2 場 所 東海大学校友会館「富士の間」
3 出席者(敬称略)
(2)座長より、第9回議事要旨(案)の取扱いについて説明があり、9月6日(水)までに意見があれば事務局まで連絡の上、修正し、最終的には座長へ一任することが了承された。
(3)司法制度改革審議会集中審議及び前回の意見交換を踏まえ、取りまとめた論点整理メモ(案)について意見交換が行われ、論点として概ね了承された後、各委員が作成した検討資料について説明があり、それを踏まえて次のような意見交換が行われた。
○ 法学部の教育水準が必ずしも十分ではないという指摘もある一方、逆に3年間の教育で十分なのかという議論もあり、いずれにしても全体としてレベルアップするという前提で考える必要がある。結局、安易な履修免除を認めた場合、司法試験に合格しにくくなり、自らの首を締めることになるのではないか。
○ 独自試験であっても、自大学出身者も他大学出身者もオープンで試験を行えば問題はないのではないか。
○ 自大学の法学部教育は事実上当該大学院に設置される法科大学院とつながり、試験内容がその大学の教育課程を反映するなどそこを経た方が有利となるのではないか。
○ 各大学の独自試験を無条件で信頼することは適切ではないかもしれないが、最初からおよそ信頼できないから実施してはならないといっては制度として成り立たないのではないか。
○ 制度的な担保として全国統一の一斉試験を経ることをすべての入学者に課すという考え方で良いのではないか。
○ 修了段階できちんとした試験が課されるのであれば、法科大学院の教育の質はそこで判断されることとなるため、法科大学院も素質がある学生を集めてきちんとした教育を行うインセンティブになる。そのようなフィードバック機能が働くのであれば入学者選抜の方法は、公平性、透明性を確保した上で、相当程度各大学院の自主性に任せても良いのではないか。
○ 司法試験の工夫に限界があるからこそ、法科大学院構想がでてきたのではないか。1回の司法試験では十分に能力を判定できないのだから、法科大学院入学の段階でも法曹としての素質を判定し、一定数に絞った上で、一定期間しっかりとした教育を行うというプロセスとしての養成・選抜を行うことが必要である。法曹としての選抜が実質的に司法試験にすべてかかってしまわない制度とすべきであると考える。
○ 入学と卒業時の司法試験の選抜のほか、進級による選抜も加え、1、2年生の段階でも排除勧告のようなことも考える必要があるのではないか。
○ 司法試験の合格率や、出口管理の厳しさ、法科大学院修了後の実務家としての評価も含め法科大学院が徹底的に情報を公開し、かつ、外部評価も実施するなど、競争原理によって常に法科大学院の改革が促されることが重要である。それらを前提に、序列という言葉はともかく、良い法科大学院と悪い法科大学院があるというシステムにする必要があるのではないか。
○ 一般論として、適性検査では明確な能力の判定ができるわけではないということを前提にすれば、出願者本人の資質に関する資料が重い意味をもつことになる。その際、適性検査を実施する必要があるという考え方に立つのであれば、既修者、未修者を問わずに適性検査を受けるという考え方の方が筋が通っているのではないか。
○ アメリカでは、ロースクール入学者を法律未修者の中から選抜するためにLSATが実施されている。一方、法科大学院修了者の法律家としての適性はLSATではなく、ロースクールの成績で判断されており、その意味では、法律家としての資質の判断をペーパーテストで行うとすると、その試験は法律を内容とするものにするべきではないか。法律の理解度を見れば適性の有無は一目瞭然であり、わざわざ適性検査を実施するのはどのような意味があるのか。
○ LSAT的な適性試験の有効性はよくわからないが、法科大学院に相当数の法学未修者を受け入れる場合、実際、既修者と未修者の相関関係を明らかにするためには、やはり全体にLSAT的な試験を実験的にでも導入し、その結果によって徐々に比重を増やしていくということも考えられるのではないか。
○ 法学既修者、未修者の両者に対し適性試験を課し、両者の成績の相関関係を分析して不断の改善を図ることは重要であるが、逆に言えば、法律家の能力の判定にとって、適性試験の有効性が必ずしも明らかではないのであり、さらに有効性を高めなければならないような試験で肝心の法律既修者を選抜するのは論理的におかしいのではないか。
○ 法律学を学んでいても、法律家には向いていない人はいるので、やはり適性試験は必要なのではないか。
○ 入り口を広くすること、途中の進級段階でふるい落とすことは重要であるが、現実として、日本の温情的体質が急に変わるのを期待することも難しいとすれば、卒業段階で絞ることもある程度必要ではないか。
○ 3年制・2年制の併存を前提としたカリキュラムと3年制のみのコースを前提としたカリキュラムは当然異なるのではないか。このモデル例のようにカリキュラム上、基礎科目、基幹科目という形で必置とすると、せっかく3年完結型を希望する大学院のカリキュラムが1~2年次にかけて非常に縛られたものとなり、全員が3年で履修するというメリットを十分に生かしたカリキュラム編成ができなくなるおそれがあるのではないか。
○ アメリカのロースクールのように1年目からケース・スタディを実施するという考え方もあるが、実際には、そのような方法で十分な能力が身につくのかどうかという問題がある。このモデル例は、体系的な理解を基礎として、その上でケースメソッドなどを採り入れた方が効果的であるという考え方に基づいており、そこを大きく崩すことになるのではないか。
○ 3年間で、十分な資質・能力を備えた法曹を養成する教育を実施する必要があるのであれば、その中で基礎から応用へと各学年の段階的な教育課程の編成が必要である。やはり法科大学院においては最低限修得しておくべきものは修得させ、その上で自由度を高めたカリキュラムを設定し、教育の多様性を確保するべきではないか。
○ 講義と演習の組み合わせによる基礎科目の実施も効果的な教育方法かもしれないが、逆に、授業時間を50分に分けずに、100分連続した授業の中で、例えば、講義、演習などと分けずに、すべてをミックスした形で実施する方法も考えられるのではないか。
○ 現在の大学教育で行われている基本科目の授業時間数と比較すると、基本科目の授業時間が大分少ない印象がある。今でさえ中途で教育が終わっているという批判があるが、法学に関する体系的な理解を求めるということとなると、教育方法に相当な工夫を要するのではないか。
○ 法学の基礎基本を修得するのに本当に1年で十分かという心配はある。もし不足するのであれば、教育内容・方法のレベルアップと残りの2年間の学修で追いついてもらうという考え方を採らざるを得ないのではないか。
○ アメリカのロースクールで教えた経験からは、授業は50分刻みで週3~4回実施する方が、現在のような週1回の100分授業よりもずっと効果が上がると思う。
○ カリキュラムは実際に実践してみなければ分からない部分も多く、また、大学によって考え方も異なると思われる。その判断は、司法試験の合格率や修了者の実務家としての評価などを待つ外ないのではないか。
○ 法曹倫理や法律情報などの授業科目が1年次に配置されているが、2年次もかなり過密なスケジュールであり、1年次を免除された学生はこのような科目をいつ受けることとなるのか。
○ このカリキュラム例は議論の参考資料として示したものであって、これを基準に決定するものではなく、また、実際にカリキュラム編成時には大いに議論し、編成後も常に改善が必要であることから、仮に公表するのであれば、このほかにも様々な考え方があり得るということを明確に示す必要があるのではないか。
○ モデル例であるということの意味は、各大学が最低限確保しなければならない要素さえ満たしていれば、相当自由に各大学の判断で教育を展開できるということと理解して良いか。
○ モデル例であるとしても、例示の部分とコアとして不可欠な部分を明確に書き分けなければ誤解を招くおそれがある。また、進級の問題を考えた場合、授業科目の配当年次をあまり自由にするわけにもいかず、基本、基幹となる部分の修得が不十分では、それ以上先に進むことは認めないという関門をつくるため、例えば、2年次と3年次の間に線を引くなど授業科目の配当年次もある程度決定する必要があるのではないか。
○ 法科大学院には専門的な教育と同時に、幅のある教養・資質を修得させる教育が期待されており、それらを踏まえたカリキュラム編成が必要である。従来、司法試験の受験科目以外の科目はあまり勉強されない傾向があったので、例えば、司法研修所の前期修習で行われている独禁法のような科目についても、司法研修所に委ねるのか、法科大学院が担うのか検討すべきではないか。
○ 学際関連科目、国際関連科目などがそのような指摘に対応する科目であり、これらの科目は各大学院が独自性を発揮しうる部分であって、その充実に取組むことは重要である。
○ 司法試験ばかりを見て、生涯のキャリアという観点から判断しないというこれまでの教育の欠陥を改善する観点から科目を配置し、学生をそういう選択をする方向に誘導することをねらいとしている。その点は共通認識だが実現にはは様々な配慮が必要であり、それをどのように採り入れていくかということではないか。
○ 現在の大学院設置基準は収容定員をベースにしており、2年制の課程と3年制の課程を併存させる場合にも、その両方があるという前提で収容定員を算定し、それをもとに必要な教員数、設備状況等を考えることとなるのではないか。
○ そのような考え方から収容定員が決まるとすれば、制度上は、予め既修者、未修者の定員を決める必要があり、枠を設けずに受験後に既修者か未修者かを判断するということは事実上不可能なのではないか。
○ あまりに基準が厳しいと出発できないというのは事実だが、逆にあまりに安易に設定すると十分な教育ができず、司法試験の段階で絞られるおそれがある。そういう流れの中である程度の考え方を示す必要があるが、どの程度までこの検討会議で検討するべきなのか。
○ 司法制度改革審議会との関係から言えば、コンセプトだけを示すにとどめ、あまり具体的な基準を示す必要はないのではないか。これは実際に実施する段階で決めるべき問題であり、あまり早い段階で明らかになると、確定的なものとして受けとめられるおそれがあり、仮に出すとしても、十分に議論を詰めた段階で出すこととする必要があるのではないか。
○ 法科大学院の教員資格については、教育能力あるいは教育上の実績を重視し、例えば、教材開発への貢献やFD活動への参加状況、教員の流動性等を評価の対象とするなど、教育能力の評価が難しい、基準が必ずしも明らかでないということで止めずに、積極的に検討していくべきではないか。
○ 日弁連では、法科大学院の実務家教員の養成が重要な課題となっており、そのための研修の方法を検討しているところである。
○ 実務家教員の確保の問題については、国立大学の教員の兼業規制の緩和と弁護士法の改正が必要であり、逆に言えば、それさえ実施されれば、このような問題は比較的短期間で解消するのではないか。
○ 司法制度改革審議会においても、弁護士の兼業、公職兼任の問題は議論されており、前向きに取り組まれることとなっており、法律上の問題としては緩和されることは確実である。国家公務員法上の兼業規制の問題は今後検討が必要である。
○ 実務家が実務科目を担当する場合、やはり実務経験は10年程度は必要なのではないか。一人前の法曹として認められるには10年がひとつの目安であり、例えば、知的財産権や独禁法といった専門科目については3~5年程度でも良いこととしても、法曹倫理といった科目についてはやはり10年程度は必要なのではないか。
○ アメリカでも、10年も実務経験があると逆に大学教員としては活躍できないということになり、2~3年程度までだんだん期間が短くなってきている。
○ 法曹倫理といった科目については、確かに、経験が必要であるとも考えられるが、これはあまり厳格に定めずに柔軟に考えても良いのではないか。
○ 司法試験の在り方については、学生の負担や法科大学院における教育に与える影響も考える必要があり、実際のカリキュラムが必ずしもはっきりしない段階では、法科大学院で学修した内容を十分にチェックし、その能力を判定できるようなものにすべきだという程度にとどめておくべきではないか。
○ 科目数という発想ではなく、例えば、民事系総合、刑事系総合、公法系総合といった総合問題を出すこととすれば、法科大学院の学修の範囲の多くを網羅できるのではないか。
○ 確かに総合問題による試験は理想的かもしれないが、同時に、その実現のためには、限られた期間内に公平に採点する体制の整備や採点者の確保など様々な配慮が必要である。したがって、司法試験の在り方については、法科大学院での教育内容を十分に踏まえ、かつ法律家にふさわしい資質・能力を判定するような試験内容・方法を今後検討するという程度にとどめておくべきではないか。
○ 法曹倫理科目の試験は難しい面もあるが、例えば、具体的な事例について、どれだけ深くその問題について考えているかというのを見るような試験を実施する必要があるのではないか。
○ 法科大学院と司法試験の関係を考える際、法科大学院に入学できなかった人の法曹資格の付与の問題についても考える必要があるのではないか。
○ 例外的な苦境にある方が新しいキャリアを目指して法曹になるケースも少なくなく、実際、法曹界のリーダーにもそのような経歴の者は多い。そういう方は知力も経験も豊富であり、遅れて出発してもトップになることができるのだが、法科大学院の枠組みは、そういう者が例外的なのではなく、むしろ相当数輩出されるようにするということから出発しているのではないか。
○ 従来の議論は法科大学院修了者を対象とした新司法試験を実施するとしても、従来の司法試験を一気に廃止する影響は大きく、少なくとも当分の間は併存させるべきであるという意見が多かったのではないか。また、残す場合もその規模や期間といった様々な問題がある。さらに法科大学院が法曹養成の主流となった際にも、やはり何らかの形で法科大学院にどうしても進めない方のための途も考える必要がある。
○ 当分の間、法科大学院修了者に限定した新司法試験と従来型の司法試験を併存し、その間に法科大学院の教育内容や開放性が十分かどうか検証し、十分ではないと判断された場合、本格的に別の途を考えるということでどうか。
○ 司法制度改革審議会において法曹人口の規模は比較的はっきりと提示されたが、法科大学院の内容や設置数などが必ずしも明らかではない段階では、司法試験の在り方をはっきりと示すことは不可能である。
○ 法科大学院修了者以外の者に対する法曹資格付与の問題は、各方面からの関心が高く、関係者へのメッセージとして、少なくとも一定の期間は従来型の試験も残るということには触れた方が良いのではないか。
○ 大きなバイパスが確保され、法科大学院で3年間もかけなくても司法試験を受験できるということになると、法科大学院へ入学せずにそちらの途を選ぶ者が多くなるおそれがある。
○ 大学関係者の多数意見は、法科大学院が設立されれば、一定期間内に現行の司法試験は廃止されるべきであり、例外的に残すとしても、その対象は数値的には限定的であるべきであるということである。
○ 法科大学院が今後の法曹養成の主流であるということを前提に、従来の受験生への配慮などから現行の司法試験を一気に廃止せず、経過措置として存続させると同時に、法科大学院に進学できない者に対する救済措置という機能も併せ持つこととしても、あくまで経過措置として考えるべきではないか。また、救済措置の対象者や試験内容などの具体的な在り方までを短期間でまとめることは困難である。
○ 経過措置とは現行の司法試験の存続を意味し、それが将来廃止される際に、法科大学院に何らかの事情により進学できない者のための例外的な途を当然用意する必要がある。そのことを前提とし、「何らかの例外的な途を残すがその具体的な在り方は今後さらに検討する」といったことをどこかで示すべきである。
○ 例外措置については、抽象的に、法科大学院で学修する必要のないような十分な社会経験を有する者や一定の年齢に達した者を対象とするということを明示する必要があるのではないか。
○ 例外措置を残すべきであるということはこの検討会議の報告書でも書けるかもしれないが、それ以上の対象者や試験内容といったことは司法制度改革審議会で検討すべき課題である。本検討会議ではあくまでも例外的な措置であるという性格をはっきりさせておけば良いのではないか。
○ バイパスを経た者についても法科大学院が何らかの形で関与できるような制度を考えることはできないか。
○ バイパスがある限り、量的規制が十分に機能しなければ、法科大学院が適切に機能しないおそれがあることから、法科大学院を経ていない者についても、例えば、法科大学院の卒業試験や一定科目の試験を課すなど何らかの形で司法試験が法科大学院とつながるような形にするべきではないか。
○ 司法試験の実施時期の決定には様々な配慮が必要であり、簡単に言えないとしても、大学教育の立場からは、法科大学院の教育課程の修了後である2~3月にかけて司法試験を実施していただきたい。
○ 法科大学院修了者の大多数が合格するという制度ではなく、修了者に法曹以外の途への進学を求めざるを得ない場合、一旦卒業させ、修了後に司法試験を受験し、それでも合格しなければ就職活動をして欲しいということで社会的に説明できるか。