司法制度改革審議会
法科大学院(仮称)構想に関する検討会議(第4回)議事要旨
- 1 日 時 平成12年6月29日(木)18:00~20:00
2 場 所 東海大学校友会館「富士」の間
3 出席者(敬称略)
- (協 力 者)小島武司(座長)、井田 良、伊藤 眞、加藤哲夫、田中成明、奥田隆文(金築誠志委員の代理出席)、川端和治、清水 潔、房村精一
(司法制度改革審議会)井上正仁、山本 勝、吉岡初子
(事 務 局)工藤智規高等教育局長、合田隆史大学課長
- 4 会議経過
- (1)事務局より資料確認が行われた。
(2)座長より、第3回議事要旨(案)の取扱いについて説明があり、7月3日までに意見があれば事務局まで連絡の上、修正し、最終的には座長へ一任することが了承された。
(3)前回配付資料を踏まえ、法科大学院における教育内容・方法について、以下のような意見交換が行われた。
- 1クラスの規模は50名程度とするという意見が比較的多数であるとされているが、これは選択科目の場合には幅があってもよいが、必修科目についても、100~200名といった大規模なクラスではなく、この程度の規模で行うべきであるという理解でよいか。
- 1学年200名程度の法科大学院をイメージすれば、4クラスに分けると1クラス50名程度となり、基本科目についてはこの程度の単位で行うこととしてはどうか。また、選択科目などについては、大規模の授業であっても双方向性の確保などの工夫により、教育効率を高めることは可能であり、大規模のクラスを直ちに排除するのではなく、15名程度から150名のクラスなど幅を持って考えても良いのではないか。
- 基本科目の単位としては50名程度が適当かもしれないが、演習型の授業はもう少し小規模のクラスが想定されるものであり、クラス規模は教育内容や方法によって変わってもよいのではないか。
- 例えば、模擬裁判を実施するにあたって、それぞれが何らかの役割を担うとすれば、1クラス50名では多すぎるため、いくつかの班に分け、チューターの配置なども含めて少人数できめ細かな配慮ができるようにする必要がある。
- 1クラスは何名が適当かということは、教育の方法の問題であり、例えば、司法研修所においては、現在1クラス70名程度であるが、内容によって1クラスを半分にわけ、より濃密なディスカッションを行うなどの工夫により、1クラス50名の時代と同様に有効な研修が行われていると思っている。
- 1クラスの人数は、講義形式の授業であれば100名程度を上限とし、演習などの場合にこれをさらに2~3クラスにわけることによって、対応できるのではないか。
- 法科大学院においては、これまでの受け身の授業から脱却し、教員と学生間及び学生間における双方向、多方向の授業を行う必要があり、そのような形態を前提として、演習のような授業は少人数で行うとしても、基本科目の授業については、例えば50~100名程度のクラス規模であっても良く、また、例外的には講義形式の授業もありうるという整理としてはどうか。
- 基本科目について、例えば、100名などの大規模なクラスであっても良いこととすると、これまでの法学部における授業と同様でよいという誤解を招くおそれがあるのではないか。
- ハーバード・ロースクールは、150名程度のクラス単位となっており、相当大規模であると言われているが、より規模が小さいロースクールであっても、1年次に課すような基本科目については100名程度を単位としているものも少なくない。
- 議論を深めるためには、ある程度授業パターンを分類し、整理した方がよいのではないか。
- 検討のため、授業パターンの分類・整理を行うこととしても、人数だけが一人歩きするおそれがあり、70~80名程度のクラスを設定してもよいこととしても、そこで何をどのように教えるかということも併せて具体的に示す必要があるのではないか。
- 標準的な法科大学院のカリキュラムを決めてしまうのか。様々な形態の法科大学院が存在し、競争し合うことが重要なのではないか。
- 標準的な法科大学院の在り方を決定するというよりも、新しい法曹養成機関として、最低限担保しておかなければならない水準について、具体的にイメージするということではないか。
- 司法試験は基本的にペーパーテストであるため、そこで判定できる能力には限界があることから、試験勉強だけを実施するような法科大学院が司法試験に有利になることがないよう、各法科大学院において、双方向、多方向な授業の実施が必要であるという共通認識がもたれるようにすることが必要である。
- 法科大学院構想は司法試験と密接に連動した新しい制度を作るものであるにもかかわらず、従来の法学部と同様、100名規模の講義形式の授業を行っていては社会に受け入れらない。そのようなことのないよう最小限の水準については担保する必要がある。
- 法科大学院における教育内容は、入学者が法学教育を受けていることを前提にするか、受けていないことを前提とするかによって大きく異なるものであり、両者に共通する部分としない部分について、それぞれどのような教育を行っていくかを明らかにする必要があるのではないか。
- 法科大学院における教育対象について、法学部卒業者が前提であれば、他学部卒業者は、1年次で法学部卒業者が既に修得していることを集中的に学習することになる一方、法学部卒業者以外の学生が前提であれば、3年間で法曹として必要な能力を身に付けるためには、1年次に基礎的な教育を行い、2年次以降にそれを深めるのではなく、当初から相当深く学習する必要があると考えられる。その際、一定の学修を積んだ法学部卒業者が2年間で修了できるようにするためには何をどのように免除するのか相当検討しなければならないのではないか。
- 法科大学院においては、これまでの法学部における教育と比べて、50名程度の少人数で双方向、多方向などの授業により、相当密度の濃い教育を行うこととなり、法学部を卒業したことをもって当然にスキップできるとすることは適切ではないのではないか。
- 法学教育という観点からは、法学部の延長線上に法科大学院があるにもかかわらず、法科大学院においては法学部の教育が前提とされないという制度は機能するのか。
- 法学部の教育目的を法的素養を持ったジェネラリストを養成することに特化し、法曹を目指す場合には、法学部ではなく、法科大学院において学習することを前提とすればよいのではないか。
- 法学部出身者については、一定の履修免除を認めることとしても、3年間は在籍し、専門性をより深めていくという考え方もありうるのではないか。
- 現在、法学部の学生が2年以上かけて履修している法学教育の基礎をそれ以外の学部の出身者が法科大学院における1年間の学習で身に付けることができるのか。
- 法学部以外の卒業者が1年間程度で法学の基礎を修得することは困難を伴うとしても、必ずしも不可能ではなく、法科大学院への入学について、あまり厳格に法学部卒業であることを前提としない方がよいのではないか。
- 法科大学院においては、3年間という教育期間を前提とし、法学部出身であっても一定の水準に達した者についてのみ1年間の期限短縮を認めることとすれば良いのではないか。
- 法学部出身者とそれ以外の学部出身者をどのように受け入れているかということと関連して、法科大学院においては、1年目で各法律科目の基礎的な教育を行うこととするのか、あるいは1年次から相当深く突っ込んだ教育を行うのかといったことについてある程度イメージが必要なのではないか。
- 法学部卒業者は、ある程度の水準に達しているとしても、法科大学院におけるもっとも重要な部分を免除させてしまっては、何のために法科大学院に来るのか分からないということになるのではないか。
- 現在の法学教育について、法曹養成の観点からは問題があったことがそもそも法科大学院構想の出発点であるにもかかわらず、法学部においてこれまでと同様の教育を行うこととしても良いのか。
- 法科大学院を構想するに当たって、法学部出身者を前提として2年制とするのであれば、学部段階である程度の法学に関する理解を身に付けさせる教育が行われていることが前提であり、そのことは示しておく必要があるのではないか。
- 法曹になるために必要な法学を修得するためには、法科大学院の2年間では短く、法科大学院への入学以前にある程度まで法的素養を身に付けておくことが必要であることから、学部も含め6年間を通じて法学教育の内容を考えていくべきではないか。
- 教員数、学生数を鑑みれば法学部においては講義中心にならざるを得ないと思われるが、この段階で、一定の法律に対する理解を身に付けさせることに重点を置き、入学者をある程度一定の水準に到達させることができれば、法科大学院において、双方向・多方向の授業を行いやすくなるのではないか。
- (4)田中委員より、「法科大学院の教員組織」、「法科大学院の設置形態」について説明があり、それを踏まえて、以下のような意見交換が行われた。
- 地域配置の問題とも関係するが、ある地域に基礎となるべき法学部を有する大学が存在しない場合、国として政策的に大学院のみの法科大学院を設置することは考えられないか。国以外には対応できる主体はないのではないかと思う。
- 例えば、医学の分野においては、かつて無医大県を解消するために多くの県立医科大学が設置されてきたが、このほかにも多様なアプローチが考えられ、今後検討していくことが必要なのではないか。
- 法科大学院の設置に関心を抱いている地方公共団体も複数あり、それぞれが自発的に法科大学院を設置する意向を示したとすれば、大学としての設置認可基準などに従って認可することとなり、特別に排除する理由はないのではないか。
- 法曹としての質を確保することがそもそも前提であり、それが確保されるのであれば法曹人口に制限を設ける必要はないことから、法科大学院について厳格な基準を設定した上で、それを満たした法科大学院については制限せずに設置を認めることとするべきではないか。
- 一定の基準を満たしていれば法科大学院の設置を制限する理由はないが、その基準には、法曹として求められている水準を確保する観点から、必要な教育内容などが含まれているべきである。
- 実務家を育てる以上、司法修習が必要であり、法科大学院構想が司法修習を前提としている以上、その意味で大幅な変更はなく、司法試験は純粋な資格試験とはならないのではないか。
- 法曹として活躍するために実務修習は必要ではあるが、現在の法曹養成制度の最大の問題点は司法研修所及び実務修習の「箱」を前提に人数が制限されているところにある。ボトルネックのある制度設計はすべきではない。「箱」でアッパーリミットとならないように制度設計し、現行司法研修所の前期修習のうち、法科大学院においてできることは何か、新司法試験後の実務修習の内容をどうするのか、を考えるべきである。
- 司法研修所は、その時々に要請される数の法曹を養成しており、平成に入ってから、法曹の質を維持するために、修習の方法を改良しつつ、養成数を500人から1000人に拡大してきている。法曹の質を維持すべき点は無視することができず、この点に留意し、制度設計をしていくべきである。
- 法科大学院構想について、法曹の質を維持するための基準を厳格に定める必要があり、その基準に基づく法曹の養成数と実務修習のキャパシティはあまり相違がないのではないか。司法試験が資格試験であるといっても、いきなり何千人も合格させるわけにはいかず、両者が一致できるような制度設計をすれば、この問題は解消する。また、法曹人口が増加するにつれて、実務修習のキャパシティも広がっていく。
- 実務修習は不可欠であるが、そのことは直ちに集合的な修習を意味するものではなく、例えば、弁護士事務所などにおける研修なども考えられるのではないか。
- 養成すべき法曹として想定すべきなのは、法曹三者のみではなく、行政や企業法務などそれ以外の分野で活躍する法曹も含めるべきではないか。
- 日本にはアメリカと比較して弁護士が少ないといわれているが、それは弁護士資格を有した人材のことを指しており、実際に、企業法務や行政などの分野において法律実務に携わっている人材は多いことから、そのような人材も含めれば一定の法曹人口には達するのではないか。
- 企業内で法律実務に携わっている人材は、優れた能力を有しているが、一企業内のみで活動していると自然に視野が狭くなり、大きく道を誤るおそれもあることから、このような実務に携わる場合も、法曹資格を取得し、法曹として活躍することにより、幅広い視野をもつことが重要なのではないか。
- 法科大学院の修了後に、さらに司法修習が必要であるとすれば、法科大学院には何が期待されているのか。
- 新しい法科大学院制度は、司法研修所に入所する前段階のレベルアップを図ることを目的としており、法科大学院の教育が不十分なので司法修習が必要なのではなく、適切な役割分担という観点から両者の関係を捉えるべきではないか。
- 法学教育について、大学教育と実務の乖離の解消や法科大学院と司法修習の役割分担・連携の観点から、例えば、司法研修所が大学教員に対する実務面でのトレーニングを実施することは、制度的手当が必要ではあるが有益なのではないか。
- 大学教員は一定の要件を満たせば、弁護士資格を取得し、弁護士活動をすることもできるので、このような制度を活用し、法律事務所で実務に携わることも可能ではないか。
- 司法修習は法科大学院制度の確立後も行われることとなると思われるが、それは、法科大学院の教育が不十分であるということではなく、より質の高い法曹を養成する観点から、法科大学院と司法修習が適切に役割を分担しているものであるということを確認しておく必要があるのではないか。
- (5)司法制度改革審議会委員より、審議会の夏の集中審議において法曹養成の問題を取り上げることが決定されたことから、それまでに、審議会への注文も含め何らかのまとめをしていただき、検討会議からどなたか来ていただき、説明を願いたい旨発言があった。
5 次回の日程
- 次回は7月5日(水)15:30~17:30、KKR HOTEL TOKYO10階「平安の間」において開催されることとなった。