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法曹養成検討会(第2回)議事録(司法制度改革推進本部事務局)
7 議事
□ それでは、所定の時間になりましたので、第2回の「法曹養成検討会」を開会させていただきます。
● それでは、本日の配布資料の確認をお願いいたします。
□ どうもありがとうございました。
(1) 関係機関からの意見聴取
□ それでは、議事に入らせていただきます。今日は第三者評価(適格認定)基準の在り方について—簡単に、これからは評価基準という言葉を使わせていただきます—こういった評価基準の在り方について検討を行いたいと思いますが、それに先立ちまして、まず御出席いただいている関係機関から、それぞれの立場から、評価基準の在り方に関して、御意見などをお伺いしたいと思います。
(日弁連) お手元に配布しております資料、これは日本弁護士連合会法科大学院設立・運営協力センターの討議資料でございます。このセンターの委員長という立場から、評価基準と評価作業の在り方について御説明申し上げたいと思います。
□ どうもありがとうございました。
(法務省) それでは、法務省の司法試験法担当者の立場から、第三者評価基準について思うところを申し上げさせていただきたいと思います。
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□ どうもありがとうございました。
(文部科学省) お手元に2種類の資料を届けさせていただいていると思います。第三者評価基準の在り方ということでございますが、言うまでもなく、評価を実施する機関が継続的に第三者評価、適格認定を行う基準ということでありますが、お手元の資料2にございますように、第三者評価は水準の維持・向上を継続的に講ずるために行われるものです。そこで、設置認可・設置基準、あるいは第三者評価という2つが、ある意味で言えば、まさに大学評価というトータルのシステムの中でどんな形で整合性を持ちつつ、どのように大学にかかわっていくのかという点も念頭に置かなければならないであろうと思っております。いずれにしても、教育研究の質、水準の維持向上を図るためにトータルとしてどう考えるかということであろうと思います。
□ どうもありがとうございました。
(最高裁) この評価基準という問題につきましては、今後その効果面、手続面を含めて検討が進められていくのではないか思いますが、これらは相互に密接に関連した問題でございます。非常に難しい問題でございますので、現時点で、今日のところはこの問題について検討いたしております部署の担当者として、検討の視点と考えている3つの点について、申し上げたいと思います。
□ どうもありがとうございました。
(2) 質議・意見交換 □ 委員の方々の意見は後ほどお伺いすることにいたしまして、まず、ただいまの関係機関の説明に対して、御質問がございましたら、手を挙げた上での御発言をお願いします。日弁連への御質問がありますでしょうか。 ○ これまでも、いろいろ資料をいただき、参考にさせていただいてきておりますが、おっしゃっていることは、完成形としてはこうなるべきだということなのでしょうか。それとも、最初からこのくらい高いハードルを設けて出発すべきだと考えておられるのでしょうか。それが第1点です。
(日弁連) 日弁連の考え方は、理想を追い過ぎているということを時々言われることがあります。この間のどこかのシンポジウムでも、格好はいいけれども、実際の学生を見ていると、そんな格好いいことまでは言っておられないということを聞きました。しかし、私は理想は高く掲げて、現実はこうだから現実に合わせてというのでは、本当の司法の改革にはならないわけで、ハードルを高くしなければならないものは高くしなきゃならないし、低くしてもいいものはしてもいいと思うんです。先ほど法務省がおっしゃった地域の適正配置ということは非常に大事なものだと考えております。基準を厳密にし過ぎて、地方でロースクールができないという事態は避けたいと思っております。
□ どうもありがとうございました。では、ほかの方。 ○ 大変、白紙に絵を描いた、こんないいものができて、期待できるという御意見で、アメリカ型のロースクールをかなり意識された、3年で完結する養成教育をしましょうという発想だと思います。ただ、日本は法学部が残って、変わっていくにしても、そちらの方にもオープンになっているわけです。司法修習システムも維持しましょうということですから、そちらの方にもオープンになる。だから、これは別な意味で開放性がある、そういうプロセスとしての教育をしましょうという前提で考えるとすると、これはクローズド型の、そこで何でも3年間でやらなきゃいけないという、まなじりを決した、鉢巻きを締めた見方ではないでしょうか。もう少し柔軟性というか、ゆとりを持った見方、それを現実的可能性と言うと、せっかくいい制度をつくろうとしているのに何だということになるかもしれませんけれども、そんな無理しなくてもと考えるのですが、どうでしょうか。 (日弁連) おっしゃることはわからないでもないんですが、私はここで法学部があるじゃないか、研修所があるじゃないかというふうなことを言ってしまいますと、法科大学院が目指しているものがかえって希薄になっていく。むしろここに集中するということが今度の司法制度改革審議会の意見書の柱だと思うんです。その点についての理解の違いかもわかりませんけれども、大学が今のままで続ければいいんじゃないか、研修所でやるべきことを別に法科大学院でやらなくてもいいという発想は、今度の改革では採りたくない。それを法科大学院にまなじりを決してと言われると、あるいはそうなのかもしれませんけれども、それくらいの意気込みでこの新しい制度をつくっていかないと、何か中途半端なものになりやすいという危惧の念を持っております。 □ どうもありがとうございます。ほかの関係者に対する御質問を含めて御自由に。なるべく多くの委員の方から御質問をいただいた上で、それぞれの御意見を賜りたいと思います。 ○ どうしても日弁連の意見を聞きたいんですけれども、例えばこの間、東大の方でもいろいろ発表になっておりますが、いろんな学部が法学部改革をしているわけです。その方向性などの御理解を踏まえた上で、それでもなおかつ法学部出とか何かということをおっしゃられるのかどうか。その辺りちょっとお聞きしたいんです。 (日弁連) 東大のあれが出たので、これからいろんな大学から恐らく出てくるだろうと思いますが、基本的には東大の案が出ましても、私どもの考え方は基本的には変わっておりません。 ○ そこでは例えば、法学部における改革も、法律系を中核的なものにし、それよりももっと一般的な幅広いいろんなものを身につけさせる学部教育、そのような法学教育という方向性は、ほとんどの私大が目指している方向で一致しているんですけれども、そういう形で出てきた法学部の学生たちがある一定の比重以上占めてはいけないというようなところまで言われるつもりなのかどうか。そういう意味では個々の学生の内容を見れば法科大学院の入試としては足りるのであって、それは例えば学部レベルで、経済学部を出た、文学部を出たというのが、法学部出とどこかどう違うのかが、その辺りの意識がそんなに、ここの入口で多様性ということで言うほどの差があるのかどうか、その点が必ずしも理解しにくいところがありまして、社会人に関してはいいです、社会人でいろんな経験を積んでいるということを入れるというのはいいいんですけれども、他学部ということをこだわる、それがまだよく理解できないんです。 (日弁連) 法学部は、例えば経済学部とどれだけ違うのかと言われますと、やっていることについて、そんなに線が引けないような学生もたくさんいるかもわかりません。しかし、基本的には法学部を選んだ人間というのは、法律をたくさんやっている人が多いわけですから、それだけ法律以外の勉強をやっていないということになるわけです。そこでなぜ法科大学院に入るまでに、法学をやって、法学以外の一般教養というものを避けて法学をやるのか、そこが問題ではないか。これから法学部の改革ということが進む中で、今懸念しているようなものは、あるいは解消していくのかもわかりませんけれども、現時点ではそういう考え方を持っております。 ○ 先ほどもお話の中で、法科大学院の第1年次を重視する、これはアメリカのロースクールの例を引くまでもなく、第1年次が一番大事だと思うんですが、問題はこの3年型と2年型が併存するとしましたら、第1年次というのはどっちのことを言うんだと。3年型でしたら、2年目に当たるところを言うのか。法学部出身者である程度法律的素養を持っている人は、第2年次に入るんだと申し上げますと、そっちのことを言うのだろうか。その辺のイメージがもう一つわかりにくいんですが。3年型に統一にすることを前提にしたら、これは極めてよくわかるんですが。 (日弁連) 申し上げているのは、あくまでも3年型の1年次が大事だということです。だから、それだけに短縮型で選ばれる人というのは、1年次の非常に大切な時期をやったと同じくらいの力を持っている人が選ばれなければならないというふうに申し上げたいわけです。 ○ 短縮型だと、一番大事なところはもうなくなってしまうわけですね。 |
○ 抽象的には、今の御質問はわかるのですけれども、ちょっと現在の法学部における法学教育に対する、余りにもステレオタイプ的なとらえ方を前提にされていると思うのです。その意味で、実情を是非ごらんになっていただきたいと思うのですけれども、それはひとまず置くとしましても、その法学部の教育も変わっていこうとしているのに、そこで勉強してきた人は、法科大学院1年目でアメリカのロースクールみたいな形で、法律家としての考え方を教える、そのレベルには達しないという、そういう捉え方をされていると思うのですが、私など現場で教えている者の感覚からしますと、かえって逆の心配をするのです。審議会等での議論でも、未修者が1年目を終わったときに、短縮型で入ってくる人と、法律学の修得という点では必ずしも同レベルでなくてもいい。その段階ではでこぼこができてもよく、一方は3年間の教育を通じ、他方は2年間教育することによって、出口のところで、いろいろ多様性がありながら、最低限のレベルは統一されている。それでいいのだという考え方だったのではないかと思うのです。
□ まず日弁連、その後、法務省にお願いします。 (日弁連) 一つは、法学部の最近の授業は非常に変わっている、充実しているというか、我々が何年か前に受けた教育のイメージで申し上げているのと、それから今、授業離れということが盛んに言われていすまので、本当に学生が4年間の間にどれだけ勉強しているかということに対する懸念もあるからそういうことも申し上げているわけで、その中で法曹になるにふさわしい教育を受けていれば全く問題はないと思うんです。ただ、それを短縮型でどう選ぶのかという案を出せと言われると私は非常に困るわけで、それは非常に難しいと思います。それこそまさに知恵を集めて考えていかなければならない。そう言うとまた逃げと言われるかもわかりませんが、私も先生に、こういう案がありますということを申し上げるほどの案は持っていないんです。しかし、それは安易に選択されてはならないという非常に強い気持ちを持っておりますので、その点で御理解願いたいと思います。 (法務省) 成績評価の基準の在り方については、確かに非常に難しい問題かあると思うんですが、要するにこの問題は大学の自治の問題ともかかわる話なんでしょうから、大学の自治という問題で、うまく表現できないですが、大学人の方々の御議論を経れば客観的には必ず決められるはずです。もしそれができないとおっしゃるなら、他の法科大学院が相当高い率の司法試験合格者を出しているにもかかわらず、相当長期間経ていても、なお非常に低い司法試験合格率で推移している法科大学院があるのであれば、そのこと自体を基準にするかどうかは別にして、そういう法科大学院は出ていっていただくようなシステムにする必要があるとは最低限思っています。合格率ということではなく、内部的な基準は是非議論をいただければと思います。 □ 法務省のおっしゃったことは、情報公開の問題とも絡んでいるので、先ほどの説明では情報公開は評価基準に盛り込まなくてもいいとおっしゃいましたけれども、むしろ情報公開が厳正な成績評価の基本になると思います。
○ 先ほどの質問と基本的には同じですけれども、先ほど日弁連に対しまして、基本法と実務教育、あるいは弁護士の教育に関する質問でしたけれども、同じ質問を法務省、最高裁にしたいんです。特に私は基本法中心で、必修科目が余りにも多いということを何回も言ってきまして、少しずつ減ってきましたけれども、私から見て、まだ、多様性のある教育から考えまして、まだ多いように思いますけれども、基本法はこれでも足りないということを聞きますと、実務教育を交えての基本法の教育は可能なのかどうか、また、基本法と言っても先端的なものなどに関する教育は、どうすればいいのかということは法務省と最高裁からお聞きしたい。 □ では、最高裁の方から先にどうぞ。 (最高裁) これは司法研修所の教官とよく議論いたします。結論的に申し上げますと、資料3の案というのは、両方の要請を考えていったときには、一つの落ち着きどころのものかなと。基本法と言った場合には、基本的な六法のことを言いますけれども、今御指摘がありましたが、先端的なところについて体系的に、研修所のところでそういった教育ができるかというと、これは実際上難しい。そこは研修所教育は恐らく今後、今の体系の中ではその体系的な実践的実務教育、そういうところでスキルとマインドをどういうふうに教えていくかのというところにウェイトを置いておくわけで、そこは法科大学院にお任せする。そのときの調和点としては、一つの合理的な選択肢の一つではないかというのが感じでございます。 (法務省) 基本法科目を重視していただきたいというのは、やはり体系的な考え方がこれまでも司法試験受験生、合格者が、実定法という点においても、十分できていないという現状認識がありまして、論点中心主義の予備校教育で頭が整理されてしまうと、即正解を求めてしまう。新しい事象について、自分の頭で根っこから解き起こして考える力が足りていないという、我々も危機意識があるからです。基本法についての資料3の案はぎりぎりのところで、もちろん、妥当なものとは思いますけれども、それでもやや不安を覚えるほど、現状についていろいろな意見があります。その上で、先端的な科目についてどうするんだというのは、そうした基本法科目をきちっとやっていただいた上で、大きい単位数をやっていただいた上で、なおやっていただくべき話と、そういうふうに私は考えています。 ○ 関連する質問なんですけれども、法務省にまずお伺いしたいと思うんですけれども、各法科大学院が創意工夫をこらして、多様な法科大学院をつくるようにするべきだという御意見で、私は大賛成なんですが、ついこの間も、知財の法科大学院を考えておられた方とお話ししたんですけれども、こんなに基本法の必修単位をつくられてしまっては、まさに我々のやりたいことの展開はできないんだと言われたんで、やはり基本六法に大きな単位を割くということは、そういう意味で多様な展開を阻害する、つまり両者は相矛盾する関係にあるんじゃないかという気がするんですが、その点について、一方で多様性を強調しつつ、他方で基本法の単位、もっと必要なんじゃないかと言われているのは、ちょっと理解し難いんで、その関係はどうお考えなのかをお聞きしたいんです。 (法務省) 独自性を発揮する先端的なロースクールの発展は、もちろん、望ましいところなんですけれども、どんな特色を持つ法科大学院であれ、法科大学院であることは変わりないんで、基本法の理解をおろそかにして、先端的部分だけを重視するというのは、考えている先端的な法科大学院ではないというわけです。まずベースをきちってやっていただいて、その上、さらに先端的なものをやっていただく。それができないというのは、年間にやれる単位数に上限があるという考え方が前提になっているんだと思うんですけれども、そもそもそうなのかなということから、我々は疑問に思っているところです。そこは先生方に御議論いただければと思います。 □ 知財に特化したロースクールは、この単位数ではできないというのは、ちょっと理解できないんです。総単位数の3分の1から4分の1くらい自由に選択ができるところがあるわけですので。 ○ それは現実に考えていたという方が言われたことなんで、そのままお伝えしただけです。
(法務省) 第7だけが重要だと申し上げたつもりはなく、第7は最も重要な本質的な要素だろうということです。その余の事項については、それを支えるためのものでしょうから、そこを定性的にとらえるのか、定量的にとらえるのかはわかりませんけれども、余り他の要素について数値を設けて、その数値を墨守することのみが自己目的になってしまうと、本末転倒ではないでしょうかと申し上げたつもりでございます。 □ できるだけ多くの委員に御意見をいただきたいと思います。同じ人が何回も発言するなという趣旨ではありませんけれども、ほかの方も御自由に。 ○ 私素人で、しかもバックグラウンドがエンジニアリングということで、前回から異質の議論を聞いているなという感じで伺っているんですが、正直な感覚で申し上げると、もし、いろんな法科大学院をつくっていくことがコンセンサスであるとすれば、全体的にはどうも皆さん方の議論が規制を増すような方向に行っているような気がしてしようがないんです。
□ 今の点についてどうぞ。 ○ 今のコメント、私も一体どうなるんだろうと前から非常に疑問に思っていて、つまり我々が議論しているのが何らかの第三者評価基準の一つのモデルなのか、あるいは例えばこれを省令に定めるという形で第三者評価をやろうとしているのか、あるいは第三者評価機関の認証をする際に、こんな評価の基準を持っているところなら、第三者評価機関として認証してあげますよという基準なのか、それによって随分自由度というか、書かなきゃならないことは変わってくるんじゃないかという気がするんです。その辺、わからないまま議論をしていっていいのかというのは、最初から私が感じている疑問ですので、その点、ちょっと御意見を申し上げておきたいんです。 □ 評価機構の問題と評価基準の問題が絡んでいることは事実ですけれども、ここでは、いかなる評価機構がつくられるにしろ、基準に入れておく必要があることと、特に法科大学院をつくろうとしている人に対して、できるだけ早くオープンにする必要があることを中心に検討していただきたいと思います。細かなことまで全部ここで決めるわけではないということになりますので、全般的に規制緩和の方向にあるわけですが、やはり新しい制度だから、どうしてもあれもこれもというところがあって、その辺の目安は難しいと思います。 ○ これは文科省の方がおっしゃったとおりで、評価というものそれ自体としては、教育機関についての第三者評価であって、教育の質の維持・向上を目指すためのものなのですけれども、前にも申し上げましたように、法科大学院を修了することが新司法試験の受験資格の前提になるものですから、そちらの方に全くお任せということではいかない。新司法試験のところに、それを何らかの形で接合していかないといけないわけですけれども、やり方としては、恐らく、その第三者評価機関が備えているべき資格を、新司法試験の仕組みの方で決めて、それに合ったところが認定すれば、それを信用するというやり方と、評価方法・内容の骨格についても、新司法試験受験の前提なのだから、こういうところは必ず押さえてもらわないといけないといった形で、最低限のところを後者の仕組みの中でも定めるというやり方と、そのどちらかだと思うのです。
○ 私もこの分野は素人なんで、一般的な意見になってしまうんですが、日本の教育、選抜の特徴として、これまで度々言われたことですけれども、入口でかなり厳しく選抜して、後の教育の中身はかなり緩くて、次の選抜のときに、また入口で、例えば中学でがんがんやり、次に大学でやり、次に司法試験、職業人。入口選抜型の弊害というのは随分言われていることで、この法科大学院というのは、恐らくその弊害を乗り越えるためのプロセス重視の教育改革、職業資格の一つの新しい試みで、ある意味では日本の社会としては、一つ旧来型の選抜型社会から育成型社会へというふうに私は考えますけれども、そういう大きな試みというふうに考えられるものではないかなと思うんです。この場合にも、いわゆる司法試験という最後の選抜があるわけですね。それでもって中身の評価をしてしまうようなシステムをつくったのでは、ある意味ではこの目的は何なのかということになる。
□ 厳しい規制をするというのは、やり方の問題だと思います。ほかの方どうですか。 ○ 一つ最高裁にお伺いしたいんですけれども、後で司法修習があるんだから、それを前提にという、これは当然なんですけれども、その新しい司法修習がどうなるかというのが、今、弁護士会では非常に疑問に思っていることで、つまり、2010年には3,000 名程度、もっと増えるかもしれないし、ないしは少ないかもしれませんが、それを目標に増やしていくときに、今の司法修習制度は明らかに少人数であることを前提に初めて成立してきたシステムなわけで、これが変わるだろうと。変わる内容がわからないのに、後に司法修習があるからと言われても困るという意見があるわけです。
□ 余り細かな点に入ってもらうと混乱するんで、大体のところで。 (最高裁) ここは恐らく最高裁だけで考えることではなくて、特に実務修習のところをどうするかというのは非常に大きな問題であります。ここはまた機会を改めて御説明させていただければと思います。 ○ プロセスを重視というのは、例えば法学部から法科大学院、そして司法研修所という、法曹養成システムの全体のプロセスというのも考えられるわけで、先ほど最高裁、及び法務省からも、基本法の理解ができていないというのは、今はかなり当たっている。というのは、結局、法学部教育から実際の司法試験受験生が逃げてしまっていて、彼らは全く論点的な勉強しかしていない。ところが、もし法科大学院の入試とか入口に向かって、法学部における教育というものをきちっと受けていなければ法科大学院に入れないとなると、そういったような予備校へ行って論点的な勉強をするというのでは、法科大学院は受け付けないというシステムになっていけば、基本法といったものの今の弱点は、学部段階のところでかなりカバーできてくるんじゃないかなと思うんです。そうすると、法科大学院の方では、そこにプラスしたかなり特色ある、専門的な高度な展開が可能になるんじゃないかと考えているわけです。
□ 今の点についてどなたか。基本法の理解の問題と、プロセスとしての法曹養成という問題とはちょっとずれているところがあって、基本法をどこできちんとやるかという話と、プロセスをどの起点で考えるかということについては、法科大学院を検討している当初から問題があって、意見書に出ているプロセスというのは、法科大学院の段階からのプロセスというものをベースにして議論しているという感じがかなり強いんですけれども、その辺りはいかがでしょうか。 ○ 私はちょっと違う受け取り方をしています。意見書も、法学部を存置することを前提として、そこで基礎的な法学教育を受けてきた人を主とした対象にして2年コースで特化した法曹教育をするという一つの形であり、同時にまた、全くそういうバッククラウンドを持たない人が3年の完結したロースクールの教育体系を経て法曹になっていくのも一つの形であって、そのどちらが優れているとは当然には言えないので、その両方を併存させて、その両方のコースの学生をあるところで融合させて、お互いに刺激し合わせることによって一つの完成形に持っていく。それが、意見書で考えているプロセスではないかと思うのです。その意味で、ただいまの御意見も、全く間違いというわけではないと考えます。
○ プロセスとしての教育をどのスパンで考えるかについては、これは法学部を残しましょうということですから、審議会でどういう理解で議論されていたかというところは置いても、ただいまの御発言のような理解をするというのが現実問題としては有効ではないかと思います。今まで言われてきたのは、司法試験だけの点の選抜というのが当たりはずれがあってまずい、こういうとらえ方ですね。育成型かどうかということになると、本当は一回型の選抜でもクリアできるような人を育成してくださいということで、本来、先ほどの御意見と共通しなくはなかったはずなのです。しかし、どちらがよりよいかということで、プロセス重視ということになってきたという理解をしています。プロセスによる教育ということは、一回型の選抜でないわけですから、多段階による選抜、プロセスによる選抜、これは大変厳しいなという気がするわけです。しょっちゅうテストされていて、向いていない人は駄目だということで、場合によったらせっかく法科大学院に来たけれども、とても無理ですよというところがこのプロセスの中で出てくるかどうかがポイントだと思うのです。それが成績評価を厳格にしてほしいという法律実務家の声になるのだろうと思うのです。今まで大学はやろうともしなかったし、やる気もなかったのが、突然やります、法科大学院でやりますと言っても、本当にできるんですか、ちゃんとやってくれますかという、心配がある。そこのところを形としてうまく具体化しておくことは、第三者評価基準にとって一つの大きなポイントではないかと考えます。 ○ 大きく分けて3点ですが、まず先ほどの基本法の先端的教育などがあるということに関して、それはまさにそのとおりだと思いますけれども、私はあえて90単位の中で54単位を基本法に割り当てるというのは、アメリカの場合ですと、90単位全体で30単位が基本に当てられているところで、アメリカではやや低いような気もしますけれども、日本の方は余りにも多いということで、確かに3分の1くらいの単位数は残るわけですけれども、恐らくかなりの部分は民事関係に使われてしまって、独自性のある法科大学院を本当に奨励するとすれば、120単位などに上げるということもあるかもしれませんけれども、私としては、それは学生が一生懸命に勉強するような大学院を本当に目指しているならば、そちらの方向は大きな間違いだと思います。私としては、基本法はもちろん、きちんとすべきですけれども、最低限、法科大学院としての最低限としては、果たしてこんなに多くなければいけないのかというところに疑問を持っているわけです。その話の中で、先端的教育を私の口から出しましたので、そちらの方に話が行ってしまいましたけれども、実務教育もかなり大事であって、アメリカのロースクールを見ていますと、実務修習のようなプログラムはありませんけれども、夏のエクスターンシップやインターンシップ、夏の中のサマージョブなどで実務を経験している人が戻ってきて、2年次、3年次に戻ってきますと、勉強する意欲とか取り組み方が全然違ってきますので、実務教育は単に実務を与えるというためではなく、むしろ基本法の勉強の仕方などに関しても、非常に意義があるように思います。それが一点目です。
○ 法学部を前提とするかどうかということで、法学部を残すとなったのは事実ですけれども、法学部改革も同時に意見書の中で言われているわけです。それは今までの日本の法曹が極端に言えば基本六法しか知らない、法廷の職人にすぎない、だから、今の現代的な状況ではよくないし、しかもその養成に余りにも長い時間がかかり過ぎるんじゃないかという批判があって、いろいろな改革が考えられて、そして非常に重要な新しい制度として法科大学院がつくられ、そこに法曹養成の中枢としての役割が与えられ、かつ入学者については、それまで法的知識を一切学んでいない人も、3年制の課程に入れるということになったという、原点を忘れてはいけないんではないかと思います。
○ 私が司法研修所で修習生を見ていた感想を申しますと、やはり基本法の理解が十分ではないということと、それと自分の頭で考えない。何か課題を与えるとすぐ答えを求めるし、マニュアルを教えてくださいということになる。 どうしてそうなったかというと、多分、法学部での教育にも問題があったのかもしれませんけれども、学生自体が余り勉強しなかったんじゃないかと。そういう上に、司法試験を受けるために予備校に入る。予備校で体系的な勉強をしていないということが原因ではないかと思うのです。
○ 基本法の理解が今の修習生は十分ではないという話があったんですが、日本の法学教育は、体系的な教え方、パンデクテン方式と、理論を教えるという形が中心なんですが、そこから入りますと、非常に理解がしにくい。つまり、具体例を教えないでいきなり理論から入っていくわけです。アメリカのロースクールの場合ですと、ケーススタディーと言いまして、アメリカの判例法主義、日本の場合は成文法主義という違いはあるわけですけれども、これは教育方法という問題になると思うんですが、そういう具体的な事例をもって教えるというやり方が考えられるのではないかと思います。
□ ちょっと指摘したい点は、1年次と2年次の授業方針について、1年次は講義で2年次はケースメソッドだというふうに必ずしも考えられていないんで、1年次でもケースメソッドはもちろんできるはずです。
(法務省) 設置基準あるいはその他の事項についても、改革審で指摘された事柄や先生方の指摘された事項を超えるようなものについては、謙抑的にお考えいただいた方がいい、いろいろな実情に即した現実的なチョイスをお願いしたいと思います。 (文科省) 同じことだと思いますけれども、具体的には様々な場面場面で、違うと思いますが、例えば設置基準等を検討する際に、専任教員と、そこにおける実務家教員、あるいは実務家教員がどこまで法科大学院のために実際上携わっていただけるかという、様々な理想と言いますか、あるべき姿を見せつつも、現実的に変わらねばならないけれども、どこまでだったらできるか。実務家教員の確保の問題、等を将来解消することを前提として、例えばその中で当面こういう形にする。恐らく、今例を挙げたような話は、評価基準を考える場合には、あるいはその在り方を考える場合にも、あてはまるだろうと思うんです。志は高く厳しく、しかし、あるところでのリアリティーを考えて、基準はつくっていくんだということを申し上げたかったわけです。 (最高裁) 基本的には同じでございます。かつ、現実性の中で固定的要素は余り入れない方がいいだろうと。 □ まだ、御意見があるかもしれませんが、この問題については、また、御議論いただく機会があると思いますし、今日は時間が大分過ぎましたので、この辺りで終わらせていただきたいと思います。
(法務省) そうさせていただければと思います。司法試験の事務を直接担当しております人事課の者を併せて出席させていただきます。 □ 司法試験に関する話をうかがった上で、今日の第三者評価の問題も併せて御議論いただきたいと思います。
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