司法制度改革審議会

第34回司法制度改革審議会議事録



第34回司法制度改革審議会議事次第

日 時:平成12年10月16日(月) 9:29 ~12:10
場 所:司法制度改革審議会審議室
出席者
(委 員)
佐藤幸治会長、竹下守夫会長代理、石井宏治、井上正仁、北村敬子、曽野綾子、髙木 剛、鳥居泰彦、中坊公平、藤田耕三、水原敏博、山本 勝、吉岡初子
(事務局)
樋渡利秋事務局長
  1. 開 会
  2. 「法曹養成制度の在り方」について
  3. 閉 会

【佐藤会長】 それでは、ただいまより第34回会議を開会いたします。本日の議題は、「法曹養成制度の在り方」につきまして、意見交換を行うということでございますが、最初に曽野委員から20分ほどお話をちょうだいしたいと考えております。それから、前回の審議会において御意見をいただきました中間報告の項目案につきましても、皆様の御意見を踏まえて訂正したものをお示しして確定させていただきたいと考えております。できるだけ正午には審議会を終了したいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。

 それでは、早速曽野委員からお話をちょうだいしたいと思います。お手元に今日レジュメが配付されておりますけれども、曽野委員どうぞよろしくお願いいたします。

【曽野委員】 レジュメが短過ぎて申し訳ございません。

 本日は作家の立場から、この席で討議されておりました陪審制度について、また法学部教育について、いずれの面からも私の専門である言語の視点から、考えを申し述べたいと思っております。本当のところを申しますと、実際に陪審制度が採り入れられたら、どういう問題が発生するかということは、今でも私には想像できません。しかしそれを言っていますと、永遠に発言の機会もなさそうなので、理解しているという「錯覚」の元にお話しすることをお許しください。

 裁判というものは、すべて言語を通じて行われるものですが、法廷では市民の日常生活とはかけ離れた特殊な言語が使われていますので、一般市民の多くは、それを正当に理解しないか、オーバーに感じるか、取り残された部分に戸惑うのではないか、と思います。

 弁護される場合も告発される場合も、そこで使われる言葉は、コンピューターの記号のような場合があり、それで「間違い」とは言えないまでも、決してその人の置かれた立場や心情を言い尽くしてはいない、という状態で進められる場合が多いのです。

 裁判の法廷で使われる用語が一定の形式を取ることに、私は異議を唱えているのではありません。もしそういう統一を図らなければ、人間は延々と思いを語り続けて止むところをしらないでしょう。しかし少なくとも、言語を楽しみ、言語と苦闘してきた私たちからみると、言語ほど難しいものはなく、それはあたかも流れる川の中で生きた魚を掴むのに似た難しさを感じさせるのです。

 過日ちょっと触れましたが、私は過去に書きました数冊のノンフィクションの中から、一つの作品を例に引いて、その作業の困難さをお話ししたいと思います。

 ここに持参いたしましたのは『或る神話の背景 沖縄・渡嘉敷島の集団自決』という本です。この話は、終戦の年の3月、沖縄本島上陸を前に、その南西の沖合にある慶良間列島の中の渡嘉敷島で集団自決が行われた、という事件です。当時島には陸軍の海上挺進第三戦隊の130 人が、ベニヤ板の船に120 キロの爆弾をつけて夜陰に乗じて、敵の艦艇に突っ込む特攻舟艇部隊としていました。

 3月下旬のある日、米軍はこの島を砲撃後上陸を開始し、それを恐れた約三百人の村民は軍陣地を目指して逃げましたが、陣地内に立ち入ることを拒否され、その上、当時島の守備隊長だった赤松嘉次隊長(当時25歳)の自決命令を受けて次々と自決したというものでした。自決の方法は、多くの島民が島の防衛隊でしたから、彼らに配られていた手榴弾を車座になった家族の中でピンを抜いた。また壮年の息子が、老いた父や母が敵の手に掛かるよりは、ということで、こん棒、鍬、刀などで、その命を絶った、ということになっております。

 当時の資料を列挙しますと、 1)沖縄タイムス社刊『沖縄戦記・鉄の暴風』 2)渡嘉敷島遺族会編纂『慶良間列島・渡嘉敷島の戦闘概要』 3)渡嘉敷村、座間味村共編『渡嘉敷島における戦争の様相』 4)岩波書店『沖縄問題二十年』(中野好夫、新崎盛暉著) 5)時事通信社刊『沖縄戦史』(上地一史著) 6)沖縄グラフ社『秘録沖縄戦史』(山川泰邦) 7)琉球政府『沖縄県史8(沖縄戦通史)各論篇7』(嘉陽安男著) 8)岩波書店『沖縄ノート』(大江健三郎著) 9)平凡社『悲劇の沖縄戦』「太陽」(浦崎純著)

 などがあります。これらの著書は、一斉に集団自決を命令した赤松大尉を「人非人」「人面獣心」などと書き、大江健三郎氏は「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。

 私が赤松事件に興味を持ったのは、これほどの悪人と書かれている人がもし実在するなら、作家として会ってみておきたいという無責任な興味からでした。私は赤松氏と知己でもなく、いかなる姻戚関係にもなかったので、気楽にそう思えたのです。もちろんこの事件は裁判ではありません。しかし裁判以上にこの事件は終戦後25年目ころの日本のジャーナリズムを賑わし、赤松隊に所属した人々の心を深く傷つけていたのです。

 もとより私には特別な調査機関もありません。私はただ足で歩いて一つ一つ疑念を調べ上げていっただけです。本土では赤松隊員に個別に会いました。当時守備隊も、ひどい食料不足に陥っていたのですから、当然人々の心も荒れていたと思います。グループで会うと口裏を合わせるでしょうが、個別なら逆に当時の赤松氏を非難する発言が出やすいだろうと思ってそのようにしました。渡嘉敷島にも何度も足を運び、島民の人たちに多数会いました。大江氏は全く実地の調査をしていないことは、その時知りました。

 当時私はまだ30代で若く体力があったことと、作家になって15年以上が経過していたので、いくらか自分で調査の費用を出せるという経済的余裕があったことが、この調査を可能にしました。

 途中経過を省いて簡単に結果をまとめてみますと、これほどの激しい人間性に対する告発の対象となった赤松氏が、集団自決の命令を出した、という証言はついにどこからも得られませんでした。第一には、常に赤松氏の側にあった知念副官(名前から見ても分かる通り沖縄出身者ですが)が、沖縄サイドの告発に対して、明確に否定する証言をしていること。また赤松氏を告発する側にあった村長は、集団自決を口頭で伝えてきたのは当時の駐在巡査だと言明したのですが、その駐在巡査は、私の直接の質問に対して、赤松氏は自決命令など全く出していない、と明確に証言したのです。つまり事件の鍵を握る沖縄関係者二人が二人とも、事件の不正確さを揃って証言したのです。

 第二に、資料です。

 先に述べました資料のうち、1~3までを丁寧に調べていくと、実に多くの文章上の類似箇所が出てきました。今で言うと盗作です。ということは一つが原本であり、他の資料はそれを調べずに引き写したということになります。それをさらに端的に現しているのは、これほどの惨劇のあった事件発生の日時を、この三つの資料は揃って3月26日と記載しているのですが、戦史によると、それは3月27日であります。人は他の日時は勘違いをすることがありましょうが、親しい人、愛する者の命日を偶然揃って間違えるということはあり得ません。

 つまり「沖縄県人の命を平然と犠牲にした鬼のような人物」は第一資料から発生した風評を固定し、憎悪を増幅させ、自分は平和主義者だが、世間にはこのような罪人がいる、という形で、断罪したのです。

 当時、沖縄側の資料には裏付けがない、と書くだけで、私もまた沖縄にある二つの地方紙から激しいバッシングに会いました。この調査の連載が終わった時、私は沖縄に行きましたが、その時、地元の一人の新聞記者から「赤松神話はこれで覆されたということになりますが」と言われたので、私は「私は一度も赤松氏がついぞ自決命令を出さなかった、と言ってはいません。ただ今日までのところ、その証拠は出てきていない、と言うだけのことです。明日にも島の洞窟から、命令を書いた紙が出てくるかもしれないではないですか」と答えたのを覚えています。しかしこういう風評を元に「罪の巨塊」だと神の視点に立って断罪した人もいたのですから、それはまさに人間の立場を越えたリンチでありました。

 過日この席で、私のお隣に座っておられる髙木委員が、小声で私に、仮に私が陪審員になっても、与えられた裁判所の資料を信じないのか、と聞いてくださいましたので、私は「もちろんですとも」とお答えしたのです。しかしすぐ後で、私はその答えの軽率さが恥ずかしくなり、「科学的な結果は別ですよ。DNAの判定結果なんかは当然」と慌てて補足いたしました。

 このような調査は、まずすべてのものを疑うという姿勢から発します。裁判所は権威ある機関だから、疑念から省くなどということはあり得ません。それから、資金、時間、体力、事実を調べ上げていく独特の技術が要ります。空想や嘘ばかり書いているように思われている小説家ですが、実は長い年月その訓練を積んでいるからできるのです。もっとも今の私はもうまっぴらごめんという感じですが。

 しかしそういう訓練をしたことのない陪審員がいたとしたら、それは裁判所から与えられた資料によるほかはありません。それは付和雷同、風評による判断、悪くするとリンチの合法性にくみするだけでしょう。少なくとも私は良心にかけてはとてもできないことですし、私が裁かれる側としたらまだしも「玄人」に裁かれたい、と思います。その方があきらめがつきます。

 次に法律を学ぶ、法律に関わる、というすべての立場の人たちに関係のある「表現の問題」について述べます。

 一般的に言って、近年、表現力が低下しているのは恐るべきものです。私は毎年、数は多くありませんが、私が働いている財団の「入社試験」として書かれた小論文を読みます。一般的な知識を元に社会の常識から外れることなく、無難にまとめられたものはありますが、自分が個の視点からどう思うか、という論文には出会ったことがありません。

 入社試験で、個人の生い立ちや家族関係について聞いてはいけない、などと言うのですから、自分のことも語れない若者が増えて当然です。自分のことさえ正確に語れない人たちが寄っていて、どうして良心的で人間的な裁判が進められるでしょう。

 こうした傾向の背後には、様々な事情がありました。一時期、教員の情熱は、平等や公正といったものに対して、異常な執着を見せました。私たちは当然これらのものを希求しますが、それはこの二つが人生で行われるのは、ほとんど至難の業だということを知った上でのことです。

 この二つを叶えるためには、学生の答案を○×式にするほかはありません。なぜなら、作文を書かせれば、当然その採点には、採点者の嗜好が入ります。公正に採点するためには○×式の答え以外にないわけです。

 このようにして複雑な人間教育は破壊されていきました。

 裁判がより公正なものであるためには、それに関わるすべての人が、自由な表現力と、複雑な人間の心理に対する理解力を持っていることです。法廷では、対立する立場にある当事者たちが、その時何を考え、どのように行動し、その結果何を思ったかを理解しなければなりません。しかし今のような貧困な日本語の表現で、どうしてそれが可能でしょう。

 昔テレビやパソコンやテレビゲームなどのなかった時代には、私たちはもっと深くあらゆる人に接しなければ生きていけなかったのです。その結果私たちは、立派な人も卑怯な人も、円満な人も片寄った人もいることを知りました。その時一人一人独特の表現に、面白がったり、困らせられたり、当惑したりしました。

 しかし今多くの人々は、他人と深く関わりません。したがって自分とは全く違う人生の生き方をしている人がいるということを、知識としては知ってはいるかもしれませんが、実感しなくて済んでいるのです。

 法学部の教科課程にこそ、哲学、文学に触れる必要があります。私は一般的に中学高校から現代国語の時間をやめることに賛成なのですが、法学部においては、それらは必須のものでしょう。あるいはまた、違った職種の人たちに接触して、人生の裏表に精通した人になることです。

 法学部の一部を全寮制にして、夜は様々な人と語らう時間など必要でしょう。そうでなければ法律が服を着てそこにいるだけの未成熟な人間が、他者を判断することになります。能力のない法曹三者に身柄を預ける立場の人こそいい災難、ということになります。

 裁判の言語では、ある種の大切な日本語の機能が欠落するように見えます。

 羞恥、謙遜、反語を使った表現です。

 ことに最初の二つは、その人の性格、人生観、生き方をよく表しますが、裁判で争う時の文書に、このもっとも高度な精神的表現力を持つ日本語が自由に使われ、しかも意味を取り違えられないで済む、とは到底思えないのです。いささかの謙遜をみせたら、相手はそこを狙って衝いてくるでしょう。謙遜するのは、事実劣っているからだ、となるのです。しかし人間の中には、どうしても「そのような処遇を受けるのは、当たり前だ、とはいえない」心理の部分が残ります。それが「私のようなものが」という姿勢になったり「最初から私がその組織における地位は、まあ大きいポカをしなければいい、という感じのものでした」という表現になったりします。大きなポカをしなければいい、とは言っても、うまくいけばいい、人並みはずれた面白い仕事をしようと思っているのです。しかし保証がないから決して「私は必ずいい仕事をしてみせます」とは言わないのです。

 私たちの世界では、こうした含みのある言葉をしゃべらない人は、それだけで一つの性格の現れを示すとみるのです。むしろ言葉は水中の岩のようなもので、現れている部分は、隠れている部分のほんの一部に過ぎない、ということに面白さと美と、それから真理をも感じているのです。

 しかし人間の言葉のこの機能を面白がっていたら、法令を判断できない。法令をうまく使いこなせる人は、ますますこうした人間の心理の、「温かい混沌」から遠ざかることになります。

 法学部系のあらゆる教育機関は、たくさんの人の話を聞かせ、作文教育をしっかりし、まず自分の心をいかに十分に言い表すか、を習得させなければなりません。しかし皮肉を言うと、語るべき特別な思いもないというほど人生に対して無感動な学生も多いわけですから、毎月必ず数冊は古典、現代小説、戯曲、詩歌などを読ませてその都度ブック・レポートを出させ、かつ哲学を必修にすると同時に、哲学について酒を飲みながら語り合う夜の時間も必要です。また厳しい実生活に触れる旅や弟子入りの機会なども与えねばなりません。

 もちろんそんなことをしていたら、必要な知識を学ぶ隙がない、という反論が当然でるでしょう。ですからそれは、一般の学校、義務教育や高校でなすべきものである、ということは間違いありません。しかし現実問題として、法律の字句だけ知っている機械のような人間に裁かれたり、弁護されたりするというのはかなり迷惑なものです。これに対して、何も発言せず、放置したことに対して、まず(司法)制度を改革すべきでしょう。

 最後にこれと連動して、私には日弁連というものの、存在が理解できません。司法試験に通れば、だれでも自由に開業してよいのが当然で、何か事件があるごとに日弁連が代表して意見を述べることがどうして許されるのか奇妙です。悪徳弁護士が出て、その免許剥奪をする機関が必要でしたら、それだけ設ければいいのです。弁護士という人たちはそれほど同じ考え方をする奇妙な人たちですし、それを許しておくなら権威主義者の集まりです。法律の解釈がそんなに一致するなら、コンピューター弁護士でいいではありませんか。つまり「弁護士」とか「日弁連」とかいう商標の、非常に高価・高機能を有するコンピューターを作ればいいことです。すると法曹三者の増員どころか、弁護士の数がたちどころに余るでしょうから、裁判官の質も上がるかもしれません。

 私たちの世界にも、作家の利益を守るために日本文芸家協会というものがありますが、そこに入らなければ小説が書けないなどということはなく、しかも日本文芸家協会は決して思想的な問題の受け取り方についてはいかなる人も代表して意見など言いません。そんなことをしたら、越権として大問題になります。日弁連というところは、そういう点で、一般市民から不透明な印象をもたれています。これも、本当は改革の一つのテーマであるべきです。

 裁判というものに対して市民参加がより自由に可能になるということは、陪参審を採用するかどうかなどということではなく、まず日常の法律が、必ず守られ、施行されているか、ということです。

 建築基準を守っているのに、いちいち周囲の住民に気兼ねしないと建物が建たないような社会で、国民に法律を守れ、司法に参加せよ、などと言ってみても白けるだけだと私は思います。人間らしい言葉も使えない、読書もしない若者たちに、裁判で語られている人の苦悩が分かるはずはありませんから、裁判には最初からあまり期待しないというのが、実感です。「愛」というものを全く問題にせずに、人権でことをかたづけようとする人々が不思議と思われない社会ですから、司法が生命力を失っても当然です。

 言葉と魂は、ほとんど同一のものです。魂も言葉もやせてきた時代の危険性を十分自覚して御判断いただきたい、と思います。

【佐藤会長】 どうもありがとうございました。大変含蓄のあるお話であり、同時にまたいろいろ御異論のおありの方もあるかと思います。私も、おっしゃったことに深く共感するところがあります。前にも申し上げたことがありますけれども、例えば、憲法の授業などで、安全保障の問題を考えるときに、井上靖の『風濤』を、むしろいわゆる学術論文を読むよりもまずそういう小説を読めと学生に勧めてきました。これは、元という大国に接する小国たる朝鮮がいかに辛酸をなめ、国の独立安全を守るために悪戦苦闘したかについて書いた小説でありまして、この『風濤』をまず読めというようによく申してきました。ほかにもいろいろあるのですが、そういうことを言うと切りがありませんので、これ以上申しません。おっしゃることには私として非常に心打たれるものがありますけれども、曽野委員の具体的な御主張についてはいろいろリアクションがおありではないかとも思います。これからの法曹養成の在り方の議論の中で、今の曽野委員のお話も参考にしながら御議論いただければというように考えております。

 それでは、今の曽野委員のお話も踏まえまして、法曹養成制度の在り方について意見の交換を行いたいと存じます。前回は、文部省検討会議の最終報告の御報告を受けて、質疑応答を中心に審議を行いました。本当の意見交換は、その意味では、本日からということになります。お手元に前回の審議会の際にお配りしました「法曹養成制度の在り方についての審議事項(案)」というものをお配りしております。前回は法科大学院構想についての審議会委員だけの意見交換が余りできませんでしたので、文部省検討会議の最終報告を受けての法科大学院構想に関する意見交換のほかに、その次の新司法試験、あるいは司法(実務)修習の在り方も含めて、一緒に意見交換をしていただければというように考えております。

 さらに、時間がありましたら、実施に向けてのプロセスについても御意見を交換していただければというように考えております。

 順番としては、先ほど申しましたように、最初に法科大学院構想、新司法試験、あるいは司法修習の在り方という辺りからと思いますけれども、そしてその次に実施に向けてのプロセスについてという順番になるかと思いますけれども、必ずしもその順番にこだわらないで結構でございますので、自由に御発言いただければというように考えております。

 それでは、どなたからでもよろしゅうございますが、いかがでしょうか。

【髙木委員】 検討会議の報告の3ページ、「標準修業年限」、これを読みますと、何か3年制がベースだろうと思いますが、2年併存もありというお考えが提起されております。やはり2年と3年を混在させたりということはいかがかなと思います。勿論、法学部時代をどう評価するかとか、いろんな御議論の上でこういうふうになったんだろうと思いますが。

 逆にまた、2年制で済む人たちというのは、恐らくそれぞれの大学の自大学卒業生が比率としては非常に高くなるだろうと思います。そういう意味では、よりオープンにという意味も含めて、修業年限というのはやはり3年制ということで、一本化していくのがいいんじゃないかと思います。

【佐藤会長】 今の点について、検討会議ではいろいろな議論があったんじゃないかと思いますが、検討会議に参加された井上委員、鳥居委員、山本委員、吉岡委員の方から何か。

【井上委員】 髙木委員がおっしゃって私が答えるという図式になるのはいやなのですけれども、3年と2年を一つの組織に併存させるのはいかがかと言われた点については、どういう問題があるのか、お考えがよく分からなかったのですが、検討会議の方では、一応、そこのところが整合するような制度設計を考えて提示されておられるわけです。これで、本当にうまくいかないのかどうかです。

 その検討会議でも、いろんな議論があったのですけれども、法学部というものが現にあって、そこでの教育を受けてきた人がいるということを前提にしますと、それと全く法律のことを学んでいなくて、ほかのことを勉強したり社会経験を積んだ人と、全く同じような枠組みでちゃんと教育できるのかについて、両方の面から不安があるのです。

 片一方の方から言いますと、併存型では両者の間に1年の差を付けているのですけれども、これでも1年間で本当に同じスタートラインにつけるのか、つまり、法学部出身者は2年半ないし3年掛けて法律を勉強してきているわけですが、それを1年という期間で本当にできるのかという意見もあったのです。そこはしかし、法科大学院における基礎科目のところのカリキュラムの中身の問題として解決していくべきだし、解決していけるだろうというのが、この報告の基本的な考え方だろうと思うのです。

 もう一つは、2年制ということを認めてしまうと、自大学優先になってしまうではないかということなのですが、それはまさに入学者選抜の公平性、客観性の確保の問題でして、そこのところは、この案も、自大学だけ不当に優先するような入学者選抜であってはいけないということを強く言っておりまして、その点はまた、当然、後ろの方に出てくる第三者評価の対象になると思うのです。自分のところだけ優先して採っているということになれば、公平、客観的とは言えないわけですから、3年・2年併存制にして2年修了希望の学生に基礎科目を免除できるだけの学力があるかどうかということを確認する場合も、その試験というのは客観的、公平に行わなければならない。それが本当にそのとおりに行われれば、抱え込みということにはならないのではないかと思います。その議論を聞いていて、そこのところはかなり意識して強く強調されていると受け取りました。

【髙木委員】 3ページの「法科大学の基本的枠組み」の前の、「21世紀の法曹には、経済学や理数系、医学系など他の分野を学んだ者を幅広く受け入れていくことが必要である。社会人等としての経験を積んだ者を含め、多様なバックグラウンド」云々という表現が書いてあります。法学部出身者は確かに法律の勉強はやっていて、一方で他の学問領域の勉強ができていないわけですから、その1年間の法学部出身者の扱い方としては、経済学でも自然科学でもいろんな勉強があると思うんです。そういう意味で、その辺を年数で差を付けるというよりは、そういうカリキュラムの編成の仕方も当然あり得べしだと思うんです。

【井上委員】 そういう意味ですべて3年制でいくという法科大学院もあっていいのではないか。しかし、2年と3年の併用というのは、ここで目的とするのは、あくまで法律のプロフェッショナルを養成するということですので、一番基本になるのは法学的な勉強であることは間違いないのです。それに、経済学とか理数系、医学系の学部の出身というのも、その人たちがそれ以外の幅広い学識とか経験を積んで入ってくるというわけじゃ必ずしもなくて、そこはそこで専門化しているのです。そういういろんなバックグラウンドの人が入ってきて、一緒の授業で議論をしたり、一緒に勉強をしていくことによって、お互いにインタラクションがある。それによって、法学部から進んできた人たちも、もっと広い目を開かれるのではないかというのが、基本的なアイデアなのです。

 それともう一つ、法学部の学部の教育というのも、おのずと変わっていかざるを得ない。これは時代環境によっても変わってきますし、ロースクールあるいは法科大学院というのが上にできることによって、そこのところの見直しというのは当然起こるだろうというのが、髙木委員が触れられたところの上の方に書いてあるところの心なのです。そういうことを踏まえると、法学の基礎的な勉強をしてきた人は2年でもいいのではないか。それを統一して3年でないといけないとすることまでは、もうする必要もないし、また余り適切ではないのではないかというのが、基本的な考え方だろうと思うのです。

 ですから、ある大学の方針で、うちは3年でいくのです、法学部出身であろうと何であろうと、バックグラウンドが何であろうと全く一緒に教育するのですということ、それもあってしかるべきだが、しかし、現実には法学部から来る人が、少なくとも当面は大部分を占めるわけですから、そこで勉強してきたことも無意味だというわけではないのではないか。そう言える場合は、2年制というのを併存させるということもあってしかるべしという、そういうアイデアだろうと思うのです。

【佐藤会長】 吉岡委員どうぞ。

【吉岡委員】 井上委員がおっしゃったように、2年があってもいい、3年があってもいいというのが、文部省の協力者会議の最終的な見解で、きっちり何年でなければいけないという決め方ではなかったと思います。ただ、髙木委員が指摘された21世紀の法曹の在り方、それを考えたときに、より幅の広い人間性を持った法曹を育てていかなければいけないという考え方で他学部出身者も入れて、いろいろな考え方を持った人たちと交流することによって人間の幅を広げていこうという、そういう考え方があったと私は理解しております。そのために、法学部出身であるか、他学部出身であるかということを、入学の時点では差別をしないということと、自分の大学の卒業生を法科大学院に入れる場合に、自校の卒業生を優遇する特別のルートは設けない。そういうことで法科大学院が幅広く人材を受け入れていくという、これは合意があったところだと思います。

 ここからは、私の個人的な考え方なんですけれども、法学部を卒業した人は法科大学院は2年でいいと考えるかどうかという問題になると異論があるところでして、やはり幅広い人間性ということを考えると、それが社会経験であっても、あるいはほかの学部であっても法律以外の勉強をしていただきたいと思います。法学部だけ特別に2年という考え方は好ましくはないと考えます。

 飛び級の話も後段で出てきますが、飛び級あるいは3年で受験という道筋もあるとしています。これは学部を4年、法科大学院3年という年限がかかることに対する問題は勿論あると思いますが、やはり人間の幅や厚みを考えますと、飛び級あるいは3年で受験をし、しかも法科大学院を2年でというふうになってくると、どうしても幅の狭い、視野の狭い法曹ができがちだという問題があると思っております。

【佐藤会長】 鳥居委員どうぞ。

【鳥居委員】 今の御議論の背景には、二つの大きな問題があると思うんです。一つは、時代の流れです。それを我々がどう考えるかということ。もう一つは現在の制度の枠内でやはりものを考えなければいけないということだと思うんです。その後者の方から申し上げますと、現在の制度はどうなっているかと言いますと、大学院設置基準というのがありまして、その大学院設置基準で大学院は修士課程何年、博士課程何年と決まっているわけです。どこかで決めなければなりませんけれども、この法科大学院(仮称)については、大学院設置基準の中の専門大学院規定にのっとってつくられていくと思います。その専門大学院規定は、現在は2年を原則とし、もっと短くてもいいという基準になっているわけです。ですから、恐らく専門大学院規定の一つの変わり型として、法科大学院基準というものを別途つくって、3年を原則とするけれども、ある条件を満たしたときには、それぞれの学校の判断において短くすることもあり得るというような扱いになるんだと思います。

 その最後に申し上げた、それぞれの大学の判断に基づいてというところは、最近どんどん採り入れている重要な考え方なんです。つまり、それぞれの大学又は大学院の判断というものの中に、本当に新しい時代にふさわしい力の付け方とか、評価の仕方とか、全く違う教育方法とかを提案する学校があるであろうから、ダイナミックに学校を変えていこうという発想から、入れているわけです。

 もう一つ、一方で規制改革委員会の動きがありまして、規制改革委員会の意見の中には実は大学設置基準そのものへの疑問があるのです。大学は、何も申請して認可してもらうべきものでなく、自由設立でいいんじゃないかという極論をする人さえいる時代になってきているんです。

 しかし、個人的には、私はまだちょっとそれは早いと、完全な大学の自由設立というところまで日本の教育界がいきなりは飛べないと思っています。

 先ほど、最初に申し上げた大きな流れの方は、これは本当に大きな流れだと思います。もう間もなくWTOの発動によって、サービス業の自由化が始まりますから、専門学校でも日本に入ってこられるようになります。例えば、ジュリアードは大学じゃありませんから、ジュリアードが日本に学校を開くと言えば、東京ジュリアードはできてしまいます。同じように、外国のロースクールが、大学院の資格なんか要りませんよ、というアメリカのロースクールがあれば、そこの卒業生たちは日本の司法試験は受けられないけれども、国際的に活躍できるローヤーになってしまうという事態は十分起こり得ると思うんです。

 そういうこともにらみながら、むしろ国立大学なんかが率先して、そういう事態までも包み込むことができるような新しいアイデアの法科大学院をつくることが望ましいんです。設置審議会では設置認可申請書の中でどういうことをやりたいかということを書かせますが、それを設置構想と言うんですけれども、設置構想は自由で新しい、幅広いものを提案してくださることこそ望ましいというふうに言っているんです。最近いろんな目新しい名前の学部が次々と現れるのは、まさにその表れなんです。恐らくそういう基本的なスタンスでこの制度をつくっていく方がいいんじゃないかと思うんです。

 ですから、髙木さんの御心配は、狭く取れば既存の法学部からのルートだけが非常に固定化されるのは問題だとおっしゃるのは、よく分かるんですが、もうその次元を超えて、もっと目新しい競争、全く新しい競争が先に始まっていくべきだし、始まると思うんです。ですから、その意味で私は、3年制としておいて、それぞれの学校の判断で変形があるのは、もし私が申し上げたような意味であれば認めてもいいという感じはしております。

【佐藤会長】 山本委員どうぞ。

【山本委員】 結論的には鳥居先生と一緒なんですけれども、この先全く目新しい大学教育が出るか出てこないか分かりませんが、今度のロースクールというのは、法学部を存置したままのロースクールという制度でございますので、素直に考えて、大学を受験するときに、法律家になりたい人は、やはり大半は法学部を選択するんではないか。勿論一部の人たちは、初心は科学者になりたいとか、あるいは医者になりたいとかいうことで学部選択を行ったけれども、志半ばにして何らかの原因によって法曹になりたいと、そういう人たちもいるに違いないし現実にいると、そういう人たちをできるだけハンディのない形で、法曹の教育ルートに乗っけてやるべきではないかというのが、今回の制度設計だと思うんです。

 そういった意味では、それはもう何十年も先に全く違った修学形態が出てくれば別ですが、我々が現実に相手にしているのは、現実の今の制度をどういうふうに変えるかということでございますので、やはりロースクールの中心は法学部の卒業生になるのが自然ではないか。そういう考え方からしますと、法学部の卒業生とそれ以外の勉強ルートをたどってきた人たちの間に、当然ギャップが出るわけですから、学校によって3年制、2年制という制度がなければおかしいと考えております。

 髙木さんが心配されているところは、井上先生から御指摘がございましたけれども、例えば、10ページのところに、その辺に歯止めを掛けるべきだということがありまして、10ページの上から4行目ですが、「公平性、開放性、多様性という法科大学院の基本的理念に則り、他学部出身者や社会人等を広く受け入れるため、これらを一定割合以上を入学させるなどの措置を講じる必要がある」と、言ってみればそういう歯止めをこのロースクールの中には持っている。これが、設置基準に反映されるかどうかは別にいたしまして、第三者機関による評価なんかのときにも、当然そういうことに汗をかいているかどうか、自分の学校の学部の学生だけ受けるというようなことは駄目ですよと、そういう評価が出てくるわけでございますので、当面現実的な問題としてこういう考え方でよろしいんではないかというのが私の考えでございます。

【髙木委員】 山本さん、9ページの入学試験ではどうするんですかという点、これも両論書いてあるんですが、例えば、米国のLSATのようなものでいいんじゃないかというのと、法学未修者と既修者の試験を2種類やる、やらない。その辺との兼ね合いで、法学既修者は大学で法律のことをどの程度仕上げてきたかというレベルだけで判定されて、一方でもっといろんな意味で言われる、判断力、思考力、分析力、表現力みたいなものを問われる試験はもういいんだということでしょうか。今、日本の法曹養成で何が一番問題として問われているのかという、先ほど曽野さんがおっしゃった、そういう法曹の皆さんに裁かれるのはたまらぬとおっしゃられるような、そういう感じを多くの方々がもし仮にお持ちだとしたら、その辺をどういうふうに、だれが見ていくのか。

 そういう意味では、試験の問題、その後入ったカリキュラムの問題、勿論それはその前の大学でどうなのかということとも関連するでしょう。1年が長いのか、短いのか、それはもう一人ひとりの感じ方でしょうが、結局ロースクールなるものは、鳥居先生がおっしゃったようにどんどん自由に、それぞれ多様な選択肢を用意する世界が広がっているんだというお考えは、確かにそういう時代かなという気もしますけれども、何を問うんだということで見ていったときに、どうなんでしょうか。

【山本委員】 髙木さんのその心配は、法学部卒業生については今の司法試験と同じじゃないかということになるんですが、そうではなくて今度のものは、できるだけまず門戸を広く開放するということがありますね。定員なんかも増やして、たくさん入学させて、それで進学・卒業の評価はきちっとやるという新しい考え方、今までの大学教育では余りなかったような考え方を採るべきだというのが一つある。

 それから、法学部の卒業生といえども、単なる法律の試験の成績だけで入学を認めるということではなくて、もう少し、今、曽野先生あるいは髙木さんがおっしゃったような幅広い人格とか、法曹についての適格性だとか、当然そういうことも各大学がこれから選考の中に入れていくという、むしろその各大学が法曹にふさわしい人材をどうやって探すかというのが、大学の競争の一つの評価要素になってくるんじゃないかという、そんなような考え方がこのロースクールの中にある。

【井上委員】 報告書の方も、ペーパーテストだけでやるということではなくて、ペーパーテストは入学者選抜の一つの要素に過ぎないのですね。8ページの「入学者選抜」の3番目の段落で、総合評価なのだとしています。ですから、法学部を出てきた人について、仮に法律の試験ということになっても、その成績だけで選ぶのではなくて、やはり学業成績だとか、学業以外にどういうことをやってきたのかとか、そういうことを考慮して総合的に判断すべきだという、大きな枠組みとしてはそういうことになっているのです。

 ただ、客観性、公平性を保つためには、何らかのペーパーテストもやらざるを得ない、そのときに、適性テストというのは一つの方法なのですけれども、この適性テストなるものも、例えば、60点なら適正、59点なら不適正と、そういう形の結果が出るようなテストではないのです。LSATなどもですね。ある大まかな群を示しているだけで、それだけで選別できるのか。そうだとすると、法律科目試験を課して、その結果によって適性を見るということもできなくはないのではないかという意見もあって、どちらが本当に適しているのかということで、そこのところは必ずしも決め打ちできないので、こういう並列的な書き方にしているわけです。

 その上で、その下のところを御覧いただくと分かりますけれども、こういうことを重視すれば、その中でも適性テストをベースにして、その上に法律テストをやるという形が最もふさわしいのではないかというようなことも書いてありまして、そこは、何に重点を置いて考えるのかということによって決まってくると思うのです。その点は、この審議会で御判断いただきたいと、そういう書き方になっているのです。

 もう一つ、幅広いものが欠けているということは、そのとおりかもしれませんけれども、その点の教育をロースクールで行うのかということになりますと、そこのところはちょっと考え方が違うと思うのです。少なくとも法律のプロフェッショナルになるために、今、欠けているのはそういうところだけではなくて、法についての本当に深い、あるいは体系的と言いますか、幅広い理解と言いますか、そういうものも不十分になってきているのではないかということで、そこのところをきちっと時間を掛けて、プロセスで教育していこうというアイデアではないか。私などは、そう思うのですけれども、そこを中心に考えますと、視野の広さというのは、いろんなバックグラウンドの人を入れて、同じ場で勉強させるということによって、ある程度お互いに目を開かれていくという効果を期待するということだと思うのですが、中心はやはり法律のプロフェッショナルを育てるのだということだと思うわけです。

 そこを基本に考えた場合には、法学の基礎的な学力がある人とない人、その間で教育のカリキュラムの立て方とかいうものも、当然違ってくるのではないか。そうなると、山本委員もおっしゃいましたけれども、少なくとも今の制度を前提に考えた場合には、2年併用制というのもあっていいのではないかというふうに思うのです。ただ、そこのところで2年ということだけを言いますと、髙木委員がおっしゃったようなことにもなるので、2年制だけというのはあり得ないということも、はっきりこの報告書では言っているのですね。2年制だけですと外の要素というのは全くなくなりますので、3年制か3年制プラス2年制ということで考えたらどうですか、その中身は自由に発想してくださいという、鳥居先生の言われるようなお考え方もあって、カリキュラムの中身はかなり多様でいいのですよということだと思うのです。

【中坊委員】 全く別の視点ですけれども、ロースクール、法科大学院というのは全く新しい制度が今、生まれようとして、具体化しているところなんですね。今の現実を前提に、全く新しいものができる、どの大学にできるのかというのを、みんなが非常に注視している。それぞれ具体的に考えているというときに、2年制と3年制というのを築くと、どうしても特定の東京大学とか中央大学とか有名校というか、そういうふうな大手の大学は、やはりそういう意味では囲い込みみたいになって、そこを出てきたものは2年制ですよということになってきて、地方でそういう大学をつくるのは非常に長く掛かるんじゃないかという危惧というものが出てきて、今、せっかく新しいものをつくるときに、その2年制と3年制を最初から、そうでなくても大手と、大手と言ったら失礼かもしれないけれども、法学部で大体司法試験に受かってきた大学というものと、そうでない大学とが、全国の非常に幅広く出てこないといけないということを前提にして我々はこれをしているんですから、そういう視点から言うと必ず二つあるんだということで言っちゃうと、有名校の方は2年でこっちは3年でと言って、最初からハンディを負わすような結果になりかねないという気分もあるのではないかという気はするんですけれども。

【井上委員】 それで、2年制1本というのはあり得ないということは押さえてあるのです。いずれにしろ、そういうできあがった大学と言いますか、そういうところも門戸を広く開放しなさいという意味で、3年制を基本に設定してくださいということと、それと、外から採るのを一定割合以上は採らないといけないという仕組みをここでは考えているわけです。

【佐藤会長】 「一定割合」についてどういう議論があったんですか。

【井上委員】 そこはかなり難しい問題でして、具体的な数字についてまでは踏み込んで議論していません。

 ただ、御参考までに申し上げますと、本当に御参考ですが、今、司法試験を受験している人で、非法学部出身者は大体2割、合格者の中では1割くらいの割合だろうと思います。これは、ほんの御参考までです。

【鳥居委員】 私の理解は、この部分の議論、検討会議で余り強く申し上げませんでしたが、先ほど申し上げた制度論として考えると、かなり簡単なことだと割り切っていたのですが、私の割り切りは、設置基準にするときに「3年制又は2年制」という制度は多分つくれない。3年制、ただし書きとして、各学校の自由な判断で、2年で卒業させる者もあると書くことになるでしょう。3年制もあり2年制もありという基準はまずつくれないとたかをくくっていたものですから、ちょっとゆったり構えていたところがありまして、今の議論がもし、ここに書いてあるとおり、3年制と2年制の併記だというのを、言わば法律の条文に書くとなると、それはできないと思います。

【井上委員】 それで、基本を3年ということにしているのですけれども、ただ、具体的に設立を考えるときには、2年制を併存する場合、どこかの段階ではっきりさせないといけませんね。

【鳥居委員】 ただ、今の設置基準でも、ものによってちゃんと3年制、ただし、学校の自由な判断で2年で卒業させることありと書いてありますからね。

【井上委員】 それによって学生定数が決まってきますし、学生定数が決まりますと教員数が決まってきますので、具体的に各校が立ち上げるときには、3年、2年の併存なら併存ということをはっきりさせないといけないと思います。ただ、おっしゃるように、一般的な制度枠組みとしては、3年を基本に考えて、2年に短縮することもあり得るということを提案なさっているわけです。

【佐藤会長】 そうすると、やや説明の仕方なんですかね。

【井上委員】 今議論すべきなのは、形というよりは実質なのです。実質を考えた場合に、法学部を卒業してきて、当然ではないのですが、一定の基礎があると認められる人と、そうではない人とで、ステップが違うのかどうか、違えていいのかどうかということだと思うのです。

 私などは、法学部の現場で教えている目から見ますと、正直言って、基礎のない人の場合1年間だけで基礎を身につけるというのは大丈夫かという方がむしろ心配なのですね。そこをいろいろと工夫して、既修者と同じスタートラインにできるだけ早く立ってもらって、そこからは一緒の授業でお互いをぶつけ合って質を高めていってもらうということが理想かなと思うわけです。

【曽野委員】 今、学校の制度の問題と別の一つの考え方を、これも御参考ということで申し上げておきたいんですけれども、法学部というのは完全なプロです、私に言わせると。これは文学と同じで、文学部はいいんですけれども、法曹三者になるような人というのは、プロなんですね。プロというのは、他人が決めた時間に勉強する人ではないんです。つまり、1年でそこに到達する人と、10年掛ける人といるでしょう。プロというのはほとんど独学なんです。

 ですから、そういう考え方があるということも、どう反映していただけるのか分かりませんけれども、そういう年数で限られると、そんなに法律というのは素人っぽいものかと思います。

【井上委員】 ただ、最低このくらいの期間は勉強してもらわないとというラインはあるのですよ。

【曽野委員】 ですから、それは1年でやれればかなえられるんですね。それから、それをずっとやっていって、自分は10年やらなければこれを分かったとは言えないというのが出てきてもプロだろうと思うんです。

【井上委員】 それでも分からない人はいますけれども。

【水原委員】 これはもう一度確認いたしたいんですけれども、法学部出身者は2年ですか。

【井上委員】 法学部出身に限っていないのです。法学部出身であろうとなかろうと、基礎的な法学の学力があることが確認されたら、2年で修了できるということです。

【水原委員】 そうすると、他学部出身の者でも、その能力があったと評価されたならば2年でよろしいと、こういうことですね。

【井上委員】 そうです。この報告は、そういう考え方に立っています。

【水原委員】 分かりました。

【藤田委員】 もっと早くに質問しなければいけなかったのかもしれないんですけれども、4月25日付の法曹養成制度の今後の審議の進め方についてによりますと、いろいろな点を詰めなければならないから、具体的な内容を専門的、技術的な面を含めて十分に検討した上で、当審議会として法科大学院構想についてその実現可能性や妥当性を判断する必要があるとあります。しかし、その余裕がないから検討会議に依頼して、その検討結果を踏まえて、法曹養成制度の在り方について審議を行い判断を下すということになっているんですが、この要請に対して、検討会議の方で非常に詳細、緻密な構想をまとめていただいたわけです。これに基づいて審議会の方で議論し、改めて法科大学院で行こうということを決めるということになるのか、それとも、今までの議論を聞いていると、もう法科大学院で行くという前提で議論されているような感じもしないではないんですけれども、その点は前の方の理解でよろしいわけですね。

【佐藤会長】 24日にできれば結論を出していただきたいと思います。

【藤田委員】 分かりました。

 それで、今の問題についてなんですが、それぞれのお考えは十分理由があると思うんですけれども、前から申し上げているように、恵まれない家庭の子弟が司法界に入るルートは確保しなければいけないという意味で、検討会議でも、司法試験の受験資格について、あるいは、フランスのように直接に法曹資格を与えるようなことも含めて検討したということでございましたけれども、それはそれとして、原則的には法科大学院卒業が司法試験の原則的な受験資格となるということでございます。そこで、恵まれない家庭の人たちにとってみれば、夜間大学院とか通信制大学院、あるいは奨学金・教育ローンというような制度はつくるにしても、それだけでは十分ではない。私も今、大学に行っているんですが、私のゼミに出てくる学生は将来司法界を目指す学生が多いものですから、そういう学生たちが、法科大学院で3年、それから更に研修所に通うということになると、親に負担を掛けなければならないんですが、そうなるんですかという質問をしてきます。そういう点からすると、飛び級とかあるいは2年への短縮を認めるかどうかという点については、そういう学生のことも考えて認めたらどうかというふうに考えております。

【井上委員】 今の点は、どちらかというとこの審議会の方で検討すべき問題だということで、検討会議の方は遠慮なさったのですね。つまり、法科大学院構想なるものについて専門的、技術的検討を加えてください、それに必要な範囲で司法試験との関係とか修習との関係というのも当然視野に入れてくださいということで依頼したものですから。むろん、法科大学院構想で行くということは、そういう時間を掛けてより丁寧に教育することが、ひいては国民のためにより良質な法曹を育成するのに役立つ、それが王道だという、そういう構想なものであるわけですから、それで行けば当然、そこで育ってきた人を主にして司法試験というのを考えるべきだろう。ここまでは自然の道筋だと思います。

 その上で、そういうところにうまく乗り切れないいろいろなハンディがある人をどうするかというのは、こちらの審議会の問題である。ただ、この構想でも、この前来ていただいた委員の方たちも言われていたように、まず第一には、王道の方をより広く、そこに無理なく乗ってこられるような制度を考えるべきで、それでも乗り切れなかったところをどうやって救済していくか、手当していくかという考え方でいくべきだということは言っている。そういう考えだと思います。

 しゃべり過ぎて申し訳ないのですが、あと1点だけ付け加えますと、通信制教育の可能性というのも、かなり広がってきています。これは文部省の検討会議でも文部省の方が言われていたことで、この間の新聞にも載っていて、お手元の「関連新聞記事」にも入っていますが、インターネットの普及によって、従来の通信制のイメージとは大分違ったものになってくる。ITというとちょっとはやりですが、それを使って同時的に双方向の授業もできるようになる。そういう意味で、働きながらとか家庭にいながら勉強する可能性も拡大してくるのではないかと思います。

【佐藤会長】 藤田委員のお話も、乗せ方を少し工夫すべきだという話ですね。

【藤田委員】 更に付け加えさせていただくと、前にも一度申し上げたのですけれども、人材の社会的な各分野への適正な配分という観点から言うと、負担が重くなればなるほど司法界を回避する者が出てくる。かつて民事訴訟法と刑事訴訟法は私どもの時代は両訴必須だったんですが、片方にしたのは、やはり両訴必須が学生に対する負担が重くなるので受験回避が生ずるということを心配したんですね。実際に判事補たちを集めて両訴必須だと受験回避の傾向が出てくるかどうかと尋ねたら、みんな回避の傾向が出てくるだろうという答えだったんですね。

 それがいいか悪いかは別としまして、司法界に行きたいんだけれども、負担が重いから回避するということがあってはいけない。その対策の一つが年限の短縮とか別個の受験資格あるいは採用資格の弾力化かなと思ったものですから申し上げたわけです。

【髙木委員】 藤田さんのおっしゃる議論は、新しい司法試験の受験をどういう人に認めるのかということに関わり合いがあると思います。この検討会議の報告書の15ページの一番下の方に、新司法試験は、教育内容を踏まえたものとし、十分にそれなりを修得した法科大学院の修了者又は修了予定者に云々と、書かれています。藤田さんの議論をずっと突き詰めていくと、法科大学院というのはつくるけれども、別にバイパスはどんどんあっていいんだということに論理的につながりかねない。

【藤田委員】 限定してそういう途を認めるということですね。つまり、法科大学院の存在意義が失われるのではないかという議論も十分理由があると思うんですけれども、法科大学院を卒業することによって得られる資質、能力というものは、例外的かもしれませんけれども、恵まれない家庭の人たちにとっても、自分の努力で達成できないものであるとは言えない。困難かもしれませんけれども。特例的な途で結構ですが、ルートを設けておくということが、そういう恵まれない家庭の人たちの司法界への進出の可能性を開くということと、それから人材の社会各分野への適正な配分にプラスになるのではないかという趣旨で申し上げているわけで、法科大学院の卒業を原則的な受験資格にするということまでいけないと言っているわけではないんです。

【髙木委員】 それをずっと突き詰めていくと、さっき曽野さんがおっしゃったプロというのはこういうことだという話に行き着くと思います。プロというもののとらえ方について言えば、曽野さんのおっしゃる論理は私もあると思うんです。

【佐藤会長】 さっきむしろ乗せ方ではないかと申し上げたのは、2年だとか飛び級というのは、法科大学院をそういう人たちが使いやすいようにという趣旨の御発言だと理解したからです。端的にバイパス論の話ではないと思ったんです。

【藤田委員】 パイパスの意見もありますけれども、今、申し上げている飛び級あるいは2年というのも設けるべきだというのは、そういう人たちのことも考えて、2年の短縮も認めてもいいんじゃないかという趣旨で申し上げたんです。

【井上委員】 学部の飛び級は学部の問題だと思います。学部教育を十分習得しているかどうかというのは学部の判断でおやりになることで、それが法科大学院の前提になっているということではないと思うのですね。法科大学院の方は、むしろ、法学の基礎的な学力があれば2年制、そうでないというか、原則的には3年制とそういう仕分で考えましょうということなのです。その法科大学院において、更に飛び級をつくるかどうかというのは、また別途の問題ではないでしょうか。

【石井委員】 2年、3年のどちらのケースになるかという件ですが、かつて私がMIT大学院に留学した際の最初の授業のときに、これからクイズをやりますという話がありまして、何で大学院に来てまでクイズをやらなければならないかと思ったことがありました。それは熱力学の授業だったのですが、結局、何をやったかというと、MITの大学院は全米中の各大学から学生が来ているものですから、それぞれどのぐらいのレベルの学生がその授業に出ているかというのを見る必要があったわけです。それをチェックするためのテスト的なものを受けた経験がありました。それと同じようなやり方で、今の、2年、3年の件も、何らかの格好で、法科大学院に入学した際に、クラシフィケーションのテストを受けさせることによってレベルをチェックし、2年か3年かを決定することを考えるのか、それとも、文学部出身だから、必ず3年勉強するようにというふうにするのか、その辺についてお考えをお教えいただきたいと思います。

【井上委員】 ちょっと御趣旨がいまひとつ…。

【石井委員】 ある程度のレベルに達していることが分かれば、法学部出身者でも2年で、医学部出身者も同じように2年でよいかということです。

【井上委員】 学力というか法学的な基礎が身についているかどうかということで分けるのでして、法学部を出ても駄目な人は駄目ということです。

【石井委員】 医学部でも他の学部出身でも、ある一定の水準に達していれば良いということですね。

【井上委員】 ええ。

【北村委員】 例えば、高校生が、では、将来法曹人になりたいと言ったときに、どのルートを行った方がいいというお考えなんですか。例えば、法学部に入っていった方がいいのか、あるいはそのほかの学部にまず行っておいて、それから法科大学院に3年行きなさいという、こちらの方がいいのか。多様な道があるというのはよく分かるんですが、3年を原則とするということは、ほかの学部にまず行って、そちらの方が。

【井上委員】 「お考え」というのは私の考えということですか。

【北村委員】 ここの考えです。

【井上委員】 それは制度設計をする際の話です。さっき鳥居先生がおっしゃったような意味で、制度の骨格をつくる場合に、2年を骨格にして3年もあり得べしという制度設計というのは難しいわけです。それで、3年を骨格にして、2年制併用というのはあり得るし、形の上でそういう制度設計の方がおさまりがいいというだけの話です。

【北村委員】 それは分かるんです。

【井上委員】 どちらがノーマルかとか、どちらが原則かという考え方は、採っていないのです。

【北村委員】 広く受け入れましょうという考えはすごくいいと思うんです。いいと思うんですけれども、法曹人というもののルートとしてどれが一番推薦できるルートなのか。こういうのを非常に望んでいると思うんですよ。小さいときから法曹人になりたいと。

【井上委員】 仕組みとしてはどちらでも結構ですということなのですけれども、お話のように高校のころから法律家になりたいと思う、例えば、中坊先生のテレビを見て法曹になりたいという人がたくさん増えるかもしれないですが、そういう人は恐らく法学部に入ってくると思うのです。しかし、そういう進路決定が遅い人もいるわけですし、あるいは途中で一たん選んだ進路が間違っていたと思う人もいっぱいいるわけですよ。

 そういう人を含め、別に18、19歳で決めなくていい。22~23歳になってからとか、あるいは社会に出てからでも法曹になれるように、自由にというか、比較的容易になれるような道を開きますよと、そういうことだと思うのです。

【北村委員】 私はすごく高校生は迷うと思いますよ。ほかの勉強をしてから法科大学院に入った方がすばらしい法曹人になれるのか、あるいはもう自分は法学部に入って、それから法科大学院に行った方がいいのかというのはすごく悩む子がいるだろうなと。

【井上委員】 そこで悩む人は、法学部に来てもいろいろな勉強をするから良いと思うのです。しかし、一番こわいのは、どちらが受かりやすいかとか、そういう発想で来る人で、そういう人はどっちの道を取っても駄目だと思うのですね。

【佐藤会長】 この制度設計では、社会人や他学部の学生を積極的に受け入れようという考え方もあるわけで、そういう人たちをエンカレッジしていることは確かだと思うんです。さっきの曽野委員の話にも関係すると思いますけれども、やはり多様な教養、考え方を持った人が法曹に入ってほしいという考え方が根底にあることは間違いないと思います。エンカレッジするということがスタートだと思うんです。

【北村委員】 それは分かるんですけれどもね。

【佐藤会長】 あとは、それぞれの本人の考え方であるとしか言いようがないんじゃないでしょうか。

【北村委員】 私もよく分からないんですよ。ですから、だれかがいて、相談されたときに、ではあなた法学部へ入っていろいろな勉強をして法科大学院へ行きなさいと言えばいいのか、やはりこちらのルートで、ではまず商学部に入って、自分の専門の会計を勉強してから行きなさいとか、そういうこともあり得ますね。こちらから行くと、1年長く掛かって、こちらへ行くと1年短縮できるわけでしょう。

【井上委員】 まあ、私なら、好きな勉強をしなさいと言うと思いますね。

【佐藤会長】 まだ議論は続けますが、ここで10分休憩を挟みたいと思います。

(休 憩)

【佐藤会長】 それでは、再開したいと思います。

 引き続き意見交換を行いたいと思いますが、これまで法科大学院構想につき3年制か2年制かという辺りを中心に御議論いただいたわけであります。司法試験との関係は既に議論が出ておりますが、法曹養成制度の在り方についての審議事項案を御覧いただきたいと思います。そのほか、司法修習との関係の問題もありますので、その辺を少し。

【鳥居委員】 時計を見ると、とても今日の昼までは終わりそうにないと思うんで、私は大筋の取りまとめの方法について御審議をいただく方がよろしいのではないかと思うんです。

 とにかく、我々は法科大学院をつくることによって、法曹人口を中期的には5万人程度までに増やすために、年間3,000 人程度の新規法曹の確保を目指す、そのための教育システムをつくろうということは大体決めたと思うんです。決めたから法科大学院の構想の検討会議を開いていただいてこれをもらったわけです。あとはこれの扱いをどうするかということで二つありまして、一つは、この内容の中で余りにも細か過ぎて、ここで審議するにはちょっと細か過ぎるという部分もあります。

 それから、中には、とても大事なことなので、審議して整理をすべきところもあると思います。それをやった上で、これは私の意見ですが、平成15年4月開校を目指して、制度改革に入るべきではないかと思うんです。

 そういたしますと、時間はもう限られておりますから、正規の手続のステップに入るべきだと思います。

 そのとき、今度はこれは漠然とでいいんですけれども、我々のある種の意見一致を見ておく必要があることが一つあると思うんです。法科大学院を何校つくるのか。何人くらいの法科大学院の学生にするのかについての話合いは漠然とではあっても一度やっておく必要があります。

 ちなみに、医者の場合は、毎年七千数百名の国家試験合格者が出るわけなんです。それに対して、それを教えている医学部は79校なんです。それに防衛医科大学校を加えると80校なんです。80校から大体7,500 名くらいの国家試験合格者が出ます。

 私は今、3,000 名の司法試験合格者というものが数年後の定常状態だとしますと、それに向けて学校が徐々に増えていくということが必要だと思います。恐らく平成15年4月開校とは言っても、そのときに何十校とか何百校がいきなり名乗りを上げることは不可能で、せいぜい5校とか10校。大体設置審査能力にも限界がありますから、そして、2年目にまた何校か、3年目に何校かというふうにしてだんだんに学校が増えていくということを暗に想像したらよろしいのではないかと思います。

 もう一つ大事なことは、最近の大学設置審議会では、次々と新しい構想が提案されることを歓迎しているわけです。それが日本の強さをつくると私たちは思っているわけです。

 ですから、例えば、5年前に設置された法科大学院が、5年後にもうこれでは古過ぎるといって、自ら内容を新しくするということはよく起こるということが必要なんだと思うんです。

 そんなことも想像の範囲の中に入れながら、手続なんですけれども、私は当審議会が中間報告か最終報告を政府に提出する。政府はそれを受けて法科大学院設置基準の作成をする。作成する場所は今の制度で言えば大学設置審議会だと思います。ただし、今のままの大学設置審議会のメンバーでは無理がありましょうから、何らかの方法で、例えば、特別部会をつくっていただいて、世間のどこから見ても、この人たちにお任せして安心というような仕組みを大学設置審議会の中につくってもらって、そこでディテールにわたる法科大学院設置基準をつくってもらって、それが大学審議会に上がってきます。大学審議会の審議を受けて法改正が行われるという形になるわけなんです。

 大学審議会は、たまたまこれは佐藤先生も関係しておられるはずなんだけれども、行政改革の方からの強い要請を受けて、中央改革審議会の中の大学審議部会というふうに来年1月から変わりますから、今のところは(仮称)大学審議会としておきますが、その大学審議会を通って初めて法改正が行われる。このステップをできるだけ早く取れる方向で、当審議会の御審議をいただければ有り難いと思います。

【佐藤会長】 ただいまの鳥居委員のお話は、一応法科大学院をつくる前提ということで、議論の在り方として次のステップの話ではないかというお考えもあるかもしれませんけれども、つくるとしたら全体としてどういう形での進展ぶりを考えるべきかという重要な問題があるという趣旨ではないかと思います。

 その前にもう少し議論すべきことがあるじゃないか、という御意見もあるかもしれません。ただ、鳥居委員のせっかくの御提言ですので、これに関連して何か御意見があれば伺っておきたいと思いますが、その前にもうちょっと議論しておきたいということがあれば、もちろんそれについて御議論いただいて結構でございます。

【鳥居委員】 次回私はどうしても出席できないんです。それで来週私がいないときに法科大学院はつくらないことにしたとなるとえらいことだから、かなり真剣な思いでつくってくださいと言っているわけです。

【佐藤会長】 鳥居委員は大学審議会に関係していらっしゃるんで、非常に強い思いもおありなんだろうと思いますが、いかがでしょうか。第三者評価機関の問題が最後の出口のところにあり、それをどう位置づけるかという大きな問題もあるんですね。

【竹下会長代理】 全体の方向は、大体もう皆さん御意見がそう違わないで決まっていると思うのです。ただ、最終的に決めるには、もう少し新しい司法試験との関係とか司法修習との関係という問題、それから鳥居委員御自身もおっしゃいました、この中でも幾つか意見が割れていて、留保されているような問題もございます。そういう点について、もうちょっと議論をして決めてからの方がよろしくないでしょうか。御意見は何か文書などでお出しいただいておけば十分尊重できると思うのですけれども、どうでしょうか。

【佐藤会長】 そういう方向で議論を進めるのが結構かと思うのですが、出口問題もある程度見えた方が入り口の中身の問題も議論しやすいということもあるかもしれません。鳥居委員は24日御欠席だということもありますので、せっかくの御提言であり、何かこれについてこうじゃないかということがあれば、少し御議論いただいた方が。

【井上委員】 先走り過ぎるようで遠慮していたのですけれども、その問題は設置についてだけのことではなくて、出口の司法試験との関連でも、関連法令の改正等をしなければ、制度が全体としては完成しませんので、平成15年開校ということが可能かどうか、今の段階ではちょっと分からないと思うのです。

 それと、何校で何人というのを数の方から決められる問題とはちょっと違うと思います。ある見通しを持って考えていかなければいけないということは分かるのですけれども。

【鳥居委員】 私は、大学設置審議会は申請を拒否することはありませんので、何校できてもいい。申請して出てきたものについて基準を満たしていなければ、基準を満たしていないということはありますけれども、申請拒否をすることはないんですから、何校というのは決められないんです。

【井上委員】 その上で申し上げると、この報告書の中にも書かれていますけれども、基準というのは、実は2段階あって、第一に設置認可のときの基準、これは外形的な事柄だけしか書けないと思うのです。その上で、入試が客観的かつ公平に行われているかとか、成績評価はどうかとか、そういった事柄が恐らくこの後ろの第三者評価の基準の問題になってくるわけです。

 一番難しいのは、その後ろの方の第三者評価をし、質の認定をする機構をどこに置き、どういう構成にするのか、その基準をどこがつくるのかということでして、おそらくこれが実施に移すときの最も難しい問題の一つだろうと思うのです。その辺も含めて御議論いただければと思います。

【髙木委員】 こうやって検討会議での御議論も煩わして、ここまで議論してきておるんですから、そしてその前提として大幅な法曹人口増が要るんだという共通の認識があるわけです。そのためには、こういうロースクール的な法曹養成というのも考えていかなざるを得ないんだろうというのがコンセンサスですね。

 夏の集中審議で、おおむね3,000 人くらい、この数にはいろんな前提があったのかもしれませんが。

【佐藤会長】 計画的に早めにやりましょうと。

【髙木委員】 拙速はいかぬと言いますが、ある程度いつごろかということを想定して、順番にスケジュールに合わして、いろんなところを同時並行的にいろんな手当をしていかなければいかぬ話だろうと思います。今、鳥居先生からありました平成15年開校でということで進むとしたら、勿論、竹下さんが言われたいろんな議論の予定は、それはそれで議論をしていかなければいかぬわけでしょうが、その辺を押さえるなら押さえて、スケジュールのことも考えていくということだと思います。そうすると、現行の司法試験は何年までやるんだという議論にも当然関わってくるでしょうし、もし、何年までだということを考えていくならば、現在の制度の上に乗っかって、例えば、丙案なるものは、早くやめるべきではないかという意見もありましたりしますので、例えば、平成15年が間に合うのか間に合わないのか分かりませんけれども、ある程度のスケジュールみたいなものを織り込んで議論していく必要は当然あると思います。それに合わしてそれぞれ関連するところをどういうふうに整理していくかというのも、それこそ石井委員が前に言っておられたワークデザインの発想は当然あるわけですから、そういう意味でのパートネットワークみたいなものも頭に置いた議論は当然必要だと思います。

【井上委員】 今の点は、お手元のアジェンダのようなものの、大きな4のところに「移行措置と今後の作業の進め方」と書いてありますが、そういうものとして御議論いただこうということで、そういう項目を立ててあるわけです。

【竹下会長代理】 私もそういうことが必要ではないと申し上げているのではなくて、今日やるのは少し早過ぎるのではないか。つまり、次回もう1回あるわけですから、たまたま鳥居委員が次回はやむを得ず御欠席ということでしたけれども、もう御意見は伺いましたし、分かっているので…。

【鳥居委員】 まだ半分くらいです。

【竹下会長代理】 設置基準と言っても、あとの修習がどうなるのかとか、司法試験がどうなるのかということと切り離しては考えにくい。

 それから、第三者評価のところも、この案ではこうなっていますけれども、まだ我々としては、こういう方式でやるのか、設置基準はそれほど高くレベルを設定しないで、第三者評価の方でレベル・アップを考えていくという方式、これもそう御異論はないのだと思いますけれども、そこも必ずしも審議会としてはまだ確認されていない。そこを確認するのだったら確認して、第三者評価機関として一体どういうものを考えるとか、その辺りの議論をしないとなかなか難しいのではないか。

【佐藤会長】 資格の問題ですから、新しい仕組みをつくろうということであれば、できるだけスムーズに、速やかにスタートすべきものだろうと思います。この問題を長期間宙ぶらりんのままにすべきではない、できるだけスムーズに事を進めるべきだ、そういうことを鳥居委員はおっしゃろうとしているのではないかと思います。

 そうすると、どういう仕組み、手順で事が進んでいくか。さっき設置審、あるいは大学審議会に言及されましたが、大学の仕組みとしてつくるとすれば、そういうところが中心になってつくられていくんだろうと思いますけれども、第三者的な評価機関をどういうように考えるか、さっき井上委員がおっしゃったんですけれども、どういう仕組みで、どこに、どういうように位置づけるのかということは、これから御議論いただかなければいけない重要な問題だろうと思います。

 今日そこまで立ち入って議論するのは難しいかもしれませんので、既に髙木委員も触れられた司法試験との関係とか、あるいは修習との関係などについて、今日少し御議論いただいておいた方がいいのではないかと思います。鳥居委員、この問題について何か特に付け加えておっしゃることがありますか。

【鳥居委員】 私は繰り返しになりますが、できるだけ早く大学院設置基準を考える組織を大学審議会の中につくるよう、動きが出てくることを望んでいるわけです。

 あとは今日申し上げるべきではないと思いますけれども、そこで考えなければならないことで、今回の構想検討会議でまだ言及していないことが幾つかあります。あるいはあえて言及を控えたところがあります。それは自分で今リストをつくってありますけれども、必要なときにまた申し上げます。

 今、会長がおっしゃったように、第三者評価の在り方についても、私自身に幾つか考えを持っておりますが、今申し上げない方がよろしいんじゃないかと思います。

【佐藤会長】 分かりました。そういうことでありましたら、さっき代理も触れられたように、修習との関係とか、司法試験との関係などについて少し御議論いただきたいと思います。いかがでしょうか。

【山本委員】 ロースクールの内容については、大体こんなものだと私は思っているんですが、司法試験の関係で、今、鳥居先生から提起された問題がちょっと頭に浮かんだんですけれども、16ページの頭のところですが、このロースクールの検討グループは「法科大学院修了者のうち相当程度が司法試験に合格し」、大体皆さんのイメージもそういうイメージだと思うんですけれども、現実にこの制度が始動したときに、学校をつくることは自由ですね。

【鳥居委員】 そうです。

【山本委員】 定員も自由になるわけですね。

【鳥居委員】 定員は自由ではないんですけれども。

【山本委員】 設置基準を満たしていれば幾つでもできると。そうすると、そういうことはないかもしれませんけれども、とにかく野放図にロースクールが増えてくるというときに、その3行はどうなるのか。こういう問題がある。勿論、国家財政の問題もありますから、財政的にも相当なお金が掛かりますね。ロースクールの運営の費用プラス、言ってみれば奨学制度みたいなところを相当国家財政でやる。この問題はどう考えるかということは、これはよく議論しておく必要があると思いますけれども、その心配はないですかね。

【鳥居委員】 今、山本さんのおっしゃった質問に答えるために、今法学部というのは何校ありますか。

【井上委員】 93校です。

【鳥居委員】 その93が全部100 人ずつの法科大学院を全員立ち上げたとしますね。そうしたらパンクします。半分とします。そうすると5,000 人です。5,000 人が勉強して、3,000 人が新司法試験を受けたら合格するというのが、私の頭の中で想像できるマキシマムな状態です。

【山本委員】 どこかでコントロールするんですか。

【鳥居委員】 そのコントロールはどこできいてくるかということなんですが、教員の数はそんなにはいないという問題があるんです。今、90校の法学部教員全部が有資格者かというと、多分そうではないんです。新しい法科大学院の設置認可を出しますね。そこでいろんな審査をする中の一つに非常に重要な審査として、教員審査というのがあるんです。その教員審査は、教員審査の専門委員会が審査するんです。そして、審査の結果はどう出るかと言いますと、Dマル合というのが一番高いんです。ドクターを教える資格を持っていると判定できる教員、合格の上に○が付いている。その次がD合、これも合格でドクターを教えます。次に修士課程教員のMマル合、そしてM合。今、法科大学院にとって必要なのはMマル合なんです。この法科大学院はMマル合なんです。Mマル合という判定をしてもらうことができる先生は相当絞られます。だから、設置認可申請を出してくるときには、自信を持ってマル合がくっ付く先生をずらっと並べてこないと合格しないわけです。そこでまず一つ絞られてしまうんです。

 私の想像ですけれども、学校はそんなに一遍に50などは絶対にできない。いいところ30じゃないか。

【山本委員】 学生10人に1人くらいと検討会議で言われているんですね。

【鳥居委員】 普通の大学院の修士課程は教員1人に学生20人。ところが、専門大学院規定に基づく専門大学院はマル合教授1人につき学生10人。だから、100 人の学生を教えるには最低10人の先生が要るわけです。

【井上委員】 1学年100 人ですと、3年制にすると300 人ですから、教員は30人ということになります。

【山本委員】 3,000 人としますと、歩留りがあるから、大体6,000 人くらいの入学者を考える。そうしますと、600 人の先生ですね。600 人のMマル合がないということですか。

【井上委員】 すぐには無理だということでしょう。10年とか先で、卒業生の間から教員を育てていけば、条件は整備されてきます。

【鳥居委員】 それから、専門大学院規定にはもう一つ、その必要な先生のうち、30%は実務経験教員という規定があるんです。いい制度だと思うんです。それを今度の法科大学院では何%にするかも、その設置基準のところで決めますね。

 それから、今の専門大学院だから、学生10人に先生1人、100 人なら10人、3学年だから30人と決めるかどうかも、実はここである種の意見を決めておいてその設置審の方へ任せればいい。

【髙木委員】 今言われた10人に1人とか、直観的にはえらい厳しいもんだなと思います。それを大学設置審議会かどこかで頑張られたときに、何校くらいそれに耐えられるとお考えなんですか。

【鳥居委員】 今までの経験から行けば、各校なかなかよく頑張って、いろんないい先生を探してきて、あるいは自分の学内の先生を、この先生はそっちに専念しますという形で配置転換して、そして、皆さんつくるわけです。

【井上委員】 その点は、少人数教育で密度の高い教育ということを唱っていますので、教員対学生の比率というのはおのずと厳しいものにならざるを得ない。そこで決めているのは専任の数で、専任の数とか実務家の割合というのは、決めざるを得ないのですけれども、それも、制度の発足時には、ある程度柔軟に運用せざるを得ない。完成形はそこに持って行くとしてもです。そうしませんと、ある程度まとまった数のロースクールは立ち上がらないと思うのです。そこは、この報告書の中でも触れられていますし、私もそう思うのです。

 それと、教員についてのこれまでのマル合審査は研究能力中心だったのですけれども、ここでは教育能力を重視すべきだということですので、その面でちょっと審査の仕方が違ってくるのかなと思われます。

 また、実務経験のある人を加えますので、その意味では、ある程度幅広く教員を確保できるのではないかとも思うのです。

【鳥居委員】 最後に井上先生がおっしゃった問題は、つまり研究中心ではなくて、教育の力を持っている人という問題は、来月の22日に私の大学審議会から、文部省大臣に答申を出すんです。その答申の中に書き込んでありまして、多分、それに基づくある種の法改正が行われて、もっと教育能力を中心にして教授の判定をしようというふうに変わるんです。22日にやりますので、それまで中身を言ってはいけないんだろうと思うんですけれども。

【髙木委員】 先ほど山本さんが指摘された16ページの法科大学院修了者の相当程度が合格して云々ということですが、要はこの新司法試験というのは、15ページの一番最後の4行を読みますと、まさに資格試験というか、ある種のレベル・クリアーで判定するという意味でいいわけですね。資格試験という認識で。

【佐藤会長】 ただ、その前提に、先ほど言及された審議会の問題があります。まず、第三者的評価機関からロースクールとしてどういう基準、どういう内容の基準を設定してもらえるかという問題がある。そして、その先に設置認可の問題、さらにその先に受験資格付与の問題がある。この3つはそれぞれ別なんですけれども、しかし連動してとらえないといけないところがあります。この辺の設計の仕方について、これから少し我々として具体的なイメージをつくっておかないといけないと思うんです。ここでどこまで詰め切れるかの問題はありますけれども。

【髙木委員】 設置の認可というか、審査の基準、第三者評価の問題、それから司法試験の問題。これはそれぞれ3つとも整合性が取れていないといけないと思います。

【中坊委員】 今、髙木さんのおっしゃったのにもう一つ、司法研修も入るわけです。だから、司法研修、司法試験、今言う第三者評価機関、設置基準、それを全部一連の統一的なものとして把握して、しかも今、計画的に3,000 名という数も頭に入れつつ我々の審議でどこまで決めていくかということが決まらないといけないわけです。

【井上委員】 それがまさにプロセスですね。

【中坊委員】 それがプロセスとしての法曹養成だと思うんです。だから、従来の大学院であれば、法務省とか最高裁とか弁護士会というのは全然関与していなかったけれども、今度はそのための大学院ですから、当然そこも関与をせざるを得なくなってくるんで、その辺の関係も、どういうふうにもっていくのかという辺りが大事だと思います。

【佐藤会長】 最初の基準づくりの第三者的な評価のところでも、法曹関係者だけということではありませんけれども、法曹関係者もちゃんと入って、そこで相当議論していただかないといけないと思います。設置基準のところも、認可のところも、今までのようなやり方でいいのかどうかという問題があると思います。

【山本委員】 3,000 人のコントロールはどこでもしないということですね。

【佐藤会長】 しないというわけではなくて、今の一連の仕組みを考えるということです。

【山本委員】 仕組みの中にコントロールできるのはないわけですね。

【佐藤会長】 ロースクールの中身の質、アクレジットです。それはやらなきゃいけない。それを、設置認可や司法試験の受験資格のところにできるだけ連動させなきゃいけない。

【井上委員】 こういうことを言うとまたボトルネックだと言ってしかられるのですけれども、修習については、これは年次ごとに計画的にやらないといけないものですから、そこのところである程度数というのはおのずと決まってくるということはあると思うのですけれども、これも計画的にそちらを目指して増やしていくという計画を、制度設計としては立てるしかないのではないか。

【鳥居委員】 山本さんの御心配は、3,000 人という数はどこの蛇口で決まるんだということ。

【佐藤会長】 そうじゃないんです。

【鳥居委員】 そうじゃなくて、多分蛇口はあるんだと思うんです。それは司法試験だと思うんです。

【井上委員】 司法試験合格者が3,000 人という線を目指しましょうというのが合意だったと思いますが。

【鳥居委員】 その合格に向けて勉強する学生たちはもっと大勢勉強しているわけです。だから、何校あるか分かりませんが、相当数の法科大学院で勉強している学生たちが司法試験を受けてくる。

【山本委員】 そうすると、資格試験というあれは失われますね。

【佐藤会長】 失われるわけではないんです。

【山本委員】 そうかな。

【井上委員】 そこは、「資格試験」なるものの言葉の魔術みたいなものでして。

【髙木委員】 蛇口で絞るなら、基本的には山本さんの言うように資格試験ではなくなってしまう。

【井上委員】 その点は「資格試験」の中身の問題だと思うのです。今だって資格試験でないわけではないのですけれども、点数で1点刻みで、ここから資格がある、ここから資格がないと、そういう絶対的な基準は出てきません。そこは幅のある問題なので、そこのところをできるだけ適格を認め得るような、判別できるような試験にして、それに受かった人はスムーズに法曹になっていけるような道をつくっていこうと、そういう意味なら分かるのですけれども。「資格認定」と言っても、そのくらいの意味なのです。

【髙木委員】 そのときそのときの状況で、ある年はこうで、ある年はどうだという、毎年・毎年のぶれを余り起こさせるというのはやはり受ける人たちにしてみれば何だということになります。

【井上委員】 そうです。あるとき2,000 人で、あるときは500 人というのでは、制度としてもたないでしょうね。

【髙木委員】 さっきの研修所の受入れボリュームがある種の制約になってということ、微妙な書き方がしてあるんであれですけれども、その辺もステップ・バイ・ステップだろうと思うけれども、さっきもヨーイドンで30校がいきなり立ち上がるということではないということなんで、少なくとも何年に開校したら、2年か3年経ったら、こういう人たちがこのくらい出てくるというのは先回りして分かるわけですから、そういうものはきちんと研修の方も当然フォローしていくということが大前提でないといけないと思います。

【佐藤会長】 そうしますと、司法修習の現状はどうなのかについて、少し我々として認識を深めておく必要がある気がします。それを踏まえることによって、新しい制度に向かうときにお互いに何をしなければならないかという議論が深まると思うんです。

 実は今日既に司法研修所から傍聴に来ていただいているんですけれども、今日でなくて次回でもいいんですが、少し実情を聞く機会でもあればと思っております。今日は、時間の関係で、立ち入るのは無理でしょうけれども。

【中坊委員】 我々は全く司法研修所の在り方を知らないわけじゃなしに、1回現地に寄せていただいて、説明も受けているんだから、我々全委員が行っているんだから、概要は一応頭に入っているわけです。ただ、我々委員が見ていないのは、実務修習のところだと思うんです。

【佐藤会長】 その辺のことをちょっと。

【藤田委員】 法科大学院構想を採るとすれば、そのことによって法学部教育の変革ができてレベル・アップするということが期待されると思うんですけれども、一方、法科大学院と司法修習との関係ということになりますと、このまとめによると、17ページにごく簡単に書いてあるだけなんですが、結局、法科大学院でどこまで分担して、それから先のどこからを司法修習に分担させるかということだろうと思います。日弁連も司法研修所教育の存続ということを前提としてお考えになっているようですし、前期修習、後期修習のような集合研修も存続するんだという前提でお考えになっているようで、私もそういう考え方が適切だと思います。集合研修も存続するということになれば、そういう前提で法科大学院の中身を考えていくことが必要かなと思います。

【中坊委員】 今の藤田さんのおっしゃっているのは日弁連の意見ということですけれども、私も同じ日弁連におるわけですから、ちょっと釈明しておくと、そういうふうに、さっき申し上げているように、実務研修というのと、研修所で我々が前期・後期というよりか集合教育と言っていた研修と、二つに大きく分かれるわけです。日弁連もそういう意思決定をしているわけでもありませんけれども、ロースクールが充実すればするほど、いわゆる集合研修というものはみんなロースクールへ、だからこそ実務を前提としたロースクールが大学院教育で行われるんで、本来あるべき修習というのは、本当の意味における検察官や弁護士や裁判官の実務を見てくるというのが司法修習の中核になるべきものだろうと。

 そうでないと、ここの研修所の期間を置くと、これが2年から今は1年半になっていますけれども、1年半になったら2回試験の不合格がどんと出たとこの前出ていましたね。そうすると、これは法曹実務に就く年齢がまた遅れるようになっていくでしょう。少なくとも、せっかくロースクールというものができる以上、大きな物の考え方としては、大学の法学部、その他の学部で基礎をやってきて、大学院でまさに法曹となるための基礎的なことは大体、しかも実務家も入ってやってもらって、あと本来のまさに実地にやらないと分からないところだけを研修所でやっていくというのが基本的な物の考え方ではないかと私は思っておるし、私も思っている見解が、今の日弁連の見解と大きく懸け離れているとは思っていません。だから、研修所を今のままで、集合教育も研修所でやります。実務も全部やります。それが不可欠なものでありますということを弁護士が了解しているというものではないと思います。

【佐藤会長】 実務修習、司法修習との関係については、現状を踏まえてスタートしないといけないと思いますが、将来ロースクールが本当に力を付けてくれば、最初はなかなか難しいかもしれませんけれども、将来力を付けてくれば、お互いに協力しあっていろいろ工夫する余地は十分あり得ると思います。

 さりながら、スタートの段階で、どういうことを我々として想定しておかなければならないかという点について、ちょっと御議論いただく必要があるかと思います。その点について、次回に少し議論したいと思いますので、司法研修所の方には恐縮ですが24日もおいでいただきたいと思います。よろしくお願いします。

【井上委員】 私として是非伺いたいのは、我々としては計画的に人数を増やしていくということを考えているわけですが、その場合に、研修所というよりは、むしろ実務修習の面で、どこに一番しわ寄せが来、乗り越えないといけないのはどういうことかということです。弁護士や検察の方の受入れとかもあるわけですが、法曹三者の正式のヒアリングということになるとちょっとおおげさなので、研修所の事務局長さんはそういう点も全部把握されていると思いますから、その辺にも触れていただければと思います。

【中坊委員】 今の研修所というのは、私たち弁護士の立場から見ていると、どちらかと言えば、研修所というのは最高裁が全部所管されておって、基本的に裁判官になるというのが一番前提となってそういう教育が基本的に、だから最高裁に付属しておって、最高裁のあれになっているわけです。これが今言うように、この前出た法曹一元の問題とも関連してくるんですけれども、法曹として生まれてくるのは、何で生まれてくるのかということがまず基本になってきて、そこら辺りも研修所の性格も今のままでよいのかどうかというのが、当然に問われてくる問題にもなってくると思うんです。

【佐藤会長】 その辺の研修所の実際の運営の仕方などの問題も、付随的に出てくる問題だと思うんです。それは次回少し御議論いただければと思います。

【中坊委員】 我々の審議会で必要な視点というものは、今のものも司法試験で首を細くした結果が、予備校やら、いろんな問題が起きたと。今度はロースクールというものをつくって、幅広くこれから法曹人口をもっと増やさなければいかぬというので、下からだんだん上げていこうとするわけです。ロースクールができて、司法試験があって研修となる。だから、下がどんどん決まっていくにしたがって、修習に至るまで、あるいは弁護士の姿もみんな下から決まっていくという発想が私は必要であって、それをどこかで、ここで止まるんだ、ここでこんなもんやと言うてしまったら、そこで意見が区切られてしまいますからね。

【佐藤会長】 上からとか下からとかではなくて、有機的に関連していることは確かで、そういう関連で考えないといけないと思います。

【水原委員】 司法修習を所掌しているのは最高裁判所である。それは裁判官を養成するために最高裁判所が所管していること。これは現状とは誠に違った御意見ではなかろうかと思っております。

 私ども修習生になりましたときには、何になるかということを決めたわけではございません。要するに、法曹に就こう。法律を通じて世の中のために尽くそうという気持ちで研修所の門をたたいたわけです。

 そこでは、検事を志望する者は弁護士会をよく見てこいよ、裁判所をよく見てこいよと、この機会しかないんだと。裁判官になる者は弁護士、検察庁の実際のありのままをよく見てこいと。弁護士になる者は、裁判所、検察庁はこの機会しかないんだ。だから、よく見てこいよということが最高裁判所の指導方針であり、現在までつながっておる。それがいわゆる法曹三者の同根の意識の根底にあったものだと私は思っております。

 そういう意味におきましては、やはり公平な目で今まで扱われているように思います。これは考え方の違いがあるとしたならば、考え方の違いでございますから、お許しいただきたい。

 そこで一番大事なことは何かというと、先ほど中坊委員もおっしゃったけれども、前期・後期の修習よりも、実務修習、これが極めて重要なんです。その機会にしか自分の志すところと違った部署を中から見ることはございません。実務を通じて初めて、曽野先生がおっしゃったように、裁判に携わる者は複雑な人間の心理をよく理解する人でなければいけない。非常に短い期間ではあるけれども、裁判所に行ったときに、どういうふうにみんなの心理状態が変わってくるのか。検察庁に行ったときに、人間はどういう気持ちで供述するのか、うそをつくのか、そういうことを見てくる機会があるわけです。この実務修習というものは非常に重視しなければいけないという気がいたしておりますので、人数をどんどん増やしていくことは誠に結構なことでございますが、先ほど井上委員がおっしゃるように、受入れ側で本当に実務を見てもらえるような実情なのかどうか。ただ、増やしただけでは駄目だ。本当に我々が目指しておる良い法曹を育てるための修習にはならないんじゃないかという意味で、実務修習の現状をよく見ていただいた上で、皆さん方の認識を深めていただいてお決めいただきたいと思っております。

【佐藤会長】 御趣旨はよく分かりました。

 時間の関係もあり、吉岡委員の御意見を最後にしたいと思います。吉岡委員どうぞ。

【吉岡委員】 では、できるだけ手短に。

 今、水原委員がおっしゃったように、実務修習が非常に大切だということは私も分かるような気がします。ただ、法科大学院ができますと、今までの4年制にプラス3年ないし2年は、実際に法曹になるための勉強をするわけです。その上で研修所ということになるわけですから、やはり研修所の現在なさっている中で、法科大学院でできる部分、そこのところは分担していく。それで是非必要だと水原委員がおっしゃった実務修習については、ウェートを置くとか、少し変えていく必要があるのではないかと思います。

【佐藤会長】 分かりました。その辺も含めて24日に引き続き御審議いただきたいと思います。

 今日はやや中途半端なところで終わりますけれども、以上で一応この件は終わらせていただきたいと思います。

 2番目にお諮りしたいのは、中間報告の項目案等についてでございます。

 前回御審議いただきました御意見を踏まえまして、私と会長代理で相談させていただいて、前回お配りした項目案を訂正しました。これでよろしいかどうかということを御審議いただきたいと思います。

 また、中間報告の決定、公表時期につきましては、11月20日ということで決定しておりますけれども、時期的なことを考えますと、当審議会としての基本的な考え方をできるだけ早く外部に表明しておく必要があるのではないかと考えまして、会長代理とも相談させていただいた結果、この中間報告の項目案につきまして、皆様の御了解をいただければ、本日、会長談話という形で当審議会の基本的な考え方を公表してはどうかということになりました。この会長談話案につきましても、委員の皆様にお諮りしたいと存じます。

 中間報告の項目案を訂正したものと、会長談話案につきましても、既に事務局から委員の皆様にお送りしておりまして、時間は余りなかったかと思いますけれども、御覧いただいているのではないかと思います。本日、お手元に同じものをお配りしておりますので、これを見ながら御意見をいただければと思います。いかがでしょうか。

 まず、項目整理案についてはいかがでしょうか。

【水原委員】 ちょっとお尋ねいたしたいと思います。

 「3.司法を担う人的基盤の拡充」の(2)の「弁護士の在り方(又は『新しい弁護士の在り方』、『弁護士改革』等)」とありますが、これはどちらをという意味なんでございましょうか。

 私がこの前申し上げたのは、これまでも中坊委員が極めて情熱を込めて、今までの弁護士の在り方ではいけないんだ、改革しなければいけないんだ、まず最初にということをおっしゃったものですから、それならば「弁護士改革」とされた方がいいんじゃないかというふうに申し上げたんですが、これは括弧書きになっておるんで。

【佐藤会長】 まさに括弧書きですね。

【中坊委員】 弁護士改革のことに絡んでは、今、水原さんのおっしゃるのとはちょっと私は違って、弁護士制度そのものは変わってなくて、弁護士の意識をどう変えるかとか、あるいは公益的な責務をどのように考えるかという問題でありまして、新しい弁護士制度が生まれてくるというのとは、少し違うんじゃないかなと思います。だから、表題としては、「弁護士の在り方」だけでいいんで、括弧は要らないのではないかと思います。

 それから、私、余り言わないでおこうと思っていたんだけれども、非常に遺憾だと思いますのは、この間、弁護士倫理の強化と弁護士自治の問題はいろいろここで討議をして、最終的に見出しが「弁護士倫理の強化と弁護士自治」とみんなで決めて、それにしましょうと、この会議で言ったと思うんです。ところが、これを見ると、また「弁護士倫理の強化と弁護士自治の在り方」というふうになっていると。どうしてここで決めて、項目まで決めたことについて、みんなで意見が一致したものが、なぜ「在り方」という字が入ってくるのか。しかも、在り方と言いますか、先ほど曽野さんもおっしゃったように、確かに意見はあるわけです。会長も今おっしゃったように意見がいろいろあるでしょうと言うてはるんやから、そんなことまでが今、議論の対象になっていないんで、少なくとも中間報告まで私たちが弁護士改革の問題を言うときに、弁護士自治が倫理強化の点から言うて今不十分ではないかという指摘は確かにあって、それをどう国民の声を聞いてどうするかということはあったけれども、弁護士自治そのものの在り方がもう一度問われるということには、なっていなかったと思うんです。少なくとも、我々としては一致していなかったことだと思うんです。

 しかも、私は非常に遺憾だと思うのは、だからこそ水原委員と私との間でやって、両方とも強化と書いたからこれはおかしいじゃないかということで、「弁護士自治と弁護士倫理の強化」というのはおかしいということで、そう直しましょうということでここで決めたことだと思うんです。それがどうしてまた「在り方」という字が入ってくるかというのは、私は極めてこれはおかしい変わり方だなと思っています。

 だから、私はこの「在り方」という字を入れられるということについては、基本的に極めて反対です。

 それだったら、私が言うた弁護士がここまで全部入ってくるということになれば、当然検察官の在り方も問題ではないかということを言ったけれども、それは全然項目からも抜けておると。このようなことになって中間報告の項目が決まってくるということは、私としては余りこういうことは言いたくないんだけれども、いつの間にそういうふうに変わるのかというのが、私は非常に不可思議です。

【水原委員】 検察の問題につきまして、論点整理の最初の段階で議論の対象ではなくて、要するに、刑事司法の在り方のところで検察の問題は出てきたわけでございます。

 弁護士と裁判官制度、これは最初から議論の対象になっていたわけです。何でもありで、今まで議論をしておらなかった。ところが、今度は問題になりますということになると、これはこの審議会は果てしなく続くんじゃなかろうかという気がいたします。

 そこで検察の在り方については、先ほど言いますように、刑事司法のところでいろいろ議論をいただいておるわけですから、そこでやると。

 弁護士の在り方の問題ですけれども、これは新しい弁護士の在り方にするかどうか、これは私の意見を申し上げましたけれども、弁護士の在り方ということでア、イ、(ア)(イ)(ウ)とあるんで、そうしますと、やはり弁護士自治の在り方というのは、頭のところに引っ掛かってくるのではなかろうかという気がいたしますので、在り方を入れてしかるべきだろうという気がいたします。

【中坊委員】 先ほどから言うているように、弁護士の在り方というのは、確かに在り方なんです。弁護士全部の在り方が今言うように問題があるけれども、弁護士自治の在り方までが問題になっているわけじゃないわけです。だから、弁護士の在り方の中に、弁護士倫理の強化と弁護士自治がどのように関係してくるかということがこの前論じられておって、そういうことになったわけでしょう。だから、そういうことだと思うんです。

 それから、検察官の点がなぜないかというのは、私は、それでは刑事司法を論じたときに、検察官という立場は刑事司法の立場だけではないわけです。少なくとも犯罪捜査という意味においては、警察との関係が極めて重要であって、警察との関係、そうすると、純然たる行政のような範囲には入ってくるんだけれども、捜査ということに関しては、むしろ警察との関係が非常に重要だから、私もこの審議会で刑事司法を論じるときも、ほとんどが警察が捜査などをやっているわけですから、検察官も勿論なさっているが、数から言ったら圧倒的に比較にならないんだから、その警察制度との関係を論じないといけないと。しかし、今は刑事司法のところだし、あれだから、確かに起訴後、あるいは起訴から以後の、あるいは被疑者との身柄確保とか、そういう点についてだけ話すことによって、我々は限定的にやってきたけれども、それは何も今言うように、法曹三者と言えば、裁判官と弁護士と検察官は当然入っておるのに、その項目の中になぜ検察官だけが、それでは今後改革の必要がないのかという問題になってくるから、私は当然項目としては入れておいてもらって、行政訴訟だって中間報告までには何も議論はしないけれども、確かに項目としては入れないと。私らは今、限りなく広がるんじゃないんですよ。国民が我々審議会をどう見ているかということなんです。それだったら検察官は抜けているやないかという国民の素朴な疑問が出たときにどうしますかということを、我々としては考えないといけない。だから、私は検察官改革という項目が要ると言ったんです。

【佐藤会長】 これについて議論するといろいろな問題に関わってくることかと思いますし、また、時間の関係でと言うと怒られるかもしれませんけれども、時間の問題も無視できません。そこで、ここはこういうようにまとめさせていただきましょうか。

 一つは、(2)の(ウ)のところですが、前回のここでの審議では、確かに「弁護士倫理の強化と弁護士自治」ということでいかがかということになったと思いますので、ここは「在り方」を取って、前回の審議会でのまとめのままにさせていただくということです。

 そして、検察の問題ですけれども、検察制度そのものについて、ここで審議しなかったことは事実でありまして、この中間報告の段階でこの項目を取り上げるということについては、私としては躊躇します。

 今、中坊委員が行政訴訟をおっしゃいましたけれども、行政訴訟については塩野教授に来ていただいて、お話を聞いているわけです。ですから、それと同列にというわけにはいかないんですけれども、今、中坊委員がおっしゃったように、警察との関係の問題もあって、いずれ警察からお話を聞く機会を考えましょうということを、私も2度ぐらいにわたって申し上げております。

 この中間報告以降、この項目を、独立の項目として議論する必要があると皆さんがお考えになるんなら、それは最終報告に向けての審議において取り上げないわけではありませんけれども、中間報告の段階でそれをここに入れるということについては、私としてはちょっと議事の進行上躊躇するものがあります。もし、御理解いただけるなら、この問題はそういうように取り扱わさせていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。

【井上委員】 基本的に賛成ですが、一点だけ誤解があると思いますので申しますと、「刑事司法」という場合の「司法」は、裁判所で行われることだけというよりは、一般的に使われているのは、捜査から矯正まで含めたかなり広い概念なのです。そういうことですので、警察のヒアリングをやろうということは、ここで決まっていることですし、それを踏まえて、今おっしゃったように、警察と検察の関係とか、検察そのものについて、皆さんが別立てで考えるべきだということになれば、最終報告にはおっしゃるような項目を立てる、という了解でいったらどうですか。

【中坊委員】 検察官というのは、公益の代表者として大変重要な役割なんです。しかも、司法と言ったときには法曹三者となって、当然その概念の中には入っていますから、捜査のところに限らず、公益の代表者としてどうあるべきかということについても非常に問題が多いんです。そういうことは一つ入れておかないと、バランスがね。

【佐藤会長】 分かりました。今私が申し上げたようなことで、この中間報告の段階は一応これで御了承いただきたいと思いますが。

【中坊委員】 はい。

【北村委員】 今の会長のまとめ方に私は賛成です。

 もう一つは、先ほどの話に戻るんですが、「弁護士の在り方」とするんですから、議論の中では確かにこの3.のところは改革ということが出ていましたけれども、これも「弁護士制度の在り方」とかいうふうにやればよろしいんじゃないかなと思うんです。

【佐藤会長】 「裁判官制度の改革」ではなくて「在り方」ということですね。

【北村委員】 私は、「在り方」も「改革」もそんなに違わないだろうと思うんです。だから、上を「弁護士改革」とやるんでしたら、下も「改革」になるんでしょうけれども、上が「在り方」でしたら、下のところも「在り方」と変えておいた方がいいのではないかなと思います。

【山本委員】 それでよろしいんですけれども、弁護士倫理の強化云々というのは私に責任があるんですが、私がこの前意見を申し上げた経緯は、両方が強化という言葉に掛かっておりまして、弁護士自治の強化という議論はしていなかったように思うんです。そういうところに力点があるわけでございまして、そういった意味では弁護士自治の在り方については、たしか石井委員からも、弁護士改革とかいう言葉で言われておると思いますし、曽野先生の御意見もあるわけですから、今までそういった意味で大きな議論はしていないかもしれませんが、表題を変えることによって弁護士会の問題について議論をしないということにはならぬと。検察制度と同じように、もし議論をすべきであるという意見があれば議論するというふうに考えておきたいと思っております。

【佐藤会長】 弁護士自治の中身については当然議論することになる。

【中坊委員】 自治の内容についてね。

【佐藤会長】 綱紀・懲戒とかいろいろ議論があったわけですから、それは当然ここで議論することになる。

【中坊委員】 私も強化と言ったのは、先ほど言う大学の教育のところも、今までは弁護士会は関与していないんだから、そういうことにもこれから積極的に関与していかなければいけないというところもあるでしょうから、自治の内容が、これからいろいろ改革の論議の中になるということは、これからどんどん具体化する中ではいいと思います。

【佐藤会長】 (2)は弁護士制度ではないんですね。

【中坊委員】 「弁護士制度の改革」でも結構ですよ。

【佐藤会長】 では、そうしましょうか。「弁護士制度の改革」。

【中坊委員】 それで北村さんのおっしゃるように、それは結構です。

【髙木委員】 一番最後の「国民の司法参加」のところなんですが、「参加拡充の在り方」で「エ その他(検察審査会等)」というのがありますが、その前に「裁判官評価への参加」というのを入れていただけませんでしょうか。いろいろ議論していただいたと思っておりますし。

【藤田委員】 裁判所の運営に絡ませるんじゃないでしょうか。

【髙木委員】 運営の問題は運営の問題でいろいろ論点があろうと思います。

【藤田委員】 人事の評価の透明化、客観化というのも別項目に挙げてなくてこの中に入ってくるんだと思うんですけれどもね。選任過程だけではなくてということでしたが。

【竹下会長代理】 2ページの一番上「裁判官制度の改革」のウの「(ウ)裁判官の人事制度の見直し」。

【髙木委員】 見直しということは、別に参加を担保しているわけじゃないんですね。

【佐藤会長】 透明性・客観性ですからね。

【吉岡委員】 おっしゃるのは分かるような気がするんですけれども、裁判官の選任過程への参加というと、選ぶときだけですね。最高裁判事の問題も出ていましたし、そういうことから言うと評価への参加、それも当然議論はされていると思いますけれども。

【佐藤会長】 その議論はあるんですけれども、項目として評価への参加という立て方が。

【吉岡委員】 選任過程及び評価。

【竹下会長代理】 ルールの在り方の一環として議論していたのですね。

【佐藤会長】 この点については更に御議論いただくことにして、この中間報告の項目としては、この辺で。

【髙木委員】 入れていただけるんだろうということを発言して議事録に載せておいていただければ。

【竹下会長代理】 文章はまた御議論いただくのですから。

【佐藤会長】 それはそういうように扱わさせていただきます。

 細かく言うといろいろ御議論があるかもしれませんけれども、今日の段階では大体このくらいでいかがでしょう。よろしゅうございますか。

 では、先ほどの3.の「(2)弁護士制度の改革」と見出しを変える。それから、そこの(ウ)を「弁護士自治」にする。それから、検察の制度については先ほど申し上げたようなかたちで今後取り扱わさせていただくということで御了承いただけますでしょうか。

 なお、実際に書いていきますと、これらの項目でうまく切り分けられない可能性がありますので、多少そこは弾力的になり得ることをお認めいただきたいと思います。ちょっと変わったからといって、けしからぬと言われますと、非常にしんどうございますので、その辺もちょっと胸に収めていただければ有り難いと思いますが、よろしゅうございますか。

(「はい」と声あり)

【佐藤会長】 どうもありがとうございます。

 会長談話につきましては、今日御了承いただければ、記者会見の場で読み上げたいと思いますけれども、こういう内容でよろしゅうございましょうか。

【吉岡委員】 分かりやすいというのが、中ほどよりちょっと下のところで、「カタカナ文語体や現代社会に適応しない用語を混じえた法律を現代化するなど、基本法の内容自体も国民に分かりやすいものにする必要も」という議論は確かにされていますが、国民に分かりやすいということが、それだけでいいのか、非常に狭く感じられないかという危惧があります。

【佐藤会長】 そうですね。司法全般に通じる話かもしれませんね。司法の国民参加ということも、一般に分かりやすいようにしなければいけないということと大いに関わりがある。民事手続だって、もっと分かりやすいようにするという観点からのいろいろな議論があるんじゃないですか。

【竹下会長代理】 私ども民事訴訟法の改正作業をしておりましたときには、改正のキャッチフレーズとして、国民により分かりやすく、より利用しやすい手続をつくるというように、分かりやすさと利用しやすさとを分けて言っておりましたけれども、この中間報告の項目として言っている、より利用しやすいという中には、分かりやすいということを含めて考えていると言えるのではないでしょうか。司法を使ってもらうためには、やはり内容が分からなければ使いようがありませんから。

 今、御指摘のところは、どちらかというと、法律そのものをもっと内容の分かりやすいものにしようというところに力点があるので、司法制度全般の分かりやすさというのは、利用しやすさの一環ということでいかがでしょう。

【吉岡委員】 国民に分かりやすいというのは、もう少し幅があると、これも勿論入っているという、そういう含みだけお願いしたいと思います。

【佐藤会長】 哲学というとややおおげさですけれども、全体の哲学として、司法を国民に分かりやすいものにしようということがありますので、それがここではこういう形にちょっと頭出しをしているという、そういうものとして御理解いただければと思います。

 どうもありがとうございます。御了承いただいたということで、記者会見で発表させていただきたいと思います。

 それでは、中間報告の項目については、今日一応このように確定させていただいたということで、この項目に基づきまして、今後、中間報告の原案の起草作業に入りたいと考えております。

 基本的には、私と会長代理で、事務局に手伝ってもらいながら文章の作成作業を進めたいと考えておりますが、勿論、レポーター役などいろいろお務めいただいた委員の皆様方に適宜御意見を頂くなど、御協力を引き続きお願いしたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

 では、この件は以上で終わらせていただきまして、配付資料についてお願いします。

【事務局長】 配付資料につきましては、特に説明することはありませんが、集められた署名を2件受け取っておりますので、ここで紹介させていただきます。

 一つは、日弁連の司法改革100 万人署名運動によります約139 万人分の署名であります。今年8月に受け取りました約120 万人分の署名と合わせますと、署名総数は259 万に達しております。すべて10階の会長・委員室に保管しておりますので、御覧いただければと思います。

 なお、署名提出に当たっての要望書を同時に受け取っておりますが、これは各界要望書等の封筒の中に入れてあります。

 もう一つは、2000年司法総行動共同実行委員会の司法制度改革を求める2,670 人分の署名です。こちらも事務局に保管してありますので、どうぞ御覧ください。

 以上であります。

【佐藤会長】 どうもありがとうございました。

 それでは、次回の審議会ですけれど、24日火曜日午後1時半から5時まで、この審議室で行いたいと思います。先ほどから申しておりますように、次回も引き続き法曹養成制度につきまして、意見交換を行い、更に取りまとめも行いたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。

 それから、国民の司法参加についての取りまとめのペーパーについても、できればこの24日でお諮りしたいと思っておりますので、関係の委員の方々、よろしくお願いいたします。

 以上でございますが、何か御指摘になりたいところがございませんか。よろしゅうございますか。
 本日の記者会見はどうしましょう。では、私と代理で。
 本日はどうもありがとうございました。