限った方がいいのではないかというのが、私の意見のまず第一点ですね。そういう前提で、後段の「何人も」以下は、このとおりの規定でいいのではないか。それから、前段の方は、私は事務局と考えが違いまして、現に裁判員をやっている、あるいは補充裁判員をやっている人については、もっと広い意味でも接触してはいけないというふうにすべきではないか。例えば、実際は収賄なんか何もないのに、そういう噂がありますよというようなことで裁判員に接触を図るということがあってはいけないわけですよね。ですから、そういう意味では、現に裁判員あるいは補充裁判員として活動している期間は、その裁判に関しては、一切接触できないというふうにすべきではないか。
私はあまり外国の法制について詳しくありませんが、外国の法制の中には、場所的に隔離をするということもあり得ると聞いています。日本の場合はそこまではしないわけですから、逆に言えば、現に裁判員等である間は、情報的には、そういう場所的隔離に近い状態があってもいいのではないかということです。
○土屋委員 私は前段は分かるんです。現実に進行中の裁判については配慮が必要だろうと思いますので、前段は分かります。しかし、後段は削除した方がいいのではないかと思います。というのは、「知り得た事件の内容を公にする目的で接触する」というのは、具体的にはメディアの関係者以外にはほとんど考えられないという状況でありまして、これはメディアだけを対象とした特別規定だというふうに私は思います。それがあまり望ましいこととは思いません。雑誌協会の方が言っていたみたいに、事案によっては、裁判員の方と関係のある人が暴力団員だとか、そういったケースを挙げていらっしゃいましたけれども、接触するということもあり得たり、裁判員の中にそういう関係者がいるというようなことが分かったというようなケースを例に挙げて、そういうのはむしろ報道に値するのではないかという意見のことを言われましたけど、非常に特殊な例だといえば特殊な例なのですが、そういった場合もないとは言えないだろうと思われるわけですね。余り絞ってしまうのはいかがなものかと思います。
それから、もう一つ、後段の規定は、裁判員、補充裁判員の守秘義務と裏腹の関係にあると思うんです。裁判員、補充裁判員が守秘義務がある上に、さらに、それに接触する人に対して、しかも、特定のメディア関係者と思われる人が中心になるだろうという状態で、それを禁じることがいかがなものか、ちょっと副作用としては強過ぎないかと私は心配します。
○井上座長 2番目に言われた特殊な場合についてですが、それは、雑誌協会の方も、主にアの類型について言われたのではないでしょうか。
○土屋委員 進行中のことについて言われましたけど、ただ、過去にどうだったかというのも関係ないわけではないと思います。
○井上座長 土屋委員の御意見は、現に進行中の場合は接触はだめだけれども、過去になってしまった場合には、あなたは事件関係者だったのではないか、として接触することはあるのではないかということですか。
○土屋委員 後で分かったけれども、裏でいろんな関係がありましたよというのは、これは報道に値する内容だと私は思います。
○井上座長 「知り得た事件の内容を公にする目的」というのは、先ほどの御説明ですと、その趣旨としては範囲を限定するために置いたものだけれども、結果として、メディアが事実上対象となるので、余りよろしくないということですか。
○土屋委員 よろしくないと考えます。
○髙井委員 土屋委員の御意見に関してですけれども、後段の「何人も」以下が、マスメディアに特に目を向けた規定ではないかと今おっしゃいましたけれども、そうではないと思うんですね。例えば、被告人と同じ特定集団に属する人が、後で接触をして、彼はこういうことだったんだよというようなことを、インターネットなんかを使って明らかにするということも十分あり得るわけで、この書きぶりから、これがマスメディアだけに目を向けたものだというのは違うのではないかというのが、まず第一点ですね。
それから、仮に、土屋委員のように、後段の「何人も」以下を削ってしまうと、事件の内容を聴きたいから接触するということまでも、これはフリーになってしまうわけで、それは仮にマスコミだとしても、事件の中身まで聴くというのはまずいのではないか。
そうなると、書きぶりはどうかはともかくとして、後段の「何人も」以下もやはり残すべきであるという結論になろうかと思います。ただ、確かに、マスメディアとしては、裁判員制度の運用状況が、制度としての運用状況がどうなのかという検証は必要だと思うんですね。ですから、個別の事件の中身がどうかということではなくて、その裁判員制度の運用についての検証が可能になるような書きぶりであれば、この前のヒアリングで言われていたマスメディアの方々の意向にも沿うのではないかと思います。
○土屋委員 私、先ほど裁判員、補充裁判員には守秘義務があり、そのことと裏腹ではないかと言いましたけれども、裁判員等であった者に対して、どこまで守秘義務をかぶせるかについて、私は異論があるわけです。ただ、たたき台の案では守秘義務はあるということですね。そういう守秘義務のある人に対して、さらに輪をかけて接触もいけないというように二重に制限する理由がどこにあるのかという疑問があります。
○井上座長 守秘義務だけで十分保護されているのではないかということですか。
○土屋委員 はい。
○髙井委員 確かにそういう御意見は出てくると思うんです。ただ、しかし、例えば、検察官とか裁判官のように守秘義務を守るということに慣れている人と、一般の国民の方のように、余りそういうことに慣れてない方があるわけで、やはり一般の国民の方から見たら、そういうところにマスコミがどんどん取材に来るとしたときに、最初のころは、私には守秘義務があるから言えません、と言えても、常に毎日毎日来られて、何とか自分の守秘義務を守らなくてはいけないというのはなかなか大儀なことだと思うんですね。ですから、一般国民を前提にすると、守秘義務があるから、こういう接触禁止というような規定を設けなくてもいいのではないかというのは、ちょっと違うのではないかと思います。
○池田委員 前段の方については、皆さん異論がないように、評決前の接触については禁止することが、裁判員個々の人の保護、あるいは裁判の公正確保のためにも必要なのではないかと思います。先ほど話が出ました裁判員の立場が問題になったというようなケースも、一般的には、それは当事者と裁判官がそれを知っていれば、その人を排除するかどうかという問題になるわけですので、それで対応すべき問題ではないかと思います。
後段の方は、先ほどの土屋委員の話も分かるのです。知り得た事件の内容を公にする目的というのが、若干広くなっているので懸念があるのかなと思います。場合によっては、裁判員の守秘義務の範囲、その範囲の事項をを公にする目的で接触するのは禁止して、裁判員の守秘義務と接触禁止との範囲が一致するようなものも考えられないことはないのかなという気がいたします。
○井上座長 前者の点で、当事者か裁判官が分かればとおっしゃったのは、報道機関だけではないと思うのですけれど、そういう事実を知ったならば、当事者や裁判官に知らせてあげればよいではないかということですか。
○池田委員 要するに、問題となっている裁判員に報道機関が直接接触する必要があるのか疑問に思うのですね。
○四宮委員 私は土屋委員の意見に賛成です。前段は、皆さん異論がないところのようですので特に理由は申し上げません。後段については、一つは、「事件の内容」が相当抽象的で広過ぎるのではないかという疑問があります。それから、もう一つ、後段があると、メディアだけではなくて、それこそ、例えば、学術的な研究といったものもこれにひっかかる可能性がある。むしろ、守秘義務による保護ということで十分なのではないかということで、後段は削除すべきであると思います。
○本田委員 前段については当然必要だろうと思います。後段についても、先ほど酒巻委員からお話があったように、本来、その事件で、なぜ裁判員が事件の内容を知るのかというと、それは裁判をするために知るわけであって、それ以外の目的外利用を広く認めるようなことはおかしい。したがって、事件の内容を公にする目的で接触することを認める必要はないわけですね。後段のようなものをもし削除してしまうということになれば、要は、誰でも、いつでも、そういった事件の内容を公にする目的で接触してもいいですよということを明らかにするわけで、一方においては、それは、裁判員あるいは補充裁判員であった者にとっても極めて迷惑な話ですよね。
○大出委員 私も、土屋委員、四宮委員と同じことになるかもしれませんが、今の本田委員の御意見で、守秘義務との関係で制約が課されているということ自体は、一般的にその範囲が確定すれば、そのこと自体は一般的に周知されているわけですから、それ以上にそこの点について、今おっしゃったような配慮が必要なのかどうかというのは、私は極めて疑問だと思うのです。それから、もちろん私は先ほども言いましたように、意見を述べるということはあっていいという立場ですので、ただ、それだからといって、髙井委員が心配されるようにメディアが押しかけていいなんていうふうに思っていないわけでして、そこは、メディア側の自主性に期待するということが一番だと考えているわけです。接触の目的については、ほかの目的ということはあり得るとは思いますから、そこのところの書き方の問題になってくるということなのかもしれませんけれども、威迫に近いことを目的にしてやるという場合と、そうでない場合というのを一緒にするというわけにやはりいかないだろうというふうに思うわけで、それは守秘義務の範囲でそれぞれの裁判員の方たちが対処し、またそのことを前提として接触する方はどう接触するのかという問題にかかわってくるのではないかと思うのですが。
○髙井委員 取材する側とされる側というのは違っていまして、取材される側というのは相当大変なものなんですね。私は、検察官のときに、当然守秘義務を持っているわけですが、それでも、守秘義務があると承知の上で取材に来るマスコミの方はいっぱいいるわけですね。何度言ったって、それは来るわけですよね。それを、普通の一般の人にそうやって守りなさいという方が無理だと私は思いますね。ですから、もう一つ、これは取材される側の一般の人に対する思いやりというか、その立場を考えた法制度でないと私はいけないと思います。
○大出委員 私もそういう側面があるということは否定しませんし、その辺は是非メディアの方たち考えていただきたい。だから、この間、そういう質問を申し上げたということですけれども。
○平良木委員 これは最初から申し上げていることですけれども、裁判員というのは、自分で望んだわけではない。にもかかわらず出てきているのだから、個人情報が問題にされそうになったり、あるいは、事件関係者からいろいろ働きかけられたり、その他からも働きかけられるというようなことから是非守ってやらなければいけない。そうだとすると、たたき台に書いてある程度の規定を設ける、そして、これには特に罰則があるわけではないし、やはり宣言する意味はあるだろうという気がしております。そういう意味で、たたき台のような接触禁止は置くべきだと思います。
○本田委員 削除すべきだという意見の方は、事件の内容を知りたいから裁判員又は補充裁判員に会いたいということだろうと思うんです。しかし、そんなものは公開の法廷できちんと審理がされているわけで、事件の内容は法廷を傍聴すれば分かるし、判決が出れば判決を見れば分かる話ですよね。わざわざ裁判員あるいは補充裁判員のところに行って何を聴くのだという気がします。
先ほど、ちょっと座長からも話があったのですけれども、裁判員制度などといったものについての一般的な感想を述べるということ自体が禁止されているわけではないわけですね。
○四宮委員 この後段は、「知り得た事件の内容を公にする目的」というのが要件になっていますので、とにかく個人的に知りたいという人が接触することは禁止していないのですね。そうすると、さっき髙井委員がおっしゃった、裁判員のところに来て困るというのは、公にする目的でない人が来る場合もあるわけで、裁判員の迷惑というところに大きな意味を認めるとすれば、目的はあまり関係ないはずですよね。
○井上座長 知り得た事件の内容に関して接触することは、誰であれ一切禁止しないといけないはずだということですか。
○四宮委員 もし、接触から裁判員を守るという趣旨だとすればですね。だけど、それは行き過ぎではないかということで、私は全部削除したらどうかと申し上げているのです。
○井上座長 次のイに入りたいと思います。イは、被告人についてだけ問題となる項目です。すなわち、裁判員又は補充裁判員に対し、面会、文書の送付その他の方法により接触すると疑うに足りる相当な理由がある場合に、そのことを被告人の保釈不許可事由及び接見等禁止事由とするとともに、接触したことを被告人の保釈取消事由とするとされています。これは訴訟法上の措置ということになると思いますけれども、現行刑事訴訟法の89条や96条が、証人等に対する加害行為等を保釈取消事由としていることにならった案だというのが事務局の説明だったと思います。この当否等について、御意見があれば伺いたいと思います。
○四宮委員 「裁判員又は補充裁判員に対し」というのは、裁判員などが既に選定された後に関する規定であると限定して考えてよろしいでしょうか。
○辻参事官 そうです。
○四宮委員 一つ要望は、特に裁判員裁判が連日的に開廷されるということを考慮して、なるべくであれば、身体拘束がない状態、あるいは接見禁止等がない状態での準備というものが望ましいと思っているわけです。ですので、この規定そのものに反対するわけではありませんが、この運用については厳格に運用してほしいと思います。
○井上座長 前提となっている保釈許可の運用とか接見禁止の運用について配慮してほしいということですか。
○四宮委員 そういうことです。
○井上座長 それでは、次の「(3) 裁判の公正を妨げる行為の禁止」という項目です。この項目も、やはり二つの内容から成っております。アは、何人も、裁判の公正を妨げるおそれのある行為を行ってはならないというのが中心的なことで、その例示として、裁判員、補充裁判員又は裁判員候補者に事件に関する偏見を生ぜしめる行為というのが挙がっております。これがたたき台の案なのですけれども、これを踏まえて、こういう点について、御意見をお伺いできればと思います。
○髙井委員 裁判員裁判制度が国民の信頼を得るためには、それが公正・中立な立場に立って予断、偏見のない裁判員によって事実認定が行われ、量刑が決められるということが必須の条件だと思うんですね。そういう前提から考えると、書きぶりはともかくとして、当然、アのような裁判員に予断、偏見を抱かせるような行為を禁止するという規定は必要なのだろうと思います。
イについてですが、これは前回のヒアリングのときもマスコミの方々からいろんな意見がありましたけれども、例えば、東電OL事件の被害者報道であるとか、逆に、和歌山毒カレー事件の報道であるとか、ああいう報道が今後ともなされていくとなると、予断、偏見を持っていない裁判員というのが果たして確保できるだろうかという心配を持つわけです。
前回のヒアリングでは、そういう予断、偏見を持っていたとしても、それは裁判官が説示その他で取り除くべきだろうという御意見でしたけれども、やはり現実問題としてそれはなかなか難しいわけで、やはりどういう書きぶりにするかは別として、イのような規定も置くことが必要であろうというふうに思います。
○井上座長 大事な問題ですので、じっくり御議論いただきたいと思います。髙井委員からイについても御意見いただきましたけれど、まず、アについて御意見いただければと思います。
○本田委員 たたき台の案のアのような行為をやってはいけないというのは、当たり前の話で、当たり前の話を当たり前と書いているだけのことで、こういうことを宣言すること自体にもそれなりの意味があるというふうに思います。したがって、こういう規定を設けることには賛成です。
○四宮委員 私は、この点も土屋委員が提出されたペーパーの意見に賛成です。確かに、たたき台のアのようなことがよくないことは、誰も争いがないと思うのです。ただ、少なくとも法律でこういった禁止規定を置くということはいかがなものかという考えです。一定の場合には請託ですとか威迫という範囲内で、刑罰による規制が片やあるわけですし、イとも関係しますけれども、あまりに広く網をかけてしまうことは、報道機関以外のものの表現の自由ともかかわってくるであろうと思います。つまり、イでは報道機関が特出しされていますけれども、それに含まれないものの表現の自由というのは、このアで規制されることになるわけですので、そこは十分配慮すべきであろうと思います。むしろ、こういったものが行われないようにするには、今後の司法教育ですとか、あるいはいろいろな報道等によって、世論形成をしていく方向で防いでいくべきであって、広くこのように網をかけるということについては反対です。
○井上座長 罰則等が付いてない宣言的な規定であってもということですね。
○四宮委員 はい。
○土屋委員 ペーパーに書いたとおりなのですが、私、去年の9月に出した意見では、努力義務を定めるということを書きました。そのとおり、こういう予断、偏見を抱かせないような報道が必要だということ、その基本的な認識は変わっていません。必要だと思っています。ただ、そのときは、言わば予断、偏見を抱かせることによって裁判を歪めるような行為というのは、恐らく罰則付で禁止されるのではないか、そういう見通しといいましょうか、そういうものもありまして、それとの対置の意味で、規定を置くにしても努力義務にとどめるべきであるという趣旨の意見だったつもりです。
それで、意見書の中にも書きましたけれども、その当時は、実はこういう行為をどういうふうにしたらいいのかということについて、メディア内部の意見もほとんど交換されていませんでしたし、どうしたらいいか、球を投げても受け皿となるようなところが新聞協会その他にもありませんでした。ですけれども、こういう行為というのは、メディアの自主的なルール作りという部分で対応できる範囲が非常に多い。その役割が非常に大きい部分だと私は思っています。
繰り返しになってしまうのですが、自主ルールを作りますという意向を三団体が表明しましたし、そういうことを考えれば、懸念される事態を回避することが自主的な対応ということで相当程度できるのではないかというふうに私は思ってきています。そして、メディアの内部でかなり問題になるのは、偏見を生ぜしめる行為ということが抽象的すぎて、何が偏見かということを言い出すと、際限がなく言葉の外延が広がってしまうという点です。そういう抽象的な規定というのは認め難いという意見が非常に強くありました。その点は、私もそのとおりだと思うんです。
ただし、アの部分から、「偏見を生ぜしめる行為その他」という部分を取ってしまうと、単に裁判の公正を妨げるおそれのある行為を行ってはならないということだけになってしまうわけですね。それであれば、何もわざわざ言うこともないというのでしょうか、当たり前のことを言うにすぎないという気もしてきます。
そういった意味合いもありまして、ここに書かれた趣旨はよく分かるのですが、そういう状況、疑問といった点を踏まえますと、新聞協会が求めたとおり、この項目は、現段階、今となっては削除していただいた方がいいのかなというふうに私は思います。
○井上座長 土屋委員の御発言の重点は、イの方にあったのかと思うのですが、アも含めて、ア、イともそうだという御意見ですか。
○土屋委員 そうですね。
○井上座長 既にイの方に議論がかなり移ってきているのですが、イも、アの義務を前提に、特に報道を行うことにおいてこういう点を配慮しなければならないという形になっていますので、一応段階的に御議論いただこうと思っていたのですけれど、両方にわたって御意見をいただいても結構です。
○酒巻委員 アとイをまとめてということですが、最初に髙井委員がおっしゃった結論は原案のとおりということですよね。
○髙井委員 私は原案に賛成です。
○酒巻委員 私も同じ意見で、理由も、基本的に髙井委員と同じです。先ほど四宮委員は、アについて、特にこういう法律を設けなくてもいいとおっしゃったのですが、私はやはり当然のことでありますけれども、このような行為をやってはいけないのだということを訓示規定として設ける方が妥当だと思います。
それから、前回の報道関係者の方のヒアリングでも、今の土屋委員の御意見にも、「偏見を生ぜしめる行為」というのが分かりにくい、範囲がはっきりしないという御議論があったのですが、この表現は、現在の刑事訴訟法の中にも用いられており、それなりに意味ははっきりした言葉だろうと私は思っております。
それから、裁判の公正を妨げるおそれのある行為は、報道機関も「何人も」にも含まれるわけですから、基本的には同じことだと思います。なお、先ほど土屋委員から、自主的なルールをお作りになるという話があったのですが、具体的にはそれはどういうものなのかというのが分からないものですから、もし、自主的なルールが具体的にいかなるものであるかが分かれば教えていただきたいと思います。
○土屋委員 着手したばかりですので、それは本当に分かりません。海外の例を見ますと、先ほどちょっとイタリアの例とか御紹介しましたけど、メディアが自主的に作っているプレスコードのような、いろんな言葉で作っていますけれども、その内容は非常に様々です。プレスコードとそれに付随するガイドライン、言わば判例に該当するようなものですね。規則と言ったらいいのでしょうか。それに該当するような細かい規定などでも、かなり具体的に、こういう場合をしたら救済対象になるとか、イタリアの場合には職業記者としての活動ができなくなる規定まで盛り込んでいる。そういういろいろな作り方があります。
そういうものを参照にしながら、どういうものができるかというようなことを新聞協会だとか、そういう中では既に検討が始まっておりますので、結果としてどういうものが出るか分かりません。単なる抽象的なものかもしれませんし、また、さらに踏み込んで、何か内部的に制約を強めるようなものになるかもしれません。形は分かりません。何とも申し上げかねるところです。
○井上座長 それは、どのくらいのペースでまとまっていくのでしょうか。
○土屋委員 何せ、裁判員制度に関する意見交換が始まったのが、昨年の11月からです。それで、まだ半年しかたってないわけですね。その中でヒアリングで意見表明された部分というのは、全員一致でみんなが合意した部分だけが意見表明されたということでありまして、意見表明してない部分は、言わば賛否両論があると受けとめていただいていいと思うんです。そういう状況ですので、今後の進行を想定しますと、そんなに短期にまとまるわけには恐らくいかないだろうというのが正直な見通しだろうと思います。
それに、実際、新聞協会にしろ、雑誌協会もそうですし、民放連もそうですけれども、言わば各社の自主的な対応というのがまず基本なんですね。ですから、言わば帰納的に積み上げていくということで、各社がそれぞれ対応を決めて、その共通する部分を全体の綱領みたいなものにまとめていくというのが今までのやり方ですから、そういう各社での自主ルール作りというのがちょうど着手した段階ですので、どういうふうに積み上がっていくかまだ分からないと言うしかないだろうと思います。
○井上座長 詳しくは分かりませんが、イタリーの場合は、職能集団というか、特定の職業について会社の枠を超えた職場横断的な組合のようなものがあって、そちらの力の方が強いので、そういう枠組みで作られているのではないかと思うのですけれども、日本の場合は、各社単位になるということですか。
○土屋委員 イタリアの場合には、私もよく分かりませんが、ちょっと見ている限りは、日本の弁護士会みたいなものですね。強制加入団体で、そこに加入してないと記者活動ができないというか、そのくらい強い団体です。日本の新聞協会などは、もっとずっと緩やかな組織ですので、これは随分違う場面があるし、作り方も違うと思います。
○大出委員 私もこういった規定を設けなくて済むのだったら設けない方がいいというふうに基本的には思っているんですね。ですから、もちろん報道の自由というのは尊重すべきだと思いますし、ただ、過去のことを言ってもしようがないとはいっても、これまでこういう事態について問題になったケースがなかったとはやっぱり到底言えないだろうと思うわけですね。
今、お話のあった、これは土屋委員相手に話をするというわけではないんですが、つまり各社それぞれの自主的なルール作りをされているとか、現に作って持っているところもあるということは私も承知していますし、そこはなかなか立派なものも書いてらっしゃるというようなことも承知していますけれども、実質化するということをどれだけそれぞれ自主的にお考えになっていらっしゃるのかどうかということについて、私なんかも疑問を持たざるを得ないというようなことがあると思うんですね。ですから、その辺のところも、確かにそういう自主的なルールを作っていくという以上は、メディアとしての責任というか倫理というものとの関係でいうと、それを実質化する方策を併せて考えていただくことが必要なんだと思うんですね。
その点、この間お伺いしたところでも、どうもそこまで、どういうふうに具体的に今射程の中に入っているのかというようなことが分かりにくい。お考えでないとは思わないのですが、分かりにくいというような印象があるわけで、そういうこととの見合いの問題というのはどうしても出てくるのだろうと思うんですね。ですから、私はない方がいいとは思うんですが、そういった事情を踏まえながら、何らかの形の訓示規定的なものは必要かもしれないと思っていまして、書きぶりの問題だという部分もあるとは思いますが、なかなか悩ましい部分だと思っているところです。
○四宮委員 ア、イ、一緒に意見を申し述べますが、今、メディア側での自主的な努力がまだ形になって見えていないからといって、性急にこういった訓示的な規定を法律で設けるということには大きなちゅうちょを覚えます。それは先ほど言ったとおりなのですが、一つには、文言が非常に抽象的であるということがありますが、もう一つは、罰則がないとしても、与える萎縮的な効果というものは相当なものがあるだろうと思います。冒頭に守秘義務等のところで申し上げましたけれども、公正な裁判というものと、報道、表現の自由というものとの調整の一場面でありますけれども、ここは、報道、表現の自由というものを相当重視すべきであると思います。それはいくつか理由がありますけれども、やはり自由な情報の流通ということが、私たちの社会にとっては大変大切なことであるということです。
2番目は、むしろ公正な裁判と偏見との関係は、裁判システムの外に何か仕組みを設けるのではなくて、裁判システムの中にこういうものを防ぐ仕組みを設けるべきだと思います。その意味で、選定手続とか裁判官による裁判員への説明が非常に重要で、また、それは効果が十分にあるだろうと思います。
3番目には、いろいろ外国の例が先ほど出ましたけれども、法律で規制するということ、これはむしろ例外であって、規制のないところで、報道による偏見が公正な裁判を害しているかというと必ずしもそうではないのではないかと思います。
その意味で、先ほど申し上げたような仕組み、裁判内の仕組みを充実させるという方向で対応すべきであって、ア、イ両方を削除すべきであると思います。
○井上座長 萎縮的な効果というのはどういう仕組みで出てくるのですか。
○四宮委員 例えば、あなた方のやったことは、この法律のここに当たる、偏見を生ぜしめる行為に当たるからということが、誰かから出る可能性があるわけですね。それは刑罰を伴ったところではないかもしれないけれども、例えば、ほかの役所のどこからか、こういった指摘なり、あるいはいろいろなものが出てくる可能性はあるということです。
○井上座長 もう一つ、御存じのように、アメリカなどでは、こういうことが実際に問題になって、有罪判決がひっくり返った有名な事件あるわけですね。テレビドラマの『逃亡者』のモデルになった事件ですけれども。従って、そういう問題は現にあって、考えないといけないことだということは間違いないことなのです。その点は、メディアの方も認識されていて、それに対してどういう方法があるのかという点で、メディアの方が自主的にお考えになり、我々としてはそれを見守っていくことにするのか、それとも、やはりこちらからメッセージを出すために、宣言的なものであっても規定を設けるのか。そこが問題の核心ではないか思います。
○四宮委員 その点はそうだと思いますね。
○本田委員 イの方、先ほど申し上げてなかったのですけれども、こういう規定を置くこと自体は必要だろうと思います。やはり偏見を生ぜしめないように配慮しなければいけないということは当然のことだろうと思うんですね。先ほど四宮委員から、それは外からではなくて、裁判員制度の中で偏見を排除する仕組みを設けるべきであるということでした。それは当然の話で、それ自体は正しいと思うのですけれども、それさえ設けておけば、周りの人は公正な裁判についての協力をしなくてもいいのかというと、そうじゃないでしょうということです。やはり、新しい裁判員システムを作っていく中で、公正な裁判ができるようにみんなで育てていくのだということは当然必要なことであって、しかも、ここで求めているのは配慮しなければならないと、配慮義務を、配慮してくださいということを法律で言っているだけの話なんですね。
もちろん、各報道機関が自主ルールを作られることは大歓迎ですし、きちんとしたものを作っていただいて対応していただくということは大変大事だと思っております。ただ、それだけで十分なのだろうかというと、メディアといってもいろんなメディアがあるわけで、それですべてがカバーできると言われると若干疑問がないわけではない。最低限この程度の宣言といいますか、法律がこういったものを求めているのだということを明らかにしておくこと自体はそれなりに意味があると思います。
先ほど自主ルールだけで大丈夫なのかと申し上げましたけれども、これはちょっと話が横に飛びますが、例えば、少年法61条の問題にしても、規定があっても、過去にはいろんな報道がなされたりして問題になったりしているわけで、せめてこの程度の配慮の規定ぐらいは置いておくべきだろうという気がします。
○井上座長 ほかに御意見はありますか。大体考えられる御意見は出たと思いますので、今回はこれくらいにして、今後さらに検討を続けるということにしたいと思います。この前も申し上げましたけれども、メディアの方でも、真剣に検討なさってくださっていると思うのですが、是非具体的に詰めて議論していただいて、いい知恵を出していただきたいと思っております。
○土屋委員 新聞協会が、こういう規定を置くならば、表現の自由の尊重規定を置いてくれと、総論的なものとして置いてくれという意見を表明しています。やはりそういう懸念を、私も覚えないではないのですよね。あえて「表現の自由」、「報道の自由」と総論的に書く必要がどこまであるか、私は疑問には思ってはいるのですけれども、もし報道に特化した規定を置くならば、そこには「報道の自由の尊重」ということも書いていただきたいと思います。
○井上座長 あと1項目だけなので、議論しておきたいと思います。「(4)出頭の確保」ですが、アは、何人も、他人が裁判員となることを妨げてはならないものとする、というものです。既に御議論いただきましたが、このたたき台においては、裁判員は原則として法律上の出頭義務を負うということとされております。この点については、特に御異論はなかったように記憶しておりますけれども、いずれにしても、これは法律上の義務であるとしますと、その履行を他人が妨げることは本来許されない、ということになるだろう、法律にアのような規定を設けるか否かにかかわらずそうだろうと思うのですが、そのことを法律を明示しておくというのが、このたたき台の趣旨だろうと思われます。
この点について、まず御意見がおありになれば、お伺いしたいと思います。
○池田委員 検察審査会の審査員に出て来てもらう苦労をしているのを近くで見ていると、裁判員に出てきていただくというのが、何といっても、この裁判員制度を成功させるための不可欠の要件なわけで、そのためには、このような規定を作って、関係者に協力を求めるということは必要なのではないかと思います。
○井上座長 次の項目のイですけれども、これはウとも関連している事項ですので、一緒に議論していただければと思います。イは、最初に、労働者は、その事業主に申し出ることにより、裁判員の職務を行うために必要な範囲で休業することができるという制度を、案として示しています。この休業を、たたき台では、仮に「裁判員休業」というふうに呼んでいますが、次に事業主は、裁判員休業の申し出を拒むことができないとされており、さらに、ウとして、事業主は、労働者が裁判員休業の申し出をし又は裁判員休業したことを理由として、当該労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならないという案を示しています。全体として「裁判員休業制度」という制度を設けるということが、このたたき台の案の意味しているところです。いろいろ現実的に難しい問題もあるかもしれませんが、こういう制度を設けることの当否等について御意見をお伺いできればと思います。
○本田委員 方向としては積極的に検討していくべきだろうと思います。裁判員制度を有効に動かすためには、こういう制度ができれば非常にいいわけで、これは異論がないところだと思うんです。ただ、一方で、事業主に対する負担というものが相当かかってくる。必ずしも全部が大企業だけでなくて中小企業もあるわけですから、そういった面での検討も一方でしておかなければいけないだろう。そういうものも含めて、積極の方向で議論をしていくのだろうというふうに思います。
○髙井委員 イ、ウについては何ら異論はありません。ただ、出頭の確保として、これだけで大丈夫なのかという気がするんですね。何かいい知恵があるかというとまだないのですが、これは企業で働く人に対してはこれでいいかもしれませんが、多分候補で挙がってくる人の中にはそうでない人もいっぱいいるわけですね。そういう人の確保方策をまた別途考える必要もあるのではないかと思います。
○四宮委員 今の髙井委員の発言と関係するのですが、イは、私もこれに異論はありません。この裁判員制度のたたき台をずっと読んでいくと、今のところ、裁判員がもらえるベネフィットといいますか、それは旅費、日当、宿泊料ぐらいですね。ここで「裁判員休業」という仕組みを作ることはその意味でも重要だと思うのですが、義務を課して「来てください」というのであれば、もうちょっといろいろ国が配慮するということを、何かプログラム的にここで盛り込めないかと思います。ほかにどういう場合があるかと髙井委員はおっしゃいましたけれども、例えば、子どもの養育、子どもをベビーシッターや託児所に預ける場合の費用ですとか、あるいは要介護の人をそういった施設で何日間か預かってもらうための費用など、あるいは個人事業主が、例えば3日間裁判員として務めるというときにアルバイトを雇って何とかやりたいという場合、そのアルバイト代の分を補償できないだろうかとか、いろいろ参加しやすい社会的な仕組みというのはあると思うんですね。来てもらう裁判員の方に、あれしちゃいけない、これしちゃいけないというふうに義務はたくさんあるのですが、こういう配慮もしますというものを、国が、そういった参加しやすい仕組みを作る義務を負うとまで書けるかどうか分かりませんが、そういった何か宣言的なものを併せてしておく必要があるのではないかと思います。
○井上座長 以上で、たたき台の各項目については、いわゆる2ラウンド目の議論を、一応一通り行ったことになります。このほか、議論していない事項、あるいはたたき台にない事項で、特に御意見があればお伺いしたいと思いますが、よろしいですか。
それでは、2ラウンド目の検討を一通り終えたということにさせていただきたいと思います。次回から、三つ目の検討事項である刑事裁判の充実・迅速化に関する2ラウンド目の議論に入ることにしたいと思います。これも大きな問題であるわけですので、充実した、しかも、内容の濃いという意味での効率的な検討会にしていただきたいと思います。それにつきましては、次回の検討会で事務局からたたき台を示していただいて、その説明を受けた上で議論を進めることにしたいと思います。そういうことでよろしいですか。
(「はい」と声あり)
○井上座長 何か連絡事項はありますか。
○辻参事官 いつも申し上げていることですが、国民の皆様から寄せられた意見の目録をお配りしてありますので、よろしくお願いします。以上です。
○井上座長 今日も長時間の審議になりましたが、これで本日の議事は終了したいと思います。次回は、5月30日午後1時30分からということになっておりますので、よろしくお願いします。どうもありがとうございました。