司法制度改革審議会
別紙1
司法の行政に対するチェック機能の在り方について
(平成12年12月12日(火)司法制度改革審議会ヒアリングにおける説明要旨)
立命館大学大学院法学研究科客員教授
園 部 逸 夫
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はしがき
本日の説明は、東京地裁・高裁、前橋地裁、最高裁行政調査官室、最高裁と約25年民事事件と共に行政事件に関わってきた実務経験に交錯して20年余り大学で行政法の研究教育に携わった経験から、標題について提言を試みるものである。
なお、私は、行政と国民・住民との間の紛争(国民・住民相互間の紛争についてもいえることであるが)をすべて権利義務の関係として、最終的には司法が解決すべきであるという司法万能主義は採らない。ここでは、行政に対する救済について司法の果たすべき役割という観点から、日本における司法の行政に対するチェック機能の在り方を考えることとしたい。
1 司法の行政に対するチェックにおける機構上の問題
(1)議院内閣制の下、わが国の立法政策と行政政策の策定と実現は、国会と内閣の共同作業によって行われてきた。その点は大統領制を採るアメリカとは異なる。
日本の司法は、議院内閣制の下での司法であり、裁判官の任用が国会の委任を受けた内閣の任命権の下で運用されているという点で、基本的には大陸型の官僚司法方式を採っている。行政官僚制度と並んで司法官僚制度が発達している。戦前の司法省の司法行政権のうち裁判所に関する部分はすべて最高裁判所事務総局に委譲されているが、司法行政の根幹には、大陸型の官僚司法方式が継承されている。
司法権の憲法上の地位は紛れもなくアメリカ型であるが、その運用において、英米法的な司法運営を継承できなかった(継承する必要もなかったと考えるが)日本の司法の現実に対し、単なる理想論でない現実的な発想の下に、司法の行政に対するチェック機能を如何に充実させるか。これが私の立論の出発点である。
(2)司法組織の制度改革は、司法制度改革審議会の当面の検討課題ではないことが伺えるので、詳しくは立ち入らないが、現行のシステムを維持する限り、現行法の解釈運用や現行行政訴訟制度の改革のみでは、抜本的改革には限界がある。
私は、憲法改正を必要とするかどうか検討しなければならないが、抜本的な機構改革として、日本の司法制度の大陸法的な体質を維持する限り、民事事件・刑事事件の上告裁判所としての最高裁判所の他に、違憲審査の専門裁判所としての「憲法裁判所」及び行政事件の専門裁判所としての「行政裁判所」の設置を提唱したい。最上級審の行政裁判所の位置付けは検討を要するが、事実審行政裁判所としては、現在の高裁所在地に地方行政裁判所と高等行政裁判所を置くことが望まれる。
(3)憲法改正を前提としない機構改革としては、昭和32年に国会に提出され、廃案となった「裁判法の一部を改正する法案」(いわゆる「中二階案」)の再検討が望まれる。
これに加えて、最高裁判所の下にある下級裁判所の系列の中に、地方、高等各行政裁判所の設置することが検討課題となる。
いずれの場合も、行政裁判所の裁判官は司法部出身であれ、行政部出身であれ、行政事件担当の専門家として長期間活動出来るよう人事面で配慮されることが望ましい。
(4)現行の司法部の組織をそのまま維持するという前提で検討するのであれば、アメリカ型の行政委員会(administrative commission)、或いは、イギリス型の行政審判所(administrative tribunal)の設置の検討が必要である。
アメリカでも、イギリスでも、行政に対する救済は、司法の独占ではなくて、行政又は行政と司法の間に位置する合議制の審判機関が、事実問題に関する審理判断に携わり行政による権利利益の侵害に対し国民や住民を保護する役割を果たしている。司法機関は、法律問題を中心として司法判断に適する問題には介入するが、行政上の専門的知識を必要とする問題及び事実問題については、この種の審判機関に委ねるという姿勢が見られる。審判機関の手続が公正である限り、その審判機関が、行政寄りの位置にあるか、司法寄りの位置にあるかは問わない。イギリスの行政審判所は、バリスターが関与し又参審的な構造も加味され、準司法的な構造になっている。これに対し、アメリカの行政委員会は行政に近い位置に置かれるが、行政機関の中に行政法判事(Administrative Law Judge )という職名があるなど、組織よりも機能を重んじる傾向があり、総じて、司法と行政の厳密な組織的分離ということは中心的な課題ではない。
2 日本における行政に対する司法審査の問題点
(1)日本では、明治憲法の下設置され50年機能してきた行政機関としての行政裁判所が戦後の改革により廃止され、行政庁の処分に対する訴訟は司法権に属する司法裁判所の独占となった。
この改革により、行政訴訟は民事訴訟の一種とされたが、純粋に民事訴訟の一種として取り扱うと、行政の公益性の見地から不都合が生ずることで、今日、行政事件訴訟法という行政訴訟に関する特別法が制定されている。
行政事件訴訟法制定の経過を見ると、被告としての行政は公益遂行を目的とするものであり、公益のために私益を枉げることはやむを得ないという思想が根本にあるから、その根本の思想に忠実に従う限り、原告の不服は理解できても、私益によって公益を枉げることはできないことになり、結局、軽々に行政処分を取り消すことはできないことになりがちである。まして行政処分の無効を確認するということは余程の場合でなければ出来ないということになった(旧来の重大かつ明白性の理論)。行政処分が違法であるかどうかは、行政庁の事実認定の是非の判断が根本になければならないが、現行法では、行政庁の裁量に属する処分については、裁量権の濫用があるか又は裁量権の埒外の問題であると判断されない限り、裁量処分の取り消しができないことになっている(行政裁量論)。
また、通常の民事訴訟に比べて、行政庁の処分の取り消しを求める法律上の利益(原告適格、訴訟の対象、訴えの利益等に分けられる)の判断すなわち訴訟要件の有無に関する判断という高いハードルがあり、これらの訴訟要件の規定の解釈運用がかなり厳格であるため、行政訴訟は国民・住民が気軽に提訴できる訴訟とはいえない状況になっている。又本案の訴訟についても、行政訴訟の典型的訴訟形態である抗告訴訟という訴訟方式は、民事訴訟としてはではかなり特殊な形態であるが、被告行政庁は、広義の民事訴訟の場で、自己の下した第一次的判断の適法性の維持のために、主張立証に多大のエネルギーを費やしており、多くの原告及び代理人はそのエネルギーに圧倒されている。また、行政事件専門部を置いていないほとんどの地方裁判所民事部にとって、行政事件はかなり特異な事件として受け取られる。
(2)行政事件訴訟法の立案に当たった学者、実務家は大変な苦労をされているが、その基本には、行政庁の公益判断尊重ということを掲げて、濫訴から行政を守ること、行政の専門的第一次的判断権の尊重ということを掲げて、行政について素人である裁判所から行政を擁護するという思想があったことは否定できない。
一方で、行政裁判所の裁判とは異なった特色を持たせるために、行政訴訟の司法独占と民事訴訟化を図りながら、他方で被告行政庁に有利な保護装置を設けるという矛盾を抱えた行政事件訴訟法については、これを運用する立場によって賛否両論有るところである。
行政事件訴訟法の改正はもちろん進めなければならない課題であり、現在提案されている改正意見にももっともな論拠があると考える。この際、問題点をすべて明らかにして、議論すべきであるが、何よりも行政事件訴訟法の運用に当たる最高裁判所や法務省が、国民の権利救済の見地に立って運用上の問題を掘り起こし、21世紀への遺産として立派な改正法案の試案づくりに協力されることが望まれる。他国のこの種の制度改正の動向を見ていると法曹三者と学界との間の実りある意見交換が基盤にあり、これからの司法のあり方に照らしてもこの種の法案づくりの過程を透明公正なものにする必要があると思う。最近の日本では、実務上の問題のみならず、理論的な問題についても、法曹でない学界と実務専門集団である法曹三者の乖離が目立ってきているのは残念なことといわなければならない。
3 行政救済一般について
(1)行政事件訴訟法を如何に理想的に改正しても、その運用の基本姿勢が変わらなければ実効性のある司法の行政に対するチェックとはならない。裁判所一般の判決の動向や最高裁判所の判例の趨勢を見ていると、限られた範囲ではあるが、国民の権利救済の方向への解釈運用がされており、評価を惜しまない。このことは、最高裁判所調査官の最高裁判所裁判官に対する補助活動や最高裁判所事務総局による下級審への情報供給活動からもよく伺えることは、私自身体験しまた直接見聞してきたことでもある。
しかし、運用の基本姿勢として、まず何よりも裁判官の行政法及び行政訴訟法の専門的知識の涵養が焦眉の急である。又、参審制の導入などによる専門的経験と知識に基づく補強が望まれる。司法試験において行政法(少なくとも行政争訟法)を選択科目として復活するか、法科大学院における行政法教育の強化が必要である。
次に、行政手続法及び行政不服審査法上の主宰者に第三者的性格を持たせることや、弁護士の増員を契機に行政手続や行政不服審査手続における弁護士の立ち会いを日常化することが考えられる。司法の行政に対するチェックを有効にするためにも、行政手続の運用の活性化、行政不服審査機能の充実の必要性を強調して置きたい。
また、行政訴訟の双方当事者の代理人に客観的で公正な専門的知識を有する弁護士が増えることを期待したい。
(2)民事訴訟と刑事訴訟についてはそれぞれ実体法としての民法総則・商法総則などや刑法総則があり、これらに対応して、手続法としての民事訴訟法、刑事訴訟法がある。これに対し、行政訴訟法についてはこれに対応する実体法としての行政法総則がない。行政法総則の欠落については、従来学説や判例によって補われてきたが、判例通説いずれも何れも戦前からの尾を引く古い理論が未だに残っており、現代的な行政の要請や行政救済のための通則としては不十分であり、現代社会の要請に適合する状況とはなっていない。
制定法国である日本の実情に照らし、行政権行使の基本法としてのみならず、行政訴訟運用のための基本的法制としての観点からも、「行政法総則」の制定の必要性の検討を求めたい。
(3)司法的救済の充実のみでは国民の権利救済の実を挙げることは期待出来ない。司法救済に至る前審的争訟の拡充強化を図って救済の裾野の広げることが大事である。
日本にも合議制の行政委員会があり、公正取引委員会のように典型的な行政委員会として組織され機能しているものものある。また、典型的な行政委員会ではないが公害等調整委員会のように行政的・社会的機能を果たしているものもある。しかし、地方労働委員会や中央労働委員会のように利益代表間の調整を図るために設けられた行政委員会では公正取引委員会のように実質的証拠の原則を採用していないため、事実認定についての争いが裁判所まで持ち込まれ、最高裁まで争われると実に5段階もの実質的な審理を繰り返すことになる。行政委員会の準司法的機能を強化し、迅速的確な審理判断を実現すべきであると考える。
オンブズマン制度の拡充強化も司法救済と並んで重要であるが日本ではこの制度の有用性がまだ十分に認識されていない。いわゆる市民オンブズマンが司法救済に寄与してきたことについては評価するに吝かでないが、国と地方のレベルにおいて、典型的な公的オンブズマンのより多くの設置を望みたい。
4 行政事件訴訟法の改正について
私の改正基本構想は、民事訴訟、刑事訴訟と別個に行政訴訟の制度を樹立することにある。行政訴訟の専門裁判所である行政裁判所の設置は、現行憲法の下でも可能と考えるが、行政裁判所の設置に至らなくても、司法裁判所の内部に民事部、刑事部と並んで少なくとも高裁及び高裁所在地の地裁に限定すれば、「行政事部」(戦前、民事、刑事と並んで「行政事」という用語があった)を置くことは可能と考える。そして行政事件の手続法として、「行政訴訟法」の制定を提唱したい。
行政訴訟法においては、抗告訴訟(取消訴訟、無効確認訴訟の他、現在無名抗告訴訟とされているものを顕名化する)及び当事者訴訟を設け、いずれについても、民事訴訟の準用でなく、行政訴訟固有の手続法を設ける必要がある。機関訴訟及び民衆訴訟についても、基本となる固有の手続法を別途設けるべきである。
行政訴訟法では、行政サイドの公益性の保護と原告の権利利益の救済がバランスよく規定されなければならない。しかし、基本的な思想としては、行政は公益性の保護が主眼であるが、裁判所は、原告の権利利益の保護を主眼とすべきであって、行政訴訟の場で、裁判所がまず公益性の保護に目を向けなければならないような立法をすることは避けなければならない。
以 上