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裁判員制度・刑事検討会(第25回) 議事録

(司法制度改革推進本部事務局)



1 日時
平成15年9月12日(金)10:00~16:30

2 場所
司法制度改革推進本部事務局第1会議室

3 出席者
(委 員) 池田修、井上正仁、大出良知、清原慶子、酒巻匡、四宮啓、髙井康行、土屋美明、樋口建史、平良木登規男、本田守弘(敬称略)
(事務局) 山崎潮事務局長、大野恒太郎事務局次長、古口章事務局次長、松川忠晴事務局次長、辻裕教参事官

4 議題
「刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入」について

5 議事

○井上座長 それでは、第25回「裁判員制度・刑事検討会」を開かせていただきます。
 昨日に引き続いて御参集いただきましてありがとうございます。また、清原委員が非常にお忙しい中、繰り合わせて御出席いただいております。ありがとうございます。
 昨日は、たたき台の番号で言いますと、2の(10)というところまで議論をいたしましたので、今日は「3 裁判員等の義務及び解任」というところから議論に入っていきたいと存じます。
 この項目は、(1)「裁判員候補者の義務」、(2)「裁判員及び補充裁判員の義務」、(3)「裁判員及び補充裁判員の解任」と3つの項目に分かれているわけですが、いずれの点からでも結構ですので、特に御意見があれば承りたいと存じます。

○四宮委員 1点だけ、(2)の守秘義務の点なんですけれども、私は、規定の仕方としてはこれでいいと思うのですが、これは罰則が後ろについていて、その関係で、裁判員あるいは補充裁判員になっていただく国民が話していい範囲と、話してはまずい範囲というのがよりクリアになっていった方がよろしいのではないかと思うんです。
 このうち、「各裁判官及び各裁判員の意見並びにその多少の数」、それから、「その他職務上知り得た秘密」というのは、割合認識しやすいと思うんですけれども、問題は、「評議の経過」です。これは、検察審査会法や、日本の陪審法にも同種の規定がありますし、裁判所法にも同種の規定があるわけですけれども、特に、裁判を1回だけ担当する裁判員の方にとって、どの範囲ならば話していいのかというようなことを、ある程度具体的に議論しておいたらどうかという気がするんです。
 実は、前回も幾つか具体的なものが挙がりましたけれども、例えば、抽象的に事件に関することとか、あるいは評議で出たこととかというので、私自身がちょっと分かりにくかったのは、例えば、ある特定の証拠をもう一度調べ直したというのは、この「評議の経過」に入るかということについては、たしか事務局の方から、「評議の経過」に入るだろうという御説明がありましたし、また他方で、酒巻委員の方から、○○裁判長の正当防衛の説明は非常に分かりやすかったというようなものは、「評議の経過」に当たらないのではないかというお話も確かありました。
 そこは、どういう基準といいますか、仕切りなのかということを少し議論をして、国民の皆さんに分かるようにしておいたらどうかなというふうに思いました。

○井上座長 御意見は、「評議の経過」というのを入れておくのはいいのだけれども、判断基準をはっきりさせた方がいいのではないかという御趣旨ですか。

○四宮委員 はい。

○井上座長 いかがですか、お名前が挙がった方からでも結構ですが。

○大出委員 ちょっとよろしいでしょうか。

○井上座長 どうぞ。

○大出委員 今の四宮委員の御意見では、前回ちょっと話題になりました、各裁判員の意見については、表明はできないという前提になるんですか。

○井上座長 それはオで、そこのところはこのままでいいという御意見だったのではないですか。「評議の経過」のところを特に問題にされたのだと思うのですけれども。

○大出委員 だとすると、今、個別の具体的な話をされる前に、私としては、前回も申し上げましたけれども、各裁判員が自ら述べた意見について表明することは、やはり自由であっていいというふうに現時点でも考えていますので、前回一応理由を申し上げましたけれども、やはり、主体的に裁判員が参加するということで、責任の負い方というのは、それぞれの裁判員の方にお考えいただくべきことであって、他人の主張についてまで踏み込まない限りにおいて、やはり主張を表明する自由は、もちろん表明しないことも自由なわけですが、それ自体制約すべきではないというふうに考えていますので、その点は、一応意見として改めて申し上げておきます。

○井上座長 二つの問題は異なるものですから、まず先に四宮委員から出された問題点について御意見があれば伺いたいと思います。
 裁判長の説明、例えば法律問題についての説明が分かりやすかったというのは、当然に「評議の秘密」には入らないといえるのでしょうか。

○酒巻委員 四宮委員のおっしゃる趣旨は非常によく分かるし、「評議の秘密」について、守秘義務をかけて刑事罰が科される以上、その範囲を明確にする必要があるということは、刑事罰一般の問題として大賛成です。しかし、私は、この文言にある、大きな意味での「評議の秘密」の中には、評議の過程の個々具体的な事柄はすべて入るという認識です。そして、私が以前、裁判長の法律問題についての、例えば正当防衛の制度についての説明は大変分かりやすかったというような感想は、井上座長がおっしゃったように、評議そのものの過程にかかわることではなくて、裁判員を体験して、その体験した経験に基づく印象を述べたものと見ることができる。これは「評議の秘密」とは違うことだろうと私は理解しています。ですから、私自身はこのたたき台で、範囲は十分明解だろうと思っています。

○井上座長 裁判長からこういう点について説明があったというふうに言及すれば、「評議の経過」に当たるのではないのですか。

○酒巻委員 私の挙げた例の趣旨は、正当防衛が問題となったような事件について、裁判官の法律問題についての説明が分かりやすかったという感想レベルです。正当防衛の成否が争点となった事件において、具体的な個々の正当防衛の要件事実の認定や、証拠の評価などについての説明に触れているというわけではないので、区別できるのではないかと思います。

○池田委員 確かに、非常に微妙な問題があると思うんです。非常に活発な議論でしたよというようなことは、あるいは感想としてはあってもいいのかもしれないけれども、でも、それ以上に、だれが何回発言したとか、そうなるともう「評議の経過」になりますので、これはやはり、そこはだめだと言わないと、個々の人の発言内容、それから何が論点になったということまで話すことを認めることになりますので、それは好ましくないと思うんです。
 ですから、事件にかかわらない感想は、守秘義務の対象にはならないけれど、事件に関するもの、個別の事件に関するものは、それは「評議の経過」に入ってくるのではないかと思います。「評議の経過」というのは、ほかに「評議の内容」とか言い換えてみてもやはり難しいんですね。これが、ほかの法律でもいろんなところで使われているように、やはり言い換えにくい概念ではないかという気がいたします。

○清原委員 今のことの時間的な確認をしたいんですが、このたたき台では、ウにおきましても、オにおきましても、「これらの職にあった者は」と言っているんですが、これは、これらの職に現にある間についても、私はこのような義務を課すべきだと思っています。

○井上座長 それは「裁判員及び補充裁判員」という語句でカバーしており、現職である人を指しています。そして、「並びにこれらの職にあった者」というのが辞めた後のことを指しており、両方をカバーしているわけですね。

○清原委員 やはり、そこのところが非常に重要だと思っておりますのは、これらの職にあった者が感想を述べるのと、今ある者が感想を述べる場合、それから、これらの職にあった者が「評議の経過」について話す場合と、今ある者が「評議の経過」について話す場合とでは、やはり同じようであって違う部分もあると思うのです。つまり、職にある者が「評議の経過」について話す状況はどういうことが想定されるかというと、評議の日程が延びた場合に、例えば自分の知っている弁護士の人とか、その他法律関係者などに、こういうようなことがなされているけれども、裁判員としてどのような意見を言うのが適切だろうかというような相談をすることだってあり得るわけですね。ところが、今回の制度の場合には、あくまでも評議というのは、やはりその場に任命されている裁判官と裁判員のみで行うべきであるという前提を置くならば、この「評議の経過」とか、そういうことはやはり話すべきではないと思うのです。ただ、感想というか、帰宅して家族に今日はどうだったと言われて、議論が白熱して疲れちゃったよと話す程度までは、私は許されると思うのですが、その辺りのことを基本的にはもう一度確認すべきで、現在、裁判員又は補充裁判員である場合に、これらの義務を課すことに関して、そんなに疑問に思う方はいらっしゃらないんでしょうが、これらの職にあった場合に、もう話してもいいのではないかというような感想があって、その辺が不分明になって原則が揺らぐということがあってはならないと思いますので、この辺は、「並びに」というところに、むしろ私たちの中で揺らぎが生じやすいのではないかと思います。
 ですから、裁判員及び補充裁判員が果たすべき義務というところを固めて、その上で、これらの職にあった者については、どのぐらいまでは許容度が広がるのか、広がらないのか、そういうふうに分けておいた方がいいのではないかなと思います。

○井上座長 ほかの方はいかがですか。どうぞ。

○本田委員 やはり、「評議の経過」というのは、守秘義務の範囲に含めるべきだというたたき台の案が正しいと思います。「評議の経過」というのはどういう定義ができるのか難しいのですが、一般的には評議がどのような進行過程を経て結論に至ったかという道筋だと思います。先ほどから出ているような、例えば、一般的、抽象的に、「なかなか評議が活発でした」とか、「大変熱心にやっています」というのは、別に「評議の経過」というよりも、外形的な事実に対する単なる評価、感想みたいなものですね。恐らく、それを踏み超えて、この議論についてはこういう説と、こういう説があって、こういう対立がありましたということになれば、まさにそれは「経過」に踏み込むわけで、恐らくこの「経過」という文言で、そこの切り分けはできるんだろうというふうに思います。
 やはり、現に裁判員である者であろうと、あった者であろうと、同じように守秘義務をかけるべきであって、「私は意見が違いました」とか、「私は無罪だと思いましたがしかしこうなったんです」というようなことを勝手に言うことができるということになったら、裁判体が一体として結論を出しているにもかかわらず、そこがばらばらになるようなことを自由に言えるということになるということになって、恐らく裁判体の一体性ということ、ひいては裁判の安定性というものを著しく害するでしょうから、この程度の制限は当然のことだと思います。

○酒巻委員 先ほど、清原委員から、基本的な考え方について御説明がありましたが、私の考えを申しますと、「評議の秘密」の範囲に入る事柄については、ただいま本田委員、あるいは池田委員から意見がありましたとおり、これは現職であれ、辞めた後であれ、基本的に同じであると思います。それは、前にも申しました「評議の秘密」を守るという法制度の趣旨にかかわることですので、ここでは繰り返しません。ただ、先ほど言いましたとおり、その範囲に入らないものについては、辞めた後で感想を述べるということは全く禁じられてはいないという規定だと私は理解し、それは妥当だと思っています。問題は、その区別が本当に一般の方にすぐに分かるかどうかということでしょう。その点については、この制度を開始するにあたり具体例を挙げて、こういう場合は話して構わない、こういう場合はいけないというのをきちんと分かりやすく説明するということで対処するのが望ましいと思います。

○土屋委員 私の考え方は、もう再三話しておりますので、また繰り返しになってしまって3度目になりますけれども、念のためにまた申し上げておきます。
 私は、守秘義務が、裁判員、補充裁判員、あるいはそれらの職にあった人に課されるのは、基本的には当然だと思ってはいるんです。つまり、今指摘されたように、やはり裁判がきちんと行われるためには、やたらにそこで評議された内容が外に出されてしまっていいものだとは思いません。それが大前提です。ですけれども、包括的に何でもかんでもすべて評議の席で出たことは一切外に出せないということになってしまうと、それはいかにも息苦しいことにもなりますし、それから、実際に国民の関心を集めるような重要な裁判がどういうように行われたのかということを、ほかの人たちが知って、それをこれから先の裁判の中に生かしていくという経験の蓄積をしていくことがなかなかできなくなってしまうんではないかということを私はちょっと心配しているんです。前回も申し上げましたけれども、裁判員が自分の経験したことを家族に話したりすること、これは感想にとどまるべきなんでしょうけれども、場合によっては少し機微に触れることもあるかもしれない。ただ、それは外に向かって何か話をしたということではないんだろうと思うんです。そういうことも含めて全部だめだと言ってしまうと、ちょっとどうかなというふうに考えています。
 それから、私は前に述べていますけれども、ほかの方がどう話したのかと、どういう意見を述べたのかということに言及して、あの人はこう言った、あの人はここの場面であの人と争ったとか、そんなことを言ってしまうことがいいとは思いません。しかし、自分がこの事件についてどう考え、どういうふうに今思っているのかという自分の意見を述べることというのは制限すべきではないのではないかと私は考えています。
 もう一つ、以前に意見書の中では書きましたけれども、守秘義務といっても、死ぬまでではなくて、一定のところで解除されるようなことがあっていいのではないか、期間的な限定を考えてもいいんではないかというようなことも思ったりしています。
 そして、守秘義務の範囲は3つだけに限定して課すべきではないかというのが私の意見です。つまり、ここで出ています、各裁判官、裁判員の個別的な意見の内容、それと裁決の結果と、それから、プライバシーだとか、いろんな問題が出てくるわけですから、こういう事項は外に出さないようにしましょうということで、皆さんが合意した内容、そういったものに限定して守秘義務を課すという、いわば守秘義務の範囲を狭めるということなんですけれども、そういうふうにするのがいいのではないかと私は考えております。

○井上座長 「評議の経過」は要らないということですか。

○土屋委員 「評議の経過」は非常に微妙なところなんですが、私が「個別的な意見の内容」と言ったのは、どの方がどういう意見を言ったということも含めているつもりですので、最終的に有罪か無罪かということを言ったということだけでなくて、この事件について、自分はこういう証拠について、こういうふうに考えているというようなことを言ったという、そういう意見も含めて考えておりますので、そういうことに言及するということは、つまりは「評議の経過」に言及することにもつながってきているのかなと思います。ですから、ほかの方の意見を言ってはいけないということの中には、「評議の経過」に言及して、その過程でどなたかがこういうことを言ったということも述べるべきではないというふうに私は考えています。

○井上座長 最初におっしゃったことが、ちょっとはっきりしないのですけれども、今言われたような、守秘義務の範囲を限定すべきだということなのか、それとも、一定の人には言ってよい、家族には言ってよいと、そういうことなのか、そこがよく分からなかったのですが。窮屈だということの結論としてですね。

○土屋委員 家族に言ってもいいというのは、ちょっと表現としてはよろしくないのかもしれません。安易に言っていいとは思いませんけれども、家庭内でいろんな話をしたりするときには、そういうふうになってしまうこともあるんだろうと思うんです。それは感想なのか、どうなのかということになると非常に微妙なんでしょうけれども、そういったごく親しい身近な人に対してお話をするというようなことが望ましいとは思いませんけれども、決して奨励しているわけではありませんが、仕方がない部分もあるかなというふうに思っております。

○井上座長 その辺のところは、少し緩やかでもいいのではないかということでしょうか。

○土屋委員 言わば、感想の領域に入るのかもしれませんが。

○井上座長 第三者のプライバシーに属する事柄について、裁判体の構成員の間で、これは漏らさないでおきましょうと合意したものに限って漏らしてはいけないこととする、しかし、そうでないものについては漏らしてよいというのは、プライバシーというものの性質上、成り立つ考え方なのでしょうか。

○土屋委員 なかなか難しいとは思うんですけれども。

○井上座長 当のプライバシーの主体が漏らしていいですよと言うのならば、それは漏らしてもよいと思いますが、その主体ではない裁判体の構成員が、これは守ってあげます、これは守らないでいいです、といった選択をすることができるというのは、筋が通らないように思うのですけれども。

○土屋委員 つまり、そこで言いたいことは、もう少し枠をはめるような考え方ができないかなと、そういう趣旨なんですね。

○井上座長 「意見」については、大出委員からも問題提起がありましたので、それはちょっと別に置いて、まず「評議の経過」について、具体的にどうかということで議論をしており、それに関係して、土屋委員は、できるだけ限定した方がいいという御意見であるわけですが。

○清原委員 私は、「評議の経過」につきましては、例えば、重要な争点、論点というのは、判決にかかわることが大いにあるわけですから、判決に至る、判決文というんでしょうか、その中で明らかにされるべきだと思っているんです。
 私は、裁判官の方に守秘義務は相変わらずかかり続けるのに、なぜ裁判員と補充裁判員だけがそこで守秘義務が和らげられるのか、そこのところは1点大いに気になります。
 「評議の経過」というのは、それを話す人と話さない人が必ず出てきます。裁判員の人数が3人かもしれないし、11人、12人かもしれませんが、意見を活発に言う裁判員もいるでしょうが、自分は言いたくないということで言わない人もいるでしょう。そのとき、意見が外に出てくると、たかが自分の意見かもしれませんが、そこで評議の様子が伺えてしまいますし、自分の意見と言いながら、実は反対意見があるから自分の意見がこうあるということになりますから、裁判のプロセスあるいはその直後に何げなく言ったかもしれない意見が、裁判体としての一体性を損うことになったり、新たな対立を起こすことも懸念されます。
 私は、裁判員はいろんな方がいらっしゃるものですから、本当に評議の過程で自分の意見なら話すべきであると思いますし、評議の過程で引き出すべき、あるいは引き出されるべきものだと思いますので、評議の外で感想ではなく意見が言われることは、裁判という集中すべきプロセスをあいまいにするのではないかなというおそれを感じます。
 いずれにしても、裁判官と裁判員が守るべき守秘義務というのは同質であることがよいのではないかと思いますし、また、裁判が控訴される場合もあると思いますから、幾ら一定の判決が出た後であっても、裁判員の方が意見を述べることが、その後の裁判に影響をどのように与えるのかというのは難しいことでございまして、そういう意味では、私は、「評議の経過」に関する守秘義務はしっかり課されていた方が、裁判員の方は結果的にはその職務に専念できるし、よりよい評議結果に至るのではないかなと考えます。

○平良木委員 「評議の秘密」というのは、個々の裁判員が自由に意見を述べやすいような環境をどうやって作ってやるかということの裏返しだと思うんですが、そうすると、誰がどう言ったかということが判明して、その裁判員が批判を浴びることのないようにしてやらなければいけないことになります。したがって、ここのところをどこまでしゃべっていいかということは、逆に言うと、ほかの裁判員の保護をどうやって保ってやれるかということにつながってくると思うんです。そうすると、私の考えだと、ここのところは広く網をかけておいた方がいいだろうという気がいたします。ただ、罰則との関係で、これはどこまでかというと、やはり、ある程度厳密な検討が必要だということになると思いますけれども、しかし、先ほどから出ている「評議の経過」というのは、やはり、たたき台に書いてあるように、秘密の中に含める方がいいだろうというように思っております。

○髙井委員 先ほどの清原委員の御意見は、誠に御立派な意見で、基本的に全く同感です。裁判員と裁判官は協働して裁判をするということになっているわけですから、裁判官の持つ義務と裁判員の義務が違うということは絶対にあってはならない。そういうものを区別すること自体、そういう発想自体がおかしい。裁判官がやるのはだめだけれども、裁判員ならいいと、そういう発想自体が私はおかしいというように思います。

○四宮委員 私も、評議の秘密というか、守秘義務が自由な意見表明を保障する重要な制度であるということは全くそのとおりだと思います。
 問題は、公正な評議、自由な評議というものを確保するために、一体どの程度の規制の制度を設けるかという範囲の問題だと思うんです。そこで、「意見と数の多少」というのは、非常に、守秘義務中の守秘義務といいますか、自由な意見を保障するコアの最低限のものだと思います。他方で、今度は裁判員という国民の方に裁判をやっていただくということですので、国民の理解とか、支持というものも、もう一つ重要な要素になるだろうと思うんです。さっき、清原委員から時間的な経過の話がありましたが、私は、それは非常に大事なポイントだと思います。つまり、公正な裁判、評議の秘密というようなものは、時間によってもある程度変わってくるものがあるのではないかということです。例えば、現に裁判中、あるいは現に評議中は、私は一切、ここに書かれたもの以外でも何でも一切話すべきではないと思います。それは、まだ判決が出ていないからです。そして、判決が終わった後、もちろん、自由な評議を保障するというのは、その後も必要性は続くわけですけれども、それが現に裁判中の人と、そうではない人とで違いが全くないのだろうかというと、もう既に判決が出ているということ、それから、さっき申し上げた裁判員制度を国民に理解、支持してもらうためには、経験者の話が一番有効、有用であるわけですから、それとの調整等もあるので、判決後についての評議の経過というものについては、裁判中とはやはり違った取扱いになってもいいのではないかと思います。
 裁判官と裁判員の守秘義務が違うのはおかしいではないかという御意見については、それはそうなんですけれども、だとすると、日本の裁判官はほとんど外に向かってはお話しにならないわけで、裁判員もそれにならうべきなのかということになります。裁判員制度は、いわば新しい制度ですので、国民に入ってもらう上で、私は義務が違っていいという意味ではなくて、裁判官が今後どのように対応していかれるのかは分かりませんけれども、理屈の上で同じだからといって、一切合切、話してはならないという形にはしない方がいいのではないかと思います。

○井上座長 抽象論としては分かるのですけれども、それをどうやって区別するのでしょうか。

○四宮委員 具体的に書くわけにはいかないので、私が思うのは……

○井上座長 時間が経過したら、一定のものは話してもよいのではないかという御趣旨でしょう。その「一定のもの」というのは、具体的にどういうものが考えられますか。

○四宮委員 それは、ケースによって違いますけれども、要するに話してはいけないことの、さっき申し上げたコアは、各人の意見と……

○井上座長 守秘義務は基本的に続くけれども、一部については、現職でなくなった場合、解除されるという構造ですね。具体的にはどういうことをイメージされているのですか。

○四宮委員 例えば、さっき出たような一般的な感想から少し踏み込んで、具体的な事件について、例えば正当防衛の点が問題になったんだというような話は、終わってからは話してもいいのではないかというような気がします。

○井上座長 それは、公判で争われるわけですし、判決文にも出ているわけでしょう。

○四宮委員 出ていますね。

○井上座長 当事者が争えば、裁判所はそれに応えなければいけませんので、当然判決理由には示されていますよね。それは秘密でも何でもないので、それ以上に評議の内容に立ち入ってということでしょうか。

○四宮委員 具体的にこういうことだというのは、なかなか難しいんですが。

○井上座長 判決文には書かれていないけれども、評議の経過では、実はこういうことも大いに議論したと、そういうことを念頭に置かれているのでしょうか。

○酒巻委員 具体例でお聞きしてよいですか。

○井上座長 とうぞ。

○酒巻委員 例えば、もう裁判は終わった、判決も確定した、それで有罪判決だったという場合を想定します。そして、裁判員だった人が、例えば、5年ぐらい経って、私は実はやはり有罪ではないと思っていたという感想を述べたというのはどうですか。あるいは、刑はちょっと重過ぎたと思ったとか、これはまさにそのときに抱いた心証なんですね。それは、私は、時間が経とうが経たまいが、守秘されるべき事項だと思いますが……

○四宮委員 今のようなものはだめかもしれません。だから、何かと言われると難しいんですけれども。

○井上座長 ですから、気持ちとしては分からないでもないのですが、「評議の経過」についての判断基準をはっきりさせた方がいいと言われるのであれば、逆に、そこから外すとすると、ここは外れます、ここは入りますということをはっきりさせて、具体的なイメージのもとに議論しませんと、抽象論で行っているだけでは、すれ違いに終始してしまうと思うのですよ。

○大出委員 私は、今、酒巻委員がおっしゃったことに関しては、私は言っても構わないと思っているんです。それで、基準ということとの関係でいくと、先ほど土屋委員が少しおっしゃいましたけれども、皆さんのお話を伺っていても、感想程度とか、印象程度とかは、場合によってはお話になってもいいという意見の方は多くいらっしゃるわけですね。
 ただ、先ほど来の議論から見てみても、それと「経過」ということで、一体区別がつくのかどうかということが非常に問題なわけで、座長がおっしゃっているのもそうだと思うんです。そうすると結局、裁判員の方たちにしてみれば、だめだということは、家族に対してもやはりだめだと思うんですね。なぜかと言うと、そこから伝播していくわけで、家族の方が聞いたことを他人に言うということは当然あり得るわけですから、だとすれば家族にもしゃべれないという話にならなければおかしいわけですね。だけど、そうなったときの裁判員の方たちの負担感という問題についてどう考えるのかという問題だと思うんです。ですから、そこは、私はやはり、それぞれの裁判員が自ら主体的に責任を負える範囲で判断をされるということでお任せするということではないかと思うわけです。
 ですから、それは、あくまでも他人の意見なり主張というものに触れたことを言うというのは、そこはもちろんガイドラインを示す必要はあるかもしれませんけれども、最終的には、まさに責任を持って参加された裁判員の方たちが判断をされるべきことであって、それで、一般的に他人の言動にかかわるようなことは言うべきではない。それは、「経過」ということをいってもそうなると思うんです。
 ですから、先ほど土屋委員がおっしゃったことだと思うんですが、他人の意見等について触れることは許されないにしてみても、御本人が、自分としてはこういう意見であったというようなことを言うということはあり得るのではないかと思います。
 それはなぜかと言うと、先ほど本田委員がおっしゃいましたけれども、なぜ評議の秘密が守られるべきなのかということを考えたときに、裁判の公正さだとか、信頼感だとか、安定性というようなことをおっしゃるわけですけれども、ここはもちろん意見が分かれるところだというふうに思いますし、私は意見が分かれるからこそ言った方がいいというふうに思っているわけですけれども、どのようにして、安定性だとか、公正性だとか、信頼感というものを確保すべきかというのは意見が分かれると思うんです。つまり、一切秘密にするということで、これまで確保してきたとか、確保できるというふうに考えてきたのかもしれませんけれども、しかし、実際に裁判員が入って、過半数で評議が決まるということになる以上は、その数が最終的に分かることは多分私はないというふうに思っていますけれども、しかし、その中の意見を、結果と違う意見を言うことがあったとしてみても、それが直ちに信頼感だとか、安定性を損うということには私はならないだろうというふうに考えています。

○井上座長 ちょっと議論が「意見」の方に流れてきていますが、そろそろこの辺から、その問題をも含めて、御意見をいただければと思います。これまで一切しゃべらないということで、公正さや裁判に対する信頼、あるいは裁判制度そのものを守っていると考えられてきたわけですけれども、大出委員の御発言は、それは本当にそうなのかという、かなり大胆な問題提起だと思うのです。その点について御意見を伺えればと思います。

○本田委員 裁判員が裁判体に加わって裁判しているわけであって、裁判員個人が裁判をしているわけではないです。裁判体が結論を出しているわけです。そして、なぜそういう結論が出たかということは、判決書にきちんと書いてあるわけです。裁判員が主体的に参加するから自由に意見を言ってもいいんだという話ではないはずです。裁判員が勝手にやっているんだったらいいですが、そうではないでしょう。だから、それはおかしいでしょうということです。裁判体として評議を尽くして、意見を交換して一つの結論を出し、理由も書いてあるわけです。それなのに、判決について、あれはどうだったこうだったと後で言うことになれば、裁判そのものの安定性というのがなくなるでしょう。裁判員は、裁判体に加わって、その構成員として自分の意見も出してその結論を出しているわけですから、「いや、あれは違いますよ」なんて言ったのでは、裁判に対する信頼なんてなくなると思います。

○井上座長 御意見はそれぞれ分かりますが、本日はおさらいの議論であるはずで、同じことを延々と議論していますとこの問題だけで終わってしまいかねませんので、その辺は心得て、簡潔に理由を言って結論を示していただければと思います。

○池田委員 大出委員が、裁判員に対する負担感と言われましたけれども、ここはやむを得ない負担感で、それは裁判員の義務としては負っていただかなければならないと思います。評議の秘密の重要性は、前回もお話ししましたように、自由な評議ができること、そしてそれがいい裁判につながるということです。自由な評議が確保されれば、いろいろと思いついたこと、間違ったこと、あるいは外に出たら恥ずかしいようなことを言ってもらっても、それでいい議論ができますが、そういうものがないと、皆さん自由なことが言えなくなるわけで、それは望ましくないわけですから、その評議の秘密を守るというのは、やはり非常に重要なことで、これは裁判員の任務が終わってからも同じだと思います。
 自分の意見を言ってもいいじゃないかと言われますが、この前も言いましたように、何人かが言えば、言わなかった人、秘密を守った人の意見も分かることになりますし、また、こういう人がいるとは思いませんけれども、制度設計上は考えなければいけないことは、自分が言ったことと違うことを、つまり、例えば、自分は評議では賛成していたのに、後に、私は評議でも反対したと言ったときに、それではどうすればいいのかというと、ほかの人も、発言せざるを得なくなります。そうすると、もう裁判の評議をすべて見せることになるわけで、そんなことに踏み込んでやらないといけないということまで考えたら、到底いい審理はできないわけです。評議の結果は、判決に書かれるわけですし、その基本的な理由は、関与した皆が納得した上で言い渡されるわけですから、そこで担保されれば、十分なのではないかと思います。

○酒巻委員 意見表明の点についてだけ、私の意見を申しますと、全面的に池田委員のおっしゃったことに賛成でありまして、大出委員の御発言にはことごとく全面的に反対です。理由は、前に述べたとおり。評議の秘密の制度趣旨からいって、自分の意見だから、自分で処分できる、自分で言うのは自由だということには、全くならないと考えます。

○井上座長 更に何かございますか。

○大出委員 いいですか、ちょっと簡単に。

○井上座長 簡潔にお願いします。

○髙井委員 私の意見を聞いてからの方がいいのではないですか。

○井上座長 では、どうぞ。

○髙井委員 裁判に対する信頼というのは、ある部分、コアの部分は秘密にすることによってのみ、信頼を確保できるというのが、私は真理だと思います。なぜ判決に既判力があるのかというと、判決は動かない、つまり、一定の手続を経て、一定の結論に達したものは動かないというのが、裁判の安定性とか、信頼を守っているわけです。ですから、それを、裁判が終わったから幾らでも際限なくしゃべっていいとなると、評議が延々と公開の場で続いているようなもので、そんなもので裁判に対する信頼が維持できるはずがないので、大出委員の話は全くおかしいというふうに思います。それから、負担感がどうのこうのと言われましたが、こういう、司法制度という非常に大事な、ある意味では社会の骨格を決める制度を議論するときに、そういうセンチメンタリズムに流れるのは、私は議論の仕方としてはおかしいと思います。

○大出委員 意見を聞いてからでよかったと思います。髙井委員は、私よりも若いんですが、随分古い御意見をおっしゃるんではないかというふうに私は思いますが、つまり、私は再審が専門ですから、裁判が絶対的に動かないなんていうふうには思っていないんです。間違いというのはあり得るわけですから、変わるということは十分あり得るんです。裁判の結果は、真実ではありませんから、そこは勘違いとしか言いようがないです。
 それから、裁判の結論とは、ルールに従って結論が出ているわけですから、そのルールに従って出たということは、当然全体の認識の中にあるわけで、そういう前提での安定感とか、信頼感とか、正確性が問題なんであって、自分の責任において中身について言ったからといって、そのことがルールを外しているとか、そういうことで裁判の安定性というものが損われるということには、私はならないと思います。
 それから、池田委員のおっしゃったことに関しては、他人の意見の内容について言及していいということは私は言っていませんので、そういう意味では、まさに自らの責任において判断して処分できる分について言及するということであれば、それはまさに主体的な責任において関与した裁判員としての責任の問題であって、そういう責任を問うことによって、初めて裁判員というのは、主体的に参加したという意味が、ある意味では明確になるということだというふうに私は思っているということです。

○井上座長 もう既にこの問題で40分くらい議論していますので、タイムキーパーとしては、先のこともあり、もし、更に付け加えて御意見があるとしても、極めて簡潔にお願いしたいと思います。

○清原委員 主体的にということを大出委員は強調されるんですが、裁判員制度というのは、自ら手を挙げて裁判員になるという公募型の制度ではありませんので、やはりなるべく幅広い方を抽出して参加していただくということになります。もちろん、主体的な責任は、国民がいろいろな場面で負うことがあると思うのですけれども、私は、主体性というところを余りに強調されると、この制度の裁判としての一体性が失われてしまうので、それよりも、評議の過程で、まさに主体的にそれぞれの裁判員の方が意見を表明していただくということに重きを置くべきだというふうに思いますので、評議の場でこそ主体性を発揮していただいた方が実効性があるのではないかなと、そのように感じました。

○井上座長 これくらいでよろしいですか。昨日最初に申し上げたとおり、今回はあくまでおさらいの議論であるということを忘れないでいただきたいと思います。
 次に、「4 公判手続等」のところに進みたいと思います。
 総論の部分は、これまでも異論はなかったように思いますので、ここのところはよろしいですか。各論の議論に入ってよろしいでしょうか。
 次の「(2)準備手続(刑事裁判の充実・迅速化関連)」という点ですが、この項目自体については特段異論はなかったように思います。
 前回の議論の後、刑事裁判の充実・迅速化の方で、たたき台についての議論を行いましたので、準備手続の具体的な内容については相当程度イメージがはっきりしてきたのではないかと思います。そういう状況ですので、それを必要的なものとするということが、ここで書かれていることですが、特にここのところで更に付け加えて御意見がなければ、先に進めさせていただきたいと思うのですけれども、いかがでしょうか。中身につきましては、次回以降の充実・迅速化のところで、更に御意見を伺うということにしたいと思います。
 「(3)弁論の分離・併合」ですが、これは、やや専門的というか、技術的と言ってもいい問題で、被告人が複数の場合、いわゆる主観的併合の場合ですね。共犯者等について一緒に審理するかについては、証拠関係が共通である場合を除いては、分離して審理すべきであるという御意見が述べられており、その点については余り異論はなかったのではないかと思います。これに対して、いわゆる客観的併合、つまり、一人の被告人について複数の事件があるときに、一つの審理手続で審理をするのか、それとも分離するのかという問題については、いろいろな御意見が出たところです。これは、傍聴されている方にとっては理解するのがかなり難しい問題のように思うのですけれども、重要な問題でありますので、是非御意見をお伺いしたいと思います。いかがでしょうか。簡単に言えば、一人の被告人に複数ないし多数の被告事件があり、それが次々と起訴された場合に、それらの事件を一つの公判手続で一緒にやるのか、それとも、事件ごとに分けて公判手続を別々に行うのか、そのどちらにするのかを何らかの基準で仕分けていくのかといった問題と、例えば分けて別々に裁判するとした場合に、刑の関係をどうするのかといった問題がそこには含まれていたと理解しておりますけれども、いかがでしょうか。

○髙井委員 これは、基本的には併合してやらざるを得ないと思うんです。例えば、殺人を例に取れば、一件一件ばらけてやると無期懲役までだと、しかし、併合して一緒にやれば死刑だという場合があるわけで、仮に死刑判決を出すときに、一つずつの事件を別の裁判体で審理をして、最後の裁判体でまとめて判決をするというようなことも考えられますが、それで死刑判決だということになると、死刑判決を下す裁判体は、場合によっては前の事件の判決は見るけれども、証拠を見ないままということもあり得るわけで、やはり判決の在り方としては妥当ではないと思います。確かに、併合するとだらだらと審理が延びたりして、裁判員の負担が増えるということは否めない事実ですが、ここはある程度負担が増えてもやむを得ないというふうに腹をくくって、併合でやるというのが原則だと思います。

○井上座長 ほかの方はいかがですか。どうぞ。

○池田委員 刑の調整規定ができなければ、併合できるものは、併合するまで待つようになると思います。多分追起訴がありそうだというようなことが分かっていれば、準備手続の間で調整して待って一緒に始めるとか、あるいは、始まってからは、事案によっては何らかの形で併合できるのであれば、ぎりぎり併合できるような方策を探るとは思います。けれども、それでもやはり、手続が始まって選任手続をしてしまうと、集中審理で計画的に審理を始めた後で、また追起訴があることが分かったから何とか一緒にしてくれというのは、やはり無理なのではないかと思います。ですから、幾ら重大な事件が次にあるということでも、やはり併合できないものが出てくるのではないかと思います。現在の法制度であれば、二年でやれというのはありますけれども、そうは言っても、そのぐらい延びても仕方ないではないかという話はあったと思うんですけれども、それが、今回は、期間だけではなくて、裁判員に入ってもらって審理を始めて、そして途中で中断するとなると、別の裁判員になるか、あるいはまた同じ人裁判員によって当初の計画以上に審理を延ばすことになるわけですけれども、そういう新たな負担というのは大きくなるわけですね。それを考えると、やはり切らざるを得ないものというのは必ず出てくるのではないかと思います。現場の裁判官に聞いても、これから裁判員制度になったら、やはり今までのように、客観的併合を原則とするというわけにはいかないのではないかという意見はかなりありますので、刑の調整規定というのは何かつくるべきだと思います。実体法なり、あるいは手続法なりでつくるべきだと前回話しましたけれども、やはり必要なのではないかと思います。

○井上座長 その前提として、同時並行で分かっているという、さっき髙井委員がおっしゃられたような例で、複数の人を殺害したというような事件の場合は併合できるだろうということですね。

○池田委員 余りにも大き過ぎる、二つを足すとすごく審理期間が長くなるというようなものだとちょっとどうかというのはありますけれども、複数の事件があることがもう分かっているのなら、審理の計画の中で織り込めるところがありますので、そういうものはかなり無理をしてでも一緒にやるだろうという気はするんですけれども。

○井上座長 そういう時差があり、審理が始まってしまった後になって分かったので追起訴して併合するかどうかということが問題となる場合については、高井委員のお考えはどうなのですか。

○髙井委員 これは、私はやはり中断をして起訴を待って、それでまた再開するべきだと思います。要するに、審理している間にまた死体が出てきましたという事件の場合は、やはりいったん中断して追起訴で併合するというのが基本ではないかと思います。

○井上座長 分かりました。どうぞ。

○本田委員 基本的には、髙井委員の考え方と同じなんですけれども、刑事手続の目的というのは、実体的真実の発見と、適正な科刑の実現にあるわけですね。今度の裁判員制度というのは、よりよい裁判制度を目指して、裁判員を入れましょうということになったんですけれども、その裁判員が加わったことによって、本来の目的である実体的真実の発見であるとか、適正な科刑の実現というのが損われるというのは本末転倒の話ではないかと思います。やはり、併合審理すれば、ある程度の刑が予想されるけれど、ばらばらにしてしまえば、それとは違った判決が出るというような事態というのは、やはりあってはならないことであって、基本的には併合しなければいけないだろうというふうに思います。
 ただ、裁判員制度になると、準備手続で相当集中的に争点整理をして、実際の審理期間というのは短くなるでしょう。そうすると、現実に審理期間中に追起訴という事態がどこまで起きるのかというと、現実には少なくなると思います。例えば、1週間のうちにすぐにぱっと追起訴できるのか、あるいはそこでぱっと見えるのかということです。ただ、やはり事件として分かっていて、やがて起訴するような状況にあるような場合に、これは無視してやってしまうんだというのが果たしていいんだろうかという気はします。ただ、調整規定がどういうふうに置けるかというのは非常に難しい問題で、これがうまく置けるんなら、それはそれでいいのかもしれませんけれども、そうではない限り、やはりかなり難しいんではないかと思います。

○平良木委員 分離したままで行きますと、最終的にどうしても併合しないといけない事件というのが出てくるだろうと思います。そういうときに、裁判官と裁判員が異なるとすると、心証の引継ぎの問題というのが出てきて、ちょっと困ったことになるというか、かなりロスが出てくるという気がするわけです。ですから、もし裁判官と裁判員が同じだとすると、これは分離したままでいこうと、併合したままでやろうと、ちっとも問題はないと思うんです。どちらでいってもいいと思います。そのときには、中断する必要はないし、それぞれ進めても構わない。

○井上座長 同じ構成の裁判体が、二つの事件を担当するということですか。

○平良木委員 できればです。ただ、裁判員は、もともと重い事件で1回限りということが前提になっているので、そこのところとの関係というのはやはり出てくるだろうという気がしています。
 最終的に、もし併合が、例えば多少ずれていても簡単にできるような仕組みができるんだったら、それも一つの方法だろうと思います。ただ、今の手続を前提にすると、それは難しい。

○井上座長 恐らく、ほかの方は、審判が分離されれば別個の裁判体が担当するという前提で、このパズルのような問題を議論しているのだと思うのです。それと、誤解を招いてはいけないので敢えて申しますと、併合すれば刑が重くなるということでは必ずしもなく、併合した方が被告人にとっては量刑としては有利になることも多いのです。さっきの例だけを念頭に置いて見ますと、もっぱら死刑の方向に行く議論だと思われかねず、それでは不正確ですから。

○酒巻委員 今、座長が言っていただいた点を申し上げようと思っていたところです。弁護士の方はよく御存じと思いますが、現在の刑法の併合罪の規定を前提にすると、一人の人間がそれなりに重い罪をたくさんやったとされ裁判になっている場合は、むしろ併合された方が、ばらばらに審理するよりは結果として刑は軽くなる場合も多々あるだろうと思います。そこで、被告人にとっても、これまでのやり方であれば併合審理されていたのが、裁判員制度になってやむを得ず分離になった場合に、そのままでいいのだろうかという問題があるわけです。
 なお、平良木委員のおっしゃったような場合というのは、多分今我々が設計している制度ではあり得ないんだろうと思います。分離された場合は、別の裁判員の入った、別の裁判体が審理するというのが当然の前提だろう。その上で、私の基本的な考えは、やはりできる限り一緒に審理できるものは、一人の人間が複数罪を犯したというものですから、全く無関係の場合は除いて、できる限り一緒にやるべきであって、そのことによって刑についても従前と余り違わないことになるのが望ましい。しかし、次々と追起訴が繰り返されて、それをずっと待っているということも恐らくできないであろう。そうだとすると、やむを得ず分離してやらざるを得ない場合が出てくる。また、併合すると、それだけ裁判員の方の判断すべき事柄の負担は増えますので、そのような観点から事件を分離する場合もあると思います。
 そうすると、結局、今の両面ですね、一緒にやればもっと重くなったかもしれない、あるいはまとめて一緒にやったら軽くなったかもしれないという、刑を調整する何らかの法律制度をつくって、調整をする必要は制度としてあるだろうと思います。しかし、これは、具体的な案を私は持っておりませんけれども、今の刑法の併合罪の考え方に一定の修正変更を加えることでありますとか、あるいは、一つの裁判手続で下された刑を、後から出てきた別の裁判所がそれを変動させて調整するというような制度にならざるを得ないので、いずれもなかなか難題ではある。しかし、そういう仕組みを、分離した場合のためにつくっておく必要はあるだろうと思います。

○井上座長 今の御意見では、一つは、実体刑法上の手当として、刑の調整規定を設けるか、もう一つは、手続的に、どこかの裁判体が最終的に量刑をし直すか、そのどちらかだということですけれども、現在でも、分離してやる場合があるわけですね。その場合も、結局、同じ問題が起こると思うのですけれども。

○酒巻委員 ですから、そういうことをやるのであれば、何で裁判員が入った事件だけ、調整規定が必要なんだという問題が出て、私は、裁判員の事件だけそうするのだという理論的な理屈はないと思っていますので、そうだとすると、全部、これから先、一般的な制度としてそういうのをつくらないと理屈が立たないのではないかという批判ないし議論が出てくる可能性があるだろうと考えています。

○井上座長 池田委員の問題意識は、裁判員が入ると、併合するのが難しい場合が増えるだろうということを前提にしているのだと思うのです。最初から全部分かっている、でも例えば重大な事件ばかり十数件もあって、併合して審判したのでは、どのようにうまく審理計画を立ててみても何年も掛かるだろうという場合であっても、やはり併合するべきだということなのかどうか、ということでしょう。

○本田委員 確かに、追起訴の場合と、最初から起訴が何件か十何件かされていて、それらを併合する場合と、いろいろあると思うんです。最初に10件なら10件、殺人なら殺人が起訴されている場合に、分離してやったとしても、連続殺人事件なんかで相互に関連があるということになれば、結局全部をやっていかなければいけない、特に一番最後の殺人なんかを審理するときは、最初の殺人からの背景をずっと立証していかないと本当に分からないので、結局それだけの時間が掛かるわけです。そうすると、分離しても結局同じ時間が掛かるので、そんなに負担軽減の効果というのはないんだろうと思います。かえって10個の裁判体を組んでやる分だけ裁判員を多く集めてやらなければいけないので、負担は結構大きくなるんではないかという気がしております。
 そうは言っても、起訴した事件の関連性が薄く、分離しても特段の支障がないような場合もあるでしょう。対象事件ではないもので、特に殺人とほとんど関係のない事件みたいなものは、分離してもらってもいいだろうと思います。
 ただ、その場合も併合していれば若干刑が軽くなるかもしれないけれども、分離すると重くなるという問題があるのかもしれませんけれども、これは、現行法上も同じ問題があるんだろうと思います。
 追起訴のところについては、先ほど申し上げたんですけれども、やはり基本的には適正な科刑の実現、あるいは実体的真実の発見という観点からは、可能な限り併合してやるべきだろうと思いますけれども、実際に現在でも、結審してしまった後、あるいは判決が出た後の併合というのはあり得ないわけで、そういう場合はしょうがない。追起訴の併合はどこまでできるのかというのは、先ほど少し申し上げましたように、実際は準備手続中にまた起訴があったような場合には、これは、関連性がある以上は一緒にやってもらいたい。関連性がなければ、あるいは薄ければ、併合することなく、別の裁判体でやってもらってもかまわないでしょうということです。では、実際に準備手続が終わって、本体の審理期間がどれぐらいあるんだろうかというと、それは事件によって違うと思うんです。3日ぐらいで終わるのは、3日以内に追起訴するのは無理ですから、それはもう併合してもらうのは無理かもしれない。これも、現在でもあることですけれども。そうではなくて、それもやはり数か月掛かるような事件、やはりそれが密接の関連のある事件であるならば、それは併合してきちんとした事実を解明して、適正な科刑を実現すべきではないかという気がします。

○平良木委員 まず、最初に、裁判員が一つの事件に関与すると言いますか、1回限りのものだというときに、1回限りだというときのくくりを決めておかなければいけないと思います。

○井上座長 期間ですか。

○平良木委員 いや、例えば、追起訴という形で来たんだったらいいというのか、あるいは追起訴ではなくて、裁判所の併合があったら当初の段階で一つというのか。

○井上座長 1回限り、という場合の単位の問題ですか。

○平良木委員 そうです。今の段階だと、恐らく1件かどうかというのは起訴状で数えられています。起訴状が一つだとすると、これは1件だという数え方をしているはずなので、そうすると、それを分離したときにどうなるかという問題も出てくるし、それから、いわゆる追起訴してきた場合に、それを別に数えるのか、その中で一つと数えるのか、こういう問題も恐らく出てくると思います。

○井上座長 そこは、まさに御議論いただければと思うのですが、これまでは、手続が1個、審判が1個ならば、それは一つの裁判体の担当であるという前提で議論されてきたと思うのですけれども、それだとおかしいということでしょうか。

○平良木委員 だから、おかしいんではなくて、池田委員が言ったように、例えばいつの時点で追起訴があるかということによって、それだって変わってくるだろうということですね。

○井上座長 それは、どうもぐるぐる回りの議論であって、実質は、追起訴があった場合に併合して一つの裁判体で審理することを認めるべきなのか、併合は認めないで別の裁判体に審理させるべきなのかということに帰着するのではないでしょうか。

○平良木委員 最初の、裁判官と裁判員が、例えば二つ事件が来ても一つの裁判体でできる場合があって、ただ、手続上は二つでやっていくという場合が例外的に認められるかどうか、これは認められないとすると……

○井上座長 分離しても同じ構成の裁判体に担当させるということですか。しかし、ほかの方は、そうは考えておられないのではないでしょうか。手続が別ならば裁判体も別だということを全体とされているように思うのですけれども。

○髙井委員 裁判員になるのは1回だけだという問題と、併合するか、分離にするかというのは次元の違う問題だから、そこは整理して議論しなければいけないと私は思います。
 それから、先ほどの分離による不都合というのは、先ほどの本田委員の意見とほとんど同じなんですが、全部認めている事件ならいいんですが、例えば、事件が5件あるとして、最初の1件、2件は認めているけれども、3番目は否認していると、4番目と5番目は認めているというときに、5件をばらばらにしてやる場合、否認している事件の証拠というのは、例えば後の事件、あるいは前の事件との関連で有罪、無罪が分かれてくるということもあるわけです。そうすると、3番目の事件の実体的真実を発見するためには、その前の事件、更にはそのまた前の事件も全部そこで審理しなければいけないということになるわけで、かえって二重手間になると思うんです。そういう意味でも、私は原則は併合でなければいけないと思います。

○井上座長 例外はあるということですか。さっきから基本とか、原則とおっしゃっているのですけれども。

○髙井委員 私は、本当は100パーセント併合でなければいけないなと思っていますが、具体的な事例で、本当に例外的にこれは分離してもいいかなというのが出てくる余地も多分あるだろうということで、原則としてはとか、基本的にはと申し上げているんです。

○井上座長 分離した場合には、今どおりでよく、何らかの手続的あるいは実体的な調整規定は必要ではないという御意見ですか。それとも、その場合には、やはり何らかの手当を考えた方がよいという御意見ですか。

○髙井委員 本当に納得できる合理的な調整規定が置けるのであれば、それは置いた方がいいと思います。果たしてそんなものがあるんだろうかというふうに今は思っているんですけれども。

○四宮委員 ちょっと今の御意見に質問です。

○井上座長 どうぞ。

○四宮委員 自白事件と否認事件がある場合は分離するというお立場ですか。

○髙井委員 違います。そういう場合は、余計に併合しなければいけないということです。

○四宮委員 そうすると、証拠がどうなるんですかね。

○井上座長 証拠が共通している場合があって、それが両様の意味を持つということなのでしょうか。

○四宮委員 いや、つまり、証拠が共通していて、否認事件については、今の手続で言えば不同意だと。ところがもちろん、認めている事件では同意していると。

○髙井委員 証拠が同一ということを言っているのではないのです。

○井上座長 ある調書が、こっちの関係では同意するが、こっちの関係では不同意だと、そういう場合のことをおっしゃっているのではないということですか。

○四宮委員 そういう事態は起こらないんですか。

○髙井委員 そういうことは今だって起こります。それはもう、あっちの関係と、こっちの関係と。

○四宮委員 今の手続を前提にしてしまうと、その場合、同じ裁判員が、この事件では証拠を見て、この事件では見ないということにするという扱いになるわけですね。今の裁判はそうなんですけれども。

○井上座長 理屈で言いますと、例えば、伝聞証拠かどうかが相対的に決まってくるような場合に、そういうことが生じ得るとは思いますが、その問題と髙井委員が出された問題とはどうも違っているようですね。

○髙井委員 全然違うんです。同じ証拠があるとか、証拠が共通だということを言っているんではないんです。ですから、今の四宮委員の言ったことと私の意見は全く関係がない。

○井上座長 池田委員、どうぞ。

○池田委員 今の髙井委員のお話は分かるんですが、現行の刑訴313条の分離併合について、「裁判所が適当と認めるとき」ということを変えろという趣旨なんですか。もしそうでなければ、今、客観的併合については、被告人の利益が当然ある、併合されれば、その併合罪の利益があるから、それは大きなものと解釈上考えられています。例外的に余りにも審理の進行度が違うもの、あるいは両方とも大きくて、別々のところで共犯者もいっぱいいて、証拠が共通ではなく違うというもの、そういうものを除くと、実務的には、ここは被告人の併合の利益というのを尊重しろということになっていて、検察官なり、被告人なりが併合してくれといったら基本的には併合しているわけですね。
 しかし、これから裁判員制度になったら、これに対してもう一つ、裁判員への負担というのは、考慮要素にならざるを得ないと思うんです。
 そうすると、今よりは、併合にならないものが出てくることは間違いないと思うんです。それは、裁判官の裁量を同じように認めている以上、その考慮要素であることは間違いないので、それは動きますよ。
 動いたときに、もちろん、実体的真実の発見と適正な量刑というのは当然維持しなければいけないので、そこは全部考えて、できるだけそれを損なうことがないように考えると思うんですけれども、しかし、変わると思うんです。それでいいのかと、要するに、刑が重くならないものもあるかもしれない、刑が軽くならないものもあるかもしれない、それで、調整規定を置いておかないで本当に大丈夫なんでしょうかということなのです。でも、それは例外的な場合だから、もうそれでいいんだということにして、それで済むのかということだと思うんですけれども。

○井上座長 髙井委員の御意見で、分離すべき場合はあり得て、その場合については調整規定というものも考えられるかもしれないけれども、しかし具体的には難しいのではないかということですね。
 ですから、そこのところは余り矛盾はしていないと思うのです。そういう調整規定ができるのならばそれに越したことはないという御意見だと思うのですけれども、問題は、具体的に妙案があるかどうかですね。それについては、前の第2ラウンドで、多少アイデアが示さたわけですけれども、決定打かどうか。そのようなアイデアが幾つか出ているという、まだその段階だと思うのです。

○本田委員 調整規定というのが、本当に納得できるような合理的なものができれば、別に私はそれでいいと思っているんですけれども、それはなかなか難しいだろうという前提なんです。
 先ほども言いましたけれども、分離、併合の問題で、現在の運用を裁判員が入ったときに変えなければいけないかというと、私は、先ほども申し上げたように、その運用を変えることによって、量刑がかなり際どいところで変わってくるような問題が出てくる以上、それは変えるべきではないだろうと思います。「適当と認めるとき」というのは、やはりそこは合理的な判断をしてくださいということが法律に書いてあるわけで、だから、そこは現在の運用を、裁判員の負担を考えて変えることによって、本来の目的が損われるというのは、やはり本末転倒ではないかなという気がしております。

○井上座長 そこは、意見が分かれるかもしれませんね、それだけ長い期間掛かるとしますと、それに耐えられるような、あるいはそういう負担をお願いできるような裁判員がどれだけ確保できるかということとの見合いの問題になるでしょう。

○本田委員 その点について言えば、1件の事件でもものすごく長く掛かる事件というのがあり得るわけなんです。だから、そこは長いのに耐えられるかどうかというのは、基本的な問題であって、そこをどうするかというのは、また別の問題だろうと思います。

○井上座長 この点は仕切ってしまうようで悪いのですけれども、この場で名案はないかどうかという議論をこれ以上続けても、恐らく今の段階では確定的な答えは得られないように思います。方向としては、皆さん矛盾していることを言っておられるわけではなく、問題があるという認識は共通しているので、調整規定として何か妙案を考え出せれば、それは検討の対象に当然なってくると思います。ですから、そういう方向でさらに考えていくということにして、この段階での議論は一応おしまいにするということにせざるを得ないのではないかと思います。そういうことでよろしいですか。
 次が、「(4)公判期日の指定(刑事裁判の充実・迅速化関連)」ということですが、その次の「(5)宣誓等」を含め、異論は特になかったように思われますので、ここのところはよろしいですか。
 次が「(6)新たな裁判員が加わる場合の措置」ですが、以前の御議論では、たたき台の考えに対する異論というものは特になかったと理解しておりますけれども、更に更新手続の具体的な在り方について、もう少し突っ込んで議論をしていただいた方がいいかと思われますので、御意見があればお伺いしたいと思います。

○髙井委員 これは、検察官及び弁護人が、どういう資料をつくるかは別にして、従前の証拠調べの争点及びその争点に関する証拠調べがどうなっているかというようなことを、それぞれの立場から分かりやすく説明するというような手続になるということだと思います。今は、裁判所だけでやるわけですけれども、そういうことだと思います。

○清原委員 私も、このところは、裁判員になる方の立場に配慮して、大変丁寧な対応を用意しておいた方がいいと思うんです。補充裁判員の方ではなくて、新たな裁判員として加わるときには、それまでの経過の中で、新たに加わる人が、どうしても遠慮だとか、萎縮だとか、そういう気持ちを持ちやすいんですが、それを取り除くということが必要です。
 もう一つは、検察官の立場、あるいは弁護人の立場においても、そうした新たに加わる裁判員の方が公正に今までの経過を引き継いでいただくために、私も、今、髙井委員が御指摘のように、それぞれの立場から今までの証拠調べのことなどを説明していただいた方が公正でもあり、手続上は時間を取ることにはなりますが、同じ証拠であっても、それぞれの立場からの調べの観点などの違いを理解もしやすいし、より正確な実質的な心証をとることができるのではないかなと思います。もちろん、時間的な負担はかかってしまいますから、新たな裁判員が加わる場合、新たな裁判員のみならず、ほかの裁判員の方にも時間的に少し負担感が出てしまうかもしれませんけれども、公正な裁判のためには丁寧な手続をしていただいた方がよいと考えます。

○井上座長 ほかの方はいかがですか、どうぞ。

○四宮委員 これは、前回も申し上げましたが、極めて例外的な場合だろうと思うんですけれども、今のお二人の話に私も賛成です。争点の理解の点では、やはり両方の当事者がきちんと問題点を指摘し、今までの経過を分かりやすく伝えるということが大事だろうと思います。
 むしろ問題は、証拠調べの結果について実質的な心証をとる、その措置の方であろうと思います。この場合、特に新たに加わる裁判員にとっても、やはり、直接主義、口頭主義の要請が十分に満たされるように工夫をする必要があって、特に証人尋問についてはビデオで録画をしておいて、それを示す。例えば、長期間にわたる場合もありましょうけれども、その場合には、両方の当事者がここを見てほしいと、いや、こちらを見てほしいということで、両方の当事者が、ここを見てもらえれば、大体証言の内容が分かるということで、証言態度等も含めて情報を与えることができると思いますので、そういった工夫をすべきであると思います。

○井上座長 すべての証人についてということですか、それとも、両当事者が重要だと思う証人の重要だと思われる証言部分ということですか。

○四宮委員 それは両方あると思います。

○井上座長 お考えではどちらなのですか。すべての証人について、全部やるべきだということなのかどうかですが。

○四宮委員 できれば、すべてやった方がいいという意見です。つまり、証拠の評価というのは、当事者が大事だと思うことと、判断者が大事だと思うことというのは、違ったりする場合もありますので。

○井上座長 当事者に、ある部分を選ばせるわけでしょう。

○四宮委員 しかも、裁判所は必要だということで採用しているはずですので、原則は、全証人について当事者がそれぞれこういう証言でしたということをやると。

○井上座長 混ぜ返すようですけれども、それだと全部やり直すのと同じですね。

○四宮委員 ですから、さっき申し上げたように、全部を見せるのではなくて、それぞれの証人についての重要な部分ということです。

○井上座長 その理屈でいきますと、原則としてすべての証人について、両当事者のみならず裁判所も重要だと思う部分があれば、やってもらうということになるのですか。

○四宮委員 はい。

○井上座長 分かりました。そういう御意見です。

○本田委員 基本的には、皆さんがおっしゃったようなことと余り変わらないと思うんですけれども、要は、実質的に、新しい裁判員の人が心証がとれるようなものでなければいけないということと、余り負担をかけるというのもいかがなものかという気がするんです。それで、具体的には、まず検察官が公訴事実の要旨であるとか、重要な事実についての主張を分かりやすく、もう一回主張をしてみる。弁護人は弁護人の方で、被告事件についての陳述、主要な主張を重要な部分について争点に即してやってもらう。それで不十分だと裁判所が判断するのなら、裁判所の方で主張についての整理を若干補充してもらってもいいんではないかと思います。証拠調べの方も、争点に即した重要な部分について、要旨の告知であるとか、朗読とかを行うわけです。あるいはビデオの再現というのがあるかもしれませんけれども、全部についてやる必要はないだろうと思います。やはり、全体の主張との関係で、必要な部分を分かりやすいように選んでやればそれで十分ではないかと思います。
 そういう手続が終わった後、当事者がそれぞれ、これまでの証拠調べ、あるいは主張についての意見みたいなものを、検察官がやり、弁護人がやり、必要ならば裁判所がそれについて若干の補充をするというようなところで、大体全体像と、それから争点についてはどの程度の立証が行われているかということが分かるように、なるべく負担が軽くなるような形でやっていくのがいいんではないかという気がします。

○井上座長 ほかに特に御意見がないようでしたら、ここはこのくらいでよろしいですか。
 次が「(7)証拠調べ手続等」という項目ですが、この項目では、供述調書の信用性等については、その作成状況を含めて、裁判員が理解しやすく、的確な判断をすることができるよう立証を行うといった点をめぐって御議論があったというふうに理解しております。この点についてはいかがでしょうか、どなたからでも結構ですが。

○四宮委員 この点については、前回たしか本田委員の方から、いろいろ公判における立証方法等も改めて、裁判員が理解しやすいようにするというお話がありました。
 もう一つは、前回の7月でしたか、法務省の方から取調べ過程・状況の書面による記録制度の検討状況の報告がありましたし、また、最高検察庁における提言も配布されております。
 裁判員の理解に資するために、特に取調べ等、供述調書の作成状況に関する立証ですけれども、そういった客観的な資料が必要だということについては、あるいは立証を客観化していくということについては、恐らく大方の合意があるのではないかと思います。
 是非そういう方向でやってほしいんですけれども、問題は、今、検討中である取調べの記録制度というもので十分だろうかということが一つです。これは、記録される内容を拝見いたしますと、作成者、名宛人等、客観的な事実、これは前回法務省の方からは、なるべく記載内容そのものに争いがないようにということで客観化に努めたというお話があって、それはそれで結構なんですけれども、それだけに状況そのものがなかなか分かりにくいのではないかという気がいたします。
 それから、最高検察庁の提言につきましても、現在の制度を前提としていろいろ工夫をいただいているわけですけれども、例えば、特信性の立証方法につきまして、客観的事実の資料というところでは、例えば取調べ時間というような例示にとどまっておりますし、任意性に関する立証方法でも客観的で明解な立証という記述ではありますけれども、今のような書面による記録制度とか、あるいは現場における指示説明の録音録画、それから弁護人の接見交通等、それから被告人の供述調書の開示等の方法であります。
 今のような資料だけで、裁判員が、作成状況に関する争いについて、一定の心証をとることが可能であろうか、十分であろうかという気がいたします。
 これは、この提言が、現在の制度の下で、裁判員制度とは別に、その発足前に、とにかくこういった形で分かりやすくしていこうと、客観化していこうということは大変評価できるわけですけれども、裁判員の入った裁判の場合にこれで十分だろうかというふうに思います。
 むしろ、そこから更に踏み込んで、ビデオに記録をしていただいて、私個人はちょっと別の問題で、ビデオは証拠になってもいいのではないかと思っていますが、これは全然別の話ですけれども、特に任意性や特信性、それから信用性の立証という方法については、ビデオはやはり最も直接的で有効なものなのではないかと思います。
 ですので、少なくとも状況の立証方法として、こういったビデオによる録画記録というような方法を取り入れる必要が、裁判員制度の下ではあるのではないかと思います。
 そこでお願いなんですけれども、最高検察庁におかれては、是非とも裁判員制度の発足までに、更に十分な検討、実効的な制度の、私の希望はビデオ記録ということですけれども、検討を引き続きやっていってほしいと思います。

○井上座長 分かりました。そのような御要望ですが、いかがですか。

○本田委員 最高検の提言というのは、先ほど四宮委員から御紹介がありましたように、現行制度の下における検察が取るべき諸方策というものをいろいろ検討して、立証を可能な限り分かりやすいものにしていこうということで、ああいう提言を出したわけです。
 何といっても、刑事事件について立証責任を負うのは検察ですから、今後どうするかということになると、裁判員制度の制度設計、あるいはその手続の在り方というのを十分踏まえて、また、現在検討しております準備手続を含む刑事裁判の充実・迅速化のための諸制度と、こういうものが、もし裁判員制度よりも先に施行されるのであれば、そういったものの運用状況も見定めながら、裁判員制度の対象事件において、供述調書の信用性等を迅速かつ分かりやすい方法で立証するための方策について、今後とも引き続き検討していくということは考えております。その際、録音録画ということを検討対象から除外するというようなことは考えておりません。

○四宮委員 もちろん、検討していただくんですけれども、私たちは是非検討の内容として、今回、提言とか、記録制度で示される資料というのは、言わば争いになる作成状況については、言葉が適切かどうか分かりませんが、状況的な証拠、状況的な事実になるわけです。ですから、裁判員にとって状況的な事実から推論してほしいということではなくて、直接証拠、つまりそれは結局、私はビデオの録画が一番いいと思っていますけれども、それが一番分かりやすいわけですので、少なくとも任意性、特信性、信用性の立証の方法として、そういうものによるというような制度にしていくべきではないかと思います。

○井上座長 御意見は分かりました。その前提として、任意性と特信性、いずれも証拠能力の要件ですが、それを裁判官が判断するのか、それとも、裁判員も入って判断するのかについては、必ずしもまだ整理されていないと思うのです。ただ、手続問題という意味では、そこははっきり仕分けをすべきであり、「信用性等」というふうに本田委員が言われたのは、まさにそういうことを含意されていたのだろうと思いますが、信用性は当然全員でやるので、仕分けが難しい問題であることは確かですけれども、言葉の使い方として、その区別を念頭に置いて議論していただければと思います。

○池田委員 取調べ状況の書面による記録化というのが実施されるということで、それは一つの進歩であるというふうに思うわけです。
 また、最高検の提言も読ませていただいて、検察官も今まで以上にもっと立証の効率化に努められるということで、それができればよくなるところはもちろんあると思っております。ただ、それだけでやはり大丈夫なんだろうかというのが、かなり心配なところでして、前に第2ラウンドのときに申し上げたように、自白の任意性が争われて、今、座長が言われたように、信用性の関係でも同じような判断が必要になってくるわけですけれども、信用性、あるいは特に共犯者の立場にある者の321条1項2号書面の信用性の判断でかなり……

○井上座長 検察官面前調書ですね。

○池田委員 はい、それの判断で審理にかなり時間が掛かっていて、そして、裁判官が判断するにもかなり深刻に悩むという事件があるわけですが、その事件数が、今の方策だけでは急減はしないだろうと、少なくなるとはしても、やはりまだかなり残ることになるのではないかと思います。そういう中で、一つの方法として、取調べの録音あるいは録画というようなことの活用も考えられるのではないかと、それがすべてかどうか、あるいは全件でそういうものがいいのかというのはまた議論があるところで、必ずしもすべてが義務的だとまでは思いませんけれども、これまででも捜査側で録音テープを任意性の立証のために使ったというような例はあったわけですので、そういうものの活用というのは考えられるのではないかと思うのです。それによって、裁判員も入った裁判員制度で、裁判員にとっても分かりやすい立証方法というのを考えていただく必要があるんではないかと思います。
 今回の機会は、やはり今の司法制度を考えるにはいい機会だと思いますけれども、何せ時間的には押されているようですので、ここでそこまでできるのかどうかは疑問もありますけれども、少なくとも裁判員制度が実施されるまでにはまだまだ時間があるわけですので、その間にも検討を続けていただければと思います。ですから、今、本田委員が言われたように、検討を続けていただけるということでお願いしたいと思います。

○髙井委員 検察官が100%の立証責任を負っているわけですから、検察官がいろいろ検討されるのは当然だと思うんです。その結果、立証に失敗したら無罪というか、その証拠能力がどんどん否定される、あるいはどんどん裁判所が証拠を排除すればいいことだと思うんです。その結果、無罪が続出するようになれば、検察官は検察官で、別途いろんな立証方法を検討する責務もあるし、権限もあるわけですから、今までのような立証方法では分かりにくいから、もっと分かりやすくしろというのは分かるんですが、基本は、もしそれでだめだったら無罪にすればいいことで足りるんではないかと私は思っているわけです。
 もう一つ、取調べをビデオで録音録画するという問題は、裁判員に分かりやすい立証をするためにはどうすればいいかという切り口で論ずるべき問題ではないと思っているわけです。そんなに小さな問題ではないと思っているわけです。いいか悪いかは別にして、今の捜査構造は、大きな柱は取調べなわけです。その取調べを録音録画するということは、取調べの在り方を抜本的に変えていくわけですから、それは捜査構造に非常に大きな影響を与えていくわけです。ですから、取調べの録音録画を論ずるんであれば、真正面から今の捜査構造はこれでいいのかと、21世紀の日本の捜査は、こういう構造でいいのかということを真正面から論ずる過程で、取調べの録音録画ということを深く論ずるべきなんであって、この裁判員裁判の中で、特に裁判員に分かりやすくするために録音録画をするのはどうかというような問題提起の仕方というのは、問題提起の仕方として間違っている。ただ、私は取調べの在り方をもう一度考え直して、場合によっては録音録画するというような、そういう検討すること自体に反対しているわけではないんです。むしろ、先ほど申し上げたように、真正面から21世紀における捜査手法というものを考えて、その中における取調べの位置づけをもう一度考えて、その上で録音録画することが妥当かどうかということを考えるという大きな議論をするべきだと、するべき時期に来ているということを申し上げたいということです。

○井上座長 その点については、司法制度改革審議会で被疑者の取調べの問題について議論をした結果、ともかく書面による記録化ということは最低限行うべきであり、それから先のことは、今後更に検討すべきであるというまとめになったわけです。おっしゃるように極めて大きな問題であり、単に、任意性・信用性の評価をどのようにすればよいかという局面だけの問題ではないので、おっしゃるような面を含め全体として議論をするのでなければならない。そういう規模の大きな問題ですので、今、この段階で、それを正面から議論することは難しいと思います。

○髙井委員 ここで正面から議論しようと言っているわけではないんです。

○井上座長 そういう問題であるという御指摘ですね。分かりました。
 ほかの方は、では、土屋委員からどうぞ。

○土屋委員 私も簡単です。今の点、髙井委員がおっしゃることはもっともです。ここでどうこうということではないんですが、要望です。
 最高検察庁が7月にまとめられた提言を拝見しまして、非常に意欲的な内容だと思うんです。公判が随分変わるなというふうに私は印象を持ちました。引き続き、今、お話に出ましたような記録化の話をもっと検討していただいて、直接的には裁判員裁判には関係ない部分だという髙井委員の指摘はもっともなんですが、事実上関連してくる面もあることも事実なので、その点を是非引き続きお願いしたいと思います。

○平良木委員 これも本当に言わずもがなのことですけれども、今まで長期の事件があって、任意性、信用性、あるいは特信状況の立証が審理の半分以上を占めるというのはやはりちょっとおかしな事態で、ここのところを何とかしないと、やはり裁判員制度はもたないんではないかということではないかと思うんですが、そういったときに、例えば今まで私の経験した例でも、捜査官が、任意性とか、信用性とか、特信状況を担保するために、自ら録音テープを使ったということはあるので、そういう意味で言うと、そこら辺を運用するような配慮もするというような方に、捜査官はある意味で意識改革が必要だろうという気がするんですが、そこら辺は先ほど検討から除く趣旨ではないと言われたので、含めて検討してくださると思うんですけれども、そのことをちょっと要望しておきます。

○樋口委員 この録音録画の話は、そもそも裁判員が理解しやすい、分かりやすい立証をするといった観点からとらえていいのかということなんですけれども、もう既に髙井委員がおっしゃったところと共通しているんですが、刑事手続全体における被疑者の取調べの機能、役割の観点に照らしてやはり判断すべきだという考えです。
 申し上げたいのは、今、平良木委員もおっしゃいましたけれども、過去に録音を取った事例はあるんです。ただ、最近の傾向、実態を調べてみますとほとんどないですね。弊害が認識されるようになって実施されなくなってきています。これまで、録音を取った事例というのは、まず、個別具体の判断でありまして、事案の性質、証拠関係等の個別の事情に照らして、立証上特に必要があって、取調べ状況の録音による弊害が少ないと認められるときに録音を取った事例があるということなんです。ということからすると、まず、本当に立証上必要性があるかどうかという、その観点から判断するのであって、全体構造が変わらない中で、裁判員に分かりやすい立証に資する、その目的のためにこの録音を推奨するとか、制度化するといった議論にはならないんではないかなと思うんです。それから、ちょっと反するようなんですが、第一線に対して、そういう方向でという指導はできないんではないかなと思います。

○大出委員 私も一言だけと思ったんですが、つまり非常に重要な問題で、前向きの議論といいますか、前進的な議論があったと思いますので、是非御検討いただきたいというふうに思うんですが、今、樋口委員の方から出たお話との関係でいったときに、さっき髙井委員の言い方もそうですけれども、裁判員裁判において争いが生じたときに、裁判員にも判断ができるような立証が必要であるということは、間違いないことなわけでして、確かに取調べ全体についての見直しというようなことが必要であると、そのこと自体は否定はしませんけれども、だからといって問題提起の仕方が間違っているというのは、少し間違っているんではないかと私は思うので、そこのところは、立証に必要な、つまり実際に最終的な取調べの結果というのは、法廷に顕出して最終的な意味を持つわけですから、その顕出に当たって、判断者が判断できないような顕出の仕方をするというのは、それ自体本末転倒な話だと思うんです。ですから、そこを前提にしてどうあるべきかを考えるべきだというふうに私は思うわけでして、それも一つの重要な考慮要素であるべきだというふうに思うわけです。
 もう一つは、私もちょっと録音のことについて調べたことがあって書いたこともありますけれども、かなり早い段階、昭和20年代から検察では明確にそういう主張もされていましたし、オープンリールの時代から録音をおやりになっていたという経緯もあるわけですね。ただ、それが立証に当たって表に出てくるということに必ずしもなっていなかったということだと思いますけれども、樋口委員の方から、最近になって必ずしもやっておられないということで、弊害というようなことをおっしゃっているんですが、何が弊害だということなのか、もし差し支えなければお伺いしたいと思います。

○樋口委員 一つは、要するに立証に必要と、一般的に必要性があるんではないかといったような御趣旨のことだったと思うんですけれども、必要性がある場合もあると思うんですが、それはあくまでも個別具体のケースごとの判断であって、一般的に裁判員に分かりやすい立証をするためにということではないだろうということです。
 それから、弊害はいろんな形態のものがあるんですが、やはりカメラを意識して、どうも挙借、動作が不自然になるとか、場合によっては、まさにそういうケースが問題なんですが、意図を込めて本来の供述と違った物言いをするといったケースがあって、うまく取れないというんですね。

○大出委員 済みません、それはカメラの件ですね、録音テープの話は。

○樋口委員 録音でもです。

○大出委員 録音もですか。

○樋口委員 録音、録画、両方ともです。

○井上座長 ちょっと御注意申し上げたいのですけれども、取調べの問題との関係そのものについては、先ほどのような整理であるということを念頭に置いていただきたいと思います。

○四宮委員 私は、今の整理は十分認識しておりますので、樋口委員のおっしゃった立証の必要というのは、まさに今ここで議論をしているのは、裁判員に対する立証の必要ということで議論しているんだろうということが一つです。カメラについては、この間皆さんで旭川家裁に行ったときに、科学調査室というところを見学して、意識しないような優れた映像記録システムがあったということをもう一度思い出していただけたらと思います。

○井上座長 混ぜっ返すようですけれども、そうしますと、本人には告げないで、こっそり録っていいということですか。

○四宮委員 仕組みの話だけです。システムの話だけです。

○井上座長 その点は、髙井委員は、立証に必要だと思うのならやるだろう、だめならはねればいいんだと、こういう大胆な御発言だと思うのですけれども。

○清原委員 違う観点から。この証拠調べに関しては、争点に集中し、厳選された証拠であるとか、計画的な証拠調べとか、立証対象事実が明確に分かりやすくとか、争点との関連性が明らかになるようにとか、いずれも、集中的な審理と、そして争点を明確に裁判官、裁判員が判断できるような、そういうことが列挙されています。その中で、今までのいわゆる供述調書であるとか、そういったものはどうしても、丁寧にするために大部になっているとか、あるいはフォーマットが警察、検察の方によって必ずしも統一されていなくて、警察署、あるいはそれぞれの地方検察庁によって、あるいは検察官によってと言った方がいいのかもしれませんが、統一されていないというようなことも伺いました。私は、ここの部分で、将来的に検討がビデオとか、録音とか、そういうことにいくかもしれませんけれども、それはそれとして、ここに書かれていることを実現していくためには、やはり、より簡潔性とか、そうしたものでも信用を得ることができるという文化的な意識転換が裁判所の中になければいけないと思うんです。文書がこんなにたくさん検察官の席にも弁護人の席にも置かれている風景というのになじんでいらっしゃる方が、薄くても簡潔でも、あるいは場合によったらパワーポイントの数ページで裁判員が判断できるようなことでも納得できるという、そういう意識変革が私はむしろ必要なのではないかと思うんです。ですから、悪しき文書主義ではなくて、文字が少なくても、検察官、弁護人の弁論なり陳述が信用できるのだということに全体としてなっていただければと、私はプロではなくて素人なので、やはりそうしたことこそ、たたき台の証拠調べの部分に列挙されていることを保障することになると思うんです。そうじゃないと、やはり物量的なもの、あるいはビデオでも、録音でも同じように長いところを見せられるというんだったら疲弊感が漂うし、一体どこが大事かということになりますし、この一言、この証拠が何よりも立証できるのだというところを今まで以上に思い切って示していくということが大事だと思うんです。それが一点。
 もう一点だけ、12ページの一番下の

○なんですけれども、「 第1回公判期日前の裁判官による証人尋問の活用を拡充すること」と書かれています。これも今までのところと違って、活用ということで、しかも裁判官のとありますから、この辺もある程度、更に方針を固めておいていただければなと思うところです。
 以上です。

○井上座長 第1の点につきましては、このたたき台でも、「証拠調べは、裁判員が理解しやすいよう、争点に集中し、厳選された証拠によって行われなければならない」「証拠書類は、立証対象事実が明確に分かりやすく記載されたものとすること」等々、関連するような事項が掲げられておりますし、先日、最高検の方でお示しになったところも、これから検察官は公判立会をして立証していかなければならないものですから、その点について真剣に取り組むという方針が示されていたと思います。そして、同様のことは、多かれ少なかれ、弁護人についても同じようなことが言えると思うのです。無論、事件の内容等によってもかなり違ってくるかとは思うのですけれども、おっしゃったことは、多分誰も異論がないところだろうと思います。
 第2の点につきましては、この次に御議論いただこうと思ったのですけれども、以上の点については、幾人かの方から御要望があり、最高検の方でもその可能性は排除せずに検討されるということですし、その際には、本田委員や樋口委員がおっしゃったようなところも当然念頭に置かれるだろうというふうに思われますので、そういうことで、この段階ではよろしいでしょうか。
 今、清原委員から出してくださった、第1回公判期日前の裁判官による証人尋問の活用ということですが、この点については、現行の刑事訴訟法の227条という規定は要件が厳し過ぎて活用が妨げられているので、それを緩和すべきではないかという御意見があったというふうに記憶します。そういう方向で改めていくのがいいのかどうかということと、もしそうするとするならば、具体的にはどういう要件にすればよいのかについて、今の段階でアイデアがおありならば、お伺いしておきたいと思います。

○酒巻委員 現行刑事訴訟法の条文の話ですので一言だけ意見を述べます。まず、前提として法227条をもう少し活用できるようにすべきである、その点について賛成です。裁判官の面前における証人尋問という証拠の確保方法は、将来の公判における利用という観点から、これが活用されることは望ましいと思います。
 では、何故今この条文が活用されていないか、いろんな意見があるようですが、座長が御指摘のとおり使うための前提条件がやや厳しいのであろうと思われますので、どこかを緩めるということになろうと思います。そのためには、どの要件のせいで使われていないのかということを、まず調べないといけない。検察官がなぜこれを使おうとしないのかということにかかわりますが、恐らく「圧迫を受け」という部分をはっきり示すのが難しいのかなと想像しています。それから、「不可欠」という表現が文言的に絞りが効き過ぎて使い勝手が悪いのではないか。他方で、現状においては、重要な参考人の供述については、検察官の取調べによりいわゆる検察官面前調書が作成され、それを公判で用いる途もあるから、わざわざ227条を使うまでもないということもあるかもしれません。検察官は、わざわざ裁判官に証人尋問をお願いするまでもないと思っておられるのかもしれない。あるいは、裁判官にお願いする場合には、何らかやりにくいところがあるのかもしれない。いろいろと考えられるところです。まずは、あまり利用されていない理由をはっきりさせた上で、「圧迫を受け」という要件部分を削る、また「不可欠」というところを少し緩やかにしたら使いやすくなるんではないかなと、学者が頭の中だけで考えるところですが、実務的な観点からの御意見が伺えればと思います。

○井上座長 本田委員、どうですか。

○本田委員 確かに余り利用しなかったというのは、やはり、検察官面前調書、2号書面も使えるじゃないかというのが意識の上でかなり大きかったと思います。ただ、こういった新しい制度になったときに、やはり227条の証人尋問の活用というのは積極的に考えていくべきだろうと、提言にも書いてあるわけですけれども、そう思います。
 ただ、この判断自体は、個々の事案ごとに行いますので、一般的な基準を示すのはなかなか難しいと思いますけれども、姿勢としては積極的にやっていこうということであり、そのために若干要件が厳しいなというところがあって、先ほど酒巻委員から御指摘がありましたけれども、圧迫を受けるというような要件というのは、やはり不要なんだと、こういうのは削った方が使いやすいということはあると思います。
 もう一つ大事なことは、この制度を積極的に活用するためには、第1回公判期日前の証人尋問が必要な場合に、これは時間的に急がなければいけない場合がいろいろありますので、裁判所の態勢の整備というのも当然問題になってくるだろうと思いますので、これは協力をお願いしなければいけないのかなと思っています。

○池田委員 今の裁判所の態勢は、こういう事務は日々起こる令状事務と同じように、直ちに担当できる裁判官を割り当てておいて担当させておりますので、そういう面では問題ないかと思います。やはり、私自身も、この227条の書面がかなり重要な証拠になったという事件を経験したことがありますので、その事件は検面調書もありましたけれども、やはり227条の書面がかなり大きな証拠になったということがありますので、活用をするのは当然だと思います。圧迫の件については、確かに除いた方が利用しやすいのではないかと思いますが、不可欠性、つまり、「その者の供述が犯罪の証明に欠くことができないと認められる」という点については、今の解釈でも、検察官が必要だと言ったときに、いや、ほかにもっと証拠があるからもういいだろうというようなことを言うとは思えませんし、これはほかのところでもたしか使われている言葉だと思いますので、これはこのままでもいいのかなという気がしています。

○井上座長 分かりました。ほかに御意見は。どうぞ。

○四宮委員 要件というか、227条を適用する場合なんですけれども、これは、公判廷で異なる供述をするおそれがある場合です。公判廷において供述することができないおそれがあるというような場合も入れたらどうかと思うんです。つまり、よくあるのは外国人の事件で、証人とか、あるいは共犯者等が被告人の審判の前に国外退去になってしまうというケースが結構ありまして、そういった場合などにも227条が使えるようにしてほしいと思います。

○井上座長 供述不能が見込まれるという場合ですか。供述不能の場合は、検面調書についても特信性は問題にならないので、採否の判断は困難ではないはずですが、それでも、公判前の証人尋問を可能とすることが必要だということでしょうか。

○四宮委員 そうですね、あった方がいいと思います。

○井上座長 使えるようにした方がよいということで、必ず使わなければならないというわけではないということでしょうか。

○四宮委員 そういう意味です。

○井上座長 分かりました。どうぞ。

○髙井委員 要件の問題ですが、公判廷で異なる供述をするおそれがあるという要件は絶対必要でしょうか。ここをもう少し緩められるんだったら緩めていただいた方が使いやすいと思います。

○井上座長 その点はいかがですか。緩めたらより使いやすくなることは間違いないと思いますけれども。

○本田委員 その必要性があるかどうかという問題だろうと思うんですけれども、やはり問題は、捜査段階の供述と公判供述とが違った場合にどうするんだという話ですから。

○髙井委員 例えば、弁護人の立場から言うと、検面調書だけでなければ同意しちゃうということがあるわけですね。例えば、被害者の立場から、強姦事件の被害者だとか、性的犯罪の被害者であれば、検面調書だけだったら法廷へ行って証言しなければいけないということになるけれども、裁判官面前調書があれば、同意になって法廷に行かなくて済むと、二次被害を受けなくて済むということもあるわけですね。ですから、必ずしも法廷で違うことを言うおそれがあるから、この書面があるといいと、もちろんそういう場合もあるけれども、それだけではないと思うんです。ですから、より審理をスムーズにする、あるいは被害者によけいな負担をかけないという観点からいうと、今のような観点からも使えるというような仕組みの方がいいと思います。

○井上座長 そうすると、ほとんど要件は要らないということにならないですか。

○髙井委員 そういってしまうと裁判官の負担が大変なことになりますから。

○井上座長 検察官が必要と思うときに請求すれば、原則としてやってもらえるようにしようということでしょうか。

○髙井委員 それに近い形がいいなと思っています。

○酒巻委員 一言だけ、やはりあくまでそうは言っても書面ですから、伝聞証拠であるわけで、髙井委員の挙げた例については、さまざまな公判における供述をしやすくするような仕組みもあるわけで、やはりそこまで要件をなくしてしまうと、書面の性質上……

○井上座長 それは違うのではないですか。321条1項1号、それから326条の同意という道もあって、そっちに持っていくための前提をつくるという意味で緩くしてもよいというのが髙井委員の御意見であったと思いますので、必ずしも伝聞証拠云々ということに直結するわけではないというように思うのですけれども。

○酒巻委員 なるほど、それは、そのとおりであります。

○井上座長 どうぞ池田委員。

○池田委員 それは、何か予審制度をもう一度やれというような感じにどうも聞こえてきてしまうんですけれども、そうなると今度は、そこまで広くする場合には弁護人の立会いの問題が必ず起こってくるだろうと思います。

○井上座長 この点については、大きな方向ではそれほど御異論はないように思いますので、法制上の問題も含めて今後さらに詰めていっていただくということでよろしいのではないかと思います。
 ほかに、証拠調べ手続等に関して御意見がおありでなければ、この項目はこれでおしまいにしたいと思いますが、よろしいですか。では、ここでちょっとお昼休みとさせていただきます。午後1時半に再開ということにさせていただきたいと思います。

(休 憩)

○井上座長 おそろいのようですので、再開させていただきます。
 (7)まで終わりましたので、「(8)判決書等」からです。これまでの議論でも、いろいろな御意見が述べられたところですが、一つのポイントは、判決書に裁判員が署名すべきと考えるかどうかということだといえます。仮に、署名が必要でないと考えるとすると、たたき台のC案でよいということになるだろうと思いますし、署名が必要であるということを出発点にする場合には、更に、裁判員の身分がいつ終了するか等の要素を加えて検討することが必要になるのではないか。そのように整理してみたのですけれども、御意見をお伺いできればと思います。

○酒巻委員 前と同じ意見です。判決書の署名は裁判官だけでよい。裁判員の方は、その前の判決宣告の際に一緒に立ち会い、一緒に言い渡し、判決書になるであろう中身が朗読されるわけですので、それで十分裁判するという職責を果たされたといえると思います。C案です。

○井上座長 という御意見ですが、どうぞ。

○髙井委員 C案というのも実務的には非常に分かりやすいなとは思うんですが、一方で、極端な場合、死刑判決もあるわけですね。人の人生を左右する判断をした人が署名しなくていいのかという気持ちもするんですね。ですから、本来の裁判の在り方というか、裁判の本質というようなものを考えたら、裁判員にも署名してもらうという制度の方がいいのではないかというふうに思います。その場合は、A案かB案ということになるわけですが、身分はなくなったと、あと署名だけしにいらっしゃいというのもおかしなものだと思いますから、A案がいいのではないかと思います。

○井上座長 宣告の後、判決書がつくられるまでにかなりの間隔がある場合にも、裁判員にもう一度来てもらうのはやむを得ないということでしょうか。

○髙井委員 やむを得ないと思います。

○池田委員 今の髙井委員の意見を聞いても、やはりC案でいいのではないかと思います。裁判員も言渡しには立ち会うわけですし、そこで主文と、理由の要旨的なものは、自分らで評議をしたものを言い渡すというのに立ち会うわけですから、それで十分なのではないかと思います。ですから、裁判員の負担等を考えるとC案でいいのではないかと思います。

○井上座長 という御意見ですが、どうぞ。

○四宮委員 私もC案です。確かに裁判員が責任を持って権限を行使するということは重要なことですけれども、それは、評議、評決、それから言渡しというところで十二分に果たしてもらえるところだと思います。もう一つは、判決書の作成に時間が掛かる場合には、もう一度来てもらうということも負担であろうと思いますので、私はC案でいいと思います。

○井上座長 分かりました。ほかの方はいかがですか、どうぞ。

○本田委員 私も結論としては、C案でいいと思います。確かに責任をきちんと果たすという意味で署名しろというのは、それなりに理由があると思うんですけれども、基本的には裁判に立ち会って評議をきちんとやって、その上で判決書は評議に従って裁判官が作成するとなっているわけですから、判決言渡しのときにちゃんとそれが告げられれば、その関係での担保はできると思います。一方で、裁判員の負担というのを考えると、C案辺りが妥当な線だろうというふうに思います。

○髙井委員 裁判官と裁判員が対等に議論できるかということがかねてから問題にされているわけですね。そういう中で、署名をする人と署名をしない人がいるということで、それで果たしてきちんとした対等の議論ができるのか、そのときにどうせ自分は署名しないんだ、署名するのは、この裁判官たちなんだからというふうな考え方は出てこないのかということも心配します。例えば、私の経験からいうと、検察官と裁判員は違いますけれども、起訴状に署名する立場の人と、そうではない人が一緒に議論するときには、最終的には起訴状に署名するのは彼だからというような感じになるわけですけれども、そういうような心理状態に果たしてならないだろうかということを、私は実質的な理由として懸念するわけです。

○井上座長 宣告に立ち会うというだけでは、それは担保されないということでしょうか。

○髙井委員 されないと思います。私は、やはり署名するのと、宣告に立ち会うというのとは本質的に違うと思います。それから、その場合の不都合は何かといったら、もう一回来てもらうというだけのことなわけですね。だけのことというと、そうではないぞという御意見があるかもしれないけれども、もう一回署名しに来てもらうだけの、その負担を軽くするために署名してもらう必要がないとすると、余りにも失うものが大きくないかと、その辺のバランスが取れていないんではないかというふうに思うんです。やはり、裁判というのはもう少し重みのあるもので、判決宣告のときにそこにいればいいというものではないんではないかと思います。

○井上座長 それぞれのバランス感覚によるのかもしれませんが、どうぞ。

○清原委員 実務が分からないのであれなんですが、こういう判決を宣告してから、判決書というのが書き上がるまで、どのくらい時間が掛かるというのは、やはりケース・バイ・ケースで言えないんですか。

○池田委員 ケース・バイ・ケースです。それから人にもよるというのもあるんですが。

○清原委員 大体どのぐらいですか、平均値はお取りになっていますか。

○池田委員 平均値は取ったものはありませんけれども、ほとんどの事件は、今は当日か翌日ぐらいにはできています。ただ、本当に大きな事件で、判決書が千ページとか、そういうのもあるわけですけれども、そのような場合には3か月なり掛かるという例もあるわけです。

○清原委員 済みません。私は、裁判が迅速化されると、そして裁判員制度も生かされるということで考えますと、もし、そんなに判決書に時間が掛からないとするならば、私は署名をすることには、そんなに大きな負担感はないだろうと思うんです。
 私は、もう一つ論点がありまして、署名押印とあるんですけれども、押印という印を押すということは、引き続き続くのかどうかということも問題提起をしたいと思っておりまして、私の経験では、この職に就く前に、普通の市民として、その当時の市長と契約書を、パートナーシップ協定を交すときに、この辺を市民と喧々諤々議論しまして、相手の市長には公印というものがあるかもしれない、それで公選で選ばれたんだと、でも私たちは普通の市民だから官ではないので、もうサインで十分であるということで、そのときには先方の市長も公印を押さずに名前だけでサインをして契約をしたという経験があるんですが、私は署名だけでまずは十分ではないかと思うのです。
 もう一つは、せっかく裁判員として参加させていただいたのであるならば、実務的な時間コスト、あるいは負担感ということの観点であるならば、C案も成り立つのかもしれないんですが、私は、裁判員の意識からしたら、名前は書かせていただいた方が、その裁判全体の裁判体の一員としての帰属意識、責任感を、署名一つですが、やはり果たし終えることができる、達成感というんでしょうかね、そういうものがあるのではないかなと思いますので、A案かB案がいいかなと思います。
 ただ、責任の終了、任務の終了時ということでは、判決時、宣告時に終了して開放されたいか、あるいは署名まで待つかということについては、直ちには結論が出ていないんですが、そんなような思いがします。長くても3か月くらい先であるならば、署名させていただいてもいいんではないかなと思ったりします。

○井上座長 地方によって大分違いがあって、裁判所の所在地まで行くこと自体相当の時間がかかるという所もあることを、最近の公的弁護制度検討会の地方実情調査で皆さんが体感したものですから、そういうことも念頭にあるのかなとも思うのですね。東京などの場合には、そういう意味では余り問題がないのかもしれませんけれども。

○酒巻委員 署名が必要だという御意見の方は、やはり署名をするということになると、その前提として、判決書自体を、署名される方に精読していただくということをも含んでいるわけですか。

○髙井委員 基本的にはそうですね。

○酒巻委員 文書に署名するというのは、そういうことになるのが筋なんでしょうね。

○井上座長 ほかの方はいかがですか、どうぞ。

○平良木委員 私はC案でいいと思っています。やはり合議をして判決の宣告によって終わったんだという感覚になるのが一般だろうと思います。しかも、判決宣告というのは、判決書に大体近いものでやるのが普通なので、特に大きな事件になればなるほど、それはしっかりしたもので言い渡すので、そこで確認していれば、もう十分ではないかという気もします。

○土屋委員 私は、前に言っていたとおりのC案です。評議はまとまったら直ちに判決をその場で言い渡すと、できるだけそういうやり方をしていただきたいと思います。判決書は後でいいんではないかと思います。

○井上座長 前におっしゃったのは、また出て来てもらうのは負担をかけ過ぎになるという理由だったと思いますけれども、よろしいですか。

○大出委員 前回の記憶が定かではないというところがあるんですが、C案だったと思うんです。ですから、髙井委員の御意見も伺っていて、ちょっと考えてはいたんですが、やはりC案でいいんだろうというふうに私も思います。

○井上座長 樋口委員は、よろしいですか。

○樋口委員 はい、結構でございます。

○井上座長 分かりました。この点は、このくらいでよろしいですか。
 それでは、次が「5 控訴審」という項目です。この点は、これまでの議論でも、裁判員が参加した第一審の事実認定や量刑を控訴審も尊重すべきであるということで、実質においてはそれほど御異論がなかったのではないかと思います。ただ、問題は、第一審の判断が尊重されるようにするために、何らかの制度上の手当てが必要なのかどうかということと、制度上の手当てが必要であるとして、その内容はどういうものであるべきなのかということであったと思います。特に制度上の手当ては必要ではないという御意見もあったかと思いますが、この点につきまして、御意見をいただければと思います。
 いかがでしょうか、どうぞ。

○髙井委員 私は、前回E案を申し上げました。たたき台にはE案が書いていませんけれども、要するに、高裁においては、簡単な量刑不当、多少の変更なら自判できるけれども、それ以外はできないというのがいいのではないかというふうに思います。

○井上座長 簡単な量刑不当、刑の量についてなら自判でよいけれども、刑種を変更したりする場合は著しい変更となり、事実誤認の場合とともに、差し戻すべきだということでしたでしょうか。

○髙井委員 はい。

○井上座長 それがE案ということですね。

○髙井委員 私は、それを強く支持しておりますから。

○井上座長 分かりました。どうぞ。

○本田委員 私は、E案に対してA案です。理由は、第2ラウンドで申し上げたとおりなんですけれども、一つは、事後審であるという控訴審の構造です。それから、第1ラウンドで言ったとおりなんですけれども、一審の裁判員が入った裁判に対する尊重というのは、当然そこで行われるだろうということ等からしてA案でいいだろうということです。D案の覆審なんていうのは、当然採り得ないわけで、ほかに例えば自判を制限するというのがあるんですけれども、当然、一審で調べられた証拠に基づいて、控訴審で自判できるような状況にあるのに、わざわざ制限する合理的な理由はないじゃないかということです。それでA案ということです。

○平良木委員 私も前回どおり、形としてはA案で、後は運用を若干考慮するということで、そこのところはここでは直接関係ありませんので、あえて申し上げません。

○井上座長 尊重する運用にするという意味ですか。

○平良木委員 はい、そういうことです。

○酒巻委員 私は、前にC案を述べたと思います。可塑性がないものですから、今回もC案を主張したいと思います。考えを変えないということです。まず、控訴審は職業裁判官だけでおやりになるということを前提にし、しかも、現行控訴審の基本構造である事後審査制でやるということを前提にしたときに、やはり裁判員が入った裁判である第一審を尊重する、事実認定及び量刑についての判断を尊重するという皆さんの共通した考えを、更に制度としてもバックアップするためには、現在の事実誤認及び量刑不当に関する破棄事由を、条文の文言上も加重するのがよいということです。例えば、最高裁への上告理由ほど加重しないで、中間というと、モデルになるのは、例えば少年事件の抗告の要件が、「刑の著しい不当」とか「重大な事実誤認」という文言ですから、このような文言にならってやや加重するというC案がいいと思います。

○井上座長 という御意見ですが、ほかの方はいかがですか。

○四宮委員 私も前回と同じB´案です。一つは、まずA案についてですけれども、事実誤認について、職業裁判官だけで行う控訴審で自判を認めるのは、やはりおかしいと思います。今度の改革の趣旨は、第一審を充実・強化して、しかもそこに国民に入ってもらい、そこで、直接主義、口頭主義を実質化させた証拠調べを行って判断してもらうという建前です。そこで出た、特に事実判断について、控訴審で裁判官だけで、しかも原則として記録に基づいて、異なった事実の判断を行うということはおかしいと思います。ですから、事実問題については、必ず差戻しをするというようにすべきであると思います。量刑についても同じような問題だという見方もできるかもしれませんが、これはある程度幅のある問題ですので、量刑不当については、控訴審で自判を認めてもいいのではないかと思います。ただ、さっきから話題になっている、例えば刑種を変えるとかいうような場合には、差し戻すという運用が多くなるだろうと思いますけれども、その意味では結果的には髙井委員のE案とほぼ同じようになるのかもしれませんけれども、仕組みとしてはB´案という仕組みにすべきではないかと思います。

○井上座長 分かりました。どうぞ。

○池田委員 私は前回にも話したんですが、A案を前提として、あとは運用で行えばいいのではないかというふうに思います。裁判員が入っての裁判になるわけですから、控訴審もこれまでとは控訴に対する考え方が違ってくると思いますし、第一審を尊重しようというのは当然考えると思いますけれども、控訴事由として、裁判員事件だけ違うようにするというのは、非常に難しいのではないか、ほかの事件との関連を考えると、そこは運用に任せざるを得ないんではないかと思います。特に、事実誤認、量刑不当というのも、非常に法的評価に近いものということがあり得るわけで、そういう場合でも、破棄、自判できないというのもどうかなと思います。結局は、運用に任せて、やはり一審で裁判員も入った裁判でやったものがおかしいと思っても、その範囲からそんなに外れていなければ自判もできるでしょうけれども、外れればもう一回差し戻すということになると思いますし、今よりは差戻しが多くなると思うんですけれども、その辺りは運用に任せればいいのではないかと思うので、A案でいいのではないかと思います。

○井上座長 現行法も、法律の建前上は、差戻しが原則であり、ただ、控訴審で審理をする際に取り調べた証拠で、すでに明らかだという場合は自判できるということになっているわけですね。現実の運用は、逆転したような形になっているようですが。

○池田委員 それは、50年前から大分変わってきているわけですね。

○井上座長 それを、法律の書き方としてはそのままにしておき、運用面で効率よくやるべきだという御意見でしょうか。

○池田委員 はい。

○井上座長 そうすると、B´案とかE案というのは、一定の場合は必ず差し戻せと明記する、そういう違いでしょうか。

○大出委員 前回申し上げたとおりだと思いますが、事実誤認について、やはり裁判員で裁判している以上、それを控訴審で破棄して自判するわけにはいかない、そこは差戻ししかあり得ないだろうというふうに思うわけでして、そこはやはり守られるべきところだろうと思います。ただ、量刑不当については、さっきも補足申し上げたと思いますが、そうは言ってもその判断内容等の関係から自判し得る場合というのはあり得るということになるだろうと思いますから、そこは幾らか緩和するというようなことがあっていいと思いますが、事実誤認というところだけは、やはり差し戻すということを原則守るべきだというふうに思いますけれども。

○井上座長 事実誤認の場合、必ず差し戻すべきだということですか。明々白々無実であるという場合であっても、差し戻さなければならないのでしょうか。

○大出委員 それは、どういう場合がそういうふうに言えるのかというのは、なかなか微妙ではないでしょうかね。

○井上座長 例えば、真犯人が出てきて……

○大出委員 だけど、真犯人が本当に真犯人かどうかというのが随分議論になることがあるわけですから。

○井上座長 その場合も含めて差し戻すということですね。

○大出委員 はい。

○井上座長 分かりました。そうすると、B´案ということですか。

○大出委員 ただ、さっきの髙井委員の案というのに近いのかもしれないけれども。

○井上座長 量刑については、原則として自判してよいけれども、特殊例外的な場合については差し戻すということですか。

○大出委員 そこは少し妙があるのかもしれないという感じはしますけれども。

○井上座長 分かりました。B´案というか、E案というか、その辺は近いのかもしれませんね。ほかの方はいかがですか、土屋委員どうですか。

○土屋委員 私は以前D案の覆審構造というのが、考え方としてはあり得るのではないかという意見を言いましたけれども、これは前回、こだわっていませんというふうに言いました。私は、今の段階では、B´案、事実認定について、国民が加わって下した判断を裁判官だけで覆していいのかなという疑問は、やはり素朴な感情としてあるのかなという気がしています。別に、裁判官と裁判員が対立するという考え方ではないんですけれども、違った形の裁判制度が行われるのならば、そこでの認定というものを極力生かした形の控訴審にした方がいいだろうというふうに思います。

○井上座長 柔軟性に富んでおられるから、お考えがちょっと変わったと……。

○土屋委員 ただ、もともとD案にこだわっていたわけではありません。可能性としてはあると。

○井上座長 自判を認めるかどうかというところで御意見が分かれているのですけれども、突き詰めますと、そもそも国民が参加して行った裁判を上訴審が破棄すること自体できるのかという問題に行き着くわけですね。そこのところは、皆さん、何らかの理屈でできるだろうというお考えだとは思うのですけれども。

○酒巻委員 突き詰めるわけではないんですけれども、皆さんは、事実認定については自判はだめで……

○井上座長 皆さんといいますか、何人かの方はですね。

○酒巻委員 済みません。しかし、量刑については自判してよいという御意見の方に伺いたいのは、裁判員は、例えば自白事件で、量刑についても大変重要な役割を果たし、見方によっては、裁判員の健全な社会常識は量刑の方に非常に大きく影響するのではないかということと、職業裁判官がこれは変だ、不当な量刑であると言って自判してよいということとの両者のつじつまがどう合うのかというのを教えていただければと思います。私はつじつまが合わないと思うのです。

○井上座長 どうですか。

○髙井委員 私は、E案ですから、原則は量刑の自判はだめなんですけれども、ただ、ほんの少しぐらい変えるんだったら、一審で示された国民の判断から余り外に出るわけではないから、それはいいでしょうということです。

○四宮委員 量刑の問題は、さっき池田委員のお話にもありましたけれども、法的な評価の面もあるだろうと思うんです。事実問題の判断と比べればということなんですけれども、そういうことです。

○井上座長 私がそういう意見であるかどうかはひとまず置いて、一つの説明としては、量刑の当否については一定の幅ないし枠があって、量刑不当の審査というのはその枠からはみ出ているかどうかという判断であり、その枠の中、つまり裁量の範囲内であれば破棄できないという考え方を取るならば、枠の中か外かは言わば他の事件との横並びの判断になりますので、そういうことなら職業裁判官のみでできるし、するのがふさわしい。しかし、事実誤認の方は黒か白かの話ですので、それはできない。そういう説明はあり得るのかなというふうには思いますけれども。

○酒巻委員 あり得ますかね。もう反論はいたしません。ありがとうございました。

○本田委員 事実誤認と量刑不当について違った取扱いをするということなんですけれども、むしろ被告人にとってみれば、もし有罪であれば、量刑こそが最大の関心事であり、1年になるか、2年になるのか、ひょっとすれば5年になるのか、10年になるのかと、これはえらい違いなんです。そこで、事実誤認と量刑に差を設ける考えというのは、なかなか納得できないところがあるということです。

○井上座長 被告人との関係ではですね。

○本田委員 被告人にとってみれば、まさにそこが一番問題でしょうということです。あとは、この制度そのものが、審議会の意見では、上訴を許すということで、第一審の裁判員が入った事件だって間違いはあるということを前提にしているわけですね。その上で控訴審というのは事後審査審、新たな証拠調べを原則行わないところで、その当否を判断するわけですから、そこは従来どおりやることによって、裁判員制度を導入した制度と不整合な面が出てくるとはちょっと思えないというのでA案がいいのではないかと思うんですけれども。

○井上座長 意見書のその部分については、私も責任があるのですが、問題提起をしたのです。つまり、そこのところをどう組むかによって、整合しないことになり得るので、整合するような形になるよう検討していく必要があるということになっています。ですから、当然整合するということではないということなのです。ほかの方はいかがですか。

○四宮委員 A案についての質問は、国民が入って決まった事実上の判断を、多分3人が原則だと思いますが、3人の裁判官が破棄した上で異なった判断までできるのか、という点ではないのでしょうか。

○井上座長 そこは恐らく、原判決を破棄するかどうかと自判することが異質の判断かどうかに係ってくるように思います。同質だとしますと、酒巻委員の案を別にすれば、四宮委員の案であれだれの案であれ、そもそも何故、職業裁判官のみの裁判体で破棄できるのかについて説明が必要になる。そして、そこのところが突破できるなら、自判も同質の判断だととらえる以上、それも同じ裁判体でできるということになるはずだと思うのです。これに対して、両者は異質の判断だとしますと、ステップが分かれてくることになるのではないかと思います。論理的にはそう整理できるように思うのですけれども、そこはいかがですか。

○池田委員 そうだと思いますね。ですから、裁判官だけで破棄できるか、できないかという、そして破棄は今の審級制度を維持する以上は、拘束力を持たせないと意味がないわけですね。そうなると、それができるんだったらそれまでの過程で見えるような明らかなものについては自判してもいいじゃないかということではないでしょうか。

○井上座長 証拠調べとかが更に必要な場合は差し戻すべきだということでしょうか。

○池田委員 はい。

○井上座長 ほかの方、やや専門技術的な事柄なので、強要しませんけれども、もし御意見があれば、いかがですか。

○樋口委員 今おっしゃいましたけれども、よく分からないんですけれども、やはり異質な判断のようには私も思いませんので、現行法どおりでよろしいんではないかと思います。

○井上座長 どうぞ。

○大出委員 両様考え方はあり得ると思うんですが、破棄と自判が判断の質として異質かどうかといっても、そもそも前提としての判断が裁判員が入っての判断になっているわけですね。ですから、そこにもちろん証拠上の評価として明らかであるということは、それはあり得るというふうに思いますけれども、しかし、最終的な結論を出すというときに、一遍裁判員が入って行われた事実認定について、やはり裁判体として異なるところで最終的に判断を下すということは間違いないわけですね。疑問符を出すということと、最終結論を出すということには、やはり違いがあるというふうにも考えられるわけですから、疑問符は出したにしてみても、それと最終結論を出すこととが全く同質だということになるのかどうかというのは議論の余地があると思うんです。

○井上座長 疑問符を出すだけにとどまるのではなく、破棄するわけですよ。

○大出委員 もちろん、破棄するということ自体が疑問があるから破棄するわけですね。

○井上座長 破棄するということは、原判決の効力をなくすということですから。

○大出委員 ですけれども、もう一度判断のやり直しが別に行われるわけですね。ですから、それが最終結論ではないわけですけれども、破棄はするけれども、破棄しただけで最終的な判断になるわけではありませんから、破棄というのは、もう一度やり直すということですね。

○井上座長 やり直すのがいかがなのかということなのですが。

○大出委員 ですから、破棄するということと、やり直すということが、破棄をしてしまえばやり直すということと一緒で同質なんだからという御議論でしたね。

○井上座長 破棄できるとすれば、その判断が拘束力を持つわけでしょう。

○大出委員 ですから、前のものを一遍つぶすことができる以上は、同質の判断としてもう一度やり直しがきくんではないかと、こういう御議論ですね。

○井上座長 何で職業裁判官だけで破棄ができるのかという点で、できるのだということになると、根本的な疑問はそれで乗り越えられてしまっているはずではないかという御議論だと思うのですよ。

○大出委員 それは、やはり違って、つまり裁判員の入ったところへ戻すということが前提になっているから、そこを破棄できるんであって。

○井上座長 どうしてですか。

○大出委員 つまり、最終的な判断ではないですから、最終的な判断はもう一度裁判員が入った構成体によって判断をするという前提があるわけですから。

○井上座長 それは、答えになっていますかね。

○大出委員 なっているんではないかと思ったんですが。

○井上座長 しかし、再度の判断に対しても、もう一回控訴があり得るわけで、それも最終判断ということには必ずしもならないでしょう。

○大出委員 いや、控訴があったって、そこでもう一度、もちろん拘束力が効いていて、違った判断が行われて、更に控訴が行われる、そうであったとしても、そこでは最終的な結論が出せなければ、また戻るわけでしょう。

○井上座長 破棄判決に拘束力があっても、それ自体はなお最終的な判断ではない、最終的判断は裁判員が入ったところでやるのだから正当化できると、そういうことでしょうか。

○大出委員 はい。

○井上座長 大出委員のお考えがそうであることは、分かりました。ほかの方はいかがですか。どうぞ。

○平良木委員 今まで出たことの繰り返しになりますけれども、要するに裁判員制度の趣旨というのは、広く国民の意見を反映させるというところにあるので、一審でそれを反映させていると、そのことを前提に事実認定とか、量刑を事後的に審査するんだということになるので、そうだとすると、それは全く同質のものだというように見ることは可能だと思います。そのことを前提にすると、これは当然破棄できるし、自判もできるという現行法のとおりになってくるだろうということです。ただ、そうは言っても新しい仕組みをつくった以上、これは私は運用としてということを前から言っていますけれども、そこのところはある程度尊重した方がいいと、それで運用にゆだねろということですが、その場合に完全に差し戻さないといけないかというと、明白な誤りがあって、これはだれが見ても、これは戻してやるよりも手間がかからないというときには自判でやるというのも残しておくべきだと思うのです。そうすると、現行法の枠組みというのを前提にしておいて、後は運用に任せろということです。

○井上座長 「ある程度」というのはちょっと微妙ですけれども、一つの考え方としては、事後審であるということを徹底すると、その限りでは破棄ができる。それは、異質の判断だからなのですね。そして、事後審としての審査をするのに必要な限りで審理をし、その結果として、それだけで直ちに結論まで出せるという場合に自判するというのなら、それはそれで理屈がとおるだろうと思います。しかし、更に踏み込んで、改めて審理をやるということになると、話が違ってくるので、そういうときは原審に戻す。そこが違ってくるということなのでしょうか。

○本田委員 一つは、控訴審で調べた証拠だけでは、まだ結論が出ない、もう一回証拠調べをきちんと一審みたいに重視してやらなければいけないような事案というのは、当然第一審に返すことになると思うんです。これは、現行法でもそうだと思うんですけれども、ただこれ以上証拠も出てこないし、それで控訴審で取り調べて、それで判断できる場合に、わざわざ戻して、長期間審理する必要があるのかということと、それで何か不都合が起こるのかということになると、そんなに不都合が起こるとは思えないですね。一審に裁判員は確かに入っていますけれども、これは健全な社会常識を反映させることにある訳ですが、これが破棄事由になるわけがないわけです。何か誤りがあるから破棄するわけですから。

○井上座長 実質のところは、そう異ならないことを皆さん考えておられて、ただ、それを法文に明記して縛るのか、それとも、現行法でも基本的にそのような考え方になっているのだから、運用でそういう方向にもっていくのか、そこの違いなのかなという感じがします。一通り御意見を伺いましたが、ほかに更に付け加えることがあれば……。よろしいですか。
 それでは、次の「6 差戻し審」について、差し戻した場合に、差戻し審はどういう審理の仕方をするのか、差戻し審の構造とでもいうべき問題ですが、この点について御意見はいかがですか。

○酒巻委員 私は、差戻しがあった場合は、要するに一審ですから、裁判員を入れてやる、しかし、そのやり方は現行法どおりというA案です。つまり、全部最初からやり直すというのは、もう既に述べた理由で難しく、適当とは思われないので、現行法どおり、専門用語で言えば、「続審」でやるのがよいと思います。その前提としては、先ほどのお話に出た適切な公判手続の更新に当たる手続をした上で、更に必要な証拠調べを続けて判決をしていただくということになるだろうと思います。

○井上座長 分かりました。ほかの方はいかがですか。どうぞ。

○本田委員 私もA案です。覆審とした場合には、時間の経過による証人の記憶の減退によって、事実認定が難しくなるということが一つ。それから、証人の負担、その他の負担を考えると、やはりA案が適当であると思います。

○井上座長 ほかの方は、いかがですか。

○髙井委員 私もA案です。

○井上座長 分かりました。どうぞ。

○池田委員 A案です。それだけです。

○四宮委員 前回はB案を主張しましたが、B案になって覆審になった場合には、証人の負担ですとか、いつまで経っても終わらないのではないかという問題点も指摘されています。ただ、私がB案の趣旨に賛成していたのは、差戻し審にも新たな裁判員が加わるわけで、その裁判員にとって分かりやすい、つまり実質的に心証がとれる差戻し審というのはいかにあるべきかということを中心に考えていたからです。ですから、差戻し審についてもなるべく直接主義、口頭主義の精神が実質化するということが重要だと思っていたわけですけれども、仮にA案となった場合でも、今までのように公判調書が中心の更新手続を前提としたものでは恐らく機能しないだろうと思います。先ほど更新のところでも議論されましたように、例えば証人の尋問もビデオに記録しておいて、そして、差戻し審における新たな裁判員が実質的に心証がとれるような工夫をした上でということになるのだろうと思います。そういった運用がなされることを前提であればA案ということでもいいと思います。

○大出委員 私も、今の四宮委員の意見とほぼ同じだと思いますが、現行法どおりと言ったときに、運用までがそのままということになる印象を与えるようでは困るということであって、やはり、続審説、更新説という、形骸化と言っていいかどうか分かりませんが、実情というのはやはり問題になっている部分があるわけですから、是非そこは更新の在り方について議論したところが守られる、そうでないとやはり裁判員が心証をとるということが非常に難しくなってくるだろうと思いますので、その点を十分配慮した上で、そういう前提で現行法どおりというのであれば、私もそれでいいと思います。

○平良木委員 私はA案でいいと思うんですけれども、現行法の解釈だって続審でやるのか、覆審でやるのかという議論は恐らくあるはずで、実際にもかつてあったんですね。そこで、両方の手続でどの程度違うかというのを幾つか記録を見てみたんだけれども、現行法の下でやっているのは、ほとんど変わりがないんです。ただ、証拠の出し方や何かがちょっと違ってきますけれども、余り変わりがない。そこで問題は、今、例えば一審でもう一回裁判員制度の下でやらなければいけないということになると、やはり裁判員にどうやって心証をとってもらうかということが大事になってくる。そういう意味では、先ほどの議論を踏まえて、いわゆる更新でやるというのがいいと、その意味でA案というんだったら私はA案でいいと思います。

○井上座長 原則論でいくと、覆審と続審とでは証拠調べのやり方が違ってくるのですね。書面を使う場合にも、その根拠規定とかがおそらく違ってくる、しかし現象的には、似たようなものになる、そういう御趣旨ですね。

○平良木委員 そうです。

○井上座長 実質は、皆さん、ほとんど同じようなことをおっしゃっていて、B案と言われていた方も、先ほどのような条件ならばA案でもよいということですので、実質的には、ほぼ異論がなくなっているように思うのですけれども、あえてここで異論を唱えたいという方がおられましたら言っていただいても結構ですが、よろしいでしょうか。それでは、6については、この程度とさせていただきます。
 次が「7 罰則」ですが、これは(1)から(5)までの5つの項目に分かれています。既に一通り御意見を伺っておりますので、全体について特に御意見のある部分について、御自由に発言していただくということにしてはいかがかと思いますが、いかがでしょうか。どの点からでも結構ですが。

○大出委員 午前中に議論したことに絡むと思うのですが、(2)の秘密漏洩のところの最終的な罰則のところなんですが、もちろん、私はこの仕切りについては、基本的に異論を申し上げているということがあるからというところもありますけれども、懲役と罰金という選択でなければいけないのかどうかというのは、やはり再考の余地があるのではないかというふうに思うわけでして、不出頭について、過料とされていることとの比較からいっても、もちろんここはそのこと自体は重大な問題だとお考えの方からすれば、そこは厳罰をもってということにもなるのかもしれませんけれども、しかし、そこはいろいろと考え方もあり得るわけですし、その点については、もちろん、それぞれの裁判員の方に、もし守るべき秘密があるということであれば、そういうことで配慮されたいということを十分に申し上げることになるだろうと思いますし、不出頭の場合と同程度というところで収められればそれに越したことはないと思いますし、場合によってはなくてもいいような気もするんですが、もう少しここは緩和するべきだろうというふうに思っています。

○酒巻委員 罰則の点をおっしゃっていたので、その点についてだけ申しますと、これは範囲はともかくとして、評議の秘密及び他人の秘密にかかわることを漏洩する罪という、その保護法益から言いまして、むしろ、他の現存する秘密を保護する罪とのバランスを取るということが、刑事立法を行う際の一般的なものの考え方だろうと思います。具体的には言えませんが、この程度の刑罰であっても不当ではないと私は考えます。つまり、比べる対象が、単に出頭等の確保だけではなくて、秘密を保護するという点であり、それとの均衡をやはり考える必要はあるだろうということです。

○井上座長 ほかの方の御意見は、どうぞ。

○本田委員 私もやはり罰則としては、懲役刑、あるいは罰金刑がないとまずいんだろうと思います。公務員が秘密を漏らしてもやはり懲役刑があるわけで、ほかの秘密の漏洩でもちゃんと懲役刑があるわけです。先ほど、不出頭の場合と同じようにできないかという御意見があったんですが、不出頭と秘密漏洩では全く質が違います。不出頭というのは、その人が出てこなければ、それはもちろん過料ぐらいの制裁をかけなければいけないと思うんですけれども、その人が出てこなくても、ほかの人が出てきて選任できれば裁判体は構成できるわけです。秘密漏洩は、裁判員の職にあった人が、まさに他人のプライバシーを侵害したり、裁判員制度そのものの安定性を害するような行為をするわけですから、これは質的に違うわけで、これを同じレベルで考えるべきではないと思います。

○四宮委員 さっきの議論と関連していますけれども、今度は刑罰の問題です。私は、基本的にはこの問題は、個人の裁判員の意見表明の自由といいますか、そういったものと、公正な裁判の確保というものの衡量の問題だと思います。先ほど申し上げましたように、それは現職の裁判員及び補充裁判員と、務めが終わった者とでは、やはり違いが出てくるのではないかということです。さっきの義務ということと、ここでは当罰性ということが問題になるんだと思いますが、まず、現に裁判員又は補充裁判員として務めている者、これは私は構成要件としては、このたたき台でいいと思います。つまり、ここに書いてある「評議の経過」、「意見」、「多少の数」、「職務上知り得た秘密」、それから「事実の認定、刑の量定等に関する意見」、これは職務中は言ってはならないということです。ただ、職にあった者に関しては、この構成要件で言いますと、「評議の経過」、「意見」、「多少の数」、「知り得た秘密」、ここまではやはり公正な裁判ということの方が重くなって当罰性があるように思います。ただし、後段の「又は」以下ですが、「事実の認定、刑の量定等に関する意見」、これは言ってはならないという義務があることはいいのですが、当罰性まであるかということになると、私は消極的に解します。むしろ、そこはモラルというようなものでカバーすべきではないかと思うからです。現に私の少ない経験でも、アメリカの陪審員は、もちろん職務中は一切誰にも話してはなりませんが、職務が終われば一定の意見表明が認められております。しかし、多くのケースでは、裁判官がいろいろとアドバイスをすることもあるわけですけれども、一定のモラルが維持されていると認識をしております。最後に、刑事罰の種類なんですけれども、私も懲役刑は外した方がいいと思います。これは、同種の規定、検察審査会法とか、陪審法は罰金刑です。もっとも職務上知り得た秘密を漏らしたということについては、確かに調停委員とか、懲役刑があるとは思うんですが、継続的・職業的に仕事をする場合と、この裁判員の場合とでは違うのではないかと思います。ですから、刑罰の種類としては、罰金刑が相当であると考えます。

○井上座長 アメリカの陪審の場合は、そもそも守秘義務がないので、終わったら、しゃべってもよいのですよ。それで、著名な事件などでは、元陪審員が日記とか物語の形で本を出したりすることもあるわけです。だからそこは前提が大分違うのではないでしょうか。当事者も、評決の後から、陪審員であった人をつかまえて、どういう評議があったのかなどを聞くことがあるのではないですか。

○四宮委員 ただ、彼らが一定の限度をキープしてしゃべっているのは、やはり裁判官がアドモニッシュするからだろうと思うんです。そして、聞いてみて一番重要だなと思うのは、一緒に裁判をしてきて、そして評議をして評決に達したということでの、お互いのメンバーの信頼関係というようなものも重要だなというふうに思うんです。

○井上座長 それは、よい面しか見ておられないように思いますね。現に、非常に極端な例としては、著名事件での評議の内幕を暴露するような本を出して、盛んに売ったりすることもあるわけです。ですから、アメリカの場合は、かなり考え方の前提が違うのではないかという感じがします。ほかの国はそれとは随分違うと思うのですけれども。

○池田委員 評議の秘密等の重要性、守秘義務をかけることの必要性というのは、午前中も話したとおりで、罰則についてもやはり必要だろうと思います。罰則をどの程度にするかというのは、これは類似の法律等とのバランスを考えていただければいいことだと思いますけれども、確かに民事調停委員、家事調停委員には、職務上知り得た秘密について懲役1年以下だったでしょうか、それと罰金の選択刑になっていますが、それと裁判員と違うという理由はちょっと考えにくいのです。職業だからどう、職業でなければどうという、そんな理屈はちょっと考えられないんではないかと思うので、やはり同じようにせざるを得ないんではないかという気がいたします。

○髙井委員 私も、ここは、このたたき台のとおりでいいと考えています。基本的には、前にも申しましたけれども、協働してやるというんだから、基本的には裁判官と裁判員は同じでなければいけないと思うのです。片や何回もやると、片や1回しかやらないという差はありますが、その担当している事件においては全く同じ権限と同じ義務であるということが協働してやるというためにも必要であるし、対等の議論をするためにも必要だと思います。同じ権利と同じ義務を負ってやるということが、私は、制度を考える上での基本だと思うんです。一般市民だから、少しやさしくしてあげよう、一般市民だから緩くしてあげよう、確かにそうしなければいけない部分もありますが、こういう裁判の根本に係る部分については同一でなければいけないというふうに思います。

○酒巻委員 先ほどは大出委員に反論しただけで、自分の意見を言っておりませんでしたけれども、罰則の「(2)裁判員等の秘密漏洩罪」につきましては、髙井委員と全く同意見です。そして、たたき台のとおりでよいと思います。

○四宮委員 調停委員との関係は、一つの私の反論ですけれども、自ら進んでなっている場合と、無作為に選ばれてなっているという場合とで違っていいのではないかというのが私の意見です。もう一つは、髙井委員のおっしゃる、裁判官と同等の権利義務を持つという場合、ちょっと前回、事務局から御説明があったかどうかはっきりしないんですが、裁判官の場合にもこういう同等の刑罰があるんですかね。

○池田委員 懲戒ですね。

○四宮委員 懲戒というと、懲戒の効果というのは。

○池田委員 職を失うこともあります。罷免事由にもなり得ます。

○四宮委員 刑事罰はないわけですか。

○池田委員 刑事罰はなかったと思います。

○四宮委員 だから、そこもどう考えるかですね、同等と言った場合に。

○本田委員 裁判官が罷免され、その職を失うということになれば、恐らく、弁護士登録もできなくなって、仕事もできなくなるということに事実上なりますね。そうすると、仕事をなくしてしまうという極めて大きな処分を受けるわけで、それと懲役刑を同じレベルで考えるかどうかというのは、考え方に違いがあると思いますけれども、制裁としては相当重たい制裁だと言えます。裁判員の場合は、職を失うといったって、裁判員の職を失ったとしても、それは別に義務を免除されただけの話なんですから、そこはやはりそれだけの重大な制裁、匹敵するかどうかというのは、ちょっと表現の仕方に問題があると思いますけれども、それ相応の重たい処分を裁判官は受けるということになると思います。

○大出委員 ある意味、社会的な実態について私は異論があるわけでして、それはたとえ秘密漏洩であったとしても、裁判員の人は懲役になったら仕事を失いますよ。つまり、無作為に選ばれて出ていって、たまたまそういうことで仕事を失うことになる。ですから、午前中も議論になったわけですが、守秘義務の範囲というものがどういう形で明確化されるかということにもよるかもしれませんけれども、そのことによって刑事罰を受けるなんていうことになれば仕事を失いますよ。

○井上座長 そういうことを言っているのではないのですよ。

○本田委員 制度としてです。

○大出委員 でも、そういうことも考慮した上で考えるべきだというのも私の意見であるわけです。

○井上座長 本田委員も仕事を失わないと言われたのではなく、裁判員としての職を免じても、それだけでは何の意味も持たないというのが本田委員の御意見なのですよ。

○大出委員 でも、裁判官との比較でおっしゃったわけですけれども、裁判官は刑事罰を受けないけれども、職を失うということによって、そういう意味での社会的制裁を受けているということだったわけですけれども、もちろん、直接的には裁判員の職を解かれないかもしれませんけれども、そのこと自体はもちろん裁判官とは違うわけですから、職業でやっているわけではありませんから。しかし、その波及効果ということを考えたときには、それなりの波及効果はあり得るわけです。

○井上座長 懲役を受けたときの波及効果でしょう。

○大出委員 そうです。

○井上座長 その意味では、議論は矛盾していないのではないでしょうか。

○大出委員 どうしてですか。ですから、そういった波及効果を及ぼすことのないような措置を講ずるべきだということです。

○井上座長 御意見がそうであることは分かるのですけれども、そこは議論がかみ合っていないと思いますね。

○清原委員 量刑について、15ページに「(4)裁判員等威迫罪」とあります。これは、皆様がこれから裁判員になっていくとき、こうした威迫を受けるような状況を想定して、最初に裁判員の任務を引き受けるときから、何か消極的になるという、一番大きなところを守るための罰則だと思うんです。あえて威迫という言葉を使っていらして、もちろん、別途に脅迫罪とか、そういうのはあると思うんですけれども、ここでの量刑については、私はやはり懲役刑を、ここの場合には設けていただくのが適切な方向ではないかなと思うんです。
 そういうことも踏まえて、今、裁判員等の秘密漏洩罪の場合に、懲役をどうか、罰金刑だけでもよいのではないかという御指摘がありまして、今、私が多少迷っておりますのは、確かに懲役の罪というのは、かなり一般人にとりましては重いですね。ただ、自分が裁判員になったときの立場を考えたら、自分に及ぼされる違法な行為に関しては罰金等で抑止するのではなくて、懲役刑で抑止してほしいと思う気持ちはあると思います。
 ただ、反対に自分が違法な行為をしてしまうことに関して、懲役刑まで重いものがあることに関しては、もちろん御指摘のようなブレーキがかかるという面もあるかと思うんです。ただ、罪の重さということから考えれば、午前中の議論とも関連しますが、裁判員であるがゆえに知り得た事実というものを、真実を解明するために判断していく中で、おのずと裁判員だから許される会話というのがあって、それが一般の社会では人権侵害になるかもしれないとか、いろいろなことがあるかもしれません。
 したがって、私は守秘義務はあった方がいいと思っておりますので、それを本当に生かしていくためには、それなりの量刑がなければいけないというところで、今、結論が出ていなくて大変申し訳ないんですけれども、またそれに関連して相対的に見るべき項目かどうかは分からないのですが、(2)の罰則を考えるときには、(4)の罰則の重みも勘案しながら検討していかなければいけないなという点だけ発言します。

○土屋委員 私は、先ほど述べました合議の秘密に関するところの意見の延長線の帰結として、自分の意見は述べていいのではないかと言っておりますので、これが処罰されるような形の規定に素直に同意するわけにはいかないということになるだろうと思います。
 二つ申し上げたいんですけれども、一つは、たたき台の14ページの一番下にある、「又は合議体の裁判官及び他の裁判員以外の者に対しその担当事件の」云々という、「意見を述べたときは」という部分の規定なんですが、これは削除するというふうにしていただけないかと思います。これは、現在の検察審査会法にもない規定ですので、検察審査員に求められていないものを裁判員に新たに求めることになっているわけですね。検察審査員と裁判員は同じではないですけれども、裁判員の方が責任が重いというふうに私も考えてはおりますが、でも先ほどの、自分の意見については、述べていいのではないかという考え方からいくと、やはりこれを認めるわけにはいかないなというのが一つです。もう一つは、量刑の部分でありまして、先ほど四宮委員が言われたのと同じなんですが、懲役は重いかなというふうに思います。もちろん、裁判の公正さが脅かされるような事態を放置していていいのかと、そんなことがあったら懲役刑に値するだろうという考え方はよく分かるんですけれども、自由刑で処断するところまで重くしていいだろうかということを、私は迷っています。むしろ、罰金刑にとどめた方がいいのではないかというふうに考えております。

○井上座長 最初の点は、現職の場合も意見を述べてよいということですか、過去職の場合だけに限った話ですか。

○土屋委員 はい。過去職だけです。

○井上座長 分かりました。どうぞ。

○酒巻委員 質問ですけれども、今、土屋委員は、「又は」以下を刑罰から外すとおっしゃいました。四宮委員も同じですね。

○四宮委員 過去職についてはですね。

○酒巻委員 そこの確認なんですが、お二人とも、このような行為は処罰には値しないけれども、やっていいと考えておられるわけではないんですね。これはやはり道義的というか、評議の秘密等にかかわる事柄だと思いますので、これはやるべきことではないけれども、それを処罰するのは行き過ぎだと、そういう御意見なんですね。
 それで、私の意見は、そのような不当な行為のもたらす結果において、現職と過去職の区別はできないだろうからどちらも処罰の対象にするのが相当であるということです。もう一つは、先ほど清原委員と土屋委員から、罰則が重過ぎるかもしれないと御意見がありましたが、罰則の程度につきましては、これは評議だけではなくて、知り得た他人の秘密を漏らすことも含んでおりまして、知り得た秘密を漏らされた他人である被害者の身になったとき、罰金でいいのかということも、やはり考えなければいけないと思います。例えば、裁判の過程でプライバシーや企業の秘密が知られて、それを漏らされてしまって、その被害者になったときはどうかということも、やはり量刑については考慮すべきだと思いまして、秘密の保護という観点から懲役は必要だと思います。

○井上座長 御意見は分かりました。ほかの方はいかがですか。

○平良木委員 私も今の御意見とほぼ同じで、やはり自分の意見を述べるということであっても、他人の意見を述べたことに結果的になることもあるし、また、ましてや他人がこう述べたなんていうことは、これはやはり許されるべきことではない。したがって、いろいろひどい場合を想定すると、やはり懲役刑による担保というのはやむを得ないだろうと思っております。

○井上座長 ほかに付け加えることがございましたらどうぞ。強要するわけではございませんが。

○樋口委員 「又は」以下について、いろいろ思うところはあるんですけれども、結論的には、このたたき台の案でいいのかなと思っております。もう既に述べられたもの以外の意見としては、どういったものが違反事実として認知されて、捜査し、事件化ができるかどうかといった観点からすると、実質的な罰則規定として意味をなすのかという若干の危惧は感じるのです。「又は」以下の部分では、例えば、本を出すとか、インターネットで意見を流すとか、そういったことが想定されるんでしょうかね。

○井上座長 なかなか適用は難しいかもしれないという御意見ですね。
 ほかの方、よろしいですか。

○土屋委員 それから、もう一つ、請託罪の絡みで、(3)のイのところの、情報提供罪とでもいうんでしょうか、そこの部分でちょっと意見があるのですけれども、これもまた非常に悩ましいことなので、私もどうしようかと思っているんですが、これもやはり検察審査会法にはない規定なんですね。報道の現場では、この規定に対する懸念の意見が出ています。つまり、取材行為というと変ですけれども、取材行為というのは一種の情報の交換みたいな側面もあるんです。そういう事件の取材をするときに、うっかりその事件についての感想を、あなたはどう見ていますかと相手の人から聞かれて、それで何か感想めいたものをしゃべってしまうということもあり得ないではなかろうというようなことを考えた上での話なんですが、裁判員や補充裁判員に、そういうような接触をして、話をした内容がこの罪に問われるようなことが起きるのではないかという懸念が報道の現場にはあります。それは、事件の審判に影響を及ぼす目的を持った行為ではないから、心配ないんだというふうに考えればいいんでしょうけれども、その辺りを実際心配する面もあります。それで、これもまた検察審査会法にないところだから、ちょっと心配されるところがありまして、これを削った方がいいとまで言うかどうかというのは、それもまた悩んでいるんですけれども、そこまで言わないにしても、これもまた懲役、しかも何年以下の懲役という年単位の懲役というのは、ちょっと重いかなというふうに思ったりします。

○井上座長 担当事件に関して接触をするということを前提にしておられると思うのですけれども、後の議論と絡んでくると思うのですが、接触して取材をするときに、実は何とかさんはこう言っているんだけれども、どう思いますかと、つい言ってしまったというような場合ですね。

○土屋委員 それは、後ほどお話ししようかと思っている部分と重なるんですが、つまり、裁判員なり補充裁判員に接触するということを望ましいと思っているわけではなく、それはやめようと思っているわけです、報道の現場も。ただ、この間、一部のヒアリングの中でありましたけれども、万一やむを得ないいろんな状況があって、つまり、裁判員が被告との間に特定の利害関係があることが分かった場合とか、そういうときには一定の限度で報道することもあり得るのではないかということを言われた意見もあったものですから、もしそういうことが起きたときにどうしようかということを、ちょっと考えたということなんです。それを私は望ましいと思っているわけではありません。配布されている資料にあるとおり、新聞協会なども原則的にそういうことはやめましょうといっているんですが、そこから先の問題なんで、現にそういうふうに、言わば強行突破をするようなことをやったことがあったとしたら、ここに触れてくるということになるのかなということをちょっと心配しております。

○井上座長 仮に、今、念頭に置かれるような例外的な事態で接触をするという、そのときに、こういう話になるのですかね。

○土屋委員 分からないですけれども、だけどなるかもしれませんね。そういう情報提供というか、何というか……

○井上座長 でも、その場合の接触の目的は、被告人と利害関係がある疑いがあるので、それを確かめるといったことなのでしょう。そのような場合に、事件の中身について、あの人はこう言っていますよという話にそもそもなるものでしょうか。そこが、ちょっとよく分からないのですが。

○土屋委員 そこは、事件の審判に影響を及ぼす目的がないんだというふうに。

○井上座長 それ自体よいかどうかは別として、ちょっと何か違う形の接触の仕方になるような気がするのですけれども。そういうことを問題にされる向きもあるということですね。分かりました。

○本田委員 この点に関してちょっと申し上げておきたいんですけれども、刑事裁判というのは、証拠能力のある証拠に基づいて事実を認定することが大原則なわけです。これは、事実認定を誤らないように、証拠能力の定めがあるわけです。この(3)のイの問題というのは、まさにそれを僭脱することになってしまうわけです。証拠能力のない情報でも何でも与えて、心証に働きかけようとする行為なわけですから、まさに裁判の公正を著しく害する行為だと言わざるを得ないでしょう。そうすると、こういうものについて罰則をかけておかないと、裁判の公正は担保できないというふうに思います。

○井上座長 ほかの方、今の点はいかがですか。

○髙井委員 私も本田委員と全く同じ見解です。裁判の独立というのは、これはもう基本中の基本なわけで、それを侵害するような行為に対して、懲役刑を含む罰則をかける、これは当然過ぎるほど当然だと思います。今、土屋委員から指摘されたような懸念は、この条文があったとしても、当然この目的のところで外れるでしょうし、当然行為類型も違うわけですし、またいろんな一般的な評説、脚注、その他もあって、これがあったら常に懸念されるような状態になるというわけではないと思うんです。そういうごく例外的な事態を懸念して、そのために、例えば、この懲役刑を外すというのは論理が転倒しているというふうに私は思います。

○土屋委員 今の髙井委員の御意見について、私も髙井委員が言われたとおりだと思っております。確認の意味での質問でした。

○酒巻委員 私の意見は、本田委員、髙井委員と全く同じでありまして、更に付け加えれば、3のイの構成要件に該当する行為であれば、これは主体がだれであろうと、懲役付きの処罰に値する行為だと思っております。

○井上座長 ほかには、いかがですか。この点はよろしいですか。
 では、次が8の項目、これが括弧がくくられてないものの一番最後だと思いますが、「裁判員の保護及び出頭確保等に関する措置」ということで、内容は(1)から(4)にわたっていますけれども、個々の点については別個の内容ですので、順次御意見を伺えればと思います。
 まず「(1)裁判員等の個人情報の保護」という点から御議論いただくことにしたいと思います。御覧になって分かるように、二つの内容から成っておりまして、アが、裁判員等の氏名以外の個人情報が記載された訴訟書類は公開しないということです。この点からまず御意見をお伺いしたいと思いますが、これまでの議論では、むしろ氏名や住所は公開しない方がよいが、職業とか年齢、性別などは、一般的な情報として公開してもよいのではないかという御意見もあったと記憶しております。この点についてはいかがでしょうか。

○四宮委員 これは、公開の要請と個人情報保護との利益の衡量の問題だと思います。やはり大事なことは、裁判員の特定に役立つような直接的な情報というものは、なるべく出ない方がいいということはそのとおりだと思います。このたたき台では、名前は出すということになっておりまして、それはそれでまた一つの考え方なのだと思いますが、むしろ私は、個人の特定に役立つ名前と住所、これは公開しないということで、それ以外の、先ほど座長が紹介してくださったように、職業、性別、年齢等の一般情報は公開しても構わないのではないかという意見です。ちょっと私、前回聞き漏らしたのかもしれませんが、裁判中と裁判が終わった後があると思いまして、裁判が終わった後に、これは個人情報の問題ですので、当人が出してもらって結構だと、自分のものについては出してもらって結構だと言ったものについては、それはまた全然別の問題になるだろうと思っておりますが、裁判中については個人の特定に直接結び付く名前と住所は非公開だけれども、そのほかの一般情報は公開してよろしいのではないかという意見です。

○井上座長 その、個別の人の職業とか年齢とか性別を公開するということの趣旨はどういうことなのでしょうか。

○四宮委員 個別というか、どういう人たちが裁判員になっているかということですね。

○井上座長 個別の事件についてですか。

○四宮委員 そうですね。個々の事件についてです。

○井上座長 その必要性というのは、どこにあるのですか。

○四宮委員 これも前回議論になったところですけれども、一般論として、私は、裁判員制度の趣旨にかんがみて、弊害のない情報はなるべく国民に開示された方がいいと考えています。そういう情報が役立つのかと、前回も確かいろんな方から質問を受けた記憶がありますけれども、それは情報の受け手が判断することでありまして、弊害がないと思われるものについては、出す側が役立つか役立たないかを判断するというよりは、情報を受ける側が判断することではないかと思っております。

○井上座長 御意見としては分かりました。

○髙井委員 四宮委員の先ほどの御意見は、名前を出さないんだから、公開してもいいじゃないか、個人は特定されないだろうということなんだと思いますが、仮に名前を出されなくても、自分の属性に関するものが公開されるということについて、それを足がかりにして自分が何者であるかが分かってしまうのではないかと懸念される方、そういう神経質な人がきっとおられると思うんです。そういう意味では、仮に名前が出されなくても、裁判員に対して不安を与えるというおそれはあるわけで、やはりそれはまずいんではないかというふうに思います。

○大出委員 一般的にすべてを明らかにする必要はないようにも思うんですが、ただ、例外的に利用できる、情報を得ることができるというような措置は、取っていただく必要があるのではないかというふうに思います。学術研究目的というようなことを、私としては言わざるを得ないわけですが、そういった場合に、もちろん、個人の住所、氏名を明らかにする必要は、私は全くないと思いますが、いずれにせよ、その裁判では、どういう構成で判断が行われたのかというようなことが、最低限、個人の特定につながらない形で分かるというようなことは、やはり今後の制度のありようを考えていく場合には是非必要だと思いますので、そういった場合には利用できるような措置を講じていただく必要があるように思っております。

○本田委員 今、学術研究ということをおっしゃって、裁判員の属性によってどういう裁判が行われるか判断する必要があるとおっしゃいましたが、この裁判員制度というのは、例えば、性別とか、年齢層とか、職業によって、その裁判員の構成によって、本来はきちっと健全な常識を反映させて、当たり前の判断が出なければいけないところを、そういうことによって判断が異なってくるということを前提に考えられているんですか。

○大出委員 いや、それは調査研究してみなければ分からないわけですから、そういった調査研究があり得るということを前提にして考えていただく必要があると思います。

○本田委員 そうすると、その健全な常識というのは、一体、どこで、どうはかられるわけですか。

○大出委員 ですから、それも含めて研究対象足り得るんじゃないですかということです。

○髙井委員 何度も言いますが、国の基本的な仕組みである司法制度の在り方を考えるときに、基本的には、まず裁判の目的である真実の発見と、適切な量刑が正しくできるかどうかという観点から考えるべきであって、学術研究の発展に資するかどうかという観点から制度の在り方を考えるというのはおかしい。もともと、学術研究のために必要であるならば、それはまた別途の法律か何かをつくって、それはまた別途検討すべきなのであって、この司法制度の在り方そのものを考えるときに、学術研究の必要があるからここは情報が外に出るようにしておこうというような発想自体が、私は妥当ではないというふうに思います。

○本田委員 大出委員の話を聞いていると、裁判員制度というのは、壮大な実験をやろうとしているんだと、どうなるか分からぬということじゃないんですか。要するに、年齢層とか、職業とか、属性によって判断が変わる可能性もあるので、それは研究しなければいけない。そういうことを前提にしてやろうとおっしゃる。それ自体がいいかどうかは、また別問題なんですけれども、今、裁判員制度というのは、壮大な実験をしようとしているんだということを前提にされているんですか。

○大出委員 ちょっと勘違いをされているんじゃないかと思いますが、検証作業というのは、幾ら安定している制度であったとしても対象とするわけでして、まさに研究というのはそういうものですから。お話を伺っていると、つくられた制度は絶対的なものであるかのような印象を受けるわけですが、そんなことはないわけですから、常にその制度のありようというものについて、ベターなものを追求するということはあり得るわけですから、その場合にそういったことも含めて研究対象にするということは、当然あってしかるべきなわけです。ですから、髙井委員がおっしゃったように、ほかの手当が行われれば構わないといえばそのとおりですが、そういったことも含めて念頭に置いた御議論をしていただきたいというのが、私の趣旨です。

○井上座長 そういう御意見ですが、いかがでしょうか。

○平良木委員 私は、裁判員が裁判に参加しやすい、あるいは、意見を述べやすい環境づくりが大事だということを言っておりますので、そういう観点から見ると、できるだけ個人情報というのは保護してやるべきだろうというふうに考えております。

○酒巻委員 8の(1)についてだけ先に言いますと、私もこのたたき台でよいと思います。個人情報はできる限り保護する。大出委員や四宮委員が想定している、個人の属性にかかわる情報ということなんですが、例えば5年とか10年ぐらい裁判員制度が続いて、ちょうど今の司法統計のように、個人情報ではなくて数値化された情報として、例えば、男が何人で女が何人とかその比率とか、まとまった形でそういう裁判員の属性に関する統計資料がつくられるということは、あり得ると思いますが、それはこの個人情報保護の規定に触れるわけではないと理解しています。
 そのような統計資料を作るためには、役所の内部で個別作業をせざるを得ないだろうと思いますが、その辺はまた別なのかなと認識しております。

○井上座長 アについて御意見をいただきたいということでしたが、イに踏み込んで御意見をいただいたということですね。
 そこは、特定するに足る事実ということにはならないということではないでしょうか。

○酒巻委員 ならないと思います。

○清原委員 私は、実は先ほどの発言で、判決書に自署、署名をした方がいいんじゃないかというふうに意見を申し上げたんですが、今、この個人情報の保護に関し、氏名の公開の問題が非常に重要なポイントになっているものですから、今ごろになって恐縮ですが、署名についても、しっかりこのことと整合性を取りながら考えなければいけないなと気づいたわけです。今、迷い始めておりまして、個人情報というのは、もちろん氏名と住所というのが漏れることによって、裁判員等に対する請託罪とか威迫罪とかという対象に、裁判員を置いてしまう可能性を生み出してしまうわけですね。ですから、このような個人情報を保護するということは、大変大切なことだと思うんですけれども、裁判のある程度の決着が着いた後でも、それが引き続き守られるべきかどうかという判断が今はあるのかなと思います。そういうことで、先ほど、判決書に署名する方が望ましいと申し上げましたが、ちょっと再考しなければいけない非常に重要なことだなと思いましたので、そのことを今の時点で申し上げさせていただきます。

○井上座長 今の御発言との関連で申しますと、判決書に名前を書くとすると、このアでいけば、その部分は表に出るという前提ですね。氏名以外のところは出さないけれども、氏名を書いてある以上は、その部分も出るということでしょうか。書いていなければ出ない、ということですかね。

○四宮委員 それ以外に、裁判員の名前が出る訴訟関係書類というのは、どんなものがあるんですかね。

○池田委員 公判調書というのを書くんです。そこには裁判に立ち会った裁判官の名前と、検察官、弁護人の名前を書いていますけれども、それは、裁判に誰が加わっていたかというのを書かないと、控訴審でその手続が有効なのか、だれか資格のない人が加わっていたということになるかという判断をするときには必要ですから、裁判員の氏名も書かざるを得ないと思うんです。それを見せてはいけないということになると、今度はそれは全部公開の対象から外すことになるわけですね。

○辻参事官 恐らく、判決書にも、署名はしなくても名前はどこかには書くんではないかと思います。裁判体の構成員がだれであったかが分かるようにと、名前だけは書くのではないかと思います。

○平良木委員 そこも含めて先ほど議論していたんじゃないんですかね。つまり、判決書に署名、押印をだれがするかということと、あるいは普通はそれが謄本には出ていますね、そのときに、それとは別に記名だけ3人出てくるということはほとんどあり得ないんじゃないかと思うんですけれども。3人のほかに何人か……

○辻参事官 今、申し上げたのは、仮に、裁判員は判決書に署名、押印しないとすると、判決書自体で、裁判体の構成員が全部分からなくていいのかという気がしたもので、裁判体が何名で構成されるか分かりませんけれども、裁判官何名、裁判員何名としたら、そのそれぞれの名前は普通に考えるとやはり記載するのかなと思ったということであります。

○井上座長 署名、押印をするかどうかと、名前が出るかどうかは、論理的には別問題ですね。

○辻参事官 もちろん、そこはいろいろあるとは思います。

○井上座長 裁判官は転勤のために署名できないということがあるわけでしょう。しかし、名前は出るわけですね。

○平良木委員 それは出ますよ。本来署名しなければならないものですから。

○井上座長 それは同じことかと思います。署名しなければならないから出ているのか、それとも、裁判体がこういう人によって構成されていたということを示すという意味で出ているのか、ですね。

○平良木委員 それはどこに書くんですか。

○池田委員 それは、多分、今、立会検察官を書きますけれども、それと同じように、何らかの形で前文なり最後にでも書くんじゃないでしょうか。

○井上座長 池田委員のお話ですと、判決書だけではなく、公判調書自体に、公判が適式に行われたということを示すためには、書かざるを得ないということですね。

○平良木委員 公正が担保されているかどうかということだから、それは書かざるを得ないと、判決書にも。

○井上座長 そうしますと、署名するかどうかということとは別問題だということになりますね。

○平良木委員 つまり、言渡し調書があるでしょう。あそこには必ず出てくると思うんです。判決書に名前が具体的に出てくるかどうかというのは、これは別問題だと思うんだけれども。

○池田委員 書かなくてもいいということにすれば、それは可能だと思うんですけれども。

○井上座長 別のところには出てくるということですね。

○平良木委員 いわゆる、公判調書の一部として、そこには書かざるを得ない。だけど、判決書そのものに書くかどうかというのは別問題でしょう。

○井上座長 訴訟に関する書類であって氏名が記載されたもの、です。氏名は出ているということでしょう。

○平良木委員 その場合の公判調書はオープンにならざるを得ない。

○井上座長 オープンにならざるを得ないということですね。

○辻参事官 立会い検察官の氏名も、何といいますか、判決自体が適式に言い渡されたことを示すという趣旨で判決書に書いてあるという面もあるので、そうだとすると、裁判員についても、構成がきちんとしていたこと、きちんと定員分だけ裁判員がいたということを示すという意味で書くということは、少なくとも十分あり得るんではないかと思います。もちろん、いろんな考えがあり得て、個人情報の保護という面から書かないというのはあり得るとは思いますけれども。

○四宮委員 仮にサインとか署名ではなくて、どこかに立ち会った裁判員の名前が出るという制度の下では、その判決書をコピーして配るのは、このイに当たってしまうということになるわけですか。

○池田委員 氏名以外ですか。

○井上座長 イは、「特定するに足る」ですから。

○四宮委員 そうですね。失礼しました。そうすると、その判決書は公にしていいと、そうすると名前が出るわけですね。

○井上座長 イの、「氏名…を公にしてはならない」というところに当たらないかという御質問でしょう。判決書を公開してもらって取るのはいいとして、それをコピーしてほかの人に見せたらイに当たるか、ということでしょうか。

○辻参事官 文字どおりに読むとイに当たると思います。したがって、今でもいわゆる判例雑誌で、関係者の氏名は、大体「甲、乙」とかそういう格好になっていますが、裁判員の氏名に関しても、同じような扱いにすることは考えられるのではないかと思いますけれども。

○本田委員 先ほど、大出委員が、学術研究の必要ということで、いろいろアの点についておっしゃったんですけれども、また、四宮委員は、性別とか名前、職業、生年月日を公にしなければいけない必要性は、聞いた方で判断するんだというようなことをおっしゃったんですけれども、やはり、公開が必要だというと何か具体例の一つや二つは示していただかないと、どうも納得できないんですけれども、どういうのがあるんでしょうか。

○四宮委員 そこは違うんです。私が大出委員と意見が違うのは、学術研究だから許されて、そうでなければ許されないということではないんです。裁判員の個人情報として保護しなければいけないものは、もちろん保護しなければいけない。他方で、さっき申し上げたように、この裁判員制度については、可能な限りいろいろな情報は国民に伝わった方がいいと考えているものですから、あれがいい、これがいいという、こう使える、ああ使えるという意味ではなくて、なるべく公開を制限しない方がいいのではないですかという趣旨です。

○井上座長 裁判員制度だからということですか、それとも、もっと広く言えば、保護の対象にならない情報は一般的に公開するべきだということですか。

○四宮委員 裁判員制度についてですか。

○井上座長 いや、お尋ねしているのは、裁判員制度だから特にそういう要請が強いということなのかということです。もっと大胆な考え方があり得て、一般的に、公開して差し障りのない情報というものは、当然公開するべきであり、それをどう使うかは基本的に受け手の自由である。しかし、保護すべきものはちゃんと保護する。そういった考え方もあり得ると思うのですけれども。そうではなく、特に裁判員制度だから、やはり国民の理解を得ないといけない、ということを理由にしようとする場合には、では、これを使うことによってどう国民の理解につながるというのだろうかという話になってくる。そこを多分聞いておられると思うのです。

○四宮委員 その2番目の方に踏み込むつもりはありませんけれども、例えば、こういう人がやっている、ああいう人もやっていると、何だ自分と同じ職業の人もやっているんだということもあるかもしれません。

○井上座長 それは、統計的な形ではまずいのですか。もしそれでよいのなら、1年間にこれくらいの人が裁判員としてかかわりました、その職業はこのような分布です、といったことを明らかにするということでもよさそうな感じがするのですけれども。

○四宮委員 ただ、個々の事件で、例えば、私は事件の性質によっては、男性がどのぐらいで、女性がどれぐらいいたかとか、そういった情報は、その事件を検証するといいますか、見る国民にとってはやはり有益な情報ではないかと思うのです。だから、これがどう役立つんだというところから入ると、それはまた全然別の議論になります。

○酒巻委員 本田委員と同じ趣旨の質問になりますが、研究であれ何であれ、今、職業裁判官だから職業を聞く意味がないけれども、その裁判官がどういう人だという個人情報を知ろうと思っても、いろんな情報があるんでしょうけれども、積極的に開示しているわけでもないですね。その人が、例えば、どの大学を卒業しただとか、司法試験を何遍落ちたとか、ありとあらゆる情報があるわけですね。そういうのを知ろうと思わないのに、何で裁判員になると、情報を知ろうと思うのかが分からないというのが、私の質問です。あるいは、この事件の弁護人をやった弁護士は一体どういう人間か、ただ知りたい、そういう話と同じレベルの話ですか。

○四宮委員 それは、さっき座長が言ってくださったように、これは裁判員制度だからということです。

○井上座長 ですから、そこは、原則と例外が逆転しているのでしょう。更に御意見があればお伺いしますが、イの方についても既にかなりの御意見をいただきましたが、もし御意見があれば、承っておきたいと思います。

○土屋委員 今の部分は、報道とも関係してくる部分でもありますので、私の個人的な考えと、言わば所属業界の考え方と、いろいろ違う部分がございまして、お手元にお配りしてある資料などを御覧になっていただくと、新聞協会と日本民間放送連盟の考え方というのが分かると思います。今ここでこれを御説明するのが妥当かどうかということがありますので……

○井上座長 (1)のイの関係ですか。

○土屋委員 そうです。イの関係です。それで、私の個人的な意見ということで、今、聞いていただきたいということです。
 私は、個人情報の保護というのは、非常に重要なことだと、個人的には考えております。そして、こういう、人を特定するに足る事実の公表というのは、極力控えるべきだと私は思っています。場合によったら、氏名だけでも、ある地域で起きたことなんですけれども、氏名だけ出たことによって、住所から何から全部特定されてしまったという事例が実際はあります。ですから、氏名だけでも出ることが、かなり大きな影響を与える、そういう心配が現実にあるということは、事実だろうと私は認識しております。住所、氏名、その他のいろんな情報があるとは思うんですが、この刑事裁判に限っては、そういう特定の人が関与したことが明らかになるような状態が生まれると、不測の事態がいろいろ起きることがありますから、私は個人としてはそういうことは表に出してはならないという考え方には賛成です。ただ、非常に微妙なのは、私が言おうと思ったことは、もう座長が言ってしまわれたので、要するに、情報公開の考え方だとか、そういう開かれた社会というものを考えるときに、司法に関する書類であっても、官公庁の持っている公文書であるという側面はありますから、情報公開の対象になるような書類ではあるんだろうと思うんです。それは、社会的に検証されてしかるべき内容の文章だろうと思うのです。ですから、それを公にしてはならないという形で、全部縛ってしまうことが、果たして妥当なのかどうか、報道関係者の間では非常に意見が分かれております。こういう事実を公にするのは一切だめだと、つまり報道することについては反対だという社もありますし、こういう事実は抑制的に報道するという社もありますし、報道するのは一定の事実だけに限って、それ以外は公開された内容であっても報道しないという考え方をとっている社もあります。さまざまであります。ですから、意見としては極めて言いにくいんですが、私は、個人的には、住所、氏名という、ここに例示された、限定された事項以外の情報、例えば職業だとか、性別だとか、そういった情報については、これはアのところに戻ってしまいますけれども、公開してもいいのではないかというふうに思っています。それから、もう一つは、住所、氏名などにしても、御本人が自分でしゃべってしまうことはあるのです。私がこういう事件の裁判員になったというようなことで。そうしたときに、それを報道できないのかということについても、非常に意見が分かれておりまして、基本的にはそういう場合は報道してもいいのではないかという意見が非常に強いという側面があります。こういう事実を、本人の同意だとか、本人の公表だとかという、本人の意図、あるいは行動に任せてしまうことがよろしいとは思わないんですけれども、そういう本人が自ら公表したような場合にまで、個人情報を守る必要があるのかということになると、本人の同意があればいいのかなというふうに思ったりもしています。

○井上座長 分かりました。今の御意見の一番最後の部分ですが、それは、本人が言ってしまった以上は、裁判が続行中でもよいということですか。

○土屋委員 続行中は余りよろしくないとは思うんですけれども、ただ、分かりませんね。本人が続行中に、例えば、自分から……

○井上座長 「あの事件で呼ばれてね。」などと言ってしまったような場合ですね。

○土屋委員 あるいは、皆さん集まってください。私の意見を聞いてくださいという人がいないとも限らないですね。

○井上座長 それは、別なところで触れるかもしれませんけれども、自分で名前は出してしまっているという場合にまで報道を控えないといけないのかどうかということでしょうか。

○土屋委員 いろんな場合でよくあるんですけれども、御本人が自分で連絡してきて、みんな集まれと、言いたいことがあるということはあるんですね。そういったときに、それをどうしたものなのか、悩ましいところです。

○井上座長 分かりました。いかがですか。そこのところはなかなか難しい問題ですね。

○本田委員 確かに、本人がいいと言っているときは、報道してもいいんじゃないか、公にしてもいいんじゃないかというのは、一つの考え方だろうと思うんですけれども、今、現に裁判員であったり、これから裁判員になろうとする人について、その人がいいと言ったから、では公にしていいのかというと、また違った観点からの考慮が必要なんだろうと思います。というのは、やはりいろんな人がいるわけです。裁判員が特定されることによって、その人たちに働きかける要因になるとか、いろんな危害が加えられる可能性が出てくるわけです。そうすると、裁判の公正を保つことが、なかなか困難になってくるというような弊害も考えられるわけで、本人がいいと言ったからいいんだと、そう端的に言い切れるのかどうか、そこはもうちょっと考えてみる必要があるような気がします。やはり、基本的には、現に裁判員であったり、補充裁判員であったり、これからまさになろうとする候補者について、それを特定するような情報というのは公開しない方が、制度をスムーズに動かしていく上では望ましいのではないかという気がします。

○井上座長 ほかに、御意見は。この点はよろしいですか。
 それでは、ここで10分くらい休憩とさせていただけますか。3時半に再開したいと思います。

(休 憩)

○井上座長 よろしいですか。再開させていただきます。
 次は、「(2)裁判員等に対する接触の規制」という項目です。この項目に関しましては、現に裁判員等である者に対する接触の規制については、全くとまではいえなくても、余り御異論はなかったように記憶しています。これに対し、過去に裁判員等であった者に対する接触の禁止については、賛否両様の御意見がありました。全体にわたって、更に御意見を伺えればというふうに思います。どなたからでも結構ですので、よろしくお願いいたします。

○髙井委員 私は、原案どおりでいいという意見です。確かに、裁判員であった者と現職の人を別に扱うという考え方もあるかもしれませんが、裁判員に対して懸念を発生させる、不安を発生させるという意味では、本質的には同じだと思います。自分が接触されなくても、他人が接触されたということを知るということだけでも、懸念は生じるわけですから、そういう意味ではこの二つを区別する理由はないと思います。

○井上座長 分かりました。

○酒巻委員 賛成です。

○井上座長 そうですか。では、土屋委員、どうぞ。

○土屋委員 私は、現職の裁判員または補充裁判員に対しての接触というのは、してはならないというふうに思います。ただ、任務を終わった後については、ちょっと違う考え方をして、接触が許されることにしてもいいのではないかと、個人的に考えています。その理由というのは、また先ほどの個人情報の保護のところで出ていた意見とかなり重なりますし、既に述べたこととまた重複してしまうんですが、現実に行われた裁判がどういうものであったのか、そういうことを情報として知り、また分析して裁判の検証に役立っていく、そういう意味合いもあろうかと思うのです。それは、記録を見れば明らかではないか、何も接触する必要はないではないかという御意見はあろうかと思うんですが、やはり、直接会って過去の事件についてお話を伺うということは、規制されるべきではないのではないかというふうに私は思うんです。そういう意味で、接触してはならない、そういう人に対してまで接触してはならないというふうに設けてしまうと、これもまた広過ぎるかなと思っておりまして、現職については異論ありませんけれども、かつて職にあったという人についてまで同じように考えるのはいかがかなというふうに思っております。
 あと、アの後段の部分は、過去に職にあった人が入ってきてしまうので、この部分についてはできれば削除していただきたいと思います。

○本田委員 私は、前段、後段ともたたき台の案でいいというふうに考えています。要は、裁判員または補充裁判員であった者についても、職務上知り得た秘密を漏らしてはいけないという規制は当然かかっているんだろうということです。では、その漏らしてはいけない人に、公にする目的で接触する行為を規制しておかないと、接触はいいですよというのは、本来、一方はだめだというのに、もう一方はやっていいですよというのはやはりおかしいんではないかと思います。それは、裁判員であった人の身になってみても、私は言いたくないと言っているのに、押しかけてこられたら困りますよということになるんだろうと思います。だから、これは両方とも、こういった規制は必要であろうというふうに考えております。

○四宮委員 私は、土屋委員に賛成です。前回と同じですけれども、前段はこのとおりで結構だと思いますが、後段は守秘義務と裏腹の問題だと思うんです。今、本田委員から、言いたくないのに接触してくるというのは、確かに困ったことなんですけれども、要するに、言いたくないということで断ればいいと。つまり、あなたとは話しをしたくないという形で、接触があった場合にどう対応するかは、本人の意思にかからせればいいと思います。もちろん、いいですよ、何ですかということもあると思いますが、話す内容については、守秘義務がかかっていますから、限界があるわけですけれども、会うこと自体まで規制することはないのではないかということです。それは、裁判員、補充裁判員であった者の判断にゆだねたらどうかと思います。

○大出委員 私も、前段の部分については、現に事件を担当している段階では接触をするべきではないと思いますが、終わった後については、私の立場では意見を述べるということができるということですので、接触してよいということに当然なるわけですけれども、そうでない場合であっても、罰則を課するかどうかは別として、裁判員については守秘義務による規制があるということは当然自覚されているわけですし、それぞれの判断にゆだねればいいということに多分なるだろうと思いますので、後段についてまで規制をかけるという必要はないだろうと思います。

○髙井委員 裁判員であった人に対して、いろんなところから接触があるというときに、その人の責任で応対しろという、要するに、断わりなさいというのは、言うは易く、実際は非常に大きな負担となるのですね。それは、仮に被害者が集中的に取材を受けて、その応対に非常に困るというのと同じで、自由な状態にした上で、個人に対応させれば済むというような状況ではないと思います。ですから、どうしても接触するのは嫌だという人も当然おられるわけですから、それはこの後段のような規定を置くことによって守るというふうにしないといけないと思います。

○池田委員 アの前段については、こうした規定は必要だろうと思います。後段についても、前回、目的のところで、守秘義務の対象となっている事項を公にする目的ということで絞ることが考えられないかということを発言しました。守秘義務の範囲については、午前中も話があって、私はたたき台でいいと発言しましたが、そうであれば、ここでも、守秘義務の及ぶ範囲で接触規制を課してよいと思います。仮に、守秘義務の方が変わってくるなら、こちらもその調整は必要となるでしょう。

○井上座長 守秘義務が及ぶ範囲で、後段についても接触禁止はかけるべきだということですね。

○池田委員 はい。

○井上座長 ほかの方はいかがですか。重要な問題ですので、是非御意見をいただきたいと思いますが。

○平良木委員 私は、このたたき台の案でいいと思っております。

○井上座長 分かりました。どうですか。

○樋口委員 そうですね。後段が問題となるのだろうと思いますけれども、「内容を公にする目的で」ということでございますので、この案でいいと思います。

○清原委員 私も同様で、自分の心の動きとか、感情とか、そういう経験を話すことに関する接触まで、このたたき台は止めていませんので、守秘義務との関係でもこれでいいと思います。そして、先ほど髙井委員からもお話がありましたように、こういう規定がありませんと、なかなか接触を拒めないというか、過去のことだからいいでしょうと言われても、その過去のことなんだけれども、感想を言っている間に、知り得た事件の内容を問わず語りで語ってしまうということは、大いにあり得るので、私は歯止めというか、お互いの信義ということで、このような規定があった方が、一般的には裁判員を引き受けていただける可能性も高くなるのではないかとも思います。

○井上座長 ひとわたり御意見を伺ったのですけれども、どうぞ。

○土屋委員 ちょっと補足しておきたいんですけれども、現職の裁判員、補充裁判員に守秘義務がかかっているということなんですが、裁判員又は補充裁判員であった人に対して守秘義務がかかるかどうかということについては、私、先ほど意見を述べまして、そこは限定的に考えていいんじゃないかというふうに言っていますので、その考え方でいきますと、元職の人に対しても守秘義務がかかっている状況があるならば、何も接触禁止規定を置かなくてもいいのではないかと思います。
 つまり、かつて裁判員、補充裁判員であった人に対して、守秘義務がかかっていない状況であれば、そこに接触することを禁止するという行為は意味があると思うんですけれども、守秘義務がかかるという制度設計をするのであれば、接触を禁止する意味合いというのはどこまであるだろうか、法律で書く意味合いはどこまであるだろうかということを感じます。

○井上座長 この接触禁止は別にもっぱら取材のみを対象にしたものではないと思うのですけれども、取材をする方とされる方の感じ方の違いも大きいように思われるのですが。

○本田委員 まさに、裁判員であった者についても、知り得た事件の内容は漏らしてはいけないということは、恐らくこれは守らなければいけないだろうと思います。この知り得た事件の内容を公にする目的で接触するというのですが、まさに、その秘密を漏らすことを慫慂しようとする行為ですね。慫慂する行為の前段階でしょうけれども。少なくとも、秘密を言ってはだめですよと義務をかけられた人に、そういった接触を許さないようにして、なるべくその人がそういった秘密を漏らさないような環境をつくっておいてやるというのは、必要なことではないでしょうか。

○池田委員 今の土屋委員の御意見ですが、守秘義務があるからこそ、そこには接触するなということは言えるとしても、守秘義務もないのに接触してはならないと言ったら、これは、それこそ、取材の自由はどうだという憲法論とぶつかってきそうな気がします。

○井上座長 土屋委員の御趣旨は、守秘義務を課すことで十分守られているだろうということなのでしょう。

○土屋委員 私が言いたいことはそういうことです。守秘義務で十分守られているものであるのだから、接触の規制まで必要ですかと。平たく言いましたら、そういう意味合いです。

○井上座長 ひとわたり御意見を伺いましたので、ほかに御意見がなければ、よろしいでしょうか。(2)の後ろのイについても御意見がなければ、次の(3)に移りたいと思いますけれども、よろしいですか。
 それでは、「(3)裁判の公正を妨げる行為の禁止」という項目ですが、この項目については、特に、報道機関との関係で検討すべき点が多いわけですが、これはもう御承知のとおりでありますけれども、これまでの議論でも、報道の自由、国民の知る権利を尊重するという観点からは、まずもって報道機関の自主的ルールに期待すべきである。その点は、期待するなという御意見はなかったように思うのですが、問題は、しかし、それだけで足りるのかどうかであり、その点で意見が異なり得るということだと思います。これは非常に重要な問題でありますので、十分御議論いただければと思います。幸い、本日は、皆さんの御協力で、かなり順調に議事が進行してきておりますので、十分時間をとって御議論いただけると思いますが、いかがでしょうか。

○髙井委員 私は、いろんな市民団体で行われるシンポジウム等に呼ばれて出ていくことがあるんです。具体名は伏せますけれども、その場で、まだ裁判進行中のある事件について、その集会に参加している方々に、あの人は有罪と思いますかと聞くと、有罪ですと言うんです。また、起訴前、まだ捜査中のマスコミが大々的に報道していた非常に有名な事件で、あの事件のあの人たちをどう思いますかと聞くと、とんでもなく悪い人ですと、重く処罰しなければいけないと思いますと言うんです。それは、そういう集会に出てきている人ですから、この裁判員制度について非常に関心の高い方々、そういう方々においてすらそういう発言をなさるということです。私は、その発言を聞いたときに、直ちに、あなた方は裁判員になる資格はありませんねというふうに言っているわけです。ですから、昨日だったか、土屋委員は、マスコミによってそんなすり込みが行われるようなことはないと思いますよ、というふうに言われましたが、実際は、非常に強いすり込みが行われていると思います。例えば、池田小学校の事件であるとか、大々的に報道されたような事件で、一般国民の人たち、読者が、あの人はとんでもなく悪い人だと思うような報道がされている事件については、予断偏見がないとは到底考えられないと私は思うんです。そういう意味では、どういうふうにするかはともかくとして、現実問題として、そういう実態があるということを前提にして、さあどうするかということを考えなければいけないと思うんです。そういう実態はないという前提では、到底制度設計は考えられない状況だと思います。

○清原委員 私は、今、御指摘のような傾向はあるとは思うのですが、私自身は、あくまでも、表現の自由、報道の自由というのは担保していきたいと思っているんです。つまり、民主主義の社会の中でメディアが果たす役割を、メディア自身が重く受け止めて、自主的に規律していただくというのが最も望ましい在り方で、私は大いにそれに期待をさせていただきたいと思っております。そうであるならば、それを期待しつつ、裁判員になる方も、この記述にあるように、偏向、偏見を生ぜしめられるようなことがあり得るわけですから、つまり、メディアといっても、組織化されてない方もいらっしゃいますし、インターネット上のいろんな自由な表現もありますから、民放連とか、新聞協会とか、雑誌協会とかに加入しているところだけではないので、自主的規制といっても、そこからはみ出るものはあり得るとするならば、偏見を生ぜしめないように配慮していただける方々ばかりではないでしょうから、裁判員を務める間は、報道への接し方を、例えばバランスよく見るという方法もあるし、全く遮断して裁判だけに専念するという選択もあるでしょうし、そうした配慮を、裁判員自身にもしていただかなければいけないということはあるかと思います。ただ、偏見かどうかという判断というのは、これはなかなか難しいところがありますので、こういう規制とか配慮とか、そういうものを方向として示していくことは大変大事だと思うのですが、この報道は偏見を生ぜしめたとか、ないとか、そういう判断をするのは極めて困難であるだけではなくて、非常に恣意的となることが危惧されることにもなりますので、あくまでも私は、表現の自由、報道の自由は守りつつ、メディアの中で自主的に規律していただく方向に期待し、そして、繰り返しになりますが、裁判員の方には、その期間、自ら偏った報道にのみ触れることのないように配慮する、これは、メディア教育というか、そういうことの裏づけが、裁判員制度の開始とともになければいけないでしょうけれども、そんなふうに思います。いずれにしても、なるべく自主的な規律でということで、こうした行為の禁止はあったとしても、これに罰則とか、そういったものが付かない形の在り方を、ぎりぎりまで検討していくべきだと思います。

○井上座長 たたき台では、罰則は付いていないのですけれども。

○清原委員 ですから、そのままでいっていただければと思います。

○四宮委員 基本的に、今の清原委員のお考えに賛成です。私は、さっきの髙井委員の御発言は、こういう規定を設けることの危険性を証明したと受け取りました。一つは、犯罪報道の在り方について冒頭に言及された点です。確かに、私も今の犯罪報道の在り方がすべていいと言うつもりはありませんけれども、少なくとも、一定の犯罪が起こったときに、これは国民にとっては非常に重要な情報ですので、それを伝えることには価値がありますし、それは憲法上の価値とされていると思います。それが、今、その在り方に言及されたのは、この規定があるからだろうと思うんです。2番目には、偏見という概念が、やはり非常にあいまいで危いということも証明されたように受け取りました。つまり、髙井委員が聞かれた、市民集会にこられた方々、その方々は、個々の事件についての情報はある程度知っているわけですね。犯罪報道を通じて知っていると。知っているということは、イコール予断や偏見を持っているということにはならないのです。偏見とか予断というのは、もう既に判断を固めていると、決めているということで、知っているということとは厳格に区別をしなければいけない。そうでないとすると、もう無菌状態に置かない限り、裁判員を選べないということになってしまう。ですから、私はこういう規定を置くことは、大変に問題があると思います。報道の自由、表現の自由というものも、それからもちろん公正な裁判というものも、どちらも大事な憲法上の価値ですので、なるべくそれが両立するようにぎりぎりまで工夫をすべきであると思います。その報道に携わる中心メンバーである団体が、資料3、4にもありますように、前回のヒアリングからも更に踏み込んで、現在、検討しているということで、何とかその調和を図ろうとしているわけです。特に私が注目したのは、この新聞協会の資料の中で、法曹三者や裁判員経験者との協議の場の設定に努めていくということで、観念的に報道の自由を振りかざすだけではなくて、実証的に議論を積み重ねていきましょうという姿勢と私は受け取りました。報道の自由、表現の自由と公正な裁判という、いずれの価値も、本当にこの国にとっては大事な価値ですから、どちらかがどちらかに優先するという形で決めてしまうのではなくて、自主的な規律というものを期待していく。また、清原委員がおっしゃったように、国民にも、メディア・リテラシーといいますか、あるいはこれから裁判員となるに向かっての心構え、あるいは裁判員制度というものへの理解といいますか、そういったものも高めていっていただくという方向が望ましいと思います。
 結論としては、この(3)は、ア、イ、いずれも私は削除してほしいと思います。

○酒巻委員 私も、四宮委員、清原委員がおっしゃったように、特に(3)のイの報道機関にかかわることにつきましては、国政に関して国民の知る権利、国民に奉仕する報道の自由というのが、極めて高い憲法上の価値を持ち、保障されていることは十分理解しておりますし、そして、問題は、この報道の自由と、それから同時に憲法が保障している公正な裁判の担保、両方重要な憲法価値で、その合理的な調整の問題だということも理解しているつもりです。
 私自身も、土屋委員に折に触れて個人的にも申し上げているのですが、できる限り報道機関が自主的な形でな理性的な対応をしていただくことが、長い目で見て、国による法的な規制を回避する最も適切な道ではないかと思っているわけでありますが、まず第一に、この二つのアの、公正な裁判の価値を保障するために、一般に何人もこういうことをやってはいけないということを、これは法律の性質としては訓示規定であり、特別の制裁効果は持たないわけですけれども、法が宣言するということは必要だと思います。そして、報道機関も何人のうちに含まれるわけですから、知る権利に奉仕し、表現の自由が高度に保障されているからといって、同様に憲法的価値である裁判の公正を害する行為をしてはいけないというのは前提になるわけでありまして、それを踏まえて配慮してくださいということを、しかも罰則なしに、つまり厳格な規制ではなくて訓示的に述べるということですから、この条文の構造は、特別の法的義務を課して報道の自由等を具体的に制約するようなものではないと私は理解しております。そういう理解に基づきますと、このような訓示規定を設けることは問題なく、このたたき台のとおりでいいだろうというのが私の考えの筋道です。

○本田委員 私も、このたたき台のような規定は必要だというふうに考えております。まず、アの方から言うならば、こういった偏見を生ぜしめる行為とか、その他裁判の公正を妨げるおそれのある行為を行ってはいけないというのは、裁判員制度をうまく機能させていくためには、当然のことで、これは国民の義務だろうと思います。もちろん、報道の自由が尊重されるべきことは当然のことですし、報道機関の自主規制というところにも大いに期待するところはあるわけですけれども、そうはいっても、報道機関であっても一般国民と同様の義務を負うというのは当然のことだろうと思います。一方で、このイのような規定を設けることが、報道の自由を不当に制約するのか、あるいは、国民の知る権利を不当に侵害することになるかということを考えてみますと、イは、一般の国民と同様の義務を負うことを前提として、報道機関に配慮を求めるということです。これは、訓示規定ということで、こういったことを書いておくこと自体は、それなりの意味があると思います。それから、犯罪報道の問題がいろいろと出ているんですけれども、犯罪報道自体が直ちこのイに当たるわけではないわけです。まさに、偏見を生ぜしめることがないようにしていただきたいということを書いてあるわけです。犯罪報道そのものが、一般的にこれに当たるというわけではないわけですから、こういったことを国民に求めると同時に、報道機関にもそれなりの配慮を求めるということは、当然のことではないかというふうに思います。

○大出委員 今までの御意見と基本のところは変わらない。つまり、報道の自由が最大限尊重されるべきであるというのはそのとおりで、私はその点については前回も申し上げたところだと思います。ただ、併せて、前回プレゼンテーションを伺っていて、犯罪報道のありようについて報道機関自らがその問題をお考えいただくということについて、私の認識では、十数年来この問題についていろいろと発言をしてきた立場からしますと、果たしてこれまでの経過は何だったのかというようなことを考えさせられてしまうというような部分がなかったわけではないというところがあるわけでして、やはり、新聞協会が中心になられて、この問題についてどういう対応をされるのかということが、非常に重要な意味を持っているだろうというふうに、私などは思っていたわけです。ですから、場合によっては、訓示規定ということが必要な場合があり得るのかもしれないというようなニュアンスのことを申し上げたように記憶しておりますけれども、今日、この資料3としていただいたものを拝見して、それでその認識が変えられるかどうかという問題であったわけですが、もちろん、これが万全だというふうに私は思えない部分もないわけではありません。ただ、であれば、もっと早くにという気もするわけですが、しかし、これを拝見する限り、さっき四宮委員が御指摘になったところもありますが、それよりも、ともかく加盟各社の取材・報道の際のガイドラインとなる指針の制定に向けて協議をしているということ、あるいは、その後最終的には各社の取材・報道のガイドラインとなる指針を決定するということをおっしゃっていますので、これまで既にこういうガイドラインを決めてらっしゃるところもかなりあるというのは承知していますし、その内容というのはその実効性をどう担保するのかということを、プレゼンテーションのときもお伺いしましたけれども、しかし、そのガイドライン自体、整備されているところを見る限りでは、かなりしっかりした内容のものを持ってらっしゃるところも多いというのは、私も承知しております。そういうことからしますと、更にもちろん御努力をいただくことが必要だということを申し上げざるを得ないと思いますけれども、しかし、この間の時間的な経過、短時間の中でこういうところまでまとめてこられたということになれば、それはやはり報道機関の自主的な判断にお任せするということであってもいいのではないかというふうに思いますので、訓示規定という形でありますけれども、それもできればない方がいいということで、この規定については削除するべきだろうというふうに私は思っています。

○井上座長 資料3について、自分としては十分だと思っていない、更に検討してほしいと今おっしゃったのですけれども、ここにも報道関係の方がたくさんおられますので、もしこういうことも検討してほしい、あるいは、こういう方向で検討してほしいということがあれば、おっしゃっていただければと思います。

○大出委員 ガイドラインは、先ほど申し上げましたように、範となるべきガイドラインというのは、既に存在していることは承知しておりますので、それに従った形での全体としての指針を速やかにお決めいただきたいということと、その実効性を確保するために、前回のプレゼンテーションの際に私が申し上げましたけれども、現場の記者の方たちに対する研修態勢とか、具体的な中身も含めてですけれども、どうしても報道機関の場合やむを得ない部分もあるとは思いますけれども、記者の方たちが現場を1年交代で変わって歩かれるということもあるわけです。あと、継続的な取材というものが、どこまでできているのかというような問題もあるわけです。そういった態勢の確保だとか、記者の方たちの実際の報道に対する姿勢の問題、そういったところで、専門的な立場も含めて、しっかりした研修態勢というものをつくっていただくことは是非必要だと思っております。

○清原委員 関連してよろしいですか。私も、犯罪報道の中で、犯罪被害者の方の視点が非常に欠けていた中、この数年の間に、犯罪被害者の方に対する取材が、かなり人権侵害の面もあったということを、報道機関が反省されて、自らガイドラインをつくられたり、あるいは外部の委員を含めた紙面調査とか、あるいは番組審査会などを強化されてきているという経過は認識しています。裁判員制度になりますと、裁判員の方が取材対象になることは、もちろんあり得ます。これは、先ほど来ずっと議論してきた中に、守秘義務であるとか、あるいは接触の規制があるにしても、新しい制度に関して分析をして報道したいという意欲を、ジャーナリストの方々から奪うということは難しいでしょうから、恐らく、今度は犯罪被害者から裁判員に対して、関心の焦点が移ってくることが考えられます。しかし、この制度を本当にうまくスタートさせ、成熟させていくためには、まず、そうした裁判員への接触についても、報道機関自らが望ましいガイドラインを早い段階でつくっていただかないと、規制を求める声がまた出てくるとも限りません。ですから、そういう意味で、私の立場はあくまでも自主的な規制をという立場でございますけれども、今申し上げた点について、早急に共通のガイドラインを、新聞のみならず幅広い報道機関の中で制定していただくとともに、先ほど言いましたように、インターネットの中では匿名性のメリットを活用していろんなことが書かれていくと思いますが、これについては、核となる報道機関が毅然とした姿勢を示していただくことが大事だと思いますので、その辺は強くお願いをしたいと考えます。

○髙井委員 冒頭私がお話した実例では、単に事件を知っているだけではなくて、有罪だというふうに結論を出してしまっているということを皆さんに申し上げたかったんです。そういう方々たちが裁判員として来たら、まずその有罪心証をきれいに白紙に戻してから始めなければいけない。弁護人の負担、あるいは被告人の人権という観点から見たら、極めて問題だというふうに思います。私は、このイのたたき台については、あえて反対するつもりはないですが、多分自主規制に期待するとしたとしても、そうした報道の影響はなくならないだろうと考えています。だから、逆にこの相克の問題というのは、昨日もお話ししましたけれども、大々的な報道がなされた事件については、裁判員裁判の対象から外すという形で調和を取るべきだというふうに考えています。訓示規定ですから、おっしゃるとおりこれで私は報道の規制になるとは思いません。思いませんが、同時に、私が心配しているような現状を変えるものでもないと思うんです。したがって、そういう意味では、裁判員事件の対象から外す以外に解決策はないんじゃないかと思っているわけです。

○平良木委員 公正な裁判を妨げるということは、これは裁判の否定につながりかねないところがある。そういうことからすると、ここに書いてあることを、これはだめだという人は恐らくだれもいないと思われます。そうなってくると、今までも出てきておりますけれども、自分たちの方で規制するからそれで十分だろうということを優先するかどうかということになってくる。しかし、ここのところが根本的なものだとすると、自主規制もしてください、しかしこちらの方でもやはり注意的にこういうことを掲げるということは悪いことではないと思います。このたたき台で私はいいだろうと思っております。

○池田委員 今の犯罪報道の現状の中で、かなり行き過ぎたと思われるようなものがあることは間違いないと思います。そういうこともあるので、前々から日本で陪審制度というのは、今の報道の在り方を考えると到底無理だというふうに思っていたわけですが、参審制度、あるいは今回の裁判員制度というのは、裁判官が加わるということなので、裁判官が、それまでに裁判員が得た資料に基づく何らかの考えによってではなくて、ここの法廷できちっと自分で見、自分で聞いた証拠によって判断していくんだということを話せば、かなり分かっていただけるだろう、その影響はなくなるだろうという期待ももちろんあるわけです。ただ、やはり今のこういった行き過ぎをなくすというようなことも必要なことで、このたたき台の趣旨というのは、全くそのとおりだと思います。訓示規定を設けるというのも、一つのアイデアだと思いますが、資料3、資料4、この協会だけでマスメディアを全部カバーできるわけではないわけですけれども、そういう中で自主的なルールをつくろうという動きがあることは結構なことだと思いますし、それをもっと進めていただいて、最終的にこういう規定を盛り込むのかどうかというのを決めていけばいいことかなという気がいたします。

○樋口委員 最近の未検挙の重大事件などでも見られるわけですけれども、一部に確かに過熱した事件報道があります。記事、報道によれば、だれが実行犯であるとか、だれが主犯格であるかといったことまで、かなり確定的に報道されることも見られるところだと思います。その場合の報道の在り方というのは、記事の一つのパターンは、そういった方向で捜査当局は方針を固めた模様といった報道が多いわけですけれども、読者からすればそういうことがいかにも事実であるといった印象を与えるものであろうと思います。といった実態からいたしますと、このイなんですけれども、偏見を生ぜしめないようにということなんですが、偏見を生ぜしめるかどうかの判定というのは、大変難しいところだとは思うんですけれども、こういった訓示規定はやはり重要で必要なものではないかと思います。

○土屋委員 もう繰り返しになりますので、私は、この条項の削除を既に求めておりますので、あえて言うこともないとは思うんですが、皆さんに御質問があれば、私は新聞協会を代表しているものでもありませんけれども、個人的に若干御説明しようかと思ったこともございます。ちょっと述べてよろしいですか。全く私の個人的な見解なんですけれども、この新聞協会の文章と、日本民間放送連盟の文章、二つの文章について、恐らく委員の皆さんは疑問に思っているのはこういうことかなというふうに予測している部分があります。その一つは、特に新聞協会の文章の2枚目の「3)協議機関について」と書いてあるところなんですが、言わば、これは担保措置といいましょうか、実施措置といいましょうか、そういった項目だと理解していただいていいと思います。こういう項目が具体的に盛り込まれて、原則として、問題がすべての報道機関に及ぶ場合に、地元の記者クラブと裁判所との間で協議して、具体的な対応を決めていこうという考え方を新聞協会は表明しております。もちろん、具体的な内容はこれからということなんですが、ただ、同時に新聞協会は、1枚目のところの真ん中辺ですけれども、「法曹三者や裁判員経験者との協議の場の設定に努めていく」ということも決めています。つまり、これから法曹三者の皆さんとも相談しながら、どういうガイドラインの在り方が妥当なのかということを協議していきますということも表明しているわけです。まだ制度ができてない段階で、新聞協会がこういった指針を示すことは極めて異例なことでありまして、大体今までは、法案ができたり、一つの形が明らかになった段階で、それに対しての意見を言っていくというのが通常なんですけれども、今回はそうではなく、自分たちの方からいろいろと協議をした上で指針を決めたということです。この若干の背景を御説明しますと、各社が、自分の社はこの問題について、報道の指針としてこういうふうにあるべきだと考えるということを決めて新聞協会にペーパーを出しました。それを基に各社が討議をして、それで一致したのがこの2枚のペーパーということです。ですから、意見は非常にさまざまあったのですが、その中で全員一致でまとまったのがこの内容だということです。協議機関を設けることによって、私は担保措置になり得るだろうというふうに考えています。なぜそうなのかという事情を御説明しないと分からないとは思うんですが、もう一つの方の民間放送連盟の方の文章には、ここまで具体的な協議機関を設けるというところまでいってないのではないかということを感じていらっしゃる方がいるかもしれませんが、民間放送連盟は裁判所と十分協議するというふうに表明をしております。私の受け止め方としては、これは実質的には同じだと思っております。なぜかといいますと、新聞協会には、新聞社のほかにNHK、それから民間のキー局が入っておりまして、活字メディアだけではありません。つまり、電波メディアも新聞協会のメンバーだということです。したがって、新聞協会で決めた内容というのは、日本民間放送連盟の方にキー局を通じて伝わらないわけがありません。キー局が日本民間放送連盟のメンバーでもあるという事情があります。ですから、重なってくる部分があるわけです。ただし、タイムラグがありまして、全く同じ内容でなかなか徹底することができないという事情があります。また、雑誌の方も、例えば新聞社の出版部門は日本雑誌協会のメンバーになっているんです。ですから、雑誌協会の動向というのも、新聞協会の動向と密接にリンクした状況になるということです。新聞協会が一定の方向性を出したということは、活字、電波、全体について大きな影響力を持つ指針になっているというふうに受け止めていただいていいだろうと思います。
 そういう意味では、私は実効性がある内容だと思うんです。もちろんここには書かれてないいろんな事情がありまして、私の体験なんかも含めてお話しなければいけないんですが、この指針に対して仮に違反行為があったらどうするんだと、そういう問題が恐らく疑問として出てくるだろうと思うんです。そのことについては今、新聞協会のところで、現地の協議機関というのを、地元の記者クラブというふうに決めました。これが実施されるとすれば、違反行為は記者クラブの総会にかかるテーマになります。記者クラブの総会にかかると、そこで言わば処分が決められたりしますと、当該記事を書いた記者、それからそれを公表した新聞社、テレビ局、そういったところが釈明を求められて、その説明が納得いかない場合には除名処分、あるいは登院停止、一定期間出入禁止、つまり記者クラブ主催の記者会見などには出られないというような制裁、そういったものが待っています。ですから、違反行為の防止を担保するものが何もないではないかというふうに疑問を抱かれるかもしれませんが、実はそうではなくて、いろいろそういった波及効果が出てくる問題だということです。言わば、間接的な、ガイドラインを守るための装置が既にあるということであります。今ここに出されたペーパーの内容を更にどういうふうに肉づけして、具体化していくかということについては、これからの制度設計と微妙に関係する問題でもありますし、時間もないということもあって、各社の意見を集約するのが非常に難しかった。そういう事情がありますけれども、これで終わりということではなく、更に内容が進むだろうというふうに受け止めていただいていいと思います。

○井上座長 どうもありがとうございました。どうぞ。

○樋口委員 基本的にこの案でよろしいんではないかという意見を申し上げた後でなんですけれども、このイを考えてみると、「偏見を生ぜしめないよう配慮しなければならない」とありますが、事件発生時点では、その事件が裁判員裁判の対象事件かどうか分かりませんね。訓示規定ですから、そこを詰める必要が必ずしもないのであろうとは思うんですが、それでよろしいのか、どうなのかという疑問を一言呈したいと思うんですが。つまり、例えば死体遺棄なのか殺人なのかで、裁判員裁判の対象事件となるかどうかが分かれますが、偏見を生ぜしめないというのは、裁判員裁判対象事件として起訴されてから以降の義務なのか、そうじゃないとしますと、起訴前も含めて事件報道全般にかかるのか、訓示規定であるということをどう考えるのか、ということです。

○井上座長 時期的な問題は、起訴後ということでは必ずしもないのではないでしょうか。

○辻参事官 余り詰めて検討しておりませんが、もちろん、おっしゃるように難しい事件というのはあるとは思いますけれども、少なくともその可能性があるものも含めて配慮してもらうというのが、一つの考え方かもしれませんし、あるいははっきりした時点で配慮してもらうということもあり得るかと思います。

○井上座長 土屋委員に、1点だけ御質問したいことがあるのですけれども、新聞協会と民放連のメンバーが重なっていることによって、かなり大きな指導力を持つだろうというお話しであったのですが、民放連の方は他の2団体とも協議しながらやっていきたいと書かれているのですけれども、そのための態勢というのは取られているのでしょうか。つまり、メンバーが重なっているから伝わっていくというより、団体と団体の協議態勢があるのかどうかということです。

○土屋委員 それは当然あります。

○井上座長 この問題についてはお話をなさっているんでしょうか。

○土屋委員 これは、実際にはしているはず、していないわけがないというか、つまりそれは、私が確認していないから断言できないだけでありまして、事柄の性質上、その辺りの意見交換をした上で出してきますから、これはしていると受け止めていただいていいと思います。

○井上座長 分かりました。どうぞ。

○本田委員 よく分からないんですが、日本新聞協会、あるいは日本民間放送連盟に加盟している社も当然あると思うんですが、加盟していない社も、例えば地方の新聞とかいろいろありますね。それはどれぐらいあるのか分かりますか。

○土屋委員 加盟していない新聞といっても、非常に難しいんですが、ミニコミ誌まで含めてしまうとどれぐらいあるんでしょうか。ちょっと数については把握できませんが、例えば、共同通信に加盟している社というのは、発行部数が3万部以上の新聞社というふうになっておりますので、それよりはもうちょっと発行部数が少ない社も含めて新聞協会には加盟しているということです。

○井上座長 その規模以上のところは、皆さん加盟しているということですね。

○土屋委員 そういうことです。

○井上座長 ほかの方、いかがですか。

○本田委員 もう一点、これはまだこの案が最終というわけではないので、まだ固まってないということは十分承知の上でお聞きするんですが、いろんな協議状況と書いてある中に、いろいろこういう方針でやるんだというときに、ほとんど「原則として」ということが書いてあるんですけれども、例外は何であるかということを協議されているのかどうかお伺いしたいと思います。

○井上座長 土屋委員が文章の作成をしたわけではないので、お答えしていただけるかどうか分からないですけれども、土屋委員、何かお分かりなら。

○土屋委員 つまり、それは全体の意見を集約するときに、「原則として」、でないとまとまらなかったというふうに受け取っていただいた方がいいと思います。例えば、個人情報の保護についても、全部報道を控えるべきだと主張する社もあります。そうではなくて、できる限り公開を求めるべきだと主張する社もあります。そういういろんな意見が原則としてというところでまとまったというふうに私は承知しております。

○本田委員 済みません。細かいことを聞いてしまいました。

○井上座長 今の段階では、そういうことで、これが今後どういふうに発展していくかということでしょうね。

○土屋委員 これは原則としてとは書いてありますけれども、例外的に報道をしてしまうというふうに受け取るのではなくて、報道を控えるというのが当たり前というか、そういう認識になっているというふうに受け取っていただいた方がいいと思います。

○井上座長 分かりました。
 まだ、語り尽くせないことがあろうかと思うのですが、一応ひとわたり御意見を伺いましたので、この段階ではこの程度ということにさせていただきたい。事務局の方では、提出していただいた資料を基になお検討されるということですので、それに大いに期待させていただきたいと思います。
 あと残ったのが「(4)出頭の確保」ですけれども、この点については、これまで異論がなかっのんですが、どうぞ。

○清原委員 私は、現在、事業主的立場にあるものですから、ちょっと調べましたところ、市役所でも、既に検察審査員に任命されたり、あるいは証人として裁判に出たケースがありまして、そのときには、現行の制度では、公務員の職務専念義務の免除というか、そういう形で出ていただいていたという経緯があるようです。ですから、今回このような裁判員休業という新しい制度をつくっていただくことは、むしろ明快になりますし、もし職員が抽出された場合に、私たちも送り出しやすいということですので、是非こうした制度はつくっていただきたいと思います。それから、私は、こういう制度に理解がありますから、裁判員制度のために仕事を休んだからといって、解雇とかその他不利益な取扱いをすることは絶対いたしませんが、事業主によっては、この制度の理解が不十分で、あり得ないとも限らない。ですから、そういうところも、今回しっかりたたき台には書いていただいているので、この方向で進めていただければと思います。たたき台では、市長は対象外だということなんですが、職員が私に代わってもし抽選されたら、出ていただくためにも、この制度は是非新設をお願いしたいと思います。

○井上座長 ほかによろしいですか。
 一通りたたき台の各項目について御意見をお伺いしたわけですが、清原委員、昨日いらっしゃらなかったので、もし今日御意見を表明されたこと以外に、昨日の事項について何か御意見があれば。

○清原委員 機会をいただきまして、ありがとうございます。昨日の皆様の激論に参加できなかったものですから、大事な焦点でもあります裁判官の数と裁判員の数について、皆様の御意見を聞いていないので、その中でどう位置づけられるかの把握はできませんが、個人としては、裁判官は3人で、裁判員はその裁判官とよりパートナーシップを持って議論できるためにも、私は従来6人説を主張しておりまして、それは変わりません。5人でもいいし、7人でもいいし、6人を軸として裁判官の数を3人と想定しておりますので、その倍程度の裁判員で裁判体がつくれれば、より充実した議論と裁判の公正性が高まるのではないかという意見を持っております。今まで、裁判官の数を言うチャンスがありませんでしたので、私の発言だけ不透明なところがございましたので、あえて裁判官3人ということを今日は言わせていただきます。以上です。

○井上座長 分かりました。 以上で、たたき台の各項目について一通り御意見をお伺いしました。あと何か言い残したことで、あえて追加したいということがあればお聞きしたいと思いますが、おさらいの議論としては、一応、よろしいですか。

○土屋委員 済みません。一つだけ注文なんですが、やはり裁判員の出頭の確保、このことは私は本当に気になっていて、出てきていただける条件の整備というのを、本当にしなければいけないと思っているんです。今、裁判員休業の話が出ましたけれども、そういう休業制度のほかに、一体どういうような措置が取り得るのか、所管庁で検討していただいて、こういうことがあり得るんじゃないかというようなことを事務局から聞いていただけると、アイデアを求めていただけるといいなと思ったりもします。我々が思い付いたことを言うだけでなくて、思わぬところでいいアイデアが出てくるかもしれませんので。

○井上座長 所管庁がどこになるにしろ、、そこだけの責任ではないと思うのです。法曹三者はもちろんですけれども、それ以外のところも協力していかなければいけない。これは、法制度として何かかっちりしたものをつくるということだけでは済まない問題であり、それがどういう形で実現し、実施に移されていくのかは分からないですけれども、そこに至るまでには、かなりの準備期間とか周知期間とかが必要だと思います。その期間を通じて、本当に様々に工夫していかなければならないと思うのです。一つには教育の問題があると思いますし、もう一つは、報道機関の協力ということが非常に大きいと思いますので、本日も、たくさん集まっきてくださっていますので、御協力を是非お願いしたいと思っております。

○酒巻委員 一言、たたき台には全然出てきませんが、今、教育とおっしゃったんですけれども、これはやはり先々非常に重要で、裁判員の要件が何歳以上となるか分かりませんけれども、これはもう即座に小学校ぐらいからやらなければいけないと思います。あとは、そういう点での報道も、是非積極的にやっていただければうれしいと思います。

○井上座長 そういうことを含めて、司法教育ということについても、顧問会議等で御議論いただいていると理解しております。
 ほかに御意見がないようですので、裁判員制度についてのおさらいの議論はこれで終わらせていただきたいと存じます。
 次回は、刑事裁判の充実・迅速化に関するおさらいの議論に入ることにさせていただきたいと思います。9月22日の午後1時30分からとなっておりますので、よろしくお願いいたします。次回と次々回は連日ではないのですけれども、連日的開催ですので、よろしくお願いしたいと思います。2日間どうもありがとうございました。