司法制度改革審議会

第14回司法制度改革審議会議事録


日 時:平成12年3月2日(木)9:30~12:15
 
場 所:司法制度改革審議会審議室
 
出席者(委員)
佐藤幸治会長,竹下守夫会長代理,石井宏治,井上正仁,北村敬子,曽野綾子,髙木剛,鳥居泰彦,中坊公平,藤田耕三,水原敏博,山本勝,吉岡初子
 
(事務局)
樋渡利秋事務局長
  1. 開会
  2. 「法曹養成制度の在り方」について
  3. 閉会

【佐藤会長】それでは,時刻もまいりましたので,ただいまから「司法制度改革審議会」第14回会合を開催します。

 本日の主要な議題は,「法曹養成制度の在り方」ということでございまして,井上委員より制度の現状,問題点についてレポートしていただく。そして,それを中心に意見の交換をするということを考えております。

 御報告は1時間余と,そこは非常に弾力的に受け取っていただいて結構ですが,全体で2時間ほど見ております。そして,休憩をはさんで意見の交換をしたいと考えております。

 井上委員よりレポートいただく前に,これまでの議論を少し私なりに整理しておきたいと思います。

 1月28日,第11回の会合で竹下会長代理から,「国民がより利用しやすい司法の実現」,及び「国民の期待に応える民事司法の在り方」ということについて,現行制度の現状とか問題点を中心にレポートしていただきまして,それを中心に意見の交換を行いました。民事司法を中心に全体の問題状況がかなり明確になったと思います。

 制度的基盤の問題は5月以降に本格的に御検討いただくということでありますけれども,制度を整備し,理想に近い形で運用しようとすれば,詰まるところは人的基盤の整備ということをまず考えなければならないということでありまして,そこで人的基盤の整備ということから議論を行ってきたわけであります。

 まず,この人的基盤整備の課題として,法曹人口の中で9割近くを占め,国民の法的生活と最も広く,かつ直接的な接点を持つ弁護士の在り方について検討する必要がある。言い換えますと,弁護士は司法制度を支える土台であり,その在り方が決定的な意味を持つということで,まず何よりも弁護士の在り方を検討する必要があるということで,中坊委員にお願いして,「弁護士制度改革の課題」,それから「弁護士制度改革の基本論点」と題して,2回にわたって我が国の弁護士制度の現状と,改革の課題についてレポートをいただいて,それを中心に意見の交換を行ってきました。

 弁護士制度の在り方を検討するに当たりましては,マクロ的な視点と,ミクロ的な視点との二つが必要だろうと思います。やや比喩的な言い方ですけれども,マクロ的な視点というのは,要するに近代日本において弁護士制度が全体社会の在り方との関連でどのように位置づけられ,どのように機能してきたのか,今後どのように位置づけ,どのような機能を期待すべきなのかといった視点であります。

 その視点と,ミクロ的な視点と言いますか,つまり個別的なもろもろの制度,固有の問題をどのようにとらえて,どのように改善するかという視点の二つの視点が必要でありまして,この二つの視点を適切に交差させながら考えていくことが肝要かと考えますけれども,中坊委員のレポートと意見交換を通じて,審議会として取り組むべき課題が,これも相当はっきりしてきたというように思うわけであります。

 中坊委員のレポートでは,弁護士改革を論じる三つの視点を挙げられました。一つは,一国の法がこの国の血肉と化し,この国のかたちとなるために一体何をなさなければならないのか。2番目は,国民一人ひとりが統治客体意識から脱却して,自律的かつ社会的責任を負った統治主体として互いに協力しながら,自由で公正な社会の構築に参画していくために何を為すべきなのか。3番目は,司法,法曹が言わば国民の社会生活上の医師の役割を果たすために何を為すべきなのか。中坊委員はこの三つの視点を挙げられましたが,このことは我々の論点整理を踏まえてのものでありまして,それ自体としては御異論のないところかと思います。

 そして,弁護士の在り方に関して,今後重点的に検討すべき論点として,まず弁護士改革の人的側面についてでありますが,弁護士人口の増加を始め五つの論点を挙げられましたが,弁護士人口の大幅増員が必要であるということについては,私どもの認識は一致したと理解してよいのではないかと思います。中坊委員は,一つの目安として5ないし6万人程度の弁護士人口に言及されましたけれども,それはそれとして,大幅な増員が必要であるということについて,私どもの認識は一致したというように受け取っていいのではないかと思います。

 さらに,弁護士業務が公益的側面を有するものであるということ。この具体的な発現の在り方については議論の余地があろうかと思いますけれども,弁護士業務が公益的な側面を持つということについても認識が一致したと思います。

 それから,弁護士の量・質共に充実させるという見地から,法曹養成制度の抜本的検討が必要であるということについても,我々の認識が一致したのではないかと考えるわけであります。

 今後,こうした認識を踏まえて,具体的な論点について我々の考え方を固めていくということになります。

 次に,弁護士改革の制度的側面についてでありますけれども,弁護士へのアクセス障害の解消を最大の課題として,中坊委員のレポートは,法律相談活動の充実,弁護士費用(報酬)の合理化・透明化,あるいは弁護士情報の公開,職務の質の向上・弁護士執務体制の強化等々について具体的に提言されたところであります。

 先ほどの弁護士人口の大幅増員を含めて,従来の弁護士の在り方に相当思い切った手術を施そう,身を切ろうとするものでありますが,これは弁護士でもある中坊委員の提言されたものだけに,非常に大きな意義を持つものと受け止めておりますが,我々審議会としても,ここで指摘された項目,方向性自体については,異論をはさむ余地が余りないところではないかと考えるわけであります。

 これを踏まえて,今後具体的な詰めの検討を行うということになるかと思います。

 それから,前回の会合で裁判所,法務省の人的体制に関しまして,司法制度の直接の担い手として,弁護士だけではなくて,裁判官及び検察官を大幅に増員する必要があるという点についても,認識が一致したと思います。

 さらに,裁判官,検察官を支える裁判所,検察庁の職員の充実も視野に入れて検討するということなどについても,意見の一致を見たというように理解してよろしいのではないかと考えております。

 こうして,弁護士職務の拡充・強化,裁判所・法務省の職務遂行体制の強化を図る,そのため,何よりも弁護士を中心に法曹人口の大幅増員を図るということについて,論点整理の段階より更に踏み込んだ,より具体的な合意を我々は得たというように理解していいのではないかと思いますが,問題は,申すまでもなく,そうした法曹人口,主として弁護士人口の大幅増員をどうやって実現するかです。言い換えますと,それを可能とするどのような法曹養成制度を確立するかというのが,非常に大きな問題ということになります。

 この課題につきましては,論点整理ではこういうようにうたっております。読ませていただきますけれども,「大学(大学院を含む)における法学教育の役割,司法試験制度,司法修習制度,法曹の継続教育の在り方等を中心に,総合的・体系的に検討されなければならない。『法律家に対する教育の在り方が一国の法制度の根幹を形成する』といわれるように,古典的教養と現代社会に関する広い視野を持ち,かつ,『国民の社会生活上の医師』たる専門的職業人としての自覚と資質を備えた人材を育成する上で,大学(大学院)に課された責務は重く,法曹養成のためのプロフェッショナルスクールの設置を含め,法学教育の在り方について抜本的な検討を加えるべきである」と述べているところであります。

 ちなみに,「法律家に対する教育の在り方が一国の法制度の根幹を形成する」という,括弧書きで引用文として触れてありますけれども,こういう趣旨のことはいろいろな人が言っているところですけれども,特に思い出しますのは,東京大学と早稲田大学で契約法を教えられた経験のあるアメリカのロースクールのハイランド教授の主張です。教授は,どういう教育の仕方を大学でやっているかということが,その国の法制度の体質というものを決めていくのではないかということを言っておられるわけであります。なお,ハイランド教授は,日本で教えた経験として,日本の学生は与えられた条文について非常に細かなところまで緻密な解釈をするけれども,法制度そのもの,対象になっている法制度そのものをクリティカルに見るという視点がやや稀薄ではないかというようなことも言っておられます。
 したがいまして,法曹養成の問題を検討するには,大学,あるいは大学院をどう位置づけるかが極めて大きな課題であるということであります。

 プロフェッショナルスクールを設置するとしましても,そこにどのような観点に立って,どのような教育を期待する,あるいは期待すべきなのか,あるいは学部教育との関係,プロフェッショナルスクールへの入学試験の在り方,あるいは司法試験との関係,司法修習制度との関係等々をどう考えるかというように,非常に課題は多面にわたっております。
 なお,これらは一つのシステムとして検討しなければならない問題だと理解しているわけであります。

 幸い井上委員より非常に綿密なレポートを用意していただきました。事務局もそれを全力を挙げて支えてくださいまして,私からも御礼申し上げたいと思いますが,本日の井上レポートを土台に3回にわたりまして,この法曹養成制度,法学教育の在り方について検討をお願いしたいと考えている次第であります。

 それでは,井上委員,お願いします。

【井上委員】数日前から風邪を引き込みまして,お聞き苦しいと存じますが,お許しください。

 そういう事情もありまして,先ほど会長から「1時間余」と言われましたけれど,その「余」の部分が相当余になるかと思いますが,お叱りにならないようにお願い申し上げます。

 私に与えられた課題は,法曹養成制度の改革について審議する手掛かりとして,現行の制度やその運用実態がどうなっているか,そこにどのような問題があり,それを巡ってどういう議論や提案がなされているかを整理してお示しするということであったかと存じますが,多少とも皆さんを刺激しまして,以後の議論を誘発するという意味で,若干私なりの感想を交えてお話しするということをお許しいただきたいと存じます。

 既に佐藤会長が先んじて言われてしまいましたので,ちょっとやりにくいのですが,私も最初に論点整理の内容を確認するところから始めようと思って原稿を書いてきたのですけれども,その内容は今佐藤会長が御確認くださったとおりでございます。その趣旨に沿って,全体の議論を組み立ててみますと,第1に,まず21世紀の司法を支えるのにふさわしい法曹としては,どういう資質や能力が必要とされるのかということから出発しまして,第2に,現行の養成制度はそのような法曹を養成するために果たして適切かつ十分なものといえるのか,そうではないとすれば,どこに根本的な問題があるのか。そして,第3に,もしそうだとすれば,どのようなシステムとするのが最適であり,そういうシステム全体の中で大学というのはどういう役割を負うべきなのか。そういう順序で考えていくのがよろしいのではないかと思います。

 まず,法曹としてどのような資質や能力を備えているべきなのかということにつきましては,これまでも様々に論じられてきたところでありますけれども,比較的最近のものを,目につく限りで,事務局の方で整理してもらったものが資料1の1ページ以下であります。

 いちいち今読んでいただきますと大変ですので,これなどを手掛かりに,かなり独断ですが,私なりの理解に従って整理させていただきますと,そこに挙げられている事項のほとんどは,本来これまでにおいても,法曹として基本的に備えていなければならないはずの,あるいは備えているのが望ましいと考えられるものであったと言ってよいかと思います。

 そういう基本的なレベルの資質・能力の中にも二つの種類があるのではないか。一つは,法律実務を有効・適切に行うために必要とされるもの。もう一つは,プロフェッションの特性ないし司法の担い手であるということから要求されるもの。この2種類があるのではないかと思われます。

 すなわち,最初の点から申しますと,特に利用者との関係で見た場合,法律実務家の仕事というのは,第1に,依頼人その他の人の言うことをよく聴き,事実を的確に認識し,事情を十分に把握するということ。これが出発点だろうと思います。

 第2に,その把握したものについて,法的な観点から分析を加え,そこに含まれた法的問題点を抽出するということ。

 第3に,その抽出した問題に対する適切な解決方法を見付け出す,あるいは考え出すということ。

 第4に,その解決策を相手方や裁判所その他の関係者に説明し,説得するということ。

 こういう四つの段階から成っているのではないかと思われますが,その四つの段階に対応しまして,いろんな方が挙げられている事項の中から思いつくままに拾いあげれば,第1の段階のためには,豊かな人間性とか感受性,幅広い教養に,社会に対する広い視野,人間関係や社会に対する深い洞察力,市民感覚,人権感覚,そういったものや,技能的には事実調査や事実認定の技能というものが必要とされるのではないか。

 第2の段階のためには,幅広い法律専門知識や法令・判例等の調査技能,論理的思考能力や分析能力といったものが必要とされる。

 第3の段階のためには,単なる法律知識にとどまらない法制度の原理的あるいは体系的な理解,創造的な思考力や柔軟な思考力,適応力,バランス感覚や決断力といったものがおそらく求められる。

 第4の,外に向かって説得していくという段階では,文章ないし言葉で自分の考えを的確に表現する能力や,説得的なリーズニング(理由付け)とか論理構成の能力,ディベートの能力や交渉・折衝の能力,それを支えるというか,それを実現に移していくための一定の実務的な技能といったものが必要とされる。そういうふうに整理することができるのではないかと思います。

 他方,プロフェッションとしての特性ないし司法の担い手であるということからは,依頼人等に対する誠実性,高度の倫理性,使命感や責任感,それに公共ないし公衆に対する奉仕の精神というものが求められる。

 この点はこれまで2回にわたる中坊委員の御報告でも,特に弁護士との関係において再三強調されたところでありますけれども,裁判官や検察官についても,基本的に妥当することだろうと思われるわけです。

 以上の点は,もともと法曹として備えているべき,あるいは備えているのが望ましい資質・能力だと思いますが,そういうものに加えまして,新しい時代の社会においては,法的問題がますます複雑化・多様化・専門化する,あるいは国際化すると予想されることから,それに適切に対応するために,今述べました基本的な資質・能力の幾つかの面が,より強化・拡充することを求められるようになっているということではないか。

 つまり,第1の段階では,社会や人間関係に対する理解や洞察力,あるいは人権感覚などをより強化する。また,基礎的な教養をより幅広いものにするということが必要でしょう。

 第2の段階については,先端的な法分野や外国法についての豊かな知見を養うということが必要でしょう。

 また,第3の段階については,一層の創造的思考力や適応力というものが求められるのではないか。

 さらに,第4の段階については,幅広い国際的視野や国際感覚,国際的に通用するようなリーズニングの能力,ディベートや交渉のより優れた能力,語学力などが要求される。そういうことになってきているのではないか。このように整理してみました。過不足があると思いますけれども,御検討いただければと存じます。

 そういうことを前提にしまして,次に問われなければならないのは,我が国の現行の法曹養成制度というものは,このようなあるべき資質・能力を備えた法曹を養成する上で,適切かつ十分な働きをしてきたか,また,これからもするだろうかということだろうと思います。

 まず,現行の法曹養成制度ですけれども,司法試験とその合格者を対象とする司法修習から成り立っているということは,御承知のとおりであります。このうち司法試験の概要につきましては,資料2の5ページ以下に示されているとおりでありますし,また,お手元に茶色の封筒がいっていると思いますが,これは資料の15ページ以下に一部コピーをしているものの原本でありますので,あとで御覧いただければと思います。

 これらの点は,そちらの説明に譲らせていただきまして,平成11年の実績だけお話ししておきますと,資料3の23ページの表に示されていますとおり,第二次試験の実際の受験者は2万9,887人,そのうち短答式に合格した者が5,717人,論文式試験の合格者が1,038人で,それと前年からの積み残しの人を対象にして口述試験を実施した結果,ちょうど1,000人の最終合格者があったというわけです。第二次試験の受験者を母数として見た合格率は,3.35%ということでございます。

 一方,司法修習は,これまでは2年間かけていたわけですが,平成11年度の修習生から1年半の期間となりました。修習生は国家から一定額の給与,基本給で20万円ちょっとだそうですが,それを受けながら,資料4の31ページ以下に司法修習の概要が示されていますけれど,まず,司法研修所で3か月間,その資料の32~33ページに示されていますようなメニューの集合教育を受けます。それが終わりますと,資料5の42ページからの表に示されているような形で,全国各地の裁判所,検察庁,及び弁護士会に配属されて,民事裁判,刑事裁判,検察及び弁護の実務をそれぞれ3か月ずつ実地に学びます。そして,最後の3か月間は,また司法研修所に戻り,仕上げのための集合教育を受けた上で,最終試験を通れば修了を認定されて,そのほとんどの人が裁判官,検察官,弁護士いずれかの進路に進んでいくというわけであります。

 これが制度の概要でありますけれども,こういう我が国の現行の法曹養成制度というのは,諸外国の養成制度に比べますと,二つの際立った特色を持っているように思われます。その一つは,大学の法学部等の教育機関において法律学の教育を受けたことを法曹資格を得るための要件とはしていないということであります。もう一つは,司法試験の受験者数に比べ,合格者数が極めて限られてきたということであります。

 まず第1点から申しますと,資料6の45ページ以下に諸外国の法曹養成制度の概要が示されておりますが,これも後でじっくりと御覧いただきたいと思いますけれど,いずれの国におきましても,大学の法学部や大学院レベルのロースクールといった高等教育機関において,法律学を修めたことを法曹となるための必須の要件とする,あるいは,制度上それを法曹養成の主たるルートとしているということが分かります。ところが,我が国は,少なくとも制度上は,これらとは対照的な考え方を取っているのであります。

 むろん,我が国の制度も,実質的には,大学の一般教養課程で基礎的な教養を身に付け,法学部で法律学の専門教育を受けた上,司法試験で適格者が選別され,その後の司法修習を通じて実務の基本を学んで,実務界に入っていくということを,通常のルートとして想定していたというふうに考えられます。また,このようなオープンな試験制度を取るということによりまして,何らかの事情でそのようなルートをたどれなかった,いわば苦学力行型の人にも,法曹資格を得る機会を与え,実際にも,そういう形で,多様な人生経験を積んだ人材を少なからず法曹界に送り込むという効用,メリットを持つものであった。このことも軽視し得ない点だろうと思います。

 しかし,その後,受験者のほとんどが大学の法学部在籍者か出身者であるという状況になりますと,このオープンであるという特色の反面として,正規の法学教育を受けたことを司法試験の受験要件としていないということが,後で述べますような受験者の間の予備校依存や大学軽視の傾向を許す働きをしてきた。それが原因であるとは思いませんけれど,そういうことを許してきたというところがあるように思われるわけです。

 もう一つの特色である合格者数の限定は,実際問題として,司法研修所と各地での実務修習への受入れ可能数に限りがあるというところからくるものでありますけれども,その結果として,資料3の23ページの表で御覧いただけるように,発足して数年で合格率がどんどん落ちていきまして,合格者数も何とか500人程度までは引き上げられたものの,それも功なく,厳しい受験戦争の様相を呈するようになったわけであります。

 特に24ページ,25ページを見ていただきますと,そこのグラフにありますように,昭和40年代の半ばにかけまして,戦後ベビーブーム世代,私などがその世代に属するのですけれども,そのベビーブーム世代が大量に大学に進学し,それが受験をするようになる。また,その後大学の法学部も次々と新設されたことなどの結果として,司法試験の受験者が急速に増加しまして,たくさん増えたものですから,受からない人が累積的に滞留していき,そういうことが重なりまして,合格率は更に低下する。そういうことで,昭和50年前後から合格率は1%台にまで落ち込むということになったわけです。合格した人も,大学在学中のころから5回,6回,7回と受験を重ねた挙げ句,28歳,29歳,30歳くらいになってようやく合格できるというのが平均像であるような状況に立ち至ったのです。

 それでもまだ,私が大学におりました昭和40年代の半ばころは,授業に出てまじめに勉強していれば受かるべき人は受かるといった雰囲気が残っていたのですけれども,その後,大学受験から小学校受験に至るまで受験産業が盛んになっていく社会状況の中で,司法試験についても,本格的な受験予備校が幾つか現れまして,大学在学中に合格しなかった者だけでなく,在学生もそれを利用するようになるということで,予備校への依存が加速度的に進んでいったのであります。

 資料7の53ページを御覧下さい。これは平成11年度の司法試験合格者に対するアンケート調査の結果に基づくものですが,そのグラフ等を見ていただきますと,ほとんどの人が学外の予備校を利用していたということが分かります。しかも,その半数以上の人がほぼ毎日か週に数日,予備校に通っていたという結果が出ております。これは合格者に対するアンケート調査の結果ですけれども,おそらくこれは,受験者ないしその予備軍の人たち一般に認められる状況ではないかというふうに思われるわけです。

 これに対しては,司法試験の側でも,私は現役の司法試験委員でありまして,余り詳しいことは守秘義務の関係で申し上げられないのですけれども,問題作成の上などで,予備校に頼らなくても比較的早く合格できるようにするための工夫というものが度々重ねられてまいりました。

 制度的にも,資料8の55ページ以下を御覧いただきますと,司法試験改革の経緯が書かれていますが,最近のものとしても,平成3年に法改正を行いまして,合格者数を700人程度まで引き上げるとともに,いわゆる合格枠制というものが平成8年から実施されました。さらに,平成10年にも法改正をしまして,司法修習の期間を1年半に短縮する代わりに,合格者数を当面1,000人程度にまで増やしていく。また,論文式試験と口述試験の科目を改める。これは今年から実施されますが,そういった改革もなされてきました。

 そういう一連の努力の結果,先ほどの資料3の23ページ以下に示されていますように,合格者の平均年齢はここ数年26歳台になりましたし,受験年数も3年以内の者が50%前後,5年以内では70%前後に達することとなったわけです。

 このように,合格者の若年化,あるいは早期合格という意味では,相当の改善が見られたということは確かでありますけれども,しかし,それでも受験勉強を始めたときから勘定しますと,かなりの年数をかけなければ受からないという事実には変わりありませんし,その上,さらにその背後には,それだけかかっても受からない人がはるかにたくさんいるわけであります。

 むろん,法曹となるためには,一定以上の法律専門知識が必要とされるわけですので,それを身につけるために一定の期間,勉強しなければならない。これは当然であります。しかし,問題はその勉強の仕方であり,また,それが受験者やその予備軍の人たちにどういう影響を及ぼしているかということだろうと思います。

 受験者の実情については,いろんなところで触れられており,私も間接的にはいろいろ聞いてきたわけですが,この際,中坊先生の「現場主義」というものを見習わせていただき,自分で実感を得るところから始めようと思いまして,先日,都内の六つの大学の出身者で,この春から司法研修所に入る予定の,いわばまだ色の付いていない8人ほどの人に集まってもらいまして,いろいろ事情を聞いてみました。あえて資料化してお示しすることはしておりませんけれども,8人全員が大学の1年生か2年生のときから予備校に通い始めており,3年生くらいから受験を始めて,3年から4年,最も長い人では10年ほどかかって合格したという人もおりました。

 予備校には,最初は週2回程度,2年間で試験科目を一応一通り終わるようなコースがあるそうですが,それから通い始めまして,次第に頻度の高いコースを取るようになる。それに逆比例しまして,初期は少なくとも司法試験科目については,大学の授業にも出ていたけれども,後の方になるにしたがって,それすら出なくなり,ほとんど予備校に依存した生活になっていくということのようでありました。よく言われます「ダブルスクール」化,あるいは「大学離れ」の現象であります。

 資料9の59ページ以下は,たまたま私の手元にあった東京大学法学部の学生に対する実態調査の結果の一部であります。これは政治学系のコースの学生を含めておりますが,そういういろんな人を含めた在学生の全体の中で見ても,司法試験予備校を利用している人がかなりの割合にのぼっているということが分かります。

 資料10の63ページ以下は,大手とされています四つの司法試験予備校,それが一般に配布していますパンフレットから,それぞれの概要を抜き書きしてもらったものと,その原資料の一部であります。そこに見られますように,1年で合格するコースというものもありまして,それを含めてかなり多彩なコースが用意されておりまして,費用も一番基本的なものは30万円くらいだということですが,本格的なものになりますと,80万から100万円くらいかかるようです。

 問題は,受験者,あるいはその予備軍の人たちの勉強の仕方なのでありますけれども,先ほどのインタビューで聞いたところによりますと,初めから予備校の編纂した,論点ごとに判例や学説を要領よく整理し,設問やそれへの解答を書いてある教材。たまたま手近にあった現物を持ってきてもらいましたので,これから回覧していただきます。佐藤先生が憲法で,竹下先生が民訴,私は刑訴なものですから,その三つの科目の教材を回していただきますが,付箋があるところは,多分佐藤先生のお名前が書いてあったりするようなところだと思いますけれど,御覧いただきながらお聞きください。

 これは代表的な教材の一つですが,こういうものを読みまして,彼らによりますと,頭からとにかく覚えていく。それが終わりますと,今度は「過去問」と言っていますが,過去の試験問題や想定問題と,それについての解答例,これを集めたものがあるのですが,それを覚えていくというやり方が専らでありまして,大学の教科書とか基本書とされる本,佐藤先生や竹下先生の教科書は基本書中の基本書なのですけれども,そういう本は仮に持っていても,ところどころ参考に見る程度にすぎない。中には,読み通した基本書は一冊もないという人すらおりました。

 資料10の73ページを見ていただいても,このような勉強の仕方は,受験者に一般的に認められるものであるということが分かります。

 こういう状況ですので,大学で幅広い教養を身に付ける機会というのはほとんどない。また,法律科目でもごく限られた司法試験科目ばかりの勉強となりますので,得られる法律知識は幅の狭いものにとどまってしまう。しかも,その狭い範囲についてすら,原理的,あるいは体系的な理解を身に付けるような勉強の仕方ではありませんので,応用力など出てくるわけがないように思われます。

 現に,私は,何年か前と現在と少し間隔をおきまして司法試験の考査委員を務めてきましたけれども,これは一般的な感想ですので申していいと思いますが,試験の答案を見ますと,ますますパターン化がひどくなってきておりまして,大体三つか四つのパターンに分かれるのです。これは大手の予備校がそのくらいありますので,大体それに合っているのだろうと思うのですけれども,そういうパターンごとの同じような答案,人によっては金太郎飴的と言うのですけれども,現代風に言えばクローン的と呼んだ方がいいような,本当に同じような答案が驚くほど多い。これは夏に採点しますと,本当にうんざりします。1,000枚以上つけますけれども,分けるとおそらく四つくらいの山になるのだろうと思うのですが,そういう状態です。

 口述試験をやりましても,予備校の教材に書いてあるような質問には本当に立板に水でして,すらすらと答える。しかし,ちょっと意地悪をしてひねった質問をしますと,いきなり答えられなくなるという人が少なくありません。

 先ほどのインタビューの際に,「口述のときくらい自分の頭で考えて答えてほしい。そういうことを期待して質問しているのだ」と言いましたら,一人の人から,「それは無理です。質問を受けてじっと考えているように見えても,それは考えているのではなくて,頭の中にファイルされているものの中に該当するものがないかどうか一所懸命検索しているだけなのだ」という答えが返ってきまして,正直愕然としました。

 インタビューした合格者の1人も,「みんな勉強を始めるときには,そこそこの頭脳を持っている。自信もあったはずなのに,こういう生活をしていると頭が悪くなるばかりではないか」というふうに言っていましたが,現に司法試験に合格して,研修所に入ってきた人,さらには新たに法曹となった人を見ても,自分で苦労して考えてみようとしないで,とにかくまず先にマニュアルを欲しがる人が増えている。あるいは,柔軟な応用力がないというふうに伝え聞いております。それは,あるいは,以上のような特異な受験生活に起因する症状ではないかというふうに疑われるわけです。

 受験者の方でも,もちろん,こういうやり方がいいことだと決して思っているわけではありません。受かるためにはこれしかないんだというふうに思い,仕方なしにやっている。インタビューした学生の多くは,「振り返ってみると,こういう生活は全く無である」,あるいは「思い出したくもない」というふうに言っておりました。

 多くの若い人たちが,合格するというはっきりした先の見通しもないまま,こういう生活を何年もおくるというのは,本人たちにとってはもちろんですけれども,社会的にも大きなロスであると言わなければならないだろうと思うのです。

 こういう状態を見ていましたら,本来法曹に適した資質を持った人材であるのに法曹となることを敬遠する人がいても,不思議ではないと思われます。私も現場の大学教員として,これまでそういう例を少なからず見てまいりました。この人は本当に法曹になってほしいなというような人が違う道に進んでしまうということで,悔しい思いをしてきたのです。

 もちろん,こういう状況を生じさせたということには,大学及び教員の側にも大きな責任があります。先ほどのインタビューの中で,合格者の何人かは,大学の法学部にせっかく入っていながら,どうして予備校に通うようになったのか,そう問いましたら,「大学の授業はスローテンポ過ぎて受験準備に適さない」,あるいは,「先生は趣味的に自分の興味のあるところばかり話していて,全体をカバーしてくれないので,受験には役立たない」と答えていました。そういう面があることも否定できないと思います。

 また,「予備校の先生の方が教えることにずっと熱心で,真剣だ」というふうに言われることにつきましても,大学人としては真摯に反省すべきところがあろうかと思います。

 ただ,ちょっと弁解に聞こえるかもしれませんけれども,こういう従来のやり方も,一つの法分野を順序を踏んでじっくりと教え,学生たちにもその都度自分で考えたり,関連の論文などを読んだりしてもらうことによって,体系的でかつ十分な理解を得させたい。そういう考え方に立って,半年あるいは1年をかけて一つの科目を教えるカリキュラムにしているわけでありますし,教師の方も,自分が一所懸命勉強し,考えているところを語るということによって,法律学の面白さや奥深さを分かってもらいたいというふうに思ってやっているところもあるわけです。そうではない人もいるかもしれませんが,そういう人も多いわけです。専ら受験にすぐに役立つような授業を効率的にやるということを大学に求めるのが適切であるとは,おそらく一般の方々も思われないのではないかと私は思います。

 先ほど述べましたように,司法試験の科目を整理したり,問題内容に工夫をこらしてきたのも,以上のような不正常な状況を何とか改めようとするものでありました。しかし,この司法試験というものが客観性・公平性を維持しつつ,限られた時間と人で実施しなければならないというものである以上,どうしても,法律に関する専門的知識の有無をはかることを基本とするペーパーテストの域を大きく出ることはできません。予備校の方でも,試験科目や問題内容の変更にすぐに対応して,新たなマニュアルというものを用意する。それは見事なものですので,受験生の間では予備校依存がかえって進んだような観もあります。このままの状態で合格者をただ増やすだけですと,このような傾向はますます強くなるのではないかというふうに思われるわけです。

 誤解をされないように申しますと,すべての受験者や合格者がそうであるというわけではありません。一般的に言いましても,現在の受験者層を母体として見る限りは,司法試験は,その中でもまだ良質で勤勉な人たちを選び出す働きをしているということができるように私は思います。

 これらの合格者たちに,司法修習の過程で,遅ればせながらも十分手をかけた教育を行えば,不足しているものが補完されて,よい法曹に育ってくれるかもしれません。しかし,司法修習というものは,本来,基本的な法分野の十分な理解ができているということを前提として,実務家として最低限必要な技術的知識や技能を伝授する,また,実務修習を通して実地に触れ,実務家としての心構えを身に付けさせるという趣旨のものであります。しかも,それでなくても修習生の数が増えていることに加えまして,先ほど申しましたように,昨年から修習期間が短縮されたため,かなり苦心して従来からの修習の質を維持しようとしているのが現状でありますので,これ以上,そのような補完的教育を行うことを期待するのは無理だと思われます。

 むしろ,実務家の方々を含め,多くの人が認めますように,また諸外国の例に照らしても,そういった基礎的な法学教育を行うのにふさわしいと考えられるのは,あるいはそのことを期待すべきなのは,大学であると言えます。

 しかも,より根本的な問題は,司法試験による選別の母体である受験者全体の方でありまして,受験者及び予備軍の人たち全般につき,先ほどから申し上げておりますような傾向がより一般化し,常態化するとすれば,仮にその中からの選別が相対的にはうまくいったとしても,その結果生み出される法曹全体の質的な劣化というものは,極めて深刻なものとなっていくことが懸念されるわけであります。

 正規の法学教育を受けたことを要件とせず,一発勝負の司法試験のみで法曹資格者を選別する現在のシステムを維持する限り,その試験の内容や方法だけを幾ら変えてみましても,また,合格者の数を何らかの程度増やしましても,問題は基本的には解決しないと言わなければなりません。むしろ,そのシステム自体を改めまして,司法試験に先立つ過程において,選別の母体となる法曹志望者たちに適切な教育を施すことによって,全体を質的に向上させていくことこそが,まず何よりも必要とされるのではないか。そして,法曹資格者の選別方法も,そのような先行する教育課程を前提とし,それと有機的に結び付く形に再編成していくのがあるべき方向ではないか。そのように思われるわけです。最近の改革論議において,盛んに強調される「プロセス」としての法曹養成ないし選別というのも,まさに,そのようなアイデアに立つものと言えます。

 お手元のレジュメに「考え得る反論」というのを書いてあるのですが,そこのところは時間の関係で飛ばしまして,「改革の諸方策」というところに移っていきたいと思います。

 それでは,そういう法曹適格の認定に先行する充実した教育のプロセスを整備するためには,どういう方策が考えられるのか,というのが次の問題であります。

 この役割を,先ほど言いましたように,仮に大学に期待するとした場合に,まず頭に浮かびますのは,既存の法学部において法曹養成に特化した教育を行わせるということだろうと思います。

 資料11の75ページですけれども,その最初の表に示されていますように,現在,我が国には国公私立合わせて93の法学部が置かれておりまして,1学年約4万7,000人の学生を擁しております。

 しかし,これらの法学部におきましては,従来,法曹養成のみを特に目標にするということではなく,むしろ一般に,一定の法的素養を身に付けた社会人,そういう意味で「ジェネラリスト」などと呼ばれていますが,そういうジェネラリストを育てることを教育目標にしていると考えられてきました。

 実際,資料11の78ページのグラフですが,これは法学部を卒業した人がどういう進路に進んでいるかということを表したものですけれども,法学部の卒業生で法曹となるもの,「法務関係」と書いてあるのがそれですが,ごくごく一部,その表の数字ですと0.5%くらいでありまして,ほとんどは企業や官庁などに就職していることがお分かりだと思います。そして,このように一定の法的素養を備えた者を幅広く社会に送り出すということは,それ自体として,重要な意義を有してきたのではないかと思われるわけです。そういうわけで,我が国の法学部の多くにおいては,大多数の学生のことを考えますと,法曹養成のみに特化した教育を行うことは困難なところがあります。

 実際的に見ましても,学部の4年間だけで法曹となるために望ましい教育が十分できるかということには疑問があります。旧制の大学制度のころは,高等学校で3年間,教養を学んできまして,大学では3年間,もっぱら法律を勉強したわけですが,現在の制度では学部4年間のうち,かなりの時間は一般教養を学ぶことに当てられております。専門の法律を学ぶのはネットでおそらく2年から2年半,多いところでも3年足らずだと思いますが,他方専門科目が戦前に比べてますます多くなってきておりますために,カリキュラムが過密化し,学生が消化不良を起こしているということがかなり前から問題になっているくらいであります。

 しかも,教養課程と専門課程との区別が緩められ,一般教養科目の位置づけが極めて不明確になっておりまして,学生の方でも教養科目離れの傾向があると言われる状況であります。法律専門科目にこれ以上傾斜した教育を行いますと,大学時代に幅広い教養を身に付けさせるという機能をますます失う結果となるおそれがあるように思われるのです。

 そういうわけで,法曹養成のための十分な教育を行うためには,学部の課程だけでは不十分だということになりますと,その上に大学院の修士レベルの教育課程を積み重ねる,あるいは,法曹養成に特化した専門教育は学部とは別に大学院レベルでこそ行うべきだといった発想が出てくることになります。それが,いわゆるロースクール構想,あるいは法科大学院構想と呼ばれているものであります。

 我が国にもアメリカ的なロースクールを導入しようというアイデアというものは,以前にもなかったわけではありませんけれども,この点を巡る最近の議論のさきがけとなったのは,柳田幸男弁護士が平成10年2月に発表した論文であったと言えます。

 柳田弁護士はハーバード大学のロースクールで客員教授として教鞭を取られるなど,アメリカの法曹教育の実情に通じた方ですが,そのアメリカの法曹養成制度と比較をしまして,我が国の法曹養成制度には問題がある。学部段階で一般教養を十分身に付けさせていないし,法律専門教育というものも不十分であるということなのですが,そういうことから,アメリカの法曹養成制度にならって,我が国でも,これまでの法学部というのはむしろ一般教養教育を行う場にすべきであり,その後に法学専門教育を行う機関として,大学院の修士レベルにアメリカ式のロースクールを設けるべきだ。こういう提案をされたのであります。

 これに対して,大学サイドの方から対案を示したのが,京都大学の田中成明教授でした。田中教授も,先ほど述べましたような我が国の問題状況というものを非常に憂慮されまして,これを解決するためには,大学院レベルで広い意味での法曹養成,狭い意味での法曹だけではなくて,公務員ですとか,企業法務の方ですとかを含んだ意味なのですが,そういう広い意味での法曹養成に特化した教育を行うことを考えるべきだと説かれました。しかし,同時に,法学部がこれまで行ってきたジェネラリストの養成ということもなお必要であるから,法学部はむしろ法学や政治学を中心とする高度教養教育,これは専門に傾いた教養教育だということだと思うのですが,そういうものとして存置する。それとともに,その法学部の中に3年生,あるいは4年生から法曹養成を目的とするコースを設けて,3年を修了した時点で大学院に進学できる,「飛び級」と呼んでいますが,そういう制度。3年が終わったところで成績が優秀な人は,4年をやらないでいきなり大学院に入れるという制度ですが,そういう飛び級制度を利用するなどしまして,学部の法曹コースと大学院修士課程とを連結した形で,ほぼ3年の一貫教育を行う。そういう方式を採るべきだと主張されたのです。

 こういうふうに大学サイドからの構想が登場した背景には,もう一つ,一連の大学改革,特に大学院改革の流れというものが存在しました。

 すなわち,従来の大学院というのは,御承知のように,研究者の養成というものを専らの目的としてきたわけですが,近時,昭和60年代の最初のころからですが,産業技術の高度化などに伴う社会のニーズということもあり,専門職業人の養成を目的とする大学院研究科の設置が認められるようになりまして,法学部関係でも平成3年以降,大学院重点化の一環として,専門職業人の養成や再教育をねらいとする「専修コース」と呼ばれるコースが,幾つかの大学院修士課程に設置されました。

 ただ,この専修コースも欧米のプロフェッショナルスクール,ロースクールとかビジネススクールといったものに匹敵するほど徹底したものではありませんでしたので,文部省の大学審議会は,平成10年10月に新たに答申を出しまして,更に一歩進めて,「高度専門職業人の養成に特化した実践的教育を行う大学院」の設置を促進することを提言したのであります。資料14の85ページ以下にその概要が書かれております。

 その中で,特に86ページを御覧いただきたいのですが,それは提言の中身を抜き出したものですけれども,下から4番目の段落に,この「高度専門職業人の養成に特化した大学院修士課程は,…,法律実務〔等々〕の分野において,その設置が期待される。」また,これについては,下から2番目の段落ですけれども,法曹資格制度とも関連して,「今後,法曹養成のための専門教育の課程を修了した者に法曹への道が円滑に開ける仕組み(例えばロースクール構想など)について広く関係者の間で検討していく必要がある。」そういう見解を明らかにしたのであります。

 これを受けまして,文部省では,平成11年の9月に大学院設置基準というものを改正しました。次の資料15の87ページにその概要が示されておりますけれども,ここでの問題に関連するところだけ抜き出してみますと,①専門大学院というものを設けることができる,②この専門大学院はその設置の趣旨から見て,教員と学生との比率を従来の半分くらいにすべきである,また,③実務経験者を相当割合含む専任の教員組織を有しなければならない。そういったことを骨格とする新たな設置基準を定めたのであります。

 この専門大学院の制度は,差し当たりはビジネススクールなどを中心にして実施に移され,法曹養成との関係では,司法制度改革の行方を見守る必要もあるので,この基準をそのまま用いることにするかどうかはオープンだということでありますし,後で触れますように,その具体的な要件が,現実的に見て,法科大学院構想の実現に適するものかどうかは疑問とする余地もありますけれど,少なくとも現行の大学院制度の中では,法科大学院構想に性質上最も親和的な制度枠組みであるということは確かだろうと思われます。

 資料16の89ページですが,そこにありますように,文部省ではまた,特に法曹養成問題との関係で,大学関係者からなる「法学教育の在り方に関する調査研究協力者会議」というものを設けて,この問題につき議論を重ねてきているということであります。

 他方,司法制度改革の文脈の中でも,今の大学審議会の答申に少し先立って,自由民主党の司法制度調査会や経済団体連合会などが,法曹養成を目的とするロースクールの設置を検討すべきだということを提言しておりましたので,それらとも相呼応しまして,この大学審議会の答申は,大学関係者の間で法科大学院構想についての議論を一気に呼び起こすと言いますか,巻き起こす呼び水となったと言えます。

 そして,私どもの審議会が設置されたということが,法曹関係者をも加えまして,その構想を巡る議論を加速させる原因になったことは言うまでもありません。

 このようにしまして,昨年の7月ごろから数多くの国立大学法学部や弁護士会,そして,今年に入ってからは幾つかの私立大学法学部が,次々とこの問題についてのシンポジウムやそれに類する会合を開いてまいりました。

 資料17の表は,事務局の方の力作ですので,是非後でじっくり御覧いただきたいと思いますが,そういうシンポジウムなどにおいて示された法科大学院についてのもろもろの提案を,事務局において承知している限りの範囲で集めまして,それと議論の火付け役であった柳田弁護士と田中教授の提案も含めて,その内容を主要な事項ごとに整理したものです。その原本はここに積んである分厚いファイル二つです。それぞれの案の細部につき御関心のある方はいつでも御覧いただきたいと思いますが,これ以外にも様々な意見がありますし,ここに集めましたものも,そのほとんどがまだワーキンググループとか,委員会といったレベルの案でありまして,しかも差し当たりの案とか中間報告という注記が付いている性格のものであることに,御留意いただきたいと思います。

 その表をざっと御覧いただいても,各案の内容というのは,かなり多様でありまして,非常に混沌としているように見えるのですけれども,細部を別にして,最もキーポイントになる二つの事項を軸にして整理してみますと,幾つかの型に分けることができることが分かります。それをイメージ図で示したのが資料18であります。

 各案の多くを分ける最も基本的な点は,学部と法科大学院との関係をどのようなものとして設定するかということであります。その点を軸として幾つかの代表的な案を配列してみたのが,真ん中のところに点線で囲んで現行と書いてある部分,これは現行制度をイメージしたものですけれども,その現行のイメージ図の左側,A~Dでありまして,学部と法科大学院との関係をどのように設定するかという点でのバリエーションです。左側に行くにしたがって,法学部との結び付きが弱く,逆に右側に行くにしたがって,結び付きが強固になる,そういうイメージです。

 Aに当たりますのは,先ほど触れました柳田弁護士の当初の案です。当初と言いますのは,その後,柳田さんもかなり考え方を修正されておられるからですが,一番最初にお示しになった案がこれであります。法学部は教養学部化する。それで実線が破線になっているわけです。そして,法律の専門教育は専らロースクール,法科大学院で行う。こういうものです。

 その対極にあるのが,先ほどの田中教授の,これも当初の案。田中教授もその後お考えがかなり変わっているのですが,最も初期の案でありまして,法学部の一部と法科大学院とを連結して一貫した法曹養成を行う。これがDであります。上とくっついているということで,法学部の一部をちょっと切り離して書いてみたものです。

 その隣のCは,法学部の課程は一応それとして完結させる。ここで学士号を出すというわけですが,しかし,法学部の一部に法曹コースというものを設けまして,実質的には法科大学院と一貫した教育を行うという考え方によるものでして,例えば東京大学の案ですとか,早稲田大学の案がこれに属します。

 これに対してBというのは,更に法学部での教育の完結度の高いものでして,そこで一応完結する。ただ,そこに法曹コースというものは設け,そこで基本的な科目を履修してきた者については,法科大学院の方でそれを前提にした取扱いをする。こういうアイデアでして,例えば神戸大学の案がこれに当たるだろうと思われます。

 この四つの型のうちAの型につきましては,前に申しましたような,法曹以外の道に進む大多数の学部学生にも一定の法学教育をすることが必要かつ有意義であるといったことや,法曹養成の前提とするためだけに4年間主たる専攻分野もなく一般教養ばかり教える学部というものは考えにくいということから,大学サイドからは支持を集めておりません。

 ただ,我が国の司法試験受験者ないしその予備軍の人たちに,基礎的な一般教養が不足しているということは無視し難い事実でありますので,学部の段階でこれをできるだけ補完することを考える必要があることは,柳田弁護士が指摘されるとおりでありまして,その意味で,Aの型を取らない場合も,法学部における一般教養科目の在り方等につき,突っ込んだ検討が必要となることは間違いないだろうと思います。

 また,Dの型は,飛び級を利用するということですが,飛び級というのは,特別に優秀な人が4年間かけないでも大学院に進学できるという制度であり,本来例外的な制度であるはずなのに,それが通常のルートになってしまう。これは適切ではないのではないかということや,そういうものを法学部の中に設けますと,それ以外の学生との間ではっきりとした格差が付いてしまいますので,望ましくないのでないかといったことから,この案に対しても,一般に抵抗感が強いように思われます。

 そういうわけで,各大学の案は,基本的にBかCかのいずれかの型に属し,あるいはそれに近いと言えるように思われます。ただ,いずれの型も,多かれ少なかれ,法学部と法科大学院との教育の一貫性ないし連続性ということは意識しながら制度設計をしておりまして,その意味では,Dの型と全く性質が異なるというものではありません。

 それでは,BとCなのですけれども,何でこのように分かれるのか,同じようなものではないかというふうに思われるかもしれません。私も最初はどうしてだろうと思ったのですが,考えてみますと,これはおそらくそれぞれの法学部の規模とか学生の間の法曹志望者の割合,司法試験でのこれまでの実績,所在地,その他各大学ごとの事情によっているのではないかというふうに推測されます。

 つまり,大規模で,司法試験受験者や合格者も多いというところでは,やはりその人たちを対象に学部の段階から一貫して法曹養成教育を行おうという考え方に傾く。これに対して,規模がそれほど大きくなく,あるいは東京圏ですとか関西といったところ以外の地域に所在し,司法試験受験者も合格者も少数であるというところになりますと,法学部の段階でその少数の者のためだけに余りに特化した教育を行うのは適当でない。また,仮に法科大学院を営んでいくことになった場合も,他の大学からも学生を集めるか,他の大学と連合や連携する必要が強いので,特定の法学部で特別のコースを取ったことを前提にして法科大学院の教育というものを組み立てると,うまくいかないと考えられる。そういうことから,法科大学院の独立性を高くしようとする。そのような傾向になる。

 そういうことではないかというふうに思われるのですが,こういう違いに応じまして,例えば法科大学院の入学者というものも,Cの型では,自分のところの法学部から進学してくる者が主となる。これに対して,Bの型では,よりオープンなものになる。また,Cの型では,法科大学院に来る学生の多くは,法学部で相当程度の法学教育を受けてきたということが前提となりますので,法科大学院の教育内容というものも,それを更に深めたり,より先端的な科目を教えたりすることになる。修業期間も2年くらいで足りるとされるわけです。これに対して,Bの型では,法学部で相当程度の教育を受けてきたということを制度としては前提にしないということですので,基本的な教育から始めるということで,3年が原則となる。そういう違いがおそらく出てきているのではないかと思います。

 もっとも,より中身に立ち入ってみますと,Cの型の案でも,多かれ少なかれ他大学や他学部の出身者などの受入れを認め,特に他学部出身者など基礎的な法学教育を受けていない人には,修学期間を1年程度付加して,まず基礎的な法律科目から始めてもらうということを提案しております。反対に,Bの型の案でも,法学部でしかるべき基礎的な法律科目を勉強してきている人は,法科大学院における基礎科目を履修する必要はなく,1年短縮して修了するということを認める。こういうふうにしているわけです。

 したがって,どちらを出発点にするか,どちらを原則にするかの違いはあれ,法学部でそれなりの基礎的な法学教育を受けた人は2年,それ以外の人は3年とするという点で,実質的には,意見がほぼ一致していると言っていいように思われます。

 ただ,C型の案の方が,自分のところの学生を受け入れるということを主に考えているものですから,これが後で出てきます法科大学院の修了を司法試験の受験資格とするという制度を仮に取るとしまして,その制度を前提として,自分のところの出身者を不当に優先して受け入れるというものであるとするならば,一部有名校の身勝手過ぎる考え方だ,あるいは大学に入るときの受験エリートにそのまま優先して法曹となる切符を与えるのに等しい。そういうことになると,特定法学部への入学競争を一層あおることになって,結局司法試験に向けられている異常な受験戦争を前倒しするにすぎないことになる。そういった批判をおそらく受けることになるだろうと思われます。

 したがって,自学部の学生が多く法科大学院へ進むことが見込まれる場合,両者を一貫した教育を考えるというのは現実的でもあり,また,教育上も効率的だとは言えると思いますけれども,この型によって制度設計する場合には,一番重要な課題になるのは,自分の学部出身者以外の人に入学の機会とその後の教育の公平性をどのようにして保障するかということではないかと思われるわけです。

 各案の基本枠組みを分けるもう一つの軸は,司法修習ないし実務修習との関係ということです。

 この点でも,当初の柳田弁護士案のように,法科大学院に実務家が多数参加すれば,その中で実務修習に相当するようなこともできるはずだから,司法試験合格後はもう司法修習を必要としない。直ちに実務に出してよいといった考え方もあったのですが,最近の各大学案のほとんどは,法科大学院においては,実務への架け橋として,実際的,あるいは実践的な科目を提供するのはもちろんだけれども,現在,司法修習として行っていることの大部分,あるいは少なくとも実務修習というものは,司法研修所で行ってもらおうという考え方を取っております。

 実務法曹を育てるためには,先ほども言いましたが,実務上蓄積されてきた一定の専門的知識や技能,技術というものを伝授する,あるいは実務家としての心構えを実地に即して身に付けさせていくということが必要なわけですが,それを大学で行うのは,現実的に見て無理であり,また,事柄の性質上ふさわしいとも思えないということを理由とするものです。

 一方,資料18の図の右の方のEとFですけれども,これは一部の弁護士会の案をイメージ化したものであります。日弁連としては,まだ組織としての意見を明らかにしておりませんので,これらの考え方が弁護士会全体の考え方になるのかどうかは分かりませんけれども,一応それによってみますと,いずれの案も法科大学院での教育とは別に,実務に就く前に一定の修習,あるいは研修というものを受けることは必要だというふうにしております。

 しかし,Fの型,これは第二東京弁護士会の案ですけれども,その研修を司法研修所を拠点にする現行の司法修習制度によらずに,司法試験に合格した者は全員「研修弁護士」として,弁護士事務所で一定期間研修を積んだ上で,それぞれの道に進むという形に改めることを提案しております。その理由は,現在の司法修習制度は,司法官僚による法曹養成制度にほかならず,起案などの技術的訓練に偏り,要件事実教育などによる現行実務追認の教育にすぎないということが1点。また,法曹養成の責任主体を最高裁から弁護士会へと転換し,一定の弁護士経験を裁判官,検察官の任官の要件とすることは,法曹一元の実現への重要なステップとなる。この2点が主な理由であります。

 これに対して,同じく弁護士会の案なのですけれども,Eの型は,最高裁が管轄運営する現在の司法研修所は,法曹一元の実現を目指す法曹実務教育機関としてはふさわしくない。また,司法研修所が裁判官,検察官へのリクルートの機能を営んできたという意味で,官僚制の維持に事実上貢献してきたこと,あるいは現行実務への批判的視点に欠けるということを考えると,司法研修所は,法曹三者と大学関係者の共同管理の下に移すことが必要である。しかし,少なくとも現場で行っている実務修習自体は重要な意義を有しているので,基本的に維持すべきだとするのです。これは,東京弁護士会や大阪弁護士会の案であります。

 これらの理由のうち,法曹一元との関係という,やや理念的な問題につきましては,その法曹一元ということ自体について,私どもとしてまだ検討を行っていない現段階では,留保しておかざるを得ませんけれども,実務修習との関係について申しますと,進路が未確定の修習生の段階で裁判,検察,弁護,それぞれの仕事のやり方を内部に入って体験できるということは,修習生個々人にとって自分に適した職種を見つける上で有用であるばかりか,それぞれの職種に就いた後の職務遂行や,他の職種の実務家との連携ですとか,交渉を行っていく上で重要な意味を持っているように思われますので,仮に弁護士会の立場に立ったとしても,なくしてしまうのが得策かどうかは疑問とする余地があるように思われます。

 さらに司法研修所で行われている集合教育につきましても,先ほどの第二東京弁護士会案が示すような基本認識に対しては,ほかならぬ司法研修所の弁護教官の間から,「司法研修所での実務教育の実情を正しく理解,評価せず,その積極的意義を無視した余りにも独善的で偏狭な議論だ」という強い反論が出されております。その理由は,限られた時間の範囲内で実務家として最低限必要な訴訟実務におけるごく基本的な技能の教育訓練を行うことこそが,司法研修所の役目である。起案や要件事実教育なども単なる技術訓練や現状追認思考の刷り込みにとどまるものではなく,弁護士にとっても重要な分析的思考力の涵養に役立っている。また,教育内容の決定やその実施については,弁護教官も裁判教官や検察教官とは独立かつ対等の立場でこれに当たっている。三者の協働による共通科目なども,複眼的な物の見方を教えるのに有効な働きをしている。こういった理由であります。

 私なども司法研修所のことを日ごろ多少見聞きしている者として,この見方に共感を覚えるところがありますけれども,いずれにしろこのように弁護士会の内部でも意見が分かれている状況でもあり,司法修習の在り方につきましては,なお慎重な検討が必要だろうと思われます。

 また,司法修習ないし実務修習の期間について,法科大学院構想の諸案では,1年とするものが多いのですけれども,この点は法科大学院との役割分担をどうするかの検討を踏まえて,それとの関係で考えていくべき問題ではないかと思われます。

 大分時間が経ってしまいましたが,以下,その法科大学院構想の内容にもう少し立ち入ってみたいと思います。ただ,細部まで御紹介することは到底不可能ですし,また,当面の審議との関係でも必要とは思えませんので,最もその中核となる三つの点,つまり法科大学院の中身と,そこへの入り口である入学者選抜の在り方,そして出口である司法試験との関係,この三つの点に絞って,ごく簡単に紹介させていただきたいと思います。

 まず中身の方の法科大学院の教育の対象なのですけれども,これからの法化が進む社会では,様々な部門で高度の法的素養を身に付けた人がますます必要になってくるという認識から,狭い意味での法曹となるものに限らず,公務員や企業法務に進む人などを含め,幅広い層を想定すべきだという考え方も有力であります。

 他方,最初からそこまで対象ないし目標を広げて制度設計しますと,最も肝心の狭義の法曹養成という点から見た場合,かえってカリキュラムの内容や構成などがあいまいなものになってしまわないかという疑問もあります。

 また,司法書士や弁理士,税理士等のいわゆる隣接業種にもつながるものとして制度設計すべきだという意見も少なくありませんけれども,この点は,それらの隣接業種と弁護士との職務権限の区分をどうするか,それらの職種にも一定の条件や範囲で訴訟代理権等を与えるのかどうかといった問題とも連関するところがありますので,その問題についての検討を踏まえて考えていくべきであるように思われます。

 次に,何年法科大学院で学ぶのかということなのですが,これにつきましては,先ほど言いましたように,実質的にみて,法学部でしかるべき法律科目を履修済みの者は2年,他学部出身者など,それ以外の者は3年という線で,大方の意見は一致しております。

 ただ,司法試験というのは現在秋に行われているのですけれども,同じように毎年秋に実施されるとしますと,もし2年制を取った場合には,法科大学院でわずか1年半,夏休みくらいまでしか勉強しないで受験をすることになるわけですが,それで果たして「プロセスとしての養成」の実を備えていると言えるかどうかということが問題とはなるかもしれません。

 次に,教科内容,教育方法ですけれども,多くの案は,大きく分けまして,法律科目,実際的ないし実務的科目,法曹倫理,それと文書作成技能や法令判例等の検索技能を訓練するコース,大まかに分けますとこの4種類くらいの授業を行うということを提案している点でほぼ共通しております。これに周辺諸科学,経済学ですとか社会学ですとか,理数系の科目ですとか,そういうものも選択的に教えるということを提案するものもあります。

 資料17の先ほどの一覧表のカリキュラムというところの項を御覧いただくと,そこでは要点だけを書いてありますけれども,原資料の方を当たってみますと,具体的な教科の内容とか構成というのはかなりばらつきがあるわけですが,一般的に言いますと,法科大学院の修了を仮に司法試験受験の要件とするということになりますと,ばらばらでは困るわけですので,各法科大学院のカリキュラムは一定の共通基準を充たしていることが必要になる。そういうことから,少なくともコアの部分では統一を図る必要がある。その上で各法科大学院ごとの教育理念ないし方針,あるいは創意と工夫に応じて様々な科目を用意していけばよい。これが大方の意見であるように思われます。

 次に実際的ないし実務的科目につきましても,その内容にはかなりのばらつきがあるようです。この点も,ただ単に実務家ないし実務経験者の手による,あるいはその協力による授業というのを並べておけばよいというわけではおそらくないでしょうから,司法修習との役割分担をどのように考えるかという点をも踏まえて,どういう理念ないし目標に立って,どういう実際的な授業,実務的な授業を用意すべきかということを検討していく必要があるのではないかと思われます。

 教育の方法については,ほとんどの案が,少人数での授業とか演習を中心にするということや,教師と学生との問答,対話形式で授業を進めていく,これは「ソクラティック・メソッド」というふうに呼んでおり,判例を使ったケース・メソッドもその一種なんですけれども,そういうものの採用を提案しています。

 いずれにせよ,教育の内容とか方法というのは,法科大学院の真価を決定する,おそらく最重要事項でありますので,今後更に十分な検討が加えられる必要があるのではないかと思われます。

 法科大学院の教員の点ですが,そこでの法曹教育を実効あるものとするためには,責任を持って大学院の運営を行えるような専任の教員団というものを中核として,その教育目標に沿った十分な種類・数の科目を提供でき,かつ,先ほど言いましたような少人数教育など密度の濃い教育を行えるだけの数の,適格を有する教員がいるということがおそらく不可欠だろうと思われます。

 この点で,先ほど触れました文部省の専門大学院についての設置基準では,専任教員の対学生比を通常の大学院の半分,これは1対10と言われていますが,そのくらいにする。しかも,その相当割合,これも30%くらいと言われていますが,そのくらい実務経験者で占める必要があるということを定めていますが,これに対しては,特に私立大学の関係者の間から,それだけの専任教員を備えるのは経営上困難であり,実現可能性に乏しいという声も上がっております。また,実務家ないし実務経験者につきましても,だれでもいいというわけにはいきませんで,教育を行うだけの適格があり,かつ,専任となってもらえる実務家等を相当数集めるというのは,現実的に見て無理かもしれません。

 ただ,この点も,先ほど触れましたように,仮に法科大学院の制度を採用するとしても,その専門大学院の設置基準によることになるかどうかはオープンの問題だということでありますので,まずは,法科大学院設置の趣旨を実現するためにはどのような規模や構成の教員組織が必要かという観点から,最適の条件を明らかにしていくということが先決ではないかというふうに思われます。

 次に設置形態,設置数,設置認可の在り方等につきましては,資料17の93ページ以下の一覧表の一番下の項を横にずっと御覧いただきますと分かりますように,幾つかの案では,法曹人口増を見越して,1年の司法試験合格者を仮に1,500名とか2,000名,あるいは3,000名というふうに設定しまして,法科大学院の修了者の7割か8割は司法試験に合格する試験とならないといけないということから逆算しまして,全国の法科大学院全体の学生数はどれだけであり,それを1校当たりの学生数を100名とか200名で割りますと,法科大学院の数は10から20,あるいは30校程度になる。こういうことが言われております。一種の皮算用ですけれども,しかし,こういう計算で人為的に設置数を限定してかかることが本当に適切かということは,疑問とする余地があるように思われますし,実際的に見ても,どのようにしてその何十校かを選ぶのかは,極めて困難な問題ではないかと思われるのです。

 これに対して,法科大学院の修了を司法試験の受験資格にするためには,その前提として,それにふさわしい教育が行われていることを担保するだけの最低の条件を充たしていることが確認される必要があるけれども,それを実質的に充たしている限りは,設置を認めるべきだ。最低基準は定めるのだけれども,それに合致していて,やる気があるところであれば認めるべきだ。こういう考え方も有力です。

 この点につきましては,資料19の101ページ以下にアメリカのやり方が書かれていますけれども,前にも出てきましたアメリカ法曹協会(AmericanBarAssociation)の審査機関がかなり詳細な基準をつくりまして,その資料の何枚目かに概要が示されていますが,そのような詳細な基準をつくりまして,定期的に監査を実施する。実際に行ってみて,かなり厳しい監査を実施しまして,各ロースクールがその基準に合っているかどうかということを調べまして,合っていれば認定するということを継続的に行っております。これは任意団体なのですけれども,その権威が全国的に認められておりまして,かなり多くの州では,このABAの認定のあるロースクールの修了者でなければ法曹資格認定試験の受験資格を認めないという制度を取っているのです。

 こういうやり方も考えられるわけですが,それでも実際問題として,用意できる教員数や,進学が見込まれる学生数に限りがある,あるいは経営上の問題などから,実力はあるのだけれども,単独ではその基準を満たすことが困難な大学も多いという声もあります。そのことからしますと,複数の大学が連合,提携,ないしは連携,いろんな言葉が使われていますけれど,何らかの形で協力し合うことによって法科大学院を設置するということも可能にするような制度枠組みを考えるということもおそらく必要となるのではないかと思われます。さらに,前回の中坊委員の御報告でも指摘がありましたように,適正な地域配置ということも考えなければならない点だろうと思われます。

 次に入学者選抜の方法ということなのですが,プロセスとしての養成という趣旨をここでも活かすとしますと,一発勝負的なペーパーテストではなくて,学部での成績や履修の成果がどの程度身に付いているかといった点を重視した選抜の仕方になるでしょう。

 他方,特に自分のところの法学部に法曹コースのような特別のコースを設けて,法科大学院と連携して一貫した法曹教育を行おうとするようなところでは,自分のところ以外の人にも公平な入学の機会をどのようにして担保するかということが重要な課題となるわけです。

 その点から,資料の112ページに概要が説明されていますようなアメリカのLSAT,「エルサット」と呼ばれ,LawSchoolAdmissionTestの略ですけれど,そういったような全国統一テストを実施すべきだという意見もあります。

 ただ,このLSATというのは,法律の試験ではなくて,論理的な分析力とか数理的能力,あるいは表現力などを計るテストであるわけですが,我が国の場合には,全国統一テストと言っても,少なくとも法学部出身者に対しては,学部での法学教育の成果を問うものとなるでしょうから,下手をすると,今の司法試験について生じているような受験戦争を引き起こしかねないというところがあります。また,どのような学生を集めるかというのは,実はそれぞれの教育機関の教育理念や方針というものに密接に関係することでありますので,やはりそれぞれの自主的な判断に委ねるべきではないかという考え方も有力にあります。

 アメリカのロースクールの場合も,先ほどのLSATの成績だけによるのではなくて,それぞれのロースクールごとに入学者選抜専門のセクションを設けまして,これを一般に"admissionoffice"と呼んでいますが,そこで長年積み重ねられたノウハウを基にしまして,学部での成績とか,いろいろな活動歴等,バックグラウンドを独自の基準によって総合的に評価する。その上で入学者の決定を行っています。そういうことから我が国でも統一テストとこのアドミッション・オフィス方式とを併用すべきだという意見も有力であります。

 もう一つ考えないといけないのは,法律学以外の分野を学んだ人を始め,多様なバックグラウンドを持つ人材を受け入れて,法曹界に送り出すということの意義も,これからはますます大きくなってきている。また,前に触れましたような苦学力行型の人に入学の機会を公平に保障する。そういう意味でも法学部出身者以外の人の入学選抜をどうするかということも重要な課題だと思われます。

 もう一つ重要な点は,司法試験との関係なのですけれども,初めの方でも申しましたように,今回の法曹養成制度の改革は,一発勝負的な司法試験を中核とするシステムの在り方を改め,司法試験前の教育を重視する。そして,これと司法試験とを有機的に結び付けて,プロセスとして法曹を養成ないし選別していく。そういうところに主眼があるわけですから,法科大学院の教育内容,方法等がどのようなものになるのかということを踏まえまして,それに対応した司法試験の在り方についても,十分な検討がなされる必要があるだろうと思われます。

 当初の案には,法科大学院の修了者には,司法試験の一部を免除するなどの扱いをすべきだとするものもあったのですが,最近の案では,法科大学院の修了を受験資格とする新たな司法試験を導入する。そして,将来的には,これに一本化していくべきだとする考え方を取るものが多くなっております。

 同時に,一般の方々の間には,現行の司法試験のオープンな性格の利点,これは最初に申しましたが,そういう利点も軽視すべきではないという声も決して少なくないように見受けられますので,この点については慎重な考慮が必要とされるように思われます。

 また,いつか竹下代理から御指摘がありましたように,法科大学院を出たものの司法試験に受からなかった人たちがどんどん滞留していくということになりますと,いずれは現在のような受験戦争的な状況がまた再現されるということにもなりかねませんので,そうならないようにするにはどういう措置を取るべきかについても検討が必要だろうと思われます。

 さらに,現在までに出されている案では,法科大学院の教育を前提にした新たな司法試験として,具体的にどのような方式,内容のものが考えられるかが,なお明確ではありません。この点は,大学サイドだけでは決められない問題でもありますので,大学関係者と法曹三者の意見をも踏まえて,あるべき司法試験の方法や内容を検討していくということが必要だろうと思われます。

 あと,継続教育の問題が残っておりますが,これは後で私の報告の基になったペーパーを配っていただくことにしていますので,そちらに譲りまして,最後に2点だけ,あえて申しておきたいことがあります。もう数分,御辛抱いただきたいと思います。

 一つは,以上申しましたような法科大学院構想というものを安易に考えてはいけないだろうということであります。以上の報告中のいろんなところでも触れましたけれども,特に大学サイドの構想に対しては,大学側の身勝手な考え方であるとか,生き残りのための方便ではないかといった見方や,これまで何もしてこなかった,あるいはできなかったのに,うたい文句のとおり本当にできるのかといった声も耳にするところであります。

 そういう人はいないというふうに信じたいのですけれども,大学の方で今までの延長で比較的手軽にできるとお考えの人がもしいるならば,それは大変な間違いだろうと思います。報告の中でも言及しましたように,これだけの制度や組織を立ち上げるというわけですから,教員の面でも教育内容や方法の面でも,また,その他の人的,物的な面でも相当の労力や時間,資金を投入しなければできないことであります。しかも,これからの社会で国民のために役立つ仕事ができるだけの資質と能力を備えた法曹を養成するという大変な役目を大学が中心になって担うのですから,その責任は極めて重く,余程の覚悟がなければ引き受けられないことではないか。それが成功するかどうかは,社会から厳しく見守られることになりますから,まさに大学の浮沈をかけた闘いになると思われるのです。

 もう一つは,こういう大事業であるわけですから,国においても,この改革を意味あるものとして実現するためには,私立大学への助成や奨学金制度の整備などを始め,相当程度の公財政支出による強力でかつ息の長いサポートをしていただく必要があるように思います。昨年のヒアリングの際の藤倉教授のお言葉をお借りすれば,決して「安上がり」な改革としてはならないと思われるのです。

 そのことを申し添えまして,くだくだと長くお話ししましたけれど,私のつたない報告を終わらせていただきます。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。全体にわたりまして,非常に綿密な分析をしていただき,大変ありがとうございます。

【井上委員】早口で申し訳ございません。

【佐藤会長】会は12時終了を予定しておるのですが,お疲れのこともありましょうから休憩しましょう。25分に再開したいと思います。

(休憩)

【佐藤会長】それでは,時間もまいりましたので,再開させていただきます。
 先ほど井上委員の報告の最後に言われた2点は,私も非常に大事な点かと思っておりまして,これをやるとなると,大学人は相当な意識改革をやらなければならないのではないか。今までの大学は研究中心にやってきたのですけれども,その行き着いた先が現状だということであって,教育ということに本当に力を入れる意識を持たないと,この改革はうまくいかないと思っております。それには相当な覚悟が必要である。弁護士ないし弁護士会は自ら身を切らなければいけないということですけれども,大学人も身を切る覚悟でないとできる話ではないと思っています。時間も余りございませんけれども,井上委員の報告について,御質問ないし御意見をちょうだいしたいと思います。

【北村委員】非常に分かりやすくて,いい報告を聞かせていただきまして,ありがとうございました。

 一つ,要望なんですけれども,終わってから,この制度改革の課題が配られたんですね。聞いていて,四つあってとかいうのは非常に分かりにくかった部分がありまして,今配られるんでしたら,前に配っていただければ,もっと分かりやすかったと思いました。

【井上委員】予め配りますと,みなさん活字だけを追われて,私の話を聞いていただけなくなると考えて後にしたのですが,申し訳ありません。

【北村委員】やはり,耳と目と両方でないと分かりにくい部分というのがあります。これは私だけなのかもしれませんけれども。

【佐藤会長】会の運営上心しておきます。

【北村委員】質問というか,今日の御報告の中で,法科大学院の場合に学部教育との関連というのが一つ非常に大きな問題として存在するかと思うんです。これによっては,今の,特に私立大学になってくるんですが,私も前々から申し上げていますように,私立大学法学部というものがどのように形を変えていくのか。あるいはもう存在しなくなってしまう可能性だって出てくる場合がありますね。今の図がありましたけれども,何ページでしたか。

【井上委員】99ページ,資料18です。

【北村委員】ここのところの神戸大学案,東京大学案のBとCというところのものが一つ出てきたかと思うんですけれども,私は法学部という学部から法科大学院に行くという道も勿論あると思いますが,それ以外の学部から法科大学院に行く道というのもやはり考えておく必要があるんじゃないかなと思っているんです。そのときに,例えばBもCも両方受け入れる余地があるんでしょうけれども,そのときに法科大学院の年数が,片一方が3年になって,片一方の場合には2年になるというような案が今出ているという御説明だったかと思うんですが,学部教育との関連で考えていきますと,先生も御指摘のように,法科大学院に入るための試験というのが,また非常に厳しいものになると思うんですが,それを避けるためにどういうふうな形を取ればいいのか。現在先生が考えておられることはあるんでしょうか。

【井上委員】確かに,その点は一つのキーポイントでして,いずれの案でもそういう道は開いております。ただ,これには二つの問題がありまして,一つは,他の法学部から入ってくる人との公平性の問題,もう一つは,法律を学んでこなかった人とのバランスの問題です。先ほど共通テストという案が出ていると申しましたのは,このうち主に他の法学部から入ってくる人との公平性の問題なのです。そして,それについては法律の共通テストをするという案が有力なのですけれども,反面,これですと,また受験戦争になるのではないか,予備校ができるのではないかという心配もありますので,それだけではいかない。それと学部での成績を組み合わせるという案がもう一つあるのです。

 私自身はいまのところ,何がいいのか,確固とした考えはないのですが,御参考までに,先ほどのアメリカのLSATを使った入学者選抜の例を御紹介しますと,LSATでの客観的な点数が出て,それと学部時代の成績を考慮しながら,各大学で選抜していくのですけれども,その場合,学部の成績といいましても,出身大学によってばらつきがある。そこで,以前,田中英夫先生がハーバード・ロースクールについて紹介された中では,大学に偏差値のようなものを付けるらしいのです。どういうふうに付けるかといいますと,学部時代の成績と入学した後の成績との相関を取って,それでランク付けをしていく。それを定期的に繰り返していき,一定の係数をかけて,学部の成績を評価する。それといろんな活動歴を合わせて総合的に判断していく。そういうことのようです。

 もう一つの,法学部出身以外の人の方は,いま申したのと同一のテストはできないわけですから,面接ですとか,論文を書かせるとか,あるいは論理的な分析力のテストとかに,どうしてもなっていかざるを得ない。それと,さっきの法学部出身者からの選抜とのバランスをどう取るかというのは非常に難しい問題で,場合によってはどちらかに枠をはめるということも考えられるかもしれせん。一定割合はこちらの方から取るべきだとか,あるいは自学部から上がってくる人はこの程度に抑えるべきだといったふうにですね。今のところはその程度しか考えておりません。

【山本委員】大変いろんな資料をお示しいただきましてありがとうございました。

 問題は二つあって,一つは,司法試験の競争率が異常に高くなってしまうという現象がある。

 もう一つは,予備校がかなり大きなウェートを占めて,記憶中心みたいな形で,本来の法学教育がなかなか浸透しないこと。

 先ず,競争率が異常に高いということでありますが,この間も議論がありましたように,法曹人口を増やしていくという方向性も一つ出されておりますし,趨勢的には人口は減っていくわけでございます。加えて社会の価値観の多様化がすすんで,やみくもに司法試験に集中するという状況から職業選択のさらなる多様化という方向にすすんでいく状況にあると思いますので,こうしたこととの関係をよく考える必要があるのではないでしょうか。

 それから,予備校がはやっているという問題につきましては,どこに原因があるのかということを我々よく考える必要があるんじゃないかと思います。今,お話をお聞きしていて,ふっと思いついたのは,司法試験や大学教育に関する画一化と硬直化といったことが大きな原因になっているんじゃないかという感じがするんです。司法試験につきましては,私,正直どんなふうな形で行われているか知識がないものですから,これはちょっと乱暴な見方かもしれませんけれども,試験の内容について恐らく硬直化しているといった評価もあり得るんじゃないかと。そこに予備校のようなニッチな事業が成立する余地があると考えるべきではないかというふうに思っている次第です。

 もう一つ,画一化ということで申し上げれば,大学法学部教育が,どこの大学でも同じような手法で何十年間にわたって行われていた。そういうところにもこういう予備校の現象が出ている大きな原因があるんじゃないかという感じがするんです。

 したがって,今度のロースクール構想も余り画一的なものをお考えにならない方がいいんじゃないかと思っております。アメリカなどのロースクールがどうなっているかよく承知しておりませんが,同じものができますと,また必ずそれに対するリアクションみたいなものがありますから,できるだけ画一化を避けて,個性豊かな,大学によって,うちの大学はこういう教育をすると,うちはこうだという多様化ということを考える必要があるんじゃないかという感じがいたしました。

【井上委員】司法試験につきましては,中身に余り立ち入れないのですけれども,かなり変えてきています。かなり変えてはいるのですけれども,報告の中でも申しましたように,あくまで客観的で公平な試験でないといけない。しかも,時間は限られていますし,人手は限られている。そうすると,基本的な性格というのは余り大きく変えることはできないのです。例えば,手を掛ければ,全部面接にするということだって考え方としてはあり得るのですけれども,現実的には,何千人という人を相手にしてできるのかという問題があって,とてもできない。そのように,やれることに限りがあるということなのです。

 もう一つ,大学教育の画一化ということをおっしゃいましたが,それが予備校の画一化とどう結び付くのかよく分からないのですけれども,おっしゃったように,ロースクールというものをもしつくるとすれば,多様なものにする。これは,各大学の案のほとんどがそういうことを言っていまして,コアの部分は共通にしないといけない。そうしないと,司法試験の受験資格というものを結び付けることができません。しかし,それ以上は,それぞれの考え方や事情に応じて,いろんなものを提供して競争した方がいい。それによって,全体が活性化するという考え方をとっているのです。

 アメリカのロースクールなども,前にちょっと触れたと思うのですけれども,トップの20校くらいはかなり競争していまして,うちは知的財産権に力を入れるとか,うちは国際関係に力を入れる,税務に力を入れる。しかも,その分野の花形の人を引っ張ってきて,そこを中心にしていく。それによって,優秀な学生を集め,また卒業生を大手の事務所などに就職させるという形で,それをセールスポイントにしていくのです。そういったことが我が国でもあった方がいいのではないか。そういうことは,大学人の多くも考えていると思うのです。

【石井委員】今日お話を伺っていて,やはりよい法曹を養成するために,どうやっていい先生をつくるかというのが一番大切な問題だろうと思います。勿論,素質のよい生徒を集めるのもそうなんですけれども。

 私の好きな話に,宮沢賢治がかつて農学校の先生をやっていたときの話があります。農業学校で理科の授業のときに,クラスへしめ縄を持ってきたんです。みんなが幾つくらいの生徒だったのか分かりませんが,小学校か中学かその辺だったんじゃないかと思います。しめ縄を持ってきて,これ何だとみんなに見せるわけです。みんながしめ縄だと。ではこのねじれているのは何だと。縦にわらか何かがぶらさがっていますね。これは何だろうとか,白い紙がぶらさがっているのは何だとかいう話になってきて,結局,みんなで話しているうちに,しめ縄の格好は雲を象徴しているんだと。そうなると,垂れ下がっているわらは雨を意味している。では白いのは何だろう。ぎざぎざになっているから,これは雷を意味しているんじゃないかなどと,そんなことをみんなに考えさせるわけです。先生はそこで何を教えたいかというと,窒素肥料のことを教えたいのです。

 それでは,雷が一番落ちる場所は村のどこにあるかと問うと,みんなは○○神社のところが一番よく落ちると答えます。それでは,見に行ってみようかということになって,見に行く。あの辺は何か特徴があるかと聞くと,「あそこはとても稲がよく育って物すごくお米が取れる場所だよ」と子供たちが言うわけです。実際にそこは神田と言われるくらい何もしなくても非常に稲のよく育つ場所なのです。そして,みんなで見に行くのですが,初めに学校の近くの稲の大きさなどを調べてみると,まだ余りよく育っていない。だんだん神田に近づいていくと,稲の生長も大きくなり,穂の付きもよくなってきている。神田に着くと,穂が更に大きくなった稲を発見するのです。そこで先生は何を教えたいのかというと,稲妻によって空中放電をしますが,それによって空気中の窒素が固定され,それが雨水の中に溶け込み,その辺りに窒素肥料がいっぱいまかれる。そういうことから稲がよく育つのだということを子供たちに,身をもって体験するような教え方をしたという話があります。

 こういう発想というか,教育のやり方というのは,ここでの議論とは余りにレベルが違い過ぎて,法曹教育にそのまま当てはめることができるかどうかは一寸と分からないんですけれども,基本的なところでは,そういう発想の教育というのが必要だろうと思います。そしてまず,そういう教え方ができるような先生をつくるということが,今度の改革においても非常に大事なポイントになると思っております。

 今日,時間が余りないので,これについて御返事いただく必要はないんですけれども,そういう教え方のできる先生たちをどうやって育成していくかということについて,もし先生から次回にでもお話しいただければと思っております。

【井上委員】大変難しい御質問ですので,次回になっても答えは出ないかもしれません。ただ,一般的に申しますと,今の大学人で本当にできるのかという問い掛けがそこにあると思うのですが,私の答えはイエスでありかつノーである。要するに,全員ができるとは思いませんが,できる人もいるだろう。確固とした学問的な基礎があり,かつ意欲のある人ならばできるだろうと思うのですけれども,それにも限界がある。まったく新しい制度ですから,今いる人たちがそういうことをこれまで目標にしてきたわけではありませんし,教え方なども今までどおりのやり方しか知らないわけですから,最初はかなり無理をしなければならない。そういう意味で,やはりある程度長い目で見て,本当の意味で法科大学院に適した先生をつくるためには,一世代,二世代かけないといけないのではないか。最初はしたがって,さしあたり80%くらいのレベルであっても,法科大学院での教育それ自体を通じ,そこの卒業生の中からベストの教員をつくっていく。それがあるべき姿ではないかと思うのです。

 しかも,そこでは,今までみたいな大教室での一方的なレクチャーではなく,少人数教育を徹底するということが強調されていまして,そこで一緒に問題を考え,生の素材から問題を取り出していく。そういうことをやろうとしているのです。これまでは,これが通説であり,自分の説である,といった教え方が多かったわけですが,大きく発想転換させて,討論をし,問題発見をさせるというところから積み上げていこうというわけで,そういった努力を積み重ねていけば,石井委員がおっしゃったような方向には行くのではないかと思うのです。うまくいけばですね。

【石井委員】期待しています。

【曽野委員】今,石井さんの尻馬に乗って何か発言して帰らないと,お前はコーヒー飲んだだけで帰るのか,と言われますから。

 二つの問題があると思うんです。まず第1は,法曹というのは人間の問題ですから,相手を見るということ,つまり観察し理解をするという手順をとることです。

 もう一つ,今度はそれをどういうふうに考えたか,あるいは自分の心をどういうふうに言うかという伝達の方法。この二つが非常に大きな問題だと思うんです。

 短い例を挙げますと,私は数日前に東ティモールから帰ってきました。東ティモールにはノーベル賞をもらったベロという司教がおられますが,その司教を受け人としてクロネコヤマトが30台セコハンの2トン車を下さることになりました。私が働いている小さい組織が1,000万円の送料を持ったものですから,その車が果たして正しく使われるかどうか見にティモールへ入ったんです。車の見張り役をふやすために,たくさんの人に会いました。

 そのうちの一人は別の修道会の神父でした。その人は見たところ,アメリカの国旗を使ったショートパンツをはいて裸足で,非常に自堕落な格好をして,私の趣味には合わない人でした。その修道院の庭で,同じ同僚のドイツ人の神父が射殺された話をした。そのときに彼は,ゆっくりとほほえみながら,穏やかな表情で話すんです。私はかえってそこに深い彼の悲しみを感じました。その人は玄関へ出ていったところで同僚の神父はここで死んだ,そして,墓はそこにあると言って,庭の一隅を指しました。悲しみに溢れているという感じでした。

 この方は,ジャワ人でした。つまりインドネシア側です。

 彼はこう言ったんです。「私はインドネシアのしたことを深く深く恥じている」と。

 つまり,この表現というものを,同僚の死をほほえんでしゃべったことを私は悲しみの洗い流された状況だというふうに感じた。頬をひきつらせて悲しみを語ったら,私はむしろ信じなかったでしょう。

 私たちは修道院の床に寝ていたんです。全部焼かれて,泊まるホテルも少ないものですから。しかし海岸には不夜城のようなすばらしい海上ホテルができておりました。それは曵航してきた船をホテルにしているんです。面白いからそこへ一泊だけ泊まろうと思って行きましたら,UN以外の者は一切泊めないと私たちは門前払いを食いました。一緒に行ったシスターがしつこく,もし泊めてくれたら幾らなのと聞きましたら160から190ドルでした。

 その話をアメリカの国旗のショートパンツをはいた一見不まじめな神父にしたんです。彼はそれに対して何にも言わずに,私は自分が責任を持っている,自分の修道会がやっている学校の先生に月給70ドルを払うことに腐心していると言ったんです。ということは,月給ではその海上ホテルに半日も泊まれないということなんです。

 人間の理解とそれを証明する方法というのは,並々ならないものがあると思います。それが分からないと,私が被告になった場合,私がどうして人を殺さざるを得なかったということを訴えられません。それから,訴えられないという未熟性を見抜いてあげられない。裁判官でも弁護士でも検事でもそうですね。そういう意味での教育は,全人的であることが必要です。例えば核家族で死ぬ前のおばあちゃんの姿も知らない学生に,どうやって人間というものを教えるかということは大変なことであるだろうと思うんです。

 一番私が強調したいのは,その伝達の方法に熟達することです。かつて若いときに私は新聞記者のインタビューを受けました。今は少し用心しておりますけれども,その時は相手の困り果てた挙げ句に,「私のような秀才にはその話はちょっとむりですね」と言いましたら,そのとおり書かれました。それはうそとは言えないんです。私そういう発音で言ったんですから。ですが顔にはそうじゃないことが書いてあるわけです。

 これは本当に笑い話のような素朴なことですけれども,そういうことも含めまして,伝達の方法というのは大変ですので,その辺の怖さというのをどういうふうに教えるかは実に難しいことです。

【鳥居委員】井上先生,非常にオーバーオールにこの問題を整理してくださって本当にありがとうございました。最後に言われた問題が一番大事で,お話の全部そのことに関係すると思うんですけれども,簡単にできるもんじゃないということです。どうもここのところで,何とかしてロースクールを立ち上げたいという法学部関係者の方々の熱意が盛り上がっていることは非常によく分かるんですが,いかに簡単でないかということをみんなが正確に理解する必要があると思います。

 この問題は四つの問題から成り立っているんじゃないかと思います。

 一つは,大学教育の一番コアになる部分,これは実は12世紀以来の大学のコアが4科目です。神学とリベラル・アーツと法学と医学です。考えてみると,その四つの職業,つまり宗教者と教員と法曹と医師ですね。この四つはごく少数の人が担う聖職とも言うべき仕事であって,その教育には莫大な社会的資本が必要であって,にもかかわらずそれをないがしろにしてきた歴史があるということが,まず第1の問題だと思うんです。

 分かりやすい例を挙げますと,これは今日井上先生が出してくだすった資料にもありますが,法学部が今全国で93校あるんですね。93の法学部があって,そのうち国立が15学部,公立3学部,私立が75学部です。これに対して医学部は国立42学部,公立8学部,私立の医学部が29医学部,合計79学部です。ですから,法曹教育に今まで力をそそいできた学部の数と医学部の数を比べると,医学部の方がちょっと少ないくらいなんです。これ以上法学部を増やしても,必ず人が余るんです。むしろ我々はもっともっと煮詰めた形でこの医学とか法曹とか教員とか宗教者を養成していかなくちゃいけない。

 次に,これら四つの専門的職業の教育は絶対採算が合わないです。私どもの医学部では,年間で大体20億から30億の赤字を常に覚悟しています。東京大学も同じだと思います。この赤字はどうして発生するかというのを,仮に計算してみると分かります。仮に1学年100人のロースクール立ち上げたとします。国立大学の大学院の月謝は,一橋で4月1日から開くのを参考に取りますと,1人47万9,000円です。ですから,1学年100人のロースクールを立ち上げて1年生と2年生合計200人分の授業料,収入が9,580万円です。それに対して,今までどおり大学院の先生20人の基準でいきますと,一人に1,500万年間払ったとして3億掛かるんです。2倍基準でいくと6億掛かってしまうんです。それに対して月謝が9,580万しか入ってこない世界をつくろうとしている。私学で言うと,仮に100万の授業料とすると2億です。2億の収入に対して6億の費用を掛けようとしている。だから,これはみんなが特別の覚悟しなきゃ絶対にできないんです。これをどうするかということを考えただけでも,そう簡単に,我も我もとつくると言ったって,そんなことできっこない。これが第1です。

 第2の問題は,学校の教育の変質が甚だしい。学尊業卑という言葉があるんですけれども,学問は尊い,しかしプロフェッションを教えることは卑しいことだという風潮が余りにも一般化してしまって,学問としての法学は教えるけれども,法曹に必要な資質は教えない。医者に必要な資質は教えないで医学だけを教えるということになっている。ロースクールは,ここを突破しなきゃいけない。

 3番目は,学生の質の変化で,その一番大きな原因は日本の社会全体が,人生は複線である,複線人生社会だということをみんなが受け入れなくなった。だから,社会にとって一番大事な警察官とか消防士とか,監獄の看守とか,そういう人にはめったな人はならないという社会になっている。この辺で教育のシステム全体を,人生は複線的であるということを認める仕組みに変えなきゃいけないと努力している最中なんです。学生の質の変化のもう一つは,歴史観が変わったということですが,この点は省略します。

 3番目は,国家観が変わったということじゃないかと思うんで,それを教育の中で変えなきゃいけない。この三つの修正をしながらロースクールをつくる。その三つの修正は学校サイドでやるべきことですね。そこへ持ってきて,今度の審議会の最大の使命は,これは4番目なんですけれども,国のかたちをつくり直す。言い換えると,リーガル・ソサエティーを支えるべきリーガル・システムとリーガル・プロフェッションをつくり直すんだということを目標としているわけですから,先に申し上げた学校の仕組みの三つのサイドからの修正をやりつつ実現しなきゃいけない,物すごい大変なことです。今のところ大変なことだと言うしかないんですが。

【佐藤会長】時間の関係で,水原委員と髙木委員で打ち止めさせていただいてよろしゅうございますか。

【水原委員】論点について最初に会長がまとめられた論点整理項目を,更にどういうことをこれから検討するべきかということを詳細に御披瀝いただき,本当にありがとうございました。

 先ほど来,いろいろ御議論がありますけれども,臨時司法制度調査会の答申の中にも,司法制度の改革をやるためには,まず大学における専門科目の教育が余りにも短くなり過ぎたと,だからそういうことも検討しなければいけないけれども,それはそれとしてこの機会に言うべきではなくて,取りあえず司法試験制度をどうあるべきかということを考えましょうと,検討しましょうということを既にもう提言されておる。

 ところが,昭和39年8月28日に意見書が出て,その後法曹教育についてどういうふうに今まで大学当局が考えたのか,あるいは文部当局が考えたのかということも,ひとつ非常に問題があろうなという気がいたします。

 平成10年になって,柳田先生がああいう問題を提起された。そこから,いろいろと急に議論が出てきたことは誠に結構なことですけれども,その前にどういうふうなことをお考えになっていただいておっただろうかということが一つ問題だと思います。

 それから,法曹というのは,先ほど井上委員も曽野委員もおっしゃいましたけれども,相手を見る力,相手を理解する力,そしてどういうふうに自分の意思を伝達するか,表現するかという力が必要だということは私も全く同感ですが,その能力は,大学教育で本当にできるものであろうか。ということは,余り大学院構想にのめり込んでと言いましょうか,義務感を感じて,こういう教育をしなければ,そしてこれから出ていったならば,すぐ第一線で活躍できる人間になれる人間を養成するんだというお考えには縛られないようにお願いいたしたい。

 私は昭和27年の11月の司法試験で合格いたしました。そのときの合格者数を見ますと,出願者が4,761名だったようです。論文式で合格しましたのが249名で,対出願者の合格率を見ますと5.31%,20人弱に1人合格できるということでございまして,資料3に載っております。

 私は中央大学に入学いたしまして,検察官になろうと最初から思っておりました。その当時なぜ検察官になろうと思ったかと言いますと,私は法律を目指したのは昭和23年でございますけれども,その当時法律を目指し,司法試験を受けようという者には,それぞれがなぜ法律を通じて,どういう仕事をするのか,法律を通じてどういうふうに社会に貢献できるかという,意気に燃えた連中ばかりの集団だったという気がいたします。

 そういう者が集まってきていろいろ勉強しましたけれども,そのときにありがたかったのは,中央大学に真法会という研究団体がございました。向江璋悦さんという元検事で,後に弁護士をなさった方がそこを主宰しておられましたけれども,その方々が昭和11年に真法会を創立したときの理念は,中央大学にはいわゆる旧制高等学校に相当する組織がない。なるほど予科はあり,専門部はあるけれども,寝食を共にする旧制高校のような,そこで人格の陶冶があって,そして学問の研鑚をやると,そういう組織がないから真法会というものをつくって,お互いに切磋琢磨しながら人格を陶冶して,世の中のためになる人間を養わなければいけないということで出発した研究団体に入りました。

 したがって,そこでの勉強は学問だけではなくて人生も大いに論じました。しかし,今はどうでしょうか,今の大学の学生がそういうふうに人生を論ずることがありましょうか。

 そこで私どもが結局は検察の道を選んだんですけれども,司法試験を受けるときには,基本書をしっかり勉強すれば通った時代なんです。

 ところが,先ほど話が出たそこに戻るんですけれども,私は検事になりましたけれども,検事になりましたからといって一人前の仕事はできるはずがございません。私は,詐欺をしたこともございません,泥棒したこともございません,人をあやめたこともございません,なのにどうして相手の気持ちを分かることができるようになったかを振り返ってみますと,事件を通じて一つひとつ,そして先輩から一つひとつ教えられたからです。そのことこそ大事なことであって,そこへ入るまでの前段階における教育が,リーガル・マインドは必要でございましょうけれども,どういう案件についてはどこまで事案を見通す力が付いているかねと,付けることができるかねと,そこまでの教育を私は望むのは到底間違っているんだろうと思います。

 もう一つだけ申しますと,私は幾つも被疑者にだまされました。だまされることによってなるほど被疑者というものは,人間というものは,欲望に対して,自分を守るためにはどういうことでもするんだなと。人間は悪だなというふうに思う時期がございました。しかし,もともと私は人間が好きです。人好き人間なんです。だから,人間はどうしてうそを言うのだろうか,性は悪ではなくて性は善ではなかろうか,なのに,なぜうそを言うんだろうかというところから検察人生のスタートをきりました。だけども,世間を知らない新米の検事が,あるいは上司からいろいろ御指導いただいた程度のものでは,中坊委員がおっしゃるように事実を見通す力なんていうのは,なかなかできるはずもございません。しかし,そこにいろいろな人と出会いました。

 河井信太郎さんという特捜事件については大変高名な方でございますけれども,高利貸しの常識をお前は知っているかねと言われました。私には分かりません。これは話せば長いからやめますけれども,高利貸しの常識というものを知らない検事が,高利貸しの調べができるはずがございません。そういうことを一つひとつ教えてもらって,人の気持ちを見抜く,人の心を理解できる,そして痛みも分かる検事に育っていくものなのです。そのようにして育った検事が真相を追及してこそ初めて事実が確定できるのです。そして,それに対していかに法律を適用するか。しかも適用する法律が具体的になかった,判例がなかったとするならば,立法の趣旨からしてこの法律はこういうふうに適用できないのだろうかということを考えることができるような人間になるんだと思います。これは,すなわち一つひとつの事件を通じて関係者から学び,そして先輩から,良識豊かな人から教えてもらって,成長していくのが法曹ではなかろうかと思います。

 ある法曹の大先輩が,我々実践法曹の扱う対象は,法律でも判例でも学説でもない。生きた人間そのものだと,したがって,その人間がどういう気持ちでどういう行動を起こしていくのかということを,常に己の眼を毎日のように拭いてチリをはらい,事実を見通す力を養っていく努力こそが一番大事だということを言われました。したがって,いろいろな話を申し上げましたけれども,法科大学院構想を検討される際に,そこで勉強したものは即一人前の弁護士になったり,あるいは検事になったりしていけるようなことをお考えにならないように,あくまで実践を通じての教育こそ大事だということを申し上げたわけでございます。

【井上委員】簡単にコメントさせていただきますと,最後におっしゃった点は全く同感でして,実務家としての資質・能力というものは,最終的にはやはり現場で磨かれると思うのです。ただ,現状ではその前段階のところで,どんどん地盤沈下が進んでいる。それを何とかしなければ,ということのなのです。しかも,法科大学院というものも,ましてオールマイティーではなく,できることは限られている。先ほども言われたように,小さいころからそういう傾向になっていますので。ただ,今の司法試験中心の制度がそれを更に悪化させているというところがあるので,そこを何とかしようということです。

 もう一つおっしゃった臨司以後の取り組みという点ですけれども,おそらく当時は,我妻栄先生や,鈴木竹雄先生も入っておられましたけれども,そこで考えておられたのは,法学部レベルでの教育が過密化してきているので,それを何とかしようということで,法曹養成に絞った話ではなかったように思うのです。まだ,大学できちっと勉強していれば司法試験に通るという時代だったものですから。現に,その後,例えば東大法学部などでは,過密化を改善するため,学部を5年制にしようと真剣に考えたことがあったのですけれども,いろんな事情からつぶれてしまいました。その意味で,努力はしてきたのですけれども,そのことと,いま問題になっていることは,またちょっと違うところがあるのではないかという感じがします。

【佐藤会長】昭和40年頃そういう努力が始まったのですが,大学紛争があり,大学がああいう状況に入ってしまってうまくいかなかった。しかし,こうなってしまったのは基本的には大学の責任です。だから今こそは何とかしなければいけないというように多くの人達が思い始めたということだと思います。

【水原委員】全く同感でございまして,今おっしゃったことは,私は大学院構想を否定しているわけではございません。内容について,パーフェクトな人間を養うということをお考えになられて,極めて厳しい枠組みをおやりになられると,困ることにあいなりますなということだけでございます。私は,反対ではございません。

【佐藤会長】ありがとうございます。
 では,髙木委員最後に。

【髙木委員】もう次にさせてもらいます。

【佐藤会長】そうですか。私の司会の不手際で腹ふくるるところもおありかと思います。3月14日と4月11日に-次回はヒアリングとしてお3人を予定しておりますけれども-なお議論する時間を用意しておりますので,またその節お話しいただきたいと思います。

【鳥居委員】次回のヒアリングというのは,どなたがおいでになるんですか。

【佐藤会長】では,事務局で説明してもらえますか。

【事務局長】はい,分かりました。
 次回会議におきますヒアリングの対象者は,司法試験関係者として小津博司法務大臣官房人事課長。
 司法修習関係者といたしまして加藤新太郎東京地方裁判所判事,この方は前の司法研修所の事務局長でありまして,その前には民事裁判担当の教官を長くやっておられた方でございます。なお,現在も修習生の実務修習を担当しておられるという方で,修習生と随分長く付き合っていると言いますか,指導しておられる方であります。
 大学教育関係者としましては,小島武司中央大学法学部教授,この御3名でございます。

【鳥居委員】3人のヒアリングをスキップせざるを得ないんで,次の議論に失格になってしまうかと思うんですが,ちょうどその時間は完全に私立大学連盟の総会と重なっていまして,私がいないわけにはいかないんで,申し訳ありませんが議事録を精読いたします。

【佐藤会長】残念でございますけれども,ヒアリングの内容をできるだけ早く先生の方に届くようにしたいと思います。

【鳥居委員】1年前から決まっているスケジュールでございまして,済みません。

【佐藤会長】今日は委員の皆様から本当に貴重な御意見賜りまして,ありがとうございます。 時間もオーバーしましたので,以上で終わりたいと思いますけれども,配付資料について事務局お願いします。

【事務局長】配付資料につきましては,今日の御説明資料以外は今までどおりのものでございまして,特に説明はございません。

 ついでに御報告申し上げますが,今まで御検討いただいております,実情視察先と日程の件でございます。山形県酒田市及び島根県益田市の2か所について,事務局から現地での受入れに関しまして問い合わせをしましたところ,酒田市につきましては可能であるということでした。

 益田市につきましては,石見法律相談センターがむしろ浜田市に近く,実際の活動の様子を視察していただく上では,浜田市を中心とした方がより適切ではないかということでしたので,酒田市と浜田市の2か所の実情視察にさせていただきたいと思います。

 時期につきましては,6月19日~23日の間に浜田市の方を,7月17日~19日の間に酒田市の方を視察する方向で,今,打合せをしております。なお,この時期皆さんの御都合がいろいろございますでしょうけれども,皆さんの御都合が合う日と,向こうの合う日とが必ずしも一致するとは限りませんので,この間で日程を事務局の方で決めさせていただきますので,できましたら何とか万障お繰り合わせの上に,そのいずれかでも,あるいは地方公聴会の際に実情視察をするところも含めまして,少なくとも委員の方には1か所か2か所は実情視察に御参加いただければと思います。

 後ほど御予定を聞かさせていただきますので,よろしく御協力お願いいたします。

【佐藤会長】そういうことでございますので,よろしくお願いいたします。
 今日予定しておりますのは,以上でございます。記者会見なんですけれども,井上委員よろしいでしょうか。

【井上委員】余り声が出ませんけれども。

【佐藤会長】お願いいたします。ほかの方いかがでしょうか。
 それでは,そういうことで,本日はどうもありがとうございました。