司法制度改革審議会

第8回司法制度改革審議会議事録

日時:平成11年12月8日(水)13:00~17:40
 
場所:司法制度改革審議会審議室
 
出席者
(委員)
佐藤幸治会長、竹下守夫会長代理、石井宏治、井上正仁、北村敬子、曽野綾子、髙木剛、鳥居泰彦、中坊公平、藤田耕三、水原敏博、山本勝、吉岡初子
 
(説明者)
原田明夫法務事務次官
泉徳治最高裁判所事務総長
小堀樹日本弁護士連合会会長
(事務局)
樋渡利秋事務局長

  1. 開会
  2. 法曹三者からの司法制度改革についての意見聴取
     (1)原田明夫法務事務次官からの説明
      「司法制度の現状と改革の課題」
     (2)泉徳治最高裁判所事務総長からの説明
      「21世紀の司法制度を考える-司法制度改革に関する裁判所の基本的な考え方-」
     (3)小堀樹日本弁護士連合会会長からの説明
      「新しい世紀における司法のあり方と弁護士会の責務」
  3. 論点整理についての意見交換
  4. 閉会


【佐藤会長】それでは、ただいまより「司法制度改革審議会」の第8回会合を開催したいと思います。

 本日は、まず法務省、最高裁、日弁連の法曹三者からのヒアリングを行いたいと思います。また、年末に公表する論点整理に関しまして、前回まで御議論いただきましたことを踏まえまして、前回お示しした会長試案を私と会長代理とで相談して文章化したものを用意しましたので、それを御覧いただきながら、更に意見交換をしたいと考えております。

 では、早速ヒアリングに入ります。本日は、法務省から原田明夫事務次官、最高裁からは泉徳治事務総長、日弁連から小堀樹会長にお越しいただきました。本当にありがとうございます。初めに、各40分でお話しいただきまして、その後、休憩を10分はさんで、質疑応答を一括して行いたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。質疑応答は大体1時間くらいを予定しております。

 では、最初に、法務省の原田事務次官からお願いいたします。

【原田事務次官】御紹介いただきました、法務事務次官を務めさせていただいている原田でございます。よろしくお願いいたします。

 本日、このような形で司法制度改革審議会の委員の皆様にお目に掛かれて、私は法務省の事務方を代表する者として、大変ありがたく、また、感激している次第でございます。それは、とりもなおさず司法、私どももその一翼を担わさせていただいておりますが、司法というものについて、かくも各界の皆様方が関心を持ち、それについての問題点を意識しながら改革に向けて御審議いただいているということについて、大変ありがたく思う次第でございます。恐らく戦後、もっと前からかも知れませんが、司法の問題につきまして、このように各界を代表する皆様方がお集まりになって、熱心に御議論いただくということが、言わば政府、これは内閣に設けられたものでございますから、政府の責任ある立場としての意見をおまとめいただく方向に向けての審議会ということでございますので、そのような姿というものは、本当に貴重なものだと考えている次第でございます。

 この審議会が設立に至った経緯についても、私もずっと遠くから拝見させていただきまして、それなりに大変感激を持って、また期待を持っているわけでございますが、その過程について、あれこれ申し上げますと、それだけで時間が経ってしまいますので、私どもで用意しました資料、それに基づきまして、私の方からかいつまんで法務省の考え方をお伝えさせていただきたいと思います。

 御用意させていただきました「司法制度の現状と改革の課題」という紙がございまして、これは相当分厚うございまして、これは、実は、法務省は各局様々な考え方と言いますか、所掌を持っている局がございますが、その全部局と、それから検察は最高検を加えて、全組織がこの問題について今日に向けていろいろ議論してきました。それを集約してきたのがその紙なんです。本当にこれは大変な努力でやっていただいたんですが、これを一々説明しますと、それだけで何時間掛かるか分かりません。そこで、私はそれらを踏まえまして、何点か、是非私の口から御理解賜りたい点を御紹介させていただきたいと思います。それは、この紙に書かれていることを念頭に置いておりますし、また、その行間に表れたところを御理解いただきたいということでございます。

 個々の中身につきましては、これをお読みいただきまして、また、参照的に資料も添付しております。しかし、それでは私は足らないと思います。個々の論点について、私は試案として示されました論点案のいずれも、私ども全組織を挙げて御論議いただきたいことばかりでございまして、それについて全く異論ございません。そういうものにつきまして御論議いただく中で、必要があればいつでも担当の者、また責任者が参りますし、資料もできるだけ提出させていただきたいと。

 そういうことを前提に、私の方から大きく分けて四つの点を申し上げさせていただきたいと思います。

 1枚紙でお手元に配っていただいていると思いますが、一つは、司法の現状と将来についての認識についてでございます。この点につきましては、現在、基本的に司法としてその役割を十分果たしていない、現在も果たしていないことがあるんではないかという恐れを抱いております。しかし、これは私どもが云々というより、むしろ大方の国民の立場、関係の皆様方から見てどうかという主題でございますので、そういう観点に御参考になるようなことを申し上げさせていただきたいと思います。また、行政改革を進められるに従いまして、それを完成させるためにも、やはり司法の役割、将来に向けると相当程度これは覚悟しなきゃならない問題があるということを予感いたします。それについて申し上げさせていただくのが第1点でございます。

 第2点は、そのことを前提といたしまして、やはり司法については基盤、これはインフラストラクチュアと言えるかと思いますが、社会のインフラとしての司法の基盤整備がどうしても必要になるだろうと思います。この点につきましては、従来の行政改革の大きな流れとの関係で、法務省として、私どもはどう考えているかということについて、触れさせていただきたいと思います。

 第3点は、そこで仮に司法についての人材を含めた充実が必要だとされた場合に、それを引き受ける、結局は人材いかんということになってくると思います。そのことを私は経験上ひしひしと感じます。

 人数だけ云々というよりも、その人数プラスどういう人材を私どもの分野に送り込んでいただきたいか、また、私どもとしてどういう人材を育てていかなければならないかということについて、経験も踏まえました一つの考え方について申し上げさせていただきたいと思います。

 最後は、これはちょっと角度は違うんでございますが、国際化ということがよく言われております。法務省のやっていること、司法のやっていることは、国際化には縁遠いと従来考えられてきたんですが、実は極めて密接でございます。いろんな形で国際化ということは念頭に置かないと、日々の仕事ができないという面もございますが、それよりも、言わば国際的な平和で安定している社会を各国共同していくためにも、やはり法的な面での共通のルールを探し出して、それを実現していく。そのための人材育成ということに各国が協力しなければならないという側面が、私はどうしてもあるような気がいたします。

 それは、単に各国に対する援助ということではなくて、言わばお互いにそこはベネフィットがある。そうしなければこれから成り立たないような時代になりつつあるんじゃないか。現在でも私どもは、乏しい中でそういうことに力を割いて、この中にはそういうことで大変御支援いただいている先生方もおられるわけですが、しかし、将来、もう少し国としてそういうことも考えていく。それがとりも直さず司法制度全般の運用に大変影響があるんではなかろうかと考えるからでございます。

 ですから、最後の点は若干角度は違うんですが、こういう点も視野に置いていただきたいという観点から申し上げさせていただきたいと存ずる次第でございます。

 それでは、早速でございますが、まず「司法の現状と将来についての認識」とございますが、まず現状につきまして、私どもは、司法というのは、詰まるところ、国の一つの制度の在り方として、制度的に正義が実現される、それについて国民の胸に落ちる、納得が得られていくということが、私は、平たい言葉で言えば必要なんじゃないかと思います。

 しかし、私どもの立場で言いますと、与えられた人員と組織で、それなりの努力をやらしていただいておりますので、相当程度やれているんじゃないだろうかという気はいたします。しかし、これは果たして国民の皆様方の立場から見たらどうだろうという面が一つあるわけでございます。そういう点から、私どもとして、幾つかの問題を提起させていただいて、この点はむしろ幅広くこれから審議会の諸先生方がそれぞれのお立場、または幅広く審議会としての御意見を集約していただいて、むしろ注文していただく視点ということになるかと思いますが、私は、これは民事・刑事を問わず、与えられたことについてはかなりの程度やりこなしていると思いますが、幾つかの点がございます。

 一つは、今の司法の受け皿と言いますか、窓口についてのいろいろな問題点から、本来、司法的に取り扱ってこれを解決しなければならないような事案が案外放置されている、あるいは取り残されていることはありはしないだろうか。それが国民のいろんな活動の中で、隘路になったり、あるいは不満となったり、場合によっては、大きなある種の実質的な不満をつくりつつあるのではないかという点でございます。

 これは、民・刑両方ともでございますが、特に刑事の面で言うならば、私どもの傘下と言いますか、組織の一つである検察の立場から申し上げますと、検察は、私は諸外国からの評価、これは必ずしも明確にはできませんが、かなりよくやっている点は言われていると思います。日本は、お陰様で平和に、そして社会秩序も比較的平穏に推移してきた。勿論、様々な事件がございますが、諸外国と比べると、近代市民国家の中ではよくやってきた方だと言われております。その中で、私は、裁判制度の中における検察の役割というものを一定の評価をしていただいていると思いますが、しかし、本当に検察がやっていることが、国民の胸に届いているだろうか。届いていない、足りないところはあるんじゃないかという点を考えますと、いろんな面が見えてまいります。

 一つは、被害者のある事件につきましても、被害者の胸に落ちている解決と言えるだろうかという点がいろいろございます。また、関係諸機関、特に警察なり、最近では行政委員会的な証券取引等監視委員会や、公正取引委員会がございます。その他、もろもろの関係団体がいろいろ問題を抱え、やってみようという中で、私どもはそういう働き掛け、協力してやっていく作業を十分とらえ切れているだろうかという面がございます。

 私は、現実にそういう点で、今はもう手一杯だから待ってくださいというふうにやっている面があるような気がしてなりません。これはむしろそういう側面から見ていただく面が必要ではないかという感じがいたします。

 実は、検事の数が、戦後、徐々には増えてきてはいるんですが、昭和47年、これは沖縄復帰のときですが、そのときに検事定員が1,173名とされて以来、24年間、平成8年に1,208名ということで35名増員されるまで、24年間1人の定員の増もないんです。このことについては、予算上の制約というより、むしろ、そういうことも勿論大きな理由ではあるんですが、むしろ検事のなり手がなくて欠員を抱えているような状況だったという点がございます。また、仮に人数が得られるという過程になっても、仕事のつらさ、その他いろんな面で辞めていくということもあって、十分な人数が確保されなかった。ですから、人数増をお願いするということさえできなかったということが、平成7年まで続いたわけです。

 この問題については後から申しますが、司法試験の改革とか様々な観点で努力していただきまして、司法試験の合格する人たちの増加、司法修習生の増加ということが徐々に図られてきて増員されました。なおかつ、様々な事件を取り扱う必要性というところから、徐々に最近は増やしていただいております。昨年までの3年間で何と101名、今年も30名増えたんです。これは大変なことでございまして、政府部内でもそれなりの理解を得られたというふうに思います。

 しかし、私はそういう中で、言わば人員的に非常に厳しい中で大きな事件を抱えて、検察官、それから検察事務官の職員は、夜も日もついで、休暇もほとんど取れないような日々が何か月も続くという中で努力しているわけです。

 そういう状態でございますから、全国的に見ると検察の組織は、地方から中央へ集めるとか、あるいは応援に取るとかいうことで、しのいでまいりました。しかし、そのことはかなりの程度限界にあります。地方の組織では、本当に、検事正、次席がいると、あと平検事が3人というところもあるわけでございまして、そういう中で、私どもは、充実された検察運営をやるためには、ここは根本的に考えていかなきゃならないんじゃないだろうかというときに至ってまいりました。

 それは、それなりにうまくいっているならいいんですが、現状でも、例えばひしひしと感じるのは暴力の影です。一言で暴力団と言いますけれども、いろんな犯罪の影に暴力の影がございます。最近で目立ったところだけで見ましても、阪和銀行の副頭取が射殺されました。住友銀行の支店長が射殺されました。富士フィルムの専務が刺殺されました。そのような事件が起こってまいりましたが、その背景がほとんど明らかにされていない。これは勿論いろんな原因がございます。私どもの手だけでどうなるものでもございませんけれども、この社会が、言わば物事を決するに当たって正当な手続ではなくて、あるいは暴力的なもの、そういうもので物事を決めていく側面が徐々に出てきているということを感ずる場合もあるわけでございます。

 そのことは、数年前に摘発していただきました総会屋事件等と絡む事件がございまして、私ども実際にいろいろお話を聞きますと、会社の経営者の皆さん方が、それも、私どもも暴力というものについての考え方はあると、しかし、本当に身の安全ということを考えると、そうは言っていられない面もあるんですよというお話を、様々な部門でお聞きしておりました。

 私は、表面上、穏やかに進んでいると言われている中で、そういう面での問題点があるんじゃないかという感じさえするわけでございます。それに加えて、それは現状でございますか、現状でも私はそのほかいろいろな面があると思いますが、さらに、これから行政改革を完遂していこう、世界に通じる国にしていこうという中で、規制緩和が進み、また自由市場に任せようということが出てくる中で、本当に日本の国が法によって運営されていくためには、適正で、透明で、予測可能な紛争解決機能が確立されなければならないと思います。

 また、このような規制緩和と自由市場原理に委ねる社会になってまいりますと、アメリカではございませんけれども、実質的に不公平な面が出てくることがあり得ると思います。そうした中で、そういうものを着実に拾っていくと言いますか、実質的な公平を回復するための必要性が出てまいるわけで、そのための司法の役割は、私は必然的に増えるだろうと思います。

 また、自由市場の原理に任せると申しましても、社会的なルールに違反する者は必ずいるわけでございます。そういうことを予測いたしますと、そのような事態があった場合に、迅速で明確な制裁の実現を図っていくということが、私はどうしても必要だと思います。

 そういう点からいたしますと、私は、司法の現状と将来を考えた場合に、やはり司法の基盤を整備していく必要性は、私どもはあると考えます。その点から、是非とも審議会の先生方には、そういう観点からの点検をいただきまして、そして、そこから問題点を提起していただければと思うわけでございます。

 さて、その中で、私ども行政改革の関係で言いますと、行政改革の中、特に人員の管理、定員の管理というのは、行政の部門につきましても、戦後、努力に努力を重ねて、定員の増加を防いで、できるだけ削減していくという努力は、現在は第9次でございますが、定員削減計画の中で果たされてきたと思います。しかし、これはいろいろな見方がございます。法務省みたいに、縦割でそれぞれの分野が独立しているところに一定の割合で削減していくということになると、大変な問題がございます。しかし、私は政府全体として、不要とは申しませんけれども、緊急でないところから緊急なところへ人を受け渡していくという場合に、あのような一律の定員管理というものは、私は必要だったと思います。そのために、法務省は幸い、諸官庁の中で純増官庁として取り扱われて、徐々にではございますが、増やしてきておりました。しかし、その中を見ますと、私は約十年前に人事課長をやらしていただいたんですが、初めてその役割になったときに、組織が大きいところはそれなりに伸びる可能性があるんですが、少ないところは伸びないです。例えば入国管理局というのがございます。ここは大変な業務の伸びなんですけれども、定員増が、私の前まで、10年間で1けたからちょっと出る量しか伸びていないんです。これは驚くべきことで、私は、定員管理をなさっている行政官庁の担当者の方から、原田さん、私どもが見ていても、これは不自然だと思います、何とかできないんでしょうかと言われたのを、今でも私は覚えているんです。

 そこで、政府全体としてそうやるんならば、法務省の中も、もう少しめりはりを付けようということで、不要不急とは申しませんが、大きなところはできるだけ勘弁してもらって、そして、めりはりを付けた要求を入国管理局関係でやっていただいたために、そのことが政府全体の中でも、評価されて、認めようということで、入国管理局については、これは数字的にまた出させていただきますけれども、大変大きな実増ができました。しかも、そのことが法務省内で理解されたのみならず、政府全体でもそれは必要だと理解されていったんです。ですから、大きな流れの行政改革ということに、行政機関挙げて協力するということは、私は必要だと思います。

 しかし、私は、その中でも、このような規制緩和、そして、自主的な自由市場に任せる社会にいた場合に、その中でも、必要なところには、問題が生じないところには、めりはりを付けて、ある時期、我慢してでも付けてやろうというようなことが行われていいんではないだろうかと思います。

 私は、先般、総務庁長官、太田長官がこちらに参られたときのお話を漏れ伺いました。そして、太田長官もそういうことは必要だろうと、しかし、その問題は内閣の問題なんだから、それは内閣としての検討をお願いしたいというふうにおっしゃられた。私は、そうだろうと思います。総務庁長官の立場として、私はそうだろうと思います。しかし、内閣としてお決めいただくために、そこに司法という問題から光を投げ掛けて、司法の基盤整備のために一つの視点を示していただくというのが、この審議会の役割の一つの面だと思いますので、そういう観点から、先ほど申し上げましたような認識に、もしお立ちくださるならば、私は、司法関係の基盤整備のために、もう少しめりはりの効いた、パンチの効いた基盤整備のために、国全体の予算又は人員配置をやるべきだという結論に、できるだけ配慮していただければと思うわけでございます。それが、私は、世界に通じる日本国としての社会的コストの需要ではないかと考える次第でございます。

 検察の体制整備の問題、先ほど触れましたのでこれ以上申し上げませんが、検察もこれでやれと言われればやります。やりますが、余りにもそういう点で御不便を掛けている面がありはしないかという観点から、点検をさせていただかなければならないと考えます。

 もう一つは、その点で司法に関係する諸機関との関係でございます。先ほど、私は、行政委員会的なものを申し上げました。すべてを司法で賄うという点では、問題を解決するということは困難な面があると思うんです。それには、いろいろな各行政機関とも併せて、そういう問題を解決するという横の連絡、緻密な網の目をつくっていくということが、私は必要だと思います。そういった点では、法務省以外の諸機関とも緊密な連絡を取ってやっていくということが必要だと思います。その上でのコストをどの程度掛けているのかということは、これはまさしく内閣全体の問題です。それに対して、こちらの審議会というのは、司法ということを考える立場から光を投げ掛けていただきたいと思う次第でございます。

 3番目に、そのための人材の確保の基本的な物の考え方について申し上げます。

 司法試験の改革の話を、先ほどちょっと触れました。これは、ここの委員でもおられる中坊先生が日弁連の会長をなさっているときに、大きな転換を遂げました。司法試験の改革は本当に難しかったんですが、いろんな意見を集約して、とにもかくにも人数を、それまで500人くらいに据え置かれていた司法試験の合格者の数を700人にし、やがて800人にする。そして、そのための改革をやっていただきました。そのためには、実は合格枠という新たな設定をいたしました。これはある面で評判が悪かったんです。というのは、司法試験の合格者の年齢がどんどん高くなっていくわけです。そして、何年も何年も掛かるということになっております。これは、社会的問題にさえなってまいりましたのは、諸先生方も御承知のとおりでございます。そこで、一つの考え方として、一部の先生方、これは私大の先生方が多いんですが、もう回数制限をしてくれと。3回でもいい、5回でもいい。そうしないと、学生がかわいそうだと。一旦足を取られたら抜け出せないと。回数を制限してくれれば少し変わるんじゃないかという意見もございました。

 しかし、これに対しても、やはり学生諸君、または人材の中には、じっくり勉強して、だんだん育っていく人たちもいるわけでございますから、回数で、あるいは年齢で制限するのは問題だと。ですから、せめて、増やす200人分くらいは、3回の回数にいたしましょうということでつくったのが合格枠です。

 これもいろいろ考え方があって、憲法違反ではないかという意見もございました。その当時、憲法学者の先生方にも意見を聞きましたが、必要な場合に、その取り扱いさえ合理的で、かつ平等ならば、ある種の枠を考えるということも必要ではないか。必ずしも憲法違反とは言えないという考え方を示していただいて、そのような制度を採った。その結果、司法試験を受けようという学生の数が戻ってまいりした。そして、また、若い人たちも受かると同時に、例えば主婦の方とか、ある程度仕事をした方が、司法試験を目指して勉強して、3回目くらいですっと入ってくる人たちが増えてきました。

 私は、ある有名な政治家の方の息子さんのお嫁さんが、子育てが終わって試験を受けて合格して、非常にいい感覚を持って修習をしてくれるのに出会って、こういうこともあるんだなと思いました。ですから、私は、合格枠制も一つの使命を果たしてきたと思います。しかし、そのことはまた、それをこれからどうやっていくかということも、全体の法曹人口問題を考える中で、どうぞお考えいただかなきゃならないことだろうと思います。

 法曹人口論を頭から、例えば年間2,000人は必要だろう、4,000人は必要だろう、いやもっと必要だという意見もございます。私も、それなりに、非常に諸外国と比べた場合合理的な面はございますが、私は、それを考えていく際には、二つの側面があると思います。

 一つは、日本において、単に法律家、いわゆるバーと言いますか、裁判所で弁論し、手続ができるというフルスケールの法律家ということだけではなくて、関連諸業種との間の協同ということに目を用いながら考えていくという側面はあると思いますし、それよりも、もう一つは、法文化と申しますか、日本という社会をこれからどう持っていったらいいんだろうかという観点から人口論がございますので、様々関数がございますから、人数だけを取り上げて、どうしてもこうだということには私はなかなかいかないんじゃないだろうかと思うわけです。

 そういう観点からいたしますと、例えば、これは最近ますますそういうことを痛感するんですけれども、司法改革ということが、経団連を始め産業界その他で言われている中で、日本という国が、本当に法によって解決するという姿にずっと移行していくことで、果たして耐えられるだろうかということが、言われるようになってまいりました。法によって解決するということは、出るところへ出て解決するということですけれども、これは長い伝統の中で、私どもも含めて、戦後のいろいろな動きを見てまいりましても、殊更争いを表ざたにしないで、むしろ関係者の間でよく話し合って、できるだけ穏やかな形で物事を解決していく。法違反があっても、いきなり目をとがらせてやるよりは、まあまあということで穏やかにして、そして、行政的な手腕でもって物事を動かしていくというやり方。そういうもののよさというものがそれなりに評価されていたということが、これは文化的にもあるだろうと私は思います。

 極端な話、様々な有識者の方が言われますように、日本という国は、戦後、私どものような法的な立場にいる者から見ましても、経済的にこれだけ進歩して、豊かになったという中で、外から見ますと、ある種の保護主義と申しますか、言わば機会均等という点ではどうだろうかという面も指摘される点があるだろうと思います。必ずしも法律一辺倒ではない。ある種の所得を移転していくやり方とか、弱いところに力をそそいでいるやり方というのは、行政的な手腕を伴いなから、穏やかに、そして言わば全般的に皆が実りを享受していくというやり方に進んできた。これは、ある先生方は、実質的には社会主義が目指したことじゃなかったか。資本主義、そして民主主義の形を取っていますが、その中で行政的な手続でもって、そういう社会をつくり上げてきたということが言われているんですが、そこまで言わないまでにしても、国民の80%から90%の方々が、この豊かな社会として、自分たちは経済的には中流階級だと言われている社会。これは、私は近代の工業社会、国家の中でもまれなことだと思うんです。しかし、その中でふっと考えてみますと、仲間うちでは、非常に住みいいけれども、外から見ると住みづらいと申しましょうか、もっと極端に言ってしまえば、本音と建前がある。違反があっても、それなりに直すべき点は直していこうじゃないかとか、言わば外から見ると参入しにくい社会になってしまったということが言われますが、私も確かにそういう面があると思います。

 そこで、これからそういうところをできるだけ直していこうとした場合に、極端な社会は、ある種対極にあるのが、私はアメリカの社会だと思うんですが、アメリカは、そういう点については、本当に法による支配、法による物事の解決ということを大変重要視した社会です。これは、アメリカという社会が建国以来、宗教や人種とか様々なグループが集まりますので、そういう中で結局最後のよりどころは法だということで、そこに言わば権威を持ってもらって、そして物事を解決する役割を取ったということでございますので、日本とは相当程度違うだろうと思います。

 しかし、今、共に協力していこうという国は、そういう国でございます。アメリカは、よく言われますように、まず撃つんです、shootfirst。そして話そう、talklater。このshootfirsttalklaterという言葉が比喩的に言われますけれども、今でも訴訟の場、あるいは刑事司法の分野でもそういうことがあるんです。まず撃ってくる。そして、いやなら話し合おうというやり方。日本は全く逆なんです。まず話し合おう。どうしても仕方がなかったら撃つぞというやり方。この差は、実は、大変私は大きいんじゃないかと思います。

 しかし、そういう脈絡の中で、今から約15、16年前になりますが、ハーバード大学総長のデレク・ボクという先生が、全米のABAの会でお話になったということが、当時のタイム誌に紹介されました。この先生が言うには、米国の司法制度が余りに複雑化し、法曹が過剰となり、大多数の国民にとって有効な救済手段を提供し得ていないとし、その一因が米国の法曹教育にあることを指摘し、法学教育者は、和解と調停のより穏やかな技法の代わりに戦闘、ファイトを強調することにより、社会全体でなく個々の依頼者の利害の見地から物を考えるよう学生に教えているということを、ハーバード大学の総長がしゃべっています。この和解と調停のより穏やかな技法の代わりに、戦闘を強調するというのは、明らかに日本的な物事の解決方法を視点に据えていた面があると思います。

 私はこのときに、アメリカの弁護士というか、法曹の数は既に50万を超えていたと思います。優秀な学生がどんどん法学部へ行くという中で、ハーバード大学の総長がそういう言い方で社会全般の立場から法曹の在り方を考えたということは、私は、大変参考になるような気がいたします。

 その中で、実は依頼者の国民の側から司法制度が本当の利益のためになっていない側面があるんじゃないかということを意識したというのは、私は大変意味のあることではなかったかと思います。私はそういう意味で、アメリカのように、アメリカのようにと言うと語弊がございますけれども、毎年4万も5万も弁護士をつくっていくという在り方、それは自由ですけれども、しかしそのことが社会にもたらす影響というものについても考えなければならない。私はこの面でも日本の在り方というのは、アメリカ型というよりも、むしろ中間でどこへ落とすかと。法曹人口を含めて、社会の物事の解決のありさまをどういう視座を持ってつくっていくかということは、真理が常にそうであるように、その中間にあるような気がしてならないんです。そこら辺りについて、是非、諸先生方に広い立場から御検討いただいて、私どもに示唆を与えていただきたいという気がいたします。

 それにしても私は、もう少し法曹、法律資格者を増やしていく必要があると思います。その数については、私はどのくらいだということを今申し上げる材料が実は乏しいんですが、しかし、相当程度ということだけは言えると思います。

 現在、今年の司法試験の合格者は1,000人になりました。ぴったり1,000人になったんです。恐らくこの1,000人体制がしばらく私は続くと思うんです。この1,000人の修習生を完全に実務教育も含めてぴしっとした形で教育する体制を整えました。これは法曹三者そろってやらしていただきます。そのための様々な装置もつくりましたし、準備も進めております。しかし、その後、どの程度進めていくかということは、それにどれだけの資本を掛けていくかということに掛かってくると思います。質的な転換が出てくるような可能性があるわけです。

 その中で私は、先ほど申し上げましたように、アメリカの例もございますけれども、数だけ増やしたんでは具合が悪いという感じがするんです。本当に法律家としてどういう人になってもらいたいかということについては、これは私どもの立場もそうですが、また、ユーザーである皆さん方の意見を是非私たちは参考にしていかなければならないと思います。

 私はいろんな過去の経験から見て、検事という言わば人の過ちを訴追する側でございましても、究極的には、訴えるところを本当に真剣に聞く能力とそのための感性が必要だと思います。そういう感性と能力は法律の勉強ではできない面がございます。もう少し幅広い人間学全般にわたる教育から出てくるような気がしてなりません。

 特に、最近は子どもたちがコンピュータと向かい合って、コンピュータを使うのがうまくなる。コンピュータ同士のインターフェースはどんどん進みますが、人と人とのインターフェース、人が面と向かって話をして、相手の気持ちを分かりながら理解するということの能力を開発することが、本当におろそかになっているような気がしてなりません。私はそのことができないならば、お医者さんでよく言われますように、そっぽを向いて手も握ってくれないし、体にさわってくれないで処方しようとする先生がいるそうですけれども、法律家も話を聞くという姿勢がどうしても必要だと。これはいろんな側面がありますので、単純には言えませんが、時間を取ってゆっくり話を聞いてあげる装置が司法制度の入り口から最後までなければならないような気がしてならないのでございます。

 その上で、私は、法律家は技術家ですから、その技術を使って物事の本質をつかんで、問題のありかをつかんで、それに対する解決策をパッケージでまとめて、それを説得すると。相手をその気にさせるということが私は能力としてある。そういう法律家を育てていただきたいと思うのです。

 それがもしできたら、法律家はどんな部門にあっても、その依頼者のため、国民が依頼者というなら政府の法律家はそうだと思います。依頼者が個別のプライベートな場合もそうですが、依頼者のために最善のことを探し出す、お互いに法律家同士、技術を持った同士が何が一番大切かというのを探し出すのは私は法律家の仕事だと思います。それができたら、法律家は本当は相対立、もっとも切磋琢磨はするんですが、相対立する当事者ではなくて、共に肩を組み、共に前を向いて、その当事者のために必要な解決策を探し出すための技術者である。そういう側面が私はできるんじゃないかという気がしてならないわけです。これは理想にすぎるかもしれませんが、そういう法律家像というのを私どもは追求してまいりたいと思います。

 その観点で必要なのが大学教育との関係です。大学教育も今、一生懸命、文部省もそうですし、各大学とも大学、高等教育を改善しようとしている。その中で私は一般教育を十分積んで、大学の中で物を考えることが訓練された人に私どもは来てもらいたい。また、司法試験は単純なひとかたまりと言いますか、全部同質の人に来てもらうよりは、もっとバラエティーに富んだ人に来ていただきたい。そのような司法制度であり、法曹像でありたいなと思います。

 最後に、国際化への対応ですが、これは民事、刑事を問わず、法務省は、刑事の面ではUNAFEI、国連アジア極東犯罪防止研修所、アジ研と言っておりますが、そこで過去37、38年間、東南アジアを中心に判・検事、警察官、保護観察官、矯正の係官を含めて、あるべき司法制度の在り方ということで議論する制度を持っています。これは私は大変貴重なものだと思っておりますので、これを拡充していく。

 さらに、もう一つは、国際民商事法センター、これは大阪に建ててもらおうと思って、今努力をしています。これは諸外国の間で物事を法的側面から共通のルールを探し出して、それを生かしていく。そういうセンターであり、そういう人材教育、研修のセンター、これは私は日本人が教えるのではなくて、日本人で行った人は必ず学ぶんです。その中にほうり込まれますと、新たな視点から法律というものを見てもらえるようになります。そういう人材教育のために、私はこういうことは必要ではないかと考える次第でございます。

 それが私は日本における法律家が、また、いろんな法律実務家が、他の実務界の人たちと一緒になって、同じルールを共有して社会の安定のために役立つ、そういう司法の本来の目的と言いますか、それを支える仕事に就けるんじゃないかと思います。

 ちょうど時間も来たので、早くしゃべって恐縮でございますが、私も感激し、また興奮して、お聞きづらかったかもしれないですが、その点は御容赦いただきまして、よろしくお願いします。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。

 次に最高裁の泉事務総長にお願いします。

【泉事務総長】司法制度改革に関します裁判所の基本的な考え方は、お手元にお届けしてございます「21世紀の司法制度を考える」と題するペーパーにまとめさせていただいたとおりでございます。それを、更に1枚の紙にいたしました、図表化いたしましたものを、お手元にお届けしてございます。御参照いただければと思います。本日は、その要点をかいつまんで申し上げさせていただきたいと思います。

 近年、法という明確で普遍的な基準で紛争を解決するというニーズが高まっている中で、裁判には時間と費用が掛かり過ぎるという批判、あるいは高度技術化、専門化が進んでおります現代社会が提起するところの新たな問題に司法が十分に対応できていないのではないかという指摘が強まってまいりました。

 これらの批判に応えるために、私どもも21世紀にふさわしい国民のための司法、国民に利用しやすい迅速で実効性のある司法を実現するため、全力を挙げていかなければならないと思っております。裁判所といたしましても、当審議会において実りある議論がなされることを期待するとともに、その審議にできるだけ協力させていただきたいと考えているところでございます。

 当審議会におきます参考人の方々のお話でも明らかなように、司法制度やその背景にあります法文化というものは、各国によって大きな違いがございますので、本当に実効性のある改革を目指す上におきましては、我が国の司法制度改革の歩みを、現状の歩みを踏まえまして、現状の実証的な分析を行うことが不可欠であろうと思います。

 そこで、簡単に戦後の司法制度改革の歩みを概観するために、資料3を用意させていただきました。資料3の赤の折れ線が民事訴訟事件、青の折れ線が刑事訴訟事件の推移でございます。ここにありますように、新憲法制定から昭和37年の臨時司法制度調査会設置までの第1期、この臨時司法制度調査会のことを臨司と呼ばさせていただきますけれども、この臨司以降、昭和50年代末までの第2期、それから50年代末から今日までの第3期に分けられると思います。

 戦後、日本が経済復興、高度成長と向かうにつれまして、先ほどの表にもございますように、民事事件が増加する一方で、裁判官任官者が減少いたしまして、訴訟遅延が深刻な問題となり、裁判官確保の方策等を検討するために臨司が設けられたわけでございます。そこで、法曹一元問題、裁判官、検察官の給与制度等について検討されたわけでございます。

 昭和39年に出されました臨司意見書は、法曹一元問題だけではなく、当時の司法制度全般に検討を加えた総合的な改革の指針というべきものでございました。しかし、日弁連は、臨司意見書につきまして、民主的手法の理念と相入れない能率主義にとらわれているという態度をとられまして、厳しく批判し、臨司意見書に沿った改革に協力できないという姿勢をとられました。

 昭和45年に、簡裁で取り扱える事件の上限、すなわち管轄の上限を、10万円から30万円に引き上げるに際しまして、裁判所と弁護士会との意見が対立いたしまして、この法案の国会審議の過程で、司法制度に関する改革については、法曹三者の意見を調整してから法案を提出すべきであるという例の附帯決議がなされましたが、このことがこの時代のことを象徴しておるわけでございます。この時代は、言わば理念的な対立によって制度改革が停滞した時期でございました。昭和50年代末から民事訴訟事件が急増いたしまして、その対策が急務となる中で、法曹三者が協議しつつ、簡裁の管轄の拡張、簡裁・支部の配置の見直し、司法試験改革、弁護士任官制度の導入、民事保全法、民事訴訟法の改正が実現したところでございます。現在は、民事倒産法の改正に取り組んでいるところでございます。

 裁判所は、臨司意見書に沿いまして、精一杯改革を進めてまいりましたが、その状況は資料4にお示ししたとおりでございます。

 次に、改革を考えるに当たりまして、もう一つ踏まえておくべきことは、我が国司法制度の特徴でございますが、この点につきましては、2点だけ指摘させていただきたいと思います。

 第1点は、統一性と等質性でございます。

 我が国の社会は、諸外国に比べますと、かなり同質的な社会でございまして、また国民の平等指向を反映して、司法運営に当たりましては、全国的に統一された制度の下で、等質な司法サービスを提供し、等しく公正な裁判を実現するということが重視されてきたわけでございます。

 特徴の第2点は、精密さと真相の解明の要請でございます。

 我が国では、裁判において、紛争や事件の真相の解明に強い関心が置かれまして、精密な審理や判断が求められるという傾向が強いと言えるのでございます。我が国は、戦後、自己責任のシステムとも言うべき当事者主義の原則が導入されたわけでございますけれども、真実発見という強い要請があるために、裁判所が当事者の活動の不足を補う、後見的な役割を果たして事実の解明に努めるということが求められているという特徴がございます。

 なお、付け加えますと、我が国では弁護士の付かない、いわゆる本人訴訟の比率が極めて高いという事情がございます。資料5に示しましたとおり、原告、被告の双方に弁護士が付いている事件というのは、地裁の民事事件でも40%にとどまりますし、簡裁ではわずかに1%台でございます。これは、臨司当時の昭和38年ころの状況と全く変わっていないのでございます。ここでも弁護士に依頼しないのは、本人の自己責任であるとか、あるいは訴訟活動がまずくて負けるのは本人の自己責任と割り切ることは、許されないのでございます。

 以上のような事情を背景といたしまして、裁判所の目から見た我が国の司法の現状と、その問題点について申し上げたいと存じます。

 裁判所といたしましては、大きく見ると、裁判の速度、裁判の費用、専門性への対応、紛争解決の多様化、今述べました四つの点に課題があると考えているところでございます。

 課題の第1点の、裁判の速度の問題でございますが、地裁の民事訴訟の平均審理期間は9.3か月でございまして、また、地裁の刑事訴訟事件の平均審理期間は3.1か月でございます。資料の6を御覧いただきますと、上が地裁の民事訴訟でございまして、事件数は年々増えておりますが、審理期間の方は逆に短くなっていることが御覧いただけるかと思います。下の方が地裁の刑事事件でございます。民・刑共に昭和40年代には長期化傾向が誠に著しかったのでございますけれども、現在では最も遅延していた時期のほぼ半分の期間に短縮されております。刑事は、ごく一部の事件を除きまして、ほぼ問題がなくなっておりますし、民事も、資料7にございますように、ドイツ、フランスよりはやや長く、アメリカ、イギリスより短いという水準にございます。ただ、今申しました民事の9.3か月というのは、実質的な争いのない事件を含んだ全事件の平均審理期間でございまして、争いがあって、証人調べをして終了した事件というのは、資料8にございますように、平均21か月を要しております。さらに、公害事件のような大型事件でありますとか、あるいは知的財産権事件、医療過誤事件、建築瑕疵といった専門的事件になりますと、もっと長期を要する事件がございます。最近経済界から問題視されております知的財産権事件の平均審理期間を示したものが資料9でございまして、平均26か月と、通常事件の2倍以上の期間を要しております。

 また、刑事事件につきましても、ごくわずかでありますが、極めて長期化する事件がございます。今申しましたこれらの事件は、国民の関心が非常に強くて、社会的影響も大きいだけに、迅速な裁判の要請がとりわけ強いのでございますが、それだけに、これらの事件の遅延というものが、全体として裁判が遅いという印象を強く与えている原因になっていると思われます。

 時代のテンポに合いました迅速な民事裁判を実現するということにつきましては、裁判所としても、ここ10年以上前から真剣に取り組んでおりまして、平成8年には、それまでの裁判実務での運用改善をベースに、民事訴訟法の全面改正を行っていただいたところでございます。この改正の趣旨が徹底されまして、集中審理の運用が全国的に定着いたしますと、争いのある事件でも、現在のほぼ半分の1年程度で解決できるのではないかと期待しているところでございます。

 現在、地裁民事事件の4分の3は、1年以内に処理されておりますが、1年を超えるものも、通常の事件は原則1年以内に処理するという、これが私どもの目標でございます。

 そのためには、裁判所の態勢強化を図るための裁判官、書記官、調査官等の増員を図り、態勢を整備することが不可欠でございます。

 また、裁判所の態勢強化と並んで、当事者側の弁護士が準備活動を充実されて、集中審理に応じることができるように、弁護士事務所の態勢強化、そして、証拠収集の円滑化を図るための手続法の見直しなどが必要でございます。

 課題の第2点は、裁判のコストの問題でございます。

 裁判費用の大部分は弁護士費用でございますが、弁護士に頼むと幾ら掛かるかよく分からないという弁護士費用の不透明性が、裁判へのアクセスの大きな障害になっているという指摘がなされております。弁護士費用の合理化、透明化を図ることも検討すべきであろうかと思います。

 それとともに、弁護士費用の敗訴者負担、すなわち訴訟で負けた方に弁護士費用を負担させるという制度や、申立ての印紙代等の軽減も課題であると考えます。

 課題の第3点といたしまして、専門的領域における法的紛争に、現在の制度や、制度の担い手であります法曹が、的確に対応しているかという大きな問題がございます。このような専門的ニーズに対応し得る法曹の養成に努めますとともに、専門家の知識と経験を裁判等に反映させる手続的整備、例えば専門家参審制度等の検討も大きな課題でございます。

 第4番目の課題は、紛争解決メニューの多様化でございます。裁判というものは、対立する当事者の言い分を十分に聞き、厳格な手続と証拠に基づいて事実を確定しなければなりませんから、どんなに努力いたしましても、一定の時間と費用が掛かることは避けられないのでございます。

 裁判はこのような重い手続でございますから、どんな問題でも裁判で処理するというのは、かえって国民の方々に過大な負担を掛けることになります。国民のための司法、国民に実際に役立つ司法を考えますために、まず国民が紛争に巻き込まれた時点にさかのぼって考えてみたいと思いますが、法律問題が発生した場合に、国民がまず求めるのは、身近なところで、基本的な法律情報を提供し、どこに行けばよいのかということについて相談に乗ってくれる相談システムであると思います。

 その次に必要なのは、手軽に利用できる調停・仲裁等の、いわゆるADRでございます。問題の重要性、複雑性の度合いに応じ、問題の程度に見合った手続で紛争を解決する柔軟な手段を整備する必要がございます。裁判所の行っております民事調停、家事調停は、年間35万件と、相当利用されておりますが、その他のADRは余り利用されておりません。これをもっと利用するようにする必要がございます。今申しました相談システム、次に調停・仲裁等のADR、そして裁判制度、この三つを加えたトータルな紛争解決システムの充実を図ることが必要であると思います。

 我が国の司法制度が以上のような課題を抱えていることにつきましては、ほぼ異論のないところかと思いますが、一部には更に進んで、我が国の司法は機能不全に陥っているのではないか、さらには、法的紛争の大きな部分が暴力団等の不健全な形態で処理されているのではないかといった、センセーショナルな意見も見られるところでございます。

 しかし、資料11のアンケート結果が示しますように、法律問題が起きたときに、弁護士に相談する割合は約2割にとどまっておりましても、弁護士に相談しなかったものが、すべて不健全に処理されているというわけではございませんで、各種の正規の相談機関に年間、私どもの把握しているだけでも300万件以上の相談が寄せられております。裁判所に対する各種の申立ても年々増加しておりまして、年間550万件に達しておりまして、紛争解決を目的とした裁判の申立てに限りましても、資料12に示しましたように、年間150万件を数えているのでございます。勿論、いろいろ改善しなければならない点が多くございますが、弁護士、検察官、調停委員、それからパラ・リーガルの方々、裁判所書記官等の関係者に支えられました我が国の司法は、国際的な水準にあるのでございます。この点は御理解いただきたいところでございます。

 また、司法制度は、すぐれて社会的、文化的制度でございまして、社会全体のシステムや国民意識との調和を図りながら発展していくべきものでございます。

 例えば我が国では、問題の処理に当たって、人的な信頼関係にベースを置く傾向が強くて、調停制度の発展もこのような傾向を反映したものでございますが、我が国の健全なシステムを維持発展させる。国民各自の持つ規範意識を尊重しつつ、国際化の進展に合わせまして、合理性、普遍性を備えた問題解決の方式、つまり法的な解決というルールをきちんと用意し、その進歩を図っていくことが重要であろうと思います。

 そのためには、司法制度を国民に利用しやすいものとし、その効用を国民の生活の中に浸透させていくことが何より重要でございまして、そうしたプロセスを通じて国民の信頼を得ていくように、改革改善の努力を継続していくことが必要であると考えているところでございます。

 このような現状を踏まえまして、先ほど挙げましたような問題点の解決に向けて、制度的基盤の充実、それから人的基盤の強化を図って、司法制度の機能を高めることが必要でございます。

 制度的基盤の第1点といたしまして、弁護士の機能強化を挙げさせていただきたいと思います。国民の法的紛争を第一次的に受け止めますのは、何といっても弁護士でございますから、弁護士の機能の充実強化が最も重要でございます。弁護士の量と質が司法全体の機能を大きく決定づけることになると思います。本人訴訟の解消、弁護士の偏在の解消、職域拡大、弁護士事務所の組織化、専門化などといったことが大きな課題でございます。

 例えば弁護士の偏在につきましては、資料22のとおり、弁護士の約6割が東京都と大阪府に集中しております。先の臨司意見書の指摘にもかかわらず、この間に弁護士偏在はむしろ進行しておりまして、昭和38年当時から、弁護士数に大きな変化のない地方も少なくございません。また、多くの法律事務所は、弁護士一人の事務所でございます。私どもの扱っております民事事件について申しますと、争点整理、証拠整理、和解交渉、こういったものは英米のように当事者間で行っていただきたいところでございますが、日本では、これを裁判官が主導的に行っております。このことが裁判官の負担を重くしているのでございます。弁護士が本来の責任を果たし、集中審理を可能にするためにも、弁護士の組織的な訴訟活動態勢の強化が必要であると思います。

 刑事弁護でも、集中審理に対応できるように、刑事弁護態勢の強化、弁護人の確保に関する制度的手当が差し迫った課題でございます。そして、弁護士費用の合理化と明確化が欠かせないところでございます。

 第2点は、裁判所の機能強化でございます。裁判の迅速化、専門化に対応するために、裁判所の人的態勢の充実強化を図る必要がございます。特に事件数の多い都市部の裁判所を中心といたしまして、裁判官、書記官の増員、専門事件に対応するための裁判所調査官、それから家事・少年事件に対応するための家裁調査官の充実が必要でございます。

 第3点は、専門的紛争への対応でございますが、この点につきましては、専門家の手続関与を図る制度、例えば専門調停等のADRの活用、専門委員、専門参審制度の導入や専門的事件の管轄集中による集約的処理態勢を検討する必要がございます。より長期的には、法曹の養成数を拡大しまして、法曹自身が専門的分化を図っていく必要があるかと思います。

 制度的基盤の第4点といたしまして、先ほど述べました国民に身近な相談システムや、国民が手軽に利用できる多様な紛争解決手段の整備が、重要な課題であると思います。ある意味では、この二つが、国民が最も必要としているのではないかと思われます。

 第5点は、国民の司法参加であります。国民の司法参加は、司法に関する国民の関心を高め、司法のありようが、国民の意識や感覚に近くなるという観点から有意義なことと考えます。既に、我が国には、調停委員、参与員、司法委員、検察審査会等の司法参加制度がございまして、かなり大きな役割を果たしております。資料13に示しましたとおり、約2万人の調停委員が民事・家事事件で年間35万件の事件を処理しておりまして、しかも、その半数の50%は調停が成立しております。大変よく機能しているのでございます。

 陪審・参審制度は、これは最終的な判断作用を国民の手に委ねるという司法制度の根幹に関わる問題でございます。多くの委員の方々が指摘されておられますように、その導入と円滑な運用のためには、資料14に書きましたような社会的・制度的条件が関わってまいります。例えば陪審制では、陪審員となる国民の負担。理由がつかない評決という、ラフ・ジャスティスへの移行。それから、連日開廷に対応する弁護人の態勢。陪審員に予断を抱かせないための報道規制。陪審裁判に対する上訴が制限されるという問題。陪審員が事実認定に当たることを前提とした刑法、刑事訴訟法の抜本的見直しなどの検討が必要になってまいります。

 参審制についても、陪審制について指摘されたような問題がございますが、参審制は、様々な形態が考えられるだけに、態様のいかんによっては、その長所を最大限に引き出し、問題点を最小限に収めるという工夫をすることが可能でございましょう。先ほど申しました専門的民事紛争に対応するための専門参審制などは、現在の裁判制度の下でも十分に検討に値すると思います。

 国民の司法参加の問題は、最終的には、主権者である国民の方々が判断すべき問題でございます。裁判所といたしましては、外国の調査結果などを御参考に供してまいりたいと思います。

 次に、司法制度の機能を充実させるための第2の課題は、その担い手、すなわち人的基盤の充実でございます。ここでは、法曹の量と質が問題でございます。資料16に掲げましたように、我が国の法曹人口の絶対数は少ないと言えると思います。しかし、資料15にありますように、我が国には各種の関連職種がおりまして、弁護士数と一定の範囲の法律事務を取り扱います司法書士、弁理士、税理士等の数を加えますと、約10万人になります。アメリカでは、これらの職種の業務を弁護士が担当しております。そして、アメリカやドイツでは、民事訴訟が極めて多く、これが社会問題化いたしておりますけれども、余りに過剰な弁護士がその一因ではないかと言われているところでございます。したがって、各国の法曹人口を単純に比較するのは相当ではないと思いますが、我が国の法曹人口が少ないのも事実でございまして、人的基盤の整備のために、法曹人口の増加を図ることが必要であると思います。

 問題は、どの程度の法曹を養成すべきかという点でございますが、現実の政策を考える場合には、法曹の必要性、法曹養成の在り方といった、二つの観点からの検討が必要ではないかと思います。

 まず、最初の必要性の問題は、どのような法曹の必要性が具体的に想定され、それを満たすために、どの程度の法曹の養成が必要かということでございますけれども、これを固定的な数字で言うことは極めて困難でございます。先ほど触れました隣接関連職種の機能の在り方をどう考えるかという問題が大きな前提問題としてございますし、法曹人口不足の徴ひょうとして指摘されております弁護士過疎、高い本人訴訟率、弁護士の組織化、専門化の遅れ、大型事件や専門的事件に対する態勢の未整備等の問題解消のために、どの程度の法曹が吸収されていくのかを検証し、更には、企業法務、国際取引、紛争予防、法律相談等の裁判以外の法的ニーズにどのように対応するかという問題に関連しまして、企業とか行政機関等の組織へ、法曹がどのように登用されていくのかといった点も見極めたいところでございます。

 次に、法曹養成の在り方の問題は、どのような法曹養成の方法が望ましいのか、どのような水準の法曹を養成していくのかという問題でございます。

 我が国の法曹養成制度は、資料18に書きましたように、司法試験合格後、司法修習生として合計1年6か月、司法研修所における集合教育と弁護士事務所等における実務修習を受けるという方法が採られております。司法研修所教育の中核は、実際の法律実務を遂行している実務家の下で、法曹の職務に必要な技術を習得させ、法曹のエートスを自覚させることにございます。生の事件を前にして、法曹がどのように考え、行動するかを、先輩法曹の下で実際に体験させ、法曹に必要な心構え、倫理感、職責、リーガル・マインドを習得させるのでございます。このような実践的研修の過程というのは、多くの国で採用されているところでございます。

 法曹養成の新しい在り方として、最近になり、幾つかの大学でロー・スクール構想、あるいは法科大学院構想の検討が始まりました。我が国の大学法学部教育は、従来は法曹教育よりも行政や企業等で活躍するジェネラリスト養成に重点が置かれたために、大学教育と法曹養成教育との乖離が極めて大きかったのでございます。そして、法曹を目指す者が法学部教育からどんどん離れていっているのではないかという危機感もございまして、法科大学院を設置して、体系的、組織的に大学サイドで法曹教育を行うべきではないかという考えが生まれてきたんだと思います。一部の大学で検討が始まりましたばかりで、委員の方々の御指摘にもありますように、司法試験、司法修習との関連、教育内容、教育態勢等の極めて基本的な点につきましても、具体的論議はこれからというところでございますが、大学教育と法曹養成との関連強化ということは、法曹養成の問題点を改善する方向を示すものとして、法曹三者としても真剣に考えていかなければならない問題だと思います。

 ただ、法曹養成につきましては、法曹の職務職責からして、先ほど述べました実務教育、実践的研修の課程は不可欠でございます。このような制度を持たないアメリカでは、法曹の病理現象について深刻な問題提起がなされていることにも、留意する必要があろうかと思います。

 また、この問題に関連しまして、養成数につきまして、できるだけ大きな数値目標を立て、法曹の質は資格取得後の自然淘汰に委ねるべきではないかという考え方もございますが、国民の権利、財産に直接関わる法曹の職責に照らしまして、賛成できないところでございます。

 法曹の質を維持するとともに、国民の信頼を確保するためのシステムづくりを並行して整備していかなければならないと思います。

 以上、法曹の養成につきましては、法曹の必要性と養成の在り方という二つの観点から検討する必要がございますが、そこから直ちに養成すべき法曹の数値が導き出されるわけではございません。法科大学院構想の推移でありますとか、法律関連職種の機能等を見極めながら、具体的な養成数のスタートラインを設定し、各種の司法基盤整備の政策展開との整合性を保ちながら、継続的、漸進的な拡大を図るのが現実的、かつ妥当な方策ではなかろうかと思います。

 次に、法曹一元について触れさせていただきます。

 我が国の判事の任用制度は、資料19にありますように、判事補のほかに弁護士、大学教授等から任命できることになっております。しかし、実際は毎年数名の弁護士任官者があるほかは、大部分が判事補から任命されております。諸外国の裁判官の任用制度を見ますと、資料20にありますように、法曹一元の国と、キャリアシステムの国とが相半ばする状況にございまして、歴史的に見ても、法曹一元へ移行しているという流れは見られないのでございます。法曹一元は、司法制度の基本的な理念に関わる問題でございます。先の臨司でも詳細に検討されまして、法曹一元は、これが円滑に実施されるのであれば、我が国においても一つの望ましい制度である、しかし、その制度が実現されるための基盤となるための諸条件はいまだ整備されていないとされたことは御承知のとおりでございます。臨司意見書に掲げます法曹一元の長所、短所は、資料21に掲げたとおりでございます。

 裁判所は臨司意見書にありますように、弁護士の任官を促進するための方策を講じてまいりましたけれども、資料23のとおり、弁護士任官者は年平均4.5人と低調でございます。

 また、先ほど述べましたように、弁護士の偏在状況は、依然として解消されていないのでございます。我が国の裁判官は、戦前、戦後を通じまして、独立不羈、公正廉直を自らに課しまして、これを後輩に伝え、最終判断者としての職責の重さを自覚し、不断の研さんを通じて、実務能力を涵養するという執務態勢を、一貫して堅持することにより、国民の信頼を確保してまいりました。

 委員の御指摘にありますように、社会経済情勢の変化の著しい今日、多様な紛争を取り扱うための柔軟な思考力と幅広い視野を備えた裁判官が求められております。私どもも、裁判官に多様な経験、研さんの機会を与え、多様な人材を裁判官として迎えてまいりたいと思っているところでございます。

 以上、裁判所の目から見た司法の現状と問題点、今後の改革の方向性について述べさせていただきました。

 司法制度に完全なものはなく、社会経済情勢の変化に対応して、常に改革を進めていくことが重要でございます。その意味で、我が国の司法において最も欠けておりますものは、そうした柔軟で継続的な改革、改善の思想とそのためのシステムであると思います。新たな世紀におきましても、また様々な大きな変化を迎えると思います。それゆえに将来のニーズに対応し得る柔軟で厚みのある司法制度の基盤を整えてまいらなければならないと思っております。

 裁判所といたしましては、変えていくべきものは何か、発展させていくべきものは何かということを吟味しながら、継続的な改革の努力を重ねてまいりたいと思います。

 そして、北は稚内、網走から、南は宮古島、石垣島まで、全国で一日の停滞もなく、司法の運営に当たりまして、これを発展させていきたいと願っているところでございます。

 どうぞよろしくお願いいたします。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。それでは、次に日弁連の小堀会長にお願いします。

【小堀会長】日本弁護士連合会の会長を務めております小堀樹であります。司法制度改革審議会で、日本弁護士連合会の意見を申し上げる機会を与えていただきまして、心からお礼を申し上げる次第でございます。

 日弁連は、去る11月18日に、創立50周年の記念式典を挙行いたしました。改めてその社会的使命を自覚しながら、我が国社会の発展に全力を挙げて寄与していく覚悟を新たにしたところでございます。

 さて、私は本日司法制度改革についての日弁連の基本的な考え方を申し上げさせていただきたいと存じます。お手元に骨子をお配り申し上げたので、御参照いただきましたらと存じます。

 最初に「弁護士の使命と司法改革」、第2に「これからの社会のあり方と司法改革の基本思想」、第3に「司法改革の方向性」について、そして最後に「司法改革の具体的提言」として弁護士改革、法曹一元、陪審・参審、そして市民のための司法における諸制度を、順次申し上げさせていただきたいと存じます。

 まず「弁護士の使命と司法改革」ということについて、申し上げることにいたします。『自由と正義』、これは私ども日弁連の機関誌の誌名でございますが、この言葉ほど私たち弁護士が心動かされるものはございません。新しい世紀においても、この言葉は弁護士を支え、導くものになるだろうと思います。

 自由と正義というとき、「自由」を真っ先に掲げるのは、基本的人権の享有、憲法11条でございますが、個人の尊厳・幸福追求の権利(憲法13条)を掲げております現行憲法の基本的な思想に対応するからであります。英国政府の作成にかかる『英国の裁判』という書物がございますが、「個人の自由と国家の利益のどちらを優先させたらよいか疑わしい場合は、英法は今なお個人の自由を優先させる。」というくだりがございます。現行憲法はまさにこうした立場を基に制定されているものであります。国家は個人の幸福追求のためにある、これが私ども弁護士が理解する現行憲法の思想であります。そうであるならば、国家機関たる裁判所もまた、一人ひとりの国民の幸福追求のためにあると考えるべきものと存じます。

 このように考えますならば、裁判所による民事・刑事の裁判権の行使に関わる私ども弁護士には、まず依頼者たる国民の権利・自由をいかんなく代弁してその実現を図るということとともに、裁判所及び裁判の在り方が国民の幸福追求に奉仕するものとなるように働き掛けるということが求められているのだと言わなければなりません。後者を現在の言葉で言い換えますれば、「市民の司法」とするために「法律制度の改善」を図る責務ということであります。

 次に、自由と正義というときの正義と申しますのは、社会的な、つまり客観性のある、倫理的基盤を持った規範であります。弁護士が、依頼者たる国民の権利・自由の確保だけでなく、社会すなわち何らかの共通の属性を持った人の共同体の利益に奉仕することを意味します。ここから、私どもにとっていわゆる公益に奉仕する責務が導かれると存じます。

 自由と正義のこうした理解から、司法改革の責務とその方向性を定立させることができるのであります。

 日本弁護士連合会会則の第1章「総則」の第2条は、次のように定めております。「第2条本会は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現する源泉である」。日本弁護士連合会が「源泉」であるという表現は大変印象的であります。これについては、1950年当時の機関誌の『自由と正義』の巻頭言の「弁護士法施行一周年を迎う」には、会則第2条について「連合会の理想を表明したものであって、茲にいう『源泉』とは、基本的人権の擁護、社会正義の実現に当たる司法職員全体が本会を母胎として生い立つべきものであるという意味である。吾人の理想とするところは、日本弁護士連合会は司法の基盤であって判検事も弁護士もみな本会の会員として、その公的生活の一歩を踏み出すようにすることである。…」と述べております。

 このように、自由と正義の理念は弁護士法制定当時から「司法の一元化」、すなわち法曹一元とは分かち難く結び付いたものであると認識されておりました。現行憲法の下では、裁判官・検察官を含む、すべての法律実務家は自由と正義の担い手たるべきであり、弁護士はその基盤であり母胎となる存在であるということであります。

 私たち弁護士が今、問わなければならないのは、そして現に問われているのは、新しい時代において自由と正義はどのような姿をとっていくのか、その中で裁判制度及び法律実務家は、一人ひとりの国民の幸福追求のためにどうあらねばならないのか。そして、それに対応するために私たち弁護士はどのように準備をしなければならないのかということだと考えております。

 次に「これからの社会の在り方と司法改革の基本思想」と題しました項について申し述べたいと存じます。21世紀を目前にした今日、個人の自立と自己責任の原則の下に社会のシステムをあらゆる面から見直そうとする動きが強まり、政治、経済、行政など社会の構造にかかわる改革が各方面で叫ばれ、実行に移されつつあります。これに伴って、司法制度も新しい世紀に向けて激変する社会の状況に十分に対応するものに改革する必要が緊急の課題とされております。その意味で今、求められているのは、広く司法全体の仕組みとその在り方の検討と、司法に携わる者すべてが自らを点検し改革することであります。

 他方、私たちはこのような社会的改革の基本的視点についてこういう疑問を持っております。国民に「自立せよ」と説くことはたやすい。しかし、自立せよと説くだけで現に自立ができるわけではない。それは、弱い立場にある者に犠牲を強いる口実になりはしないかということであります。それゆえ、国民に「自立せよ」と説くときには、「自立」を促し支える仕組みが用意されなければならず、また「自立」の過程で生ずる被害や不利益から身を守り、それを救済する仕組みの整備もなされなければならないと考えております。司法は、まさにそのための基本的な制度であります。

 では、いかなる制度であるべきかであります。司法制度改革審議会設置法が成立した約1か月後の本年7月8日、「地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律」が成立いたしました。この法律は、「地方分権の推進は、二十一世紀を迎えるに当たって、新しい時代にふさわしい我が国の基本的な行政システムを構築しようとするもの」であり、「これまでの行政システムは、全国的統一性、公平性を重視したものであり、我が国の近代化、第二次大戦後の復興や経済成長を達成するために一定の効果を発揮してきたものでありますが、今日においては、国民の意識や価値観も大きく変化し、生活の質の向上や個性的で多様性に富んだ国民生活の実現に資するシステムの構築が強く求められています」と指摘されております。この指摘には、重く受け止められるべき考え方が含まれていると存じます。

 司法制度改革審議会設置法と地方分権法とがほぼ同じ時期に相次いで成立したのは、司法改革の基本思想を確認する上で単なる偶然と考えるべきではないでしょう。司法制度改革審議会設置法と衆参法務委員会の附帯決議は、国民の司法参加をうたっております。参加とは、仲間になること、行事・会合に加わることでございます。では、国民はどこに加わるのでしょう。もちろん、自らの生活領域に存在する「司法」に加わるわけですが、那覇に住んでいる人が札幌の「司法」に参加するようなことはだれも考えません。人が自らの住む地域社会に存在する裁判所の活動に加わることが司法参加の基本的な在り方と言えるでしょう。その意味で実質的・実効的な司法参加は分権と自治の思想に立脚していると考えます。

 ここに、先ほど申し述べた個人の自立を説くだけでよいのかという問いへの答えがあります。「自立」を促し支える仕組みの中核にあるのが「参加」の制度であり、参加を実質化・実効化するのは「分権」であります。そして、参加と分権は権利の保全や救済を実質化・実効化させます。

 司法制度改革審議会設置法の趣旨は、「司法の機能を社会のニーズにこたえ得るように改革する」こととされ、また参議院法務委員会附帯決議において「特に、利用者である国民の視点に立って、多角的視点から司法の現状を調査・分析し、今後の方策を検討すること」とされていることを踏まえて考えますと、司法制度も統治の視点からではなく、いかにして利用者である国民の具体的な「幸福追求」に役立つものとなるかという視点から、その在り方が全面的に見直されなければなりません。

 その意味で、分権の思想の下に「生活の質の向上や個性的で多様性に富んだ国民生活の実現に資するシステム」とすべきなのは行政だけではありません。裁判制度も、そして弁護士の制度もそうあらねばなりません。弁護士は、いついかなるときも裁かれる側の身近にあってその傍らに立ち、地域社会に根付いてそこでの正義の確立のために不断に闘う法律実務家として、自らを改めて定義すべきであると考えております。そのことは、当然に弁護士が単なる法律実務家たる自由業者としての立場を去り、日本の弁護士が本来負っている公的責務を自覚してこれを果敢に遂行することを意味しなければなりません。私たちは、そのために必要な改革は進んで受け入れ、率先してこれを実践する覚悟が必要であることを痛感しております。

 司法改革を唱えたとき、既に日弁連は呵責のない自己点検が必要であると考えました。この場におられます中坊公平委員はその当時の日弁連の会長として、「市民の利用しやすい司法」を提唱するとともに「自己改革」を会員に訴えました。司法改革を提唱して10年になろうとしていますが、今日振り返れば、日弁連とその会員が徹底して自己の在り方を見つめ直す批判と吟味の作業の過程であったと言えると存じます。

 私たち弁護士は、一市民から中小の企業、更には大企業を依頼者としてその法的利益を守り、これを拡張するために日夜活動しております。私は、同僚の弁護士がこの業務を遂行するために、誠の職業的良心に従って名利を離れて努力をしていることを知っております。その中には凶刃に倒れ、また家族を失った会員もおります。体を壊して再起の途を失った会員もいます。我々弁護士の心中には、受任事件を遂行するために自らと、時には家族まで危険にさらしているという解け難い緊張感があります。

 そういう思いを持ちながら、いやそういう思いがあるからこそでありますが、我々はあえて自らを厳しく問い直すことにしたのであります。我々は利用者の尺度に代えて自らの尺度で、自らの存在とその在り方を問うことで満足しているのではないか。裁判所及び裁判の在り方が国民の幸福追求に奉仕するものとなるように、これに働き掛けるという責任を十分果たしてきたか。現在の司法を批判しながらも、それを市民のものに改革するための努力に欠けるところはなかったか、であります。

 その観点から、幾つかの自己改革の取り組みが進められてきました。私たちは1990年、刑事裁判における弁護人の活動を改善するために刑事弁護センターをつくり、全国どこの警察でも逮捕、勾留された被疑者から呼び出しがあれば、48時間以内に弁護士が無料で面会する制度をつくりました。この制度は、裁判所や検察庁などの御協力をいただいて全国の弁護士会に発展し、そして今日ではこの制度が契機となって国費による被疑者弁護制度の制度化を検討し始めていることは御存知のとおりであります。

 また、私たちは市民がいつでもどこでも安心して弁護士に対して法律相談をし、事件を依頼することができるようにするために法律相談センターの拡充に努めてきました。裁判所の本庁、支部のあるすべての地域に設置されることを目標にして、現在までに設置したのは130地域、153か所になります。日弁連は、来週の12月16日に臨時総会を開催いたします。「弁護士過疎・偏在対策のための特別会費の徴収」の決議をする予定でございます。会員が拠出する特別会費の合計10億9,500万円を、各弁護士会における法律相談センター事業と、間もなく実現する公設法律事務所の開設援助に充てる予定であります。法律扶助につきましても、弁護士がその経費と人的体制を提供して、今日まで最大の努力をしてきていることは御存知のことと存じます。

 さて、昨年11月、日弁連は「司法改革ビジョン」を作成いたしまして、司法改革の全容の点検を試みました。私たちとしては、積極的に司法改革を目指す運動に取り組んでまいりましたが、私たちの力にはおのずから限界もあり、全体としての司法改革が必ずしも所期の目標を達成できていないことは極めて遺憾というほかはありません。

 平野龍一博士が1985年の「現行刑事訴訟の診断」という論文の中で「我が国の刑事裁判はかなり絶望的である」と評した状況はまだ改善されていないという声は弁護士の中に根強くあります。捜査過程の改革にも十分な前進は見られません。あるいは、民事裁判においても民事訴訟法が改正されて各地の裁判所と弁護士会の間で協議して裁判の運用改善の努力をしていますが、しかし、裁判を支える人的物的体制には手がつけられておりません。具体的には裁判官、書記官などの増員や裁判所の施設の拡充、更には弁護士の増員と業務体制の改善などがこれであります。こうした人的物的体制に手をつけないまま裁判の迅速化、効率化を追い求めた結果、裁判を受ける当事者からは十分自分の意見を聞いてくれない、判決や和解などの解決の仕方が強引である、社会の常識に合っていないなどと内容的な適切さ、あるいはその納得性の問題について指摘されることが多いのはご存じのとおりであります。

 さらに、行政訴訟や憲法上の判断が求められる裁判などについて、裁判所が十分機能を果たしていないことは既に各界から指摘がされているところであります。それが行政事件訴訟法などの法律の不備、裁判官の消極性にも原因があることは確かですが、弁護士の側にも勝訴の可能性が少なく、経済的にも引き合わない行政事件を手掛けようとしないこと、そこにも問題があるのではないかという指摘があることも事実であります。

 様々なことを申し上げてきましたが、要するに私たち弁護士は、この当然の権利保障や権利主張が今の司法によって受け入れられないという市民の声に応え切れていないのではないか。ここに反省すべき点があると思います。弁護士の専門家としての能力と活動は、我が国社会の地域住民のためにこそ活用されるべきものであります。その意味で、弁護士は社会全体への奉仕者でなければならず、公共的、公益的な活動を行う責務を有するものであると考えます。

 では、これまでそうした現在の私たちの在り方は、自らの社会的責務を十分に果たすものであったか、公益的活動は我々全員の血肉となっているか、目指すところとの懸隔はなお大きいとのそしりを受ける余地はないか。日弁連挙げて、こうした自己点検と意識改革の取り組みは会内に峻烈な対立をはらむ、予想以上に厳しいものがあります。率直に申し上げれば、いまだ道半ばではあります。

 それでも本日ここに私が出席させていただいて、るる申し上げましたのは、我々日本の弁護士の自己改革の方向性は既に定められたということ、しかも確実にその一歩が踏み出されていることを司法制度改革審議会の委員の皆様方に御理解をいただき、我々の自己改革の道程と司法改革の道程とはまさに一体のもので、両者は共鳴し相乗して必ずや次の世代と世界に誇り得る「新しい正義の仕組み」をつくり出すものであることを確認させていただきたいと念願しているからであります。弁護士と弁護士会は、願わくば21世紀改革の旗手として司法改革を担い、これを完遂する決意を有するものであります。

 次に「司法改革の方向性」について申し上げます。翻って、政治・経済・行政の各分野にわたってこれまで行われ、あるいは現在も進行している各種の改革は、少なくとも一側面でそれぞれの分野における官僚主導の在り方を民間主導に改めようとする指向性を持つものであったと言って差し支えないでありましょう。先の行政改革会議の最終報告には、「日本の国民になお色濃く残る統治客体意識に伴う行政への過度の依存体質に決別し、自律的個人を主体として自らの責任を負う国柄への転換を図る」との記載があります。この度の司法改革もこの流れの中にあることは異論のないことと存じます。

 三淵忠彦・初代最高裁長官は、かつて戦後の裁判所改革に当たって、旧憲法下では裁判官は「官僚的な地位」「一官僚たる地位」にあったとして、新憲法は「従来の官僚的な地位を完全に否定し去ること」「従来の日本の裁判官の地位と全く異なる」地位を確立することを求めていると指摘されました。裁判官の官僚性を払拭することが、戦後改革における裁判官制度改革の課題であったのであります。

 現行の憲法は最高裁判所への権限集中制度を取っているわけでありますが、この制度の下で裁判所内部の組織体制や人事制度に官僚制を採用いたしますと、まさに最高裁判所を頂点とする確固とした官僚裁判官制度が立ち現れることになり、それに組み込まれた裁判官は「従来の官僚的な地位を完全に否定し去ること」は不可能なことにならざるを得ません。逆に言えば、現行憲法は裁判所内部の組織体制や人事制度のあるべき姿として、昇進や昇級などのない非官僚的なそれを予定していると言えるのではないでしょうか。そうでなければ、裁判官の独立に格段の意を用いていることとの不整合さが否めないからであります。

 なぜ、裁判官が「官僚的な地位」にあってはならないのでしょうか。ここで、本日、冒頭に申し上げましたとおり、裁判所は国家機関ではあっても国家のためにあるのではなくて、一人ひとりの国民の幸福追求のためにある、裁判の運営とその結果として行われるあらゆる裁断は国民の幸せの実現に資するものでなくてはならない、それが現憲法が司法及び法律実務家に命じていることの核心だと言うべきだからであります。

 では、裁判官がこの精神で裁判を行うことを制度的に保障するためにはどうするか。裁判官が思わず知らずのうちに国家の官吏として個人の権利・自由よりも国家の利益を優先する思考に陥るとすれば、結果として個人の権利・自由を軽んずるような事態が生じないような制度にしなければなりません。本人としては自覚がない、「官僚的な地位」に由来する、その内なる官僚性が裁判の公正さを浸食し、正義を形骸化させるおそれがあるのであります。

 三宅正太郎大審院判事がその「裁判の書」の中で、現在の判事は社会で鍛えられていない醇乎たる裁判官であるから、少なくとも油断すると自ら高しとする誘惑に陥りやすい。かつその油断する機会は極めて多いと指摘され、キャリアシステムの裁判官について「意識の下の私の心」への警戒と自己点検、そして「他人にもまれる地位に身を置くこと」を求めておられます。裁判官が利用者たる国民本位で裁判を行うように、裁判官個人の自覚と努力に任せず制度的に確保すること、裁判官の官僚性を排除すべきであるとするゆえんはそこにあります。

 今日、我が国の司法制度の在り方が社会の動きに著しく立ち後れ、国民の要求、社会の需要にこたえることが不十分であると政界、財界、あるいは労働団体、消費者団体などからも指摘されることの一因はそこにあると存じます。我が国の裁判官はその勤勉さ、清廉さにおいて高く評価されるべきであります。このような裁判官の言わば犠牲の上で管理と効率化が強調されると、結果として司法の機能の面でも、構成の面でも、いわゆる「小さな司法」となっていくことは否定することができないと存じます。

 そこで、今回の司法制度改革はこれまでの官僚司法制度を改めて、国民の手による司法を実現することにその中心的意義を有するものと考えております。日弁連は官の司法から民の司法への転換を司法改革の中心に位置づけ、また中央集権の司法から地方分権の司法を目指すべきものと考えております。すなわち、我が国の今の司法が中央集権型の官僚組織による司法であったことを改め、地域に根差し、地域社会と手を結び合った地域市民による地方分権型の司法を目指すべきだと考えるからであります。市民の司法及び地方分権型の司法、総じてこれからの司法は「市民の司法」と呼び得るものとすべきだと考えるものであります。

 次に「司法改革の具体的提言」について申し上げます。日弁連は今次の改革に当たって、司法を「市民の司法」として位置づけた改革を徹底すべきであると考えるものであります。その道筋を明らかにするために、日弁連は11月19日に理事会の決議をもって「司法改革実現に向けての基本的提言」を決定いたしました。お手元に提出をいたしてございますので御覧をいただきたいと思います。その骨格をまず明らかにさせていただきたいと思います。

 日弁連は、この改革の基本的枠組みを「市民による司法」として設定をいたしました。これは、主権者としての市民が司法の担い手として直接・間接に参加することを指しています。そして「市民による司法」実現のために、市民に役立ち市民の求めに応える司法、すなわち「市民のための司法制度」の整備、充実が必要であります。「市民のための司法制度」を充実し、「市民による司法」の基盤ができ上がるとき、司法は市民にとって身近な頼りがいのあるものになります。それが「市民の司法」の実現であります。これからの司法としての「市民の司法」の根幹を成すものは、いわゆる法曹一元、陪・参審の実現、市民の司法を支える実務法律家、いわゆる法曹の養成と法学教育の改革、法曹人口の増加であり、この四つは不可分一体となるものであります。そして、この「市民の司法」の実現のためにも、弁護士の自己改革を推し進めるべきものとしております。

 なお、それぞれの改革課題について、日弁連として詳細な検討を試みつつありますが、本日は概要のみ申し上げさせていただくことにいたします。

 弁護士に関する改革。まず、弁護士に課せられた改革課題を次のとおり考えております。従来の弁護士・弁護士会が市民の法的側面における要求と期待に十分に応え切れていないことを考えますと、中心的な課題は国民のすべての階層にわたり、かつ全国の隅々まで弁護士に対するニーズに応えられるようにすることであります。日弁連は、これまで弁護士過疎と言われる地域を含む各地の法律相談センターの開設・当番弁護士制度の全国展開・法律扶助制度の拡大等、様々な努力を重ねてきましたが、例えば公設法律事務所の設置促進や、国費による被疑者弁護制度を契機として、援助の必要なすべての被疑者に弁護人を付するというようなことなど、今後とも地域的にも業務の上でもあらゆる分野に法的サービスを行きわたらせることに力を尽くす決意であります。

 これらのことを実効的に行うためには、これに必要な、社会のニーズに対応することのできる質を備えた弁護士数を確保することが必要であります。日弁連は、地域住民や消費者、企業など各層の要求に応えられるだけの弁護士数を社会に送り出し続けるため、「国民の必要とする弁護士人口の増加と質の確保を実現」していくことを、今次の「基本的提言」で明らかにいたしました。

 弁護士の法律事務の独占につきましては様々な批判があります。本来、弁護士法72条の趣旨とするところは、無資格者による法律事務取扱いの被害を防止するためのもので、何よりも利用者の利益の面から考えるべきことであります。御批判にあるような、私ども弁護士の職業的利益、経済的な得失に結び付けてこれを考えてはおりません。日弁連は、利用者の利益が確保されることを第一義に考えており、その改革に当たっては72条の趣旨とするところに照らして十分に検討されるべきであると考えております。当面、独占に伴う弁護士の責務を改めて自覚し、法的需要に応える方策を一層強力に推し進めますとともに、隣接業種との協力、協働関係の推進をその観点から推し進めてまいりたいと存じます。

 当番弁護士、法律扶助や国選弁護など、弁護士の公益的活動と位置づけられております。これらの公益的活動の充実については、これについての弁護士の意識改革を更に推し進め、更に弁護士会会則の改正、あるいは法改正を視野に入れて弁護士公益活動を義務づけるように検討、取り組んでいるところであります。

 日弁連は、市民の負託と信頼に応えるべく、弁護士の資質と業務能力の向上を図ります。また、弁護士の倫理を確立するための手だてについても急ピッチで作業を進めております。

 次に「市民による司法」、法曹一元と陪・参審の実現についてであります。

 日弁連は、法曹一元と陪審・参審の実現をもって我が国司法の「市民による司法」ヘの転換を図るべきものと考えております。日弁連が提唱する法曹一元制度は、地域市民が重要なメンバーとして加わった裁判官推薦委員会が社会経験の豊かな実務法律家の中から最も適切と考える人を裁判官に推薦しようとする制度でありまして、「市民による司法」実現のかなめをなすものであります。

 この法曹一元制度は、「市民による司法」を体現するものとして二つの意味を持っていると存じます。

 その第1は、法曹一元裁判官はその資質において市民感覚を備えたものであることが求められます。この市民感覚は市民の中で活動する法曹有資格者の社会的体験から得られるものであり、また裁判を受ける立場に立った経験によって裁判をする者の豊かな認識能力は得られるものであります。キャリアシステムの下で司法研修所の門から直ちに裁判所に入り、事件処理を通してしか世の中のことを見ない裁判官が判決の内容や裁判の運営を市民感覚から懸け離れたものにしてきたのではないでしょうか。各界から今の裁判所に向けられる批判は、実にこのことに原因していると考えます。この弊害を除去するために市民とともに生活し、その利益を理解し、裁判において当事者代理人としての経験を積んできた者の中から裁判官を選ぶ法曹一元制度が必要なのであります。

 次にその第2は、法曹一元裁判官は市民が選ぶという選出方法において「市民による司法」を実現するものであります。具体的な制度の構想はなお検討を要するものでありますが、裁判官の選出推薦の機関として裁判官推薦委員会によるべきものだと考えております。現在の検察審査会は地裁の所在地にあって市民が参加しておりますが、裁判官推薦委員会もこのように高裁の所在地、あるいは都道府県単位に設置されて、委員の過半数がその地域の市民の参加するものであるということで構成をいたします。裁判官候補者の裁判官としての適格性を厳しく判定しようとするものであります。

 次いで、日弁連は市民の司法への直接的参加の方法として陪審及び参審の導入を提唱いたします。

 陪審制度は、裁判の事実認定を市民から選出された陪審員の手に委ねるもの、参審制度は市民が職業裁判官とともに審理を進めるものでありまして、ともに「市民による司法」の一形態であります。これによって、文字どおり市民が参加した裁判を実現することができるのであります。具体的には、まず刑事の重罪事件とか国や自治体に対する損害賠償請求などの一定の民事事件に陪審を、少年事件に参審制の導入を検討し順次広げていくということを考えていきます。我が国が戦前に刑事陪審の経験を持っていることは、その実現を比較的容易なものにするのではないでしょうか。

 終わりに「市民のための司法」制度の整備について申し上げます。

 日弁連は「市民のための司法」制度を整備するためには、司法の人的及び物的インフラ整備が必要だと考えます。その中で、特に緊急なものとしては既に弁護士に関する改革課題として申し述べましたところのほか、第1に司法制度の整備充実のために裁判官・検察官の増員と国の司法予算の大幅増額が必要であります。第2に中間所得層まで対象にした法律扶助制度、第3に国費による被疑者弁護制度とその実現までの間、当番弁護士制度への国の資金負担の実現、第4に行政に対する司法審査を強化することによって国や自治体を相手として行政の適正化を確保し、市民が救済を求めることを容易にするなどの提言を、「司法改革実現に向けての基本的提言」に掲げました。

 さらに、かように「市民のための司法」制度を担い、かつ市民に奉仕していくべき実務法律家、法曹の層を厚くしていくことが不可欠であります。それには、法曹の質を確保していくための大学・大学院から実務教育、生涯教育までの一貫した理念に基づいた法曹養成システムの確立を急ぐ必要があります。日弁連は、大学法学部と法科大学院、ロー・スクールの構想との連携を視野に入れながら、これからの法曹の中核となる弁護士養成の必要にかんがみて、弁護士会も責任を持った制度づくりを早急に進めてまいりたいと考えております。

 司法試験制度と司法修習制度も、新しい時代の新しい法曹像に合うものにするために、大きな視点から考え直してみるべきだと思います。新しい制度実現までの過程にあって、養成すべき弁護士数の比重の大きさを考えますと、今の段階での司法研修所の運営にも弁護士会としてこれまで以上に責任を持って参加し、修習終了後の研修弁護士制度をつくるなどの市民の要求に応え得る法曹の養成をするように努めてまいりたいと考えております。

 終わりに、今から70年も前に穂積陳重博士が陪審制度の施行についてですが、次のような発言をしておられるということであります。

 「現時の社会は過去の結果とも見ることができるし、また将来の原因とも見ることができます。もし現在を過去の『果』と見ますればあるいは今日の陪審法は国民の要望にあらずということができましょう」「これに反し現在を将来の『因』と見ますれば立法における選挙権、行政における自治権と相並んで司法参与の要望が国民全体の胸中に潜在し、潜勢力の状態において存在することは明らかであります。故に過去の『果』たる現在のみに着目して国民の要望にあらずというは、楯の一面のみを見た偏見であると言わねばなりませぬ。すべて立法は将来のためにするものであります」というのであります。

 司法制度改革はこのように将来を見通して、将来の社会と国民とにとってどのような制度が最も望ましいものかを洞察することによって行われるべきであり、何よりもそのことが必要ではないかと考えております。

 審議会委員の皆様方に対して、明日のよりよい司法実現のための明確な道筋を示していただきますように一層の御尽力をお願いいたしまして、日本弁護士連合会の意見表明を終わります。

 ありがとうございました。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。厳しい時間制限でございましたけれども、御協力いただきまして本当にありがとうございます。ここで一たん10分休憩して3時5分に再開したいと思います。

 委員の皆様に対してでございますけれども、ちょっと忘れないうちに申し上げておきたいと思いますが、第1回会議からの懸案になっております審議会の傍聴の取扱いについて、そろそろ結論を出さなければならない時期にきているのではないかと思っております。そこで、論点整理の審議の終了した年内の最終回の21日に少し時間を取っていただきまして御議論いただきたいというように存じております。私も少々考えているところがございますので、その考えを皆様に事前にお届けできるようにしたいと思っております。それを御参考に御議論をお願いできればというように考えておりますので、よろしくお願いいたします。

 それでは、10分ほど休憩にしたいと思います。どうもありがとうございました。

(休憩)

【佐藤会長】それでは、再開させていただきます。

 では、質疑応答に入りたいと存じます。先ほど申しましたように、本日は一括して1時間ほどお3人に、それぞれの方についてでもよろしゅうございますし、あるいは全員についてお聞きになっても結構でございますので、どなたからでも御自由にどうぞよろしくお願いいたします。

【吉岡委員】幾つか質問があります。

 一つは、原田次官にお伺いします。国民の参加については、どんなふうにお考えでいらっしゃるのか。

 それから、検事の増員が思うようにいっていなかったというお話がございましたけれども、確かにいろいろな問題はあると思うんですが、社会的な満足感が得られることも重要だと思います。一時かなり検事に人気があったように思いますので、その辺がどうなのかということが2点目です。

 それからもう一つ、暴力の影のことをおっしゃいました。それから、日本人の体質の問題をおっしゃいました。この二つには関連があるように思います。法的なところに頼らないで別の方法でと、確かにそういう日本人の体質というのはあると思いますが、法的手段に対する公平・公正性の信頼感といいますか、その辺のところに問題がないだろうか。これについて伺わせていただきたいと思います。

 それから、これは最高裁の泉事務総長に伺った方がいいのか、日弁連の小堀会長に伺った方がいいのか分かりませんけれども、法曹一元の絡みで伺いたいんですが、弁護士が裁判官にということは、私たちから見るととてもいいことだと思います。にもかかわらずといいますか、弁護士任官制度が非常になり手が少ないという御説明だったんですけれども、これはどうしてそんなに少ないのか。そこのところを教えていただきたいと思います。

 以上です。

【原田事務次官】国民の参加は、陪審も現に行われているところもございますし、それについて何でやめざるを得なかったとか、そのことについてもう少し検証してみる必要があるんじゃないかと思うんですが、一つは陪審となりますと、国民の皆さん方は非常に強制的にある時間缶詰にされてしまう。そのことに耐えられるかどうかという問題がひとつ私はあると思うんです。

 ただ、私は、裁判、司法にいわゆる国民の方が参加するということ自体は、私はもし実現できれば、そのこと自体は理念として否定する必要は全くないと思います。ただ、そのためには、ここは大変言いにくいんですけれども、やはり日本の国民すべての意識改革が前提になるような気がするんです。裁判制度は、制度をつくってうまくいかなかったら、はいおしまいですというわけにはいかないんです。ですから、そこまでを見通したある種の合意が形成されないと、なかなかこれでいきましょうということにならないと思います。それと、一旦その制度をつくってそれを国民の権利として選んだ場合、やってくださいということになると、それに応えられなかったとき、大変問題が生ずるような気がするんです。ちょっと消極的に聞こえるかもしれませんが、私はそういうことが行われること自体、理念的に、私はもしそこまで国民全体の意識が改革されてくれば、一つのあるべき姿だと思います。

 参審も、私はあっていいんじゃないかと思います。特に皆さんの御意見にもございましたように、特に専門的な分野について、その分野の方々が裁判所の一員として入って意見を述べられるということは、大変意味のあることだと思います。ただ、一般的に一つの重大事件には、必ず、素人というと失礼ですが、国民の方が裁判官と一緒にそこに座れという制度を取るには、また陪審員と同じような問題が生じてくるんだろうと思います。ですから、この点については、私自身、制度としてどうするかといいますと、ちょっと答えをリザーブせざるを得ないです。しかし、陪審制度にしろ、参審制度にしろ、取られたら困るという要素は、私はないと思います。むしろ、実現の可能性その他の基盤をどうするかというふうに、私は個人的に思いますし、部内の意見もそういうことに集約されてくるだろうと思います。

 ただ、やはり制度ですから、つくってこれでなければならないという理念だけを強調して、実質が伴わない場合には、社会的に大変な問題になってしまうということがあるだろうと思います。

 それから、検事の増員は、確かにずっと抑えられてきたのは、一つは定員が補充できないということもございましたし、やはり予算面もございます。しかし、幸いなことに、先ほど申し上げました司法試験改革によって人数が増えてきた。それに従ってという面と、もう一つは、やはり世の中がイデオロギーの対立から、刑事裁判も検察も国民の立場から必要だという意識がかなり私は浸透してきた。例えば私どものときは、検事希望ということがはばかられたんです。言うと、何となくあいつは妙なやつだというような、不思議な話、そのぐらいだったんです。それがずっと続いてまいりまして、今やありがたいことに700人です。今年は1,000人になりますけれども、最初に、司法研修所入所時から、希望者は100人を超えています。しかも、希望しても必ず実務をやると変わっていくんです。私も最初は弁護士希望でしたけれども、結局変わりました。そういう場合に、自分が描いていたものから、いろいろなものを見ることによって、志望が変わっていくんです。そういう意味では、いろいろな多様性がここでもあるわけですが、最終的に申し上げましたら、これは検事としての生きざまというものがかなり理解もされてきて、場合によっては、学生時代から検事になるために司法試験を受けたいという方がかなりいるんです。

 ただ、私は、必ずしもそれだけがいいとは思わないんです。最初から検事になってやりたいという人の中には、こんなことを申し上げるとあれですけれども、ちょっとよく考え直した方がいいんじゃないかという人もいるんですね。そこら辺りは、本当に微妙なことで、それだけの希望者の中で人数を選ぶということは、大変な問題になりつつあるぐらい、これはうれしい悲鳴なんです。私が人事課長をしていたときに、検事任官者は28名になってしまったんです。しかし、そのときはもっと希望者が増えてその中から選ばせてほしいなと思いましたが、今は逆です。どうやってその中からセーブするか。与えられた定員の中に収めるのかということはかなり難しいことで、断るのが気の毒な面もあるんですね。

 そういうことを総じて言えば、ではかつて少なかった時代にそれが悪かったかというと、かえって不思議なことに、そういう少ない時代に検事を希望した中には、すごい検事がいるんです。本当にそういうことをいとわずに身を粉にしてやりながら、しかも視線がはっきりしている。正しい目を持ってくれている。だから、不思議なもので、人が増えればいいわけではないというのは、そういうことからも私は思います。

 ただ、全体としてみれば、いい人が随分来てくれるようになりましたので、私は、ある面では、基盤整備のことで必要だというふうに認定していただけますれば、十分な数は確保できるというふうに思います。

 それから、暴力の影などとおどろおどろしいことを言ってしまって申し訳ありません。私が申し上げましたのは、日本人全体に、私自身もそんなあれなんですが、出るところへ出て本当のことを言うのはいやだというのがあるんです。法廷へ出て、よくいろいろな方から聞くんですが、証言として必ずしも本当のことは出てこないと。全趣旨から分かってくださいということはあるんです。それから、私どものこんなことがありますよということをおっしゃる。こんな悪いこともありますよと言うんですが、それでは証言してくれますかと言いますと、私は勘弁してくださいということが、実はあるんです。そういうことを考えていきますと、基本的には、出るところへ出ないでだれかが決めてほしいという体質が、私は日本にあると。お上であるにしろ、どこかにですね。そこが、私は、先ほど日本人の体質だと申し上げたところです。

 暴力の影というのはそれとは別で、話し合いの中で決められてきた中に、勿論暴力ということもあるかもしれませんが、むしろそれぞれの社会である種の実力者がまあまあと言って決めていく制度、これは会社組織の中にもございましょうし、いろいろな団体もございましょうし、場合によっては地域社会もあるかもしれません。そういうものがうまくいって解決された場合には、比較的納得できる解決がなされた部分があるんじゃないかということを私は申し上げたんです。

 しかし、今や人と人との間が疎遠になりつつございますし、宗教的な結び付き、地域社会の結び付きということが余り尊ばれない時代になってまいりましたから、ある面ではアメリカ的な社会が実現しつつあるかもしれません。そうした場合には頼るのは共通のルールであり、ルールを守ることによって皆が安心できる社会をつくろうということになっていく可能性がありますので、その点では、より司法的な透明で公正な、そして結論が予測できる制度をつくり上げて、それに従って社会生活を送るということに向けていろいろな国民全体としてもそうですけれども、それに携る者も努力していく必要があるんじゃないかと、そんな感じがいたしました。

【泉事務総長】弁護士任官者がなぜ少ないのかという御質問でございますが、大きく分けて二つの原因が挙げられると思います。弁護士任官制度というのは、大々的に始めましたのが昭和63年でございまして、そのときは年間20人来ていただきたいということで呼び掛けました。それから、弁護士任官の最大の難点でございます転勤しなきゃいけないんじゃないかという不安がありましたものですから、弁護士経験15年以上の方は御自宅からお通いになれる裁判所で結構です、転勤の必要はありませんということで呼び掛けましたが、先ほど資料23にございますように、12年間で46人にとどまっております。

 その原因は何かということでございますが、やはり弁護士さんが自分の地盤を築いていくためには相当な時間が必要です。それで、努力されて顧問会社がだんだん増えてきて弁護士事務所の経営費用が賄えるようになるためには、相当の時間が必要です。それを全部捨ててこなくちゃいけない。それはなぜかと申しますと、やはり1人でおやりになっている事務所が多いから、組織化されていないからなんです。それでは組織化されたらいいかというと、日本の弁護士事務所は大きな事務所もありますが、事務所として契約するのではなくて個人的な契約があるので、話によると、かえって組織化されたら事務所の方が任官しにくいんだという意見もあるぐらいで、いわゆる物理的な組織化じゃなくて、実際上組織化して、そこで事務所で依頼者の委任を受けるという形にしなければいけない。それができていないから、決心して全部を捨てるだけのことは、なかなか無理だということが一つございます。

 それからもう一つは、確かに弁護士として、あるいは裁判官としての仕事は、かなり似通っておりますが、裁判官の仕事というのは判断作業でございまして、それと特に日本の裁判官の場合には仕事が、俗な言葉で言うと下請的な仕事が、非常に多いわけです。

 と申しますのは、アメリカとかイギリスにおきます裁判官というのは、法廷において耳で当事者が主張することを聞いて、そして、ではどちらが勝つということを示す。そして、極端な場合には勝った方が判決を書いてきて、それを裁判官が署名するということで済ませているところもあるわけです。そういう当事者活動も非常に活発で、裁判官は、それを耳で聞いて頭で示せばいいというところがございますが、日本の場合には、よくテレビ等で御覧いただきますと、大きな事件ですと、膨大な記録が並んでいるのを御覧いただけると思いますが、当事者がたくさん持ってきた準備書面を、法律的にどういう意味があるかをよく分析をして、そして原告と被告がかみ合うように争点整理をしまして、証拠につきましてもこの部分について証拠があるかないかを記録から点検しなきゃいけません。しかも、その作業を判決という形にまとめなければいけないわけなんです。これについては、今の日本の裁判官の仕事からいきますと、相当なそれ独自の訓練を要するわけです。それで、弁護士任官者の方々が、ああいう仕事をさせられるのはたまらぬということで、しり込みされるというところがございます。

 そこで、先ほど昭和63年のときに申しましたが、それでは日本の判決はちょっと技巧的過ぎるから、もう少し分かりやすい物語的にやれないかという新方式も、この弁護士任官のために考えたんですけれども、それでもなかなかそういう仕事が違うところがございますので、それが妨げているんじゃないか。大きく分けるとその二つじゃないかと思います。

【小堀会長】私からも申し上げてよろしいですか。

 今、御質問に対するお答えは全くそのとおりだろうと私も思いますが、弁護士会としても弁護士任官の制度というのは、将来的な、例えば法曹一元的な両者の交流という意味も考えに入れて、大変意義のあることだから、裁判所の方の御理解もいただいて、なるべくたくさん送り込むということで、当初から努力はしていたわけです。しかし現実に今のお話で46名に現在とどまっているということは、確かに、非常に難しいということを実感しているわけです。

 その原因の一つは、裁判官というのは非常に激務です。逆に言うと、これまで弁護士として比較的自由に仕事をしていた者が、一人で、そういう違う世界に入っていくということに対してどうかという決心が、なかなかつかないということが、あると思うんです。

 それからもう一つは、やはり在来の仕事を整理をして、そして例えば事務所を閉めていくということは、今の任官の決心をするときに、大きな抵抗になっているということは、間違いないだろうと思います。

 したがって、弁護士会としては、これから更にたくさんの人が決心をして裁判所に入ってもらうために、事務所の共同化というか、帰ってきてもまたその事務所に戻ることができるという保障があるとか、あるいはこれまでやってきた仕事についてきちんと引き継いでいけるような体制をつくるとかというようなことを、弁護士会もまた力を入れて、サポートをするための努力をしようということでやってきております。しかし、なかなか現実的には効果が上がっていないというのは、残念ながら事実だと思います。

 私が申し上げたいのは、そのことと法曹一元の問題とはイコールにならないというふうに我々は考えております。法曹一元というのは、簡単に申し上げれば、初めから裁判官になる希望の人も弁護士としての実務の経験を積むということになるわけですから、その経験を積んだ後で裁判官になる希望者は当然確保されていくという意味では弁護士任官の場合と性格は違うだろう。我々としては、法曹一元のときに、弁護士から裁判官になっていく人たち、それは十分期待ができると思っておりまして、弁護士任官者が少ないからとても無理ではないかというふうに時々御意見を伺いますが、そういうことはないと考えております。その対応はできると思っておりますので、ちょっと申し上げておきます。

【石井委員】ちょっと原田次官さんに伺いたいのですけれども、先ほど、新しい時代の法律家に求める資質等についてお話がありましたが、その中で「訴えるところを聞く能力とそのための感性などが必要」とのお考えで、それについては、おっしゃる通りだと思うのですけれども、こういう非常に大切な事柄の中にあえて倫理観とかバランス感覚、バランス感覚というのは俗に言うバランス感覚ではなくても、最近国際化の時代にあって本当に日本的な発想だけではなくて、グローバルな視点からも考えるというような点を抜いてある何か特別な理由がおありなのですか。

 なぜそんな余分なことを申し上げるかというと、最近法律家の倫理観の欠如とか、国際感覚とか、その種のことがよく問題になっているからであります。それがあるにもかかわらずお抜きになったのは、何かわけがおありになるのかと思って伺った次第です。

【原田事務次官】大変鋭い御質問で恐縮でございますが、倫理観といいますか、いわゆる人の道に反したり、例えばコラプション、公務を汚すとか、そういうものは、私は、必ずしも法律家だけじゃなくて、全国民が通常は共有しなきゃならないもので、法律家だけがそういう高い倫理観を持つというのは、私はおかしいんじゃないかと思うんです。そういうものでなければ法律家になれないというのは、私どもとしては、何か口はばったくて申し訳ないんですが、むしろコラプションというのは、私は公務のコラプションもございますし、例えば会社の役員のコラプションということだってあり得るわけです。それから学校の先生のコラプションもあるかもしれませんし、既に自分の職務に対する忠誠心というか、忠実さ、これは社会に対する責任を果たすという意味での倫理性という点で、私はそんなに変わるものじゃない。また、極端に変わって潔癖過ぎる人はむしろ危ないとは言いませんが、極端にそういうことだけを求めるということは、私はおかしいんじゃないかということで、あえて外したわけではありませんけれども、私の頭の中で考えてみるとそういうことで外れたんじゃないかと思います。同じだと思います。

【石井委員】分かりました。どうもありがとうございました。

【山本委員】泉事務総長さんにお聞きしたいんですけれども、資料の5に本人訴訟の率がありますね。企業法務などをやっていると、余り本人訴訟というのは経験しないんですけれども、こんなに実は本人訴訟というのは多いのかとびっくりしているんですが、これと、資料17の弁護士さんの数の増加状況とを比較してみましても、必ずしも弁護士さんが増えれば本人訴訟の比率が減るということでもなさそうなんですね。あるいは地域性も多少ありそうな感じもするし、さっきおっしゃられましたが、弁護士さんの報酬の不透明性、例えば高額だとか、費用がどのぐらいかかるか分からないとか、いろいろな理由があるんでしょうけれども、この点をどんなふうにお考えになっておられるでしょうか。外国のケース、いわゆる先進国にこのようなデータがあれば、外国の状況もあわせてお聞きしたいということが1点です。

 それから、小堀会長さんにお伺いしたいんですけれども、市民の司法ということで法曹一元とか、裁判官の選任委員会とか、いろいろな構想をお持ちになっておられるわけですが、例えばこういうデータを見ても、現在時点では、市民と法曹との距離というのは遠いわけですね。そうすると、日弁連さんの構想などを実現するに当たって、どんなふうな条件が必要なのか。具体的にこんな条件整備をする必要があるとか、そのようなお考えがあったら教えていただきたいと思いますのと、それから市民のための司法という言葉からすると、民事だけではなくて刑事裁判というところも大きな問題になるわけですね。一つは陪審制というのを御提案されておりますが、法曹一元ということについては、例えば検事さんですね。検事さんについても裁判官と同じように選考委員会のようなものによる任用制度をお考えかどうか、要するに検事も含めた法曹一元、裁判官だけではなくてそういうふうなお感じもお持ちなのかどうか、教えていただければと思います。

【泉事務総長】本人訴訟率の外国データは、ちょっと私は今、記憶しておりませんので、また後ほど調べさせていただきましてお答えさせていただきます。

 なぜ本人訴訟が弁護士が増えたにもかかわらず昭和38年当時と変わらないのかという御指摘でございますが、まずこの簡裁につきましては、弁護士としてはペイしないんだろうと思います。というのは、先ほど申しましたようにお1人の事務所でやっておられますから、30万の事件も300万の事件も手間としてはそんなに変わらないというところがございますから、とてもそれだけの見返りができない。したがって、この点については事務所の組織化、あるいはパラ・リーガルをたくさん雇って大量に処理するとか、そういったことが必要になるのかもしれません。

 それでは、地裁の方はどうかという点は、私どももよく分からないんですけれども、費用の問題などが不透明とかといった問題が、あるいは障害になっているのかもしれないなというふうに思います。

【小堀会長】御質問の一つは、法曹一元などを主張するけれども、条件整備を実現するために何か考えていないかということですね。確かに法曹一元は、あの臨司のときの報告書で指摘されていますが、一番大きいのは法曹人口の問題ということにあると思うんです。それは、要するに質の高い法曹の層が厚くなくてはいけないという意味では、まさに大きな一つの条件整備だと思います。そういう意味も含めて、私どもは法曹養成との関係がありますけれども、そういう質の高い法曹人口を増やしていくということは、今後も必要だと思っておりますが、当時に比べると現在はかなり増加していることも事実です。いろいろなシミュレーションを試みておりますが、しかし、明日から法曹一元ということはあり得ないことでございまして、具体的にその移行過程等を考えますと、現在の法曹人口の増加ということも含めて、この基盤整備については対応できるのではないかというふうに思います。

 それからもう一つは、仮に今の御指摘の推薦委員会のようなものが、弁護士に、あなたは適任な裁判官と認めるから裁判官になれということになったときに、弁護士任官の場合とは違うと申し上げましたけれども、「私はちょっと事務所の関係があるから駄目なんだ」と、こういうようなことでは困るのではないかということを疑問視される方があります。それは先ほど私が申し上げましたとおり、公益的な責任を弁護士が担うということについての考え方が今よりは更に意識として改革されなければならないということでございます。

 その点につきましては、例えば官庁から委嘱を受けたときにはこれに応じなければならないということが今でも弁護士法で決まっているわけですけれども、そういうものをもっとはっきり義務化していくというようなこと、会則の上ではっきりした義務としていくというようなことも考えております。法曹一元に移行していくのに、どういう制度的な順序、段階を経ていくべきかということはなかなか難しい問題ではあります。しかし、私どもとしては、結局、判事補の採用との関係で組み合わせをつくることはできるというふうに考えておりますので、ちょっと細かく申し上げるいとまもありませんが、今の御質問に対してはそういうふうにお答えしてよろしいかと思います。

 それから一つだけ、総長に対する御質問の中で本人訴訟のお話がございました。実は、日本の裁判所ではいわゆる弁護士強制ではございませんから、御本人はどんな訴訟でもできるわけですけれども、この統計を見るとき、特に簡易裁判所の統計などを見るときに本人訴訟というのがどんな種類の事件なのかというのは案外大事だと思うんです。例えばサラ金の訴訟など取り立ての訴訟であれば、被告の場合、本人1人という場合はよくあるだろうと思うんです。それが全体の件数の中でどのぐらい占めているのかということも見てみる必要があるのではないか。

 それから、少額事件については、やはりおっしゃったように市民とのアクセスを改善していくという意味で、市民が弁護士を頼めるような、依頼できるような、そういう環境をつくるということが大事な問題だと思います。それは確かに総長がおっしゃいましたように、弁護士の事務所の側が工夫をするということによって、相当の処理が可能になるかと思っております。現に弁護士会としてはそういう意味で、いろいろな研修、少額事件処理についての研修もいたしております。

【山本委員】言葉の定義ですけれども、一元という意味は、弁護士さんと裁判官との一元という意味ですか。

【小堀会長】失礼しました。検察官は、やはり当事者としての法曹なんですね。それで今、我々が考えているのは裁判官、つまり両当事者の紛争の裁判をする裁判官について、当事者経験のある実務法曹から、弁護士を中心にしたことになりましょうが、そこから裁判官を推薦していこう、裁判官を担ってもらおうと、そういう意味での一元を申し上げているわけです。

【髙木委員】泉事務総長に一つお尋ねしたいんですが、キャリアシステムでない国もいっぱいある、それからキャリアシステムの国もたくさんあるんだということを表にしていただきましたが、それぞれ長所欠点があるんだろうと思うんです。日本は、日本流キャリアシステムでおやりになっているということで統一性だとか均等性だとか、そういうメリットがあるという御説明があったと思いますが、事務総長のお立場で、欠点があるとすれば、日本のキャリアシステムはどういう欠点を持っているというふうに御認識になっておられるのか。最近裁判官ネットワークというお集まりをつくられた方々の本も読ませていただきましたけれども、ああいった人たちはキャリアシステムの中でどういう評価をお受けになられ、その評価が昇進なりにどう影響していくのか、これはお答えになりにくいお話かもしれませんけれども、感覚的なまさに感じで結構ですからお教えいただけたらと思います。

 それから原田さんに一つ、国連の機関だろうと思うんですが、人権規約委員会というのがありますね。あの勧告などを見ますと、日本の刑事事件に絡んで幾つかの勧告がなされておりまして、先ほど次官のお話の中には国際交流とかという御説明もあり、私自身もアジ研の卒業生の方が、例えばタイの大使館に勤務しておりましたときに、タイの司法ではアジ研OBの方がものすごく活躍されておるという実態を見ることができました。そういう意味ではアジ研の活動などを高く評価している1人なんですけれども、その法務省のお立場でこの人権規約委員会の勧告をどのように認識されているのか。いつまでも放っておかれていいのか。また2年後には何か御返事を出さなければならないということもお聞きしておりまして、その辺の御感覚をひとつお教えいただけないかと思っております。

 小堀さんは公益的使命ということをおっしゃるんですが、弁護士さんは御立派な方も多いと思うんですが、中にはまさにビジネスライクに自分のお仕事を組み立てられている方も多いように思います。それはそれで悪いことではないんですけれども、今の弁護士会のいろいろな御意見がある中で、倫理だとか、公益的使命だとか、紙切れで幾ら言われても、ちゃんとそんなものができていくんでしょうか。そういう意味で、例えば弁護士の役割としてこういった公益的な使命を担っていくんだということを具体的に国民に明らかにしていくことも必要かと思います。弁護士会の規約の2条には社会的正義を実現する源泉などという表現もおありになるようですけれども、そういう公益性みたいなものに弁護士さんがどういうふうに関わっていかれるかの実質的な担保を何でやっていかれようとしているのか、その辺のことを御検討の向きがあったら教えていただきたいと思います。

【泉事務総長】キャリアシステムの欠点ということでございまして、これはなかなか難しいんですが、例えばイギリスは法曹一元の発祥地でございますけれども、そこにはバリスターという強力な倫理観を持った職能集団がございまして、そのバリスターの人たちは全員がいつかは裁判官になりたいと思っていて、現実にも半分の方が裁判官になっている。あの方たちは、最初は非常勤の補助裁判官になり、それから常勤の補助裁判官になり、それから地方判事になり、巡回判事になり、上訴判事になり、高裁判事になる。こういうかなりの選別を受けています。それをどう選別するかといったら、法廷活動の良し悪しで選別をいたしております。したがって、バリスターというのが、日本で言う弁護士とちょっと違うところがありまして、そういう形態ですから、お互いにバリスターと裁判官は非常に信頼があります。その点がイギリスのいいところだと思います。

 日本の場合はどうしても、我々はそんなつもりはないのでありますけれども、やはり当事者の弁護士との信頼関係といいますか、それがどうしても、若僧が法壇に座って、お前、威張っているんじゃないかという感じを与えてしまって、どうしても当事者との信頼といいますか、そういう点についてはイギリスよりはちょっと劣るのかなという感じがいたします。

 それからネットワークのお話が出まして、これは個人的におやりになっていることで、私どもがあれこれ申し上げることはございません。ただ、あの方たちが「裁判官は訴える!」という本を出してかなりの方を集めて記者会見をし、パーティーも開いたというふうに報道で見ておりますけれども。裁判官の仕事というのは大変ありがたい仕事だと思っております。国民の権利義務に直接関わる仕事でございますし、それよりも何よりも自分の名前で判決ができるという、自分の自己実現といいますか、自己表現が裁判というところでできるので、裁判官は裁判をすることによって自分を表現するというところに非常に生きがいを感じてやっております。裁判官という肩書きも、裁判の仕事をするために使うものでありまして、勿論、本を書いたりしている人もおりますが、それはペンネームを使うとか、あるいは何の肩書きもない本名だけで中身で勝負するということをやっているというのが一般の感覚だと思います。

 そういうことでは、大部分の方は勿論、頑張っていただいておりますが、何せ全国には3,000人おりまして、先ほど申しましたように、裁判官は勤務地といたしましても支部等を含めますと都市の数で200ぐらいの都市になります。そうなりますと、どうしても全員の御希望どおりに配置するということはなかなか難しい。そういった点で20年、30年と掛かってきますと、皆さんに満足していただくというのはなかなか難しい。そういうことが若干背景にあるのかなと、その程度で御勘弁いただきたいと思います。

【原田事務次官】国連人権規約、人権委員会から勧告が日本の刑事司法についてなされているということにつきまして、これについては、いろいろかなり詳細にお話ししなければいけません。別途私は機会を設けて資料も含めてあれしたいと思いますが、ただ大きく分けて二つあります。

 日本の取り調べ段階で逮捕、勾留を入れて最大23日間されてその間に調べを受ける。そして、その間には弁護士の立会いがない。だから日本の捜査は違法というか問題だという指摘。

 もう一つは、そういう全過程を通じて勾留期間を警察の代用監獄に入れているのはいけないという指摘が、二つ主にあります。これにつきましては、いろいろな考え方が実はあるわけです。例えば日本の勾留期間が20日というのは、諸外国に比べてむしろ短い。井上先生もおられるわけですけれども、ヨーロッパの国では数か月ございますし、私は一つの複雑な事件で20日間の間に全事実を調べてということは、とても難しいことではないかと思うくらいです。

 しかし、その問題についても、言わば国際比較の下で勧告がなされているという背景には、例えばその間、弁護士が立ち会っていないということでありますが、これも短い時間の間にできるだけのことを調べて、そして法廷に顕出しなければならないということになると、あるいは処分を決めなければならないとなると、非常に制約された下でやっていることからくる問題としてやむを得ないという面と、私どもとしては考えています。

 しかし、これは問いをもって答えることになって申し訳ないんですが、例えばアメリカなどでも、あの国は弁護士の立会いを認めるということでありますが、もう一つのグランド・ジューリー、起訴陪審などでは、弁護人の立会いは認めません。公のために証言を強制する制度になっています。そういうものを持ちながらやるという一つのバランスの上に立っているわけですね。それから日本は、有罪は、しかも自白を追い過ぎるということになっていますが、日本では年間検察庁で取り扱うものが最近約210万件です。そのうち起訴する事件、裁判所の法廷へ起訴するのが約10万件、5%ですね。それ以外に大体60、70万件は起訴猶予にしているんです。その中には被疑者の状況を詳しく調べて、そして被害者に対する宥恕措置だとか、被害弁償ができたかというようなこともよく調べた上で不起訴にする。これは起訴猶予ですから、犯罪が認められても不起訴にするということはできる。これは日本の検察官の一つの特殊な、と言ったらおかしいんですけれども、起訴猶予、起訴便宜主義とも言われていますが、そういう中で実体的に被害者回復がなされたり、被害者の気持ちが猶予された場合にはそれを最大限尊重する。その中で必ずしも裁判へ出すことだけがいいんじゃないということで、選別に選別を重ねているのが10万件になっているわけです。

 そういう面からすると、私は有罪率が高いから日本の裁判はおかしいんじゃないか的な言い方については、若干問題があるんじゃないかという気がいたします。アメリカでもほとんどの事件と申し上げていいぐらいは有罪、弁護士の立会いで相談した上で有罪と認めたら、それだけで証拠調べは一切しないで事件は完結いたします。

 日本の場合は、有罪と認めても証拠を全部裁判所に提出して裁判所に調べてもらうという制度を取っています。そういうことを一切捨象して、日本では弁護士が立ち会っていないからおかしいとか、有罪率が高いからおかしいとか、そういう物の言い方で言うということについて問題があるのではないかという形で提起しています。これは、私は人権委員会の中でいろいろな論議を見ていますと、その国の人が出ていって国内的な問題をその人のために、そこまで言うと語弊があるかもしれませんが、外国の力を借りて日本に持ち込む。いわば、外圧をもってという面もないではないんです。しかし、さはさりながら私は捜査段階における、例えば取調べをもう少しどうしたら納得が得られるかとか、客観的に裁判官に納得してもらうためにどうしたらいいかという方策は、もっともっと考えていかなければならない面があると思います。

 しかし、私は法務省で出させていただいた紙にございますように、被疑者の意見をよく聞く、話をよく聞く、その供述を得るための努力がどうしても必要だと思います。中には学者の先生方も含めて取調べをすること自体がおかしい。自分は供述拒否権があるんだからもう部屋から出ていかないというようなことも許されるという立場を取るのか。そこら辺りは、私ども日本の刑事司法全体を見ると、被疑者の意見もよく聞いた上で十分納得できる話をした上で裁判に付するものを決める。その間に環境調整さえできれば60、70万件、要するに送致事件の約3分の1は不起訴、起訴猶予にして釈放するということが行われているわけで、そこはある種の一つの全体としてのバランスの中で考える必要があるんじゃないかと思います。ここら辺りはなお、いろいろな見解の相違もございますし、より厳密に吟味する必要があると思いますので、必要でございましたらまた資料を出させていただきたいと思います。

【吉岡委員】関連して一言だけなんですけれども、よく自白を強要されたのではないかとか、脅されたのではないかとか、そういうことを言われたりしますね。それで、弁護士が必ず立会うという制度はまだ大変難しいということも分かるんですが、記録を、今の時代ですから、例えばテープに取って録音しておくとか、そういうことはなさっているんですか。

【原田事務次官】実は取調べの可視化という問題で学者の先生方はいろいろな御議論があるし、または実務家の先生からも指摘されるんですが、必ず取調べの全過程を録音しておいたらそれでいいかどうかとなると、そのこと自体が圧力になって本当のことは言えないということもあるんです。だから、私は日本人一般と言いましたけれども、人は自分のことは隠したいんです。その中であらゆる説得を講じていろいろな状況の中から特に判断してもらって説得するという過程がありますので、私は全部ライトをつけてその中で取調べ状況をテレビで取っていればそれで担保されるかどうかということについては、若干私自身は疑問であります。

 しかし、最後に供述した際の気持ちを十分書いてもらう、場合によっては、その間のあれを録音して取ってもらうということは現にやっております。そして、要するに否認といいますか、頑張っていたのが変わって罪を認めたのはどうしてかということを、私は何らかの形でいろいろ工夫して裁判所に納得できるように示す。そのための措置はいろいろ考える必要があると思います。ただ、機械的に、例えばイギリスではそういうことを取っているという報告もございますけれども、そうやればすべて本当のことが出てくるかというと、私は必ずしもそうではないと思うんです。この辺りは若干見方のあれがあると思います。

【小堀会長】御質問は弁護士の公益的使命とか公益的責務とかということを口で言うけれどもという御趣旨だろうと思うんです。一体それが何なのか。弁護士という職業についてのプロフェッショナル性というのは昔からいろいろ議論がされまして、これからの弁護士がどういうふうにそういうものを消化していくのか、取り組んでいくのかというのは、やはり新しい弁護士像をつくっていくときに大事な問題点、要素であろうと私も思います。

 先ほど申し上げました、弁護士は依頼者の利益を擁護する、あるいは権利を実現するというのが基本的な一つの大きな仕事ですが、それとともに公益的な、全体的な社会の利益のために自らの専門的な知識、経験というものを社会に生かしていくという責任もあるんだということを申し上げていたつもりです。

 それは、例えば御指摘のビジネスに徹している弁護士さんというのも確かにありますでしょう。そのこと自身は、弁護士の仕事の一つの面としてあり得ることだと思いますし、あっていいことだと思います。つまり、例えば非常に専門的な技術を依頼者に信頼されながら特殊な事件に没頭しているということであって、見方を変えれば、社会のために奉仕している一つの機能というのはあるわけです。しかし、今は非常に社会が複雑化しておりますし、様々な問題が重なり合って出てくる改革の時代にそれでいいのかどうか。弁護士本来の目的の二つを考えたときに、それだけで足りるのかどうかというのは問題だと思っています。

 公益的活動というのは、実はいろいろありまして、個人で国選弁護に一生懸命力を尽くすことも一つの公益的な使命を果たしていることになると思いますし、先ほどちょっと御案内した当番弁護士などは、冬の季節など本当に話を聞くと誠に感動するような非常に遠い警察署に車を駆って3時間も掛けて行ってくるというような仕事をしている会員のことを考えると、まさに公益的活動というのは世の中に余り知られていないけれども、そういうことを自覚してやっているんだなということを痛感します。また、特に地方の小規模の単位会では会員全員にその精神がなかったら、当番弁護士制度のような制度は維持していかれないんです。それを理解してやっていただきたいと思いますが、今後公益的な活動というのは幅も大きくなりましょうし、種類もいろいろな形で出てきます。そういうことを意識してというか、自覚して活動に参画していくということは、これからますます弁護士が強く考えていかなければいけないところだという意味では、御指摘のとおりだと思います。公益的使命を果たすというか、責務を果たすという内容というのは、そういう意味で、業務と非常に結び付いているという御理解をしていただきたいと思います。

 それからもう一つ、倫理の話があります。これは先ほど次官もおっしゃいましたけれども、私も一般の社会人の倫理と懸け離れたものであるというのはおかしいと思いますが、しかしやはり職業的な意味での倫理というのは、あると思います。やはりそれはいいことはいい、悪いことは悪いというだけでなくて、例えば依頼者の信任を受けて依頼者の利益を最大限擁護するという弁護士の倫理というのは、ある意味では、普通の人が普通に守っている倫理よりはもっと神経質に、もっと厳しく求められるという場面もあると思うんです。

 そういうものを弁護士会としては維持していく。それは国民の信頼を得るために弁護士会としても、弁護士としても、最も基本的なことでありますから、そのためにはその倫理を確保するためにはいろいろな方法を考えていく責任があるわけです。現に例えば市民からの情報を得るための窓口をつくって、いろいろな弁護士に対する非難、批判、苦情を処理するような制度をつくるとか、あるいは最近のような非違の事件を見ていますと、例えば依頼者からの預り金の処理について問題を起こすということがありますから、そういうものについて、具体的に一定のこういう方法をつくり、こういう口座をつくって管理をしていくというシステムはどうだろうかとか、そのほかにもいろいろありますが、そういう具体的な方法を考えつつ、一方では倫理的な感覚を高めていくための努力、例えば研修を重ねてやるとか、今、弁護士会では登録後、3年、5年、10年、20年、30年の弁護士を集めて研修を特にやるというような制度をやっています。私はかろうじてそれを免れたぐらいの年代ですが、相当キャリアのある弁護士でも非常に参加率は高いのです。そういう努力も一方ではしているというようなことも御理解いただいたらと思います。

【水原委員】1点だけ小堀会長にお尋ねしたいんですが、私の聞き間違いであったとするならばお許しいただきたいんですけれども、今の裁判官は市民感覚から懸け離れているとおっしゃいましたが、これは裁判官全部に対しておっしゃっているんですか。どの程度のことについておっしゃっているのか。その辺りをお教えいただければと思いまして。

【小堀会長】なかなかお答えしにくいんですけれども、私どもが問題にしているのはやはり一つの制度としてそういう市民的な感覚というか、普通の市民的な感覚の生きた裁判をするために裁判の中に持ち込んでいくということが必要なんだということを申し上げたいわけです。個々の裁判官とか、あの裁判官がこういうふうに言ったというのは余り私の本意ではないです。

【水原委員】伺いますと、全体に市民感覚から懸け離れているように思われたものでございますからお尋ねいたしました。

【小堀会長】私の申し上げたのがそういうことだと言われるとちょっと困るんですけれども、非常に優れた裁判をなさる裁判官は、勿論、たくさんいらっしゃいます。

 ただ、今のような形で養成されてきて、裁判所に裁判官として初めからそういう道を歩んできたという方には、その制度の中ではやはり一般市民の生活感覚的なもの、あるいはよく言いますが常識的なものが反映されないという不自然さが出てくる。現にああいうのがある、こういうのがあるというのは、よく言われて御案内のとおりでありまして、それを申し上げる気はありませんが、そういうことを申し上げたいと思います。

【曽野委員】前から素朴な質問をここで口走っておりましたので、日弁連の会長先生のような方がお見えになったのに伺わないでおくと、また私はきっと悔いを残すと思いますので、伺います。

 先ほど自由と正義ということをおっしゃいました。どちらも非常に恐ろしい言葉でございます。これは考えがいろいろございまして、キリスト教の方の一つの表現でございますが、イザヤ書64・5には「すべてわれわれの正義は汚れた下着にほかならない」という言い方さえあります。勿論、決してこれに同調していただきたいとか、そういうことではないんですけれども、殊に私は正義の方はよく分かりません。正義でない生き方をしようと思っておりますので、これが小説家の生き方ですので。

 それで自由の方ですが、これも大変恐ろしい言葉です。今、先生からも国民の多様性、価値観の違いを説明してくださいました。そういたしますと、なぜ日弁連は統一見解というのをお出しになったか。個々の法律的な解釈があって当然で、それをくくるのは間違いではないか。日弁連というのは何人いらっしゃるのか分かりませんが多数いらっしゃいます。そうすると、それぞれの法的解釈がお違いになると思うんですが、それをどうして代表して御見解を御発表なさるんですか。それをちょっと伺わせてください。

【小堀会長】正義と自由の話はちょっと難しいと思いますが、私どもは先ほど申し上げたような理解をしているということで御理解をいただきたいと思いますが、日弁連が組織として一つの意見を表明する。日弁連の会員は一万七千数百人おります。ただ、日弁連という組織あるいは弁護士会という組織は弁護士法で基本的人権の擁護、社会正義の実現というようなこと、あるいは法律制度についての提言をする、改善のための活動をするというような義務を法律によって課せられた組織であります。その組織の性格からと申し上げましょうか、世の中にはいろいろな組織があると思いますが、弁護士会としてはそういう意味で組織としての一つの意思を明らかにするということを求められる場合がたくさんございます。そういう問題について、日弁連では会内の一つの意思を構成するために民主的な手続というんでしょうか、様々な機構に基づく手続を経ながら一つの意思を構成していくということをいたします。それで、意見を発表するということは、そういう意味でむしろ義務であると思います。

 例えば、その中にはいろいろな意見がある。それは全くそのとおりで、日弁連の意思形成の難しさというものがそこにあるわけです。しかしそれは徹底した議論をいたしましたり、様々な例えば会の中の理事会であるとか、更には総会に至る、そういう組織の段階的な意思形成と手続に従って意思をつくり上げていく。苦労はありますけれども、そういう形で意思形成をいたします。反対の方がある場合も勿論ありますけれども、それは民主的な意味で多数決によるというような場合もございますし、私の考えとしては日弁連の意見に少数の意見の方の御意見をもなるべく取り入れていくための努力をしなければならない、その意味で、激しい議論をいたしますが、それで全体の意見を統一して表明しているということで、日弁連という組織の性格がそういうものだということで御理解いただきたいと思います。

【北村委員】私は今日は10分ぐらい遅刻してしまいましたので既におっしゃったことなら申し訳ないのですが、三者の方のお話のうち、日本弁護士連合会は統一的な見解ということで理解したんですけれども、あとの法務省と最高裁判所も、法務省の見解であり、最高裁判所の見解であるというふうに理解してよろしいわけでしょうか。個人の意見ではないという形で。

【原田事務次官】法務省はそうでございます。大変長い議論をいたしまして、組織の意見を全部集めると大変なことなんですが、各部局を含めて最終的に合意をいただきました。それで、かなり議論をしてもんだ上でのもので、若干物足りないことがあったとすればそのせいでございます。

【泉事務総長】裁判所もお手元にお届けいたしております「21世紀の司法制度を考える」というパンフレットは最高裁判所の15人の裁判官に諮って、最高裁としての意見表明でございます。そういうふうに御理解いただきたいと思います。

【北村委員】そういうふうにいたしますと、三者ともこういうような改革をやっていく覚悟というか、意気込みというか、それは十分おありであるというふうに理解してよろしいわけですね。そうしますと、そこで若干この三者の間で異なっている部分があるのかなというふうに素人ながら思ったんですが、実は日本弁護士連合会の方では司法改革の方向性というものがまず書かれておりまして、そこでは地域市民による地方分権型の司法ということがまず方向性として出てきているんですね。その次に具体的な提言という形で、弁護士に関する改革とか、あとは法曹一元の問題等々が述べられているというふうに解釈したんです。そうしますと、司法改革の方向性というのは、最高裁がキャリアとか、それから法曹一元というような形で、日本型のキャリアシステムというようなことで述べていることと、若干違うのかなというふうに解釈したんですけれども、そういう解釈でよろしいんでしょうか。

【小堀会長】私どもが申し上げているのは、今おっしゃったような意味でそういう手法にしようと。

【北村委員】そうしますと、日本弁護士連合会の方ではこの方向性というのがまず真っ先にあって、そこから具体的な改革の提言というものがある。あるいは、この方向性はそういうふうな形にならなくても、具体的な改革のいろいろと述べているところのものの実現というものだけが先に来るということもあり得るということか、どちらでしょうか。

【小堀会長】御質問の趣旨が分からないことはないんですが、不正確に私の方が理解しているんだと大変失礼なことになると思いますが、しかし、私どもとしては現実的な制度改革、例えば法律扶助の制度にしても、それを充実していこうというのは市民に対するアクセスの改善のためにどうしても必要だというふうに考えて意欲を持って表明しているわけですが、しかしそれは全体をそういう制度的な個別的な改革を総合して、今21世紀の司法を考えるのならばそういういい方向に収斂していくべきだと、そういう形で改革していくということを考えるべきではないかということを申し上げているわけです。

 ですから、例えば今のような個別的な、御質問の趣旨に外れていたら申し訳ないと思いますが、個別的な制度改革とどちらが大事なんだということならば、それは勿論個別的な制度改革もそういう方向で実現したいと願っているということも申し上げているわけです。そのための個別的な努力もいたします。

【井上委員】裁判所の方から出していただいたペーパーの16ページでは、法曹となるための基本的な法学教育が不足していたと指摘されておりまして、私も法学教育に携わってきた者として責任は重いと思っています。我々大学人の間でも、どういう内容の教育をするのが法曹を育てるのにふさわしいのかという議論を始めているところですけれど、なかなか難しいところがありまして、特に私などのように象牙の塔の中でしか生きてこなかった者の視点からだけでは本当のところは分からないかもしれませんので、裁判所あるいは実務の方から御覧になって、こういうのが法曹を養成するためのあるべき法学教育であるというお考えがございましたら、お教えいただきたいのですが。

 次に、小堀さんは、先ほど法曹一元と弁護士任官は違う問題だとおっしゃいました。確かに考え方としては違う問題かもしれないのですけれども、現実の問題としては、弁護士任官の現状を見ますと、それで法曹一元などやっていけるのかという不安に駆られてもしようがないところがあると思うのです。小堀さんは、いや自信はあるというふうに言われたのですが、その根拠はどこにあるのでしょうか。公的な活動、公益的な活動を義務づける、その方向で皆さん頑張っている。そのことは非常にいいことだと思いますし、実際、私も、刑事弁護などで大変献身的にやっておられる方を何人も存じ上げております。

 しかし、一万七千数百人いる方々の中にはそうでもない人も多くおられますし、裁判官になるというのは、そのように単に公益的活動をするということとは更にレベルが一つ違うところがありますから、本当に大丈夫かなと思うところがあるのです。もしうまくいかなくて、いい人が一定の数、裁判官になってくれなければ、結果として、大変なことになる。そのことを考えますと、そういう条件整備を見守った上で、そちらの方向を採るかどうかを決めるというのも一つのやり方だと思うのです。

 ところが、弁護士会の出されているものを見ますと、まず法曹一元というのがあって、これがなければすべて駄目みたいなふうにも受け取れる書き方になっているのですが、いま私が申したような対応の可能性も含んでお考えになっているのか。やはり理念が先にあって、それが認められないと動かないということなのか。それが小堀さんにお伺いしたいことの一つです。

 もう一つは、市民感覚と言われましたけれども、一般の人から見れば、弁護士さんも本当に市民と一体なのか、というふうに思っておられる人も少なくないと思うのです。その点で、ペーパーでは自浄の努力だとか市民感覚を弁護士会の運営に反映していくというふうに書かれていますけれど、もう一歩進んで、例えば大学などでも今、第三者評価機関を入れて外から厳しくチェックを受けるということをしないといけないということになってきているのですが、弁護士会ではそういうこともお考えなのかどうかということです。

【泉事務総長】私には答える資格はございませんけれども、私に対する質問は、現在の法学教育で何が不足しているのかという点でございます。1年間の入学者が4万7,000人ですか、その中で法曹に来られる方はごくわずかですから、ジェネラリスト教育に重点を置かれるのは、そのこと自体は私どもはあれこれ申し上げるつもりは全くございません。

 ただ、法曹養成という観点からいたしまして何が不足するかということでございますけれども、現在の大学教育全般に言われておりますのは、自分で課題を設定して、それを解きほぐす論理的な方途を自分で考え出すことが抜けているという御指摘がございますが、それは現在の法学教育にも当てはまると思います。

 それともう一つが、司法研修所でやっている教育と大学教育はどこが違うかといいますと、大学教育は理論を教えるというところでございます。最初に法律があってその解釈を教えるというところにあると思います。司法研修所はまず事実があって、事件があって、その事実認定をどうするかということを考えなさいというところがございます。そういう意味でアメリカのロー・スクールのケースメソッドというのが一つの理想として考えられると思います。

 それからもう一つは、法曹に必要なのは説得力でございますから、その説得力を持つためにディベートの能力といいますか、アメリカのロー・スクールなどはソクラティック・メソッドというものを取り入れているようでございますけれども、日本でそれをある教授が試みられたら生徒さんが全部逃げ出してしまったという話を聞きましたけれども、その点がちょっと抜けているといいますか、不足しているのかなというところがございます。私どもの法曹教育という点からいきますと、その点が問題かなというふうに思います。

【小堀会長】それでは、時間のこともございましょうから簡単でお許しいただきたいと思います。つまり法曹一元というのは大丈夫かということでございますね。まず日弁連が考えたのは、実現できる基盤的な見通しですが、それはいろいろな条件があるということはよく分かっています。先ほど申し上げたのは法曹人口との関連と、それからもう一つは弁護士のそういう場面における一種の公益的な責任をどういうふうに担うかという意識の問題が、大切ことだと私は今、思っております。弁護士任官との関係でお話になりましたけれども、やはり弁護士任官のときとは違って今の法曹一元で、例えば裁判官を推薦委員会というようなところで選別していくというか、推薦していくというようなシステムが法曹一元の主張の一つですが、そういうようなシステムの中で裁判官になる。それが弁護士の中で優れた弁護士としての一つのメルクマールを与えられてそういうふうになる。弁護士の中で裁判官になるということの意味、意欲というものが弁護士任官の場合とは全然違うだろう、違ってくるだろう。先ほどバリスタと裁判官の距離の問題がありましたが、それと同じように私はそういう意味で法曹一元の方向づけができたときには、裁判官になる弁護士という一種の、名誉感というものも生まれるかもしれません。そういう意味でのいろいろな付加的な条件も伴ってくるので、私は弁護士任官のときとは全然違うんだろうというふうに思っています。

【井上委員】任官することの意味づけが違ってくるということでしょうか。

【小堀会長】はい。それは弁護士の方から見たときの意味づけもまた全く違ってくるわけです。そういう意味では、それを裏づけるような努力を弁護士会がしていくならば、つまり先ほど申し上げたように公益的な活動を引き受けるべきだというような意識改革の努力をしていく、あるいはある意味では法律的な義務化をするというようなことがあれば、これはその点についての保証になるんじゃないかというふうに思っております。お答えになったかどうか分かりませんが。

【佐藤会長】まだまだ話は尽きないと思いますけれども、時間をちょっとオーバーしてしまいましたが、長時間にわたって本当にありがとうございました。大変貴重なお話を賜りまして、厚く御礼申し上げます。また、これまで私どもの見学等につきまして法曹三者の皆様からいろいろ御協力をいただきました。その点についても合わせて御礼申し上げたいと思います。

 来年からいよいよ私どもは本格的に審議を始めるということになっておりますが、その段階でまたいろいろ資料の御提出をお願いしたり、またこちらに来ていただいていろいろお話を伺うということも出てくるかと思いますけれども、その節はどうぞまたよろしくお願いいたします。どうも本当にありがとうございました。

【小堀会長】御指示に従ってお出ししたいと思います。それから、今日私がお話ししたことを一応メモにまとめてございまして、それが先ほど届いたようでございますから、御参考になりましたらと思いますので、お配りをいたします。よろしくお願いいたします。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。それでは、25分まで休憩にさせていただきます。

(休憩)

【佐藤会長】それでは、審議を再開させていただきたいと思います。

 これから論点整理に向けての意見交換をお願いしたいと思います。前回での御議論を踏まえまして会長代理とも御相談しながら会長試案を文章化してみました。お手元にあらかじめ配付させていただきましたので、一応お目通しいただいたのではないかと思います。したがって、ここでは朗読は省略させていただきたいと思います。前回国民に率直に訴えたいと申しましたが、少し難しい表現になっているかもしれないというように思います。特に三條大臣の諮問のところはいささか難しいかもしれません。振り仮名を振る必要もあるかもしれませんし、この文章はなくてもいいのではないかということもあるかもしれませんが、かみしめてみるとなかなか捨て難いところもありまして入れてございます。

 委員の皆さんのペーパーを拝見して非常に共通性が多いという印象を改めて強くしました。ただ、勿論、実現の方法を巡ってのところにいろいろ違いがあるいはあるかもしれないと思いますけれども、共通性が非常に多いという印象を改めて受けた次第であります。

 そのことを十分文章化し得たかどうかということは自信がありませんけれども、今の段階ではここら辺かなという思いで書かせていただいたわけでありますが、率直に意見交換をお願いしたいと思います。どなたからでもよろしゅうございますので、御自由にどうぞお願いします。

【井上委員】全体として非常に感銘深く読ませていただきました。

 ただ、Ⅱのところについては、まだ十分議論していないのでもうちょっと議論した方がいいのではないかという御意見もあろうかと思いますが、それは後に譲りまして、文章につき実質的にちょっと直した方がいいのではないかと思われたところだけ、かいつまんで意見を申しておきます。細かないわば美学的な修正点につきましては、メモにして事務局にお渡ししておきたいと思います。

 まず、2ページ目の下から6行目の「司法制度のユーザー」から意見を聴取したとされているところは、ユーザーといえるのはどなただったのかよく分からないところもあるものですから、「有識者」としてまとめておいた方がよいのではないでしょうか。

 もう一つは、3ページの下から11行目の「輝かしい成果をあげた」というところから大変な難問題を抱えているというところのつながりがちょっと悪い。少し補充された方が分かりやすいのではないでしょうか。

 次は大分後ろの方にいきまして、10ページの刑事司法のところの2行目で、「裁判手続を経て、事案の真相を明らかにし」とされていますけれど、「事案の真相を明らかにし、適正」云々というのはおそらく刑事訴訟法1条の目的規定を持ってこられているのだと思うのですが、厳密に言えば、それは裁判手続だけではなくて刑事手続の全体についてかかる目的規定なものですから、むしろ「公正な手続を通じて、事案の真相を明らかにし」とする方が適切ではないでしょうか。それと、その次の部分も、その目的規定の文言に合わせて、「適正かつ迅速に刑罰権の実現を図る」というふうに直してみてはどうでしょうか。

 またその下の方の「十分果たした」という語句が二つつながっているとか、「十分」が三つつながっているので、少し用語を変えてみてはどうでしょうか。この点は、事務局へのメモの中で代案を示しておきます。

 次のパラグラフの迅速化のところでは、「10年以上かかる」と書かれておりまして、これは事実なのですけれども、何か10年以上掛からないと長くないのかというように読まれても困りますので、「相当長期間」と直したらどうでしょうか。また、迅速にといっても拙速では困りますから、「適正迅速な審理」というふうに書くべきでしょう。

 一番大きな修正は、その次の弁護のところでして、刑事司法の項を全体としてみますと、最初の捜査・公判手続というところにかなりの行数が使われており、迅速な裁判についてもそれなりの行数が使われているのですが、公的刑事弁護のところは2行だけということで、ちょっとバランスを欠くように思われます。各委員の論点整理に関する意見でも、公的刑事弁護についてはかなり多くの方が取り上げるべきだとされていましたので、その点を補充して、例えば、次のように改めてはどうでしょうか。

 「他方、刑事司法の公正さの確保という点からは、被疑者・被告人となる者の権利を適切に保護することが肝要であるが、そのために格別重要な意味を持つのが、弁護人の援助を受ける権利を実効的に担保することである。この点で、被疑者・被告人には、十分な資力がないなどの理由から、自ら弁護を依頼することができない者が多いが、現行法では、起訴されて被告人となった以後に国選弁護人を付すことが認められているにとどまる。被疑者については、弁護士会の当番弁護士制度や法律扶助協会の任意の扶助事業によって、その空白を埋めるべく努力されてきたが、そのような形での対処には自ずと限界がある。これに加えて、上述の刑事裁判の適正迅速な実現を可能にするうえでも、刑事弁護体制の整備が重要となる。このような意味から、被疑者・被告人に対する公的弁護制度の整備とその条件につき幅広く検討することが必要である。」

 この文章が適切かどうかは分かりませんけれども、権利の実効的担保という点から書き起こして、これまでどういう手当がなされてきたかに触れ、しかし、それには限界があるということと、もう一つは迅速な裁判との関連もあるということを指摘しまして、幅広く検討することが必要だとする。整備とその条件というふうにしましたが、「条件」というのはいろいろな意味があり、それを可能にする条件ということもあれば、水原委員や私の意見の中に含まれていた点ですけれど、公費を投入する以上、それに見合った弁護の質的コントロールといったことについても考えなければならない、そういうことも含めた「条件」という意味であります。

 次が11ページで、陪審・参審のところですけれども、外国の制度との比較の部分で、「歴史的・政治文化的背景事情に留意しつつ」というふうになっています。確かにこれは非常に大事な点ですが、歴史的、政治的、文化的背景を検討するというのは非常に大づかみで、そう容易とは思えませんし、陪審や参審というのはやはり現実の制度なものですから、全体として制度的な前提とか、それを可能にする実際的条件というものに支えられているはずなので、そういうことにも留意しながら、できるかどうかということや「当否」を検討すべきだろう。また、そこに「刑事訴訟手続や民事訴訟手続等」とありますが、そこまで具体的に書くことによってかえっていろいろな読み方をされるかもしれませんので、むしろ、この部分を削除して、一般的に「導入の可否及び当否」ということでよろしいのではないか。外国には民事でやっている例もあれば、専門参審みたいなものをやっている例もありますので、「欧米諸国で採用されているような」という表現で、そのニュアンスも含まれているといえるのではないか。そういうふうに考えました。

 もう一つは、12ページ5行目の「今年は1,000人に達したが」という部分とその後の文との関係ですが、ここのところもちょっとつながりが悪い。もう少し何か言葉を足した方が分かりやすいのではないかという感じがします。

 残りは、表現上の問題でして、例えば、「信じる」とか、そういった主観的な表現は避けて、「思われる」といったやや客観的な書き方をした方がいいのではないか。その程度でございます。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。例えば、陪審のところですが、歴史的、政治文化的な背景事情という中にいろいろなことを込めて言っているつもりなんですけれども、明確にした方がいいということであればより明確にした方がよいかもしれませんね。

【井上委員】その点は、余りこだわりません。

 ついでに、全体として、私自身の文章についてもよく言われるのですけれど、印刷して見ると黒いところが多い。つまり、漢字が多いということですが、そのために取っ付きにくいという印象がありますので、広く国民の皆さんに抵抗なく読んでいただくためには、その辺をもう少し工夫なさった方がいいのではないかと思われます。

【佐藤会長】仮名にできるところは仮名にしたいと思います。

【井上委員】もう一つ、かなり長文ですので、これを読み通すのはなかなか難しいかもしれない。その意味では、簡潔な要約も用意した方が、マスコミの方とか、一般の方々には、親切ではないでしょうか。可能かどうかは分かりませんが。

【佐藤会長】おっしゃったことはそれぞれ検討させていただきたいと思います。特に重要なところは、井上委員の御専門の刑事裁判についての御指摘だと思いますので、全体のバランスを考えた上で、基本的に御趣旨を生かせるような形で検討させていただきたいと思います。ほかの箇所はうまくいくかどうか分かりませんが。

【井上委員】そんなにこだわりません。

【佐藤会長】刑事裁判のところは注意して御趣旨を生かすようにしたいと思います。

 では、鳥居委員どうぞ。

【鳥居委員】私は、意見を三つほど申し上げます。

 一つは、ポジティブ、かつ、ネガティブな意見ですが、全体の書き方としてこのぐらい大上段に振りかぶった方がよいと思います。特に1ページ、2ページ、3ページ、4ページの格調を維持しつつ、多少分かりやすくしながら、基本的な考え方は抜本的な改革なのだということが、国民に分かるようにしていただきたいと思います。

 私は、この3ページのところが一番重要だと思うのですが、これは多分一般の人には分からないと思います。明治4年の新政府は、三條実美太政大臣、右大臣兼外務卿は岩倉です。岩倉が事実上の総理大臣で、大久保利通が大蔵卿、伊藤博文が工部卿です。その内閣が組閣をするとすぐに、632日間アメリカ、ヨーロッパの旅行に行くという無責任なことをしました。明治6年に帰ってきた時には、新しい国のかたちの構想を持って帰ってきた。それは、プロシア型の政治体制です。正直言うと、私は余り好きではない。

 岩倉使節団の大旅行の10年前に、福沢がイギリスで見たのは、ビクトリア女王がいて、二院制の国会があって、憲法があって、法体系があるという国の姿でした。岩倉たちが見たプロシアは、190ほどの土侯国をやっと一つにまとめた新しいできたての国で、皇帝ウィルヘルム1世がいて、専制官僚とそれを束ねるビスマルクがいた。岩倉たちは、なるべくならば国会も憲法もない方がいいという考え方で帰ってきましたが、結局彼らは妥協して、立憲君主制の政治と法制、すなわち憲政をつくったわけです。

 以上のようなことを知っている人がここを読むと、問題の本質がよく分かる。知らない人が読むと、分からないんです。よく分かるようにするために、多少の修文をしてはどうでしょうか。

 3ページの下から6行目のところに、「この国のかたち」とありますが、これは、実は、行政改革の提言の中に書き込まれた言葉です。その再論になっていると思うんです。「この国のかたちの再構築」というのが一つのキーワードなので、私は、「(故司馬遼太郎氏)」も取ってしまって、「この国のかたちの再構築」とすれば、国民には分かると思います。その趣旨で、この前文を少し簡潔に会長、副会長に書き直していただくというのはいかがかと思います。

 2番目の意見は、2ページの一番下の言葉は、きつ過ぎると思います。「ここに一応の結論を得るに至った」とありますが、まだ結論ではないわけです。論点の第1回目の試案を作成するに至ったという意味の言葉にした方がいいんじゃないかと思います。

 3番目、最後ですが、私は、法曹一元、弁護士任官と、それからロー・スクールとの関係が、やはりホット・イシューになるのではないかと思います。そこで、これから議論をしていく過程で、今までの法曹一元や弁護士任官とは違うバリエーションが出てくる可能性も、予見しておくべきではないかと思います。

 例えば、ロー・スクールの教官というのは、新しい専門大学院制度では、普通の大学院修士課程の2倍の教員を用意し、そのうちの3分の1以上を実務経験者にすることになっていますが、その実務経験者が一旦教官になった後、象牙の塔の先生になり切ってしまったらおしまいなんです。大事なことは、その人たちがまた実務の世界に絶えず行ったり来たりすることなんです。ということは、裁判官や弁護士をやっておられる方が有期任用制度で、ある期間弁護士が裁判官をやったり、ある期間検事が裁判官をやったりと、もっと交流が可能になる世界をつくっておいて、ロー・スクールもその一環になるということが考えられるんじゃないか。

 実は、そのような流動性が確立していないのは法律の分野だけで、医学の分野でもみんな行ったり来たりをしていますし、理工系も行ったり来たりしているわけです。裁判官は公務員である。弁護士は違う。その壁は越えられないのが現状ですが、そこを越えられるようにする何かがつくれないのか。

 そうすると、実は法曹一元と決めてしまう別紙「論点項目(案)」の下から5行目の書き方はきついのです。今、私が申し上げたようなことも含めた言葉を並列型で書いておいていただけるとよろしいのではないか。

【佐藤会長】ここに(2)として並べることではないのではないかという御趣旨でしょうか。

【鳥居委員】並べても結構ですが、これと並列で、法曹一元を幅広くとらえる何かを並べておいて、当審議会はこれからいろいろな可能性を考えていくということを、におわせておいてはどうでしょう。

【佐藤会長】ただ、我々の審議会設置に当たっての附帯決議の中には法曹一元というものも議論してくれということが入っています。12ページ、13ページに掛けてですが、率直に言って余り中身のあることは書いていないんです。だから、今の時点ではそういうものとして御理解いただければというように思っております。

 それから、12ページのプロフェッショナル・スクールのところですが、まさに今鳥居委員がおっしゃったような問題意識を私も持っております。来年本格的な審議に入ったときにそういう点を含めて大いに議論していただくべき事柄だろうと思います。論点整理の段階でここまで書き込むのはややしんどいなという感はするんですけれども、私が今申し上げたことは今日の議事録に残りますので、そういう趣旨として今後議論するということで御理解いただければありがたく思います。まさに人事の流動性も含めて非常に大事なポイントだと私も思います。そういうことでもしお許しいただければありがたく思いますけれども、いかがでございましょうか。

【鳥居委員】結構です。

【佐藤会長】それからもう1点の方は、表現がうまくいくかどうか分かりませんけれども、最初の三條大臣云々以下のところはもうちょっと考えさせていただきたいと思います。うまくいかなかったらお許しいただくしかありませんけれども、工夫させていただきたいと思います。

【曽野委員】ここはルビを振っておあげになっていただきますように、これはなさっていただくだろうと思います。

 それから、さっき井上先生がそれに近いことをおっしゃいましたけれども、7ページの後半の「日本国憲法の下に」というところが長いんですよね。これだけの量をだっとというのではなくて、これはやはりどこかで。

 それから、井上先生的美学によりますと2ページ目に「鋭意審議を重ねてきた」というのが下から8行目のところにあるんですが、本当に時間から言うと鋭意でございますけれども、だんだん鋭意がなくなるぐらいやりましたので「鋭意」を取って、ただ「審議を重ねてきた」とした方がよろしいと思います。

【佐藤会長】承知しました。このページで言いますと、さっき鳥居委員がおっしゃったことですが、あくまでも論点整理についての一応の結論にすぎないんですけれども、誤解されるおそれがありますので、工夫できれば工夫してみたいと思います。

【井上委員】一応論点をまとめたとか、そんな感じで・・・。

【佐藤会長】審議すべき具体的論点を一応整理したという趣旨ですね。文章の流れとしてそれでいいかどうかはありますけれども、趣旨は分かりました。

 それでは、北村委員どうぞ。

【北村委員】非常に格調高くて、私はいい論点整理なんじゃないかなというふうに思っております。ただ、もう既におっしゃったように、国民みんなが読むということになるとやはり難しい、それから非常に難しい漢字が使われているということをちょっと考えた方がいいかなと思いました。

 次に、これは私の疑問点なんですけれども、7ページの下の方のところに昭和39年の臨時司法制度調査会の諸提言について触れられている部分がありまして、この部分が実現されたかのように書かれているというふうに私は読んでしまったんですけれども、そういうような形だったのかどうなのか。事実とそれは合っているのかどうなのかということが一つの疑問です。

【佐藤会長】今日も法曹三者からいろいろなお話がありましたけれども、特にここに言っているように1980年代の終わり頃より裁判所は訴訟の迅速化等いろいろ工夫され、そこからスタートして、法務省も、そして1990年代に入って日弁連も非常に努力されて、司法試験の合格者も増えてきたということはやはり成果としてはあると思うんです。けれども、それで十分かというと、まさにそれがその上の段落のところに言われているように、司法はなお遠いとか、いろいろな批判、提言があるわけで、決して十分実現されたという趣旨ではないんです。先人のこれまでの非常な御努力も踏まえながらこれから本格的にやるんですよという趣旨を表したくて、こういう文章の流れになっているんです。

【北村委員】その辺のところは昭和39年に、出たのは1964年ですね。それでスタートが、80年代以降というのは、やはり制度改革には、こんなに長い時間を想定するのでしょうか。今度のこれもそうなんですけれども、これが実現されるころには22世紀になっているなどというと非常に具合が悪いですので、そこの辺のところで極端な言い方をしていますけれども、そういうふうに思ったわけなんです。

【佐藤会長】そうであっては困るということですね。

【北村委員】あとは、法曹一元のことについてだけ、かっこ書きで説明が入っているんですけれども。

【佐藤会長】これは条文なんです。条文の中にこうなっているんです。

【北村委員】そういう意味なんですか。私は参審制というのも皆さん正確に理解しているかなというふうに思ったので、条文に入っているのだったら結構です。

 それから、これは希望なんですけれども、14ページの5行目から10行目までの文章というのは、私は非常に気に入っているんですけれども、これが論点整理の項目の中に、何とかその他の一番最後にでも入らないかなという希望です。

 以上です。

【佐藤会長】今の最後の点は、前回の御議論のとき、論点項目を整理するに当たって確かに重要な問題だという共通の理解ができていたように思います。我々が制度的インフラ、それから人的インフラの中身を議論して、そして我々の意見がまとまったときに、我々の意見がちゃんと実現されるように、そういう仕組みも含めて考えるべきだということは当然の筋道だと思います。したがってそれは当然議論するんですけれども、ただそれは出口の事柄で、本体の議論とはちょっと次元が違うんじゃないかということで論点項目からは外したわけです。御指摘の点は全くそのとおりだと思いますが、今の段階では本文中に文章として書き込んおくことでいかがかなと思ったのです。 もうちょっと言いますと、従来日本の司法政策をどこが本当に中心的な責任を持って議論してきたのか、そもそもそういう中心があったのかという問題もあると思うんです。従来は法曹三者に皆さんで相談して決めてくださいよ、そういう形になっていたんではないか。果たしてそれでいいのかという問題があり、その問題とも関連しますが、我々が出す答申が確実に実施されるようにするためにはどうすべきかという問題、この二つあると思うんです。ここの14ページの2段落目はやや漠然とした表現になっていますけれども、私の頭の中でも勿論ものすごい重要な問題だと思っていますし、当然出口のところで御議論いただきたいというように考えております。ただ、ちょっと次元が違うということで論点項目に挙がっていないというように御理解していただければと思うんですけれども、よろしゅうございますか。

【北村委員】以上です。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。

 では、髙木委員どうぞ。

【髙木委員】私は文章のところについて1点だけ是非こういう文言を入れていただきたいというのがございます。それは前にも申し上げたんですが、10ページの「専門的知見を要する事件が今後ますます増えることが予想される」というところに知的財産権、医療過誤訴訟、その後に労使紛争訴訟という言葉を、入れていただけましたらと思います。前の文章とのつながりと言葉の関係はあるかもしれませんが、よろしくお願いしたいと思います。

【佐藤会長】前回、論点項目の方で、1(2)でございますね、専門的知見の中に含まれている趣旨だというようにお答えしたと思いますけれども、御指摘の趣旨は分かりますので、これはうまく流れるように検討させていただきたいと思います。

【髙木委員】もう1点、裁判官の独立だとか市民的自由についても申し上げてきたことがあったと思うんですが、この間の御説明では法曹一元の問題なり裁判所へのアクセス拡充や司法に関する情報公開の問題、そういった中で吸収されるというお考えを会長に述べていただきました。もしそうであるのならば、各論説明の中でそういった論点もあるというようなことを書いていただくのはいかがかと思ったりもしております。それか論点項目のどこかにそういう趣旨を項目として書いていただくか、そのどちらかを御検討いただけませんかということでございます。

【佐藤会長】法の支配の理念を共有しながらとか、法曹一元のところで、12ページから13ページのところでも法の支配の理念を共有しながらというような、13ページの上から2行目でありますけれども、いろいろなところでそういう問題は含まれているんだというように御理解いただけないかなという気がいたしますけれども。個別的に出しますと、またそれ自体議論がある意味では。

【髙木委員】今の会長のお答えが議事録に出ると思いますから、それで私も持って帰りますが、再度意見を申し上げるかもしれません。

【佐藤会長】最後のところに、「国民主権の下であるべき法の支配ないし司法権の独立の意義を沈思し」と述べていますが、そういうところにも御趣旨を込めているつもりですので、そういうことで御理解いただければと思います。

 では、藤田委員どうぞ。

【藤田委員】私は各委員のように精密に読んでおりませんので大変大ざっぱな意見で恐縮なんですが、これを拝見いたしまして全体的な印象としては大変格調が高いということで感服いたしました。しかし、このようなことを論点整理で書いてしまうと、最終答申で書けなくなってちょっと困るかなというような気もしました。「Ⅰ司法制度改革審議会の設置と審議」、これは経過ですから、ここで書いても最終答申、あるいは中間答申で同じことを書いても別に悪いことはないと思いますけれども、「Ⅱ今般の司法制度改革の史的背景と意義」、これはむしろ答申に温存しておいた方がいいかなというような気がいたしました。全体を温存してはというと、会長の思いが込められているということは読んだだけでよく分かりますから、会長、会長代理のお怒りを買うかなとも思うのでありますけれども、先ほどのもう少し分かりやすくかみ砕いてという御意見もありましたし、ボリュームが多いから要旨的なものが必要になるかというお話もありましたので、そこら辺も含めて、このⅡについてもう一度御検討いただいたらどうかなという気がいたします。

 それともう一つは、マスコミの方たちは司法制度改革審議会がどういう方向性を出すのかということについて非常に関心があって、いろいろ推測想像するだろうと思います。論点整理のたたき台を出しただけで、新聞によってはこういう方向性が示されたというような取り上げ方をいたしましたが、そういう取り上げ方をこの時期にされるのは余り望ましいことではないと思います。そういう点を考慮いたしますと、「Ⅲ今般の司法制度改革の要諦」の中で幾つか臨時司法制度調査会に関する記述が出てまいりますが、この答申についてはいろいろな解釈、評価がありまして、法曹一元化が望ましいというところに重点を置くか、その前提条件がまだ満たされていないというところを重視するかで、その評価も分析も変わってくるということがあります。したがって、これの引用が読む人たちを迷わせるかなという気もしますので、そこら辺はいかがなものかなというふうな感じがいたしました。大変大ざっぱで、対案も伴っていないことですし、恐縮なのでございますけれども、これが全体的な印象でございます。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。今の点ですけれども、私は、「Ⅱ今般の司法制度改革の史的背景と意義」というのは、「Ⅰ司法制度改革審議会の設置と審議」と一体的なものである、つまり、なぜ我々の審議会がつくられたのかということを国民の皆さんに分かっていただく背景としてはやはり説明しておくべき事柄ではないかと思ったものですから、書いたのです。先ほど来、鳥居委員を始め皆さんもそれでいいじゃないかとおっしゃっていただいて私は大変意を強くしているところですが・・・。御指摘の趣旨は私も分からないではありませんけれども。

【竹下会長代理】今のことに関連して、よろしいですか。実は、私も打合せのときに、このⅡの部分が大変格調が高い。それから、今、会長がおっしゃられたような意味合いで必要性があるということは分からないわけではないのですが、ここに書かれていることについては、この審議会では今まで議論されていないし、前回12人の皆さんが出された意見にも書かれていない事柄なのですね。そういう意味では会長のお考えという色彩が非常に強い。審議会の文書として出す以上は、やはり全員の意見を集約したようなものの方がいいのではないか。

 そういう点から言うと、ここに書かれている見識は、それ自体は大変立派なもので敬意を表したいと思いますけれども、それはこれからここで議論をしていくときに会長からお述べいただいて、我々がどこまで共有できるかということを考えた方がよいのではないか。現在の段階でいきなりここで全く議論をしていないようなことについて書いてしまうのはいかがなものでしょうか。しかも、今、藤田委員からも言われたように、最終報告でもよいような事柄ではないかと思ったわけです。

 しかし、私は皆さんの御意見でどうするかを決めていただくという趣旨で、あえて今日はこのまま出していただくということにいたしました。

【佐藤会長】今の会長代理のお話については、さっき藤田委員に申し上げたのと同じことを、私としては言うしかありません。私どもがどういうスタンスで審議に臨むかという点は、ある意味では非常に重要なことだと思っておりますし、この中に書いていることは、ヒアリングのときにいろいろな方がおっしゃったことを踏まえているつもりです。ですから、全く議論していないことをと言われると、私としてはややつろうございます。ヒアリングのときに私どもはいろいろな方から各種のお話を承りました。このペーパーは決してここで直接議論したことだけではなくて、ヒアリングとそのときの質疑、それからこれは前にも何回か申したと思いますけれども、既にいろいろな提言があり、それらも参考にして我々として今後どう議論すべきかという観点から書いたものです。

 我々の審議会が、特に法曹三者の問題にとどまらず、一種の政治マターとして国会で取り上げられた趣旨は何だったのか。司法改革は行政改革等の一連の流れの中で出てきたものでありますが、そういう全体の構造の中で司法改革はどう位置づけられているのかということは、私どもとしてはやはり出発点においてその認識を共有できればいいんじゃないかと思って、書かせていただいた次第です。

 では、石井委員どうぞ。

【石井委員】内容とは直接関係ないことなのですけれども、論点整理案を拝見して、1とか2とか3とか分けてございますね。その中で(2)の次がアになっていたりしておりますが、法学部系の方々にとってはそういう分け方の方が理解しやすいのかもしれないのですが、私などは2-1といった表現の方が、2の評価に関する内容の1番目の説明であるとすぐ理解できて分かりいいので、そのような形にしていただいた方が良いように思えます。ただ、世間一般にはどちらが理解されやすいのか分かりませんので、その辺はよく御検討の上、ナンバーを付けていただいたらと思います。

【鳥居委員】3ページですが、表現を多少修正していただくにしても、我々は高い志を掲げなければいけないんだということが分かるようにする必要があると思います。先ほど申し上げましたように、国民一般は、日本に近代法制が成立した時代の歴史的意味については知らない人が多いですから、なおのことこの記述が大切です。 3ページの上から6行目の使命を託された岩倉使節団は、確かに条約改正交渉に行ったんですが、ワシントンに着いたら、「天皇の親書を持って来たか」、「日本には法典があるか」、「裁判制度はどうなっているか」ということを条件として出されて条約改正を拒否されました。天皇の親書をとりに大久保と伊藤博文がわざわざ日本に引き返したんです。親書らしきものを持っていったら、今度は、法典がない、裁判制度がないことを言い立てられて、条約改正交渉に失敗したのです。世界の先進国並みの法制の整備は、だからこそ重要なのです。

【中坊委員】私はこれをずっと見て、いろいろ好みもあるでしょうし、御意見もあるでしょうけれども、やはりこれは会長がお書きになっただけあってこの文章全体の中に一つの迫力というものがあると思うんです。だから、私は、やはり我々の審議会としての意見を出すんですから、ただ羅列的に項目だけがざっと書いてあれば何のことか分からない。そういう意味では、我々が非常に今度の司法制度改革審議会において、根本的なところまで、本当に抜本的に入るんだということは、みんなでここで議論して一致したことなんですから、その趣旨が一体どこに由来しているかということが、恐らくこの会長がおまとめになった文章だと思うので、私は余り今おっしゃるように、ちょっと漢字が多過ぎるというのは私もそう思います。難しい字が多過ぎるんですけれども、基本的には、やはり会長がお書きになったことは、我々としては、決して今まで全く議論されなかったことが突然出ているというわけではないし、みんなが今まで言った中の前提としてしゃべってきたことだろうと思うんです。そういう意味では、できるだけ、文章というのは切り刻んでいくと文章にならなくなってしまうから、できるだけ基本的には会長にお任せして、今のような御意見も踏まえていただいてお書きいただければ、私は、総論の部分に関してはそれでいいんじゃないかという気がするんです。

【竹下会長代理】私は、皆さんがそういう御意見ならば、これで結構だということを申し上げているのです。

【井上委員】私も、基本的に中坊先生の意見に賛成で、何かやはり勢いというのが必要だろうとは思うのです。ただ、鳥居先生の御注意もありましたし、分かりにくいところを少し整理していただくということと、非常に高度の文章ですので、我々ももう一回読ませていただいて、もし何か意見がありましたら会長にお伝えする。それを含めてお直しいただいて、21日に最終案を用意していただければと思います。

【佐藤会長】ありがとうございます。

【中坊委員】私の方で、論点項目についてだけ、箇条書きになっているところについて多少意見があるので、もう一度お考えいただけるのならばお考えいただきたいと思うんです。

 民事裁判のところも刑事裁判のところもみんな迅速化だけで終わっているんです。だから、先ほどからも出ているように審理の充実と迅速化ということですから、充実というのは、先ほどから井上さんもあちこちとおっしゃっていますけれども、刑事裁判でも民事裁判でもこれだけだったら何か論点項目の中で迅速化だけ言っているみたいに見えるから、やはり充実という字は一つ入れていただいた方がいいんじゃないかという気がいたします。

 それから、確かにこの前も意見としては出ていましたけれども、少年審判の問題がこの前、意見の中で若干出ていましたけれども、少年審判における公的付添人制の手続の在り方とか、この中では民事と刑事は出ているけれども、そういう意味における少年審判というのが今、非常に問題になっているところですから、できればそういうのも入れてもらったらいかがなものかという気はするんです。そういう点をちょっとお考えいただいたらいかがなものかと思います。

 それから、私自身は先ほどの髙木委員と同じ意見で、裁判官の独立の問題とか司法行政、人事報酬制度の在り方というのは、やはり今、言う裁判官物語ですか、いろいろ出てきているところで非常にみんなが問題になっているところですから、法曹一元の中に何もかも含まれているんだと言われると、ちょっとやはり我々がそういうことも審議しますよという意味では、できれば先ほど髙木委員がおっしゃったのと同じような項目は、人的インフラのどこかに、法曹一元の人的体制の充実のところへもう少し入れてもらえるか、あるいは裁判官の問題ですから、その辺はできれば一項目論点項目としては、どうなるかは別にして、一応入れていただいたらいかがなものかという感じがするんですけれども、それは一遍お考えいただきたいと思います。

【竹下会長代理】中坊委員のおっしゃっているのは、項目として増やすことが望ましいということですか。この文章の方で触れることではなくて。

【中坊委員】文章の方じゃないんです。私が言うのは、論点項目の中に、論点項目は項目だけで外へ出ていく問題ですから、そういう意味では、我々がかなり幅広くいろいろな問題を調査するんですよという意味が、今、言うように恐らくだれが読んでも法曹一元の中に独立とか司法行政とか、こういうのが全部入っているとは、先ほどの佐藤会長の説明がないと読めないので、これは髙木さんのおっしゃるとおりじゃないかという気がするんです。だから、できればそういうところもお考えいただいたらいかがなものかという気はするんですけれども、それはある意味ではお任せしておきます。

【佐藤会長】裁判の充実のところは。

【井上委員】少年審判の関係は、現在国会に少年法の改正法案が係属中であるということもありますから、その推移も見た上で、この文章の中でも別にこれ以外のことを取り上げないというわけではなく新しく出てきたものも取り上げる用意があるというふうに書かれていますので、必要があれば当審議会でも取り上げるということでいかがでしょうか。大切じゃないということでは決してないのですけれども、今の段階では、やはり重点を置いてやるところをまずここで決めておくということが大事なのではないでしょうか。いろいろ言い出しますと、無数に出てくるものですから。

【佐藤会長】少年法の問題は(3)の「被疑者・被告人の公的弁護制度の在り方」の中に含めて、ややサブ・カテゴリーになるんじゃないかと。

【中坊委員】それで構わないけれども、審理の充実は入れておいた方がいいです。これは迅速だけではちょっと話が通じませんから。

【佐藤会長】分かりました。それは入れることにしましょう。

【竹下会長代理】11ページの一番上に「被疑者・被告人の公的弁護制度の在り方」という項目がございますが、そこにあるいは少年の付添人の問題も入れるということは考えられると思うのです。少年の問題として一項目入れてしまいますと、少年審判全体の問題になってしまいますので。

【佐藤会長】では、そういうように工夫させていただくことにします。

【北村委員】今のとちょっと違うんですが、論点項目の中の弁護士の在り方の中で、これは隣接法律専門職種と言うんですか。隣接の法律専門職じゃないですよね。法律の隣接の専門職種ですよね。違いますか。例えば税理士、こういうのは法律専門職種とは言わないと思うんです。多分、考えていらっしゃるのはそういうのも入っていると思うんですけれども。

【佐藤会長】ちょっと誤解を受けるあれがあるかもしれませんね。確かにそうですね。貴重な御指摘ですので、検討させてください。

【髙木委員】ここのところはそのままでもいいのかもしれませんが、もしその辺をお考えになるのならば「弁護士の法律事務独占等」とか、そういう表現はないのかという意見がちょっとありましたけれども、そういう意味だというのはこれを見たら分かるのでそうこだわりません。

【佐藤会長】実はいろいろな種類のものが入っていまして、この「等」は非常に微妙な表現で。

【竹下会長代理】先ほど藤田委員が言われたもう一つの方の臨司の報告書の問題はいかがでしょうか。実を言うと、13ページの一番上の方から4行ばかり「この提言の根底には」「ものと思われる」というふうにございますね。これはやはり臨司意見書の解釈問題でこう言えるかどうか。やはりいろいろ人によって見方が違うのではないかと思うのです。

【佐藤会長】いろいろな理解があることは私も承知しています。この人はこういう意図でこう書いたとか、いろいろなことを聞かないわけではありません。ただ、具体策として提言されているものと一体的に考えたときに、そこに前提にされている基本的な考え方というものは構成できるはずだと思うんです。これが具体的にその構成的理解として正当かどうかは議論の余地があり得るかと思いますけれども、当たらずとも遠からず、この辺じゃないかなと、やや乱暴かもしれないですけれどもそのように思っております。

【竹下会長代理】臨司意見書の冒頭で、「はしがき」に、当時の臨司を設置するに当たっての総理大臣の談話が引かれています。あそこでは訴訟の迅速化が求められるということと、裁判官希望者が減ってきているという、それで裁判官任用制度を考えなければいけないということしか言われていないのです。ですから、ちょっとここに書かれていることとは違うのです。

【佐藤会長】そうは言っても、法曹一元制は一つの望ましい制度であると、あの答申の中で言っていますね。なぜ一つの望ましい制度であるとあそこで言ったのか。勿論書いた人はいろいろな考え方に基づいておられたと思いますけれども、その言の前提には、ある種の原理というか、基本的な理念というようなものがあったと言うべきではないでしょうか。しかも具体策として弁護士の数も増やさぬといかぬとか、いろいろなことを言っているわけですね。それを総合して考えたら、こういうことぐらいは少なくとも言えるんじゃないかという趣旨で、ここは書いたんです。

 やはり広い法曹、広範な法曹がいて、そしてそれがそれぞれの立場で広く活躍して、それが全体として司法というものの権威といいますか、そういうものを支えるんですよということは、否定しようがないんじゃないかという気がするんです。それを否定しちゃったら何が残るんでしょうか。

【中坊委員】その点は、少なくとも今度の新憲法ができたときからずっと議論されているところですよね。だから、法曹一元という言葉を使う使わないは別にして、ずっと一貫して言われてきた思想だから、今おっしゃるように裁判官の希望者が少ないというような矮小的な文章、確かに今、竹下さんがおっしゃるようにそういうふうに書いてありますけれども、直接の動機かどうかは知らないけれども、やはりその臨司意見書の中で出てくるのは、まさにそういう制度として新憲法下においては非常に望ましい制度であるということを前提にして文章ができ上がっているわけですから、その意味では会長のおっしゃっているとおりじゃないでしょうか。

【竹下会長代理】法曹一元の問題はこの審議会でも重要な問題ですから、実は私も読み直してみたのですけれども、あそこで言っているのは、理念としての法曹一元ということと、制度としての法曹一元というのを区別していますが、今回は、制度としての法曹一元が問題にされているのではないかというふうに私は思うのです。そうすると、臨司のときから実は法曹一元は非常に望ましい制度として考えられていたのですよという方向性を、今、出してしまうのではなくて、それはやはりこれから我々が議論をして出てくる。どういう方向に持っていくかということが出てくることなのではないでしょうか。

【佐藤会長】ここでは、積極的にそちらでということまで言っているつもりはないんです。理念を言っているだけです。更に言えば、日本国憲法がどういう考え方に立っているかということを言っているだけであって、制度としての法曹一元をやるべきだというようなことをここでストレートに言っているわけではありません。

【竹下会長代理】それはおっしゃるとおりですけれども、憲法がそういう考え方だと言うならばそれは結構だと思うのですけれども、ここでは臨司の意見書の根底にそういう考え方があったと言われるから。

【佐藤会長】だから、臨司意見書のこれも、日本国憲法の下で言われた話じゃないんですか。

【竹下会長代理】そこではそういう憲法論はしていないと思います。

【佐藤会長】しかし、およそ司法のあるべき姿を考えるときに、憲法抜きにして、憲法と無関係にあるべき司法などというのはあり得ないと思います。

【竹下会長代理】それはそのとおりですけれども。

【中坊委員】臨司意見書で、突然、法曹一元の問題が論じられたのではなしに、憲法ができてすぐ司法制度の審議会ができていますよね。そのときにも本当に多数の意見で法曹一元は望ましい制度だということが言われているので、何も臨司意見書になって突然法曹一元が出てきたわけではないですよね。だから、新憲法になって以来ずっとこれは論じられてきた問題なわけでしょう。その間、終始一貫して新憲法の下においてはこうあるべきだということはずっと言われてきて、今まさにおっしゃるように基盤整備がまだ十分でないということで一応現実化するのはいかがなものかということになっていたまま、今日まできているんじゃないでしょうか。だから、突然、臨司意見書で法曹一元が論じられたという問題じゃないですね。

【竹下会長代理】私も一般論としておっしゃることに異論を唱えるつもりはありませんが、臨司意見書にはこういう考え方が基礎にあると言われるから、そこは読む人によって見方が異なるのでしょうと申し上げているのです。この表現は「ものと思われる」ですから事実として言っているわけではないけれども、事実に密着した評価なわけですね。

【井上委員】そういう意味では、語弊があるかもしれませんね。臨司の報告書でも、「一つの望ましい制度」というふうに、割と慎重に書いてありましたからね。ですから、臨司の報告書の解釈という形ではなく、ストレートにそのことが出てくるというように工夫すればよろしいのではないですか。竹下先生も、実質として、こういう考え方が憲法の根底にあるということなら別に構わないわけですよね。

【竹下会長代理】それはいいのです。

【山本委員】それで、この法の支配以降のところは我々の意見だと、そういうことならばよろしいんじゃないでしょうか。「臨司が提言した。この提言の根底には」というところを取ってしまって「また」というぐらいの感じで「と考えられる」としてはいかがでしょうか。

【佐藤会長】分かりました。では、そこはそのように工夫させてください。更に議論すればいろいろあるかもしれませんけれども、大体大筋御了承いただけましたでしょうか。では、表現の方については御指摘を踏まえてできるだけ御趣旨を生かすように修文を試みたいと思います。12月14日は予備日として設定しているんですけれども、必要でしょうか。もうよろしゅうございますか。

 そうしたら、できるだけ御意見を生かすような形で修文させていただいて、そして14日はなしと。そして、事前にできるだけ早目にお配りして、調整して、21日には余り御議論なしに御承認いただけるようにしたいと思いますが、そんなところでよろしゅうございますか。

 どうもありがとうございました。それでは、配付資料の方をお願いします。

【事務局長】配付資料の一覧の中の3番目の国会議事録でございますが、これは司法制度改革に直接関連する審議部分を抜粋したものであります。司法制度改革審議会設置法案に関する国会議事録は以前にお配りいたしましたが、設置法成立以降にも、当審議会あるいは司法制度改革に関する質疑等が行われておりますので、御参考までに、これからその都度お配りしたいというふうに思っております。

 4番目の各界要望書等の中に、「弁護士法の一部を改正する法律案の理由説明」と題する書面が入っております。これは佐藤剛男衆議院議員が第142回国会に提出準備を進めておられた同法律案の理由説明でありますが、同議員から委員の皆様にお配りしてほしいとの依頼がありましたので、配付させていただくことにいたしました。

 その他の資料は毎回お配りしているものでありまして、特に御説明すべきところはございません。

 以上でございます。

【佐藤会長】何か御質問がおありでしょうか。よろしゅうございますか。

 それでは、以上で予定しておりましたものは終わりますが、次回はさっきも申しましたように21日、これは開始時間を3時にします。韓国の司法改革推進委員会の表敬訪問があるんですけれども、さっきのようなことだと1時からしなくても3時でよさそうです。この日は、先ほどちょっと申しましたけれども、傍聴の問題についても御相談させていただきたいと思います。主として論点整理とその問題の二つを御審議いただきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

 では、記者会見はいかがでしょうか。井上委員、御出席いただけますか。ありがとうございます。

 どうも本日はありがとうございました。