平成12年7月7日 全国社会保険労務士会連合会 |
まず、社会保険労務士の現状について申し上げます。
社会保険労務士制度は、昭和43年に制定された社会保険労務士法に基づき創設された制度であり、爾来、社会保険労務士は、労働社会保険に関する事務手続、相談指導、労務管理等のサービスを行っております。社会保険労務士は、平成12年3月31日現在、全国で、で25,066人を数えております。
(1)社会保険労務士の資格取得
社会保険労務士の資格を取得するためには、国家試験である社会保険労務士試験に合格しなければなりません(法3条)。受験のためには、①短期大学卒業程度の学歴又は②公務員歴、民間企業歴ないし労働組合歴等における労働社会保険業務従事歴が原則として5年以上という受験資格が必要とされます。次に、試験科目は、労働基準法をはじめとする労働法4科目及び健康保険法をはじめとする社会保険法3科目と労務管理その他の労働及び社会保険に関する一般常識の計8科目であります(法9条)。試験の内容は、労働社会保険の専門家としての能力を判定するに相応しい法律実務が主体となっております。最近、受験者数が急増しており、本年の受験申込者は5万人に達しています。合格者は毎年2千人前後、合格率は毎年7パーセント前後となっております。
社会保険労務士となる資格を有する者が社会保険労務士となるには、社会保険労務士名簿に登録を受けなければなりませんが、それには、実務経験2年以上又は主務大臣がこれと同等以上の経験を有すると認める者であることが必要であります。後者については、個別の審査は行われておらず、厚生・労働両大臣の委託を受けて全国社会保険労務士会連合会が行う事務指定講習を修了した者がその対象となっております。
(2)社会保険労務士の業務内容
次に、社会保険労務士の業務の大要は、冒頭申し上げたとおりでありますが、その内容は、非常に専門的なものであります。事務手続のうちルーチンのものは所定の様式の書類の作成でありますが、それとても細心の判断が必要なものが少なくありません。例えば、厚生年金の在職老齢年金の受給については、どういう条件で就労すれば事業主及び労働者にとってもっとも有利であるかを考えて該当の労働者の労働条件を決め、それに基づいて必要な届けを行政機関に提出しなければなりません。また、書類の作成事務の中には、就業規則をはじめとする企業の諸規程の作成などがあり、これらは、労働基準法、雇用機会均等法、育児休業法、介護休業法等の関係法規を十分理解して、違法な規定を置かないようにしなければならないのはもちろん、企業の労務の実態に適合したものとする必要があります。例えば、週40時間制の適用等関係法律の改正に伴ってすべての企業の就業規則が改正されましたが、この場合は、労働能率を維持しながら、労働コストの増加を押さえ、改正法に適合する労働システムを作り、これを就業規則に規定していくというような極めて難しい作業をしなければなりませんでした。また、労働社会保険に関する法律相談は、すでに社会保険労務士の業務範囲に入っております(法2条1項3号)が、複雑多岐な関係法令の適用、解釈にわたり、とくに年金に関しては、毎年のように変わる取扱いについて承知をしておかなければ誤ってしまうようなもので、社会保険労務士でなければ完全な指導ができないものであります。
(3)社会保険労務士の研修
このような社会保険労務士の業務を円滑に遂行するために、全国社会保険労務士会連合会は、社会保険労務士の倫理綱領5項目の中に「知識の涵養」を掲げ、社会保険労務士の資質の向上のために、研修を主たる事業とし、平成12年度には総額6,920万円の予算を計上して、全国社会保険労務士会連合会が行う研修費用及び各都道府県社会保険労務士会が実施する研修費用の補助に当てており、平成11年度には約400回の研修会に3万人を超える会員が受講しております。
ところで、労働社会保険の分野においては、労使あるいは官民の紛争が起きやすい状態にあります。最近、労働組合が関与する集団的労働問 題が減少しつつあるとはいえ、個々の労働者が、経済情勢の悪化により、解雇、賃金、退職金等労働条件の問題で、公共の機関に相談する件数は、年間30万件ともいわれております。また、労使間の紛争が訴訟に持ち込まれることに加え、行政処分に対して不服を持ち、権利の実現を図りたいとする意識が国民の間に強固になりつつあり、労災保険や年金に関する行政処分の変更を求める者が多くなってきております。このため、労働関係民事・行政通常事件の新受事件総数は、平成10年度は2,519件と、平成元年度1,027件の2.5倍となっております。
(1)簡易かつ迅速な解決の必要性
このような状況の中でまず求められるのは、簡易迅速な解決であります。紛争の当事者が事業主であれ、労働者であれ、社会保険労務士が関係するのは大部分が中小企業の関係者であるために生活に余裕がなく、紛争を長引かせることはできません。また、訴訟の費用がかさむことにも耐え切れません。できることならば訴訟に持ち込むことは避けたかったけれども、紛争の解決のためにやむをえず訴訟になったので、なるべく早く解決をしたいのが真情です。貴審議会でも審議が進められていますので、近く改善が図られると思いますが、ふだん近付きがない弁護士への事件処理の依頼、その場合の訴訟費用、訴訟に取り掛かるまでの調査、打合せなど、現状ではおよそ簡易迅速とはいい難いことになると思われます。これに反し、社会保険労務士の場合は、事業所の顧問として事件についてよく知っていて、訴訟の準備に時間も費用も掛からないというのが普通ではないかと思います。
なお、各種の紛争の簡易迅速な解決にはADRが有効であること、とくに、労働事件の解決がADRによることが理想的であるということについては、本審議会や自由民主党の司法制度調査会での大方のご理解を得ていると存じます。しかしながら、個別的労使紛争の解決のための機関が労働省の出先機関その他の公共機関に設けられているところでありますが、残念ながらこれらが必ずしも十分に機能していないのが事実であります。従来の労働紛争が、労働組合の団体交渉、労使協議制によって解決していたものが、これらが機能しなくなって、極めて多数の個別的労働紛争に変わってきたのに対し、これを処理する人材の不足が原因と思われます。これに対処するため、特別な機関の設置について労働省、連合等において検討されておりますが、これらの機関がその目的を達成するための人材の手当が十分になされているかどうか疑問視しているところであります。社会保険労務士は、これらの機関の人材不足を補い、社会保険労務士の役割を発揮し、労使の代理人としてこのような機関を利用し、さらには、これらの機関の調停委員、仲裁委員として、個別労使紛争の解決に尽力し、労使、国民のお役に立ちたいと希望しているところであります。
また、現在、社会保険労務士は、労働争議への介入を禁止されています(法23条)が、労働省のご了解も得ておりますので、関係方面のご理解を得て法改正を行い、社会保険労務士の参加による労使の集団的労使関係における話合いのお手伝いをさせていただきたいと希望しております。
(2)事件に関する専門的判断
次に必要なことは、事件に関する専門的判断であります。労働社会保険の分野の問題の処理についてはかなりな専門的かつ実務的な知識経験が必要であります。法令の規定、判例の動向ばかりでなく、実務的な問題処理の勘が必要なのです。例えば、訴訟でよくある事例としての時間外労働の割増賃金の請求については、時間外労働の命令が出ているかどうか、時間外に業務を処理する必要があったかどうか、時間外労働の時間数が正確に算定されているか、割増賃金の額が正確に算定されているかどうかなどをすべて判定した上で請求が正しいかどうかが決められます。事件の成否についてこのような判断ができるかどうか、さらにはその検証ができるかどうかは、ふだんの研鑽と経験が必要であることはいうまでもなく、何といっても、労働社会保険の分野の問題処理は社会保険労務士に任せることが国民の利便に適うというべきではないでしょうか。
(3)労使の信頼感
労働関係は、労働契約に基礎を置いた契約関係であるとはいえ、通常の民事あるいは商事の契約関係とは異なる面があります。それは生きた人間を対象とした契約であるからです。つまりは、契約当事者の気分、態度、感情などによって契約の履行が左右されることがあるのです。したがって、労使紛争が発生し、解決したとしても、その解決の内容、方法等に双方はもちろん、一方にでも不満が残れば、いつまでも労使間のしこりが残り、モラールに影響が出ることになります。労使間の紛争が原因になって経営が破綻した企業は、少なくありません。したがって、労使紛争はなるべく早く労使の納得する解決を図らなければならないというのが労働関係者の常識であります。そのためには、労使から信頼された人物が適法な、また常識的な解決をすることが必要です。いかに社会的に名の通った有名人であろうと労使双方から信頼されない人物が仲介しても、理想的な解決を図ることはできません。社会保険労務士は、継続的な顧問契約関係にある事業所には業務の性質上、定期的に訪問をしております。その際は、事業主と面談するばかりでなく、労務管理の状況や安全衛生の実情をみるために職場を巡回しますので、労働者とも言葉を交わす機会も多く、事業主はもちろん労働者の気心を知っていますし、事業主を説得して労働法規を守らせることに努力していることを知られていますから、労使双方から信頼されています。したがって、労使が社会保険労務士を中心として話し合えば、紛争が表面化しないうちに労使双方が納得する解決をする可能性が大きく、国民の利便に資することになりましょう。
(1)労使紛争の解決 代理、和解、仲裁等の制約
社会保険労務士は、顧問事業所を訪問し、職場を巡回した際には、労働者からもいろいろな相談や労働条件の改善要望なども受けております。社会保険労務士は、そのような相談、要望の内容を事業主に伝えて、改善することができるものは事業主に改善することを勧め、事業主と話し合った結果、改善が困難である場合は労働者に企業がそれをできない事情にある理由を説明し、その納得を得るように努め、自然に労使双方から信頼される調停役を務め、未然に労使紛争が発生することを防いでおります。
しかしながら、労働者の要望に対する事業主の拒否反応又は事業主の講ずる施策に対する労働者の反対が労使紛争の形で表に出てくると、残念ながら、社会保険労務士は、労使の調整役を降りざるを得ません。もし、社会保険労務士が労使紛争を労使どちらからの依頼にせよ解決の仲介、調停をしようとすれば、それは弁護士法第72条の規定によって弁護士以外の者には禁止されている代理、仲裁、和解等の法律事務に該当するとみられるからであります。
ADRによる問題解決が労働紛争については最適なのであるといわれながら、ADRによる問題解決の最適任者である社会保険労務士が、弁護士法第72条の制約によってその努めを果たすことができないのは、企業経営の発展、労働者の福祉、ひいては国民の利便に反するものといえましょう。また、労使紛争が話合いで解決することができず、訴訟にまで発展したとしても、労働法規の専門家であり、企業とその労使関係について通暁している社会保険労務士が、当事者の依頼により訴訟代理人(簡易裁判所の段階)又は補佐人(地方裁判所以上の段階)としてその解決に関与することは、迅速かつ当事者の意向を反映した円満解決に役立ち、その結果、国民の利便を増大させるものと信じております。
(2)行政事件の解決 訴訟の関与に関する制約
一方、社会保険労務士の業務の多くは、行政機関を相手として行うものであります。社会保険労務士が最も多く行っている仕事は、事業主の依頼を受けて申請書、届出書、報告書等を、労働者の依頼を受けて労働保険又は社会保険の給付の支給請求書等を作成し、これらを行政機関に提出することであります。そして、これらの申請、請求等を行政機関が受け入れなかったときには、行政不服審査を経て訴訟にまで争いが持ち込まれることがあります。現在、社会保険労務士には、労働社会保険諸法令に係る行政不服審査の代理権が認められております。しかし、行政不服審査が棄却された場合の訴訟への関与は認められておりません。事業主あるいは労働者が訴訟によって自らの権利を実現しようとすれば、弁護士に事件の処理を依頼せざるを得ません。このことは、訴訟経済上大きな無駄を生じさせております。すなわち、訴訟の原因となる行政決定が行われるまでの手続をし、行政不服審査の代理人となった社会保険労務士がその訴訟に関与すれば、事件の経過を知っており、証拠も集めているので、手続的にも時間的にも無駄が生ずることなく、関係者の負担を軽減させることができます。今後、社会保険労務士が原告の依頼により出廷して補佐人として事件に関する専門的な意見を述べることができれば、依頼者に有利な事件の早期解決、経済性の面で当事者はもとより広く国民の利便に適うことになるのではないでしょうか。
以上のように、社会保険労務士が現在の職務の延長線上において、労働社会保険の分野における事件の訴訟その他の法律事務を遂行することができるとすれば、自由民主党の司法制度調査会の報告で示されたように、私ども全国社会保険労務士会連合会は、社会保険労務士が訴訟その他の法律事務を遂行することができる能力を担保する措置を講じ、また、それらの事務を行う基盤を作ることとしております。
(1)訴訟その他の法律事務遂行能力の取得と証明
まず、訴訟その他の法律事務の遂行能力を取得するためには、民事訴訟及び民事法に関する高度の研修が必要であると考えています。このため、大学法学部、司法研修所のカリキュラム等を参考にして科目、時間数、講師等に関する研修基準を作成して、これに適合した研修を実施する計画を立てた上、今年中にもそのような研修を開始する予定でおります。なお、訴訟等の遂行能力を証明するために、研修受講者に対して修了試験を受けさせ、その合格者に対してこれを実施する資格を与えることとする予定であります。
(2)社会的存在としての倫理の確立
次に、社会保険労務士の業務遂行に関わる義務として、現在は、不正行為の指示等の禁止、信用失墜行為の禁止、依頼に応ずる義務及び秘密順守義務が社会保険労務士法で法定されており、そのほか、倫理規程が制定されております。今後、労使紛争の解決、訴訟に関わることになった場合には、社会保険労務士に対して、依頼者に対するのみの一面的な立場だけでなく、社会的存在として、公正中立な立場に立つことが要請されると思います。その点から、社会保険労務士の倫理のあり方を見直し、立場を明確にした事務処理をする義務ないし心構えを法律又は倫理規程に盛り込んで行くことを検討しているところであります。
社会保険労務士は、自らを労働社会保険の専門家と自負し、この分野の問題については、労使の依頼に応えて完全な解決を図るのがその努めであると考えております。また、それは社会保険労務士に仕事を依頼する労使の期待でもあります。したがって、社会保険労務士は、労働社会保険の分野の問題であれば、現在認められている業務の延長線上にあるものとして、訴訟にあっては訴訟代理権ないし出廷陳述権の行使を通じて、裁判外にあっては代理、仲裁、和解等の法律事務の実施により、最終的解決まで依頼者の要請に応えたいと念願しております。また、社会保険労務士は、これまで培ってきた専門的知識経験を発揮してこれらの業務を現在以上に簡易かつ迅速に行い、これまで権利の実現の機会に乏しかった中小企業の労使のお役に立つことにより、国民経済の発展に寄与したいと願っております。
以 上