配布資料

司法制度改革審議会
平成12年3月2日

法曹養成制度改革の課題

井上正仁


 

はじめに

 私に与えられた課題は,法曹養成制度の改革について審議する手がかりとして,現行の制度やその運用実態がどうなっており,そこにどのような問題があるか,それをめぐってどのような議論や提案がなされているかを整理して,お示しするということであったかと存じますが,多少ともみなさんを刺激して,以後の議論を誘発する意味で,若干私なりの分析や感想も交えてお話しすることをお許しいただきたいと存じます。

 さて,法曹養成制度の抜本的な検討が必要であることは,弁護士制度の改革についての前回のご報告の中で中坊委員も言及されましたが,これまで委員の多くが指摘されるところでもありました。また,昨年のヒアリングで青山東京大学副学長や法曹三者の方々などからうかがったお話でも強調されておりました。それらを踏まえて,私たちが昨年末にまとめた論点整理では,敢えて繰り返させていただきますと,
 「制度的基盤の強化が実を結び,そこで意図された成果をあげるためには,その制度の運営を委ねるに足る質量ともに豊かな人材(法曹)を得なければならない」が,「問題は,21世紀の司法を支えるにふさわしい資質と能力(倫理面を含む)を持った法曹をどのようにして養成するかであ」り,「この課題は,大学(大学院を含む)における法学教育の役割,司法試験制度,司法修習制度,法曹の継続教育の在り方等を中心に,総合的・体系的に検討されなければなら」ないこと,そして,「古典的教養と現代社会に関する広い視野をもち,かつ,『国民の社会生活上の医師』たる専門的職業人としての自覚と資質を備えた人材を育成する上で,大学(大学院)に課された責務は重く,法曹養成のためのプロフェッショナルスクールの設置を含め,法学教育の在り方について抜本的な検討を加えるべきである」ことが合意されたのであります。

 その趣旨に沿って組み立ててみますと,(1)まず,21世紀の司法を支えるのにふさわしい法曹としてはどういう資質や能力が必要とされるのかということから出発して,(2)現行の養成制度はそのような法曹を養成するために果たして適切かつ十分なものといえるのか,そうでないとすればどこに根本的な問題があるのか,そして,(3)もしそうだとすれば,どのようなシステムとするのが最適であり,そういうシステム全体の中で大学はどういう役割を負うべきなのか,という順序で考えていくのがよろしいのではないかと思います。

Ⅰ 21世紀を支えるのにふさわしい法曹の資質・能力

 さて,法曹としてどのような資質や能力を備えているべきなのかにつきましては,以前から内外の論者が折に触れ,さまざまに論じてきたところでありますし,今回の法曹養成制度改革との関係でも,各種の提言や構想,あるいは論文等で,さまざまに述べられています。
 資料1(1頁以下)は,比較的最近のものを,目につく限りで,事務局の方で整理してもらったものですが,これ以外にも多数ございます。それをひとつひとつご紹介することはとてもできませんし,かえって混乱のもとにもなりかねませんので,やや独断ですが,私なりの理解に従って整理して述べさせていただきますと,そこで挙げられている事項のほとんどは,本来これまでにおいても,法曹として基本的に備えていなければならないはずの,あるいは備えているのが望ましいものであったといってよいかと思います。

1.基本的資質・能力

 そのような基本的ないし普遍的なレベルの資質・能力にも,(1)法律実務を有効・適切に行うために必要とされるものと,(2)プロフェッションの特性ないし司法の担い手であることから要求されるものとの2種類があります。

 すなわち,特に利用者との関係でみた場合,法律実務家の仕事というのは,①依頼人その他の人の言うことをよく聴き,事実を的確に認識し,事情を十分把握すること,
 ②それにつき法的な観点から分析を加え,そこに含まれた法的問題点を抽出すること,
 ③その問題に対する適切な解決方法を見つけ,あるいは考え出すこと,
 ④その解決策を相手方や裁判所その他の関係者に説明し,説得すること,
 の4段階からなっているように思われますが,いろんな方が挙げられている事項の中から拾い上げれば,
 ①のためには,豊かな人間性や感受性,幅広い教養,社会に対する広い視野,人間関係や社会に対する深い洞察力,市民感覚,人権感覚といったものや,事実調査・認定の技能などが必要とされるでしょう。
 ②のためには,幅広い法律専門知識や法令・判例等の調査技能,論理的思考能力・分析能力などが必要とされる。さらに,
 ③のためには,単なる法律知識にとどまらない法制度の原理的・体系的理解や創造的思考力,柔軟な思考力・適応力,バランス感覚や決断力などが求められるでしょう。そして,
 ④のためには,文章ないし言葉で自分の考えを的確に表現する能力や,説得的なリーズニング(理由付け)や論理構成の能力,ディベート能力,交渉や折衝の能力,一定の実務的技能などが必要とされる。
 そう整理することができるのではないかと思います。

 他方,プロフェッションとしての特性ないし司法の担い手であるということからは,依頼人等に対する誠実性,高度の倫理性,使命感や責任感,それに公共に対する奉仕の精神というものが求められます。
 この点は,これまで2回にわたる中坊委員のご報告でも,特に弁護士との関係において再三強調されたところでありますが,裁判官や検察官についても基本的に妥当することだろうと思います。

 これらは,先ほども申しましたように,本来,法曹として基本的に備えていなければならないはずの,あるいは備えているのが望ましいものであったわけですが,それが,今回,利用者のための司法という観点が強調されるのに伴って,改めて問い直されることになったということでしょう。

2.新時代に対応するため強化拡充が求められる資質・能力

 それに加えまして,21世紀の社会においては法的問題がますます複雑化・多様化・専門化し,国際化すると予想されることから,それに対応するため,いま述べました基本的な資質・能力のいくつかの面が,より強化・拡充することを求められるようになっているところがあると考えられます。すなわち,
 ①では,社会や人間関係に対する理解や洞察力,人権感覚などをより強化し,基礎的な教養をより幅広いものにする必要があるでしょうし,
 ②では,先端的な法分野や外国法についての豊かな知見を養うことが,また,
 ③では,一層の創造的思考力や適応力が必要とされるでしょう。さらに,
 ④では,幅広い国際的視野や国際感覚,国際的に通用するようなリーズニングの能力,ディベートや交渉のより優れた能力,語学力などが要求される。そういうことになってきているのではないかと思われるのです。

 ラフに整理しましたので,おそらく過不足があるでしょうが,ご検討いただければと存じます。

Ⅱ 法曹養成制度の現状とその問題点

1.現行の法曹養成制度

 次に問われなければならないのは,わが国の現行の法曹養成制度は,このようなあるべき資質・能力を備えた法曹を養成するうえで,適切かつ十分な働きをしてきたか,またこれからもするだろうか,ということです。

 1)司法試験

 既にご承知のこととは思いますが,現行の法曹養成制度は,司法試験とその合格者を対象とする司法修習から成り立っております。このうち司法試験は,資料2(5頁以下)に示されておりますように,第一次試験と第二次試験に分かれており,第一次試験は教養と一般的学力を試す試験ですが,大学の一般教養課程を修了している者等はこれが免除されますために,実際に第一次試験から受験を始める人は少数です。現に,資料3(26頁)に見るとおり,平成12年1月に行われた第一次試験では,出願者が508名で,合格したのはわずかに28名でした。
 第二次試験は,「〔実務法律家〕となろうとする者に必要な学識及びその応用能力」を判定しようとするものであり,短答式および論文式の2段階からなる筆記試験と,それに引き続く口述試験により,段階的に選抜していくという方式を採っております。短答式試験は,憲法,民法,刑法の3科目それぞれにつきマルティプル・チョイス式で行われるものであり,論文式試験は,平成11年度までは,その3科目に商法,そして民事訴訟法か刑事訴訟法かのいずれか,それにいくつかの法律選択科目のうちから1科目の合計6科目につき解答を記述させるという方法で行われていました。そして,口述試験は,論文式と同じ6科目それぞれにつき口頭試問を行うという形で行われてきましたが,平成12年度からは,論文式については,民事訴訟法と刑事訴訟法の両方が必須となったかわりに,法律選択科目が廃止され,口述試験の方も,民法と民事訴訟法,刑法と刑事訴訟法をそれぞれ一組にし,これと憲法の3つのコマで実施することになっています。
 資料3(23頁)の表に見るとおり,平成11年の実績では,第二次試験の出願者が33,983人,実際の受験者が29,887人,そのうち短答式試験に合格した者が5,717人,論文式試験の合格者が1,038人でした。論文式試験まで通りますと,口述試験が不合格であっても,翌年の口述試験に再挑戦する機会が与えられますので,そういったいわば積み残し組を含めて1,100人近い者につき口述試験を実施した結果,ちょうど1,000人の最終合格者がありました。第二次試験の受験者を母数として見た合格率は3.35%であったということです。

 2)司法修習

 一方,司法修習は,これまで2年間かけていたのが平成11年度の修習生から1年半の期間となりましたが,修習生は国庫から一定額の給与(基本給で20万円ちょっとですが)を受けながら,資料4(31頁以下)にその概要が示されていますように,まず司法研修所で3ヶ月間,民事裁判,刑事裁判,検察,民事弁護,刑事弁護の各教官や外部講師によるーその資料の32頁に示されているようなーメニューの集合教育を受けます。
 それが終わりますと,資料5(42頁)の表のような形で,全国各地の裁判所,検察庁および弁護士会に配属されまして,民事裁判,刑事裁判,検察および弁護の実務をそれぞれ3ヶ月間ずつ実地に学びます。この過程では,資料4(35頁)に概略が示されていますが,社会に対する広い視野と公共的精神を育てるという趣旨で,「社会修習」というものも最近採り入れられるようになったとのことです。
 そして,最後の3ヶ月間はまた司法研修所に戻り,仕上げのための集合教育を受けたうえで,「2回試験」と呼ばれる最終試験を通れば,修了を認定され,そのほとんどは,裁判官,検察官または弁護士のいずれかの進路に進んでいくわけです。
 ちなみに,資料5(38頁)の表により,平成11年春に終了した729名の進路内訳を見てみますと,裁判官が97名,検察官が72名,弁護士が549名となっております。

2.その実態

 このようなわが国の現行の法曹養成制度は,諸外国のそれと比べますと,2つの際だった特色を持っているといえます。その1つは,大学の法学部等の教育機関において法律学の教育を受けたことを法曹資格を得るための要件とはしていないということであり,いま1つは,司法試験の受験者数にくらべ合格者数が極めて限られてきたということです。

 1)司法試験の開放性と「一発勝負」的性格

 このうち第1の点については,資料6(45頁以下)に諸外国の法曹養成制度の概要が示されておりますが,そこに挙げられたいずれの国においても,大学の法学部や大学院レベルのロースクールといった高等教育機関において法律学を修めたことを必須の要件とするか,制度上それを法曹養成の主たるルートとしていることが分かります。これは,法曹というものが人の権利その他の重要な事柄にかかわる職業である以上,高度の専門的学識を必要とするという考え方によるものと思われますが,わが国は,少なくとも制度上は,それらとは対照的な考え方を取っているのであります。
 むろん,このわが国の制度も,実質的には,大学の一般教養課程で基礎的な教養を身につけ,法学部で法律学の専門教育を受けたうえ,司法試験で適格者が選別され,その後の司法修習を通じて実務の基本を学んで,実務界に入っていくということを,通常のルートとして想定していたと考えられます。また,このようなオープンな試験制度を取るということにより,何らかの事情でそのようなルートをたどれなかった苦学力行型の人にも,法曹資格を得る機会を与え,実際にも,多様な人生経験を積んだ人材を少なからず法曹界に送り込むという効用を持つものであったことも,軽視し得ません。
 しかし,その後,受験者のほとんどが大学の法学部在籍者か出身者であるという状況になりますと,このオープンであるという特色の反面として,正規の法学教育を受けたことを受験要件としていないということが,かえって,後述のような受験者の間の予備校依存・大学軽視の傾向を許してきたところがあるように思われるのです。

 2)合格者数の限定と受験戦争化

 もう一つの特色である合格者数の限定は,実際問題として,司法研修所と各地での実務修習への受け入れ可能数に限りがあることからくるものでありますが,その結果として,資料3(23頁)の表に見るとおり,当初10%を超えていた合格率が,受験者の増加により数年で4%台に,そしてさらに昭和30年代の半ばには3%台に落ちまして,司法試験は厳しい競争の様相を呈するようになりました。これに対し,合格者数は何度か引き上げられたのですが,昭和40年代以降,その数も500人前後で止まってしまったのです。
 他方,資料3(24頁と25頁)のグラフにも示されていますように,昭和40年代の半ばにかけて,戦後ベビーブーム世代ー私などがそれですがーが大量に大学に進学し,また,その後大学の法学部も次々と新設されたことなどの結果として,司法試験の受験者が急速に増加し,さらに不合格者が累積的に滞留するということが重なりまして,合格率はさらに低下し,昭和50年前後から合格率は1%台にまで落ち込みました。合格した者も,大学在学中のころから5回,6回と受験を重ねたあげく,28~29歳くらいになってようやく合格できるというのが平均像であるような状況に立ち至ったのでした。
 私は,いま申したように昭和40年代の半ばに大学生活を送りましたが,私の記憶では,その当時も司法試験は極めて難関ではありましたけれど,まだ,大学での授業に出てまじめに勉強していれば,受かるべき人は受かる,というような雰囲気が残っていたように思います。
 ところが,その後,大学受験から高校受験,さらには中学,小学校受験と,受験産業が盛んになっていく社会状況の中で,司法試験についても本格的な受験予備校がいくつか現れまして,大学在学中に合格しなかった者がそれに依存するようになったのを皮切りに,やがて在学生もそれを利用するようになり,さらには,合格までに何年もかかるのが普通なので,予備校の利用を開始する時期がますます早くなりまして,予備校への依存が加速度的に進んでいったのであります。
 資料7(53頁)は平成11年度の司法試験合格者に対するアンケート調査の結果に基づくものですが,ほとんどの人が学外の予備校を利用したことがあり,しかも半数以上の人が,ほぼ毎日か週に数日,予備校に通っていたという結果が出ています。また,ここには示されておりませんが,在学中の合格者を除けば,大学を出てからも定職に就かずに受験勉強を続けてきた人が大半であるとのことです。これらは,受験者ないしその予備軍の人たち一般に認められる状況だといえましょう。

 3)司法試験制度の改革による対応

 これに対しては,司法試験の側でも,いろいろ工夫を凝らしてきました。私は司法試験の考査委員で守秘義務がありますので,余り立ち入ったことはお話しできないのですが,短答式についても論文式についても,問題作成の上で,予備校に頼らず比較的早く合格できるようにするための工夫が重ねられてきました。
 制度的にも,資料8(55頁以下)に示されていますように,このような状況を改めることを意図して,昭和63年の法曹基本問題懇談会の意見を基に,平成3年に法改正を行い,合格者数を700人程度まで引き上げるとともに,論文式試験において,合格者総数の7分の5は受験者全体から成績順で合格者を決めるが,残りの7分の2は受験開始から3年以内の者から選抜するという合格枠制が平成8年から実施されました。さらに,平成7年の法曹養成制度等改革協議会の意見を受けて,平成10年にも法改正をし,司法修習の期間を1年半に短縮するかわりに,合格者数を当面1,000人程度にまで増やしていき,また,論文式試験と口述試験をさきほど述べたようなものに改める,といった改革もなされました。
 そして,そのような努力の結果,先ほどの資料3(23頁以下)に示されていますように,合格者の平均年齢は,ここ数年26歳台になりましたし,受験年数も平均で5年を切り,3年以内の者が50%前後,5年以内では70%前後に達することとなったのです。
 このように合格者の若年化や早期合格という意味では相当の改善が見られたことは確かですが,しかし,それでも,受験勉強を始めたときから勘定しますと,かなりの年数をかけなければ受からないという事実には変わりはありません。そのうえ,さらにその背後には,それだけかかっても受からない人がはるかにたくさんいるわけです。

 4)受験予備校への依存とその影響

 むろん,法曹となるためには一定以上の法律専門知識が必要とされますから,それを身につけるために一定の期間,勉強しなければならないことは当然でしょう。しかし,問題は,その勉強の仕方であり,またそれが受験者やその予備軍の人たちにどのような影響を及ぼしているかということです。
 彼らがどのような生活をしているのかということは,いろいろなところで触れられていますし,私も大学の内外で間接的には聞いておりましたけれど,中坊委員の「現場主義」を見ならわせていただき,改めてその実情を把握するところから始めようと,先日,都内の6つの大学の出身者で一昨年ないし昨年,司法試験に合格し,この春から司法研修所に入る予定の8人ほどの人に集まってもらいまして,事務局の方々も交えていろいろ事情を聞いてみました。正確なサンプリング調査というものではありませんので,敢えて資料化してお示しすることはしておりませんが,8人全員が大学の1年生か2年生のときから予備校に通い始めており,3年生くらいから受験を初めて,3年から4年,最も長い人では10年ほどかかって合格したという人もいました。
 予備校には,最初は週2回程度,2年間で試験科目を一応ひととおり終わるようなコースから通いはじめ,しだいに頻度の高いコースを取るようになる。そして,それに逆比例して,初期は,少なくとも司法試験科目については大学の授業にも出ていたけれど,後の方になるに従って,それすら出なくなり,ほとんど予備校に依存した生活になっていくということのようでした。よくいわれる「ダブル・スクール」化,「大学離れ」の現象です。
 資料9(59頁以下)は,東京大学法学部の学生に対する実態調査の結果の一部ですが,政治学系のコースの学生を含めた在学生全体の中で見ても司法試験予備校を利用している人がかなりの割合に上っていることが分かります。これは,たまたま私の手元にあったもので,この調査結果から他の大学を含めた全国の法学部学生全体の状況を推し量ることはできないかもしれませんが,ご参考までに,お示ししておきます。
 資料10(63頁以下)は,大手とされている4つの司法試験予備校が一般に配布しているパンフレットから,それぞれの概要を抜き書きしてもらったものとその原資料ですが,1年で合格することを目指すものなどを含め,なかなか多彩なコースが用意されており,費用も,本格的なものになると80万円~100万円近くかかるようです。
 しかも問題は,彼らの受験勉強の仕方なのですが,先ほどのインタヴューで聞いたところによりますと,はじめから予備校の編纂した,論点ごとに判例や学説を要領よく整理して並べ,設問とそれへの解答を書いてあるような教材を読んで,頭からとにかく覚えていく。その後はまた,過去の司法試験問題や想定問題についての解答例を覚えていく,というやり方がもっぱらで,大学の教科書や基本書とされる本はたいてい,持っていてもところどころ参考に見る程度で,なかには,読み通した基本書は一冊もないという人すらいました。
 資料10(73頁)は,公刊されている合格体験記などから拾ってもらったものですが,多くの人がだいたい似たような勉強の仕方をしていることがお分かりだと思います。
 これでは,大学で幅広い教養を身につける機会はほとんどありませんし,法律科目でもごく限られた試験科目ばかりの勉強となりますので,得られる法律知識は幅の狭いものに留まってしまいます。しかも,その狭い範囲についてすら,原理的あるいは体系的な理解を身につけるような勉強の仕方ではありませんので,応用力など出てくるわけがありません。
 現に,私は何年か前と現在と少し間隔をおいて司法試験の考査委員を務めてきましたけれど,試験の答案を見ますと,ますますパターン化がひどくなっている。3つか4つのパターン,これは大手の予備校がそれくらいありますから,それぞれのテキストに従うとそうなるということなのでしょうが,そういったパターンごとの同じような答案ー「金太郎飴」的と呼ぶ人もいますが,現代風には「クローン」的とでも呼んだ方がいいかもしれませんーが驚くほど多いのです。口述をやりましても,予備校の教材に書いてあったような質問には立板に水のように答えるのに,ちょっとひねった質問をすると答えられなくなる人が少なくありません。
 先ほどのインタヴューの際に,「口述のときくらい自分の頭で考えて答えてくれることを期待して質問しているのだが。」と私が言いましたら,1人の人から,「それは無理ですよ。質問を受けて考えているように見えても,そうではなくて,頭の中にファイルされているものの中に当てはまる応答例がなかったか必死で検索しているだけなのですから」という答えが返ってきまして,愕然としました。大学の同僚の1人も最近似たような体験をしたようでして,司法試験合格者の祝賀会に行って,もっと自分の頭で考えてほしいと言ったら,自分で考えるような勉強の仕方をしていたら受からない危険がある,予備校の用意してくれたものを覚える方が合格の確率は高いのだと平然と言われてショックを受けたということを,ある雑誌に書いております。
 インタヴューした合格者の1人も,「みんな勉強を始めるときはそこそこの頭脳を持っていたはずなのに,このような生活は頭を悪くするばかりだと思う。」と言っていましたが,現に,司法試験に合格して司法研修所に入所してきた人や,さらには新たに法曹となった人を見ても,自分で苦労して考えてみようとしないで,とにかく何でもマニュアルをほしがる人が増えているとか,柔軟な応用力がないなどと伝え聞きます。それは,以上のような特異な受験生活に起因する症状ではないかと疑われるのです。
 受験者の方でも,こういうやり方が良いことだとか,楽しいなどと思ってやっているわけでは決してありません。受かるためにはこれしかないんだと思って,しかたなしにやっているだけだと言うのです。インタヴューした学生の多くは,振り返ってみるとこのような生活は全く無であるとか,思い出したくもないと言っておりました。多くの若者が,合格するというはっきりとした先の見通しもないまま,こういう生活を何年もおくっているというのは,本人達にとってのみならず,社会的にも大きなロスであるといわなければなりません。
 このような状態を見ていたら,本来法曹に適した資質を持った人材であるのに法曹となることを敬遠する人がいても不思議ではないでしょう。現場の大学教員としての私の経験でも,これまでそういう例を少なからず見て,悔しい思いをしてきました。
 もちろん,このような状況を生じさせたことには,大学およびその教員の側にも責任があります。後でも述べるような事情もありまして,わが国の大学の法学部は,特に法曹養成に的を絞った教育をしてきませんでした。内容的にも,例えば,先ほどのインタヴューの中で,合格者の何人かは,どうして大学の法学部に入っていながら,予備校に通うようになったのかという問に対し,「大学の授業はスローテンポすぎて,受験準備に適さない」とか,「先生は趣味的に自分の興味のあるところばかり話していて,全体をカバーしてくれないので,受験には役立たない」と答えていましたが,そういう面があることも否定できません。また,「予備校の先生の方が,教えることにずっと熱心で,真剣だ。」といわれることについても,真摯に反省すべきところがあろうかと思われます。
 ただ,弁解に聞こえるかもしれませんが,そのようなやり方も,1つの法分野を順序を踏んでじっくりと教え,学生達にも,そのつど自分で考えたり,関連の論文などを読んだりしてもらうことにより,体系的でかつ十分な理解を得させたい。そういう考え方に立って,半年あるいは1年間をかけて1つの科目を教えるというカリキュラムにしているわけですし,教師の方も,自分が一所懸命勉強し,考えているところを語ることによって,法律学のおもしろさ,奥深さを分かってもらいたいと思ってやっているところもあるのです。専ら受験にすぐに役立つような授業を効率的にやるといったことを大学に求めるのが適切とは,一般の方々もおそらく考えないのではないでしょうか。
 また,先ほど述べたように,司法試験の科目を整理したり,問題内容に工夫をこらしてきたのも,以上のような不正常な状況を何とか改めようとするものでありました。しかし,この試験が客観性・公平性を維持しつつ限られた時間と人手で実施しなければならないものである以上,どうしても,法律に関する専門的知識の有無をはかることを基本とするペーパーテストの域を大きく出ることはできません。予備校の方でも,試験科目や問題内容の変更にすぐに対応して,新たなマニュアルを用意しますので,受験生の間では,予備校依存がかえって進んだような観もあります。このままの状態で合格者数をただ増やすだけですと,このような傾向はますます強くなるのではないかと思われるのです。

Ⅲ 改革の方向

1.合格者の教育の拡充強化

 誤解をされないように申しますと,すべての受験者や合格者がそうであるというわけではありません。すばらしい素質や能力を持った人も中にはいることは確かなのです。一般的に申しましても,現在の受験者層を母体として見る限りは,司法試験は,そのなかでもまだ良質で勤勉な人たちを選び出す働きをしているということができるでしょう。ゼミの学生などを見ていてそう思いますし,先ほどのインタヴューに協力してくれた合格者の人たちと話した際も,そう感じました。
 これらの合格者たちに,司法修習の過程で,遅ればせながらも十分手をかけた教育を行えば,不足しているものを補完して,良い法曹に育ってくれるかもしれません。しかし,司法修習というものは,本来,基本的な法分野の十分な理解ができているということを前提として,実務家として最低限必要な技術的知識や技能を伝授し,また実務修習を通して実地に触れ,実務家としての心構えを身につけさせるという趣旨のものであります。それでなくても,修習生の数が増えていることに加え,先ほど述べましたように,昨年から修習期間が短縮されたため,かなり苦心して従来からの修習の質を維持しようとしているのが現状でありまして,幅広い教養を身につけさせたり,各法分野の原理的・体系的理解を得させるといったことまで行う余裕は,おそらくないでしょう。また,そのような補完的な教育を十分行えるだけの人的・物的条件が備わっているとも思えません。
 むしろ,実務家の方々を含め多くの論者が認めますように,また諸外国の例に照らしても,そのような教育を行うのにふさわしいと考えられるのは,あるいはそのことを期待すべきなのは,大学であります。

2.司法試験前教育プロセスの整備

 しかも,より根本的な問題は,司法試験による選抜の母体である受験者全体の方でありまして,受験者およびその予備軍の人たち全般につき,先ほど申したような状況がより一般化・常態化するとすれば,仮にその中からの選抜が相対的にはうまくいったとしても,その結果生み出される法曹全体の質的劣化は極めて深刻なものとなっていくことが懸念されるのです。
 それ故,正規の法学教育を受けたことを要件とせず,一発勝負の司法試験のみで法曹資格者を選別する現在のシステムを維持する限り,その試験の内容や方法だけをいくら変えてみても,また合格者の数を何らかの程度増やしてみても,問題は基本的には解決しないといわなければなりません。むしろ,そのシステム自体を改め,司法試験に先立つ過程において,選別の母体となる法曹志望者たちに適切な教育を施すことにより,これを質的に向上させていくことを可能にするような方策を取ることこそが,先ず何よりも必要とされるのではないか。そして,法曹資格者の選別方法も,そのような先行する教育課程を前提とし,それと有機的に結びつく形に再編成していくのが,あるべき方向ではないかと思われます。最近の改革論議において盛んに強調される「プロセス」としての法曹養成ないし選別というのも,まさに,そのようなアイデアに立つものといえます。
 冒頭で述べましたように,21世紀を目前にして,法曹に求められる資質や能力がより高度で幅広いものになるとすれば,そのような新たな法曹養成制度を整備する必要はいっそう大きく,かつ緊急性を帯びたものというべきでしょう。しかも,社会経済状況の激しい変化に伴って法的ニーズも今後どんどん変化し,拡大していくということを考えますと,そのような法曹養成過程での教育を基礎として,法曹となった後も,先端的な法分野などについて研鑽を重ねることを可能にしておく必要があります。このような観点をも加味して,システム全体を再構築してみることが必要だと考えられるのです。

3.考え得る反論

 1)実社会での鍛錬・市場による淘汰

 このような考え方に対しては,法曹としての真の鍛錬は,実務に入ってからそれぞれの職務の場や社会の中でなされるのであり,また,質の悪いものが出ても市場で自ずと淘汰されることになるから,司法試験が資格認定試験であることを徹底させることにより,合格者を大幅に増加させ,早く社会に出した方がよい。またそのようになれば,予備校依存も解消の方向に向かうはずだ,といった意見もあり得ましょう。
 しかし,資格認定試験であることを徹底させるとしましても,いまのような受験者全般に見られる傾向がどんどん進めば,いわばパイ全体が地盤沈下を起こすわけですので,その中に真の意味での資質と能力を備えた人がどれだけ残るかは疑わしくなります。仮に残るとしても,極めてパターン化した答案ばかりという状況では,そのような人をうまく選び出せるかも疑問です。また,資格認定試験であっても,できるだけ早くかつ効率的に合格しようと思えば,予備校に依存するようになることは十分考えられます。さらに,司法修習ないし実務修習というものを予定するならば,その受入れ人数には自ずから限界があるため,多かれ少なかれ競争試験的性格を払拭することは困難でありますので,予備校依存の傾向が改まるものかは疑問といわなければなりません。
 市場による淘汰ということも,大企業等,依頼すべき弁護士を取捨選択できるだけの情報や資力のある者にとってはよいとしても,そうでない者は淘汰の過程で悪質な法律家の犠牲になるおそれがあるわけですから,安易にそれに委ねるわけにはいかないでしょう。
 確かに,法曹としての資質・能力というものは本格的には実務の真剣勝負の場で磨き上げられることはそのとおりだとしましても,必ずそうなるとは限りませんので,それだけに任せておくというのはシステムとして無責任すぎますし,それまでに基礎となる教育や訓練をしておくことは,実務の場での鍛錬の土台を形成するために重要だと思われるのです。

 2)改善不能

 これとは逆に,先ほど述べたような受験者に見られる傾向というものは,小さいころからの社会環境や,初等・中等教育のときから一貫して,正規の学校での教育が空洞化し,予備校に大幅に依存しているといういまの教育制度全体のあり方にそもそもの原因があるのだから,法曹養成制度のみを変えても,改まらないのではないかという見方もあり得ます。
 確かに,そのような要因が基底にあることは間違いないだろうと思いますけれど,現行の一発勝負の司法試験を中心とする法曹養成システムのあり方が,そのような傾向を一段と悪化させる要因となっていることもまた,無視し得ない事実だと思うのです。しかも,大学の教育現場で学生達と日々接触している実感からしましても,全体として学生達が時間をかけてじっくり学ぶことのできる環境を整えることができれば,事態が改善される可能性はなお小さくないし,そのことがさらに,他の分野に逸れて行っている有為の人材を法曹界に取り戻していくことにもつながるように思われます。
 オプティミスティック過ぎるかもしれませんが,そのような希望を持ちながら,制度設計を行っていくべきではないかと,私は考えます。

Ⅳ 改革の諸方策

 それでは,法曹適格の認定に先行する充実した教育のプロセスを整備するためには,どのような方策が考えられるか,というのが次の問題です。

1.法学部教育の充実

 この役割を,先ほども申したように,大学に期待するとした場合,まず頭に浮かぶのは,既存の法学部において法曹養成に特化した教育を行わせるということでありましょう。
 資料11(75頁)の最初の表に見ますように,現在,わが国には,国立大学に15,公立大学に3,私立大学に75,合計93の法学部がおかれております。毎年約47,000人の入学者があり,76~77頁の表にありますように,総計約20万人の学生を擁しております。
 しかし,これらの法学部においては,従来,法曹養成のみを特に目標にするというのではなく,一般に,一定の法的素養を身につけた社会人ーいわば,そういった意味でのジェネラリストーを育てることを教育目標にしていると考えられてきました。
 実際,ご承知のように,法学部の卒業生で法曹となる者はごく一部でありまして,ほとんどは企業や官庁などに就職します。資料11(78頁)のグラフは,ここ6年ほどの全国の法学部卒業者の進路の内訳を示したものですが,例えば平成11年度のところをご覧になって下さい。「法務関係への就職」となっているのが司法研修所に入った人のようですが,45,566人中わずかに226人,0.5%にとどまっています。右の方の「無職」とか「左記以外」というところに分類されている人のうち少なからぬ部分は司法試験浪人ではないかと思われますし,大学によっては法学部1年生や2年生の段階でみれば法曹志望者はそれよりはずっと多いといえますが,それでも,全体として見れば一部にとどまるでしょう。
 そして,そのように一定の法的素養を備えた者を幅広く社会に送り出すということは,それ自体として,重要な意義を有するものといえます。その点でわが国の法学部における教育が従来果たしてきた役割というものは,手前味噌だと叱られるかもしれませんけれど,それなりに評価すべきだと思われます。現に,例えばアメリカでは,専ら大学院レベルのロースクールで法曹志望者にのみ法律を教え,学部の段階ではまったく法学教育を行っておりませんが,その結果,法律がほとんどプロの法律家の独占物になり,一般の人は社会生活上必要な最低限の法的知識すら持たないという状態となっており,好ましくないという反省が,ほかならぬアメリカのロースクールの先生からも聞かれるのです。そのようなわけで,わが国の法学部の多くにおいては,大多数の学生のことを考えますと,法曹養成のみに特化した教育を行うことは困難なところがあります。
 しかも,仮にそのようなことを考えるとしても,学部の4年の課程だけで法曹となるための教育が十分できるかは疑問といわざるを得ません。この点で,旧制の教育制度の下では,3年間の旧制高等学校で教養教育を終えた学生が,大学の法学部で3年間,法律の専門教育を受けていましたが,それが新制の大学制度では,学部の4年間のうち,最初の2年間は一般教養を学び,専門の法律を学ぶのは後半の2年間だけというふうに変わりました。ところが,その後の社会経済の発展に応じ,新たな法分野が次々と誕生したため,法学部での専門教育が過密化し,学生が消化不良を起こしているということが問題化しました。そこで,かなり以前にも,修学期間を1年延長して5年制とすることを検討した大学もあったのです。
 その後,資料12(79頁以下)に示されていますように,教養課程と専門課程の区分が緩められ,多くの大学で教養部が改組されて,教養課程はそれぞれの専門学部に吸収されるという組織改編がなされたことなどに応じまして,法律専門科目を前倒しで1年生から教えるところも多くなっていますが,それでも,これ以上詰め込んで密度の濃い法律専門教育を行うのはかなり無理なように思われます。先端的な法分野の教育などについては,なおさらです。
 この点で,資料6(45頁以下)に見ますように,ドイツやフランス,あるいはイギリスなどでも,学部で3年とか4年勉強すれば,試験を受けて司法修習に相当する実務教育の段階に進めるのに,なぜ4年では不十分なのかという疑問もあり得ようかと思います。しかし,それらの国では,大学に入る前のギムナジウム等で相当幅広い教養教育を受けてきており,法学部では専ら法律学の専門教育を行うという仕組みになっていますので,事情が異なるのです。
 しかも,わが国の法学部では,いま申した改編の結果,一般教養科目の位置づけが極めて不明確になっており,学生の方でも教養科目離れの傾向があるといわれる状況でありまして,資料12(79頁以下)に示されていますように,大学審議会が再度にわたり,教養教育の重視を強調しなければならないほどですので,法律専門科目にさらに傾斜した教育を行いますと,大学時代に幅広い教養を身につけさせるという機能をますます失う結果となるおそれがあります。
 そのようなわけで,法曹養成のための十分な教育を行うためには学部の課程だけでは不十分であるとしますと,そのうえに大学院の修士レベルの教育課程を積み重ねる,あるいは,法曹養成に特化した専門教育は大学院レベルでこそ行うべきだ,という発想が出てくることになります。それが,いわゆるロースクール構想,あるいは法科大学院構想と呼ばれるものであります。提案者により「ロースクール」とか「日本型ロースクール」,「法曹大学院」,「法科大学院」などいくつかのネーミングが用いられておりますが,いま比較的一般的なのは「法科大学院」のようですので,以下でも便宜上それによることにします。

2.法科大学院構想の概観

 1)法科大学院構想をめぐる議論の経緯

 法曹養成制度改革のあり得る選択肢として,アメリカ式のロースクールを採り入れるというアイデアは,以前からなかったわけではなく,前述の法曹養成制度等改革協議会の席上などでも話題に上ったことがあったようですが,最近の本格的な議論の先駆けとなったのは,柳田幸男弁護士が平成10年2月に発表した論文(「日本の新しい法曹養成システムーハーバード・ロースクールの法学教育を念頭において(上),(下)」ジュリスト1127号111頁以下,1128号65頁以下)であったといえます。
 柳田弁護士は,ハーバード大学のロースクールで客員教授として教鞭を取られるなど,アメリカの法曹教育の実情に通じた方ですが,そのアメリカの法曹教育制度との比較を基に,わが国の法学部教育と法曹養成制度の現状を批判的に分析したうえで,むしろ,これまでの法学部は法曹養成の前提としての一般教養教育を行う場とするとともに,法学専門教育を行う機関として大学院修士課程レベルにアメリカ式のロースクールを設けるべきことを説いたのでありました。
 これに対して,少し後に,大学サイドの方から対案を提示したのが,京都大学の田中成明教授でした。すなわち,田中教授は,前述のような司法試験との乖離現象を含む大学の法学教育がおかれている問題状況を省察したうえで,大学院レベルで広い意味での法曹養成に特化した教育を行うことを考えるべきだが,法学部が行ってきたジェネラリストの養成ということも必要とされ続けるであろうから,法学部は法学・政治学を中心とする高度教養教育の場として存置するとともに,その法学部の一部に,3年次ないし4年次から法曹養成を目的とするコースを設け,3年を修了した時点で大学院に進学できる飛び級制度を利用するなどして,これと大学院修士課程とを連結した形で一貫教育を行うという方式を採るべきだと主張されたのです(田中成明「法曹養成制度改革と大学の法学教育」(平成10年6月。後に『京都大学法学部百周年記念論文集』第1巻53頁以下(平成11年)に公表)。
 このように大学サイドからの構想が登場した背景には,もう一つ,一連の大学改革,特に大学院改革の流れというものが存在しました。すなわち,従来の大学院は研究者の養成を専らの目的としてきたのですが,産業技術の高度化などに伴う社会のニーズもあって,文部省に設置された大学審議会は,昭和63年にとりまとめた答申において,高度専門職業人の養成ということをも大学院の目的に追加することを提言しました。これを受けて,大学院設置基準が改正され,各大学においても,専門職業人の養成を目的とする大学院研究科の設置が進められ,また平成3年以降,それまで学部中心の組織構成であったものを大学院に拠点を移すという大学院重点化の一環として,専門職業人の養成や再教育を狙いとする「専修コース」がいくつかの大学院修士課程に順次設置されました。資料13(83頁)に見ますように,法律学関係でも,現在までに9つの国立大学と2つの私立大学がそのような専修コースを設けております。
 ただ,この専修コースも,欧米のプロフェッショナルスクールに匹敵するほど徹底したものではなく,入学者やカリキュラムの内容なども,法曹養成に特化したものでは必ずしもありませんでした。
 そこで,このような現状を踏まえまして,大学審議会は,平成10年10月に新たに答申を出し,さらに一歩進めて,「高度専門職業人養成に特化した実践的教育を行う大学院の設置」を促進することを提言しました。資料14(85頁以下)はその概要ですけれど,その中で,特に付言して,86頁の下から4番目の段落ですが,この大学院修士課程は,「法律実務・・・などの分野においてその設置が期待される」が,これについては,下から2番目の段落ですが,法曹資格制度とも関連して,「今後,法曹養成のための専門教育の課程を修了した者に法曹への道が円滑に開ける仕組み(例えばロースクール構想など)について広く関係者の間で検討していく必要がある。」という見解を明らかにしたのであります。
 これを受けまして,文部省では,昨年の9月に大学院設置基準を改正し,資料15(87頁)に概要が示されていますように,①専門大学院というものを設けることができること,②この専門大学院は,設置の趣旨に則って,教員と学生との比率を従来の半分くらいにし,また,③実務経験者を相当割合含む専任の教員組織を有しなければならないことなどを定めました。この専門大学院の制度は,さしあたり,ビジネススクールなどを中心にして実施に移され,法曹養成との関係では,後述のシンポジウムなどにおける文部省関係者の話による限りは,司法制度改革の行方を見守る必要があるので,この基準をそのまま用いることにするかどうかはオープンだということですし,後に述べますように,その具体的な要件が現実的に見て法科大学院構想の実現に適するものかどうかは疑問とする余地がありますけれど,少なくとも現行の大学院制度の中では,法科大学院構想に性質上最も親和的な制度枠組みであることは確かです。
 文部省ではまた,資料16(89頁)にありますように,特に法曹養成問題との関係で,大学関係者からなる「法学教育の在り方に関する調査研究協力者会議」というものを設けて,この問題につき議論を重ねてきているということであります。
 他方,司法制度改革の文脈の中でも,いまの大学審議会の答申に少し先立って,自由民主党の司法制度調査会が,法曹の質と量の強化のために,「大学教育における法学教育の在り方やアメリカ合衆国における法曹養成制度であるロースクール方式の導入,さらには法曹資格の付与の在り方についても検討されなければならない。」とする報告を公表していました。また,経済団体連合会なども,「法曹育成を目的とする大学院レベルの法学課程(ロースクール)を新たに開設し,その修了をもって,司法試験の一部を免除することを検討すべきである。」と提言していましたので,それらとも相呼応して,この大学審議会の答申は,大学関係者の間で法科大学院構想についての議論を一気に巻き起こす呼び水となったといえます。
 そして,司法制度の改革を目的とした私どもの審議会が設置されたことが,法曹関係者をも加え,その構想をめぐる議論を加速させる因となったことはいうまでもありません。

 2)法科大学院構想の基本的枠組み

 このようにして,昨年の7月に京都大学法学部がこの問題についてのシンポジウムを開催したのを皮切りに,多くの国立大学法学部や弁護士会,そして今年に入ってからはいくつかの私立大学法学部が,次々とシンポジウムやそれに準じる会合を開いてきております。
 資料17(93頁)は,そのようなシンポジウムなどにおいて示された法科大学院についてのもろもろの提案を,事務局において承知している限りの範囲で集め,議論の火付け役であった柳田弁護士と田中教授の提案をも含めて,その内容を主要な事項ごとに整理していただいたものです。詳細についてご関心のおありの方は,事務局の方に元のものがありますので,是非ご覧になって下さい。
 これ以外にも,いろんな方が,法律雑誌などで独自の提案をなされていますし,前述の文部省の協力者会議においても,なお多様な意見があるようです。ここに集めましたものも,そのほとんどが当の学部や弁護士会の機関決定を経たものではなく,ワーキンググループとか委員会といったレベルの案であり,しかもその多くは,さしあたりの案という性格のものですので,その内容は今後変わっていく可能性が多分にあるということを,ご留意いただきたいと思います。
 そのことを承知しながら,ざっと眺めてみましても,各案の内容は極めて多様であり,混沌とした状態にあるように見えますけれど,細部は別にして,最もキーポイントとなる2つの事項をそれぞれ軸にして整理してみますと,いくつかの型に分けることができることが分かります。それを,イメージ図で示したのが資料18(99頁)です。

 a.学部との関係

 各案の多くを分ける最も基本的な点は,学部と法科大学院との関係をどのようなものとして設定するかということでありまして,その点を軸としていくつかの代表的な案を配列してみたのが,真ん中のところの点線で囲んだ現行の養成制度の左側にあるA~Dです。
 左側に行くに従って法学部との結び付きが弱く,逆に右側に行くに従って,結び付きが強固になっていくのですが,Aに当たるのは,先ほど触れました柳田弁護士の当初の案です。その後,資料17(93頁)の一覧表に見ますように,柳田さんも司法修習の点などについては,かなり考え方を修正されておりますけれど,一番最初にお示しになった案で,法学部は教養学部化して,法律の専門教育は専らロースクールで行うというものです。その対極にあるのが,さきほどの田中教授のこれも当初の案でありまして,法学部の一部と法科大学院とを連結して一貫した法曹養成を行うというもので,Dがそれに当たります。
 その隣のCは,法学部の課程は一応それとして完結させるが,その一部に法曹コースのようなものを設け,実質的には法科大学院と一貫した教育を行うというもので,例えば,東京大学の案がこれに当たります。早稲田大学の案も,これに近いといえましょう。これに対して,Bは,さらに法学部での教育の完結度が高いのですが,ただそこに法曹コースというものは置き,そこで基礎的な科目を履修してきた者については,法科大学院の方でそれを前提にした扱いをするというものでして,例えば,神戸大学の案がこれに当たります。
 このうちAの型については,前に申しましたような法曹以外の道に進む大多数の学部学生にも一定の法学教育をすることが必要かつ有意義であるということや,法曹養成の前提とするためだけに,4年間主たる専攻分野もなく一般教養ばかり教える学部というものは考えにくいということから,大学サイドからは支持を集めていません。
 ただ,わが国の司法試験受験者ないしその予備軍の人たちに基礎的な教養が不足しているというのは軽視し得ないことですので,学部の段階でこれをできるだけ補完することを考える必要があることは確かです。その意味で,法学部における一般教養科目のあり方や専門科目との割り振り,他学部科目の履修等につき,突っ込んだ検討が必要となりましょう。
 また,Dの型に対しても,本来例外的な制度である飛び級が法曹コースについては通常のものとなってしまうのは適切でないことや,法曹コース以外の学生との間で格差がつきすぎるということなどから,一般に抵抗感が強いように思えます。
 そのようなことから,各大学の案は,基本的にBかCかのいずれかの型に属し,あるいはそれに近いといえますが,そのいずれの型も,多かれ少なかれ,学部と法科大学院との教育の一貫性ないし連続性ということは意識して制度設計をしており,その意味では,Dの型と全く異質のものであるわけではありません。
 それでは,そのBとCですが,この2つにどうして分かれるかといいますと,法学部の規模や学生の間の法曹志望者の割合,司法試験でのこれまでの実績,所在地,その他それぞれの大学ごとの事情によっているものと推測されます。すなわち,大規模で,司法試験受験者や合格者も多いところでは,その人達を対象に学部の段階から一貫して法曹養成教育を行おうという考え方に傾く。これに対して,規模がそれほど大きくなく,あるいは東京圏や関西以外の所にあり,司法試験受験者も合格者も少数であるというところでは,法学部の段階でその少数の者だけに余りに特化した教育を行うのは適当でないということや,法科大学院を営むためには他の大学からも学生を集めるか,他の大学と連合ないし連携する必要が強いので,特定の法学部で特別のコースを取ったことを前提にして法科大学院の教育を組み立てるとうまくいかないと考えられることなどから,法科大学院の独立性を高くしようとする。そういうことではないかと思われるのですが,この違いに応じて,例えば,法科大学院の入学者も,Cの型では,自分のところの法学部から進学してくる者が主となるのに対し,Bの型では,よりオープンなものとなる。また,Cの型では,法科大学院に来る学生の多くは学部で相当程度の教育を受けてきたことが前提となりますから,教育内容もそれをさらに深めたり,より先端的な科目を教えたりするというものになり,修業期間も原則として2年程度とされるのに対し,Bの型では,基本的教育からはじめなければなりませんので,3年というのが原則となる,といった違いが出てくるのです。
 しかし,より立ち入って見ますと,C型の案でも,多かれ少なかれ他大学や他学部の出身者などの受入れをも認め,特に,他学部出身者など基礎的な法学教育を受けていない人には,修学期間を1年程度付加して,まず基礎的な法律科目から始めてもらうということを提案しています。反対に,B型の案でも,法学部で然るべき基礎的な法律科目を修得済みの者は,法科大学院における基礎的科目を履修する必要はなく,1年短縮して修了することを認めるとしているのです。従って,どちらを原則にするかの違いはあれ,法学部でそれなりの基礎的な法学教育を受けた者は2年,それ以外の者は3年とするという点で,実質的には,意見がほぼ一致しているといってよいように思われます。
 むろん,C型の案が,法科大学院の修了を司法試験の受験資格とするという制度を前提として,自学部出身者を不当に優先して受け入れるというものであるとするならば,一部有名校の身勝手すぎる考え方にほかならないうえ,大学受験の受験エリートがそのまま優先して法曹となる切符を与えられるのに等しく,特定法学部への入学競争を一層あおることにもなって,結局,司法試験に向けられていた異常な受験戦争を前倒しするだけに過ぎない,といった批判を受けることになるでしょう。それ故,自学部の学生が多く法科大学院に進むことが見込まれる場合には,両者を一貫した教育ということを考えるのが現実的でもあり,また教育上も効率的だとは思いますが,その型によって制度設計する場合には,自学部出身者以外の人に入学の機会とその後の教育の公平性をどのようにして担保するのかが重要な課題となるように思われます。
 また,学部に特別の法曹コースといったものを設けた場合,法律専門科目にさらに傾斜したカリキュラムとなることが考えられますので,早い時期から法律ばかりの詰め込み教育となり,前述のような基礎教養の不足を一層悪化させて,「法律人間」を作り出すことにならないかという懸念も感じられないではありません。そのことも,法科大学院との科目配分や法曹コースでの教育内容・方法を考えるうえで,十分な考慮を要する点だと思われます。

 b.司法(実務)修習との関係

 もう一つの軸となるのは,司法修習ないし実務修習との関係であります。
 この点でも,当初の柳田弁護士案のように,法科大学院に実務家が参加すれば実務修習に相当するようなこともできるから,司法試験合格後は特に司法修習を必要としないという考え方もありましたが,各大学案の多くは,法科大学院においては,実務への架け橋として実際的・実践的な科目も提供するけれど,現在司法修習として行っていることの大部分,あるいは少なくとも実務修習は,司法研修所で行ってもらうという考え方を取っています。実務法曹を育てるためには,実務上蓄積されてきた一定の専門的知識や技能・技術というものを伝授したり,実務家としての心構えを実地に即して身につけさせていかなければならないわけですが,それを大学で行うのは現実的に見て無理であり,また事柄の性質上ふさわしいとも思えないからです。
 一方,図の右の方のEとFは,一部の弁護士会の案をイメージ化したものです。日弁連は,まだ組織としての意見を明らかにしておりませんので,これらが弁護士会全体の考え方となるのかどうかはまだ分かりませんが,一応それによって見てみますと,いずれも,法科大学院での教育とは別に,実務に就く前に一定の修習ないし研修を受けることの必要性は認めます。しかし,Fの型(これは第二東京弁護士会の案ですが)は,その研修を司法研修所を拠点にする現行の司法修習制度によらず,司法試験に合格した者は全員,「研修弁護士」として弁護士事務所で一定期間研修を積んだうえで,それぞれの道に進むという形に改めることを提案します。現在の司法修習制度は司法官僚による法曹養成制度であり,起案などの技術訓練に偏り,要件事実教育などによる現行実務追認の教育にすぎないということと,法曹養成の責任主体を最高裁から弁護士会へと転換し,一定の弁護士経験を裁判官・検察官の任官の要件とすることは,法曹一元の実現への重要なステップとなるということ,などを理由としています。
 これに対し,Eの型は,最高裁が管轄・運営する現在の司法研修所は法曹一元の実現を目指す法曹実務教育機関としてはふさわしくなく,司法研修所が裁判官・検察官へのリクルートの機能を営んできたという意味で官僚制の維持に事実上貢献してきたこと,あるいは裁判官養成に重点があり,法廷実務中心で,現行実務への批判的視点にも欠けることも考えると,法曹三者と大学関係者の共同管理の下に移すことは必要であるけれど,少なくとも実務修習自体は重要な意義を有しているので,基本的に維持すべきだとします。東京弁護士会や大阪弁護士会の案が,これに当たります。
 これらの理由のうち,法曹一元との関係というやや理念的な問題につきましては,その法曹一元ということ自体についての検討をまだ行っていない現時点では,留保しておかざるを得ませんが,実務修習との関係では,進路が未確定の修習生の段階で,裁判,検察,弁護それぞれの仕事の仕方を内部に入って体験できるということは,修習生個々人にとって,自分に適した職種を見つけるうえで有用であるばかりか,それぞれの職種に就いた後の職務遂行や他の職種の実務家との交渉や連携を行っていく上でも重要な意味を持っているように思われますので,仮に弁護士会の立場に立って見ても,無くしてしまうのが得策かどうかは疑問のように思われます。
 資料6(45頁以下)に紹介されている諸外国の法曹養成制度を見ましても,アメリカを除く国々では,いずれも,高等教育機関での法学教育の後に,これとは別に,実務修習を含む修習の制度をおいています。ロースクールを卒業し,弁護士試験に受かった後はそのような修習の制度をほとんど設けていないアメリカでも,新卒者を受け入れる実務界などからは,実務的な技能に乏しいとか,プロフェッションとしての心構えができていない人が多いといった批判が出ているのです。
 さらに,司法研修所で行われている集合教育につきましても,先ほどの第二東京弁護士会案が示すような基本認識に対しては,ほかならぬ司法研修所の弁護教官の間から,「司法研修所での実務教育の実状を正しく理解・評価せず,その積極的意義を無視した,あまりに独善的で偏狭な議論」だという強い批判が出されております。限られた時間の範囲内で,実務家として最低限必要な訴訟実務におけるごく基本的な技能の教育・訓練を行うことこそが司法研修所の役目であるうえ,起案や要件事実教育なども単なる技術訓練や現状追認思考のすり込みにとどまるものではなく,弁護士にとっても重要な分析的思考力の涵養に役立っているし,教育内容の決定やその実施については,弁護教官も,裁判教官や検察教官とは独立かつ対等の立場でこれに当たっており,三者の協働による共通科目なども複眼的なものの見方を教えるのに有効な働きをしている,というのであります(これは,先ほどの第二東京弁護士会の提言とともに,ジュリスト1172号179頁以下(平成12年)に掲載されています)。
 私なども,門外漢ながら,修習生となった教え子などの話を通じて司法研修所のことを日頃多少見聞きしている者として,この見方に共感をおぼえますが,このように弁護士会の内部でも意見が分かれている状況でもあり,司法修習のあり方につきましては,なお慎重な検討が必要だろうと思います。
 また,司法修習ないし実務修習の期間については,法科大学院構想の諸案では,1年とするものが多いのですが,この点は,法科大学院との役割分担をどうするかについての検討を踏まえて,それとの関係で考えていくべき問題だといえましょう。

3.法科大学院構想の主要な論点

 それでは,以上のような基本的枠組みを念頭に,以下,法科大学院構想の内容にもう少し立ち入って見ていきたいと思います。資料17(93頁)の一覧表を後でまたじっくりごらんいただければと存じますが,ここでそれぞれの案の細部までご紹介することはとうてい不可能ですし,また当面の審議との関係でも必要とは思えませんので,最も中核となる法科大学院そのものの中身と,そこへの入口である入学者選抜のあり方,そして出口である司法試験との関係という3つの点に絞って,簡単に紹介させていただきます。

 1)法科大学院の組織・教育内容等

 a.対象

 法科大学院における教育の対象については,これからの法化が進む社会では様々な部門で高度の法的素養を身につけた人がますます必要とされるようになるはずだという認識から,狭い意味での法曹となる者に限らず,公務員や企業法務に進む人などをも含め幅広い層を想定すべきだという考え方も有力ですが,他方,最初からそこまで対象ないし目標を広げて制度設計しますと,最も肝心の狭義の法曹養成という点から見た場合,かえってカリキュラムの内容や構成などがあいまいなものになってしまわないかという疑問もあります。
 また,司法書士や弁理士,税理士等のいわゆる隣接業種にもつながるものとして制度設計すべきだという意見も少なくありませんが,この点は,それらの隣接業種と弁護士との職務権限の区分をどうするか,それらの職種にも一定の条件や範囲で訴訟代理権等を与えるのかといった問題とも連関するところがありますので,その問題についての検討を踏まえて,考えていくべきであるように思われます。

 b.修業期間

 これにつきましては,基本枠組みのところで見ましたように,実質的には,法学部で然るべき科目を履修済みの者は2年,他学部出身者などそれ以外の者は3年という線で,大方の意見は一致しております。
 ただ,司法試験が現在と同じように毎年秋に実施されるとしますと,2年とした場合,法科大学院で1年半足らずしか教育を受けていない段階で受験させることになり,それで果たして「プロセスとしての養成」の実を備えているといえるか,といったことが問題とはなるかもしれません。

 c.教科内容・教育方法

 多くの案は,大きく分けて,法律科目,実際的ないし実務的科目,法曹倫理,文章作成技能や法令判例等の検索技能を訓練するコースの4種類の授業を行うことを提案している点ではほぼ共通しています。これに周辺諸科学をも選択的に教えることを提案するものもあります。
 このうち法律科目についてみますと,一般的にいえば,学部でいわゆる六法(憲法,民法,刑法,商法,民事訴訟法,刑事訴訟法)をはじめとする法律基本科目について相当程度の教育が行われることを前提とする場合には,法科大学院では,それについては演習などによって理解の深化を図る程度にし,むしろ応用的・先端的科目に重点を置くという考え方になるのに対し,そのような前提に立たない場合には,基本科目について密度の濃い授業を行うことを基本として全体を組み立てるという考え方になるといえるように思われます。しかし,資料17(93頁)の一覧表のカリキュラムの項をご覧くださればお分かりのように,より具体的な教科の構成や内容ということになりますと,かなりのばらつきがあります。
 もっとも,法科大学院の修了を司法試験受験の要件とするとすれば,各法科大学院のカリキュラムが一定の共通基準を充たしていることが要求されることになるでしょうから,少なくともコアの部分では統一を図る必要があり,そのうえで,各法科大学院ごとの教育理念ないし方針に応じ,それぞれの創意と工夫によって,さまざまな先端的あるいは学際的科目を用意していけばよいというのが,大方の意見であるように思われます。
 実際的ないし実務的科目についても,その内容にはかなりのばらつきがあるようですが,ただ単に実務家ないし実務経験者の手による,あるいはその協力による授業を並べておけばよいというわけではないでしょうから,前述の司法修習との役割分担をどのように考えるかという点をも踏まえて,どういう理念ないし目標に立ってどういう授業を用意すべきかを検討していく必要があるように思われます。
 教育の方法については,ほとんどの案が,少人数での授業や演習を中心にすることや,教師と学生との問答により授業を進めていくソクラティック・メソッド(判例を使ったいわゆるケース・メソッドもその一種といえます)などの採用を提案していますが,神戸大学案のように,講義形式からソクラティック・メソッド,そしてリサーチ・アンド・ライティングと,学生自身の主体的取組みの度合いを段階的に高めていくということを提案しているものもあります。また,社会的に見れば1個の複合的な事象につき,これまでのように専門分野別にある局面だけ切り取って検討するというのではなく,いろいろな分野の専門家が集まり,協働して学際的な検討を行うといった形の授業も,いくつかのところで提案されております。
 いずれにせよ,教育の内容や方法は法科大学院の真価を決定する最重要事項でありますので,今後さらに十分な検討が加えられる必要があると思われます。

 d.教員の数・資格

 法科大学院における法曹教育を実効あるものとするためには,責任をもって当該法科大学院の運営を行えるような専任の教員団を中核として,その教育目標に沿った十分な種類・数の科目を提供でき,かつ,前述のような少人数授業など密度の濃い教育を行えるだけの数の適格を有する教員がいることが不可欠だと思われます。
 この点で,先に触れました文部省の専門大学院についての設置基準は,専任教員の対学生比を通常の大学院の半分(1:10といわれています)とし,しかも,その相当割合(30%といわれています)は実務経験者であることを求めていますが,これに対しては,特に,私立大学関係者の間から,それだけの専任教員を揃えるのは経営上困難であり,実現可能性に乏しいという声もあがっています。また,実務家ないし実務経験者についても,教育を行う適格があり,かつ専任となってもらえる実務家等を相当数集めるのは,現実的に見て無理なところがあるかもしれません。
 ただ,前に触れましたように,仮に法科大学院の制度を採用するとしても,その専門大学院の設置基準によることになるかどうかはオープンの問題だということですので,まずは,法科大学院設置の趣旨を実現するためにはどのような規模や構成の教員組織が必要かという観点から最適の条件を明らかにしていくことが先決ではないかと思われます。

 e.設置形態・設置数・設置認可のあり方等

 資料17(93頁)の一覧表の一番下の項をご覧いただければ分かりますように,いくつかの案では,法曹人口増を見越し一年の司法試験合格者を仮に1,500名とか2,000名,あるいは3,000名と設定したうえで,法科大学院の修了者の7割から8割は合格する試験となるはずだから,法科大学院全体の学生数はどれだけであり,1校当たりの学生数は100名とか200名だとすると,法科大学院の数は10~20,あるいは30校程度にすべきだ,といったことがいわれております。しかし,そのような計算で人為的に設置数を限定してかかることが本当に適切かは,疑問とする余地があるように思われます。また,仮にそのような考え方を取るとしても,どのようにしてその何十校を選ぶのかは実際的に見て困難な問題でしょう,
 これに対して,法科大学院の修了を司法試験の受験資格にするためには,その前提として,その趣旨にふさわしい教育が行われていることを担保するだけの最低の条件を充たしていることが確認される必要があるが,それを実質的に充たしている限りは,設置を認めるべきだという考え方も有力です。
 この点で,資料19(101頁以下)に見ますように,アメリカでは,「アメリカ法曹協会(ABA)」の審査機関が,詳細な基準を作りまして,定期的に監査を実施するなどしながら,ロースクールの認定を継続的に行っておりまして,多くの州では,そのABAの認定のあるロースクールの修了者でなければ司法試験の受験資格を認めないという制度を取っていることが参考になりましょう。教員の資格や数(最小限,対学生比),最小限習得すべき基本科目と単位数,成績評価,入学者選抜,図書館その他の施設などについて,最低基準が定められているのです。
 それでも,実際問題として用意できる教員数や進学が見込まれる学生数に限りがあるとか,経営上の問題などから,それなりの実力はありながら,単独ではその基準を充たすことが困難な大学も多いという声もあります。そのことからしますと,複数の大学が連合,提携ないしは連携して法科大学院を設置することも可能にするような制度枠組みを考えることも必要となりましょう。さらに,前回の中坊委員のご報告でも指摘されておりましたように,適正な地域配置ということも考えなければならない点だろうと思います。

 2)入学者選抜の方法

 a.「プロセス」の重視とオープンで公平な選抜

 「プロセスとしての養成」という趣旨をここでも活かすとしますと,一発勝負的なペーパーテストよりは,学部での成績や履修の成果がどの程度身についているかといった点を重視した選抜の仕方になるでしょう。
 他方,前にも申しましたように,特に自分のところの法学部に法曹コースのような特別のコースを設け,法科大学院と連携して一貫した法曹養成教育を行おうとするところなどでは,自学部出身以外の人にも公平な入学の機会をどのようにして担保するかということが重要な課題となります。その点から,アメリカのLSAT(LawSchoolAdmissionTest)のような全国統一テストを実施すべきだという意見もあります。
 ちなみに,このLSATとは,アメリカとカナダの190いくつかのロースクールが集まって結成している任意団体が運営するもので,論理的分析能力や数理的能力などを測るマルティプルチョイス式の問題と表現力を見る問題との組み合わせからなっておりまして,年4回実施され,ロースクールへの入学志望者はそのどれかを受けることを要求されます。
 ただ,わが国の場合,全国統一テストといっても,少なくともその法学部出身者に対しては,学部での法学教育の成果を問うものとなるでしょうから,へたをしますと,いまの司法試験について生じているような受験戦争を引き起こしかねないところがあります。また,どのような学生を集めるかはそれぞれの教育機関の教育理念や方針に密接に関係することなので,それぞれの自主的な判断に委ねるべきだという考え方もあります。
 アメリカのロースクールの場合も,さきほどのLSATの成績は入学者選抜の際に考慮される一要素に過ぎません。各校とも入学者選抜専門のセクション(一般に"AdmissionOffice"と呼ばれています)を設けて,そこで積み重ねられたノウハウを用い,LSATの結果のほか,学部での成績や種々の活動歴その他のいくつかの要因をそれぞれ独自の基準によって総合的に評価して,入学者の決定を行うというAdmissionOffice方式を採っているのです。そのようなことから,わが国でも,統一テストとこのAdmissionOffice方式を併用すべきだという意見も有力です。

 b.多様な人材の受入れ

 司法の人的基盤を豊かなものにするためには,経済学や理数系,医学等他の分野を学んだ人をはじめ,多様なバックグランドを持つ人材を受け入れて法曹界に送り出すということの意義も大きいといえます。また,前述のような苦学力行型の人にも入学のチャンスを公平に保障するという意味からも,法学部出身以外の人の入学者選抜をどうするかや,法学部出身者の選抜との間のバランスをどのように取っていくかも重要な課題だと思われます。

 3)司法試験

 初めの方でも申しましたように,今回の法曹養成制度の改革は,一発勝負的な司法試験を中核とするシステムのあり方を改め,司法試験前の教育を重視し,これと司法試験とを有機的に結びつけて,「プロセス」として法曹を養成ないし選別していくというところに主眼があるわけですから,法科大学院の教育内容・方法等がどのようなものになるかを踏まえて,それに対応した司法試験のあり方についても十分な検討がなされる必要があります。
 当初の案には,法科大学院の修了者には司法試験の一部を免除するなどの扱いをすべきだとするものもありましたが,最近の案では,法科大学院の修了を受験資格とする新たな司法試験を導入し,将来的には,これに一本化すべきだとする考え方を取るものが多くなっております。しかし,同時に,一般の方々の間には,現行の司法試験のオープンな性格の利点も軽視すべきでないという声も,決して少なくないように見受けられますので,この点については慎重な考慮が必要とされましょう。
 また,いつか竹下代理からご指摘がありましたように,法科大学院を出たものの司法試験に受からない人たちが滞留することになりますと,結局,現在のような受験戦争的な状況に陥るおそれがありますので,そうならないようにするにはどのような措置を取るべきかについても検討が必要だと思われます。
 さらに,現在まで出されている案では,法科大学院での教育を前提にした新たな司法試験として具体的にどのような方式・内容のものが考えられるのかが,なお明確ではありません。この点は,特に大学側としては,法科大学院構想の司法試験との結び付きが確定的なものではないうえ,大学サイドだけでは決められない問題でもあるため,それ以上に踏み込んだ検討をするのを控えてきたということなのかもしれません。その意味から,大学関係者と法曹三者の意見をも踏まえて,あるべき司法試験の方法や内容を検討していくことが必要だと思われます。

4.継続教育

 最後に,法曹となった後の継続教育の問題について,簡単に触れておきます。
 前の方でも申したように,多様化・複雑化,国際化が進み,変化も激しいと予想されるこれからの社会にあっては,いったん法曹となった後も,先端的で高度な法律知識ないし法的知見を身につけ,絶えずそれを更新していく必要があると考えられますので,継続教育の制度を整備することも重要な課題だといえます。
 資料22の1,2,3(123頁以下)は,法曹三者それぞれの研修制度の概要を示したものですが,裁判所や検察庁では,一定年限ごとの研修が義務化されておりますし,弁護士会の方も,なかなか多様な研修のプログラムを用意しておられるようで,それぞれ,かなりの成果を上げているとうかがっております。
 ただ,2点ほど付け加えさせていただきますと,まず,法曹三者がそれぞれ別々におやりになっている,これはもちろんそれなりの事情がおありで,別に悪いこととは思いませんが,司法修習ではせっかく統一修習を経験してきているのでありますし,法曹全体の一体感を高め,協働関係の利点を活かすためにも,問題によっては,三者合同で,あるいは,テーマに応じた組合わせで,研修を行うということも検討に値するように思います。
 また,各大学の案などでは,法科大学院において法律実務家を対象にした特別のプログラムを組むとか,大学の研究者と実務家の共同による研究プロジェクトや授業を行い,それを通じて,その分野を専門にする研究者や実務家を育てていくといったことも提案されております。

おわりに

 以上,長々と述べてきました。本来のレポーターとしての守備範囲をかなり逸脱したのではないかと思いますが,お許し下さい。

 最後に2点だけ,敢えて申し添えておきたいと思います。
 一つは,以上申しましたような法科大学院構想というものを安易に考えてはいけないだろうということです。以上の報告中のいろいろなところでも触れましたけれど,特に大学サイドの構想に対しては,大学側の身勝手な考え方だとか,生き残りのための方便ではないかといった見方や,これまで何もしてこなかった,あるいはできなかったのに,謳い文句のとおり本当にできるのか,といった声も耳にするところです。
 私はそんな人はいないと信じますが,大学の方でも,いままでの延長で,比較的手軽にできるとお考えの人がもしおられるならば,それは大変な間違いだろうと思います。報告の中でも言及しましたように,これだけの制度や組織を立ち上げるわけですから,教員の面でも,教育内容や方法の面でも,またその他の人的・物的な面でも,相当の労力や時間,資金を投入しなければできません。しかも,これからの社会で国民のために役立つ仕事ができるだけの資質と能力を備えた法曹を育成するという大変な役目を中心となって担うわけですから,その責任は極めて重く,よほどの覚悟がなければ引き受けられないことでしょう。それが成功するかどうかは,社会から厳しく見守られることになるわけですから,まさに大学の浮沈をかけた闘いになると思われるのです。
 もう一つは,そのような大事業であるわけですから,国においても,この改革を意味あるものとして実現するためには,私立大学への助成や奨学金制度の整備などをはじめ,相当程度の公財政支出による強力でかつ息の長いサポートをしていただく必要があるように思います。昨年のヒアリングの際の藤倉教授のお言葉をお借りすれば,決して「安上がり」な改革としてはならないのです。

 そのことを申し述べて,私の拙い報告を締めくくらせていただきます。