首相官邸 首相官邸 トップページ
首相官邸 文字なし
 トップ会議等一覧司法制度改革推進本部検討会裁判員制度・刑事検討会

裁判員制度・刑事検討会(第5回) 議事録

(司法制度改革推進本部事務局)



1 日時
平成14年7月10日(水)13:30~16:55

2 場所
司法制度改革推進本部事務局第1会議室

3 出席者
(委 員)
池田修、井上正仁、大出良知、酒巻匡、四宮啓、髙井康行、土屋美明、中井憲治、平良木登規男、廣畑史朗(敬称略)
(事務局)
大野恒太郎事務局次長、古口章事務局次長、松川忠晴事務局次長、辻裕教参事官

4 議題
「刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入」について

5 議事

(□:座長、〇:委員、●:事務局)

□ 御多忙の折、お集まりいただきましてありがとうございます。
 第5回裁判員制度・刑事検討会を開かせていただきます。
 議事に入ります前に事務局の方から事務連絡があるそうですので、お願いいたします。

● これまでの検討会でもお知らせしてきたのと同様でございますが、広く国民の皆様から事務局に寄せられている御意見の目録でございますが、新しく寄せられた意見について追加の目録を作成いたしております。従前と同様ですが、目録を御確認いただいた上、御覧になりたいというものがございましたら、適宜の機会にお申し付けいただければと思っております。

□ まず最初に、既に御承知のことと思いますけれども、7月5日に開催されました司法制度改革推進本部の顧問会議におきまして「アピール」が取りまとめられております。席上に配布されていると思いますが、その趣旨等につきまして、事務局の方から説明をお願いしたいと思います。

● お手元に「国民一人ひとりが輝く透明で開かれた社会を目指して」という3枚もののアピールと「内閣総理大臣挨拶要旨」を配らせていただいております。
 7月5日に開催されました顧問会議におきまして、「国民一人ひとりが輝く透明で開かれた社会を目指して」と題するアピールがとりまとめられ、司法制度改革推進本部長である小泉内閣総理大臣に提出されました。
 このアピールは、司法制度改革推進本部令第1条第2項に基づき、顧問会議が司法制度改革推進本部長に意見を述べたものであります。同時に、国民に向けたアピールとしての意味を持つものと位置付けられております。
 アピールの内容でございますが、司法制度改革審議会意見の趣旨に従いまして、21世紀の日本を支える司法の姿として「国民にとって身近でわかりやすい司法」と「国民にとって頼もしく、公正で力強い司法」と「国民にとって利用しやすく、速い司法」の3つを掲げた上で、推進すべき具体的な改革の内容を示したものとなっています。
 特に、「2年以内に判決がなされるように、制度的基盤の整備や人的基盤の拡充を十分に行う」との目標を掲げた点が注目されています。
 このアピールを受けまして、小泉内閣総理大臣は、お手元のあいさつ要旨に記載されておりますとおり、「全国どのまちに住む人にも法律サービスを活用できる社会を実現すること」、「裁判の結果が必ず2年以内に出るようにすること」などを具体的な目標として改革を進める必要があるとして、改革に向けた強い決意を述べられております。
 本検討におかれましても、このアピール及び総理大臣の発言の趣旨も十分に踏まえまして、今後の検討を進めていただければと存じます。
 以上です。

□ どうもありがとうございました。この件に関しまして、何か御質問がございましたら、どうぞ。

○ 裁判所で2年以内に判決が得られるようにという形になっているんですが、これは、一審のことをイメージしておられるのか、それとも、川柳にもありましたが、一審から最高裁までつまり確定までですが、そこをイメージしておられるのか、そこら辺りが、もしお分かりでしたら教えていただきたい。

● ここは、一審を意味します。

□ ほかによろしいですか。それでは、このアピールにつきましては、この程度にさせていただきたいと存じます。
 次に、以前に事務局の方から話のありましたヒアリングの実施につきまして、皆さんの御意見をお伺いしたいと思います。
 まず、事務局の方で考えている日程や実施方法等の案について、説明をしていただきたいと思います。

● 以前の検討会においても触れておりますけれども、事務局といたしましては、今後の検討の参考とするためにヒアリングの機会を設けてはどうかと考えております。
 つきましては、事務局の方から、事務局として考えているヒアリングの日程、内容について御説明申し上げたいと思います。
 まず、日時についてでございますが、9月24日火曜日午後1時30分からの第7回の本検討会の機会に行うことを考えております。所要時間は、3時間程度を想定しております。どなたに意見を述べていただくかということにつきましては、最高裁判所、法務省、日本弁護士連合会、警察庁のほか、経済界、労働界、被害者関係の有識者の方を考えております。
 意見を述べていただくテーマにつきましては、本検討会の主な検討事項である、刑事訴訟への新たな参加制度の導入、刑事裁判の充実・迅速化、公訴提起の在り方とし、その中のいずれについて意見を述べるか、あるいは、どこに重点を置いて意見を述べるかということにつきましては、意見を述べる方にお任せするということでいかがかと考えております。
 ヒアリングの具体的な方法につきましては、それぞれの方に15分程度口頭で御意見を述べていただいた上で、引き続き各10分程度の質疑の時間を設け、合わせてお一人について25分程度の所要時間とすることとしてはどうかと考えております。
 そういうやり方でやりますと、ヒアリング全体の所要時間としては、休憩時間を含め、先ほど申し上げましたように、3時間を若干超える程度になるのではないかと考えております。
 事務局として考えております、ヒアリングの実施方法については、以上のとおりであります。
 なお、今も申し上げたように、時間的な制約等によって、ヒアリングの対象と言いますか、意見を述べていただく方は、どうしても限定されざるを得ないと思われますので、そのことにかんがみまして、事務局としましては、現在当検討会における議論の対象となっている当面の論点について広く国民の皆様からの意見を募集することを考えております。
 その具体的な方法等につきましては、近日中に改めて御報告したいと考えております。
 以上でございます。

□ ありがとうございました。事務局としては、一応、今説明していただきましたような日程や内容でヒアリングを行ったらどうかというふうに考えているということですけれども、これにつきまして御意見あるいは御質問があればお伺いしたいと思います。いかがですか。
 大体、今のような形で、9月24日に3時間くらいの時間で行うということでよろしいでしょうか。

○ 最高裁、法務省、日弁連、警察庁は、それぞれがどなたか代表して来られるということだと思いますが、経済界、労働界、被害者関係というのは、具体的にはどういう選任をされるということなんでしょうか。

● 経済界につきましては日本経済団体連合会、労働界につきましては日本労働組合総連合会、被害者関係につきましては全国犯罪被害者の会に、それぞれ適切な方の御推薦をお願いするということではどうかと考えております。

○ それぞれ想定されている点については、事務局でお考えのことですし、そのこと自体について特に異論というわけではないんですが、もちろん時間的な制約についても先ほどお話がありましたし、そことの兼ね合いということは当然配慮せざるを得ないんだろうと思いますが、従前のヒアリング等々との関係からいった場合に、対象として更に追加できないのかとか、あるいは場合によっては違った関係の方についてお伺いすることではまずいのかというようなことを考えてみる必要がある気がしているんです。
 と申しますのは、もちろんそれぞれがいろんな幅を持っていますから、絶対これがだめだというようなことを申し上げる趣旨ではもちろんないんですが、従前ですと例えば消費者関係の方とかも入っていたと思いますし、もちろん被害者関係の方の御意見を伺うということについては、それはそれで意味のあることだと思います。ただ、被害者関係の方については、既に刑事手続的な側面でも一応の配慮が行われているということでもあり、刑事訴訟の改正がございました。それから被害者の方にお伺いするならば、更に刑事手続関係の改善、改革のありようというようなことで、必ずしも十分に意見が公式には反映されているということになっていない、えん罪関係の方たち、えん罪被害者という言い方の方が適切なのかどうか分かりませんが、そういう方の意見を聞く機会も一度持った方がいいんではないかというふうに思っていまして、時間との兼ね合いという問題があるかもしれませんけれども、その点について御配慮いただければ大変ありがたいと思うんですが、どうなんでしょう。

● まず1点、消費者団体というお話の関係で、従前のヒアリングとおっしゃるのは、審議会のヒアリングという御趣旨でしょうか。

○ 審議会あるいはそのほか、必ずしもヒアリングだけではなく、いろいろと委員の選出、選任とか、そういうことについても母体としてその辺が考慮されていたというふうにも思いますので、そういう趣旨です。

● 1点は、3時間程度ということで、全体の人数といたしまして、今の7団体が恐らく上限ではないかというふうに思っております。先ほど申し上げた、25分掛ける7団体で3時間程度になるわけですが、恐らく若干の遅延は生じるのでありましょうから、これ以上増やすのはいかがなものかなという考えでおります。
 それから、消費者団体ということでございますが、審議会の委員の構成につきましては、労働界、経済界以外にも、確かに消費者団体のバックグラウンドをお持ちの方がおられたと思いますが、そのほかにもいろんなバックグラウンドの方がおられたわけでありまして、その点から考えるとすると、消費者団体だけの問題ではなくなるのではないかという気がいたします。
 もちろん、労働界、経済界の方には、一般の有識者という立場でお話をいただければと考えておりまして、そのように一般の有識者という立場でお話いただく方をどこまでの範囲にするかというのは非常に難しい問題だと思っておりますが、比較的広い範囲の国民の皆様をカバーしていて、そういう意味では公的な立場を持っておられる、先ほど申し上げた両団体に御推薦いただくというのが、時間の兼ね合いも考えると、最も適当ではないのかというのが事務局としての考えであります。
 それから、被害者に加えて、被疑者あるいは被告人の立場の方をということの関連で、犯罪被害者については、既に刑事手続の改正が行われて、一応の配慮がなされているのではないかというお話だったと思いますが、今回新たに裁判員制度というものが導入される、あるいは、刑事裁判の充実・迅速化ということで、何らかの制度改正が行われるということになった場合、被害者に対する配慮のための従前の刑事訴訟法の改正の時とは違った観点からの被害者の関係の方々の御意見というのは当然おありであろうし、検討に当たっては是非お伺いするべきであるというふうに思っております。
 さらに、被疑者あるいは被告人につきましては、ひとくくりに被疑者、被告人と申しましても、いろんな立場の方が恐らくおられて、えん罪を訴えて犯人性を争っている方、そうではなく、事実は全部認めている人というように、いろんな立場の人がいて、その中のどなたに来ていただくのが適当なのかという辺りで少し難しい問題があるのではないかというふうに考えております。そして、刑事訴訟における弁護人となられる立場である日本弁護士連合会の方から、えん罪に限らず、被告人の立場の御意見もお聞きできるでありましょうし、もちろん、法務省あるいは警察庁といった、刑事手続に関わられる他のところからも御意見をいただけるのではないかというふうに思っておりまして、そのようなことを考えて先ほどお話したようなことではいかがかと考えたものであります。
 少し長くなりましたが、以上です。

□ ほかの方は、いかがですか。どうぞ。

○ 私も、今、基本的に事務局で構想されているヒアリングに反対するわけではないんですけれども、ここで議論する大きな柱、つまり国民参加ということと、刑事裁判の充実・迅速化ということと、検察審査会の機能強化と、やはり被疑者、被告人も一番影響を受けることは疑いがないと思うんです。そうだとすると、被害者の方の御意見を伺うことも重要だと思いますけれども、被疑者あるいは被告人の御経験のある方の意見を聞くということは、やはりしておいた方がいいのではないかと思います。もちろん、被疑者・被告人団体というものがあるわけではないので、その選任方法については、ほかとは違う配慮が必要かとは思いますけれども、それ相応の、例えば公的なお仕事に就く方もいらっしゃるのかもしれませんし、その選任は工夫できるのではないかというふうに思うんです。時間的なものも、せっかくヒアリングなさるんですから、私たちも少し時間を用意して、御意見をちょうだいするということが必要なのではないかと私も思います。

○ 被害者の意見を聞くのなら、被疑者の意見を聞けということなんでしょうけれども、それはちょっと論理的にはおかしいわけで、えん罪を出してはいけないということは、刑事司法制度を考える場合は当たり前のことで、別にえん罪を受けたという人から聞かなくても、我々は、常に意識をして、ここで議論をしているはずのことでもあり、本人たちから聞かないとえん罪の原因がどこにあったかとか、制度の欠陥がどこにあってえん罪になったのかということが分からないという問題ではないと思うんです。
 一方、被害者というのは、基本的には、今まで刑事制度の中ではほとんど考えられてこなかったと思います。つい最近、今御指摘のように考えられるようになったわけですけれども、被害者が現在の刑事司法制度についてどういうことを考え、何を期待しているか、どういう不満を持っているかということは、必ずしもここで明らかにされているわけではないわけですから、やはり被害者の声を聞くという必要性はあるわけで、それと被疑者の声を聞けというのとは同列に論ずるべきではないだろうと思います。
 被疑者は刑事司法制度の中に完全に組み込まれている、被疑者のために刑事司法制度があるということも言えるわけですけれども、経済団体にしろ、労働団体にしろ、それとは少し違う、要するに利用者という立場にいるわけで、そういう意味ではやはりそういう人たちの意見も聞くということは必要であろうと思っています。
 ですから、私としては、事務局案が可不足なくヒアリング対象を決めているというふうに考えてもいいのではないかというふうに思います。

□ 経済界、労働界ということなのですが、それは必ずしもそこの代表ということではないのですね。推薦というのはどういう意味ですか。

● もともと刑事司法という問題ですので、経済界だからどう、労働界だからどうということでは必ずしもないんではないかと思っておりまして、むしろ法曹三者あるいは警察庁も含めました、いわばプロ以外の、一般の国民の立場からの御意見をいただく有識者という位置付けで考えております。

□ 要するに、推薦をしてもらうというだけで、必ずしもそこの代表者だというわけではないということですね。

● はい。

□ 分かりました。どうぞ○○委員。

○ 私は、消費者団体の方の意見を聞いたりする必要は余りないだろうと思うんです。ただ、○○委員が言われたえん罪の関係というのは、やはり気になる部分なんです。ですから、えん罪を訴えている本人の話を聞くということではなくて、その関係でいろいろと支援関係をやっている方だとか、いろいろありますね。今日、ここに出ている資料に国民救援会なんか出ていますけれども、いろんな団体があるわけで、選び方は難しいんでしょうけれども、何らかの形で、そういった活動をしていらっしゃる方たちが、今どこに問題ありと考えているのかという意見の集約みたいなことをする必要はあるんだろうなというふうに思います。ヒアリングでなくてもいいかもしれない、場合によったら意見紹介でもいいのかもしれないというふうに考えます。
 いずれにしても、何かそういうえん罪絡みの関係で問題点を常時把握できるような立場にある方というんでしょうか、そういう方の意見をこの検討会としては聞いて、それも踏まえた上で議論をするというふうなやり方をした方がいいのではないかと私は思います。ヒアリングではなくてもいいんではないかと思います。

○ 私は、事務局の御説明になったプログラムが適切であり、ヒアリングについては、更にこれ以上の拡大をする必要はないと思います。
 特に、今○○委員がおっしゃられた、かつて被疑者、被告人の体験をした方、あるいはえん罪であるとされた方の御意見につきましては、先ほどの事務局の説明にありましたとおり、特に御本人をお呼びするのは、いろんな面で適切ではないと思いますし、一方で、そういう方々に日々接して刑事手続に関与しておられるのが弁護士さんでいらっしゃいますから、法曹三者の中の日弁連から御意見を伺うということで十分なのではないかと考えます。
 なお、先ほど事務局がこのヒアリングとは別に、広く一般の方から意見を募るということをおっしゃいましたが、これはいわゆる「パブリック・コメント」のようなものを御想定なんですか。

● 今も常時意見はいただいているんですけれども、現在この検討会で議論をしていただいているような論点についての御意見を特に募集する、インターネット等によりこちらから呼び掛けて御意見を寄せていただくようお願いすることを考えているということであります。

○ 分かりました。そういうことで意見募集という道もあるということでしたら、ヒアリングの場だけが、各方面の意見を聞くチャンネルではありませんので、ヒアリングとしては事務局案で適当ではないかと考えます。

○ 私も基本的に事務局案で良いと思います。この検討会には、一定のテーマがあるわけです。関連性がある事項は、ほかにいろいろあるわけで、例えば、裁判員制度について検討していく過程において、どうしても、実体法もわかりやすくしていかないと、なかなか裁判員の方が御理解できないということで、議論の範囲を広げていけば無限定に広がっていくと思うわけです。しかし、我々は一定のマンデートを与えられて、一定の期間内にそれをやろうということでやっているわけですから。先ほど○○委員がおっしゃったように、被害者の意見を聞いたから、えん罪の方の意見を聞くべきだということには、論理的にはならないわけですし、えん罪の問題を取り上げたからといって、今まで我々が議論した論点の一体どこに関わってくるのか、私には直ちに理解できない。
 もう一点、私が是非被害者の意見を聞いていただきたいと思うのは、実は、私は、いろいろなチャンネルで全国の話を聞いておるんですけれども、その中でも私自身があっと思った点を1点だけ御紹介いたします。裁判員制度はこれからの改革の中心なんですけれども、裁判員制度については、被告人側には選択権は与えられていないという話で、これはいいんですけれども、特に性的な被害者が本当に選択権が与えられなくていいのかという御意見を聞いたのです。要するに、東京みたいな大都会ならいいわけですけれども、地方で隣近所がわかっているようなところで、全国に転勤している裁判官以外に、地域をよく知っているかもしれない人が法廷に出たとして、その場所において、例えば、性的な被害者の方が証言するとか、関係者がそのような被害の中身をいろいろ聞くということは問題ではないかということです。被告人に対して選択権を与えないのは、それは良い制度なのだから良いとして、被害者側が裁判員はちょっと勘弁してくれと言うことを本当に認めなくていいのかという声を複数以上から聞いたのです。それを聞いて、私は、自分の考えていない視点があったなと思ったわけであります。
 やはり今回の改革の中心というのは、前回まで議論していますように、この裁判員制度の導入と、その前提となる集中審理と充実・迅速化と、少し別ルートになりますけれども、検察審査会の問題でありまして、この大きな流れを中心にしたものに我々のできるだけの精力を費やしていくということが、緊急の課題として求められていることではないかと思います。結論から言いまして、私は事務局の提案どおりで良いと思います。

○ 私もそんなに長引かせるつもりはないわけですが、ただ被害者問題との関係で、必ずしも私は最初からパラレルだというふうには申し上げているつもりはありませんし、論理的に被害者を聞いたから被疑者を聞けといっている話ではもちろんないわけです。
 ○○委員の方から、被害者の意見も必ずしも十分聞かれていなかったではないかという御意見で、その点も私は否定するつもりはないわけです。
 ただ、先ほども言いましたように、被害者の御意向を配慮した法改正は実は実現しているわけです。ところが、えん罪問題に関わった、いわゆる誤判原因、あるいはえん罪原因というものについて、刑事手続に配慮すべきであるという声は、既に何十年も前というと極端かもしれませんが、主張されてきたわけですし、法改正の必要性についても国会でも議論されたことがあるわけですが、必ずしもこの点については、十分に配慮されてこなかったというふうに私なんかは思っていますし、法務省の方でも、全面改正の際には、その点を配慮するというようなお答えが国会の場であったこともあろうかというふうに思いますが、今回は必ずしもその点が十分に配慮されているというふうには残念ながら思えないというところがありますので、できればそういう方の意見も聞いてみたいというふうに思うわけです。
 確かに時間の問題があって、私も最近長時間になるのはきついので、できるだけ短くとは思いますが、でしたらば、例えば、両方の立場を経験された方も、中にはいらっしゃるわけですね。つまり、犯罪被害者と同時にえん罪の被害者というようなことも経験された方もいらっしゃるわけですので、そういった方にお話を伺ってみるというのも一つの手ではないかというふうに思うわけでして、御配慮いただければと思います。

□ 御意見はいろいろあったのですが、範囲を拡大していけば、あれもこれもということになっていきますので、結局、最低限どこまでかという話にならざるを得ないと思うのです。
 それから、今、○○委員が言われたのは、少し話を拡大し過ぎかなと思います。おっしゃっていることは、刑事訴訟法そのもの、特にいわゆる誤判の防止策や再審の問題に主として関わる問題だと思うのですが、さっき○○委員が指摘されたように、この検討会のタスクは前に示された3つの事項についての検討であって、時間が限られていることを考えると、それにできるだけ集中して議論をしなけれなりません。これを広げ出しますと、あらゆることが関連しているといえば関連していますから、あれもこれもということになってしまいます。その意味で広げ過ぎのように思いますし、○○委員ご自身、そういった方面の研究をずっとやってこられており、その関係の人たちとずっと接触されてきていると思いますので、そういう視点がここでの検討課題に関連しているということであれば、こういう視点もあるんではないか、こういう意見もあるという形で出していただければよいのではないか。その方が恐らく広くかつ有効な議論ができるのではないかというふうに思いますので、御意見はそれとして分かるのですが、とりあえずは原案のような形でやらさせていただけないでしょうか。

○ 分かりましたけれども、最後に申し上げた点はどうですか。やはり直接聞いた方がいいと思うんです。

□ 選定の基準としては、さっき挙げられていたようなカテゴリーから選定し、来ていただいて話していただくということで、とりあえずやらさせていただければと思います。御提案のような形ですと、ほとんど特定の人に絞られてきますから、そういう選び方がいいかどうかということになると思いますね。

○ 分かりました。

□ このくらいでよろしいですかね。

○ 前にも少し申し上げたんですが、これでヒアリングというものが全部終ってしまうという理解ではなくて、前にも少し議論がありましたけれども、年明けに本格的なというか、詰めの議論になったときに、また必要があればそういう可能性もあり得るという理解でいてよろしいわけですね。

□ 今回のように期日を1回取って、たくさんの方に来ていただいてヒアリングをするということまでできるかどうかは別として、議論の過程で必要があれば資料を補充していただくのと同じ意味で、必要に応じていろんなことを考えていくべきだということは、そのとおりだと思います。
 では、ロジスティックの話を延々とやっていますと、聞いておられる方たちもうんざりされると思いますので、とりあえず24日はそういうことでやらせていただければと思います。
 それでは実体の話に入りますが、今回も、前回に引き続き、刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入ということについて議論を続けたいと思います。
 前回は、第2回の会議で御了承いただきました当面の論点の中の、大きな項目の2まで一応議論を行いましたので、本日は3の「裁判員の選任方法」というところから御議論いただければと思います。
 この点について、リマインドさせていただきますと、改革審の意見は、裁判員の選任については選挙人名簿から無作為抽出したものを母体とするということになっておりますので、そのことは前提とする必要があるかと思われます。そのことを前提として、意見書では更に、公平な裁判所による公正な裁判を確保できるような適切な仕組みにより具体的な裁判を担当する裁判員を選任すべきであるとしておりますが、その「公平な裁判所による公正な裁判を確保できるような適切な仕組み」にはいかなるものがあるかということについて御意見をお伺いしたいと思います。
 細かな点を取り上げていきますと、相当いろいろなことがあると思いますけれども、制度の仕組みとしてどういうことが考えられるのかということを中心に御意見を伺えればと思います。
 この点について、審議会の意見は、既存の制度を参考にしたわけですが、欠格とか除斥、忌避制度等を例示しております。そういうものを念頭に置きながら御議論いただいても結構ですし、それ以外にもこういうことが考えられるのではないかというアイデアがおありでしたら、お出しいただいても結構です。
 なお、後先になりましたけれども、○○委員から事前に御意見が書面で提出されております。お手元に配布されているとおりですけれども、その御意見の内容は、今の項目に限らず幾つかの事項にわたっておりますので、それぞれ関連する箇所の議論の中で適宜事務局よりその内容を紹介してもらうことにいたしたいと思います。
 それでは、選任方法として公平な裁判所による公正な裁判を確保できるような仕組みとしてどういうものが考えられるかということについて、どなたからでも。○○委員どうぞ。

○ 恐縮ですが、これから裁判員の選任方法を議論し、その後に対象事件ということになっていくのですが、その前に一つ御提案ですが、基本的に皆さんの認識というか、どういう具合に裁判員制度を考えておられるかということを一応議論してから、それらの点に入った方がいいのではないかという思いがしています。
 先ほど顧問会議の総理大臣に対する意見具申の内容等を御紹介いただきました。要するに、国民の理解と支持を得て司法制度改革をやっていくわけでありますけれども、一つは、やはり、その中には、国民にとって、この改革をしたら良いことがあるんだというメリットに関する論点もあるのだろうと思います。そのメリット論として、顧問会議が、例えば、第一審については2年以内に判決を出しますというアピールをされて、私は、これは非常に良いと、国民に分かりやすい話だと思うのです。
 それとともに、実はもう一つ、非常に言いにくいことですが、平たく言えば、改革には痛みを伴うわけでありまして、特に裁判員制度の場合は、通常の税金等の財政負担以外に、国民にそれぞれの生活の時間と労力を提供していただくというものがある。要するに、この裁判員制度は制度を設計してでき上がった場合には、国民は進んでそれに協力してくれる、自分の時間と労力も進んで提供してくれて、裁判所に出頭してくれて、裁判員としての義務を果たしてくれるんだという前提で、我々は議論しているし、私自身もそのように大いに期待している。さはさりながら、実際のところ、いろいろ考えますと、裁判員制度というものが実際に動き出した場合の具体的なイメージというものが、まだ我々の側から十分国民に対して発信されていないのではないかという感じがするのです。一体どういうイメージなのかということです。例えば、選任方法をどうしていくか、対象範囲をどうしていくかというのがセットになってくるわけですが、あえて誤解を招くような言い方をしますと、例えば、非常に少ない人数でやっている中小企業の経営者の方に裁判員が当たることも当然あるわけです。あるいは、同僚とライバル意識を持って頑張っている忙しい営業マンの方が裁判員に当たる場合もあるでしょうし、自宅に高齢者を抱えていろいろ面倒を見ておられる家族の方が当たる場合もあるでしょう。
 そのような方は、裁判員から全部省くというイメージではないと思うのです。時間的にゆとりがあって、あるいは、非常に裁判というものに関心の高い方だけ裁判員になってもらうというイメージではないでしょう。少なくとも、私はそうではないし、恐らくここの方々もそうだと思うのですが、そうだとすると、そういった方にもやはり入ってきてもらうような選任方法を考えないといけないだろうと思うのです。
 その場合に、国民は一体どの程度の義務負担を考えていけばいいのか。例えば、この間からの御説明によりますと、否認の場合は9開廷ぐらい掛かるというような御説明があったように思うのです。もちろん、これから充実・迅速化策をやっていかなければいけませんから、ある程度減ってくると思いますけれども、仮に今のまま9開廷だとして、連日的開廷をしなければいけない、しかも、中身も詰まっていて、裁判官による裁判と同じ判決書を書くことができるような審理をしなければいけないということになると、9開廷から大幅に減ることは考えられない。しかも、週に1回ぽつんとやって、次はまたしばらく経ってぽつんというのではなくて、連日的開廷ですから、週5日、4日となりますと、否認事件の場合には、先ほど言ったような社会的に一生懸命仕事をしておられる方に、最低でも1週間から2週間ぐらいは、本来の仕事から離れて、裁判員としての義務を果たしてもらわないといけないと、そういうことになるのではないかという感じもするのです。
 この点についての具体的なイメージがどうなのか分かりませんし、なかなか難しいんですが、もしもお許しいただくならば、それぞれ委員の方は、いろいろなイメージを持って、選任方法を考え、対象事件を考え、国民負担の問題を考えていると思うのですが、その点についての発信を若干この場でやって、国民の方にもメリットだけではなくて、自分たちが義務を履行する際の負担がこれだけあるんだということを伝えていかないと、話がふわふわしたまま進んでいくような感じがするので、御提案申し上げた次第です。いかがでしょうか。

□ その点も含めて、ここで御議論いただければと思うのですが、選任の方法とともに、選任された場合に、出頭して義務を果たしていただくことをどういうふうに確保していくのか、また、単に義務だからやれということではなくて、やはり進んで責任を果たしていただけるような環境をどう整えるのかということが、当然セットでないといけないと思います。そういうことをも念頭に置きながら、少し整理させていただくと、まず、選任方法としてどういうことがあるのかということですが、審議会の意見としては、無作為で抽出して、できるだけ広い範囲の人に、責任を負い、参加してもらって裁判をやっていただこうというアイデアですから、そこをあるところに制限していくというのは、恐らく意見書の趣旨には反してくるだろうと思います。
 しかし、○○委員が今おっしゃったような面とセットにならないといけないものですから、選任方法としては、そういうことを考えながら、できるだけ働いていただきやすいようにするにはどうしたらいいのか、また、出頭をどうやって確保すればいいのかという面についても御議論いただくのがよいのではないかと思います。そういう整理で、まずひとわたり御議論いただいて、いろんな方の御意見が出てくれば、大体全体としてどういうイメージなのかということは分かってくるのではないかと思うのですけれども。そういうことでよろしいですか。

○ 前回でしたか、裁判体のトータルの数をどれぐらいにするのかという議論をしていたときに、私が気になったのは、本当に実際に制度が動き出したときに、私が期待し、なおかつ、意見書も期待しているように、国民が自分の生活を犠牲にするという表現も適切ではないかと思いますが、本当に時間と労力を割いて、指名された方全部が裁判員に来てくれるのかどうかということです。それは必ずしもそう簡単にいかなくて、例えば、候補者を選んでみても来ていただけないとか、一生懸命説得しなければいけないとか、そういう過程も一応制度設計の段階では想定していなければいけないんではないかと思うのです。そこのところを捨象して、例えば、何名よりも人数が多い方がいいとか言っていても仕方なくて、そこのところの候補者をどうしていくのかということも常に見ていかないといけないと思うのです。
 さっき言ったように、時間的なゆとりがある人とか、まさに裁判に非常に高い関心のある人だけが裁判員になるんだとすれば、それこそ国民各層のまさに常識的な意見を反映するなどということがずれてくることは明らかなわけですね。やはり、長期的に見ると、社会の全体の方が満遍なく入ってきていると、こういう設計にしないといけない。そうすると、おのずと限界があるのではないかなという感じがするのです。2年以内に裁判を終わらせるという話が少し浮かんできましたので、このような意見を申し上げた次第です。

□ 分かりました。では、ほかの方どうぞ。

○ ○○委員の言われたことももっともなことなので、基本的には判断力のある一般市民が裁判員として加わってくるということが期待できるような制度でなければいけないということですね。自分の頭で考え、自分の言葉で語る、当然ディベートをする能力もある、細かい事実関係もきちんと見ることができる、合理的に推論をすることもできると、本来そういう素質を持った人が裁判員として加わってきて、初めて裁判官と対等に議論ができるわけで、理想を言えば、ものを考えたこともない、ほとんど自分で文章も書いたこともないというような人ばかりが裁判員として上がってくるということでは困るということになろうかと思います。
 しかし、ではここで学力試験をやるかとか、そんなむちゃなことは言えないわけで、基本的には、そういうことを目標としつつ、幅広い層から一定の人数が選ばれるような形にするということが一つ。そのためには、今言った負担を強いるわけですから、せっかくいい人がたまたま当たったにもかかわらず、その人が、例えば、仕事の都合で出られないとか、会社の反対で出られないとか、そういうことがないように、いろんな社会的な仕組みを考えていかなければいけないということでしょう。
 当然、裁判員に対しては、不当なプレッシャーが掛けられるという可能性もあるわけですから、そういう不当なプレッシャーから裁判員を守るという制度も、公正な裁判を確保するシステムとしては必要でしょうし、逆に、裁判員の方から、そういったことに対して何らかの働き掛けをするというようなことも、そういう心得違いをするような裁判員もいないとも限らないわけですから、その辺もチェックをするというようなシステムを当然考えなければいけないでしょう。それから、辞退を大幅に認めれば、今、○○委員が心配しているように、何回も選び直さなければいけないということにもなるので、辞退は、当然制限しなければいけないでしょうし、合理的な理由がないのに辞退した場合には、極端なことを言えば、罰則を掛けるというようなことも考えなければいけないかもしれないわけです。
 不公正な裁判をする、しないにかかわらず、被害者から見て、あるいは加害者側から見て不公正な判断をするんではないかと思われるような人は、最初から、除斥あるいは欠格という形で排除するということも必要だと思うんです。
 先ほど○○委員が指摘された、性的犯罪の被害者ということから考えると、例えば、性的犯罪の被害者と同一地区に住んでいるような人たちは、最初から欠格事由とするというようなことも考え方としてはあるのかなといふうに思うんです。一般論として申し上げると、そういうようなところを考えながら具体的なシステムを設定していくということが必要だというふうに思います。

□ 非常に広範なことをおっしゃったので、整理させていただきますと、まず選任方法についての一つの要請として、幅広い母体からできるだけ公平にいろんな方に責任を分担していただくような選び方をするというがある。それと同時に、当の裁判が公平で公正になされなければならない。そういうことを確保できるような裁判員を、そのプロセスの中でどうやって選んでいくのか、これが第一の論点だろう。
 その上で、○○委員や○○委員もおっしゃったように、選ばれたけれどその責任を果たしてもらえないような困難な事情がある場合には、その困難な事情をできるだけ軽減するような配慮をすること、それが一つあると思います。
 それと裏腹の問題で、義務を果たさない、正当な事由がないのに果たさない場合に、どういう担保措置を取るのかということが、もう一つの論点となる。
 そしてもう一つおっしゃったのは、裁判員になられてからの職務の公正さをどうやって担保するのか、その他裁判員としてどういう義務を負うのかということですね。
 そのように、三つないし四つに整理ができると思うのですが、まず選任方法のところから議論していただき、その上で第二、第三の論点についても議論を広げていくということにしてはいかがかと思います。
 その前に○○委員の意見をこの辺で御紹介いただけますか。話がどんどん進んでしまいますと、その機会を逸するおそれがありますので。

● お手元のペーパーを御覧いただきながらお聞きください。
 ○○委員の御意見は、次のとおりでありまして、まず1点目は、被告人あるいは被害者の「親族」、「同僚」、「近隣者」等であること、過去の一定期間において有罪刑の経験があること等については、あらかじめ資格がないとして法律的に明示すべきであるということであります。
 2点目は、年齢についても一定の上限を付けるべきかどうかについて議論をすべきであるというものであります。ただし、この場合、高齢者、身体障害者については、各自の事情によって迅速で集中的な裁判に対応できない等の理由から「自ら辞退することができる」とするとしても、高齢や身体障害を事由にして、候補者リストから外すべきではないというものです。現時点では、内閣府障害者施策本部を中心に、現行の多様な資格取得における欠格条項の見直しが推進されてきており、裁判員の選任についてもそうした動きと呼応すべきである、視聴覚障害者の場合、資料の理解や裁判員相互のコミュニケーションに関して、補助が必要であるので、そのための条件整備の在り方が課題となるというものでございます。
 3点目は、当事者が何らかの事由でいわゆる「忌避」をすることができるとするか否かという論点が議論される場合には、次のことについて、留意すべきであるというものです。
 ①は、裁判員は、裁判官のように、自らの職業選択によって任官した立場と異なり、「抽選」で選ばれた立場であるにもかかわらず、どんな事由であれ「忌避」されるということにするならば、「忌み避ける」という含意がある「忌避」という言葉ではなく、例えば、「非選任」といった中立的な用語を使用することが望ましいということです。
 ②は、候補者の人権や心理的な影響に配慮して「非選任」の事由は、明確にしないという原則を作るべきであるということです。
 ③は、「非選任」することができる権利のその濫用による裁判員選任過程の長期化を防ぐべきであるから、「非選任」ができる人数に上限を付けるべきであるということです。
 ④は、抽選で候補者に選ばれた人には、「非選任」があり得ることを含めて、選任後の責務や、守秘義務等の情報について適切に伝えるようにすべきであるということです。
 以上です。

□ ありがとうございました。今の○○委員の御意見も踏まえて、御議論をいただければと思います。どうぞ。

○ それでは、選任の方法・手続という点について幾つか申します。先ほど座長が選任についての大枠を御説明されたとおり、まず、客観的にこの人は望ましくないというような形で決められる事柄があります。無作為抽出された裁判員候補者について、この点をチェックできる制度が必要であろうと思います。意見書が言うとおり、裁判員選任の一番の核心部分は、公平な裁判ができる裁判体のメンバーとしてふさわしいかどうかということでしょう。個々の具体的な事件との関係で、例えば、その事件と何らかの利害関係があるとか、あるいは、事件の内容について、一定の偏った考え方とか偏見を持っている人が選ばれてしまいますと公平な裁判体が確保できないということになりますから、個々の事件との関係で、その人は公平な立場で裁判ができる人かどうか、逆の言い方をすれば、予断、偏見を持っていないかどうかを確めて、不公平な裁判をするおそれのある人を排除するための制度を置くことが、絶対に必要であろうと思います。
 そこで、現在ある制度を見ますと、まさに裁判官に対して行われている忌避の申立という制度があるわけでありまして、これは不公平な裁判をするおそれがあることを理由として行うものでありますから、裁判員の選任に当たっても、こういう制度は必要だと思います。
 先ほど来話が出ております欠格事由、除斥の理由であるとか、辞退の理由を設けるということとは別に、このような忌避制度が必要だろうというのがまず第一点です。
 次に、欠格又は辞退の理由との関係で、先ほど御紹介された○○委員の御意見の中に、障害がある方についての非常に重要な指摘がございました。そこで、この点について意見を述べさせていただきます。
 私自身、障害のある方も、できる限り、そうではない方と同じような社会参加の機会が与えられなければならないと考えておりますし、それを援助・助力する施策を採ることは当然のことだと思います。ただ、一方で、諸外国では、私が承知している限り、例えば、アメリカやドイツの司法参加に関する基本的な法律の中には、裁判に携わる役割を果たすことについて、身体の障害のために、その仕事を十分に果たせない、あるいは、困難であるという場合には、陪審員・参審員選任の対象者から除外する旨の規定が置かれています。障害のある方の社会参加を促進するという側面とは別に、裁判を受ける被告人の立場とか、あるいは迅速に審理を進めていかなければいけないとか、そういう側面を考慮したとき、やはり裁判において裁判員に求められる役割を果たすにはどうしても無理があるという場合があり得るように思われますので、この問題を考える上で、この点は考慮に入れる必要があるだろうと考えます。
 次に、元に戻りまして、先ほどの忌避制度の内容について、補足いたします。私が承知しているところでは、アメリカ合衆国における陪審員の選任過程で用いられている忌避には2通りありまして、一つは、この人は明らかに事件について予断、偏見を持っているという明示的な理由を示して忌避する制度と、それとは別に、特段の理由は述べなくてもよく、予断、偏見がうかがえるという様々な事情を当事者が考慮して、理由なしに忌避をするという制度がセットになって設けられています。、そこで、日本の裁判員選任の過程に忌避の制度を設けるとすれば、やはり、理由を明らかにした忌避とともに、理由を明らかにしない忌避の制度も置いておく必要があるのではないかと思います。
 選任手続の基本的な枠組みとして、私が考えていることは以上ですが、その前提として、このような手続を設けるとしますと、個々の無作為抽出で選ばれた裁判員候補者について、その人がどういう人であるかということ、これは、個人情報に関わるわけですので、その扱いには当然慎重を要しますが、そういうことを少なくとも両当事者は、事前にある程度知っておく必要がある。そのためにどういう種類の情報をどのようにして集めるかということも、制度設計の際には併せて考えておかなければならないだろうと思います。

□ 1点よく分からなかったのですが、障害のある人との関係で、被疑者、被告人の権利という視点も重要だろうとおっしゃったのですが、具体的にはどういうことですか。

○ 私は、具体的には、目の不自由な方を想定していました。例えば、皆様御承知のように、法廷での証拠調べや証人尋問が図面などを使って行われるという事件はあるわけです。その場合に、もちろん、いろいろな補助の仕方があると思いますし、その人が社会に参加するという点では、補助を得ながらできる場合が多いかもしれない。しかし、裁判員として証拠を評価して、事実を認定するという役割を果たすことについて、補助があったとしても、どうしても普通の方よりも時間が掛かるとか、やはり難しいという場合というのが考えられると思うんです。そういう場合、特に、訴訟の被告人の立場に置かれている人の、できる限り迅速な裁判を受ける権利という側面もありますので、そういう点を考慮する必要があろうということです。

□ 一律にというよりは、事件の性質とか証拠の性質によっては難しい問題も生ずるだろうという御趣旨でしょうか。

○ そういうこともあり得るということも想定しておく必要があろうということです。

□ 分かりました。ほかにいかがですか、どうぞ。

○ 今の○○委員の意見に少し対案的な形になりますけれども、審議会の意見に合わせて言いますと、まず無作為抽出して、その上でいろんなことで具体的に裁判員として当てはめの作業をしていかなければいけない。そのときに、恐らく裁判員のプライバシーということが問題になってくるんだろうと思いますが、もう一つ一番大事なことは、裁判の公正さをどうやって担保するかということと、裁判体の構成ができるかどうか、これを維持することができるかどうかということの見極めというのは、極めて大事になってくると思います。そこのところを考えながら、それと同時に、できるだけ資質の高い人が入るのが望ましいというのは否定できないと思います。
 そうすると、例えば、無作為抽出の枠を少し広げておいて、そこから更に具体的に選任するということを委員会でもって選び出すという方法を取ることができないか。これが私の基本的な提案であります。

□ 選任委員会方式ということですね。

○ そうです。

○ 除斥を考えるときに、心身に障害のある方をどうするかというのは、多分一番大きな問題だと思うんです。
 先ほど○○委員の方からもいろいろな議論がありましたけれども、裁判というのは、本来五感でやるものなんです。ですから、公正らしさという御意見が今ありましたけれども、実体的真実を発見するためにはどうするか。
 例えば、目の見えない方がいました、でも声は聞こえます、しかし、どういう表情でそういう証言をしているかは分かりません、という場合、補助者が付いて、あの人は今泣いていますよとか、口元が震えていますと言ったとしても、それで心証をとることは多分できない。
 逆に、顔は見えます、目は大丈夫です、でも耳が不自由です、何を言っているか分かりません、しかし、それが文字になれば分かります、しかし、どういう声音でその証言をしているのかは分かりませんという場合もあるでしょう。
 やはり、心身に障害があると、心証をきちんと形成するということは、基本的に期待できない。これは、心身に故障のある人をとやかく言う趣旨ではなくて、とにかく裁判で証人から心証をとるということは五感で取るものだというような大原則があって、その五感が十全に機能しないという人が、裁判員として人の有罪、無罪を決めるということはなかなか難しいのではないかと思います。
 ですから、私は、心身に障害のある方というのは、別の道で社会参加を考えるということは十分高めていかなければいけないことですけれども、裁判員として社会参加をしていただくということは、やや難しいのかなと思います。ですから、それは除斥事由として、そういうものは盛り込まないといけないのではないかというふうに考えています。

□ 少し概念を整理させていただくと、選任の段階としては四ないし五つある。まず一般的に大きく分けると二段階あって、個々の事件と関わりなく、一律に資格ないし適格がない、あるいは辞退を認めるべき事由があるので除外するというのが一つの段階だと思うのです。検察審査会の場合ですと、欠格と辞退のほかにもう一つ、「就職禁止者」というのがあって、これは公職に就いているような人はなれないというものですが、これも欠格の一種だとすれば、欠格と辞退という二つがあって、これは一般的・一律に適用されるものです。
 もう一つは、個々の事件との関わりで問題となることで、こういう関係や地位にいる人が就いてもらっては困るというのが除斥であり、個々の候補者ごとに見て、その公正さに問題があると判断され、あるいは、当事者が理由を示さずにこの人はちょっと御勘弁願いたいとして、除外するのが忌避ということだと思うのです。
 そういうふうに仕分けますと、○○委員が言われたのは、最初の一律の除外の方なのではないかと思うのです。一方、○○委員が対案と言われましたのは、恐らく、そういう選別の仕方と排他的な関係に立つものでは必ずしもなくて、それにプラスして、そういう方法があってもいいだろうというもので、それが選任委員会方式の位置付けだろうと思います。そういう見取り図を念頭に御議論いただければと思います。

○ 今、2つのことが整理されましたが、どっちから。

□ 大きなのは選任委員会方式の話かもしれませんが、それと選別していくための仕組みとして4段階ある、この両者は並行してあり得ることだと思いますので、どちらから議論していただいても結構です。

○ 選任委員会方式の御提案なんですけれども、私は、むしろ現在行われている検察審査会法の仕組み、あるいは戦前に行われた陪審法の仕組みのように、一般的に選んで、何か問題があれば個別的に処理をしていくという方向がいいと思います。
 幾つか理由がありますけれども、一つは、意見書の趣旨がもちろん出発点ですね。意見書は、広く一般の国民が参加してほしいということを言っていて、そこから選挙人名簿から無作為に抽出するという大原則を掲げているわけです。それを母体とするというふうには言っていますけれども、私の記憶では、審議会の意見書作成の過程で、一次的にそういう無作為抽出をするというような意見書の案があって、「一次的」にという言葉が削除された経過が確かあったと思います。それは、必ずしもストレートに委員会制を否定するということにはならないのかもしれませんけれども、一つの経過としてお伝えをしておきたいというふうに思います。

□ 意見書のその部分の修文はそれほど深刻な意味があったわけではなくて、元々は「第一次的」にというふうに書いてあったのですが、そうすると第二次的なソースもあるというふうに受け取られるのではないかと懸念する声もあったので、「第一次的」にというのは第一段階目としてはというだけの意味だから、「第一次的」にという言葉は削って、「母体とする」という表現でその趣旨を表わせばよいということになった、というのが修正の経緯です。その場にいましたので間違いありません。

○ 先ほど○○委員、それから○○委員からも出た資質の高い人というカテゴリーなんですけれども、まず、資質の高い人というのが、例えば、裁判員制度においてどのようなものが要求されているのかというのは非常に分かりづらいと思います。だれが、どのような基準で資質が高いか低いかというのを選ぶかというのは大きな問題だと思いますし、そのような仕組みは、基本的に意見書が言っている、広く一般の国民が参加する仕組みというものと相入れないのではないかというふうに私は思います。
 ですから、一般的には、選挙人名簿から必要とされる裁判員の数の何倍かの候補者をピックアップして、先ほどから議論になっているように、候補者全員について、一律に不適格かどうかという欠格あるいは辞退の問題、続いて選ばれていく段階で、個別的な不適格と言われている除斥あるいは忌避の問題というようなものを考えていくべきではないかと思います。
 先ほどの障害を持った方の取り扱いについては、私は、むしろ○○委員の御意見に賛成で、例えば、検察審査会法でも、実は、障害を持った方が欠格事由とされていたものが、確か外されたという経緯があると思います。先ほど○○委員がおっしゃったように、個別の事件において、具体的に何か困難が生ずることがあるかもしれません。しかし、例えば、検察審査会法でも、辞退をするということが、承認を受けてという形になっていますけれども、承認を受けて辞退をするということは認められておりますので、むしろこちらで対応すればいいのであって、一般的な欠格事由にするのはいかがなものかと思います。

○ 私も、今、○○委員あるいは○○委員がおっしゃったようなことと近いんだと思いますが、先ほど○○委員から出ました、選任委員会というようなことで考えた場合に、それも、もちろん御意見としてはあり得ることだろうと思いますが、しかし、今お話もありましたけれども、一体どういう基準でそれを行うのかというのは、非常に難しい問題だと思いますし、実質的には、今議論になっております欠格、辞退、あるいは除斥、忌避というようなことで最終的には対応するというようなこととそう変わらない。だから、委員会を置けという意見もあるかもしれませんけれども、それは、逆に言えば、二度手間という言い方が正確かどうか分かりませんけれども、そういった枠組みは、既に他の法律でも運用されているわけですし、そういったことで、その中身をどうするかというところについては少し議論の余地があろうかと思いますけれども、それで対処するというようなことで十分なんではないかというふうに思うわけです。
 先ほど○○委員からお話がありました点についても、少し触れたいと思うんですが、非常に消極的、否定的な側面を御強調になられて、それはそれでそういう側面があるということは、私も否定しませんけれども、やはり、もう少し積極的に、楽観的に見るということがあってもいいんではないかという気もするわけです。
 やはり、審議会もおっしゃっているように、もちろん国民の健全な常識を反映させるということですけれども、それは、まさに統治主体たる国民の常識を反映させるということでありますし、刑事手続のところだけでそのことについて対応するというのは、非常に難しいことで、制度設計だってその点をすべて配慮するというのはもちろん難しいと思いますけれども、それは、やはり、教育の問題であるとか、今日はマスコミの方とかもたくさんいらっしゃるわけですから、マスコミでもってその点についていろいろな形で宣伝をしていただくとか、そういったことで対応すべき問題だろうというふうに思うわけです。
 実際にその場合に、もう一つ、先ほどサイズとか数のこともおっしゃいましたけれども、どう考えても不平等感というのがその背景にあったりすると、確かに厄介だという部分があると思うんです。だとすれば、できるだけ多くの国民がということは当然の前提とされているわけですから、できるだけ多くの国民の方たちが、国民の義務であり、権利だということで、この制度に関わるということがあるということが重要だというふうに思うんです。
 そのためには、むしろ逆に、かなりたくさんの方たちがこの制度に関わるということがないと、何かずるして逃げたんではないかとか、うまいこと説明すればそれで避けられるんではないかとか、そういった気分が蔓延するというようなことになると、かえってまずいということもあると思うんです。

□ 分かりました。後ろの方で、もう一度お話いただけますか。

○ 先ほどちょっと○○委員がお話になったものですから、少しだけ私なりにお答えするのも一つの議論の必要性かなと思ったので。
 この点についての私の基本的なことは、一番最初に申し上げたところで、具体的な中身については、もちろん更に検討する必要があると思うんですけれども、基本的には先ほど申し上げました欠格、辞退、除斥、忌避というようなことで対応できるということではないかというふうに考えております。

□ 分かりました。後の方の確保方策についてのお話は、もう少し後でお願いします。

○ 基本的には、先ほどの座長の整理でいきますと、欠格事由を適切に定める必要があると思うのと、辞退を認めるかどうかという点については、私は、むしろどんどん参加していただきたいと思っています。ただし、実現可能性というのをきちんと見ていかないと、制度設計して動かないのではだめなので、先ほど申し上げたわけなのです。そういう意味では、辞退というものを余り簡単に認めるような制度設計はすべきではない。
 今、○○委員は、国民が裁判員となることが権利であるかのような発言をされたんですが、私は、これは義務だと思うんです。義務化して、裁判員となるべき義務として制度設計していくべき筋合いのものであろうと思っています。
 したがって、後の方の論点にいってしまうのかもしれませんけれども、裁判員となるべく出頭義務を課するのと、○○委員もおっしゃったかと思いますけれども、守秘義務というものも国民には併せて義務として課するという制度設計になると思います。
 もう一点は、○○委員の御提言に誠に賛成な点は、先ほどから法律家の方がしゃべっておられるので、除斥、忌避とか、おどろおどろしい言葉を使っていますが、これは国民に対する発信の場ですから、非選任という言葉がいいのか、裁判員の交代という方がいいのか、そういう分かりやすい言葉で発信すべきであって、私は、○○委員の意見には賛成です。
 その意味から言いますと、選挙人名簿から無作為抽出した人を裁判員にするわけですから、○○委員からも似たような概念がありますけれども、当事者が理由なしに非選任とする制度、あるいは、理由なしに裁判員を交代させるというような仕組みも設けておかないといけないのではないのかなという感じがしております。
 具体的には、どういう場合かと言いますと、なかなか適切な事例は難しいのですが、どういうものを欠格事由にするかによるわけですけれども、例えば、仮に暴力団の構成員であることが欠格事由であると、あるいは、前科があるということが欠格事由だとして、そのような事由には当たらないんだけれども、暴力団と非常に親和性があるという人が来た場合、それで本当に公正らしさの外観が保てるかというのは疑問だろうと思うのです。
 それから、例えば、非常に狂信的な宗教による事件で、信者あるいはそれに親和性を持った人だというような場合、もっと分かりやすいのは、例えば、実際の捜査の過程で、現在内偵中の者が選ばれる場合も観念的にあるわけで、そういう場合には理由を示せないわけです。だから、今言ったように、無作為抽出ということを前提にする以上、理由なしで裁判員の交代もしくは非選任とする制度というのは、一応考える余地があるのかなと思います。

□ 用語についてはテクニカルなところがあるものですから、実質についてまず議論してから、考えた方がいいと思います。ただ、「交代」というのは少しおかしいと思いますね。今の御議論は、理由あり忌避に加えて、理由なし忌避を認めるということですか。

○ そうです。理由なしの非選任です。

□ 分かりました。ちょっとあっちに行ったり、こっちに行ったりしているんですけれども、そこに入る前に、○○委員御意見があればどうぞ。

○ 私は、これは前にも申し上げたことですけれども、例えば、検察審査会法に書かれている欠格事由、就職禁止、除斥、辞職、いろいろなものが出てきていますけれども、やはりこれは基本だと思うのです。これは、旧陪審法でもほぼ似たようなものがありましたし、ドイツの陪審、参審でも同じようなことが規定されているんです。
 そういうところを見ると、むしろこれを基本にして、これに何を付け加えるか、あるいはこれから何を削っていくかという作業の方がいいのではないかという気がします。

□ 御指名した趣旨は、選任委員会方式について反論があればお伺いしたいということであったのですが。

○ 分かりました。先ほども言いましたように、例えば、○○委員が言われたようなことが出てきたときに、いわゆる理由のない忌避ということだけで賄えるかというと、なかなかこれはできない。だけれども、ここのところというのは、何かでもって排除する方法というのをつくっておかなければいけない。そのときに、例えば、法曹三者による委員会というものでもつくっておいて、そこで具体的に除斥、忌避について、あるいは欠格事由等について判断すると同時に、ここら辺についてまで場合によっては判断できるというようにしてはどうかということです。

□ ここら辺というのは、つまり、類型化できない部分ということでしょうか。

○ そういうことです。

○ 選任委員会には、その事件の検察官と弁護人も含まれるわけですか。

○ いや、そこのところはまだ考えておりません。

□ ドイツなんかの選任委員会方式とは、少し性質が違うものだということですね。

○ ずれています。

□ 分かりました。

○ 事件ごとに構成されるんですか。

○ むしろ、私が想定しているのは、一般にやっておいて、例えば、その中で適当なものをつくって選び出すということです。そこから具体的な事件に当てはめていくというようなやり方を取るべきであろうと思います。

□ その選任委員会の場合の選任過程の透明性の確保については、どうお考えですか。

○ 透明性の確保というのは、やはり利益をそれぞれ異にすると言いますか、法曹三者でやるというところで担保する以外にない。
 もし、これで問題だとすると、例えば、だれか有識者でも加えるというような方法というのはあり得るかもしれない。そういうことで、いわゆるだれによって構成されるかという、委員会の構成によって担保するという以外にないだろう。
 ここのところは、例えば、偏見を抱いているものを排除するとか、あるいは、見てくれで、パンチパーマをかけているのは好ましくないではないかというようなことが問題になったときに、透明性のところでもってちゃんと出せる議論かということになってくるんだと思います。

□ その点については、理由なし忌避の提案者は、だからこそ理由なしなのだとおっしゃっると思うのですが。

○ 逆に言うと、私は理由なし忌避というのは認めるべきではないという考え方です。

□ それでは、さっきの後の方の論点であった、どういうふうにして出頭を確保するのかということ、これには、義務付けの面と、出頭しやすいというか働いていただきやすい環境を整えるという面があったかと思うのですが、その点についてもう少し御議論いただければと思います。
 もう一点、就任してからの公正さの担保とか、守秘義務とか、そういう論点があったと思いますが、そういう点についても御議論いただければと思います。
 ちなみに一言だけ余計なことですが、積極面を強調するべきだということはそのとおりだと思うのですが、他方、非常に厳しい現実があって、アメリカとかイギリスなどでもなかなか出頭してもらえないようです。30%~40%がまず回答してこなかったり、出てこないと言われていました、それが実態なものですから、そういうことも念頭に置きながらどういう制度設計があり得るかということを御議論いただければと思います。

○ したがって、先ほども申し上げたように、出頭は義務化すべきであるし、出頭義務に対し正当な理由がなく義務違反を行った場合に、何らかの制裁措置も考えなければいけないと思います。間接強制みたいなものでもいいんですけれども、それは一つ考えていくべきだろうと思います。それは、守秘義務についても同じだろうという感じがしています。ですから、そこのところの兼ね合いが難しいので、そこはむしろほかの委員の方の御意見を賜わりたい。

○ ○○委員がおっしゃっているのは、最後の手段の部分でありまして、私自身も、大前提として、裁判員の出頭は国民の義務として構成することが必要であり、その義務を最終的に担保する法的仕組みとして、○○委員のおっしゃったような、義務違反に対する制裁というのもあると思うのです。しかし、何よりもまず大事なこととして、それ以外の様々な出頭確保のための環境整備が必要だと思います。
 例えば、否認事件だったら、連日開廷でそれなりの期間裁判が続くこととなり、普通の勤め人がそういう事件の裁判員に当たった場合、その間、出勤することはできなくなる。そういう場合に職場の方がそれで首にするなんていうことになったら、裁判員制度は全く成り立たなくなるわけです。諸外国の例を見ても、公の職務に当たって出勤できない場合には、それを理由にして職場で不利益があるようなことではいけないとされていると思います。その辺は労働関係法令についての法律的な手当の方法もあるでしょうし、もう少しマイルドなやり方もあるでしょうが、様々な形での社会的な支えがなければいけない。また、国によっては、司法参加の義務を果たす当人の生活を保障するため、裁判所へ出た日数の給料分も払うというところもあるようですが、そこまでは無理としても、その人がちゃんと生活でき、裁判員に選ばれたせいで職を失ったりはしない、そのような不安を感じることなく裁判員としての職務に専念できるというような社会的バックアップの体制がまず必要で、その上で、最後の手段として、それでも出てこない者には制裁を科すという、いろんな重層的な下支えが必要であろうと思います。

□ 個人営業の人とかはどうなりますか。

○ 真にやむを得ない場合は、合理的理由に基づく辞退を認めざるを得ないということも出てくるだろうと思います。しかし、その事由は、本当にやむにやまれぬ場合にしておかないと、先ほどどなたかがおっしゃったように、みんな何か口実を作って辞めるというようなことになってしまうおそれがあろうかと思います。座長が挙げられた例のように、個人営業で一日たりと休むわけにはゆかず、どうにもならないというように、様々な要素・事情があり得るので、その点は考慮した上で、最後の手段から、中間的なものから、広い範囲でできる限り国民としての義務を果たせる体制をつくらなければいけない。
 これまで国民の司法参加を実践してきた歴史のある国でも、みんな内心は迷惑と思っているかもしれませんけれども、やはり、これは国民の義務であるということで出頭して来られて、崇高な公民の義務ということで務めるという伝統ができ上がっているように、私は承知しております。我が国では、何しろこれから初めて作る制度ですから、そういう伝統をつくっていかなければいけないと思います。

□ 分かりました。どうぞ。

○ 私も、どういったシステムを用意するかということで、いろいろと考える必要があるということはそのとおりだと思います。
 今のですと、例えば、辞退というようなことだけではなくて、万やむを得ない場合ということで、もちろん、辞退というようなこともあり得るというふうに思うわけですけれども、そうではなくて、言葉の使い方がいいかどうか分かりませんが、回避というような方法というものもあり得るかもしれないと思っているわけです。
 つまり、条件が整うまでは、一遍選任されたときに出て来いと言われても、それはちょっと無理だとしても、しかし、ある一定の期間、つまり条件を整えるというようなことで対応可能になるということはあり得るかもしれないというふうに思うわけで、そういう場合には、ある一定期間の留保の後に、選任の効力が維持され、辞退というようなことで辞めてしまうということではなくて、1か月なり何か月か置いて、状況を整えて対応していただくというようなこともあり得るかもしれないと思います。

□ 「回避」というと、現行の制度ですと、当の事件について除斥事由があるので、自ら回避するというものですが。

○ 条件付きの回避というか。

□ 最終的な選任までいかないで、この日は都合が悪いから別の日にしてくれと、そういうことですね。

○ そうです。

□ 分かりました。

○ そういうことも考えていいと思います。
 それから、ちょっと誤解があるといけないんですが、義務という側面があることは、私自身も否定しないわけでして、ただ、国民が統治主体としてこれに関わるというような権利的な側面というものも配慮するというようなことがあっていいというふうに思って申し上げたわけでありまして、今の選択するというようなことで対応することが可能であればそういうことを認めるとか、さらには、補償措置というようなことでいったときに、やはり十分な補償というものを考えていくことがあっていいというふう思うわけです。そういうことです。

□ 権利と位置付けると、かえって補償ということにはなじまないのではないでしょうか。義務ですと補償と言いやすいと思うのですが。

○ いい人に出てきてもらわないと、やはりこの制度はできないわけですが、一番難しいのは出頭の確保だろうと思うんです。
 今、検察審査会で事務局が一番苦労しているのは、どうやったら出て来ていただけるかということです。特に、仕事のある人に対して、どういうふうに説得するかということで、大変苦労していますし、それでも人が集まらないで、流会になるということがいっぱいあるわけです。
 そういう意味からすると、出頭しやすい環境をつくるために、国民の皆さんにこの制度の重要さを十分理解してもらう作業が必要でしょうし、また先ほど○○委員が言われたような、労働基準法という点での法的な手当だとか、そういうものも必要でしょうし、補償だとか、そういうことも必要だと思うんですけれども、やはり簡単に辞退できるものでは困るんではないかと思います。陪審制度を見に行ったときに、本来の陪審ではなくて、検屍陪審という制度のところだったんですが、失業者がその日の手当をもらうために集まる、そういうようなところがあると、それが本当なのかどうか知りませんけれども、そういうようなことを言っている人がいました。そのようにその日の手当だけを目当てにその仕事をしたいために、そういう人が集まってくるというのでは困るわけです。裁判員制度を成功させるためには、それだけふさわしい人が確保できる制度が必要であろうと、そのためにいろんな手当てを考えるべきだというふうに思います。

○ やはり法律家の議論になってしまっているなと思うんです。私は、罰則で何か人を確保するような制度というのは、本来おかしいと思うんです。出て来なければ処罰するぞと、そんな制度がうまくいくわけないだろうと私は思うんです。そういう制度設計にしてしまったら、恐らく動かないんではないんですか。

○ 逆じゃないですか。私は、罰則をかけなかったら動かないと思いますけれども。税金と同じですよ、国民が、これは税金と同じだというふうに思ってもらわない限り、この制度は動かないということですね。

○ それは、いろいろお考えがあるんでしょうけれども、私は、そう思うんです。だから、出頭を確保するというのが非常に難しいということは、一番考えなければいけない部分だと思うので、先ほど○○委員が言われたみたいな、いろんな雇用者に対する働き掛けだとか、あるいは法的な措置を、別の面で出頭できない事情のある人については、何か考えるような、出頭を確保できるような別の面で考えるということは必要なんでしょうけれども、どうも罰則を最後に置いておくというのは、私は余り賛成しかねるという思いです。

□ 前提として、やはり出頭しやすい環境を整える、また出頭していただく気持ちを持ってもらう。そういう方向に持っていきたいというのは皆さんの意見の一致するところで、しかし、どうしても出頭をしない人がいた場合に、負担が不公平になったり、偏ったりするので、そうならないように出頭をどうやって担保すればよいのか、そのために罰則までかけるのか。そういう問題だと思いますね。

○ 罰則の内容にもよるだろうと思いますね。交通反則切符みたいなものもあるでしょうし、いろんなものがあると思うんですけれども。

□ そこのところを詰めていきますと、お気持ちの問題だけではなくて、かなり難しい問題が実はあり、一部にではありますが、そういう形で義務を強いるのは、憲法で禁止された苦役を強いることになるのではないかという意見もあるほどです。
 他方、実際論として、諸外国の実情を見ますと、罰則は大体どこでもあるのですけれども、現実には執行されていないようです。出頭しない人の数が多過ぎて、罰則の執行に精力を注ぐよりも、もっとどんどん呼んで、ともかく出て来た人を母体にしてやっていった方が効率的だということのようですが、そのように、罰則を置く場合にも、実効性の面などで問題があることも事実だと思います。

○ おっしゃったとおり、私は罰則を強調しておりますが、それは最後の手段で言っているわけで、それをむやみに信奉しているわけではないんです。
 もう一つは、やはり旅費、日当が従来のようであれば、言ってしまえば涙銭みたいなものなんです。こんなにもらえるんだったら行ってもいいと思うぐらいの旅費、日当はある程度出さないといけない。守秘義務を掛けたり、いろいろ負担を強いるわけですから、その負担に見合うだけの日当は支給しなくてはいけないだろうなと思います。そういう意味では、従来の旅費、日当の在り方から考えるんではなくて、彼らが今後負担するであろういろんな義務に見合う金額ということで、抜本的なものを考えていかなければいけないんだろうと。アメとムチで、まずアメが先行するということですね。

□ まだ御意見がおありになるかとは思いますが、大きな論点があと2つほど残っています。
 第三の点の職務の公正さの確保や、守秘義務等については話が出ましたが、ほかにもいろいろ配慮しなければならない点があると思います。事務局の方でも整理されていると思いますので、ほかにこういう点があるということがあれば、御指摘いただけますか。

● おおむね皆さんのおっしゃられたところのようなことかなと思うんですけれども、一つは、非常に難しい問題ですけれども、取材や報道に関してどのように考えていけばよいのかという問題があると思われます。事件に関する報道という問題もありますが、それを離れても、裁判員に対する取材あるいは裁判員の個人的な情報に関する報道といったようなものをどう考えればいいのかという点についても考える必要があるのではないかと思っております。
 それから、裁判員が職務についた後の義務という問題についても、先ほど問題の提起があったと思いますけれども、その関係で、義務違反があった場合にどうするのかという問題があると思います。例えば、途中から出頭しなくなった裁判員がいた場合、その裁判員には辞めていただくとしても、手続の明確性ということが恐らく必要でしょうから、それなりの明確な手続というものが必要ではないかと思われますので、そのような点についても考える必要があるのではないかと思っております。
 大体以上です。

□ あと、前に戻りますと、除斥とか忌避をする場合、あるいは、選任委員会方式でもそうですけれども、裁判員候補者に関する一定の情報が必要となるでしょうが、それをどうやって収集し、どういうふうに使わせるべきかといった問題もあると思います。また、裁判員となった人の安全の確保等のために、どういう配慮が必要かといった点も今後更に検討していかなければならないのではないかというふうに思います。
 最後に打ち切ってしまったようで申し訳ないのですが、第一ラウンドとしてはこのくらいにさせていただいて、更に大きな検討事項が次に控えておりますので、この辺で10分ほど休憩させていただけますでしょうか。終了予定の時刻より少し議論が延びることがあり得べしということで、御了承いただければと思いますが、よろしいでしょうか。

(休 憩)

□ 再開してよろしいですか。それでは、次の項目に移りたいと思います。
 「4 対象事件の範囲」ということですが、この点について意見書は、まず、対象事件は法定刑の重い重大犯罪とすべきであるとしています。
 2点目として、意見書は、公訴事実に対する被告人の認否による区別は設けないとしています。被告人が自分は有罪だと認めている場合も対象外にはしないということです。
 3点目として、意見書は、被告人が裁判官と裁判員で構成される裁判体による裁判を辞退することは認めないこととすべきであるとしております。
 この三点を前提として御議論をいただきたいと思いますが、第一点目の「法定刑の重い重大犯罪」の範囲につきましては、「例えば、法定合議事件、あるいは死刑又は無期刑に当たる事件とすることなども考えられるが、事件数等をも考慮の上、なお十分な検討が必要である」ということで、一応例示はしておりますけれども、更に十分な検討をすべきだというのが意見書の趣旨だといえます。
 そこで、「法定刑の重い重大犯罪」の具体的範囲について、どのように考えるべきかについて御意見をお伺いしたいと思います。
 どなたからでも、どうぞ。

○ まず、死刑、無期を含む事件は対象事件から外せないだろうと思います。なぜならば、当然国民の関心も高いから外せないだろう。
 では、法定合議事件はどうかということですが、法定合議事件の中には、文書事犯その他、例えば、実質被害者のない事件であるとかも含まれてくるわけです。そうすると、国民の関心もそれほど高くはないのではないかと思われます。もう一つは、件数も結構多くなる。ですから、法定合議事件をすべて対象事件とするというのは、妥当性を欠くだろうと思います。
 そうすると、実際に罪名や何かはまだ検索していませんけれども、死刑及び無期を含む事件プラス、故意行為によって人が死んだ事件、さらには、もう少し線引きが難しくなるんですけれども、例えば、重傷害を負った事件まで含めるかどうか、そういう仕切りでいいのではないかなというふうに思っているんですけれども。

□ 死刑、無期プラス、故意の犯罪行為により被害者が死亡した事件、あるいは更に広げて、重傷害という結果が生じた場合という御意見ですね。その重傷害というのは、どういうものですか。

○ 例えば、イメージで言うと、3か月以上の傷害。

□ 分かりました。どうぞ。

○ 今、○○委員がおっしゃった最後の枠組みは、この間の少年法の改正のときに実定法に導入された枠組みですね。それまでは、法定合議とか、死刑、無期という枠がありましたけれども、少年法改正のときに故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪の事件という枠組みが入ってきた。それはそれなりに一つの意味を持っていて、故意の犯罪で人が死亡している事件の場合には、やはり一般国民の関心も強いであろうからということが一つの理由になって、これを原則逆送や検察官関与の枠組みとして用いることとしたと承知しています。それは一般国民の健全な常識を反映させるという裁判員制度の趣旨との関係でもそれなりに整合する枠組みではないかと思います。
 ただ、○○委員は重傷害に限定してこれも付加されるようなことをおっしゃいましたけれども、これを法律で決めるのは難しいように思います。そこで、仮に故意行為で人を死亡させた罪ということにすると、全面的に傷害致死罪が入ってきて、その分はかなり事件数が増えるでしょう。一方で、被害者が死んでいないと、例えば殺人未遂罪とかは含まれないということになりますか。

○ 死刑がありますので。

○ 死刑、無期の方で殺人未遂などを入れるということですか。分かりました。
 そうすると、恐らく法定合議全部にしますと、4,000強 ぐらいの事件数になりますね。一方で死刑、無期事件だと半分ぐらいの2,000強 ぐらいですかね。そうするとこれに傷害致死罪等が加わって、数としてはそれなりに適切な数になるのではないかというふうに思います。

□ 少年法とは、少しずれるのではないですか。

○ ずれます。少年法改正の際にその中に持ち込まれた一つの枠。しかし、今の法律の中に存在する一つの枠であるということです。

□ 少年法で、原則として検察官送致というか、いわゆる逆送がなされる場合とされているのが、故意の犯罪行為により被害者が死亡した事件ということですね。

○ ごめんなさい。検察官関与事件の範囲は、故意犯罪で被害者が死亡した事件には限定されておりません。

□ そういう御意見が、一つのアイデアとして示されましたが、違う御意見もおありかと思います。いかがでしょうか。

○ 考え方としてですけれども、やはり、私は、この法定刑の重い事件ということだとすると、法定合議というのを基本にした方がいいのかなと思いますけれども、ただ、問題は、先ほどから出ている、免許証の偽造のように、何で合議でやるんだろうというようなものも、中にはあるので、そういうものを除くことはすべきで、法定合議を中心にして、そこから必ずしも必要ではないものを除いていくという考え方を一つ持つべきだろうと思います。
 もう一つは、国民の負担ということを考えると、特に個々の事件の中には心理的な負担が極めて大きいものがあるので、ここの意見書の中でも指摘されているように、テロ事件とか組織犯罪とか、これを除くということを考えなければいけないだろうと思います。この二つの方向から絞りを掛けていって、適当な数との兼ね合いで決めていったらどうか、これも一つの方法かなと思っております。

□ 「適当な数」についてのアイデアはございますか。

○ 特にないです。

○ 裁判員制度が円滑に動いていくことを望んでいるし、そうなるであろうと期待しているわけですが、いろいろ厳しい現実の面だとか、諸外国の状況などを見ますと、一つの考え方としては、当初は比較的狭い範囲で考えて実施して、一種の試行的な発想なんですが、それがうまくいけばどんどん増やしていくというようなやり方をした方が無難なのかなという感じがしております。それは、今、○○委員がおっしゃったように、まず国民負担の問題がありますし、今までにない新たな制度を導入するわけで、大々的に導入したわ、大々的に動かなかったわでは、法秩序の維持その他に対しての影響が甚大だと思われるわけです。事柄の性質上、試行ということはなかなかできないわけですから、そうすると、出だしは比較的狭い範囲なのかなと思います。
 そういう観点から言えば、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪という概念が、多分数的には一番少なくなる。法定刑に死刑、無期がある罪というのが次ぐらいに数が増えてきて、もう一つが法定合議という感じかなと思っておるので、そういう観点から言いますと、冒頭申しましたように、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪という形で、出だしはそこで始めてみるのがいかがかなという感じがしております。
 と同時に、ここは○○委員と意見が背離するわけですけれども、冒頭の裁判員の保護策、要するに、裁判員に対して法廷外でいろいろな働き掛けをしたりするのを防止するといったものを十分手当するということをもちろん前提にするわけですが、それを前提とする限り、例えば、組織犯罪であるとか、テロであるとか、これを安易に除くということをやったら、本末転倒な議論ですね。そういうことならば、そもそも法定刑の重い重大事件などという意見書の出だし自体がおかしくなるわけですから、それは、私は、安易に除くべきではないだろうと思います。できるだけ保護策というのを十分やった上で、最後の最後でどうしてもだめという状況が仮に現出したとすれば考える話であって、最初からそれは除くということはすべきではないと思います。

□ 2番目の点は、審議会の意見書でも検討すべきだというふうにされていますので、もう少し後で御議論いただこうと思います。その前に、まず一般的に、どの範囲を対象にするのかということから御議論いただければと思います。
 数というものに拘束されて議論するというのは余りよくないかもしれませんが、一つの目安として、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪というものの数はどのくらいあり、死刑又は無期刑に当たる事件というのはどのくらいの数で、また法定合議だとどのくらいなのかが分かれば、教えていただけますか。

● 以前、第4回の検討会の際の資料としてお配りした、資料1-2でありますが、平成12年の数字がそこに載っております。それ以外に、他の検討会になりますが、公的弁護の方の前回の検討会の資料に、平成13年の数字が出ておりまして、これによりますと、法定刑に死刑又は無期懲役を含む事件は、地裁の通常第一審事件の終局人員数で2,440 人、法定合議事件だと4,591 人となっております。
 一方、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪の事件でありますが、これにつきましては、従来統計がその基準を意識して取られておりませんので、正確な数は現段階では出ておりません。その原因は、強制わいせつ致死傷、強姦致死傷の罪の終局人員について、致死と致傷を分けた統計が取られていないということにあります。
 統計上は、強制わいせつ致死傷、強姦致死傷ということで、その両者を含んだ数しか取られていないわけなんですが、経験上から申し上げますと、強制わいせつ致死傷、強姦致死傷の大部分は恐らく致傷にとどまる事案、したがいまして、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪には当たらない事件であろうと思われます。そこで、仮にそれがすべて当たらないと仮定して数を出しますと、平成13年の統計で、終局人員数にして857 人ということになっております。今申し上げたような事情で、正確な数はこれよりも若干多いのではないかと思われます。

□ そうすると、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた事件というのは、大体900 足らずということですね。そして、法定刑に死刑又は無期刑を含む罪というのは2,500くらいで、法定合議事件が4,500 ということですね。

○ 今の数字は、現時点での数字なんです。問題は、制度が動き出すのは、どのぐらい先になるか分かりませんが、数年からもう少し先になるだろう。現時点での統計データを御覧になったら分かりますけれども、年々増えていますから、今の数字が数年後の数字だという前提で御議論されるのではなくて、数年後にはもっと増えている可能性もあるという前提で議論をされたらいかがかと思います。

□ 私の漠然とした記憶ですけれども、先ほどの中で一番狭い範囲でも、年々50人ずつくらいの割で増えているのではないかと思います。

● 申し落としましたが、今、御紹介した数字は、法定合議事件であり、かつ、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪の事件の終局人員数でございます。

○ 加算されないわけですね。法定合議事件の中に850件が含まれているという感じですね。

□ ここで○○委員の意見を御紹介いただけますか。

● ○○委員の御意見を御紹介いたしますと、まずこの論点については、法定刑に死刑又は無期刑を含む事件とすべきか、法定合議事件とすべきか、殺人事件等の罪種によって決めるか等の幾つかの論点があり得ると思われるが、現時点では明快な意見がまとまっていないというのが、第一点であります。
 2点目として、ただ、これについては、理論的、理念的に望ましい範囲について意見交換するとともに、迅速で公正な裁判を実施する方向性を実現するためには、裁判員制度が実効性を持って高質に行える「事件数」を検討する必要性が当面はあるとも考えられる、つまり、例えば、法曹人口の確保がなされるまでの一定期間は、裁判の質を保証するために、量的な側面の妥当性についても意見交換していくことが必要と考える、というものです。
 以上です。

□ 分かりました。それでは、どうぞ。

○ 先ほどの○○委員や○○委員の意見とも関連するんですけれども、基本的に一つの制度を考えるときに、先ほど○○委員が言われたように、最初に小さく始めて、試行的にやって、様子を見て拡大するというのが、一つよくある考え方だと思うんですが、日本の風潮から言うと、いったんそれで動かすと、拡張しなければいかんというときに、なかなか拡張できないということもあると思うんです。
 もう一つは、やはり新しい制度をつくるという以上は、やはり、なるべくこれだというシステムをつくって、つくった以上はそれを何が何でもやるというと、あれですけれども、実効性のあるシステムをつくって、覚悟を決めてやるということがない限り、かえって中途半端なものをつくるとうまく動かないと思います。社会の変化に応じて変えていくということも、なかなかできないというふうに思うんです。ですから、私としては、最初に小さくではなくて、本来こういうものをやるべきだというものをまず決めて、それをやるためにはどういうシステムが必要なのかということで考えるのが筋だろうと思います。

○ 私も、今の○○委員の意見に賛成です。これは、将来ともに国民に担っていってもらうためには、やはり始めるときにきちんと始めることが非常に重要だろうと思います。この制度の基本的な理念としては、国民主権、つまり国民が裁くということがあるわけですから、そういったことも考慮する必要があるだろうと思います。
 その意味で、意見書の趣旨を考えますと、やはり基本は法定合議事件に置くべきではないかと思います。もちろん、先ほど○○委員がおっしゃったように、ではそれをすべて形式的に適用するかという点については、いろいろ検討すべきであろうとは思います。
 もう一つ、全然違う発想で、意見書が法定刑の重い重大犯罪と摘示したのは、意見書によると、国民の関心が高く社会的にも影響の大きい事件として法定刑の重い重大事件というのを出しているわけです。そうだとすると、今は法律上は法定合議事件ではないけれども、この趣旨からして適用してもいいのではないか、あるいは、国民の立場から見れば適用するのがふさわしいのではないかと思われる事件はあると思うんです。
 特に、今、いろいろ話題になっている刑法の名前で言えば汚職の罪です。これは、法定合議に限定してしまいますと、確か加重収賄だけが適用になるんですけれども、この、国民の関心が高く社会的な影響が大きいという基準から考えると、現在、法定合議事件には形式的には当たらないけれども、裁判員事件の対象とすることも考えられる罪というものはあるのではないかというふうに思います。

□ 意見書の趣旨と言われましたけれども、その点の読み方はいろいろあって、法定合議というのも単なる例示に過ぎず、それよりもっと狭い範囲とするのが適切だという考え方もあれば、今おっしゃったような考え方もあり得るので、そこは余りこれが趣旨だというふうに断定してかかるのはいかがかと思いますね。

○ 今の○○委員の意見ですけれども、法定合議事件にある一定のものを加える、あるいは、これまで議論が出たように、幾つかのこれはというのは落とすというのは、ある意味で妥当かもしれませんけれども、なかなかそこで意見の一致を見るというのは、これは甲論乙駁難しい価値判断の対立になってくると思うんです。
 余りそこで議論の一致を見ないまま、数合わせで減らす、あるいは、増やすということではなかなか国民に訴え掛ける力がないんではなかろうかと思います。ある一つの理念でもって、死刑事件あるいは死に至らしめる事件でないとするならば、法定合議事件ということで、形式的ではありますけれども、一律に線を引いた方がよろしいんではないかと思うわけであります。かなりの方々が汚職事件も入れた方がいいという意見をお持ちでしょうけれども、そんなのはもうとんでもないという方もどこかにはいらっしゃるんではないかという気がしまして、まとまる話がなおのことまとまらなくなるんではないかという気が、老婆心ながらしたもんですから。

○ 私も、○○委員のおっしゃったことなども、なるほどと思ったりもするわけですが、やはり、今、○○委員がおっしゃったように、形式的なところで切っていくというところで考えるべきではないかというふうに、基本は考えているんです。
 あともう一つ、○○委員のおっしゃったことで、数は法定合議より少ないというのははっきりしている。もちろん、先ほど座長と○○委員がおっしゃったように、これから先ということになったときに増えていくということはあるかもしれませんけれども、それにしてみても、広く国民が参加するという、刑事司法に関わるということを考えたときに、四千台、あるいはこれが少し増えたとしても、それが果たして本当に国民が関与するといったときに、もちろん個々的にそれぞれ選任された個々の負担というのは、先ほど来ずっと議論になっているわけですが、トータルの意味で国民の負担とか国民がこの刑事司法を担うということになったときに、その比率というのはそんなに大変な数字というか、むしろ国民に参加していただく以上もっと多くてもいいかもしれない。最低限法定合議ぐらいはないと、新しい制度をつくり、国民が本当に統治主体として刑事司法に関わるということになったときに、むしろ国民の方たちに協力を仰ぐというようなことでは、非常に小さない制度になってしまうんではないかという感じがしてならないということがあるんです。
 ですから、数というのは、具体的にもちろん裁判員をどのぐらい選任するかということにも関わって、場合によっては3倍程度の開きが出てくるということがあるにしてみても、それにしても、ざっとの感じでも0.00何%ということでしか国民が関わらないというような制度では、なかなか力が入らないということがあるんではないかという感じがするわけです。そういう意味でも、最低限法定合議ということでいいと思うし、それから、もちろん、国民の関心が高いとか影響が大きいということはあるかもしれませんけれども、やはり犯罪自体、影響が大きい言えば大きいわけですから、法定合議という形でいろんな事件がある。つまり、先ほど○○委員が挙げられた基準というのは、それは一つ関心が高いということの側面であるかもしれませんけれども、逆に言えば、そういった生々しい事件には関与したくないという場合もあり得るわけですから、いろんな事件があってやはり刑法体系というのはでき上がっているということも、いろんな形で知る機会になるかもしれませんし、法定合議というのは一つの形式的な基準として合理性を持っているんではないかというふうに考えています。

○ 基準を明確にというのは、私もそうだと思うんですが、法定合議事件を日々やっていて、これが国民の関心が高く、法定刑の重い重大事件というのになるのかなと疑問に思うのは、薬物の営利目的の所持事犯とか、先ほど言われた運転免許証を偽造して、そして、人の名前でサラ金からお金をだまし取ったとかいう事件で、そういう事件がかなりの件数あるんです。この辺りまで含めるのはどうかなというふうに思うわけで、最初から国民の負担がかなり大きくなるというのをどう見るか、当然最初からそれだけの負担を覚悟していただかなければ困るんだということでいくのか、あるいは、ある程度小さいところから始めて、制度としてうまくスタートさせる方がいいのが、ここら辺はいろいろ考えはあると思うんですが、若干法定合議全部にすると広過ぎないかなという気がします。

○ 私は、普通の人は、今、裁判官が合議でやっている事件が、大体裁判員制度になるのかなと思っているんではないかと思うんです。今、裁判官が3人でやっているような裁判に国民が参加していって、一緒に合議して結論を出していく、そういう制度が裁判員制度だと思っている方が多いと思うんです。
 分かりやすさという意味では、法定合議というのを柱に据えて、それを基準に、今、○○委員がおっしゃったような形の、どうみてもそんなところまで盛り込む必要がないというものは、専門家の方で検討して削っていけばいいんだろうというふうに思うんですけれども、普通の人がそう思っているだろうということが一つです。
 もう一つ、法定合議事件というふうに考えたときに、いただいた資料で大体4,500 ぐらいの件数が挙がっていますけれども、そのうちの言わば否認事件は3割ぐらいなんですね。あと7割ぐらいは大体自白事件というか、そんなに争いのない事件だろうということなんで、法定合議事件という網を広げても、実は4,500 件全部が大変だということでも、必ずしもないんではないかと、7割ぐらいは数回の開廷でもって終わってしまう事件ではないかという気もするんです。
 そうすると、そのくらいの数というのは、むしろ国民が参加して、裁判の制度について勉強して、子どもたちに伝えていくというような、そういう一種のトレーニング的な、教育的な意味も含めて経験すべき事案の範囲なのかなと、私はそんなふうに感じています。

□ ちなみに、合議体で裁判をしている事件には、事案複雑のため裁量で合議にする、裁定合議というものものもありますので、裁判官3人でやっている事件全部が裁判員の加わる事件だというイメージだということになると、カテゴリーだけで言うと、そこも含まれてしまうかもしれません。そうではなくて、法律で合議体で裁判をすることになっている事件が、○○委員の感じでは、一般の人が感じている対象事件ではないかという御意見でしょうか。

○ つまり、普通の人は、法定合議事件か裁量合議事件か分からないと思うんです。見えているのは、現在裁判官が3人でやっている裁判、そこに私たちも入っていくんだというふうに普通の人は思っているでしょうというだけのことです。

□ 私の意見を言わせていただければ、裁定合議の場合は事案が複雑だということが理由となっています。さっきの汚職の事件などもそうですけれども、証拠構造とか証拠関係がかなり複雑であるということです。そういった事件では、書面の証拠が大量に出てきたり、複雑な帳簿類なども証拠として出てきて、それを分析しなければならないというようなことが少なくないわけで、そういった事柄の性質上、ちょっと裁判員制度にはなじまないのではないかという意見を審議会でも申し上げましたので、座長としてではなくて、委員として、ちょっと付け加えさせていただきたいと思います。
 大体御意見いただいたのかなと思いますので、さっき留保しました、例外的に除外する事件というものを認めるべきかどうかという点に移らせていただきたいと思います、先ほど○○委員は、原則としてそのような例外は設けない方がいいという御意見でしたが、この点については、意見書では、例えば裁判員に対する危害や脅迫的な働き掛けの恐れが考えられるような組織的犯罪やテロ事件など、特殊な事件について例外的に対象事件から除外できるような仕組みを設けることも検討の余地があるとされています。これは、審議会の審議の中で、そういった意見が複数の委員から出されまして、それでこういう叙述になっているわけです。先ほどの○○委員の御発言、そうです、○○委員も言及されましたね、そういう御意見の開陳がありましたので、それらをも踏まえて、御意見を賜ればと思います。
 どうぞ。

○ 結論から言うと、これは除外する事件は設けざるを得ないと思うんです。そうでないと、裁判員を務めることは国民の義務だというのが多分基本でしょうけれども、余りにも過大な義務を負担させることになるのではないかと思います。プロの検事、プロの裁判官は組織によって守られているわけですけれども、裁判員というのは民間人で、そのときだけ法廷に行っていい判断をする、それが終われば市井の中で普通に生活するわけですね。ですから、まず彼らが襲われるかどうかという可能性がどの程度あるのかという問題とは別に、その人たちが持つ不安、襲われるんではないかという不安、これは無視できないだろうと思います。
 例えば、私たちが弁護士業務をやるときに、これはやくざだと、これは恐喝だ告訴しなさいと言っても、お礼参りが怖いから告訴するのは嫌だという人がいっぱいいるわけです。大企業だって、嫌なのに、それを説得して告訴させるということは幾らでもあるわけで、そういう単なる暴力団ですら一般の市民というのは怖いわけです。
 それが例えばテロ組織であるとか、それまで判断しなさいというのは、余りにも酷であると思います。また、正しい判断ができるのかどうかも疑問であるということで、私はこれは強く除外するという意見を主張したいというふうに思います。
 仮に、もしどうしても除外しないということであれば、例えば、裁判員を覆面で法廷に出させるとか、氏名も公表しないとか、とにかく顔も名前も分からないような状態にしなければ不可能だと思います。一般市民が普通の市井の生活に戻ってからも、国家がその生命を確実に保護できるというシステムには、日本はアメリカと違ってなっていないわけです。ですから、とてもそういう負担を一般に強いるとか、そういう不安、あるいは現実の危険にさらすということはいけないと思います。ここはもうプロの領域だと思います。

○ 私は○○委員の意見に賛成なんです。テロのような事件というのは、まさに意見書の言う、国民の関心が高く、社会的影響の大きい事件であり、確かに危険性はあるのかもしれませんけれども、事件の質から言えばまさに主権者である国民が裁くのにふさわしいと思います。
 例えば、アメリカの陪審はテロ事件を原則として除外してないわけですけれども、現に前のニューヨークの世界貿易センタービルの地下での爆破テロとか、オクラホマの連邦ビル爆破事件などのテロ事件は、もちろん陪審でやっております。それは、政府が陪審員たちに、あなた方を守るという強いメッセージを出して、しかも今、○○委員がおっしゃったように、陪審員なら個人個人として特定されないような工夫をしているわけです。もちろん個人の名前も出さないし、オクラホマの場合には傍聴席からも顔が見えないような仕組みをつくっています。
 テロについては、まさに政府の方で断固とした処置を取るというメッセージをいつも発しているわけで、そうであれば裁判員に対しても、我々が守るという強い意思が表明されてこそ、政府も信頼される、テロ政策も信頼されると思うんです。
 私は、日本の治安当局の能力というのは、十分だろうというふうに思いますので、また非常に政治的な事件を国民の関与から外していくということは、そもそもの国民参加制度の趣旨からしても問題があるというふうに思いまして、反対です。

□ 分かりました。どうぞ。

○ 私は、意見書も挙げているテロリズムとか、組織犯罪については、やはり、一般国民の身の安全ということを重視しなければいけないので、どういう形式で法律に除外規定を設けるか技術的に難しい問題はあると思いますけれども、そういう罪種についての適用除外は必要であろうと思います。
 なお、ただ今、○○委員がアメリカの例を挙げられましたけれども、私の知る限り確かにアメリカはそういう形での除外はないんですけれども、確かフランスでは重大なテロリズムの事件等については、一般人の身の安全ということを考えて、通常の参審裁判所ではなく、職業裁判官だけから成っている特別の重罪法廷というのをつくってやっていると思います。比較法的にも必ずしもどこもが頑張って、テロの事件も一般国民が、という形にはなっていない、この点は申し上げておきたいと思います。

□ 今の点で、外国の法制の状況について何かお分かりですか。

● これも第2回検討会においてお配りしました資料に記載されているところで、その範囲で御紹介いたしますと、米・英・独・仏の4か国についてでありますが、フランスにおきましては、テロ犯罪等の一定の事件について、参審員が加わる通常の重罪法院ではなく職業裁判官のみから構成される特別重罪院が審理を行うという制度になっているものと承知しております。
 また、若干趣旨が違うのかもしれませんが、ドイツにおきましては、内乱罪等、一定の国家安全に対する犯罪に係る事件は、日本の高等裁判所に相当する上級地方裁判所の管轄となっていることから、職業裁判官のみから構成される裁判体により審理されるということになっております。
 なお、今、英と申し上げましたけれども、イギリスの法制度は若干複雑ですが、イングランドとウェールズについてということであります。

□ 今のドイツの例は、ちょっと趣旨が違う制度かと思います。ついでに英国につきましては、これはやや特殊な例かもしれませんが、北アイルランドにおいてテロリスト犯罪については、陪審ではなく職業裁判官が裁判するという仕組みになっているというふうに承知しております。
 今までの議論では、主に念頭に置かれていたのは、テロリスト犯罪ですとか組織犯罪だと思いますが、それ以外の可能性も含めて、そういうものは設けない方がいいという御意見と、設けるべきだという御意見があると思われますけれど、ほかの方で御意見がおありでしたら、どうぞ。

○ 今、お聞きしていて、両方の説ともそれぞれごもっともだと思うんですけれども、ちょっと観点を変えますと、例えば組織的犯罪とテロ事件だけ除くというふうにしたとしましても、実態として切り分けはなかなか難しいんではなかろうかと思うわけであります。最近裁判官の方とのトラブルというのはごく少ないと思いますけれども、ちょっと性格が違いますけれども、依頼人ないしは訴訟関係者と弁護士さんとのトラブル、全部が警察が来ているわけではありませんけれども、警察ざたになったようなものについても、必ずしも組織的犯罪、暴力団、あるいはテロだけではないわけでありまして、性格の偏り的なもの、あるいはカルト的なもの、いろんなものがあろうかと思いますから、除外規定を仮に設けるとしても、これは考え出すと際限なく一般事件でも広がってしまうことになると、まさに裁判員制度を無視するような、ほとんど狭めてしまうような形にもなりかねないという懸念がありますから、例外を設けるにしても、よほど定義をきっちりしないと無限の広がりになってしまうと懸念しておるわけであります。

□ あとお二人ということでよろしいですか。どうぞ。

○ 問題は、テロだから、組織犯罪だからということでイコールという形にはなかなか進んでいかない、非常に個々の事件によって違うということだろうと思うんです。したがって、我々が思考すべきは、そういう抽象論ではないと思います。組織統制ができている犯罪組織の方が裁判員に対して悪いことをしないかもしれないですね。極論すれば。ですから、むしろそれよりも裁判員自体をどうやってきちんと保護するシステムをつくるか、そっちにできるだけ意を用いて、それでどうしてもだめな場合に、最後の最後にどうするか考える。そういう検討順序にすべきではないかと私は思います。

○ 私は、ほぼ皆さんの御意見で出尽くしたというような感じがあって、結論だけなんですけれども、私もそこの区別というのはかなり難しいというふうに思いますし、形式的に区別できるのかどうか、非常に微妙だと思います。
 もう一つ、今、○○委員がおっしゃいましたけれども、本当にどこまでの現実的な危険があるのかについては、意外とありそうです。もちろん心理的にはいろんなプレッシャーを感じるかもしれませんけれども、私はもちろん寡聞にしてあれですが、それにしてみてもそれほど今、日本の現状の中でそこをどうしても区別しなければいけない、現実的な必要性があるのかということで考えたときには、私はかなりそれは小さいんではないかと、むしろ手続的にどう裁判員を保護するかということについて、意を用いるということで対応できる範囲ではないかというふうに思います。

□ ○○委員も発言されたいようですので。

○ 今、○○委員がおっしゃった、現実的危険の問題もあるけれども、危険があるかもしれないと裁判員が不安を持って、それでひいては最終目標である公平な、公正な裁判に何らかの心理的な影響が及び、それが妨げられるかも知れないことも気を付けなければいけない点だと思います。現実的危険だけではなくて、危険であると裁判員の方が思ってしまう、そういう精神的、心理的な側面も考慮しなければいけないと思っております。

○ 私は例外を設けるべきではないと思います。結論だけです。

□ 趣旨は同じでしょうか。

○ 同じです。

□ 分かりました。

○ さっき座長が個人としておっしゃった、経済事件について一言。

□ どうぞ。

○ 私は、そういう事件も、どのような事件にどう適用になるのか分かりませんが、対象事件になるのであれば、除外しないで裁判員でやるべきだと思います。それは、プロの方が裁判員に分かるような審理計画なり、立証方法なりを工夫するという形で克服していくべき問題ではないかというふうに思っておりますので、一言だけ。

□ それは、比較法的に見ても、かなり楽観論に過ぎるように思いますね。例えば、イギリスなどでも、重大経済犯罪については陪審の対象から外すべきだというのが、政府の委員会等の見解になっているということはおそらく御承知だと思うのです。もっとも、法定合議事件とか、死刑、無期とか、そういう重い刑を基準にして区切るとすれば、そういう経済事犯的なものはカテゴリカルに除かれますので、その点の議論は傍論ということで、このくらいにとどめておきたいと思います。

○ ですから、むしろ視点は違うのであって、裁判員の負担を考えなければいけないとすると、非常に訴因が多くて、非常に長期間にわたって裁判員を拘束しなければいけない事件ではないかと思います。個別名を言うのは恐縮なんですが、例えば、オウム真理教みたいな事件が将来発生した場合、それはもちろん法定刑の重い重大事件なんですけれども、訴因が幾つもあると、非常に長期間裁判員として拘束することになり得るわけですが、そういう事件をこの意見書から見ると除外できないんですね。だけども、実際問題としてみると、裁判員に対する危険の問題よりも、例えば、就職を間近に控えた大学生に土日を除いて1年間以上毎日ずっと裁判所に来てくださいということ、あるいは、中小企業の経営者に1年以上ずっと裁判所に来てくださいということ、これはちょっといかがなものかという感じがしているんです。
 ただし、これは意見書の射程範囲ではないものですから。

□ 意見書は、そのような可能性も排除しておりません。現に審議会の中でも、あらかじめ著しく長期間掛かることが見込まれる事件などについも除外すべきではないかという意見も出たところでして、そのような可能性をも含め検討の余地があるとしたのです。

○ ちょっと検察の方に要望ですけれども、訴因が多い事件は検察の方で整理していただいて、国民参加が耐え得るような、そういうふうなことを考えていただきたいとまず思います。

○ ただ、それは実態が先行するわけです。被害者がいるわけですから。例えば、オウムのときだって、訴訟進行のために多くの被害者が切り捨てられたわけです。しかし、切り捨てられた被害者は怒っているわけです。前提は、実態がどうか、実体的真実がどうかというところだけ考えておかないといけないと思います。

□ 今のお話は、次の項目の公判の在り方、特に訴因の設定や審判の併合といったことと関係してくると思いますので、そろそろ次に移らせていただきたいと思います。予定していた終了時刻より30分くらい延長するということで、お許しいただけますか。

(「異議なし」と声あり)

□ もちろん、次の論点については、検討しなければならない事項は少なくないわけですので、あと30分くらいで全部やってしまうということではございません。ただ、ある程度のところまで御議論をしていただければと思います。
 その論点というのは、裁判員制度を導入した場合の公判手続の在り方ということでございます。これにつきましては、意見書をもう一度リファーしますと、裁判員の主体的・実質的関与を確保するため、公判手続等について運用上様々な工夫をするともに、必要に応じ関係法令の整備を行うべきであるというふうに述べております。
 意見書は、また、裁判員にとって審理を分かりやすいものとするため、公判は可能な限り連日継続して開廷し、真の争点について集中した、充実した審理が行われることが何よりも必要であるとしています。そのためには、適切な範囲の証拠開示を前提にした争点整理に基づいて、有効な審理計画を立て得るような公判準備手続の整備や、一つの刑事事件に専従できるような弁護体制の整備が不可欠となるとも述べておりますけれども、裁判員制度に伴う新たな準備手続、証拠開示、連日的開廷の在り方、こういった論点につきましては、この裁判員制度についての検討の後に検討することが予定されています、刑事裁判の充実・迅速化の中の主要な検討項目でありますので、そちらの方について議論していただく中で、裁判員制度に特有の問題の有無にも目配りしながら、集中して議論していただくというのが、議論のやり方として効率的かなと思います。
 したがって、本日のところは、今申し上げました3つの論点、つまり新たな準備手続、証拠開示、連日的開廷の在り方という問題点以外の公判手続の在り方について、議論をするということにさせていただきたいと思います。
 まず○○委員の意見を紹介しておいていただけますか。

● ○○委員の御意見としましては、今、座長の方で御紹介がありましたように、意見書は運用上様々な工夫をすべきであると述べておるわけでございますが、その運用上の工夫としては、例えば、要旨の告知の場合、裁判員にできるだけ理解しやすいように、パソコンプロジェクターを利用したり、実物投影機で書類の該当箇所を示したり、あるいは要旨を書いた用紙そのものを印刷して配布するなど、ビジュアル化を工夫する必要があるというものが1点であります。
 もう一点は、弁護士、検事による口頭弁論等についても、できる限り内容が理解できるように、ビジュアル化の工夫をすべきであるというものであります。
 以上です。

□ では、そういう御意見も踏まえまして、御自由に御議論いただければと思います。どうぞ。

○ 議論のたたき台にするために一つ申し上げますと、裁判員裁判の場合は、裁判員が事件の論点を正しく把握できる、すべての論点を正しく把握できる、その上で、各論点について正しい判断ができる、目標としてそういう仕組みでなければいけないと思うんです。これから私が申し上げることは、今の制度の下でも行えるという場合もあるし、今の制度の下で運用を変えれば行えるということもあるし、法律改正しなければだめだよということになるかもしれないんですけれども、そういうようなイメージで言うと、例えば、争点、論点あるいは問題点を明らかにするためには、公判手続の冒頭で双方の主張が裁判員の前に提案されるのが筋だろうということです。現在の制度では、起訴状朗読があって、起訴状の認否はやりますけれども、ごく簡単に認否をして、あとは検察官が冒頭陳述もやって、ずっと立証がある。それが終わってから、やおら弁護人が冒頭陳述もやったり、反証したりしていくわけです。
 プロの裁判官が心証を形成するわけですから、いったん検察官に振れた心証が弁護人の反証によって弁護側に振れるということも十分あり得るという前提で、そういうような立証方法になっているんだと理解しているわけですけれども、裁判員の場合、そのようにいったんこちらに振った心証が、果たして今のようなやり方で弁護人の方に振れてくるか、必ずしもそうではないだろうと思うのです。また、そういうやり方では素人の人には論点がはっきり分からないと思います。
 ですから、例えば、両方が冒頭陳述をし合う、検察側の冒頭陳述が終わったら、弁護人も冒頭陳述をし、そこで論点をはっきりさせる。また、冒頭陳述の書き方も、今は物語風になっているわけですけれども、あのような冒頭陳述では到底論点は分からない。論点ごとに、その論点と、それに結び付く証拠の内容等をきちっと摘示した冒頭陳述が行われるべきであって、また、弁護人は、それに反論する形の冒頭陳述をしたければするという形で、論点あるいは問題点を裁判員の前に正しく、最初のときから提示をするというのが第一点だろうと思います。
 それから、今は、証拠の評価は、最終的には論告、また弁護人は最終弁論で述べることになっているわけです。ところが、現実の私たちの理解としては、もう論告弁論をやるときには、裁判官の心証はほとんど固まっているというふうに理解しているわけです。常に立証しながら、裁判官の心証はポイント3だとか、向こうにポイント5だという判断をしながら立証しているわけですけれども、裁判員が入ってくると、そのようなことが果たして可能だろうかという疑問があります。
 特に、裁判では、間接事実をどうやって使うかというのが非常に大きな問題になるわけです。これはちょっと細かい話になりますが、間接事実というのは、だれが見てもその事実は間接事実であるというふうに理解できるものとばかりは限らないのです。極めて有能な裁判官だったら、これが有効な間接事実であるというふうに理解できる。同じように有能な検事であれば、そのように理解できる。また有能な弁護人だったら、そのように理解できるんですけれども、その反対の裁判官、弁護士、検察官は、それが有効な間接事実であることが理解できないかもしれないわけです。そういう意味では、間接事実で立証しなければいけない場合に、それがどういう意味を持っているかということを裁判員に正しく理解させられなければいけない。
 そのためには、例えば、これは一つのイメージで言っていますから、現実はそういうことは無理なのかもしれませんが、証拠の評価はその都度、その都度やるというようなイメージが考えられると思います。例えば、AならAという証人尋問が終わったそのときに、Aという証人が信用できるのかできないのかについて、検察官はそれは信用できると言い、弁護人はこういう理由で信用できないと言うという形で、常に裁判員の心証が振り子のように常にある論点ごとに振れているというような形の審理が行われるべきではないかということが一つです。
 もう一つは、最初の問題点と同じように、問題点が影のようにして公判の中に出ているというのがあるんです。要するに、プロ同士だから、影絵の形で問題点が出ているなということは分かるんですけれども、裁判員だとそれが分からないと思います。
 贈収賄は裁判員裁判の対象事件にならないから、贈収賄の例を挙げても余り意味がないのかもしれませんが、例えば、AとBという便宜供与があるからわいろですよという主張をする。それに対して、弁護人は、A、Bという具体的便宜供与はありませんでしたよという主張をする。裁判官は、A、Bという便宜供与はありませんよ、それはありませんけれども、Cという一般的な包括的な関係があるから、その対価関係で有罪ですねというような判決をすることがよくあるわけです。

□ A、Bなどと抽象的に言われますと、私などにもよく分かりませんので、例を挙げて具体的に説明していただけませんか。

○ 余り具体的に言うと、事件が特定されてしまうんです。

□ 架空の事件で構いません。

○ これは一応架空の事件ですけれども、例えば、ある医者がある製薬会社から金をもらったとしますね。検察官は、その医者が、その製薬会社のためにあえて内容の違う論文を書いてやったと主張したとします。

□ 医者というのは、例えば、国立病院の医師ですね。

○ もちろん、民間だったら、これは贈収賄事件になりませんからね。そういう形で検察官は構成して起訴したとします。
 これに対し、弁護人は、その論文は正しい論文であって、内容はねじ曲げていませんよという主張をしたとします。
 裁判官は、確かにこの論文は内容をねじ曲げていませんね、だから、そういう意味では検察官の主張は間違いですね、でも、この医者はもう前から製薬会社と仲がいいではないですか、仲がいいから一種の癒着関係に従って金をもらっているではないですか、だから、そういう意味ではこれはわいろですねという形で有罪にするということが、理論的にあり得るわけです。
 私たちは、背景に一般的な癒着関係があったら、それに対するわいろになるということは、影絵のように法廷の中に出ているわけで、それはプロとしては分かっているわけです。ところが、裁判員はそれは分からないでしょう。
 私が言いたいのは、仮にAという具体的便宜供与がなくても、そういう一般的な癒着関係があって、それに乗っかった形で金が行っていれば、これはわいろなんですけれども、そういう点については弁護人はどう考えているんですか、検察官はどう処理するんですかというようなことは、影絵ではなくて明示のポジの形で論点として裁判員の前に出して審理をするという審理方法にしないといけないのではないかというふうに思っているということです。
 では、具体的にそれをどうすればいいのかになると、具体的にはなかなか難しいわけです。例えば、一種の論点整理義務、釈明義務のようなものではなくて、裁判官に裁判員の目の前できちっと問題点が全部並べられるようにするような義務を負わせるというようなことは考えられないか。
 もう一つ考えなければいけないのは、私たちは常に法廷で裁判官の心証に直接働き掛けているわけです。当然裁判員も裁判官なわけですから、裁判官と同等なわけですから、裁判員に対しても、私たちがその心証に直に働き掛けなければいけない。これが大前提だと思うんです。
 両当事者が裁判官の心証に直に働き掛けて、裁判官を経由して裁判員の心証に働き掛けるという形もあると思います。今言ったような例で言うと、その影絵の部分は法廷では論議の対象になっていない。しかし、評議のときに裁判官が、実は影絵としてこういう論点があるんですよ、これはこうですから、これはこうなりますねというような評議をして、それで裁判員も含めた有罪ですねということになると、両当事者は裁判官を経由して裁判員の心証に働き掛けているという形になって、直に働き掛けるという形ではないと思うんです。
 そういう形で、両当事者が常に裁判員の心証に直に働き掛けられる、裁判員は、何を働き掛けられているか常に正しく理解できる、それについての判断をするための材料もできる限り正確に法廷で顕出されるという形で与えられているというような形で、この裁判員裁判が動いていかないと、実態と離れた裁判になるということもあり得るんではないかと思います。

□ 3番目の点ですけれど、そのような趣旨からしますと、両当事者が主張する証拠構造ないし立証趣旨に拘束力を認めろということになるようにも思いますが、そういうことですか。

○ そこまで言ってしまうと、これはかなり固い制度になってしまって、なかなかうまく動かないと思うんです。例えば、冒頭陳述に拘束力を与える、あるいは、論告に、論告にというのは変な話だけれども、そういうような形にしてしまうと、非常に固い制度になってしまうし、間接事実だって、第1次間接事実もあるし、第2次間接事実もいっぱいあるわけです。ですから、切りがなくなるということももう一つあるわけです。

□ 理屈の上から言いますと逆もあり得て、法廷に顕出された証拠や、証拠から推認される間接事実について、当事者の言うのとは違った意味があるのではないかということを裁判員が気付き、合議のときに裁判官に指摘するということもあり得ますよね。その意味では、双方ともイーブンではないでしょうか。

○ 理屈の上ではね。ただ、実務では決してイーブンではないと思います。私が言いたいのは、冒頭陳述そのものに拘束力を与えるという強いものは全く考えていないんですけれども、裁判官の問題点あるいは争点整理義務というような形で、これは運用というのか、制度というのかは別にして、そういう形でなるべく常に論点は裁判員の目の前に明らかな形で出ているというシステムが必要だと思います。

□ 分かりました。傍聴されている方のためにちょっと解説しますと、「冒頭陳述」というのは、検察官又は弁護側が証拠によって証明しようとする事実を証拠調べに入るに当たって明らかにするものです。
 また、「間接事実」というのは、例えば検察官の立証は最終的には犯罪事実を証明するわけですが、それを直接示す証拠がない場合には、ある証拠によってある事実が証明される、そして、そういった事実から犯罪事実が推認されるとか、そういった事実を組み合わせていくことによって最終的に証明すべき犯罪事実が推認されていくという、そういう形で証明がなされるわけですが、そういった場合の最初に証明される事実を「間接事実」と言うのです。大学の教師の習性で、余計なことかもしれませんが、ちょっと解説させていただきました。

○ 今、○○委員の言われたように、争点を明確にして、この訴訟で何を争点としてこれからやっていくのかというのを明らかにするというのは、非常に大事なことで、もちろん今でも当然やっていることなわけですけれども、これからは、両当事者だけではなく、裁判員にも分かった上で審理に臨んでいただくというのは、当然考えなければいけないことだと思います。
 今、影の争点の例が出てきましたけれども、その辺りは当然論点としてはっきりさせなければいけないわけですが、今の例のように、こういう現実に利益なことをやったかどうかということが争点になっていて、それが認められないときに、それでも罪が成立するかどうかという論点は、本来それは最初から出してあるはずなんですね。それが出てないで最後の段階になって、これは検察官の主張がつぶれたと、しかし、こっちがあるから認められるというのは、今でもそれは許されない不意打ちだというふうに言われる可能性はあるわけですね。ですから、争点を明確にする作業は今でもやっていますし、これからはもっと工夫しなければいけないというふうには思います。
 個々の証拠の評価のときに、裁判官が何を考えて、どいうふうにしているかということについては、証拠調べをしていって一回で終わってしまえばともかく、何回かの期日を重ねるときには、当然今日の証拠はどういうことだったのか、それは基本的にはどちらの方に振れているのか、そうするとあとどういうことを調べなければいけないのかというのは、いつも頭にあるわけです。そのことは、これからも多分裁判員の方と確認し合いながらいかないと訴訟は進んでいかないし終わらないわけです。
 ですから、論告弁論のときに裁判官の心証ができているというのは、これは言ってみれば当たり前なんです。そのときにできてなければ、それは調べ足りないんですから、更に証拠調べをやらなければいけないわけで、論告弁論をせっかくやっているのに、聞いてないではないかというふうに言われるのかもしれませんけれども、それは違うんです。
 自分がこちらに振れている、例えば、有罪に振れているとします。有罪に振れるときには、自分が振れている理由というのは考えているわけですから、有罪を立証しようとする人は、論告で、それと同じような形で言っているんだろうかということを確かめながら聞いているわけです。
 逆にそれが確認できた後は、今度は弁論ですが、自分が揺れている反対の人の立場に対しては、ものすごくよく聞いているんです。自分が、こういうことがあったら、そこがつぶれてなくなれば、自分の心証がおかしくなるというふうに思っている点があったら、ほかにはそういう点の見落としがないか、あるいはこういう主張は当然出てくるだろうけれど、それは既に考え済みのことで、それは理由はないんだよということを確認していっているわけです。
 ですから、論告弁論というのも非常に大事な手続だというのは、今でもそういうことなわけですけれども、それは今後も変わらないでしょうし、更に裁判員を含めた形で日々毎回のように確かめながら合議していくような必要が出てくるんではないかという気はします。

○ それは、最終的には合議が密室でされる。これは当然のことなんですけれども、そういう最終段階に行くまでの形が、なるべく公判廷で見える形でやるべきではないかということなんです。
 私が言いたいのは、合議をされることによって、裁判官から裁判員に対して説示も行われるし、いろんなレクチャーも行われる、証拠の見方もいろいろ解説が行われると思うんです。しかし、余りにもそういう要素が増えてくると、それは当事者が直に裁判員に働き掛けるんではなくて、裁判官経由で裁判員に働き掛けることになるのではないかということを、イメージとして危惧しているわけです。もう少し具体的に言えというと、まだそこまでのイメージは固まっていないんですけれども。

□ ほかの方はいかがですか。どうぞ。

○ ちょっと観点が違うことを申し上げます。公判手続の進行について、これまで出たお話は、弁護側と検察側とが犯罪事実の存否について激しく争っている事件を想定されていると思いますが、先ほど○○委員が述べられましたとおり、裁判員が関与する事件は、否認事件には限られず自白事件も含み、そして数としては自白事件の方が大変多いと見込まれるわけです。
 自白事件の場合、皆さん御承知のように、争いのない部分については、いわゆる同意書証で証明が行われて、法廷でその要旨が告知されるという形で進行してゆきます。そこで、これから一層審理を迅速化・効率化するという観点、それから裁判員の方がその事件の概要を明確に分かるようにするという観点からも、同意書証の取調べの仕方については、今よりも一層分かりやすく、また、争いのある事件であっても争わない部分についてはより迅速・効率的にやる仕掛けを考えていかなければいけない。これは大事な視点ではないかと思います。専ら争いのある事件のことばかりを考えていると、見落とされそうになりますので、論点として挙げさせていただきたいと思います。
 書証の取調方法につきましてはいろいろな運用の工夫があると思いますし、さらに基になっている調書のつくり方等にも、大いに工夫・改善の余地があるように思います。それから、現在は規定がありながらほとんど使われていませんけれども、例えば、合意書面の形で、全く争いのない点については、効率的な形で証拠調べをやり、争いのあるところだけに集中していくという運用の工夫は絶対に必要だろうと考えております。

○ 充実・迅速化の問題は後ほど議論するということなので、ここでは抽象的に申し上げると、裁判員が関与するわけですから、冒頭言いましたように国民負担をできるだけ軽減する方策を考えていくということだろうと思います。そのためには、抽象的に言えば、争いがなければいいわけですけれども、仮に争いがあるとするならば、公判が始まる段階において争点がきちんと提示されていて、争点に集中的な、めりはりの効いた審理をしていくということだと思います。そうではないものについては、できるだけ負担が軽くなるような方策を考えるということでしょう。
 もう一つは、今度は一般の国民の方が参加されるわけですから、国民の方が分かりやすいように、法廷の言葉についても、そうでもありますし、争いのない事件が大部分になるでしょうから、そういう事件については書証が証拠になるわけですから、書証も分かりやすい書証で、長いとすればできるだけ短くするようにとか、恐らくそういった工夫が必要になってくるのかなという感じがします。
 ただ、ここで念頭に置かなければいけないのは、もう一つ意見書で求められているのが、裁判員が関与しない他の裁判と同じ裁判書、同等程度の裁判書を書けという要請もあるのですから、そことの兼ね合いを見ていくというのが一番大変だろうなと思います。
 例えば、書証のことについても、当然それは要旨の告知云々というやり方もあるんでしょうけれども、場合によってはもう少し別なやり方があってもいいのかもしれない。もし読んでもらった方が早いならば読んでもらうとか、頭でずっと聞いてもなかなか理解できない場合もあるでしょうから、それはもうケース・バイ・ケースによって、これからまさに法曹三者がいろいろ前向きに裁判員が来た場合どうしようかということで、トレーニングを今から始めて、裁判員制度ができるまで努力していくべき事項かなと思っています。

□ 一点御質問したいんですが、調書のつくり方についての工夫という点ですけれども、捜査の過程で調書をつくる段階では、後に争われるか争われないかは分からないわけですね。したがって、その段階でおっしゃるような区別が果たしてできるのかどうか、それとも詳しい調書をつくった上で、争いがない事件については、改めて簡単な調書をつくるということになるのかどうか、そして、そういうやり方が果たして現実的なのかどうかですね。あるいは、全く争いのない点については、ほとんど冒頭陳述のとおりだと思いますので、そういう点については、こういう証拠があり、その内容は大要こういうものであるという合意書面をつくって出すということも、現在は合意書面というのは余り利用されていませんけれども、そういうこともあり得るのかなと思うのですけれども、その辺はいかがですか。

○ それはあると思います。だから、そこの内容に入ると、準備手続、どういう準備をしていくのかということになるわけです。仮に準備手続の段階で争点が明示されて、争いがない部分があるとするならば、その部分については合意書面を作成して、原証拠自体は申請しないとすると、合意書面だけを見ればいいから、一般の国民の方はいろいろな証拠を見るよりも、合意書面でこれは前提としていいんですよという形で進められるかもしれない。
 またほかにもいい方法があるかもしれない。ただ、それはちょっとやってみないとなかなかわからない場面で、むしろ法曹三者に求められているのは、現在の段階からいろいろそれに向けて試行錯誤をやっていくという取り組みなんだろうと思うんです。だから、準備期間がどれだけあるのかわかりませんけれども、まず裁判員制度が動く前からそういういろいろなことをやっていかないといけない。実際に本番に入ってしまうと、現実に裁判員の方が来るわけですから、そこからやり始めたら間に合わないという感じがしています。

○ 書証については、さっき○○委員が言われたことと同じような意見を持っているんですが、基本的にこの裁判員に対して部屋に戻って記録を読めというようなことは考えない方がいい、法廷でできるだけ心証をとるということを基本にしなければいけないし、そこの限りで心証がとれるような工夫というのは一番必要なことだと思います。これはどうしてもまず一つ言っておかなければいけないことだと思います。
 もう一つは、合意書面というのは、これは極めて利用されない。もし利用するんだとすると、例えば制度の在り方を変えて、準備手続の中でこの合意書面の作成なんていうものを考えてみたらどうだろうかという気がしています。

○ さっきの調書の問題ですけれども、日本の調書は極めて長い。なぜ長くなるかというと、否認に備えて調書の記載自体から任意性も立証しよう、信用性も立証しようということですから、本来必要な構成要件該当事実以外に、今、言った信用性に関する事実、任意性に関する事実、全部調書に盛り込んでおくから、こんなに厚い調書になるわけです。
 逆に、被告人が事実を認めたので、要旨の告知をしましょうということになると、従来の検事のやり方は、それを最初から全体をまとめて要旨として告知するわけです。そうすると、ほとんどこれは聞いている方も大変だし意味がない。ですから、そういう意味では、結論的には、○○委員がおっしゃっているように、準備段階で合意書面をつくるなり、何らかの形で工夫をしないと、今までのような調書がそのまま法廷に出てきて、さあそれで要旨の告知をする。あるいは、部分的に読んで、さあここで心証をとれと言っても、なかなかそれは難しいです。だから、今の調書はプロの裁判官が読む、プロの裁判官に任意性あり、信用性ありという判断をさせようということで取っている調書ですから、裁判員裁判になったら調書の機能というものをもう一回見直して、本来裁判員裁判における調書はどうあるべきかということは考え直さないといけない。
 ○○委員は、なるべく早く試行しろと言われるわけだけれども、そういう調書の在り方だったら今からでも検察部内で検討できるわけだから、是非検討していただきたいと思います。

□ また御質問なのですが、争われる事件、争われる事実についても、調書というのは重要な意味を持つことが少なくありませんね。そういう場合については、どうお考えなのですか。

○ 例えば、その調書の中で、いわゆる部分不同意というのがあります。例えば、同意できる部分があったら、そこだけ合意書面にしてしまうということだって十分あり得ると思います。ところが、これは全部不同意ですよと、とても同意できる部分はありませんということになれば、そこは従来どおりの扱いで、あと刑事訴訟法321条1項2号書面がどうのこうのという難しい問題がありますけれども、公判のやり方としては従来どおりということになるんではないかというふうに思います。

□ 分かりました。ほかにいかがですか。どうぞ。

○ 法廷で心証がとれるように、普通の国民が参加してできるように、本当に工夫していただきたいということなんです。一言で言えばそういうことなんですが、○○委員が先ほど言われた、例えば、検察の冒頭陳述に続いて弁護側も直ちにやると、こういうようなやり方を徹底していけば、そこに出ている普通の国民も要点が分かりいいと思うんです。よく理解できると思います。
 だけど、もう一つ思うのは、やはりその場で書面を出されると、恐らく普通の人はとてもそしゃくすることはできないと思うんです。だから、こういうことが可能なのか分からないんですけれども、いつも思っていることは、法廷で検察側が朗読する冒頭陳述要旨なるものも、実は非常に長いですね。これが要旨なのかなと思うぐらい長いですね。だから、要旨の要旨、骨子みたいなものの書面の作成を事前に義務づけて、初公判の当日に裁判員のところにはとにかく配る。検察側の主張の要点はこれであると、それから弁護側の方は、それに対する反論も、事前の争点整理がきちっとできていれば、当然できるわけでしょうから、そういうものも簡潔なもの、箇条書きしたものでいいだろうと思うんですけれども、例えばそういうものをつくって同時に出すというふうにやると、裁判員としては非常にクリアーによく分かります。そういうちょっとした努力をしてもらえないかと思うんです。
 余談になってしまうかもしれないんですけれども、私がある裁判官に話を聞いたときに、非常に感銘を覚えたことがありまして、それは、事実関係と当事者の主張の要点を整理したものを自分でメモをつくるということです。だけど、メモは1枚でなければいけない、B4、1枚以内でなければいけない、そのB4、1枚以内に当事者の主張と事実関係をまとめ切れたときは判決ができますと。そういう作業を事前に当事者がしていただいて、それを出してくだされば、審理に裁判員としても役立つと思います。

○ 先ほど○○委員が提起された問題にも関わるわけですけれども、私もおっしゃることは一々もっともだというふうに思うわけで、問題は今、○○委員が言われたような書面1枚というのを、法的にどう位置付けるのかという問題だと思うんです。ですから、現実には運用上も現行法で、さっき○○委員がおっしゃったように、やろうと思えばできないことではないだろうというふうに思うわけですけれども、現実にそうなってないわけですから、裁判員が入ったときにどうそれを現実化するかということの一定の法的処置は必要なんだと思います。ただ、どこにどう拘束力を与えるべきなのかというのは、なかなか難しいのかもしれないという気もするんです。そこのところを考える必要があるだろうと思います。是非○○委員、勢いで御提案いただけると大変ありがたいと思うんですが、それは。

□ 法的処置というのは、法令上何か規定を設けるということですか。

○ はい。ですから、今、○○委員がおっしゃったように、1枚の紙を出すとしても、それは単に事実上出すということで済むのか、あるいはそれに何らかの法的意味を与えるのか、さっき言ったようにどこに拘束力を与えるのかという問題が出てくるのかもしれませんし。

□ ちょっと違うのではないでしょうか、冒頭陳述書とか冒頭陳述の内容を工夫することになるのではないかと思うのですけれども。

○ それがさっきの○○委員の御発言との関係では、それが審理というもののありようについてどういう影響を及ぼすか、最終的にそれとの関係で公判運営のところで、どういう意味を持ってくるようにすべきなのかというようなことは、全く関係ないわけではないと思いますので。

□ それはちょっと別の問題ですね。冒頭陳述ないしプレゼンテーションの仕方を、どう分かりやすくするかという問題と、さっき○○委員が言われたように、どうであれ出したものに一定の手続上の意味を与え、そこから外れる場合にはちゃんと明示して、もう一度争ってもらうということとは、ちょっと違う問題ですね。

○ もちろん簡略化という問題だという側面があるだろうと思いますが、私の意見は先ほどの○○委員のものについて、明確に法的処置を。

□ 両方連動させるべきだということでしょうか。

○ はい、そういうことです。
 先ほど、○○委員もほかの委員の方もおっしゃいましたけれども、やはり裁判員が裁判に関わるということである以上は分かりやすいということが必要ですし、後で調書を読んで何とかするということでないような心証のとり方ということが要求されることは間違いないと思うわけで、そういう意味でも分かりやすいということになると思います。
 先ほどの清原委員のペーパーで、要旨の告知というようなことを前提にされていると思いますが、その点ではやはり要旨の告知ということはやめにするしか手がないんだろうというふうに思うわけです。これ自体、現行法でも当初は便宜的な方法として採用されたものであったわけでありますし、やはり法廷でも調書を使うとしても、これはもちろん使わざるを得ないだろうと私も思いますが、しかしその場合であったとしても要旨の告知ということで終わらせるということではない、全文朗読ということが求められてくるんだと思います。それから、当然のことながら不同意ということになれば、原則に戻った対応措置ということを考える必要があるということになってくるんだと思います。ただ、もちろん争いになることについては、合意書面ということで処理するということも方法として考えられてしかるべきだと思っています。

○ この問題は、要するに意見書が言っているように、法律家でない裁判員が法廷での証拠調べを通じて十分に心証を形成することができるようにするということに尽きると思うんです。そのために、意見書では口頭主義、直接主義の実質化を図ることも必要だというふうに言っているわけですけれども、このように証拠調べの在り方を言っているということは、今までのように精密な調書を読み比べて心証をとっていくという方法ではなくて、新しい方法を考える必要がある、私にはそう提言しているように思えるわけです。
 そうなると、やはり詳細な調書を今までと同じようにつくって使っていくということについて、一度この口頭主義なり直接主義の原則に立ち戻って、あるいはもちろん日本の今の法律との関係も含めて、きちんと考えてみる必要があるのではないかというふうに思います。これはもちろん裁判官だけの裁判もあるわけで、そちらの影響も考えてというふうに書いてあるわけですけれども、その裁判官の裁判も含めて、細かな調書を読み比べてというのは、松尾先生の最近の論文(松尾浩也「刑事訴訟の課題」、刑事訴訟法の争点[第3版]有斐閣(2002年))によれば、世界に余り類がない裁判制度であって、どこかおかしくないかと、ガラパゴス島的な状態になっていないだろうかというような御指摘のものを読んだことがありますけれども、国民に、今の証拠調べに、どう対応していってもらうかという発想ではなくて、国民が入って法廷で生の証拠から心証をとってもらうという、言わば日本のもともとの刑事裁判の原則に立ち戻ろうという、一つのいいチャンスだと思うんです。その意味で、書面の在り方についても一度立ち戻った検討が必要ではないかと思います。
 要するに、裁判員の人たちが、一言で言えば原則法廷で目で見て、耳で聴いてわかる裁判、心証がとれる裁判にするにはどうしたらいいかということをみんなで知恵を出し合って議論すべきではないかというふうに思います。

□ 御趣旨は一般的に見直すべきだということですか、それとも裁判員との関係に限ってそうすべきだということでしょうか。

○ 私は一般的にできればその方がいいと思います。

□ もしそういう御主張だとしますと、一般的な公判の充実・迅速化という問題の一環として議論すべきではないかと思います。それと、松尾先生の論文を援用されましたが、松尾先生も、重要な事実についての認定はあくまで揺がせにしてはいけないということは前提にされているのですよ。そのために、調書等が一定の機能を果たしていることは間違いない。しかも、調書だけで心証をとっているわけではなくて、争いのある事実については、公判廷でまず証人尋問をして、しかし、それだけでは十分わからないとか、あるいはその証言が以前の供述と食い違っているという場合に、前の供述を内容とする調書も照し合わせて検討するというのが今のやり方だと思うのですが、そういうことに意味がないかというと、そういうふうに言っておられるわけではないと思うのです。
 もう一つは、証拠として採用することができるかどうかという問題と、採用したものにつき取り調べの仕方をどうするのが合理的かということとは違う問題だと思います。その点で、例えばイギリスでの調査などでも、陪審員の場合も、例外的には書面が出てくる場合があって、かなり詳しいものが出てくることもあるけれど、それを公判廷で朗読されるだけでは十分理解できない。それよりは実際に自ら読んだ方がはるかに理解しやすいのではないかというようなことも指摘されているわけで、そういうことも含めて、本当に国民が参加した場合に、実質的に心証をとり、裁判官と一緒に裁判の形成に関与していけるようにするには、どういう在り方がよいのか、そういった角度から議論していく必要があるのではないかというふうに思います。

○ おっしゃるとおりで、私は、何も書面が一切使われないことが正しい裁判だと言っているわけではなくて、ただ、今の裁判は、争いのある事件も、争いのない事件も、もちろん証人は来るわけですけれども、結局は書面を比較して検討するという作業があるわけです。さっき○○委員がおっしゃったように、裁判員に待合室なり控室に持って帰って読んでもらう、あるいは、家に持って帰って読んでもらうということは恐らくできないわけで、その意味でさっき私が申し上げたのは、書面を一切使えないようにすべきだと言っているのではなくて、どうしたら法廷で、目で見て、耳で聴いて、心証をとることが原則として行われるようになるかということを議論すべきでしょうということだけです。

□ 分かりました。ちょっと立場をわきまえず、言い過ぎたかもしれません。申し訳ございませんでした。
 どうぞ。

○ 書証の取調べの仕方、在り方というのはどうなるかというのは、争いのない事件であるのか、争いのある事件であるのかということも考えないといけないし、書証自体が極めて重要な書証であるか、そうでないのかということも考えていくべきだろうと思います。
 およそ、そういうものについては、一切要旨の告知はまかりならずに、全部朗読だということにすると、法廷の負担が非常に大きくなるわけですから、例えば、さほど重要ではない、しかも、争いがない書証については、私は、要旨の告知で負担を軽減させた方がいいと思いますし、法廷で読んでその場で分かる書証については、その場でやってもらった方がいいわけですが、先ほどおっしゃったように、ものによっては後でもう一度読み直すという作業が必要なのかもしれない。日本の場合は識字率が非常に高いですから、法廷で延々と読まれているのをただひたすら聞いているのがいいのか、早くぱっと流し読みをした方がいいのか、それはケース・バイ・ケースだと思うのです。その意味で非常に重要なのは、プロの裁判官の役割ではないかと思うのです。この意見書の精神というのはまさに協働なんです。プロの裁判官が一般国民の素人の裁判員の足らないところを補って、また一般の国民の健全な常識というものをプロの裁判官が吸収して、お互い協働してやりましょうという世界ですから、これは裁判官が果たすべき役割というか、そこら辺りのめりはりを付ける面において大切なところだろうと思います。

○ 今の基本的な線でそうはおっしゃってないと思うんですが、○○委員のおっしゃったことで、争いのないときには、もちろん処理の仕方はいろいろとあり得ると思うんです。ですから、先ほどあったように合意書面化するというようなことがあってもいいと思います。つまり心証をとるのに支障のない範囲で合意書面化するということはあり得ると思うんですが、争いがある場合は裁判員の方たちにとってみれば、どこがどう省略されたのかという問題が非常に引っ掛かる部分が出てくるだろうと思うんです。
 そうすると、全文朗読ということにせざるを得ないと思いますし、であればこそ逆に言えば調書のつくり方の問題に関わってくるだろうというふうに思うんです。ですから、そこのところはもちろん争いのある場合とない場合を区別するべきだというのは御主張のとおりだと思いますが、いずれにせよ要旨の告知で済ませるということは非常にしにくいのではないかと思います。

□ その点も含めて、更に議論し、工夫の余地があるかどうかを検討していきたいと思います。どうぞ。

○ 今の要旨の告知については、朗読すべきものは朗読すればいい、そして要旨で足りるようなものは合意書面にすればいい、それはそういうふうになればそれでいいのかもしれませんけれども、必ずしもそうは行かないんではないかという気がします。今の証拠の在り方からすると、かなり争いのある事実の関係の証拠でも、その争点にどれだけ結び付くものかという程度の差はあるわけです。争われたらそこに対する反論もしてある、そういうところをつぶしてあるような証拠というのもあるわけです。そういうようなものについては、一次的にはその点が争われなければ、公判廷では争いのあるところについてどうだったかと告げればいいけれども、しかし後でもう一度確認しなければいけないという場合もあり得るわけで、その要旨の告知だけで全部が足りるかというと、そういうことにはならないんではないかという気がしますね。そこはもちろん工夫の余地はあると思いますが。

○ いずれにしても後で判決書を書かなければいけないわけです。そのときに、どうしても裁判員も必要に応じて、最小限度ではあるけれども、記録の読み直しをする必要が出てくるんではないかと思いますけれども、どうですかね。

□ その点でも、公判廷で証拠調べをした上で、それを確認し評価するという作業は、また別ではないかと思いますね。

○ その点は、ものすごく記憶力がよくて、1回聞けば絶対忘れないという人というのはほとんどいないと思うのです。

○ 私が心配しているのは、裁判員が目の前で何かやっているけれども、よく分からんなと、でも裁判官はよく分かっているらしいと、後で裁判官から解説を聞いて、それから自分の意見を決めようかというような形になってしまう公判だけは避けなければいけないということですね。

□ 分からない場合は、分からないということを意思表示してもらって、分かるような形で証拠調べしてもらうということが大事なんではないかと思います。
 これで最後に、どうぞ。

○ 一言だけ、○○委員が判決書のことを言われたんですけれども、判決書のつくり方について一言だけなんですが、これはプロの裁判官だけでつくる判決書も、裁判員制度を導入して、裁判員がいる法廷でつくられてくる判決書と整合性の取れたものというと変ですけれども、そういうようなもので全体がなければいけないんだろうと思うんです。ですから、裁判員が入る法廷でもっていろいろ工夫されたものというのは、裁判官だけで構成された法廷でも配慮して、むしろ裁判員が加わった法廷でつくられた判決書と同じような判決書がプロの裁判官の中でもつくられるというようなふうに考えていただきたい。つまりプロの裁判官だけでつくっている判決書の方に、裁判官制度でつくられる判決書を引き寄せるんではなくて、逆に裁判官だけではなくて国民が加わった法廷でできる判決書の方にプロの裁判官が近づいていただきたい。そういうことを要請したいと思います。

□ おっしゃっていることは、判決の分かりやすさ、あるいは外に対する説明という意味ではそのとおりだと思います。しかし、判決の中身について、意見書は、上訴との関係なども考えて、実質的なものでなければならない、多少違うところも出てくるかもしれないけれども、実質的には、現在の判決書と基本的に同程度のレベルの判決書ができるようにすべきだということを言っているのです。前にそれは技術論だとおっしゃった方もおられましたけれども、審議会では、その点は相当に重視された点なのです。

○ ○○委員もそういう実質的なものというのを、当然の前提にしてお話になっていると思うんですけれども、少なくとも意見書を見る限り、また審議会の議論で、今の判決と同じぐらいという議論ではなかったんではないですか。実質的な議論は。

□ 裁判員の加わった判決についても上訴、控訴を認めるということを前提に、特に重要な事実や争われている事実については、実質的に認定をする、その実質的な理由を示すということが重視されているのです。議事録を読んでいただければお分かりだと思いますが、そういう意味で、現在の判決書と質的に違わないものにすべきだというのが、意見書の趣旨であるのです。

○ それは、審査可能性の問題ですね。つまり上訴に行った段階で原判決の内容というものが確認できるかどうかという問題ですね。

□ それ以前に、裁判所がどういう証拠構造や心証の在り方を基に有罪または無罪の事実を裁判所が認定しているのかを当事者が理解できるということが、上訴するか否かの判断をし、その理由を構成する上で極めて重要になるということがあると思いますね。

○ それは、もちろんもう一度議論する機会ありますね。

□ 私が申し上げたかったのは、審議会では、そういう点も非常に重要だという指摘があり、それが意見書に反映しているということです。

○ ですから、その工夫のありようについての議論というのは、まだ機会はありますね。

□ もちろんそうです。

○ この論点はこれでおしまいですか。

□ いえ、そういうわけではありません。

○ また次があるのでしたら、今度にします。

□ 最初に申し上げたように、この5の「公判手続の在り方」というのは非常に重要な論点ですので、更に次回に継続して議論をいたしたいと思います。また、一番主要な準備手続や連日的開廷等の論点を先送りしてしまいましたので、何だと思われたかもしれませんが、これは一般的な刑事裁判の公判の充実・迅速化というところで、裁判員が入ってくる場合も念頭に置きながら、議論していただきたいと思います。
 30分と言いましたのに50分も延長してしまいまして、申し訳ありません。本日は、このくらいにさせていただきたいと思います。
 次回は、今申し上げましたように、「5 公判手続の在り方」についての議論を続けると同時に、残された「6 上訴の在り方」と「7 憲法との関係」についてひとわたり御議論いただき、次回で大体この裁判員制度についての1ラウンド目の議論を終えたいと思いますので、是非御協力いただければと存じます。

○ 先ほど報道の在り方みたいなものが事務局の方から一言出たもので、これは論点で取り上げますか。私も、もしそれがちゃんとした論点で出てくるならば、それ相応の準備をしなければいけないと思っているんですけれども。

○ 予断排除との関係が出てくると思いますね。それと、裁判員の保護策みたいなものとも関係してくるんですけれども、裁判員に対する直接取材がどんどん来て、かなりタイトなものが来た場合にそれをどうするかという問題が、この報道の自由との関係で非常に大きな問題として出てくると思いますので、是非御高見を。

□ 予断の問題というのは、審理の公正さの確保の問題ですけれども、それとともに、裁判員の保護ということにも関係すると思いますね。重要な論点ですので、何か意見を開陳していただければありがたいと思いますが。

○ 今日ちょっと出たものですから、あれと思いまして。

□ これは非常に重要な論点であることは間違いありません。その意味で、取り上げないということではなく、重要な論点ですので御意見があれば是非お伺いしたいと思います。
 このくらいにしたいと思います。どうもありがとうございました。

(以上)