司法制度改革審議会

第16回司法制度改革審議会議事録

第16回司法制度改革審議会議事次第

日 時:平成12年4月11日(火)14:00~17:25
 
場 所:司法制度改革審議会審議室
 
出席者(委員)
佐藤幸治会長、竹下守夫会長代理、石井宏治、井上正仁、北村敬子、曽野綾子、鳥居泰彦、中坊公平、藤田耕三、水原敏博、山本勝、吉岡初子
(事務局)
樋渡利秋事務局長
 
1.開会
2.「法曹養成制度の在り方」について
3.閉会

【佐藤会長】それでは、ただいまより「司法制度改革審議会」第16回会合を開催します。
 本日は前々回、それから前回に引き続きまして、法曹養成制度に関して御審議を願いたいと思っております。

 ところで法曹養成制度に関する審議に入ります前に、石井委員からワーク・デザイン・メソッドについて15分程度御説明をお聞きしたいと存じております。

 石井委員からは、何回か、この審議会において21世紀の我が国社会にとって理想的な司法制度を考えた上で、それに向けて現在の司法制度をどのように改革していくのかという方法で議論を進めていくべきだという趣旨の御発言がございまして、その中でワーク・デザイン・メソッドという方法がある旨御紹介いただきました。

 しかしながら、このワーク・デザイン・メソッドがどういうものなのかということにつきましては、審議の時間との関係もありまして、石井委員から御説明を受けるということはありませんでしたので、今後司法制度の改革に向けて審議を本格化していくに当たりまして、是非、石井委員からこのメソッドについて御説明をお聞きすることが私どもにとって非常に有益ではないかと考えまして、石井委員にお願い申し上げた次第であります。

 石井委員にはお忙しい中、大変恐縮でございましたけれども、よろしくお願いいたします。

【石井委員】今、会長さんから過分なるお言葉をいただいて、肩の重荷が更に重くなってしまったような感じになりましたけれども、これからワーク・デザインについてお話させていただきたいと思います。

 昨年の11月9日の第6回「司法制度改革審議会」で、論点整理について意見を述べさせていただいた際、一人10分という制限時間の中で、すべてのプレゼンテーションを終えるということになっていたため、ほとんど説明なしでワーク・デザインという言葉を使わせていただきました。そのとき申し上げましたポイントは、今、会長さんからご紹介いただきましたように、今回の司法改革について今までどおりの欠点列挙法から改善点を導き出すと、どうしても飛躍的な良い結論を導き出すことが難しいんで、今回の審議会においては、このワーク・デザイン手法を使ってみたらいかがかということでありました。

 簡単に言いますと、現在の司法システムの欠点を一つひとつ挙げて、それを一つずつ改善していくことによって、新しい司法システムを構築するのではなくて、初めに全委員で司法システムの理想形というものを考えて、その理想形を全委員が共通に認識して理解した上で、その理想形に現実の姿をいかに近づけるかというプロセスで、単なる改善点でなく、飛躍的な良い結果を導き出したいということでありました。

 この方法によるアプローチで11月9日にお話したかったのですが、残念ながら浅学非才の私には、理想的な司法システムというものを考え出す能力に欠けておりまして、ここでその考えは断念せざるを得なかったわけであります。

 幸い、ここにおられる専門家の皆様方から見れば、その理想形というものをイメージされるのは非常にたやすいことではないかと思います。

 まず、専門家の皆様によって司法システムの理想形というものを考えて、それに現実の形をいかに近づけていくかという方法でアプローチしていくと、この審議会委員の最終目的が共通基盤の上で一致して、議論が他の方向にそれることもなく、きっちりと短時間にまとめていくということができると思ったからであります。

 その後、何人かの先生方から「1度ワーク・デザインなるものについて説明しなさい」というお話があって、本日、ここに少々時間をいただいてお話しさせていただくことになった次第であります。

 そもそもワーク・デザインという言葉は、1959年に、当時ウィスコンシン大学におられたジェラルド・ナドラー博士という方が考え出された問題の解決方法であります。

 ワーク・デザインというと、つい「仕事を設計する」という感じで受け取ってしまうものですから、何かぴんと来ないのではないかと思われますが、ワーク・デザインとは、そこにある図に示すように、「作業設計というような作業研究の分野に所属する手法ではなくて、あらゆるテーマを機能中心にとらえて、その機能を満たす理想システムをデザインし、それから実際に実施可能なシステムを開発しようとする、いわゆるデザイン・アプローチという新しいインダストリアル・エンジニアリング的アプローチ、すなわちIE的アプローチである」というように定義されています。

 いわゆるワークというものをデザイン的なアプローチから考えるというところから、ワーク・デザインという非常に不思議な言葉ができ上がったようで、その後、この考え方がちょっと分かりにくいということもあってか、アイデアル・コンセプトとか、パーパス・デザインとかブレークスルー・シンキングとか、システム・デザインというように、内容に応じて名称を変更されており、また、私もこの間ハーバード大学の先生にお目に掛かってお話していたら、その先生はこれと同じようなことをシナリオ・シンキングという言葉を使っておられましたが、どうも同じ意味で使っておられるようでした。

 言葉の定義については余り深く説明しても意味がないと思われますので、ここではある改善を行う場合に、従来の欠点列挙法で考えていく解決法と、このワーク・デザイン手法を使うと、どのように違う結論が出てくるかをお話してみたらお分かりになっていただきやすいのではないかと思います。

 ワーク・デザインの参考書から何か良い事例がないかと思って調べてみたのですが、どうも「製造工程の改善はこうするとうまくいく」というような工学的な話ばかりが多くて、ここで御紹介するのにふさわしいケースが見つかりませんでしたので、身近な事例について考えてみました。

 ここでテーブルを見渡して、皆様方の年齢から考えると、現在、共通の関心事というのは、いかに自分の歯を大切にして、いつまでも丈夫に噛めるようにして、美味しい食事をし、健康を保っていくかということではないかと思われましたので、これを一つの例にしてケース・スタディをしてみたいと思います。

 まず従来の欠点列挙法で現状の問題点を考えてみますと、第2図のように普通の歯ブラシで磨きますと1番目に、歯と歯の隙間にたまったかすや汚れが取りにくい。2番目に、歯と歯ぐきの間の歯垢、プラークが取りにくい。3番目に、歯ぐきと歯の間のエナメル質でないところを傷めやすい。4番目に、奥歯や前歯の裏側が磨きづらい。5番目に、朝の忙しいときには歯医者が指導している3分以上の歯磨きをすることが難しいというようなことがいろいろ挙げられます。

 そして、これらの欠点を解決するためのアイデアとして、歯ブラシと歯が常にフィットしやすくなるように歯ブラシの柄を少し曲げたり、少し力を入れれば柄が曲がるような歯ブラシとか、歯の隙間や歯ぐきとの間に毛先が入りやすくして磨けるように毛の先を細くした歯ブラシとか、歯ぐきを傷付けないように毛の先を丸くした歯ブラシ、あるいは奥歯や磨きづらいところが磨けるように歯ブラシのヘッドを小さくした歯ブラシ、さらに1本の歯ブラシでバス法とロール法の機能を効率よく行えるように、固さの違う2種類の毛を植毛した歯ブラシ、こういうものが考えられるわけです。

 こういった歯ブラシは、薬局に行くといろいろな効能を並べ立てて所狭しと並べてありますのは、皆さんもよく御存じの通りであります。

 バス法とかロール法というのは、ここの図に示す歯磨きの代表的な磨き方の一つであって、御参考までにお話しておきますと、バス法というのは、歯ブラシの毛先を歯と歯ぐきの境目に45度に当てて細かく動かして磨く方法で、ロール法は歯ブラシの脇腹を歯と平行に当てて回転させながら磨く方法であって、他の磨き方としては、スクラップ法とかフォンズ法とかがあります。

 この図を御覧いただきたいのですが、こういうふうにやるのがロール法、これがバス法なんですけれども、ロール法というのは特にやりにくい磨き方でして、歯の裏をこの方式で磨くというのは至難の技であります。

 そういう考えを突き詰めていきますと、ローリング作業をしやすく、短時間で磨けるようにするために歯ブラシの電動化という考えが出てきます。

 先にお話した欠点を一つずつ直していって生まれたのが、今一般に市販されている、歯ブラシのヘッドを小さくして、奥歯も容易に磨け、しかも人間の手でやりにくいローリングをしなくても、モーターを使って細かくローリングできる電動歯ブラシができあがったわけであります。

 しかし、これらは手で使う一般の歯ブラシの欠点を直した単なる改良型であって、従来の欠点列挙法からでは、到底別の次元の発想には到達しえないということがお分かりになると思います。

 これをワーク・デザインで考えてみますと、先ほどの方法と違いまして、現状の問題点の列挙は行わないで、歯磨きの目的を追求して理想形を描き、その理想形の機能を満足する方法を考えることになります。

 歯磨きの目的を追求してみますと、あそこの図にあるように、歯を磨く、これは何のために磨くかというと、歯垢を取るためです。それは何のためにやるかというと、虫歯にしないためだと。これも何のためかというと、年を取っても自分の歯でいたいということであって、それは何のためかというと、いつまでも健康でいられる。こういう目的があるわけであります。

 アメリカのあるデンタルメーカーがこの図の中のレベル3の虫歯にしないということを目的として、虫歯にしない機能を満たす理想システムの開発を行いました。

 開発グループのメンバーの中に、魚釣りの好きな人がおり、その人が、魚の歯に虫歯がないということに着目し、魚の歯を理想として、人間の歯を魚の歯のように虫歯がないようにするシステムを検討することにしたのであります。

 魚というのは何故虫歯にならないか考えましたところ、魚は絶えず水とか海水でうがいをしているからであるという結論に達したのであります。ここにいらっしゃる皆様から御覧になれば、魚がコーヒーに砂糖を一杯入れて飲んだなんて聞いたことがないのだから虫歯がないのは当たり前だとおっしゃる方があるかもしれませんので、これ以上このことに深入りしないことにいたしますが、先の発想からこの図に示すような歯に間欠的にジェット水流を噴射して、食べかすや雑菌を洗浄するウォーターピックという非常に小さい水噴射装置の製品化に至ったわけであります。余分なことかもしれませんが、これはなかなかうまいネーミングだと思います。普通楊子のことをトゥースピックと言いますので、このウォーターピックを訳すと水楊子ということになるのではないでしょうか。

 これは従来の歯ブラシによる歯磨きの発想の延長では出てこない製品であって、この製品を使った歯磨きシステムでは、従来の歯ブラシは必要ないことになってしまいます。

 また、あるアメリカの大学教授がこの図のレベル4の、年を取っても自分の歯で食べられるようにしたいということを目的として、この機能を満たす理想システムを検討しました。

 その教授は、ある種のサメの歯は生涯に3回生え替わるということを発見しまして、人間の歯も従来のように生涯のうち1回だけ生え替わるのではなくて、サメの歯のように3回生え替わることができるような薬ができれば良いと考えて、バイオ薬品の研究を今進めているとのことであります。

 将来、バイオや遺伝子技術が進歩して、この薬の開発が成功すれば、2~3本虫歯になったら一服飲んで、悪くなった歯を新しいものに取り替えるということが夢でなくなるかもしれないということであります。

 今の図に示すように、従来の欠点列挙法の結論は、現状の製品を改善した電動歯ブラシの製品化にとどまりますが、ワーク・デザインでの結論は、従来にはなかったシステムによるウォーターピックというものができてきたり、バイオ薬品の開発ということになって、ワーク・デザインの結論というのは、欠点列挙法から導き出してくるものに比べて極めて違う次元の発想が導き出されて、いわゆるブレイクスルーが可能になるわけであります。

 したがいまして、今回の司法改革に当てはめてみますと、現在の司法システムの悪い点を一つひとつ挙げて改善していくという方法ではなくて、全く新しい別の発想方法、つまりワーク・デザイン手法に基づいて、司法制度のあるべき理想形を描いて、その理想形を全委員が共通に認識して、理解した上で、その具体化に向かっていかなるアプローチをなすべきかを念頭に置いて審議を進めていくことが大切だと考えております。

 以上、10分程度という制限時間をいただいておりましたので、プレゼンテーションを少し無理して短かくしたため、簡単すぎてお分かりづらかった点もあるかもしれませんが、これをもちまして問題解決方法の一つであるワーク・デザインについての説明とさせていただきます。御清聴ありがとうございました。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。これからの審議のいろいろな場面で、今おっしゃったことが参考になるんじゃないかと思います。

 今のお話について御質問になりたいことが多々おありではないかと思いますけれども、後の審議との関係もありまして、大変申し訳ないんですけれども、これだけは聞いておきたいというものがございましたら、御質問をお受けしますけれども、時間を多くは取りにくいものですから、その辺は御容赦いただきたいと思いますが、いかがでございましょうか。

 こういうときはワーク・デザインから見たらどういうことになりますかとか、また個人的にもお伺いすることがあるかと思いますが、石井委員、本当に今日はありがとうございました。

 それでは、法曹養成制度に関する審議に入りたいと思います。

 この法曹養成制度に関しましては、前々回の審議会において井上委員にレポートをお願いし、それから前回の審議会において小津法務大臣官房人事課長、加藤東京地方裁判所判事及び小島中央大学教授からお話を伺いまして、それを踏まえて前々回、前回と2回にわたって御議論いただいたわけであります。その結果、前回の審議会においては、まず第1に、21世紀の司法を支えるにふさわしい法曹を養成するという点では、現在の制度には問題があるということ、第2に、その問題をどうやって解決するかということでありますけれども、そのために、いわゆる法科大学院構想は、法学部教育との関係、あるいは教育内容などにつきまして、なお検討すべきところがあるものの、有力な方策、あるいは有力な構想であるという点では、委員の皆様の認識が一致したというように理解しております。

 本日は、これまでのこのような御議論を踏まえまして、更に法曹養成制度について委員の皆様で御議論いただきまして、審議会として、ある程度の具体的な方向性を出すことができればと考えている次第であります。

 そこで本日の御議論を始めるに当たりまして、まずレポートをしていただいた井上委員にお願いいたしまして、これまでの審議会の審議における御議論を踏まえ、法曹養成制度について更に検討すべきだと思われる事項について簡単に御説明をいただくことにいたしました。

 法曹養成制度に関するこの段階での審議は、既にお決めいただいておりますように、3回ということでございまして、とりあえずは本日の審議会までということになっておりますので、会長代理とも御相談した結果、本日の審議を充実したものにするためということで、これまでの2回の審議会における審議の内容などにつきまして、井上委員に整理していただいて、御報告いただき、それを踏まえて審議することが適当ではないかと考えた次第であります。

 井上委員には、資料の準備などをお願いいたしまして、大変お忙しいところ本当に申し訳ないことだったと思っております。それでは井上委員から御説明いただきたいと思います。

【井上委員】それでは、簡単に御説明させていただきます。

 今の石井委員のようにビジュアルなプレゼンテーションではなくて、極めて古典的な方法ですけれども、お手元に「法曹養成制度の在り方に関する審議の整理」と題するA3横長2枚の表と、「法曹養成制度の在り方に関する検討事項(案)」というA4の2枚つづりのものがいっていると存じます。このうち表の方ですが、これは一番左に、3月2日に行わせていただきました私の報告の主な項目だけを書き出し、次の真中の欄に、これまで2回の審議、あるいはヒアリングの際の皆様の御発言の幾つかをごくごく要約しまして、左の欄の最も関係すると思われる項目ごとに並べてみたものであります。これらの御意見で指摘された問題点の多くにつきましては、私の報告の中でも触れていたのでありますけれども、中には言及が十分でなかったり、御指摘があったことによって更に考えなければならないと思われる問題点も幾つか浮かび上がってきておりますので、それを思いつくままに、関連するところに並べてみたのが一番右の欄であります。

 御覧いただきながら御説明申し上げますと、今、会長が要約されましたように、前回、我々としては、法曹養成制度の現状には問題があるが、しかし、それを改善するためにどういう方策がいいのかという点では、法科大学院構想というものが確かに有力な案ではあるようだけれども、ほかにも方策がないのか。本当に法科大学院構想が最適の方策であるかどうかは、なお検討してみなければならない。そういうことで認識が一致したと理解しております。

 その検討を進めるためには、まずもって現状が問題があるとされたわけですけれども、その問題とは何なのかという点で認識を共通にして掛からなければならない。これは今のワーク・デザインの発想とは異なりまして、欠点列挙法かもしれませんが、問題が何なのかという点で、どうも皆様の御意見を整理してみましても必ずしも一致していない。各委員の問題意識はかなり多様な広がりを持っているような印象を受けました。そこで、改めてその点を確認するということから始めまして、そのようにして確認された問題というものは、根本的な制度改革を要するほどのものなのかどうかということがまず検討されなければならない。その上で、もしそうだとすると、それではそのための方策としてどういう方策があるのかという順序で議論を進めていくべきではないかと考えた次第です。

 この表の右の欄、一番上の菱形の印のついているところですけれども、その二つ目くらいの下の記載に対応する真中の欄に書いてありますように、職業選択の自由、オープンな制度のメリットの尊重が重要ではないかという御意見が出ましたが、そういう問題も、この改革の要否という点に関わる根本的な問題ではないか。つまり、現行の制度を抜本的に改めて、真に利用者のための法曹を養成する制度にしていく必要があると仮にした場合に、そのことと職業選択の自由の選択、あるいはオープンな制度のメリットの尊重という要請のどちらを優先して考えていくべきなのか、そういう問題ではないかと思われるわけです。

 そして、そういう選択がもしできるとした場合に、それをベースにしながらも、他方の要請にも実質的に最大限応えるにはどうすればいいのかというのが、2枚目の法科大学院のところの右の欄の一番下に書いてあるような公平性とか機会均等の担保ということをどう実現していくかという問題ではないか。そういうふうに思われるわけです。

 また、この2枚目の表の真中の方にありますように、法科大学院を設けるとしても、大学から切り離した方がよいのではないか。あるいは、法曹三者、特に弁護士を主体にしたものにすべきではないか。こういう御意見もあったわけですけれども、これは結局、法科大学院なるものに何を期待するのか。そこで何を教える機関と考えるのかということに懸かってくる問題であろう。そして、それはさらにさかのぼれば、現状で何が最も不足しており、手当てが必要だと思われるのか。また、その中で司法修習との役割分担をどのように考えるのかということに帰着する問題ではないかと思われるわけです。

 その点は言葉を変えれば、法曹養成過程における法学教育と実務教育との関係や、それぞれの配置というのをどう考えるかという問題であるわけでありますけれども、いずれにしろ、現状のように両者が乖離した状態というのは好ましくない。それを実質的に融合する方向が望ましいという点では、皆様の御意見は恐らく一致しているというふうに思われますので、そのような検討を行うに当たっても、大学人だけで、あるいは実務家だけであれこれ議論しているというのではなく、やはり両者が協同して知恵を絞り合って適切なものをつくり出していくということが必要とされているのではないか。そのことも、これまでの御意見に含まれた重要な点ではないかと思われるわけです。

 そのような考え方から、私の報告で言及しておりました問題点と、一番右の欄のこれまでの審議から浮かび上がってきた問題点というものをまとめまして、本日御検討いただいてはいかがかと思われます論点を整理したものが、お手元のA4の2枚つづりの「検討事項(案)」というものでございます。

 まず第1に、法曹養成制度の現状の問題点はどこにあり、それにつき抜本的な改革を行う必要が本当にあるのかということを改めて御確認いただく必要があるだろう。

 この点は先ほど申しましたように、皆さんの認識が必ずしも一致していないかもしれない、あるいは明確でないような印象を受けるということを申しましたが、これは恐らく私の報告が至らなかったことに最大の原因があるのではないかと思われるわけでして、詳細にわたって繰り返すことはいたしませんが、大体こういうふうな問題としてとらえていたんだということをごくごく簡単に要約させていただきます。

 すなわち、現象面から申しますと、今の司法試験受験者や受験者予備軍、あるいは合格して法曹になってきた人たちについて、いろんなことが言われているわけですが、一番心配されることは何かと言いますと、一つは、幅広い法律知識や法の原理的・体系的理解がどうも不足してきているのではないかということ。

 また、そういうものを基にして自分で問題を発見し、法的な枠組みの中で問題を解決していく、あるいはその解決策を見つけていくという能力が弱くなってきているのではないか。全体としてそのような傾向が著しくなってきているのではないかということが最も心配されるところだろうと思われます。

 そして、これはどういうことから出てきたのかということなのですが、この点で、私の報告で予備校のことに言及し過ぎたせいかもしれませんが、どうもそちらの方に責任をおっかぶせ過ぎているのではないかという印象を強く持たれた方々が少なくない。これは中休みの時間に雑談などをさせていただきますと、そういう印象を持っておられる方が少なくないということを知りまして、反省させられているわけですが、私の報告の趣旨としては、受験者がだらしないとか、予備校が悪いんだということではなく、また、数をどんどん増やせば済むという問題でもなく、より根本的に、今の法曹養成制度の基本にある正規の法学教育を制度的前提としない資格認定とか法曹養成のシステムというものが、果たしていいのかどうか。それでいいのかという問題ではないかということなのです。

 法曹という高度の専門職、プロフェッションであるわけですが、それになるために、例えばお医者さんがそうであるように、専門的技能はもちろんとして、それに要する専門的学識というものも備わっていないといけないのではないか。そういうふうな考え方からしますと、諸外国のように、法学教育というのを制度的前提にした養成制度というものにすべきではないかとも考えられるわけです。

 むろん、我が国のような制度も、私の報告の中で触れましたように、メリットもあったわけですが、しかし、今考えないといけないのは、基本的な仕組みとしてそれでいいのかどうか。特に利用者である国民にとって良質な法的サービスを提供する専門職として、法学専門教育というものを前提にしなくていいのかどうかということだろうと思われます。殊にこれからの社会が複雑化し、多様化し、国際化するということになりますと、そこで要求される専門的技能もそうですが、専門的学識も高度なものになっていくことは必至だろう。これは、国際的に活躍する法曹に限ったことではなくて、ホームローヤーというものについても多かれ少なかれそうであるかもしれない。そうだとすれば、それに対応し得るような高度の法学専門教育を制度的前提にした資格認定とか法曹養成のシステムにしていく必要があるのでないかと考えられるわけです。

 翻って、その点で、これまでの大学における法学教育の在り方、その実情というものを見てみますと、問題は多々ある。その問題は何かといいますと、恐らく2点ありまして、一つは、基礎教養の教育という点でも、専門の法学教育という点でも、いずれも中途半端で不十分であったのではないかということでありまして、この点は否定し難い点だろうと思います。

 特に社会が発展して高度化、複雑化していきますと、法律の分野もどんどん広がりを持ってきますし、内容的にもどんどん高度なものになっていく。それについて十分教えるというために、学部4年の課程、一般教養を教える時間を除きますと、実質2年とか2年半くらいだと思いますが、それで十分かと言いますと、これはかなり無理になってきている。そういうところがあるわけです。

 そういうこともあって、結局、かなり中途半端なものにならざるを得なくなっている。

 もう一つは、実務との乖離ということでありまして、この点も否定し難いところだろうと思われます。これも、一つには、大学の法学部では法曹養成というものに特化できないという事情がある。そのことは、私の報告の中でも申し上げたとおりですが、その結果、法曹養成ということを視野に入れた制度設計をしてこなかったし、また、教員の面でも、法曹との人事交流というものを余り積極的にやってこなかった。そういったことから生じてきている現象ではないかと思われるわけです。

 そういうことを考えますと、結局、法学部というものに加えて、法曹養成に特化した何らかの教育機関を設ける。そのことによって、全体として法曹養成制度の中の基盤になる法学教育、専門的な教育というものも変えていくべきではないか。そして、それと実務教育や司法試験ないし資格認定を有機的に結びつけた、いわばプロセスとしての法曹養成システムにしていくべきではないか。それが、法科大学院構想の基盤にある考え方ではないかというふうに、私としてはとらえたわけです。

 以上のことを一つの参考にしていただいて、問題点が本当にそういうところにあるのかどうか。それを改めていくとしても、そういう方向で本当にいいのかどうかということを考えていただければと思います。それが第1番目の点です。

 第2は、そのための方策はほかにないのかということですが、これも、そこに三つほど考えつくものを列挙していますけれど、ほかにも方策があるかもしれません。それらのうちによりよい方策がないのかどうかということを御検討いただければと思います。

 そして第3に、仮に法科大学院構想というものを採るとした場合、あるいはその評価は一たん置くとしても、その法科大学院というものの在り方・内容をどのようなものとしていくべきなのか。そういうことについても御検討いただく必要があるだろう。

 そういう順序で御議論をいただくのがよいではないかというふうに考えた次第です。これは、あくまでも皆様の御参考にしていただくという趣旨で書き出したものです。以上です。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。

 これから法曹養成制度に関して御議論いただこうと思いますが、前々回および前回の2回は余りテーマを絞らずに委員の皆様のフリートーキングで審議を行ってまいりましたけれども、本日はある程度テーマを絞りまして、順次御議論いただければと考えております。

 今の井上委員による整理を踏まえますと、お手元の検討事項(案)にありますように、本日の審議は大きく分けて三つございまして、第1に、法曹養成制度の現状の問題点はどこにあるのかということであります。それにつきまして、システム全体の抜本的な改革を行う必要があるのかどうかということをまず御確認していただきたい。

 その上で、第2に、その問題点を解決するための対応策としてどのようなものが考えられるかということであります。有力な方策であるとされた法科大学院構想が本当に最適な方策なのかという点について御議論いただきたい。

 第3に、法科大学院構想をどう評価するかに関連して、あるいは評価とは別に、法科大学院構想の枠組み、その具体化に当たって検討すべき項目、その在り方をどう考えるかという問題があるかと思われます。

 いま三つ挙げましたけれども、この順番で御議論いただくのがよろしいのではないかと考えております。

 これらの点につきましては、これまでの御審議の中でも既に委員の皆様から様々な御意見をいただいておりますけれども、改めてこれらの点について順次御審議いただければと考えている次第です。

 それでは、まず最初に、法曹養成制度の現状の問題点はどこにあるのかという点であります。

 井上委員の御報告やこれまでの皆様の御意見では、検討事項案に要約された事項が中心になるかと思いますけれども、まずこの点についていかがでございましょうか。

【中坊委員】私、率直に大変失礼なことを申し上げてなんだと思いますけれども、井上さんのこの報告は、まさに先ほど石井さんのおっしゃったように、現状の欠点を出して、どう改良していくかという物の考え方に立っています。井上さん自身がおっしゃったとおり、私はこれでは21世紀我が国の司法が果たすべき役割ということを前提とした発想に基づく議論にはなっていないと、私はそう思うんです。だから、物の考え方の出発点が間違っておると私は思います。この議論で議論をなさると本当に迷路に入ってしまうんではないかという気がします。

 私は、まず第1に、非常に抽象的なことから始めるようですが、我々は言うまでもなく21世紀の我が国司法が果たすべき役割というものを論点整理の中で三つに分けました。一つは、150年経ってなおかつ我が国のかたちの中で法が社会の血肉と化していない。国民の一人ひとりが統治客体意識から統治主体意識になっていない。そのためには、まさに法曹が社会生活上の医師にならなければならない。この3点を21世紀のあるべき姿としてワーク・デザインとして我々はデザインをしたわけです。

 また、その問題をどうしたら、討議できるのかということについて、まず制度インフラと人的インフラと二つがある。すなわち担い手問題と制度改革の二つがある。どちらかと言えば、その担い手問題が中心であるということについても一致してきたわけです。

 その担い手として、司法制度の担い手としては、法曹の9割方を占め、まさに市民と司法とを結ぶ接点にある弁護士の在り方に問題がある。この2月に私自身がリポーターとなりまして、弁護士の量と質両方ともが問題である。社会に信頼されるべき弁護士になっているだろうか、能力が十分あるだろうか、信頼され得るものになっているだろうか、そもそも数がこれでいいだろうかということを我々は2月にやってきたと思うんです。

 だから、飽くまでそれが基礎になって、そのためにどう法曹養成はあるべきか。いわゆる登山口から裾野へ我々の論議を進めなければならないというのが、我々が今進んできたやり方であります。

 そうなってきますと、例えば人口問題にしても、今、弁護士が1万7,000人で、そして司法試験合格者は1,000人ですが、合格者を750人から1,000人に上げようと思えば、既に修習期間は半年短くしなければできない。こういう現状になっておるわけであります。

 しかし、今弁護士1万7,000人ですと日本の人口で割れば7,000人に一人の割合しか弁護士がいない。これで果たして弁護士の人口として適正なのか。これは全然足りないんじゃないか。フランス並みにするにしたとしても、5、6万人の人が要る。そうすると、逆算すると、新しく司法修習を終えて弁護士になる人を年間2,000~3,000人我々が養成しないといけない。しかも、単に量だけではなしに、質が問題だと。そのためには弁護士のどこが欠けているか。一番欠けているのは公益性ではないか。公益性を中心とした弁護士業務の見直しをしなければならないのではないか。

 その公益性というものをどのように延長していくかということで、裁判官の指名があったときには裁判官にもならないといけない。また、日ごろ公益的な職務を行わないといけない。そして、後継者も自分たちの手で養成していくという公益性を帯びないといけない。そういう議論をもって、今、我々は裾野として法曹養成制度を今問題にしておるのであります。今おっしゃるように、現状において何が問題であるかということは、勿論、我々として理解もしておりますし、それなりの共通面はあるわけですが、そこから出発したり、直していけば、まさに先ほど石井さんがおっしゃったように欠点を全部挙げて改良型で直していくということでは、抜本的な改正というのはほぼ不可能になるのです。今のをどう手直しするかという論議ではなくて、大変井上さんには失礼ではありますけれども、今まで我々がずっと十何回まで審議してきた一つの流れの中において、今回の法曹養成も論じなければ。弁護士の在り方というのも、今1万7,000人を1万9,000人にしたらどうかとかいうことは私は申し上げていない。あるべき弁護士の姿。それは今の弁護士のままでは駄目だ。それは量・質共において駄目だということが前提になって、今の弁護士としては考えにくいような改革案を私としては出しているわけです。それを実現するために必要な法曹養成とはいかにあるべきかという議論で出発しなければ、現状のままで司法試験がどうのこうのと言ったら、人口動態、これからもっと減りますよとか、受験数が減りますよと言い出したら、途端に何もかも変わってくるんで、そういうものにあるわけではない。

 もっと社会全体の中に法が血肉と化すためには、社会のすみずみにまで弁護士が出ていかないと。しかも今おっしゃるように弁護士自体がジェネラリストでありまして、今まさに井上さんのおっしゃったように高度の専門的なことについては、また能力的にも不足しておる。

 そのようないろんな問題が弁護士の中に出ておって、それを根本的に直すためには出発点としての修習制度はいかにあるべきか。その前提として、司法試験はいかにあるべきか。そして、この法曹養成はいかにあるべきかということから論じないと、せっかく今まで論点整理から私の弁護士改革までを論じてきた、今までの流れと、今おっしゃるように突如、今度はまた現状の問題点で司法試験の在り方から考えてやっていきましょうやというのでは、論議の仕方が、結論は同じところに行くのかもしれないけれども、右から行くのと左から行くのとでは大違いで、私はそうしないと、必要性というのが出てこないと思う。

 こういう弁護士像を生むためには法曹養成はかくあるべきだという。それが説得力、迫力になって、いろんな構想についても実現していかないといけない。そうでなければどんな制度だって、出せば長所と欠陥は必ず出てくるんだから。それを実現していく力というのは一体どこにあるのかということから我々が情熱を持ってこの問題を論じなければ、この中で欠陥だけを言って、それを手直しするという議論にすれば、途端に全体との論議とがかみ合わないようになってきて、かえってちぐはぐなものになってしまう。

【佐藤会長】御趣旨はよく分かりました。井上委員のお話は、抜本的改革ということを視野に入れながら、現状をどう認識しておくかということであったと思うんですけれども。

【井上委員】中坊先生のような方から考え方が間違っていると言われますと、そうかもしれないとも思うのですけれども、弁解になるかもしれませんが、レポーターの役割をどう考えるかという点で、私としては、現状の制度のどこに問題があり、どういう議論がなされているかということを整理して、皆様の御審議の参考にしていただく、それがレポーターの最低限の役割だろうと思うのです。この点は、度々確認させていただいたことでして、私としては、それを忠実に果たしただけと言えば、それだけなのです。

 もう一つ、弁護士改革というのが非常に重要であるということは分かるのですが、中坊委員の描かれたピラミッド型の構想というところまで、我々は必ずしも一致しているわけではないわけで、中坊委員の頭の中では、法曹養成制度の改革というのはそういう位置づけかもしれませんけれども、まだ我々はそこまで議論が煮詰まっているわけではない。ですから、ご自分の構想を前提にして、あなたのプレゼンテーションは間違っていると言われても、私としてはどうしようもないところがあります。

 もっとも、それはどちらでもいいことでして、問題は実質だと思うのです。そして、その実質においては、私も中坊委員の言っておられることとそれほど違わないのじゃないかと思います。今日は、これまで進んできたここ2回の議論を整理して、それでは何を議論しないといけないということで、まず問題点を確認して、抜本的改革が必要かどうかということから始めるべきではないかと申したわけですけれども、前々回の私の報告自体の中では、あるべき法曹というのはどういうものであるのかというところから議論を始めるべきだと思いまして、そこの整理からやったつもりです。

 今日の話も、問題として現れているところを、それをただパッチワークのように修繕すればいいということではなくて、あるべき姿に照らして、根本的に改めるべきかどうか、そういう議論をすべきだろうという趣旨で申し上げたつもりです。そこのところは、アプローチの仕方は違うかもしれませんが、実質はそんなに違わないのではないかと私は思っています。ですから、失礼でも何でもありません。

【佐藤会長】矛盾しているのではないということですけれども。では、鳥居委員どうぞ。

【鳥居委員】私はこう思うんです。どのような法曹制度をつくるべきか、あるいは現在の法曹制度のどこに問題があるかという設問と、21世紀の将来をにらんで、国のかたち、法が社会の血肉と化すという観点から、狭い意味の法曹ではなくて、もっと広い意味のローヤーの教育養成が必要かという観点と、若干設問の仕方が違うように思うんです。後者の方がずっと広くて、かつ今、日本が緊急を要する問題のように思うんです。

 もし、それを無視して通り過ぎますと何が起こるかと言いますと、必要な分野について、どんどん専門学校や予備校まがいのものができていきます。今の学校教育法で言うと、学校教育法第1条にうたわれている学校のことを第1条校というわけですが、第1条校ではない学校が次々とできてそれをやっていってしまうのではないか。

 具体的に言うと、昔からの法曹三者、これについては数が足りない、質の問題があるというのは明らかだと思いますが、そのほかに、今、日本が緊急に必要としているのは国際法務だと思うんです。その国際法務についてはほとんど教育の機関が存在しない。現実問題として、国際法務について徹底した法務調査とか、交渉とか、法律実務、契約実務、訴訟実務をこなせる人は日本に何人いるのかと考えると、足りないと思うんです。

 それから、もう一つ非常に重要だと思うのは、法律は一体だれがつくるんだという問題です。国のかたちをつくるということは法律をつくるということです。かつては帝国大学の法学部の先生方が、例えば商法と言えば鈴木先生とか、名前と直結していた先生がいたわけですけれども、今、日本に本当にたくさんある法律の多くは、実は官界がつくっているものが多いわけです。むしろ議員立法の方が異例な法のつくり方であるという実態が存在しているわけです。

 どうしてそんなことが起こるかと言えば、やはり法をつくる能力を持った議員秘書とかシンクタンクからの提案も出てこない。それよりも私は官界自身がどんどん法律をつくっていいと思うんですが、その場合に法の実務に精通した官僚が育っている必要がある。それが21世紀の日本の強さをつくると思うんです。

 それから、税務についても行政についても、国際特許についても、あるいは医療についても、少し極端かもしれませんが、安全保障の法実務などはほとんど今日本で教えているところはないわけです。

 だから、例えばどこかのゲリラが入ってきたというときに、一体警察が動くのか自衛隊が動くのかというのは法の騒ぎになるわけです。その辺の整理をつけようという人が今官界では生まれ得ないという状況を考えると、今日本が考えるべき広い意味のローヤーの養成、つまりロースクールというのは、それを、あるものは博士課程でやり、あるものは修士課程でやり、あるものは学部課程でやり、あるものは専門学校式でやってもいいと。それを全体を視野に入れた議論をした方が、この審議会としては健全じゃないか。もし、この審議会でとてもこなし切れないとすれば、ワーキンググループでも何でもいいですけれども、そういうもので一度考えてみる必要があるんじゃないか。

 その議論に足を一歩踏み込まないと、先ほど来、中坊先生が言っておられる問題、中坊先生は随分広く言っておられるようだけれども、それでも私に言わせるとまだで、先生の世界の限界内で話をしておられるように思うんです。

【中坊委員】鳥居さんのおっしゃっていただいたように、その前に法曹資格というのがあるわけです。司法試験を通って司法修習を終えたらね。その法曹資格を得た者がこれからいろんな、今、鳥居さんのおっしゃるように、何も弁護士とか法曹三者になるだけじゃなしに、行政へも立法機関へも企業へも、あちこちに発展していかなきゃいけないというものとして、それは期待されるものですよ、なおかつもっと現実の問題としてほうっておけないのは、隣接業種との問題なんです。税理士さんとか司法書士さんなど隣接業種の人たちが14万人もいやはる。その人たちとの関係を協働ということで言います。しかし、その問題がそれでは、ロースクールはそことどういう関係に立つんだと。そういう現実的な問題も踏まえないと。大学の教育がどうだこうだと言うのは、教育のどこに問題があるかという側から来る論理じゃなしに、こちらの原理から、つまり21世紀の司法、そして、そこに出てくる法曹、隣接業種を含め、あるいは鳥居さんのおっしゃるようなところまで含めて、それをどうやっていきますかというところから考えなくてはならんわけです。とりあえずは弁護士が一番中心ですから、弁護士改革をやりました。関連業種も14万人もいます。数だってそこでどう決まりますかと。

 今おっしゃるように、すべての問題は合意もされていませんから議論しませんと言って、そして、ここだけをよそへ下請させましょうとか何とかいう議論になってくるとなると、本当に本末転倒の議論になる。右と左から議論する仕方はかなり差があると思うわけです。

 だから、今の大学の司法試験の現状、受験校の在り方という現象面、それは勿論踏まえているんですよ、私たちは。踏まえているけれども、それも勿論考慮の中には入るけれども、一つの要素ではあります。しかし、決定的な背骨をつくるというところには入らない。だから、背骨というものを、決めてきた中における法曹養成だということにならなければ、我々の議論というものは、少なくとも21世紀の我が国において司法が果たす役割を明らかにした上で、となっているんだから、その意味では井上さんには大変失礼かもしれないけれども、現状の問題点から入ってきますと、非常に問題がいびつになってきて、かえって混乱を招くのではないだろうか。

【佐藤会長】さっきも井上委員がおっしゃったように、現状が問題であるからそれをどうするかということではなくて、現状は現状として認識して、しかし、我々の姿勢としてこれからの21世紀の司法のあるべき姿から抜本的な改革を考えようじゃないかということではないでしょうか。鳥居委員、中坊委員がおっしゃったようにね。そういう考え方に矛盾するものではないと私は理解しておりまして、まず最初に井上委員は、現状はこういうことですよということを念のためおっしゃったんで、そこは。現状については、前回の審議においても大体御理解いただいたんではないでしょうか。

【中坊委員】ところが、今おっしゃる21世紀の我が国のあるべき司法、弁護士の在り方、あるいは到達点、法曹一元を含めても、あるいは隣接業種にしたって、何も決まっていませんと言って、ここだけでどう入っていっていいのか、具体的な議論にならないのではないか。ある程度、全体がこういきますよという下においてのここでないと。弁護士改革、それは中坊がリポートしただけです。しかし、その中においても、少なくとも三つほどは認識が一致しました。まず、人口は大幅に増員しなきゃいかぬということにおいてみんなの認識が一致しました。次に弁護士の仕事というのは、代理人性と公益性と事業者本人としての金が儲かるかどうかの問題はあるけれども、公益性を一番強調しなきゃいかぬということについても一致しました。ひいては、活動領域も非常に拡大しなきゃいかぬという意味では一致しましたよという、我々も一致したところはあるわけです。

 数そのものについては私は、フランス並みと言いましたが、しかし、そのときにも前提が付いているわけです。関連業種との関連をどう調整するかによって違いますと。そうしたら、毎年何人の法曹を送り出すかということが関連業種との関係も何も分からないまま、ただ言っていいのかどうかという問題点もある。だから、ある程度我々のおおまかな構想というものが決まって、法曹養成も決まっていかないと。

 そこは今おっしゃるように、たしかにまだ何も議論していません。だったらリポートだけにして、一致するところは一致したくらいのことにしてなさらないと、前へ議論が進んでこないと思うんです。

 だから、ここだけを今言うように、今の大学教育の在り方については問題がありますと。ロースクールも一つの有力な意見ですというなら、私もそれはいいけれども、これが、すべてを考えた上で、ロースクールが唯一の方法である。これを具体的にどうだということにはならないと私はこの前言うたんでね。その辺をもう少し整理していただかないと、その点がまだ問題だと思うんです。

【井上委員】おっしゃることはよく分かりましたが、やはり余り違っていないと思うのです。中坊先生の報告に基づくこれまでの審議を踏まえた上で、法曹としてあるべき姿を考えていくというのも、当然でしょう。また、鳥居委員がおっしゃった、法曹というものがもっと広い意味の、言わば有為の人材を供給するものとなっていかなければいけないということも、昨年のヒアリングの中でも佐々木さんなどが言われた点ですが、それもそのとおりだと思うのです。

 さらに、隣接職種の問題も関連するということは確かだと思うのですが、その点は、その隣接職種自体にどういう権限を与えるのかということと密接にからんでくる問題なものですから、そのことを視野に入れながら議論しないといけない。そのことの検討を抜きにして、いきなり隣接職種まで拡げて「法曹」ととらえて法曹養成を考えるのは早計だと思うのです。その意味で、今の段階では余り立ち入らなかったのですけれども、いずれにしろ、この法曹養成の問題も、今この時点ですべて決めてしまうというものではなく、中坊委員もおっしゃるように、局面局面で議論をし、次の問題はそれを踏まえて議論をし、一歩一歩進めていく。そうして、最終的に全体像が見えてきたときに、最終的に決めていくものだと、私はそういうふうに認識しています。

 法曹養成の問題も、大きくかつ広い目標を立てて、それに向かって進めていかないのはもちろんですが、そこにいく前に、既に問題は起こっている。つまり、狭い意味での法曹養成自体が今大変な危機に陥っているのではないか。そして、これは、大きく拡げていくにしろ、一番基本になるところですので、まず、狭い意味での法曹養成に特化して、どういう改革の方策があるのかということをまず考えてみよう。それが成功すれば、それがより広い分野の人材の供給源にもなっていく。そういうアプローチの仕方がよいのではないか。そういう意味で、狭義の法曹養成に絞ってお話をしたわけです。

【竹下会長代理】私も今、井上委員がおっしゃられたことと大体同じなのですが、井上委員は、決して法科大学院構想が唯一の解決策であるということを言っておられるのではないと思いますし、私も今日の議題をどうするかということについて事前に打合せをしたときに、そういう物の考え方で今日御議論いただこうと思っていたわけではないわけです。むしろ出発点は、中坊先生が言われるとおり、現在の法曹にはいろいろ問題があるということです。そうだとすれば、現在の法曹養成制度から出てきた法曹なのですから、その法曹に問題があるなら法曹養成制度を再検討する必要があるのではないかということになるわけです。

 その再検討をする場合に、現在の法曹養成制度のどこが問題かということを皆さんで御議論いただくときの素材として、井上委員は全体としての法曹養成制度を個別の部分としての、司法試験の問題、法学教育の問題というように分けられたのであって、決して現在の個々の制度の欠点だけを直せばよいというような、そういう発想で問題提起をしておられるのではないと私は考えています。

 ですから、中坊先生の言われることと氷炭相容れないようなことではないと思うのですが、いかがでしょう。

【中坊委員】そういうことをおっしゃるなら、最後に結論みたいことを逆に申し上げて失礼だけれども、私は逆にロースクールは唯一の問題解決する方法だと思っているんです。それは全部を見通したって、これしかほかにない。例えば今の修習期間を、今のところで1,000人でも1年半になって、裁判官や検察官で教官が足りなくて、弁護士だって教官にそんなに来られないんだから、それだったら今みたいに自発的に来てくれじゃなしに、弁護士が本気になってやる。法曹が教えに行くということにならなければ。あるいは今度は大学の先生もどうだとか、いろいろ問題があると思うんです。

 私たちも非常に長期間にわたってこの問題を決められるならいいですよ。非常に限られた時間内に決めていかなきゃいかぬときに、何もかもが有力だ、何々がこうだと言っていたら。私の言うているのは、一番最初大枠を決めた。弁護士についても決めた、それを踏まえて、それではこちらもこう決めていきましょうという形にならないと、これはみんなが有力だ有力だと言っておったら、そのうち決めます決めますと言っているうちに、もう1年来よるわけだから。その間にアメリカとかに行かなきゃいけないでしょう。こんなにしたら先生、できしませんで。

 私は法曹養成というものについて、結論としては、今おっしゃるように、これ以外ほかにあるのかな。これは試みるべきことではないかなと私は逆に思っているんだけれども、思う方法が今のままでいったら、ならへんやないかと。弁護士もちゃんとようならへんやないかと。だから、弁護士さん自身が自己改革をしてもらわなければしゃあないという前提に立って、それを踏まえて、私はこの法曹教育もどうあるべきだと考えないといかんということを言っているんです。議論をするのにこういう積み重ねが来て、積み重ねの上にこうしてやっていきますという論法にしないと、みんながふわっと決めておいて、ある日突然まとまるというわけにはいかない。

 だから、この議論の在り方が、最初から申し上げたように、井上さんのおっしゃるように、ぱっとまだ現状からの問題やらが挙がってくると。勿論、それは必要なんですよ。司法試験合格者が受験者に対し1%台~3%にしかならないということも分かったし、研修が2年のものが1,000人に増やしただけで半年短くしないといけなかった。それでは、研修所というのは本当に一つでいいのかどうか。もっと地域にも要るんじゃないかという議論が先に出てこなければ、そういう修習の在り方というのが変わってこなきゃ。

 弁護士さんの公益性をどこまで義務づけるんだというところまでいかなければ、それはすべての議論が具体性を持って討議の対象に入ってこないんですよ。この審議会において、かなりのスピードで、しかも全体を我々としては一定の期限にやらなければいけないんだから、そういう意味における議論があるべきではないか。

 だから、何もかもが、まだ、まとまっていないからと言うて、何もかも先送りにして、関連業種も決まってへん、法曹一元も決まってへん、これも何も決まってへん。ただ、現状から言ったらこうですという問題点だけを議論している時期ではないということを言っているんです。

【佐藤会長】まさに今日は結論をお出しいただこうかと思っております。

 現状の問題については、ほぼよろしゅうございますか。

【山本委員】いろんな議論があるんですけれども、予備校化とか、競争率が高くなるというのは、これは司法試験に特有な現象なのかということについては議論がないんですね。聞いてみると、弁理士さんとか、公認会計士の先生に聞くと、同じような現象があるんだそうです。

 最初にこの審議会は何をすべきかという議論があるわけですが、司法制度あるいは司法試験の問題だけに限定された議論では、さっき先生おっしゃったように視野が狭過ぎるんだろうと思うんです。そこのところはよく考えないといけない。

 いずれにしても、どういう方法を取るにせよ、合格者の限定というのはするわけですから、ロースクールであろうが何であろうが限定するわけですから、そこにまた同じような問題が出るということはよく考えておく必要があると思います。

【佐藤会長】今の点、井上委員、何かお答えになりますか。

【井上委員】予備校への依存は全般的な問題であるというのは、そのとおりだと思います。ただ、法曹に絞った議論をすべきだと申したのは、先ほどのような趣旨で、そこが一番核になるからです。

 しかも、狭い意味の法曹については、ほかの業種とくらべても、さらに問題は規模の点でも質の点でも深刻な状況になってきているのではないか。これはやはり職務の質の違いということがあるわけでして、かなり技術的な色彩の強い職種と、必要とされる法律専門知識においてもより高度で、扱う範囲も広い法曹とでは、予備校化の影響にも質的に違うところがあるのではないかと思うのです。

【鳥居委員】今、山本さんが大事なことをおっしゃったんですけれども、法科大学と我々は呼んでいなくて、法科大学院というふうにロースクールを訳していますね。大学院なんです。ですから、終わったら修士か博士になることは間違いないんです。そうすると、せっかくそこまでやるんだから、今、山本さんがおっしゃったように、従来は弁理士とか税理士とかいう資格だけだった方々が、弁理士や税理士であると同時に、修士号を持つとか、博士号を持つとかいうアップグレードを図って、それが結局、外国に名刺を出したときに、ああ、あなたドクターですか、マスターですかというタイプの公認会計士とか弁理士とかいう人たちが特許紛争をやれる時代をつくらなきゃいかぬと思うんです。そういう意味で私は最初からこの大学院構想の中に、そういう部分も含めたらいいと思うんです。

 含めるか含めないか、ここで議論すべきかどうかということは非常に難しいことですが、大学設置審議会の方でどうぞと言うのであれば、それはそれでよいのですが。そこがちょっと難しいところなんですけれども、これはやはり一度議論しておくべきだと私は思います。

【北村委員】公認会計士のお話などが出ましたので申し上げたいんですけれども、公認会計士試験の方も司法試験と同じように予備校化ということが非常に問題になっております。今、公認会計士の方でもいろいろと検討が進められておりまして、今までのような公認会計士試験ではちょっと無理なのではないか。やはり国際的に通用する会計士というものを育成していく必要があるだろうということで、まだ議論は煮詰まってはいないんですけれども、もしここでロースクールというようなものが取り上げられることになると、恐らくアカウンティング・スクールなり何なりという方向に行くのかなと思っているんです。

 したがいまして、税理士にしましても、同じようなことが問題になってくるだろうと。ただ、司法試験ほど問題にならないのは、合格率が司法試験が一番厳しいですね。公認会計士の方ですと、10%は切っておりますけれども、司法試験ほど、2%とかいうような水準にはまだなっていない。税理士試験の方ですともっと緩くなっておりますから、働きながらでも取れるような試験になっております。しかし、大半は専門学校に通ってということが行われているということです。

 ですから、他の公認会計士なり税理士なりを法科大学院というか、この中で取り上げるというのは私はちょっと問題かなというふうに自分自身としては思っているんですが、鳥居先生はそれを大学院修士なり博士なりということで、そちらの方との関連でおっしゃっていらっしゃると思いますので、そういうことで別の大学院という可能性もあるのかなと思っています。

 しかしながら、先ほどからずっと伺っておりまして、議論のやり方というのが、いろいろあるかもしれませんけれども、今日、石井委員のお話を伺いまして、みんなが考えている新しい理想形というのは、ほぼ思い描いているものは同じで、それを隠しながら言っているから違うような形に見えているのかなという気がして仕方がないんです。

 だから、中坊委員のお話のように、ロースクールというお話も、法科大学院というお話も出ましたので、私はそちらの方で検討していくというのが、これがみんなが描いている理想形として、存在するのかなと私自身は思っています。

【佐藤会長】ありがとうございました。

【水原委員】確認だけさせていただきたいんですけれども、レポーターの役目というのは、方向づけまでする役目があるのかということ。この間もお尋ねいたしましたけれども。そうではなくて、今までの論点について、それぞれがみんな持ち寄っておる。それを今後、法曹養成制度なら法曹養成制度についてはこういう点をこの場で議論すべきだということの材料を提供するのがレポーターだというこの間の会長のお話でございました。

 ところが、弁護士の在り方にしましても、民事司法の在り方にしましても、そこでレポーターが報告をしますと、一つひとつ何らかの結論を出していかなければならない。例えば今回の法曹養成につきましても、法曹養成についてはこういう問題、こういう問題を議論すべきじゃないかということを報告されたときに、それについて結論を一つひとつ出していかなければならないとなりますと、我々には、今後法曹養成制度についての議論の余地がないのかねということを心配します。

 最初に申し上げましたように、井上委員は、恐らく御自身のお考えはお持ちだとは思いますけれども、みんなの考え方をミスリードしてはいけないということからいろいろこういう角度、こういう角度から議論をすべきではないかということの、我々に対する議論の材料を与えていただいたんだと思うんです。私はまさにそのとおりだと思うんです。

 中坊委員が弁護士制度についていろいろ御卓見を御披歴いただきました。これも21世紀の司法を支える法曹の一員としての弁護士はかくあるべきだという理想像を持っていらっしゃるんだけれども、その前には必ず現状はどうだったのか。これでは駄目だというところの分析から入って、理想像の形に持っていかれたものではなかろうか。ぽんといきなり理想像を、それこそワーク・デザイン・メソッドでぽんと詰めたものではないと思うんです。

 私は今日、石井委員からワーク・デザイン・メソッドの御説明をいただきましたときに、理想形は何かと。それは法律専門家ならばたやすくデザインできることだとおっしゃられましたけれども、私にはたやすくデザインできない、その意味において私は法律専門家ではないんだと思いました。とても難しい問題だと思います。

 というのは、法制度というものは、一国一国違った成り立ちがございます。それぞれに共通したものは、治安を維持し、国民の幸福のためにどうあるべきかということではございましょうけれども、それぞれの国の生い立ちが違うがゆえに裁判制度にいろいろな違いがあると同様に、簡単にデザインができるわけじゃないと私は思っているわけです。そうだからこそ、いろいろな問題点を出し合って議論をし、そして、本来ならばここでかちっと決めるべき問題と、決められないものについては、専門的な関係者にボールを投げて、そこで短期間にしろ、専門的な知識を集中して議論していただいて、それを踏まえてここの審議会の結論を出すと。こういう方法を踏まないと、ここだけでやりますと、率直に言いまして私はとても自信がございません。法科大学院がいいのか、それともほかに何らかの方法がないのか。という問題については、そう軽々に決めるべきことではないような気がいたします。もしお決めになられるとしたならば、本当によくぞいろんなことをお知りになっていらっしゃるなと、私はその点において不勉強を大いに恥じざるを得ないと思っております。

 論点整理の中で井上委員がおっしゃった中に、制度的基盤の強化が実を結んで成果を上げるには運用を委ねるに足る質量ともに豊かな人材を得なければならない。どのように養成するかがこの課題である。法曹養成制度である。これは大学院を含む、大学における法曹教育の役割、それから司法試験制度、それから司法修習制度、法曹の継続教育の在り方、等々これらを中心に、それらが有機的に体系的、総合的に検討されなければならないとおっしゃっておられます。そういうことについて、それぞれについて専門的な知識を持っている方に(私は少なくともその知識を持っていないと思うわけでございますので)、現状の問題点、そして、あるべき姿はどうなのか。そこにいくためにはどうしたらいいのかということを検討してもらうべきじゃなかろうかと思っております。

 したがって、当審議会で議論をして、煮詰まらなかったものについては、ここで早急な結論を出すのではなくて、その道の専門家であり、今まで法曹養成について経験のある法曹三者、それから大学御当局、及び文部当局に多角的に検討していただくことが必要であると思います。この問題につきましては、司法試験制度の改革はいろいろやってきましたけれども、それについての大学側が何らの反応を示していなかったという点に大きな問題があると私は思っております。法務省はこれまで受験生の負担を軽減するために、試験科目を減らしたり、合格人数を多くしたり、いろいろな改革をしてきましたけれども、それでも間に合わない。それについて大学側は法学教育に積極的な改革をおやりになられただろうかということを含めて、大学教育の在り方についてまだまだ議論しなきゃいけないところがたくさんあるんじゃなかろうかという気がいたします。

 誠に逆戻りの議論をいたしますけれども、今まで私はここの席では多少の発言をさせていただきましたが、委員各位におかれてはいろいろとマイクだとかの関係もあって、恐らくいろいろなことを考えながら遠慮があるんじゃなかろうかと思います。しかし、一国の司法制度を議論し、一応の方向づけを示せという付託を受けている我々としては、心の底からの議論を、本心をさらけ出して、中坊委員のように本心を割り出して議論をするような、そういうことを是非お願いしたいし、私もこれからも努めたいと思っています。

【中坊委員】水原さんのおっしゃること一言だけ申し上げておきます。

 私はレポーター役ではありましたけれども、これを皆さんのところへ出して、皆さんで一致してもらっても、認識が一致しているというところと、これはまだ論議しないといけないところと分けて、例えば公益性はみんなで認識は一致したと。しかし、その具体的内容についてはこれから論議するとか言って、水原さん、私のやつで何もかも決めてません。

【水原委員】中坊委員の言っていることが全部決められたとは私は言っていません。

【佐藤会長】竹下会長代理の最初のレポートと、その後の中坊委員、井上委員のレポートは、少し趣旨が違いますよということは前から既に申し上げていることで、その点は水原委員も当然前提にお話になっているんだろうと思います。

【藤田委員】石井委員のワーク・デザインのお話、大変啓発されるところが多くありました。ワーク・デザインでは現状分析を全くしないということですが、これは恐らく現状分析をして発見した欠点を克服するためにはどういう工夫が必要かという視点でやっていると、その製品の設計思想の枠から出ることができない。だから、機能の点から見て理想的なものは何かというところから出発すると、現に存在する製品の設計思想とは全く違った視点に立った新しい製品が出てくるということが狙いなのではなかろうかと、素人ながらそういうふうに考えました。

 ところで、IE、インダストリアル・エンジニアリングという言葉どおり、工業製品についてはそれが斬新な発想方法であるということは分かるんですけれどけも、司法制度というのは一つの政治的、社会的な制度で、現に相当な年月の間に形成されてきた制度が存続し、それを支えている人達がいる。そういう制度をどういうふうに変えるべきかと考える場合、ワーク・デザインの手法も勿論、応用できるわけで、21世紀の司法について、国民が理想としてどういうものを求めているかということを考えるには、恐らくワーク・デザインの手法が生きてくると思います。しかし、現にそういう政治的、社会的制度がある、それをどういうふうに変えていくかということを考える場合には、カンボジアでポル・ポト派がやったようにエスタブリッシュメントを全部殺して、新しく制度と人を作るというなら簡単なんですけれども、現に存在する制度とかそれを支えている人を変えていくということになると、それをどういうふうによりよいものにしていくかという視点で考えなければならないわけです。そういう意味で現状の把握、分析ということも必要なのではないか。そうして、そこが出発点になる。将来の理想形を描くのと共に制度改革の出発点になると思います。

 弁護士の公益性とか、あるいは法曹一元との関連では、推薦されたときにはそれを受けるべき公益的な義務がある。それはそのとおりだと思うんですけれども、現実にそういう形でやっていけるかどうかというと、いろいろ問題もある。弁護士のプロボノ活動についても、それをどうしてもしない人には懲戒までも考えようかという動きが出てきているわけですが、逆に言えば懲戒まで考えなければプロボノ活動、公益的な活動がなかなか盛り上がらないという現状にあるわけです。

 そういう意味で、最初のときに私申し上げたように、21世紀の司法の理想形を想定するのも大事だけれども、そこまでにいく道程をどうしていくかということも、それに劣らず重要なのではないか。今、日本が非常に困難な閉塞状況に置かれているということを考えればですね。そうすると、中坊さんの言われた隣接職種の人たちが、十数万人いる。アメリカでは公認会計士はいますけれども、そのほかの税理士、弁理士、司法書士、行政書士のする仕事はみんな弁護士がやっているということですから、隣接職種との関係をどうするかということは、法曹人口を考える場合に不可欠な要素になると思うんです。ですから、いろいろな面で現状を把握し、分析し、そして、法曹養成制度をどういうふうにすべきかということを考えなければならない。

 そうすると、前回、結論的にロースクール構想というのが一つの有力な構想であるということに落ち着いたわけですけれども、それを具体的などういう内容を盛り込むのかということをこの審議会なり、あるいは別な機関なりで検討した上で最終的にロースクール構想を取るか取らないかということに結論を出すということになると思うんですけれども、一つの有力な方策と言いながら、ほかの方策というのが今全く取り上げられていないんですね。これは非常に不思議と言えば不思議で、今までにもいろんな方策というのが取り上げられたけれども、最近はそういうことはなくて、ロースクール構想一色になっているということがある。それはそれで有力な構想であるからそういうふうになったかのもしれませんけれども、ロースクール構想を検討してもらうと同時に、もう一遍、本当にほかの構想はないのか。今の隣接職種との関係も含めて、そういうことも考えた上で、最終的な結論を出すのが妥当なのではなかろうかと思っております。

【佐藤会長】ありがとうございました。

【吉岡委員】大分ダブったかなという気はいたしますけれども、石井委員のおっしゃったワーク・デザインという考え方は非常に重要だと思います。では21世紀の司法、それを考えたときにどうなのかというと、国民が利用しやすい信頼される司法は何かというところから始まっていると思います。

 そういう中で法曹の問題が出てきて、さらに法曹養成ということであって、これは法学教育とは別だと私は考えます。

 法学教育はもっと枠の広いものとして考えて、その中から法曹教育と狭まったところをどうしていくかという考え方だと理解しています。

 ただ、それであったとしても、国民の立場から言えば質の高い信頼できる、しかも倫理的に見ても、人間的に見ても、信頼できる法曹を養成するにはどうするかということではないかと思います。

 それがロースクールに限定されてよいかというと、確かに修士、博士号を持った人が専門的な知識が深いわけですが、そういう面から言えば当然質の高いレベルといえると思いますけれども、それイコール信頼される法曹なのかというと、ちょっと違うんじゃないかと思います。その辺も含めて幅広く、しかも深くということを考えていかなければいけないと思います。

 前回私はロースクールだけが道だというのは問題じゃないかということを言ったと思いますけれども、そういう意味で法曹教育というものをもう少し幅を持った中で考えていくということが重要であると思います。勿論、その中の重要な柱の一つとしてロースクールを考えるということはあると思います。

 ロースクールの問題を水原委員がおっしゃったように、専門的なメンバーをつくって検討するということも重要な考え方だと思いますが、その場合に、基本的な考え方を当審議会で考えて、それで専門的な分野をお願いしますというんだったらいいんですけれども、基本的な考え方があいまいなままで丸投げするようなことをしてしまいますと、この審議会の意味というのはなくなってしまうのではないか。そこを考えるのは私たちの責任だとも思いますので、その辺のところを十分御配慮いただきたいと思います。

【水原委員】私は丸投げするということを申し上げた訳ではございません。一つの有力な方策であると。だから、それをも含めてほかに何かないか。それをやるとしたならば、内容をどうするか。入口、内容、出口をどうするか等々のことを幅広く専門的な知識・経験に基づいた御意見をいただくと。そういう趣旨でございます。

【佐藤会長】貴重な御意見をいろいろ賜りましたけれども、国際化の視点だとか、他との関連とか、いろいろ重要な問題があるかと思います。現状にいろいろ問題があるということは前回から、そして今日重ねて御説明がありまして、その点は大体今のままでいいとおっしゃる委員の皆さんはいらっしゃらないんじゃないかと思います。

 それで、どうするかということになりますが、いろんなやり方があるかもしれないけれども、相当思い切った抜本的方策、思い切った方策を取る必要があるのではないかという点についても皆さん大体一致していらっしゃるんじゃないかという気がします。

 そうは言いましても、法科大学院だけが唯一か、別の方法もあるんじゃないかという問題がありまして、まずそこをクリアーする必要があると思います。その辺、井上委員のレポートで「考え得る諸方策」というところがありますね。そこで、この点についての御議論をいただきたいと思います。先ほど水原委員、吉岡委員がおっしゃった点は、後ほど審議の方法のところで御相談を申し上げたいと思います。

 どうしましょうか。休憩をはさみましょうか。それでは、休憩後、ほかの方法があるのかないのか、結局は法科大学院ということなのか、その辺の議論をしたいと思います。ここで10分休憩をはさんで、46分から再開します。

(休憩)

【佐藤会長】46分になりましたので再開させていただきたいと思います。

 先ほど最後のところで申しましたけれども、現状に問題がある、何とかしなければいけない、抜本的なことを考えなければいかぬということでして、その前提に立って、法科大学院というのは本当に唯一の方策なのか、そのほかにも方策があるんじゃないかということについて、最初に少し御議論いただきたいと思います。井上委員のレポートにおける「考え得る諸方策」というところに関係してくると思いますが、井上委員何か。

【井上委員】既に前々回の報告の中で、自分としてはかなり詳しく触れたつもりです。お読みいただいていないかもしれませんけれども。

 一言付け加えて申し上げますと、さっき吉岡委員がおっしゃったことは非常に大切なことでして、幅広く考えないといけないというのは、そのとおりだと思うのです。そういう意味では、改革の方策を考えるときも、これかあれかという択一のではなくて、いろんな面で手当てをしないといけないということだろうと思います。ただ、今ここで考えないといけないのは、一番基本になるのは何か、どこから改めていくかということではないかと思うのです。その上で、そこだけでとどまるのではなく、さらにいろんな局面でできる限り手当てをしていかないといけない。そういう問題ではないかと思います。

 ちょっとお答えになったかどうか。

【中坊委員】今の井上さんのおっしゃるとおりだと思うんです。私たちこの司法制度改革では、まず担い手問題で弁護士がどうあるかというところがまず問題になって、我々としてはそこは一致したんだから、弁護士というのが量・質において今のままではいけないと。まず人口については抜本的に大幅増員をしないといけない。勿論、関連業種との関係をどう整理するかというのを踏まえた上でですよ。それは即ロースクールにも関係してくるんです。だから、関連業種等をどうしますかというのを決めた上で、大体どのくらいの人口を想定すると。そうすると、毎年司法修習を終えてくる人が何人くらいでないといけないのか。それでも裁判官、検察官は別のルートで養成するんだったら、またそこはどうするんだとか。そういうロースクール問題を論ずるためには登山口である弁護士改革のところを議論して、その真下の司法修習というものがあって、それとロースクールがどうつながりますかという議論をしていかないと、これはなかなか現実論にならないと思うんです。

 だから、あるべき弁護士というのは、一応言うて、また認識の一致した部分が多いんだから、それを前提にして議論をしていただかないと、いろいろ中心がずれてくるといけない。

 少なくとも法曹の大半が弁護士であることは間違いないし、司法書士さんや税理士さんと違って法律全体についてやっているわけです。それがまたどのようにして養成されていくのか。

 私自身は司法修習の中の要件事実教育というのがあるんですが、これは絶対に不可欠のように思うんです。この点は私だけじゃなしに、藤田さんも水原さんも、そこから育った者としては、何が一番教育を受けましたかというと要件事実でしょう。それはイコール、ケース・メソッドなんです。そしてその趣旨はある程度の数が限定されたところでやらないといけない。実際に実務を経験した人でないといけない。題材が常に具体的案件を、私らは判決を書くにしても、起訴状を書くにしても、弁論要旨を書くにしても、みんな具体的案件でやっているんです。その中から要件事実論というのがあって、それが事実の分析能力というものを養っていくんで、そうすると、まず弁護士さんの量と質、それで修習、修習の中の要件事実論、それをどこでやりますか、どうしますというのが非常に問題となってくる。

 今みたいに司法試験に受かって、安心して、よほどの人でない限り99%とか100%くらい全部法曹になるでしょう。それよりもロースクールにして、もう少し前のところで、大方は受かるけれどもというところで、ケース・メソッドもやらないと。でなかったら研修所でやったらいいといっても、これはほぼ不可能です。しかも1か所にまとめてやるなんて言ったらね。

 そういうところを具体的に考えて、我々の論議が進んでいかないと中長期的にああいう方法がある、こういう方法があると言ってみても、現実の制度として、その意味ではまさに藤田さんもおっしゃったように現実があるんだから、そこにおける問題点は問題点として、よい点もよい点として踏まえてやらないと、地についた論議にならないと思います。

【井上委員】大きな枠としてはそのとおりだと思うのですが、全体像を考えるというときに具体的な数まで挙げて考えないといけないのかといいますと、必ずしもそうではないように思います。法曹の量的充実ということを言っていますので、かなり大幅に増員しないといけないというのは、そのとおりかもしれませんが、それがどの程度の数になろうとも、質の問題は必ず考えなければならない事柄だと思うんです。したがって、今の段階では、その質の問題をどうするか。どういう手立てがあるのか。そのことを考えないといけないのではないでしょうか。

 その場合に、中坊委員がおっしゃったような考え方もあるのですが、それは結局、何が今不足しているのか、どこを手当てしないといけないのかということに懸かってくる問題でして、最初に御議論いただきたいと申したのは、まさにそのことなのです。今の中坊先生のお話では、要件事実教育というのが法曹養成の核であるが、それを研修所でやるのは、人数が増えていったら限度があるだろうから、それを前倒しと言いますか、ロースクールの方で教えるのだと、そういうお考えだと思うのですが、むろんそれも大事なことかもしれませんけれど、失礼ですが、視野がちょっと狭いのじゃないかと思います。

 そういった要件事実教育の前提としても、幅広く深い法についての理解、細かな技術的なことではなくて、法の体系についてのですね、そういうものが不可欠だろう。そういうものが前提になってはじめて、要件事実教育というものもまた生きてくる。その基盤になるところが、今は非常に不十分ではないか。そこのところを抜本的に手当てをしていかないといけない。そういうことだと思うのです。

 その意味で、私は、弁護士ないし法曹三者だけでもできないし、大学人だけでもできない。その両方が協同して、新しいシステムをつくっていかないといけない。それが基本であり、いわば私のワーク・デザインでして、そこから公務員だとか企業法務だとかに延びていくということは十分あり得ることですし、また隣接業種にも延びていくかもしれませんが、とにかく、今まず考えないといけないのは、その基本のところの設計をどうするのかということだと私は思うのです。

【曽野委員】先生方の御議論のもっと元に戻るかもしれません。私は議論を元に戻すというのは現実的に余り好きじゃないんですが、ちょっとはっきりしておいていただかないと困ると思いますのは、弁護士さんの数を増やす方がいいというのは当然のことなんですけれども、ここで議論されていらっしゃるのはシステムの問題とか数とかの問題なんです。ですけれども、私が弁護士さんをお頼みするのに何で心理的に戸惑うかと考えたときに、どうせ分かりっこないだろうと思うんですね。それは法的な判断が分からないんじゃないんです。

 さっき石井さんが面白いことをおっしゃった。ワーク・デザインの中で歯が虫歯にならない方がいいという例をお挙げになった。これは歯磨きとか歯ブラシの問題にとっては間違いないことなんですけれども、人間の心理としては、歯をなくしてよかったという人間が必ずいるはずなんです。これが小説の分野なんです。

 何で歯をなくしてよかったかというのは大変な問題ですけれども、必ずどこかに、歯をなくしてよかったんだという人間がいるはずです。もちろんごく少数派でしょうけど。でも、これは歯磨き業界が売らなくてもいいとか、研究しなくてもいいという問題ではないんです。しかし、その問題を弁護士さんたち、法曹三者だれでもいいんですけれども、本当に理解してくれるのかという絶望感というのが近年とみに大きくなっています。

 どの辺からなったかというと、一人の人間の命は地球よりも重いとおっしゃった方がいる。こういうでたらめがずっと通ってきた。同じ業界の中からもそれはおかしいんじゃないか、現実として人間はそうはできないのではないかという話は出てこない。ですから利用しやすい、信頼される弁護士さんとか、そういう方といっても、私は利用しやすくないし、信頼もできない。信頼ができないというのは、今申しましたように法的なことを御存じないということではないんです。人間として分かるのかという疑念があるんです。

 その問題は私流に言うと、文学も読まず哲学も読まず、それは急にロースクールでやれることじゃないと思いますけれども、どうにもならない基本的な問題があって、その面で私たちは信用できない。私は少なくとも非常にためらって、そして裁判所では、はいはい、どうせ分かってもらえないんだから、はいはいと言っておこう、という気になりそうです。

 ですから、何が不足しているのかとおっしゃったときに、要件事実というんですか、それの基盤が弱いとおっしゃった。それはやはり人生というものへの迫り方とか、ひね曲がった非常に少数の心理とか、それを表す表現の問題とかということは、余り取り上げていないから、法曹関係者は人間があまり分からないだろうと思うんです。

【佐藤会長】私流に言えば、古典的な教養の問題で、それが今の教育では時間的か精神的か知りませんけれども、余裕がなくなってきている。それをどこかできちっとやらないといけないが、学部の教育というものも非常に重要な一つの場じゃないかと思っております。大学院は専門的な職業教育に特化してということですけれども、その前提として今おっしゃったような古典的な教養を身に付けさせることが是非とも必要だと考えております。

【鳥居委員】今、曽野先生がおっしゃったこと、私も医学部の1年の最初の講義を私がやるときに、言ったんです。この世の中には四つの聖職者があるんだ。それはボローニャの大学の時代から神学部と教養学部と法学部と医学部と。ここの卒業生というのは必ず聖職者になる。その証拠に皆ガウンを着る。宗教家は法衣を着る。それから、教育者はアカデミック・ガウンを着る。裁判官も黒い法衣をまとう。医者は白衣をまとう。うちの白衣を着る連中がボタンを外してなびかせて歩くから、それはやめろと怒鳴ったわけですけれども、それはいいとして。

 この四つの聖職者、まさに法律の番人をする人たちの信頼度というのは、厳正に裁くという世俗的な言葉でしか表現できないけれども、どれだけ信用できるかという問題だと思うんです。それも含めて今度のロースクール構想の中では本気で我々は考えなきゃいけないと思うんです。

【佐藤会長】全く同感です。

【中坊委員】私も確かに今、曽野さんのおっしゃるように、人間的なものを考えるということでいったら、今みたいな試験では確かに、100人受けて一人か二人だというような試験で縛って、そこできゅっと袋の穴を締めるみたいにしたら。そういう意味では、私はロースクールというか、司法試験をもっと緩めなきゃいけない。やはり7割か8割くらいは受かるんだということにして、ゆっくり勉強させると。しかし、怠けたら滑るでという程度に持っていかないといけないんじゃないか。

 それと同時に私はロースクールにおいては、少なくとも三つの統合というか、総合ということをさせないといけない。

 一番大きなのは、理論と実務の統一というか総合、これが一つ要る。

 同時に先端がこのごろ非常に問題になってきている。弁護士さんでも専門化しているから、どうしても先端ばかりいくと基礎を忘れてしまうから、先端と基礎を総合しなきゃいけない。

 一番大きいのは、先ほどからも出ているように、教養的な法学部で、習ってはいるだろうけれども、いわゆる人格教育というか、それと職業人としての技術、これとをまた統合させなきゃいけない。

 法曹の社会に来る前に、そういう場所がワンランクあって、そこから司法試験に受かって修習というところに来る。修習というところでは、まさにさっきの要件事実論みたいなものをもっと厳格に実務のところで教えるということにしないと、大勢の人間も、人口も増やしていかなければいけないしね。

 そうなってくると、非常に中間的な存在かもしれないけれども、教養的な法学部の中から、更に法曹というものを選び出すような三つの総合ということがなされてくるプールみたいなところがあって、それがロースクールかなと。そこで教育を受けた人が司法試験を受けて大概受かる。そうすると、もうちょっとおおらかになる。

 しかし、当然のようにそこもケース・メソッドで勉強していって、少人数で、この前10対1とか出ていましたね。10人に一人くらいの先生で、それは基礎を教える意味においての大学の先生も実務家もいろいろ出てきて教えるという段階が要るのではないか。

 そういう意味において、結論としては私はロースクールというのが要るんじゃないか。次の修習をどうするのかというのを決めて、弁護士さんとつないでいけるんじゃないかというのが私の具体的に頭に描いているロースクールなんです。

【佐藤会長】大分結論的なことをおっしゃっていただいた気もいたしますけれども、今の点についてどうぞ。

【井上委員】私も、表現は違うのですけれども、似たようなイメージを持っていますが、もう一つ大事なのは、教えるノウハウとか、基礎になるものを体系化していって、積み上げていく。それを基にして教育をしていくというためには、やはり、そういう専門の教育機関が必要だということがもう一つあると思うのです。

 もう一つ、鳥居先生がおっしゃったことですが、適格者というためにはどこかで選別をしていかなければいけないわけで、それを今は司法試験という「点」でやっているのですけれども、それを教育の課程を通じて厳しく教育をし、付いて来られる者と付いて来られない者とを振り分けていく。期間をかけて教育しながら本当に適格のある者を選んでいくということではないかというふうに、私自身は思っています。

【曽野委員】ロースクールで、夜も一緒で、家へ帰らない。ずっと寄宿舎みたいなところに入れるというふうになすったらどうですか。夜はあらゆるくだらないことをやるんですね。例えば私のようなでたらめを言う教師を雇うとか、大酒飲みと文学の話をすると。そういうことをしないと犯人の気持ちだって分からないでしょう。

【井上委員】曽野先生のような方を雇えるほど高給は支払えないと思いますが…。ちなみに、アメリカのロースクールなどでは、教室やライブラリーのすぐ近くに寄宿舎があって、廊下で全部つながっているといったところも少なくありません。その代わり夜中も勉強しないといけないのですけれども、みんなで酒を飲んでけんけんがくがくの議論をするということもありまして、そういうやり方をしているところもあります。

【山本委員】さっきも申し上げましたように、ロースクールの入学資格、これが決定的に大事になるわけです。8割くらいは司法試験に通るということになると、ロースクールの生徒の選抜をどうするか。今の司法試験と同じようなやり方をするとまた同じことになりますね。これをどういうふうにお考えになっておられるのか。

 私の感じでは、もしロースクールをおつくりになる場合は、アメリカと同じように、自分のところの大学の法学部の生徒だけを対象にするというのは、やや狭過ぎる。したがって、門戸を開放する。何も法学部だけではなくて、経済学部でも医学部でもみんな結構ですと。そういうことをしますと、選抜方法は試験しかない。試験の点数でいく。また同じことが起こるということが考えられるんですが、そこのところはロースクール推進の方々はどういうふうにお考えになっておられるのか。

 今、考えているのは、現状の制度で改善の余地はないかということなんですね。要するに、選抜ということからすると同じことなんです。司法試験の選抜方法を思い切って変えて、もう少し人物評価のウェートを高くすると。ある程度の成績の足切りはして、そういうやり方をすれば同じじゃないかと、そんな感じがするんですけれども。

【井上委員】私は「推進」派でも何でもありませんが、今の山本委員の提起された第1の問題点について申しますと、司法試験のところをどう変えても、前段階の教育の課程を充実させないと、問題は基本的には改まらないだろうということが一つと、仮にロースクールの入学のところで同じような受験競争が生じたとしても、その後の教育の課程を通じて法曹に必要な素養や能力を身に付けてもらう。そういうプロセスを必ず経なければ法曹となれないということが決定的に違うと思うのです。

 もう一つ、入学者選抜については、今、どのような案があるかというのは、報告の中で触れましたけれども、比較的有力な考え方としては、客観性、公平性を保つために何らかのテストはせざるを得ない。全国統一テストにするのか、大学独自のものにするのかは別としてですね。しかし、それだけに頼っていたのでは、また、受験戦争になるおそれが大きいですので、それをベースにして、あるいは足切りに使って、その上に学部時代の成績ですとか、いろんなバックグランドを考慮に入れる、あるいは面接に重点を置くといった形で、志願者個々の質を審査できるような仕組みにして選抜していくということが考えられています。

 そのように、客観性、公平性を保ちながら、しかし、実質的な選別を行っていくという案が比較的有力でして、現にアメリカのロースクールなどはそういったやり方で、全般的にはうまく行っているわけです。それに、いい入学者を選びませんと、ロースクール間の競争がありますので、卒業者の質が低下し、そのロースクール自体の存亡にもかかわってくる。ですから、できるだけいい人を取ろうと、入学者選抜でも、教育内容の面でもお互いに競争する。それが、全体として良い効果を及ぼしていくということだと思うのです。

【鳥居委員】今の山本さんの問題なんですけれども、おっしゃるとおりで、試験をよほどうまくやらないとうまくいかない。私はこれは入口問題と、出口問題と両方一緒に考えないといけないと思うんです。私の頭の中では、余り複雑にしてはいけないので、入口二つ、出口三つ考えたらどうかと思う。

 入口の第1のやり方は、今、井上先生のお話にもありましたように、自分の学校の法学部の出身者だけを入れると。これは一つのやり方です。

 もう一つは、自分の学校の法学部の出身者を半分とか3分の2とか入れて、それ以外に他学部出身者や他大学の出身者など、いろいろな者が入れる方式です。そうすると、コアになる連中がいて、そこに多様性が導入されて、かつ、その多様性部分には相当いろんないい性質を持った連中が選べる。そして、お互いが切磋琢磨して、最終的にはある種の同一化が図られるということが考えられると思うんです。私の学校のように、付属高校を持っている経験からいうとまさにそうなんです。

 出口ですけれども、これは実はここでまともに議論をしていないと思うんですが、一体司法試験、それから司法修習をどこに置くのか。一つの置き方としては、ロースクールを完全に修業した連中、学位も取った連中が司法試験を受けるのか。

 それとも、ロースクールの途中で、仮にロースクールを3年間としますと、1年半くらい終わったところでまず1回研修所に出す。研修所を終えた段階で研修所のサーティフィケートをまず1回取らして、ロースクールにもう1回戻って、最後の勉強をして、それから司法試験を受けさせるというやり方も考えられるわけです。

 あるいは、司法研修所の終了段階で司法試験をするというやり方もあって、司法試験まで合格した者がロースクールで最後の仕上げをする、学校に帰ってくるというのもあると思うんです。

 そのようないくつかのタイプの、どういうやり方がいいのかというのを少し議論しないと、だれかに考えてくれと言っても無理だと思うんです。

【中坊委員】非常に固執するようですが、そういうふうしてロースクールを出てきた者が一体何になるんですかということをもう少しはっきりしないと、それが明くる日から裁判官になるんですよという場合と、今のように弁護士になって、社会経験を経てきて裁判官になるんですよというのではかなり違うわけです。

 今の研修所の在り方というのは、この前から井上さんの報告にもあったように、結局は裁判官になるものを一番中心に置いて研修をして、それができているわけでしょう。

 また、研修所というのが一体全国に幾つできるのかという問題も出てきます。ロースクールがあって、司法試験があって、修習まで考えて、その次どうなるのか。ここまでを一応一貫して物事を統一的に考えないと、先ほど北村さんがおっしゃったように、一つの大きな流れというものを見てこれを論じないと、その一つひとつを輪切りにしたのではいけない。

 これは恐らく藤田さんも水原さんも一緒だと思うんですが、今の司法試験の在り方でも、研修所の在り方でも、非常にいい点が一つあるんです。

 それは何かというと、大学意識がなくなるんです。一たん司法試験に受かって修習生になった途端に、あなたはどこの大学を出てきたということは、ほとんどだれもが言わなくなる。それはいいか悪いか別問題ですよ。非常に難しいのに受かったんだから、お前らはエリートだと思ってそうなっているのか、とにかく、そういう意味での同窓というか、そういう意識は非常に高くなってくるんです。

 私が心配するのは、大学でそのままロースクールでやっていくと、大学色が出て、お医者さんでも何系というのがありますね。それが非常に強固に出てくると、それがまた非常に弊害が出てくるのかなという気もしたりし、確かにロースクールというのはもう少し私は、吉岡さんのおっしゃるように、ぽんと丸投げせぬと、我々でもう少しそこを論じて、ある程度の骨格をつくって、水原さんの言うようにある程度は任さなければならないところはあるかもしれないけれども、我々としてどの辺までを論議していくのか。鳥居さんのおっしゃった意見もあるでしょう。そういうことを十二分に闘わして、さっきから繰り返し出ているようにロースクールなどはどうだろうと。断定しようじゃないかということになるのかならないかということから始めて、ロースクールの骨格みたいなものを決めて、それから今おっしゃるように、よその人にお願いするのはいいけれども、何にも決めずに、隣接業種との関係も決まっていない。落ち着く先も決まっていない。とにかく、よそに任すのは、吉岡さんの言うように私はやや問題ではないかと思っています。

【水原委員】私が申し上げたのは、決して何も考えずにそのまま丸投げということではなくて、有力な一つの方策であると。ほかにあるとするならばどういうことが考えられるのか。入口をどうするか、内容をどうするか、出口をどうするかということについて、実務も経験し、それから大学で教育もなさっている方も含めて議論していただきたい。そのお知恵を我々も参考にしながら一つのめどを立てていきたい。

 しかも、このロースクールの問題、仮にロースクールということをやるにしましても、相当長い息でやらないと、すぐにできる問題ではないと思います。教員の問題にしましても、今まで大学の先生方でやっておった方がすぐロースクールの問題に取り組むわけでございましょう。それなら今までなぜできなかったかねという議論も出てこないわけではない。率直に言いましてそう思います。

 もう一つは、これは井上先生からでました資料の51ページに載っていますけれども、論点整理の15ページに載っていますが、ドイツでは大学院制度というのは取らない。大学で3年半教育を受けたならば国家試験を受ける資格がある。なぜドイツでできておって日本でできないのかねということも含めていろいろと議論しなきゃいかぬなという気はいたします。私は何度も申し上げましたので、これ以上申し上げませんが、一つの方向で、決して今の段階だけで確定的に決めてしまうのではなくて、今、中坊委員もおっしゃるように、いろいろなことを考えながら議論していくべきではないかという気がいたします。

【佐藤会長】代わるべき方策として、学部の4年が不十分だというのは、井上委員のお話であったかと思いますけれども、考え方として、学部の期間を延長するという考え方も、理論的にはあり得ることなんですね。その点については、井上委員いかがですか。

【井上委員】これも、報告書をもう一度お読みいただくと書いてあることですが、ドイツとかフランスとかイギリスとかは、我が国の旧制高校のように、教養教育が大学に入る前に行われておりまして、大学に入ってくるとすぐ法律の専門教育を受ける。ドイツでも、制度上は最低3年半ですけれども、実態としては大体6年くらい大学にいて勉強するのが普通で、かなり高度な勉強ができる。ところが、日本の大学の場合には、4年のうちはじめの2年は原則としては教養教育で、後の2年で専門教育を受けるということになっていますので、高度な、あるいは先端的なことまでやる余裕がないということなのです。

 そこのところを、5年とか6年にするということも考えられなくはないわけですけれども、しかし、1学年全国で4万7,000人くらいいる法学部の学生が全員法曹になるわけではなく、むしろ一部に限られるわけですので、全員を5年制とか6年制にするわけにもいかない。一部の者に限って5年制とか6年制にするのも同じ学部の中で行うのは、制度としては非常に難しいところがある。ですから、必ずロースクールでないといけないというわけではないことは確かですが、何らかの形でもっと時間を使って、丁寧にかつ高度の教育を行うようにしないといけないということはまず間違いない。そういうことだろうと思うのです。

【水原委員】その点については全く異論ございません。だから、法学部を6年にしろということを私は提言するつもりは全くございません。今の医学部、先ほどの休憩時間のときに申し上げたんですが、今の医学部は最初から6年間で半人前のお医者さんになる資格を与えられるわけです。

 先ほど来の議論を聞いていますと、教養も備え、職業人としての技術を備えた者を養うんだと。4年間か6年間か知りませんけれども、余りにも厳し過ぎるお考えではなかろうか。今までそういうふうな教育をしてきただろうか。今までのことを言っているわけではございませんけれども、そういうことが現実にできるんだろうかという極めて問題意識を持ちます。

 一人前になっていくのはどの社会においても、一定の資格を持って、それからが出発点という考え方を持たないと、余りにも教育の時点において、ほとんど完成した人間をつくらなければいけないという考え方にはいかがだろうかなという疑問を非常に強く持ちます。

【藤田委員】ロースクールが有力な一つの方策だと私も考えているんですが、さっき山本さんがおっしゃったような問題はあると思うんです。法学部の卒業生が毎年4万7,000人いて、とにかく難しい試験だから回避している人もかなりいたでしょうけれども、ロースクールに入ればかなりのパーセンテージで合格できるということになれば、じゃ、俺もやってみようかとトライする人は増えるんじゃないでしょうか。そうなると、ダブル・スクールがロースクールの入学のときに移るだけじゃないかという心配もあります。

 ほかに方策は考えられないのかということなんですが、実は司法試験がこういう状況になってきたときに内部でいろいろと工夫はないかということで検討したことがあるんです。最近合格したばかりの修習生とか新任判事補をつかまえてきて意見を聞いたことがあるんですが、具体的に一つひとつは覚えておりませんけれども、司法試験のやり方を根本的に変えるということも一つの方策ではないかということを考えた時期がありました。これは御参考までですけれども、一発勝負ではなくてプロセスとしてやらなくちゃいけないという意味では、大学での成績ですね。例えばこれから国際化の問題があれば、外国語について相当高いレベルが要求されると思うんですけれども、その外国語の履修の内容なども、一つの要素として考慮する。昔旧制中学に入るときには内申書というのがありましたけれども、とにかく何らかの方法で大学での学部での成績も考慮に入れる。

 あるいはロースクールという大学院を設けることになれば、それを履修したことはプラス要素ですから、そういう点を加味してもいいと思うんです。仮にそれを3分の1の要素として、3分の1がペーパーテスト、あとは人間性の問題を重視するとすれば、1時間口頭試問をやると大体分かる。裁判所の事務官の採用面接も7、8年くらいやりましたけれども、1時間も会っていれば、法律のことも人間的なことも相当程度はつかめると思います。

 ですから、ロースクールをつくっても構わないんですけれども、今の構想でいくと全国で15とか20とかという数の制限があり、ある程度の人数にしないと大学の財政的な問題があるというようなことがありますから、司法試験の制度の中身を抜本的に変えるという別の方策も考えられます。それから、司法研修所の教育も今の1年半でいいのかという問題もあると思うんですが、そういうことを考えると、別の方策もあり得ると思います。いろんなことを念頭に置いて、かつ中坊さんの言った諸条件も考えなければいけないわけですけれども、ロースクールに具体的にどういう内容を盛り込むかを考えて、そのほかの別の方策との比較でどれが一番いいか、弊害が少ないかということを考えることが必要ではないかと思います。

 以上です。

【曽野委員】一言だけ。さっき水原委員が教養などがあると、完成した人間というふうにおっしゃったんですけれども、私は全然逆に思っているわけです。いい意味で偏頗になり得た人間、それがないから気味が悪いんです。どんどん人間から遠ざかっている。人間を扱うのが司法ですから、いろんな受皿がなきゃいけない。その意味で是非、いい意味で複雑で偏頗な人間をつくっていただきたい。

 馬鹿な話ですけれども、一つの殺人事件なら殺人事件を出しまして、あなたはこの犯人の気持ちを書けという問題を出したら随分よく出ると思うんです。それで理解がどれだけ届くか。つまり、犯人になりかわって自分の正当性をしゃべってくれよという作文はいいような気がします。

【石井委員】ずっと伺っていて、これでいいのかなと思っているのですけれども、どのペーパーを見ても法科大学院という名前が当然のように出てきますね。ロースクールと法科大学院というのは、同じものとして考えていいのかというのが私にとっての疑問なのです。もし、日本で今回法科大学院というように命名してしまうと、名前の方からそれに合わせるように内容が決まってきてしまうのではないかという感じがします。

 ロースクールと言えば、もう少し違うニュアンスで、例えばもっとプロフェッショナルというか、そういうイメージが濃く出てくるのではないかと思いますが、どうも法科大学院という名前がちょっと引っ掛かるなと思っております。

 日本の先生方だけなのかもしれませんが、大学院という言葉が大変お好きなんですね。私の友人などから最近の名刺をもらうと、今迄は大学教授だったと思ってたのに、○○学部教授でなく、○○系○○研究科大学院教授と書いてあります。何でこんな長ったらしいのにするのかと聞くと、こっちの方が偉そうに見えると言うんです。偉そうに見えるのは結構ですが、見える挙句、学生の方も何か大学院の先生の方が偉いのではという感じにもなってくるかもしれませんし、何か先生に対する感じ方も少し変わってくるのかなという気がしています。

 法科大学院はプロフェッショナルではなくて、いわゆる象牙の塔の中での高いレベルの場所と誤解されるのではないでしょうか。

 私はアメリカや日本の大学院にも行っておりましたが、大学院の先生というのは、学部も同時に教えておられて、何か大学院というのは特別なことをやっているとか、高級なことをやっているという気分は少なくともアメリカの場合にはなかったわけです。日本だって恐らく同じようなことなのではないかと思うのですが、あえて法科大学院という名前にしてしまうと、先ほど鳥居先生がおっしゃっておられた、聖職者的な気分というのもなくなってしまうかもしれないし、それよりもプロフェッショナルだという意味の気分が極めて稀薄になってしまうのではないかと思うので、名前を付けるときに、今は法科大学院と仮にどの書類を見てもそういう名前になっていますけれども、もう一工夫した命名をした方がいいのではないかという気がしておりますので、それもお考えいただけたらと思います。

【鳥居委員】石井さんのお話は、また大事なところに触れておられるんですが、大学院でなくてもいいというのは、一面の真理なんです。今、例えば新宿にある有名な文化学園という学校がありますけれども、あそこは大学から高校、中学校を持っているんですけれども、そのほかに専門学校を持っているんです。その専門学校は世界中から、本当に10倍くらいの競争率でみんな入ろうとするんです。その受ける者はほとんど大学や大学院の卒業者なんです。それが専門学校を改めて受けるわけです。

 ニューヨークへ行けばパーソンズがそうだし、ジュリアードがそうです。みんな専門学校なんです。大垣にもグラフィック・デザインの専門学校がありますけれども、これなどはほとんど全員ドクターコースを終わった者が行くんです。

 ですから、私は今後のこれも別に大学院にこだわらなくてもいいというのは一面の真理だと思うんです。ただ、一つ困ったことに、さっきお話しした学校教育法の第1条に、大学院、大学、高校、中学校、小学校、幼稚園と定義してあって、それ以外は学校じゃないんです。それが一つ。

 もう一つ大事なことは、短大を出ると準学士(法学)という学位をもらえるわけです。四年制の学部を出ると、学士(法学)になるわけです。そして、マスターコースを出ると、修士(法学)、博士課程を出ると博士(法学)なんです。この制度をいじらない限り、今の石井さんのおっしゃるのがどうしてもクリアーできないんです。

【佐藤会長】名称がどうかということは、まだ考える余地があると思いますけれども、性質は鳥居委員がおっしゃったようなことではないかという気がいたします。

【中坊委員】先ほど曽野さんがおっしゃったことからの延長線でもあるんですけれども、かねて言っているところですけれども、ロースクールというものの教育目的とは一体何であるか。何になることを目的とするのかというのはかなり違うんです。私はかねがね言っていますように、裁かれる立場。検察官もある意味において裁判所では裁かれておることになるんです。だから、弁護士にしても、検察官にしても、裁く立場と裁かれる立場というのは全然決定的に違うんです。裁く立場も裁かれる立場も全部一緒に教育するんだということになってくると、性格が非常に変わってくるし、研修所の在り方も非常に違ってくる。三つの立場をそれぞれ経験するのはいいんです。しかし、その結果、裁く立場になるんだということに最初から、ロースクールを出て司法試験に受かればそういう立場になるんだという教育というものは、まず概念で、要件事実を学ぶでしょう。法律がまずあって事実が要るわけです。

 先ほど曽野さんの言うように、本当に人間の気持ちというのが分かるのは、現場においてしか分からないと思うんです。現場へ行かないと分からない。現場というのは、裁かれる立場というものをどれだけか体験してきて、同じ目線にならないと、私は分からないと思うんです。

 そういう意味における現場を大切にし、そういうものを養っていくという体系ができ上がりませんと、最初から裁く立場、それは言うたら一種の役所というか官僚というか、裁く立場というのは裁判官ですからね。最初から裁判官になるのが目的でロースクールが、司法試験を受かれば研修を終えて裁く立場になる人を養うんですというのと、一応検察官にせよ弁護士にせよ裁かれる立場になるというのとでは、それは教育から何から全然違う。まさに私は裁く立場というのは、少しでも現場体験を、あえて自説に固執するようですが、10年間くらいは裁かれる立場と同じ目線で被告人と同じようにして話をする体験がなくして、突如裁く立場に最初からなるということの危険性というのは余りにも大き過ぎると。

 ロースクールの教育目的とは一体何であるかということもまず確定していただかないと、異質のものを、最初から官僚になって最初から裁く立場になる人も養うんですよ。こういうロースクールにするのか、ではないということにするのかとは大きな違いです。

 また、先ほど言うように、隣接業種との関係も、それではどうするんですかということもある程度決めて掛からないと。事実上、税理士さんとかは違うんですよ。しかし、ロースクールから出た人は行政官にもなります。あるいは立法へも行きますよと。そのためには今の弁護士法を直さないとなれないんですね。そうすると、弁護士というものがこういうふうに変わっていく、数もそのように増えてきます、こういうものになりますということを前提として、ロースクール問題が論じられないと、ロースクールを教育の延長線だけで見ていると、こっちの受皿の方がぴたっと合わないから、私は受皿の部分もある程度確定してきて、それから教育の方も確定してロースクールというものをある程度決めていかないと決まらないんじゃないかなという考え方を持っているわけです。

【水原委員】今のお話でございますけれども、現在の修習制度でも、仮に裁判官を最初から志している者であっても、弁護士修習のときには、弁護士としての仕事はどうあるべきか。また、どういう事象が世の中に起きておるのか。それをどのように見たらいいのか、すなわち相手の視線と同じ、あるいはその下に立って、相手の立場を分かろうと。そういう気持ちで修習していると思います。

 裁判官になろうと思う者は検察庁に来ます。検察庁に来ましたならば、やはり検察官として、いろいろな犯罪者の心理、被害者の痛み、犯罪者としての苦しみ、こういうものを分かろうと一生懸命に努力しております。もしそれが分かろうとしておらないならば、それは修習生としては不適格だということでございます。

 だから、裁判官になろうとする者は、上から見る立場になるんだ、そういう研修をやっているんだ、それではない。中坊委員も恐らくそういう趣旨でおっしゃっているんだと思います。

 私は今の修習制度はどの道を選ぶにしましても、曽野委員がおっしゃるように、人の本当の心はどこにあるのか。そういうことを見抜こうとして一生懸命にもがき苦しみ、努力をしているのが大方の者ではなかろうかという気がいたします。

【中坊委員】水原さんはそうおっしゃるけれども、この前も加藤さんがここで説明されたように、大いに変わると言ったけれども、わずか3か月なんです。弁護士を3か月修習の間にやったら、それで裁かれる弁護士の立場が分かったなんて。この前弁護教官がビデオをお見せいただきましたが、私に言わせたら、全然駄目ですよ。しかも、一人前の顔をして、教えられて、そんなところでわずか3か月やってもね。せめてちょっとでも近づくというためには、やはりもっと体験を経て、現場を見てこないと。神様であれば別として、普通の人間は分かりませんよ。

 私は根幹として裁く立場に最終的になる人はどういう人なのかということをイメージを置いて、ロースクールというものができてこないと、そういう人も養いますというんだったら、性格が基本的に変わってくるんです。

 だから、そこはある程度今おっしゃるように、この前自分の絵で描いたみたいに、ピラミッドの一番上にありますから、まずそこをちゃんと考えて、まず弁護士さんになって、裁かれる立場を経験して、現場を体験して、そして10年なら10年やって、やっとみんなから推薦されてやれる人が裁判官になるという建前を、我々はこの司法制度改革でも。あれは一つの望ましい制度だけれども、ロースクールはそれも一緒にしてやりますと。ごった煮じゃないけれどもね。そういうことにしているなら、弁護士さんがまた公共性とは何ぞやというのが問題になってくるでしょう。

 だから、今言うように、水原さんがおっしゃったこの審議会というのは、非常に限られた年間でやっていかなければならぬ。その意味においては論点整理に始まって徐々にまとめていかなければいけないけれども、ロースクールを決めるときには、ある程度相関関係を持っている全体イメージが我々の中で頭に描かれてやっていかないと、これは全く別のものを考えていましたとか言って後で文句が出るようなことになってはいけない。だから、私としてはどういうものなのかというイメージを描かないで直ちにやるというのは一つの問題だというふうに理解しています。

【吉岡委員】中坊さんに言われちゃったという感じがするんですけれども、前回のヒアリングの中で、司法研修所のお話が出ていまして、入ったときと、間でいろんなところを回ってきて、帰ってきたときとでは顔が違うということをおっしゃっていまして、そういう意味から言うと、司法研修所の間に弁護士経験、あるいは検察の経験、裁判官の経験というのをしてきたということが、わずかの時間であっても、その経験というのは非常に重みを持っているなということを感じたんです。そのときに、そういう経験をして帰っていらして、それから実務上弁護士におなりになって、10年ほど弁護士をおやりになって、その方にお会いになったら、物すごく成長していて変わったというお話をなさって、その変わったというのは、司法研修所で研修の先生から言われたことが影響していたんだというふうにおっしゃったんですけれども、そういう影響を受けたということは事実だと思うんですけれども、やはり実際に、要するにインターンみたいな形でやっていたときと、実際に町医者なり病院なりへ行って、患者と接して、それで実際に自分の責任でやったという経験というのは重みが違うなということを前回すごく強く感じたんです。

 そういうことからいうと、実務経験を持つということが前提条件になるということは、私たちの目から見ると非常に意味があると思います。

【石井委員】先ほどの中坊先生からお話があった件で伺いたいのですが、裁かれる立場と裁く立場というお話がございましたね。裁かれる立場から裁く立場に移ったとき、そのときのメリットについてはいろいろお話を伺いましたが、恐らくメリットがあるということはデメリットも何かあると思うのですが、そういうものは全く考えられないのでしょうか。と言いますのは、例えば営業をやっていた人間が同じ会社の中で資材部門に移ったとしますね。そうすると営業のいろんなテクニックを知っているので、資材に行ってからそれを悪用して問題を起こすというケースがいろいろな会社でよく出てくることを耳にします。それは倫理観の有無の問題であることは確かですが、デメリットとしては最悪どんなことが考えられるのでしょうか。それを教えていただきたいと思います。

【中坊委員】私実際やってみて、裁判官の判決書も、勿論、弁護士をやっていますから読ましていただいて、また、私が仲裁委員として自分が裁く立場になってみて、いろんなことを経験してみて分かりますけれども、これは先ほど言う要件事実論の裏返しみたいなことにもなるんですけども、裁く立場になりますと、裁判官は何が頭に来るかというと条文なんです。これは何の条文のどこだと。その要件事実は何やと。その要件事実の事実はあるかどうかとなります。だから、最初に法律ありきなんです。法律があって事実があるんです。まずそういう頭になるわけです。裁判官は判決を書く前に証人調べをしているときから常に頭の中にあるのは、私も仲裁委員をしてみて、常に何条のどこに、これは瑕疵担保になるのかな、これは何になるのかなということを考えて事実を見始めるんです。だから、現場から入らないで、まず法律があって、法律に事実を当てはめようとするんです。判決書というのは最後にはそれででき上がっているわけです。

 そうすると、ロースクールにおいても、さっきから言っているように、理論と現場とが一緒でないといけないとか、基礎と先端が一緒でないといけない。そのときは常に先に現場ありき、事実がありきなんです。事実があって法律があるんです。ところが、法律があって事実があるという考え方になることの問題性なんです。

 だから私は先ほどから言うに、ロースクールも関係しますよ。裁かれる者かどうかというのは、ソクラティック・メソッドで、そういうふうに事実をまず素直に見ると。曽野さんもおっしゃるように、素直に事実を見るということが何にもまして大切なんです。

 だから、私は倫理とか何とかおっしゃるけれども、事実を素直に見て、それから法律を考えるというくせを学生の間にしみ付けさせなければ、これは恐ろしいことになる。裁判官として、最初からこいつ根性悪くしてやろうなんてだれも思っていません。しかし、どうしても最初から裁くという立場は、最初に法律ありき、条文ありき、それで要件事実なんです。その論理をどうしても持ってしまうんです。

 ですから、私はロースクールというものは、どういう立場の人を養成するのかということを考えなくてはいけないと思う。そうしないと、裁く方の立場、判決書を書く立場ばかりになってしまうから、その恐ろしさを思うんで、ロースクールというものは、どちらの立場か。

 裁判官と言ってもごくごく一部の人間です。二十歳代でそれになるわけでしょう。生涯裁く立場ばかりでしょう。そういう立場の恐ろしさということが、今度の司法制度改革では、根本にある。だから、そこをロースクールのときから考えてつくらないといけない。だから、現場に、事実に基づくということがすべての先決だと。そういうケース・メソッドをみんなで勉強してやるというくせをつけないといけない。そう思っているんです。

【佐藤会長】時間が予定しているよりも過ぎてきましたが。

【北村委員】要望だけなんですが、佐藤会長が先ほどからロースクールは唯一最善の方策かというお話をなさっているんですけれども。

【佐藤会長】そうは言っていないです。

【北村委員】私はロースクールというのは、最善ではあると思うんですけれども、今の司法試験、欠点もいっぱいありますけれども、前々から申していますように、大学を出ていない人でも受けられるという非常にいい点もあると思うんです。したがいまして、ロースクールを検討していただくというのはいいんですが、その次に、それだけで法曹人を養成することになるのか。あるいは、今の司法試験をもっと形を変えて、私は形を変えて残しておくという部分があってもいいのではないかなと思うんですが、その検討も次にやっていただければということを希望します。

【佐藤会長】それは当然考えております。

【藤田委員】私の2年先輩で裁判官出身で現に最高裁判事をしていらっしゃる方が、若い裁判官の結婚披露宴でのスピーチなんですけれども、裁判官に最も必要とされる資質は何か、人の心の痛みを我が心の痛みと感ずることのできることだと言われたんです。私もそうだと思います。

 大体裁判官というと、信念の強いことが必要だと思われるかもしれませんが、裁判官になろうとするのはみんな信念が強い人です。ですから、むしろ柔軟さ、当事者の言うことを聞いていて一旦こうだと思うと、それと反対のことを聞いても耳に入らないというタイプの人がいる。思い込んだら命がけというタイプです。それでは裁判官は勤まらない。ひょっとしたら今の自分の判断が間違っているかもしれないという自己抑制、謙虚さが必要です。

 ある座談会で著名な弁護士と一緒に出たときに、裁判官と弁護士の気質の違いということをその弁護士が言われました。弁護士は自分の依頼人と一体となって、共に怒り共に泣くという姿勢が必要だと、一方裁判官というのはいつも人を突っぱなして、人ごとみたいに冷たく見る習性があるということを言われました。当たっている点もあると思いますが、それはやはり審判をする立場になると、共に怒り、共に泣いていたんじゃ審判はできない。ある程度突っぱなして冷静に客観的に判断しなきゃならぬという面があると思います。しかし、民事裁判で言えば判決するのはせいぜい5割くらいでありまして、あとは和解で解決するパーセンテージが非常に高い。その場合にも、法律的に判断するとどうなるかということもありますけれども、やはり当事者の気持ちとか立場とか、それぞれの事情を考えなければ和解などはできるものじゃないです。そういう意味で、何も杓子定規に裁くんだという立場でやっているわけではない。

 私も若いときですけれども、いつもこの説が正しいと思っている通説に従うと、ある当事者をどうしても負かさなきゃならないんですが、その事件の結論としては、どうしてもその当事者を負かせるのはおかしいということがありました。そういう事件が中にはあるんです。そのときに、法律でそうなっているんだからしようがないという考え方をする人もいますが、私は日ごろの説をお蔵にしまって、反対の少数説を取って判決しました。高裁で取り消されましたけれども。そういうこともあるから、何も杓子定規にやっているわけではない。

 それから、研修所の修習も民事裁判、刑事裁判をやっているときは、刑事弁護に役立つようなことも教えている。だから、裁判所に修習に来た修習生の修習開始式で私はいつも言っていたんですけれども、弁護士を志望する人は、今こそ裁判の方の修習に力を入れてやっておきなさい。それが必ず将来弁護のときに役立つ。これが今の唯一のチャンスなんだから、裁判官になる者は、弁護士修習を裁判修習以上に精力を注いでやりなさいということを言っておりました。

【佐藤会長】時間もまいりました。議論もかなり深いところに及んできたように思います。なお議論の尽きないところがあるかと思いますけれども、審議の時間も限られておりまして、今日のところこういう形でまとめさせていただいてよろしゅうございましょうか。

 名称はともかくとして、法科大学院という方策を一つ本格的に検討してみようじゃないか、ということではなかったかと。最終的にこれだと決めるわけではなく、依然として水原委員などがおっしゃっているように、別途の方法もあり得るかもしれないということで、そこは決して消すわけじゃありませんが、今日の皆さんの御意見を承っておりますと、法科大学院、あるいはロースクールの辺りで、その方向で考えてみたらどうかという点では、一致していらっしゃるんじゃないかと思います。

 そして、その具体的な制度の中身をどうするか、そもそも法科大学院ないしロースクールの理念、目標をどういうふうに描くかということは非常に難しい問題ですけれども、我々が議論の出発点にできるたたき台のようなものをまずはつくった上で、もう少し具体的に議論するということが必要ではないかという印象であります。まずはこのような認識でよろしゅうございますか。

 それで、我々として細部まで詳細にわたってどこまで詰めるかという問題があります。学部との関係の問題もある、入試の問題もある、司法試験との関係や司法修習との関係の問題もある、というように様々ありますけれども、それを一つひとつはじめからここで議論して決めるとなりますと、審議時間があれば別なんですけれども、難しい問題がいろいろ山積した中で、相当困難なことではないかと思われます。その辺については、できれば、さっき水原委員の方から専門家の意見もという御意見がございましたけれども、文部省、大学関係者、それから法曹三者が入った、しかるべき少人数の会合で集中的に議論していただき、具体的な案を考えていただくようにしてはどうかと考えるのです。もちろんその途中でも必要に応じてここに来ていただいて、議論状況を聞き、こちらの意見も申し上げ、その検討結果を我々として議論し、我々としてこうしようということを最終的に決めるというようにしてはどうかと考えるのですが、そんなところでいかがでございましょうか。

【吉岡委員】時間のことを考えると、そういう考え方を導入しないとやむを得なくなるであろうということは分かります。ただ、難しい問題というのは、ロースクール問題だけではなくて、ほかのいろんなところでも難しい問題が項目としてたくさんあります。そういうほかのものが出てきたときに、同じように考えていくのかどうか。その辺のところをちょっと議論してみないと、それでいいというふうに言って、次にこういう問題はここにということになると、ちょっとばらばらになってしまいかねないという気がするんですけれども。

【佐藤会長】御懸念はごもっともで、私もそのとおりだと思います。全面的にそちらにお願いするのではなくて、実は25日にもう一遍、こういう枠組み、こういう考え方の下で協力をお願いしたいという形で、できれば文章化して、皆さんにお諮りしたいと思っております。

 大学と法曹三者の協力の下でつくらないと、なかなかうまく運営できないんじゃないかという辺りは皆さん大体認識が一致していらっしゃると思います。これは鳥居委員の関係されるところですけれども、そういう専門職業人教育を大学システムの中でどう位置づけるかという問題もありますので、文部省や大学関係者のほかに法曹三者が入って、少人数で専門的なところを詰めていただく。そしてさっき言いましたように、検討の途中でも、絶えずこちらに報告を受け、審議状況を聞き、こちらからも、こういうところはもっと詰めて議論してほしいというようにお願いをする。そういう工夫をしていきたいと思っております。何かできてきたものをちょうだいするだけ、というようにはしない。これからいろんな議題について御審議いただきますが、それとの関連で、ロースクールにはこういう問題があるんじゃないか、この点はどうなのか、といったことがいろいろ出てくるかもしれません。

 そういう形で具体的な案を検討していただく。それをベースにしながら、我々として議論して、最終的にどうするかの結論を出す。

【北村委員】先ほど吉岡委員がおっしゃいましたけれども、私もまだちょっとそういうふうにするには早いんじゃないかと思うんです。25日の日にまとめたものをというふうにおっしゃいましたけれども、今の議論の中で余りまとまってはいないと思うんです。法科大学院の構想、こういうふうな形でやるということについては。

 時間がないかもしれませんけれども、私はあと1回、法科大学院についてもう少しこの13人の委員が納得できるような形のものを詰めて、それでそちらの方で検討していただくというならいいと思うんですけれども、まだ少し早いんじゃないかなと思うんですが、これは私の意見ですので。

【井上委員】前から申しておりますように、我々としても、関係者にボールを投げて、それが返ってくるのを受けて、また審議を進めるということがあっていいと思うのです。その意味で、我々はこんな問題意識を持っていますよということを示し、関係者がどう考えるのかということを聞いて審議を進めていく。それを聞いて、会長は最終決断と言われましたけれども、正確には、それを踏まえて更に審議をするということではないかと思うのです。

 また、25日にどういうものが出てくるのか分からないのですけれども、それも別にこれでイエスといえという話ではなくて、今まで我々の中でも、こういうことを考えないといけないとか、こういうことを条件としないといけないということはかなり出てきており、実質的にはかなり一致しているところもあるわけで、それを整理して、大体こういう条件になるのじゃないか、ロースクールにするとしてもこういうことは考えないといけない。例えば、オープンで公平なものにするとか、機会の均等とか、そういった点は皆さん一致している。そういうことを書き出して、それでどうかということを、もう一回25日に議論して、確認する。そういうことではないでしょうか。

【北村委員】25日に議論するんだったら、もう一回議論するということでいいんですけれども。議論するにしましても、30分くらいで終わりましょうということではないわけですね。

【佐藤会長】十分議論します。

【北村委員】私は中坊委員がおっしゃったことと、私などが考えていることとちょっとずれがあるかなというふうに思うんです。そういうふうなことをそのままにして渡してしまってというのでは、渡された方もどういう検討になるのかと、非常に難しい部分があると思っているんです。だから、中坊委員が何かおっしゃってくださると一番いいんです。

【中坊委員】今おっしゃるように、人に任せるのに、どういう人にまず任すかということも今のところ話が出ていないんでしょう。専門家というだけで、法曹三者というだけで、どういう人なのか。まず法曹三者が受けるか受けないかも分からない。また、こちらの方も今おっしゃるように、多少のずれがあったとしても、おおまか一致している範囲はここまでだということが分かって投げられるんで、そういう意味で私、今おっしゃるように、ロースクールというものが、確かに皆さんの御意見も極めて有力な選択肢であるということについてはおおむね一致したと。しかし、その内容については、今日初めて議論が出たばかりで、出たから次回までにみんながよく考えて、ロースクールというものの輪郭を、どの程度の範囲でつくるのかということを決めた上で、受ける先も、もうちょっと具体的に決めていただいて、それをこの次の25日に諮っていただけるということでやっていただいたらいかがですか。

【佐藤会長】そういう趣旨でございます。今おっしゃったどういうところにお願いするかということも少し考えさせていただいて、25日にその辺も含めて申し上げたいと思っております。そういう前提で先ほど申し上げたわけです。

【井上委員】できれば整理したものを事前に送っていただいて、我々もそれを見て考えてくるということにした方がよろしいのではないでしょうか。そうしませんと、その場で説明し、そこから考えるということになりますと、また時間が足りなくなるおそれがありますからね。

【中坊委員】あんたはもういはらへんとちゃうか。

【井上委員】明日出かけますが、25日までには一たん帰ってきます。

【中坊委員】私らからあんたのところにデータを送っても、あんたそのときには。

【井上委員】事務局に出しいただければ、連絡がつくようにしていきます。今は、電子メールなどで連絡がつきますから。

【中坊委員】できるだけそういう意見も。

【鳥居委員】私の手帳では4月17日、来週の月曜日にあるようになっていますけれども、25日と今おっしゃったですが。

【佐藤会長】17日は、ヒアリングと藤田委員の国民参加についてのお話で手一杯ではないかと思います。それから今の議論をまとめるということになりますと時間が掛かるということで、25日、海外視察に行く前の最後の段階でと考えているわけです。

【藤田委員】さっきおっしゃったのは、ロースクールといってもいろいろ幅があって、内容がまだ定まっていないところがあるから、そういう点について検討してもらって、返ってきたものでもう一遍審議をし、それがいいのか、ほかの方法のがよりいいのがあるのかどうか、そこら辺も考えるという趣旨ですね。

【佐藤会長】ロースクールを有力な一つの方策として、もう少し具体的に審議すべきところを詰めてみようじゃないかという趣旨です。

【中坊委員】今、井上さんがたまたまロースクールというか、法曹養成制度担当のリポーターさんですから、そのリポーターさんのところにできるだけ資料を送って、リポーターが次回にまた、今日みたいにして一つのたたき台みたいなものを25日には持ってくるという。

【井上委員】そこまですることは了解しておりません。

【佐藤会長】井上委員にお願いしますけれども、私も責任がありますので、井上委員と相談しながら。

【井上委員】これまでの皆さんの御意見が一致しているのは大体こうかなということを整理するのはできますけれど、新たに分厚い意見書のようなものがぼんときましても、ちょっと対応できるかどうか分かりません。

【佐藤会長】そんなことでよろしゅうございますか。

【中坊委員】どうよろしいのか分かりにくいけど。佐藤さんと井上さんが4月25日に、ロースクールに関して我々がどういう構想でどういうところに任せられるかどうかという範囲を決める。そういう案を出していただけるということで、25日に審議するということでいいんでしょう。

【井上委員】ロースクールの案を作るというのではなくて、それをもし考えるとすれば、こういうことを条件にすべきだろうということを整理する。そういうことだろうと思うのです。具体的な構想ということになりますと、さっきの議論でもお分かりのように、かなり食い違ってくるところがありますので。

【佐藤会長】そこは今後の問題でいいと思うんですけれども、基本的な考え方、そして、基本的骨格、大事にしなければいけない骨格についてお示しする。詳細なペーパーは考えておりません。簡単なものを考えています。

【中坊委員】それと受入先ですね。

【佐藤会長】会長代理と御相談させていただきます。

【鳥居委員】受入先については、従来のあれと違って、この審議会とのリンクをどうするかということを真剣に考えた方がいいと思うんです。今まではリンクなしで、例えば文部省の協力者会議は協力者会議で。

【佐藤会長】ここと全然関係なかったわけですね。

【鳥居委員】今度はリンクがなければいけませんから、法務省もリンクして、文部省もリンクする。

【佐藤会長】弁護士会ともリンクする。

【鳥居委員】裁判所ともリンクして、我々もだれかがリンクしている。

【佐藤会長】それも重要な一つだと思います。

 また宿題が増えましたけれども、そういうことでこの問題を取り扱っていきたいと思います。時間をオーバーして失礼しましたが、あとは時間を余り取りません。やや事務的な議題ですけれども、次に移って、弁護士の業務広告に関する会則及び会規の改正について、事務局の方からお話しいただきたいと思います。この審議会で先般、中坊委員のレポートを踏まえまして、弁護士の在り方について御審議いただきましたけれども、その中坊委員のレポートの中でも触れていただき、また、委員の方々からも積極的に対応すべきだという御意見が出ておりました弁護士の業務広告の問題につきまして、先日開催されました日本弁護士連合会の臨時総会において、原則的に自由化するという方向で日弁連会則及び会規の改正が可決されたということであります。

 弁護士の在り方に関しましては、審議の結果を踏まえまして、まとめましたペーパーに基づき、また御審議いただくことになっております。既に今日もいろいろ出ておりますけれども、日弁連のこうした動きについては、当審議会としても十分把握しておく必要があると思います。

 そこで、その日弁連の会則及び会規の改正につきまして、事務局の方から簡単に御説明いただけますか。

【事務局長】弁護士の業務広告に関しまして、この各界要望書等と題する封筒の中に、分厚い資料、これが日本弁護士連合会から提供されておりますので、その資料について御説明いたします。

 日弁連ではこの間、弁護士業務広告を原則的に禁止する会則等の見直しを進めていましたところ、去る3月24日に開催されました臨時総会におきまして、弁護士業務広告を原則自由化し、併せて日弁連等各弁護士会の広報活動の充実を図る旨の会則等の改正案を採択されたということであります。

 資料は改正された会則と規定、会則等の改正に伴う総会の附帯決議、広告関連規定の改正についてと題する説明資料及び弁護士の業務広告規定改正に関するQ&Aであります。これらの資料によりますと、弁護士業務広告につきまして、日弁連会則では、これまで「弁護士は、自己の業務の広告をしてはならない。但し、本会の定めるところに従って行う場合はこの限りでない。」として、原則禁止をしておりましたが、今回これを改め、「弁護士は、自己の業務について広告することができる。但し、本会の定めに反する場合は、この限りでない。」としまして、原則自由化されたものです。

 併せて、「本会及び弁護士会は、弁護士の使命及び業務の内容について、国民に対して広く知らせるとともに、国民が弁護士を活用するための情報の提供に努めなければならない。」として、日弁連と弁護士会が広報活動の一層の充実を図るべきこととされております。

 改正の理由及び背景につきましては、情報化社会の進展などの環境の変化、弁護士情報の不足に対する利用者の不満、日弁連の司法改革運動と弁護士へのアクセス改善の取組み、規制緩和推進3か年計画の課題とされていることなどが挙げられております。

 業務広告の原則自由化は、弁護士に関する情報を広く国民に十分に提供するため、広告はできるだけ制約しないことが望ましいとの考え方によるものであり、したがいまして、広告媒体の制限はなく、広告内容も原則は自由とされております。

 しかし他方、広告が無制限に行われたときには、利用者たる国民の側に弊害や被害も起こり得ることが指摘されているところであり、会則に基づく規定では、広告事項に関し、例外として、事実に合わない広告や誤導・誤認の恐れがある広告の禁止、顧問先や依頼者名、受任中の事件等の表示の制限などを定め、違反行為の中止や排除などの措置を取ることとされております。

 これらの改正された会則等は、本年10月1日から施行されることとなっております。会則等の改正とともに、採択された附帯決議では、違反広告による弊害など今後生じ得る問題に対し、新たな機関を設けるなど、体制を整備し、有効的な措置を取ることとされております。

 以上のとおりでございますので、今後の審議の参考にしていただきたいと思います。

【佐藤会長】何か特に御質問、よろしゅうございますか。

 これはこの審議会での議論の方向とも一致する改革でございまして、今後改めて弁護士の在り方について御審議いただく際に、この弁護士広告の原則自由化ということを前提に御議論いただきたいというように考えている次第です。どうもありがとうございました。

 次に、アンケート調査についてお諮りしたいと思います。事務局において準備等の検討をすることとしたアンケート調査につきまして、その後の準備状況などを御説明いただけますか。

【事務局長】利用者を対象としましたアンケート調査につきましては、去る第11回会議の際に事務局においてその準備を進めるように御指示がありましたので、現在、鋭意作業を行っているところでありますが、その進行状況について簡単に御説明いたします。

 まず調査対象でありますが、司法制度の利用経験があるか否かに関わらず無作為に抽出した国民の方々を対象とした一般的意識調査を行うということも考えられるのですが、その種の調査はこれまでに何度か行われていることなどから、今回はより直截に、裁判制度の利用経験者を対象とした調査を行う方が、利用者の視点に立つことを主眼とする当審議会の行う調査としては有効かつ適切であろうと考え、民事訴訟を利用したことのある当事者の方々を対象とすることを考えております。

 そのような方々に対して、アクセス評価、訴訟の利用動機、公正さ、時間、経費等の面を含めた訴訟手続の評価、再利用動機、再利用する気があるかどうか、そういう気が起こる気持ちはどういうことかということを専門用語で再利用動機と言っているそうでありますが、それに裁判制度全体の評価といったことを軸に質問項目を設定しようと考えております。

 このような裁判制度の利用経験者に的を絞った調査はこれまでに例がなく、その企画立案には専門的、技術的、あるいは学問的知識、経験が必要であると考えられますことから、しかるべき学者の方に協力をお願いして実施してまいりたいと考えております。

 調査に要する期間ですが、企画立案に相当な準備が必要であることや、民事訴訟の当事者の抽出等に当たり、裁判所等の関係機関の御協力を得る必要がありますことなどから、約9か月間程度掛かるものと思われますので、集計から最終的な分析結果を得られますのは、本年12月ごろの見込みです。ただし、なるべく早く審議の参考に供するため、その前に、できれば当審議会の中間意見のとりまとめまでに、中間的な報告なりを提出できるように努めてまいりたいと考えております。

 以上が事務局で進めておりますアンケート調査に関する進行状況でございます。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。今の点につきまして、何か御注文とか、よろしゅうございますか。

【藤田委員】裁判所制度を利用した経験のある人にというのも、それ相応の意義があることは分かりますけれども、陪審制度をもし行うとして、それを支えていく要素は二つありまして、被告人の立場に立った人が陪審員を選択してくれるかどうかという点と、それから陪審員がかなりの負担を伴うわけですけれども、陪審員としての責務を果たす気持ちがあるかどうかという意味では、むしろそういう限定をしないで、ランダム・サンプリングの方がいいかなという気もいたしますが、いかがでしょうか。

【佐藤会長】それはどうですかね。

【事務局長】このアンケート調査は、そういうような具体的な今後の司法制度は何かというようなことに向けた方向の調査というのではありません。これまでの調査で何度か司法制度を利用したか否かに関わらず、御不満はどんなところがあるのかとかいうような調査をしてまいりました。

 それによりますと、大体司法制度を利用した方の比率が1割くらいにしかなっておりませんでして、今度は今までの調査で1割の対象しかなかった人をクローズアップして、その方々に今まで自分の受けた司法制度に関しての感想なり評価なりを答えていただこうという調査でございまして、そういう意味のアンケート調査をしたいと考えているところです。

【藤田委員】訴訟制度の利用経験のあるというのは民事事件の経験者を言っているわけですか。

【事務局長】そういうことです。

【藤田委員】大体勝訴した人は満足し、敗訴した人は不満を持つというのが普通のことですから、『ベニスの商人』のシャイロックじゃありませんけれども。そういう点も均等に入っていればいいんですけれども、そこら辺も配慮していただければと思いますが。

【事務局長】そういうことを考えておられる学者の先生方が、そういうことも考慮に入れながら、できるだけ客観的、公平なアンケートができるように努力したいと。また、そういうことを一つの研究として、今後そういうふうな研究が重なっていけばいい国民調査ができるのではないかと。これが一つの皮切りということになろうかと思っております。

【中坊委員】国民が陪審員になるかどうかというのは、ある意味においてこれはヒアリングで、検察審査会の委員になった経験のある人等に聞けば、何日間か、勿論、陪審とは違いますけれども、そういう意味の動向というのは、あれも全く無作為で選ばれるわけだから、ある程度のものは予測もつく方法もあると思う。ときどきヒアリングをやっていますね。そのヒアリングの中にそういう検察審査会の委員に選ばれた者がどういう気持ちでどのように対応したかということを2、3人にでも聞けば、ある程度の予測というのは立つんじゃないか。全く無作為で選ばれるという意味ではね。陪審員とは違いますけれども、おおまかな動向というのは分かるんじゃないかという気もするんです。

 藤田さんの言うのもそういうことによって代えるとして、今おっしゃっているものは、一応今までにない調査というのであれば、してもらった方がより我々の参考にはなるんじゃないでしょうかな。

【藤田委員】検察審査員は資料がありまして、実は次回の私のレポートに関係があるんで調べたんですけれども、検察審査員の経験のある人ではなくて、一般的なアンケートだったと思いますが、60何%かが、ごめんこうむりたい、余り気が進まないというのがあるもんで、それでちょっと心配しているんです。

【中坊委員】私が言うのは、今度の場合も実際に選ばれた人が、抽象的にそうじゃなしに、まさに選ばれた人がどの程度断ったとか、断らないとか、出た人がどういう気持ちかというのは、ある程度ヒアリングしたら分かってくるんじゃないかという気もするんです。そういうものにすれば、陪審制度を採用したときにどうなるかというのはある程度の目安になるわけだから、一遍そういう方にヒアリングをすれば、陪審制を採用するかどうかとのときの一つの参考資料になるんじゃないかということです。

【佐藤会長】今回のアンケート調査にそれが具体的に載るかは、事務局長の御説明だとちょっと難しいみたいですね。その辺を含めて、会長代理と相談しながら進めさせていただきたいと思いますが、そんなところでよろしいですか。

【吉岡委員】今の経験した人に対するアンケートというのは、是非やっていただきたいと思うんです。陪審についてなんですけれども、日本には休眠中の陪審制度があるというのは聞いていますけれども、現在アンケートに書かれた人たちというのは、実際に周りで陪審をやっているということを知らない人が対象になってしまいますね。それも必要かもしれないんですけれども、もう一つ別のあれで、例えばアメリカなどでは陪審制度が定着しているわけですね。それでアメリカの陪審制度で経験した人がどういうふうな意識を持っているのか、意識が変わったのか変わらないのか。そういうのをもう既に法務省か何かでお持ちかもしれないんで、もしそういうのがあれば、資料としてお出しいただければと思います。

【佐藤会長】藤田委員のところでそういうのはありますか。

【藤田委員】まだ手元にありませんが、調べてみます。

【井上委員】翻訳があるかどうか分からないのですが、英語で書かれたその種のものはいくつかあります。必要でしたら、お出しすることはできますが。

 それと、裁判所等で調査されたものの中にも、そういうことへの言及が確かあったと思います。これは、おそらく手に入りますので、それも必要ならばそろえていただけるんじゃないでしょうか。これは、むろん、日本語で書かれております。

【佐藤会長】この件はそのくらいにさせていただきたいと思います。

 最後ですけれども、地方公聴会、実情視察の御参加についてなんでありますが、既に事務局の方から各委員の御希望をお聞きしておりますけれども、ややばらつきがあるようでございまして、今後事務局の方から改めて各委員の御希望や御日程を確認していただいて、調整を図りたいと思います。

 それから、既に当審議会の審議日程につきましては、来年の夏まで審議予定日を決めているところですけれども、本年10月を目途として中間報告をとりまとめるという審議日程を考えますと、以前にもお話ししましたように、この夏に集中審議は避けられないんじゃないかということなんであります。この点につきましても、事務局の方から各委員の御日程を確認していただきまして、いつごろに集中審議の日程が取れるのか、調整を図らせていただきたいと思います。その調整を踏まえて、次回の審議会でそれぞれについて御報告の上、御了承をいただければと考えておりますが、恐縮の極みでありますけれども、そんなところでよろしく御了承を賜ればと思います。

 配付資料について何かありますか。

【事務局長】配付資料一覧表の3番目の「各界要望書等」の中に「総合的法律扶助制度のグランド・デザイン」と題する文書が入っておりますが、これは自民党の司法制度調査会・国民の争訟解決を支援する小委員会がとりまとめ、3月30日に開かれた司法制度調査会の全体会で了承されたものだそうでございますが、同調査会長より委員の皆様に配付してほしいとの依頼がありましたので、本日配付させていただきました。

 また、「司法改革総合報告書(要約版)」という文書が入っております。これは韓国の司法改革推進委員会が昨年12月にとりまとめた最終報告書の要約でありまして、昨年12月21日に当審議会事務局に来局した同委員会委員からいただいたものを翻訳したものでございます。
 5番目は、第15回審議会の議事録。
 6番目は、3月18日に行いました大阪での第1回公聴会の記録でございます。
 その他の資料は毎度のことでございまして、特に説明することはございません。
 以上です。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。
 今出てきましたが、最初に申し上げるべきだったかもしれませんが、大阪の公聴会の件、誠に御苦労様でございました。ありがとうございました。これから公聴会、3か所ありますので、よろしくお願いいたしたいと思います。
 文字どおり、最後の日程の確認等でございます。次回は4月17日に午前9時半から、この審議室で開催したいと思います。
 議題としては、「裁判所・法務省の人的体制について」、最高裁及び法務省からヒアリングを行った上で、御審議をいただくことを考えております。
 さらに海外実情視察前の勉強会として、「国民の司法参加について」、藤田委員からレポートをお願いすることにしております。
 ヒアリングでは、最高裁からは中山総務局長、法務省からは但木大臣官房長からそれぞれお話を伺いたいと考えております。
 それから、4月25日でございますが、先ほどの話ですが、少し審議時間を長時間取らないといけませんので、2時からとしておりましたけれども、できれば1時半からということにさせていただきたいんですが、よろしゅうございましょうか。

【藤田委員】終了はエンドレスですか。

【佐藤会長】そこは合理的な限度もあろうかと思います。そう長くならないように努力したいと思いますけれども、そんなところでよろしゅうございましょうか。
 それでは、本日はどうもありがとうございました。この後記者会見がありますけれども、御希望の方は、今日は井上委員、恐縮ですね。

【井上委員】大丈夫です。出発は明日ですから。

【佐藤会長】では、どうも本日はありがとうございました。