司法制度改革審議会

第49回司法制度改革審議会議事録



日 時:平成13年2月27日(金) 13:30 ~17:35

場 所:司法制度改革審議会審議室

出席者(委 員)

佐藤幸治会長、竹下守夫会長代理、石井宏治、井上正仁、北村敬子、髙木剛、鳥居泰彦、中坊公平、藤田耕三、水原敏博、山本勝、吉岡初子

(事務局)

樋渡利秋事務局長

  1. 開 会
  2. 裁判官制度の改革について
  3. 閉 会

【佐藤会長】ただいまより第49回会議を開会いたします。
 本日も、前々回及び前回に引き続きまして、裁判官制度の改革について御審議いただきたいと思います。これまでの意見交換、それから前回法曹三者からのヒアリングを行いましたけれども、それを踏まえまして意見交換を行い、最後には、この審議会としての意見の取りまとめを行いたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。
 それでは、早速意見交換に入ることにいたします。
 本日の意見交換におきましても、前々回の意見交換の際に使いました審議用レジュメをお使いいただければと思いまして、お手元にお配りしております。さらに、前回までの意見交換などを踏まえまして、私と代理で相談しまして、新たにレジュメを用意させていただきました。お手元に1枚のものがあるかと思います。本日の意見交換は、これらのレジュメに従いまして、できるだけ項目ごとに、具体的な制度設計の基本について、その方向性を出せるような形で進めさせていただければと考えている次第です。
 最初に、今日新たにお配りしました1枚のレジュメについて、ごく簡単に御説明しておきます。「『裁判官の指名過程に国民の意思を反映させるための機関』に関する検討事項」というレジュメでございます。
 この課題に対するこれまでの審議で、このような機関の具体的な制度の内容についての各委員の考え方もおおむね出そろったのではないかと思われまして、最高裁が下級裁の裁判官の指名権を有することを前提とした上で、更に詰めるべきポイントは何かということを、このレジュメで整理させていただいたわけであります。
 順を追ってきますと、まず「イ.審査の在り方についての考え方」であります。そこに記しておりますように、でき上がった「指名名簿の案を提示され、指名の適否について意見を述べる」機関とするのか、あるいは「自ら適任者の選考、推薦等を行う」機関とするのかという点を、まず最初に掲げさせていただきました。
 また、審査の在り方に関連して検討すべき事項として、手続の透明性・開放性の確保に関する事項を掲げております。ここでは、「公募制」という用語を使っておりますけれども、この用語はやや多義的なところがありまして、その細部にわたる内容は、論者によって必ずしも一様ではないと思われます。少なくとも、裁判官の指名を受けようとする者に、選考過程へのアクセスの機会を十分に保障するため、どのようにして手続の透明性・開放性を確保するかという点について議論すべきであると考えまして、そういう書き方をしているわけであります。
 それから、「ロ.設置単位についての考え方」でありますが、一つは、中央に一を限って設置するというものです。その場合、法務省のヒアリングでの説明にありましたように、審査の実質化を図るという観点から、地方の情報等をくみ上げるための何らかの仕組みをプラスするというものが考えられます。あるいは中央に選考を行う委員会を設置するとともに、地域ブロックごとに、これについては高裁単位、あるいは地裁単位ということが考えられますけれども、この地域ブロックごとにその下部機関として推薦を行う委員会を設置するということもあり得ます。最後に、地域ブロックごとに、中央には置かなくて、地域ブロックごとに設置するということが考えられます。そういう論点をそこに掲げております。
 「ハ.委員会の構成、委員の選任方法についての考え方」ですが、国民の意思を適切に反映するため、委員会の構成をどのようなものとするか、委員の選任方法をどのような仕組みによるものとするかという点を、そこに掲げております。
 簡単ですけれども、今日配付しましたレジュメについての説明ということにさせていただきます。
 議論の順番ですが、これまでもそうでしたけれども、給源の多様化・多元化、それから任命手続の見直し、さらに、人事制度の見直しという三つの項目がありまして、この順番でやるということも考えられるわけですが、一つの考え方として、今、御紹介しました指名過程に国民の意思を反映させるための機関の問題のところは、やや論点が凝集しているような感じもありますので、あるいはこちらから先に入って、そして給源の問題をその次にやるということも考えられるのではないかと思います。いかがでしょうか。給源の方はかなり論点が多岐にわたると言いますか、いろいろなことがありますので、まず、こちらからということでよろしゅうございますか。

【竹下会長代理】いかがでしょうか。比較的意見の一致が得られやすい方だと思いますので、任命手続の見直しから始めることにした方がよいのではないでしょうか。

【佐藤会長】それでは、そこから入らせていただきます。なお、事務局が作成しました資料につきまして御質問があれば事務局からお答えいただきますが、前回の法曹三者からのヒアリングにつきましても、御質問等がありましたら、本日も法曹三者からはお答えいただける方にお見えいただいております。意見交換の中で適宜御質問いただければと思います。法曹三者の方、今日も御苦労様ですけれども、よろしくお願いいたします。
 それでは、先ほど御承認いただきましたので、裁判官の指名過程に国民の意思を反映させるための機関に関して、審議に入らせていただきたいと思います。

【事務局長】今朝ほど日弁連の方から、「裁判官制度の改革について〔補足説明〕」という資料を頂きましたので、お手元に配付しておきました。これは、前回のヒアリングの際に日弁連の方から提出された資料の補充資料だということでございますので、どうか御参考にしていただければと思います。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。自由に御発言をいただきたいと思いますけれども、念のため、中間報告、それから前回の審議における取りまとめのところまで、最初に要約させていただきましょうか。
 中間報告におきましては、これも前々回触れたところでありますけれども、中間報告の28ページのところですが、こういうように記載されているところであります。
 国民の裁判官に対する信頼感を高める観点から、「判事に任命されるべき者の指名について、透明性、客観性、説明責任を確保するための方策(例えば、選考のための基準の明確化や手続の整備等)」、それから、「判事に任命されるべき者の指名過程に国民の意思を反映させるなど資格審査の充実を図るための方策(例えば、国民の代表者等を含む機関が指名過程に関与する制度の整備等)」、ということを挙げております。
 その趣旨は、裁判官の任命に対する国民の信頼感を高め、ひいては司法を国民の広い支持と理解の上に立脚せしめるということであったと思われるわけであります。
 前回、法曹三者から、それぞれの立場で考え方を明らかにしていただいたわけでありますが、最高裁判所も、こういうように指摘されているところであります。
 「これまで、名簿登載の決定過程が最高裁判所の内部手続として運用され、第三者の関与する場面がなかったために、国民の目から見て、採用が適正に行われているのかどうか分かりにくいものになっていたことは否めない」とした上で、「この点を改善し、国民の裁判官に対する信頼感を高めるため」に、「裁判官指名諮問委員会」を設置する、と。
 前回のヒアリングを踏まえて、我々は若干意見交換をしたわけでありますけれども、何らかの委員会を設置するということ、そして、その委員会の機能が、形式的、名目的ではなくて、実効性を持ったものでなければならないということについては、ほぼ共通の認識、理解が得られたのではないかと思います。前回、私もそのように取りまとめたように思っておりますが、そこまで前回我々として到達したということであります。
 今日はこれを踏まえて、更に議論を深めていただいて、具体的な制度の在り方について御審議いただきたいと思う次第です。どの点からでもよろしゅうございますので、どうぞ御自由に御発言いただければと思います。

【中坊委員】これから検討するに当たって、具体的に、それでは任命手続をするのは、毎年何人くらい、現行の裁判官数を前提にしたときに、大体何人くらいの人の任命のための審査をしないといけないのかということを、具体的に我々委員としては頭に入れて議論した方がいいのではないかと思うので、どれくらいの具体的な人数、今の裁判官の数、大体簡裁判事まで入れて3,000 人で、簡裁判事はちょっと別にするにして、今の2,000 人であれば、毎年どれくらいの数、新しい人を任命しないといけない場合と、再任の場合とありましょうから、大体何人くらいの数を毎年審査の対象にしないといけないのかということを教えていただきたい。

【最高裁(田中事務総局人事局任用課長)】最高裁人事局任用課長の田中でございます。
 細かい数字というのは手元に持っておりませんけれども、まず、若い方から申しますと、判事補について、新しく採用いたします数でございますが、このところの実績は、ほぼ100 名程度でございます。まずこの数があります。
 次に判事でございます。判事につきましては、大体3期分くらいの者が対象になるのだろうと考えます。この春ですと、43期の者が新しく判事に任命される資格を有しています。その後、10年上の33期、20年上の23期、こういった辺りが再任期に通常であればなるということになりますので、この辺りの期ですと、1期当たり大体60~70名といったところが最初に任官した者の数でございますので、若干これが減っておるところがございますが、大体その数の3倍といったようなところではないかと考えます。
 以上でございます。

【佐藤会長】合わせると300 名ということになりますかね。現在はそうですが、増員ということになりますと、もっとですね。

【吉岡委員】その300 名の任命をするときに、どのくらいの日数、あるいは時間を要しているのですか。

【最最高裁(田中任用課長)】日数と言いますか、例えば、新任判事補の採用につきましては、各自につきまして、種々の資料と言いますか、参考となる事情を収集いたしまして検討するわけでございますので、この期間からこの期間やっておるということではございませんで、適宜、修習生の時代の情報があるということでございます。
 判事の任命及び判事の再任に際しましても同様でございまして、日常そういう情報がございますので、この期間からこの期間に限ってやっておるということではございませんので、何日掛かるかとお尋ねになられましても、なかなか何日と申し上げ難いところでございます。

【髙木委員】私、2月13日に意見書を出し、その中でも主張させていただいたんですが、まず、設置単位についての考え方というところで言えば、ほぼこの三つ目の○に近い考え方で意見を出させていただいたと思っております。
 その上の「何らかの仕組みによる地方の情報等の汲み上げ」ということですが、これとは共通点というか、接点のある考え方であります。「何らかの仕組みによる地方の情報等の汲み上げ」ということについて、裁判官の指名過程に関し、特に裁判官の独立の関係だとか、そういった関係を透明性、あるいはアカウンタビリティーを持つものにしていくという意味で、それはどうしても高裁、あるいは地裁単位で、情報等の汲み上げも、そういうところをチャンネルにして行われるんだろうと思います。それをより透明性の高い、客観性の高いものにするという意味では、高裁単位、あるいは地域単位に、推薦委員会と言いますか、推薦委員会からいきなり最高裁というわけにもいかないでしょうから、それを中央で受けていただく選考委員会というか、ネーミングはともかくといたしまして、そういうチャンネルで上げられたものを、最高裁の裁判官会議で吟味していただくという意見を出させていただいたと思いますが、私はこのロ.のところについては、三つ目の○の考え方がいいのではないかなと思います。
 勿論、いわゆる公募制との関係等いろいろありますから、例えば、公募制を採用したときに、日ごろ収集されるべき情報というのは何なんだという面は、また別途の吟味が必要じゃないかなと思います。

【佐藤会長】この2番目の○と3番目の○は、何か一緒のようでもあり、違うようでもあるんですが、この辺は。

【竹下会長代理】最高裁判所による下級裁判所裁判官の指名権行使の過程に国民が参加をするという趣旨から言うと、どうしても最高裁判所に、諮問委員会と言うか、推薦委員会と言うかは別として、一つ委員会をつくる。これが基本になるということについては、余り御異論がないのではないかと思うのです。
 その委員会が、最高裁判所ないし事務総局から出してきたリストについて諮問を受けて、答えるという役割を担うことは確かですが、やはりそれ以外の候補者も推薦するという役割も必要なのではないかと思われます。
 ですから、その辺りまでは大体意見が一致する。そうすると、推薦をするときの手掛かりになる資料であるとか、あるいは諮問を受けたときの判断材料とかいうものは、中央に一つある委員会だけでは賄い切れないので、そういう意味ではブロック単位くらいの、下部組織と言ってよいかどうか分かりませんけれども、何かそういう仕組みが必要だということになる。大体そのくらいのところまでは皆さんの御意見が一致するのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

【中坊委員】私も大体竹下代理のおっしゃるように、もう少し具体的に意見、先ほど出ていましたように、300 人の人を審査するというのが、中央だけ一つだということにすれば、まさにこの審議会の目的としている審査の実質化、ひいては任命手続の充実化ということからすると、やはりもっと地方に根差したものでなければいけない。
 しかも、最高裁判所から最高裁判所が任命手続等の際に参考にされる人事評価の項目というのを出していただきました。それを見ましても、大きく分けて、執務能力、健康、人物性格の特徴、その三つに分かれています。さらに、執務能力というのが、事件処理能力、指導能力、法律知識及び教養というふうに分かれておるわけです。そのすべてのものを調査・評価する機関が中央に一つだけしかないのであれば、やはり国民の目に分かりにくいし、調査の対象となる裁判官の数はそれだけ多いし、審査する項目がこれだけ多いものが、しかも中央に一つだけしかないというのは、私もちょっといかがなものかと思います。
 しかし同時に、最高裁判所が指名権を持っている以上、どこかで最後に調整するというか、そういうものも一つは最終的に要るだろうし、地方ばかりに任しておくというわけにもいかない。そうすると、中央と地方とに置くということになりますと、へまをすると、中央が実権を握って中央が人事をやっているという形だけのものになるから、今、竹下会長代理のおっしゃるように、地方は地方として実質を持つことが必要だ。地方として持つと言えば、地域ブロックとはどれだけを意味するのかということになると、地裁単位というのは少し細か過ぎるような気もするし、偏りがあり過ぎてもまたいけない。そうすると、やはり8ブロック制という単位に置いて、中央が一つと地方が八つの地域ブロックくらいで、それが中央に寄せられて、最終的に調整されて指名名簿のところに行くというのが、穏当なところではないかという気はします。

【井上委員】そのアイデアに反対というわけではなくて、二つの機関の関係がちょっとよく分からないのですが、その地方の機関の方は、情報をできるだけ現場に近いところで収集する、そのための機関という位置付けなのか、それともそこで第1次選別ないし評価をして、そこを通った者につき中央で決めるということになるのか、その中間もあると思うのですけれども、その関係付けをはっきりさせないといけないのではないかという感じがします。

【中坊委員】先ほどから言うように、審査というのは、その地域地域で、委員の中には裁かれる立場の人たちの経験とか、同じ同僚の者だとか、いろんな立場の人が寄って、国民に開かれたものとしての実質のある運営ができることが必要であり、中央というのは、どちらかと言えば、全国的な調整というものです。コントロールも全然なしに、地域だけに任しておいてということにはいかない。地方から出てきたものをどう調整するかというようなところの機能というものを中央にしておかないといけない。最終的にはさっき言うように、最高裁判所の指名名簿というところへ行かなければいけないわけですから、そういう意味における調整機能というものを中央に持たせる。ブロックでは、ただいま私も言うたような執務能力だとか、それが幾つも分かれていますから、そういうようないろんなことをできる限り、今までですと、それを見られているのが裁判所の内部だけであったと、そうではなしに、いろいろ裁かれる立場の人たちとか、国民とか、いろんな人が寄ってきたところで、透明性を持って、実効性を持って審査されるという形が必要なのです。
 だから、審査するという形そのものは、ブロックにあって、しかし、それだけではなしに、全国的に統一しないと定員の数もありましょうし、その他いろんな問題、特に地域に非常に偏ってきても具合が悪いというところもあるし、場合によれば、例えば、非常に高年齢であったとか、そういうのはやはり困るでしょうし、いろんな意味における調整というのは、どこかで行わないと、私はちょっと具合が悪いんじゃないかと思います。そういう意味における中央は要るんじゃないかと、個人的には思うんです。

【井上委員】大体分かりましたけれども、私の個人的な意見を申しますと、もし二つ置くとすれば、両方とも実質審査できることにすべきで、最終的には、質的に全国的に統一基準で判断する。中坊先生の「調整」ということにはそれが入っているかと思うのですが、例えば、私などの身近な例で言いますと、文部省から科学研究費というのをもらう場合に、1段審査、2段審査とあるのですが、それと同じようにどっちかのみで決定されるということにはしない。最後は総合的に中央で審査をするということにし、1段目の粗ごなしというか、そこの評価は当然付いていく。そういう形も中間形態としてはあるのかなと思います。その方が、最終的に統一という意味でいいのではないか。1段のところで落ちたら終わりとか、そういうのはよくないのではないかという感じがします。

【北村委員】地域ブロックごとに下部機関の推薦を行う委員会というので、今、いろいろと御説明を伺っていたんですが、これは非常に難しいなと思われる部分もあるんです。というのは、井上委員の説明の中にもありましたけれども、きちっと決めてしまうと、今度は中央の方ではねるということになる。そうすると、また中央と地方の対立みたいなことになって非常に具合の悪いところがあるだろうということで、私はこの二つ目の○の方の「地方の情報等の汲み上げ」という形でやった方がいいかなと思っているんです。その情報等の汲み上げをどういう形でやるのかという、ここのところが多少工夫の要るところだろうと思うんですが、やはり地方で一遍推薦してきた人を、幾ら調整すると言いましても、非常に難しいだろうなと。そこでまた対立が生じるというような仕組みを残すというのは問題があるんじゃないかなと思っております。

【藤田委員】裁判官の適格性の判断について、国民の意向を実質的に反映するという要請と、それから、裁判あるいは裁判官の独立公平、あるいは独立公平に対する信頼と言いますか、よく「公正らしさ」という言葉を使うんですけれども、その二つの要請をどこでバランスを取るかということだろうと思います。
 そういう意味から言うと、確かに、実質的に適格性についての情報を持っているのは、それぞれの地域かもしれませんけれども、そういう情報を持っている人は、ある意味では裁判についての利害関係のある人が多いという面もあります。どうやるのが一番実効的であるのと同時に、制度としての弊害がないかということだろうと思います。高裁単位で判断をする、情報を集めるという点については、高裁だけではなくて、それぞれの地方から情報を集める必要があると思います。前回申し上げましたように、福岡で鹿児島の裁判官についての情報がつかめるということではありません。そうした情報は末端に行けば行くほどあるということですが、一方その情報に基づいて適格性があるかどうかを判断するということになりますと、既に裁判官として活動している人については、利害関係のない人が客観的に判断するためには、中央で情報を十分に取った上で判断するということが適当ではないか。
 どういう人をメンバーにするかということとも関係があるんですが、公正で客観的な判断ができる人は、各地方において求めるというのはなかなか難しいという面がございます。県知事とか市長のような地方公共団体の長はどうかという考え方もありますけれども、今は住民訴訟や国賠訴訟が花盛りでありまして、知事も市長もほとんどが被告か被告代表者になっている。どこへ行ってもそうであります。そういう意味では委員の人選にも問題が出てくるであろうと思われます。
 そうすると、十分に末端から情報を収集するということはするにしても、最終的に判断する機関は中央に設けるのが適当ではないか。
 しかし、例えば、弁護士とか大学教授から新たに裁判官を任命するというような場合には、これは今言ったような独立性という問題もないわけですので、現在も簡易裁判所判事については、各裁判所に推薦委員会がございますけれども、そういう機構で、適格性についての判断をするということには、弊害はなかろうかと思います。基本的にキャリア裁判官については、2番目のような方式が一番バランスが取れているのではないかというふうに考えます。

【山本委員】議論が諮問委員会の単位みたいな話に入ったんですけれども、その前に、諮問委員会なるものが裁判官の任命などにどういうコミットをしていくかという議論が必要じゃないかという気がするんです。藤田先生も言われましたけれども、私も裁判官というのは、独立性ということをよく考える必要があるんだろうと思うんです。一般的に直接民主主義の問題点というのも大きいわけで、このため民主主義でも間接的なシステムをいろいろ持っているわけですが、そういった意味で、司法というのは行政とか、立法サイドからの独立ということに加えて、それ以外の司法が実際のユーザーとしているいろんな団体とか個人といったところからの独立性というのも大事なことだと思うんです。さはさりながら、これまで議論してきたように、裁判官のあるべき姿について、国民が直接タッチしていくということも大事だと。この兼ね合いで物事を考える必要があるんじゃないかと思うんです。
 そういう意味では、私の立場からしますと、やはり重視すべきは独立性ということであって、それを補う形での国民の意見が入るようなシステムが望ましいんではないかと考えているわけでございます。
 したがいまして、諮問委員会の性格は、例えば、欠員が生じたら、この欠員裁判官はだれにするかというところを決める機能ではなくて、裁判官の任命基準とか、評価基準とか、人事政策一般について開かれた議論を行うという機能が中心となるべきだし、個人の任命に関しては、特異なケース、例えば、任官の拒否だとか再任拒否だとかございますが、そういうところについて議論をするという性格のものであるべきだというのが私の考え方なんです。
 したがいまして、今言われているような各地域ごとに置くというのもいかがかなという感じがいたしまて、再三申し上げているように、私どもユーザーとしては、判断の安定性とか予測可能性ということを重視したいという気持ちがありますので、そういった意味では、全国1本の機構があればいいなと思います。
 現実問題として、地域別に分けたとしても、今の人材の問題とか、勤務地の問題等々から考えますと、必ずしも絵に描いたような地方から積み上げてくるような選任機関というのは、絵は描けるけれども、現実には機能しないのではないかと考えております。

【髙木委員】今の山本さんの議論に関連しまして、上級審と下級審というのは、それぞれどういう関係なのか、裁判所には上級審と下級審がそれぞれあるんですが、これは行政庁内部の関係とはちょっと違うんだろうと思っています。そういう意味では、上級審、下級審の関係というのは、ある意味では役割が少し違うかもしれないけれども、裁判所としては原理的には対等な存在だろうと思うんです。
 今の議論からちょっと外れるかもしれませんけれども、この間、最高裁の御説明を聞いていて、福岡の事件で、最高裁が調査されるというお話があり、司法行政上の統括機能みたいなものを最高裁はお持ちだろうから、そういう権能で多分お調べになるということをおっしゃったんだろうと思うけれども、そもそも今回の機密漏えい事件というものが、令状の捜査情報に属するものの漏えいに関わったことで、こういう下級審と上級審の個別の事案に関する関係みたいなものまで関わっている。そういう側面から見たら、最高裁が調査なさるというのはどうなのか。私、素人なんでそういう疑問をちょっと感じたんです。
 そういうことの関係で言えば、今の山本さんの御発言で言えば、裁判所ごとの独立性みたいなものとの整合性を、全国一本という中でどう取るのかというのが、理屈かもしれませんが、論理的には制度をきちっとしておかなければいけないところじゃないかと思います。
 そういうことで日弁連の方にお尋ねしたいんですけれども、今日拝見した資料、長い織り込んである「アメリカの裁判官指名委員会と人口・裁判官数との関係-日本との対比」という表が83ページにあるんですが、この表の見方と、この表が含意する、あるいは州によっても大分違うようですが、指名委員会の数が一つのところがあったり、何十あるところがありましたり、委員についてもいろいろな方式があるようです。これは多分公募制が原則的な仕組みなんでしょうし、さっき申し上げました、それぞれの審級が違っても、裁判所はそれぞれ独立主体性を持つんだという哲学の反映じゃないか。そういうとらえ方でいいのか。その辺のことを日弁連の方に教えていただけたらと思うんです。

【日弁連(明賀弁護士)】日弁連の弁護士の明賀です。
 今日お配りしました「<参考資料>その3」の83ページですが、これはアメリカの各州でメリット・セレクション・システム、質による選抜ということを行っている州、そこでどのような指名委員会の数があるか、裁判官数が何名か、それから、裁判官数に対して指名委員会数の比が幾らかという形でつくったものです。
 州によっていろいろ違いますが、一番右側の欄を御覧になっていただければ、その裁判官数と指名委員会数の比が出ます。一番少ないのはネブラスカで、一人の裁判官を指名するのに一つの委員会があるという形ですし、それから、一番多い州でも、下から2番目のウィスコンシン州が264 名の裁判官に対して一つの委員会という形になります。ただ、これは任期が6年とか10年とかいろいろありますので、実際に委員会が行う審査というのは、これの6分の1とか10分の1とかいう形になります。ですから、ネブラスカ州の場合は、何年間に1回の審査をする。ウィスコンシン州の場合でも、1年に数十名という形での審査をするということになります。間はいろいろな数がありますので、平均は出していないですが、大体委員会一つに対して、裁判官数が平均すれば50前後、それが例えば、5年任期だとしたら、1年に10人の審査をするという形でなされているということです。
 日本の場合は2,198 名が下級裁判所の判事・判事補でして、それが先ほど言われました1年に300 名を審査するということになりますと、アメリカとの対比ということでは、非常に多くの人数を審査をする。それを何個の委員会で審査するかという形で考慮いただければと思って、参考資料としてつくりました。

【佐藤会長】髙木委員、今の御説明でよろしいでしょうか。

【髙木委員】意味は分かりました。ありがとうございました。

【中坊委員】私も弁護士として、ある意味で裁かれる立場をずっと経験してきた者の一人として、今おっしゃっていただいていることは納得がいかないという気がいたします。
 藤田さんは、むしろ利害関係があるから具合が悪いんだということを力説して、その裁判官の姿をそばで見ておる人が利害関係があるから具合が悪いんだという御主張で、それを公正に第三者が見た方がいいんだという、それに類似したお話がありましたけれども、私は先ほどから言うているように、事件処理能力にしても、指導能力についても、大体それを実際に裁判を受けている者がよく分かる。この間のアンケート調査によっても、勝ち負けじゃないんだ、本当に公正かどうかということが我々の問題だと、裁かれる人が言っているわけです。利害関係などというのは、そういう意味における勝ち負けの結果を聞いているんじゃない。本当に公正にやってくれたかどうかが一番裁かれる一般の国民の裁判に関係した者の関心事であることはアンケート調査も出てきたわけです。
 そういうふうに、勝ち負けとか、損得が関係するから、みんな何かおかしなことをするんだという前提の方が、むしろおかしいのであって、まさにこれが実質化し、その審査項目について、その事情がよく分かるというのは、まさにそばで見ている人が一番よく分かるんです。裁判官を見たら、大体弁護士を仮に10人集めて、どうですかと聞いたみたら、この裁判官はおかしな裁判官やでと言うてるやつが聞いたら、それをそうやないと言っている人は少ないですよ。
 だから、やはりその法廷というものが下からどういうふうに見えているかを調査すべきです。これは私だけじゃなしに、一般国民も同じ立場であって、それがまさに国民の声を聞くというんだから、抽象的にそういうふうに知事さんがやったから分かっているというんじゃないと思うんです。
 そういう意味における本当の意味における審査基準というものを満たしているかどうかということは、それを実質化させてこそ、初めて意味があるということから言えば、それは確かに先ほどから藤田さん、山本さんもおっしゃっているように、余り近寄り過ぎるとそこでいろいろ問題になるやないか。だから私はブロックくらいで、確かに福岡では分からないけれども。
 しかも、非常にここで考えなければいけないのは、地域性というのがかなりあるんですよ。いろんな場合において、地域性も、貨幣価値にしても九州と東京とでも随分違いますから、ありとあらゆる感覚について、地域性というのは非常にあるわけであって、地域性に密着したものでないといけないと思うんです。
 山本さんもおっしゃるように、独立性が大事だ、それはそのとおりです。裁判官が独立を求められるというのはそのとおりであります。しかし、今問題になっておるのは、その独立性というものを、裁判所内部で裁判官の独立性を侵していませんかということです。事務総局が人事権を全部握る中において、裁判所内部において独立性がむしろ壊されているのではないかということが問題になり、その仲間意識による判断というものが本当にいいのかどうかというのが、今問われていることでしょう。現に福岡の件だって、だれが見たって仲間意識が問題になっているところです。それを本当に透明性を持ち、国民の信頼を得るためには、仲間によるものではない、仲間以外の者からどう自分が見られているかということにこそ、独立性の意味があり、透明性があり、信頼性があるわけです。
 これは大変山本さんの言葉じりをつかまえるようで失礼ですけれども、予測可能性があるからいいんだという、むしろ予測可能性が、山本さんの立場から予測可能性があれば、それ自体が非常に問題です。
 私はまさに司法の中枢を占める裁判官制度、そのまた任用制度というものは、本当に国民から信頼されていますということを、どうして実質化させるのか。独立とは一体何であったのかということを謙虚に反省していただいた上で、その問題について対応していただきたい。
 確かに藤田さんの立場とか、山本さんの立場は分かるけれども、私はむしろ抜本的に裁判官制度を直さないといけないのではないかと考えています。利用する立場から離れて司法の立場を考えなければいけないのではないかということから言うと、むしろおかしな議論になってくると、私はそう思うんです。

【水原委員】裁判官の指名過程に国民の意思を反映させる方策を考えるという点においては、共通した認識なんです。問題は、どういう形で国民の意思を反映させるのが、いい裁判官を選ぶことになろうかという点だと思うんです。それにはいろんな観点から検討しなければいけないと思うんですか、中坊委員がおっしゃっているのは問題だと、仲間意識でやっているのは問題だ、まさにそのとおりだと思います。最高裁判所も今までのやり方については問題があるということを言っているわけです。
 地域性が大事だということもおっしゃるけれども、それもそのとおりだと思いますけれども、この前も私は申し上げましたが、裁判というのは、地域独自のものであっては困るんです。裁判を受けるものは、全国的に共通な、公平、均等な判断をしてもらうということが一番大事だと思うんです。そうなってきますと、裁判官の転勤というものが必然的に出てまいります。裁判官が転勤しますと、転勤していったばかりのときに10年を迎えました。そのときに、それではどこで評価するのか。地域から上げてくるということになりますと、これは大変問題があるのではないかという気がいたします。
 やはりいろいろ資料が毎年毎年勤務評定とか何とか上がってくるものが、最高裁判所にあるとするならば、そのデータを基準にいたしまして、そこで最高裁判所に諮問委員会というものを設けて、そこで諮問に答えて、いいかどうかを判断する。また、推薦をその委員会独自ですることもできましょう。ただ、諮問委員会での判断をする際に、今までの勤務評定だけで、資料だけでいいのかとなりますと、それでは内部資料だから信用が置けない場合もある。そうなりますと、よく知っているのは、現に勤務し、そして現に裁判を行っている地域に情報を収集させる。どういう機関にするかは別といたしまして、情報収集のための機関を設けて、そして適切に上げていく。これは公平な判断をしてくれる情報収集機関でなければいけないだろう。
 地方で一応決めて、中央で調整するというのはちょっと逆のような感じがいたします。決して中坊委員のお考えに真向から反対しているわけじゃございませんが、よりいい判事補、判事を任命していくためにはどうしたらいいかというのが我々の最終到達点であるとするならば、やはり地方は適切な情報を収集できるような機関、これはどういう形にするかは、これから慎重に検討しなければいけませんし、人選をどうするかという問題はいろいろございましょうが、そういうことが望ましいんじゃないかと思います。

【藤田委員】中坊委員の反論に対する反論なんですが、この間の菅原教授らの調査結果にも言及されましたけれども、確かに裁判官に対する評価というのは結果の有利・不利だけではないということでした。しかし、それ以外の要素と、有利・不利という要素はほぼ同じ程度、標準偏回帰係数による分析では、影響力は0.4 幾つでしたか、同じ程度の影響はあったという調査結果だったと思うんです。
 確かに関係のある裁判の有利・不利にかかわらず、客観的に正当な評価をしてくださる方もたくさんおられるということは分かります。しかし、それは中坊委員や中坊委員の周囲におられる方はそうなんでしょうけれども、必ずしもそういう人たちばかりではないということです。
 もう一つは、「公正らしさ」ということを申し上げました。そんなことを気にする裁判官はいないとは思いますけれども、自分の裁判についての評判を気にするとか、あるいは気にしているんじゃないかと思われるということ自体が、裁判あるいは裁判官の独立にマイナスの影響を生じさせるわけで、そういう意味で、離れた立場から冷静、客観的に判断し得るという意味では、中央の機関がいいんじゃないか。勿論、地方の意見を無視しろと言っているわけじゃなくて、高裁のみならず、それぞれの地裁、家裁の単位での情報を収集した上で、冷静に判断すべきだろうと思います。
 それから、これは本筋の話ではないかもしれませんけれども、事務総局による人事支配で裁判官の委縮が生じているという意見を以前にも伺いました。そうじゃないんだということは私も前に申し上げているわけで、人事局が3,000 人の裁判官の一人ひとりについて直接判断できるわけではない。一緒に仕事をしている同じ裁判所の総括なり裁判官なりが一番よく分かっているんです。これは矢口元長官も裁判官の評価は仲間うちでは分かっているんですよとおっしゃったのは、そういう趣旨だと思います。そういう認識の違いということもあります。また、山本委員が予測可能性とおっしゃったのは、有利な判決をしてくれるだろうという意味での予測可能性ではなくて、安定性という趣旨でおっしゃったんだと思うんで、Aという裁判官に掛かったらこういう判決だったけれども、Bだったらこうだということでは困る。客観的な安定した判断をする裁判官をいかにして選ぶのに、どういう制度がいいかということだろうと思います。

【吉岡委員】一つは、最高裁で最終的に判断をする、これは法律でそうなっているんですから、それを崩すことは難しいとは思いますが、実態は、先ほどのお答えの中にありましたように、修習生の場合は修習期間の間に判断をしていく、それぞれの裁判官についても、日常的に判断をしていくということでしたので、恐らく最高裁の15人の裁判官が地方を回っているということではなくて、その地方地方で、直接、同僚、上司、そういった方たちが判断をしているということをおっしゃったんだろうと思います。
 実態がそうなっているということが、最終的に最高裁判所に情報が上がっていって、そこで判断されるということが、巷間言われるような最高裁の事務総局がすべてを握っているということに、つながっているのではないかと思います。
 事の真偽はともかくとして、そういうふうに思っている裁判官もいらっしゃるし、それから、そういうことが事実行われているのではないかと思っている国民もいるという、その辺の疑問を払拭していかなければいけないのではないかと考えます。
 そう考えたときに、地方に根差した判断、実態は地方の裁判所でそれぞれ判断しているのだと思いますけれども、やはりその地域に根差したという考え方を入れていくとすれば、その地域ごとに市民が参加することによって、市民の意見が反映される、そのような仕組みが必要ではないかと思います。
 ですから、地裁ごとの単位で考えるというのが一番よく分かるということだと思いますけれども、実際にそれだけできるのかということになりますと、もう少し大きなエリアで考えることがどうしても必要になってきますので、八つがいいか九つがいいか、それはこれから考えればいいことだと思いますけれども、やはり幾つかのブロックに分けて、ブロック毎に推薦委員会などというものをつくって、そこで判断をする。
 ただ、その場合に、確かに地域によって判断のばらつきが余りに大きくなってしまうと、これはやはり問題だと思いますけれども、その場合には、最高裁が、この間お出しになった評価の基準もありましたけれども、もう少しきめの細かい評価基準というようなものをつくって、それを参考にしながら地域の人たちあるいは関係地域の法曹の人たちの意見を入れて、それで推薦していくようにしたらよいと思います。ただ、最終的には、推薦されたものを最高裁判所が判断して、最高裁判所が任命するということにしないと、法律を変えなければいけないという問題がありますので、その場合には、地域も最高裁も含めて、推薦委員会という言葉は私が言っているだけなんですけれども、推薦委員会の意見を尊重するということで、お考えいただいたらいかがかと思います。
 それから、やり方としてはそうなんだということと、もう一つは、今でも不服のある判事あるいは判事補の方もいらっしゃるわけですが、そういう不服が一方的な思い込みから発生している場合と、客観的に見ても、言っているのは無理がないという場合があると思います。そういう意味では、本人に対して、本人の評価を開示するという制度と、本人が不服を申し立てることができる制度を併せてつくっていくということで、透明性・開放性を広げることができるのではないかと思います。

【井上委員】水原委員ほか皆さんの御意見を伺っていて思ったのですけれども、要するに、3種類あるのではないかと思うのですね。新任の人の場合と、キャリアというか、それをやってきて、判事に任官ないし再任されるという場合と、それから外部から任官するという場合の三つです。最初の場合は、情報があるのは司法研修所ですから、中央というか、東京ということでもいいのですけれども、そこで行うべきだろう。外部からの任官の方は、皆さんおっしゃっているように、それまで仕事をしてきた一番身近なところでの評価というのを吸い上げていく。これは、情報なのか評価するのかは言葉の問題ですからそれほど違いはないと思うのですが、問題は、キャリアと言われる人たちの場合だと思うのですね。
 その点では、水原先生がおっしゃったように、転勤ということを前提にすると、地方だとどこでやるのかということがあって、かなり難しい。それぞれのところの実績だとか評価というのを吸い上げないといけないということになると、特定のところで判断して、そこで決めちゃうというのはちょっとまずいかなと思います。これはむろん、転勤ということを前提にした話ですので、その前提が変わると話は別ですけれども、それを前提にする限り、できるだけ情報は密に取って、しかし統一して判断するという形しかないのかなと、そういう感じがします。

【髙木委員】水原さんからも井上さんからも転勤の話が出まして、転勤は地域による司法判断のばらつき等を補正するんだというお話でした。人間ですから、そういうニーズは全くないとは言いませんが、統一性という議論はそもそも私はおかしな議論だと思っているんです。76条3項、裁判官は憲法と法律に従いというか、それに拘束されると言っておられる。もし、その大前提に齟齬を来しておるなら、転勤で問題を解決するなどという次元の話はそもそもないんだと思うんですね。憲法と法律のみで判断するというお役目を裁判官は持っている、しかし、判断にばらつきがあるから転勤があり、転勤があるからこういう仕組みでないといかぬというのは、私は、その論旨すべてが本末転倒だと思うんです。
 ですから、逆にそういう問題があるとしたら、転勤で是正するという次元の問題ではなくて、そもそも期待される裁判官像なり、それに至る過程でのいわゆる養成の過程なり、それは実際の裁判所の運営及びその運営の方法が機能しているかしていないかという、そちらの問題をどうしていくのかが本質的なアプローチだろうと思います。そういう意味では、転勤があるからというのを前提にして、こういうものを論ずるというのは、私は現実としては分からぬでもないですが、論理的にはそれはおかしいというふうに、御意見聞いていてそう思いました。

【藤田委員】転勤はないに越したことはないんで、裁判官をやっていて一番大変なのは転勤なのです。家族からも訴えられるのは、またお父さん遠くへ行かなければならないのということであるんですけれども、ドイツやフランスではそういうことがない。それはドイツやフランスの社会が、生まれ故郷で一生過ごすという社会構造になっているんですね。
 ところが、日本はどうかというと、弁護士の集中の状況を見ても分かるように、東京で8,200 人、大阪で2,400 人、東京圏と大阪圏と6高裁で85%の弁護士がそこに集中している。集中しているのがいけないという意味で言っているのではなくて、日本の社会構造がそうなっているということです。ですから、もし、転勤をなしということにすれば、僻地とは言えない、かなり大きいところの支部や独立簡裁でも、今の司法のレベルを維持できなくなります。そうではなくて、やはり大都市だけではなくて地方でも同じレベルの司法サービスを住民に提供しなければいけないということを考えれば、転勤という制度を考えざるを得ない。だれだって、東京なり大阪なり名古屋のような大都会から動きたくないんですけれども、そう言っていたのでは、一生、僻地にいるというような裁判官をつくらなければならなくなる。それではいけないから、自己犠牲というのはちょっと大げさですけれども、そういう家族の悲痛な訴えをなだめながら転勤しているというのは、そういう社会構造に問題があるのであって、現実を踏まえて制度設計しなければならないわけですから、これはやむを得ないことではなかろうかと思います。

【中坊委員】私は、今の藤田さんのおっしゃったのには反対です。おっしゃるように、僻地僻地といって、それでいったら日本は一体どうなるのか。まさに我々は21世紀のあるべき我が国の姿を描いておるのであって、今の現状が中央中心になって、東京中心、一極集中だから、それはいけない、地方分権だと言われているこの世の中に、それを前提にしてすべてのことをおっしゃって、僻地に行くのは身の犠牲だとおっしゃるのはいかがなものか。私自身も、自分が会長の当時に新しい弁護士任官を始めました。その後、弁護士任官の人の話も聞いています。それらの中には、最初から自分たちは地方に行きたいという人もいた。例えば、奈良の弁護士がいましたが、それは奈良でなくてもいいと、要するに地方に行きたいんだと。そういうように言っておる人はかなりおるんです。何も今おっしゃるように、中央志向が前提になって、それで過疎地へ行く人は身を犠牲にして、お父ちゃんが犠牲になるという、そういう人もいるでしょう。しかし、そうでない人もあるのが現状でして、そういう意味で、まさに地域、僻地だとか過疎地と言われているところにこそ、むしろ問題があり、立派な裁判官が必要なのです。そこに行っている人は非常に無能な人が行っているなんてことはとんでもないのであって、だから、そこが今、我々の司法として、これから21世紀のあるべき我が国を考えたときには直さなければいけない。それを前提にして話をしないでおいて、今、大都市集中だから、やはり現実を踏まえなければなどと言っちゃったら、それこそ我々が今、今回の司法改革で一体何を論じようとしているのかということとも違うと思いますし、やはりその点はお考えいただきたいと思いますね。

【髙木委員】配置上の問題だという藤田さんのお話は、また違う話だと思うんです。だけど、統一性のために転勤だという論理は私はおかしいと言っているわけです。

【竹下会長代理】いや、そう言っておられるわけではないと思いますね。

【井上委員】本末転倒という話ですが、私は、今のような数年ごとの転勤というのが望ましいかどうかということは別にして、逆の面もあると思うのです。これは警察官も検察官も、そして裁判官も、共通していると思うのですが、ひとところで余り長くいると、馴れというか、悪い言葉で言えば癒着ですが、そういうことを排除していこうという一つの知恵だと思うのですね。そういうプラスの面もあると思うのです。
 もう一つは、統一ということの意味ですけれども、何も一つの考え方を隅々まで行きわたらせて、それで統制しようということではないと思うのですね。いろいろな人がまざり合って、そういう意味ではバランスの上の統一ということだと思うのです。
 その場合に、いろいろな人が動いた方がそういうことが全国均一に実現できるだろうと、それが恐らく水原委員がおっしゃったことの意味ではないかと思います。

【竹下会長代理】転勤の問題も非常に重要だと思うのですけれども、議論がちょっと本筋からずれてきたような感じがするのです。中央に、最高裁判所に推薦ないし諮問委員会をつくる。少なくとも情報を収集するためには、一応多数の意見ですとブロック単位に下部組織、地方組織みたいなものをつくる必要があるだろうと、そこまでは一致してきて、地方ブロックでどこまでやるかというところが今、議論すべき問題だと思うのです。いろいろ資料を集めて情報を上に上げるということなのか、第1次審査のようなことをやって、地方のブロック単位の地方組織で、一応、この人は適格とかこの人は適格ではないという判断までやるのかという問題ではないかと思うのです。
 私自身は、地方でそこまでやってしまうのは行き過ぎではないかと考えます。また転勤の問題に戻ってしまうと困るのですけれども、一つのブロックの裁判所にたまたま在職している裁判官について、みんなそのブロックの地方組織で審査してしまうというのはやはり行き過ぎで、いろいろな情報を集めて、評価をするぐらいのところまではよいかもしれませんけれども、最終的には上で決める。そういう仕組みの方がよいのではないかと思います。

【中坊委員】地裁単位でというのも、癒着のおそれと言ったらおかしいけれども、そういう意味の、深入り過ぎて公正らしさの問題もあるから、そこの情報をブロックで集めてやらないといけない。さらに、一つの県だけでやっているというのも不十分だから、ブロック単位でそういうものをやって、そこで実質上の判断ができるということが前提になって、中央では、あとの言う調整というか、全国ばらばらになっていて多過ぎたり少な過ぎたり、いろいろ年齢とか、その他いろんな問題もあろうから、それを最終的に補正するということになる。そういう前提がないと、まさに何のために国民の声を聞いてやるのかが疑問になる。制度的に信頼があるというためには、やはり地方に根差したものでないといけない。単に情報を集めるだけといったら、そこから先は不透明になってしまう。仮に地方ブロックでは、初めA、B、C以下8名選んだと、それで、それは分かりません、あとは中央では内部資料ですからそれは言いませんなどと言ったら、なぜ、どういうことでその人を選んだか、選んでいないのかが分からず、また問題になってきてしまう。最後まで、透明性を持っていないといけない。国民が、この制度はやはり透明性をもってできると思わないといけないから、地方のものが中央で消えてしまったら具合が悪いので、だから、そういう意味における地方のブロックの審査というものを私は重要視して、そこに第1次権限というか、そういうものを与えておく必要がある。そうでないと、中央でどうしても統括して、そこから先が消えてしまいますからね。

【竹下会長代理】しかし、今度の中央と言っているのは、最高裁の裁判官会議ではなくて、国民の代表も入った委員会ですね。ですから、従来の最高裁の裁判官会議と同じようなイメージで考えると違うのではないでしょうか。そこへ国民参加しているわけですから。

【中坊委員】でも、実際上、A、B、Cが、どれが適当かというようなことが、先ほどから言っているように、200 名とか300 名、今のままでも300 何名、これから更に多くなるような人が、実際上、何をそこでやるのかということが決まってこないと、今言うように、それは全部中央にも市民の代表が出ているから、それでいいんだということにはならないと思います。やはり中央というのは、300 名の者を1年間で審査すると、どうしても不透明になってくるでしょう。だから、そこを情報を提供するという言葉とするのと、第1次審査権限があるということとは、かなり差があると思うんです。

【佐藤会長】その認識はそのぐらいにして。

【吉岡委員】ほとんど中坊委員が言われたと思いますが、私も、地方のブロックで推薦委員会のようなものをつくって、そこでの意見の集約、それが尊重されなければいけないと思うんですね。ですから、情報収集だけで、今度は最高裁につくられた委員会が判断するということではなくて、地方での判断が大切ではないかと思うんですね。ですから、情報だけというのですと、地方ブロックで推薦委員会をつくるという意味が薄れるのではないかと思います。

【井上委員】情報の中に評価は当然入るんだろうと思います。

【水原委員】確かに、裁判を受けておる立場、要するに、地方での情報というのは極めて重要であることは言うまでもございません。しかしながら、判事補から判事に任命され、また再任されるときには10年という期間があるわけです。その間10年間動かなくて、その1か所で勤務するならば、地域においての評価も、あるいは正しい評価が出るかも分かりませんが、それぞれそこで勤務する期間が恐らく長短いろいろあろうと思います。10年間の資料はどこにあるかといったら、やはり最高裁判所にあるわけでございます。そこでいろいろと足りない部分、もう少しこういう資料がないのか、あるいは地方からこういう資料がありますよ、この人についてはこういう問題がありますよという情報を上げることによって、中央にある資料と一緒にして、諮問委員会における諮問委員の判断を誤らしめないようにするのが、最も合理的であり、納得ができるのではなかろうかという気がいたします。
 問題は、だれが諮問委員になるのか、そこなんで、やはり諮問委員会は何でつくるかというと、最高裁判所が持っておる指名権、これに誤りなきを期するために、いろいろ国民の意見だとか、ほかのいろいろな意見、情報を入れながら、それで判断して、それで意見を述べるわけですから、そこにおける委員の構成が、立派な委員が選ばれ、公正な判断ができるものであるとするならば、これはそういうことでいいのではなかろうかという気がいたします。それでは、だれを委員にするのか、これは非常に難しい問題でございまして、やはり指名権を、誤りなきを期するための有効な機能を果たすような方々になっていただきたいと思います。

【山本委員】さっき私が問題提起したんですけれども、現実に、この裁判官はいいのか悪いのかというジャッジが果たしてできるんですか。一体だれができるんでしょうか。例えば、この裁判官は、どこどこの裁判所で、過去何件の裁判をやった、そのときの言葉遣いはどうだったとか、あるいは判例はどうだったとか、そういうことがデータになって、そしていわゆる市民の人たちがジャッジするんですか。私は、申し上げたように、そういう制度がワークするはずはないのではないかと思います。

【佐藤会長】アメリカはあり得ないことをやっているということになりますか。

【山本委員】アメリカは州というのがありまして、さっきから話が出ているように、一つの裁判所にずっといるんじゃないですか。全然日本とは成り立ちが違うと思うんです。それを持ってきて、アメリカはやっているから、日本だってできるというのはどうでしょうか。

【佐藤会長】そういうことではなくて、人を評価するということができないということなのかどうかということです。今の山本委員の言い方だと、人を評価するということは難しいから。

【山本委員】いや、どういう判事になるかということなんですけれども。皆さんこれを予想できますか。私はちょっと予想できないので。

【吉岡委員】何というんですか、どういう人の評価をするのか、そこのところはものすごく難しいというのは分かるんですね。ですけれども、それを言ったら、最高裁が上がってきた資料を見て評価すること自体だっておかしいですね、同じ人間ですから。

【山本委員】それは最高裁だけではなくて、さっきから言われているように、同僚とか上司が、四六時中いろいろなところで人柄を見ているわけですね。

【吉岡委員】ただ、人柄だけで利用者の立場が分かるかと言ったら、そうではないと思うんですよ。だって、身内で評価するんですから。やはりそうではなくて、外からの評価というのがすごく大切だと思うんですよ。その外からの評価の仕方に、どういうのがあるかということで、水原委員が考えているのが審議会みたいなものであるとすれば、どういう人を選ぶかというのはすごく問題になると思うんですけれども、もう少し、アメリカのような形で考えれば、いろいろなグループからの意見も入れていくという、ABAなどもそうですし、それから利用者、これは訴訟の勝った負けたに関係なく、利用者の意見を聞くという、そういうようなこともありますし、だから、どういう範囲で意見を聞くかということで、それはおのずから変わってくるので、審議会構成みたいな形式だと、どういう人を選ぶかというのは大変になると思いますけど、恐らく最高裁の中に評価をするような委員会をつくる場合は、審議会に近いイメージにどうしてもなると思いますが、地域の場合には、違うと思うんですね。もう少し幅広の評価機関というのも考えていく。アメリカと全く同じということはできないと思いますけれども、これは工夫をすれば、地域がブロック単位ぐらいになれば、選ぶことができると思います。
 それから、同じ人が何年も何年も評価をするということに限定する必要がないので、そういうことでは工夫ができるはずだと思いますし、現に、そのままアメリカの場合と日本の場合とは違うと思いますが、それでも、アメリカがやってできていることが、日本でできないわけはないなと、そのように思います。

【佐藤会長】石井委員、どうぞ。

【石井委員】今の御意見のように、アメリカでできるのは、やはり陪審制があるからではないかと思っております。色々な人が裁判官をふだんから観察する機会があるわけですから、それで評価の基準ができているのではないでしょうか。ところが、日本ではそういう機会がないわけですから、評価すること自体難しいということは、私も山本さんと全く同意見です。
 ただ、アメリカのような裁判官に対する評価制度を日本に導入するために、日本にも陪審制を導入すべきという話につながると、少し困りますので、余り私も積極的には申し上げることは避けたいと思いますが、アメリカができるから、日本でもできるという、そういう考え方ではなくて、独自の評価方式というのを考えないと、山本さんの御心配というのは解消されないのではないかという気がしております。

【吉岡委員】陪審制という言葉は、参審も含めて今審議会では使っていないわけですけれども、ただ、国民が裁判に、司法に直接関わっていくということは合意されておりますね。そういう中で、どういうふうに関わっていくかということが、意見の一致をまだ見ていないところだとは思いますけど、現在こうだからこうだという考え方よりは、かなり国民が司法に関わっていく、そういう制度にしようということは合意ができているわけです。そういう国民の関わり方も変わってくる。そういう中で裁判官の評価の仕方、選び方、そういうことも変えていくことができると、私はそう考えたいと思います。

【井上委員】アメリカの場合も、実質的に一番大きいのは法曹の間での評判だとか評価だと思うのですね。それが一番物を言っていて、ただ、それだけではなくて、非法曹が見たところの評価もそこに反映する仕組みになっているということだと思うわけです。
 もっとも、アメリカの場合は、一つのポストに推薦するのはだれか、複数の候補からこの人が一番適任だろうと、こういう判断の仕方をすることが多いと思うのですけれども、日本の場合、今考えているのは、そういうことかというと、必ずしもそうではない。むしろ、例えば、100 人なら100 人のうち不適格なのはだれなのかというような判断の仕方に実際はなっていくのではないかなと思います。
 そうすると、私のイメージでは、一人ずつに点数を細かく付けて、ランク付けをするといったことではなくて、むしろ、問題がある人はいないかというような判断の仕方になっていくのではないかという感じがするのです。そのくらいだとできるのではないかというのが、山本委員に対するお答えなのですけれども、むろん、マージンというか、限界線になってくると、かなり確かに難しいなという感じもします。

【山本委員】だから、私が初めに申し上げたのは、個別人事についてはやはり慎重であるべきだと、だから、任官拒否だとか、そういうところについては取り上げられるだろうけど、そうではなくて、諮問委員会というのは、基本的には、個別人事を目的としてやるのではなくて、人事システム全般について、外側から最高裁なり裁判所に意見を言う、風通しをよくするという機能に限定すべきだと、最初に申し上げたわけです。そういうことですので、ちょっと皆さんの議論の具体的なイメージがわかない。さっきからずっと聞いているんですけれども、どういうことになるのかなというのがちょっと分からないものですから。

【鳥居委員】今の山本さんのお話を伺いながら、大学の評価の話を思い出しているんですが、実は、大学の評価というのは二つの側面を持っていまして、一つは、教育のシステムとしてまともであるかどうかということを評価する必要があって、これは最近はやりの言葉で言うと、外部評価とか第三者評価と言いまして、これはこれで非常に重要なんですが、これは実は一人ひとりの教員の評価とは違うんですね。
 裁判のシステム自体を評価するという、今、山本さんが最後に言われたのは、非常に重要なことだけれども、今回の当審議会では、それに真正面からまだ取り組んでいない。
 もう一つの評価は、一人ひとりの教員の評価でして、さっきから、山本さんのお話を伺いながら、つくづく難しいなと思ってはいるんですが、それについてのブレークスルーは、実は、大学教員の評価についてはあるんですね。それは何かというと、ユーザーに評価させることなんです。つまりユーザーというのは学生です。教員が一番嫌うところではあるんだけれども、学生たちに評価をさせる。教壇でしゃべったって声が聞こえないとか、黒板に書いた字はめちゃくちゃで読めないとかというところから始まって、講義の内容は首尾一貫していないとか、不勉強だとかいろいろあるわけです。これに相当する裁判官の評価については、やはり何かの形でこれからの時代必要なのではないかと思います。
 その中で特に重要なのは、日本の社会と政治と経済が、中央集中と言いながら、実は地方に向かってどんどん広がっている。だから、今まで考えられなかったような産業が、岡山に発生したり鹿児島に発生したりする。そしてまた、そこでの人間関係とか商売でのトラブルというのも、どんどん新しいタイプが発生していっている。それに対して、少なくとも10年ぐらいの単位で本当にキャッチアップする姿勢を持って、自らをアップグレードしている人であるかどうかを、10年置きにチェックするというようなことが、何かできればいいなと思ってお話を伺ったんです。私はそういう観点から、むしろ何かの仕組みが必要だなと思うんですね。

【髙木委員】何のために評価するのかという山本さんの意見ですが、例えば、普通の企業の企業内評価、これは最近の360 度評価がいいかどうかには、いろいろな意見がありますが、いわゆる国家権力に授権された形で裁判を主宰する、いわゆる裁く人で、これに対する信頼性あるいはこういうレベルを求めるというのは、ごく一般的に常識的な話だろうと思うんです。それは確かに方法論なり物差しの当て方は、いろいろ吟味をしなければ難しいし、それから、だれが評価するかによってもえらい違う。
 今、鳥居先生からお話があったように、例えば、学生さんに評価される大学の先生も大変だなと思って聞いていましたけれども、そういうことも含めまして、だれが評価をするのか、私は内部、外部両面あるんだろうと思うんです。それでは、外部の者がどこまで客観的に評価できるのかということで、これはさっき石井さんがおっしゃったような側面もあるんだろうと思います。
 けれども、難しくても、やはりそういうものがみんなの知恵、あるいは工夫、それらは制度的にも観念的にも整合性のあるものをつくっていかなければいかぬということが根底にあって今、我々がこんな議論をしているんだろうと思います。だから、山本さんのように、安定とは何なんですかと言われていますが、山本さんは私のちょっと先輩の世代ですが、大体よく似た世代で、我々の世代にとって安定とは、というのは多分共通した感覚があるんだろうと思うんです。しかし、国民の求めている安定とか、また変わってほしいとか、そういうものが今いろいろなことで変革を求められている中で、どういう諮問委員会というか、こういう機能が、どんな役割を持ち、どういう方法でやるのかというのは、精一杯工夫をしてやるということが求められているのであり、安定が欲しいからこういうのはナンセンスではないかという論旨は、いかがかなと思うんですが。

【山本委員】ちょっと戻りますけれども、日本の裁判官は、我々の立場からすると、なかなかよくやっていると、悪いところもありますけれども、そういう評価がまずあるわけです。そこへ今度のような問題が起こったときに、すべて今の制度をゼロにして、全く新しい制度にするほどのリスクを負う必要はないのではないかというのが、私の考えなんです。
 ですから、よりよくするという努力はしなければいけないけれども、今まで最高裁がやってきた日本の裁判制度というのは、それなりに、日本の国民の信頼を得ているわけです。勿論、よく見ると悪いところはたくさんあると思いますけれども、基本的にそういう考え方の上に立っているものですから、アメリカでやっているからと言って、これからは、みんな違う人たちが選んで人事評価をしてというのは、どうなのか。そんな大きな変更を司法についてだけやる必要が何故あるのかと、そういう思いがずっとあるんです。

【中坊委員】この審議会というのは、まさに21世紀のあるべき司法のことを論じているのであって、しかもそれは、一番必要な視点は、利用する者の立場に立って司法を見直そうということであり、その視点は、これは我々が決めたというよりも既に法律で決まって、利用する者の立場から言おうということで、この委員の構成から何から全部そうなっているわけでしょう。だから、確かに、山本さんのお立場からすればよくやっていると思われても、また、別の委員からすれば全然よくやっていないよという評価も成り立っているわけです。例えば、裁判官の任命にしたって、全部、事実上最高裁の事務総局が、形は最高裁裁判官会議で決めると言っているけれども、その前に事務総局が全部つくってきているということになっていた。そこには利用する人の立場というのは全然考慮されていなかった。それを利用する立場から、そういう問題について考えましょうというのが、我々の大きな流れだろうと思うんです。だから、その流れそのものは、それは山本さん個人としてはそうおっしゃったとしても、しかも、私らが自由に言えるんじゃないと思うんです。その法律の下に決められた我々の立場、視点というのが決まって、我々はやっているんだから、そこはやはり我々としても考えないといけない。勿論、山本さんのおっしゃるのは分かりますよ、個人的には。しかし、委員としては、そこはお考えいただきたいという気はしますね。

【佐藤会長】時間も相当経ちました。ロ.の問題は、具体的な制度設計の話になるといろいろあるでしょうけれども、大筋については何か共通の理解があるのではないかという気がするんです。
 イ.の方ですが、山本委員のようなお考えもありますけれども、委員会が実質的に関係すべきだという辺りは、中身にもよると思うし、ハ.の委員会の構成、委員の選任の仕方にも関係してくるかもしれません。イ.ロ.ハ.三者一体的に理解しないといかぬところもあるような気がします。

【山本委員】アメリカの制度を下敷きにするのであれば、我々はその辺の勉強をすべきです。

【佐藤会長】いや、徒にアメリカの制度を下敷きにしてということではないと思います。前回のヒアリングのときに、今までの裁判官制度がどうのこうのということではなくて、これからいかにあるべきかの観点から考えようという趣旨のことを申し上げました。前回の審議会のときに、但木官房長は、規制緩和をやったり、新たな犯罪現象に直面したり、いろいろ従来と違った性質の社会に日本は突入していかざるを得ない中で、判事の力量を飛躍的に増大させる必要があるというような言い方をされたように記憶しているんですけれども、何といいますか、従来にも増して、力強いというか、たくましい裁判官を我々は得る必要があるという、従来がどうのこうのというよりも、そういう観点から、この問題を考えるべきではないかと思うのです。
 そして、前回、最高裁判所の方は諮問委員会という御提案をなさったわけですけれども、前回の私どもの議論では、それは結構だ、ただその機能を実効性のあるものにする必要がある、大体そういう共通の理解であったように思うのです。そういう前提で、この問題をお考えいただくということで、抽象的ですけれども、いかがでしょうか。
 今日の御議論を伺いながらもう少しブレークダウンして申し上げるとどうなるか。皆さんに違うといって袋だたきに遭うかもしれませんけれども、こんな形で一応この段階で整理できるのではないかと思うところがあるのですが、申し上げてよろしいでしょうか。
 1点は、この委員会は、より主体的に適任者の選考、推薦、言葉の厳密な使い方についてはお許しいただきたいんですけれども、選考、推薦等を行う機関とする。そして、裁判官の指名を受けようとする者に選考の基準、手続、スケジュールを明示するなどの措置を含め、選考過程の透明性を確保する措置を講ずる。これがイ.に対応するまとめになっているのか、なっていないのか、分かりませんけれども、そういう感じを持つのです。
 それから、ロ.に対応することですけれども、最高裁判所に対して選考結果を意見として提出する委員会を中央に置くとともに、十分な資料、人事情報等に基づき、実質的な判断ができるような仕組みを整備する。そのために、この中央の委員会の下に、何らかの仕組みを設ける必要があるのではないか。その中身が何かということについては、先ほどいろいろ御議論いただきましたけれども、何らかの仕組みを工夫する必要があるということではないか。
 それから、ハ.に対応することですけれども、具体的に言うとなかなか難しいんですが、この委員会はなぜ設置するのかというと、先ほどの根源的な議論に関わってくるんですけれども、その設置の趣旨に照らして、公正で権威のあるものにする必要があり、そのためには、構成あるいは選任方法について十分な工夫をこらさなければならない。例えば、構成について法曹委員と非法曹委員を含める必要があるだろう。あるいは鳥居委員がおっしゃったように、日本の将来の国のかたちを考えたとき、地方をどう位置付けるかが重要となってくる。今、ここでそれについて具体的にこうすべきだということを申すのはちょっとまだ難しいと思いますけれども、構成と選任方法について十分な工夫をこらす必要がある。委員会を公正で権威のあるものにするためにも。
 まとめになっていないよというおしかりを受けるかもしらぬのですけれども、いかがでしょうか。

【中坊委員】ちょっと分かりにくいんですけれども、おっしゃったのは、一つ中央に置くというのは分かりましたけれども、ハ.は、全部、下部組織には関係ないということになるわけですか。

【佐藤会長】そこまで厳密に申しているわけではありません。ただ、ブロックごとに何か考えないといけない、中央の一つの委員会の下部組織としてブロックごとに何か考える必要があるだろうということは、今日はかなり出ていると思うんです。もっとも、それがどういう仕組みでどういう機能を果たすべきかについては、まだ、今日の段階では、こうだと言い切れるまでにはなっていないのではないかという感じで、さっきのような漠然としたまとめ方をしたんですけれども。

【藤田委員】ちょっと質問ですが、最初のイ.のところで、選考という言葉が出てきたんですが、ロ.のところでは意見を提出する委員会というようになっていますし、選考というのがイ.のところに二つ○がありますが、下の方の「自ら適任者の選考、推薦等を行う」という趣旨なんでしょうか。

【佐藤会長】実質的には、そこでこういう人をということを決めるというのか、審査をして、それを最高裁に提出するということなのです。指名権は勿論最高裁にありますから、法的拘束力のあるようなものは考えられませんけれども、中央に置かれた委員会が提出した意見について、最高裁がこれを尊重しなければ、何のためにつくるのか分からなくなります。法的拘束力はないけれども、尊重されるべき意見として最高裁に提出するという趣旨であります。

【藤田委員】そうすると、「指名の適否について意見を述べる」というよりも、もっと積極的に踏み込んでいるように思うんですが、井上委員が言われた、例えば、新任の裁判官を採用する場合、あるいはもう既に裁判官としてやっている人たちを再任する場合、それから、職業裁判官以外の弁護士とか大学教授とかその他の法曹資格を持っている会社の人とかというような人を選考する場合とでは、かなりかみ込み方に差が出てくると思うんです。今までずっと職業裁判官としてやってきた人を再任するかどうかということについて、積極的に選考という形で踏み込むということになるわけですか。

【佐藤会長】その判断の材料とか基準については、今おっしゃったように、あるいはそれぞれ違ったところがあるかもしれません。けれども、結論として提出するときには、これはこうだああだという形で最高裁に提出されるんだろうと思います。

【藤田委員】裁判官の再任について意見を述べる場合と、新しく部外の弁護士、あるいは大学教授から選任する場合とでは、内容的には濃淡の差はあると考えております。

【佐藤会長】それはあり得るかもしれないと感じていますけれども、実際にどういう形になるかについては、今の段階で自信を持って申し上げられません。ただ、漠然とそういう感じはしています。

【藤田委員】既に、裁判官である者の再任を検討する場合は、情報に基づく判断は、かなり困難なわけで、先ほど井上委員が言われたように、安全弁的というか、この人は誰が見ても裁判官としてはまずいというような人を排除するということが実態とならざるを得ないのではないかという気がいたします。そこら辺の表現についてひとつ御留意願いたいのと、適格性を判断する場合に、その人のした裁判の内容を審査するということは非常に問題であって、裁判あるいは裁判官の独立に触れるということになりますので、そこら辺は配慮が必要だと思います。その点に配慮しつつというような表現を入れるのが適当かどうかということも御検討願えればと思います。

【佐藤会長】その辺については、各国とも非常に配慮していまして、例えば、アメリカも判決の内容に踏み込まないようにということに注意しています。裁判官の独立の問題は、さっき髙木委員がおっしゃったことの一面でもあるんですが、行政官庁の場合と、裁判官の執務の形態、本質とは相当に違いますので、その辺のことにも十分配慮しなければいけないというように思っております。
 今日、私がここにまとめましたのは、一応のラフな口頭でのものでして、機会を見て、更に代理とも相談しながら、文書化したものをお示ししたいと思っています。そのときは表現ぶりは厳密にさせていただきたいと思いますが、今申しましたのはざくっとした話でして。

【竹下会長代理】記者会見のときには、どうされますか。今のメモを読まれれば、恐らく記者はもっとゆっくり繰り返して読んでくれと言って筆記すると思うのですよ。
 ここでは、委員の皆さんが、十分今の内容を吟味した上で決めているわけではないので、ちょっと記者会見で、今の文章をそのまま読まれて口授されるような格好になるのは具合が悪いのではないかと思います。

【佐藤会長】一字一句そのとおりに受け取って書かれると何ですので、この審議での今のやり取りを御覧になっていて、その趣旨とするところを汲み取っていただきたいというしかないと思いますけれども、基本的には。

【竹下会長代理】読み上げないのならよいのですけれども。

【藤田委員】全体の趣旨として、こういう方向で考えるということであって、細かい表現あるいは。

【竹下会長代理】中央に一つ委員会をつくって、地方ブロック単位に地方組織をつくる、それで、最高裁判所に指名についての意見を述べるというような機能を持つものを設けるのだという、その程度のことであれば、大体皆さんの意見は一致している。

【井上委員】細かいことですけれども、地方ブロックのところは、留保されたのではないですか。

【佐藤会長】中身についてはね。

【水原委員】実質的な判断がつくようにするために、最高裁判所の諮問委員会の下に、ブロックごとに何らかのものをつくらなければならないだろうという表現。

【佐藤会長】その程度だったら。

【竹下会長代理】会長御自身もお困りになると思うものだから申し上げているのです。ここでの了解と、記者会見の結果が新聞に報道されたものが食い違っているというような御指摘を受けたことが、これまでも2、3ありますもので、そういうことにならないようにという趣旨です。

【佐藤会長】今の程度であればよろしいですか。

【髙木委員】最終的にペーパーでということですので、そのときの議論でいいかと思いますので余り申し上げませんが、要は今何を行う目的でこういうことを議論しているのか、現状認識について、例えば、私と山本さんでは大分認識が違う面もありますけれども、その中で、いろいろなところに気遣いをしながら、そうは言いながらも実質的に少しずつでも変えていこうではないかという次元での御苦労があることは十分承知していますけれども、結果的に角をためて牛を殺すみたいなことだったら、何をしておるか分からないわけですから。

【佐藤会長】中間報告があり、法曹三者のヒアリングでそれぞれ意見の開陳があり、特に最高裁判所も諮問委員会について御提案なさった。そして、私どもも、何らかの委員会をつくる必要がある、また、それは実効性を持つ必要がある、という議論になって、前回、そういう取りまとめ方をしました。その流れで今日御議論をいただいて、さっき申し上げたようなところまで進んできた、そういう趣旨で申し上げているわけです。ですから、目的は、ある意味でははっきりしているというように私は思っているんです。そうではないという評価もあるかもしれませんけれども、中間報告は中間報告で既にある種の考え方は出しているわけで、それを受けての議論の展開だと思っています。そういう流れでお受け取りいただければと思います。
 では、よろしいでしょうか。この点は以上で終わらせていただきます。
 それでは、35分に再開させていただきます。

(休 憩)

【佐藤会長】それでは、時間もきましたので、審議を再開したいと思います。
 次に御議論いただきたいのは、給源の多様化、多元化についてでございます。もういいとおっしゃるかもしれませんけれども、先ほどと同じように、中間報告と法曹三者ヒアリングのことについて、最初に少しお話しさせていただきます。
 中間報告の28ページですけれども、裁判所法は給源の多元性を予定しているけれども、判事補のほとんどがそのまま判事になって、判事の主要な給源となり、しかも、従来、弁護士からの任官が進まないなど、これを是正することは困難であったという現行制度運用の経緯、現状を踏まえ、国民が求める裁判官としてふさわしい人材を、いかに安定的に確保していくかという観点から、「給源の多様化、多元化」(裁判所法の趣旨)の実質化を図ることはもとより、更に進んで判事となる者一人ひとりが、それぞれ法律家として多様で豊かな知識、経験と人間性を備えることが必要であり、知識、給源等の多様化を制度的に担保する仕組みを構築することが改革の方向である、そう中間報告はうたっているわけであります。
 法曹三者からのヒアリングで、それぞれのお立場から考え方を明らかにしていただいたわけですけれども、最高裁判所も、提出されたペーパーの中で、裁判所法42条が多元性を予定しているにもかかわらず、「裁判官の給源が事実上単一化していることは、裁判官となった者が互いに切磋琢磨して成長していく上でも、また、裁判所全体としての組織の硬直化を防ぐ意味でも、決して好ましいことではない。そこで、裁判官の給源の多様化・多元化を図る方策を進めていきたい」ということを指摘されているわけであります。
 弁護士会、法務省の御主張については、この間のことですので立ち入りませんけれども、最高裁判所の方も、この現状は決して好ましいことではないという認識を示しておられることが注目されるわけです。今日は、これを踏まえて、いろんな論点にわたっておりますけれども、これから御審議いただきたいというように考えている次第です。
 皆関連し合っているもんですから、どこからでも結構でございますが、御議論をちょうだいしたいと思います。
 いかがでしょうか。どなたか口火を切っていただけませんか。論点としては、判事補のとらえ方といいますか、そういう問題、弁護士任官の問題、特例判事補制度の問題、様々な論点にわたっているかと思います。

【竹下会長代理】恐らく論点は三つぐらいあるであろうと思います。一つは裁判所法の趣旨を実質化するということで、これは皆さんも余り御異論がないのではないか。そのために、裁判官に多様な人材を確保するために、弁護士任官を、日弁連及び最高裁がそれぞれプレゼンテーションの中で、推進するための方策というのを示されたわけですので、そういう方策を一層推進していっていただきたい。さらに、検察官、大学教授からの任官を促進する方策も考えていただく必要があるだろうと思われます。
 2番目の論点は、判事補の知識、経験の多様化というところでありまして、これは私の意見ですけれども、現在の判事補研修と呼ばれている制度を、より充実させて、ここは最高裁も言っておられたように、原則としてすべての判事補が、その在任期間中に弁護士事務所、あるいは行政各省庁、民間企業等に派遣されて、そこで少なくとも1年以上勤務して、派遣先の職務を行うようにすることが望ましいのではないかと思われます。
 その際、前々から問題になっているのは、判事補の身分を離れるかどうかという点でございますけれども、これは本人の同意が必要であるということと、年金等の処遇上不利益を受けることがないような措置が講じられるというのであれば、判事補の身分を離れるということも十分検討に値するのではないかと思います。
 第3は、特例判事補の問題だと思います。特例判事補制度というのは、元来、臨時的な措置として導入されたものであって、判事補の権限は裁判所法の原則に戻すのが本来あるべき姿であるということについては、大方の委員がそう考えておられるだろうと思います。
 ただ、最高裁判所のプレゼンテーションにおいても述べられていましたように、この制度がこれまで現実に果たしてきた役割、それからまた現に果たしている役割というものを、一概に無視することもできないのではないか。
 また、私としては、もし判事補の権限を裁判所法の定める原則に戻して、そのまま10年間その地位にとどめるということにした場合に、果たしてすぐれた人材を安定的に確保できるのだろうかという疑問も払拭できないように思います。ですから、その辺りについては、何らかの検討が必要なのではないか。最高裁のプレゼンテーションでは、単独事件を担当する時期を7年目ないし8年目と後倒しするということが言われておりましたが、それも一つやり方ですし、あるいは判事補の知識、経験の多様化が担保されるということになれば、場合によってはその段階で判事に任命するという道を開くことも検討する値打ちはあるのかと考えております。
 要するに、裁判所法の趣旨どおり、判事の給源の多元化を実現するという問題と、判事補の知識、経験の多様化の問題、特例判事補の問題というぐらいに分けられるかと思っております。

【鳥居委員】初歩的な質問をしてもよろしいでしょうか。日本の法律と制度の上で、判事というのは、公務員としての身分を指しているんでしょうか、それとも、裁判官と同義なんでしょうか。

【竹下会長代理】公務員としての身分だと思いますが。

【藤田委員】判事は、官でありまして、裁判官というと、判事補も簡易裁判所判事も最高裁判所長官も最高裁判事も全部入る総称になっています。

【鳥居委員】それを前提として議論していいわけですね。だから、裁判官の給源というとき、その裁判官の給源として、判事とか判事補とか弁護士というふうに並べて考えていいわけですね。

【竹下会長代理】今、議論しているのは、判事の給源ですね。

【鳥居委員】そこが質問したかったんです。裁判官の給源と言いながら、実は判事の給源かと。

【佐藤会長】判事の給源です。

【竹下会長代理】今まで主として議論してきたのはそうです。言葉を正確に使えば、判事の給源です。

【鳥居委員】そうしますと、私の解釈は間違っているわけですね。裁判官の給源を我々は議論しておって、例えば弁護士、例えば判事が、裁判官になるという、この構図ではないんですね。

【竹下会長代理】はい。

【鳥居委員】分かりました。

【佐藤会長】どうぞ。順番は、どの論点から入られても結構ですから。

【中坊委員】私は、竹下会長代理がおっしゃっていただいた中で、判事補の身分を持ったまま、他の経験をするんだという考え方ですね。それは、ちょっといかがなものかと思います。確かに、おっしゃるように、判事補において公務員であって、そして他の職、例えば、弁護士というものをやると、そのこと自体は基本的にやはり問題があるんじゃないかと思います。
 私の経験でも、既に言いましたように、やはり弁護士というのは、弁護士として本当に依頼者との関係において、その生活がそこにかかり、そうしておって初めて弁護士経験というのが分かるわけでして、自分の身分は公務員であって、それでそのときだけ何年間か他の職業へ行くというのでは、それはしょせん、まさに見習いに行くというか、ちょっと外側から見て、我々側からすればお客さんということになるわけであって、それは決して多様な経験をしたことにはならない。特に、私が強調しておるように、裁く立場になるためには、まず裁かれる立場を経験した者がなってもらいたいという意識からすると、ほど遠いものじゃないか。
 確かに、竹下さんのおっしゃるように、強制するということは法律上も裁判官という概念になっていると、身分保障というのが伴いますから、その点で確かに一つの問題があると、しかし判事として任命するときには、それはならないよということは可能なんですね。
 だから、まさに判事として採用する前には、その判事補以外の職務を何年かやってきなさいよということとして制度化するということは可能なことだし、やはりあるゆる意味において高い質というか、経験の多様性、そして信頼ということが、しかも制度的に保障ということになります。単に運営上でどうだこうだという問題じゃなしに、判事の給源としての判事補を10年間すれば判事になれるんだと、そこを基本的に直さない限り、今まで行われてきた、判事補が主たる給源になって、事実上判事補からのみになってきて、弁護士任官が進まないというところにもつながっているように思うんです。
 だから、要するに竹下会長代理のおっしゃっていただくように、経験の多様化というのは必要であり、経験の多様化としてそういう裁かれた立場の経験は必要だ。これは大体みんな主な考えになって、同時にそれを一定の年限やらないといけないこともおおむね一致していると。問題は、それを強制できるのか、強制できないのかというのが確かに大きな問題で、その強制は私も、法律上も第一難しいんじゃないかという気がするんです。
 しかし、同時に判事になる任命の、判事として採用するときには、そういう経験の多様性を持っていることが前提ですよと言うこと自体は、別に構わないわけですからね。そこで、今おっしゃっていただいている、どなたも恐らく判事補とか一種の公務員の身分を持ったまま、いわゆる弁護士のような民間人のような立場になるのは、やはりどこかおかしいだろうという点です。そうすると、どうしてもならなければいけない。その身分を離れないといけない。離れることが実際上担保されないといけない。我々は、制度的に、単にこの判事補問題というものを運用によって賄うんじゃないし、制度的にどう保障するかということが問題だと。そうすると、判事になるときには、さっき言ったように経験の多様化が必要だから、裁く立場ばっかりを10年やったからといって判事にはなれませんよということにすれば、今おっしゃっていただく問題は、それなりに解決するのじゃないかというような気がしているわけです。

【竹下会長代理】私も、判事補が外部に派遣されて弁護士事務所に行く場合に、2年なり3年なりやって戻ってきたときに、制度の本質的な事柄ではないかもしれないけれども、その個人にとっては重要な、例えば、年金であるとか、そういうようなことをついて不利益を受けないような保障ができるのであれば、やはりそれは判事補の身分を離れて弁護士として登録をした方がよいだろうと考えてはいるわけです。ただ、それができるかどうかということを、直ちに判断する材料がないものですから、そういう留保付きのようなことを申し上げたわけです。

【水原委員】一つだけお尋ねしたいんですが、それは弁護士事務所に勤務するのに、判事補の身分を離脱するということについて同意がない場合でも、年金制度等ができればよろしいということですか。それとも、飽くまで前提は、同意がなければいけないということですか。

【竹下会長代理】やはり身分の保障がありますから、本人の同意がなければ、それは無理ではないかと思います。

【佐藤会長】さっきの議論ですけれども、判事補も裁判官である、裁判官としての身分は保障されるという考え方ですね。

【井上委員】1点、竹下先生に御質問ですが、弁護士事務所というのが、恐らく実際上は主になると思うのですけれども、例に挙がっていますように、企業だとか行政官庁に行く場合はどうなるのですか。身分とかは。

【竹下会長代理】それも同じです。

【井上委員】しかし、弁護士の場合は後で通算できますけれども・・・。

【竹下会長代理】行政官庁の場合は、今までは検事になっていっているわけですね。これはつながっていると思います。

【井上委員】わずかな数だとそれで済むのですけれども、もしそれもお客さんだから身分を離れてということになりますと、通算のところでの保障も考えておかないといけないのではないですかね。

【竹下会長代理】そうです。

【井上委員】通算については、その辺も含めて10年と通算する。

【竹下会長代理】それは民間の場合ですね。

【吉岡委員】保険の話は、空白期間ができてしまうという御心配なんですか。弁護士事務所に行っている間に。

【竹下会長代理】はい、そういう年金や退職金の計算の基礎になる期間がそこで切れてしまうのでは、その個人にとっては不利益ではないかということです。

【吉岡委員】それは、何か工夫のしようがあるのかなという気がいたします。今の年金制度自体が、日本の国はかなりもう破綻に近い状態までいっていますね。それで、全部国民年金に一本化しろというような話も出ていますので、心配する前に、否応なしに一本化してしまうのかなという、そんな気もいたしますけれども、そこまで悲観的に日本の国の経済を見なくてもいいのかもしれませんが、そういう中で、どう考えるかということですし、やはり年金とか身分保障の問題ができるかできないかというのは、工夫するということで、ちょっと別問題として考えた方が、この制度改革の中では前向きではないでしょうか。

【佐藤会長】付随的な問題だろうと思います。重要ではあるけれども、一種の付随的な問題なんで、ここでは本体の本来あるべき姿がどうかという観点から御議論いただいたらいかがでしょうか。

【髙木委員】もっと単純化して考えるというか、他職経験というか経験の多様化というか、だから要は本当の意味で弁護士としての仕事ができればいいんだろうと思いますが、そういう意味で身分を離れるかどうかは関係ないと言ったら関係ないかもしれません。本当にできるんならですね。だけれど、そもそも弁護士さんの仕事は、依頼者といろいろお話をして、ある種委任契約を受けて、依頼者の利益のために法律事務を執行されて、その対価として報酬を受けて生活するというか、職業にされている訳です。それが弁護士さんの職務の一般的な姿だとしたら、そもそも裁判官の身分を持ったまま、そういう仕事をするというのは、やはり当然自己矛盾を起こすんだろうと思うんです。
 そういう意味で、判事補をやめて弁護士になるというのが、一番一般的な姿として想定されるでしょう。ただ、別に無理やりやめさせるというわけにしなくても、判事になるためには、例えば、他職経験が必要だということにすれば、判事になりたいと思っている人は他職に当然、同意、不同意とかいう以前の問題として、なっていかれるはずで、そういう意味では、判事補をやめたくなければ、やめなくたっていい、そのままでは判事になれないだけですよという制度にすれば、もうごく単純にそうなるわけでして、判事補だけで10年過ごした人が、判事補の再任という問題があるのかないのか、それまた違う切り口でそういう議論をするならしたらいいわけだろうと思いますので、そういうふうに何も身分保障の問題が詰まらない、だから、身分保障がどうしても欲しいという人は、判事補をそのままお続けになられて、けど実際には判事にはそのままではなれませんよというふうにすれば、非常に単純に整理ができるんだろうと思います。
 あと年金の問題等は、幾らでもやりようがあると思うんです。

【竹下会長代理】髙木委員と、先ほど中坊委員も同じことを言われたのですが、私は前回も言ったことですけれども、判事になるためには10年という期間の法律職経験を要するとの定めがあります。これは法律家としての成熟性を要求しているということなので、裁かれる立場に立たなければいけないという話ではないと思っているのです。法律家として成熟するためには、一つの職業だけではなくて、ほかの法律職もやる必要があるだろう。ですから、もし判事補について判事補10年では駄目ですといいながら、しかし検察官10年ならよいですとか、弁護士10年ならよいですというのは、私はおかしいと思うのです。もし、判事補について判事補10年では足りなくて、ほかのこともやりなさいというのなら、弁護士についても同じだし、検察官についても同じでないとおかしいのではないかと思うのです。

【髙木委員】もしそうなら、そういうことで整合性のあるルールをつくって、竹下さんの言われるようにされたらいいと思うんです。

【中坊委員】でも、竹下さんのおっしゃっているのは、私もいつも言っている論理だけれども、裁判官の中心は判事ですから、まさに本件の場合判事ということで問題にしたいと思うんですけれども、判事というのはまさに司法の中枢なんです。一番偉い人と言ったらおかしいけれども、要するにみんながその実績からしても、人格識見等からしても信頼のおける人に裁判官になってもらいたいと言われるように、それがまず根幹なんです。そういう根幹の高い資質と能力というものを、それではどうして判断するのかと言えば、やはりまずもって法律実務に通じていることなのです。判決を書く仕事を最初からしていて、そればっかりやっていれば、今、竹下会長代理のおっしゃるように習熟するんだということには、決してならないと思います。

【竹下会長代理】成熟です。

【中坊委員】成熟ということには、決していびつな、私のいびつという表現はちょっときつ過ぎるかもしれないけれども、偏った一つの経験を踏まれるだけであって、片一方側の裁かれる立場というものを見て、初めて目線がね。いかなる場合でも、物を見るときに目線というのが必要なんです。要するに、同じ目線で物を見るということがすべての前提なんです。同じ民間人として、同じような目線で物を見えるということが、将来裁く立場になるために絶対必要な経験なんです。だからこそ今、外国でもそういう制度になっているという根拠がやはりあるんで、その中において、本当にこの人は裁く立場になってもみんながいいと言う、その実績を経てきて、おのずから次第に分かってくることなんです。
 だから、単に裁判実務をしておったからということだけで、裁かれる側の立場は経験しなくてもよいということには決してならない。もし、そういうことにすれば、それは今おっしゃるように、そこに一つの大きな問題点があるということは明らかです。いわんや、特例判事補や判事補について、判事補の習熟もある程度でいいじゃないかということで、もうすぐ判事補で仮処分が出せたり、令状が出せたりということになって一人で裁判ができるようになり、更に特例とかだんだん歯止めなくなってきた。

【竹下会長代理】特例の問題は別だと思います。

【中坊委員】過去の歴史がそういうふうになっていて、戦後日本はそうなってきたんだから、今ここで抜本的に直さないといけないということになれば、まずもって裁く立場ばっかりじゃなしに、裁かれる人と同じ目線の生活というものを、しかも法律実務を通じて経験してきたということが必要だということだと思うんです。

【佐藤会長】この論争は、かなり本質に触れる、哲学に触れることで、なかなか。

【中坊委員】哲学とも思わないけれども。

【佐藤会長】論争を続けていただいて結構ですけれども、身分を離れて他職の経験を積むべきではないかというところは、代理の場合も中坊委員の場合も共通しているような感じがするんですけれども、そこはいかがですか。

【北村委員】ちょっと質問させていただいて、身分を離れてということなんですけれども、ではお給料は行った先でもらうということなんですか。

【佐藤会長】そういうことだと思います。

【北村委員】結局、身分を離れてしまいますと、3年間とか2年間とか、あるいは1年間の身分を離れてまた戻ってくるということなんですね。

【佐藤会長】はい、そうです。

【北村委員】だから完全に離れているわけじゃないですね。将来は、自分は戻れるということでもって離れているわけですね。そういう一定の期間の身分を離れてというのは、離れていようが離れてなかろうが同じだと思うんです。ですから、私は必ずしも身分を離れる必要はないだろうというふうに思っているんです。
 もう一つ、ちょっと言わせていただくと、私にとっては、素人から見た場合に、法曹三者というのは巨大な原子力潜水艦に見えてしまうんです。何だかんだと、中でお互いに批判をしながら結局同じじゃないか。だから、裁判官というか、判事補が研修をするんだったら外に出てもらいたいという意識を持っているんです。弁護士事務所に行くんじゃなくて、今、専門性だとか何だとかということが非常に問題になっているんだったら、研究所に行くとか、あるいは先端企業のところに行ってみるとか、いろいろ外国に行くというのも今やっているようですけれども、そういう形で出て行くんだったら非常に意味があると思うんですけれども、裁かれる立場になってみなければと言ったって、司法修習を行うまではみんなは裁かれる立場だったわけです。要するに、他職の経験というのはある程度いろんな、職業としては積んでいないかもしれませんけれども、そういう目線が大切なのであって、そういう意識が大切なんだと思うんです。それを、絶対にそれにならなければならないんだという考え方は、私自身の意見ではちょっとどうも納得できません。

【山本委員】他職の経験なのか、よりよい判事をつくるための研修なのかという議論にならなければいけないんです。ですから、私の考えは北村先生と似ているんですけれども、この判事のジャッジというのはかなり専門性が要求される仕事ですから、法律の適用だとか、そういった意味では今の判事補というのは、オン・ザ・ジョブ・トレーニングとして非常に意味があると思います。ただし、それだけではよりよい判事がなかなかできないので、それに加えて新しいいろんな経験をさせると、これが今、議論されていることだと思うんです。
 そういうふうに考えると、身分がどうのこうのというのは、北村先生がおっしゃるように余り関係ないんです。いずれは帰ってくるわけですから、それは例えば、公務員でも国家公務員から地方公務員のときは、国家公務員を離れて地方公務員の辞令を確かもらっているはずですね。でも、やはり3年か何年か経って帰ってくるというときに、受け取る方だってそれはやはりお客様意識があるし、やはり研修というようなニュアンスは消えないと思うんです。それがいけないかというと、それはそれなりに十分意味があると思うんです。
 裁かれる立場と中坊先生がおっしゃるんですけれども、弁護士さんが裁かれるわけじゃなくて、我々企業だってユーザーとしては裁かれているわけですね。ですから、弁護士さんの経験だけが、何かすべての最高の法律家の非常に基本的な要件だということではなくて、やはり弁護士さんには弁護士さんの必要なスキルが核としてあって、それにいろんな事件をやりながら付けていく、幅広い知識があると。それから、裁判官には裁判官にとって重要なスキルがあって、それにいろんなものを付加されると、よりよい視野の広い裁判官ができると。検事には検事のスキルがあると。私は、法曹三者というのはそういう関係だと思うんです。そこを全部ごっちゃにしてしまうというのはいかがかなと思います。

【中坊委員】多少、山本さんの言葉に反論するようだけれども、弁護士というのは基本的に依頼者の代理人です。あるいは、被告人の弁護人という、要するに代理の性格を基本的に帯びているわけです。そういうものとして、そして片一方においては法律の適用とか、そういうことにも全部関係し、証拠から事実をどうして認定するかということにも関与してくる。いわゆる、今、竹下会長代理のおっしゃった法律実務をやっているわけです。
 だから、どこが一番違うかというと、北村さんのおっしゃるように、だれだって市民の生活をしているじゃないかと言われるかもしれないけれども、まさに紛争というのに普通の市民はまずほとんどお目にも掛からないし、実際それは病的現象か何か知らないけれども、いずれにしても病的じゃなしにそういう社会紛争というものを目の前にして、そしてそういうものとして裁判を受けるという身分に成熟、習熟するということが必要なものであって、北村さんのおっしゃるようにどこかで見てもらうと、確かにそういうこともいいですよ、しかし、基本的に市民の立場の代理人という立場になって、そしてしかも紛争に立ち向かうというか、そういう経験が絶対に必要なものじゃないかということを言っているわけです。

【佐藤会長】石井委員、どうぞ。

【石井委員】判事補の研修をより充実させることの必要性については、皆さんもおっしゃっておられますが、やはり色々な経験を積むということが非常に大切なことだと思っております。少なくとも2年ぐらいは色々な企業とか、外国のローファームとか、そういうところで勉強し、経験を積むことが重要だと思います。
 前からも申し上げておりますが、できれば2年ぐらい海外のロースクールとか、海外の裁判所等にも行かせて、視野を広げさせることが必要ではないかと思っております。特に、これからはどうしても国際性ということが非常に重要な要素になります。国際性を身に付けるという見地からも、海外研修を必修科目としたらいかがかと思っております。
 先ほどからの議論で、将来裁判官になる者の視野が狭かったり、ちょっとエキセントリックだったら困るというお話がありましたが、かつてお話ししたことを思い出しました。ここにいらっしゃる先生方は別としまして、大学の教授でも同じような問題がありまして、一般から見て少し世間の観念からずれているのではないかと思われるような人が、教授になっているということもあります。特に私は技術系だったものですから、ある国立大の理科系出身の学長先生とそのことについてお話ししたことがあったのですが、その学長先生は、そういう先生は民間企業に出して少し勉強させた方が良いのだと言われておりました。昔の帝国大学時代というのは、教授にする予定の人は2年から3年必ず民間企業に出していたんだそうです。

【佐藤会長】学部などによるんじゃないでしょうか。

【石井委員】そうかもしれません。少なくとも工学部ではそういう方法を取って、世間離れした感覚にならぬようにしていたと話されておりました。それでは、今の世の中でも同じ方法を取られるようにしたらよいのではないかと申し上げましたところ、学長先生は笑いながら、良い人を学校としても教授にしたいのだから、そのつもりでそういう人間を企業に出すと、今まで、企業に取られてしまうケースが多くあり、だから仕方なくその方式が取れなくなってしまったと話されておりました。成程と思った次第です。
 私も今、お話を伺っていて同じことを感じたのですが、将来本当に良い裁判官になれる素質を持っている方を企業に出したり、ローファームに出したときに、だれでも目を付けるのは同じだと思うのです。そうすると、その人を今度自分のところに取り込みたいというモチベーションが起こることは否定できませんので、それをどうやって排除するかということも、同時に考えておかなければいけないのではないかと思っております。取り越し苦労かもしれませんが・・・。

【佐藤会長】髙木委員、どうぞ。

【髙木委員】他職経験というのは、要は何を目的にして何を経験するんだというところがポイントだと思うんです。だから、留学のお話なんかも書かれておりますが、留学しておられる皆さんがどういう毎日を過ごしておられるか私もよく存じませんが、確かに外国の文化に触れ、行った先の国の司法制度やら法律を勉強されたりする、そのこと自体は非常に有意義なことなんだろうと思うんです。
 例えば、私は労働組合の仕事をしていますが、私も仕事以外の本を読んだり、人の話を聞いたりもいろいろするわけで、そういう意味で留学の中身が本当の意味での、ここで言われている他職経験の意味をきちんと持てているのか。今、民間企業研修の話もありましたけれども、給料は裁判所からもらっています、それで1年来られる、2年来られる。この前最高裁が出されたペーパーだと、何か月とか数週間みたいなものがあったようですが、本当に企業が戦力として、企業でやっている本当の企業実務、仕事に、よそから給料をもらっている人に責任を取ってもらうわけにいきませんから、そういうたぐいの話というのは、本来的な意味での他職の経験、それも法律家として多様で豊かな経験と人間性という、そういう世界ではないと思います。
 そういう意味では、失礼な言い方かもしれないけれども、お客様として遊学されるという域を出ない、そういう種の研修、それも意味がないとは言いませんが、今みんなが求めているのはどうもその辺とはちょっと違うんじゃないでしょうか。弁護士が裁かれる立場かどうか、その弁護士論は山本さんと中坊さんで論争していただいたら結構ですが、いずれにしても、いわゆる法曹の将来のコアである裁判官という仕事をされる人たちの、当事者経験というのか、そういうものを通じて国民が期待する裁判官像にできるだけ沿うようになってほしいという話ですから、私は当然身分は離れられ、戻られることを保障するしないはいろいろ形によって考えたらいいんだろう思います。
 また今、石井さんがおっしゃられたように、戻って来ぬのがおるぞという御心配もあれば、それはそれぞれが選択される話ですから、戻って来る来ないは別の話だと思います。
 要は、そんな意味で、経験とは何ぞやということをしっかり見極めることだと思います。今、我々が求めている研修だか他職経験だか知りませんが、そういうものの実質は何なんだということをきちんと見極めた話じゃないといけないと思います。いろいろ世間はやかましいことを言うから、とりあえずこんなことをやっておけということになったらいかんなと思います。
 それで、竹下さんにお尋ねしたいんですが、裁判所法42条の問題を竹下さんはどうされようとしておるのか、ちょっとその辺お考えがあったらお聞かせいただきたいと思います。

【竹下会長代理】私は42条に手を付けるということを考えているわけではなくて、それとは別に、要するに判事補の期間中に多様な経験を積めるように弁護士事務所などへ行くということにしようということです。42条は弁護士も通算して10年でよいわけですから、弁護士事務所へ行く、あるいはそこに書いてあるような他の法律職でもよいわけですね。

【髙木委員】先ほど、冒頭の御説明では、すべての判事補が何らかの経験をということでしたね。

【竹下会長代理】原則としてですね、例外はあり得るかもしれません。

【髙木委員】そういう意味で言えば、42条がそのままだったら、判事補だけ10年でいいわけですか。

【竹下会長代理】だから、それは例外的にそういう人が出てきたときに、それは判事の任命資格を認めないというのは、私はおかしいと思っています。

【髙木委員】例外的じゃなくなったらどうするんですか。

【竹下会長代理】別にそれはそれでよろしいではないですか。42条を変えなくてもそれでよいわけなのです。

【髙木委員】ちょっとそこのところはよく分かりませんね。今、要するに判事補だけ10年でいいと書いてあるわけですね。できるだけ、もっと判事補の人に多様な経験をしてもらおうということで議論しておって、法律も変わらなかったら実質的に何が担保してくれるんですか。行くのが嫌だと言ったら、もうみんなそれで済んでしまうわけですか。

【竹下会長代理】いや、それはいろいろな方法があり得ると思います。判事補について裁判所規則で何らかの定めを置くということもあり得ます。

【髙木委員】これは失礼ついでに申し上げると、では臨司の報告書が判事補について、あるいは特例判事補についていろいろ書かれましたけれども、その後今日までどういうことになってきていますか。臨司ははっきり特例についても指摘していましたが。

【竹下会長代理】その問題はちょっと別ですよ。

【髙木委員】判事補の在り方についても、臨司はいろいろな意見を出されました。少なくとも我々は、臨司の言われたことをクリアーして議論をしたいと思って議論に参加しておるわけです。だから、いろんなやり方があると言うけれども、我々が議論してきたこういう方向に向かおうじゃないかというものを、42条を直さないで何が担保してくれるんですか。

【竹下会長代理】例えば、先ほどの任命選考あるいは諮問委員会の審査基準のようなもので、そういう多様な経験を要求するということも、一つのやり方としては考えられるのではないですか。

【髙木委員】もしそういうことで、じゃ判事補10年やった人が、私は任用されなかった、法律どおりやって何がおかしいんだというふうに言われたら、どう答えるんですか。

【竹下会長代理】それは、資格がある人はみんな通すということではなかったわけですね。先ほどの諮問委員会というのは。資格のある人の中で、適当な人、適当でない人を選り分けましょうという話ですね。ですから、判事補10年で法律上の資格があるけれども適当でないというのなら不適任であるという意見を述べることになるのではないでしょうか。

【髙木委員】私が言っているのは、資格のある人でも通す通さないという世界は確かにありますが、法定の資格を持っているのに、何で通してくれぬのですかと言われたときに、あなたは他職の経験がないから通さないということを、ルール化することが、法律に書いていないのにできますかということなんです。

【竹下会長代理】それは、どうでしょうかね。

【井上委員】それは、実質的に選別、あるいは選考ないし推薦するときに、何らかの基準をつくるとすれば、それと同じレベルの問題でして、あとはその基準が合理的かどうかということだと思うのです。それが合理的であれば、法律上も許されることだと思います。しかも、その基準のつくり方も、それがないと不利益に扱われるというやり方と、そういう要件を備えた人を優先する、要するにプラスの方に数えるというやり方もあるわけです。ですから、どれが一番実質ふさわしく、実効があるのかということであって、法律でなくても私は効果はあるのではないかというふうには思うのです。
 ついでにもう少し言っていいですか。

【佐藤会長】さっきから水原委員、吉岡委員が。

【水原委員】その問題は、身分を離れるか離れないか、それから弁護士経験を必ずさせるかどうかということは、極めて悩ましい問題だと思います。しかしながら、ここで議論と言いましょうか、意見交換しておる問題は、よりよい判事をどうやってつくっていくか、選んでいくかということだと思うんです。
 確かに、一つの職場でずっと、判事補なら判事補一途でやって10年経った方の中にも、勿論人によっては、世の中のいろいろな痛みも分かり、いろんな経験について物を読み、人から聞いて経験することもございましょうが、問題は、先ほど会長が読まれました、更に進んで判事となる者一人ひとりが、それぞれ法律家として多様で豊かな知識、経験と人間性を備えていることが必要であり、知識、経験等の多様化を制度的に担保する仕組みを構築する必要があるということなんです。私も、やはり制度的に何らかの構築をしておかないといけないなという気がいたします。
 これは前に、私が例えばということで多様化のところで発言いたしましたけれども、検事の経験からいたしますと、やはり検事の職場の中だけで仕事をしますと、例えば、弁護人となろうとする者が、突然接見を求めてくることがあります。だけれども、これはアポイントを取っていないんだから待たせておけと、調べ中だから待ってもらえということを平気でやることも、若いときにはなかったわけではございません。私の経験も含めて申し上げますけれども。
 ところが、廊下を通っていますと、待合室に何時間も待たされている関係者もいるし、それから弁護人もいらっしゃる。どうしてそんなに待ってらっしゃるんですかと聞くと、いや突然来ましたから仕方がないんですと。この痛みが分かるようになるには、やはりいろいろな経験を経る必要があろう。一番手っ取り早い話は、私は中坊委員、それから髙木委員に常に盾突くわけではございません。おっしゃることは、そういう面を非常に強い面があると思います。やはり当事者経験を、その立場に立って経験することが極めて大事だなという気持ちを持っている一人でございます。
 それはやらなくたっていいじゃないかという、そういうすばらしい人もいますけれども、一般的に制度化するとするならば、そういうやはり身分を離れて弁護士になって、そして当事者の痛みを分かり、なるほど関係者というのはこういううそをつくのかと。それから、真実をしゃべっておるようだけれども、ごまかしをするんだなと。こういうことは弁護士に対してもうそを言います。これは間違いなくうそを言うと思います。だけれども、そういうことを経験していない者が検事として仕事をしていいんだろうか、裁判官として仕事をしていいんだろうかという不安は、私は持っております。
 そういう意味で、やはり他職経験を経ることが必要だという、最高裁判所の御意見はごもっともではございますけれども、他職経験の中で裁判官が一番多く扱うのは何かと言いますと、これはやはり訴訟でございます。訴訟で当事者の気持ちが分かるのか分からないのか、どういうところに真相があるのかというのは、その立場に立った者でないとなかなか分かりづらいんじゃなかろうかという気がいたします。
 というわけで、私は、もしできることならば、全員というわけにはいかない、同意がなければいけない、先ほど42条の問題がございましたけれども、身分保障の問題がありますから全員というわけにはいかぬでしょう、だけれども、原則としては他職経験だけでなくて、他職経験の中でも弁護士になって、本当に真相、世の中の真相はこんなものだということを話してもらう。そして、それを聞いて裁判に望むことが非常に大切じゃなかろうかなという気がいたします。
 さはさりながら、身分保障がございます。42条という問題もございます。私も42条は手を付けるべき必要はないのではなかろうかという気がいたします。身分保障があるために、無理に弁護士になりなさいというわけにはいきません。ただ、先ほど来、代理と井上委員がおっしゃったように、今度諮問委員会という制度ができるわけでございますから、ここで判事補だけしかやっていない者は駄目よというわけにはいきません。その中でも、やはりいろいろな経験を経ている人もおります。ことによったならば、仕事の関係でどうしても弁護士に行きたいけれども、弁護士に行けなかった場合、そういうことも考えておかなければいけないでしょう。そうなりますと、やはり原則としては、できる限りみんなが、年限はどれぐらいになるか分かりませんが、弁護士としてその経験を積むことが望ましいんじゃなかろうかなという気がいたします。
 だけど、これは飽くまで、先ほども申しましたように身分保障等の問題もございますし、強引にというわけにはいきません。そういう感じを持っております。厳しいことを申しましたけれども、やはりそのことは検事に対しても当てはまることじゃなかろうかという気がいたします。こんなことを言ったら、法務省から直ちに抗議が来るかも分かりませんけれども、私の経験からしてそう思います。
 検事の場合は、相当厳しい決裁官が、先輩が仕事上の権限として厳しく指導することができます。徹底して。真相というのはお前ここにあるんだぞ、こういうふうに調べて見ろよということを徹底的に教育、訓練をすることができますけれども、それでも私は限られた範囲内における知識、経験は、それでいいのかなと、余りうぬぼれては困るなという気がいたします。
 以上です。

【北村委員】今のに質問させていただいてよろしいですか。今、水原委員がおっしゃったことと、中坊委員が前から弁護士から判事をというふうにおっしゃっていることと、どう違うんでしょうか。今、水原委員のお言葉をずっと詰めていくと、弁護士の経験が必要だということになると、判事は弁護士から行けばいいんじゃないかという考えと、どこが違うんでしょうか。それを教えていただきたいと思うんです。

【水原委員】それは先ほども申しますように、例外としては判事補だけで判事になることも道は残されるわけです。原則として、できる限り弁護士経験を何年間かやるのは望ましいということでございまして、それをやらなかった者は判事になれないのかということとなりますと、それはそういうことじゃございませんよということです。

【佐藤会長】お話を伺っていて、中坊委員のお考えとある種の共通の基盤があるような気がしました。掘り下げれば、違うところもあるのかもしれませんけれども、やはり権力といいますかそういう立場を離れて国民の生活に直接触れる、そういう機会を持った方がいいんじゃないかということですね。水原委員の御意見を誤解しているところもあるかもしれませんけれども、そういう点では共通の基盤があるように受け止めました。

【竹下会長代理】水原委員に伺いたいのですが、それは弁護士事務所でなければいけないという御趣旨ではないのですね。

【水原委員】私は、やはりできる限り弁護士事務所と。

【竹下会長代理】できる限りというのは、そのとおりだと思いますが。

【水原委員】それに決めてしまうというのは、ちょっと問題があるのかなという気がいたします。多様な経験を積むことが必要なんだけれども、だけれどもやはり裁く立場というのは、訴訟の当事者と言いましょうか、関係者、これと直に接触する機会を、ある時期に持った方が望ましいということでございます。必ずということではございません。

【竹下会長代理】実は、現在私がお引き受けしている他の仕事と比較的関連の深いことですけれども、立法を担当する仕事に今、判事補の人がかなり関与しておられるわけです。私は、これは、判事補の他職経験としては非常に貴重なものだと考えているわけなので、そういう人については、別に弁護士事務所に行かなくても、当然に判事に適任であると考えているものですから、水原委員のお考えがそういう考え方と抵触するのかどうか伺いたかったわけです。

【水原委員】それは抵触しません。だから、できる限り弁護士経験ということでございます。私は、検事もとまでは言いませんけれども、検事もそれが望ましいだろうなという気がします。

【佐藤会長】吉岡委員、どうぞ。

【吉岡委員】水原委員が望ましいとおっしゃったのは、共感できるところだと思います。やはり、私は、弁護士自身が裁かれる立場とは思っていないんです。中坊委員はそうおっしゃるけれども。裁かれる立場の人の代理人になるということですから、裁かれる立場の人の気持ちだとか痛みだとか、そういうことが一番よく分かっている立場にある人だと思います。そういう意味では、やはり一番身近で痛みや喜びや悲しみを感じてくださるという、そういう経験というのは、裁判官になる場合も非常に重要だと思います。そういう意味で、一定期間弁護士経験がある方が望ましいということは私も同じ考えです。ある方が望ましいとするか、あるべきだと言うかというのは、ちょっと違うところですけれども、そういうふうに思います。
 今、判事補の他職経験をどうするかということを論じているわけですけれども、そもそもなぜ判事補が他職経験をしなければいけないとみんなが考えているのかという、そこのところが、大分昔の話だったんで少し議論から抜けているのか、もうそれは既定のことというのか分かりませんけれども、やはり司法研修所を終わってすぐに判事補になってしまう、それでほかの経験をしないまま10年して、それで判事になってしまう。しかも、判事の給源としてほとんどが判事補だという、そこがいびつだということが、もともとの問題点だったと思います。
 そういうことで見た場合には、42条ですか、そこでは判事補が判事になるということだけではなくて、検察官も弁護士もということが言われておりますから、先ほどどなたかが判事補だけではなくて弁護士も検察官も含めて他職の経験が必要だとおっしゃった。それも分かるような気がいたします。
 ただ、一番問題なのは、判事補が10年間、とにかく途中で特例にほとんどがなるんでしょうけれども、そういう一つの決まったコースになってしまっているという、そこのところを考えなければいけないと思いますので、そういうことから言うと、判事補という身分のままで研修をするということでは、本当の意味での他職の経験というのには遠いものになってしまう。やはり、そもそもの原点を考えると、むしろ司法研修所を終わったときには何にでもなる可能性があるという、そういう状況でスタートするということになると思うんです。数から言えば、弁護士が一番多いだろうということだと思いますが、余り弁護士の経験を条件にするということを、きちっと決めてしまうと、それもいろいろと問題があるということは分かっていますので、そこまできっちりしたものにしろということは申し上げませんが、基本的にはそういうことなので、さっき石井委員から、工学部の場合にこうこうというお話がありましたけれども、卒業して弁護士事務所に行って、その弁護士事務所で非常にやりがいがあると思った人は判事にならなくてもいいのだし、それがその人にとって一番いい道かもしれない。そういう幅を持って考えた方がいいと思います。

【井上委員】私の考え方を申し上げますと、先ほど竹下先生が法律家としての成熟と言われましたが、判事にふさわしいような幅広い視野とか視角、違った視角からものを見るとか、そういうことが中身になって成熟していく。そういう意味では、私は実際的な視点から見ても、弁護士事務所にいって経験を積むというのが本流と言うか、そういうふうになるだろうと思いますし、それがまた望ましいだろうとも思うのです。
 ただ、先ほど北村先生とか何人かの方が言われたように、そこでもしかし、法曹という仲間うちにとどまるわけですので、それとは違った経験とか視角というものも持ち込んだ方がいいだろう。そういう意味では、主としては弁護士事務所であっても、それ以外のところを排除するのはどうかなと思うのです。本当を言うと、一人の人にいろいろ経験してもらった方がいいのかもしれませんけれども、それは無理ですので、一人の人は一種だけの経験であっても、そういういろんなバックグラウンドの人が集まって一緒に裁判所の中で仕事をやる。そのことによって全体で多様で多元的な、あるいは足腰の強い裁判所というのがつくれると思うのです。
 その場合に、皆さん弁護士事務所の方を専ら議論されていたのですけれども、法曹以外のところの企業とか行政だとか、いろんなことがあると思うのですけれども、そういったところに出るときに、先ほど髙木委員がおっしゃったように、数か月、しかも身分を持って給与も裁判所からもらいながらというのでは、お客さんでしかない。そこのところは、やはり弁護士事務所で働くのと同じような期間、身分を離れてやるべきだと思うのです。そこで起こってくるのは、先ほどちょっと触れました通算の問題ですが、その点は、通算するときに、例えば、企業で法務的な仕事をやっている人は、それをカウントするというような制度に改めるか、あるいは、皆さん一たん弁護士に登録する。これから恐らく企業内法務だとか、行政でも弁護士資格を持った人が関わる必要が高くなると思いますので、そういう形にしていくということも考えて、そうするために、公務員法だとか、いろんなところも手当てをしないといけない。そういういろんな手当てを整備するということを前提にして、身分を離れさせるということを考えてもいいのではないかと思います。期間の点も、長短いろんなお考えがあると思うのですが、その趣旨にふさわしいような、やはり実質を伴った期間ということが必要なのではないかというふうに思います。

【藤田委員】議論を伺っておりますと、ほかの問題もそうなんですが、現在の制度をどう認識し、評価するかという点の前提の立場の違いが非常に出てきているように思うわけでありまして、判事補から判事になるという制度が基本的な欠陥があり、根本的に変えなければいけないという前提で論ずる場合と、私のように、それなりの評価を国内的にも国際的にも受けているという前提で、それをよりよくするためにはどういう改善策があるかという視点で考えている場合とでは、今の問題についても非常に変わってくるんだろうと思います。
 私は前から申し上げているわけですが、現行の制度で事足れりとしているわけではございませんで、何らかの形で今の裁判官制度をよりよくしなければいけないと考えておりますけれども、人間性の問題につきましては、これは個人の問題であって、弁護士経験があって、非常に人間性に富んでいる方もあれば、そうではない方もおるし、裁判官も同じであります。
 長年の弁護士経験の末に裁判官に任官して東京地裁の部総括、あるいは裁判所長、高裁の部総括もやられた高木新二郎弁護士が、判例タイムズの1,014 号に『法曹一元を実現するために』という論文を書いておられます。法曹一元論者でございます。その中で、弁護士経験と裁判官の職務との関係に触れているところがありまして、自分の経験からすると、弁護士経験があるからといって、裁判官の判断として省略できることは何一つなかった。弁護士体験があればそれでいいのではなく、密度の濃い弁護士経験が役に立つのであるし、弁護士体験を含めた真摯な努力を積み重ねた人生体験が役に立つのである、極言すれば、弁護士体験が欠かせないのではなく、真摯な人生経験が必要なのであって云々と、こういうふうなことを言われております。
 そういう意味で、必ずしも弁護士経験がなければいけないということではなくて、それぞれの人間性の問題ではなかろうかと思うわけでありますが、しかし、制度として考えれば、経験を多様化して、よりよくしていくということが必要であろうかと思います。
 口幅ったいことを言わせていただきますと、私は判事、検事、弁護士、全部経験がございます。弁護士は前に中坊委員に駄目弁護士と言われましたけれども、法廷に立ったこともありますし、警察、検察庁に被疑者に面接に行ったこともあります。弁護士もスーパー弁護士ばかりではないわけでありますから、そういう意味での弁護士経験があると言える。検事は、検事に転官はしましたけれども、捜査や公判はやっていないので、水原委員に叱られるかもしれませんけれども、現在も法務省の委員会の仕事をしておりますから、法務、検察の雰囲気程度は分かっている。私にとって特異な経験は、検事に転官して総理府に5年出て、仕事の内容はかなり法曹的な仕事ではありましたけれども、通産、建設、厚生、環境から出向してきた人たちと一緒に仕事をしまして、行政の実態もある程度は分かっているわけでありまして、この経験から言いますと、法曹三者以外のところの行政庁の経験というのは、私にとっては非常にプラスになりました。
 法曹三者、髙木委員から何であんなに仲が悪いんだと、言われておりますけれども、仲が悪くても、しょせんは一つ穴のむじな的なところもございます。ですから、そういう意味では、法曹三者以外のところへ出て、法曹三者を外からながめるという体験は、非常に私にとってはプラスになったわけでありまして、弁護士体験も勿論いいんでありますけども、そういう多面的な経験というものを判事補のときに経験するのが、むしろいいのではないか。
 仮にその一つとして弁護士事務所にいく場合に、裁判官のままでどうかと言われると、やはりこれは問題なんで、前にも一度渉外事務所に研修という形で派遣された判事補がいるんですが、結局弁護士として法廷に立てないということになりますと、そう大した経験が積めないということで、確か一人か二人だけで終わったと思うんであります。そういう意味で、やはり弁護士という資格で弁護士の仕事をするということが必要だろうと思います。
 ただ、これを判事の任命資格で法定しますと、判事になりたければ、それをやればいいじゃないかと言いながら、今のキャリアシステムというものを前提としますと、間接的に裁判官をやめることを強制することになりますから、やはりそれは問題ではないか。私のように基本的にどうしても判事補以外の経験を持たなければ任命できないというような制度認識ではございませんから、そこまでやらなくてもいいのではないか。もし、駄目な人がいれば、先ほどの選任の諮問委員会のところでチェックすればいいのではないか。こういうふうに考えております。
 以上でございます。

【佐藤会長】そうしたら鳥居委員。

【鳥居委員】ちょっと極論かもしれないんですが、私はこの判事補問題というのは、本当の解決、あるいは本当の意味での改善は、裁判所法の5条、27条、42条に手を付けないでは本当はできないことなんじゃないかと思っています。しかし、百歩譲って、今まで行われた議論を受けて考えるとすれば、判事補は官であることがさっき確認できましたので、判事補への任官というのをいつするのかという議論は、やはり避けては通れない。司法試験に合格し、司法修習を終えた段階で今は判事補に任官していますけれども、その任官の一歩手前で、今我々が議論しているような様々の経験を積むという期間を置くというオプションも考えられるはずなんだと思うんです。それは今までは議論していないと思います。
 それから、仮にそれも百歩譲って、直ちに任官する現在の判事補制度を容認するとすると、他職経験というのは私は、やはり是非必要だと思いますが、分類してみると、それは刑事訴訟の原告たる検察の仕事、それから被告の弁護に当たる弁護士の仕事、民事訴訟の原告側、被告側の仕事、あるいは行政訴訟の原告側、被告側の仕事と、そういう裁判に絡む、いろいろな経験をできるだけ積むと同時に、まだ我々が今日議論していないのは、裁判官そのものの補佐的な仕事をどうするのかという、今まで日本の裁判所のシステムとして、やはりちょっと弱いと言うべき部分をどう補うかという、分かりやすく言うと、ロークラークとか、裁判所の調査官とか、あるいは裁判官の補佐官と言いますか、そういう仕事を制度化して、その仕事も他職経験の一つとして考えるということが必要なんじゃないかと思います。
 それに加えて、私がいつも申し上げていますように、日本の政治とか経済とか社会の国際化の中で、それに耐えられるような経験というものも積んでもらうということが必要なんじゃないかと思います。
 そのようなことを考えたときに、特に弁護士事務所へ行ったり来たりするときに、官と民の間を身分が行ったり来たりすることが、先ほど来問題になっているわけです。これは、実は2年ぐらい前まで、私立大学の大学教授が役人になるというときには、本当に大きな壁があってどうにもならなかったわけです。役人である間は、大学を退職してくださいと言うわけです。しかし、最近ではいろんな制度を各大学が考え、かつ人事院の方もそれを認めるというふうに変わってきているんです。
 一つの例を御紹介しますと、私のところでは転籍制度というのをつくってあります。転籍制度というのは、完全に私の大学をいったん辞めるんです。現在でも総務省とかいろんなところに行っている者がいますけれども、完全に公務員になるんです。ただし、2年後にカムバックしたときに、全く普通に大学の方にカムバックできる。その間の転籍期間中は国の側からは大学を退職していると見なすと、そういう制度がお互いにもう認めざるを得なくなって、今は成立しているんです。こんなことは割と簡単にできるんじゃないかなというふうに思います。

【佐藤会長】今の点ですが、行政改革会議で経済財政諮問会議とか何かを考えるときに大きな問題になりました。大学から人が来てくれるのかと。やはり人事の交流ができないと、いかに理想的に描いても画餅に帰すのではないかというわけです。非常に大事な点かと思います。
 特例判事補の問題や期間の問題が出ましたが、そろそろこれらの点についても、何か。

【中坊委員】私は言っていることに固執するようですけれども、先ほどから言っていますように、現行法、裁判所法42条の規定によって給源は、やはり弁護士も検察官もみんな判事になれるということになっておったわけです。多様性や可能性は全部帯びておった。にもかかわらず、なぜ判事補だけが給源の主なものになってきたかという反省の上に立って、今この物事を考えないと、我々は今、その弊害を、それじゃこの審議会で考えるのかと、だからそれをほかの職業にもっと就くべきではなかったかというようなことを議論していると思うんです。
 そうすると、確かに身分を、裁判官というのは憲法上身分の保障があるんだから、意に反して他の職業をやってこいということは言えないかもしれない。しかし、裁判官を任命するというときには、他職経験を条件にするということは可能なんです。今言うように、判事補だけ10年やったから裁判官にするということはしません。そうでないと、我々は運用の問題ではなしに、まさに今まで中間報告の中で、制度的に担保するものをつくろうということにしているわけですから、私はやはりそこで判事補を10年間しても、判事にはなれませんよということを、ここで制度として明確に打ち出さないと、今までの50年間の長い年限の間の問題点というものを、除去するのかということにはならない。
 だから、私は今言うように、判事として任命するときに判事補の経験だけでは駄目ですよ、他のいろんな法律実務、それは私は別に弁護士に必ずしも限られることはないと思うんですけれども、だけど少なくとも、このことをやってくるということが必要ですよということは、きっちり決めないといけない。私はそうしないと結局は、先ほどちょっと髙木さんから臨司の意見書の話もありましたけれども、判事補は一人で裁判をしていけないとか、特例判事補はすぐなくす、いろんなことを言ったけれども、結局やはり実行されなかった。だから、やはりここはけじめをつけるという意味においてでも、判事補を10年やれば、それだけで判事になれるんだという原則はこの際変えないといけない。私は今回の裁判官の任命手続としての、むしろ判事補というは、まさに判事の補佐としてのロークラークのような性格のものとしてとらえて、それも確かに10年の間の経験の一部にはなるけれども、それだけではいけませんよということを明確にうたうことが必要なことではないかと思います。

【水原委員】今の問題ですけれども、最高裁判所の御意見の中にも、原則としてすべての判事補が任期中に留学、あるいは外部派遣制度のいずれかに参加する機会を持つことができるように検討したいということでございますので、その検討結果をやはり見守る必要があるのではなかろうか。

【佐藤会長】今の点は、最後に締めくくらせていただきたいと思いますけれども、時間の関係もありますので、特例判事補の問題について何か御意見をちょうだいしておきたいと思いますが。いかがでしょうか。

【中坊委員】私は先ほどから言ってましたように、判事補で特に多くの人たちが大変な疑問を持っているのは、研修所を終えて判事補に採用されたらすぐ何らかの意味で裁判ができるという、すなわちたった1年半の修習さえ終えれば、今度は突然裁く立場になるという問題がある。今でも仮処分なり令状発付なりができると、ここにやはり1年半でできるのかというところに基本的な問題がある。それが、半ば制度化してきてのものが特例判事補という制度だと思うんです。
 今は、私たちが問題にしているように、いろんな多様な経験が必要だと言うておるのに、実務経験は何も要らない、ゼロでよろしいということが基本的な問題ですから、それを制度化した特例判事補制度を、しかも当分の間と言われたのにかかわらず50年間もそれが続いているということ自体が、やはり一つの大変な病的な現象であって、それが今おっしゃるように、弁護士からの裁判官のなり手が少なくて、あるいは今の数が少ないからということが大義名分になっていた。それに対して我々としては、前回も言いましたように、裁判官の大幅増員、これがもう少しこれから具体化してくると思うんですけれども、そういう中において、これを見直そう。法曹資格というか、司法試験の毎年の合格者を3,000 人に早急に実現して弁護士改革もしていくわけですから、当然のようにそれを前提とした議論になれば、やはり特例判事補というような制度は、直ちにということはあるいは無理かもしれないけれども、とにかく廃止するという方向だけは明確に出して対応していかないと、今の裁判制度における大きな問題点が解決しないと思います。

【佐藤会長】はい、藤田委員。

【藤田委員】前に申し上げましたけれども、戦前の裁判官制度では予備判事という制度がありましたけれども、直ちに裁判官になって職権の制限はなかった。5年ぐらいで東京地裁裁判長として仕事をしているということであった。それがアメリカ的な考え方で判事補という制度が戦後入ってきたんですけれども、全く裁判官制度の違うアメリカ的な考え方を入れた、この判事補制度というのがよかったのかどうかという点も問題だろうと思います。
 ドイツ、フランスにしても、いずれにしてもキャリアシステムを取っているところでは、こういうような中途半端な制度はない。現実にそういう点の制度を動かしていくときのギャップというか、矛盾というのがあることもあって、特例という制度は出てきたんではなかろうかというふうに思うわけです。
 したがって、特例判事補というような制度ではなくて、7年なり8年なり経ったところで判事に任命すると、現在は5年経って特例が付いた判事補が一人前の判事と同じ職権で仕事をしているわけでありますが、離島・僻地の支部長はほとんど特例判事補によって支えられている。それで、現実にそういうところで特例判事補が非常に大きな機能を担って、地方での司法を支えるために頑張っているということもあります。そういう意味で特例という制度をいきなりなくすということが不可能であるならば、7年なり8年なり経った段階で判事に任命するということを考えてはどうか。そうすれば、今は10年の任期中はやめさせられないわけでありますが、7年なり8年なりで判事の任命資格を取るということができると言えば、そこでふるいに掛けられるという面もあります。そういう意味で諸外国の制度との整合性というようなことも考えれば、特例制度というのを手直しするということも考えてはいいのではないかというふうに思います。

【佐藤会長】はい、髙木委員どうぞ。

【髙木委員】今の藤田さんの話は、これは議論としては全く逆さまの話じゃないかなと思います。我々は21世紀の、これからの日本を支える裁判官はどうあるべきか、判事とは何なのかということを議論してきて、今以上に質の高い裁判官というのをどうやって獲得していくかという議論をしてきているはずです。今の話を聞いていたら、逆に判事の資格要件を緩和しようというお話で、7~8年経ったら判事にして良い、だから10年はもう要らないんだというお話にも受け取れるわけであります。それはアメリカの感覚が入った話かどうか、私は歴史的な経緯はよく存じませんので、受け止め方に齟齬があるのかもしれませんが、大審院の判事に相当するレベル、すなわち戦前のルールで10年の法律家経験が求められていたことなどを踏まえたものとして設定されたと聞いています。勿論、違憲立法審査権等も係わった議論もあったのだと思います。
 この10年という期間にいろんな意味が込められて、重さもあり、任期もそれぞれ10年ずつということになっているわけです。今のような離島をカバーしておるから大切なんだとか、そういう論理でこの10年を簡単に変えるという話でいいのか、私はそんな話ではないと思います。
 今のお話を聞いてまして、そういう感覚やアプローチで特例判事補問題を時限的なものだ、テンタティブに体制がないから、こういう仕組みはやむを得ないんだということでつくっておいて、これを何十年も続けてきた。そのことの兼ね合いも含めて、今のような議論は私は全くおかしな話じゃないかと感じています。それから、特例判事補の皆さんが離島をカバーしておるなんて、離島の人やら僻地の人に非常に失礼な話だと思います。離島に行き手がないから、こういう人たちが行っておるなんて言って、離島の人が聞いたら怒りますよ。離島にはそういう一人前でない特例判事補の対処でいいのかと、そう言われたらどう答えるんですか。

【藤田委員】それは特例判事補が能力的に劣っているという前提でしょう。私はそうじゃないんです。

【髙木委員】能力的に劣っている、劣っていないは別にして、中には立派な人もおられる、頑張っている人もおられるでしょう。しかし、論理的には全く別の話だと思います。

【藤田委員】中にはではなくても、判事と同じレベルのものはたくさんいるわけです。

【髙木委員】だから、10年ということをもって判事にしようというルールをつくって、それを大切にし、更にそれをきちんと担保しようじゃないかということを言っているわけです。

【藤田委員】だから、10年経てなければ職権の制限のある裁判官にするという制度は、外国には例はないんです。アメリカ的な考え方で入ったんだろうと思いますけれども、それ自体の合理性は私は問題であると、そういう前提で申し上げている。だから、離島でレベルの低い裁判官でいいなんていうことは全然考えてない。むしろ全国的なレベルの司法のレベルを維持しているのに、特例判事補が貢献していると言っているわけですよ。

【髙木委員】だから、立派な人もおられるかもしれないけれども、特例判事補が全部が一人前だとおっしゃるわけですか。
 今、ドイツやフランスのことを、確かに年限の切っていない裁判官としてのキャリアシステムの国に対し、我々の国は10年というのを単位にして考えておる国で、その10年という単位を区切った形のものを極めてキャリアシステム的に運用してきたのが、日本の裁判所であると言って良いと思います。そういう仕組みと運用がかみ合っていないから、いろいろ直せるところがあったら直しましょうという議論をしておるわけだろうと思います。

【藤田委員】制度の合理性を申し上げているんです。

【中坊委員】でも、ちょっと待ってください。今の10年間というのは基本的に憲法で定められているんです。10年間というのは、そしてこれが我々の議論の、それがそもそもアメリカから入ってきたことで、おかしなものの発想だなんてものを言い始めて、そして議論をもし始めるということになったら、これは本当に大変なことになってしまうと思います。議論の前提が我々としては、やはり日本国憲法の下にあって、いろんな10年という単位も事実、言っている。
 しかも、藤田さんのおっしゃるように、特例判事補であるから、それじゃ本当に僻地であったとしても、今度も公設事務所ができて他地域の弁護士がそこの弁護士になっていってます。本当に弁護士が、今の判事補が、ああいうような独占するような格好になっているから弁護士任官がいかないんであって、そうでなければ行きますよ。公設事務所が石垣島にできれば弁護士は行きましたよ。だから、何も特例判事補があるから過疎地の裁判ができているんだというような発想そのものが、私には極めて偏った考えに思える。しかも現行の制度を前提として、それは藤田さんとしてのお気持ちはよく分かるけれども、しかし、それがいい制度だというようなことは、納得できない。そうだからこそ、これだけは当分の間とか言われてきた特例判事補制度が長続きして臨司の意見書でもそういうふうに廃止の方向が出てきたものを、今度は逆に、7年とか8年にすればいいじゃないかという、こういうのは髙木さんのおっしゃるように、私も極めて、やはり暴論に近いお考え方じゃないかと思います。

【井上委員】確認しておきたいと思いますけれども、憲法では裁判官として10年ということであって、判事補として10年ということではないのですね。裁判官としての身分保障が10年あるということでして、そこはちょっとずれがあるということです。
 もう一つは今、現行の制度を前提にということを強調されますけれども、その現行の制度の枠組み自体も見直そうじゃないかと、ほかのところではそういう議論だったはずです。ですから、その意味では、私は中身の当否は別にして、藤田委員のような発想というのもあり得ると思うのです。
 問題は特例判事補なのですけれども、私も何度も申し上げているように、特例判事補という制度自体は、やはり非常救済的な、あるいは臨時的なものとしてつくられたので、その意味では、いろんな条件整備が必要ですけれども、将来的にと言うか、できるだけ早くかもしれませんけれども、廃止する方向の方がいいと思うのです。
 ただ問題は、実質、実態の問題だと思うのです。私も自分の経験から申しますと、特例判事補の人たちの研修などに付き合ったことがありまして、特例判事補といっても、なった直後の人と、終わりのころの人とは大分違うのですけれども、私の感じでは、判事の方たちと比較すると非常に失礼なのですが、ある意味では非常にやる気があって輝いている時期なのです。そういう意味では、10年というのも今すぐかどうかは別として、その合理性等を見直すということもあってもいいのかもしれません。
 もう一つは、さっき竹下先生がおっしゃったように、判事補の人たちの士気なのです。他職を経験するということを前提にして、その期間を2年なら2年、あるいは3年なら3年として、それを差し引いても7年そういう仕事をするというと、なかなか士気の維持というのは大変だなというふうにも思うのです。これは副次的な問題ですが。
 もう一つ、弁護士任官との関連で、弁護士を10年経験してはじめて任官できるということは、これも前にお話ししたとおりで、その辺はもう少し短くてもいいんじゃないか。実質非常に、それによってレベルダウンするということだったら今の制度を維持するべきなのですけれども、その辺は虚心に、ある程度時間を掛けて検討してみる価値はあると思うのです。

【中坊委員】私は先ほどからも言っているように、判事、判事補まで含めた裁判官も、まさに司法の中枢なんです。一番いい人がなるべき職業なんです。だから、私の言うように、確かに法曹になって、弁護士なら弁護士あるいは検察なら検察、その中で本当に一番いい人がなってもらわなければいけないので、若いときが一番士気がいいんだというような議論には決してならない。
 今、言うように多数決で決まることに抗して、道理を持って判断しなければいけないというようなときに、経験がなくしてできますか。それは私だって今度は逆に言ったら弁護士を10年間もやった大勢のイソ弁も見ております。また、裁判官だって預金保険機構へ行ったのも何人かを知っています。それはそれぞれ立派ですよ。しかし、やはり経験ということから言えば、そういう経験を経てくる中において初めて学んでくるわけですから、その期限というのは絶対に必要な期限だし、その中からその経験を踏まえて一番いい人が中枢として司法を担うと、とにかく両方の言い分を聞いて裁くんだからと、裁かれた経験も何もない人が突然出てきて、それは士気があるからって裁く人となったりしたら、それこそたまったもんじゃないです。

【髙木委員】今、井上さんが特例判事補となるのは魅力とおっしゃったけれども、そういう面は確かに慣行的にはあるのかもしれませんが、そもそも裁判所法上は判事補というのは、そういう位置付けなんでしょう。だから臨司のさっきの話じゃありませんが、ああいう御意見が出てきておる。それを逆に特例ということで、そういうふうに扱ってきた副産物がある種の魅力になっているという議論だと思うんです。ちょっと言い過ぎかもしれませんが。

【井上委員】それは言い過ぎですね。

【髙木委員】そういう意味から、今も議論しておりますように、弁護士等の仕事も経験されたらいいんじゃないですか。そういう意味では、10年間ずっと判事補の仕事をするわけではない、経験の多様化をやろうと言っているわけです。
 だから、例えば、高裁の調査官なんかには、まだなっておられる人がいないとか、そんなようなことでいろんな判事補の今の仕事の中身を見直すことだってできるはずでしょうと。そういうことで特例判事補、ひどい言い方をしたら、便宜的につくってきた仕組みが魅力だから、それを直すのは駄目だという論理に魅力論を持ち出したらおかしなこととなってしまいます。
 もう一つ、7、8年で変えていってもいいじゃないかという話、それは憲法の問題やらいろいろ出てくるのかもしれませんが、要は個々の特例判事補の人、判事補の人に非常に優秀な人も、頑張っておられる人もおられると思うんです。そういう人をこういう議論で余りスポイルしたらいかぬとは思いますが、問題は個々の裁判官の資質、能力の問題というよりは、判事の資質、能力の最低限というのをルール的にどう担保するかという話で、だから今お聞きしておるように、裁判所法42条の現行10年というのを変える理由が、どれだけ合理的に理由ありとされるのか、その辺逆にお聞きしたいなと思って、今の議論を聞いていました。

【井上委員】だから、そこを虚心に検討してみる価値はあるのではないかということなのです。あるというふうに言っているわけじゃなくて、そういう意見もあり得るのではないかということなのです。

【竹下会長代理】それから、藤田委員の言っておられるのは7年なら7年、8年なら8年経ったらみんな判事になるということではなくて、その中で選別をして優秀な者ならば一人前の判事として裁判ができる判事にしてもよいのではないかということではないですか。

【髙木委員】一人前とは何ぞやということなんです。

【竹下会長代理】そうですね。だけど、10年経たないと一人前にならないのだということも、またこれ一種の先入主みたいなものですね。現在の法律はそういう考え方でできているというのはそのとおりですけれども、それは絶対動かせないものかというと、必ずしもそうでもない。

【髙木委員】動かせないものでも、絶対というものはないわけですから、それはニーズがあればいいんだろうけれども、今の議論の仕方は論理が逆さまだと思います。魅力が必要だから論理が逆さまでも何かすべきという話はおかしいと思います。

【佐藤会長】大体議論は出尽くしたように思います。いろいろなお考えがあるということが分かりましたけれども、しかしかなり共通の基盤も強く出てきているんじゃないかという思いもするんです。もしお許しいただければ、そろそろ締めくくらないと。あと人事評価の問題ありますけれども、今日はもう時間がありませんので、それはあきらめたいと思いますが。この給源のところについては、こんなところかなという取りまとめを。

【水原委員】その点について1点だけよろしいですか。
 これはできる限り弁護士経験を踏むことが望ましいだろうという意見を申しましたけれども、これは相当の数の判事補が弁護士事務所に行くことになります。そうなりますと、個人事務所との交渉ということではとても問題が大きく残ります。これは、弁護士会と裁判所とのよっぽど緊密な連絡がないと難しいでしょうねということを、一言だけ申し上げておきます。

【佐藤会長】そのとおりで、これをやるということは、従来とは相当違った局面に入るんだという認識が必要だと思います。
 よろしいでしょうか。

【鳥居委員】今日で、これは終わりなんですか。

【佐藤会長】人事評価の問題は今日全然入れずに残りますし、それから後でお断りしようと思っていましたけれども、中間報告で触れていますように、最高裁判所の裁判官の任命の在り方についてもやはり考えるべきで、それも今日は残ることになります。ですから、これらについてどこでどう議論するかについては、また考えさせていただきたいと思います。したがって、今日ですべてが決まりましたと申し上げつもりは全くありませんので、その点は御了承いただきたいと思います。
 先ほど、最初に中間報告、それからヒアリングについて言及しましたが、それを経て今日いろいろ意見を交換していただいたわけであります。
 まず第一に、これまでの運用についての評価は様々あり得るだろうと思いますけれども、ここではこの点に関しどう評価するかについて直接の課題とするのではなくて、21世紀の在るべき司法という観点から見た場合に、判事補のほとんどすべてがそのまま判事となり、事実上判事の主要な給源となっていることは、裁判所法本来の趣旨に照らしても必ずしも適切なものではないということについては、大体共通の認識、理解があるんではないかということであります。
 そのような共通の認識、理解の下で、改革の具体的な方策について検討した結果、まずは判事補に、原則としてという言葉でいいのかどうかは自信がありませんけれども、原則として弁護士など他の法律専門職等、これには民間も行政庁も含めているつもりであり、勿論検察、あるいは法学者でもいいわけですが、弁護士など他の法律専門職種等の職務経験を積んでもらうということを制度的に担保する仕組みを整備する必要があるんではないか、大体この辺のところに落ち着いたのではないかという気がいたします。
 そこで、その制度的担保の仕組みとして具体的にどういう内容のことを考えるかということになります。
 一つは、いろいろ意見がございましたけれども、真に実のある経験と言いますか、そういうことをしてもらうためには、裁判官の身分を一応離れて、他の法律専門職等の職務に就くこととするべきではなかろうかということであります。これは、北村委員もおっしゃった意識の問題だろうと思うのですが、離れることによって意識が徹底するということもある。そこは理解がいろいろあるかもしれませんが。
 2番目に、その職務経験は相当程度の期間のものであるべきだということであります。4か月とか半年とか1年といった期間は、あるいはちょっと短過ぎるかもしれない。日弁連の御主張では5年だったですかね。この辺、今のところでは相当程度の期間というようにさせていただきたいと思います。
 3番目には、原則としてすべての判事補が、この仕組みによって他の法律専門職等の経験を積むことを制度的に担保することを考えたらどうかということであります。42条の改正をすべきかどうとかについては、いろいろな考え方があると思いますけれども、今日の段階では制度的に担保するということでとどめておきたいと思います。制度的担保と言いましてもいろいろな仕掛けがあると思うんです。今日の段階はこの程度でいかがかというように思っております。
 そして、これに関連してですけれども、判事補についてこういう方向で考えるとすれば、弁護士、検察官等から裁判官に任官しようとする者についても、例えば、判事補とか、あるいは後でちょっと触れますけれども、また、鳥居委員がおっしゃったことですが、調査官などとして裁判所内部での職務経験を積んでもらうということも同様に、経験の多様化として貴重なものがあるんじゃないかということを付言しておきたいと思います。
 第二に、今日はもう当然のこととして直接御議論いただきませんでしたけれども、従来から課題とされてきた弁護士任官についてでありますが、最高裁もヒアリングで今後推進すべく努めたいと言っておられますし、日弁連も従来は個々人に任せてきたけれども、弁護士会として責任を持って取り組みたいというように述べておられるわけであります。審議会としては、両者のこうした姿勢は非常に歓迎すべきことであると思われますし、私個人としても非常に心強く思っている次第です。願わくば、両者が具体的に話し合われて、実効性のある措置を打ち出していただきたいというように思います。先ほど申し上げたように裁判官が身分を離れて弁護士事務所等に行くというのは、水原委員がおっしゃったように、裁判所と弁護士会両者の緊密な連携がないとできる話じゃありません。ここのところでも、両者の緊密な連携の必要という同じような課題があるんじゃないかというように思うわけであります。
 さらに、検察官や法律学者からの判事への任官についても、できるだけ推進すべきだということについても、審議会として御異論のないところかと思います。
 第三に、最後に御議論いただいた特例判事補制度についてなんでありますが、これは元来裁判官数の不足に対処するための当分の間の措置であったということ、法律上も当分の間というように書いてあるわけでありますが、そういうこととか、あるいは、十全の権限を行使する判事には、法律専門家として10年以上の経験、これも裁判所法の言っているところでありますけれども、10年以上の経験を要求している裁判所法の趣旨に照らせば、段階的に解消する方向で考えるべきではないかということであります。いかにして解消するかということについては、先ほど来、御意見の違いはありますけれども、そのことも含めていろんなやり方を具体的に検討する必要がある。一気にできる話じゃありませんので、やはり段階を踏んでやっていかないと。判事を大幅に増やすわけですから、その中で段階的に解消していく方向で考えるべきではないかという辺りのところで、今日のところは引き取らせていただければと思います。

【北村委員】今、先生がまとめられたことについて、ちょっと意見を述べさせていただきたいんですけれども、弁護士事務所等という言葉で、弁護士からの裁判官任官がこれから多くなってくるわけですね。

【佐藤会長】それを期待しているんですけれども。

【北村委員】中坊先生が頑張ってらっしゃいますから、当然多くなってくると思っているんです。そうしますと、この判事補の方を、そんなに弁護士の事務所、事務所というふうに言う必要がないだろうと。例えば、合議制によるときに、弁護士から出た人と判事補から行った人と一緒になってやればいいのであってというのが一つあるんです。だから、等じゃなくて、なるべく具体的に、本当は弁護士事務所云々と入れていただくと、分かりやすいなという気がします。
 もう一つは、職務経験とおっしゃったんですが、等の中には職務経験というふうに一般的には言えないことも入るんじゃないかなというふうに思うんです。例えば、大学院に入るとか、留学するとかというのは職務経験とは恐らく言わないだろうというふうに思うんです。ですから、そこのところの言葉の使い方をちょっと考えていただければと。

【佐藤会長】今日は、ざくっとしたまとめ方でして、後で厳密な用語や表現ぶりについて相談させていただきたいと思います。またお諮りしたいと思います。

【井上委員】ちょっと質問なのですけれども、先ほど「付言して」と言われた検察官、弁護士についても裁判所での経験が必要だということですが、この付言というのはどういう位置付けなのですか。議論が全くなかったものですから。

【佐藤会長】先ほど、代理がちょっと触れられなかったですかね。弁護士だって多様な経験というのがあってしかるべきじゃないかと。もし引っ掛かるんなら。

【井上委員】内容に引っ掛かるのではなくて、その位置付けなのです。会長の付言だったのか、それとも審議会としての一応の確認なのかという、その点の確認なのですけれども。

【佐藤会長】行き過ぎなら、こだわりませんけれども。

【竹下会長代理】私は言いましたけれども、ほかの方は余り議論されていなかったのは確かですね。

【佐藤会長】弁護士も多様な経験というのは。

【井上委員】それが望ましいということなら・・・。

【佐藤会長】そんな趣旨です。

【井上委員】制度的担保とはおっしゃらなかったですね。

【佐藤会長】だから、経験の多様化を重視することも考えられていいんじゃないかというような言い方をしたんですけれども。

【井上委員】そういうことなら結構です。制度的なものにするということなら、もっと議論しないといけないと思いますが。

【佐藤会長】おっしゃるとおりです。

【藤田委員】もう一つ質問ですが、判事補制度で制度的担保が2回出てきましたけれども、先ほど意見として申し上げましたように、当該判事補の意思というものも無視できないと思いますので、その意思いかんにかかわらずという意味でおっしゃっているわけではありませんね。

【佐藤会長】はい。

【中坊委員】先ほどもおっしゃったように、原則としてという言葉と引っ掛かっているように思うんですけれども、それでは例外的という場合は、どういう場合を意味されておるんですか。

【佐藤会長】それは、将来。

【中坊委員】原則としてというのが先ほどから2回出てきましたけれども、それぞれの場合に、それでは例外的にどういう場合を想定されて原則という字を入れられたのか。

【佐藤会長】立ち入ってそう深く考えたわけじゃありませんが、また、今日は直接議論していないので適当かどうかは分かりませんが、将来例えば、ロースクールができて、そして社会人の入学とか貴重な経験をされてロースクールに入って、司法試験に通ってというようなことだってあり得るんではないかという気がするんです。今の段階で、全部100 %しなければいけないと言ってしまっては、ややリスキーかなということで申し上げたわけです。今言ったようなことがふと頭に浮かび、そういうこともあるのかなと思って申し上げています。

【中坊委員】そういう場合、そうするとどういうことになるんですか。

【佐藤会長】ほかの経験も積んでいる者として考えて、判事に。

【中坊委員】その辺の議論は、今日全然なかったと思うんだけれども。

【佐藤会長】原則と言いますと、すぐ例外はということになりますね。それは、これからの議論で。

【中坊委員】その点は、私も別にこんなところで余り異論を言っていても仕方がないと思いますけれども、やはりその例外的という言葉の表現の意味をよく今後お考えいただかなと、ちょっと分かりにくいし、今おっしゃるようにロースクールができて、しかも社会的な経験があってなった場合なんて、これ全く今日議論されていないわけですから、それでそれを想定されて原則だとか何とか言われてしまうと、議論が全くないものになってきますから、やはりその点は御配慮して、今日は一応時間もきたから終わらないといけないというのは分かりますけれども、その点はやはりお考えいただきたいと思います。

【竹下会長代理】外部派遣先として、どういうものが望ましいかということを今日詰めた議論をしていませんから、それはやはり会長としては若干留保を取っておきたいという御趣旨だと私は理解したのですが。これはよい、これは悪いというふうに詰め切っていないわけです。

【佐藤会長】髙木委員から融和的過ぎるというおしかりを受けるかもしれませんけれども、今日の段階ではざっとこんなあたりでいかがでしょうか。
 そして第四として、鳥居委員がさっきおっしゃったことなんですけれども、これも余り今日立ち入って議論していませんが、新たな裁判所の調査官制度のようなものも考えられていいんじゃないかということです。足腰の強い司法をつくるという意味でも、あるいは、裁判所外の者がいろんな経験を積む方法としても、判事補とは別に調査官というようなものも考えてしかるべきじゃないかと。すべきだと今日申し上げるつもりはありませんけれども。
 そして、最後に、中坊委員が前々回おっしゃったことですが、判事の大幅増員を図る必要があるということ、これがいろんな問題を考えるときの大前提にあるということを再確認しておきたいと思います。その具体的な内容については、後日法曹養成と法曹人口のところでまた御議論いただくことになるかと思います。
 ざっとこんなところでいかがでしょうか。

【北村委員】もう一度確認させていただきたいんですが、私と山本委員は少なくとも研修でいいんじゃないかというような意見を述べたんですが、それはもう消えてしまったんですか。

【佐藤会長】研修の意味の取り方にもよるんですけれども、一応身分を離れてということで。研修だから専念できないとか、そういうことではないんですけれども。

【北村委員】そういうことはないと思うんです。

【山本委員】戻る保障はあるわけでしょう。

【北村委員】だからそういう意味で。

【佐藤会長】それはそうですけれども。

【井上委員】それと、裁判所の調査官の点ですけれども、これは要するにその要否自体をも含めて検討するということですね。

【佐藤会長】そうです。

【竹下会長代理】私は、個人的には賛成ですけれども、ちょっと今日の議論はまだそこまで行きませんでしたね。

【佐藤会長】鳥居委員がおっしゃったことなんで。

【鳥居委員】前に何回か言ってはいるんですけれどもね。

【佐藤会長】こんなところで、まとめにもなっていないとおしかりを受けるかもしれませんし、逆にちょっとまとめ過ぎじゃないかというおしかりも受けるかもしれませんけれども、今後代理と相談しまして、文章化してお示しして、そこでまた御議論いただきたいと思いますが、一応今日の段階ではこの辺の方向を目指すということで、大体大方の意見であったというぐらいのところで、まとめさせていただければと思いますが、よろしゅうございましょうか。

(「はい」と声あり)

【佐藤会長】どうもありがとうございます。今日はなかなかしんどい審議会でございました。
 人事評価についてはさっき申しましたように、後で機会を見て必ず議論させていただきたいというように思います。それから、最高裁判所の判事の任命に関してですが、これも後で御議論いただきたいと思っております。
 では事務局長、何か資料の件で。

【事務局長】法曹三者間の「法曹選抜及び養成の在り方に関する検討会」というものが、司法試験の合格枠制の取扱いについて取りまとめました報告書を、各界要望書等の封筒の中に入れてお配りしておりますので、次回の法曹養成及び法曹人口についての審議の際の参考にしていただければと思います。
 そのほかにつきましては、特に説明することはありません。

【竹下会長代理】それは、どういう性格の団体なのかがよく分からないのですが、構成員も何も書いてないのです。

【事務局長】最初のはしがきの中に少し触れております。要するに、法曹三者協議会の中の検討会のようでございます。

【佐藤会長】よろしいですか。
 では、次回の審議会ですけれども、3月2日午後1時半から5時まで、この審議室で行います。法曹養成及び法曹人口について御審議いただくということになっておりますが、前回御了解いただきましたように、会長代理とも御相談させていただきまして、法曹養成に関する中間報告の内容に対する各界からの意見などを取りまとめたものなど、若干資料を用意させていただきまして、それを踏まえて御議論いただきたい。新しい法曹養成制度の姿や、法曹人口の拡大に関する意見交換を深めていただきたいというように思っております。中2日しか空いておりませんので、大変恐縮なんでございますけれども、何分よろしくお願いいたします。
 本日の記者会見ですけれども。それでは代理と二人で。
 本日はどうもありがとうございました。