民主党が目指しているのは、「自由で安心できる社会」の実現です。
(中略)
私たちは、もっと個人や企業が自らの責任で可能性を「選択する自由」のある社会、未来に希望を持てる国にこの国を変えていきたい。そのための機会を平等にすることに政府は力を注ぎ、経済活動への介入は最小限にしていくべきです。そのうえで、すべての人が等しく最低限の文化的な生活ができるだけの生活基盤を、納税者が互いに支え合うことで、将来に対して「支え合う安心」の持てる充実した福祉社会を築いていきたい。それが、私たちが目指す「自由で安心できる社会」です。
現在求められている政治・行政の改革は、21世紀の日本社会を見据えて、この「自由で安心できる社会」を実現できる政治・行政へ転換する抜本的な改革です。民主党はこのような行政改革を実現するために「中央省庁の権限・財源を市民・市場・地方へ振り分けること」「官僚主導国家から国民主導国家へ転換すること」を基本方針としています。中央政府の役割を、外交・防衛、司法、年金を始めとするナショナルミニマムの確保など、国家と国民生活の根幹に係わる分野に限定します。それ以外は住民に身近な「基礎的自治体」が、それぞれの意思決定に基づきサービスを提供することで、柔軟・迅速・民意反映の政治・行政を実現します。地方独自の財源を十分に確保し、中央政府の役割を明確なルールに基づく地域間の財政調整などに限定するのです。
(中略)
第1章 この国のかたちを変える
3)司法基盤の充実
○人権を保障する最後の砦としての司法の基盤を充実する。適正で迅速な裁判を実現するため、裁判官の大幅増員など法曹人口の拡大、法曹養成制度の充実、手続法の整備、法曹一元化などを推進する。
○国民の裁判を受ける権利を実質的に保障するため、法律扶助制度などを拡充する。
市民に身近で,じん速・公正な裁判制度の実現を主なテーマにした日本弁護士連合会と日本共産党との懇談会が十二月十八日午後,日本共産党本部でおこなわれました。
日弁連からは二宮忠副会長(会長代行),久保井一匡副会長らが訪問,日本共産党は小林栄三常任幹部会委員,橋本敦参院議員らが出席し,約一時間,なごやかに懇談しました。
日弁連は,この十一月に発表した「司法改革ビジョン」を,日本共産党は,一九八一年に発表した「司法改革提言案」についてそれぞれ紹介。陪審制度,裁判官を弁護士から選ぶ「法曹一元」など,国民本位の裁判制度の実現へむけて,一致する点があることなどが話題になりました。
自民党,財界からも「提言」があることや,最近の司法改革をめぐる情勢について意見を交換しました。
また,十二日に法制審議会少年法部会が採択した少年法「改正」案(要綱骨子)について,審議の経緯,内容にかんして日弁連から説明があり,少年審判における適正手続きの保障,子どもをとりまく環境の改善なども話し合いました。
懇談会には藤本齊・司法改革センター副委員長,宮本康昭同事務局長,佐々木和郎子どもの権利委員会委員長(以上,日弁連),木島日出夫衆院議員,柳沢明夫法規対策部長,小林亮淳同副部長(以上,日本共産党)らが出席しました。
政府は,内閣に司法制度審議会(仮称)を今春設置し,司法制度改革論議をスタートさせる構えだ。
法務省は早速,陪審制や参審制といった国民の司法参加を進める制度の導入をはじめ,刑事手続きの迅速化につながる司法取引の採用などについても検討するよう求めている。
法務省が検討事項として挙げた新しい制度の数々は,もし審議の結果,実現すれば,現行司法制度の大改革につながるほどの影響力をもっている。政府は審議期間を2年程度と考えているようだが,専門家の意見は当然として,一般国民からの意見も十分に聞いた上で結論を出してほしい。
司法権を担う裁判所は,国民の人権を守る砦であるばかりか,さまざまな訴訟を通して立法と行政の2つの権力をチェックする重要な役割をもっている。ところが,一般の人にはあまりなじみのない訴訟という場で,法律の適用という専門的な仕事をしている裁判所は,立法府や行政府ほどには身近に感じられることはないだろう。しかし,「普通に正しく生きていれば裁判所のお世話にはならない」などと言って,無関心でいてはならない。
特に,人権侵害の起きる可能性が高い刑事手続きに対しては,国民の監視は不可欠だ。しかし,監視するといっても,刑事手続きは捜査から裁判まで,検察官,弁護士,裁判官という法律家が取り仕切り,とても素人の出る幕はなさそうだが,陪審制や参審制は,素人を刑事裁判に参加させる制度だ。これは,裁判の場では法律家の判断と同様に,良識ある国民の判断も尊重に値するという考えが基礎になっている。
陪審制とは,一定数の素人の陪審員が,被告人が有罪か無罪かという事実認定について,裁判官から独立して判定する制度だ。陪審員が有罪の評決を下すと裁判官が量刑を言い渡す。陪審員は地域住民の中から無作為抽出的な方法で公平に選ばれる。英国,米国など多くの国で採用されている。日本でも大正時代に採用されたが,第二次世界大戦中に停止されてしまった。
また,参審制とは,一般市民が参審員として職業裁判官とともに裁判所を構成して一緒に司法権の行使を担当する制度だ。ドイツの制度が有名で,参審員は,市町村が用意する参審員推薦名簿の中から,それぞれの裁判所にある選定委員会によって選出・登録されている。
この陪審制と参審制について,最高裁判所は1988年に研究を始め,また,時を同じくして日弁連も刑事司法改革論議の一環として陪審制の検討を行っていた。昨年11月に日弁連が発表した「司法改革ビジョン」も,施行停止中の陪審法を有効に機能するように改正した上で復活することや,参審制の導入を検討すべきだと訴えている。
『世界でも珍しい国』
また,学会でも平野龍一・東大名誉教授が「裁判がすべて職業的裁判官だけで行われ,陪審も参審もない国は,今では世界でも珍しいくらいである」として,日本では参審制の導入が「より現実的であるように思われる」(『ジュリスト』1148号)と述べている。
法曹,学者など専門家の間では,国民の司法参加についてはかなりの程度,議論が積み重ねられている。しかし,重要なのは司法参加の主体である国民の意識改革だろう。日本に陪審制が根づかなかったのは官尊民卑の国民性が災いしたとの指摘もある。今回の司法改革を成功させるためには,審議の段階から国民に開かれた論議にする必要性がある。
内閣に「司法制度改革審議会」を設置する法案が五日,国会に提出された。
裁判所は人権を守る最後の砦だ。「官の視点」に陥ることなく,「民の視点」に立った議論を期待したい。
現行司法制度に関しては,既に個別の分野について多くの課題が指摘されている。しかし,今回の司法改革論議は個別問題への対応だけではなく,司法の将来像をどう描くかという議論に焦点が当てられる。
同審議会設置法案には「二十一世紀のわが国社会で司法が果たすべき役割を明らかにし,司法制度の改革と基盤の整備に関し必要な基本的施策を調査審議,内閣に意見を述べる」とあるし,また,小渕首相も「行政,立法についてはいろいろ厳しい国民の目もあり,こたえているわけだが,司法については三権の中でもしっかり見直し,改革すべきという意見が強い」と述べ,司法をどう位置づけるかという今回の改革論議に意欲を示している。
司法の将来像について,今どのような視点が示されているのだろうか。審議会設置の背景になった行政改革会議の最終報告や自民党司法制度特別調査会の報告を見るとその概要が分かる。
特に,自民党の「司法制度特別調査会報告―21世紀の司法の確かな指針」(98年6月)は,急速な国際化の中で「透明なルールと自己責任の理念」がグローバルスタンダード(世界に共通する基準)となり,日本も「事後監視・救済型の社会への転換」を図るべきで,特に「救済」を担う司法の「機能の充実強化が必要」と訴えている。
確かに,日本でも規制緩和が大規模に推進されれば,行政の役割は,事前規制によるトラブル回避から,公平で「透明なルール」作りによる秩序の明確化に重点が移るだろう。そして,国民はそのルールにそって「自己責任」で行動し,もしトラブルが発生した場合の救済は基本的に司法的解決にまかされることになる。そのため,民事訴訟の増大が予測され,訴訟の遅延が問題になっている現行の司法制度の下ではとても効率的な訴訟の進行は難しいとして改革を急ぐ必要があるという問題意識だ。
自民の報告書は経済的背景に重点をおいているが,司法改革の視点をこれだけに狭めてはいけない。裁判の効率ばかりを中心にすると,どうしてもある程度の時間がかかる裁判よりも裁判外の紛争処理システム,例えば行政審判の拡大をすべきだといった「官の視点」が優勢になりかねないからだ。裁判の効率をいうのなら,まず裁判官と弁護士の増員を議論するのが「民の視点」だ。
この「民の視点」に立った将来の司法像論議として特に真剣に議論してもらいたいのが法曹一元の問題だ。現行の裁判官のキャリアシステム(官僚裁判官制度)に対しては「裁判官が純粋培養的に要請されるため,裁判の運営が市民感覚からかけはなれている」「昇給・昇進・任地の決定が最高裁判所を頂点とする司法官僚によってなされるので裁判官の自己統制をまねく」(日弁連『司法改革ビジョン』98年11月)との批判がある。このような状態のまま裁判官を増員しても人権のトリデにはならない。
『検討すべき日弁連提案』
法曹一元の下では法律家はまず,市民に最も近い弁護士としてスタートを切る。その後,弁護士の中から裁判官や検察官が選ばれる。
一気にそこまでは無理としても,日弁連が提案している,司法修習終了後の一定期間に全員が弁護士としての研修を義務づけられる研修弁護士制度も検討に値する。