別紙5
(注1)旧刑事訴訟法の下では,現在でもドイツ,フランスにおいて行われているのと同様に,捜査記録のすべてが公判裁判所に引き継がれ,裁判官は,公判開始前にこの記録を綿密に検討して自ら十分な準備を行い,尋問する必要があると考える証人もすべて用意した上で公判に臨み,公判期日においても,まず裁判官が被告人や証人の尋問を行い,検察官や弁護人は補充的に尋問を行うに過ぎなかった(職権主義)。これに対して,現行刑事訴訟法の下では,裁判官は,公判の開始前には一切の記録を見ることが許されず,検察官が提出した起訴状によって,検察官の主張する公訴事実と罪名を承知しただけの状態で公判に臨むこととされ(起訴状一本主義),公判期日においては,当事者すなわち検察官と弁護人(被告人)の攻撃防御を通じて真実を明らかにするという方式が採られた(当事者主義)。公判の準備及び公判は,当事者の主体的かつ積極的な活動に期待するのが最も有効かつ適切であるとされたのである。
しかし,その後の我が国刑事司法の歩みは,刑事訴訟法が当初目指したアメリカ流の捜査,公判とはかなり異なった様相を呈し,我が国独特のものとなっているといわれる。すなわち,アメリカ流のあっさりとした捜査,起訴とは異なり,事案の真相解明が重要であるという見地と,広範な訴追裁量権を有する検察官が起訴すべき事件を選別するために必要であるという考えとが相まって,捜査は,被疑者の取調べを中心とした綿密詳細なものとなり,膨大な証拠資料が収集されるようになった。また,公判においては,検察官による綿密詳細な証拠収集と絞りに絞った起訴に対抗すべき弁護人(被告人)として,どうしても検察官の立証の矛盾あるいは個々の証拠の微細な欠陥を発見することに防御の重点を置かざるを得ない状況となって,いきおい当事者間の争いが微に入り細にわたるようになっている。同時に,このような当事者間の争いに対応して,裁判所の事実認定も精密詳細なものとなっていった。こういった我が国独特の刑事司法の現状は,一言で「精密司法」と呼ばれるに至っている。
検察官による綿密詳細な証拠収集と慎重な訴追を行う実務の運用は,必然的に公判における有罪率を高めることになり,無罪の判決がなされた際には,捜査ないし起訴が誤ったものであるとの意識を生むようになる。その結果,ますます捜査に力が注がれ,起訴はさらに慎重とならざるを得ないことになった。この循環は構造的なものであり,率直に言って,刑事司法の重点が公判から捜査に傾斜する契機となった。
2 他方,刑事訴訟法が目指した,アメリカ流に検察官と被告人・弁護人が対等の当事者として,適切かつ活発に攻撃防御を行うという点についても,現実はかなり異なったものとなっている。警察力という強力な証拠収集機関を背景とし,組織的に豊富な実務の経験を蓄積した検察が強固な力を蓄えていったのに対して,弁護の態勢作りは,大幅に立ち後れている。ほとんどの弁護士事務所が,小規模な個人事務所であって,経営の大部分を民事事件に依存しており,その結果,刑事事件専門の弁護士が育ち難く,その絶対数が少ないばかりか,事実調査の手段にも乏しく,圧倒的な捜査の前に,多くの事件では公判廷において情状立証活動を行うのが精一杯であるというのが実情である。また,事実を争う場合には,とりあえず時間をかけて検察の立証を見ながら弁護方針をたてざるを得ない状況にある。
3 このような中で,裁判所においても,捜査段階での証拠の信頼性の評価を誤り,重大事件について,誤判を犯したことも忘れてはならない。そうして,極めて高い有罪率の下で,刑事司法に一種の閉塞感が漂い,「裁判所は有罪か無罪かを判断するところではなく,有罪であることを確認するところである」ため「刑事裁判は形骸化している」との批判を招くに至り,弁護士の刑事弁護離れが進み,他方で,先に述べたような「精密司法」や弁護態勢の弱さの故に,一部特殊な事件についてではあるが,審理の著しい長期化を招くに至っている。
国民の期待に応える刑事司法を実現するためには,このような経緯と状況を踏まえ,捜査の適正を確保し,公判廷においてその結果が的確に吟味されることが必要であり,また,全体を通じて弁護態勢を強化することが何よりも重要である。
検察官による綿密詳細な証拠収集と慎重な訴追が,むやみに被告人の立場に立たせないという意味において裁判に伴う国民の負担を軽減するとともに,効率的な刑事司法を実現していることは基本的に評価されるべきである。しかし,このことが,刑事司法の重点を公判から捜査に傾斜させてきたことは前述のとおりであり,さらに,無罪という結果を回避するため,立証が困難であるとして訴追を見送る場合があるなど,余りに慎重な公訴の提起に対する批判もないではない。国民の関心が強い事件は,裁判所に最終的な判断を任せてはどうかという声も聞くところである。このような状況を勘案すれば,起訴について,今少し緩やかなものとすることを検討する余地があるようにも思われる。
この点は,公訴提起の運用の問題であるが,制度問題としても,検察審査会の議決の効力を強化することが必要であろう(注2)。
(注2)例えば,検察審査会において「起訴相当」の議決がなされたとき,あるいは検察審査員が全員一致で「不起訴不当」の議決をしたときには検察官が公訴を提起しなければならないこととすることが考えられる。
なお,検察審査会については制度施行50年を経て,一部大都市の検察審査会では事件数が多く審査に時間がかかり過ぎる反面,地方には事件数が極端に少ない検察審査会も多数存在するなど,配置がアンバランスとなっているので,その適正化を図る必要がある。
2 事前準備と争点整理の義務化
公判での審理を充実し,迅速な裁判を実現するには,当事者双方が十分な準備を行い,争点が明確にされることが必要である。審理が長期化する事件の中には,弁護人が十分な事前の準備をしないまま,あるいは敢えて争点を明らかにしないまま公判期日に臨む場合が少なくない。事前準備が十分に行われない要因には種々のものがあるが,制度的には,起訴状一本主義のもとで,裁判所が積極的に事前準備を進めることが予断排除の原則に抵触するものであるとして批判されるという問題がある。予断排除の原則の主眼は,旧刑事訴訟法時代のような検察官からの記録・証拠の引継ぎによる一方的・先行的な心証形成のおそれを除去するという点にあるので,争点整理に必要な限度で,しかも両当事者が参加する場で,双方の「主張」を整理し,必要な手続的措置を講じることを内容とする準備活動を行うことは,その趣旨に反しないはずである。この趣旨を明確にするため,現在,刑事訴訟規則に緩やかな形で規定されている事前準備を法律レベルで義務付け,かつ,争点を明確にする必要があることを明らかにした上で,裁判官又は裁判所書記官がその手続を主宰することができるものとする必要がある。
3 期日の確保と審理期間ないし開廷ペースの設定
事件数,証人数が多く,多数回の公判期日が必要となったときには,できる限りこれを連続して開廷しなければ審理が長期化することは明らかである。現在,地方裁判所において係属3年を超える長期未済事件の開廷間隔を見ると,これが1月以上となっている事件が全体の68パーセントを占めている。このことは,約7割の事件が1年に12回未満の公判しか開かれていないことを意味する。これは,毎日公判が開かれるアメリカ,イギリス,フランスであれば2,3週間で,週に2,3回の公判が開かれるドイツであれば1月前後でこなされる回数である。審理長期化の最大の原因は審理ペースが緩やかに過ぎることにあるといってよい。迅速な刑事裁判実現のためには,一定の期間内に審理・判決を終えるための方策として,例えば,公職選挙法の百日裁判規定にならい,2年ないし3年という審理の終結時期を定めることを検討すべきである。また,多数の事件が起訴されて,どうしても審理に一定の期間以上を要すると見込まれるケースについては,1週間に2回ないし3回以上の頻度で開廷しなければならないといった開廷ペースについての定めを置くことも検討すべきであろう。このような定めに直接的な強制力を与えることは難しいが,当事者に対しては相当の心理的効果を持つものと思われるし,この趣旨に著しく違反した訴訟活動を行う者に対しては適切な懲戒等の措置をとるとすれば,その実効性は上がると考えられる(注3)。
(注3)訓示規定である百日裁判規定により,裁判所としては期日指定について断固たる態度を取ることが可能となったし,また,弁護人としてもこれに協力せざるを得ず,審理の引き延ばしを図る被告人があっても,弁護人がこの規定を根拠にして裁判所に協力せざるを得ない旨説得する上で有効であるといわれている。平成に入ってから,国政選挙における百日裁判事件は4件あるが,その審理期間を見ると,最短のもので65日,最長のもので164日となっていて,おおむねその趣旨に沿った裁判が行われている。なお,平成3年の統一地方選挙における百日裁判33件の平均審理期間は140.8日であり,平成7年のそれ97件の平均審理期間は64.7日,平成11年のそれ74件の平均審理期間は68.5日である。
4 弁護態勢の強化
このような事前準備,集中審理を実現しようとしても,事件によっては,現在のような弁護態勢では限界があり,弁護態勢を抜本的に強化する必要がある。また,刑事司法の重点が捜査段階に移っていることを考慮すると,捜査段階の被疑者に公的な弁護の制度がないことも問題である。
(注4)公設弁護人制度としては,公務員の身分として,兼業を許さず,公設弁護人としての職務に専念させるものや,弁護士としての身分を保持したまま,専属的にないしは一定の限度で刑事弁護活動を行うものなど様々な形態が考えられるが,要は,国費の負担のもとで継続的に刑事事件を担当できる態勢を設けることである。ただ,そのためには,国民の十分な理解が得られるだけの機能と適正な運営が担保される必要がある。
(注5)審理途中における私選弁護人の辞任,解任が審理を大幅に遅延させる要因の一つである。これについては,病気など裁判所が正当と認める場合を除いては,新たな弁護人が選任され,準備を遂げて法廷に立ち会うまでは効力が生じないものとするなどの方策を考える必要がある。
(注6)この点についても,国民の理解が得られるよう,公的費用を管理し運営する主体は中立で公正なものとすること,全国的に均質な弁護サービスが提供されるための体制を整備すること,適正な弁護活動が確保されるための実効性のある方策(弁護活動のガイドラインの設定,逸脱活動に対する懲戒制度等)を考えることなどが検討対象となろう。
(注7)その場合,取り調べ時の状況がどのようなものであったかを調べるため,捜査官の証人尋問が行われる。しかし,取調べは密室で行われるものであるだけに,往々にして,証人・被告人と捜査官の言い分が食い違い,「取調べ時に乱暴された」「していない」,「このように述べた」「述べていない」などといわば水掛け論となることがしばしばである。裁判所では,このような事態を打開するため,証人・被告人の取調べの際に捜査機関が作成する客観的資料である「留置人出入簿」「留置人接見簿」や,証人・被告人の取調べ時の供述を記載した捜査官手持ちのメモ,内部資料である取調状況報告書等を用いて,捜査機関に,詳しい「取調経過一覧表」を作成してもらい,それを基にして関係者に質問すれば真相を把握しやすいという考えから,実務の運用としてその提出を検察側に求めてきたが,法的に義務付けられているものではなく,捜査機関の十分な協力が得られないまま現在に至っている。
5 裁判所の態勢の強化
(注8)検察官の主尋問が短時間で終わった場合にも,客観的に必要性が乏しいと思われる反対尋問を何開廷にもわたって行い,裁判所が尋問を制限してもこれに従わないなどが典型である。(注9)このような問題について,アメリカやイギリスでは法廷侮辱の制度によって対処している。
(注10)集中審理が行われている諸外国でも,人的・物的態勢には限りがあるので,審理が開始されるまで被告人は相当の期間待たされている。しかし,この期間ができる限り短いことが望ましいことはいうまでもない。
6 国民の司法参加
戦後の刑事裁判は,冒頭で述べたような大きな流れの中で運営されてきた。裁判官は,そのような中で,適正で迅速な審理と,真相の解明に努めてきたと考えているが,なお,刑事裁判の在り方について種々の批判はあり得るところである。これまで述べた種々の方策はこれを改善しようとするためのものであるが,より大きな視点からこの問題を捉えれば,国民に裁判への直接的な参加を求め,法律専門家以外の視点を導入するということも十分検討に値するところである。国民の負担,真実発見についての強い要請といった点を考えると,陪審制の導入については躊躇せざるを得ないが,職業裁判官とともに審理にあたる参審制については,これらの要請をも考慮しつつ導入を図ることが可能と思われる。ただ,いずれの制度も裁判官による裁判を予定しているものと解される現行憲法の下で,果たして認められるのかどうか,また参審制についていえば,どのような形態であればこれが可能かという重大な問題がある。これらの点については,改めて説明したい。