司法制度改革審議会
司法制度改革審議会 第43回会議議事概要
- 1 日 時 平成13年1月9日(火) 13:30~17:15
2 場 所 司法制度改革審議会審議室
3 出席者
- (委員、敬称略)
佐藤幸治会長、竹下守夫会長代理、井上正仁、北村敬子、曽野綾子、髙木 剛、鳥居泰彦、中坊公平、藤田耕三、水原敏博、山本 勝、吉岡初子
(説明者)
藤倉皓一郎帝塚山大学法政策学部教授
三谷太一郎成蹊大学法学部教授
松尾浩也東京大学名誉教授
(事務局)
樋渡利秋事務局長
- 4 議 題
- 「国民の司法参加」について
5 会議経過
(1) 「国民の司法参加」について、藤倉教授、三谷教授及び松尾名誉教授からヒアリングを行い(説明資料は別添1、2及び3)、引き続き質疑応答を行った。質疑応答の概要以下のとおり。
- 米国では陪審制の誤審の多さを指摘する調査研究もあるが、どう考えるか。
(回答(藤倉):陪審制の方が誤審が多いか否かは検証不可能で、米国でも議論は決着していない。むしろ結果の納得しやすさから制度を考えていくべきではないか。)
- 米国では裁判官が説示の際に証拠の評価を示す場合もあるとの説明があったが、上訴での破棄理由になるのではないか。
(回答(藤倉):説示の仕方を工夫することにより、評価を伝えることが事実上可能である。)
- 米国では裁判官が陪審の評決と異なる判決を下しうるとの説明があったが、陪審判断の拘束力を否定することに等しく、実際に行われているのか。
(回答(藤倉):陪審の評決が出た後に、事実について争いがないと裁判官が判断できるケースに限られるが、実際にも行われている。)
- 国民は刑事裁判に事案の真相を明らかにすることを求めていると考えるが、陪審制では、証拠の具体的評価等がブラックボックス化するし、事実誤認に対する上訴ができないと人権保障が全うできないのではないか。
(回答(藤倉):「事案の真相」の捉え方の問題である。米国では、当事者が法廷で立証を尽くし、その全貌を陪審員が見て判断することによって、もっともよく真相が現れると考える。判決文に個別証拠の評価を書くからといって、それゆえに国民への説得力が増すとは思われない。米国でも、民事事件において、陪審が適切な判断に至るよう、裁判官が質問項目を設定し、これを記録に残すといった運用もなされており、ブラックボックス化の批判は必ずしも当たらない。)
- 国民参加の必要性として、ハミルトンの「司法の専制支配に対する自由」に言及されたが、我が国で現実にそのようなおそれがあるか。
(回答(三谷):いかなる制度であれ、そうした可能性がないとは言えない。)
- 司法へのシビリアン・コントロールは、陪審制ではなく、参審制や裁判官任用手続への国民参加などでも実現可能ではないか。
(回答(三谷):シビリアン・コントロールは、陪審に限られるものではないが、陪審制は特にそのような意義が強いということである。)
- 米国では陪審員候補者の選定について、選挙人名簿からの無作為抽出に加えて、構成に偏りが生じないような配慮がなされるのか。
(回答(藤倉):米国では選挙人名簿への掲載には本人による登録が必要なため、結果的に人種・職階的な偏りが出る。このため、複数の名簿が組み合わせて用いられる。陪審の構成について人種等を考慮すべきかどうかについては、名簿段階で共同体構成が反映されていれば、最終的に残る陪審員にマイノリティが含まれていなくても違法とはいえないというのが現在の最高裁判例である。)
- 米国では陪審員への人権侵害のおそれに関し、何らかの対応がなされているか。
(回答(藤倉):陪審員が脅迫されるような例も事実としてはあろうが、裁判の公正を害するものとして厳罰が規定されている。また、陪審員が裁判官にそのような事実を伝えた時点で、陪審員解任や手続のやり直しが行われる。)
- 陪審が事実認定をし、上訴はできないというのは一種の割切りであろうが、我が国においてそのような割切りが可能か。
(回答(藤倉):陪審による事実認定で最終決着させることも、制度の考え方としてありうるのではないか。)
- アダム・スミスが指摘した陪審制の経済面での効用は、今日的にはどのような意味があるか。
(回答(三谷):アダム・スミスが、市場経済の担い手は陪審制の担い手たるべきというテーゼを提示したのは、陪審制が規制緩和を進める役割を実際上果たしているとの観察からであった。今日的意味合いとしては、少なくとも、市場自由化の進展に応じた法制度・司法制度の設計の重要性を示唆している。)
- 事実認定と量刑との両方に社会常識を反映することが望ましいとの説明があったが、法の解釈・適用についてはどうか。
(回答(松尾):判例法国の英米では制定法の拘束力が相対的に弱いが、我が国では事情が異なる。評議の場で法の解釈・適用について特に国民の意見を求める必要はないのではないか。)
- 我が国に望ましいと考える国民参加の態様を前提として、事実問題に関する上訴を認めるべきか。
(回答(松尾):現段階で結論を示すことは難しい。)
- 陪審制を国民は望んでいないという意見についてどう考えるか。
(回答(三谷):陪審制についての知識や関心が国民一般にどれほど高まっているかについては疑問もあるが、政治学者としては、陪審制は、司法制度の問題にとどまらず、政治制度としても重要と考える。司法参加などの司法制度改革は、我が国のデモクラシーの質の向上にも関わる問題であり、選挙制度改革にもまして日本の政治の将来に重要な関連を有する。)
- 陪審員の数や評決の全員一致の必要性についてはどうか。
(回答(藤倉):米国では12人という人数に特別の意義を見出すか否かについて、見解が分かれている。連邦最高裁は、6人にまで減らした州や、全員一致を緩和した州も合憲と判断した。事件によって人数を減らす州、全員一致を原則としつつも場合分けして規定していく州もある。陪審の「評議」の側面と「代表」の側面のどちらを重視するかによっても違いが出る。)
- 米国では陪審員の選定、弁護士の巧拙で結果が左右され、陪審コンサルタントが繁盛していると聞くが、どう考えるか。
(回答(藤倉):米国では陪審制に加えてクラスアクションと懲罰的損害賠償制度が存在するため、弁護士に企業相手の訴訟を起こそうとする収入面での誘因が強く、訴訟の産業化の弊害が出ていることは事実である。陪審コンサルタントは訴訟の産業化の典型的表れである。しかし、弊害については、判例がクラスの認定を厳しくしたり、立法で懲罰賠償の上限を定めるところもあるなど一定の対応もされつつある。一方、産業化された事件ではなく、普通の市民に関わる事件も多くある。陪審制についてバランスを欠いた理解は不適切である。)
- イギリスでは、陪審の対象を縮小したり、民事陪審を廃止したと聞くが、イギリスの陪審の評価はどうか。
(回答(三谷):ウォーラスは英・米の陪審制を区別して論じた上で、イギリスの方が優れているとした。制度の詳細は承知していない。)
- 起訴の判断をラフにして有罪率を下げることは、我が国刑事裁判の実情に照らして適当か。
(回答(松尾):我が国の起訴基準は、証拠が十分にあるか否かに加えて、起訴すべき事件か否かについても裁量がある点でドイツと異なる。検察官が全責任を負うような構造であるため、結果的に捜査は濃密となり、無罪率は下がる。起訴基準を緩める場合には、無罪となる被告人に大きな犠牲を強いることとなる点に留意すべきである。我が国では、無罪となれば弁護士が起訴の杜撰さを批判するのが常であり、検察官には、米国のように勝った弁護士におめでとうと言うような余裕はない。私が知る外国人の評価では、「日本はユニーク」だとしつつ、「効率的でよい」とする意見と「それでは裁判とはいえない」とする意見の2通りあった。)
- 当審議会は、法が社会の血肉化となり、統治客体意識から脱却することの重要性を出発点としており、司法参加の問題は政治改革というより司法制度改革として論ずべきと考えるがどうか。
(回答(三谷):全くそのとおりで、法の正義がいかに実現されるかが、その国の政治文化の高さを表す。法の実現に私人が役割を果たすことが重要である。このことは司法制度の問題にとどまらず、政治の質の問題でもある。)
- 陪審・参審併用論に言及されたが、どのような趣旨か。
(回答(三谷):仮に参審制を採用するとしても、陪審制を切り捨てることは望ましくないという趣旨である。)
(2) 「国民の司法参加」については、本日のヒアリング・質疑応答等を踏まえ、次々回の1月30日の審議会で引き続き審議を行うこととされた。
(3) 次回は、1月23日(火)午後1時30分から開催し、「弁護士の在り方」について、日弁連などからヒアリングを行った上で、次回23日と2月2日の2回に分けて、中間報告を踏まえた今後の改革の具体的な方向性についての審議を行うこととされた。
以 上
(文責 司法制度改革審議会事務局)
- 速報のため、事後修正の可能性あり -
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