(別紙5)
平成12年4月25日 水 原 敏 博 |
(2) バランスのとれた刑事司法
こうした、刑事司法の使命・役割はそれぞれいずれも重要であり、その一部にのみ重きを置いて他を軽んじるようなことでは、真に国民の期待・信頼に応える刑事司法を実現することなど到底おぼつかない。それぞれの使命・役割の重要性に思いを致し、その間の適正なバランスを追求していくことが求められるというべきである。
そして、各国の刑事司法制度がそれぞれの国情により固有の発展を遂げ異なる姿形を持つに至っていることからも明らかなように、そのようなバランスのとり方は、それぞれの国の価値観・社会通念あるいは社会の状況などによって自ずと異なってくるものである(諸外国の刑事司法制度を参考とするに当たってはそのことに留意する必要がある。)。
今後の我が国の刑事司法、刑事手続に関する各種制度の在り方を考ていくに当たっては、刑事司法に課せられるそれぞれの使命・役割相互のバランスの在り様が、我が国の現在の社会の状況に適合し、国民の期待・信頼に応えるものになっているか、また、社会・経済の様々な変化が進行しつつある中で、見直すべき点は奈辺にあるかということなどを真剣に考えていく必要がある。
(3) 刑事司法を支える法曹三者の責務
さらに、重要なことは、「制度を活かすもの、それは疑いもなく人である」と、当審議会の論点整理において指摘されているように、刑事司法を担う裁判官、検察官、弁護人(弁護士)の役割ないし責務である。これら法曹三者は、それぞれの立場に応じて、刑事司法が国民の期待に応えるべく全体として真にバランスのとれたものとなるように不断の努力を続けていかなければならない。そのためには、それぞれが、互いに、刑事司法において重要な働きをする不可欠の存在であることを認め、信頼し、協力していくことが必要であることはもとよりいうまでもない。
(2) 具体的論点として考えられるもの
ア 公判期日の集中・連続化のための方策
前述したように、弁護士の多くが一つの刑事事件に専従できない執務態勢にあることが、集中審理の実施への大きな隘路となっていることから、公判期日の集中・連続化に対応し得る弁護体制をいかにして構築するかが重要な論点になると思われる。この点については、アメリカのような公設弁護人事務所制度の導入や後に述べるような公的刑事弁護の運営主体に雇用される常勤弁護士制度の導入等が具体的な検討課題となるであろう。
また、こうした常勤の弁護士を設けることのほか、一つの刑事事件に専従し得る弁護士を増やすため、法律事務所の法人化を進めることなども考えられる。
さらに、ドイツやフランスのように、第一審の審理期間や公判期日の開廷間隔の上限を法律で示すことの是非なども検討すべき論点の一つということができる。
イ 証拠開示
現行の刑事訴訟法においては、検察官の手持ち証拠のうち、裁判所に証拠調べを請求するものについては、あらかじめ被告人・弁護人に閲覧等の機会を与えなくてはならないとされているが、証拠調べを請求する予定のないものについては、そのような必要は明示されていない。
これに対し、検察官による証拠開示の範囲を拡充すべきとの考え方がある。これは、証拠開示の拡充は、被告人・弁護人の訴訟準備を充実させ、これによって争点を早期に明確化することが可能になり、ひいては実体的真実の解明や裁判の充実・迅速化に資するという理由に基づくものである。他方、検察官の手持ち証拠には、広範な捜査活動の結果収集された種々多様な資料が含まれており、事件の争点と関連がないものや、証拠開示の結果、他の捜査に重大な支障を来したり、関係者のプライバシー・名誉等に深刻な悪影響を与えるもの、犯人やその仲間による報復のおそれが生じるものもあることから、証拠開示の拡充に反対する意見も主張されているところである。
ウ 争点整理
裁判の迅速化を実現する上で、争点を早期に明確化することは、極めて重要である。我が国の場合、刑事訴訟規則により、第一回公判期日前において、検察官と弁護人の間で争点整理のための打合せをしなければならないとされているが、現状では、必ずしも十分に機能しているとは言えない。この点について、英国では、「答弁・指示審問」と呼ばれる争点整理の手続があり、刑事事件が裁判所に送られた後一定期間内に、被告人が答弁を行い、検察官、弁護人双方が争点を特定することが義務付けられている。
エ 争いのある事件と争いのない事件の区別
刑事裁判の充実・迅速化の観点から、争いのある事件と争いのない事件を区別し、前者に捜査機関や裁判所の人的物的資源を重点的に投入することにより十分かつ効果的な手続運用を実現するとともに、後者についてはできるだけ簡易・迅速に処理することを可能とする制度の在り方も考えてみる必要がある。現行の制度にも、被告人が有罪の陳述を行った場合には一定の要件の下に手続の簡略化が認められる簡易公判手続があるが、さらに進んで、被告人が有罪を自認すればそれ以後の証拠収集や立証を経ずに被告人を有罪として量刑を行うという、有罪答弁制度(アレインメント)の導入の当否が検討課題として考えられる。ただし、この制度の下では、被告人が有罪を自認した場合、証拠に基づく有罪認定によらないこととなるため、実体的真実発見の要請との関係で慎重な見方もある。
オ 裁判所の訴訟指揮権の在り方
適正かつ迅速な裁判の実現のためには、裁判所が、期日指定、争点整理、証拠調べ等の各場面において、適切かつ有効な訴訟指揮権を行使することが不可欠である。
この点について、米国では、当事者が裁判所の訴訟指揮に従わない場合、裁判所は、裁判所侮辱罪としての制裁を当事者に加えることができ、これが裁判所の強力な訴訟指揮権の行使を担保しているが、こうした制裁措置を設けることの是非をも含め裁判所の訴訟指揮権の在り方について議論を深める必要がある。
(2) 具体的論点として考えられるもの
ア 刑事免責制度等の新たな捜査手法の導入
このような現状認識に照らすと、既存の捜査手法による対応では限界があるように思われる。そこで、新たに導入することが考えられる捜査手法の一つとして、刑事免責制度を挙げることができる。刑事免責制度は、例えば、組織的犯罪において、末端の関与者の刑事責任を免除する代わりに、組織の実態や首謀者の関与等を明らかにする証言をさせることにより、首謀者の訴追・処罰を可能とし、ひいては、犯罪組織の壊滅を図ることも可能とするなど、有効な捜査手法と考えられるが、その導入の是非については、国民の法感情・意識等を踏まえ、十分に検討する必要がある。
そのほか、参考人等の非協力に対する対策として、米国やドイツ等に見られるように、捜査段階において、参考人を勾引したりその不出頭又は供述拒否に制裁を科すなどする出頭強制の制度や、現行法上の起訴前証人尋問の拡充、おとり捜査の拡充等も検討課題として考えられる。
イ 捜査・司法共助制度の拡充強化
犯罪の国際化等を踏まえ、捜査・司法共助制度の一層の拡充強化が必要である。
ウ 検察官の起訴独占主義・訴追裁量権の在り方
検察官の起訴独占主義・訴追裁量権は、法律家である検察官の起訴による安定的・統一的な事件処理を実現する機能や、真に罰すべき者のみを起訴することにより、犯罪者個々の事情に応じた改善更生の途を与える機能を果たしてきたものであり、そのような機能を今後も一層適切に果たしていくべきものであると考えられる。しかしながら、近時、犯罪被害者保護の要請が強まる中で、検察官の起訴独占主義・訴追裁量権にも一定の制約を加えるべきであるとの主張がなされている(具体的には、私人に起訴権限を認める私人訴追主義の採用、検察審査会における「起訴相当」の議決についての法的拘束力の付与など)。このことは、検察官の起訴独占主義・訴追裁量権の現実の在り方が必ずしも十分に国民の期待に応えるものとなっていないことの現れではないかという見方も可能であろう。
なお、こうした課題について、国民の司法参加という観点からの検討も必要である。
エ 被疑者の身柄拘束に関連する問題
被疑者・被告人の身柄拘束の在り方に関しては、前記規約人権委員会が、我が国の刑事司法に対し、警察の留置場を代用監獄としていること、起訴前保釈制度がないこと、弁護人の接見交通権が制約されていること、身柄拘束中の被疑者の取調べが厳格に監視され、電気的手段により記録されていないこと等について懸念を示しており、同様の観点から改善を求める意見もある。これらの懸念等に対しては、適正手続の保障の要請のみならず、これと実体的真実発見の要請との調和を図らなければないことや、逮捕・勾留の際の令状審査を含む裁判所による複数の司法審査の機会が保障されている等の刑事手続全体の構造を考慮しなければならないこと等の反論がなされている。
(2) 具体的論点として考えられるもの
ア 公的費用による被疑者弁護制度導入論について
(ア) 導入の意義・必要性
捜査段階において弁護人の果たすべき役割の重要性については、誰しもが認めるところであり、それ故にこそ被疑者に弁護人依頼権が認められている。当審議会の論点整理においても、「刑事司法の公正さの確保という観点からは、被疑者・被告人の権利を適切に保護することが肝要であるが、そのために格別重要な意味を持つのが弁護人の援助を受ける権利を実効的に担保することである。…これに加え、…適正・迅速な刑事裁判の実現を可能にする上でも、刑事弁護体制の整備が重要となる。」との指摘がなされているところであり、前述の公的被疑者弁護制度をめぐる動きをも踏まえれば、同制度の導入は、まさしく「現実的な検討が必要な段階」に来ているものと考えられる。
(イ) 導入の方式(国選弁護制度、法律扶助制度、公設弁護人事務所制度)
公的被疑者弁護制度には、裁判所が弁護人を選任する国選弁護制度、被疑者が弁護人を選任し、その費用を公的資金で援助する法律扶助制度、公務員である公設弁護人が弁護にあたる公設弁護人事務所制度等があり、我が国における公的被疑者弁護制度の導入を考えるに当たっても、いずれを採るのか検討する必要がある。
また、公的被疑者弁護制度の導入方式と関連して、制度の運営主体をいかなるものにするかという問題もある。すなわち、国が直接運営するか、あるいは、公的性格を持つ法人(特殊法人、認可法人、指定法人等)に運営を委ねるかといった点を検討する必要がある。
これらの制度については、これまで、日弁連等から、様々な提言が行われてきたところであり、また、前述した自由民主党司法制度調査会案は、被疑者・被告人を通じて裁判所が弁護人を選任する国選弁護制度を採用しつつ、公的資金の受入れ・支出その他の運営は、認可法人がこれを行うとしている。
(ウ) 導入に伴う問題ないし条件
a. 弁護士偏在、集中審理に対応し得る弁護体制、弁護士の公的活動への参加確保
公的被疑者弁護制度を導入するとなれば、一定の要件を満たすすべての国民が等しく利用できる制度としなければならず、そのためには、どの地域にも、制度を担うに十分な数の弁護人が存在している必要がある。しかしながら、現状では、弁護士の数は地域間格差が著しく、いわゆる弁護士偏在の問題を生じている。被疑者弁護の場合、逮捕・勾留期間が最長で23日間であるが、弁護活動を実効あらしめるためには、その期間内のできるだけ早期に弁護人を選任することが必要であるから、公判期日の調整が可能な被告人弁護と比べて、弁護士偏在の問題は一層重要であり、公的被疑者弁護制度の適正な運営のためには、この問題の解決は不可欠である。
また、前述したとおり、刑事裁判の充実・迅速化を実現するに当たっては、何よりも集中審理の実現が重要であるところ、現状では、弁護人がこれに対応できる態勢になっていないことが迅速化の隘路となっていることから、公的被疑者弁護制度を導入する場合においては、公判段階における公的弁護制度についても、こうした集中審理の要請に十分対応し得るものとして制度を整備する必要があると思われる。
弁護士偏在問題の解消と集中審理の要請に同時に対応していくためには、弁護士過疎地域はもとより、弁護士が多い大都市圏においても、アメリカのような公設弁護人事務所制度や公的刑事弁護の運営主体に雇用される弁護士のように一つの刑事事件に専従できる常勤弁護士を置く制度の導入の是非を検討していく必要があると思われる。この点について、前述の自民党司法制度調査会の案では、「運営主体の登録弁護士、契約弁護士、常勤弁護士を柔軟に併用することにより、国民の弁護士へのアクセスを容易にし、ひいては弁護士偏在問題や裁判の長期化の問題に対処する」とされている。また、最近、もっぱら弁護士偏在問題の解消の観点からではあるが、日弁連において、弁護士過疎地域に公設事務所を設置する試みに着手するなど、注目すべき動きが見られる。
b. 公費投入に見合った弁護活動の評価、コントロールシステム等
弁護活動が期待される水準に達していなかったり、あるいは、その内容に行き過ぎがあって国民の正義感情に反するようなものであれば、これに税金を投入することについて国民の理解を得ることは容易でない。
したがって、被疑者弁護制度に公的資金を導入するに当たっては、それに見合うだけの弁護活動の水準が確保されるとともに、弁護活動の適正さが確保されることが必要であり、弁護士倫理のさらなる徹底や問題のある弁護活動に対する適切な是正措置の在り方が検討課題となると考える。
c. 刑事手続全体の中で検討していくことの必要性
被疑者段階を含む公的刑事弁護の在り方には、それだけを単独で取り出して議論するのではなく、前述した裁判の充実・迅速化の実現や捜査手続への影響など刑事司法全体の中にこれを適切に位置付けた議論が必要である。この制度の導入に伴う問題の検討に当たっても、適正手続の保障と実体的真実の発見という刑事司法の二つの使命のバランスに十分配慮されなければならない。
イ 少年審判手続における公的付添人制度
少年については、少年法により、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うため、少年審判手続が定められているが、少年審判の付添人について、各方面から公的費用で弁護士である付添人を付する制度を導入すべきであるとの提案がなされている。
昨年法務省が提出した少年法等の一部を改正する法律案にも、検察官が少年審判の手続に関与する制度の導入と併せて、検察官が関与する場合において、少年に弁護士である付添人がないときには、家庭裁判所が職権でこれを付することとする制度の導入が盛り込まれているが、これに対しては、更に広い範囲で公的付添人制度を導入すべきであるとの主張もなされている。
したがって、公的被疑者弁護制度の導入の問題を検討するに当たっては、少年保護事件をも視野に入れて議論を深めていく必要がある。