(別紙1)
髙木 剛
<はじめに>
- 刑事司法の役割
(1) 刑事司法の意義
(2) 適正手続きの保障と真実発見のバランス
(3) 刑事司法と法曹三者の責務① 裁判所の果たすべき責務
② 検察の果たすべき責務
③ 弁護士の果たすべき責務- 刑事司法の現状と目指すべき改革の方向
(1) 「死んでしまった」新刑訴
(2) 過去の冤罪事件から何を学ぶか!
(3) 国連人権(自由権)規約委員会の勧告への対応
(4) 刑事司法の課題と改革の方向① 捜査の在り方と被疑者の権利をめぐる諸課題
② 起訴に関する諸課題
③ 刑事裁判の諸課題- 少年司法
- 被害者の保護と刑事司法の関係
- 死刑確定者などへのケア及び権利保障
- 裁判所、検察庁、弁護士、処遇・矯正機関の人的拡充、質的充実
<終わりに>
以上
2000年7月11日
髙 木 剛
新刑事訴訟法が制定されて以来50年余の年月を経た今、積年の課題を冷静に分析し、21世紀の日本の刑事司法のめざすべき方向を示すことは、司法制度改革審議会の大きな責務の一つであり、「論点整理」も刑事司法改革の必要性を諸点にわたって指摘しているところである。時あたかも21世紀への橋を渡ろうとする時期に当たり、人権を守りながら、国民の期待に応え、国民に信頼される刑事司法を確立していくため、刑事司法に関わる全ての者が、各々の立場や過去の経緯に過度に拘泥することなく、真摯に改革を求めて論議が展開されていくことを切に望みたい。
統一ドイツの初代大統領ワイツゼッカーの「過去に目を閉ざすものは、現在にも盲目になる」という言葉を戒めとし、刑事司法の将来についてのグランド・デザインを国民の前に明らかにする責務を本審議会は担っている。
刑事司法の意義は、犯人を迅速に検挙し、捜査、起訴、公判審理を経て適正な刑罰を与えることを通じて罪を犯したものの矯正をはかるとともに、国民に自由で安全な生活を保障するところにある。
国民が、犯罪によって生命・身体・財産を犯されず、安心して生活できる社会を構築することは、あらゆる国において国家の責務であり、国家に犯罪捜査等に関わる強力な強制権限が与えられているのは、まさに刑事司法の担うべき役割・意義によってのみ正当化される。
しかし、国家に与えられた各種の強制権限は、その強力さの故に一旦誤って行使されれば、国民の生命・身体・財産に対して回復不可能な損害をもたらしかねない危険性を常に内包しており、捜査機関の活動が本来的に国民の基本的人権とは対立する性格を持っていることは、必要かつ十分に認識されなければならない。
このように刑事司法は、一方において効率的な犯罪捜査を、他方において国民の基本的人権の擁護という異なる方向性を持つ要請に応えるという宿命を負わされている。
(2) 適正手続の保障と真実発見のバランス
わが国の刑訴法は、その第1条で「事案の真相を明らかに」することを目的にしているが、その前提として「公共の福祉の維持と基本的人権の保障とを全うしつつ」とも規定している。ここでの「公共の福祉」は、論理的には犯人の処罰といった実体に関わる要請ではなく、手続に関する要求と考えるべきものであり、もし「公共の福祉」と「基本的人権」が葛藤を起こすときには「基本的人権を優位におかなければならないことは憲法の解釈として当然であろう(団藤重光)」という有力な主張がある。
すなわち、憲法・刑訴法が想定した世界は、あくまでも「適正手続の保障」の上での「真実の発見」であり、「真実発見に重点を置き」ではなく、適正手続の保障と真実発見のバランス論は、人権擁護の側にテコの支点が寄るべきものと解するのが至当である。
このように解するべきだという理由について一点だけ言えば、強大な権限を与えられた捜査・訴追機関による人権侵害を防止するという観点から見た時、真実発見に重点をおいたり、過度にバランス論に依拠した場合は、力の弱い被害者・被告人の人権侵害を引き起こすというのが歴史の教訓であり、憲法第31条はその歴史的な教訓を踏まえたものであると解される。
(3) 刑事司法改革と法曹三者の責務
刑事司法に対する国民の期待の応えていくために、法曹三者が果たすべき役割が的確に果たせているのか、謙虚にそして熱意を持ってそれぞれが抱えている反省点・課題について検討を加え、改革を追求していくことが強く求められている。
① 裁判所の果たすべき役割
刑事司法がその意義を全うするという点で、裁判所の果たすべき役割は決定的に重要である。捜査段階における捜査機関の権限行使の監督・チェック、起訴後の公判段階における審理の迅速化と充実、有罪・無罪の判断等裁判所には国家による刑罰権の適正な発動を「適正な裁判」で担保する責任がある。この「適正な裁判」に対する裁判所の責任が充分に果たせているのか、各般にわたる問題点の指摘に裁判所の立場で積極的に応えていくことが求められている。
② 検察の果たすべき役割
刑事事件で起訴できるのは検察官だけであり、検察には公訴追行官ないし適正な法の実現について職責を有する公益の代表者たることが予定されている。
憲法・新刑訴法は、戦前の警察・検察の活動ぶりに関する反省から、検察・警察の新しい在り方を想定したが、その後の実体は、新刑訴法をできる限り旧刑訴的に運用するという姿に行き着き、検察の在り方がある意味では不明確になっているといわれている。
起訴便宜主義と検察審査会の関係、検察と警察の関係とそれぞれの権限など、多くの問題点・課題が指摘されており、その改革の方途を旧刑訴的な発想から脱して追求すべきである。
なお、刑事司法に関わる警察のあり方等、刑事司法と警察に関する論議が本審議会の枠外に置かれているかの感があり、可能な範囲でフォローする必要がある。
③ 弁護士の役割
当番弁護士活動等、弁護士会が刑事司法の改善のために積み重ねてきた活動には評価されているものあるが、一方で公判審理における集中審議阻害要因として弁護人たる弁護士の態勢が問題だという強い指摘もあり、迅速裁判への協力義務の法定や公設弁護人制度の創設なども主張されている。
今後の法曹人口増の大半は弁護士増と目されている今、弁護士をめぐる批判に弁護士会が前向きに応えていかなければ、刑事司法改革も覚束ない。
裁判官・検察官そして最高裁判事を務められている亀山継夫氏は、『刑事司法システムの再構築に向けて-主として検察の立場から見た「新刑訴」の回顧と展望』と題する論稿のなかで、「新刑訴はなぜ死んだか」という項を起こしその原因等に考察を加えている。
日本国憲法は、全部で99条の本文からなり、その内の10ヶ条は刑事手続に関する規定にあてられている。このように刑事手続に関する詳細な規定が10ヶ条にわたり憲法で定められたのは、戦前の日本における個人の権利の侵害が、様々の警察機関、特に特別高等警察及び憲兵隊の行動や検察官の対応を通じて行われたという反省に立つものだったという認識にもとづいている。
この日本国憲法の施行に伴い憲法が定める刑事手続を具体化するために、基本法の中で唯一刑訴法が全面的に改正され、戦前の職権主義に代わって当事者主義が採用され、捜査-公判を通じて適正手続を重視し、被害者・被告人の人権保障を強化したとされている。
しかし、その後の新刑訴の運用については、憲法および新刑訴法の理念から著しく隔たったものになり、旧刑訴の運用への回帰といわざるを得ない運用が随所で展開されてきている。この旧刑訴的運用への回帰には、戦後の日本の刑事事件をめぐる社会動向などの影響もあり、致し方のない面もあったといわれているが、亀山氏がいみじくも言われた通り、新刑訴は運用により当事者主義等の形骸化が進み、まさに「死んでしまった」と受けとめられている。
現在、刑事司法の改革の論議がいろいろな論点から行われており、論議の中には旧刑訴的運用を前提とした改善策と思われるものもあり、旧刑訴と新刑訴の狭間でゆれ続ける日本の刑事司法を、将来どのようにデザインしていくのか、刑事司法の本質が問われている。
なお、陪審制を休眠させてきたのも、新刑訴が当事者主義を基本にしたこととの整合性を欠くという批判も強い。
(2) 過去の冤罪事件から何を学ぶか
21世紀のあるべき刑事司法を考える上で、検証していかなければならないのは、日本の刑事司法が過去の冤罪事件の教訓に学び、冤罪に対する防止機能にきちんと裏打ちされているかという点である。
刑事司法のシステム・ルールの中に誤判・冤罪を生み出す構造が存在していないか、充分に吟味を加えていかなければならない。
最近の宇和島窃盗事件にも冤罪の構図があり、冤罪と自白の採取を目的にした捜査システムの問題点は今に至るも解決されていない。
法務省は、内部に「再審無罪事件検討委員会」を設置し、報告書をまとめたと伝えられているが、その内容は公表されていないし、最高裁がいかなる調査・検討をしたのか、一切外部には聞こえてきていない。検討の結果については、広く社会に明らかにし、世論に供すべきである。
なお、冤罪再審事件の最高裁判決の影響が、下級審における書面中心審理の傾向を加速させたという指摘もある。
(3) 国際人権(自由権)規約委員会勧告への対応
国際人権(自由権)規約委員会の勧告における刑事司法に関する主な指摘内容は以下のとおりである。
1) 起訴前勾留の改革
2) 代用監獄制度を規約の要求に満たすものにすべきである
3) 自白を取得する取調べの監視及び電気的記録
4) 証拠開示
これらの指摘は、わが国の自白中心主義-身体拘束を利用して自白を採取することを一般化した刑事司法システムの改善を求めたものであり、先に述べた冤罪・誤判の構造の改革提言でもある。
論点整理は、「公正な国際的ルールの形成・発展に積極的にかかわっていかなければならない」と述べているが、この理は、当然に刑事司法の分野にもあてはまるものである。また、論点整理は、「国際的ルールは決して所与のものではなく、各国が自らの立場を明確に主張し、利害を合理的に調整するという過程を経て形成されていくべきものである」と述べているが、正にそのような過程を経て、形成された国際的ルールが国際人権規約なのであって、その内容は、「それぞれの国の固有な価値観・社会通念あるいは社会の状況」(水原レポート)を超えた普遍性のあるものであり、それ故にわが国もこれを批准したはずである。憲法97条が述べるように、「基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、犯すことのできない永久の権利として信託されたもの」であり、この立場に立って国際的な勧告を真摯に受け止めていく必要がある。
また、一方で国際化を喧伝し、一方で日本固有の文化や感覚の特殊性を強調するかの論議の仕方については、その一貫性という点で内外の批判を受けないよう留意すべきである。
なお、犯罪の国際化等をふまえ、捜査・司法共助制度の一層の拡充・強化をはかっていくことは当然の方向である。
(4) 刑事司法の課題と改革の方向
① 捜査の在り方と被疑者の権利をめぐる諸課題
(a) 裁判官の令状審査の実態と改善の方策
捜査段階において、裁判所は捜査機関の行動をきちんと見究めることに極めて抑制的である。
1996年の令状発付と却下数の合計に対する却下数の割合が、総計で0.12%、警察官請求通常逮捕状について0.02%、勾留について0.31%、差押・捜索・検証令状についても0.08%であり、逮捕状等請求機関の請求は略々言うままに認められている。
裁判官による令状審査においては、警察官・検察官という一方の当事者が提出する証拠を見てその言い分を聞くだけであり、他方の当事者である被疑者には証拠は示されず、弁護人の手続への関与も保障されていない。
令状審査手続は、人の身体拘束やプライバシーの侵害についての極めて重要な手続であり、この手続の透明化・公平化、換言すれば令状審査の当事者主義化がはかられなければならない。
(b) 被疑者段階の身柄拘束のあり方
(イ)過度の身柄拘束の是正
令状のうち勾留を取り上げてみると、検察官の勾留請求率は、1969年には65.7%であったのに対し、1997年には91.0%であったことが報告されている。請求率が高くなれば、勾留請求認容率が低くなりそうなものであるが、現実には、かえって勾留請求認容率が高くなっている。また、勾留期間についても、1969年には79.6%が10日以内であったが、1997年にはその比率は51.7%となり勾留期間が全体として長期化していることが指摘されている。
要するに、被疑者の身柄を拘束して捜査がなされるケースが格段に増え、しかも身柄拘束の期間もこれまた格段に長くなっている。これでは、身体拘束を利用して自白を採取しようとする傾向がさらに強まっているのではないかと危惧せざるを得ない。
先に述べた令状捜査の当事者主義化によって、過度な身柄拘束を是正していく必要がある。
(ロ)代用監獄の廃止
死刑再審無罪4事件は、いずれも代用監獄に収容されたものであり、長時間、深夜にわたっての取調べがなされ、自白が獲得されている。
自白までの身柄拘束期間は、財田川事件で113日目、免田事件で5日目、松山事件で5日目、島田事件で3日目であるとのことであり、代用監獄が冤罪の温床であると指摘されている。
現在では、捜査と身柄拘束にあたる部署とが分離されているとのことではあるが、警察署長がこれを統括していることに変わりはない。代用監獄を廃止し、捜査と一切のかかわりのない公平な第三者機関に、被疑者の身柄拘束を委ねることが必要である。
(ハ)起訴前の保釈制度
起訴前についても保釈制度を創設すべきことについては、国際人権(自由権)規約委員会からも指摘されているところである。
これに対し、政府は、「わが国では、逮捕についても勾留期間中についても司法審査がなされているので、これらに加えて起訴前の保釈制度を設ける必要はない」と主張しているが、このような反論が妥当だとは思えない。
先にみたように、逮捕されればほとんどの場合勾留され、これが起訴・不起訴の決定まで続くのであって、その間に釈放されるチャンスはほとんどないに等しいのが現状だと思う。このような現状にあるからこそ、起訴前の保釈制度がぜひとも必要だと思う。
(ニ)被疑者の身柄拘束と報道など
被疑者は、身柄拘束を受けること自体によって、深刻な不利益を受けるが、不利益はこれにとどまらない。松本サリン事件報道において河野義行氏を犯人視し、深刻な事態を引き起こしながら、その後も被疑者が逮捕されただけで犯人として扱うような報道があとを絶たないように思われ、被疑者やその親族関係者は報道によって深刻な打撃を受けている現実がある。
被疑者・被告人に対する無罪推定の原則は、事件報道にあたっても貫かれるべきである。少なくとも逮捕された事実をもって被疑者を犯人視するような報道は、報道機関による自主的努力によって克服される必要があるように思う。
(c) 取調べ状況のテープ録音、ビデオ録画など可視化を図る制度の導入
捜査・取調べが密室の中で行われることは、捜査機関による人権の侵害の可能性があり、取調べ状況のテープ録音、ビデオ録画など可視化を図る制度を導入すべきである。
多くの否認事件で、自白の任意性、信用性が争われ、捜査官と被告人の双方から取調べ状況についての証言や供述を求め、他方で自白供述内容の客観的な事実との矛盾、不自然さ、不整合性などについて検討が加えられ、裁判所が自白に任意性や信用性があるかを判断するプロセスがふまれるようであり、そのために長期の審理期間が費やされ、裁判の長期化にもつながっている。
裁判は実体的真実の発見の場だとされるが、捜査、取調べ過程に関する限り、法廷での証言に依存することがなくなれば、真実の発見という点での判断の誤りもなくせる。
捜査機関の側からは、現行の実務を変えることには抵抗もあろうが、諸外国の例や前述の国連人権規約委員会の勧告などを考慮し、可能な限り可視化のレベルをあげることに理解と協力を惜しむべきではない。
なお、「可能な限り」とは、当事者である捜査機関によって判断されるものではなく、第三者によって客観的に判断されるべきものである。
(d) 被疑者(被告人)側の防御のための証拠収集
被疑者が逮捕や勾留を受ける場合には被疑事実が口頭で告知されるが、捜査側がどのような証拠をもっているのかは、弁護人などが捜査官との面談などによってその一部を把握することができる程度と言われる。防御のための証拠収集に至っては、捜査側の権力とスタッフの厚みに比較すれば、その力量の差は圧倒的である。
果して、このような状態で、「公正かつ透明な法的ルールの下」にあるといえるのであろうか。「弱い立場の人が不当な不利益を受ける」結果になってはいないのであろうか。「法のもとにおいてはいかなる者も平等・対等であるという法の支配の理念」は、捜査と弁護に従事する当事者の間でも実質的な平等として貫徹されねばならない。
具体的には、弁護人への一定の調査権限の付与等が必要だと考える。
(e) 被疑者の防御のための制度の充実
(イ)捜査機関の取調べに弁護人の立会い権を認める制度
先に述べた宇和島のサラリーマンの事件での虚偽自白は、取調べ開始後わずか6時間で得られている。このサラリーマンは、当初否認していたが、刑事が机を叩くなどしつつ、①お前がやったという証拠があるぞ、②認めなかったら、会社の人たちや家族を取り調べなければならなくなり、皆に迷惑をかけるぞ、③認めるのが遅くなればなるほど罪が重くなるぞ、などときつく言われ、取調べ開始後約6時間後に、突然号泣し、「誰も自分の言うことを信じてくれない」と述べた後、虚偽の自白をしたとのことである。
このような冤罪を根絶するには、被疑者取調べに弁護人の立会い権を求めることが必要である。論点整理は、刑事司法の公正さの確保の観点から、「弁護人の援助を受ける権利を実効的に担保する」ことの重要性を指摘したが、この弁護人の援助を受ける権利は、取調室という密室の中にも及ぼされねばならない。捜査を公正なものにするには、弁護人の立会いによって、取調室の密室性を排除する必要がある。
(ロ)知的障害者に対する取調べに障害者の能力を補完する精神科医などの補助者が同席する制度
死刑再審無罪4事件の1つである島田事件の被告人は、知的障害者であった。再審無罪判決は、「知的障害ゆえに取調べに迎合して信用性の乏しい虚偽自白をなしたもの」と述べている。知的障害者は、防御能力が不十分であり、取調官の言葉による影響や暗示をうけやすく、対応力が弱いために虚偽自白に導かれる可能性が強いと指摘されている。
このような知的障害者の置かれた状況を補完し、冤罪を防止するには、精神科医など本人の状態を十分に理解した知的障害者コミュニケーション支援者の立会いを付する制度を創設することが必要である。
(f) 被疑者国選弁護制度の導入
被疑者国選弁護制度の導入は、刑事司法改革の不可欠の前提である。現在は、弁護士会による当番弁護士制度によって身柄を拘束された被疑者の3割程度が弁護士による接見を受けるなどの支援を受けているが、あくまで弁護士会のボランタリーな制度として運用されているものであり、公的なしくみとしての被疑者国選弁護制度を導入する機は熟しつつある。
なお、導入にあたっての具体的な制度内容をどうするかについては、いろいろな案が考えうるが、公的な制度であることや「国民感情」を理由に過度に弁護人の活動に規制を加えたり、介入したりすることは戒めなければならない。
また、弁護士会としても、いわゆる弁護士偏在の問題や、公益的な活動へのレベルの高い参加など、課題の改善に全力を尽くすべきこと論をまたない。
(g) 「無罪推定の原則」の再確認と徹底
無罪推定の原則の重要性は、刑事司法に関わる全当事者に承認されており、捜査の全過程で無罪推定の原則を再確認し、その徹底を期すことに反対を唱えるものはいないであろう。
しかし、現状ではこの原則が正しく尊重されているとはいえない面もある。無罪が推定されている以上、被疑者に対する任意の取調べはもちろんのこと、一定の容疑が裁判所によって確認されて身柄を拘束されている場合であっても、被疑者は捜査機関から人間らしい取扱いを受けなければならないことは当然である。
捜査機関が、無罪推定の原則を建前としてではなく、その趣旨を真に理解し、被疑者の人間としての尊厳を尊重すれば、捜査段階の多くの問題点は自ずと解消されるだろう。
「無罪推定の原則」に対する認識が共有され、自白に依存しない捜査が行われていれば、宇和島窃盗事件の51歳のサラリーマンの起訴はなかったはずである。
なお、無罪推定の原則は捜査段階だけでなく、公判においても担保されなければならない。日本の刑事裁判では、検察が「公訴権は有罪判決請求権」ともいうべき感覚で起訴し、公判を維持することもあり、実質上の有罪推定がなされ、弁護側が無罪を十分に立証しない限り無罪判決は得られないと指摘されている。
この有罪推定的な捉え方は、まさに本末転倒であり、「無罪推定」「疑わしきは罰せず」が刑事裁判の要諦であることを再確認すべきである。
② 起訴に関する諸課題
(a) 起訴便宜主義の問題点とその改善の方策
現行の制度では、検察官が起訴権限を独占しているが、不起訴が相当とされるべき事案が起訴されたり、逆に起訴されるべき事案が不起訴とされることがないよう、検察官の公訴権の行使について、一定の評価やチェックを加えるしくみを強化すべきである。具体的には、次に述べる検察審査会制度の外、付審判制度(刑訴法第262条)が実効的に機能するよう検討を加えるのも一案である。
なお、公訴権の行使にあたって、過度に無罪を回避するという発想にとらわれる余り、社会的関心ごと、例えば脳死者からの心臓移植事案に対する殺人罪の告訴等について、起訴を回避し、裁判所の公的判断を求める機会を失わせたことがあったが、有罪・無罪にかかわらず、社会的関心の高い事象について裁判所の判断を求めることは、民主主義社会における司法の果たす重要な機能の一つではなかろうか。
(b) 検察審査会の機能強化のための方策
検察審査会制度が発足してから1997年までの累計で、起訴相当・不起訴不当の議決があった割合は12.3%であり、そのうち起訴された人員の割合は6.6%であると報告されている。検察審査会が起訴相当・不起訴不当の議決をしても検察側が不起訴を維持することが多いといわれている。
検察審査会制度は、現在では唯一の市民参加の刑事手続であり、よく機能していると思われるが、検察官がその議決に拘束される制度に改めるとともに、検察官から審査会に意見を求めたり、証拠調べを請求できるようにするなど、審査会のしくみを改編することも検討に値する。
また、現在の検察審査会は、不起訴不当・起訴相当の議決はあるが、起訴不当・不起訴相当の議決を行うルールにはなっていない。この点に関する審査権限を与えることの意義も含めて検討する必要がある。
(c) 有罪答弁(アレインメント)制度導入の検討
争いのある事件と争いのない事件を峻別し、争いのない事件については簡易・迅速に書することを可能とする制度として有罪答弁制度(アレインメント)を検討課題とすることには賛意を表したい。
但し、アレインメントの導入によって、簡易・迅速な事件の処理が可能になるという論理のみに目を奪われ、アレインメントによる裁判における冤罪の発生を防止するための被疑者弁護国選制度の導入や証拠の事前全面開示が行われることなど条件が整備されることが前提となることに留意する必要がある。
なお、アレインメントの導入と司法取引・刑事免責の問題などは同時に検討すべき課題だという側面もあるが、国民の受け止め方などをふまえ慎重に検討すべきである。
③ 刑事裁判の課題
(a) 陪審制度の復活
新刑訴の理念に沿って、当事者主義、公判中心主義を柱とする刑事裁判を追求するのであれば、陪審制度を復活させるべきである。
陪審制は、国民の司法参加を通じて法の支配の観念を強化するとともに、迅速な裁判や自白偏重捜査からの脱却を促す民主社会の柱ともいうべき役割を果たす可能性を持った裁判制度と認識すべきである。
フランスの政治学者トクビルも「民主主義は普通選挙と陪審制で完成する」といった趣旨の記述をなしているが、その認識は民主主義の本質に根ざしたものと受けとめられ得る。
陪審制を具体的に日本の刑事裁判に復活させていくためには、どんな条件整備が必要なのか、早急に検討に着手すべきである。
(b) 保釈制度を改革する方策
「人質司法」という言葉がある。本人は容疑を否認して法廷で事実を争いたいと思っても、否認するとそれが「罪証隠滅のおそれ」の証とみなされて保釈が認められないため、身体の自由を得るために不本意ながら容疑を認めるということである。これでは、有罪無罪は事実上審理の結果ではなく、身体の拘束を解くか否かの保釈の裁判で事実上決定されることに等しい。
無罪の推定という大原則に照らして考えるならば、有罪が確定されていない被告人を「罪証隠滅のおそれ」があるとして身体を拘束することは、無罪推定と矛盾することになろう。実質的にも、身体を拘束されていては、防御活動を自ら行うことができないので、公正な裁判にはならない。諸外国では、有罪無罪を争う裁判の当事者であることと身体の拘束を受けるか否かとは別の問題と考えられて、大多数の被告人は自由の身で裁判に望んでいるが、これが本来的な姿ではないか。かつては、わが国でも保釈率が高かったと言われ(5割を超えたという)、自由な身で裁判を受けるのが原則とされるべきである。
そのための方策としては、身体拘束を正当化している「罪証隠滅のおそれ」の要件を除外するか、より厳格な要件に変える必要がある。また、保釈を起訴後に限定する理由は何もないから、起訴前の保釈制度を設ける必要がある。
(c) 争点整理と裁判所の訴訟指揮権のあり方
争点整理を早期に行うことは、裁判の充実・迅速化をはかるための重要な課題であり、現行のルール・しくみが有効に機能していないとすればその改善を考える必要がある。
また、裁判所が期日指定、争点整理、証拠調べ等について適切かつ有効な訴訟指揮権を行使することは、裁判の充実・迅速化に姿すると思われるが、その前提として後述する検察官手持ち証拠の全面的開示等が前提条件として整備される必要がある。
なお、裁判所の訴訟指揮権との関係で裁判所侮辱罪を設けることについては、安易かつ一方的な侮辱罪の適用が被告人の防御権を侵害するおそれもあり、また、特に迅速性の強要ともいうべき訴訟指揮権の行使は、無罪立証には精密司法のもとでは時間がかかるのが通例であることも考慮する必要がある。
(d) 当事者主義を実質化するための方策
わが国では、検察官は公判廷で取り調べる予定の有罪立証に必要な証拠しか被告人弁護人に開示しないため、被告人の視点から見た事実の解明に著しい支障がある。当事者主義の本来的意義は実質的対等にあり、訴追側及び被告・弁護側といった立場の異なった視点から事案の真相を明らかにしようとするところにあるから、検察官の手持ち証拠は、検察官だけの利用が予定されているものではなく、被告人においても利用できるものと考えなければならない。検察官は有罪立証の責任を一方的に負っているが、犯罪の立証責任が国にあることと事案の真相解明のために全ての証拠を開示して弁護側の批判にさらすこととは矛盾しない。したがって、検察官手持ち証拠の全面的開示を行うべきである。
(e) 調書中心の裁判是正
公判段階について、つとに指摘されているのは、書証の取調べが中心となることによる公判審理の形骸化である。刑訴法は法廷で審理するとの原則をとっているが、現実の法廷は、証人尋問は行われず同意した書面によって事実認定がなされるため、傍聴人から見ると事実審理の全体像が見えず、供述調書の山を検察官が裁判官に引き継ぐだけの儀式のように見えるという批判もある。
「調書裁判」のもう一つの批判は、伝聞証拠を証拠としないという原則が形骸化しているのではないかという点にある。検察官が作成した供述調書に証拠能力を認めさせることへの批判であり、実際には、公判廷の証言よりも供述調書の記載の方が信用される傾向にあると指摘されている。
伝聞証拠を排除する「伝聞法則」は、反対尋問によってテストされない供述証拠を極力排除しようという要請に基づくものであるから、やはり、証言によらないで供述調書を重視することは結果として、直接主義・口頭主義を衰弱させ、新刑訴法の理念を後退させている。
(f) 国選弁護の拡充・強化
現行の国選弁護は、毎年、費用の増加がはかられているとはいえ、1件当たり8万円代の低額にとどまっている。真に被告人の防御権を国選弁護人の充実によって実現しようとするのであれば、それ相応の費用が支給されなければならない。利用者サイドから見た場合、安かろう悪かろうでは困るし、国家の観点からみても、公正な裁判の実現に寄与しない弁護では無駄な支出になりかねない。また、国選弁護人による援助が全国どこでも一律に受けられることが必要であるから、過疎地域でも国選弁護人が利用可能になっていなければならない。
こうした需要に対するための制度として、国費による公設弁護人事務所を設けることには意味があり、被疑者段階の国選弁護制度を担う公設弁護人事務所と一体的に考えるのも一案である。
(g) 無罪判決に対する検察官控訴の禁止・制限
上訴理由につき当事者双方を平等に扱うことは一見すると問題がないように見えるが、甲山事件に典型的に見られるように、無罪判決に対する検察官控訴には大きな人権侵害の危険性が伴っている。上訴制度の本来的意義は「誤判に対する救済手段」であるから、被告人の上訴は認めても検察官の上訴を制限することには合理的根拠がある。
一旦、事実審理の結果、無罪が言い渡されたということは、それ自体で、公訴事実に「合理的疑い」の存在することが明らかになったということができるから、無罪の判断は一審で確定させるべきである。また、憲法第39条は「二重の危険」を定めたものであり、一度、国家の刑罰権にさらされた国民が再び国家の手によって処罰の危機にさらされることがないとする保障は、無罪判決の獲得に要した被告人及び弁護人の労苦を考えれば当然の要請である。
したがって、無罪判決に対し検察が事実誤認を理由として控訴することは認めるべきではない。
(h) 被告人の手錠、腰縄の廃止
実際に刑事裁判を傍聴してショックを受けるのは被告人が刑務官に付き添われて入廷する際に、手錠、腰縄をされて登場することである。この取扱いの法的根拠は監獄法にあり、逃走や暴行を防止する目的の戒護権にあるとの説明がなされている。しかし、被告人には無罪の推定があり、有罪が確定されるまでは通常人と同じ取扱いを受けるべきであるから、少なくとも法廷において身体の自由を奪われる理由は全くない。したがって、戒護権よりも公判廷における被告人の身体的自由が優先すべきことを明らかにし、手錠、腰縄による被告人の公判廷への連行はやめるべきである。
昨今の凶悪な少年事件の多発により、少年事件に関する国民の関心は高まっている。
しかし、少年の刑事事件については、犯罪の重大性にのみ着目するのではなく、成人の犯罪事件とは基本的に性格が異なることを忘れてはならない。成長過程にある少年は、その未熟さゆえに犯罪を犯すことがあり、しかも成長過程にあり人格形成の途次にある(いわゆる可塑性に富む)ために比較的短時間で更正することも稀ではない。厳罰化の方針をとったアメリカで、必ずしも少年犯罪が減少していないという報告もあるように、大人と同様に扱おうとする方向性は妥当ではない。
少年の犯罪は、少年自身の責任であるとともに社会全体の責任であるという視点を大切にし、円滑な社会復帰に重点を置いた方策が重視されるべきである。
(1) 弁護人の取調べ立会いなど少年事件捜査の改革
少年事件の捜査は、大人に比べて迎合性や被暗示性が高く、防御能力に乏しい少年の特性に十分配慮してなされるべきである。少年法は「やむをえない場合」でなければ少年を勾留してはならないと定め(48条)、犯罪捜査規範も「少年の特性にかんがみ、とくに他人の耳目に触れないようにし、取調べの言動に注意する等温情と理解をもって当たり、その心情を傷つけないように努めなければならない」(204条)とし、少年警察活動要綱も同様の配慮を求めるとともに、取調べはやむを得ない場合を除き、少年と同道した保護者等その他適切と認められる者の立会の下に行うこと」(12条)としている。しかし、現実には、十分にこのような配慮がなされることはない。
こうした状況を改善し、草加事件のような冤罪を防止するためには、なによりもまず、少年事件捜査を、少年の特性に十分配慮して、違法・不当な捜査を抑制する方向で抜本的に改革すべきである。そのためには、国費による被疑者弁護制度の創設、弁護人の取調べ立会権の確立や取調状況のテープ録音などによる捜査の可視化、真にやむを得ない場合に鑑別所への収容のみを認める等の身体拘束要件の厳格化などが必要である。
(2) 国費による弁護士付添人制度の確立
審判にも問題が多い。草加事件でも、第1回の審判期日は弁護士付添人がないままになされたが、一般には審判がおわるまで弁護士付添人がつかないままのことが多い。大人の刑事事件であれば、起訴後は必要的弁護制度、国選弁護人制度により、弁護人の援助を受けることが保障されているのに、弱い立場でより手厚い援助が必要な少年について国費による付添人制度等がないことは、著しく均衡をなくし、致命的な欠陥である。
実際、少年の場合、当然ながら自らの資力は殆どないことが多く、親の理解、援助が得られない場合など問題も多い。少年審判における必要的弁護士付添人制度、国費による弁護士付添人制度の創設が必要である。
(3) 証拠調べ請求権など審判での少年の防御権の確立
少年審判では、大人の刑事裁判のような予断排除の原則や伝聞証拠法則がなく、歪んだ内容を含む捜査報告書などの捜査記録がすべて証拠となり裁判官の目に触れると指摘されている。また、少年側が証拠調請求をする権利に関する規定も欠いており、そうした制度を整備する必要がある。
また、犯罪の捜査について留意しなければならないことは、犯罪被害者に対する対応の仕方である。これまでの日本の刑事司法は、犯罪被害者(被害者本人及びその家族・親族)の問題についてほとんど配慮してこなかった。その結果、被害者に関わる被害の発生を端緒とする捜査の過程が、被害者の感情を逆なでし、人権を侵害するなど二次被害を発生させている。このような二次被害を発生させないように、捜査機関は言うに及ばず、裁判所も被害者への配慮(例えば被害者が証人として出廷する場合の取扱いを行い、弁護士も被害者との接触の仕方を真摯に反省する必要がある。
犯罪被害者の問題は、法曹三者は言うに及ばず、国民全体で等閑視してきた問題であり、早急な対応が強く望まれる。
死刑廃止の可否等の論議はともかく、死刑確定者のケアおよび権利保障の問題を早急に検討し、対応の改善をはかるべきである。
裁判官及び裁判所職員の員数は、刑事司法の関係においても充実をはかるべきである。家庭裁判所では、近年、特に家事部の離婚、夫婦間の婚姻費用分担、遺産分割などの事件が急増しており、裁判官及び家庭裁判所調査官の不足が深刻という指摘がある。
家庭裁判所調査官は、全国で約1500人であるが、この数は、1975年以来ほぼ横ばいである。ちなみに、司法統計年報によると、1975年の少年一般保護事件の家裁新受人員は19万7194人であり、83年には30万2856人に急増したが、調査官の予算定員は1517人とまったく同じであった。
現代の少年非行は、深刻ないじめ問題に代表されるように、学校・家庭・地域社会の教育機能の低下のなかで、非行の原因や誘引が複雑にからみ合い、その対応に一層の手間とひまをかけるが求められるケースが多くなっている。その意味で、少年係調査官をさらに増員・充実させ、人間関係科学に基づき、少年に対するきめ細かなケアを行うことが必要である。
(2) 検察庁
法務省は、96年度予算の概算要求にあたり、24年ぶりに検事の定員を40人増員した。しかし、同時期に警察庁が発表した3500人の警察官増員と比べると桁違いの少なさである。
巨大化した警察機構とその権限の拡大・強化のもとで、検察の捜査機能の相対的低下は否定すべくもない。検事が不足しているため、副検事さらには検察事務官が検察官の事務取扱いをしていると指摘されている。その結果として、警察の捜査を法曹としてチェックするという検察官の役割は著しく低下している。とりわけ、検察庁の人的基盤の充実が必要である。
(3) 弁護士
当番弁護士制度の発足と充実は捜査段階での弁護の在り方を大きく変化させたものと評価できる。しかし、被疑者段階での弁護を質量ともさらに充実させていくことが必要であると考える。また、公判段階での弁護を充実させるためにも、公設弁護人事務所の設置や弁護士過疎地での刑事弁護体制の強化が必要である。
少年の保護事件では1997年度の一般保護事件のうち、弁護士付添人が選任された事件は2968件にとどまり、一般保護事件の1.45%にすぎない。この数字は、家庭裁判所に事件が送致された後のものであるから、捜査段階で弁護士が選任されている割合はさらに低くなる。
(4) 処遇・矯正機関
犯罪を犯した者を立ち直らせ、社会復帰を実現するために、処遇・矯正機関の充実をはかることがきわめて重要である。各種の刑務所、少年、保護観察所の各職員や保護司などの増員と、国際人権法に添った研修の強化をすすめるべきである。
「国民の期待に応える刑事司法の在り方」に関するレポートの最後に、総論的なコメントを2~3列挙し、締めくくりをしたい。
-刑事司法と人権
刑事司法には、捜査から公判の過程に至るまで常に国民の基本的人権を侵害する危険性と隣り合わせであり、そのことを常に念頭に置き、どのようにして人権侵害を最小限にしながら、刑事司法の意義・目的を達成するかが問われている。
したがって、特に捜査機関には自らが人権侵害を犯す可能性のある主体であることを強く認識してもらいたい。このことは、捜査機関が社会に不必要だとか、悪い存在だとかという意味では全くなく、社会においては不可欠の役割を担っていると認識するからこその提起である。
-裁判官制度
刑事司法の諸課題もいくつかは裁判官制度の問題に結びつく。
最高裁判事任命の密室性の問題をはじめ、裁判官評価と昇進・異動の問題などキャリア裁判官制と裁判官の独立の問題は何としても改革をはかるべきである。
-国際的基準との適合
本レポートの個別論点のかなりの部分は、刑事司法の国際的基準(国際的に普遍化しているルール)への適合について、本審議会で合意・確認できれば、本審議会報告に関する結論が導き出せるように思う。