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裁判員制度・刑事検討会(第24回) 議事録

(司法制度改革推進本部事務局)



1 日時
平成15年9月11日(木)13:30~18:20

2 場所
司法制度改革推進本部事務局第1会議室

3 出席者
(委 員) 池田修、井上正仁、大出良知、酒巻匡、四宮啓、髙井康行、土屋美明、樋口建史、平良木登規男、本田守弘(敬称略))
(事務局) 山崎潮事務局長、大野恒太郎事務局次長、古口章事務局次長、松川忠晴事務局次長、辻裕教参事官

4 議題
「刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入」について

5 配布資料
資料1朝日パブリック・コメント集計結果報告書
資料2通常第一審における法定合議事件,法定刑に死刑・無期(懲役・禁錮)を含む事件及び故意の犯罪行為により被害者を死亡させた事件の地裁管内別終局人員
資料3「裁判員制度の取材・報道方針」について(日本新聞協会編集委員会)
資料4裁判員制度に伴う取材・報道上の自律的取り組みに関する考え方について(日本民間放送連盟報道委員会)

6 議事

○井上座長 所定の時刻ですので、第24回裁判員制度・刑事検討会を開催させていただきます。
 本日も御多忙の折、お集まりいただきましてありがとうございます。
 本日から、御承知のように、7月までの第2ラウンドの議論を踏まえまして、なお、議論すべきと思われる論点について、言わばおさらいの議論を行うことになっており、そのうち本日と明日は、裁判員制度に関する議論を行うという予定でございます。今回の議論も、基本的には、たたき台の項目に沿って行っていきたいと思います。すべての項目について同じ比重で議論する必要は必ずしもないと思われますが、他方、どの項目を取り上げるかという議事の仕方について時間をとって議論していただくのもいかがかと思いますので、とりあえずたたき台の各項目について順次議論を進めていくという形にさせていただければと思います。
 今日と明日1日半、時間があるようで、実は時間が限られております。1ラウンド目、2ラウンド目とひとわたり御議論いただいておりますので、各委員におかれてはそれを十分承知しておられるはずであり、したがって、あまり枝葉にわたることは避けていただければと思いますし、また、なるべく単なる繰り返しの議論にならないようにお願いしたいと存じます。また、この段階に至ったわけですから、皆さんそれぞれから御意見を示していただきたいと思っておりますので、お一人で長々とお話しになることは避け、簡潔に、しかも結論も明確に示していただければと思います。よろしくお願いしたいと存じます。
 最初に事務局から連絡事項があるようですので、まず、その点からお願いします。

○辻参事官 まず、本日の資料について御説明いたします。
 本日の資料は4点でございますが、資料1は、インターネットを用いました政府広報の実施に関するものであります。当事務局におきましては、これまでも新聞・雑誌や政府広報誌などを通じまして、裁判員制度に関する広報や国民の皆様からの意見募集に努めてきたところでありますが、このたび政府広報室及び朝日新聞社広告局の御協力を得まして、8月4日から9月3日までの1か月間、朝日新聞のインターネット版であるアサヒ・コムの紙面上に、裁判員制度についての広報記事を掲載していただき、併せてアンケート調査を実施していただきました。その結果、608件の回答が寄せられたところであります。お手元の資料1は、朝日新聞広告局で取りまとめていただいたアンケート結果の報告書でありまして、後ろの方には、掲載されました広報記事も載せられております。
 アンケート結果のうち若干の点について簡単に御紹介させていただきたいと思います。報告書自体にページ数が入っていませんが、10ページほどめくっていただいたところにQ2というのがございまして、「現在の裁判についての印象をお聞かせ下さい」というのがございます。これに対する答えといたしまして、多い順に、「判決が出るまでの期間が長い」、「全体的に分かりにくい」、「判決が、国民の常識からずれている」といった答えが寄せられております。
 次に少し分析のページをめくっていただいた後に、Q3の、「裁判員制度についてご存じでしたか」という質問がございまして、これに対しては、「詳しく内容まで理解していた」、「何となく知っていた」という答えを合わせて約7割、「知らなかった」というのがおよそ15%となっております。
 さらに、Q4は、「裁判員制度について、あなたのお考えに近いものをお選びください」という質問でありまして、答えは多い順に「裁判に国民の社会常識を反映させることができる」、「判決が裁判員の感情に左右されて誤審が増える」、「素人に判決をゆだねるのは問題」という順での答えが寄せられているということでございます。
 Q5が、「あなたが現実に裁判員として選任されたとしたら、どのようにお考えになりますか?」というものでございまして、これに対する答えといたしましては、「積極的に裁判員として義務を果たしたい」、「積極的ではないが、国民の義務として受け入れる」との答えが合わせて約8割近く、「選任を辞退したい」との回答が約2割となっております。「選任を辞退したい理由」としては、「生活に支障が生じないか不安」、「プライバシーが守られるのか不安」などの答えが多く寄せられております。
 最後にQ6でありますが、「裁判員としての職務に従事するに当たり、あなたが許容できる期間をお答えください」という質問でありまして、答えといたしましては、「2、3日程度」との答えが3割強ということで最も多く、これと「1日程度」と「1週間程度」とする答えとを合わせて約75%ということになっております。
 数も限られた、あくまでもアンケートという形式のものでございますが、御参考までに御報告させていただきます。
 資料2は、通常第一審における終局人員に関する統計でございます。以前の検討会におきましても、同種の資料をお示ししておりますが、今回のものは対象事件に関するたたき台のA案ないしC案について、平成14年の地方裁判所ごとの終局人員を示したものであります。
 下の方に小さい字で書いてある(注)3でございますが、ここにつきまして、若干補足いたします。この点は以前も御説明しているところでございますが、C案、すなわち法定合議事件であって、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪につきましては、強制わいせつ致死傷と強姦致死傷に関しまして、致死と致傷を区別した統計がとられておりませんことから、終局人員の正確な統計がありません。ただ、強制わいせつ致死傷及び強姦致死傷の多くは、被害者の死亡に至らない事件が多いのではないかと思われますことから、強制わいせつ致死傷及び強姦致死傷の終局人員はこの統計に加えておりません。したがいまして、この統計は、強制わいせつ致死と強姦致死の終局人員が除外された数値となっているということであります。
 資料3及び資料4は、第17回会議で御意見をお伺いいたしました日本新聞協会と日本民間放送連盟から、昨日、当本部の方にいただきました資料です。第17回の会議で御意見を伺いました際、それぞれの団体から、取材・報道に関する自主的ルールをつくることを考えているというお話があったところですが、その点に関する両団体における現在の検討状況等が記載されているものです。
 以上が資料でございます。引き続きまして、事務連絡でありますが、これは毎回申し上げているとおりでございまして、広く国民の皆様から寄せられた御意見の追加の目録をお配りしておりますので、原本をご覧になりたいというものがございましたら、適宜お申し付けいただければと考えております。
 以上です。

○井上座長 ありがとうございました。今、御説明いただきましたうち、資料2と3及び4につきましては、後で関連する項目について御議論いただく際に参考にしていただければと思います。特に資料3と4につきましては、今、御説明がありましたけれども、前に報道機関の各団体の方々にヒアリングに来ていただいた際の御説明の中で、自主的なルールについて検討されているということでしたが、その点でのその後の経過について報告されたものであります。これをも参考に、該当項目のところで議論をさせていただきたいと思っております。
 では早速、中身の議論に入りたいと存じます。
 まず最初が、「裁判官と裁判員の人数」という項目でありますが、この項目から議論をしていきたいと思います。

○大出委員 座長、その前に一つだけお伺いしたいことがありますが、いいでしょうか。

○井上座長 はい。

○大出委員 今日、明日で裁判員について議論をするわけですね。その後、10月に3回の検討会が予定されております。それで、今後の展開について、今の段階で具体的に詰めの作業としてどういう位置付けになるのか、簡単に分かる範囲でちょっとお教えいただきたいと思います。

○井上座長 この検討会で既に協議をし、了解していただいているのは、9月中に3つのテーマについて、2ラウンド目のおさらいの議論をするということと、それを踏まえて事務局の方で、次のステップとなるような案を準備し、それを我々に示していただくということ、そして、その案について10月以降に議論をするということであったと理解しておりますけれども、よろしいですか。

○大出委員 はい。

○井上座長 それでは、「裁判官と裁判員の人数」という点から議論していただきたいと思います。この項目につきましては、この場でかなり時間をかけて議論を行ってきたところですけれども、裁判体の基本的な構成を決めるという非常に重要な項目でありますので、再度、御意見を伺いたいと思います。
 ただ、これまでの議論で出された様々な御意見については、皆さん既に十分御承知だと思いますので、今までの議論を前提にできるところは前提としていただいて、結論とその理由をできるだけ簡潔に述べるようにしていただければありがたいと存じます。前回と同様、裁判官の人数の問題と裁判員の人数の問題、この二つがあるわけでありますので、そういう順序で議論していただければと思っております。
 まず、裁判官の人数という点について御意見をお伺いできればと思います。どなたからでもどうぞ。

○池田委員 前にもお話ししましたように、裁判官の人数は、3人が相当だと思います。前回は、それに反対する意見はそれほど多くなかったと思いましたので、あまり話しませんでしたけれども、そのように考える理由を申し上げます。裁判所として何を行うのかというと、大きく分けて、事実認定、量刑、法律の解釈、それから手続的に次々と起こる問題の判断があり、そういうものを行っていくわけですけれども、第2ラウンドでの話を前提とすると、裁判員については法律解釈と手続上の判断には関与しないということになるわけです。残るうち、法律論というのは、重大な事件だから大きな問題が起こるとは限りませんけれども、しかし大きな問題点が起こることも間違いなくて、大きな事件であれば、その争点は深刻になりますし、影響も大きくなります。また、手続上の問題というのはどのような事件でも常に控えているわけです。それらのことへの対処について、今までの考えでは、1人の裁判官で不安なときには3人の裁判官で決めていこうとしてきたわけです。その方が適切な客観性のある判断になるであろうということで採られてきたわけです。今後も、裁判員制度が導入されても、裁判官3人だけで裁定合議という形で行うことや、あるいは法定合議事件でも場合によっては裁判官3人だけで行うということがあり得るわけですけれども、それとのバランスから考えても、裁判官3人というのは不可欠ではないかと考えます。
 法律解釈で、裁判官の判断が分かれたときに決められなくなってしまうという2人説は大変な問題で、特に裁判には憲法判断が必要な場合もありますので、そういう場合のことを考えると、裁判官3人というのは欠かせないことではないかと思っています。

○井上座長 という御意見ですが、ほかの方、いかがですか。

○四宮委員 私は前回と同じ、たたき台で言えばB案です。つまり、裁判官は、原則1人でいいのではないかという意見です。これについては、前回、私の意見に対して裁判官をなぜ裁判員制度の下で減らせるのだという御意見もありました。私はこれはずっと裁判員制度に関する意見書の理念ということを申し上げてきましたけれども、国民の自律、自治の制度ということであると私は考えております。
 だとすると、今までの、裁判官だけが担当してきた裁判というものを当然の所与の前提として考えるのではなくて、新しい発想から制度設計をしたらどうかと思っているわけです。国民の入る新しい裁判体というものを構想するときに、それでは、プロの裁判官は何人必要なんだろうかというふうに発想すべきだと思うのですね。これも前に申し上げましたけれども、そこで裁判官に新しく期待されていることは、プロとしての知識・経験を提供してもらうということです。そうだとすると、経験10年以上の判事というベテランであれば、十分にその役割を果たすことができるだろうと思います。
 今、池田委員から、ただ、法律問題も難しいものがあるというお話がありました。ただ、これも前回申し上げましたけれども、法律問題の難易というものは、刑の重さということとは必ずしも直接は結び付かないわけで、現に第一審では単独審が原則であるということは、法律問題は、原則として、ベテランの判事であれば、一審は可能であるという判断なのだろうと思います。
 そして、難しい法律判断があるというお話ですけれども、法律問題については、必ず上訴でき、そして、上訴審の判断が必ず優越するという仕組みになっております。ですからむしろ法律問題については、一審の役割を考えますと、適正な事実認定とその量刑ということが第一審の重要な任務でありますので、もちろん法律問題が二の次でいいという意味ではありませんけれども、一審の段階では法律問題は1人の裁判官で判断をしていくことで十分なのではないかと思います。
 あと、私は、もし1人の裁判官では、負担が大変であるということであれば、例えば、裁判員のお世話をしたり、あるいは資料を調べたり、判決を起案したりという裁判官をもう1人増やすのも一つの方法かと考えております。
 それについて、今、池田委員から判断が分かれたときに決められないというお話もございましたけれども、これは3人の場合でも、いわゆるインパースといいますか、袋小路の場合というのは3人が3説を唱えればあり得るわけで、裁判所法はそれについてはその解決方法を示しているわけですね。ですからそのインパースの場合というのは、何も2人の場合に限ったことではないと思います。それに対する特別のルールをつくっておけばいいのではないかと思います。
 以上のような理由で、私は原則として1人でよろしい、場合によって2人という考え方もあり得るかなと思っております。

○酒巻委員 私の結論は、池田委員と同じで、裁判官の人数は現在の法定合議事件と同じ3人とすべきであり、これを減らす合理的な理由はないというものです。したがって、四宮意見の1人あるいは2人という考えには反対です。
 主たる理由は、既に前にも言いましたし、先ほど池田委員がおっしゃっていただいたことに尽きますけれども、前回、私が言いましたとおり、なぜ裁判官を減らすことができるのかについて、私には合理的に納得できる説明が未だにないと考えています。四宮委員と私は意見書の趣旨についての理解が多分根本的に違っているのだと思います。裁判員制度は、職業裁判官を何人か減らして、その代わりに一般国民を取り替えて関与させようというものではなくて、現在の職業裁判官による合議体に別の性質の、健全な一般常識を持った一般国民を付け加えて新たな合議体を構成し、両者の協働を図る制度であるというのが意見書の基本的な趣旨だと考えています。
 そこからしますと、先ほど池田委員がおっしゃったとおり、現在、法定刑の重い事件について、3人の合議体でするということとの対比において、裁判員の事件に職業裁判官の数が減って、代わりに一般国民が入るということは、それ以外の裁判員制度の対象でない法定合議事件との対比という観点からもおかしいし、何よりも職業裁判官と一般国民は違ったものでありますから、違ったものを付け加えて協働するというにもかかわらず、違った者が代わりになるということは論理的にあり得ないと考えますので、法制度として裁判官を減らすという考え方には到底納得できないということです。

○井上座長 ほかの方はいかがですか。どうぞ。

○本田委員 私も裁判官は3人とすべきであると考えています。理由は、池田委員、それから、今、酒巻委員の方からおっしゃったこととほぼ同じなので繰り返しません。1人だという御意見の四宮委員に御質問したいのですけど、裁判官が1人だということになると、例えば、意見書に従うと、被告人に不利な裁判は裁判員だけではできないということになりますが、そうすると、その限りにおいて、すべて裁判官がイニシアチブをとってしまう、つまり、裁判官がだめだと言えば、それで決まりだということになります。私は、判断する以上は裁判員と裁判官の双方が必ず加わっていかなければいけないという点は、まさに共働して裁判を支えるという裁判員裁判の本質だろうと思っていますが、それを前提にすると、裁判官が1人であるとすると、有罪・無罪について1人の裁判官がすべて決めてしまう、裁判員が何を言おうと裁判官がそれに賛成しない以上はだめだということになってしまい、何のための裁判員制度なんだろうという気がするわけですね。その点についてどういうお考えなのか、ちょっとお聞きしたいと思います。

○井上座長 今の点に限って、四宮委員いかがですか。

○四宮委員 私は意見書の趣旨をそのまま適用する限りは、裁判官が1人の場合には、言わばその裁判官に拒否権を与えるという構成にならざるを得ないわけで、それはそれで意見書の制度設計としてはあり得ることだと考えています。

○井上座長 本田委員、今のお答えでよろしいですか。

○本田委員 そのようなことでは、裁判員制度を設ける趣旨は一体何なんだと思います。裁判員が参加することが全く活かされてないではないか、裁判員が何と言おうと、裁判官が嫌だと言えばそれで終りだというのだったら、裁判員は要らないのではないかという気がするので、そこをどうお考えなのかについて、少なくとも今の答えでは納得はしていません。

○大出委員 私は前回2名説を主張しているわけでして、少なくとも、今の本田委員の意見との関係でいけば2名説はその問題はないということになるわけですね。ですから、そういうことからすれば、そもそも既に皆さん御議論になっているところですけれども、酒巻委員の御主張で、従前の合議体に付加するというようなお考え、それも一つのお考えかもしれませんけれども、やはり国民が参加し新たな国民的な基盤の確保ということを目指して、今までとは違った裁判のありようというものを追求しようとしていることがはっきりしているわけでして、それを単に付加するというようなことだけで説得ができるということにはならないのだろうと思うわけです。ですからここは四宮委員もおっしゃったところですけれども、改めて裁判のありようということで考えてみる必要があるだろうと思います。そうした場合に、酒巻委員は減らす合理的な理由がないというふうにおっしゃいましたけれども、しかし現状で行われている裁判との関係から言っても、絶対3人でなければならないという合理的理由がどこにあるのかということは実は必ずしも証明されてないのではないかというふうに私なんかは思うわけですね。
 前回も議論がありましたけれども、法律問題、手続問題、解釈問題ということになったときに、裁判官が専権的な判断をしなければいけないということではあったわけですけれども、しかし、手続問題、法解釈問題というのもよくよく考えてみれば、常識的に判断すべき内容というものが含まれている場合というのは多々あるわけですね。言うまでもないことですが、法現象というのは社会現象ですし、社会現象は法現象だというふうに言ってもいいわけですから、そこは何も裁判官だけで判断しなければならないといいますか、裁判官が裁判員の意見を参考にしながら、裁判員が入っていることによって裁判官の数が3人でなくてもいいということは当然あり得ることだというふうに思うわけでして、そこは、従前の3人というものをどうしても維持しなければいけないということにはならないのではないかと私は思う。
 それから、法律問題については、確かに先ほど四宮委員もおっしゃったように、最終的には上訴というようなことで判断、決着はつけられることだと思いますし、それから2人の場合にもちろん判断が分かれるということもあるわけですけれども、その場合には当然ルールをつくっておけばいいわけで、場合によっては裁判長の意見に従うというようなこともあっていいだろうと思いますし、そういう方法というのはルールとしては考えられることではないかと思います。

○井上座長 ちょっと御趣旨をクリアーにするためにうかがいたいのですけれども、現状でも証明されていないと言われたのは、現行の制度どおりのところも含めて変えていこうという御意見なのですか。つまり、裁判官だけの合議体の場合も、3人を維持する必要はないという御意見なのでしょうか。

○大出委員 いや、それは裁判官だけでやるということであればですね。

○井上座長 でも、大出委員の御意見によれば、正当性が証明されていないわけでしょう。

○大出委員 合理性だということを言ったときに、慣行として行われてきているということはありますけれども、本当に詰めた場合に、酒巻委員が言うと同じ意味で……。

○井上座長 慣行ではなく、現に法律制度として存在するものですよね。それについて合理性がないと言われるのですから、それをも含めて改めようという御意見なのか、それとも、そこは別だという御意見なのか、ということを確認したいということです。

○大出委員 とりあえずは、そこまで今ここで議論する必要はないと思います。

○井上座長 先ほど四宮委員が2人で意見が分かれた場合についてはルールを作ればよいと言われた、そのルールは、大出委員と同じような内容のものを考えておられるのですか。

○四宮委員 それは、いろいろルールは考えられると思うんですね。まず、一つは、法律問題について、法律問題というのは判断材料というのは別に法廷に出たものに限られないわけですから、まず徹底的に議論をするのだろうと私は推測をいたします。ですから、意見が本当に分かれる場合というのは少ないのではないかと思います。

○井上座長 最終的に一致すれば問題はないのですけれども、分かれたときにもルールというのはあり得るということなのでしょう。

○四宮委員 分かれたときのルールはいろいろあり得るわけで……。

○井上座長 そこを伺っているのですよ。

○四宮委員 例えば、裁判員に意見を求めるということもありますし、それでもだめな場合には、例えば被告人に有利な方の解釈によるということもあります。さらに、それでもだめな場合には、今、大出委員からあったように、それは裁判長の意見を裁判体の意見とするというような決め方もあると思います。

○井上座長 そういう考え方があり得るということですね。ほかの方はいかがでしょうか。

○平良木委員 刑事裁判の審級制度は3段階になっているわけですが、今まで議論されてきたことは、第一審をどうしたら強化できるかということだったと思うのです。一審強化ということが一番大事であって、一審の裁判をできるだけ尊重していこうということだったのだと思いますけれども、そういったときに、職業裁判官は、今まで、例えば、大きい事件については少なくとも3人でやってきていて、これは我が国だけではなくて、ほかの国でも、3人の裁判官の構成というのが極めて多かったはずなので、そこには一定の合理性があったはずだと思うのです。
 そうすると、先ほどからいろいろ意見が出ておりますけれども、例えば事実認定について裁判官を外して国民だけにさせてしまうというような議論が出てくるとすると、裁判官の数はどうでもいいということになるけれども、もしそうでなくて、お互いに協働して裁判をするということであるならば、やはり3人を原則にしておいて、そこに何人の裁判員を参加させるのがいいかというように考えるのが私は筋だと思います。したがって、裁判官は3人がいいと思います。

○髙井委員 私も裁判官は3人がいいと思います。法定合議の事件でも裁判員裁判の対象になる事件とならない事件があるわけで、裁判員対象事件を裁判官2にすると、それよりも軽い法定合議事件については、法律問題を裁判官3で慎重に検討しながら、それよりも重い場合が多い裁判員対象事件について、法律問題あるいは憲法問題を2人で検討すればいいということになって、これは論理として一貫しないと思います。ですから、そういう制度は本来あり得ないと思います。
 それから、裁判員の数が何人になるかまだ分かりませんが、いずれにしても裁判員が入れば、裁判官の作業量というものが増えることは間違いないわけで、それを2人でこなせというのはやはり無理があるのではないか、しかも集中審理をしなくてはいけないわけですから、そういうふうに作業量が増えるのに、果たして裁判官の人数を1人減らしてきちんと事実認定なり、議論なりができるのだろうかと思います。裁判官の集中力がそれに耐えられるのだろうかという不安も持つわけで、そういう意味から、裁判官は3人でなければならないと思います。

○井上座長 土屋委員どうぞ。

○土屋委員 私は裁判官3人という現在の合議のスタイルというのが国民には一番なじみがあって安心感がある人数だろうと思っています。ただし、第2ラウンドの最初のときにお話した内容と繰り返しになるのですが、裁判官2人にする制度もあるだろうと思っています。先日、ドイツとスウェーデンの刑事裁判をちょっと見てきたのですけれども、そうしますと、特別に重大な事件は裁判官が3人でやっていましたけれども、かなりの事件でも、現実には、裁判官が2人でやっているケースがかなりありました。それで現実にそういう裁判を担当している裁判官の方にお話を伺ってみると、どうしても3人でなければならない理由は必ずしもないのではないかという感じも一方では持ったわけですね。つまり伝統的に3人の裁判官でやっているから、それが安心できる制度なんだという説明が非常に多くて、論理的な説明というのはあまり聞かれなかった感じがいたしました。特にドイツは、原則で3人だけれども、東西統合によって裁判官を東側に派遣する必要が生じたために、西側の裁判官の数が減ったという理由があって、それで3人から2人に減らすケースが多くなった。それからもう一つは財政的な理由で、司法の経済的な負担を軽くするという理由で、3人から2人になっているのだという話を聞きましたけれども、そういう一種の政策的な選択の問題でもあるのかなという感じも実はしているんです。それで、裁判官が2人だと、決して動かないまずい制度になってしまうかというと、必ずしもそうでもないのかなと、そういう印象を持って帰ってきたりしました。
 ただ、今、日本の裁判を見ていくと、合議事件が3人ということで行われるわけですから、それより重い事件を扱う裁判員裁判を裁判官2人でやることが、国民の目から見てどうなのかなという懸念があるということは事実だろうと思います。ただ、選択としては、2人の場合もあり得るだろうと私は考えています。

○井上座長 ドイツとスウェーデンで見られたのは、参審員が入っている裁判体でしょうか。

○土屋委員 参審員が入っている裁判体です。

○井上座長 裁判官と参審員の両方が法律問題も決める裁判体ですね。両方が同じ権限を持っているわけですので、我々の考えているものとは前提が違っていますね。確認だけですが。

○平良木委員 ドイツは確かにそういうことになっていましたけれども、その後、変わって3人に戻しています。ただ、東ドイツだけ例外的に2人でできるということになっています。それと職業裁判官が1人でできる簡単な事件について、難しいものは2人でできるという形なっておりますので、恐らくそれとのちょっと混同があるのではないかという気がするということです。

○井上座長 樋口委員、もしよろしかったら。

○樋口委員 一応の発言権を与えていただいて、その範囲内でお答えしたいと思います。結論は3人でよろしいのではないかと考えております。主たる論拠を何に求めるかというのは確たる確信がないものですから、こういったことかなと考えているのですけれども、新しい制度の導入によって、裁判の運営の円滑がいささかでも支障を来す、ないしは損なわれるようなおそれのあるようなことは避けた方がいいのではないかといったところに論点の一つはあるのかなと思います。

○井上座長 分かりました。本田委員が手を挙げておられたのを遮ってしまいましたけれども、よろしかったらどうぞ。

○本田委員 大出委員に質問ですが、法律解釈に争いがある場合に裁判長の意見に従うというのは、結局裁判官は一人だというのと実質的に同じではないのでしょうか。それから、後で四宮委員から、裁判員の意見を聞いて法律解釈すればいいみたいな趣旨のことがちょっと出たと思うんですけれども、およそ非現実的な話だろうと思います。難しい法律問題について、裁判員から話を聞いて、法律解釈がそれで決まるという話でないような気がするんですけれども。

○酒巻委員 私も付随的な質問です。

○井上座長 どうぞ。

○酒巻委員 質問したかったのは、今、本田委員がおっしゃった二つと、さらに加えて、被告人に有利な法律解釈を採用するというようなことも四宮委員おっしゃったと思いますが、私の理解では、実体法や手続法の条文の、純粋な解釈問題において、被告人に有利だとか不利だとかという話が必ずしも起こるわけではないだろうと思います。また、そもそも事実認定ではない法解釈について被告人に有利な方を採るなどという発想自体が到底納得しがたい。裁判官が偶数だった場合、両者の法律解釈が対立した場合にどうやって決着をつけるのかが問題となります。決着のつけ方として、大出委員は、裁判長に最終権限を与える制度があり得ると言われましたが、私は法律解釈については、裁判長もヒラの裁判官も区別はないというのが当然のことだろうと思います。必ず裁判長の意見が勝つなどという制度も到底納得できない。そうすると決着がつけられなくなるので、その辺をどうするつもりなのかという点を伺いたいと思います。

○大出委員 本田委員から、法律問題について裁判長の意見に従うということになったときには、結局裁判官が1人であるのと同じではないかという御質問ですけれども、議論ができるかどうかということが前提として重要な意味を持ってくるわけです。ですから2人いれば、少なくとも、私は先ほど言いましたように、すべて裁判官で決着をつけなければいけないというふうにも思っていませんけれども、しかし裁判官同士で議論の余地はあるわけですし、そして、今の酒巻委員からの御質問とも関連するかもしれませんけれども、そのときに最終的な決着のつけ方は、例えば、説が分かれて2対1というようなことにうまくいけば、それで決着がつくということになるかもしれませんけれども、法律問題が分かれたときに絶対的にどちらに合理性がある、あるいは優位性があるのかということについては、やはり争いのあるところなわけでして、そのときには事前に法律としてどういう従い方をするのかというルールが決めてあれば、それに従うというのも一つの合理的な選択肢だと私は言えると思いますから、その限りでは特に問題はないのではないかと思います。

○井上座長 あらかじめルールを決めておけば、それに従うのでよいというのは、その限りではそのとおりですけれども、本田委員等が問題とされているのは、その決めておくべきルールの内容が合理的なものかどうかということだろうと思うのですが。

○大出委員 ですから裁判長の判断に従う。つまり1対1に分かれたときには裁判長の判断に従うということでいいのではないでしょうか。

○井上座長 憲法で保障された個々の裁判官の独立とか対等ということとは矛盾しないですか。

○大出委員 いずれにせよ、事実認定の場合も、結局最終的に意見が分かれて決着がつかないときには事前にルールを決めておいて、それに従うというような形での判断というのはあり得るわけじゃないですか。

○井上座長 しかし、その事実認定などについては、裁判長の意見に従うというルールにはなっていないですよね。ですから、そこを問題にされているのではないでしょうか。

○酒巻委員 事実認定に合理的な疑いが残れば、被告人の利益にというルールで決めるんですけれども、法律解釈について、疑わしければ被告人の利益などというルールはないわけです。

○大出委員 ですからルールを作る。

○酒巻委員 だからルールを作るとした場合、裁判長が決めるというルールは、憲法上も合理性があるのかどうかということをうかがっているわけです。

○井上座長 そういうことを議論されているのだろうと思うのです。

○酒巻委員 そんなルールは決められない、不合理だろうというのが私の意見です。

○池田委員 1点だけ付け加えさせていただきます。裁判長が決めればいいという考えは、裁判官の心構えというようなことについて全く理解をしておられないから、そういう話が出るのではないかと私は思うのです。裁判官は裁判官になったときから、どんな先輩でも理屈の上で対等だということで教育されてきているわけですね。ですから上の人が右向いているか左向いているか関係なく、自分の頭で何がいいかということを常に考えているわけで、それが裁判の独立が保障されている理由だと思いますし、良い裁判をするには不可欠なことだと思っていますから、ですから、それがいくらいい意見でも最終的には先輩の言うことで決まってしまうというのだったら誰も努力しなくなってしまうのではないかという気がするのです。裁判長が決めればいいという制度は、裁判官の持つ、そういう気質自体を変えていくことになってしまい、そんな危険な話はないと私は思います。

○井上座長 高井委員、どうぞ。

○髙井委員 大出委員の意見も四宮委員の意見も極めて危険な意見だと思いますね。要するに、法解釈というものは一つの論理の世界の問題であって、論理の世界は論理の合理性がどちらにあるか、それだけで決められるべきものなんですね。それによって初めて公正中立ということも言えるし、人権の保障ということも言えるわけです。論理に関する問題である法解釈を、被告人に有利かどうかであるとか、裁判長や経験が豊富な、あるいは級が上の人の意見に従って決めるとかというのは論理の合理性を無視した決め方であって、裁判の本質である公正中立であるとか、どんな強い意見にも対抗して論理の合理性を守るという裁判の精神とか土壌とかそういうものを掘り崩す非常に危険な考え方だと思います。到底お二人の意見には賛同しがたい。

○大出委員 何か危険だというお話ですので、反論しないわけにいかないわけですけれども、先ほど来申し上げていますように、法解釈についての議論というのは、上訴裁判所に持ち込むということは十分に可能なことなわけですね。

○井上座長 第一審で決めることができるのか、という話を今しているのですよ。

○大出委員 ですから一審でどう決めるかということは、さっき言ったようにそれなりに合理的なルールが作られればいいわけですよね、最終的には。そのときに、それ自体が危険だというふうにおっしゃって、つまり、そういう判断の仕方自体が、例えば、法解釈で意見が分かれたときに本当に危険なのかどうかということについては、しかもその中身が、当該事件の判断として正しかったのかどうかということが危険かどうかということにかかわってくる問題になるわけですから、最終的にその担保措置があるかどうかということが重要な問題なのであって、そこですべての決着がつくわけではないわけですから、という考え方も当然あり得ると思うんですね。あと、当然の前提としては、先ほど来申し上げていますように、私の意見と四宮委員の意見が同じかどうか分かりませんけれども、まさに論理とおっしゃることにかかわるわけですけれども、当然議論ができるということは保障しているわけですから、そこで議論を尽くした結果、意見が分かれるということはそれはどういう場合だってあり得る。それを場合によっては多数決で決着をつけるということ自体、それはもちろん理を尽くして、それぞれ独立して意見を述べた結果としてということはあるかもしれませんけど、当然そのことを前提としながらルールがつくられている、しかも最終的な担保措置があるということであれば、それを危険だとまで言い切れるかどうかということは私は疑義があると思いますし、そういう方法はあり得ると。
 それから、これは一つのもちろん私は提案をしたわけで、絶対的にこのルールだけだと私は思っているわけではありませんので、方法はほかにもあり得るだろうと思います。

○井上座長 大出委員がそういう御意見であるということは分かりました。

○髙井委員 高裁があるじゃないかという意見は一審軽視を象徴する考え方だと思います。基本的には一審はやっぱり重視する、基本的には一審で決めるというのが大前提でなければいけないわけで、制度設計をするときから、一審がミスっても高裁があるのだから、高裁で救うという前提にして、一審ではミスってもいいというような制度設計をするというのは基本的に間違っていると思いますね。

○本田委員 先ほどの大出委員の話を聞いていると、法律を当てはめた結果の当否が控訴審で判断されるからいいじゃないかみたいなことをおっしゃっていましたけど、そうではなくて、議論するシステムの決め方がどうかということを問題にしているわけであって、そういうときに裁判長の意見で決めちゃうというシステムがおかしいのではないかと言っているわけです。だから、そこに対する回答を恐らく伺っていないと思うんですけれども。

○井上座長 では、どうぞ。

○四宮委員 私は最初に申し上げたように、基本的には1人でいいという考え方です。裁判官2人という考えが話題になっているので、2人の場合もあり得るということは申し上げましたので、いろいろお答えしたいと思います。一つは、私は本当に意見が分かれた場合に、裁判員の意見を聞いて判断すべきだということを申し上げたことに対して、本田委員から、そんなものは裁判員には分からないというお話がありました。しかし、今度の裁判員制度の趣旨の大きな目標は、今まで国民に分かりづらくて遠かった裁判とか法律というものを分かりやすくして国民的な基盤を作ろう、接地面を広くしようということが意見書にも書かれているわけです。法律論というのは素人に分からないものだという発想そのものが、この裁判員制度の趣旨に反するものだと思います。つまり、いつか座長もおっしゃいましたけど、合理的であるということは誰にでも分かるということでなければいけないわけですね。素人に分からない合理性というのは一体何なんだろうと思います。ですから私は、もし、こんなことはめったに起こらない、例えば今最高裁の小法廷では2対2で審理することが認められていて、その場合どうすのだということが規則に書かれていますけれども、それについて触れられた岩松三郎判事は、こんなことは希有な場合だというふうに書いておられますけれども、そういった……。

○井上座長 四宮委員、簡潔にお願いできますか。

○四宮委員 分かりました。たくさんありましたので。ですから、それは裁判員にきちんと説明をすれば理解して意見を求められるものだと思います。それから、それでも究極の希有な例外の場合にどうするということなんだと思いますけれども、裁判長とヒラという言葉がありましたが、裁判官の意見とか評議権、評決権に別に差を設けるわけではないですね。最終的に裁判長の意見を裁判体の意見とするということは、別に意見、評決権そのものに差をつけることにはなりません。ちょうど3人の中で2対1で負けた人が、評決権が不平等であったかというとそんなことはないわけです。結局、問題は数によって決めることと、数以外の要素によって決めることの合理性だと思います。数によって決めることは一つの確かに合理的な方法だと思いますけれども、例えばベテランの人に、経験豊かな人に委ねるということはいくらでもあり得るわけで、例えば訴訟指揮などはそうですね。迅速な法廷運営のためには裁判長という役割の人にいろんな決定権を委ねるということが合理的であるというふうになっている。ですから私は1人説ですけれども、2人の場合でもそういった仕組みづくりが十分にできるのではないかと思います。

○井上座長 どうぞ。

○本田委員 裁判員に分かりやすい裁判をしなければいけないということを誰も否定してないわけです。私がおよそ非現実的だと言ったのは、例えば誤想過剰防衛は誤想防衛なのか過剰防衛なのかというような問題になったとき、裁判員にそんなこと聞いたって、法律の専門家じゃないから、そんなところの解釈を聞いても分からないでしょうということです。ただ、そういうものが分かった人が、国民に分かりやすく説明するのは当然のことです。ただ、法律解釈が分かれたとき、そういうことについて裁判員に聞いて、裁判員が的確な答えを返してくれるか、それはおよそ非現実的な話でしょうということを申し上げたので、そこは誤解しないでいただきたい。
 それから、数で決めるのと、誰かが決めるのとでは本質的に違います。裁判長が決めるのだとなってしまえば何を言ってもだめなわけです。数で決める場合には、場合によっては、裁判長と右陪席の意見が通るかも知れないし、右陪席と左陪席の意見で裁判長の意見がだめなことになるかも知れない。それは論理の組み立て方で議論しながら決まっていくわけで、最初から裁判長の意見に従うものだと決まってしまっているのと全然違います。

○井上座長 私は、疑問に思ったことだけ伺いたいのですけれども、四宮委員の御意見ですと、結局法律問題も裁判員に判断権を与えろということにならないですか。法律問題については、裁判員に意見を言ってもらってもいいけれど、最終的には裁判官が決めるということを前提にしながら、決め方の問題として、決まらなかったときは裁判員に決めてもらうというのは論理が矛盾しているのではないかという気がするのですね。裁判員の意見をもちろん聞いてもいいのですが、最終的には裁判官が決断しないといけない。その決断をするときのルールといいますか、決め方について今議論しているのであって、その際、裁判官の間では決まらないときに、裁判員の意見を聴くということに意味を持たせるとすれば、裁判員に、あるいは裁判員も加わって、決めてもらうしかないと思うのです。しかし、それでは、前提としていることと矛盾することになるのではないかという疑問を持ちました。

○四宮委員 私は、その2人の裁判官の議論に、裁判員の意見を参考にして反映して、また議論してくださいということです。

○井上座長 でも、それでも、結局決められなかったら、どうするのですか。

○四宮委員 その場合には、私は長の意見にするというのは一つの考え方だろうと思います。

○井上座長 そうなると、結局、さっきの大出委員の意見についてなされたような議論になっていくのですよ。

○四宮委員 そうですね。

○井上座長 御意見は分かりました。

○髙井委員 1点だけ。

○井上座長 かなり堂々めぐりの議論になってきていますので、あと少しにしていただきたいと思いますが、どうぞ。

○髙井委員 議論は最初から勝つ方が決まっていることを含んだ議論になって、本来の議論というのはあり得ないのであって、そういう意味では、大出委員の案は、評議の公正さなり深みというものを否定する案だと思います。

○大出委員 先ほど本田委員のおっしゃったことも、髙井委員のおっしゃったこともいっぱいあるんですが、さっき四宮委員言ったこと、つまり裁判員がかかわって、確かに専門的な法解釈の問題について、裁判員に答えを求めたから、直ちに答えが出てくるということではないかもしれませんけれども、まさにこれは意見が分かれているときなわけですから、どちらの主張が解釈として合理性を持ち、常識にかなったものなのかということについて、裁判官同士での議論を裁判員が聞いて意見を述べるということができるということになれば、そのいずれかの選択という問題であるわけですから、当然それなりに優劣がはっきりしてくるということが通例はあるだろうと思いますし、そういう形で裁判員が裁判体として協力するというのはあってしかるべきですし、それでも、なおかつ決着がつかない場合については、先ほど言いましたようにルールを決めておくということがあれば、それなりの合理的な判断になってくると私は考えていますけれども。
 それこそ裁判体として、市民の方に入っていただくということで、機能というものをどう充実させていくかということを考えたときには当然それは想定されてしかるべきことだと私は思います。

○井上座長 裁判員に意見を聞くということについては、別に異論があるわけではないと思うのですが。

○大出委員 素人に全く分からないじゃないかという御議論されるからですね。そんなことないだろうということを申し上げている。

○井上座長 分からないこともあるのではないかということでしょう。

○大出委員 ですから、それは分かるように専門家が説明して意見を聞くということが必要なんじゃないですか。

○井上座長 ちょっと熱くなっておられるようですけれど、我々学者の法解釈論でも見られることですが、理屈としては両方成り立つということはあり得るわけですよね。そういう場合において、どちらかに決めなければならないときに、どういう決め方をすればよいのかということが、今問題とされているのだと思うのです。両方とも説明は可能なのですよ。

○大出委員 ですから、であればこそ、最終的にそうなったときにどうするかということについてのルールを事前に決めておけばいいということです。その一つとして裁判長に従うというのはあり得るだろうという議論です。

○井上座長 大出委員のお考えがそうだということは既にうかがいました。それをまた議論し出すと、堂々めぐりになりますので。

○四宮委員 私は、日本の裁判官は十分1人でもやれると思うし、2人でもやれると思っておりますので、そこは少しこの議論の不思議なところなんです。仮に今の3人のままということになると、それで今の裁判はうまくいっているのだという方々の御意見を前提にすると、じゃ、国民は一体何で入るんですか、我々は呼ばれて、不出頭に罰則までつけられて、なぜ、我々は行かなければいけないんだ、ということになるのではないかと思うんですね。

○井上座長 四宮委員、そこまでおっしゃるのなら、私も一言申し上げざるを得ないのですけれども、審議会意見書は、現在の裁判がうまくいっていないという前提に立って裁判員制度の導入を提案しているわけではないのですよ。

○四宮委員 もちろんです。私もそれはずっと今までの議論を……。

○井上座長 ですから、そこに疑問を呈されるということになりますと、意見書の前提とは違ってくるので、敢えて申し上げたのです。

○四宮委員 それはそういう意味で申し上げたのではありません。今やっていることを前提に、私もそれがまずいから裁判員制度を意見書が提案したのではないということは、第1ラウンドでも第2ラウンドでも申し上げていますので、全く同じ基盤に立っております。

○井上座長 そこのところは踏み外さないでいただきたいのです、議論としても。

○四宮委員 そういう趣旨で申し上げているのではありません。だから、裁判員制度の趣旨は、酒巻委員と意見が違うところですけれども、私は一つだけずっと疑問に思っていることは、酒巻委員のような御理解はいいんですけれども、従来の裁判を前提にして裁判員を付け加えるのだということがこの意見書の趣旨だというふうにおっしゃるわけですが、それは、意見書のどこに書いてあるんですか。

○酒巻委員 誰がお読みになっても、裁判員制度の部分には、専門家である職業裁判官に、一般国民の健全な常識が加わることによって両者が協働する新たな裁判体をつくるという趣旨が書いてあると思いますが。

○四宮委員 同時に国民の主体的、実質的な関与と、国民が裁判を担うということが書かれています。

○井上座長 そこのところは四宮委員は異なる解釈に立たれているのかもしれませんけれども、現在のように職業裁判官だけで裁判をやっているところに国民の健全な常識を反映させることによって、さらに新たな要素が付け加わり、裁判がより良いものになるという趣旨だと理解できる部分がある。酒巻委員が言われたところはそうなっていると思うのです。四宮委員の言われる主体性というところは、ここが四宮委員とほかの方で意見が分かれるところだと思うのですけれど、四宮委員は、そこでいう「主体」とは、裁判員が中心になるという意味だというふうな読み方を多分されているのでしょうが、ほかの方からみれば、そうではなく、個々の裁判員がそれぞれ主体性を持って加わる、そういう参加の仕方がそれぞれ主体的であるようにすべきだという趣旨であると理解されるということだと思うのです。

○四宮委員 確かに日本語としての主体性というのは、今のような読み方が両方できるのかもしれません。しかし、審議会の公式の英語のバージョンを見ますと、主体性の訳として“オートノマス”という言葉が使われているんですね。

○井上座長 その英語訳は公式のものというわけではありませんし、“オートノマス”という英語も、裁判員のグループで自律的に決めるということではなく、それぞれの個人がオートノマスだという意味で用いられているのです。その英語訳については、私も関与しましたので、そこのところははっきり覚えていますけれども、その英語を根拠にしてそのような解釈に結びつけようとするのは無理だと思います。その基本的なところの理解がずれているのだろうと思うのです。

○四宮委員 オートノマスが使われている意味というのは、やはり意見書の総論部分の理念から来ているのではないでしょうか。つまり国民の自治・自律という。

○井上座長 私は、座長ですから、あまりこれまで申し上げなかったのですけれども、審議会意見書は、国民主権であり、国民が自律的だから裁判も自ら行うべきだといった直線的な考え方で書かれているのではありません。もちろん、司法権も国民に由来するわけですから、その意味で、国民主権ということを前提にしているのですが、しかし、そこから直ちに参加ということが導かれると言っているわけではない。実際、審議会では、そこのところは非常に慎重な議論をしたわけですよね。四宮委員も傍聴されていたから、お分かりだと思いますが。したがって、意見書の書き方も、そうではなく、司法は国民にとって自分たちのものであり、自分たちが担うのだという自覚を持っていただきたい、そのようになっていただくための参加なのだという論旨になっているのです。
 そこを四宮委員のように読むのと、ほかの方のように読むのとでは根本的な違いで、そういう見方だけで議論をされても溝は埋まらないと思います。

○酒巻委員 私は検討会に参加する前に意見書を精読するとともに、司法制度を専攻する研究者として、議事録も全部とは言いませんが、四宮委員が傍聴したのと同程度には読みました。議事録の審議の過程を踏まえて意見書を読み、先ほど言ったような理解になっているということを一言申し上げておきたいと思います。

○髙井委員 もし四宮委員の御意見が、裁判員が中心となった裁判であるべきだという御意見であれば、それは憲法に違反すると思います。

○井上座長 そういう御意見も出ましたけれど(笑)、また憲法論に入っていきますと、それだけで一日費やさなければならなくなると思うのですが……。

○大出委員 当然意見書自体はもちろん出たときからひとり歩き始めているわけですし、その言葉の意味として、そこをどう解釈するかというのは、それぞれがどういう読み方するかということにかかわっているわけですね。それで考えたときに、主体的の後に実質的が付いているわけですね。ですから中心という意味、裁判員が中心でなければならないという意味ではなくて、裁判員が入っていて、その裁判員自身がその主体として実質的に評議なり裁判の運営にかかわることができるということを保障されている必要があるということは間違いないわけですね。

○井上座長 最後に言われた点は、誰も否定していないのではないですか。

○酒巻委員 さっきから議論しているのはそこではなくて法律問題、つまり職業裁判官の領分について意見が分かれたときどうしましょうかという点ですが。

○大出委員 その場合であっても裁判員のかかわり方はいろいろとあり得るということは当然前提になっている。

○井上座長 そこは、誰も問題にしていないのですよ。ひとわたり皆さんの御意見を伺いましたので、この点はこのくらいにさせていただきたいと思います。言い足りないという方がおられるのは重々承知しておりますけれども。
 次に、今の議論を前提にしながら、今度は裁判員の人数について御意見を伺いたいと思います。どなたからでもどうぞ。

○酒巻委員 先に結論を言いますと、私は、先ほど述べたとおり、職業裁判官3人を維持するという意見であり、そして、この裁判員制度は、健全な社会常識を持った一般国民は、証拠に基づく事実の認定と様々な資料に基づく量刑については、職業裁判官と同じように的確な判断ができるということを前提にして設計された制度だと考えており、これらの点について協働する人間皆平等であるとすれば、職業裁判官3人であれば、関与される裁判員の方も同数の3人というのが合理的だろうと思っています。
 第2ラウンドの議論では、全体の合議体の人数がどういう規模であるべきかという観点からも議論されましたが、そちらの方からも申しますと、私は、全体の規模があまりの大人数では、一般国民の方々の主体的・実質的関与という要素も、評議の実効性という要素も十分に満たされないと考えておりますので、全体の人数はそれほど多くない方がいいと思っています。そして、先ほど述べた理由により職業裁判官3人であれば、それと同数の一般国民の方が3人、全体として6人というのが合理的かつ的確な合議体の規模であると考えています。
 一言付け加えますが、裁判員の数を職業裁判官よりも相当多くしなければならないという結論を述べるお考えがあることは承知しております。しかし、私には、なぜ多くしなければならないのかということの合理的な理由がどうしても思いつかない、納得できないので、そういう考え方には反対です。そのような考え・結論は、一般国民は職業裁判官と必ず対立対抗するはずのものであり、かつ一般国民の事実の認定と量刑の能力が裁判官よりも劣っている、つまり、例えば、裁判員の数が裁判官の2倍ならば能力は2分の1、数が3倍ならば能力は3分の1ということを前提にしない限りは出てこない考えだろうと思っております。それは協働という観点から非常に不当であり極めて不合理であるし、一般国民の方の健全な社会常識を持った証拠に基づく判断の能力を最初から低く評価するという考え方だと言わざるを得ません。私にはそのような前提に立って制度を考えることは到底できない。そうだとすると合理的なのは同数ということになります。以上です。

○髙井委員 人間が万人平等であることは私も認めるにやぶさかではありませんが、だからといって裁判官の数と裁判員の数が同数でなければいけないというのは納得できません。裁判官と裁判員が違うのはやはり説得する能力であり、片方は説得するプロで、片方はそうではない、こういう差は歴然としてあるわけで、そういう意味では、これまで申し上げているとおり、裁判官3に対して裁判員は5とすべきであると思います。5にする理由は2票のハンディをつけるという趣旨であるということを申し上げております。
 この点について、第2ラウンドのときに、酒巻委員から、そのハンディというのはよく分からないという御批判を受けていたと思うんですが、基本的には、裁判官チーム対裁判員チームということで意見が分かれるということがもちろん常にあるわけではありません。裁判官と裁判員が入り乱れていて、Aチーム、Bチームになることは十分あるわけですが、しかし、こういう制度を考えるときには一種の極限事例も考えて議論をするべきだと思います。そうすると、裁判官チームと裁判員チームに割れてしまうという場合が絶対ないわけではない以上、その場合にでも一応合理的な議論ができて、合理的な結論に達するということを踏まえた数でなければいけないと思うのです。そういう意味で私は裁判員の数は5がいいと思います。
 もう一つは、裁判員に限らず裁判官もすべて主体的に議論に参加をしてち密な議論をするというためには合議体の人数があまりに多過ぎては無理だろうと思います。少なくともトータルした数が10を超えるようなことがあってはいけないと思います。
 そういう二つの理由で、3+5で8が妥当だろうというふうに思っています。

○酒巻委員 裁判員の数は、なぜ4ではなくて5なのですか。

○髙井委員 4だとハンディが1になるからです。ハンディは1だったら簡単でしょうということです。

○井上座長 それは理由にはなっていないと思うのですが(笑)。裁判官の員数との差がそうなるということを言っているだけですから。

○平良木委員 言わんとするところは、みんなほとんど同じになってしまいそうな気もするんですけれどもが、私は、従前から裁判員の数は3ないし4がいいという言い方をしております。大事なことは、裁判員というのは、一回限りの裁判に出席して意見を述べなければいけないということであり、そうだとすると、やはり十分に意見が述べられるような環境といいますか、雰囲気これを作ってやるということになる。あまり少ないのはいささか問題かなという気がします。そうすると裁判官と同じ数かやや多い方がいいだろうということで3か4という数を出していったわけです。ただ、それでは、6でも9でもいいじゃないかという議論が出てきますけれども、あまり数が多くなると、恐らく、裁判員を確保をするための負担が極めて大きくなってくるということと、もう一つは合議のしやすさに問題が生じるというのがあるのだろうと思うのです。そのバランスを考えると、先ほど言った、裁判官と同じかやや多い、3か4がいいだろうということで、たたき台の案でいくと、Aでもない、Bでもない、ややAに近いかということになるわけです。

○井上座長 分かりました。ほかの方、いかがですか。

○大出委員 5月だったと思いますが、検討会に出させていただいた資料を本という形にまとめたものですから、お手元に配布させていただいていますけれども、前回は必ずしもそこに言及しなかった部分について付加的に意見を述べさせていただきたいと思うんですが……。

○井上座長 簡潔にお願いします。

○大出委員 お手元の本でいうと、206ページに、前回はそこまで整理しきれずにおりました数字を載せております。もちろんこの前提となる評議につきましては、115ページ以下に評議室Aと評議室Bについて全部掲げてありますので、それをご覧いただければ、既にご覧いただいているかもしれませんけれども、見ていただければと思うんですが、私は従前から、もちろん裁判員の数が相当多くて構わない。12と言ったというふうにも言われていますが、いずれにせよ、10名前後で構わないと私は思っているわけですが、それで、この数字は、前回言いましたけど、ここはたまたま3人になっているというのは、お手伝いいただいた方たちの関係で3人になっているので、私は2人だと裁判官を主張しているのとその点で矛盾しているわけではないということで御了解いただきたいのですが、これを見ますと、私も改めて数字を整理してみて、その点について御意見を申し上げざるを得ないだろうと思いましたのは、こういう形でしか数字的には処置はできないわけですけれども、発言回数とか発言のボリュームということで考えたときに、裁判官の方たちと裁判員の方たち、裁判員が10名の場合と裁判員が4名の場合ではかなり極端に違うわけですね。
 これはお手伝いいただいた裁判官役の方たちの名誉のために申し上げておきますけれども、そのこともアンケートとしては、172ページ以下にありますのでご覧いただければと思いますけれども、裁判官の方たちが横暴であったり、強引な訴訟指揮をしたとかということはないということを前提としながらも、4人の場合と10人の場合では、裁判官の方たちと裁判員の方たちの発言の機会といいますか、量は圧倒的に違うんですね。これは実際の評議の内容をつぶさに見てみれば、その事情は分かってくると思うのですが、私の確認している限りでは、裁判官の方と裁判員の方が同数に近い場合は、裁判員の方たちの発言というのは、裁判官の方たちとの間での話になってくるわけですね。それはもちろん絶対悪いということではないかもしれませんけれども、じゃ、10人の方はどうなっているかというと、10人の場合には裁判員の人たちの間で議論が成立することにもなっているわけですね。それに対して、その議論がおかしかったり、変な方向にいったりするときに裁判官の方たちがチェックを入れるとか、その意見をおっしゃるというような形で軌道修正していくというようなことで議論ができているということになるんです。
 それで裁判員が加わるということの持っている意味ということを改めて確認するまでもないわけですけれども、健全な社会常識を反映していくというようなことになったときには、裁判員の方たちがトータルな意味で、まさに実質的、主体的にこの議論に参加しているかどうかということが問題になってくるわけで、そういうことで考えたときには、やはり一つの参考資料に私はなるだろうと思うのです。
 お手元に実は数字として別にお配りしていますが、非常に細かいもので、これ自体、参考までにということですが、改めてここで具体的に発言の具合を更に細分化してみたのですが、これを見ていただいて、一回の発言のボリュームということでいけば、評議室AもBも、裁判員の方も裁判官の方も変わらないんですね。ところが発言回数とかボリュームということになってくると明らかな違いが見られると私は見ているわけです。特に最終的なところでは、平均発言行数というようなところを見ていただければと思いますが、裁判員Aの場合、つまり裁判員が10人いる方では、裁判官との関係でいきますと、2.45倍ということなんですけれども、これがBの方、裁判員が少ない場合については4倍近くになっているわけですね。そういったところにも、先ほど申し上げたことがあらわれているのではないかと思うわけで、そこはある程度裁判員と裁判官の差があるということでなければならないだろうと思いますし、先ほど酒巻委員は能力的な問題ということでお触れになりましたけれども、私は無作為で一回限りで出てこられる裁判員、個別的に能力がないなんて私も全く思いませんけれども、しかし、裁判にかかわるということになったときにそこに違いがあるということは間違いないわけで、その違いを補うような、数の上でも配慮は必要なのだろうと私は考えます。

○井上座長 それで、結論は。

○大出委員 結論は、私は前から申し上げているとおり、裁判員の数は10ないし12ぐらいでも構わないという意見です。

○井上座長 構わないというのは、それがいいということですか。

○大出委員 そうです。

○井上座長 ちょっとお聞きしたいのですけれど、平均発言行数というのは、1回の発言行数とどこが違うのですか。

○大出委員 1回というのは、1回それぞれ発言されたときどの程度発言しているかということです。

○井上座長 平均発言行数の方は、一人がトータルで発言した行数ということですか。

○大出委員 トータルです。

○井上座長 分かりました。

○池田委員 今の点も、これがどうのというつもりはありませんけれども、今の議論からしても、人数が多い方の場合には、一人当たり13.5回、人数が少ない方の場合は一人当たり14.何回になるわけですね。

○大出委員 はい。

○池田委員 そうすると、一人当たりの発言数としては人数の少ない方が多いわけですね。

○大出委員 そうです。にもかかわらず、トータルのところで歴然たる違いが出てきているということで……。

○池田委員 トータルは人数が多ければ、多くなるのが当たり前じゃないですか。

○大出委員 ですけど……。

○池田委員 私は、前のときも言いましたように、実質的な評議ができることが非常に大事で、そのために裁判員が自由に意見を言えるような、そういう場を作ることが大事だと考えています。これは間違いないと思っていますし、そういうことをしなければいけないと思うのですが、そのための実質的な評議を確保するにはどの程度がいいのかということの問題だと思うのです。
 あのときにも裁判官3人と同程度の人数で裁判員はいいのではないかと言いましたが、今もそれは変わりません。それに対し、裁判員が多数でないと、裁判官に負けるのではないか、つまり議論で圧倒されるのではないかという意見がありますが、それは裁判官はもちろん法律的なプロですから、説得術というものも議論している過程で得ていきますので、そういう面では裁判員の方にはハンディがあるかも知れません。しかし、裁判官は、逆に人の意見を聞くのは非常にうまいわけです。先ほども言いましたように、裁判長が何と言おうと、若いころから、評議では自分の意見を述べることを求められます。自分の意見を述べなければ、それは裁判官ではないということで、人の意見を見ていて、それでいいと思っていたのではだめだということです。しかし、自分の意見を述べたときには、先輩からそれは必ず尊重されます。それは尊重された上で、ギャフンというぐらい論理的におかしいということを言われます。そういうことを積み重ねていくと、かなり説得術あるいは説得され術も伸びていくわけですけれども、若いころからそういうことをしていると、裁判長になったときも、今度は逆に若い人らからその意見をじっくり聞こうとします。
 ですから、こういう、裁判員と裁判官が入ったときに、裁判官側の発言数が多いのは当たり前だと思います。今までの評議であれば、こういうようなことで、こういう順序で、この点はこうなるから、この論点についてはこういうことでいいのではないか、次の論点についてはこういうことでいいのではないか、だから、そうすると論理的にこうなるのではないかと思うけれども、どうであろうかということを主任の裁判官なり、あるいは裁判長が説明して他の裁判官の意見を聞くことになると思います。そういう場で、今の評議でもそうなんですけれども、一人が積極的には相手方を言い負かすようなことができなくても、いや、分からない、それだけでは納得できないと、拒否だけをしていれば、周りの人はなぜ納得できないのかを聞き出そうとして、こういう点の疑問点だったら、こういうことがあるからいいのではないか、こういう点だったら、こういうことがあるのでいいのではないかということを言っていって、その人の反応を確かめ、問題点は何なのかを突き止めようとします。そして、その疑問点について、みんなでどうなのかということを詰めて考えいくようになるわけです。
 今回の裁判員制度で裁判官と裁判員が入っても、確かに、裁判員が積極的に裁判官よりも多くの発言をして、そして裁判官を言い負かすというのは非常に難しいかもしれませんけれども、しかし裁判員として加わって、自分が納得できる判断に至るものを作っていくということは当然できるのではないかと思うわけです。ですから、人数が多くなければ、言い負かされてすぐにだめになるから、だから裁判官より多い方がいいのだという意見はどうも私には理解できないわけです。
 それが今の評議の点で、そして、その評議でそれだけ小さなことまで詰めて議論するからこそ今のような判決書の理由が書けるわけです。判決の理由というのはかなり長いものもあります。何千ページになるものもあって、それが全部、何千ページがいいとまで私は言うつもりはありませんが、そして、それは今後は多分ある程度変わっていくとは思うんですが、それでも今の裁判の質を低下させないためには理由というのが必要だと考えています。争われたことに対して理由を付けて結論を示すのが裁判であって、結論に至る理由が示せなければ裁判の名に値しないと思いますので、理由は絶対に必要なのです。その理由を付けるためには、実質的な評議がなければ理由が書けないということからすると、そういう実質的な評議ができる人数というのはおのずと限られてくるのではないかと思うのです。そのようなことから、裁判官と同程度の人数でいいのではないかと思っています。

○井上座長 分かりました。ほかの方はいかがですか。

○本田委員 私も裁判員の数は裁判官と同数程度、私は、裁判官は3人と申し上げていますので、大体その程度の数でいいのではないかと思います。理由は今までいろいろ出てきましたので、それに付け加えて申し上げますと、一つは裁判員制度をスタートさせてうまく現実に動かすという観点から考えた場合に裁判員の数を多くすることは危険だということです。要は裁判員が集まらずに裁判体が組めないというようなことが考えられるということです。この前、第2ラウンドで申し上げましたけれども、検察審査会の審査員の出席状況を見るとよく分かるわけですね。この前、北海道の方へ行きましたけれども、あそこでも大変な苦労をされている。例えば、月に一回、数時間の出席を確保するのだってあれだけの苦労をしているということでした。検察審査会なら、それは一回流れたから、次にまた何とか集めてということができるもしれませんけれども、大きな罪について起訴されて、勾留されている被告人について裁判体が組めないから裁判できませんというようなことはできないわけです。そうすると裁判員制度導入の趣旨、要するに一般国民の健全な常識を反映させるという趣旨を活かしながら、一番現実的に動くような制度とするためには、そんなに裁判員の数を多くすべきではないということになり、同数程度のものでまず動かしていくのだということになると思います。その運用状況を見て、後でまた検討することはあり得るかもしれませんけれども、最初から大きな制度にするのは危ない。裁判員制度そのものがつぶれてしまう可能性があると思います。

○井上座長 ほかの方は、いかがですか。

○四宮委員 私も第2ラウンドと同じ意見です。たたき台で言えばB案を軸に検討すべきだという意見で、したがって、裁判員の数は9から11名という意見です。繰り返しませんが、一番大きな理由は、意見書の国民像、あるいはこの裁判員制度の趣旨です。もう一つ、健全な国民の常識を反映するということからいっても、これも前に申し上げたかもしれませんが、国民の健全な常識というものが普遍性、客観性を持つことが必要だということです。誰か、例えば、3人ぐらいに来てもらって、その3人が「こうだね」というものが普遍性や客観性を持つものかというと、それは持つ場合ももちろんあるでしょうけれども、より多くの人の間で共通のものの方が健全な社会常識としては普遍性を持つのではないかと思います。裁判官としてもいろんな人の意見を聞くという意味では大変にプラスになるのではないかと思います。
 それから、評議の実質性、これは非常に重要なことで、私ももちろん否定するつもりはないのですけれども、ヒアリングでも来られた中川氏は、取締役会の御経験から10人ぐらいならば議論はできるということもおっしゃっておられました。また、今度の手続では準備手続が必要的になりますので、争点をきちんと整理して、証拠も整理して問題点をきちんと明らかにして、そして、それを裁判員に提示をしていくことが十分できるだろうと思います。それから、今、本田委員から負担の点、現実性の点についてのご意見がありましたが、今日紹介されて、実は、私が驚いたのは、この朝日新聞のパブコメの結果でありまして、8割の人がやってもいいと言っているということですね。これは、結局、情報がどの程度正確に、そして分かりやすく国民にこれから提示されていくかという問題ではないかと思います。負担という点でも、裁判員が11人ぐらいだとしても、一生の間に一回やるかやらないかというくらいだということも参考になると思います。
 さっき酒巻委員が、事実認定と量刑については対等な権限を持っているから、数も同じがいいというふうにおっしゃったのですが、酒巻委員はその前に裁判員と裁判官というものは異質なものであるということもおっしゃっておられました。つまりプロとノンプロということだと思うんですね。今度の合議体は、言わば異質なもの同士を組み合わせるという、ある意味では日本にあまり例のなかったものなのかもしれませんけれども、そうすると評決権が対等だから数も対等に当然なるかというと私はそうではないと思うのです。さっき池田委員がおっしゃったように、勝ち負けとかということではなくて、プロとノンプロの間で、実質的な対等性あるいは参加の充実感といいますか、そういったものが出てくる必要があるだろうと思います。
 そういった理由から、私は前回の繰り返しになりますけれども、たたき台のB案ということです。

○本田委員 今、朝日パブリック・コメントで、8割ぐらいの人が応じてもいいという結果であったことについて言及がありました。確かにそういうものもあるのですけど、別のアンケートでは違った結果が出ておるのもあります。もう一つ、ここで見落としてはならないのは、拘束される期間について、大部分の人が2~3日しか許容できないと言っているという点です。ところが現実の裁判というのは2~3日で全部が終わるわけではないので、いろんな要素を加味して考えておかないときちんと動く制度にはならないだろうと思います。期間については、対象事件をどうするかによって決まるのでしょうけど、例えば、法定合議事件について、東京地裁の審理がどうなっているかというと、約5割の事件が1回から5回です。2割5分が6回から10回、あと2割5分は11回以上、それ以上は分かりませんけれども、大体そうなっています。大部分の事件がそんな簡単な2~3日で終わるとは限らないのです。だから裁判員になりますと言っている人はいるけれども、それはどれくらい拘束されるかということと加味しながら考える必要があり、片方だけを見て判断するのは危険だろうと思います。

○樋口委員 結論から申しますと、裁判官と大体基本的に同数の裁判員というのがよろしいのではないかと考えております。いろいろ議論がありますけれども、裁判員の主体的・実質的な関与を確保するために、そこから実質的に数を導き出そうというのはどうも間違っているのではないかと思うのです。というのは、少しでも多様な意見を許される範囲内で反映させる、そのために2人よりは3人、3人よりは6人、6人よりは12人というなら分かるのですけれども、ある意味では対立的に裁判官との関係をとらえて、言い負かされないために、それから裁判員が本来持っている常識的な国民としての意見をいかに反映させるかを担保しようというのは、数ではないのではないかと思うのですね。
 というのは、第一、数で考えていますけれども、これは本来は厳しい実験を重ねて、実証してはじめて言えることなのかもしれませんけれども、裁判員は一つの勢力、固まりで動くわけではないですね。個々人それぞれお考えがあるわけであって、ですから、それは池田委員が言われたように、裁判官との関係というのは、裁判官はそう訓練されるともお話ございましたけれども、よく意見を聞いてそれを参考にする、そして、説得もする、説明もする。そういった関係のはずなので、この裁判員の主体的・自主的関与を確保するという観点から、数はかくあるべきというのはどうも変だと思いますね。
 とすると、数はどう決めるのかというのですが、それはもう一つの要件が評議の実効性をいかに担保するか、というのは、本田委員もおっしゃったコンパクトな裁判体である必要があるというのは一つあると思いますし、それから、もう一つは、大変重要なのは、制度でございますので、外形的にこれが対等、協働の関係で運営されるんだなというところが見える形である必要があることからすると、同数程度の結論に必然的になるのではないかという意見でございます。

○井上座長 分かりました。土屋委員、もしよろしかったら、どうぞ。

○土屋委員 私はいつもここに並んでいて、法律家の中で、たった一人の非法律家みたいな感じでいますけれども、これで意見を言うのは相当大変なプレッシャーであります。しょっちゅう見当違いのことばかり言っているなという印象を……。

○井上座長 そうでもないと思いますけれど。

○土屋委員 これでも、口下手で考えがうまく表現できないで、ちょっとまずかったなと毎回反省をしきりにして帰っておりますけれども、そういう立場からすると、ここにもう一人、二人いていただいたら、私と同じように素人の人がもっと違う角度からいろんなユニークなアイデアなり、そういうのが出てくるのではないかなと思うことがしばしばです。前回フィギュアスケート論というスポーツ競技の採点を、うまい例えかなと思って出したのですが、どうも評判が悪くて、別に裁判は採点をしているわけではないというきつい抗議を受けまして、実際そのとおりでありまして、あれは単なるたとえ話でありますので、これは撤回したいと思うんですけれども、あそこで言いたかったことは、無作為抽出で選ばれてくる素人が入ってくると、それは法律家として訓練を経て、それから吟味されてきた人とはやはり違う、いろんな経験を持ち、いろんな資質を持った人が入ってくるということになるわけで、そこから来るいろんな問題がおのずから除去されるような制度設計をしておいた方がいいのかなと考えたためなのです。つまり最高得点とか最低得点とか言ったのは、偏った考え方の人が紛れ込んできたりしたときに、それが決定的に重要な役割を果たさないような制度的な仕組みが必要ではないかと思ったためなのです。例えば、有罪だという結論になったとしても、それが死刑相当事案だったときに、有罪であっても、私は死刑には反対だという意見の持ち主の方はいらっしゃるわけですね。そうしたときに、その人がいるがために死刑の判断ができないというようなことが仮にあったとしたら、それは制度としてはあまりよろしくないかなというふうに思ったわけです。そういう意味での最高得点、最低得点という表現をしたのですが、どうもうまく伝わらずに誤解を招いたりしまして、撤回したいと思います。ただ、私が思うのは、無作為抽出で選ばれてくるいろんな人たちが入ってくるというのは、そういう配慮をしなければならない部分がやっぱりあるのだと思うのです。裁判官グループと国民グループとが対立するというような考え方をとる必要は全くないと思っておりまして、一緒に協働して裁判をできるのだと私は思っておるのですけれども、どっちが勝ったとか負けたとかという意味でなくて、入ってくる裁判員が本当に物を言いやすい状況を作るというのが必要であろうかと思います。そのためには一定の規模が必要だというのが私の考え方でありまして、それで、前回、6人は要るであろうという意見を述べさせていただいたわけです。
 6人の根拠とは一体何であるかということはそのときは言ってないんですね。これは何とも、経験的にと言うしか言いようがない人数だと思うのですけれども、一つは、さっきの外国の話ではありませんけど、外国では6人でやっているケースがありますね。これは一つ経験的に証明されている人数だろうと思います。ただ、やり方はいろいろ違いますから、同じようには言えないと思います。
 それから、今日はいらっしゃいませんけど、清原委員が市民団体の活動からいくと、人数は必要だというふうに経験的におっしゃっていらっしゃったのですが、そのあたりも、ああ、なるほどなと思った部分です。じゃ、それが5人だったらいけないのか、4人だったらいけないのかということになりますと、何とも説明として論理的につけるのがなかなか難しくて、それでフィギュアスケート論みたいな、両端を切り捨てて、残った人数が一定の中庸な意見を反映したものである必要があるのではないだろうかという言い方をちょっとしてみたわけですけれども、ただ、例えは悪いのですが、考え方そのものとしては、私は今もあまり変わっておりません。以上でございます。

○井上座長 分かりました。一通り御意見をお伺いしたいのですが、あえてもう少し議論したいということでしたら、止めませんけれども。

○酒巻委員 前も、私は、土屋委員の今の御意見に申し上げたと思うんですが、ちょっと分からなかったのは、極端な考えの方が入ったとしても、安全のためには人数が多い方がいいというお考えは、私にはよく分からなくて……。

○土屋委員 私が思ったのは、今の死刑の事案を言いましたけど、例えば、2人の裁判員が入ってくる。その中の1人が宗教的な信念で死刑廃止論であったというような場合ですね。

○井上座長 もう少し大きい声でお願いできますか。

○土屋委員 すいません。法律家の前でしゃべるとこういう状態になってしまうという一つの典型的な例であります(笑)。

○井上座長 しかし、法律家である池田委員や四宮委員も声が小さいときがありますから(笑)。

○土屋委員 死刑事案なんかをちょっと頭に置きまして、例えば、裁判員が二人というような状態を考えたときに、その一人が信念的な死刑廃止論者だということはあると思うんですね。そうするとこの一人の人はどう考えても死刑判決には賛成しないということになりましょう。それで事実認定がもし裁判員二人で、裁判官3人という5人の裁判体を構成するとすると、一人の方は死刑には賛成しないということであると、残りは4人になってしまうわけで、ここで多数決で決めてもそれはいいのでしょうけれども、そういう極端な例ですけれども、そういう意見の方が入ってきたり……。

○井上座長 死刑に反対の人は、事実認定としては有罪だと思っているけれども、死刑になるのは避けたいので無罪ということで通してしまうかもしれないということですね。

○土屋委員 そうかもしれませんね。そういうことが小さい裁判体二人ぐらいだと起きてしまうのではないかということが心配です。

○井上座長 裁判員が一人だったら、決定的に生じますね。

○酒巻委員 それについての私の意見は前にも申したとおりで、まさにそういうことを防ぐためには別のところで、つまり、後で議論する裁判員の選任の過程で、例えば理由付き又は理由なし忌避を用いて、かなりの程度、そういう人が入ることは防げるだろうと考えておりますので、あまりその点は御心配にならなくてもいいのではないかと思います。
 もう一つ申し上げたい事は、裁判員は健全な社会常識で物事を判断するわけですが、何を判断するのであるか。裁判員にお願いすることは、「裁判」であるということです。証拠に基づいて、ある事実があったかなかったか、あるいは法廷での証言が信用できるのかどうかということの御判断を求めるのだということであり、その際には、先ほど池田委員が御説明されたように、疑問があれば言っていただいて、お互いに緊密に議論をするということなのです。例えば、指紋が付いていたら、これに触ったのだろうというような推論を普通は常識的にするわけで、あるいは、あの人の証言態度はこうだから、この人は本当のことを言っているのだろうかというようなことが、まさに裁判員にお願いするお仕事なのであって、どなたかが、以前に、言っておられたと思いますが、裁判員の仕事は、裁判は、世論調査ではない。したがって、日本の社会集団の多様性を反映させるのがいいという性質の話ではないと思っています。
 したがって、裁判員の数が社会集団の属性を反映させる程度に多くなければならないという理由はなくて、むしろ逆に先ほどのような、その判断内容、決定は、場合によっては被告人の命を奪うかもしれないという事柄を扱っているということを考えますと、やはり緊密な議論ができるということが何よりだろうということです。

○池田委員 私もある程度偏ったといいますか、そういうかたい人が入ってきてしまうとまずいということに対しては、選定手続の方で除けるシステムを考えて対処すべきなのではないかと思います。

○四宮委員 選定手続を十分機能させることが大事ですけれども、今、想定されている、当日資料をもらって、恐らく裁判官が中心になって質問をしていくという仕組みの中でどの程度クリアーできるのかという問題もあります。ですから、私は、土屋委員がおっしゃった、無作為で選ぶということであれば、選ばれた後のグループの中でのお互いの関係で偏見、偏ったものを正していくという機能に期待すべきだと思いますので、やはり数は多くした方がいいという意見です。

○井上座長 ほかの方はいかがですか。重要な問題点なのですけれども、夏休みを経たにもかかわらず、ほぼ皆さん以前と同じ御意見のようですね。進歩がないとは申しませんけれども(笑)、それだけ深く確信を持っておられるということだろうと思います。この点も議論はもちろん尽きないところでしょうけれども、ひとわたり御意見を伺いましたので、この程度にさせていただければと思います。
 次が、たたき台のイの補充員についてでありますけれども、この点については、これまではあまり御異論がなかったと思いますので、特に何かということがございませんでしたら、この点は省略をして、次の項目に移りたいと思いますが、よろしいですか。
 次が、項目「1 基本構造」というところの「(2) 裁判員、補充裁判員の権限」ということですが、この点についても、私の記憶する限り、あまり御意見がなかったように思います。よろしければ、次の項目ということにさせていただきたいと思いますが、よろしいですか。どうぞ。

○大出委員 確かにそんなに異論があったわけではないというのは、私も記憶しているのでございますが、アの(ウ)のところで、ここも確か議論があったと私も記憶していますが、先ほど来の議論との関係も含めて、裁判官、これは確か池田委員は、そういうときは大体聴くものだというようなお話があったのではないかという気もするのですが、適当と認めるときには、その意見を聴くことができるものとする、という仕切りになっているわけですが、裁判員が意見が述べたいというときには述べられるということにしておく必要がないのかということなんですが……。

○井上座長 必要だという御意見ですか。

○大出委員 最終的な判断権限はないわけですけれども、裁判員が意見が述べたいというときには述べられるような規定振りが必要なのではないかと私は改めて考えていたところなんですが。

○井上座長 今の点、いかがですか。

○池田委員 今の御懸念についてですが、私は、たたき台のような規定振りでも、裁判員が言わせてくれと言ったときに裁判官がそれを止めることはないと思います。ですから、こういう規定振りにしておけば、十分発言する機会を与えられているということでいいと思います。

○井上座長 という御意見ですが、よろしいですか。

○大出委員 前回、確かそういう御意見だったと思いますが、それはもちろんそういう弁もあろうかと思いますけれども、権利という言い方が適切なのかどうか分かりませんが、そこのところは明確に意見が述べられるということにしておく必要があるのではないか、やはり裁判のところが気になったところですので、一応意見として申し上げておきます。

○井上座長 大出委員はそういう御意見だということですね。ほかの方、どうぞ。

○本田委員 権利みたいな形で意見を述べさせる必要はおそらく全くないのだろうと思います。このままの規定で、運用上は、今、池田委員がおっしゃったようなことでまかなえるでしょうし、中には法律に詳しい人もいるかもしれないですけど、少なくとも、全く法律を知らない人が法律問題について独自の見解を延々と述べるのに対して、制限もできないというふうなことになったら困るわけですね。権利とすると、そういう場面が出てくるわけでしょう。最終的な判断権限は裁判官に与えるというシステムをつくる以上、それは裁判官が必要な限度で聞けばいいわけであって、責任を持たないところに権利、あるいは権限として何でも言わせるというのは制度としてはおかしいと思います。

○酒巻委員 私も池田委員、本田委員と同じで、たたき台のままでいいと思うんですが、大出委員が言われたように、法律問題についても意見を述べる権利があるという条文を設ける法律的な意味は何なのかというのが分からないので教えてください。

○大出委員 先ほどの議論と絡むわけですけれども、もちろん最終的な決定権限はないわけですけれども、裁判員が入っているということを全体として反映させるためには、法律問題についても裁判員の意見を聴くという機会があっていいわけですし、意見を述べたいという以上は、それを遮るということがあってはならないだろうということです。

○酒巻委員 分かりました。御意見には反対です。

○井上座長 そういう規定を仮に置いたときには、訴訟手続に関する判断をするために公判廷以外で一定のことを行うような場合にも、裁判員を呼んできて立ち会わせないといけないということになりますか。

○大出委員 そういうことになれば、そうなるでしょうね。

○井上座長 それでよろしいということですか。

○大出委員 せざるを得ないんじゃないでしょうか。

○井上座長 理詰めでいくとそういうことになるわけですけれど、実質判断としても適切だとお考えなのか、という御質問なのですが。

○大出委員 だとすると、先ほどの池田委員のおっしゃっていることと矛盾してくるわけですね。つまり意見が言いたいときには言わせることになるのだろうというふうにおっしゃっているわけですけれども。

○井上座長 これまでの議論では、公判廷において裁判員がいるところで多くのことが行われるだろうという前提に立って、その際に裁判員が意見があるというのにそれを聴かない、「待ってください。あなたには権限はないから、しゃべらないでください。」ということにはならないだろう、ということだったと思います。また、評議の場において裁判官が法律論をやっているときに、裁判員が、「いや、裁判官、それはおかしいんじゃないですか。」と言った場合、その意見を聴かないということにはならないだろう。そういう議論だったと思うのですね。

○大出委員 だとすれば、その場面においては意見を聴くということでもいいと思います。つまり法廷で議論が……。

○井上座長 意見を聴かなければならないということですか。

○大出委員 意見を述べることができるでしょう、法廷で。

○井上座長 「適当と認めるとき」というところが気に入らないということだとは思うのですが。

○大出委員 ですから、今の座長の御説明でいけば、法廷で裁判員も事実上立ち会っている状態で問題が処理されるときに裁判員が意見を述べるという希望を持ったときには、意見を述べることができる。

○井上座長 大出委員はそういう御意見だということですが、どうぞ。

○髙井委員 制度設計をするときには仕切りはちゃんとしなくちゃいけないと思うんですね。今回の基本は、事実認定については、一般国民もできるのだから参加してもらいましょう。しかし、法律問題というのは専門領域だから、一般国民にはやや不得手とするところでしょうから、ここは裁判官だけでやりましょうというのが大枠な仕切りなわけですね。ですから、そこがゆるがせになると裁判全体がおかしくなると思うのです。そういう意味では(ウ)は本来なくてもいい規定だと私は思うんですね。ただ、それでは実際の運用その他があるから、おっしゃっているように、意見を言いたいときに、黙りなさいよというのも何だから、裁判官の判断で聞いてもいいですよという制度にしてあるのだと理解しているんです。ですから、さらに、これ以上に言う権利を与えるということになると、そもそもの仕切りが非常にあいまいになって、制度の輪郭がぼけてきて、最終的には裁判が非常に不安定化すると思います。もう少し激しい言葉で言うとポピュリズムになると、そうなっいたらいけないと思いますね。これはちょっと激しい言い方ですけど。

○井上座長 この点は、このくらいでよろしいですか。一応皆さんから御意見は大体伺ったと思いますが、四宮委員、何か。

○四宮委員 アの(イ)の裁判員の質問権のところなんですけれども……。今、訴訟法の建前は、実務と大きく異なっていて、まず裁判長又は陪席裁判官が証人を聞くということになっている、規定はそうなっていますね。ところが、実際は、交互尋問方式で当事者の主尋問、反対尋問が大体終わってから補充的に裁判官がお聞きになるというケースが圧倒的に多いと思うんですね。その場合に陪席裁判官は裁判長に告げて尋問できるということになっています。私は、この裁判員の質問権というのは重要なことだと思うのですが、これは非常に実務的な細かなことなのかもしれませんが、さっき申し上げた訴訟法の仕組みを当然の前提にすると、いつでも聞けるということになってしまうのか、あるいは今の運用を前提にして、裁判官と同じように、当事者の主尋問、反対尋問が終わった後で、補充的に聞いていただくという形にするのかということなんです。

○井上座長 どちらがいいのですか。

○四宮委員 私は、補充的にしていただくというようにした方がいいと思うんですね。それは、今、実際に裁判官の方々が補充的にしていただいているのは当事者の尋問の組み立て等を尊重してくださって、言わば証言によって事実を引き出す責任を当事者に与えてくださっているからだと思うんですけれども、そういった運用と同じようにしていただけるといいのではないかと思います。

○井上座長 現在の運用でそうなっている理由としては、もう一つ、起訴状一本主義に求められると思います。つまり、起訴にあたっては、起訴状だけが提出され、一件記録のようなものは裁判所には来ないので、裁判官としては、当の証人が何を言うのか、過去に何を言ったのかといったことは事前には分からないわけで、規定はおっしゃったような形になっているのですけれども、裁判官が先に尋問しようにもやりようがない。そこで、当事者にやってもらうということになったのだろうと思うのです。もちろん、当事者主義の訴訟構造という理念的な問題もあるとは思うのですが、四宮委員の御意見は、規定ぶりもそういう構造に従ったものにするべきだということですか。

○四宮委員 そうです。

○井上座長 分かりました。

○四宮委員 もう一つ、これは異論があるかもしれませんけれども、実は当事者からしますと、相手方当事者には異議が非常に言いやすいのですけれども、裁判官に対しては非常に言いづらいところがあります。私は、時々言うんですけど。これが裁判員になったとき、より一層言いにくくなる可能性がないわけではない。むしろあると思うんですね。実際に、例えば、アメリカの陪審改革で陪審員に質問権を認めるべきだという方向、今大きく流れが拡大していますね。その中でも裁判長に質問を書いた紙を渡してそれをチェックしてからやってもらうという形になっていて、その一つの理由は、今いった状況になり得るということなのですけれども、紙を渡して判断してもらってからというのはなかなか難しいですか。

○井上座長 アメリカの陪審員の場合には、もともと質問権がなかったので、認めるとしても裁判官を介してという形にされたのではないかと思うのですけれども、フランスの参審などの場合には、参審員からもどんどん質問しており、証人の方も平気で答えているようでしたから、それほど決定的な理由にはならないようにも思うのですけれど……。

○四宮委員 こだわりません。

○井上座長 特に裁判員の方から直に質問をさせろというような御意見がなければ、今の合議体の場合の裁判官についてと同じようなやり方に恐らくなるのではないかと思うのですけれど、どうぞ。

○酒巻委員 特にそれは条文で制度化しなくても、自然にそうなるのではないでしょうか。

○井上座長 よろしいですか。
 それでは、次は議論がありそうなところですので、ここで休憩させていただきたいと思います。

(休 憩)

○井上座長 再開させていただきます。
 項目「1 基本構造」の「(3) 評決」というところですが、以前のここでの議論では、たたき台のアについては、A案又はB案が妥当という御意見や、被告人に不利な裁判は、合議体の員数の3分の2以上の過半数であって、裁判官及び裁判員の各1名以上が賛成する意見によることとすべきであるという意見などが述べられたところですけれども、この点を含め御意見を伺いたいと思います。どなたからでもどうぞ。3分の2以上というのは、確か四宮委員が言われたことですよね。

○四宮委員 はい。

○酒巻委員 私は、たたき台の単純多数決ということで結構だと思います。

○井上座長 A案とB案とでは、どちらですか。

○酒巻委員 有利、不利というのについては前に言いましたとおり、それほど明確に決められない場合もあると思いますので、A案ということです。

○井上座長 分かりました。

○酒巻委員 四宮委員が前におっしゃられた特別多数決という意見については合理的な理由がおよそ考えにくいと思います。その内容については、既に申し上げましたので繰り返しません。特別多数決にしなければならない合理的な理由は考えがたい。そして現在の裁判は、ごく例外的な最高裁の憲法判断について以外は、すべて合議体構成員の単純過半数で決着をつけているということでございますので、これを変更する理由はない。以上です。

○井上座長 四宮委員、いかがですか。

○四宮委員 私は、さっき座長に紹介していただいた案を維持したいと思うのですが、前回言ったことに付け加えますと、単純多数決制を採ったときの少数説の取扱いといいますか、少数説の重みということを考えてみたいと思うのです。今までは一審の刑事事件というのは3人の裁判官でやっていたわけで、その場合は一人少数説がいた場合には、それを採用しなくても不合理とは言えないという形で処理してきている。それが単純多数決なのだと思うんです。今度は、人数構成については、先ほど来のような意見の対立はありますけれども、少なくとも相当数増えるわけです。そうすると合議体のメンバー構成が増えれば、意見によっては少数説の数というものも増えてくるわけです。つまり仮に酒巻委員のおっしゃる3対3というものを前提にしても、単純多数決によれば4対2になる。そうすると少なくとも2は少数説として採用しないことは合理的であると……。

○酒巻委員 合議体の員数が増えれば、少数説の数も増える可能性があるのは当たり前です。

○四宮委員 そうです。ということになるわけです。少なくとも裁判員制度の下においてはメンバー構成が、最低でもその6名という会議体になるわけで、そのときに、特に刑事裁判で少数説、特に検察官の証拠に合理的な疑問が残りますという意見が一人、二人、3人となったときに、3人構成で一人だけそう思っていた場合と同じように扱っていいのか、ということをちょっと考えてみたわけです。ですから、この理屈でいけば、量刑とか法律問題というのは別に単純多数決でいいわけですけれど、そうするとどこでその線を引くか、どこからが合理的でどこからが合理的でなくなるのかというのは政策判断だと思いますけれども、3分の2という点は合理的な疑いが残るという少数説を排除する、刑事裁判の一審の基準としては一つの合理性があるのではないかと思います。
 さっき御案内のとおり、裁判所法の77条でしたか、過半数によると書いてあるわけですけれども、そこに全く例外がないわけではないということです。今、御紹介があったように最高裁の場合については、確かに重大な場合ですけれども、例外を設けるということも行われています。そうだとすると、今度のこの制度の場合には過半数によるという例外という形で3分の2ということも一つの合理性があるのではないかという意見です。

○酒巻委員 一つだけ。事実認定について意見が分かれたときに、過半数で決めるという制度になっていることと、刑事裁判において、何が合理的な疑いを超えた証明であるかという話は、論理的には何の関係もない事柄だと思います。四宮委員の今の議論は、それを関係があるという前提にしているのだとすれば、全員一致でない限りは合理的な疑問が残っているということになるはずであり、いずれにしても変であろうと思います。

○本田委員 私も第2ラウンドでも申し上げたとおり、A案でいいと思います。現在過半数によって決まっているわけで、これを改めるべく特段の理由は何もないだろうと。例えば特別多数決とするということになると、現行の過半数から要件を過重することになるのですけれども、裁判員が入ったことによって過重するということになると、裁判員の判断は信頼が低いのかというような理屈に結び付くのかなと。むしろ過半数でやればいいのだというふうに思います。

○井上座長 ほかの方はいかがですか。

○髙井委員 私も、単純に、過半数だと思います。理由は既におっしゃっているとおり、付け加えるところはありません。

○平良木委員 私もA案で、前に私自身勘違いしていたところありますけれども、A案でいいと思っております。

○池田委員 私もA案で、理由は前回も話したとおりです。

○井上座長 ほかの方、どうぞ。

○大出委員 言わざるを得ないので言いますが(笑)、さっき申し上げた学生たちとやった模擬裁判は3分の2なんですね。それで、いろいろと理由を考えたんですが、慎重を期するという意味で、やはり3分の2というのが、ただ、それは本田委員が言った意味で、裁判員が入ってくるから、その能力について問題があるからということでなくて、裁判のありようというのを変えていくということになったときは、その辺について改めて考え直してみる必要があるのかと思うのですが、ただ、それ以上、なかなか合理的と酒巻委員に言われる理由をいろいろと考えてみたのですが、難しいかなという気もして、結果的にA案に落ちつくのもやむを得ないかなというふうに思っているというところです(笑)。

○井上座長 分かりました。よろしいですか。

○樋口委員 A案がよろしいのではないかと思います。

○土屋委員 私もA案。

○井上座長 ひとわたり御意見を伺いましたが、特に付け加えることがなければ、この程度にさせていただきたいと思います。よろしいですか。
 次が「(4) 対象事件」というところですけれども、まず、アの(ア)の原則としての対象事件の範囲という点ですが、この点についても、これまでかなり議論を重ねてきたところでありますので、それらの議論を踏まえた上で、更に御意見があればお伺いしたいと思います。

○大出委員 資料2というのを今日お出しいただきましたけど……。

○井上座長 数字ですね。

○大出委員 はい。私がお願いしたということでもあったような気もしますので、この数字を改めて確認して、私が予想していたことと違わないといいますか、つまり、これを見ますと、もちろんそれがどの程度の比重持った意見になっていたのか分かりませんが、例えばC案、B+Cというような御意見がかなり多かったような気もするわけですが、私は基本的には法定合議であるべきだろうと申し上げてきました。繰り返すことになりますが、その理由は、市民参加・国民参加という制度を導入する以上、それがある程度見える形で機能しているということが必要だろうと思うわけでして、例えば、これがCというようなことですと、ざっと見ただけでも、1桁の裁判所が25もあるわけですね。そうすると、たとえ10件だとしても、裁判員何人にするということにもよりますけれども、私の主張による10人としても、1年に100人、候補者も含めれば、もう少し多くなるにしても、1年間に100人の人しか裁判にかかわらないようなことになるわけですね。
 そうすると、これは一生に一遍どころの騒ぎではなくなってしまうわけでして、もちろん段階的にという意見もあり得ると思いますけれども、そういった観点から見ても、Cだけというわけにはいかないでしょうし、B+Cであったとしても、例えば福井、あるいは函館など、その後の釧路もそうですけれども、合わせても10件程度というようなことになるわけですね。それだとしても、先ほど言ったようなことは変わらないということになりますので、その辺も配慮する必要があるのではないかとうのが、改めてこの数字を拝見して思うところであります。

○井上座長 結論としては、どういう御意見になりますか。

○大出委員 法定合議程度にする方法を目標にすべきだと思います。

○井上座長 目標というよりは、それでいくべきだということですね。

○大出委員 はい。

○井上座長 分かりました。ほかの方はいかがですか。

○四宮委員 法定合議で。理由は前に申し上げたとおりです。

○井上座長 ほかの方はいかがですか。

○酒巻委員 今のお二人の御意見に反対で、私の意見は前に申したとおり、B+Cです。法定刑に死刑・無期を含む事件と故意の犯罪行為により被害者を死亡させた事件。理由は、簡単に言いますが、意見書は、重大な事件に裁判員制度を導入すべきだと言っているわけです。その重大の趣旨は、もちろん基本は法定刑でありますから、それが最も重いのは死刑・無期ということになりますし、それにプラスして、一般国民が関与する前提として、一般国民の関心の深い、社会的に重要だという意味も含んでいるだろうと思われますので、そうだとすれば、故意の犯罪行為によって被害者が死んでいる死亡事件というのはそういう事件であろうということです。ただ、故意の犯罪行為によって被害者が死亡した事件だけにしますと、人を殺そうとして殺し損なったような場合が外れてしまいますので、そういう意味でB+Cにするのが妥当であると思われます。更に言いますと、法定合議まで広げますと、これも既に出たとおり、やはり、一般国民の方に関与していただくのにはあまりふさわしくないような偽造とか薬物事犯が数多く入ってきて、それはあまり望ましいことではないというのが付随的な理由です。

○井上座長 BとCとを足しますと、数としては2800件くらいでしたでしょうか。

○辻参事官 大体2800です。

○井上座長 分かりました。ほかの方はいかがですか。

○本田委員 私は第2ラウンドではB案がよいが、B+C案もあり得るかなということを申し上げたのですけれども、現在ではB+C案でとりあえず始めた方がいいのではないかと考えております。理由は、今、酒巻委員が言われたとおりで、対象犯罪をあまり広げすぎないようにして、裁判員制度がきちんと最初から動くような制度にすべきであり、その後、対象犯罪を広げることができるのなら広げていいと思いますが、最初からあまり対象を広げてしまって、うまくいかないというようなことは避けるべきだろうと思います。

○井上座長 ほかの方はいかがですか、どうぞ。

○池田委員 A案の法定合議事件全部というのに対しては、法定合議事件には裁判員が関与するのにあまりふさわしくない事件もあるだろうということを前にも話したところで、BあるいはB+Cというあたりで始めるのがいいのではないかと思います。

○井上座長 どちらかというと、どちらでしょうか。

○池田委員 あまり変わらないので、B+Cでも構わないと思います。

○井上座長 その趣旨は同じということですか、ほかの方と。

○池田委員 はい。

○髙井委員 私も、法定合議事件全部というのは反対です。理由は、なるべく小さく始めた方がいいという政策的な理由ではなくて、そもそもこの法定合議事件の中には裁判員裁判にする必要のない事件が多く含まれているのではないか。文書関係事案であるとか、薬物の営業目的所持であるとか、わざわざ裁判員に裁判してもらわなくても足りる事件が結構あり、そういうものは法定合議を原則としてそこから外すのではなくて、Bのように死刑又は無期を法定刑に含める事件と故意行為によって被害者が死んでいる事件とし、将来ともにこれでいいのではないかと思います。

○井上座長 ほかに、どうぞ。

○樋口委員 前回は、私は、Cにプラスアルファを個別に追加してはどうかということを申し上げたのですけれども、考えを変えましてB案でいいのではないのかなというのが結論であります。一言理由を申しますと、そもそもはできるだけ絞るべきだと、制度の趣旨を損なわない範囲内でその趣旨を活かせればよいということです。第1回公判期日前の準備手続が必要的になるとか、証拠開示の問題とか等々を考えますと、それだけち密な裏付け捜査等の関係から、事務負担というのは確実に増える等々を考えますと、できるだけコンパクトな数字な方がいいのだろうということなんですが、これは数の問題なんだろうと思うんです、基本的には。数の問題というのは何だというと、言わずもがなといいますか、もしかしたら認識が間違っているのかもしれませんけれども、被告人にこの裁判員裁判を受ける権利を認めるといった筋合いのものではないわけですから、裁判員裁判にふさわしい事件であればいいわけですよね。ということは、ここから先は言い過ぎなのかもしれないのですけど、漏れがあってもいいのではないのかなということです。とは言い過ぎですよね(笑)。

○井上座長 それも一つのお考えですから。

○樋口委員 少なくともこれは裁判員裁判にふさわしい対象事件だということが言えたらいいのではないのかということが言いたいわけです。

○井上座長 分かりました。ほかの方、いかがですか。

○平良木委員 私は制度として設ける以上、ある程度数も必要だろうという感じで、どちらかというと、法定合議事件を中心にして、ふさわしくない事件は外していけという意見だったんですけれども、しかし、その後、随分考えが変わってきて、ある意味で政策的な配慮もかなり入ってもいいので、やりやすい方向ということでよいのではないか。そうするとB+Cでいいのだろうと今は考えているということです。

○井上座長 政策的配慮というのは、サイズという意味ですか。

○平良木委員 そうです。

○井上座長 分かりました。土屋委員、よろしかったらどうぞ。

○土屋委員 私は先ほどの裁判体の構成のところで、裁判員の数が6人ぐらいほしいなというふうに申し上げたのですけれども、要するに今必要なのは、裁判員の絶対数がどれだけ確保できるのかという問題なのだろうと思っているんですね。そうしますと、大きな裁判体を構成して対象事件を絞るという考え方もあるのだろうと今思っています。
 私は前回、法定合議事件を対象とするのがいいのではないかと述べていますけれども、理想論としてはそうだと思うのですが、ただ、現実的に裁判員の確保の問題が非常に難しい。それから財政的な問題も考えなければいけないであろうというようなことを考えると、対象事件を若干絞ってもいいのかなと、まさに政策的選択の話ですけれども、そんな気もしています。B+Cでもいいのではないかと今は考えています。ということは、つまり最初から事件を絞っていいという意味ではなくて、裁判官2人ないし3人に裁判員が6人ぐらい加わる。その程度の裁判体を構成して、それが円滑に動いていくためには対象事件数を絞る必要があるかもしれないなというふうに感じていると、そういう意味合いです。

○井上座長 分かりました。そういう前提でこういう選択をするということですね。この点について、さらに付け加えて御議論いただくことがあれば。よろしいですか。
 それでは、次が、アの「(イ) 併合事件の取扱い」及び「イ 訴因変更の場合の取扱い」です。この両方については、これまでの議論でもあまり御異論がなかったように理解しておりますけれども、特にこういう点を議論すべきであるとか、こういう意見だということがなければ、この点は省略して次に進みたいと思いますけれども、いかがですか。よろしいですか。
 それでは、次に「ウ 事件の性質による対象事件からの除外」という点ですけれども、この点については、私の理解では、たたき台のA案に賛成する御意見と、B案を妥当とする御意見の双方が述べられたと理解しております。この点についてはいかがでしょうか。併せて、もし除外という制度を設けるとした場合の具体的な要件とか手続の在り方についての御意見も含めてお伺いできればと思いますけれども、どなたからでもどうぞお願いします。

○酒巻委員 私はここも意見は変わっておりません。基本的にA案、何らかの除外の制度を設ける必要があると思います。その何らかのというのは、中核になるのは裁判員になる方が怖くてできないというような場面が、刑事事件ではそういう事案があり得るだろう思われ、そのような場合には、もちろんそういう不安を除去する努力は国としてすべきではありますが、それでも、そのような状況にならざるを得ないという例外的な事案については、やはり裁判員対象事件から外す必要があると考えます。具体的にどういう形で、それを条文化するかについては、まだ確たることは言えないのでありますが、もし除外の制度を設けないと、当てられた方に大変な精神的な負担がかかるというのが一つ。もう一つは、そういうことになっていることを外からも見た場合には、果たしてそういう状態で公正な裁判が行われているかどうかということについても、不安というか、疑義が生ずるおそれがあり、刑事司法制度全体にとっても望ましくないと思われることです。やはり一定の除外規定は、今のようなケースについて必要だと思います。ただ、A案の(ア)の文言は非常に広いので、このままでいいかどうかについては、まだ考えなければいけないとは思っておりますが、結論として必要だという意見です。

○井上座長 そういう御意見ですが、いかがですか、どうぞ。

○髙井委員 私も結論的にはA案の意見です。前回もそうでしたが、裁判をするということは、ある側面では犯罪と戦うという側面を持っているわけですね。犯罪と戦うというのは国家の仕事であって、そういう犯罪と戦うという場面に一般の国民の方を必要以上の負担をさせて参加してもらうというのは妥当ではないと思います。また、裁判員が恐怖心を感じるような状況の中で公正、妥当な判断ができるのかという不安もあります。そういうような点から見ると、例えば、組織犯罪であるとか、暴力団が絡んでいる犯罪であるとかというような、報復あるいは嫌がらせが考えられるような事件については対象外とすべきであると思いますし、あるいはこれはこの先の報道の問題とも絡んできますが、非常に一方的な報道がされて、どう見ても、これは世論として社会の中に一定の予断、偏見が醸成されていると思われる事件については、公正な判断が期待できないということで除外することが必要であろうと思います。酒巻委員がおっしゃったように、たたき台の「民心」というのは表現としては問題だとは思いますが、いずれにしても、そういう除外例が全くあり得ないという制度は考えられないと思います。

○井上座長 要件については、なお、検討の余地がある、ということですか。

○髙井委員 はい。もう少し具体的に書かないと、「当事者の意見を聞かなければならない」と(イ)にありますが、当事者の意見を出すにしても、焦点が合わない原因になろうかと思うんですね。だから、そこは要件をはっきりさせるべきだと思います。

○井上座長 分かりました。ほかの方、いかがですか。どうぞ。

○池田委員 前回もお話したんですが、このような除外規定、除外するものを作ることはやむを得ないだろうと思いますし、また、裁判員の負担等を考えると、そのような事件もあるだろうと思うのですが、そこでも話したのですけれども、要件としてはもう少し明確にしていただかないと、これは裁判官が判断するときに困るのではないかと思います。特に、「民心」ということ、あるいは、今、髙井委員がおっしゃったような、事件について全国的な報道がされているから偏見が生ずるのではないかというような程度ですと、なかなかそれで裁判員を外すというのは難しいのではないかと思われます。また、暴力団の関係者だからというだけで外すということになると、かなりの事件が外されることになるのではないかという気もしないではないわけです。もちろんそれと逆に、具体的に司法関係者を被害者とする事件ですとか、明確に報復を言っているような被告人もいますので、そういう事件については、確かに、それに加わってもらうというのはなかなか国民にとっても大変だなと思いますので、そういうものは除くべきだとは思いますけれども、そのあたりの線引きとしてもう少し明確なものを作っていただけないかという話です。

○井上座長 ほかの方、いかがですか。どうぞ。

○四宮委員 私はB案です。これも前回申し上げていますので簡単にいたしますけれども、もちろん国民の不安、危険というものがあってはならないわけで、それには前回も申し上げたかもしれませんけれども、いろんな諸外国の陪審員・参審員に対する保護策なども参考にして、原則として保護、警備で対応していくべきではないかと思います。特に、繰り返しになりますけど、A案は大変要件があいまいで、今、池田委員がおっしゃったように、多くの事件がこれに該当してしまう可能性があります。特に重大事件に裁判員として入っていただくということで、この手の行為は、前回もどなたからかあったかもしれませんが、最も反社会性の強い行為ということになりますので、国民に入って裁いてもらうことが妥当だと思いますし、あまりにもこの要件が拡大をして適用事件数が減ることをおそれております。

○本田委員 私は除外規定は設けるべきであろうと考えます。確かに安易に認めるべきでないという意見は分かるし、明確な基準が立てられるなら、なるべき明確な基準を立てるべきだろうと思うんですけれども、全部具体的に書き切れるかというとそうは言えないと思います。すべてを想定するということはできないわけですから。そういう意味では、ある程度の一般条項みたいなものがどうしても入ってこざるを得ないのかという気がします。ただ、ある程度の例示はできるかもしれません。
 それから、今、四宮委員から、除外制度を設けなくてもいろんな保護制度、裁判員に対する保護措置で賄えるのではないかとおっしゃいましたけれども、これも必ず保護ができるかというとできない場合だってあるわけです。組織的にやられる場合があるわけですから、現に何回か裁判官の宿舎がやられたり、車が放火されたりという事態もあったわけです。その場合、いくら裁判員そのものの身体には直接危害が加えられなかったとしても、そういう状況が起きたときに怖がってしまった裁判員が適切な判断ができるかということを、裁判員の身になって考えてみなければいけないと思います。特に家族を脅されたりした場合にそれはできないだろうと思うのです。そいいった、裁判員のせいではなくて、外部的な状況によ判断ができないような状況になったときは、そのような事件は裁判員制度から除外すべきであると思います。

○四宮委員 個人情報の保護との関係もあると思います。裁判員なり候補者のプライバシーが、当然に、全部分かるという仕組みを前提にすれば、そういうこともあるかもしれませんが、そこの工夫というものとリンクして考えた方がいいと思います。

○本田委員 よろしいですか。

○井上座長 どうぞ。

○本田委員 情報の保護だけで、これが防げるかというと、それは甘過ぎると思います。いざとなったら、組織的にやろうとする者は、裁判員の住んでいるところを探そうと思っていろんな方法・手段をいくらでも使えるわけですから、探し出すことは可能なわけです。だから、それだけで保護ができるかというと、それはほとんど非現実的な話だと思います。

○大出委員 おっしゃることは、一般的、抽象的には分からないわけではないんですが、しかし、先ほど来出ています要件との関係になってきますけれども、しかし、その危惧を言い出すと、逆にまた、奨励することにはもちろんならないにしてみても、その程度のことで本当に除外するということになるのかということになってくる。つまり脅し、脅迫状……。

○井上座長 その程度ではだめだということですか。

○大出委員 それを言い出したら、脅迫状一本出せばという話になってしまうわけでしょう。それで果たして裁判員が加わってという裁判が除外理由に当たるのだということで、裁判員裁判が成り立つということになるのかどうかという問題になりますね。ですから、そういうことがないわけではないと私も思いますし、そこはそういうことを想定した対応策を別に考えることが必要なのだと思います。先ほど来の御議論では、私は不本意ですが、数からいっても、もちろん大変だと思いますけれども、対応するための体制をつくるということで、全部が全部ではもちろんないと思いますから、考えるということがなければ、本当に機能まひを起こすのではないかという気がしますね。ですから要件をどう定めるかという問題であるかもしれませんけれども。

○髙井委員 大出委員と四宮委員に質問したいのですが、なぜ、一般の国民にそれだけの恐怖心を与えてまで裁判員をさせなくてはいけないとお二人はお考えなのか、それが理解できない。もう一つは、守ればいいじゃないかというけど、守りきれないわけですよ。例えば北九州の工藤会の事件を見ていても、ああいうやつに狙われたら守りきれないですよ。それから、保護措置なんていうけど、公開している裁判でやっているわけだから、そこで傍聴した後で、後をつければすぐ分かるんですよ。家の周りをずっと行動確認していけば、身内がどうで、子どもがどうで、孫がどこへ行っているか、すぐ分かる。だから、そういう意味では襲うことは簡単なんですよ。

○大出委員 本田委員でも髙井委員でも結構ですが、具体的にどの程度そういう事件が現実にあるというふうにお考え、例えば、その大きさといったら報復とか嫌がらせ、脅迫、どのぐらいありますか。

○髙井委員 今までは裁判員制度はないんですから、裁判官とか検察官を襲えば、それは要するに国家と敵対するわけですから、彼らだって遠慮するんですよ。ところが裁判員というのは一民間人なんですから。裁判官は仮に襲っても、裁判所という組織でやっているので、変な言い方をすれば代わりがいるんですよ。次はそれに耐えられる裁判官が出てくるんですから、同じなんです。ところが裁判員というのは、100件あるいは2000件に1件やればそれでいいんですよ。2000件に1件、そういう事件を起こせば、そういう種の事件を扱えば、危ないなというふうに皆さん懸念するようになるわけですから、それで十分なんです。ですから、そういう意味では、今まで何件起きたか、そういうのは全く無意味な質問なんです。

○大出委員 北九州の事件を例に挙げられましたけれども、あれに対する住民の間から、暴力団員に対する批判と国民・市民サイドから対抗するための動きというのは出てきますよね。そういう人たちが出てくるわけで……。

○井上座長 ちょっと話がそれてしまっていますので、元に戻させていただきますと、大出委員は、どれだけそういうことがあるのかを疑問にされていますけれど、問題は、そういうことがあった場合にどうするのかということだと思うのですが。

○大出委員 現実的に要件との関係でね。

○井上座長 ですから、要件を絞り込めれば、そういう除外を設けるべきだということなのか、たとえ絞り込めても、そういう制度は不要であり、保護措置で十分だというのか、そういうことではないかと思うのですね。除外の制度が必要だと言われている方も、別にそれほど大幅に、本来裁判員制度の対象である事件を裁判官の判断で除外してしまうというようなことは、全く考えていないと思うのですが。

○大出委員 ですから先ほど来おっしゃっていたことを伺っていますと、具体的に出たのは報復だとか嫌がらせ、脅迫状だとかということになるわけで、さっき池田委員もおっしゃったように、それを更に絞り込んで本当に保護に値するような要件の絞り込みというのはどういう形で可能なのか、今の段階で具体的に見えないものですから。

○井上座長 大出委員の御意見では、具体的な脅迫だとか嫌がらせだとか、そういうことがあった場合でも、まだ当たらないというわけですか。

○大出委員 それは対応策がその限りでは見えているわけですから、講ずる余地があるわけですから。

○酒巻委員 座長がさっきから質問されているのと同じなんですけど、四宮委員の意見は除外規定を設けるべきでないということですね。大出委員はどっちなんですか、設けるべきなのか……。

○大出委員 明確な形で納得のいくような要件規定が設けられれば賛成しないわけではないですが、今の段階ではA案に賛成の方も御意見を伺っている限りではそうは見えないという意見です。

○酒巻委員 ということは、設けるべきでないと。

○大出委員 現時点では。

○酒巻委員 分かりました。私は大出委員の御意見に反対です。

○井上座長 四宮委員は設けるべきでないというよりは、設ける必要がないということですか。それとも原理的に設けるべきではないということですか。

○四宮委員 設けるべきでないという意見ですね。

○井上座長 せっかく裁判員制度の対象にしているのに除外するのはよくないということですか。

○四宮委員 はい。

○酒巻委員 はっきり分かりましたので、もう一言言いますと、それには反対です。反対の一番の核心を端的に申しますと、裁判員の人がかわいそうだということです、そういう事件に当たった場合、除外規定がなければ、本当に過酷なことになってしまいますので、そのような制度はおよそ考えにくいと思います。

○髙井委員 お二人の意見というのは、ひどい言い方をすると、裁判員になった国民の犠牲の上に、裁判員制度を定着させようという、そういうふうに聞こえますよね。でも、そういうことだったら、かえって裁判員制度は定着しないと思います、私は。

○井上座長 ほかの方の御意見も伺いたいと思います、どうぞ。

○土屋委員 私は、前回こういう制限を設けないという趣旨のことを言っておりますけど、実は非常に今の点は、正直なところ悩んでいます。今、報道の問題が出ましたから言っておきたいのですけれども、現状の報道の中から著しい予断、偏見が生まれているということを当然の前提のように髙井委員言われたけれども、これは言い過ぎではないかということを一言反論したいと思います。

○髙井委員 具体例を……。

○土屋委員 そういうことを言い出すと、無限定的に除外する事件の対象を広げていってしまうことになると私は思います。このたたき台の中にあるA案の規定ぶりを見ても、要件というのは漠として私は少し広過ぎるという気がしているんですね。もっと除外する事件はこうであるということを、前回、私確か例示して、そういう感じのことを申し上げた記憶があるのですけれども、もっと明確になるように、除外するなら除外するだけの、こういう事件は具体的にこれだけの危険があるのだからそれでいくと。それだけの危険が現実にもう存在するのだから、だから外しましょうというだけのことがなければだめだと思うんですね。もっと具体的に絞り込んで書くならばともかく、ちょっとA案は広過ぎるなというのが私の正直な感想です。

○井上座長 何か具体的なアイデアはありますか。報道による予断とか、そういうのは問題だとしますと、もし仮に除外規定を設けるとして、土屋委員がためらいなく賛成できるのは、どういう場合なのでしょうか。

○土屋委員 それは現実的に危険が顕在化しているということですね。

○井上座長 裁判員自身の身に危険が及ぶとか家族に危険が及ぶ、そういう場合ですか。

○土屋委員 そういう段階まで来ていれば、それはそうでしょうね。

○樋口委員 このたたき台の案を見ましても、「なされるおそれがあること」と書いてあるんですね。あと、それを受けて、さらに「公正な判断ができないおそれがある」、つまり生活の平穏等が害されるおそれがあるということが顕在化している、現実であることが要件とされていると思うんですけれども、それから、先ほど脅迫状がとか嫌がらせがというのですけれども、これは理屈じゃなしに現実の問題として、そんなのはやたらにある話では決してないですよね。そういったことが実際の行動でとられるというのは、それなりの固い動機なのか、覚悟なのか、あって、初めて言動に表れるのであって、そういうものがあった場合にそれを看過するというのはとても変ですよね。一方、暴力団の構成員であるからとか極左の団体グループの構成員であるからということをもって、イコールおそれがあるとは、これは決して言えないと思うんですね。じゃ、何で判断するのか、判断材料があるのかいという話なんですけれども、判断材料はあると思うんです。それは取調べ段階であり、捜査段階、公判の前段の段階において、その具体的な被疑者・被告人の言動というのは確実にあるのであって、捜査段階ではそれがグループや組織による場合であれば、他の刑事事件化されている事件に直接関与してないメンバーがどう動いているといったものも把握されているわけですし、そういったものは判断材料として提供することがきっとできるだろうと思いますね。
 ということで、こういった一定の除外規定は必要であるし、それはきっと判断材料はあって判断ができるはずだと思います。脅迫状とか嫌がらせというのはそうめったやたらにあっていいわけはございませんし、あって看過していいわけではないし、あるということは、それなりの背景があるはずだということが実体的にも言えるということからすると、こういった除外の制度を認めると、裁判員制度が成り立たなくなるのではないか全部対象から抜け落ちるのではないかということは杞憂であろうと思います。

○井上座長 平良木委員、いかがですか。

○平良木委員 個人的なことを言いますと、私自身、裁判官当時に警備対象になったことが何度かあります。確かにそういう事件を担当するというのは本当に嫌なもので、これはできれば外したいというように思って、当初私はずっとA案だったんだけれども、前回B案という言い方をしたのは、まず一つは、裁判員の精神的な負担というのはよく分かるんだけれども、これは別にここだけに限らずいろいろ出てくるだろう、ほかにもあるだろうということがあったことと、先ほどから出ているように、要件が必ずしも明らかでないので、場合によったら、これはやりようによっては制度をつぶしかねないものだというのがあった。それから裁判員を外すことの代償というのは何か要らないのか、これも前回申し上げたとおりであります。
 そこのところが、私自身あまり決断がつかないものですから、今ちょっと黙っていたんですけれども、そういうことで、基本的に何ら手当てがつかないといったときに、私は数を増やすというのが一つの方法だろうということを申し上げましたけれど、ただ、これはかなり私自身も実現性は薄いだろうという気がしております。

○井上座長 「手当て」というのは、裁判員制度の対象から除外して裁判官だけで構成される裁判体で裁判することになる場合には、裁判官の数を増やすという、前に言っておられたことを意味しておられるのですね。

○平良木委員 そうです。特別な構成を作るといいますかね。

○井上座長 裁判官と裁判員の員数が3対3ないし4というのが平良木委員の御意見だったと思いますけれども、裁判員を入れない場合には裁判官の数を例えば5にするという、そういうアイディアですか。

○平良木委員 4か5ということで、前から言っていますが、これは言わば、いわゆる除外している事件についての特別管轄といいますか、5人でやるという制度が実際にはあることを念頭に置いたということです。ただ、それが、かなり難しいのだとすると、要件を極めて厳格にしてA案に移るということにならざるを得ないのかなという気もしております。

○井上座長 要するに、要件の絞り方によるという御意見でしょうか。

○平良木委員 はい。

○井上座長 分かりました。そういう御意見が出ましたけれど、どうぞ。

○池田委員 もう一点だけ、A案を前提として要件を明確にするという意見を前提としてなのですが、審理を始めてからこういう対象事件だと分かった場合、例えば被告人が法廷へ出てきて、それで「もう許さんぞ」とか「覚えていろよ」とか、こういうことを言う場合も時々あるわけですけど、そうなったときにも外すことを同じように考えなければいけないわけですが、その場合にどうするかということです。裁判員の意見は聞く必要があるのかどうか、当事者の意見は聞くにしても、裁判員に意見を聞けば普通は私はやりたくないというのかもしれませんが、その場合には外すことになるのかという問題です。法廷で発言があればまだよいとして、そうなるんですけれども、法廷外で何かがあって、そういう情報が出てきたという場合も考えられます。裁判員に対して、こういうことがあったとその情報を知らせておいて、結局、やっぱりやっていただきますよというのではまずいわけですので、そのあたりも仕組みとしては手続的に難しいものがあるなと考えています。自分で詰めて考えないで申し訳ないんですが。

○井上座長 要件をどういうふうに書くにしろ、除外の制度を設けるとした場合に、今のような事態にまで適用するのかどうか、仮に適用するとしたら、どのような手続が必要か、ということですね。そこのところは、更に詰めていかなければならない問題だと思いますね。

○髙井委員 今の問題ですけれども、仮に裁判員の意見を聞くとして、中には、やってもいいよという人と嫌だよという人がいると思いますね。嫌だという人は抜けていいですよというふうにするのは変だと思うんですね。そうなると、裁判員本人に決めてもらうべきではなくて、それ以外で決めるべきではないかと思うんですね。法廷で「殺してやるぞ」とか「覚えていろよ」という場合もあるんですが、法廷で、そういう一言、ふた言言うのはあまり深刻に考える必要はないかもしれないなと私は思うんですけど、かえって法廷外で何かあったときの方が危ないなと思います。そういうときは当然そういうことは知らせないで判断をするということだと思います。

○井上座長 分かりました。一応一通り御意見を伺いましたので、特に付け加えて御意見がなければ、次に進ませていただきたいと思いますが、よろしいですか。
 次が「2 裁判員及び補充裁判員の選任」という点ですけれども、まず、「(1) 裁判員の要件」というところです。この点については、御記憶だと思いますが、年齢の下限を選挙権と同じに20歳とすべきという御意見がある一方、それよりは引き上げる、これには25歳とするという案と30歳とするという案の2つが挙がっていましたけれども、そういうものにすべきだという御意見があったところですけれども、いかがでしょうか。どなたからでも、どうぞ。

○髙井委員  私は、前回、紛争の解決というのは長のする仕事だというふうに申し上げながら、25歳以上だと言って若干論旨が一貫しないのですが、やはりB案でいいと思います。衆議院の被選挙権が25になっているというのはそれなりの理由があろうかと思うんですね。一つの大きな、国としての権限の行使に当たるわけですから、少なくとも通常でいけば社会生活を送っているという人たちによる判断をあおぐというのが妥当ではないかと思います。

○井上座長 分かりました。ほかの方、どうぞ。

○酒巻委員 私も髙井委員と同じで、下限は25歳、B案が妥当だと思います。理由は前に申し上げたとおりで、理屈の問題だけではないと思いますが、あえて理屈があるとすれば、裁判員になるということは司法権の行使に直接関与するということであり、これは主権者として国会議員を選ぶ話とは少し性質が違って、むしろ被選挙権の方が対応するのではなかろうかということであります。それから、国民の健全な社会常識を反映させるという制度趣旨から言うと、20歳よりは少し社会経験をされた方が望ましいのではないかと思われること、それから、もう一つは、前に言いましたが、どんなに真っ直ぐ行ったエリート判事補でも20歳ということはないであろうと思われるので、職業裁判官との年齢のバランスもあるかなということであります。

○井上座長 分かりました。四宮委員どうぞ。

○四宮委員 私はA案の選挙権を有する者とすべきであるという意見です。これも前回の繰り返しになるかもしれませんが、一つは国民主権ということです。もう一つは、健全な国民の常識を反映するということが任務であるとすると、25歳となっている衆議院議員の被選挙権、今、酒巻委員がおっしゃった判事補、これらはどちらも職業としてこういう任務に当たる人たちですね。そういう人たちにとっては、25というのも不合理ではないと思うんです。ただし、今回は無作為に選ばれて一回だけ、そして、健全な国民の社会常識を反映するために来ていただくということですので、25歳の被選挙権とはリンクしないと私は思います。もう一つは、この裁判員制度は最近いろいろ話題になっておりますけれども、特に若い人たちの関心が非常に高いという事実があります。そういったことからも、私は選挙権とリンクさせるべきであるという意見です。

○大出委員 私も四宮委員と同じで、A案でいくべきだろうと考えているわけで、前回もそういう意見申し上げました。理由は繰り返し的になっているのかもしれませんけれども、この5歳の違いにそれほど大きな違いがあるということを本当に言えるのかどうかということは、さすが酒巻委員でもお答えになれないだろうと私は思いますが、この状況の流れということで考えたときに、この5歳の違いというのは、逆に25歳では得られていない感覚とか社会的な目というようなこともあり得ると私は思うわけで、もちろん絶対的にというつもりもありませし、前回も言いましたように学生見ていると不安になる部分がないわけではないと思いますけれども、しかし、そのことが絶対的に裁判員としての役割に不足しているとも言いにくいと思うんですね。ですから当然選挙権を与えている以上は、その年齢の方たちも含めてということによって、まさに社会的常識の幅広さというようなことを確保するという観点からいっても意味のあることだと思いますし、A案で支障はないと私は思っています。

○本田委員 私は、25歳以上もあれば、30歳もあり得ると思います。第2ラウンドでも申し上げたのですけれども、選挙権と被選挙権の年齢が異なり、被選挙権が25歳とか30歳になっているのはそれなりの意味があるわけで、判断する人を選ぶ能力と実際に判断する能力というのはやっぱり違うのだという経験則があるのだろうという気がします。それから、20歳の根拠で、今、四宮委員から国民主権という話があったのですが、これは全く納得できません。国民主権の話ではないだろうと思います。また、職業的な任務に就くか、就かないかによって違うのだというような趣旨のことをおっしゃいましたけれども、それは確かに名簿から選ばれて、その期間だけその職に就くのですけれども、その職責の重要さは職業として任務に就くか、就かないのかとで区別する理由はほとんどないと思います。ものすごく重要な任務に就いているわけですから。
 それから、大出委員から、幅広い常識とおっしゃいましたけれども、そうすると、もうちょっと広くしてもいいと、際限なくなってしまうのではないかと思います。20歳でなければいけないということはないだろうし、16ぐらいからいくらまででもいいという話にもなるでしょうし、そこは健全な社会常識というのは、ある程度の人生経験みたいなものも、ここはあまり理屈ではないのですけれども、そういうものを加味した上で、一つの人間の知恵みたいなもので被選挙権みたいなのが決まっているとするならば、そのあたりのところに落ちつかせるのが一番納得がいくかなという気がしますので、少なくともB案、C案、30歳でもいいですけど、少なくとも25歳以上という意見です。

○髙井委員 四宮委員は一回だけだからいいじゃないかというようなことをおっしゃいましたけれども、本田委員がおっしゃるように、一回だとしても、たった一回の仕事は職業裁判官が毎日する仕事と全く同じ意味のある仕事ですから、一回だけだからいいではないかとは言えないし、その裁判を受ける被告人は、たった一回しかない人生をその人によって裁かれるわけで、場合によっては死刑判決もあるわけですから、一回だけだからいいというのはとても四宮委員の御発言とは思えません。

○四宮委員 私が一回だけと言ったのは、25歳という被選挙権、酒巻委員のおっしゃった判事補、これは職業人の資格であると。それとは違うではないですかという趣旨で申し上げたわけです。それから、さっきから出ているように、この裁判体はプロの裁判官と複数の裁判員で構成されるということは恐らく皆さん異論がないところだと思いますけれども、そうだとすると、何も全部20から24歳の人たちで決めるというわけではないですね。意見書が言っている健全な国民の常識、健全な社会常識というのは、それはいろんな人が社会を構成しているわけで、そして今の世の中では、別に20から24歳すべて学生というわけではもちろんありません。社会経験のある人たちもいるわけですから、そういう人たちだけでやると言っているのではなくて、そういう人たちにも資格があるようにすべきだということを言っているだけです。

○井上座長 ほかの方、いかがですか。

○平良木委員 私も30でもいいと、前回申し上げて、今でも変わらないのですが、B案でだめかというと必ずしもそうではないと思います。なぜ、ここにこだわったかというと、やっぱり裁判を受ける立場といいますか、被告人の側からするとそれ相応の人に裁判を受けたいということがあるのではないかということがあり、そうするとあまり若い人にやれるのはどうかという感覚があることと、それともう一つは、あえて言うと、司法権の行使ということだから、それとパラレルにできるだけ考えた方がいいだろうということがあるということです。

○井上座長 分かりました。

○大出委員 今のお話との関係からいっても被告人も何も年寄りばかりじゃないわけですね。同世代感覚を持った人間に裁かれたいということだってあり得ると思いますし(笑)、感覚というのは非常に微妙なことで、20歳から25ということでの違いについて、先ほど申し上げましたように、本当にそこに絶対的な合理的な違いについての説明があるかというと、それは多分ないと思うんですね。そういうことでいけば、法律で選挙権を与えているということは一つの基準になるわけで……。

○井上座長 その言い方だけですと、被選挙権というものもあるわけで、どちらも基準になり得るわけですよ。

○大出委員 その間の違いというのがどういう違いがあるのかということを申し上げているわけです、被選挙権との間に。

○井上座長 一方の御意見では、国権の一つである司法権の行使に当たるのだから、立法権を行使する地位に就く場合と同じと考える。それに対して、もう一方の御意見は、選挙権と同じように国民一人一人の権利行使だと捉える。そこのとらえ方の違いだろうと思うのですね。

○土屋委員 私は前と同じで、25歳以上というところにひかれています。変える必要は今あまり感じてないのですけれども、それでもなおかつ20歳から25歳の年齢層を外してしまって、裁判員の数が確保できるかなとかいろんなことを考えたりしてしまいます。ただ、裁く、事実に対して判断を加える、そういう作業というのは一定の社会経験が必要だと私は思っていますので、やはりB案の25歳というふうに思ったりします。ただ、選挙権の年齢を現在20歳ですけど、18歳に引き下げようとか、そういう議論がかなり現実性を帯びてくるだろうと思うんですね。そうした段階で25歳というのは高過ぎるかなという気もするんですね。そのあたりはいろんな社会全体の動きと関連する話であろうと思っています。

○井上座長 社会的成熟度がどうであるのかという問題は難しくて、今の時代は知識だけは早熟になっているわけですけれども、社会的に成熟したといえる年齢は逆にどんどん上がっているというところがあります。私なども、その意味で未熟だと思っていますけれども、その辺の感覚というか、とらえ方には違いがあり得ますね。

○池田委員 前回ここについては意見を言わなかったと思うのですが、どっちだというような理屈で言えるようなものがなかったからなかなか言えない問題だなと思っているのです。今、A案の方、B案の方いろいろ理由聞いて、落ち着きどころはB案がいいのかなという気がいたします。理由は、B案で述べられた意見の方が説得的かなという程度です。

○樋口委員 どうしてもどの案じゃなければいけないというふうにどうしても思えないものですから(笑)、すいません。A案でもいいのかなとも思います。

○井上座長 ここも、理論的ということではなく、感覚的な話ではないかという感じがしますので、特に付け加えて御意見があればもちろん出してくださって結構ですけれども、この程度でよろしいですか。
 次が「(2) 欠格事由」ですが、この項目に関しましては、御記憶だと思いますけれど、まず(ア)の「中学校を卒業しない者」という要件について、設けるべきではないという御意見もあり、設けるべきか否かということで議論が若干なされたところであります。いかがでしょうか。

○土屋委員 私は、「中学校卒業と同等以上の学識」という書き方にちょっと抵抗を感じていまして、学識じゃなくて教養じゃないでしょうか。つまり学識というのはかなりレベルが高いという感じがするのですけど、どうですか。そこまで要求するというのはいかがなものか。

○井上座長 用語としての適切性については、法令にするときにまた詰めて検討されるだろうと思いますが。

○土屋委員 検察審査会法がそういうふうに書いてあることは分かっています。

○井上座長 それに倣えば、こういう書き方になるのだと思いますね。

○土屋委員 時代遅れの感じがするんですね。検察審査会法も含めて変えてしまったらどうだろうと私は思います。

○井上座長 具体的な用語の点はひとまず置くとして、こういう要件を設けることについてはいかがですか。

○髙井委員 私は義務教育を終えた者という条件は必要だろうと思います。当然、分かりやすい表現で主張を立証することにはなると思いますが、それなりの表現というのは出てきますし、調書をある程度読まなくてはいけないという作業もあるでしょうし、ある程度の論理的な判断ができないと事実認定はできないわけですから、そういう意味では義務教育を修了しているということは必要であろうと思います。

○井上座長 ほかの方は、いかがですか。

○本田委員 私も必要だろうと思います。理由は、今、髙井委員がおっしゃられたことと同じです。

○四宮委員 私は「中学校を卒業しない者」にかえて、前回申し上げましたけど、「日本語を理解しない者」とすべきだという意見です。その理由は、また、怒られますが、一つは、A案、さっきの要件の選挙権との関係ですけれども、選挙権というのは教育で区別していないわけですので、この裁判だけに教育の要件を入れることはおかしいと思います。それから、今、髙井委員のおっしゃった論理的な思考力ですとか、書かれたものを読み込む力ですとか、そういったものは何も、中学校では教えることは教えるわけですけれども、中学校を卒業していない人に論理的な思考力がなかったり、本が読めなかったりということはないわけですね。むしろ卒業したかどうかというよりは、日本語を理解するかどうかという要件で判断するという方がよろしいと思います。

○井上座長 混ぜっ返すようですが、選挙権との関係でいいますと、日本語を理解できないというのも選挙権の要件ではないのですよ。ですから、実質的に考えてみていただいた方がよいので、そういう意味では、四宮委員のお考えは、後の方の理由によるものということになりますか。

○四宮委員 はい、ありがとうございます。

○本田委員 選挙権との関係をおっしゃいましたけれども、一つは、選挙権の場合は人を選ぶという、要するに国政へ携わる人を選ぶという話ですよね。それから、被選挙権の方は、みんながこの人に託そうということで選んでなるわけで、こういう無作為抽出で選ばれて裁判をするというのと全く違った性質の仕事なわけですよね。だから、そこを一緒に、こうなってないからこうだというのはおかしいのではないかという気がします。それから、「卒業しない者」というところにこだわられましたけれども、ただし書きで、別に卒業してなくても同等の学識があればいいと書いてあるわけですから、そこは実質で見るのだろうと思います。
 日本語が分かるだけでいいのかというと、日本語だけじゃなくて、昔から読み・書き・そろばんと言いますけど、そういうことも、多少は分からないとなかなか判断するとき困るんじゃないかと思うんですね。それが大体義務教育程度かなという気がしますけれども。

○井上座長 分かりました。ほかの方いかがですか。

○酒巻委員 私は、このたたき台の案のままで結構だと思っております。理由は、特に共感できたのは、髙井委員がおっしゃったような理由と、それから裁判という作業内容との関係で、いわゆる義務教育修了と同等の能力というのを書くことは適切だろうと思います。

○井上座長 ほかの方、いかがですか。

○平良木委員 今の意見と同じで、この要件のままでいいと思います。義務教育ということとパラレルに考えたいと思います。

○大出委員 多分趣味にわたるみたいなことになりかねないと言われればそのとおりですが、ただ、ただし書きを入れているのであれば、ただし書きを実質化するというようなことではいけないのか。学歴を基準にするというようなことが、果たして今の状況の中で妥当なのかどうかというのがどうもやっぱり私はひっかかるんですね。ただし書きがあるからいいじゃないかというのだったら、ただし書きの方をむしろ実質化した条文を考えるということでいいのではないかという気もするわけで、ちょっと……。

○井上座長 例えばどういうことでしょうか。

○大出委員 ですから、一つは四宮委員が言われたようなことになるのかもしれないという気もしますし。そのとおりじゃないんですが、ただ、実質化するということでいけば、何が必要なのかという問題ですね。つまり、ここは先ほど土屋委員がおっしゃったこととは少し違って、ここは確かに中学校卒業と同等以上の学識ですから、そのレベルでの学識を要求しているということだと思うので、その意味内容を具体的にできればいいので……ですから、それが日本語能力なのかどうかということになろうかと思いますが。

○井上座長 こういう書き方にすれば、一応基準があるのです。それと同等という書き方ですとね。もし、これにかえて、実質的な要件を設けるとすると、具体的にどういう設け方があるのか、でしょうね。

○大出委員 ですから、あまり言いたくなかったのですが、しかし、日本語能力というのが一つの要件の切り方だと私も思いますが。

○井上座長 それでいいのかどうか、という議論になってくるのだろうと思いますが。

○大出委員 それともう一つ、先ほど座長触れられなかった点ですが、ほかのところでもいいですか。(ウ)のA案の。

○井上座長 それは次に議論すべき点であり、今は、まず(ア)について、さらに付け加えて議論すべきことがあれば出していただきたいのです。なければ、その点については、このくらいでよろしいですか。次の(ウ)のところの方がいろんな議論があり得るところですので、これについては、できれば全員の御意見をお伺いしたいと思います。(ウ)の「心身の故障のため裁判員の職務の遂行に支障がある者」については、単純化して言えば、そのような要件を設けるという考え方と設けるべきではないという考え方に分かれると思うのですけれども、いかがでしょうか。

○酒巻委員 最終的な文言についてはいろいろ難しいこともあると思いますが、A案、心身の故障の結果として、裁判という大変重要な、そして何度も言いますが、被告人の運命を決するような判断という職務の遂行に支障があると客観的に認められる方については、やはり欠格事由としておく必要があると思います。理由は既に前回も申したと思いますが、まず、以前に、身体の障害、特に目の問題と聞く問題については、私は事件によっては、仮に目が見えない方であってもできる事件があるのではないかというようなことも述べたと思いますけれども、その点は基本的に変わっていませんで、要するにそういう身体障害の結果として、裁判の職務ができない場合というのがあり得るわけで、その場合について、他の方法、例えば、辞退をしていただくとか、忌避をするとか、他の方法で退いていただく道があり得ないわけではありませんが、それはやはりおかしいと思うのです。むしろ、困難な場合については、正面から欠格事由として定めるのが妥当だと思います。それから、精神に障害がある場合については、そういう欠格事由が必要であると思います。以上の理由で(ウ)の欠格事由を設けるべきだと思います。

○井上座長 分かりました。他の委員の方、いかがですか。

○池田委員 前回もお話しましたが、障害のある方を一律に外すというのは賛成できませんが、事件によって、その障害の内容、程度と、事件の内容、程度の関連で、職務遂行に支障が生じる場合には外さざるを得ないだろうと思います。ですから、このような規定を何らかの形で設けることは必要ではないかと思います。

○井上座長 要件の内容としても、こういうようなもので適当だということですか。それとも、もう少し要件を加えるべきだということですか。

○池田委員 たたき台に記載された要件だけですと、事件との関係でというのが出てないのではないかと思います。

○井上座長 それは解釈の仕方によるのではないかと思いますね。裁判員の職務の遂行というのを具体的にとらえるのか、それとも、類型的・一般的にとらえるのか、ということだろうと思います。池田委員の御意見では、具体的な事件との関係で判断できるような要件にすべきだろうということでしょうか。

○池田委員 その方がいいだろうと思います。

○井上座長 分かりました。どうぞ。

○大出委員 私も基本的に池田委員の御意見と同様なのですが、前回も申し上げたと思いますけど、まさに心身の故障の程度、種類によって可能な方もいらっしゃるはずで、一律この要件だけで処置をするのは問題あることでして、その点について個別列挙するわけにいかないと思いますけど、手続的に判断した上で、可能であれば加わっていただくことがあっていいだろうと思いまして、そういった配慮ができればと思います。

○井上座長 ほかの方は、いかがですか。本田委員、どうぞ。

○本田委員 私もA案に賛成です。第2ラウンドで申し上げたところですけれども、確かに心身の障害があるからといって、一律にそのことを欠格事由とすべきでないことは当然のことなんですけれども、精神の障害があって職務の執行ができない、あるいは身体障害の場合であっても、公判の審理を十分に理解することができないという場合、これはないということは言えないわけですね。なるべく参加できるような形にもっていくべきだろうと思うんですけれども、やはりこういう制度を作っておくべきだろうと思います。ただ、先ほど個々の具体的事件との関係で判断すべきだという意見については、確かにそれも一つの考え方だろうと思うのですが、果たしてそれが全部の事件で可能なのだろうかという疑問があります。確かに、準備手続を設けて、ある程度審理予定というのは裁判所で分かるのですけれども、途中で新たな争点が出てくるということがあり得ないわけではなく、その審理の関係で、どうも都合が悪いというような場合も出てくるのかなというので、ある程度一般的な裁判との関係で支障があるというようなところで判断せざるを得ないのかなと、ちょっと迷っていますけれども、なかなかそういう制度を作った場合にうまく動くのかなという懸念が若干あります。

○髙井委員 私もA案でいいと思います。いろんなところに故障のある人に幅広く社会に参加していただかなければいけないということは当然のことですが、ここのA案に書いてあるように、裁判員の職務の遂行に支障があるという人を裁判員になっていただくことは、当然、論理的にもできないわけだと思うんですね。ですから職務の遂行に支障があると思われる場合には、差し控えていただくと、これはやむを得ないと思います。それを事件ごとにするか、一般的に見るかということなんですが、私としては、A事件の職務の遂行はできないけど、B事件だったらできるという場合をなかなか想定できないんですね。ですから、私はここは一律に決めるべきではないかと思います。

○井上座長 ほかの方はいかがですか、どうぞ。

○平良木委員 私も今の意見に賛成で職務の遂行に支障がある者を裁判に関与させるというのは矛盾だろうという気がします。結論的に言うと、なかなか個別具体的な事件との関係でというのは難しくなりますので、類型化せざるを得ないだろうと考えています。

○土屋委員 私は前回と同じです。この要件は設けないという意見です。こう書くとえらくきつい感じがしてならないんですね。心身に障害のある人に対して、何か法律が冷たいなと、裁判員関係の法律が冷たい規定を置いているなというような感じを持たせてしまうのではないかということも現実に印象として起きるのではないかと思います。それで、実際どうしたらいいのかということなんですが、現実に事件によっては外さざるを得ないような事件も実際あるのだろうとは思うんです。ですから最初から欠格事由として書くのではなくて、先ほど池田委員が言われたような形の書き方ができないかと。

○井上座長 池田委員の御意見は、欠格事由として設けることとはするけれども、個別の事件の関係で判断するような要件とすべきだ、ということなのですが。

○土屋委員 その関係で、辞退の理由とするとか、ほかのところで書いておいた方がいいのではないかという感じを持っています。

○井上座長 おっしゃろうとすることも分からないではないのですけれども、辞退事由としますと、御本人から申し出がないとだめなのですよ。

○土屋委員 それでもやると言った場合ですね。周りから見ていてとても難しいと思えても……。

○井上座長 私は絶対やりたいと言われた場合には、辞退事由ですと、どうしようもないわけですが、それではちょっと困ったことになりませんか。

○土屋委員 あなたは失格ですというのもきついですね。

○井上座長 土屋委員の考えておられることも、実質はそう変わらないように思います。ただ、法律に欠格と書くのは非常に冷たい感じがするということでしょうか。

○土屋委員 そうなりますね……。

○酒巻委員 繰り返しになりますが、土屋委員のおっしゃる趣旨を活かし、しかも、最も誠実にそれを制度化するとすれば、これは「欠格事由」とするのが筋で、「辞退事由」にするのはやはりおかしいと思います。

○井上座長 ほかの方はいかがですか。樋口委員、どうぞ。

○樋口委員 結論はA案なのですが、判断するときに何に照らして判断するのか、私自身よく分からないなと思っているのです。要するに、無作為抽出された国民が参加する権利を奪われてはいけないといった観点が一つあるのか、それともそういったことはなくて、制度をきちんと回していくのに裁判員の確保に支障が生ずるようなことがあってはいけないということなのか、よく分からないと思うんですけれども、いずれにしても支障がある者を欠格事由とするというのは当然そうあるべきではないかと思います。

○井上座長 四宮委員、いかがですか。

○四宮委員 前回、たしか設けないと言ったのでしたか、とにかく具体的な事件との関係で考えるべきだと、たしか言ったと思うんです。一律にこういう規定の仕方をするのではなくて、具体的な事件との関係で支障があるかどうかを考えることとすべきだと思います。そのやり方としては二つあるのかもしれません。一つはA案に、さらにこれが欠格事由の範疇に入るのかどうか分かりませんけれども、具体的な事件との関係が読み込めるような記載にするというのが一つですし、そうでないとすれば、さっき辞退は難しいという話もありますが、言葉があまりこういう場合に適切ではないのですけれども、個々の事件によっては、理由のある忌避ということもあり得るのだろうと思うんです。だから、いずれにしろ個々の具体的な事件との関係で支障があるという形が分かるような規定にしてほしいということです。

○井上座長 例えば、当該事件における裁判員としての職務に支障、といった書き振りでしょうか。

○四宮委員 はい。

○井上座長 しかし、忌避にしますと、基本的には、当事者がこの人は問題があると申し立てて、それに理由がある場合に認められるわけですよね。

○四宮委員 裁判官が自らできる場合があるんじゃないですか。

○井上座長 忌避というのは、今は、裁判官を忌避することであり、裁判官自らだと回避するわけですが、今度は裁判官と裁判員とで主体が分かれるので、それを前提に構成すれば忌避ということになるのかもしれませんけれども。

○四宮委員 裁判官が行う、裁判員に選任しない旨の決定というのは、その前段階に欠格なり忌避なりというものがあってということなんですね。つまり、そういうものなしに裁判官が選任しない旨の決定はできないという仕組みで今まで議論していたのでしょうか。

○井上座長 忌避については、理由付忌避というのは、当事者から申し立てるということに……。

○四宮委員 職権の場合もあるんですね。

○井上座長 ごめんなさい、見落としていました。たたき台では、職権による場合も想定されています。そこに盛り込めばいいと、こういう御意見ですね。

○四宮委員 そういうのもあり得るのではないかということです。

○井上座長 分かりました。申し訳ありません、勘違いしていました。
 よろしければ、次の「(3) 就職禁止事由」というところに進みたいと思います。この項目に関しましては、たたき台の案が基本的に妥当であるという御意見がある一方、就職禁止事由はより限定的なものとすべきであるという御意見もあったと記憶しておりますけれども、この点について更に御意見があれば、お伺いしたいと存じます。どなたからでも。どうぞ。

○髙井委員 基本はア、原案どおりでいいと思っているのですが、原案では地方公共団体の議会の議員が辞退事由になっているんですね。確かに地方議会ですから国権の行使の一つである立法権の行使をしている人ではないわけですが、例えば、軽い事件が併合されて条例違反がくっつくということも抽象的には考え得るわけですね。そうすると条例の立法作業をしていた議員が裁判員になるということになるわけで、それでいいのかということと、選挙のときに当然議員は選挙のときに幅広く、いろんな人とつながりができていくわけですが、当該被告人と議員との間にどういう関係があるのか、かつてその支持者であったことがあるのかどうかとか、恐らくこれは調べようとしても幅が広すぎて多分分からないと思うんですね。分からなかったけれども、よくよく後になってみて、いや、例えば、実はあの人が選挙を通じて知り合いだったのだとかというような話が出てくるかもしれないと思うんですね。そういう意味では、この地方議会議員もアの中に含めるべきではないかなというふうに思うのです。

○井上座長 一般的にということですね。分かりました。

○髙井委員 それ以外に修正すべき意見はありません。

○酒巻委員 私も、全体の基本的な発想はたたき台の方向で結構だと思います。理由は前に述べたとおりです。一つだけ要点を言いますと、法律の専門家は就職禁止事由に入れるべきであると思います。これは裁判員制度の趣旨と直結する事柄だと思います。法律家でない一般国民の健全な社会常識の導入という趣旨からいって、法律家が入ることはおかしいと思っております。法律家にはもちろん弁護士、裁判官、検察官すべてが含まれるということになります。

○井上座長 大学教授はどうでしょうか。

○酒巻委員 たたき台には入っているんですね。要するに法律のプロフェッショナルは除外すべきであるということだと思います。

○井上座長 ほかの方はいかがですか。どうぞ。

○本田委員 私も、たたき台の案で基本的にいいと思います。たたき台は、酒巻委員が言われた法律家以外の者が裁判員になるべきであるという点と、もう一つは、三権分立との観点からの就職禁止の二つの観点から書かれていると思うんですけれども、こういった観点から言うとたたき台の案で相当だろうと思います。

○井上座長 ほかの方は、いかがですか。制限をもっと少なくすべきだという御意見を出された方もおられましたけれど、どうぞ。

○四宮委員 私は、まず就職禁止事由のうち、繰り返しになっちゃうんですけど、三権分立を理由とするものは、必ずしも国会や行政の仕事をしている人が司法の中に入って司法行政を担当するとか、そういうことではないので、私はそれは外してもいいと思います。特に(ア)と(イ)、国会議員と国務大臣は辞退事由に入れたらどうかと前回申し上げましたけど、同じ考えです。あとは基本的には、法律家もそれはそれで理由は分かるのですけれども、私の意見では、原則としてこの有資格者は国民として選ばれれば、それで仕事をしていいという考え方です。ですので、具体的に個々のこういったここに掲載された方々が個々のケースで、個々の当事者によって忌避されるということは事件によってはあるのかもしれませんけれども、そうでなければ、特に一般的に就職禁止事由とすることはないのではないかという意見です。

○井上座長 法律家の場合、個人の立場と法律専門家であることとは実際上切り離せないですよね。それでもいいという御意見ですか。国民として加わるのだから、国民として意見を述べればいいということなのでしょうが、そういうふうに本当に切り分けられるのかどうか、疑問なのですけれども。

○四宮委員 切り離せるのではないでしょうか。

○井上座長 本当にそうでしょうかね。御意見としては分かりました。(ア)と(イ)を就職禁止事由から外すとしたら、(ウ)の行政機関はどうなりますか。

○四宮委員 (ウ)は辞退はできないということにすべきだとと思います。

○井上座長 三権のうちの司法権以外の二権に属している者は除くという理由はあまりないのではないかということですと、(ウ)もそのようになるわけですね。

○四宮委員 ですから、私はちょっとドラスチックですけれど、この就職禁止事由を設けなくていいという意見です。

○井上座長 なるほど。すべて辞退事由でいいと。

○四宮委員 辞退事由でやる。それから、あとは忌避でやるという意見です。

○井上座長 トータルに就職禁止というものは要らないということですか。

○四宮委員 トータルに、はい。

○井上座長 分かりました。いかがでしょうか、指名して悪いのですけれど、土屋委員いかがですか。就職禁止事由は少ない方がよいという御意見だったように思うのですけれど。

○土屋委員 私も相変わらず同じ意見を言わせていただくことになりますけれども、私は裁判員の母体となるところは、極力広くとって、みんなで平等な司法になっていくという制度にしておく方がいいのだろうと思うのです。法律の専門家の方が除外されるという考え方は分かるのですけれども、ただ、およそ法律に少しでも関係していれば、全部除外してしまうというのはいかがなものかなと思っています。要するに大事なのは、公正な裁判が行われるような裁判員を確保するということでしょうから、そういう趣旨に照らして考えると、たたき台の案はあまりに広いかなという意見を前回も申し上げたとおりであります。また繰り返しになっちゃいますけれども、例えば、就職禁止事由の後ろの方に書いてある部分、後ろにいけばいくほど、そういう感じが私は強く覚えます。弁理士さん、公証人、司法書士、司法書士さんは簡裁の民事代理権が与えられて若干その性格が変わったのでしょうけれど、それでも担当するのは民事ですので、そういうところというのは、最初から就職禁止だと言わなくても、入っていただいても別に裁判を歪めるようなことにはならないのではないかと私は思ったりしています。むしろすそ野を広くとってたくさんの方に参加していただくという制度設計をすべきではないか。就職禁止事由としてしまうのではなくて、どう見ても適当でないと思われるようなことがあれば、忌避などの制度でもって対応すればいいのではないでしょうか。最初から除外するという考え方には抵抗を覚えております。

○井上座長 制度の問題として、辞退というのは自ら申し出ない限り発動されないのです。忌避についても、恐らく、特定の職業についているからという理由で当然忌避が認められるということにはならず、あくまで、不公平な裁判をするおそれがあることが示される必要がある。それが忌避の制度ですので、それで賄えるのかが問題だろうと思うのですけれども、御意見としては分かりました。ほかの方、いかがですか。

○平良木委員 私はこのたたき台に基本的にいいと思います。前回も2~3申し上げていることありますけど、それはともかくとして、これで構わないと思います。

○大出委員 私も、確か、広過ぎるという意見を申し上げたと思いますし、その意見については変わっていません。そのときの理由として、国民の負託によって職業、つまり時間的な制約がある人たちはだめだろうけど、それ以外については基本的な考え方は維持していいだろうと思います。それで公務員の方、特に裁判所の職員の方、法務省の職員の方含めて、自衛官もそうじゃないかと思いますが、むしろそういった方たちが積極的に参加することによって範を垂れるということがあったってしかるべきだと思いますし、特に就職禁止事由として最初から除外するという姿勢はないのではないかと思います。もちろん先ほど来出ていますように、ほかの手段によって、ただ、今の忌避ということになったときに、まだ理由付きでない場合というのはあり得るわけですね。ですから、そういうことも含めて除外するということはあるのだろうと思います。

○井上座長 要するに、理由なし忌避の方でやればいいじゃないかといことでしょうか。

○大出委員 という余地はあるだろうと思います。

○酒巻委員 法律家についてはどちらの御意見ですか。

○大出委員 法律家も構わないと思う。

○酒巻委員 裁判官も。

○大出委員 裁判官。

○池田委員 警察職員はどうでしょうか。

○井上座長 それと、大出委員とか私のような大学の先生は……。

○大出委員 私はやりたいです。

○井上座長 自分がやりたいかどうかは別問題でしょう(笑)。

○大出委員 だから、やれるようにしておいて……。

○酒巻委員 全く希有の事例かもしれませんが、裁判官が当たって、それで辞退せずに、両当事者も裁判官だからいいかとかいって忌避もしなかったから、裁判官と裁判員の数とか……。

○大出委員 現実的な問題だと思いますけれども、つまり、忌避をどの程度まで認めるのかというようなこと等も関係してくると思いますし、裁判員として何人想定するのかということにもよってくると思いますけれども。

○井上座長 忌避の制度があるからというのは、理由にならないように思いますね。ここでの問題とは制度の趣旨が違うと思うのですが。

○大出委員 ですから一般的に私は忌避でいってもいいだろうと、そういう趣旨です。

○井上座長 御意見がそうであることは分かりました。どうぞ。

○髙井委員 大出委員に質問があるのですけど、大出委員は就職禁止を権利の制限だというふうに見ているのか、義務の免除だというふうに見ているのか、どちらなんですか。

○大出委員 いや、微妙じゃないですか(笑)。

○髙井委員 今の大出委員の御意見を聞いていると、義務の免除だから、公務員を有利に扱ってやる必要はないんだみたいなふうに聞き取れますよね。一般国民の中には、これを権利制限だというふうに見るのではなくて、何で一般国民には義務化して、自分たちだけその役割を免れるのというふうに思っている人もやはりいるんですよね。ですから、私はこれは必要だという立場なんですけれども、これは権利制限なのであって、そういう意味では、義務の免除ではなくて……。

○大出委員 ですから私は全面的になくていいと言っているわけではないんですよ。先ほど申し上げましたように、ですから国会議員、国務大臣、都道府県知事及び市町村長、これは外してもいいのではないかと思います。

○井上座長 外すというのは、就職禁止事由に残しておくということですね。

○大出委員 残しておくということです。

○井上座長 でも、裁判官とか検察官とか、弁護士とか大学の先生というのは禁止すべきではないということですか。

○大出委員 ええ。

○井上座長 ほかの方、御意見はいかがですか。この程度でよろしいですか。
 次は「(4) 除斥事由」ですけれども、この点については、これまでの御議論では特に異論はなかったと思いますので、よろしければ、ここは議論を省略して次に進みたいと思いますが、よろしいですか。
 次は「(5) 辞退事由」ですけれども、この項目につきましては、特にキの「疾病その他やむを得ない事由」という点について、具体的にどのような場合がこれに当たるかというような御議論があったと思います。そういった点を中心に、もちろん他の点でも結構ですけれども、御意見を伺いたいと思います。いかがでしょうか。

○池田委員 前回このキの要件をもう少し明確にした方が裁判官も判断しやすいのではないかということで、例えば、疾病以外にも自分の家族で養育あるいは介護をする必要のある者がいて、自分がいないとどうしようもないというような場合ですとか、あるいは経済的な事情で到底裁判員の仕事をしていられないということを言ったときにどうするかという話をしたと思います。養育、介護のあたりは基準がある程度明確かなと思うのですが、特に問題となるのは、仕事の関係でやりたくない、できないという場合にどのあたりで線を引くのがいいのかということだろうと思いますので、この点をある程度議論しておく必要があると思います。今日説明があったパブリックコメントにもありましたが、かなり心配している方もおりますし、できれば当たっても逃れたいと、あるいはやらなくて済むならやりたくないという人もいるようですので、そのあたりも考えておかなければいけないのではないかと思うのです。今、私自身としては、具体的には、仕事の関係を理由とした場合に、自分は職務があって仕事もあるから出られませんというだけでは辞退するのを認めるわけにはいかないだろうと思っています。ただし、それによって、ほかに代わる人がいなくて、自分が抜けてしまうとかなり経済的に損失を生じるというような場合には辞退を認めてもいいのではないかと思うわけですけれども、もう少し具体的な例について議論しておく必要はないのかなという気がしているのですが。

○髙井委員 場所中の力士はどうか(笑)。

○井上座長 私は、かつてスペインで陪審員の選任を見たことがあるのですけれども、そのときに、嘘か本当か分からないのですが、ある陪審員候補者が、自分は企業の研究部門で長年ある研究をやってきて、ようやくその成果が出たので、近くアメリカで発表する機会を与えられたところであり、是非免除を認めてくれという申し出があったのですね。しかし、その申し出は裁判官によってにべもなく斥けられましたので、その候補者は怒り狂っていましたけれども、後で裁判官から話を聞くと、陪審員候補者は義務を免れたいと思っていろいろ言ってくるので、そういうのを認めていると際限なくなり、制度が成り立っていかないと言っていました。しかし、その裁判員候補者にそういう事情が本当にあったのだとしたら、免除しないのは行き過ぎではないかと思いました。その辺のところがうまく書き込めるのかどうか、例示としても特定できるのかどうか、ということだと思います。

○池田委員 なかなか法文でそれを書くというのは難しいだろうと思うんですね。そうなると、あとは運用になってしまうわけですが、ただ運用に任されても裁判官も困るだろうなと思うのです。特に、最初は、どういう場合に辞退を認めてよくて、どういう場合まずいのか、ある程度このあたりはしようがないじゃないのという目安になるものがないと、ばらばらで運用することになってしまって、裁判員に当たった人も非常に不公平感が残りますので、そのあたりの制度をうまく始めるには、ある程度具体例みたいなものを挙げておいた方がいいのではないかという気がするのです。

○四宮委員 すいません、ちょっとずれちゃうかもしれませんけれども、座長がおっしゃった、スペインのケースでは、裁判官は疎明させなかったんですか。例えば、学会のインヴィテーションレターとか。

○井上座長 疎明をさせるまでもなく、それは辞退理由に当たらないという対応をしていました。いいかどうかは別ですけれども、裁判官が言うには、裁判員候補者はいろいろその種のことを言い立てるものだからということでした。

○四宮委員 嘘をついていると思ったんですかね。

○井上座長 そうではなく、よほどのことでもない限り、免除を認めていると制度が成り立たなくなるという、一般的なお考えによるもののようでした。それは、スペインの制度が全体としてそのような考え方で成り立っているというより、その裁判官がそういうお考えであったということだとは思うのですが。

○酒巻委員 基本的に池田委員のおっしゃったことに賛成というか共感します。しかし、どのような形で具体的な判断基準を設定するか。特に仕事関係の部分ですね。思いつきで恐縮ですけれども、一つは勤め人の場合について、裁判員としての義務を果たしたことによって、不利益にならないような、労働法関係の制度的手当てが絶対必要だと思っています。このような裁判員休業制度はたたき台にあったと思います。そういう法制度的手当があるのを前提にして、裁判員に選任されて、例えば、1週間ぐらい拘束されると食べていけなくなってしまうという過酷な経済問題が発生する場合があるとすれば、それは勤め人ではなく、個人で事業をやっている人でしょう。個人事業者、個人タクシーとかはそうかもしれない。そういう個人事業者で、かつ休んじゃうと立ち上がれないというような、そういう状況の人はやはり辞退を認めないと気の毒だし、それは合理的なのではないかと思っています。普通の勤め人の場合は不利益にならないような労働法関係の調整規定を設け、それでなるべく出ていただけるようにするというのが大枠ではないかと思っております。

○髙井委員 具体的に決めなくてはいけないというのは御意見のとおりだと思うんですね。もう一つ、国民に不公平感があってはいけないと思います。それで法案には多分書き込めないとは思うのですが、何らかの形で辞退のできる基準のようなものが国民が理解でき、知ることのできるような状態で決められなければいけないと思います。ですから、完全に事実上の運用に任されるというようなことはあってはいけないと思います。運用でも、内部的には基準があって、それは外には出さないんだけど、中はそれで公平にやっていますよというのではやはりだめなのではないかと思います。

○四宮委員 全く賛成なんですけれども、不公平感を持ってもらわないための工夫として、今おっしゃったような基準をつくるということと、もう一つは、さっき、スペインの例をちょっと伺ったのは、手続で免除される場合は何らかの資料を出して疎明した場合というような運用になっていくようにすべきではないかと思います。私がアメリカで見たケースでも、だめだというときには、そのケースでは旅行の場合の免除を認めていましたけれども、航空券の写しをよこせとか、あるいはどうしても会社で重要な仕事があるときに、会社のボス(上司)から裁判官あてに手紙を出せというようなこともやっておりました。それともう一つ、不公平感をなくす方法として是非考えてもらいたいのは、辞退の申し出が通ったときに辞退をして直ちに何もやらなくていいということになるのではなくて、延期を認めるという方法です。つまり本当にだめだから、今は勘弁してください、だけど、例えば、3カ月経ったら、大きな商談は終わるので、大丈夫ですということもあり得ると思うので、そうすると不公平感を減らす一つの工夫になるのではないかと思います。また、裁判所の手間もどうなるのかという問題あるかもしれませんけれども、そういった工夫もしてみたらどうかなというふうに思います。

○井上座長 いろんな条件を付け、辞退を認めたり、あるいは延期を認めるというような、多用な取扱いがあるのではないかという御意見でしょうか。
 この点については、ここではっきりさせることができるものでもないと思いますので、今後なおいろんな事例を想定して議論をしていき、できるだけはっきりした基準をつくっていくということが必要な問題だろうと思います。もし、更に付け加えて御意見がなければ、この程度にさせていただきたいと思いますが、よろしいですか。
 それでは、先を急ぐようで恐縮なのですが、明日のこともありますので、皆さんの疲弊の限度をはかりながら、どの辺まで今日やろうか、思案しながら進行を行っているのですけれども、まだ大丈夫ですね。
 「(6) 忌避事由」ですが、現行の刑事訴訟法における裁判官の忌避と同様に、裁判員が不公平な裁判をするおそれがあるときに忌避を認めるという案になっていますけれども、この点についても特に御異論はなかったと思います。このような制度を設けること自体、及び、この要件の書き方については、よろしいですか。
 次が「(7) 裁判員候補者名簿の作成」ということですが、この点についても、今までの議論では特段の御異論はなかったように思いますので、ここも確認をさせていただいて、次に進むことにしたいと思います。よろしいですか。
 「(8) 裁判員候補者の召喚」という項目ですけれども、この項目につきましては、イの「検察官及び弁護人に対する事前の情報開示」というところの(ア)の裁判員の氏名の事前開示に関しまして、氏名の事前開示を適当であるとの御意見と適当ではないという御意見、あるいは氏名以外の事項も開示すべきではないかという御意見などがあったところです。この点につきまして、さらに御意見があればお伺いしたいと思います。どなたからでも結構ですが、どうぞ。

○髙井委員 前回、裁判員候補者の数については何らかの定めをする必要があるのではないでしょうかというような意見を申し上げたかもしれないと思うのですが、同じような意見を今も持っています。必要な数というのはどの程度の数なのか、最終的に裁判員の数が6人になるのか、3人になるのか、9人になるのかよく分かりませんが、例えば、仮に6人だとして、じゃ、6人が必要なんだから、9人ぐらい呼んで、そこから選ぶかというのか、例えば、20人呼んで、そこから6人を選ぶのかによって、相対的な適格者を選ぶという観点からいうとかなり違うと思うんですね。この点については、私の意見と池田委員の意見がかなり違っていたようで、私は3倍ぐらいと言って、池田委員はプラスアルファぐらいでいいではないかみたいな御意見だったと思っているのですが、違いましたですか。私はそういう理解しているんですが。

○池田委員 忘れてしまっています(笑)。

○井上座長 私が問題設定したのと違うことについて発言されたものですから、どうしようかと迷いますが、せっかく言い出されたわけですから、どうぞ続けて下さい。

○髙井委員 この議論をもう少しさせていただきたいと思うんですね。この辺の候補者の数というものの性格をどういうふうに見るかということによって、その後の質問票の問題であるとか、質問手続というものの意味付けや考え方が変わってくるのではないかという気がするんですね。いや、そんなことないということが大勢であれば、大勢に従うのはやぶさかではないのですが。

○井上座長 御意見を言っていただけますか。髙井委員が抱いておられるイメージで結構ですが、このくらいの数が必要で、それですと、後の手続がこうなるというようなことを言っていただいた方が議論しやすいと思うのですが。

○髙井委員 私としてはここはなるべく多い方がいいと思うんですね。当事者としては相対的に適格な人を選びたいという認識がありますから、仮に6人だとすれば、最低限でも3倍程度の候補者をくじで選定するような制度が望ましいのではないかと思います。それを前提にすると、質問票を事前に送付するという、その後の流れについては、基本的にはこの原案でいいと思っています。(9)の質問手続など若干まだ意見を異にしていますが、(8)の中では候補者の数を3倍程度にすることを前提にして原案どおりでいいと思っているんですね。

○井上座長 候補者がたくさんいた方が、当事者として、いい人が選べるということでしょうか。

○髙井委員 当事者が選ぶか裁判所が選ぶか、どうなるか分かりませんが、候補者がたくさんいた方が、理由付き忌避の行使等によって比較的相対的に適切な人を選ぶことができる可能性が増えるのではないかと思っているということです。

○井上座長 後の、どういうふうに絞り込んでいくかというところとも関連していると思いますので、そこでもまた触れられると思います。どうぞ。

○酒巻委員 これについては、私は、確たる意見がないので、今、髙井委員がおっしゃったことについてのメリットはおっしゃるとおりだと思います。他方で、呼ばれる方の身になってみますと、裁判員の数にもよりますが、結局はねられたか、質問もなくて帰ってくるという人が増えるわけですね。それは呼ばれた方の身になると気持ちのいいものではないなと思います。ある意味で迷惑をかけ、呼ばれるだけで裁判員にもならなかったという結果に終わるので、その点との兼ね合いかなと思うんですが、これは印象批判です。

○井上座長 ここは、抽象的、一般的にあらかじめ考えて決められるという問題でもないように思うのですね。恐らく、一種の試行錯誤であり、諸外国でもそれぞれいろんなやり方でやっており、しかも同じ国の中でも一律ではなく個々の地方でやり方が違うというところも少なくないように思いますので、ある程度経験を積んでいくと、大体このくらいだと適正な選任もでき、また、多過ぎて無駄になることもないという数が出てくるのではないかと思います。ですから、最初から一律に言えるのかなという感じがするのですけれども。

○髙井委員 何を基準にして必要と考えるか。基準あるいは目的を何を目的として必要と考えるかによってかなり変わってくると思います。

○井上座長 選任の仕方として、候補者群の中から、一人一人、この人がいい、この人がいいといった選び方していくのでしたら、確かに、候補者は多い方がよいという考え方になるかもしれませんが、そういう選任の仕方にするのかどうかということでしょうね。そうではなく、無作為抽出されて来た人について何らかの障害事由がない限りは、やっていただくという考え方でいけば、そういうイメージにはならないわけですね。そのどちらをイメージしているかによって、随分話が違ってくるように思うのですけれども。

○平良木委員 理由をつけない忌避をどの程度認めるかということとの関連があるので、これはそこが決まらないと最終的に決まってこないだろうという気がします。

○池田委員 私も前回どう言ったかあまり覚えてなくて申し訳ないのですが、仮に少なくてもいいと言ったとすれば、多分、選定手続でそんなに多くの人が除かれるというイメージが私の方にはないのと、欲しい人を選んでいくのではなくて、候補者として選ばれた人の中でまずい人を除いていくという方が本来の考える道筋ではないかという気がすることからだと思います。

○髙井委員 その点については、まずい人は外していくのですが、結果的には相対的にいい人が残るとか、希望する方が残るわけですね。だから、いい人を積極的に採るのではなくて、まずい人を外していくという点では同じなんですが、その母数が多い方が、これは平良木委員がおっしゃるように、忌避権をどのぐらい持つかというのと相関関係もあるわけですが、母数が大きい方が相対的に適切な人たちが残る確率が高いのではないかと思っています。

○井上座長 いずれの考え方をとっても、また仮に運用に任せるとしても、最初から不足するような数とすることはできないのは当然ですが、他方、理由付き忌避が実際に認められるということも、それほどあることとは思えないのです。そうしますと、平良木委員が言われたように、理由なしの忌避ができる数をどの程度に設定するのかとの関係で召還すべき候補者の数が大体決まってくるということなのでしょうね。

○髙井委員 私が問題提起したいことは、まさに、座長が先ほどまとめられたとおりで、この構造をどういうふうに見るかということだと思うんですね。ですからそういう問題があるということを前提にして、先へ進んでいただいても構わないのですけど。

○井上座長 分かりました。四宮委員、どうぞ。

○四宮委員 忌避制度、特に理由のない忌避を認めるのがたたき台の立場ですけれども、これがふさわしくない人は排除していくという仕組みであることはそのとおりだと思うんですね。だけど、そうだとすると、ふさわしくない人の範囲にもよりますけれども、ある程度の数がいた方がいいのではないかというのが一つ。酒巻委員のおっしゃったことですが、出頭してもらった人にお帰りいただくのは失礼じゃないかという点については、それは確かにそうなんですけれども、来ていただいて、そこまで残っていただくことも一つの重要な仕事であるという形での扱いが私は大事だと思うんです。その意味で、さっき申し上げるのを忘れたのですけれど、辞退事由で、実際に、裁判員、補充裁判員に選任された場合と、候補者として召喚に応じて出頭した場合とで年数が違うんですね。つまり、選任された場合は5年以内であれば辞退できるけれども、まさに酒巻委員御心配のように、召喚されて行ったけれども、今回は選ばれませんでしたと言われて帰った場合は、例えば、2年後に呼ばれたら辞退できないことになっています。ちろん負担は、実際に裁判を最後までやる場合と呼ばれて行った場合とは違うのですけれど、どちらも大事な責務を果たしていただいたということで、同じ扱いにしたらどうかなと思います。

○井上座長 完全に対立している御意見というよりは、全体としての絞り込みのプロセスをどういうふうに構成していくのか、全体としての選任の仕組み、そこにかかってくるように思います。その意味で、ほかのところとも関連しますので、この段階では、このくらいにして先に進ませていただきたいと思います。先ほど問題設定をしました氏名の事前開示については、いかがでしょうか。

○髙井委員 私は前回は訴追側と弁護側では、捜査能力、調査能力に差がある。両方では違うから不公平だから氏名の開示は反対だという意見を述べていると思います。しかし、その後、いろいろ考えてきた結果、私が心配しているように、情報量に差が出るということがないように配慮した上での氏名の開示ということであれば、あってもいいかなというふうに現在は思っています。

○井上座長 分かりました。ほかの方は、いかがですか。

○四宮委員 私は、質問票などを数日前に開示した方が忌避手続が有効に行使できると確か言ったと思いますが、この次の質問手続との関係もありますが、質問手続で当事者も裁判官の許可を得た上で直接質問することができるという制度にすることを前提に、当日にいろいろな候補者の情報を開示を受けるということでいいのではないかと思います。そして、(イ)のうち、ただし開示を受けたものについてはB案、当然漏らしてはならないし、違反があれば罰則の適用があるという考えです。もちろん選定手続というのは非常に重要で、あらかじめ情報が豊富な方がいいということもあり得るわけですけれども、裁判員候補者のプライバシーの問題ですとか、実際に当事者としてできること等を考えますと、(イ)で、当日に質問票に対する回答の写しを閲覧させるということで、はい、渡しました。じゃ、これからすぐ手続を始めますでは困るわけですけれども、当然に常識的な準備の時間はあることが前提ですけれども、そういう形でよろしいのではないかと思います。

○井上座長 事前開示は必要でないということなのか、あるいは事前開示は適当でないということなのか、どちらですか。

○四宮委員 ただ、これはさっきの候補者を何人呼ぶかとか、事件によって一律に全部当日で短期間にできるものと、そうでないものがあるかもしれないですね。これは裁判所の判断で、場合によっては十分な準備をしてもらわなければいけないということで時間的な余裕を持って事前に開示することもあり得るかもしれません。ですからあってはならないということよりは、こういう形で原則で結構だという形です。

○井上座長 ほかに御意見はおありでしょうか。どうぞ。

○池田委員 (イ)の方はB案で、質問票についてはその日に閲覧させて、そしてそれを漏らしてはいけないとすることでいいと思うんですが、(ア)の氏名を質問手続の前に知らせるという点については、前回もお話したのですが、あまり早くすると、検察官、弁護人が何らかの調査をすることになるのではないかと思われます。その調査というのは、あまり手続にあらわれてこないところで、そういう、この裁判員が好ましいか、好ましくないかというのを選ぶための調査が行われるようになり、どうもあまり好ましくないのではないかと思うのです。基本的には、先ほど言いましたように、ふさわしくない者を除いていく手続にすべきなので、そういう意味で、そういう調査まで行うことにはならず、かといって事件の関係で除くべき人ではないかということを当事者が調べる必要性も分かるので、ある程度前に渡すこと自体は必要だろうと思いますけれども、あまり前に渡さなくてもよいのではないかという気がいたします。

○井上座長 あらかじめということでいいけれども、開示の時期があまり前になると問題があるという御意見ですね。

○本田委員 氏名の通知は当然必要で、ある程度前に送付してもらった方がいいと思います。どれくらい前かというと、そんなに前にもらっても仕方がないのですけれども、事件のボリュームとか記録のボリュームの関係で、名前から事件関係者がどうかをぱっと見たりすることもありますので、あまり短いと形式的なチェックもできないと思います。調査が行われるのではないかと言われますけれども、名前を見るだけでは、事実上、そんなにいろんな調査ができるわけではないと思います。その点は、あまり心配は要らないのかなという気もします。自分に都合のいい人を選ぶために調査するということが本当に可能なのか。少なくとも記録の中にあらわれてくる、当然記録は弁護人の方に開示されているわけですけれども、そこでチェックするぐらいの時間は必要なんだろうという気がします。(イ)の方は、写しをもらって、情報保護の方はB案ということで、これは前回の意見どおりです。

○井上座長 名前を明らかにしてもらいチェックするというのは、個々の候補者について詳しいバックグラウンドをチェックすることまでは難しいけれども、例えば事件関係者かどうかをチェックするということでしょうか。

○本田委員 記録の中に同じ名前が出てくると、おや?という気がしますので、それは質問手続の中で質問してもらうことになりますね。記録が膨大な場合には、そんなに極端に前に下さいという話にはならないと思いますけれども、ある程度検討が可能な期間を設定していただければいいと思います。

○酒巻委員 今、本田委員がおっしゃったような名前に関するチェック、手持ちの記録で出てこないかということは、弁護士さんであっても、同じことができると思われますが……。

○髙井委員 できます。ただ、こちらは開示されている証拠の範囲内でしかできない。訴追側は非開示証拠の範囲内でもできる。

○井上座長 あとは、被告人に聞くとか、関係者に聞くとか、ということですね。

○酒巻委員 印象論ですが、そこが外から見たときに、何か弁護人側の方が不利益になっているように見えてしまうということだとやや問題であるかと思います。ただ、直前に名前だけを開示するということだと、私自身はどっちの立場でもありませんので確たることは言えませんが、今おっしゃったような程度のチェックにとどまるのであれば同じかなという気もします。

○井上座長 大都会と地方では、事情が大分違うかもしれません。その辺も配慮が必要かもしれませんね。(イ)についても御意見が出ましたが、この両方にわたって更に付け加えて御意見がないようでしたら、もう一つ先に進ませていただきたいと思うのですが、よろしいですか。
 次の「(9) 質問手続」ですけれども、これはさっきお話に出たような、最終的な選任に至る全体の流れをどういうふうに組み立てるのかということと密接に関連する問題であり、質問手続の具体的な流れとの関係で、除斥とか理由を示す忌避等によって選任しない旨の決定がなされなかった、つまり排除されなかった候補者の中から、最終的に裁判員として選任する候補者をどういう仕組みで決定するのかという問題だと言えます。言い換えれば、最終的に必要な裁判員の数より多くの候補者が残った場合に、その中からどうやって絞っていくのかということですが、この点については、これまでの御議論では、たたき台の考え方が適当であるという御意見と、理由を示さない忌避で、とにかく定数までは絞り込んでいく、当事者双方がどんどん削っていくというやり方が適当であるという御意見が述べられましたけれども、これらの点について御意見があれば伺いたいと思います。

○髙井委員 まず、今、座長が設定された問題点に至る前提の問題として、この原案では、当事者本人、つまり、検察官、弁護人は質問できないわけですよね。例えば質問手続の(イ)は、裁判官に対して必要な事項の質問することを求めることができるとなっていますので。

○井上座長 その点については次にお聞きしようと思っていたのですが、それを先に議論していただいても結構です。どうぞ。

○髙井委員 しかし、当事者である私としては、裁判官に聞いていただくのではなくて自分で聞き、自分で判断することとしたいと思います。他人の質問に基づいて判断をするというのは本来の在り方とは違うのではないかと思うのです。それから、今のたたき台では、聞いてもらいたいといったことを裁判官がすべて聞くという形にはなっていなくて、その中から裁判官が裁量で、これは相当であるというふうに考えたものだけを聞くということになっていますから、そうすると単にこういうことを聞いてくださいという質問票を出すだけでなくて、なぜ、この質問が必要なのかという趣旨まで書かないと適切な選択はされないというおそれもあるわけで、そうなってくると、手続的には非常に面倒だということにもなるわけですから、ここは是非とも当事者が直接聞けるという仕組みにしていただきたい。ただ、その場合に、前回も私はこういう意見を申し上げたところ、それだと延々と質問を繰り返して手続の進行が阻害されるのではないかというような御指摘があったわけです。だから、それに対してはもちろんそういうことがあってはいけないわけですから、何らかの制限を課すということにすべきだと思います。例えば、1人につき何分間だとか、あるいはトータルで手持ちの時間は何分、あるいは何十分しかないですよという形でその手続が延々と続いていくことを防止することは十分可能だと思います。なぜ、またそういうことにこだわるかというと、やはり理由なし忌避という権利を適切に行使するというためにはそういう仕組みが必要なのではないかと思っているということです。必要定数まで意見を行使して絞り込んでいくという意見を私が前回述べたわけですが、そういう仕組み自体には必ずしもこだわっているわけではありません。ある程度まで絞り込んだ後はくじで選ぶということはあってもいいと思うんですが、どうしてもこの人はおかしくないかと思うような場合に、それで忌避したいというときにその忌避権が適切に行使できるような仕組みになっていなければいけないだろうと思っているところです。

○井上座長 その判断ができるためには、当事者が自分で質問するという機会がなければいけない、こういう御意見ですか。

○髙井委員 そうです。

○井上座長 ほかの方は、いかがですか。どうぞ。

○酒巻委員 髙井委員が、今、おっしゃった点について、私は、基本的にはたたき台のままでいいだろうと思っています。髙井委員がおっしゃったような方法では、一つは、当事者が質問することになると、どうしても長引くということ。もっと根本に立ち返ると、当事者が質問しなくても理由なし忌避権の適切な行使はできるのではないかというのが私の理解であり、たたき台もそういうことを想定しているのだろうと思います。当事者の直接質問を認めるという制度は、どうしてもアメリカでかなり弊害になっているような懸念を生じる。制度本来の目的である不公平な裁判をするおそれのある人、裁判員として適切でない人を除外するだけでなくて、むしろ積極的に各当事者に望ましい判断をするのではないかと想定される裁判員を選別していく、あるいはまたそのために忌避権の行使を戦略的に用いるということにつながりやすいという危惧が感じられるのです。たたき台は、当事者が聴きたいことを質問できないとしているわけではない。その質問内容を裁判官に伝えることによって聞いていただくということで、適切な忌避権の行使の素材は十分得られると思っておりますので、原案のままでいいと思います。

○井上座長 ほかの方は、どうぞ。

○池田委員 ここは、前回、髙井委員の意見に反対した記憶は十分あるのですが、私は、今でも変わらなくて、質問手続がそんなに重いものになったり、あるいはそれに時間が掛かるというような弊害が生ずるおそれがあるのではないかと思うので、当事者に直接質問する権利を与えるのは適当でないだろうと思います。ただ、裁判官が、どうしても当事者が直接聞きたいという質問に限って適当なものを許すという仕組みはあり得るのかなと考えています。このたたき台は、そこは権利として認めているのか、認めていないのかちょっと分かりませんけれども……。

○井上座長 基本的には裁判官がやるのだけれども、特に当事者の方から付加して聞きたいということがあれば、ということでしょうか。

○池田委員 それが適切な理由があって、確かにそのとおりなら、その質問だけどうぞ、というようなことはあっても、それは構わないのかなという気がいたします。

○井上座長 アメリカなどで裁判官が質問することになっているところでも、別に裁判官だけで質問事項を決めているわけではなく、事前に両当事者を呼んで、話し合って質問事項を決めているのです。そういう形をとれば、今の御意見のようなことは既に含まれているということになるのかもしれませんね。

○四宮委員 私は、髙井委員の説に賛成です。理由は大体おっしゃったことと同じなんですけれども、特に理由のない忌避制度を設け、それを実効あらしめるためには、これは決して酒巻委員が心配される戦略的なものということではなくて、この制度本来の機能を実効あらしめるために、やはり質問を認めてもらうことが必要だと思います。ただ、質問が戦略的なものになったり、だらだら続くことを防ぐための制度的な仕組みは必要で、時間がいいのかどうか分かりませんが、私は裁判官の許可にかからしめるということもあるだろうと思います。もう一つの理由は、事件の情報は、裁判官よりは当事者の方が持っているわけで、今、座長からアメリカの制度の御紹介がありましたけど、裁判官が聞くという形になっているところでも、裁判官が当事者に質問を許しているというところが結構あると承知しております。そういう意味で決して戦略的なものにならないような工夫をした上で当事者の質問ができるような仕組みにしてほしいと思います。

○井上座長 ほかにこの点、いかがですか。

○辻参事官 今、当事者に裁判官の許可にかからしめて、場合によっては、裁判官を通じてではなく、当事者が直接質問した方がいい場合もあり得るという御意見がありましたが、許可する場合としては、具体的にはどういう場合が想定されるのでしょうか。

○髙井委員 それはこういう場合は直接聞いた方がいいというような問題ではないと思うんですね。質問というのは、前も言いましたけど、同じことを聞いても、池田委員が聞くのと私が聞くのとは絶対それは違うわけです、多分。多かれ少なかれ、そういうことはあるわけですね。同じことを聞くにしても、同じ活字の言葉を聞くにしても抑揚もトーンも違ってくるわけですから。お互い紳士的に聞いてもそれは違うわけで、そういう意味では、もともと質問とかそういうものは、単に内容が同じだったら反応は同じだというものではないわけですよね。それは聞くことが同じだったら、誰が聞いても同じだろうというのは、それは実務の世界では違うのではないかと私は思います。

○酒巻委員 前にもいいましたが、それは証人尋問であれば分からないでもありません。こちらの提示したいことを主尋問で証言してもらったり、主尋問での証言を弾劾するという質問であれば、私はよく分かるのですが、この制度は証人尋問ではありません。その人の情報を聞き出し、公正な裁判体をつくるためのものであり、証人をつぶしたり、しゃべらせたりするためのものとはやっぱり違うのではないかと思います。

○髙井委員 私も、もちろん、それは違うということを前提にして言っていますから、別に候補者をつぶそうとは思っていません。

○井上座長 そのくらいにしていただけますか。具体的な例を想定できますか。

○四宮委員 付け加えるとすれば、事件関連の質問ですね。それに関する情報は裁判官は持ってないわけですね。

○井上座長 例えば事件関連でどういうことを聞くのですか、この選任手続で。

○四宮委員 事件の関係、例えばドメスティック・バイオレンスの事件であったというときに、具体的にはどうか分かりませんけれども、そういった事件の関連での質問、内容との関連での質問ですね。

○井上座長 そのような質問をあらかじめ裁判官に申し出て、それで整理した形で裁判官が聞くということでは、それは出てこないのでしょうか。

○四宮委員 出てくるものと出てこないものと、あるいは出てきたものの感触というものは違うのではないでしょうか。

○井上座長 そこはちょっと危険な綱渡りみたいな感じもしますけれども。事件関連ということになると、アメリカでの質問手続などを見ていますと、結構事件の内容に踏み込むような、暗にそれを示唆するようなことまでやっていますので……。そちらの質問はいいのですか。髙井委員からは外されたようですけれども(笑)。

○四宮委員 あと、よろしいですか。最終的な絞り方について。

○井上座長 そこのところを伺っておきたいと思いますね。

○四宮委員 私も前回、髙井委員と同じように、無条件忌避を尽くす案を言いましたけれども、特にそれにこだわりません。無条件忌避の数を一定程度数字を決めて、そして残った人の中から無作為抽出するということもあり得ると思います。その場合、二つあって、一つはもう一回くじ引くというのと、最初から番号を決めておいて、その順番に従うということもあり得ると思います。

○井上座長 絞っていくときに、理由を示さない忌避で絞り込んでいくという考え方について少し懸念されるのは、せっかくくじで無作為に抽出したのに、その中から、当事者が、この人は嫌だ、この人はいいと選別することを認め過ぎることになりはしないか、ということだろうと思います。そのような選別の余地を余り大きく認めると、せっかく無作為に選ばれた人が訳もなくはねられてしまうことになるので、大前提の考え方と整合性が保てるのかが問題となるような感じがするのですけれども。

○髙井委員 座長のようなことをおっしゃると、そもそも理由なし忌避を認めてはいけないということになりますね。

○井上座長 一定数に限るということになるでしょうね。確かに、そのような理由なし忌避を認める限りでは、おっしゃるように、例えば彼は赤いネクタイをしているから嫌だというような余りまっとうでもないことで排除されることもおこり得るとは思いますが。ほかの方は、御意見いかがですか。

○酒巻委員 さっき手を挙げた後、座長がほとんどおっしゃってくれたのですが、私も残った場合は、またくじでという案が妥当だと思います。先ほど少し言いましたが、理由なし忌避での絞り込みという方法は、言葉は悪いですけど、どうしても、制度の戦略的濫用に結び付く懸念がぬぐいきれないので適当でないと思います。

○井上座長 ほかの方、どうぞ。

○池田委員 最後まで絞り込んでいくという方法については、選定手続で欲しい人を選んでいくのか、それともふさわしくない人を除いていくのかという考え方からすると、後者の方がいいと思いますので、そこまで絞り込んでいくという制度は望ましくないのではないかと思います。それでは、最後に裁判員あるいはプラス補充員以上になった場合にどうするかは、このたたき台のようなくじもあるでしょうし、前回話したような、あらかじめ番号を決めておいてその順番に従うという方法もあり得るのではないかと思います。

○大出委員 私も結論だけですが、相当数の召喚があってしかるべきだと思っていますので、最後まで忌避で処置をするというのはなかなか難しいと思いますし、人数的にも無理があるという感じがしますので、最後は今池田委員がおっしゃったように、くじ、あるいは順番をつけておくというような形で処置をするというのが妥当だろうと思っています。

○井上座長  ほかに、どうぞ。

○本田委員  私も大体同意見で、全員について質問手続を行って、一定数は理由なし忌避をやって、残ったものについては、順番あらかじめつけておくよりも、何となく公平みたいな感じがしないでもないので、どちらかというと、くじで選んだ方がいいのかなという気がします。そこはあまりこだわりません。

○井上座長 ほかに付け加えることがあればお伺いしたいと思いますが、このくらいでよろしいですか。

○四宮委員 質問手続の出席者のところですが、前にもちょっと申し上げたかもしれませんが、被告人にも忌避権があるということで、原則として同席しており、もちろん、いろいろな事件によっては不相当な場合があるので、その場合は、在席させないことができるというようなイメージでおりました。前回も、実際の運用で、多くの場合には在席させるのではないかというお話もありましたけれども、原則と例外が逆になるという制度にしていただけたらなと思っています。

○井上座長 アの(イ)ですね。

○四宮委員 はい。

○井上座長 四宮委員は、今のような御意見ですが、いかがですか。

○酒巻委員 私はこのたたき台のとおりでよいと考えます。つまり、必要と認めるときは被告人を同席させることができるということでいいと思います。原則は、被告人はいらっしゃらず、必要があれば来ていただくということになります。理由は前に述べましたとおり、質問手続の質問内容は、そのすべてを被告人のお耳に入れる必要のない、場合によっては、事件との関係とか、これまでに犯罪の被害に遭ったかとか種々の点で一般国民の方々のプライベートな事項にわたる可能性のあることですから、本当に必要なときだけ被告人に来ていただければいいというのが望ましい在り方であろうと思います。

○四宮委員 必要な場合というのはどのような場合なのでしょうか。

○酒巻委員 顔を見てもらわなければ困るという場合、例えば、もしかすると、名前分からないけど、知り合いかどうか確かめるときというような場合があろうかと思います。

○四宮委員 それは一般的に言えることですね。

○大出委員 それを判断するためにどうするんですか。

○酒巻委員 思いつきを言ったんですけれども(笑)、私は基本的には被告人はいらっしゃらなくても、弁護人がいるので基本的な情報は、弁護人と被告人の間で意思疎通ができていれば、原則は、弁護人がそれに基づいて質問するということだと思います。あまり具体的に想定していませんでしたが、被告人が同席すべきなのは、顔を確認するときかなあと思ったんです。弁護人がいらっしゃいますから、それ以外に被告人にいていただく理由はあまりないだろうと思います。他方で、繰り返しになりますけど、裁判員の候補者の方としては、個人情報について質問されるわけですから、普通は、それを被告人に聞かれたくないんじゃないですか。

○井上座長 という御意見ですが。

○四宮委員 個人情報は被告人に聞かせたくないようなものであれば、それは裁判官がその場でコントロールすればいいんじゃないですか。外国では、実際にそういう運用もなされているようですし。

○酒巻委員 質問手続で聞かれることはかなり私事にわたることが多くなり、しかしそれに正直に答えていただかなければなりません。公正な判断ができるかどうかの理由なし忌避の情報を得るわけですから、かなり立ち入ったことが聞かれるのではないかと思うのです。その都度、原則としていらっしゃる被告人に出ていただくことをやるのは、何か原則と例外が逆ではないかなあと、私はそういうイメージをもっているのです。

○大出委員 今のお話、逆に顔見知りかどうかということでの判断というのはそれなりにあり得るという前提でいけば、まさに被告人にしか分からないわけですから、特に障害のある場合は退室してもらうということでないと、むしろ判断がつかないのではないでしょうか。つまり、ある一定の範囲の中での裁判員の選任になっているわけですから、名前は分からなくても顔見知りでいろいろとつながりがあったというようなことはあり得るわけですから、そこは弁護人では判断できないわけですね。だとすると、選任の場合に法廷にいることが原則にならざるを得ないのではないかという気がするんですね。

○井上座長 分かりました。池田委員、どうぞ

○池田委員 私は、前回も話したように、たたき台の案でいいと思うんですが、今、顔を見なければ分からないような同名の人を知っており、顔を見なければ分からないという場合があるという御指摘がありましたが、それは必要があるということで立ち会わせればいいことで、それ以外にはそんなにどうしてもいないといけないという話でもないので、そこはたたき台のようなことでいいのではないかと思います。

○大出委員 いいですか、ちょっと確認です。ですから顔を見なければ分からないわけですから、そのときの必要性の判断というのはどういうふうにするわけですか。

○池田委員 ですから、それは同じような同名の人を知っているから、顔を見ないといけないということですが……。

○大出委員 名前が分からない場合というのは当然あり得ると思うんですね。今申し上げたように、名前分からないけど、顔見知りで何かいろいろと関係があったとか、偽名を使っている場合だってあると思いますし、そういうことで名前というだけでは判断できないことはいくらでもあるじゃないですか。

○井上座長 辻参事官、どうぞ。

○辻参事官 たたき台の趣旨を申し上げますと、たたき台の「必要と認めるとき」については、例えば、顔を見る必要があるときには、そのときだけ質問手続に同席して、顔を確認して、その後、必要のないときには退室するということを考えていたということです。顔を確認するためであれば、ずっといる必要はないのではないかということです。

○大出委員 その辺のところ、具体的にちゃんと明示されればと思いますけれども。

○井上座長 ほかに御意見はございますか。

○本田委員 たたき台の案でいいのではないかと思います。被告人がずっといる必要はないでしょう。要するにほとんどの質問事項は弁護人を通じてやればいいことだし、裁判員のいろいろ質問するところを被告人に聞かれたくないという気持ちもあるでしょうし、また聞かせる必要もない。何が想定できるか、やってみなければ分からないところありますから、必要がある場合もあるかもしれないし、そこは一つは風穴をあけておけばいいのではないかと思います。

○井上座長 よろしいですか。最後に、「(10) 裁判員に対する補償」ですが、この点について、これに付け加えて何か御意見があれば、あるいはこうすべきではないというような御意見があれば、お伺いしたいと思いますが、これはよろしいですか。よろしければ、本日はこのくらいで打ち切らせていただきたいと思います。
 明日も盛りだくさんですので、今日はこの後あまり遅くまでお仕事をなさらないで、エネルギーを蓄えて、明日またおいでいただければと思います。
 どうも私の不手際で予定より長くなってしまいましたが、明日もよろしくお願いします。