司法制度改革審議会

第36回司法制度改革審議会議事録



日 時:平成12年10月31日(火) 13:30~17:20

場 所:司法制度改革審議会審議室

出席者:

(委 員、敬称略)
佐藤幸治会長、竹下守夫会長代理、石井宏治、井上正仁、北村敬子、髙木 剛、鳥居泰彦、中坊公平、藤田耕三、水原敏博、山本 勝、吉岡初子

(説明者)
菅原郁夫千葉大学法経学部教授

(事務局)
樋渡利秋事務局長

議事次第:
  1. 開 会
  2. 「民事訴訟利用者調査」の中間集計についての報告
  3. 「裁判官制度の改革」について
  4. 「法曹養成制度の在り方」について
  5. 「国民の司法参加」について
  6. 閉 会

【佐藤会長】それでは、ただいまから第36回会議を開会いたします。

 本日は、最初に、前回お話ししましたとおり、民事裁判の利用者に対するアンケート調査に関しまして、千葉大学の菅原教授から、集計及び分析結果などについて中間的な御報告をいただき、その後、夏の集中審議に引き続きまして、裁判官制度に関する問題について、事務局で用意してもらった資料などに基づきまして、意見交換を行いたいと考えております。

 それから、前回まで御審議いただきました「法曹養成制度の在り方」に関するとりまとめのペーパーと、前回、本日審議を行うことにしました「国民の司法参加」に関するとりまとめのペーパーにつきましても、皆様の御了解をいただければと考えております。

 このように本日はやや審議事項が多いのですけれども、できるだけ時間通りに終わりたいと思っておりますので、よろしく御協力のほどをお願いいたします。

 それではさっそく、民事裁判の利用者に対するアンケート調査につきまして、菅原教授から中間的な御報告をお願いしたいと思います。

 菅原教授には、既に質問項目等につきまして、この審議会で御報告いただいておりますので、皆様も御承知のとおりであります。

 アンケート調査に関しまして、いろいろ御協力いただき、ありがとうございます。また、本日お忙しい中お越しいただいて恐縮です。20分程度で御報告いただいて、その後若干の時間で質疑応答と考えておりますので、よろしくお願いいたします。

【菅原氏】菅原でございます。お時間もあまりないということなので、さっそく始めさせていただきます。

 まず、資料の方からちょっと説明させていただきますが、本日は「民事訴訟利用者調査中間集計(表編)」、「同(グラフ編)」というものを準備してあります。正確にはこの「表編」に数値が載っておりますので、そちらを御参照いただきたいのでありますが、数字だけが羅列されていても、その把握にはいささか難しいところがあると思いますので、御理解いただくためにグラフを準備いたしました。今日はこのグラフを中心に説明を進めさせていただきます。

 前もってお断りを申し上げておきますが、今回、中間集計ということで報告申し上げるわけなのですが、これは単純集計でございまして、回答者の回答を単に足し合わせたものです。この足し合わせたものの意味というのは、単純に足しただけではわかりませんで、いろいろクロス集計や相関やらを取ってみませんと、本当のところが見えてこないところがございます。

 したがいまして、今回は解釈に踏み込むことはなるべく避けまして、情勢だけを御報告するということにさせていただきます。

 それから、その集計表の方なんですが、一応正確なものではあるのですが、欠損値の処理に関しましては、最終的にまた検討し直さなくてはならない面がありまして、若干の数値のずれが出てまいる場合があります。と申しましても、1つとか2つのずれなんですけれども、ただ、この時点でこれを公開いたしまして、後からそういうずれが出てまいりますと、要らぬ混乱を招く可能性がございますので、そういう意味でこの集計表も、この席上には提出いたしますが、公開の方は最終報告まで待たせていただければと思っておりますが、その点は審議会の御判断に委ねることにいたします。(添付略。最終報告書を参照。)

 もう一点、この注意書きにもございますように、同じように急いで集計いたしましたものですから、質問項目等は簡略に表上に示してありますが、この表現も必ずしも妥当でない場合があり得るので、最終報告では訂正になる可能性があります。お手元にはアンケート用紙が届いているかと思いますので、そのアンケート用紙と対照の上で、正確にはどういう質問であったかというのを御判断いただければと思います。

 さっそく内容の方に入りますが、報告内容は「表編」の一番最初、あるいは「グラフ編」の一番最初にありますように、12項目に及んでおりますので、ちょっと駆け足で説明させていただきます。

 まず、前提といたしまして、回収状況でございますが、当初2,000名の回収を目標にやるということをこの間報告申し上げましたが、やはり経験の少ないことでありまして、予想どおりにはまいりませんでした。結論から申しますと、591名の回収にとどまっております。当初の目標の4分の1ということであります。この目標自体は必ずしも強い意味があったわけではございませんで、これまで世論調査等が2,000人を単位にやっておったので、それに合わせてみては、ということでありました。実際、591なんですけれども、結論といたしましては、回収率は36.7%になっております。通常、社会調査はこれくらいいけばそれでもって大いに議論できるということであるので、一応の目標は達成したかと思っております。

 なぜそんなに減ったのかというのは、1枚目のグラフを御覧いただきたいんですけれども、裁判所の方から当初予定していた数だけの住所提示がなかったということが一つの原因であります。その点は1枚目、2枚目でわかりますように、左側の青色のグラフが、記載件数なんですが、その中で住所開示があったものが、赤いものにとどまっております。この点で我々の予想と少し異なる点が出てまいりました。

 その状況は東京が余り多過ぎるので分かりにくいかと思い、後者の方で中小都市に関しても同じように東京、大阪を省いた形で出しておりますが、同じような状況であります。

 それから、3枚目にいって、更に住所開示のあったものの中からも、実際にはすべての当事者にアクセスできたわけではございませんで、まず第一に、地裁単位で住所を開示していただいたんですが、当事者によっては重複する場合がございますので、それはまず省きます。それから、調査地域以外の当事者もかなりおりました。東京地裁で事件をやっているんですが、当事者は北海道に住んでいるという場合があるわけなんです。その点に関しては、なるべく拾い上げるようにはしたんですが、いろいろな都合上、全部拾い上げることはできませんでしたので、最初の時点で排除されるものがおりました。それがグラフで言いますと、青から赤の棒に落ちるところがその部分に当たります。

 結局、重複等を省きまして、赤い棒の人数のところに依頼状を発送いたしましたが、依頼状発送時点で拒否がありまして、黄色い棒グラフまで減ります。そして、実質にこの人たちに面接を試みたわけなんですが、面接時点で更に拒否が出まして、実質回収率が36.7%まで落ちたという経緯になっております。

 やはり実際上はかなり厳しい調査でございました。調査会社もかなり頑張ってくれたのですが、事柄が事柄だけに結構厳しくて、うまくいった調査に比べれば回収率は低い。しかし、それなりに利用可能なデータだというふうに今のところ我々は解釈しております。

 さて、未回収理由について少し触れておきますが、依頼状を発送した後に未回収になった主な理由は次の1-3のグラフに出ておりますが、半数近くは「応じたくない」ということだったんですが、不在とか転居とか住所不明というのもかなりありまして、この調査に一種特有なものかと考えられます。

 具体的に回収してまいりました回答の内容なんですけれども、どういった具合に集まったかを簡単に触れていきます。

 2-1の自然人・法人比ですが、やや自然人が多くて、6対4くらいの割合なんですが、法人も相当数含まれておりまして、両方の意見を聴取できたのではないかと思っております。

 それから、原告・被告比が次にございますが、これも6対4程度で、原告と被告の割合もちょうどバランスがとれています。若干原告の方が多いのですけれども、この程度の偏りであれば、両者について十分必要な意見を聴取していると考えられるのではないでしょうか。

 次に、弁護士が付いたか付かないかという点でございますが、大体4分の3の回答者には弁護士が付いておりまして、4分の1が弁護士が付かない当事者でありました。相当数が弁護士が付いていたわけなんですが、逆に言うとこの4分の1が弁護士が付かない訴訟でありまして、これまで各種の調査では、どうしても住所開示がないものですから、直接当事者に当たることができなくて、本人が一人で訴訟を行った場合の経験を聞くことができなかったんですが、今回の調査では、裁判所の協力をいただいて、本人訴訟の当事者から聞くことができたというので、これは我々としては非常に貴重なデータを得たことになるのではないかと期待しております。

 そういった意味で、数は当初より少ないものの、おおよそ偏りのない形でデータが取れたのではないかと思っています。

 続いて内容の方に入っていきたいと思います。

 3-1ですが、まず原告の訴訟利用動機であります。グラフを説明いたしますと、1つの質問に対して3本のグラフが立っております。これは質問の答えというのは、当方から質問しまして、それに対して「全く思わなかった」、「余り思わなかった」、レベルの差ですけれども、そういう答えと、それから、「どちらともいえない」、「少し思った」、「強く思った」、の5段階で聞いております。

 グラフを5段階にしますと見づらいものですから、両端を集約して、積極回答、消極回答、中間回答の3つに分けて、まとめてグラフにしたものであります。詳しい5段階の数値に関しましては、表の方を後で御参照いただければと思いますが、このグラフはそういう形で集約しております。

 そして、そのグラフの上に出ております数値がその合計数、これは素数でございます。何も手を加えていない生の数でありますので、それを一応示しているという形になっております。以下のグラフはほぼ同じでありますので、同様に御覧いただければと思います。

 そういたしますと、まず、原告がなぜ訴訟を利用したかということなのですが、予想したとおり高かったのは、「自分の権利や利益を守るため」というもので、左2本の143 、138がそれに当たります。

 それから、右の方に、「他に手段がなかったから訴訟を用いざるを得なかった」というのが高くなっておりますが、この辺りは予想できたところなんですが、実際には、「公正な解決を求める」というのが回答としては一番多くなっております。

 それから、「白黒決着をつけたい」というのも多くなっております。自分の利益を守ること、訴訟以外に手段がないこと、しかし、公正な解決を期待しているんだというのが原告の一般的な形かなと思われます。

 続いて被告ですが、興味深いことにほぼ同じ傾向を示しております。質問項目は被告にそぐわないものがありますので、省かれておりますが、やはり「利益を守ること」が重要なんですが、被告の場合もそれ以上に「公正な解決を期待する」という回答が非常に多くなっておりますし、「白黒の決着を付ける」ということもやはり高くなっております。

 この点は両当事者、立場は違えど共通の期待を持って訴訟に臨んでいるということになろうかと思います。

 次に、弁護士の利用状況、アクセス状況についてでありますが、再び2-3の表が出ておりますが、これはどれくらい弁護士が付いていたのかということを思い起こしていただくための資料でありまして、7割方に弁護士が付いていたということであります。

 さて、弁護士の付きました事件につきまして、弁護士を見つけるのに苦労したのか否かを聞いたのが4-1であります。

 今回調査対照で答えてくださった方々の中で弁護士が付いた人に関しましては、86%が、「余り苦労していない」、「全く苦労していない」と答えております。

 これは表には出ておりませんが、この人々が弁護士に行き当たった経路は、一番多いのは「知人、親戚の紹介」でした。その次が「顧問弁護士」。これは法人も入っておりますのでこういう結果になっております。それらに続いたのが、「もともと知っていた」、「旧知の仲だった」というものであります。

 この表を見る分には、弁護士に対してのアクセスは余り苦労していないということがあるようなんですが、この点は更に分析をしなければならないところかと思っております。というのは、何と申しましても、回答率が36%でございますので、その点の辺りの解釈は慎重にしなくてはならないかと思っております。

 今の答えの中で、10%が苦労した旨を答えているわけなんですが、その苦労した方にどういう点で苦労したのかというのを聞いたのが4-2でございます。ここで最も高かったのが、やはり「弁護士を知らなかったから」といった点です。しかし、それ以上に多かったのは、若干の数でありますが、「情報がなかった」というものがあります。

 要するに、知らない、近くにいない、情報がないといったところが主で、更に「事件の性質にふさわしい弁護士が見つからなかった」という回答も相当数ありますが、予算の問題かと思いまして設けた「予算の折り合いがつかないから」というものに関しては、そうではないという答えの方が多くなっております。

 次に、弁護士に依頼をした人に依頼理由を聞いたものが4-3でございます。

 「安心できる」、「自分では解決できない」、「どうしても勝ちたい」といったことが主な理由でありまして、これらは想像できるところでありますが、「他人の勧め」や「相手方に弁護士がいる」といったことは余り大きな要因になっていないということがわかります。

 それから、弁護士に関して、最後に、弁護士に依頼しなかった人に対して、依頼しなかった理由を聞いております。そういたしましたところ、「弁護士に知り合いがいなかった」とか、「弁護士が近くにいなかった」というのに関しましては、そうではないと答える人の方が多くなっております。むしろ多くなっているのは、「費用が高すぎる」、あるいは「弁護士に頼むほどのことではない」といった回答であります。これは分析してみないとわからないのですが、この「弁護士に頼むほどのことではない」という回答というのは、費用の問題と密接に関連している可能性はあろうかと思っております。

 それから、右端の質問で、「弁護士に個人的な事情を話したくなかったのか」という質問に対しては、そうではないという答えの方が圧倒的に多くなっておりまして、弁護士に不信を抱いて依頼しなかったという事情は、どうもなさそうであります。

 次に5なんですけれども、訴訟の回避傾向と題しておりますが、要するに日本では訴訟が嫌われるということが指摘されることがあるものですから、そういったことが現実にあるかということを、実際に訴訟した人に聞いたわけでございます。

 そうしましたところ、回答は相半ばしております。「ためらいはない」と答えた方がやや多いわけでありますが、54%と46%で、相拮抗しております。

 同時に、この点は今回の調査に回答しなかった人は、訴訟は余り好ましくないと思っており、その延長線上として今回も回答しなかったという可能性があるものですから、この数値も少し警戒して見る必要があろうかと思います。

 訴訟を避けたいと思った理由についてなんですが、その次の5-2でございます。

 これを見ますと、訴訟を回避する一番の原因となっているのは、「費用がかかる」、あるいは「時間がかかる」という点であります。この点に対する回答がぐっと高くなっております。その反面、よく言われる社会的な圧力、例えば「世間体が悪い」とか、あるいは「人に知られたくない」、「やめるように言われた」というものに関しましては、今回の回答者の中では、大きくなかったという結果になっています。社会的要因というよりは、費用・時間の問題が大きいのかなという感じがしております。

 いよいよ手続の内容の方に入ってまいりますが、手続一般に関してどういう評価がなされたかと言いますと、「手続過程において十分に主張できたか」、あるいは「証拠を十分提出できたか」という点に関しましては、おおむね高い肯定的な評価が出ております。しかし、「手続がわかりやすかったか」、「進め方が公正だったか」、あるいは「進め方が合理的だったか」という質問に変わりますと、評価が相半ばしており、やや肯定が多いということです。

 更に進んで、「進め方が時間的に効率的であったか」、「審理が充実していたか」という点になりますと、残念ながらネガティブな回答の方が若干上回ってくるという結果になっておりまして、評価が相拮抗している状態であります。

 特に、訴訟に掛かった費用及び時間に関しては別立てで聞いておりますが、6-2が「訴訟にかかった費用」でございますが、これは「どちらともいえない」というのが一番多くて、「非常に高い」、「やや高い」というのがそれに次いでおります。さすがに「非常に安い、低い」というのはわずかになっておりますが、この「どちらとも言えない」というのは、恐らく、評価は訴訟の内容と関わるといったことを考えているのではないかと思われます。

 それから、実際の審理にかかった時間に対する評価なんですが、この点は「合理的範囲だった」とするものが一番多くなっております。

 「どちらともいえない」、「合理的範囲」で大半を占めるわけなんですが、「長すぎる」というのが128人いたわけであります。この「長さ」という点に関しましては、主観的な評価でありますが、客観的に何日から何日まで掛かったというデータもございますので、それも合わせて今後分析していく予定であります。

 次に、裁判官に対する評価を聞いたのが7-1のグラフであります。

 「中立的であったのか」とか、「意見を十分に聞いてくれたのか」、「信頼できのたか」、あるいは「権威的、威圧的ではなかったか」ということなどを聞いているわけなのですが、裁判官の評価に関しまして、中立的で、言い分をよく聞いてくれて、信頼性が高く、丁寧であるという、その辺りには非常に高いポイントが示されております。

 反面、「常識を理解していたか」ということになりますと、少しポイントが落ちます。

 それから、「法律以外の知識も有していましたか」、あるいは「十分に準備をしていたと思いますか」というところになってきますと、評価が相拮抗してくるという形になっております。この点も評価が分かれているわけなんですが、結局のところ不利な結果を受けた人の評価が下がったということも考えられますので、更に分析が必要かと思っております。

 7-2は、裁判官のしてくれたことに対する満足度ということを聞いたわけなのですが、やはり満足している人の方が多くなっております。同時に、「非常に不満」、「やや不満」とネガティブな回答も相当数に及んでおりまして、この原因をちょっと分析する必要があろうかと思っております。

 次は職員の評価なんですが、時間の関係もございますので、こちらは非常に良好な評価であったということのみ踏まえた上で、飛ばします。後でごらんいただければと思います。

 弁護士さんの評価でありますが、弁護士さんに関しましては、9-1まで飛んでいただきたいんですが、非常に肯定的な評価が多くありました。また、9-2が満足度なんですが、この満足度も非常に高くなっております。しかし、相手方の弁護士さんについても聞いておりまして、それは9-4ですが、相手方に関しては余り突っ込んで聞くこともできなかったので、質問項目が少ないわけなのですが、評価が拮抗するようになっております。「迅速に審理を進めようとしていたのか」ということに関して、「全くそう思わない」という回答が129人とか、相手方の弁護士に関しましては権威的だったという評価が増えるといったこともありますので、この辺は弁護士も全体像を見る上ではちょっと警戒しなくてはならないかと思っております。

 その次にあるグラフは、7-2と8-4と9-2から作成いたしましたものでありまして、満足度の比較であります。これも職員は数が違うのでここに置くのは適切じゃないのかもしれませんが、弁護士と裁判官を比べると、ちょっと裁判官の不満の度合いが高いということが示されております。

 次に10-1の終局状況なんですが、これは全般的に見ると、通常よりも少し和解が多かったということが出ております。

 10-2は、有利・不利の判断はどうなっているのかを示すものですが、これは当事者に主観的に聞いたんですが、大体拮抗しております。「有利」、「不利」、「どちらともいえない」が大体拮抗していて、バランスよく取れたかなと思っております。

 10-3は、判決と和解について当事者がよくわかっているのか、そのわかりやすさについて聞いたのですが、おおむねわかりやすかったという答えが出ております。

 11-1は結果に対する評価なんですが、「結果は公正であったか」、「結果は社会常識に一致していたのか」、「結果は法律に一致していたのか」に関するものをまとめてみました。

 肯定評価がいずれも多いわけなんですが、気になるのは、ネガティブ評価も相当数あるということでありまして、今後分析を進めていきたいと思っております。

 そして、結果に対する認容度、納得度、満足度というものも聞いております。

 これはいい結果をもらう人もいれば、悪い結果をもらう人もいるということで、満足ですかと一言で聞ききれない面があったものですから、認容、納得、満足という形で分けて聞いてみたんですけれども、そうしますと、やはり、「受け入れることができるか」という質問に関しましては、「受け入れることができる」という回答が一番多くなっております。しかし、それが「納得できるか」ということになりますと、「少し納得できない」が増えて、更に「満足できるか」というと、負けた方もいらっしゃるわけでありますので、「不満」が増えるということになっておりますが、ポイントは「満足はできないが、何とか受け入れることができた」という人は一体どういう人なのか、その原因は何なのかということにあろうかと思うので、その辺りは更に分析してみようかと思います。

 最後になりますが、結論といたしまして、裁判制度全体の評価を聞いてみたのが12-1であります。本調査の結論部分に当たる主眼の部分なんですけれども、「裁判制度は紛争解決の役割を十分に果たしているのか」、「国民にとって利用しやすい制度か」、「裁判制度は公正な制度であるのか」、「国民の生活の現状に合っているのか」、「裁判制度に満足しているのか」。

 最後の2つは、「もう一度同じような状況になったら、裁判をもう一回利用するのか」、そして、「同じような状況に他人がなったら、それに裁判を勧めるのか」という質問をまとめてあります。表には法律自体の公正さを聞いているものがあるのですが、このグラフでは省かせてもらいました。

 そうしましたところ、裁判制度に関しましては、公正であるといった評価が少し高くなっているんですが、非常に残念なことに、利用しやすい制度かというところでは、ネガティブ・ポイントの方が高くなっております。それから、現状に合っているのかという点に関しましても、ネガティブ・ポイントの方が高くなっております。

 更に満足しているのかに関しましても、ネガティブ・ポイントが高くなっているということであります。

 そして、再利用意思の方につきましては、自分の場合には大半の方というか、多くの方がもう一回利用すると答えているわけなんですが、同じような状況で他人にまで勧めるかということになりますと、少しそのポイントが下がるという具合になっております。

 単純な集計でございますので、これに余り評価を付け加えることは適切ではなかろうかと思いますので、状況の説明を主にいたしましたが、今後いろいろ状況をクロスさせて、原告・被告に分ける、あるいは有利・不利に分けるといった集計を行っていきます。

 それから、回答項目間の相関を取ることによって、結論部分の答えが一体何に導かれて出てきたのかということを更に詳しく分析するつもりでおります。それをやりましたならば、今回出てきました成果に関しましても、ある程度納得可能な解釈が提示できるかと思っておりますが、とりあえずは中間的な報告ということであります。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。ただいまの御報告、なかなか興味深いところがあるように思います。時間も余りないのですが、特に今日、この点を伺っておきたいということがございましたら、少し時間を取りますので、いかがでしょうか。

 菅原教授としましては、大体予想したような感じですか。あらかじめ考えていたよりも、この辺が違うというところはありますか。評価は後でということですけども。

【菅原氏】非常に豊富なデータが取れたと思っています。いろいろな角度からの分析が可能かと思いますので、審議会としてはむしろこの点をよく調べていただきたいという事項があれば、今後の分析に当たってはそういった点を重点的にやっていくということは可能ですので、そういった御意見を賜れればと思います。

【佐藤会長】ありがとうございます。今日に限らず、委員の皆様からこの点ちょっと、ということがありましたら、事務局の方におっしゃっていただければと思いますが、いかがでしょうか。

【竹下会長代理】大変お忙しいところを急いでやっていただいてありがとうございます。決して急がせるという趣旨ではないのですが、大体いつ頃その分析は終わりそうな見込みですか。

【菅原氏】ちょっと確約しづらいところがあるんですが、年内にはと思っております。

【佐藤会長】委員の皆さん、御遠慮なさっているような感じもしますけれども、今日の段階ではよろしゅうございますか。

 では、菅原教授、引き続き大変御苦労をお願いしますけれども、最終報告までの段階で分析結果が出ましたら、またお出ましいただいて、質疑応答の場を持ちたいと思いますので、その節はどうぞよろしくお願いいたします。

 本日はどうもありがとうございました。

【菅原氏】どうもありがとうございました。

(菅原氏退室)

【佐藤会長】それでは、次の議題に移りたいと思います。

 裁判官制度に関する問題について御審議いただきたいと思います。事務局に、審議用のレジュメのほか、前回の審議会の際に吉岡委員からの御発言もありました諸外国の裁判官制度に関する資料を用意していただきました。最初にそれらの資料の趣旨、概要につきまして、事務局から御説明いただければと思います。

 事務局で用意してもらった資料は事前にお送りしておりますけれども、本日同じものを席上に配付しておりますので、御参照いただければと思います。

 それでは、説明をお願いします。

【事務局長】本日の審議のため、会長からの御指示を受けまして、事務局において用意しました資料は、お手元に置いております「審議用レジュメ」としまして「『裁判官制度の改革』について」と題するもの、参考資料としまして「諸外国の裁判官制度の概要」と題するもの、同じく参考資料としまして「裁判官任命諮問委員会について」と題するものの3点でありますが、御指示によりまして、その概要について御説明いたします。

 まず「審議用レジュメ」の内容は、本年8月に行われました集中審議における裁判官制度の改革を巡る議論の中から、国民が求める裁判官像に関する議論と、1日半に及ぶ意見交換を経て、最終的に大方の意見の一致を見たと考えられます4つの事項に関する議論をそれぞれ抜き出しまして、そこに見られる各委員の御意見の要旨を主な議論として整理したものでありますが、これらの事項はすべて、既に確定いたしております中間報告の項目整理に掲げられているところであります。

 なお、「給源の多様化・多元化」、「裁判官の任命手続の見直し」、「裁判官の人事制度の見直し」の各項目につきましては、会長及び会長代理が御相談の上、勿論、これにとらわれることはないということではありますが、一応審議を円滑に運ぶため、検討等の視点というものが挙げられております。

 本日の審議用のレジュメでありますから、その内容につきまして、事前に私の方として御説明するまでもないと考えますので、参考にしていただきたいと思います。

 次は「諸外国の裁判官制度の概要」でございます。

 この資料の内容は、先ほどの「審議用レジュメ」の中の、本日の審議の中心的課題と考えられます「裁判官の給源」、「裁判官の任命手続」及び「裁判官の人事制度」の3つの事項に焦点を絞りまして、米・英・独・仏4か国におけるこれらの制度の概要を整理したものであります。何分、他の国の複雑な制度につきまして、的確にまとめるのは至難のことでありますので、不十分のそしりは免れないと思いますが、既に皆様にはそれぞれ御視察をいただいたところでもありますので、あくまでも皆様の御参考に供し、改革の具体的方策を検討するに当たってのヒントなどを得ていただくこととしまして、各国におけるこれらの制度について、特徴的と思われる事項を中心に簡潔にまとめたものであります。

 まず、1ページのアメリカの裁判官制度についてでありますが、裁判官の給源に関しまして、連邦裁判所の裁判官につきましては、特段の法制上の資格要件はなく、したがって、法曹資格を有することも要件ではございませんが、実際には弁護士、裁判所のロークラーク、検察官などの法律専門職に携わった者から任命されております。

 一方、州裁判所の裁判官につきましては、州や審級によりまして、資格要件の有無、及びその内容は異なりますが、法曹資格を要求する州が多いようでございます。

 次に、裁判官の任命手続についてでありますが、アメリカの裁判官の任命手続は、政治家、あるいは選挙民の意向がその選任過程に反映されるという点を、大きな特徴としております。

 連邦裁判所の裁判官につきまして、地元州選出の上院議員が選出した候補者につきまして、連邦司法省における調査などを経まして、最終的に上院の承認を得て大統領により任命することとされております。

 一方、州裁判所の裁判官につきまして、選挙や知事による任命などが行われておりますが、知事による任命が行われている州の多くでは、弁護士や州議会議員、市民などから成る裁判官指名委員会等の諮問機関による候補者の推薦を経て任命が行われております。

 次に裁判官の人事制度についてでありますが、州によりましては、州の法曹協会や裁判官指名委員会がアンケートやヒアリングなどを実施して、裁判官の勤務成績を評価・公表するなどの、裁判官の評価制度を設け、裁判官の選挙の際などの資料としており、また、特定の裁判所の裁判官として任命されますことから、転勤、昇給などは基本的には存在しておりません。

 2ページのイギリスの裁判官制度についでございますが、裁判官の給源につきましては、無給の治安判事を除きまして、いずれも法曹資格を有するバリスタ、またはソリシタから任命されております。

 従前は上位の裁判所の裁判官は、バリスタにより独占されておりましたが、近年、ソリシタについても、高等法院裁判官など、上位の裁判所の裁判官にもなれるようになってきております。

 次に、裁判官の任命手続につきまして、当初から常勤の裁判官となるのではなく、当初は非常勤裁判官、その後の勤務状況を踏まえて、巡回裁判官、高等法院判事などのより上位の常勤の裁判官に任命されるという仕組みになっております。

 任命手続についての特徴的な事柄としましては、近年、レコーダー、これはアシスタント・レコーダーとして3年から5年勤務した者から任命されるものでありますが、このレコーダーを除く巡回裁判官以下の裁判官について公募制が導入され、裁判官、大法官府任用部職員、非法律家の民間人の3名から成るパネルによる面接、評価、他の裁判官、弁護士等の意見聴取を経て任命が行われているということが挙げられます。

 次に、裁判官の人事制度につきまして、裁判官の任用手続を行う大法官府任用部が裁判官の勤務成績等や、裁判官の任官前後にわたる他の裁判官や弁護士など、当該裁判官の適正についてのコメントなどの情報を収集蓄積しており、それらが、例えばアシスタント・レコーダーからレコーダーへの昇進に反映されております。

 3ページのドイツの裁判官制度についてでありますが、裁判官の給源につきましては、大学での法律学の履修後、第一次国家試験に合格し、2年間の修習期間を経て、第二次国家試験に合格した完全法律家から任命されることとなっております。

 次に裁判官の任命手続につきましては、州の裁判官は、その州の司法大臣によって任命されますが、州によりまして、主として昇進職を除く裁判官の選考・任命過程に関与する機関として設けられている裁判官選考委員会、これは州議会議員、裁判官等から成るものでありますが、この裁判官選考委員会と呼ばれる機関の諮問を経て任命されております。また、大多数の州で公募される昇進職への任命につきまして、裁判官の代表機関として設けられている裁判官人事委員会が、司法大臣に助言して任命されております。

 次に、裁判官の人事制度につきまして、当該裁判所の長が所属する裁判官の勤務評定を行い、昇進の際の判断資料としております。

 人事評価の対象となる裁判官は、人事記録の閲覧権を持ち、自己に不利益な評定については、聴聞の機会が与えられております。

 4ページのフランスの裁判官制度についてでございますが、裁判官の給源につきましては、司法裁判所の裁判官は、検察官と同一の職業集団としての司法官を構成し、法学位を取得後、司法官試験に合格し、国立司法学院での研修を受けた後、裁判官に任命され、定年までその職にとどまる、キャリア・システムが採用されております。

 ただし、この司法官試験にも、対象において、学生、公務員、一般社会人の3類型がありますほか、この正規の試験によるルート以外にも、法学部助手や弁護士の無試験ルート、国立司法学院での修習を要さずに弁護士から直接司法官に任用される特別任官ルートなど、多様な裁判官任命ルートがございます。

 次に、司法裁判所の裁判官の任命手続につきましては、審級により異なりますが、裁判官の任命、昇進等に関与する大統領の憲法上の諮問機関である司法官職高等評議会の関与の下、大統領に任命されております。

 次に、裁判官の人事制度につきまして、裁判官の昇進は司法大臣及び司法官職高等評議会が関与して行われますが、司法官の職階制上の第2階級から第1階級への昇進のためには、昇進名簿に登録される必要があり、同名簿作成のための20人の司法官から成る昇進委員会が、上司による評価などに基づいて推薦名簿を作成しております。この推薦名簿は公開され、それに搭載されなかった裁判官は公式に昇進名簿への登録を要求することができることになっております。

 次の参考資料「裁判官任命諮問委員会について」を御説明いたします。

 この資料の冒頭にありますように、制定時の裁判所法第39条第4項には、「内閣は最高裁長官の指名又は最高裁判事の任命を行うには、裁判官任命諮問委員会に諮問しなければならない」旨の規定が置かれ、その後の法律改正により1年を待たずに削除されましたものの、この規定に基づき、新憲法施行と最高裁発足の最初の最高裁長官及び同判事の指名及び任命が行われました。この資料は夏の集中審議におきましても話題となりましたこの制度の創設、廃止等の経緯を御紹介するものであります。

 1ページ目の1の(2)にありますとおり、この裁判所法案のGHQによる審査は、詳細なものでありまして、最終的に帝国議会に上程された法案は第10次案であったとされますが、その裁判官任命諮問委員会に関する規定を設ける案は、第8次案の審査の過程で木村司法大臣及び細野大審院長了解済みのものとして、GHQから初めて提案されたものであります。

 この結果、この諮問委員会の創設を含む裁判所法案は、昭和22年3月、第92回帝国議会に上程され、可決・制定されました。帝国議会の衆議院裁判所法案委員会でのこの諮問委員会に関する部分の議事録の抜粋を別紙1としまして、9ページから10ページにまとめてございますが、10ページの木村国務大臣の答弁によりますれば、「この規定を設けたのは、いわゆる広く最高裁判事の任命について、民意を反映せしめようという趣旨から出たのにほかならず、諮問委員会の機能を十分発揮せしめるということは、要するに民意を反映せしめることにほかならないのであり、内閣であらかじめこの者を任命したいという人を予定して、それを諮問するというような形式を取るべきではなく、諮問委員会に対していかなる人が適当であるか、その人選を諮るという形式が望ましい」ということでありました。

 この裁判官任命諮問委員会の構成、開催経過、議事の概要等についてでありますが、まず3ページにありますとおり、制定時の裁判所法第39条第5項に基づき、裁判官任命諮問委員会規程が政令として定められ、委員の構成につきまして、衆参両議院の議長、全国の裁判官から互選された者4人、検察官等から互選された者1人、全国の弁護士から互選された者4人など、委員15人から成ることとされ、諮問に対する答申につきまして、「各委員は、最高裁判所の裁判官として適当と認める者15人ないし30人の氏名を記載した書面を委員会に提出しなければならず、委員会は、その中から最高裁判所の裁判官として適当と認める者30人の氏名を挙げて答申しなければならない」とされております。

 この委員会は、昭和23年の法律改正により、根拠規定が削除されるまでの間、昭和22年7月に一度だけ設置されましたが、その際の委員名簿については、3ページの2の(1)のとおりであり、同委員会は昭和22年7月21日から同月28日にかけて3回の会議を開催し、最終的に最高裁判所の裁判官として適当と認める者として、4ページの(2)に掲げている30名を決定し、答申いたしました。

 この答申を受けまして、4ページの3のとおり、昭和22年8月4日、内閣におきまして、最高裁発足後初めての最高裁長官の指名及び同判事の任命が行われたのでございます。

 先ほど申し上げましたように、この委員会の制度は、その施行後1年を待たずに、政府提出に関わる裁判所法の一部を改正する法律案の可決後に廃止されました。

 この法案審議の際には、この諮問委員会の廃止に関する特段の質疑はございませんでしたが、政府の提案理由説明によりますと、「この方式はどうも形式的に流れすぎて、所期の効果を得られないという憾みがあり、かつ指名及び任命に関する責任の所在を不明確ならしめるおそれがある」ということでありました。

 この資料にあわせまして、Ⅳといたしまして、6ページ以下に「最高裁判所機構改革にかかる裁判所法等の一部を改正する法律案」についてまとめてございます。

 この法案は昭和32年の第26回国会に政府から提出され、第28回国会まで継続審査されましたものの、衆議院の解散により廃案となったものでありますが、その内容とするところには、最高裁判所を憲法違反、判例変更等の重要事件のみを取り扱うものとし、最高裁判所長官及び最高裁判所判事8名で構成し、その全員の合議体で審理・裁判し、一般上告事件については、最高裁判所に付属して設置される最高裁判所小法廷、これは言わば下級裁判所に該当するものでありますが、その小法廷に取り扱わせることとした上で、最高裁判所長官の指名及び最高裁判事の任命について、内閣に置かれ、裁判官、検察官、弁護士及び学識経験のある者から任命される委員で組織される裁判官任命諮問審議会に諮問しなければならないとするものも含まれておりました。

 この法案が国会に上程されました経緯は、昭和27年、28年当時、最高裁判所の未済事件の増加に関連し、上告制度に関連する最高裁判所の機構改革の議論が行われていましたことから、法制審議会に対しまして、「裁判所の制度を改善する必要があるか。あるとすれば、その要綱を示されたい。」との旨の諮問がなされたことに始まり、同審議会によって昭和31年5月に答申された、上告制度改正要綱案を受けたものであります。

 同法案では、従前の裁判官任命諮問委員会に関する規程にはなかった規定といたしまして、「裁判官任命諮問審議会は、内閣にこれを置き、裁判官、検察官、弁護士及び学識経験のある者の中から任命される委員でこれを組織する」旨が、法律上の規定として掲げられておりました。

 この法案のうち、裁判官任命諮問審議会に関する規定を置くこととしました趣旨につきまして、8ページの(1)に掲げております中村法務大臣による趣旨説明によりますれば、「最高裁判所長官及び最高裁判所判事は、内閣がその指名または任命を行うについて、一層慎重を期するようにするため、裁判官、検察官、弁護士及び学識経験者で組織する裁判官任命諮問審議会に諮問すべきものとした」というものでありました。

 以上が資料の説明でございます。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。

 ただいまの事務局長の説明につきまして、確認しておきたい点がございましたらお願いします。意見交換の中でも適宜、この資料につきまして、御質問があればお聞きしていただいて結構ですけれども、最初に、ここだけはちょっと聞いておきたいということがありましたら。いかがでしょうか。

【吉岡委員】この経過はよくわかるんですけれども、非常に短期間で変わっていますね。裁判官任命諮問委員会について、規定が設けられたのが昭和22年で、1年足らずでなくなってしまっているという実情はわかるんですけれども、この任命諮問委員会が一度できたにもかかわらずなくなったいきさつとか理由などは、これだけではわからないので、もしわかれば御説明ください。

【事務局長】残念ながら、この程度しかわかりません。

【佐藤会長】他にいかがですか。よろしいでしょうか。そうしましたら、意見交換の中でまた、外国のこと等についての御疑問あるいは知りたいことがありましたらおっしゃっていただければ結構かと思います。

 それでは、時間の関係もありますので、さっそく意見交換に入りたいと思います。この問題につきましては、既に夏の集中審議において、その時点での皆様の大方の意見が一致したところをとりまとめておりますけれども、本日はお手元の「審議用レジュメ」に従って、「給源の多様化、多元化」、「裁判官の任命手続の見直し」、「裁判官の人事制度の見直し」などに関しまして、その後御審議いただきました国民の司法参加とか、法曹養成制度の在り方などの審議結果を踏まえながら、各項目について、改革の視点なり、具体的な方策についての検討の方向性について、できれば一定の共通認識が得られるように、ある程度具体的な御意見を頂戴したいと思っております。

 今お話ししましたように、それぞれの項目ごとに御意見をいただければと考えておりますが、これらの問題は、それぞれ関連しておりますので、議論の中で他の項目について言及していただいて勿論結構でございます。

 念のため、8月の集中審議のときにとりまとめましたものを読み挙げましょう。「法曹一元という言葉は多義的であり、この言葉にとらわれることなく、論点整理にあるように、『法の支配の理念を共有する法曹が厚い層を成して存在し、相互の信頼と一体感を基礎としつつ、国家社会のさまざまな分野でそれぞれ固有の役割を自覚しながら、幅広く活躍することが司法を支える基盤となる』との基本的な考え方に立脚して、21世紀日本社会における司法を担う高い質の裁判官を獲得し、これに独立性をもって司法権を行使させるため、これを実現するにふさわしい、各種さまざまな方策を構築すべきことに異論はなかった。制度構築の方向性としては、裁判官の給源、任用方法、人事制度のあり方につき、給源の多様性・多元性をはかることとし、判事補制度を廃止する旨の意見もあったが、少なくとも同制度に必要な改革を施すなどして高い質の裁判官を安定的に供給できるための制度の整備を行うこと、国民の裁判官に対する信頼感を高める観点から、裁判官の任命に関する何らかの工夫を行うこと、裁判官の独立性に対する国民の信頼感を高める観点から、裁判官の人事制度に透明性や客観性を付与する何らかの工夫を行うことなどについて、大方の意見の一致をみた。当審議会は、かかる観点に基づき、今後あるべき裁判官制度について、その具体像を審議検討することとする。」という形で、夏の集中審議において、我々の考え方をとりまとめたわけであります。

 「キャリアシステムか、法曹一元か」という概念的な枠組みにとらわれずに、国民が求める裁判官像とはどういうものかということを念頭に、それにふさわしい人材をどのようにして確保するかという広い視点から検討して、今読み挙げましたように給源の多様性・多元性、それから任命手続の見直し、3番目に人事制度の見直しという構造を確認したわけであります。今日はその順番で御議論いただきたいと考えております。

 なお、夏の集中審議に関する一部の報道で、当審議会が判事補制度の維持を決めたかのように伝えるものもありましたけれども、夏の集中審議では、この制度自体を維持・存続させるか否かなどについて、当審議会としていまだ一定の結論を得るに至っていないということが本当のことであったと思っております。まさにその点を今日、いろんな観点から御議論いただきたいと思っているわけであります。

 それで、さっき申しましたように、大きく分けて3つあるわけですが、クロスしても結構でございますが、一応の順番として、給源の多様性・多元性という辺りから入ってはいかがかと思います。余り堅苦しくとらわれないで自由に御発言いただければと思います。

【吉岡委員】一応ペーパーをお出ししてありますが、今日は議題が大分多いので、十分に説明できないかなと思いますが、まず給源のことだけ申し上げようと思います。

 給源の問題の前提として、司法制度は、基本的には憲法に定められた国民の基本的人権を守るためにあると理解しております。人権を守る砦として十分に機能することを国民としては期待しているということでございます。

 ですけれども、実際問題として、勿論すべてではないのですけど、判決の中には国民の立場から言って、理解できない、納得できないような内容の判決が出されている場合があります。その原因に何があるだろうと考えたときに、給源の問題が出てくるのではないかということです。

 夏の集中審議で給源の多様化あるいは多元化を図るということが確認されているわけですけれど、実態はどうかということになりますと、やはり判事補制度があり、10年の判事補の期間を経た者のほとんどが判事になるという道筋ができ上がっているというのが現状ではないかと思います。

 判事補はどういう方がなられるかと言いますと、司法試験に合格して研修所での研修を終了した人の中から裁判官を目指す人が選ばれて判事補になっているというのです。それで判事補になられると、当然のことですけれども、裁判官としての訓練と言いますか、そういうことをされて10年間を経る。5年で特例判事補になる方もあるわけですが、でも、どちらにせよ裁判官を養成するという道筋の中で育てられますから、どうしても視野が狭くなるのではないかと思います。

 そういう意味で、多様な人材と言った場合には、視野の狭い判事が育成されてしまう恐れがある制度に疑問が出てきます。

 そういうことから言いますと、やはり判事補制度については、それが裁判官の給源のほとんどという状況を改善する必要がありますので、廃止を視野に検討する必要があるのではないか。

 確かに弁護士からの任官という道筋もあるのですけれど、実態を見ますと、余りなっていらっしゃらない。その理由もいろいろあると思いますけれども、やはり弁護士、あるいは法律学者、ほかの法律実務家、そういうところから豊富な経験をした人、そういう人が選ばれる必要があると思います。

 判事補も裁判官ですね。判事補から判事ということが主流だという状況は是正していかなければいけないと思います。

 ついでですけれども、特例判事補制度については、もともとが特例で暫定措置であったわけですから、これは早急に廃止する必要があると思います。

 任用制度についても意見がありますけれども、とりあえずは判事補制度を廃止するというところについてだけ申し上げました。

【佐藤会長】吉岡委員から今のようなお話がございましたが、髙木委員もペーパーをお出しになっていますね。

【髙木委員】いろいろあるんで意見書を出させてもらいました。

 今、吉岡さんがおっしゃった、裁判官の給源としての判事補という点について、現行判事補制度、あるいは特例判事補制度には、率直に申し上げていろんな疑問点が多い。裁判官の給源論、任用論はある意味で一体的なものだと思いますが、その任用の問題、あるいは評価の問題等を含めまして、大事にしなければいかんのは、基本的な理念というか、拠って立つ論議のベースというか、一つは質の問題、これは資質であり、能力であろうと思います。

 それから、憲法76条3項にございます独立性というものがいかに担保されるのか。

 加えて、国民に対して、あるいは法曹界に対しても、アカウンタビリティーがきちんと持てること、この3つのポイントを押さえて議論をしていく必要があるのかなと思います。

 そういう3つのポイントに照らし合わせまして、判事補制度というのは、判事補は一人で裁判することはできないという裁判所法27条1項の規定と、その他の法律による云々の例外のいろんなケースが想定されていますが、その間に矛盾があります。

 あるいは特例判事補制度の過渡的性格ということが、先ほども話があったんですが、永続化して50年経っている。

 そういう意味では、制定のときに予定されていないような面も含めて、判事補制度が大きな見直しのないまま、ここまで生き続けてきている。判事補制度を一遍に全部ヨーイドンでなくすというわけにいかない面も勿論あるんでしょうが、本質的には判事補制度というのは廃止すべきだと思いますし、廃止という言い方をすればいろいろ問題があるとしましたら、判事補は裁判官の給源としないというような制度の方向づけをして、経過的な存在としてはどういう形があり得るのかというのは、そういうことをターミナルにして検討していくべきではないかと思います。例えばそのような趣旨のことを私の意見の中に書かせていただいておりますので、お読みいただきたいと思います。

 今のことと関連するんですが、判事補という実態的には裁判官になっているわけですね。判事への給源ということで法定されているわけですから、いろんな制度、ルール、法律によりますと、判事補は判事の代用を務められるというか、そういう側面、それから、判事の補佐という側面、三つ目として、判事の見習いとしての側面があります。

 やはり一人で裁判をすることができないとか、いろいろ規定されておりますけれども、代用するということについての職務が与えられていいのか。

 それから、2番目の補佐は私はあり得ると思うんです。例えば裁判所調査官とか、アメリカでのロークラークみたいな形でです。

 あと見習いというのは、研修所を出られた時点で裁判所の中に判事補として抱えられ、裁判所の中で養成をしていかれるということなんですが、そういう養成の現行の仕組み自体がよく言われるキァリアシステムの一環という形であるならば、当然キャリアシステムを維持していくための装置になるわけでして、特に憲法15条の1項、これは公務員の選任に対する国民の意思の反映という趣旨の条項ではなかったかと思いますが、そういうような精神から考えましても、今のような形で判事補への採用の視点、あるいは判事への任用への視点での国民の信を得ると言いますか、国民のそういう権能に権原を持つと言いますか、そういうような位置づけにもなっておりませんし、そんなことを考えますと、今の判事補制度を判事の給源にすることに極めて大きな問題ありというのが私の意見でございます。

【山本委員】現行のキャリア制度、確かにいろいろ問題はあると思いますけれども、私はかねがね、基本的にはこれを維持すべきだという考えでございます。

 理由は、司法のユーザーとしての立場から言いますと、裁判に求める大きな役割というのは、何と言っても的確かつ安定的な判断。言葉を換えていうと、判決の予測可能性ということだと思います。これは決して経済界だけではなくて、市民生活においてもそうではないかと私は考えているわけでございます。夏の集中審議のときにもそういう考えを申し上げたつもりですが、その後、いろんなことを考えてみますと、例えばヨーロッパ、ドイツ、イギリスの司法制度のいきさつを体験したわけですが、一言で言いますと、裁判所の建物の構えでございますとか、裁判官の態度、そこに表われている歴史の重みと言いますか、そういったことが極めて強烈なものでございまして、いい意味での権威主義というのを非常に強く感じたわけでございます。

 そこで思いましたことは、裁判というのは、人々の運命を左右するものでございますので、そこには強い正当性というものが求められる。これは各国とも同じ公理と言いますか、普遍的なものじゃないかという感じがするんでございますが、そこには現在の世界の中で2つの道があるように思います。

 一つは、アメリカのように、国民が選んでいる。あるいは国民が支持している、そこに正当性への根拠を求めるということ。

 もう一つは、先ほど申し上げたヨーロッパのように、国民からの直接の選択という形での支持はなくても、歴史に裏打ちされた権威でございますとか、あるいはプロフェッショナリズム、あるいは一種の貴族制といったものに裏打ちされた正当性の基盤があるのではないかと考えたわけでございます。

 翻って日本で考えてみますと、長い間、我が国の裁判というのは、比較的国民の支持を得てきたと思います。さっきのアンケートの集約でも、途中段階ではありますが、裁判官への満足度はややいい方だという。裁判というのは勝ち負けがあるわけでございますので、負けた方はマイナスの印象を持つのは当然のことでございますけれども、データ的に見ると、それほどひどくないんじゃないかと考えていいと思います。

 そういった意味では、どこに国民の支持があったのかと言いますと、やはり裁判官の厳格性と言いますか、潔癖性と言いますか、あるいは時流に対する距離感といった、自己規律の強い専門集団であること、いい意味でのキャリアシステムというのが正当性を支えてきた一つの大きな理由ではないかというふうに考えるわけでございまして、そういった意味でこれを全部否定するというのには、私は反対であります。

 しかし、そうは言いながらも、キャリアシステムの閉鎖性という欠点はあるわけでございますので、これに対して有効な、欠点を補うようなシステムというのを考えて、これを上手に運用していくと、裁判制度がよく機能していくのではないかと考えておるわけです。

 そういった意味で、ちょっと今回の議題とは違いますが、一般参審という制度は、裁判官と国民が法律の問題を前にしていろんな対話をするわけでございますので、そういった施策を講ずるということも非常に有効ではないかという感じがいたしておりますので、くどいようでございますが、私の意見としては、キャリア制度を一気にやめてしまうというのは、かえって我が国の司法に大きな問題を起こすのではないかと考えています。

【吉岡委員】私はキャリア制度というか、判事補制度を一気にやめろとは言っておりませんで、廃止を視野に検討する必要があると言っていますので、そこのところは違います。

 判事補制度についてなんですけれども、私は判事補というのは、医者で言えばインターンのような立場かと思っていたんですが、そうじゃないんですね。法律の面では判事補も裁判官であるという位置づけになっていると思います。その辺のところがどうも非常にわかりにくい。裁判官であるとしたならば、どうして一人前に扱わないのかという問題も勿論あります。実際には司法研修所の研修が終わってすぐの方が裁くことができると言ったら、恐らくできないだろうと思います。そういう意味では経験を積まなければいけないという、そこのところはわかるんです。

 ただ経験の積み方の問題として、裁判官という立場だけの経験を積むということで本当に国民にとってハッピーなのかどうなのか。そういうことを考えなければいけないと思います。

 そういう意味では、多様な人たちを裁判官にしようという考え方、それを生かしていけば、多様な経験をしていただきたいということです。

 私、ヨーロッパはわからないんですけれども、アメリカの場合には、ロースクールを出て、司法試験に代わるような試験があるという、そこのところは一緒なんですけれども、それですぐに裁判官になるかというと、そうではなくて、いろいろな法律実務の経験をして、それをかなりの年数、大体10年くらいですね、そういう経験をした人が裁判所で欠員が出たときに名乗りを上げて、審査を受けて、それで裁判官に選ばれるというふうになっていました。

 そうやって選ばれた人が裁判官になるということが、国民からすれば信頼できる人が裁判官になったということになるんだと思うんです。

 ですから、そこのところが根本的に違うということと、今の日本の判事補制度というのは、私は何か世界を見たときに、変な立場だなと思います。

【髙木委員】山本さん、かねての御持論なんだろうけれども、要は、国民はどういう人に裁かれたいかということが一つのポイントだと思います。どういう人に裁かれたいかについては8月の集中審議のときにいろいろ議論があって、今日のレジュメでもいろいろ整理をしている。的確な判断とか、そういうのは誰でも同じで、私もそのことが大切じゃないということを申し上げていないし、現在、こういう議論に及んでいるのは、現状をどういうふうに皆さんが認識されているか。先ほどヨーロッパの伝統の権威によるものだというのがあったけれども、今日いろいろ御紹介がありましたように、ヨーロッパだっていろんな意味で、社会的に選任している。いわゆる任用ですが、それにしてもいろんな工夫がなされている。

 そういう意味では、質の問題、先ほど私も3つのポイントがあると言いましたが、どういう質が求められるのかというのはおのずと一致すると思いますし、そういう望ましい裁判官像というのは、恐らくそれは普遍性をかなり持っているんだろうと思うんです。

 このような視点からみて、それでいいんですかという議論が今は多く出されているわけで、そういう議論を我々はしているんだろうと思います。

 どちらがいいか悪いかはそれぞれ評価があるんでしょうけれども、こういう資質が必要なのだ、その資質について、憲法15条1項等で求められている要件、それを気に入る気に入らぬは別の話だと思うんです。

 15条1項は、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」と書いてあります。裁判官もその広い意味で言う公務員、ないしは国家権力に担保された仕組みで、そういう意味で、国民が選定するという要素がどうしてもないといけないでしょうということなんです。

 それから、アカウンタビリティーというのが今では強く求められている。それは選任についても、それから仕事をされた結果についても、アカウンタブルでなければいけないと思います。この3点は、この問題を考える上で私は大前提だと思っているわけです。そういうようなことから見たときに、現在の判事補制度は余りにも問題が多過ぎるということを訴えたいわけです。

 判事補制度が、現行とは違った形・位置付けの判事補制度であるなら、それはそれでいいと思いますが、裁判官の給源として、自動的に今のシステムが維持されていくということだったら、今、抱えている問題点は直らない。判事補廃止論に近いのかもしれませんが、ここにも廃止すべきであると書いてありますけれども、別に廃止しなくてもいいんです。今のままの判事補ならば、裁判官の給源にするのはおかしいと思っているんです。

【山本委員】私は裁判官の給源として判事補制度は必要だと考えているんです。

 憲法との関係で言いますと、我々が全部の公務員にそういった罷免権を持っているか、ということですね。何も裁判官だけそういう立場に置く必要が本当にあるのかどうか。例えば行政の分野にこういったアンケートをやったときに、どのくらいの満足度があるか、我々は知らないわけです。言われているような、日本のようなキャリアを中心とした裁判官制度に決定的なダメージがあるような調査にはなっていないんじゃないか。私供の実際の日頃の感覚も、日本のキャリアシステムにはいろいろ問題、改善すべき点はありますが、おおむねいい働きをしてきていると私は考えていますので、さっき申し上げたような議論になります。

 しかし、制度をより良くすることについては、決して反対だというわけじゃありませんので、給源はできるだけ多様化していくというのは、さっき申し上げたように、キャリアシステムの中にはどうしても閉鎖性というのはつきまといますから、できるだけ開放的な部分を拡充して、そういった制度として運用していくのがいいのではないかと申し上げているわけです。

【髙木委員】一般公務員の世界と同じだと。

【山本委員】住民と直接ね。

【髙木委員】国民との関係についても、全く各省庁の自主性に委ねているという仕組みになっていないはずだ。

【山本委員】一つの自己完結性というのがある程度ないと、組織というのは働きませんから。

【髙木委員】裁判所だけはそういう面はなくていいとは言わないが、自己完結を律するスコープが行政の世界とは少し違う。

【井上委員】お二人の間だけでこのまま行ってしまうような観がありますが、その点は、「公務員の選定」の仕方の問題だと思うのです。確かに、最終的には国民の意思で選定する、それは権利であると書かれているわけですけれども、公務員の職務の性質によって当然その仕組みが違うのであって、今の裁判官の選任の仕組みというのは、司法というものの性質から、直接民主制的な形で選ぶのはふさわしくないので、そういうことからはかなり遠い仕組みになっている。そのため、髙木さんがおっしゃっている問題というのもわかるんですけれども、そこは、裁判官の選任について国民の意思を適切に反映させるということを考えたらどうかということで、ここでも検討するということになっているわけです。

 ですから、そこから直ちに直接民主制的な形にいくとか、そういうことにはならない、判事補制度の廃止ということにもならないんじゃないかと、私は思うのです。

 ついでですので申しますと、私は夏の集中審議で自分の意見は申し上げてありますので、あえて繰り返しませんけれども、私は、判事補制度それ自体がもともと間違っていたというふうには思いません。ただ、裁判官の給源にそれに事実上一本化してしまったために、キャリアシステムのようになってしまった。そこに問題点がある。

 もう一つは、竹下先生や山本委員と結論的に一緒なんですけれども、判事補制度それ自体にも問題点が全くないというわけではない。そこのところも改めていこうということだと思うのです。しかし、そのことから給源にはならないとまで言うのは論理的に飛躍をしているだろう。

 それに、前提として視野が狭いとか、高い質でないという、何というか、ステレオ・タイプ的なとらえ方をし、一般化して、それを前提にして議論するのは、余り実り多い議論にならないんじゃないかという感じがするのです。

 確かに、判事補というのは、さっき裁判所法に言及されましたけれども、特別の定めがある場合を除いては単独で裁判できないということになっているわけですけれども、裁判と言いましても、いろんな種類、あるいは性質の違いがある。判事補も裁判官の一種であることに違いはないので、位置づけがちょっと不明確になっているのはそのとおりだと思うのですけれども、まだフレッシュな人でもできることもあり、それは特に法律で定める。しかし、一番狭い意味の裁判、訴訟手続とその結論としての判決などについては、一定の年数を経て、経験を積んだ人がやるべきだ。これは判事補もそうなら、他のキャリアを経てきた人もそうですが、そういう仕組みになっている。

 「補」とされたり、あるいは「単独でできない」とされているところが、ちょっと半人前というふうに見えるかもしれませんけれども、そういう仕組み自体は、根本的に間違っているとは思わないんです。

 また、それがあるために多様な給源を妨げているということだと問題ですけれども、事実上多様な給源から取れなくなってしまっているというのが実情であって、入ってこなくなってしまっている。そこを改めていくべきだということは集中審議のときにも申し上げたとおりです。

【髙木委員】日本国憲法が想定をしております裁判官、これは具体的には裁判所法で定められるということになっていると思いますが、この日本国憲法が想定している裁判官に、判事補というのが本当に当たっていると、法律の御専門家である井上先生が思っておられるのか、そのことをひとつお尋ねを申し上げたい。

 ともあれ裁判所法が、判事補を裁判官の一種というふうに扱われたために、結局、判事補の皆さんは憲法上の裁判官として処遇もされておりますし、身分保障、あるいは任期10年等も援用される。ただ、判事補は司法修習を終えられた人の中から任命するということで、任命資格に実務経験というのは要求されていないわけです。司法研修所の実務研修を言うなら別ですが、そういう意味では実際にはほとんど実務をやっていない形で判事補になられて、それをもって裁判官とするという、その骨格自体が私はおかしいと思っているんです。

 だから、特別の定めのある場合、こういうことをやらせることができるとかいういろんな話もありますし、合議体の中の一元論についてもいろいろ議論がある。合議体の一元論で、あとの2人は例えば正式な合議体の判事だという。その判事補の職権というものを、あとの2人の正式な判事になっておられる人たちの職権によってカバーをされる。それが見習いということ。

 そんないろんなことを考えてみましたときに、本当に今の判事補が10年という実務経験を基にし、戦前の大審院の判事の代行ができるくらいのものだという厳しいものに判事を位置付けた。そういうものと同列に扱い得るような今の判事補の仕組みというのは、やはり国民にとって好ましいものといえるのか。また、判決を書かれることも5年以上経ったらあるわけです。

【井上委員】特例判事補ですね。

【髙木委員】ですから、そういうようなことでいろいろ対処療法的に対応してこられたけれども、きちんとすべきはきちんとしなきゃならないと思います。

 さっきから申し上げております質の問題、それから、独立という問題、キャリアシステムというのは独立という意味でも問題だと思っているんで、それからアカウンタビリティー、この3つは判事補制度の問題を考えるときに物差しになるだろうと思うんです。井上先生と論争してもかないませんから、最初の質問にだけ答えてください。

【井上委員】法律の専門家としてということほど大げさなことではないのですけれども、現行憲法下で10年いろんな経験をした人が判事になるという仕組みにしたのは、いつか佐藤会長が御指摘になったように、裁判所に違憲審査権を与えたということと連動していると思うのです。つまり、その意味で、質の高い判断を求められることがあるので、ということだと思うわけです。

 翻って戦前と言いますか、旧法時代の裁判所制度を見ますと、司法官試補を終わればすぐ裁判をしていたわけです。だから、そのレベルの裁判をできなかったというわけでは必ずしもない。しかしそこも連動して、判決という狭い意味での裁判をするには10年の経験を必要としようということにした。

 そういう経緯からしますと、インターンに当たる司法修習を終わったばかりの人ができる裁判とできない裁判とがある。一番狭い意味の裁判を10年経って初めて一人でできる。しかし、三人の合議体のうちの一人、これはみんな独立で対等ですが、そういうものとしては最初からできる。こういう仕組みというのは、決して不合理ではないと私は思います。憲法の想定している裁判官というのがどういうものかは、人によっていろんなふうに描けるとは思うのですが。

 そういう意味で、現行制度について、当・不当、十分・不十分の問題はあるとしても、質的におかしいんだというふうには思わないのです。

【吉岡委員】私はどうしても、裁かれる立場というか、そういう立場にしかならないものですから、そういう立場で裁判官を考えたときに、裁判官の質とか経験とか、そういうことは非常に重要だと思うんです。ですから、司法研修所を出たての、頭は確かにいいでしょうし、限られた知識、司法試験に受かるための知識しか持っていない方も大勢いらっしゃいます。その限られた知識についてはかなり深いものを持っていらっしゃるかもしれませんが、一般社会の常識という点で見たときに、本当に公平に判断ができるかというと、司法研修所を出ただけではできないのではないかと思います。

【井上委員】特例判事補という制度には疑問があるということは申し上げたつもりです。しかし、弁護士なり検察官なりは、最初から一人で法律家としての仕事をするわけですよ。

【吉岡委員】弁護士の立場と裁判官の立場とは全然違うと思います。判断をするわけですから、判断をするだけの素質を育てた人でなければ、判断される方はたまったものじゃないですよ。そういう意味では、それなりの法律実務、そういう経験をしていただかないと、裁く立場にはなってほしくないと思います。

【井上委員】できる、できないは、裁判の種類にもよるんだということを、私は言いたいのです。

【中坊委員】先ほどからの皆さんの御議論を聞いておっても、高い質とか、非常に抽象的な言葉で言われていると思うんです。しかし、判事補制度のどこに一番決定的な問題があるかということを、皆さん方にも御理解いただきたいと思うんです。それは私が実務を体験してきたから言えることではありますけれども、まず裁判官というのはどういう仕事をするかということなんです。刑事事件であれば検察官、弁護人、それぞれから出てきた証拠をどう評価するかとか、法律をどう適用するか、そして、裁判、事実認定をするわけです。その仕事に専念されてくるだけなんです。

 別の言い方をしますと、一番の問題は、この人は料理を食べてはるんです。料理を食べて、この味がよいか悪いかを判断するのが裁判官なんです。検察官、弁護人、原告、被告の代理人によって事実関係が作られてきますね。その料理を食べるのが裁判官なんです。そして、この料理はおいしいとかおいしくないとか、こっちの料理がいいとか悪いとか判断するのが裁判官の仕事なんです。

 しかし問題は、作る過程には全然関与しないんです。判事補を幾ら10年間おやりになったって、食べることに慣れるだけであって、食べる素材をどう作ってきたか、どのようにして味付けをしてきたか、何が入れてあるのかは、裁判官では全然わからないんです。しないんです。10年間1回もしないんです。

 確かにおっしゃるように、研修したといっても研修中に弁護士のところに数か月来たというくらいのことです。あるいは判検交流の中において訟務検事として国の代理人を務めたという程度でありまして、だから、裁かれるとか裁くとか、高い質とか何とかいう問題よりも、そもそも裁判官の仕事は何であるのかということなんです。作る過程を知らない人が、味見することだけを10年間訓練しても、どういう素材からどのようにして作るかということになれないんですよ。だから、裁判官というのは、ある意味において判事補を10年間されたとしても、食べることには非常に秀でておりますよ。あるいは舌の感覚はいいのかもしれないけれども、その素材をどうして作ったということは全く経験しない。

 現実に、こう言っては失礼かもしれないけれども、多くの裁判官を経験された方、あるいは検察官を経験された方で、弁護士におなりになる方もいらっしゃるわけです。

 私が見て、率直なところを申し上げて失礼ですけれども、裁判官を長いことおやりになっても、私に言わせたら逆ですわ。長く裁判官をなさっては、いい弁護士にはなりにくいんです。舌がそうなってしまうんです。一旦食べることに慣れる舌になってしまうと、その製品をどうして加工したか。まさに現場の中でどう見てきて、どうしたかということを幾ら教えてもだめです。正直言って裁判官を10年間以上した弁護士がおるわけですが、私も、お前なんだと幾ら言うても、それは悲しいかどうかは別問題として、そういうものになりきってしまうんです。

 まだ検事というのは、生の証人を調べてきたり、証拠を調べたり、これはいいとか悪いとか選択してきます。そして、料理としてでき上がったものを裁判官が食べるわけです。

 だから、裁判官と検察官、弁護士とは、仕事が根本的に違うというところがおわかりいただけないと、裁判官に、作る仕事まで習いに行くということは絶対できないんだから、そこに致命的な欠陥がある。判事補制度を10年間やれば、確かに判決書みたいなものを並べるのはできるんです。

 だから、さっき吉岡さんが言うたように、判事補はお医者さんのインターンじゃないんです。お医者さんのインターンはなるほど同じ仕事をしてお医者さんにならはるわけ。ところが、判事補というのは、料理を食べる仕事をするだけであって、その前の作る仕事には全く関与しないんです。そこに今の裁判官としての致命的な欠陥がある。それがそうではないというような論理が成り立つわけがない。私も実際経験してきてみて、それは明らかに言えることなんです。

 だから、そこを我々としてははっきり認識しないと、料理を食べる人と作る人が違うということを、まずもってはっきりとここでは認識した上で議論をしていただきたい。そうでなければ私は根本が間違ってくると思います。

【藤田委員】夏の集中審議のときにいろいろと申し上げたことの繰り返しなんで恐縮でございますけれども、法曹一元かキャリアシステムかという言い方はしないということになりましたから、キャリアシステムという言葉は使いませんけれども、判事補制度を含んで、当初から裁判官として採用して養成していくという制度、これは制度自体として欠陥があるかどうかというと、先進国のうちの半ばはそういう基本的な枠組みを制度としているわけですから、比較法的観点からいっても、制度自体に根本的欠陥があるとは思えないわけです。

 国民の感覚から遊離したという批判があることは私も承知しておりますけれども、例えばその例として、行政事件で訴え却下、門前払いが多いというようなことが言われますが、しかしこれは、今までにも議論で出ましたように、行政事件訴訟法のみならず、行政実体法についての法制度全般についての問題である。立証の問題についても、立証責任というのは法律で決まっているわけですから、そういうような点を度外視して、国民の感覚から遊離しているというようなことは言えないのではないかと思います。

 それと、官僚司法であって、独立性がない、最高裁の鼻息をうかがっているというような批判があることも承知しておりますけれども、これはもう夏に申し上げました。裁判官みたいな職業をなぜ選ぶかというと、それは裁判官の職業としての魅力と使命感です。青くさいとおっしゃるかもしれませんけれども、そういうことでありまして、裁判官は、会社や官庁に勤めている人と違いまして、自分の信念に反することをしたくなければ、いつでもやめて食っていけるんです。にもかかわらず、裁判官の職にとどまって全国を遍歴しているのは、裁判官としての仕事に生きがいを感じているからであるというふうに既に申し上げました。

 それから、経験の内容が違うということ、確かにそれはそうかもしれません。そうかもしれませんが、裁判官というのは料理の味がわからなければ勤まらない職業です。ですから、勿論、料理を作る過程については、弁護士とは差があるでしょうけれども、しかし、当事者と直接接触する場もある。民事事件の解決の半ば以上は、和解でありますし、刑事裁判の場合でも被告人と直接接触し、その訴えに耳を傾けるわけでありますから、そういう意味では国民の感覚から遊離しているというのは、やや実態から離れているのではないか。

 夏のときにも申し上げましたけれども、新聞社、あるいは日弁連のアンケート調査とか、菅原先生から先ほど説明がありました調査によりましても、裁判官に対する評価はかなり高い。裁判に対する満足度とか納得度、これも裁判結果を見ますと、有利・不利、どちらとも言えないというのがほぼ同じくらいのパーセンテージであるにもかかわらず、納得度等につきましては、半ばを超えているという状況にある。そういうことになっています。

 裁かれる者の気持ちがわからないということもございましたけれども、これも申し上げたとおり、裁かれる者の気持ちを我が心の痛みとして理解できるかどうかというのは、その人その人の人間性によるわけでありまして、勿論、すべての裁判官がそういう素質を備えているとは申しませんが、一般的に欠けているというのは理由のない批判です。

 弁護士として直接に当事者と接触すれば、その庶民の気持ちが理解できるかどうか、これもその人その人の人間性によることであろうと思いますし、中坊さんの評価によると私はだめ弁護士かもしれませんけれども、幾らかの弁護士での経験によりますと、相手方の代理人が、双方の本人の気持ちがわかっているんだろうかということに疑問を感ずるような人もおります。勿論、本人の気持ちを十分に理解する方々も多数おられることではありましょうけれども、私が言いたいのは、裁判官についても弁護士についても、裁かれる者の気持ちを理解できるかどうかは、その人の人間性如何であろうということです。

 しかし、私も、現在の判事補制度も含めた裁判官の任用制度がすべての点において望ましいものであると言うつもりは全くございません。特例制度ですが、戦前は任官当初から同一の権限を持って仕事をしていたわけでありますけれども、ある程度の経験を積んだ上で独立の裁判をする権限を与えた方がよかろうということで現在の判事補制度になっているわけでありまして、それをどういうふうに改善すべきかという問題もございます。それから、給源の多様化、これも、フランスのように、社会経験のある人を直接判事、検事に採用するという制度を導入するのが望ましいであろうということもわかります。ですから、そういう意味で、裁判官の任用、それからその運用について、いろいろな改善の余地があるということはわかりますけれども、基本的に当初から裁判官として養成していく制度に、制度的な欠陥があるとか、あるいはその結果として、非常に国民の常識から遊離した裁判官となっているというのは、実態から離れた認識ではなかろうか。再度、集中審議のときに申し上げたことを繰り返して恐縮でございますが、以上が私の考えでございます。

【中坊委員】私は、藤田さんのおっしゃるように、人間性があるかないかというのは確かに個々の人によっていろいろ違うと思うんです。しかし、私が言うているのは、裁判官というのはまずもって必要なことは両者を裁くんですよ。率直に言って裁判の中核なんです。双方の代理人、あるいは検察官でも言いっぱなしと言うとおかしいかもしれませんけれども、言うてるだけでまだええかもしれない。しかし、裁判官というのは、眼光紙背に徹して、仕組みそのものを理解した上で判断をしてくれる人なんです。その意味においてはまさに司法の中核なんです。

 その人は、その料理ができてくる過程というもの、ネギの1本にしても、ネギの1本がどういう畑で、どうして作ってきて、化学肥料で育てたのか化学肥料以外で育てたものなのかどうなのかというのを見て育ってくる人と、とにかくネギはネギとして食べるというのとでは全く違う。そりゃ、舌のいい人もあれば悪い人もあるし、人間性を感じる人もあるでしょう。弁護士を体験したらよくなるという意味ではないんです。まさにその中から一番いい人が裁判官になって裁くということ。

 いわんや、ここで非常に重要なことは、そもそも司法とは何であったか。我々はここで佐々木さんから、いわゆる民主主義社会において、司法というのは、暴走とか熱狂に走る者を防ぐのがその本質なんだという話は聞いたと思うんです。まさに多数にも動ぜず、道理とは何かということを誰よりもわからなければいけない。

 勿論、今、藤田さんがおっしゃるように、感受性の良し悪しというのは、人によって様々ですよ。藤田さんだったら、裁判官なさっても良いでしょう。いろいろ例外もありまっせ。問題は、そういう料理を作る過程、素材、それを知らないで、全く判事補制度のように味を見るだけの訓練をしてきて、それで前のところがわかるわけがないんです。第一、ネギが植えてあるところへ一回も行ったことがないんだから。そこをおっしゃらないと、私は判事補制度そのもので、判事補から自動的に裁判官になれるという制度というのは、根本的な、致命的な欠陥を持っておるということだけは私は絶対間違いないと思います。

【佐藤会長】話は佳境にありますが、休憩をはさみまして、35分に再開いたします。

(休 憩)

【佐藤会長】再開します。

 話が佳境に入ったところで休憩をはさみましたけれども、一見、非常に大きく違うようでいて、目指すところは共通のものもあるような思いもしないではありません。細かなことを議論すればいろいろありましょうけれども、今日はこの給源の問題だけではなくて、任用、人事についても少し御議論していただかないといけません。この給源の問題についてもう少し御議論いただいて、先に進みたいと思いますが、先ほどの議論の延長で御意見はありませんか。

【水原委員】先ほど、大変厳しく対立しているような御議論のように伺いましたけれども、突き詰めてみますと、最初に会長からも御紹介ございましたけれども、国民が求める裁判官をどのようにして得ていくかということで、判事補から直に判事に任用していいのかどうか。社会経験をしておらない者を任用して、それでいいのかどうか。そうすると、社会経験をさせればいいのかという議論にもなるわけでございまして、どうしたらいいか、考え方の方向性として私なりに気づいたところをこれから申し上げたいと思います。

 私は、「キャリアシステムか法曹一元か」という議論から離れて、夏の集中審議でもおまとめいただきましたが、国民が求める裁判官をどのようにして得ていくのかという共通の認識に立って考えてみたならば、私は判事補制度にも優れた判事を養成、確保するという意義が認められるのではないかという思いを強くいたしております。

 さはさりながら問題はございます。それで程度の差こそあれ、中坊委員が先ほど御発言になったこと、これについてもうなずける点がございます。裁判所法は、判事の給源として判事補のほかにも弁護士、検察官など多元的な給源を想定しておりますけれども、実際にはどうだったろうかと言いますと、判事の採用ルートはほとんど判事補からということに固定化してしまっている。裁判官以外の経験をほとんど有しないものが判事の多数を占めておるのが現状でございます。ここにいろいろな問題があるわけです。

 これは裁判所法の想定していた事態とは異なる事態が発生しているのではないかという気がいたします。裁判所法は、いろんな給源を想定して規定しているわけでございます。だけれども、弁護士任官がなかなか進まなかった。これといった妙案もないことからも明らかなように、現在の制度そのままでは解決できないように思います。

 それでは、何か解決策があるのか、水原、言ってみろということになるわけでございますけれども、私は判事補制度について、それ自体を廃止する必要はないと思いますけれども、判事の給源の在り方を見直して、改革を加えるべきではないかということを思っております。

 少々我田引水になりますが、先ほど検事は料理を作る人間だから、ある程度のことはお認めいただいてありがたいと思っていますけれども、私の検事経験を交えてお話しいたしますと、法律家として、一つの立場しか、また一つの観点しか持たずに物事を見ようとするならば、物事の本質を見抜く力は養えないのではなかろうかという気がいたします。取調べの際に相手の目線で、相手の気持ちで、相手の言葉で、虚心坦懐に物を考えてみること。それをしなければ真相を聞き出すことはできないと私は三十何年の経験で確信いたしております。

 仮に被疑者が真相を語ってくれたとしましても、それは取調官自らの力と過信してはならない。むしろ真相を語ってくれるという気持ちになった被疑者自身のなせるわざであるということを考えなければならないんじゃなかろうかということも強く感じております。

 そして権力を背負って、ようやく聞き出したにもかかわらず、己の力であると勘違いする取調官、相手の気持ちや立場を忘れて自白を取ったと慢心する取調官であるとするならば、これは大体任官して3年から6、7年頃にかけてそういうふうに天狗になりやすい傾向が多うございますけれども、それは論外でございます。

 むしろそういう場合には、得てして本当の真相を語ってもらっていないのだと気づくべきだと思います。私はそういう自分の経験からして、検察での決裁官時代には、部下諸君にも何度となくそういうことを指摘しましたし、機会あるごとに、権力の座にあることを片時も忘れずに、「我以外皆我が師なり」と考えて、被疑者、被害者、その他の参考人から細かく教えを請う気持に徹して、接しなければならないと指導してまいりました。

 そういう意味で私は、検事というものは、自らの立場に固執することなく、被害者はもとより、被疑者や被告人、それを弁護する弁護人の気持、目線で物事を見るという努力を決して怠ってはならないと思うのであります。

 今後、さまざまな方法で、検事の経験の多様化ということも真剣に取り組んでいく必要があると考えております。そうしたことを通じて、いろんな経験を検事も積むことによって、人間、そして社会、物事の本質に迫る目を養うことができるように感じます。

 当たり前のことですけれども、検事諸君に被疑者の立場を経験しろと言っているわけではございません。これは大変なことになりますから。

 裁判官改革の話なのに検事のことばかり申し上げましたけれども、お褒めをいただいたから申し上げたわけではございません。私どもも反省の念を込めて申し上げているわけでございます。

 裁判官の場合も同様と申しますか、むしろ検事とは比較にならないほど、法律家として異なる立場を経験する必要が大きいものがあると思います。先ほど中坊委員も、それからほかの委員の方々もおっしゃいましたけれども、料理をしたことがない者が、料理の味だけ味わっていて、本当のことがわかるのかということでございます。やはり料理をする経験もしてみる必要があるのではないか。裁判官は人の生命、身体、財産に関わる重要な、しかも最終判断を独立して行うことが認められております。また、そういうことが求められております。

 私はこうした重要な位置にある裁判官に、いかにして望ましい人材を得るかということが、まさに司法の死命を決することになると思っております。

 そのために私は、裁判官個人個人が法律家として多様な経験を積むことは、知見を深め、視野を広げるのに非常に有益なことだろうと思うのであります。これは先ほど吉岡委員も、経験の十分でない、一般社会常識のない方に裁判される国民はたまったものじゃないとおっしゃいましたが、いろんな多様な経験を経てきた者に裁いてもらいたいというのは国民の願いだろうと思います。

 裁判官として、ずっと裁判所の中で仕事をしているだけでは、これはおのずと限界があるのではなかろうかという気がいたします。判事の職責、権限は非常に重要であって、そういう重要な地位に就く者には、裁判所の中だけではなくて、裁判所の外で、当事者などとして仕事をして、いろいろな経験を積んでもらう必要があるというのが、私の考え方であります。

 全く経験がない者がいきなり判事になるところに問題があるわけでございまして、先ほど議論がかみ合っていないように思いましたけれども、実はそこまで突き詰めてみますと、経験を積んだならば判事補でも給源としていいじゃないかという議論になるのではないかという気がいたします。

 例えば、法律上、判事になるためには、裁判官以外の法律専門家としての職務経験を一定の年限経ていなければならないとすべきではないかと思います。裁判所の外での法律専門家としての職務経験には、弁護士は勿論、検察官でも、行政庁や民間企業での職務経験も含まれるとしてもよいのでないかと思います。

 私が申し上げたいのは、判事になる人には、みんな全員、裁判所の外の空気を吸ってもらうこと。それも研修ということではなくて、裁判官の身分を離れて裁判官以外の法律家としての仕事を経験してもらいましょうということでございます。そういう制度が何か考えられないだろうかというのが、私の検察官経験を経て、そして、後進を指導したときに、世の中の常識をどうやったら吸収できるだろうかと、そういうことをいろいろ苦労してまいりましたし、私自身も苦労してまいりましたが、裁判官にもそういうことを経験していただく必要があるのではなかろうかという思いで申し上げました。

 そのことによって、社会の常識を反映した裁判、当事者が納得できる裁判、国民の信頼が得られる裁判を実現することができるようになるのではなかろうかなという思いを持っております。

 ただ、やはり先ほども議論がございましたように、特例判事補制度につきましては、これはもう少し突っ込んだ検討をしなければならないことは言うまでもございません。

 以上、雑駁な意見でございますが、申し上げました。

【佐藤会長】ありがとうございました。

【北村委員】私は裁判というものは、いかなる政治の圧力にも屈しないで、独立して公正な判決を下せるという点が裁判だと思っているんです。それはここにいる方皆さんそう思っておられるのだと思います。

 今、日本の裁判においていろいろと判決に不備があるというような御意見が出ておりますけれども、私は日本の裁判というのは、比較的独立性というか、公平性という観点から見て、うまく言っているのではないかなというふうに思っているんです。中には変な判決、国民の感覚から見て外れたような判決というものも出ているんだと思うんですが、それは今の判事補制度が悪いからそうなっているのではなくて、はっきり申し上げまして、それは裁判官のイデオロギーに起因しているというところが割とあるんじゃないかと思うんです。

 私は会計学ですから、イデオロギーに全然関係しない、イデオロギーを持っていない人間なんです。ところが、法曹人と言ったときには、やはりそれが関係してくるだろうと。だから、それを見て判事補制度というものが悪いというふうには言えないんじゃないかなと思うんです。ただ、ここにいらっしゃる方の御意見をいろいろと伺ってみても、判事補制度にはいろんな欠点があるということは承知しているつもりです。だから、今までこの判事補制度をこのままにしてきた最高裁には、責任を感じてもらいたいと私は思っているんですが、しかしながら私としては、裁判というものは、プロにやってもらいたいという気持がすごくあるんです。プロに任せっぱなしにしてしまって、チェック機構も全然置かなかったという点が、今の司法制度で非常にまずい点だったんじゃないかなと思います。だから、そういうようなところをきちっとやっていくというようなことで十分耐えられる制度なのではないか。だから、判事補制度というものをここでなくす、あるいは将来においてなくすというようなことを考えなくても、十分それを修正していくことによって、より公正な裁判が日本で行えるようになるんじゃないか。このように思っております。

【中坊委員】さっきから言っているように、プロの人に裁いてもらうのはそのとおりなんだけれども、まさに裁判官はプロ中のプロでないと困るんです。だから、プロ中のプロというものは、先ほど言う料理を作る過程を全部知っている人でないと作れないんですよと、これは普通の素直な常識だろうと思うんです。その常識だけは大切にした意見を我々が出さないといけない。先ほどから言うているように、両方が言い分を言い、最後にその人が裁くわけだから、まさにプロ中のプロを、裁判官として今我々は要求している。

 そういうことから言えば、判事補制度のままできて、それで判事になれるというのはおかしい。

 判事補制度でなぜ固定化したかというと、これは判決書なんです。結局、判決書の書き方というのは、一つのテクニックがあるんです。論理の運び方、さっき私が言うたように、料理の食べ方、単に食べて味がいいとか悪いとかいうなら行司の軍配みたいに右か左か上げたらいいんだけれども、これはこうこうであるのでおいしいとか、あるいはこうこうでまずいんですよということを言わなきゃいかんわけです。その過程というのは判決の理由の中にあるわけです。そうすると、証拠の摘示から論理の運び方とか、それがすべて、裁判官の製品というか作品は、すべて判決書という中に出てきて、裁判官弁明せず、判決書を見てくださいと言えるぐらい、裁判官というのは判決書に非常に精魂を傾けられるわけです。

 それも正直言って、かなりのテクニックが必要なんです。そうすると、料理を作るという過程を経ていなくても、10年間やるとそのテクニックだけは上手になるんです。だから、判決書だけは、形的にはいい判決のように見える判決を書くことはできる。だから、どうしても外形だけを求めてしまう。作品は判決書になるんでしょう。その判決書がいいじゃないか。そうすると、言わはるように、どこか今言う実際を経験していない者のつくった作品は、同じような形に見えても心が通っていないというのが非常に問題になってくる。今まで我々が言う、判事補制度というものが致命的な欠陥を持っているというのは、先ほど水原さんもおっしゃったように、まさにその体験がないとね。

 だから、どうしても判事補制度というものをそのまま残していくんだ。判事補から判事になれるんだというルートを認める限り、その外形だけはそれでできますから、どうしてもそういう弊害も考えないと、我々は、今抽象論的に言うているだけではあかんという感じがします。

【佐藤会長】時間もだんだん迫ってきましたので、少し手短かにお願いします。

【吉岡委員】確かに中坊委員のおっしゃるように、判決書をきちっと書けるかどうかということで言えば、判事補10年の経験というのはかなり重いと思いますけど、私は現在の判決文が本当に国民にとっていいのかという、文章としてですけれども。私たちからすると、判決文を聞いても、勝ったんだが負けたんだかがわからない。何を言っているのかがわからないというのが、むしろ一般の人たちの見方です。裁判を傍聴していてもわからない。そういう状態がむしろ一般的なんです。

 そういうような判決文を書くということが、本当にいいのかどうかというのも考えなきゃいけない。もっと国民にわかりやすいという視点が必要で、国民にわかりやすい判決文が書けるというのは、やはりそれだけ社会的な経験がなければいけない。やはり文章として幾ら立派でも、それだけではいけないんじゃないかなと思います。

 そういう意味で、初めから裁判官に、判事補から裁判官なんですけれども、判事になるという前提で教育をされる10年間ということ自体がむしろ問題だと思います。

 それから、北村委員が、判決がいいか悪いかはイデオロギーによるんじゃないかということをおっしゃったんですけれども、最近はなくなりましたけれども、かつてイデオロギーによって判事に任命されなかった、そういう方がいらっしゃいます。そういう事例は後を絶たないのではなくて、いらっしゃますという程度しかないんですけれども、そういう実態があることによって、むしろ自分の思想は出さないという、そういうことになってきてしまっている。

 勿論、判決にイデオロギーを出してはいけないわけですけれども、その辺が巷間言われるような裁判官が判決を書く場合に、上の方を見て書くんじゃないかと言われる一つの理由になっているんじゃないかなと思っています。

 判事補制度が全面的に撤廃しなければいけないとは言えないという意見が他の委員からも出ているわけですけれども、私も判事補制度について、廃止を視野にということは書いていますが、ただ、判事になる前提での判事補制度ということが問題だと思います。

 そういう意味では、髙木委員がおっしゃったロークラーク、そういう考え方もあっていいんじゃないか。ロークラークの考え方というのは、アメリカでそうなっているわけですけれども、やはり経験の中の一つとして、裁判官の補佐をする、そういう仕事をやっていただくのもいいし、弁護士をやっていただくのもいいし、できればいろんな経験をしていただきたいと思います。

 そういう経験をした人の中から裁判官が選ばれるということでなければいけない。経験を10年やればすべていいと私は思っていません。では、どうやって選ぶのかというのは、これから先の議題になっておりますので、そこで申し上げたいと思います。

【北村委員】私も判事補制度だけで採るというふうに言っているわけではなくて、いろんな人が裁判官になっていくルートというのは確保しておく必要があると思うんです。それが今までなかったというのが一つの欠点でもあるというのは認めているんです。

【佐藤会長】そこは共通なわけですね。

【髙木委員】もっと本質的、と言うと失礼な言い方になるかもしれませんが、とにかく判事補としての10年の経験が、本当に裁判官の給源たる実質で担保されているのかどうか。その検証は是非やってみる必要がある。

 これは藤田さんがおっしゃるんですが、人によるという面がある、それは確かにそうだろうと思います。だけれども、実態は判事補から判事になれなかった人がどれくらいおられるんですか。それはちゃんと人を見て判事補にしているのか。それに研修所のときに、判事補にする人をどういう物差しでどのように選択をされているんですか。

 かつて私はインフォーマルな形だったが、その辺について研修所の中でのリクルートについて、最高裁にお話をお聞きしたことがありますが、私の記憶力の問題もあるのかもしれませんが、余り明確な御返事ではなかったかと思います。

 そういう意味で、個々の問題ではないという意味も含めて、実質的な運用がどのように行われているのか、それがトータルとして給源として内容をきちんと持てているのかどうか、その検証は是非やってみる必要があります。

 これは吉岡さんが言われたんで、私が重ねて言うのはどうかと思いますが、イデオロギーの問題を北村さんが口にされたんですが、勿論、誰しもいろんな物の考え方を一人ひとりが持っているわけです。そういうイデオロギーが判決に投影されたからいかんというのは常識以前の問題だろうと思うんですが、そういう常識に照らして、イデオロギー云々の問題が、キャリアシステムだからされている、されていないと私には聞こえたんですが、そういう発想の御議論がもしあるとしたら、これは大変大きな論点だろうと思いますんで。

【北村委員】いえ、私はそんなこと言っていません。

【井上委員】「イデオロギー」という言葉の意味がちょっと違う、ニュアンスが違うのではないでしょうか。

【髙木委員】あんたがコメントする話じゃないんではないですか。彼女の口から出たんで、北村さんに聞いているんです。

【井上委員】私は、そう思うということを言ったんです。

【北村委員】その人の考え方という意味です。

【髙木委員】イデオロギーというのはそういう意味ですか。

【井上委員】そういう使い方もあるんです。

【北村委員】そういう使い方です。

【吉岡委員】イデオロギーとおっしゃったら、そういうふうに。

【髙木委員】いろんな歴史を日本の司法制度は持っているから、よけいそういうものにセンシティブになる世界もございますよということです。

【佐藤会長】イデオロギーという言葉ですが、会計学ではイデオロギーは無関係だと言われるときの「イデオロギー」の意味は何なのでしょうか。会計学でも、この世の中はかくありたいという視点は背景にあるわけでしょう。より良き社会のために仕組みをどうするとか。裁判官であれ、どんな職業であれ、いい社会を築きたいという思いと多かれ少なかれ関係していると思うんです。もしそれをイデオロギーと言うなら、イデオロギーのない人間なんて存在しないと思うんです。だから、それは言葉の使い方の問題で、今そういう議論しても生産的でないように思います。

【井上委員】中坊先生の比喩なんですけれども、裁判官というのは味わう人なのか料理人なのか、そこの位置づけによってもまた見方が違ってくるように思います。

 もう一つ、髙木委員がおっしゃった、判事補からの任用制度が本当に質的なチェックになっているのかというのは、おかしい任用をしているという前提に立った御質問ですか。

【髙木委員】前提というより、個性による面があるという御議論もあるし。

【井上委員】そういう意味ですか。

【髙木委員】それから、制度の仕組み自体として、今の判事補制度、私自身はですよ、いろいろきちんと給源たるに値する10年間を皆さんが的確に過ごした上での判事への任用ではないのではないかという心配、懸念を持っておりますから。

【井上委員】そういう意味ですか。わかりました。

【竹下会長代理】どうも皆さんのお話を伺っていると、夏の集中審議に戻ったような感じがするんですが、今日お配りいただいた夏の審議のとりまとめでも、「制度構築の方向性としては、裁判官の給源、任用方法、人事制度のあり方につき、給源の多様性・多元性をはかることとし」と、また、「少なくとも判事補制度に必要な改革を施すなどして高い質の裁判官を安定的に供給できるための制度の整備を行う」ということになっているわけです。

 ところが、どうもお話を聞いていると、そういう改革をするんだという前提がなくなってしまって、あるいはどう改革しても、判事補制度というのは良くならないんだと言っておられるように聞こえるんですね。

 私が思うに、そんなことはないのであって、これは水掛け論になってしまう。かなり多くの先進国で、先ほど藤田委員が言われたように、キャリアシステムというものを採用しているわけなので、それが制度としておかしいんだというようなことは、なかなか客観的には言えないのではないかと思います。

 それからまた、個々の事件について社会の常識に合わないような判断をすることになるのだというのも、これもなかなか実際には論証が難しいことだと思うのです。

 私はやっぱり、夏の集中審議の結果を踏まえて、一体どう改革をしていくかという議論の方が生産的なのではないかと思います。

 その意味では、先ほど水原委員からお話があったように、確かに判事補制度というのは、一つは、非常に若い人が、とりわけ特例判事補になると単独で裁判をやるという問題点がある。もう一つは、10年間常に同じ立場に立っているということなので、これは経験を多様化するという必要があるのではないか。そうすれば、やはり判事補制度が持っているメリット、つまり、公平さ、廉潔さとか、冒頭に山本委員が言われた判断の安定性とか、そういうメリットを生かしながら、国民が必要とする数だけの、質のすぐれた裁判官を安定的に供給できるということになるのではないかと思います。

 ただ、1点、これは微妙な問題なのですが、どうやって経験を多様化するかというところなのです。水原委員は、法律上、そういうふうにすべきだと言われたのですが、裁判官の身分保障ということを考えると、法律上そうやるということが可能なのかどうか、そこはもうちょっと幅広く弾力的に考えてもよいのではないかと思っております。

【藤田委員】判決の評判が悪いので、ただ、一言だけ。

 日本の判決は非常に精緻を極めていて、精密司法と言われる原因なんですが、フランス、イギリスへ行きますと、判決は1枚か2枚です。陪審・参審の関係もあるんですけれども。日本でも昭和62、63年頃から、判決を簡潔にして、かつ、法律家じゃない当事者にもわかるような判決にしようという、「新様式判決運動」というのが東京・大阪両地裁で起きまして、その当時と比べると今の民事判決は非常に変わっているんです。刑事判決も、刑法が口語になりましたし、そういう意味でわかりやすくなっているし、また、そのことを心掛けてやっているということで、第1回のプレゼンテーションにお見えになりましたNHKのOBの松尾さんからも大変結構なことだと評価していただきましたので、一言だけ申し上げます。

【髙木委員】時間がないのに申し訳ないんですが、今、竹下代理がおっしゃった多様な経験と、ちょっとその辺が悩ましいということもおっしゃられたんだろうと思いますが、判事補としての資格を持ったまま、多様な経験というのは、結局お客さんで研修に行くことになるんですよ。

【竹下会長代理】そこはいろいろ工夫が必要だと思うのです。

【髙木委員】その間は、全く身分を全部なくしてしまうということではない、休職の扱いだとかいろんなやり方もあるかもしれませんが、やはり自分たちの飯は自分で食っていろんなものを身に付けていくわけです。現在、判事補でおられる人たちのモラールの問題だとか、いろいろございますから、できるだけ皆さんに気分よく力を付けていただけるという面も必要なことはわかりますけれども、私ども裁判官をお預かりする企業のことも一部聞いたりしておりますけれども、それはお迎えするお客さんです。

【竹下会長代理】私もお客さんであっていいと思っているわけではないので、そこはいろいろ工夫が必要だと思います。

【佐藤会長】時間の関係もあるものですから、まとめるつもりではありませんが、議論の整理をちょっとしておきたいと思います。

 さっきちょっと代理がおっしゃった点ですが、集中審議よりは相当議論の中身が濃密に、しかも収斂しつつあると思っているんです。会長が勝手に思っていることだと言われるかもしれませんけれども、質の高い裁判官、これについてはどなたも御異論はない。独立性が大事だ、これについてもどなたも御異論はない。

 問題は、例えば独立性とは何かです。この点について立ち入って考えるといろいろ難しいところが出てくる。中立性、客観性といったことが基本的なんでしょうけれども、それにプラスして強さ、たくましさというようなものも必要なのではないか。さっき中坊委員が佐々木毅教授のここでのお話を例に出されましたけれども、多数決に対する抑止力としての司法というものが期待されているわけです。多数に抗して自己の信念を貫くということも、裁判官に求められている重要な資質なんですね。違憲審査権の存在は、まさにそのことを象徴するものです。

 そういうことを考えると、独立性とは一体何かということを議論する必要がなおあるとは思いますけれども、独立性が非常に重要なポイントであるということも、皆さん御異論のないところかと思います。

 そういう質の高い、独立性の高い裁判官を得るためには、多様な経験を積んでいただくのは決して悪くない、悪くないというよりむしろ必要である。多様な経験を積んだ人から裁判官になってもらうということが非常に重要だということも、御異論のないところかと思います。

 先ほど水原委員から具体的な御提言があって、私もそれについてある種のシンパシーを持ったわけですけれども、これまでの議論に出ていますように、日本の裁判所法は、もともとは多元性、多様な裁判官を得ようというところから出発していると思うんです。

 けれども、結果として、一元化というか、一つの給源が固定化してしまった。それを問題であると考えるか考えないか、それ自体が議論の余地のあることかもしれませんけれども、裁判所法から見ると、やはりそれはあるべき姿ではないんじゃないか。

 そうすると、さっき申し上げたような多様な経験をもった裁判官を得るために、どういう制度的仕組みを考えるべきなのか。水原委員から具体的な御提案がありましたけれども、今日、どれでなければいけないということは言うつもりは全くありません。ただ、そういった観点から問題をとらえて、中間報告後に議論を深めていただきたいというのが、今日の御議論を伺った上での私の考え方です。問題の整理としては、今日の段階ではこんなところでよろしゅうございましょうか。

【山本委員】改善すべき論点としてはいいと思いますけれとも、ユーザーとして裁判に求めているのは安定性とか予測可能性とかであり、これらは非常に大事なことですから、これを十分踏まえていただきたい。

【佐藤会長】勿論です。ただ、安定性とは何かということを議論し出すと、相当難しいんです。

 例えば、ドイツの裁判官について、いろいろ言われていますが、一方では自由な民主的基本秩序を維持するという枠をはめながら、他方では裁判官の独立性、市民的自由を強調しているところに特徴があり、そこには、裁判官が一枚岩だと、体制がおかしくなったときには脆く、すごい危険があるという発想があると私は理解しています。

 ですから、安定性とは何かということについていろんな議論をする必要があると思います。

【山本委員】だからといって、ばらばらでいいということではない。

【佐藤会長】御趣旨はよくわかります。ただ、そこはもっと広い視野でというと、生意気なことを言っていると怒られるかもしれませんけれども、安定性とは何かということも掘り下げて考えるべき論点があるんだということを申し上げたいのです。

 では、この問題については、今日の段階では、この程度に整理させていただいて、あと時間も余りないんですが、任用と人事のところについても議論していただければと思います。あと15分くらいしか取れませんが。

【中坊委員】1点だけ。今おっしゃったことと、先ほど少し出ていたアカウンタビリティーということから、そういう多様性を持っているということが、客観的に誰の目から見てもわかるということが必要なんです。

 だから、私も内部的にそう思っているというだけではなしに、まさに制度として説明責任がつくということが必要だということもちょっと考えていただきたい。

【佐藤会長】アカウンタビリティーの問題は、先ほど井上委員と髙木委員との間で議論がありましたけれども、これももう少し掘り下げていつか議論する必要があると思います。髙木委員も、アカウンタブルだから公選だということをおっしゃっているわけじゃない。アカウンタブルであるとはどういうことなのか、通常の行政の公務員の場合と裁判官の場合とで、具体的にどういう違いがあるのか、あるべきなのか。

【井上委員】髙木さんがそう言ったというんじゃなくて、私もいろんな出発によって選定の仕方があるだろうということを申し上げたんです。

【鳥居委員】次のテーマに入ったときに申し上げようと思ったんですが、大変申し訳ないんですけれども、私、あと10分くらいで失礼しなきゃいけないんで、今お話ししていいですか。

【佐藤会長】どうぞ。

【鳥居委員】大事なことが今日はまだキーワードとして出ていないと思うんです。それは任用のところで申し上げてもいいんですけれども。1番目は、今日配られた資料にもありますように、今、私たちが使っている制度のほとんどはGHQがつくったんです。そもそも憲法がそうなんです。そのGHQの遺産から一体いつ日本は決別して次の新しいステージに入るのかということが問われているんです。GHQが与えてくれた憲法をはじめとする制度が、余りに長い間固定化されていたということが大きいと思うんです。その固定化されたものから脱却しなきゃいけないから、私たちは今いろんな改革をやっているんだと思うんです。

 2番目は、では、なぜ脱却しなきゃいけないか。制度それ自体にいろんな問題が出てきたことと同時に、時代が変わってきたということだと思うんです。この問題を考えるとき、特に裁判というものを考えるとき、どこが変わったのかというと、心の変化じゃないでしょうか。

 ジャッジするときに一番基準になる座標軸、それが例えば人によっては聖書であったり、人によっては経文であったりしたはずのものが、日本は戦後55年の中でほとんど消えていますから、頼れるものは唯一法律の条文、その条文に鏡のように照らすものは、先ほど来、中坊先生おっしゃっているように、調べて調べて調べ上げた証拠、それしかないわけです。でも、実際にはそれでは必ず恨みや不満が残るのは、実は人間に心があるからで、正と邪とか、愛と憎しみとか、そういうものについてどう扱うのかという座標軸、それがどんどん消えていく時代にちゃんとジャッジできるかという問題、これが2番目だと思います。

 3番目は、藤田先生がさっきから言っておられるように、人は様々なんで、例えば判事補にせよ判事にせよ、能力、質、考え方、みんな様々ですから、判事補10年という制度を、どうしてもっとフレキシブルに考えられないのか。ある人は3年、ある人は5年という考え方だって、我々はしてもいいと思うんです。そういうような発想にもう一回立ってみると、私は最終的には判事補制度というのは論理的におかしいと思うので反対なんですけれども、過渡期として、10年、20年残すにしても、フレキシブルに残せるのではないか。

 それから、4番目なんですけれども、この法曹三者の三職というのは、私はイーブンじゃないと思うんです。やはり弁護士と検事と、これはジャッジに向かって訴える立場であって、ジャッジは裁く立場であって、法曹三者の中でジャッジの占める位置というのは非常に重要だと思うんです。

 ですから、私はアメリカの制度のように、本当にシニアの人がいろんなところから選ばれてジャッジになるというのはとても納得できます。あるキャリアを踏んでいったらジャッジとして最高の極みに到達できるというのは、本当にジャッジの選び方としてよいのだろうかという感じがします。

 最後に、さっきから判事補とは何かというのは何度も質問が出ましたけれども、日本に定着してしまった判事補とはそもそも何なのかというのを考えてみますと、練習生なんでしょうか。私はこれはある種の訓練期間中だと思うんです。

 そうしますと、司法試験をパスした人たちが3つの分野に進もうとする。第一のグループは弁護士になっていこうとする。第2のグループは検事として働こうとする。これは明らかにここでも違いが出てくるのは、検事は国家権力を背負って事実を明らかにすることが仕事ですから、国家権力を背負いますから国家公務員、あるいは公務員です。そして、判事の道に進む人も、今の制度の下では国家権力を背負ってジャッジしますから公務員です。ここのところが私は引っ掛かるんです。もしそうだとすれば、司法試験を受かってから判事になるまでの期間というのは、ある種の訓練期間であり、見習い期間であるということをお互いに認めてこの議論をし、任用について議論に入るのか、それとも、いや、これは国家公務員の一つの通過の段階なんだというふうに議論するかで全く違ってしまうと思っておりまして、この5つの点を申し上げたいと思います。

【佐藤会長】今御指摘の点は重要な視点でして、中間報告後、具体的な仕組みとしてどういうものを考えるかというころで検討させていただきたいと思います。鳥居委員の御意見を含め、皆さんの御意見を踏まえて、更に議論していただきたいと思っておりますが、今日の段階では、給源の問題については、先ほど申し上げたようなところで、一応整理させていただきたいと考えております。

 そして、この給源の問題と任用の問題とは非常に密接に関連しておりまして、切り離して議論しにくいかもしれませんが、任命、任用の仕組みとして、先ほど事務局長から説明していただいた裁判官任命諮問委員会もその一つの方法かと思うんですけれども、その辺の問題も含めて任命、任用について、あるいはもう時間もなくなってきていますので、人事も含めて結構ですので、今日の段階で少し御議論いただきたいと思いますが、いかがでしょうか。

【中坊委員】任用というのは言うまでもなく、今おっしゃるように、まさに質の高い、そして独立性のある裁判官をどうやって選ぶかということだと思うんです。

 1つには、誰が選ぶのかという審査主体の問題。

 2つ目には、どういう基準で選ぶんだという審査基準の問題。

 最後に、どういう方法で選ぶのかということ。

 この3つが明らかにならないと、任用の骨格はできないんじゃないか、そういうことだろうと思います。そこまでは一応異論のないところじゃないかと思うんです。その内容をどうするのかという問題です。

【佐藤会長】理論的に分ければ、そういう3つのレベルの問題があるということだろうと思いますけれども、何かこれについて今日の段階で頂戴しておくべき御意見はありましょうか。

【髙木委員】私、最高裁の方に、人事のことについてお尋ねしておりましたが、昨日返事を来ましたんで、まだつぶさに読めていないんですが、最高裁の方の返事には、そこのところを読んでみますと、私のペーパーの3ページにも書いておきましたが、「判事としての適格性は、画一的なものでなく、それぞれの経歴の中でふさわしい能力、識見等が備えるに至っていればよいものと思われる。結局は、人物の総合判断ということに行き着く」と書かれています。

 要は、いま中坊さんがおっしゃった、誰がというのは、この場合だと最高裁がということでしょうか。事務総局などは裁判官会議などは別にしまして、誰かということに関わります。あるいはどんな基準で、どんな方法かという、その3つがあるという御発言が中坊さんからありましたが、その3つに照らして、最高裁からこのようなお考えをいただくということであれば、今申し上げたどの1つも明快ではないということになりかねません。例えば「総合的判断」とは、だれが判断するかによって「総合的」の意味も違うと思いますし、そういう意味では私も言葉が過ぎたらいかんと思ってペーパーには書きませんでしたが、恣意性みたいな部分を疑われてもしようがない面もあったり、要は、誰かが思えば、どんなふうにも解することができるようなことに対していろいろ疑念があるんだろうと思うんです。

 たまたま昨日、こういう返事をいただいたんで、その一部しか吟味できておりませんけれども、例えば任用に関して、今、中坊さんが指摘された3つの視点から、これも質と独立性とアカウンタビリティーというか、アカウンタビリティーも2つあるんじゃないかなと重ねて思い知らされた次第です。

 1つが、任用されるときのAさん、Bさん、CさんのうちでAさんが任用されたというときに、Bさん、Cさんに対するアカウンタビリティー。それから、そういうことでアカウンタブルに選ばれた裁判官がした仕事に対して国民にアカウンタブルじゃないといけないという点、その2面からアカウンタビリティーの問題は考えられないといけないのだろうと思います。

 先ほどの給源の議論と同じようなことを申し上げますけれども、そんなふうに思います。

【水原委員】今の憲法で言うならば、80条の1項に、「下級裁判所の裁判官は最高裁判所の指名した者の名簿で内閣が任命する」となっております。やはり任命権者は憲法上は内閣、それは最高裁判所の指名した者となっているわけです。最高裁判所が誰を指名するかということについて、どういう方法でその指名候補者を選ぶかというところが一つ問題ではなかろうかという気がいたします。

 戦後間もなくのころ、先ほど御紹介いただきましたけれども、昭和22年にGHQから与えられたものかもわかりませんが、最高裁判所の判事についての諮問委員会というものができておったわけです。それは形骸化してしまったので1年でなくなっておりますけれども、そういうふうな諮問委員会的なもの、この内容をどうするか。これは慎重に検討しなければなりませんけれども、そういうことをもう一度検討してみる必要があるように思います。どこに置くかは、最高裁判所に置き、そこでの意見を参考に最高裁判所が指名する、そういう諮問委員会的なものを考えたらどうだろうかなというのが思い浮かんだところでございます。

 また、どういう基準でということを中坊委員はおっしゃった。それもどういう基準で候補者に選ぶのかというのも、今後いろいろ検討しなければいけないが、とりあえずそういうことを考える必要があるんじゃなかろうかという感じがいたします。

【佐藤会長】指名権は勿論、最高裁にあるけれども、その前提として国民の何らかの意向が反映されるような仕組みを考えたらどうかということですね。

【水原委員】それを参考に最高裁判所が指名するということです。

【中坊委員】髙木さんの出されたペーパーに、そこがある程度具体的に書かれているわけです。審査主体として、一つは、多角的な意見が反映できるような合議体でないといけない。この髙木さんの言葉で言えば推薦委員会、今の水原さんの言葉では諮問委員会なんですけれども、それはどういうことになるかというと、まず合議体でないといけない。

 次に、裁判官が多数を占めるのではいけない。

 国民の視点が入らないといけない。髙木さんの意見ではこういうふうにお書きになっているんじゃないですか。

 それが、今の水原さんの言葉で言えば諮問委員会だし、髙木さんの言葉で言えば推薦委員会と、こういうことになるんじゃないですか。だから、おっしゃっていることは同じようなことをおっしゃっているように思います。

【佐藤会長】最初に事務局長から御説明いただきました外国の制度には、多かれ少なかれこの種の配慮があるようですね。連邦の裁判官の場合ですが、諮問委員会ということではないですね。

【井上委員】その州選出の上院議員が推薦するんですけれども、その上院議員がそういう推薦委員会みたいなものを使っているというのは結構多いんじゃないでしょうか。

【吉岡委員】私、よくわかりませんけれども、見てきた範囲では、欠員があった場合に手を挙げますね。それで上院議員の推薦があるというのがまず1つありますけれども、そのほかにABAだとか、ほかの方たちの意見も聞く。最終的には公に公告して、その裁判官でいいかということは一般市民に聞くというような手続もあるようです。

 そこはすごくいいところだなと私は思うんですけれども、裁判官がジャッジとして納得できるかどうかというのは、広く国民の支持が得られるかどうかというところにあるんじゃないかと思うんです。

 日本の裁判官制度は、最高裁によって指名されるという、そういうことに憲法上決まっていて、しかもその土台の主たるものが判事補制度である。今議論を戻すつもりではありませんが、そういうふうになっているところに問題があるんで、客観的な意見が反映できるような、私は推薦委員会と書いたんですけれども、そういう第三者機関として納得できるものがあって、その構成については、私は国民の立場、そういう人が半分くらいは入っていることが必要だと思います。やはり国民がこの人だったら納得できるということで選ばれるというのが本当は望ましいのではないかと思います。

 そういう意味では推薦委員会で選ぶ、最終的には憲法がありますから、最高裁判所が指名するということになるのかもしれませんけれども、基本はみんなが選ぶ、そういう基本にならなければいけないと思います。

 外国の事例がどうなっているか資料が欲しいということを申し上げたのが遅かったので、アメリカとドイツ、フランス、イギリスしか出されていないという状況ですけれども、やはりキャリア制度を取っている国もたくさんありますし、そうではない国もたくさんあります。そういう各国のやり方、そういうことを見ながら日本にふさわしい制度を考えていく必要はあると思います。基本的には国民、市民が納得できるような選ばれ方をした人が裁判官になるということが私は大切だと思っています。

【井上委員】アメリカでは州の場合、選挙のところが多いのです。それに対し、連邦の場合は任命なものですから、そこの溝を埋めるという意味がかなり大きいように思います。幾つかの段階でそういう声を反映させるという仕組みがあり、上院議員がもともとは自分の裁量でやっていたところも、それだけではもたないので、いろんな人の意見を聞くというシステムを取り入れている。その上、現実に大きいのは、上院におけるヒアリングなんです。これは極めて厳しくて、最近ではかえって選任が遅くなるという方向に動いているのですけれども、そういう各ステップにそういうものを絡ませているというのが、アメリカのやり方だと思います。

 どういう意見の反映のさせ方がいいのかというのは、いろいろあり得て、行き過ぎるとアメリカの上院みたいなことになってしまいますし、他方、余り形式化すると、ほとんど意味がなくなってしまう。だから、具体的な制度設計については、かなり工夫しないといけないんじゃないかなという感じがします。

【山本委員】国民の納得というのは大事なことですけれども、現実には何人かの人が集まって決めるわけですから、果たしてそれで納得が得られるものであるかどうかというのは極めて難しいですね。その辺のところはよく考える必要があると思います。

【佐藤会長】まさにそこがアカウンタブルの問題で。

【山本委員】国民の代表であればアカウンタブルなのかというのはわかりませんね。むしろ中立的な組織の方が国民としては信頼するかもしれない。そういうことも十分考える必要があると思います。選挙であればいいですよ。

【吉岡委員】選挙というのも一つの方法ですよ。アメリカではかなり選挙でやっています。

【事務局長】先ほどのアメリカ連邦裁判官のお尋ねですが、調べております早野主任専門調査員にちょっと説明をさせます。

【早野主任専門調査員】アメリカの場合は州と連邦でかなり違うわけですが、本質的には実は、州も連邦も元々は同じで、全部大統領か知事の任命という形態で進んでいったわけですけれども、途中から州、特に西側の州を中心に、選挙制度に変わっていきました。その選挙制度が過半数を超えた段階で、逆戻りでもう一回任命の方に戻っていくという経過がございます。

 そういう意味で、本質的にはもともと沿革は連邦も州も同じところから出発しているところは御理解いただきたいと思います。

 連邦にしても州にしても、いかにして裁判官の適格者を選ぶか。それを政治的影響力をなるべく排する形で選びたいという動機がかなり強くなっていきます。

 そこで、連邦に関しては、大統領の権限でございますけれども、大統領の権限の行使の仕方が余りにも政治的に偏っていた場合においては、正当性がないということで、それで資料の、4月25日の第18回審議会でお配りしました「法曹一元について(参考資料)の資料5-3に、公式の手続としてみると、FBIの調査とか司法省の調査を経て上院の承認という形になっているわけですけれども、カーター政権の時代に、これだけでは不十分であるということで、指名委員会をつくって、それを機能させようとしたという経過がございます。

 その後、政権ごとによって若干ニュアンスの違いが出てきておりますので、フォローはしておりませんけれども、連邦に関しても、やはり政治的影響力をなるべく排して適任者を選ぶためにそういう委員会などをつくる必要があると考えられていることは事実だと思います。

 州に関しては、現在、典型的な選挙制度を取っているところが20ちょっとなんです。これはアメリカの場合は、州においても裁判制度自体が統一されていないところが結構あるものですから、任命と選挙が並存したりという状況があります。

 その中で、先ほど井上委員からも御指摘がありましたけれども、当初、選挙制度を取っているところに関して、選挙における弊害が大きいということで、それに変わって指名委員会制度をつくるという傾向が出てきたわけですけれども、比較的最近は、歴史的に任命制をとっていたところが、政治的影響力を弱めるためにということで、指名委員会制度を導入していくようになっています。基本的には、政治的影響力を排しつつ、いかにして適質な者を選ぶかという観点からやっております。

 それから、先ほど御指摘がありましたけれども、指名委員会の構成は、当初は法律家が中心だったようですけれども、60年代以降に関しては、現在、私どもが調べている限りでは、ほぼ半数くらいが非法律家が占めるという構成でやっておりまして、先ほどちょっと御指摘がありましたけれども、そういう非法律家の参加をいかに活性化させるかということで、各州の委員会の運営者はいろいろ工夫をしているという状況だと思います。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。

【藤田委員】今、いろいろと御説明がありましたけれども、逆に言えば、そういう努力をしているというのは、連邦についても州についても、かなり党派的な人事が今まで行われていたということが原因なのではないでしょうか。それをいかに是正するかという点での努力だと思うんです。

 最近、大統領選挙に絡んで、連邦最高裁判事が今度の大統領の任期中に何人か交替するであろうと言われています。そのときにブッシュ氏かゴア氏かでかなり違ってくる。こちらから見ると、共和党も民主党も、主義、主張はそう違いがないように見えるんですが、妊娠中絶とか、銃器規制とかいう点で差があるということです。恐らく当選した大統領は自分の党派から選ぶだろうと言われている。いろいろ諮問委員会等も設けてはいますが、やはり州の裁判所の判事についても、州選出の上院議員というのが大きな影響力を持っている。それを緩和するための制度の改善だと思うんです。そういう党派的な人事ということは望ましくないということが一つあります。

 それから、諮問委員会がかつてあったのが、なぜなくなったのか。そこら辺の詳しい事情は私にはわかりませんけれども、形式的に流れたということが書いてあります。私も高裁長官をやって、管内の裁判官と一般職員の人事に関与しました。裁判官については比較的よくわかります。かつて自分の陪席をしてもらった人などは本当よくわかります。ただ、余り今まで縁がなかった人とか、よその管内から来た人というのは、今まで付き合いがなくてよく知らないから比較ができないという問題があります。

 一般職員になるとますますそうです。管内の一般職員はほとんど知りませんでしたから、そういうことになると、一般職の人事ですと、高裁の局長とか次長とか、各地家裁の局長などが立案して上げてくるわけですけれど、結局その人たちは公平に人事をやる人だと信頼できるかどうかによるわけです。公平だと信頼ができる人が立ててきた人事計画は、細かいところまでは取り上げないし、ちょっと怪しいなと思う人の場合には、いろいろチェックしてみる、別の人から意見を聞いてみるということをやらざるを得ない。

 そうしますと、裁判官の任用について、民意を反映するというのは結構なんですけれども、そういう意味で2千何百人かの裁判官について、個人的な能力とか性格ということを全部知るということは、これは事実上不可能なことですから、それでやはり形式的なことに流れていくということになったのかなという気がいたしますので、そういう点も考慮して制度設計を考えなけばいけないのかなという感じがいたします。

【中坊委員】いずれにしても、今の最高裁の事務総局が任用のところを事実上全部決めて、それが国民には透明に映っていないという現状についてはよくないと思います。それでは、指名を、諮問委員会か推薦委員会か名前はいずれにしても、何らかの第三者機関をもってやらなければいけない。同時に、それは藤田さんのおっしゃるように、非常に形骸化してしまう。またそこが問題である。

 だからと言って、素質の内容とかそういうものは、まさに髙木さんのこのペーパーにも書かれているように、やはり外形的な事実を収集して公平にやらないとわからないという側面もあるし、それから同時に、最終的にはこれでも書いてあるように面接とか、何かによらなければわからないところもあるでしょう。結局、全部が説明責任が果たせるような立場でやっていかなければならない。

 だから、我々としては少なくとも現行のままでよいとは思わないから、それでは推薦委員会というものを考えようじゃないかと。しかしその推薦委員会というのがまた形骸化したりしないように、更にこれから、審査の主体、基準、方法というものについて煮詰めていかないといけない。

 しかし、いずれにしても、先ほどから出ているように、国民的な視点に基づいて選ばれるという形はやはり必要だし、透明性が必要だということに、今までの議論はおおむねなっていっているんじゃないですかね。

【佐藤会長】井上委員、何かありますか。

【井上委員】いえ、まだ後の予定もありますので。

【佐藤会長】アメリカの例をさっき少し詳しく聞きましたけれども、いわゆるキャリアシステムを取っているヨーロッパでも、何らかの仕組みがあるということは、やはりそれぞれの国はそれぞれ苦労しているということだろうと思うんです。広い意味でアカウンタブルであるということにするために、そしてその根底には、いい裁判官を得るということがあるんでしょうけれども。我々の集中審議での取りまとめペーパーは先ほど読みましたけれども、国民の裁判官に対する信頼感を高める観点から、裁判官の任命に関する何らかの工夫を行うこと、その具体的な内容として、諮問委員会とかいろいろ出ておりますので、そうした仕組みをやはり考えようじゃないかという辺りで、今日の議論を整理させていただいてよろしゅうございますか。やはり何か仕組みを考えようじゃないかということで。基準、方法、構成等々についていろいろな議論が出てくるかもしれません。そういうことを中間報告後しかるべき時期に詰めて、少し具体的な制度設計を考えようということで、今日の段階ではよろしゅうございますか。

(「はい」と声あり)

【佐藤会長】ありがとうございます。

【髙木委員】そうすると、もうこれでこの議論は終わりということですか。人事のことでちょっと発言させてほしいんですけれども。

【佐藤会長】あと人事の透明性、客観性の問題がまだあるんです。

【髙木委員】わかりました。

【佐藤会長】先ほどドイツやフランスについての紹介がありました。それぞれの国で、どこまで実効性があるのかよくわかりませんけれども、やはりそれぞれの仕組みがある。 それから、裁判官の給与体系の仕組みがどうなのかというような議論も関係して出てくるかもしれません。今の仕組みでいいのかどうなのかという辺りの問題もあり得ると思うんですけれども、その辺も中間報告後に。人事の独立性に対する国民の信頼を高める観点からの、裁判官の人事制度に透明性や客観性を付与する何らかの工夫として、どういうものが具体的にあるのか、今日の段階ではちょっと詰められませんので、やはり今後少し考えないといけない。いろいろな問題があるんだということぐらいで、今日のところはどうでしょうか。

 髙木委員、どうぞ。

【髙木委員】今、会長が指摘された、一職務一俸給制とか、いろいろ国によってあるようですが、その評価の問題は、キャリアシステムの国であれそうでない国であれ、例えばキャリアシステムの国だと言えば、ドイツの評価制度というのは、この前に行ったときにバイエルンの制度について書かれたものを翻訳していただいて読みました。細かいところは私はわかりませんから、また竹下先生に教えていただかないといけないですが、やはり、そういうものとセットで運営されている中で、透明性だとか信頼性だとか、そういうものもあるんではないかなと思います。だから、一つ決め打ちで、これがすべて金科玉条、これしかないんだという論でこの問題を議論したのでは、やはりだめなんだろうと思います。先ほど山本さんが言われたように、いい方法があるのかという面もあるのかもしれませんが、頭から考えないという発想はいけないので、知恵を絞りましょうということではないですか。

【山本委員】考えるけれども、恐らくないんじゃないかというような気もします。

【竹下会長代理】それは、中間報告後に議論しなければならないのではないですかね。

【髙木委員】それについて、こだわるようですが、最高裁からもお返事を昨日いただいて、今まで三度もお尋ねしたんだけれども、まだよくわからないところがあるもんですから、もう毎回、紙の往復もちょっといかがかなと思うんで、一度最高裁のしかるべき方にお越しいただいて、そこでお尋ねさせていただく場をつくっていただけないかなと、そんなふうに思ったりもしておりますのでよろしくお願いします。

【佐藤会長】その辺は中間報告後、また改めて少し立ち入って御議論いただきますので、そのときに関係者のヒアリングのような機会は持たなければいけないと思います。

【髙木委員】もう一つ、裁判所の運営の問題もいろいろあると思いますから、そういうことも合わせて御配慮ください。

【中坊委員】別に新しい意見じゃないけれども、先ほども出ていたように、人事の問題というのは、かなり幅広い、いろんな問題を含んでいるでしょう。評価の問題もあるし、その中でやはり今のように給与が23段階にもなっていると、この問題はやはり大きな一つの問題だろうと思うんです。だから、それが非常に独立性を害するように、上からやられているんじゃないかというようなことであるから、やはりそういう給与問題も、23段階というような小刻みのものじゃなしに、2、3段階とか何か、極端に少ない階数にして独立性を維持するというような側面も、人事の議論の中に当然入ってくるということを、我々としても一応認識しておかなければならない。中間報告までに我々としては一応の方向付けはしなければならない。

 それだったら何段階にするんだとか、いろいろなことは、それはまだもうちょっとわからないにしても、やはりそういう給与問題や評価制度も含めて人事の問題が存在しているということは、我々として共通の認識としておく必要があると思います。

【佐藤会長】では、藤田委員どうぞ。

【藤田委員】担当者を呼んで聞けばいいことなのかもしませんけれども、どうもその任用についても人事評価についても、最高裁の事務総局で全部やっているように受け取られているのかもしれませんが、そんなことはありませんし、あり得ない。というのは、人事局長にしたって、任用課長にしたって、3千人近い裁判官を全部知っているわけではありません。さっき言ったのと同じで、かつて自分の陪席をしたような裁判官はよくわかります。だけれども、全然交流のなかった人もたくさんいるわけだから、そういう人との比較は勿論できないわけです。ですから、そういう意味で裁判官の任期の切り換えのときの任用とか、あるいは人事評価については、やはり基本的には、一緒に仕事をしている総括から、所長なり高裁長官なりが聞いて、それを集約していくという形でやるんです。

 それから、修習生から判事補を採用するときなんかは、これは人事局は全然わからないわけですから、司法研修所の教官とか、弁護士会も含めてですけれども、現場での指導官の意見とか、それから配属されたところの裁判官、検察官、弁護士の意見とか、そういうものを集約して決めているんであって、決して、こいつは顔つきが気に入らないから採用しないなんていうようなことをやっているわけではないということを申し上げます。

【佐藤会長】わかりました。この問題も立ち入って議論すると、いろいろと複雑で難しい問題もあるのかもしれませんけれども、我々としてはこの3点について、それぞれ具体的な結論を得ないといけないというように思っておりますので、それは最終報告までのしかるべき段階で、まとめて御議論していただく時間を取りたいと思っております。今日の段階では、やや何となく腹ふくるる思いやいろいろな御不満もおありかもしれませんけれども、一応先ほどのような整理で、今日の段階の議論は、終わらせていただきたいと思いますが、よろしゅうございますか。

(「はい」と声あり)

【佐藤会長】どうもありがとうございました。それでは、次の議題でありますが、法曹養成制度に関する取りまとめペーパーについてでございます。前回、皆様の御了解をいただいたところに基づきまして、井上委員に御苦労いただき、取りまとめを行っていただきました。それで、皆様の御了解をいただければというように思いますが、井上委員には重ね重ねいろいろお忙しい中ありがとうございました。既に、ペーパーは皆様にお送りしておりますけれども、余り時間がなく、これではと思われたかもしれませんが、一応お目を通していただいているのではないかと思います。今日、念のためお手元に配付してありますけれども、井上委員の方から何かコメントがありましょうか。

【井上委員】基本的には、これまでの審議の経緯と、4月25日にまとめた中身をまず前の方にもってきまして、後にこの前の審議でほぼ皆さんで御異論がなかった点や会長が一つひとつ確認された点を、法科大学院の要点等としてまとめたものです。

 ちょっと非常に短い時間しかなかったものですから、昨日の遅くなってからお手元に届いたことと思いますが、その点はおわび申し上げたいと思います。

【佐藤会長】中間報告の作成をはじめとして、現在いろんな仕事が集中しております。事務局の方にも大変御苦労をかけておりまして、御理解賜りたく存じます。

【中坊委員】1点だけ。新司法試験の在り方と法科大学院との関係で、確かにこの文章では、新司法試験を踏まえて「新司法修習を施せば、法曹としての活動を始めることが許される程度の」と書いてありますが、この間我々の意見としては、やはり一番大きな要素として、法科大学院を卒業したら相当数が合格するんだとか、数字としても7割か8割ぐらいまでは受かるんだということを前提として、制度設計しようという点が、我々で確認されておったように思うんです。ところが、このペーパーでは、その部分がいささかあいまいになっているように思うんで、検討会議の報告書にはちゃんとそのことが書いてあったように思うんですが、それが抜けておるところがちょっと問題じゃないかという気がするんですけれども。

【吉岡委員】私もそこのところは共通点があります。

【井上委員】新司法試験について、全体の思想が、理想的に言えばそういうふうにいくということは、我々の共通の認識だと思うんです。

【中坊委員】共通の認識であるのであれば、それはこのまとめに書いておいてもらわないと、字句の上ではそこが抜けているような気がするんです。

【井上委員】それを司法試験のところに加えろということですか。

【中坊委員】新司法試験の内容をそこに書いていますね。例えば新司法試験では法科大学院を卒業した者の相当数が合格する。大体数字としては、この前7割とか8割とかいうような数字が出ておったんだから、やはりのその辺のことが出るような文案にまとめておいてもらう必要があるんじゃないかという感じがします。

【井上委員】7割、8割というのはどうでしょうか。

【中坊委員】その数字はちょっといいとして、だから相当数とかいうことにしておかないと、そこが一番この法科大学院と新司法試験とを結ぶ接点だったと思うんです。だから、その接点は明確にしておかないと、この制度設計の何もかもが御破算になる可能性があるというふうに思うんです。

【井上委員】前提として、我々が法曹人口のところで議論したときに、法科大学院を含む新しい法曹養成制度の整備を踏まえて、計画的に増やしていくということになった。そのことでは含意として入っているのです。当然の前提だということで。

【中坊委員】だから、新司法試験及びその内容のところに相当数が合格するということを、我々は想定しているということが字句の中に入れておいてもらう必要が、やはり私はあるんじゃないかと言っているんです。どこに入れるかは井上さんの方で判断して入れてもらったらいいです。

【井上委員】ここの部分は司法試験の具体的な内容とか方式とかが書いてあるもんですから、むしろ理念とか目標の方に入れる性質のものだと思うのです。

【中坊委員】そうですか、そこはちょっと別にしても、いずれにしても、まとめのどこかには入れておく必要があるんじゃないかという気がします。

【井上委員】いずれにしろ、中間報告のところでは、4月25日のものを含めて全部整理して入れていただきたいというふうに思っていますので、その段階で入れるのではだめですか。この文章はこれで、一応はこの間までの審議のまとめとして通していただくと、私などは一番ありがたいんですけれども。

【佐藤会長】中間報告の中身を少しここで書いておくということで。趣旨は変わっているわけじゃないんですからね。

【井上委員】はい。

【吉岡委員】ただ、法科大学院を設置するかどうかという議論の初めの段階で、やはりかなりの法曹養成をしなければいけないということが一つあったと思うんです。もう一つは質の問題ですけれども。そういうことから言うと、やはり量的にもかなり期待しているという、そういうことがありますので。

【井上委員】それは、一番最初に質・量ともに豊かな法曹を育てるために新しい法曹養成制度を整備すると書いてありまして、その含意はまさにおっしゃるとおりなんです。

【吉岡委員】そこがはっきりわかるようにしていただきたいということです。この文書が来たのが遅かったので、私も十分に見ていませんので読みこなしていないかもしれません。ファックスで来たりするものが多いもんですから。

【中坊委員】吉岡さんも言いましたように、おたくにお任せしますけれども、ざっとしか読んでいませんけれども、読んだところではやはりそこが何となく抜けているんじゃないかという感じがするんで、その理念のところに入れるのかどうかはお任せしますんで、法科大学院を卒業したものは相当数が合格するんだということを前提にしてこれは考えているという趣旨が、どこかで明らかになるようにひとつお願いします。

【佐藤会長】6ページの2の「試験方式及び内容」のところでの書き方でもそう読めると思うんです。「十分にその教育内容を修得した法科大学院の修了者又は修了予定者に新司法修習を施せば、法曹としての活動を始めることが許される程度の知識、思考力、分析力、表現力等を備えているかどうかを判定するものとすべきである」と言っていますから。ここにその趣旨をもっとはっきり書き込めということなんでしょうけれども。

【中坊委員】はっきり書いておかないと、そこが問題になって、どちらを基礎にしてものを考えるかということで、司法試験の在り方としては、きゅっと締めたからいけないということを言っているんだから、やはりこちらの大学院の方からずっと物事を考えていくんですよという流れをしているんですから、そこはやはりもう少しきちっと書いていただいておかれた方がよい。それは、今おっしゃるように、これを全部読めば相当数受かるかどうか、新司法試験をやって、ここにも書かれているように、修習を終えて、それで可能になるものと書いてあれば、なんぼでも絞ろうと思ったら絞れるということになりますから、この文章の内容では、やはりちょっとどうかと思います。

【佐藤会長】それはそうじゃないということなんですけれども。

【中坊委員】いや、そう読めますよ。

【北村委員】私も相当数というのが、例えば7割にしますと3割が残りますね、例えば翌年受けたとするとものすごく厳しくなるんです。7割以下になってしまうわけです。次の年、またその次の年、3回目までは。だから、計算ははっきりしていませんが、5割近くなってしまうんです。だから、相当数というのが、初年度と2年、3年で、3年目から後は一緒なんですけれども、初めによほど緩くしておかないと相当数にならないなという感じもするんです。だから、非常にそこは難しいですね。

【佐藤会長】数字を出すかという問題もあります。

【北村委員】いや、相当数という言葉自体もすごく難しいと思います。

【吉岡委員】だから、勿論数字は出せないと思うんですけれども、法曹人口を増やしていくという目的があるので、そこのところがしっかりとわかればいいんです。

【井上委員】大前提として、法曹人口のところのまとめとして、そういうまとめになっているのです。ただ、司法試験について、法科大学院の卒業生を相当割合受かるような司法試験にしなさいとは言えない。必ず8割なら8割通しなさいというのも変なんですね。

【吉岡委員】それはそうですけれども、3年間、2年の場合もありますけれども、余分に授業料を払って勉強しなきゃいけないんですよ。

【井上委員】ですから、むしろその法科大学院としては、そういうふうに相当割合が通るような教育をしなさい、そしてそうなったら、それを受け入れられるような司法試験にしなさい。それで司法修習も、それを受けられるような体制を整備しなさいということ、全体としてそういう考え方になっていると思います。しかし、司法試験のところにそれを入れると、逆に何か変な働きをしてしまうのではないかということなのです。

【山本委員】だから、司法試験もやるけれども、法曹資格の付与は、むしろ大学院の修了にウェートを置くと、そう書けばわかるんじゃないですか、何割と言わなくても。

【佐藤会長】これはその趣旨だということです。

【井上委員】そう書いてあるんです。

【山本委員】いや書いていないんです。受験資格の付与と書いてあるから。

【井上委員】「修了を要件とする」とですね。

【中坊委員】だけど、どうしてそんなに頑張るんですか。この文章にこだわることないと思いますよ。今みんなが言っているんだから、そのとおりであれば字句を直したらいいじゃないですか。何でそんなに。一言一句直したらいけないということではないと思います。

【井上委員】中坊先生、そういう趣旨で申し上げているんじゃありません。

【中坊委員】だって、みんながOKと言っているんだから、それを文章の字句に直してくださいとさっきから私が言っているんだから、それは直してもらったらいいじゃないですか。何でそれほど文章にこだわらないといけないんですか。みんな、吉岡さんも山本さんも同じようなことを言っているんだから。

【井上委員】司法試験の部分でなくても。

【中坊委員】だから、それはさっきから言っていますように、それは私は司法試験の方式とか内容のところで直したらどうかと言っているけれども、井上さんがむしろ理念のところだとおっしゃるんであれば、そこでもいいから直してくださいと言っているんだから、直してくれればいいじゃないですか。そんなに文章に、これは一言一句直さないというようなものを言い出したら、この議論はまとまりませんよ。

【井上委員】そういうことを申しているのではありません。中坊先生、この文章自体を直せという御趣旨ですか。

【中坊委員】だから、本日のまとめの文章は、確かに俄かにもらったんだから、私たちだって詳細に読んでいないけれども、そういう感じを持ったということです。たまたま吉岡さんも山本さんも同じことを言っているんだから、それであればそれは直すというのが普通じゃありませんか。それが何で今おっしゃるように、この言葉はこれで読み取れるとか、読み取れないとか。それは誰だって精査して読んでいませんよ。私たちだって今日もらったところですから。それをもってきてそのように読み取れるとか言ったら、そんなものなんでも言えますよ。

【井上委員】御趣旨を踏まえて修正させていただきますけれども、基本的にはその他の部分はこれでよろしいですか。

【髙木委員】私、前回途中で失礼したもんですから、私の意見の中で丙案の関係を言いました。私もこのペーパーをこの会場に来て見ましたもんですから、別に検討もしていませんけれども、今ぱっと見たときに、丙案のことが全然、移行措置とかに触れられていないんで。

【佐藤会長】その点については、前回、移行措置としてその問題があるということを認識しましょうというように取りまとめたつもりですけれども。だから、移行措置をどうするかという問題を考えるときに、丙案の問題は現行制度の評価の問題ですから、それはそこでやろうということですけれども、ここではその移行措置に関し具体的にどうすべきかについて、立ち入って書いていないんです。

【井上委員】むしろ、新しい制度としてこう考えます、というのが、このまとめの性格なのです。

【髙木委員】そういうやり取りをしていただいて、議事録に残るということですか。

【井上委員】この前、そういう議論はしました。

【佐藤会長】重要な問題を提起していただいたと申し上げたつもりです。

【中坊委員】だから、私が思うのは、例えば丙案のことでも、そのまとめのところの中に入れておいてもらっていいような気がします。この前おっしゃったように移行措置の項目として、重要な問題として考えるとおっしゃっていただいたんだから、それでみんながまとまっているんだったら、このまとめのところにそれも入れておいてもらえばいいんじゃないですか。一番最後に移行措置という項目がありますね。

【井上委員】6ページです。

【中坊委員】6ページですか、そこにこの前言うたように、現行司法試験におけるいわゆる丙案の取扱いについて検討するということだけ1行加えておいてもらえば、今、会長のおっしゃったように前回ここに入れておきますということになっていたんだから、そこへ入れてもらえば、それでいいような気がするんです。

【佐藤会長】移行措置としての具体的な制度の動かし方について、まだ立ち入って議論してなかったもんですから。丙案の問題は出てきましたけれども。ここでそこへ立ち入るとなると、一定期間とはどのくらいかとか、もっと全体の仕組みを考えないといけないのではという感じがしたものですから。

【中坊委員】だから、丙案について一字も出ていないでしょう。だから、私はこの間に丙案の問題が出ておったから、それが我々として非常に重要視してやっていたから、確かにそれは移行問題で考慮すべきことだということになっていたんだから、丙案のこともこの移行問題の中で考えるということだけ入れておいてもらえば、それでいいんじゃないでしょうかと入っているわけです。

【井上委員】それでは、さっきの点と今の点を踏まえて修正するとして、どうしましょうか。

【佐藤会長】私と代理、それから井上委員と相談しますので任せていただけますか。

【中坊委員】それはもう任せます。

【佐藤会長】ではそういうことに。

【吉岡委員】ここで3つ目を言ったら、申し訳ないみたいですが、でもちょっと気になって。読み込みが足りないとおっしゃればそうかもしれないんですけれども、5ページの第三者評価のところですけれども、その第三者評価機関がどう評価するかというのは、法科大学院にとって非常に重要なことになると思うんです。そういう意味で、第三者評価機関の性格とか、評価をする人の構成とか、そういうことに本当は言及すべきだと思うんです。ただ、そこまでは十分な議論ができていないということがありますので、独立性が高いとか、そういう言葉を入れられないかと思います。

【井上委員】そこもなお議論しないといけないところなんですね。その「独立性」の中身が問題なんです。

【吉岡委員】中身はこれから議論するということでいいんですけれども。そこのところが確保されないと、これから法科大学院を作ろうという学校にとっては、非常に重要なことではないかなと思うんです。

【井上委員】問題は、独立性とは何かということを議論すると、かなり中身に入らないといけないものですから。

【佐藤会長】第三者評価という場合の「第三者」という言葉の中にその独立性という点は大事ですよという趣旨が入っているのではないでしょうか。こういうことを言うとまた怒られそうですが。

【竹下会長代理】吉岡委員どうですか。実は、私もこの第三者評価の点については多少問題が残っているなと思っているのですが、しかし、従来はこういう形で議論してきましたから、取りまとめとしてはこのままにしておいて、そういう意見があったということを議事録にとどめていただくということで了解するということではいけませんか。

【吉岡委員】第三者機関は独立性の高いものではなければないけない、そういう必要があるということです。それは後で議論することにするということで。

【佐藤会長】現実問題として、これが権威を持たなかったら、この制度全体がおかしくなります。権威を持つためにはいかにあるべきかは、もう当然考えなければいけない事柄ですから。

【吉岡委員】非常に重要だと思います。

【北村委員】この間も申し上げたんですけれども、この制度設計の基本的考え方の中に、設置基準を満たせば自由に作ることができるというのはどこにあるんですか。どこをもってそういうふうに読むんでしょうか。

【竹下会長代理】どこかに書いてありましたね。

【北村委員】この設置形態のところには、弁護士会や地方自治体なんかもいいというふうに書いてあるんですけれども、ほかにどこか言及されていますか。

【水原委員】5ページの4の一番最初の○です。

【井上委員】設立手続に関するところです。

【北村委員】わかりました。制度設計の基本的な考え方じゃなくって、この設立手続のところですね。

【佐藤会長】では、先ほどのところは、代理と井上委員とで少し御相談させていただきます。その前提で御了承いただけますでしょうか。

(「はい」と声あり)

【佐藤会長】ありがとうございます。

 時間も予定時刻を過ぎてしまいましたが、最後に国民の司法参加の問題についてお諮りしたいと思います。この点につきましては、前回、山本委員からの御意見を配付させていただきましたけれども、その後水原委員からも少し御指摘がありまして、それを受けて今日お配りした修文のような形でまとめさせていただきました。従来のものと変わっているのは、下線を引いてあるところでありまして、1ページの2つ目の○のところ「検討する必要がある」の後に、「ただし、我が国における社会的基盤の在りよう、国民の負担と責任の重さ、真実発見の後退の懸念などにも十分留意していく必要がある」という文章を一つ付け加えさせていただきました。

 次の3つ目の○のところも、少し念頭に置いて検討すべきだというような書き方にさせていただきました。

 2ページの方ですけれども、主体的・実質的に関与していくという点に関連して、以下のような意見が述べられたという、テイクノートと言いますか、そういう性質なものではありますけれども、真ん中のところに「どのような参加形態が望ましいかを考えるに当たっては、訴訟の当事者に限らず、国民一般がどのような裁判を望むかを考慮する必要がある」、あるいは「我が国の民主主義の状況」というようなものを付け加えさせていただいたところであります。

 「裁判官の選任過程等への参加」ですが、人事評価ということになると、先ほどの議論とも関連してきまして、まだ十分立ち入って議論していないところがありますので、やや正確にそういうように表現したということです。これは、これからの議論の対象になるところかと思います。

 3ページの「検察審査会制度」でありますが、拘束力を持つという前提で考えたときに、この起訴・訴訟追行の主体をどうするかというような問題も理論的にあるわけで、それを付け加えてここのような表現ぶりにしました。法的拘束力を付与するという方向で考える、付与するという前提で考えるんですけれども、こういう問題があるということを少し正確に書かせていただいたということであります。

 このペーパーについて、藤田委員、そういうことでよろしゅうございますか。

【藤田委員】はい。

【佐藤会長】このペーパーにつきましては、さっきの法科大学院の場合と同じように、注文を付けていけばいろいろおありかもしれませんけれども、一つの取りまとめのペーパーとしてはこの程度にさせていただいて。中間報告でどういう書きぶりをするかということが非常に重要ですので、その際に御注意いただくということで、取りまとめのペーパーとしてはこの辺りで御了承いただけますでしょうか。

【髙木委員】会長、質問なんですが。「裁判官選任過程等への参加」という見出しですけれども、「等」という文字は消えているんですか。

【佐藤会長】消えてはいないと思います。

【髙木委員】文章の方は残っているんですね。

【佐藤会長】見出しは「等」が残っていますね。

【竹下会長代理】いや、消えていますね。

【藤田委員】見出しの「等」は消してないです。

【竹下会長代理】消してあるように見えますね。

【佐藤会長】残っているんだと思っていました。

【髙木委員】山本さん、水原さんから御意見が出ているようなんですけれども、先ほど来ちょっと申し上げてまいりましたように、この裁判官の人事評価の問題は私もここで何回も意見を申し上げてきて、大上段に憲法15条1項のことまで御説明して議論すべきものと思っておりませんでしたので、議論していないじゃないかという認識以前の問題かなと私は思っておりました。けれどもまだそういうふうに議論していないじゃないかという御意見があったということなんであれば、また別のところで議論できるということで、そうこだわりませんが。

【佐藤会長】見出しの「等」は残しておいてどうですか。

【髙木委員】「等」ぐらいは残しておいてもらわないと。

【佐藤会長】はい、残しておきましょう。

【井上委員】下の方の「等」もですか。

【髙木委員】下の「等」は残っているんです。

【佐藤会長】これは残しておきましょう。異論がなかったというところで、こういう修文になったところであって、さっき申し上げた趣旨ですから、見出しは「等」を残しておきます。

 では、以上でよろしゅうございましょうか。どうもありがうございました。時間も大分過ぎてまいりました。配付資料について何かありましょうか。

【事務局長】御説明することは特にございません。

【佐藤会長】そうしたら、最後に次回の審議会ですけれども、11月14日、午後1時半から5時まで、この審議室で行いたいと思います。そこで、既にお決めいただいているように、中間報告の原案につきまして、皆様にお諮りするということにしたいと思っております。この中間報告の原案につきましては、現在私と会長代理で作成しておりまして、近々皆様にお送りしたいと考えております。この原案につきましては、中間報告の項目についての原案と同じように、審議途中のものであるということで公開はせず、項目についての原案と同じような取り扱いをさせていただきたいというふうに考えておりますが、それでよろしゅうございますか。皆様にお送りする原案につきましては、できましたら次回までに御意見を書面等でいただいて、それらの御意見を踏まえて、更に訂正したものを14日の審議会にお諮りしたいと考えています。いきなりこれをぽっと出して、修正がどうのこうのということになると大変でございますので、できるだけ早めに皆様の方にお送りしたいと思います。今日の法科大学院のペーパーみたいに、昨日送ってさあどうぞというふうには考えておりません。できるだけ早くお送りしますので、お目通しいただいて、ここはこうすべきではないかという御意見を事前にこちらの方にお知らせいただきたいと思います。それを基にして、できるだけ御意向に応えるようなものを14日に皆様にお示しし、そして御審議いただきたいと思っております。

 そして、できれば11月20日に最終的に確定しまして、公表したいというように考えております。そんなことでよろしゅうございましょうか。

 今日も予定終了時間を過ぎてしまいましたが、お疲れ様でございました。

 記者会見ですけれども、いかがいたしましょうか。それでは、会長代理と2人で。

 では、どうもありがとうございました。

以上