(片山知事)
・ 司法に関する県民アンケート調査の結果を読み取ると、司法はまだまだ縁遠い。弁護士が身近なところにいない。しかし、困っていることは沢山あるというのが現状である。
並行して、県で法的サービスの提供についての意見交換会を行った。意見交換会で様々な意見に接し、何らかの取組みをしなければいけないと考えた。
司法が縁遠い原因の1つは、意識の障壁だろう。裁判は社会を円滑にする仕組みだという理解をしない。非日常的なものであるという意識を持っている。弁護士に対しては、敷居が高いという意識がある。もう1つの原因はアクセス障害である。身近に弁護士がいない。鳥取県内には24人の弁護士がいるが、その中には高齢で事実上活動していない人などもいるので、実際にアクセスできる弁護士は更に少ない。もう1つは、裁判では十分な解決が得られないという意識である。時間がかかるし、いやな目にもあうから、別の解決方法の方がいいという意識である。
鳥取県では、障壁を取り払うために、広報活動に力を入れている。県政だよりという全戸配布の広報誌で、倉吉のひまわり基金の事務所の紹介をしたりしている。なるべく司法を身近に感じてもらおうということでやっている。もう1つは司法教育である。我が国の司法教育は機構論ばかりであり、実践的利用論が全くなかった。法律上のトラブルに巻き込まれないように身を守ったり、トラブルに巻き込まれたときにどう対処すればいいのかといったことが教えられてこなかった。そこで、利用論を中心に司法教育を進めている。高校生や一般向けに行っている。弁護士会との連携も強化している。住民に模擬裁判を経験してもらったり、弁護士会の地域司法計画に県が関わって、行政の立場から意見を述べるなどして、リファイン作業を進めている。
行政の場での弁護士の活用にも力を入れている。外部監査をお願いしたり、行政の透明化のために力を借りている。例えば、弁護士に、入札資格の審査、発注基準等についての審議会の委員に就任してもらっている。
行政としても司法的解決を積極的に利用することにしている。従来、行政は、司法的解決に消極的だったために、行政が不透明になった。とことん議論をして、これ以上譲歩できないというところに来たら、司法の場で解決するようにしている。
鳥取県では、実際に働いている弁護士は20人程度である。不足している。そのため、倉吉にひまわり基金の公設事務所をということになった。しかし、公設事務所に弁護士の応募がなかったため、県が200万円の財政的支援をすることにした。だからというわけではないだろうが、結果として、倉吉に公設事務所が開設された。開設前は件数があるのかと心配したが、開設してみて、ニーズは多いと感じている。潜在的需要は多いなということを痛感した。他の地域でも同様だと思う。
これからの地域と司法との関りあいについては、司法を日常的に利用する社会になるべきである。トラブルはスマートに司法で解決すべきである。裁判は交通整理だと皆が思うような社会になるべきである。行政も1プレイヤーとして、トラブルになったら司法判断を待つべきである。今後は地方分権の傾向が強まる。地方の立法の役割が増えるため、条例も増えるだろう。粗製濫造、玉石混淆もあるだろう。そこでトラブルを調整する司法の役割が重要になる。国と地方、国と民間、どちらもルールに従って行動し、トラブルがあれば司法の場で解決するという社会になる。
司法ネットは時に適った課題である。遅きに失したと言えるかもしれない。アクセス・ポイントを増やしてもらいたい。地方でも消費者相談などをしているが、本物の司法に到達できるアクセス・ポイントを増やしてもらいたい。弁護士過疎問題も切実な問題である。仕事がないわけではない。地方で1人で開業するのは大変だということは分かるが、弁護士の皆さんにも気概を持ってもらいたい。弁護士過疎の解消は国策として行われるべきである。裁判の迅速化も必要である。簡単な事件は簡易迅速に解決すべきである。裁判官の数が少ないと思うし、裁判官はもっと国民の声に機敏に反応してもらいたいと思う。量的・質的充実をお願いしたい。
(松本弁護士)
・ 弁護士として2年目に紋別ひまわり基金公設事務所の弁護士となり、2年間を過ごした。なお、公設事務所といっても、国等から資金提供を受けているわけではなく、日本弁護士連合会が会員から集めている特別会費から資金が出ていることをお断りしておく。
司法試験の勉強を始めた時に、地味でもいいから困っている人を助けることを実感できる仕事をしたいと思っていた。公設事務所設置の意義は、法的サービスを受けることのできない状態にある市民の不便を少しでも解消していこうというものであり、そこで求められている弁護士像は自分が思い描いていた弁護士像そのものであった。それで、公設事務所に応募した。
赴任前は、仕事が来ないことはないという程度に考えていた。仕事が来すぎて大変なことになるとは思いもしなかった。開業以来多忙な日が続いた。事件の種類も、東京で仕事をしていた時とあまり変わらず、ありとあらゆる一般民事事件の相談が寄せられた。市内はもちろん、100キロメートル以上離れた他の都市からも相談が寄せられた。紋別は旭川地方裁判所の管内だが、釧路地方裁判所の管内である北見市から相談が寄せられたこともある。
赴任前は、自分が新米であることや地元に縁がないこと、任期が2年と決まっていることなどから、地元に受け入れてもらえるのかということ等についての懸念の声もあり、私も心配していた。しかし、実際に行ってみると、気軽に話せるとか、地元に縁がない方が相談しやすいという人もいて、心配するほどではなかった。
以前に事件を受けた依頼者や知り合いに勧められたと言って事務所を訪れる人が増えてきて、事務所も私も地域に根付いてきたということを実感した。事件依頼以外にも、地域の各種団体への参加要請があり、いろいろなところに顔を出した。講演依頼もあった。成年後見などにテーマを絞った依頼もあり、準備のためにいろいろと勉強した。相談に来た方から「待っていました。」「解決の方法と方向が見えて良かった。」と言っていただける瞬間が何よりうれしい。
2年間という期間ではあったが、仕事の面でも経営の面でも、全て自分1人で事務所を切り盛りするという経験をしたことで、弁護士バッジを付けたら一人前という自覚を早いうちに持つことができた。自分自身のキャリアとしても誇れるものだと思う。何よりも、市民の力になれたという手応えは何物にも代えがたい思い出である。
都会暮らしの経験しかなかった私には地方で暮すことで仕事以上に刺激を受けた。小さいコミュニティは社会の仕組みが凝縮されていて、様々な問題を目の当りにすることができる。東京からの物の見方がいかに中央の身勝手な思考かということが分かった。
事件数は、2年間で、民事では相談が527件、受任事件数が199件である。法曹関係者から見れば、多いですねとか、それなりにありますねと言っていただける数字である。資料に他のひまわり基金公設事務所の事件数を載せたのでご覧いただきたいが、どこでも、弁護士は大変忙しくて身がもたないくらいである。刑事事件では、国選事件が24件、当番弁護が14件である。事件の種類は様々である。依頼者は個人が多かったが、会社も相当数あった。地元のかなり大きな会社も弁護士に頼むつてがないという状況だった。
金融関係の相談は多かった。いわゆるヤミ金融は、対応する弁護士が少ないということで、弁護士のいない地域の人に貸付を行い、高額な金利を取っている。地域一帯が被害を受けている。彼等は、弁護士のいない地域は我々の聖域だとさえ言っているそうである。消費者被害の点でも、地域に高齢者が多いために、大都市の業者が来て布団や印鑑を数百万円で売りつけるという被害があとを絶たない。このような事件はできるだけ受任するようにした。私が受任して解決した事件も相当数あった。
数十年間もめていた相隣関係の事件の裁判による解決や、遺産分割協議のとりまとめなども経験した。差押えなど弁護士に依頼しないと困難な事件も扱った。どの事案も、私が受任しなければ泣き寝入りした可能性が高いものばかりであり、事務所開設は地域に劇的な効果をもたらしたと言って良いと思う。円滑に生活していくための司法であることを伝えることができたという面もあるかもしれない。ゼロワン地域には裁判所はある。裁判所に相談に行く方が沢山いる。裁判所では対応に苦慮されているようである。裁判所の情報提供は手続の案内の域を超えることはできず、具体的な事件でこうした方が有利だという助言はできない。
旭川地裁の管轄区域では、旭川に弁護士が集中している。稚内と紋別には弁護士が1人しかいない。名寄と留萌には弁護士がいない。冬は雪の中で遠くまで赴かなければならないという過酷な環境にある。民事に関しては、市役所の無料法律相談が唯一の相談窓口になっている。しかし、盛況のために相談枠が足りない。
現在、日本弁護士連合会の基金による公設事務所は17か所で開設されている。しかし、開設に当たって、1か所あたり500万円の開業準備金が必要になり、その上に運営資金も必要になるため、会費として徴収した基金で対応するのは不可能である。また、公設事務所の開設は、各地域の弁護士会の要請があって初めて可能となるものであり、要請のない地域ではいつになっても公設事務所が開設されない。全国で取り組むべき課題である。
紋別での任期終了後、1か月かけて全国の公設事務所を視察した。弁護士が不要な地域がないことは明らかだが、弁護士が手弁当でやっていては限界がある。国として取り組んでもらいたいと思う。
(鈴木司法書士)
・ 私が実際に体験した例から申し上げると、零細企業の社長が暴力団の金融業者に食い物にされ、自殺してしまったという事件があった。もっと早く私のところに来てくれていれば、司法手続の利用が可能だったし、自殺に追い込まれることもなかったと思う。誰にでも手を伸ばせば届く司法ネットが整備されていればこういう悲劇は起きなかっただろう。司法ネットに期待する。早期に整備すべきだと思う。
私の地元、天童市での自治体の法律相談の実情を紹介すると、法律相談は月に1回、予約制で、1時間である。担当者は弁護士である。相談者が増加しており、対応に苦慮している。近隣の尾花沢市では、月に1回、2時間の法律相談を実施しており、担当者は弁護士である。その前段階として、司法書士が最初に相談を受けて、弁護士に相談した方がいい事案は弁護士の相談を受けるような仕組みになっている。こちらも相談件数が増加しており、対応に苦慮している。
山形県司法書士会では、電話法律相談を行い、また、少額裁判サポートセンターを設置している。8士業による何でも相談会も開催している。昨年は6回開催した。何でも相談会では開催30分前から列ができる盛況ぶりである。県内の巡回法律相談も実施しているが、どこでも多くの人が相談に来る。地域を問わず、多重債務者、ヤミ金融の問題が多い。家庭裁判所と協力して、高齢者の財産管理のお手伝いをしてる。市民公開講座を開いてヤミ金融に関する啓発活動に取り組んでおり、また、高校生向けの司法教育などにも取り組んでいる。司法教育では、コント形式や寸劇形式を採用して、面白く見てもらえる工夫をしている。ニュースでも取り上げられ、好評だった。
山形でも住民のニーズは多く、これに応えるための取組みをしているが、ボランティアでは限界がある。地域住民のニーズに応えきれないためにニーズが埋もれているのが現状である。相談会がなかったら相談に来なかっただろうと思われる人が多い。相談する場所があったから相談に来たということである。相談に来る人は氷山の一角である。
(高峰編集局次長)
・ 東京と地方に格差があるとともに、地方でも、県庁所在地とそれ以外の地域との間に格差がある。
国民の司法参加の機会がない。検察審査会と最高裁判事の国民投票くらいである。熊本にはいろいろな事件があるが、例えば水俣事件を例にとると、水俣に弁護士がいなかったために、被害者は熊本まで来て弁護士に相談しなければならなかった。加害企業は東京とダイレクトに結びついていて、東京の弁護士に頼んだ。裁判を受ける権利のバロメーターは弁護士の数だと思う。熊本では熊本市に弁護士が集中している。法律扶助の審査も熊本で行われる。地方に住んでいる人が法律扶助を受ける機会が限られている。
過疎地に法律サービスのニーズがないわけではない。ニーズはあるが、受け皿が整備されていないだけである。熊本の弁護士の数を見ると、昭和40年代よりも熊本県内の弁護士の数は増えているのに、地方裁判所支部にいる弁護士の数は逆に減っている。県内でも県庁所在地に弁護士が集中する傾向がある。地方では弁護士は具体的な存在である。それまでは事件屋などに解決を依頼していたのが、弁護士によって解決される。弁護士が来たことによって紛争解決のやり方が変わり、雰囲気も変わったという地域もある。ご両親の面倒を見るために天草に戻った弁護士さんがいるが、例えば、憲法週間に弁護士が講演をするなど、今までになかった動きが地方に起こっている。
受け皿の整備は本来は国、自治体がやるべきという議論もある。とにかく、変えないと不平等が持続する。国、自治体、弁護士会が連携して問題に取り組んでもらいたい。私は国がやるのが基本だと思っている。結局のところ、人を確保できるかどうかが問題だと思う。被疑者に弁護人をという話があるが、現状のままでできるのかどうか心配である。全国には様々な問題があると思う。それを誰が司法の舞台に上げるのかを議論すべき時が来ている。地方が豊かにならないと、日本の再生もないのではないか。
国民にとって司法は敷居の高い存在であり、司法関係者はPRが上手でない。
また、新しいものを作るとともに、既存のものを上手く活用していくことも重要だと思う。
・ 弁護士がいるかいないかという問題は抽象的なものではなく具体的なものだということがよく分かった。地方での法律サービスへのニーズの現状、司法過疎克服のための取組みの現状、今後何をすべきかの3点について議論してもらいたい。司法の拡充という話になると、地方に需要があるのか、弁護士会も努力しており国がやる必要があるのかという声をよく耳にしたが、有識者のお話を伺って、現状は予想以上に深刻であると感じた。日本弁護士連合会や司法書士会も問題の解決のために努力されているが、それだけでは十分でないということを認識した。
・ デジタル・ディバイドならぬ司法ディバイドの問題がかなり深刻だと思った。この問題を放置しておくと、司法弱者が増えていくのではないかと思う。国だけでなく、社会の意識改革が必要だと思う。上から統治する発想が法の執行の場面などでも残っていると思う。地方レベルでも行政の意識を変えていく必要がある。それが日本の社会を法治社会にしていくことにつながる。
・ 住民の立場で考えれば、行政は自己完結的でない方がよい。行政は、立法もし、法の執行もし、トラブルの解決まで自分でしようとするが、それは良くないと思う。価値観と価値観がぶつかりあったら、アンパイアが公正に判断するという社会にしないといけない。
・ 地方行政として行われている法律相談サービスについて、地方自治体そのものが司法機能を有するという方向を強めた方がいいと思うが、それについてどう思うか。鳥取県では条例改正のやり方を変えたと聞く。市民に分かりやすいやり方をということだそうだが、どういう効果があるか。弁護士が1人しかいない地域で被告と原告とがいる場合、どういう対応になっているのか。実際の経験ではどちらのケースを扱うことが多かったのか。弁護士が付かなかった方の人にはどういう措置があるのか。公設事務所の弁護士のローテーションに問題はないのか。弁護士ゼロワン地域は日本弁護士連合会の取組みにより解消できるのか。
・ 地方自治体が相談だけでなくもっと司法機能を担ったらどうかというお話があった。アメリカでは連邦も州も司法機能を担っており、日本でも地方分権を進めて連邦制にするということになれば、地方も司法機能を担うことになるだろう。もっとも、日本の規模で連邦制を採用することには飛躍があると思う。裁判にはスピード感がない。自治体の行政だったらありえない。中央がやっていることなので鈍感だった面があるのかもしれない。また、裁判にはデモクラシーがない。最高裁判所判事の国民審査しかない。もっと民意に敏感になる仕組みを設けることによって司法をリバイズしていくのが良いと思う。条例改正のやり方については、従来は「○○」を「××」に改めるという書き方をしていたが、新旧対照表方式にした。この方が分かりやすく、改正作業が簡単である。改めるという書き方は墨で手書きしていた時代には字数が少なくて済む点で合理的だったが、パソコンというツールのある現在ではあまり合理的でない。むしろ分かりやすい方がいい。新方式は県議会にも県民にも評判がよい。
・ 原告と被告がいる場合の対応について、双方代理の問題があり、受任事件の相手方のニーズには応えられない。幸い、受任した側の主張が不合理で、相手方に不利益を与えたという経験はなかったが、潜在的にはそういうこともあり得る。行政が行っている無料法律相談を担当せず、相手方からの相談を受けたときは無料法律相談に行くように言うことで対処していた。やはり弁護士が2人いないといけない。ローテーションについては、後任の弁護士が着任した。引継をしなければならない事件もあったが、依頼者に説明するとともに、後任者と重複して赴任する期間を設けた。依頼者との間でトラブルは生じなかった。今後の人材の確保は制度上最大の課題である。弁護士はこれまでは個人経営者だった。中央に核となる弁護士集団を作って、そこから弁護士が地方に行って経験を積み、その経験を活かして別の仕事をするなどいろいろなやり方があるだろう。ボランティアでの対応は難しいところを、制度として国に投げかけてもらうなどして、若い弁護士にいろいろな働き方ができるということを経験してもらえば、自分のキャリア・アップにもつながることであり、使命感のある弁護士は何十人単位で出てくると思う。
・ 法曹人口が増えれば問題は解決するとか、司法書士に簡易裁判所の訴訟代理権が認められたから問題は解決するという意見もある。お話を伺っていると、問題はそんなになま易しいものではないように思う。
・ 法曹人口が増えれば問題は解決するという考え方は、都市部で食べていけない弁護士が地方に来るという発想であり、地方に失礼な考え方である。行ってみればいいところだと分かるが、ゼロワン地域に行ったことのない人にとっては、ゼロワン地域に行ってそこで生活してくれと言われると抵抗があると思う。いい人が地方に行くことのできる制度を作っていくことが大切だと考える。
・ 簡易裁判所の事件の多くは消費者金融事件である。法律扶助が消費者金融事件や破産事件への対応で手一杯になっている。本来扶助されるべき事件に手が回っていない。本来司法の場に出てきて解決されるべき事件が埋もれているというのが実態である。司法の場に出てくるべきものが出てくるようにしないといけない。
・ 地方のロー・スクールに地方で頑張ろうという志のある人が入学できるようにする工夫も必要だと思う。公設事務所に応募する弁護士が地方に定着しない理由は何か。ロー・スクールの適正配置についてはどう考えるか。
・ 公設事務所に赴任した弁護士が亡くなったらゼロ地域に逆戻りしてしまうということでは意味がない。制度としてゼロワン地域に法律サービスを提供できるようにしておくためには、弁護士が交替で赴任するというのも一つの方法だと思う。弁護士がどこで人生を送りたいかという問題にも関係する。
・ ロー・スクールの配置は悩ましい問題である。しかし、現状よりは良くなるだろうと受けとめている。
・ 弁護士過疎問題はインフラの欠如であると思う。かといって、国が制度を作って上から押しつけるのは良くないと思う。地方の国民から弁護士がいなくて困るという声が上がって動き出すのが民主主義国家のあるべき姿だと思う。それで、需要があるのかどうかが気になった。地方の法律サービスのニーズを掘り起こす必要があるという話があるが、おかしいと思う。ないよりあった方がいいに決まっている。これがいいに決まっているということで無理矢理制度を作ってしまって、無駄な人やお金が投入されるということを恐れる。緩やかな形で、ニーズがあれば即対応できるようにして、上手にお金を使うことを考えるべきである。
・ 地方には潜在的需要はある。掘り起こしをするものではない。潜在的需要はあるのに、弁護士がいないために泣き寝入りになっているというのが現状である。実際に弁護士が行くと需要が顕在化する。しかも、泣き寝入りをしている人達は声をあげない。そのために、そういう人達の声が政治に届いていない。そういう人達の声をキャッチしないといけない。発掘ではなく敏感にキャッチしないといけない。国が総量規制をしていないのなら自由にしておけばいいということにもなろうが、法曹の数は国によって総量規制がされている。国が制度の一環として考えるべき問題だと思う。
・ 今日のお話には教えられるところが多かった。司法教育は機構を教えるだけでは駄目で、利用論をやらなければ駄目だというお話があったが、全くそのとおりだと思う。ゼロワン地域に弁護士が行くことによって、紛争解決の仕方が変わり、地域の雰囲気も変わったというお話にも教えられるところが多かった。一見、お金がかかるように見えるが、紛争が公正なルールの下に迅速に解決されるとすれば、それは社会的なコストの軽減ということになるはずだと思う。地域の人は法律専門家を待っており、法律専門家が行けば必ず地域の人が来るのに、これまで、司法は過疎問題に対して何もしてこなかった。法的な問題の解決を必要としている人の問いかけに応えられるような制度が必要であると思う。地方自治体の相談窓口や弁護士会等の相談窓口などとも連携して、地方の実情に応じて、使う人にとって使いやすいものを作る必要があるということを教えられた。
・ 地方自治と司法とは別だと言われてきたが、司法がなければ自治とは言えない。司法は、機構としては国のものだが、地方自治と一体となって機能しなければならないものだと思う。発想を変えて、司法の機能強化が自治の充実に不可欠だと考えるべきだと感じた。国としてすべきことがかなりある。制度立ち上げには大きなエネルギーが必要であり、国がエネルギーを注ぐ必要がある。