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裁判員制度・刑事検討会(第25回) 議事概要

(司法制度改革推進本部事務局)
※速報のため、事後修正の可能性あり

1 日時
平成15年9月12日(金)10:00~16:30

2 場所
司法制度改革推進本部事務局第1会議室

3 出席者
(委 員)
池田修、井上正仁、大出良知、清原慶子、酒巻匡、四宮啓、髙井康行、土屋美明、樋口建史、平良木登規男、本田守弘(敬称略)
(事務局)
山崎潮事務局長、大野恒太郎事務局次長、古口章事務局次長、松川忠晴事務局次長、辻裕教参事官

4 議題
「刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入」について

5 議事

 前回に引き続き、第13回検討会配布資料1「裁判員制度について」(以下「たたき台」という。)に沿って、刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入について議論が行われた。
 議論の概要は以下のとおりである。

(1) 裁判員等の義務及び解任
 たたき台の「3 裁判員等の義務及び解任」のうち、(2) オに関し、主として、以下のような意見が述べられた。

  • 守秘義務の規定の仕方はこれでよいが、罰則もあるので、秘密の範囲が国民に明確になっていた方がよい。問題は「評議の経過」であり、その範囲を具体的に議論する必要がある。以前の議論では、評議の過程で特定の証拠を調べ直したことは、評議の経過に入る旨の事務局の説明があり、他方で、裁判長の法律問題についての説明が分かりやすかったというのは入らないという委員の発言があったが、限界が分かりにくい。
  • 裁判長の説明が分かりやすかったというのは、裁判員としての体験に基づく印象であって、評議そのものの過程にかかわることではないのではないか。
  • 評議の中で裁判長からこういう点について説明があったと言及すれば、それは「評議の経過」に含まれるのでないか。
  • 活発な議論だったという位は感想として言ってよいのかもしれないが、それを超えて、誰が何回発言したとなると、評議の経過に入るだろう。事件にかかわらない感想は守秘義務の対象にならないが、個別の事件に関するものは入ってくるのではないか。「評議の経過」という用語は、他の法律でも用いられており、他の言葉で言い換えることは難しい。
  • 現職の裁判員の守秘義務の範囲についてはそう異論はないだろうが、裁判員であった者については、多少内容に踏み込んだ感想を述べてもよいという意見があるのではないか。まず現職について守秘義務の範囲を固めた上で、裁判員であった者については、ある程度許容範囲が広がるのかというふうに、両者を分けて検討した方がよいと思う。
  • たたき台の案でよい。一般的に評議が活発だったというのは、外形的な事実に対する評価・感想にすぎないから話しても差し支えないが、この点についてこういう意見の対立があったということになると、評議の経過として守秘義務の対象となるわけで、この案の文言でもその点の切り分けはできる。また、「私は無罪と主張したが、有罪になった」などと公言できるのでは、裁判体の一体性、ひいては裁判の安定性を著しく害するから、守秘義務は、裁判員であった者にも同様に課すべきである。
  • 趣旨からすれば、現職であれ、辞めた後であれ、評議の秘密の範囲は基本的に同じであるべきであり、他方で、その範囲に入らないものを、裁判員であった者が感想として述べるのは自由であろう。問題は、一般の方々にその区別ができるかどうかだが、具体的な事例を挙げながら説明することで対処できるのでないか。
  • 守秘義務は必要と思っているが、評議の席で出たことすべてが外に出せないとなると、いかにも息苦しいし、国民の関心を集める重要な裁判がどのように行われたかを今後の裁判に活かしていけなくなる。裁判員が、家族に対し、評議に若干立ち入った話をすることは許されるべきだと思うし、他人の意見に言及することなく、自分の意見のみを公表することも制限すべきではない。また、守秘義務といっても、死ぬまで続くのではなく、一定の期間的限定を考えてもよいのではないか。守秘義務の範囲は、裁判官・裁判員の個別的意見の内容、採決の結果、及び合議体で秘密とすべきことを合意した内容の三つに限定することが適当である。
  • プライバシーの主体でない合議体が、他人のプライバシーにわたることについて秘密とする範囲を決めるというのは、性質上成り立たないだろう。
  • 裁判官と裁判員の守秘義務は同質であるべきであり、裁判官が現在と同様の守秘義務を負うのに、なぜ裁判員だけが義務を軽減されるのか。また、守秘義務を解除すると、外でよく話す人が出てきて、他の人の意見もうかがい知ることができるようになってしまう。本来、自分の意見は評議の過程で言うべきであり、評議の外で意見が公表されるのは好ましくない。重要な争点についての判断理由は、判決文として示されるべきである。評議の経過も含めて守秘義務がしっかりと課されていた方が、裁判員はその職務に専心でき、よりよい評議結果に至ることができると思う。
  • 評議の秘密は、個々の裁判員が自由に意見が述べやすい環境を作るためのものであって、評議中の裁判員の発言が外に出て、批判を浴びることがないようにしないといけない。少なくとも「評議の経過」は秘密の範囲に含めるべきである。
  • 裁判員と裁判官は協働して裁判するのであるから、裁判員の義務と裁判官の義務は同一でなければならないと考える。
  • 審理中は、たたき台の案に書かれている事項に限らず、一切話をすべきではないと考えるが、国民の支持を得るためには経験者の話が最も有用であるから、判決後は、守秘義務の範囲を狭めてもよい。また、裁判員制度は新しい制度であるから、裁判官の守秘義務の範囲にこだわる必要はない。
  • 裁判員の負担という点からしても、各裁判員が、それぞれ主体的に責任を負える限りではその自由に任せるべきであり、他人の言動に触れない形で自己の意見を公表することは許されるべきである。裁判の安定性・公正性をどのように確保すべきかという問題であって、一切を秘密にすることによってそれを守るのがよいとは思わない。
  • 裁判員制度の下でも、個々の裁判員が裁判をするのではなく、裁判体として評議を尽くして結論を出すのであり、理由も判決書にきちんと示される。にもかかわらず、裁判員であった者が、その一つ一つについてああだこうだと裁判外で言えることになれば、裁判に対する信頼がなくなる。
  • 自由な評議が可能であってはじめていい裁判ができるのであり、守秘義務は非常に重要で、やむを得ない負担と考えている。間違ったことでも、外に聞こえたら恥ずかしいことでも、評議の場では自由に言ってもらわないと、いい議論ができなくなるので、秘密を守る必要性は裁判が終わった後も同じである。自分の意見なら公表してよいとなると、数人が公表すれば、公表しなかった人の意見が見えてくることがある。また、自分の意見を述べていいこととすると、現実には述べていない意見を評議で述べたと言う人が出てくることも考えなければならず、そのようなことが起これば、他の人も評議の経過について発言せざるを得なくなる。
  • 制度趣旨からして、自分の意見だからそれを表明するのは自由だということにはならない。
  • 裁判に対する信頼は、秘密にすることによって確保できるというのが真理であると思う。裁判が終わった後に意見を言っていいということになると、延々と公開の場で評議を続けているのと同じことになり、裁判に対する信頼が得られるはずがない。

(2) 公判手続等
 たたき台の「4 公判手続等」に関し、主として、以下のような意見が述べられた。

 ア 弁論の分離・併合(たたき台4(3)の関係)

  • 一人の被告人については、基本的に併合するほかない。例えば、殺人事件が複数あって、一件だけなら無期懲役にしかならないが、併合すると死刑になるという場合、一件ずつ別の裁判体で審理判決して、最後の裁判体がまとめて死刑の判決をするという制度も考えられないではないが、最後の裁判体は、前の事件の判決は見るけれども証拠は見ないで刑を決めるということになりかねず、判決の在り方として適当でない。併合すれば、確かに審理が長くなり、裁判員の負担が増えるだろうが、ある程度はやむを得ない。
  • 刑の調整規定ができないという前提に立つと、追起訴予定が判明しているときなど併合が可能な場合は、準備手続を続けて調整し、公判を一緒に始めるということになろうし、事案によっては、不測の追起訴があった場合であっても併合できる方策を探ると思う。しかし、集中的な計画審理を始めた後に、余罪が発覚したから併合審理してくれと言われても無理な場合があるのではないか。現在は、審理期間のみの問題だが、裁判員制度導入後は、審理を中断すると、裁判員に新たな負担をかけ、あるいは別の裁判員にお願いせざるを得なくなるから、重大事件であっても併合できない場合が出てくるのではないか。現場の裁判官に聞いても、裁判員制度の下では、今までのように客観的併合を重ねるわけにはいかないという意見がかなりあり、何らかの刑の調整規定が必要ではないかと思う。
  • 重大事件の追起訴予定が判明している場合は併合審理するということか。
  • 追起訴予定が既に分かっているのであれば審理計画に織り込むことができるので、かなり無理をしてでも併合して審理することになろう。
  • ある事件の審理を開始した後に、死体が見つかり余罪捜査が必要となった場合には、審理を中断するのが基本ではないかと思う。
  • 裁判員制度は刑事裁判をより良いものとするために導入するのであるから、導入によって、刑事手続の本来の目的である実体的真実の発見や適正な科刑が損なわれるのは本末転倒である。併合審理すると一定の刑が予想されるのに、ばらばらに審理した結果違った判決が出てしまうという事態はあってはならず、基本的には客観的併合をしなければならない。ただ、裁判員裁判では、準備手続で争点整理が行われ、審理期間が相当短くなるので、審理中に予定外の追起訴がなされるという事態はかなり少なくなると思われる。一方、準備手続の段階から追起訴が予定されている場合に、これを無視して一件だけ審理を進めるというのはいかがか。もちろん、しっかりした刑の調整規定が置けるのならばそれでよいが、かなり難しいと思う。
  • 一人の人間がそれなりに重い罪を複数犯している場合は、むしろ併合された場合の方が刑が軽くなる場合の方が多い。これまでなら併合審理されていた事件が、裁判員制度の下でやむを得ず分離審理となった場合、被告人の立場から見て、そのままでよいのかという問題があるから、基本的には、客観的併合ができるものはした方がよい。しかし、次々と追起訴が繰り返されるのをずっと待っているということもできないであろうし、併合審理だと裁判員の負担が重くなるから、分離せざるを得ない場合も出てくる。そこで、併合すれば刑が重かっただろう、あるいは軽かっただろうという場合のために、何らかの調整をする仕組みを作ることが考えられるが、刑法の併合罪に対する考え方にもかかわり、あるいは、既になされた裁判を後から出てきた別の裁判所が変動させるという制度となってしまうから、なかなか難しい。
  • 現在でも、客観的併合をせずに分離のまま審理判決している例がある。
  • 確かに、なぜ裁判員が入った事件だけ調整するのかという問題があって、すべての事件に共通する一般的な仕組みとして調整の手続を設けるべきでないかという議論が出てくる可能性がある。裁判員事件のみを区別する理屈はないようにも思われる。
  • 例えば、追起訴が予定されている重い事件が10数件あって、どう審理計画を立てても数年かかるといった場合も、併合すべきなのか。
  • 例えば、10件の連続殺人が相互に密接に関連している場合には、1件ごとに分離しても、それぞれの審理で他の事件についても立証せざるを得ず、裁判員の負担軽減につながらないと思われる。他方で、殺人と裁判員制度非対象事件で、相互の関連性もほとんどないのであれば、分離したままでもよかろう。分離すると、併合した場合に比べて刑が重くなるという面があるかもしれないが、それは現制度の下でも起こることである。追起訴については、可能な限り併合すべきと思うが、現在でも判決後の併合はあり得ないから仕方がない面もある。具体的には、準備手続段階で追起訴があったのであれば、関連性がある限り、併合すべきであるが、公判開始後の追起訴については、予定審理期間や関連性の強さによるということになろう。
  • 例えば、5件の事件があって、一部の事件を否認している場合、否認事件の立証のために自白事件の立証が必要になる場合が出てくるが、このような場合は、分離するとかえって二重手間になってしまう。皆が納得できる合理的な調整規定が置ければよいが、それが可能かはなはだ疑問である。
  • 現行の刑事訴訟法313条は、裁判所が「適当と認めるとき」に分離・併合するとしているが、客観的併合が原則との意見は、この点も変えるべきという趣旨なのか。客観的併合に関しては、ごく例外的な場合を除き、被告人の併合審判の利益を尊重すべきとされていて、検察官なり被告人が申し立てれば基本的には併合することとなっている。しかし、裁判員制度が導入されると、裁判員の負担が一つの考慮要素とならざるを得ず、裁判官の裁量を認める以上、今より併合されない事件が出てくることは間違いない。可能な範囲で、実体的真実の発見や適正な科刑の要請を損なわないように努力すると思うが、基準が動くことは否めず、現在と違って、刑が重くならない場合、あるいは軽くならない場合が出てくることになる。それでも調整規定を置かなくて大丈夫なのか。例外的な事態だからということで割り切れるのか。
  • 納得できる刑の調整の仕組みができればいいが、なかなか難しいのではないか。法は、裁判所に合理的な判断を求めているわけで、分離併合によって刑が大きく変わるような場合は、併合してもらうべきと思う。裁判員の負担というが、1件でも審理に長期間を要する事件はあるわけで、それは別の問題である。
  • いずれの意見も問題点の認識は一致しており、適切な刑の調整規定を設けることができるのであれば、それが望ましいという点では一致しているように思う。方向としては、そう矛盾対立しているわけではないのではないか。

 イ 新たな裁判員が加わる場合の措置(たたき台4(6)の関係)

  • 現在は、裁判所が公判の更新手続を行う建前となっているが、裁判員裁判の場合の更新については、検察官・弁護人双方から、それまでの審理経過を分かりやすく説明するという手続にするのがよい。
  • 新たに加わる裁判員が遠慮したり萎縮しないように、丁寧にやるべきであろう。そして、検察官・弁護人それぞれの立場から、今までの証拠調べの結果などを説明してもらえば、時間はかかるかもしれないが、実質的な心証を取ることができると思う。
  • 争点の理解のためには、両当事者から問題点を指摘して、今までの経過を伝えることが大事だろう。問題は、実質的な心証をとるための措置だが、新たに加わる裁判員にも直接主義・口頭主義の趣旨が十分に及ぼされるように、特に証人尋問についてはビデオ録画しておいて、それを再生することが必要である。証言が長時間にわたる場合は、両当事者において重要と思われる部分を特定して再生すればよかろう。
  • 新たな裁判員が実質的に心証をとれる方法である必要があるとともに、余り負担をかけないという視点も重要である。具体的には、検察官が、公訴事実の要旨の陳述や重要な事実の主張を分かりやすく行い、弁護人が、被告事件についての陳述と防御上重要な主張をし、さらに、必要があれば、裁判所が主張を補充・整理する。証拠調べについても、重要な部分について、要旨の告知、朗読やビデオの再生を行うが、証拠のすべてについてまでやる必要はなく、主張との関係で必要な部分について各当事者が分かりやすいように行う。さらに、両当事者が証拠調べの結果について意見を述べあうといった形が考えられる。

 ウ 証拠調べ手続等(たたき台4(7)の関係)

  • 裁判員の理解のため、供述調書の作成状況に関する立証を客観化すべきことについては大方の合意があると思うが、問題は、今検討されている取調べ過程・状況の記録制度で十分かという点である。記録される内容は、客観的な事実に限定されており、作成状況そのものが分かりにくい気がする。最高検察庁の提言についても、検察官調書の特信性に関する客観的事実については、取調べ時間の例示にとどまっているし、任意性についても、客観的で明快な立証という記述はあるが、その担保のための具体的な提案は限定されている。このような資料だけで、裁判員が供述調書の作成状況に関する争いについて心証をとることが可能だろうか。更に踏み込んで、取調べ状況をビデオに録画することとすれば、信用性等の立証上有効であるから、少なくとも裁判員制度の下においては、供述調書の作成状況の立証方法として採り入れる必要があると考える。最高検察庁においては、裁判員制度の実施までに、取調べ状況のビデオ録画について、十分な検討を引き続きお願いしたい。
  • 最高検察庁の提言は、現行制度を前提としたものであって、今後、裁判員制度の制度設計、手続の在り方、さらには刑事裁判の充実・迅速化のための諸制度の運用状況をも見定めながら、裁判員制度の対象事件において、供述調書の信用性等を迅速かつ分かりやすく立証するための方策について、引き続き検討していくことになる。その際、取調べ状況のビデオ録画を検討対象から除外することは考えていない。
  • 取調べ状況の書面による記録化の実施や、最高検察庁が提言する、検察官の立証のさらなる効率化は進歩であるが、それで足りるのかという心配がある。自白の任意性・信用性、あるいは共犯者の検察官調書の信用性の判断のために審理に時間がかかり、裁判官としても判断する際に深刻に悩む事案が実在するのであって、先の方策を採っても、このような事件が急減することはないであろう。すべての事件において有用かについては議論があろうが、これまでも任意性の立証に録音テープを用いた事例はあったわけで、一つの方法として、取調べ状況の録音・録画の活用も考えられるのでないか。時間的な制約もあり、ここですべてが解決できるとは思わないが、裁判員制度実施までにはまだ時間があるので、検討を続けていただきたい。
  • 立証責任を負っている検察官が任意性の立証に失敗したら、裁判所がその証拠を排除すればよい。その結果、無罪が続出するようになれば、検察官、警察官は他の立証の方法を検討するであろう。取調べの録音・録画は、裁判員に分かりやすい立証という切り口で論ずるような小さな問題ではない。善し悪しは別として、今の捜査構造の大きな柱は取調べにあり、それを録音・録画するとなると捜査構造に非常に大きな影響を与える。取調べの録音・録画を論ずるのであれば、今の捜査構造が、21世紀の捜査手法として、このままでよいのかという点を、真正面から深く論ずるべきである。
  • 取調べの問題については司法制度改革審議会において議論を行い、その時点では、取調べ状況の書面による記録化を最低限行うべきであり、その先のことは、今後更に検討してほしいというまとめになっている。
  • 最高検察庁の提言は非常に意欲的な内容であり、公判がかなり変わるという印象を受けた。ただ、裁判員制度にかかわる問題であることは事実なので、引き続き、記録化の点を御検討いただきたい。
  • 任意性や特信性の立証が、審理に長期を要した事件の審理期間の半分を占めるというのはやはり異常な事態であって、この点を何とかしないと、裁判員制度がもたないのではないかという気がする。捜査官が任意性の立証のために自ら取調べを録音した実例もあり、捜査官の意識改革が必要でないか。
  • 録音・録画の話は、裁判員に分かりやすい立証という観点からとらえるべき事柄ではなく、刑事手続全体における被疑者の取調べの機能・役割に照らして判断すべきである。最近は、弊害が認識されるようになって取調べの録音はほとんど実施されておらず、事案の性質、証拠関係等の個別の事情に照らし、立証上特に必要があって、録音による弊害が少ないと認められるときに、実施した例があるにすぎない。したがって、全体構造が変わらない中で、裁判員に分かりやすい立証とするために、録音を推奨するとか制度化するという議論にはならない。その方向で一線の捜査官を指導することも困難である。
  • 争いが生じたときに裁判員でも分かるような立証が必要であることは明らかであって、問題提起の仕方が間違っているとまではいえない。録音・録画に関して、最近認識されるようになった弊害とはどのようなことか。
  • 立証上の必要というのは、あくまで個別具体的な事件ごとの判断であり、一般に裁判員に分かりやすいからということでは要件を満たさない。弊害については、やはりカメラを意識して挙措動作が不自然になったり、意図を込めて本来の供述と異なることを言うことがあると言われている。
  • 証拠調べに関してたたき台に書いてあることを実現していくためには、文書をより簡潔なものとするとともに、簡潔な文書であっても信用・納得できるという、意識転換が裁判所にないといけないと思う。
  • 検察官調書より裁判官面前調書の方が公判での立証の点で望ましいから、第1回公判期日前の裁判官による証人尋問の活用に賛成である。現在、この制度が活用されていない理由については諸説があるが、法律上の要件が厳しすぎるという面もあると思われ、例えば、「圧迫を受け」という要件や、不可欠性の要件を緩めることが考えられよう。
  • 刑訴法227条が活用されなかった理由については、検察官調書で足りるからという意識が大きかったと思われる。しかし、裁判員制度の下では、同条の活用を積極的に考えていくべきであり、そのためには、「圧迫を受け」という要件は削除した方が使いやすい。裁判所の処理体制の整備も必要となると思われる。
  • 裁判所では、令状請求を担当する裁判官がこの証人尋問も担当することになっているので、処理体制に問題はないと思う。私自身も、刑訴法227条による証人尋問調書が立証上大きなウエイトを占めた事件を担当したことがあり、活用には賛成である。「圧迫を受け」との要件は削除した方が利用しやすいと思うが、不可欠性の要件は、今の解釈でも内容的に厳しい要件ではなく、このままでもいいような気がしている。

 エ 判決書等(たたき台4(8)の関係)

  • 裁判員は、裁判官と共に判決の宣告に立ち会えば十分であり、判決書への署名押印は裁判官のみが行うものとするC案でよい。
  • C案は実務的に分かりやすい案ではあるが、判決という人の人生を左右する判断を行った者が判決書に署名しなくてよいのか疑問であり、裁判員にも署名してもらうべきである。署名押印時に裁判員の身分・任務が終了するA案が妥当である。
  • 裁判員は、判決主文と理由の要旨の作成に関与し、判決の宣告に立ち会うのだから、それで十分であり、署名押印だけのために出頭する場合の裁判員の負担を考慮すれば、C案が相当である。
  • 裁判員が責任を持って権限を行使するのは重要なことだが、それは、評議、評決や判決の宣告に関与することで十分に担保できる。判決書の作成に時間がかかる場合に再度出頭してもらう負担を考慮すれば、C案が相当である。
  • 裁判員は、裁判に立ち会って評議を行い、その評議に従って裁判官が判決書を作成するのだから、判決の宣告に立ち会えば裁判員は責任を果たしたと言える。裁判員の負担を考慮すると、C案が妥当である。
  • 裁判官と裁判員を、署名する側としない側とに分けると、裁判員が、「どうせ自分は署名しないのだから」と考えて、両者が対等な立場で議論できなくなってしまうことを懸念する。判決書への署名と判決宣告への立会いとは本質的に異なるのであり、再出頭の負担軽減だけを理由に裁判員の署名を求めないのは、それにより失われるものとのバランスを失している。
  • 判決書作成にそれほど時間が掛からないのであれば、裁判員は、署名することにそれほど大きな負担を感じないだろう。せっかく裁判員として参加したからには、署名をした方が、裁判体の一員としての帰属意識や、責任感、達成感を満たすことができると思うので、A案又はB案を支持する。なお、普通の市民である裁判員が、署名に加えて押印までする必要があるのか、別途検討すべきだろう。
  • 地方によっては、裁判所所在地までの往復に要する負担が大きくなることも考慮すべきだろう。
  • 裁判員に署名を求めるのであれば、その前提として、判決書の精読を求めるのが筋であろう。
  • 裁判員の任務は、合議をして判決の宣告をすることにより終了するというのが一般的感覚だろう。判決の宣告の内容は判決書の内容に近いものだから、判決宣告に立ち会えば十分であり、C案に賛成する。
  • C案でよい。

(3) 控訴審
 たたき台「5 控訴審」に関し、主として、以下のような意見が述べられた。

  • 多少の量刑変更には自判を認めるが、刑種の変更や事実誤認については自判を認めないものとするのが相当である。
  • 控訴審が構造上事後審であるということと、裁判員が関与した第一審の判断の尊重は運用上確保されることになると思われることからして、現行法どおりとするA案が適当である。控訴審が、第一審で取り調べられた証拠に基づき自判できる状況にある場合に、それを制限する合理的理由はない。
  • 現行法どおりのA案として、運用上、第一審の判断を尊重するよう配慮すればよい。
  • 裁判員が加わった第一審の判断の尊重を、制度としてもバックアップするためには、控訴審での破棄理由を、例えば、「刑の著しい不当」や「重大な事実誤認」とするなどして加重すべきであり、C案が相当である。
  • 裁判員が関与した第一審の事実認定を、職業裁判官だけからなる控訴審が覆すのは相当でなく、事実誤認については自判を認めないものとすべきである。他方、量刑の判断については、判断に幅があり得、また、法的評価の要素もあるので、量刑不当については控訴審の自判を認める余地があり、B’案が相当である。
  • 現行法どおりのA案を前提として、あとは運用にゆだねるのが適当である。第一審に裁判員が加わる以上は、その判断が控訴審でも尊重されることになるだろうが、裁判員事件についてのみ異なる破棄理由を設けることは、他の事件との関係からして難しく、運用に任せざるを得ないだろう。事実誤認や量刑不当の判断には、法的評価に近いものもあり得るので、そうしたものまで破棄自判を全く認めないのは相当でない。
  • 裁判員が第一審に加わるからには、事実誤認について控訴審が破棄自判するわけにはいかず、差戻ししかあり得ないだろう。一方、量刑不当については自判し得る場合もあり得るので、B’案が妥当である。
  • 国民が加わった第一審の事実判断を裁判官だけで覆してよいのかについて、素朴な感情として疑問があるので、第一審の判断を活かすためにB’案を支持する。
  • 突き詰めれば、自判にとどまらず、なぜ、裁判官だけの控訴審が、裁判員の加わった第一審の判断を破棄できるのかという問題になるのだろう。
  • 裁判員の判断は事実認定だけでなく量刑にも反映するのだから、事実誤認については自判を認めないが量刑不当については自判を認めるというのは、つじつまが合わないのではないか。
  • 量刑不当の判断は、一定の大枠からはみ出しているか否かの判断であり、第一審の判断がその大枠を外れているときは控訴審が破棄して自判できるが、事実認定は、いわば黒か白かの判断であるので、控訴審が破棄しても自判は許されないとの説明はあり得るのではないか。
  • 被告人にとっては量刑こそが最大の関心事であり、事実誤認と量刑不当を別に扱うことには納得できない。また、司法制度改革審議会意見によれば、裁判員制度における上訴が認められており、裁判員裁判に誤りがあることを前提としているのだから、事後審査審たる控訴審の在り方を従来どおりとしても、裁判員制度と不整合が生じるとは思えない。
  • 国民が加わった第一審の事実上の判断を、職業裁判官のみからなる控訴審が破棄した上で異なる判断をできるとする理由は何なのか。
  • 破棄の判断と自判の判断とが同質か異質かが問題であり、同質であるとすれば、破棄が可能である以上自判も可能ということになるだろうが、その場合も、破棄が可能な理由について説明が必要となるだろう。
  • 現在の審級制度を維持する以上は、破棄判決に拘束力を持たせる必要があり、破棄できるとするのであれば、事実誤認・量刑不当が明らかなものについては自判を認めてよいということになるのではないか。
  • 破棄の判断と自判の判断とが異質なものとは思えないので、破棄が認められる以上自判も認められるから、現行法どおりのA案でよいだろう。
  • 破棄によって最終的な判断が下されるわけではないので破棄は認められるが、自判は最終的判断となるので認められないということではないか。
  • 裁判員制度の目的は、国民の社会常識を第一審に反映させることにあるが、控訴審は、第一審の事実認定や量刑を事後的に審査するのだから、現行法どおりに破棄も自判も認められるべきである。とは言え、第一審の判断は、運用上尊重せざるを得ないだろうが、明白な誤りがあるときには自判が認められるべきである。
  • 事後審の審査は、第一審の判断とは異質であり、事後審としての審査に必要な限りで審理をしたところ、それだけで結論を下せる場合には自判が認められるという理屈はあり得るのではないか。その場合、さらにそこから踏み込んで更なる審理をした上で判断をするということは認められず、更なる審理が必要なときは差し戻さなければならないということになるのではないか。
  • 控訴審で調べた証拠だけでは結論が出ず、新たな証拠調べが必要な場合には差し戻すことになるのだろうが、その必要がない場合には自判を認めても不都合はないだろう。

(4) 差戻し審
 たたき台「6 差戻し審」に関し、主として、以下のような意見が述べられた。

  • 差戻しがあった場合に、審理を一からやり直すのは望ましくないので、現行法どおりに、公判手続の更新をした上で必要な証拠調べを行うこととすべきであり、A案が妥当である。
  • B案のように覆審構造とした場合には、時間経過による証人の記憶の減退等により事実認定が難しくなるし、再度出頭を求められる証人の負担も無視できないので、現行法どおりとするA案が相当である。
  • A案でよい。
  • 新たに加わる裁判員が実質的な心証を取れるようにするためには、差戻し審についても直接主義・口頭主義の趣旨を実質化することが重要であり、そうした観点から、以前はB案を主張していた。仮にA案を採るとしても、従来のような公判調書中心の更新手続では機能しないので、証人尋問をビデオ再生するなどして、新たな裁判員が実質的な心証を取れるように運用を工夫することが必要であり、そうした運用がなされることを前提にすれば、A案でもよい。
  • 更新手続の運用について、新たな裁判員が実質的な心証を取れるように配慮することを前提とすれば、A案でよい。
  • 差戻し審を裁判員裁判で行うことになると、新たな裁判員にどう心証を取ってもらうかが重要になってくるが、その観点から更新手続を工夫するのであれば、A案でよい。

(5) 罰則
 たたき台「7 罰則」に関し、主として、以下のような意見が述べられた。

  • 「(2) 裁判員等の秘密漏洩罪」に関し、罰則として懲役刑が定められているのは、不出頭への制裁として過料しか定められていないこととの均衡からして相当でない。罰則を緩和ないし削除すべきである
  • 同規定の保護法益が評議の秘密及び他人の秘密であることに照らすと、罰則を定めるに当たっては秘密を保護する他の罪との均衡を考えるべきであり、懲役刑を定めても不当とは言えない。
  • 公務員が秘密を漏らした場合など、他の秘密漏洩の罪にも懲役刑が定められているのだから、本規定についても懲役刑を定める必要がある。不出頭と秘密漏洩の罪とは質的に異なるのだから、罰則を考えるに当たり、同じレベルで考えるべきではない。
  • 裁判員個人の意見表明の自由と公正な裁判の確保との衡量の問題として考えるべきだろう。現に裁判員等の職にある者の場合と裁判員の職にあった者の場合とは分けて考えるべきであり、前者については、構成要件はたたき台のとおりでよいが、後者については、事実認定や刑の量定等に関する意見を述べることには当罰性は認められない。米国でも、陪審員の職務終了後の意見表明は一定のモラルを維持した上で行われていると承知しており、この点は個人のモラルにゆだねるべきだろう。刑罰の種類については、検察審査会法や陪審法の同種の規定に照らして、罰金刑のみとすべきである。調停員のように、職務上知り得た秘密を漏らす罪について懲役刑が定めれられている例もあるが、継続的に仕事を行う者と、一回限りの裁判員とでは性格が違うと整理できるのではないか。
  • 米国の陪審員にはそもそも守秘義務が課せられていないのだから、前提が違うのではないか。
  • 評議の秘密の重要性にかんがみ、守秘義務違反に罰則を科すことは必要である。民事調停員及び家事調停員の秘密漏洩罪が、懲役と罰金の選択刑となっていることとのバランスから言っても、たたき台の案が相当である。
  • 裁判官と裁判員とが協働するからには、両者は基本的に同じ権限と義務を有するべきであり、そうした観点から言って、たたき台のとおりでよいだろう。
  • たたき台のとおりでよい。
  • 調停員は、自分で希望してなっている点で、無作為に選出される裁判員とは異なる。また、裁判官と裁判員が同等の権利、義務を持つべきという点について言えば、職業裁判官の守秘義務違反には刑罰は科せられないのではないか。
  • 裁判官については、刑罰は科せられないが、懲戒の対象となり、罷免事由にもなり得る。
  • 裁判官は、職を失うこともあり得るということで、相当重い社会的制裁を受けると言えるのではないか。
  • 裁判員も、懲役刑を受けることになれば、通常は職を失うことになるのであり、そのような重大な波及効果を及ぼす罰則規定を設けるべきではない。
  • 「(4) 裁判員等威迫罪」は、裁判員等に対して行われる違法行為であり、裁判員等の保護のためにも、罰則として懲役刑を設けるのが相当であるが、一方、秘密漏洩罪については、裁判員等が刑罰を科せられる対象となるので、懲役刑という重い罰則を設けることについて慎重な考えもあり得るだろう。しかし、秘密漏洩により侵害される利益の重大さを考えれば、相応の刑罰が必要とも考えられるので、刑罰を定めるに当たっては、裁判員等威迫罪の罰則とのバランスも勘案すべきである。
  • 裁判員等の職にあった者が、自分の意見を述べることは許されるべきであり、これを処罰する規定には賛成できないので、(2)の後段は削除すべきである。また、法定刑については、懲役刑は重すぎるので、罰金刑にとどめるべきである。
  • 担当事件の事実認定や刑の量定等に関する意見を述べることと、評議の秘密を漏らすこととは区別できないので、どちらの違反に対しても罰則を設けるべきである。また、秘密漏洩罪は、評議の秘密だけでなく他人の秘密も保護しているのだから、被害者のことを考慮すると、懲役刑を設けておく必要があるだろう。
  • 他人の意見を述べることはもとより許されないし、自分の意見を述べる場合であっても、それが結果的に他人の意見を述べたことになることもあるのだから、最悪の事例を想定すると、懲役刑を設けておくこともやむを得ないだろう。
  • たたき台の案に異存はないが、どういった行為が違反事実として認知され、捜査によって事件化されるのかという観点から言うと、本規定の後段が実質的な罰則規定となり得るのか、若干の危惧を感じる。
  • (3)イのような規定を設けることによって、報道機関が裁判員等を取材して意見や情報を交換することが規制の対象となるのではないか。基本的に現職の裁判員等への取材活動は行わないとしても、例外的に一定の限度で接触を試みることはあり得るのであり、そういう場合には、この規定が制約となり得ることを懸念する。
  • 刑事裁判の大原則は、証拠能力を備えた証拠に基づいて裁判を行うことであるが、本規定は、証拠能力のない情報などが裁判員等に提供されることによって、裁判の公正さが著しく害されることを防止するためものであり、裁判の公正さを担保するために罰則を設けておく必要がある。
  • 本規定は、裁判の独立を守るために当然必要な規定である。例外的な事態を懸念して必要な規定を削除するのは論理が転倒していると思う。
  • このような規定は必要であり、違反行為に該当する行為であれば、主体が誰であれ処罰の対象とされるべきである。

(6) 裁判員の保護及び出頭確保に関する措置
 たたき台「8 裁判員の保護及び出頭確保に関する措置」に関し、主として、以下のような意見が述べられた。

 ア 裁判員等の個人情報の保護(たたき台8(1)の関係)

  • この問題は、裁判の公開の要請と個人情報保護の必要性との衡量の問題である。裁判員個人の特定に結びつき得る、名前と住所は非公開とするのが望ましいと考えるが、他方、個々の事件についてどういう人が裁判員になっているかを明らかにするために、職業、性別、年齢等の一般情報は公開してよいのではないか。また、裁判終了後は、本人が公開に同意した情報は公開してもよいだろう。
  • たとえ名前が公開されなくても、個人の属性に関する情報が公開されることにより、自分が特定されてしまうのではないかと懸念する人はいるだろうから、個人の属性に関する情報を公開するのは適当でない。
  • 一般的には、裁判員に関する情報をすべて公開する必要はないだろうが、学術研究目的などの例外的な場合には、個人の特定に至らない範囲で裁判員の情報を公開する余地を残しておいてもらいたい。
  • 裁判員制度に関する学術研究のために裁判員の個人情報が必要ということは、裁判員の性別、年齢、職業などの属性によって、裁判結果が異なってくることを前提としているということか。
  • それは、調査・研究をしてみないと分からないことであるが、そういった調査・研究を行うことを前提に考えてもらいたいということである。
  • 国の基本的な仕組みである司法制度の在り方を考えるに当たっては、どうすれば裁判の目的である真実の発見と適正な量刑を正しく行えるかという観点から検討すべきであり、学術研究の発展に資するかどうかという観点から考えるのはおかしい。学術研究のために必要であれば、それは、別途検討すべきことである。
  • 裁判員制度を調査・研究の対象にするということは、裁判員制度の導入という壮大な実験を行うという発想なのではないか。
  • どんなに安定した制度であっても、その制度が絶対的ではないことを前提として、より良い制度を追求するために検証作業の対象とすることはあり得る。
  • 裁判員が裁判に参加しやすい環境の整備が重要であり、その観点から、個人情報はできる限り保護すべきと考える。
  • 個人情報はできる限り保護すべきであるから、たたき台のとおりでよい。学術研究のために、裁判員個人の属性に関する情報を公開する必要があるとの指摘があったことに関連して言えば、官公庁の側で裁判員の属性に関する統計資料を作成することはあり得るだろうが、統計資料は個人を特定するに足る事実とはならないから、個人情報の保護との関係では問題にならないだろう。
  • 裁判員による判決書への署名の必要性は、個人情報保護の観点から再考する必要があるかもしれない。
  • 控訴審で、第一審の公判手続が適式に行われたかどうかを審査するためには、公判調書に裁判員の名前を記載せざるを得ないが、名前を公開してはいけないとなると公判調書を公開の対象から外すことになってしまう。
  • 公判手続の公正さを担保するために、公判調書には裁判員の名前を記載せざるを得ないが、判決については、別に判決調書があるのだから、判決書に裁判員の名前を記載するかどうかは別問題ではないか。
  • 検察官の立会いについて判決書に記載されているのは、判決自体が適式に言い渡されたことを示す趣旨であるとも考えられるので、仮に裁判員が判決書に署名しないこととしても、それと同じ趣旨で裁判員の名前を判決書に記載するということもあり得るだろう。
  • 裁判員の名前が記載された判決書をコピーして配布することは、イに該当することになるだろう。裁判員の名前を「甲、乙」と表示するなど、個人が特定されないように扱うことが考えられるのではないか。
  • 裁判員制度に関する情報は、個人情報として保護すべきものを除き、可能な限り国民に伝わった方がよく、公開された情報の使途は国民が決めるべきことと考えている。
  • 裁判員制度に関する情報だから公開すべき要請が強いということか、それとも、もっと一般的に、保護する必要のない情報はすべて公開すべきということか。裁判員制度だから特に公開せよということであれば、公開された情報をどのように使って国民の裁判員制度理解につなげるのかを問われることになるのではないか。
  • 例えば、自分と同じ職業の人も裁判員を務めていることが分かるようになるだろう。
  • それは、統計資料でも分かることではないか。
  • 事件の性質によっては、その事件を担当した裁判員の男女比などに関する情報は、その事件を検証する国民にとって有益な情報となるのではないか。
  • 現行制度の下では、裁判官個人の情報の公開を積極的に求めているわけではないのに、なぜ裁判員の場合には個人情報の公開が必要なのか。
  • 氏名、住所など、人を特定するに足る事実の公表は極力控えるべきであるが、それ以外の情報については、たとえ司法関係の文書であっても情報公開の対象として社会的検証を受けるべきであるから、すべての個人情報を非公開とするのは相当ではない。また、住所と氏名についても、裁判員本人が公表した場合には報道を認める余地がある。
  • 現に裁判員である者の個人情報については、たとえ本人がその公開を認めていても、公にされることによって、裁判員への働きかけが容易となったり、裁判員に危害が加えられるおそれがあり、ひいては裁判の公正性が失われてしまうおそれがあるのだから、公開しない方が望ましい。

 イ 裁判員等に対する接触の規制(たたき台8(2)の関係)

  • 現に裁判員等である者への接触も、裁判員等であった者等への接触も、裁判員に不安感を抱かせるという点では同じなので、たたき台のとおり、どちらも同様に規制すべきである。
  • たたき台のとおりでよい。
  • 現職の裁判員等への接触は許されないと思うが、裁判員等の任務を終えた者への接触は規制されるべきではない。過去に行われた裁判について直接に話を聞きその情報を蓄積することは、裁判の検証に資するからである。
  • 裁判員等であった者に職務上知り得た秘密を漏らしてはならないという義務が課せられる以上、その秘密を公にする目的でこれらの者に接触することも規制されるのが相当であるから、たたき台のとおりでよい。
  • 現職の裁判員等への接触の規制に異論はないが、裁判員等であった者に接触することまで規制する必要はなく、接触があった場合にどう対応するかは本人にゆだねればよい。
  • 現職の裁判員等への接触規制に異論はないが、裁判員等であった者については、接触された際の対応は本人の判断にゆだねればよいので、接触を規制する必要はない。
  • 裁判員等であった者が接触されることを望まない場合に、その者の責任で接触を断りなさいというのは酷であり、大きな負担となる。接触されることを望まない者を保護するためにも、たたき台のアの後段のような規定を設ける必要がある。
  • 現職の裁判員等への接触の規制は必要である。裁判員等であった者に対しては、守秘義務の及ぶ範囲で接触を規制するのが相当であり、たたき台のとおりでよい。
  • たたき台のとおりでよい。
  • たたき台は、裁判員等であった者への接触の規制を、「知り得た事件の内容を公にする目的」の場合に限定しており、妥当な規定と言える。
  • たたき台は、個人的な感想を聞くための接触まで禁止しているわけではなく、妥当な規定である。こうした規定がないと、裁判員等であった者が接触を拒むのは困難であり、ひとたび接触を受けてしまえば、知り得た事件の内容についてつい明らかにしてしまい、結果的に守秘義務違反を犯してしまうこともあり得るだろうから、その歯止めとして接触禁止の規定を設けておいた方が、国民は安心して裁判員を引き受けることができる。
  • 裁判員等であった者にも守秘義務が課せられるのであれば、それで秘密は十分に守られるのだから、接触を規制する規定をわざわざ設ける必要はない。
  • 裁判等であった者に、その知り得た事件の内容を公にする目的で接触することは、秘密漏洩を慫慂する行為の前段階であると評価できるから、このような行為を禁止して、秘密漏洩が生じないような環境を整備する必要がある。

 ウ 裁判の公正を妨げる行為の禁止(たたき台8(3)の関係)

  • 大々的に報道された事件では、被疑者は有罪であるとの刷り込みが、一般の国民に対して強力に行われていることは否定できず、そうした事件で国民に予断偏見が生じないとは到底考えられない。これにどのように対応するかは別として、そういう実態があることを前提に検討すべきである。
  • そうした傾向があるとしても、民主主義社会においてメディアが果たす役割にかんがみて報道の自由を担保すべきであり、メディア側の自主的な規律による対応に期待したい。一方、メディア側が自主ルールを定めたとしても、それに服さない報道・表現はあり得るから、裁判員に対しても、報道・表現に接することで予断偏見を抱くことのないよう、配慮を求める必要があるだろう。「偏見を生ぜしめる行為」を法で規制するのは、違反行為に該当するか否かの判断が困難で、恣意的となるおそれがあり適当でない。
  • 国民にとって重要な価値のある犯罪報道について否定的な言及があったこと自体、たたき台のような規定を設けることの危険性を示している。事件について知っていることと予断偏見を持っていることとは厳密に区別されなければならない。報道の自由、表現の自由と公正な裁判とは、どちらも重要な憲法上の価値であり、なるべく両者が両立するように工夫をすべきである。日本新聞協会及び日本民間放送連盟から配布された資料(第24回資料3及び4)を読む限り、両者の調和を図るための努力がうかがえるので、彼らの自主的な規律に期待したい。また、国民にも、メディアリテラシーを高め、裁判員制度に対する理解を深めてもらうよう働きかけていくことが望ましい。結論として、たたき台の規定は削除すべきである。
  • 国民の知る権利に奉仕する報道の自由と、公正な裁判の確保とは、いずれも重要な憲法上の価値であり、両者の合理的な調整が必要である。国による法的規制を回避するためには、できる限り報道機関が自主的に対処することが望ましいが、その一方で、アのように、裁判の公正を妨げるおそれのある行為の禁止を一般的な訓示規定として定めることは相当だろう。そして、それを踏まえて、報道機関に、報道を行うに当たっての配慮を訓示的に求めることは、報道機関に特別な法的義務を課すわけでなく、報道の自由の制約に当たらないから問題なく、たたき台のとおりでよい。
  • たたき台のアに関しては、裁判の公正を妨げる行為を行ってはならないのは当然のことであり、報道機関も一般の国民と同様の義務を負うべきだろう。一方、イは、報道機関に配慮を求める訓示規定であり、犯罪報道自体が直ちにイに当たる訳ではなく、報道の自由を不当に制約することにはならないから、こうした配慮を報道機関に求めることは相当である。
  • 第24回資料3及び4を読む限り、報道機関の対応がこれで万全とまでは言えないが、取材のガイドラインとなる指針の制定に向けて協議中ということであるから、自主的な判断に任せることにして、たたき台の規定は削除すべきだろう。報道機関に対しては、取材のガイドラインとなる指針を早急に制定することと、その指針の実効性を確保するために現場の記者への研修体制を確立することを要望したい。
  • 近年、犯罪被害者に対する取材に関して、報道機関が、自主的にガイドラインを作成したり、外部監査を強化したという経緯を承知している。裁判員制度に関する取材に関しても、規制すべきとの議論が起こらないように、早急に自主的ガイドラインを策定することを期待したい。
  • 国民が、事件報道に接することにより、単に事件について知るだけではなく、被疑者が有罪であるとの結論を出してしまうことがある。そうした人が裁判員となることは、弁護人の負担や被告人の人権という観点から極めて問題である。報道機関に対する訓示規定や報道機関の自主規制だけでは、こうした事態はなくならないので、大々的な報道がなされた事件については、裁判員裁判の対象から外す以外に解決策はないだろう。
  • 公正な裁判を妨げる行為は裁判の否定につながりかねないから、報道機関が自主規制をするとしても、たたき台のような訓示規定を設けることは必要である。
  • 現在の犯罪報道の中には行きすぎた例も見られるので、裁判員制度導入に当たっては、たたき台のような訓示規定を設けることも一つの考えであるが、報道機関において自主的ルールを策定する動きがあることは結構なことであり、最終的に訓示規定を設けるかどうかは、自主ルールの策定状況を勘案して決めればよいだろう。
  • 最近の未検挙重大事件についても、誰が実行犯だとか、誰が主犯格であるかとか、かなり確定的な報道がなされている例がある。このような実態を踏まえると、たたき台のような訓示規定を設けることは必要だろう。
  • 第24回資料3及び4に記載されているとおり、報道機関では自主的な取材・報道に関する指針の制定に向けて真摯な取組みを行っている途中であり、この指針には実効性が期待できるから、たたき台の規定は削除すべきである。
  • 事件発生時点では、その事件が裁判員対象事件かどうか分からないことがあるが、そういう場合にはどの時点からこの規定の義務がかかるのか。
  • 裁判員対象事件となる可能性のある事件については報道に配慮してもらうというのも一つの考え方であるし、対象事件となることがはっきりした時点で報道に配慮してもらうということもあり得るだろう。
  • 日本新聞協会から提出された、第24回資料3によると、協議状況に関して、「原則として」との表現が多用されているが、何が例外に当たるか検討しているのか。
  • 全体の意見を集約するときに、「原則として」としないとまとまらなかったということであり、原則を尊重することについて認識は共有されている。

 エ 出頭の確保(たたき台8(4)の関係)

  • たたき台にあるとおり、裁判員休業制度の整備や事業主の不利益取扱いの禁止など、裁判員が出頭しやすい環境の整備を進めてもらいたい。
  • 裁判員の出頭確保のための条件整備に関し、裁判員休業制度のほかにどのような措置を採り得るのか、所管庁にも意見を求めるなどして幅広く検討してもらいたい。
  • 裁判員の出頭の確保のためには、裁判員の選任について責任を負うことになる官庁だけでなく、法曹三者を含めた関係者が協力していかなければならないだろう。また、法制度の整備だけではなく、準備期間・周知期間を通じて司法教育や広報に努めたり、報道機関と連携することも必要だろう。
  • 将来のことを考えると、小学校くらいから司法教育を進める必要があり、その点についても報道期間の協力をお願いしたい。

(7) その他

  • 裁判官と裁判員の人数について補充して意見を述べさせていただくと、裁判官の数は3人とすることを前提とし、裁判員の数はその2倍の6人前後とすれば、より充実した議論が期待でき、裁判の公正性が高まるのではないかと考えている。

(8) 次回以降の予定

 次回(9月22日)は、刑事裁判の充実・迅速化に関する検討を行う予定である。

(以上)