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別添1

国民の司法参加(要旨)



国民の司法参加(目次)

総論

1.国民の司法参加の意義・趣旨

2.国民の司法参加に求められるもの

各論

3.陪審制

1)[国民的コンセンサス]
2)[選出方法の確立]
3)[裁判方法の変更]
4)[上訴]
5)[陪審員・裁判の防御]
6)[陪審員の責任]
7)[まとめ]

4.参審制
1)[参審制の有効性]
2)[一部の民事事件における専門参審制]
3)[刑事事件における参審制]
4)[憲法問題]

5.司法委員制度

6.検察審査会

7.その他
[国民審査制度について]
[ADRの充実]

総論

1.国民の司法参加の意義・趣旨
 「司法を国民により身近で開かれたものとし、また司法に多元的な価値観や専門知識を取り入れる」ために国民の司法参加の意義、諸制度の見直しを行うことは非常に重要である。
 基本的には陪審制・参審制のいずれも裁判あるいは裁判官を支えていく制度であるとのスタンスに立ち、、国民が適切な形で司法に参加することにより、裁判や裁判官の機能をチェックし、透明性が高められることで、その機能をうまく発揮させることが望まれる。

2.国民の司法参加に求められるもの
 国民が適切な形で参加し、裁判制度の機能をうまく発揮させるためには、「国民が等しく司法というものに関心を持ち、積極的に関与する」とともに、「裁判を如何に機能的に運営し、納得のいく判決を形成できるか」という点が重要である。
 改革にあたっては「現在の体制を根本的に転換させるだけの覚悟」が不可欠であり、また、「国民の総意に支えられた制度」に作り上げなくてはならない。
 制度構築にあたってのプロセスは国民の総意が反映するよう、慎重に進めていく必要がある。

各論

3.陪審制
 現在の日本の社会、経済、国民性や意識といったものは、陪審制度導入当時とは想像を遥かに越えた変化が起きており、過去の枠組みをもってきて、陪審制を復活・再生という議論は性急過ぎるのではないかと思われる。
 わが国の社会に無理なく合理的に導入できる制度かどうか、ゼロから陪審制の導入適否を考えていくことが肝要である。
 国民に陪審制とはどのような制度であるかを正確に伝え、趣旨・長所短所・想定される具体的なフレームや責務など、予め明確に提示し、その上で導入の可否を議論しなければならない。

1)[国民的コンセンサス]
 制度導入・維持のために国民全体が負わなくてはならない莫大なコストと、国民ひとりひとりが陪審員となった場合に果たさなくてはならない具体的な責務について、国民的合意を得ることが大前提とならなければならない。
 経済界は、諸外国での陪審裁判の経験を通じて、その制度の公平性や判決の納得性について信頼を置いていない。経営者としては、企業にとっての負担とリスクは非常に甚大であり、前向きには、受け入れられないものがある。
 企業が能動的に司法に参加するためには、社会動向等さまざまな要素を有機的にとらえて検討しなければならない。現在のようなグローバルコンペティションを日々生き抜いている企業、特にその大部分を占める中小企業に、様々な負担とリスクを負わせることが適当なことか、国全体の利益につながるのか、大きな視野で捉えて、見極めなければならない。
 また、陪審を受け入れたとしても、国民の義務に対する平等性の確保や、就労問題や企業支援等の検討が必要であり、問題の広がりは大きく、陪審制の導入について国民のコンセンサスを得ることは、導入の法律を作ることだけではなく社会全般の仕組みを改変し、意識を修正していかなくてはならない大きな障害がある。

2)[選出方法の確立]
 偏りがなくランダムに陪審員を選出することが保障されることが重要であり、また適正な選出を行うための機関が必要となる。
 また、選出方法や選出された陪審員(候補者)に関する情報公開の在り方もクリアーしなければならない、ハードルのひとつである。

3)[裁判方法の変更]
 現在の裁判制度と陪審制による裁判制度では、裁判だけではなく刑事事件における警察の捜査段階にまで波及するなど、根本的に異なるものであり、そこに国民の同意が得られるものかどうか十分な確認が必要である。
 両制度を並存させ希望による選択制あるいは使い分けといった考えもあるようだが、両制度を並存させるほどわが国の財政やインフラに余裕はないと考える。いずれにせよ、捜査の在り方、証拠に関する考え方を根本的に見直すことには変わりなく、その作業負担は過重なものとなるはずである。

4)[上訴]
 陪審制の下では話し合った内容や経緯さらには判断理由を公表せず、上訴できないとなっているが、裁判が目指している真実を発見する姿勢としてそれでいいのかという疑問が残る。
 国民に司法を近づけ、裁判官が間違いをおかさないように、透明性のある裁判を如何に確保し、それをチェックする機能として国民が如何に参加するか、われわれが目指すものはそこにある。国民が参加する制度を導入することで逆に透明性を失うとしたら、改革の趣旨からはずれることになる。
 また、現在の裁判制度が重層構造を構築している点を見逃せない。これまでの重層構造をすべて遮断して、陪審員に人の一生を左右する決定的な判断が下せられるのか、判断する上で重大なポイントである。
 大切なことは、真実の発見を確実にできる眼を備えた裁判官をキチンと養成し配置し、裁判プロセスの透明性を高め、それを国民がチェックする機能を確保することである。冤罪の回避可能性を確保しておく仕組みは何重にも用意しておくべきである。

5)[陪審員・裁判の防御]
 陪審員や裁判に甘言・圧力・妨害を加えてくること、予見を与えないためのマスメディアからの隔離・報道規制など、予めあらゆる角度から検討しておかなければならない。
 現在導入した際の陪審員への負担、裁判の公開性の維持、こうした措置に関わるコスト負担等も明かにしなければならない。

6)[陪審員の責任]
 国民が直接的に参加できる制度である以上は、真摯な態度で事件に接する必要がある。
 他人の一生を左右する責任、守秘義務等心理面も含め、こうした環境は一般の国民にとってかなり苛酷なことであり、陪審員とその家族が本当に負いきれるものか疑問である。
 陪審制度を絶対視する米国においても、その義務を避けたいとする国民が多くいる状況を軽視してはならない。
 陪審員の責任とは自分の人生に対する責任よりもひょっとして重いことになるかもしれない責任を自覚して引き受ける点に集約される。これが国民の総意として認められるかがポイントになるはずである。
 仮に国民がその負担と制度を受け入れたとしても、風潮に流されされたり、本質を見誤らないように、判断の基礎となる道徳心といったものを幼児教育の段階から取り入れていくということも検討しなければならない。

7)[まとめ]
 国民が陪審員として参加するということは、国民に大きな負担を背負ってもらうことを十分に周知して、それが受け入れられるものかどうか考えてもらわなくてはならない。
 真実の発見あるいは正義の実現を重視してきた国民にとって、本当に「真実の発見」という要請を後退させてまで受け入れるべき制度であるのか、国民に十分問いかけてみる必要がある。
 総合的に判断して、理想としても現実の問題としても陪審制は日本の司法制度として適当ではないと考える。
 これまでの海外での裁判の様子を鑑みれば、日本の経済活動への影響を考える上でも、民事陪審制度を受け入れることは適当でない。
 まずは裁判の機能がうまく発揮されるように、国民が適切な形で参画していく制度を考えることが先決である。
 現時点では、陪審制度を導入することは困難なものがあると考える。しかしながら、21世紀の日本の民主国家をデザインしていく上で、将来的に陪審制度を国民が受け入れる土壌作りができるかどうか見極めていく必要がある。

4.参審制

1)[参審制の有効性]
 陪審制と同様に、だれをどのように参審員として選出するかといった選出方法や、その人を外部の攻撃から守るシステム、さらには本当にプロパー裁判官と合議体を形成できるだけの知見が備わっているかといった疑問など、問題点は実に多い。
 諸外国の参審制度は、歴史的背景や、政治性、公判審理構造等、日本の制度とは異にしており、そのまま導入するといった議論には疑問を感じる。
 最高裁の「一部の限られた事件に参審制度を導入する」提案については、どのような基準でどのような事件に用いるか、十分な議論が必要である。
 知財や経済等の専門性の高い民事事件において、国民に分りやすい裁判になるよう最大限の努力を払ったところで、一般国民が参審員となって対応することには、限界があると思われる。
 一般国民を広く登用した参審制度を採用することは、陪審制度と同様、国民に受け入れやすい制度とは言い難い。

2)[一部の民事事件における専門参審制]
 専門裁判において専門知識を有する人を裁判官として登用してプロパー裁判官の補佐的機能を果たすという機能面を重視して制度を考えた場合、専門参審制の効用は多く、その実現性を期待したいと思う。
 ただし、専門裁判とは何か、その専門家とはだれを指すのかという定義は当然に必要であり、紛争の発生場所・争点・紛争当事者などから限定列挙しなくてはならない。
 専門家が加わることで、逆に公平性を失うことでは意味がない。その点については、十分に配慮し、専門性、迅速性に対応しつつ、公正性、透明性を確保できる仕組みを十分検討することが求められる。
 想定される分野としては、医療・建築・知的財産権などが上げられる。
 専門家としての冷静かつ適正な判断が当初から加われば裁判の信頼性のみならず、迅速化などの効果も発揮されるはずである。
 裁判所は、国民の意思あるいは常識とともに公正に専門分野の知識を提供できる機関をあらゆるルートにおいて開拓し、国民を代表するに足る人材をいつでも派遣してもらえるように連携面で大いに努力すべきである。

3)[刑事事件における参審制]
 犯罪の成否を審理する刑事事件については、一定の専門分野に関して、その専門家が裁判官として審理に加わるのが適当である専門裁判といったものを想定しにくく、民事事件のように、専門参審制を導入することは難しい。
 刑事事件では裁判官の専門的知見を補完する視点ではなく、民主主義の理念による国民の司法参加という観点から、広く一般国民から参審員を選出することになるが、陪審制度と同様の問題が生じる。

4)[憲法問題]
 参審制における憲法論は、「裁判」や「裁判官」の定義からの逸脱や明文規定が無いことを理由に違憲とする説や、評決権を否定した参審制の合憲説、民主主義を基調とし、明文規定がないことで違憲とはならない説、裁判官に関する規定はプロパー裁判官にのみと解釈し、違憲とする説などが上げられる。
 これらの問題は、これまでほとんど国民に知られていない。国家の基本法たる憲法議論こそ、一般国民にも分かりやすく説明し、その問題性をきちんと認知してもらうことが必要と考える。
 民主主義国家において、法曹に携わる方々の責務の1つであるはずだ。司法制度の根幹に関わる憲法の議論に、きちんと国民を参加させることも、一種の国民の司法参加につながるはずである。
 審議会においては、制度の有効性について議論し、憲法問題は、別途いずれかの方法で、解釈論に留まらないよう、きちんと国民の総意を図り、必要ならば憲法改正という手段を踏むべきである。

5.司法委員制度
 陪審制や参審制を離れて、国民の司法への参加を部分的ながらも実現しているものとして、目下のところ既存の司法委員制度や調停員制度の充実が最短かつ現実的であると考える。
 国民の関心を高めるためには、こうした制度の存在を幅広く周知させて、広く国民の司法への参加意識を醸成していくべきである。
 既存のうまく機能している制度を拡張したり、機能アップさせたりすることも改革の一つであり、司法委員制度を地裁レベルまで拡張することは極めて有効な方策となるはずである。
 竹下会長代理が提案された「専門委員制度」といったものを取り入れていくことは、特許裁判等においては、大変有効なことである。
 いずれにしても、単に欧米各国の制度を模倣したのではない、日本独自の制度として育成していくべきものと考える。
 国民の常識や社会通念あるいは経験則を尊重して、それを司法に取り込んでいく制度を目指すならば、まず既存制度の整備が先決問題として浮上してくる。陪審制や参審制ばかりを到達点と考えなくとも、日本の司法制度に独自なものとして存置させ育成することも大切である。

6.検察審査会
 裁判の判断に対する国民のチェック機能を考える一方で、その前段階の起訴・不起訴の正当性に対する国民のチェック機能について考えることも、国民の司法への能動的参画の重要な論点である。
 最大の問題は、検察審査会に関する周知が充分でないことである。制度の存在さえ知らない国民に突然不起訴の不当性について判断させることは賢明なこととはいえない。国民の参加の必要性を真摯に考えるならば、一般国民への周知活動の充実とともに、義務教育の段階からの教育制度を考え直すことも必要である。
 また、審査会における起訴相当の結論を、最終的には検事正が判断する仕組みが、チェック機能として有効に作用するか疑問である。また、いったん不起訴の判断を示した検察官に十分な訴訟追行をさせることの妥当性についても問題がある。訴訟追行主体を誰にするのかといった問題も含めて、国民の司法参加として相応しいものか、検討する必要がある。

7.その他
 [国民審査制度について]
 最高裁判所判事国民審査制度は、国民の間に制度としては知られているものの、制度そのものの有効性に大きな疑問が投げかけられている。最高裁判所は、常日頃から、インターネット等を通じた広報活動を充実させ、最高裁判所裁判官の経歴、人物、考え方、重要判例に対する意見等を国民に広く伝えることにより、国民審査制度を実効性あるものにするために格段の努力をするべきだと考える。
 国民が能動的に司法に参画することが望まれるのであれば、最高裁判所判事の選任過程から国民が参画する制度や、識見のある民間人の最高裁判所判事への登用が促進される仕組みまで踏み込んで議論すべきだと考える。

[ADRの充実]
 「司法を国民により身近で開かれたものとし、また司法に多元的な価値観や専門知識を取り入れる」ために、裁判に行く前の段階において、国民参加による裁判外紛争処理機関の充実させるといったことも、1つの方途として検討されるべきだと考える。
 特に商事紛争等においては、必ずしも明確な判定が望まれているわけではなく、双方にとって納得性があり、迅速に解決されることに重きを置くケースも多々あり、裁判との連動性をきちんと確保した上で、市民や専門家による裁判外の紛争解決手段を確保することは、事案の性格に応じた多様な紛争解決ルールの選択肢が広がるとともに、専門性、迅速性の観点から、国民主導の制度として有益なものと考える。