司法制度改革審議会
別添3

「司法の行政に対するチェック機能」に関する意見

2000.12.26
吉岡初子



1 行政事件訴訟法の理念と当審議会の方向性

 司法の行政に対するチェック機能の強化という課題は,ここまで「国民の期待に応える民事司法の在り方」というブロックの中の一つの論点という形で位置づけられてきました。しかし,前回のヒアリングとその後の質疑応答を踏まえるならば,このテーマは,審議会の基本理念にも関わるとても重要な論点であるように思われます。また,それとともに,現在の行政訴訟の進め方を定めている行政事件訴訟法が,この基本理念とはほど遠い理念に基づいて制定されていることが理解できました。
 中間報告で私たちは,現在の我が国の閉塞状況を招いている原因について,「憲法のよって立つ個人の尊重と国民主権の趣旨が必ずしも徹底せず,むしろ従前の統治客体意識と横並び的,集団主義的な意識を背景に国家(行政)に過度に依存しがちな体質が持続する中で,様々な国家規制や因習が社会を覆い,社会が著しく画一化,固定化してしまったこと,そして,いわゆる各省割拠主義的な行政体制が持続する中で,内外の時代環境の変容に対応する柔軟かつ力強い国政の運用が阻害されてきたことに主要な原因がある」と分析し,これを打開する方策について,「国民一人一人が,統治客体意識から脱却し,自律的でかつ社会的責任を負った統治主体として,互いに協力しながら自由で公正な社会の構築に参画していくこと」という方向性を示しました(中間報告4~5頁)。
 しかし,前回のヒアリングによると,行政事件訴訟法の基本にある理念は上記のような事態打開の方向とは対局にあるように思います。
 この点,藤田宙晴教授は,「『行政法の適用に当たっては,行政庁こそが本来最も適切な判断をすることができる』という認識」,「『中立にして公正な公益実現者であるところの行政』という行政官僚への信頼」「その背景を成す,行政主導の国家運営」といった表現を用いて現在の行政事件訴訟法の背景にある理念を紹介されました。
 また,同様の点について園部逸夫教授は,「被告としての行政は公益遂行を目的とするものであり,公益のために私益を枉げることはやむを得ないという思想」,「行政庁の公益判断尊重ということを掲げて,濫訴から行政を守ること,行政の専門的第一次的判断権の尊重ということを掲げて,行政について素人である裁判所から行政を擁護するという思想」と」いった表現を用いられています。
 これらの行政事件訴訟法の背景にある考え方が,先に述べた中間報告の基本理念と背馳するものであることは明らかでしょう。
 私たちは,中間報告において「行政訴訟制度の在り方について,従来,様々な批判や提言がなされてきたこと等を踏まえ」,「行政訴訟制度の改革が不可避である」と提言しました(52~53頁)が,改革の方向性については上記の中間報告の基本理念を共有することが出発点とされるべきであることを申し述べるとともに,以下,若干の個別的意見を述べたいと思います。

2 訴えやすく,原告が勝てる行政訴訟に

 私には行政訴訟とはおよそ市民が勝てない裁判だというイメージがあります。これは私だけでなく,多くの国民の印象ではないでしょうか。
 我が国の行政訴訟提起件数は一審地裁レベルで年間1800件前後で,諸外国に比べると圧倒的に少ない。また,提訴しても門前払いが非常に多い。門前払いを免れても原告側の勝訴率は10%前後に過ぎず,しかも行政活動のチェックという趣旨の訴訟についていうと勝訴率はこれよりもさらに下がるということです。
 このような数字が我が国の行政活動が適正に行われていることの現れであればよいのですが,私たち市民の実感はそのような評価とはおよそかけ離れています。むしろ,この数字は,司法が行政活動の適正をチェックする機能をほとんど果たしていないことの現れとして受け止めるべきでしょう。
 また,最近になって西淀川公害訴訟など,公害裁判での勝訴例も見られるようになりましたが,これらの裁判も判決までに十数年の歳月を要しています。この間に公害被害者の中には喘息によって死亡した人もいます。行政訴訟は勝訴率が低いだけでなく,時間がかかることも訴訟提起を困難にしている要因の一つであることは申すまでもありません。
 したがって,行政事件訴訟法の改革は,もっと多くの行政訴訟が提起されること,そして,より多くの原告勝訴判決が出ることを大きな方向として行われるべきだと考えます。

3 アクセスしやすい訴訟制度に-はがき,ファクスでの訴訟提起

 行政訴訟には,訴えを提起する市民の権利を訴訟を通じて擁護するという側面に加え,訴訟を通じて行政活動の違法をチェックするという役割があると思います(この点,藤田教授も,「司法の行政に対するチェック機能には,本来,国民の権利利益の保護といういわば主観的な要素と,行政活動それ自体の法律適合性(合法性)の確保といういわば客観的な要素との両面がある」と述べられています)。
 このような行政訴訟の意義を考えるならば,行政訴訟は市民にとって充分にアクセスしやすい訴訟制度である必要があると思います。現在はその逆の状態にあるようです。
 アクセスのしやすさは様々な面で配慮されるべきですが,まずは訴訟提起が容易にできることが重要です。山村弁護士が提言されているようにファクスでの訴訟提起が認められるべきでしょうし,はがきや口頭での訴訟提起も認められてよいのではないでしょうか。

4 訴訟手数料の低額・定額化を

 また,行政活動の違法チェックという行政訴訟の役割を考えるならば訴訟へのアクセスが容易であることは重要です。この点から,訴え提起に際しての印紙代を低額・定額化すべきと考えます。

5 弁護士費用の敗訴者負担は導入すべきではない

 行政訴訟には,個人の権利救済という役割と共に,行政活動の違法をチェックするという役割があり,その意味で,行政訴訟の提起はそれ自体一種の公益的性格を帯びているといえます。また,原告である市民と被告である行政庁とは,構造的に対等な当事者とはいえない関係にあります。さらには,現在のあまりに少ない行政訴訟の提起数を見るならば,濫訴の抑制という必要性は,こと行政訴訟については全く存在しないといえます。
 私はこれまでも繰り返し申し上げているとおり,民事訴訟において弁護士費用の一般的敗訴者負担制度を原則的に導入することには強い異論がありますが,そのことを措くとしても,以上のような事情を見るならば,行政訴訟について敗訴者負担制度を導入する基礎を欠いており,導入の理由は全く存在しないと考えます。

6 裁判管轄の問題

 山村弁護士も指摘されたところですが,地方にいる市民が国の行政機関の行為を争う場合に,国の行政機関が東京に存在するからという理由で東京地方裁判所に提訴しなくてはならないという現在の在り方は,国民の裁判を受ける権利を事実上大きく制限するものであるだけでなく,市民と国の行政機関との力関係を考えるならば,およそ常識的ではないと思います。
 原告の住所地において訴えを起こせるよう,早急に改められるべきと考えます。

7 原告適格

 私の所属する主婦連合会が取り組んだ,いわゆるジュース訴訟において,最高裁は,ジュースの消費者について「法律上の利益」を持つものではなく,「反射的な利益ないし事実上の利益」を有するに過ぎないとして,いわば門前払いの判断を下しました(この裁判で争われたのは正確には公正取引委員会への不服申立を行う資格の有無についてですが,最高裁判決は行政事件訴訟法の原告適格と同様の基準として判断しています。)。
 また,たとえば周辺住民の環境悪化を理由に幹線道路の認可取消を求める訴訟は少なくありませんが,認可取消による健康被害の未然防止については,道路が建設されれば現に被害を受けることは確実であるにも関わらず,いまだ実際の被害を受けていないことから,原告適格なしとして却下されるのが現状です。
 このような現在の取扱は,およそ常識的とはいえないだけでなく,行政行為の違法をチェックするという行政訴訟の重要な機能の点から考えるならば,あまりに訴訟の間口を狭めるものと言わざるを得ません。したがって,現在の行政事件訴訟法9条の「法律上の利益を有するもの」を「現実の利益を有するもの」に改めるなどして,その間口が広げられることが必要と考えます。
 また,たとえば,消費者団体が消費者一般の利益のために提訴するなど,消費者団体や環境団体などのうち,一定の条件を備えた団体に原告適格を認めるという団体訴権を,行政訴訟についても認めるべきだと考えます。私は民事訴訟について同様に,団体訴権を認めるべきとの主張をしていますが。行政の違法をチェックするという役割を負った行政訴訟についてもその必要性は大きいと思います。

8 処分性の緩和について

 たとえば,自分の自宅が住居地域から工業地域に変わるといった用途地域の変更計画について訴訟を起こそうとする場合,現在の取扱では,計画段階では処分性がないという理由で門前払い判決を受けてしまうということですが,行政訴訟の間口を非常に狭めてしまうもので妥当ではなく,市民感覚とも齟齬していると思います。
 行政訴訟で争える行政の行為の範囲をもっと拡大して,市民の権利救済が容易に図られるよう工夫をすべきです。

9 訴訟の提起と執行停止について

 たとえば,道路建設を中止させようと行政訴訟を提起しても,訴訟を進めている間に道路が完成してしまっては裁判を起こした意味がありません。現在は執行停止の要件が厳格で,こういった事態がしばしば生じていると聞きます。したがって,訴訟を提起すると原則として処分の執行が停止されるようにして,行政訴訟を提起して権利救済を図ろうとする努力が無意味にならないような工夫がなされるべきと考えます。

10 行政庁の判断が尊重されるという問題について

 私のこれまでの感覚でも,行政訴訟では行政庁の行為は合理的であるというところからスタートしているというイメージが強く,不公平に感じていたのですが,今回の審議の中で,そのことがイメージではなく事実であることが,そのような構造になっている原因とともに,よく分かりました。そして,この点は,やはり改革されるべき重要な点であると考えます。
 一つは,行政事件訴訟法30条の規定で行政庁の裁量処分が取り消せる場合が制限されていることです。
 この点について藤田教授は「紛争の一方当事者であるはずの行政庁に法律上与えられた,様々の法的に優越した地位」の例の一つとして「自由裁量行為についての審査権の限定」を挙げ,「法治主義の論理の下で,何故,このような行政庁の優越的な地位が理論的に認められ得たか?」という疑問を示されました。
 また,園部教授は,「日本における行政に対する司法審査の問題点」という項目のもと,「行政処分が違法であるかどうかは,行政庁の事実認定の是非の判断が根本になければならないが,現行法では,行政庁の裁量に属する処分については,裁量権の濫用があるか又は裁量権の埒外の問題であると判断されない限り,裁量処分の取消ができないことになっている(行政裁量論)」と指摘されました。
 私もまったく同様の印象を持ちます。したがって,この規定を改正し,行政庁が初めから有利な立場に立つという行政訴訟の在り方を改める必要があると思います。たとえば,少なくとも行政庁は自己の行った裁量処分の適法性,妥当性について訴訟の中で合理的な説明を行う義務を負うべきと考えます。
 もう一つの原因は,いわゆる判検交流制度です。前回の審議会でも議論になりましたが,法務省に出向して訟務検事となり,国の代理人として活動した裁判官が,裁判所に戻って行政事件を取り扱うといった運用や,行政官庁に出向した裁判官が裁判所に戻って行政事件の専門部に配置されるといった運用は,それが事実であるとすれば,現在の裁判官制度を前提とする限り,裁判官に「行政庁の判断は基本的に合理的である」という認識を与えてしまう危険性が高いと思います。したがって,このような人事交流の在り方についても実態を明らかにした上で改められるべきと考えます。

11 行政事件への陪審制導入について

 行政訴訟の重要な役割が行政の違法活動をチェックすることにある点を考えるならば,行政事件は国民の司法参加が必要とされる優先度が高い分野であり,陪審制の導入が検討されるべきと考えます。

12 今後の審議と改革の手順について

 冒頭にも述べたとおり,「司法の行政に対するチェック機能」という問題は,「国民の期待に応える民事司法の在り方」というブロックの中の一つの論点という位置づけに留まるべきものではなく,審議会の基本理念に関わる重要な論点であると考えます。その意味では,最終答申まで限られた審議時間であり,他の論点とのバランスもあるとは思いますが,行政事件訴訟法の改革の方向性と基本的改革内容が明確にされるよう,今後の審議において充分な審議時間が確保されるよう求めます。

以 上

添付図[PDF]