意見書(案)

I 今般の司法制度改革の基本理念と方向


 民法典等の編さんから約100年、日本国憲法の制定から50余年が経った。当審議会は、設置法により託された調査審議に当たり、近代の幕開け以来の苦闘に充ちた我が国の歴史を省察しつつ、司法制度改革の根本的な課題を、「法の精神、法の支配がこの国の血肉と化し、『この国のかたち』となるために、一体何をなさなければならないのか」、「日本国憲法のよって立つ個人の尊重(憲法第13条)と国民主権(同前文、第1条)が真の意味において実現されるために何が必要とされているのか」を明らかにすることにあると設定した。
 法の精神、法の支配がこの国の「血肉」と化す血となり肉となる、すなわち、「この国」がよって立つべき、自由と公正を核とする法(秩序)が、あまねく国家、社会に浸透し、国民の日常生活において息づくようになるために、司法制度を構成する諸々の仕組みとその担い手たる法曹の在り方をどのように改革しなければならないのか、どのようにすれば司法制度の意義に対する国民の理解を深め、司法制度をより確かな国民的基盤に立たしめることになるのか。これが、当審議会が自らに問うた根本的な課題である。
 我々我が国は、前世紀末に直面したする困難な状況の中にあって、政治改革、行政改革、地方分権推進、規制緩和等の経済構造改革等の諸々の改革に取り組んできた。これら諸々の改革の根底に共通して流れているのは、国民の一人ひとりが、統治客体意識から脱却し、自律的でかつ社会的責任を負った統治主体として、互いに協力しながら自由で公正な社会の構築に参画し、この国に豊かな創造性とエネルギーを取り戻そうとする志であろう。今般の司法制度改革は、これら諸々の改革を憲法のよって立つ基本理念の一つである「法の支配」の下に有機的に結び合わせようとするものであり、まさに「この国のかたち」の再構築に関わる一連の諸改革の「最後のかなめ」として位置付けられるべきものである。この司法制度改革を含む一連の諸改革が成功するか否かは、我々国民が現在置かれている状況をどのように主体的に受け止め、勇気と希望を持ってその課題に取り組むことができるかにかかっており、その成功なくして21世紀社会の展望を開くことが困難であることを今一度確認する必要がある。

第1 21世紀の我が国社会の姿

 国民は、重要な国家機能を有効に遂行するにふさわしい簡素・効率的・透明な政府を実現する中で、自律的かつ社会的責任を負った主体として互いに協力しながら自由かつ公正な社会を築き、それを基盤として国際社会の発展に貢献する。 

 我々我が国が取り組んできた政治改革、行政改革、地方分権推進、規制緩和等の経済構造改革等の諸改革は、何を企図したものであろうか。それらは、過度の事前規制・調整型社会から事後監視・救済型社会への転換を図り、地方分権を推進する中で、肥大化した行政システムを改め、政治部門(国会、内閣)の統治能力の質(戦略性、総合性、機動性)の向上を目指そうとするものであろう。行政情報の公開と国民への説明責任(アカウンタビリティ)の徹底、政策評価機能の向上などを図り、透明な行政を実現しようとする試みも、既に現実化しつつある。
 このような諸改革は、国民の統治客体意識から統治主体意識への転換を基底的前提とするとともに、そうした転換を促そうとするものである。統治者(お上)としての政府観から脱して、国民自らが統治に重い責任を負い、そうした国民に応える政府への転換である。そして、このような社会にあっては、国民の自由かつ創造的な活動が期待され、個人や企業等は、より主体的・積極的にその社会経済的生活関係を形成することになるであろう。
 21世紀にあっては、社会のあらゆる分野において、国境の内と外との結び付きが強まっていくことになろう。驚異的な情報技術革新等に伴って加速的にグローバル化が進展し、主権国家の「垣根」が低くなる中で、我が国が的確かつ機敏な統治能力を発揮しつつ、「国際社会において、名誉ある地位」(憲法前文)を占めるのに必要な行動の在り方が不断に問われることになる。我が国を見つめる国際社会の眼差しが一層厳しくなっていくであろう中で、我が国がこの課題に応えていくことができるかどうかは、我々がどのような統治能力を備えた政府を持てるかだけでなく、我々の住む社会がどれだけ独創性と活力に充ち、国際社会に向かってどのような価値体系を発信できるかにかかっている。国際社会は、決して所与の秩序ではない。既に触れた一連の諸改革は、ひとり国内的課題に関わるだけでなく、多様な価値観を持つ人々が有意的に共生することのできる自由かつ公正な国際社会の形成に向けて我々がいかに積極的に寄与するかという希求にも関わっている。
 こようにして21世紀において我々が築き上げようとするもの、それは、個人の尊重を基礎に独創性と活力に充ち、国際社会の発展に寄与する、開かれた社会である。

第2 21世紀の我が国社会において司法に期待される役割

1. 司法の役割

 法の支配の理念に基づき、すべての当事者を対等の地位に置き、公平な第三者が適正かつ透明な手続により公正な法的ルール・原理に基づいて判断を示す司法部門が、政治部門と並んで、「公共性の空間」を支える柱とならなければならない。

司法は、具体的事件・争訟を契機に、法の正しい解釈・適用を通じて当該事件・争訟を適正に解決して、違法行為の是正や被害を受けた者の権利救済を行い、あるいは公正な手続の下で適正かつ迅速に刑罰権を実現して、ルール違反に対して的確に対処する役割を担い、これを通じて法の維持・形成を図ることが期待されている。したがって、司法機能は公共的価値の実現という側面を有しており、裁判所(司法部門)は、多数決原理を背景に政策をまとめ、最終的に法律という形で将来に向って規範を定立し執行することを通じて秩序形成を図ろうとする国会、内閣(政治部門)と並んで、「公共性の空間」を支える柱として位置付けられる。
 法の下ではいかなる者も平等・対等であるという法の支配の理念は、すべての国民を平等・対等の地位に置き、公平な第三者が適正な手続を経て公正かつ透明な法的ルール・原理に基づいて判断を示すという司法の在り方において最も顕著に現れていると言える。それは、ただ一人の声であっても、真摯に語られる正義の言葉には、真剣に耳が傾けられなければならない、そして、そのことは、我々国民一人ひとりにとって、かけがえのない人生を懸命に生きる一個の人間としての尊厳と誇りに関わる問題であるという、憲法の最も基礎的原理である個人の尊重原理に直接つらなるものである。
 身体にたとえて、政治部門が心臓と動脈に当たるとすれば、司法部門は静脈に当たると言えよう。既に触れた政治改革、行政改革等の一連の改革は、いわば心臓と動脈の余分な附着物を取り除き、血液が勢いよく流れるよう、その機能の回復・強化を図ろうとするものである。この比喩によるならば、司法改革は、従前の静脈が過小でなかったかに根本的反省を加え、21世紀のあるべき「この国のかたち」として、その規模及び機能を拡大・強化し、身体の調和と強健化を図ろうとするものであると言えよう。
 憲法は、国会、内閣と並んで、裁判所を三権分立ないし抑制・均衡システムの一翼を担うにふさわしいものとすべく、民事事件、刑事事件についての裁判権のほか行政事件の裁判権をも司法権に含ませ、更に違憲立法審査権を裁判所に付与した(第81条)。裁判所は、これらの権限の行使を通じて、国民の権利・自由の保障を最終的に担保し、憲法を頂点とする法秩序を維持することを期待されたのである。裁判所がこの期待に応えてきたかについては、必ずしも十分なものではなかったという評価も少なくない。前記のように、静脈の規模及び機能の拡大・強化を図る必要があるという場合、その中に、立法・行政に対する司法のチェック機能の充実・強化の必要ということが含まれていることを強調しておかなければならない。
 行政に対する司法のチェック機能については、これを充実・強化し、国民の権利・自由をより実効的に保障する観点から、行政訴訟制度を見直す必要がある(後記Ⅲ「国民の期待に応える司法制度」第1の8.参照)。このことは個別の行政過程への不当な政治的圧力を阻止し、厳正な法律執行を確保しつつ、内閣が戦略性、総合性、機動性をもって内外の諸課題に積極果敢に取り組むという行政府本来の機能を十分に発揮させるためにも重要である。
 違憲立法審査制度については、この制度が必ずしも十分に機能しないところがあったとすれば、種々の背景事情が考えられるが、違憲立法審査権行使の終審裁判所である最高裁判所が極めて多くの上告事件を抱え、例えばアメリカ連邦最高裁判所と違って、憲法問題に取り組む態勢をとりにくいという事情を指摘しえよう。上告事件数をどの程度絞り込めるか、大法廷と小法廷の関係を見直し、大法廷が主導権をとって憲法問題等重大事件に専念できる態勢がとれないか、等々が検討に値しよう。また、最高裁判所裁判官の選任等の在り方についても、工夫の余地があろう。
 いずれにせよ、21世紀の我が国社会にあっては、司法の役割の重要性が飛躍的に増大することは避けられない。国民が、容易に自らの権利・利益を確保、実現できるよう、そして、事前規制の廃止・緩和等に伴って、弱い立場の人が不当な不利益を受けることのないよう、国民の間で起きる様々な紛争が公正かつ透明な法的ルールの下で適正かつ迅速に解決される仕組みが整備されなければならない。21世紀社会の司法は、紛争の解決を通じて、予測可能で透明性が高く公正なルールを設定し、ルール違反を的確にチェックするとともに、権利・自由を侵害された者に対し適切かつ迅速な救済をもたらすものでなければならない。このことは、日本我が国の社会の足腰を鍛え、グローバル化への対応力の強化にも通じよう。

2. 法曹の役割

 国民が自律的存在として、多様な社会生活関係を積極的に形成・維持し発展させていくためには、司法の運営に直接携わるプロフェッションとしての法曹がいわば「国民の社会生活上の医師」として、各人の置かれた具体的な生活状況ないしニーズに即した法的サービスを提供することが必要である。

 制度を活かすもの、それは疑いもなく人である。上記のような21世紀の我が国社会における司法の役割の増大に応じ、その担い手たる法曹(弁護士、検察官、裁判官)の果たすべき役割も、より多様で広くかつ重いものにならざるをえない。司法部門が政治部門とともに「公共性の空間」を支え、法の支配の貫徹する潤いのある自己責任社会を築いていくには、司法の運営に直接携わるプロフェッションとしての法曹の役割が格段と大きくなることは必定である。
 国民が、自律的存在として主体的に社会生活関係を形成していくためには、各人の置かれた具体的生活状況ないしニーズに即した法的サービスを提供することができる法曹の協力を得ることが不可欠である。国民がその健康を保持する上で医師の存在が不可欠であるように、法曹はいわば国民の社会生活上の医師の役割を果たすべき存在である。
 法曹が、個人や企業等の諸活動に関連する個々の問題について、法的助言を含む適切な法的サービスを提供することによりそれらの活動が法的ルールに従って行われるよう助力し、紛争の発生を未然に防止するとともに、それらの活動が法的ルールに従って行われるよう助力し、更に紛争が発生した場合には、これについて法的ルールの下で適正・迅速かつ実効的な解決・救済を図ってその役割を果たすことへの期待は飛躍的に増大するであろう。
 また、21世紀における国際社会において、我が国が通商国家、科学技術立国として生きようとするならば、内外のルール形成、運用の様々な場面での法曹の役割の重要性が一段と強く認識される。とりわけますます重要性の高まる知的財産権の保護をはじめ、高度な専門性を要する領域への的確な対応が求められるとともに、国際社会に対する貢献として、アジア等の発展途上国に対する法整備支援を引き続き推進していくことも求められよう。
 21世紀社会における、以上のような役割を果たすためには、法曹が、法の支配の理念を共有しながら、今まで以上に厚い層をなして社会に存在し、相互の信頼と一体感を基礎としつつ、それぞれの固有の役割に対する自覚をもって、国家社会の様々な分野で幅広く活躍することが、強く求められる。

3. 国民の役割

 国民は、司法の運営に主体的・有意的に参加し、プロフェッションたる法曹との豊かなコミュニケーションの場を形成・維持するように努め、国民のための司法を国民自らが実現し支えなければならない。

 司法がその求められている役割をいかんなく遂行するためには、国民の広い支持と理解が必要である。政治改革・行政改革等を通じて政治部門の統治能力の質が向上するに伴い、政治部門の国民に対する説明責任も重くなる。同様に、司法部門も、司法権の独立に意を用いつつも、国民に対する説明責任の要請に応え、国民的基盤を形成確立しなければならない。司法は、その行動が、国民の目ににとって、見えやすく、分かりやすく、頼りがいのあるものであって、初めてその役割を十全に果たすことができるのである。
 司法が国民的基盤を確保するためには、法曹が、国民から信頼を得ていなければならない。信頼の源は、法曹が、開かれた姿勢をもって、国民の期待に応える司法の在り方を自覚的に作り上げていくことにある。法曹は、国民に対する説明責任の重みと、国民にとってより良い司法を確立する高度の責任を自覚しつつ、進んでこれらを果たしていかなければならない。
 そのために、法曹は、不断に自らの質を高めながら、プロフェッションとして国民との豊かなコミュニケーションを確保する中で、良き社会の形成に向けての国民の主体的・自律的な営みに貢献しなければならない。他方、国民は、司法の運営に主体的・有意的に参加し、プロフェッションたる法曹との豊かなコミュニケーションの場を形成・維持するように努め、司法を支えていくことが求められる。21世紀のこの国の発展を支える基盤は、究極において、統治主体・権利主体である我々国民一人ひとりの創造的な協力と自由な個性の展開、そして他者への共感に深く根ざした責任感をおいて他にないのであり、そのことは司法との関係でも妥当することを銘記すべきであろう。