司法制度改革審議会

第19回司法制度改革審議会議事録

第19回司法制度改革審議会議事次第


日時:平成12年5月16日(火)14:00~17:05

場所:司法制度改革審議会審議室

出席者(委員)

佐藤幸治会長、竹下守夫会長代理、井上正仁、北村敬子、曽野綾子、髙木剛、鳥居泰彦、中坊公平、藤田耕三、水原敏博、山本勝、吉岡初子
(事務局)
樋渡利秋事務局長
  1. 開会
  2. 海外実情調査について
  3. 「国民が利用しやすい司法の実現」及び
    「国民の期待に応える民事司法の在り方」について
  4. 閉会

【佐藤会長】それでは、時刻も参りましたので「司法制度改革審議会」の第19回会合を開催させていただきます。

 委員の皆様、海外実情調査について大変御苦労いただきまして、誠にありがとうございます。大分強行軍でお疲れのことと思いますけれども、よろしくお願いいたします。

 今日の議題は、最初に、従来の予定とはちょっと違うかもしれませんが、生々しいところで、海外実情調査の印象、感想などをお話しいただいた方がいいのではないかということで、1時間あるいは少しオーバーしてもよろしいですが、予定しております。

 それから、2番目に、「国民の期待に応える民事司法の在り方」について、髙木委員、山本委員、それから吉岡委員からレポートをお願いすることになっております。

 その他の議題についても少し御相談したいと思います。なお、吉岡委員は少し遅れていらっしゃる、それから鳥居委員もちょっと遅れるということでございます。

 それでは最初に、海外実情視察の結果の報告ということで、印象、感想的なことをお話しいただきたいと思います。アメリカ班とヨーロッパ班に分かれたわけですけれども、初めにアメリカの方からお話しさせていただいてよろしいでしょうか。ヨーロッパ班の方は、藤田委員、竹下会長代理、それから水原委員にお願いしたいと考えております。

 それでは、私の方からアメリカのことについて、少し印象めいたことをお話しさせていただきます。

 アメリカの実情調査は、お手元に1枚の紙があると思いますけれども、そこに書いてありますような日程で、ニューヨーク、ワシントンDC、シアトルと3か所にわたったわけであります。ニューヨークでは、裁判所、弁護士会あるいは法律事務所、リーガル・エイド・ソサエティなど、ワシントンDCでは、全米州裁判所センターとか連邦地方裁判所など、それから、シアトルでは、法律事務所、ワシントン大学ロースクール、裁判所など、そういうところを視察させていただいたわけであります。

 私は専門が憲法だということもあって、視察に当たってもそういう観点からの関心が強かったわけであります。日本の司法制度は、やや特殊性を持っているということでございます。明治憲法下では、法制度は大陸法、特にドイツ法ですけれども、それを継受する、司法制度もそれにならって導入したわけであります。司法権は民事、刑事に限られておりまして、行政事件の裁判は行政の系列に属する行政裁判所が行うということでありました。裁判所には、違憲立法審査権はありませんでした。それが、日本国憲法になりまして、英米法的な考え方にならって、司法権を統治構造ないし権力分立構造の一翼として明確に位置付けて、司法権の強化を図るということを行いました。司法権は民事、刑事だけではなくて、行政事件の裁判も含むというようにされるとともに、司法裁判所に違憲立法審査権を認めるということになったわけであります。

 しかし、民法典などの大陸法的な基盤は変わっていないわけでありまして、言わば、大陸法的な基盤の上に、さる論者の言葉を借りれば、接木的に英米法的な司法制度を導入したということであります。

 ドイツ、フランスの場合も、第二次大戦後、大きな変化を見せておりますけれども、日本の場合とは事情を少し異にしているところがあります。ドイツの場合ですが、これはまた後でお話しいただけるかと思いますけれども、司法権に行政事件の裁判が含まれるかどうかといった次元を離れて、「裁判権」というようにとらえて、裁判権の強化を図りました。すなわち、憲法は、「裁判」という標題の下に、連邦憲法裁判所、それから連邦最高裁判所を設けるものとし、そして、最高裁判所として通常裁判所、行政裁判所、財政裁判所等々を設置することにしました。その中でも、連邦憲法裁判所は、他の裁判所とは異なる特殊性、政治的性格といいますか、そういうものを持つものとして理解されているように思われます。

 フランスの場合ですが、司法権は従来どおり民事、刑事に限られておりまして、行政事件の裁判は行政の系列に属する行政裁判所が行うということになっておりますけれども、第五共和制憲法の下で、憲法院というものが設置され、それが憲法裁判を行っているわけであります。そして、この憲法院は、現在では、裁判機関というように観念されているようですけれども、ほかの裁判所とは異なる特殊性、やはり政治的性格といいますか、そういうものを持つものとして理解されているようであります。

 こういうわけで、我が国の司法権は、明治憲法下で妥当していた大陸法系の法体系を基盤的に引き継ぎながらも、英米法的な考え方を内実としているということができるかと思います。そういう意味ではまさに接木的に司法制度がつくられたということであります。接木にふさわしい大きな花が咲いているかどうかという課題を、私どもとしてこの50年間担い続けてきたということだろうと思います。

 大陸法系は、よく言われますように、体系的、演繹的な思考を特色としております。そして、歴史的には、司法不信を背景に、裁判所を制定法によって縛るという発想が強いように思われます。日本のさる論者は、“司法ペシミズム”と呼んでおりますけれども、そういうこととも関係して、憲法裁判は特殊視される傾向にあります。

 それに対して、英米法系は、議会、政府による立法を通じての法形成と並んで、法の支配の観念の下に、具体的な事件の適正な法的解決を通じての司法による法形成、あるいは社会秩序形成を重視する、また、それに信頼を寄せるという傾向があるように思われます。こうした傾向は、日本のさる論者によって、“司法オプティミズム”と呼ばれているところです。そういうことですから、司法権と国民主権ないし民主主義との具体的な関係に配慮しながら、司法権の独立というものをいかに確保するかということに腐心する傾向がありますけれども、それはまさに英米法系の司法の内実の結果であるというように思われます。

 おおざっぱに言いまして、大陸法系を継受して100年、英米法的な司法を接木して50年、経ったわけであります。大きく豊かな花を咲かせようということであるとすれば、アメリカの司法制度を支えているものは何かということを、虚心に見る必要があるのではないかというように思ってアメリカに参りました。

 英語で、マドリング・スルーという言葉があります。泥んこの中をもがきながらある方向を見定めてそこを乗り切っていこうという言葉でありますが、体系的、演繹的な発想というのも非常に大事なんですけれども、グローバル化する世界にあっては、錯綜した具体的な現実の中から、ルールとか規範を見出していくということが非常に大事になってきているように思われるのでありまして、そうした観点からも、アメリカの法制度、あるいは司法制度の在り方から学ぶべきことがいろいろあるのではないか、そんな思いで、アメリカに参りました。

 それで、視察から何を得たか、どういうものが印象として残ったかということでありますけれども、挙げればいろいろありますが、二、三述べるにとどめておきたいと思います。

 一つは、連邦であれ州であれ、司法権は権力分立ないし抑制均衡の一翼として明確に位置付けられている、そして、それを担う個々の裁判官のプレステージが非常に高いという強烈な印象です。

 裁判官の任用制度は、連邦については、大統領の指名、上院の承認、そして、大統領が任命する。それから、州については、いろいろございます。立法府による選挙、知事による任命、あるいは選挙-党派的選挙と無党派選挙の二種類ありますけれども-というようにいろいろな仕組みがございます。

 司法権が、今、申しましたように、アメリカの統治構造の一翼として明確に位置付けられている以上、国民主権あるいは民主主義の観点から、裁判官の任用に多かれ少なかれ政治が関わるということは避けられないことになります。同時に、いかにして広い法曹の中から適任者を得るかということに、非常に大きな努力を払われているということも痛感した次第です。

 州のレベルですけれども、選挙によって裁判官を選ぶことについては、最近、かなり批判が強いような感じを受けました。とにかく多くの法曹の中からいかにして適任者を得るかということに、多大な努力が払われているということであります。特に、連邦地裁の裁判官とお会いしていろいろ話を伺ったときに印象深かったのは、選定に当たって、人物の資質や執務経験等が徹底的に調査されている、そして、ABAの評価も参考にされて、その選定に非常に慎重を期されているということでした。

 しかし、同時に、一旦裁判官として選ばれますと、司法権の行使についてその人の独自の見識に委ねる、裁判官の独立に非常に強い配慮を払っているということを痛感しました。

 そういうこととも関係して、法律家にとって裁判官になることがいかに大きな名誉であるかということが、非常によく理解できたように思います。そして、州のレベルなどで伺ったところでは、裁判官についての政治的圧力があれば、弁護士会が立場を越えて裁判官の擁護に回るというようなこともあることを、いろいろ聞いたわけであります。

 論点整理において、法曹一元に関しまして、「法の支配の理念を共有する法曹が厚い層を成して存在し、相互の信頼と一体感を基礎としつつ」云々というように述べておりますけれども、その姿の一端を実感したという思いであります。

 それから2番目に、陪審制についてであります。この陪審制も、司法が統治構造の一翼として明確に位置付けられているということとの関係で理解されるべきではないかという思いをいたしました。予想していたように、陪審制については、アメリカの中でいろいろな意見があるようであります。けれども、陪審制を廃止すべきだといった意見にはほとんど接しませんでした。むしろアイ・ラブ・ジュリー・トライアルといった声をしばしば聞かされたところであります。そして、国民が陪審を引き受けやすいようにするためにいろいろな努力がなされているということも知りました。

 それでは、なぜ陪審制なのかということなんですけれども、日本では、陪審制というと、事実認定の次元でとらえる傾向がありますけれども、アメリカでは、もう一つ重要な次元があるのではないかというように思いました。それは、国民主権下の統治構造の一翼として司法権を位置付けている以上、国民がその働きに何らかの形で関わるべきであるという発想であります。司法も決して“与件”ではないということではないか。陪審制も、そういう発想の表れではないかというように感じられました。陪審の場を通じて、国民は裁判の仕組みや働きを自らの問題として学ぶという面がある。そして、子どもたちにも、陪審の働きなどを通じて、司法への理解を深めさせる、公への参加の意義を自覚させる努力が、学校でもまた裁判所自身によってもいろいろ試みられているという姿が非常に印象的でありました。

 3番目の印象的なことでありますが、アメリカの法曹の持つ法的サービス力が、ますます大きく世界的規模で展開されつつあるということです。従来、法制度あるいは司法制度は、それぞれの国の文化を背景とするドメスティックな性格、固有性を持つと理解されてきた面が強いように思われます。確かに、それはそうなんですけれども、考えてみれば、法制度、司法制度は、本来的に共通性といいますか、普遍性の面も持っているはずであります。グローバル化の進展は、そういう共通性、普遍性という面で、新たな局面をつくり出しつつあるのではないかという感じがいたしました。

 クリフォード・チャンス法律事務所などを訪れたときに、その活動の実態を目の当たりにしまして、ある意味で私には衝撃的でありました。優れた人材を何千人もの応募者の中から金と手間を掛けて50人ぐらいに絞り込み、いい者を法律事務所に入れるという並々ならぬ努力が払われているということが、非常に印象的でありました。

 時間もありませんので、もう一点だけ触れるにとどめます。最後の4番目ですが、複雑化を増し、また、グローバル化の進展する現代社会において、活躍できる法曹をいかに養成するかということについて、アメリカのロースクールが非常に積極的に取り組んでいるということも、強く印象に残りました。

 アメリカの中で、ロースクールの教育が実務から遊離しているというような批判もいろいろあるようですけれども、ワシントン大学ロースクールなどを訪れた際に、いや、そうではなくて、こういうことをやっている、ああいうことをやっているということをいろいろと見聞させられたわけであります。訪れたワシントン大学ロースクールでは、カレッジから直接ロースクールに入るのは約半分ぐらいだそうでありまして、残りの半分は、何らかの社会経験、一旦勤めるとか、そういう社会経験の持ち主であるそうであります。多様な人材をいかにしてロースクールに招くか、入れるか、入学者としての多様性をいかに確保するかに苦心しているということでした。それから、グローバル化に関連して、ワシントン大学などでは、特に比較法とか国際法といったものに非常に力を入れているということも、私には非常に印象的でありました。

 最後ですが、臨司のときに、海外調査を終えて、我妻先生はこういう感想を漏らされたと聞いております。各国は、それぞれの司法制度の改善に努力をしている、しかし、結局、それぞれの木には、その国固有の花、司法制度のことですが、固有の花しか咲かないのではないか、という感想を漏らされたと聞いております。

 それから36年経っているわけでありまして、内外の政治社会環境は大分変わり、そして、グローバル化が進展しつつあります。新しい時代環境に応じた司法の在り方を模索する動きが、先ほどちょっと申しましたけれども、アメリカでは相当顕著に出ているのではないかという印象を持ちました。日本の司法は、そういう観点から見ると、どのような状況にあるのかということについて、いろいろ考えさせられたところであります。非常に雑駁な感想でありますけれども、そんな思いでありました。

 それでは、ヨーロッパ班の方ですけれども、まず藤田委員からお願いします。

【藤田委員】日程の方は、御紹介があったとおりでございますけれども、最初にパリに着きまして、翌日に大使館のブリーフィングを受けた後、ボルドーに向かい、翌々日ボルドーの国立司法学院に参りまして、クロード・アノトー学院長、ジャン・ポール・ガロー初期研修部長に大変詳細なお話を伺いました。それが終わりましてから、夕方でしたけれども、ボルドーの重罪院に行きまして、裁判の傍聴はできませんでしたが、ベルナール・ベッセ重罪院裁判長と懇談をいたしました。

 それから、その日にパリに戻りまして、皆さん大分消耗しておられたわけでありますが、翌日、パリ重罪院で、裁判長と懇談した後、審理をお昼過ぎまで傍聴いたしました。それから、パリの商事裁判所、非職業裁判官だけで裁判をしている裁判所ですが、所長にもお会いし、裁判官から実情を伺いました。

 翌日、司法省で司法制度全般について、また、フランスでの司法改革についての話を伺いまして、そのあと、弁護士事務所で、橋本明さんという日本人の弁護士と、フランス人の弁護士から話を伺ったのであります。

 翌日は弁護士会の研修学院、後に申し上げますけれども、裁判官、検察官と弁護士とは別の養成制度になっておりますので、弁護士会の研修学院を訪問して、お話を伺いましたし、また、パリ第2大学で教授と懇談いたしました。以上がフランスでの日程でございます。

 御承知のとおり、フランスの司法制度は二元制と言われておりますけれども、司法裁判所と行政裁判所の2系統に分かれておりまして、行政裁判所はコンセイユ・デタを頂点にして行政控訴院、地方行政裁判所というピラミッドになっているわけでありますが、コンセイユ・デタでは行政学院の出身者が多いということで、司法裁判所と行政裁判所との間は画然と分かれているという状況のようであります。

 司法裁判所は、破棄院の下に控訴院と重罪院、重罪院には少年重罪院も併置されているようでありますが、短期10年以上の重罪について刑事裁判を行う重罪院、ここで参審制度が行われているわけであります。そのほか、小審裁判所、日本の簡易裁判所に当たるんでしょうか、比較的小さな事件、刑事では違警罪を扱っているわけであります。それから、大審裁判所が日本の地方裁判所に当たると思われますが、刑事では軽罪、民事では比較的訴額の高いものの第1審であります。

 そのほか、先ほど申し上げました非職業裁判官だけで裁判をしている商事裁判所と、それから労働審判所、これも、労働者、使用者の各代表が第1審を担当し、可否同数で決定できない場合に職業裁判官が加わるという形でやっている特別な裁判所であります。

 そこで、まず訴訟手続の方の関係でありますが、ボルドーの重罪院では、裁判長の話を聞いた程度でございましたけれども、パリ重罪院では、裁判長とかなり突っ込んだ話合いができましたし、それから、その後、相当の長時間にわたって法廷を傍聴いたしました。参審制が行われているわけでありまして、3人の職業裁判官のほかに、9人の参審員が参画する、全く対等の立場で参画するわけであります。何段階かの名簿ができておりまして、最後に法廷で公開の抽選をして、待機している20人ほどだったでしょうか、参審員候補者の中から選出します。裁判長がつぼの中に手を入れて紙切れを取り出して、マダム何とか、ムッシュ何とかと呼び上げると、裁判官席の隣に上がって座るというような形で、実際の抽選も見ました。予備の参審員が二人後ろの方に控えておりました。

 御承知のとおり、フランスでは予審制度が行われておりまして、それも予審判事と控訴院弾劾部との二重の手続になっているようでありますが、これは私は詳しく知りませんので、後ほど井上先生から解説していただければと思いますけれども、そういう意味で、予審の記録が全部裁判長のところに事前に届いているわけでありまして、裁判長はそれを精査して、事件の内容を詳細に把握している、それ以外の人たちは記録に接していないということのようであります。

 そこで、その法廷を傍聴しますと、私の印象では、裁判長の独壇場という感じでありまして、被告人質問も裁判長が行っておりましたし、それから、実際の事案は強盗というんでしょうか、持凶器窃盗というのか、窃盗の中でも凶器を持って行うとそれは重罪になるようでありますけれども、被告人の青年に対する裁判長の尋問と、それから、その母親、情状証人だと思いますが、その尋問が行われておりました。いずれも裁判長が全部質問する。手元の記録を見ながら尋問しているようでありまして、口頭審理主義の下で審理が行われているというふうに事前に勉強して行ったわけでありますけれども、詳細は分かりませんが、予審の関係の調書等の書類を見ながら裁判長が尋問しているようでありまして、その予審の調書それ自体を朗読するわけではありませんけれども、その資料に基づいて被告人質問をしているようでありました。

 フランスでも司法改革が行われているということでありまして、重罪院での参審制度に関連しましては、現在は事実認定について上訴ができないシステムになっておりまして、法律違背の場合に破棄院に不服申立てができるだけでありますが、事実認定についても、上訴を認めるべきかどうかということと、判決には理由が付されないわけでありますが、それでいいのかということが、欧州人権条約との抵触の有無という関係で検討されているようであります。これも従来のいろいろな歴史、伝統に照らしてなかなか難しい問題があるようでありまして、1996年の改正案は流産に終わったというようなことでありました。

 フランスでは、ドイツと同様、当初、陪審制が導入されて、それが参審制に移行したということでありますが、今でもジュリーという呼び方をしておりますけれども、裁判官と参審員とが一緒に評議をして、事実認定から量刑まで、法律上の問題についても評議するわけでありますので、内容は参審制ということになったと言われております。なぜ、そういうふうに変わったのかということを裁判長に質問いたしましたら、非法律家の陪審員の判断が両極端に分かれて、死刑か無罪かというようなことがあったということも一因であるというようなことを言っておりました。

 しかし、重罪院において、参審制を維持すべきと考えるかどうかということを質問いたしましたら、これは維持すべきであるという意見でした。その理由としては、職業裁判官と参審員とが協働して裁判するということは大変すばらしいことである。それから、非法律家の一般国民が裁判に加わるということが、裁判の正当性の根拠づけになる、また、ジュリーの司法へのアクセスという点でも望ましいということを言っておられました。

 次に、法曹養成制度でありますが、これについて感じたことを1点申し上げますと、先ほど申し上げましたように、裁判官、検察官の養成は、国立司法学院で行われておりまして、これはボルドーにございます。弁護士はリージョンごとに弁護士研修所、弁護士会研修学院というのでしょうか、それぞれ設けられておりまして、そこで1年間の研修が行われる。研修が終わって研修弁護士になってから2年間の義務的教育があるということでありましたけれども、裁判官、検察官と弁護士は別々に養成されているということであります。

 裁判官、検察官を養成している国立司法学院は、初期教育と裁判官、検察官の継続教育とを分担しているということでありまして、初期教育はボルドーにおよそ200人ぐらい、継続教育はパリで年間、裁判官6,000人のおよそ半分の3,000人について、継続教育をしているということでありました。

 国立司法学院の入学試験は大変な難関でありまして、4,000人が登録して3,000人ぐらいが受験する。受験技術に走るというような傾向はないのかと言ったら、そういう問題点もあるということでございました。受験制限がありまして、3回ということであります。大体10倍前後の倍率ということになりましょうか、弁護士研修所の方の試験も、相当な難関でありますが、3分の1ないしは4分の1の合格率であるということでありました。この国立司法学院、あるいは弁護士研修所の試験について、大学生がどういうような勉強をしているのかということを聞きましたら、正規の課程のほかに法職課程(IEJ)がありまして、そこで1年間、かなり実務的なことを含めた勉強をして、これが相当うまく機能している、これがなければ受験塾というようなことになるであろうというようなことでありました。

 フランスの司法制度は、キャリアシステムで運営されているという理解で行ったのでありますけれども、印象に残りましたのが、210人の国立司法学院の学生のうち、30人がこの試験を受けないで入校している。特別枠があるようでありまして、弁護士、警察官とか公認会計士等だそうでありますけれども、入学試験を経ずに入校している。これは、社会経験のある人を入れて、一緒に養成していくということで非常に意味があるんだということを院長が言っておられました。

 入学試験も3つの方法がありまして、修士号を持っている学生、これは27歳未満で、法律学を専攻しているものでなくていいということであります。2番目は、公務員で40歳以上で4年間の経験があるという者を選抜する。3番目が民間出身者、従業者、40歳未満で8年間の専門職業経験がある者というように3つの方法による入学試験があるということでありました。

 それから、更に強い印象を受けましたのは、裁判官、検察官について、そういう国立司法学院での養成ということを経ずに採用する枠があるということでありました。年間約30人、これを拡大しようという考え方もあるそうでありますが、専門的な職業経験を持っている人を司法界に入れるということが、司法界のためにプラスになるということでありまして、35歳以上で7年間の専門的職業経験がある人を書類審査で、審査をする、委員会は司法官が互選によってなっているのでありますが、書類審査だけで、ただし、非常に厳しい選考だそうでありますが、採用している。その多くは、弁護士ということでありますが、企業での法律アドバイザーとか教師、公証人、警察官等も含まれる。弁護士は成功した弁護士を採用するように心掛けている。6か月間の予備的研修を行う、ということでありますけれども、そういう特別な枠で、専門的な職業経験を持っている人を裁判官、検察官として採用していくということであります。大変強い印象を受けました。

 弁護士会の方の研修学院にも行ったわけでありますが、弁護士会側は裁判官、検察官と共通の研修ということを希望していますが、なかなか実現するには至らない。パリ第2大学の教授の話では、やはり双方にそれぞれお互いの警戒心みたいなものがあるということも障害の一つであろうというようなことでした。

 以上でありますが、私が、個人的に受けた印象でございまして、ほかの3人の方々は、おそらく、それぞれ別の印象を受けていらっしゃると思いますので、御自分の印象を話していただければと思います。また、私、フランス語はウィとノンとジュテームぐらいしか知りませんので、間違ったことを申しているかもしれませんが、それは訂正していただければと思います。よろしくお願いいたします。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。それでは、会長代理。

【竹下会長代理】それでは、私の方から、ドイツとイギリスについて御報告いたしますが、イギリスにつきましては、所用で皆さんより1日早く帰国しましたので、調査の前半のみについて申し上げます。はなはだ不完全でございますから、ほかの方から適宜補足をしていただきたいと思います。

 まず、ドイツ関係でございますが、こちらから事前にお送りしておきましたクエスチョネアを主な項目で言いますと、一つは裁判官任用制度、それから2番目が参審制度、3番目が法曹養成ということになります。そこで、その順番に申し上げてまいります。

 裁判官任用制度につきましては、お手元の資料に訪問先が書いてございますが、ケルンの上級地方裁判所というのでしょうか、日本で言えば高等裁判所に相当するところと、それからケルン弁護士会、バイエルンの司法省でいろいろ伺いました。任用制度は、基本的には御承知のように、いわゆるキャリア制度がとられているわけで、バイエルンの司法省の説明によりますと、2回試験後、直ちに応募するのが原則であるということでありましたが、ケルンの上級地方裁判所で聞いたところでは、他の職業経験を持っている者も応募することがあるような話でしたので、若干違っております。これは州による違いかと思います。

 こちらから先方に送りましたクエスチョネアの中に、裁判官の待遇、勤務評定あるいは任用・昇任というような人事政策に関する事柄がいろいろございました。その中で、私の印象に残りましたところは、ドイツの場合、裁判官について、4年に1度、監督権限を有する上級機関、これは地方裁判所で言えば所長が、評価をする。その評価の対象ですが、裁判の内容については勿論評価をすることは許されないけれども、勤務状況、それから事件処理の数、期間、上司・部下との関係などが考慮される。この評価の結果は、上級職への応募の際に考慮されるなど、その後のキャリアを左右すると言われておりました。

 評価の結果は、本人に知らされ、本人は不服があれば、分限裁判所と訳すのでしょうか、ディンストゲリヒトという名前ですが、そこに不服申立てができるということでございました。この勤務評定をする根拠がどこにあるのかということは十分に確かめませんでしたが、法律上は司法行政上の監督権の作用ということになるのかもしれません。

 実際にどのように行われているのかは、評価の書式があれば分かるのでないかというので、これはバイエルンの司法省の方へ依頼をいたしまして、そういう書式があれば後ほど送ってもらいたいと頼んでまいりました。

 任用・昇任につきましては、原則として公募制ということでありまして、裁判官の新任人事の場合には、先ほど申しましたように、2回試験終了後、直ちに応募してくる。その中から司法大臣が最も能力が高いと思われる者を選び、これを任用する裁判所の裁判官諮問委員会にかけて諮問をする。その裁判官諮問委員会の方は司法大臣の提案を拒否して、別の候補者を推薦することもできるけれども、最終的な決定権は司法大臣が持っているということでありました。

 それから、昇任の場合も同じで、上級職のポストが空くと、それに就く資格と意思のある者が応募をしてくる。その中から選任をするというやり方だそうでありまして、この場合も、昇任が認められなかったものについては、その結果を知らせて、不服があれば先ほどの分限裁判所のようなところに不服申立てができることになっている。バイエルンの司法省の話では、現にそういう不服申立をする例は少なくないということでありました。

 ドイツのこういうキャリア・システムに対する批判というものは、余り聞かなかったように思います。ケルンの上級地方裁判所では、裁判官も事件関係者に接触するのであって、市民感覚からずれるということはないという発言がございましたし、また、ケルンの弁護士会では、経験豊富で成功した弁護士が裁判官になるということは、普通はあり得ないといいますか、裁判官になりたがらない、また、弁護士として成功しなかった者が裁判官になったのでは困るのではないかという、日本でもよく言われるような指摘がなされておりました。

 裁判官の市民的自由につきましては、ケルンでもミュンヘンでも、こちらからのクエスチョネアに対する答えがありました。裁判官といえども、一私人、あるいは一市民として、例えば、デモに参加をするということは自由であるし、現にそういう経験もあるという話でありましたけれども、しかし、ドイツ裁判官法に、裁判官は職務の内外を問わず、政治的行動をとるに際しては、その独立性、あるいは中立性と訳した方がよいのかもしれませんが、その中立性への信頼が危険にさらされないように行動しなければならないという規定(同法39条)がありまして、バイエルンの司法省ではその規定を指摘しておりました。こういう制限の下で、政治的活動についての市民的自由が認められておりますという話でありました。

 次は、参審制度であります。ドイツの参審制度には刑事参審といわゆる専門参審があるわけでありますが、刑事参審につきましては、ケルンの区裁判所とミュンヘンの地方裁判所とで傍聴をし、ケルンについてはその裁判長たる職業裁判官、ミュンヘンの方は地裁の副所長という人と、それから、傍聴した事件の参審員ではありませんけれども、長年参審員を経験しているという老婦人から話を聞くことができました。

 ドイツの参審の場合には、原則的に、これは法律に規定されているところでありますけれども、市区町村というのでしょうか、原語ではゲマインデと申しますが、そこで4年ごとに参審員候補者のリストを作成する。その場合には性別とか年齢、職業、社会的地位による偏りが生じないように選抜をするということであります。そのリストに登載されるためには、政党等により推薦される場合もあるけれども、新聞等で公募をするということが、とりわけミュンヘンでは強調されておりました。私どもがインタビューをした参審員の人も、一番初めは政党の推薦を受けたけれども、その後は新聞の公募に応じて参審員になっているのだと話をしておりました。

 ドイツの参審員の場合には、一人の参審員が年間12期日審議に立ち会うことができるように必要な数を定めて、参審員のリストをつくると言われております。正確に申しますと、ゲマインデの方で一定数の候補者のリストをつくり、それを各裁判所が、今度は一人の参審員が12期日立会いができるような数を選んで参審員のリストをつくる。そして、それぞれの参審員については1年を通じて12期日立ち会うように指定が行われるということでありまして、したがって、参審員の方から言うと、決められた期日に行って、その日に行われる事件について参審員として立会いをするということになっているようであります。

 これは私の印象ですが、ケルンの参審裁判所、それからミュンヘンの場合には、名前は陪審裁判所と呼ばれる参審裁判所ですが、いずれでも、どうも参審員の審理関与は余り積極的であるという印象を受けませんでした。もっとも、ケルンの参審裁判所の場合には、実体審理に立ち会わないで終結になってしまいましたので、一概に即断することはできませんけれども、ミュンヘンの陪審裁判所で傍聴いたしましたときにも、参審員は二人おりましたが、ほとんどというか、全く発言をしないで、専ら職業裁判官が審理を取り仕切っているという感じでございました。先ほど、藤田委員からフランスの重罪院について御説明がありましたけれども、それとよく似たような状況だったと申し上げることができるのではないかと思います。

 裁判官と参審員との関係ですが、これは私自身も、参審員が裁判官と意見を異にするということがあるのかということを質問してみました。現に参審員である人は、そういうことはあると言っておりましたが、どうも話の内容からすると、有罪、無罪に関わる結論というよりは、むしろ量刑に関するものについて意見が分かれることがあるというような印象を受けました。

 参審制度に対する評価でありますが、一般的にはドイツでも参審制度を廃止しようというような意見はないということでありましたけれども、ケルンの弁護士会で聞きましたときに、刑事専門の弁護士という方がおられまして、その人は、刑事専門の弁護士の間では、参審員の事実認定能力への評価は極めて低い、誤審の危険があると考えている者が多いという発言をされました。これは、ただ一人の刑事専門の弁護士の方が言われただけのことですので、どこまでそれを一般化できるかは分かりません。ただ、その弁護士も、しかし、参審制度というものを廃止するかどうかということについては、いろいろな政治的な考慮があるので、これを廃止しろという声は表には表れてこないと言っておりました。

 これに対して、ミュンヘンの地方裁判所でインタビューをした参審員自身は、これは御自分が長年、10年以上の経験があるということでしたが、参審員をしておられるという立場から、当然と言えば当然かもしれませんけれども、やはり、参審制度という司法を職業裁判官、職業検察官のみに任せるのでなく、国民が司法に参加をするという制度の意義は大きいということを言っておられました。

 それから、専門参審の方は、地裁の商事部というものがありますが、これは傍聴する機会がなく、ただ、バイエルンの司法省で話を聞いただけでありました。商事部は、職業裁判官一人と商工会議所等から推薦された経済人が二人、名誉職裁判官として関与するという制度でありますが、これは、職業裁判官からも名誉職裁判官からも高い評価を受けているという話でありました。

 専門参審としまして、直接いろいろ話を聞きましたのは、ミュンヘンの労働裁判所でありまして、このときは所長とそれから別の職業裁判官一人、それから使用者側の名誉職裁判官、労働者側の名誉職裁判官、それぞれ一人がインタビューに応じてくれました。全員、労働裁判所の制度については、高い評価を下しており、殊に労働裁判所法では和解前置の制度が取られていて、これが大きな成果を上げているということが言われておりました。たしか、全事件の40%ぐらいは、第1回目の和解期日で終結になるという話であったのではないかと思います。そして、和解が成立しない事件であっても、おおむね7か月程度で終結をしているという話でありました。

 ここでも、名誉職裁判官の意見が職業裁判官の意見と異なることがあるのかどうか、あった場合にはどうして裁判所としての判断の統一を図るのかということを質問しましたところ、意見が分かれることはあるが、その場合でも、評議によって職業裁判官、名誉職裁判官、それぞれが意見交換をしている間におのずから意見の一致を見ることになるのが通常であるという回答でありました。

 それから、3番目は法曹養成制度でありますが、これについてはケルン大学とそれからケルンの上級地方裁判所、バイエルンの司法省で、それぞれ話を聞きました。ドイツでも、法曹養成制度の改革ということが現在盛んに議論されているところでありまして、昨年11月に16の州の司法大臣会議というものが、ある改革案を提示したのだけれども、結局、州の間で意見が割れて、9対7になってしまったので、この改革案の実現はほとんど見込みがないということでありました。

 その改革案というのは、現在のように大学の法学教育を終わったところで第1回司法試験をやり、それから実務修習を終えてから第2回試験をやるというそういう2段階の法曹養成制度ではなくて、実務修習を大学の法学教育の途中に入れ込んで、1回の国家試験で法曹資格を認めるという一段階法曹養成制度とドイツでは呼ばれているものに改めようという改革案であったようです。しかし、これは実現の見込みがないことになったという話であります。

 一体、ドイツの場合には法曹養成制度の改革がいかなる理由から意図されているのか、あるいはまた何を目的にして行われているのかということが、今ひとつ私にははっきりしなかったのですが、バイエルンの司法省で言われていたのは、弁護士の数が非常に増え過ぎて、ドイツではそれが司法制度全体の問題になっている。それを制限するのが主要なテーマだということでありましたけれども、ケルン大学とかあるいはケルンの上級地方裁判所などでは、やはり法曹の質の低下ということが指摘されておりました。

 司法試験に合格するのだけれども、最低ラインに近い合格者というものが非常に多くなってきている。それを何とかしなければならないということが、表向き言われていた理由のように思います。しかし、どうもその背後には、各州の財政問題というものと、それから、EU諸国内での法曹養成期間がドイツは非常に長い、EU諸国間ではそれぞれ各国で認められた法曹資格を相互に承認することになっているので、ドイツはかねてから不利な立場にあると言われていたので、これは私の想像ですけれども、そういうことが背景にあるのかと思いました。

 現在の制度で指摘されていた問題点というのは、今、申しましたとおり、司法試験の合格者の質が低下しているということと、弁護士の数が過剰である。10万人を今や超えて、よく言われるように、弁護士でありながらタクシーの運転手をしているというような者がいるということが、ケルンの弁護士会でも言われておりました。

 あと、法曹養成に絡んでは、実務修習の受入れ能力はどの程度あるのかということを聞いてみたのですが、ドイツの場合には、司法試験に合格しても、実務修習するまでの間、1、2年待たなければならないという状況だという話がケルンでもバイエルンでも出されました。日本のように、司法試験に合格して、司法研修所に入れば、当然にどこの実務庁で受け入れてくれるかが決まるわけではなくて、司法修習生についても受け入れるポストがなければ、司法試験に合格しても待っていなければならないということのようであります。

 ドイツについて私が受けた印象のようなものでございますけれども、大体主なところはこのようなことであります。

 次に、イギリスでありますが、イギリスでは、調査を始めた第1日目に、大法官府で集中的に裁判官の任用制度、それから陪審制、民事司法・刑事司法、それから法律扶助等の改革の動向等について説明を受けました。これらのそれぞれの時間は必ずしも長くなかったのですけれども、イギリスの司法制度の現状を知るのには非常に有益であったように思います。

 その中で特に私が関心を持ちましたのは、裁判官任用制度でありますが、イギリスは確かに弁護士の中から裁判官を選任するという意味では、いわゆる法曹一元制ですけれども、しかし、伝統的には一旦裁判官の地位に就いた後は昇任制であると言われております。そこで、人事政策と裁判官の独立の問題がどう考えられているのかということに関心を持っていたわけでありますが、大法官府での説明によりますと、上位裁判所、つまり高等法院以上の裁判所の裁判官は、ほとんどがバリスタであり、かつ、QC、クィーンズ・カウンシルという称号を持った者の中から選任される。制度的には大法官の推挙または助言に基づいて女王が任命するということになっているということでありますが、上位裁判所の裁判官は、公募ではなくて、内々の打診による任用というのでしょうか、シークレット・サウンディング・システムと英語で表現されるようでありますけれども、そういうものによって選ばれている。これに対して中位、下位の裁判所の裁判官は、公募に基づいて大法官が任命するということであります。したがって、イギリスでも中位、下位の裁判所の裁判官については、現在は公募制が取られていて、大法官がその中から最も適当と思う者を選任するというシステムのようであります。公募の場合に不採用となった者に対してはその理由を告げるということでありました。

 ところが、1997年に労働党内閣になりまして、現在のロード・アーヴィン、アーヴィン卿と呼ばれる方が大法官に就任して以来、高等法院の判事についても公募制を採用して、高等法院の裁判官ポストが空くと公募をして、応募者を募って選任をするというシステムを採用しているということであります。

 ただ、ロード・チャンセラーは、応募しなかった者を任命する権限を留保しているということでありますから、必ずしも公募制が徹底しているというわけではない。そういう意味では、依然として高等法院以上の裁判官と、それ以下の裁判官とでは任命制度に違いがあるということになっているようであります。

 これに対しては、特にソリシタ側からは批判が強く、結局のところ、従来どおりバリスタが中心になって、上位裁判所の裁判官が選ばれているのだと言われているようであります。

 ただ、現在のアーヴィン卿も、裁判官任用制度の改革について、その必要性は認めておられるようで、ピーチ卿に裁判官任用制度の改革についての調査提言の依頼をして、昨年その報告書が出たということであります。

 ただ、そうは申しましても、ここに持ってまいりましたが「ジュディシャル・アポイントメント」というような冊子が公刊されており、これを見ますと、それぞれの裁判官について、法律上の任命資格はどうで、公募に対して応募する手続はどうだということが書かれておりまして、その限度においては裁判官の任用について透明性を確保する努力が払われていると言ってよいのではないかと思います。

 それから、イギリスの場合、民事司法改革につきましては、数年前からウルフ卿が提案をした改革が行われていたわけでありますけれども、それに基づく新しい訴訟規則が昨年4月から施行されて、ちょうど1年経ったところでありますので、その成果が客観的に評価されているのかということを聞きましたところ、法律家、訴訟当事者を対象とするアンケート調査が行われていて、法律雑誌に掲げられていると回答されました。それによると、殊に新しくつくられた少額訴訟に対する評価が高く、私のメモでは、成功率と書いてあるんですが、おそらくそれを積極的に評価する意見という意味だったと思いますが、75パーセントに達しているということでありました。そのアンケートの結果が出ている法律雑誌については後ほど知らせてくれるということになっております。

 このほか刑事司法についても、現在、ウルフ卿による民事司法の改革と同じような改革のための調査が行われているということでありまして、陪審を受ける権利についての問題も取り上げられておりましたが、これについては、日本大使館での説明をそう大きく出るものではありませんでしたので、私の報告からは割愛させていただいて、どなたか適当な方に補充をしていただきたいと思います。

 ドイツ、イギリスを通じまして、私としては、最も印象的であったのは、裁判官昇進制をとっている先ほどのイギリス、キャリア・システムをとっているドイツにおいても、とりわけ最近においては、人事の透明性を図る努力がなされているという点でありまして、この点は我が国でも事柄の性質上限界があるとは思いますけれども、できる範囲で透明化を図る努力をするべきなのではないかという感想を持ちました。

 少し長くなりましたが、これで終わります。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。では、水原委員。

【水原委員】竹下代理が5月9日の夕方に御帰国されましたが、その翌日の5月10日にバリスタの団体でありますジェネラル・カウンシル・オブ・ザ・バーを訪問させていただきました。私は、そのときのことと、それに付け加えて多少の感想を申し上げたいと思います。

 バリスタ協会では、ジョナサン・ハーストという会長さん、それからチーフエグゼクティブのニアロ・モリソンさん、クィーンズ・カウンシルであって、法律サービス委員長をしており、また、対政府交渉の担当をしておりますガイ・マンスフィールド氏、もう一人、民事司法制度改革に関与した方で、やはりクィーンズ・カウンシルのウィリアム・ソリスさん、この方々から詳細な御説明をいただきました。

 時間の関係もございましたので、お聞きしましたのは裁判官任用制度と、バーの弁護士会としての機能、抱えておる問題点及び陪審制度の3点についてでございます。

 最初にハースト会長から日英両国の司法制度は異なった伝統を持っておるけれども、お互い学ぶべきものがあること。それから、イギリスにおいては、先ほど代理が報告されましたように、民事・刑事の制度改革を行っておって、伝統が変化して悲しく感じているところもあるけれども、改革は司法が市民の信頼を得ることを念頭に置いて行うべきであるということをおっしゃったのが印象的であります。

 次に、ガイ・マンスフィールド氏から、裁判官任用制度に関して説明がございまして、先ほど代理が御報告されたところと多少重複するかも分かりませんけれども、実際に裁判官として任用される者はバリスタが中心でございます。下位の裁判官はソリシタからも採用されることもありますけれども、裁判官の仕事はなるべく能率的に審理を行って、正しい結論を出すことが望まれるところから、実際の訴訟に関与し、裁判の適正な運用を行うことのできるだけの経験を持っている点を重視してバリスタ中心に任用されているというのが印象的でございました。

 したがって、中位、上位の裁判官のほとんどが、バリスタが招聘によって任命されているのが現状でございます。

 また、バリスタから裁判官になれば収入は下がるということでありましたけれども、それでも社会的地位が法曹界の中でも、法曹界の外でも共に高いということや、これは裁判官を20年勤務いたしますと、退職時の年俸の2分の1という高額な恩給がいただけるという、非常にいい恩給制度があること等から、バリスタからの任官希望者がいるという説明でございましたが、仮に我が国において、弁護士からの裁判官任用を積極的に進める場合には、イギリスでとられておるような恩給制度とかいろいろな問題、それらの諸条件の充実が必要だということを印象深く思いました。

 なお、このように説明していただきましたマンスフィールド氏は、高等法院の裁判官は50歳前後で任命され、70歳が定年でございますから、20年の恩給を付けていただくとするならば、49歳から50歳がぎりぎりで、大体そのころに裁判官に任用されるそうでございます。そうなりますと、家族と離れて全国を巡回しなければならないので、自分はなりたくないということをおっしゃったのが、これまた印象的でした。

 それから、次にバーの弁護士会としての機能、抱えている問題点につきましては、先ほども代理が説明されましたように、民事訴訟手続の大改革、それから法律扶助制度の政策変更と大きな変遷の中に生きておりますということでございます。

 そのために、一般の人々の信用を得るためのバリスタに対する自己規制や懲戒権の適正行使、それからバリスタの高い質を維持するための開業弁護士に対する教育、殊に商事、人身傷害、刑事、家族法、行政法等、専門領域に関してバリスタ同士で専門協会をつくって、自己啓発に努めていること。

 それから、公正取引委員会からバリスタの垣根を低くして競争性を保てという圧力がかかっている等の問題を抱えているとの説明がございました。我が国の弁護士会が、現在、抱えている問題点と共通性があるように思われました。

 また、ソリシタとの業務分業に関しては、今後両者の業務が次第に融合してくるとは思われるものの、実際の裁判では証言が重視されることから、どの証人を出すのか、また、反対尋問の技術等、これは長い間に培われたスペシャリストとしての弁論分野は残るであろうと。したがって、バリスタ協会としては、市民に正義の面でよいサービスを提供できていると確信している旨、法廷における弁論の専門家としてのバリスタの業務の重要性を強調しておって、その職務に対する高い誇りと強い自信を持っていることが感じられるとともに、ソリシタとの業務分業に対する法的規制が仮に解消されたとしても、実際上、バリスタ、ソリシタの各業務は残っていくのではないかという感じがいたしました。

 ところで、学生がソリシタを選ぶのか、バリスタを選ぶのかということについての御質問が委員から出されまして、それを御紹介しますと、ソリシタを選ぶのは、生活の保障が欲しいと思う者であろう。すなわち、固定的な収入がはっきりすることを希望する人はそうであろう。バリスタを選ぶ人はロマンチストである。ビジネスマンではないんだと。独立して法廷で弁論したいという者がバリスタを選ぶんではないか。結局は文化の違いでしょうとおっしゃったのが、これまた印象的でございました。

 陪審制度に関しましては、様々な説明や意見をお聞きすることができましたけれども、その中でも陪審の必要性として、イギリスの社会が事実上多民族国家になっておって、さまざまな民族的背景や社会的背景を有している者がいること。殊に少数民族、マイノリティーからの逮捕者、犯罪者が多いこと等から、そのような社会的構成を反映した、アトランダムに選ばれた陪審員による裁判の方が社会の団結を深めているように思う旨の説明がございました。裁判制度の基礎となる社会的背景や国民的構成や法を反映したものになっているという印象を強く受けました。

 また、言葉がよく分かりませんので、尋ねることができませんでしたけれども、愛着なんだという言葉を何か所かで聞きました。どういうところが愛着なのかよく分かりませんが、今、申しました民族的背景の問題と同時に、そういうことがあるのかなという気がいたしました。

 そういうことから、今後、我が国における司法制度を検討する際には、やはり我が国の社会的構成や、国民性等にも十分配慮をする必要があるように思われました。

 また、この場だけではなく、大法官省でございますが、そこでも同じような説明があったところでございますが、複雑重大な経済事犯に関して言うならば、現行の陪審員制度が果たして十分に機能しているかどうか問題があるということを率直に話をしておられました。英国においても、事案の真相解明という点から見て、裁判制度をよりよいものにしていこうという思考と努力をしていることがうかがえました。

 このように、バーにおきまして、さまざまな説明や御意見をお聞きすることができ、他の訪問先と同様に非常に有意義なものであったと思っております。このことにつきましては、御一緒しました委員の皆様も同じ感想をお持ちだと思います。

 このバーの問題につきましては、以上でございますが、先ほどドイツのところで多少補足させていただきますと、ケルン大学では井上委員の特別のお計らいで、大学のプロフェッサー数名からお話を伺うことができました。

 今、ドイツの法曹人口は10万人だそうでございますが、年々約5%ずつ増えていっているそうでございます。5~6万人のころはユートピアだと言われていたが、10万人が警戒線(司法省での説明では10万人を魔のラインと言っていました)、すなわち、これ以上増えると食べていけなくなるラインということでした。

 ドイツでは、司法試験の採点を優、良、可、不可の4段階制としており、可以上の者は合格としているが、可の合格者は就職できない者が非常に多いという説明でしたので、それならば、可の者は不合格ということにすればいいではないかと尋ねたところ、それをやりますと、憲法裁判所に提訴されるからできないとのことでした。提訴されるのがおそろしいんでございましょうか。日本とはどうも逆のような感じがいたしました。

 ケルンの弁護士会でも、これも本当に率直にいろいろお話を伺いましたけれども、成功した弁護士さんは、裁判官になりたくないんだと。こういうことを率直に言っておりました。これは国民性かも分かりませんけれども、結局、裁判官になりたいと手を挙げるのは質の悪い弁護士がなりたいだろうけれども、これでは困るんだということを、弁護士会御自身で言っておったのが印象的でございました。

 それから、ケルンの上級裁判所の副所長さん、ケッターレーさんから伺いましたけれども、ドイツは先ほど言いましたようにキャリア・システムでございますので、2回試験を合格した者から成績優秀な者は裁判官に採用されます。

 最初は試用裁判官、日本で言うならば判事補の制度だと思います。3年間試用裁判官を務めて、その上で3年後にそれまでの勤務成績等々を考慮して適・不適を選考されるそうでございますが、その試用裁判官当時の職務権限はどうかと尋ねますと、全事件について通常の裁判官と同じ権限行使ができるんだと。例外は家事事件と参審裁判所の裁判長になれないだけで、ほかは普通の裁判官と同じ権限を持って仕事をしている。

 ところで、キャリア・システムに問題があるのではないかと尋ねましたところが、大抵27歳くらいで試用裁判官になる方が多いようですけれどけも、短所は若いこと、法的知識はあるけれども、人生経験が少ないこと、これは否定できないだろう。これは短所であると。しかし、長所としては、若いことはダイナミズムがあり、フレキシブルであり、負担に耐えられる、学ぶ意欲がある、事件関係者からいろんなことを聞いて経験も積むことができるであろうということを挙げられて、経験不足だから裁判官不適ということについての国民の批判はない。先ほど代理がおっしゃったことです。これがまた印象的でした。

 それから、参審裁判所、これはミュンヘンだったと思いますが、殺人未遂の事件の公判を傍聴させていただきました。事案は、難民同士の殺傷事件で故殺未遂でございました。

 検察官が起訴状を朗読した後から私らが入ったんだと思いますが、裁判官が3名、その両脇に参審員二人。裁判長はいきなり被告人質問を始めます。ドイツの場合は御存知のとおり、捜査記録は全部裁判所へ送られております。裁判官は全部事件の内容を知っております。被告人は酩酊の抗弁、酔っぱらっていて、犯行当時のことは覚えておりませんという弁解をいたしましたところ、裁判長が、お前はそんなことを言っても、警察で刺したということを言っているじゃないかということを、びしびし最初から質問する。すなわち、参考人の調べをする前から、いきなり被告人質問から始まっていく。まさに職権主義である。

 そのとき感じたことは、日本の場合は検察庁で勾留期間中にきちっと調べをした結果、検察官が公訴を提起します。その後は完全に当事者主義でございまして、裁判所は起訴状一本で、予断も何も持っておりませんので、いきなり裁判官が質問することはあり得ない。そう考えてみますと、日本の場合は、当事者主義がドイツよりも相当確立されているなという感じがいたしました。

 酩酊の度合いについても、血中アルコール濃度の検査の結果によると、0.016mgしかないじゃないか、覚えてないのかねという、本当に厳しい糾問主義的な調べでございました。

 右陪席、左陪席もどんどん被告人質問をいたしますが、それに比し参審員は一言も発問をしていなかったことが印象的でした。相当、職権主義で事案の真相を明らかにするためには、そういうことをとっているのかなという、お国柄を感じました。

 労働裁判所では、所長さんというのが極めて迫力のある人でございまして、我々に説明をしてくださる方の説明を中途で取って、いや、これはこうなんですよと、机をどんとたたいてやるんです。

 先ほど代理から本案に入る前に40%程度の和解が成立すると言われましたが、これは訴え提起後、3週間以内に第1回期日を入れなければいけないことになっておるんだそうですけれども、それまでの間に、大きい幅で言うならば、30%から50%は和解で解決しているということでございました。その迫力からすると、和解ができるなと思いました。

 後でその話を質問のときにしましたところが、やはり木槌でどんとやるくらいなことをやらなければ駄目なんでなんて、冗談かも分かりませんが、言ったのが非常に印象的でありますし、これで裁判所かなという感じもしないわけじゃございませんけれども、雑感少々というか、感想を含めて報告させていただきました。

 長くなりまして恐縮です。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。
今、ヨーロッパ班のお3人からお話を伺ったわけですが、アメリカについては、私一人、15分ばかりしか言わなかったので、バランス上やや問題があるかもしれません。やむを得ない御事情で鳥居委員はまだいらしておりませんし、吉岡委員もまだでございます。吉岡委員には、ユーザー側からのレポートをしていただくことになっていますけれども、その際に視察に関して印象的なお話も少しお伺いできればと思っております。時間も最大1時間半と思っておりましたが、もう予定時間に近づいてしまいましたけれども、ほかの委員の方々で、これは今日の段階で申しておきたいということがありましたら、いかがでしょうか。

【髙木委員】竹下さん、水原さんから御報告があったんですが、それぞれ皆さんの法曹キャリアとか、そういうものがあって、同じ言葉を聞かれても、受け取られる印象が大分違うんだという、今の御報告を聞いてそう思いました。

 キャリア制、あるいは法曹一元の問題などについても、ともかく非常にオープンで、透明性が高い、それから、法曹三者それぞれが司法についての国民の信頼性みたいなものにものすごい意を用いているなと。その辺が、大分感じが違うんじゃないかなと思いました。

 陪・参審の話でも、中には、裁判長がばんばんやるんだけれども、その中には横におる参審の人たち、お前ら何しておるんだみたいな受け止め方もあるんですけれども、それでもなおかつ国民の参加というものを大事にするんだという、そこだけは両国とも核心になっているような印象を持ちました。

【北村委員】私は、フランスとイギリスに行ったんですが、フランスで説明を受けたことが非常に印象に残っております。それは何かと言いますと、国民の司法参加との関係なんですけれども、ジュリーの制度についてなんですが、国民の司法参加ということを考えた場合に、ジュリーになるということは国民の義務なんだと。国民の義務には、納税の義務と、それから兵役の義務というものがある。それと並んでフランスの場合には、陪審というよりは参審であるということらしいですけれども、その参審のジュリーになるということが義務であって、なかなか断れないと。したがいまして、国民の司法参加といったときには、義務であるということをよく認識するということ。

 もう一つ、フランスとイギリスに共通する事柄といたしまして、例えば、フランスの特別裁判所で商事裁判所に行ったんですけれども、そこの裁判官というのは、これは素人の裁判官でボランティアなんです。あと、イギリスの場合にも、無給治安判事というのがイングランドとウェールズで3万人いるということで、何かボランティアの精神に支えられている部分というものがないと、ちょっと難しい部分があるのかなというのが、これが今の我が国の意識と少し違っている点なのかなというふうに思いました。

【井上委員】言いたいことはいろいろありますけれども、時間がおしてきていますので、ごく簡単に印象だけ申します。

 私は、これまでも比較法をなりわいにしてきましたので、驚くような新発見というのはそれほどなかったのですけれども、最初に会長がおっしゃったように、それぞれの木にはそれぞれの花しか咲かないということを改めて確認したということと、同時に、そうは言っても、共通した問題をそれぞれの国が抱えていて、それぞれの木の上にできるだけいい花を咲かせようと努力している。そこからは学ぶことがかなりあったと思います。

 フランスについて一つは、司法官と弁護士を分離して試験し、修習を行っているわけですが、その結果として、お互いに警戒心というか、相互不信がかなり強いのではないかなという印象を受けました。特に弁護士さんのサイドには、そういう感じが強くしました。

 これに対し、我が国の場合には、統一修習をしていて、それでも相互不信がないとは言えないと思うんですが、やはり感じがかなり違う。その意味では、統一修習のメリットというのは、目に見えないのですけれども、非常に大きいのではないかなと思いました。

 もう一つは、藤田委員が要約してくださったことですけれども、司法官についても、多様な人材をできるだけ吸収しようとしている。社会経験を積んだ人とか、いろんなバックグラウンドを持った人をですね。そうすることによって司法官の人的な基盤というものを豊かなものにしていこうという、そういう姿勢が見られるということが印象として残りました。

 それから、今、北村先生がおっしゃった、商事裁判所等で、非法律家を裁判制度に参加させていくというところが、これは歴史的にはいろんな理由があったわけですけれども、機能的にいい面を持っているように思いました。むろん、問題もあって、非法律家だけに任せておいていいのか、そこに法律家も加えて、両方の協同で裁判をしていく方がいいんじゃないかという議論もなされていた。そういうところが勉強になるかなと思ったところです。

 イギリスについては、財政上の理由で、例えば、陪審を受ける権利を少し限定していこうじゃないかという動きとか、法律扶助がこれまで事実上上限がなかったのですけれども、上限を設けて、質の高い特定の事務所と契約をして、そこに限定して法律扶助を請け負わせる。限定と言ってもかなりの数なんですけれども、そういう方向の改革をしようという動きがある。法律扶助については既に実施されていますが、その結果、弁護士さんのサイドから見れば、法的サービスの量が減っているのではないかとか、あるいは都市にどうしても偏ってきて、地方の方は手薄になってきているのではないかという問題意識を持っておられる。そういうことを知りまして、いろんな面で、財政とのバランスというのが難しい問題であるという感想を持ちました。

 細かな点はもっといろいろありますけれども、それはまたにします。

【佐藤会長】また、それぞれのところでお願いします。陪審とかいろいろなところで個別的な議論が、視察の成果を踏まえてあり得るかと思いますので。

【山本委員】実際に見たものというのは、非常に印象に残るというのが実感でございました。

 ドイツとイギリスも、気の遠くなるような長い司法制度の歴史と存在感、あるいは威厳とか、そんなのをキーワードとして感じたんですけれども、歴史ということで言いますと、ドイツに商事裁判所というのがあるんですが、これはどうもハンザ同盟のころから、王様とは別にライン川を上り下りする商人同士が自治として始めた裁き方の一つが今でも残っている。それから、ロンドンの刑事法院の裁判官にお会いしたときに、その方はその裁判所のナンバー2の方で、称号がありまして、コモン・サージェントと言いましたか、「私は第77代目の当裁判所のコモン・サージェントでございます。初代は1290年代くらいに就任されているんです。」という話がありました。

 なるほどこういう長い、極めて長い歴史の中で育んできた司法制度なんだというのが、見事にこの二つのことで感じたんです。

 それから存在感ということからしますと、ドイツでは10万人を超えるローヤー、イギリスでも8万5,000人のソリシタと、1万人くらいのバリスタがいる。裁判の件数も非常に多いし、国民の司法参加というのも、ドイツとイギリスでは制度は違いますけれども、それなりの苦労をしてやられている。おそらく、裁判官の方々、あるいは弁護士さんにいろいろ聞いてみますと、少し厄介なところがあるようでございますけれども、厄介だけれども、こういうものが必要なんだと。特にイギリスのバリスタ協会の方が言うには、接着剤だと、これは英国におけるいろんな外国人との接着剤として大きな機能を持っているんだという熱弁をふるわれたのが印象的でございました。

 もう一つは、そういう古い伝統と長い歴史があるにもかかわらず、常に改革の努力が行われているということも印象的でございました。ドイツもそうですが、イギリスの大法官のスタッフなどは、信じられないくらい新しいことをばんばん取り入れようとしている。そういう感じがひしひしと伝わってまいりました。そういう中から、クリフォードチャンス法律事務所、これは我々も行ったんですけれども、イギリスのローファームで、全世界で最大のローファーム、それもイギリスの本部だけでソリシタが1,000人、スタッフが1,000人、全世界で3,000人で、これが4年後には倍増すると。そういう物すごい新しい法的ビジネスの担い手を輩出する。あんな古いイギリスの司法制度からこういう新しいあれが出てくるのかというのが非常に印象的でございました。そういった意味では、ドイツの方がやや遅れているというか、竹下先生からも言われましたように、フランス辺りからいろいろ攻撃を受けているようでございまして、そういった意味でドイツの法曹養成もフランスに負けないように期間を短縮して優秀な法曹を輩出するような努力をいろんなところで議論されている。そんなような印象でございました。

【佐藤会長】吉岡委員がいらっしゃいました。よろしくお願いします。

【吉岡委員】アメリカはニューヨーク、ワシントン、シアトルと、全コース参加させていただきまして、日本で考えていたのと肌で接してみたのと違いがあるなというふうに感じることがたくさんありました。

 一つは、裁判官の任用制度について見てきたわけですけれども、こちらで考えていたときには、裁判官はかなり自由で、政治との関わりも持っていると思っておりましたが、行って聞いてみますと、確かに政治との関わりはかなり強いという印象を受けました。特に裁判官の任命については、上院議員の影響力というのはかなりあるようで、そのために裁判官も政治に関わっていないとなかなか任用されにくい、推薦されにくいという実情であるということを意外な感じで受け止めました。

 ところが、任用するまでは政治的な関わりを持つけれども、裁判官になってからは、そこできちっと一線を画して政治の影響は受けない、中立公正な立場をとるということで割り切っていらっしゃる。その割切りが通用しているということが日本の場合と非常に違うところじゃないかという印象を受けました。では、なぜ割り切っているのかというのを見てみますと、国民のチェックがかなり厳しい。ABA等のチェックも含めてかなり国民のチェックがあるということと、裁判官自身が中立公正であるという立場を非常に大切にしていらっしゃるという感じを受けました。

 同時に、裁判官の権威と言いますか、権限と言いますか、それが思っていたよりも強くて、独裁的ではないかと思うような面も見られまして、これが側面でのチェックがなかったら、非常に危なっかしいという感じを持ったんですが、実際にはそういう外からのチェックがされているということが印象的でした。

 それから、裁判官と市民生活との落差があるということを日本の場合に言われているんですけれども、アメリカの場合の裁判官の任用の条件の中では、いかに市民活動をしてきたかということも重要な要件だということが分かりまして、その辺が非常に印象的だった面です。

 それから、国民の参加ということで、陪審制度について、非常に興味を持っておりまして、日本の場合に、日本人が陪審制度に参加することが、実際にどうなんだろうかという疑問を持ちながらアメリカの実情を見てきたわけですが、実際に陪審員を選んでいく過程なども見せていただきますと、かなり時間を掛けて選んでいました。最初は15~16人候補者が並んでいまして、それを弁護士がいろいろ質問をしたり、やりとりをして、その中から私は3分の2くらい残るのかなと思っていましたら、4人残ったんです。後の人は帰ってしまうのかと思ったら、後の人は待機していてくださいといわれ、次の陪審候補者が呼ばれ同じことを繰り返します。結局定員になるまでに何回も入替えがあるようで、そういう過程を経て決めていくということが分かりました。

 それだけ時間を掛けて弁護する側も検察側も納得できる陪審員を選び出しているという状況を見まして、どちらにしても、十分に納得した陪審員を選ぶことによって、その判断に従うということなので、裁かれる側もそれなりに納得して、その結果については従うという状況ができていると思いました。

 それから、陪審員になる方の中では、呼び出されても断る人がいるとか、そういうことでなかなかなり手がないのではないかと思っていたのですが、理由があって断るのはいいけれども、理由がなくて断った場合には罰則のようなものもあるということで、陪審員になるということ自体が義務化されている。その義務だということを、私は陪審員になる人本人がどういうふうに思っているのか、どうしても知りたいと思っておりましたが、たまたまシアトルに、親戚の者でアメリカ国籍を持っている者がおりまして、私、頼んで会って話を聞いてみたんです。本人も陪審をやったことがありまして、感想と実態を聞いてみますと、やはり選挙で投票をしたからには陪審員になる義務があるということと、集まったときには、自分に分かるだろうかということで不安がある人も多かったけれども、これは裁判官が争点はどこにあってというようなことを説明することによって分かってくる。そういう中で協力していくので、判断をするときには自分の信念で判断できるということを申しておりまして、私は、陪審はすべて判断するのかと思っていましたら、彼が関わった一つの場合には、死刑の判決をどうするかという対象だったそうですが、途中で本人が自白をしてしまった。そうしたら、自白をしたから、もうあなたたちは帰っていいですよとなりまして、陪審はそこで終わったということでした。陪審制度は必ず最後まで判決のところに立ち会わなくても済む例もあるのですね。

 それから、陪審候補者が、この法廷で駄目よと言われたら帰るのかと思うと、そうではなくて、この法廷では駄目でも、こっちの法廷ではいいかもしれないということで、3日間拘束されるという話もしておりました。けれども、3日間拘束されても、国民の義務として参加をするということに疑いを持っていなかったというのが実態でして、そういうことを見聞してみて、私は日本人でも条件が整えば陪審員ができるなというふうに感じて帰ってまいりました。

 それから、ローファームについては、ヨーロッパと同じ系列のところを見ておりますが、すごく規模が大きいし、一つのところは、模擬法廷ができるようになっていまして、そこで十分にディスカッションをして法廷に出るということでしたし、専門が分かれていて、そのすべてを一つのローファームで持っているという状況でしたので、国際化が進んでいく中で、あれだけ規模が大きくて、専門的に深いローファームが日本に上陸するということになると、これは日本の弁護士会の立場というのも非常に厳しくなるんじゃないか。そういう感じを持ちました。そういう国際化の中で、日本の弁護士が活躍できるようにしていくためにはどうしたらいいのか、そういうことを検討するのは少し遅過ぎるのではないか、早急にやらなければいけないという印象を持ちました。

 それから、教育については、もう佐藤先生からお触れいただいていると思いますが、日本では大学の法学部を卒業して、それからロースクールをどうするかということを検討しているわけですけれど、アメリカの場合には、法学部というのがなく、それぞれ専門の大学課程を経て、それからロースクールに入る。その間では就職をして収入を得て、それを貯めてロースクールという場合もあるし、ローンを組む場合もあるということです。もともとベースとして、法学部教育がない。そういう状況と日本の場合とを考えると、これはアメリカの場合は、判例法でできている国家ですから、そういう意味から系統立った法学教育というのがなくてもよいのかという感じを受けました。ただ、非常に違うところは、ロースクールを出てから実務経験を10年、あるいは15年という長い経験をしていらっしゃる。それは実質的には弁護士の経験をしているという。そういう方が裁判官になっていくいう道筋があって、そういう仕組みの中でロースクールの教育がされている。

 では、ロースクールを出て、皆さん裁判官を目指すのかというと、そうでもなくて、収入の面を考えると、大きなローファームに入った方がいいという考えの方も結構いるようですし、逆にローファームに入ってから、10人入っても残るのが2人くらいで、あとはそれぞれ自分の道を歩いていくというお話も伺いましたので、学校を出たら即その道筋が決まってしまうという日本の制度とは大変違うという印象を受けました。

 日本は大陸法が中心になっているというんですが、一部違うのかもとも思いますけれども、大陸法中心ででき上がってきた日本の法制度と、判例を積み重ねてきた国との違いを、あちこちで感じられました。それから国民の司法に対する考え方が非常に前向きで積極的だという印象がありまして、それは陪審制とか、そういうところに根差していると思いますし、それから、今、17歳が非常に危ないということがここのところ日本では問題になっていますが、少年事件について、同じくらいの年ごろの人たちを陪審員というか、立ち会わせて、少年の立場で考えるというようなこともやっているという話を聞きまして、そういう判断ができるように子どもが育っていると。その辺のところは小さいときから法学に対する考え方というか、法律に対する考え方がどういう形で教育されているのかということで、そこまでは調べることができなかったんですけれども、やはり小学校、中学校辺りからの法律への関わりというのが大切だと思いました。

 何か雑駁で、まだ、まとまっていないんですけれども、感じたところだけ申し上げまして、もう少し頭の整理をしてみたいと思っておりますが、かなりカルチャーショックを受けると同時に、陪審制度については日本でも可能ではないかという感じを持って、帰ってまいりました。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。

 それぞれ貴重な御意見を賜りまして、本当にどうもありがとうございました。それぞれの個別的な問題についてはそれぞれの事項を審議しますときに活かしたいと思っております。ヨーロッパ班もそうだと思いますが、アメリカ班の場合も、事務局中心にいろんな資料を集め、整理していただいておりますので、今後の議論で活かせる基盤ができているのではないかと思います。事務局の方々、同行された方々の御努力に対して感謝申し上げたいと思います。

 また、外務省始め関係機関の皆様に非常に協力していただきまして、この場を借りて、そういう関係者の皆様に心からの謝意を表しておきたいと思います。

 まだお話になりたいところが多々ございましょうけれども、時間も予定より大分オーバーしてしまいました。後の方が厳しくなるんですが、10分休憩しましょうか。4時2分に再開させていただきたいと思います。

(休憩)

【佐藤会長】では、再開させていただきます。

 次に、文部省の検討組織への審議会委員の参加について御相談申し上げたいと思います。法科大学院構想に関する専門的・技術的事項の検討依頼を、連休前の第18回会議での決定に従いまして、4月27日に文部省に依頼いたしました。井上委員から私の名代ということで、文部省の高等教育局長に申し入れていただきました。また、同じ日付けで法曹三者にも必要な協力を要請させていただいた次第です。

 審議会との連携のために、何人かの委員をこの審議会から参加をお願いするということでございまして、その点について御相談したいと思います。参加委員は、議決権はないが、発言はできる、そういうお立場で参加していただくということを考えております。

 それで、どなたにお願いするかということなんですけれども、この審議会の審議に加えまして、更にそちらをお願いするというのは、もう心苦しい限りなんですけれども、前回の決定に従ってどなたか行っていただかなければいけませんので、是非ともお願いしたいと考えております。

 まず、取りまとめに御尽力いただいた井上委員に入っていただきたいと思います。それから、国民的見地からの議論のためということもありますので、法律専門家以外の有識者としては鳥居委員にお願いしたいと思います。更に、ユーザーの視点ということで山本委員、吉岡委員にお願いしたいと考えております。いずれの方々も大変御多忙なことは重々承知しておりますけれども-それでお願いするのは承知していないと言われれば、それまでですが-そこを何とか是非ともお願いしたいと考えております。

 4人の方々にお願いするということでございますが、特定の委員のみに負担が掛かるということは避けたいという思いもあります。4人の方々にはそれぞれどうしても日程の都合がつかないという日もあり得るかと思いますけれども、それはやむを得ないこととして、可能な限り御参加いただければというように考えております。4人の委員の方々、鳥居委員はまだおいでになっておりませんけれども、後でいらしたら正式にお願いするつもりでおりますが、よろしゅうございましょうか。

 本当に重ね重ねの御負担をお願いして恐縮でございますけれども、よろしくお願い申し上げます。

 では、次に、「国民の期待に応える民事司法の在り方」が今日の主たる議題なんでございますけれども、ユーザーの立場の委員の方々から、レポートをお願いしたいと思います。

 当初は、レポートをいただいて意見交換をと考えておりましたけれども、時間の関係でかなり無理だというように思います。そこで、御意見をレポートしていただいて、意見交換の方は次回回しということにならざるを得ないかと思います。よろしゅうございましょうか。

 それでは、最初に髙木委員からレポートをお願いします。

【髙木委員】お手元に項目を列挙したものと、若干の文書を付けたものとをお届けしていると思います。「はじめに」のところに、これはもう言わずもがなのことかもしれませんが、今回の司法改革への各界と言いますか、広く国民の期待は非常に大きいものがあることを再確認したいということです。その期待の大きさがどの辺にあるのかということについては、論点整理の中でいろんな切り口から提起をされておるんだと思っております。その中で、とりわけ、この審議会の名称に改革という文字までかんむっているということを、お互いに十分認識をしていく必要があるんではないかということを再度訴えたいと思います。

 このことは、別の言い方をすれば、単なる改良型のアプローチということではなくて、これは石井委員もおっしゃっておられますが、改革のグランド・デザインを骨太に描いて、細かい具体論までどこまでできるのかという面はあろうかと思いますが、そのデザインを実現するために必要な方途、方策をお互いにスケジュール等も含めて詰めていくという、そういうアプローチでこれからの議論を進めていくべきではないかと思います。

 そういう意味では、論点整理に使われております「国民がより利用しやすい」とか、「国民の期待に応える」とか、「国民の司法参加」だとか、「統治主体意識」、「法の血肉化」、「法の支配」、こういった言葉がいろいろあるわけですが、こういった言葉が国民の側からも、まさにそのとおりだというふうに実感されるような改革の実現が、今、ユーザーの方からも強く求められているんではないかと思います。

 最初に、民事司法についてでございますが、その基本的視点という意味で、これは会長代理に失礼な表現になっておったらお許しいただきたいんですが、出していただきました論点等について、網羅的にかつ重要な点をほとんどすべて挙げていただいているんではないかと思いますが、改革を考える基本的理念はどんなものなのか、このコンセプトみたいなものが、御説明の中にあったのかもしれませんが、私は十分頭の中に残っておりませんので、その辺のコンセプトがどんなものなのか、そういう意味では目指すべき民事司法の全体像といいますか、グランド・デザインがもう一つ私にはピンと来ませんということでございます。

 そういう中で、基本的に、抽象的な言い方で恐縮ですが、改革を考えるプラットホームみたいなもので、民事司法というのは第1に国が国民に対して提供するサービスという、国民がいろんな法的な問題に直面したときに、その問題に適切な解決をスピーディーに与えて、国民の権利を正しく実現することが、国家という言い方がいいのか分かりませんが、公共サービスとしての司法の責務であろう、それは裁判所がまず第一義的にはその役割を担われるわけでして、そういう意味では裁判所は国民がより利用しやすい司法の実現のためということで、国民に対するサービス機関という認識で裁判に、より一層そういう感覚で当たっていただくべきではないかということです。そういう意味では、司法制度の中に各論でどういうところがこれに当たるのかというのは、いろいろな御意見があろうかと思いますが、利用者である国民の立場に立った制度になっているかどうかという視点で、是非見直していかなければいかぬのではないかなと。

 二つ目には、やはり民事司法と言いますか、国民に対するサービスということは勿論なんですが、民事の裁判を通じて法の実現というのを図っていくものでなければならないということは、もう言うまでもないことでございます。今まで法の実現というのは、日本の社会ではどうしても、お上中心で法の実現という世界が強かったように思われます。そういう意味では、事前規制から事後規制へということで、規制の重点も移ってくるわけですし、また国民が統治の客体から主体に変わるということを、我々が前提にするんであるならば、法の実現も行政の独占であってはならないわけですし、国民の提起する訴訟は、法の目的を実現するための手段ですから、小さな司法とか二割司法とか、あるいは裁判ざたなんていう言葉がある世界では駄目なはずです。そういう意味では訴訟の提起について、積極的な評価が与えられるという側面がなきゃいかんのだろうと思います。

 そういう意味で、いろいろ議論がございます懲罰的な損害賠償、あるいはクラスアクションといったような議論につきましても、国民が訴訟提起をしやすいという側面で、検討したらいいのではないかと思います。

 3番目に、行政訴訟の関係というか、行政権の行使に関しますチェックの問題ですが、論点整理においては、この部分が民事司法の中に位置付けられておりますが、本来は民事司法の問題とは別に、独立して議論されるべきではないかと思います。行政訴訟は、私人間の紛争解決をします民事司法とは性質が違うという意味で、その具体的な表れである行政訴訟については、これからの論議の中で別途項目立てをしていただいて、論議していただいたらどうかなと思います。

 こういうことを申し上げる背景には、司法による行政権の行使に対しますチェックが消極的ではないかという国民の懸念が、多くの皆さんから指摘されておりますし、そのチェックが消極的であることが、行政権力の絶対化と言いますか、絶対的な権力化を抑制していくんだという役割が十分に果たせていないという批判につながっているんではないかと感じています。そういう意味で、この行政事件訴訟の関係は、司法改革の一つの大きな論点の一つではないかと思います。

 次に、民事司法の関係の人的な問題ですが、当然、裁判の充実が迅速化と共に図られなければならないわけですが、裁判の結果であります判決が、国民の立場から見て適切で納得のいくものでなければ、幾らアクセスがよくなっても、国民は司法サービスにいろんな問題の解決を委ねようとは思わないだろうと思います。そういう意味では、社会の実情に関心をお持ちになり、国民の苦労を理解していただける裁判官が裁判所におられることが前提ではないかと思います。

 具体的には、市民、私の立場では労働者という言葉も使わせていただきましたが、あとは企業の関係につきましても、要は社会の実情をどこまで御理解いただいた上で判決をお書きいただいておるのか、そういう意味で裁判所の皆さんには現状に対する御認識はどうなのかということも、もう一度御吟味をいただく必要があると思っています。勿論、裁判官の独立といった問題もあるわけでございますし、その辺はきちんとすべきことは言うまでもないことですが、そういう意味では経験豊かなハートのある裁判官をどのように確保していくかという問題であり、法曹一元、裁判官の独立の問題が民事司法の改善についても課題ということではないかと思います。

 2番目は、もうかねていろいろ議論になっているとおりのことでございますんですが、要は裁判官の増員、あるいは書記官を始めとする裁判所スタッフの方々の増員も大切だと思います。

 それから、行政に関するチェック機能の問題ですが、今回、私はドイツ、イギリスに行かせていただきまして、つくづく感じたんですが、日本の行政訴訟は完全に死んでいるんではないかなというふうに強く思いました。なぜ、日本ではこんなに事件数が少ないのか、勿論、国によっては行政事件というふうに分類される範囲のとらえ方の違いがあったりする面もあるようでございますが、裁判所が行政について、その行政権の行使をチェックするに際して、非常に消極的だったということは、先ほど申し上げたわけですが、日本の行政に過大ともいえる裁量権を認めてきたこと、この点を指摘しますと実体法がそうなっているからしようがないという議論になってしまうわけですけれども、そういう実態が行政指導という状況に、過度に依存する産業、企業、個人を生み出してきてしまっているという面もあるんではないかと思います。

 また、官僚裁判官というお言葉にもあるように、官の一員としての裁判官という面が、こういうとらえ方はうがち過ぎではないかという御批判もあるかもしれませんが、そういう感じ方も国民はしているんではないかと思います。そういう意味では、行政権の行使をチェックできる裁判官をどのように確保するかという文脈で、現在のキャリア制裁判官の適否が問題にされざるを得ないという、そういう御意見、御批判もよく聞かれるわけでございます。

 その延長線上ですが、原告適格の問題やら処分性の問題等々、行政訴訟の窓口を狭く解釈する中で、行政訴訟を提起することがいかに難しいかということを、多くの国民は判例の積み重ねで思い知らされてきているんではないかと思います。

 たまたま、昭和46年11月2日、古い、もう30年近く前の朝日新聞の夕刊なんですが、それに「全逓プラカード事件に対する東京地裁の判決など最近の国家公務員法違反事件の下級審判決について、『戦前の行政裁判所がなくなった結果、裁判所が行政にかなり介入した形になっている。おかげで行政官庁が困っている』と前尾法相が述べた」という記事が出ておりますが、どうもこのころから日本の行政訴訟に対する、司法の態度が変わり始めたんではないかという指摘をされている方がおられました。

 そういう意味では、そういう行政訴訟の活性化のために、どんな改革が具体的に行い得るのかということですが、これについては非常に多くの論点が提起されておりまして、そういう意味でこうしたいろんな大きな論点に対して、ここでどこまで細かいところまで議論できるのかという問題もあるのかもしれませんが、例えばロースクールの問題なんかを、ああいう形でほかのところに議論を委ねられたみたいなことも含めまして、できるだけスピーディーに議論をして、できれば来年の最終報告までには、ある程度の方向性ぐらいは書くべきだと思います。こういう進め方も御検討いただいたらどうなんでしょうか。

 民事司法に関わります、多くの論点がございますが、その中で国民にとりまして利用しやすい民事司法ということとの関係で、幾つかの論点を挙げております。

 一つは、迅速で充実した適正な裁判という意味で、証拠開示の問題がございます。これも、もういろんなところで指摘されておりますんで、後で御覧いただけたらと思います。ディスカバリーについてもいろんな御意見がありますが、要件や手続をきちんと整理した上で、ディスカバリー制度、あるいは強力な証拠保全手続等も整備をしていく必要があるんではないかと思います。

 ちょっと労働事件のところだけ字数が多くなっておりますが、現在、正確な数字の積上げはないようなんですが、労働相談はどう控え目に見ましてもいろんなチャンネルで30万件を超えてあるんだろうと認識をしております。その中で、裁判所に寄せられる労働事件は年間に2,000件前後、つい最近いただいた資料ではこの数字よりちょっと増えているようですが。労働委員会では、350件前後。そういう意味で、30万件とこの二千数百件というものの落差は、どういうふうに捉えたらいいんでしょうか。実際上は多くの労働者は、泣き寝入りしているんではないかと思います。

 現在、労働問題の関係での紛争処理システムとしては、労働委員会、裁判所、勿論、労働相談をしてくださっている行政機関等が、いろんな意味での調停的な作用をしていただいている部分もありますが、いずれにしましても裁判所、労働委員会における申立件数は非常に少なく、ドイツやイギリスなんかと比べてみましても、すさまじい落差があるわけでございます。

 労働委員会、これは不当労働行為等を含めました、集団的紛争の処理を任といたしております。そういう意味では、個別の労働紛争を扱わないルールになっております。裁判所は、個別、集団両方の労働紛争を扱うということになっておりまして、裁判所におきましては、労働事件固有の、労働事件の特性を踏まえた組織や手続、具体的には労使代表の裁判における関与、調整手続と判決というか判定手続の結合の関係、解雇事件の優先的処理等が諸外国ではいろいろあるわけですが、日本ではそういう感覚でない面も多いために、換言すれば紛争処理手続が非常に厳格で、時間と費用が掛かる、そんなに時間もかかり手続も難しいのならば、裁判はあきらめざるを得ない、そして泣き寝入り、ということが多いのではないかと思います。

 裁判所は、当該紛争の背景事情や労使関係の在り方等を含めて、御理解いただくという面にどうも乏しいように思え、しかも権利義務の存否の観点から見るという面が非常に強いために、ときどき労使関係やら雇用関係の現実からすると、ちょっといかがなもんだろうかという判決があるんではないかと感じています。

 現在、労働委員会と裁判所で、いわゆるプライドを争うみたいな事件なんかは、実質的にもう5審制になってしまいまして、その中で中身が賃金・解雇・異動・配転なんていうような問題は、10年も15年も掛かったんではもうとても解決とは言えない。そういう意味で、例えば労働委員会、中労委で出した命令がNOだということで、裁判所の方にお世話になるようなところは、高裁にいきなり持って行ってくださいというような、審級を実質的に減らすことがあってもいいんではないかと思います。

 それから、労働委員会で出した命令の前提になります事実認定が、実質的証拠によって支持されている場合は、裁判所は覆さないようにすべきだと思います。よく覆るわけでございますけれども、この辺のことについても検討の必要があるんではないかと思っております。

 今後、とりわけ個別労働紛争は増えていくんだろうと思っています。そういう意味では、労働委員会の方にも調整的紛争処理としての、個別労働紛争のあっせん、調停、仲裁手続をも行い得るようにすべきだと考えています。これは今、連合がいろいろなところでお願いし始めている課題です。

 裁判の方は、ヨーロッパ型の労働裁判所といいますか、労働審判所というんでしょうか、その導入が必要だと思います。その際、労働事件にも場合によっては陪審制もあり得るんではないかなと思ったりもしています。ドイツ、イギリス等の参審型の労働裁判所も含め、いろいろ検討したらいいんではないかと思います。

 あと、ADRですが、このADRは、非常に有用な手段で、積極的に位置付けるべきだと思いますが、ADRはやはり司法判断があってのADRというポジションだろうと思いますので、ADRと裁判所の棲み分けは、これからどんどん世の中の変化とともに変わっていく、あるいはもっとADRの領域が広がるということだろうと思いますが、そういう意味では、最初に裁判所ではどこまで、どういうことをやるんだということを明確化し、それで足らざる機能はADRでカバーするという、そういう検討のアプローチもしてみる必要があるんではないかなと思います。

 ADRは、どうしても私人、特にプライベートな意味でのADRについては、解決の内容を公開しないということもありましたりして、ADRにいわゆる判例的な機能を形成する部分はないんではないかなと、そんなことも踏まえておく必要があると思います。

 いずれにしても我が国では、裁判所の調停制度がADRの代表みたいなふうにとらえられてきている面があるんですが、そのことが反面で民間ADRが育たなかったということにつながっているんだろうと思います。最近、弁護士会等で仲裁センターの仕事を一生懸命やられ始めておりまして、こういったような仲裁センター、これは数だけ書いてありますが、その数、あるいは、その機能を果たせるような体制づくり、そんなものについても少し社会的にサポートする体制があってもいいんではないかなと思います。

 あと隣接職種ですが、隣接職種といわれる専門性の高い法律分野とも関わるお仕事については、法律事務を行う必要性をその部分に限って認めていってもいいんではないかなと思います。ただ、法律事務を行うために必要な法的知識や実務に関する要件は、ある程度やはり具備されておかれないといけないのではないかと考えます。

 もう一つは、いわゆる隣接職種といわれます法律専門職については、行政の機能を補完する役割というのを、どうしても持っておられます。専門職団体から、今日もここに税理士会なり社会保険労務士会からの提起もいただいておるようですが、その辺の行政補完的という部分を、もう少し行政からの独立性といいますか、そういう意味で補完的なところを直していくことも同時にやらないと、おかしいことになるんではないかなという感じもいたします。

 民事執行は、もう言わずもがなのことでございます。

 訴訟費用の問題もございます。訴訟費用は、率直に言ってもう少し下げてもらわなければいかぬのではないかなと思います。それから、敗訴者負担制度、これは訴訟提起を促進するという観点から、検討を行うんならやるべきではないかと思います。

 7番目は、もう御覧いただきたいと思いますが、特に今、24時間365日化の世界がどんどん広がっておりますから、夜だとか土日等、働かれる方々のことをいろいろ配慮していただきながらということかと思います。

 司法教育の問題があるんで、最後のところに入れさせていただきました。それから、法律扶助のこと等申し上げたい面もございますが、別途また刑事のところで発言する機会もいただくということなので、今回は入れてございません。

 全般的に感じていることでございますけれども、こういう議論の仕方を続けていけば、例えば、陪参審と労働事件、あるいは行政事件と陪審制みたいなクロスした議論を求められる課題についての議論は、いつどんな形で行われるのだろうかと心配しています。陪審制は陪審制でまた議論をする時期があるんでしょうが、それぞれ、やはり相互に複合して関わっているわけです。どちらの方法を選ぶかという面もあるんでしょうが、論議の仕方という意味でちょっと工夫をしていただくといいのかなという印象を持っておりますので、そのことを付け加えさせていただきます。

 ありがとうございました。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。

 それでは、次に山本委員お願いします。

【山本委員】私は、お手元にレジュメと私の意見の内容を差し上げてありますので、全部読み上げさせていただきます。そんなに時間をとらないと思います。

 「はじめに」。最初に、私の報告に当たり基本的な考え方を御紹介したいと思います。

 かつての臨時司法制度調査会の答申は、法曹三者間の理念面での対立があって、具体的成果を得るに至らなかったわけですが、これにより、一般国民や企業といったユーザーのための司法の見直しが、ほとんど顧みられないまま、過去何十年にわたって放置されてきたわけです。

 この反省に立ち、今回の司法制度改革審議会は、司法のユーザーの目線から、司法制度を見つめ直すことに最大の眼目が置かれていると認識しております。とりわけ、今、我が国社会は、規制緩和の進展による自己責任・自助努力の必要性、あるいは経済活動における国際性やスピード感の高まりなどから、司法の重要性が否応なく高まってきているわけであります。

 本審議会におきましては、こうした情勢に対応した司法制度の議論を進めていくことが、殊に重要であり、活きた経済活動や市民生活のニーズに応え切れていない、現行司法制度の機能面の改革に、大いに力を注いでいく必要があると考えております。

 私は、現在の我が国の民事裁判に基本的な信頼が失われているわけではないと考えていますが、ユーザーにとって欠けている機能、不足している機能は多く、これらの充足を積極的に求めていくという観点から、以下の各項目の改善策を提案したいと思います。

 「裁判所へのアクセスの拡充」、「1.国民と裁判所を結ぶ弁護士等の質量の充実」。

 まず、裁判所へのアクセスの拡充を提案したいと思いますが、法的紛争に巻き込まれた国民がいきなり裁判所に出向くことは希であり、裁判所へのアクセスの拡充は、国民に最も近い法曹であり、ユーザーと裁判所をつなぐ役割を担っている弁護士のあり方が鍵を握っています。

 このため、まず、裁判所へのアクセスの拡充の第一歩といたしまして、弁護士改革の必要性を申し上げたいと存じます。具体的には、弁護士の大幅な増員という人的基盤の拡充をベースとしまして、弁護士情報の開示、弁護士事務所形態の見直し、企業法務、隣接法律専門職種への法律事務所の開放等々でありますが、「弁護士改革」は改めて取り上げられることが予定されておりますので、深く立ち入ることは避けたいと思います。

 なお、ここには書いておりませんが、日弁連において、この10月から広告の自由化が実施されるということでありますが、結構な方向性だと思います。

 ただ、ここでは、経済界が求めている弁護士改革の要は、大幅増員や自由化のもたらす「競争」を通じた弁護士の法的サービスの向上であることを強調しておきたいと存じます。弁護士は、「国民の社会生活上の医師」であると同時に、経済活動の国際性、専門性の高まりの中で、ますますニーズの高まっている法的ビジネスの担い手でもあることに留意すべきです。

 以下におきましても必要に応じ、弁護士改革にも触れることをご了承願いたいと思います。

 「2.紛争処理方法に関する情報の集約・提供」、「司法の利用に関する総合的相談窓口の充実強化」。

 さて、法的紛争に直面した国民が、まず知りたいと思うことは、どこにどのような紛争解決手続が存在し、それらにかかる費用や時間はどの程度であるか、という「紛争解決手段のメニュー」であります。これからは「情報」が、国民生活の大きなよりどころです。これらのメニュー情報の充実が、紛争に伴う国民一人一人の不安やエネルギーの浪費を軽減する大きな力になるものと考えます。そのためにはまず、弁護士あるいは弁護士会が紛争処理方法に関して、総合的な情報提供・相談窓口としてより一層機能を発揮することが期待されます。

 これに加えて裁判所自身による相談窓口の充実強化が望まれます。現在、家庭裁判所の家事相談等よく機能している例をさらに進めて、総合的相談窓口を例えば全地裁に設置し、裁判手続のみならず、裁判外の紛争処理手続、ADRも含めたメニューを集約し、相談に応じることが有効と考えます。また、集約した情報は、インターネット、パンフレット等の媒体を通じて広く提供を行うことも必要であると思います。

 イギリスでも、コミュニティー・リーガル・サービスというものをやっているそうですが、これと似たような発想でございます。

 「裁判例、及び係属中の裁判に関する情報提供の充実」。

 裁判所が、裁判例や係属中の裁判に関する情報を積極的に提供することも、紛争防止や解決にとって重要であります。その際、出版物だけでなくインターネットの活用も有効な手段です。

 すでに、最高裁のホームページを通じて、東京、大阪の各高等裁判所、東京、大阪及び名古屋の各地方裁判所を中心に知的財産権関係民事・行政事件の判決が「速報」として提供され、また、先例価値のある最高裁判決が公開されており、こうした判決情報の公開がさらに拡大されていくことが望ましいと存じます。裁判所が広く開示を行えば、自然発生的にそれを容易に検索するようなシステムの構築もビジネスとして現れてくることが期待できます。

 判決のみならず、現在係属中の裁判の情報についても、マスコミ報道やキーワードに基づく問合せ、例えば、次回期日に、裁判所の窓口で対応できるようにすべきであります。

 「3.裁判に要する負担の軽減」、「弁護士費用の合理化・透明化」。

 次いで、国民の裁判へのアクセス向上の観点から、裁判に要する費用負担の軽減が課題となります。裁判費用のかなりの部分は弁護士費用であり、弁護士の競争を通じた合理化・透明化が何よりも必要であると考えております。

 現在、日弁連と単位弁護士会が定めている報酬基準規定が一つのよりどころとなっておりますが、競争制限的に機能するおそれもなしとせず、むしろ個々の弁護士の情報公開による報酬基準の明確化や相談に応じる際の報酬の合理的説明の徹底が大切と考えます。

 「勝訴者の弁護士費用の敗訴者負担制度の導入」。

 また、勝訴者の弁護士費用を敗訴者負担とすることも検討が必要であります。現在、不法行為については、原告が、請求する賠償額の中に弁護士費用を含め、これが認められることも多くなっているようですが、不法行為以外のケースや被告が勝訴した場合には請求できないという状況にあります。勝訴者の弁護士費用を敗訴者に負担させる制度を導入すれば、正当な理由のある訴訟を提起しやすくなるばかりか、不合理でほとんど根拠のない訴訟を抑制することもできます。

 ただし、敗訴者負担を制度化する場合には、公平の観点から原告、被告ともに敗訴した場合の負担を求めるとともに、負担費用を法定することも検討を要するものと考えます。なお、労働訴訟の原告など敗訴者負担が適切でないと考えられるようなケースでは例外扱いも必要と考えます。

 「提訴手数料の一部低額化」。

 裁判に要する主な費用のうち、弁護士費用以外のものとして提訴手数料があり、現行の制度はスライド制となっております。このスライド制について、訴訟の活性化のために見直しを求める声もあるようですが、現行スライド制が正当な訴訟を抑制するものになっているとは思われず、基本的に維持すべきものと考えます。

 ただし、相続を巡る個人訴訟等、当事者にとって手数料の負担が重いと思われるケースに限っては、さらなる低額化を考慮する余地があると思います。

 「訴訟費用確定手続の抜本的な簡素化」。

 訴訟費用につきましては、制度上、勝訴者が敗訴者から回収できることとなっております。しかし、その確定手続に時間を要するため、わずかな訴訟費用を回収するために繁雑な手続を行っていては費用倒れになることから、実際にはほとんど利用されておりません。そこで、訴訟費用は類型ごとに定額化し、付随請求たる訴訟費用の確定手続も別個に行うのではなく、主たる請求の審理の中で行うことも考えられます。

 「4.法律扶助の拡充」。

 経済的に余裕のない方々の司法へのアクセスを容易にするためには、合理的で節度ある利用を前提とする法律扶助制度の拡充が必要であり、今般、関係者の御尽力により、民事法律扶助法が成立し、民事事件に関する法律扶助の拡充が図られたことは、高く評価するものであります。今後、民事法律扶助制度については、さらに充実を図っていくことが必要でありますが、量的拡大のみならず、今後の紛争処理システムにおいて育成を図って行くべきADRについて対象に入れることが望まれます。

 「民事裁判の充実・迅速化」。

 次に、民事裁判の充実と迅速化に移りたいと思います。全体的に見た裁判期間の短縮化は着実に進んでいるようですが、平成10年から施行された新民事訴訟法の趣旨を実務に活かしきることなどによってさらなる迅速化を望みたいと思います。

 とりわけ、医療過誤、知的財産権等の専門性の高い訴訟には依然として相当の時間がかかっており、こうした訴訟を手続の適正さを損なうことなくいかに促進するかが、民事裁判の迅速化の中心的課題であると認識しております。

 「1.裁判所、弁護士の態勢強化」。

 民事裁判の充実・迅速化に当たりましては、すでに、この審議会において意見が一致しております裁判所の人的物的体制の拡充、さらに先ほど来述べております弁護士改革が不可欠であります。

 なお、特に重視しております専門性の高い訴訟につきましては、項を改めて述べたいと思います。

 「2.訴額や訴訟類型に応じた法的紛争処理手続の多様化」、「裁判手続の多様化」。

 多様な訴訟手続を用意することは、簡易な訴訟をスピーディーに処理するとともに複雑・高度な事件に限られた裁判所のリソースを集中させることにより、全体としての効率性を高めることにつながります。しかし、現行の裁判手続では、訴額90万円以下の簡易裁判所手続、さらにその中の訴額30万円以下を対象とする少額訴訟手続がある他、それ以外の訴訟は、全て同一の手続で処理されております。

 このため簡易裁判所の事物管轄を引き上げる、少額訴訟の対象を拡大する等を行うとともに、地裁段階においても、英国のように訴訟額に応じた複数の裁判手続の導入を図ることを提案したいと思います。

 「多様なADRの充実とその利用を促進する仕組みづくり」。

 一方、ADRは、民事調停、家事調停という裁判所の関与する手続の利用が盛んである反面、その他民間によるものは交通事故紛争処理センターを除いてあまり利用されておりません。

 ADRは裁判に比べて廉価、迅速であること、特定の専門分野について高度な専門性を備えることができること、利用者のニーズに柔軟かつ機動的に対応できること等様々な利点を有しており、その育成、充実を図るために多面的な施策が必要であります。まず、既述したように「紛争解決手続のメニュー」の情報提供が大切です。そもそも一般国民は、そうした機関の存在すら知らない人が大部分であることを想起する必要があります。

 また、訴訟からADRへの移行など訴訟との連携を図り、紛争に応じた柔軟な対応を可能にするとともに、時効中断、執行力など、その利用に対するメリット付与などいろいろなアイデアを集めていくことが大切です。さらに信頼性を高めるため、人材面では、裁判官OB、隣接法律専門職種など幅広い活用を図っていくことが考えられます。

 「3.裁判官の訴訟指揮権の積極活用による計画審理の促進」。

 民事裁判の迅速化、紛争処理のために必要なコスト負担と時間の予測可能性を高めるという観点から、審理期間や手続の節目の期間などを予め計画すること、計画審理が有益だと考えます。そのためには、訴訟手続の効率化を大きな狙いとした新民事訴訟法の趣旨を実務に活かしきり、定着化して行くことが先決だと考えます。

 その中で、これまでの裁判実務における作業を分析し、可能なものについては、予め類型ごとに標準的な審理期間を示したり、それを参考に予め複数の期日や書面の提出期限を指定したりするなど、両当事者の予測可能性を保ちつつ、裁判官の訴訟指揮権を積極的に活用する工夫をしていくことが必要なのではないかと思います。

 なお、民事訴訟の活性化のため、民事訴訟手続等に関して、米国流のディスカバリー、クラスアクション、懲罰的賠償の導入論も言われているようですが、基本的には前述のように、新民事訴訟法により文書提出命令の拡充、当事者照会制度の導入、選定当事者制度の拡充などが行われ、現在はそれに対応した実務の定着を図ることが重要であると考えております。また、これらの制度は、米国において特に肥大化したものであり、最近でも日本企業が割り切れない和解を選択せざるを得ない原因となる等多くの苦い経験をしてきており、これらの導入の可否については極めて慎重な論議が必要であります。

 「4.訴訟手続への情報技術の導入」。

 現在の情報技術の発展にはめざましいものがあり、当然、訴訟においてもその活用が考えられるべきであります。現在も新民事訴訟法で、準備手続へのTV会議の導入が図られるなど情報技術利用の制度的突破口はできておりますので、さらにインターネットによる書類の提出、交換など他の分野での情報技術の積極的な利用が望まれます。

 「専門的知見を要する事件への対応」、「1.専門的弁護士の育成、事務所の体制強化」。

 専門事件への対応のためには、弁護士自身の専門化が不可欠であり、また個々の弁護士が専門領域に特化するためには、弁護士事務所の法人化や共同化が必要になると考えます。

 「2.知的財産権訴訟の専属管轄化、裁判官自身の専門性向上」。

 すでに、裁判所においては、知的財産権訴訟に関する専門調停制度の導入、専門部の増部、増員が進められております。例えば、東京地裁では専門部と専任裁判官の充実等により、実質的には専門裁判所といってもよい規模で対応、審理期間の着実な短縮化が図られており、その努力を評価したいと思いますが、そうした専門部の機能をさらに発揮させるためには、知的財産権訴訟を専門部の設置された特定の裁判所の専属管轄とすることが望まれます。

 また、裁判官が専門部などにおいて専門事件に長期専念できるような人事ローテーションの工夫など、裁判官自身の専門性を向上させる施策も考えていく必要があると考えます。

 「3.専門家の積極的活用」、「鑑定制度の改善」。

 専門事件で不可欠な専門家の知見の活用形態は、様々なものがありますが、その中で、まず、現在幅広く活用され、専門事件にとって不可欠な存在となっている鑑定人に関しては、鑑定人が決まるまでに相当な時間を要しているという問題があります。

 その解決のためには、第一に、組織的にその数を十分確保することが必要です。例えば、人材を広く全国に求め、名簿を整備し、ネットワークを確立することが必要です。また、鑑定人のなり手が少ない要因の一つである直接の尋問にさらされる負担を軽減するため、例えば、予め尋問事項を出してもらい、裁判官を通じた尋問を行うことが考えられます。さらにインセンティブとして、例えば、鑑定人としての実績について名誉称号を考えるなども必要ではないかと思います。

 「弁護士と専門家の協働の促進」。

 企業経営において専門性の高い法的問題が急増しており、現在のゼネラリスト中心の弁護士だけではもはや対応できなくなっているというのが実状であります。弁護士改革を通じた将来的な弁護士の専門性強化には大いに期待しておりますが、当面の改革としては、隣接法律専門職種の専門性、知見を訴訟やADRで活用することが重要であります。

 企業のニーズとしましては、総合的な法律判断のプロである弁護士と専門家がチームとして機能することが望ましく、そのための障害となっている弁護士法の見直しを要望したいと思います。

 さらに、隣接法律専門職種に対して情報の開示と研修強化を前提に、当該専門分野に関する訴訟代理権を付与するといった手当も前向きに考える必要があります。

 「専門家が裁判官を補助できる仕組みの強化」。

 一方、裁判官の専門性を補う方策として、専門家を早い段階から手続に取り込んで活用する必要があります。このため現在、裁判官の補助者として機能を発揮している調査官制度、司法委員制度、専門調停制度の拡充が考えられます。

 次に、専門家がジャッジに加わる専門参審制の導入が考えられます。参審制に関しましては、あくまで諮問機関にとどまるのか、評決権を有する形にするのか制度の工夫が必要になると考えます。

 いずれにせよ、専門家の裁判手続での活用に関しては、ある特定の形態に特化するのではなく、事案の性質に応じた多様な活用システムが用意されることが望ましいと思います。

 「民事執行制度の実効性向上」

 以上申し上げてきた判決に至る裁判手続は、国民の権利実現のための過程の一部であり、最終的な紛争の解決は、判決が確実に履行されることによりはじめて完結することとなります。その意味で、民事執行制度の充実は、民事司法全体に対する国民の信頼を確保する上で極めて重要な課題といえます。

 まず、民事執行の人的体制につきましては、バブル経済の崩壊に伴う事件数の増大に対処し、執行官の増員等の強化策が図られてきており、一定の成果を上げているとのことであり、まず、その方向でのさらなる充実を望みたいと思います。

 次に、円滑な民事執行の障害となってきた財産の隠匿や不法占拠などにつきましては、これまでも判例の蓄積、民事執行法の改正など様々な努力がなされてきましたが、最終的には立法措置が不可欠と考えます。

 財産の隠匿に対しては、独、仏、英の制度を参考に、裁判所が敗訴者に自己の財産状況を開示するよう命じる「財産状況申告命令」や、雇用主や銀行等第三者に対して敗訴者の財産に関連する情報の提供を求める「財産照会手続」を創設すべきです。また、現行制度では、敗訴者が判決に従わない場合に一定の金銭の支払いを命じる間接強制は、直接の執行が不可能な場合にのみ認められていますが、少額事件のように、直接の執行をすると費用倒れになることもあるなど問題があり、間接強制の適用範囲の拡大が必要と思います。

 さらに、執行妨害の道具とされてきた短期賃借権の廃止なども行うべきであります。

 「行政に対する司法のチェック機能のあり方」。

 行政事件訴訟制度につきましては、「論点整理」に示されているように、重要な課題の一つであり、原告適格や処分性を巡る問題が指摘されておりますことは十分認識しております。ただし、これは、各個別行政法規、行政事件訴訟法の個別改正の問題でもありますので、この審議会では、問題点の所在を確認し、それを法制審議会等のしかるべき場の審議に委ねることが適当であると考えます。

 以上でございます。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。

 先ほど申しましたように、吉岡委員に次にお願いしたいんでありますけれども、もう時間が5時になろうとしております。吉岡委員、大変恐縮ですけれども、せっかく御準備いただいて何ですが、次回にレポートしていただくということにしてよろしゅうございますか。

 ありがとうございます。それでは、次回御報告をお願いいたします。私の不手際で順調に進みませんで申し訳ありません。

 では、この件はこの辺でとどめさせていただきます。今日、御相談しようと思っておりましたもう一つは、今後の審議の進め方についてなんであります。少し早い段階で申し上げておいた方がいいのではないかと考え、ここで申し上げておきたいと思いますけれども、「国民が利用しやすい司法の実現」、「国民の期待に応える民事司法の在り方」につきましては、まず次回の第20回、5月30日でありますけれども、吉岡委員にレポートをしていただいて、お三人のレポートを踏まえて議論していただきたいというふうに考えております。第21回、6月2日でございますけれども、司法の行政に対するチェックに関するヒアリングとして、塩野宏東京大学名誉教授-行政法の御専門ですけれども-に来ていただいてお話を承りたいというように考えております。御快諾いただいております。第22回は、6月13日でありますが、法曹三者からのヒアリングを行いたいと考えております。第23回、6月27日でありますけれども、方向性についての御審議をいただいて、できれば取りまとめるということで、4回掛けて審議をすることにしたいというように考えております。

 その後は、「国民の期待に応える刑事司法の在り方」、「弁護士の在り方」、「国民の司法参加」といったような問題について御審議をしていきたいと思っております。

 それから、夏の集中審議のテーマにつきましては、後日またお諮りしてお考えを伺いたいというように考えております。この点について、そういうことでよろしゅうございましょうか。

(「はい」と声あり)

【佐藤会長】次に、地方公聴会の応募状況でありますけれども、福岡で第2回目、第3回目を札幌で行うということになっておりますが、応募状況などについて、事務局長の方からお願いします。

【事務局長】福岡と札幌の地方公聴会につきましては、大阪の公聴会と同じ方法で意見発表者、傍聴者の募集を発表いたしました。

 そして、今回は前回と同じように、NHKの福岡放送局及び札幌放送局の御厚意を受けて、随時放送していただいておりますし、また政府広報の枠を使いまして、3月28日に西日本新聞、5月2日に北海道新聞、5月7日に日本経済新聞の全国版に募集告知をいたしました。また、雑誌も使いまして、「判例時報」の4月11日号、「判例タイムズ」の4月15日号に情報を掲載いたしました。

 その結果、応募状況でございますが、昨日までの時点で福岡につきましては、意見発表者38名、これは一応締切りをしております。傍聴者は約500名、この締切りは5月17日という予定にしております。

 札幌につきましては、意見発表者が28名、これも締切りを一応しております。傍聴者は100名余り、これは6月15日を締切りの予定にしております。そういった人数の方々の御応募がきております。

 公聴会前日の実情視察についてでありますが、東京と大阪では裁判所を御覧いただきましたので、福岡では検察庁や弁護士会の関係機関を中心に御覧をいただいてはいかがかと考えております。また、大阪と同様に当地の法曹三者から実情をお聞きする懇談会も行いたいというふうに考えております。

 以上が、第2回、第3回に関する状況でございます。

【佐藤会長】ありがとうございました。

 意見発表者の選定につきましては、前回と同じように私と会長代理で御相談させていただきたいと思いますが、それはそれでよろしゅうございますか。

(「はい」と声あり)

【佐藤会長】ありがとうございます。

 最後に配付資料の確認などにつきまして、事務局長の方からお願いします。

【事務局長】では、配付資料一覧表の3番目の「国民の期待に応える刑事司法の在り方について<参考資料>」といいますのは、前回審議会における水原委員からのレポートに関する参考資料でございます。

 4番目の「各界要望書等」の中に、税理士に関する嘱託調査報告書及びその要約が入っております。前回お配りしました他職種の分と併せて御参照ください。

 なお、前回配付しました、社会保険労務士に関する報告書の訂正、差替え版も入っております。

 また、「経済活動と司法制度に関する企業法制研究会報告書」が入っております。これは、通産省産業政策局におかれた同研究会が取りまとめ、去る5月9日に発表したものでございます。

 その他の資料につきましては、特に説明することはございません。

 なお、このついでにアンケート調査に関する説明をさせていただきたいんですが、よろしゅうございますか。

 利用者を対象としましたアンケート調査の進行状況につきまして、簡単に御説明いたします。この調査につきましては、去る第16回会議で委員の皆様の御了解をいただいた御方針に基づいて準備を進めているところであります。

 協力をお願いする学者の方でございますが、千葉大学法経学部の菅原郁夫助教授を中心に、社会心理学を専攻しておられる東北大学大学院文学研究科の大渕憲一教授、民事訴訟を専攻しておられる早稲田大学法学部の勅使川原和彦助教授の3名の方を考えております。既に、これらの先生方には内々に打診し、一応の検討をしていただいているところですが、委員の皆様の御了解をいただければ、審議会として正式な協力を依頼したいというふうに思います。

 また、民事訴訟を利用した経験のある当事者の方々を抽出するに当たりましては、裁判所の協力は不可欠でございますので、最高裁に対しましても、正式な協力の依頼をさせていただきたいと思います。

 なお、当然のことでございますが、事件等に関する情報の取扱いにつきましては、当事者の方々のプライバシーの保護に十分な配慮をしてまいりたいというふうに考えております。

 このような正式な協力依頼を行った上で、本格的な準備に入り、本年内には調査結果の分析等をまとめた報告書を仕上げることとしたいというふうに考えております。

 以上が事務局で進めておりますアンケート調査に関する状況です。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。アンケート調査につきましては、これまでも何回か御相談したことがありますけれども、それを踏まえて、今、事務局長からお話しのような形で、できれば、進めさせていただきたいと思いますが、よろしゅうございましょうか。

 どうもありがとうございます。

 鳥居委員、先ほど、文部省の検討組織への御参加につきまして、議決権はないが発言はできるというお立場で4名の方、鳥居委員、井上委員、吉岡委員、山本委員にお願いするということでお決めいただいたんでございますが、鳥居委員、大変恐縮でございますがお引受けいただけますでしょうか。

 勝手に決めさせていただいて申し訳ありません。お忙しいところ本当に恐縮ですけれども、よろしくお願いいたします。

 今日、予定しておりましたのは以上でございますが、次回は、先ほどもちょっと触れましたけれども、5月30日、14時からを予定しております。

 最後に、本日の記者会見の参加でございますけれども、いかがいたしましょうか。手を挙げる方がいらっしゃらなければ、会長代理と二人でやらせていただきます。

 本日はどうもありがとうございました。