司法制度改革審議会
法科大学院(仮称)構想に関する検討会議(第6回)議事要旨
1 日 時 平成12年7月17日(月)13:00~15:00
2 場 所 霞が関東京會舘「シルバースタールーム」
3 出席者(敬称略)
(協 力 者)小島武司(座長)、井田 良、伊藤 眞、加藤哲夫、田中成明、金築誠志、川端和治、清水 潔、房村精一
(司法制度改革審議会)井上正仁、鳥居泰彦、山本 勝、吉岡初子
(事 務 局)工藤高等教育局長、合田隆史大学課長
4 会議経過
(1)事務局より資料確認が行われた。
(2)座長より、第5回議事要旨(案)の取扱いについて説明があり、7月21日(月)までに意見があれば事務局まで連絡の上、修正し、最終的には座長へ一任することが了承された。
(3)事務局より、各大学に対する意見照会の結果、提出された主な意見について説明があった。
(4)「実務修習との関係」について、以下のような意見交換が行われた。
司法研修所における前期修習が法曹養成数の制約となっているのではないかという意見もあるが、実務修習が基本的にマンツーマンの教育であるのに対し、前期修習は施設や教官の確保という問題であるので、収容力に基本的な制約があるわけではない。実務修習についても、収容力を増やすための様々な方法が考えられる。
司法研修所の裁判修習は必ずしも裁判官のためだけの教育を行っているわけではなく、裁判官の立場から法律家の活動をみると活動の実態、あるべき姿がよくわかるという面もあることから、司法修習では法曹三者すべての修習を行うことが重要である。
実務修習は、地域や弁護士事務所の体制、専門性などによりばらつきが生じやすいものであることから、司法研修所の前期・後期修習においては、教官が統一された教材に基づいて、日々意見を調整し、最低限のレベルを意識した教育を行うことにより、一定の水準を確保するよう努めているが、法科大学院でこのような教育を行うこととする場合、それぞれの法科大学院の個性の発揮が求められている中、一定の水準の確保は極めて困難となるのではないか。
法科大学院と司法研修所の役割分担という観点からは、法科大学院においては実務家として活躍するための素養を養う観点から、むしろ理論面の教育を重視し、実務教育については、実務そのものの修得ではなく、法律家として説得力ある文章を書いたり、口頭で発表したりといった能力などを身に付けるような教育を行うことが重要であり、事実認定の教育についても、その基礎理論的なものを法科大学院で行うことはともかくとして、具体的な事実認定教育などはより実務に近い者が担当することが適当である。
(5)各委員より、これまでの報告資料の修正版に基づき説明があり、それをふまえて以下のような意見交換が行われた。
法科大学院は法曹の中心をなす弁護士を養成することが主要な目的であり、カリキュラム上、3年間で100単位前後を課すとしても、リーガルリサーチやライティングなど実務に関する教育が8単位程度しか行われないのであれば、単なる法学部の延長に等しく、弁護士を養成するプロフェッショナルスクールとは言えないのではないか。また、3年制のカリキュラム例については、完結型といいながら、2年制に0年次を付け加えたものにすぎないのではないか。
法科大学院には法学部のみならず様々な分野から多様な人材を集め、アメリカのロースクールのように法科大学院の1年次に集中的に法的フレームワークをたたき込み、法的文書の作成ができるようなレベルまで達するような教育を行うべきではないか。
法科大学院の入学者を法学部卒業者を前提に考えると、一部の有名法学部の卒業者が他の者よりも早く修了することとなり、法律しか知らない法曹を増やすことになるのではないか。そうであるならば、法学部出身者にもう1年ほかの学問分野の学習を課すこととした方が良いのではないか。
生きた事件の記録を見せて、立証責任の分配を前提に、事実認定や法的文書の作成に関する教育を実施することは実務家を養成する上で極めて重要である。現在の司法研修所の問題は、このような実務教育について、画一的な考え方をたたき込むような教育が行われていることにある。法科大学院においては、むしろ実務家と研究者が協力して、学生が自ら問題を解決できるような教育を行うことが必要であり、それによって、法科大学院が現在の制度よりも良いものとして理解されるのではないか。
確かに法科大学院において知識を詰め込むような教育を行うのであれば、それは学部教育の延長に過ぎないという見方もできるかもしれないが、法科大学院は法曹養成に特化し、実務家としての基礎教育を行うものであり、これまでの授業と同様の名称であっても、内容的には要件事実論の基礎なども含めより実務を重視した教育を行うなど従来の法学部とは全く異なるものとなるのではないか。
アメリカのロースクールは1年目からソクラティック・メソッドなどを活用し、学生に法的なものの考え方を身に付けさせる教育を行っているが、一方で、かなり多くの学生に法学に関する体系的な理解が必ずしも身についていないという批判もあることから、法科大学院においては1年目に法学に関する初歩、基礎を身に付けた上で、2年目以降にさらに深化させるような教育が行われるべきである。その際、法学部で一定の基礎を学習してきた者が法科大学院へ入学した後も再び基礎から始めるのは適当ではなく、基礎学力が確認できれば、すぐにコアの部分に飛び込ませるのが良いのではないか。
多様な人材を受け入れることは重要であるが、法学部出身者は教養に欠けるというステレオタイプの批判はもはや止めるべきではないか。確かに、これまでの厳しい司法試験に合格するために法学のみを相当勉強しなければならなかったのは事実だが、本来の法学教育はそのようなものではなく、幅広い教育を行うものであり、法科大学院制度が立ち上がれば、法学部教育は必然的に幅広い視野を身に付けさせる教育を行う方向に向かうのではないか。
法科大学院においては、必ずしも実定法の枠組みにとらわれることなく、例えば民事系(民法、商法、民訴)、刑事系(刑法、刑訴)といった科目を設置し、実定法、手続法、あるいは複数の実定法間の有機的な連携を意識した教育内容とし、これらの科目の体系的な理解を重視しつつ、具体的な事例や事実、事実認定などを取り込んだ教育を行うべきである。その際、実務家と研究者がリンクできるような仕組みとすることが必要ではないか。
法科大学院における教育は決して実務と離れたものではなく、基幹となる科目については最初から実務と密接に結びついた教育を行うこととするが、法学を初めて学ぶ学生を主な対象とする1年目の基礎科目については、いきなり実務的な教育を行っても効果は薄く、ある程度理論的な教育をベースとしながら実務的なことをミックスしていくという形態をとっていくというイメージとなるのではないか。
法科大学院においては、現在の法学部教育と同程度の知識を身に付けさせることをイメージするのではなく、仮に修得させる知識量が減ったとしても、法律的な考え方を身に付けさせるような教育を重視すべきである。
実務家と研究者の担当する授業科目は各法科大学院がそれぞれ判断すればよいが、法科大学院が法曹養成を目的とする以上実務家の協力は不可欠であり、特に地方の法科大学院においては地元の弁護士会と協力していかなければ全国の適正配置は成り立たないものと考えられることから、そのようなイメージを打ち出すべきではないか。
法科大学院においては、弁護士養成だけではなく、裁判官・検察官を養成することも重要な任務であり、弁護士養成のための教育という観点は適切ではなく、どのような法律家になろうと、そこで務まるような能力、知識を身に付けることが基本ではないか。
法学部と法科大学院の関係については、両者が連続していると、大学の序列化につながるおそれがあること、法学部出身者が主流となりやすいこと、法学の学習期間が長期化し人間的に幅の狭い法曹を養成することになることから、切り離して考えるべきではないか。
現在の司法試験は一般に開かれた制度であり、法科大学院を導入することにより、子育てをしながら、働きながら法曹を目指している人たちの門戸を狭めてはならず、むしろこのような学生が多数入学し切磋琢磨することによって、法曹として必要な人間としての幅の広さや成熟を身に付けていくのではないか。
法学部と法科大学院の連続性には①法学部と法科大学院という設置形態上の連続性と②カリキュラムの連続性あるいは修業年限の問題という2つの側面があり、①については、教員組織や施設設備など経費負担の観点から既存の法学部が設置することが実態としては多数になると考えられ、このような大学を排除することは適切ではないのではないか。また、②については、現実の問題としてカリキュラム上の責任をもつのは法科大学院以外ありえず、いわゆる積み上げ型も完結型も、その履修の前提として法学部あるいは独学による一定の学習を求めるか求めないかという違いに過ぎないということではないか。
法科大学院を設置したいという大学があるにもかかわらず、認めないというのは適切ではなく、既存の大学の努力は評価する一方、それだけに限るということのないよう、一定の基準を満たしていれば設置を希望する者には設置を認めるべきである。
すべての分野について法曹が知識を有しているというのはありえず、どの程度の能力を要求することとなるのか。多様な能力をもった法曹が必要なのは当然だが、それは法曹全体として多様性が確保されていることを意味し、個々の法曹が様々な専門性をもつこととはイコールではないのではないか。
多様なバックグラウンドをもった学生が議論することによって視野が拡がるが、その前提には法律に関する学習歴があると思う。全く知識のない学生と一定の知識を持った学生が全く同じ授業を受けることは適切ではなく、また不可能でもあることから、同じ水準の議論ができるまで別のカリキュラムで学習することが適切ではないか。
法科大学院において法学部出身者は2年で他学部出身者は3年ということが固定的に考えられているように思われるが、法学部でいくら優秀であっても他の分野において優れているわけではなく、法学部出身者のみが特別に扱われることは適切ではないのではないか。
何らかの事情で法学部に入学しなかったり、あるいはそもそも大学に入学しなかった者であっても、自らの努力により一定の法学の基礎を身に付けた場合、修業年限の短縮が認められるなどそのような努力も評価される仕組みは必要なのではないか。
法科大学院における修業年限の短縮は、法学部卒業者、他学部卒業者という区別によるのではなく、「基礎的な知識を有している者」という実質的な基準で区別した上で議論してはどうか。
法学部卒業者は、法学を中心としつつ、教養も含めた一定の学問を修めてきていることが前提となっているが、法学以外の学習については判断が困難であり、その部分を一切要求しないということが適切かどうか問題があると思われる。
法学部の学生ではなくても、法科大学院において一定の履修免除を得るために予備校へ通うということも考えられる。そもそも出発点はペーパーテストでははかりきれない能力をプロセスを経て判断するということであり、一定のプロセスを経ることを問わずに試験のみで判断すると弊害があるのではないか。
法科大学院を構想するに当たっては、できるだけ緩やかな基準により、各大学院の裁量による多様な形態を認めるべきであり、また、司法修習を残すのであれば、法科大学院と研修所における教育内容が重なる必要はないのではないか。
5 次回の日程
次回は7月24日(月)13:00~16:00、東京會舘「シルバースタールーム」において開催されることとなった。