場 所:司法制度改革審議会審議室
出席者
(事務局)
樋渡利秋事務局長
【佐藤会長】それでは、ただいまより第56回会議を開会いたします。
本日は、裁判官制度の改革につきまして、本年2月に行いました意見交換に引き続きまして、意見交換を行うことにしたいと思います。本日は、午前中だけの審議ということですが、できるだけ時間内に終了したいと思っています。いつも午前中というのは、2時間半という限られた時間の中でしんどいんですけれども、できるだけその時間内で終了したいと思っていますので、よろしくお願いいたします。
それでは、早速、裁判官制度の改革につきまして、本年2月の意見交換の際に、時間の関係などから残っていました裁判官の人事制度の見直し、それから、最高裁判所裁判官の選任等の在り方につきまして意見交換を行いたいと思います。
意見交換に入る前に、自民党の方から中間報告が出ているようでありますので、それについて。
【事務局長】先週12日の木曜日に、自由民主党の司法制度調査会が裁判官制度の改革及び国民の司法参加に関する部分を、「中間提言(2)」として取りまとめました上で発表し、これを委員の皆様に紹介してほしいとの依頼がありましたので、本日席上にお配りしております。また、日本弁護士連合会から今朝提出のありました「2001年2月19日付『裁判官制度の改革について』補充書」というものも席上に配付しております。いずれも本日の裁判官制度の改革に関する御審議の御参考にしていただければと思います。
以上でございます。
【佐藤会長】どうもありがとうございました。
意見交換に入る前に、ちょっと連絡しておきたいことがあるんですが、本年2月27日の第49回会議において、弁護士任官を推進するために最高裁判所と日本弁護士連合会が話し合って実効性のある具体的な措置を講ずる必要があるということで、委員皆様の御意見が一致していたかと思いますけれども、この点につきまして、最高裁判所と日本弁護士連合会から、既に協議を開始した旨の回答をいただいております。本日お手元にお配りしております。
会長としては、今後実質的な協議が進められ、実りある具体的な方策を打ち出していただきたいというように思っておりますけれども、この点は皆様も同じような御意見、お気持ちではないかというように存じます。引き続き両者に協議を進めていただくということでお願いしたいと思いますけれども、そういうことでよろしゅうございましょうか。
この点に関して、なお何か御意見、御感想などありましたら、いかがでしょうか。
【髙木委員】どういう御報告があったのか私存じませんが、協議をされている報告というのはどういう報告があったんですか。
【佐藤会長】お手元にありませんか。最高裁判所事務総局は、4月5日付けの「弁護士任官の推進に関する日本弁護士連合会との協議について」、それから日弁連は、4月4日付けの「最高裁判所との協議の開始について」という1枚紙と「弁護士任官等を推進するための具体的措置について」という書面です。
【髙木委員】私の記憶では、会長が裁判官改革のときの論議のまとめの中で、早急に協議をしてくださいということで検討を促されたと思います。それは2月の下旬ではなかったかなと承知しておるんですが。
【佐藤会長】27日です。
【髙木委員】今、これを拝見したんですが、3月23日に日弁連から申入れがあり、協議の開始を了承、12日に双方が集まって検討する云々となっています。
この弁護士任官というのは、今度の司法改革の非常に大きなポイントの一つだろうと思います。何十年にわたり法曹一元だ、弁護士任官だと言ってこられたわけですが、実質的にはほとんど成果が上がっていないというか、具体的には数も増えていない。そういう中で、今回の一連の司法改革の最大のポイントの一つがここではないかなという認識を私も持っておりまして、それにしては何かのんびりやっておられるなというか、そういう意味では、最終意見を6月に取りまとめようということになっているわけでして、それまでに、最後までとは申し上げませんが、ある種の方向性ぐらいを両者の協議の中で出していただき、そういったものを踏まえて、弁護士任官の進め方についても、最終意見にある種の方向性ぐらいは書き込むべきではないかと思います。そういう認識で受け止めていたのですが、こんなテンポとタイミングでよろしいのかという気がしてなりません。
そういう意味で、もう少しスピーディーかつ精力的にアプローチをしていただくべきではないかと、これは両方、日弁連に対しましても、最高裁につきましても、強くそのことをお願いを申し上げたいと思います。
判事補改革の問題、あるいは特例判事補の廃止問題、他職経験、いずれにしましても、弁護士任官のスピーディーな充実といいますか、拡大がなければ、どれ一つ具体化していかないわけですから、是非、今のような御趣旨を体していただいて、会長の方からも最高裁あるいは日弁連に、強くお願いしていただきたい。
拝見しますと、日弁連の方は、具体的措置とか、まだ突っ込んでいろいろペーパーも出しておられますが、最高裁は、これを協議してまいりたいと、書けばこういうことになるのかもしれませんから、このことについては申し上げませんが、どうぞとりわけ最高裁によろしくお願いをしていただきたいと思います。
【佐藤会長】今の御発言ですけれども、2月27日のときの議事概要に関し、今日実は、かねての藤田委員からの御発言もあって、もし時間があれば、27日の取りまとめの文書はまだできていないんですけれども、少し時間があれば御議論いただきたいというように思っておりますが、その議事概要で記されているところですけれども、「従来から課題とされてきた弁護士任官を推進する必要があることについては、異論のないところ。そのために、最高裁と日弁連が、話し合って実効性のある具体的な措置を講ずることが必要ではないか、両者からそうした提案がなされるように希望する。」とあります。ただいまの髙木委員の御発言に関連してですけれども、両者が早速協議を開始されたということは多とすべきことで、私としても非常に有り難く思っております。年度の変わり目で、いろいろそれぞれ御事情がおありかと思いますけれども、さっきおっしゃったように精力的に進めていただきたいと希望しています。時間も余り余裕がなく4月24日か5月8日ぐらいになってしまうんですけれども、場合によっては、両者に来ていただいて、話合いのことについて、今の段階で具体的にどうのこうのというのは難しいとは思いますけれども、御報告いただく機会を得ることができればと考えています。短時間でよろしいから、そういうことがあってもいいかなというように考えておりますので、少し、考えさせていただきたいと思います。おっしゃるように、スピーディーに精力的にお話を進めていただきたいということは希望としては持っております。
では、今の点は、この辺でよろしゅうございましょうか。どうもありがとうございました。
それでは、最初にお話しいたしましたように、裁判官の人事制度の見直しにつきまして、その透明性、客観性を確保する具体的な方策として、どのような方策が考えられるかについて意見交換を行いたいと思います。
透明性、客観性の確保という点では、人事評価の基準の具体的内容、その評価権者、あるいは評価のための判断資料、本人開示等を含む評価手続をどのようなものにするかなどについて、御意見をいただく必要があろうかと思いまして、お手元に、評価手続に関して御検討をいただきたい事項を記載したレジュメを用意させていただきまして、お配りしております。また、既に当審議会に最高裁判所から提出いただいた「裁判官の人事評価の項目の概要」や、事務局において作成していただいた諸外国の裁判官の人事制度の概要などの資料を、本日も用意しておりますので、これらのレジュメや資料も参考にしていただいて、御意見をいただければというように思います。
意見交換の順番としては、まず、人事評価の基準の具体的内容について御意見をいただきまして、その後、評価手続につきまして、評価権者、判断資料、本人開示等を含む手続の在り方などについて御意見をいただくという順番で、進めていきたいというように思います。
それからまた、人事制度の見直しの関係では、裁判官の報酬、補職、配置等についても、御意見をいただくことができればというように考えております。こうした問題は、人事評価と密接に関連しておりますので、評価手続に関する御議論の中で併せて御意見をいただければというように思っております。
勿論、これらの問題は、いずれも密接に関連しておりまして、一体的と言えば一体的なところがあるわけでありまして、そういうものとして御発言いただければというように思いますけれども、一応こういう順番で意見交換を進めていただければというように考えております。
まず、人事評価の基準の具体的内容から御意見をいただければというように思います。いかがでしょうか。
【中坊委員】その前に、福岡事件の問題で私、意見書を出しております。
【佐藤会長】先ほど事務局でいただきましたけれども、皆様のお手元に配付されているわけですね。
【中坊委員】この点に関しまして、今日の人事制度の見直し等の関係を併せまして、少し意見を申し上げたいと思うんですけれども、いいですか。
【佐藤会長】今日は、最初に申し上げたように2時間半しかありません。午前中で時間が限られているものですから、簡潔に、それから今の審議に関連するような形で、お話しいただければ結構でございますけれども。
【中坊委員】それでは、いいですか。
【佐藤会長】では、どうぞ。
【中坊委員】この福岡事件の問題、御承知のように3月19日の第52回の審議会で、最高裁の人事局長の方から最高裁の調査報告書の説明がありまして、質問に移りましたけれども時間がなくて、別途どういう方法によってか、質疑応答をするということで、話がありました。
私としては、なるべく審議の全体との関連においてということで、この審議会でやるのはなかなか難しい、そういうことから、私が最高裁の方にいろいろと口頭でお尋ねして、それの速記録みたいなものを出してもらうということにしてはという提案もいたしましたけれども、これは会長の方から、できければ文書でお願いして、また文書による回答をしてもらったらどうかというお話でありまして、私自身もそれに従いまして、3月28日に初めて文書で審議会あてに質問を出させてもらい、審議会名において最高裁にまたすぐ出していただいておりました。
しかし、ここにも触れておりますように、回答は当初から期限を切っておりましたが、あらかじめ会長に対しても非常に、最高裁の返事が遅れてくることがないようにお願いしていたけれども、本件の場合もまさにそのとおりでありまして、私たち28日に質問しても4月6日に8日間経ってやっと回答が返ってくる。私たちとしては、回答が返ってきてすぐにまた回答をお願いしたけれども、また4月13日という6日間ほど掛かってしか返事が返ってこない、そういうことで、本日申し上げますことも、本日の裁判官の人事制度の見直しに絡むことでもあり、今日までに何とかして間に合わせたいということを考えておったのですが、必ずしもその意味では質疑が十分に行われているわけではありませんが、現時点においてまずもって福岡事件の問題で、少なくとも私の考えました問題点をここに五つほど並べておりますし、続きまして、私の本日付けの意見書では、第2のことといたしまして、今、会長がおっしゃいました人事制度の透明性、客観性を高めるためということに関しても、引き続いてそれに関連して意見を申し上げたいと、こういうふうに思うわけであります。
さて、最高裁事務総局の調査報告書による限り、福岡事件においての裁判所側の問題点というのは、いわゆる下級裁判所の情報伝達の方法において不適切であったから、分限法に基づく分限を行ったということになっておりました。
しかし、私自身は意見書にも指摘しておりますように、不適切というのではなしに、そもそも制度の在り方、運営の在り方、裁判所の人事制度の在り方に問題がある。特に人事問題というのは既に言われておるように、裁判官の独立性に対する国民の信頼感を高めるという観点から諸方策を検討するということを、我々は中間報告の中で確認しております。ところが、まさに裁判官の独立というものが、内部の司法行政上によってこれが逆に侵されていく危険性があるということを具体的に示しておる事案がこの福岡事件でもあったと、このように考えておるわけでありました。そういう点をまずもって申し上げたいと思います。
まずその第1は、司法行政上の監督権行使による裁判官の独立の侵害の危険です。本件は御承知のように、福岡簡裁に令状請求があったわけでありますけれども、それが直ちに令状請求が担当裁判官に行く前に、書記官から既に地裁の上席裁判官にまで、この一件記録が全部そこに先に参りまして、その上で監督権者である地裁の上席裁判官が担当裁判官を呼び出して、そして具体的な事件について、裁判所の報告によれば、秘密保持というようなことを注意したと、こうおっしゃるわけであります。しかしながら、本来裁判官の独立ということを守り、そして公正さというものを国民に信頼を抱くためにこそ忌避であるとか、回避の制度がちゃんと法律上決められておる。にもかかわらず、監督権者がまるで普通のように担当裁判官に関係なく、このようなことをしていくということ自体が、まさに裁判の独立を侵害して、裁判の公正さを疑わせる結果になっておった。このような客観的な事実がやはり存在しておる。しかもそのことに関して何ら今のところ最高裁事務総局の調査報告書によれば、反省の色はないというところが第1の問題点ではないかと思っております。
それから第2番目には、司法行政部門の情報伝達による裁判官の独立の侵害の危険性がある。単に直接の監督権者が見ただけではなしに、その情報が既に調査報告書並びに私の質疑応答の中でも出されておりますように、それが地裁から高裁、高裁から最高裁事務総局にまで非常に広範に情報が伝達され、しかもその伝達された内容は必ずしも明らかになっていないということです。そういう意味で言えば、まさに裁判官の独立を守るための地裁、簡裁の自治というようなことはどこまで守られておるか。むしろそれを侵す方向において、司法行政、いわゆる人事上を含むこのことが行われているというのが、二つ目の問題ではなかろうかと思っております。
さらに、三つ目には、司法行政の過度の集中です。まさに最高裁は分限処分をするに際しまして、情報伝達の方法が不適切であった、すなわち、令状請求関係書類は全部コピーされて伝達される、それが複数の関係者がそれを持つということがおかしかったと言っていますけれども、それは制度自体が、国民に対する信頼の確立よりも司法行政上の上司に対する報告義務の方が重要であるというような意識の下に行われてきているということを表しておるのではないかというふうに、三つ目には思うわけであります。
さらに、4番目といたしましては、それでは、この問題が、単に裁判所だけの問題ではありませんでした。御承知のように、山下次席検事が秘密が漏洩するのが困ると言っておったその古川判事その者に会って、しかもそのことは高裁の行政の担当官も知っておるというような状態が発覚して、しかもそれが今年の2月2日にこの漏洩の事実が公になったということの中で、初めて調査委員会というのが持たれることになったということであります。そして、この調査委員会が、ここにも書きましたように、まさに事前に情報伝達に関与しておった事務総長、人事局長を含んで、5人の事務総局ばかりの調査委員会をつくって、それでこれを審査しておる。これで、果たして本当に国民の信頼が得られるということになるんだろうかと、国民というものと余りにも遊離して、自分たちだけが唯一正しいという、まさに過信の下にある最高裁の事務総局による人事行政、このことがやはり基本的に大きな問題ではないかというふうに思うわけであります。
さらに、最後に、5番目といたしましては、この司法行政というものも、基本的には最高裁の裁判官会議で決めるということに法律の定め上なっておるわけでありますが、この回答書においても明らかなとおり、最高裁の事務総局は、それを長官にのみ伝えたということになって、ほかの14名の裁判官は何も知らされていない。そして、突如、この裁判官会議において、このことの調査委員会の設置がなされ、人選も即日承認をされておる。そこになってまいりますと、まさにこのような人事行政ということが裁判官会議ではなしに、実質的には最高裁長官と事務総局のみがこの人事を含む行政権を担っておるというところを端的に表しておるわけであります。法の建前と実際の運営がいかに違うか、しかもこれが極めて長期間にわたって戦後ほぼ一貫してこのようなことが行われてきたという問題点を、我々は踏まえる必要があろうかと思うわけであります。
そういうことでありまして、本日の審議の意見に対しましても、私たちはまさに改革の方向性は、先ほどからも会長のおっしゃいますように、まさに人事制度、司法行政制度にどれほど透明性、客観性を持たせるのか、それは何のために客観性と透明性を求めておるのかと言えば、裁判官の独立性に対する国民の信頼を高めるためにある。この点をもう一度我々としては、よく想起した上で議論をすべきではないか、このように思うわけであります。
そういうことから、本日の審議内容にわたりますので、意見をまた4点ほど申し上げたいと思います。
一つは、まず、先ほど言った評価基準あるいは評価項目という問題と同時に、だれが評価するのかという評価制度、あるいは評価権者というところが基本的な問題点ではなかろうかと思うわけであります。それをどのようにしてやっていくのか。私自身は、ここにも少し書きましたように、既に任命の選考過程の中の透明化として、中央あるいはブロックの組織等を含める中で、実質的な任命の可能なような裁判官推薦委員会といったようなものを考えておったと思うのでありますけれども、そこがまた評価というものをまず行う主体となるべきものではなかろうかという、だれがやるかということについてはそう思うわけであります。そして、評価基準はここにも書きましたように、項目化し、段階的な評価として、このことがいわゆる人事によって、裁判官の独立を侵すような不利益処分に関係するというようなことに使わないというようなことが必要であろうし、本人開示、意見陳述、不服申立制度が必要になるのではないかというふうに思っております。
しかも、第2番目といたしましては、その人事制度の根幹というのは一体何であるのか、何が人事制度というものが司法行政上大きな力を発揮するのかというのを考えてみますと、やはり一つには、報酬の多段階制にあるのではないか。報酬が現行では23段階というふうに、非常に微細に分かれておる。そのこと自体が先ほど言うように人事行政の中で、個々の裁判官の独立を侵しておる危険性があるのではないかという指摘があるわけでありまして、そういう意味における報酬の多段階制はやはり少なくとも数段階等に減らすなど、積極的な改革が望めない限り、人事行政による裁判官の独立の侵害があり得るというふうに思うわけであります。
さらに、3番目といたしましては、既に出ていますように、透明性とかいうことであれば、公募制、応募制などが適用されていかなければならないと思っております。
最後は、最高裁裁判官の任命、国民審査の問題です。まさに本日も会長がさっきおっしゃいましたように、裁判所というのは、まさに最高裁裁判官によって裁判官会議の中で最終的な決定が行われ、一人ひとりの最高裁裁判官任命というのがどれほどか重要であり、これを透明化・客観化するということが、我々の大きな課題ではなかったかと思うわけであります。それの任命手続が内閣の裁量に委ねられておって、現実には、新聞紙上で見る限り、最高裁長官が特定の人の名前を総理大臣に申告しに行って、その人がそのままなるという実態が行われておるわけであります。まさに、内閣の任命・指名手続というものが、どれだけ透明性を帯びるかということにもかかわってくるわけであります。そういう意味における実質審理が国民の関与する委員会において行われるということが必要であろうと思います。
同時に、既にこの点は若干触れてきたと思いますが、最高裁裁判官の適格性の事後的な審査である国民審査そのものが、更に実効性を帯びたものにならないといけないのではないかと、以上のことを考えましたので、私の意見としてとりあえず申し上げさせていただきます。
【佐藤会長】いきなり全体にわたり、最高裁の方まで言及していただきましたけれども、一つひとつやっていきたいと思います。まず、休憩後に最高裁の方に移るということにして、休憩前の段階では、この評価の問題について御議論いただきたいと思います。
【藤田委員】福岡の事件につきましては、既に関係者に対する処分もなされているわけでありますから、私個人の考えもございますけれども、弁護するような気持ちは全くございません。ただ、この事件の経過につきまして、裁判あるいは裁判官の独立に影響があったかのようなことを言われるとすれば、それは聞き流すわけにはいかないわけであります。裁判の独立というものの意義・内容と言えば、それは裁判官が担当している事件についての判断に外部から何らかの圧力があり、それが影響を及ぼしたというようなことがあってはいけないということだろうと思います。本件につきましては、数次にわたる令状請求につきまして、請求どおり令状が発付されているわけでありまして、その判断について、何らか外部からあるいは司法行政上の圧力があったというような徴憑は、全くないわけであります。
担当裁判官を地裁上席が呼んで、事情を聞いたというようなことがあるようでございますけれども、それは裁判官の配偶者に対する令状請求という極めて異常な事件でございますから、その裁判官との親密な関係があるかどうかというようなこと、これは令状請求が適正に判断されたかどうかということについての疑惑を招きかねない事項でございますし、また、秘密を保持するのは当然のことではございますけれども、厳重に秘密を保持してほしいという要望を伝えたということのようであります。
裁判官には回避等の制度があるからいいではないかとおっしゃいますけれども、この事件で一番重要な情報というのは、裁判官の配偶者に対して令状の請求があったということであります。一旦担当した裁判官はその請求があったということは知るわけでありますから、そういう点についての情報が、関係者と緊密な関係がある者に伝わるということ自体で、社会の疑惑を招きかねないということでありますし、地裁の上席は、裁判官会議の議決によって令状担当裁判官の変更を委任されているということでありますから、そういう職責上聞いたということであろうと思います。
この事件につきましては、そういう意味で、事件の処理を、社会の疑惑を受けないように、より一層適正に、処理しなければいけないということと、秘密を関係者に漏れることのないように保持しなければならないということがあったわけでありますから、そういう社会の疑惑を招かないようにしかるべき措置を取るということは、司法行政上当然のことであります。そのことによって令状請求に対する判断に不当な圧力があってはいけないというのは当然で、その点について十分な配慮をされた上でのことであると考えます。したがいまして、この事件が裁判あるいは裁判官の独立に何らかの影響を及ぼしたというようなことはないと私は考えております。
【吉岡委員】藤田委員のおっしゃることも、確かに裁判官の立場で言えばそうなんだろうなと思いながら伺っていたんですけれども、どうも一般の市民感覚で今度の事件を見ていまして、非常に疑問に感じますのは、被疑者が裁判官の妻であるという、そういうことからどうしてこんなふうにしなければいけなかったのか、これはやはり身内の問題という認識があったからではないかと思うんです。普通の会社員の妻が被疑者になったということであったら、これほど気を遣うようなことはしなかったのではないか。その辺のところがやはり被疑者がどういう立場の人であろうとも、裁判官本人ではないわけですから、扱い方が違っているということ自体が非常におかしいと感じられます。中坊委員に対する最高裁事務総局の回答の中にも、裁判官の妻を被疑者とする令状請求がされるという深刻かつ緊急の対処を要する事態に直面し云々と書いています。確かに、裁判官の妻が被疑者だというのは、法曹関係者にとっては重大なことかもしれませんけれども、どういう人であれ、本人ではない配偶者がどうしたということで、こういうような措置を取られたということ自体が、法曹の持っている問題ではないかと、私はそのように考えています。
そういうことから言って、評価権者の明確化のところに入りますと、どういう人が評価をするのか、そういうことで、この例としては、部総括裁判官というようになっておりますけれども、これも内部の評価ということになります。
そういう意味で、やはり国民から見て公平で透明性が高いということで信頼されるためには、国民参加の評価、任命、そういうことを仕組みとして考える必要があるというのが、私が福岡事件の経過、あるいは処理、そういうことを見ながら感じたところでございます。
【佐藤会長】福岡事件につきましては、既に調査報告書が出たり、今、中坊委員、藤田委員、あるいは吉岡委員からのお考えが示されたわけでありますが、この問題は、これからもいろいろ議論され評価されていくことだろうと思います。今日ここで直接この問題についてあそこがこうで、ここがこうだという議論はなかなか難しいことかと思われますので、この件に関してはこの程度にとどめ、本体の議論のところで関連があればお触れいただくことにして、そういう形で今日は議論を進めていただければというように思いますけれども。
【藤田委員】これ以上申し上げません。
【佐藤会長】ありがとうございます。これは本当に大きな問題で、これからいろいろなところで議論されていくだろうと思います。
それで、評価権者、評価のための判断資料云々の問題でありますが、中間報告では、裁判官の人事制度の見直し、透明性、客観性の問題などについて言及されております。27日の審議のときでしたか、配られたペーパーの中に、中間報告が引用されておりまして、「具体的方策については、裁判官の独立性に対する国民の信頼性を高める観点から、次の点を含め、更に検討する。」とありまして、「裁判官の人事評価や報酬、補職・配置等について、透明性、客観性を確保するための方策(例えば、評価のための基準の明確化や手続の整理等)」というように記されているところであります。
ペーパーでは、具体的方策のアイデアの例として、イの箇所ですが、「裁判官の人事評価に関する基準や手続の明確化・透明化(例えば、評価権者・評価基準の明確化・透明化、評価のための判断資料(外部評価によるものを含む。)の充実・明確化、評価内容の本人開示と不服がある場合の是正申立等の手続の整備など)」とありまして、もう一つ、ロの箇所ですが、「裁判官の報酬、補職・配置の在り方(例えば、報酬の段階の簡素化、補職・配置に係る地域ブロック制(選択制)の整備など)」というようなことが記されております。そういうのを受けて本日お手元にありますレジュメをつくらせていただいたわけであります。
先ほど申しましたように、時間との関係もありますので、一体的に御議論いただいて結構かと思います。
【水原委員】人事評価というのは、どの組織においても大変難しく、かつノウハウのあるところだと思います。人事評価基準については余り公表しないのが普通だと思います。しかしながら、吉岡委員が首を振っていらっしゃいますけれども、それがどの社会においても普通なんです。しかしながら、人を裁く立場にある裁判官、この評価に関しては、公正であり透明であり、そして正確でなければならないということは、当然のことでございます。
裁判官の人事評価の基準をどうするかということでございますけれども、これは望まれる裁判官像をどう考えるかということと結び付くと思うんです。これまでの審議の際にいろいろ意見が出てまいりましたけれども、まず基本的には法律家としての能力、識見が高いということ。これは事実認定が正確である。法律適用解釈も正確である。事件処理に必要な理論上、実務上の専門的な知識、能力を兼ね備えておらなければいけない。こういう抽象的な表現で幾らでもできるわけです。
それから、幅広い教養に支えられた視野の広さ、人間性に対する洞察力だとか、社会事象に対する理解力だとか、それと同時に人物、性格面では廉直、公正、寛容、忍耐力、判断力、独立の気概と、いろいろな要素が望まれる姿としては加わっているわけでございます。
さてはて、それをどういうふうな基準で評価することになりますと、非常に難しいことになろうと思います。能力、人物等を総合して裁判官として認められるかどうかというような、結局はそういう抽象的な表現になってきたのではないかという気がいたしますけれども、それでいいとは私は決して思っておりません。
裁判官の補職権限というのは、最高裁判所にあるわけです。裁判所法47条に、「下級裁判所の裁判官の職は、最高裁判所がこれを補する」ということでございますので、最高裁判所にしか権限がございません。そこへどうやったならば、正しい情報が伝わるかということを、我々は考えなければいけないと思うんです。
一番よく知っているのは、その裁判官が属しておる部の総括者と言いましょうか、その辺りが一番よく知っているんだろうと思います。この方々が補職権限を持っているわけではなくて、日常その人たちと仕事を共にし、行動を観察する機会があるから、その人物を見抜くのに最も適したという意味では、その方が一番近いのではないか。そういう意味において、その部を総括する方が一次的にその人物の、今申しました裁判に適する適格性はどういうものかということを頭に置いて評価する。それだけでいいかとなりますと、それだけではちょっと問題が残るのではないか。
今日いただきましたこのレジュメ、うまいこと言っているなと思うのは、裁判所外部の者の意見、評価も、併せて聞く必要があるのではないかという気がいたします。その裁判所外部の意見というのは、法律専門職でございますので、一番接することが多いのは検察庁と弁護士会の人たちの意見を聞くことだろうと思います。それはどういう形になるかはともかくとして、検察庁のその裁判官に対する評価、弁護士会のその裁判官に対する評価、これも部の総括の意見と併せて最高裁に送る。
その評価をする際に、本人の意向を全く聞かずに、一方的にやっていいのだろうかとなりますと、日常、部の総括は所属裁判官とはコミュニケーションを十分取って執務をしていらっしゃると思いますし、その意味においては、仕事の内容についても性格についても、家庭関係というのもある程度御存じでございますが、部の総括にも言えないようないろいろな問題もあろうかと思いますので、評価に当たっては、本人とコミュニケーションを取り、十分面談をして意見を聞く。これらを併せて最高裁判所に意見を述べる。こういうふうなシステムをつくるのが重要じゃないか。
もう一つは、そういうふうにして集められた判断資料、表現がうまくないんですけれども、判断資料はきちっと整備されておって、いつでもそれは本人の不服申立があったときにそれを活用できるように管理、保存にも配意する必要があろうかなと。おおまかに言ってそういう感じを持っております。
【佐藤会長】ありがとうございました。全体の仕組みについてお話しいただきました。
【吉岡委員】今、水原委員が首を横に振っているとおっしゃったので、そこのところだけは申し上げなければいけないと思います。
人事評価については、知らせないということが世間一般だとお考えのようですので、それで私は首を振りました。一般の企業社会でもそうですけれども、人事評価は上司がして、それを上に上げていって評価されるという制度は、だんだん崩れていると思っております。上司も評価しますけれども、同僚も評価する。勿論、自己評価もするという、そういうものを併せて、あなたはこういう評価だということを伝えて、それに対して本人に不服があれば、不服を言わせるというのが一般的な企業社会になっているように私は思っておりますので、むしろそちらの方が一般的だということを申し上げたかったんです。
裁判官の場合には、一般のサラリーマンとは違う、求められる資質などが、違うということも勿論分かりますけれども、一般に言われていることは、裁判官の判断も含めて、どっちに顔を向けているのかということでいつも問題になるわけです。顔をどっちに向けているかということは、裁判官の独立ということであって、公正に裁こうという考えから判断を出していると考えたいんですけれども、ともすると目を向けているのは上層部、あるいは最高裁事務総局、そちらに気に入れられるような判断をしていかないと、出世できない。裁判官には出世はないとおっしゃる方もいらっしゃるんですけれども、そういうことがあって、公正な判断をしていないのではないかという批判があることは確かなところなのです。
その批判が当たっていないということもあろうかと思いますが、そうであるとすれば、第三者的に見て、公平な評価がされているという証が必要だと思います。
そういうことで考えていきますと、今日出された資料の中に、これは前に出た資料ですけれども、「裁判官の人事評価の項目の概要」というのがございます。この項目で見る限りでは、裁判官に求められる資質の一部分でしかないと、そのように考えますので、もう少し違う要素を入れるべきだと、私は利用者の立場からそう考えます。
そういう意味で、利用者の声が反映できるということが、要素としては非常に重要ではないかと思います。直接の部総括裁判官ですから、勿論、評価をする人の中には入らなければいけないでしょうけれども、それ以外の関係者と言いますか、法曹関係者、それから利用したことがある人たち、これは勝った負けたに関係なくですが、そういう人たちの声が反映されて決定していくという、そういうことは必要だと思います。
ロ.のところには、「裁判所に対応する検察庁の長、弁護士会長の意見など」ということが書いてありますけれども、これはあくまでも意見を聞くという、判断資料の充実・明確化という範囲でしか書かれていません。
そういうことではなくて、決定する仕組みの中に入れていくことが必要だと思います。アメリカの視察をしたときの制度はそういう制度になっていたと私は理解しているのですけれども、やはり民主的な組織の中での裁判官、裁判所を考えるときには、いかにして一般の国民の声を入れていくか、そういうことを考え、それが入っていると証明されるような組織をつくる必要があると思います。
それから、本人開示と本人の意見申述について、このレジュメに書いてございますけれども、「評価対象者本人に開示する範囲」となっておりまして、幅を決めてしまおうという考え方が入っております。それから、「意見申述の対象とする範囲」、これも範囲を決めております。こういう形で本人にすべてが開示されない、あるいは反対意見の申立てをしようとした場合も、そこに枠が決められているということは非常に具合が悪いのではないだろうかと考えますので、できるだけオープンに公平にという仕組みを考えなければいけないと思います。
【竹下会長代理】4点ばかり申し上げたいと思います。
第1は、現在は裁判官について、人事評価という制度がない。つまり、制度化されていないと思います。それにはそれなりの理由があったのだと思いますけれども、私は人事を透明化して、皆さんが言われるように裁判官の職務上の独立を保障するという点からすると、きちんと評価権者はだれ、評価資料はどういうものであり、基準はどういうものであるかということを定めて制度化する必要があるだろうということです。
第2点は、評価権者でございますが、裁判官の人事評価というのは、司法行政権の最も重要なものの一つだと思います。司法行政権については、憲法上直接の規定はありませんけれども、これは最高裁判所の裁判官会議を頂点とするものである。やはり司法自体に帰属するというのが一般の理解だろうと思います。そうなりますと、評価権者は、司法行政権の帰属主体ということになるのではないか。そういう意味では、最終的には最高裁判所裁判官会議ということになりますが、勿論、最高裁判所裁判官会議が、自らすべての裁判官の人事評価をすることはできませんから、その委任を受けて、例えば、長官、所長、部総括という人たちが一定の範囲で評価をするということはあり得るわけで、それを定めておく必要があると思っています。
3番目に評価資料ですけれども、水原委員、吉岡委員から第三者評価ということが言われましたが、私はどうもその考え方には賛成できないと申し上げます。やはり裁判官の独立ということを考えた場合に、外部の者の意見なり評価なりを評価の正式の資料とするのはいかがなものであろうかと思います。
比較法的に見ましても、前にいただいた資料ですと、第三者評価というのは、アメリカの一部の州で、しかもそれは裁判官の信任投票や選挙の場合の参考資料として提供される州もあるというだけでありまして、ドイツ、フランス等を見ましても、第三者の提供する資料を評価の公式の材料にするということはないようであります。
第三者が裁判官全体について評価できるとは思われませんし、また、確かに当事者は自分の事件に関連して担当裁判官の対応を知りうると思いますけれども、それだけで評価をするというのは危険なのではないかと思います。
第4点は、本人開示でございますが、これは本人から開示請求があれば開示をしてもよいのではないか。確かに、開示をしたことによる本人へのインパクトはいろいろありまして、かえってマイナスの結果になることもあり得ると思いますけれども、そこは裁判官でございますから、自分で判断をして、たとえマイナスの評価であろうと自分に開示してほしいと言ってくれば、それを拒絶する理由はないと思います。
【佐藤会長】先ほどちょっと一般の場合も云々と、水原委員と吉岡委員との間でありましたけれども、関連して山本委員、石井委員の方からもどうぞお願いいたします。
【山本委員】裁判官の評価に客観性を持たせるとか、あるいは裁判官の独立性を担保するというのは大事な議論ですけれども、内部による人事制度、それから外部の第三者による評価、それぞれ一長一短があると思うんです。一方のみに偏するのは決して良くないと思うんです。確かに、現在内部の制度による個々の裁判官の独立が損なわれているんじゃないかという議論があるのは分かりますが、だからと言って、外部の評価というのも、第三者とはいえ、同じような問題が出る可能性がある。そこでバランスと、事の中身をよく吟味した上で、分担を決めるという態度が必要ではないか。さっき吉岡さんが客観性を担保している証としてということを言われましたけれども、そこに大きなポイントがあるのではないかという気がするわけです。
例えば、裁判官の任命とか再任みたいな大きなイベント、これについてどう考えるかという問題でしたら、かなり外部の評価が入ってもおかしくはないし、あるいはそれに耐えられるのではないかと思うんですけれども、日常の人事考課とか、転勤とか、そういったことになりますと、どうしても外部の目ではうかがい知れないところがたくさんあるはずで、どうしても内部評価によらざるを得ないんじゃないか。裁判所といえども組織体ですので、組織を維持する、より良くするという組織の自治権と言いますか、そういったことも当然のことながら尊重されなければいけないわけです。余り短兵急に客観性だけを追い求めた結果、むしろ客観性が担保されず、かつ組織自体が非常に弱体化するということになってきますと、何のための外部による評価かということになるわけですので、そこは十分注意する必要があるんじゃないかと思います。
それから、個々の人事の透明性、客観性の確保、これも大事なことですが、確かに吉岡さんが言われるように、アカウンタビリティということがかなり大事な問題として大きく評価されるようになってきていますけれども、これも本人と組織との問題に尽きるわけで、それが外に出ていくということはあり得ないんじゃないかという気がします。これは水原先生がおっしゃったように、人事の秘密というとおかしいんですけれども、そういうものもあるわけでございます。客観化を突き詰めてまいりますと、試験しかないわけで、そうなると、かえって試験の成績に表れないようないろんな意味で総合力を持った良い人材が、埋もれていく可能性がある。その辺もよく考える必要があるのではないかと思います。
それから、報酬制度の改革、これも中坊先生がおっしゃられるように、余りにも微に入り細にうがって精緻なランク付けみたいなものがあるとすれば、それは是正すべきだと思いますが、基本的に裁判官というのは、自ら鍛練して、より良い裁判官を目指して精進していくわけですから、それに応じた給料のランクとか報酬のランクというのがあってしかるべきであると思います。その辺もバランスを考慮しながら考える必要があるということではないかと思っております。
【石井委員】今日の人事制度の見直しにつきましては、民間の人事考課制度なども参考にしながら検討するという方針は大変良いのではないかと思っております。
いずれにいたしましても、国民に対するアカウンタビリティというものを十分考慮した評価基準というものを取り入れるということが、最も大切なことなのではないかと思います。
ところで、今日いただいた人事評価の項目の概要を拝見いたしましたところ、平成12年7月31日の資料で、少し古いもののようですが、私などから見ますと、裁判官というのはほとんど完ぺきに近い方々の集まりというふうにずっと思ってきましたので、こういう資料を拝見して、どうもしっくりしない点があります。古い資料のためかもしれませんが、評価の内容のところに、法律知識と教養という項目があり、完ぺきに近い方々の集まりのところにこういう項目を入れるのはいかがなものかと思いました。そういう方々に対しては、法律知識や教養は勿論ですが、むしろ倫理感があるかどうかということを評価する項目を重点項目の一つに入れておかなければいけないのではないかという気がしております。
もう一つは、これも受け取られ方によっては非常に微妙なことになるのですが、裁判官の方の考え方にフレキシビリティがあるかどうかということです。これはあり過ぎるといろいろ問題が起こりますが、全く硬直的な発想しかできない方というのも非常に困りますので、そこいら辺のことについても、やはり評価の項目の一つということにしてみたら良いのではないかと考えております。
先ほどの外部の評価につきましては、これは考え方としては良いので賛成です。ただし、具体的にそういうことが実際にできるのかというのが心配です。外部の評価を無理してやろうと考え、できないものをやってみてもしかたがありませんが、それが本当にワークするようなことが考えられれば、考え方としては悪くはないと思います。最近、大学の先生を学生から見た評価というのが流行っていますが、そういうものとはいささか質が違いますので、外部評価が本当にできるようなシステムができるのかどうか、その方面から考えていって、本当に効果のあるようなものができるならやるというのも良いのではないでしょうか。
海外でもなかなか導入されていないというのは、実際にうまくシステムがワークしないというところがネックになっているのではないかと私は感じております。
【佐藤会長】井上委員、いかがでしょうか。大学にこだわる必要はないんですけれども、もし関係があれば引き合いに出してお話しいただければ。大学そのものについて聞いているわけじゃありませんが。
【井上委員】私も、先ほど山本委員がおっしゃった意見に基本的には賛成でして、任命や再任の場合の評価なり情報の集め方、あるいは意見をどう求めるかという問題と、定常的に評価をしていくことは違うのではないかと思います。
特に、後者の評価というのは何のためにやるのか。評価それ自体が目的ではなくて、今のような給与制度を取っている限りは昇給の問題と、水原委員がおっしゃった補職、これは任地を移るということを含めた意味だと思うのですけれども、そういうことのためにやるのだろうと思うのです。そして、そういう点になりますと、これは竹下代理が言われたことですけれども、裁判官の職権行使の独立の問題がありますので、そこに事件関係者を含めた外部の声を決定的な要素として入れるというのは、全く排除するまでのことはないかもしれませんけれども、やはり限界があるだろうという感じがするのです。
そうなってきますと、内部的な評価ということになるわけですが、これについては、先ほどから御意見が出ているように、客観性、公平性、公正さ、それに透明性といったことをどういうふうに担保するのかが課題になるということだと思うのです。
その一つの方策は、基準がはっきりしているということなのですが、基準といっても、結局、ある程度抽象化されたものにとどまらざるを得ないので、限界があるかもしれない。そうすると、評価の過程ですとか、その結果を説明するということによって担保するしかないのですが、これも外に公表するというのは、先ほどのような意味で限界があるだろうと思います。
そうなってきますと、結局は、本人に対して説明をし、納得を得る努力をする。そこから先、不服がある場合に、果たしてどういう方法があるのかというのは、私自身まだよく分からないのですけれども、いずれにしろ本人との関係では、こういう客観的な基準によってこういうふうに評価したのですよという説明をするという仕組みは、最低限必要だろうと思います。
大学の第三者評価がそれとどう関係するのかはよく分かりませんが、大学も今は積極的にそういったことを取り入れようとしています。ただ、個別の教員の人事評価にまで立ち入るということになりますと、学問の自由への影響もあり得るので、そこはどの大学も非常に慎重だと思うのです。
学生の評価の方は、人事という面よりも、むしろ教育効果を測るという意味で大きな要素であることは間違いなくて、その意味で、大学としてもそれを取り入れようという傾向にあります。教師個人としては余り快くはないのは事実ですけれども、やはり相手あっての教育ですので、それはそういう形で取り入れていく方向にある。しかし、人事評価というのとはちょっと違うのではないかと思います。
【水原委員】私が先ほど申し上げたことで、あるいは誤解を招いているのかも分からないという点があるので申し上げます。
私も一般の国民からの意見を聴すべしということを申し上げているのではございません。判事の任命、それから再任の際には、国民の声を聞くようなシステムを考えるべきだということは前に申しましたけれども、この人事評価に際しては、一般の方々からの意見を聴取するのは相当ではなかろうなという気がいたします。
なぜ検察官、対象裁判官の所属する裁判所に対応する検察庁の責任者と言いましょうか、それから弁護士会の責任者、この方々の意見を聞いた方がいいかと言いますと、検察官は厳正公平、不偏不党ということが基本でございます。したがって、国民の代表者としていろいろな観点から物を見なければならないという立場にございます。弁護士会も、中坊委員がしょっちゅうおっしゃいますけれども、公益性が高く望まれるところである。そういうところで、個人的な意見ではなくて、公の立場からの公正な意見を述べていただく。その意見が拘束力を持つのではなくて、それは一つの法曹三者のうちの意見として申し上げる。そこで最高裁判所で御判断なさるとすべきだというのが私の申し上げたことであります。
【北村委員】私も基本的に山本委員の意見と同じなんですけれども、任命・再任のために意見を述べる委員会というのは、必要であるということで、前のときにありましたが、そのときに人事評価が入ってくるということはあり得るかと思うんです。
しかし、人事評価のための委員会というものをつくりましょうというのは、どうもなじまないかなと。外から見ていましても、なかなかその人の仕事ぶり等々が分かるわけではなくて、個別の裁判官の評価というものは難しいだろうし、また、私は裁判所の中でそれをきちっとやってくださればいいのではないかと思っています。
ただ、人事評価の基準について、こういうものを入れてほしいという要望を出すことはあり得るだろうと思うんです。
次に、外部評価との関係なんですけれども、私は一人ひとりの裁判官の外部評価というものはできないだろうと思っていますが、裁判所全体の外部評価、今大学の外部評価というのも、大学にも自治があってということがありながら、外部評価というものを受け入れる方向に来ております。 同じように、裁判の独立ということもあるでしょうけれども、それに触れない範囲での外部評価というものが、全体としては必要だろうと考えているんです。
同じように、ここで述べる場ではないということは分かっていますが、日弁連の外部評価というものも私はやっていただきたい。同じような意味でですね。そのときに、個々の弁護士、一人ひとりがどうのこうのというのではなくて、弁護士へのアクセスの容易性等々についてのものは、あっていいんじゃないかと思っているんです。
そういうような形で、独立性とか自治ということと、外部評価というのは切り離して、お互いに並存できるものではないか。大学の場合の学生の評価は、外部評価ではないと私は思っております。
もう一つ、いまひとつ分からないのは、裁判官の任命が内閣によってということが言われておりますけれども、裁判の独立、要するに三権分立のときに、内閣が任命して本当に独立と言えるのかどうなのかというのは、私まだちょっと勉強不足で、そこのところが一番分からないところなんです。ですから、分かっていらっしゃる人に教えていただきたいなと思っています。
【佐藤会長】お答えしてもいいんですけれども、髙木委員、いかがでしょうか。
【髙木委員】この人事評価の問題について、何度も質問をお願いしたりしてきましたが、まだまだ分かっていないところが多いんですが、基準はないとおっしゃっておられますね。こういうものをポイントとしては多分留意されておるんだろうなとは何となくお示しになっておるんですが、平成10年にそのやり方はやめましたということでした。やめたものを何で今日テーブルに載せているのかなと思って妙な感じなんですけれども、いずれにしても、総合的にいろいろな人たちの長い間の見方を集大成して評価しているんだ。20年くらいは差はつかないんだ。だけれども、3号俸というか、ああいうところに行くと差がつくようになっている。平たく言えば、評価の悪い人は、自分たち、胸に手を当ててみたら分かるんじゃないですかと言わぬばかりの評価の仕方だなと思います。
例えば、第二カードという様式を去年5月に出していただきましたが、評価の結果を何に使われるのかという中で、井上さんも言われましたが、昇給なり補職だといわれる。転勤を補職と同様に論議して良いのか分かりませんが、例えば、これの任地について、「他の任地を希望する」、「現任地でよい」という選択肢がまずありまして、2番目に、「他に転任する場合の任地希望について(現任地でよい場合でも記入をすること。)」と書いてありまして、「次の任地を希望する」というのは、1、2、3と希望地を書け、それに理由を付せとなっています。ただし、「固執しない」、「希望任地以外は不可」、このどっちかの選択がありまして、その下にまた、これは「次の任地を希望する」ということに対置する選択肢として、「最高裁判所に一任する」と書いてあるわけです。
こういうお尋ねの仕方がロジカルなのか、また、これは何を含意するのか、これに答える方はどういう受け止め方をするのか、その辺は実際の運用ぶりに関わってくるんで、一概にどっちがどうだということは言えないかもしれませんが、多くの方々から、こういう方式についていろんな御不満があることを考えると、透明な形で運営がされていないんじゃないか。ある意味で、客観的だと御当人たちは思われていないんじゃないかということが類推されるわけでございます。
そういう意味で、水原さんがちょっとおっしゃったこと、言葉の使い方の問題だと思いますので、そんなにこだわっている訳ではありませんが、基準は、少なくともこういう物差しで判断しますというものはオープンであるというのは常識だと思います。その基準を個別に当てはめた結果について、個人の秘密、あるいは組織の運用維持の観点もあると思いますが、とりわけ裁判官の場合は、国民に信頼される裁判官であるべきだということがいろいろ議論されておる中で、一般企業以上に裁判官の評価の基準というのは、オープンかつ客観的公正なものであるべきです。これは基準だけではなくて、評価の目的、使途、あるいは方法等を含めて、そういうルールなりシステムについては、当然公表されるべきだろうと思います。
次に、何に使うのかというのをきちっとしなければならない。10年1任期ということになっていることから考えれば、毎年やる必要があるのか、任期中2、3回でいいんじゃないかとか、あるいは昇給に使うからということになれば、毎年やらなければいけないということなのか。これは賃金と言いますか、裁判官の場合は報酬というんでしょうか、報酬に対する考え方で、終戦直後の国会のやりとりなどで報酬は余り多段階でない方がいいというようなことがありましたのに、いつの間にやら23段階です。
そういう意味では、例えば、国会議員の場合の報酬、これは参議院で6年ですが、報酬自体が全体的に変わることはあり得ますが、例えば、5選目だからこれだけ、1期目だからこれだという差は原則的にない。裁判官の場合にも、任用の際に、あるレベルをクリアーしているということが任用の前提だとするならば、そう毎年毎年上がらなければいけないような仕組みが本当に要るのか。強いて要るとしたら、まさに勤続ファクターくらいを見ていけばいいんでしょうし、現実に20年間はそういうものは差はつけないという運用になっているわけですから、10年間は逆に評価も要らないのかなと思ったりもしますけれども、いずれにしましても、給与がそんな多段階であるのはそもそも予定していないんじゃないか。市町村長にしても、知事さんにしてもしかり、これは政治、行政という面で仕事の内容が全く一緒がどうか吟味してみる必要があると思いますが、評価の結果を何に使うかということと、給与の段階制みたいなものは関係があるんだろうと思いますが、いずれにしろ内部の評価が中心だろうとは思います。
ただし、はっきり何に使うのかということを明定して、できるだけ何に使うかという範囲は絞り込む。内部の評価だけだと、どうしても司法行政権という魔物の中でどうしても恣意性に流されていくという面を、どうヘッジするのかという仕掛けは、ちゃんとしておかなければいけない。それだけではいろいろ不明朗になるとしたら、ある種の情報として、外部の評価も必要ならば使ったらいいんじゃないか。それは見る人によっては、乱暴な評価になりがちな面もあるかもしれませんから、それはいろんな仕組みで、その乱暴さをどうやったら薄めることができるのか、方法はあると思います。そういう意味での工夫をしながら、外部評価も使うということにすべきじゃないかと思います。
現在のように、3年平均くらいで転勤をする前提というのは、裁判所法48条の関係でいって、先ほどの第二カードでの聞かれ方、固執しないというところに○を付けた人が覚えがいいんでしょうし、あるいは最高裁にお任せしますと常に言っている人は評価の点数がいいんでしょうね。1回でもここに残ると言ったらどうなるか。その辺よく分かりませんが、そういうことも含めまして、転勤という制度は、そもそも裁判所法も本質的なチャンネルとして予定していないんじゃないか。公募制、あるいは応募制をそもそもは想定していたんじゃないか。これはその当時の立法の考え方がどういうことだったのか分かりませんが、いずれにしても、定期的な異動ということで、それのために評価を使うということがもし仮に想定されるとしたら、転勤したくない、あるいはどこかに希望のある人にとっては、評価はある種のインセンティブになるわけですから、その結果が裁判官の独立という問題に影響を与えないような仕組みにしないと、裁判官の独立は担保されないだろうと思います。
そういう意味では、僻地への対応論だとか統一的な判断論だとかいろいろございますでしょうが、判断の統一等は、そのために上訴審があるわけですし、上級審ごとに地裁ごとの判断のぶれというのはだんだん収斂される仕組みになっているわけですから、当然地裁段階で判断が違うということがケースによってあり得るのは、まさに望ましいという面もあるんだろうと思いますし、統一論は司法の本質論とはちょっと違うんじゃないかなと考えます。この辺はいろいろ御議論があるかもしれません。
そういうようなことで、再度繰り返しますが、使途を明定、限定、基準は客観的にオープンに、内部評価中心だけれども、外部評価によってチェックする仕組み、具体的に言いますと、最終的には最高裁の司法行政ということかもしれませんが、総合評価、最近は360 度評価が一般に言われている時代ですから、一般の裁判官の人たちも代表が外部評価に加われるような仕組みは当然考えなければいけないんじゃないかと思います。
【佐藤会長】報酬の問題はちょっと休憩を挟んで後で議論したいと思いますが、中坊委員、藤田委員、今の全体的仕組みの在り方についていかがですか。
【藤田委員】裁判官の顔がどっちを向いているかという話がありましたけれども、右も向かず、左も向かず、正面を向いているわけでありまして、最高裁のことを気にしている人をヒラメ判事と言うんだそうですけれども、具体的な事件をやっていまして、どういう判決をしたら最高裁の気に入るだろうかなどということは全く考えません。最高裁が国家賠償請求はなるべく棄却してほしいとか、行政訴訟はなるべく請求を棄却してほしいと考えているわけではさらさらない。最高裁の判例と対立するような下級審の判決も出ますけれども、それが最高裁に行って判例が変更される例だって枚挙に暇がないわけでありますから、そういう意味では公平に裁判をすることだけに集中して努力しているということです。
ただ、世の中の評判というか批判ということは当然あるわけで、私自身も、新聞・テレビの一面で報道されるような事件も何件かやりましたけれども、判決するときに、こういう判決をしたら、多分世の中には受けないだろうということが頭に浮かぶことがないことはない。しかし、だからと言って、結論を左右するというようなことはあり得ない。自分が信ずるところにしたがって判決するよりほかないわけであります。
人事評価というものは、水原委員もおっしゃいましたが、非常に難しい。これはどの世界でも同じことで、ある程度の主観というのは入らざるを得ない。それをどの程度客観化するかということが課題なわけでありますけれども、前にも申し上げましたが、裁判所は単独体の判決というのがありますから、少なくともプロフェッショナル裁判官としての能力はごまかしようがないわけでありまして、そういう意味では一番客観的に判断し得るし、されているのではないか。労働委員会で整理解雇4条件で勤務評定などを見ますと、上司が替わった途端に天地ほど評価が入れ変わるという例もありますけれども、そんなことは裁判所ではあり得ないし、もしあれば評価している人が評価されるということになるだろうと思います。「部総括裁判官など」とレジュメに挙げておりまずか、身近で一緒に仕事をしている人が一番客観的に判断できるんじゃないかと思います。
第三者評価については、事件の当事者が自分の事件処理の経験を通じて言うという場合には、菅原先生の調査にもありましたけれども、どうしても自分を勝たしてくれたか、負かされたかということが影響します。私も、こんなに明々白々、自分の方を勝たせるべきことがはっきりしている事件なのに、相手方を勝たしたのは、相手方当事者とつるんでいるに違いないということで罷免の訴追請求をされた経験がありますけれども、そういう主観的な立場から抜け出るということはなかなか難しいということです。
それから、一般の市民の評価ですが、今日いただいた資料の中に新聞の、「裁判官、市民が採点」という横浜地裁の例が挙げてありますが、声が大きいかとか、小さくて聞こえにくいとか、入廷しておはようございますと挨拶したかどうかというような、大事なことだとは思いますけれども、やはり国民が裁判官に一番要求するものは、プロフェッショナルな裁判官として、迅速、適正に紛争を解決してくれるかどうかということだろうと思いますので、人事評価のかつての項目などは、これだけで足りるかどうかは別として、そういう点に重点を置いて評価しているんだろうと思います。
本人開示の問題は、今までも全くやっていないわけではございませんで、異動に際して必ずしも自分の意に満たない異動を内示されたということで、自分は一体どういうふうに評価されているんだろうかということを聞かれたことも何遍かあります。そのときには率直に申し上げている。しかし、これから制度的に開示請求が本人からあれば、開示するということは必要だろうとは思います。
髙木委員から第二カードがどういうふうに使われているかという疑問がありましたけれども、最高裁に異動先を一任する人がいいやつだということではありません。私も一応子供が成人してからは全部一任というふうにしていましたけれども、それまではいろいろ申しました。家内の病気などがありましたので。所長になって人事にかかわるようになってから、年取った両親が病身だから、いざというときに駆け付けられるところにしてほしいということで、提示した異動先を考え直してくれということがありまして、これは親孝行なんだから考えざるを得ないだろうということで変えたということも経験しております。
いずれにしましても、人事評価というのは、どなたかもおっしゃいましたけれども、裁判、あるいは裁判官の独立に影響を及ぼすようなことがあってはならない。もう一つは、影響を及ぼしているんじゃないかという疑いを持たれてはいけない。これが一番重要な視点で、これを考えながら制度を構築しなければいけないのではないかと考えます。
【中坊委員】私も先ほど藤田さんが最終的におっしゃったように、まさに人事制度の問題は、かねて我々が中間報告で言うているように、まさに裁判官の独立ということが保障されているということを、国民から信頼されるというところに帰するということについては、先ほどから意見を聞いていても、藤田さんも今最終的にそうおっしゃいましたし、まさにそこに視点を置いてこの問題を基本的に考えないといけない。
例えば、井上さんの方から評価基準を他目的に使わない方がいいとか、私が当初申し上げましたようなことが、いろいろあちこちで同じようなことをおっしゃっていただいているんで、皆さんの御意見もそう大きく懸け離れていないのではないかと思います。
それでは実際、人事評価というものをどこでやるんですかと尋ねたい。勿論、制度的には最終的には最高裁裁判官会議です。その司法行政が先ほど私が福岡事件で説明したような事務総局の独走客観的な事実というものがあるわけですから、主観的ではなしに、客観的に国民の信頼確保を、どのように制度的に保障していくのかというところに基本的な問題がある。
例えば、今の裁判官の評価という問題についても、なるほど前の審議の任命のときにも触れましたように、最高裁が最終的に決めるのかもしれないけれども、やはり地方でのブロックにおける実態的、実質的な調査が可能なものでなければいけない。そういう精神は生かされていかないと、現実的にものにはならないんじゃないかなという感じがします。
それから、私としては自分自身が弁護士という法曹の一種ですけれども、ここで必要なことは、私たち専門家が独立の名の下に独善に終わっているんじゃないかという危惧ですね。これは私自身も、自分がその中におりながら、非常に痛切に感じるものでありますし、そういう点が今直されていかないといけない。だから、利用する立場からだというなら、まさにそういうものを外部的に、どう皆さんが利用される側が評価されるのかということが、しかも制度的に保障されていくということが、一番今、肝心なことではないかと思っています。
【佐藤会長】どうもありがとうございました。ちょっと休憩に入りたいと思いますが、その前に今までの御議論を伺っていて、こんな感じを持ちました。
言い過ぎか、言い足りないか、御批判があるかもしれませんが、一つは、主として最初の水原委員と吉岡委員とのやり取りを通じて、結果は余り違わないんじゃないか、現在、人事評価の問題は、相当流動的になってきているんじゃないという印象は持ちました。大学の話ですけれども、かつては、例えば、1年間でどういう論文を書いたかということを外に出すこと自体が学問の自由の侵害だ、そういう事柄は個々の教官の重要な自由の問題だというようにも考えられたんですけれども、今は、大学の自己点検、自己評価は当然視され、第三者評価もあるというように、だんだん変わってきているように思います。
会社のことは、先ほど山本委員、石井委員から伺いましたが、公務員制度についても、行政改革会議の最終報告には改革に取り組まなければいけないということが書いてあるんです。これまで省庁再編という大事業のために公務員制度の改革には十分切り込めなかったのですが、この間の3月の閣議決定で公務員制度の改革に入るということがうたわれております。そこでも本人のやる気をいかに引き出すかという観点から、今までとちょっと違った仕組みを導入する必要があるんじゃないかという考え方が入っております。本人の意向も尊重しながらですね。
そういう全体の流れの中で見たときに、裁判官についてどう考えるか。いろいろな方がおっしゃるように、裁判官の独立ということが非常に重要な課題で、それには外部的な独立もありますし、内部的な独立というのもある。行政庁と基本的に違うところは、一人ひとりが申すまでもなく、良心に従って、憲法及び法律にのみ拘束されて判断するという仕組みになっていることです。この独立性の問題に非常に注意しなければいけないというのは、基本的な視点かと思います。
こういう観点から見ていったときに、人事評価の問題も、非常に重要な意味を持っているということは申すまでもないと思います。その仕組みとして、できるだけ客観性、透明性を持たせる方向で考える必要があるということ、これも基本的な出発点としては御異論のないところかと思います。
ただ、その評価のシステムをどうするかということについては、先ほど山本委員、井上委員もおっしゃいましたけれども、任命とか再任のレベルのところと、一般の場合とでは、ちょっと事情が違うものがあるかなという感じがしないではありません。
一般の場合を想定して考えたときにも、客観性、透明性の問題があるわけでありまして、できるだけ評価のフレームワークと言いますか、そういうものはできるだけ明らかになっておった方がいいだろう。最高裁から昨年お出しいただいて、お手元に今日も配付されております項目の概要、これなどは既に公表されているわけです。こういうものは公表して、こういう項目について、こういうふうに評価するんですという、これは公表してもよろしいのではないか。この項目の概要それ自体が、これで十分かということについては、先ほど来いろいろ御意見が出ておりますように、なお外国の例やユーザーの側の希望とかを参考にして、何かもっと工夫する余地があるかもしれませんけれども、こういうものを生かす方法を考えてしかるべきではないか。
そして先ほどから出ていますように、この項目を具体的に適用してどうかという問題が、次の問題としてあるわけです。これについては、髙木委員もおっしゃったように、内部的な評価が中心になるだろうということですけれども、最初に水原委員から全体的な構造についておっしゃっていただきましたが、そうだとは言っても、面談して本人の意向を聞くとか、そういうことも必要だろうと思います。
それから、最後に中坊委員がおっしゃったように、独善化の問題があるので、第三者評価は確かに難しいんです。難しいんですが、外部の評価というものも一つの参考として考えられてしかるべきではなかろうか。外部の意見と言っても、どこまで考えるのかということですけれども、先ほど水原委員は、検察の責任のある方、あるいは弁護士会の責任のある方からの意見を聞くということもあってもいいのではないかとおっしゃった。これは、中坊委員が先ほど独善化ということを考えなければいけないとおっしゃったことと関連しているかと思います。
そして、評価については、基本的に本人に開示して、不服があれば申立ての仕組みをつくる。一つのシステムとして、こういうものを考えたらどうかという辺りのところは、中身に入りますとそれぞれ御意見があるかもしれませんが、全体の仕組みとしては、こういうところかなと思いますけれども、いかがでしょうか。
【竹下会長代理】全体として、今、会長がおまとめになったことに異論はございませんが、ただ外部評価については、必ずしも意見が一致したとは言えないのではないかと思います。
【佐藤会長】水原委員がおっしゃったような、検察あるいは弁護士会のそれについてもですか。
【竹下会長代理】それは先ほど藤田委員が紹介されたように、今日の新聞の記事にあったように、弁護士会などが自主的におやりになって発表するということは、これは結構だと思いますけれども、裁判官の人事評価制度というものをつくるという場合に、その仕組みの中に外部評価を取り入れてくるということについては、私はやはり疑問があると思います。他にもそういう御意見もあったので、私一人ではありませんから、まとめとしてそれを入れられるのはどうかと思います。
【佐藤会長】外部評価が全く不要というところまで代理はおっしゃるわけですか。むしろしてはいけないと。
【北村委員】言葉が錯綜しているような感じがするんです。外部評価と言いましても、個々の裁判官の一人ひとりの人事評価ではないという意味で、私は使ったわけなんです。だから、一人ひとりのものをやっていくというのは、やはり私は裁判所の中で、基準が明確になって、髙木委員がおっしゃっていたように、それをどういうふうに使うかということが明確になっていればいいのではないかなと思っています。
【中坊委員】既に弁護士会でも個々の綱紀・懲戒事案で、我々は弁護士会内部で決めると言っておったのが、今おっしゃるように外部の委員が入ってきて、個々の事案について、懲戒するかどうかについて外部の意見を聞こうというふうに弁護士会も変わってきているわけですから、内部で我々は独立だから、あるいは人事だから、懲戒はまさに人事そのものですけれども、そういうものについて外部の意見を聞かないというやり方は、弁護士会もかつてはそのとおりでした。それが今言うように、弁護士会の運営にも、既にこの委員会で外部委員が入ってくるべきだということで意見を決めたわけですから、そこはやはり今の我々の全体の司法の機関に対する利用する国民の側からのチェックという形で何らかの、そこを具体的に今おっしゃるようにどうするか非常に難しいところではあるけれども、その方向性そのものは尊重していかないといかない。そうならば、弁護士会が内部だけでやりますと言ったら、これは収拾のつかないことになるんで。
【佐藤会長】こういうように申し上げるのはいかがでしょうか。
裁判官についても苦情問題というのはあるはずなんです。これは弁護士にも勿論あります。苦情処理の問題は、アメリカの場合も独自に苦労していろいろなことをやっているようですけれども。
これまでは余りそこがしっかりしないものだから、みんな訴追委員会の方へ行っているようです。訴追委員会は、本来もっと重大な問題を扱うべきところだと思うのですが、そこへ行っている感じがあるんです。ですから、この苦情処理の問題をどうするかという問題は考えざるを得ないと思います。今ここで立ち行って議論するということではありませんけれども。
ただ、裁判官の独立ということを大前提にして、そして、そういう苦情の問題をどう処理するかということは考えてみる余地がありはしまいか。第三者評価、外部評価というと、北村委員がおっしゃいましたように、言葉だけが走りがちで具合が悪いんですけれども、純然たる内部だけでというよりも、何らかのそういうものがあるんではないか。仕組みについてここで具体的にどうだということは自信がありませんけれども、そういうものを念頭に置くということは代理も否定されないんじゃないですか。
【竹下会長代理】裁判官の執務についての不服は、現に裁判所法82条で司法行政権の作用として、監督権によりこれを処分すると認められているわけです。ですから、ちょっと問題が違うと思いますし、中坊委員が言われた懲戒・綱紀の問題は、裁判官で言えば訴追・弾劾の問題であって、これは始めから訴追機関、弾劾機関の構成員として裁判官は入っていないわけです。すべて国会議員で構成されているのであり、それと比較しても弁護士会も外部の意見を入れることになったのだから、裁判所の人事評価についても、外部の意見も入れてもよいというのは、私は問題が違うと思います。
【藤田委員】人事評価制度や、本人開示の制度的な在り方という点について、国民の意見を入れるのは当然のことだろうと思うんですが、裁判官の具体的な人事評価ということになりますと、これは先ほど申し上げたように、裁判官、あるいは裁判の独立ということに、どうしても影響せざるを得ないということがあります。会長が最初にちょっとおっしゃったように、弁護士とか大学教授から裁判官に採用する場合、これは裁判の独立とは関係ないんです。一方において判事補から判事に任官するとか、あるいは判事の再任ということになると、今までどういう裁判をしたかとか、有罪・無罪はどうだとかいう話になるでしょうから、どうしてもそういう点での影響というのが出てくる。
だから、新規採用ならば、これは選考でも推薦でもいいんですけれども、そういう再任、あるいは判事補からの判事任官ということになると、一般的な諮問といいますか、以前に井上委員がおっしゃったように、どうしてもおかしい人を排除するという限度にとどめるのが適当で、一緒に議論すると混乱が生ずるのではないかという気がいたします。
【吉岡委員】確かに訴追とか懲戒という問題と、一般的な評価とは違うとは思いますけれど、少なくとも任命するとき再任するとき、そういうときに国民というと幅が広過ぎるので、誤解されるかもしれませんが、やはり法曹三者ではない人の声を尊重していくということが、司法改革の中で求められている、国民が利用しやすい、期待できる、国民の視点に立ったという基本につながってくると思うのです。ですから、どういう形にするかは別として、国民の声が聞かれ、反映される仕組み、それが入れられていくことが必要だと思います。
もう一つ、日常的な昇給とか昇進とか、それに国民がすべて関わるかということになると、そこまでは非常に分かりにくいと皆さんおっしゃるのは私も理解できます。
考えなければいけないのは、さっき23段階に分かれているということでしたが、そんなに細かく分ける必要が、裁判官の場合にあるのかと。
【佐藤会長】それは休憩の後で議論したいと思います。
【吉岡委員】そういうことも含めて議論していただきたいと思います。
【山本委員】 吉岡さんは、制度のチェックという日常的な問題についても、ある程度国民が参加できるようなものにしたらどうかということを言いたかったわけでしょう。
【吉岡委員】そうでないと司法改革という基本から離れてしまうと思うのです。
【山本委員】個別の評価それ自体ではなくて、評価システムのチェックに、裁判所だけではなくて、外部の人たちが参加するということは分かります。
【井上委員】そろそろ休憩の時刻だと思うのですが、私も、日常的な評価のところに事件関係者を含む外部の声を、直接反映させるというのは、職務行使の独立との関係で、非常に微妙だと思うのです。
ただ、先ほどおっしゃったような苦情がきているということが積み重なっていけば、それは当然内部の評価にも影響してくると思うのです。同じような苦情がくり返し来ていて、苦情というのはそれを反映させて改善していってもらう、自主的に改善してもらうという意味があると思うのですが、それが積み重なってきているということになれば、内部の評価にも当然影響せざるを得ない。そういう取り入れ方の方が望ましい、裁判官の独立との関係で言うとですね。
【佐藤会長】ストレートに直結するかは相当問題があると思うんです。
休憩に入りたいと思いますが、ここは内部評価が中心になるということは、髙木委員もおっしゃいましたし、皆さん御異論ないわけですね。外部の声がどういうように反映されるかについては、ちょっと検討する必要があるということで、このところは一応のまとめとしたいと思います。まとめになっているかどうかは知りませんが。休憩をはさみまして、報酬の問題と最高裁の問題に移りたいと思いますが、いかがでしょうか。
【中坊委員】任命と再任の場合にそれが利用されるということは、先ほどから皆さんは御異論なかったんじゃないですか。それ以上に立ち入るということについては、外部の意見が入ってこないということはいけないでしょうけれども、少なくとも任命と再任のときには、それが入ってくる。
【佐藤会長】出発点の構造と申し上げたのは、藤田委員も同意しておられます。
【中坊委員】その意味では入っていたはずです。
【竹下会長代理】それは私も異論はありません。
【中坊委員】だれも異論なかったと思います。
【佐藤会長】どうもありがとうございます。
では、35分まで休みしょうか。
【佐藤会長】時間がまいりましたので、再開させていただきます。今日は12時を過ぎるとしても、5分か10分過ぎぐらいで終わりたいと思っていますので、よろしくお願いします。
さっき申しましたように、最初に、報酬などの問題について少し御議論いただいて、そして、最高裁判所の裁判官の選任等に在り方について意見交換をしていただければというように思っております。まず、報酬などの問題については、さっきから少し御意見が出ておりますけれども、いかがでしょうか。
【藤田委員】今度の制度改革によりますと、原則的に法科大学院を3年、例外的に2年ですけれども経由して、どのぐらいの期間になるのか分かりませんが、更に司法修習をということになります。以前裁判所内部で司法修習制度の在り方を検討したときに議論したんですが、人材の各分野での取り合いと言いますか、適正な配分という点から言うと、現状よりも長い年限を経なければ、裁判官、検察官、弁護士になれないということになりますと、負担が重くなります。恵まれない家庭の子弟のことを考えなければということは前から申し上げてありまして、一定限度の別枠、あるいは会長代理のおっしゃった社会人枠というようなものを考える必要があるのではないかという意見を申し上げました。また、裁判官、検察官の待遇については、今申し上げたような負担ということを考え、更に弁護士任官の推進という点からも、報酬とか年金等の制度について、手厚い措置が必要ではなかろうかというふうに考えます。
【髙木委員】私、先ほど裁判官の給与はもう単一レートでいいという趣旨のことを申し上げましたが、今、藤田さんが言及されました、例えば、年金権だとか退職金なんかも、任期10年ということなら、任期10年ごとに原則整理・精算と。また、再任されたその任期ごとにと。勿論、再任された場合は、支払は通算してやればいいんだろうと思いますが、原則的な考え方はそういうふうに処遇の体系ということで一貫性を持った方が、制度が10年ごとにというふうにしている、それを貫徹させるという意味で筋が通るんじゃないかなと思います。
勿論、テーブル改定等が、例えば、任用1任期目、2任期目で、レートが若干経験だとか勤続だとかでやるとしたら、そういう意味でのレート改定はベースアップがあって、だからいわゆる定期昇給原則なし、ベースアップありという、準ベア方式でお考えになるのが論理じゃないかなというふうに思います。
【藤田委員】補充いたしますと、今の判事補、判事の給与の格付といいますか、何階級かに分かれている。これが、改善の余地があるかどうかは別といたしまして、ドイツ、フランスのようにキャリアシステムを取る以上は、やはりイギリスのように、ごく少なくしてしまうというようなわけには、なかなかいかないのではなかろうか。
法曹一元を前提にして考えますと、アメリカやイギリスのように単一、あるいはごくランクが少ないシステムは可能かと思いますけれども、判事補制度を廃止するというようなことが現実論として難しい、将来再検討するかどうかは別といたしまして、キャリアシステムが維持されるという前提ですと、やはりある程度の刻みというものは、やむを得ないのではないかというふうに思っております。
【佐藤会長】今、判事補も含めて全部で23段階ですか。それについては、藤田委員、ちょっとお立場上申しにくいところあるかもしれませんが。
【藤田委員】もうちょっと刻みを少なくした方がいいのかということはありますけれども、それが今の待遇のベースダウンになるというんだと、やはりさっき申し上げたような人材を集めるという辺に影響が及ぶ。職業としての魅力がなくなってぼんくらばかり来るということになると、被害を受けるのは国民でありますから、そういう意味では、ダウンにならないというような形での刻みの改定というのは、考えてよいと思います。
【山本委員】先ほどちょっと申し上げましたけれども、私も、功成り名遂げたローヤーが、同じところでずっと裁判官をやるというような、アメリカは大体そのようですけれども、そういうところはちょっと別としまして、やはり日本のシステムにおいては、競争とか、能力評価というのは、どうしてもなくてはいけないと思うんです。ですから、そういった能力とか、実際の成績、言葉は悪いですけれども、それに関係なく全く報酬が同じだというのはいかがなものかと思います。その二十何段階というのがどうなのか私もよく分からないんですけれども、余り細か過ぎるのはいかがかという感じがしますけれども、ある程度の段階は残すべきだと思います。
【佐藤会長】判事補の場合は、12段階ですか。あとは9段階と長官が二つある。そうですね。
【藤田委員】私が判事補でおりました当時は、アップが必要ということがあったんでしょうか、特1号とか特2号とか、そういうランクが加わって、それを給与改定のときに本来のランクに繰り入れたということでランクが増えてきたといういきさつがあったんじゃないか思います。
【髙木委員】実際には、藤田さん高裁長官されて、長官手当みたいなものはないんですか。
【藤田委員】特別な手当は全くありません。
【髙木委員】実際には、3号とか、何級か、それにポストがリンクしている面があるわけでしょう。
【藤田委員】3号にリンクしていると言いますと。
【髙木委員】例えば、部総括になると大体3号だとか、例えば、どういう職位なのかどうか知りませんが、結果的には職位リンクみたいな面があるじゃないですか。
【藤田委員】高裁長官の場合は、東京高裁長官は別ですけれども、高裁長官という別建ての報酬があります。高裁長官から認証官になるものですから。例えば、仙台から広島に行ったから、上がったり下がったりということはありません。その任地の調整手当は上がったり下がったりしますけれども。
【髙木委員】というより、私のお尋ねしたいのは、実質的には手当はないけれども、そういう責任の重さみたいなものに連動して、給与がリンクしているんじゃないかということです。
【竹下会長代理】高裁長官以外の裁判官についてですね。
【藤田委員】別建てになっていて、それは判事の給与は。
【髙木委員】ちょっと高裁の例は適当じゃなかったかもしれませんが、そういう意味で職位リンクみたいな世界は、私はあるんじゃないかなと思います。ただ、同じような職能を求められている部分は、基本的に単一レートということで、強いて言えば、勤続ファクターなり経験ファクターみたいなものをある程度見るのは、キャリアシステムということにこだわりになられるなら、有り得る話だと思います。ただ行く行くは、できるだけキャリアシステム的な運営でないようにしていきましょうという道筋が想定されるとしたら、将来それは何十年先の話かもしれませんけれども、その道筋を踏まえた給与体系が必要になる。具体的には、弁護士任官の方なんかがいっぱい増えてきたときに、どういうことになるのか。そんな意味で、いわゆるポスト・リンクみたいな部分はあるんだろうとは思います。ジョブデザインを描いてみて、それを職務評価してみたら、同じですという構図です。
だから、これは評価との関係も出てくるんですが、単一レートというのは極め付けて言うと単一レートが必然そうだということなんですが、少なくとも、同じような職位の中は、同じことが期待されておるんであったら、その期待度に対する実態的に職務遂行度が、どう評価されるかという、これはまた別の話としてはあるんだろうと思いますが。
【中坊委員】もう言うまでもないとは思いますけれども、要するに、私たちがここでなぜ裁判官の報酬の多段階制を問題にしているかと言えば、裁判官の独立というものが、昇給、昇進によって影響を受けているんじゃないか、みんな国民はそういうふうに見ているよということ、それに対してどう対応するかというのが、我々の審議の一つの大きな視点だろうと思うんです。そういうことから言えば、それはだれが見ても、一般の会社と同じように、23段階というような、どんどこ上がっていくというような制度自体は、どういう制度を取るにしてもおかしいということだけは、我々としては共通の認識に達するんじゃないかなという気がいたします。
【佐藤会長】議論すると、この報酬の問題は、非常に難しいんだろうと思います。そういう意味で、今日意見の取りまとめは難しいんですが、藤田委員がさっきおっしゃったように、報酬が落ちるようなことではいけない、これをいじることによってですね。その点は余り御異論がないことかというように思いますが、問題は。はい、そのこと自体に何か御異論がありますか。
【北村委員】給料というのは、やはり勤務時間とか忙しさとかによって違ってくると思うんです。裁判官の数が今度ずっと増えていって、もし今の裁判官よりももっと時間的な余裕ができるんだったら、下がるということもあり得るでしょうし、だからそんなの一概に言えないんじゃないかなと思うんです。
今の裁判官の給料が高いかどうかというのは、それもちょっとよく分かりませんけれども、だからそんなことを言っていいのかなというふうにも思うんです。
【藤田委員】お言葉ではございますが、今の裁判官の事務量というのはちょっと異常なんです。ですから、昔、私が判事補のころ1週間ぐらいこたつで寝て仕事したことがありましたけれども、それを今、正常なところに戻そうとしているわけです。少し余裕を与えて教養も深め、国民から歓迎されるような充実した裁判をする。文化は余裕なりでありますから。そういうことでありますので、ダウンというのは少しいかがかなというふうに思います。御勘弁を願いたい。
【中坊委員】私たち弁護士の立場から見ても、今の裁判官は余りにも忙し過ぎるし、決して報酬そのものが高いとは思えないです。だから、それがまた弁護士任官の一つの大きな問題点にもなっているわけだから、やはりそういう意味で言えば、私も藤田さんと同じ意見で、それはたまたま二人が一緒になっているという意味じゃなしに、やはり現在の裁判官を目の当たりに見ておって、私の見る限りでも若いころは本当に質素に、お暮らしになっているのは事実だし、それが今まさにおっしゃるように、この報酬の改定で、全体としてもうちょっと暇になったらダウンだというのは、私もちょっと酷なように思うんです。
【佐藤会長】では、その前提ですけれども、先ほど来何人かの委員もおっしゃり、またさっき藤田委員も場合によってはという感じのこともおっしゃいましたけれども、今の段階がすべて含めて23段階、これがいいのかどうか。先ほど髙木委員でしたか、ちょっと触れられたことなんですけれども、裁判所が発足するころの議事録、国会でどんな議論があったのかということで、21年8月27日の貴族院の議事速記録を見たのですが、その中で、木村篤太郎国務大臣が言っておられるんですが、最高裁判所の裁判官の場合は一緒だけれども、下級裁判所の裁判官の場合はそういうわけにはいかないだろうと。在職期間が長いもんですから。憲法上10年ずつなんですけれども、当然再任を考えてのことです。ただ、余り多いとやはりいろいろ弊害があるということをおっしゃっているんです。ちょっと読ませていただきます。「往々ニシテ其ノ進級ヲ早目ニ求メタイト云ウ点カラシテ、色々ノ弊害ヲ生ズルコトハ当然デアリマスルガ、左様ナ弊害ヲ生ズルコトヲ防止スル為ニ、極メテ階級ヲ少ナク致シマシテ、サウシテ運用ニ於テ、進級制ニ伴ウ弊害ヲ除去致シタイト考ヘテ居ル次第デアリマス」、と。
ですから、今の段階が多段階というべきかどうか、それ自体評価ですから分かりませんけれども、今の段階でいいのかどうかは、やはりちょっと考えていただくべきものではないかという辺りのところで、今日のところは、よろしゅうございますか。まとめになっているのかどうか分かりませんけれども。
【佐藤会長】では、この問題についてはそういうことにさせていただきます。
時間も何ですが、最後に最高裁判所の裁判官の選任の在り方について御議論をちょうだいしたいと思います。
中坊委員が、冒頭に既に触れられましたけれども、この問題についてどうぞ御発言いただければと思いますが、いかがでしょうか。
【吉岡委員】選任の問題と国民の評価の問題と、最高裁判所の判事の場合、両方あると思います。選任の場合、現状は最高裁長官が決めて内閣に報告されるということになっていますが、例えば、出身が弁護士の判事がお辞めになると、また弁護士会から入ってくるという、法曹の枠組みがあるように思います。その枠組みの中で決められていくという、そういうこと自体がいかがなものかなと思います。その枠組みの人数も、過去と現在では少し変わってきておりますし、そのバランスの問題も勿論あろうかと思いますけれども、基本的にはやはりその辺のところを考えていただきたいというのが一つです。
それから、実際上任命するのが最高裁長官ということではなくて、これを言うとまたと思われるかもしれませんけれども、やはり第三者的な任命機関、そういうものがつくられなければいけないのではないか。その第三者的な任命機関に、どういう人を入れるか、これは私の考えはありますけれども、少なくとも一般国民の声を反映できるような、そういう人を入れるということが最低条件ではないかと考えています。
それから、国民審査は、衆議院の選挙のときに、一応最高裁判事についても公報が配られまして、それで判断しろということになっていますけれども、任期期間の中で1回だけ審査されるという仕組みになっていると思っておりますが、その場合に本当にその裁判官が国民にとっていいかどうかを判断できるだけの材料が十分に提供されていると言えるのかどうかという問題があります。
審査の方法が不適当と思う人に×を付けるという審査の方法であって、罷免されるのは、その×の比率がかなり多くなければいけないということになっているので、実質的には罷免されることはあり得ないという制度だと思います。それで、本当に国民が審査したということが言えるかどうか、ほとんどは無関心になってしまっているというのが実態だと思いますが、やはり国民が自分が審査をしたのだということを実感できるような制度に変える必要があります。
その場合に、ではどうするのかというのは、これは悩ましいところですけれども、少なくとも○×式と言いますか、その○と×の比率によって考えるというような方法を取り入れるということが、やりやすい一つの方法ではないかと考えております。
【佐藤会長】国民審査に関連して、1回だけとおっしゃったのですが、憲法上は任命された最初のとき、それから10年経ってまたやるということですね。実際上は年配になって任命されるものですから、40代、50代で任命されれば何回もあり得るんですけれども、今は大体60歳以上ですかね、64、65、66歳になって任命されるものですから、そういう意味では事実上1回しかないということですね。
【吉岡委員】そうですね。
【井上委員】最後の○×方式でその比率で決めるというのは、憲法上難しいのではないかと思うのです。投票によって「過半数が罷免を可とする場合に罷免する」となっていますので。
【吉岡委員】憲法上どうするかというところまで、私分かりませんけれども、ただ実質的に機能をするようにしないといけないのではないかと思います。
【佐藤会長】考え方として、今は駄目なものに×を付けるということになっており、判例上、実質的にと言いますか、本質的にはリコール制だからこれでいいんだというように言われてきているわけですけれども、学説上は○×式も憲法に必ずしも反しない、そういう方式もあり得るんじゃないかという考え方が結構多いようには思いますけれども。
【井上委員】そういう憲法規定とのすり合わせが本当にうまくいくのか、という疑問があるのです。
【佐藤会長】それはそうなんです。
【中坊委員】何も付けなかったら、それは賛成というふうに事実上扱ってられる。
【佐藤会長】実質的にはリコール制だからという考え方です。
【中坊委員】だから、何も印を付けない人が結果的に信任したことにされる。今はリコール制みたいなことになっているからということで、そこでその割には情報はないのに、分からないから何もしなかったら、それは信任という立場になってしまうというところに、今の国民審査法の一つの問題点があるんじゃないかという気はしますね。
【竹下会長代理】もう一つは、確か何人もの最高裁判事が同時に1回の衆議院選挙のときに国民審査に付される場合に、全員の氏名が1枚の投票用紙に記載されているため、一人ひとりについて棄権をすることができないという問題点が指摘されていますね。
【藤田委員】最高裁の指名権と同じで、内閣の任命権ですから、拘束するわけにはいかないと思うんですが、民意を反映するのはいいことと思います。現在の最高裁が憲法裁判所ではなくて、法律審として判例統一の任務を負っている裁判所だという性格からすると、一般的な民意の反映の必要も勿論分かりますけれども、やはりそういう法律的な、ある程度のレベルに達している人じゃないと困るという意味から、人選についてもそういう配慮が必要ではないかなというふうに思います。
もう一つは、国民審査でありますけれども、任命されてすぐのときは、ろくに裁判例がなくて、それで次の機会はもうないというようなケースもありますから、どの時期に、どういうふうにやるかということは、これは改善する必要があろうかと思います。今の
【×の話なんですけれども、私はたまたま総理府に出ているときに、総選挙のときの投票場の掲示が問題になりまして、国民審査で駄目だと思う裁判官には×を付ける、いいか悪いか分からない人は投票用紙を係員に返してくれという掲示がされていたんです。それがおかしいんじゃないかということで問題になって、内閣法制局でも検討したと思いますけれども、やはり一種のリコールである、地方議会のリコールはもともと選挙というものによって選ばれている人のリコールなわけですけれども、最高裁の裁判官の場合はそうじゃなくて、内閣の任命でありますから、適格かどうか分からない人は投票しないで用紙を返せというのはおかしいということで、その掲示が削られたか修正されたかという経緯がありますので、御参考までに。
【中坊委員】もう一つ言いますと、私も弁護士会におるときに、最高裁にも問い合わせ、それから自治省にもたしか問い合わせたんだと思いますけれども、現実に今の国民審査では、確かに分からないときは書かなくてよい、返してもらえばよいというのが取扱いになっております。私自身も、現実にそれがそのとおり行われているのかどうかというのを、自分の投票所に行ったときに注意して、現に自分自身がどう判断したらよいか分からないけれどもという問いを発したことがあるんです。しかし、棄権の際の掲示がどこに書いてあるかといったら、私の場合たまたまなんだけれども、投票が終わったところに書いてあるんです。だから、これじゃ意味をなさないじゃないかと思ったんです。要するに、分からない人ということは想定しているけれども、事実上棄権の受付が行われていない。
これは運用の問題でしょうけれども、昔は最高裁裁判官の国民審査のために、ある程度自分がどういう趣味があるかとか、あるいはどういう本が好きだとか、そういうものを昔は確かに書いてあったんです。最高裁の事務総局に私も申し入れたんですけれども、昔こういうのがあるんじゃないかと、せめて今の裁判官はそういうように国民に自分の実態を知らしめるようになさったらいかがですかということを提案に行きました。しかし、裁判官はみんなやはり横並びというか、余計なことを書けばおかしくなるということで、結果的には事実上、自分が関与した事件を幾つか書いて、そういう自分の裁判官としての物の考え方とか、そういうのは一切書かないということになってしまって、私も事務総局を通じて今度の裁判官にそういうことを言ってくださいということを言ったんですけれども、事実上やはり行われていない。だから、現実にはまさにおっしゃるように、国民審査に値する資料は、だれが見ても提供されていないというのが現実ではないかというふうに思います。
【藤田委員】分からない人は投票用紙を係員に返してくれというのは、修正された筈ですけれども。
【中坊委員】私が行ったときは、平成5年ごろですか。
【竹下会長代理】そう変わったのではないですか。前は衆議院議員の選挙の投票用紙と国民審査の投票用紙を一緒に渡して、しかも持ち帰りを禁止したため、分からない人はそのまま入れてくれということになり、その結果、信任したことになるので、それはおかしいと変更されたのだと思います。
【中坊委員】それが直ったか何かで、私の行ったときにちゃんと表示ありましたよ。ただし、その表示のある場所が、理屈から言えば投票の前にあるべきですよね。ところが私が行ったところはたまたま終わった後のところに貼ってあって、これじゃおかしいなというような認識を持ったという記憶があるんです。
【藤田委員】問題になったのが昭和49年か50年ぐらい、私が総理府に出ていた間ですから。
【中坊委員】それなら、それから変わったんです。
【藤田委員】現在はどうなっているか。
【中坊委員】分からないならしないでもいいということに変わったんです。私は平成4年か5年に行ったんです。
【藤田委員】調べていただいたらいいですね。
【佐藤会長】国民審査で辞めてもらうというのは、やはりよほどの場合なんでしょうね。通常、時々起きるというようなことが想定されているのかどうか。そうすると、やはり任命のところでしっかり選んで任命してほしいというのとセットになっているのかもしれない。これでしょっちゅう裁判官が罷免されましたという、そういうことを憲法は考えているんでしょうか。憲法学者がそんなことを言ってはいかぬのですけれども。
【中坊委員】あるべき姿としては、やはりそういうのが想定されているんじゃないですか。
【佐藤会長】よっぽどのものを排除する、辞めてもらうということなんじゃないかと。
【中坊委員】だから、任命の事前と事後で、一番大事な人ですから、だからその方はちゃんとチェックしていますよというのが建前じゃないですか。
【佐藤会長】さて、この問題は。
【竹下会長代理】任命の方ですけれども、吉岡委員が言われたように、今度我々は下級審の裁判官については任命諮問委員会か推薦委員会かは別として、そういうものをつくるとしたわけですね。最高裁の裁判官については、それとは別でよいという理屈もなかなか立ちにくいように思うのです。ただ、最高裁判所の裁判官の地位の重要性を考えると、どういう内容というか構成メンバーから成る委員会にしたらよいのかは、慎重な検討を要する、極めて難しい問題のように思うのです。外国では、憲法裁判所については国会が関与するという例が比較的多いのではないかと思います。その関与の仕方はいろいろですけれども、日本の場合には、先ほど藤田委員が言われたように、通常裁判所の最上級の裁判所という、いわゆる上告審裁判所としての機能をも持っていて、純然たる憲法裁判所ではない。余りこれが政治的な任命の仕方が行われるようでも困るのですが、ではどうしたらよいのかと問われると、よい結論はないのですけれども、国民の意思がどこかで反映されるような仕組みが、やはり望ましいように思います。
【佐藤会長】今の話ですけれども、昭和30年代のはじめのころでしたか、衆議院を通って廃案になったのがありますね。中二階案とか言われるものです。大法廷の裁判官と言いますか、本来の最高裁判所の裁判官について、諮問委員会のようなものをつくるという案だったように思います。大法廷と言いますか、本来の最高裁判所に憲法裁判中心にやってもらう、そうでないものは中二階、いわゆる大審院的な役割をそこでやってもらうという考え方だったと思うんです。憲法裁判も最高裁の重要な役割です。大審院的なものも重要ですけれども、私の立場からすると、憲法裁判も非常に大事なものですから。そういう観点から見ると、少し任命のところでという思いもしないではないんですけれども。
【髙木委員】やはり政治的に云々とか、アメリカなんかでも裁判官が、何党が政権のときに任用されたというような話がありますが、そんな仕組みが良いのか悪いのか、余り良くないとしたら、そういうものは排除できるような仕組みを用意する必要があると思うんですが、やはり今、最高裁の判事の皆さんが、どこでどういうことで、どういう判断で、AさんならAさんという方になったかということについて、多くの国民は、その筋の一部の方は分かっておられるかもしれないけれども、知らない。やはり司法権の頂点にある最高裁の裁判官について、国民代表と言ったらだれなのかが難しいわけですけれども、そういう意味では終戦直後も国会議員と学識経験者ということだったんでしょうか、何らかの形で。これは、昔、参議院の附帯決議か何かにも、国民に支えられるというか、そういうことも適格性という意味で考えるべきだというような決議があったやに思いますけれども、やはり諮問委員会的なものでスクリーニングするというか、そういうことも私は必要だろうと思います。
もう一つ、先ほど吉岡さんが言われましたけれども、実際にどうなのかはともかくとして、庶民の普通の感覚から言うと、15人の最高裁の判事の方で、いわゆるキャリアシステム下で育てられた人たちが10人いるんです。いわゆる公務員タイプのですね。そうすると、小法廷を三つつくられると、5人になって、常に3対2の構図。構図ということで三つの小法廷のそれぞれが3対2になっているかは検証したことありませんが、15人の中の10対5だとすれば、常に小法廷5人のうち3人は、比率的にそうなる。いつどういう理由で裁判官御出身の方が増えて、弁護士会の方が一人減って、学識経験者がどういうことになったのか、そんなことも含めまして、この人数の問題に併せまして、その構成のされ方というんでしょうか、出身分野別の配分のされ方というんでしょうか、そういった問題についても現状で良いのかという声は時々耳にしますので、その構造論についても議論してみる必要があるんじゃないかなと思います。
それから、国民審査ですけれども、実質的に今、形骸化してることは事実でして、最高裁判事は40歳以上と書いてありますが、ほとんどの方が60歳ぐらいになられて最高裁判事に選ばれておられるということで、定年のことやらよく知りませんが、再任ということはまず例外の様に思われます。そういう中で、事後チェックと言いますけれども、国民にそれだけの情報を与える方法、あるいは国民としてはそういう情報を受け取るすべも非常に限られ、写真は掲載してないは、公報は何字ですか、字数が少なく内容は限られている。私たちも、労働組合員からああいう審査があるんだけれども、それぞれの人がどういう人かというのを情報で流してくれと言われても、情報を流しようがないみたいな面もあったりします。確かに今は×だけで、投票所の中の掲示の順番がどんなルールで決まるのか知りませんけれども、一番最初の人が×が多くてみたいな話で、これで付けろと言ったって○の付けようもない、×の付けようもないみたいなことなんでしょう。日弁連のペーパーを拝見しておったら、日弁連は×○印をというふうに書いておられますけれども、そういう意味で選ぶときというか、任命されるときによほどそれなりの方だということがみんなに受け止められるような手続と言いますか、アカウンタビリティと言いますか、そっちの方に力点を置いた改良を行い、国民審査も続けていかなけばいけないということではないでしょうか。今、言った公報の仕方だとか、中坊さんおっしゃったみたいな、私はこの投票を放棄しますというのもあるのでしょうか。
【中坊委員】そうです。分からないから投票用紙を返しますと。
【髙木委員】いろんな工夫点はあるかもしれませんけれども、今のままでは駄目だという点は大きな異論のないところだと思います。
【佐藤会長】議論としてはなおいろいろおありかと思いますけれども、時間の関係もありますのでそろそろもう締めくくりたいと思います。今の構成の在り方でいいのかという疑問は、何人かの委員から出されました。そして、さっき代理も言われましたけれども、下級審については指名をするに当たっての諮問委員会をつくって、国民一般の声を反映させる仕組みを考えようということにしたわけでありまして、最高裁についても何らかのことを考えてしかるべきではないかという辺りでしょうか。内閣にそういう方向で検討していただくという辺りで今日の議論はいかがでしょうか。
【井上委員】あくまで、最高裁の特別の地位と言いますか、それを踏まえつつということですね。
【佐藤会長】そうですね。
さっきのことですけれども、国民審査というのは案外任命のところとセットになって考えられているのかもしれないですね。アメリカを見たときも。その辺も含めて諮問委員会を設置するということについて、ちょっと検討していただきたいというようなところでいかがでしょうか。よろしゅうございましょうか。
【髙木委員】裁判所の運営論、組織機構論ですね、今度の福岡の件もいろいろな議論がありましたし、先ほど中坊さんの意見書にもありましたけれども、司法行政という言葉がやたらと使われ、そもそも司法行政というのは何物なんですかという疑問があります。私ども最高裁の調査委員会報告も読ませていただいたわけですが、では最高裁の事務総局の在り方だとか、それぞれの裁判所、高裁、地裁、簡裁の運営上の問題点、あるいは家庭裁判所の運営については一部外部の人が意見を言う場があるようですが、それだけで良いのか。それから今度調査委員会で出された報告書の最後に、福岡地裁の裁判官会議と常置委員会ですか、あの関係なんかもかなり詳細に決めておられます。裁判官会議の形骸化ということもよく言われる話としてあるわけでして、運営や組織機構の問題点も含めて裁判所がお考えになるべき状況がいろいろあるんじゃないかというのが、ごくごく広く受け止められている感覚じゃないかなと思います。そういう意味では、裁判所の在り方、特に司法行政と裁判実務の連携、連累の在り方も含めた、裁判所の運営論について何かこの審議会として物を申す必要があるんではないかなということを、この1年ずっと感じてまいりました。
それから、先ほどの評価の話も、外部評価を入れろというのは、やはりどこかに内部評価によどんだものがあり、よどんだと言ったら言葉は悪いかもしれませんが、現状に問題がありというふうに思っている人が多いから、外部評価なんていう議論も出てくるという側面もあるんではないかなと思います。そういう意味で、そもそも評価なんていうのは裁判官の場合にするべき作業ではないんだと、独立との関係でですね、という判断で評価制度を持ってない国が多いというお話なんですが、ある種の評価を持つとしたら、その評価に問題がなければ、そんな外部評価なんていう話も出てこないのかもしれませんが、現に問題があると多くの人が思っているから、そういう議論も出るんではないかなと思います。この辺は具体的に実務を知らない、評価の実態もよく分からない面もありますから、私は細かくどうしたらいいなんていうことはなかなか申し上げられませんけれども、それもこれも関わって運営論との関係があるんじゃないかなと思います。
【佐藤会長】おっしゃるとおりで。
【水原委員】それは考え方の違いだと思うんです。裁判所の運営に問題があると多くの人が考えているから、外部の声を聞くべきだというふうに、私はそういう意味で申し上げたのではございません。問題があっては困る、そしてその問題が起きないように外部の意見も聞きながらというふうに考えるべきであって、現状がもう本当に問題が多過ぎて、だから外部の委員を入れようという趣旨で言ったものでないことだけは付け加えておきます。
【佐藤会長】髙木委員も必ずしもそういう趣旨ではないでしょう。多くのというのは。
【水原委員】問題があると多くの人が思っているからという表現でしたので、その点だけは。
【髙木委員】ただ、やはりそういう運営や組織機構に係わる仕組みはやはりちゃんとしておかなければならない。世の中全体をオープンにしていうと言っているわけですから。
【佐藤会長】そこは、それぞれのお立場でいろいろ評価はありましょう。この問題は、法曹三者みなそれぞれに出てくる問題だろうという気がします。法曹人口が増えて、弁護士も非常に増えることになります。そして、24日に御議論いただきますけれども、検察官も裁判官も大幅増員をする。具体的にどういう形のものか御議論いただきますけれども、増えていく中でやはりその運営の仕方、弁護士会であれば自治の在り方も今までのようでよいのか、もっときちっとやる必要があるんじゃないかというような問題も出てくるかもしれないし、検察も裁判所もそれぞれ従来とは違った工夫の仕方をする必要があるかもしれません。その辺の運営の問題は三者共通に、勿論それぞれ性質に応じて違いますけれども、三者を通じてある課題ではないかという気がします。それは次回に関連したところでまた御議論いただいて結構ですし、あるいは最終意見を書くまでの間にその問題について触れる機会があれば、また少し考えさせていただきたいと思いますので、今日は承ったということでとどまらせていただきたいと思います。
以上で、この件は終わらせていただきまして、局長、資料の確認の方をお願いします。
【事務局長】自由民主党司法制度調査会から、先ほどの「中間提言(2)」以外にも、「中間提言(3)」の提出を受けましたので、お配りをしております。これは法曹養成制度に関する同調査会の調査結果が取りまとめられているものでございます。
また、「法科大学院モデル・カリキュラムの構想と実験」という冊子をお配りしております。これは一昨日の14日土曜日に日弁連主催で行われました、法科大学院のカリキュラム・モデル案発表会と模擬授業見学会で配布されたものでございます。いずれも次回に予定されております法曹養成、法曹人口について審議される際の参考にしていただければと思います。
もう1点、民主党の「行政訴訟改革について(申し入れ)」という文章をお配りしています。これは民主党・司法制度改革ワーキングチーム座長の江田五月参議院議員が、先週金曜日、13日に当事務局に来訪された際に受け取ったものでありまして、その際に江田議員からは同ワーキングチームが取りまとめた「行政訴訟改革について(中間まとめ)」に基づく申入れであるとの説明がありました。
そのほかの資料につきましては、特に説明することはございません。
【佐藤会長】どうもありがとうございました。次回の日程の確認でございますけれども、次回は第57回会議になります。24日火曜日、午後1時半から5時まで、この審議室で行います。
法曹養成及び法曹人口につきまして、3月2日の第50回会議の結果を踏まえまして、代理と御相談してたたき台を御用意させていただくと前に申しましたけれども、それに基づいて意見交換を行いたいと思っております。そして、当審議会としての考え方を取りまとめたいというように考えておりますので、よろしくお願いいたします。
たたき台につきましては、事前に委員の皆様にお送りしようと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
本日の記者会見は、代理と二人ですか。では、本日はどうも御苦労様でございました。時間を延長してどうも申し訳ありませんでした。