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裁判員制度・刑事検討会(第4回) 議事概要

(司法制度改革推進本部事務局)
※速報のため、事後修正の可能性あり

1 日時
平成14年6月11日(火) 13:30~16:10


2 場所
司法制度改革推進本部事務局第1会議室


3 出席者
(委 員)
池田修、井上正仁、大出良知、清原慶子、酒巻匡、四宮啓、髙井康行、土屋美明、中井憲治、平良木登規男、廣畑史朗(敬称略)
(事務局)
山崎潮事務局長、大野恒太郎事務局次長、松川忠晴事務局次長、辻裕教参事官

4 議題
「刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入」について


5 配布資料
資料1: 裁判員制度関係参考資料


6 議事

「裁判員制度・刑事検討会における当面の論点-刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入-」(第2回配付資料2)に沿って、刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入に関する当面の論点について議論が行われた。  議論の概要は、以下のとおりである。

(1) 裁判官と裁判員との役割分担の在り方

 ア 法律問題

 裁判員が法律問題に関与すべきかという点に関し、主として、以下のような意見が述べられた。

  • 本来、法律や憲法の解釈はプロである裁判官が行うべきものであるから、裁判員は関与すべきではない。事実の確定には裁判員が関与すべきであるが、確定された事実を前提として適用される法律を解釈するのは裁判官の権限とすべきである。裁判員制度は、プロの裁判官を半分アマチュアにする制度ではなく、プロはプロの良いところを、アマチュアはアマチュアの良いところを発揮し、足してより良いものとする制度であるから、プロのいいところを減殺するような制度にすべきではない。

  • 純粋の刑法の条文の解釈については、専門的な法律学の学識、経験が必要とされる上、裁判員制度導入の趣旨からは事実認定に国民が関与する必要性は大きく、かつ、可能でもあるのに対して、法律の解釈に国民が関与する必要性はそれほど高くないと考えられるから、事実認定と法律の当てはめには裁判員も関与すべきであるが、法律解釈は裁判官の権限とすべきである。

  • 司法制度改革審議会意見は、「裁判官と裁判員が責任を分担しつつ、法律専門家である裁判官と非法律家である裁判員とが相互のコミュニケーションを通じてそれぞれの知識・経験を共有し、その成果を裁判内容に反映させる」と述べており、法的知識を有していることが期待されている裁判官と、期待されていない裁判員の協働が想定されているのであるから、法律解釈に裁判員は関与しないものとすべきである。また、法律解釈においては法的安定性が重要であるから、法律専門家に委ねるべきである。

  • 裁判員制度導入後も残ることになる裁判官のみによる裁判における法律解釈との整合性が欠けることになるのは適切ではないので、法律解釈は裁判官の権限とすべきである。

  • 法律解釈は裁判官の権限とすべきとの意見に異論はないが、例えば、公判中に法律問題について判断しなければならない事態が生じたような場合に、同席している裁判員を排除して裁判官だけで合議をするのかなど、検討すべき問題がある。

  • 法律解釈は裁判官の権限とするということと、そのための合議の場に裁判員を同席させるかどうかということとは別問題である。

  • 実体刑法の解釈は、主に審理終結後の合議の場面において問題となると思われ、公判中に問題となることはないのではないか。

  • 裁判官は法律問題のプロであるから、法律解釈に関しては実質的に裁判官の意見どおりになるのではないかと思われるので、あえて裁判員を排除するシステムとする必要があるのかという疑問もある。

  • 法律解釈を裁判官が担うのは当然であるが、例えば、ある行為の違法性の見方について、素人である裁判員が意見を述べることができてもいいのではないか。法律解釈の権限がないからといって裁判員の意見を聴かなくてよいという結論には必ずしもならないのではないか。

 イ 訴訟手続上の問題

 裁判員が訴訟手続上の問題に関与すべきかという点に関し、主として、以下のような意見が述べられた。

  • 訴訟手続上の問題は訴訟のルールに関するものであり、これは事件ごとに異なるものではなく、統一的に適用されるべきものであるから、基本的に裁判員は関与しないものとすべきである。

  • 訴訟手続上の問題は、狭義の訴訟手続上の問題と証拠の採否の問題に区分できるが、このうち、狭義の訴訟手続上の問題は裁判官のみが判断すべきである。他方、証拠の採否のうちでも、書証については、仮に証拠能力が肯定されたとしても信用性の判断に裁判員が関与することになるので、証拠能力については裁判官のみが判断しても問題はないと思われるが、証拠物については、その収集手続の違法性が争われているような場合、手続が違法であるかどうかの判断は、法律の解釈と同様に裁判官の権限とするとしても、例えば、警察官が暴力を振るったかどうかというような前提となる事実の認定については、裁判員の関与を認めるべきかどうか検討の余地がある。事実認定については裁判官と裁判員は対等の能力があり、法律解釈については裁判官が担当すべきと考えるが、その両者が重なり合う部分である、証拠物の証拠能力の判断の前提となる事実認定に裁判員が関与すべきかどうかは重要な問題であり、十分議論する必要がある。

  • 裁判員の果たすべき役割は何かということをまず考えるべきであり、それを解決した上で、役割分担を考えるべきではないか。例えば、裁判員は裁判官と同じ役割を果たすと考えれば、ドイツのように、公判期日においては裁判官と全く同等の権限を認めるという考え方もあろう。他方、両者は全く同じではないという前提に立つのであれば、法律問題や訴訟手続上の問題については、全部裁判官の権限とすることも可能ではないか。

  • 裁判官と裁判員の対等性や協働性を確保するにはどこに力点を置くべきかということが重要である。司法制度改革審議会意見によれば、「共に評議し、有罪・無罪の決定及び刑の量定を行うこと」に力点があるのであるから、純粋の訴訟手続上の問題や法律解釈についても裁判員が関与するとすると、負担がかかりすぎるおそれがあるなら、そのような問題については裁判官に判断してもらうということが考えられる。

  • 以前のいわゆる荒れる法廷のような場合に裁判長の訴訟指揮が厳しすぎると感じたこともあり、そのような訴訟指揮権の在り方に裁判員がブレーキをかけることもあり得るのではないかと思われる。したがって、訴訟手続上の問題だから裁判官の権限と言い切ってしまってよいかは疑問のところもあり、裁判員がその点についても意見を述べる役割は果たすことができるのではないか。

  • ある事項について判断する権限や責任を裁判官が負うということと、そのことについて裁判員にも意見を求めることができるかどうかということは別の問題であろう。

  • 最終的な判断は裁判官が行うべきと思うが、だからといってプロの領域には裁判員は立ち入るべからずという仕分けをしてしまうのは、裁判員制度の理念からみて不適当と思われるので、少なくとも、裁判員も意見を述べられるようにすべきである。

  • 裁判官と裁判員は対立関係ではなく、それぞれ足らざるところを補う関係なのだから、裁判官が必要だと思えば、裁判員の意見をどんどん聴けばよいと思う。ただし、最終的な決断にも裁判員が関与することとしてしまうと、迅速な処置を必要とする場合や期日外の手続、準備手続が実際に動かなくなってしまうおそれがあるので妥当ではない。

  • 公判廷において問題となったようなときに、裁判官がことさら裁判員を排除するようなことはしないだろうし、またすべきでもないと思うが、期日変更や、準備手続での証拠の採否、保釈の判断など、期日外でやるべきことも多いので、もし裁判員の関与を絶対的な要件とすると手続が動かなくなり、また、裁判員としても、期日外にも呼び出され、負担が過重になる。したがって、裁判員の意見を聴くことができるとするのはよいが、意見を聴かなければならないとするのは問題である。法廷警察権については、現行法上も裁判長の権限とされており、それは即時の措置を取る必要によるものであるので、裁判員の関与や意見聴取を認めることは難しい。

  • 裁判官が裁判員に説明することは重要であるが、そのことと両者が共に権限や責任を持つということとは別である。司法制度改革審議会意見は、明らかに判決を想定しての協働を求めていると思われるし、あらゆる手続に裁判員が関与することを求めると、国民が参加してなされた手続違反を上訴審でどう扱うべきかという問題も生じよう。裁判員は無作為抽出されて1件の事件のみを担当するという点からしても、裁判員が手続上の問題について習熟することはないと思われるので、裁判員は、口頭弁論を通じて行われる、判決に直接結び付く事柄に関与することとすべきである。また、心証への影響を考えると、証拠能力に争いがあるような場合には、裁判員にはこれに触れさせない方がよいのではないか。

  • 証拠の要否を含めた採否の決定の在り方については、準備手続の制度設計とも関係するが、公判の充実という意味では、準備手続において、要否を含め証拠の採否が決定されているのが望ましい。公判開始後に証拠の採否が問題となる場合についても、必要に応じ裁判官によって裁判員に対して説明がなされることや裁判員の意見を聴取することができることを前提とした上で、裁判官の権限とすべきである。

  • 覚せい剤自己使用事犯における採尿検査の結果など、証拠能力に争いがある場合に、準備手続でその点が判断され、採用されてしまうと勝負がついてしまい、公判では何をやるのかという問題があるので、主たる争点が準備手続で決着がついてしまうような制度とすることには問題もある。

  • 実体法に関しては、事実認定とあてはめの両方に裁判員も関与することとしつつ、違法収集証拠のような問題に関しては、あてはめは裁判官のみの権限とするものの、前提となる事実認定については裁判員にも関与させるという形を取ることも可能か。

(2) 裁判体の構成・評決の在り方

 ア 裁判体の構成

 裁判体の構成の在り方に関し、主として、以下のような意見が述べられた。

  • 対象事件の範囲にもよるが、法定合議事件であって裁判員制度の対象とならない事件が残る可能性があり、また、裁判員制度のもとで裁判官のみの権限とされるものがある以上、より重い裁判員制度対象事件については裁判官の数は3名とすべきであり、それを前提として裁判体の構成を考えるべきである。

  • まっとうな合議が可能な人数に限定すべきであるから、例えば20名とか30名というのは論外であり、裁判員が主体的に意見を述べるために必要かつ十分な人数とすべきである。また、裁判官が1人だとプロの意見が常に割れないため、裁判員が自由にものを考え、主体的にものを言う際の選択肢が少なくなってしまうので、裁判官は少なくとも2名は必要である。

  • 司法制度改革審議会意見を出発点として考えるべきであり、判決書に現在の実務と同等の精緻で具体的な理由が書ける程度の詳細な評議が可能な規模にすべきである上、評議の実効性という要請からも全体の規模は余り大きくすべきではない。また、裁判員の主体的・実質的関与を確保するという要請については、裁判官と裁判員の対立構造を当然の前提とするのはおかしく、両者の知識・経験を持ち寄って徹底的な討論により結論を得るということが必要であるのに、人数が余りに多くなってしまってはそのようなことは不可能となると思われる。裁判官3名に若干の人数の裁判員が加わるコンパクトな構成が適当である。

  • 今までの制度を基本にしてこれをより良くしようというのが今回の裁判員制度導入の趣旨であり、その観点からは、対象を重い事件とするのであれば、裁判官3名を基本とすべきである。また、裁判員が意見を述べやすくするという観点からは、裁判員の数は複数が必要であるが、十分な合議が行われる必要があることを考えると、合議体の人数には上限があると思われるので、裁判員の数は裁判官と同じくらいかやや多い程度が適当と思われる。

  • 司法制度改革審議会意見を前提としても、裁判員の主体的・実質的関与を確保するという要請と評議の実効性という要請を満たす範囲は相当広く、規模が大すぎてはいけないといっても、その範囲がどの程度なのかについては色々な考えがあり得る。司法制度改革審議会意見のいう、健全な社会常識の反映という点については、多様な意見の吸収ということが考えられていると思われる。陪審制の例から見て、10人程度の合議体でも評議の実効性という点で問題があるとは思われず、裁判員の主体的・実質的関与を確保するという点からは、裁判員の人数が多い方がいいと思われるので、最大では12名程度という構成もあり得る。

  • 裁判員制度は、裁判官のグループと裁判員のグループとの団体交渉のようなものではなく、裁判官も裁判員もそれぞれ意見が分かれることがあり得る。1人1人の裁判員が主体的・実質的に関与することで、良い結果に結び付くようにすることが重要なのであり、裁判官の数と裁判員の数を対抗的に考えるのではなく、議論のやり取りがなめらかにいくことができる全体の人数ということで考えれば、規模は自ずと決まると思われる。裁判官が3名であるということは動かせないとすると、これに裁判員をどれだけ加えるかという問題になるが、全体としての規模は、例えば,最高裁判所小法廷の人数である5名が一つの参考になるのではないか。

  • 社会心理学でいうグループダイナミクスの問題で、どのくらいの人数でどのくらいの実効的な議論ができるか、構成員の間の地位や知識の差がどのような影響を与えるかということに関する研究実績があり、こうしたことを抜きに実効性と規模の問題を考えてよいかどうかには疑問があるので、これらの科学的知見を吸収して議論を進めるべきである。

  • 裁判員が発言しやすく、その役割を果たすためきちんとした判断ができることが重要なので、その観点から人数の問題を考えるべきである。また、裁判員制度導入後も残ることとなる裁判官のみによる裁判との整合性も必要であるので、裁判官の人数は3名とすべきである。他方、職業や他の役割を持っている一般の国民が主体的に関わってもらえる時間と労力の限度という点にも意を払うべきであり、その観点からは、余り大きな規模の合議体は考えにくい。グループダイナミクスの研究についても色々あり、例えば、同じメンバーが1年間関わるという場合のグループダイナミクスと、初見のメンバーが短期に2回とか5回位、一定の議論をするという場合のそれとは異なる。市民参加の活動経験から見ても、むしろ重要なことは、誰がコーディネート能力を果たすかということであり、グループダイナミクスの知見を考えても、それほど大規模の合議体がよいという結論には至らないと思われる。協働のためには、それぞれの裁判員が価値観を披瀝して自己の意見を語れるということが必要であり、この意味でも余り大規模な合議体は望ましくない。

  • 精密司法と呼ばれる現状には批判もあるが、裁判というものが争いごとに判断を示すものであることから、自己の主張が入れられなかった一方の当事者に不満が残ることは避けられないものであり、これに対してその判断に至った理由を説明することが重要であり、そのため、判決の理由はかなり詳しく書いてある。論点ごとの結論だけを示せばよいのであれば別であるが、現状のような実質的な理由を伴う判決を書くためには十分な合議が必要であり、そのため合議体の人数には制限がある。合議においては、それぞれが意見を出し合い、他の意見を聴いて、自己の疑問を解消しあるいは疑問を深めるなどしながら、全員ができるだけ納得して結論に至るものであり、そのためには緊密な合議を重ねる必要があるので、規模はコンパクトにならざるを得ない。

  • 裁判官のみによる裁判とのバランスを図る必要性や詳細な判決理由を付す必要性から裁判体の規模に制約があるという意見は、いずれも技術的な理由と思われる。司法制度改革審議会意見は、判決書は裁判官の裁判と同程度とは述べているが、現在の裁判官の裁判と全く同じとしているわけではない。裁判官のみによる裁判も、準備手続・争点整理・連日的開廷という新しい刑事訴訟システムの中で、変わっていくのではないか。司法制度改革審議会意見は,国民参加の理念として、国民主権ということを述べ、また、健全な社会常識の反映ということを言っているが、健全な社会常識というのはいろいろな人が互いに確かめ合うことにより確認されるものであり、そうすることで普遍性を持ったものとなるのであるから、人数を絞った結果、男性ばかりとか、一定の年齢層ばかりなどという構成になると、普遍的だとは言えなくなってしまうから、裁判員の数は一定以上の規模である必要がある。岩松判事の論文に、合議の本質は個人の主観性を持ち込んで批判し合うことで裁判に客観性を与えることにあり、主観性をいたずらに累積しても意味はないという趣旨の記載がある。これは、同じような主観性を積み重ねても意味はなく、異質のものを集めることが重要であるということを指摘しているものと思われ、その観点からも、裁判員の数は相当な規模であることが必要ではないか。

  • 裁判員は選挙で選ばれるものではないから、裁判員制度の趣旨として、国民主権という視点は妥当ではない。

  • 人数が多い方が多様な意見が含まれるという主張は、抽象的な点では理解できるが、最大でも10名程度の人数で、多様な意見が反映されるといえるのかは疑問である。

  • 裁判員は、2つの食い違った証言のどちらを信用するかという作業を行うということが前提であり、多様な意見の反映といっても自ずと限定があるはずで、老若男女すべてを取りそろえておかなければ、証言が嘘か本当かの判断ができないというものではない。

  • 嘘か本当かを判断するために、多様な意見の反映できる規模が必要だとしているのではなく、国民がこの制度を健全な社会常識を反映させる仕組みとして受け取るような仕組みにする必要があるということである。

  • 司法制度改革審議会でも、裁判員制度の趣旨として、多様な意見の反映ということを強調する意見もあったが、裁判は政治の世界や世論調査などとは違って、多様な意見の反映ということにはなじまないという意見もあり、採用されず、審議会としては、これまでプロのみであった世界に素人の健全な社会常識を持ち込むことに意義があるということで合意した。実際、刑事裁判の場合、わいせつかどうかといった規範的な評価の問題などを別にすれば、国民の間に多様な意見があるということが証拠の評価や事実認定の上で大きな意味を持つということは考えられないのではないか。

  • 司法制度改革審議会意見は、裁判員制度の目的として国民的基盤の確立を掲げているので、その目的を果たせるものでなければ意味はなく、規模についてもある程度の人数が参加する形を取るべきで、裁判官よりも裁判員が少ないのでは目的を果たすことができない。また、参加する国民の負担や財政的負担も含めて考慮し、線引きをすることが必要であるが、諸外国の例を見ると、制度の仕組みや裁判体の構成には色々なものがあるので、裁判官1名と複数の裁判員という構成でもおかしくはないのではないか。法定刑に死刑・無期懲役の含まれる事件は規模の大きな構成とし、その他の合議事件は小規模な合議体という行うことも考えられるし、事案に応じて合議体の規模の大小を変えるということも考えられ、様々な制度設計が考えられるのではないか。余りヘビーな制度にすることには賛成ではないが、余りに小さな規模にしてしまうと、国民参加の意味がないと思われる。

  • 裁判員の人数を考えるに当たっては、召喚される裁判員候補者のことや対象犯罪をどの範囲とするかということも含めて考える必要がある。

  • 裁判員制度導入後に裁判員制度の対象とならない法定合議事件が残るのかどうかも一つの問題であり、仮に残るとすれば、より重い罪が対象となる裁判員制度において裁判官の数を減らすのはおかしい。他方、法定合議事件全体を裁判員制度の対象とするのであれば、そのうち軽い方は裁判官1名と裁判員2名とし、重い方は裁判官3名と裁判員数名という構成とすることも考えられよう。しかし、こうした制度がそもそも司法制度改革審議会意見に沿うものかどうか。

  • 健全な社会常識がどのような形で反映されるのかが重要であるということや国民的基盤の確立ということから、直ちに、裁判員の人数を多くすべきとか裁判体の規模が大きくなければならないということにはならない。むしろ、個々の国民が責任を持って裁判に関与するということがポイントであって、裁判体の構成員の間での相互コミュニケーションのプロセスが大事であるから、健全な社会常識の反映や国民的基盤の確立ということを前提としても、身のある議論をするためにはかえってコンパクトな合議体の方がよいと思われる。

  • 個々の国民が責任を持って関与することを否定するつもりはないが、無作為抽出で選ばれ、1件の事件のみを担当するということを考えると、裁判員の数は相当多くないといけない。裁判官の数については、裁判官のみの裁判では刑罰権行使を慎重にするということから3名の合議体とする理由もあろうが、合議の本質が異なった主観性を集めて客観性を担保するということにあるとすれば、裁判員制度は異なった主観性が入る新しい合議の仕組みであり、裁判官3名の合議を前提とする必要はないと思われる。また、裁判官のみの合議体についても2名合議制とする案が検討されたこともあったのだから、裁判官の人数も見直してよいのではないか。

  • 岩松判事が、異なった主観性を集めて客観性を担保すると言われたのは、現行の裁判官による合議体についてその利点を指摘されたものであって、裁判員が加わることについて述べたものではない。

 イ 評決の在り方

 評決の在り方に関し、主として、次のような意見が述べられた。

  • 裁判員制度の対象外の他の事件とは異なる評決基準を採用しなければならない理由は特に見あたらないので、現行裁判所法の定める単純多数決の原則によるべきである。

  • 共に評議し、評議において裁判官と裁判員が対等の権限を有するという制度なのであるから、単純多数決とすべきである。

  • 裁判官の裁判を廃して素人裁判官の裁判とするというのであれば、判断の慎重を期すという意味で、独仏のように3分の2の多数という要件とすることも考えられようが、今の制度に裁判員を加えると考えるのであれば、現行法の原則を動かさず、単純多数決とすべきである。

  • 評決の在り方は、裁判官や裁判員の数の問題とも連動する話である。

(3) その他

 その他、

  • 司法制度改革審議会意見も指摘するとおり、裁判員制度は国民の支持・協力なくしては動かない制度であるから、検討会委員としても、制度設計の段階からの国民への情報提供を念頭に置くべきであるとの意見 が述べられた。

(4) 次回以降の予定

 次回(7月10日)及び次々回(9月3日)は、引き続き、刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入に関する検討を行う予定である。

(以上)