司法制度改革審議会

第47回司法制度改革審議会議事録



日 時:平成13年2月13日(火) 13:30~17:15

場 所:司法制度改革審議会審議室

出席者(委 員)

佐藤幸治会長、竹下守夫会長代理、髙木剛、鳥居泰彦、中坊公平、藤田耕三、水原敏博、山本 勝、吉岡初子

(事務局)

樋渡利秋事務局長
  1. 開 会
  2. 「民事訴訟の利用者に対するアンケート調査」について
  3. 「裁判官制度の改革」について
  4. 審議日程について
  5. 閉 会

【佐藤会長】それでは、ただいまから第47回会議を開会いたします。
 本日は、最初に「民事裁判の利用者に関するアンケート調査」について、御協力をお願いしていました千葉大学の菅原教授から、最終報告の御説明をお聴きしたいと思います。その後、「裁判官制度の改革」について意見交換を行いまして、最後に、3月以降の日程について皆様にお諮りしたいと考えております。

【佐藤会長】それでは、早速、菅原教授から「民事裁判の利用者に対するアンケート調査」について、御報告をお聴きしたいと存じます。
 本日は、菅原教授のほかに、今回の調査に菅原教授とともに御協力いただいた、大渕東北大学大学院教授、勅使川原早稲田大学助教授にもお越しいただいています。3人の先生方には、大部の報告書をおまとめいただき、また本日お忙しいところをお越しいただき大変恐縮でございます。ありがとうございます。
 最初に菅原教授から20分程度御報告をお聴きし、その後若干の時間を取って質疑応答を行いたいと考えております。それでは、菅原教授よろしくお願いいたします。

【菅原氏】菅原でございます。よろしくお願いいたします。今日は、私の方から概略を最初にお話し申し上げ、それから御協力いただいた大渕先生、勅使川原先生から補足していただくという形にしたいと思います。大部な報告書をまとめましたが、本日は時間が短いので、簡略な形で報告させていただきます。
 報告に先立ちまして、少し時間をお借りしまして、調査を企画、実施した者として、この調査に当たり、最高裁判所から多大なる御協力をいただいたこと、予備調査の実施等に関し、弁護士会から協力者を御紹介いただくなどの御協力をいただいたことについて、この場で深く御礼申し上げます。
 それでは、調査の概要報告の方に入らせていただきます。調査報告書は総数で、資料も併せて600ページ弱の分量になっております。説明しますと数週間掛かるのではないかと思いますが、それを20分程度ということで、かいつまんで申し上げます。
 本日は主に3点についてお話し申し上げます。第1に、利用者がどのようなことを訴訟に求めていたのかがこの調査でどのように示されたかという点を御紹介します。第2に、利用者が実際に制度を利用してみて、訴訟制度に一体どういう感想を持ち、評価をしたかという点について御説明します。最後に、今回このような調査を行ったことの意義について、私どもの見解を若干付け加えさせていただきたいと思っております。
 以下こちらのスクリーンに資料を投射することにいたしますが、実際ここで用いる資料の大半は、お手元の報告書にございます。遠方の方は、見づらいこともあろうかと思いますが、これはすべてお手元の表の方に入っておりますので、そちらの方を御覧になってください。違う点は色が付いていることだけです。
 それでは、まず最初に利用者が一体どういうものを求めて訴訟に至っているのかという点ですが、これは利用者といっても、原告と被告でかなり違いがあることが予想されました。したがって、原告と被告に分けていろいろなことを訊いてみました。質問項目は、十数項目にわたっていますが、「権利の実現」から、あるいは単に「相手を懲らしめる」といった感情的なものも含めて、多面的に聴いております。
 その結果、原告については、最も多くの人が答えたのは、「公正な解決」を求めるという点でした。訴訟ですから「権利の実現」、特に経済的な利益の実現に関しても、多くの人がそれが目的だったと答えているわけですが、注目すべき点は、そういった単純な利益の追求以上に、「公正な解決」を求めると答えた人の方が多かった点であります。
 被告の方にも同じように聴いてみました。立場が違いますので、原告にしか訊けなかったこともありますが、大体重なるような形で訊いてみたところ、自分の権利を守るといった事柄も多かったのですが、それ以上に、被告の場合も訴訟では「公正な解決」を求めるといった回答者の方が多くなっております。
 これは手元の資料にないものですが、原告、被告ともに上位5項目をまとめたものです。そうしますと、原告、被告ともに「公正な解決」を期待するというのが第1位と多かったわけであります。原告の場合には、「他に手段がなかった」という回答も88%に及んでいます。次にくるのが「権利の実現」、「経済的な利益を守る」。そして5番目が、81%ですが、「白黒をはっきりつける」ということです。
 被告の方はといいますと、やはり同様に「公正な解決」を期待する。それから「白黒をはっきりつける」という点です。次に「経済的な利益を守る」、「権利の実現」です。被告の場合は、少し立場が違うところとしまして、5番目に「自分の名誉・自尊心を守る」という回答が出てきています。
 若干の違いがありますが、やってみて分かったことは、原告、被告の立場の違いはあれ、ともに「公正な解決」を求めているということです。そしてその点は、自己の利害以上に重要なものとして位置づけられている可能性があるということです。
 こうした点に加えて、これは原告だけに関してですが、訴訟に至った理由として、「他に手段がない」、あるいは「相手方が交渉を拒絶した」、それから「裁判の持つ強制力に期待する」といった回答もかなりの割合を占めています。これは、かねてから言われている民事訴訟の「紛争解決の最終性」、強制力を用いた紛争解決手段としての最終性といった点が、利用者調査の中でもはっきり表れているということになろうかと思います。
 こうした点は、もう一つ別の角度からも見ることができます。これは、紛争発生時点から訴えが終局するまでに関して、その日数を答えていただいて、その平均を取ったものです。これに関しては、法人と自然人で結構違いがありますし、原告と被告でも少し違いがありますが、こちらに示しましたのは全体のものです。詳しくは、報告書の数字を御覧いただきたいのですが、全体では訴訟に至るまでに883.3日も掛かっていまして、その後訴訟に至って終了するまでは258.2日です。この数値は、実際には少し不正確なところがありまして、質問の方では月単位で聞いている関係上、日付けで出すのは必ずしも正確ではないのですが、最初の一月は15日と換算して計算したものです。
 これによれば、紛争の実際から訴訟に至るまで、そして終了するまでの過程を見ますと、訴訟の部分の方が、実は全体の3分の1ないし4分の1程度に過ぎないのであって、それ以前の方がはるかに長い。もめごとが起こったから、すぐに訴訟が利用されているわけではなくて、訴訟に至るまでかなり間が開いている。その間に、どういったことがあるのかということをよく考えてみなくてはならない、ということがわかります。我々の解釈では、かなりその間にも努力がなされていて、その結果最終的なものとして訴訟が登場してくるということではないかと考えております。
 最終的に、公正を期して裁判に至るわけですが、それを使った結果の評価についてが次であります。これは、訴訟制度の幾つかの側面について訊いているわけですが、「紛争解決の機能を十分に果たしていたか」、「制度は公正であったか」、「用いられた法律が公正であったか」、「用いられた法律は現状に一致していたか」、「訴訟制度は利用しやすかったか」、「訴訟制度を使ってみての満足度」といった点。さらに、「再利用意欲」というのは、もう一回同じような状況でも訴訟を利用するか、「推奨意思」というのは、同じような状況にあった他の人にも訴訟の利用を勧めるかというのを訊いたものです。
 特に注目したいのは、利用しやすかったのかという点と、終わっての満足度の点です。同じ表は、報告書の方にもあるので、そちらも御覧いただきたいのですが、結果として、訴訟制度に満足しているかという問いに対して、「満足している」、あるいは「やや満足している」という答えをした回答者は、残念ながら18.6%にとどまっていました。むしろ「やや不満足」、「不満足」と答えた回答者が50.6%で、半数を越える状況にあります。更に利用しやすさについても同じような状況があり、「利用しやすい」と答えた者は22.4%、「利用しにくい」という旨の回答は56.6%に及んでおります。
 全体として、決して高い評価とは言えなかったわけですが、更にこの点を地裁の規模別にまとめたものが次であります。地裁の規模別で、これもグラフは報告書の中にはなく、表はあります。見にくいかもしれませんが、一番上が、超大規模の地裁で、東京地裁と大阪地裁であります。その下が、大規模地裁。一番下が、中・小規模地裁です。そうしますと、先ほど18.6%であった「満足」のパーセンテージが、大規模地裁にいくと更に16.1%に落ちるという結果になっております。このように、評価には、若干地域差もありまして、その点は十分に留意しなくてはならないと考えております。時折、2割司法と言われるわけですが、満足度に関しては2割以下に落ちているというのが現状でございます。
 では、なぜこんなに評価が低いのかという点ですが、一つの考え方としまして、やはり負けた人間はどうしても裁判制度に不満を持ちがちであるということが考えられます。少なくともそういう意味では半分は負けるわけですから、半分が不満だったのは当然だということになるのですが、しかし詳しく見てみますと、やや状況は複雑だということが分かります。
 グラフ自体はここにしかありませんが、表は報告書の方にあります。これを見ますと、有利な結果に終わった人でも、満足していないという人が36.5%、逆に不利な結果に終わった者でも、制度に対する評価は満足しているというふうに答える者が9.1 %あるわけです。ですから、大きく見れば確かに勝ち負けに影響は受けていますが、勝ち負け以外の評価でもって裁判制度の満足度が規定されている可能性が示されているわけであります。
 この点について、更に高度な分析、重回帰分析というものをやりまして、回答がどの程度お互いに関連性、相関を持っているのかということを調べたものが次の図です。そうしますと、「制度への満足度」というのは、統計的に見れば実は「結果の有利・不利」からは影響を受けておりませんで、むしろ非常に複雑な評価構造になっています。満足度に一番大きな影響力を持つのは、「審理の適切さ」、これは実はいろいろな概念を平均でまとめたものですので、質問要旨の中には直接出て来ませんが、詳しくは報告書の方を見ていただきたいと思いますが、そこからの影響が一番強く、それが「制度全体の適正さ」という概念を経て「制度の満足度」に至っております。次に強い影響力を持っているのは、「裁判官に対する満足度」でした。
 多く議論されている「訴訟の費用」及び「審理期間の長さ」という2点は、訴訟費用が安いことについては満足度に影響はしていたんですが、審理期間の方は実際には直接影響力を持っていなかったことも明らかになりました。
 先ほど、一番影響力が強かった「審理の適切さ」の概念ですが、これをもう一段下がって見てみますと、一番それに対して影響力を持っていたのは、「裁判官の公正さ」の評価でした。つまるところ、制度評価というのは、多くは裁判官の評価に依存しているということが明らかになったわけであります。
 ここではお示ししませんが、同様の評価構造は、弁護士の評価、あるいは審理過程の評価、裁判官自身の評価にも当てはまりまして、決して負けた勝ったという事柄だけではなしに、こうした評価が形成されていることが示されています。詳しくは、報告書を御覧いただきたいのですが、特に簡略なものとしては、調査の概略の中の一番最後にまとめの部分があり、そこに要点をまとめてありますので、御覧いただければと思います。
 次に議論の多いところであります、裁判の長さと裁判費用についての評価を取りまとめてみました。裁判の審理に掛かった期間に対しましては、「どちらとも言えない」というのが27.6%ありますが、一番多かったのは「合理的な範囲」だという28.4%です。そこそこの評価を得ているとも言えますが、この「どちらとも言えない」というのを除き、「長過ぎる」、「やや長い」というのと、「合理的な範囲」を比較しますと、やはり少しながら長過ぎるという評価が多くなっており、その点はやはり注意しなくてはならないところかと思います。裁判費用の方は、これは圧倒的に「どちらとも言えない」という人が多く、恐らく明確な判断基準を持ちえなかったのではないかと思いますが、59.7%に及んでいます。ただ、「やや安い」とか「非常に安い」という人は、足しても10%に満たず、非常に少ない割合でして、やはり「非常に高い」とか「やや高い」という人の方が多かったという状況です。
 もう一つ発見した点を申し上げますと、訴訟過程の評価が結果の評価にかなり影響を及ぼしているのではないかという点が示されております。これもまとめのところにありますが、回答者を「有利な結果」、「不利な結果」、それから「どちらでもない」という人の3グループに分け、更にその3グループそれぞれを訴訟過程が「適切だった」と評価したものと、「不適切だった」と評価したものに分けて集計したものであります。そうしますと、有利な結果を得た人の評価というのは、手続が適切であろうと不適切であろうと余り変わらないのです。ところが、不利な結果を得た人に関しては、手続の方が適切であれば、結果の公正の評価が幾分上がっている、あるいは落ちるところまでは落ちないと言った方が正確かもしれませんが、少し底上げになっているといったことが生じています。こうした現象は、公正さの評価以外にも生じていまして、結果を固定した場合にも、なお手続を改善することによって、結果の評価を上げることができるということを意味しているかと思います。
 最後に、以上の結果からどういったことが言えるのかについて、簡単に我々の見解を示しますと、やはり満足度あるいは利用しやすさに対する評価が低いといった点から、「改善の余地なし」とする状態ではなく、「相当程度の改善の必要性」が示されたのではないかと考えております。
 それから、その改善に当たっては、やはり負けた人間はどうせ不満を持つのだから、当事者の意見などは聴かずに考えた方がいいということは必ずしも言えない。利用者の側には、結果に左右されずに制度を見る目というものが存在する可能性が示されたわけですから、利用者の意見を端的にとらえ、制度改革に活かしていくという方向性がここで示されたのではないかと思っております。
 我々が今回行った調査は、初めての試みでしたので、かなり一般的なものとして行いました。訴訟制度全般を見るということを行ったわけですが、例えて言えばこれは人間ドックの一般検査であります。そこでいろいろ問題の可能性が出てきたわけですから、今後はこうした人間ドックあるいは制度ドックと申しますか、そういった一般検査の成果を踏まえて個別に問題点を絞った精密検査を行い、制度改善に努めていく必要があるのではないかと感じた次第でございます。大まかなところは以上です。どうぞ、補足をお願いいたします。

【大渕氏】大渕でございます。最初に菅原先生もおっしゃいましたが、こうした調査は日本では初めてと伺っております。私ども文献では、海外のこうした訴訟経験者についての調査結果を見ることがありましたが、日本でこうした大規模な調査が行われ、それに参画できたことを非常に光栄に思っております。そしてまた、それによって私自身も随分多くのものを学んだような気がいたします。
 菅原先生の御報告について、若干補足をさせていただきますと、まず今回の調査では主に2つの観点について調べてみたいと思っておりました。
 1つは、訴訟の利用者が自分が実際に経験した特定の裁判・訴訟についてどんな評価を持ったかということ、自分が経験した裁判が公平であったかどうかということ、またそれはどうしてなのかという個別の裁判についての評価です。
 もう1つは、一般的に日本の裁判制度についてどんな評価を持ったか。すなわち個別事例的な評価と、一般的な制度評価の2つでございます。
 これらを調べるに当たり、出発点としたのは、素朴な仮説としまして、「結果次第仮説」とでも言うべきものがあり、要するに勝った者は裁判はよかった、制度もよかったと判断するし、負けた者は不当だというように、結果次第でその評価は特定事例についても一般制度についても概ね左右されるという、仮説があるように思われました。そこで、これを中心にして、これがどの程度実際の人々の判断や評価の中で重要な地位を占めているのかを調べてみたわけですが、結果から申しますと、特定事例についての評価については、この素朴な「結果次第仮説」は半分程度妥当であると言えると思います。半分程度妥当ということは、全てではないということで、勝ち負け以外の要因も自分の受けた裁判についての評価に影響を与えているけれども、半分くらいはやはり勝敗というものが影響力を持っているということです。
 しかし、一般的な制度評価については、この「結果次第仮説」はほとんど妥当しないということでして、菅原先生の御報告にありましたように、自分の受けた裁判の結果、勝ったか負けたかということは、裁判制度の評価には直接にはほとんど影響を与えていないということがわかりました。
 それでは、結果次第でないとすれば一体何なのかということですが、これについては利用者の方々が、訴訟経験の中で経験したさまざまな要素、まとめて言いますとそれは審理過程における手続と、裁判官や弁護士といった法律家の方々の言動であったと思われます。そして、個別に調べてまいりますと、その中でも特に裁判官の方の言動が最も大きな、勝ち負け以外の要素としてクローズアップされてきたというのが、今回の結果からわかってまいりました。
 こうして見ますと、こうした人々の裁判及び制度に対する評価というのは、極めて多面的であるということがわかります。多分、こうした審議会でもある結論を得るまでには、さまざまなことを勘案して結論を下すものと思われますが、一般の人々が自分の経験に基づいてある判断をなさる場合も同じように、たった一つのことを論拠に判断するのではなくて、複合的に判断している。そして、確かに結果もそのうちの一つではあるけれども、その比重はある場合には大きくなるけれども、ある場合には極めて小さくなるということであったかと思われます。
 もう一つ関連してですが、今回こうした調査の中で、実際の利用者の生の声も、不完全ではございましたが、自由記述という形で聴いておりまして、これが報告書の中にも後の部分に登場してまいります。そういうものを読んでいきますと、やはりこの統計的な資料とは別に、裁判の中でわかりにくかった、専門用語がよくわからなかったという発言がたくさん出ております。
 このような、専門的でわかりにくいというのは、一昔前であれば、それは専門家の方がやることだからということで、そのまま受け容れていたかと思いますけれども、現代の、特に多くの人が大学を卒業するような、高度に教育水準の高い日本においては、わからないということは要するに、向こうが悪いのではないのかといった気持ちをお抱きになったような印象を強く感じております。つまり、わかりやすいということは、サービスというより、当然そうあってしかるべきではないかというようなことを、多くの利用者の方が感じたということを、自由記述の回答の中から感じたということでございます。以上です。

【勅使川原助教授】勅使川原でございます。2点ほど申し上げます。今日の報告で触れられなかった事項ですが、訴訟へのアクセスがどのような状態であったかということも、我々の調査の中に入っております。一般に日本人は「訴訟嫌い」と言われ、文化的な要因があるのではないかと言われるわけですが、実際に訴訟を行った当事者に対する調査の枠内ではありますが、そこでは文化的要因とばかりは決め付けられず、費用と時間も大きな問題として浮かび上がってまいりました。
 先ほど、菅原先生の方から報告がありましたように、満足度に関していえば、費用と時間の問題は、さしたる規定要因とはなっていなかったようですが、そこから推測できるのは、訴訟にアクセスする段階では、費用と時間の障壁は非常に高いが、そこを乗り越えてしまった人だけが訴訟をやった。要するに、下世話な言葉で言えば、金と暇のある人間だけが訴訟をやっているという可能性もありうるということであります。
 それからもう一つは、司法へのアクセスに関するより身近な問題として、弁護士へのアクセスという問題があります。今回の調査の範囲内ですと、ほとんどの場合に弁護士が付いており、弁護士への委任率は非常に高い数字が出ています。これは、弁護士が身近にいる存在であった当事者だけが、訴訟を実際にやっている可能性もありうるという点を、補足的に付け加えさせていただきます。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。大変興味深い結果であり、御苦労のほど心から御礼申し上げます。
 ただいまの3人の先生方の御報告について、せっかくの機会ですので御質問いただければと思います。

【鳥居委員】極めてテクニカルなことなんですが、20ページと24ページの図に付けてある数字ですが、これは相関係数ですか。

【大渕教授】これは「偏回帰係数」といって、影響力の強さを表わす指標です。正確な用語としては、「標準偏回帰係数」です。ゼロから1の間、マイナスもありますが、それが影響力の強さを示します。プラスの場合には進め、マイナスの場合には抑えるという働きをする、その強さを表わすものでございます。

【鳥居委員】わかりました。「偏」というのは、「他の変数を一定とした場合の」という意味です。標準回帰係数は、今おっしゃったとおり1とゼロの間で動きます。

【大渕教授】これは相関係数ではなく、変化比係数ですので、影響力の大きさを表します。

【鳥居委員】そうすると、この0.407 をそのまま読んだ方がよいのですか。

【大渕教授】そうですね。そのまま比較していただいて結構です。ただ、20ページの図で言えば、右端の方に0.398 というのがありますが、これは今回の分析では説明できない部分の割合を示しています。ですから、今回の分析では、全体すなわち裁判官に対する満足度の6割程度は説明できたと、そのうち「裁判官の公平性」が4割程度と見ていただければと思います。

【鳥居委員】標準とおっしゃったのは、右側の0.23に、0.407 、0.188 、0.085 を合計すると、だいたい1になるという意味でしょうか。

【大渕教授】そのとおりです。

【佐藤会長】藤田委員どうぞ。

【藤田委員】今のところですが、本文の77ページ以下に、標準偏回帰係数の分析による説明がありますが、結論的に言いますと、79ページ中ほどに、裁判官に対する満足度は、結果の有利さと裁判官に対する諸評価の両方から、ほぼ同程度に影響を受けたと結論することができるとされております。

【大渕教授】そのとおりです。

【藤田委員】それによれば、r=.579の相関があるということですが、この二乗がベータになるのでしょうか。

【大渕教授】そうではありません。

【藤田委員】ベータとアールとの関係がちょっとわからないんですが。

【大渕教授】統計的には直接関係ございません。相関というのは2つのものだけの関係を示していますが、偏回帰係数はたくさんの変数を並べたときの相対的な関係ですので、相関とベータというのは直接関係はないと思われます。何を並べるかでベータの値は変わってきますが、相関は1対1の関係ですから、これは固定されております。

【藤田委員】そうすると、この偏回帰係数でいうと、.414と.498でほぼ同じ程度という結論が出てきたということでしょうか。

【大渕教授】そうですね。この場合は、「結果の有利さ」すなわち勝ち負けが結局どのくらいの影響力を持っていたかを推定したもので、20ページの図の分析では、「結果の有利さ」の影響力が.232で、「裁判官の公平性」は.407ということですので、これだけ比較しますと裁判官の言動が大きな影響力を持ったということになります。ただ分析していきますと、「結果の有利さ」が「裁判官の公平性」にも影響を与えており、その要因を除いて分析してみますと、大体同じくらいの影響力であったという結果が、後の方の細かい分析の箇所で出てまいります。

【藤田委員】わかりました。

【山本委員】日本では初めてだが、諸外国ではやっているとおっしゃいましたが、諸外国の例と今回日本でやった調査で、特に何か違ったところがございますか。

【菅原教授】手元に資料がないので不正確なお答えしかできないのですが、調査の多くはアメリカで行われておりまして、一番最近の調査で大規模なものは、1990年の司法改革法に基づく調査ではないかと思います。今回と同様の調査ではありましたが、残念ながらその調査では、当事者に対する意見聴取の部分は、回収率が悪くて分析されておりませんので、それとは直接比較はできないのですが、アメリカではADRの改革が70年代から80年代辺りにかけて非常に盛んになりまして、州などで新しいADRを導入するに当たり、いろいろな実験的な試みをし、それをこうした調査で計測するということが多くなされております。それらの結果と比較いたしますと、例えば先ほど御説明申し上げました、「結果に左右されない」、あるいは「過程の評価が重要だ」という点は非常に共通しております。また、時間の点は、予想されたほど影響力を与えていなかったといった点も共通しております。相違点に関しては、今お答えできるだけの記憶を持っておりませんが、大体そのようなところです。

【佐藤会長】竹下代理どうぞ。

【竹下会長代理】訴訟へのアクセスという点では費用と時間がやはり大きなファクターであった可能性があるが、満足度の方から言うとそれほどでもないという御説明がありました。両方を総合するとどのように考えたらよいのでしょうか。

【菅原教授】非常に難しい問題ですが、アクセスの場面ではやはり費用と時間というのは非常に大きい問題だと思いますが、現状では、その問題が大きい分だけ、それでも訴訟を起こした人は、その問題を乗り越えた人ではないかと思うのです。その人に対してもアクセス場面での配慮と同じような発想しか持たないということであれば、せっかく覚悟して入って来たのに、もうあきらめたことについて大いに配慮するということになって、ちょっとフラストレーションがたまるということになるのではないかと思います。
 たとえとして余り適切ではないかもしれないんですけれども、遊園地に行って並んだことがあります。その遊園地に入るために、長い列をつくって並んだわけなんですが、長い列をつくるのは嫌なほかの人はそもそも並ばないわけです。とはいえ、並んで入ったところ、「次の人がいますから急いでください」とせかされたという経験もありまして、現状の訴訟で同じことをしてはいないかという問題もあるかも知れません。やはり、覚悟して入って来た人には、それなりの視点でもって配慮する必要がある。と同時に、入口の問題としても、できるだけバーを下げるという、同時並行の努力が必要ではないかと思っております。

【竹下会長代理】今回の調査は、実際に訴訟をなさった方のみが対象ですね。だから、そういう意味では、そのアクセスの障害を乗り越えた人なのですが、勅使川原先生がやはりアクセスの段階では費用と時間の問題は重要だというのは、どこから来るのでしょうか。

【勅使川原助教授】その点の記述は、前半の方の13、14ページ辺りにあります。
 なお、時間の長さを訊いた場合に、時間というものに2つの意味があると思われます。1つは、審理が行われている実際の時間です。もう1つは、審理と審理の間の期間です。報告書に載っていますが、全般的に、審理と審理の間の期間が長過ぎるという答えが非常に多いのです。だから、期間が長くてやっている時間が少しということになりますと、それに対しての不満が生じてくるように思われます。ただ、全般として見ますと、この時間と期間がどういう関係にあり、どちらを長いと言っているのか、この調査ではわかりかねるところでございます。

【鳥居委員】読み方の問題で、テクニカルなことで恐縮ですが、15ページの横棒のグラフには何も書いていないのですが、どう読めばよろしいのでしょうか。一番上に、59.5%、16.7%、23.8%という棒がありますが、これは何でしょうか。

【菅原教授】これは右側の項目名が印刷段階で落ちてしまったのですね。これに対応する表の方には項目が出ております。急いで作成した関係で、言い訳にはなりませんが、コンピュータ上の作業でグラフを多く読み込む場合に、こうした現象が起きてしまいます。申し訳ございません。

【鳥居委員】それから、例えば19ページで、「中立性」というところの読み方ですが、中立だとは思わないという人が26%と、これはよくわかるんです。それから、31.1%が「傾聴」してくれなかったと言っているわけですね。下の方にきて、よくわからないのは、例えば「法律外知識」というところで、26.2%の人は何だと言っているんでしょうか。

【菅原教授】これは、質問をグラフの方に載せることができなかったので、こういう表現になってしまったのですが、実際の質問肢が「資料編」の最後に付いていると思いますが、「法律外の知識を十分有していたか」という質問に対して、「そう思う」、「そう思わない」ということになっております。

【鳥居委員】概して白は、ネガティブな回答ですか。

【菅原教授】白がネガティブ、黒が肯定的な回答になっております。

【中坊委員】この表で、非常に総括的なことですけれども、30ページのまとめのところで、最終的にお書きいただいているように、今回のこのアンケート調査によって、裁判制度に対しての満足度というのが18.6%と非常に低いということであって、訴訟に関与している者で見ると、裁判所職員と弁護士に対しては大方の利用者が満足していたが、裁判官に対しては必ずしもそうではない。満足と不満足が拮抗していたと、そう書かれていて、それには結果の有利・不利も影響しているけれども、しかし結果のみではなく、裁判官が中立的でよく話を聴き、信頼に値する人物と感じられたか否かの観点からも形成されていることが示されたと結論付けられているのですけれども、裁判官に対する評価が結果だけではなしに、ここに書かれているように中立的でよく話を聴くか。これはどこからこういう結論が出てきたのでしょうか。

【菅原教授】それは、裁判官自体に対する評価が数ページ前にありまして、そこでの取りまとめということになっておりますが。

【大渕教授】先ほど統計の数字で説明申し上げた、20ページの上のグラフが一番集約的だと思います。

【中坊委員】そうすると、先ほど言われた「裁判官の公平性」の有無というのが一番影響が大きいと、そういうところからこれが導き出されるということですか。

【菅原教授】はい、そういうことです。裁判官自体の評価は18ページ以降に書いておりまして、これを受けてのまとめということになります。

【中坊委員】わかりました。

【藤田委員】今の関連でよろしいでしょうか。

【佐藤会長】どうぞ。

【藤田委員】裁判官が中立であったかどうかというのは、資料の方の130 ページの「表2-6-1」というのを見ますと、「中立的であった」、「少し・強くそう思う」というのが59.3%になっていますね。

【菅原教授】はい、中立性は比較的高い評価を得ているということです。

【藤田委員】「言い分を聞いてくれた」が55.1%、「信頼できた」も同じ。ただ、「法律以外の知識」の点と「十分な準備をしていた」かどうかが低い評価ということですが、今の裁判官評価が、制度に対する評価に大きく影響しているとの御説明でしたが、それは裁判官に対するマイナス評価が大きく影響しているという趣旨ですと、この数値を見ると評価自体はかなり高そうに思うのですが、その辺りはどういう関係にあるのでしょうか。

【菅原教授】その点は、我々もわからないところでして、今回は評価の全体構造を見るための調査をしたのですが、最初から悪いことを前提に、原因を探ろうという調査はしておりませんので、この関係に関しては、もう少し継続して調べないとわからないということになります。現時点で言えるのは、積極的に評価が低い原因は何かという形で分析をしておりませんので、その点は明言できないということになります。

【藤田委員】今までの各種の新聞社や改革協などでおやりになったアンケート調査によりますと、先ほども話に出てきましたけれども、費用と時間の関係が一番改善を要求する点で顕著に出てきています。先ほどの勅使川原先生の話によると、乗り越えられなかった人もやはり調べないと、制度評価はできないということだろうと思うのですが、菅原先生が継続して精密調査が必要だとおっしゃいましたのは、更に各論的な調査も必要なのでしょうが、別の人を対象にした調査も必要だというふうにお考えなのでしょうか。

【菅原教授】できればそのようにすべきだと思います。特にアクセスの問題を正確に把握するためには、両方同じような調査をしてみるということも必要かと思います。
 実は、当初それをやることも検討しないではなかったのですが、時間的な、あるいは予算の問題もあります。と同時に、今回我々が実際の利用者に力点を置いたのは、一般調査の方はこれまで少しはやられておりますので、これも使い、更に改革協のデータとか、いろいろな新聞社のデータなどを使いながら検討を進めていくことは、なお可能であろうということで、こちらの方に重点を置いたものです。

【佐藤会長】予定時間も超過しましたので、この辺で打ち切らせていただきたいと思います。委員の皆様には質問がまだございましょうが、もしあれば文書で出していただき、それについて更にお答えいただくなどして、民事司法の審議に活かしたいと思います。これからも引き続き御協力よろしくお願いいたします。
 本日は、どうもありがとうございました。

(菅原教授、大渕教授、勅使川原助教授退室)

【佐藤会長】それでは、次の議題に移りたいと思います。「裁判官制度の改革」についてですが、事務局の方で本日の意見交換のために、改めて諸外国の裁判官制度について資料を作成していただきました。お手元にお配りしております。その資料につきまして、事務局長から説明をお願いいたします。

【事務局長】それでは、大きな紙で3枚つづりの「米・英・独・仏における裁判官の任命制度及び人事評価制度の概要」という資料を作成いたしましたので、若干説明させていただきます。
 この資料は、会長の御指示によりまして、裁判官の任命手続や人事制度の見直しなどの議論の参考となりますように、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスにおける裁判官の任命制度及び人事評価制度の概要を、対比しやすいように、一覧表にまとめたものです。
 もとより、各国の制度は、それぞれの歴史的、社会的背景があり、この一覧表を一見していただいてもお判りのとおり複雑でありますから、このような形でこれを詳細かつ正確にまとめることは極めて困難でありました。そこで、本資料は各国の制度を詳細に紹介するということを目的としたものではなく、我が国の制度の改革のヒントとして利用していただくために、中間報告に掲げられている検討事項に焦点を絞り、各国の制度を簡潔に記述したものであるということを御理解いただければと思います。
 それでは、まず裁判官の任命制度の1枚目の表につきまして、各国の制度を縦に概観してみたいと思います。
 アメリカにつきましては、連邦と州の裁判官とでは、任命手続も異なっております。まず、連邦の裁判官でありますが、州選出上院議員の推薦に始まりまして、司法省、ABA・FBIによる調査・評価を経まして、最終的に大統領が任命するということになっております。ABAの調査・評価についてでありますが、ABAの本部はシカゴにありまして、このABAの中に連邦裁判官常任委員会というものが設けられております。この常任委員会の委員の選任の仕方ですが、まずアメリカの連邦では、94のディストリクト・コート、いわゆる地方裁判所がありまして、それを管轄しますコート・オブ・アピール、日本で言えば高等裁判所になるかと思いますが、それは全米が12のサーキット、巡回地区に分かれており、その12の巡回地区ごとにあるわけであります。
 このABAの連邦裁判官常任委員会の委員は、この各巡回地区から1名ないし2名の者が選ばれており、合計15名の委員で構成されているということであります。この委員は、すべて法律家であります。この常任委員会が、各地の弁護士会等の協力を得ながら、調査・評価をするということであります。
 次が、州の裁判官でありますが、これは知事または議会が任命する場合と、選挙制度があります。選挙制度を措きまして、知事の任命する場合にも2つございます。始めからすべて知事が任命する場合と、選挙制度をとる場合に、欠員を補充する際に知事が任命するという制度がありますが、そのいずれについても知事が任命する場合には、裁判官指名委員会による募集、その委員会による調査、指名名簿の提出によりまして、知事が任命するというふうになっております。
 この場合の、裁判官指名委員会ですが、多くは弁護士と非法律家が同数名、裁判官1名という構成であります。この委員会の委員は、知事が任命するのでありまして、知事がそのアカウンタビリティーを含む政治責任で任命しているということであります。
 知事が任命する場合には、知事にはこれ以外にも教育委員とか、委員の任命をしておりますので、これらの委員の候補者リストをあらかじめ作成しているということであります。その候補者リストを作成するに当たりましては、一応のガイドラインを設けておりまして、そのガイドラインでは公平性、多様性が入るように候補者リストをつくるということであります。
 次がイギリスですが、巡回判事以下のレベルの裁判官に対しましては、新聞、雑誌等を通じて募集いたしまして、面接委員会による面接等を経まして、女王または大法官によって任命されるということであります。この面接委員会は、「巡回判事、大法官府上級職員、一般人各1名」の計3名で構成されております。この一般人1名につきましては、大法官府が発行しておりますパンフレットによりますと、特別に選任され訓練された者ということになっていますが、実際には治安判事の選考委員会に所属したことがあって、そこで能力が認められた者が任命されているということが多いそうであります。
 次はドイツでありますが、ドイツの場合にも募集がありまして「裁判官人事委員会」の意見、「裁判官選考委員会」の選考等を経て司法大臣が任命するということであります。この場合の裁判官人事委員会は裁判官からのみ構成されております。裁判官選考委員会は、これを持たない州もございますが、持っている州におきましては、その委員の構成は州議会議員、裁判官、弁護士、一般市民等から構成されているということであります。この場合の一般市民につきましては、政党が推薦をしているようであります。
 フランスにつきましては、「司法官職高等評議会」の提案、これは「破毀院判事、控訴院院長、大審裁判所長」でありますが、その他の裁判官につきましては、司法大臣の推薦がございまして、それに対しまして司法官職高等評議会が同意をして大統領が任命するという手続でございます。この場合の「司法官職高等評議会」は「大統領、司法大臣、裁判官5名、検察官1名、コンセイユデタ裁判官1名、有識者3名」の計12名から構成されているようであります。この有識者3名の選任は大統領と両院議長が各1名を指名するというシステムになっております。これに選ばれます方は、司法にも議会にも属さない者から選んでいるということであります。
 この表を横断的に外観していただきますと、まず上の「任命基準・項目」のところでございますが、資料が十分に集まらない点もございまして、やや不確かなところがございますが、少なくとも公募制を採用しておりますところでは、これらの基準等は手続の透明性の確保という観点から公開されているようであります。
 それから、任命手続につきましては、アメリカの選挙制の場合やイギリスの高等法院判事以上のレベルを除きまして、その構成や権限はさまざまでありますが、各国に共通して法曹や有識者などから成ります何らかの合議体が応募書類の検討や面談、推薦、選考、同意などを行う形で裁判官の任命手続に関与しているということがおわかりいただけるだろうと思います。
 次は2枚目以下の裁判官の人事評価制度の概要でございますが、アメリカやイギリスに関しましては特定の裁判所の裁判官に任命され、昇進、昇給がない任用システムが取られており、人事評価を行わないということからそのための制度は存在しないと言えると思います。
 一方ドイツは、この表では主としてバイエルン州の例を掲げておりますが、それとフランスに関しましては、評価手続ではいずれも本人に面談の機会が設けられ、本人の意見も反映させうるシステムとなっておりまして、また評価書はすべて本人に開示されているということでございます。その評価につきましては、評価基準・項目が設けられておりまして、ドイツでは各判断項目を総合して16段階のポイント評価が、フランスでは各判断項目ごとに5段階評価が行われているということであります。そして、評価は本人に開示されていることにより、異議申立ができることとされております。
 ただし、この評価制度につきましては、各国を通じて裁判所の外部の主体が評価に関与する制度は見られません。ただ、アメリカにつきましては注書きしてありますとおり、そもそも人事評価と言えるかどうかはわかりませんが、弁護士会などによる当該裁判官の普段の仕事ぶりに関する評価がメリット・セレクションの場合の信任投票や選挙制の場合の参考資料として任命過程に反映されるシステムが取られている州もあるということでございます。
 大体説明は以上で終わります。なお、詳細についてもう少し詳しくということでありましたら、この表を作成するに当たりまして、事務局の参事官、あるいは専門調査員を担当させておりましたので、お尋ねいただければ答えさせるというふうにいたします。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。外国の制度については昨年からいろいろな資料をつくっていただいたわけですが、今日、このような表にしていただき、かなり全体の姿がビビッドに見えるのではないかと思います。
 ただいまの事務局長の御説明については、これからの意見交換の中で適宜御質問いただければというように考えております。
 それでは、意見交換に入りたいと思います。最初に、裁判官制度の改革に関する審議の進め方について少しお話しさせていただきたいと思います。裁判官制度の改革につきましては、御承知のように本日、それから次回、それからその次の回の3回にわたって審議を行うという予定でおります。2月19日の会議では法曹三者からのヒアリングを行う。そして2月27日の会議では、このテーマに関する当審議会としての考え方を取りまとめることができればというように考えている次第です。
 そこで、本日は1回目の会議ですので、中間報告における取りまとめを踏まえて、更にただいま事務局長から御説明いただいた諸外国の制度をも参考としながら、お手元に用意しました審議用のレジュメに従いまして「給源の多様化・多元化」、それから「任命手続の見直し」、更に「人事制度の見直し」の3つの課題ごとに議論の枠組みを整理するとともに、具体的な方策のイメージを描けるような形で意見交換を行えればというように考えております。各委員におかれては、それぞれお考えをお持ちのことと思いますので、1つの案に固めるという意味では勿論なくて、考えられる各方策について詳細に制度設計の詰めを行うということは勿論できませんけれども、ある程度は制度設計をも想定しながら具体的なイメージを持っていただく、そういう趣旨でございます。
 その上で、次回において法曹三者ヒアリングを行うわけでありますが、実務家の提案、考え方なども考慮に入れながら、次回、それから次々回と各方策の具体的なイメージをブラッシュアップしていくように意見交換を重ねていただく。更に各方策について各案の特質であるとか、あるいは具体的な制度設計を含めて審議を行いまして、最終的な取りまとめにつなげていければと考えております。
 そこで、意見交換に入りたいと思いますが、我々は夏の集中審議をやり、その後もこの問題について議論をし、そして中間報告を取りまとめたわけでありますが、やや確認的な意味で、この問題についてのこれまでの意見の集約と言いますか、どのような姿になっているかということについて、そしてこのレジュメの趣旨について、ごく簡単に最初に申し上げておきたいと思います。
 私どもは、中間報告において、国民主権に基づく統治構造の在り方について、これは国民参加のところと裁判官制度のところの両方にわたっているわけですが、次のように述べたところです。すなわち、「国民主権に基づく統治構造の一翼を担う司法の分野においても、『公』を担う国民が、自律性と責任感を持ちつつ、広くその運用全般について多様な形で参加(関与)できるよう司法参加を拡充する必要がある」ということ、それから「法律専門家である法曹と参加(関与)する国民は、相互の信頼関係の下で、十分かつ適切なコミュニケーションを取りながら協働していく」方途を探る必要があるということ、を中間報告において指摘しているところであります。
 要するに、「司法の国民的基盤」をより強固なものとする必要がある、そのような理解の下に、裁判手続への国民参加の具体的な在り方を考えるだけではなく、法曹養成制度の改革、あるいは弁護士制度の改革、更に裁判官制度の改革を考える必要がある、としたところではないかと考えるわけであります。これまで、私どもは、法曹養成制度の改革につきましては、既にかなり詳細な検討をやってきております。そして、裁判手続への国民参加につきましては、この間一応の取りまとめを行ったところであります。それから、弁護士制度の改革についても具体的に検討してまいりました。今日から3回にわたって、この裁判官制度の改革に取り組むということであります。
 裁判官制度の改革について、中間報告は26ページ以下に論及しているところでありますが、そこでの問題意識は、要するに、国民的基盤に立っていかにして高い質の裁判官を獲得するか、そしてこれに独立性を持って司法権を行使せしめるか、そこに尽きるのではないかと思うわけであります。先ほど事務局長から御説明いただいた諸外国も、形態は必ずしも一様ではないんですが、こういう問題意識に立っていろいろと苦心、苦労をしてきているということを示しているように思われます。
 私どもは、8月の集中審議で大きな骨格を取りまとめ、そしてそれを中間報告でもそのまま引用しているわけでありますけれども、念のためその文を読ませていただきたいと思います。
 「制度構築の方向性としては、裁判官の給源、任用方法、人事制度の在り方につき」、まず第1に、「給源の多様化、多元化を図ることとし、判事補制度を廃止する旨の意見もあったが、少なくとも同制度に必要な改革を施すなどして高い質の裁判官を安定的に供給できるための制度の整備を行うこと」、第2に、「国民の裁判官に対する信頼感を高める観点から、裁判官の任命に関する何らかの工夫を行うこと」、そして第3に、「裁判官の独立性に対する国民の信頼性を高める観点から、裁判官の人事制度に透明性や客観性を付与する何らかの工夫を行うこと」、などについて「大方の意見の一致を見た」、と。
 この審議用のレジュメをごらんいただきたいわけでありますけれども、それは、大きく分けて、「給源の多様化・多元化」、「裁判官の任命手続の見直し」、「裁判官の人事制度の見直し(透明性、客観性の確保)」という3つの部分から成っております。
 まず「給源の多様化・多元化」について、中間報告を引用するような形で触れてありますが、要するに、「判事補が判事の主要な給源となり、しかも、従来・・・これを是正する有効な方策を見いだすことも困難であった」という現行「制度運用の経緯、現状を踏まえ」ながら、「国民が求める裁判官像」としてふさわしい人材を「いかにして安定的に確保していくべきか」という観点から、判事補制度について判事の給源としての在り方を含め、具体的な改革案を検討すること。そして、「判事となる者一人ひとりが、それぞれ法律家として多様で豊かな知識、経験と人間性を備えることが必要であり、知識、経験等の多様化を制度的に担保する仕組みを構築することが今後検討すべき改革の方向」と指摘しているところであります。
 要するに、その心は、と言ったら何ですが、判事の給源をトータルに改革して、判事となる者すべてに、多様な知識、経験等を身に付けさせるための制度的な担保を整備しようということではないかというように思われるわけです。これは判事補のみの改革ではなくて、検察官、弁護士などの法律専門職についても判事となるためには多様な知識、経験というものが望ましいと読むこともできるように思われます。ともかく、この判事の給源をトータルに改革して判事となる者すべてに多様な知識、経験等を身に付けさせるための制度的な担保を考えようということであると思います。
 第2の「裁判官の任命手続の見直し」でありますが、これも中間報告を引用するわけですが、「判事に任命されるべき者の指名について、透明性、客観性、説明責任を確保するための方策(例えば、選考のための基準の明確化や手続の整備等)」、あるいは「判事に任命されるべき者の指名過程に国民の意思を反映させるなど資格審査の充実を図るための方策(例えば、国民の代表者等を含む機関が指名過程に関与する制度の整備等)」、を検討しようということであります。要するに、裁判官の任命に対する国民の信頼感を高めて、司法を国民の広い支持と理解の上に立脚せしめるというところに、そのねらいがあるということかと思います。
 最後に第3番目に、「裁判官の人事制度の見直し(透明性、客観性の確保)」です。中間報告では、「裁判官の人事評価や報酬、補職・配置等について、透明性、客観性を確保するための方策(例えば、評価のための基準の明確化や手続の整備等)」ということを掲げています。これも、その心はと言えば、裁判官の職権行使の独立性を充実させようという趣旨ではないかというように考えるわけであります。
 そういう基本的なフレームワークの下で、具体的にどう考えるのかということについては、この審議用のレジュメの中で、主な意見の要旨、夏の集中審議、更には第36回会議で表明された考え方を掲げているところであります。
 そこで、この審議用のレジュメに従いまして、まず「給源の多様化・多元化」から具体的な意見交換を行っていただきたいというように思います。勿論、3つの課題は相互に密接に関連し合っております。だから、それぞれに切り分けて順番に従ってきちんと議論するということは難しいと思います。国民参加のときもいろいろと入口のところで御議論がありましたけれども、私は順番に決してこだわっておりません。一応この順番で御議論をいただければという程度のことですので、適宜しかるべく御発言いただいて結構でございます。
 はい、藤田委員どうぞ。

【藤田委員】その前に審議用レジュメについて質問させていただいてよろしいでしょうか。
 実は、先週仙台に出張しておりまして、帰りまして週末にレジュメを拝見したんですが、今年に入りまして審議しました訴訟手続への国民参加の審議用レジュメは中間報告を引用して、それぞれの論点、またそれについての問題点を挙げ、併せて考慮要素をそれぞれの項目について記載するという、3ページ半のものでございます。弁護士の在り方については、これはレジュメがなくて弁護士の在り方について中間報告で検討を要するとされた個別論点、それぞれの項目分けで1ページ半のものでございました。
 今日の裁判官制度の改革についてのレジュメを拝見して大変大部なので、ちょっとびっくりしたんですけれども、中間報告を基盤として、それを論議のスタートとするというのは、これは当然のことだと思いますが、アンダーラインがしてございますね。中間報告を書くときにゴシックの部分があり、どこを強調するかまでは審議していないので削ったという経過もございます。客観的にと言えば、このアンダーラインをしているところが、けしからんと言っているわけではないのですが、できるだけ客観的にした方がよいのではないかということと、それから具体的なアイディアの例と夏の集中審議、あるいは会議での意見等が、これもまたアンダーライン付きで、これは発言者がしたのではなかろうと思うのでありますが、このような形は、今までの審議としては少し異例かなという感じがいたしました。
 なぜ、こんなつまらないことを申し上げるかと申しますと、内容を拝見しますと、アイデアの例とか、あるいは審議で出てきた意見について、現行の裁判官制度に制度として基本的な欠陥があり、それを抜本的に改革しなければならないという基本的態度と、現行の裁判官制度はそれ相応の有用性があり、それを前提として更により良い方向へ改善していくべきであるという基本的態度、この前提が非常に違う2つの御意見があって、その意味で具体的な改革案に関しても、大きな見解の相違点があると思うのです。基本的に問題があるという立場からすれば、積極的に取り上げるべき問題点も多いことでありましょうし、更に改革の方向につきしても徹底的にやれということでしょうから、そうい意味で主な意見の要旨に徹底的に改革すべきであるという意見が数多く出てくるということは、ある意味で自然かと思います。しかし、レジュメを拝見して、しかもアンダーラインしているところを見ますと、判事補制度が基本的に欠陥のある制度であって、それを廃止ないし廃止に近いような改革をしなければ、裁判官制度の改革ができないというような、勿論そういう御意見があるということはわかっておりますけれども、三十数年間裁判所の現場で通した私としましては、現場の裁判官の実態と気持ちをよくわかっておりますので代弁しようということで、いろいろ申し上げ、中坊委員とも激論になりましたが、そうして御理解を得た向きもあると考えております。
 最後の方の3番目の人事につきましても、このアンダーライン部分を読んだだけでは、「人事は硬直化してしまっている」「一部の裁判官の中に閉塞感」「独立性に危惧」とか、「裁判所の閉鎖性」「国民から遊離」とか何とか、それはそういう意見があることは結構ですが、一見してこのレジュメを見ますと、私がいろいろと御理解を求めて努力していたのとは違う線が審議会の大勢であって、それをスタートとしてこの審議が始めるというような誤解も生じるのではないかと思われます。今、会長がおっしゃいました審議のまとめ、あるいは中間報告、これについては全く異存はございませんが、それを基盤として、これからの裁判官制度改革についての審議が始まるという理解でよろしいでしょうか。

【佐藤会長】全くおっしゃるとおりです。整理をするのにかなり難しいところがあって、いろいろ出た意見をほぼそのまま再現しているというふうに御承知いただければと思います。
 下線を引いている点ですが、中間報告を取りまとめるとき、下線を引いた方が見やすいのではないかという意見と、ここを引くのならあちらの方もという話で、結局フラットにしましょうということになりましたが、今日の審議用レジュメについては、少しでも見やすくなるようにと事務局の方で考えていただき、私もそれでいいのではないかと申しただけで、何の他意もございません。

【藤田委員】安心いたしました。

【佐藤会長】だからもう、御自由に御議論をいただければと思います。とは申せ、藤田委員もおっしゃったように、中間報告という取りまとめはあるのですから、それを踏まえて御議論をいただければと思います。

【中坊委員】最初に、高木委員の方から文書が出ていますが、これはどうなりますか。

【佐藤会長】そうですね。今日開始直前に高木委員の方からペーパーを取りまとめたので配付してよろしいかというお話がございました。どなたから御発言いただいても結構ですが、もしよろしければ高木委員から。

【高木委員】どうもありがとうございます。
 今、藤田委員からレジュメのつくり方について御発言がございましたが、このレジュメはまさに中間報告に至る過程でいろいろ出された意見が、多分議事録から抜粋されて、整理されたんだろうということで、どう受け止めるのかは、確かに藤田さんが言われたように、それぞれ皆お考えがあるわけですから、冒頭で会長が整理をされましたように、中間報告を踏まえての議論だということで申し上げたいと思います。
 お手元に出させていただいた意見も、基本的には中間報告で出された方向性等を前提にして、私の意見を整理をさせていただきました。1ページの「改革の基本的方向性」、この辺は、中間報告の内容をそのまま敷衍しているだけでございますので、お読み取りいただきたいと思います。
 それから給源の多様化・多元化論につきまして、いろいろ御意見があるわけですが、法曹一元という言葉をどうするかという8月の集中審議のときの議論がございます。給源の多様化・多元化という表現で、具体的には裁判所法に書かれております給源として想定されております各チャネル、いわゆる任命資格それぞれについてどういう多様化・多元化の対象になるのかということが、これからの論議だろうと思います。そういう中で今、藤田委員も触れられましたが、判事補制度への疑問点、あるいは特例判事補制度への疑問点は憲法制定過程、あるいはその後の裁判所法の制定過程、あるいはその後の、今日までの運用がされてきた仕方等々を見ましても、幾つかの疑問点がまだまだ私には消えないわけでございまして、そういった疑問点等をそこの2ページに書かせていただきました。
 そういう認識に立ちまして、判事補制度につきましては、勿論一遍にヨーイドンで廃止ということは、とても無理だと私どもも認識いたしておりますが、どう考えても判事補が司法研修所を出て、すぐ裁判官として位置づけられ、国民に期待される裁判官像にそぐう裁判官ということで受け容れられるということは、国民は納得できないだろうと思います。そういう見方が私は正当ではないかと確信をいたしておりますので、判事補をいきなり裁判官と位置づける判事補制度は、一定期間を定めて廃止をしていくべきではないかということを2ページの一番下の方に書いております。
 ただ、廃止したら現在判事補の方々がこなしている仕事はどうなるのだというお話もあるでしょうから、そうならないために他の給源からの、いわゆる任用、任官といったものが、一方できちんと担保されている前提がなければ、この話は空理空論になってしまいかねません。特に日弁連は法曹一元を長い間主張してこられたわけですし、そういった議論を展開されてきた責任は当然あると思いますので、きちんと担保があるのかないのか、その辺も見極める必要があるのではないかと思います。
 判事補とはどういう性格のものなのか、従来からいろんな議論がありました。3つの要素があり、1つは裁判官の代行と言うんでしょうか、いま1つは、いわゆる調査官的な仕事、さらに、訓練を受けるトレイニーという立場、その3つの立場があるようですが、例えば、トレイニーという立場を裁判官という位置づけの下で続けることの正当性が、他の給源との関係でのバランスという意味も含めてあり得るのかないのか。
 また、どう考えても裁判官代行というのは、これはまた判事補10年のなかで、修習生から上がって、直ちにそういう権能を持つ、あるいは、特に後半の5年間は、ほぼ自動的に特例判事補ということになるようですが、本当に単独で裁判をなしうるような実態、具体的に言えば国民の求める裁判官像のレベルに達しているかいないか、そういったことも含めて疑問が呈されているところであります。そういう意味では、先ほども申し上げました3つの中で、強いて言えば残るのはロークラーク的な仕事で裁判官の仕事を補佐し、その補佐を通じて将来判事に任用されるベーシックなポテンシャリティーを培うという意味で、調査官的な位置づけが一番そぐうのではないかと思います。そういう脈略の中で本日、先ほど藤田委員が縷々述べられましたし、レジュメの中にも「判事補等の裁判官に多様な経験を積ませる仕組みの整理拡充(例えば、判事補研修の充実など)」といった記述があると捉えるべきではないでしょうか。
 また、2月8日付けの朝日新聞に出ておりましたが、これについても判事補研修という内容が書かれておりました。新聞の記事は不明確なところもたくさんありましょうが、例えば研修で1年間というような期間の記載があったりしておりますが、こういう研修の充実論だけでは、それがたとえ過渡的な期間をしのぐ対応策であるとしても、とても国民の期待する裁判官像といったものを、こういう研修の一部付加が担保してくれるとは私には思えません。そういう意味で3ページから4ページにかけまして、その辺の研修の充実論の空虚さの怖さ、あるいは問題性を幾つかの観点から指摘をさせていただいております。
 それから、判事補のそもそもの採用についても、今までごく当然に行われてきたわけですが、採用の時点から将来判事に任用することをほぼ想定して対応する形になっておるんだろうと思いますが、本当に今のような形でいいのかどうか吟味が要るのではないかと思われます。
 勿論、弁護士なり検察官、あるいは大学教授等から裁判官に任官される方々にも、それぞれ司法の社会でのお仕事を専門にされているとは言え、微妙に仕事の実務の中身は違うはずですから、たとえば弁護士は弁護士実務には御堪能かもしれませんが、裁判官実務にどこまでお詳しいかと言えば、多分そうではない面もおありになるでしょうから、その辺の研修等は必要ではないか。むしろ当然のことだと思います。
 次に4ページ以降の任命手続の問題で、国民的基盤を持った司法というのが、今回の司法制度改革の3つの大きな柱の1つだということの関連で、いろいろ考えていく必要があるんではないかと思います。そういう観点から審査基準・審査の主体・審査の方法等について、いろいろ書き加えております。
 5ページの一番下から6ページにかけてですが、日本の場合は裁判官推薦のルールというようなものはどうなっているのかということについて現状は非常に不透明ですが、それを国民の前に透明化をし、基準も明らかにし、主体はだれなのか、どういうところで判断をするのか、そういう仕組みをつくるために、まず、ベースとして裁判官推薦委員会というのを高裁、あるいは地裁単位で設けたらどうか。この推薦委員会を実際に回していくための選考の基準や手続、先ほど事務局長からも御説明がありましたような公募制というものを前提にする形にしながら、裁判官の推薦の役割を推薦委員会というところで行ったらどうかと思います。高裁単位という場合に考えましたのは、全国8高裁あるわけでございますが、下級裁判所の裁判官の任命の場合は最高裁に名簿をつくる権能を憲法が与えており、それを内閣が受けて任命するということで、名簿をつくる最終的な責任者は最高裁ということとの兼ね合いをどのように調整するのか。そういう意味で、各高裁、あるいは地裁の推薦委員会が挙げた推薦を受けて選考して最高裁に上げる窓口といったような機能という意味で、裁判官選考委員会というようなものを一つ設けたらいいのではないか。ただし、この選考委員会は最高裁に連動するものであるが、判断や選考に当たっては最高裁から独立した権能で担保されるのがよいのではないか。最高裁の方はそれを受けて、最高裁の権能に基づいて名簿を作成し、内閣の方に上げる。勿論、最高裁の裁判官会議が名簿の作成に当たり、推薦あるいは意見として出てきたものを指名しなかった場合には、当然推薦委員会なり、選考委員会、あるいは御当人にフィードバックをし、その理由を明らかにするという責務があるのは当然ではないかと思います。
 最高裁判所の裁判官、すなわち最高裁判事の任命につきましては、戦後の任命諮問委員会、ただしこれも当時と大分時代が変わっていますから、現在の時代に即して見直すべきところは見直して復活する。この任命諮問委員会についても、国民代表の参加が不可欠です。国民審査についても、改善が必要なことはそこに記載をしたとおりでございます。
 次に6ページ以降、人事制度の問題です。これについても、中間報告は透明性・客観性という言葉を使い、その透明性・客観性が十分に確保されるようにということを眼目にした改革を行うべきである。そういう意味で評価制度を改革する。改革と言いましても、現状がどうなっているのかというのがまだつまびらかではない面もあるので、それがどうなっているのかということを明らかにしていただきながら、評価基準、あるいは評価の手法、評価結果の本人開示、反論権付与、不服申立機関の設置等、こういった改革の必要性は随所にあると思いますが、そうしたことについて一定の方向性を見出していくべきではないかと思います。
 私のこのペーパーでは、先ほど申し上げましたように将来公募制を前提にするということを申し上げましたので、公募制を踏まえてのいろいろな評価等を行う組織の問題等につきましては、これも先ほど事務局長から御説明がありましたが、ここではドイツ型の人事委員会のような仕組みがいいのではないかということにしています。この詳細はわかりませんので、イメージだけですが、人事委員会型でやっていくということでどうかということです。ただ、公募制度と言っても、いつから導入されるのかまだ時間も掛かることかもしれませんが、それまでの間、現在の評価制度がそのまま続いてよいということでもありませんので、それまでの過程についても、透明性、客観性をいかに高めていくかという点で早急に幾つかの改善をしなければならない。その方法論、考え方につきましては7ページの中ほど辺りに書かさせていただきました。お読み取りいただければと思います。
 外部評価につきまして、ヨーロッパ等も基本的にないという御説明が先ほどありましたが、これは裁判官の独立との関係で外部の評価がアメリカなどではそもそもないということで、日本の場合キャリアシステムであることもあり、あるいはドイツでも一定の評価の仕組みはあるということなので、そういったことも踏まえた上で外部評価というのが必要だという御判断でやるならば、それなりのルールを決めてやるべきではないかなということで書いております。公募・応募制は、とりわけ独立性の確保ということとの兼ね合いを有するということで、世界の大勢が公募・応募制という実態になっているのではないかと思います。
 日本でも、裁判官の意思に反した転勤を禁止した裁判所法第48条の規定があるというのは、ある意味では公募制に近い感覚を、そもそも裁判所法も予定していたんではないか。それから報酬の段階は少なくすべきではないか。
 最後に最高裁事務総局の在り方について、幾つかの問題点、あるいはこういうふうに改善されたらいかがでしょうかという点を書かせていただいております。裁判所法第13条は、最高裁判所の庶務をつかさどらせるために最高裁判所に事務総局を置くと書いてありますが、実態は、最高裁判所の庶務云々と書かれている裁判所法の規定とは似ても似つかない大きな存在になっているのではないかと思います。
 過去にいろんな質問を出させていただき、そのやりとり等も若干引用させていただきました。その中で具体的にはということで9ページの真ん中辺りに、事務総局ではなく、最高裁判事の方々に司法行政についてもう少し主体的な関与をしていただいた方がよいのではないか、そうした趣旨で、司法行政について、最高裁判事の方々にも担当制を持っていただいてはどうか。そういうことの兼ね合いで、事務総局の整理統合、スリム化を図る。それから、民間司法臨調などでも指摘されているように、事務総局へ民間人等を登用する。
 司法行政権限に関する法律ですが、司法行政権限が、ある部分については法などに書かれていますが、書かれていないところはみんな最高裁事務総局の権限であるように収斂をしていっているという実態があるのではないか。そういう意味で司法行政権限の明確化、あるいはルール化をもう少し図ってはどうか。
 下級裁判所裁判官の司法行政への日常的参加といいましょうか、完全に形骸化したと言われている裁判官会議の機能の復活といいますか、とりわけ司法行政との関わり合いを踏まえた運営。それから、裁判所運営への国民の参加。家裁委員会という仕組みが現在あるようですが、もうちょっと実質的な参加ができるようにということです。
 裁判所速記官等については、いわゆる退職者不補充ということで、外注化をやっておられるようでございます。この考え方はいかがかと思っておりますので、その辺を書かせていただきました。
 あと地方分権、これは応募制、あるいは事務総局権限といったことも関係いたしますが、事務運営は基本的に分権化してやっていくべきではないかと考えています。
 最後に裁判官の市民的自由の問題でして、そういう意味では市民的自由をもっと享受していただくよう、組織的な風土も含めまして、そういうことを称揚する方向が必要ではないかと思います。勿論、裁判官の増員、あるいは裁判所職員の増員を両輪として行わなければならないということは言うまでもないことだと思います。
 団体結成の自由ということについても、昨年8月の審議で、三好長官の御発言等を申し上げました。その後いろいろ考えてまいりましたが、あの留保はやはり問題だと思います。最高裁事務総局の10月30日ペーパーでは、三好長官の個人的意見だという御回答ですが、事実上最高裁も同じ見解をお持ちだと思われがちですので、最高裁としての御見解が違われるのなら、その旨をはっきり明らかにされ、裁判官に妙な萎縮効果を与えないようにすべきではないかと思います。国際的にも裁判官に認められている権利であるとすれば、それを十分に保障し、裁判官という職能が必然的に求める団体の結成を妨げるかのような、あるいは好ましくないというかのごとき発言、内部締め付けは厳に慎まれるべきではないかと思います。
 概要は、そんなようなことを記載させていただきました。冒頭お時間をいただいてありがとうございました。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。今の高木委員の御意見に対しましても、あるいは委員それぞれ独自のお考えがあるかもしれませんが、時間の関係で、少し休憩ということにしましょうか。
 では、休憩をはさんでまた意見交換を続けます。

(休 憩)

【佐藤会長】それでは、再開させていただきます。
 先ほど高木委員の方からお考えをかなりまとめてお話しいただいたところですが、中坊委員どうぞ。

【中坊委員】先ほど会長からも、裁判官制度の問題について、我々の中間報告でまとめた、特に国民的基盤の確立を前提としてのお話がありました。私、先ほどの話を承っておって、我々として議論を進めるに当たってもう一つ基本的なフレームとして非常に重要な、お互いに確認し合っておく必要があることとして、裁判官、検察官の大幅増員ということを我々としては決めてきたと思うのです。
 それはまさに法曹人口・法曹養成の中において、行政全体としては今は縮小だけれども、我々は大幅増員だということを言ってきて、その議論が非常に抽象的なままである。我々弁護士については、この審議会では年間3,000 名という司法試験の合格者を前提として、弁護士制度の改革について、いろいろな問題を論じてきたと思うんです。
 しかも、中間報告の中でも、単に裁判官を増員すればいいのではない、それは裁判所職員を増加させることにもつながっていくのであるとしているけれども、かなりの大幅な増加だというままに止まっている。しかし、片一方においては、少なくとも現在、法曹人口約2万1,000人くらいとして、そのうち裁判官が2,000人、検察官1,000人、残り1万8,000人が弁護士であるが、我々としては、法曹人口全体が5、6万人にはなるんだということを前提にして、毎年合格者3,000 名をということを言ってきたと思うのです。
 そういう意味では、あるべき裁判官像を語る際にも、検察官は今日の議題ではないと思うのだけれども、裁判官については大体どのくらいの数を想定するのか。そうでないと、先ほど高木さんもおっしゃいましたけれども、判事補制度、あるいは特例判事補というものが出てきたのがみんな裁判官不足からです。また検事不足から副検事等による肩代わりが出てくると、我々も現に議論してきたわけです。あるべき姿から今の現状をみると、裁判官の数が非常に少ないということから歪んだ生成発展を遂げてきたということを我々としては一応言ってきたと思うんです。
 その点を基本フレームとして、我々としてまずどう考えるのかということも一つの重要な項目として、我々の議論の前提としないと、いろんな問題を論じるに当たって、これからは少なくとも21世紀のあるべき司法を考えたときには、法曹人口、ひいてはその中におけるまさに中核としての裁判官の大幅増、大幅というのは単純に言えば3倍くらいのことを我々は考えているわけです。そうすると、本当に裁判官も3倍くらいにするのかというようなこと、具体的に何千名にするというところまでいかなくても、我々としてはそのような大幅増ということを頭に入れて考えていくということをしないといけない。私たちはこの審議会において21世紀のあるべき司法というのを前提にして審議することに決められているわけですから、それくらいは基本フレームとして我々としてわきまえなければいけないと思うんですけれども、いかがなものでしょうか。

【佐藤会長】確かに基本的には御指摘のとおりかと思います。7,000 人という裁判官数の数字を出した提言もありましたが、それはともかくとして、我々として大幅増員をしなければいけないということは決めてきております。具体的にそれがどのくらいの数字になるのかということは、改めてお諮りします。法曹人口の審議が今後2回ほどありますが、そこでは、裁判官の場合も検察官の場合も、具体的な目標数字を掲げざるを得ないのではないかという気がしております。大幅増とは、具体的にどのくらいの数字を目指すのかということですね。判事補、あるいは特例判事補の問題も、そういう大きなフレームワークの中で考えるべきことだろうと思います。その意味で、中坊委員の御意見は確かに1つのポイントかと思います。具体的にどういう結び付きで捉えるかについては、さまざまな考え方があるかもしれません。その辺りも含めて今日御意見を頂戴したいと思っております。

【鳥居委員】今の点ですが、私もそのことを申し上げたいと思っておりましたら、中坊委員から先にお話がありました。高木委員のペーパーでは一番最後のページに「裁判官の市民的自由の称揚」という最後のところで、裁判官・裁判所職員の増員という言葉が出てきます。私もお2人の意見に同感なんですが、本日のテーマである裁判官の給源の多様化・多元化、任命手続の見直し、人事制度の見直しの大本になっている量的な確保という問題について、今日でなくても、できるだけ早い時期に、ある種の目途を付けていただきたい。むしろ裁判官制度の改革の大きな柱として量的拡大ということがあってもよろしいのではないかと思います。
 ロースクールで相当数の法曹候補人口が育ってくるはずで、それがすべて司法試験に合格した人とは限らないわけで、それ以外のさまざまな法曹周辺職種というものがこれから同時に考慮されていかなければならない。それが健全な司法というものをつくっていくんだと思うんですが、そのときに裁判所職員についても、例えばロークラークとか、そういったたぐいのさまざまな職種が新しい時代に必要になってくると思いますので、そのことを含めて、学校の設計ができるようにしていきたいと考えているわけです。その意味でも、やはり判事、検事、そして弁護士の、大体の大枠というものが見えている方がやりやすい、こんなふうに思っています。

【佐藤会長】さっき申しましたように、いずれ具体的な目標数字について御議論いただきたいと思います。今日の段階ではどのくらいということは申しかねるので、本日の審議では、大幅増員という前提で裁判官制度の在り方をお考えいただき、御意見を頂戴できればと思います。

【鳥居委員】できましたら、次の審議までに基礎資料があるとなおよいと思うんです。

【佐藤会長】基礎資料と申しますと。

【鳥居委員】国内では裁判官がどのように各地に配置されているか。当然わかっている数字がありますし、海外と比較して、その密度はどうであるかとかですね。

【佐藤会長】それは以前の資料にも出ていたように思いますが。

【事務局長】日本の各裁判所に何人いるかという資料は前に出ております。各国との密度の比較と言いますと、どのような資料になるわけですか。

【鳥居委員】一人当たり処理期間です。

【事務局長】それはわからないかのではないかと思います。

【佐藤会長】関連した資料はあったようにも思いますが、もしあればそれらを整理していただき、次回、用意していただければと思いますけれども、よろしいでしょうか。

【中坊委員】今日、事務局長の方から米・英・独・仏における裁判官の任命制度の概要を御説明いただきました。そこで、任命基準について、大体基本的にここに書かれたような、誠実さを始めとしていろんなことが任命基準として決められているわけですが、それでは任命手続の中で、例えばアメリカでいきますと、先ほど少し御説明いただきましたように、そういうような任命基準などを明確にするということが大体行われているようですけれども、具体的にどういうところまで調査をしたり、それについて評価をしたり、選考したりされるのか。非常に形式的なことなのか、それとも実質的なのか。このような抽象的なことが具体的にどういうようなやり方で実際にやられておるのか。確かに日本ではそこがはっきりしていないわけなんですが、我々が新しい制度を考えるときに、諸外国ではどういうふうな手続で、調査、面接とか意見照会とかいろいろ書かれているのですけれども、その辺のもう少し具体的なことがもしおわかりなら教えていただくと参考になるのですが。

【事務局長】それでは、アメリカを例に取りまして、アメリカを調べてくれました早野専門調査員から説明させます。

【吉岡委員】説明いただきついでで恐縮ですが、アメリカでは、欠員があると、それに対して公募して、応募するという仕組みになっていたと思いますが、その辺のところをもう少し詳しく教えていただければと思います。
 それから、この表によりますと、州の方ですけれども、知事または議会がえらぶ場合と選挙制と2つあります。州によって違うということですけれど、それぞれがどのくらいの数なのかがわかったら教えていただきたいと思います。
 それから、言葉でわからないところがあるのですが、メリット・セレクションについて、もう少し具体的にお教えいただきたい。
 それから、ABAですけれども、これはかなり権限も持っているし、相当力があると思いますが、日本ではABAに相当するような組織があるのでしょうか。私は弁護士会かなと思っていたのですが違いますね。その辺のところがもしわかれば一緒に説明していただきたいと思います。

【事務局長】調べられている限りにおいて、早野から説明させます。

【藤田委員】さらによろしいでしょうか。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスの制度を参考にということでやってきたんですけれども、どうも司法参加の審議のときにも、北ヨーロッパ、あるいはオランダとか、そういうところにむしろ日本の法制度と整合性のありそうな手続があるし、いろんなバリエーションの制度もあるということで、それが参考になるのではないかという気がしたのです。裁判官の任用についても、オランダ、あるいは北ヨーロッパで今挙げた4国とはかなり違ったような在り方があるというような資料があれば見たいなという気がするのですが。付和雷同で荷物をたくさん付けて済みません。

【事務局長】今の御質問に対しましては、果たしてお答えできるかどうか、もう一度調べた上でできれば御回答いたします。アメリカの具体的な例につきまして、早野に説明させます。

【事務局(早野主任専門調査員)】先ほどメリット・セレクションとはどういうことなのかというお話がございましたので、その点から概略のお話をします。
 メリット・セレクションの、メリットというのは、ここでは能力とか質という意味です。いわゆる裁判官としての資質、能力に着目して裁判官を選んでいく、大きく言えば、そういう制度をメリット・セレクションと言っております。これは何に対応するものかと言いますと、歴史的に言うと、合衆国の州が選挙制度から知事などの任命方式に切り替えていくときに、このメリット・セレクションという方式を導入していったというふうに御理解いただければよろしいかと思います。
 アメリカの州は全体としては、一時は半分以上が公選制となったわけですが、逆に言えば、半分近くはずっと任命制でした。したがって、任命制のところでメリット・セレクションを導入したところもございます。したがって、メリット・セレクションというのは、選挙制であろうと、知事の任命制であろうと、裁判官候補者の選択において政治的な偏向等が生じないように、純粋にその人の裁判官としての資質、能力を審査して、それにふさわしい人を選んでいく制度というふうに御理解いただければと思います。
 形態として、ほとんどすべての場合と考えて結構ですが、通常十数名の委員から成る合議体をつくりまして、そこで詳細な、その人の資質、能力に関わる事項についての調査を行ってその上で指名をします。その指名に基づいて州知事が任命をしていくという形態であります。
 州知事の任命に対する拘束力があるかどうかですけれども、これはメリット・セレクションを導入するときに、憲法改正をしたかどうかというところで違ってまいります。州知事に憲法上の任命権がある場合、それを指名委員会の指名が拘束するというのは、憲法違反になる可能性がありますので、メリット・セレクションを正面から導入した州、現在25州ですが、ここでは憲法改正を基本的に経ています。ただ、一部州知事の行政命令という形で導入したところもあります。ここでは憲法改正をしておりませんので、法律上は事実上の拘束力ということになります。ただ、自ら行政命令で創設した委員会が出してきたものを自ら否定するというのは、いささか政治的な見識が疑われるわけでございますので、そういうところでも事実上は拘束力があるとも言われます。
 それ以外、25州以外に法律で諮問委員会的なメリット・セレクションを導入しているところがございます。ここは知事の権限自体は侵すことはできませんので、文字通り事実上の拘束力です。そういうものも含めますと、大体30州がメリット・セレクションの制度を導入していると見てよろしいかと思います。
 さらに、選挙制の州ですが、先ほど事務局長からの説明がありましたように、選挙制の州でも、任期の期間中に欠員が生じた場合においては、同様に公募をして、候補者を募った上で指名委員会で審査をして、任命していくという形態をとっているところがございます。それも合わせると大体37州がメリット・セレクション、何らかの指名委員会制度を導入していると御理解いただければと思います。
 この中身はどこの州でもほぼ同じであります。先ほど御質問がありましたが、任命基準となっているところは、ほとんど抽象的なこと、例えば誠実さとか、公平さとか、さまざま抽象的なものが出ておりますので、これをそのままでは審査できません。そこで、例えば誠実とか、公平さということを裏付ける客観的な事由、事柄を集めて、その中で、その方が本当に公平かどうかということを審査していきます。
 例えば、公平さということで言えば、その方が弁護士としてのどれだけの仕事をしてきたのか。その場合において、例えば企業だけに付いていたかどうか、特定の業種だけに付いていたかどうか。その人がまんべんなくいろんな依頼者と接することによって、さまざまな立場の人の権利と利益を守っていたということであれば、その人はより公平だと言えるでしょうし、それに対して一面的な業務しかやっていなければ、やや公平さに欠けるおそれがあるという議論になるかもしれません。
 そういうふうに、それぞれの問題に対して単に抽象的にどうかということではなくて、その人物の過去の行動などを調査し、あるいはその方がやられた裁判なら裁判の相手方の弁護士とか、あるいは依頼者に話を聴いてみたり、相当詳細な形で過去の法律家としての行動をチェックしていくわけです。
 コミュニティーにおいて、知り合いの人にその人の評価を聴くという作業もやっております。おおむね調査項目、つまり何を調べるかということに関しては、その人の法律家としての過去の業績なり行動を第三者が評価する。そうした形で問い合わせていくわけです。
 それから、本人自身の申請書もかなり詳細なものを書かせます。それに基づいて警察等が前科などの調査をし、あるいは弁護士会に懲戒歴などを照会しています。さらに、経済状況に問題がないかということについて、銀行預金等に関して、本人の了解を得てですが、調査をしていく。コミュニティーにおいてどういう活動をしたかということについては、コミュニティーの人に調査をするということをしております。
 人間として、健全な行動をしてきたかどうかということについても、関連するなるべく客観的な資料を集めてチェックしていくという作業もやっています。やり方としては、今申し上げた様々な照会、それから関係者に対する意見照会をやります。その上で候補者一人ひとり個別的に面接をやっています。基本的には委員会の全員が、一定の時間インタビューをします。その後公聴会を開いて、その結果と、それから官公署からの調査結果などを総合した上で、最終的に委員会で審理をして決断するという形がほとんどの州でのやり方です。

【中坊委員】私のお尋ねしているのは、確かにおっしゃっているとおりで、誠実さとかいうことは抽象的なことだけでだれかが判断するので、事実調査なしには判断できないから、やはり客観的な事実を調べないといけない。その調べるのは、例えばABAとかが調べるのですか。だれが調べるわけですか。

【事務局(早野主任専門調査員)】調査をする主体は、州によって違いまして、今申し上げたのは州を中心に説明申し上げていますけれども、州の場合においては、委員会が調べるということになるわけです。委員会が調べるというのも、委員会の事務局が調べる場合と、委員会の委員個人が調べる場合と2種類ございます。両方かんでいる場合もありますし、州によってはほとんど委員会が、すなわち事務局は何もしないで、委員がそれぞれ割り当てられた候補者に関する調査を自らの手でやっていくというシステムのところもございます。
 いずれにせよ、調査の主体は委員会ということになります。その委員を事務局が手伝う場合と、ほとんど手伝わないで委員が自らやる場合があるかと思います。

【中坊委員】そうすると、委員が調査をされた結果が、正しいかどうかと言ったらおかしいけれども、一種の説明責任というか、情報公開というか、適切に調べていますよということはどうしてわかるようになっているんですか。

【事務局(早野主任専門調査員)】1つは公開をしております。調べたデータ自体を、生データはプライバシーの問題がありますから出しませんけれども、審議会の議事録という形では、これはどの州も基本的に公開をすることにしています。
 それから、データの正しさに関しては、あなたに関してこういうネガティブな情報が来ていますよということをダイレクトに伝えて、それで本人に弁明の機会を与えるなり、訂正の機会を与えるというやり方であります。何せプライバシーの問題がありますものですから、全部のデータを公表するということは、基本的にどの州もやっておられないわけです。しかし、今申し上げたように、本人に対して反論機会を与え、委員会の議事録を公表したりという形でデータの正確さを担保しているということです。

【鳥居委員】今御説明があったのは州の裁判官指名委員会ということですね。

【事務局(早野主任専門調査員)】そうです。連邦の場合は、ABAがやるのかという御指摘があったんですけれども、ABAは法律上の公の団体でも何でもないわけでありまして、現在でも依然として個人加盟の団体であります。強制的な力というのは持ってございません。しかしながら、全米有数の法律家団体であるということと、おおむね100 年以上にわたってアメリカの司法制度及び弁護士の水準を上げ、名誉を確立して、憲法体制、政治秩序を確保するという役割の下で、文字どおりボランタリーにやってきた歴史と伝統のある団体でございます。そういう意味で、法的なという意味ではなくて、ABAの活動は、どこまでも任意の団体というところの自主的なもの。その中で積み重ねられてきた権威というふうに御理解いただきたいと思います。
 日本においては日弁連とは異なるという御指摘がありました。これについては、むしろABA自身の基本的な方針として、日弁連のようになる。つまり、各州の弁護士会を強制加入とした上で、そうした強制加入弁護士会の連合体としての公的な存在を目指すというのがABAの基本的な方針と言われています。そういう意味では、日弁連というのがABAの将来像を想定した形にはなっています。

【中坊委員】FBIと書いてあるのは何ですか。

【事務局(早野主任専門調査員)】アメリカの連邦裁判官というのは大変重要な役割を果たしますし、一種の政治家と言ってもいいような役割を果たすものですから、FBIが犯罪歴を含めて徹底した調査をやっています。

【中坊委員】アメリカはわかったんですけれども、ほかの国はどうなんでしょうか。選考委員会など多少違うかもしれないけれども、どういうふうな調査がなされておるんでしょうか。

【佐藤会長】簡単に説明してください。

【事務局(小島参事官)】それでは、英国の関係を御説明させていただきます。
 英国はここに書いてありますとおり、面接委員会が面接を行いますが、それ以外は法曹界への意見照会だけでございます。この法曹界への意見照会は、大法官府の中に、ジュディシャル・グループ、裁判官任命部と言いましょうか、そういう部門がございまして、そこの部門におきまして、それぞれ任命対象となる候補者ごとに、その任命を予定している裁判官グループの上級裁判官と、それ以外の一般的な弁護士等、そういう人たちに書面での意見を求めることがほとんどで、時には直接会って意見を聴くことがあるそうでございます。アメリカのようにFBIなどの調査までは要求されていないようでございます。

【事務局(丸島主任専門調査員)】ドイツについても、任命基準として本人の法律専門家としての能力や、そのほかの人的な側面での裁判官の適性などが掲げられております。裁判官の選考に携わる機関としては、裁判所の裁判官人事委員会があります。これは必置機関でございます。さらに、州議会の議員や裁判官、弁護士、市民などから構成される裁判官選考委員会が約半数の州に設置されております。
 これらの委員会において審査する際の資料がどのような形で集められるかということについては、詳しい資料は入手してございませんが、応募書類や人事記録などに基づき本人の面接や、またこれらの情報を本人に開示するなどして審査していくとされております。

【事務局長】フランスにつきましては、任命基準等についての資料もございませんので、この程度で。

【佐藤会長】それぞれの国では、何らかの任命基準、運用基準のようなものはつくっているわけですね。

【鳥居委員】どなたに質問したらよろしいのかわかりませんが、アメリカの場合には、フェアネスとか、インテグリティとか、ブッシュ大統領の演説の中に出てきた単語が法律やルールの上に表れるんですね。

【事務局(早野主任専門調査員)】こういうふうに御理解いただけますか。法律はもっと抽象的にしか書いていないわけですが、実際にアメリカにABAとAJS、アメリカン・ジュディカチュア・ソサエティですが、ここの2つの機関がこの問題に関してリーダー的な役割をしておりまして、いわゆるモデル・ルールというのをつくっています。モデル・ルールを各州が、それを参考にしながら、うちの州ではこういうことでやりましょうと決めています。これは公表されていますが、委員に対するマニュアルがございまして、そのマニュアルの中に、裁判官の選考はこういう形でやっていくんですよということになっています。
 ですから、公表という意味は、各州がつくっいる裁判官の選考・審査のマニュアルが、一般にもアクセスできますので、そういう形で出てくる。言葉としては、まさにフェアネスとかインテグリティとか、そういう言葉がそのとおり出ています。

【鳥居委員】私が言いたかったのは、そういうフェアネスとかインテグリティとか言う単語は、米国ではだれもその定義を問わない、漠然とだけれども、みんなが納得していて、いざ、それを発動しなきゃならないときには、例えば裁判官指名委員会とか、ABAでその任に当たる数名の人たちの判断、常識、良識に委ねられるという国だと思うんです。
 その真似が日本にできるのかということが我々に問われているんじゃないかと思うんです。日本だったら、多分この単語をルールの上に書くこと自体に、そもそもそれは抽象的な言葉だからだめだとか、内容がはっきりしないとか言って書かないできたのではないでしょうか。

【竹下会長代理】ルールのレベルにもよるかもしれませんね。

【中坊委員】州の裁判官というのは、アメリカ全国広いんだけれども、その委員会というのは州ごとにあるわけですか。

【事務局(早野主任専門調査員)】州によっては90くらいありますし、要するに最高裁だけで導入している州は1つになりますけれども、州全体の裁判官に対して導入しているところでは90とかになります。

【中坊委員】1つの州でですか。

【事務局(早野主任専門調査員)】はい。

【中坊委員】そうではないと、中央で統一したって実際にはわからないからね。どの程度そういう個人的な、今言われるように誠実さであるとか、抽象的な言葉というものを客観的に裏づける事実というものを具体的に選び出せるのかというところがはっきりしないと、任命の中で、そういう任命基準をいくらつくっても、それが本当かどうかというのは証明がつかないと思うんです。かなりきめ細かくやらないと、国で1つというわけには絶対いかないだろうし、州ごとにあるわけですね。

【事務局長】今のを補足いたしますと、今のは州の裁判官の任命でありまして、連邦の方はABAに常任委員会が1つ、常設の機関としてあるだけです。

【吉岡委員】もう一つ、アメリカの連邦裁判所の場合ですけれども、州の上院議員が推薦するというふうになっていまして、上院議員から推薦されるためには、政治的な関わりというのが必然的に出てくると思うんです。それで裁判官になったときには、政治的な関わりをはっきり切るというか、そういうふうに私が行ったときには聞いてきたんですけれども、それで間違いないのか、あるいはもうちょっとそのために何かルールがあるのか、伺えればと思います。

【事務局長】その問題はこの間の海外実情視察でお聞きになったとおりの方が、正確で分かりやすいのではないかと思いますが。

【山本委員】この間の大統領選挙を見ていると、その点はどう見ても解決されていませんね。いずれもポリティカル・アポインティーですから、フロリダ州の最高裁と連邦最高裁は真っ向から対立しましたね。なかなか政治的な影響力を切るというのは、言葉で言えても現実にはできないんでしょうね。

【佐藤会長】それを、裁判官個人への政治的影響力の結果と考えるのか、裁判官その人のもともとの考え方と考えるのか、微妙なところですが。

【山本委員】何だか最初から票読みができていましたね。

【佐藤会長】各裁判官の考え方や個性は、任命のときにかなり明らかになっていますからね。特に最高裁判事などになると。

【中坊委員】私の意見は、裁判官の任命手続では諸外国いずれも任命基準というものが一応あって、抽象的なことを裏付ける客観的な事実を調査をしたり、評価をしたり、それを情報公開したりする手続があって、それでみんな国民も納得していっているということがあると思うんです。
 だから、日本においても、少なくとも今のように最高裁事務総局以外はだれを採用したか、その経過は何もわからないという形ではなく、しかも、それを裏付けるような客観的事実というものをどのような方法で、どのようにして調査をして、だれがどのようにして評価をして、まさに国民的な基盤というのはどこに成り立っていて、どうやって決めるんだということを明らかにしないといけない。先ほどのアンケート調査にも出ていましたが、まさに裁判官が司法の中核なわけであって、そこにおいて質の高さと能力というものも本当に高くなければだめだということを言っているわけですから、国民的な十分な信頼と支持が得られるような制度をどう構築していくか、それが最小限今の日本の裁判官にも求められる。そうでなければ、裁判官は司法の中核を担うものにはならないと思う。

【藤田委員】ちょっと戻りますが、先ほど高木委員から判事補制度についてお話がありましたので。判事補については、今までも何遍も申し上げていますけれども、裁判官の代行とおっしゃいましたが、判事補は憲法上の裁判官であることは間違いない。そうでなければ、憲法上の裁判官でない者が裁判をしていたということになるわけで、憲法上は80条で下級裁判所の裁判官は最高裁判所の指名した者の名簿によって内閣でこれを任命するとしか規定しておらず、その資格や任用については、法律で規定されているわけですが、裁判所法で判事補制度ができた。
 この判事補によって今の日本の裁判制度というのは支えられている部分があるわけです。裁判官の転勤が非常に問題になっていますが、全国的に同じレベルの司法を維持するという点で、どうしても転勤が必要になってくる。これがドイツやフランスなどと、社会構造で決定的に違うところで、それが裁判官制度の難しい1つの原因にもなっているわけです。私は九州管内の裁判所に2回勤務しましたが、九州で離島裁判官協議会というのが昔ありまして、対馬の厳原と、五島の福江、奄美大島の名瀬、これらの裁判官は、大体みんな特例判事補ですが、離島で勤務して司法を支えている。特例判事補によって支えられている離島・僻地の支部が、かなり全国的にあるわけです。判事がやればいいじゃないかとおっしゃるかもしれませんが、判事になると、子供の教育の関係もあり、負担が過度に重くなるのを避けるという意味では、若い特例判事補を活用するということになっているわけであります。
 戦前は、前にも一度お話ししましたけれども、裁判官になると権限の制限はありませんでした。直ちに裁判長にするようなことはなかったんですが、戦前の東京地裁の例を見ますと、判事になって5年くらいで部長判事、つまり裁判長をやっているんです。十数年で東京控訴院部長、今で言う高等裁判所の裁判長の仕事をやっていた。戦後、判事補制度というものを設けて、職権の制限を設けたのは、アメリカのような陪審を前提にした法曹一元的なことを念頭に置いて、いきなり最初から単独で裁判する、あるいは裁判長としてやるのは適当ではないということで判事補制度を設けたということだろうと思うんです。
 そういう意味から言うと、判事補制度を何らかの形で改善していかなければいけないということはあるかもしれませんけれども、諸外国の例を見ても、ドイツでは試用裁判官は3年ないし6年というような時期がありますけれども、裁判官に任官して、職権の制限があるわけではない。実際の運用では試用ということで、70歳までの最終的な任用を試用期間を過ぎた後でやるということでありますし、そういう意味で日本の判事補制度というのは、世界的に見ても余り例のない制度でありますから、果たして今のままでいいかどうかということはありますが、現在、そういう形で日本の全国の司法が支えられているということです。
 判事補制度が今問題になっているのですが、現在の判事補を経由して判事になっている人たちがどうかということにもつながっているわけでありまして、判事補制度によって養成されて、判事として裁判長、あるいは右陪席としてやっている人たちがどうなのかということです。前にも申し上げましたけれども、我田引水と言われるかもしれませんが、新聞社などのアンケート調査でも、相対的に公平性、信頼性、廉潔という点では高い評価をいただいている。今日の菅原先生の説明を伺って、先ほど質問しました中立的であったとか、言い分を聞いてくれたとか、信頼できたというところで、55~59%という高い評価をいただいている。もちろんよく見てみないとわからぬということでありますけれども、いいことばかりではなくて、法律外の知識も有していたか、十分な準備をしていたかについての積極的評価は30%台でありますから、これはやはり改善しなければならない面はあろうかと思いますけれども、国際的にも相当程度の評価を得てきたという前提で考えると、判事が通ってきた判事補制度が根本的に改めなければならないような基本的欠陥のある制度であるとは思えません。一生懸命やっている判事補の心情を思いますと、かわいそうだという気がするわけであります。
 それから、任命手続と人事制度、これは国民の意思を反映すべきであるということは、先ほど会長がお話になりましたように、中間報告等で言わばコンセンサスでありますから、いかにしてそのような国民の声を反映し、かつ手続を透明にするかという具体的な方法論であろうかと思います。そういう意味でいきますと、任命も人事評価もいずれもそうでありますけれども、価値判断の基準が非常に多元化しておりまして、社会の中での対立が激しいという時代になりますと、評価ということは非常に難しいことになります。
 例えば労働事件の判決を挙げれば、労働側から言えば労働者敗訴の判決をするような裁判官というのは、労働関係に対する理解が不十分だということになりましょうし、労働者側勝訴の判決に対しては、使用者側から言うと、あっち側にばかりひいきしていてけしからぬということになるわけでありますし、消費者訴訟、あるいは環境・公害訴訟、これについても同じことであります。
 そういう意味で客観的に正当な評価ができるかどうかが大変難しい時代でありますので、誠実さとか思いやりとか言いましても、前科前歴、逮捕歴があるかどうかは調べればわかります。しかし、それ以外の人柄の善し悪しというのは、面接したり、調査したりしても、すぐにはわからないからこそ不祥事も起きるんですが、そういう意味で言うと、これまた非常に難しい。裁判の結果によって評価されるということになると、これは裁判官の独立という、良心と法律のみに従って判決すべきであるということにも影響してくるわけでありますし、そういうプレッシャーを受けて判断を自分の信念と違う方へ持っていくような裁判官はいないとは思いますけれども、そういうプレッシャーを受けたのではないかと疑われるというだけで、やはり裁判の公正さということが問題になってくる。そういう意味で、具体的な判断要素に踏み込めば踏み込むほど、微妙な問題が出てくる。したがって、制度構築については慎重な検討を要するし、諸外国の例等も調べた上で判断するのが適当ではなかろうかと思います。

【高木委員】心情論とか、頑張る論とか、清廉潔白論、そういうものについてとやかく申し上げるつもりは全然ないんです。藤田委員も自分も判事補を通ってきたと言われました。そういう意味で、ある種自分を振り返られての回顧、愛着もあるんだろうと思います。そういうお話をお聴きするのは別に結構なのですが、私が申し上げたいのは、ロジックと言いますか、確かに裁判所法には判事補も裁判官と書いてあり、それであるがゆえに憲法、あるいは裁判所法で身分も処遇も保障をされているわけです。
 一方で裁判所法は、判事補は他の法律に特別の定めのある場合を除いて、一人で裁判をすることができないと書いてあるんです。また、判事補は司法修習生の修習を終えた者の中からこれを任命する。任命資格としては、実務経験というのは求められていないわけです。研修所の研修を称してそう言うのか私は存じませんが、実際にほとんどの判事補の人たちは修習を終えてそのまま任官されており、実務経験をお持ちでない。
 一方で10年という期間をほかの給源の方たちの実務等の経験の期間として課す。この10年間の期間の経過、あるいはその間におきます実務的な意味での研鑽、そういった意味での資質能力を充実させるための経験がない形で判事補というのは採用される。そういう方々に一人で裁判をすることはできないと規定されるのは、ある意味で正しいことだと思うんです。しかし、もっと素朴に申し上げれば、一人で裁判をすることができない者が、合議体に入れば裁判ができるんですか。その場合、合議体を組む他の判事の人たちの裁判官という能力によって、一人でできない人の能力が補われるとすれば、そういう趣旨ならば、他の判事の職権によって判事補の職権は補われている。判事補には、そういう意味では独立した職権が担保されていないということになるのではないか。独立した職権のない判事補に、憲法76条3項のような、独立してその職権を行うことを求めるのは、やはり論理矛盾だろうと私は思います。
 そういう意味で、おっしゃられるように裁判所法では原則論として判事補は一人で裁判できないと書いてあります。竹下先生の書かれたご本の中にも、戦後の裁判官は戦前より非常にグレード・アップしたんだという趣旨のことが書いてあったように記憶しています。竹下先生がおっしゃられたのは裁判官ですが、しかし、そのような判事補が、憲法が本来意図した裁判官といえるか。そういうことを無視して、あるいは一方で弁護士任官について、弁護士側がきちんと応じられないから、やむにやまれずということで、本当にこれからの21世紀の司法を考えていくときに、今のような判事補の仕組みをそのまま維持し続けて、日本に本当によい裁判官、国民が求める裁判官像に沿った裁判官というのはできるのでしょうか。
 そういう意味で、もっと本質に根差した裁判官の在り方、あるいは現在持っている判事補制度の問題点、あるいは特例判事補についても別途の議論がいろいろあるわけですけれども、そういったものは、これから直すべきものは直すべきではないかということを私は先ほどから申し上げているわけです。

【藤田委員】御意見はよくわかります。私も判事補制度を回顧と愛情だけで言っているわけではありません。
 結局、諸外国の例を見ても、そうした職権の制限というのはないんです。任官した裁判官が法律上はすぐに単独で裁判できるようになっている。けれども、実際上、ドイツやフランスのようにこのようなシステムを取っているところを見ても、いきなり裁判長にしたりということはしていない。ある程度の経験を積んだ上で単独裁判官、あるいは裁判長をやらせるのが適当であろうということを運用でやっているんですね。アメリカ的な考え方を導入して、裁判所法で規定を設けて、判事補制度というものをつくったわけですけれども、単独でできないから、合議体の構成員としても勤まらないと決め付けるのもいかがなものか。やはり合議体のメンバーとして事実認定をし、法律の適用を考える。しかし、裁判長なり右陪席の意見も聞いてみて、それなりに自分の考え方について反省するところもあるでしょうし、そういう経験を積んでいくことによって、より確実な判断ができるであろう。そういうふうに養成していこうということで判事補制度をつくったわけで、それを法律で10年間も単独で判決ができないということにしているのが、そもそもいいのか悪いのかという問題もあります。
 私は昭和32年に判事補になりまして、新潟の長岡支部に行きました。そこで少年事件全部と、民事の保全事件全部、それから民事合議事件と刑事合議事件の左陪席をやりました。
 ですから、そういう民事、刑事の陪席をやりながら、民事事件のものの見方とか法律の適用を学んだわけですし、少年事件と保全事件を一人でやらされたのは大変でしたけれども、一生懸命勉強し、先輩に問い掛けながら、どうやらやっていったというようなことで、そういう過程を通って、判事になったわけです。振り返ってみて、その過程に欠陥があるとは思えない。
 むしろ弁護士である年限の経験を有して裁判官になった場合、もちろんいきなり修習生から裁判官になった場合とは違うでしょうけれども、弁護士としての仕事の内容と裁判官の仕事としての内容はぴったり重なるわけじゃないんです。やはり物の見方にしても何にしても違うし、職人的な判決の書き方というのはそんな本質的なものではないとは思うのですが、中坊委員もかつて名弁護士必ずしも名裁判官ならずとおっしゃった。名裁判官必ずしも名弁護士じゃないんですけれども、そういう意味でちょっと違う。弁護士で経験を積んで裁判官になったからと言って、すぐ裁判官として活躍できるというものではなくて、やはり裁判官としての経験を積みながら成長していくということだろうと思うのです。だから、判事補についてもそれは同じことではないかと思うわけです。

【中坊委員】これは夏の集中審議でも言いましたけれども、裁く立場ばかりをやって、修習生を終えたら裁く立場の経験を幾ら重ねるということではなくて、裁かれたという立場を経験し、先ほど言うように、その中からその人の誠実さとかいうものが実証的に裏付けられて慎重な任命手続の中で行われていくべき職ですから、どうしたって裁く立場ばかりを何年間継続してやったとしても、それだけでよいということにはならない。
 名弁護士の中でも名裁判官になれない人もいるわけです。弁護士という性格と裁判官の性格とは違う。そういう大勢の裁かれた立場をやっていく中において、まさに選ぶ者として、名前が有名だって、実は裁判官としては必ずしも適当ではない人もいる。こういう人がだんだんわかっていくわけですから、今まさに我々が求められているのは、単に人間性が個別にあるとかないとかいう問題ではなしに、まさに国民が信頼したり、その人を支持する制度的な担保である。確かに藤田委員のおっしゃるように、藤田委員は一生懸命やったし、数多くそうした裁判官もいらっしゃるかもしれない。しかし、裁かれる者から見たときに、今日も言われたように、2割司法と言ったけれども、結局、裁判制度に対する満足度というのは2割を切っていたじゃありませんかというのが今日の結論でも出ておるわけです。
 だから、我々としては、そこを抜本的に直すという姿勢がなければ、私は今回の司法制度改革審議会の本来の意義が失われる。確かに藤田委員の言われるのは私はよくわかるよ。しかし、かつて水原委員もこの審議会でおっしゃったように、立場が違うということが一番基本にあって、そこでどのような実績を得てきたかということを客観的に、徹底的な調査をしてこそ初めて国民からみて、それならもっともだと信頼したり支持するんだということは、私は基本としてわきまえないといけないと思います。

【佐藤会長】今、裁かれる立場といわれたけれども、裁く立場の経験も貴重なのかもしれません。アメリカの場合、連邦裁判官の中には、弁護士をやり州の裁判官をやって連邦の裁判官になる人たちもいる。さまざまな経歴の持ち主がいると思うんです。中間報告で我々がとりまとめたことは、1つは、今の裁判所法は多元性ということを前提にしているにもかかわらず、いろいろな事情で事実上ほとんどが判事補から判事になっている、ここはちょっと考える必要があるのではないかということ。もう一つは、判事になるためには、多様な知識、経験が必要であり、それを制度的に担保する仕組みを少し考えるべきではないかということ。こうした点について具体的にどうしたらいいかに関し御議論いただきたいと思うんですが、いかがでしょうか。

【竹下会長代理】中坊委員は裁かれる立場、裁く立場とおっしゃるのですけれども、要は判事に任命される。つまり判事補の途中の特例判事補の問題は別としまして、判事に任命される者は、法律家として成熟していなければならない、多様な経験を積んだ成熟した法律家が判事になってもらいたい、そのために、裁判所法はいろいろな階層から判事を任命できるということになっているわけです。
 そういう立場から見たときに、裁判所法の中に、判事の給源として書かれている判事補、弁護士、検察官、大学教授というのを比べて、10年の経験を積んで、判事補の経験では検察官や弁護士の経験よりも人間的に成熟しないのだということは言えないと思うのです。まして、私どもとしてみると、大学に10年いた人間が判事となるような人間的な成熟性を当然に持っているかと言われると、これはかなり疑問だと言わざるを得ない。
 そういうふうに考えてみると、今までは確かに判事補から判事になる人が大部分であったために、専ら判事補制度に焦点が集まって、判事補制度がおかしいのだというようにいわれていますが、実はそうではないので、多様な経験が必要であるということであるとすれば、どの出身者についても、多様な経験を求めるということでないと不徹底だし、不公平だと思うのです。判事補については多様な経験でなければいけない。しかし、弁護士は弁護士だけでよい、検察官は検察官だけでよいというのは、理由がないと思います。なぜ判事補は判事補だけではいけないのかということになると思うのです。私は判事補制度が現在何も問題がないということを言っているわけではありませんから、いろいろな面で改革をすることは結構だと思うのですが、それは弁護士や検察官から判事になる者についても同じだと思います。

【中坊委員】繰り返しですが、料理をつくる人と味わう人と、そこが違うんですよ。国民から本当に信頼され、支持されるというのは、同じ裁かれているという国民の中から実績のある人が選ばれるというのは、皆が納得するんですよ。自分たちと同じ仲間から裁判官が出ていくんだから。ところが、最初から裁く側の立場だけを幾らやっても、しょせんあなたたちは最初から料理を食べる人ばかりをやって、つくった経験は一回もないでしょうと。おっしゃるように、弁護士だって大学教授だって、その意味では一般市民なんですよ。裁かれる立場をずっとみんなやってきている。その中でよい人が選ばれていくという制度でないと、国民自身が、自分たちの国民的基盤に立った、自分たちが本当に信頼し支持するというためには、同じ国民の中から裁かれている経験を持っている者、同じ目線で立っているものからよい人を選びますという制度にならないと、最初から裁く立場ばかりを見習っていたら、10年経てばそれで当然になるという論理は私は成り立たないと思うんです。

【水原委員】1点だけ教えていただきたいのです。中坊委員は、大学教授、助教授は当事者経験がないんですけれども、それに判事の任用資格を与えているのは、これはどういうことになるんでしょうか。

【中坊委員】大学教授というのは、裁いた経験はないんですよ。裁判官はよほどのことがない限り、裁かれる経験はない。裁く側だけの仕事で四六時終えられている。弁護士は代理人としてやっていますよ。大学教授も基本的には生徒を教えているのであって、裁く立場を経験しているわけではない。だから、裁く立場ばかりを経験することによって10年経てば判事に自動的になれるという制度はおかしいということを言っているわけです。

【水原委員】そうしますと、判事補を判事の給源の一つとすること自体はよろしいのですね。

【中坊委員】違います。

【水原委員】問題は裁いた立場だけで、裁かれる立場がなかったという、それが問題だとするならば、問題はその者が判事として適正であるかどうかの任用の問題のところで引っ掛かってくるわけです。判事の任命をどのようにして行うかという問題でしょう。それは裁いた側だけでやっているものだから、しかもこれは法的な技術は知っているかもわからないけれども、人間性が豊かではないとか、社会経験が不足しているとかの可能性があるから、これは任用しませんということもありうる。その段階でふるい落とすということも方法としては考えられるんじゃなかろうか。
 問題は、我々が今まで議論したことは、給源としては、いろんなことを法律は予定しているわけでございます。その給源の1つに判事補もある。それから、検事も弁護士も大学の教授もある。その方々の中で判事に適任なものはだれかというのを選ぶ方法こそが問題であって、それぞれを給源として考えるべきだ。
 判事補であっても、裁判というのは、いきなり裁判所に入ったからといってできるものではない。判事に求められる資質は何かというと、社会経験も必要でありましょうし、それに裏付けされた洞察力だとか、常識的な判断も必要でございましょう。人間的な温かみも必要でございましょう。それと同時に、裁判官というものには、裁判を主宰するものとして、争点の整理もやらなければいけない、証拠の整理もしなければいけない。裁判実務、これは竹下代理が夏の集中審議のときに、私どもが申し上げた裁判官の適性は何かと言ったときに、後でおっしゃったのは、それだけではなく、やはり法的な技術の問題も必要でございましょうとおっしゃったことを考えますと、今の判事補というのは問題はございましょうが、その問題を補うことを考えれば、給源の1つとして判事補というものがあってもいいのではなかろうか。そのように考えます。

【高木委員】今の議論は、裁判所法42条1号での給源の一つとしての判事補の特異性は、ヨーイドンで、経験ゼロでも裁判官だということになっていて、藤田委員のようにいきなり長岡へ言って全部うまいこと処理できたすばらしい判事補さんもおられるでしょうが。

【藤田委員】いや、並みです。

【高木委員】そういう意味では、先ほどの竹下先生の議論もそうなんですが、大学の先生でも10年経たないと、という要件が入っているわけです。だけれども、経験ゼロ年でヨーイドンで、裁判官という身分を裁判所法で担保されている。給源はいろいろ並べてありますが、判事補だけ特別扱いになっていて、現に今言われたように令状審査やら仮処分事件やら少年法やら、若いうちからいろいろやっておられるわけです。レベルがきちんと担保されて、本当に国民が信頼できるならいいんですよ。判事補だけ特別扱いというところに不合理がある。論理的にははっきりいっておかしい。
 そういう意味で、判事補とそのほかの皆さんとの関係では、10年ということの担保のされ方の意味が全然違うんです。そこを混同した議論をすると、本質がどこかでおかしくなってしまう。だから、もしそういう論理を徹底するなら、判事補制度などとせずに、研修所を出た人をいきなり判事にしたらいい。

【藤田委員】その方が論理的ですね。

【高木委員】そうならないとおかしい。

【藤田委員】運用上どうするかの問題はありますけれども。

【高木委員】藤田委員がさっき言われたように、ドイツなどはそうなっておるというわけです。そこのところを混同して議論してはいけない。

【竹下会長代理】それは別の問題ではないでしょうか。

【吉岡委員】若干ダブるのかなと思うんですが、私たちから言うと裁判官という、判事補も入れた感じになりますけれども、国民から見て信頼できる、公正中立な判断ができる、そういう人を期待するわけです。それで訴えるわけです。
 その場合に、どういう資質を求めるかというと、社会的な経験を積んで、常識的な判断ができるということが求められるわけです。最近あった不祥事を見ていまして、それがすべての裁判官であり、検察官であるとは思いませんけれども、かなり非常識なことがされています。そのような方々が特別の囲いの中にいらっしゃる。だから、そういう中で常識では考えられないようなことが起こるのだと私たちは見るわけですけれども、そういう問題を見ても、もっと社会的な経験を積んでいただきたい。そのように考えます。
 その社会的な経験で、これ新聞記事ですべて正しく報道されているのかどうかというのはわかりませんが、先ほど高木委員がおっしゃった2月8日の朝日新聞に、最高裁の意向が書かれておりました。最高裁判所は判事補の経験を豊かにするために、1年くらいは弁護士事務所に行って勉強させるとか、そういうことが書いてありました。私がそれを見て思ったのは、判事補の資格で弁護士事務所に行って、本当の経験ができるだろうか。これはお客様でしかない。やはり社会的な経験をするという意味では、裁判官という資格を持って、それで商社に行ったり、スーパーに行ったりということではなくて、資格のない状態で、全くそこで働いている人と同じ身分で経験をしていただかなければ困ると思いますし、弁護士についても、お客様で1年くらいやったって、本当のところわからないのではないかと思います。そういう意味では、やはり相当の年数を本当に弁護士として働いていただく。そういうことをしないと社会的な経験を積んだと私たちからは見えません。
 それから、アメリカでいろいろお話を伺ってきたときに、弁護士を10年以上くらいやって、それで裁判官に応募したという裁判官もいらっしゃいましたし、それから、ロークラークの経験をしたという方もいらっしゃいました。少なくとも裁判官として身分が保障されているというよりは、むしろロークラークの経験は、社会的な経験の1つという考え方もできると思うのです。ただ、ロークラークだけを10年やったらとか、そういうことではなくて、幾つかの職種を経験するということも考えていいんじゃないかと思います。少なくとも被告人なり、原告の代理人となって実際の市民に一番近いところで働くという、それは経験の中に必要事項として入れなければいけないんじゃないかと考えます。

【山本委員】先ほどの菅原先生のレポートにもありましたけれども、裁判官に要求される資質というのは、公正・中立なんです。私たち企業側からしますと、それに更に予測可能性と言いますか、判断の安定性がそろえばこれで言うことはない。一方、弁護士さんは、弁護士としてのスキルを持っているかどうか。要するに、それぞれの専門家に対するユーザーの要求というのは違うわけです。それだけではなく、もう少し多様性を持ったいろんな常識だとか、社会の実態ということが加われば鬼に金棒だというのが今の議論だと思うのです。
 ですから、混同していけないのは、料理人と食べる人が全く一緒になって、どっちが料理人だか食べる人だかわからないというのはいけないわけですから、あくまでも料理人と食べる人、弁護士さんと裁判官、検事というのは、それぞれのセクションで専門的なスキルを持つ必要があるわけです。
 そういった意味で、現在の判事補制度というのはまさしくオン・ザ・ジョブ・トレーニング、高木さんがおっしゃるように判事補の定義が少しうまくないねということがあれば、これはきちんとすればいいわけです。たとえば研修中という扱い。
 恐らく弁護士さんだって、事務所に入ったばかりの人にいきなり大きな訴訟を自らやれとか、大きな企業の顧問をやれということにはならないと思うんです。最初はオン・ザ・ジョブ・トレーニングをやらせながら力を見つついろんな仕事をやらせる。これはどこの世界でもある話だと思うんです。
 そういった意味で、私は少なくとも現在までの日本の判事補を中心とする裁判官養成制度というのは、国民の期待をそんなに裏切っているものではないと思っています。でも、できるだけいいものにするという努力は必要ですから、そのような枠の中でいろいろなことを考えればいい。あるいは多元化していけばいいということだと思います。更に言うならば、国民の司法参加で裁判員がいるようになりますから、そういった面の改善もあると思うのです。
 そもそも今の世の中というのは極めて複雑多岐にわたりますので、経験というものをどこまで積み重ねればいいのか。実際に現場の経験といいますけれども、これはなかなか難しいものがありますね。裁判官としてたくさんの訴訟を経験するということだって、むしろ弁護士事務所に行って5年も6年も代理人だけやっているよりはるかにこっちの方が裁判官としてのスキルは磨かれる可能性だって否定できないわけですから、物事というのは余り一面的にとらえることはまずいのではないかというのが私の考えです。

【鳥居委員】先ほど水原委員のおっしゃったことに、結論としては近くなりますが、私は本当にすばらしい裁判官が最高裁、高裁、地裁におられるという状態をいかにしてつくるか。また、検事の話は後でやるんでしょうが、すばらしい検事がいる、すばらしい弁護士がいるという状態を最後につくるのが司法制度改革の目標だと思うのです。
 すばらしい裁判官というのはどういうものかという話については、大体議論が出尽くしたと思いますが、個人的な資質として誠実さであるとか、公平さであるとか、あるいは礼儀正しさとか、あわゆるそういう個人的な資質がしっかりしているということは、これは子供のときからずっとスクリーニングを受けてきて、どこかの段階でスクリーニングされているとは思うんですけれども、なおかつ裁判所法第5条で言うところの裁判官になる段階でもう一回スクリーンされる。同時に、それに加えてさまざまな法律的な専門的知識を持っていることと、もう一つは、できるだけ広い人間の問題についての処理の経験を積んでいることの3つが重要だと思うのです。
 そのために、裁判官の任用の給源の多様性というのを今議論しています。この法律の何か所かに書いてある判事補、それから検事、弁護士とか書いてありますが、このいずれも給源としてよいという考え方は1つ取れると思います。ただその際、裁判官というデフィニションの中に最初から入っている判事補というのを考えるのと、そうではなくて、全くイーブンな立場で、まだ見習い中あるいは修業中という立場の判事補というのを想定するのとで話は変わってくるのだと思うのです。大変勝手な夢を言わせていただければ、私はむしろ司法試験をパスした段階で、判事補という立派な職業がある、ただしそれはまだ裁判官ではない。どちらかというと、アメリカ流の表現をすればロークラークという形で徹底して裁判所の仕事、裁判官の調査などの手伝いをし、見習いをし、場合によっては判決文の書き方までも見習い、時にはほかの仕事も経験する。
 一方、弁護士の方にも、司法試験を通って一緒に研修所を卒業した仲間の何人かは弁護士になる。けれども、最初のうちは、何という名前で呼ぶかわかりませんが、昔の言葉で言うイソ弁かもしれませんが、半人前の見習い期間があり、それがどこかの段階でスクリーニングを受けて、ある人はローファームの経営者として自立する人がいるでしょうし、ある人は裁判官に任官する人もいるという、そういう世界を考えてはどうか。そうすると、問題は意外にすっきりしてくるんじゃないか。
 それをすっきりさせませんと、これから法律問題の範囲がどのように広がっていくかわからない時代であるのに、本当に狭い経験しかしていない人たちが、あたかも弁護士だから何でもやれるのだというような顔をしてみたり、何でもやれる裁判官のつもりになってみたりということが起こるのではないかと思うんです。
 これは大変言いにくいのですが、裁判所法第5条のところに、判事補という言葉が書いてあるのを、このまま行くのかどうかという、本気でそこを改革するのかどうかということにかかっているように思います。また、裁判官分限法という法には、実は任免の任の方は一切書いていないという状況が、私にはちょっと理解できない。この辺りのことが全部整理がつくようにしていただけると、私は全く法律は素人ですからわかりませんが、問題はすっきりするのではないかと思います。

【佐藤会長】まだ議論は尽きないと思いますが、今、鳥居委員の方から、私個人としてもよく理解できることをおっしゃっていただいたように思います。
 最初の方で確認しましたように、現行の裁判所法は多様な裁判官、多様な給源を想定している。しかし、現実問題として、判事補が給源のほとんどになっているという状況は、今の裁判所法の下でも、具合が悪いのではないかという辺りは、皆さん大体共通の御認識だろうと思います。
 今の判事補がだめなのかどうかといった評価は、人さまざまでありまして、私はこの審議会として、いいとか悪いとかいうことは必ずしも簡単に言うべきことではないと思います。むしろ審議会の設置法にあるように、21世紀のあるべき司法は何かという観点、そして中間報告でも打ち出しているように、これからよりよいものをつくるためにどうするかという観点、こうした観点から考えようということであり、そのために、知識、経験等の多様化というものを制度的に担保する仕組みを考えようということであり、その具体策としてどういうものが考えられるか、これが肝心なことかと思います。今鳥居委員が御示唆なさいましたけれども、そういう角度から判事補の問題を考える。さらに、弁護士が裁判官になるという場合についても、それなりの過程というものを考える必要があるかもしれません。その辺については更に次回にヒアリングをしますので、それを踏まえて議論を深めたいと思います。
 それから、中坊委員がおっしゃったことですが、今までの状況で考えるのではなくて、判事の大幅な増員を図るという中でこの問題を考えていこうということですから、従来とは考えるべき基盤がかなり違うように思うのです。
 さらに、多様な経験を有する判事を得ようとすれば、任命過程、指名過程も従来とは違った工夫が必要であろう。その点、既に今日もいろいろ議論が出ております。具体的な仕組みとしてどういうものを考えるかについては、今日はまだはっきりした線は出ておりませんけれども、多様な経験を有する判事を得ようということであれば、方向としては、従来と違った何かを考える必要があるだろう。そうすると、任命の基準をどう考えるかの問題が出てきます。
 思いつきなのですが、昨年の7月頃だったと思いますが、最高裁の人事資料の様式が出されましたが、あれなども参考になるかもしれません。アメリカ、イギリス、あるいはドイツなどの基準と付き合わせることによって、案外、任命基準について考えるべき、あるいは人事評価の在り方について考えるべき手掛かりが得られるかもしれません。今日はそこまで議論したかったのですが。

【高木委員】会長が極めて融和的・政治的な御発言をされましたが、私はこだわるわけではないのですが、よりよいものをつくるときに、便法に更に工夫を加えるということには限界があるということを、しつこいようですけれども、申し上げておかなければいけないと思いました。そんな意味で、要は、よりよいものをということについてはコンセンサスがあると思います。だれもこのことには反対しないと思うのです。そういうことも含めまして、経過的にはいろんなことを考えなければいけないとは思いますけれども、21世紀の本質的なことを考えたら、言葉の滑りついででお許しいただくと、接ぎ木をしたものはやはり接ぎ木なんですよ。

【佐藤会長】何の接ぎ木ですか。

【高木委員】接ぎ木にも立派なものもあるのかもしれませんが、今の接ぎ木の例が適当でなかったら別の例を考えてきますけれども、我々は本質的なしっかりした議論をして、そうは言ったって一遍にはいかないよとか、いろんな論議があるよというなら、その中で最後のデッサンはこうしようというのをお互いに議論をしていけばいいんだと思います。これは会長に失礼かもしれませんが、余り融和的・政治的にお考えにならないでください。

【佐藤会長】そのようなつもりではないのです。鳥居委員がおっしゃったことは私なりに理解しているつもりです。判事補制度の在り方の本質についても、3つの面がある、すなわち補佐、トレーニー、代行という面があるという議論が出されました。判事補の在り方を考えるときに、この点を詰めて議論していくと、もう少し我々の理解が深まるのかもしれません。その辺も含めて、次回にもう少し立ち行って御議論いただきたいと思っておりますが、今日のところは先ほど言ったようなところでして、裁判所法からみても現状には具合が悪いところがある、これはかねてから我々が理解していたことではないか、そこはよろしゅうございますね。

【竹下会長代理】ちょっと待ってください。

【佐藤会長】事実上判事補が判事の大半の給源になっているということは具合が悪いと申し上げただけです。

【竹下会長代理】その原因の理解については必ずしも一致していないのではないでしょうか。

【佐藤会長】そこの話になりますと、さっき中坊委員がおっしゃったように、今後我々は判事の大幅増員ということを一方の視野に入れて考えていくということではないかと思います。もとはといえば判事の数が足らなくて、増員しようとしてもなかなか簡単にできなかったというような事情があったかと理解していますが。

【山本委員】現状が具合が悪いというわけですか。

【佐藤会長】大半が、いやほとんどが判事補出身であることです。

【山本委員】よりよくするということならわかるけれども、具合が悪いというのはちょっとどうかと思います。

【佐藤会長】それは表現の仕方ではないでしょうか。

【竹下会長代理】なぜそうなったかという、その原因の理解についてはどうなりましょうか。

【佐藤会長】その原因についての理解はさまざまあると思いますけれども、今のままでいいとは言えないでしょう。

【竹下会長代理】高木委員のおっしゃった接ぎ木論、便宜論なんですが、判事補特例法は確かに後からできたものですけれども、裁判所法は憲法と同時につくられたものですから、裁判所法に書いてあることが、憲法と矛盾しているとかいう議論はありえないのです。

【佐藤会長】そこを議論すればまたいろいろあると思います。現行の憲法を施行するために作られた法律は、裁判所法や内閣法を始めいろいろあります。行政改革のときに、閣議が全員一致を要するかどうかの議論がありましたが、それは複雑な憲法解釈論とかかわっています。従来の制度運用は、全員一致を前提にできていたのですけれども、そこはしかし違った解釈や考え方もありうるのではないかということで、憲法解釈論から演繹的に結論するというアプローチはとりませんでした。
 憲法との関係については、さまざまな理解がありますから、改革を考えようとする場合、解釈論としての在り方自体について議論するというよりも、実質的にどうかということが重要ではないかと思いますが。

【竹下会長代理】私も解釈論を言うつもりはありません。

【佐藤会長】時間ももう5時を回りましたので、今日のところは、先ほどのようなまとめ方にしておいて、次回、ヒアリングを踏まえて、更に意見交換をし、27日に結論を出さないといけませんので、そこはそうした前提でそれぞれの委員にもお考えいただきたいと思います。
 次に、3月以降の日程につきまして、委員の皆様にお諮りしたいと思います。この3月以降の日程につきましては、あらかじめ御了解をいただいておりましたので、会長代理と相談させていただきまして、本日お手元にお配りしておりますように、平成13年3月以降の審議予定を考えてみました。このペーパーは、事前に事務局から委員の皆様にお送りしておりますので、既に御覧いただいていると思いますが、その内容を少し御説明させていただきたいと思います。
 最初にこの日程案を作成した基本的な考え方をお話ししますと、本年6月12日を最終意見の決定及び内閣への提出日とするということを一応の目標としまして、それまでの間、日程的にかなり厳しくなっておりますけれども、今後更に調査審議を行わなくてはならない項目としてどのようなものがあるか、それぞれの項目についてどの程度の審議回数が必要か、最終意見の決定までにどの程度の審議が必要かなどを検討しまして、作成したものです。
 それぞれの審議会において審議いただきたいと考えている項目などについてお話ししたいと思いますが、まず3月2日の第50回会議では、法曹養成及び法曹人口につきまして御審議いただきたいと考えております。この点に関する中間報告の内容につきましては、特に法科大学院の設立に関しまして、当審議会にさまざまな御意見が寄せられておりますので、これらのさまざまな御意見を踏まえて、再度当審議会として新しい法曹養成制度の姿についての意見交換を深めるとともに、法曹人口の拡大につきましても、この法科大学院の設立時期や移行措置なども併せて、どのような形で増加を図っていくのか、ある程度のイメージが持てるような意見交換をしたいと考えております。
 次の第51回会議では、国民の司法参加につきまして、皆様の意見交換を踏まえて、私と会長代理で相談させていただき、更に井上委員の御協力も得まして、訴訟手続への参加に関する具体的な制度設計の基本に関する案を作成して、その案を皆様にお諮りし、意見交換をしていただきまして、当審議会としての考え方をとりまとめることができればというように考えている次第です。
 それから、この第51回会議では、国民の司法参加に関するその他の問題、例えば、検察審査会の在り方などについても意見交換をしたいというように思っております。
 それから、その次の第52回会議の3月19日、それから第55回の4月10日までの間で、利用しやすい司法制度及び国民の期待に応える民事司法の在り方、それから、国民の期待に応える刑事司法の在り方をそれぞれ交互に御審議いただければというように思っている次第です。利用しやすい司法制度及び国民の期待に応える民事司法につきましては、中間報告を踏まえて、更に意見交換をしていただくとともに、今、会長代理にお願いしておりますADRに関する勉強会の結果も御報告いただいて、ADRについても意見交換を行った上で、4月6日の第54回会議で審議会としての意見のとりまとめができればというように思っております。なお、ここで労働事件に関する御審議もいただく予定でおります。
 それから、国民の期待に応える刑事司法の在り方ですけれども、まず3月27日の第53回会議において、警察からのヒアリングを考えております。その後、第51回会議でとりまとめを行う、訴訟手続への参加に関する考え方を踏まえまして、第53回会議と4月10日の第55回会議において、再度意見交換を行っていただき、審議会としての意見のとりまとめができればというように思っている次第です。
 その次の4月16日の第56回会議では、第55回までの審議会で、ほぼ今後の司法制度改革に関する当審議会の意見がまとまってくることになると思われますので、今後の改革のスケジュールや、それを実現するための推進体制などについても御審議いただければと思っております。
 なお、推進体制につきましては、第52回会議から第55回会議までの間に、少しお時間を取っていただいて若干意見交換をしたいと考えておりまして、それを踏まえて第56回会議で詰めた御議論をしていただければと思っているところです。
 それから、4月24日の第57回会議におきましては、法曹養成及び法曹人口につきまして、今後の司法制度の改革の姿も視野に入れて、再度御審議いただき、より具体的な結論を出すことができればと考えております。
 それからまた、今日も若干話題になりましたけれども、裁判官及び検察官の増加につきましても、具体的な考え方を示すことができればというように思っております。
 ただし、この第56回会議と第57回会議におきましては、必ずしもお話ししたような項目だけの審議を行うというように考えているわけではありませんで、第55回会議までの御審議の中で、更に詰めなくてはならないというようなものが出てきたときには、それに関する御審議やあるいは行政事件に関する審議も、この第56回会議と第57回会議で必要な時間を取って審議をしたいというように思っております。
 更に時間が足りないということであれば、5月8日の第58回会議にも御議論いただければと考えまして、予備日というようにしているわけであります。ですから、この第56回会議から第58回会議までの審議項目につきましては、今後の審議の進行状況を見ながら変更することがありうるというように思っております。
 その後の5月21日の第59回会議から6月1日の第62回会議までを使いまして、最終意見に関する御審議をいただきたいと思っております。この最終意見につきましても、中間報告のときと同様に、私と会長代理で案文を作成させていただきまして、事前に委員の皆様にお送りしてお目を通していただいた上で、第59回会議から御審議いただこうというように考えておりまして、第62回会議で実質的には、その内容を確定したいというように思っております。そして、いよいよ最後の6月12日の第63回会議でありますが、そこで最終的にこの最終意見の内容を確認していただきまして、内閣に提出したいというように考えている次第です。
 一応、こういう計画を立ててみたわけであります。何か気の重くなるようなことかもしれませんけれども、大体こんな腹づもりで進んでまいりたいと思っておりますが、いかがでしょうか。

【鳥居委員】この順番を入れ替えることはできないのですか。

【佐藤会長】そんなにリジットではないのですが、いろいろ考えて大体こういうところが一番スムーズに行くのではないかと思ったのです。

【鳥居委員】第50回の予定についてなのですが。

【佐藤会長】第50回ですか。この辺で少し議論しておいた方がいいのではないかと思ったものですから。微妙な問題があることは承知しておりますけれども。そして、第57回にももう一回この問題を審議しますので。
 よろしゅうございますか。ありがとうございます。
 では、そのように決めさせていただきます。よろしくお願いいたします。
 配付資料についてはいかがですか。

【事務局長】特に説明することはございません。

【佐藤会長】では、次回は、2月19日月曜日の9時半から正午まで、この審議室で行います。法曹三者からのヒアリングを行い、引き続き意見交換をいたします。
 本日の記者会見はいかがしましょうか。
 それでは、どうもありがとうございました。これで閉会といたします。