司法制度改革審議会

第21回司法制度改革審議会議事録

第21回司法制度改革審議会議事次第

日時:平成12年6月2日(金)14:00~17:40

場所:司法制度改革審議会審議室

出席者(委員、敬称略)

佐藤幸治会長、竹下守夫会長代理、石井宏治、井上正仁、北村敬子、髙木剛、鳥居泰彦、中坊公平、藤田耕三、水原敏博、山本勝、吉岡初子
(説明者)
塩野宏東亜大学通信制大学院教授
(事務局)
樋渡利秋事務局長
1.開会

2.塩野宏東亜大学通信制大学院教授からの説明

「司法の行政に対するチェック機能の在り方について」

3.「国民が利用しやすい司法の実現」及び「国民の期待に応える民事司法の在り方」について

4.閉会

【佐藤会長】それでは、定刻がまいりましたので「司法制度改革審議会」第21回会合を開催したいと存じます。

 今日の主な議題は、1つは「司法の行政に対するチェック機能の充実」という問題につきまして、東亜大学通信制大学院教授でいらっしゃいます塩野宏先生においでいただいてお話をお伺いすることであります。

 それから、2番目は「国民がより利用しやすい司法の実現」及び「国民の期待に応える民事司法の在り方について」の意見の交換を、前回に引き続きまして今日も行いたいというように考えております

 それでは、最初に早速ですけれども、塩野先生からお話をお伺いしたいと思います。

 塩野先生、本日は本当にお忙しいところおいでいただきまして、どうもありがとうございます。厚く御礼申し上げます。

 塩野先生について簡単に御紹介申し上げますと、昭和6年に東京でお生まれでございまして、東京大学法学部を御卒業され、48年から東京大学法学部教授、61年から法学部長をお務めでございます。成蹊大学教授を経て、現在、東亜大学通信制大学院教授というお立場でございます。

 御専門は申すまでもなく行政法でございまして、政府の各種審議会等で幅広く御活躍であるということは御承知のとおりであります。特に、行政手続法、それから情報公開法の立案に関しまして中心的な役割を果たされました。

 今日は、40分から50分ぐらいお話をちょうだいして、その後、40分ないし50分ぐらい質疑応答を行いたいと思っております。

 それでは、よろしくお願いいたします。

【塩野氏】御紹介にあずかりました塩野でございますが、御紹介にありましたように、長年行政法の研究教育に当たってまいりました。その間、行政事件訴訟についても多少の勉強をしてまいりまして、今から4年前の1996年に行政事件訴訟法の改革問題を対象としました「行政事件訴訟法改正論議管見」なる小論を公にしたことがございます。皆様のお手元に届いているかと存じます。

 また、その他行政裁判に関するものも多少、公にしたことがございますので、そういったことで本日お招きをいただいたものと存じ、かつ、私の意見を述べる機会を与えられましたことを感謝申し上げます。

 私に与えられましたテーマは、当審議会の検討項目の1つである「司法の行政に対するチェック機能の充実」との関連で、行政訴訟に関する問題状況の一般的な整理と、これに関する当審議会の意見交換、私の知っている限りでは、山本委員、髙木委員、そして吉岡委員があるいは御発言になっているかというふうに思います。こういった意見交換の内容を踏まえたコメントということでございます。レジュメを用意いたしましたので、それに沿ってお話を進めることにいたします。

 当審議会の意見交換においても、とりわけ髙木委員から、海外の調査などを基にして、現在の日本の行政訴訟につきまして厳しい批判がなされています。また、学会、弁護士会を中心とする実務界におきましても、現在の行法訴訟法について運用上、制度上の問題があるということが指摘されております。

 ただ、当審議会の今後の審議を深めていただくには、単に欠点と思われるところの指摘だけではなく、その背景事情としての日本の行政訴訟制度の特色について、簡単ではありますけれども、御説明するのが適当ではないかと思いまして、こういったレジュメの順序に沿ってお話しするということを考えました。

 日本の行政訴訟制度の特色を見ますには、明治憲法以来の歴史を簡単に見ていく必要があります。明治憲法の下でも、行政活動によって権利を侵されたものは裁判所に訴えて救済を求めることができました。その救済に当たる裁判所は、しかし、東京の紀尾井町に全国にただ1つだけ置かれた行政裁判所でございました。紀尾井町というのは今の文春ビルの立っているあの辺に行政裁判所があったというふうに聞いております。

 つまり、民事、刑事の裁判を担当する司法裁判所とは全く別の系列の裁判所、その意味で並立と書きましたが、行政裁判所があったわけでございます。これは、レジュメにもありますように、フランス、ドイツの大陸法の系統を日本に導入したものでございます。この行政裁判所も、したがいまして行政権の一環としての地位を占める。これが通常の行政活動のコントロールをしていたということになります。その裁判官は、評定官と呼ばれ、出身については、行政官から採用された者、裁判官から採用された者、この比率は3対2であったというふうに物の本に書かれております。

 その意味で、行政の自己コントロール、第三者性というのは果たしていかがなものかという点は当時からもございました。また、裁判制度としても、いろいろの点で国民の権利利益の救済という面から見ると欠陥の多いものであるということが、当時から指摘されておりました。

 なお、そこに「国家賠償制度の不存在」と書いてございますけれども、この国家賠償制度は明治憲法の下では認められていませんでした。今では、およそ考えられないことなのですけれども、公務員から職務上暴行を受けたというようなことがあったとしても、国家からの賠償を認められませんし、また、それが公権力の行使である限り、当該公務員からも損害賠償は受けられない、全く泣き寝入りの状態にあったということでございます。それで、河川が溢水しても、そこから水害が起きても、国家からの賠償は受けられないといった状況でございました。

 日本国憲法の下では、ここら辺が非常に改善されました。つまり、行政裁判所は廃止され、その代わりに従来、民事、刑事事件を扱っていた司法裁判所の裁判官、裁判官というと語弊がありますが、要するに、裁判所が行政のコントロールをすることになりました。これは、従来の大陸法的な行政国家システムではありませんで、法の支配の原理に立つ英米の主義を導入し、その限りで日本は司法国家、司法裁判所の司法に国家と付けまして、司法国家となったのだと言われているわけでございます。これはそこに書いてありますように、アメリカ、イギリスのシステムでございます。

 ところが、それでは完全に英米のシステムを取ったことになったかというとそうではありませんでした。すなわち、明治憲法当時に、行政裁判所が審理判断していたものを行政事件というふうに言っていたのでございますけれども、この行政事件、つまり行政に対する私人の不服申立てに関する訴訟、これは私人間の訴訟とは異なった類型に属するものであるという考え方は、明治憲法から日本国憲法に移り変わりましても、そのまま維持されていたわけでございます。

 昭和37年に制定され、現行法でもある行政事件訴訟法は、このような考え方の下に成り立っているものでございます。

 更にそれが、明治憲法の下で考えられていた行政裁判制度の改革、これは美濃部達吉先生が中心になって、大正年間から考えられていたのですけれども、遂に明治憲法の下で実現されなかったということがございました。こういった長年の懸案であった行政裁判の改革がようやく日本国憲法の下で日の目を見たという意味を持っております。

 そこで比較法的にはやや奇妙な現象が生じました、これは日本ではしょっちゅうあることなんですが、ここだけ奇妙な話ということではなくて、こんなことはよくあるんですけれども、司法裁判所が行政と私人の法的紛争を処理する、一元的に裁判所がコントロールするという限りでは英米系統、アングロサクソン系統でありますけれども、行政事件に特有の統一的訴訟法をつくるという限りではドイツ的であるというわけでございます。英米流の法の支配と、ドイツ流の法治主義あるいは法治国家原理がそこで接ぎ木されているわけでございます。

 このことが実は行政事件訴訟法の運用にもかなりの影響を及ぼしているようにも思われるところでございます。

 それが2の話になるわけでございますけれども、その前にもう1点、国家賠償制度との関係で付け加えますと、そこにありますように、明治憲法の下で認められておりませんでした国家賠償制度が日本国憲法の下では国家賠償法という法律ができまして、それによって整備されました。ただ、これは日本法の下では、行政事件ではなく、民事事件、通常の民事事件として取り扱われておりますけれども、行政救済制度を考えるには、この日本国憲法の下で国家賠償制度がどのように運用されているか、行政訴訟との役割分担がどのようになっているかということにも配慮する必要があるというふうに思われますので、付け加えた次第でございます。

 そこで、次に②に入ります。ここで「制度設計及び運用上の基本的視点」と申しますのは、日本国憲法の下での司法裁判所が審理する行政事件訴訟が、具体的にどのような基本的視点の下に制度設計され、かつ運用されてきたかという基本的視点、あるいは立脚点ということでございます。これについてはいろいろな見方もあるかと思いますけれども、私がそこに書いておきましたように、2つの視点がこれまでの制度設計及び運用の基本を形成してきたというふうに見ております。

 1つは、国民個人の権利利益の法的救済制度へ純化するということでございます。つまり、行政裁判所に行政活動の自己コントロール、これが旧来の明治憲法以来のシステムだったわけですけれども、まさに通常の裁判所である司法裁判所で扱う以上、これを紛争解決の意義、あるいは紛争というのは民事紛争をモデルとするということであります。

 つまり、行政と私人の紛争だけれども、結局のところは人と人、ここの場合国家と個人の権利関係の紛争、つまり法的紛争であり、したがって、民事法的な意味での法的解決になじむものでなければならないというものでございます。これを主張したのが、私は、民事訴訟法学の兼子先生であるというふうに理解をしております。

 兼子先生をここで御紹介するまでもありませんけれども、日本の民事訴訟法学の解釈学で最も代表的な先生であります。

 したがって、その人個人個人の権利、利益の紛争ではない、公共的利益に関する紛争、これはいろいろなものがございますが、例えば、戦後事件になっているものでは、例えば文化財を守るかどうかといったようなものについては、あるいはどこかの山奥の動物を守るかどうかといったような話は、これは主観的紛争に当たらない。こういうものは客観的紛争、つまり、客観訴訟であるということで、これは法律に特別に定めがない限り許されない。また、主観的紛争であれ、客観的紛争であれ、判決によってきちんと解決ができないような紛争、例えば、行政指導みたいなものを持ってこられても、それは困るということになります。この制度にはなじまないということになります。それで、「主観訴訟と客観訴訟の峻別」というふうにちょっと強調して書いておきました。

 いま一つが司法権の限界論というものでございます。それが2番目でございますが、この司法権の限界論は、行政法学者で最高裁判所の判事もされました田中先生が一貫して強調されてこられたものでございます。これは要するに、行政裁判制度が廃止され、その限りで日本が司法国家となった。これは大変重要な意義を有するんだけれども、その司法裁判所はかつての行政裁判所のように、行政活動に対する全般的な監督権を行使することはできない。司法の観念に伴う当然の制約がある、これを侵すことは権力分立に反することになる、というふうに議論を進められるわけでございます。

 田中先生はここから更に、行政庁の第一義的判断権の尊重、まず行政が何らかの行為に出る。それまでは、みんな黙って見ていようというお話でございますが、そういうことですから、義務付け訴訟は消極的に評価する、行政に向かって何々をせよというような命令はできない。それから、行政に向かって、新たにこういうことをしてはいけないというようなこともいけないということになります。

 それから、自由裁量行為については、裁判所はみだりに裁量を侵すような審査権を行使してはいけないということを付されたわけでございます。

 この2人は、戦後の民事訴訟法学あるいは行政訴訟法学全般をリードされてこられた方でございますけれども、この現在の行政事件訴訟法の制定過程も実はこの2人の方によってリードされ、あるいは形成されてきたといってよろしいかと思います。制度設計のみならず、実際の運用にも大きな影響を与えることになります。

 この2人の考えは、民事訴訟法と行政法それぞれの学問的立場からのものでございまして、理論的にはむしろ対立するものがございます。詳しいことは申しませんけれども、行政事件訴訟法で行政法の立場と民事訴訟法の立場が拮抗して、なかなか折り合いがつかなったという点も幾つかございます。

 そういう意味で、理論的には対立するものでありますけれども、裁判権の限界と申しますか、要するに、裁判とはこういうものだという点では、官主導の下で日本の復興を図る行政にとっては、この2人の考え方、両方とも大いに歓迎されるというか、あるいは、裁判権の限界というのは当然のこととして、行政側には理解されたということはございます。

 それから、それにとどまらず、民事裁判官によって形成されている日本の裁判実務にもこれは大変受け入れやすかったということになります。

 そして、おそらく、この2人の先生方が予期されていた以上に、実務に律義に取り入れられたものというふうにも見えるわけでございます。その点の具体的な在り方は、2の「行政訴訟の現状」のところで申します。

 そこに入る前に、もう一つ準備体操として行政訴訟の基盤、あるいは行政訴訟の環境整備といったことについて簡単にお話しいたします。つまり、これは何を考えているかというと、行政訴訟制度を支える環境が日本ではどのようなものであったか、あるいはあるかということで、これが行政訴訟の現状を語る上でも重要かと思われます。そこに書いてあることをごらんになればおわかりいただけると思いますけれども、まず最高裁には行政専門の部はないということは御承知のとおりでございますが、高裁、地裁に関しましても、通常の民事部が裁判を行いまして、例外的に東京地裁と大阪地裁に特別の部があります。ほかには特別の部は一切ございません。なお、最高裁判所は今申しましたように行政事件だけを扱う特別の法廷はありませんけれども、行政局や調査官室がありまして、そこには行政調査官がおります。そして、専門的に行政事件を取り扱っております。ここは言わば行政事件に関する日本有数のシンクタンク、あるいはシンクタンクとしては最高のものであるというふうに見てよろしいかと思います。

 法務省には、訟務局、行政訟務一課、二課と、それから租税訟務課があります。地方の出先機関として訟務局の訟務部がここに書いてあるようにございます。これもまた有数なシンクタンクでございますけれども、これは最高裁のそれとは違いまして、専ら被告である国の側のシンクタンクであるという限界がございます。

 それから、地方公共団体には、そこに書いてありますように、特別の定めが地方自治法にありませんので、東京都のような大きなところでは、訴訟に関する特別の部局があるようでございますけれども、通常のところでは何らの組織もないと思われます。弁護士に関して私はよく詳細を承知しておりませんけれども、行政訴訟に通暁している方はごく少数であると聞いております。

 それから更に民間に国民のための行政訴訟に関するシンクタンクはありません。こういったところからも推測されることなんですけれども、例えば、行政訴訟が提起されましても、原告側代理人は行政訴訟を扱う経験の浅いあるいは経験のない弁護士、被告側は行政事件を専門とする訟務検事、そして、行政法、行政訴訟をおよそ今まで取り扱ったことのない、そして更に言えば、行政法の講義、試験を全く受けたことのない裁判官がこれを審理、判断するということがあっても、少しもおかしくはないという状況でございます。そこで下級審判決が行政法学的に見ると不満であるものが、最高裁判所になって初めてそのシンクタンクの一員である行政調査官の目を通すことによって、最近の学説にも配慮した判決が生まれてくるという状況が昨今、しばしば見られるようになりました。

 別な言い方をいたしますと、下級審では、およそ昔流の議論がなされているところに、最高裁判所になって、初めて、ああ、こういった我々の言っていることもちゃんと聞いているなという趣旨の判決が出るようになったということであります。

 以上を前提にいたしまして、行政訴訟の現状に入らせていただきます。

 行政訴訟の現状はこのような歴史的背景、あるいは訴訟制度の環境を前提としたものであると言えます。

 現状とはどのようなものであるか。ごく荒っぽいものですが、比較法的視点も加えて重要な問題だけを取り上げておきます。

 まず行政訴訟、特にこれは取消訴訟ですが、ここで「利用条件」と言いますのは、専門的には訴訟要件ですが、これにも国民の使い勝手というところからいたしますと、裁判管轄とか出訴期間、あるいは印紙代などいろいろございますけれども、ここでは訴えの利益について触れておきます。

 この点は、髙木、吉岡各委員の意見、あるいは山本委員の意見にも入っていたかと思いますけれども、各方面で指摘されているところですが、ごく概括的に申しますと、日本はその訴訟要件のバリアーが、結果的には英米、独仏に比べて高いと言えます。よくレーダーアンテナみたいなもので出っ張っているとか、丸いとかいうのがありますけれども、日本のは全部真ん中の方に小さく縮こまっていて、どこにも優れたところがないという状況でございます。

 これは原告適格・処分性・狭義の訴えの利益についてそれぞれ言えることでございまして、言い替えますと、古典的な税務訴訟とか営業免許取消処分、こういったものについては、行政事件訴訟法はそれなりに対応しておりますけれども、つまり昔ながらの行政訴訟についてはそれなりに対応しているけれども、保護法益が広がっている現代型訴訟、環境訴訟であれ、あるいは消費者訴訟であれ、そういったものについては、どうもきちんとした対応ができていないということが言えます。

 問題は何故そうなったのかということでございます。大変月並みな表現ですけれども、これまで申し上げた行政訴訟の歴史的発展、その下で形成された支配的学説とそれに呼応する行政実務、裁判実務の基本的視点、そして、それとの関係における行政訴訟の環境の在り方、これが相互に関係し合っていると思われるわけでございます。

 この2番目の、②の「裁判所の審査密度」の在り方というのは、裁量処分についての審査の在り方ということであり、ここはなかなか説明が困難なところなんですけれども、ドイツのように行政裁判所が踏み込んだ審議をするところもあります。ドイツの場合には、各ラントごとに行政裁判所があり、更に上級行政裁判所があり、更にベルリンに連邦行政裁判所があり、そこで専門の裁判官がそれだけを、行政事件だけをやっているということで、かなり踏み込んだ判決をいたします。他方、アメリカのように実体には余り踏み込まない。ディスクレッションの部分には余り踏み込まないんだけれども、手続について厳密にこれをコントロールしていくという、手続的な統制の手法を駆使しているところもございます。

 日本の場合には、お話をいたしましたように、いろんな前提条件があるものですから、実体的コントロールについては、どうも裁判所は逡巡するところがあります。ところが、法の支配の根底を成す手続的なコントロールというところはまだなじみが薄いということで未成熟だというわけでございます。つまり、ドイツ型か英米型かに割り切っていないところから、すくんでいるという現象が見られるということでございます。

 それから、「③個別法の未発達」という点についてですが、今まで申し上げた現状は行政事件訴訟法という一般法の適用のものでございますが、行政事件訴訟法は、客観訴訟というカテゴリーを設けまして、訴えの利益を個別法で広げる道を開いております。また、あえて客観訴訟と言わないまでも、行政事件訴訟法の枠の中でも、個別法により訴えの利益、特に処分性ですが、これをある程度拡大することは可能でございます。

 しかし、日本では個別法は余り発達していません。例えば吉岡さんも主張しておられた主婦連のジュース表示訴訟のような類型についても、立法的措置の必要は説かれているのですけれども、立法化されておりません。

 そういったように行政訴訟の道を拡大する立法を政府提案、閣法と言っておりますが、閣法の中に期待するのは、これまでの各省の態度からする限り、はなはだ困難であるということを現実に示しているところでございます。自分から他の省を尻目に飛び抜けていって、国民の司法への取り組みを容易にするということは、環境庁以外には考えないことでございます。むしろ、各省はいかにして訴訟に乗らないように法律を仕組むか、あるいは裁量をいかにして確保するかというのが関心であったとも、これはあえて邪推と申しますが、邪推したくなるところでもございます。

 この点、例えばドイツなどでは、行政訴訟自体の枠組みは日本とそんなに変わりありません。別の言い方をしますと、日本はドイツの真似をしたということになりますが、団体訴訟を認める法律があるなど、個別法でかなり対応しているところがございます。

 それから、現状を示す件数としてよく用いられますのが、受理件数、却下率、勝訴率と言ったようなものでございまして、これがけた違いに少ない。却下率が多い、勝訴率が少ない、出訴率が少ないという数字が挙げられて、もう日本の行政訴訟は絶望的だと嘆く方もおられます。

 このことが日本の行政事件訴訟自体の問題なのか、周辺の環境の問題、つまり裁判制度がきちんとしていないというような問題であるかは簡単には言えません。

 それから、また、環境の問題としても、日本では行政苦情処理というのがありまして、オンブズマンという、今の市民オンブズマンではなくて、官制の和風オンブズマンというのがいるわけですけれども、それこそ相手方との話、行政指導がその典型であるとか、相手方との話し合いによる解決というように、日本的な紛争処理のシステムと言いますか、紛争が裁判所まで持ち上がらないようなシステムがあるということでございますので、数字だけで悲嘆にくれていても余り意味はありません。

 更に申しますと、もう少し弁護士がしっかりしていれば、被告を間違えたり、あるいは出訴期間を徒過したりして却下されることはないんだろうにという感想を、判例研究などでやっていますと、持つこともございます。

 ただ、行政事件訴訟は必ずしも有効に使われていないと、これは言えることでございまして、ドイツに比べてもほかの国に比べても、訴訟が利用、活用されていないということは言えるわけで、これから我が国の全体の仕組みを考えていくに当たっての反省材料となる数字であることは言うまでもございません。

 以上は現状として国民の利益の、裁判所の救済制度ということについてでございますけれども、これを全体として見る場合には、先ほど申しましたように、国家賠償制度をも視野に入れる必要があります。この国家賠償の方は、当初の予測以上に利用され、救済手段として機能しているという面がございます。これは賠償請求権自体は実体法上の権利そのものでございますので、民事裁判官の審理になじむ。

 それから、行政庁の判断を先取りするものではありません。行政庁がなにがしかの行為をした後に、損害賠償の審理をするものですから、裁判所もかなり意欲的に取り組んでいると。民事裁判官の審理判断になじむ領域であると思われます。

 大阪国際空港訴訟で、差し止めそれ自体は認めなかったけれども、損害賠償を認めたのがその典型例でございますし、いわゆる天然痘の予防訴訟等でも、最高裁判所はこの救済の方法を国家賠償という道で認めているところでございます。

 国家賠償はフランスが最も手厚いものでございますけれども、日本も英米に比べると手厚いものがあるわけで、日本の救済制度全体として絶望的であるということはないと思います。

 もう一つ、行政訴訟に限って申しますと、運用上であれ、政治的であれ、改革の検討を要する事項が多数に上がっているということは、先ほどちょっと紹介しました「行政事件訴訟法改正論議管見」のところでもしてまいりましたし、それから日本公法学会でも論じてきたところでございます。

 最近、日本弁護士連合会に行訴法改正協議会というものができまして、このところで鋭意検討を進めておられ、何人かの方が具体的な提案もしておられます。改正協議会自体からも、市民に見やすい行政訴訟制度改革をということで、具体的な提案をしておられます。ただ、その改革を要する結果を招いている原因については、複数の要素が複雑に絡み合っている、という点には注意すべきであると考え、また、それが今後の日本の行政訴訟の問題点と改革の手順に関係してくると考えます。

 そこで最後のⅡに入ります。

 ここでは先ほど現状として申し上げたところをもう少し具体的に、制度のレベルに落としたときの問題点をお示しすることになります。ただ、一応先ほどから申し上げているところですので、重複するところもありますから、ごく簡単に申します。

 まず問題点で、通常行政訴訟上の問題点ということですが、昭和37年に制定されました行政事件訴訟法は、東京に1つしかなかった行政裁判所を持っている行政裁判法、それから、専属管轄制度を取っていた行政事件訴訟特例法、これは戦後早くから昭和37年まで妥当していた特例法なんですが、これらに比べますと、市民と申しますか、原告に配慮したところが多々ございます。

 それから、訴願前置主義に代わり自由選択主義を取ったこともそうです。ただ、その改革の視点が市民の使い勝手といったところまで及んでいたか。あるいは目線が国民、あるいは通常の市民、あるいは日本の弁護士という点にまで及んでいたかというと、どうも必ずしもそうではありません。より理論的な見地、あるいは行政の便宜の見地が支配していたと思われます。被告適格を行政庁としたことにもそれが表れているところでございます。

 そこで視点を市民の面から見て、行政事件訴訟法の使い勝手を再検討することが重要であると思われます。具体的には裁判管轄が、今のように、原則として処分庁ということでよろしいのかどうか。出訴期間が3か月でよろしいのかどうか。被告適格、被告行政庁が現在のままでよろしいのかどうかといった問題があります。

 更に基礎的な環境整備の問題として、行政事件について、より専門的な審理が可能になるような、あるいはより丁寧な審理が可能になるような、あるいは行政側の一方的な押しまくりに負けないような、そういった裁判所をつくる。つまり、裁判所における行政専門部の充実ということも是非検討してほしい問題でございます。これは、これから申し上げる現代型行政訴訟に限らず、およそ一般的に行政訴訟に通ずるところでございます。

 2番目の「現代型行政訴訟の問題点」ですが、原子力発電とか都市建設、空港建設、消費者訴訟、こういったいわゆる現代型訴訟については、昭和37年の行政事件訴訟法の立案当時、どうもそんなことまで検討されていなかった、思いを致していなかったということは、立案に関係されました故雄川一郎先生、東大で行政法の講座を担当しておられた、それこそ行政訴訟法の専門家中の専門家でしたが、この雄川一郎先生が後に述懐をしておられます。処分性、原告適格に関する不満もかなり、現在型行政訴訟に集中しているところがあります。

 この点について、最高裁判所も原子力発電のような国民の生命、健康に直接何らかの被害を及ぼす恐れがあるようなものについては、これは原告適格をかなり広く認めるということで対応しておりますけれども、都市計画のような、段階的に都市計画決定があり、用途地域の指定があり、というような、段階的な決定につきましては、処分性、原告適格双方に厳しいものがあります。

 また、余り細かなことは申しませんけれども、原子力発電など、行政訴訟もきくし民事訴訟もきくというようなことで、両者の役割分担が問題になるようなものもございます。これも要検討課題ということになります。

 「④行政事件訴訟の基本的構造の検討」と申しますのは、先にも説明しましたように、田中理論に表れているような行政庁の第一次判断権を尊重する、これは訴訟類型から申しますと、取消訴訟中心主義ということでございますが、そういうふうにつくられており、また、運用にも取消訴訟中心主義が非常に強く出ております。しかし、これはかなり日本的な権力分立観に支えられたものでありまして、現在の比較的法的検討には耐えられないものがございます。つまり、行政に何事かを命令すると権力分立に反するとか、あるいは前もって行政の処分に待ったをかけるというのが権力分立に反するという主張は、イギリス、アメリカ、ドイツでもなされておりません。ただしフランスには多少その傾向があるようでございます。

 また、訴訟審理の在り方につきましても、国民が自己の権利・利益を主張しやすいような配慮を、これは挙証責任の問題とかいった点について、制度的に配慮すべきかどうかという問題がございます。

 それから、「④国家賠償との役割分担」ということですが、先ほどから申しておりますように、2本立てで救済システムができております。これは現在のところ、かなり相互に無関係に両者が走っているところがございますが、ドイツ、フランスでは、両者の関係を考慮に入れたシステム形成がなされているというふうにも見えるところがありますので、この2つの役割分担の整理が検討課題の1つということになります。

 以上の点を考えるに際しまして、最後に⑤として、「司法裁判所による行政のコントロール」について、もう少し掘り下げて考えておく必要があります。

 つまり、一口に申しまして、行政の司法的チェックという場合にも、その含意するところは決して一様ではございません。行政の司法的チェックと言うけれども、つまり兼子理論のように個人の主観的利益の法的救済という一方の極から、個々人の利益ということには関係なく行政の適法性の維持という一方の極に至るまでの幅があるわけでございます。その幅の中には、例えば消費者団体というものも入ってくるでしょうし、地域住民という観念も入ってくるでしょう。こういった非常に広い幅がございます。

 法的には憲法上の司法の観念、あるいは裁判所法上の法律上の争訟の観念が中核になりますけれども、この中核の解釈自体に幅がありますし、更に行政のチェックのために司法にプラスアルファを期待すること、つまり、一般的な監督権的なものを司法に期待するということが立法政策上妥当かどうか。仮に立法政策上妥当といたしまして、日本国憲法上これが一体どこまで許されるのかという問題がございます。

 こういった行政に対する司法のチェック機能を充実すべきというのは、当審議会でも髙木委員の問題意識として提出されているようでございますけれども、立法政策上どの辺りを目指すかという点、あるいは、憲法論上それがどうなのかという点については、慎重な考慮が必要であると思われます。

 そこで最後に「2改革の手順」ということで、まとめの方にだんだんに入らせていただきますが、このように行政事件訴訟法に多くの改善すべき点がございますが、それを実現していく過程での留意事項がございます。それが2の「改革の手順」に取り上げた問題でございます。

 国民の権利・利益の保護とか、行政の適法性とか合目的性の確保とか、いろいろシステムがありますが、行政事件訴訟だけを他の制度の動向から切り離して論ずるということは適切ではありません。日本の場合ですから、更地で行政事件訴訟だけを描くということはできないと。

 この点との関連では、①のところに書いてありますように、平成5年から施行されました行政手続法の運用状況をどう見るか。来年施行される情報公開法の運用をどういうふうに見ていくか。それらと行政事件訴訟との関係をどういふうに整理していくかという問題があります。

 つまり、この2つは行政訴訟の審理の在り方に大きな影響を及ぼします。裁量統制について日本の裁判所は不十分だということがありましたけれども、今度の行政手続法で、審査基準あるいは処分基準がきちんとできてまいりますと、裁判所の審議の仕方は非常に違ってくると思います。

 それから、訴訟の資料が出てこない、ということですけれども、手続法で当事者も文書開示請求権というのが出てまいりますし、それから情報公開請求でかなりの資料が出てくるということになりますと、審理の在り方が違ってまいりますし、裁判所はもっと大変になると思います。資料が出てきてしまうということで大変な負担にもなろうかと思います。

 更に、既に一部研究が進められております、行政不服申立制度の改正の動向にも留意する必要があります。また、行政改革会議では行政審判というものをお考えのようにも聞いております。こういったものとの関連を整理しておく必要があります。

 ②ですが、これは先ほど来、繰り返しているところでございますけれども、行政訴訟制度の周辺の環境整備が十分ではない、むしろそれが先決ではないかという問題意識を示しております。

 1つの例を申しますと、管轄の点を十分にらみながら、全国に行政訴訟専門の部を地裁レベルで配置できないかという問題もここに入るわけでございます。

 ①、②に関係しますけれども、行政訴訟の改革は、必ずしも行政事件訴訟法それ自体に限られるものではありませんで、当面は行政訴訟の解釈、運用で解決するのになじむ、あるいは裁判所組織の改編でも可能なものがあるかもしれません。この辺は学者の間でも議論が分かれているところでして、例えば原告適格については、もう少し裁判所の動きを見た方がいいのではないか、最高裁判所はかなり広げつつありますので、もう少しそれを見た方がいい、あるいはそれができるような環境整備をした方がいいという意見もございます。その辺りの整理をする必要があります。

 ④の「個別法と一般法の関係」というのは、個別作用法で例えば都市計画などの領域で、個別に現代型訴訟に対応するということが考えられます。これは場合によっては、行政訴訟とのタイアップを必要とするかもしれませんが、環境保護団体とか、消費者団体等の団体訴訟を個別法で一つひとつ整理していくのか。あるいは、現在、客観訴訟として機関訴訟というのがありますが、それと同じような意味で、一般法である行政訴訟法で団体訴訟というカテゴリーを設けて、受け皿を一つ設けておくというのも一つのやり方でございます。

 これまで個別立法に対する期待は裏切られてまいりました。ただ、今後の我が国の改革の方向として、国民の側の意識が変わると、あるいはすべて法律は役所がつくるものだと決め付けないで、消費者団体であれ環境団体であれ経済団体も、あるいはそれぞれ自分の手づくりの法案というものを持って立案過程に参画していくということになりますと、国会の立法機能の拡大ということにもつながりますし、あるいは腰の重い各省庁の腰を上げさせるということもあり得るわけで、これはもう少し期待度を高めてもよいのではないか。ドイツでもアメリカでもそういう例は幾らでもございますので、もう少し期待度を高めてよいのではないかと思います。

 最近でも、地方自治法で国と地方公共団体の紛争について裁判的解決を図る制度がつくられました。裁判所が受け付けないということではなくて、国と地方の紛争でも裁判所が受け付けるという制度がつくられました。

 それから、情報公開法において裁判管轄にも特例が認められました。日本でもこの道を探ってよい状況が生まれつつあるということも考える必要があります。

 「⑤段階的改革」というのは、要するに行政事件訴訟の改革に当たり、一挙に、短時間に解決するのはなかなか難しいものもあるかもしれない、あるいは適切でないものもあるかもしれないという認識を基本に置いたものでございます。最初に触れました私の「行政事件訴訟法改正論議管見」という小論もこういった視点を含めて書かれたものでございます。

 つまり、国民の使い勝手という見地から、改善できるものは速やかにこれを実施していく。行政訴訟の基本的構造など、多少時間の掛かるものは休まず検討を進めていく。それまで待たないでとにかく検討を始める。しかし、休まないという戦略でございます。

 簡単に言えば、2段階方式、あるいは3段階方式というものでしょうか。勿論、何から手を付けていくべきかで学者同士、あるいは弁護士会と学者でもいろいろな議論が起こるかもしれません。

 それから、簡単なことだけ解決をして、大事なことは先送りにする、あるいは結局何もしないという恐れがあるという御指摘があるかもしれません。

 私は連続して検討を続けるという体制、これがしっかり整えられて、更にこれについて国民の監視の目が引き続いて及んでいくということであれば、こういったデメリットの指摘は何とか乗り越えることができるのではないかと考えるわけでございます。

 時間が大分経ちましたので、後2、3分で終わらせていただきます。「おわりに」というところでございます。

 以上、行政訴訟の改革問題について日ごろ感じていることを申しました。最後に、行政訴訟改革は、行政改革の仕上げの一つである。司法改革ということはこちらでやっているわけですけれども、行政改革の一つであるということも付け加えておきたいと思います。

 すなわち、行政改革には公務員の数を減らすといった問題とは別に、日本の行政スタイルの変革という重要な側面があります。官民ともに行政指導に寄り掛かってきた行政運営、行政スタイルを改めて、民の自己決定を重視した透明な行政運営を行うというものであります。それがもう一つの重要な側面であると思います。その表れが規制緩和であり、あるいは行政手続の整備であり、情報公開の充実であります。民の官に対する不満、あるいは民と官の紛争は、従来のいわばなあなあ主義、お任せ主義ということではなく、法的な解決へと大きくシフトしていくというのが筋であります。その際、行政訴訟手続が従来のような状況であってよいかどうか、これが現在問われているところであります。

 行政事件訴訟法の改正問題は、従来は学会内部、あるいはこの問題に関心を持つ一部の弁護士の方々の関心の対象にとどまっていました。しかし、今申しましたようにこれは司法改革、行政改革の重要な一貫、あるいは行政改革の仕上げの一つとして位置づけられるべきものでございます。

 そういうことで、当審議会におかれましても、論議を深めるべく、よろしく御審議を賜りたく存ずる次第でございます。

 以上、持ち時間も大分過ぎたようでございますので、終わらせていただきます。

【佐藤会長】歴史的背景、あるいは全体の構造について非常に明快・簡潔にお話しいただきまして、ありがとうございました。

 先生のお話につきまして、質疑に入りたいと思いますけれども、御意見を開陳されて、それに関連してお尋ねになってもよろしゅうございますし、趣旨についてどういうことかということでお尋ねになってもよろしゅうございますので、どうぞ御自由に御審議いただければと思います。

【吉岡委員】今、先生のお話の中で、私どもの裁判にもお触れいただきまして、お話しいただいたわけですけれども、私、団体訴権のことで非常に関心がございまして、庶民が裁判に関わるという場合に、どうしても消費者団体等による訴権というものが認められていかないと、非常に難しいのではないかと考えておりますが、その団体訴権を個別法に期待度を高めてもいいのではないかというお話でございましたけれども、個別法の立法に当たりますと、例えばごく最近でき上がりました消費者契約法でも議論の段階では団体訴権を認めるべきではないかという消費者団体等の意見がありましたけれども、それは個別法の中で認めるということが言えないという学者の方々の御意見も強うございまして、その辺を踏まえて、もう少し団体訴権について御意見伺えればと思います。

【塩野氏】団体訴権も2つの意味がございまして、1つは、個人個人の消費者にとっては非常に少額で、個人個人が裁判所に出ているのは大変だということで、主観的な共同訴訟でもいいんですけれども、それよりもむしろ団体をつくって、ある種匿名性を保証して、団体の名において訴訟するというのが1つ。

 もう一つは、個人個人の利益まで問わないでも、例えば環境保護団体、あるいは文化財保護団体といったようなもの、特に文化財保護ですと、個人の利益などはないわけです。土産物屋は別にして、あるいは学問的な興味は別にして、個人個人なかなか分解できないものがございます。そういう意味で、団体固有の活動ということで団体訴訟を認めるかという2つの問題がございます。

 前の方はアメリカなどでやっているクラスアクションとか、いろいろな制度が日本でも考えられているんですけれども、これは民事にも共通するところで、おそらく民事の方でいろいろあると思うんです。民事でこれが通ると、かなりこちらも通るということがあるんですけれども、そこはよく考えてみてください。

 もう一つ、団体訴訟、これは例えば環境団体を、ドイツ辺りでは環境団体を指定するんです。これには訴権を認めるという形で、私はドイツの環境法以外にも、消費者関係でもそういうのがあると聞いております。それは全く個人個人に還元できないけれども、公共の利益ということで団体に訴権を認めるという2つの類型がございまして、前の方は民事でも動きそうですが、後の方は行政訴訟プロパー問題になります。

 そこで、これがなかなか日本ではできないというのはおっしゃるとおりで、ジュース表示訴訟以来長年苦労しておられて、私もなかなか見通しはないんですが、理論的には立法個別法で解決するのが筋であろうと。なかなか解釈論でここまで行くのはなかなか難しいということがございます。

 もう一つは、今までの各省が相手ではなかなか難しいんですけれども、並列のところで、経企庁だけぽんと前に出るわけにいかないです。実はこれ一種の反省の材料にもなりますけれども、情報公開法で裁判管轄を住民の方にも認めると、佐藤さんとさんざん議論をしたんですけれども、私ども行政法学者は行訴法の改正をにらんでいたものですから、情報公開法だけ飛び出るというのはなかなか難しいだろう、法務省を納得させるのも困難なんだろうと考えておったわけです。

 それはまさに私どもも多少役所的な考え方になれていたところがございます。いわんや学者ではなくて、一般の官庁に、あんたのところだけ、ほかの役所は尻目にかけておいて、いい子になりなさいと言ったって、そんな簡単にしてはくれない。

 ところが、昨今の情報公開法でもこういった裁判管轄という、ある意味では法務省、あるいは裁判当局の奥の院みたいなものですね。裁判管轄などなかなか立ち入れないところをぱっと政治が入ってきて、あれはたまたま政治が入ってきたわけですけれども、そうではなくて、国民の真摯な要求をくみ取るところからだんだんにできてくるという状況が生まれておりますので、私から見ますと、あきらめないでもうちょっと勘張っていていただきたい。

 しかし、その一方で団体訴訟があるものだという枠を行政法の中に置いておけば、この中に入れろという運動ができるのではないかという感じがいたしました。

 団体訴訟の場合にはもう一つ、判決の効力というのが問題になるんですね。ですから、団体訴訟での枠組みをつくって、判決の効果というのはこういうものだというところでつくっておきますと、各省も乗りやすいかなという感じはします。

【佐藤会長】情報公開法自体が20年、30年掛かったようものですからね。

【塩野氏】年月の長さからいきますと、行訴法は昭和31年に法制審議会が発足して、6年間掛かって、早かったなどということを言っているんです。行政裁判法は結局、大正年間から昭和はできなかったんですが、今の世の中でそれは許されないのではないか。佐藤さんにお任せしても、7年間任せるわけにはいかない。

【髙木委員】今の先生のお話で、先生自身も今の日本の行政事件訴訟に幾つかの御批判をお持ちとの意見を表明されましたが、私ども素人ですけれども、何故批判に応えられる処方箋が書かれないまま、あるいは書かれていても具体化されないのか。先ほどのお話だと段階的に改善をということですね。勿論、段階的にといってもいろいろありまして、ファースト・ステップ、セカンド・ステップまで含めて10年というのも段階でしょうし。先ほど来のお話あるいは先生の書かれた「行政事件訴訟法改正論議管見」というペーパーの中でも、かなり長いスパンで物事を考えなきゃいかんというお考えのように私には読めたんです。

 一方で、現に国民が被っている行政による不利益、あるいは行政に対する不服審査の中で、何か月以内と書かれているんだけれども、実態としてはそう回っていない現実がいっぱいある。そういった時間が掛かるという実態が、更に長く放置されるというふうに聞こえてしまうわけです。これは失礼な言い方になるかもしれませんが、先生も日本の行政法学会の中心的な学者として、行政事件の実態がこういうふうになっているということについて、いろいろお考えになるべきお立場じゃないかというふうに思うんですが、この辺は私の感じ方ですので、失礼だったらお許しを賜りたいと思います。そういうことを諸々考え合わせるにつき、段階的にやっていくという御説明では、乱暴に言わせていただけたら、将来もだめなのではないかという印象を持つんですが、いかがでございましょうか。

【塩野氏】その辺、あるいは私の説明不足であれば大変申しわけないんですけれども、段階的というのは、長いことやっていればいいという話ではないんです。別のことを考えたんです。つまり、いろんなものが入っていますと、これが片づかなきゃ何にも片づかないということでずっと延びてきているわけなんです。そうすると、いつまでたっても使い勝手がいいという、やろうと思えばすぐできるようなものがずるずる延びてくる。それはおかしかろうと。

 ですから、やれるものは、例えば審議するのに1年で審議してしまいなさいということ。この中で1年で審議できるものがあるかどうかというのは、これからいろいろ議論がありますけれども、タイムリミットを決めまして、とにかく最初のロケットは1年間でスタートさせなさい。2段階目はどのくらいだろうというタイムスケジュールをつくるということが私は重要だと思います。

 それから、もう1つは、今申しましたように、物には、頭で考えるときにいっぱい考えなきゃならない要素があるものと、そうでもないものとあるので、いっぱい考えなきゃならないのは、それはやはり考えないと。行政事件訴訟法というのは、一つの国の重要な基本的な法典でございますので、その根本について十分な議論もせずに簡単に解決することはできないと、そのことを言っているだけなんでして、それに5年掛けるとか、6年掛けるなどということは私は言っているつもりは全くありません。

 さっき申しましたように、昔ですと、法制審議会でゆっくり機の熟するまで議論をするというやり方が一時あったんですけれども、それが最近の法制審議会が非常にそのスパンが短くなってまいったということは皆さん御承知のとおりですし、また、これをどこでやるかというのは、あるいはこの審議会でずっとおやりになることもあるかもしれませんけれども、考えてくださいということと、だらだら掛けてやってくださいということとは全然話が違うというふうに御理解いただけませんでしょうか。

【佐藤会長】今のことに関連してですけれども、最後のところで、連続して検討する体制が必要だということをお話しになったんですが、具体的に何か制度的な仕組みのようなものをお考えでしょうか。

【塩野氏】具体的にはまだそんな恐れ多いことは。

【中坊委員】今、先生のおっしゃったことで、それではタイムスケジュールをだれがつくる、どこがつくるというふうに先生は具体的にお考えですか。

【塩野氏】球の投げ方だと思います。まず最初の球をだれが投げるか。

【中坊委員】先生が具体的に念頭に置かれているのは、例えば司法制度改革審議会が球を投げるというのは意味があるとお考えですか。

【塩野氏】そう考えています。私はそれほど権威のある会だと思っています。だから、球をしっかり投げていただきたい。

【鳥居委員】私は学校法人を経営している立場で、行政がこうしてくれなきゃいけないんじゃないかと思う問題に直面することがありますし、それから個人の立場でどうしてこうなんだという問題に余りにも多くぶつかってきましたので、本当に先生の今日のお話はありがたいと思います。ありがたいことを考えている学者がおられるんだなという気持ちで伺いました。

 私は、このまま放置しておくと、この問題は個人、あるいは市民の泣き寝入りがどんどん増えていく。この国の将来はその意味で非常に危険である。

 2番目には、行政の手続上の誤り等が累積していく結果、国づくりがおかしくなっていく。例えば建築基準法違反などというのがいつまでも放置されるということとか、そういった類のことが累積していって、例えば町の姿が歪んでしまうというようなことにつながっていく非常に重大な問題だと思うんです。

 私は、2点、個人的な自分の体験から、こういうことは先生のお話のように、行政事件手続法の方を改正しただけではだめなんじゃないかと思うようなことが感じられることがあるものですから、素人としてお話ししたいんです。

 1つは、もう10年以上前のことですが、双子の兄弟が某公立病院で白血病のドナーとレシピエントになったら、麻酔を打った瞬間にドナーの方が植物人間になった。植物人間になって約1年間生きていたんですけれども、死後に1歳と3歳の子どもが残されました。その地方公共団体は交渉に応じない。最後まで裁判で争ってください、交渉ではなくて裁判にしてください、ということでした。ところが、年老いたお母さんは気が狂ってしまいました。看病するだけがやっとで、3年目にその老母も死んだんです。結局、政治家にお願いして、政治的に解決したんです。そのときの地方公共団体の言い分は、是非最高裁まで争ってください、ということでした。最高裁まで争ったら1歳の子どもが25歳くらいになるんじゃないですか。子どもたちを育てられない。だから、政治家が間に入らざるを得ない。そういう事態が現実に起こるわけです。訴訟法の改正だけでは解決しない何かがあります。

 建築のことでも同様のことを経験しているんですが、とにかくめちゃくちゃな建築をしているのを区役所は黙認している。これは周りから見ていても危なくてしようがない。例えば3階建て以上は建てちゃいけないところに4階を建てたい。そこで、トレーラーハウスを持ってきて車輪が付いたまま上に乗っけちゃった。それを市民が抗議をする。そうすると、あれは合法だと言うわけです。弁護士の先生が行って、合法ではないですねと確認を取ると、あれは合法じゃないと認める。近いうちにどけさせますという話になっても、いつまで経っても実行しない。こういうことが次々と連鎖的に起きて、町を崩していっているわけです。これはどう考えても、建築基準法に違反していることが明らかな場合にはその撤去を義務づける、という法のしくみを作らない限り問題は解決しない。そういうことなんじゃないかと思うんです。

 素人でよくわからないんですけれども、どうしたらいいんでしよう。

【塩野氏】前の方はむしろ竹下さんの専門の分野、国家賠償ではございますけれども、病院でございますので、これは国家賠償ではなくて、通常民事訴訟になります。

 大変お気の毒なことであると思いますけれども、そういった場合に、法的な支援をどういうふうにしていったらいいかというのが今一つの大きな問題になっているところでございますので、行政事件訴訟法ではなかなかそれは難しいところがありますし、また、医療法でそれをどういうふうに書き込むかという点は、私、まだ考えたことはございませんけれども、恐らくそういった大変気の毒な人が出てきた場合の法律扶助の制度はまた別に考えるということだろうと思います。

 それから、建築基準法のことはいわれるのです。これは建築基準にとどまらず、日本は執行不全ということがよく言われるのです。豊島(てしま)の事件も執行不全の一番代表的なやつなんですけれども、要するに、本来、公権力の発動すべきところに発動していない。それをきちんと発動すべきだということが最近言われるようになりました。

 今からちょっと前までは、公権力で強制代執行をやろうとしますと、それは公権力の破綻だなどということを厳しい先生は言われたんです。すべからくそういうことは話し合いでやるべきなんで、伝家の宝刀を抜くなどということはもともとそれは間違いで、権力が破綻したんだということが言われた時代があります。それが今は様変わりしまして、むしろそういったものはきちんきちんと執行をして、不全状態から立ち直らせるべきだという意見が非常に強くなって、現実に裁判にも違法建築の除却命令を求める訴えというのがあるんですけれども、それは却下されました。それはそういった訴権はないということなんです。

 ですが、それをどういふうにしたらいいかというのは、一般法でそこまで書き込めるかどうかというのは議論の分かれるところだと思います。

 しかし、建築基準法では違法建築の違反がある場合には、除却を命ずることができるというのが建築基準法に書いてある。命じるかどうかは裁量であるという説明になってきました。

 裁判所はそれからだんだん進んで、国家賠償のレベルでは、スモン判決がそうなんですけれども、そのときにスモンの承認を取り消すかどうかは、基本的には裁量なんだけれども、ある状況が整えば裁量ではない。スモンの薬事法上の承認を取り消さなければ違法であるという判決が可部さんという有名な裁判官が第一審でされました。

 そういうことで、裁量と言っても、常に裁量の幅があるのではなくて、ある時点ではその裁量権を行使しない限りは違法であると、そこまで裁判所は来ているんです。

 しかし、まだ裁量権を行使することを求める訴えを認めるというところまでは行っていないということで、それは最近非常に強く問題となっているところでございますので、義務付け訴訟の一つとして、議論の対象にはなると思います。

 さっき髙木さんが言われたことで、ちょっと誤解があるといけないと思いますが、そういうことで行政事件訴訟法を改正するのは大事なんだけれども、法制審議会などに掛けていたらとてもだめなので、むしろこの審議会が一挙にやるべきという議論もありますし、それは現に『自由と正義』の中で山村さんがたしかそういうことを書いておられたと思います。私はそういうやり方もあろうと思います。きちんと考慮すべきものは考慮するということであればですね。

 あるいは、この場でそういった意見交換が十分できるようなお時間があれば、それはやっていただければ一番いいと思いますけれども、この場合でも2段階ロケットはあり得るとは思います。

【山本委員】非常に歴史とか、日本の行政訴訟の性格とかわかりやすく解説していただきましてありがとうございました。私も仕事柄先生が言われたような関係でございます。主観利益とか客観利益という狭間の中で、少なくとも原子力関係といったような、身体生命に関係するような事件の原告適格とか訴えの利益というのは、かなり最高裁が拡張してきているということは事実だと思うんです。

 一方、吉岡さんの方の消費者の方は、なかなか厳しいということもわかっておりまして、したがって、何らかの審議会できちんとした球を打ち出す必要があろうということについては全く同じ考えなんでございますが、今出ましたように、ちょっとここでは時間的な余裕も余りないし、専門的な知識も余りないわけですね。

【塩野氏】そこは私知らないです。

【山本委員】私はそう思っているんです。そういう意味で、ここで全部そういったことについて網羅的な議論をする方法よりも、有効な球を投げるということがむしろ実戦的ではないかと考えておるんです。

 さっき先生のお話の中で、球みたいなものとして、例えば地裁レベルで専門部をつくるとか、あるいは出訴期間を長くするとか、そんなようなことが恐らく球の一つとしてあるんでしょうけれども、そういった意味で方法論は幾つかあるわけですけれども、この審議会の性格だとか時間的な余裕を考えて、かつ我が国の行政訴訟に極めて有効な変革をもたらすための手段として考えたときに、どんな球があるんだろうかと、何か妙案がございましたら、お教えいただければと思います。

【塩野氏】余りいいかげんなことを言うと、日弁連で一生懸命考えておられる人がいるので、いろんな球はあろうかと思うんですけれども、一つは、特に行政法のかなりの人が言っておりますのは、弁護士会の方ではインフラという言葉を使っておりまして、私は基盤整備と申しましたけれども、そこの整備は早目にやらないといけないのではないか。これは更に進めば、日本弁護士連合会と最高裁判所と法務省が一緒になって、司法試験制度から行政法を取り除いたという大変けしからんことなんですけれども、きちんとどこかで行政法を勉強させる、これは修習の段階でもどこでもいいんですけれども。それから基盤整備の段階で、大体多くの方が言っておられるのはもう少し専門的な行政部みたいなものを各地裁レベルで置くことができないだろうか、これは非常に強く言っておられますね。

 ただ、なかなか難しいのは、地裁レベルに置きますと、例えばある地方では1年に1つ2つしか起こらないところに部を1つ置けるとか、そういった問題がいろいろありますので、それは先ほどちょっと申したことなんですけれども、これは単なるアイデアですけれども、一種の巡回裁判所みたいな形で動かすことは可能かどうか。ある地域、あるブロックについてはですね。そういうことも考えられる。そういういろんなアイデアの出しっこをまずしてみてくださいという意味では、まず基盤整備のところを是非とっ掛かっていただきたいという感じがしております。

【髙木委員】戦前の明治憲法下の行政裁判所の話にも触れていただいたんですが、行政裁判所の評定官、行政官3、裁判官2という構成で、第三者性でいろいろ違反があったという御説明もありましたが、先生は現在の行政裁判の中の第三者性についてはどんなふうにお考えでしょうか。

【塩野氏】「第三者性」の意味が全く違うと思うんです。かつては行政権の自己コントロールだということで、もとともバイアスが掛かるということも、あれは行政権の中で内部的なコントロールなので、どうしても行政の味方をしているという意味でのバイアスが掛かります。しかし、逆に言うと、その方がいいんだという評価もあるんです。これはちょうど戦後の日本の行政訴訟の裏返しみたいなもので、専門の行政官が裁判官になりますと、非常に突っんでくる。OBには物わかりのいい人、この辺でいいやという人、ますます正義の味方になってぎりぎりやる人とおりますけれども、行政の評定官にもそういう人がいたんだろうと思います。ですから、非常に行政側に厳しいものと、わかる面とがあるということがございました。

 日本の現代の裁判所については、私はそういった意味でのバイアス、行政にもともと味方するんだとか、そういった意味でのバイアスはない。見る方もないし、裁判官もそういうものはないと思いますが、何せ情報量が少ないです。それは公正とか中立の問題ではなくて、裁判官のもともと持っている情報が少ない。訴訟に出てくる情報も、原告側の情報よりは、訟務検事の方がずっと蓄積したものを持っていますので、そこで原告側と被告側が出してくる情報をきちんと見分けて判断できる情報を、もともと裁判官がお持ちかどうかという点については心配しているところがございます。裁判例を見ていると、これはどうかなというのは、随分我々で議論してそんなことはとうの昔にわかっているということについて、高裁レベルでも変な判決を出して、最高裁でやるとひっくり変えるということもございます。

【中坊委員】教えていただきたいのですけれども、使い勝手という意味から、行政訴訟をもっとという中で、もっと利用しやすいということで、原告適格が確かに大きな問題点になっている。先ほど吉岡さんのおっしゃったジュース表示の裁判を見たときに、団体訴権という論理からではなしに、「消費者」と書かれておる条文を、景表法における「消費者」という言葉を、もう少し具体的に立法していくという方法はないのかということはどんなものかというふうに考えるんです。

 私自身もかつて、いわゆる私鉄運賃の値上げ問題がありまして、それに私も公述人として参加いたしました。あの問題では、当事者適格が消費者にはない。その人たちが幾ら電車に乗っていると言っても、わからないということで利用者にならない。そうすると、御覧になったらおわかりいただくと思いますけれども、運輸審議会における審査というのは、申請人側では社長が全部出席されているのに、利用する側は一人もいない。利用者は全部いないというところで、今の運賃も決められておるわけです。全く異様としか言いようのないところで運賃が決まる。要するに、鉄道を利用する人がおって初めて成り立っているにもかかわらず、利用者は一切認めない。

 だから、今おっしゃるように、原告適格がないということで、あらゆる価格を決めることについても争えない。これは随分あちこちで大変いびつな社会現象を起こしていると思うんです。要するに裁判所が言おうとするのは、乗るか乗らないかわからんから、あなたには適格性がないということです。それなら、定期券を買ってはどうかということになる。確かに近鉄特急の事件においては、定期券を買っている弁護士が原告になって訴えを起こしたのです。一審は勝ったけれども、二審で負けたということなんです。

 そこで私、先生にお尋ねしたいし、これからそこをどう直せばよいのかという気がするんですが、確かに原子力の発電まで行けば、何キロ以内に住んでいる人は、そういう危険性があるから、適格があると。計画に対してもあるということにすれば、今、先生にお考えいただくことで、原告適格を広げない限り行政訴訟というのが使い勝手のよいものにならないということになってきます。

 そうすると、原告というもののある程度の色合いが、程度が必要になってきたら、定期券を買えば電車に乗るという可能性は認めるとか、そういうような方法で原告適格というものを広げていくための立法改革を可能にする方法はないのか。

 要するに、私たちは行き詰まったまま、今日まで、しかし私としては不条理な結果が世の中に存在しているのは私も知りながら、今なお何ともできないでおるんですけれども、どこかを直せる余地というのは、先生のおっしゃっているところで何かないんでしょうか。

【塩野氏】この点は弁護士連合会の研究会の辺ではかなりストレートに、現実の利益があれば足りるということで行訴法に書いてしまえという提案は既に弁護士連合会の方でされております。

【中坊委員】先生のお考えでは、そういう利害関係があるということについて、どこを直せばいいことになるんですか。

【塩野氏】私の考えではなくて、弁護士連合会の提言は行訴法の9条を直すと。

【中坊委員】その提案は先生はどのようにお考えですか。

【塩野氏】そう問い詰められるとなかな大変なところがあるんですが、というのは、そういった問題で書きましたときにいろいろ考えなきゃいけないことは、原告適格はそういうもんだと言ったときに、一般法でそれを書きますと、それではもともと原告がいるもの以外にどうなるのかと。例えば税務訴訟で当該税の負担者、債務者、債権者は当然なんですけれども、その奥さんも現実に被害を受けるから細君も何とかと、いろんな問題が波及的に出てくるんですね。ですから、原告適格が一般法でどの程度処理できるかというのは非常に難しい。ドイツは大体日本と同じような枠組みですから、もう少し解釈で広げるというやり方をしているんです。

 ですから、私もこの弁護士連合会の御提案は一つの提案だと思いますけれども、9条を現実の利益を有する者ということで切れるかという点については、一般法ではちょっと無理かなという感じは持っております。

 むしろ、一般法としては、せっかく最高裁がせっかくあそこまで言ってきたわけですから、実は近鉄特急の事件は、私どもではあれは認められるんじゃないかというふうに思っていたことはあるんです。一方で広げておいて、一方で縮こまったということは、どうも最高裁の一種の政策判断があるんですね。最高裁として、生命健康といったものについてはきちんと見ると。しかし、経済問題については、先ほどのあれじゃないけれども、裁判所が手を突っ込むまでもなく、それはむしろ政治的な解決になじむものだという判断があるのかもしれません。それは憶測にすぎません。

 ただ、もう一つ、手放しかというと、一つは情報公開がかなり使えるんですね。今、公共料金につきまして、公共料金の情報公開制度についての研究会がかなり進んでおりまして、今までのように何だかわからない、ぽんと出てくるのではなくて、例えば原油価格はどこの港で幾らという、そこまでは出ないかもしれませんけれども、原油の価格はこのくらいと、かなり積み上げの価格が電気料金にも出てまいりますし、タクシー料金でも、そこは情報公開でかなり出てくると思います。

 もう一つは、そういったものについて、情報公開を使った国民、あるいは利用者の意見を聞くべしという手続法の要請がだんだんに出てくると思います。

 アメリカでは公共料金を定めるときには、行政立法ですので、ルール・メイキングですので、必ず公表いたしまして、それについて意見があるものは出しなさいと。その意見の結果、取り入れられなかったものに不服があれば、更にルール・メイキングを訴訟の対象にすると言っておりますので、そのルートは私は使えると思うんです。行政立法というと、なかなか通りにくいかもしませんけれども、アメリカではそういうものが訴訟の対象になっているということもありますので、この提案は行政立法一般という形で弁護士連合会はやっていますけれども、そういった非常に個別の審査に、それこそ佐藤さんの好きなケースィズ・アンド・コントラバーシーズに入り込むようなものについては、私はかなり広げることは可能だと思っています。それは一般法でいくのか、個別法でいくのかというのはなかなか思案のしどころですね。

【中坊委員】先生のおっしゃっていただいているように、やはり当事者性がなくして、単に情報公開になっているから、そのことについて不服があればという、その不服というものを言えない立場なんですね。だから、先生が今おっしゃっていただいたように、情報公開されたからと言って、その人が何か言っていける。その意見を言うのは情報公開が出ればわかりますよ、これはおかしいということは言えると。それはわかるんですけれども、それに対して不服を言えるという原告適格ですね。当事者性はなかなか出てこないと思うんですけれども。

【塩野氏】情報公開法だけでは出ませんね。ただ、今よりは一歩前進だと、そこまでは言えるんですが、その次にもう一つ仕組むためには、今言いました、弁護士連合会も出していますけれども、そういったルール・メイキングで、しかし、かなり個別性のあるものについては訴訟の道を開くということは可能ではないかと私などは思っていますが、ただ、一つ問題なのは、行政事件訴訟法、昭和37年の行政事件訴訟法のときに、行政立法というのも入れるということで最初原案ができたんですけれど、それがつぶされていったんです。そのときの議論を克服する議論を組み立てないとなかなか難しいところがあると思います。私は克服できるんじゃないかと思っています。

【藤田委員】裁判官の専門性の点ですが、御指摘になりましたように、東京地裁には2か部、行政事件の専門部がございますが、大阪とか名古屋その他の地裁には、行政事件を特定の部に集中する、集中部がございます。先生がシンクタンクとおっしゃった行政局とか行政調査官などの経験者とか、あるいは訟務検事として行政事件を勉強した人たちがかなり増えてきているんで、そういう意味での専門性は昔に比べればある程度上がってきているのかなという感じがいたします。

 私は、駆け出しの判事補のころに東京高裁で陪席をしていたんですが、戦前の方は、行政裁判所の時代なものですから、行政事件というと、本来の仕事の領域から外れたものという意識があったように思うんですけれども、今はそういうことは全くございません。確かに先生の目からごらんになると、専門性が不十分な点もあるかもしれませんし、巡回裁判所ということをおっしゃいましたけれども、知財事件で選択的に東京、大阪の両地裁に管轄を認めるとか、あるいは専属管轄にするというような考え方がありますが、そういうようなことも一つの方策ではあると思うんですけれども、一般的に言って、裁判官の専門性はある程度改善されつつある段階ではないかという気がするんですが。

【塩野氏】判例評釈をやりますと、率直なことを申しますと、民事的な頭で行政事件を担当しておられるのかと。行政事件と民事事件の一番大きな違いは、私の理解で申しますと、行政事件は行政官の行為規範について、きちんと行為規範を守っているかどうかという見方でしていくんですけれども、現実の最近の地裁の判決などを見てみますと、そうではなくて、後から見ていろんな要素を考慮してこのくらいのことはすべきだという、損害賠償的な、それを私は民事的と言うんですけれども、いろんな要素を考慮して黒白を付けるという発想が、最近は最高裁にまでそれが強く出ているので、私は行政訴訟の民事化と言っているんです。

【藤田委員】そういう点で、なお研修の必要があるかもしれません。

 私は、大分以前になりますれども、東京地裁の行政部の1つの裁判長を3年間務めました。ですから、行政訴訟に対する批判について責任の一端を負わなくちゃならない立場なんですが、先生の御本や論文なども勉強させていただいたんですけれども、その当時150件くらいの事件が部に係属しておりました。その半分は税金の事件、課税処分取消、無効確認などの事件で、その他は国外退去強制処分などを争う訴訟でした。この種の訴訟は、現在批判されているような議論がある分野ではなくて、現代型の行政訴訟について批判がされているわけです。当時の私どもの意識としては、行政に対する逡巡というか、遠慮とかというようなことは全くないわけで、行政追随と言われますけれども、追随するような気持ちは全くないし、追随したからって、裁判官にとってプラスになるようなこと全く何もありませんので、そういう意識はないんですが、行政訴訟の分野は、いろいろな分野の中でも、法論理性の緻密さが高い分野のように思うんです。

 基本は行政事件訴訟法ですが、その前の行政事件訴訟特例法のときから、あの立法については、行政庁との熾烈なせめぎ合いの結果、立法されたといういきさつがあります。その典型が無名抗告訴訟を認めるかどうかということだろうと思うんですが、そういう経過が法解釈の一つの背景としてあるわけですので、そこら辺から生ずる解釈の限界があると思います。

 それから、訴訟法と実体法との関係なんですけれども、私が裁判長として判決した事件ですが、窒素酸化物NOxの環境基準を切り下げた告示の取消訴訟がありました。処分性がないということで訴えを却下したんですが、環境基準のガイドラインとしての性格が、行政実体法である大気汚染防止法で規定されている以上は、法的、具体的な規制の効力がないということで、処分性がないと言わざるを得ないと考えました。兼子先生にしても、田中先生にしても、我々にとっては巨人のような存在ですので、その影響下にあったのかもしれませんけれども、そういう判決をいたしました。

 結局、先生がおっしゃるような行政事件訴訟法の改正も大事だとは思いますけれども、原告適格にしても、処分性にしても、それぞれの行政実体法がどういうような仕組みとなっているか。国民の個人的な利益を保護しようという立法趣旨が入っていれば適格を認め、純粋に公益を維持しようとするのだったら適格は認め難いという議論からいきますと、やはり行政実体法、個々の法律で国民の利益の保護を手厚くする方向に持っていかないと、訴訟法の改正だけではなかなか目的を達することは難しいかなという気がしているんですが、その点はいかがでしょうか。

【塩野氏】その点は、例えば訴訟法の方で、例えばフランス的な形で、あれは一種の行政裁判所ですから、自己コントロールみたいなものですけれども、法律自体というよりも、コンセイユ・デタの判例で広げてきたわけですけれども、ああいう割り切り方はあると思うんです。そうすると、行政実体法をどう書こうと、実害があればだれでも訴えることができる。そこでコンセイユ・デタがきちんと整理するというシステム、これは比較法的にはあり得るところかと思います。

 問題は、日本国憲法の下でそういうフランス的なものをそのまま持ち込むことができるかどうかという問題として一つ考えなければいけないことだと思います。

 先ほどもちょっとお話ししたことなんですけれども、憲法で言う裁判を受ける権利、あるいはケースィズ・アンド・コントラバーシーズの中の線引きが、どうもちょっと最高裁の判例は、別の極の方に、田中・兼子理論の方に引きづられているんじゃないかなという感じは私持っております。

 特に私は原告適格については多少最高裁の判決に甘いところというか、よくやっているなと。救うべきものは救っているなと。消費者は救わないという意味では全然ないんです。本当に困っている人は。あれでも広げなきゃいけないと思ってはいるんですけれども、最も問題なのは、処分性と申しますか、訴えの利益、あるいは成熟性のところで最高裁は腐るまで待てというんです。だから、都市計画でもゾーニング地域、用途地域の設定があって、それもだめなんで、それも立法と同じだから、では、どこで争うかというと、建築確認を申請して、そのときに蹴られたらそこで争えというんですけれども、そのときには周りが全部用途地域で固まっていますので、自分一人だけいい顔をしたってどうにもならないということがあって、そういった点がほかにも幾つかある。

 今のちょうどグレンツのところが今の環境基準のような問題だと思うんです。ですから、それを単に行政のガイドラインと見るのか、それともかなり実効的なものと見るのかと。そうすると、紛争というものはガイドラインで既にケースィズ・アンド・コントラバーシーズも、もうコントラバースになっているじゃないかと、そういうふうに見るかどうかという問題だと思うんです。

 それは判例でもかなりできると思うんですけれども、しかし、それは今度立法にかなり親しむものだと思うんです。原告適格よりは個別法でそういうものは仕組んでいけばいいわけで、例えば最高裁でも都市再開発法などの辺では、個別法のちょっとした手がかりで最高裁は処分性を認めたりしているところがありますので、そういった点について、先ほどちょっと申しましたが、行政側は最高裁がそういう態度を取っていると、どうやってそれを逃げようかという、むしろ実体法で逃げることばかり考えていますので、これからは国民の目が光っていると、そういう逃げ方はいけませんということを国民の前で指摘することによって、実体法もかなり改善する可能性が今後は開かれているのではないかと思いますが、ただ、私は処分性の点に関して、特に成熟性の点について最高裁判所は、今の理論でも広げる可能性は、最高裁の立場に立ってもできるんではないかと思うんです。そのときに、私が一番悩んでいるのは、先ほど中坊さんがおっしゃったように、この判例を変えるきっかけをどうやれば差し上げることができるかなという問題なんです。そのときに、個別法をちょっと変えるとそれに乗ってくれるという場合はあるし、では、行訴法、一般法でちょこっと変えられるかというと、これは道具が大き過ぎて困ると。そこで、例えば下級審からだんだんに積み上げていけば、変えられる可能性はあるという感じは持っておりますので、先ほどから基盤整備のことを申し上げているのはその趣旨だというふうに御理解いただければと思います。

【佐藤会長】国家賠償と固有の行政訴訟というふうに分けますと、日本では国賠の方は通常の民事訴訟の次元で広くとらえられ、固有の行政訴訟とは別々に走ってきている。それに対する塩野先生の評価はどうでしょうか。両者の関係はそもそもどうあるべきだとお考えでしょうか。

【塩野氏】そもそもやっても仕方がないじゃないかという気がするんです。日本の最高裁判所、これだけ民事的に頭が固まっているときに、これはちょっと専門的にすぎますけれども、最高裁の判決で我々とかなり違ったところがありまして、非常に民事的にでき上がっているところがあるものですから、それをそもそもドイツのように、ドイツでは一種の先決的なことをやっているんです。行政行為の違法が問題になっているときに、まずそれを攻撃しなさいと。それを攻撃しないできてもだめですよと、そういうやり方をしている。私はそれは論理的にはそうだというふうに思っているんですけれども、それは今言っても無理です。

 もう一つの言い方としては、今のところ最高裁判所、下級裁判所は、損害賠償というルートを使って、国民の権利・利益を一生懸命保護しているところがありますので、そこをチェックするというのは、それこそ逡巡するところがありますが、本当はあそこは民事と行政をびたっと分けないで、ドイツも理論的には民事と行政を分けているんですけれども、橋渡しは一応考えているんです。日本は全然橋渡しを考えてなくて、全く別個。

【佐藤会長】むしろ法治国家の観点からすると、日本の国家賠償のとらえ方には問題があるんじゃないかという気もしますが。

【髙木委員】まさにドイツ型、アメリカ型の御説明がありましたけれども、例えば労災事件における労災保険の支給認定などについて、大分時間も掛かるわけです。そういう中で民事的な頭でお考えいただくのなら、民事執行法から排除するみたいな取扱いが必要ではないかと思います。その間ものすごく待っているわけです。これはコメントいただくという話ではないかもしれませんが、ともかく一方では民事的な頭でお考えになられ、一方では民事的な発想を排除され、その辺が非常に今の話を聞いていてもテレコだなという感想なんですけれども。

【塩野氏】その辺は、取消訴訟になると、急にシステム自体は行政法に固まってしまうものですから、実体法に基づいて請求してもだめだと。必ず取消訴訟を取るという言い方になると思うんですが、その場合の適法性の判断について民事的な考え方をしておられるなというところがあると申し上げたわけです。

 それから、ドイツとかフランスとかアメリカとか申しましたけれども、なかなかこれは難しいところで、皆さん大体旅行されると、ドイツで感心して、フランスで感心して、イギリスで感心してお帰りになるんです。しかし、ドイツ人はフランスに行くと、変なことばかりやっていると怒って帰ってくるんです。いいところばかり取ってきて、でき上がったものは、生身のものではないという問題がありまして、ドイツの場合にも、日本人が非常に攻撃して、こんなもの取り入れるべきではないと言っている訴願前置が取られているんです。その点については御指摘はないというところもあります。それから、ドイツの場合は原告適格がかなり厳格で、頭の働き方は日本と大体同じなんです。しかし、訴訟は非常に活性化されている。ということは、単に原告適格についての頭の働き方だけではなくて、裁判所はかなり自由に、最高裁判所ももう少し自由にやっているということと、個別立法で幅を広げているといういろんな条件がありますので、ドイツのいいところ、アメリカのいいところだけ、フランスのいいところだけを取ってきても生きた法とはならないのです。

【髙木委員】仮に払ってくれるということですか。

【塩野氏】ドイツはそこが非常に優れていまして、昨日実はこの道の専門家と話をしたところでは、ドイツの仮の救済がEUの中では飛び抜けていて、批判されているということもあるんです。フランスは仮の救済は認めない、非常に厳しい。外国法を見るとなかなか難しい。

【中坊委員】私としては、先ほど先生がおっしゃったように、日本の行政訴訟というものが、非常に出訴率が少なくて、却下率が多くて、勝訴率は少ないと。しかも、先ほど私の言うているように、現場に行けば極めて不条理なことが公然と行われておるという状況ですから、私はこれに対して、だれかが、どこかが、これがもしこの審議会になるとすれば、だれかがイニシアチブを取って、この問題に一石を投じなければ、いろいろ議論をしているうちに、だんだん遠ざかっていくという気もしているんです。

 だから、そういう意味では、この司法制度改革審議会というものが、行政訴訟そのものについて、先ほど原告適格を多少議論させていただきましたけれども、いずれにしても、そういう問題についてもどこかで乗り越えていかないと、大変な事態になると思います。私自身はいやというほど官の無謬性、明治憲法をいまだに引きずって、国民全体の中にも官僚の中にも、官の無謬性、誤りがない、正しいという論理がまかり通って、それでどれだけひどい目に遭っているかということを見てきました。

 豊島を御覧になってわかるように、どれだけ不経済なことが、何百億という金が無駄使いされるわけですから、やはりこの問題について、私は司法制度改革審議会で何らかのイニシアチブを取って、どういう形で一石を投じるのかを決めないといけないと思います。

 確かに先生のおっしゃるように、我々は限られたところで、ほかのことをみんなしなければいけないんだけれども、これについても私は何らかの訴えをする必要があるんじゃないかと思うんです。

【塩野氏】一石を投じていただけると思って、今日は時間を割いてきたんです。これで一石を投ずるのをやめたと言ったら、本当に時間の無駄になります。

 別の言い方をしますと、弁護士のみならず、行政法学者全体が注目していますから、うやむやにしないでいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

【佐藤会長】まだいろいろお尋ねになりたいこともございましょうけれども、時間も少し予定よりオーバーしてしまいました。塩野先生、本当に有益なお話をありがとうございました。

(塩野教授退室)

【佐藤会長】それでは、次の議題に入りたいと思いますけれども、その前に10分休憩をはさみたいと思います。55分に再開します。

(休憩)

【佐藤会長】時間もまいりましたので、再開させていただきたいと思います。

 最初に申しましたように、「国民がより利用しやすい司法の実現」及び「国民の期待に応える民事司法の在り方」という議題につきまして、前回に引き続き意見交換をしたいと思います。

 前回は、7ページの「知的財産権関係事件への対応強化」というところまでまいりました。今日は、その次の労働関係から御議論いただければというように考えております。

 この「労働関係事件への対応強化」につきましては、そこに掲げてありますように、特に髙木委員の方から立ち入った御見解が示されているわけであります。髙木委員、これに関連して何か特に付け加えるべきことはございますか。

【髙木委員】何か失礼な表現があったりしているかもしれませんが、一つつくづく感じていますのは、形式的な対等性みたいなものはあるんでしょうが、労働事件というのは、御承知のように、実質的な対等性をどうやって担保するかということが重要だということです。これについては労使関係だとか、いろんな背景があるんでしょうが、そういうことを感じることが、特に昨今多いということでございまして。

 例えば、労使関係の在り方などに配慮を欠く判決なんていう表現は、例えば、昨今企業でリストラが続出しておりまして、例えば整理解雇四原則というのがあるんですが、そういったもののとらえ方等にもいろいろな議論が出てきています。

 つい最近の、今年の1月の判決ですけれども、雇用安定という立場から見るとそう簡単にこういう議論を扱ってもらっていいのかなと感じざるを得ない判決、具体的にはナショナル・ウェストミンスター事件判決がありますし、あわせて時間と費用がかなりたくさん掛かったりしております。

 これもつい最近というか、現在争われている事件ですが、秋田におけますセクハラの事件ではもう300万以上の費用が掛かったりしていまして、1人の個人が負担するのは大変です。今の仕組みだとそういう多額の費用が掛かるのもやむを得ないわけでございますけれども、そんなこと等もございましたりして、こんな意見を出させていただいたわけでございます。

 いろいろまた御指摘等ございましたら、いただければと思いますが。何とかしてほしいという思いでございます。

【佐藤会長】髙木委員の御意見には、裁判の在り方、労働委員会の在り方、それから裁判と労働委員会との関係の在り方というように、大きく分けて3つのポイントがあるように思われるのですが。

【髙木委員】もう一つ、その次の行に挙げられているんですが、私は労働事件についても、事件の内容によっては、陪審型の審理にした方がいいような事件もあり得るんじゃないかなと思っておりまして、その辺も是非御検討いただきたいと思います。

 ただこの辺は、また国民の司法参加の議論がありますので、どっちで議論していいやら、あっち行ったりこっち行ったりという話なものですから。いずれにしろその辺もまたどこかで整理していただきたいなと思っております。

【佐藤会長】今おっしゃったように、陪審制の問題については、国民参加のところでまた一つのくくりとして御議論いただきたいというように考えておりまして、特にここでは裁判の在り方をはじめ、さっき申し上げた3つの点について御意見をいただければと思うんですけれども。中坊委員、どうぞ。

【中坊委員】私も確かに、先ほどから言っているように、これは担い手問題とも関連すると思うんですけれども、おそらく今、行政訴訟で取り消しという結果が出ているもので一番多いのは、この中労委の裁決に対する取り消しですね。圧倒的に今、多いというのは、ここのところへ集中していると思うんです。

 それは、一部友達の弁護士から聞いても、いわゆる東京地裁の裁判官が、一定の専門的というか、彼らに言わせたら偏見のある裁判官が配置されることによって、中労委の裁定はいつでもひっくり返すというような形が作られていると事実上ささやかれておるのも事実ですし。こういう問題についても、人的インフラと制度インフラというものが、うまくかみ合わないと困ったことになる。専門だからということで外観すれば、特に労使のように対立しておるような環境の中において、やはり相当問題があるんじゃないかなという気もしますし、私はやはりこういう問題についても、かなり総合的に判断をしていく必要があるじゃないかなというふうには思っていますね。

【竹下会長代理】ちょっと髙木委員に伺いたいのですけれども、ここに書かれている御意見、いろいろな問題点にわたっていると思いますが、その一つに、個別労働関係の事件を、労働委員会で扱うことができないかどうかという問題もございましたですね。それについて、前に日本労働弁護団司法改革検討委員会というところから出されている資料を拝見しまして、大変いろいろ教えていただくところが多かったのですが、それによりますと、ここで、労働省の労使関係法研究会というところで検討がなされたことがあるようなのですが、その研究会では、個別労働問題も、労働委員会で取り扱うということは、立法論としてもそういうことが考えられていないのかどうか、あるいはそれについて労働省としては、どういう考え方を持っているかということを御存知でしょうか。

【髙木委員】労働省の考え方を全部、私が説明できるかどうかは自信がありませんが、連合では、個別紛争と労働委員会の関係の案などは一応つくっております。もし必要でしたらまたお送りして、御批判をいただきたいと思うんですが。労働省は、若干感覚が違いまして、これは佐藤会長がお詳しい行政改革との絡み等もございましたりして、こんな言い方したら労働省にお叱りを受けるかもしれないけれども、労働省の機構の中での仕事も一方で要るんだろうと思いますから、そういう中で地方の労働局等で、労働省の関係する地方の機関が、個別紛争の斡旋、調停のような機能も担うんだと考えておられます。

 それから経営者団体、特に日経連は、もっと民事調停的な世界で労働調停のようなジャンルをもっと広げたらよいのではという主張をされています。確かに議論はいろいろございますんで、それぞれの意見の対比表のようなものが作成されています。何かの機会に御覧いただければと思います。

【藤田委員】私は、東京都の地方労働委員会の公益委員もやっているんですが、今、髙木委員がおっしゃったとおりなんですけれども、個別的な労働関係をどうするかというのが今、問題になっております。労働委員会でやれっていう考えもあるんですけれども、別の調整機関を設けようという提案もあります。労働委員会がやることには、髙木さんおっしゃったように使用者側は反対なんですね。民事調停等を活用すべきではないかということなんです。いずれにしても、この点については、労働委員会としても基本的な問題として議論しようということになっております。それから、救済命令が5審制になっているじゃないかということも、これも何とかするべきではないかということで、労働委員会としても今いろいろ検討しているところでございます。どういう方向になるかわかりませんが。

 それと、労働委員会の救済命令が裁判所で取り消されるケースがかなり多いということは、内部でも問題になっておりまして、使用者側から言わせると、労働委員会は軸足が少し労働者側にいっておると言いますし、使用者側の視点から言えば、裁判所も同じだということだと思うんですが、労働者側から見ると、裁判所も労働委員会もけしからんということなんです。両方から攻撃されているというのが、裁判所なり労働委員会なりの立場でございまして、いろんな制度的な問題は労働委員会側としても今、検討している段階でございます。

【竹下会長代理】もう1点よろしいですか。今の5審制の問題ですけれども、先ほど申し上げた、日本労働弁護団の司法改革検討委員会の御意見では、地労委の救済命令の取消訴訟を起こすときも、高裁が第一審でよいのではないかという御意見のようですが、髙木委員の御意見ではそうではなくで、中労委の処分の取り消しについて言っておられるのでしょうか。それとも、地労委のものも含めて言っておられる趣旨なのか。

【髙木委員】地労委から裁判所へ行って、ケースによっていろいろありますから、いずれにしてもやはり審級、実質全部踏めば5審であり、5審まで行かれたら、特に対抗力というか抵抗力のない運動体は、大概もたなくなります。

【竹下会長代理】それはよくわかります。

【髙木委員】仮に15年経って解決していただいても、何の意味もなくなっている。要するに、いろいろ救済してもらいたい不利益の意味が変わってしまうんです。

【竹下会長代理】私も、ちょっと5審になるというのは、余り合理的ではないとは思うのですけれども、実質的証拠の原則とか、新しい証拠提出の制限とかいうようなことを入れてくると、都労委の公益委員がおいでになりますが、地労委からの訴訟と中労委のものと全く同じでいいのかというようなことも検討を要するように考えるのですが。

【藤田委員】労働委員会としては、裁判所で取り消されることが多いということに対してやはり不満がありまして、労働委員会による救済制度の特色というものを生かした判断の仕方をするべきではないかとは言っているんですが、これは裁判所がどう考えるかということですので。それとせめて実質的証拠の原則を採用したらどうかということも、労働委員会の中で議論しておりますが、公正取引委員会の審判のように、経済に関する非常に専門的、技術的な分野について、専門性を生かそうという原理なんですが、労働委員会の場合には、普通の民事訴訟の証拠判断と基本的に同じで、公取のような特殊性はないということから、ちょっと実質的証拠の原則を働かすのは難しいんじゃないかという反対論もございます。

【佐藤会長】その賛成論と反対論ですが、どんな感じなんですか。

【藤田委員】それは、労働事件の判決に対して不満の強い人は、実質的証拠の原則を適用しようという立場です。そうは言っても、裁判所の判断ですから、文句を言ってもごまめの歯ぎしりみたいなことになりますので。反対論としては、実質的証拠の原則は、公取の他は電波監理審議会のような特殊な分野に限られていますから、労働については同じには論じられないかなということになります。これは、立法政策の問題ですから、必ずしも一元的には言えないかもしれませんが。

【髙木委員】先ほど、中坊さんからちょっとお話がありましたけれども、労働事件の場合は東京地裁の民事の11部と19部に持っていかれ、特に整理解雇事件は、最近もう労働側はほとんどいい判決をいただけないんですね。被雇用者が解雇されるということはどういうことなんだ、解雇された人間がどういうふうに仕事を探し、どのように生活の基盤をつくっていくのか、裁判官はどうお考えなんだろうか。だから、解雇権濫用法理みたいな中で、いろいろやってきておるんですが、解雇は本来自由であるというような論理で書かれている判決のように読み取れる。そういう判決が最近非常に多くて、それじゃもうそんなふうに思う裁判所に裁いてもらったってしようがないじゃないかと思うようになる。司法試験の試験科目から行政法と一緒に労働法もなくなりましたし。労働事件はそれでも少しは増えていますけれども、裁判所にもうお世話になるのはかなわんなという、そんな雰囲気も最近労働界の中に結構強く出てきたりしております。なぜ首切られたんかということを、労働者よ、お前が考えろ、というわけです。会社が首切ったのは自由だからと言わんばかりの判決の書きよう等もあったりしています。この場で感情論を申し上げても始まりませんが。そういうもののストレスが結構たまっているなという感じがございます。藤田さんもおられるし、余り失礼を申し上げたらいかんと思いながら、抑えながら言ってもこの程度だということです。

【藤田委員】どうぞ、御遠慮なく。

【竹下会長代理】私も、労働訴訟の問題は非常に重要な問題で、ドイツでは今度の視察でも見てきましたように労働裁判所があって、手続もいろいろ普通の民事訴訟とは違っておりますですね。日本の場合には、今の労働事件の件数ではそれだけの事件のために別の手続を一つつくるというのは、なかなか難しいかと思いますけれども、前回の訴訟費用の問題などを含めて、いろいろ個別の特則を考えるということはできるのではないかと思っているところです。

【髙木委員】最近出ました判決をちょっとお読みします。

 「使用者は解雇の意思表示をしたことを主張・立証すれば足り、解雇の理由について主張・立証する必要はなく、労働者において解雇権の濫用を基礎付ける事実として、解雇が理由らしい理由もないのにされたことを立証すべき」ということが書かれるわけです。

【佐藤会長】この問題は。

【髙木委員】最後の判決の中身の問題はちょっと別にしまして、雇用をめぐる制度論、解雇の本質のとらえ方としていかがなものでしょうか。

【佐藤会長】今もすでに議論がありますように、立場によっていろいろな見方があり得ると思いますけれども、少なくとも15年、20年も掛かるということは、先ほどの鳥居委員のお話もございますけれども、やはりおかしいのではないか、迅速な解決の仕組みを考えるべきではないかという点については、この審議会ではあまり御異論のないところかと思います。では、どういう仕組みが望ましいのかということになる。今のように、5審制というようなことになると、15年、20年になってしまう。この辺について工夫の余地があるのかどうか。解決の方法として、髙木委員の方から、実質的証拠法則の採用あるいは特別の裁判所の設置が提言されています。ただ、特別の裁判所ということになると、裁判所の仕組みについての相当基本的な問題提起になると思うんです。なぜ、労働裁判所だけなのかと。行政裁判所だって同じようにつくったらいいじゃないかとか、いろんな議論に発展していく可能性があります。この辺はここでちょっとすぐ結論を出せる問題ではないという感じはします。

【髙木委員】ただ、くどいようですが、今の裁判所の枠内におったら救われん、だから枠外に出してくれという思いも、少しはみんなの中にあるんだろうと思います。

【佐藤会長】髙木委員の御主張の趣旨はそれとしてよくわかります。ただ先ほどから出ているように、いろいろなところでこの問題について検討が進められている様子ですので、その辺の資料も集めてみて、更に検討する機会を考えたいと思います。この件については、そういう取り扱いでよろしいでしょうか。

 髙木委員の問題提起の趣旨について、迅速な解決を可能にする仕組みを考えようという点では、審議会として一致しているのではないかと思います。

【竹下会長代理】そうですね。法曹三者に限らず、労働省に資料を提出してもらうということも考えてもよいのではないでしょうか。

【藤田委員】労働委員会の全国会長会議で、いろいろ議論しておりますので、そういう資料は労働省にあると思います。

【佐藤会長】そういう資料を、事務局の方で収集していただけますかね。

 そのほか、先ほど伺った陪審の問題なども、裁判の在り方についての問題提起としてここで付記させていただきますけれども、この問題自体は後でまたまとめて御議論いただく機会があると思います。

 先を急ぎ過ぎるとお叱りを受けるかもしれませんけれども、今日は行政に対するチェックの問題は、先ほどの塩野教授のお話に関連付けて、後で簡単にまとめさせていただくことにして、一応14ページまでまいりたいと思っております。

 Bの人的基盤については、従来やってきた議論、またこれからやる議論ですので、今日は立ち入るつもりはありません。そんなことでちょっと済みませんが、先を急がせていただきたいと思います。

 次に「鑑定制度の改善」のところに入らせていただきたいと思います。これについて、代理の方から何か。

【竹下会長代理】ここに山本委員が「鑑定人の人材を広く全国に求め、名簿を整備し、ネットワークを確立することが必要」という御意見を述べておられますが。これについては、恐らく余り異論がないと思います。

 実際にも、裁判所の方もいろいろ専門団体等々と協議会を持ったりしているようでありますので、その辺の事情は資料を出していただくなり、あるいはヒアリングを13日に考えておりますので、そのときに説明をしていただいたらどうかと思っております。

【山本委員】これ昨日新聞に出ていましたね、朝日でしたっけ、お医者さんがなかなか自分の同僚とか、証言しにくいっていう。やはりそういう実態があるんでしょうね。

【藤田委員】同じ系統に属するお医者さんでは鑑定し難いということがありますし、反対に、敵対関係にある場合もやり難いということがあるようです。

【竹下会長代理】その辺の実態は難しいですね。

【中坊委員】だから、まさにおっしゃるように、言葉としては鑑定人の人材を広く全国に求めと、そのとおりなんですけれども、医療過誤の事件について、片一方がお医者さんになれば、それじゃ一般にお医者さんでなくして、医療の専門家なんてあるのかということになってくると、これはまず非常に乏しいでしょうし。そういう意味での、特定の分野の鑑定人というのは、非常に、労使でもそうかもしれないし、またそれなら両当事者がある程度またものが言えるからいいけれども、医療というようなことに関してはお医者さん以外に、そういう意味の専門家というのは、いはったらまたおかしいんだし、だからそういう片一方だけから広く人材を求めてって言ったって、これまた絵にかいた餅でしょう。

 だから、その意味における鑑定人制度の難しさがあるんで、またむしろ裁判所も今のところ見てたら、何もかも鑑定人に依頼し過ぎというか、だからその意味における専門部がある程度あって、裁判官自身がある程度のものを持っているということの方がよい。何もかも鑑定人に依頼し過ぎという傾向も、ないわけじゃないという気もしますね。

 鑑定人制度というものと裁判所の専門的というところを、すぐ鑑定人によればよいというほど、簡単なことではない。

 確かに、専門部ができ上がることによって、ある程度の医療知識を裁判官がお持ちになっているとあれなんで。また、これから、それこそ出てくる証拠開示が結構これ非常に大きな問題になって、何か外国では手術の間中、全部テレビで映しておけとか、そんなこと言われてきたら、それはまたそれで別ですし、だからいろいろあるんで、専門分野が鑑定人によるっていうだけじゃなしに、そういう意味における証拠開示とか、そういうこととの有機的な、総合的な関係でこれもまた考えていかないと、非常に結論が偏る。へまをすると、これだけすっと出しますと、実情に合わない、この文書自体は何も悪くないです、この通りなんですけれども、これはなかなか、かえってまた危ないところもあるというような気もするんで、やはりよく考えないかんなという気はしておるんですけれども。

【竹下会長代理】しかし、それは主として医学関係の問題ではないでしょうか。ほかの専門分野、知財とかあるいは建築とか、そういうものはそれほどの問題はないのではないかと思うのです。

【山本委員】医療というのが難しいんでしょうね。

【鳥居委員】医師の教育というのは、今、医学部が日本全国で79校、防衛医科大学校を入れて80校です。毎年1校当たり約100人ずつ卒業生が生まれます。1年間に約8,000人ぐらいの医師が生まれるわけです。医師は、今23万7,000人います。23万7,000人の医師は、大学病院と研究活動にスティックして生きている人たちと、開業あるいは実地医と呼ばれている、本当に社会の最先端で働いているお医者さんがいるわけです。

 鑑定を頼まれる医師は、多分かなり限られた大学の卒業生で、かつ研究や大学病院にスティックした人が多いのではないかと思います。本当は実地医と呼ばれている医師の中にすばらしい現場の経験者がたくさんいるわけですね、そういう人たちを鑑定人として起用できないのかなと思いますけれども。

【井上委員】例えばアメリカなどでは、メディカル・イグザミナー(検視官)という制度があり、本来的には刑事の死因の解明をするのがその職務なのですけれども、その権限が広がってきて、それを利用するということも可能なようになっているようです。全国的な傾向かどうかはわからないですけれども。

【竹下会長代理】認定するのですか。

【佐藤会長】それは、お医者さんですか。

【井上委員】病理学ないし法医学を専門にする医師でして、公選のところもあるようですけれども、任命制のところが多くて、いろいろな法医学や法科学分野のスタッフを抱えて、死因の解明等をする。我が国にも監察医というものがあり、死因の明らかでない死体について、検案や解剖を行っていますが、それと刑事の法医鑑定のようなことの両方をやっているのですけれども、そういう制度を将来的には整備し、民事的にも利用可能にするといったことも考えられなくはないと思います。

【鳥居委員】それから、医師の国家試験を通った人は、全部医者になっているかっていうと、そうじゃなくて、厚生省の医官になる人がかなりいますね。つまり役所で働いているお医者さんというのがいるわけです。

 それから、病院勤めや開業医以外の世界。例えば、検査会社を経営している医師など、いろんな人がいるわけです。そういう医師全体の分布マップはどうなっているのか、私よくわからないんですが、調べてみると以外な人材を鑑定人として起用できるんじゃないかと思うんです。

【井上委員】日本の場合は、病理学者に頼むというのが普通でしょうね。

【佐藤会長】この辺について、日本の現在の仕組みがどうなっているのか、少し資料集められますかね。

【藤田委員】裁判所の方で鑑定事例集を何冊か出していて、鑑定人と鑑定事項と、それから報酬をどのくらい払ったかというデータをまとめています。それを参考にして鑑定人を選任しているわけですから、相当な資料はあると思います。

【中坊委員】少なくとも現在の、私、実務に携わっておるんですけれども、裁判所は大学系統だけは別にされるんですね。この人が京都大学であれば、京都大学の人は頼まないとか。それは、裁判所の一応原則として鑑定人を選ばれる際に、その人の出身校を中心にして、それは一応別のところを選ぶということにはされておられるんです。

 しかし、広い意味においてお医者さんであるという意味には変わりない、ということなんです。だから、その限られた中においてのあれはあるけれども、果たしてそれでいいかどうかの問題がある。

 私が、やはり同時に証拠開示というか、この問題はそこが非常に有機的に結合しているんです。しかし、またお医者さんの立場から言うと、そんなカルテばかり一生懸命書いておったら、治療できないじゃないかという主張もあるんです。だから、そういう意味では、確かにおっしゃるようにこういう紛争の鑑定というのは、非常に難しい。しかし、やはり業務から言えば、ディスクローズが原則ですからね、やはりそれをしていただかざるを得ないと思います。そういう習慣が世の中についてこないで、この現状を是認した上での議論では問題です。ただ、その場で5分後に書かなくてもいいとか、何かそういう、いろんなことも関わってくるでしょうけれども、いずれにしても証拠開示というのがもうちょっと行われないと、医療事故というのは、問題になってくるということになるでしょうね。

【北村委員】だれが鑑定人になるかっていうこともそうなんですけれども、もし鑑定人を決めた場合に、それは引き受けなければならないものというふうになっているのか、引き受けてもいいという感じなのか。

【井上委員】実際上断われるのです。

【北村委員】断われるんですか。だから私は、そこがまずいんじゃないかと思うんです。鑑定人って言われたら、これから陪審、参審いろいろと検討していきますけれども、やはり理由を述べて。

【井上委員】正当な理由がないと断れないというふうにするわけですか。

【北村委員】そうです。そのぐらいにしないと、やはりここのところはうまくいかないんじゃないかなというふうに思います。

【井上委員】刑事の場合は、鑑定は裁判所が命じて行わせるもので、形の上では命令ですから断れないことになっているのですけれども、そうは言っても、やる気もなくいやいや鑑定されても困るものですから、運用上はやはり内諾を得た上で命令を出すことにしています。民事でも同じでしょうね。

【竹下会長代理】そうです。規定の上では、鑑定に必要な専門知識を有する者は鑑定の義務を負うとされていますから、裁判所から指名されれば引き受けなければならないということになっています。

【北村委員】でも、それっておかしくないですか。だって、これからいろいろなことをやっていこうというときに、そこだけ何で自由度があるのかっていうようなことになりませんか。

【藤田委員】皆さんが鑑定人になるのを嫌がるのは、不利な鑑定結果を出された側から、証人に呼ばれてつるし上げられるんです。

【北村委員】それはよくわかるんですけれども、それが強制ということになれば、別に半強制ですね。私は、すべて強制にしろって言っているわけじゃないんですけれども、ある程度あきらめがついて。

【藤田委員】それと、最近国立大学の方がいやがるようになってきて、職務専念義務の関係だって言うんですけれども、公益的な活動だという意識を持っていただかないと、また新しい障害になるんじゃないかと思うんです。

【佐藤会長】その辺は、むしろ大学に申告をして、公益的な活動をせよという方向に変わってきているはずです。数年前から。

【藤田委員】建設省の中央建設工事紛争審査会で、東大の方を依頼しようとしたんですが、いろいろ差し障りがあるから困るというような話がありまして、ちょっと驚いたんですけれども。

【髙木委員】藤田さん、大学にお願いされるんですか、それとも建築士の団体に頼むわけですか。

【藤田委員】その一件は、建築学の若い学者の方に頼んだら、たまたまその方が東大に所属されておられたんですけれども、先輩と相談したら職務専念義務の関係で問題があると言われたというんです。

【井上委員】大学との関係では、正規に承認の手続さえ取れば問題ないはずですが。

【藤田委員】以前はそういうことなかったんですけれども、初めてそういうことを聞いたもんですから。

【井上委員】多分それは、出てきたくなかったから、そういう理由をつけたのではないでしょうか。

【藤田委員】結局、引き受けていただいたんです。

【髙木委員】中坊さん、個人だって言ったって、どこかに属しているわけで、だからそういう、例えば医療問題で言えば、80の大学にいい人がおりませんかっていうことになるのですか。

【中坊委員】そうじゃないですかね。だから、確かに北村さんのおっしゃるように、専門家の責任感の問題がやはり一つの大きな根本的なところに潜んでいるのは確かかもしれませんね。

 しかし、先ほども言ったように、現状を前提に議論しますと、これ議論が本当におかしくなってしまいます。我々としてどういう視点で考えるかという点が一つの問題だろうと思います。しかし現実には、もう今、井上さんが何ぼ言われても、裁判所なんてどれだけ苦労していますか、鑑定人を決めるのに、何回も何回も断われてね。それで、一方当事者が推薦したら、また向こうも怪しむからといって断っているでしょう。また、藤田さんのおっしゃるように、出たら反対尋問があるでしょ。そこで反対尋問を回避しようとする。そうすると、今度反対尋問なくてよいのかということが問題になってくる。だから、確かに司法に対する国民の関心っていうか、義務感というものが、やはりもっと司法に参加するという意識が全体として生まれてこないといけないのです。確かにおっしゃるようにすべての制度を今のままを前提として、ちぐはぐなままでやっていくということを言うならば、いろんな意見がまた出てきてしまう。やはりそれこそ石井さんのワーク・デザインの考え方でいかないといけないのです。

【山本委員】今のを義務にして、総スカン食うことだってあるわけですから。そこは、やはり現実をよく踏まえていかないと。

【佐藤会長】ここのところは議論をすればもっといろいろあるんでしょうね。最初の○のところは、建前としては異論の唱えようがないと思うんですけれども、具体的な中身となるとなかなか難しい。そして、中坊委員がおっしゃったように、証拠開示の在り方、法曹養成の在り方も関係してくることなんですね。だから、必要な資料も集めて、総合的に更に検討するということで、今日のところはこの辺で終わらせていただきたいと思います。

 次に「専門参審制、特別裁判所などの専門家の取り組み」でありますけれども、先ほどの労働裁判所の設置というような御提言とかいろいろありますが、これも代理の方から。

【竹下会長代理】前にも申し上げましたが、専門家に民事訴訟に加わっていただくという場合に、現在の訴訟法の建前では、鑑定という窓口だけしか考えていないと言えると思うのですけれども、しかし鑑定というのは、言ってみればどこに争いがあるかということが決まった後、それを裁判所が認定をするについて必要な専門知識を提供してもらうということなのですね。しかし、審理の過程では、まず争点を決めるというところから専門知識が必要になってくるわけで、そうなりますとやはりどうしても、裁判をする裁判官側に専門家に入ってもらうという必要があるのだろうと思うのです。そういう意味で、やはり専門参審というものも考えていかなければいけないのではないでしょうか。

 それから、これは山本委員が指摘されておられますけれども、司法委員、専門的司法委員、あるいは専門司法委員と言ってもよいのかもしれませんが、そういう形の、これは新しい制度になりますが、そういうものを考えないといけないのではないかと、私としては考えています。

 ですから、ここで山本委員が言っておられる、調査官制度の拡充っていうことも勿論必要だと思いますし、司法委員制度あるいは専門参審制を取り入れると、そういう方向を目指すべきなのではないかと思っており、恐らくそれにはそう御異論はないのではないかと考えているのですが。吉岡委員は多少、批判的なのでしょうか。

【吉岡委員】はい。

【竹下会長代理】この「裁判の公開性の阻害要因となり得る」というのは、どういう御趣旨ですか。

【吉岡委員】要するに、陪審の場合ですと、すべて陪審員にわかってもらわなければいけないという、それもありますから、内容についても法廷の場で公開されているわけですね。ですけれども、参審制という、専門をくっ付けない参審制といった場合には、かなり陪審に近い参審制と、そうではないのと両方ありますね。ですから、それは検討するゆとりがあるかなという気もするんです。

 専門参審というふうになった場合には、山本委員が鑑定制度のところでも触れてらっしゃいますけれども、鑑定人というのとは大分違う。それで、やはり裁判官の側に立って検討するということになりますと、法廷で出てくるものと、それから法廷外のそこで検討するものとが当然出てきますね。そうすると法廷外で裁判官同士で検討している事項については、見えなくなってしまうという、そういう問題があります。それで、専門性の高いものであればあるほど、これは原告、被告共に、どういう議論がされて、どういう証拠の下に進んでいくのか、それが見えていないっていう、そういう状況はまずいんではないかと、そういう意味で疑問があるということです。

【山本委員】見えないところで裁判官の心象に影響を与えると、こういうことですね。でも、それは吉岡さん、考えようによっては、裁判官はいろいろ勉強するわけですね、自分が担当した事案に応じて自ら、そういうことだってあるわけだから。

【吉岡委員】勉強するっていうのと、判断に加わるっていうのとでは違うと思うんです。

【山本委員】判断に加わるっていうことですか。これは、やはり議論がありえることですね。

【竹下会長代理】そうですね。

【中坊委員】これもまた、鑑定人になりますと、私も見ていましても、山本さんはだから、かわいそうだからっていう話が出ておるけれども、現実には鑑定人になられる方は、やはり反対尋問を受けるということがプレッシャーになって、良心的と言ったらおかしいけれども、一つの偏見じゃなしに、どうしてもそれを意識してやるんですね。ところが、今おっしゃるように仮に、裁判官のところで判事室で話することになるとしますね、そうすると、その方はやはり自分の偏見とかそういうものがあったら、それをそっくりそのままそこでは出しますよ、現に。私も建築紛争審査委員会の仲裁委員やっていたでしょ。そうするとあれがまさに専門家に一緒に参加していただいているわけで、その専門家の方々はやはり自分の直感からくる自分の発想を、ある意味ではいいんですけれども、本音の部分だから。でも、確かに取捨選択というのは、相当程度こちらの方がしっかりしてないと、専門家だから常に正しいことを言うとは、必ずしも限らない。だから、そこを考えなきゃいけないから、今、吉岡さんがおっしゃる危険性は確かに現実のものとして存在するでしょうね。

【竹下会長代理】ですから、参審で評決権までありということになった場合には、やはり参審員の選任の仕方ですね、これについては今のように疑念が起こらないように、中立性を確保するとか、そういう配慮が必要になるだろうと思います。評決権がない専門参審、あるいは専門的司法委員の制度でも、おっしゃるような懸念が全くないわけではないと思いますけれども、この場合には、いわば裁判官の補助者みたいなことになりますから、危険性はそれだけ少ないのではないでしょうか。

【吉岡委員】私もよくわからないんですけれども、専門的な問題になればなるほど、例えば専門家の間にも意見が対立するとか、そういうことがありますね。そういう場合に、対立する両者、両方の専門家が入ればいいですけれども、そうではなかった場合というのは、専門性が高ければ高いほど、裁判官はその専門についての知識はほとんど素人という、そういう状況ですから、片側の意見を聞いてしまうと、それで判断が左右されるということがないという保証はないような気がするんです。

【竹下会長代理】ただ、この裁判体側に加わる場合、例えば専門的司法委員のような形で加わる場合、この場合には事実を認定するわけではなくて、争点整理をするのに必要な限りで専門知識を提供してもらうわけで、それをまた裁判官が取捨選択をするということですから、おっしゃるように懸念が全くないとは言いませんけれども、しかしそれがだめだということになってしまうと、裁判所としては非常に困ると思うのです。そういう専門性のある事件の場合。

【吉岡委員】それで私は、専門参審にはちょっと疑念があるという、そういう立場なんです。

【藤田委員】この間、弁護士同士の研究会がありまして、専門参審について、吉岡委員がおっしゃったような、密室鑑定だという批判が出ましたけれども、公害等調整委員会の手続で専門委員という制度がありまして、これは判断機関じゃなくて補助機関ですけれども、斯界一流の方をお願いして実際に何件かやりました。基本的な問題、その事件の結論がどうかということとは別に、判断の前提となるいろいろな基礎的なことを教えていただくことから始まるわけです。大変有意義でした。仮に専門参審員が加わるとしても、専門参審員がこう考えるということは証拠資料じゃありませんから、それによって認定するわけにはいかないんで、やはり鑑定はしなきゃいけない。鑑定によって専門的な事項についての判断をする、鑑定結果をどういうふうに評価するかについては、それは専門参審員の意見があるでしょうけれども、裁判官も専門家である必要はないが、専門家の意見を理解するだけの能力はなきゃいかんわけですから、そういう鑑定の結果を判断するのについては、やはり裁判官が最終的に判断するということで信頼していただければ、密室鑑定という批判は当たらないんじゃないか。専門参審員を設けても、少なくともオープンな手続での鑑定をやるということは、是非とも必要だろうと思います。

【北村委員】私は、この専門参審に賛成したいんですけれども、その前提として一つ申し上げたいのが、法曹人、今、裁判官にしましても、検事にしましても、弁護士もなんですが、やはり専門性に欠けていると思うんです。次のことにも関係してくるんですけれども、これから司法試験の形態が変わってきて、今、議論していただいているようなロースクールとかっていうようなことになりましたら、私はやはりお医者さんなんかと同じように、お医者さんですと小児科だとか外科だとか、何かいろいろと専門性というのがありますが、やはり法曹人も専門性というものを養っていく必要があるんじゃないかと思うんです。

 そういうものがありましても、やはり本当の専門家とは違う、そこまでいけないという部分があると思うんです。そのときに、やはりこの専門参審というものを導入いたしまして、それで裁判をやっていくっていうことがないと、企業でも今、金融と取引の問題や何かでもいろいろと裁判が出てくる。それから、あと知的財産所有権や何かの問題もありますので、やはりそれで日本の国際競争力というものを考えていった場合に、企業はやっていけないだろうなというような気がするんです。

 ですから、これは専門性ということとかみ合わせて是非検討していただきたい事柄だなと、今、密室状態になるとかっていうのは、それについてどうやればそうならないのかということを考えていけばいいんじゃないかなというふうに思うんです。

【吉岡委員】おっしゃることわかるんですけれども、裁判官だけ相談するところへ行ってしまって、相談している内容は、ここみたいにテレビに映っているわけじゃないですね。ですから、そこは見えなくなってしまうんですね。専門家の知識が必要であれば、証人として呼ぶとか、鑑定人として呼ぶとか、そういうオープンの形は可能だと思うんです。それを、専門参審という形にしてしまうっていうことに、非常に私は疑問を感じる、納得できない。

【竹下会長代理】おっしゃる問題があることは、先ほどから申しておるように、十分わかるのですが。鑑定人では、どこに争いがあって、何を調べるかということが決まってから鑑定をするわけですね。しかし、何を調べるべきなのかということをやる、争点を整理するということですけれども、やはりその段階が専門家に入ってもらわないと、結局少し人証を調べてはまた弁論をやって、また次ということになり、それがこういう専門訴訟が遅れる原因になっているのにそれを是正できず、迅速な裁判に対する国民の期待に応えられないことになりますね。

 一般の訴訟が随分早くなったのに、こういう専門的な知識を要する訴訟だけが非常に時間が掛かるというのは、まさにそこに原因があるというのが、裁判官の間の研究会などで検討した結果として言われていることなのです。

 ですから、北村委員がおっしゃるように、弊害を除去する方策は考える必要があると思うのですけれども、初めから専門参審は入れないというよりは、やはりそちらへ一歩前進して、それを取り入れる分野を含めて、弊害が起きないように工夫をするということではだめでしょうかね。

【佐藤会長】今の代理のお話ですが、争点整理を念頭に置いておられて、その場面に専門家に入ってきてもらってやった方がいいという、そういう考えですか。

【竹下会長代理】そういうことです。だから、必ずしも専門参審制にする必要はなくて、場合によれば専門的司法委員でもよいかもしれません。

【山本委員】弊害が出ないような形で専門家を使うと、そういうのでいいんじゃないですかね。

【竹下会長代理】だから、司法委員でもいいと思うのですね。専門的な司法委員。

【吉岡委員】専門家の意見を聞くというのはいいと思うんですけれども、参審というのは、意見を言うだけではなくて、やはり判断に加わるわけでしょう。だから、そこのところを、私はちょっと問題があると思うんです。専門家の意見を聞くというのは、それでいいと思いますけれども。

【髙木委員】ですから、同じギルドの者に裁かれてたまるかという思いを、みんなが持つんじゃないかと思います。お医者さんという医師免許を取ったギルド社会のメンバー同士、どうせあの人達つるむんじゃないかという、その辺をどういうふうに認識するのかという点があると思います。

【佐藤会長】だから、争点整理についてもやはりそういう問題があるという。

【中坊委員】それと、私は現実の訴訟の姿を見ておって、おっしゃるように争点整理をする段階において、やはり素人に納得してもらうというか、判決が人を納得させるためには、裁判官が自分で納得せないかんわけですからね。それは双方の弁護士がおるんだから、お互いにここが争点だと言っているんですから、それは一応公の文書で出てくるわけです。それを見れば、概ね争点なんていうのは、おのずから明らかに、原告が争っているわけですから、争点というのは概ねその段階で、やはり自然と明らかになってくるわけです、論理的に。そんな、全然当事者の知らないような争点があったとかになれば、それはそれでまたこの当事者主義との関係で問題になってくる。

 だから、私は今おっしゃるように、争点というものが専門家を呼ばなければわからないというのはむしろおかしいんで、これは原告代理人が法廷において明らかにする中において、争点が決まってくる。そこに立証責任とかいろいろあるんだし、むしろ当事者代理人にしてみれば、裁判所がとんでもないところで判決するっていうことの事例が確かに多いんです。それは、非常にある意味で危険な裁判であって、公開の審理の対象になってないと思っているようなところでやる。それが結局納得いかない判決になっている場合が多いんで、私は、専門家を呼ぶということは、確かにおっしゃるように、一見していいように見えるけれども、現実の姿としては双方代理人が法廷において争点は一応おのずから明らかに、その範囲内で立証責任があり、そこでおのずから公開の法廷で争点というのが決まっていくわけですから、それを受けて裁判をやるのが裁判だし、当事者主義なんだから、そこへ突然裁判官だけが双方が知らない判事室において、何か専門家に聞くと、実は君、違うよとかって言い出されたら、これは双方の代理人は恐らく納得しない判決になってきて、裁判官にとっては都合がいいのかどうか、それは悪いかもしれないけれども、実際双方の代理人にとってはそういうことをされ始めたら、やはり非常に裁判に対する不信を抱くと私は思います。

【水原委員】中坊委員のおっしゃるように当事者であり、そして訴訟代理人ならば問題はないと思います。最初からきちっと争点を出し合って、そして四つにかみ合った訴訟ができるような、そういう準備をしていただき、そして証拠も集中的に出していただくということならば問題は非常に解消すると思うんですけれども、現実にはそうはなっていないところに問題があるんじゃないんでしょうか。

 現実には、最初から全部主張、立証を出し合ってやっていくような訴訟の実態なのかということ、私は民事はよくわかりませんので、中坊委員のように実例に基づくことを申し上げることはできませんけれども、今までのいろいろ議論をしているところを見ますと、やはり争点が最初から明確にされていないじゃないかと、それから出すべき証拠を最初からぴしっと出してないじゃないかと、そういうところに迅速化が阻害されているという、この現状から考えるならば、争点を最初に明確にするためには、やはり専門家にある程度関与してもらうのは、一つの方策だというふうに考えます。

【井上委員】いまかなり一般的な形で議論されているようですが、竹下先生がおっしゃるのは、個々の事件ごとに必要に応じて専門家を呼んでくるということではなく、極めて限定された特殊な種類の訴訟についての話だろうと思うのです。そうだとしますと、分野によってはそういう偏りとか、そういうことの疑いの余地がほとんどない、しかも高度に専門的なため、手続の全過程を通じて専門家の補助が必要だということもあるように思います。そこをどう限定するかということによっても違うのではないでしょうか。

【中坊委員】ただ、吉岡さんのおっしゃっておられるのは、確かに現状がこうだとかああだとか言い出したら、それは確かにおっしゃるように、今、日本中の弁護士がそんなことちゃんとしてないじゃないかと、私は弁護士自身がある意味で裁判官任せみたいになっているところが現実にある。そういうことは私わかりますよ。しかし、今この司法制度改革審議会では、まさに21世紀のあるべき司法を論じていくんだから、あるべき姿というのをちゃんと描かないと、現状がこうだからと言い始めたら、これは議論が全く違う形になってきて、私はそれにはちょっと賛成できません。

【佐藤会長】今日の段階では、これについて結論を出すのは非常に難しいと思います。専門性を生かすような工夫をすべきだという考え方と、公平性といいますか、そういう観点からもっといろいろ議論すべきだという考え方、この2つの考え方があるということだと思います。まとめの段階で、更にもう一遍ここは御議論いただくということにしたいと思いますが、代理、それでよろしいですか。

【竹下会長代理】6月13日に法曹三者のヒアリングが予定されていますので、そこでいろいろ資料を出していただいたり、あるいは意見も聞いてみたいと思います。

【佐藤会長】司会者は先ばっかり急ぐもんですから。

 それでは、あとは「弁護士の専門化等」ということですが、ここのところは法人化、共同化が必要だということであり、あまり御異論ありませんね。

(「はい」と声あり)

【佐藤会長】では、これは御異論なしということにさせていただきます。

 それから、9ページの「民事執行制度の在り方」、これも大体確認済みのことであり、御異論のないところかと思います。ただ、山本委員がおっしゃっている、間接強制とか、短期賃貸借の廃止といった問題がありますが、これはややサブカテゴリーの問題かなという感じで、ここで立ち入って議論するのが適当なのかどうかですが。

【山本委員】これ裁判所侮辱罪とかっていう議論がありまして、そこまでいくのはどうかということで、そこら辺が間接強制みたいなところで。

【中坊委員】これは、確かに私もここは一言言わなきゃいけないんです。というのは、これを実務でやっていたのが私のところの住管機構ですよ。住専法ができて、それでこの民事執行法の中にこういう短期賃貸借を濫用してやる人がいて、それを防ぐためにわざわざ法律を直してもらって、確かにこれに対して保全処分が強化されたりして、現実にこれは食い止まっているんです。

 それでまた、ここに書いてあるように「財産照会手続」と書いてあるでしょう、これ本当にものすごい効果あるんです。これは財産調査権というのが私の方にはなくて、預金保険機構が行使するわけです。財産照会権というのは本当に、もしこれを認めるとなると、刑事罰がこれに伴ってこなきゃいけないんです。そしたらものすごい力になりますよ。しかし住専問題のときは、公的資金が出ているから、いわゆる税金に準じるっていう意味で、特別例外としてあったけれども、これがもし一般的に普及するとなったら、やはり大問題でしょう。

【竹下会長代理】どういう仕組みが考えられるかということを検討してもよいのではないでしょうか。

【髙木委員】今の公的資金の問題やら濫用的賃貸借など、その世界の話はわからんでもないんですが、普通の国民が、何かで、例えば競売やったらすぐ翌日に出ていけと言われる、あれは3年ですか、そういう意味で、一方でこういうむちゃな世界があると、それは何とかせにゃいかんということになります。けれども一方でこれをどういうふうに適用、運用されたらよいのかということもある。これはどっちに力点を置くのかというのはあるんでしょうけれども。

【佐藤会長】その辺の問題は具体的に考えておく必要があるかもしれませんね。有効な対応策が必要だということ、これは御異論はないんだろうと思うんですけれども、これについて次の法曹三者のヒアリングをやるときに出てくるかどうかわかりませんが、もう少し具体的にイメージした上で、最終的な結論を出したいと思います。

【竹下会長代理】一つだけ付け加えさせてください。というのは、ここでは直接触れておりませんが、家庭裁判所で調停あるいは審判で認められた権利については、一般の民事執行手続を利用するほかに、特別の権利実現方法として、現在、家事審判法上、履行確保の制度というものが認められております。ところがこれが余り実効的でないと言われておりまして、履行確保制度の実効化ということも弁護士会の一部から言われているようですので、その問題も検討の対象にしていただければと思います。

【佐藤会長】はい、では、これはそういうことにさせていただきます。

 次に、10ページの「司法の行政に対するチェック機能の在り方について」ですが、今日初めて塩野教授のお話を承ったわけであります。行政事件訴訟制度の改革、改革といっても、どの程度考えるのか、それ自体が問題なんですけれども、改革はやはり避けて通れない課題であるという点については、余り御異論がないんではないかという気がします。改革するとして、どこをどのように改革するべきなのか、今日「有効な球」というような話も出ていましたけれども、その辺をこの審議会として具体的にどう考えるべきなのか。法改正そのものをこの審議会で具体的に検討することは、いろいろな意味で難しいのですけれども、それではこの審議会としてどのように提言すべきなのかについて考えなければいけないということでありまして、その辺も含めて、もう少しこの審議会として議論する必要があるというように思っております。後でスケジュールについてお諮りいたしますが、集中審議以降のスケジュールは一応予定として描いていますけれども、集中審議以降にこの問題について御審議いただく必要があると思っております。この問題は今日勉強したばかりですので、今日のところはこのぐらいにしておきたいと思いますが、よろしゅうございましょうか。

(「はい」と声あり)

【佐藤会長】次に、11ページの「裁判手続外の紛争解決手段の在り方」であります。ADRについてはいろいろ積極的に考えた方がいいということについては、抽象論のレベルでは御異論のないところかと思いますけれども、さて具体的にどのように考えるのか。それから、我々の基本的なスタンスとして、裁判、本来司法との関係をどういうように考えるのか、その辺の問題もあろうかと思いますが、これについて何か代理の方から。

【竹下会長代理】今、会長の整理されたとおりで、一般論としては余り御異論がないと思いますし、各種の提言でも大体みんな、紛争解決方法の多様化というような視点から、その拡充の必要性が言われておりますので、それで結構かと思うのですけれども、ここの中で「拡充・改善を図るADRの範囲」というところがございます。それについて髙木委員から、調停だけではなくて仲裁を含む民間のADRがもっと発展するよう、サポート体制を強化すべきだとの御意見が述べられています。それからまた、労働委員会では個別労働紛争のあっせん、調停、仲裁をも行いうるようにすべきことを指摘されておられます。私は、ことに労働委員会などのように、行政型で、しかも特別の専門分野のADRを、現在もあるのですけれども、それほど十分機能していないものですから、そういうものの拡充を図るということが、一つの方向として求められるのではないかと思うのです。労働委員会、あるいは建設工事紛争審査会などもそうかと思うのですけれども、前にいただいた資料ではそれほど申立件数は多くない。そういうものを充実させていくことが必要だろうと思います。

 もう一つは、弁護士会でやっておられる仲裁、それから特別なものとしては、工業所有権仲裁センターでしたか、そういうものについてやはり拡充をしていったらよいのではないか。弁護士会の場合は、担い手の中立性、法律家としての専門性に対する信頼があるからです。それで、一般の民事事件とか家事事件については、やはり調停が非常によく機能しているので、それに任せてもよいのではないかと思っています。

 もう一つ、ここでは直接触れられておりませんが、国際商事仲裁の分野は、これから非常に重要な意味を持ってくると思いますので、是非この審議会としてもそれをバックアップすることを、考えるべきではないかと思っております。

 その後の「裁判手続との連携」という問題は、調停から訴訟に移った場合に、調停で出された資料を、どのように利用できるかという問題があるかと思います。ことに前回のここでの御議論のように、人事訴訟を家庭裁判所に移したということになると、家事調停で家庭裁判所調査官がいろいろ調査をされた資料というようなものを、訴訟になった場合にどう使っていくかという問題が出てくるので、それとの関係ということも、やはり検討すべきではないかと考えております。

 差し当たりは、そんなところです。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。この点について、何か。

【中坊委員】一つだけ。私、詳しい資料は持っていないんですけれども、一種のADRとして今、日本で一番たくさんあって実効のあるのは(財)交通事故紛争処理センターなんですね。そのセンターが相場をつくるということになってしまっているという事実もありますね。交通事件というのが一時はもう裁判所での紛争解決が圧倒的多数であった、それが影をひそめて、そのADRによる解決が盛んになっている。だから、交通事故紛争処理センターの方が、ほかのADRでは余りないことなのに、なぜそこだけが異常にたくさんあって、それでどうなっているかっていうことは、ちょっと我々としても調査をしないといけない。ADR全般がまだ余り活発でないとか、仲裁センターも不活発だということでは済まされない。非常に大きな分野において、しかも決定的な役割を果たしているものもあるわけですからね。それをよいとするのか、悪いとするのか。とにかく我々の審議会としては、その資料をちゃんと見ておく必要があるだろうと思いますね。

【吉岡委員】私は紛争解決の迅速性を図るという意味で、ADRが機能するというのは、国民にとっても非常にプラスだと思うんです。ただ、私たちに一番身近なところにあるのではPL関係で、いわゆるPLセンターが今13、14あるんですが、市民の側からよく問題にされるのは、そのPLセンターの構成だとか性格だとか、中立であるかどうか疑問視にされるようなこともあるんですね。運営費がどこから出ているかとか、あるいは専門家がどこから派遣されているか、極端な場合はメーカーから出向している人がいるという、そういうような事例もあったりしまして、やはり性格が本当に公平、中立であるということがないと、市民側から批判されるという面もあるということを、ちょっと申し上げさせていただきます。

【佐藤会長】ADRについての情報公開というのか、そういうものも非常に重要なんでしょうね。それぞれの性格についての。

 ADRについては、今日の段階でどのようにまとめておきますか。

【中坊委員】ちょっと調査を。これだけではやや不足ですね。

【佐藤会長】抽象的に結構だというだけでは、何の意味もないんで。

【竹下会長代理】前の私の報告のときに、事務局でつくっていただいた資料31、32は非常によくできております。件数とかADRの組織の内容とかは、32で重要なものは示されておりますが、なお重要なものがあればもう少し幅広く資料を整えていただくということで。

【佐藤会長】最終的に資料を整えて、そしてその上で項目的に抑えるべき点をやるということになるんですかね。

【竹下会長代理】そういうことですかね。

【中坊委員】それには、交通事故紛争処理センターも入っているんですか。

【竹下会長代理】入っています。非常に多く利用されていて、和解成立が、平成10年度で2,936件、審査申立が313件で、断然飛び抜けて多く利用されているところです。

 従来は、むしろ裁判所の判例、実務で決めた判断基準が確立しており、交通事故紛争処理センターはそれを使っているので、それが信頼されているのだと言われているのですけれども。

【中坊委員】それがまた、今後はこっちの方が逆に相場をつくっているとも言われている。だからちょっと調査していただきたいのです。どういうことになっているのか、私も知らないんだけれども。

【藤田委員】例の赤本というものが、かなり基準になって。

【中坊委員】一時期は裁判所がリードしてたんです。ところが、今度はもうこっちの方がリードしていると言われている。

【藤田委員】そのころよりも交通事件は増えてきております。

【中坊委員】まだ裁判所に来ますか。また増えているの。

【藤田委員】一時、一番多いときは交通部に9人ぐらいいたのが、5人ぐらいまで裁判官が減ったんです。それで労災事件を担当事件に加えたんです。交通事件だけじゃ仕事が足りないということで。それが今度交通事件が増え出して、今7人ぐらいかな、裁判官の数が少し増えてきているんです。

【佐藤会長】それじゃ実態を少し。

【中坊委員】実態を言ったら、それは変わりますよ。だからやはり基本的にはランチメニューもあればお寿司もあれということで、やはりメニューは増える方がよいということは、我々として言える。ただその議論は我々が審議会といったときに、そこは余り調べてないじゃないかと言われたら、私たちの言っていることに説得力がないから、多少言っているだけで、やはり私は基本的には、ADRというのは、もっと利用者の立場からすれば選択肢が余り少ないよりも多い方がよいというのが原則だし、あるべき姿としては、私はそういうことにならないといけないと思います。

 だから、私は別に反対しているわけじゃなしに、ただそういうものがあるから、時の移り変わりによって、世の中の移り変わりによって、ものすごく変わりますから、それを超えてまたそこに原理があるとか、その原理をつかまえましょうということだけです。

【藤田委員】私も同意見です。

【佐藤会長】これはこの程度で。あとはこの「情報提供・相談窓口」ですが、これは前にやりましたからね。次に13ページの「司法に関する情報公開の在り方」、これも基本的に前に議論したところですね。

 一番の問題は、14ページの最後のところですが、クラスアクション、懲罰的賠償です。「国民の司法参加」はまた後で御議論いただくことですので、今日は、懲罰的損害賠償とクラスアクションの導入について少し御議論いただきたいと思います。この導入については、今のところ2つの考え方が並存しているということです。

 これについてはまとめの段階で、また御議論いただかないといかんのですけれども、今日はどこまで議論しますか。まとめのところで、御議論いただきますか。

【中坊委員】ちょっと疲れましたな。

【竹下会長代理】懲罰的損害賠償は、一口で損害賠償といっても、アメリカの各州でいろいろございますし、もう少し資料を出していただいて検討するということでどうでしょうか。

【井上委員】そうですね。重大な事柄ですから、余り拙速に結論を出さない方がいいと思います。

【佐藤会長】懲罰的損害賠償については、アメリカでもいろいろ議論があるようでして、なかなか難しい問題だと思います。

【藤田委員】クラスアクションにつきましては、公害紛争処理法に入れてあるんです。

【竹下会長代理】それから、新しい民事訴訟法では、選定当事者の制度を改正いたしまして、クラスアクション的な機能を果たせるようにしました。

【佐藤会長】まだ、その動き方はわからんわけですね。

【竹下会長代理】はい、まだわかりません。

【髙木委員】今、言ったように、アメリカでもいろいろあるというのは、アメリカではどういう議論になっているのか。

【佐藤会長】それについても是非知りたいですね。

【竹下会長代理】これは、恐らく弁護士会もいろいろ調査しておられるんでしょうし、最高裁の方もやっておられると思いますので。

【佐藤会長】13日のヒアリングで、それぞれの立場で聞けるところがありますかね。

【中坊委員】でも、それ以上に私は、例えば懲罰賠償というのであれば、井上さんのおっしゃるように、本当に司法の根幹に触れるような問題ですね。だから、填補賠償だけでよいのか、懲罰賠償まで認めるのかというのは、まさに司法の、生かすも殺すもといっていいぐらいの大きな問題だろうと思いますから、よくやはり審議をすべきじゃないかという気はしますね。

【佐藤会長】今日の段階では2つの考え方が並存しているということで、まとめの段階で更に御議論いただくということにしたいと思います。13日のヒアリングもその議論の場ですけれども、まとめようとすれば更に議論をする必要があるかもしれないということにとどめさせていただきます。

 大変取り急ぎまして、一応この辺で。

 人的基盤については、すでに言及しましたように、もう別のところでまたやっていきますので、お許しいただければと思います。

 取り急ぎまして、あと10分ちょっとくらいで済ませたいと思いますけれども、今後の審議予定について。

【水原委員】その前に1点、申し訳ございません。時機に遅れた御質問かもわかりませんけれども、前回審議の際に、計画審理の考え方のところで、いろいろ御議論ございました。計画審理の考え方を一層推進して、司法の人的基盤の充実も併せて行いつつ、実務に定着させていくべきことの認識は一致しました。

 ところが、山本委員の御意見の中に、審理期間や手続の範囲の節目の期間などをあらかじめ計画化することが有益だという御意見がございましたけれども、その審理期間についての御意見が全然出ておらなかったんで、審理期間を何年に決めるかという。たまたま、私が刑事問題でまとめさせていただいた際に、ドイツ、フランスにおいては第一審の審理期間の定めがあるということでした。これもやはり今後日本において検討する必要があろうという意見を申し上げました。

 この間、送っていただきました自民党のあの案によりますと、民事も刑事もやはり迅速化について、国民的視野に立って考えなければいけないだろうと、その一つの目安として第一審は3年を目途にやるべきではないかという一つの指針が示されておりました。本来ならば5月30日にこの点を取り上げるべきだったと思うんですけれども、質問しなかったんですが、この点は何もやらなくよろしいのかなという気がいたしております。

【佐藤会長】それは、まとめのときに議論していただければと思います。

【竹下会長代理】おっしゃるように、あのときには少しはっきりしなかったのですけれども、私の方としては13日の法曹三者のヒアリングのときに、また取り上げていただきたいと思っております。

【水原委員】そうですか。わかりました。それなら結構でございます。どうも済みません、時機に遅れた質問をしまして。

【佐藤会長】それでは、今後の審議スケジュールについてお諮りしたいと思います。その前に、法曹三者のヒアリングの項目についてなんですけれども、前回と今日の御議論を踏まえまして、ヒアリングの項目について竹下代理、それからユーザーの委員の3人で具体的に作成させていただくということでよろしゅうございましょうか。

(「はい」と声あり)

【佐藤会長】では、法曹三者に質問項目を送付して、それから各委員にも同時にお送りいたします。そして13日のヒアリングではいきなり質疑応答に入りたいと思います。もう説明を受けなくてですね。そういうことでやらせていただいてよろしゅうございますか。

(「はい」と声あり)

【佐藤会長】では、前後しましたけれども、今後の審議予定でございます。

 前回の審議会の際に御了解いただきましたので、委員の皆様にお送りした審議スケジュール案について、更に何人かの委員の皆様から御意見をいただきました。それを踏まえて再度、会長代理と相談しまして、お手元にお配りしたような案を考えさせていただいたわけであります。

 お手元には「夏の集中審議までの審議スケジュール」と題するものと、「夏の集中審議以降中間報告まで審議スケジュール(予定)」と題するものの2枚をお配りしております。1枚目の「夏の集中審議までの審議スケジュール」は、こういう形で進めさせていただきたいということで、本日お決めいただければありがたいんですけれども、そこはよろしいでしょうか。

 2枚目の「夏の集中審議以降の中間報告までの審議スケジュール(予定)」ですが、これはあくまで予定でありまして、10月の末に中間報告を考えているものですから、それに合わせていろいろ考えたんですけれども、既にさっき申し上げたように、行政訴訟については更に御審議いただく必要があるかと思います。その辺は、どこにはめ込むのかという問題もあるんですけれども、一応の腹づもりとしてこんな形で進むんだということで、御理解いただければと思います。また改めて御相談しますので、今日は集中審議までのスケジュールをお決めいただきたいということなのであります。

 それで、夏の集中審議については基本的には前回、前もってお送りしたのとほぼ変わってないんですけれども、7日から9日にかけての夏の集中審議において北村委員から、隣接士業関係に関してレポートしていただくという点を明記させていただきました。隣接士業関係の問題は、法曹人口、弁護士の在り方等とも関連しておりまして、7月7日の第24回会議では、隣接士業関係者からヒアリングを行うということを考えております。そして、それを踏まえて、どなたかの委員からレポートしていただいて、御審議していただくのが適当ではないかということで、会長代理とも御相談の上で事前に北村委員にお願いいたしましたところ、御快諾いただいたということでございまして、北村委員、恐縮ですけれども、よろしくお願いいたします。

 こういうことを考えておりますけれども、集中審議までの点についてはよろしゅうございましょうか。

 鳥居委員と、今日お休みでございますけれども、曽野委員のお二人につきましては、こういう形ではありませんが、しかるべきところでまとまった御意見を開陳していただきたいと思っております。鳥居委員は、かねて法曹人口の問題について非常に強い御関心をお持ちですので、その辺の問題を集中審議のときにお話しいただきたいと思っております。

 曽野委員については、この趣旨をお伝えして、しかるべきところでまとまったお話をちょうだいするということを考えております。

【水原委員】法曹人口等の諸問題を含めての意見交換のところですが、これは隣接士業の関係では北村委員に報告をいただくということで、前に申し上げましたけれども、例えば特任検事の法曹資格をどうするかという問題は、どの辺りで御議論いただけることになるんでしょう。または、御議論はいただけないんでしょうか。

【佐藤会長】そこまで具体的に、まだ考えてなかったんですけれども。

【水原委員】是非、その点は臨司のときにも検討している課題だということを指摘されておりますので、是非その辺は御検討の中に入れていただきたいと思います。

【佐藤会長】では、しかるべきところで検討することを考えさせていただます。

【井上委員】今の原案で結構なのですけれども、法曹人口については鳥居委員からレポートしていだけるということなのですが、できれば、石井、吉岡、北村各委員からもその辺に少し触れていただければ、いろんな角度から議論ができるのではないかと思います。これまで、中坊委員の御報告では出てきていたのですけれども、全体としては、まだ突っ込んだ議論をしていませんので、是非そこのところも夏に議論できればと思うのです。

【佐藤会長】ここは、丸2日、7日の午後も含めると2日半あるわけですけれども、ここでは各委員のできるだけ率直な御意見をちょうだいしたいと思っております。

 では、集中審議まではよろしゅうございましょうか。それ以降のスケジュールについては、また改めて正式にお諮りしますけれども、一応こんな感じだというように御理解いただければありがたく思います。

 「国民の期待に応える刑事司法関係」では、髙木、山本両委員にレポートをお願いしております。夏の集中審議では、今申しましたように、全委員からの意見を開陳していただく予定にしておりますので、よろしくお願いいたします。

 では、この件は以上で終わらせていただきまして、次に地方公聴会について御報告いたします。第2回目の地方公聴会は福岡で行うことになっておりますが、意見発表者の選考は私と会長代理に御一任いただいておりましたところ、結果等について御報告したいと思います。

 福岡における地方公聴会の公述人につきましては、第19回会議において御了解いただきましたので、私と会長代理とで相談させていただきまして、今回新たに応募のございました34名と、それから前回の大阪における地方公聴会の際に応募していただきました方のうち、九州、中国地方から御応募いただいた4名の、合計38名の方からお手元にお配りしております一覧表に記載した6名の方を選ばせていただきました。既に事務局からそれぞれの方に御連絡して、御内諾を得ているということでございます。

 今回の公述人の選定に当たりましても、前回と同じように、地域性を考慮し、また、意見書の内容、年齢、職業、住居地、男女のバランスなどを検討いたしまして、そういう6名を選ばせていただいたということでありますが、それでよろしゅうございましょうか。

(「はい」と声あり)

【佐藤会長】ありがとうございます。
今回もいろいろな立場から、さまざまな意見が寄せられておりまして、読んで非常に参考になりましたが、事務局においてすべての意見を保管しておりますので、御関心のある方はお読みいただければというように考えております。

 それで、傍聴者の関係ですけれども、どういう状況になっていますか。

【事務局長】福岡における地方公聴会の傍聴希望者につきましては、546名の応募がございました。当初予想しておりました、傍聴希望者の数を大幅に上回りましたので、本来ならば大阪における地方公聴会のときと同様に、抽選を行うところでしたけれども、使用することを予定しておりました会場に問い合わせをいたしましたところ、会場のパーテンションを取り外して隣の部屋も借りますと、応募いただいた方全員に入っていただくことが可能であるということでしたので、今回は隣室も借りることにしまして、応募者全員に傍聴券を送らせていただきました。御了承願います。
 ちょっと人数が多くなって、委員の方は大変かもしれませんが、そういう大部屋でやることにいたしました。
 以上です。

【佐藤会長】できるだけ多くの方に聞いていただいた方が意義があることだと思いますので、そういう措置を取らせていただきました。
 次に、札幌、東京における公聴会の公述人、傍聴者の応募状況などにつきましても、事務局の方からお願いします。

【事務局長】札幌におきます公聴会の公述人につきましては、既に応募を締め切っておりますが、29名の方から新たに応募がございました。傍聴人につきましては、6月15日が応募の締め切りですが、これまでのところ約120名の方から申し込みがきております。
 東京における公聴会の公述人につきましても、既に応募を締め切っており、70名の方から新たに応募がございました。傍聴人につきましては、6月23日が応募の締め切りですが、これまでに約200名の方から申し込みが来ております。傍聴人につきましては、大阪、福岡とも締め切り間近になって、かなりの数の方からの応募が来ておりますので、札幌、東京とも今後まだ、多数の方からの御応募があるものというふうに思っております。
 以上でございます。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。
 いずれの公聴会でも、公述人及び傍聴者とも、今の御説明のとおり、かなり応募が来ているということですけれども、公述人につきましては、これまでの選定方針と同じく、会長代理と御相談させていただいて、選ばせていただきたいと思いますが、よろしゅうございましょうか。

(「はい」と声あり)

【佐藤会長】ありがとうございます。
 それから、福岡における地方公聴会、浜田の実情視察も近づいてきましたけれども、その日程等々につきまして、御参加いただく委員の方には、それぞれ事務局の方から御連絡いただくことにしております。次から次へと大変恐縮でございますけれども、よろしくお願いいたします。
 最後に配付資料の確認などお願いします。

【事務局長】配付資料一覧にあります各界要望書等の中に、「2000年司法総行動共同要請書」という冊子が入っていますが、これは5月17日に当事務局に来局しました、司法総行動実行委員会の豊田弁護士他から委員の皆様にお渡ししてほしいとの依頼があり、受け取ったものです。その際の事務局との応接の模様を記したメモもあわせて入れてあります。
 なお、これと併せまして、ここにございますように、裁判所速記官制度の充実、強化を求める7,000名の署名も受け取っておりますので、ここで紹介させていただきます。事務局に保管しておりますので、どうぞ御覧になってください。
 また、同じく「グローバル経済に対応する司法制度改革」という文書が入っております。これは5月16日の閣議で報告された「平成12年版通商白書」から、司法制度改革に関する部分を抜粋したものでございます。
 それから、「随想・弁護士任官裁判官」という書籍が入っておりますが、これは著者の髙木新二郎獨教大学教授から委員の皆様にとの御好意によりいただいたものであります。
 もう一つ、「裁判官の人事評価の基準、評価の本人開示、不服申立制度等について」という書面をお配りしていますが、これは、第17回の審議会で裁判所、法務省の人的体制について最高裁のヒアリングが行われました際の委員からの質問に対する回答として、最高裁判所から提出されたものであります。
 その他の資料につきましては、特に説明することはございません。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。
 よろしゅうございますか。では、次の日程ですけれども、6月13日火曜日、これは前回御承認いただきましたけれども、13時半~17時、この審議室で行うということにさせていただきたいと思います。
 本日の記者会見は、いかがいたしましょうか。
 代理、よろしいですか。

【竹下会長代理】ちょっと打ち合わせをしましたら、すぐ駆け付けます。

【佐藤会長】では、どうもありがとうございました。
 いつも時間を延長して申し訳ありません。