配付資料

資料3

「国民の期待に応える刑事司法の在り方」について

法務省



 21世紀を目前にして我が国のあるべき刑事司法の使命・役割を考えるに当たって,まず,現状において刑事司法がどのような役割を担っているか,国民から期待されているかを見ると,その守備範囲が極めて広いことに気づく。我が国の刑事司法は,殺人・強盗などのどのような社会でも共通に犯罪とされるものはもちろん,事故・災害などの過失犯,環境犯罪,金融・経済犯罪,組織化された犯罪,最近では家庭内犯罪などのいわゆる社会的弱者の保護に係る罪に至るまで,極めて多岐にわたる犯罪への対応が求められている。また,最近の顕著な傾向として,その対応が一国のみでは困難となり,国際的な連携が迫られる犯罪や異なった文化や刑事司法の制度,運用を背景に持つ外国人による犯罪が増加してきている。加えて,家庭,地域等における紛争防止・処理機能の弱体化に伴い,これまで家庭や地域が担っていた日常の市民生活レベルにおける各種の紛争への対応も刑事司法に持ち込まれてきている。このような刑事司法のいわば守備範囲の拡大,対応の視点・方法の多様化は,社会の高度化,大規模化,国際化などに伴って,21世紀に向かって更に加速することを予測せざるを得ない状況にある。

 このように守備範囲の拡大した刑事司法に期待を寄せる「国民」は,必ずしも一様ではない。刑事司法に登場する「国民」を大別すると,①被疑者・被告人としての国民,②犯罪被害者としての国民,③目撃者・証人等としての国民,④一般国民,という四つの立場があるが,それぞれ,その主として求める点は異なっている。すなわち,被疑者・被告人は人権の保障を求め,被害者は犯人の処罰を求め,目撃者・証人等は刑事司法に協力するにしてもできる限り負担が軽いことを願い,一般国民は犯罪が的確に検挙されて社会の安全・秩序が維持されることを期待する。ここに刑事司法を国民の視点からとらえる場合の難しさがあるのであって,21世紀のあるべき刑事司法の使命・役割を考える場合には,こうした国民の間の多様な要請にいかにしてバランス良くこたえていくかが求められている。

 刑事基本法を所管する法務省は,捜査,弁護,裁判から刑の執行に至るまで刑事司法全般についてそのあるべき姿を考えるべき立場にあり,これまでも国民の多様な要請の調整に配意しつつ,刑事司法の諸課題に対処するための検討を行ってきた。しかしながら,現行刑訴法施行後50年間,その間に生じた刑事司法の課題に対処するための現実的な立法的解決は極めて困難であり,特に捜査手段についてはその議論もほとんど不可能に近い状態であった。刑事司法はしばしば被疑者・被告人の立場からのみ議論され,捜査権限などの強化に対しては拒否反応とも言うべきものがあった。一国の刑事司法は全体が一個の有機体として真相解明や人権保障の要請のバランスを保ちつつ存在しているにもかかわらず,外国の制度の一面,特に人権保障のそれが,我が国の刑事司法システムと全体的な比較をすることなく,かつ,それを可能とする関連諸制度も含めた法制度全体やその運用の実状と切り離された形で,我が国の刑事訴訟システムに対する批判として紹介されることが少なくなかったことが,そのような閉塞的な状態に拍車をかけたと言える。そのために刑事司法が直面するあい路への対処は現行法の解釈や運用にその多くをゆだねざるを得ない結果となったのみならず,人権保障の面からの改善の主張をもかえってその実現を困難にさせて来たと言える。

 21世紀において,我が国の刑事司法の守備範囲の広さ,国民の刑事司法に対する期待の多様さを踏まえつつ,複雑化,大規模化,国際化する社会の中で刑事司法システムがその基本的役割を果たしていくには,今後更に多くの困難が生じることが予想される。具体的には,犯罪自体の認知の困難さ,犯人を特定するための資料の入手の困難さがますます増加するとともに,外国にある証拠の入手などに関する制約の負担が一層大きくなる一方で,人権保障面からの改善の要求も強まると思われる。このような状況に対応するためには,新たな捜査手法等の導入も含んだ刑事司法の機能強化と人権保障面の改善の両面についてバランスのとれた現実的な検討が行われる必要がある。

 我が国の刑事訴訟法は,戦後アメリカ法の影響を強く受けて制定された。戦前,認められていた大陸法的な警察権限は廃止される一方で,当時既にアメリカにおいて採用されていた免責その他の供述確保の仕組みを含め様々な捜査手段については導入されず,むしろ,英米法的な警察の権限行使(無令状逮捕等)も著しく制限された。加えて,裁判所は専ら捜査権限行使のチェック機関として位置付けられ,公判において裁判所の訴訟指揮権を担保する制度(法廷侮辱罪等)も導入されなかった。こうして,我が国の刑事司法制度は,その実質を見れば,他国の制度と比較して,全体として捜査権限,司法機関の権限のいずれも大幅に制限したかなり特異なシステムとなっていると言わざるを得ない。

 このような観察はこれまで理解されてきたことと違うという印象があると思われる。そこで,もう少し詳しく我が国の捜査機関の権限について各国との比較を試みれば,英米独仏などの主要各国はいずれも広範囲にわたる無令状逮捕を許容しているのに対し,我が国は現行犯の場合を除き令状主義が徹底している。捜査段階における身柄拘束期間も最長23日間と極めて短く,最長60日のアメリカや事実上無制限の独仏とは比べるべくもない。刑事免責などの捜査手法が認められていない点も前述したとおりである。また,捜査機関の権限を比較する場合,直接捜査機関の権限とされているものだけでなく,捜査機関が利用できる他の権限,特に裁判官等の権限をも対象としなければならない。若干の例を挙げれば,フランスでは実質的な捜査機関である予審判事が捜索差押え,鑑定,証人尋問,そのための出頭強制,通信傍受など極めて強大な強制捜査権を有しているが,警察は予審判事から共助嘱託を受けるという形で予審判事の権限を利用でき,この共助嘱託は極めて日常的になされている。また,アメリカにおいても,検察官は大陪審が有している強力な捜査権限(証人や証拠書類,証拠物の提出を命ずる重い刑事罰で担保された命令状など)を利用できる。

 このように我が国の捜査機関の権限は,その利用できる裁判官等の権限を含めて観察した場合,他国の制度と比べて相当に制限されている。それにもかかわらず捜査機関は,国民から刑事事件における真相の解明を強く期待されている。また,検察官は当事者主義訴訟構造の下における「当事者」として自ら有罪を主張・立証する責務を有している以上,十分な捜査を尽くし,有罪を得られる確実な嫌疑が認められる者に限って起訴をすることが職業倫理上も当然とされている。こうした真相解明を義務づけられた捜査機関がこれまで捜査手段の中心としてしてきたのが,取調べ,特に被疑者の取調べであった。むしろ,①捜査手段が限定されていること,②捜査のための身柄拘束期間が短く,その間に事件を解明しようとすれば,被疑者の真実の供述を得ることが最も効率的で被害者など他の関係者に対して負担をかける程度も少なくなること,③主観的要素(賄賂の趣旨の認識等の故意など)の認定方法など,事実認定法則というべきものがなく,裁判所に自白がない場合の情況証拠による事実認定が必ずしも定着しているとは言えないこと等の理由により,真相解明の責務を果たすためには取調べによらざるを得なかったというのが実態であろう。

 こうした取調べを中心とした捜査手法に対しては,自白の偏重,自白の強要を招きえん罪の温床となるなどといった批判がなされ,いわゆる「取調べの可視化」を図るべきとの主張がなされている。過去,取調べにおいて問題のある事例がいくつか見られたことからすれば,取調べの適正の確保は重要である。「取調べの可視化」の目的も,この取調べの適正を確保することにあるが,その範囲,程度を考える上で留意すべきは,刑事司法の目的である事案の真相解明の要請と被疑者の人権保障の要請とをいかにして両立させるかという点である。我が国の刑事司法における取調べの意義・役割を考慮することなく,外国において採用されているとの理由から,取調べの機能を失わせてしまうような「可視化」の措置を導入するとすれば,我が国の刑事司法システムを抜本的に変革して他に真相解明の仕組みを求めない限り,真相解明と人権保障の要請のバランスが崩れ,刑事司法は国民の期待を裏切る結果となろう。他方,取調べの適正は,いわゆる「取調べの可視化」の措置のみによって担保されるものではない。むしろ,公的刑事弁護制度を含む刑事手続全体の中で,取調べの機能を損なうことなく,人権保障の要請にこたえる捜査の在り方を考究すべきである。

我が国の弁護体制は弱体であると言われることがある。弁護活動については,組織に属する検察官と異なり,弁護士による個人差が大きくなりがちであったり,弁護士による事実調査には限界があることなどの問題があることは事実である。そこで,弁護士側における弁護の水準を確保するための体制の整備や,弁護人の主張を分析・整理した上でその当否を明らかにするための捜査及び裁判所における事実調べの在り方などについて検討が必要であろう。

 しかし,一方で,弁護人は,関係者の中で唯一真実を知っている被疑者・被告人を擁しているという強みをもっている。その上,被告人・弁護人は,捜査機関との力の差にかんがみ,裁判所に合理的な疑いを生じさせるだけで無罪という目的を達成できる仕組みが採られている。これに対し立証責任を負っている検察官は,しばしば,集められた断片的な証拠を通して公訴事実を立証せざるを得ず,途中で被告人側の弁解・主張が変わればその都度その真偽を明らかにするための立証を余儀なくされることとなる。

 本来,被告人は真実を知っているのであるから,訴訟の当初において公訴事実に対する認否を行い,争点を明らかにすることができるはずである。しかし,弁護活動に関する考え方は様々で,中には,「弁護人は刑事訴訟における真実の発見に協力する義務はない」という考えを拡大し,被告人が知っている真相あるいはその述べていたこととは異なる主張を組み立てて無罪判決を得ることも許されるとする考えもあるようにうかがえる。このような考え方に立った弁護活動が行われる場合には,争点の整理がなされない段階で大幅な証拠開示をすることは,信用性・関連性の乏しいものも含む証拠に沿って様々な主張をすることを容易にし,審理が錯綜,遅延し,真実の発見という刑事司法の重要な使命の実現を妨げるおそれを否定できない。そのような観点からこれまでに「ベストエビデンス」による立証が強く求められた時期もある。

 したがって,証拠開示の拡大を行うためには,まず検察官が証拠調べ請求予定の証拠を開示した段階で被告人側が認否と争点の明示を行い,その上で,更に争点に関連する証拠を被告人の有利不利にかかわらず開示するといったルールを作ることが必要であろう。

 以上,我が国の刑事司法につきこれから議論される上で踏まえていただきたい点のいくつかを示させていただくとともに,具体的な論点の中の「捜査の可視化」及び「証拠開示」にも言及した。

 なお,刑事司法における陪審制,参審制については別途「国民の司法参加」の観点から議論されるとのことであるので,その機会に譲ることとしたい。