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裁判員制度・刑事検討会(第28回) 議事録

(司法制度改革推進本部事務局)



1 日時
平成15年10月28日(木)13:30~18:05

2 場所
司法制度改革推進本部事務局第1会議室

3 出席者
(委 員) 池田修、井上正仁、大出良知、清原慶子、酒巻匡、四宮啓、髙井康行、土屋美明、樋口建史、平良木登規男、本田守弘(敬称略)
(事務局) 山崎潮事務局長、大野恒太郎事務局次長、古口章事務局次長、松川忠晴事務局次長、辻裕教参事官

4 議題
「刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入」について

5 配布資料
資料1考えられる裁判員制度の概要について
資料2考えられる刑事裁判の充実・迅速化のための方策の概要について
資料3「考えられる裁判員制度の概要について」の説明
資料4刑事裁判の充実・迅速化についての意見募集の結果概要

6 議事

○井上座長 所定の時刻ですので、第28回裁判員制度・刑事検討会を開会させていただきます。
 本日も御多忙の折、お集まりいただきましてありがとうございます。
 第27回の検討会の後、予定していた日程が2回中止になっておりますが、本日は予定どおり開催することができました。
 まず、本日の進行及び今後の進め方などにつきまして、事務局から説明があるということですので、お願いします。

○辻参事官 まず最初に、予定しておりました検討会が、事務局の都合によりまして、しかも、直前に中止させていただくということになりまして大変御迷惑をおかけしたことと存じますので、その点をお詫び申し上げたいと思います。
 次に、今日を含めました今後の検討会の進め方につきまして、事務局として従来御説明してきた方針、この検討会の場で御協議いただいて御了解いただいた進め方を変更することになりましたので、そのことについて改めて御説明したいと思います。この点につきましては、この場に御参集の各委員の皆様には既に個別に御説明し、御了解をいただいているところでございますが、この場で改めて御説明したいと思います。
 9月の検討会におきまして、たたき台を素材としたおさらい的な議論が行われたわけでありますが、事務局におきましては、そのような議論を受けまして、次のステップ、作業の段階といたしまして、新しい制度の骨格を明らかにする案、仮に骨格案と申しますが、それを作成する作業を進めてまいりました。従来は、その骨格案をお示しして、更に検討会の場でも議論をいただくことになっていたわけであります。
 そのために、事務局といたしましては、検討会における議論の状況を踏まえることはもちろん、その他、各方面における検討の状況や様々な御意見をも参考にしながら検討をしてきたところでありますが、現時点においては、こうした様々な方面の議論の状況を踏まえて、なお検討が必要であり、事務局としまして、制度の骨格をお示しするというのは若干時期尚早であると判断するに至りましたため、当面、骨格案をお示しすることは見送らせていただくこととした方がよいのではないかと考えました。
 これまで申し上げてきた予定、この場でも御了解いただいてきた予定を変更することになったわけでございますので、その点はお詫び申し上げるともに、今回の予定の変更は、より良い制度設計を、幅広い御意見を参考にして行うためのものであることを御理解いただけますようお願い申し上げたいと思います。
 そこで、事務局におきましては、このような判断をするに至りましたことから、今後の検討会の進め方について、井上座長に御相談させていただいたわけでありますが、従前のたたき台につきましては、これを素材とした議論が相当程度積み重ねられてきておりまして、今後、更に議論を進め、深めていただくためには、何らかの新たな素材が必要ではないかと考えられましたことから、座長におかれまして、検討会におけるこれまでの議論を踏まえて、考えられる制度の概要の一例というものを作成していただけることとなったわけであります。この検討会におきましては、次の議論の段階として、これを素材として更に議論を深めていただくということではどうかということになったものです。
 そのように座長においてお示しいただくことになった案と申しますのは、これまで検討会において積み重ねられてきた議論の、ある意味一つの到達点を示すとともに、検討会はもとより、そのほかの、事務局あるいは各方面での今後の議論を更に深めることに資する材料を提供するという観点から、座長におかれまして、検討会でのこれまでの議論や、その素材となったたたき台を踏まえ、現段階において考えられる制度の概要の一例を作成いただいたものと承知しております。もちろん、座長に作成していただくものでありますから、今申し上げましたような経緯からも、事務局が作成する骨格案とは、基本的に性格の異なるものであるということです。
 事務局といたしましては、今後、骨格案を作成するに当たり、当然、座長に作成していただいた、考えられる制度の概要の一例の内容を参考にさせていただくわけでありますし、それを素材とした検討会その他の場における議論、意見をも参考にさせていただくことになるわけでありますが、座長の作成していただいたものの内容が直ちに事務局作成の骨格案になるというものではないということであります。
 事務局といたしましては、非常に御多忙な座長に多大な御配慮と御尽力をいただきまして、厚く感謝申し上げたいと思います。
 そして、検討会を含む各方面における検討の状況等を十分に踏まえつつ、平成16年通常国会に所要の法案を提出することができるよう、骨格案作成の作業を引き続き進めたいと考えているところでありますので、委員各位の御理解をいただければと存じます。以上でございます。

○井上座長 ありがとうございました。私からも、若干補足して御説明したいと思います。今も触れられましたが、さきの検討会で御了解いただいたように、事務局においては、9月の検討会でたたき台を素材とした第2ラウンド目の議論が一応終了したことを受けまして、次のステップとして骨格案といったものを作成するということで、その作業を進めてこられたものと承知しております。ただ、今般、現時点において骨格案を出すことは時期尚早であると考えられるので、なお、しばらく見合わせると判断されたということであります。
 そういう予定の変更を受けて、検討会の座長として、検討会を今後どういうふうに進めていけばよいかということについて、事務局の方とも御相談した結果、これまでのたたき台については、これを基にした議論を既に相当程度積み重ねてきたところでありますので、今後この議論を更に前に進めていくためには、何らかの新たな素材が必要であろうと思われることから、これまで検討会において積み重ねてきた議論を踏まえつつ、座長としての立場で、現段階において考えられる裁判員制度の概要の一例というものを作成し、検討会でこれを素材として更に議論を深めていただいてはどうかというふうに考えるに至ったわけでございます。
 こういう予定の変更と、座長としての対応措置の決定につきましては、本来、検討会を開いて、皆さんに御協議いただくべきところでありましたけれども、そのためだけに、それぞれお忙しい方々にお集まりいただくのもどうかと考えまして、持ち回りの形で皆さんの御意見をお聞きしたところ、委員の皆さんも、こういう予定の変更を了承されるとともに、座長として、今申したような対応をすることについて御賛同くださいましたので、急いで、それぞれ本日、お手元に資料1、2としてお配りしてあります、「考えられる裁判員制度の概要について」というペーパーと、「考えられる刑事裁判の充実・迅速化のための方策の概要について」というペーパーの二つを用意させていただいた次第です。
 これに加えまして、検察審査会制度についても議論してきたわけですので、同じ趣旨のペーパーを用意させていただくつもりでありましたけれども、大学での本業を抱えながらの作業でありましたので、本日までに間に合いませんでした。次回の会合までには作成し、お示しできればと考えております。
 これらのペーパーの位置付けについて、誤解のないように付言させていただきますと、これらのペーパーは、私自身の考えや選択というものも加わっているという意味で、検討会におけるこれまでの議論の結果を単に整理したというだけのものではありません。しかし、また同時に、検討会でのこれまでの議論やたたき台をあくまで踏まえているという意味で、私個人がもともとこう考えていたという、そういう私本来の考えそのものというわけでもない、ということを御了解いただければと思います。
 また、先ほども触れられましたが、これは、検討会としての案というものでないことはもちろんであり、事務局のたたき台と同じように、あくまで検討会における今後の議論の素材としていただくために作成したものにすぎません。検討会として何らかの提言を取りまとめることを予定しているわけではありませんし、これらのペーパーを基に検討会案のようなものを作成することは全く考えていないということも、皆さん御了解いただけると思います。
 こういう方針をとるに至ったことについては、皆さん既に御了解いただいていると承知しておりますが、改めまして、事情を御賢察の上、御確認いただければと思います。
 ここまでの点で何か御質問等ございますか。よろしいですか。それでは、先ほど来、御説明した方向で議論を進めたいと思います。
 本日の進行なのですけれども、私から最初に「考えられる裁判員制度の概要について」という表題のペーパーの内容を御説明し、その後、皆さんで御議論いただければと思います。
 2番目の「充実・迅速化」のペーパーにつきましては、今日、それまで御説明しますと、説明だけで全部終わってしまうかもしれませんので、検察審査会制度に関するペーパーと合わせて、次回に御説明することにさせていただければと思います。
 それでは、「考えられる裁判員制度の概要について」というペーパーについて御説明したいと思いますが、御説明がかなり長くなると思いますので、お手元に、資料3として、説明文を配布させていただいております。充実・迅速の要点の一つである口頭主義には反するかもしれませんけれども、より良く理解していただくために、用意させていただきました。適宜、「概要について」というペーパーと説明文を見比べていただきながら、お聞きくださればと存じます。
 説明文の「第1 作成の経緯」というところは、既に御説明したところですので省略しまして、「第2 全体の構成について」というところから始めることにいたします。
 このペーパーの全体の構成ですが、基本的に、御覧になればお分かりのように、事務局が作成されたたたき台の構成に従っています。検討会における、特に第2巡目の議論は、このたたき台を素材として、その項目に沿って行われてきましたので、今回のこのペーパーも、それをベースにして作成した次第です。
 このペーパーでは、たたき台の内容を変更したり、あるいは、たたき台ではA、B、Cといったような選択肢の形で示されていた点について一つに絞ったり、二つの選択肢を一つにまとめたところもありまして、そういうところは、分かりやすいように赤字で記載しております。
 お示しした案の内容をすべて網羅的に御説明することは時間的に不可能ですし、お配りしてある説明文をすべて読み上げることも時間的にかなり困難ですので、赤字で記載した部分を中心にして、主要な点に重点を置いて、多少はしょりながら説明させていただくことにしたいと思います。
 まず、最初の頁の「1 基本構造」の(1)の部分は、たたき台とは若干項目立てを変えておりまして、(1)を「合議体の構成」という項目にして、その下に、「ア 裁判官の員数」、「イ 裁判員の員数」という小項目を立てております。これは、検討会での議論の仕方に合わせた構成としたものです。
 まず、「ア 裁判官の員数」につきましては、「裁判官の員数は、3人とするものとする。」としております。この点につきましては、検討会においてかなり時間をかけて議論していただきましたが、裁判官は3人とすべきであるという御意見が大勢であったといえます。
 これに対して、裁判官は一人ないし二人とすべきであるとする御意見もあったことは御承知のとおりでありますが、その理由として、一つには、新たに裁判員が加わる制度を採用するのであるから、裁判官だけで裁判を行っている現行法の員数を所与の前提とせず、新しい発想で制度設計をすべきであるということが挙げられておりました。
 新たな制度なのだから既存の制度を所与の前提とすべきでないというのは、その限りでは成り立つ考え方のようにも思えますが、しかし、だからといって直ちに裁判官は3人ではなく一人又は二人で足りる、あるいは、一人又は二人とすべきである、という結論は、当然には導けないのでありまして、その点について、少なくともこれまでの議論をお伺いした限りでは、そのような結論を導けるだけの積極的かつ実質的な理由が十分示されたかは疑問のように思われます。
 確かに、裁判員制度は、国民が自律的・主体的に裁判に参加する制度であり、そこで裁判官に求められているのは、プロとしての知識・経験を提供し、裁判員を補助することであるから、経験10年以上の裁判官であれば、一人でもその役割を十分に果たすことが可能であるという御意見はありました。この御意見は、裁判員が中心となって判断をし、裁判官はサポート役としてこれを支えるという制度イメージに立っているように思われますけれども、しかし、審議会意見書は、御承知のように、「裁判官と裁判員が責任を分担しつつ、法律専門家である裁判官と非法律家である裁判員とが相互のコミュニケーションを通じてそれぞれの知識・経験を共有し、その成果を裁判内容に反映すること」、「裁判官と裁判員との相互のコミュニケーションによる知識・経験の共有というプロセス」に裁判員制度の意義があると指摘しております。このように、審議会意見は、「裁判官と裁判員との相互の」、つまり一方向ではなく、双方向のコミュニケーション、「知識・経験の共有」ということを強調しているのでありまして、そこでは、裁判官と裁判員のどちらか一方が中心あるいは主役というのではなく、裁判官と裁判員のいずれもが主役であり、それぞれ異なるバックグランドを持ちながらも、対等な立場で、かつ相互にコミュニケーションを取ることにより、それぞれの異なった知識・経験を有効に組み合わせて共有しながら、協働して裁判を行うという制度が構想されているものと考えられます。
 しかも、いかに新たな裁判員制度を導入するといいましても、それは全体としての裁判制度の一部を構成するものになるわけですから、裁判制度全体としての整合性が取れたものとする必要があるわけです。その観点からしますと、後で述べますように、最も重大な範疇の罪の事件を裁判員制度の対象としつつ、法定合議事件の一定部分は現行どおり裁判官のみの合議体で裁判するということを前提とする場合、最も重大な範疇の罪の事件を担当する裁判体の裁判官を一人又は二人とするのは、それよりは軽い罪の事件が裁判官3人で構成される裁判体によって裁かれることとバランスを失することになり、適当でないと思われます。検討会の議論でも、何人かの方々から同様の御指摘があったところであります。
 現行の制度で、最も法定刑の重い範疇の罪が必ず3人の裁判官の合議体で裁判しなければならないという、いわゆる法定合議事件とされているのは、そのような事件の場合には、事実問題についても法律問題についても、裁判所による判断が死刑や無期ないし長期の自由刑という重大な刑罰に結びつき得ますので、3人の裁判官の専門的知識・経験を持ち寄ることにより、より適正な判断がなされることを確保しようとしたものと考えられます。
 それらの最も法定刑の重い範疇の罪の多く、その中でも死刑・無期刑など特に重い刑に当たる罪が新たに裁判員の加わる裁判体によって裁かれることになっても、そういう事件においても、少なくとも法律判断や訴訟手続上の判断、更には、憲法判断が必要とされる場合には憲法判断を、裁判官が行うことに変わりはないのに、その裁判官の数が現在より少なくてよい、あるいは少なくすべきであるというのは、理に悖るのではないかと思われます。そういう結論を仮に導けるとしても、それを正当化できるだけのよほど確固とした理由がなければならないはずですが、検討会におけるこれまでの議論では、そのような理由が示されたとは私には思えないわけです。
 その上、これまでの検討会でも御指摘のありましたが、後に評決要件のところで出てきますように、裁判官の1名以上及び裁判員の1名以上が賛成することを評決のための必要条件とすることになっているわけですが、そのことを前提にした場合、裁判官をもし一人としますと、その一人の裁判官のみの意見で結論を左右することが可能になってしまい、せっかく裁判員が加わって裁判する意味、あるいは更に、重大な事件であるので合議体で裁判することにしている意味すら、薄れさせることにもなるのではないかと思われるわけです。
 また、裁判官を二人とした場合には、裁判官の判断事項について裁判官二人の意見が分かれたときの解決に窮することになる点、これも御指摘がありましたが、そのことも見逃せない点であります。この点については、そのような場合、裁判長の判断による、あるいは、被告人に有利な結論を採る、ということにすればよいという御意見もありました。しかし、このうち、裁判長の判断によるとすることに対しては、裁判官は合議体の一員である場合も、それぞれが独立し、対等の立場で、法と自己の良心に従って意見を述べ合い、それを通じて合議体としての意思を形成することが想定されているのに、ある地位にいる者の意見が結局は常に優先されるといった制度を採るのは、そのような基本的想定に反し、裁判官の独立に重大な悪影響を及ぼすという御指摘があったところです。また、被告人に有利な結論を採るということに対しても、法令解釈や訴訟手続上の判断には、いずれの結論が被告人に有利なものであるか決し難い場合があるという御指摘などがありました。私としても、これらの御指摘には十分な理由があり、それら二通りの解決方法はいずれ妥当でないと考えた次第です。
 次に、裁判員の員数の方に移りますと、こちらは、そこにお示ししているように、「裁判員の員数は、4人とするものとする。ただし、検討会における議論を踏まえると、5人ないし6人とすることも考えられるので、なお検討を要する。」としました。
 この点についても、これまでの検討会で非常に活発な議論が行われ、様々な御意見が述べられたところであります。それらの御意見の結論部分を整理しますと、大きく三つのグループに整理できるだろうと思われます。一つ目は、裁判官3人に対し同数程度、あるいは3ないし4人の裁判員という御意見、二つ目は、裁判員は5ないし6人という御意見、そして三つ目は、裁判員は9ないし12人という御意見であります。これらの中では、最初の同数程度、あるいは3ないし4人という御意見が相対的多数であったと言えると思います。
 各委員の御意見の理由は多岐にわたりますが、私としては、検討会の議論でも何人かの方々から御指摘のあったとおり、合議体の構成員による評議の実効性を確保するという観点からも、また一人一人の裁判員が責任感と集中力をもって裁判に主体的・実質的に関与することを確保するという観点からも、合議体全体の人数をあまり多数とすることは適当でないと考えます。
 特に、審議会意見が求めているように、評議によって産み出される判決においては、単に結論だけでなく、その結論に至る実質的な理由が示されなければなりません。そのためには、評議においては、判決の理由についても突っ込んだ意見のやり取りをし、できる限り全員の合意を得る、あるいは、少なくとも、多数の意見が一致するまでの詰めを行う、ということが必要であるわけで、そのような実質を伴う評議を行うことができる人数には自ずから限界があると思われるわけです。
 この点で、裁判員制度の場合の判決書は、現在のような詳密なものでなくてもよいし、また実際上そうはなり得ないという御意見もありました。しかし、裁判員制度の下でも、判決理由の書き方や詳細さの程度に違いが生ずることはあっても、判決の結論に至る事実認定や推論の道筋が実質的に示されていることは必須であり、審議会意見書が「裁判員が関与する場合でも、判決書の内容は、裁判官のみによる裁判の場合と基本的に同様のものと」すべきであるとしているのは、正にそのような趣旨だといえます。
 いま一つ忘れられがちな点を付け加えておきたいと思います。後述のように、裁判員の加わった裁判体による有罪・無罪の判決に対しても事実誤認や量刑不当を理由とする控訴を認め、裁判官のみで構成される控訴審裁判所がこれを審査して、その判決に誤りがあると認めたときはこれを破棄することができることとするとして、そのような制度が正当化される論拠はどこにあるかということであります。検討会で議論した限りでは、控訴審裁判所が行うのは、第一審と同じような裁判を新たにやり直すことではなく、あくまで第一審裁判所の判決を前提として、その内容に誤りがないかどうかを記録に照らして事後的に点検するという事後審査であるから、性質上、それを行うのに適しているのは裁判官のみの合議体だといえるし、そのような合議体に事後的な点検を行わせることは、裁判員の加わった裁判体の判断をないがしろにするものではない、という点に正当化の根拠を求めるほかないように、少なくともここでの議論を前提にする限りは、そのように私には思われるわけです。そして、そのような事後的な審査を可能にするためには、どういうことがなければいけないのかということを考えてみますと、第一審裁判所の判決において、基本的な事実関係や争点について、どのような証拠をどう評価して、どのような事実があった、あるいはなかったと推認したのか、そして、そのようにして認定された数々の事実からどのような推論を経て最終的な結論を導いたのか、といった事実認定ないし推論の道筋が明示されていることが必要だと考えられます。そうであってはじめて、記録と照らして、その道筋に誤りがあったかどうかを点検することができるのであります。そうではなく、控訴審裁判所がもっぱら記録だけを頼りに審判する場合には、控訴裁判所としてどういうことができるかといいますと、その記録を調べて独自の心証を形成し、その心証に照らして第一審裁判所の判決の結論が合致していれば、原判決を維持する。しかし合致していなければ破棄するという以外にやりようがなく、結局、実質的には、全く新たな裁判を、しかも、基本的には記録のみに基づいてやり直しているのと同じことになってしまって、正当化の根拠と符合しないというか、それが失われてしまうと思われるわけです。
 両当事者から見ましても、どういう理由で判決の結論が導かれたのか、自分たちの主張についてどのように判断されたのかが明示されていた方が、納得し易いわけですし、納得できなくて控訴を申し立てようとする場合にも、そのような事実認定ないし推論の道筋が明示されていなければ、控訴の理由となる問題点を具体的に摘示することは難しくなると考えられます。
 この評議の実効性という点については、例えば、12人で構成される英米の陪審やフランスの参審などでも、評議による議論は活発になされているという声も聞くわけですが、しかし、いずれにおいても、説明文に書きましたようなことから、評議における議論自体は活発になされるとしても、今申したほど精度の高い詰めまで行う必要はなく、実際にも、そこまでの詰めは行っていないし、また、行うのは極めて困難であるように思われます。そこでは、判決書にも有罪・無罪の判定や量刑についての実質的な理由は一切示されません。
 もちろん、さきに述べたような判決の結論に至る事実認定ないし推論の道筋、判決の実質的な理由について、詰めた評議を行い、合意を得ることが可能な人数は具体的にどれくらいと考えるかは、人によってある程度異なり得るだろうと思います。
 他方、アドホックに加わる非専門家である裁判員が、法律専門家である裁判官との関係で、主体性を発揮し、実質的に裁判に関与することができるためには、裁判員の数は裁判官の数の2倍あるいは3倍以上でなければならないという御意見もあるわけですが、この数字も、確たる根拠を有するものでは必ずしもなく、むしろ、多分に象徴的あるいはスローガン的な意味合いで用いられているところがあるように私には思われます。そして、その前提として、裁判員と裁判官とはグループとして対立・対抗する関係に立つ、特に、裁判官が自分達の意見を押しつけようとするのに対して、裁判員は数で対抗するしかないといった捉え方や、あるいは、裁判員が中心ないし主役であり、裁判官はそれを補助する役割にとどまるという捉え方をもしされているのだとしますと、先ほど述べたような審議会意見が提案する裁判員制度の基本構想とは異なる発想によるものだといわなければならないように思います。
 そうではなく、その御意見の趣旨が、素人であり、初めて裁判員となった人が、プロの裁判官達の前で臆せずものを言うことができるようにするためには、同じような立場の人がある程度の人数いた方がよいということであるならば、それはそれで理由のないことではないように思われます。ただ、その場合も、どれくらいの人数が必要であるかは一概には言えず、これまでに挙げられた数字も、多分に感覚的なものでしかないように思われるわけです。
 以上述べたような考慮から、合議体全体の人数をあまり多数にはしないが、同時に、裁判員が意見を言いやすくするという意味で、裁判員の方が裁判官よりも若干多い構成とするのが適当ではないかと考え、裁判官3人に対し裁判員4人とする案をお示しした次第であります。
 ただ、検討会でのこれまでの議論で裁判員の数を9人以上とする御意見であった方は、自分の説が採用されない場合は、恐らく裁判員5人ないし6人という意見を支持する方にまわられるであろう。その場合には、5ないし6人という御意見も相当の数となるわけであります。そういうことから、合議体構成員全体の数が8とか9になるのは、先ほど述べたような意味での評議の実効性の確保という観点からは、やや多過ぎではないかという感じもしないではありませんけれども、全く考えられないというものでもないと思われましたので、「ただし、検討会における議論を踏まえると、5人ないし6人とすることも考えられるので、なお検討を要する。」という留保を置いた次第です。
 以上が、合議体の構成についての御説明ですが、この部分は、特に様々な御意見のあるところでありますので、この私の例というのも一つの素材として、更に御議論いただければというふうに考えています。
 次に、2頁になりますが、真ん中の方の「(3) 評決」の項に移ります。アとして「裁判は、裁判官と裁判員の合議体の員数の過半数であって、裁判官の1名以上及び裁判員の1名以上が賛成する意見によらなければならないものとする。」といたしました。これは、御承知のようにたたき台にA案として掲げられていたものであります。
 この点では合議体の3分の2以上の特別多数決とすべきとの御意見もあったわけですが、むしろ、このA案を相当とする御意見が大勢であったといえます。
 内容的に考えましても、検討会の議論でも御指摘のあったところですが、現行の裁判所法では、御存じのように、評決について過半数の多数決によるという制度が採用されておりまして、この点は、裁判員制度の導入後も裁判官のみによる裁判については維持されることになります。そうであるのに、裁判員制度の下における評決についてのみ、これと異なる評決要件を定める合理的な根拠を見出すのは困難だと思われます。それどころか、裁判員が加わったがために評決要件を加重するというのは、裁判員が加わって行われる判断に不安があるからより厳格にしたという意味合いすら持ちかねず、適当ではないと思われます。これも検討会で御指摘のあったところです。そのような理由から、たたき台のA案を採ることにしたものであります。
 これに対して、合議体の3分の2以上の特別多数決とすべきであるという立場からは、現在の3人合議制の下では、過半数による評決をしても、少数説は一人にとどまる。しかし裁判員制度においては、合議体の構成員が増えるわけですので、過半数による評決では、例えば、被告人を有罪とする多数説に対し無罪とする少数説も半数近くにのぼることがあり得るわけなので、そういう場合でも、被告人の有罪が合理的な疑いを超えて証明されたといえるのか疑問である、という趣旨の御指摘がありました。しかし、現行法におきましても、御承知のように、最高裁や高等裁判所の特別管轄事件では5人の合議制あるいは15人の合議制が取られておりますけれども、それらの場合にも過半数が評決要件とされているのでありまして、裁判員制度においてのみ別に扱う理由はやはりないのではないかと考えました。
 次に、「(4)対象事件」の「ア 対象事件」というところで、まず「(ア)原則」として、「死刑又は無期の懲役若しくは禁錮に当たる罪(内乱罪を除く)に係る事件」と「法定合議事件であって、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪のもの」、この二つを裁判員制度の対象事件とすることとしております。
 御承知のように、たたき台では、A、B、Cという三つの案が掲げられていたわけですが、そのうちB案とC案とを合わせたものであります。
 検討会においては、法定合議事件とするというA案を支持する御意見、あるいは「法定合議事件であって故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪」とするというC案、このいずれかを支持する御意見もありましたが、B+C案という説が多数説であったといえます。
 内容的に見ましても、法定合議事件の中には、文書犯罪等、実質的に見て、裁判員が入って裁判してもらうほどの意味はないものもあるという御指摘があったところでありますし、B案にC案を加えれば、審議会意見が裁判員制度の対象事件とすべきであるとしております「国民の関心が高く、社会的にも影響の大きい」事件はほぼ含まれることになるだろうと思われましたので、このような案とした次第であります。
 次が3頁の方に行きまして、中ほどの「ウ 事件の性質による対象事件からの除外」というところですが、これは検討会のこれまでの議論でも、このような除外の制度を設けるべきだという御意見が多数であったように思われます。
 実質的に見ましても、裁判員となる国民に過度の負担を負わせないようにするとともに、裁判の公正さを確保するためには、恐らく実際にはごくごく例外的な場合であることには間違いないと思いますが、そういう例外的な場合に、一定の事件を裁判員制度の対象から除外することはやむを得ないと思われますので、そのような除外の制度を設けるということにいたしたわけであります。
 ただし、たたき台の案で示されていた具体的な要件につきましては、より明確なものとすべきであるという御指摘が複数の委員からありましたので、それを踏まえまして、除外の要件は、そこに書きましたような形に改めることを考えてみました。たたき台の案との具体的な違いは3点ありまして、1点目は、例示としてあげられていました「民心」という、あまり評判がよくなかった文言を削除したこと、2点目は、同じく例示としてあげられていました、裁判員等を「畏怖させてその生活の平穏を侵害する行為がなされる」という部分を、裁判員等の「生活の平穏を著しく侵害する行為がなされる」というふうに改めたこと、そして、3点目は、「公正な判断ができきないおそれがあると認めるとき」とされていたところを、「裁判員に公正な判断を期待することができない状況があると認めるとき」というふうに変えたことであります。
 いずれも、裁判員制度の対象から除外する範囲を限定するとともに、その要件をより客観的で明確なものにするという趣旨によるものであります。
 一応こういう修文を試みてみたわけでありますけれども、これで先ほどのような委員の御指摘に十分答えるものとなっているかどうか、他の可能性もあるのではないか、そういう点も含めて更に検討が必要と思われますので、全体をカギ括弧で括ってその旨を付記した次第です。
 次が、3頁の下の方ですが、「2 裁判員及び補充裁判員の選任」の「(1)裁判員の要件」についてというところでは、「裁判所の管轄区域内の衆議院議員の選挙権を有する者であって、年齢25年以上のものとする。」という案をお示ししております。
 この点については、たたき台では、年齢の下限を20歳とするA案、25歳とするB案、そして30歳とするC案の三つの案が示されていたわけでありますが、今回の案はそのうちのB案を採ったものであります。
 検討会の議論では、A案を支持する御意見もありましたけれども、B案又はC案のどちらかという御意見を含めますと、B案に賛成する御意見がおおむね大勢を占めたと思われます。
 審議会意見書がいうように、裁判員制度の趣旨が「裁判内容に国民の健全な社会常識がより反映されるようにする」ということにあることからしましても、社会に出てある程度経験を積んだ人を裁判員とするのが適切ではないかと思われましたので、こういう案とした次第であります。
 次に、3頁の下からカギ括弧に入るのですが、本体の方は4頁の方で、「(2)欠格事由」のアの(ア)です。ここでは、赤字にしていないことからお分かりのように、たたき台どおりの案としております。
 検討会の議論では、この要件に代えて、「日本語を理解しない者」ということを欠格事由とすべきであるとの御意見もあったわけですが、その御趣旨は、中学校卒といった学歴の有無にかかわらず、裁判員として必要とされる学識・能力を有するということで足りるのではないかということであったように思います。しかし、この点はたたき台の案でも、「中学校卒業者に限る」とはしていず、「中学校卒業と同等以上の学識を有する者」であれば、資格を有するということにしていましたので、「学歴」という表現から受ける印象を別にすれば、結局、求められている内容はほぼ同じになるのではないかと思われます。しかも、判断基準としては、中学校卒業といったある程度客観的な基準を立てておいた方が望ましいのではないかと考えられることから、たたき台の案を維持することといたしたわけであります。
 次が、同じ項目の(ウ)ですが、ここは赤字で書いております。たたき台では、「心身の故障のため裁判員の職務の遂行に支障がある者」という欠格事由を設けるという案と、そういうものは設けないという案との選択肢が示されていたわけですが、ここでは、設けるという、たたき台ではA案として示されていた案を採っております。
 この点も、検討会においては、B案に賛成の御意見もあったわけですが、大勢はA案を支持する御意見であったように思われます。
 しかも、内容的に見て、B案を支持された方も、心身の故障のために裁判員の職務の遂行に支障がある場合があるということは認められていたわけでして、そうであるとすれば、職務の遂行に支障があると認められるのに職務を行うことができるというのは矛盾ですので、制度として合理性を欠くことになるように思われます。そういうことから、A案を採ることとしたというわけであります。
 次は、「(3)就職禁止事由」ですが、ここは、御覧のように赤字は全くなく、たたき台の案をそのまま維持しております。
 検討会の議論では、たたき台の案では就職禁止事由は広過ぎるのではないかという御意見や、職業による就職禁止の制度は設けるべきでなく、辞退事由とすることによって対応すべきであるという御意見もありました。ただ、その際にも申し上げたと思いますが、たたき台の案では具体的な職業が列挙されているわけですけれども、ここに掲げられた個々の職業につきましては、今後、条文化する段階で、法制的な観点等からも再度検討がなされると思われることから、検討会では、たたき台に掲げられた一つ一つの職業について、これを就職禁止事由とすべきかどうかという議論をするのではなく、むしろ、その案の基本にある考え方、つまり、三権分立の観点から司法権の行使にかかわることが望ましくないと思われる職業、及び非法律専門家である国民が参加することによって社会の健全な常識を裁判内容に反映させるという裁判員制度の趣旨から裁判員になることが望ましくないと思われる職業、こういう二つのカテゴリーを就職禁止事由とするという基本的な考え方の当否というところに焦点を当てて議論をしていただいたというふうに理解しております。
 今回の案も、個々の職業について逐一検討した上のものではなくて、その点については、今お話したように、今後、条文化の作業において更に法制的な面等を含めて検討がなされるということを前提としまして、むしろ基本的な考え方、方向性を示したものと受け取っていただければと思います。そのような観点からしますと、検討会の議論では、たたき台の基本的な考え方そのものについては、それでいいのではないかという意見が多数を占めたように思われます。私なりに考えましても、その二つの観点から就職禁止事由を設けるという基本的な考え方には理由があると思われましたので、現段階の案としては、たたき台の案をそのまま採ることにしたものであります。
 次は、「(8)裁判員候補者の召喚」ですが、これは後ろの方の6頁のところから始まっていますけれども、御説明申し上げるのはむしろ7頁の方です。(ア)については省略しまして、赤で書いた(ウ)について御説明申し上げます。これは、基本的には、たたき台のB案によったものですが、B案的な方向でいくことについてはそれほど特段の御異論がなかったと思います。ただ、内容について若干手直しを行いました。つまり、たたき台の案では、質問票に対する回答内容だけが守秘義務の対象とされていたわけですが、それと同様に、事前に開示される裁判員候補者の氏名についても、正当な理由なく漏らしてはならないものとすべきだろうと思われましたので、それを加えた次第です。
 次は、「(9)質問手続」の「イ 質問手続」の(オ)です。これは、ペーパーの8頁になりますが、赤線で「理由付き忌避」という文言を消して、「(ウ)の申立て」という形にしております。これは、二つ前の(ウ)のところを御覧になればお分かりになると思いますが、両当事者からは、理由付き忌避の申立てのほかにも、欠格事由や就職禁止事由、あるいは除斥事由が存在するという申立てがなされることがあり得るわけで、それを却下するということがありますので、その場合にも、同様に不服申立てを認めるのが適当だろうと考え、不服申立ての対象を広げるという意味で、(ウ)の申立てを却下するというふうに修正をしてみたわけであります。
 次に(カ)ですが、これはいわゆる「理由なし忌避」ができる数ですけれども、たたき台では、裁判員の数自体が未定であったために、それがはっきりしませんと、理由なし忌避ができる数についても議論しにくいということで、空白のままにされていたわけです。これまでの検討会でも、議論はしていただかなかったのですが、法案化に当たっては、当然その数を定めなければなりませんので、これからの段階においては、理由なし忌避の数について、どういう考え方からその数を決めていけばいいのか、御意見をいただいておいた方がよいと考えました。その議論の素材とする趣旨で、仮に先ほどお示ししたように、裁判員を4人とすることを前提にした場合に、このくらいの数とすることが考えられるのではないかということで、お示ししたものです。
 何故3人ないし4人かということですが、審議会意見書では、「選挙人名簿から無作為抽出した者を母体とし、適切な仕組みによって最終的には公平な裁判所による公正な裁判を確保できるような仕組みにすべきである」、そういう選任のシステムをつくるべきであるとされており、その「適切な仕組み」としては、たたき台においても、検討会のこれまでの議論においても、欠格・除斥といった制度に加えまして、当事者による忌避というものが最後のスクリーニングの方法になることが想定されていたわけです。ところが、理由付きの忌避というものは、「不公平な裁判をするおそれがある」ということで忌避をするわけですが、個々の裁判員候補者について、具体的な根拠に基づいて、この人は「不公平な裁判をするおそれがある」とまで言える場合というのは、実際上かなり限られるように思われます。しかし、当事者としては、その点につき、はっきり疎明のようなことはできないのだけれども、不安を持っているという場合に、それを取り除き、公正であると当事者からも信頼してもらえる裁判所を構成できるようにするために、一定の範囲で、当事者が理由を示さずに忌避することを認めようというのが、理由なし忌避制度の趣旨でありますので、当事者がそれを行使できる数があまり少ないと実がないことになってしまいます。しかし、他方、あまり多くなりますと、当事者双方ともその数を行使できるわけですので、除斥等で排除されるという可能性も考えますと、裁判員選任のために召喚すべき裁判員候補者の数が非常に多くなって、実際上の取扱いが困難になると考えられます上、アメリカなどで指摘されますように、当事者によってこの忌避が訴訟戦略的に使われるという弊害を招くおそれもないとはいえません。こういう両面の考慮から、あくまで裁判員の数を4人とすることを前提とした場合にということですが、一つの目安として、当事者いずれについても、理由なし忌避の数は裁判員の員数よりやや少ないか同数程度の3ないし4としてはどうかというのが、今回お示しした案の考え方です。これは一つの素材にすぎませんので、これを手がかりに、基本的な考え方について、ぜひ議論していただければと存じます。
 次に、「3 裁判員等の義務及び解任」のうち、9頁の「(2)裁判員及び補充裁判員の義務」のオです。ここも赤字がありませんように、たたき台どおりの案をお示ししております。
 このたたき台の案については、検討会の議論でも、これを支持する御意見が多数であったと思われます。もっとも、それを前提としながらも、守秘義務の対象となる「評議の経過」というものの範囲を明確にすべきであるという御意見もありました。しかし、その際にも御指摘があったと思いますが、「評議の経過」という用語は、現在の裁判所法でも使用されておりまして、それ自体は明確な内容を持った用語であると思われますので、その点については、特に変更を加えませんでした。
 また、委員の中には、守秘義務の期間を限定するとともに、守秘義務の範囲を、裁判官と裁判員の個別意見の内容、評決結果及び合議体で秘密とする旨の合意をした事項に限定すべきであるとの御意見や、自己の意見を公表することは許すべきであるとの御意見をお持ちの方もおられました。しかし、検討会での議論でも御指摘のあったように、この守秘義務は、裁判の信頼性や、評議において合議体の構成員が安心して自由に意見交換をすることができることを確保するとともに、事件関係者のプライバシーや秘密を保護するために設けられるわけですので、仮に期間の経過によりそのような必要がなくなることがあるとしましても、それほど短い期間ではあり得ないと思われますし、また、それがどれくらいの期間であるかは、一概に、あるいは一律にいうことは困難であると思われます。また、他人のプライバシーや秘密にわたることについて、当のプライバシーの主体でない者が秘密とする範囲を決めるというのはおかしなことだと思われます。さらに、自分の意見であっても、それは当該事件の審理や証拠から得られた情報に基づき、あるいは、合議体の他の構成員との意見交換を通じて形成されたものであり、しかも、評議の過程で述べられたものでありますから、それを対外的に公表することを許すのは、評議の秘密の制度趣旨に反するように思われます。実際、多くの元裁判員がそれぞれ自分の意見を公表すれば、評議の内容はおのずから明らかになってしまいますし、また元裁判員が評議の過程で述べた意見とは異なることをそれが自分の意見であったとして公表したようなときには、誤解や紛糾を生じさせ、裁判の信頼性を損ねることにもなりかねないと思われます。そのようなことから、今回の案とすることにした次第であります。
 次が、10頁の「4 公判手続等」の「(3)弁論の分離・併合」というところです。この点について、たたき台では、「迅速で、裁判員に分かりやすい審理の実現という観点から、弁論の分離・併合の在り方について検討し、必要な措置を講ずるものとする。」とされておりまして、これに基づいて検討会において議論が行われました。委員の間からは、刑の調整規定を設けるべきであるといった御指摘があり、いくつかのアイディアも出されたわけですが、御承知のように、これはなかなか難問でありまして、解決の仕方によっては刑罰制度の在り方や裁判員制度対象事件以外の刑事事件の処理にも波及し得る問題でありますので、軽々には決められないところがあり、その可否や内容など、今後更に検討することが必要であると考えられます。そこで、現段階では、「刑の調整のための制度について、更に検討するものとする」と、こういう表現に留めた次第です。
 次は、11頁のところから始まる「(7)証拠調べ手続等」の「イ 証拠調べ等」です。もう一枚めくっていただきまして、上から五つ目の○印の赤字部分を修正しました。「第1回公判期日前の裁判官による証人尋問」というところですが、たたき台では、「第1回公判期日前の裁判官による証人尋問の活用を拡充すること」とされていたのみで、具体的にこういうふうにすべきだという言及はありませんでしたが、検討会では、今回案としてお示ししたような方向の御意見が何人かの方々から述べられたところです。それを踏まえ、刑事訴訟法227条1項中の「圧迫を受け」という要件を削除することによって使いやすくするという案とした次第です。
 次が、同じ12頁の「(8)判決書等」の「イ 裁判員の署名押印、身分の終了時期」というところです。ここでは、たたき台でC案として掲げられていた「判決書きには裁判官のみが署名押印するものとする。裁判員の身分・任務は判決宣告時に終了するものとする。」という案を採ることにしました。
 たたき台では、このほかに、「裁判員も判決書に署名押印することとし、署名押印時に裁判員としての身分・任務は終了するものとする」というA案と、「署名押印はすることとするが、身分・任務は判決宣告時に終了するものとする」というB案があり、A案を支持する意見や、A案又はB案という御意見もあったわけですが、最終的には、今回取り上げましたC案を支持する御意見が大勢であったように思われます。
 実質的には、裁判員が判決の形成に関与し、かつその宣告に立ち会うことによって、裁判員としての責任は実質的に果たしたといえる上、判決書等には、合議体の構成員として裁判員の名前も表示されることになると考えられますから、判決書に署名をしないからといって裁判員が無責任になるとは考えにくいと思われます。それに、これも御指摘のあったように、実際上、判決の宣告後、判決書を作成するにはある程度の時間を要することが少なくないであろうと思われますので、判決書が完成した後、それに署名してもらうためだけに裁判員の方々に再度裁判所に出頭してもらう負担を強いるのは過剰ではないかと考えられましたので、このC案といたしたわけであります。
 次は、「5 控訴審」で、ここではたたき台のA案を基本的に採って、「現行法どおりとする。」という案を示しております。
 たたき台では、このほかに、控訴審では裁判官のみで審判するということを前提にしつつ、控訴審は「訴訟手続の法令違反、法令適用の誤り等についてのみ自判できる」というB案、「量刑不当についても自判を認めるが、事実誤認についてのみ自判を認めない」というB´案、「事実認定及び量刑不当に関する破棄理由を加重する」というC案、更には、「控訴審においても、裁判員が審理及び裁判に関与する」ことにして、控訴審はいわゆる「覆審構造」とするというD案も掲げられておりました。
 検討会の議論におきましては、最終的にD案を採る御意見はなかったといえます。C案を採る御意見や、B´案を採る御意見もありましたが、結論としてはA案を支持する御意見が比較的多数であったように思います。もちろん、A案を採る方も、実際の運用では、第一審の判断がより尊重されることになるという含みの下にA案を採るという御意見だったと思います。しかし、B´案を支持する御意見もかなり有力であったといえます。
 検討会の場でも指摘させていただいたことですが、この問題は、結局のところ、職業裁判官のみで構成される控訴審裁判所が、裁判員の加わった第一審裁判所の判決の当否を審査し、これを破棄するということ自体を認めるべきかどうか、認めるとして、そのことがどのような理由で正当化できるのかということに、結局は帰着するように思われます。その点では、今申しましたように、D案という案を最終的に最後まで採られるという御意見はなかった。ということは、どなたもそういう職業裁判官のみにより構成される控訴審裁判所による審査や破棄を認めるという立場に立たれるわけですので、そうである以上、現行法の規定によって例外的に控訴審で自判できるとされている場合にまで、それを禁じなければならない合理的な理由は見出しにくいのではないかと思われるわけです。
 理論的にも、先に裁判員の員数についての御説明の中でも触れましたが、控訴審は、全く新たに証拠を調べて独自に心証を形成するというものではなく、あくまで第一審裁判所の判決を前提として、その内容に誤りがないかどうかを記録に照らして事後的に点検するという事後審査を行うだけであるというふうに位置付ければ、そういう裁判官のみで構成される控訴審裁判所による審査や破棄を正当化できるのではないかというのが、多くの委員が暗黙の前提とするところであったように私には思われるわけです。そして、もしそうであるとすれば、法制度としては、正に控訴審を事後審とする現行法の枠組みを裁判員制度との関係でも基本的に維持することでよく、したがってまた、第一審判決を破棄する場合にも、第一審に事件を差し戻すのが原則であるということはもちろんとして、控訴審裁判所が事後審としての審査のために行った記録の取調べにより、直ちに新たな判決を言い渡せる状況に立ち至っているというときには、現行法どおり、例外的に自判することができるとしてもよいように思われるわけです。
 そういうことから、制度としてはA案でよいとしましたけれども、あくまで裁判員の加わってなされた裁判を尊重するという意味から、事後審であるという控訴審本来の趣旨を運用上より徹底することが望ましいと考えまして、括弧書きでその旨の確認を行った次第であります。
 続いて、同じ頁の下の方から始まる「6 差戻し審」ですが、ここでは、たたき台のA案を採っております。
 たたき台では、このA案のほか、「新たな裁判員を選任して審理及び裁判を行うものとし、差戻し審は、覆審構造とする。」というB案も掲げられていたわけですが、検討会での各委員の御意見は、結局、A案とすることでほぼ一致しておりましたので、それに従った次第です。
 次に、13頁の「7 罰則」の「(2)裁判員等の秘密漏洩罪」の項目ですが、ここでは、赤が入っていませんように、たたき台どおりの案にしております。
 検討会の御議論では、秘密漏洩罪を設けること自体について御異論はありませんでした。ただ、後段の「合議体の裁判官及び他の裁判員以外の者に対し、その担当事件の事実の認定、刑の量定等に関する意見を述べ」る行為については、過去に裁判員等であった者まで罰則の対象とするのは相当でないとの御意見、あるいは法定刑として懲役刑まで設けるのは過当であるという御意見が述べられたところであります。
 このうち前者については、検討会の議論でも御指摘があったところですが、判決を言い渡した裁判体の構成員であった者が、後になって、各々てんでに、あれは間違っていたとか、こうすべきであったといった意見を表明するようなことになりますと、裁判の信頼性は大きく損なわれることになり、ひいては裁判制度の存立そのものにも影響を及ぼしかねないように思われます。また、その意見というものは、単なる傍観者の外から見た意見というものではなく、裁判員としての任務が終了後に変化があったとしても、当該事件の審理や証拠から得られた情報を基に、あるいは、裁判体の他の構成員との意見交換などをも通じて形成された元々の自分の意見をあくまで前提にしたものでありますので、それを表明する場合には、自ずと裁判員在任中に知った事件の内容や評議において自分が述べた意見にも触れることになり、あるいは、それらを推認させる内容となることが多いと考えられます。その意味で、評議の秘密保持にも影響がないとはいえません。そのようなことから、たたき台の案を相当とする御意見に従うこととしたわけであります。
 また、法定刑については、職務上知り得た秘密の漏洩を処罰する他の立法例において懲役刑が法定されていることとの整合を図る必要もあり、その観点からは、選択刑として懲役刑を設けることはあり得ることだと考えられますので、たたき台どおりの案とした次第です。
 次は、14頁の次、「8 裁判員の保護及び出頭確保等に関する措置」です。
 まず、「(1)裁判員等の個人情報の保護」という項目では、たたき台どおりの案を示しております。
 この点に関し、検討会の議論では、裁判員の個人情報を保護すべきであるという点についての御異論は特にありませんでしたが、保護の範囲について、「職業、性別、年齢等の一般的な情報は公開してよいのではないか」、「学術研究目的などの例外的な場合には公開する余地を残すべきではないか」といった御意見も述べられたところであります。しかし、その際も他の委員から御指摘のあったところですけれども、例えば一定期間あるいは一定地域ごとの裁判員の属性に関する統計資料というものであればともかく、個別事件の個々の裁判員の属性に関する情報を公開することにどれほどの意味があるのか、いま一つ理解できなかったこともありまして、個人情報の保護を優先すべきだと考え、たたき台の案どおりの案とすることにいたした次第です。
 同じ頁の「(2)裁判員等に対する接触の規制」のところですが、これは赤字で書きましたように、アの後段部分、裁判員等であった者に対する接触規制について、そのような修正をしてみました。
 この点について、検討会の議論では、裁判員等であった者に対する事後の接触の規制は行うべきではないという御意見も述べられておりますけれども、たたき台のように、接触の規制を設けるべきだという御意見が多数であったことから、基本的には、それに従ったわけです。ただし、その内容については、検討会の議論でも、裁判員等であった者に対する接触の規制の趣旨をより明確にする必要があるという御指摘がありましたので、それを踏まえまして、「裁判員又は補充裁判員が職務上知り得た秘密を知る目的で」の接触を規制するのだというふうに修正を施したわけであります。
 これも検討会で御指摘のあったところですが、職業上守秘義務を課される者の場合とは異なりまして、たまたま裁判員に選ばれて、いっとき裁判に関与しただけで守秘義務が課されるわけですから、そういう立場の人に必要以上の負担を負わせることがないようにするため、他の者がこれに働きかけて守秘義務を破らせ、秘密に属する事項を明かさせようとすることを封じるのが適切だと考えた次第です。
 最後ですが、15頁の「(3)裁判の公正を妨げる行為の禁止」のイの部分です。
 たたき台では、「報道機関は、アの義務を踏まえ、事件に関する報道を行うに当たっては、裁判員、補充裁判員又は裁判員候補者に事件に関する偏見を生ぜしめないように配慮しなければならないものとする。」という案が示されていたわけですが、その点について、「報道機関において自主的なルールを策定しつつあることを踏まえ、更に検討するものとする。」という案といたしました。
 検討会の議論では、たたき台にあったような定めを置くのが相当であるとの御意見、報道機関の自主規制に委ねるのが相当であるとの御意見、報道機関による自主規制の策定状況を見た上で規定を設けるかどうかを決めるべきであるという御意見が述べられたところでありますが、この問題は、言うまでもなく、報道の自由や国民の知る権利の保障に直接かかわる微妙かつ重要な問題でありますし、9月の検討会の場でも、報道機関による自主ルールの策定が進められている状況が報告されているところでありますので、その状況をも踏まえながら、更に慎重かつ十分な検討を行った上で結論を出すのが適切であると考え、このような案といたした次第です。
 以上、長くなりましたけれども、御説明させていただきました。
 それで、これから御質問や御意見をいただくことになるのですが、ちょっと休ませていただいて、3時から再開ということでよろしいでしょうか。

(休 憩)

○井上座長 それでは再開させていただきます。今回お示ししたペーパーの主要な点について御説明したところでありますので、これを素材にして、皆さんの間で御議論いただければと思います。その前に、ペーパーの全体の形、あるいは書いてあることの意味が不明だといったことがあれば、御質問を承りたいと思います。もちろん、議論の中に入って、そこで意見と一緒に言っていただいても結構ですが、何かありますでしょうか。
 よろしければ、中身に入ってからということにさせていただきたいと思います。これまでの議論が当然前提になっており、すべての論点について、また同じような議論を繰り返してもしようがありませんから、ポイントを絞って議論していただければと思います。
 とりあえず、次のような形にさせていただけたらと思うのですが、更に議論をしていただいた方がよいと思われる項目を私の方でまず挙げて、それについて議論していただいた上で、更に委員の皆さんが、この点も議論すべきではないかということがあれば、それを挙げていただいて議論する、そういう形で進めさせていただいてはいかがかと思うのですが、よろしいですか。
 そういう趣旨で、更に議論をしていただいた方がよいと思われる項目は九つあります。
 第一は、「1 基本構造」「(1)合議体の構成」の「裁判官の員数」、2番目が「裁判員の員数」、3番目が「(3)評決」、4番目が「(4)対象事件」のところの「(ア)原則」、5番目が「ウ 事件の性質による対象事件からの除外」、6番目が、「2 裁判員及び補充裁判員の選任」の「(9)質問手続」のところの(カ)の理由を示さない忌避の人数、そして、7番目から9番目が、「8 裁判員の保護及び出頭確保等に関する措置」の(1)、(2)、(3)という各項目であります。
 順に御意見を伺えればと思うのですが、まず、「裁判官の員数」という点からです。この点は、9月にかなり時間をかけて議論した点ではありますけれども、更に御意見があれば、どなたからでもお伺いしたいと思います。もし、言い出しにくいようでしたら、私からちょっと質問をさせていただいてよろしいですか。私は、先ほどの説明の中で申し上げたのですけれども、裁判官は3人ということにしているのですが、一人あるいは二人とすべきだという御意見の方もおられたわけですね。そして、その理由として、新しい制度だから既存の制度にとらわれる必要はないのではないか、ということをおっしゃったのですが、それ以上に積極的に、裁判官は一人あるいは二人で足りる、あるいは一人又は二人でなければならない、そうすべきであるという積極的な理由を必ずしも示していただいてはいない。少なくとも、私を動かす程度の理由はまだ示していただいていないのではないかと思います。その点について、御意見を述べていただければ、更に突っ込んだ議論ができるのではないかと思われるのですが、いかがでしょうか。強要するわけではありませんが、裁判官は一人あるいは二人と言われた方から何か出していただければ、議論のきっかけになると思いますので。どうぞ。

○土屋委員 それでは、意見を述べさせていただきます。
 私は、二人もあり得るのではないかという立場で、今まで意見を述べていたので、井上座長が今言われたみたいな、積極的に二人を導入すべきであるという意見とはちょっと違うのですけれども、ただ、二人がなぜあり得るのかという議論がもうちょっと深まる必要があるのではないかと私は感じるのですね。そういう立場からの意見です。
 私も前回、若干説明したのですが、座長をどうも説得できなかったようで、納得が得られなかったということですので、繰り返しにならないようにお話ししますと、二人の合議体の構成というのは、現行の3人の裁判官の法廷というのと基本的に違うのではないかと私は考えているということです。一人の裁判官の法廷というのは、恐らく陪審に近い、そういう法廷になるでしょうし、3人の裁判官がいらっしゃれば現行制度に則った、それを改善する形の法廷に恐らくなるのだろうと思うのですけれども、二人の裁判官というのは、そのどちらでもないものだと私は考えていまして、言わば独自の理屈付け、理念が必要な制度なのだろうと思うのですね。そして、その理念が成り立たないのかというと、どうも私は成り立つのではないかと感じているところがあるわけです。それで二人制もあり得るのではないかという意見を申し上げているということです。
 それは、つまり3人の裁判官の制度と一人の裁判官の制度の中間的な制度であるという位置付けではないということです。つまり、3と1を足して割って、妥協案として2を採るという考え方ではなくて、2というのはもっと積極的な意味合いがある制度としてつくれるのではないかと感じているということです。私の考えでは、裁判員制度の下で裁判官が果たすべき役割というのは、主に二つあると思っていまして、一つは、裁判の進行に関する一種の交通整理といいましょうか、訴訟指揮といいましょうか、そういった役割であろうと。それから、もう一つは、判決書の作成という重要な役割があるだろうと思うのですが、その二つが中心であると考えれば、その二つの作業をお二人の裁判官で分担するというのは十分合理性があるのではないかと思うのですね。
 もちろん、いろいろ法律判断について、現行制度で裁判員制度以外の事件も3人の裁判官で行うこととのバランスがとれないのではないかと、座長のペーパーにありましたけれども、そのあたりはどうも数の問題ではないのだろうと私は思うんです。裁判官の法律家としての意見の質の高さみたいなものがどれだけ出てくる必要があるのかということにかかわるのだろうと思っています。例えば、3人の裁判官が二人に減ってしまうと判断が甘くなる、重大な事件であるにもかかわらず軽々な判断が下される、そういうことに果たしてなるのであろうか。私は必ずしも論理的にそうはならないのではないかと思うのですね。
 逆に言いますと、法定合議事件の対象事件で裁判員制度の対象事件から外れるような事件は、3人の裁判官で行うという制度が残るとするならば、それより重い裁判員制度の裁判は、裁判官4人でやるとか5人でやるとか、それだけの人数を増やさなければ合理性がないのではないかという話に逆にいうとなるかもしれないと思っております。そういうことでなくて、法律家としてのきちんとした判断の質を確保するのに、一体何人が適当なのだろうかと考えると、3人でなくても二人であってもいいのではないかと思ったりもするわけです。私、実務のことなど分かりませんから、単なる感想なのですけれども、そのあたりの掘り下げをもっと専門家の方にしていただきたいと思うところです。
 そこで、そのあたりの、二人を想定したら一体どういう難点があるのか。私は二人でも十分訴訟が進行する条件は確保できると思うのですけれども、果たしてそういうふうに考えるのが妥当かどうか、そのあたりについてもうちょっと御意見を伺いたいと思います。

○井上座長 今言われた点ですが、理念的に独自性があると言われた「理念」というのは何ですか。

○土屋委員 裁判官と裁判員が協働して、国民の参加の下で、その経験・知識を活かして妥当な判断に至るというのが裁判員制度の意義だと思いますので、法律家だけの人数が何人かということによって、果たして左右されるのだろうかということを感じるということです。

○井上座長 その「協働して」ということは誰もが前提にしていると思うのですが、今の単独でもなく合議でもない独自の理念と言われましたよね。しかし、その内容については、はっきり示されていないのではないでしょうか。

○土屋委員 ですから、そこが議論されてないのだろうと私は思うものですから。

○井上座長 そういう意見の方から示していただいていないから、議論されていないのではないですか。もう少し積極的に内容を示していただかないと議論ができないように思いますので、水を向けたのですが。ほかの方もいかがですか。

○四宮委員 今、土屋委員がおっしゃったのを私なりに理解すると、理念があるとすればですけれども、私が前に申し上げていた一人ないし二人説というのとは、また別のお考えとは思いますが、新しい裁判員が入った裁判体における裁判官の役割というのを、さっき二つおっしゃいましたけど、そこからプロの数を考えていくというお考えなのではないかと、私は今、受け取っておりました。
 私は、もうここでいろんなことを繰り返すつもりはありませんが、一つは意見書の考え方から新しい裁判体の構成を考えるべきではなかろうか、裁判官の数もその意見書の趣旨から考えていったらどうだろうかということを申し上げてまいりました。今日は、座長のこのペーパーの中に、その点の御批判をいただいているわけですけれども、ただ、座長のペーパーの4ページの上の方には、意見書の趣旨を御記載になっておりまして、それが私の意見書の理解に対する御批判になっているのだと思います。
 ただ、ここから裁判官が3人ということが当然出てくるのかということは、私は伺っていて一つ疑問に思っておりました。ですから、意見書の理解がまた違うわけですが、座長の御理解からしても、当然に3人ということは出てこないのではないかと思った次第です。結局、3人が必要だという御意見は、その後のバランスを失するのではないかということ、より適正な判断を確保しようとされているということ、それから、二人の場合に意見がまとまらないのではないか、というようなことなのではないかと思ったわけです。
 私は、そのバランスの考え方というのは、これももともとの意見書が裁判員制度をどう考えているかということと関係するのかもしれませんが、今の裁判官だけで行っている合議体、3人の裁判官だけの合議体と比べることが果たして相当なのかどうか。そもそも裁判官だけの合議体とは別の合議体をつくろうとしているわけですので、そこで3人かどうかということを比べるのはどうなのだろうかなという気がしております。
 私が一人ないし二人と申し上げてきたのは、もともと意見書が、この制度では裁判官の役割としてはプロとしての知識・経験を裁判員に提供するという考え方でしたので、もともとはベテラン一人でいいのではないかと考えておりましたし、しかし、今、土屋委員がおっしゃったようなことも加味して、役割というものは非常に大変であるということであれば、いろいろそれを分担し合うということも可能であろうと思ったわけです。ですから、私の一人ないし二人説というのは、3人から減らしたということではなくて、新しく考えだしたという形であります。
 バランス論も、これは一審の役割を意識すべきではないかと思っております。一審の大きな使命は、事実認定をきちんとして、適正な量刑を言い渡すということであります。だからこそ、刑が重い、つまり重大な結果を生ずる事件については、今の裁判官だけが裁判する裁判では数を増やすことによって、その適正さを維持しようとしていたのだと思うんですね。また、事実認定というのは、一審で出た証拠だけで判断しなければならないということから、その証拠の適正な評価というものには多数の目が入った方がいいだろうということだと思うのです。量刑もまたしかりだと思います。
 今度の裁判員制度は、そこに国民が複数入っていくということですので、それは今までのように、裁判官を3人でやっていくという必要もなくなってくるのではないかというふうに思います。
 他方で、法律問題というのは、これも繰り返しになってしまいますけれども、もちろん重大な法律問題というのはあるわけですけれども、それは法定刑が重いから重大な法律問題を招来するということではないわけで、それは現に一審では単独制が原則とされて、そこでは一人の裁判官が憲法判断もするということになっているわけですので、必ずしもそれはリンクをしないし、法律問題というのは、多数が集まることによってより適正な結論が導けるかという、それはまた質の違う問題だと思います。というのは、事実問題と違って、判断資料は制限がないわけですから、いろいろなもの、資料を調べて、もし二人制の場合であれば、プロ同士で徹底的に議論して、そして適正な法律判断に到達していくことが期待できるわけで、また法律問題は更に上訴審の審査の対象に必ずなるわけですので、その意味でも3人は必要ないのではないかということであります。
 あまり長くなってしまうので、このあたりで。

○井上座長 皆さんに御意見いただきたいのですけれども、意見書の趣旨に言及しているところから裁判官3人ということが当然には導かれないのではないかという御指摘なのですが、その部分は、むしろ、四宮委員などのとらえ方、つまり、裁判員が中心であって、裁判官がそれをサポートするというイメージは、意見書が考えているところではないということを言ったものです。そのことは、これまでも、たびたび申し上げてきたことです。それは、今回引用しているところからも明らかですし、意見書に至る議論をきちんとフォローしていただければ、そういう制度イメージではできていないことが分かると思うのです。
 四宮委員は、もともと陪審論で、そのイメージが強いので、そういうお考えになっているのかもしれないのですけれども、意見書は明らかに、裁判官と裁判員とが異なるバックグラウンドを持ちながら一つの裁判体を構成し、そういうものをぶつけ合い、あるいは相互に共有して裁判を行うという制度イメージでできている。そこが違うのではないかということを言ったわけで、そのことから当然に裁判官は3人ということになるとは申し上げていません。
 恐らく、四宮委員としては意見書の趣旨をそういうふうには理解しておられないために、裁判官は二人、あるいは一人でいいと言われるのも、結局、「新しく発想すれば」ということを繰り返し言っておられますが、実質としては、裁判官はサポート役なのだということなのではないですか。しかし、そういう位置付けは、やはり意見書の考え方と違うのではないか。そのことを御指摘したわけです。
 それに、バランス論は、既存のものとのバランスを論じることではなく、今度裁判員制度が導入されたときに、全体が変わることは間違いないのですが、その中に職業裁判官3人の合議制というものも残り、それも全体としての裁判制度の重要な一部をなすわけで、それとのバランスということを考えないでいいのか、全体として整合するのか、ということを言ったのです。
 その点につき、第一審裁判所の機能を事実認定と量刑だけに絞って考えるから、そこのところが違うのでよいという御説明なのですけれども、そうではないことは指摘させていただいたはずです。法定合議事件にしているのは、事案が複雑だとか法律問題が複雑だからということではない。それは事案によって違うので、軽い事件でも複雑なものはある。そうではなく、結果として非常に重い刑につながり得るので、法律判断も事実判断もより慎重に適正に行うようにするというのが法定合議とした趣旨であり、現行法の考え方では、3人の合議制でやることにより、一層の慎重さ、適正さが確保できる、そういう考え方ででき上がっているわけです。そういうことを前提にした場合、裁判官はそんなに要らないということになるのかどうかですね。一番最後に言われたことは、結局、そういうことになるのではないかと思うのです。法律問題というのは、3人も集まってやる必要はないといわれたけれど、本当にそうなんでしょうかということを、説明の中では申し上げたはずです。
 そういうことを踏まえて、新たな制度では裁判官は二人でいいのだ、あるいは二人とすべきだ、あるいは一人だということについて十分実質的な理由が示されたのか、疑問なのです。今の御発言を伺っても、まだ私には分かりません。

○平良木委員 まず、お詫び申し上げなければいけないのですけれども、前に土屋委員から、ドイツの地方裁判所の合議法廷、これを二人でやっているという話があって、私はそうでなくて3人だということを申し上げたのですが、その後、確認しましたところ、やっぱり現在でも二人で行っているということのようです。これは、2000年の12月までということで、最初時限的な立法だったのですが、2002年まで延ばされて、それが2004年まで更に延ばされたというのが真相なんです。

○井上座長 東ドイツを合併したので、裁判官の員数が足りなくなったことに伴う非常措置ですね。

○平良木委員 そうです。あくまでも今そういうことをやられておりますけれども、座長が言われたように、臨時的な措置ということで、3人でもできるというような形を一応とっているということであります。そうではありますけれども、今の話にありましたように、あくまでも臨時措置であって、3人に戻すということが、当然の前提として議論されているということです。
 そのことと関連して、裁判員制度について、裁判官は二人の方がいいのか、あるいは3人の方がいいのかということになりますと、やはりかなり違いがあって、先ほどから出ておりますように、法律判断というものは裁判官のみで判断して過半数で決まるということと、それからもう一つは、裁判員の除外された合議事件があって、これは3人でやらざるを得ない。こういうことを考えると、やはり裁判官というのは3人という、座長の案が私は適切であるというように思います。

○池田委員 土屋委員の話と四宮委員の話を聞いて、私がちょっと違うなと思ったのは、裁判官の役割として二つ言われましたけれども、やはりそれ以外に、今、座長が言われた法律判断というのはかなり大きなウエートを占めるのだということです。司法に求められているのは、法律で決まっていく世の中、それを期待されているわけですけれども、その法律判断というのは、事件によって重いもの、軽いもの、大きなもの、小さいものと、いろいろありますけれども、法律判断というのは非常に大事なわけで、その法律判断があるからこそ、それを前提として、事実認定、量刑の当てはめというのも生きてくるわけで、そこの土台が揺らいでは困るわけです。特に、日本は一審から違憲立法審査権というのがあって、憲法裁判所というものをつくっている国もありますけれども、そうでなくて、今の一般の裁判所で法令の憲法適合性についての判断もします。そういう重要な判断もあるわけです。
 それから、訴訟の進行であっても、単に進行役として右か左かやっているだけではなくて、その訴訟手続上の判断、例えば違法収集証拠の問題など、事案によっては、それが結論を左右することもあるわけです。それぐらいの大きな問題があり得るわけで、裁判官は二人でもいいのだということにはならないのではないかと思います。また、二人説では、意見が分かれたときにどうやって決めるのかということが常に問題になってきて、これは、二人だったら、そういう重要な問題について決める合理的な方法はないだろうというのは前にも述べたとおりです。

○井上座長 ほかの方、いかがですか。どうぞ。

○酒巻委員 最初の四宮委員の御意見につきましては、私が意見書の趣旨に関して申し上げたかったことは、すべて座長が言っていただきましたので長くは申しません。これまで何度も繰り返しましたが、要するに、はっきり申し上げますと、第一に、私は四宮委員の前提としている意見書の読み方は明らかに誤った解釈であると考えております。第二に、今までの二人説の御議論の中で、なぜ、二人でなければならないのかという説得的な理由は何ら示されていないと思っております。
 それから、先ほど平良木委員が御指摘になったとおり、これもここではっきりと言おうと思いますが、これまで様々な立場から引用される諸外国の裁判官の人数であるとか参審員の人数というのは、それぞれ諸外国の刑事司法制度の中で、大きな刑事司法システムの中で、それぞれ異なった歴史的経緯や刑事裁判の在り方に由来する前提条件の下で形成され現在に至っているわけであります。その現在の結果の部分だけを取り出され、例えばドイツには裁判官二人の場合もあるだろうということを言われても、私は長年比較法の研究者をやっておりますので、それは全然説得的ではないのです。諸国の司法参加制度は、それぞれ固有の理由に基づき、あるいは伝統すなわち明確な理由が分からぬままでき上がっているところがありますから、もし比較法的な資料を前提に御議論される場合には、各国の歴史的背景と現状の運用まで踏まえた上で、ある国の制度は我が方とどこがどのような理由で違って、どこが同じで、それはどのように働いており、その上でこの部分は参考になるという形の議論していただかないと、私には説得的でない。
 平良木委員がおっしゃったとおり、今の大刑事部は臨時措置として裁判官が二人、参審員も二人ですけれども、そもそも前提として、ドイツの大刑事部参審裁判所は、法律問題についても事実問題についても、いずれについても、参審員を含んだすべての合議体構成員が判断をするという方式をとっているわけです。その上で、裁判官が現在臨時措置として2になっている。
 しかるに現在、我々が構想しようとしている裁判員制度は、今、池田委員がおっしゃったとおり、法律判断については、専門家である裁判官のみにやっていただくという前提で検討しているわけですから、そもそもの前提が違うわけです。ドイツが裁判官2であるということは、その点からいうと全く参考にならないと考えます。
 以上は余計なことかもしれませんが、いずれにしろ、私はこの部分については、座長の議論にほとんど賛成でありますし、座長がおっしゃったとおり、裁判官2でなければならない理由、職業裁判官を一人減らすという理由が、全く理解できないので、もし合理的な理由が考えられるのであれば、説得的に説明していただきたいと思います。私は理由はないと考えています。

○大出委員 私も一応2名で構わないといいますか、いいという意見を申し上げていた立場ですので、今の御議論を伺った上でということなのですが、先ほど来の御議論にありましたように、3人であるべきか、二人であるべきかといいますか、二人ということについても、確かに二人で絶対あるべきだということは言いにくいというふうには私も思わないではないですね。ただ、3人であるということと、二人であるということと、どちらでなければいけないかということで考えたときに、二人でもいいというふうには言えるだろうと私なんかは考えているわけですね。
 それは、新しい裁判の在り方といいますか、少なくとも構成体においては新しい在り方を追求するということがこの裁判員制度であることは間違いないわけですし、その場合に、私はそういうことは申し上げたつもりはありませんけれども、意見書の読み方という観点からいってみても、私自身は裁判官がサポートに回るというようなことで考えているわけでももちろんないわけで、正に協働・協力する、ただ、そのときに法律問題について、裁判官に最終的な判断権限を与えるというふうに、この検討会での御意見の多数はそうなっているわけですけれども、そうであったとしてみても、たたき台でもそうなっていますけれども、その点についても、全く裁判員の意見を最初から排除するというようなことで考えているわけではないわけでして、裁判員の意見も必要に応じて聴取するということを前提にしながら、裁判体としての判断として裁判官が中心になって判断をされるという協力・協働の方法ということを考えているということで申し上げてもいいと思うんですね。ですから、やはりそこでは、裁判官と参加している市民とが、どう協働し協力するかということを新しい観点から模索しているということだと言って構わないと思うわけですね。その点からしてみても、もちろん確かに比較法的な観点でどうであるべきかということが直ちにそのまま通用するわけでもないということであるだろうと思います。
 そういう観点からした場合に、先ほど土屋委員もおっしゃいましたけれども、裁判官が一体何を協力・協働の在り方としてすべきなのか。そして、市民が一体どういう形でかかわるのかということをトータルな形で考え、そのバランスは、単に制度全体のバランスというだけでなくて、裁判体としての役割を考えたときに、それは協力・協働として機能するようなバランスというのはどうあるべきかという問題でもあるだろうと思うんですね。
 そういった観点から考えたときに、裁判官が二人、それはなぜかといえば、これは今日の座長案でもそうですけれども、少なくとも裁判官より多い数の市民が参加し、その社会的な経験なり常識というものを反映することになっているわけですから、それをどこまでどうちゃんと活かしていくのか。それはもちろん最終的な、先ほど申し上げましたように法律判断は裁判官がするにしてみても、その前提としてのバックグラウンドといいますか、ベースというのは国民が参加する中で獲得されていくべきものだということにもなると思うんです。
 そうなったときに、市民と裁判官がそういった問題も含めて議論するに適正なバランスということで考えたときに、3人でなければいけないという積極的な理由は逆に言えばあるのか。そういう観点からしますと、二人でも十分やっていけるし、先ほど二人の場合に決定できない場合があるというような御指摘、これは従前からあるわけですが、ということについても、本当にそうかということは既に申し上げたことでもあるわけですが、一定のルールを前提として用意しておくことになったときに、それ自体は多数決で決めるという場合と基本的には一緒だということに私はなると思います。それから、市民の意見を聞いた上で、十分議論を尽くした上で最終的に決定をするわけですから、それもそれほど重大な問題だとは私は思えないと思います。

○井上座長 2の場合に、行き詰まった場合にどうするかという話はもう少し後で議論するとして、大出委員の意見は、事実問題、量刑問題だけでなくて、法律問題についても、裁判員が加わることによってある部分代替できると、こういうことですか。

○大出委員 そうです。

○井上座長 その点は、裁判員と裁判官が同じような性質の判断者として加わるのかどうか、検討会で議論のあったところですが、そういうところにかかわる問題だと思いますね。その辺を御議論いただければと思うのですが。
 もう一つは、さっきから気になっているのですけれど、法律問題だけ取り出して考えた場合、3人も要らないではないかという御意見がありましたが,それは、少なくともその法律判断の部分については、現在でも3人も要らないのであり、事実問題と量刑問題が重要なので3人にしているだけだと、こういう理論枠組みになるように思うのですが、果たしてそう言えるのかどうか、そう言っていいものかどうかが、要点だと思います。どうぞ。

○髙井委員 私は、二人であってはいけないと思います。3人でなければいけないというふうに思います。その前提としては、法律判断は裁判官だけでやるということになっているわけで、かつ、そうすることについては合理的な理由がある。もともと、裁判員を裁判に加えることになったのは、事実認定は社会生活をしている以上、誰でも同じようにできるでしょうというのが大前提としてあるわけですよね。
 と同時に、それに法律専門職としての裁判官の判断も加えて新しいものをつくろうというところにあるわけであって、法律判断も裁判員ができると言い出せば、日本の今までの司法制度は一体何だったのかということになりかねないと思うんです。そういう意味では、法律判断も裁判員によって代替できるというのは暴論だろうと思うんですね。
 それから、私はなぜ二人であってはいけないかというと、これは私の個人的な経験になってしまうというか、感覚になってしまうのですが、二人で議論する場合と3人で議論する場合は、果たして本当にいつも同じなのだろうかと。少なくとも私が経験している限りでは、二人で議論しているときは、いくら有能な二人を拝見していても、すべての争点を漏れなく拾い出すということはなかなか難しいと思うんですね。心理学で、二人で議論した場合と3人で議論した場合の違いを心理学的に研究すれば非常に面白いと思うのですが、残念ながら私は知見がないので、経験でしか物が言えないわけですが、3人でやった方が論点の見落としはないということは、基本的に私が長年議論してきた経験としてはそういうことは言えると思うんですね。そういう意味で、二人の議論による結論というのは不安定だし、信頼性に欠けるというふうに思っています。
 我々の先人がこの日本の近代司法制度をつくるときに、法定合議を二人でなくて3人で組んだというのにはそれなりの理由があるのだろうと思うんですね。ただし、議論してそうなったのか、それとも感覚的なものかは分からないけれども、やはり何らかの理由があって3人になっているのであって、なぜ、二人でなくて3人なのかという理由はその辺にあるのではないかと思うんですね。
 いずれにしても、法定合議の場合は、確かに論点の複雑さというのは、罪名とか刑罰の重さに正比例するわけではありませんが、その判断のもたらす影響が法定合議事件の方がはるかに大きいということは、これは疑いもない事実なわけであって、そういう場合の議論が、争点の見落としを限りなくゼロに近くするようなシステムで行われなければいけないということは理の当然であって、そういう観点からいけば、非常に不安定なシステムである二人の議論でなくて3人の議論によるべきだと私は思います。そういう意味で、積極的に3人であるべきであり、二人であってはいけないと思います。だから、そういう意味では、二人と3人は量の差ではなくて質の差だというふうに私は思っています。

○井上座長 ほかの方は、いかがですか。

○本田委員 髙井委員と結論は同じなんですけれども、法律問題あるいは事実認定、刑の量定といったものは、いずれも重要なものであって、先ほどから話が出ていますように、法定合議事件というものは、裁判所の判断が、死刑とか無期、あるいは長期の自由刑といった重大な刑罰につながることから、事実認定、量刑と法律問題と区別せずに、双方について判断を慎重にするためにつくられたのだと思います。そして、そのような制度というのは、これまでうまく機能してきたわけですね。
 今度の改革というのは、これまでうまく機能してきたものに加えて、一般国民の健全な社会常識を加えることによって一つの新しい裁判体をつくっていきましょうということであるわけで、今までうまく機能してきたものを、なぜ二人にしなければいけないのかという理由は、何も出てきてないという気がいたします。
 先ほど上訴審の話がありましたけれども、法律判断は上訴審でということですが、一審で確定する事件もいっぱいあるわけで、上訴審があるからというのは全く理由にならない話だろうと思います。
 じゃあ、なぜ二人にしなければいけないかというのは、今まで聞いてもやっぱり分からないですね。なぜ二人なのだと。3人の方は、先ほど髙井委員の方から話がありましたけれども、それに加えて、今まで本当にそういった制度がちゃんとうまく機能してきたという大きな現実問題があるわけですね。そこをもうちょっと、二人でうまくいくのだとおっしゃるなら、現在の法定合議制でも二人でできるのかもしれないですけれども、お聞きしていても、二人説の方からの説明はよく分からないですね。

○大出委員 揚げ足とるつもりは全くもちろんありませんし、これまでの議論の中にも出てきたことですけれども、法律判断というものについて、もちろん専門家が最終的な決定を下すということについては、一応ここの議論としても恐らく了解がついている話だと思いますが、しかし、前にも出ましたように、法律判断は必ずしも3人でやっているわけでないわけですよね、現実問題としては。一人でもおやりになっているわけですね。
 髙井委員が、今、3人だと論点の落ちがないとおっしゃいますけれども、一人でやっている裁判は機能してないというふうにはどなたもおっしゃらないと思うんですね。ですから、その限りでは、正にそのことも前提としながら、裁判体全体をどう見直すかという問題で、そのときも、今、本田委員がおっしゃったように、何もこれがうまくいってないとか何とかということではなくて、正にトータルな意味で、そこに市民が参加し、法律問題についても、場合によっては意見を聞くということを前提としながら、全体としてどう構成するのかという問題ですよね。

○井上座長 意見を聞けば、代替したことになるのかが問題なのではないですか。

○大出委員 ですから、私はそう思っているんです。今、本田委員はその点についてお答えになっていませんよね。

○井上座長 そう思っておられないということなのでしょう。

○大出委員 いやいや、具体的に。

○本田委員 それでは申し上げます。要するに、難しいいろんな法律問題がありますよね。裁判員から法律問題について話を聞いたから、それは解決できるという論理展開が私には全く了解不能なんです。

○酒巻委員 私も本田委員と同意見で、了解不可能です。説明してください。

○井上座長 少なくとも、最終的に責任を持って判断しないといけないのは裁判官ですよね。

○大出委員 それは否定しません。

○井上座長 だから、そこのところを非常に重要だと考えるかどうかであり、大出委員は、そこは市民の声が反映すれば、自ずと適正なものになるだろうと、そういう御意見だと思うのですが。

○大出委員 そうです。

○井上座長 それと、最初に言われたのは反論になっていないと思います。つまり、単独でも法律問題を判断しているではないかと言われましたが、そういうことではなくて、さっきから何人かの方々が言われているように、今の法定合議事件の考え方は、その判断が非常に重大な結果につながり得るので、その判断自体をより適正かつ慎重にやろうということから合議体にしているのに、その基本的考え方そのものを否定することになるのですよ。おっしゃっていることは、今だってそんなに要らないじゃないかということを言っているのと同じだと思うのですが、それでいいのですか。

○大出委員 ですから、それは、正に最終的な判断権限を与えてないにしてみても、国民が参加し、国民の意見を聞くことがあるということがどれだけ重みを持ち得るかという問題ですよね。

○井上座長 大出委員も、大学で法律を講じておられるわけでしょう。非常に複雑あるいは難しい法律判断に直面したときに、そんなことで解決できるとお考えですか。

○大出委員 それは具体的に中身にもよるだろうと思いますし、一刀両断的に法律問題について、つまりどう法律家でない方たちに法律家が説明するかという問題もあると思いますよね。それは最初から判断できないものだというふうに判断するのが本当に妥当なのかどうかという問題も私はあると思いますけれども。

○井上座長 そういう問題とは違うと思うのですね。そのような説明をするためには、ある法律判断を選択しなければならないということあるわけでしょう。

○大出委員 最終的に。

○井上座長 いくつかの法解釈があり得る場合に、説明するといっても、A説、B説、C説がありますので、それを前提にして、事実認定をやってくださいというのは無理ではないでしょうか。適用すべき法規をこういうふうに解釈することを前提にして事実認定をし、裁判を行いましょうということでないと難しいでしょう。もちろん、その解釈を選択するときに、裁判員の意見を聞くということはあるとしても、最後に選択しないといけないのは裁判官なわけです。それを独りでできるのかどうか、させてよいかどうか、ということだと思うのですよ。

○大出委員 ですから、できるかどうかというところで……

○井上座長 できるかどうかというか、より慎重かつ適正にさせるにはどうすればいいかということでしょう。

○大出委員 ですから、より適正ということで、その数を増やすということが、直ちに……

○井上座長 増やすのではなく、現在の考え方は合議体で行うことによってそれを確保するということになっているということです。それと異なる新しい考え方を持ってくると言われるのですけれど、本当に中身のある考え方になっているのか、というのが、他の皆さんが疑問に思っているところなのですよ。

○大出委員 その御疑問は分かりますけど、ただ、そこは先ほど申し上げたように、国民がそこに参加し、国民の意見を聞くということが、座長的な言い方からすれば、それは素人に無理ではないかとおっしゃいますけれども、私はそれは裁判官の説明の仕方や意見の聴取の仕方によって、最終的には適正性の確保という点からいって、遺漏のない議論は可能だと思っています。もちろん議論に参加してもらうわけですから、最終的な判断は裁判官がすることになりますけれども。

○井上座長 それだったら、裁判員に最終的な判断権も与えたらどうですか、法律問題についても。なぜ与えられないんですか。

○大出委員 というよりは、現時点では、この検討会としてはその判断をしてないわけですけれども、それも私は賛成しました。私の考えの中では、場合によってはあり得るだろうと思いますけど。

○井上座長 そういう御意見であることは分かりました。

○本田委員 場合によってはというのは分からないです。

○井上座長 四宮委員、どうぞ。

○四宮委員 私が一人ないし二人、今、仮に二人ということで議論を進めますと、裁判員裁判では裁判官は二人でいいのではないかと言っているのは、例えば裁判官による合議体の数を、今の法定合議事件の趣旨にかんがみて、それでも二人に減らしてもいいということではないのです。新しい裁判員が入る裁判の中では、プロの裁判官は二人でいいのではないかということを言っているだけで、今の裁判官だけの合議体を、法定合議の場合に二人合議がいいと言っているわけではないのです。事実認定と量刑については、先ほど来裁判員が入ることでの意義というのを御理解はいただいていると思うんですが、今、問題は法律判断なのだろうと思いますけれども、私は法律判断は二人でいいと、また二人でできると思います。なぜかというと、それは裁判官はプロだからです。
 では、法定合議事件も二人でいいかというと、そうではなくて、法定合議事件で裁判官だけでやる場合には、事実認定や量刑の問題という重要な使命がありますから、それは3人でなければいけないと考えています。

○井上座長 法律問題は、プロだから二人でできるというのは、どういう根拠によるのですか。

○四宮委員 3人でなけれはできないということないでしょう。プロというのは一人でやるという意味ですよね。

○井上座長 それは、今の法定合議制度の基本的な考え方を否定することにならないですか。

○四宮委員 いや、ならないと思いますけど。

○井上座長 そうでしょうか。

○四宮委員 法定合議事件というのは、なぜ、法定合議にしているかというと、法律を見る限りは刑ですよね。

○井上座長 だから、そういった重大な刑につながり得るでしょう、法律解釈も。

○四宮委員 それはつながりますけれども。

○井上座長 だから、そこを軽視しすぎているのではないかと思うのですよ。そこを軽く扱えば、おっしゃるように、裁判官一人でだってできるということになるでしょう。一人ではちょっと難しいから二人ならいいでしょうと、そういうことになるのかもしれないですけれど、そこがほかの方とずれているのですね。

○四宮委員 そこは違うかもしれませんね。ずれているというか。

○井上座長 違っているということです。

○四宮委員 それは、裁判官像が違うのかもしれません。私が思うのは、日本の憲法の裁判官像は、裁判官は一人前の人だと考えているのだと思うんですよ。

○井上座長 その問題とは違うのではないですか。四宮委員がよく援用される、「3人寄れば」というのは、本来、合議制についての元裁判官の方の説明ですよね。それは法律問題についても当然当てはまるのではないですか。法律解釈についてもいろんな主観や価値観、体験というものが反映するわけでしょう。

○四宮委員 そのとおりです。

○井上座長 だから、人によって違うので、それらを相互にぶつけ合うことによって、より適正なものとするというのは、事実認定だって同じではないですか。

○四宮委員 そこは私は違うと思います。法律の多様な視点というものは、各個人のバックグラウンドから得られるというよりは、法律の判断というのは、判例だって学説だってたくさん資料があるわけですから、むしろ3人で議論するよりは……

○井上座長 そのような御意見になるのは、難しい法律の解釈論をやったことがないからではないですか。

○四宮委員 それはちょっとびっくりするような御発言ですけど。

○井上座長 難しい法律の解釈について他の人と議論をし、説得していくという苦労をなさったことがおありなら、法律の解釈はプロなら一人でできる、一人に任せてよい、といったことを安易には言えないと私は思うのです。このくらいにしておきますけれど。

○四宮委員 私の意見は経験のない意見ということに……

○井上座長 私から見ると、そう見えるということです。

○四宮委員 もう一点だけ。見落としの点は、今度争点整理をきちんとやることが義務付けられているということですから、それはそれぞれの当事者が争点を明確にし、裁判官と一緒に争点を考えていくわけですから、その点は心配ないのではないかということだけ付け加えます。

○酒巻委員 私も最初に座長が設定した問題について結論だけ繰り返しますけれども、この問題は、座長が設定されたとおり、今、裁判所法等の日本国の司法制度の中でつくられている法定合議事件、日本全体の司法制度との整合性を考えた上で、なぜ重い事件についてプロの裁判官を3から2に減らせるのか、その根拠があるかどうかということに帰着する。私はその点については、プロフェッショナルの裁判官と健全な社会常識を持った一般国民の方は、同じ人間ですけれども、やはり法律の専門的な教育を受けた、トレーニングを受けた人間という点では全く違ったものであると思っております。したがって、前も繰り返して何度も言いましたとおり交換は不可能であると考えています。現在の制度との整合性等も考えて3を2にするというのは、3のうちの一人を一般国民と交換するということになる。それはできない、それをすることはおかしいと思っております。
 それから、四宮委員のさっきおっしゃった意見につきましては、私もかなり驚いたのですけれども、現在の法定合議事件の制度趣旨についての御理解は全く誤っているだろうと思います。

○井上座長 今の御議論の前提として、事実認定と量刑判断については代替可能なのでしょうか。そこは、四宮委員は、代替可能といいますか、裁判員が加わるのだから裁判官が減ってもいいだろう、残るのは法律問題だけだと、そういうお考えですよね。その点も御議論いただいた方がいいと思います。裁判員制度の趣旨として、バックグラウンドとか知識・経験が違う人が加わることによって、より良い判断に至るということになっていますので、そこも、判断の性質は違うという考えもあり得るように思うのです。審議会でもそういう指摘を行ったのですけれど、よくある国民の司法参加論の単純な議論では、事実認定の能力については裁判官も一般の国民も同じだということが言われますが、バックグランドや訓練・経験が違うわけですから、同じではない。異なるのだけれども、どっちが上でどっちが下という話ではなく、異なるものがぶつかり合い、組み合ってより良い結果が得られるということではないか。そういう考え方も成り立ち得ると思うのです。従って、事実認定と量刑判断についても、当然代替できるということにはならないという気がするのです。

○四宮委員 私もそう思います。もちろん裁判官というのは個々の人が違うわけですけれども、同じ職業の人ですから、その視点は、事実認定について三つ用意しなくてもいいのではないですかということです。

○井上座長 一つか二つでいいのではないかということですか。

○四宮委員 事実認定に関して言えばですね。

○井上座長 そこは、池田委員などは、多分異論のあるところだと思うのですが。

○四宮委員 裁判官だけでやる場合には多様性を維持する必要がありますから、やっぱりそれは3人なんです。

○井上座長 裁判官の間の多様性と国民の多様性が同質の事柄かどうかということではないでしょうか。

○本田委員 恐らく四宮委員の考え方を突き詰めれば、裁判員制度の下では裁判官は一人でいいのだということになるのだろうと思うんですね。そうなると、これは前の検討会のときもちょっと話題にしたのですけれども、要は、事実認定、量刑判断のとき、裁判員、裁判官どちらか一人入ったところで評決するという制度にした場合に、一人の裁判官に拒否権を与えるに等しいことになります。この前、四宮委員はそれでもいいのではないかと、こうおっしゃったのですけれども、そうすると、裁判員制度そのものの自殺でないかと思うんですよ。そこはどうも論旨一貫してないのではないでしょうか。

○四宮委員 自殺というのは、どういうことでしょうか。

○本田委員 だって、裁判官がみんな決めてしまうことになるわけですよ、一人の場合は。

○四宮委員 これは、一人だからそうなるのではなくて、意見書が要求している、裁判官と裁判員のそれぞれ一人は必ず入らなければいけないという評決要件の結果としてそうなるわけですよ。

○井上座長 その要件を前提にしながら、裁判官を一人ということにすれば、そう結果になり得るが、それでも、一人でいいのか、そういう話なのではないでしょうか。

○髙井委員 なぜ、そういう要件になっているかということなんですね。だから、裁判官と裁判員とが代替可能ならそういう要件にならないわけですよ。事実認定とか量刑についても代替可能だとは思ってないから、両方1票ずつ、最低限二人の意見が要りますよと言っているわけですね。

○四宮委員  はい。

○髙井委員 私も、座長がおっしゃったような、事実認定というのは代替可能なのかという問題は突き詰めると非常に面白いと思うんですが、基本的には事実認定でも量刑でも代替可能ではないと思います。ただ、あまりプロだけの視点だけで考えているとまずいかもしれないから、アマチュアというか、別の観点の視点もそこへ付け加えましょうと、そうしたら今よりもっといいものができるのではないですかという制度設計に立っているわけですよね。そういう意味では、事実認定においても量刑においても、それは代替は可能ではなくて、プロが見る事実認定、プロの見る量刑というのは独自なものがある、また、あってしかるべきだと思います。
 私が一番おそれているのは、裁判員裁判が導入されることによって、事実認定は誰もできるではないか、プロでもアマでも同じだというようなことがあまりにも広く言われることによって、裁判官の責任意識やプロ意識が鈍磨していくというか、すたれていくことです。こういうことはないとおっしゃると思うけれども、一国民としてはそれを心配しますよね。やはり、裁判員裁判になっても、事実認定及び量刑の扱いで、プロはプロらしくきちんとやらないといけないと私は思っています。だから、そういう意味では代替可能ではないですよ。代替可能だと言うことは、日本からいい裁判官がなくなることにつながっていくと私は思いますね。

○井上座長 ここでの議論では必ずしも出ていなかったのですが、二人説の考え方として、現在の合議体についても裁判官3人というのは多過ぎるのではないか、そんなに要らないのではないかという議論をされている人もいると仄聞するのですけれども、四宮委員は、そういう考え方についてはどうお考えでしょうか。

○四宮委員 さっき申し上げたように、裁判官だけの法定合議事件は3人だという考えです。

○井上座長 大出委員もそうですか。

○大出委員 そうです。

○井上座長 ここで出た考え方ではありませんが、そういう考え方についてはどうお考えなのかと思ったのです。

○四宮委員 私の考えではありません。

○井上座長 もう一つ、私が耳にした考え方としては、基本的には裁判官2人でやり、難しい法律問題などが出てくれば、3人に増やせばよいという考え方もあるようです。土屋委員も、それに似たアイディアを、スウェーデンであったかノルウェーであったかに行かれたことを踏まえて、あるとき言われていたように思うのですが、そういう考え方についてはどうなんでしょうか。

○四宮委員 なぜ、そういう、ここで出てないものを議論されるのか、ちょっと……

○井上座長 そういうアイディアもあると聞いたものですから。

○四宮委員 私は一人又は二人という考えです。

○井上座長 お考えは、原則一人として、場合によっては二人に増やすということですか。それとも、どちらか一つということですか。

○四宮委員 一人でもいいし……

○井上座長 事柄が重要な場合には員数を増やすというのは、外国法制には例があるわけですよね。

○四宮委員 ありますね。私が一人又は二人と申し上げているのは、たたき台のB案の考え方で、一人という制度若しくは二人という制度、要するに一つだけです。

○井上座長 分かりました。

○本田委員 今の点について、そういう議論があるということなんですけれども、意見が分かれた場合は3人にするというような考え方もある。

○井上座長 いくつかの考え方があるようで、重要な問題が含まれているときは最初から3人にするという考え方もあれば、手続のどこかで行き詰まった場合に員数を増やすという考え方もあるようですが。

○本田委員 しかし、重要な問題が含まれる事件かどうか、最初からみんな分かるわけではないですよね。準備手続をやるということで分かるかもしれませんけれども、公判になって3人に増やすというような問題が出てくるかもしれない。あらかじめ、それを想定して3人にしておくというのは制度としてどうも不安定なものになると思います。
 後で、意見が分かれたときに3人にすればいいという話もあるのかもしれないですけれども、そんなことをして本当に裁判が動くのか疑問です。要は、途中から入った裁判官の関係で、また手続を更新したりしなければいけない。手続が二度手間になってしまうというようなこともあるわけですね。途中から3人に増やすということになると、その間、審理を中断するというようなことになって、特に、訴訟手続に関する判断では、異議の申立て、身柄とか、いろんなものについて迅速な処理が要求されるのですけれども、裁判官二人の意見が分かれたらといって、いちいち審理を中断して新たな裁判官に回すというようなことはおよそ現実的でない話だろうという気がします。

○井上座長 この検討会で出た意見ではないのですけれども、今回のペーパーをまとめる過程で聞いたり読んだりしたものですから、そういう可能性も論理的にはあり得るかもしれず、一応御意見を伺っておいた方がよいかと思ったのです。特に御意見がなければ、それで結構なのですけれども。

○平良木委員 これは、あり得るというか、例えば今の裁定合議といいますか、単独事件をいわゆる法定合議にすることはあり得ることなので、今の裁判所法でも認められているところですよね。ですから、それはそうなのですけれども、問題は、これを例えば二人の形に増やすことがいいのかというと、これは問題があるし、途中で増やすというのも問題だろう、こういうように考えております。

○酒巻委員 どなたでしたか、また、外国のことをおっしゃいましたけど、確かにドイツやノルウェーの参審は場合によっては裁定合議のような形で人数を増やすという制度になっています。しかし、これも大前提は参審員が基本的に裁判官と同一の権限を有することを前提にしているので、我々が設計しようとしているものとは根本的に違う。したがって、我が方で想定する法律問題について、裁判官二人の意見が分かれてどうにもならなくなったような場合は前提になってない。それから、ドイツもノルウェーも公判審理が始まる前に裁判体の構成を変更することが予定されている制度だろうと思われます。いずれについても、先ほど本田委員が問題があるとおっしゃったとおり、何か問題が発生したところで、途中で裁判官を一人加えるというような、便宜的な制度ではないし、もし仮に、そういう制度が考えられるとすれば、先ほど本田委員がおっしゃったとおり、重要な法律問題、もしかすると公判審理の途中でも発生するわけですけれども、そういうときにいきなり裁判官を一人増やして、手続の更新をして、その間、手続を止めてというようなことを考えますと、およそまともに稼働する制度とは思われません。そもそも何と申し上げてよいのか、およそ筋が通らないというか、便宜的な制度だろうと思います。そういう奇怪な法律制度を思いつくこと自体私には信じられないということです。

○井上座長 ここで出た意見ではありませんので、このくらいにしておきたいと思います。次に、先ほど整理したのですが、裁判官一人の場合は問題は生じないのだけれども、二人の場合には、意見が対立して行き詰まったときにどうすればよいかという点についてですが……。

○辻参事官 ちょっといいですか。

○井上座長 どうぞ。

○辻参事官 今の座長のお話は、多分次の論点にという御趣旨だと思いますが、その前に若干御意見の趣旨だけ確認させていただきたいと思います。先ほど四宮委員から、現在の法定合議が合議制をとっているのは、事実認定と量刑について3人でよく合議して決めるという趣旨だという御意見がありましたが、そのように考えられる根拠の御説明が途中になったような気がしたので、確認させていただきたいのですが、それは法定刑を基準にしているから、そう考えられるという御趣旨でおっしゃったということなのですか。

○四宮委員 そういうことと、第一審の役割ですね。

○井上座長 上訴があるからよいということですか、法令解釈の統一は。

○四宮委員 私の理解では、事実認定と量刑は基本的に第一審の第一次的な判断が尊重される。つまり、第一審重視のものであるのに対して、法律判断は、最終的には上訴審重視のものであるという考え方が基本にあるわけです。

○辻参事官 法定刑が基準になっているからということも理由としてあるということですか。

○四宮委員 重大な結果をもたらす事実認定と量刑の判断について、なぜ一定の法定合議事件が定められているかというと、それは、法律を見ると、刑が重いと、刑の重さを基準に決めているというのも一つの理由ですね。

○井上座長 事実認定と量刑について、もし誤りがあったら大変なことになるからということなのでしょう。

○四宮委員 そうです。

○井上座長 それに対して、法律判断は、一審で終わるわけでなく、上訴審があるから、そちらの方で最終的に正してもらえばよい。だから、合議体にしている意味も、事実認定と量刑に中心があるのだと、そういうお考えなのでしょう。

○四宮委員 そういうことです。

○井上座長 そして、そこの部分は、裁判員が入れば変わってくるだろうということですね。

○四宮委員 はい。

○井上座長 しかし、他の委員は、法律問題についても、上訴審があるからというのでは済まないのではないかという御意見ではないでしょうか。

○四宮委員 そこは違うということです。

○井上座長 私も、その点についてのお考えは変だという感じがしますね。

○辻参事官 法律問題が合議制である必要は必ずしもないという御理解だとすると、高等裁判所はなぜ合議制になっているんですか。

○四宮委員 それは、いろいろな法律問題を全部統一しなければいけないからでしょう。

○辻参事官 四宮委員のお考えだと、一人でも統一できるはずですね。

○四宮委員 でも、それはまあ……

○井上座長 判例集もあるし、立派な教科書もあるかもしれない。注釈書もある。

○四宮委員 しかし、いろいろな複数の判断を、全国から集まってくるばらばらなものを最終的に国の一つの秩序として統一していくわけですから、それは複数の方がいいのではないですか。

○井上座長 必ずしもそうではないでしょう。裁判例が分かれている場合に統一するという場合だけではなく、一つの地裁しか判断していない問題でも、その法令解釈に疑義があるときは、控訴裁判所の判断を仰ぐわけですよね。そのような点も判断しなければならないわけで、それは、ほかとの調整や統一という話ではないですよね。

○四宮委員 しかし、それは、一つの法としての価値を持ってくるわけですね。

○井上座長 だから合議体になっているのではないかということでしょうか、高等裁判所は。

○四宮委員 そうです。

○井上座長 そうすると、さっきの御説明とは違うのではないかというのが、辻参事官の御指摘でしょう。

○四宮委員 一審の法律判断というものと、上訴審の法律判断というものは意味が違うだろうということです。

○井上座長 規範性があり一般性があるから、ということですか。

○髙井委員 それは、一審軽視ではないですか。

○井上座長 一審についても、事実認定や量刑と法解釈の位置付けをそんなに大きく区別できるのでしょうか。法解釈で有罪・無罪が決まることもないわけではないのに、それについては、上訴があるから上訴審で正してもらえばいいのだというのは、おかしくないですか。

○四宮委員 上訴があるから上訴審でやってもらえばいいのだという……

○井上座長 お考えは、結局、そういうことなのでしょう。しかし、第一審においても、法解釈が適正に行われるようなシステムを考えるの方がよいのではないですか。

○四宮委員 いいかどうか別ですけれども……

○井上座長 しかし、上訴があるからというのでは、当事者にとってはたまらないでしょう。わざわざ上訴して審査してもらわなければ、法解釈については十分なことをやってもらえないというのでは。それは、制度としておかしくないですか。どうも、そこは変な御説明だという感じがしてしようがないのですけれども。感覚が違うのかもしれません。

○四宮委員 感覚が違うと思います。

○井上座長 裁判官を二人ないし一人とするポジティブな理由はあるのかどうか議論していただいてきて、二人説で、意見が対立して行き詰まった場合に3人に増員するという可能性も含めて議論していただいたのですが、その二人説の場合に、意見が最後まで分かれた場合にどうするのかということについて、裁判長が決めればいいというお考えと、被告人に有利に決定すればよいというお考えがこれまで示されていて、それについて問題点が指摘されているということを、先ほど御説明したのですけれども、その点についても、もう少し議論しておいていただいた方がよろしいかと思います。どうぞ。

○酒巻委員 先ほど、大出委員がルールを決めればよろしいとおっしゃいましたが、私はルールは決められないと思うので、どういう具体的なルールを決めるのかを説明していただければと思います。

○大出委員 私の意見は、前回申し上げたように、最終的には裁判長の判断に従うということを言っているんです。

○酒巻委員 それは、全然合理性がないと思います。

○大出委員 それはどういう……

○酒巻委員 最終的に裁判長の判断に法律問題の解釈が従うということになれば、議論する相手は……

○大出委員 意見が分かれた場合ですよ。

○酒巻委員 そのようなルールの下で議論する者にとっては、議論の前から最終決着が決まっているわけですから、不当だと思いませんか。

○大出委員 いいえ、そんなことないのではないですか。だって、議論するわけですから、結局、片方がもう片方を説得できなかったということですね。つまり、説得できれば一致するわけですから。

○井上座長 両方とも、もう一方を説得できなかった場合を問題にしているわけです。その場合に、本来両方が対等な立場であるはずなのに、片一方の方の意見が必ず優先することになるのですよ。

○髙井委員 非民主的な議論ですね。

○酒巻委員 ここは、御存じのとおり、憲法上、裁判長であろうが判事補であろうが、法律解釈については完全に独立ではないのですか。そういう法律解釈問題の決着のつけ方について、最終的に裁判長の意見が優先するという制度を設計するというのは、一体どういう合理的な根拠に基づくのか全然分からないのです。

○大出委員 今の最後の理由は、私は酒巻委員がおっしゃるような理由にはならないと思うんですが、いずれにせよ、合議をするという、議論をし、何らかの形で結論を出すときには、意見が割れた場合には、自分の意見が通らない場合があるわけですよね。つまり、3人の合議であっても、2対1になれば、一人の意見は通らないわけですから。

○髙井委員 それは、誰の意見が通るか分からないという前提で議論をして、多数決で2対1になった場合と、片や裁判長という肩書で最初から優先順位の決まっている場合の議論というのは全然違うし、誰かの意見が通るか分からないという対等な場で議論して負けた場合の、裁判の独立とか良心の問題と、能力があるかということは関係なく、裁判長だから能力はあるかもしれないけれども、その場面によって議論がどちらが優勢かではなくて、裁判長という肩書のために意見が排斥された場合の裁判官の良心の在り方とか独立の在り方は全く質の違う問題ですよね。その二つをごちゃごちゃにして言うのは私はおかしいと思いますね。

○本田委員 議論するからいいではないかというのが大出委員の意見でしょうけれども、最初から、裁判長が決するところによる、というふうに法律で決まっていたとき、実際の評議の場で本当に活発な議論が期待できるのか。最初から裁判長の言うとおり決まるのだということになれば、もう一人の裁判官は形式だけちょこっと意見を言うかもしれませんが、そんなものは本当の議論にも何もならないし、そんなことするのだったら、最初から裁判長一人にしておけばいいんですよ。

○大出委員 私も、揚げ足取り的なことを申し上げるつもりはありませんが、つまりそうでない独立が保障されているからこそ議論が行われるという前提が成り立つと私は思っているのですけれども。

○本田委員 現実論を考えてください。理念だけで物事を考えてはだめですよ。

○四宮委員 私は、実は2段階ぐらいに考えていて、一つは、要するに裁判長が最終的には決めなければいけない場合がある。決めるというか、裁判長が決すると。本田委員がおっしゃったように、正確に言えば、裁判長が自分の意見で決めるということではなくて、裁判長が決する場合があるだろうということです。ただ、その前に、例えば立証責任で解決できる問題などについては、1対1で分かれれば、その立証責任によって解決をしていくこともあり得るだろうと思います。そういったもので解決できない問題については、裁判長の決するところによるというのもあり得る制度ではないかと思っています。
 例えば、例を申し上げれば、自白の任意性など、任意性があるかないかという点で、裁判官二人の意見が分かれたときには、任意性があるという立証責任が、これは検察側にあるわけですから、検察側に不利に扱うという形になるのではないかというのが一つです。
 また、そういった問題で解決できない場合には、裁判長の決するところによるというのもあり得るだろうと。これは、裁判官の独立とかかわるのではないかという御意見と、それから、陪席の裁判官が意見を言えなくなるのではないかという御指摘がありました。ただ、私は理屈の部分では大出委員と同じ考え方ですけれど……

○井上座長 もう一度言っていただけますか。よく理解できないのです、その理屈のところが。

○四宮委員 これは、ある会議体で反対者がいる場合に、どう最終的な決着をつけるかということの一場面だろうと思います。そういう場合にはいろんなやり方があるわけで、一致しなければやり直すと、これは要するに全員一致制ですね。それから、一致しない場合には、多数の者の意見による、これは多数決制です。一致しない場合には、議長ないし手続主宰者の意見によるというのもあり得るわけです。だから、これはそれぞれが意見を述べ合って、そして、合意ができなかった場合に、判断を回避するわけにはいきませんから、じゃあ、どうするかという仕組みの問題ですので、私は二人制の場合には、片一方の裁判長の決するところによるということもその一場面としてあり得るだろうということです。
 それから、意見を言わなくなるということですけど、私は、それは裁判官にとって大変失礼な話ではないかと思っていて、それぞれの裁判官が自分の信じる客観的な法の意味というところに基づいて、意見を十分に言い合うわけですから、それは今の日本の裁判官はきちんとそういう形で意見を述べ合うでしょうし、そのことによって、最終的なルールで意見が容れられないということは、それは独立性の問題とは別の問題ではないかと思います。

○井上座長 2番目の点は、結局、ルールを決めればいいのだということしか言っておられないのですが、そのルールの中身が果たして合理性を有するのか、正当性があるのかという点、皆さん疑問を提示されているのです。地位によって、最終的には一方の意見が必ず優先することになるようなルールが、果たして合理的なものか、ということを問題とされているのだと思うのですね。
 1番目の点は、確かに任意性の定義がはっきりしている場合には、特定の自白に任意性があるかどうかは、挙証責任がある方が立証しなければならないというのは当たり前のことです。しかし、例えば、自白の証拠能力について、手続は違法だったら排除するという考え方と、あくまで任意性の有無が基準なのだという考え方が対立している場合、これは法解釈に属します。その点について、裁判官二人の意見が分かれたときは、挙証責任では片づかないのですよ。そういうときは、どうするのですか。

○四宮委員 挙証責任で解決できなければ、裁判長の決するところによるわけです。

○井上座長 そうすると、結局、裁判長が決めるという考え方に収れんするわけですね。

○四宮委員 そういうことですね。

○井上座長 しかし、それでは、先ほど指摘しましたように、そういう決め方に合理性があるのかどうかという話になると思うのですが。

○池田委員 まず、合議において、裁判官の独立が保障されているということが、いかにいい裁判に結び付くかということを考えていただきたいのですけれども、保障されているから言えるではないかというのはもちろんあると思いますけど、しかし、合議というのは、先ほど言いましたけど、法律の世界では理屈が立って、それに合理性があって、相手を説得でき、あるいは世の中を説得できなければだめなわけですね。その理屈は、どういうものでどうして合理性があるのかというのをお互い議論の中で深め合うわけです。相手が説得できなければ、なぜ、こういうことなのか、なぜ、相手は納得しないのか、こういうことがあるではないかということを更に考えて話すわけですよね。そのようにして、裁判官は、自分が誤っているかどうか、誤っていなければどのように説得すればよいかなど、いろいろと考えて話す努力をするから、最終的には負けても、いい結論になるわけです。それが、最初から決まっていたら、決してそこまでやらなくなるだろうと思うんです。
 私は、守秘義務に反しない範囲で、いろんなところで話しているのですが、合議で裁判長になってから一回負けたことがあります、2対1で。私と右陪席の裁判官とで法律論が違いました。左陪席の若い2年目の判事補にどっちを採るかということで検討させました。彼はいろいろ悩んだ上で、右陪席の意見の方がいいと言ったんです。これは、裁判長だから正しいということではないということです。私はそれがよかったと今でも思っています。そして、そういう左陪席がいるということがよかったと思っているんですけれども、いくら言っても最終的には裁判長が決めてしまうのだったら、陪席裁判官は考えなくなるのではないかと危惧します。また、多分裁判長にそんな人はいないと思いますけど、陪席裁判官の意見に耳をかさなくなるような人も出てこないとは限らないと思います。
 そのように、合議というのは、裁判長だから、経験だからということだけでは割り切れないものがあるので、裁判長が決めるというのは不合理だというふうに思います。立証責任である程度解決できるではないかと言われて、できないものもあるというのは、座長がさっき示されたとおりですけど、立証責任で解決できないものはいっぱいあるんですよね。実体法規で、例えば、同じ事実関係を前提としても、ある人は共犯だと言う、ある人は単独犯だと言う、ある人は教唆犯だと言う場合ですね。同じ事実関係でも、放火で一方が既遂だと言い、他方は未遂だと言い、着手の成否が問題となって既遂か未遂か分かれたような場合なら、どっちに不利益かというので決められるかもしれませんけど、単独犯か共犯かというのはどっちもどっちで、どっちに有利とも言えない場合があるわけです。そのほかに、手続法でもいっぱいあります。例えば、法廷を公開するか公開禁止にするかとか、尋問方法に対する異議をどのように裁定するかなどいろいろあるわけで、立証責任ですべて解決できるわけではないということを述べたいと思います。
 民事の関係で、昭和30年代の初期に、民事事件で二人合議制の採用が検討されたことがあります。これは法制審までかけられたのですけれども、二人合議制についてどう解決すべきかということについては難点を克服できなかったということで、この改正は結局できませんでした。また、二人合議制については、前に参与判事補制度というのを昭和40年代に始めたときに、弁護士会は、二人合議制に近くなって、それは裁判長の独立も侵害するし、参与判事補にもよくないということで反対されました。やっぱり、二人合議制というのは無理なんですよ。そういうことから言っても、今となって二人合議でもいいと言われるのはちょっと理解に苦しむところがあります。

○井上座長 ほかの方、更に何か御意見がありますか。それぞれの立場の御意見はほぼ出つくしたと思いますが。

○酒巻委員 さっき途中で手を挙げたのは、法律解釈の問題の多くは挙証責任では解決できないだろうということで、池田委員がおっしゃったとおりです。それから、念のために一言申し上げますが、もちろん、「疑わしきは被告人の利益」というルールは、事実の認定に関するお話で、法律の解釈論には何の関係ありませんので、そういうルールで解決することもできないと思っております。

○井上座長 よろしいですか。次の裁判員の員数についてなのですが、この点も、これまで極めて濃密に議論してきたところですが、一応ここでは、先ほどお話したような案を示させていただいております。これについては、もちろん皆さんそれぞれ言いたいことがうさんあると思いますが、繰り返しにならないような形で、前に進む議論をしていただきたいと思います。いかがでしょうか。

○酒巻委員 あまり前へ進まないんですけど、繰り返しにならないように言います。私は、座長のペーパーの全体の中で、ここだけ反対でありまして、私は前からずっと、職業裁判官3人、そして、一般国民の方も同数の3人という説を言ってきておりまして、先ほどの座長の、裁判員の員数は4人とする、さらに、検討会の議論を踏まえるともっと増える可能性も検討を要するという案には、反対です。先ほどの御説明を伺いますと、結局、人数の問題は多分に感覚的なものという言葉をお使いになったり、あるいは検討会での多数ということを考えると、何か政策的な意見調整の観点で4人あるいはそれ以上というような理由がありましたけれども、私は、この裁判体の構成の部分は、一国の刑事裁判制度の核心部分でありますので、合理的な説明ができないものについてはなかなか納得できません。裁判員制度では、事実の認定と量刑については、裁判員の方も一般国民の方も基本的には職業裁判官と同じ、あるいは違った観点からでも事実の認定と量刑はできるのであるという前提があろうと思いますし、それから、意見書も、一般国民の方と裁判官の方とどっちかを重視しているのではなくて、正に同等に協働するという考えです。
 平等ということで、職業裁判官は3人で動かせないと考えておりますし、裁判体の全体の構成として、多人数では十分な議論ができないと思っている点は座長と同じでございますので、合理的な説明がつくのは、3人対3人しかないだろうと思います。それ以上に数を増やすというのは、多分に感覚的、あるいは政策的意見調整だと思いますので、そのような合理的に説明できない案には遺憾ながら慎んで反対したいと思います。
 座長の意見の中で、一般国民の方にも意見を言いやすくするようにする必要があることが指摘されています。素人が臆せずにものを言うことができるようにするという観点は重要だと思いますが、その要請を制度として行うために、座長案のように、人数を一人だけ増加させるというのはあまり合理的なものとは思いません。そういう要請は、むしろ、正に職業裁判官の方が意識して、そのような評議の環境、雰囲気をつくるような努力をすることで応えるべき筋合いであって、そのために何で裁判員が一人だけ多いのか、そこは、私は、合理的な説明がないので説得されないということでございます。

○井上座長 今、ただし書きのところについて、政策的な云々と言われましたけれど、そういう説明はしていませんので、ちゃんと聞いてください。

○酒巻委員 はい。すみません。

○井上座長 その点は、そういう感覚を持っておられる方もかなりのおられ、それを理屈として排除できるかというと、排除できないだろうということから、ただし書きの形で付言させていただいたということです。それと、対等だということから直ちに同数でなければならないという結論には必ずしもならないので、それを合理的だと言われるのは断定に過ぎるように思います。その辺も感覚的な話であり、対等という意味では、反対に、裁判員が二人ということだってあり得なくはないと思いますし、幅があり得るように思うのです。
 審議会でも申したことですが、同等という意味では、あまり員数の差が大き過ぎると同等とは言いにくいのではないかという感じは持っているのですが、しかし、員数が全く同じでないと理屈が合わないということには必ずしもならないし、同じ立場の人がある程度の数いた方が意見を言いやすいということはあると思うのですね。そういうことから、感覚的な話なのですが、一つの案を示させていただいということです。

○酒巻委員 先ほど、私が「政策的な意見調整」という表現を使ったのは、今、座長が御説明いただいたようなところをまとめて一言で言うと、そうなるかなと思っただけで、特に何か他意はございません。要するに、4人以上と考えておられる方が多数であったというふうな表現を……

○井上座長 多数というのではなく、合算すると相当な数になるということです。それでも、多数説とは言えないと思いますけれども。

○酒巻委員 特に反論はありません。意見は先ほど言ったとおりです。

○平良木委員 私は、従前から、3人か4人という言い方をしておりましたけれども、偶数を出したのは、裁判官が3人であることを前提にして、トータルで奇数になった方が、過半数という評決要件の場合にはいいだろうという発想があったのです。ただ、今度の場合、それだけではなくて、もう一人裁判官が、あるいは裁判員がどっちか説得しないといけないということになったので、3人対3人でも構わないだろうということなのですが、決め方が従前から過半数ということを前提にするのだと、私は4人でもいいという考えで今まで述べていたわけです。ですから、この間、私は3にしますよと言ったのは、言ってみれば3が大勢かなというような感じだったので、3人か4人で3人でもいいという言い方をしておったのです。

○井上座長 政策的に決めたということですね。

○平良木委員 全くそのとおりです。ですから、基本に戻って、もし皆さんが賛同するのだったら、私は4人でもいいということになります。非常に論理的ではない意見です。

○井上座長 ほかの方、いかがですか。

○四宮委員  重ならないように言いますが、まず、座長のこの御説明の中で、私が非常に印象深く思ったのは、9ページの下の方のただし書きの部分についての御説明です。つまり、裁判員を5人とか6人にすると、全体の構成員の数が8人とか9人になって、多過ぎる感じもするけれども、評議の実効性の確保はこれでもできるのではないかという御意見だろうと思うんですね。裁判員の数を少なく主張される委員の皆さんが理由とされるのが評議の実効性でした。
 私、この御説明を拝見して、評議の実効性というのは正に感覚的なもので、そこから算数のように答えが出てくる問題ではないこともまた御理解いただけたことをすごく喜んでおります。もう一つ、私が注目したのは、控訴審に対する判決による説明の部分で、事実認定ないし推論の筋道が明確に示される必要があるという点で、この2点を大変興味深く拝見しました。
 控訴審に対する説明の、言わば判決の内容ですけれども、私はこれは裁判員の数が増えることによって、本当に不十分なものになっていくのかということは常々疑問に思っております。恐らくは、数が増えると事実認定ないし推論の筋道をきちんと示せるほどの評議ができなくなるのではないかという御判断なのだと思いますけれども、それは、例えば御説明では8人とか9人でも大丈夫だということなんですね。私は、むしろこれは、裁判員の数というよりは、正にプロとしての裁判官、とりわけ裁判長が、評議の論点の整理、評議の進行をどのようにするか、全員の裁判員にどのように意見を言わせるかということ、あるいは裁判員から出てきた疑問点をどのように取り上げて、それを全体の中に位置付けていくかという、プロとしての力量の部分にかかわるだろうと思います。
 これは、みんなが感覚的というか、要するにこういう評議体を今までやったことがないので、それぞれがそれぞれの思いで言っているわけですけれども、私の感覚では、プロがしっかりすることによって、数がある程度多くなっても大丈夫だと思います。数が多い、少ないというのは、今まで大分違うようにも印象付けられていますけれども、全体としては10人前後という点ではみんな一致をしていたわけで、その部分では……

○井上座長 そういうことで一致していたわけではないでしょう。

○四宮委員 そうですか。多い方でも10人前後ということで、評議の実効性を考える上では、今日の御説明によれば、実効性確保は十分に可能なのではないかということです。私は、この案よりは、もっと裁判員の数は増やしていただけたらと思います。

○井上座長 誤解があるようですので申しますが、私自身は、8人とか9人となると、かなり難しくなるだろうという感じを持っています。ですから、わざわざこういうことを書いたわけで、7人でも実際上かなりしんどい話だろうと思います。四宮委員は、そういう御経験があるかどうか分からないのですけれども、私自身は、非法律家の方とチームを組んで、かなり難しい事実認定に類するようなことをやり、判決書のようなものを書いたことが何度かあります。
 その際の経験では、法律専門家が、ここは論点であり、ここのところをこうしなさいといった合議の仕方では済まない。また、そういうことでないからこそ、違うバックグラウンドの人が入ってきて議論することに意味があるので、もちろん整理はしなければなりませんが、例えば、ある人の供述の信用性をどう評価するか、客観的な事実をどう照らし合わして評価するのかといった点では、法律家でない人の見方の方が勝ることもある。それだからこそ意味があり、実際、良い年教になりましたけれど、そういうプロセスを経て結論を出し、それを文章化するにはすごく時間が掛かりました。それは、わずか3人の合議体でしたけれども、それでもそうなのですね。
 ですから、そういう経験から言いますと、7人の合議体となった場合、かなり大変だという感じを持っているのです。しかし、これは個人的な感覚ですから、そこを言い出すときりがないので、これ以上は言いませんが、誤解しないでください。

○四宮委員 私も、自分の経験からは、個人的な感覚ですが、逆の印象を持っています。プロの裁判官に入ってもらおうと思っているものですから。

○井上座長 今日の説明の中で、読みませんでしたけれども、フランスの参審の場合のことに触れてありますが、評議というものもそこまで尽くさない。それぞれが意見を固めたらそこで投票するわけですよ。

○四宮委員 いや、私が傍聴させてもらったフランスの陪審評議は違いましたけど。

○井上座長 私も何度か行って傍聴していますし、裁判官にも聞きましたが、もちろん議論は活発にやるわけですが、とことんまで突き詰めた上で結論を出し、判決理由を書く必要はないのです。英米の陪審の場合も同じで、判決理由を書く必要はないので、そこまで詰めて議論するわけですはないですよね。設問についてイエスかノーか答えられるというところまでは議論が熟さなければならないのはもちろんですけれども、その程度に議論が熟したら投票するわけでしょう。そういうやり方を見ていると、そういうことで大丈夫か、それで実質的な判決理由がかけるような事実認定が本当にできるのかと思うわけです。そこは、四宮委員とは物の見方が異なると思うのですけれども。

○四宮委員 違うと思います。

○酒巻委員 今、座長がおっしゃったとおり、私は3人対3人という意見ですけど、個人的な感覚としては、緊密な合議をした上で、先ほど座長が御説明になったような判決書、上訴に備えた判決書を書くためには、できるだけ全体の人数は多くない方がいいと思っています。
 それから、またフランスの話が出てお二人で話されましたけど、私が読んだ限り、重大な事件のフランスの判決書は、およそ日本の判決書とは違う、極めて簡単なものであり、なぜ、そうなっているかといえば、それは先ほど座長が御説明になったような理由に基づいているだろうと推測しています。あんな簡素な判決書では、弁護人が、仮に日本で死刑判決に対して事実誤認に基づきどうやって上訴していいか、およそ無理だろうと思いましたね。

○池田委員 裁判員の員数については、裁判官と同数程度ということを言ってきまして、評決の在り方からすると、多数決になって、それぞれ一人ずつ入っているということからすると、3対3が一番自然ではないかと思っています。4人というのは、評議の実効性からして不可能かと言われると、ぎりぎりそうでもないのかなとは思いますけれども、5人、6人というのは到底無理ではないかと思います。
 それは、合議の話をいたしますけれども、合議をするときに、修習生は大体各部4人ぐらいいるものですから、ちょうど裁判官3人に修習生4人で、7人で話をすることがあるのですけれども、かなり疲れます。つまり、誰がどういう考えを持っているかというのが個別に認識できないと合議はなかなか実効的にならないんですね。今回の検討会でも、11人の方の、例えば、四宮委員はこの論点はこうだった、この論点はこうだっということがみんな頭に入ってないと、その論点を議論しているときに、きっとほかの論点にもつながるわけですけど、その論点についてどう考えているのか確認することが難しくなってきます。各人の考えについて個別の識別ができないと深まった合議は難しくなるのではないかと思います。また、そのような合議ができないと、しっかりした判決が書けなくなって、先ほど来出ているような、フランスの判決のような、結論だけ、あるいは各論点の結論だけというようなことになってしまうのではないかと思います。
 今の判決書が詳しすぎると言われますが、それはそうかもしれませんけれども、実質的な判断を示す判決を書いていく必要がもちろんあるわけで、それを維持するには、裁判員が5人、6人で、総計が8人、9人というのは難しいのではないかと思っています。

○井上座長 ほかの方はいかがですか。どうぞ。

○髙井委員 この問題は、裁判員となってくる一般国民に対してどういうイメージを持っているかということと、新しい裁判書についてどういうイメージを持っているかによって相当違ってくると思うんですね。日本の場合、私はそれほど賛成してないのですが、精密司法と言われていて、周密な事実認定が行われる。そのための前提として評議が行われるわけで、そういう意味で、私は海外のことは知りませんが、フランスがどうの、ドイツがどうのということは、あまり意味がないのではないかと基本的には思うんですね。
 じゃあ、細かい議論が何人までできるかというと、私もそれは2桁では無理だろうと思うんですね。座長は、7人まではぎりぎりで、8人は無理ではないかというようなことをおっしゃっているけれども、私も8人ぐらいがぎりぎりかなと思うんですね。
 もう一つは、これはかねてから言っているのだけれども、確かに、事実認定をするという意味では、裁判官も一般の人も同じだということになるのですが、議論をしたときの、議論する評議の過程は、ある意味では議論の過程なわけで、議論をする力は多分違う人が多いと思います。中には、裁判官よりも議論する力が強いと、とても裁判官では説得されないという人もそれはいるとは思うんですが、多分そういう人は割合からいえば少なくて、日本の国民性からいって、なかなか議論がうまくできない、あうんの呼吸で決めているのが今の実社会ですから、そういう意味では、きちんとした論理で物を詰めていくということについては、まず裁判官と同じだということは到底言えないわけで、裁判員が多少は多くてもいいかなというのが私の5人説の根拠です。それも感覚的なものだと言われればそのとおりなのですが、しかし1年なら1年、任期を持って裁判をやるならともかく、その事件だけで、それまで裁判所に入ったこともないような人が入ってくる、法廷ならいざ知らず、評議の部屋なんて入ったこともない、もちろん当たり前なんですが、そこへ入って議論をするというときに、ある程度きちんと議論をするためには、それなりの人数が必要だろうと考えると、5人が限度かなということです。あまり新味のない議論で申し訳ないです。

○井上座長 酒巻委員から、また合理的じゃないと言われるかもしれないですね。ほかの方、どうぞ。

○本田委員 私も、裁判員の員数については、裁判官と同数程度、もちろん、裁判官は3人という前提でお話しをしてきたわけですけれども、何でそういうことを言ってきたかというのは、一つは評議の実効性というのはもちろんあるのですが、多人数になったらうまくいかないだろうという考えもあります。ただ、これは何人以上で、どこで切ったらいいかというとなかなか難しい問題があるだろうと思います。
 もう一つ、前から言っているように、この裁判員制度をうまく動かすためには、現実をよく見なければいけないでしょう。裁判員の数を多くすれば多くするほど、裁判体を組めない可能性が出てくる。これまで何回も言いましたように、検察審査会の審査員を集めるのにあれほどきゅうきゅうとしている事実があるわけです。裁判員の場合は、何日間か連続して体を拘束されるわけですね。この前のアンケートでも、大体2日か3日が限度だということになっている。それ以上になったときに、本当に裁判体が組めなくなったら、裁判ができなくなってしまう。そういう意味では、制度の趣旨は活かしながら、裁判員の数はそんなに多くすべきではないだろうと思っています。それで、国民の社会常識を反映させる意味では同数程度が適当だろうと思います。
 その意味でもう一つ考えると、これはあまり理論的でないかと思いますけど、先ほど平良木委員の方から言われたように、評決が多数決となるわけですから、全体の構成としては、奇数の方が評決のときに分かりやすいのではないかという気がするんですね。そういう意味では、この座長案で示された裁判員4人という案は、私は一つの有力な考え方であろうと思っています。裁判官と裁判員が、お互いに一人ずつ必ず入るわけですから、3人と4人になって、そこはうまく働くだろうという気がするんですけれども。

○井上座長 大出委員、どうぞ。

○大出委員 私は、特に前に進めるような議論がないものですから控えていたのですが、これは皆さんお感じになっていらっしゃるように、最終的なところで、それぞれの御経験に基づく感覚で、実質的な議論が可能なのかどうかということでの意見が違ってくるのはやむを得ないとは思うんです。私の経験からすれぱ、10人前後でいけるだろうと思っているわけでして、髙井委員は8人とおっしゃったけれども、なぜ、8人なのかというのはやっぱり分からないですよね。8人でなければいけないのかですね。
 それで考えてみれば、私は10人前後までは許容限度内だろうと思っているわけでして、そこのところで、つまり、実質的な議論が、むしろ裁判官と同数というようなことでやられるよりは、座長はそこは御自身の意見ではないのかもしれませんけれども、国民が入った場合に、国民の場合には、裁判官の方たちと同じようにすべての人たちが全部10ずつ言うというわけでは多分ないと思うんですね。トータルな意味では、国民全体として裁判官3人ないし二人の方と同じ量的な議論になるということにするためにはどの程度なのか。これはもちろん、これも感覚で違うのだろうと思いますけれども、そこはかなり違いがあると私は思うわけで、さっき髙井委員が言ったように、一人で一騎当千みたいな国民が入ってくるということももちろんあるかもしれませんけれども、一般的には、そこは半分あるいは3分の1程度の発言、それがトータルで裁判員全体として裁判官の方たちとバランスがとれるぐらいの発言になっていく。
 ですから、それは実際の議論としては、まとめるときに、それほど裁判官3人、裁判員3人という場合と違いが出てくると私は思えない。ですから、先ほど四宮委員がおっしゃいましたけれども、裁判官の方たちも、そういうことにもちろんこれまでは慣れていらっしゃるわけではありませんから、そういうことを評議体としてどうまとめていくのかということを、これは変な意味でなくて、御経験を積まれる必要があるし、訓練もされる必要があるし、そういうことによって、それだけの裁判体を機能させていくような、これから全体として知恵を出していく必要がある。そういうことで裁判体を考えていくということでいいのではないかという気がするわけです。
 そういう意味で、私は従前から申し上げている、トータルな意味で10人前後、15人とまで言うつもりはありませんけれども、そのぐらいのところまでが許容限度内だと私は思っています。

○井上座長 まとめるということのイメージがちょっと違うのだろうと思いますね。意見を言い合って、もちろん議論は尽くすのだけれども、最後は多様に分かれても投票で決定すればいいというふうに考えるのか、それとも、ぎりぎり納得のいくところまで突き合わせをするのか、そこのところが違うのだと思うのです。前者のような考え方ですと、結局は割り切りの問題になり、ある程度許容できるのだろうと思うのですが。

○大出委員 その感覚は分かりますけれども、今の判決書がいいのかどうかという議論ももちろんあり得ると思います。さっき池田委員がおっしゃったように、そういうことも検討し直してみる余地は私はあると思うんですね。ですから、もちろん上訴に耐えられるような内容である必要があるということに基本的にはなっているわけですから、その方向自体について私は反対するつもりはないわけですけど、そうだとしてみても、やはり判決書の書き方の工夫ということも含めて、それはあと投票ということが一概にすべて悪いわけではなくて、投票と全員から意見を聞くというのは、当然両方併用するというのはあり得ると思いますし、皆さんに意見を言ってもらうことは当然あっていいと思うんですね。そのことであっても、10人前後でいける……

○井上座長 判決書の問題だけならば、評議の筋道で問題になることを全部拾い出して、一つ一つの点について投票で決めていけば、できなくはない。しかし、その程度の詰め方で果たしていいのかというのが、一方の方々が問題とされていことなのです。みんなに意見を十分言ってもらわないといけないのだけれども、その条件を満たせば、意見が分かれていても、投票で決めればよいと割り切るかどうか、という話だと思うのですよ。

○四宮委員 そう簡単に数の問題とイメージとはリンクしないと思うんですよ。私は座長と同じイメージで数の問題も考えていましたので。

○井上座長 評議で最後まで詰めていくということですか。

○四宮委員 ええ。

○井上座長 そういう前提に立っても10人前後の数で大丈夫だとお考えなら、それはそれでよろしいのですけれど、そこのイメージも違うのではないかという気がしたものですから。

○髙井委員 大出委員のイメージは違うと思うんです。各論点について、皆さんに、「あなたはどういう意見ですか」、「私はAです」、「あなたはどうですか」、「私はBです」と、「そうですか、Aが多数ですね」という問題ではないと思うんですね。

○大出委員 いいえ、私はそう言っていませんよ。

○髙井委員 違うんですか。

○大出委員 もちろん、理由も含めて議論の余地はある。

○髙井委員 だから、議論も理由も含めてだけど、それは、基本的には議論を詰めていって、できる限り全員一致の結論に達するということに向けて、ぎりぎりと議論をするというのが、多分、私らが想定している評議の在り方なんですね。

○大出委員 私だって想定していますよ。それで、10人前後までは許容限度内だと申し上げているんですよ。そこは、感覚の違いだと言われれば、そのとおりだということになりますけれども、私はそれは可能だと思っていますから。

○井上座長 さっき整理したように、あるところで割り切って投票で決めればよい、ということではないということですか。

○大出委員 そのときに、投票という方法も詰めていくときの手段として利用可能性はあるだろうということを申し上げているわけです。

○本田委員 先ほどの、判決書の書き方を工夫すべきだというお話と数とどういう関係があるんですか。

○大出委員 つまり、3対3とかの少ない数でいくべきだという皆さんが御心配しているのは、判決書が十分に上訴に耐えうるようなものにならない、そういう詰め方ができないのではないかということを御心配になっているのではないんですか。

○本田委員 それは、実質の問題ですね。

○大出委員 ですから、実質として上訴に耐えうるような判決書というのは、今の判決書なのかどうかということについては議論の余地があるのではないですかという趣旨です。

○本田委員 実質が耐えられるような議論がされてないのに、書き方の工夫で形式的に耐えられるようなものができるんですか。書き方を工夫したから、実質がないものが実質があるようになるんですか。

○大出委員 例えば、無罪判決などについて、つまり証明がなかったということが基本になった場合、具体的な証拠評価のところで、少なくとも、今はそうではないのかもしれませんけれども、あそこまで本当に書き込まなければいけないのかという、詳細な理由書というのはあるわけですよね。それが本当に必要なのかどうかですね。

○本田委員 おかしいんですよ、言っていることが。

○井上座長 それは、無罪判決だから、そこまで書かなくてもということですか。

○大出委員 いいえ、有罪の場合だってそうだと思いますけれども、今、特にとりあえず申し上げたところですけれども。

○本田委員 評議の内容がきちんとしたものでなければいけないというのが前提で、実質の問題と書き方を工夫するというのは別問題でしょう。

○四宮委員 大出委員は、評議の内容についてはちゃんとやるべきだという前提ではないですか。

○大出委員 やるべきだと言っています。

○本田委員 それが前提で、ちゃんとやるというなら、判決書の工夫というのは別の論点ですね。

○大出委員 心配していらっしゃる方たちが、ちゃんとした判決書を書けないではないかとおっしゃるから申し上げるわけですよ。

○井上座長 さっき申したように、他の方々は、そこまで詰めた評議をやらなければ、きちんとした判決書が書けないだろう、単なる判決書の書き方の問題ではなく中身のことを問題とされているのですよ。上訴に耐えうる、上訴で破られないようにするといったレベルの話ではなく、上訴審として検証できるかどうか、また当事者も検証できるかどうかということであり、それを可能にするようなものでないと困るのではないかということなのです。
単なる書き方の問題ではないと思うのです。ほかの方はいかがですか。

○樋口委員 結論は、同数程度ということで申し上げていたのですけど、同数程度という前提は、裁判官が何人かというのがあって初めて同数程度なわけですけど、裁判官については3人だと思っているんですが、なぜ、3人かというと、それは、既に終わった議論なので恐縮なんですけど、現状が3人だからということなんだろうと思うんですね。なぜ3人が二人ないしは一人に減らされるのかという議論は、どうも実務を踏まえた議論ではないものですから、そこがまた恐縮に感じているところではあるのですが、減らすのは理屈が立たないのだろうと思うんですね。肩代わり論なのか、それとも、現状3人のところが二人でやれることを3人でやっているのだというのか、どちらかでないとやはり説明がつかないのだろうと思います。
 肩代わり論だとすると、そもそも裁判官が裁判員をサポートするのだといったイメージが審議会の意見書の趣旨に合致してないのと同じように、この肩代わりというのも意見書の趣旨に合致しないのではないかとも思われますし、それのみならず、この3人が、現行制度で分業をしているわけではないわけですから、肩代わりそのものが理屈にならないのではないのかという感じもいたします。
 といったことで、3人は3人だといたしますと、これまた意見書からしますと、対等で協働するのですから、これは論理的ではないということかもしれませんけれども、素直にそれを数字に置き換えると、やはり同数程度ということではないのかと。
 さらにあとは、実質的な評議ができるかと。それから、評決は、奇数か偶数かどちらがいいかといった点を最後に考慮するのではないのかなと思うわけですね。そうすると、3と同数程度というのは、これはそれぞれ経験が違うにしても、実質的な評議が可能な規模だろうというような感じがいたしますね。できれば奇数ですけれども、それから先は、具体的な数字になりますので。

○井上座長 更に御意見があれば。だんだんこれまでと同じ議論の巡り方になってきましたね。かなりくたびれましたけれど、もう少し先までやっておかなければならないと思いますので、よろしいですか。次も重要な論点で、評決の問題です。私のペーパーでは、検討会での多数の御意見に従って過半数ということにしておりますが、特別多数という御意見もありましたので、そういうことを踏まえて、更に御意見があればお伺いしたいと思います。

○四宮委員 今日の座長の御批判はそれぞれ受けとめますが、裁判員制度と裁判官の場合とで違うのはいかがなものかという御批判が一つありますね。この前ちょっと私が申し上げたのは、後から出てくる高裁、最高裁をちょっと除くと、3人のうちの2対1ですから、実質的には3分の2ではないですかということを前に申し上げたわけです。それはへ理屈ですねと言われましたけれども、実質はそうだということなんですね。
 評決要件を加重すると、裁判員が加わる判断に不安があるという意味合いを持たれかねないということの御指摘がありますけれども、私が3分の2について申し上げたのは、この下に書いてあるように、裁判員が加わって合議体の構成が大きくなると、少数説が増えることに結果的にはなるわけです。裁判体のメンバー、構成員が増えるわけですから、その場合には、少数説が一票の従来の場合とはやはり変わってくるのではないかという趣旨でした。
 これに対する御批判として、最高裁や高裁の特別管轄事件というのがありますけれども、基本的には最高裁、もちろん「基本的には」というふうに申し上げるわけですけれども、合理的疑いの基準というものが適用になるのは基本的には第一審でありまして、最高裁では基本的には法律問題が扱われるわけですから、また、高裁の特別担当事件の5人というのも、例えば内乱罪などを指しておられると思いますが、それはそこでは合理的な疑いの基準があるではないですかと、それは3対2で決まるではないですかということなのですけれども、その点はそのとおりでありますけれども、理論的にはそうですけれども、あまり例のないケースでありますので、合理的な疑いの基準が正面から多く適用されるのは第一審なので、3分の2というものも考えてみてはいかがかと引き続き思っております。

○井上座長 その合理的な疑いの基準からしたときに、疑いを超えるのは3分の2の多数で足りるのですか。

○四宮委員 それはいろいろあると思います。

○井上座長 いろいろあるというのはどうでしょうか。御説のような前提に立った場合、一人でも二人でも疑いを抱いたら、合理的な疑いがあるということにならないのですか。

○四宮委員 そういう考え方もあると思うんです。つまり、全員一致しているということですね。

○井上座長 それで説明になるのでしょうかね。これは、酒巻委員が指摘された点ですが、そういった考え方に立ち、構成員の誰かが疑問を持っている限り合理的疑いを超えないと、そういう理屈でいくのなら、全員一致でないといけないということになるはずだと思うのですが、何故3分の2でよいのですか。現行の裁判所法の評決要件でも、3人の合議体で一人が反対したときには、3分の1ですから重いといえば重いですが、それでも多数の意見で決定できるというのは、おっしゃるような考え方で成り立っていると言えるのですか。問題は要するに、合理的な疑いを超えるというのは、誰を単位としてのことな合のかということであり、合議体として合理的な疑いを抱くかどうかだというのが、これまでの制度の考え方ではないでしょうか。例えて言えば、法人が意思決定をするときに、内部でいろんな意見の違いはあっても、法人としての意思は多数決で決める、そして決めた以上はそれは法人の意思であるということになる。そういう仕組みで成り立っていると思うのです、過半数の評決の制度というのは。
 四宮委員の御意見は、合議体は12人ということを前提にされるのでしょうが、そのうち5対7ですね、最小差がつくのは。その場合に、そんなに少数説があったら、合理的な疑いがあるということになるのではないかという御意見ですけれど、議論のレベルが違っているように思いますね。

○四宮委員 平良木委員に教えていただきたいのは、外国で、ドイツでは評決要件が3分の2という例がありますね。あれと、合理的疑いの基準というのはどういう関係に立っているんですか。

○平良木委員 関係ないです。要するに、素人がたくさん入ってくるときに、裁判の安定性といいますか、有罪の裁判をするときの安定性との兼ね合いと言われています。

○井上座長 合議体として合理的な疑いを超えていると判断するかどうかを決めるルールとして、過半数なのか、3分の2なのか、全員一致なのかということであって、議論のフェーズの異なる話だと思うのですよ。

○酒巻委員 ここは、座長のペーパーの御説明のとおりだと思います。刑事裁判における、疑わしきは罰せずとか合理的な疑いを超える確信という事実の証明に関する事柄と、合議体の意思決定に関する評決方法の問題とは論理的には関係しないと考えられます。前にも繰り返し申したとおりです。

○井上座長 ほかの方、いかがですか。

○酒巻委員 なお、ドイツの裁判所構成法においては、民事も刑事も通じての評決方法は日本と違っておりますから、ドイツがこうだという事実は直ちには参考にならないと思われます。

○井上座長 その点は、比較法的には、いろんな決め方がありますね。

○酒巻委員 ありますね。比較法につきましては、先ほど来言っているとおりです。

○井上座長 すみません、外国のことはあまり言わないようにいたします。ほかに特に付け加える御意見がなければ、もう一つ、二つ議論しておきたいのですが、「対象事件」のうちの原則の部分、ここもこれまで御議論があったところですけれども、多数の御意見に従い、また内容的にも、先ほど御説明したような考え方から、B案プラスC案という案をお示ししてみました。これをもたたき台にして、御議論いただければと思いますが、いかがでしょうか。どなたからでも。

○四宮委員 私は、早く定着してほしいという思いと、そのためにはたくさんの人に参加してほしいという思いがずっとあるものですから、件数がどのくらい差が出てくるのかという問題は確かにあるんですけれども、多めにやってもらえたらなという感じです。

○井上座長 分かりました。ほかの方、どうぞ。

○大出委員 私も前から申し上げていますように、多くの国民の方たちが、できるたけ速やかに関与できるようなチャンスをということからすれば、事件数はできるだけ多い方がいいというのが基本的な認識なのですが、ただ、B案プラスC案ということであれば、とりあえずスタートのところとしては、許容限度内なのかもしれないという感じもするんですね。ただ、ここでも議論が出ていましたように、それはつまり法案をつくっていくときに、技術的にそういうことが可能なのかどうかともかくとして、見直しというようなことが、できるだけ速やかに行われるというようなことがあっていいだろうと思いますし、それから、あと、国民の関心ということと重大であるかどうかということとの関係だと思いますが、これは今の段階で具体的な提案ができればよかったのかもしれませんが、なかなかそこは難しいということもあるものですから、つまり、事件として罪種として国民の関心との関係で、必ずしも一般的な基準からすれば重大ではないのかもしれないけれども、裁判員が関与するのが好ましい事件というようなものですね。つまり、法定合議事件だと、好ましくない事件があるではないかという御議論も結構強かったわけで、逆に、法定合議事件に入ってなくても、裁判員が関与する事件があってもいいというような感じもするものですから、その辺のことも含めての見直しというようなことが、ある程度、制度が始まった段階で行われるということになればいいのではないかと私は思っております。

○井上座長 後者の点は、審議会でも、私などは議論をしていただこうとしたのですけれど、結論としては、重大事件ということになりました。なぜ重大事件かというと、それは、一般的・類型的に国民の関心が高い、そういうまとめになっている。今はそれを前提に制度設計を考えているので、その限りでは新しい御提案になるだろうと思うのですね。

○大出委員 スタートしてからでいいと私は思うんです。ですから、スタート時点では、審議会の意見書の仕切りは前提にすべきだろうし、せざるを得ないと思うんですけれども、ただ、その後、動き始めた段階では、それこそ参加した方も含め、あるいは実際の制度が動き始めれば、いろんな意見がまた出てくると思いますし、そういったところを見きわめながら広げていくことはあり得ると思うんですけど。

○井上座長 審議会意見書も、将来にわたって未来永劫にということではなく、将来しかるべき時期にまた見直すという考え方に立っているので、そういう問題だろうと思うのです。今制度をつくるときに、そこに、そういう方向での見直し条項を入れるというのは、それとは違うところがあり、難しいかなという感じがします。

○大出委員 気分の問題かもしれませんけれども、それを言った上で、B案プラスC案には賛成するという趣旨です。

○髙井委員 私は、審議会の最終答申を前提にすれば、こういうことにならざるを得ないだろうと思います。当然これは賛成ですが、ただ、制度の組み方からいうと、本当は簡単な事件からやってみて、スムーズに動いたらだんだん重くするというのが普通の制度の組み方だなと思いまして、物すごくこれは危険な賭けだなというのは感想として持ちますね。これは、議事録に載せていいのかどうか。

○井上座長 平良木委員が年来おっしゃってきたことですけれども、ともかく今は大前提として意見書があるものですから。私も、個人的な意見はどうかと聞かれると、また話は違うかもしれませんけれども。

○平良木委員 意を非常に強くしました。

○井上座長 ほかの方、いかがですか。土屋委員どうですか。

○土屋委員 私も、B案プラスC案というふうに、事件の原則については思います。思いは同じで、できるだけたくさんの国民が参加する制度であってほしいと思いますね。ですから、これにとどめることなく、再度見直しをするような方向で考えてほしいと思います。

○井上座長 このくらいでよろしいですか。もう一つ、ここも議論のあったところで、事件の性質による対象からの除外の点ですが、この点について、御議論いただければと思います。

○四宮委員 いいですか。

○井上座長 どうぞ。

○四宮委員 まだ、御説明の途中ではないですか。

○井上座長 一応こういう修文にしたのですが、これで十分かどうか、これは一つの案にすぎませんので、これをも踏まえて御議論いただければと思います。四宮委員、御質問でしょうか。

○四宮委員 この赤い部分の3行目に、「その他の事情」というのがあります。

○井上座長 多分御質問があると思いました。これは、親族の身体もしくは財産に限らず、他にも何か影響があることもあるかもしれないということです。例えば、親族といいますと、法律上は限られるわけですけれども、他にも恋人かもしれませんし、親しくつき合っている友達かもしれない。そういう、実質として親族とそう変わらない人に害が及ぶような場合も、同様に扱う必要があるわけで、そういうものをカバーするためのバスケット条項です。
 無論、それに先行して例示が付いており、その例示に類するものと読むのが法解釈の常識ですので、その例示に質的に類似するような場合に限られることは確かです。

○髙井委員 質問ですが、「生活の平穏」というのは、物理的な平穏ですか、精神的な平穏も含むのですか。

○井上座長 精神的か物理的かはなかなか区別が難しい場合もあるように思われます。例えば騒音をワンワン立てるというのは物理的でもあり、精神的でもありますから。

○髙井委員 例えば、この前段というか、冒頭の部分を見ますと、要するに、財産に危害を加えるということですから、その流れからいうと、私の言葉で言う物理的な平穏を害するということになるのかなと思います。例えば、プライバシーを暴くぞというのは含まれるんですか。

○井上座長 プライバシーの侵害ということですが、これは、特定の個人について、そういうおそれがあるだけでは足りないのですね。特定の一人だけを対象にして、おまえのプライバシーを暴いてやるぞ、都合悪いことを言いふらしてやるぞ、と言ったというだけではだめで、他の人をも含め、およそ裁判員に担当してもらうのはふさわしくない場合ということでないといけないですから、プライバシーの侵害ということでそのような条件を満たす場合が果たしてあるかどうかですね。

○髙井委員 事件の性質からいって、そういうプライバシー侵害が起こる蓋然性が強いかどうかが問題だということですか。

○井上座長 もちろん、根拠になる事実は一人についての脅迫だとか、そういうことかもしれないですが、同じことがほかの裁判員候補者にも起こり得という場合に初めて、裁判員に担当してもらった場合、公正な判断を期待できないということになるのではないでしょうか。

○髙井委員 例えば、身体あるいは財産に害を加えかねないような事態が発生するような事件においては、当然、プライバシー侵害でその効果が達成されれば、それでいいわけですから、プライバシー侵害が起きる可能性も常にあると考えることは可能だと思うんです。

○井上座長 プライバシー侵害で具体的にどういう場合がそれにあたるのか、ちょっと今思いつかないのですけれど、抽象的に言えば、そういうことが認定できるならば、それは入ってくるのではないかというように思いますが。

○髙井委員 これは、「民心」を排除されているわけですけれども、それは、例えば一種の過剰報道が行われて、社会全体が一定の予断、偏見を抱いていると思われる事件は除外しませんよという趣旨を明らかにされたということでしょうか。

○井上座長 前のたたき台では、そうした状況も入るのではないかということだったですね。しかし、過剰報道と言われるもので、そこまでの状況が生ずるのかどうかですね。そういうことを言っていたら、非常にスキャンダラスな事件で、全国津々浦々まで報道され、多くの人が被疑者は極悪非道なやつだといったような感情を持っている状況になってしまっているときには、それに当たるということになりそうですけれども、その点については御議論があって、本当にそのような場合まで排除してよいのか、排除できるものかという御意見があったものですから、そういうのは直接的には当たらないことにしたということです、「民心」を取ったのは。

○髙井委員 そういうことですね。

○井上座長 はい。また、身体、財産に害を加えてとか、個々の人の生活の平穏を著しく侵害するようなことによって裁判員に公正な判断を期待することができないという規定ぶりにすれば、認定の上でも、客観的な状況としてそういうことがあるということが比較的言いやすいだろう。そういう発想なのです。

○髙井委員 そういう、例えば、ここに例示で挙げられている原因とは違う理由で、全国津々浦々に、今おっしゃっているような状況が起きたと仮定した場合には、これは裁判員に公正な判断を期待することはできない状況があると認められるのか、認められないのか、その辺はどうなんですか。

○井上座長 おっしゃっているような極限的な場合をどうするかは、その他の事情の解釈の問題だと思います。そこは皆さんで御議論いただければと思うのですが。

○髙井委員 議論の対象ですか、そこは。

○井上座長 そうです。

○髙井委員 分かりました。

○井上座長 そういう場合が本当にあったときには、「その他」に含めろということであるならば、「その他」というのは、そういうふうにも読めますということになるわけですけれども。

○四宮委員 そうすると、相当広がっちゃいますよね。

○井上座長 例示が置かれているので、それに引きつけて限定して読むのだというのが、私としては頭にあった読み方ではあるのですけれども。

○髙井委員 そうですね。そうすると、座長がこれをつくられた時点では、今、私がつくったような、多分無いような事例ですけど、そういう事例は、この場合は、公正な判断がすることはできないということではないということですね。

○井上座長 理屈だけで言うと、1億何千万の人がみんなということもあるかもしれないですけれど、実際には考えにくいのではないかということです。それに、それに当たるかどうかの評価が多様に分かれるので、難しいのではないかという御議論があったものですから。

○髙井委員 そこは、後で出てくる、理由のある忌避、あるいは理由無し忌避で排除する。具体的な人がいれば排除すればいいということですか。

○井上座長 当事者として不安があればですね。

○髙井委員 制度設計としてはですね。

○井上座長 ええ。

○池田委員 「民心」を削られたのは、苦労されたことがよく分かります。ただ、そのために、「その他の事情」というのが加わって、若干分かりにくくなったなという気がします。また、結局、裁判員に公正な判断を期待することができない状況があるかないかが判断要素になるわけですけど、その判断は非常に難しいのではないかなと思います。特に、今回、国民参加ということで裁判員制度対象事件というのを設けるわけですけれども、裁判所が、これは裁判員に公正な判断を期待できないから、もうやめちゃうよということは本当にできるのかというのが非常に問題ではないかという気がするんです。

○井上座長 それは、前からおっしゃっている点ですね。

○池田委員 要件をもっと明確にした方がいいということです。今、どういう場合に外せばいいのかという議論があるのですが、皆さんがこれは外せないといけないのではないかと思うのは外せないと困るだろうとは思うんですけども、あまり要件を漠然とさせると、今度は運用が非常に難しくなってくるので、特に、「裁判員又はその親族の身体又は財産に害を加える目的で」というのに絞ってしまうというのも一つではないかと思うんです。一つ懸念するのは、今のような判断は、手続の最初の段階でも難しいし、途中でそういうような問題が生じたときには更に難しくならないか、特に、戦術として、例えば、それまでの審理経過から裁判員がいるとまずいと考えて、何か起こして裁判員から逃れられるようにできることになりかねないわけです。そういうことになるのはまずいわけですから、そんなことのないような、要件としては明確なものにしておいていただかないと、実際この判断をする裁判所は困るのではないかという気がするんです。

○井上座長 そこも十分踏まえて考えたのですが、法律でこのような要件を設けるときに、「その他」というのを付けないのはあまり例がないのではないかと思うのです。最初からすべて類型化し、この場合だけだと言えればいいのですけれど、ある程度の包括的な条項を置いておかないと、実際上対応しきれないのではないかということです、一つには。
 もう一つは、判断が難しいとおっしゃる点は、確かに難しいと思うのですが、敢えて申し上げれば、難しい判断だからこそ裁判官がいるのではないですか。現に、現行法でも管轄移転の規定があって、実際に使ったことはないと思いますが、要件に「民心」と書いてある。その管轄移転は、裁判所の判断でできるということになっているわけですよね。それは、それだけの難しい判断なのだけど、裁判官ならやれるだろうという、そういう前提で成り立っているのではないかと思うのです。おっしゃっていることは分かる気がしないでもないのです。せっかく裁判員対象事件とされているのに、裁判所の判断で、これは裁判員に任せられないということで除外するというのは、裁判所が非難されることにもなりかねないといった御心配があるのでしょう。しかし、皆さんが除外すべき場合として念頭に置いているのは、よほどの場合だと思うのですね。誰が見ても、やむを得ないと納得できるような事情がある場合であって、ただ危ないのではないかというだけでは足らず、樋口委員がおっしゃったように、はっきりした根拠があるという場合しか除外できないと思うのです。

○池田委員 それは、そういう理解でいいわけですか。よほどの場合に限られると。

○井上座長 そういうことです。

○池田委員 いろいろ書いてあって、要件的には非常に解釈が広いように読めるけれども、先ほど髙井委員が……

○井上座長 そういうふうに見るから広いのですよ。

○池田委員 それは、非常に例外的な場合だけだよということですか。

○井上座長 管轄移転だって、ごくごく例外的なわけでしょう。

○池田委員 はい。

○井上座長 あれも、法律の文言だけ見れば、広がりがあるように見えるかもしれないですけれど。

○池田委員 管轄移転は、いずれにしてもどこかの裁判所ではやるわけですけど、今回は、せっかく裁判員制度になったのに対象から外されるということもありますので。

○井上座長 しかし、「考え方としては分かるけれども、要件がどうか」と言われるだけで、具体的にこうすればいいのではないかという御提案がないと、これ以上議論は進まないと思うのですが。

○池田委員 そういう意味での提案として考えられるのは、「その他の事情」も、それから「生活の平穏」というのも、ちょっと分かりにくいので……

○井上座長 著しく侵害するということになっているわけでしょう。身体とか財産には害が加えられていないとしても。

○本田委員 こういったものについて、除外しなければいけないというのは当然の話だろうと思うんですね。いろいろ判断が難しいというお話が出たのですけれども、これを読んでいて、「その他の事情」というのは、前の例示を受けるわけですから、これだけでいいのかというのは別の意見としてあるのですが、具体的な証拠関係に基づいてこういうのを判断するわけで、この判断がそんなに難しいとは到底思えないのです、私には。ちょっとしたものでなくて、脅迫状が来たりとかいろんな行動があって、当然裁判員全体が怯えてしまって、もう出ても来ないような状況になったときに、なお、それでももう一回、裁判員を呼んできて、もう一回今度やるのかというと、それはできないですね。
 それは、法律の解釈の問題ですけれども、それは制度の趣旨その他から推し量って、この点になればこうだというのは、どこかで誰かが判断しなければいけないわけで、それは全部固定的に要件を書いてしまえば、それ以外の事情でそういうことが起きた場合に除外できなくなってしまう。ですから、ある程度一般条項というのは入れざるを得ないと思うんですね、こういうものというのは。だから、すべての事態が立法当時想定することが可能であればいいですが、それは恐らく不可能でしょう。

○井上座長 ここについては、ごくごく例外的にそういうこともあり得て、その場合には除外しなければならないということは、一般論としては否定されないのでしょう。そうしますと、問題は、具体的にどういう場合に限定するか、どういう要件を掲げればよいのかということになるのだろうと思うのです。また、手続的な要件もかかわってくる。この案でも、当の裁判体の裁判官は原則としてその決定をすることができないということになっています。関与している裁判官が、裁判員を除いて、自分たちだけでやりたいということではだめだということになっており、他の裁判官、恐らく合議体になるでしょうが、そこが決定するということになっていて、手続的には一応そのような担保を置いているわけですね。ですから、この案以上に、実体的要件あるいは手続的要件として、こうすべきだ、こうすることが考えられる、といった建設的な議論を是非やっていただきたいと思うのです。

○髙井委員 具体的なそういう兆候はないのだけれども、ある一定の罪種で、裁判員に選ばれた人が、何か報復なり嫌がらせを受けるのではないかと深刻な懸念を抱く事件、抱くことが定型的に予想される事件というのがありますね。

○井上座長 罪種でですか。

○髙井委員 犯罪の内容によってです。そういう場合は、それだけでは除外されないということですよね。

○井上座長 具体的な状況がないといけないわけですから。想定されておられるのは、具体的な状況はまだないが、犯罪の性質からそのようなおそれがある場合ということですよね。

○樋口委員 具体的な要件の在り方について議論を深めたいとおっしゃっているのに、また申し訳ないんですけれども、これはそもそも範囲を限定して要件を明確化したということなんですけど、対象事件から除外するといった制度はもちろん必要だと思うんですけど、そもそも何に照らしてというか、どういったものに価値を置いて判断するのかということなんですけど、一つは、国民参加ですから、裁判員としての機会を奪ってはいけないということなのか、ないしは国民の義務なので、義務から容易に逃げさせてはいけないということなのか、それとも、裁判員裁判の方がより上質な裁判が期待できるので、被告人のそういった機会を奪ってはいけないというような、そういった理屈は多分ないのではないかとは思うのですが、そういう理屈があるのであれば、きっちり何か要件を固めて厳格に運用ということに結び付いていくと思うのですけど、そうではなくて、いろいろ兆候があって、裁判員に公正な判断を期待することができないと、つまり、良質の裁判が期待できないといった、そういう懸念がいやしくもあるのであれば、これは単純に外せばいいのではないですか。つまり、そんなにぎちぎち詰める話なのかなということと、この決定に対して、即時抗告といった制度設計にするのかどうかとした場合に、それは、何の権利が侵害されたから抗告なのかとか、つまり、大もとは誰の何を侵害することになるのかということが、とても重要だと思います。これは、そういった大仰な価値ではなくて、単純に公正な審理が期待できないということであれば、そうがちがちした要件を設ける話ではないのではないかと思うんですけど。

○髙井委員 私は、同じような観点で考えているのですが、樋口委員と結論が違ってしまって、この書きぶりだと外した方がいい事件が外れなくなってしまうのではないかと思っているんですね。多分、外した方がいいと思う事件の範囲が皆さんと違っているのかもしれないのですが、私が一番心配しているのは、具体的な兆候はないのだけれども、裁判員の皆さんが全員、そういう深刻な懸念を抱いてしまって、正しい判断をしていない、しかし、それは表に出ていないというような事態が出てくる可能性はありはしないのかということなのですね。ですから、できれば、定型的にそういう深刻な懸念を抱くような罪体の場合には、具体的な兆候がなくても排除できるようなシステムは必要なのではないのかということですけれども。

○井上座長 そうなってくると、罪種以外での切り口というのはあるのですか。例えば、罪種だと一律にできますが。

○髙井委員 罪種ではなく、主体の問題ですよね。犯罪行為を誰がしたかという問題ですから。それは、例えば、暴力的な組織犯罪の場合は、一律的に排除するというような切り方もあるのではないかと私は思うんですね。

○井上座長 公訴事実の中身から見て、組織的に行われたということが認められるようなものについては、ということですか。

○髙井委員 国民の皆さんに、あなた方は毎日不安でしようがないかもしれないけど、具体的な兆候はないんだから、その不安に耐えて、この判決をしなさいと言うのは、なかなか酷じゃないかと思うんですよね。ですから、意見書も、そういう組織的な犯罪、あるいは治安事件のようなものについて、国民に対して前面に立って戦えと言っているわけではないと思うんですよね。ですから、単発の個人的な犯罪、例えば個人的な怨恨による殺人だとか、そういうものについて国民の意見を反映させるというのは、意見書の考えていることだと思うのですが、いわゆる犯罪と戦うというような要素が前面に出てくるような事件にまで、具体的な兆候がないからといって不安に耐えてやれというのはいかがなものかと思うんです。

○井上座長 意見書では、必ずしもそういうものについて対象から外すというところまで意見が一致していたわけではありません。ただ、そういう意見が有力な意見として出て、私もそういうことを言った一人ですけれども、その点も制度化するに当たっては検討してもらいたいということになっていたので、この検討会で検討してきて、多くの方の考え方をまとめると、このような形になるのかなということで案をお示したのです。だいたいこういうことだろうというのが多くの方の御意見であったと思われたので、一応書いてみたのですが、無論髙井委員のような考え方もあり得るわけです。組織的になされた罪を内容とする事件は除外するといった切り口もないわけではない。その方が簡明といえば簡明なのです。一律に除外されますから。

○四宮委員 よろしいですか。

○井上座長 どうぞ。

○四宮委員 今の髙井委員の意見ですけど、それはそれで一つの意見なのかもしれませんが、しかし、それだとすると、要するに、座長がここにお書きになった状況はないのに除外されることになるし、どういう形で主体を特定するのかというのも非常に難しいと思います。そういった客観的な状況がないのに裁判員裁判から外れてしまうということになるわけですね、髙井案でいけば。

○井上座長 そういう場合もあるかもしれない。類型的に、裁判員が深刻な懸念を抱く可能性の高いものは、やむを得ないということで、一律に対象外とする。これは除外というよりは、むしろ本則の方にこういうものを除くと書くということになるかと思いますが。

○四宮委員 私は、そうなると、基準もそんなに明確ではないし、かなり広がってしまう。また、逆に例えば、個人の犯した殺人事件でも、あるいは仲間が、別に組織ではないけれども、仲間が何かを、どの程度の規模か、個人でできるか分かりませんけれども、そういったものがないわけではないだろうと。そうなると、もし除外の規定を設けるとすれば、座長ペーパーのような書き方になるのではないかという気しますけれども。

○髙井委員 こういう書き方が必要がないと言っているわけではなくて、これプラス、抽象的ではあるけど、高度の危険性が想定できるものについては一律に外すという規定も別途必要なのではないかということを言っているのですね。

○樋口委員 「裁判員又はその親族の」ということなんですけれども、後段も「これらの者の生活の平穏」なんですけど、被疑者、それから被告人になってからも、その言動とか、グループや組織による場合には仲間がどういう挙に出たかとか、それは、裁判員又は裁判員の家族に対するものでなければいけないという趣旨ですか。つまり、よく実態として現れるのは、被害者であるとか告発した者に対して恨みを抱くということですが、そのことをもって、裁判員裁判が始まり、裁判員が特定できた場合にはそのおそれがあるなと認定できるのですか。

○井上座長 そこのところが裁判員が安心して参加できないということにつながっていればいいので、親族には限らないとは思います、さっきお話したように。しかし、被害者に向けられているとか、告訴・告発をした人に向けられているという場合に、そのことこから直ちに裁判員となる人を畏怖させると言えるかどうかは疑問です。

○樋口委員 ということは、要するに、対象者の性向をどう判断するか、認定するかということになってくるのでしょうか。

○井上座長 例えば、自分を処罰するのに協力するやつには、告訴人であれ証人であれ、はたまた裁判員であれ、みんな同じように危害を加えるというおそれが、はっきりあらわれていれば、それは根拠になり得るかもしれない。まさに、そこまでの状況があると認められるかどうかということではないかと思うのです。

○樋口委員 ですから、言わんといたしましたところは、裁判員又はその家族に限定しての、そういった言動・挙動というのは極めて例外的にしかあり得ないですよね。

○井上座長 ですから、「その他」という包括条項を置いておくことが必要だということなのですどういう場合が出てくるかは、すべて予測できるわけではないのですから。ただ、いずれにしろ、そこまで言える場合というのは、ごくごく例外的であることも間違いないと思うのです。しかし、髙井委員のお考えだと、そんなことだけで大丈夫なのかということなのでしょう。兆候が具体的にあらわれている場合に限ってしまったたら、大変なことになるのではないかという危惧をお持ちだということでしょう。

○池田委員 今の要件は、それぞれはっきりさせないといけないというのはそうだと思うんですが、今の議論でもいろんな場面があって、それぞれ皆さんイメージが違うんですよね。そこら辺をもっとどうするか考えなければいけないと思うんですが、私は、髙井委員の言われたような類型のものだというだけだったら、それを外すのはどうかなと思うんですね。暴力団の組織犯罪だからというようなことだけで、何らかのことがあるかもしれないという危惧だけで外していたら、かなりの事件が外れてしまうのではないかと思います。

○髙井委員 かもしれないというよりは、私はその危惧があるかどうかではなくて、裁判員がそういう深刻な不安を抱くかどうかの方が問題だと思うんですね。仮になくても、裁判員がそういうふうに思ってしまったら正しい判断ができないだろうと思うんですよ。ですから、ここの書きぶりでは、公正な判断を期待することはできないとあるのだけれども、それとはまた別に、そういう著しく不安を抱かせる、定型的に著しく懸念を抱くであろうと思われる事件の類型というものが多分あるはずだから、それを別途除くということが必要だろうということです。

○井上座長 そういう事件の類型があるということは、多分示していただかないといけないでしょう。立法事実があるかどうかということになりますので。

○髙井委員 要するに、日本は、裁判員の顔はさらしているわけですし、名前も出てくるわけですから、基本的には裁判員の保護という点においては、諸外国の例と比べるとレベルの低い保護だと思うんですね。そういうレベルの低い保護で裁判員をしてもらうわけですから、抽象的にそういう不安を抱かせるものがあったら除くべきで、今後、例えば外国のテロ事件などが起きるかもしれないですよね。そういう場合に、それを裁判員裁判でやって、顔もさらしてやれと果たして言うのか。それはもちろん、脅迫状も何も来てないから具体的な兆候はありませんよ。でも、そんなテロ事件の裁判員なんかやっていたら、私の家族はどうなるのだろうと大抵の人が思うような場合もそれはあり得ますよね、多分将来的には。そういうときに、具体的な兆候がないからといって、「あんた、命守ってあげるから頑張ってね」でいいのかという感じはするんですよね。

○井上座長 そういう事件があるという前提に立つとしても、どういう要件の書き方をすれば、それに限定することができるのか。書き方によっては、そうでないものまで排除してしまうことになるのではないか、というのが池田委員の御議論だと思うのですが。

○髙井委員 そこを詰めた上で書きぶりを考えないといけない。

○井上座長 そこのところをお考えください。こういう書き方があり得るではないかという御提案をいただけますか。そうしたらさらに議論できるのですけれど、一般的・抽象的にだけ議論しているだけでは、議論はすれ違うだけだと思うのです。

○酒巻委員 私、こういう規定を設けることについてはずっと賛成だったのですが、前々から言ってなかったかもしれませんが、髙井委員のおっしゃっていることと同じような感覚を持っておるのです。ただ、具体的な案はありません。しかし、やり方としては、髙井委員のおっしゃったような一定の類型は外さないといけないかというふうに思っています。

○井上座長 実態というか、根拠があり、要件としても特定できるならば、そちらの方が簡明であることは確かなのですが。

○酒巻委員 もちろん、そこはお考えになった上での案であるというのは十分分かっておりますけれども。

○井上座長 今回の案は、あくまで、この検討会でのこれまでの議論を踏まえたら、こういうことになるのではないかということです。

○酒巻委員 私は、髙井委員に非常に共感したところはあります。

○井上座長 分かりました。そろそろ打ち切らないといけないのですけれども、せっかく清原委員に駆けつけていただきましたので、一応「対象事件の除外」というところまで議論が進んでいるのですが、清原委員、ここまでの全体を通じて、どの点でも結構ですけれど、御意見があればお伺いしたいと思います。

○清原委員 まず、座長におかれましては、今までの議論、意見交換を基にこの概要の案をまとめていただきましてありがとうございました。本当にお礼申し上げます。
 その上で、今日御議論があったところまでについて私の意見を申し上げますが、この案を読ませていただきまして、裁判官の員数が3人で、裁判員の員数が4人というのは、正直、今までの議論を踏まえておりますと、一つの衝撃がございました。その上で、「ただし検討会における議論を踏まえると、5人ないし6人とすることも考えられるので、なお検討を要する」と書いてくださっておりまして、私、個人的には裁判員の員数は、やはり6人を軸に考えていくべきではないかと相変わらず思っています。
 この間、そういう意味で、逆に座長からこういう案をいただいたものですから、私、改めて、もし裁判員の員数を4人という発想があるとするならば、今までは私は裁判官の員数は3人というふうに、ほかの事件との整合性から考えていたのですけれども、逆に裁判員の員数が4人と提示されたために、これはやはり司法制度改革であるので、裁判官の員数についてもひょっとしたら3人に私が拘泥しすぎていたかもしれないというふうな思いにもかられて案を読ませていただきました。
 と申しますのは、やはり全体で、どういう形で国民である裁判員が裁判を担当し、応じることができるかというときに、この案ですと、文字どおり小さく産んで、大きく育てられるのかなという感じもするのですが、私はやはり、裁判員制度を導入することの積極的意味から、それなりの人数の方にかかわっていただくべきだと思いますので、私の中では6人は最小限のつもりで提示いたしましたので、それ以下というのは率直に申し上げて考えられないというふうに思っています。
 さらに、裁判官の人数につきましても、このところの報道を見ますと、政党での御議論の中では必ずしも3人にこだわらない議論があるということも知りました。その論拠などを学んでおりますと、私はここで、この数について、私は裁判官3人、裁判員6人ということを最初申し上げていたわけですけれども、ひょっとしたら裁判官は3人ではなくて、二人とか、4人ということはないと思いますけれども、そういうものもあるかなというような思いもしますが、その中でふと気がつきました。本日から公示されて衆議院選挙が始まりました。改めてこれまで議論されていた政党の方も、国民の信任を受けて変わられる可能性も出てきましたし、私はこの検討会での検討が尊重されて望ましい案がまとめられていくことを願っているものですけれども、こうした私たちの検討が、より国会議員の方にも理解をされて、議決されていかなければならない。その先のプロセスのことなどを考えますと、この時期、国民の信託を受けて選ばれた議員の方が、今後どのようにこのことについてお考えいただくのかということに関しては、是非あまり間をあいてはいけないので、これを早急に私たちも詰めてお示ししていかなければいけないのではないかという点が1点です。
 それからもう一つは、ほかの点について、私は今日御議論いただいたところまで大きな原案との相違はないのですけれども、数などについては、これまでも広く国民からパブリックコメントはいただいているのですけれども、この案が今後まとめられる段階では、中間段階でも改めて、これを基に御意見いただくべきぐらい大きな検討になるのかというようなことも思ったりしています。
 いずれにしても、正直申し上げまして、裁判官3人、裁判員4人というのが、私の中では結構衝撃的な人数だったものですから、今、どういう議論がこれまでなされていたかも承知していませんので、ぶしつけなことを申し上げたかもしれませんが、私は、是非裁判員の数は6人以上は考えていただきたいと思いますし、もし裁判員の員数を4人というふうなことで収斂されていくのであれば、裁判官の員数を3人とするのは、私は裁判員制度の趣旨・本旨を本当に活かすものかどうかということについて、ちょっと懸念を持ち始めましたので、そのことだけ申し上げます。
 以上です。

○井上座長 一番最後の趣旨・本旨というのは、比率の問題ですか。

○清原委員 比率ではなくて、これは裁判員制度という、国民の生活実感とか常識を裁判に活かそうと……

○井上座長 裁判員4人を前提にした場合に、裁判官は3人はどうかな、それは裁判員制度の趣旨・本旨にもとるとおっしゃったことの意味をうかがっているのですけれども。

○清原委員 やはり、普通の国民ですね。先生方のようなプロではない普通の市民が裁判をするということの重みを考えますと、裁判官が3人で、自分たちが同数程度というのは物すごい圧力です。ですから、裁判員制度の本旨は、国民の常識を裁判に反映させようということであれば、人数の比率というのは、国民への圧迫を大きくしない人数であるべきだと、私はそういうふうに思うんです。

○井上座長 分かりました。ですから、やはり比率を問題にしておられるのですよね、裁判官と裁判員の。

○清原委員 比率は大変大きなものだと思いますし、絶対数というのも大きいと思いますよ。ですから、私は、6人というのは、普通の市民がプロの裁判官が2名であろうと3名だろうと、2倍、3倍ということ以上に絶対的な数だと私は思って提案させていただきましたので、比率だけではありません。

○井上座長 一番最後のところでおっしゃったことについては、最初にこのペーパーをお示しするときにお断りしたことなのですが、これはあくまで、これまでの御議論を踏まえて、これからのこの検討会の議事を進めていくために、その素材とするために座長の立場でお示ししたものであって、これを踏み台にして検討会としての何らかの提案をするとか案をまとめるということを予定したものではありませんので、そこは誤解のないようにしていただきたいと思います。もちろん、他のいろんなところで、いろいろな議論、がこれまでもされてきたし、されており、我々もそれをも視野に入れながら、それぞれ自らの考えで意見を言ってきたわけですよね。
 ただ、この検討会としては、これまで議論を積み重ねてきましたので、それを踏まえて、更に次のステップに進んで議論をすべきであり、それを今やっているということなのです。選挙だとかそういうことは、それはもちろん外では重要な要素かもしれませんけれども、我々の検討会としては、もちろん外の声をも踏まえながら、ここはここで、きちんと議論していく、そういう場だと思うのです。
 それと、最初にこの案の内容の趣旨を1時間半くらいかけて御説明したのですが、それを文章にしてお手元に差し上げておりますので、それをも御覧になっていただき、今おっしゃった御意見はそれとして考えさせていただきますが、是非その説明も読んでいただいた上で、また議論をさせていただきたいと思います。

○清原委員 すいません、私、失礼な言い方したかもしれませんが……

○井上座長 いえいえ、そんなことはありません。

○清原委員 どうしてかと申し上げますと、これだけおまとめいただくのに、座長が今までの議論を一貫して進めていただいた上での、事務局案以上の重要なたたき台だと認識しているんです。その上で、私、なぜ、あえて選挙のことなど申し上げたかと申し上げますと、私も本当に、普通の研究者だった立場の者が、選挙という洗礼を受けました。その中で、国会議員の方の責任とか気持ちとか、立法における責務というものもそれなりに、今まで以上に推測することができます。私は、これからはちょっと注意深く話をしなければいけないのですが、人権擁護推進審議会の委員でもございました。答申を提出させていただきました。しかし、いろいろな御審議が国会でございまして、残念ながら廃案になっております。
 私は、この司法制度改革というのは、非常に大きな、国民にとって意義ある制度改革だと思っているのです。ですから、検討会が行政の責任の一端を担う重要な立場として、しっかりと積み重ねてきたこの意義は言うまでもありません。その上で、私はこの歩みをよりしっかりと、国会議員の方、幅広い国民の方に知っていただいて、必ずや実現したい、成立させたい、その一心でございましたので、こちらの検討会の主体性とか自律性とか、そうしたものには全く疑念も懸念もありません。自信を持って座長を中心に進めてきたし、重ねてきたと思っております。
 その上で、ちょっと余分なことを申し上げたようですが、あえて、だからこそこの検討会の主体性、自律性を維持しつつも、しかし、幅広い、いろいろ御関心を持って御意見を言ってくださる方のことなどもより真剣に受けとめていく必要があるのではないか、その上でより実現可能性のある提案を出していきたいなという思いですので……

○井上座長 そこは、皆さん思いは一緒なので……

○清原委員 すいません、大変ぶしつけになってしまいました。

○井上座長 今御提案のあったことで、このペーパーはこの検討会の議論のための一素材に過ぎないのですけれども、すぐホームページに載るはずですから、それについても御意見をいただくというようなこともあっていいかもしれません。今思いついたので、事務局とは何も相談していないのですが、そういうこともあっていいかなと思います。
 それから、これは私の御説明の中で触れたことですが、清原委員は清原委員のお考えとして衝撃だとおっしゃったのですけれども、検討会全体として総体的にどういう意見分布だったかということは、このペーパーをまとめるときに、当然、頭に置きました。その説明の部分も、ペーパーに書いてありますので、是非お読みいただき、お忙しいお身体でしょうが、次回も都合つけていただければ、また議論できるかと思いますので、よろしくお願いします。
 もうちょっと先までやっておかないと、あと二つペーパーがありますので、先が大変になるとは思うのですが、時間も大分長くなってしまっておりますので、今日はこのくらいにさせていただきたいと思います。

○四宮委員 1点、よろしいですか。

○井上座長 どうぞ。

○四宮委員 事務局に質問です。今、井上座長のこのペーパーについての国民の意見を聞くという、今、御提案が一つありましたが、拝見すると、いずれ事務局案というものをおつくりになると。それについては、また国民の声を聞くようなことを考えていらっしゃるのかどうか、そこら辺はどうなんですか。

○辻参事官 事務局のつくるものについてですか。

○四宮委員 事務局がおつくりになるペーパーです。

○辻参事官 原則的にはそのように考えたいと思っております。

○井上座長 法案を出すまでに時間的余裕がどれくらいあるか、そこの問題でしょうね。
 最後に事務局から、意見募集の結果の報告、これは刑事裁判の充実・迅速化に関するたたき台についてのものですが、その報告があるそうです。

○辻参事官 ごく簡単に、資料4でございますけれども、意見募集の結果でございます。合計件数だけ申し上げますと、154件の御意見をいただきまして、ここに記載しました様々な御意見をいただいております。時間の関係で、内容の御紹介を割愛させていただきます。御参照ください。
 それから、それ以外にも、一般的にいつも御紹介している、事務局に寄せられた意見のリストもお手元にお配りしておりますので、こちらも御参照ください。

○井上座長 次回の日程ですが。

○辻参事官 次回は、11月11日(火曜日)午後1時30分からを予定しております。

○井上座長 それでは、本日はこれまでといたしたいと思います。どうもありがとうございました。