【佐藤会長】それでは、ただいまより「司法制度改革審議会」の第3回の会合を開催したいと思います。
本日は、既に御案内のようにグレゴリー・クラーク多摩大学長、島田晴雄慶応義塾大学経済学部教授、それから太田誠一総務庁長官に、お忙しい中ではございますけれども、おいでいただいてお話しいただくということになりました。
クラーク学長からは、「21世紀の日本社会-共同体社会からバラバラの社会へ-」、島田教授からは「司法制度改革の歴史的必然性と若干の提言」、太田長官からは「事後チェック型の行政と司法制度改革」というタイトルでお話しいただく予定になっております。なお、太田長官は公務の御都合で後でお越しになる予定でございます。
それでは、早速お話をお聴きすることにしたいと思います。
まず、クラーク学長から30分程度でお話しいただきまして、その後に30分程度の質疑応答を行いたいと思います。
それから、島田教授にも30分程度お話しいただいて、同じように30分程度の質疑応答を行いたいと考えております。
それから、休憩をはさみまして、太田長官に15分程度お話しいただいて、15分程度の質疑応答という段取りを考えております。
それでは、クラーク学長からは「21世紀の日本社会-共同体社会からバラバラの社会へ-」ということでお話しいただきます。
簡単に御紹介しますと、先生は1936年にイギリスでお生まれになりまして、オックスフォード大学、それからオーストラリア国立大学で学ばれた後、オーストラリア外務省にお入りになりまして、外交官として活躍されました。
1965年に退官された後、ジ・オーストラリアン紙の東京支局長、それからオーストラリア政策顧問をお務めになられまして、上智大学教授を経て、現在多摩大の学長でいらっしゃいます。
お忙しいところ恐縮ですけれども、それではよろしくお願いいたします。
【クラーク学長】御紹介いただきました多摩大学のクラークです。ちょっと遅れまして、申し訳ございません。
私の今日の話の出発点は、30年前日本に来たときでした。そのときの日本の社会、文化、価値観はユニークな面が強くて、社会の発展とか経済の発展とかで、そのときまで説明されていない部分がありました。私は前はオーストラリアの外務省の中で中国をやっていて、特に日本と中国と比べれば大きな違いを感じました。そして、一つの日本人論というよりも、社会発展論を考えさせていただきまして、発表しましたけど、残念ながら全く評価されていません。今日改めて皆さんのコメントをいただくために展開させていただきたいんです。
申し訳ないけど、黒板よろしいですか。
社会と人間は共通していて、社会の発展は人間の発展と同じで、2種類の価値観があるんです。
一つは、一橋大学の先生の言葉を使わせていただければ人本主義、もう一つは合理主義です。国の発展につれて、普通の経済学、社会学では、人本主義から合理主義へ移行するとされる。人本主義は人間関係中心、学問的な言葉を使わせていただきればパティキュラリスティック、個別主義で、ケース・バイ・ケース。その反対は、合理主義で、ユニバーサリスティックという違いがあります。
パティキュラリスティック(個別主義)では自分の周りの環境に影響され、束縛される。家族とか村社会に見られる。これは英語でプライマリー・グループ、第一義的なグループ、小集団。問題解決の方法は個別的で、原理・原則に基づかず、場当たり的とも言える、人間関係中心の価値観です。しかし、多くの場合、社会の発展が進むにつれて個別主義的ではなくて、普遍的な価値観を採用するようになる。いわゆる合理主義です。ドイツ語だったらゲマインシャフトよりもゲゼルシャフトへ、プライマリー・グループの価値観をやめてセカンダリー・グループの価値観へ切り換わる。
だから、社会の近代化を横軸に、経済の発展を縦軸にとれば、社会の発展は右肩上がりの線に沿ったものであると言われています。近代化が進んでいないこの辺(グラフ上の左下)はいわゆる村社会。同じように、こっちの方(グラフ上の中ほど)は封建社会。近代化が進んだこっちの方(グラフ上の右上)はいわゆる近代工業社会。(グラフⅠ参照)
近代化が進んだこっちの方(グラフ上の右上)には社会の発展、経済の発展は、いわゆる価値観の発展、文化の発展です。こういう合理主義になればなるほど社会の発展は、司法制度も含めて、科学とか工業とか全部一緒に発展する。それで、我々欧米人は、厳密に言えば北ヨーロッパ人、北アメリカ人は、長い間頂点に立っていると思っていたんです。
もうちょっと言えば南ヨーロッパ、南アメリカには、何故かまだそういう村的な面、封建的な面が残っているんです。我々北ヨーロッパ人ほど発展してない。もっと後れた日本は封建社会から卒業したばかりなんです。明治維新、100年前なんです。ここまでは昔の発想なんです。
ところが、御存知のように、日本は経済の面で急に発展して、我々北ヨーロッパ人並みになってしまった。それで、従来の理論では説明に苦しんでいたんです。何故そういうふうになったのか。
三つ説があるんです。一つ目は、日本の社会は社会的な基盤が弱いというもの。これはブレジンスキーの理論ですが、ひ弱な花。弱い、だから崩れる。まだ封建的、村的だから、こういうふうになってしまう。ところが、それが崩れなかったんです。
二つ目は、日本人はもともと非常に合理主義の民族であるというもの。80年代の日本べたぼめの時代の考え方です。ちょうどそのとき北ヨーロッパはみんな悲観的でした。ところが、日本は、日本的経営、日本の官僚制度、何でも欧米より、我々北ヨーロッパ人よりもすぐれている。北ヨーロッパに追い付き追い越せで、知らないうちに日本はこういうふうになってしまったんです。経済だけではなくて、日本の価値観も注目を集め、特に日本的経営は非常に高く評価されていました。これは日本人の村的、封建的な背景と関係なく、日本人が自主的に作り出したもので、日本の企業の経営者は頭もよくて、考え出した制度だというものです。終身雇用とか年功序列などを生み出し、我々欧米人よりも日本人の合理主義はすぐれている、同じように、犯罪率が低いとか、法制度でも何でも、特に官僚制度は優れていると言われました。
これについては、実際に日本のことを知っていれば、日本の企業の経営はすばらしい合理主義であるというよりも、明らかに村的、封建的な面は強いんです。
三つ目は、いわゆるライシャワー論、合流説。日本は運がよくて、アメリカからいろいろ援助をいただいて、アメリカからいろいろアイバイスとかもらって、急に発展して、その結果として社会の価値観がだんだんとこういうふうになったという合流論。これは一番支配的な考え方です。ライシャワーとかクラークとか。
よく言われるのは、特に若い日本人、若い世代はますます欧米人と同じように個人主義、合理主義になるということです。私も20年以上、若い日本人の教育に当たっておりまして、子ども2人も持っている。たまたま慶応大学に大変お世話になりましたけれども、近いところから若い日本人を観察させていただきまして、私は断言できます。個人主義ではないです。非常に日本的です。むしろ戦争前の日本人よりも、あるいは戦争直後の日本人よりも日本的である。これは私にとって大事な指摘なんです。昔の日本人はもうちょっと欧米的だったんです。運命共同体ではなくて、もう少し冷静に国の利益をつくるとか、明治時代の外交はすごく合理主義的だったんです。今の外交と比べれば、当時の日本は外圧に強い社会だったんです。原理・原則に則って動いていた。
その政治家達は、原理・原則を重んじ、議論も上手でした。日本の外交とか、あるいは政治ももっとイデオロギー的だったんです。ムード的、感性的なのは、普通は近代化が進んでない側なんです。イデオロギーは近代化が進んだ側の特徴だったんです。だから私は若い日本人を見て、近代化の方へ動くよりも、これは非常に個人的な意見なんですけれども、むしろ非近代化の方へ動いているのではないか。村的になりつつあるのではないかと見ています。
つまり、日本は長い歴史の間、村、家族だけではなくて、大きい集団に対しての帰属意識を養成してきたんです。会社に入って、あるいは大学へ入って、自分はその大きな組織の者である。そういうしきたりとか伝統とかルールがあったんです。ところが、今の若者は大きい集団に対して興味がないんです。ロイヤリティー(忠誠心)はなくなったんです。小さい集団が大事なんです。個人的ではなくて、小さい集団を求めているんです。
だから、企業の経営は、そこをうまくやって、大きな一枚岩でなくて、小さなワーク・グループ方式を使っているとか、いろいろありますが、それはそれとして、また前の問題に戻りたいんです。
何故日本はそんなに発展したか。発展は否定はできない。今、勿論、不景気なんですけれども、これは一時的なものでしょう。日本の経済は回復するでしょう。アメリカが永遠に繁栄するはずはないです。日本は基盤が強い。日本は相変わらず強いんです。
どうして従来の社会発展論は行き詰まったか。この社会発展論は、根本的に間違っているんではないか。これは非常に個人的な意見ですけれども、何で間違っているか。その鍵は、中国とインドの存在なんです。中国人の文化、あるいはインド人の文化を見ると、非常に合理主義的なんです。議論が上手な民族なんです。原理・原則は厳しい。昔は経済の発展とか科学とか、哲学の発展は我々欧米人よりもすぐれていたんです。
従来の理論では、このグラフでいけば、中国、インドはずっと非近代化の方に行かなくちゃならないんです。経済、社会の発展は低いでしょう。中国はまだ封建的です。中国の封建時代は2,000年前だったんです。その後中央集権があったんです。中央集権はこの合理主義社会の特徴なんです。はっきりした法制度、官僚制度、イデオロギー制度を持っている国を統一させるんです。一方、封建社会、村社会の特徴は、官僚制度、法制度、イデオキロー制度はできていないんです。人間関係中心なんです。だから、村とか藩より以上に拡大しにくいんです。もっと発展するためには、はっきりした合理主義的な法制度というのが必要なんです。
中国、インドはずっと近代化が進んでない側ではなくて、ある意味で我々欧米人よりもすぐれているのではないかと思います。ずっと近代化が進んだ側にしなくちゃならない。
同じように南ヨーロッパは、近代化が進んでいなくて経済は発展しつつある段階にある。近代化が進んでいない日本の徳川時代は案外と発展が高い、大体そういうふうに認められているでしょう。そうすると、社会の発展、経済の発展は一直線ではなくて、きれいなカーブになってくるんです。(グラフⅡ参照)
その結論は、理想的な社会は人本主義と合理主義の組み合わせ(中間点)ではないか。そうすると、日本は頂点に近いんです。まだ合理主義の方へ動いているんです。我々外国人は頂点を通り過ぎちゃったんです。中国、インドの場合はよけいにイデオロギー的になって、よけいに原理・原則中心になって、人本主義をだんだんと無視するようになっている。けれども、発展のためには、すばらしい経営者とか技術者、科学者とか哲学者とか官僚だけではなくて、人の共同体意識も非常に大事なんです。工業社会は、純粋科学だけではなくて、応用科学も必要なんです。応用技術。これがいわゆる村社会、封建社会の特徴なんです。その二つの組み合わせが必要なんです。
はっきりした官僚制度も必要で、司法制度も必要なんです。国をまとめるためにある程度イデオロギーも必要なんです。しかし、同時に人本主義も必要ではないか。
そうすると、結論は、日本に一番に近い社会は、中国、インドではなくて北ヨーロッパなんです。それで、北ヨーロッパの歴史を見ると、日本と同じように長い間村社会、封建社会だった。統一国家になったのは最近だけです。特にドイツ。中国、インドはもう1,000年前、2,000年前になったんです。そうすると、だんだんと下り坂に入りつつある、すばらしい合理主義なんですけれども、現実的な面、人本主義的な面はなくなったんです。今は挽回していますけれども、これは最近だけなんです。
今日の話の中心にさせていただきたいのは、シビルソサエティーの概念なんです。みなさんその概念は詳しいでしょう。
今非常に欧米の学者の中で大変な話題になっているんです。シビルソサエティー。日本語の訳はないですね。シチズン・ソサエティー、これも近いですね。社会は自然にまとまっているんです。法律をつくらなくてもいいです。変なイデオロギーつくらなくてもいいです。しかし、村ではない。大きい社会なんです。この社会をどうやってつくるかです。西ヨーロッパは成功したんですけれども、特に北ヨーロッパは成功したけれども、東ヨーロッパとかロシアはだめ。これは大きな謎だったんです。何故民主主義はイギリスでスタートして定着したか。あとは北ヨーロッパ、北アメリカ。南ヨーロッパはまだ弱いんです。ロシアもだめなんです。
古い文明になると、インドとか中国はシビルソサエティーはゼロです。強い中央集権です。国の命令の上でやらなくちゃいけない。やらないと、手首を切断とか、刑務所に入れるとか、殺すとか、射殺とか。シビルソサエティーではそれは必要ないんです。自然に協力している。自然に法を尊重しているんです。
これはアメリカの有名なフランシス・フクヤマの、いわゆるリベラル・デモクラシーです。リベラルな民主主義。これは社会の発展の終焉、終着駅なんです。それ以上は発展できない。でも私は違う意見です。これは中間地点です。この辺なんです。この頂点に近いところなんです。真ん中ではないか。
これは私が20年前につくった仮説なんですけれども、最近では余り日本で知られていないけれども、アメリカとヨーロッパの社会政治学者たちの中に、西ヨーロッパの民主主義、シビルソサエティーは、昔の封建社会と非常に関係があるのではないか。この封建社会はセミ・フューダリズムではなくて、半封建的ではなくて、例えば中国では最近まであったが、崩壊しましたでしょう。英語でウォー・ロード、軍閥、それはある程度封建的ですが真の封建主義ではない。本物の封建主義は、日本の徳川時代と北ヨーロッパの封建時代、マグナ・カルタの時代とか、ドイツにもあったんです。その本物の封建社会は村社会の拡大です。村社会の中ではみんな礼儀正しいでしょう。犯罪は非常に低いでしょう。封建社会はその延長なんです。それで権力者と一般の人たちの間に、いわばコントラクションのようなものがあった。私は偉い、あなたは偉くない、だから私はあなたを殺すとかではなくて、ある程度契約的な関係があるんです。下の人は上の人に対して忠誠心を持たなくちゃならないんです。その代わりにトップの人が下の人に対して、穏健な指導とかする。これは民主主義社会の基盤ではないか。だから、民主主義が定着したのは、北ヨーロッパだけなんです。それで、後で北アメリカに輸出、オーストラリアにも輸出したんですけれども、我々オーストラリア人はアングロ・サクソンの文化でしょう。特にイギリスは島国として徹底的な封建社会があったんです。だから、マグナ・カルタはイギリスだったんです。
南ヨーロッパはもっと中央集権的なんです。中国、インド、徹底的な中央集権です。歴史が長いから。
北ヨーロッパと日本の特徴は、地理的に文明の先端に近い、日本は中国に近い。けれども、自然に発展できた。島国だから、イギリスと同じなんです。北ヨーロッパは、先端の文明を南ヨーロッパから導入したんです。我々自分でつくったわけではないです。導入しながら村的な価値観を養成したんです。組み合わせしたんです。いわゆる人本主義と合理主義の組み合わせなんです。ある程度一つの社会をつくるために、繰り返しなんですけれども、中央集権が必要なんです。法律、官僚制度が必要なんですけれども、同時に人と人の間の自然な契約関係も必要なんです。
英語でもう一つの言葉があります。ソーシャル・コントラクト。社会的な契約なんです。「私は権力を持っていますけれども、乱用しない。」乱用しようと思えば簡単にできますけれども、しない。あなたに対してある程度こういう約束があるから。
日本は同じ契約があって、だから、アジアの国の中で、いわゆるヨーロッパ以外の国の中で民主主義が定着したのは偶然ではないです。けれども、今までの民主主義では、自民党は具体的な例なんですけれども、かなり封建的であったんです。55年体制なんです。けれども、目の前でそれが崩れているんです。ヨーロッパ的な民主主義の発展の一つの例が目の前にある。私はそういう意味で日本の民主主義に対して非常に楽観的なんです。今は過渡期なんです。だんだんとよくなる可能性をもっている。その一方で、対応を間違えれば、崩れる可能性もある。
このグラフを見て分かるように、我々北ヨーロッパ人は、黄金時代は100年前だったんです。そのときはいい民主主義だったんです。権力の交代も、右・左、左・右、みんな紳士的にやっていたんです。ますます我々北ヨーロッパ、北アメリカは、機械的な民主主義になった。インチキをやって政権を取るんです。変な広告とか変なお金の使い過ぎとかで、ますます北ヨーロッパは独裁的になるのではないかと。中国、インドと同じようになるのではないか。そういう意味で、我々の昔のソーシャル・コントラクトはだんだんと崩れ始めているんです。日本は今までよく生きていました。これはいわゆるいいニュース。
また、日本は本当に犯罪率が低い、これはすばらしい現象なんです。日本に来ている外国人はみんな驚きます。しかし、みんな忘れてしまったんです。我々はアングロ・サクソン社会も40年前は全く日本と同じだったんです。夜遅くても、女性は一人で道を歩きました。今はできないんです。40年だけで崩れ始めたんです。
というのは、だんだんと個人主義になって、前の共同体意識はなくなって、社会は大きな共同体という意識が、だんだんに崩れて、自分自身の利益しか考えないです。そうすると、犯罪に走るのは当然です。罰則が弱いんです。それでギャングして、例えば万引きがうまくいけば、1週間で、一生懸命やれば、今、日本にいる中国人、ベトナム人、1週間で100万円稼ぎます。御存じでしょう。彼たちは堂々と計算しているんです。つかまれば、場合によって刑務所に1週間、2週間、それでバランスするんです。当然万引きするんです。
これが合理主義社会になると、それを防ぐために罰則がますます厳しくないと、あるいは店の中の監視制度を厳しくして、つかまれば、アラブ社会だと手首の切断です。その場合には万引きをしない方がいいです。これは合理主義社会の論理なんです。人本主義社会だったら要らないんです。人は良心の上で、そういう雰囲気とか伝統とかの中で、人の物を盗まないんです。万引きしないです。
つり銭のごまかし、これは非常に面白い現象なんです。外国ではみんなやっているんです。つり銭のごまかしは警察は何もしないでしょう。神様も気がつかないでしょう。地獄もない、刑務所の問題はないでしょう。やらないとばか正直なんです。店をやっているのは何のためか、利益のため。普通の利益は10円、20円、つり銭のごまかしをうまくいけば120円です。やらないとばか正直。これは合理主義社会の論理なんです。日本はそういうふうにやっていないです。相手に悪いから、「恥」道徳と言ってもいい。
私タクシーの運転手さんの研究をやっています。外国でタクシーの運転手さんはみんな泥棒です。もう決まっているんです。特に台湾とか中国とかインドとか古い文明は超合理主義なんです。私は日本に来て30年ですけれども、毎日タクシーに乗っているけれども、いつもおつりを調べています。日本のタクシーの運転手さんは本当に正直か。この道徳がいつ崩れるか。今日中間発表をさせていただきますが、まだ大丈夫です。
ただ、若者の中では始まりました。万引きが始まりました。つり銭のごまかし、タクシーはやっていないけれども、みんな大人だから。しかし、JRのホームの販売のキオスクの若い人たちはやり始めたんです。私みたいなおじいさんはねらわれています。急いで新幹線に乗る前にビールとかピーナッツを買って、1万円出して、おつりをもらって、みんな調べないでしょう。そのままポケットに入れるでしょう。私は調べています。最近は3回くらい、1,000円札が足りなかったんです。毎回同じです。彼女、私が調べるのを見ているんです。戻って、彼女は私が何も言わなくても、ごめんなさい、1,000円忘れたと出すんです。やっと若い日本人の中でもこういう現象が出てきた。
ただ、悪いことをするのは気持ち悪い、相手に対して。これはすばらしい道徳なんです。法律要らないです。そういう小さい犯罪に対しては。
多分これから、今までの日本人の集団主義と同じように、若者の中の集団主義が出てくるという人がいます。今まで日本は本当に大きい会社に入って、会社に対してすぐ一体感が出てきました。しかし、今は出てこないんです。自分の息子を見て、島田先生のゼミを卒業して、今はもうみんな同じです。自分の将来の利益を考え、いつ転職するか、みんな考えているんです。計算しているんです。これが合理主義社会のもう一つの特徴なんです。
皆さん転職率が一番高い社会はどこだと思いますか。シンガポールです。シンガポール人は超合理主義です。再開発を一番うまくやっている国はシンガポールです。合理主義社会の特徴なんです。一番再開発の下手な社会は日本です。人本主義ではだめなんです。
私は日本の民主主義は、今は楽観的なんですけれども、若者の道徳を見ていると、ますます小集団的なものになって、まとまりにくくなるんではないかと感じています。それで道徳意識はだんだんと崩れるのではないか。
その場合は、道徳には二つあるんです。
一つは「恥」意識。人間関係中心。
一つは、法律。イデオロギー中心。合理主義社会の中で法律とイデオロギーは同じです。悪いことをすれば刑務所に入る。あるいは地獄に入る。同じです。あるいは手首を切断するアラブ社会、全部同じです。今まで日本は「恥」道徳で発展したけれども、日本の場合は代わるものはないです。私は40年前にオックスフォードにいた。アルバイトとしてタクシーの運転をやっていたんです。そのとき今の日本と同じように、つり銭など全然調べないです。つり銭のごまかしはなかったんです。けれども、私の世代は今の若い日本人と同じように、何のために毎晩タクシーを運転しているか。利益のため。それでだんだんとつり銭のごまかしをやり始めたんです。今イギリスは完全に、昔の共同体道徳、あるいは「恥」道徳がなくなって、今はひどいです。万引き、ロンドンの店をごらんになってください。特に若い外国人がたくさん入って。
こういう社会の欠点と言えば、まだ「恥」道徳が残っていて、犯罪に対してそれほど厳しくしなくてもいいと思っている。悪いことをしても、非常に寛容なんです。しかし、若い人たちは、それを利用するんです。あるいは大人たちも。悪いことをしても、警察とか法制度は厳しくない。それでだんだんと道徳が崩れ始めるんです。
皆さん、ブロークン・ウィンドーの論理を御存じですか。今アメリカの経済学関係の人の中ではやっている論理です。建物がある。窓一つ壊れれば、だれか壊せば、すぐ隣の窓が壊れる。窓が一つも壊されていない場合は大丈夫なんです。みんな遠慮するんです。だから、法制度と同じなんです。1度万引きが簡単にできる。罰則はほとんどない。悪いことをしているのに。これがいわゆる共同体社会の特徴です。本当に日本の警察はそういう意味で甘いです。特に外人に対して。だんだんと利用されちゃっている。北ヨーロッパはある程度法制度が厳しくなってきた上に、宗教も使うんです。日本は宗教ないでしょう。
戦争前の日本はナショナリズムを使おうとしたんですけれども、失敗に終わって、今はちょっと復活の気配があります、国歌国旗とかね。けれども、あれは「恥」道徳に代わるものとしては物足りないんです。宗教はない。残るのは、やはり法律制度だけなんです。
そういう意味では、日本の社会の発展は曲がり角に差しかかっていると思います。法制度は大きな役割を果たせるのではないかと思ってます。そうしないと、目の前の社会はだんだんと崩れる。バラバラになるんではないかと思っています。
以上です。
【佐藤会長】どうもありがとうございました。最初は非常に勇気づけられたような気もしましたが、最後の方になりますと、何か気の重くなるようなところがありましたけれども、従来余り接することのなかった興味深いお話、本当にありがとうございました。
残りの時間は20分少々ございますけれども、どなたからでも御質問いただければと思います。島田先生も是非議論に参加してください。どうぞ、どなたからでも結構でございます。
クラークさん、ヨーロッパはもう行き過ぎちゃって、頂点を過ぎている、日本がそれに近づきつつある、よくなるんじゃないか、前半はそういうように伺ったんですけれども、後半になると、頂点に行く前に日本はだめになってしまうというように聞こえたところがあるんですけれども。
【クラーク学長】社会の発展は、アルビン・トフラーがおっしゃっているように、前と比べれば随分スピード・アップされたんです。アメリカが非常にいい例なんです。犯罪を止めるために仕方がなかったんですが、警察はますます厳しくなって、クリスチャン・ファンダメンタリズムの台頭、非常に面白い現象なんです。キリスト教の原理主義。社会はバラバラになって、まとめるために法律制度だけではなくて、何か宗教が必要なんです。
結果は、進化論も否定しなくちゃならない。御存じでしょう。今のアメリカで激しい議論をやっているんです。進化論を否定しているんです。
何故か、聖書の中では書いていないです。そこまでファンダメンタリズムが、ますます本当に重要性が増してきました。今まで我々欧米人はアラブとかインドとか、軽蔑していたんです。後れている民族だと思っていたんですが、彼らは我々北ヨーロッパ人よりもかえって進んでいたんです。社会の発展によっては、ますますこういう変な宗教とかイデオロギーが、社会をまとめるために必要とされるんではないかと思います。
昔は共同体があって、若者は自然に共同体に入って、アイデンティティを見つけていたんです。今共同体として、企業、あるいは学校では足りないんです。結果はオウム真理教とかに行かなくちゃならないです。人間は必ずグループを求めるんです。自然な共同体がつくれないとき、あるいは変な形になる。
中根千枝先生の本は非常に示唆に富んでいます。私、初めて読んだときには余り意味が解らなかったけれども、日本人の集団主義のアイデンティティは「場所」、外国人は「資格」にアイデンティティを求める。両方とも、もともと家族や村は集団主義なんです。日本人の集団主義は家族や村だけではない。場所だったら会社、学校。うまく拡大すれば国。日本のナショナリズムは、そういうものだった。国体という意識は非常に日本人のユニークなもので、国は大きな共同体という意識。外国だったら、資格でいかなくちゃならないんです。中国の場合は血縁関係、インドはカースト、ヨーロッパは階級、宗教とか、国は一つのはっきりした文化とかイデオロギーの上でまとまった。原理・原則の上でまとまっているんです。
そういう社会の変化は、道徳の変化と同じなんです。一方は「恥」道徳。一方は共同体に対しての自然な責任感とかではなくて、「罪」道徳。やはり原理・原則。宗教とかイデオロギーの原理・原則、あるいは法律の原理・原則。それを破ったら、あなたを処罰しなくちゃなりません。日本は原理・原則を破った場合には罰則、パニッシュメントが必要であるという概念はまだ弱いんです。日本の裁判所のやり方を見ると本当におかしいです。全く場当たりです。
【水原委員】大変貴重なお話を伺いまして感銘を受けました。日本にも元は修身教育というものがございました。学校でも、また家庭でもしつけというものを厳しくしておりました。その関係でずっと犯罪が少なかったのではなかろうかという気がいたしますが、最近、先生おっしゃるように、そういうものが非常に稀薄になってきつつあるのは事実だと思います。
そこで、必要なことは法による厳しい罰則がかけられるべきだとおっしゃるんですけれども、残念ながら日本の法律制度と言いましょうか、そういう法律秩序というものを少しでも変えようとするならば大変な抵抗を受けます。刑罰を少しでも重くしようとするならば、大変な抵抗を受けます。
私は6年間証券取引等監視委員会の委員長をいたしました。そのときにインサイダー取引がございますが、そのインサイダー取引の罰則というものが極めて低い。低いのでそれを重くしてほしいと。例えば、インサイダー取引で1,000万円の利得をしましたという者についても、最高は50万円の罰金、3か月か6か月の懲役。ほとんどが罰金で終わります。1,000万円の利益の追及はできない。50万円だけ払えば得だというような制度になっておりますので、その改正をお願いいたしましても、この改正に非常に抵抗がございます。どうしたら厳しくすることができるか、良いお知恵があれば、御教示ください。
【クラーク学長】文化はまだ共同体的、村的なんです。けれども、社会はますます近代工業社会になって、古い制度が使えなくなります。大蔵省の官僚の過剰接待は典型的な例だったんです。だから、今は暴露されれば厳しく、罰則よりも社会の批判を受けるんです。暴露されなければ平気です。銀行の不祥事と同じなんです。昔の日本はまだ「恥」道徳、共同体道徳が効きましたけれども、だんだん効かなくなったんです。インサイダー取引とかの連中は恥としていないです。しかし、仕方がないです。社会は大きくなって、だれに対して恥を感じるか。昔は天皇陛下だったとかありましたが、今はそのシンボルはなくなったんです。復活させるのは無理なんです。保守的な日本人の心根は解っていますけれども、彼たちには何か理由があるんです。そのときの日本はよかった、戻りましょうとか言いますが、でも無理なんです。それに代わるものが必要なんです。
新しいナショナリズムは無理とか、日本人は宗教も無理でしょう。そうすると、法律だけですよ。
そういう意味でシンガポールは模範国家です。うまく法律を使います。むち打ちとかね。アメリカは怒りましたけれども、厳しくないと若者の道徳はどんどん崩れるんです。これは面白かったんです。むち打ちのときのアメリカの反応は面白かったんです。
そのとき私コラムを書きまして、英文日経なんですが、アメリカで再出版されました。シンガポールについて、ニューヨークタイムズの社説があったんです。ニューヨークタイムズは、シンガポールの論理はこういうふうにやらなくちゃならない、という。でも、日本を見てください。日本はむち打ちをやっていない。にもかかわらず犯罪率は低い。それで私は書きました。日本とシンガポールは根本的に違うんです。日本はまだ昔の欧米と同じで、まだ共同体道徳が生きているんですけれども、中国やシンガポールはないです。かえって我々外国人はますますシンガポールになりつつある、と。この記事はとにかく強い反響があったんです。今までだれも気がつかなかったんです。
アメリカでは御存じのように、クリントンとかニューヨークタイムズは怒りましたけれども、もっと保守的なアメリカ人は静かに応援しました。シンガポールよくやりました、と。これからアメリカも同じようにすべきだという声がアメリカではよくあったんです。
【藤田委員】人本主義から合理主義への流れというのは不可避なのか。そういう恥の意識を失うということで、それに代わるものとして法律とかイデオロギーとか宗教とかというものをお考えになるということですけれども、不可避であるとすればそれしかないのかもしれませんが、これから恥の意識を取り戻す方向に努力するということは現実的ではないんでしょうか。
【クラーク学長】方法は一つあるんです。日本はまだ成熟していない社会。何故か。家族、村、藩、企業。これが今までの発展です。コミュニティーはなかったです。戦争前は隣組という制度があったんですけれども、今はないです。企業は人をまとめるために、共同体が限界になったでしょう。子どもだったら、家族と学校だけでしょう。今の若者に対して明らかに、この二つだけでは足りないでしょう。問題があれば、保守的な日本人は、家族の中でもっとしっかりしつけとか、学校も厳しくやらなきゃと言いますが、無理です。もう限界になったと思います。特に核家族現象はますます進むと思います。日本はコミュニティーがないんです。私は若者の道徳を見て、これ一番日本と欧米の違う点だと思います。特に北アメリカとね。よくやっていると言えば、理由はコミュニティー意識が非常に強いんです。そのコミュニティーは確かに宗教、教会は一つの要因なんですけれども、それだけではないです。
例えばスポーツは、学校の部活ではなくて、地域の中のスポーツ・クラブです。私はオーストラリア育ちで、何々サバーブというのがあった。日本ではサバーブという言葉はないですね。一つの地域社会、コミュニティーがあったんです。そこでいろいろな子どもと一緒に奉仕活動、ライオンズとかロータリー、これは大人だけではない、子供も積極的に参加する。子供は、特にボーイスカウト。そういう組織の中で、自分が学校の者であるだけではなく、家族の一員であるだけではなくて、自分は一つの共同体のメンバーであるという意識を自然に身に付けたんです。最近のアメリカは、これでも足りなくなったんです。だから犯罪が増えたんです。
しかし、私の世代のアングロ・サクソンの中で、コミュニティ活動は非常に大きな役割を果たしたんです。自然にほかの大人と付き合って、自然に社会のルール、共同体のしきたりとか。原理・原則ではなくて。法律は原理・原則、宗教も原理・原則。ルールは社会の自然なものなんですけれども、学んでいたんです。
日本にはそういう共同体はないです。客観的な証拠があります。皆さん電車に乗って新聞を読んでいる学生を見たことありますか。大学生も読んでいないでしょう。社会に対して意識がないです。外国では、特にアメリカの学校は12歳から新聞は毎日読んでいます。社会意識が強いんです。
それから、援助交際。これは非常に面白い現象なんです。日本に来ている外国人みんな同じことを言っている。犯罪率がそんなに低いのに、何で援助交際が許されているのか。外国に行くと犯罪は多いんですけれども援助交際はない。これは「恥」社会の独特な現象、「恥」社会は迷惑を人にかけないことでしょう。つり銭のごまかしは迷惑でしょう。万引き迷惑でしょう。だからやらないんです。これはすばらしい。援助交際は迷惑がないんです。おじさんは喜んでいるでしょう。自分はお金をもらっているでしょう。ファッションとか買えるようになっているでしょう。迷惑ないです。18歳の女性の論理ではね。28歳の日本の女性が援助交際しますか。しないでしょう。もう大人になって社会のルール、ちょっと遅れましたけれども、分かったんです。これは宗教は関係ないでしょう。法律関係ないでしょう。自然に抑制されてしまうんです。社会のルールが分かったんです。
問題は、日本ではそういう勉強をやり始めるのは社会人になった後で、社会人になるのが22歳では遅いんです。その22歳の前の段階を非常に心配しています。若者たちは社会を知らない。日本人は宗教を使わない。私は大賛成なんです。私は上智大学なのに宗教は大きらいなんです。
そういう意味では日本の社会を私は長い間尊敬しました。宗教は要らない。変なイデオロギー要らない。自然にまとまっているんです。今の若者を見て、まとまりがだんだんと消えてしまって、22歳で社会に入って、ある程度社会のルールを覚え始めるんですけれども、遅いんです。もともとは12歳からやり始めるべきなんです。12歳までは学校と家族、次はコミュニティーなんです。日本のは無理にコミュニティーの影響を無視して、学校と家族だけで十分だとみんな思っているんです。十分じゃないです。どんなに強化しても、先生たちがどんなに立派になっても、日本の学校の先生が、これ以上立派になるはずがないでしょう。間に合わないんです。
オーストラリアで育った私の世代にとって、ボーイスカウトは大きい影響を与えていると思うんです。残念ながら日本はほとんどないです。若いとき、自分のお父さんではなくて、ほかの大人たち。学校の煙たい先生ではなくて、立派な大人たち、リーダー、社会的責任感の強い人と付き合っていたんです。それで、ああ、やっぱり物を盗むのは悪いとか、こういうことはやるべきではないとか、自然に学ぶ。日本の若者はそういう影響を受けないんです。
【竹下会長代理】大変興味深いお話をありがとうございました。
先生のお考えですと、日本の今の若い世代の行動というものが、社会のルールにだんだん従わないようになってきている。そこで、法による規制と言いますか、そういうことが必要だという御指摘だったと思いますが、我が国でも今、法化社会、つまり社会が法によって支配されるようにならなければいけないということが言われています。私どもが普通に考えている場合には、そういう若い世代というよりも、現在の例えば日本の官僚組織とか、あるいは企業の行動とか、そういうものが法のルールに従っていないのではないか。それを法のルールに従わせる必要があるという、そちらの方にウェートが置かれていると思うのですけれども、先生のお考えと、そういった日本の社会が法によるルールに従うようにならなければいけないのだと言われていることとは、どういう関係になるか。先生はそういう点についてはどういうふうに評価なさるかをちょっとお伺いしたいと思うのです。
【クラーク学長】勿論、法のルールに従わなくちゃいけない。
【竹下会長代理】その場合に、日本で多く言われているのは、若い世代の問題ではなくて、現在。
【クラーク学長】インサイダー取引とか、そういう意味ですね。
【竹下会長代理】そうです。
【クラーク学長】だから、大きな近代工業社会の中では人の関係は「恥」道徳も何も使わなくなるんです。その場合は法律を使うべきです。できれば法律を使わなくてもいいんです。共同体道徳が一番理想的なんです。勿論、企業は一つの問題、官僚は一つの問題なんですけれども、私はそれだけではなくて、若い世代の問題も非常に大きいと思います。さっきのインサイダー取引の話は、本当に典型的な話なんです。日本は法が弱いんです。
だから、銀行の問題で分かるんです。アメリカで大和銀行はそれに引っ掛かったでしょう。アメリカ人は、ああいう不祥事を防ぐために、特に銀行制度は非常に近代工業社会にとって大事であるし、そして不祥事が起こりやすいと考えている。結論は厳しい罰則しかないです。あれを見て、私は大和銀行は本当にかわいそうと思っていたんです。私も涙が出るくらい。しかし、仕方がないんです。
あるいは、中国のように射殺です。ますます社会は複雑になって大きくなってくると、ああいう厳しい罰則しかないです。
【竹下会長代理】どうもありがとうございました。
【曽野委員】今クラーク先生のお話を伺いながら、本当によく日本の地方というのを知っていてくださるなと思いました。私は東京にいますが、週末、ちょっと離れた海辺に行き、畑をしております。ですから、村のルールというものにも肌身に触れて知っているんです。
30年くらい前にそこに土地を買いました。普通は売買契約をいたしますね。手付けを打って。ところが、その持ち主の方が何とおっしゃったかというと、「1升瓶2本持ってきてくれればええ。」ということでした。私1升瓶2本じゃいけないと思いました。2週間経ったら買いませんよと言ったら申し訳ないと思ったものですから、そうしたら、いいや、それでいいんだと。それで1升瓶2本をお届けしたんです。
そのとき私が思ったのは、きっとあの人は大酒飲みに違いないということでした。奥さんに公然と2升お酒が飲みたさに、そういうことを言われたんだと思いました。そうしたら、一滴もお酒を飲まない方でした。それは日本の社会の中では、酒を一度もらったら、約束を変改と言いますか、約束を破れない。もし破ったら村にいられないという一つのルールがあったんです。
私はそういう情によるつながりが苦手で、思い出しましたのは、京都のお寺様というのは、私ども大変大事に思って、誇りに思って、観光もさせていただきたいと思っている。だけれども、お寺様がどうして京都のホテルが法的に正しい高さの建物を建てているならば文句をつけるんだろうということです。
つまり、もしどうしても古い京都の美を保つんだったら、京都には高いビルは建たないようなルールをつくらなければいけない。高い塔を持ったホテルなどですね。しかし、法があるなら、法に従っている者は即座に素早く許されなきゃならない。シンガポール・スタイルです。
そういうことが、一京都の問題ではなくて、教育心理に影響を持っているように私は思うんです。こういう問題も、先生方のお力によって整理していただけると、希望に満ちた世代が生まれるでしょう。
【クラーク学長】私も30年前に全く同じことをしたんです。土地を買って畑をつくったんです。それは契約を結んだんです。あとで判ったんですが、これはあの人の息子とお父さんのけんかになって、お父さんの土地だったんですけれども、実際に契約を結んで、判こを押して、破棄すれば倍返しという制度があるんです。お父さんは私のところに来て、3時間、私の家の前に座って、ごめんなさい。許してください。お願いします。結局、私はどうしようもなかったんです。認めなくちゃいけなかったんですけれども、村社会の道徳はすばらしいんですけれども、証券取引所の中に導入できればいいですけれども、村八分という言葉は外国人の学者の中でみんな興味を持っている。悪いことすれば村から追い出される。それで十分だったんですけれども、今の若者は、私の畑の近く、房総半島できれいなビーチがあります。若者は週末に来て、平気でごみを残すんです。これは欧米でもできない。明らかに社会に対する意識が非常に弱いんです。
【佐藤会長】まだいろいろとお訊きになりたいことが多いかと思いますけれども、アングロ・サクソンというのは、さっきおっしゃったことですけれども、社会の道徳等に、法の支配の非常に長い歴史を持っております。
【クラーク学長】日本は徳川時代も法があったんですけれども。
【佐藤会長】法の内容が問題ですけれども。
【クラーク学長】封建社会は法は厳しいんです。首切りとか、英語でストックス、日本はストックスはなかった。ストックスは御存じですか。シビルソサエティーになると、頂点に近い。ああいう変な罰則は要らなくなるんです。欧米は最近までそういうあれがあったんです。あったんですけれども、厳しくする必要はない。日本はまだそういう段階です。
【佐藤会長】法の支配を導入して、日本の社会をよくする余地はあるんじゃないかというように、よく承ると。
【クラーク学長】心の道徳の崩れを見て、スピード速く動かないと、法だけではなくて、コミュニティー、拡大した共同体、あれも必要ではないかと思います。
【佐藤会長】本日は貴重なお話どうもありがとうございました。(拍手)
ちょっと4、5分過ぎてしまいましたけれども、続きまして、島田教授から「司法制度改革の歴史的必然と若干の提言」ということでお話をしていただきたいと思います。
簡単に御紹介申し上げますと、先生は1943年に東京にお生まれになりまして、慶応義塾大学、アメリカのコーネル大学、ウィスコンシン大学で学ばれた後に、慶応義塾大学経済学部助教授を経て、1980年から教授をお務めでございます。
この間、各種の政府関係の審議会等でも御活躍でございます。
御専門は労働経済学、経済政策、日本経済・国際関係論というように伺っております。それでは、島田先生よろしくお願いいたします。
【島田教授】島田でございます。本日は大変大切な審議会で意見を述べる機会を与えていただいて、ありがとうございました。
私は司法制度の抜本改革は歴史の必然であるということを確認させていただいた上で、法曹の資格・養成制度について、やや具体的な提案をさせていただきたいと思います。
司法制度改革は、今世紀に残された最大の改革というふうに言われて、大変世間の期待も高いわけでありますが、私の話は、特に二つの視点から申し上げたいと思います。
一つは、今回の改革は戦後の50年というよりは、明治維新以来の改革というふうにも位置づけられるんじゃないかと思いますので、歴史的な経緯を踏まえた上で、長期的な将来にわたる社会経済の姿を見極める、歴史的なメガ・トレンドの変化の方向を見極めるということがまず前提として必要だと思います。
もう一つは、司法制度というのは、社会経済のトータル・システムの中のサブ・システムでございますから、一つのサブ・システムというのは、他のサブ・システムと無関係ではないわけで、これは制度の相互補完性と言われますけれども、一定の条件の中では合目的的な効果を持っていたとしても、条件が変わると全体が変わる、意味が変わる、役割が変わるということがありますので、新しい環境条件の中で一体何が今求められているのか。これからの社会にとって何が求められているのか。そのためにはいかなる改革が必要なのかという観点から申し上げたいと思います。
さて、日本の歴史を振り返ってみますと、19世紀の中庸から1世紀以上にわたって、いわゆるキャッチ・アップの段階を過ごしてきたわけでございます。このキャッチ・アップ過程は、すぐれて政府主導の発展戦略、経済発展理論ではしばしば開発資本主義と呼ばれますが、そういう戦略でやったきたということが言えると思います。明治維新から20年間の間に日本は急激な近代化、あるいは国づくりをやったわけで、それは開国時の不平等条約に象徴される列強の脅威と圧力に対する強烈な危機意識の反映であったわけです。ですから、近代国家としての体裁を整えて、国際社会の認知を得ることが急務だったと思いますが、政府の組織をつくり、軍制をつくり、立憲君主制を規定した憲法をつくり、国会開設、これを二十数年間のうちにやるわけでございます。
司法制度もその一貫でございまして、例の司法卿、江藤新平が、明治5年に司法職務定制というのをつくりましたけれども、これが近代法制の端緒と言われておりますが、明治23年の裁判所構成法、26年の弁護士法、この辺りで近代法制は形を整えるわけでございます。
これは行政・政治から司法が独立して、しかし中央集権型で、極めて精緻につくられた体系的な法システムだったと言えると思います。
第一次大戦後、世界的にある種デモクラシーの流れと言いますか、日本でも大正デモクラシーの風潮があって、恐らくそういったものが背景にあったかと思いますが、大正12年に陪審制が導入された。国民の司法参加ということまで進められるわけでございますが、ほどなく戦時体制に移行して、いわゆる1940年体制の官僚主導、統制経済に戻るわけです。その中で草の根民主主義の萌芽といったようなものは根づかずに、そういう官僚主導体制の中で埋没をして、陪審制も停止をするという経緯をたどりました。
占領下のマッカーサー改革で、軍の廃止、財閥解体、農地改革、労働組合の公認、そして日本国憲法において、天皇は象徴とされ、主権在民を確認する改革が行われ、根本的な民主化への社会的雰囲気が高揚したわけですが、そうした背景の中で昭和24年には弁護士法がつくられた。これは国際的にも比類ないほど弁護士自治を強調しているとの評価もあるわけですが。そういうものがつくられたわけでございます。
当時の連合国総指令部は、日本を中央集権構造から分権にしようということに力点をかけました。内務省を解体して地方自治体に大幅に権限を付与していく。都道府県は完全自治体となった。特に彼らが力点を置いたのは、市町村にできるだけ自治権を渡すこと。警察も市町村に大幅に権限を渡す。教育委員会の委員も当時は公選だったわけです。
それから、シャウプ税制も市町村を非常に重視いたしました。そして、行政委員会がたくさんつくられて、その行政からの独立性を担保するということを強調したわけでございますが、しかし、講和条約後の日本独立、そして経済発展過程の中で、しだいに日本型の官主導の中央集権構造に回帰をしてくるという現象があったと思います。自治省がコントロールをする地方行政の集権管理体制。特に1950年代半ばに地方交付税が制度化されたことが非常に大きな役割を果たしたと思いますが、中央省庁が地方に出先機関をたくさんつくって、機関委任事務を統括していくということです。中央のコントロールが非常に強くなるわけです。
それから、独立行政委員会のうちのかなりの部分が審議会方式に変わっていく。審議会は事実上の官主導になる。また、産業界でもジャパン・インコーポレーテッド、すなわち日本株式会社と言われる仕組みが形成されてくる。つまり、官僚主導の産業界の護送船団方式が確立をしてくるわけです。
企業の中でもタフト・ハートレー法の影響を受けた労働組合法というのは団体交渉制度を基本的な問題処理の仕組みとして位置づけたんですけれども、実際の大企業の中の問題処理はほとんど労使協議制でやるようになった。労使協議制には法規定がございません。そして、企業の財閥は解体されたけれども系列の形で再生するというふうに変わっていく。そうした経済、産業、企業までを包含した中央集権体制で最近まできているわけです。
このように、日本の近・現代史の中では民主化の動きというのがときどきありましたけれども、それは結局中央集権型の官主導体制の中に包摂されるということの繰り返しでございました。
しかし、この官主導の発展戦略というのは明らかに一定の歴史的な役割を果たしたことは否定できません。つまりキャッチ・アップを達成するという意味で役割を果たしました。したがって、世界の国々、特にアジアの国々はジャパニーズ・ミラクルと言って、日本型モデルを一つの模範にしようという動きすらあったわけであります。
ところが、この官主導システムというのが経済発展とともに、実は皮肉なことに矛盾が拡大してまいります。ここ数年いろんな現象が起きているわけですけれども、結局、この官主導システムは、根本的に突き崩されつつあると思います。それを突き崩したのは結局、市場の力だったということが言えると思います。その端的な契機となったのが、80年代半ばのプラザ合意による円の高騰です。円がドルに対して100%ほど切り上がったわけですが、これは経済発展努力の成果が世界で認められた、所得トップ国として認知されたというわけですから、経済的に見るとキャッチ・アップはここで完了したということが言えると思うんです。
しかしながら、所得トップ国として繁栄をしていくためには、国内のシステム、あるいはこれまでの経済戦略の根本的な転換が必要だったわけです。これは前川レポートなども指摘しているわけですけれども、一つは、市場を徹底的に開放することによって、円高の輸入メリットをいかして、豊かな消費社会をつくる。それをするためには、国内の産業が効率化しないとこれは保てないわけですから、規制緩和等による効率化ということが叫ばれたわけですけれども、結局、できずに高コスト構造が残った。そのために産業が空洞化をし、地方経済は疲弊をするという矛盾をはらんだわけです。
それから、分権によって地方の独自性をいかして、外国の投資を導入して活力を高めるというようなことも叫ばれたわけですが、結局できずに地方は空洞化して、中央への財政依存を強めて、そして財政負担が累積をするという矛盾をはらんだわけです。
それから、金融自由化というのは、世界最大の貯蓄国として当然国際社会から求められたわけですけれども、これは監督当局も銀行も護送船団の利益を捨て切れずにおったために、結局、銀行部門は国際競争力が著しく後れたわけです。今日、金融危機の根因は、不良債権問題処理の後れと言われておりますが、実は更に底流には、この国際競争力の立ち後れというのが大きく作用しているわけでございます。
もう一つ、官僚主導、大蔵省主導のシステムが機能しなくなったということは、例えば大和銀行事件、先ほども議論にありましたが、あるいは山一問題、長銀問題、皆そうでございます。
ということは、トータルで見ますと、官主導システムの発展戦略は、ついにここに来て終焉をした。経済発展の結果、市場の力によって突き崩されて、終焉をしたということだと思います。明治以来の日本近代化の100年間の歴史が、今ここで変わろうとしているわけです。
さて、その日本型の旧来のシステムが現在は大混迷、大混乱でございます。このままだとせっかく非常にすばらしい資源を、あるいは潜在能力を日本という国は持っていながら衰退をするという危険に直面していると言えると思います。
さて、そういう先進成熟段階に入った日本として、一体何が求められるのかということについて長期的なメガ・トレンドを少しながめてみたいと思いますが、一つは、技術・情報の進歩によって世界的にグローバル化が進む。そして、地球が相対的に小さくなり、融合が進むということだと思います。日本国から考えてみると、資本、企業、人々、特に定住者、外国人ですね。こういうものの相互浸透が起きる。それから、システムの相互浸透が起きるわけです。
そうなると、先ほどのクラーク教授のお話じゃありませんが、これまで問題解決のコモン・デノミネーター(共通の分母)というか、共通の手がかりになっていた村落社会から発展した共同体の価値共有というものが機能しなくなるというのは明らかだと思います。
それから、開放経済でございますから、市場競争が浸透してまいります。そうすると、大蔵省の機能停滞に見られますように、中央集権政府型の資源配分管理機構が機能しなくなる。これは金融破綻で明白でございます。
それから、企業について見ましても、企業は系列とか共同体とか企業一家とかという価値観で結び付くのではなくて、競争力を高めるためのみの機能的結合体になる。しかも、それが国境を超えて行われるということになってまいりますと、企業社会の共同体意識も薄れて雇用慣行も変わらざるを得ない。
社会の面で見ますと、都市化が進み、地方は過疎化してまいります。そうすると、村落共同体の価値の共有ということが、実はその基盤を失ってくるわけでございます。
それから、強調しておきたいのは、日本の家計構造がいわゆる個計化をしてまいります。つまり、一人暮らしが増えてくるんですね。これは主として高齢者でございますけれども、2020年には今の人口統計で推計した結果を見ますと、2020年には一人暮らし世帯が何と核家族を上回る。一人暮らし世帯が3分の1を占めます。こういうことがかなりの確度で予測されているわけです。
とすると、家族の助け合いという基盤が社会的に失われるということが想像されます。そして、高齢・少子化が進むと、社会保障の制度に非常に困難が出てきて実質給付水準が下がらざるを得ない。経済成長の成果を平均的市民が社会保障制度では受け取れないということになってまいります。ただいま国会に出ている年金法改正はそういうことを意味しているわけでございますが、つまり、公助・共助が機能しなくなる。資産運用等による自助に頼らざるを得ない。そういう世界になります。
それから環境問題、環境制約が強まってまいりして、いわゆるヒューマン・セキュリティーの問題がかなりの危機にさらされるということでございます。
つまり、これまでの社会は、先ほど過去1世紀半の歴史を振り返ってみましたように、官主導の権力による統治機構であったわけですが、これが機能しなくなる。それから、共同体の価値共有による和の慣習による解決であったもの、これが機能しなくなる。したがって、かつてはそれが機能しておったために、司法制度の役割が極めて限定されていたわけですけれども、これからはこの明示されたルールの下で正当な手続による利害対立と紛争の解決というものが明確に求められる。
つまり、司法機能への役割期待が非常に大きくなる。恐らく、その社会的需要はこれまでの数十倍になると言っても過言ではない。そうした可能性があるのではないかと思います。これは裁判所とか検察とか弁護士とか、関係者の皆さんに相当なインパクトを与えるわけです。
例えば裁判所について言いますと、経済行為が複雑になり、しかも国際化いたしますから経済問題の処理が極めて複雑になる。経済分野、行政分野で大規模な複雑な訴訟事件が起きてきて、これを裁判所が処理しなくてはならない。非常に高度な知識と人材、チームワークが必要になります。
一方、多くの国民の生活上のトラブルがかつてとは比較にならない数で増えてくると思うのです。かつて民事訴訟のテーマは何かというと、金銭の貸し借りとか、離婚とか、相続とか、その程度でございましたけれども、これからは金融万般、つまり個人が生活を守るために資産運用をするわけですから、金融万般のトラブルが出てまいりますし、情報問早A医療問題、介護問早A公害問題、気の遠くなるほどたくさんのいろんな問題が出てくる社会になるはずでございます。裁判所は当然これに対応し切れない。そこで裁判外の紛争処理制度と言いますか、そういったものに対する需要が非常に多くなる。
特に裁判とか訴訟とかいうのではなくて、どういうふうに対応したらいいだろうということについて助言、サービス、こんなものが非常に大きな需要になると思います。
それから、検察について言いますと、複雑な経済事犯というのが出てくるわけです。先ほども御議論ありましたけれども、金融システムの崩壊の背後には必ずと言っていいほど何らかの背信あるいは背任行為があり、虚偽申告があり、粉飾決算があり、インサイダー取引がある。これらに対しての量刑が、水原先生おっしゃるように余りに少ないわけです。これは50万円や100万円の罰金で処理されているというのはとんでもない話なんですが、実は役所の贈収賄事件一つ取ってみても、刑法の贈収賄の細い糸一本で拾うわけですね。これは明治時代の制度の延長でしかありませんから、誠に心許ない。今日は政府がすべてを仕切るわけにいかない社会ですから、公正な市場システムというものを断固として機能させなければいけないのだけれども、それを機能させるのを制度的に支えてくれる法体系がない。しっかりした刑事罰を付けた法体系がないんです。これは何らかの形で早急につくっていただかなければなりませんし、私はこうしたことも、この審議会の大きなお仕事じゃないかと思います。
それから、人権の問題もこれありで、被疑者が否認をし続けることが、反社会的な凶悪な犯罪で目立っています。オウム真理教事件もそうであり、和歌山砒素事件もそうですが、これを自白主義でやるということになると、私共一般世間から見ていても、果たしてこのようなやり方で大丈夫なのかというふうにすら思います。こういう大問題がどんどん出てくるわけでございます。
それから、弁護士さんについて言いますと、お仕事が非常に専門化して、複雑化して、業務量が加速度的に増えております。したがって、専門能力を持った方々が協力して仕事をするロー・ファーム、あるいはチーム・ワーク、チーム・ワークより更に広げてネットワーク。チーム・ワークとネットワークの時代と私は言いたいと思いますが、そういうことが一方で求められます。
他方、人々の生活を守るホームドクター、これはお医者さんにしてみれば町医者のような方々だと思いますが、こういう人たちに社会が求めているのは訴訟とか裁判の問題というよりは、ADRも含めて、生活に密着したところでどう問題を処理するかということについて適切な助言や支援をしてもらいたいという需要が、これまでの恐らく数十倍あるいはそれ以上の規模で増えてくるだろうと考えられます。
ということになりますと、いわゆる伝統的な法曹の仕組みは、一体こういう社会的需要に対応できるのかという問題が出てきます。
法曹というのはこれまで一言で言えば裁判にかかわる法の専門家の方々のことを言っていたように思われますけれども、そうではなくて、一般の経済行為とか日常生活の法的な行為とかについて助言、支援、代行など様々なサービスが当然これからの法曹に求められてくるわけです。これは今日の法曹が果たしている役割の恐らく数十倍、あるいは数百倍という規模の社会的需要だろうと思います。
これに対して現状の社会での法曹に対するイメージはどんなことになっているかというと、いろんな調査がございますけれども、一言で言えば国民から見て遠い、分かりにくい、使いにくい、どこへ行けばいいのか分からない。どう利用できるか分からない。幾らかかるか分からないということです。
例えば裁判所について見ても、民事裁判は非常に遅いという印象があります。統計では10か月ということになっていますけれども、クレ・サラ訴訟というものを除くと15か月くらいになるんですね。ただ、これは一審の話ですから、少し長引いたときは2年、3年、複雑なものは10年、片づいたときには本人も死んでいるという話になるので役に立たないという印象が世間には強いわけです。
しかし、裁判官の方々は実は大変な努力をなさっているわけで、限られた人員で裁判の効率化に腐心をしているわけです。しかし、戦後1,200人だった裁判官が今日でも2,100人でしかない。事件は少なくとも4倍くらいに増えているんじゃないかと言われておりますけれども、したがって、判事一人が数百件にのぼる滞貨を抱えているという事態、これは裁判所はほとんど機能していないと言っていいんじゃないでしょうか。
一方、弁護士さんは活用しにくい。一般の人々から見ると、一体だれに依頼したらいのか分からない。紹介状を持ってこいと言うけれども、弁護士さんそのものがどこにおられるのか知らないんです。最近の『ジュリスト』のアンケート調査(1996.2.15号(No.1084))では、弁護士さんを知りませんという人が約8割でございます。
それから、知っていたとしても、どこにいるのか分からない。何をしてくれるのか分からない。弁護士さんは、弁護士会の自主規制で広告は出せません。広告を許すと誇大広告などにより悪貨が良貨を駆逐すると弁護士会の一部の方はおっしゃいますけれども、それは逆だと思います。広告をはっきり出して、私どもはこれができる。どのくらいの能力があると言ってくれなければ、市民は闇の中で必要なものを探し出さなければならないような状況に陥るわけです。そして、報酬は幾らというのは報酬規定がありますよと言われますけれども、あの難しい規程集を読んだって、実際にはトータルでいくらになるかなどは、素人にはなかなか分からないわけです。要するに分かりにくいのです。だから、とても一般の人々には近づけないという世界でございます。
それから、司法インフラは非常に不備です。今申し上げたように、まず人々にとってアクセスが乏しい。ネットワークが乏しい。勿論、弁護士会は大変な御努力で無料相談もやっておられますし、公設事務所をつくれという運動もされております。大変なことをやっておられるわけですけれども、依然として国民から見ると非常に遠い。
それから、法律扶助、この点に関しては日本はとんでもない後進国だと思いますが、法律扶助協会だけが頑張っておやりになっていて、勿論、国家も応援しておりますが、日本財団も応援をしておられるというふうに理解しておりますけれども、日本の法律扶助協会の事業費は年間13億円ですか。国庫負担は2.7億、イギリスは制度が違いますけれども、日本円換算で事業費1,600億、国庫負担1,140億、フランスは182億、このほとんどが国庫負担。ドイツは360億、全額国庫負担。アメリカは650億、国庫負担460億。韓国ですらと言っては失礼ですけれども、法律扶助制度が法律で定められており、17億円の規模で、14億円が国庫負担です。このような現状で、日本は果たして先進国と言えるのかということが当然問われてしかるべきだと思います。
要するに、先ほど申し上げたような膨大な潜在需要があるわけですけれども、司法の機能が極めて矮小化されているという現状は否定すべくもないと思います。
司法基盤の弱さというのは、そういう意味で深刻であろうと思います。これまでの社会というのは、官主導で管理してきた面があり、それから共同体社会の共有価値で問題を処理してくるという伝統がありました。したがって、司法の役割は限定され、矮小化されていても、それなりに存続し得たんだろうと思いますけれども、これからの社会の需要には今日の司法制度で全く耐えられないだろうと思います。
そこで、この司法制度改革審議会の課題として、さまざまなテーマが挙げられているわけでございますが、私のこのレジュメの項目Ⅵで、そうした課題のうちの幾つかのテーマについてコメントを申し上げたいと思います。
「法曹一元」でございますが、裁判官は弁護士資格があり、裁判官以外の法律実務を経験した者の中から任命するというふうに臨時司法制度調査会(1962年)が規定しているわけでございますけれども、これは職業裁判官制度に対する一つの対立概念というふうに思われますが、その主眼は、社会の経験豊かな弁護士の中から裁判官、検事などに広く登用の道を開くことは必要だということと言えます。この趣旨については、多くの方は異論がないんじゃないかと思いますが、しかし、裁判官任用の制度を完全に上述の定義のとおりの法曹一元にすべきなのかどうかということについては、私は職業裁判官制度にもそれなりの意味があるのではないか、精密司法の在り方や、あるいは職業裁判官が常に心をくだいている法の正義の考え方にもそれなりの価値があるのではないかと思うのです。素人でよく分かりませんが、そこのところは全面的に否定はできないのではないか。したがって、問題は、裁判官が社会からかけ離れた特殊な人々だけで構成されるということのないように、いかにして裁判官に他の広い社会の経験を持った方々が十分な数で参入するような仕掛けにできるかどうかということになる訳ですけれども、今、仮に弁護士さんに裁判官をやってくださいと言ったって、現状の仕組みの下では所得が減るからいやだという人は多いのではないかと思うのです。したがって、これは司法制度全体の改革の在り方に関わる問題なのだろうと思います。
それから、参審制、陪審制という話がありますが、私はこれは国民の司法参加を進めるという上で、法の理解、社会的基盤を醸成するという意味で非常に意味があると思います。ただ、日本にはアメリカ流の陪審制というのなじまないのではないか。私はドイツやフランスのような参審制が適当ではないかと思います。
それから、弁護士の総合事務所化、並びに法人化問題というのがあります。前者のいわゆる総合的法律経済関係事務所問題というのは、これは供給側から見ますと、専門能力で協力できるチームをつくれる、複雑大規模事件に対応できるということで大変大きなメリットがあります。また、需要側から見ても総合サービスが得られる。効率が高い、ワン・ストップ・トータル・サービスを受けることができ、便利であるということで意味があります。
それから、法律事務所の法人化問題。これは供給側から見れば、リスクを法人に負担させることであり、個人は有限責任ということになりますから、弁護士業務の適切なリスク管理のために当然やるべきことと考えます。
それから、ユーザーの方から見てもサービスが安定する。あの弁護士さんが辞めたら何も分からなくなるといったことがなくなるわけで、非属人化して安定的にサービスを提供するということで、これはメリットが非常に大きい。
それから、広告の自由化というのは、先ほども触れましたけれども、アクセスという意味では非常に重要だと思います。サービスの内容を明らかにする。こういうところに専門能力があるんだということを明らかにするということは非常に重要です。
それから、複数事務所や広域ネットワーク、これは当然重要なことで、国民サービスとして、これがないというのは不可思議でなりません。弁護士のいない無医村みたいなものがあるということですけれども、それは複数事務所やネットワークでカバーしなくてはなりません。何故複数事務所を認めないのか、その理由が分かりません。これ以上の改革は、経済の観点から見たら、すべて全く当然なことで、これを妨げている弁護士法の20条の2項、3項とか、日弁連の指導とか会則とかというのは私には全く理解できません。
それから、法律扶助については、法制化が必要であり、予算をもっと大きく付けるべきだということは言うまでもないと思いますが、中身についてどう使うかというのは大いに検討する余地があろうかと思います。
それから、法律扶助の保険制度があってもいいんじゃないか。介護保険も実施される世の中ですから、人々が安心して暮らせるための社会保険として、法律扶助保険があってもいいのではないかと思います。
それから、裁判外の紛争処理、ADR。これは権利・義務関係を明らかにして決着をするという裁判だけではなくて、お互い話し合いよってプラス・サムの解決をするというような、ある意味では共同体的ですけれども、そういうメリットは十分にあるわけで、それへのアクセスとネットワークを整備するというは非常に重要でございます。
こうした問題点や欠陥を持ちながらも、今の制度でも何とかやっているじゃないかという議論が一方でございます。つまり、法曹の供給を増やして、そんな需要が果たしてあるんですかということですけれども、この問題は需要と供給の相互関係でございまして、現在の使い難い制度だったら膨大な社会経済的な潜在需要はなかなか顕在化し難い部分があると思います。つまり法曹サービスが遠過ぎて分かりにくいわけでございます。しかし、司法サービスのアクセスとか効率とかサービスの向上、法曹の質量的な拡大向上というのを行えば、潜在需要が膨大な需要として顕在化して、大変望ましい法基盤の国ができるだろうと思います。
さて、この6番目の法曹人口の拡大ということですけれども、これは非常に重要な概念だと私は思うんです。
つまり、法曹という概念は、先ほども触れましたけれども、裁判にかかわる専門家、裁判官、検氏A弁護士の方々を法曹と言っているようでございますけれども、これは司法の役割というのが裁判に限定されていた時代、つまり明治時代の発想と言えるでしょう。先ほど来申し上げているように、その歴史が一世紀半を過ぎてメガ・トレンドが変わろうとしているわけでございます。そういう中で求められているのは、裁判規範だけではなくて、法的な行為規範一般に関わる専門家というのが市民生活や経済行動を助けるために必要なんです。あるいは行政を助けるために必要でございます。それが社会の法律需要なんだろうと思います。
さて、ここで、こうした法的サービスを担っておられる専門家の方々の人数に触れますけれども、法曹というのは現在法曹三者は2万240人と言われています。裁判官が2,113人、検察官が1,274人、弁護士が1万6,853人。これに隣接職種というのがあるわけですね。司法書士1万7,000人、弁理士3,900人、公認会計士1万2,000人、税理士6万3,000人、このほかに不動産鑑定士とか法律事務所や会計事務所で働いているようなアシスタントの方、こういう方々を除いても、今申し上げた税理士までのところで9万5,560人になります。つまり、隣接職種を入れますと、11万人以上の人々が実は直接法律に関わって仕事をされているわけなんです。しかし、更に法律に関わって立法業務その他に関わっていらっしゃる、あるいは運用に関わっている官庁や国会の方々がおられます。数は分からないんですけれども、国家公務員81万人のうち昔の上級、1種、この方々が1万9,890人だそうですが、この中で恐らく法律や立法に関わる方々は、すべてがそうではないと思いますけれども、かなりの方々が実際に関わっている。実は2種の方でも相当程度やる方がいらっしゃいますから、少なく見ても2万人程度はいらっしゃるんだろうと思うんです。
地方公務員にそれを広げますと、法律関連は恐らく3万人くらいいらっしゃるんだろうと思います。ということは、5万人くらいの方が行政分野で法律の仕事に携っているんだろうと思います。
さて企業について言いますと、企業の法務部はどのくらいいるかと言いますと、上場企業の調査では、平均2,600社ありますけれども、9.5人。店頭非上場が5.3人ということでございます。これは平均の法務部の数ですから、企業の数で掛け算いたしますと、上場と店頭と全部合わせると、3,200社になりますが、2万7,360人という数字が出てきます。
これに中堅企業の法務の方も入れたりすると恐らく5万人くらいはいらっしゃる。ということは、両者合わせて約10万人、つまり、狭い意味での法律に関わる方だけでも10万人、広げると20万人という方が出てくるだと思います。日本の法曹が2万人、アメリカが96万人、UKが8万人、ドイツが12万人と、こんな数字がよく出てくるんですけれども、これは数え方が違いますので、しかし、実際には日本でも相当な数の人々が法律に関わって仕事をされている。それが社会の需要、市民の需要に応えているんだということだとすると、最後に私は具体的な提案をそこで申し上げたいと思います。
これだけの社会の需要に対する供給側のギャップと、それから歴史的な後れがあるわけで、歴史の必然と言ったのはそういうことなんですけれども、今ここで変えないと、将来の社会が非常に偏った社会になって、制約が強過ぎる。これは将来の社会に需要にふさわしい形で変えていくには、法曹の資格と養成制度に根本的な改革を加える必要があるだろうと思うわけでございます。
そこで最後の項目になりますけれども、一つは、法曹の人口の拡大ということが、司法試験合格者枠を増大することでやるんだという議論があるんですが、実際今年からは1,000人の司法修習生が生まれて、やがて1,500人にもっていくんだという話がありますが、果たして法曹人口の拡大というのを、現行の司法試験合格者枠を増員することで満たせると言えるかどうかということについては、私はかなりの疑問があります。それはどうしてかというと、現行の仕組みは相当な歪みをはらんでいると言わざるを得ません。いま、若年偏重になっておりますけれども、事実上いわゆる丙案の適用になっていて、若年者の合格は益々増えますが、7年も8年も受けてきた人々、それこそ苦節10年の方々が、益々滞留して沈殿していく。
実は何故そんな妙な構図になるかというと、母集団が限られているところに最大の問題がある。つまり、司法試験の合格率というのは3%前後でございます。非常にリスクが高い。ですから、自分の将来を本気で考えている人はよほどの才能のある人でない限りは、司法試験には近寄らない。むしろ役人になったり、財界に入ったり、国際機関に勤めようということになります。ですから、この限られた母集団の中で極端に優秀な、ごく一握りの方々とそうではない方々がおられる。勿論苦節十年の人々の中にも優秀な人はおられるでしょうが、そういう歪みがあるので、この制度を拡大するだけでは質のダイリューション(実質的低下)が起きてしまう。そういったある種の歪みが起きてくるだろうと思うのです。
ですから、法曹の資格、養成制度の改革として最重点は、母集団を拡大することだと思います。つまり、官僚とかビジネスとか国際機関に働こうと思っている人も、法曹資格を取りあえずは得ておこうと思うような資格制度と養成制度をつくる必要があるのではないかと思います。
そのことは弁護士法の72条の規定というものを解釈をし直すだけでなくて、やはり規定を変えた方がいい。つまり、弁護士法の規定というのは、費用を取って業として法律業務に携わる人は弁護士でなくちゃならないと書いてあるわけですけれども、これは裁判とか訴訟に直接手を携える人はそうでなくちゃならないと言い切っていいと思いますけれども、今申し上げた社会の法律需要の恐らく9割くらいはそうじゃないんですから、この方々は法曹として取り込むべきだと思うんです。
そこで一体お前は何を言いたいのかということで皆様に次のページをめくっていただきまして、絵を見ていただきたと思います。
ちょっと時間が過ぎておりますが、これが一番皆様に申し上げたかったポイントでございまして、「開かれた法曹資格・養成制度」をできるだけ早い時期におつくりになったらどうかと思います。
ポイントの一つは、これはマトリクスで3段階、初級法曹、中級法曹、上級法曹というふうに、司法という字をやめて法曹と言っているのは新しい制度だから、新しい表現を用いているという意味以上に他意はございません。
それから、分野別には、今まで民事・刑事でございますが、ここに経済と行政というのを付け加えた方がいいのではないかということでございます。
この四角の中に小さい四角が入っておりますが、小さい四角とだんだん大きくなっていく四角がありますけれども、こういう制度だったらピラミッドで上の方が細い方が自然なのじゃないかという御意見もおありかとも思いますが、私は全然違う意味で書いていまして、これは人数ではありません。資格は知識の深さと広さを表します。ですから、上級法曹の方はいかに広くて深い知識を持っておられるか。箱の大きさは頭脳の大きさを表します。そう考えていただきたいと思うんです。
というふうに考えますと、まず流れとしては、法学部を出た、あるいは法学部を出なくても、今の司法試験と同じですけれども、認定試験を受けて、そして2次試験に臨むというのが、その初級法曹のところです。ただ、初級法曹の合格率は3%とかいうのではなくて、法学部を出てまじめにやれば3割や4割は通るという、落とすための試験ではなくて、できれば受からせるための試験にした方がよろしいんじゃないか。
そして、ロースクールというのが議論されておりますけれども、ロースクールを出た方は基本的な訓練があるから、これは法曹初級は与えていいんじゃないかと思います。あるいは簡単な試験くらいして、医師の試験というのは85%合格いたしますから、そういうものでいいと思います。
そして、その上で、法曹修習に入る。これは司法修習と言ってもいいんですが、わざと名前を変えております。この法曹修習は四つの分野で行いますけれども、味噌は一遍に全部取らなくてもいい。勿論、初級法曹もそうですけれども、それぞれの分野で取っていいわけです。税理士さんなどはそういうことになっておりますが、時間をかけて取ってもいいし、自分は非常に能力があると思ったら一遍に全部取ればいいわけで、最短距離でやれば今日の司法試験を最短距離で通る人と同じくらいで達成できるし、そうではない人は15年くらいかけて達成できるしと。いずれにしても、予測可能性が高くて、一か八の試験じゃないというふうにするといいのではないかと思うんです。
そして、この法曹修習は、資料をめくっていただきますと解説が私のレジュメにございますけれども、9番目の項目に「法曹修習」についての解説があります。
「9.法曹修習では、実務能力を付与する観点から、実体法、手続法、要件事実…などの修習を行う」としております。要件事実や事例研究などをやって、共通と分野別に分けて行うと同時に、現場実習を行う。
現場実習は次のところを見ていただきますと細かくなっていて、例えば民事の場合は、裁判所の民事部門と一般弁護士事務所で修習をすると。刑事の場合は刑事部門と検察庁。経済の場合は企業、金融機関、渉外弁護士事務所などです。
行政が非常に重要で、中央官庁で立法をかいま見て、地方自治体でどうやってそれを運用するか見て、そして国際機関でもいいし、裁判所の行政部門でもいいということで訓練をする。
これを全部取れば総合法曹というふうになって大変な人になりますけれども、自分は初級経済法曹である。それでもローヤーであるということがあっていいと思います。
そうしますと、先ほど言いましたように、渉外事務所でパートナーのアシスタントをしている苦節十年の方でもう受験をやめて、秘書をやっている方が、事実上独禁法などは自分でやらされているんですね。そういう方々は経済初級法曹という資格を持って、ちゃんとしたバーゲニング・パワーを持って誇りを持って仕事ができるという社会をつくる必要があるのではないかと思います。
そして、中級法曹が現行の弁護士資格を持った方に匹敵をして、中級法曹で10年くらいの経験を積んで実績を挙げた方は適切な評価を受けた上で上級法曹として認められる。判事はできれば上級法曹の中から出ていただくということだと思います。
下の方へ行けば行くほど総合知識はカバーできますけれども、専門知識になると、非常に知識量が多いですから、全部を総合でやれる、上級総合法曹という人がいたらスーパーマンだろうと思います。そういう方も中にはいらっしゃると思いますけれども、最も尊敬される判事になるのかなと思いますが、そんな仕掛けをおつくりになったらどうか。
そして、移行期間としては10年くらいでこれを移行させる。つまり、国会でこの法律を通した後、5年くらいは周知徹底、アナウンスメント期間で5年くらいで移行させる。
そして、移行過程では、今の弁護士資格保持者は、中級法曹の資格を自動的に取る。そして、弁護士、判事補としての業務経験者は上級法曹資格認定に参入するということでいくと、摩擦なくいけるんじゃないかと思うんです。
それから、ロースクールが制度化された場合は、初級法曹の資格は簡単な試験で与える。法学部、あるいは一般受験者は、そんなに難しくない試験で、とにかく初級法曹にはチャレンジができる。
こんな仕掛けにいたしますと、最大のメリットは、裁判に直接関わらない法律業務従業者も、法曹として社会的に認知を受けることです。つまり、司法書士とか弁理士という方ばかりではなくて、会社の法務部や行政に働いている方々は、行政に働いていて、行政法のベテランでどんどん法律をつくっていらっしゃるという現実があるわけですから、その方々がローヤーでないというのはおかしいんです。この方々が法曹として認知をされ、そういう訓練を受けますと、実は現状の法曹の方々が孤立しない。社会で共通項が非常に大きくなりますから、そういうことになると思います。
今の仕掛けでいきますと、現状の2万人の法曹というのは、分からない、遠い、何だかんだということで孤立しているわけです。そうではなくて、各界で識見のある人ならローヤーの資格もあるといった社会をつくると、弁護士さんたちは、その中で中級あるいは上級法曹ということで大変な尊敬を受けるし、彼らのロジックというのが社会的に理解されるということがありますと、陪審制は日本にはなじまないと思いますが、参審制などをつくった場合に、一般市民や企業の方などで、初級ローヤーの資格を持つ方々が参加されることも多く、メリットが大きいということがあると思うんです。
というようなことが最大の問題で、そして、この法曹の母集団が社会全体に広がりますので、母集団が広ければ、裾野の広い山というのは高いんです。ですから、母集団が広ければ非常に優秀な方が上級法曹になるということが見込まれるので、私は21世紀の日本を支える仕組みとしてはこういう資格養成制度をできるだけ早くおつくりになるといいのではないかということで具体的な提案として出させていただきたいと思います。
どうもありがとうございました。
【佐藤会長】どうもありがとうございました。大変興味深いお話と御提言をいただきしたけれども、御質問どうぞ。
【井上委員】刺激に富み、チャレンジングな御提案であったかと存じます。いろいろ大学方面を含め、法曹養成制度を議論している中でも、似たような考え方があるようですが、一つ質問させていただきますと、先生の言われる初級のローヤーとしての資格を与えるということの意味なのですが、先生の計算で20万くらいの人々が周辺にいる、そういう人々をいわば認知するということ以上に、法曹資格を与えるということの実質的な意味はどこにあるのか、もう少し御説明いただけませんか。先生のお考えでも、初級と中級以上とクラス分けをするということですので、果たしてローヤーの資格があるということだけで一体性というものが共有されて、それが国民のために役立っていくということになるのか、ちょっと分かりにくいものですから。
もう一つは、法曹一元ということとの関連でおっしゃったと思うのですが、先生の言われる上級法曹ですけれど、先生が現状について指摘されたように、弁護士さんで一定の経験を積んで成功された方で裁判官に任官しようとする人は余りいないとしますと、「上級」と名前は立派なのですけれども、40歳、50歳になってから、わざわざまた試験を通って裁判官になるというインセンティブが、果たしてそれだけで湧いてくるものなのか、ちょっとそこのところを疑問に思うのですが。
【島田教授】ありがとうございました。二つのポイントがあったと思いますけれども、第1のポイントについて、母集団が拡大されるということが非常に重要な意味なんです。今、ここで申し上げた仕組みそのものは、この制度をつくりましたよというときに、現状の20万くらい、法曹並びに準法曹とも言うべき仕事をなさっている方々は、現在の社会にいらっしゃるわけで、新制度はその現状に実質的に見合った、適切な資格を付与することができるように設計されます。何故ことさらそうするかというと、そうでないと制度の円滑な移行ができないからです。現状の社会の実態に大きな変化を起こすわけじゃないんです。現状をなるべく追認して新たな資格体系に編成するようなものですから、資格を取っていない人は取られた方がいいですよというくらいな感じです。
そのことによって母集団が拡大するということは、さっき私が前段に申し上げたように、100年の歴史の変化を経た上で日本社会が大きく変わろうとしている。恐らく法曹需要が数倍に増えていくと思います。20万人では足りない規模で増えていくだろうと思います。それを行政や経済や社会生活についての膨大な法需要に対応する人材を、恐らく数倍の規模で増やさなければならないんだろうと思うんです。そのときに今の司法試験制度だと、さっき申し上げたように、母集団が非常に限られますので、質の低下が起きる可能性がある。しかし、この一般の企業やら政府機関、国際機関に勤めようという人まで、とりあえずローヤーに入っておこうというと、中には、それでは自分は中級までやってみようかというお気持ちを持たれる方も出てくると思うんです。その門戸を開放するということが、まず大きな意義だと思います。
それから、インセンティブはあるのかということですけれども、これは弁護士の先生方、どのくらいの所得を上げておられるのか、いろいろな調査がありますけれども、それは大きなロー・ファームに入っておられる方もいらっしゃるし、自分で個人的にやっておられる方もいらっしゃいますが、数千万の所得を、小さいオフィスを持って自分でやるというのは案外大変なんです。それなりの才能だと思います。大変御苦労なさっているのを私も何人も存じ上げていますけれども、そういうのも大変結構だけれども、一定の年に来たら、やはり判決を書いてみたいと、こういうお気持ちになる方も相当程度いらっしゃるし、現にそうした方々を私も存じ上げていますけれども、そういうことのインセンティブは、上級法曹の資格を取ってというか認定されて、世間から尊敬される仕事に就いて判決を書いてみたいというインセンティブというのは相当強いインセンティブなのではないかと思います。もちろん、それは私の個人的な見方ですけれども。
【山本委員】ちょっと話題になりました隣接職種、それぞれ今垣根があるわけですね。この垣根をゆくゆくは取り払おうというお考えも、この絵の中には入っているんでしようか。
【島田教授】これはいろんな垣根がありますし、これを所轄している省庁が違いますし、いろいろあると思いますけれども、私は垣根を取る前に総合法律経済事務所という仕掛けとか、あるいは個人のホームドクターの社会的なネットワークという仕掛けで、ネットワークによって共同作業をして、あたかも集合的個人が仕事をしているようなことが望まれるし、今の情報技術から言うと十分にできるんです。これをやらないのが不思議なんで、実際、今、若い弁護士さんたちはやっています。税理士さんとかいろんな関係者と、あるいは海外の人たちと年中ネットワークで仕事を一緒にしていますから、垣根の問題にそんなにこだわらなくてもいいんじゃないかと思います。
【吉岡委員】いろいろ質問があるんですけれども、先生のこの図ですけれども、とてもユニークで面白い図だと思って拝見いたしました。初級から上級までという考え方と、民事、刑事、経済、行政と分けていらっしゃるというのは、考え方として非常に分かりやすいと思いますが、それでも私ちょっと分からないことがありましたのは、今の先生の御説明ですと、上級法曹になると判事。中級で弁護士資格という御説明だったように思います。上級法曹にならないと判事にはならないという考え方なのか。
それから、民事、刑事、経済、行政という分け方で、実際の法律業務というのは裁判だけじゃなくて、いろいろあると思いますから、行政に関わっていらっしゃる上級職の国家公務員の方、法律をつくっていらっしゃる。確かにそうですし、そういう知識というのは非常に深いものがあると思うんですけれども、行政職をやっていらっしゃる行政部分のベテランの方が、では、刑事事件も判事がすぐにできるのか。その辺のところが、この御説明の中でちょっと分からなかったので、そのことをお伺いしたいと思います。
もう一つ、弁護士を含めて、法曹人口を大幅に増やさなければいけない。私も大賛成でございます。法曹人口を増やすということは、国民が司法を利用しやすいというところにもつかながりますので、非常にいいことだと思うんですけれども、私の聞き違いかもしれませんけれども、広告をするということも含めて、競争原理を導入してくるというお話だったように思います。
確かに規制緩和の今の時代というのは、競争原理を導入するということは、一つの流れになっております。ただ、競争原理の導入というのは、どうしても強者が勝ち残るという、資本力がある立場の人が勝ち残りやすいという構造にどうしてもなりがちで、弱者の論理というのが、おいてけぼりを食ってしまうという傾向があります。
司法の世界にどういう形で競争原理を取り入れるかということが、もう一つ分からないんですけれども、経済有利主義みたいなことになりますと、特に弁護士の場合に、営利主義に陥ってしまう。そういう弁護士が出てきた場合に、本当に利用する立場に立ってくださる方なのか。そうではないのかというのは、見分けがつかない。そうすると、営利主義になり過ぎたということは、国民にとって本当に役に立ったんだろうか。その辺のところが非常に疑問に感じます。そこら辺をお伺いしたい。
もう一つ、細かなことで、法律扶助保険とおっしゃったんですけれども、これをもう少し詳しく教えてください。3点です。
【島田教授】4点ほどあったかなと思うんですけれども、一つは、上級法曹というのは、判事の例で言いますと、今、司法試験を通ってもすぐに判事はできないので、判事補として10年くらい費さなければならないんです。判事は自然に今の中でも上級法曹になっているんです。ですから、今の判事の方はストレートで上級法曹なんです。
それから、今度は横の話で、行政で上級の方が裁判ができるかということですけれども、私はそういう意味で申し上げているんですが、これは裁判に直接関わる方々、判事、それから裁判に関わる弁護士さん、裁判に関わる検事さん、この方々は現状と余り変わらない。変わらないけれども、数は倍か3倍か、5倍くらいに増やさないと間に合わないんじゃないかと思いますが、そうではなくて、役所で実際に法律をおつくりになったりして運用されている高度な法律知識を持って行政でやっておられる方がいるわけです。こういう方々を上級法曹、上級ローヤーとして認める。資格を持って自治省の次官であるという方がいらっしゃっていいわけですよ。ただ、自分はそんな資格取りたいくない。取りたくなくても自治省の次官であるという人がいてもいいんです。そういうふうにしようということです。この方々は裁判に関わらないと思います。
つまり、裁判に関わる法曹の枠をうんと広げ、ですから、弁護士法72条は変えなきゃいけないんですけれども、裁判に関わる人は独占的業務であっていいと思うんです。しかし、そうじゃなくて、行政をやっている、経済をやっているという方にもローヤーとしての資格を与えるということです。
【吉岡委員】分かりました。今、考えている弁護士とか、そういうのとちょっと枠組みが違うんですね。
【島田教授】何倍も広がります。広げるんです。ただ、現状としては、基本的には役所の上級の業務をなさっている方は上級ローヤーだと認めようということです。ただ、試験は一回通ってくださいよということです。
やがてゆくゆく10年後、20年後にはそういうのを目指して、そういうローヤーになりたいんだという若者が出てくると思いますので、そういう人に門戸を開放しようということです。そうすると、試験を受ける母集団が今の何十倍にも広がりますから、非常に優秀な人がローヤーに集ってくるだろうということです。
それから、広告の問題ですけれども、確かにおっしゃる問題はあるんです。すべて広告したらいいと。市場は完全に信頼できるというものじゃありません。ただ、今の弁護士会の自己規制の在り方とか、弁護士法の規制の在り方というのは、そういう懸念があるので、広告はさせないと言っているために、逆に一般市民がどこへ行けばいいのか分からないんです。行ってもいいんです。行っても、この人何ができるのか分からないんです。広告の中に私はこういう専門であって、こういう評価ですと、自分が何ができるか、どういう業績があるんだというのは分からなきゃいけない。本当は弁護士さんは、本当のことを言うと、何ができるかというのは大問題なんです。できると称しているけれども、本当にできているのかどうかという人もたくさんいらっしゃる。それは本当にサービスとしては信頼できないです。それこそこれでは弱者はだまされますよ。ですから、そういう問題があると思うんです。
それから、強者が勝つではないかというお話なんですけれども、これは誇大広告や虚偽広告をやっていると、市場の原理で浄化される面があります。しかし、されない面もあります。全部されるという保証はないわけです。それについて、例えば民間業界でも広告審査機構みたいなものを持っていますし、これは環境法などもそうですけれども、やはり市場の原理に全部任せられないです。だけれども、市場の原理が危険だから、一切手を縛っているというのが現状の弁護士会の自己規制であり、弁護士法ですから、これでは弱者がたまったもんじゃない。市民のサービスになっていないんです。そこを言っているわけです。
ですから、是非御理解いただいて、主婦連としても御協力いただきたいと、そんなふうに思います。
【吉岡委員】浄化作用があるというのも、おっしゃることはとてもよく分かるんですけれども、やはり浄化作用が働くというのは、ただ、競争の原理だけではなくて、やはり透明性の問題とか、そういうことが重要だと思います。
【島田教授】おっしゃるとおりです。ですから、弁護士さんが提供できるサービスの中味は何なのかという情報公開をしていただきたいんです。それが十分ではありません。何ができるか分からないですもの。だって学者だって、どういう分野で何ができるというのは、ちゃんと過去の業績を何十ページも書いて出しているのが世界の常識です。弁護士さんにそれをやっていただきたいと思います。そうじゃなければ依頼者から見て不安と不確実性が高すぎます。
【吉岡委員】島田先生のおっしゃるように、何が御専門なのか、何がお得意なのか分からないという、それは確かに利用する立場では言えていることだと思います。ですから、その事件によって、どういう方にお願いするのが一番有利なのか、そういうことが分かるということは情報として非常に役に立つと思います。
【島田教授】ひと昔前は、弁護士さんにお願いしているものは、離婚と相続と土地売買と借金の取り立てぐらいのものでしたが、そういう時代ではなくなったんですね。医療過誤の問題とか、金融商品の問題とか、いろんな問題が出てくるんです。そうすると、内科の先生のところへ行って、脳外科をやってくださいと言ったって無理なんです。これは弁護士さんというのは非常に広い職域ですから、つまびらかにこれを透明化していただきたい。それは広告でしかできないじゃありませんか。
【吉岡委員】それと、この図だけでは十分に言い表せていないんだと思いますけれども、知識の面と言いますか、そういう面ではこれで分かるんですけれども、もう一つは、特に弁護士さんの場合には、資質の問題というのがあると思うんです。その辺のところをどうするかという、そういうことも考えませんと、やはり弁護士さんがどういう資質を持っていらっしゃる方なのか、知識だけではない。そういう面で本当に信頼できるかどうかというところもあるんじゃないか。
【島田教授】例えば弁護士法には社会正義と人権を守るという大規定があって、弁護士会は本当にここでは努力されています。とにかくこの考え方が第一義なんだと。お金は二の次、三の次なんだということを言い続けて弁護士会はやっておられるわけで、それはモラルの自己規制を一生懸命やっておられるので、私はそれを信頼せざるを得ないと思うんです。
しかし、そうは言っても、強者が勝つ、あるいは商業主義が優先しはしないかとおっしゃられましたが、現状の弁護士さんの中には、そういう規定があるからこそ商業主義になっているのかと言いたくなるような商業主義の方もいらっしゃる。今の構造でもですよ。むしろそうだったら、私は経済とか、そういうところは思い切って儲けていただくということにして、しかし、情報を公開して、適切な自己規律のチェックもするという形で人々の持っている能力が十分にいかされる社会というのをつくる方が望ましいのではないか。
【佐藤会長】まだほかにいろいろおありかもしれませんけれども、ほかの方。
【北村委員】今の法曹資格・養成制度の図というのが、法曹という観点から見たときにはすごくよく分かりやすい図だと思うんですけれども、例えば私などが関係しております公認会計士、税理士、今度そちらの方から見て行った場合に、どういうふうになるのかという部分があるんじゃないかと思うんです。公認会計士、税理士という、今の資格というものを全然変えてしまえば、またここの中にスムーズに入ってくると思うんですけれども、現在存在していて、国家試験としてあると言ったときに、やはり全部が法曹の中で論じられているというわけではなくて、そちらの方で今度弁護士資格の中級法曹の方に行くためにどういうふうな形になるのか等々詰めていかなければならない点というのが、しかもそれが非常に難しい部分として残るような気がするんですけれど、それはいかがですか。
【島田教授】私は世の中にダブル・メージャー(二つの資格を有する者)、トリプル・メージャー(三つの資格を有する者)というのがあっていいと思うんです。ですから、公認会計士さんでも、実は法律業務をやってみたいと。年中一緒にやっているわけだから、自分もローヤーとしてやってみたいという方があったら、お受けになって、資格を取ってやられたらどうか。同時に公認会計士だってできるわけです。
ここでは、法律のことばかり議論していますが、私は経済学部ですから、例えば、そうした議論の中で経済学部の出身者はどうなるのかという疑問も出てくるでしょう。みんな大学を出たら法律家になるんですかといった疑問。しかしそれは心配ありません。それはダブル・メージャーを取ればいいんです。職業法曹でありエコノミストであるということは当然あり得るんで、そんなことには興味のない方は公認会計士をずっとおやりになればいいし、相互乗り入れ、先ほど山本委員がおっしゃられたようなことだと思いますけれども、そういうことがあって全く不可思議じゃないんじゃないでしょうか。
【北村委員】でも、それはすごく大変なことですね。
【島田教授】でも、やりたい人がやればいいんで。
【北村委員】公認会計士の資格を取っておいて、今度また弁護士資格というような形になった場合に。
【島田教授】この法曹養成制度、資格制度では、合格率が現在の司法試験よりはるかに高くなるように設計しますので、今のようには大変じゃないと思います。
【北村委員】現行の弁護士資格と書いてあったものですから。
【島田教授】移行過程では現行の制度での弁護士になりたての人を中級法曹にそのまま認めるということです。だけれども、移行過程を過ぎたら、初級を受けて、そして法曹修習を、これは奨学金で受けてもらたいと私は書いているんですけれど、受けて、そして試験を受けて、中級法曹になってもらいたい。ですから、どんなに短距離で頑張っても1年半くらいはかかるんです。でも、今でも司法試験を相当なスピードで通る方は、大体そのくらいの準備期間をかけているんじゃないでしょうか。だから、余り実態とは変わらないでできると思うんです。
ですから、大変とおっしゃるほど大変じゃないんだろうと思うんです。そういうのができますとね。今の司法試験と公認会計士を同時に取れと言ったら、これは非常に難しいでしょう。今の国家公務員の一種と司法試験と両方通るのも非常に難しいですが、それよりも大変なことになるかもしれない。しかし、新制度ではそんな大変なことにはならないだろうと思います。
【佐藤会長】時間も大分過ぎておりますので、あとお二人だけ。私気づくのがこっちが早かったのもしれませんけれども、木さんどうぞ。
【木委員】島田先生、このマトリクスは今の日本の裁判所の仕組みが、例えばドイツ型の裁判所などの仕組みなどを想定すれば、こういうのは現実性があるのかという感じがします。このマトリクスをお考えのときに、ドイツ型の裁判所制度などを頭に入れてお考えになられたのかどうか。
もう一つは、中求A上級とかいろいろあるんですが、配置だとか任用だとか、その辺のことをどうお考えになっていかれるのか。
もう一つはよけいなことなんですが、先ほどの広告規制等の関係を含めて、アメリカの今の司法社会というのは先生はどうお感じになっているのか。3点です。
【島田教授】ドイツ型かどうかというのは、余りこだわっておりませんけれども、今の日本の裁判制度ですと、なじまないところが幾つか出てくると思うんです。これはやや法曹一元に近い考えですから、少なくとも運用はやや変わらなければならないかなと思います。それから、私はこの補足文書の中で、認定するのに適切な期間と書いてありますけれども、今も司法試験の期間がございますけれども、これはまたいろいろもんでいただければと思います。
アメリカについては、私は日本とも全然異質の社会であって、陪審制一つを取っても、日本はアメリカから学ぶものはそうたくさんはないのではないかと思います。
【中坊委員】法曹一元の関係だけで少し御質問したいんです。
先生はこの文書だけ読ましていただくと、上級のところは、例えば上級試験に合格したら、それだけで実務経験とかには関係なく上級試験として裁判官、判事になるというふうにこの文書は読めるんですけれども、そういう意味ですか。
【島田教授】そうですね。ここはちょっと微妙だと思うんできちっと書かなければいけないと思うんですが、私の考えは、今の裁判官は、判事補としての経験を10年積んだ上でおやりになっていますし、実務経験がなくていきなりプラクティスができるということはあり得ないということがまず一つ。そして中級以上を取るためには法曹修習は通っていただかなければならないし、試験だけというわけにはいかない。
それから、どこかで必ず今先生がおっしゃられましたように、実務というものが前提になるということがあろうかと思います。
【中坊委員】裁判官になるというのは、基本的に実務経験を経て、市民感覚のあった人が、いわゆる最高のジャッジになるというのが理想的な法曹一元だということですから、そういうふうに先生の考え方は基本的になっているわけですね。
【島田教授】実務経験を評価する委員会があっていいんじゃないかと書いています。
【中坊委員】そうすると、先生としては判事補のように、最初から職業的裁判官としてなるという構図をお考えになっているんではないんですか。
【島田教授】ただ、それも否定してはいないんです。
【中坊委員】その辺がちょっと難しい。
【島田教授】つまり、法曹一元で裁判官以外の法律業務を10年経験した人から選ぶべきだというのは法曹一元の一番厳格な定義だと思いますけれども、私は今の職業裁判官の持っておられるキャリア制度の意義というのも、全く否定し切れないんじゃないという気持ちがあるものですから、両方でできないかなと思っております。
【佐藤会長】その辺は今後、私どもの議論の中で詰める必要のある論点かと思います。もう時間もないのですけれども、御質問があればもう一問くらいはいかがと思います。
【井上委員】法曹人口の問題ですけれども、先生の言われる中級以上が、現在法曹人口の拡大の必要ということが言われる場合の「法曹」に当たると思うのですが、先生のお考えでは、大まかに言ってどのくらいの数になるのが理想的だとお考えでしょうか。
【島田教授】今の法曹人口は、中級以上の民事、刑事の方々が2万人ですね。これは私は社会的な需要からいくと、それ自体が10年か20年後には10万人くらい必要なんじゃないかと思っているんです。それに加えて、裁判に直接関わらない方々の中級以上の法律の知識・能力を持った方々が必要だけれども、それの不足率というのは、現状の法曹の方々の不足率よりは少ないだろうと。つまり、官庁をそれだけ増やすのか、産業界の方もそれだけ増やすのかと言えば、そんなに増やす必要はないんで、恐らく5倍も10倍も増やさなければいけないのは、現状の法曹の方々だろうと思います。
しかし、その現状の法曹のような職業に就く方を増やすために母集団をうんと広げた方がいいだろうと。世の中でまともな仕事をしてみたいと思う人は一度は法曹を夢見るという社会であっていいのじゃないかと思います。
【佐藤会長】時間を少しオーバーしましたけれども、大変貴重なお話で大変勉強になりました。お忙しいところどうもありがとうございました。(拍手)
(休憩)
【佐藤会長】それでは、休憩前に引き続きまして、審議を行いたいと思います。
本日は太田総務庁長官にお忙しい中お出ましをいただき、お話しいただくということでございます。
今回の司法制度改革は、前回の法務大臣からのお話にもありましたように、行政改革が大きな発端になっております。
その関係で「事後チェック型の行政と司法制度改革」ということで、行政改革について大変御尽力なさいました長官においでいただきまして、行政改革と司法改革との関係についてお話いただくということになったわけでございます。
15分程度お話しいただいて、あと15分程度質疑ということにしたいと思いますので、よろしくお願いたします。
【太田総務庁長官】こういう機会を頂戴をいたしまして、本当に恐縮をいたしております。
まずこの審議会の先生方は、既に自由民主党の司法制度特別調査会の報告は、お手元の方に、かつてスタートのときに届いておるのではないかと思いますけれども、これは橋本内閣のときに、この自民党の司法制度特別調査会の幹部と言いますか、私も実はそのときいたんですけれども、私どもから橋本総理に申し入れをいたしまして、それが小渕内閣に引き継がれて、この審議会をつくって、そして先生方に委員としてお入りをいただいたわけでございます。
その中で、これは何ページかにわたる文書でございますが、何人かの先生方には、マーカー付きのものをお渡しをしたわけでございますけれども、大変前段が長いものですから、具体的なところはこういうことですということで、マーカーを付けさせていただいて、今私がうっかりしておりまして、直前につくらせたものですから、インクもまだかわいていないときに線を入れたので、大変読みにくくなっていると思いますけれども、その中で最初の2ページから「司法改革の視点」というところの第1というところがございますが、これはもう先生方、先刻御承知の一つの精神を述べたものでございます。
第2の「国民に身近で、利用しやすく分かりやすい司法」という部分以後が、具体的な内容になっているわけでございます。
この「国民に身近で、利用しやすい司法」というところが非常に文章が長くなっておりますけれども、それは3ページにわたって文書が続いておりまして、5ページまでが、この第2というものの内容でございます。
その後に6ページの第3、第4というところが出てまいりますが、第3が国際化、第4が「三権相互の関係」ということでございます。
文章上のシェアはこういうことになっておりますけれども、自民党の方で議論をいたしておりましたときは、結局、第4の「三権相互の関係」というところに半分くらいの時間を費しておりまして、その前段の第2、第3と言っているところが併せて半分で、第4が残り半分というような時間の配分でございました。
つまり、第4の「三権相互の関係」というところが今日お話しを申し上げます行政改革の中での司法との関係ということになるわけでございます。
ここに書いてありますように、「国民主権に基づいた国民を代表する立法府が、重要な役割を果たすべきである」と、21世紀の司法のためには不可欠である。
そして「法曹三者を中心とする論議に止まることなく、国民の意見を十分に反映すべく」ということを書いてありますけれども、これは今回の行政改革の精神全体が、改正された内閣法の第1条、2条に明記をいたしましたけれども、国民主権ということを出発点として行政法の仕組みを見直そうという精神と共通するものでございます。
そういう意味で国会は、三権ということを言われますけれども、一応全国民を代表する機関としての国会。国民に対する説明責任というのは、具体的に言うと国会に対する説明責任になるのではないかということをここでは言っておるわけでございます。
そして、これの7ページになりますけれども、「行政と司法の関係」ということが今の私の所管しております行政改革ということから言えば、ここが最も強調したい点なのでございます。
そこで、お手元にもう一つ、手書きの誠にお粗末なことで申し訳ありません。「立法」「行政」「司法」と書いてありますけれども、今の関心は行政の中がこれからどうなっていくかということであります。
行政の仕事というのは立案業務と執行業務というふうに分かたれる訳でございます。いわゆる、企画立案の仕事とそれに基づく法律ができれば法律、あるいは事業計画が立てば事業計画、それに基づく執行ということが大きく二つに分かたれると思います。
その中でいわゆる事業を計画をする。あるいは法令の立案をするということは、これは事業計画などにつきましては、国の役割というのが今回の行政改革でもって縮小の方向に向かうわけでございます。国の機関の相当部分は独立行政法人化いたしますので、国の機関から手を離れていく。
さらに、地方分権も同時に進めて行っておりますので、地方自治体の方に事業計画の立案そのものも移行していくということであります。
同じく事業の実施については、これもまた国の機関より独立行政法人や地方自治体の方にウェートが移っていくということてございます。既に今でも事業の執行そのものは地方分権化をいたしておりますので、それを更に進めるということでございます。
今、先生方の御関心でもあります法律に関することは、立案業務を今の立案業務ということから執行業務に全体として移行していくであろうということが予想されるわけでございます。
法令の立案という中に、内閣と主任大臣というふうに分けておりますけれども、これは決定権がどこにあるのかという問題でありまして、法律案を発議をする場合には内閣の決定でございますし、また、政令については、文字どおりこれは内閣が決定するものが政令であります。
それと主任大臣というものが、各省において、その権限で決められるのが省令・告示・通達というものでございます。この世界については、これはむしろ政治主導にだんだんこの世界はなっていくであろうということが見通されるわけでございます。
執行業務のうちの準司法機能と言われるところに、むしろ中央省庁、つまり行政の世界はここに全体としてウェートが移ってくるということが予想されるわけでございます。
準司法機能と言っても、ここでは大変広く考えておりまして、いわゆる法律がそのとおり守られているかどうかという監視、あるいは法律の精神を体した運営がなされているかどうかという監視、それからまた、それがルールどおりに行っていない。あるいはその精神に沿っていないということを、これは摘発という言葉がいいのかどうか分かりませんけれども、ほかに思い当たらないので、摘発ということも仕事としてあるわけでございます。審判の機能も、行政の中で相当最近は証券取引等監視委員会も、あるいは従来の公正取引委員会も審判の機能は持っております。いわゆる行政委員会というのは、既に審判の機能を持っておりまして、その部分がこれから拡充強化をされていくということが予想されるわけでございます。
矢印を引っ張っておりますのは、これはさっき言った最初の事業計画の立案というところ、事業の実施機能というところに矢印を引いておりますのは、これは国から地方、国から独立行政法人の方にこれからウェートが移っていきますよという意味の矢印でございますし、また、法令の立案というところに書いてあります上に向いた矢印というのは、これは政治主導になっていきますよという意味の矢印でございます。
準司法機能と、ここに枠で囲んだ司法ということの間に、両方向きの矢印がありますけれども、これは行政の準司法機能と本来の司法というのは、截然と区別をされるべきではあるけれども、その両者の間には交流と言いますか、相互に共通のノウハウと言いますか、あるいは機能を助け合うということが将来起きてくるのではないか。そういう意味で両方向きの矢印といたしたわけでございます。
その中で準司法機能というものが強化をされていくであろうという中で、これは行政改革の最も今回の基本的な考え方であります透明性の確保。つまり十分に国民が分かりやすい透明なガバナンスと言いますか、統治というものを確立をしなければいけないということからすれば、ルールそのものがガラス張りで透明であって、そして、その分、そのルールを守っているかどうかについては、充実した判断、判定、あるいはそれを摘発する体制がなければいけないであろうということになるわけでございまして、私の総務庁という役所は、一つの中心的な仕事は、定員の管理でございます。どれだけの人をどのセクションに配置をするかということでございますけれども、これはいわゆる企画立案の部門は人が減っていくと。それから、事業実施部門の方も減っていくであろうと。しかし、準司法機能の方は増えていくだろうということを言っているわけでございます。
そして、準司法機能を充実して拡充していくについては、勿論、行政の中でも人は増えるように今後も行政管理上はいたしていくことになると思いますけれども、同時に司法の世界、法曹の世界から、水原委員のように、人がやってきてサポートをするということに、これからももっとなっていくだろうということも予想をするわけでございます。
こういう位置づけを考えておりますということをお話し申し上げたいと思います。
なお、今述べましたことについては、おおむね行政改革に携わった多くの方々の間でもコンセンサスになると思っておりますけれども個人的に一つだけ、私が日ごろ考えておることを付け加えさせていただきますと、行政の準司法機能ということと、本来の司法機関との間の交流が進むということは、そこで役割を果たす方々の間の資格は、共通のものであってよいのではないかということも考えております。どこか別の場所でも何か所かで申し上げましたけれども、例えば国家公務員の法律職という試験は、司法試験と同じものであっていいのではないかということを考えたりいたしております。
よけいなことを申しましたけれども、位置づけについて考え方を述べさせていただきました。
【佐藤会長】どうもありがとうございました。
行政改革との関連について率直にお話しいただきました。どうぞ御質問をお願いします。
【中坊委員】大変具体的なことでございますけれども、長官は行政改革の担当でもいらっしゃるし、そこでは先ほどからも出ていますように、定員の問題も所管されている。そういうことになってまいりますと、同時に今回の自民党の案でも、先ほどお示しいただいていましたように、予算等の問題についても、司法予算というのは、別に考える必要があると。定員を巡っても私たちが存じ上げている範囲でも公務員の定員の削減計画であるとか、あるいは行政改革法案の中で逐次減少させるということがうたわれておるわけですが、長官としては、今言うように裁判官、あるいは検察官といったもの。あるいはそれを仮に含めた司法予算全体というものについては、別枠というか、逆に増加させなければならないんだと。こういうふうに解釈してもいいものなんでしょうか。
【太田長官】それは予算については、今でも二重予算の制度になっておりますので、二重予算というのは、別の書類でもって国会に提出をするということになっておりますので、そこが建前どおりになることが望ましいと思っております。今はほかの行政の予算と一緒に、大蔵省のチェックを受けるわけでございますけれども、大蔵省のチェックは必要なのかもしれませんけれども、国会が議決をするわけでありますから、こういう予算が必要だということは、本来ならば司法は直接国会に出していいはずだと思っておりまして、ほかの行政とは別の扱いをすることが必要だと思います。
私はこの政治の世界に参りまして、やや司法の方が遠慮しているという感じを、予算についても定員についても遠慮しているという印象を強く受けておりまして、結局、定員の話も、勿論、総務庁が定員については責任を持つわけで、特に検察庁の予算は法務省でありますから、これは定員についても査定することになっておりますけれども、それは全体としては予算の中での定員になりますので、どうしても予算の査定に拘束をされるわけでありまして、そういう意味では定員についても予算についても別に扱った方がいい。裁判所は今でも別ですけれど、準司法機関というのは別に扱うことが必要ではないかと。そうしないと、一緒にしておくと、これは25%の定員削減、純減ということになっておりまして、それがかかってまいりますので、今いろいろ我々が司法改革を考えて、司法の充実ということを言ってもそれは実現しないことになりますので、そこは先生のおっしゃるとおりです。
【竹下会長代理】同じ問題なのですが、ただいまのお話ですと、裁判官の定員の方は純然たる司法予算ですね。それに対して、検察官の方は一応法務省の予算だと。そうなりますと、定員増の要求が出ましても、ほかの一般の国家公務員の定員削減と同じような削減対象になるのではないかという懸念がございます。私どもここの審議会といたしましては、国会両院の法務委員会の附帯決議がございまして、現在でも裁判官や検察官の定員増はやるべきだということでございますので、どうしても検察官についても、十分な定員増というものを期待したいわけであります。今のお話ですと、検察官についても別枠で考えていただけると、そう理解してよろしゅうございますか。
【太田長官】これは別に内閣全体として認知された考えではありませんけれども、例えばこの審議会で出される方向として、ちょっと逆みたいですけれども、そういうふうなお考えを堂々と打ち出していただいた方がいいんじゃないか。先生方もおっしゃっておると。実際に申しますと、いわゆる準司法的な部門というのは、例えば証券取引等監視委員会の場合は、ほかはほとんど減っていますけれども、証券取引等監視委員会は増えております。増員を認めておりますから、具体的に扱いは違うんです。だけれども、お考えになっているよりもっと速いスピードを求められる場合には、違う話にしてしまわないと、同じところにいれば限界がある。こっちが全体として25%減らす中でここだけ増やすということは、増える分まで減るところにかぶせることになりますから、そっちの減る方はたまったもんじゃないということになるのでね。
【竹下会長代理】分かりました。
【水原委員】大変力強いお話をいただきまして、本当に安堵いたしましたけれども、中央省庁等の改革の推進に関する基本方針として、平成11年4月に改革本部が御決定なさり、これによりますと、本当にくどいようでございますが、13年1月1日までにいろいろな削減計画を実施なさる。私ども今検討させていただいております問題は、13年に7月に結論が出るわけでございますので、その前に行政御当局から一般的にしろ、こういう御決定が出てしまいますと、13年1月には法務・検察も他と同様に削減を求められるのではなかろうかという心配がございます。殊に大臣は治安秩序に関して大変な御関心をお持ちいただき、御理解いただいております。そういうお立場から今の犯罪動向を見ますと、非常に複雑巧妙化しておりますし、それから顕在的には少なくとも、潜在的な犯罪というのはたくさんあるように思われます。これを検挙していくためには、しかも権利意識が非常に高まってまいっております検察を取り巻く環境というのは、捜査が非常に困難を極めます。こうした現状を是非御理解いただければと存じます。
これは感謝のお礼でございますが、氏A証券取引等監視委員会の委員長をさせていただきましたときに、特別調査課の増員をお願いいたしましたところ、15名の増員、誠に格別な御増員を認めていただいたということもありました。
先ほど、私も今まで関係したところでございますが、準司法機関として監視委員会についての権限強化というものを非常に強くおっしゃっていただきまして、感謝いたしております。ただ、最近の傾向としましては、法令違反の摘発をしましたときに、行政処分それ自体は委員会に権限がございません。そこで処分権限を持っていらっしゃる大臣に行政処分の勧告をお願いいたします。かつてですと、行政処分の勧告をしましたならば、それを尊重しなければならないという規定がございましたが、最近何か、その尊重規定が取られてしまうというふうに言われておりますので、今大臣がおっしゃったように、準司法機能を強化しなければいけないという考え方からするならば、ちょっと違うのかなという感がいたします。御意見を賜ればありがたいです。
【太田長官】今のお話は、委員長からも大変強く指摘をされておりますが、要するに審議会の審議に対して、いわゆる立法ということですけれども、立法については、法律の提案は内閣と主任大臣の責任をおいて行うものだから、審議会で尊重義務を法定されますと、こちら側の立案の決定権の方がないに等しくなってまいりますので、政治主導という意味では審議会のというふうに申し上げたわけでありますけれども、それは今の3条機関に本来は証券取引等監視委員会はなるべきであって、準司法機関というものがやたらに増えるといやだという全体の空気があって、3条機関にならなかったわけですけれども、その点については、この場で御審議いただく中で、是非そういうカテゴリーを確立をしていただいて、それについて当然それは尊重義務を取ったというと機能しなくなるわけでありますから、いわゆる準司法的な機関については尊重義務がなければおかしいと思いますので、そこは全体を見直さなくちゃいけない。
【山本委員】司法改革の視点に絡んで御質問なんですけれども、先ほどグレゴリー・クラーク先生から非常に興味深いお話を承ったわけです。1980年代までの日本の繁栄というのは、人本主義という文化によるところが大きいんだと。そこにはモラル社会という感覚と言いますか、兄弟意識とか恥というものがあって、これが日本を独特の繁栄に導いたんだと。この自民党さんのご報告で言っている和の利点をいかしつつというのはここだと思うんです。しかるに、これから日本が進もうとする工業化社会、いわゆる北ヨーロッパから発した西欧社会においては、これは合理主義が支配する近代工業化社会である。そこにはそういったことがなくなって、言ってみればその走りとして、現に日本の若者も個人ではなくて、何か小さい集団に身を任せようという、大きな集団に対する帰属意識が失われて、恥とか道徳とかが稀薄になってきて、犯罪が多発してきているんだと。そういう社会に日本はこれから入っていくということを先生はおっしゃられたわけです。恥の意識を取り戻す努力は非現実的なんでしょうかというご質問に対しても、これはこういう形でいくんだから、いわゆる「法の支配」を徹底して厳しい刑罰なり何なりというものをやっていかなきゃいけない。こういうふうなお話だったと思うんですけれど、自民党さんの司法改革の視点を読ましていただきますと、どちらかというと、国民生活における行政、あるいは経済活動分野におけるグローバル化と言いますか、自己責任の確立という問題点が極めて尖鋭的に取り上げられているわけですけれども、刑法の犯罪の分野において、クラーク先生の指摘に対する意識というのがどの程度おありなのか。
例えば、西洋社会はその中でもキリスト教の倫理感だとか、ある意味では家庭の教育だとか、いろんな形での小集団活動、そういったものが用意されていて、恐らくそれはかなりの緩和する力になっているんだと思うんですが、日本の場合は不幸なるかな宗教は全くない。そういった学校教育とか家庭教育における基本的な用意がされていないと私は思うんです。されているのかもしれませんが、そういった中で刑法の分野における司法改革の視点というのは、大臣どんなふうにお考えなのか、ちょっとお伺いしたいんです。
【太田長官】それは本当に日ごろから自民党だけではなくて、他の党もそうなんですけれど、議論をしておりますのは、今言ったような、性善説で世の中が回っていくうちはいいんだけれども、性善説では通用しなくなったときに、人が悪いことをすると、悪いことをするもんだと思って、ペナルティーをちゃんと準備しておくと。自民党などを中心として、そういうことをもっと厳しくやるべきだと。性悪説に立ってやるべきだという指摘はあるんですけれども、まだ踏み出せないでいるという状況だと思います。
ですから、今の御指摘になったような点をコンセンサスができる都度、積み上げていくような話だと思いますし、そのコンセンサスというのは、制度やシステムの問題というよりも、いわゆコモン・センスの問題ですので、そのコモン・センスは心の中にはあるけれども、言うとこの人は反動とか言われるのがこわいからみんなが言わないだけであって、全部おなかの中を開いてみればそう違ったことは考えていないんではないか。
例えば文教政策とか、国民全体のコモンセンスを形成する運動とか、そういうものを通じてやっていかざるを得ないんじゃないかと思っております。
【木委員】準司法機関の手続の拡充論で整理されていたと思いますが、今準司法手続、あるいは準司法機関に対していろいろな見方がありますから、一概には言えないのですが、国民的には準司法手続なるものに対する国民の信頼感と言いますか、信頼されていない面がある。ルールがおかしいと感じている部分もあるんだろうと思うんですが、さかさまの議論として、準司法手続で処理しているものを、司法手続の中に入れ込んでしまうという、そっちの方向の議論はなさったんですか。
【太田長官】これが先生方の主たるテーマなんでしょうけれども、むしろ本当の司法機関にその問題の解決を委ねるとものすごい時間がかかると。実はもっと人がこんなところだろうと思うのは、そんなに時間がかからないのであって、行政審判のようなことで片づけて行った方がニーズには応える。つまり、もめごとの調整とか裁定とかいう話ですから、手続が長いから納得するわけではなくて、ある時間内に解決してもらいたいというニーズの方が多いのではないか。
逆に司法機能も勿論拡充をしなければいけないけれども、つまり、長くかかるということではほうっておいていいわけではない。そこは拡充しなければいけないけれども、相当行政の準司法機能の方で補完をしないと、現実に難しいのではないか。対応できないのではないかという議論でした。
【佐藤会長】よろしゅうございますか。
【鳥居委員】行政改革の国家公務員の削減にかかわって、裁判官と検事の定員について懸念が出されましたが、一つお尋ねしたいんですが。国家公務員約60万、都道府県公務員160万、地方公務員140万ですね。そのうち国家公務員の25%の定員削減の目標を掲げておられますが、実際には、既に片づいたようなものですね。というのは、60万のうち、国立大学の教員だけで約10%、教職員合わせて20%でしょう。それを独立行政法人に移すんですから、これでほとんど20%片づいて、残りの5%くらいも独立行政法人化で終わりますね。
一方では、例えば司法の各分野について、何がこれから起こっていくのかということを考えると、裁判の増加と裁判の質の変化、犯罪の増加と犯罪の質の変化ですね。そういうものが起こっていくことを見通すと、独立行政法人化で公務員削減は片づいたんだから、増やすものは増やさなければいけない。それから、形の上では行政の一部である警察というものは、この際どういうふうに考えて行ったらいいのか。
刑法は何のためにあるかを考えてみると、何が罪で何が罪でないかをはっきりさせてくれるから我々は安心して生きていられるわけです。その判断そのものを問われる場面がいろいろあります。
例えば人権が侵される。法に定められた権利が侵される。財産が侵される。生命の安全が侵される。誰が侵す危険があるかを考えてみると、第三者の他人が侵す場合もある。行政そのものが侵してくるケースも起こっています。立法府が権利の侵害者になることも有り得るんです。
それから、時には司法の判断ミスで、司法そのものが我々の権利を侵す可能性もあるわけです。そのときに駆け込む先がよく分からない。結局、弁護士を通じてなんとかする。だから、弁護士制度を変えようという話を長官がおいでになる前にしていました。しかし、一般市民にとっては、本来だったら、警察に駆け込めば解決の糸口が付くという方がなじみやすいですね。
警察との関係を考えると、間違って捕まることもあります。不当に拘留されている者を救い出してくれる弁護士、あの人に頼むとすぐ出てくるという話があるじゃないですか。
今度の行政改革では警察はどう考えるんですか。
【太田長官】最初のは、いわゆる国立大学が独立行政法人化した場合に、ほとんどそのことは問題にならないのではないかというふうな御指摘なんですけれども、それは一つは、実は25%の純減という話は、それが独立行政法人化によってクリアーされたとしても、実はもっと前の基本法において10%の削減ということが書いてあって、それは25%がどうなろうが、10%のものはそのまま向こう10年間はきいてくるんです。別の法律になっています。
だから、10%純減という目標は、今の国立大学の話が終わったとしても、まだ続くということでありまして、そして10%純減というのは、純減というのは大変なことでして、今は実は純減じゃないんです。減らして10%の削減と言っているのは、一方で増があるんです。増の方は数えないで減のことだけ言っているから、確かにこれは大したことないんだけれども、本当に10%純減となったら、25%ほどじゃないけれども、10%でも塗炭の苦しみということになるんだろうと思います。
もう一つは、警察は、こんなことを言ったらあれですけれども、警察は地方公務員なものですから、我々の視野からは外れていると。役人みたいなことを言って申し訳ないんですけれども、外れているものですから、それは勿論、ここでそこまで御議論いただければありがたいんですけれども、こわいものなしという、立法府もそういうことを、立法府自体が国民の権利を侵したり、迷惑をかけている。それに対して牽制はどうするんだということになれば、それは検察はちっとも遠慮されませんから、むしろそれが巨悪を眠らせずとかいうのが、検察官募集の広告のキャッチコピーになっているくらいだから、そこは、今でも十分機能して、総理大臣と言えども持っていかれるくらいですから、私は機能していると思うんです。
ただ、逆に言うと、検察や警察そのものに起きたこと、不祥事を一体だれがあれするのかと言えば、アメリカの特別検察官、違うインディペンデントな捜査機関というのが要るのかどうか。我々に言わせれば、我々は独立した検察の監視の下にあるから、我々はどちらかというと、そういうものはあった方がいいんじゃないかと思っておりますけれども、世の中全体として、まだそこには思い至っていないのではないかと思うんです。
【鳥居委員】つまり、この絵は全部国家公務員だけについて描いてある。
【太田長官】はい。
【佐藤会長】よろしゅうございましょうか。時間も大分オーバーしてしまいました。大臣から大変率直にお話しいただきまして、ありがとうございました。これからも引き続きサポート、応援していただきたいと思います。
【太田長官】一緒に、同士的な連帯でお願いいたします。
【佐藤会長】本日はどうもありがとうございました。(拍手)
【佐藤会長】以上でヒアリングを終わらせていただきまして、次に意見交換に移りたいと思います。
お手元に配付資料があると思いますが、まず事務局の方から説明をお願いします。
【事務局長】お手元にお配りいたしました資料について、若干の御説明を申し上げます。まず1番目は本日の議事次第で、2番目は本日の配席図です。
3番目のアンケートによる世論調査でございますが、これは前回の会議におきます木委員からの御要望に応じまして、これまでに行われました司法制度に関するアンケート調査の中から、御参考になると思われるものを幾つか集めたものでございます。
その内容につきまして簡単に御説明いたしますと、まず、最初の「市民と法律問題に関する世論調査」と言いますのは、法曹養成制度改革協議会が平成6年2月から3月にかけまして、「国民一般が法曹に対してどのような期待、関心を持っているか」、「国民の法曹に対するニーズにはどのようなものがあるか」について理解を深めるために実施した世論調査結果です。
この調査結果によりますと、例えば裁判所、弁護士に対する国民の基本的認識に関しては、最寄りの裁判所の所在地を知らないと答えた人が4分の1以上を占め、市役所や弁護士会が行う法律相談を利用したことがない人は9割以上を占め、また、「弁護士に対し気軽に相談に乗ってほしい」、「報酬の仕組みを取り上げてほしい」、「利用の仕方を教えてほしい」といった意見を持つ人が多数を占めております。
また、過去に経験した法律問題の解決方法に関しましては、約27%の人が、過去10年ほどの間に、何らかの法律問題を抱えたことがあると答え、誰にその問題を相談したかについては、友人・知人・親戚、あるいは家族を挙げる人が多く、弁護士、弁護士会を挙げた人は21%にとどまり、その理由につきましては、「弁護士に相談するほどの問題ではないと思ったから」、「知り合いに弁護士がいなかったから」、「費用について不安があったから」といったものが挙げられております。さらに、裁判を利用しやすいものとするために必要なこととして、「裁判費用や利用の仕方について分かりやすくする」ことなどが挙げられております。
その次の読売全国世論調査は、読売新聞社が平成10年12月に実施しました調査結果で、その内容は同月21日付けの読売新聞紙上でも紹介されております。この調査結果によれば、法律絡みのトラブルの解決につき、裁判所で解決したいと答えた人が3人に1人の割合にのぼっており、日本にも訴訟社会化の傾向が出始めていることがうかがえるとの分析がなされております。
また、裁判制度に関し改善すべき点について、審理の迅速化を求める意見が64%で、次いで費用の低額化を指摘する意見が49%という結果になっております。
さらに、司法手続に関わる職種に対する信頼感につきまして、信頼できるとの回答は裁判官で79%、検事72%、弁護士58%という結果が示されております。
最後の「暮らしと法律相談」は、日弁連業務対策委員会が、法律サービスに対する需要の実態を把握することを目的としまして、昭和60年に実施した調査結果です。この調査結果によりますれば、例えば知り合いに弁護士がいると答えた人の割合は13.7%にすぎず、また、弁護士の業務内容に関して弁護士が法律相談に応じていることも10%の人が知らず、訴訟事件を扱っていることも約20%の人が認識していないということであり、さらに裁判に関する意見では、「裁判に時間がかかり過ぎる」、「裁判はお金がかかる」と答えた人が全体の8割を超えているとのことであります。
なお、委員の皆様には既に送付しております各界提言等の中の平成10年3月23日付けで法律扶助研究会が作成した文書中にも、法律扶助に関するアンケート調査がございますので、これも併せて御参考にしていただければと思いますが、同報告書によりますと、例えば過去10年間に法律問題に出会いながら弁護士を利用しなかったと回答した人は8割近くを占め、その理由として、何らかのアクセス障害の存在を挙げた件数の割合は4分の1を超え、費用面の不安を挙げた割合は、そのうちの2分の1以上にのぼっているとなっております。
また、このようなアンケート調査に関しましては、前回の会議におきまして、司法制度に対する国民の声を聴くために当審議会としても実施することが必要であるとの御指摘もございましたので、事務局としてもその方向で検討中でございます。
4番目の「日本における法曹人口及び総人口の推移」は、前回会議におきまして、吉岡委員から法曹人口の増加についての御質問がありましたことから、それに関連する資料の一つとして御用意させていただきました。
5番目の「各界要望書等」は、大きめの封筒に一括して入れてございますが、当審議会宛てに個人または団体から要望書等として寄せられたものであります。
なお、当審議会のホームページに新たに設けられました電子メールの意見受付箱に出された意見も含まれております。
この中で記録映画「日独裁判官物語」制作普及委員会から、委員の皆様にごらんいただきたいというメッセージを添えまして、同タイトルの映画のビデオテープの1本だけが送付されてきております。事務局にこれを保管しておりますので、御希望の方は委員室で適宜ごらんいただくか、短期間でお返しいただくということで順次借り受けていただければと思っております。
6番目の関連新聞記事ですが、前回配付いたしました分に引き続き、9月1日から9月24日までの司法制度改革に関する新聞記事を社説、論説等を中心に集めたものであります。
7番目は、前回の第2回会議の議事録でございます。ほぼ予定どおりにインターネットに載せることができました。御協力ありがとうございました。
配付資料に関する説明は以上のとおりであります。
【佐藤会長】ありがとうございました。ただいまの事務局からの説明について何かございませんか。よろしゅうございますか。
それでは、次に今後のおおよその審議スケジュールについて御相談申し上げたいと思います。
前回御議論いただいた内容をペーパーにして、事前にごらんいただきましたけれども、それを配付してください。
(資料配付)
【佐藤会長】大体この間御議論いただいたものを事務局でまとめていただいたわけであります。制度的インフラ、人的インフラにつきましては、例えば陪審、参審は人的インフラの方ではないかという御意見がございまして、その点については今後考えさせていただきたいということを申しました。注のところに厳密なものではないと記してあるのはそういう趣旨であります。大体こういうことではなかったかと思いますけれども、こういう共通理解でよろしゅうございましょうか。
(「結構です」と声あり)
【佐藤会長】ありがとうございます。
次にヒアリングの予定でございますが、年内のヒアリング予定につきまして、各委員から御推薦いただきました。順次アポイントを取っておりますけれども、その現在の状況を事務局で整理いたしました。そこに書いているような形で今後ヒアリングを進めていきたいと思っておりますが。
木委員の場合、このようなところでよろしゅうございますか。
では、どうもありがとうございます。
次に2年間のスケジュール素案でございます。ヒアリングも含めた2年間の全体のスケジュールについて、ある程度の見通しを共通に持っていただくというために、私と会長代理で相談の上、具体的な素案をつくってみました。事務局から何か説明されるところはありますか。
【事務局長】ただいまお配りしましたのは、前回の審議でお決めいただいたおおよそのスケジュールに基づきまして、会長と会長代理で御相談いただき、それを基に事務局で、言わばカレンダー風に整理したものでございます。
審議会の開催日は今年度内につきましては、既にお決めいただいておりますので、日付けを入れております。なお、前回お話の出ました民事法律扶助につきましては、11月9日を予定しております。
12月21日が年内の最後ですので、この回で論点整理をまとめていただきまして、終了後の記者会見で公表という段取りでございます。
年明けの1月25日に司法研修所視察というのが入っております。これは来月には裁判所等の実情視察をしていただきますが、法曹養成の問題も大変大きな課題でございますので、司法修習の実情を把握するために、司法研修所の見学も重要ではないかと考えまして、企画したものでございます。
実施日につきましては、司法研修所の修習日程等を考慮しますと、1、2月、または11月以降ということになりますが、来年の11月では時期的に遅過ぎると考え、後期修習中である1、2月が望ましいと判断しまして、既にお伺いいたしておりました委員の皆様方の御予定を踏まえ、司法研修所とも調整しましたところ、1月25日の火曜日が最も双方の都合が合わせやすい日ということでございました。この日の御都合が悪いとお聞きしている委員の方も何名かいらっしゃいますけれども、できるだけ多くの委員の方に御参加いただけるということで設定させていただければと考えている次第であります。
また、来年2月からは地方公聴会も断続的に入れております。平成13年2月まで、計9回の開催を見込んでおります。
審議会の開催は平成12年4月からは、短い審議期間で多岐にわたる項目を御審議いただく関係上、少なくとも月3回のペースという案になっております。
平成12年5月には海外実情視察を入れております。受け入れ側のことも考えますと、この時期か、あるいは11月ごろに実施することが考えられますが、これも来年11月では時期的に遅過ぎ、一普A日本のゴールデン・ウィーク中であれば、委員の皆様方の御都合も合わせていただきやすいかと考えた次第でございます。できれば10日程度ということで、訪問国はアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、韓国の5か国などでいかがかと考えております
7月下旬から8月中旬の時期に、例えば合宿形式の集中審議が入っております。これは平成12年中のしかるべき時期におまとめいただくことになります中間報告の準備を想定したものでございます。集中して審議を行うとすると、やはり7、8月という日程が適当ではないかというふうに考えました。
中間報告後は、審議会と地方公聴会が続きまして、集中審議をはさんで平成13年7月に意見書を内閣に提出という運びでございます。
なお、やや右寄りに※印で、広く国民一般を対象とするアンケート調査を第1次と第2次ということで2回入れております。
第1次アンケートは、論点整理で挙げられた項目についての意見を聴き、中間報告に向けての御審議に反映できるようにとの趣旨でございます。
第2次アンケートは、中間報告の内容や、第1次アンケートで聴けなかった項目についての意見を聴き、意見書に向けた御審議に反映できるとの趣旨でございます。
以上並べてみますと、2年間もあっという間の印象でございますけれども、今後のおおよその日程をスケジュール素案として取りまとめさせていただきました。よろしくお願いいたします。
【佐藤会長】どうもありがとうございました。地方公聴会と4月以降の曜日の決定について後でまた御相談申し上げますけれども、大体こういう様子で進むということでございますけれども、何か御意見ありましょうか。
【中坊委員】前に主要な柱になるというんで、制度的なインフラと人的なインフラになっているということで、この間の会長のお話では、二つの会に分かれてやることがあるというようなお話を聞いていたんですけれども、このうち2回のこの予定だったら、そういうことに分けないで、何もかも一遍にやるということになるわけですか。
【佐藤会長】そういうふうに決めて、全部全体でやると決めてつくったわけでは必ずしもありません。部会形式は無理だということは申しました。二つの小委員会方式でやるかどうかということは、もうちょっと考えさせていただきたいと思っています。したがって、この案はそういうことはしないという前提でつくったわけではありません。
論点整理をやって、どういう論点を、どういうように整理し、議論を進めるかということは、それ自体もうちょっと慎重に考えた方がいいのではないかと思っておりますので、また、御相談申し上げたいと思います。
【井上委員】これ以外にも会議日が入る可能性はあるということでしょうか。
【佐藤会長】それは最後で申し上げようと思ったんですけれども、1月から3月まではいろんな御日程がございますので、増やすとしても、毎週やるというのはちょっとしんどいかもしれないと思いますけれども、4月以降は一応3回にしてありますが、場合によっては4回になる。あるいはそれ以上のことも、何かちょっと脅かすみたいですけれど、それ以上のこともあり得るかもしれないけれども、できるだけ曜日を決めて、その日にやるということにしたいと思います。その辺は私どもの方に裁量的な余地を認めていただきたいと思っております。何をどのように議論するのか、どういう論点にどこまで入っていくのかということもありますので、今の段階で、これしかやりませんというのはちょっと自信がありません。御無理を申し上げることが出てくるかと思います。
【中坊委員】だから先ほど井上さんがおっしゃったように、これは全体会議みたいなものであって、これ以外にまだ日が入る予定があり得るということですね。
【佐藤会長】そうです。もし小委員会方式を取りますと、いつやるか。それから全体会議との関連づけをどうするのかとか、いろいろな問題がありますので、ちょっと慎重に考えさせていただければと思っております。
【井上委員】海外調査の対象国なのですけれども、英・米・独・仏といった大所は裁判所や弁護士会の方でも調査されていますし、かなり知られていますが、例えばキャリア裁判官制度や陪・参審制度につきまして、少し違った制度を取っているところがそれ以外にありまして、そういう所も、もし時間に余裕があれば見てくると、議論の幅と言いますか、選択の幅が広がるので有益ではないか考えておりますので、もう少し具体的になりましたらまた提案ないし意見を出させていただきたいと思います。
【佐藤会長】御予定もありましょうから、できるだけ早目に御相談申し上げるということにしたいと思います。
では、大体こういう腹づもりでと申しますか、こんな形で進んでいくことになるということで御理解いただけますでしょうか。
ありがとうございました。
次に地方公聴会について御相談申し上げたいと思います。スケジュール素案にも既に出ておりましたけれども、この公聴会について、やはり事務局の方でつくっていただきした。
【事務局長】地方公聴会につきましては、臨時司法制度調査会のときも実施されておりますし、最近の行政改革会議などでも広く国民の意見を聴くとの趣旨で実施されております。まず、1の実施箇所でございますが、全国に高等裁判所が8か所ありますので、その管内で1か所です。中でも東京高裁管内では東京ともう一か所で行った方がよいだろうということで、合計9か所との想定でございます。都市部とそれ以外とをできるだけバランスよく選定すべきかと考えております。
次に、2の実施内容といたしましては、それぞれの地区の裁判所等を視察いただくほか、一般から募集した公述人の意見を聴く公聴会が中心となります。
3の実施方法を併せてごらんいただきますと、原則1泊2日の日程で、視察は平日、公聴会は公述人にお集まりいただく便宜を考えますと、委員の皆様方には誠に申し訳ありませんが、休日の方が適当ではないかと考えまして、金曜と土曜の2日間でいかがかなと考えております。委員の皆様方に手分けしていただきまして、毎回2、3名、1人の委員は9か所のうち2か所程度の御参加をいただければと存じております。
公述人は原則として公募により選定することとし、どのようなことを話したいかを書いた小論文の審査により選定するという案でございます。どうぞよろしく御検討をお願い申し上げます。
【佐藤会長】どうもありがとうございます。できるだけ人選はバラエティーを持つような形にしたいと思っておりますけれども、こういう形で公聴会をやるということでございます。だんだん気が重くなるかもしれませんけれども。
【中坊委員】何人くらい公述人を想定しているんですか。
【事務局長】まだ考えておりませんが、日程をこれから皆さんに検討していただきまして、何人くらい呼べばいいのかということをこれから決めていきたいと思っております。
【佐藤会長】常識的に2時間半から3時間くらいですか。
【事務局長】2時間くらいを考えております。
【佐藤会長】詰めはこれからということですけれども、大体こういう形で進めさせていただいてよろしゅうございますか。
【井上委員】中間報告がある前と後で、ヒアリングの趣旨ないし意味は変わってくるのではないでしょうか。
【佐藤会長】ヒアリングの趣旨が変わってくるかもしれませんけれども、短期間に9回もあるというのはなかなかしんどいので、やむを得ないんじゃないかということでこんな形になりました。
【中坊委員】公述人の選定というのは結構難しいでしょうね。マニアみたいな人が入っては困るし、その辺の本当の意味の公述人をどうして選ぶのか、あるいはどの程度選ぶのか。また、井上先生のおっしゃるように前と後では大分違うだろうし、確かにこういう地方公聴会も開かないと、我々としては、我々だけで決めたということになっては困るから、必要だとは思いますけれども、実施その他については、相当程度考えてやらないと、今ばっとここで突然見せられて、どうだこうだと言われても、正直言ってだれも返事しにくいと思います。これでよろしいですかと言われたって、今初めて見るんだから、どうしようもないんで、そういう意味ではこの審議会ももうちょっと意見も聴いておいてもらわないかん。あるいは今日は、こういうものを考えていますという程度にして、このままですっと決めていくということにはなさらないようにお願いしたい。そうでないと、せっかくこの審議会がみんなの意見を聴いてやると言っておったのに、また事務局が主導していくということになりかねないので、そういう意味ではこういうのは突然ぱっと配付されて、そして、このとおりやりますと言われても、確かに気の重いということはみんな分かりますけれども、ああっと言っている間に決まらないように、この委員会としても考えてほしい。
【佐藤会長】前回、地方公聴会は国民の意見を聴く一つの方法としてやらざるを得ないだろうということだったわけで、9回やるかどうかということは今日初めてですけれども、やらざるを得ないんだろうと思います。
【中坊委員】それはよく分かります。よくみんなの意見を聴いて、どうするのかは聴かなきゃならない。
【佐藤会長】だから、一応こんな形でということぐらいで今日は御理解いただいたら結構かと思います。
【中坊委員】そうしていただいた方がいいと思います。
【竹下会長代理】中坊委員のおっしゃった公述人の選定の仕方は、ここに一応原案として一番下に2行書いてございますが、これは事務局が予備審査をして。
【中坊委員】それは手続上ね。それはそのとおりでしょうな。どういうふうにして、どう選んでというのはなかなか難しい。
【佐藤会長】希望するようなものが出てくるかどうか分かりませんのでね。
【中坊委員】正におっしゃるように、我々も論点もまだ整理していない、議論もしていないときですから、確かにまだ意見を聴くと言っても、どういう立場でどう聴くのかというのはいろいろ問題もあるかと思いますし、確かに地方の公述人から公聴会をやらないといけないというのは、私も必要だと思うんで、その内容等については、本当に国民の批判を受けないように、また、問題の起こらないように十分やらないといけない。
同時に今おっしゃっていただくように、まだ二つに分かれてやるのかやらないのか、そこもまだ決まっていない。論点もまだ整理も全くされていない状況の下で、先にスケジュールだけが、しかもこういうふうに決まっていくということになってしまうと、それに拘束されていくことになりはしないかということなんです。
まさに公聴会も何もかもが、我々がまず論点をどこに整理して、どうして、どうやるんだという方向づけが分かってきて、それでは公述人はこういうものが出てきて、どうだ、こうだという話にならないと、今、具体的なイメージとして、余りにも湧いてない状況だと思うんです。
【佐藤会長】論点整理が今年いっぱいに出ますから、公表されますから、一つのデザインとまでいかないでしょうが、一応のものが出てくるわけです。それを踏まえて来年早々やるわけですね。
【中坊委員】公聴会というのも必要だけれども、先に公聴会の日程が全部決まってしまうと、逆にそちらに引っ張られてこっちが決まるということになったらいけないから、こっちが先に決まってから、こっちが決まるんだというものの発想でいかないと、また意味がないようになってしまうから、これが空洞化する恐れがある。そういう点は確かにこれから考えてやっていきたいと。
特に井上さんがおっしゃるように、最初に聴く公述と、我々が意見書を出してからの公述とは随分違うと思います。そういう辺りをかなり分けてお考えていただいて、今おっしゃるように、ヒアリングをしつつも、一方において論点整理を早くして、みんながそれぞれの構想案を出して、何となく輪郭が分かって。
【佐藤会長】分かりました。
【中坊委員】そこは会長さんと会長代理さんによろしくお願いしたいと思います。
【佐藤会長】分かりました。
それでは、次に来年4月以降の曜日の決定、できればということで御相談申し上げたいと思います。これも御希望を出していただきましたけれども、委員各位の御希望を勘案すると、1週目は金曜日の午後。2週目、4週目、5週目があるときは火曜日の午後。この辺は大体決まりということになりますね。どうしてももう一回、つまりほとんど毎週やらなければいけないというときには第3週目の月曜日の午前。これで決めさせていただきます。どうもありがとうございました。
その他、事務局からありますか。
【事務局】インターネットのホームページの意見の受け付けにつきまして、前回、石井委員の方からの御指摘を踏まえまして、一両日中にも英文による受け付けを開始いたしますので、御報告して、写しを配付させていただきます。
【佐藤会長】よろしゅうございますか。事務局の方で英文でするということですが、かなり御無理をおかけすると思いますけれども、こういうことでやるということでございます。
それでは、次回はヒアリングに加えまして、21世紀の我が国社会において司法が果たすべき役割及びそれに基づき本審議会で審議すべき項目などについて意見の交換を行いたいと思います。
意見交換が進んでまいりましたら、12月の論点整理に向けて、各委員の提案、あるいはお考えをペーパーとして出していただければと思います。ヒアリングでの御意見・御提言などを参考にしてのここでの議論・意見交換、それから各委員からお出しいただくペーパーを基にして、12月の論点整理を行いたいというように思っております。10月の2回目あたり、あるいは11月に入ってもよろしゅうございますので、ペーパーを御用意いただき御提出をお願いしたい。今日はいろんなお願いばかりするんで申し訳ないんですけれども、そういうものを出していただければ有り難く思います。簡単なものでもよろしゅうございますし、長大な論文でも勿論よろしゅうございますけれども、それは余りとらわれないで、自由にお考えいただいたらいいんではないかと思います。行政改革会議のときも、非常に詳細なペーパーもあれば、2枚くらいのペーパーもありましたので、余りそこは重苦しくお考えにならないでいただきたい。こういうことを論点にして取り上げて議論したらどうかというものでもよろしゅうございます。
【鳥居委員】タイムリミットはいつですか。
【佐藤会長】12月の初めくらいに素案くらいは御相談しないといけないと思います。今年最後の審議会が12月21日ですので、21日にお決めいただいて発表するということになります。早く出していただけるなら、もちろん結構なんですけれども、11月半ばくらいでもよろしいかと思います。12月の最初の会合で少し論点整理の素案的なものを御相談しようかと思いますので、その前提としてペーパーがありますと大変助かるものですから。
【竹下会長代理】そのペーパーの趣旨は、つまりどういう論点を取り上げるべきかということと、それの理由づけ、そんなに詳しいものは必要ないけれども、どういう観点で、こういう問題を取り上げるかということが分かればよろしいのではないでしょうかね。
【佐藤会長】論点整理ですので。また、中間報告をする前に、場合によってはいろいろ議論して、自分はこういうように考えるということをもう一遍またお願いするということもあり得るかもしれません。その必要もないということになるかもしれませんが、その辺はまたそのときに御相談申し上げますけれども、今回は論点整理に向けての参考にさせていただきたいという趣旨でございます。
【井上委員】それぞれの論点につき確定的な意見を表明するということではないのですね。
【竹下会長代理】そうです。
【井上委員】最終的な意見は議論の上で決めるべきだと思いますので。
【佐藤会長】それはよく分かります
今日予定しておりましたのは、以上でございます。前回の会議終了後の記者会見は、会長と会長代理で行いました。前回、御希望の方は是非御参加いただきたいと申しましたが、前回はございませんでした。けれども、お1人くらい加わっていただいた方がいいのではないかと思いますが、御希望ございませんでしょうか。
そうしたら、僣越ですけれども、私の方から指名させていただいてよろしゅうございますか。御都合が悪ければお断わりいただいて結構でございますけれども、北村委員いかがですか。
【北村委員】何も分かっていなくてもよろしいんですか。
【佐藤会長】思うところをおっしゃっていただければ結構です。
【北村委員】しばらくは回ってこないということになるわけですか。
【佐藤会長】それは公平を期します。
以上で本日は終わりたいと思います。どうも長々とありがとうございました。
(以上)