司法制度改革審議会

(別紙5)

「国民の期待にこたえる刑事司法」について(論点整理)

平成12年4月25日
水 原 敏 博

1. 我が国の刑事司法の使命

(1) 刑事司法に課せられる使命・役割
 国民が刑事司法に期待するもの、すなわち、刑事司法の使命・役割は、①実体的真実の発見による適正かつ迅速な犯罪者の処分、②適正手続の保障、③両者の調和による国民の安全な生活の確保、④犯罪者の改善更生、⑤被害者等の保護であると考えられる。
 実体的真実の発見による適正かつ迅速な犯罪者の処分とは、捜査・公判を通じて事案の真相を解明することにより、真に罪を問うべき者を適正かつ迅速に処罰するとともに、無実の者を罰するという過ちを犯さないことであり、これは、刑事司法に課せられた重要な使命である。
 他方、真相解明という名の下に、捜査機関や裁判所が被疑者・被告人や国民の人権を侵害することがあってはならず、真相解明も適正な手続によって行わなければならない。このように、実体的真実の発見とともに、適正手続-これは「刑事手続における人権保障」と言い換えてもよい-を保障することも、また、刑事司法の重要な使命といわなければならない。
 そして、これらの実体的真実の発見と適正手続の保障という、時には相対立する関係にある両者の要請を十分に調和させて刑罰権を適正かつ迅速に実現することが不可欠であり、そのことによって、社会の秩序が正しく維持され国民の安全な生活が確保されるのである。両者の要請の調和については、例えば、刑事司法に対し真実の解明を期待するという意識ないし傾向が国民の間に強いことは無視し得ない事実であり、そのような期待に応えるべく、捜査機関として、十分かつ慎重な捜査を遂げること、そして、その中で当の犯罪事実の存否ないしその内容について最もよく知る立場にある被疑者の取調べを重視することは当然であろう。しかしながら、他方において、例えば、真相の究明に熱心な余り、取調べの適正さを欠き被疑者の人権を不当に侵害するようなことがあってはならないこともいうまでもない。また、弁護人の援助を受けることは、被疑者・被告人の刑事手続における防御権の行使を実効あらしめるために重要でありそのために充実した弁護活動が期待されることはいうまでもないが、他方、弁護活動として行われるからといっていかなる活動も容認されるということにはなるまい。
 さらに、犯罪者が、再び社会の一員として受け入れられ二度と罪を犯さないようにその改善更生を図っていくことも、刑事司法の重要な役割である。
 また、刑事司法においては、従来、被害者の権利保護という視点が乏しかった面があるように思われるが、近時、地下鉄サリン事件や片山隼君事件などを契機に、刑事手続における被害者等の保護や救済の必要性が改めて認識されるようになってきている。

(2) バランスのとれた刑事司法
 こうした、刑事司法の使命・役割はそれぞれいずれも重要であり、その一部にのみ重きを置いて他を軽んじるようなことでは、真に国民の期待・信頼に応える刑事司法を実現することなど到底おぼつかない。それぞれの使命・役割の重要性に思いを致し、その間の適正なバランスを追求していくことが求められるというべきである。
 そして、各国の刑事司法制度がそれぞれの国情により固有の発展を遂げ異なる姿形を持つに至っていることからも明らかなように、そのようなバランスのとり方は、それぞれの国の価値観・社会通念あるいは社会の状況などによって自ずと異なってくるものである(諸外国の刑事司法制度を参考とするに当たってはそのことに留意する必要がある。)。
 今後の我が国の刑事司法、刑事手続に関する各種制度の在り方を考ていくに当たっては、刑事司法に課せられるそれぞれの使命・役割相互のバランスの在り様が、我が国の現在の社会の状況に適合し、国民の期待・信頼に応えるものになっているか、また、社会・経済の様々な変化が進行しつつある中で、見直すべき点は奈辺にあるかということなどを真剣に考えていく必要がある。

(3) 刑事司法を支える法曹三者の責務
 さらに、重要なことは、「制度を活かすもの、それは疑いもなく人である」と、当審議会の論点整理において指摘されているように、刑事司法を担う裁判官、検察官、弁護人(弁護士)の役割ないし責務である。これら法曹三者は、それぞれの立場に応じて、刑事司法が国民の期待に応えるべく全体として真にバランスのとれたものとなるように不断の努力を続けていかなければならない。そのためには、それぞれが、互いに、刑事司法において重要な働きをする不可欠の存在であることを認め、信頼し、協力していくことが必要であることはもとよりいうまでもない。

2. 刑事裁判の充実・迅速化

(1) 現状認識
 我が国の地方裁判所に係属した刑事裁判の平均審理期間は、近年、自白事件と否認事件とを合わせた全事件で約3か月余り、否認事件だけで見ても、約10か月余りで推移しており、通常の刑事事件については、おおむね、迅速に審理がなされている。しかし、しばしば報道等で紹介される国民が注目する特異重大事件にあっては、第一審の審理だけで5年以上もの長期間を要する事件が珍しくない。諸外国においても、これほど長期間を要している例は見られず、当審議会の論点整理の中でも指摘されているように、こうした刑事裁判の遅延は「国民の刑事司法全体に対する信頼を傷つける一因」ともなっている。
 こうした刑事裁判長期化の最も大きな原因は、集中審理が実現されていないことにあると思われる。すなわち、事案が複雑であれば、その分、証人尋問や被告人質問等に多数の公判期日を要することになるので、迅速な裁判を実現するためには、例えば、毎週複数回の公判を開くなど、集中審理を行うことが不可欠となるが、弁護人が、その業務形態等から、他の事件も同時並行で処理しなければならず、一つの刑事事件に専従することができないこと等の理由から、集中審理が実現されていないのが実情である。また、十分な捜査が尽くされないまま起訴がなされたために審理が長期化した事例や、争点が明確にされないまま漫然と審理が行われている事例も見られることのほか、裁判所の訴訟指揮権の行使を担保する措置が乏しいため、裁判所が有効適切な訴訟指揮をなし得ないことや、捜査段階の供述調書の任意性・信用性をめぐる公判での争いや証拠開示をめぐり検察官と弁護人の間で紛議が生じることなどを裁判長期化の原因として挙げる意見もある。
 刑事裁判の長期化は、言い方を変えれば、真に充実した審理が行われていないということでもある。上記に掲げた長期化の原因を吟味するに当たっては、審理の充実化をいかに図っていくべきかという視点も忘れてはならない。

(2) 具体的論点として考えられるもの
  ア 公判期日の集中・連続化のための方策
 前述したように、弁護士の多くが一つの刑事事件に専従できない執務態勢にあることが、集中審理の実施への大きな隘路となっていることから、公判期日の集中・連続化に対応し得る弁護体制をいかにして構築するかが重要な論点になると思われる。この点については、アメリカのような公設弁護人事務所制度の導入や後に述べるような公的刑事弁護の運営主体に雇用される常勤弁護士制度の導入等が具体的な検討課題となるであろう。
 また、こうした常勤の弁護士を設けることのほか、一つの刑事事件に専従し得る弁護士を増やすため、法律事務所の法人化を進めることなども考えられる。
 さらに、ドイツやフランスのように、第一審の審理期間や公判期日の開廷間隔の上限を法律で示すことの是非なども検討すべき論点の一つということができる。 
  イ 証拠開示
 現行の刑事訴訟法においては、検察官の手持ち証拠のうち、裁判所に証拠調べを請求するものについては、あらかじめ被告人・弁護人に閲覧等の機会を与えなくてはならないとされているが、証拠調べを請求する予定のないものについては、そのような必要は明示されていない。
 これに対し、検察官による証拠開示の範囲を拡充すべきとの考え方がある。これは、証拠開示の拡充は、被告人・弁護人の訴訟準備を充実させ、これによって争点を早期に明確化することが可能になり、ひいては実体的真実の解明や裁判の充実・迅速化に資するという理由に基づくものである。他方、検察官の手持ち証拠には、広範な捜査活動の結果収集された種々多様な資料が含まれており、事件の争点と関連がないものや、証拠開示の結果、他の捜査に重大な支障を来したり、関係者のプライバシー・名誉等に深刻な悪影響を与えるもの、犯人やその仲間による報復のおそれが生じるものもあることから、証拠開示の拡充に反対する意見も主張されているところである。
  ウ 争点整理
 裁判の迅速化を実現する上で、争点を早期に明確化することは、極めて重要である。我が国の場合、刑事訴訟規則により、第一回公判期日前において、検察官と弁護人の間で争点整理のための打合せをしなければならないとされているが、現状では、必ずしも十分に機能しているとは言えない。この点について、英国では、「答弁・指示審問」と呼ばれる争点整理の手続があり、刑事事件が裁判所に送られた後一定期間内に、被告人が答弁を行い、検察官、弁護人双方が争点を特定することが義務付けられている。
  エ 争いのある事件と争いのない事件の区別
 刑事裁判の充実・迅速化の観点から、争いのある事件と争いのない事件を区別し、前者に捜査機関や裁判所の人的物的資源を重点的に投入することにより十分かつ効果的な手続運用を実現するとともに、後者についてはできるだけ簡易・迅速に処理することを可能とする制度の在り方も考えてみる必要がある。現行の制度にも、被告人が有罪の陳述を行った場合には一定の要件の下に手続の簡略化が認められる簡易公判手続があるが、さらに進んで、被告人が有罪を自認すればそれ以後の証拠収集や立証を経ずに被告人を有罪として量刑を行うという、有罪答弁制度(アレインメント)の導入の当否が検討課題として考えられる。ただし、この制度の下では、被告人が有罪を自認した場合、証拠に基づく有罪認定によらないこととなるため、実体的真実発見の要請との関係で慎重な見方もある。
  オ 裁判所の訴訟指揮権の在り方
 適正かつ迅速な裁判の実現のためには、裁判所が、期日指定、争点整理、証拠調べ等の各場面において、適切かつ有効な訴訟指揮権を行使することが不可欠である。
 この点について、米国では、当事者が裁判所の訴訟指揮に従わない場合、裁判所は、裁判所侮辱罪としての制裁を当事者に加えることができ、これが裁判所の強力な訴訟指揮権の行使を担保しているが、こうした制裁措置を設けることの是非をも含め裁判所の訴訟指揮権の在り方について議論を深める必要がある。

3. 新たな時代に対応し得る捜査・公判手続

(1) 現状認識
  ア 最近における犯罪情勢・特徴
   (ア) 犯罪の凶悪化、組織化、国際化、複雑巧妙化等
 社会構造の変化や国民の価値観の多様化に伴い、従来の我が国には見られなかった凶悪な犯罪が頻発するようになった。地下鉄サリン事件は我が国の安全神話の崩壊を象徴する事件であり、そのほか、通り魔殺人事件、保険金目的殺人事件等の凶悪犯罪が頻発し、少年による凶悪犯罪も増加している。最近では、新潟少女監禁事件、京都小学生殺害事件など、社会性の著しく欠如した犯人による異常な犯罪も続発している。
 また、社会の急速な国際化は、ボーダーレス化した暴力団、外国人犯罪組織等による組織的な薬物犯罪や銃器犯罪の急増をもたらしており、その手口もますます複雑巧妙化している。特に、覚せい剤汚染は深刻であり、我が国の将来を担うべき中学生、高校生にまで広がっている上、平成11年には、覚せい剤の押収量が過去最高の1.8トン(1回分の使用量が0.03グラムとすると、実に、6,000万回分の使用量になる。)を記録している。
 さらに、集団密入国事件が相次いでいる上、近年、外国人犯罪組織によるものを始め、来日外国人による殺人、強盗、強姦等の凶悪犯罪の増加が顕著である。
 このように、我が国の治安は急速に悪化しているといわざるを得ない。
   (イ) 新たな形態の犯罪(事後規制型社会への移行に伴う経済犯罪、コンピュータ・ネットワーク上の犯罪、環境犯罪、児童虐待やドメスティック・バイオレンスなど)
 社会の変化に伴い、新しい形態の犯罪も発生している。
 まず、我が国の社会・経済は、行政による事前規制型システムから、透明・公正なルールと自由競争を基調とするシステムへ転換しようとしている。これに伴い、ルール違反に対する事後的規制がこれまで以上に必要となっており、とりわけ、独占禁止法違反、証券取引法違反等の経済犯罪は、自由競争や取引の公平性・透明性を著しく阻害し、国民の不公平感を助長するするものであり、今後、この種の経済犯罪に厳正に対処する必要性はますます増大するものと思われる。
 また、社会の高度情報化に伴い、コンピュータ・ネットワークを悪用したいわゆるハイテク犯罪が問題となっている。具体例としては、中央省庁のコンピュータに対するハッカー事件が記憶に新しいところである。この種のハイテク犯罪は、既存の捜査手法によっては、行為者の特定はもとより、犯罪行為等に関する証拠収集も困難であるなど、従来の犯罪には見られない特徴がある。
 そのほか、最近では、産業廃棄物の不法投棄等による環境汚染・自然破壊等の環境犯罪、我が子に折檻を繰り返す等の児童虐待、妻に対する夫の暴力等のドメスティック・バイオレンス等の犯罪について、その可罰性に関する国民の意識が高まっており、今後、この種の犯罪に対する一層積極的な取組みが求められるものと思われる。
  イ 捜査・公判の困難化
 こうした一方で、捜査・公判における事案の真相解明は困難の度を深めている。例えば、薬物・銃器を始めとする組織的犯罪では、組織ぐるみで罪証隠滅行為や犯人隠蔽工作等が行われる上、検挙された末端の犯行関与者を取り調べても、組織の実態や背後の首謀者等に関する供述を得ることは容易でないため、組織の中枢を検挙したり、犯罪による収益や組織の資金源を解明することがほとんどできず、現状では、犯罪組織に有効な打撃を与えられないのが実情である。また、コンピュータ・ネットワークを悪用したハイテク犯罪については、前述したとおり捜査・公判の遂行が極めて困難な状況にある。
 他方、社会構造の変化に伴い、我が国の伝統的な地域社会が崩壊し、近隣での出来事や人の出入り等周囲の状況に住民が無関心となり、地域を構成する者が匿名化していることから、犯罪が発生しても捜査機関が近隣住民等から十分な情報を収集することができず、さらに、捜査公判に対する協力も得にくくなっており、重要な目撃者であっても、関わり合いを避けて事情聴取や法廷での証言等を拒絶することが少なくない。
 ウ 刑事司法をめぐる国際的動向
 国際社会に視線を転じると、「国際組織犯罪に対するナポリ政治宣言及び世界行動計画」の採択、国際組織犯罪条約の制定作業、「ハイテク犯罪と闘うための原則と行動計画」の採択などに見られるように、今後、従来とは比較にならないほど、犯罪防止や捜査のための国際的な協力が重要になる。
 他方、人権保障の見地からは、市民的及び政治的権利に関する国際規約(いわゆる人権B規約)に基づく規約人権委員会が、我が国の刑事司法の現状、例えば、被疑者・被告人の身柄拘束の在り方に関し後記(2)のエで述べるような種々の懸念を示している。

(2) 具体的論点として考えられるもの
  ア 刑事免責制度等の新たな捜査手法の導入
 このような現状認識に照らすと、既存の捜査手法による対応では限界があるように思われる。そこで、新たに導入することが考えられる捜査手法の一つとして、刑事免責制度を挙げることができる。刑事免責制度は、例えば、組織的犯罪において、末端の関与者の刑事責任を免除する代わりに、組織の実態や首謀者の関与等を明らかにする証言をさせることにより、首謀者の訴追・処罰を可能とし、ひいては、犯罪組織の壊滅を図ることも可能とするなど、有効な捜査手法と考えられるが、その導入の是非については、国民の法感情・意識等を踏まえ、十分に検討する必要がある。
 そのほか、参考人等の非協力に対する対策として、米国やドイツ等に見られるように、捜査段階において、参考人を勾引したりその不出頭又は供述拒否に制裁を科すなどする出頭強制の制度や、現行法上の起訴前証人尋問の拡充、おとり捜査の拡充等も検討課題として考えられる。
  イ 捜査・司法共助制度の拡充強化
 犯罪の国際化等を踏まえ、捜査・司法共助制度の一層の拡充強化が必要である。
  ウ 検察官の起訴独占主義・訴追裁量権の在り方
 検察官の起訴独占主義・訴追裁量権は、法律家である検察官の起訴による安定的・統一的な事件処理を実現する機能や、真に罰すべき者のみを起訴することにより、犯罪者個々の事情に応じた改善更生の途を与える機能を果たしてきたものであり、そのような機能を今後も一層適切に果たしていくべきものであると考えられる。しかしながら、近時、犯罪被害者保護の要請が強まる中で、検察官の起訴独占主義・訴追裁量権にも一定の制約を加えるべきであるとの主張がなされている(具体的には、私人に起訴権限を認める私人訴追主義の採用、検察審査会における「起訴相当」の議決についての法的拘束力の付与など)。このことは、検察官の起訴独占主義・訴追裁量権の現実の在り方が必ずしも十分に国民の期待に応えるものとなっていないことの現れではないかという見方も可能であろう。
 なお、こうした課題について、国民の司法参加という観点からの検討も必要である。
  エ 被疑者の身柄拘束に関連する問題
 被疑者・被告人の身柄拘束の在り方に関しては、前記規約人権委員会が、我が国の刑事司法に対し、警察の留置場を代用監獄としていること、起訴前保釈制度がないこと、弁護人の接見交通権が制約されていること、身柄拘束中の被疑者の取調べが厳格に監視され、電気的手段により記録されていないこと等について懸念を示しており、同様の観点から改善を求める意見もある。これらの懸念等に対しては、適正手続の保障の要請のみならず、これと実体的真実発見の要請との調和を図らなければないことや、逮捕・勾留の際の令状審査を含む裁判所による複数の司法審査の機会が保障されている等の刑事手続全体の構造を考慮しなければならないこと等の反論がなされている。

4. 被疑者・被告人の公的弁護制度の在り方

(1) 現状
  ア 国選弁護制度の概要・実情
 憲法第37条第3項は、刑事被告人の弁護人依頼権を保障し、被告人自ら依頼することができないときは、国で弁護人を付するとしており、これを受けて、刑事訴訟法及び刑事訴訟規則は、裁判所が、貧困その他の事由により弁護人を選任することができない被告人からの請求により、又は、職権により弁護人を付するいわゆる国選弁護制度を設けている。
 この国選弁護制度は広く利用されており、最近の統計によれば、全被告人の約7割に対して国選弁護人が選任されている状況にある。
  イ 被疑者弁護の現状
 現行法の下では、起訴されて被告人となった以後に国選弁護人を付すことが認められているにとどまり、捜査段階の被疑者については、国選弁護制度を始めとする公的刑事弁護制度は設けられていない。
 しかし、この点につき、近年、全国の弁護士会が、捜査段階における弁護活動の重要性にかんがみ、身柄を拘束された被疑者との初回接見を弁護士会の負担により行ういわゆる当番弁護士制度を運用しており、また、財団法人法律扶助協会が、接見に続いて弁護士が資力に乏しい被疑者から事件を受任する場合に弁護士費用を扶助する刑事被疑者弁護援助制度を設け、実績を上げていることが注目される。当番弁護士制度や刑事被疑者弁護援助制度は、まさに弁護士会や良心的な弁護士の献身的とも言える努力で実施されているものであり、改めてその努力に敬意を表したい。
  ウ 法曹三者等による検討状況
 刑事被疑者弁護に関しては、法曹三者による「刑事被疑者弁護制度に関する意見交換会」が設置され、その中で、公的被疑者弁護制度の確立を主張する日弁連に対し、法務省が、「公的被疑者弁護制度に関する現実的な検討が必要な段階に来ている。」との認識を示し、最高裁も、「被疑者弁護の公的援助制度について、前向きの議論を深めていくことに意義を認めることができる。」と発言したことが注目される。
 また、自由民主党の司法制度調査会においても、民事、刑事を包括した総合的法律扶助制度をめぐる議論の中で、公的被疑者弁護制度のあり方が検討され、被疑者・被告人を通じた統一的な公的刑事弁護制度を創設し、公正・中立な認可法人がその運営に当たること等を内容とする案が採択されたと聞いている。

(2) 具体的論点として考えられるもの
  ア 公的費用による被疑者弁護制度導入論について
   (ア) 導入の意義・必要性
 捜査段階において弁護人の果たすべき役割の重要性については、誰しもが認めるところであり、それ故にこそ被疑者に弁護人依頼権が認められている。当審議会の論点整理においても、「刑事司法の公正さの確保という観点からは、被疑者・被告人の権利を適切に保護することが肝要であるが、そのために格別重要な意味を持つのが弁護人の援助を受ける権利を実効的に担保することである。…これに加え、…適正・迅速な刑事裁判の実現を可能にする上でも、刑事弁護体制の整備が重要となる。」との指摘がなされているところであり、前述の公的被疑者弁護制度をめぐる動きをも踏まえれば、同制度の導入は、まさしく「現実的な検討が必要な段階」に来ているものと考えられる。
   (イ) 導入の方式(国選弁護制度、法律扶助制度、公設弁護人事務所制度)
 公的被疑者弁護制度には、裁判所が弁護人を選任する国選弁護制度、被疑者が弁護人を選任し、その費用を公的資金で援助する法律扶助制度、公務員である公設弁護人が弁護にあたる公設弁護人事務所制度等があり、我が国における公的被疑者弁護制度の導入を考えるに当たっても、いずれを採るのか検討する必要がある。
 また、公的被疑者弁護制度の導入方式と関連して、制度の運営主体をいかなるものにするかという問題もある。すなわち、国が直接運営するか、あるいは、公的性格を持つ法人(特殊法人、認可法人、指定法人等)に運営を委ねるかといった点を検討する必要がある。
 これらの制度については、これまで、日弁連等から、様々な提言が行われてきたところであり、また、前述した自由民主党司法制度調査会案は、被疑者・被告人を通じて裁判所が弁護人を選任する国選弁護制度を採用しつつ、公的資金の受入れ・支出その他の運営は、認可法人がこれを行うとしている。
   (ウ) 導入に伴う問題ないし条件
     a. 弁護士偏在、集中審理に対応し得る弁護体制、弁護士の公的活動への参加確保
 公的被疑者弁護制度を導入するとなれば、一定の要件を満たすすべての国民が等しく利用できる制度としなければならず、そのためには、どの地域にも、制度を担うに十分な数の弁護人が存在している必要がある。しかしながら、現状では、弁護士の数は地域間格差が著しく、いわゆる弁護士偏在の問題を生じている。被疑者弁護の場合、逮捕・勾留期間が最長で23日間であるが、弁護活動を実効あらしめるためには、その期間内のできるだけ早期に弁護人を選任することが必要であるから、公判期日の調整が可能な被告人弁護と比べて、弁護士偏在の問題は一層重要であり、公的被疑者弁護制度の適正な運営のためには、この問題の解決は不可欠である。
 また、前述したとおり、刑事裁判の充実・迅速化を実現するに当たっては、何よりも集中審理の実現が重要であるところ、現状では、弁護人がこれに対応できる態勢になっていないことが迅速化の隘路となっていることから、公的被疑者弁護制度を導入する場合においては、公判段階における公的弁護制度についても、こうした集中審理の要請に十分対応し得るものとして制度を整備する必要があると思われる。
 弁護士偏在問題の解消と集中審理の要請に同時に対応していくためには、弁護士過疎地域はもとより、弁護士が多い大都市圏においても、アメリカのような公設弁護人事務所制度や公的刑事弁護の運営主体に雇用される弁護士のように一つの刑事事件に専従できる常勤弁護士を置く制度の導入の是非を検討していく必要があると思われる。この点について、前述の自民党司法制度調査会の案では、「運営主体の登録弁護士、契約弁護士、常勤弁護士を柔軟に併用することにより、国民の弁護士へのアクセスを容易にし、ひいては弁護士偏在問題や裁判の長期化の問題に対処する」とされている。また、最近、もっぱら弁護士偏在問題の解消の観点からではあるが、日弁連において、弁護士過疎地域に公設事務所を設置する試みに着手するなど、注目すべき動きが見られる。
     b. 公費投入に見合った弁護活動の評価、コントロールシステム等
 弁護活動が期待される水準に達していなかったり、あるいは、その内容に行き過ぎがあって国民の正義感情に反するようなものであれば、これに税金を投入することについて国民の理解を得ることは容易でない。
 したがって、被疑者弁護制度に公的資金を導入するに当たっては、それに見合うだけの弁護活動の水準が確保されるとともに、弁護活動の適正さが確保されることが必要であり、弁護士倫理のさらなる徹底や問題のある弁護活動に対する適切な是正措置の在り方が検討課題となると考える。
     c. 刑事手続全体の中で検討していくことの必要性
 被疑者段階を含む公的刑事弁護の在り方には、それだけを単独で取り出して議論するのではなく、前述した裁判の充実・迅速化の実現や捜査手続への影響など刑事司法全体の中にこれを適切に位置付けた議論が必要である。この制度の導入に伴う問題の検討に当たっても、適正手続の保障と実体的真実の発見という刑事司法の二つの使命のバランスに十分配慮されなければならない。 
  イ 少年審判手続における公的付添人制度
 少年については、少年法により、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うため、少年審判手続が定められているが、少年審判の付添人について、各方面から公的費用で弁護士である付添人を付する制度を導入すべきであるとの提案がなされている。
 昨年法務省が提出した少年法等の一部を改正する法律案にも、検察官が少年審判の手続に関与する制度の導入と併せて、検察官が関与する場合において、少年に弁護士である付添人がないときには、家庭裁判所が職権でこれを付することとする制度の導入が盛り込まれているが、これに対しては、更に広い範囲で公的付添人制度を導入すべきであるとの主張もなされている。
 したがって、公的被疑者弁護制度の導入の問題を検討するに当たっては、少年保護事件をも視野に入れて議論を深めていく必要がある。

5. 刑事司法を担う「人」に求められる資質・能力

 21世紀の我が国において、国民の期待にこたえ得る刑事司法を実現するためには、制度の面のみならず、それを支える人的体制、すなわち、裁判官、検察官、弁護士といった法曹三者のほか、裁判所、検察庁の職員、さらに刑事裁判の執行を担う矯正・保護の職員の整備を図る必要があり、このような人的体制の整備は、単なる量的増大のみではなく、質的な充実をともなったものでなければならない。
 以上のことは、既に当審議会において議論され各委員の一致した認識となっているものと思われるが、殊に、刑事司法が、適正な手続の保障の下、事案の真相解明を重大な使命としていることからすれば、その運営に携わる者は、人権感覚に富んだ豊かな人間性を持ちあわせ、人間関係の機微や情に対する深い理解・洞察力を兼ね備え、事案の適正公平な解決に真摯かつ積極的に取り組む姿勢を常に保持する必要があるように思われる。さらには、新たな社会構造の変化に対応していくためには、国内外を問わず、複雑多様化する政治・経済や社会の動きに精通することも必要であり、例えば、検察官についていえば、インターネット犯罪等の新しい形態の犯罪に対応し得るよう捜査・公判能力の向上を図っていく必要がある。
 そのためには、それらの者が、各々、自ら自己の能力向上に不断の努力を続けていくとともに、一層の研さん・研修を積むことのできるような環境を整備することが課題となる。