司法制度改革審議会

第12回司法制度改革審議会議事録

日 時:平成12年2月8日(火)14:00~16:50
 
場 所:司法制度改革審議会審議室
 
出席者:
(委員)
佐藤幸治会長、竹下守夫会長代理、石井宏治、井上正仁、北村敬子、曽野綾子、髙木剛、鳥居泰彦、中坊公平、藤田耕三、水原敏博、山本勝、吉岡初子
(事務局)
樋渡利秋事務局長
  1. 開会
  2. 「弁護士の在り方」について
  3. 閉会

【佐藤会長】それでは、ただいまより「司法制度改革審議会」第12回会合を開催したいと思います。

 なお、報道関係者の傍聴につきましては、前回から実施しているところですけれども、前回は機器の都合上、隣室で傍聴していただきましたが、準備が整いましたので、今回からは10階の別室で傍聴していただくということになっております。

 前回、竹下会長代理に民事司法制度を中心としたレポートをお願いしましたが、今回と次回の2回にわたって、中坊委員にレポーター役をお願いしております。弁護士の在り方について、制度の現状、それから問題となる論点を中心に御説明いただくということになっております。

 本日の主な議事としましては、中坊委員からのレポートの1回目として、60分ほど、もう少し時間をとっていただいても結構でございますけれども、60分ほど一応御説明いただいて、休憩をはさんで、その御説明を基に1時間半ほどとって意見の交換を行いたいと考えております。

 それでは、報道関係者、すみませんけれども。

(報道関係者退室)

【佐藤会長】前回、竹下会長代理から「国民がより利用しやすい司法の実現」及び「国民の期待に応える民事司法の在り方」ということに関しまして、制度の現状や問題となる論点などについて御説明いただきました。それに基づく審議において、委員の皆様から検討すべき論点等についていろいろ御意見をちょうだいしたわけであります。

 その際、私から申し上げましたけれども、会長代理が触れられた論点や委員の皆様の御意見にあった検討すべき論点について、私と代理とで相談いたしまして、文書にまとめました。お手元に配付しておりますので、今後の議論の際に参考にしていただければと考えております。

 では、早速、中坊委員に御報告をお願いしたいと思います。短期間で大変御無理を申しまして、恐縮でございましたけれども、精力的に御準備をいただきました。

 それでは、お願いいたします。

【中坊委員】それでは、私の方から御報告させていただきたいと思います。

 2回にわたっておりますので、本日は皆さんのお手元に配付されております「レポート骨子」というものの1~4までを今日話をさせていただきまして、5の「弁護士制度改革の基本論点」というところ以下を次回にお願いしたいと、このように考えております。したがって、本日の御報告、レポートさせていただきますのは、このレジュメの1から4まででありまして、1は「弁護士制度のあり方と司法制度の改革」という、弁護士制度の在り方の司法改革における位置づけの問題を1のところで御報告させていただきます。

 2といたしまして、「弁護士制度の現状とその問題点」というところで、弁護士制度のどういうところに問題があり、その背景がどこにあるかということ、あるいはそれの整理、そして、またそれがどのような構造的な要因によっているかということを2のところでお話をさせていただきます。

 3つ目には、この弁護士制度改革の、そういうものを踏まえまして、どういう論点設定に立つかという、これからの弁護士像というものが3であります。

 4番目には、弁護士制度改革と弁護士の責務、その中で分けても中核となるべき弁護士の責務というのは一体何であるのかという点について、御報告をさせていただきたいと思っております。

 それでは、早速、皆さんのお手元に配付されておりますレジュメに沿ってお話を申し上げていきたいと思います。

 まず、一番最初に、ここにも書きましたように、この弁護士制度の現状と改革問題につきましては、私といたしましては、昨年の12月21日に我々が審議会で決めました論点整理というものを頭に置いて、その論点整理に基づいて弁護士制度の現状や改革はいかにあるべきかというところの問題を考えていきたいと考えております。

 そうしないと、せっかく審議会で決まったのに、それがまたずれてきますといろいろ変わってきますので、そういう意味においてあくまで論点整理というものが決まって、そこの基本姿勢というものを基礎に置いて話をしていきたいと考えております。

 「1弁護士制度のあり方と司法制度の改革」ということでありますが、この点に関しましては、既に論点整理でも一応明らかになりましたように、弁護士制度改革に限らず、司法制度改革の諸問題はすべて相互に有機的に関連した一体不可分のものであるというふうな理解がされておるわけであります。そして、この弁護士制度改革というのは、その中の担い手問題の面から実行しようということになっておるわけであります。

 そのように考えてまいりますと、我々の今日を考えると、弁護士制度改革の目標とか理念とかいうものは、すべて論点整理で我々が考えてまいりました司法制度改革全体の目標、理念と同一のものであらなければならない。そのような視点に立って、これからお話をしていきたいと思っております。

 また、そのようなことでありますから、弁護士改革というのは色々な改革課題と結びついておりますので、他のいろんな改革と一体として実現されていかないといけない。ここだけが実現される、弁護士改革だけが実現されるという筋合いのものではなしに、検察改革も裁判所改革も、あるいはあらゆる制度インフラの方も一体として実現されていかなければならないものではないか、このように考えておるものであります。

 さて、それでは、まず、弁護士改革の位置づけというものはどのようなものであるかということに関しまして、私はしばしば従来から弁護士改革というのは、この司法制度改革、その中の担い手問題、人的インフラということであれば、その登山口に当たるということを言ってきたわけであります。この点は前回も一応皆で合意いたしましたように、なぜ弁護士改革が登山口であるか、だから、私が一番に今日レポートをさせていただいておるわけであります。

 なぜそうかということにつきましては、また、これは二つありまして、一つは、弁護士というものは、司法と市民とを結ぶ接点に存在しているということであります。

 二つ目には、法曹は二万人余りいらっしゃるわけでありますけれども、その中の9割の圧倒的多数が弁護士であるということであります。

 したがいまして、弁護士の在り方がどうなるかということは、まさに司法の在り方を決定的に規定していくことになりますし、弁護士を改革することは、すなわち裁判官や検察官の在り方を改革することにもつながっていく問題ではないか。そのような意味におきまして、まずもって弁護士改革というものが、司法改革の登山口であると、このように規定をしていきたいと思うわけであります。

 それでは、この登山道はどのような登山で、頂上はどうなるのか。あるいはその山には裾野があるのかという問題があるわけであります。私といたしましては、まずもってこれには裾野がありますよと申し上げたい。弁護士が生まれてくる前提としては、当然のように法曹養成制度、大学教育を含めまして、そのようなものがあるわけでありまして、それが裾野にあって、司法に入ってくるというところになるわけでありますから、登山口は弁護士改革でありましても、これは裾野のある問題でありまして、裾野は法曹養成制度にあるということであります。

 その次に、登山道といたしましては、いわゆる検察改革、裁判所改革というものを貫いて、司法の理念にふさわしい制度、私は、法の支配がふさわしい制度としては、すなわち法曹一元の実現ということが頂上に存在して、その頂上へ向けて弁護士改革、そして検察改革、裁判所改革が行われていく。そういう意味では我々は登山道を登るに際しましても、常に頂上をしっかり見据えていかなければ、どこへ行ってよいのか分からない。こういう点を我々としてはまずもってはっきりさせていく必要があるのではなかろうかと、このように考えておるものであります。

 その次に、1点、付け加えたいと思いますことは、私たちのこの審議会では、どちらかと言えば司法制度の改革問題を論じておるわけでありますけれども、同時にこれは私は各法曹の意識をも問題にしないといけないと思うわけであります。

 その意識ということから申し上げますと、私は、弁護士の今の状況というのは、いささか安住をしておるのではなかろうかと考えておりまして、そういう意味では我々がここで単に審議をするだけではなしに、弁護士、弁護士会自身の主体的な実践がなければいけない。特に意識改革とか体質とか慣行とかいうものは、実践があって初めて可能になるわけでありまして、そういう意味では私たちが単にここで言うだけではなしに、我々は、弁護士会に対しましても、あるいは個々の弁護士に対しても、そういう意味における発信をし、要請をしていく必要があろうかと、このように考えております。

 弁護士改革に関しましては、我々だけではいけない。弁護士、あるいは弁護士会自身も変えていただかなければいけない。こういう視点を忘れてはならないのではないか。このように考えておるものであります。

 その次に「弁護士制度の現状とその問題点」ですが、まずここに書かれてあります現状とその分析というところから入っていきたいと思います。

 まず、我々は論点整理の中におきまして、幾つかの言葉を使いまして、弁護士の在り方について一定の批判をしておるわけであります。一つは、ここにも少し書きましたように、「弁護士も裁判所も敷居が高く、温かみに欠ける」、あるいは「一般に、我が国の司法(法曹)の具体的な姿・顔が見えにくく、身近で頼りがいのある存在とは受けとめられていない」ということであります。

 このような現象面、欠陥を持っておるという批判の対象になるべきものであろうと見ておるわけであります。そして、今回の司法制度改革の重要な視点であります利用者という立場から見たときには「現状では、弁護士は気軽に相談し、利用できる状況にはなっておらず、また、社会経済の各領域にわたる多様な法的サービスのニーズに十分対応できる状態になく」というふうに論点整理で我々は要約をしてきているところであります。

 さらに、そのようなことの背景としては、ここにも書きましたように、なぜそういうような状態になっておるかということについては、「弁護士人口の不足、弁護士の地域的偏在、弁護士報酬の予測困難性、弁護士の執務体制や専門性の未発達、広告規制等による情報提供の不足等々」が挙げられると言っておるわけであります。

 このことを整理をいたしますと、批判を受けるべきことが発生する背景としては三つの面があろうかと思っております。

 一つは、弁護士へのアクセス障害に関するもの。先ほど言いました弁護士の人口不足とか地域的偏在とか、報酬の予測困難性、執務体制の未発達、広告規制等による情報提供の不足など、こういうことがまず挙げられるわけでありますし、また、隣接業種との関係もあるわけであります。

 二つ目には、先ほど言いましたアクセス障害だけではなしに、弁護士の職域の狭さ、狭隘さに関するものがあるというふうに言ってきております。特に法曹の具体的な顔が見えにくく、頼りがいのある存在とは受けとめられない、あるいは、社会経済の各領域の多様な法的ニーズに十分に対応できないということでありまして、まさに法曹全部を含めまして、国民の社会生活上の医師にならなければならない。そういう意味から言えば、狭過ぎるという表現を使ってきておるわけであります。

 さらに三つ目には、質に関する問題がある。分けても弁護士の専門性が未発達であって、その結果、社会経済の領域にわたる多様な法的サービスに応じられないということになってきておるわけであります。

 私としては、以上のことが大体論点整理で我々が話し合って合意してきたことではないかと思うのでありますが、そのことにさらに弁護士の不祥事も重なりまして、私は、それにプラスいたしまして、整理される三つの問題点が出てくるもう一つその底に、私は、弁護士に対する社会的な信頼というものが問題になるべき筋合いのものではないかと思うわけであります。

 確かに批判の中心的なものは、先ほども申し上げましたように、弁護士へのアクセス障害、あるいは職域の狭隘さ、あるいは質の問題といったようなことが非常にあちこちでも言われ、この論点整理でもそのような表現を使ってきたわけでありますけれども、それは見えやすいからであって、その後ろに問題がある。それが信頼性の問題である。社会的信頼というものが、弁護士そのものに対する社会的な信頼が欠けておるというところに、より根本的な問題があるのではなかろうかと思うわけであります。

 その信頼がないということは、一つには、やはり倫理性と公益性というものが社会的に合意されていない。だから、どちらかと言えば、このようなより根本的な問題については、見逃されている傾向があるのであって、そこにより根本的な問題がある。

 それをさらに押し進めていきますと、そもそも弁護士という職業自体が社会的存在として稀薄であるというところに原因があるのではなかろうかと思います。

 それでは、このように弁護士の存在が稀薄であり、そして、質の問題についての倫理性や公益性にもとるということが、なぜそのようになってきたのかというところを考えなければいけないと思うわけであります。

 それは、私は、同じような歴史的、かつ構造的な原因によるもので、すなわち我が国全体の司法政策の中において、弁護士という制度が歴史的にどのように位置づけられてきたかというところに基本的な問題があるわけであります。

 このように考えてまいりますと、今、弁護士に関しますいろんな批判が出ておりますけれども、その根源をさらに突き進んでいくと、根底は大変大きな根の深い問題になってくるわけでありまして、この問題を抜きにして、表面的、個別的な対症療法だけで弁護士改革というものは決してできない。抜本的、全面的な弁護士に関する改革がなければ、これはできないのではないかと私は思うわけであります。

 そこで言う歴史的、構造的な原因とは一体何であるのかということが、このレジュメの3ページのところに「問題状況の歴史的・構造的原因」として書いてあるところであります。そこを詳細にお話を申し上げたいと思っております

 この構造的な原因というものは、我々が論点整理で言いましたように、まさに今回の法の支配が徹底しないというところには、やはり明治維新のときの近代化、そこに根本的な原因があった。それが敗戦を経て、なおかつ直っていないというところに法が血肉化しない根本的原因があるというふうに我々は論点整理で集約したわけでありますけれども、やはり弁護士に関しましても、全くそのとおりのことが言えるのではないかと私は思うわけであります。

 そういう意味では、まずもって、明治維新以後の戦前の我が国の国家政策の中において、弁護士というものがどのように位置づけられてきたかということの考察から始めなければいけないと思うのであります。

 それを一言で言いますと、私は、「弁護士を必要としない社会づくり」、「弁護士不在の司法」という国家政策がとられ、そしていろんな仕掛けが行われる中において、むしろ弁護士の存在と活動を抑制し、反対に官僚裁判官主導の訴訟運営をすることの補完者の位置に押しとどめようとする傾向、これがまさに法が血肉化しない、一番前提の弁護士のところにおけるそのような問題があったわけであります。

 同時に、弁護士という制度は、御承知のように日本の公事師から発達してきたものではありません。外国から輸入されたものでありまして、新しくできた制度といたしまして、その社会制度の基盤が非常に弱かった。そのために質的にも量的にも稀弱な弁護士制度が誕生し、その後遺症が今なお戦後を経ても、現在も存在しておるのではなかろうかと思うわけであります。

 むしろ、戦後、法が変わることによりまして、自治権が獲得され、弁護士の法律事務独占が完全になる過程の中において、むしろそのようなものに安住した形になってきているのではないか。したがって、その点をもう少し考えないことには、これはいけないのではないかというふうに総括的に思うわけであります。

 それでは、明治維新のときから、戦前の弁護士制度の軽視という問題について論じていきたいと思うのであります。

 戦前の弁護士制度というものは、司法制度上、ほとんど顧られたことがなかったと言ってよいと思われるのであります。軽視というよりかは、むしろ弁護士制度は敵視するという政策がとられてきたわけでありまして、元最高裁長官の服部高顕さんは『日本の法曹その史的発展と現状』という本の中において、「当時の政府は十分な訓練を受けた裁判官及び検察官の発展を図ることには極めて積極的であったにもかかわらず、代言人の発展に力を致すところは極めて少なく、代言人は、1872年、明治5年に至って、ようやく、しかも民事事件についてのみ訴訟当事者を代理することを認められたにすぎなかった。代言人に対するこのような消極的な態度は、一つには、近代の弁護士の前身とも言うべき公事師が一般の信望を得ていなかったことと、私的職業よりも、公職を尊重する長い封建時代の全般的傾向に由来したものであろう。それに加えて、代言人が治外法権打破という国策にとって裁判官や検察官ほど重要なものではなかったこともその一要素を成しておった」と、このように書かれておることであります。

 まさに封建時代を背負ってきた歴史の流れの中において、そのような軽視、あるいは敵視作戦がとられてきたわけであります。

 そういうことに関連をいたしまして、むしろ法律事務の隣接業種関係、今も問題になってきておりますが、隣接業種については、これらの隣接業種によるむしろ法律事務の切崩し政策がとられてきたわけであります。

 したがいまして、基本的には戦前の政府といたしましては、弁護士の仕事が、今、問題になっているような訴訟活動以外のところへ臨むことはむしろ好ましくない、流出しては困る、訴訟業務のみに限定されてくるべきであるとの政策の下に、それ以外は弁護士とは別の制度を設けまして、それをむしろ補助的存在として位置づけ、なお、遺憾なことには、監督官庁が自分の息のかかったものを据えつけていくという、弁護士以外の幾つかの制度をここに設けてきたものであります。

 その典型例が、今、問題になっております司法書士、当時の代書人の問題であり、あるいは税理士の問題であり、弁理士の問題であります。

 これらの方々は今も御承知のように、例えば司法書士であれば裁判所の書記官、あるいは法務省の登記に関係した者が、当然に試験を受けなくてもなれることになり、弁理士も特許庁の審判官であればなれる。税理士もまた、国税庁の職員であれば無試験でなれるということになっておって、まさに監督官庁の下部組織として存在をしてきた。そして、弁護士のところから外してやってきた。これは既に御承知のように、外国では余り例を見ない。だから、アメリカではローヤーというのは、全部仕事をしているけれども、なぜ日本ではこんないろんなものがあるんだ。全部合わせれば数が多いじゃないかということが出てくる根拠もここにあるわけであります。

 むしろ、それは在野法曹というものが反骨精神に固められていくということに対する在朝側の防衛対策、自己の息のかかった者を自分の周辺に配置していくという政策によるものであるわけであります。ここに二元主義的な弁護士制度というものが生まれてきた。弁護士一本ではないということになるわけでありまして、三ケ月さんの本によりましても、まさに隣接業種が私生児的制度としてしか生まれてこなかったと。このことが、我が国司法制度運営のがんになり、日本の司法制度の一つの悲劇であると、三ケ月さんが『現代の法律家』のところでお書きになっているところでありまして、このように弁護士制度というものと、ほかの隣接業種というものは、どのようにして生まれてきて、どのような政策の下に生まれてきたかということをまずもって我々としては理解をしていかなければならないと思うわけであります。

 同時に、非弁護士活動の制限に関しても、今では法律事務独占になっておりますが、当初は極めて消極的な態度でありました。それを公の制度として正面から認めないだけではなしに、これを積極的に規制しようともしなかったわけであります。むしろ弁護士という仕事が、法廷外の法律業務にまで及ぶことを拒否する姿勢を堅持してきたのであります。

 そのことは、昭和4年に、今、問題になっているのと全く同様の言葉が、今ここに出ておるわけであります。弁護士が法律事務独占だということに関する批判と、昭和4年に司法省がおつくりになった弁護士法改正の趣旨の中にも、「法律事務は弁護士にあらざれば取り扱い得ぬとする社会は、一般民衆の利益を無視する不当の独占である。むしろ弁護士以外に簡易な法律事務をば低廉な費用をもって取り扱う者の存在することは決して社会上不必要な存在とは言い得ぬであろう。なるほど非弁護士が社会に害毒を流すことはあるであろうが、けだし、非弁護士全部が悪辣なる者のみではなく、その中には善良なる者もいないわけではない。これら善良なる非弁護士の存在は、何ら社会に害毒を流すものにあらずして、かえって社会一般の利益となるであろう。したがって、ただ弊害ある非弁護士の存在を絶ち、これを禁止すれば足りる。加えて相当数の存在である非弁護士を一時に禁止するにおいては、多数の失業者を出すことになり、社会問題になることを免れぬであろう。」、このように、今も出ておる意見はおおむね似たような意見が、当時も行われておったわけであります。

 さらに4番目に書きましたように、「公務就任の制限」であります。

 弁護士という職業は、先ほど言うように、訴訟の代理だけをさせればよいということでありまして、ここにも書いてあるように報酬ある公職を兼ねることができない。この規定は今も残っておりますが、公務就任制限の規定が明治26年の旧々弁護士法の時代から決められておるわけであります。

 そして、その趣旨は国民の権利擁護と公務の遂行とは矛盾、抵触するという発想にあるわけであります。このようなことでありまして、弁護士が個人の利益を擁護することと、公的な仕事とは矛盾するというふうに考えられてきたわけであります。そういうことが今も弁護士法の規定における公務に就けないという原因になっております。そこにおける公という字は、すなわち官を意味しておったということであります。

 そのことは、さらに弁護士養成制度の不備、あるいは停止の問題にもつながって、先ほど言う裾野問題にも関連していくるわけでありまして、国立大学における弁護士養成のための法学教育の不在ということであります。

 すなわち、国立大学の法学部は司法官を養成することを目的にできたものでありまして、弁護士養成はその眼中にはなかった。わずかに私立大学においてこのようなものがやられておったにすぎないのであります。しかも、法学教育は次第に司法官から行政官養成へその機軸を移していくわけであります。

 このようなことの中におきまして、司法官育成という目標が明治20年ごろからさらに富国強兵の中でそのようなことになっていき、行政の指導者としての教育ということが行われてくることになります。

 そのようになってまいりますと、大学教育の内容にもそのようなものが見られるわけでありまして、大学の法学教育については、一つにおいては官僚養成の色彩が強くなると同時に、今で言うリーガル・マインドということよりも、人民を上から統御するための心構えとしての教育が行われてくることになってきたわけであります。

 同時にそのことは、内容面におきましても、概念法学というものが中心になって法学教育が行われてくることになっていき、弁護士の養成という観点からはおかしなことになってくるわけであります。

 そもそも、このような、まず法律上の概念を精緻化させたり、その適正ということを考えて、それから社会現象を見るというやり方というものは、生きた社会現実との対応ということとは次第に縁遠くなってくるわけであります。今、国民の権利・自由の擁護を図るということになれば、まさに基本的な発想は現場や事実から出発するということであります。遺憾ながら、反対に法律の方から事実を見ると、あるべき法を見つける、そういう法のやり方になってきたわけでありまして、このことが今なお現在の日本の司法において、裁判においてもこの考え方は依然として残り続けておると思っておるのであります。

 そういうようなことでありまして、したがいまして、先ほど言う登山口になります弁護士養成というようなことではなしに、頭から司法官を養成するということになってくるわけでありまして、弁護士は別の存在として養成されるということになり、弁護士試補制度も生まれましたけれども、遅く、しかも、それでは徒弟奉公のようなものでしかなかった。司法官、いわゆる裁判官、検察官は今と同じような中央の研修所において行うという形が行われてきたわけであります。

 そのことは、また民事訴訟の抑制政策、先ほど言うように単に弁護士のことだけではなしに、すべてのことが有機的に結合していると言いましたけれども、民事訴訟は、そもそも国においては余り起こらない方がよいということを原則といたしておりまして、御承知のように、明治16年の太政官布告の訴訟費用、今、問題になっております訴訟費用も、それまでかなり多かった事件が、明治16年のこの太政官布告によって一挙に、お金を持っている人でなければ印紙代が貼れないということから、一挙に紛争が少なくなってくるわけであります。

 そのことからも見られますように、そういうことを一方においてはやり、同時にそれが勧解制度や一連の調停法などで、できる限り裁判を起こすな、それよりも勧解制度をやれということになってくるわけであります。その勧解制度が和解、あるいは調停の方になってくるわけでありまして、明治23年には、この勧解制度は廃止されました。

 しかしながら、紛争が多くなってくると、ほとんどと言っていいくらい、その都度、民事紛争の増大に対応すべく調停制度が導入されてくるわけであります。今回もADRはいろいろ問題になっております。訴訟事件が増えてくる、紛争が増えてくると言えば、必ずADRに匹敵するような調停制度、大正11年には借地借家調停法が生まれ、大正13年には小作調停法が、大正15年は商事調停法が、労働争議調停法が、昭和7年には金銭債務臨時調停法が、そして昭和14年には人事調停法や鉱山法の一部改正法とか、昭和11年には戦時民事特別法などによって、訴訟手続によらずして、このような制度に変えていこうということが一貫して行われてきたわけであります。

 一方、いわゆる経済的弱者に対する法律扶助というものは、全く冷淡な態度に終始し、弁護士が幅広く民衆と結びつくということ自体が阻害をされてきたわけであります。

 このような下において、いわゆる官僚的な司法の慣行というものが行われてまいりました。そして、日本の司法組織は、三ケ月さんの『法学入門』によっても、西洋諸国の中でも飛び抜けて中央集権的な官僚体制という面が顕著であったというふうに言われておるわけであります。そのような官僚制度のものが日本で行われてきたわけであります。

 そして、日本の裁判組織や官僚制は、そのような意味において他国と比べても際立っておったわけであります。

 刑事裁判の実務におきましても、御承知のように、元は治罪法であります。糾問的な手続が行われ、予審手続などが行われてきたわけであります。

 そして、当時の弁護人の訴訟活動というものは、しばしば卑屈、かつ「お上」迎合的と言われておりまして、断固として守るという姿勢は極めて乏しかったわけであります。そのような下では、当然のように陪審というのはまれにしか行われず、行われるようになりましても、長続きをしなかったというわけであります。

 そして、民事裁判にいたしましても、基本的に職権進行が行われてきているところであります。近代的な民事訴訟法を導入しても、それまで形成されてきた封建時代の延長たる古い体質の民事訴訟実務がそのままやってきたということであります。

 このような民事訴訟法の下におきまして、我々の弁護士の方は極めてその役割が小さいものになっていき、何でも「お上」に任せる、「お上」に判断を仰ぐという弁護士活動に終始してきたわけであります。それが今なお根底として、まさに残り続けてきておるわけであります。

 さらに8番目に、弁護士人口の増加に対する消極的な態度ともなっておるわけであります。弁護士資格制度を導入して以来、弁護士自身が弁護士人口の増減を統御してきた事実は全くありません。これを行ってきたのは、資格を付与する国家機関の方であります。そして、それは戦後においても、後で言いますように、基本的には同じことであります。

 まさに、今、言いますように、この問題は司法試験を異常なほど低合格率に維持していくというものには、先ほど言うような大きな社会的な背景があったわけであります。

 以上を総括いたしますと、弁護士の現状、実情をもたらした歴史的、構造的な原因は、弁護士の歴史的、経済的基盤の弱さを背景とした、明治以来一貫して行われてきた「弁護士を必要としない社会づくり」、「弁護士不在の司法」の下にあって、それを受け入れた弁護士にも責任があったでしょうけれども、そういう形になり、それが弁護士制度の軽視、隣接業種の育成といったような、いろんな形になって行われてき、総じて官僚による当時の補完物という存在に甘んじて、また、そのような存在に甘んじる弁護士がよい弁護士だと裁判所からは言われ続けてきたのであります。

 さて、それでは戦後の50年間というのは、このようなことが、それでは根本的に変わっていったかという問題であります。ここにも書きましたように、司法改革と社会的責務、今回のところでは、私自身といたしましては、後からも申し上げますように、今、我々がこのようなことでやるということはすべて弁護士自身にとって重荷を背負うことになるわけであります。しかし、このような制度のまま、従来のままやって、弁護士が自分たちさえ気楽であればよいということにすれば、結果的に国民に御迷惑を掛けることになると私は感じておるものであります。

 そこで、戦後の50年の歩みを簡単に略歴いたしたいと思います。

 憲法はまさに大転換をいたしました。その下位にあるはずの司法関係法規というものは、先ほど言いましたような構造的な原因との関係で、必ずしも全面的に変わってきたわけではありません。特に司法制度を運用する人が戦前、戦後を通じて変わらなかった。新しい制度というものを古い人が古い頭で運用するという形で戦後の歩みが出発をしたわけであります。これは裁判官も弁護士も検察官も基本的に同じでありました。そういう意味においては、法曹の持ってきた古い体質というものがそのまま温存され、建て前が変わっても古い慣行とか意識はそのまま残ってきたと言えると思うのであります。

 これを要約いたしますと、旧体制というものと、新しい国民との矛盾というものが顕在化し、一方においては私たち弁護士からだけ考えますと、我々の中でも徐々に新しい在り方というものを求める意識改革が進んできたわけでありますが、当初申し上げましたように、決してそれは私が見ましても十分なものではありません。現在、そのような意識改革を根本的に行わない限り、新しい司法制度の改革は不可能ではなかろうかというふうに思っておるわけであります。

 それでは、新しい憲法において、弁護士法というものが新しくまた生まれてまいりました。それでは、戦後はどのようになってきたかと言いますと、まず日本国憲法そのものの中に、弁護士に関する規定が、例えば34条の刑事の抑留者に、弁護人に依頼する権利であるとか、37条の弁護人依頼権とか、77条で弁護士に関する規則制定権があるとか、いわゆる弁護士というもの、あるいは弁護人というものが憲法上にも認められるという形には新憲法の下ではなってきたわけであります。

 その弁護士というものは、旧弁護士法が全面的に改正される必要がありましたが、御承知のように、その作業は著しく遅れまして、裁判所、検察庁法は、憲法と同時にできたわけでありますが、弁護士法は、1949年5月になって、議員立法の形の中でしか成立をしなかったものでありまして、当時から官憲による大変な妨害行為があったわけであります。その新しい弁護士法の下において、どこが一番変わったかと言いますと、いわゆる弁護士自治の原則が採用されたことであります。戦前は任意団体でありました日本弁護士連合会が、いわゆる日本弁護士連合会といたしまして、新弁護士法の下に新しく設立をされたわけであります。

 この弁護士自治というものは、その後も再三の攻撃を受けてきております。特に昭和53年当時の弁護人抜き裁判特例法案というようなものが出てまいりまして、その都度いろいろ問題になり、一方においては、弁護士会においても、懲戒制度や刑事法廷における弁護活動の倫理規定などをつくって改善を図ると同時に、その法案そのものは廃止をされ、弁護士自治は今日なお継続してくるようになってきております。

 しかし、当初申し上げました隣接法律専門職とか、公務就任制限は従来のまま現在に至っております。

 最後に養成の問題につきましては、これは御承知のように、司法研修所というものが生まれまして、弁護士も同じように有給の司法修習生として統一的に養成されることになってきたわけであります。

 しかしながら、研修所の在り方そのものは、やはり戦前の司法官試補の養成制度に弁護士養成を付け加えたものにすぎないのでありまして、現在、私自身が考えてみますのに、研修所の教育も、結局においては、抽象的な法規範の分析から事実をとらまえるという発想によっておるものでありまして、必ずしも弁護士養成という、事実から法律を見るという関係にはおよそなっていないというふうに考えております。

 同時に、裾野であります大学教育そのものも、法曹養成とは切り離されて、大教室におきまして、いわゆる概念論を論じるという形になって、現在の不一致した状態が続いてきておるわけであります。

 それでは戦後、民事訴訟の抑制政策は大きく変わったかと言いますと、やはり経済的弱者のための扶助制度は極めて貧弱であり、わずかに財団法人法律扶助協会を弁護士会が運営するのがやっとのことであり、しかも、司法予算は御承知のように戦後一貫して貧弱であり、裁判官数、職員数、裁判施設が国民に利用しにくいものになり、いわゆる国家予算に司法予算が占める割合も、昭和30年当時0.93%が、平成11年では0.38%と低下の一途をたどることになってきておるわけであります。

 また、裁判官が著しく変わったかと言いますと、やはり官僚裁判官制度の存在は依然として変わっていないわけであります。一時期は各地裁において裁判官会議によるということでありましたけれども、1955年の下級裁判所事務処理規程の改正。さらに前回問題となりました臨時司法制度調査会の意見では、司法行政そのものを指揮命令を明確にしないといけないんだ。あるいは司法の危機という現象の中で、最高裁事務総局の肥大化ということが行われてきて、これが国民の批判の対象にもなっておるところであります。

 現在、裁判官はすべて国民や地域に確固とした基盤を持たず、最高裁だけの判断による指名名簿の登載や、事務総局主導の給与、転任、昇級制度によっているのが事実ではないでしょうか。このようなことについても問題点があるわけであります。

 一方、このような下において、それでは弁護士の弁護活動は当事者主義が強化された、交互尋問主義が導入されたということになっておりますけれども、結果的に実効的な証拠収集制度がない状況におきまして、私自身の考え方といたしましては、戦後の民事裁判実務の基調も、戦前ほどにはないにいたしましても、裁判所主導性の下での口頭弁論の不活性、形骸化、書面主義化の傾向が一層顕著であります。当事者の期待しておる生き生きとした緊張感あふれた法廷とは言えないと私は思っております。

 また、私たち弁護士自身も、結局は戦前のそれを引き継ぎまして、何でも裁判所にお願いする「お上」依存、判断を仰ぐという受動的な姿勢のまま今日までやってきておるわけでありまして、すなわち訴訟遅延というのは、審理でやっていることの割合には時間がかかっておるということで、充実した審理というのにはほど遠い。そのことが現象面での利用しにくい、分かりにくいということになっておるわけでありまして、一部、公害裁判や薬害裁判などでは弁護士もある程度頑張っていますが、遺憾ながら大部分の弁護士はそうではなかったのではないかと反省しているところであります。

 刑事裁判におきましては、その意味では民事裁判よりか弁護士もその点について努力をいたしておりますけれども、基本的問題は残っておりますし、特に四大事件の再審無罪事件などの発生というものは、絶望的な刑事裁判だということを言われてきたこともあるわけでありまして、最近では弁護士といたしましても、一部では刑事弁護離れ、すなわち国選弁護も受けないという弁護士も増えてくるような状況になっておるわけであります。

 最後に、弁護士人口の増加への消極姿勢は、戦前・戦後を通じてほぼ一貫して行われてきておることでありまして、このことが司法の根本的な異常さにつながっておるわけであります。産児制限を試みてきたわけであります。

 すなわち、昭和24年には2,570名の出願者に対して合格者は265名、10.31%の合格率であったものが、10年後には10.31%が4.6%に下がり、さらに10年後は2.72%に下がり、さらに10年後には1.76%になり、最後には出願者の数が前よりも減るような形になって、やっと平成元年に2.18%というような異常な低合格率という政策が続いてきておるわけであります。

 私たちといたしましても、日弁連を始め、当番弁護士制度等、それなりにやってまいりました。また、民事裁判についての運用改善、あるいは弁護士の偏在対策等、この前出ていました「0~4マップ」もその当時つくられたものであります。あるいは法律相談のために特別会費を徴収したり、あるいはそういうことをやり、弁護士任官もそれなりにやっておりましたが、根本的な改正にはなっていないわけであります。

 以上のようなことを経まして、我々の現在の弁護士制度というものは、司法制度全体が持っております根本問題と一にいたしまして、基本的問題が多かったと考えておるわけであります。

 そこで、さらに進みまして、弁護士改革の論点設定をどうするか。これは私の全くの私見でありますけれども、私は、もう一度、弁護士の一番の基礎である法律事務の本質というものをどう考えるのかということから考えなければいけないのではなかろうかと思っておるわけであります。

 すなわち、この弁護士の法律実務というものを、まるで我々が自由に、好きにやればよいという形の中でやっておることが、その公的な意味を忘れておるのではないか。すなわち、我々は、紛争処理を通じて社会のルールの形成につながるという意味の本質を、いわゆる公から信託を受けているということであります。まさに弁護士法1条に言います基本的人権の擁護であるとか、社会正義の実現というのは、そのことであったわけであります。それが形だけの使命であって、それが責務になっていないというところに基本的な問題がある。その公という字を、常にそれは官、国家、政府を意味するように考えられまして、社会一般という思想が発生してこなかったところに基本的な問題があるのではなかろうかと考えているわけであります。

 そういうことから、これからの弁護士像というものは、ここから先はまさに論点整理そのとおりでありますけれども、「国民が自律的存在として、多様な生活環境を積極的に形成・維持していくためには、画一的な行政規制に安易に頼るのではなく、各人のおかれた具体的生活状況ないしニーズに即した法的サービスを提供することができる司法の協力を得ることが不可欠である。国民がその健康を保持する上での医師の存在が不可欠であるように、司法はいわば国民の社会生活上の医師の役割を果たすべき存在」ではなかろうかと。

 そういう点から我々の弁護士の在り方というものを基本的に考えていかなければならない。特に国民全体の国家への過度の依存体質から、統治客体意識から主体意識に変わるということになってくる。

 そうでありますれば、我々弁護士も、官僚による統治の補完物から、「民衆による自治の伴侶」となっていかなければならない。まさに頼もしい権利の守り手、個人の法的医師になり、社会やコミュニティーの法的医師になっていかなければいけないと思うわけであります。

 そのようなことから、私といたしましては、最後に弁護士の責務といたしまして、我々はここに三つの責務ということをもう一度考えなければいけないのではないか。

 その一つは「公衆への奉仕」でありまして、特に経済的原因で正義へのアクセスができない状態が存在するのが明白な社会的不正義でありまして、それの下においてアクセスを拡充する。そして弁護士が献身的な努力をやるということは、まさに責務であります。

 二つ目には「公的職務への就任」。弁護士は公的な職務に就く機会があれば、市民のために身をもってその職務に就かなければいけません。弁護士法30条の先ほど言う公的な規制というのは撤廃されなければいけませんし、同時にその公的職務のうちで最重要なものが裁判官職、すなわち法曹一元ではなかろうかと考えておるわけであります。

 さらに後継者の養成のために、今、問題となっておりますロー・スクール等において、我々がより良い法曹をすみずみまで配置するためには、もう一度その点についても我々がやらなければいけないのではなかろうか。このように考えておるわけであります。

 以上でとりあえずの総論を終わらせていただきたいと思います。

 どうもありがとうございました。

【佐藤会長】歴史を振り返りながら、弁護士、弁護士会の在り方について、自己批判的な視点も強く打ち出しつつお話しいただきました。

 それでは、10分の休憩をはさみまして、その後、意見交換に入りたいと思います。15分に再開させていただくということにしたいと思います。

(休憩)

【佐藤会長】それでは、時間がまいりましたので、再開させていただきます。御質問、御意見をお伺いしたいと思いますが、どなたからでもどうぞ。

【山本委員】今日は戦前の話をよく聞かしていただきましてありがとうございました。知らないことばかりでした。

 全く基本的な疑問なんでございますけれども、昨年、日弁連の小堀会長さんがお見えになったときに、お伺いした法曹一元の概念なんですけれども、最近、言われていることは、弁護士さんと裁判官の関係ですね。アメリカはどうか知りませんが、イギリスだとかは法曹一元と言うと検事も含むような状況があるんじゃないかと思うんです。日本における法曹一元の議論というのは、そういう問題提起はなかったんでしょうか。

【中坊委員】あると聞いています。検事さんもなるということになっているんじゃないですか。私も正確には分かりません。

【山本委員】39年の臨司のときは検事という話は入っていませんね。たしか裁判官と弁護士との関係だったと思います。

【佐藤会長】検事も含む考え方であったように思いますが。

【山本委員】そうですか。中坊先生の御主張も検事を含むという意味合いですか。

【中坊委員】検事だけではなしに、さらに法技術にさえ精通していただいていれば、最高裁と同じように、もう少し幅広くいろんな方が、ある程度法律の専門家ではないと確かに判決がしにくいところがありますから、そういう意味での事実上の制約はあるだろうけれども資格としては、別に大学の先生だから悪いとか、だれだれだったら悪いということはないという意味ではないかと思うんです。

【佐藤会長】いろいろな弁護士会が出されたレポートとかの中には、弁護士に限るというような主張もあったやに見受けますけれども、日弁連としてはそうではないんじゃないでしょうか。

【中坊委員】今、山本さんにおっしゃっていただくように弁護士に限るんだという意見の人もおり、あるいはそういうことを主張されている単位会もあるのは事実ですけれども、少なくとも弁護士会全体としてはそういうことではありません。少なくとも私自身はそういうことではないと思っているわけです。

【山本委員】分かりました。ありがとうございました。

【髙木委員】中坊委員から弁護士を必要としない社会づくり政策とか、官僚による統治の補完物とか、いろんなお話をお聞きしたんですが、そういう日本の弁護士さんに関わる伝統的な流れと言うんでしょうか、そういうのに皆さんお気づきになっておられるんだとしたら、弁護士会としてそういうものの改革を求めていく努力というのは当然あったんじゃないかと思うんです。ないしは当然出てきて当たり前だと思うんですが、自己改革、あるいは自己だけではできなければ、社会にそういうものを提起をしていって、そういう政策をやめさせる努力みたいなものはどの程度過去行われ、それはなぜ実らなかったのか、その辺をお聞かせ下さい。

【中坊委員】基本的に飴とむちという政策がありますね。飴もあったんですよ。飴とは何かと言えば、まず数の少ないこと、数を少なくしておるということをやりました。それが何を意味しているかというと、経済的に豊かになるんです。

 たまたま私の父も弁護士をしておったですが、昭和の初めに聞いただけでも、当時で師範学校を出て学校の先生の給料が100円というと、昭和の初めはいい月給だったと。それが弁護士は東京へ行くだけで1回1,000円もらえたというんです。だから、数が少なくて、法律事務を独占させてやれば飴があるわけです。だから、今でも、正直言って、弁護士にも、そういう意味における法律事務を独占して、いわんや戦後になって自治がもらえて、経済的に豊かなら、その道の方がいいじゃないかということになりかねない。それで裁判所へ行っても、ある意味では楽ですよ。裁判所へ行って、いいかげんな訴状を書いていても、裁判所がちゃんと直してくれるわけだから、だからいいかげんで、依頼者だけには威張って、これしている、これしているのを見せ掛けておいて、裁判所の前で頭だけ下げていればね。結局それは裁判官がしんどい思いをしなきゃならぬわけです。それでしてもらえばいいわけでしょうから。

 だから、それはそれなりに飴とむちがあり、その飴をなめてきたと思っています。これが弁護士が堕落していくという一つの大きな元でしょうね。非常に残念なことではありますけれども。

【髙木委員】おいしい飴をいただいてきたから今日こうなっておるという意味ですか。

【中坊委員】そういう意味じゃないけれども、そう詰められると。そういう人もあるし、今度でも日弁連会長選挙があってお分かりになるように、反対の方はこの司法制度、ここが争点になっているわけですからね。司法制度改革審議会への対応ということで、小堀執行部は今の審議会を全面的に支持していくという姿勢を取りたいと言っているけれども、やはり反対の方があるわけですから、かなりの人がそれでは困るという人も、弁護士の中にはいるのは事実です。

【竹下会長代理】今の髙木委員の御質問と関係するのですが、戦前の明治以来の日本の司法政策、隣接業種の問題などにつき、大変深みのある分析を聞かせていただいたので大変感銘を受けました。

 ただ、戦後の話なのでございますけれども、確かに戦前の意識なり、社会的、全体的な仕組みと言いますか、そういうものが引き継がれてきたということはよく分かるのでございますが、中坊委員もおっしゃられたように、戦後の弁護士法では、ほかの国に例を見ないほど徹底した弁護士自治が与えられたわけでございます。

 そうなりますと、やはり戦後の50年につきましては、戦前と同じように、これは官側の統制によるのですよというだけでは、官と弁護士との関係ではよいかもしれませんが、国民に対する関係では、それだけでは済まなかった、弁護士会としての責任を果たしたことにならないのではないかと思うのです。

 先ほどのお話だと、今、弁護士に対する飴だとおっしゃった弁護士人口増加の制限の問題も、戦前・戦後一貫して官側の政策として行われてきたということになるのでしょうか。

【中坊委員】一貫でもない。

【竹下会長代理】通じてですか。戦前はこれは官側が制約をしてきたというのはおっしゃるとおりだと思うのですが、戦後少なくとも、ここ十数年の動きを見ていますと、むしろ官側というよりは、弁護士会それ自体が、今おっしゃられたように、弁護士人口の増加を抑えてこられたのであって、そこらはちょっと認識が、私などと今のお話と違っているものですから、どう中坊委員はお考えですか。

【中坊委員】今、竹下さんがおっしゃっているのは、私もまさに日弁連の会長もいたしておりましたし、司法関係者とは会っていますし、私のときに、御承知のように、今の和光へ移転になったときも、あの土地の話も私のときに起きた話でして、裁判所としては一貫して、ここにも出ていましたように、研修所の受入れ人員というものを常にやって、特に湯島だったら幾らだとか、そういう話は常にありますから、研修所で収容し切る人間が幾らか、単に物理的に収容できるだけじゃなしに、それはすなわち教官の数を意味するんですよ。

 あの時分は特に検察官が問題になっていたんですけれども、検事さんになり手がない。それが研修所の教官に、そんなに検事さんを派遣したりしたら、たまったものではないということ等がありまして、やはり受入れ側の体制というものが場所もないし、教官になる人も少ないしということから、数の大きな制限があったというのが一つの大きな事実でしょうね。

 だから、今おっしゃるように、弁護士会が特に反対してということではなく、私のときに500名から増やしたわけです。そういうときにも、確かに、今、言うように弁護士の内部にはそういうことを増やすべきではないという意見もありました。しかし、結論はちゃんと増やすことについては同意していますからね。弁護士会が特に反対していたということではないと思います。

【竹下会長代理】最終的には、日弁連として、増やすことにずっと反対されてきたのではないですか。

【中坊委員】そんなことはないですよ。私も現実に平成2年から平成4年までやっていますから、いわゆる最高裁とも法務省とも、私自身が数の問題から増員の問題から全部、私が対応しておったんだからね。私は自分が直接見聞していますから、大体分かります。そういうことは余りないです。しかし、弁護士会の内部にそういう人がおるということは、さっき言うように事実です。今もあるんです。

【竹下会長代理】これは事実の問題ですから、後ほど改めて確認させていただきたいと思いますが、私の記憶では、法曹養成制度等改革協議会においては、弁護士委員のみが終始増員に反対しておられたと思うのです。

【井上委員】私も竹下先生と同じような感じを持っているのです。司法試験制度をめぐるいろいろなやり取りの中で、弁護士のかなり多くの方が、また単位弁護士会の中にも、かなり強い反対の姿勢を取っておられたところがあったのではないかと。印象ですから、間違っているかもしれませんけれども、そういう面があったように思うのです。

【中坊委員】だから、会員の中にそういう主張をしている人が。

【井上委員】ですから、そこのところは一面的には割り切れないということを申し上げたいのです。

 もう一つ、私なども反省を迫られるのかもしれませんけれども、法律学の在り方に言及された点なのですが、大学で概念法学を教えてきた、それは官僚養成を意図してそういう方法をとったというふうに言われたのですが、それはちょっと事実とは違うのじゃないかと思うのです。「概念法学」と言われた中身はどういうことを意味しておられるのかは、はっきりとは分かりませんけれども、事実から離れて法の体系だけで発想し、それを教えていたということなのかと思うのですが、そういう教育の結果として、そういう教育を受けた人が事実を直視しなくなった。結果として、あるいはそういう影響があったかもしれません。しかし、そういう体系的な思考方法をとったというのは、法制度全体が大陸法、特にドイツ法を基本にしたものになって、その影響を強く受けていたわけで、そういったところから来ており、官僚養成を意図してそういう方法をとったというのは、事実とは違うのではないかと、あるいはかなり強引な見方じゃないかと思うのです。

 体系的な思考方法をとるというのは、法律学として見れば、それとしてメリットや意味があるわけでして、正反対の方法としてどういうものがあるのかと言いますと、恐らく英米法的な考え方で、争いや問題を解決していく中であるべき法をつくっていく。これも非常にいいところを持っているのですが、そうして作られた方法というものが、パッチワークになったり、全体として整合しなくなるおそれもあるわけです。したがって、両方にそれぞれメリットがあるわけでして、歴史的事実として、体系的な方法がわが国で伝統的にとられてきたということはそのとおりで、その結果として、実際感覚からずれたり、事実を直視しなくなるという影響が出てきていたかもしれないのですけれども、少なくとも最近では、大学人の中でも、かなり意識的に自己革新をしようとしてきているのですよ。ですから、そこのところも実情をよく御覧になって言っていただかないと、お話のように断定されるのはちょっと強引過ぎるという印象を受けました。

 それに、私などから見ますと、司法研修所でやっていることは、むしろ事実に重点を置いた教育じゃないかと思うのですけれども、あれも概念法学だということになると、それでは事実から発想した法律学というのはどういうものがあるのか、私などはちょっとイメージできません。これは後の法曹養成にも絡んでくる問題ですので、何か具体的なイメージがあればお教えいただきたいと思うのです。

【中坊委員】それではお聞きしますけれども、例えば民法典を最初から最後まで全部講義される方は非常に少ないです。私だって大学の生徒でもあったし。非常にそういうものに関して、私は最近ある大学へ授業を聞きに行きました。教えられている姿を見ていますと、本当に実際のことはほとんど御存じなくて、教えられているのがごく一部のことをそのとおり言われておる。おっしゃるように体系的に教えられるだけのね。大変失礼な言い方ですけれども、それもある国立大学ですよ。そこの教授会に出て、生徒より前に大学の先生の教育がまず大切じゃないかと違いますかと私は言った。ことほどさように法律学全体の体系もお教えになっていないというのが現状ではないですか、私の見るところ。しかも、法律学と言えば、民法だって刑法だって要るわけです。それがどこまで造詣があって、そういう勉強を教えられているのかというのが私はまず疑問に思います。

 しかも、物を教えるときに、まず現場の事実に基づいてそれから物を教えるということではなしに、まずこういう法律体系になって、こうなっているということを教えているから、どうせ教えるにしたら、私も民法を清家さんに習ったんです。そのとき契約各論のときに、ある人が物を売るという、あの人は物を買うという、これが契約ですと教えてもらって非常に分かりやすかった記憶があります。そういう教え方が、今どこまで実地にあるんでしょうか。

 私は、そこを、今、言うておるんであって、今、言うように、何も強引であるとか、そういうことは少しも思っていないし、私はそのとおり思う。

 しかも、その次に、それでは研修所のやっている教育が、今、言われるように本当に事実に基づいてやっておって、それ以上のものがどこにあるんだとおっしゃったけれども、私はつい1か月ほど前にも研修所へ見学に行きました。私は現在の研修所で抱いたのは、非常に残念に思っています。

 ちょっと長くなるけれども、あれは後期修習ですよ。すなわち前期修習を終えた上での後期修習として研修所へおいでになっているわけです。そこで教えられておったのは、御覧になった方もいらっしゃるでしょうけれども、いわゆる弁償の契約があったことの有無についての講義を裁判官と検察官と弁護士と3人が教官になって、我々の前で指導をされておるわけです。

 そのありさまを見ておると、そのときたまたま私が竹下さんと御一緒に行ったところでは、御承知のように、強制わいせつか何かの被害者に対して被告人の方が持っていったけれども、受け取らないと。受け取らないから、それは法律扶助協会の言う贖罪寄付をしたいと。それで終わった。それでよかったということですね。この間の講義はですね。

 私は、あれを聞いたときに、こんなのが研修所の教育かと思って、非常に残念に思いました。というのは、それでは被害者が贖罪寄付をなぜ受け取ろうとしないのか。これは援助交際だと思われるんじゃないかとか言っている。まさに本当に強制わいせつにおける被害法益とは一体何であるのか。そこから出発しなければいけないです。確かに手続的には私たち弁護士もすぐに法律扶助協会へ贖罪寄付をしてください。それでは、贖罪寄付したことが刑の軽減にどういう過程においてつながるのか。まさに私に言わしたら、後期の修習において裁判官と、最も理想的な方が私の目の前でやっているんだから、それが極めて私に言わしたら、あの教育ではまさに強制わいせつの法益とは何かを問うていない。どう言うか別問題として、とにかくそこから私はもっと議論が深まってほしかった。そういうものでなければ、本当の意味の良き法曹というのは育たないのです。最も理想的だと教えられているのがそれです。

 さらに弁護士のあれをみんなでビデオを見たでしょう。テレビの弁護士の一番いいのか何か知らないけれども、見たら青物会社の総務部長さんが来て、覚書を忘れていたと。本人に、そういうのを持ってきたと。弁護士が修習生に、こういうものはしばしば忘れるんだよということで、よく聞かないといけないんだよと。私に言わせたら、とんでもないことですよ。何でその文書が会社で忘れられて、肝心のときに出てこなかったのか。まさに弁護士というのはそこから尋ねて、会社のどこにどういう欠陥があるためにこれが出てこなくて、これがどのように位置づけられていたのかを聞かないで、単にそういうものはあるものではすまされないのです。

 私は、少なくとも今後の弁護士というのは、企業内弁護士がもっと増えていかなければいかんと思います。本当の意味における企業が要求しているリーガル・マインド、あるいは法的なものというのは一体何であるかというのは全く分からない。あれがまさに言う、裁判所の訴訟代理だけやる弁護士の教え方ですよ。私に言わしたら、研修所の今やっていることというのは、あんなもの全然だめですよ。

【井上委員】御覧になったのはごく一部だろうと思いますし、それに対する評価の違いはあるだろうと思うのです。私が申し上げたかったのは、過去において、大学、特に帝国大学が司法官、いやむしろ行政官の育成重視というか、そういうことに結果として傾いていた。これは歴史的な経過としてそうであったといえるとは思うのですが、そのことと法律学の在り方とを直結してお話しになったので、そうではないのではないかということです。

 法律学の在り方が概念法学であり、官僚養成のためにそういう方法をとったというふうに私には聞こえたものですから、それは事実と違うのじゃありませんか、結果として事実から離れる傾向を生むような影響を持ったかもしれないけれども、ということなのです。しかも、大学における法律学も変わってきているということを御理解いただきたい。弁護士さんの中にもいろいろな方がおられるのと同じで、大学にもいろいろな方がいますので、ちょっと問題があるようなところにたまたまぶつかられたのではないかと思うのです。

【中坊委員】今の井上先生の、確かに弁護士改革が登山口である。裾野問題も言わないといけないという意味において、弁護士がこういうふうになっていますよということをお知らせてしているだけで、おたくにバトンタッチします。

【井上委員】うまくタッチしていただこうと思ってですね…。

【中坊委員】それはまたこの次にでもお話しできれば。

 ただ、私は、確かに、今ロー・スクールというものが存在する必要があるのかなと思っておるのも、いわゆる大学の法学部教育というものと、法曹の実務家との間に余りにも乖離がありますよと。最初から最後まで教えるということはほとんどなくて部分的だし、これではほとんど役に立たなくて、試験だけの点数になって出てくると。物の考え方は生まれてくるかもしれませんけれどもね。

 今日、私がお話ししたことは、ロー・スクールというものが必要ではなかろうかという意味に御理解いただき、なるのは弁護士ですから、弁護士としてはそうですよということを接続する意味において申し上げておるんで、私は何も一定の思想的な背景を持ってこうだと断定するわけでも何でもない。

 ただ、司法改革の登山口であるという弁護士というものを前提としたときに、裾野である法曹教育については、こういう人を養成してきてもらわないと、うまいこと、ここが接続しませんよという意味で言うているんです。

【井上委員】私の言い方がきつかったら勘弁していただきたいと思うのですが、私も先生の真意を伺いたい、より良く理解したいという趣旨で質問させていただいたのです。

 法律学という方向から考えていくと、どうしても体系的な思考になる。それと、中坊先生がおっしゃられるように、現場から、事実から発想していくということ。その辺をどう融合できるのかというのがロー・スクールの課題だと思うのです。

【中坊委員】しかし、事実からと同時に、私は、むしろ、今、法学教育としては、法律の条文を超えてほしいんですよ。先ほど言うように、条文の理解をどこまで超して、言おうとする精神は一体何であるのかというところへ基づく多角的な視点で物が見られるということにならないと、今、言うように、法律の条文がこうあるということだけ言うんだったら、今の司法研修所の在り方に問題があることになる。

 だから、単に事実から条文を見るかというだけではなしに、条文の理解をさせるために、条文のよってきたるゆえん、あるいは社会的な実情、環境というものの中において、先ほど言うようにお金を受け取らないという一つのことにしても、それをどう評価しますかという議論が、私はあらゆる分野においてもっと広く行われないと、これは日本の法曹が豊かな法曹にはならないんじゃないか。それを危惧しているんです。

【井上委員】今、言われたようなやり方が、まさにあるべき法律学なんです。そして、そういうことを志してやっている人も少なからずいるということだけは理解していただきたいと思います。

【佐藤会長】それはそのとおりですけれども、ロー・スクールで何をどう教えるかが問題ですね。今まで法学部4年生の中で一般教養もやり、法律も教えようということになると、やはり無理があったことは確かなんです。全部教えられなかったとおっしゃるけれども、それぞれの基本科目についてていねいに全部教えるというようなことは事実上できない面があったようにも思えるんですね。そういう問題はロー・スクールのところで御議論いただきたいと思います。

【竹下会長代理】ロー・スクールそれ自体の問題は井上委員の御担当のところで議論させていただきたいと思いますが、先ほどの井上委員の問題提起と、中坊委員のお答えを伺っていて私ちょっと感じたのですが、現在の大学における法学教育の在り方が、中坊委員の表現によると概念法学であって、条文から出発しているから、事実に即した考え方にならず、それが官僚養成につながっているとおっしゃるわけですね。

 しかし、御指摘になっている問題の原因は、むしろ、日本においては法律学の研究者の養成課程と、実務法曹の養成課程が分離していることにあると思うのです。つまり、ドイツやアメリカでしたら、大学の法学部の先生はみんな法曹資格を持っているというのが普通なのです。持っていない方もおられるかもしれないけれども、それは例外です。

 ところが、日本ではそうではなくて、研究者は初めから文献と資料、せいぜい最近の実態調査を使用して、研究室で研究をして育っている。実務というものに全く接触していない、少なくとも自分で実務に携わるという経験がないのです。そこに中坊委員が御不満に思われる真の原因があるのであって、大学の法律学が官僚法学であるからというのは当たらないのではないかと私は思います。

【中坊委員】二つほど発言させていただきたいんだけれども、一つは、今、言うように、概念法学は官吏の養成じゃないかとおっしゃるけれども、私、実際やってみて、これこそ山本さんのところですぐお分かりだけれども、どれだけ規制というものが条文を形式的に行使することによって、いかなることが行われておるかという社会的な事実があるんです。国税にしたって、全部通達だけですよ。通達から1行違えばだめだと。条文がこうなっているからこうだという教育の元は、条文にすべてがあるという物の考え方で接しているから、それがそういう形になる危険性がありますよということを私は言っておるんであって、それが一つです。

 そのためにやっているとは言わないけれども、しかし、そういう教え方をして、条文がすべてだということになってしまうと、これが規制というものを、本当に文字解釈、文理解釈だけによってそれが適用される。そのためにどれだけ庶民が泣いていますか、あるいは企業が泣いているか。そういう問題点をもっと考えていただく必要があるということを私は先ほどから強調しておるんです。

 それから、研究者であるということだから、私も先ほど言っているように、我々、弁護士というものの責務の中の一つとして、後継者を養成するということも、もう弁護士としては自分の公的な責務の一つですよという理解がないと、勿論、公的な職務に就けないということもあるけれども、先生にもなれない。だから、まさに実務家は大学では教えられない。こういうところを抜本的に直さないと、いわゆる法曹の養成にはつながらないわけです。私が先ほど言ったのは、要するに弁護士改革をしなければいかん。弁護士改革としては、少なくとも公的性格というものがある。それを忘れるどころか、それをもっと明確化して私は打ち出していく必要がありますということを申し上げている。まさに今、竹下さんにおっしゃっていただくように、我々弁護士がもっと後継者の養成ということも自分たちの責務だという感覚でないと、これは大学の先生は、これは自分と違うというのが今の弁護士の感覚ですからね。これを直さないといかんと思うんです。感覚だけではなしに、制度としても直さないといけないと思う。

【鳥居委員】隣接法律専門職の話ですが、四つくらいに問題を分けないといけないのではないかと思います。

一つは、歴史的には法律実務の切崩しというふうに中坊先生がおっしゃったような意図もこれあり、また、ある意味では官僚の退官後の救済事業、そういう意味もあって特権的に無試験で司法書士とか税理士とか弁理士になれた時代があったということは認めなければならないと。

【中坊委員】今でもそうです。

【鳥居委員】2番目には、現実の問題として、今、司法書士は法務省の書記官とか、税理士は国税庁の書記官とか、弁理士は特許庁の書記官とかいう方々が特権的にできるという現実があるわけですから、その制度的な現状をはっきりと教えていただく機会が欲しい。私自身もこの2番目の問題では幾つかの経験がありまして、よく私立大学は税務調査を受けます。税務調査を受けるときは、しかるべき税務署がきます。そのときに何とかしてもらいたいと思っていろいろ相談する先は、弁護士の先生でもだめで、税理士のOBが一番よく分かっているわけです。その税理士のOBの方というのは、地方の税務署の書記官クラスの方々が退官後税理士になり、だんだんにその道の専門家、非常にソフトな言葉ですが、いろいろ相談に乗ってくれる職種を形成しているわけです。そういう実態がありますので、これは私は実態としても、今も中坊先生がおっしゃった、これはあると思います。とすれば、今どうなっているかを知りたい。

 そこで、3番目ですが、これから一体どうしたらいいのか。これからというのは、例えば新しい意味の総合的な法律事務所、弁護士事務所の業務の一つとして考えていくというような新しい展開は考えられないのか。

 さらに突っ込んでいうと、そういう職種を広い意味の新たな法曹の一つと考えるような新制度というのを考えるべきなのか否かということが問題で、そうだとすると、この人たちの教育、今までは教育はほとんどなしで、元何をしていたかということで就業しているわけですけれども、一種の法曹教育の必要性をここで考えるべきなんじゃないかと思います。

 4番目には、そこまでいくと、先ほど来の中坊先生のお話を伺っていると、今、弁護士と呼ばれている職種でも、法廷弁護士、バリスターと、今、私が言ったような意味のソリシター的な役割を果たす人と、どちらも今弁護士と呼ばれる人が自由にできるようになっているわけで、それをもっと整理して分けて考えないといけないんじゃないかと思うんです。

 ところが、先ほどの中坊先生のお話だけ伺っていると、1番目は非常によく分かったんだけれども、2番目以降、今、どうなっているかということが。

【中坊委員】その辺は各論です。確かに今の各論の中でワン・ストップとか、協調関係をどうするのか。この次に申し述べるときに完全なものはできていないんです。一つの案というのは出しますけれども、非常にそこに問題点があるけれども、今、私はその職業にお就きになっている、例えば司法書士さんにしても、弁護士さんと同じ数いるわけです。そういう人たちのことも考えないと、単に制度上こうあるべきばかり言っておったって、現実にいるんだから、そこらをどう考えていくのかというようなことも考えないといけない。

 しかし、今、鳥居委員のおっしゃるように、税務署の人が一番いいと言うけれども、それは必ず顔がきくということになるでしょう。顔がきくということは、逆に言うと向こうの言うことを聞くということです。どこかで妥協するということです。それで本当に日本の税務行政がうまくいくかという問題があるでしょう。だから、どこかで限界があり、どこかであれをしなきゃいけない。

 そういう意味における自治を持った弁護士というものと、税理士さんとがどこかで協調しないとやむを得ないと思うんです。それを一つの具体的な提案として出さないと、今の弁護士も、公設事務所に行けばいい。だから、なるべくワン・ストップできて、協働化できてやるような形にもっていかないといけないだろうと。それを次回に一つの提案だけですけれども出させていただきます。

【佐藤会長】関連資格者との協働の話ですね。

【井上委員】鳥居委員が4番目におっしゃったことは、御趣旨としては、訴訟というか裁判法曹と、それ以外の法曹とを制度的に分けるべきだという御趣旨ですか。

【鳥居委員】分けるかどうか分からないんですが、広い意味のソリシター的な役割、それの範囲はもっと広げてと。

【井上委員】今の弁護士さんの役割よりは広げるということですね。

【鳥居委員】そういうようなところまで含めて、法律事務所の一員とするとすれば、彼らのクオリティーはもっと高めるべきだし、ロー・スクールで教えるかどうかよく分かりませんが、少なくともロー・スクール的な教育の一貫として彼らの教育をする必要があるのではないか。

【井上委員】弁護士さんも、現在、ソリシター的な仕事もやっておられるのですけれども、その部分と一体化するということですか。

【鳥居委員】一体化なのか、多少資格が違うかもしらぬけれども。

【中坊委員】そこは率直に言って、外国法事務弁護士があるんです。これはアメリカからの要求に基づいて政府間交渉が行われているわけです。それを離れて、現実の問題として、理論的にはもう言ったんで、外国法事務弁護士の在り方というもの、この方は本当を言えば弁護士の資格はないわけです。アメリカの資格をお持ちであるとか、それだけでこっちの資格をしているわけです。それとの整合性ということも考えないと、今、直ちに理想的なことだけ言っていたのでは、我々の審議会としては困るんじゃないか。そういうものとの整合性を考えて、必ずしも完全なものじゃないんです。難しいです。しかし、外国法事務弁護士というのが、そういう資格のない人が、事務弁護士として弁護士会の中にいらっしゃることは事実なんです。そういうものとして存在しているんです。だから、否応なしに、それとこれとの関係というのも横一線に並ばないと、そこだけ言うとまた妙なことになりますから、そこは考えなきゃいかんと思います。

【佐藤会長】その問題はこの審議会として全体的に考えなきゃいけない問題です。

【藤田委員】官僚裁判官と官僚的実務慣行、官僚裁判官制度の存続、これも黙っていられないものですからね。

 前にも申し上げましたが、私が駆出しのときから、裁判の内容について人からあれこれ言われたことはないし、所長、長官になってからも人にあれこれ言ったことは一遍もございませんから、裁判官は世の中で一番自由な職業だと思っていますが、これは皆さんも聞きあきていらっしゃると思うんでやめます。

 官僚的実務慣行の例として、民事訴訟の職権進行ということを挙げられた。これは嵩にかかった訴訟指揮というような趣旨で言われたのならば、そういう訴訟指揮がよくないということは分かるんですけれども、職権進行主義か当事者進行主義かというのは、これは一つの司法政策的な意味があるんで、ドイツの民事訴訟法でも数次の改正がされましたが、当事者進行主義にしていたら、訴訟の遅延の弊害が目に余るということで職権進行主義に法改正をしたというようなこともあるわけです。現在も裁判所主導で口頭弁論が形骸化しているとおっしゃいますが、民事訴訟では権利の実現を求める方は一日も早く実現してもらいたいけれども、請求を受ける方はそんなに早くやらなくても先送りした方がいいというような場合もありますから、ある程度職権進行しないとなかなかうまくいかないという面もあります。職権進行だから官僚的だというのはいささかどうかな、政策的な問題ではなかろうかという気がいたします。

 新民事訴訟法施行の前から、昭和60年代の前半から民事訴訟の運営を改善しようということで、実務の知恵を集めたわけです。弁論兼和解はその一例で、法廷じゃない普通の部屋でざっくばらんな形で実情を聞くとか、また、その機会で早期に和解が成立しないかということを探るとか。それが新民事訴訟法で弁論準備というような形に結実してきたわけですし、それに付随して、法壇の上から見下ろすのではなくて、ラウンド・テーブルで、当事者と同じ目線で争点整理などをするということにもなったわけです。この間、司法研修所へ行ったときもラウンド・テーブルがございましたけれども、そういう工夫が重ねられてきたということです。

 また、判決ですが、日本では精密司法ですから、精密な職人芸的な判決というのが戦前からの伝統でしたけれども、昭和60年代前半に、新判決書様式という動きが出てきました。判決をできるだけ簡素で分かりやすいものにしようということをやったわけですけれども、その動機の一つに、弁護士から任官して、いきなりそういう職人芸的な判決を書いていただくというのはなかなか難しい面もあるということがあります。だから弁護士から任官していただくのには、そういう職人芸的な要素がなくても書けるような、そして一方、国民の側から見て、分かりやすい簡潔な判決を書こうではないかという意図もあったんですね。ですから、そういうような意味で、戦後、官僚的な風潮が裁判所を覆っているということはちょっと当たらないのではなかろうかと思います。

 もう一つ、研修所の教育でありますが、中坊さんも、要件事実教育は非常に有用であるということで、そこは私と意見が一致しているんですけれども、要件事実というのはまさに具体的な事件について法律を適用していくときに、何を要素としてつかみ出すかということで、これが民事訴訟のバックボーンになっているということは概念法学ではないんですね。

 それと、民事訴訟で一番難しいのは、事実認定でありまして、刑事の場合には強制捜査権がありますから、相当確実な証明力の高い証拠が出てくるし、もし、beyondreasonabledoubtということでなければ無罪にすればいいわけですけれども、民事訴訟の場合はそうはいかない。どの程度の証拠、どの事実についてどの程度の立証があった場合に証明があったと考えるか、これが非常に難しいんですね。極端なことを言えば、一つ一つの要証事実でみんな必要な証明度、心証度が違う、それをどういうふうに認定していくかということを研修所で一生懸命教えている。これまた概念法学とは違います。この間、中坊さんと研修所で一緒でしたか、別でしたか。

【中坊委員】御一緒、場所は違っている。

【竹下委員】教室は違っている。

【藤田委員】私が見たときは、刑裁教官と検察官と刑弁教官の3人で修習生達と嘆願書をどう扱うかという議論をやっていたんです。私たちのときは、ああいう3人の教官、弁護と検察と裁判と、その3人の教官が共同で教えるというような授業はなかったんですね。

【中坊委員】私らの時代はね。

【藤田委員】それと、民事弁護の授業でビデオなども使っている。百戦錬磨の中坊さんなどから見るともうちょっと突っ込んで教えるべきだということもあるかもしれませんが、私は、非常に感服いたしまして、研修所もなかなか実務的にいいことをやっているじゃないかと思いました。やはり研修所というのはロースクールが仮にできたとしても、実務教育を分担していくという意味で、残すべきものなんだなというふうに思いました。この程度でやめておきますが。

【中坊委員】ちょっと、別にへ理屈のための理屈を言うわけではないけれども、先ほど藤田さんのおっしゃったように、払えという方は早い方がいい、払わないという方は遅い方がよいと断定されているでしょう。そこに問題があるんです。弁護士というものが、公的性格を帯びるなら、当事者の利益だけを考えればそれは遅い方がいいのかもしれませんよ、しかし、それではいけないということを言うのが弁護士なんです、本来から言えば。

 ところが、個人の言うことは何もかもそのまま言うんだというところに問題がある。そしてまた、それを前提にして今、藤田さんのおっしゃるように、裁判官としては、こっちは言うけれども、こっちはこうだという断定の仕方が私は問題だということを一つは言っているわけです。

 それから、研修所の在り方については、確かに要件事実の方が大事なんですよ。しかし、私としては、研修所というものができるだけ、どの程度可能か問題だけれども、先ほど言うように、それは結論が出なくてもいいんですけれども、掘り下げたものの考え方をしてほしい、それが別に抽象的な人生観を語るのではなしに、法益というものをどう考えるのかということを考える素材として考えて、より一層掘り下げてくれるという教育が欲しい。それから、私の今、言ったように百戦錬磨の弁護士だから、あのビデオで見た弁護士があかんと言っているのではなしに、あれは恐らく普通の企業の経営者の感覚なら、あんなことを言われていたら、それは困ります、あの弁護士さんでは、実際。私自身が整理回収機構でいやというほど弁護士さんを何百人も使ういうと表現はおかしいけれども、御依頼申し上げておったんだから。それは企業内弁護士と実際に感覚がどれほどずれがあるかというのを、実際、弁護士さんに物を頼む立場で、それも少々頼むのではなしに、かなりの何兆円、何十兆円というのを扱っていたんだから分かりますよ。

 だから、私は、百戦錬磨というよりも、むしろ利用する側からしたら、あれでは困る、だから、裁判が藤田さんのように、自分が裁判官として、こちら側ばかりの立場を御存じの方はそうおっしゃるかもしれないけれども、百戦錬磨ではなしに、利用する側の企業からすれば、あの姿勢では困りますよと。そうすると、利用する側の気持ちと、研修所で、これは模範例ですとおっしゃっているビデオとに差があれば、それはやはり一つの問題ではないかということを言っておるわけです。

【藤田委員】債務者の側の代理人が常に引き延ばそうとしているというようなことを言っているわけではないんです。

 ただ、昭和60年だったと思うんですが、東京のある弁護士会の業務対策委員会が「民事訴訟の審理の促進と弁護士の職務領域の拡大」というテーマでシンポジウムをやりまして、当時、私は、東京地裁の所長代行だったんですが、裁判所を代表して行ってこいと言われてパネラーになりました。そのときに、一流の弁護士さんたちが、民事訴訟の促進についての問題として、促進することが自分の依頼者の不利益になった場合に、依頼者に対する利益を守らなければならないということと、社会正義の実現という弁護士の公的な職務とが常に一致するわけではない、そういうときに、どうしたらいいかということを悩むと言われたんです。

 その話を聞いたときに、裁判官としては、訴訟の促進に協力するのは当たり前ではないかという頭でいたんですけれども、一流の弁護士の方たちがやはりそういう悩みを持っていらっしゃるということを聞いて、半ば意外に思ったんですが、しかし、そういう悩みはあるんではないでしょうか。

【中坊委員】だから、先ほどから言っているように、もっと弁護士が、先ほどから言っているように、今日の本質論で終わったみたいに、責務として「公」という字をもっと入れたものとして弁護士が生まれ変わらないと私はいかんと思うのです。

 おっしゃるように、まさに「私」と「公」とは対立するものとして両立しないものとして弁護士は確かに把握しているんです、今のところ。そういう弁護士が多いわけ。だから、そうじゃないよということをもう一度きっちり我々としては位置づけて、この司法制度改革審議会で弁護士の制度の根本をしないと、今、言ったような悩みをお持ちですから、私は、今日申し上げたいことは両者は一見して対立するけれども、それは「官」を意味するなら対立していますけれども、決して公ということから言えば対立していませんよ。弁護士という職業はそもそもそういう公的な性格をもっと強く帯びておる職業ですよということを、弁護士が分かるようにきっちりさせる必要が、今度の司法制度改革審議会であるのではないか、そうでないと、今、藤田さんのおっしゃったように、確かに多くの弁護士が、その二つが両立しないとしてやっているんですよ、当事者性というのと公性という問題を。だから、そこを、私は、この司法制度改革審議会では、一つの、私が今言うように、「公」という字、パブリックという名において、横の、私の言う「公」という字で両者はくくれるはずだと、くくらなければいけない、そうでなければ、弁護士というものが本当に、日本の社会ではかえって妙に根づかないのではないかと思っているんです。これは私の意見ですけれども。

【鳥居委員】先生の今おっしゃるのはこういうことですかね。

 アメリカで、私のところはときどきアメリカの弁護士を使わざるを得ないはめに陥るんですが、そうすると、弁護士さんはたきつけてくるわけです。もっと取ろうやと。今の中坊先生のお話を伺っていると、君、そこまで要求したら、公の利害に反するよと、説教してくれる弁護士の方がいい弁護士だと。

【中坊委員】私はそう思います。

 少なくとも、日本国中、国の民族から言えばアメリカと同じように、何でもかんでも競争社会で訴訟社会にしたらよいということに私はならないと思うんです。

【水原委員】今の藤田委員と中坊委員の話を伺っておりますと、現実は、藤田委員がおっしゃるような傾向が強い、しかしながらあるべき弁護士像としては中坊さんのおっしゃる形に持っていかなければいけない、それを審議会で、各弁護士個人にも、弁護士会にも発信するようにしなければいけない。だから、現実は藤田委員のおっしゃるようなことだと思うんです。これはこの点においてはお互いに共通した認識だと思うんです。

 先ほどの中坊委員の法曹人口の増加の問題について話された中で、臨時司法制度調査会の際には、法務・検察側も検察官の数が少ないために、教官に出す人員の手当ができなかいとして反対したんだというようなことをおっしゃいました。

 私は、昭和37年に臨時司法制度調査会が発足したときに、東京地検内の研究会に参画いたしました。そのときに、法曹人口の増加、検事の増加、それから裁判官の増加、これを強力に推進し、法務省も検察も裁判所もみんなそれにもろ手を挙げて賛成したわけです。

 その結論が、法曹人口の増加について、法曹人口が全体として相当不足していると認められるので、質の低下を来さないように留意しつつこれを漸増を図ることという議決がなされたわけです。

 ところで、なぜそれがその後全く増員が図られなかったか、これは中坊委員が日弁連の会長になられる前までは弁護士会がこぞって反対をなさって、法曹人口の増加に関する、裁判所、法務省との議論の場に付かなかったんだというふうに私は承知しております。

 ところで、先般、司法研修所にバスで見学に行ったときに、中坊委員から、「私が、日弁連の会長のときに丙案が採用され、司法試験合格者の増員にゴーサインが出されたのです。そのときに、当時法務省の司法法制課長でした但木さんから、三貴人がいらっしゃらなければ、この増員の案は認められなかったと、言われたんです。」と当時を振り返って話されました。三貴人のお一人は中坊委員であり、もう一人は最高裁の川嵜さん、それから法務省は根来さんということでした。

 だから、こういう貴い方が出ない限りは、いまだに増員には弁護士会は反対しておられたのではなかろうかというふうなことを感じております。

 それからもう一つ申し上げますが、先ほど、司法書士、それから税理士の問題が出てまいりました。これに関する基礎的な教育はどうなっているんだという問題が出てまいりましたので、参考までに申し上げますと、司法書士につきましては、法務省、法務局に国家公務員試験で採用された後に、法務総合研究所の研修第3部というところで、初等科の研修、中等科の研修、高等科の研修という累次にわたる極めて理論的、かつ実践的な教育訓練を受けております。そういう意味で、戸籍、登記に関して、それから、国籍の問題については、相当の実力を持っているものでございます。そして、何十年間か経験したものがその道に関して司法書士としての資格を与えられている。

 それからもう一つ、税理士の問題を申し上げますと、これは国税庁あるいは国税局採用、これは国家公務員試験の採用を受けまして、最初、税務大学校の基礎研修に入ります。その後、より高度な研修を受けていくのですが、その年限はちょっと定かではございませんけれども、一番最初の研修は1年間宿舎に入れまして、集中的な指導をやっています。

 かつ、高度な研修については、実務に極めて堪能な者でなければなかなか受けられない、そういうふうに訓練してきた上で、なおかつ何十年かの税務実務を経た者が退職後、税理士の資格を与えられるのであって、だれにでも資格が与えられるものではない。むしろ司法試験を受かって、司法修習を経た程度のものと比べるならば、税務に関するもの、あるいは登記、戸籍に関することに限るならば、国税出身の税理士、あるいは法務局出身の司法書士の方が数等実力が上ではなかろうかと思っておりますので、御参考までに申し上げます。

【中坊委員】二つだけ。一つは確かに三貴人とおっしゃっていただいたのが、ある意味では賞賛のあれかもしれないけれども、そこを少し誤解のないようにお願いしたいと思うんですが、そのとき、平成2年に、確かに弁護士会は、法務省のおっしゃった案に反対しておったんです。私は何でも反対の日弁連ではいかん、とにかく私らで案をつくって、それで法曹三者が合意すべきだというのは確かに私が言っていたのは事実です。

 しかし、そこで大事なのは、増員そのものには当時から弁護士会も賛成しておったんです。ところが、丙案はいかんというんです。ですから、私は、丙案をしばらく延ばして実験的にやってみて、よくなかったら入れたらどうかという案をつくっただけであって、そして、二つを一緒にさせて、弁護士会として納得してやったというのが私のいきさつであって、弁護士会がそのときも増員にも反対しておったということではないんです。それが一つ。

 それから二つ目には、先ほど税理士と司法書士のことについて非常に教育がされておるからということです。それは確かにそうでしょう。それは建前、そうであるだろうということでしょう、しかし、現実にそれではその方々に仕事をさせてみなさいよ、できますかということ。私は、例えば、何人かの方を使ったんです。弁護士と比べると御存じないですよ。建前がそうであるだけであって、そうだったら、法務省の登記をやられた方が、全体を御存じかどうか、それはそうであるだろうと思ってなさっている建前だけはそうでしょう。しかし、現実に仕事をさせてみなさいよ、私は現実に仕事をさせてきているんだから。

 だから、私はそういうことはないということを言っている。その方も民法も習っています。ほかの法律も習っていますよ、だからやれますよという話でした。しかし、実際に、それこそ、今、藤田さんがおっしゃったとおりですよ。要件事実論から物を見て、条文を見て理解している人と、あるいはそれの教育をされてきた人と、全くそれを概念的にだけ、民法なら民法だけを習った人と、これには差があるんです。

 だから、私の個人的な経験では、残念ながら全く一部分にせよ、弁護士と同等にできるということには決してならない。私は、現実にそういう方々の、失礼だけれども、何人かを使い、また、優秀だからということで実際やらせてみたら私が期待したほどには出来ないんですから。だから、弁護士と比べる限りこれではなかなか難しいのではないかと思うんです。

【水原委員】それは中坊委員のような、本当に百戦錬磨、かつ万般にわたって高度な知識と御経験を持っていらっしゃる方から見たならば、だれもできない連中ばかりになります。だけど、やはり与える仕事の内容によって、きちっとやる力は持っているものが多くおるということを申し上げたい。

 それから、中坊委員が、御命じになった仕事の内容がどういうものであるのか、ということにもよりましょうし、これは非常に高度なことを要求なさるわけですから。

【中坊委員】違うがな。

【水原委員】そう思いますので、一概にはそういうふうに言えないのではなかろうかという気がいたしますので。

【中坊委員】ほかの人と一緒に同じような仕事をしているんだから、そんなことを私は委任していない。

【藤田委員】実は、52~53年ごろ、私は、特別税理士試験違憲訴訟というのを東京地裁の行政部で判決したことがありまして、無試験というのは、税理士はないんじゃないですか。特別税理士試験というのがあって、税務執務の経験が20年か25年だったかある人についての特別の試験があって、合格率は確かに特別税理士試験の方がずっと高いので、それが憲法違反だと、法の下の平等に反するということで訴訟が出ました。憲法違反とまでは言えないと判決したんですけれども、ですから、フリーでなれるということではないのではなかろうかと思います。時限立法でしたから、今の制度はどうなっているか調べてみないと分かりませんが。

 それから、司法書士について、かつての時とは違って、非常にレベルアップしている。確かに、おっしゃったような特任の制度はありますけれども、これは司法書士の方が弁護士に比べてずっと全国に分布しているので、なかなか事業として成り立ちにくいような地域にも司法書士を置かなければならないという事情があります。そういう点で特任という制度を活用しているというようなことも聞きますし、全体としての、特に若い司法書士のレベルアップは著しいものがあると思います。

【中坊委員】それは私も青年司法書士協会というんですが、ずっと一緒に私も裁判の傍聴など一緒にやったりしていましたから、彼らのこともよく知っていますよ。本当に私は心から彼らを愛しているし、だからこそ、先ほど言うように、職業に就いている人をどうするんだという問題があるということは言っていますけれども、私はそこへ行っても、本当に具体的な話を何回となくしているんです。それで言っているので、しかし、これはまた後の各論で。

【佐藤会長】それは仕組みの問題ですから。

【髙木委員】先ほどの藤田さんと中坊さんの御議論にも通じるかと思うんですが、依頼人の利益ということなら何でもやるのかと、実際には何でもおやりにはなれないはずだと思うんですが、特に、非常に、力関係で強弱があるものの間で、赤子の手をひねるぐらいの弱者に対して、強者に付かれる弁護士さん、その辺のことについて弁護士法1条やら何やらにいっぱい書いてあるんだけれども、私ら素人から言ったら、この弁護士さん何だと、普通の常識で言えばこんなことまで幾ら依頼人のためとはいえやっていいのかと、そういう思いがするケースもときどきありました。こうした感じ方は、私らの感情論かもしれませんが、横に置いていただいて結構なんですが、弁護士会における懲戒の関係は、具体的にどれぐらいの件数が審理され、どれぐらいが、いわゆる除名まで至っておるのか。

【事務局長】資料は、ちょっ間に合いませんで次回にお出しできると思います。

【中坊委員】ただ、今、髙木さんのおっしゃっていただくように、私は相手方にまだ言うのは許せたとして、自分の依頼人が勝つためだから、ところが、私はもっと悲惨なのは、自分の依頼者に対してお金もうけのために、こういう手続もあるよ、こうしたらどうだということを勧める弁護士が遺憾ながら私は多いように思うんですよ。これが非常に痛ましい、依頼者自身は弱いわけでしょう。こっちは専門知識を持っていて強いわけでしょう。それで、それはそう言っても、それはこうした方がいいんだよと、そうすると、仮処分もしなさいよ、いや、これもしなさいよ、そうすると1件当たり幾らだ幾らだと、上げていくんですよ。

 だから、私は弁護士が依頼者をえじきにするような状況が見られないでもないと見ています。だから、それの方がもっと私は弁護士が社会に与えておる害悪も多いし、これがただ単に数だけ増えて、競争社会にしたら、だから、弁護士がだんだんよくなるというけれども、私は決してそうはならないのではないか。それよりももっと、もともと公の立場でしたよということをはっきりさせないと、少なくとも日本国において。そして、依頼者という人はもっと弱いわけですから、何かトラブルがあって頼んでいるんだから、神頼みみたいなつもりですから、そこでもう一つ、私は悲惨な例が起こり得るし、それに対して弁護士がいかがなものかという感じをかなり持っているというのが一つです。

 それから懲戒に対しても大変私はお恥ずかしいことに、やはり弁護士会の今の自治といっている割には、自治権だと言っている割には、やっていることが手ぬるいし遅いし、しかも透明性に欠けるし、やはり私はここらが、弁護士さんが一種の自治は権利みたいに思っているけれども、義務の方を忘れられているのではないかと思うので、この際、この審議会では、そういう点に関してもある程度やはり言わないと、弁護士会の自発的な改革を待つのでは私はだめだと思っているんです。

【曽野委員】これは町の素人に対してお答えをいただくということもひとつの役目であろうと思いますので、お伺いいたしますが、オウムの弁護の場合ですが、今、架空の団体をつくっておられるようですが、まず、オウムの麻原彰晃という人を弁護した方が正義なのか、ああいうものは弁護できないというのが正義なのか、よく分かりません。

 それから、あのときに、弁護士会ではどのぐらい麻原彰晃の弁護を引き受けるという方がいらしたんでしょうか、いらっしゃらなかったんでしょうか。私は何となくは覚えているような気はいたしますけれども、非常に熱心ではなかったので、記憶も定かでございませんが、私のような市民もたくさんいるのではないかと思います

 それから、私は物書きでございますから、課題作文というものはやらねばならないというふうに思い込んでいるわけです。例えば、ウーロン茶について書けと言われたらプロだったら何が何でも書かなければいけない、小説にも書かなければいけないしエッセイにも書かなければいけない。これは一つの任務のようなもなんです。

 そうすると、私が、弁護士だったら麻原彰晃の弁護というものは買って出たいのではないか。でも、そうでなかった空気も濃厚にあったようにお見受けいたします。私のこれも錯覚かもしれません。

 それらのことと信頼し得る正義の担い手というのとどういう関係にあるのかということです。

【中坊委員】オウムの件につきましても、私も詳細は存じませんけれども、少なくとも今おっしゃるように、自発的に私がなりたいといって当初はなってこなかったようであります。そのために結果的に国選弁護という形になっております。

 その後、安田という方が一旦解任になりまして、その後自分で、その方だけがまた弁護人届けをお出しになっているようですが、その方も元は国選弁護であったというふうに聞いていまして、その事件については、今、言うように自発的に自分がやりますと言っていく弁護士はなかったようであります。それだけです。

【井上委員】まさにそのために国選弁護というのはあるわけでして、貧困その他の事情により自ら弁護人を依頼することができない場合に国選弁護人を付けるということになっている。それが制度の理念なのですね。具体的な事件についてコメントするのは非常に難しいので、大学の「概念法学」の担い手としての言い方で申しますと、刑事裁判で、証拠によって確実に有罪だということが確定するまでは無罪と推定される。報道等を通して、最初から有罪だという印象が強く持たれているときにも、実際は証拠に照らしてみないと分からない。被告人の方にも言い分があるかもしれないですしね。それを法律家が助け、あるいは代弁してあげるというのが、弁護制度であり、弁護士としての一つの使命なのです。

 あの案件でも、確かに引き受け手がなかなかなくて、いろいろ大変だったようです。あれだけ注目されたり、あるいは身の危険があるかもしれないなどとも言われていましたので。それで仕方なく理事者とか関連の委員会の役に付いている人を中心にして、弁護士会の責任において選んだ。そういう御苦労があったというふうに聞いています。

【曽野委員】そうしますと、日弁連というのはたくさんいらっしゃるわけでしょう。その中に一人もこれを買って出ようという人がいなかったということ。

【井上委員】事実としてよく承知していませんけれども、一般的には、余りいなかったのではないかというふうに言われています。

【曽野委員】そういたしますと、そういう姿勢そのものが一番の問題じゃないですか。命をかけてもやるという職種はいろんなところにありますね。例えば、PKOの仕事でも、お医者さんの研究でも、日弁連には一人もいなかった。

【井上委員】いなかったかどうかは私は分かりませんけれども。

【中坊委員】一人だけいたんです。Aさんと言うておきますが、付いたんです。その人が落ちたんです。非常に弁護士としては問題でして、記録をよそへ。

【曽野委員】その方のお名前も覚えていると思います。

【中坊委員】だからいることはいる。その一人は遺憾ながらよくない弁護士さんであったというふうに今のところはなっているということですね。結局、麻原が解任したんでしょう。

【曽野委員】私がいただきたいお答えは、およそ現実は、この信頼し得る正義の担い手で弁護士があるわけかどうかです。

【井上委員】中坊先生がおっしゃっているのも、もっとその面を強調したい。もっと公的な責務に目覚めてくれということだと思うのです。ただ、現実には、一人一人の弁護士さんをとってみると、いろいろ難しい事情がある。それが現実であることは事実です。そうすると、曽野先生の角度から言うと、理念みたいなものはやはり絵空事だ、ということになるのかもしれませんけれども、そう言ってしまったらおいしまいなのです。そこのところはやはり理念というものを強調して意識を持っていただく、そして、それを基本に制度設計もしていくいうことでないと、刑事弁護などというのは、事柄の性質上、一般には余り人気がないわけですので、成り立たなくなってしまう。それでいいのかということなのですよ。

【曽野委員】人気がないでやめるようだったら、正義の担い手などになれるわけないんじゃないでしょうか。

【井上委員】おっしゃることはよく分かるんですが…。

【佐藤会長】その辺は弁護士の執務形態だとかいろいろなものに関係してくるように思います。今日は公共性を中心にお話になったわけで、次の22日には、各論的に弁護士の執務形態とか、そういうことをお話になるわけですね。そこでまた御議論いただきたいと思います。

【井上委員】その各論のところで、中坊先生がおっしゃった公的義務、あるいは公的奉仕精神ということを具体的に担保するこういう仕組みがあるのだということまで踏み込んだお話を是非伺いたいです。

【中坊委員】さっき言うように、私はレポーターですから、そんなに完全なものになっているとは思いませんけれども、一応、自分の私案というものを次回には明らかにしたい。大体項目は書いていますけれども、しゃべれるような状況にはしたいと思っています。

【佐藤会長】さらに、法曹人口の増大という問題も大きな問題なんですけれども、その辺も次回ということになりますね。

 では、議論もまだ尽きないところがあるかと思いますけれども、時間の関係で、中坊委員の報告を巡っての意見交換をこの辺で終わりたいと思います。今日は守勢に回って。

【中坊委員】いつも守勢ですよ。

【佐藤会長】それでは、次に、地方における実情視察についてお諮りしたいと思います。

 前回、大阪、札幌、東京、福岡で開催する公聴会について、その日程を決めていただきました。

 一方、前からその他の高等裁判所管内の地方裁判所、または支部の所在地における実情視察について、おおまかな案で御相談してきたわけですけれども、今回、事務局を通じて法曹三者に問い合わせて、視察希望先を伺ったわけであります。その結果が、今、配付されていますお手元の資料であります。

 前回、吉岡委員から、沖縄の話も出されました。今後の日程を考えながら、どこを視察するのかを、今日、お決めいただくということはちょっと無理で、次回に改めてお諮りしたいと思いますが、今日少しでも御意見を伺っておければ参考になるかと思います。

 御覧のように、酒田は法曹三者共通しておりますけれども、あとはそれぞれ違っているということですが、何か事務局の方で説明されることがありますか。

【事務局長】それでは、法曹三者の方からなぜこの4か所ずつを選ばれたかということの簡単なお話を聞いておりますので、紹介させていただきます。

 まず、最高裁が酒田、横手を推薦していますのは、管内人口、事件数、職員数から見て小規模庁だと。
 三次も、同じ理由から見て比較的小規模庁だと。
 津山は交通の便がよく、事件数、職員から見て中規模庁だということでございます。
 法務省側の推薦に挙がっておりますのは、酒田は東北地方日本海側の小規模支部の例だと。
 金沢は北陸地方の中心都市で、高検の支部所在地であると。
 三次は、内陸部の小規模支部の例で、管内弁護士は1人だと。
 宇和島は、四国の西部の小規模支部の例だという意味でございます。

 日弁連側の推薦の理由は、酒田は裁判官1人で合議事件は鶴岡支部で行われる裁判官過疎地域だという理由であります。
 宮津は、京都市等から補助金が京都弁護士会に支給されているところだと。
 新見は、地方自治体が弁護士会の相談券を購入しているところだと。
 益田は典型的な過疎地域だという理由を挙げておられます。

 いずれも、地方公聴会を行う予定の高裁の管内を除いたところで考えていただいております。
 したがいまして、法曹三者の方で挙げいただきましたけれども、前回お配りしました事務局の方で考えておりました案も御参考の上、なお、この間、出ました沖縄も御参考の上に、大体何か所くらい、どこに行かれるかということをお決めいただければと思っております。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。ということでございます。
 大阪、札幌、東京、福岡での公聴会ということに加えて、実情視察ということは日程的に相当きついものがあるんじゃないかという感じもいたします。9月に集中審議ということにもなってきますと、時期的にもなかなかしんどいものがありまして、どれを選ぶかということもありますけれども、4か所をやるのは相当しんどいんじゃないかと思います。さらに沖縄も候補として考えるということになりますと、せいぜい2、3か所くらいかなという感じもするんですけれども、時期的にどんなになりますねか。

【事務局長】それも考えていただければと思うんですが、例えばのことといたしましては、6月と7月に札幌と福岡で公聴会をやります。その一方で、このどこかにほかのグループで行っていただければということも考えております。
 片一方で地方公聴会をしながら、片一方で残りの何人かの委員の方が実情視察をされるということも考えていいのではないかと思っております。
 あとは別の時期に行っていただいてもいいんですが、余りにも強行日程になるんじゃないかと思われますので、その点もよろしくお願います。

【井上委員】ということは2回ということですか。

【事務局長】例えば福岡で地方公聴会をしている同じ日に、酒田に何人かが実情視察で行かれるということで、また、あるグループが三次の方に何人かで行かれると。同じ日に3か所でも構わないということです。

【井上委員】日程的にはちょっとずれるんでしょうね。公聴会は土日ですが、平日でないと視察はできないですから。

【佐藤会長】何か御意見がございませんでしょうか。

【石井委員】この前、どなたか、沖縄で陪審制の裁判をやっているのが見られる可能性があるとおっしゃったような気がするんですけれども、本当に可能性があるのでしょうか。

【佐藤会長】それはそういう理由ではなかったように思いますが。

【石井委員】もしそういう可能性があるんだったら、それもちょっと。

【井上委員】日本の裁判所では、現在、陪審制はありませんので、米軍の関係ではないでしょうか。東京管内でも、例えば、横須賀の基地などでは軍事法廷で陪審法廷をやっていますので、そういうのを見るのも、あるいは意味があるかとは思いますが。ただ、それも、典型的な陪審法廷ではなくて、あくまでも軍事法廷の陪審構成ということですので、割り引いて考えないといけないですし、事件がないと開いていません。

【佐藤会長】日本の裁判所の実情視察というところからはずれてきますね。
 さっき申し上げたようなことで、この中から二つ、三つ、その辺で検討させていただいて、次回正式にお諮りするということでよろしゅうございますか。

(「はい」と声あり)

【佐藤会長】では、そういうことにさせていただきます。
 配付資料についてお願いします。

【事務局長】今回は配付資料一覧表の3の中坊委員の御説明用資料「『弁護士の在り方』についての論点整理」のほかは、毎回お配りしているものでありまして、特に説明することはございません。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。
 最後に次回の日程の確認などについて少しお話しさせていただきたいと思います。

 2月22日火曜日、午後2時からこの審議室で開催いたします。議題としては、今日に引き続きまして中坊委員にレポーター役をお願いして、「弁護士の在り方について」やや各論的なお話をいただくということになります。

 それから、次回会議の予定としては、本日の弁護士制度の在り方に関する論議に続きまして、司法の人的基盤の充実に関して裁判所、それから法務省の人的体制に関する議論を行いたいというように考えております。

 これらの組織の人的体制を充実させる必要があるという点については、これまでの議論の過程で、ほぼ各委員の認識は一致しているんじゃないかと考えております。前に太田前総務庁長官のヒアリングの際の公務員の定員の計画削減に関するお話がありましたけれども、その点も踏まえて、適宜、事務局に適切な資料を用意してもらって、議論を深めたいと考えております。

 また、この問題に関しまして、今後、適切な方からヒアリングを行い、正確な理解を得た上で審議会としての考え方を確認しておくことも考えている次第です。

 皆様の御了解が得られれば、その実施時期、どなたからヒアリングを行うかということなどについて、私と会長代理で相談して決めさせていただきたいと考えている次第です。それから、昨年、第2回の会合で本年3月までの会議の日時をお決めいただいたわけですけれども、次の次の回に当たります3月2日、第14回の会合でありますが、これは一応、午前9時半に開会するということにしておりますけれども、それでよろしいでしょうか。場合によっては午前10時ということも考えられますが、これは井上委員の法曹養成についての御報告の時間にも関係してくる話ですけれども。

【井上委員】私から遅らせてくれと申し上げられませんので、皆さんでお決めください。

【佐藤会長】いかがしましょうか。午前10時にするということも考えられますけれども。

【北村委員】何時に終わるんでしょうか。

【佐藤会長】一応、12時を考えております。

【北村委員】私はここを12時に出られれば構いません。私はうんと早いのは別にどうということはありません。

【井上委員】まだ準備が十分できていないんですけれども、一応、これまでの御報告と同じように、報告自体は1時間くらいにしようと考えております。

【佐藤会長】そうしたら、予定どおり午前9時半にしましょうか。やはりいろいろと議論があるでしょうからね。よろしゅうございますか。そうしたらこの日は予定どおり午前9時半に開会するということにさせていただきます。

 以上で今日の審議を終わりたいと思いますが、記者会見、今日は中坊委員、御出席いただけますか。
 では、そういうことで、本日はどうもありがとうございました。御苦労様でした。


実情視察先についての法曹三者の意見

12.2.8

最高裁
○酒田(仙台高裁管内、山形地裁支部)
○横手(仙台高裁管内、秋田地裁支部)
○三次(広島高裁管内、広島地裁支部)
○津山(広島高裁管内、岡山地裁支部)

法務省
○酒田(仙台高裁管内、山形地裁支部)
○金沢(名古屋高裁支部、地裁)
○三次(広島高裁管内、広島地裁支部)
○宇和島(高松高裁管内、松山地裁支部)

日弁連
○酒田(仙台高裁管内、山形地裁支部)
○宮津(大阪高裁管内、京都地裁支部)
○新見(広島高裁管内、岡山地裁支部)
○益田(広島高裁管内、松江地裁支部)