(□:座長、○:委員、●:事務局)
【開会】
□ それでは、予定した時刻が参りましたので、第9回仲裁検討会を開会いたします。
本日は、御多忙のところ御出席いただきましてありがとうございます。
今日は、○○委員が所用により御欠席とのことです。また、○○委員が1時間程度遅れるという御連絡をいただいておりますが、それ以外の方は、皆さん御出席でいらっしゃいます。
本日の検討会は、前回お知らせしましたとおり、意見募集の結果を踏まえて、意見の分かれた事項等について、今日から第三読会ということになると思います。3度目の検討をするということになります。
まず、本日の資料について事務局から説明をしていただきたいと思います。
● 本日御議論いただく内容を記載した検討会資料は30、31でございます。これらは事前に配布させていただいておりますので、御確認ください。また、事務局作成の参考資料11「消費者を一方当事者とする仲裁契約の効力・方式の比較表」、意見募集の結果を集計したものである参考資料12「『仲裁法制に関する中間とりまとめ』に対する各界意見の概要」及び参考資料13「内閣府国民生活局からの意見」を席上に配布させていただいております。その他「司法総行動実行委員会」「国民のための司法改革東京センター」「司法改革大阪各界懇談会」から寄せられた仲裁法制に関する要請書等を、委員の方のみに配布いたしました。また、検討会の議事録の顕名の関係で情報公開クリアリングハウス等からの意見書をいただきましたので、これも委員の方々に配布しております。
なお、意見募集の集計結果については、設定した質問事項の数も多く、結果のとりまとめについても大変ボリュームのあるものなので、今回と次回の検討会で取り上げる設問について、検討する都度該当部分を紹介することとして、すべての設問についての紹介は省略させていだたきたいと思います。
□ ありがとうございました。資料は、そういうことでございます。
それでは検討に入りたいと思いますが、先ほど申しましたように、今日から第三読会ということになります。今日と次回の2回で第三読会を進めるわけでございますが、進め方につきまして、まず、事務局の方から御説明いただけますでしょうか。
● まず、初めにお断りしておきたいと思うのですが、皆様方に追加の期日指定の御連絡をさせていただいております。
これは意見結果により、消費者に関する特則のほか、労働紛争の特則を設けるか否かの問題になっているところでありまして、この関係の議論を尽くす必要があると考えられております。そのため、議論の進め方として、ヒアリングを行うことも含めて、現在事務局の方で検討しております。追加期日については、確定次第御連絡させていただきます。
元に戻りまして、三読の関係では、意見募集の結果意見が分かれたところや、A案、B案という形で幾つか選択肢を挙げたところを中心に、集中的に議論を尽くしていただきたいと考えております。したがって、従前の検討会の議論及び意見募集の結果において大方の賛同が得られたもの等、実質的内容について特段問題がないと思われるものについては取り上げない予定です。
今回は、仲裁法制全般についての前半部分、モデル法で言うと第5までの部分と、消費者関係について御議論をお願いいたします。なお、仲裁法制全般について今回取り上げる事項は、検討会資料30の目次にあるとおりです。
□ 今、第三読会のやり方につきまして、御説明いただきましたけれども、そういうような形で進めさせていただいてよろしゅうございますでしょうか。
それでは、そういうことにさせていただきたいと思います。
早速検討内容に入らせていただいてよろしゅうございますか。
それでは、検討会資料30の検討事項案その17の、総則的事項からよろしくお願いいたします。
【Ⅰ 総則的事項について 〜1 書面による通知の在り方について〜】
● 書面による通知の方法に関しては、中間とりまとめでは、当事者が合意により書面による通知の方法並びにその効力が生ずる時期について定めることができること及び合意がない場合に、通知の相手方の通知先等が不明である場合の措置について、モデル法第3条にならった案を掲げました。これに対する意見募集の結果は、参考資料12の13ページ以下にあるとおりで、中間とりまとめの案に賛同する意見が多数でした。
そこで枠内では、1から3において、モデル法3条とほぼ同様の内容の規律を設けることとしております。この点については、おおむね異論のないものと考えておりますが、御確認いただきたいと思います。
また、枠内4は、裁判所の共助として送達手続を利用することができるとすることを提案するものです。その必要性等も勘案しつつ、要件及び利用し得る送達方法について御検討願いたいと思います。
□ それでは、最初が書面による通知ということでございますが、通知を受けるべき者が通知すべき書類を受領した時にその効力を生ずるということから始まりまして、今までの議論がまとめて書かれておりますが、今、御説明にありましたように、1から3までのところはほとんど従来の議論を集約したものではないかというふうに思っております。
枠内の4のところは、裁判所の手続を利用することができるということを定めてはどうかという提案でございますが、御意見があったら伺いたいと思います。
○ まずは質問なのですけれども、中間とりまとめに注で掲げられておりました、通知の相手方が不在であった場合、又はその受領を拒絶した場合の取扱いというのは、今の案文ですと、このどこかで対応が取られていると読むべきなのでしょうか、それとも何も規定していないと読むべきなのでしょうか。
● 不在の場合等であっても、この場合であれば、例えば2の(2)の方法によった場合に、普通郵便によって送られた場合には、これは送ることができないわけではない。これはモデル法3条自体の規定だと思いますけれども。
それから、常居所不明の場合についても、3の方法によって送ることができないわけではないというふうに解されるのではないかと思っております。
ただ、中間とりまとめの関係で、受領拒絶等についてどのようなことをやるかというのは、4との関係で更に何らかの手当てが必要かどうかということを念頭に置いて、中間とりまとめは記載したものです。
先ほど言いましたように、特に4の場合に、裁判所に何らかの共助的な送達の申立てを認めるべきかどうかということが問題となりまして、問題点としては、現行の仲裁法では、仲裁廷ができない場合に援助するという形になっているんですが、先ほど言いましたように、モデル法3条というのは、基本的には穴のない形になって、証明方法がどうかということは別として、一応、送達が全くできないという場面があり得るのかどうかというと、そういう場面があり得るということでもないのではないかと思っております。
その点について少し御議論いただければというふうに思っております。
○ この2項の解釈として普通郵便というお話がありましたが、実際には重要な書類と言いますか、当事者に送る書類は配達証明付き書留郵便で送るのが実態でございますので、そうすると、不在ですとか、受領拒否の場合には返ってきてしまうという問題がございました。
返ってきたものを、それではということで普通郵便で出してポストに入れて配達してもらって、それで終わりということでいいのかという問題もございますし、今、おっしゃった証明の問題で、確かに配達したという証明が残らないという問題もございますので、その場合には、やはり裁判所に送達をやっていただくということが必要ではないかというふうに思います。
そういう意味では、私の理解としては、中間とりまとめで注書きされていた部分はこの4項で対応されることになったのかなと。それで必要であれば裁判所にお願いして差置送達をしてもらうということもできますので、よろしいのではないかというふうに思います。
○ 今の御意見と事務局の御説明が同じことを意味しているのか、もう一度確認させていただきたいのですが、先ほどの御説明だと、不在の場合には普通郵便しかできないし、所在不明の場合には3の規定が生きてくるけれども、受領拒絶あるいは留置期間経過の場合については、今の書きぶりだと手当てがなくて、それらはいずれも裁判所の援助のところで賄うことが想定されている案文であるというふうに理解してよろしいのでしょうか。
● 4のところでどういう場合かというのが書いてございませんので、それが裁判所の共助によって送達ができるという案文になっているというわけではないと思います。まだ、検討過程でございます。
○ 逆に申し上げますと、不在の場合で、普通郵便以外できちんと証拠を残したい場合、それから受領拒絶の場合については、4によらない限りこの案文では通知ができないという理解でよろしいでしょうか。
● この案文の中で、2の(2)の場合に、郵便による配達ということを書いていまして、必ずしも配達証明郵便ということには限定をされておりませんので、この中では普通郵便は除外されておりません。
そうすると、現実問題として普通、仲裁をやる場合に、配達証明郵便で送るというのが通常であると思うのですけれども、配達証明郵便による方法をとって、受領拒絶だったというふうに、この規定を適用して受領拒絶の場合があったというふうに言えるかというのが、事務局としては少し問題があるのではないかと思っています。
○ 普通郵便というのは、受領を拒絶できないという理解ですか。
● ポストに入りますので、ポストに入った場合にそこで受領になるのではないかというふうに考えて。
○ ポストに入ればそうですが、私は一切受領しませんということを、例えば郵便局に対して言っておくとか、そういうことはあり得ないのですか。
● それはあり得るのでしょうね。
○ その場合ポストには入れられないような気がするのですが。
● その場合は、受領拒絶となるのでしょうね。
○ 補足的なことになりますが、今出ました受領拒絶というのは、実務では少なからずございます。結局、送達ができないということがございますので、したがって1から3で手当てができない場合に4の方法が利用できるのかなというふうに私は感じました。
具体的に4でどういったものができるのかということで、公示送達というのが1つ思い浮かんだのですが、1から3でできないことであって4でできる方法というのは、具体的にどういったものがあるのでしょうか。
● 4の、書類の送達と言った場合に、民事訴訟上の送達ということになると思いますので、民事訴訟法の規定に従った送達を実施していくということになると思います。
○ 受領拒絶をした場合は、民事訴訟法ではどういう送達になるのですか。
● 差置送達とか、執行官送達とか、そういう形があると思います。
○ そうすると、受領拒絶については4で対応ができると。公示送達ということも選択肢としてはあるわけですか。
● その辺のところについて少しお伺いしたかったのですが、4として、どの辺の範囲のものを実務上の必要として考え得るのか、そういうものがないと困るのはどの辺の範囲なのかという必要性を少しお伺いして、その上で制度設計を考えていきたいと思います。
○ 仲裁機関としては、今、申しましたように、受領拒絶というのが、私の経験からしますと一番多いと思います。
○○委員がおっしゃられましたように、郵便局に一切仲裁機関からの郵便物は受け取らないという意思表示をして、受け取らない、それで配達もされないというようなことはありました。
● 現在は、そういう場合の送達はどうされているのですか。
○ だから送達不能と。
● 送達不能ですか、手続は。裁判所に対する援助の申立ては。
○ 国際事件ですので、国際司法共助が取れないということでございますので、したがって協定機関などの協力、援助を求めるとか、そういった手を尽くしていますけれども、そういうのはなかなか難しいという現状がございます。
これは、国際的なものなので、ここは手当てのしようがないということだと思います。国内のことで考えざるを得ないということで、今、受領拒絶という問題は、国内でも同じように起こり得るだろうということで御質問した次第でございます。
□ 建設工事紛争審査会ではどうですか、受領拒絶がありますか。
○ 実際には、ある種、手をかえ品をかえと言いますか、いろいろ実際に、拒絶されているのか不在なのかよくわからないのですが、返ってくる場合がございます。そういう場合には再度送るとか、送り先を変えて試してみるとか、そういうことで実際には対応しております。裁判所にお願いまではしていません。
○ 受領拒絶というのは、余りありませんが、若干ありました。その場合には、結局は電話や何かで仲裁手続の説明をして、ここで拒絶しても、結局はあなた負けたらしょうがないでしょうというようなことで、説得して、事実上やっているというものがあります。
ただ、今のような裁判所の執行官送達のようなものがあれば、やはりそれは証拠として有効であろうと思います。
□ もし必要があるとすれば、受領拒絶に対する差置送達とか、公示送達とかそういう手段ですね。公示送達はどうですかね。
○ 岡山でたしかやっているという報告を受けたことがあるのですが、実務的には今言ったとおり、例えば仲裁判断書なんか、そういうような大事なものが、まさか普通郵便ということはあり得ませんので、その場合は、やはり受領拒絶であるとか、あるいは不在でいつまで経っても郵便局に取りに行ってくれないとか、そういうものはどうしても手当てする必要があるのかもしれませんね。
○ 公示送達の件なのですが、ニューヨーク条約とかあるいはモデル法では、執行拒絶事由あるいは取消事由として、適当な通知を相手方が受けていないその他の事情で防禦することができなかったという事由がありまして、公示送達を使ってしまうと、そこに引っかかってくるおそれがあるのではないかと。そういうのが若干懸念としてあります。
○ 今の実務家のお話を伺っておりますと、受領拒絶の場合には、現在の1から3の案文では対応できなくて、4の裁判所の援助の方法によるということが想定されそうに思われるのですが、私は素朴な疑問といたしまして、3のところで送達先不明の場合のみなし規定というのを置いておりますのに、事柄としてもう一歩手前の問題という感じのある受領拒絶の場合のみなし規定というのを何も置いていないので、そういう必要性が生まれてくるというような気もいたしまして、3のような規定を設けるのであれば、受領拒絶の場合についても、何らかのみなし規定を置かなくていいのかなと。そのような場合に毎回裁判所に援助を申し立てなければいけないということでは、仲裁手続の中で完結して行える場合というのが、その分減ってしまって、手続的に不便ではないのかという疑問を少し覚えたところです。
それから、今、必要性として御指摘のあった点は、いずれも受領拒絶の場合のようなのですが、案文ですと、別段の合意がある場合というのは、恐らく制限的な場合だと思うのですけれども、制限を当事者で合意しない限りは、何の要件上の縛りもなく裁判所による援助の一環として送達を行うことを求める申立てをすることができるかのような案文になっておりまして、証拠調べの援助のところでは、本日いただいた案文を拝見しますと、仲裁廷がすることができないということが要件として置かれていることとのバランスで、何か少し書きぶりとして裸過ぎないのかなという点が気になるところです。
□ ほかに御意見ございますか。
● ちょっと確認をさせていただきたいのですが、モデル法の3条、今日の資料の中でいくと2の(2)に当たる部分なのですけれども、これは配達証明郵便とか書留郵便という限定がなく、普通郵便も含まれるという解釈が取られているということはよろしいですね。
○ 私は、そういうふうに理解しておりますけれども。
● それを前提にすると、4の共助の関係で、受領拒絶の場合ということを前提にして書くことが、法制的な観点からスムーズに出てくるのかということが若干問題になってくるのではないかと思って、そこのところについてどういう表現ぶりにしたらいいのかということを、まだ事務局としては検討しかねているというところです。
郵便の送達の仕方について、配達証明郵便でなければいけないということを前提にして書くと、受領拒絶の場合というのは非常にうまくスムーズに流れていくと思うのですが、普通郵便でも足りるというような条文になっている関係上、受領拒絶の場合ということの書き方が、若干難しいのではないかというふうに思っております。
何かこの点について、どなたからでもいいですが、アイディア的なものがございましたら、お示ししていただければと思います。
□ どなたかありますか。
それでは時間の関係もありますので、要するに今日の問題は、裁判所の援助を求めないで、自足的に仲裁手続だけで、モデル法のようにやるのか、それとも裁判所の援助の一環として、裁判所に送達をお願いするのかどうかというところでは、裁判所に送達の援助を求めた方がいいという意見が多かったと思います。
そうすると、今度はそれをどういう要件でするのかという○○委員のおっしゃったような問題が出てきますし、それにつなげていくときに、どういう場合に仲裁手続の中ではできないから裁判所に行くのかというつなぎ具合が、今、事務局が言われたように、何らかのアイディアを考えられないかということですけれども、それは更に検討させていただくということでよろしゅうございますか。
● 今、○○委員から問題提起されました、公示送達について利用する必要性があるかどうかということなのですが、今日の資料の1の3のところでは、公示送達に該当する場合について、一応送達の手当てができているという形になっていると思うのですが、公示送達については、やはり裁判所の公示送達を使える必要性があるかどうかについて、そこの点だけ少し御確認させていただきたいと思うのですが。
□ それが取消事由になるかどうかは別として、いつも取消申立てがあるとも限らないので、切り離して公示送達はどうかということはどうでしょうか。
○ そんなことはないとは思うのですが、最後の常居所、営業所等がわからない場合ですが、この文言だとどうしようもないということになるのではないかと思います。仲裁契約ですので、もちろん契約時に住所がわかっているのが普通だと思うのですが、それが例えば虚偽の住所地であったというような場合は、全然わからないと。
○ ただ、それでいくと裁判所の公示送達も最後の住所地にしますね、それがわからなければそちらもできないということになると思うのですけれども。
○ 全然わからなければ。
○ 普通は、わかっている限り最初の住所地というのがどこかにあるはずで、特に仲裁の場合は、仲裁契約を結んだ時点というのが一応考えられるわけであって、その後どこに行ったかがわからなければ、最初の契約時の住所地をとりあえず書くということになると思うのですが。
○ 最初に本人が言っていた住所地が虚偽であった場合です。
○ もし事実認定として、最後の住所地に当たるものが一切認定できないということになると、たしか裁判所の公示送達も最後の住所地にするという規定ではなかったでしょうか。
○ 公示送達は、「当事者の住所、居所その他送達をすべき場所が知れない場合」と。
□ 少し細かな問題ですので、このくらいにします。しかし、御指摘いただいてありがとうございました。
○ 確認のために発言するのですが、これからの時代ですから、当然書面による通知に代わって、オンライン上の通知というものが対応されると思うのですが、その場合は、もちろん規定が置けない、どういう状況が生じるかわからないといけないので、そういう場合については、「当事者間に別段の合意がある場合を除き」という文言で、常設仲裁機関においては、仲裁規則において手当てをすればよいという理解でよろしいでしょうか。
この形で条文化されれば、両様の読み方があるかと思いますが、別段の合意がなされた場合に、書面性の中でこの規定が変更できると見るのか、書面そのものを電子通知に代えてというところまで読めるのか、私は後者の方で読めると個人的に考えてはいますけれども、それは解釈問題だという理解でよろしいでしょうか。
● 解釈問題というか、3条で読むのか、19条の手続規則の中で読むのかということになるかと思います。
□ それでは、次に進ませていただきます。次は、紛争の仲裁適格ということですけれども、まず、御説明をお願いいたします。
【II 仲裁契約について 〜1 紛争の仲裁適格について】
● 紛争の仲裁適格については、中間とりまとめでは、仲裁契約は、当事者が和解をすることができる権利又は義務に関する紛争を対象とする場合にその効力を有するとするA案と、仲裁適格に関する一般的規定は設けず、他の法律が個別事項について仲裁適格に関する規定を置くときはその効力を認めるとするB案の2案を示しました。意見募集の結果は、参考資料12の19ページにありますが、拮抗したものでした。
枠内の案は、仲裁が自主的紛争解決手続であることから、当事者が自ら処分することができる事項に関する紛争について仲裁適格を認めることを基本としつつ、他の法律で仲裁適格が認められる紛争の範囲を拡大あるいは制限することを許容するものです。これまでの検討会では意見の分かれていたところですが、検討会での議論も考慮しつつ、枠内のような規律とすることについて御意見をいただければと思います。
□ この案は、A案とB案の折衷的、A案の和解をすることができるということのほかに、別の法律でこれとは違う規定を置くことができるということですから、B案を加味した案ということになっているわけですが、これについて御意見をいただければというふうに思います。
どなたからでも結構です。どうぞ。
○ 言葉として、今の公催法の786条は、「当事者カ係争物ニ付キ和解ヲ為ス権利アル場合ニ限リ」となっているわけですね。そこが今度は、和解をすることができる「事項」に関する紛争というのは、今の現行法よりも広げているという趣旨でこういう書きぶりになっているのかどうか、少しお尋ねしたいと思います。
● 必ずしもそこは、広げているという意識であるわけではございません。この表現ぶり自体は、また更に変更があり得るところだと思っています。
基本的な発想としては、現行の仲裁法を前提にして、それから広狭あり得るという発想でございます。
○ もう一つの質問は、他の法律に別段の定めがある場合を除きと、ほかの法律によって広狭というのが、果たしてB案に近づくのかという点です。例えば、問題になっている人事関係の家事紛争とか、そういう場合には特に民法なり家事審判法なりで手当てがない限りは、現行法の解釈というと、やや窮屈な感じがするように思うのですけれども。今の御説明で、B案に近づいたという趣旨が少し理解できなかったのですけれども。
● B案の立場を採りますと、仲裁適格については、他の法律の規定ですべて書き切っているということが前提になりますので、そうすると、この仲裁法案を出す時に、独禁法だとか、特許だとか、あらゆる法律について、仲裁適格についてどういうことが考えられているのかということを一緒にすべて検討して法案として出さなければいけないということになると思うのですが、それは極めて事実上不可能な問題でして、やはり今まであった仲裁の適格を前提にして、今後広がっていくものがあれば、個別の法律で広げていくというのが現実的ではないかと思っております。
○ 結局結論としては、今の公催仲裁法の規定と余り変わらない、ほぼイコールだという書きぶりになってしまうわけですね。
● ただ、将来的にそれに穴が空く余地がありますということです。
□ ○○委員が心配しておられるのは、当面人事訴訟のことですか。
○ そうですね。とりあえず、一番弁護士会の仲裁で扱っているものが多いのです。もちろん、離婚そのものはやらないにせよ、それに付随することについては実際かなりやっていますし、遺産分割についてもそうですね。
ですから、前からずっと、どちらかと言うとB案に近い方と私は申し上げていたと思いますけれども。
● 離婚について、今、法制審の人事訴訟法分科会で検討されているのですが、そこで前回、この点がまさに問題になって、裁判上の離婚について和解、認諾ができるということになった関係で、それは仲裁までもできるのかどうかというのが議論になりまして、肯定と否定と両方の意見がございました。それについて、よろしければ○○委員から説明していただければと。
○ こういう条文案になった場合は、解釈問題と言うしかないのですけれども、人事訴訟手続法で和解が認められるようになるということが大勢ですが、個人的な意見としては、その場合に仲裁適格がないという解釈は、恐らく取りにくいと私は思っております。
それが、将来対世効を持つ形で実現していくということが、どういう形でできるのかという問題は別途あると思いますが、それは対世効を持たせるための受け皿がなければできないことになりますので、その問題は切り離しておかなければならない。
仲裁適格については、当面人事訴訟のうちの処分性のあるものについては可能であるのだろうと思っております。
少し別の点で質問と意見を言いたいと思いますが、私は以前から和解という概念を使うことについての懸念をずっと表明してきておりまして、それは今でも変わっていないのですが、その点はさておきまして、仮に和解という概念を使う場合に、先ほど○○委員がおっしゃった、現行の公催仲裁法との関係というものは考えておかなければいけないと思います。
この案は確定的な文言ではないと思いますが、○○委員御指摘のとおり、現行の公催仲裁法の「和解」の使い方と、この案とでは少し違っておりまして、現行の公催仲裁法は和解をなす「権利」があると、それがこの案では和解することができる「事項」ということになっている。現行の公催仲裁法のこの文言をどう読むかということ自体、百花繚乱の状態ですけれども、当時の明治時代の立法資料を見る限りは、文字どおり和解をなす権限として議論されていたわけで、つまり事項の限定の意味で議論はされていなかったように思います。和解権限を持たない者が仲裁契約はできないというような文脈で議論されておったようであります。
これをどう理解するかというのは、なかなか意見が分かれるのだろうと思いますが、立法資料を見る限りは、事項についてはほとんど限定を置かないような議論がされていた。そこまではっきりした議論かどうかもよくわからない。
そうしますと、今度の案では、事項の限定のために和解概念が使われているように読めると。もしかしたら、これは現行法よりも狭くなるかもしれない。
この検討会の議論で、仲裁適格をどうするかについては、必ずしも多数意見は形成されていなかったかもしれませんが、私の理解の限りでは、全委員の共通理解として、少なくとも現行法並みの広さをもって仲裁適格をとらえる、もし、可能であれば少なくとも現行よりも広めに取るというところまでコンセンサスがあったように思います。ですから、そこが実現されるように、「和解」という言葉を使うことの是非も含めて、是非御検討いただきたいと思います。
□ ほかに御意見ありますか。
○ 今の「和解」という言葉についてですが、第一読会でも出たかと思いますが、「和解することができる」というのが一般的にわかりにくいということは言われていると思います。2001年試案の説明のところにありますように、例えば、「仲裁契約は、強行法規により仲裁不能である場合を除き効力を有する」といったような、全然別の表現というものは考えられないでしょうか。
□ ほかに御異論があればどうぞ。
○ 補足的な意見でございますが、私は、モデル法を実質的に採用するという方針が変わらないとすれば、モデル法の規定のままでいいのではないかという意見を維持したいと思います。
もう一つは、和解をすることができない事項とは一体どういったものがあるのかということを、今、○○委員がおっしゃいましたが、商事紛争において当事者間の相対的効力しか持ち得ない仲裁判断で、和解をすることができない事項というのはどういったものがあるのかというのは、私自身思い浮かばないというのが感想でございます。
□ 私の理解では、モデル法では、これについて直接の規定はない。ただ、取消しあるいは強制執行のところで、仲裁適格のないものについてなされたものについては取消事由になるというそちらの方の規定から、逆にこういう概念が必要だということです。モデル法は少なくともそうだと思うのですね。
それをどういうふうに規定するかは、国内法にゆだねられていることで、国内法で全然規定がないということになると、これはそれぞれの法律でどういうふうに規定するかも探らなければいけない。これは、やはり非常に不便なことではないか。だから、仲裁法の中に、どういう事項について仲裁ができるとかできないとかという原則的な規定だけは、国内法として置くべきではないかというのが、私の考え方です。
それで、どういう規定がいいかということですけれども、○○委員の言われたのとは私は少し理解が違うのですが、現行法は「係争物ニ付キ和解ヲ為ス権利アル場合」と書いてありますので、やはり係争物というものと、和解をする権限というものは結び付いている。和解をする権限を持っている人間が仲裁契約を結ぶという漠然としたものではなくて、その係争物について具体的に和解をすることができるかどうかということだと思うのです。
この案は、私はそれと同じ意味だと思っているのですが、もしそれよりも狭くなるとすれば、少し表現を工夫しなければいけないのではないかというのが私の理解なのです。
それから、○○委員の、強行法規によって仲裁をなすことが禁止されている場合以外は全部仲裁ができるというのは、消極的な面から規定しているので、少し漠然とし過ぎるのではないかという気がするのです。中核的な概念は、やはり当事者が和解をすると。ここで言っている和解は、もちろん根本にあるのは私法上の和解契約ができるということから始まっていると思うので、解釈でそれを訴訟上の和解まで広げるかどうかという解釈があるのは御存じのとおりですけれども、根本は、当事者が自由処分できるというものが仲裁契約で人にゆだねて処分をしてもらってもよいものだと思うのです。
それは、論理としては一貫性があることだと私自身は思っているのですけれども、いかがでしょうか。
○ 今の座長の御発言は、私法上の和解と読む前提で立法するということでしょうか。
□ いえ、そうではありません。それは解釈にゆだねると。これができた時には、もちろん私法上の和解を念頭に置いて書いてあるわけです。訴訟法上の和解という議論が出てきたのは戦後の仲裁の解釈の中で出てきているので、和解と入れたのは、もちろん民法の693条以下の和解のことで議論していたのですね。
○ 私は、立法書を読んだ限り、必ずしもそうした限定した議論ではなかったように思いますが。
□ つまり、私法上の和解だということは言っていなかったのですけれども、訴訟上の和解を含むという議論が出てきたのが、戦後なのです。
例えば戦前の中田淳一先生の昭和十年代に書かれたものには、そんなことは全然書いていないのですけれども、ただ、立法当時、和解というのは当然私法上の和解という前提で書いたものなのですね。
○ いずれにしましても、和解概念を使って立法する場合に、少なくとも立法者側の意思として、この和解概念がどういう意味の和解概念なのかという一応の心積りというものが必要かと思うのです。
その場合に、繰り返しになりますが、現在では私法上の和解概念という見解もあれば、訴訟上の和解概念という見解も有力にあると、むしろそちらの方が有力かもしれない。更にいずれでもないという見解も有力だろうと思います。つまり第三の概念です。
少なくとも立法する際に、いずれの意味で使うのかということが明らかにできるのかどうか。また、できない場合に、こういう概念を使うことが妥当かどうかというのは疑問があるところでございます。
● 仮に、こういうものを例に挙げていいのかどうかわかりませんが、2001年試案の「法律上当事者間において決定することのできる一定の権利又は法律関係を対象とする場合に」とした場合に、今の「和解」という言葉を使うよりも明確になっているのかというと、必ずしもそうではないのではないかと思うのです。
ただ、今までの公催仲裁法の中で和解という概念を使って、ある程度の解釈がありますので、その解釈を基礎にして規定した方が、むしろ明確性は図れるのではないかというふうに事務局としては考えております。
○ 議論を混乱させるようですけれども、何で当事者が決定できるなり、当事者が例えば仲裁人にこのことはお願いします、私どもは異存はございませんと言って任せることを、なぜ一定の場合に、やはりこれは裁判所が決めなければいけないとか、裁判所は後見的にとか言って、果たしてそういうふうに制限する必要があるのかという感じが、素朴な疑問としてあるのです。
だから、何となく今の議論を聞いていまして、今の御提案のものだと、下手すれば現状よりも狭くなるかもしれないということはもちろん論外ですし、今よりももう少し広げるべきではないかと。もっと仲裁が広がっていくと、今言ったように、弁護士にいろんなものがかかってきますけれども、それはやはり当事者の皆さんが本当に真に納得して、仲裁人にお任せしたいというふうになれば、それはなるべく広く認めてあげるという方向で、なぜいけないのかという気がするのですけれども。
● 当事者が処分し得るものというものが、和解がし得るもので基本的には一致すると思うですけれども。処分し得るものについて仲裁の対象になるんだということが論理性としてはあるのではないかと。自分が処分できないものについて仲裁を付託するということは、基本的にはないのではないかと思っているのですが。
○ だから、それが先ほど来の和解という概念をはめることによって、何かそれが更に狭まるようなことではやはりよくないのではないかと思うのです。あるいは「和解」という言葉を使ったがために狭まるようではよくないのではないかという気がするのです。
□ 「処分」の方がいいですか。私は和解が難しければ処分でもいいと思ったわけで、処分だからはっきりするわけではないと、この前から言われているわけですね。
○ もし、そこで解釈が区々になって、狭い広いとなるのだったら、「処分」の方がまだ個人的には広い感じ、安心できる感じはしますけれども。
□ ドイツ法は、御存じのとおり、財産法上のものはすべて仲裁適格がある、人事上のものについては和解を締結する権限がある場合となっています。財産法上のものについて和解ができないものはないですから、だから併せると結局、和解ができるのならばということでくくれるというのが、私の解釈なのですけれども。
弁護士会で心配しておられるのは、主として人事の方ですね。
○ 人事にしても、おっしゃるとおり財産に絡むものは幾らでもやっているわけですね。相続であり、離婚関係にせよね。
○ 私は、和解というのは座長がおっしゃったように解釈できると思うので、和解の概念をちゃんと解釈をすれば、ちゃんと仲裁適格を持つべき事項で落ちるのはないだろうと思うのですが、懸念をしておりますのは、先ほど来から言っていますように、和解の概念自体が争いになる概念ですので、この言葉を使うことによって、将来これを争いの種にされることが懸念されるので、特に不合理に仲裁適格を争う側にとって不当な手がかりを与えてしまう余地があっては困るということです。
内容的に恐らく委員の間で大きな争いはないだろうと思うのです。ですから、なるべく混乱を招かないような用語を選択してほしいという趣旨です。
□ わかりました。大体内容的には、皆さんがおっしゃることは同じだと思いますので、後は用語をどうするかということで、また御意見を伺わせていただきます。具体的に用語はこれでいいかという段階になったら、また御意見を伺うということでよろしいでしょうか。
それでは、次にいかせていただきまして、次は仲裁契約の書面性ですね。お願いします。
【II 仲裁契約について 〜2 仲裁契約の書面性について〜】
● 仲裁契約の書面性については、参考資料12の25ページ以降に意見募集の結果が掲載されています。中間とりまとめで示した、仲裁契約は書面によってしなければならないとする案及びその範囲をできる限り拡大する方針については、賛成意見が多数でした。一方、仲裁手続において交換された書面において、当事者の一方による仲裁契約が存する旨の主張を他の当事者が争わない場合の規律については、この場合にも書面による仲裁契約が存するとする結論自体については反対が少なかったものの、その要件に関し、単に仲裁契約の存在を否定していないことのみで足りるのか、より積極的に仲裁契約を肯認する態度等を要求すべきという点からの意見が若干ながら寄せられております。
枠内1、2(1)及び(2)は、これらの点について中間とりまとめと同内容の規律を考えるものです。
仲裁条項を含む文章が引用される場合の規律については、中間とりまとめでは、枠内(3)と同内容であるA案と、(注)で記載した内容と同内容のB案の2案を挙げて意見を伺いましたが、結果は29ページにあるとおり、枠内(3)のA案がやや多かったというものでした。この問題については、現在UNCITRALの作業部会でも検討されているところですので、検討会での議論でもUNCITRALの検討状況を見つつ検討すべきであるという意見があったかと思いますが、枠内(3)の中間とりまとめA案を支持する考え方の中には、時期尚早ではないか、書面性概念から逸脱しないか等、慎重な検討を求める声がありました。
今回の資料では、中間とりまとめのB案の考え方については、なお検討するという形で(注)に挙げておりますが、文書を引用する場合の規律について、どのように考えればよいのか、更に御議論をいただければと思います。
□ それでは、仲裁契約の書面性につきまして、どの点からでも結構ですので、御意見を賜われればと思います。
これも仲裁機関の方から伺った方がいいと思いますが、2(1)のこの程度のものを書面としてみなしておけば、当面大丈夫かどうかということなのですが、この点はいかがでしょうか。
○ 当面は大丈夫だと思いまして、私どもの仲裁規則でも、この程度の表現にしておりますけれども、UNCITRALで検討された、(注)のようなものも、将来場合によってはあるかなと思います。
□ では、○○委員、そのUNCITRALの検討状況の(注)について少しお話しください。
○ この間、UNCITRALで作業部会が更に開かれたわけですが、そこでは専ら仲裁廷の発令する暫定的保全措置の関係のみが議論され、前回から書面要件の点については動きはございません。
したがいまして、モデル法の改正案としては、一応この(注)に書かれているような内容のまま残っております。
私としては、従来の議論状況を振り返りますと、この案が大きく動くことはないと考えておりますが、なお総会の決定を得た成案とは言えませんので、若干の浮動的な要素がないわけではないと思います。
ちなみに、1と2の(1)から(3)までについては、UNCITRALでこの内容から動くことはないだろうと思います。
□ わかりました。どうもありがとうございました。
ほかにいかがでしょうか。
さっきの意見の紹介の中で、(2)の問題ですけれども、一方の当事者が仲裁契約があると言って、他方の当事者はそれを黙っていた、答弁書に何も言わなかったというだけで、仲裁契約があるものとするということはどうだろうかという意見があったのですが、この点はいかがでしょうか。
○ 実は仲裁契約がないのに、申立人があると言ってしまって、相手もそれを否定しないから、仲裁契約が新規に創設的にできるということまで含むのですか。
□ その場面というよりも、実際には仲裁をやろうという合意が、書面はなくても、口頭ではあったという場合ではないかと思うのです。全くないのにというのは考えられない。
○ この点につきましては、モデル法どおりの案になっておりまして、このモデル法の規定については、全く各国、あるいは国内でも異論のないことですから、そうであれば、やはりモデル法の表現に近い形で条文案としていただきたいと思います。
□ ほかに御意見ございますか。
○ 補足でございますが、今、○○委員がおっしゃられましたように、現行のモデル法も、実質的には1と2(1)(2)(3)に対応する規定になっていますので、そこまでは当然規定をすると。(注)については、UNCITRALの動きもありますけれども、現時点においては、そこまで確定した内容になるのかなというふうに思っております。
○ この(注)の取扱いですが、これはうちも必ずこうすべきだという強い意見があるわけではございませんが、現在の我が国の公催仲裁法は、言うまでもなく書面要件が一切要らないわけでして、それから考えましても、このような案自体は我が国の現行法とも整合するものだろうと思いますし、モデル法の動きを確定するのを待ってというのも1つの選択肢だと思いますが、先取りする形でこういうような規定を置くというのも、この案が極めて有力な案であって、UNCITRALでもかなりの確率で成立すると思われますので、前向きに考えてもいいかと思います。
● その関係で1点御質問なのですが、この(注)を入れることとの関係で、ニューヨーク条約の解釈宣言について検討がされていて、その解釈宣言について全く異論がないわけではないと聞いているのですけれども、ニューヨーク条約に入っている日本として、仮にこういうような条文を入れた場合に、ニューヨーク条約の解釈宣言がない段階で整合性が取れるかどうかということは、1つ問題があるのではないかと思っているのですが。
○ その点ですが、現在、ニューヨーク条約を批准している国の中で、こういう解釈で運用している国が既にあるわけです。そのことを踏まえて今、UNCITRALで議論がされているわけで、したがって、こういう解釈を取ったから現在のままでニューヨーク条約との整合性は取れないというわけではない。むしろ取っている国は実際にあると。むしろ、これに反した解釈を明確に取っている国というのがどのぐらいあるかよくわからないという状況です。
それから、解釈宣言の扱いですが、おっしゃるように、解釈宣言の取扱いについては、現在若干揺れておるのですが、それは解釈宣言をするかしないかではなくて、解釈宣言よりもより強い条約改正そのものに踏み切るかどうかという議論と解釈宣言にとどめるべきかという議論とが拮抗しているわけで、解釈宣言より後退するという議論があるわけではありませんので、解釈宣言は最低ラインという線で議論されていますから、御懸念のような点は、ニューヨーク条約との関係では、私はないものと思います。
□ ほかに何か御意見ございますか。私は、書面性を今度はっきりさせて、書面の内容を2の(2)(1)のここまで最大限広げておくというのは、飛躍的な前進であることは間違いない。
さらに(注)のような意思の実現たる行為ということで、これも書面だというふうに言うのは、将来の問題としてはあるかもしれませんけれども、今直ちにこれを採らなければ困るという問題でもないのではないだろうか。国際状況をもう少し見ながらでもいいのではないだろうかというふうに感じておりますけれども、この点はいかがでしょうか。
これは、国際的な仲裁をやっている方、○○委員、どうでしょうか。
○ 仲裁機関の場合には、いわゆるオンライン仲裁とか、そういったものも出てきて、いろいろ多様化していくと思いますが、現状は申立書という紙ですね、それに加えて仲裁契約の紙ということで規定していることが多いと思います。
したがって、(注)がもし入ったとした場合に、規則を改正していくのかどうかという部分で若干関係はしてくると思いますけれども、仲裁機関としては、これがあってもなくてもそんなに大きな影響が出てくるものではないように私は感じております。
□ ほかに御意見ありますか。
それでは、次に妨訴抗弁の問題を取り上げたいと思います。これもまず、事務局から御説明をお願いします。
【II 仲裁契約について 〜3 妨訴抗弁について〜】
● 妨訴抗弁については、提出の時期と効果について取り上げました。意見募集の結果は、参考資料12の34ページ以降に掲載されています。
提出時期については、中間とりまとめでは、訴訟の口頭弁論等において、留保なく本案について答弁したときは、妨訴抗弁として仲裁契約の存在を主張することができなくなるとするという提案をし、これを支持する意見が多数でしたが、寄せられた意見の中には、場合によっては、本案答弁後に仲裁契約の存在が判明することもあるとの指摘がありました。枠内の案は、このような意見をも踏まえて、モデル法第8条及び中間とりまとめの案を一部変容して、やむを得ない事由がある場合に限り、本案の答弁後にも妨訴抗弁を提出することができるとすることを提案するものです。このような規律をすることの可否について御意見をいただければと思います。
□ 中間とりまとめの案は、失権効と言いますか、留保なく本案について答弁した場合には、もう妨訴抗弁を出せないという消極面から書いていたのですが、今回は、いつまでにやらなければいけないか、しかもそれから後でもやむを得ない場合には出せるという積極面の方から書いたということで、実質的にはそう変わっているわけではないというふうに私は理解しておりますが、こういう書きぶりにはついていかがでしょうか。
それから訴えを却下するということについてもどうぞ。
○ 前者のただし書きの部分ですが、座長がおっしゃるように、従来の規定ぶりでも、恐らく真にやむを得ない場合は認められるという解釈になるかと思いますので、実質を大きく変更するものではないだろうと思います。
したがって、問題は条文の規定ぶりの問題になるのだろうと思いますが、仲裁が商事紛争に使われる、さらには国際商事紛争でよく使われるということで考えますと、このようなただし書きをあえて置くのは、海外の当事者に不安感を与えるおそれがあると思います。むしろ、解釈にゆだねておくべきではないかと考えております。
□ ただし書きは取ってしまうということですか。
○ ただし書きの内容は、私も座長同様、解釈で実現できると思っておりますので、余りこういう立法例がないところで、あえてこういうただし書きを明文で置くと、日本の仲裁法に対する不安感をかき立てるだけではないかと私は思っております。
□ これは、後から出せるということになると、仲裁に行けるのです。裁判所に訴えに行った場合に、これは仲裁だと言えば、ただし書きを広くすれば、仲裁に行くという判断で。
○ 海外の当事者としては、仲裁が特に望ましいかどうかというよりも、ある時点で訴訟か仲裁かが確定するということの方が、−−実質は変わらないと思いますが、多分条文のイメージとして、−−いわゆる法的安定性ということに資すると考えるのだろうと私は思います。
● 確かに、この「やむを得ない事由があるとき」というのが、どういう場合を想定するのかというのが、非常に問題ではあるのかなと思っております。仲裁の妨訴抗弁を出すのを忘れていたというようなことであると、やむを得ない事由ということには当たらないと思いますので、やむを得ない事由があるときということが働いてくる場面というのは、非常にごく限られた場面ではないかと。
そういう意味では、○○委員のおっしゃるとおりなのかもしれないと思っております。
○ また、補足的な意見でございますが、これはモデル法8条に対応した規定ということで、条文化するときに私はモデル法8条の規定に合わせると、合わせられなければ必要最低限のマイナーチェンジということにしていただきたいと考えております。
したがって、ただし書きというのは必要なしと。ただ、「訴えを却下する」というところは、これは従前に議論がございましたので、そこは日本法の考え方として、却下をするというところはよしとするという考えでございます。
□ これは、この前○○委員がおっしゃったことですね。
○ 結局、最初に依頼人とかから相談を受けた時に、必ずしもすべての情報が集まるわけでもない場合があるだろうと。そうすると、とりあえず期日が迫って、何らかの答弁をしないといけないというような場合もあるのではないかというような趣旨だと思うので、私としては、最初の段階ですべてが明らかになっていないということがあるならば、こういったものがあった方が、それは安心感がある、そういうことで申し上げたのですけれども。
□ この前の中間とりまとめの案は、留保なく本案について答弁したときは失権するみたいな形だったのです。それではだめだとおっしゃったんですね。
もっともUNCITRALの8条は、「留保なく」ということもなくて、本案について答弁したときは、もうだめだと。それで妨訴抗弁がなくなったという書きぶりですね。それを中間とりまとめの時は、留保なく本案について答弁したときは、妨訴抗弁がなくなるということにしたのですが、やはり「留保なく」だけではだめでしょうか。そこのところです。
● 多分、留保なくということを条文上書く場合は、やはり留保している場合については、妨訴抗弁を言うことを異議をとどめておりますので、それは妨訴抗弁は提出していると言えると思うのです。
だから問題は、留保しないまま答弁してしまった場合の問題が限局の問題としてあると思うのです。今、まさにその問題を浮かび上がらせるような意味で純化したのですが、そうすると、この場合でどういう場面がただし書きで働いてくるのかというのが、非常に考えづらいと言えば考えづらい。当事者から十分に事情を聞いていなくて、それで仲裁合意があったかどうかわからないで答弁してしまった場合に、なお仲裁合意があったとして取り扱わなければならない場合というのがどれだけあるのかと。
他方の当事者は、訴訟でやろうとして訴え提起していて、もう一方は、ちゃんとそれを聞いていなくて行ってしまった、それはもう訴訟でいいではないかと、基本的にはそういうことになるのではないかという感じもするのです。
そうすると、今、○○委員や○○委員がおっしゃったように、これを削ってしまって、本当にやむを得ない場合というのは解釈上で救っていくというのも、1つの選択肢ということになるんだろうと思います。
○ 結局、訴訟で言えば、本案での答弁で、まず言わなければいけないでしょうから、普通だったら請求に対して請求棄却の申立てというのは簡単にやりますね。よくいろいろと事情を聞いてみれば、実はこういうような合意があったとか、そういうこともあり得るだろうということを懸念して申し上げたのです。
とりわけ、第1回期日の答弁書の段階は非常に早い時期ですね。必ずしもすべての情報がもたらされないということがあるだろうと。そのときに、仲裁もできたのに、それが全部できなくなってしまうと、機械的にできなくなってしまうというのもいかがかなということなのです。
○ 日本法の一般的な理解では、やむを得ない事情というのはものすごく狭い場合を指す、民事訴訟法上の用語としてはそうなのですが、先ほど来言っていますように、仲裁がかなりの頻度で国際事件に使われるときに、そういうニュアンスが伝わるような訳語になるかどうかという問題もありまして、一読するとかなり不安定な状況が想定される可能性があるということを懸念いたします。
□ なかなか他の場合と違って、仲裁契約があるにもかかわらず、後から出すのがやむを得ないという状況が、どうもわかりにくいということなのです。うっかり忘れたということになると、それはやむを得ない事由にもならないのではないかという気がするものですから、なかなか具体的な状況が浮かびにくいので、私もやむを得ないというのはどういうことかなということを考えているのですけれども。
では、この点はもう、今日は詰めないでよろしいですか、少し先に行ってからでよろしいですか、2つの意見があったということで。
次は、仲裁人の数についての検討です。また、説明をお願いします。
【III 仲裁人及び仲裁廷の構成について 〜1 仲裁人の数について〜】
● 仲裁人の数についての意見募集の結果は、42ページに掲載されております。中間とりまとめでは、モデル法10条と同内容の、当事者の合意がない場合の標準的人数を3名とする考え方を挙げ、意見募集の結果でも、これに賛同する意見が多数でした。しかし、合意のない場合の仲裁人の数について、仲裁実務の実情や手続の迅速、当事者の負担の抑制等の考慮からこれを1名とする意見が2割程度あったため、今回の検討項目として取り上げたものでございます。
検討会では、3名とすることでおおむね御異論はなかったものと認識しておりますが、意見募集の結果を受けて、再考すべきか否かの視点から御意見があればいただければと思います。
□ これは非常に形式的な小さな問題のような気もいたしますが、合意がない場合に1名とするか、3名とするか。1名とする意見は、仲裁機関をやっている関係の方から出てきているようにも思いますが、どうでしょうか、1名とするということは。
○ 機関仲裁の場合は、大体1人ということに規定がなっているかと思います。これは仲裁機関が選定することになりますので、したがって1名でよろしいかと思います。
他方において、アドホック仲裁の場合を考えますと、これは紛争当事者間で単独の仲裁人を選定することはかなり難しいとなれば、裁判所に仲裁人選定というのをお願いすることになると。そして国際仲裁の場合を例に挙げますと、日本企業とアメリカ企業との紛争であれば、次のところに出ていますけれども、第三国籍人を仲裁人に選定してもらいたいといった場合に、裁判所の負担を考えますと、3人にしておく方が実務的にはベターかなと感じております。
□ ほかに御意見はないでしょうか。当事者が決めれば1名で、ない場合にどうするかということで、この案はUNCITRALのモデル法の考え方と同じということですけれども、よろしいでしょうか。
では、3名ということで先に進ませていただきたいと思います。
次は、仲裁人の資格についてでございます。お願いいたします。
【III 仲裁人及び仲裁廷の構成について 〜2 仲裁人の資格について〜】
● 仲裁人の資格に関する意見募集の結果については、参考資料12の44ページ以下に記載があります。意見募集の結果では〔2〕1については、仲裁人は自然人でなければならないとする案に賛同する意見が、〔2〕2については、B案の仲裁契約において法人その他の団体が仲裁人として選定された場合には、仲裁契約が無効となるのを避けるため、法人その他の団体に仲裁人選定権限を付与したものとみなすとする案を支持する意見が多数でした。枠内1はこれらの意見を踏まえたものです。
枠内2は、モデル法11条1項の規定と同様に、国際商事仲裁においては、当事者間に別段の合意がある場合を除き、国籍によって仲裁人たる資格が左右されないことを規定するものです。寄せられた意見の中にも同趣旨の規定を設けておいた方がよいとの意見がありましたが、枠内の案は国際化の進展についても考慮したものです。
枠内のそれぞれの考え方について御意見をいただければと存じます。
□ それでは、1、2について御意見を賜われればと思います。どなたからでも結構です。
○ 今の御説明の中で、1の2項は、団体が仲裁人として選定された場合には、仲裁契約が無効となることを避けるということが趣旨であるということでございますが、解釈の余地としては、その場合には仲裁人選定に係る部分だけ一部無効ということで、仲裁契約そのものは無効にならないということにはならないのでしょうか。
後は、その他団体が仲裁人として指定されたとしても、かかる団体が仲裁人選定に応じない、応じる義務がない場合というのが当然出てきますので、そうすると仲裁契約が無効になってしまうということですが、それを規定することによって仲裁契約が逆に無効になってしまうというような問題もありますので、私は1の(2)というのは、そういった点から見直すべきだろうとに思います。
□ どういう内容にすればいいですか。もう規定は要らないという意味ですか。
○ ええ、今、対案は浮かびませんけれども、先生がおっしゃられましたように書かないということでよろしいかと、現在は思っております。
● ここのところはモデル法にも規定がなくて、むしろ試案で規定があったところを採用したところなのですが、むしろ仲裁機関を仲裁人というふうに誤解されて仲裁契約書が作られたというような事例が結構あるのかどうか、その実情の方を事務局としては知っておきたいというところです。そういう実情が余りないのであれば、こういう解釈規定自体も余り置く意味はないというのは、そのとおりかと思います。
○ 今の点でございますけれども、私が関与している国際商事仲裁協会の仲裁において、こういった例は見たことがございません。先週行われたある研究会の中で、出席者の方から質問を受け、経団連を仲裁機関とするというような、仲裁機関として仲裁を実施していない団体を指定するというようなことはあるようですけれども、仲裁人として仲裁人となり得ない団体を指定するというようなことは、普通ないと思います。
例えば、「東京商工会議所を仲裁人とする」というような規定といった類いのものは見たことがございません。ただし、「東京商工会議所の仲裁」というようなものは見たことはあります。
○ 現在では、例えば海運集会所の仲裁によると書いてあっても、それは仲裁規則でカバーしていますから、仲裁人選定で困ることはありません。ですから、この(2)は必ずしもなくてもよろしいかと思います。むしろ先ほどおっしゃったような、経団連など、全然仲裁と関係のないところで選ぶということになると、選べないと思います。
□ ○○委員の後ろの方の質問は、権限を付与するだけですから、権限を行使するかどうかは自由なので、それで無効になるということはないと思いますが。
○ 権限を付与されても、それに対して負う責任はないわけですね。したがって、日本商工会議所を仲裁人とするといった場合にも、商工会議所は仲裁人を選定する義務はないと思うのです。その権利を付与されているか、行使するかどうかというのは、日本商工会議所の判断によると。したがって、権利を行使しなければ仲裁人の選定は出てこないわけです。また、仲裁契約が無効になってしまうということまで解釈の余地が私はないのではないかと思うのです。したがって仲裁人の選定の部分については無効だと。しかし、仲裁契約は残り、仲裁法の規定に従って仲裁人が選定されるというだけにすぎないというふうに私は考えております。
□ 仲裁契約の中で仲裁人を指定した部分は本質的な要素ではないと考えれば、そのとおりではないかと思います。
○ だから、今の御説明ですと、仲裁契約が無効になるということを避けるために。
● なる場合があり得るのではないかということを避けるためにと言われていたのですが、今の御意見で、もしも異論がなければ、そうすると(1)も要らないということになると思うのですが、(1)(2)は置かないというようなことも含めて、そういう方向で事務局で再度検討し直すということでもよろしいでしょうか。
□ それでよろしいでしょうか。
○ 1項に関しては、例がほとんどないのであれば、(1)(2)を含めて置かないとして結構だと思います。
併せて2項の方も、かつて国籍を仲裁人の要件とした立法が古い時代にはあったということでモデル法は定めているのだと思いますが、現在ではそういう例も余りなくなってきているように聞いておりますので、当然のこととして。特に我が国で国籍を理由に仲裁人の適格がないという議論は余りないことも踏まえますと、1項、2項併せて削除を検討していいかと考えております。
□ 2項の方は、モデル法にこういう規定があるものですから、ここで事務局が出したのですけれども、○○委員はそういうことをおっしゃいましたが、ほかに国際化の先ほどの御説明にあったことについて、こういうことを置いておく必要があるのではないかという意見があって、それでこれを入れたのですが、いかがでしょうか。
○ 私も要らないと思います。既に国際化しているので、国籍によって妨げられるような事情は既に日本にはないという意味で、書いていない方がいいと思います。
□ ほかは、いかがですか。
○ 私は、個人的にはあった方がいいと、モデル法に入っているものをわざわざ日本として落とすのは、諸外国から見て変と思われはしないかと。
□ すると、2項だけはあった方がいいと。「国際商事仲裁においては」という前提は必要なのでしょうか。
○ それはあった方がいいと思います。
□ 国内仲裁だって同じではないかという意味で私は言っているのですが。国際商事仲裁という言葉を置くと、「国際」とは何か、「商事」とは何かという難しい問題に入ってきてしまうので。
○ そうでしたら、やはりこれは取った方がよろしいかと。
● 御質問なのですけれども、2項で何を規定しているのかというのが、少しわかりづらくて、「当事者間に別段の合意がある場合を除き」というのがあるので、当事者が別段の合意をすれば、国籍によって仲裁人になることを妨げていいということなのですね。この妨げるというのが、どういう行為を前提にして言っているのかというのがよくわからないのですが、第三国籍の人でなければいけませんというような形で当事者間で合意すれば、それはそのまま有効ですと。
そうすると、一見、国籍による差別的なものを禁止しているというふうに見えるのですが、「当事者間に別段の合意がある場合を除き」と書いてあることの関係で、モデル法が実質何を規定しようとしていたのかというのが若干わかりづらいところがございまして、そこのところを何か教えていただければと思うのですが。
○ よくわかりませんが、国によっては、イスラム国であれば、イスラム人でないとだめだというような資格要件を設けている国はあります。したがって、国際商事仲裁モデル法としては、そういった国籍による差別をなくすというような御趣旨があったのではなかろうかと思います。
さっき座長がおっしゃられましたように、「国際商事仲裁において」ということは、国際商事仲裁というのは定義していないわけですから、これを入れると、一体どれが国際仲裁か、どれが商事仲裁かということで、そこでまた議論になりますので、そういった意味では、規定自体要らないのではないかと思います。
● 今、○○委員がおっしゃったように、国の国策としてイスラム人とか、あるいは自国民とか、そういう人しか仲裁人になれないというようなことをしてはいけませんというような御趣旨のようなところも見受けられるところがあるのですけれども、それは逆に言えば、日本として、特に仲裁人について日本人以外はだめですよという規定を置けば、もちろん問題なのですけれども、そうではなくて、特に国として何ら規制を置かないということであれば、その部分だけ取ればモデル法の趣旨にのっとったことになるのだろうと思うのです。
逆に当事者について、当事者はどういう合意をしてもいいと、だけれども国籍を理由として仲裁人になることを妨げてはいけませんという規定をした場合に、一体何を禁止しているのかと。当事者間が、是非アメリカ人にやってほしいと決めて、アメリカ人から選びましょうということを決めることについて、何かそれを制限しなければいけないのかというと、恐らくそれは余り制限はないのだろうと思うのです。
そうだとすれば、何か規定を置いた場合に、どういうふうになるのかというのがなかなかわかりにくいというところがありまして。もし、こういう場合があるので、是非こういう規定を置いた方がいいという具体的な例があれば、もちろん検討していきたいと思うのですが、そういうことが特にないのであれば、日本として特に差別的な規定を置くつもりはないわけですので、それで十分ではないかというところがあります。
○ 若干補足させていただきますと、繰り返しになりますが、モデル法は国際商事仲裁などでこれを置いてあると思うのです。我々が今視野に入れているのは、区別なく仲裁法を制定しようとしていますから、したがって、その意味から必要はないと。
逆にこれを入れると、今までは国籍の差別があったのではないかというふうな疑いが持たれると。別の条項で何か日本人に有利な規定があるのではないかといった疑義が生じないようにするためにも、こういったものは必要ないと考えます。
□ ほかに御意見があれば伺いますけれども。
それでは、今、お聞きした限りでは、1項は規定を置かなくてもいいという方向で更に検討する。
2項も、国際商事仲裁においてはという文言だけを削除するという考え方と、2項全体要らないという考え方も有力のようですので、更にこちらで検討させていただきまして、また次回に御意見を聞くということでよろしゅうございますでしょうか。
○ ここで申し上げるのが適当なのかどうかよくわかりませんけれども、仲裁人の資格に関連する問題として、弁護士法72条の関係があるのではないかと思います。この点については、何らかの形で明確化を図る必要があるのではないかということが、大体この検討会でも、そういう方向自体についてはある程度コンセンサスがあるのではないかと思います。
ただ、この問題は、必ずしも仲裁だけにはとどまらないと言いますか、広くADR一般について資格の範囲をどうするかという問題は別途あるわけですし、実際に仲裁の手続も、そのまま弁護士会仲裁に代表されるように、調停的な手続と仲裁的な手続がある程度渾然一体として行われているMed−Arbとか言われるような運用も広く行われているとすれば、仲裁だけについて規律を置くということが適当かどうか、そして規定を置くとすれば、やはりその他のADRとの整合性というものについても配慮しなければいけないだろうというふうに思いますので、できればこの問題については、ADR一般について検討をする場であるADR検討会の方でより包括的な形で御議論をいただくというのがより適当なのかなと。
もちろん、仲裁に固有の事情というのはあろうかと思いますけれども、それもADR検討会の方で仲裁については当然配慮して御検討されるというふうに思いますので、できればADR検討会の場で御議論をいただければと思います。
□ 今の御意見あるいは御提言ですけれども、仲裁人の資格ということが今問題になっていますので、仲裁人の資格との関係で弁護士法72条の仲裁、仲裁人になるというような場合に、弁護士以外の人が、業としてやるというような場合にどうなるのかという問題は、ADRの方でということなのですが、ここでも、もし御意見があれば。そちらの方に検討をゆだねていいのか、実際にやっているのは弁護士以外の人が候補者名簿に登載されて、事件が来れば受けているという形になっているのではないかと思いますが、それについて何か御意見があれば。
そういうこと自身を弁護士会で問題にしているというわけではないと思いますけれども、建設仲裁なんかは、建築家がどんどん入って実際にやっている、それを弁護士会として、あれは72条違反だということを問題にされているという実情ではないと思いますけれども、そういう理解でよろしいでしょうか。
○ これについては、今、弁護士会の方でもADRの検討状況を見ながら検討しているというのは事実だと思います。
○ 現実には、弁護士以外の方が業として仲裁をやっているわけではありませんが、仲裁においては弁護士法第72条が適用されないことを明らかにして、業として仲裁人をやろうという人がどんどん出てきた方が、仲裁の活性化になるかもしれないと言う方もいます。
□ 「業として」と言っても、専門にやっているわけではなくて、本職はちゃんとあって、ある意味ではボランティア的にお引き受けしているというのが実情だろうと思いますけれども。
○ 補足の意見でございますが、国際商事仲裁の世界では、職業的にやっている仲裁人というのは、相当いらっしゃいます。国際商事仲裁協会の仲裁でも、外国人で、常時十数件仲裁をやっておられるという方が仲裁人に付くときもあります。その場合、日本で仲裁を行う場合に、弁護士法との関係ということで、やはり抵触する疑義がありますので、それは今、○○委員がおっしゃいましたように、どこかの時点でクリアにしておかないといけない問題だと思います。
□ わかりました。それでは、それはADR検討会の方の検討に委ねるということでよろしゅうございますでしょうか。
● 仲裁検討会の方で、主宰者としての仲裁人だけではなくて、調停・和解というのを含めてADR検討会の方で引き続き検討をしていくというような意見があったということをお伺いして、ADR検討会の方にお伝えするということにしたいと思います。
□ それでは、3時をちょっと過ぎましたので、3時15分まで休憩にしたいと思います。
(休 憩)
【III 仲裁人及び仲裁廷の構成について 〜3 仲裁人の任務終了及び補充仲裁人の選定について〜】
□ それでは、時間になりましたので、検討会を再開させていただきたいと思います。○○委員は、所用でお帰りになりましたけれども、始めさせていただきたいと思います。
まず、仲裁人の任務終了及び補充仲裁人の選定についてての検討でございます。また、事務局から説明をお願いいたします。
● 仲裁人の任務終了についての意見募集の結果は、参考資料12の56ページ以降、補充仲裁人の選定については58ページ以降に記載されています。中間とりまとめでは、モデル法13条から15条の枠組みに従って仲裁人の地位(権限)の喪失の原因及び要件について整理した案を挙げ、意見募集の結果では、これに賛同する意見が多数でした。ただ、仲裁人の辞任に関し、正当な理由がなければ辞任を許すべきではないとの意見も、少数ながら寄せられました。
枠内の案は、仲裁人の任務終了及び補充仲裁人の選定について、モデル法の規律として理解され得るものを具体化したものです。モデル法の規律を特に変更する必要があるか否かについて御意見をいただきたいと思っております。
□ いかがでしょうか、1と2、任務の終了と補充仲裁人の選定についてでございます。
中間とりまとめよりもかなりすっきりしてきたのではないかと思いますが、いかがでございましょうか。
○ 細かいようですけれども、いつでも辞任できるのところ、今の説明の「正当な理由」のところですが、これは当事者の別段の合意ということは、ここには入っていないのですね。例えば機関仲裁を考えたときに、「別段の合意により」ということをここに入れておいた方がいいようにも思うのですけれども。全くこれがないとすると、つまり辞任理由がある程度、ほかに変えるときにできなくなるとなってきますかね、少し使いにくい感じがするのですけれども。
● 当事者の別段の合意によって、辞任する場合を限定することができるようにすべきだと。
○ 当事者が別段の定めを置いてもいいようにしておいたらどうかと思うのですけれども。つまり、せっかく選んでおいて。
● 基本的にはそういう趣旨ですので。
○ それに関連して、今思いつきましたのですが、先日行われた仲裁研究会の中で意見が出ましたところでございますが、仲裁法の規定の中で、今の「当事者間の別段の合意がない限り」といったものがある規定と、ない規定とありますが、それによって強行規定と任意規定との区別ができているのかどうかという問題点の指摘を受けました。
私もそうなのですが、条文化する時に、どの規定が仲裁機関であれば規則でその内容を変更できるのかといった辺りを明確にしていただきたいと望んでおります。
□ わかりました。
○ そのことに関連しまして、日本法ではそのような規定を置いたことがないかもしれませんけれども、英国の96年法ははっきりとこれは強行規定だと書いてありますでしょう、そういうやり方は非常に便利だと思いますので、是非取り入れていただきたいと思います。
□ これは、今まで検討はしていなかったことなのですが、最後にここを検討して、どういう形で条文にするかどうかも含めて、少し検討させていただきたいと思います。よろしいですね。
● ただ、強行規定と言った場合でも、1つの条文のうちどの関係は強行規定で、どの関係は任意規定というのがございまして、何条、何条という書き方自体が非常に難しいものがあるのではないかと思います。
できるだけ、今、○○委員がおっしゃったように、「特段の合意がある限り」何とかという形で、わかるような形を取りたいと一方で思うのですが、それを書くとまたモデル法から離れるということがあり得るのですが、それは仕方なしということでよろしいですか。
○ 今の点ですけれども、今、○○委員がおっしゃられましたイギリスの仲裁法を見ますと、強行規定はほとんどないですね。したがって、仲裁は任意規定がほとんどでして、したがって仲裁規定をゆるくするということに対しては、国際的に反対する人はいないと思うのです。
したがって、そういう意味ではモデル法に規定がなくても、それを明確に規定すると。強行規定というのは、ほとんど限られた規定になってくるのだろうと思いますので、そういう点は、国際的な立場として、それがマイナスに働くということはないと思います。
□ どうぞ。
○ 1の(1)ですけれども、中間とりまとめと実質的に変わっているわけではないのでしょうけれども、やはりいきなり読むとかなり強烈な感じがするのですが、「いつでも辞任することができる」というのは、モデル法との関係で言うと、どのように整合しているのですか。
● モデル法の15条の「その他の理由による仲裁人の辞任」というのがございまして、これは13条、14条の場合が、辞任のことを忌避を申し立てられた場合に辞任するというのと、14条の場合にも辞任するということがあるのですけれども、その他にもその他の理由でも辞任することができるというふうに解されていまして、これは理由のいかんを問わないというふうに、UNCITRALの議事録なんかでもそういうふうに説明がされていると思います。
○ 書きぶりの問題なのかもしれないのですが、そういう意味であれば、2の補充仲裁人の選定の方に入れ込むような、モデル法をなぞるような書き方の方が、ぎらつかないでいいと言いますか、穏当のような気がするのですけれども、いかがでしょうか。
● 15条の規定がモデル法を制定する際に一番最後に入り込んでしまって、何か整合性が取れないような形になってしまったということで、わかりづらくなっているということのようなので、その実質がわかるような形の方がいいのではないかと。確かにぎらつかないというのはあるのですけれども、実質がわからないということでも困るのではないかと。
ここの任務終了の関係については、モデル法の規律自体がどうなっているのかが、一見するとよくわからないところなので、ここについてはモデル法の条文の表現から若干離れても、わかるような形で書かなければいけないことになるのではないかと思っております。表現ぶりについては、なお検討していきたいと思います。
□ おっしゃるように、「いつでも」というのが少し強過ぎるという気はしているのです。多分両当事者が1名ずつ仲裁人を選定するような場合には、両者の間に仲裁人契約というものがあり得ると思うのです。だから、その仲裁人契約の契約義務違反みたいなものが出てくるとすれば、いつでも辞任できるから何の責任もないということでは困るのです。
ですから、そういうつもりで書いているわけではないのですが、少し字句の点は工夫する余地があるかもしれません。
○ 確かに表現の問題かもしれないのですが、国として仲裁法というものをつくって、仲裁を活用しましょうということに多分なるのだと思いますので、そういった途端に仲裁人というのは実はいつでも辞任できるというのでは、これは仲裁に対する信頼性が得られないのではないかという懸念でございます。
● モデル法上は、辞任はできるのですが、損害賠償請求権は負う。だから、やりたくない人を仲裁人にとどめておくことはできないけれども、おれは嫌だと言ってやめてしまった人に対して、当事者からの損害賠償請求はありますよというような仕切りで、このところでの辞任というのは書いているようです。その辺のところがうまく表現できるかどうかということも含めて、表現のところについては事務局の方でまず検討していきたいと思います。
□ よろしいでしょうか。(3)のところ、裁判所による解任決定ですけれども、両当事者が合意すれば(2)で解任することができるのですが、一方の当事者はあの仲裁人に是非やってもらいたいと、片方は絶対嫌だということで、こういう解任申立てが来た場合には、裁判所としては、この要件で受けられますでしょうか。少し○○委員に御感触をお聞きしておけませんでしょうか。
○ 抽象的な感じはいたしますけれども。もう少し具体的な運用基準みたいなものが出てきてくださると、それに当てはめて判断しやすいのではないかというような印象は持ちますが、ただ、それをだれがどこでどう決めるかというのは恐らく難しいのだろうと思いますので、更に御検討いただければありがたいと思います。
□ この部分はモデル法そのままの文言を使っておりますので、多分モデル法を採用した国は各国ともこういうことでやっているのではないだろうかと。
それでは、これは更に裁判所との間の協議ということもありますから、次に進ませていただいてよろしゅうございますでしょうか。
それでは、次は仲裁廷の権限について、仲裁権限の有無の判断の問題についてお願いします。
【IV 仲裁廷の権限について 〜1 仲裁権限の有無の判断について〜】
● 仲裁権限の有無の判断についての意見募集の結果は、参考資料12の60ページ以下に記載しております。
枠内の1から5及び7は中間とりまとめの内容と同内容のものですが、意見募集の結果では、これに賛成する意見が多数を占めました。
一方枠内6の、仲裁廷が仲裁権限の有無について判断した後の裁判所に対する申立ての可否に関しては、中間とりまとめでは、仲裁権限がないとの判断を前提とした終局判断により仲裁手続が終了したときにこの判断を争う手続を用意するか否かで2つの案を設けました。意見募集の結果では手続を用意する案であるB案が若干多数でした。しかし、この点については、検討会資料30の10ページの説明欄に記載したように、モデル法制定時に国連でも議論され、その結果、枠内6のような規律となったという経緯があるようです。
1から7に挙げたそれぞれの事項について、これまでの検討会での検討も踏まえ御議論いただきたいと存じますが、特に6についてモデル法の考え方と異なる考え方を採用するという場合には、その根拠を明確にしなければならないのではないかと思われますので、御意見をいただければと存じます。
□ それではどうぞ御自由にお願いいたします。
○ 説明の下から3行目、「裁判所が仲裁権限ありとの判断をしたとしても、自ら仲裁権限なしと判断した仲裁廷に仲裁手続の履行を強制することは事実上できないのではないかといった議論の末に、枠内に記載したような案で落ち着いたものである」ということでございますが、このところとの関係で、そうすると、仮に仲裁廷が権限なしとした場合に、それに不服な当事者として取る道は、仲裁契約があるんだというふうに信じているわけですから、裁判所に仲裁契約があるという確認請求をするということになるのでしょうか。
● いろいろやり方はあると思うのですが、今言ったような形の確認訴訟をするというのも1つですし、それから、また仲裁の申立てをして、他の仲裁人を選んでいくというのも1つですし、やり方としてはほかにもあるのだろうと思います。
それから、他方の当事者は仲裁はないということで争ってそういう形になったと思いますので、そこで仲裁はあきらめて訴訟に行くということもなくはないのではないかと思います。
○ ただ、今、おっしゃられたのは、すべて権限がないという場合であって、請求はA、B、Cとあって、A、Bは仲裁人の権限があるが、Cについてはないといった場合、これは今おっしゃられたような形にならないと。
● A、BとCがあって、Cだけないと言われた場合には、Cは分離独立の、訴訟物と言っていいかわかりませんけれども、権利関係が問題となっているものだと思いますので、それはまた別個独立に、やはりさっき言ったのと同じような。
○ いわゆる訴訟経済と言うのですか、そういった点からすると、関連する請求について、別の仲裁人を選定して仲裁を申し立てるというのは、適当であるのかどうかというのは、疑問であります。
それと今申しました、裁判所が権限ありと判断したとしても云々ということを説明しましたけれども、今の点で、要するに仲裁人が権限ありと言って、裁判所の方で権限なしとした場合は、仲裁人としては裁判所の判断に従って仲裁手続を停止するということになるのだろうと思いますけれども、それについては法的な、履行を強制するすべはないということが、今書いてある部分の裏返しとしてあると思いますので、その点についてはいかがお考えになるのですか。
● これは決定の手続ですので、それについて既判力等が生じるわけではございませんので、基本的にはそういうことになると思います。その判断について何らかの拘束的なものが直ちにあるかというと、それはないのではないかと思われます。
○ 手続法上のことは私はよく存じ上げませんが、決定で既判力というのは生じないということであれば、当事者も裁判所もそれに拘束されないと、そうすると仲裁判断取消しの段階で、もう一度仲裁の権限があるかないかということについては、当事者は争うことができるということですか。
● ぎりぎり詰めたらあり得るのだろうと思うのですけれども、そういう行動を取った場合に、損害賠償の対象になったりすることはあると思います。
□ 今の、裁判所が仲裁廷には仲裁権限がないという決定をした場合には、実際には仲裁廷では仲裁手続が進まないと思うのです。裁判所がああ言っているのだから自分は協力しないという当事者が出てくる。それにもかかわらず仲裁廷が手続を進めて、仲裁判断をしたということになると、これは当然仲裁判断取消しを申し立てるということになると思います。
だから、手続的には裁判所が仲裁権限なしとする決定について、直ちに仲裁手続は進行させてはならないというような決定をしなくても、実際上は手続は止まってしまうのではないだろうかというふうに考えて、このA案はできているのです。
○ ただ、決定に既判力はないということですから、裁判所の方ではないと言ったにもかかわらず、仲裁人が仮に手続を進めたとして、取消しの段階であるかないか確定するわけですから、したがって、仲裁人が手続を進めても構わないということにもなるのではないでしょうか。
● 仲裁手続の手続法上の問題としては、仲裁権限があるかないかについて裁判所が一応不服申立てで判断しますということになっていますので、仲裁廷としては一応尊重するであろうとは言えると思うのです。
○ ただし、それについては最終的に仲裁判断の取消手続では争えるわけですね。
● それについても、仲裁権限があるかないかということが既判力によって確定されるものではないという問題とはまた別の問題だと思います。仲裁権限があるかないかが、その決定手続によって確定されることではないというのは、おっしゃるとおりだと思います。
□ 7のところに「仲裁廷は、6による裁判所の決定がされるまでの間、仲裁手続を進め、仲裁判断をすることができるものとする」ということですから、裁判所の判断が遅れている間に、仲裁判断がなされてしまうということはありますね。だけど、この文言の反面解釈として、裁判所が仲裁権限なしと判断したら、事実上仲裁手続は進まないということになるのではないでしょうか。そこまで書けと言えば、それは書いてもいいのですが、書かなくてもそういうことになるのではないでしょうか。
○ 決定で既判力を生じさせるということはできないのですか。
□ 民事訴訟の一般理論ですから、恐らくここだけ決定から既判力を生ずるということはないのですが、ただ既判力が生じるかどうかとは別に、仲裁権限なしという判断については、それは仲裁廷が当然尊重すると思いますよ。やっても無駄になりますから。
● もう一つ言えるのは、これは手続の仕組みの問題なのですけれども、この段階で仲裁権限があるかどうかについて確定的に、例えば判決手続でやっていくということになりますと、それ自体非常に重い手続を仕組んで、手続保障も十分取った上で、何が何でも決着させると、そういう仕組みになるわけです。そちらの仕組みを取りますと、当然この段階で手続が止まってしまって非常に長くかかってしまう。
それと、ここは割合簡易、迅速な手続で一旦決定を示しておくということで、多数の事件を解決するのであれば、ここではそういう仕組みを取っておきましょう、あとはむしろ取消しのところでもっと徹底的にやってもらいましょうというのが1つの仕組みだろうと思うのです。
ここの手続は、どちらかと言うと、簡単な手続にして、不服申立てはしないという、そういう設計の方がいいのではないかという思想でやっているのだと思います。
○ 今の御説明は、仲裁契約を止めるのは事実上のものだというふうに理解していいわけですね。
□ 現在のこれでは事実上の問題です。
○ 私もこの仲裁権限なしということを判断した場合は、同じ問題ではないかという気もするのですが。
モデル法設定の際に議論されたのでしたら、別にこだわるつもりもないのですけれども、これは結局積極的に管轄が抵触するか、消極的に管轄が抵触するかという問題だと思いますが、消極的管轄抵触の場合には、裁判所への不服申立ては認めないというのがモデル法の姿勢ということなのですが、それは最終的にどういうふうに解決されると、モデル法は想定しているのでしょう。
要するに、裁判所の方は、これは仲裁権限があるから訴えは却下しますと言うわけですね。仲裁廷の方は、仲裁契約、権限はありませんから、仲裁は進めませんと。放っておくと、裁判を受ける権利が侵害されそうに見えるわけですが、何らかの解決が想定されていると思うのですが。
● 基本的に、仲裁権限がないというふうに仲裁廷が判断した場合に、裁判所への不服申立ては認めないということなので、その場合に、どうしてもその当事者が仲裁権限があるというふうなことを相手方にも納得させたいということであれば、先ほど○○委員がおっしゃったように、訴訟で仲裁契約が有効に存在するということを確認訴訟すると。
○ しかし、両当事者間の訴訟ですから、もちろん仲裁機関は拘束しないわけですね、既判力は及ばないのですね。
● でも、そこで両当事者間を拘束するような既判力のある判決が出れば、それを前提にして仲裁機関に持っていけば、それは通常は前提になると思うのです。
○ いずれにしても事実上の解決しかないということですね。だから、事実上の解決しかないとすれば、訴えまで提起するよりも、ここでもう少し簡単な事実上の解決をしてもいいのではないかなという気もするのですけれども。
□ そうすると、両方について、権限があるとした場合も、ないとした場合も裁判所に不服申立てを認めるということですね。
○ しかしモデル法は違うということであれば、これ以上は申しません。
○ 私は、従前から、今、○○委員がおっしゃられた仕組みの方がいいと思っております。
繰り返しになりますけれども、今の、座長もおっしゃられたように、裁判所はないと言って、事実上仲裁人も拘束されて、手続を止めてしまうということに当然なると思いますけれども、その理由づけとして、説明の中にあるように、逆の場合は、履行を強制することは事実上できないと、だから置かないんだということとの関係を見ますと、平仄は合わないと思います。
したがって、平仄を合わすということであれば、両方置いたとしても、これは合理的だと思います。
● 平仄の点から言いますと、ほかのところでも、忌避の問題だとか解任の問題とか、裁判所が仲裁手続について何らかの関与をするというのがあるのですが、それは非常に軽い手続で、仲裁手続を生かす方向で、その限りで裁判所が関与するという方向で、一応一貫しているのです。ここのところを逆に、仲裁廷が仲裁権限がないといった場合でも関与するとなると、そこのところの平仄は若干取れないことになるのではないかというふうに思っていますが。
□ 平仄が取れないということはどういうことですか。
● モデル法の裁判所の関与の思想としては、仲裁廷が仲裁手続を進行させていこうという場合に裁判所は助力しましょうというような発想で裁判の関与が規定されていまして、この16条の規定などがそうなのですけれども、仲裁廷自身が仲裁権限はありませんよと言った場合に、裁判所が何らかの手を差し伸べるということは余りしていないように思います。
○ だったら同じことで、仲裁廷が権限があると言ったらそれを尊重すればいいわけではないでしょうか。
● 当事者が争っていてもですか。
○ だから、ない場合も争っているわけですね。
● だから、仲裁廷自体が仲裁権限がないというふうに手続を終えていて、その場合にその仲裁人に対して手続をやりなさいということを裁判所が強制することができるかというと、それはなかなか難しいというふうに考えて。
○ 事実上はできるということですね。さっきの、裁判所が権限がないと言った場合には、仲裁廷はそれを尊重して、その請求については審理をしないということになるということをおっしゃられましたね。
● やめる方向ではそうなのです。仲裁廷がやらないと言っているときに、やりなさいという方向では、余り強制的な介入というのはないのではないかと思います。
○ 仲裁廷の判断が正しいかどうかという問題だろうと思うのです。本来、その仲裁廷で仲裁すべき事案について、仲裁廷が誤った判断を下して、やりませんと言った場合に、救済の措置がないというのは、少しおかしいかなという気がするのです。
例えば、法律に基づいて設置される仲裁機関で、法律でこの仲裁機関は何とか何とかに関する紛争について仲裁を行うと書いてある場合、その何とか何とかに関するかどうかというのは法解釈になりますので、それを仲裁人が狭く解釈して、ここではやりませんと言った。でも、本来正しい解釈をすると、それはできるはずだという場合に、それを裁判所に持っていって争えないというのは、当事者には酷ではないかという気がいたします。それが1つ。
あと、ここで書いてある理由で、自ら仲裁権限なしと判断している仲裁廷に仲裁手続の履行を強制できないというのは、少なくとも我が国の場合は、必ずしもそうではないのではないか。と言いますのは、ほとんどの仲裁廷は裁判所の判断が出れば、それを前提として仲裁手続をやるようにするのではないかと思うものですから、私もこの理由を改めて考えてみると納得できない部分がございます。
□ ほかに御意見ありますか。仲裁廷が権限があるとした場合だけではなくて、ないとした場合についても不服申立ての余地があるというふうにするかどうか。6のところです。
○○委員が言われたように、仲裁廷の判断の誤りを是正するということであれば、それはこの段階でどちらについても不服申立てを認めるというのも1つの選択肢です。
この原案は、判断の誤りの是正というのではなくて、仲裁廷が権限がないからやらないというふうに言っているのにやらせるということはできないのではないだろうかと、そちらの方からの視点ですね。
考え方は2つあり得ると思います。両方というのもあるし、片方だけということもあるかもしれません。
● 少なくともモデル法は、やはりそこで価値判断をしていると思うのです。やりたいと言っている人にやめなさいと言ったときにやめるのと、私はできませんと言った人にやらせるのと、事実上の強制力はどちらも同じような事実上の強制力なのか。それともやりませんと言っている人に無理やりやらせる方が、やりたいと思っている人にやめさせるというのに比べると強制するのは難しいのではないかということが、少なくとも働いているのだろうと思います。そういう価値判断と違う価値判断をどうしてもするということであれば、そういうこともあり得るのですが、モデル法に合わせるということであれば、そういう価値判断を取るというのも1つの方法ではないかと思います。
□ ほかの方、いかがですか。
● ここのところは、モデル法制定の際もさんざん議論されて、各国でいろんな主張が出て、モデル法自体、論理的に整合の取れた形でまとめられたかどうか、やや疑問のところもあると思うのですが、いずれにしても、モデル法を制定する際に非常に懸念されたのは、仲裁権限を争う側が引き延ばしのために、いろいろと裁判所へ出て行って、仲裁権限の有無について争う余地を多くしてはいけないという観点から議論されておりました。そういう関係で申立期間も30日になっていますし、もし本当に仲裁権限の有無を確定するのであれば、裁判所の決定が一審限りでいいのかというのも本来的には問題ですし、それから判決なり決定なりの効力、客観的範囲、人的範囲の問題のほか、もともと仲裁廷に対して義務づけなり、意思表示なり行為を強制するような、判決はそもそも出せない上での話ですので、結局どこで線引きをするかという、最終的には先ほど来出ている価値判断になるのではないかと思います。
ですから、この点では、なるべく仲裁手続を進行させる側には流れをさえぎらないけれども、一旦仲裁廷の方で判断して進行が止まってしまった場合には仕切り直しでいくという考え方も、十分あり得るところかなというふうに思われます。
● 仮に権限があるかないかについて、ここで本当に最終的な決着を図るということになると、訴訟ということで仕組まないといけないことになると思うのですが、そうすると、すべての手続について不服について訴え的なものを仕組んでいかなければいけないということになって、かなりモデル法から実質離れてしまうということになるのではないかという気がしておりますが。
□ 今の議論との関係で、中間的に仲裁権限があるかどうかをこの段階で裁判所に判断を仰いでしまうという場合に、後で取消申立てや強制執行の段階では蒸し返すことができるのか、できないのかというのは、どうですか。現在の制度だったら判決手続ですから、決定手続でやったことについて、もう一度判決手続で慎重にやり直すということが、理論的に説明できるのですが、後の方も今度は決定でやるというようなことになりますと、どういうふうになるのですかね。はじめに仲裁権限ありと仲裁人が考えて、それに不服申立てをして裁判所もあるという判断をして、それで仲裁判断が出てしまった場合、後から取消しのところでやはりあれは仲裁権限がなかったと言えるのか、言えないのか、その辺はどういうふうに考えますか。
● 手続上で争っている限りは失権はしませんので、その場合は取消しの段階で更にまた権限はなかったということは主張できると考えています。
□ もう一度できるという前提でということで。
さっきの、仲裁権限なしとした場合も、裁判所への不服申立てができるかどうかというのは、どなたか御意見ございますか。先ほど、それも認めるというお考えが、お二人から有力に主張されましたけれども。
○ 今までの議論を伺ったり、モデル法制定の経緯を見ていると、論理的にどちらかに割り切れるというほど単純でもなく、政策的な決断の問題だろうと思いますが、決め手がない以上、モデル法に従うということでよろしいのではないかと思います。
□ それでは、もう少し検討させていただいてよろしいですか。今日は、こういうことでよければと思ったのですけれども、異論もありますので、更に次回に検討させていただいて、もう一度させていただくということにしたいと思います。
それでは、次は、時効の中断のところですけれども、これは、かなり難しい問題ですので。お願いします。
【V 仲裁手続について 〜1 時効の中断について〜】
● 仲裁の目的となっている権利の消滅時効の中断についての意見募集の結果は、参考資料12の77ページに記載されています。中間とりまとめで示したA案の、仲裁手続は、当事者に別段の合意がある場合を除き、仲裁に付する申出が相手方に到達した時に開始するとした上で、開始の時に時効中断の効力を生ずるとする意見が多数でした。
枠内では、中間とりまとめのA案、B案を基本として甲案及び乙案を設けました。
甲案は、中間とりまとめのA案を基本としたもので、A案の難点、当事者が手続開始時点として、時効中断を認めるには適さないと考えられる時期を定めた場合にも、その時点で時効中断を認めざるを得ないという難点を解消することを意図したものです。甲案ではこの点について、手続の開始時期として、相手方に仲裁に付する申出が到達する相当の蓋然性が認められる時点から実際に相手方が仲裁に付する申出を受領したまでの間の時点を定めた場合のみ時効中断効を認めようとするものです。
他方、乙案は、中間とりまとめのB案を再構成するものです。ただし、仲裁に付する申出を受けた仲裁機関の懈怠により、相手方が仲裁に付する申出を受領しなかった場合にもその申出の時点で時効中断効を認めることは、仲裁に付する申出がされたことを知らない相手方に酷な結果をもたらすと考えられることから、仲裁機関が行った仲裁に付する申出を相手方が受領した場合にのみ、その申出時点で時効中断効を認めようとするものです。
検討会でも時効中断規定の在り方については意見が分かれたところですが、再度御議論いただきたいと思います。
枠内2は、仲裁に付する申出の取下げにより仲裁手続が終了した場合等の時効中断の帰趨について取り上げたものです。取下げにより仲裁手続が終了した場合には、民事裁判における訴えの取下げに準じ、時効中断の効果が生じなかったことになると考えられますが、この点の規律については、民法の所定の規定を準用することや、読替え規定又は必要な個別規定を設けることが考えられます。どのような規律をするのがよいのか、御意見をいただければと思います。
また、このとりまとめのことについては、まだ十分事務局の方でもよく練られておりませんので、中間のものとして御議論いただければと思います。
□ かなりこれは難しいものですが、甲案は、中間とりまとめのA案で、仲裁手続の開始の時に時効が中断すると。開始の時がいつかということについては、両当事者が別段の合意をすることができる。別段の合意がなければ相手方に到達した時だという考え方です。
乙案の方は、時効中断の時期について、原則として相手方に到達した時だとしながら、機関仲裁については、別段の合意と言いますか、仲裁機関に申立てがなされた時に、時効中断の裁判上の請求をしたものとみなすという簡明な規定にしたわけです。甲案がいいか乙案がいいか御議論いただいて、そしていずれにしても、2の、時効中断が実は生じなかった場合については、何らかの規定を考えなければいけないということで、今、事務局が言われたように、十分な詰めが行われていませんけれども、御意見をいただければ、更にこちらで検討を進めたいと思っております。ちょっと複雑でわかりにくい規定だと思いますので、御質問からでも結構です。
○ これを拝見したところ、甲案も乙案も、甲案のただし書きを読む限り、乙案に限りなく近い形ですね。したがって、私は、実質的に変わらないような感じを受けました。であれば、そういう複雑な規定を設けずに、規定としては簡明にすべきであろうということで、乙案の方が望ましいのではなかろうかという感じを持ちました。
ただ、仲裁機関の点は、これは確かに、申立てがあった場合に、仲裁機関の方で相手方に仲裁申立てがありましたよという通知を行うのが普通ではありますけれども、仲裁機関によっては、例えばアメリカ仲裁協会でも日本を仲裁地とする仲裁はあり得ますから、そのアメリカ仲裁協会の仲裁規則を今日見ていましたら、仲裁を開始する当事者は、仲裁機関と相手方の当事者に対して、仲裁申立ての通知をせよという規定になっていますので、そうすると、必ず仲裁機関が相手方に仲裁申立てがあった旨を通知するとは限りませんので、それはこの書きぶりだとカバーできないという部分があります。
したがって、甲案の注の規定は、従前あったかと思いますけれども、私はこの規定が非常にシンプルで、わかりやすいかと思います。ただ、事務局の方から、時効の制度の趣旨からして、当事者間で別段の合意というものは原則としては許すことはできないことで、受領時が原則だということをお伺いしましたので、そういった面からできないということであれば、それは仕方ないのですが、そうでなければ当事者間で別の合意で手続開始であっても、時効中断できるということで可能であれば、今の注の規定の内容が一番シンプルで、かつ適格な内容だと感じております。
● AAAの仲裁規則が必ずしも仲裁機関が申出書を送るということをしていないというのは、こちらも承知しておりまして、乙案ですと、(2)のただし書きのところで、「当事者間において、一方の当事者が仲裁に付する申出を仲裁機関に対して行い、仲裁機関がこれを他の当事者に通知することを合意した場合に限る」という形で、仲裁機関が申出書を送るということを仲裁機関が合意している場合に限って、仲裁機関に対して提出した時に時効中断が生じるということで、一応その手当てをしているつもりでございます。
○ 「仲裁機関がこれを他の当事者に通知すること」というのは、そのまま素直に読めば、仲裁機関がその行為を行うということではないのですか。
● 仲裁に付する申出を通知するということ自体を仲裁機関が行いますというような規則になっている場合に初めて、仲裁機関に申出書を提出した時に時効中断するということを表わしたつもりなのですけれども。
○ つまり、アメリカ仲裁協会の規則だと、この規定外になりますね。したがって、この規定から外れますから、受領時でしか時効の中断をしないということですね。
□ はい。
○ そうすると、仲裁機関とアドホック仲裁との違いというものは、その辺りはだんだん接近してくるわけですね。要するに仲裁機関といっても手続の在り方が機関によって違いますので、したがって仲裁機関が自ら申立ての受理の通知を相手方に通知するという制度を取っているものしか、ここでは相手にしないということですね。
□ はい。しかも、括弧内に書いてあるのは、相手方が受領した場合に限ると、受領しなかった場合にはさかのぼって効力は生じない。
○ ただし、私の感じですと、アドホック仲裁は、申立人が相手方に仲裁を行うという意思表示を通知いたしますね、それと仲裁機関が当事者に代わって申立てがありましたという通知をすることの間に、実質的な違いはないのではないかと思うのです。受領したかどうかということは非常に大事でしょうけれども、それを仲裁機関が行うのか、申立人が行うかに本質的な違いがあるようには思えないというふうに思います。
また、仲裁機関の方も直送方式と言いますか、「相手方に申立ての通知をすると同時に」というようなところが、私が聞いたところによると、だんだん増えていきつつあると思います。
したがって、そういう意味では、必ず仲裁機関が一旦受けて、それから相手方に通知するというよりも、同時に申立人が被申立人に対して通知して、かつ仲裁機関に対しても通知をしたという旨を証する書面を付けて、それで申立てを行うというような機関も実際にありますし、今後も出てくると、また私は増えるのだろうと思いますので、そういった意味から、仲裁機関というものが必ずここに書いてあるようなことを行うとは限らない、将来そういったものから外れる機関が出てくるということは、考えておかなければいけないと思います。
● 今の場合ですと、申立人が相手方に直送しているというのと、仲裁機関の方に提出したのと二重になるのですか。
○ いや、機関からは行かないです。
そうしたら、申立人が相手方に届かない限り時効中断しませんね。仲裁機関の場合には提出した時に、原則中断するわけです。その方が時間的には早いわけです。その違いがありますでしょう。
● で、その仲裁機関は、受け取った申立書自体を相手方に渡すということはしないわけですね。
○ アメリカ仲裁協会の場合ですか。
● いや、今の設例によると。
○ 設例というか、今ここで想定しているのは、仲裁機関で申立てを受けて、相手方に通知をすると、申立てがあった段階で時効を中断する。ただし条件として相手方にそれが届くということが条件ですね。
それに対して、別の仲裁機関は、申立人が仲裁機関と相手方に同時に申立ての通知をすると。それでここから外れる。そうするとアドホック仲裁と同じで、相手方が受領したときに、初めて時効が中断すると。仲裁機関の方に提出したのは、これは必ず仲裁機関が存在しますから、したがって送達ができないということはまずありませんから、その段階で時効中断ができるものが、そういう相手方に送達ができないこともあるような場合は、仲裁機関を使った場合であっても、それはアドホック仲裁と同じことになりますねということを申し上げているわけです。そういったものが、現在もありますし、今後出てくるだろうということです。
○ 全体的に見まして、甲案の注で、「当事者間の別段の合意がある場合を除き」ということで、今の仲裁通知のものでカバーされますね。それと乙案を一緒にしたような表現方法もいいかと思うのです。
と言いますのは、「裁判上の請求があったものとみなす」ということよりも、そこで時効が中断すると、はっきりそう言ってしまった方がいいのではないかというふうに考えております。
□ 裁判上の請求があったものとみなすということになると、これは民法によって当然時効が中断するわけですね。注にある考え方は、そこで開始があったということですから、それにまた中断効を結び付けると二重になるのではないでしょうか。
○ むしろ、甲の方の、少しただし書きがわかりにくいということです。
□ よろしいですか、仲裁手続の開始はいつかという問題と、時効の中断はいつかという問題と2つありまして、この甲案というのは、開始の時点から定めているわけですね。開始の時点に時効中断効をくっつけている。ところが、開始の時点というのは、当事者が別段の合意をすることができますから、そうするとその別段の合意が、とんでもない時期を合意するということになると実態から離れていくと。だから、当事者が合意をする開始の時点は、時効の中断に関する限りは、ここのただし書きに書いてあるような、申立書が合理的な期間に相手方に到達すると思われる時期から、実際に到達したその間の時点を合意しなければ、時効の中断に関してはだめだと。
開始の時点は当事者が自由に合意しても、時効の中断についてはこうだというふうに書き分けているものだから、非常にわかりにくいわけですね。
○ 甲の方でいっても、当事者間に別段の合意がある場合ということは生きてくるわけですね。中断の効力が生ずると。
□ はい。
ほかの方、いかがですか。今、乙案の方が簡明だという御意見がありましたけれども。
○ 私も乙案でよろしいかと思うのですけれども、○○委員がおっしゃった裁判上の請求があったものとみなすということは、それしかないのかどうかと。
○ 日本人にはよくわかるけれども、英語にした場合にそれでよいのかということです。
○ 特にADRの方で、時効中断効の議論があると思いますので、それはまだ結論が出ていないのでしょうが、それは規定ぶりとして裁判上の請求とみなすという規定になるのかどうか、むしろそちらの方との平仄を意識した方がいいのではないかと思いますけれども。
○ 「裁判上の請求」が、非常にわかりやすくて、例えば普通に請求をして、6か月経って、ぎりぎりのところで仲裁の申立てをする場合に、時効の中断をきちんとしてくださいという感じでは非常にフィットするのですね。ですから、外国向けに訳すと言われると困るのですけれども、もともと前にも言ったとおり、やはり乙案をベースにするというのが、受領がどうしてもずれてしまうということは、時効の点で非常に困るので、やはり、仲裁機関とは何ぞやということになるかもしれないけれども、一定の信頼のある機関に申出をしたときには、そこで時効を中断するというと、安心感と言うか、これは尊重すべきだと思うのです。
だから基本的には乙案をベースに考えていくべきではないかなと思いますけれども。
○ 今の○○委員が言われた認識は、ほぼこの検討会でのコンセンサスなのだろうと思います。
ただ問題は、仲裁機関というのが書けるかどうかという、ですからそれと同じ実質を仲裁機関ということを書かずに達成しようとしたのが甲案であるというのが私の認識です。
中間試案の段階では、「法人その他の団体」になっていて、この段階で「仲裁機関」という言葉になっているのですが、これは、仲裁機関というのは一体何なのでしょうか。
● 仮に定義規定を置くとすると、仲裁事務を業として行う法人その他の団体というのを一応考えております。
○ なぜ、法人その他の団体であれば、当然に申立ての時点で時効が中断するのか。つまり、私がやればだめだけれども、私が自分の出資金を出して、○○仲裁株式会社とか、株式会社かどうかは知りませんが、何かそういう仲裁機関をつくれば、それでできるようになるということは、どうしてもその合理性に納得ができないという感じがします。
● それは根本的な問題だと思うのです。ADRの方で検討されている時効中断の方で、どういう機関であればよいのか。ここで問題になっているのは、提出された申出書を相手方に確実に伝えるということが保証されているかどうかということが、むしろ問題になっているわけです。そういうところだということで、認定できるかどうかというようなことが実質なのかもしれません。
仮にそうだとすると、仲裁法で書くことはなかなか難しいということになる。
○ ですから、私も理想は、もしADRの方で認証ADR機関みたいなものが仮にできて、それについて時効中断について一定の規定を置く、法的効果として認めるということになれば、仲裁もそれにそろえたような形で中断時点を決めると、それは非常にきれいだというふうに思います。
ただ、立法の時期がずれるという問題はどういうふうに解決するかということで、私も甲案的なものがいいと思っていたわけですが、確かに事務局のおっしゃる問題があって、これは非常にただし書きがごたごたするということは確かにあると思いますので、何かそういう工夫ができないものかなと思うのですが。
○ 私は乙案でいいのではないかと思います。○○委員が、なぜ法人その他の団体と個人を区別するのかと言うのは、もちろんおっしゃる趣旨もわかりますが、しかし、わざわざ仲裁を業とする機関を設立するとしないとの間には、やはり大きなハードルがあって、現実の問題としては個人が行うのと、それを業とする組織された団体が行うのとは、類型的に違うということを言っても別におかしくはないと思いますし、定義がつくりにくいかどうかは、先ほどの事務局のような簡明な形で定義ができるのであれば、そこの問題はないと考えております。
むしろ、ADR基本法の方の議論を掘り下げるつもりはございませんけれども、どうして認定ADR機関でなければならないのか。非認定と認定で時効中断が区別される方がよほど疑問がありますので、ADRの議論にゆだねるべきだという御意見には必ずしも賛成できない。
○ それは私の認識では、問題は法人格とか組織形態ではなくて、そこに出されたものが、きちんと一定の期間内に届くような体制がそこで整えられているかどうかというところに重点があるということで、認定と申し上げたのはそういう趣旨で、そういうふうな体制が整えられているかどうかということを確認するすべが必要ではないかと、それだけのことです。
○ それは、認定で仕切るか組織で仕切るかというのは、どちらもあるのかもしれませんが、類型的に、組織化されているものは、それなりに届く蓋然性が高いという前提で立法を仕組んでもさほどおかしくはないのではないかと思います。
○ 今の○○委員の意見と関係しまして、繰り返しとなりますが、仲裁機関がやるのも、申立人がやるのも、私は余り変わりがないと思うのです。
もう1点は質問でございますが、仲裁機関がこれを他の当事者に通知することを合意した場合に限るということは、これは仲裁機関が通知することであって、通知が相手側に受領されるということがなくてもいいわけですか。
● それは、ただし書きの前の「相手方が仲裁に付する申出を受領しなかった場合を除く」ということで。相手方が受領しなかった場合については、およそ時効中断効は生じなかったことになります。
○ そうすると仲裁機関が入る仲裁であっても、仲裁機関がした通知が相手方によって受領されたことを条件に、仲裁申立て時点で時効が中断するということですか。
● はい。
○ そうすると、アドホック仲裁で申立人が仲裁機関を使わずに、仲裁の申立てを相手方に通知をすると。その場合に、例えばそれが受領されたといった場合に、申立ての発信日、発信時点でもって時効は中断するというふうに規定したのと変わりはないということですか。
□ いや、それは違います。
○ だから仲裁機関が行うのと、申立人が通知を行うのと、私は実質的に違いはないと思うのですけれども。仲裁機関というADR機関とか何かそういったことがよく言われますけれども、すべての組織が確たる組織になっているとは思いませんので、今、○○委員がおっしゃいましたように、単なる法人、仲裁をやりますという団体であれば何でもいいのかという話になってきますので、そうすると、申立人自身でやるのと、仲裁機関が入って、その通知を代わりに出すみたいなものとの違いが、実質的な違いがないというふうに私は認識しています。
□ そうなると、○○委員の御意見は、乙案ならば1だけで結構だと、相手方が受領するということが時効中断になると。
○ いえ、相手方が受領することを条件として、申立ての通知を発した日に時効が中断する。
□ 今までそういう考え方はありましたかね。
○ そういう考え方に対しては、時効の趣旨からして発信日を時効の中断の時期にすることは、民法の時効の中断の趣旨に反するということをお伺いしたかと思うのです。
ただ、それは仲裁機関という名前が付けば、申立書を仲裁機関に出した時点で時効が中断することとの関係において整合性があるのかどうかという辺りが、私は少し疑問に感じております。
□ これは恐らく裁判との比較で来ていると思うのです。裁判所に訴状を出すと、そこで時効が中断すると。別に発信時点ではなくて、裁判所に到達を条件としてなのです。ですから、それと併せるとこういうことになるかなということだと思うのです。
○ ただ、仲裁機関というと非常に認定された機関のようなイメージを持つかもしれませんけれども、これは全く自由につくれる機関だとすれば、裁判所に対応するような機関でも何でもありませんので、したがって仲裁機関に出すことによって時効が中断するのが、時効制度の趣旨に抵触するのかしないのかというところはいかがでしょうか。
● 今、○○委員、それから先ほど○○委員がおっしゃった、仲裁機関というのはいろんな機関があって、裁判所と同じような形で裁判所にそれを提出された訴状が相手方に到達するという一連の流れというのは、必ずしも保障されていないではないかと。その場合に、裁判所と同じように仲裁機関に提出した時に時効を中断していいのかという根本的な問題はあり得ると思うのです。
そういう意味で、なおこれについて、こういう形で時効中断について仕組めるかについても、前の検討会の時に、時効中断は機関について、機関に提出された時に時効中断を何とか認められるような方向で検討できないかということで、一生懸命いろいろ考えて、乙案の中でも、結局届かなかったらだめですよという形で、届くことを前提にするとか、いろいろ仕組みを考えながら、できないかということを考えているのですが、なお、ここについては検討させていただきたいというふうに思います。
□ かなり難しい問題ですので、甲案、乙案それぞれ更に検討をさせていただくということにしまして、それでは、裁判所の証拠調べの援助についてお願いいたします。
【V 仲裁手続について 〜2 裁判所の証拠調べの援助について〜】
● 証拠調べの援助についての意見募集の結果については、参考資料12の93ページ以下に記載があるとおりです。
枠内1は、意見募集の結果を受けて、仲裁廷又は仲裁廷の許可を得た当事者を申立権者とした上で、仲裁廷がすることができない証拠調べを援助の対象とするものです。枠内3は、裁判所の決定に対する不服申立てについて新たに規律を提案するものです。中間とりまとめでは、第三者に強制力を伴った命令が発せられた場合のみ、当該第三者に不服申立てを認めるとする案を示し、これに賛成する意見が多数でしたが、不服申立ての範囲を広げるべきであるとの意見もあり、また検討会での議論も踏まえ、枠内の案を提案するものです。検討会資料30の14ページの説明にもあるとおり、裁判所が援助の申立てを却下した場合、仲裁による事案の解明に支障が生じないかといった点も考慮して検討していただきたいと思います。
なお、証拠調べの細則について、どのような規定を設けるかについては、更に検討する必要があると思われます。
□ ここでは6つの検討事項がありますけれども、どの点からでも結構でございます。御意見を賜われればと思います。
○ 証拠調べの援助を求める範囲ですが、「仲裁廷がすることができない」ということだけでいいかどうか。それは狭過ぎるのではないかというので、この説明だけだと、納得がいかないというか不十分だと思います。
□ 今、おっしゃったのは3のところですか。
○ いやいや、1のところです。
● 1のところで、○○委員のおっしゃるのは、仲裁廷がすることができないものに限定するべきではなくて、仲裁廷ができる、できないにかかわらず、裁判所の援助の申立てをすることができるようにすべきではないかということですね。
○ もう少し広げるべきではないかという意見が幾つか出ていた中で、何かまた狭いものに戻ってしまっているような感じがして、その理由が何か、意見がそっちの方が多かったというだけではちょっと。
● 基本的な発想としては、裁判所の共助、援助というのが必要な範囲で手助けをすればいいのではないかと。その「必要な範囲」というのは、仲裁廷がすることができない場合。仲裁廷ができるような当事者本人の尋問等については、必ずしも裁判所の証拠調べの援助の申立てというのは必要ないのではないかというようなことだと思うのですけれども。
○ 結局は、文書送付嘱託とか調査嘱託をどう扱うかというところだと思うのです。
○ 質問と言いますか、確認でございますが、今回の案で、仲裁廷が自ら証拠調べを行うときに、証人が出頭しないというときに、証人の出頭を強制してもらうことを裁判所にお願いするということは、この中身でカバーされているということでよろしいのですか。
● 仲裁廷が証拠調べをする場合ですか。
○ はい。
● それは入っておりません。
○ それはどうして外されたのですか。
● それは、この前の議論にもありましたけれども、どういう仲裁廷がどういう手続でもって証拠調べをするのかということが、必ずしも明らかではないので、それについて裁判所が過料の制裁等で出頭を強制するような形というのは、なかなか難しいのではないかということです。
□ ですから、そういう場合には裁判所に行って、そこで証人尋問をしてもらうという選択肢です。
○ 1は、先ほど御説明がありましたように、仲裁廷ができることはやっていただいて、できないことは共助でするというのでいいと思うのです。が、今度入りました3なのですけれども、基本的に、仲裁に関わっていくときに、今までは援助というのは大体共助の形で考えられてきたと思うのですけれども、そうしますと、ここだけ不服申立てが抗告まで申し立てられるとなってきますと、前から申し上げているように、まず、どういう要件を審査するのかということも非常に問題になるでしょうし、更に抗告まで認められるということですと、他のADRとの兼ね合いとか、送達の援助とか、一連の制度の中でここだけが特別な扱いを受けているような感じがします。そういう意味では、必要性の点で御指摘いただいたところはあるのですけれども、仲裁と裁判所、ADRと裁判所との仕組みからいけば、ここはやはり抗告までは、慎重に再検討していただいた方がいいのではないかというふうに思います。
○ しかし今の点は、ほかのADRの場合は裁判を受ける権利が残っているわけですけれども、仲裁は裁判を受ける権利がなくなるわけですから、仲裁廷で証拠調べができない状況がある、それで裁判もできない、しかも、裁判所は証拠調べに協力してくれないとなると、当事者の権利救済という観点から、抗告を認めないと、その権利は本来救済されるべきなのにされなくなってしまう、どこにも逃げ道がなくなるということになりはしませんか。
○ そこはわからなくはないけれども、そういう仕組みとして仲裁の方を選ばれて。
○ いや、仲裁を選んだことには別に過失はないので、この場合は裁判所が共助してくれなかったことが問題だと思うのです。
○ ここだけが抗告というのが、やはり少し引っかかるのですけれども。
○ 証拠調べというのが、権利救済、真実発見にとっての根幹ですので、全く抗告なしというのもいかがなものかと。
それから1の関係で、○○委員の御質問にお答えがなかったのですけれども、結局、○○委員の御懸念の根幹は、「仲裁廷ができないもの」というのが何に当たるかということで、ここが適切に仕切られるのであれば、恐らくさほど御異議はないと思うのです。
前から出ております、強制力を伴うものは仲裁廷ができないのは当然で、文書提出命令みたいなものですね。これは恐らく異論なくこれに当たると思うのですね。
以前の議論を覚えておらないのですが、嘱託の関係はどちらの仕切りだったのでしょうか。
● 多分、補足説明にも書いたと思うのですが、文書送付嘱託を第三者に対して申し立てた場合に、第三者に法的義務を課するということであれば、仲裁廷がすることができない証拠調べということになると思っております。
○ 一般的な民事訴訟法の説明では、制裁とか強制手段はないけれども、送付嘱託とか、その他の嘱託には相手方は応じる公法上の義務があると言われておりますので、その説明でよろしいとすれば、これは仲裁廷ができない証拠調べに当たるので、この1に当たるという理解で。
● 一応補足説明で、NBL別冊71号の62ページの左上の方に書いてあるのですが、調査嘱託又は文書送付嘱託について、裁判所がこれを行う場合には、嘱託先に公法上の応諾義務が生じるのに対し、仲裁廷が行うものは任意の協力依頼にとどまるものと考えられるから、やはり仲裁人がすることができない証拠調べに当たるとするのが論理的帰結であろうというのが、一応事務局の今のところの考えでございます。
○ 1つまた教えていただきたいのですが、先ほどの証人の証拠調べの件ですが、実際に裁判所に証拠調べの援助を求めることは、少なくとも国際商事仲裁の手続の中では、現実にはそんなに使われていないと思うのです。現実に必要が出てくるのは、恐らく1つの例としまして、さっき申しましたように、仲裁人が職権でAさんを証拠調べをしたいと、ところがAさんは来ないといった場合に、出てもらいたいということで強制したいと。その場合は、裁判所に対してお願いするわけですね。そのAさんを証拠調べの対象にするのかどうかという判断、それはだれがするのですか。仲裁人はしたいと言う場合に、裁判所はそれについて必要性を判断するのですか。
● この示されている案では、基本的には仲裁廷が必要と認める証拠調べで、仲裁廷がすることができないものについては、基本的にはそのまま認めると。
ただ必要性について、Aさんを調べたい、50時間聞いてくださいというような申立てをした場合とかです。普通の事件であれば、1人の証人として1時間半とか、せいぜい2時間ぐらい聞くわけですけれども、それをかなり変な形で聞いた場合、それをある一定の限度で制限することは当然あり得ると思うのです。それは、必要な事項は何かということを申し立てた仲裁廷との間でやりとりをして、必要なことについて援助しましょうということになるのではないかと思っております。
○ それの続きなのですけれども、その場合に、時間だけのファクターではないと思いますけれども、国際仲裁では大体1日やっていますから、1人の証人に6時間ぐらい平気で証人尋問をやっていますね、クロス・イグザミネーションを含めると。
その場合に、今、仲裁廷が必要ということで認めた場合には裁判所がやってくれるということであれば、それを裁判所に頼まなくても、仲裁廷がその手続を自らやるのと違いがないと思うのです。むしろ仲裁廷が自らやることが証拠調べの本質だと思いますので、裁判所がそういった形で証拠調べをやって、仲裁人がそこに同席して質問できるという間接的な手続を取るのではなくて、やはり直接証拠調べができる形に仕組む方が仲裁手続の本旨に従ったものだと思いますけれども、その辺はいかがですか。
● それは先ほどお答えしたのと同じですけれども、仲裁廷といってもいろんな仲裁廷があり、どんなところがあるのかというのが想定できませんので、そういうところのよくわからない仲裁手続において、どういう仲裁機関かもわからないところに強制力を持って出頭しろということを命ずることは、なかなか難しいのではないかと。
○ だけれども、仲裁廷が必要だという理由を裁判所に出して、裁判所が相当と認めた場合に強制するわけですね。
● その裁判所において、裁判所の手続で証人尋問をするということですので。
○ 裁判所の監督の下に。
● 監督と言うか、証拠調べ自体を行っているのは、共助ですから裁判所の方で証拠調べを行うと。
ただ、おっしゃっている趣旨はわかりますので、その証拠調べに仲裁人が立ち会って、発問等をするというような便宜を図っていくということも必要だろうというふうに思っております。
○ 裁判所外で仲裁手続の中で証拠調べをすることには、さまざまな問題点が生ずるということから、それをやらせないということですか。
● そうです。
○ そうすると、裁判所の建物の中で裁判官がやれば、それは防げるということですか。
● 民事訴訟の手続にのっとって裁判所がやると。
○ 民事訴訟の手続というのは、要するに証拠調べに関する手続ということですね。
● そうです。
○ それで、仲裁手続の証拠調べに関しては、当事者が合意してルールを作って、反対尋問をやるだとか、いろいろありますね、そういったものとの関係は、裁判所でやる場合には仲裁合意の内容に従った証拠調べをされるわけですか。
● 裁判所が行う場合には、ここに書いてあるものでは第4でありますけれども、民事訴訟法第2編第3章の規定を準用するという形で証拠調べをすると。
○ この規定は、よくわからないところがあるのですけれども、例えば裁判官が常設仲裁機関の方に出向いてやるというのは、これに入るのですか、入らないのですか。
● 期日外尋問を行うということですか。
○ それもありますが、法廷でやるというのは、裁判所法の方の規定であって、民事訴訟法ではないですね。
● 今言ったのは、手続の問題でして。
○ ですから、この形で規定になるのかどうかわかりませんが、この規定ぶりだけだと、裁判所の建物の法廷を使ってやるというところまでは直接には読み込めないですね。
● 裁判所法も準用をした方がいいということですか。
○ 私は、むしろさっき○○委員がおっしゃったように、できれば仲裁廷への出頭命令のような形も認めておく余地を、実際にどこが使われるかは別として、認めた方がいいと思っておりまして、おっしゃるように、どんなところにでもわけもわからずに、過料の制裁を課して出ていけと言うのはしにくいことはよく理解しておりますが、そこは裁判所の方に裁量権と言うか、適切と認める場合にのみ命ぜられるような規定ぶりにしておけばいいわけで、恐らくどなたも、海運集会所に出向いていってやれというのを、危ないからだめだとはおっしゃらないと思うのです。
● 海運集会所さんが言ってきた場合はいいと思うのですけれども、わけのわからないところはだめだと。
○ ですから、裁判所が怪しげなところははねられるような裁量権を付与しておけばいいのです。
○ 断わるときには、お宅は怪しげだからだめなんですと。
○ これはしようがないですね。言うまでもないことですけれども、我が国も含めて、常設仲裁機関以外が仲裁をやるということは、現実にはほとんどないし、それが更に裁判所の共助を求めるというのは、アドホック仲裁ではほとんど考えられないわけです。論理的にはあり得ますが、現実にはほとんどがよくわけのわかった常設仲裁機関から依頼が来るわけで、それが全く受けられない仕組みというのは、ほとんどあり得ない事態を前提にすべて排除してしまうというような論理なので、多少御再考いただけないかと思います。
● 第三者に対して証拠調べ等ができないということであると、それは仲裁合意をした趣旨にもとると思いますので、それは実現させていかなければいけないと思うのです。
ただ、その実現のさせ方として、仲裁廷に出頭しろという場合も認めなければいけないかどうかということですので、裁判所の援助を求めていくということについては保障していかなければいけないと思っていますが、それ以上に仲裁廷までというと、数は少ないかもしれませんけれども、懸念もあり得るので、そこの点はなかなか難しいのではないかと思います。
○ もし今のがだめであれば、最初に申し上げた、裁判所の建物を使わなければいけないというのは、これは裁判所にとっても負担が大きいと思いますし、ただでさえ法廷はなかなか空きが少ないと言われているので、裁判官が立ち会わなければ不安だと言うのであれば、おっしゃったように出張尋問の形を取るのか、仕組み方は幾つかあると思いますが、何も裁判所の貴重な施設を利用しなくたっていいのではないかと。
○ 追加で補足ですが、今の御意見に関してでございますが、私は、もし裁判所でしか証拠調べができないのであれば、裁判所の建物の中で、仲裁人が証拠調べにタッチして、裁判官の方が同席するという形の選択肢も、入れていただけるものであれば入れていただきたいというのが、実務の方からの要請としては、そちらの方が大きいと思います。
● 5がその実質で、立ち会って発問することができるということになっていまして、基本的には裁判所が詳しい事案の内容だとか概要などはわかりませんから、実質的な主体となって証拠調べを実施するのは、実態としては仲裁人が主体になるだろうと思います。
○ 証拠調べに立ち会うということですね。
● はい。規定ぶりとしては、先ほど言いましたように裁判所が行う。裁判所が主宰して行う証拠調べにおいて仲裁人に立ち会ってもらう。規定ぶりとしてはそうなると思うのですけれども、実態としては仲裁人の方が事案の内容がわかっていますし、発問するのも、仲裁人の人がいらしていれば、裁判所がいちいち聞いたりするというのは、ほとんどあり得ないと思うのです。
ただ、そこで仲裁人が侮辱的な尋問をしたり、何か威嚇的なことをやれば、裁判所はそれを制止すると思いますが、そうでない限りは仲裁人の方で自由にやっていただくことが実態なのではないかと思います。
○ 例えば、手続が英語でやっている場合とか、いろいろありますね。そういった場合に、実態としては裁判所の中で仲裁人が証拠調べができると、そういう理解でよろしいのですか。
● いや、英語でできるかと言うと、これは記録を取ったりするということもございますので、一応英語は想定はしていないのですが。
○ 国際商事仲裁では、証人が日本語しかしゃべれない場合の通訳は付きますけれども、そうでない場合には英語でやっている場合もありますから、そういったものを裁判所の中で行うときに実質的に仲裁人が証拠調べを行うといった場合に、仲裁人は通訳は要らないと、費用もかかるといった場合に、実態としてそういったことができるということであれば、そういったことも考えていただかないと機能しないと思いますけれども。
建物の中でやることさえやって、変なことをやると裁判官の方でチェックしてそれを止めるという役割だけでしかないのであれば、仲裁廷が必要と認めて、裁判所の方でも一定のチェックが入るのでしょうけれども、そこで証人の例えばAさんならAさんが決まったとした場合、どうやるかという監督するだけの問題であれば、出張で来ていただくなり、あるいは裁判所で仲裁人が証拠調べをやるのと、どちらでもいいのですが、同じ形にしていただいた方が。
● 監督をする上で、どういう言語で尋問をしていくのかという尋問の応答自体も裁判官自身はわかりませんので、やはり日本語で行っていただくということにならざるを得ないのではないかと思います。
○ 多分国際仲裁の世界だとそこがボトルネックになってしまって利用はされないと、そうすると仲裁廷としては今の現行法の体制でもって、−−証拠調べに限度はありますけれども、−−やらざるを得ないということで、使われないなという感じを受けます。
○ 私は少なくとも日本語と英語ぐらいはやっていただかないと、という感じですね。あとは、○○委員がおっしゃったようなことです。
○ 補足ですけれども、もちろんアメリカ人を呼んで日本語で質問したってわからないわけですから、当然通訳が入ると思いますので、そういった点では、日本語で通訳は英語ということになると思います。
○ 先ほど申し上げた、今おっしゃった裁判所内で仲裁人が主体でやるという話で、裁判所外だと、直接は民事訴訟法の185条の規定の運用ができるのかという話だと思うのですが、ここは何か御意見がおありになるのでしょうか。
● 特にその必要性があるのであれば、185条の期日外尋問ということもあり得ると思いますが、裁判所の負担ということを考えると、期日外尋問を行うことは余りないのではないかという気がしますが。特に本当に必要性がある場合に限られるのではないでしょうか。病院における尋問等とか。
○ 裁判所でやる方が負担が少ないということですか。
● はい。
○ 簡易裁判所に嘱託してとか、そういう形でもできますね。あるいは受命とかでも。
● どこかへ出かけていかなければいけませんので。
○ もちろん行き先は常設仲裁機関ですけれども。これは通常の訴訟と同じような運用になるイメージですか。
● いろいろな御意見が出ましたので、少し私も整理できていないのですが、証拠調べの援助に関して、証拠調べの実施主体をだれと見るかということと、場所なり物的設備をどこでやるかということは、少し分けて考えることはできるのだろうと思います。
援助の申立てを受けたときに、それに応じるということは、例えば証人の場合であれば、強制力を持って出頭させるわけですし、その後、どういう具体的な証拠調べがされるかについて裁判所が予測がつかない、つまりどういうようなクロス・イグザミネーションなり、あるいは証言拒絶がどの範囲で認められるのかというのが、全く関与できない形で、単に出頭を強制するだけの役割を担わせて、それでいいのかということは、考えなければならないのだろうと思います。
宣誓の問題とも絡むかもしれませんが、もし、具体的に証人が答えたくないと言ったときに、その先をどうするのか。証言拒絶理由の有無等の判断をだれがどのようにするのか。あいるは出てこなかったときに、不出頭に正当な理由があるかどうかについて、いつ、だれが、どのような形で判断していくかということを考えますと、やはり民事訴訟法の規律に置いておいて、裁判所が適切なコントロールを発揮しつつ、事案解明のためには、積極的に仲裁廷を立ち会わせるという形の運用で、大方は賄えるのではないかという感じもしているのですが。
○ 今、お話をいただいたところはわかるのですけれども、実際にどのぐらいの申立てが出てきて、どのくらい法廷が使用されることになっていくというようなところも、ある程度想定していただいた上で、また検討を続けていただければありがたいという気もいたしましたので。
□ そういう実際上の予測も確かに必要だと思いますが。
● 先ほど○○委員から御指摘があった3番目の、抗告の申立てをすることはどうかということがあったのですけれども、そこに関しては、民事訴訟法の場合には、必要性云々の判断というのは上訴によって判断するということで、不服申立てというのはそこにないのです。
ただ、仲裁で不服申立てがないとすると、先ほど言いましたような形で、何らかの形で証拠調べはしませんよと言った場合に、第三者の証人というのがこの仲裁事件でどうしても証言として必要だと言った場合に、それは調べられないとなってしまうと、なかなか難しい面はあるのではないかという感じはしております。その点はいかがでしょう。
○ 必要性というお話は、お話をいただくとわかるのですけれども、ただ、先ほども、どこへどう出頭を求めるかについては、裁判所にある程度裁量を認めて出頭を求めたらいいじゃないかというようになりますと、どういう場合に認める、認めないというのが、抽象的にしか表現ができない難しい微妙なことが絡む問題なのだと思うのです。
これについて、一方で裁判所の裁量を広く認めつつ、他方で抗告をもってまで争わせるというのが、枠が抽象的なのに、不服申立てを認めるということに整合性の問題があると思います。
それからほかの規定との兼ね合いというところからいって、そういう意味では送達も、されなければ手続が始まらないとか、そういうのもあり得るかもしれないところ、そこのところは共助でいいのに、ここだけがなぜ抗告まで認められなければいけないのかとか、私自身まだよく煮詰まっていないのですが、必要性だけを理由にここだけ枠を外していいのかというところにためらいがあるというふうに考えております。
□ どうもありがとうございました。この点は、まだまだ議論をしていかなければいけないので、今日はこのぐらいにさせていただきます。
○ 1つだけよろしいですか。さっきの話と絡むのですが、中間とりまとめでは、出頭命令の項目があって、今日の結果ですと圧倒的な支持を得ているようですが、それが入っていないというのは、どういう御判断なのですか。
● 法制的になかなか難しいということです。
□ よろしいでしょうか。今日は、もう一つの検討会資料31というのがありまして、ここに消費者の仲裁に関する大きな問題がございますので、それでは引き続きまして、消費者と事業者との間の仲裁に関する特則についてお願いいたします。
【消費者に関する特則について】
● 消費者に関する特則についての意見募集の結果は、前回の検討会で速報版でお示しいたしました。今回は、参考資料の中にもう一度入っておりまして、184ページ以下で確定版としております。意見の全体的な傾向については、速報版とほぼ同様です。
レジュメの枠内では、これまで重ねた検討や前回のヒアリングの結果、それから意見募集の結果を踏まえて、消費者と事業者との間の仲裁契約の効力と方式を組み合わせた3つの案を新しく提示しております。
甲案というのは、中間とりまとめの仲裁契約の効力に関するA案、これは特段の規定を設けないものですが、これと方式等に関するA案、B案、C案というものを組み合わせた考え方です。仲裁契約の効力に関するA案の根拠としては、この資料の3ページの2の(1)に書いてありますが、事前の仲裁契約は消費者にとって利益にも不利益にもなり得るものですので、一律に規制をするのは不合理ではないかと。
さらに、消費者契約一般の問題として他の類似の合意とともに、消費者契約法や民法一般の問題として解決するべきではないかというような根拠が挙げられております。
また、効力に関しA案を支持する意見には、消費者が仲裁契約の内容を理解した上で仲裁契約を締結することを担保する措置としては、仲裁契約の方式の規制をすべきであるという立場を取る方が多く、仲裁契約の方式に関する意見募集の結果では、A案からC案までの併用が望ましいという意見が相当数に上っておりました。そういうことで、方式の問題としては、これらを併用するという考え方を示しております。
次に乙案は、中間とりまとめの消費者仲裁契約の効力に関するB−1案を修正したものです。仲裁契約の効力に関する意見募集の結果では、B−1案を支持するものが多数を占めておりましたが、その理由については、この資料の4ページの2行目以下の説明に記載があるようなものが代表的なものであったと思います。
ところで前回の検討会で見たとおり、意見募集の結果においては、消費者団体、消費生活相談員を中心に、新仲裁法の適用範囲から消費者契約を除くべきである、あるいは新仲裁法の適用範囲から国内取引を除くべきであるというような意見が相当数ありました。
しかし、これらの意見の趣旨としましては、大半は将来の紛争に関する仲裁契約について消費者が不利な立場に立つことを懸念し、その効力を否定すべきであるというものでありまして、必ずしも紛争発生後に事業者と消費者との間で締結する仲裁契約に基づく仲裁についてまで、その効力を否定すべきであるというものではないものが大半だったと思います。
ということで、ここでは将来の紛争に関する仲裁契約を無効とするB−1案というものを採用すれば、このような懸念は払拭されるのではないかというふうに考えました。
また、B−1案を支持する意見を見ると、仲裁手続が進行しないことを念頭に置いているものが多いと考えられることとか、相対的無効という法規制がほかに見当たらないということもありまして、枠内の乙案では、無効の主張権者を消費者に限らず、仲裁契約の効力は絶対的に無効という案を示しております。
次に丙案ですけれども、この丙案は、中間とりまとめの仲裁契約の効力に関するB−2案を、B−1案に近い効力をもたらすような形で具体化したものです。意見募集の結果においては、B−2案を支持するものも少数ながらあり、一方、B−1案を支持する中にも、B−1案とB−2案の効力における違いはそれほど大きいものではないのではないかという意見も見られました。
枠内では、B−2案を取った場合の具体的な規律について具体的に示しております。その上で、乙案と丙案を比較したものを別紙として添付しております。
別紙の方は、具体的に乙案、丙案を取った場合にどういうふうになるかということについて、事務局として考えた結果をまとめたものでございます。
仲裁機関や仲裁廷による手続の続行、書面の送付、説明ができるのかどうか。さらに、消費者による仲裁契約の解除とか、無効の主張ができるのかどうか。あるいはその時期はどうなるのか。さらに、事業者が仲裁に付する申出をした場合において、消費者が仲裁手続への参加を拒否する旨を意思を示したとき、それから仲裁廷からの呼出しに消費者が応じなかったときに一体どうなるのか。さらに、事業者側が仲裁契約から離脱することができるのかといったような、いろんな場面を考えまして、乙案、丙案というような立場を採ったら一体どうなるだろうかということについて、簡単なシミュレーションをしてみたものが、この別紙でございます。
こういうようなことも踏まえて御検討いただきたいというふうに考えております。
なお、書面による通知の方法については、仲裁契約の効力の問題と関連すると考えられます。それから、国際的な要素を含む消費者仲裁の問題については、仲裁契約一般の準拠法についての規律と関連すると考えられます。これらの問題については、更に今申し上げたような項目と引っくるめて検討していくことが必要ではないかと考えております。
□ どうもありがとうございました。それでは、通知の点と、国際的な要素のものは、そういうところで検討するということで、今日は時間も十分ありませんので、ここでは甲案、乙案、丙案という3つの案を中心にして御意見を聞かせていただければと思いますが、どういう案がいいのかということからどうぞ。
○ 従来の案と比較しますと、実質的に変わっているのは、B−3案がなくなっているということかと思いますが、前回のヒアリングの際に落合先生から、うまく書ければB−3案が一番いいのではないかという御意見もございました。今回の甲案、従来のA案においては、この問題は消費者契約一般の問題なので、消費者契約法なり、約款法と言いますか、そちらの方で対処するという考え方が基本にあると思います。仮にそれができない場合に仲裁法の中で書くとしたらB−3案のような形ではないかということで、根っことしてはA案、あるいは甲案と同じだと思うのですけれども、そういう意味で、B−3案を今の時点で選択肢から消してしまうというのは、私はよくわからないという気がするのですけれども、その辺はいかがですか。
□ では、B−3案との関係をちょっと。
● B−3案というのは、内容をどういう形にするのかというのは、非常に難しいというふうに思いますので、もしも、こういう規定ぶりがあり得るのではないかということであれば示していただければ、それを題材にして議論をしていきたいと思っております。
○ そういうお話が予想されたので、一応書いてまいったのですが、全く吟味をしていないのですが、例えば、「消費者と事業者との間で締結された仲裁契約については、当該仲裁契約が、事業者のみに仲裁人の選任権を与えるもの、消費者にとって遠隔地での仲裁を義務づけるものその他民法第1条第2項に規定する基本原則に反して消費者の利益を一方的に害するものである場合は、無効とする」というような書きぶりで、たたき台としてどうでしょうか。
● 民法の基本原則に反してというのは。
○ 消費者契約法の10条でそういう言い回しを使っておりますね。
● 信義則違反のところですね。
○ そうです。
● ですから、そこは消費者契約法10条の方では、任意規定からの乖離ということについて述べる部分があるわけですけれども、そこの部分については特に触れずに信義則違反を要件にしていくと。
○ 多少ダブりぎみになりますけれども、仲裁の世界で明確に書くとしたら、そういう感じでどうかと思います。
● 消費者に一方的に不利益であるという部分と、信義則違反に当たるという部分を要件として取り出して例示を加えるというようなイメージでよろしいのでしょうか。消費者契約法10条は、更にそれに加えて任意規定というものとの比較の問題が入っていると思うのです。今の御指摘の言い方だとそれは入っていないと。そこが消費者契約法10条との違いということになってくるという理解になりますでしょうか。
○ 深く考えたものではないので。
● いただいた意見ですので、後で考えたいと思うのですが、消費者の方でいろいろ問題にしているのは、事業者寄りの仲裁機関がつくられてしまって、事業者寄りの判断がされるのではないかということを随分懸念をしているのです。そこのところをどうやってカバーしていけるのかということは、なかなか今のような規定ぶりだと難しいところがあるのかなという感じがするのですが。
□ 甲案、乙案、丙案について、いかがでしょうか。
○ 私は、甲、乙、丙の選択の以前に、もう一つ、今の○○委員がおっしゃった選択肢をつくっていただきたいと思います。
私も従前から旧A案、今では甲案の方式規制が妥当だとは思っておりますが、内容規制をするという場合には、内容的に消費者にとって害があるものもないものも引っくるめて無効ないし取消しにするという乱暴な規定ぶりよりは、内容的に消費者にとって不当なもののみを排除するという規定が望ましいと思い、それは落合先生もおっしゃっていたところです。
参考資料11を見ましても、EU指令、ドイツ、英国などは、基本的にはそういう発想で、不当なもののみを排除するということになっているのではないかと思います。
具体的にその内容をどう仕組むかというのは、今の○○委員の御提案も1つの参考になろうかと思いますし、このEU指令とドイツと英国は基本的には同じ内容ですので、こうしたヨーロッパの状況、①から④のようなものも参考になろうかと思います。その内容は、先ほど○○委員がおっしゃったものと、そう大きくは、ずれていないように思います。
他方、内容を問わず、ただ一方が事業者で一方が消費者というだけで一律に無効ないしは取消しにするというような立法は、むしろ世界的に見てまれではないかと思います。したがって、少なくとも有力な選択肢として検討の素材にしていただければと思います。
○ 私もその案を検討の素材にすることには反対しませんし、前回申し上げたように、そこでいい案ができればそれが非常に望ましいのではないかとは思っています。
ただ、やはりこの問題には非常に根深いところがあって、今、○○委員の方から解除や無効はやや乱暴ではないかと。確かにそのとおりだと思うのですが、ただ、消費者にとって不当と思われる仲裁をうまく切れるような枠組みをつくるというのは至難の技だろうと思っています。
今の御提案も最終的には信義則を基準にされているわけです。個別に要件を幾ら並べても、例えば今、業界型ADRと言われるADR機関の規則を見ると、非常に公平に見える形にできているわけです。内容が不公平なものだと言うつもりはありませんけれども、消費者の方々は不公平だというふうに言われているわけですが、それは規則とかに表われてこない、もっといろんな部分にあるわけでありまして、例えば両方にちゃんと主張立証の機会を与えても、仲裁人が聞く耳を持たなければ、結果は不公平な結果になるわけですが、それを裁判所の方で信義則に反するかどうかという形で判断するのは、私はほとんど不可能ではないかというふうに思っています。
ですから、私も、乱暴であるということは十分承知の上で、これは申し上げているつもりなのですが、そういうような懸念が有力な意見としてある以上は、その道を採るということは、理想的であるにしても、極めて難しいのではないかという印象を持っております。
○ ○○委員がおっしゃったのは、やや私の聞き違いかもしれませんが、EU指令なり、あるいは○○委員のおっしゃった信義則に反するというのは、これは仲裁契約の内容が反するのであって、今、○○委員がおっしゃったのは、仲裁手続の運用が不当ではないかという懸念が消費者にあるという、全く別の問題で、一旦仲裁が始まった後に、その内容が事業者寄りである場合には、これはどの法制を採ったって同じ問題が生じるわけで、今述べられている案の中でも、乙案であれば、始まってしまえば手続が有効になるわけですから、むしろ始まった手続が一方に不当であれば、当然取消事由の問題として処理すべき問題であって、今、議論している仲裁契約の問題とは少し違うのではないでしょうか。
○ 私が申し上げたのは、もし消費者の方でそういう懸念を抱かれるのならば、それは最初から離脱の機会を与えておくほかないのではないかということです。
仲裁が始まってしまえばしようがないというのは、そのとおりでありまして、恐らく取消事由にするといっても、内容的再審査みたいなことをしないとどうしようもないわけですね。
ですから、私はそういう問題が生じる前の段階で、消費者の側に一方的な離脱権を認めるほか、問題が解決する方法は、私が見たところないのではないか。結論的には丙案、乙案よりは丙案の方がましだと思っていますので、丙案によるほかないのではないかというのが私の認識です。
○ 恐らく私の理解では、○○委員の提案されているような案は、より消費者に手厚いだろうと思います。というのは、丙案ですと、消費者が手続が始まる前に、これは大丈夫だと思って始めてしまうと、基本的には離脱はできない。
ところが、第4の案ですと、これは一律の要件に当たれば無効法制ですから、後でも無効が主張できるわけで、それが内容不当な仲裁契約であれば、時期を問わないことになるわけですから、どちらが消費者に手厚いかと言うと、むしろ第4案ではないかと思います。
○ 私は、この案だけを見たところは、やはり丙案というのは、非常にわかりづらくて複雑です。したがって、こういうものを条文化するべきではないと思います。
乙案というのは、例の消費者側から片面的な無効主張をすることができるということを外して、すべて無効だということですが、これは消費者の中には事業者と仲裁契約をしたいという人はいると思うのです。建設工事紛争審査会の○○委員の方から前回もお話が出ましたように、妨訴抗弁の主張が出るのは消費者の方であって、事業者はないということですので、仲裁のニーズが消費者にもあるということも言えると思います。したがって、乙案というのは出てこないと思います。
丙案というのは、先ほども申し上げましたように、非常に複雑な規定ですので、これは条文として望ましいとは思えません。
したがって、残りは甲案ということだと思いますが、問題の本質は、恐らく消費者と事業者との間の仲裁契約というのは成立すれば有効だと思いますけれども、前回も申し上げましたように、結局問題の本質は、事業者が消費者と契約する場合には、約款で契約すると、その約款の中の1条項に仲裁条項が入り、仲裁条項を受けなければ、消費者は物も買えないと、そうすると、事業者がすべて仲裁条項を入れたといった場合には、物を買うには必ず仲裁条項を受けなければいけないというところに問題の本質がありますので、したがってそこをうまく開放するようなシステムをつくるのが問題の主題だと思います。
したがって、今の甲、乙、丙案だけでは、今の問題は解決し得ないというふうに考えております。
□ 今、約款と言いましたけれども、甲案の方は(2)のところのアで、仲裁契約は主たる契約の契約書とは別個の書面でなければいけないという方式のことでクリアーしようと思っているのがA案なのです。
○ その意味が、今、先生がおっしゃられたような解釈と一致しているということであれば、それでよろしいですが、ただ主契約と別の紙で仲裁契約を結ぶ、ただし主契約は、別の紙で結ぶ仲裁契約を結ぶことが条件になっている、実質的には約款という形で、逃げる道がもし残されていないとすれば、これは方式規制をやったとしても、実質的には規制がされていないということになる余地があると思えるのですけれども。
もしそういうのがないということであれば、甲案でよろしいかと思いますが、この甲案を見る限りは、単に形式だけ別の契約で、ただし仲裁契約を結ばなければ物を売りませんよということが、この規定だと言えるのではないかと思うのです。そうすると、事業者がすべて仲裁条項を入れた場合には、消費者は裁判を選びたければ物は買えないということになる。約款なり符合契約の問題点だと思うのですけれども。
○ 甲案の方式規制のことが今出たのですけれども、方式規制で、通常の事業者と事業者の間であるとか、ある程度しっかりした人たちであれば、ここにある方式規制で、とりわけウというところの仲裁の意味であるとか、例えば弁護士に相談して確認をするということは当然できるわけですけれども、ここで言っている、消費者と事業者の間を考えますと、なかなか方式規制だけでは、やはり消費者、あるいは消費者団体の懸念しているようなことは払拭し切れないだろうと思うわけです。
現実問題としても、例えばサラ金とかのいわゆる貸付けの状況を見ても、大体貸し付けるときに、仮に別個の書面にしたとしても、そこにサインさせるとか、それを貸すときの条件として、別の書面で取るなんてことは、造作もないことでありまして、場合によって二重、三重に取られて、もう十分説明を受けましたなんて、実際に説明も受けてもないのにサインさせられるということもあり得るわけなので、ですから、これは規制によって消費者と事業者の格差を埋め切れないということになってくると思うのです。
そうなりますと、やはり甲案だけでは、消費者と事業者の間の、とりわけ将来の争いに関する仲裁ですから、消費者としては紛争が起きたときにどういうことで解決するかというのを、そこで改めて冷静になって考えることであって、最初からそんなところまで考えていないわけですから、やはりこれは不十分であると。
そうすると、乙案と丙案という形で持ってきて、乙案の方は、今度は一律双方から、片面ではないという仕組みになりました。
丙案というのは、前のB−2案で消費者がよく懸念していたのは、要するに遠隔地に行かないままに放置した場合に解除権が失われはしないだろうか。それも含めて、よく理由もわからずに送られてきたものを放置した場合に解除権喪失など、その辺りが非常に懸念されていたわけですけれども、今回の事務局の丙案というのは、逆に出頭して説明を受けたときだけ解除権を失うという形で、かなり消費者にとってはその辺の懸念がなくなってくると。
ですから、この丙案というのは、前のB−2案と比べれば、よりB−1に近いというか、消費者保護に厚くなってきているという評価ができるのだろうと思います。ですから、乙案ないし丙案。
それから、今日の話で別のB−3案というのがどうなるかというのは、これはどういう仕組みができるか見てみなければいけないと思いますけれども。
少なくともこの3つの中では、乙案の全く無条件ですべて無効というよりも、必ずしもそこまでいかなくても、丙案でも十分保護ができるのではないかという観点からすると、現実選択としては、丙案辺りではないかなという感じがいたします。
○ 今の御議論の中で、恐らく一番大きな分かれ目になるところは、先ほど各国の立法例のお話もございましたが、個別に仲裁契約の有無を判断するというアプローチを採るのか、それとも有効に成立していようがいまいが、と言いますか、仮に有効に成立していても、後で引っくり返せるというある種一律に規制するアプローチを採るかどうか、そこが一番大きな分かれ目だと思います。B−3案の、私が冒頭申し上げたのは、個別に仲裁契約の有無を判断していくというアプローチでございまして、従来判例で個別の事案に即して仲裁契約の有効・無効が恐らく適切に判断されてきているのではないか、それをある種立法化するような形で組み込むというアプローチです。
その辺の議論が、私は恐らく一番重要だろうと思っておりまして、個別に判断するアプローチなのか、それとも、それはだめであって、仮に本当に事前に仲裁合意をしていても、後で引っくり返すことができるという仕組みを、いろんな弊害も考えつつも採用するのかというところだろうと思っております。
□ ○○委員と○○委員に、個人的にと言いますか、委員としてお伺いしておきたいのですけれども、乙案ならこれは無効ですから関係ないのですが、事業者側の方から何か請求する場合に、裁判所に行った方がいいのか、仲裁でやった方がいいのかという不安がありますね。特に仲裁機関に申し立てるときに、申立手数料とかそういう問題もありますし、裁判所もやはりそういうものもあると。
その場合に、相手方の消費者の意思表示ひとつで解除するというような場合に、それはどういうふうに考えたらいいのでしょうか。そこのところはもうしようがないと、仲裁を申し立てたら解除された、では裁判所に行くとなると、二重に費用を負担しなければいけないのか、その辺の手当てをどういうふうに考えたらいいのでしょうか。
○ よくわからないのですが、A案の(5)はその問題を解決しようとされている趣旨ではないでしょうか。事業者から消費者に確答を催告して、確答されない場合には解除されたものとみなして訴えを提起できると。仲裁契約を解除しないという旨の返答が来れば仲裁廷に訴えられると、そういうことになるのではないかと思いますけれども。
□ 申し立てる前にこれをやっておくことによって、その損害を防止するということですね。これしかないのかということなのですが。
結構です。ほかに何か。
○ 私も○○委員や○○委員の御意見に賛成なのですけれども、紛争を解決するには、やはり一番納得のいくところでしていただかないと、結論にも不満がどうしても残ってしまうのです。だとすると、やはり入り口のところの紛争というのは、なるべく避けられるものであったら避けて、前にも少し申し上げたのですけれども、やはり仲裁がいいと紛争になってから思われた方は仲裁を選べる機会があるわけですから、一方的に解除はできるけれども、またよく考えて仲裁を選ぶこともできる。
その中で、本当に心配すべきことは、紛争になったときにどうなるかということをよく考えないまま仲裁契約をしてしまった人のことを考えた場合に、その人たちが納得いかない機関で解決を決められる危険性を残しておくよりは、紛争になったときにもう一度、納得のいくところで解決を得られる機会というのを残しておいた方が、結局は思ったとおりの機関の解決が得られなかったという不満を残すよりは、制度としてはいいのではないかと、こういうふうな考えでございます。
○ 今の両委員の意見等をお伺いしたところで考えますと、私の方は先ほど申し上げましたように、丙案というのは、条文としてこんなごちゃごちゃ書くものはやめるべきだと思っています。もしも、ここまで書くとすれば、結局、将来の争いに関する仲裁契約が消費者の方から切れるということなので、限りなく乙案に近づくわけですね。事業者から、片面的な無効というものを片面でなくしたということですので、したがって、変わりがないという感じを非常に受けております。
もし、そういうことを本当に日本の国民なりが望んでいるのであれば、将来に関する仲裁契約は、もう無効だと。そんな仲裁でいいのであれば、紛争が起きてから仲裁契約を結んでやればいいというような感じを受けます。
したがって、丙案までいくのであれば、将来の争いに関する仲裁契約は無効だとした方がすっきりしていると思います。
● 検討会の発足当初は、こういう問題が発生するとは事務局も全く思っていなくて、消費者の問題と、さらに、その後検討する労働の問題と、似たような側面の問題になっていて、また、こういう問題が生じると思っていなかったものですから、この検討会の委員の皆さんも、いわゆる消費者とか労働なんかの関係よりもむしろ、一般的な商事仲裁的なことを扱っていらっしゃる機関の方に参加していただいて、それなりの意見が必ずしもこの検討会の意見の中に反映されていないのではないかということで、今言われているところですので、意見募集の形の中でいろんな意見があって、それ自体が法律的に見てどうかなというのもなくはないのですけれども、そういう意見があるというのも、委員のメンバーの皆さんには、若干考慮していただきたいということ。
それから、今日の資料で1つ入れておりますが、消費者契約法の関係を所管しております国民生活局の方の意見も出されておりますので、そういうことも考慮しながら検討はしていかなければいけないのではないかというふうに思っております。
まだ、これは時間をかけて検討していかなければいけない問題だと思いますので、今日のところは別に結論を出さなければいけないということではないと思うのですが、よろしくお願いします。
□ 今日の意見は、甲案の支持者がもちろんおられると同時に丙案という考え方、それから丙案にいくなら、いっそ乙案の方がいいという考え方、非常に多岐に分岐しておりました。また、甲案とは別の丁案みたいなもので考えられないかという新しい御提案も出ましたので、更にこれから検討させていただきたいと思います。
労働についてもあるものですから、労働についても議論をした上で、やはり消費者についても更に検討する時期があるだろうというふうに思います。今日はよろしいですか。
○ 消費者団体の関連の方からの説明を前回受けましたけれども、逆に事業者は、−−恐らく関心がないと私は想像しておりますが、−−事業者の意見というのは、全然我々に伝わっていないのです。事業者はこの件についてどうお考えなのか、そういったものを、さっき労働関係で場合によっては説明者に来ていただくということでございましたが、事業者の代表の意見というものも、我々は、検討するに当たっては聞いておきたいというふうに思います。
○ ちょうど国民生活局からの意見のお話があったのですが、前回のヒアリングでもお話があったかと思いますが、この問題は消費者政策として、消費者紛争をどういうふうに解決するのが望ましいか、そういう大きな枠組みの中で議論をする必要があると思っておりますし、消費者紛争の解決方法の中で仲裁というものをどういうふうに位置づけるかという大きな政策論があって初めて仲裁法での位置づけが論じられると思います。
ですから、そういう意味では、国民生活局からの御意見と言いますか、国民生活局にも入っていただくとか、国民生活審議会の方に一緒に御議論をいただくとか、そういうことが本来あるべきではないかと強く思っております。
その点についてどう考えるのかということについても、やはり議論した上で、1つの意思決定をしておく必要があるのではないかと。本来そういうものであるけれども、タイムスケジュールもあるし、仲裁法で何らかの手当てをしようという前提で進んでいくのかどうかという、そこは非常に大きなポイントだというふうに思っております。
○ さっき私は乱暴な意見を申し上げましたけれども、事業者の意見を聞きたいという趣旨は、事業者も将来の争いに関する仲裁契約は無効でもいいというので一致しているのであれば、両者一致しているわけですから、それでいいと思うのです。それに反対ということであれば、どういう形で仕組むかというのを考える必要が出てくるのであって、事業者の意見というのは、やはり聞く必要があるのではないかということを申し上げたかったということでございます。
□ 建設みたいなものだと事業者というのは非常にはっきりしますけれども、消費者というのは、どういう種類の消費者に対してどういう事業者がいるかというのもありますので、時間と競争しながら作業を続けていかなければならない現状ですので、少し検討させていただきます。聞かないというわけではもちろんございませんけれども。
それで今日は、時間も超過しておりますので、よろしゅうございますか、御意見なければ、今日のところは一応これで打ち切って、今日は消費者については、そういう意見の対立があったということにとどめさせていただきたいと思いますが、よろしゅうございますでしょうか。
【次回の予定等、閉会】
□ それでは、次回の予定をお願いいたします。何か。
○ 今日配られていた資料の中に議事録の公開についての10月2日付けの書面があるので、これについて、もしおわかりならば説明していただきたいと思うことと、前回申し上げた議事録の公開については、この書面を見ても、特に何かほかの検討会と分けたり、あるいは一般国民と報道機関を分けたりしているのが不適切であるとかという辺りは、別にこれは全部支持するわけではないけれども、なるほどという感じもするので、これはどこかの機会に、座長もなお検討していただけるということを冒頭からおっしゃっておられるので、その御予定でもあればちょっと。
● お配りしましたのは、クリアリングハウスというところから出ている、議事録を非顕名としている5検討会の議事のより一層の情報公開を求める声明というものだと思いますが、非顕名としているのは合理性がないのではないか、顕名とするようにというふうな趣旨のペーパーを、委員に配ってほしいということで提出されたので、お配りしております。
□ 今日は、○○委員もお帰りになりましたし、○○委員もいらっしゃいませんので、今日ここで議論するというわけにもまいりませんが、できれば次回に、なるべく早い時期にと思っておりますので。そういうことでよろしゅうございますでしょうか。
それでは、事務局から次回の予定をお願いいたします。
● 次回の検討会は、11月7日(木)午後1時30分からの予定です。今回検討した事項以降の項目について検討していただきたいと思います。資料についてはなるべく1週間前程度に送付できるようにしたいと思っております。
□ それでは、本日の検討会はこれで終了いたします。本日も長時間御議論をいただきました。どうもありがとうございました。