2000年12月26日
髙木 剛
(1)行政訴訟へのアクセス拡充のための方策
(a)提訴手数料の軽減
まず、提訴手数料(印紙代)の減額は、行政訴訟についても必要である。中間報告は、一般の民事訴訟を前提にこれを論じており、行政訴訟の特殊性を前提とした議論が不可欠である。例えば、行政訴訟の意義・事件数の極端に少ない現状を考慮すれば、行政訴訟の提訴手数料については、濫訴の抑制という観点を重視すべきではない。そもそも中間報告は、提訴手数料を受益者負担金と解釈しているが、このような考え方は、一般民事訴訟については妥当するとしても、国・地方自治体を被告とする行政訴訟・国家賠償にはそのままは妥当しないと思われる。
(b)弁護士費用の敗訴者負担
弁護士費用の敗訴者負担の制度も、国・地方自治体を被告とする行政訴訟・国家賠償訴訟に対しては適用すべきではない。敗訴者負担の原則が導入されるべきであるのは、訴訟当事者が実質的に対等であり、ある程度訴訟の勝敗が予測できる場合であろう。訴訟の帰趨が予測困難な新しいタイプの法的紛争や、既存の法理論では勝訴が困難であっても、その社会的意味から新たな法理論の発展が要請される紛争については、訴訟の提起を抑制する効果を生じかねない敗訴者負担の適用は適当ではない。行政訴訟の場合には、前述のように第一に、そもそも両者は対等ではなく、第二に、行政の違法行為を正すためには、行政訴訟には、公益的な意味があるのであるから、敗訴者負担適用の前提を欠くと言うべきであろう。
なお、弁護士費用の敗訴者負担制度のなかで行政が敗訴した場合に、原告である国民の側の弁護士費用(の一部)を行政に負担させるしくみ(片面的敗訴者負担)はあってもよいのではないか、という意見があるが、行政訴訟が極端に少ない現状に鑑みれば、これを積極的に位置づける立場からは、なお検討が必要である。
(c)行政訴訟の管轄裁判所
中間報告は、裁判所へのアクセスの中で、管轄の問題には言及していない。しかし、行政訴訟については、一般の民事訴訟と異なり、裁判所へのアクセスを拡充するためには、管轄の問題が重要となる。すなわち、現行制度では、被告庁を管轄する裁判所の所在地に出訴するのが原則とされており(行政事件訴訟法12条1項)、その結果、中央官庁の処分については、東京地裁が管轄権を有する。例えば、厚生年金の受給資格は、社会保険庁長官が裁定するので(厚生年金法33条)、その処分を争う地方在住の原告は、わざわざ上京しなければならず、その負担は重い。被告庁所在地を管轄する裁判所に出訴する原則は、おそらくは「お上」に直訴する時代の発想であり、被告たる行政庁の便宜だけを考慮して、原告たる国民の裁判を受ける権利を軽視するものである。
(2)訴訟要件の緩和
(a)処分性
処分性とは、行政庁の行為のうち、何が行政訴訟、特に抗告訴訟の対象となるか、換言すれば行政訴訟で取り上げる価値がある行為かどうかという問題である。行政庁のすべての行為を訴訟の対象とすべきことが妥当ではなく、またその必要もないかも知れない。しかし、これまでの裁判所の行政処分についての考え方は、あまりに狭く、行政の意思が確定しているにも拘わらず、その後の処分が下されるまで国民が争うことを認めない場合がままあり、適当ではない。
この点については、処分性の有無は、行為の根拠となる行政法規の採用する立法政策によって決まり、行政庁の行為が取消訴訟の対象とならないことに問題があるとすれば、それは訴訟法の問題ではなく、実体法の問題であり、行政法規の見直しがまず必要であるとの主張がある(法務省・「「司法の行政に対するチェック機能」についての問題点及び対応策」2000年4月20日)。一見もっともに見える主張であるが、国民の権利・利益の保護という行政訴訟の本質を理解しない主張であり、妥当性を欠く。園部氏が指摘されたように、「国民の権利救済の見地に立って」考えていくことが必要なのであり、実体法の改正(後述のように、その必要性は重要であるが)まで待てというのは百年河清を俟つの類である。処分性については、国民の権利・利益の救済が損なわれないか否かという観点から、行政訴訟の対象を行政処分に限らず、行政上の意思決定や計画等にまで広めるなどの対応が今まさに求められているのである。
(b)原告適格
原告適格とは、誰が行政庁の行為について、争うことができるのかという問題であり、ここで主として問題となるのは、行政処分の直接の名宛人ではない、第三者の原告適格の有無である。これまでの裁判所の判断は、一部に例外はあるものの、一般的に原告適格を狭く限定してきた。
原告適格の範囲を考察するためには、行政法の守ろうとしている公益の中身は何かを考える必要がある。行政法は、社会に存在する多面的な利害の調整を行政権のもとで行い、あるいは行政の有する資源を公共の福祉を実現する観点から国民に配分する仕組みである。そして、それに係わる利益は、濃淡の差はあれ個人の利益であり、私的利益と切り離されて公益が存在しているわけではないことを理解する必要がある。例えば、大気汚染防止法が守ろうとする利益も、風営法が守る善良な風俗の維持という利益も、また建築基準法で守る日照権も、いずれも私益と無関係ではない。公益といわれるものは、一般に、私益と次元を異にするものではなく、私益の集合でしかないという面がある。ただ、行政法は、特定の個人の利益を守ることは少なく、普通は多数人の利益を守り、その反面として個々人の利害に関わる程度が低くなっていることが多いのである。換言すれば、行政法には、私人の利害を調整し、当事者に予測可能性を与え、紛争を予防解決する側面がある。
このような行政法の性質に鑑みれば、行政処分は、広くそれに利害関係を有する者によって、その是非を争われてよいはずであり、原告適格を狭く解釈するこれまでの考え方は、「お上」の判断はなるべく争わせるべきではないという、国民を統治客体とする意識に基づくものではなかろうか。具体的には、行政事件訴訟法第9条が行政訴訟を提起できる者について、「法律上の利益を有する者」とし、この「法律上の利益」という概念が法律によって直接に保護される利益と把えられ、極めて狭く解釈されていることが行政訴訟の提起を難しくしているという指摘を踏まえ、「法律上の利益を有する者」という規定のし方を、国民の権利と利益をより広く把える形の規定に変える必要がある。
また、団体などの代表者による訴訟の提起を可能とすべきであり、団体訴権制度やクラスアクション制度の導入も併せて検討すべきである。
原告適格を認めない場合には、その紛争は、通常の民事訴訟として争われざるを得ないが、例えば大阪空港訴訟のように、1・2審で民事訴訟を認めたのが最高裁では訴えは却下された例もあり、行政訴訟と民事訴訟の併合提起を認めたり、裁判所に原告の訴訟提起の意図を理解した適法な訴えへの補正を促す義務を課すなど行政事件訴訟法の改正を検討すべきである。また、用途地域の指定替えについては、現在の判例は、住民に原告適格を認めないので、民事訴訟しかなく、指定替えによって建設可能となった工場に対して、建設差止め訴訟を提起し、その基準として用途地域の指定が違法であると主張することになる。しかしこれは、用途地域の指定を適法と信じた工場にとって不測の不利益を与えることになりかねない。このような問題点を克服するためにも、原告適格については、それを広く認めることを可能にするための法改正が必要である。
(c)被告行政庁の特定
被告行政庁の特定は、弁護士でも困難だとされる場合もあり、被告を間違えて却下されるケースも多い。行政庁に被告が誰かの表示を義務づけ、裁判所にも被告が誤っているときは原告に被告の変更を行うように促す義務を課すなどの改善をはかるべきである。
(d)行政不服申立前置主義の再検討
行政処分に対しては、一般に行政庁に対する不服申立と裁判所に対する行政訴訟の提起のどちらも行い得ることになっているが、国税に関する処分については行政不服申立をしてからでないと行政訴訟を提起できないために、行政不服申立が不服申立事件を徒過する(行政訴訟は処分があったことを知った日から3ヶ月以内であるのに、国税の不服申立期間は2ヶ月以内とされている)等の理由で不適法であったときは、行政訴訟を提起する権利が奪われてしまうという問題点がある。行政不服申立を経なくても行政訴訟を提起できるよう必要な改善措置を講ずべきである。
また、行政不服申立制度による救済が不首尾に終わった場合、行政訴訟が提起されるケースもあるが、こうしたケースでは実質5審制になる例もあり、行政不服申立前置的な運用に関する問題点の指摘もある。不服申立前置主義について、その廃止も含め在り方を検討すべきである。
(e)短かすぎる出訴期間
行政処分があったことを知った日から3ヶ月を経過すると行政訴訟が提起できなくなる。かつての行政事件訴訟特例法では6ヶ月の出訴期間とされていたことを踏まえ、6ヶ月以内であれば行政訴訟を提起できるように行政事件訴訟法を改正すべきである。
(3)訴訟類型の多様化―無名抗告訴訟・仮の救済―
(4)説明義務と証拠の開示
以 上