2 場 所 東海大学校友会館「富士の間」
3 出席者(敬称略)
(標準修業年限)
○ 司法制度改革審議会の議論においては、法科大学院と法学部の連続性を重視する委員は2年制を原則とするという発想になっている。しかし、10年以内に年間3千人の法曹の養成という合意を達成するためには、できるだけ良質の学生を法科大学院に集めることが必要であり、現在の法学部の学生だけを母集団と発想しては問題があるのではないか。むしろ、既に大学を卒業した社会人、他学部の学生などを幅広く対象とし、その中から3千人の質の高い法曹を生み出すべきであり、そのような観点からは、やはり法科大学院はプロフェッショナルスクールとして完結するよう3年制を原則として制度設計するべきではないか。
○ 確かに、10年以内という意見もあったが、そのような意見は必ずしも審議会として合意されたことではなく、あくまでも「できるだけ早期に」ということであったと理解する。
○ 審議会の集中審議の検討経緯からは、そのような意見は少数意見として退けられ、あるいはそのような意見を述べた者もある程度納得して、取りまとめに賛同したと思う。したがって、そこで語られた法曹人口は、イメージとしては10年以内に6万人の法曹人口を目指すということとなり、その目標自体には誰も反対しなかったのではないか。
○ 「法曹養成制度の整備の状況を見定めつつ」という文言が入っているのは、今後どのように法曹養成制度が整備されていくかということを見定めつつ法曹人口を段階的・計画的に増加させていくべきであるという意見もあったためであり、結論としても,10年といった期間について合意がなされたわけではない。
○ できるだけ早期にフランス並みの法曹人口を目指すという場合、それが20年先でも良いという議論になるはずはなく、合格者3千人という目標は相当早期に達成する必要がある。減少する人口も加味すれば毎年2千人程度の増員ではほとんど増えないという意見もあり、3千人は相当早い時期に達成できるよう制度設計すべきではないか。
○ 10年といった期間やフランス並みの増員というのも個人的な意見にすぎず、司法制度改革審議会として合意に達したのは、法曹養成制度の整備状況を等を見定めながら、年間3千人を可能な限り早期に達成するべきであるということである。
(入学者選抜・学生定員)
○ 入学者選抜に関する主要な論点である共通試験型と分離試験型をどうするかということについては、いろいろな組み合わせを考えていけば、実際上大きな違いはなくなると考えられ、今後もう少し議論を行えばおおよそのコンセンサスは得られるのではないか。
(教員組織)
○ 教員の役割は研究者教員と実務家教員では異なると思うが、本検討会議においてはどの程度まで踏み込んで結論を出すべきなのか。法科大学院制度の専門大学院制度との異同なども含め、ある程度態度を決定すべき時期であり、どこまで踏み込んで結論を出し、審議会に報告するかという点についても明らかにする必要があるのではないか。
○ 教員組織に関する基準の策定は恐らく認定基準の核心部のひとつとなり、いつ立ち上げるかという時期の問題もあるが、本検討会議で相当具体的なことまで決める必要があるのではないか。
○ 例えば、ある中規模法科大学院を想定し、カリキュラムと教育方法を組み合わせ、研究者教員が担当すべき授業科目と実務家教員が主として担当する科目などのおおよそのイメージをつくれば、どの程度の数の実務家教員が必要であり、その教員はどのような責任を担うのかということが少し明らかになるのではないか。
○ 法科大学院の在り方を考える場合、立ち上がった直後の数年間と将来像のどちらを考えるかで大分異なるのではないか。司法研修所等との役割分担を考えても、立ち上げた時点で実施可能な部分と将来何を目指すのかということは必ずしも一致せず、議論の焦点をどちらかに合わせるべきではないか。
(多様な設置形態と適正配置)
○ 法科大学院の多様な設置形態や適正配置などの配慮があるので司法試験の受験資格を法科大学院修了者に限っても良いという議論を展開しており、その意味では、これは法科大学院を構想する上で核心部分のひとつとなる点である。
○ 夜間大学院や通信制法科大学院、連合大学院の問題など設置形態の多様化、適正配置などの問題は、司法制度改革審議会で検討すべき問題もあるが、文部省の教育政策上の問題もあり、本検討会議においては検討しづらい面もあるのではないか。
○ 地方の小規模の法科大学院であっても設置されやすいような制度を設計する必要があるのではないか。また、夜間大学院についても、その設置者が何らかの形で優遇されるような配慮が必要なのではないか。
(資力が十分でない入学者に対する援助/財政基盤の確立)
○ 奨学金制度の充実などの施策が国の政策として実現しなければ、経済的に裕福な者だけが法曹になるという制度となるおそれがあるのではないか。
○ 法科大学院に財政措置が必要であるという理念には誰も反対しないかもしれないが、他の分野と比較した場合、法科大学院だけに特別な措置が必要な理由を十分に説得的に説明できるかどうかという問題がある。
○ 法曹養成制度の中核を法科大学院に切り替えるとしても、十分な財源確保が本当に可能なのかという指摘があり、それがなければ、経済的に裕福な者だけが法曹になれるというとんでもない制度となってしまうという不信が非常に根強い。
○ 公的な司法を支える人材を養成するということである程度の正当化はできるかもしれないが、司法が正義という見えにくい価値を対象としており、難しいと思う。本検討会議においては、その重要性について、どれだけ説得力のある論拠を構築することができるかという観点から、説明を見直し、充実させていくべきではないか。
(法科大学院の設置と第三者評価)
○ 第三者評価機関の構成員として法科大学院、文部省関係者だけではなく法曹も含めるというところまでは理解できるが、関係行政機関やそれ以外の学識経験者となると曖昧な印象を拭えず、また、文部省が行う設置認可と大学評価機関との関係、あるいはその役割がも必ずしも明らかにされていないという感じがある。
○ 法科大学院の定員と司法試験の受験が認められる法科大学院の定員の間に差があるような制度設計をするという意見もあるが、あまりに大きな差があると制度がおかしくなる。受験資格を与えられない法科大学院はおかしい。法科大学院の当初の設置認可と司法試験の受験資格が認められる法科大学院の認定が連動する必要があるのではないか。文部省が設置認可をする際に第三者評価機関の意見を聞くようにすべきである。
○ 法科大学院の設置は一定の基準を満たしていれば自由に認めるが、その修了を新司法試験の受験資格とするか否かは第三者評価機関で検討するという制度設計を考えているという理解もあり、本検討会議においてしっかり検討すべきではないか。
○ 法科大学院の設置認可基準を満たし、認可された法科大学院はその後も第三者評価機関による評価を受け、その質を維持している限り、当該法科大学院の修了が司法試験の受験資格となる。そのように考えれば、設置を認可された法科大学院数と新司法試験の受験資格のある法科大学院数の間にはほとんど差がないような形となるのではないか。
○ 第三者評価と新司法試験の受験資格の付与をほぼイコールとし、設置認可の段階では一定の基準さえ満たしていれば自由に設立することを可能にするという考え方もあるのではないか。
○ 設置認可を幅広く認め比較的自由に法科大学院を設立できることとすると、ある法科大学院を卒業しても新司法試験を受験できないというケースが多数生じることとなるが、このような法科大学院はごく少数ならばあり得るとしても、非常に多いと言う制度は適切ではないのではないか。
○ 最初の設置認可とアクレディテーションの間に差がなくなるように、例えば、文部省が法科大学院の設置認可を行う際に、この第三者機関に意見を求めるといった制度設計にすることも考えられるのではないか。
○ 法科大学院の質を判断するに当たって、重要なのは教員の質や教育内容であり、このような部分は実際に実施した上でなければ実質的な判断は不可能なのではないか。それを設置認可に結びつけようとする場合、認可の取り消しを行うこともあり得るということとなるが、大学制度上適切かどうかという問題がある。
○ 法科大学院の制度設計を行う場合、法科大学院の修了資格を新司法試験の受験資格として考える制度もあれば、司法試験の受験資格を得るためには一定の成績を修めている必要があるという制度設計もあり得る思う。その辺をどのように考えるかということは様々な制度と密接に関連しており、十分に検討する必要があるのではないか。
○ あまりラディカルに変えることを求めるよりも、現行制度上、できるだけ円滑に運用していくためにはこういうことが望ましいということを示していくべきだと思う。
○ 法科大学院の設置認可とその修了が新司法試験の受験資格となることがほぼ一致するような制度とするためには、設置認可の段階から法曹三者が参画する必要があるが、そのような制度は現行の大学の設置認可制度とは適合しないのではないか。
○ 設置認可と受験資格がほぼ一致するような厳密なシステムがいいのか、あるいは、短期的には少々齟齬が生じるようなシステムの方が柔軟で良いのか。場合によってはその齟齬から新しい可能性が生じることもあり得るものであり、意見が少し分かれる面もあるのではないか。したがって、制度設計としてはその双方の可能性を踏まえて少し検討する必要があるのではないか。
(法科大学院と司法試験/司法(実務)修習)
○ 量と質の両立は大学の立場からは当然かもしれないが、現実として、学生の素質、教師の質、きめ細かな教育の実施可能性等の観点からは、両立し難い面もあるのではないか。これまで審議会が必要と認めた法曹養成数については司法修習においても対応していかなければならない旨述べたことについて、何人でも良いと誤解されたことがあったが、その真意は、無限定な法曹人口の増加を認めたのではなく、審議会の最終的な結論が出た場合、その実現に向けて誠実に努力をしなければならないという当然のことである。その場合も司法(実務)修習が必要であり、実施する以上はきちんと行われるよう段階を踏みつつ、法曹人口の増加を図る必要があるのではないか。
○ その点は制度設計上非常に重要であり、法曹人口を段階的に増加させるとして、どの程度まで増加させることができるのか。与えられている3千名程度の目標値をいつ頃達成することができるのか明らかにするべきではないか。
○ それは3千名をどの程度のぺースで増やしていくのかなど様々な実際上の課題とかかわるので、今後さらに検討を要するのではないか。
○ 実務修習としてここまで行うことが可能であり、それに合わせて法科大学院の合格者数を設定するというのはあまりに人為的なのではないか。法科大学院の基準を満たす大学は、2千名、3千名を目標値として設定したとしても、実際には千名程度ということも理論上ありえることから、目標と現実の両方を見ながら計画的に増やしていくことが必要なのではないか。
○ 実務教育をどのように行うべきかというあるべき姿から議論すれば、必ずしも固定的な目標値や予定を前提にしなくても議論できるのではないか。
○ 今後も司法試験に合格した者全員に対して実務修習が行われるということを前提に、司法研修所で実施する実務教育以外の部分を法科大学院で実施すれば良いという議論となっているが、司法修習の段階で、早期に3千人を受け入れるということにならないと、法科大学院を修了しても修習人数で切られるということになり、手を挙げる大学はなくなってしまう。法科大学院のカリキュラムにも跳ね返る問題であり、時期を明示してはっきりさせなければ、制度設計の前提がくずれることとなるのではないか。
○ 司法修習の体制が明らかにならなければ、制度設計が出来ないというのは、発想が逆転しているのではないか。
○ 一定の質を備えた法曹を養成する観点からは、現在、最終的にそれを担保しているのは司法(実務)修習制度であり、今後、法科大学院において相当高度な教育を行うこととしても、その後も一定の実務修習が必要であることは共通認識である。したがって、無限定に何人でも受け入れるような実務修習とした場合、質の担保は困難なのではないか。
○ 法科大学院で高度な教育が行われることを前提としても、少なくとも当面は、司法修習として体制を組んで教育する必要があるが、年度によって2千名、3千名などとばらつきがあっては質の担保は困難である。ある程度の人数、水準を前提として予めカリキュラムを策定し、責任を持って実施していく必要があり、ある日突然人数を増加させるということは不可能である。
○ 法科大学院の修了者のレベルがわからない段階で、合格者を何年後に何人にすると言っても、司法修習に責任をもつ立場からは責任ある回答はできないのではないか。
○ 法科大学院の側から見れば、質の維持を図りながら法科大学院の規模を拡大するのであれば、それに応じ3千人までは段階的に、早い時期までに当然に対応してもらえるものと理解している。司法研修所や弁護士研修の枠の制約により法科大学院を設立しないというのではなく、質を担保しながら数を増やす限り、3千人までは対応してもらえるということなのではないか。
○ 司法制度改革審議会としては、一定の質を維持しながら量的拡大を図ることとしても、修習を含め法曹養成制度の体制整備等の状況を見定めつつ、計画的に努力していくということで合意しているのではないか。
○ 法科大学院においては、一定の期間、基本的、基幹的な教育を行うことが求められているのであり、例えば年3千人となった場合、今の司法修習の方法では対応できないため、その機能の一部を法科大学院に担わせるという考え方は適切ではないのではないか。
○ 法科大学院の規模を拡大し、それに応じて3000名までは司法修習のキャパシティも増えていくということが確認できるのならば良いが、そうではなく、実務修習はもう増やせないと観点からのみ議論が進められるのはおかしいのではないか。
○ 大学の立場からは、司法研修所だけではなく、例えば弁護士会における法科大学院の学生のエクスターンシップの受入枠が制約になっても困るのであり、やはり年3千名までは法曹三者全体として責任を持って受け入れるという前提が必要となるのではないか。
○ 司法制度改革審議会の立場からは、司法修習との関係を具体的に明らかにする観点から、法科大学院においてどこまで行うことが可能であり、どこまで到達するのが適切かといったイメージを出していただきたいと思う。
○ 法科大学院の修了を新司法試験の受験資格とすることに関する議論を行うべきではないかという意見もあるが、これから残された期間内で具体的に制度設計するというのはかなり難しいのではないか。
○ 集中審議で報告した「議論の整理」においては、表現はともかく、ドイツのように、法科大学院における教育内容全般を総合的に確認できるような試験というイメージだったが、この段階でそれをさらに具体的に示そうとしても難しいのではないか。
○ 司法試験は法科大学院の在り方とも関係し、法科大学院の具体像が固まらないと責任を持って試験制度をこのように改めるということは言えないのではないか。
○ 法科大学院と司法試験の関係でおそらく一番問題となるのは、法科大学院の修了を受験資格とするかどうかということではないか。その点は司法制度改革審議会でもかなり議論があり、法科大学院を修了しないと法律家になれないということでは困るという意見も強いので、この点をどのように理解してもらうかということは十分考える必要があるのではないか。
○ 場合によっては、今の司法試験を改めれば良いのではないかという議論になるおそれがあり、そうではないという部分の説明が必要になるのではないか。
○ 司法制度改革審議会における議論は、基本的には法科大学院の修了を新司法試験の受験資格としても良いのではないかという観点から進められていたが、ただそれが排他的なものであるかどうかについては意見が分かれており、いわば例外的な措置をさらに検討する必要があるということだったと思う。しかし、それを検討するのは、本検討会議ではなく審議会なのではないかと思われる。
○ その議論は本検討会議においても行うべきである。受験資格は法科大学院構想に関する制度設計の一番の根幹にかかわる部分であり、法科大学院を経ていない者について一定の途を確保するといっても様々な問題もあり、それが法科大学院の構想全体とのかかわりの中でどのような意味を持つのかということも考える必要があるのではないか。
○ この問題は全体のスタンスと関係しており、その限度でははっきりさせるということとし、詰めることができるかどうかはなお今後の検討によるということではないか。
○ 法科大学院を修了せずに法曹資格が付与されることが極めて制限された例外的なものであるということが確認されればそれで良いとは思うが、そうではなく、いわば自由に司法試験だけを受けることを相当広く認めるべきだという議論になると、それは法科大学院の制度設計の根本にかかわる問題となるため、きちんと確認しておく必要があるのではないか。
(4)座長より、司法制度改革審議会集中審議及び本日の議論を踏まえ、今後検討すべき論点について整理し、今後2回にわたって検討を進めていく旨提案があり、了承された。