司法制度改革審議会

別紙1

平成12年5月16日

「国民がより利用しやすい司法の実現」及び
「国民の期待に応える民事司法のあり方」に関する意見

髙木 剛

はじめに
司法改革への期待

Ⅰ.民事司法についての基本的視点
1.国民に対するサービスとしての民事司法
2.民事司法と法の実現
3.行政権の行使のチェック

Ⅱ.民事司法を充実させるための人的体制
1.裁判の充実と裁判官の資質
2.裁判所の人的体制の強化

Ⅲ.行政に対するチェック機能の充実
1.過去の行政訴訟の問題点
2.行政訴訟活性化のための方策

Ⅳ.国民の期待に応える民事司法
1.迅速で適正な裁判のために-証拠開示
2.労働者の権利を守るために
3.裁判外紛争処理の多元化と充実
4.隣接職種
5.民事執行
6.訴訟費用
7.裁判所施設等の改善

Ⅴ.最後に

平成12年5月16日

「国民がより利用しやすい司法の実現」及び
「国民の期待に応える民事司法のあり方」に関する意見

髙木 剛

(はじめに-司法改革への期待〉

 今、何故、司法改革なのかについては、「司法制度改革に向けて-論点整理」(平成11年12月21日)に述べられている通りであり、明治以来基本的な見直しのないまま今日に至っている司法制度の根幹について「改革」の名に値する抜本的な見直しが強く求められていることを常に念頭において論議を進めていく必要がある。

 換言すれば、現状にこだわる余り、改良型のアプローチにとどまるかの発想を脱却し、21世紀の日本の司法が目指すべきものは何かを想起しながら、司法制度のグランド・デザインを骨太に描き、そのデザインの実現のために必要な方途・方策を具体化の手順も含めて固めていくというアプローチの仕方が要請されていることを強く認識し合うべきである。

 「国民がより利用しやすい」「国民の期待に応える」「国民の参加」「統治主体意識」「法の血肉化」「法の支配」…が、国民の側から実感されるような司法改革の実現を国民は強く期待していることをユーザーの立場から重ねて訴えたい。

Ⅰ.民事司法についての基本的視点

 民事司法の改革のためには、まず何が改革になるのか、何のために改革するのか、という基本的なコンセプトを論議し、その上で各論に入るべきである。竹下会長代理が提起された論点とすべき項目は、網羅的であり、改善を要する重要な諸点が列挙されているが、基本的なコンセプトに関する言及がなく、目指すべき民事司法の全体像が把握しにくい。

 民事司法についての基本的視点として、以下の3点を指摘したい。

1.国民に対するサービスとしての民事司法

 民事司法は、第一に、国家が国民に対して提供するサービスである。国民が法的な紛争に直面した時に、その紛争に適切な解決を迅速に与え、国民の権利を正しく実現することは、国家の責務である。そして、その責務は、第一次的には、裁判所によって担われなければならない。裁判所は、「国民がより利用しやすい司法の実現」のために、国民を統治するための機関ではなく、国民に対するサービス機関として確立されることが必要であり、裁判官および裁判所職員の一人一人が国民に対する奉仕者であるとの認識を新たにすべきである。加えて、民事司法制度自体も、利用者である国民の立場を中心に見直さなければならない。

2.民事司法と法の実現

 しかし民事司法は、国民に対するサービスとしてだけ意味があるわけではない。民事司法は、第二に、法の実現に資するものでなければならない。これまで日本では、法を適用し、その目的を実現することは「官」(具体的には、行政機関)の任務であると理解されてきた。しかし、司法改革が、行政による「事前規制から事後規制へ」と規制の重点を移し、また国民が統治の客体から主体に変わることを前提とする以上、法の実現も行政の独占物であってはならない。国民の提起する訴訟は、法の目的を実現するための一手段として、積極的な評価が与えられる必要があり、そのため民事司法は、訴訟提起を抑制する方向ではなく、国民による訴訟提起を促進する方向で再編成されなければならず、懲罰的損害賠償・クラスアクション制度の導入は、その文脈において検討されるべきである。

 これまでの日本の司法は、訴訟の提起を積極的に進めるという価値観に基づいてはおらず、そのことが「小さな司法」の原因であった。しかし、そのような司法の在り方を変えるのが、今回の司法改革でなければならない。

3.行政権の行使のチェック

 論点整理において行政訴訟は、民事司法の中に位置付けられているが、本来は、民事司法とは別に独立して扱われるべき問題である。行政権の行使が適正であったか否かをチェックする意味を持つ行政訴訟は、私的当事者間の紛争解決を使命とする一般の民事司法とは性質が異なるからである。裁判所は、三権の一翼を担い、行政権をチェックする位置にあり、その具体的な表れが行政訴訟である。

 司法による行政権の行使に対するチェックが消極的ではないかという国民の懸念は、多くの識者の指摘とも符合し、行政権をチェックしながらその絶対的な権力化を抑制するという司法の役割が十分に果たせていないとの批判の声も伝えられている。

 規制緩和の流れを今回の司法改革が受けとめていかなければならないとするならば、行政訴訟の活性化は、司法改革の成否に係わる最も重要な論点の一つと言っても過言ではない。

Ⅱ.民事司法を充実させるための人的体制

1.裁判の充実と裁判官の資質

 国民の期待に応え、国民が司法を利用することを促進するためには、裁判の充実をはからざるを得ない。裁判の結果である判決が、国民の立場から見て適切な納得のいくものでなければ、いくら周辺の制度を整備して裁判所への国民のアクセスを改善しても、国民は司法サービスを利用しようとはしないであろう。そのためには、まず社会の実情に関心を持ち、国民の苦労を理解する裁判官を裁判所に得ることが前提となる。具体的には、司法以外に救済を求めることのできない市民・労働者、国際競争の中で生き残りをかける大企業、さらに厳しい経営環境にある中小企業のそれぞれの状況を理解して、判決が下されているのかという観点からの裁判所の現状に対する真摯な反省が、新しい民事司法を構築する議論の出発点でなければならない。もちろん、裁判官の独立は保障されるべきであり、個々の裁判に干渉すべきではないことは言うまでもないことである。要は、経験豊なハートのある裁判官をどのように確保するかという問題であり、法曹一元・裁判官の独立の問題が、民事司法の改善についても課題とならざるを得ない。

2.裁判所の人的体制の強化

 裁判官の資質とともに、裁判官及び裁判所書記官を始めとする裁判所スタッフの増員が、民事司法の充実のために不可欠である。前述のように、国民が統治主体となる社会を構想する以上、法の実現に関する国民の関心は増大せざるを得ず、そのことは、将来より多くの事件が司法に解決を求めることを積極的に評価することを意味する。したがって、現在でさえ、多くの事件を処理せざるを得ず、負担が多すぎると思われる裁判官の大幅増員は必須である。現在の裁判が充実していないと感じられるのは、裁判官の中に忙しさのために、当事者の気持ちに十分配慮することなく、言わば一丁挙り的に処理件数を増やすことだけに関心を持つ裁判官が少なくないことと、転勤のために長期に渡る事件の場合には途中で裁判官が何回も交代することに起因している部分が少なくないといった批判もある。

 そして、裁判官の増員とともに裁判官を支える裁判所スタッフの大幅増員も合わせて行われなければならない。裁判官が一件一件の事件に必要にして十分な時間を割くことができてこそ、国民は裁判に納得し、裁判を信頼し、また迅速な裁判をも実現することができるのである。

Ⅲ.行政に対するチェック機能の充実

1.過去の行政訴訟の問題点

 諸外国に比して、なぜ日本では、行政訴訟の事件数が著しく低く、また行政権の行使が違法とされることも少なかったのであろうか。裁判所が行政よりの判断を示すことは、行政訴訟の提起を抑制する効果を生じてきた。この行政権の行使をチェックすることに消極的であった裁判所の姿勢が、日本の行政に過大ともいえる裁量を許し、ひいては行政指導に過度に依存する産業・企業・個人を作り出してきたといっても過言ではない。

 また、裁判官には、国民の側に立って、行政権の行使をチェックするという意識よりも、「官」の一員として、「官」を守るという意識が強かったのではなかろうか。このような意識は、国民を統治主体とする司法改革の理念と相容れない。いくら制度を改めても、最終的に裁判を行い、判決を下す裁判官の意識が変らなければ、行政へのチェック機能は期待できない。そして、そのような行政権の行使をチェックできる裁判官をどのように確保するかという文脈で、現在のキャリア制(官僚制)裁判官の適否が問題にされざるを得ないという批判も多い。

 今般の海外調査(ドイツ・イギリス)においても行政訴訟の関係は、直接ヒアリングしたりする機会はほとんどなかったが、事件数等を聞けば、両国共に日本に比べて格段の数の行政事件訴訟が行われており、日本の行政訴訟は死に体になっているのではとつくづく感じさせられた次第である。

 加えて、原告適格や処分性(抗告訴訟の対象性)など、行政訴訟の窓口を狭く狭く解釈する行政訴訟の提起の難しさも判例の積み重ねで国民は嫌という程思い知らされている。

 戦後50数年、日本の行政訴訟が一貫して消極的であったわけでもない、との指摘もある。昭和46年11月2日の朝日新聞夕刊は、“全逓プラカード事件に対する東京地裁の判決など最近の国家公務員法違反事件の下級審判決について、「戦前の行政裁判所がなくなった結果、裁判所が行政にかなり介入した形になっている。おかげで行政官庁が困っている」と前尾法相が述べた。・・・”と伝えているが、この頃から司法の行政権に対する態度が変り始めたという見方もある。

2.行政訴訟活性化のための方策

 規制緩和が進んでも、行政による規制は、国民生活・経済活動の様々な分野に及ぶ。三権の一翼として、司法による行政権行使のチェック機能を充実させるためには、行政訴訟本来の意味を再確認し、活性化する必要がある。

 そのために必要であるのは、第一に、行政庁の裁量を広く認めている行政実体法規の見直しである。不透明な事前規制を廃止し、「法の支配」を貫徹するためには、行政庁の裁量を限定することが必要であり、そのためには、行政に広範な裁量権を与えている行政実体法規の内容自体が見直され、行政権の裁量の範囲をなるべく限定するように規定しなおさなければならない。

 第二は、当事者適格の拡大である。行政訴訟において当事者適格を限定することは、訴訟による審査の対象を制限する。そのため、当事者適格の要件はなるべく緩和される必要があり、行政事件訴訟法等の改正が検討されるべきである。

 なお、行政事件訴訟法の改正は、法の目的の明記、対象の拡大、排他的管轄、訴えの手数料、被告適格、管轄裁判所、出訴期間など多岐にわたる要改正点があり、具体的な改正論議は別途の場に検討を付託して成案を得るという進め方も考えるべきであろう。

Ⅳ.国民の期待に応える民事司法

 国民が訴訟を提起しなければ、民事司法は機能しないに等しい。行政による事前規制の役割が減少しても、それだけで国民の司法利用が高まるわけではない。現在の制度を改善して、より利用しやすくなる必要が議論される由縁である。そのためには、国民が、日本全国どこにおいても、迅速かつ適正な裁判を低廉な費用負担で利用でき、容易に自らの権利を行使できることが必要であり、また国民にとって訴訟提起が経済的に見合うものである必要がある。そのためには、特に以下の諸点が重要であろう。

1.迅速で適正な裁判のために-証拠開示-

 司法に解決を求める国民に対して、解決はできるだけ短期間に与えられなければならない。労働訴訟などのように、迅速な解決が与えられないことが、司法による救済の拒否と同視できるような場合もないわけではない。

 しかし、裁判は迅速であるとともに適正でなければならない。医療過誤事件のように、証拠が偏在している当事者間の訴訟において、そのような状況を放置したまま、ただ訴訟の進行を早めようとすると、一方当事者に不利な結果を招来しかねない。したがって、迅速かつ適正な裁判を制度的に担保するためには、早期に争点を整理するとともに証拠収集手続きを見直す必要がある。具体的には、要件や手続きをきちんとした上でのディスカバリー制度の導入・強力な証拠保全手続きの採用が必要であろう。

2.労働者の権利を守るために

 都道府県等の労政機関、国の行政機関、労働組合、弁護士会の労働相談等に寄せられる労働相談は30万件を超えるといわれる。他方、裁判所に寄せられる労働事件は年間2000件前後、労働委員会では350件前後であり、事実上、多くの労働者は泣き寝入りしているといえる。

 労働問題が起きた場合の紛争解決システムとしては、労働委員会と裁判所があるが、上述したように、裁判所、労働委員会における申し立て件数は圧倒的に少ない。ドイツやイギリスの労働事件件数の対比では、日本の件数の少なさが際立っている。

 労働委員会(監督庁は労働省)は不当労働行為に関する集団的紛争の処理と争議調整をおこない、個別の労働紛争は扱わない。裁判所は個別・集団双方の労働紛争を扱うが、裁判所が、労働事件固有の組織や手続(大陸諸国にみられる労使代表の関与、調整手続と判定手続の結合、解雇事件の優先的処理等)を持たないために、紛争処理手続きが厳格で、時間と費用がかかるため、泣き寝入りすることが多い。また、裁判所では、当該紛争を背景事情ぬきに断片的にきりとり、しかも権利義務の存否の観点からのみみるために、労使関係や雇用関係のあり方に配慮を欠く判決がみられたり、労働事件や労使関係の特性に応じた解決(集団的紛争では労使関係の信頼関係の回復、個別労使間紛争では労働者の紛争解決目的に応じた柔軟な解決)が行われにくい。そのため、労働者が裁判所による解決を求めることを結果として抑制している側面も否めない。

 そのうえ、集団的紛争に関する労働委員会と裁判所との関係では、接合のしかたが悪く、事実上の5審制となり、時間と費用がかかる労働紛争と捉えられてきた。賃金・解雇・異動・配転などの労働問題は、たとえ解決したとしても、10年も経るのでは意味はない。

 したがって、不当労働行為に関する労働委員会の命令についての取消訴訟は高等裁判所に提訴するものとし、審級数の削減をはかるべきであり、加えて労働委員会における事実認定は、実質的な証拠書として裁判所は採用(事実認定が実質的証拠によって支持されている場合は裁判所は覆さない)すべきである。

 21世紀の日本の経済や産業の動向、労使関係や労務管理、雇用状況などが中・長期的にみてどのように推移していくかの予測は大変難しく、労働事件の発生状況がどの程度増加するか予測し難い面もあるが、法の支配が行き渡ればとりわけ個別労働紛争の大幅な増加は避けられないだろう。

 この個別労働紛争の増加に対処するためには、労働委員会において、調整的紛争処理としての個別労働紛争のあっせん、調停、仲裁手続きをも行い得るようにすべきである。また、労働委員会における個別労働紛争の調整的処理に加えて、ヨーロッパ型の労働裁判所の設置を行い、判定的処理手続きの整備をも行うことが不可避である。その際、陪・参審制を採用すべきである。

3.裁判外紛争処理の多元化と充実

 裁判外紛争処理(ADR)の充実は、国民の立場からは、紛争解決のために利用できる選択肢が広がることを意味する。そしてADRにより簡易で迅速な解決が得られることは、好ましいことである。その意味で、ADRの充実は積極的に位置付けることができる。

 ただし、これには幾つかの留保を付する必要がある。第一は、普通ADRの長所として述べられていることは、現在の裁判所及び裁判の在り方を前提としていることである。裁判所が国民に対するサービス機関となり、迅速な裁判が行われるようになれば、ADRと裁判所との棲み分けは、現在とは異なる可能性がある。第二は、ADRは、裁判所の機能を全面的に代替するものではないことである。例えば、ADRによる解決の内容が公開されない場合には、ADRに判例形成機能を期待することはできない。

 要するにADRは、あくまで選択肢として存在しているのであり、裁判所の機能を全面的に代替するものではない。したがって、本来の司法の拡充を先に議論して、そこで残った問題をADRで補うという議論の仕方をすべきではなかろうか。

 なお、わが国では、例えば裁判所の調停制度がADRの代表のように言われるようになっているが、半面で、民間ADRが育たなかったという状況がある。最近「町の裁判所」として弁護士会による仲裁センターが注目を集めているが、仲裁を含む民間のADRがもっと発展し、仲裁センターの数が増加していくようサポート体制を強化すべきである。

4.隣接職種

 弁護士による法律事務独占は、弁護士によるサービスが全国どこでも容易に受けられることを前提としているが、現状はこれと大きく異なっている。また、司法制度を担う法律専門家を専門分野についても弁護士に限定すべき必然性はない。その意味では、司法制度において、法律事務のうち、特定の専門的分野を弁護士以外の法律専門職に開放することは、法律事務を行うために必要な法的知識や実務に関する要件をクリアーすることを前提にすれば合理性がある。

 ただし、弁護士の隣接職種といわれる法律専門職については、法律家としての独立性の強化をはかる必要がある。なぜなら、それら専門職の現状は、職種にもよるが、制度の実情や法制度面において、事実上、行政の機能を補完する役割とされているものが見られるからである。すでに、専門職団体からは、制度改革の提言も出されており、隣接職種への専門分野に関する法律業務の開放とともに、それらの制度の改革を同時に行う必要がある。

5.民事執行

 法の支配は、判決が正しく執行されることによって最終的に実現する。裁判の結果得た判決は、最終的には、強制執行手続きによって実現されざるを得ないところ、法改正により改善されてきたとは言うものの、強制執行が困難な事例はなお少なくないようである。判決の実現が困難であることは、まさに法の支配に対する信頼を揺るがすものであり、なお一層の改善がはかられなければならない。

6.訴訟費用

 訴訟提起にあたって、原告が裁判所に納付しなければならない訴訟費用は、かなり高額であり、訴訟提起を抑制する効果を生じている。したがって、提訴手数料の軽減は重要であろう。提訴手数料は、裁判所を利用するためのサービス料と位置付けられようが、国民は、税金を払っている上に、さらに高額な費用負担を強いられるのは適当ではない。

 また、弁護士費用の敗訴者負担制度も、訴訟提起を促進するという観点から検討を行うべきである。

7.裁判所施設等の改善

 裁判所は、地理的にも、時間的にも国民が容易にアクセスできる存在でなければならない。裁判所に行くために長時間を要することは適当ではなく、裁判所は、交通の便の良い場所に設置されるべきである。また、昼間しか裁判所が開廷していないことは、多くの勤労国民にとっては、アクセスの大きな障害である。国民に対するサービス機関としての裁判所としては、裁判官及び裁判所スタッフの労働条件に配慮しながら、休日・夜間の執務を行う方策を検討すべきである。

Ⅴ.最後に

 国民が民事司法をより利用するようになるためには、国民が統治の主体として司法にどのように係わるべきかについての教育が不可欠である。そのため、小学校段階から、司法教育の機会を設ける必要がある。

 なお、民事司法制度の詳細に係わる技術的な論点は、どうしても現在の枠組みを前提として議論することになりがちであるが、今回は枠組み自体の変更が問われていることを常に銘記しなければならない。