司法制度改革審議会
法科大学院(仮称)構想に関する検討会議(第7回)議事要旨
1 日 時 平成12年7月24日(月)13:00~16:00
2 場 所 霞が関東京會舘「シルバースタールーム」
3 出席者(敬称略)
(協 力 者)小島武司(座長)、井田 良、伊藤 眞、加藤哲夫、田中成明、金築誠志、川端和治、清水 潔、房村精一
(司法制度改革審議会)井上正仁、鳥居泰彦、山本 勝、吉岡初子
(事 務 局)工藤高等教育局長、合田隆史大学課長
4 会議経過
(1)事務局より資料確認が行われた。
(2)座長より、第6回議事要旨(案)の取扱いについて説明があり、7月27日(木)までに意見があれば事務局まで連絡の上、修正し、最終的には座長へ一任することが了承された。
(3)検討会議における議論の整理(概要)(案)に基づき、各委員より説明が行われた後、次のような意見交換が行われた。
法学部が今後も法科大学院の教育課程の基礎部門を実施する機能も併有するものとして存立するかどうかは各大学の判断に委ねることが合理的との考え方が有力であるとされているが、このような意見は必ずしも確認されたわけではなく、法的素養を備えたジェネラリスト養成の役割を果たすべきであるという意見も有力だったのではないか。
司法制度改革審議会の基本的な姿勢は、開放した多様性を確保しつつも、法学部は別に存置することを前提にしており、他方、法学部卒業者をメインとするともしていないので、審議会がどちらか一方の意見に傾斜しているとの認識は正確ではないのではないか。
これはいわば中間報告であり、これに基づいて司法制度改革審議会が審議し、また様々な意見を付けて返してくることを鑑みれば、反対意見や少数意見があることは明記する必要があり、さもないと審議会に目隠しをするようなまとめ方になってしまうのではないか。
法科大学院が法学部教育を前提にした教育体系を設定するかどうかは法科大学院の問題であり、法学部がどのような教育を行うかは法学部の問題であって、法科大学院の設計としては必ずしも法学部教育を前提とせず、各大学の自由な判断に委ねることで良いのではないか。
法学部教育がジェネラリスト養成を目的とすることとなったとしても、実定法に関する一通りの教育を行うのであれば、それはやはり法科大学院における教育の基本となるものであり、ジェネラリスト養成だからといって直ちに法科大学院とは全く性質が異なる教育が行われるということではないのではないか。
法曹養成を専門に担う法科大学院の設立は、法学部が自らの存在意義を考え直す契機になり、現にリベラル・アーツを中心とすることを考えている大学もあると聞いている。現在の法学部を前提に法科大学院を構想するのでは論理の逆転ではないか。
法科大学院の在り方が検討会議のテーマであり、法科大学院ができた際の法学部の在り方は、教養重視や法科大学院に対応した法学教育の実施などいろいろあるが、基本的には法学部に任されているという点についての認識は一致しているのではないか。
法科大学院は大学に設置される大学院として構想することが最も適切であるという点については議論のあるところであり、各委員の意見がほぼ一致した点としては、最も適切では強すぎるのではないか。
現行の大学制度上、大学院は大学に置かれ、大学と離れた大学院は存在しない。いかなる形態であろうと大学院だけのものは、いわゆる大学院大学という形で整理されることを意味しているに過ぎず、既存の大学とは別に法科大学院を設置することを何ら排除するものではない。
司法制度改革審議会では、法科大学院は学校教育法上のいわゆる1条校として考えるべきであるということは大方の共通認識であったが、その趣旨が既存の大学に限定されるという誤解を招かぬような表現に改めた方が良いのではないか。
少数意見、異論を付記すべきであるという意見もあるが、その際、この枠の性格の捉え方の問題と司法制度改革審議会への報告の問題がある。あらゆる少数意見について全部触れるとポイントがわからなくなるおそれがあるため、枠はひとつのまとめとして位置づけ、少数意見をどのように司法制度改革審議会に報告するか別途議論した方が良いのではないか。
本会議においては、修業年限は3年制とすべきであるという意見が多数だったので、3年制を標準として検討し、あわせて完結型としての2年制も検討する方向で修正すべきではないか。
法学既修者については修業年限の1年短縮が前提になっているようだが、科目の免除はともかく、直ちに1学年の短縮を前提とすることには異論があることを明記する必要があるのではないか。
科目単位で履修免除を認めることにより1セメスター、あるいは大幅な履修免除が認められれば、結果として1年間を短縮するということはあり得るのではないか。
3年制か2年制かという点については意見は相当拮抗している印象があり、3年制案が多数であるとは必ずしもいえないのではないか。
科目単位で履修免除を認めるという考え方も異論として記すことは問題ないが、実際に制度を組む上では、科目単位で履修免除を行うことは非常に困難なのではないか。
一定の法学既修者は2年間でよいこととしても、法学部卒業者であれば当然に2年ということではなく、一定の学力が確認された場合にのみ短縮が認められるというのが大方の意見ではないか。法学部出身者を当然のように優遇するのかという誤解を招かぬよう、十分に配慮する必要がある。
法学部出身者に限らないが法学の素養のある者は基本的に2年で修了し、法学を未修の者は最低限3年はかかると思われる。そのような意味で2年制か3年制かという議論になるが、どちらかを基本にするという話ではなく、おそらく両者をいかに矛盾なく一つの法科大学院の中に受け入れていくということではないか。
現状ではやはり法学部以外の出身者をなるべく広く法律家にする必要があり、法科大学院をつくる以上その双方を受け入れることが必要である。仮に法学部出身者・非出身者のいずれか一方だけを対象とする法科大学院を設置するというのであれば、それは法学部以外の出身者だけのための法科大学院である。
法学部出身者だけを受け入れるのは司法制度改革審議会で出された基本的な考え方に矛盾するが、その一方で、法学部における学修歴も一切考慮しないというのも適切ではないのではないか。
日本人がアメリカのロースクールを修了し法曹資格を取得することが可能であることを考えれば、外国人が日本の法科大学院に入学することも考慮する必要があるのではないか。
今の司法試験の枠組みの中では外国人の参入は非常に例外的ではあるが、今後、プロセスの中で法曹を養成することになれば参入が増加する可能性はあり、より広い意味の開放性という観点から、そのことも念頭に置いた検討を行う必要があるのではないか。
修業年限については恐らく2年制だけの法科大学院はあり得ず、3年制、2年制の併存、あるいは3年制のみとなるが、いずれにしても、未修者に法学部の授業を履修させるのではなく法科大学院が責任を持って教育することになることから、年限の短縮ではなく、履修免除とする方が自然なのではないか。
制度として、学生ごとに履修すべき科目が異なることとなると適切な教育が行えない可能性があり、また、科目の履修免除では、学生によって卒業時期も異なってくることから、制度設計上、最初からそろえた方が合理的なのではないか。
法科大学院において学修するだけの基礎的な学力が確認ができなければ、他学部から来た学生と同様に最初から学修するほかなく、例えば民法だけに長けておりその他はできないというのでは、法曹としては適切ではないのではないか。
年限を長くすれば十分な教育ができていいという面はもちろんあるが、一方、全体としての教育期間の長期化という問題もあるのではないか。
法学既修者については2年間きちんと教育し、責任を持って法曹に育てるが、未修者については3年間十分な教育が必要であるという考え方は両立するわけであり、法科大学院が法曹養成の責任を負う場合には3年制である必要があるという理由とはならないのではないか。
仮に1年間短縮できることとしても、それは、単に法学部卒業者という事実によるのではなく、法科大学院が試験によって責任を持って判断するということであり、その意味では、発想として法科大学院の本来あるべき教育がまずあるという観点から3年制を基礎に考えるべきなのではないか。
2年制のみの法科大学院は認めないことについては意見が一致していることを鑑みれば、やはり3年制を基礎として、一部条件を満たした者については1年間の短縮を認めるという考え方になるのではないか。
2年制、3年制のコースのどちらか一方、しかも法学部卒業者を念頭に置いた2年制だけでも良いこととしたら、負担の大きさを鑑み、多くの大学が2年制コースを設置するおそれがあり、両者をうまく併存させるために、2年制のみを設置することは認めないといった政策的な判断が必要となるのではないか。
学校制度上、基本的な修業年限は2年でも3年でも良いというのではなく、決まっている必要があるが、決定に当たっては、法曹養成に必要なカリキュラムがあり、それをどのように履修するのかという議論によって自ずから導き出されることとなる。修業年限の短縮は、それまでの履修状況を勘案し、一定の科目免除による結果として行われるのであり、同じ法科大学院において異なる修業年限を設定するというのは制度上おかしいのではないか。
近年セメスター制を導入する大学は増えており、また、大学審議会においてもその実施が奨励されていることから、一定の科目に関する履修免除や年限短縮の問題も、セメスター単位で考えてもよいのではないか。
裁判法とは、裁判の仕組みや手続を支える理念を教育することを目的とし、手続の理念的な理解とともに、実務家の体験などを通じた実践的な理解をも含む科目を想定している。また、企業法は、法制度のみならず、企業の在り方や仕組み等を基本に、それがどのような法律的な意味を持つのかということも含めた少し広い分野の科目を想定している。
民事裁判演習、刑事裁判演習は、例えば、実際の事件から構成した様々な素材に基づき、そこに含まれる法的問題、それぞれその法的問題についての主張、立証責任、それらを前提とした事実認定などを討議した上で、裁判上必要となる様々な文書を起案し、それについてチューターが添削、講評するといった演習を想定している。
司法制度の概論的な裁判法を学んだからといって、直ちに、法学部で刑事訴訟法や民事訴訟法を履修した者と一緒に、かなり突っ込んだ授業を行うことができるのかどうか疑問である。
従来の教育方法を反省し、法をどのように現実に応用するかという一方通行ではなく、例えば1年次に民事訴訟のケーススタディを導入するなど、現実に生じている問題から帰納的に法の適用を考えるという両方の教え方をとる必要があるのではないか。
法科大学院においては、単なる法律実務や法学だけではなく、幅広い視野と教養を持った人材を養成するという視点から、入学者選抜の際にチェックする方法もあるが、法科大学院において、多少リベラル・アーツ的な教育も実施することも法科大学院の特色を示す上で有効なのではないか。
法科大学院はプロフェッショナルスクールであり、幅広い教養はその前段階で身に付いているということが前提である。むしろ、入試においてかなり重く考慮することによって、学部教育、特に法学部教育をそのような方向に誘導するということが考えられるのではないか。
法科大学院では、リベラル・アーツというよりは、学際的な科目の履修によって、その周辺の教養やものの考え方を身に付けていくべきではないか。同時に、多様なバックグラウンドを持った学生間の議論等を通じて幅広い視野を身に付けていくこととなる。実際、アメリカのロースクールを見ても教育効果が高く、日本においても有効なのではないか。
法科大学院はプロフェッショナルスクールとして、実務に役立つ教育、実務家を養成する教育を行う必要があり、そのためには、段階を追った訓練が必要である。そのような積み上げを考えれば、1年次で理論とリーガル・リサーチ・アンド・ライティング、2年次でシュミレーション、3年次で臨床科目として実際の生の事象に接することを教えると同時に、1年次から、そういうことを意識し、実際の生の体験も導入するカリキュラムを考えていくことが必要なのではないか。また、法哲学、法社会学などの教育も行うべきである。
法学部卒業者は理屈ばかりで形式的にものごとを決めたり、幅広い視野に欠けるという指摘があるが、本来法律学はそのような学問ではなく、法律学を表面的に勉強し、単なる知識・技術の修得に終始していることに問題がある。ある意味で、もっと徹底的に法律を勉強させる必要があり、そのためには、学生に学習意欲を持たせる教育が求められるが、その際、抽象的な理論、概念的・概説的な説明ではなく、法と社会とのかかわりを個別ケースを取り入れながら教えるなどこれまで以上に教員の熱意や教育方法などが重要となってくるのではないか。
大学の設置認可の申請にあたっては、大学は相当詳細なカリキュラム案を用意することとなるが、同じ法学部、法学研究科という名称であってもその内容は多様であり、それが大学の個性化、大学間の競争につながっていくものであることから、ここでは大枠だけを決定するべきであり、詳細にカリキュラムを検討することは適切ではないのではないか。
LSATを参考にした法曹適性試験は法学未修者、既修者に等しく課すが、その利用については、各法科大学院がそれぞれ考えるという意見が多かったはずであり、現段階で排除するかのような表現は適切ではないのではないか。
必ずしも全国統一試験を強制的に課すというのが多数だったのではなく、逆に統一試験では不都合なのではないかという意見もあったのではないか。
これまで有力な考え方として議論されてきたのは、既修者と未修者のどちらを入学させるか判断する資料がないことから、すべての者に等しく適性試験を課す必要があるというものではなかったか。
法学既修者、未修者を問わず、適性試験を実施するという考え方はもちろんあるが、他方、法学既習者については、法学の試験が実質的に適性試験に代替するものであり、それ以上に適正試験を課す必要はないという意見もあったのではないか。
全国統一試験を適性試験として考えた場合、全受験者に課すのが適当かどうかということについては、消極論もあり、現段階で排除する必要はないものと考えるという程度のまとめ方で合意できるのではないか。
ニュアンスとしては、現段階で排除する必要はないというと、排除が決まっているかのように読まれるおそれがあるのではないか。
統一試験は必要ないということの意味は、応募者の間の平等を確保するにあたって、客観テストであれば、大学の独自試験でも良いという意味である。統一試験を実施することによって従来の偏差値による序列化が復活するという危惧もあり、必ずしも否定しないが、こだわる必要はないのではないか。
適性試験として、国家公務員試験の内容や方法はLSATの趣旨とは大きく異なり、ここで取り上げるのは適切ではないのではないか。
実務家教員には、例えば、司法試験に合格し地方公共団体の審査会の委員、仲裁人などを相当期間務めている教員、あるいは、企業法務関係者なども含め、必ずしも法曹資格を有していなくても、場合によっては実務教員として算入しても良いのではないか。
立ち上がりの時期に実務家教員を厳格に実務法曹に限ってしまうとどうしても数が不足するおそれがあり、例えば、目標と移行期の算入方法を変えるなど現実的な配慮があっても良いのではないか。
実務家教員数は将来的には余り問題とならないと思われるが、移行期には確かに問題となりうる。しかし、そもそも実務家教員数の割合を2~3割を前提とするのではなく、実務家教員が教えるべき科目、協力を求めなければならない科目は何かという観点から実務家教員数を割り出し、そのほか、例えば企業法務実務経験者がそれぞれの専門領域を教えることとすればよいのではないか。
研究者教員の実務研修は必要だと思うが、同時に実務家教員の研修等も必要である。法科大学院の理念に合った教育を実務家が行うためには、当然教育に関する研修が必要となり、その際、日弁連が、ノウハウのある司法研修所の教官OBによる研修を行ったり、あるいは大学に依頼して研修を行うことも考えられるのではないか。
地域配置に関しては、法科大学院の適正な地域配置によってもカバーできない方、あるいは本当に苦労している方にとっては通信制法科大学院は有効な手段であり、夜間大学院と同列に扱うべきではないか。
夜間大学院は昼間の大学院と比較し時間が異なるだけの問題だが、通信制大学院は法科大学院の理念を実現するために様々な課題があることから、若干扱いを変えた方が良いのではないか。
法科大学院の授業料は相当高額になることが予想されるが、その際に実務教員の経済的な基盤をどれだけ確保できるかということが大きなポイントとなるのではないか。
実務家教員をフルタイムで考えれば、相当高額な費用が必要となるが、専任の実務家教員は少数にとどめ、多くの実務家が事務所を維持できるということであれば、そんなに大きな額となることはないのではないか。
第三者評価にどのような意味を持たせるのか。全く事実上のものとして、入学希望者の選択に資する資料を提供したり、各大学院の努力の材料にしたりという役割を担っているという理解でよいか。あるいは、アメリカの場合、受験資格や財政援助に関連してくるが、日本においてもそのような機関を考えていくのか。
第三者評価を行う場合に、これに何らかの法的効果を与えるのか、単に入学者の選択にあたっての資料となるという事実上のものとなるのか。
法科大学院の設置、運営について第三者評価を行うことが前提であり、それによって、第三者評価機関を設立するか否かも決まるという理解で議論が進んでいるのではないか。
第三者評価については、実施するとの考え方があるということではなく、実施するなどより積極的な評価をこの段階で与えておくべきではないか。
文部省が行う設置認可が大学の形式面の審査にとどまり、また、1回認可すると取消が困難であるということでは、法科大学院の認可には適切ではないのではないか。司法試験を資格試験化するとなると法曹養成過程の質を担保する必要があり、例えば、設置認可についても、第三者評価機関が意見を言えるような制度も考えられるのではないか。
第三者評価機関による情報公開によって世間の評価を待つという程度では、法科大学院の修了と資格試験としての司法試験を結びつけることは困難であり、仮にそれにとどまるのであれば、司法試験を資格試験化できず、今、法曹養成制度が抱えている問題を何も解消しないのではないか。
法科大学院の修了を司法試験の受験資格に結びつけることはロースクールの認定の問題であり、必ずしも設置認可の問題ではないのではないか。
司法試験の受験資格に結びつかない法科大学院であっても、社会的な需要があれば存続は可能性であり、逆に司法試験の受験資格と結びつかないと事実上成り立たなくなるような場合には、各大学院において資格と結びつくよう改善に努めることとなるのではないか。
第三者評価は、司法試験の受験資格に結びつくという意味におけるアクレディテーションに結びつくということで一致したと理解して良いか。
法科大学院構想の出発点は、司法試験の問題ではなく、現行の法学教育が必ずしも十分ではないということにあるからこそ、法科大学院に現在の学部教育以上のものが期待されているのではないか。その実現に合わせて、当然に司法試験の在り方も工夫していくことになるが、第三者評価が必要であるのも、そのような期待に応える法科大学院を実現するためであり、司法試験との結びつきがなければ、第三者評価の意味がないということではないのではないか。
厳しい競争試験化した司法試験では、法曹として適性な資質をもった人を選抜できないという共通認識があるから、プロセス重視に変えるということとなったのではないか。したがって、司法試験は資格試験化するが、その前提として、プロセスとしての法科大学院において適切な教育がなされることが必要であり、それを担保するのが第三者評価機関であるということなのではないか。
制度上、今の大学院は単位制であり、単位取得によって進級が決まるものであることから、学生の水準を確保するためには一定の基準に達していなければ単位認定はしないという仕組みにする必要がある。単位は認定するが、成績が悪いから卒業させないというのではないのではないか。
成績評価の在り方もしっかり考えていかなければ、法科大学院はオール可で修了し、司法試験に合格するために、予備校に通うという事態が生じるおそれがあるのではないか。
これは厳格な成績評価による単位認定の問題ではなく、修了試験の実施にかかる問題であるが、そのような修了試験を実施するべきかどうかという問題があるのではないか。
法科大学院の修了段階に筆記試験や面接試験を実施し、成績の悪い者は、修了させない、受験させないということもあり得るのではないか。
司法制度改革審議会においては、「司法修習」と「実務修習」の2種類が使われているが、法曹として実務に携わる前に実務修習を行うことの意義を認め、少なくとも実務修習は法科大学院で受ける教育とは別に行うと表現されていることから、現在の司法修習を当然の前提とした検討依頼ではないと理解しているが、司法(実務)修習という表現に要約すると、現在の司法修習を当然の前提として検討しているというニュアンスが強すぎるのではないか。
司法制度改革審議会では、意図的に司法修習との役割分担を示さずに司法修習としており、最低限現在の狭義の実務修習を存置することを前提に、司法教育の部分の全部あるいは一部を法科大学院で分担できるかどうか検討していただき、それを見定めた上で審議会で議論したいという趣旨である。
実務修習とは司法修習のうちの現地修習期間だけを指すものと理解する考え方がある一方、司法修習全般を指して実務修習という場合もある。本検討会議においては、司法修習全体と法科大学院と司法修習の役割分担の問題もあるが、表題は通常、司法修習イコール実務修習という人もいることから司法(実務)修習となっているのではないか。
司法修習の中の現地修習のことを実務修習と呼ぶという面もあることは確かだが、前期、後期、中間の現地修習などすべて包括した概念でとらえている人も多いのではないか。
司法(実務)修習については、司法制度改革審議会における議論では現行の司法修習制度をそのまま残す可能性もあることを含めオープンである。
司法制度改革審議会からの依頼の趣旨が、司法修習との役割分担をはっきりさせてほしいということであれば、実務というのをあえて示す必要はないのではないか。
法科大学院と司法(実務)修習について、実務能力涵養のために、司法(実務)修習を実施する必要があるという表現が示しているのは、ここでは、実務修習のことなのではないか。
司法制度改革審議会が示す養成すべき人数をすべて司法研修所で養成することが可能であるという意見もあるが、司法研修所による集合修習、実務修習が法曹人口の大幅増加にとって障害となりそうなことからすれば、司法研修所を残すかどうかを議論すべきではないか。司法研修所による実務修習、司法修習がボトルネックとならないような制度設計がなされるべきであり、現在の司法研修所の前期で行われている教育は法科大学院の段階で実施することを前提にするべきではないか。
法科大学院における法曹の教育対象となるべき「法曹」はこれまで法曹三者だけの議論になっているが、必ずしもそうではなく、法科大学院を修了し行政分野や企業法務分野に進む学生も考えられるのではないか。
法科大学院については、当面狭義の法曹を念頭に基本設計し、法曹資格を取って修了する者もいれば、取得せずに様々な分野に進出する者もいるということでよいのではないか。最初から間口を広げて検討すると焦点が拡散するおそれがある。
カリキュラムの検討に当たって、焦点をあてず幅広く検討することとすると、結局法学部の高度化にすぎなくなるため、まず、基本の仕組みをきっちり考え、それをどう伸ばすかという順序で議論すべきである。
法曹人口の問題は司法制度改革審議会の夏の集中審議で議論することとなっているが、その場合、目標値と目標値へのステップをどのように踏んでいくかという2段階の議論がある。後者は現実にどれだけの法曹を養成するかということと関連する問題であり、どちらかが完全に先行するという問題ではない。質を維持しながら養成する必要があることから、ステップを考える際も枠を考慮する必要があるが、それでも目標値に近づけるために最大限の努力をしていくということとなるのではないか。
司法制度改革審議会における8月初めの集中討議において、おおよその有力意見が固まれば、それを踏まえれば9月30日までに本会議における議論も明確化できるのではないかと思われるが、集中討議で方向性がでるかどうかは不明である。
(4)座長より、本日の議論を踏まえ、さらに意見がある場合には7月25日(金)までに書面にて事務局に提出することが提案され、了承された。
5 次回の日程
次回は7月31日(月)13:00~15:00、東京會舘「シルバースタールーム」において開催されることとなった。