司法制度改革審議会

司法制度改革審議会集中審議(第2日)議事録



司法制度改革審議会集中審議(第2日)議事次第
時 間:平成12年8月8日(火) 10:00~12:15 13:30~17:20
場 所:三田共用会議所 第2特別会議室
出席者:(委 員、敬称略)
佐藤幸治会長、竹下守夫会長代理、石井宏治、井上正仁、北村敬子、髙木 剛、鳥居泰彦、中坊公平、藤田耕三、水原敏博、山本 勝、吉岡初子
(事務局)
樋渡利秋事務局長

  1. 開 会
  2. 弁護士の在り方等について
    石井委員・吉岡委員・北村委員からのレポート
    意見交換
  3. 鳥居委員からのレポート
  4. 法曹一元その他関連する問題についての審議
  5. 閉 会

【佐藤会長】お二人の委員が間もなくお見えになると思いますが、時間が来ましたので、集中審議2日目を開会したいと存じます。

 本日の議題は、午前中は、「弁護士の在り方」について、午後は、「法曹一元その他関連する問題」について、それぞれ審議を予定しております。よろしくお願いいたします。

 それでは早速、弁護士の在り方についての審議をお願いしたいと思います。最初に、レポーターをお願いしておりました石井、吉岡委員から、弁護士の在り方に関して御報告いただく、そして続けて北村委員から隣接士業関係について御報告いただくことにしております。それぞれ20分程度ずつお話しいただきまして、その後、弁護士の在り方に関し、隣接士業関係も含めて、委員の間で意見交換を行いたいと考えております。

 石井、吉岡、北村委員には、それぞれお忙しいところ、大変恐縮でございました。それではまず、石井委員から御報告いただくことにしたいと思います。

【石井委員】おはようございます。

 本日は、ユーザーの立場から、法曹の中で一番ユーザーに近い距離にある弁護士さんに関するレポートをさせていただきます。

 今日は、皆様のお手元にある「『弁護士の在り方』について(要旨)」に沿ってお話しさせていただくつもりでございます。

 まず、「Ⅱ 総論」から始めさせていただきますが、「1.理想の弁護士像」であります。以前御紹介いたしました「ワークデザイン手法」に関連しまして、理想とする弁護士像、弁護士会とはどのようなものかをお話しさせていただきたいと思います。

 理想の弁護士像は、この審議会で認識の一致を見たとおり、ユーザーに身近で、親しみやすく、頼りがいがあって信頼できる弁護士であります。それは言い方を変えれば、「社会生活上の医師」あるいは「経済活動におけるパートナー」という存在になります。また、中坊先生から、「道理や正義を実現しようとする意欲とそれをやり遂げる能力を備えている弁護士」であり、「依頼者のために徹底的に闘い抜くことで真実を明らかにしていく弁護士」であるということも教えていただきました。

 ユーザーは、高度の専門性を有するこのような弁護士の中から、自らの依頼事項にふさわしい弁護士を適切に選択し、ユーザーのニーズに即した質の高いサービスの提供を容易に受けられることを望んでいるわけであります。

 さらに、その業務は公益性を有し、法律事務の取扱いを原則として独占している公的な存在であるため、ユーザーにとって分かりやすく、気軽に利用される存在である必要があると思います。

 次に、全体としての弁護士組織としての「弁護士会」について、その理想像を描いてみたいと思います。一言で言えば、弁護士全体の意見を適切に反映する場であり、理想の弁護士に国民がアクセスできるよう、バックアップする責務を果たす場でもあると思います。そして、国民に開かれた形で弁護士の指導や監督等を行う責務を負った存在でなければならないわけであります。

 次に、「2.現実の弁護士像」に入りますが、そこで、現実の弁護士はどういうものなのか、私の個人的な感想でありますが、ちょっと申し上げさせていただきたいと思います。

 現実の弁護士は、皆さんが既にいろいろな局面で指摘されているように、やはり数が少なくて、医師とか公認会計士、税理士に比べて、非常に接触頻度の少ない存在となっております。その原因は、これも皆さんの御指摘どおり、情報開示が不十分で、具体的な姿や顔が見えないことがあげられます。そして、それがユーザーにとって敷居の高い存在と受け取られる結果を招いています。結局のところ、ユーザーから見て身近な存在であるということは到底言えない状況であります。

 また、弁護士の中には特権的な地位に安住して、自らの専門性を向上させる努力を怠る者も少なくないようであります。さしたる専門性もないのに威張っているという印象を依頼者に与える者も多いという話もよく聞きます。

 全体としての弁護士・弁護士会について見た場合、弁護士会としての意見形成の過程や会の運営はアカウンタビリティーの概念が乏しく、決してユーザーに開かれたものとはなっていないわけであります。

 外から見る限りにおいて、価値観の一致がほとんど期待できない多種多様で自由な弁護士が、組織としての統一意見を形成できること自体が不可思議でありますし、本当に多数の弁護士の意見を適切に反映しているかということに対しては、疑念すら生じさせています。

 さらに、弁護士の登録や懲戒等の行政作用を担っているにもかかわらず、弁護士会の活動について、国民が参加して、これを監督する手段はほとんどないに等しい状況であります。ユーザーは、個人としての弁護士と同様に、組織としての弁護士会も遠い存在に感じていることは確かであります。

 このように、ユーザーの見方は一般的に言って、想像以上に冷めたものであることを弁護士を始めとする法曹三者は強く認識しておく必要があると思います。

 次に、「3.弁護士改革の視点」でありますが、このレポートを作成するに当たってのポイントを簡単に御紹介した後に、各論の方に進みたいと思います。

 再三申し上げているように、弁護士が信頼できる存在として、社会の変化に伴い増大する期待にこたえていくために、一つは弁護士へのアクセスの拡充であり、二つ目には弁護士の提供する法律サービスの質を向上させていくことが肝要だと考えています。三つ目に、弁護士の意識改革と弁護士会の改革が極めて重要な鍵であるというふうに考えております。司法試験合格はゴールではなくてスタートであるという認識をしっかりと持っていただきたいと思います。新人の弁護士までも「先生」と呼ぶような状況が、本来あるべき弁護士としての姿を曲げてしまう可能性があります。こうした状況から脱却することが、自己改革の第一歩となるはずだと確信しております。

 さらに、弁護士会の改革に当たっては、ユーザーに開かれた存在にするという観点が大切だと考えております。弁護士会は、弁護士の情報開示を徹底し、弁護士間の競争とユーザーのアクセス拡大を促し、同時に、すべての弁護士が社会的責任をきちんと果たせるような責務を負うことが求められています。弁護士会の改革を大胆に実施することによって、弁護士が真に国民から信頼される存在になるというふうに考えております。

 次に、2ページの「Ⅲ 各論」に入らせていただきます。

 「1.弁護士へのアクセス拡充」ですが、「(1) 法曹人口の適正な増加」につきまして申し上げます。初めに、法曹人口の不足は、アクセス障害の最も最たるものでありまして、大幅な増加の必要性については、この審議会でもほぼ認識の一致が見られるところであります。しかし、これまでの審議会の議論においては、我が国の法曹人口について具体的な目標値を見出してはおらないわけであります。

 そこで、委員の皆さんにはいろいろお考えがあるでしょうが、法曹人口の増加を実現していくために、例えば、10年後の2010年には法曹を5万人にするといったような期間と数について、ある程度の目標を立ててみることがいいのではないかと考えています。そして、その目標に向かって、種々の角度から実現可能性を探っていかないと、いつまでも足踏み状態が続くことになるわけであります。私自身は、先進国の中で最も数が少ない、フランス並みの規模となるような目標を立てるのが今の段階では適当な考えではないかと考えております。

 法曹養成のキャパシティをベースにその可能性を否定するのではなくて、まず目標を立てて、そこから法曹養成の在り方を描くことが、法曹の抜本的改革につながるものではないかと考えております。

 現在の司法試験合格者は1,000 人だそうですが、大幅に合格者を増やした場合、どうやって養成するかと危惧する向きもあります。私は、相当数を海外に留学させて、国際感覚を養成の段階から組み込むような、ローテーションをきかした研修制度を構築することも一つの方策ではないかと考えております。

 「(2) 弁護士過疎への対応」でありますが、全国的に見て弁護士がゼロ又は1人である区域が、市区町村単位で約90%も存在するという弁護士過疎の問題は、弁護士に対するアクセス障害の最たるものとして、極めて深刻なものであると考えます。この問題について、弁護士会が法律相談センターや公設事務所を開設する努力を続けておられることは、高く評価されるべきであり、更なる拡充が期待されるところであります。

 しかし、これまでの状況を見る限り、現状のような弁護士会による自主的な取り組みのみによって、全国の弁護士過疎地域にあまねく弁護士によるサービスを行き渡らせることは、難しいのではないかという印象を持たざるを得ないのであります。

 弁護士の公益義務を法定し、弁護士会が個々の弁護士に過疎地での開業を奨励することなども検討に値すると思われますが、その実効性はこれまでの経緯からして難しいのではないかと考えております。

 弁護士が全国できめ細かく「社会生活上の医師」としての役割を果たすためには、単に人口を増やすことだけではなくて、国が制度面や予算面から主体的に関与して、公設事務所を開設し、法律扶助制度や公的刑事弁護制度にも役割を担わせることも、有力な解決策として検討されるべきものと考えております。こうした手当てなくして、弁護士過疎の抜本的な解消はあり得ないのではないかというふうに思っております。

 さらに、近々立法化される予定の弁護士事務所の法人化について、法人が支所を設置することを可能にする方法で検討が進められているということは、弁護士過疎の解消の観点から、歓迎すべきことであると考えております。このような方針を決定された日弁連に対しては心から敬意を表するところでありますし、弁護士による法人が、その公益的役割を自覚し、進んで弁護士過疎地にも事務所を設けることにより、弁護士過疎の解消に資するものと期待しております。また、法人化した弁護士事務所だけでなく、個人の弁護士事務所にも複数の事務所の設置を認めることも一方策としてあるわけですから、いろいろな見地・角度から工夫を施していくべきだと考えております。

 あわせて、インターネットを利用した法律相談活動を普及化させることなども、アクセス向上の観点から有益であると思われます。弁護士過疎地域において、司法書士等の隣接法律専門職種が弁護士を補完する役割を果たすことを可能にすることも、重要な検討課題であるというふうに考えております。

 次に、「(3) 弁護士情報の公開」ですけれども、ユーザーが弁護士を選択するための十分な情報が与えられていないために、ユーザー自らの依頼事項にふさわしい弁護士を選択し、必要に応じて交替させるなどの選択の自由を事実上失っていることも、弁護士へのアクセス障害としてとらえられます。したがって、これまで禁止されていた弁護士の業務広告を原則として自由化する会則改正がなされたことは、高く評価されるべきであるというふうに考えております。

 今後、専門分野、関与した事件歴、顧問先、所属事務所等の規模や事務所における地位、平均的な顧問料や相談料、著書の有無等、ユーザーが弁護士を選択するのに必要としている情報が積極的に広告の対象とされることを期待したいと思います。

 アクセス向上の観点からすると、個々の弁護士による広告に期待するだけでは十分ではなく、弁護士会が弁護士についてユーザーが必要とする情報をデータベース化し、ホームページで公開したり、書物として出版するなど、弁護士に関する広報活動が充実されることも必要であると考えております。このような制度は、既に一部の弁護士会で検討が始まっているようですが、早急に全国の弁護士会で実施されることを期待しております。

 次に、「(4) 弁護士費用」でありますが、弁護士に依頼した場合、どの程度の費用がかかるか分からないということも、弁護士に対するアクセスを阻害する要因になっていると考えられます。報酬規定の透明化・合理化が必要であると考えております。

 さらには、弁護士費用は、弁護士会が会則等で決めるのではなくて、自由競争社会の中で、市場によってその適正価格が決められていくものであると考えます。また、「経済活動におけるパートナー」としての弁護士を考えた場合、ストックオプションを利用して、その報酬を支払えるようにするといった工夫も、弁護士自らの努力で報酬を増やせるといったインセンティブになり、弁護士にとっても中小企業にとっても有効であるに違いないと思います。

 その一方で、「社会生活上の医師」としての公共的視点に立てば、経済的要因によるアクセス障害を解消するために、法律扶助の充実など、公的な支援や訴訟費用保険の一般化といったことも検討課題であるというふうに考えております。

 次に、3ページの「2.法律サービスの質の向上」でありますけれども、現状の弁護士は、例えば、知的財産権、税務、金融、労務等の専門分野について企業の必要とする専門性を十分に備えているとは言えないわけであります。ユーザーは、弁護士の提供する法律サービスの質に必ずしも満足していないのが実情であります。

 このような実情を踏まえ、弁護士がユーザーにとって真に頼りがいがあって、信頼できる存在に変わっていくことも重要な課題であります。

 次に、「(1) 事務所形態の多様化」ですが、弁護士事務所の共同化・法人化は、業務の組織化・分業化やノウハウの蓄積等を促し、高度に専門化した法律サービスの安定的供給を可能にする点で、法律サービスの質を向上させるための有力な方策であると考えております。

 また、ユーザーの立場から見た場合、弁護士と公認会計士、弁理士、税理士、司法書士等の異なる専門資格者が一つの事務所で協力し合い、それぞれの専門性を活かして総合的に質の高いサービスを提供するワン・ストップ・サービスに対する期待は非常に強いものがあります。このような異なる専門資格者による協力関係を促進するために、弁護士を中心とする専門資格者の意識改革を行うとともに、制度面での制約を見直す必要もあると考えます。総合的法律・経済事務所の設置要件を緩和したり、異業種とのパートナーシップ及び相互の雇用の解禁といったことも検討してもいいのではないかと考えております。

 次に、「(2) 法曹養成及び継続教育」でありますけれども、ロースクールの構想は、法曹の専門性や国際性等を向上させ、真にユーザーの求める法曹を養成するために有力な方策となり得るものと期待しております。ロースクール段階でも留学を義務付けるなどして、ともかく国際感覚を養うことが非常に重要だと考えております。多様な背景を持った人材が法曹界へ参入することを可能にする仕組みにしておくことが、ロースクールによる法曹養成を考えるポイントであると考えております。

 さらに、弁護士会等が特定の専門分野の研修等を実施して、それを受講した弁護士の専門性を認定して、「医学弁護士」・「建築弁護士」・「工学弁護士」など特定の専門分野名を冠した呼称の使用を認める制度なども、弁護士の専門性が向上するとともに、ユーザーにとっても弁護士の選択の参考となり、アクセス拡充を促すものとして有益であると考えております。

 加えて、ロースクールが実現した場合には、これを例えば、5年に1度の継続教育の場として利用することも考えられるところです。様々な施策を有機的に組み合わせて、質の向上を模索していく必要があると考えます。特に倫理観を見失わないように、継続的な教育の機会を弁護士に与えるものとして弁護士会を機能させるべきであります。

 医師は資格を得た後、自分の専門分野における最先端情報や技術を、いろいろな学会へ出席して資質の向上を図っていると言われています。振り返って、弁護士はどうなのでしょうか。一部の方々を除き、自分の能力を磨くための前向きの努力をしているかどうか疑わしいというのが一般的見方であります。

 次に、「(3) 弁護士の業務範囲の見直し」ですけれども、弁護士は法律的な業務独占に守られ、その地位に安住していたために、自己研鑽の必要性を痛感することができなかったという不幸な面があるように思われます。法曹人口の増加による適度な競争原理の導入等とともに、その業務独占の在り方を見直すことも必要な時期に至っているように思われます。

 弁護士は、法律上の業務独占によってではなく、提供するサービスの質の高さをユーザーにアピールすることによって、責任ある地位を保っていくべきであります。ユーザー保護の観点からの担い手の能力を担保する措置を設け、業務独占を解除して、隣接法律専門職種等に分担させ、真の意味で弁護士にしかできない業務に全力を傾けて、その専門性を発揮することでユーザーのニーズに応えるべきであると考えております。

 隣接法律専門職種に対する訴訟代理権等の付与・法律相談業務等の裁判外の業務独占の在り方・企業法務の活用等は、このような観点から検討されるべき課題であると考えます。その際、民事訴訟法などの最低限の知識や能力を担保する十分な試験制度があってしかるべきだと考えています。

 さらに、弁護士が、隣接法律専門職種等に独占業務の一部を開放して協働化を進め、その専門性を活用し、また外国法律事務弁護士とのパートナーシップ及び雇用の見直しを行うなど、トータルとして質の高いサービスを提供することを可能にすることが重要であると思っております。

 また、企業形態も多様化する中で、企業法務担当者が企業の法廷代理人となれるような方策が検討されてもよいと思います。その際、東京商工会議所が取り組んでいるビジネス実務法務検定を企業法務担当者の能力的担保措置に利用したりするのも、法律サービスの質の向上を図る一つの方策として検討に値するものと考えております。

 次に、4ページですが、最後の柱として「3.弁護士の意識改革と弁護士会改革」について触れたいと思います。

 「(1) 弁護士の意識改革」ですが、「① 公益性の自覚」につきましては、弁護士業務が公益的側面を有し、かつこれを重視すべきことは、この審議会においてもほぼ認識が一致しているところであると思います。ここで言う公益的側面、つまり社会的責任とは、個々の弁護士の利害に沿ったものではなくて、あくまでもユーザーの視点に立って、全力を尽くすことであります。社会的責任として「公衆への奉仕」・「公務への就任」・「法曹養成」に主体的に係わっていくことは言うまでもありませんが、ユーザーの視点に立つことによって、マクロ的に「法の支配」を実現していくことが大切であると思います。

 現在の経済活動の状況を鑑みると、企業はグローバルな活動を展開し、種々のリスクを回避していくために、弁護士の力が絶対に必要不可欠となっております。従来型の法廷活動や第三者的助言といったものにとどまらず、高度な専門性、国際性を有する先端分野での予防法務及び経営戦略の担い手としての役割が重要になっています。

 そのような観点も踏まえ、自らの社会的責任を自覚して、公的機関、国際機関、民間企業、非営利団体などへ積極的にその活動領域を広げていくべきだと考えております。そのためには、弁護士の兼職や営業等を制限している弁護士法第30条の見直しが必要と考えられます。

 「② エリート意識・縄張り意識からの脱却」でありますけれども、弁護士が継続教育の必要性を痛感することなく今日に至っているのは、そのエリート意識のなせる業の一つであると思います。エリート意識・縄張り意識が隣接法律専門職種等との協力関係を阻んでいる一つの要因となっているように思われます。このような意識を捨て去ることによって、ユーザーの視点に立った法律サービスの質の向上に資すると考えられます。また、社会全体が弁護士を名誉職として安易に受け入れてしまっていることも反省しなくてはならないことだと思います。

 「③ サービス提供者であることの自覚」でありますが、広告の自由化や弁護士事務所の法人化が、検討開始から実現まで何十年もかかるなど、弁護士が国民に身近な存在へと迅速に自己改革を遂げることができなかった一つの要因は、「弁護士業はビジネスではなく品位を重んじ、拝金主義に走ることは厳に戒めなければならない」という考え方にあるものと思われます。これもある意味では正しい考え方ですけれども、現在のような自由競争社会においては、弁護士業務をサービス業としてとらえることが必要なのではないかと考えられます。したがって、弁護士は、法的サービスの提供者であるということを自覚して、ユーザーの利便性を第一に考えることが、改革の基本になるということであります。

 「④ 積極的に外へ目を向ける意識」でありますが、これまで、我が国のいわゆる渉外事務所は、一般の企業と異なり所属弁護士を海外に留学させても、一定期間を経ると呼び戻して国内で勤務させ、海外の巨大ローファームとの国内における競争に備えるという守りの姿勢に徹する例が多く、海外に支所を設け、その国の依頼者を獲得し、欧米の巨大ローファームと対等に競争していくという姿勢が乏しいように見受けられます。このような内向きの意識が、弁護士事務所の国際化や経営基盤の強化を妨げる一つの要因となってきたように思われますし、この分野における諸外国との競争に必ずしもよい影響を及ぼさなかったように感じられます。最近では、中国や韓国といったアジア諸国から企業間取引に派生する司法分野への脅威もあると聞いています。こういったことに日本側がほとんど対策が立てられないというのが実情だと思います。

 このような内向きの意識は、隣接法律専門職種等との業際問題にもあらわれておりまして、弁護士としての誇りと自信に裏打ちされた外向きの意識に改革していく必要があると考えております。

 次に、5ページの「⑤ 弁護過誤訴訟の容易化、一般化」であります。我が国では、弁護過誤訴訟について見聞きする機会はほとんどありません。このため、ユーザーは弁護士過誤であることに気づくことすらもなく、競争原理が適正に機能しにくい状況に陥っているのではないかと考えられます。

 弁護士に全幅の信頼を寄せている法廷戦術において、証拠採用の仕方などの過誤が後の展開で大きな影響や損失につながる危険は大いにあり得ることであります。少し前まで、医師の手術とか治療に何らの疑念も持たなかったわけでありますけれども、近年では医療過誤は多発している状況であります。法廷でも同じことが起きているのではないでしょうか。

 弁護士は、やみくもに仲間を守るような仲間意識から脱却して、弁護過誤事件についても積極的に調査研究し、これを専門分野とすることによって、弁護過誤訴訟の容易化・一般化を促すことが、ユーザー本意の司法を実現するために重要であると考えております。

 次に、「(2) 弁護士会改革」でありますけれども、「① 弁護士会運営への国民の参加」であります。以前から、弁護士会はホームページ等を利用して、会の運営を国民に開かれたものとすべく努力しているようであります。今後はこれを更に一層徹底したものとするため、国民に対するアカウンタビリティーの概念を導入し、会則等の変更に際し、行政機関と同様にパブリックコメントを求めていくことを義務付け、最近の企業でも盛んに導入が進められている「社外役員」のように、理事等には外部者も一部選任することなども、現実的な方策として検討に値するものと考えております。

 旧態依然のまま、「会内合意」ですべてを済ましているのではなくて、公にオープンにしていく努力を怠ってはならないと思います。弁護士の自治とは、このような点でも発揮されるべきではないでしょうか。

 次に、「② 弁護士法第30条3項の許可制度の廃止」についてでありますが、現在、弁護士が営利企業の取締役等に就任するためには、所属弁護士会の許可が必要とされており、弁護士が民間企業で活躍することの足かせとなっていると指摘されています。

 この制度の趣旨は、弁護士の品位の保持にあるとされているようですが、何をもって品位と言うのか、どの分野の業態が品位を害するのか、非常に不明瞭な議論であると思いますし、そのような判断をすることは、不当な差別ではないかとも考えられます。事前規制して、違法・不当な行為が行われる恐れのある業態に近づこうとしないことによってリスクを回避するということは、弁護士の公的責務に照らしても合理的であるとは到底思えないわけであります。むしろ、そのような業態にこそ、内部から弁護士が監視する必要があるのではないかというふうに考えております。

 一部の弁護士会には許可の取扱い基準を自主的に見直す動きもあるようですけれども、それだけでは不十分でありまして、廃止を含めた制度全体の見直しを早急に行う必要があると考えております。

 次に、「③ 懲戒制度の見直し」についてでありますが、懲戒制度は、弁護士会による行政作用の最たるものでありまして、ユーザーである国民が直接弁護士会等にアプローチできるほとんど唯一の機会であります。これが開かれた制度であることは、弁護士全体に対する国民の信頼を確保するために不可欠であるというふうに考えられます。

 一般的に言いまして、 200人の人間がいるとその資質に問題があると思われる人が、その 0.5%、つまり1人くらいはいるというふうに言われております。つまり、何人か集まれば 0.5%くらいは変なのが出てくるということなのですが、したがって今後法曹人口が増加すれば、法曹の使命を逸脱して、社会の期待に背く者が出てくることは大いに想定しなくてはならないということであります。

 こうした事態に備えた仕組みとしての現在の懲戒制度は、懲戒処分を受けた弁護士は裁判所による司法審査を受けることができるのに対し、懲戒請求をしたユーザーは懲戒処分がなされない又は甘過ぎることを不服として司法審査請求手続をすることができない制度になっています。このような不公平な制度は、制度構築の在り方としてはいかがなものかと言わざるを得ません。懲戒請求者も司法審査を請求できるようにすることは当然であり、懲戒委員会や綱紀委員会の構成メンバーの見直しといった制度改正が早急に必要だと考えております。

 「④ 弁護士会の指導・監督権限の強化」でありますが、近年における懲戒処分や弁護士による犯罪の増加に対応するため、弁護士会の会員に対する指導・監督権限の強化を検討する必要があると思います。これは、事前規制型から実効性のある事後チェックへの移行という考え方に沿うものであります。とりわけ、懲戒制度に民主的なチェックを導入するものであれば、その反面として、充実した証拠収集を行えるように、弁護士会側に強制的な調査権限を付与することも検討すべきであると思います。

 今年の春、弁護士会の懲戒処分の不服申立を受け、日弁連によって取り消された事例が報道されましたが、充実した調査を可能にすることは、このような事例の防止にも資するものと考えられます。

 また、弁護士に対する倫理観の徹底も、弁護士会の課題としては緊急性を帯びたものになっていることも、再度指摘しておきたいと思います。

 最後になりましたが、ユーザーの立場から「弁護士制度の在り方について」忌憚のない意見を申し上げさせていただきました。私は法律の専門家ではありません。したがいまして、一般のユーザーである素人の目線を外れないように特に留意しながら今回のレポートを作成したつもりであります。専門の方々から御覧になると的外れな点が多々あるのではないかと思いますが、素人の感じ方ということで御容赦いただきたいと考えております。

 弁護士会が裁判所や検察庁に先駆けて自己改革を断行し、国民の確固たる信頼を獲得されますよう期待してやまない次第であります。御清聴、ありがとうございました。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。

 それでは、続けて吉岡委員から御報告をお願いしたいと思います。

【吉岡委員】言いたいことのかなりの部分を石井委員に言っていただいた感じがいたします。ダブる点があろうかと思いますけれども、お許しいただきたいと思います。

 私の言いたいことを分かりやすくということで、図示してございます。この図を見ていただきますと、大体、私がこれから報告したいことをお分かりいただけるのではないかと思います。

 まず、総論といたしまして、弁護士についてどう考えているのか、司法の在り方も含めて申し上げたいと思います。前回も申し上げていますが、司法制度は国民の幸福追求のための道具として機能しなければいけないのではないかと考えております。司法は、国民の「社会生活上の医師」の役割を果たすべきであるとするならば、弁護士は法曹の中で最も国民に近いところに位置付けられなければならない存在です。しかし、国民の多くは、裁判所は遠い存在と考え、さまざまなトラブルに遭遇した場合であってもなかなか利用につながらないという実態があるのと同じように、弁護士についても敷居が高い存在であるということには変わりがありません。

 論点整理の中でも、「国民が司法に期待するものは、利用者として容易に司法にアクセスでき、国民に開かれたプロセスにより、多様なニーズに応じた適正・迅速かつ実効的な司法救済を得られるということ」と指摘しておりますが、それにはまず国民と司法の接点を担っている弁護士へのアクセスの拡充と飛躍的な量の拡大を図る必要があると考えております。いつでも、どこでも、だれでも、気軽に司法サービスが利用できる国民参加の仕組みの構築が重要であると考えます。

 以上の視点から、以下8項目についてまとめました。

 まず、弁護士の公共性と社会的責務、次に弁護士へのアクセス障害の解消、3番目に弁護士過疎・偏在の解消、4番目に弁護士の質の向上、5番目に弁護士人口の大幅拡大、6番目に法律事務所の態勢整備と規模の拡充、7番目に弁護士及び弁護士事務所の国際協力、最後に弁護士法の見直しという順序で御説明させていただきます。

 各論に入ります。

 「1.弁護士の公益性と社会的責務」。まず、第1に、社会的責務としての公衆への協力の問題です。中坊委員からかつて、「弁護士の社会的責務として、公衆への奉仕、公務への就任、法曹養成への主体的関与がある」という考えが提示されておりますが、社会的責務の具体的実現について検討することが必要であると考えます。

 弁護士が既に、当番弁護士あるいは法律扶助、法律相談等、公益的活動を行っていることは周知のことですが、大変評価されると考えております。弁護士が法曹の中で圧倒的多数を占めていること、さらに今後国民が利用しやすい司法を目指すためには法曹人口の大幅増員が求められていることを考えますと、弁護士及び弁護士会は、法曹養成をはじめ、司法に関して積極的に協力・参加することが求められております。

 その一つには、プロボノ活動の義務化の問題があると思います。弁護士の社会還元の一つとして、プロボノ活動については一部の弁護士会、一弁、二弁等でも義務化をうたっていると聞いておりますけれども、実施状況についての把握はされていないのではないかと思います。実質的に担保されるような取り組みが必要ではないかと思います。

 「2.弁護士へのアクセス障害の解消」につきまして、弁護士費用、専門性等に関する情報提供、法律相談等の活性化等がありますが、まず、弁護士費用について利用者の面からいいますと、弁護士に依頼したいと考えたときに幾らかかるか分からない、高額を請求されるのではないかという不安や弁護士費用の予測困難性が国民のアクセス障害の一つになっていると言えます。

 弁護士費用について、合理化・透明化を図り、十分な説明をすることが必要です。また、弁護士費用はその事件での弁護士業務に見合った額であると依頼者が納得できることが求められていますが、弁護士費用の事前予測が困難であるのをはじめ、額の決め方についても利用者に分かりやすいものになっていないのではないかと思います。

 弁護士報酬といえどもサービス契約の一環であるということを考えれば、「報酬等基準規程」を合理化し、透明性を高め、報酬に関する契約書の作成の義務化、徹底をするべきではないでしょうか。

 これにつきましては、後ろの方に資料を添付してございますが、資料1に弁護士報酬等基準規程の一部をコピーして載せてございます。その7条を見ますと、「弁護士の説明義務等」といたしまして、「依頼者に対し、あらかじめ弁護士報酬等について、十分に説明しなければならない」などを弁護士会で決めていらっしゃいます。そういうことからすれば、その決めてあることの徹底ということを考えることがまず第一ではないかと考えます。

 参考として本文の方に書いておきましたが、これは民事司法のときにも取り上げたところですが、やはり都市部を含めて、知り合いに弁護士がいるという人が1割強に過ぎない。しかも、その中でも弁護士に相談するには費用が幾らかかるか分からないなどの理由で躊躇してしまうという回答が、日弁連の調査でも報告されております。そういうことから考えましても、透明性を高める、分かりやすくするということの努力が更に求められるところでございます。

 次に、弁護士の専門性等の情報ですが、国民が司法を利用する場合、接点となるのが弁護士であり、紛争内容に即した特定の専門分野を得意とする弁護士の存在が求められるわけですが、現状は、弁護士の活動に対しての情報が不足しており、消費者がニーズに合致した弁護士を探すことを困難にしています。

 弁護士会の広告規制は10月から完全に撤廃されるというふうにも聞いておりますけれども、広告だけではなく客観的な弁護士の評価、例えば、どんな論文を出しているか、著書がどうか、あるいは専門研修に参加しているか、そういった専門分野の情報を客観的に開示する必要があると思います。そのためには情報開示のシステムの確立が必要だと考えます。例えば、アメリカのABAのような第三者評価も考えていいのではないかと考えています。

 3番目に、法律相談の活性化。特に、過疎地の相談センターや経済的なハンディキャップのある層に対する相談活動、専門相談などを活性化していく必要があると考えます。

 「3.弁護士過疎・偏在の解消」。弁護士人口の大幅増加が過疎・偏在の解消の重要なポイントの一つになるということは言えるのですが、ただ弁護士人口が増えたからといって、過疎地に本当に行ってくれるかどうかは、確信を持つまでには至っておりません。そういう意味では、公設法律弁護事務所の設置等を積極的に考える必要があると思います。

 アメリカの場合、これは後ろの方に資料2としまして3枚つけてございます。アメリカの場合にはリーガル・エイド・ソサイエティという民間の非営利組織と公的組織の連邦公設弁護人事務所というのがあります。この資料はかつて審議会で配付された中からピックアップしたものでございますけれども、こういう二つの組織があります。そういう組織を参考にしながら、日本の場合の公設法律弁護士事務所を考えていくということが重要ではないかと考えます。

 この中で、特に非営利団体の民間の組織リーガル・エイド・ソサイエティの場合を見てみますと、取扱い件数が30万件とかなり膨大な量になっております。それから、規模を見ますと、ニューヨーク市内だけで弁護士が 943人、職員が 874人という膨大な数の人を雇用して活動しているという実情でございます。そういう中で、日本円にして 135億円という膨大な予算規模、しかもその大部分は国家予算として出されているという実態を見ますと、このような形での公設事務所の在り方が、日本の場合も理想的なものとして参考になるのではないかと考えております。

 それから、法律事務所の支店禁止規定の改正、これは弁護士法20条ですが、石井委員もお触れになったところでございますので、細かな説明は省かせていただきます。

 「4.弁護士の質の向上」。まず、研修制度の充実、義務付けが必要ではないか。拡大する国民の法的ニーズに応えるためには、質・量ともに充実することが重要です。弁護士による研修制度の充実と研修の義務付けが必要ではないかと考えます。

 研修制度等については弁護士会でもかなりやっていらっしゃるのですけれども、意識のある弁護士が参加するという、そこにとどまっているようです。海外等では、例えば3年、5年という一定期間を経た段階で研修を受けなければいけないという義務付けがあり、その研修を受けないでいると、弁護士資格にも言及されるというような実態があると伺っております。そういう制度があるということが弁護士のブラッシュアップにつながるのではないかと考えております。

 次に、もっと大切な問題として、弁護士倫理の確立の問題があります。弁護士倫理の確立と弁護士会の責任といたしまして、司法の抜本的改革の実現のために、弁護士人口の大幅な増加が不可欠であるという、そのことが弁護士の質の低下につながらないようにしていく必要がある。特に、倫理面での質の低下をカバーしていかなければいけないと考えております。そのためには、弁護士の登録後の専門研修の充実、それと同時に職業的倫理の確保という、そういう面での弁護士会の役割というのは非常に重要ではないかと考えております。

 弁護士倫理確立のための方策といたしまして、ルールが守られるための制度的方策の実施、ルールの制定と周知徹底、それからルールが守られなかった場合の適正な制裁が考えられなければいけないのではないかと考えます。

 具体的にいいますと、弁護士業務活動の各分野における具体的な倫理的行動基準の必要性があります。やはり、個別分野についてのスタンダードがつくられるべきではないかと考えます。それから、ルールづくりに向けた既存規定の見直しの必要性、報酬規定の義務があっても、実際に守られているのかどうかということについて、弁護士会がどれだけ把握しているのかという問題があります。それから、ロースクールができる場合ですが、ロースクールにおける法曹倫理教育が重要になってくるのではないかと考えます。登録後の倫理研修の充実、ルール違反が行われないための制度的方策、これが守られるようなシステムになるかどうかということです。それから、ルールの遵守状況についての弁護士会の把握がどこまでできるかという点もあります。それと同時に、市民参加の弁護士に対する苦情処理窓口の充実が必要です。

 それから、守られなかった場合の適正な制裁については弁護士会の綱紀懲戒制度が実際にはあるわけですが、これが実効性を持つような工夫がされる必要があるのではないかと考えます。したがって、弁護士会の自律による職業倫理の確保という観点から、倫理違反が疑われる事案について、弁護士会の調査権限を強化し、調査を受ける者の調査協力義務の明確化などの措置がとられる必要があると思います。

 また、情報公開という観点からは、利用者が悪質な弁護士に対する懲戒申立を行いやすくするという観点から、懲戒手続の広報や個々の弁護士の懲戒関係の情報の適切な公開なども検討される必要があると思います。

 資料3でございますが、3枚ほど用意してございます。「弁護士の懲戒手続の流れ」につきましては、この審議会に日弁連から提出されたものでございますけれども、非常に立派な懲戒手続を決めていらっしゃいます。ただ、懲戒等の委員会に市民参加があるというふうにはなってはいるのですけれども、この参加メンバーが専門的な法律家というところにとどまっているという問題がまだ残っていると思います。

 それから、実際の懲戒請求手続がどうなっているのかという、これも数回前に資料として配付されておりますが、懲戒請求事件の件数一覧表が次のページに載せてございます。この一覧表で見る限り、処分の数値が非常に低いという状況が読み取れるのではないかと思います。そういう低い状態の中で、繰り返し懲戒を受ける弁護士がいるということも聞いております。

 参考資料の次のページでございますが、複数回数の懲戒処分を受けた者がいるかどうか、その人数がどうかということを問い合わせましたところ、昭和30年以降で 112人ということで、その内容を見ますと、2回が一番多い84人でございますが、極端な場合は6回がいるという状況が報告されております。

 こういうことを考えますと、数が少ないだけではなくて、複数懲戒処分を受けるというところに質の問題があるということが分かるのではないかと思います。それから、除名・退会命令処分を受けた者の人数とか、その後資格を回復した者がいるかどうか、これについても問い合わせてみたのですが、資格を回復した者は比較的少ないという数値が出ております。

 「5.弁護士人口の大幅拡大」。3ページの下のところからですけれども、国民が容易に司法にアクセスできるためには、制度的インフラの整備が必要であると同時に、人的インフラが重要だということは論点整理の中でも再三言われているところでございまして、これはこの審議会の合意にもなっているというふうに考えております。やはり、この司法的なインフラ整備という中では、弁護士人口が不足していることと偏在の問題が重要であるというふうに考えております。

 そういうところから言いますと、かなり大幅に弁護士人口を増加することが求められるわけでして、かつて中坊委員が、フランス並み、5~6万人を目指すのが妥当ではないかと発言されていらっしゃいますけれども、先ほどの石井委員も、5万人を目指すべきという、これは最低目標だと思いますが、私も5~6万人をとりあえずは目指すべきではないかと考えております。

 「6.法律事務所の態勢整備と規模の拡充」。法律事務所の規模の拡充、態勢整備では、まず法人化、共同化を考えるべきではないかと考えます。弁護士業務の執務態勢についてみますと、現在の訴訟手続が当事者主義を基調としていることから、訴訟当事者の代理人である弁護士が迅速で充実した審理の実現のために果たすべき役割は重要だと考えます。

 しかし、御承知のように、日本の場合、法律事務所は個人経営が主流で、しかも1人の弁護士がやっている事務所が非常に多いという状態から、1人の弁護士が抱える訴訟件数も多いということで、期日が入りにくいという問題も指摘されているところでございます。

 ひるがえって、海外の法律事務所を見ますと、非常に巨大な規模の総合事務所がたくさんございまして、1,000 人を超えるような弁護士を雇用して機動的に活動している実態が、ゴールデンウイークのアメリカの視察でも、クリフォードチャンス&ロジャース法律事務所等を見学させていただきまして、その規模の大きさと充実している内容に、私も大変驚きまして、日本の事務所は太刀打ちできるような状態ではないと感じました。そういう意味からも、早急に弁護士事務所の法人化を進める必要があります。

 実態につきましては、資料4「我が国の法律事務所の形態について」という円グラフが書いてある資料がございます。これも既に配付されていて、お読みのことでございますので、詳しく説明する必要はないと思いますが、法律事務所の共同化の現状を見ますと、1人ないし2人というところで62.6%という数値を示しておりますし、10人以上の規模を見ますと1割にも達しない、 9.9%という現状だということも分かります。これは円グラフ①を御覧ください。

 それから、グラフ②で事務所の規模別で比較した場合の数値が出ておりますが、弁護士1人の事務所の規模というのが非常に多くて、 74.27%という数値が出ております。そういう意味では、非常に規模が小さいということが分かります。

 弁護士偏在、過疎問題ですが、これも既に言われているところでございますので、細かなことは時間の関係もありますので省きますけれども、過疎の解消が非常に今求められているということだけ申し上げたいと思います。そういう意味ではワン・ストップ・サービスと総合化、共同化の問題を早急に検討しなければならないと考えます。

 「7.弁護士及び弁護士事務所の国際競争力」。それから、今、海外と太刀打ちできないということを申し上げたのですけれども、弁護士及び弁護士事務所の国際協力が必要だと思います。海外の巨大なローファームと比較しますと、日本の最大規模の弁護士事務所でも100 人程度、一番大きなところで110 人と聞いておりますが、その程度でございます。そういう意味で、規制緩和が進んで、国際化・国際競争が進んでくる流れの中で競争していくということは、非常に不利な状態に置かれるのではないかと思います。そういう意味で共同化、総合化、法人化を早急に進める必要がある。同時に、海外弁護士との提携・協働あるいは海外への進出についても考える必要があるのではないかと思われます。

 資料が錯綜しておりますが、資料3の3枚目の一番下のところに国際化・外弁関係が書いてございます。これを見ますとお分かりのように、日本で働いている外国法事務弁護士の数は139 名という状況で、非常に少ないということが分かります。それから、外国法事務弁護士を雇用している日本の法律事務所数が21、外国法事務弁護士との特定共同事業の数が10という数値でございまして、とても数値として載せるような状況にはなっていないという現状が分かります。

 「8.弁護士法の見直し」。そういうようなところを踏まえて今の弁護士法を考えますと、国民サービスという面から言うと、弁護士の法律事務独占の見直しという関係から、72条の見直しが必要ではないか。それから、事務所の支店禁止等を考えますと、弁護士法20条の見直しが必要であろう。それから、兼業の問題を考えますと30条の改正が必要だと思います。

 この点については、石井委員ともダブりますし、予定の時間を3分ほど過ぎておりますので、この説明は省かせていただきまして、私の説明をこれで終わらせていただきます。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。

 最後になりましたが、北村委員から隣接士業関係について御報告をお願いしたいと思います。

【北村委員】今日は遅れてしまいまして申しわけありません。いつも迷子になることで有名なのですが、今日はタクシーが迷子になっておりまして、本当に申しわけございませんでした。

 「隣接法律専門職種の関わりについて」ということで今回報告させていただくことになっておりますが、私のレジュメのページのついていないところは報告の要旨ですので、2枚目の1と書いてあるところから御覧になっていただきたいと思います。

 この隣接法律専門職種について、どのような視点から検討していこうかと思ったのですけれども、いつもここで論点整理のことが問題になっておりますので、論点整理において、この隣接法律専門職種との関わりについてどのように取り上げられているのかということを一応ピックアップしてみました。

 「1 問題の所在」。この論点整理は非常によくできておりまして、まず「弁護士との関係において」というところで隣接法律専門職種との関連が述べられております。簡単に言いますと、国民が利用者として容易に司法へアクセスすることができるようにするために、弁護士へのアクセスの拡充を図らなければならない。しかしながら、これには現在いろいろな改善すべき点が指摘されている。したがって、弁護士と隣接法律専門職種等の関係につきましては、この文脈において検討すべきものだろう。このように指摘されております。

 次に、裁判所との関係におきましても、この隣接法律専門職種との関わりが述べられております。つまり、専門的な知見を要する事件がますます増えつつある。将来においてもこのまま増えていくであろうというようなことが予想される。そのときに、法曹以外の専門家を活用する方途について検討することが必要である。このようになっております。

 次に3番目には、法曹養成制度の在り方との関係において取り上げられております。司法の担い手として法曹だけでなく、隣接法律専門職種等も視野に入れつつ、総合的に人的基盤の強化を図る必要がある。

 このように、それぞれ弁護士との関わりにおいて、裁判所との関わりにおいて、最後に法曹養成制度の在り方との関係において、三つの角度から検討すべきであるということになっているわけです。

 さらに、自由民主党の司法制度調査会の報告の中におきましても、やはり弁護士と隣接法律専門職種との関係ないし役割分担の在り方といった視点から、十分な検討が行われる必要があるというように指摘されております。

 このように見ていきますと、隣接法律専門職種の問題は、ただ単に弁護士の在り方との関わりにおいてだけではなくて、裁判所の在り方、さらには法曹養成制度の在り方、その関係においても検討されるべきものである、このように思われるわけです。

 しかしながら、裁判所の在り方との関係につきましては、既に民事司法の在り方のところで比較的詳細に検討したと思っておりますので、ここでは重複を避けたいということで、裁判所の在り方との関連については触れておりません。さらに、法曹養成制度の在り方との関係におきましては、法科大学院構想を検討する機会に検討した方が妥当であるということで本日は取り上げないつもりだったのですが、昨日あまり議論しておりませんので、どうなるかは分かりません。何か無責任なことを言っておりますが。

 結局、ここで取り上げるのは主として、本日、ほかの方の報告の関係もありますし、弁護士の在り方、その関係において隣接法律専門職種の問題を取り上げるというような形にしたいと思っております。

 「2 検討の視点」。このような形で取り上げる場合に、一体どういう問題点があり、どういう視点からこれを取り上げていかなければならないのかということになってまいります。

 先ほど説明いたしましたように、弁護士へのアクセスの拡充というようなことで、現在、克服すべき問題がいろいろ指摘されております。例えば、弁護士人口が不足しているとか、先ほどの報告にもありましたように弁護士の地域的な偏在の問題、あるいは弁護士報酬が予測できないという問題、あるいは弁護士の執務態勢、専門性の未発達、こういったような問題が司法へ国民がアクセスするその阻害の一要因になっているのではないかと考えられるわけです。

 そうすると、これを克服するための方策といたしましては、人口を適正に増加すればいいではないかとか、あるいは弁護士業務の在り方を改革していけばいいのではないか、あるいは公設法律事務所を設置すればいいとか、あるいは法曹養成制度の改革を進めなければならないとか、こういうようなことが検討される必要があるわけですけれども、ここに一つ、より現実的な方策といたしまして、弁護士以外の隣接法律専門職種の活用を考えるということも必要なのではないかと思われます。

 要するに、国民の司法へのアクセスの改善を図るために、利用者の視点から検討の必要性というものがあるだろう。しかしこういう視点以外にもう一つ、規制緩和の推進という視点を強調することによっても、この隣接法律専門職種の活用は考えなければならないのかというふうにも思われますが、しかしながらこの報告におきましては、利用者の視点を離れての議論は意味がないだろうということで、弁護士へのアクセス拡充の必要性という視点から検討いたしました。

 「Ⅱ 隣接法律専門職種の業務範囲等」。では、ここで取り上げる隣接法律専門職種として、一体いかなる職種を対象とするのか、これを考えてみなければならないということになります。それについてはⅡの「隣接法律専門職種の業務範囲等」というところで簡潔にまとめました。

 これ以外にもあるかと思いますけれども、今までヒアリングをしたり、また、ここで議論の過程の中で話題になってきましたのが、この五つの法律専門職種ということですので、ここでの報告もこの五つに限定させていただいております。

 Ⅱの業務範囲等につきましては、既にヒアリング等において直接その業種の方からお伺いしておりますので、内容の説明は省略させていただきたいと思います。

 次に、「Ⅲ 隣接法律専門職種の弁護士業務との関わり」に関して、特に訴訟との関連におきまして説明させていただきたいと思います。

 まず、司法書士の業務とのかかわりということですけれども、ヒアリングでもいろいろお伺いして分かったところなんですが、司法書士の業務内容、試験科目といったようなものを勘案いたしますと、かなり司法書士の方は訴訟法を含む法律的な知識を有していると思われます。また、現実的に弁護士の関与が少ない少額事件の本人訴訟におきまして、司法書士が訴訟書類の書き方を指導している場合があると、このように伺っております。

 さらに、司法書士の方は比較的地方にも散らばっておりまして、いわゆる弁護士のゼロワン地域におきまして、司法書士がどれだけいるのかという資料ですが、私の資料は別冊になっておりまして、「『隣接法律専門職種』に関する参考資料」を事務局でつくっていただきました。ゼロワンの問題につきまして、資料4、5を御覧になっていただきたいと思います。そうしますと、その活用というものは弁護士の数の少ない弁護士過疎地域の緩和に役立つのではないか、このように考えられます。

 専門性が比較的高いということと、現実に少額事件においては司法書士の方が訴訟書類の書き方を指導している、さらに、比較的地方にもいらっしゃるということを勘案いたしますと、簡易裁判所における民事訴訟、調停・和解の代理権というものを一定の要件を満たす司法書士に認めてもよいのではないかと思われます。

 すなわち、司法書士の業務は登記申請業務が中心であり、尋問技術等の法廷活動や訴訟における事実認定の手法についての素養は弁護士に比べますと若干不足しているのではないか。したがって、司法書士の方に簡易裁判所における代理人資格を一律に認めるのではなくて、試験や研修等を行っていただきまして、それによって十分な能力を保有した者に代理人資格を認めるということが望ましいのではないかと思われます。

 特に、昨日議論いたしました法曹人口の問題、これは5万人とか6万人とかいうような数字が出ておりますけれども、その数字は一体何年先の数字なのか。例えば10年先であるといたしますと、今まさに弁護士の数、法曹人口が足りないわけですから、そこのところをこういうような形で埋めていくという方策も考える必要があるのではないかと思われます。

 なお、それ以外に司法書士の方が求めていらっしゃる簡易裁判所事件以外の家事審判・調停事件の代理権、民事執行事件の訴訟代理権については、相当高度な法律知識を必要とするものもあり得るだろう。したがって、今後慎重に検討されなければならないというふうに考えております。

 次に、2番目の弁理士の方ですけれども、今でも弁理士は審決取消訴訟の代理を行うことができます。また、裁判所の許可がなくとも特許等の侵害訴訟の補佐人となることができるわけです。現在、侵害訴訟の裁判においては、ほとんどの場合に弁理士が補佐人として法廷で活躍しているというふうに聞いております。裁判の迅速性というものが特に必要とされるこういう侵害訴訟において、弁理士が高度な知識と豊富な経験に裏付けられた専門性を十分に発揮していだたきまして、弁護士が単独で紛争を解決することがほとんど困難な状況を打破していただくということは必要なのではないか。したがって、弁理士に侵害訴訟の代理権を付与することには合理性があると思われます。

 しかしながら、特許等の侵害訴訟の金額は比較的高額の事件になることも多いと考えられます。この訴訟の結果が依頼者である企業の命運に及ぼす影響は非常に大きい。したがって、弁理士の単独代理を認めるか否かについては、慎重に検討されなければならないというふうに思われます。

 なお、この弁護士と弁理士との共同代理ということが望ましい場合におきましても、弁理士だけで法廷に代理人として出廷し得るのか否か。こういう確認をここでやっておく必要があるのではないかと考えております。

 この場合にも、きちんとした研修等を実施いたしまして、一定の要件を満たす者について代理権を付与することが必要であろうと思われます。

 3番目に税理士の場合ですけれども、税理士が関与する税法の分野は、適用すべき法令や通達が複雑であって、高度な専門的知識を必要といたします。さらに、税理士の場合には、ただ単に税法分野にのみ精通しているばかりではなく、当該税務処理の背後にある会計的知識についても十分な専門性を有しております。一方、弁護士の側は税務と会計に関する知識が、持っていらっしゃる方もいらっしゃいますけれども、一般的には必ずしも十分ではないというふうに思われます。そうしますと、これらの知識の不足を補充するためにも、税理士に税務訴訟における出廷陳述権を認めることには合理性があると思われるわけです。

 しかしながら、本人訴訟の場合の出廷陳述権は、事実上、本人の代理人と同じ立場で法廷で活動するということを認めることにもなりますので、これについては慎重に検討する必要があると思われます。

 税理士に税務訴訟における出廷陳述権を認めるに当たりましても、やはり研修等が必要であるということは言うまでもありません。

 4番目に行政書士ですが、行政書士は官公署に提出する書類や権利義務又は事実証明に関する書類の作成等を業務としております。行政書士の要望は多岐にわたっているわけですけれども、訴訟との関連で見ていきますと、行政訴訟に関する出廷陳述権等を求めておられます。

 行政書士の業務の実態、それから現在の試験、研修制度の内容を見ていきますと、その業務に関する知識が訴訟の場でどのように役立ち、また、弁護士の知識を補充するに足る専門性を有するものであるかどうか、これまでのヒアリングや提出された資料からは、あまり明確ではないかなというふうに思われます。また、行政書士は訴訟その他の紛争解決手続に関与する資格制度としてよりも、幅広い行政分野で活躍することが期待されているとも考えられます。このような点を考慮いたしますと、行政書士の活用については、補佐人としての実績を踏まえた上で慎重に検討されればいいのではないかというふうに思っている次第です。

 5番目の社会保険労務士は、労働社会保険諸法令に関する手続について、主に書類の作成であったり、書類提出代行を業とするわけです。この社会保険労務士からの要望も非常に多岐にわたっておりますけれども、訴訟との関係では労働社会保険関係事件に関する出廷陳述権が要望されております。

 社会保険労務士につきましても、行政書士と同じようにその専門的知識・経験が訴訟の場でどのように必要とされるのか定かでないように私には感じられます。行政書士の場合のように、社会保険労務士につきましても、補佐人として出廷した実績を踏まえながら、慎重に検討しなければならないのではないかと思っております。

 次に、6番目は、法律相談であったり、示談・契約交渉に関してですけれども、これらに関する隣接法律専門職種による関与につきましては、前述した訴訟への関与に関連する事項について認めてもよいのではないかと思います。

 8ページの「Ⅳ 試験・研修等の在り方」の問題です。今まで、試験・研修等というものが必要であるということを言ってきたわけですけれども、では一体どのような試験を行い、どのような研修を行うのか、具体的な能力担保制度の内容は、それぞれの職種の現在の試験制度の内容、それから付与される業務の内容によってもさまざま異なるというふうに思われます。

 民事法や民事手続法に関する試験を行って、その知識を確認するとともに、訴訟実務に関する相当の研修を実施する必要があると思われるわけです。この場合の試験・研修の実施主体等については、ここでだれが行わなければならないというようなことについて説明することは避けたいと思います。更に今後検討を深める必要があるわけです。

 しかしながら、まず各隣接法律専門職種の監督官庁やあるいは資格者団体におきまして、この試験・研修の適切な担い手の確保を含めまして、まずその仕組みを最初に責任を持って検討していただきたいと考えております。

 「Ⅴ 隣接法律専門職種の弁護士業務との関わり」、これは協働の可能性の方ですけれども、こちらの方で2点挙げておきました。これにつきましては、既に前の方の報告の中にも入っておりましたので、簡単に申し上げたいと思います。

 まず、総合事務所化の問題です。弁護士の方の総合事務所化は、なくはないようですが、これについてはより一層促進を検討する必要があるだろう。会計士の総合事務所化につきましても、現在、検討が進められておりまして、他の職種と共同して事務所をつくっていくというようなことが検討されなければならないというような中間報告が出ております。したがって、弁護士の総合事務所化の問題につきましても検討していっていただければと思います。

 「② 弁護士との協働・連携の促進」。別に総合事務所でなくても、弁護士会と他の隣接法律専門職種の団体というものは緊密な交流を行いまして、お互いの業務の流動性というものを高める必要があるだろう。お互い協力して、国民の利用しやすいような司法をつくるような方向に努力していく必要があるだろう。したがって、相互に他の資格者を紹介できるような仕組みをつくり出しておく必要があるのではないかと思っております。

 昨日、あまり議論できなかった法科大学院における教育の問題と隣接法律専門職種をそこでどのように取り上げていかなければならないのか、こういったような問題点がまだ残っているということに付言いたしまして、私の報告を終わらせていただきます。

【佐藤会長】どうもありがとうございました。

 以上でお三人の委員から御報告をいただいたわけでありますが、引き続き意見交換に入りたいと思います。

 それぞれの委員からの御報告につきまして、直ちにいろいろ御質問したいということがあるかもしれませんけれども、それは意見交換の中で適宜お聞きしていただければというように考えておりますので、よろしくお願いいたします。

 意見交換に当たりましては、弁護士の在り方に関して中坊委員のレポートを踏まえて意見交換を行った結果、第15回会議におきまして、「『弁護士の在り方』に関し今後重点的に検討すべき論点について」という文章があり、この文章は委員の皆様の御了解を得て取りまとめたものですが、これに基づいて意見交換をさせていただければというように考えております。

 お手元にその文章をお配りしておりますので御覧いただきたいのですが、この文章の内容と、今それぞれの委員からありました御報告を比べますと、石井委員のレポートにも、また吉岡委員のレポートにも、国際化、外弁関係の事項が入っております。それを追加した上で、それぞれの項目について意見交換をさせていただければというように思いますが、それでよろしいでしょうか。

〔「はい」という声あり〕

【佐藤会長】それでは、そのような形で意見交換をさせていただきますが、この「弁護士の在り方」につきましては、既に皆様に御同意いただいているとおり、8月29日に開催予定の第28回会議におきまして、日弁連等からのヒアリングを予定しておりますので、そのヒアリング項目の設定も意識しながら、意見交換をしていただければというように考えております。

 弁護士改革総論からということになりますか。あるいは場合によっては論点を適宜拾っていただいてお話しいただいても結構かと思いますが、どなたからでもよろしゅうございますので、よろしくお願いいたします。

 多様な論点にわたっておりまして、弁護士改革の問題も相当いろいろあるということが今日のお話でもお分かりいただけたかと思いますが、いかがでしょうか。

【中坊委員】今日お三方からレポートがあったことについても、そして私自身も2月8日と2月22日の2回にわたって述べたとおりであります。今後、御討議いただくときに、御注意いただきたいと思います点が二、三あるのですけれども、一つは私が申し上げておりましたように、この弁護士制度あるいは弁護士の在り方ということは、非常に歴史的な、また、構造的な背景を持ったことであり、それは同時に、我々が論点整理の中で言うてきましたように、明治以来今日まで法が社会の血肉と化さないこととの関連において、極めて密接に関係しておって、一言で言えば、弁護士を必要としない社会をつくるという政策のもとに、弁護士の軽視あるいは敵視というものの継続の中において、これが行われ、官の養成ということを中心とした司法制度がずっと運営されてきたわけです。そして戦後もなおかつそれがそのまま残っておるということを踏まえて、御議論をいただく必要があろうかと思うわけであります。

 同時に、先ほどからも北村さんがおっしゃいましたように、弁護士制度は、単に弁護士へのアプローチ、利用者の立場からのアプローチとか、そういうことだけではなしに、まさに裁判制度の在り方あるいは法曹養成の在り方と総合的・有機的に結合している問題であるという点から、この問題が考えられなければならないというふうに思います。

 そういう意味では、まさに三者の今おっしゃった報告の中で極めて一致もしておりますことは、いろいろな業種が現実として存在する、国民の利用との関係において、ワン・ストップ・サービスという名前がありましたけれども、協働化ということが極めて必要であろうということについては、そういう方向で物事がやられていかなければならないのではないか、そういうふうに考えております。

 ただ、ただいまの隣接業種との関係につきましては、日本弁護士連合会の方でも一応の意見を取りまとめてこの審議会の方にも報告されておると思いますので、その関係で言えば、ほとんどが北村さんのおっしゃっていることとあまり変わらないと思うんです。

 ただ、一点違いますのは、司法書士の方の簡易裁判所における訴訟代理権を一定の範囲で認めてはということに関してだけ、今、日本弁護士連合会が言うておる意見と若干違う。日本弁護士連合会が言うていますのは、補佐人になるのには許可が要る、しかし、許可なくして、補佐人として出廷するという権限は認めたらいかがかというふうに言っております。それは、どちらかといえば実態に極めて即した、今の社会において、司法書士さんが活躍されておるときも、大体、本人と一緒にという形になってくる。

 私自身としては、先ほどからも出ていましたように、法曹養成の大きな流れとしては、やはりロースクールが生まれてくるような関係において、本来、司法というものはすっきりした形でつくっていかなければいけない。どちらかといえば、司法書士さんをはじめ税理士さん、その他の職業が先ほど言いました弁護士を必要としないという形の中でおいて、法律事務の切り崩し政策と、私はたしか2月のときに言ったと思いますけれども、今でも司法書士さんは法務省、税理士さんは国税庁、こういうふうにすべてが行政の監督のもとに、自分たちの仕事を補完させるためと。例えば、司法書士さんにしても登記所の経験のある方は特例で免除、税理士さんも国税職員であれば免除と、そういう形になってきている職業であるということも、この際、司法制度改革の審議会としては大きな流れとしてこれをどう見ていくのかということも考えていただいて、法曹養成との関係においても考えていただく必要があるのではないかと思っております。一言、弁護士の委員でもありますので。

【藤田委員】弁護士人口を考える場合に、隣接法律専門職種をどう扱うかということは非常に重大な影響がある問題でありまして、現在、俎上に乗っているのは、司法書士、弁理士、税理士、行政書士、社会保険労務士であり、それぞれの代表から御意見を伺っているわけでありますけれども、将来的に隣接法律専門職種をどういうふうに扱うのかということが、まだ何ら方向付けが出ていない。仮に、資格の統一というようなことを将来的に考えるとすれば、これは法曹人口の問題に重大な影響を及ぼすことになります。私は、現段階では、早急に資格の統一をやると決めるのは時期尚早だと思うのでありますが、そうだとすると、司法の機能発揮のために、あるいは国民の利便に奉仕するという意味では、どういうような役割分担をするかということになろうかと思います。北村委員も司法書士をおあげになりましたけれども、地方勤務をして僻地を回った経験からいいますと、現実に司法書士は弁護士過疎地においては庶民のローヤーとしての役割を果たしておりますし、また、このことは、必ずしも弁護士過疎地には限りません。私はかつて九州小倉の簡易裁判所で2年間簡易裁判所の事件処理に専従したという経験を持っておりますが、当時、合併して北九州市という百万都市になった小倉のような大都市でも、簡裁では弁護士の代理人がつく事件はごく例外的でありまして、本人が出頭してくるわけです。しかし、主張整理とか証拠整理のような訴訟進行がまごまごしてどうしても思うように行かない場合、「司法書士のところに行って相談して、書面を書いてきてもらいなさい」というような指導を書記官がしていたわけです。そういうことを考えますと、先ほどの弁護士人口を増やすということはコンセンサスであるとしても、早急に地方での弁護士不足が解消されるとは思われないわけでして、その解消策の一つとして公設弁護人事務所等考えるとしても、やはりそれだけでカバーできるのかという危惧が残るわけです。

 そういう意味で、最近の司法書士のレベルアップ、若い人たちのレベルがアップしているわけでありますし、成年後見リーガルサポートみたいな公益的活動もやっていることを考えると、少なくとも簡易裁判所での訴訟代理権は認めていいのではなかろうかというふうに思います。

 あわせて、地方では不動産登記に絡んで相続放棄とか遺産分割とかいうような家事関係が絡んでくる場合が非常に多いわけですが、補佐人としての活動で大部分はカバーできるかもしれませんけれども、高齢者や身体障害者などが、裁判所への出頭が非常に難しいような場合に、代理人として活動するということで、その点を補うという必要性のある事件もあります。そのほか、一般実体法や訴訟法が試験科目に入っておることもありますし、また、現状においては法務省の監督下にあるわけですが、簡易裁判所では行政庁を被告とする行政訴訟は扱わないということもございます。

 また、司法書士会は、訴訟事務についての研修に熱心でございまして、私が東京地裁の所長代行をしていた昭和57、8年ごろから初任者について法廷傍聴を実施するとか、研修に裁判官を派遣してほしいという要望もございまして、ずっと継続して法廷傍聴あるいは研修への講師派遣ということをやっております。

 以上、総合して、少なくとも司法書士については簡易裁判所での訴訟代理権を認めることが国民の権利救済という点についてもプラスになる。また弁護士との協働という点についても、そういう意味で地方での協働関係を構築していくということでプラスになるのではないかと思います。

【髙木委員】今の隣接法律専門職種の話なんですが、5士会それぞれがどうかということは別にして、それぞれ行政との兼ね合いを一方で持ちながら、訴訟に補佐人なり代理人あるいは法廷陳述権といろいろあるわけですが、過渡的にいろいろな対応の仕方があるのかもしれませんが、本質的には、例えば「法の支配」ということを言い、あるいは三権の互いの権能のことを言うなら、現在議論されている話には、論理的に本当にこういう論理でいいのかなという本質的な問題がやはりあると思うのです。

 北村さんのレポートでも「司法書士の一部の方」、それから藤田さんも「そういうことを担える若い人たちが増えてきている」というお説がありますが、それ以前に、もっと本質的に、裁判の一角に関与するのであれば、例えば、先ほどから出ておる職業倫理といったものを含めまして、弁護士に準ずる役割をこれから担われるわけですから、形態はいろいろあると思うのですが、例えば、行政弁護士だとかあるいは税務弁護士だとかという姿が追求されていくべきだと思います。北村さんが一部こういう要件で認めるといった人たちが仮に将来できるとするならば、そういった人たちも弁護士法の傘の中に論理としては入らなければいけないのではないか。弁護士さんの資格にもいろいろな種類があるという世界が出てくるのか、それは形態次第だろうと思うのですが。

 アメリカの方はよく分かりませんが、パテント・アトーニー、タックス・アトーニーという話がありましたように、そういう意味で司法に関わる人たちがどういう論理、倫理あるいは責任、その辺を行政との兼ね合いを気にしながら司法に関与するという今のような仕組み、一時的な改良は過渡的にはしようがないかもしれませんが、本質的にはそこはおかしいというふうに整理しておかないと、将来、必ずいろいろな問題を起こすのではないかと思うんですが、いかがでございましょうか。

【山本委員】髙木さんがおっしゃるような大きな観点からすると、それも確かにあると思うんです。

 ただ、現実問題として、弁理士などは特許の審決の直接行政に対する異議申立の代理人になったり、それから税理士さんでも同じように税務関係の直接申立みたいな、国との関係についてはやっているわけです。

 今言われているのはそうではなくて、これは私人間の法律紛争についての代理権あるいは陳述権とかそういったことを要求されているわけですから、大きな観点からすると髙木さんがおっしゃるとおりですけれども、各論としてはそういう問題は避けて通れる雰囲気もあるのではないかという感じがいたしております。間違っていたら、また訂正してもらえればと思いますけど。

【髙木委員】現実に訴訟との関わり合いを求めておられるという意味では分からないではない面もあります。しかし訴訟というのは何なのですか。まさに法律の援用であり、運用であるとすればですね。

 今日の午後、憲法の話がまたあるのかもしれませんが、憲法76条ですか、「裁判所とは」といったような議論とも関わる世界というのは、やはりあるのではないかと、私は思っているのです。

 逆に言えば、そういう問題に対する問題意識をそう持たずに、こういう議論が一方で行われてきておる世の中にしてきた弁護士会は怠慢だったのかと思います。このことは前に中坊さんが言われたことがあったのですが、そのことを含めて、やはりけじめはけじめみたいな、論理は論理ということは、それなりに押さえておくべきだと思います。

【山本委員】今の議論は隣接職種との関係ですけれども、そもそも72条をどういうふうに扱うかという問題提起が石井委員からも吉岡さんからもあるわけですね。石井委員がおっしゃるように、弁護士というのは市場で評価されることがむしろこれからの本旨である、いわゆる独占という、法律で守られていくようなものではいけないのだと。したがって、隣接職種の問題もそういう観点からとらえるべきだというお考え、全くそのとおりだと思うのです。

 そういうふうに考えますと、そもそも72条を今議論しているように隣接職種の士業に一つひとつ、この程度までは認めるか認めないかという考え方ではなくて、72条を全部取っ払ってしまい、だれでもできるとしたら、ちょっと乱暴ですかね。

 それはあくまでもユーザーの選考によって、あるいはそれにこたえる能力によって選択されていけばいいのだと。石井委員のレジュメを見ると、突き詰めるとそういうところまでお考えがおありではないのかというふうに思いましたけれども、いかがでしょうか。

【中坊委員】それは弁護士制度がなぜ生まれてきて、どういう歴史的な経過でと。まさにおっしゃるように司法の一翼を担うという形の中で弁護士制度があるわけですから、だれでもできるというのなら問題です。

 その議論は、言ったら失礼だけれども、何回もあるんです。そのたびに司法のことが揉めて、みんなが自由にできるようにしたらいいではないか、それがいわゆる三百代言ということになってきて、そのために国民がどういう被害を受けるのかということが問題になって、こういう資格制度というのが生まれてきたので、もとはいえばおっしゃるように江戸時代から公事師という職業がだれでもできるふうになっていたわけです。それが長い歴史の中で、だんだんそれが試験になり、資格制度になり、そしてこういうことになってきているんでしょう。

 だから、先ほどから言っているように、そういう議論は長い歴史的な構造的な問題としてとらまえてみないと、おっしゃるように、だれでもできるようにしたらどうやというようなことでやってしまうということは、極めて僕は問題が多いと。

【佐藤会長】山本委員の御発言は問題の提起としてということにしておきたいと思いますが、北村委員どうぞ。

【北村委員】私も山本委員の意見はちょっと乱暴かなと思いました。

 それを言いたいのではなく、隣接士業との関係なんですけれども、各省庁、監督官庁から資格をもらって、それだから司法の場に参加するのはおかしいのではないかと。

 そういう考え方は私はよく分からないのですが、税理士さんの場合、裁判になる前に国税不服審判所のところで、もう既に実際にはやっているという歴史的な経緯があるわけです。それがそこでうまくいかなかったら、今度は裁判という形になるわけですね。

 今、そういう仕組みがあること自体、司法にその人たちが参加するというのはどうなのかということが、果たしてどういうようなことをおっしゃっているのか。例えば、税理士法の中にも、第1条でしたか、独立性を持って仕事をするということもありますから、そこまで考えていく必要はないのではないかというふうに私は思うのですけど。

【中坊委員】私の関知している範囲で言えば、国税不服審判所というよりも、国税の徴収の在り方がすべて極めて細かい国税庁の通達行政で決まっているのです。

 今、おっしゃるように税理士さんは、通達のとおりに、通達がああだどうだとおっしゃっているだけであって、裁判になればその通達は違法だという判決がいくらでも出るんです。ところが、今の国税庁は、法務局も同じですけれども、まさに司法の今の行政に対する問題点の一つだと思うんですけど、司法が判断しても、なおかつ国税庁は行政通達を変えないというままに来ている部分もかなりある。

 ですから、今、おっしゃるように、税理士さんは国税から来た方ですから、通達に反するようなことを言ったら、もうとたんに監督で、何を言うておるねんとなるわけですから、まさに司法と通達行政に基づく範囲とでは全然違うんです。そこは考えてほしいと思います。

【佐藤会長】これも後でいろいろ御議論いただくことになると思います。

 今日の委員皆様のお話を伺っていて、この問題には二つの面があるように思いました。一つは、長期的・将来的に見るときにどうかという問題です。表現はそれぞれ少しずつ違いますけれども、そういう問題があるということを皆さんは感じていらっしゃる。しかし、当面どうすべきかという問題もある。そして、両面とも押さえていかないといかんだろうという点において共通の御認識があるように受けとめておりますけれども、その辺は「弁護士の在り方」を8月29日、9月1日でもやりますので、立ち入った御議論はそこでまたやっていただきたいと思います。

【竹下会長代理】せっかく会長がまとめられたのに恐縮ですが、先ほど山本委員が問題提起として72条を全部削除したらどうかと言われ、それに対して中坊委員の方から、そういうわけにいかない、国民の利益が不当に侵害されないように三百代言を排除するために必要だと言われました。

 私は、オール・オア・ナッシングではなくて、その中間の解決の仕方として、2段階くらいあり得ると思うのです。一つは、山本委員の問題提起に近く、しかし訴訟代理は弁護士に限るとか、あるいは執行事務の代理は弁護士に限るというように、高度に専門的な法律知識あるいは倫理が要求される法律事務を限定して、それについては弁護士の業務独占を認めるという解決方法が一つある。

 それから、もうちょっと中坊委員寄りにいえば、現在は72条が非常に広いために法律相談とかADRあるいは行政手続とか、そういう事務に業として関与することも全部排除されてしまう、特に別の法律で認められていても弁護士法72条に抵触してしまうということですから、そこを緩めるという解決の仕方があるのではないかと思うのです。

 各隣接業種の団体から出されている要望によりますと、必ずしも訴訟代理権ないしは出廷陳述権ばかりではなくて、そういうほかの領域での代理権や法律相談を認めて欲しいという御要望もあるようですから、その限度ではそれにこたえられると思います。

【中坊委員】大変失礼ですけれども、現状をどの程度御認識になっているかが問題でして、今おっしゃるように、暴力団、いわゆる闇の勢力ですね。我々が民事介入暴力対策委員会をつくって、警察も今は協力してやっている。民事問題に介入してくる。闇の勢力を排除して、市民が今守られているのは、闇の勢力の介入を弁護士法違反で取り締まり、みんな刑事罰になっていっているからなんです。

 今、あんたの言わはるように、善意の人がみんながやるのではなしに、だれが利益があれば寄ってくるかというと、現実には闇の勢力がそういう紛争の中に巻き込んできて、自分たちがやるということが大変大きな問題になって、警察においてもいわゆる民事介入問題をどうするかということになってきて、ああいう大問題になってきているわけです。

 御承知のように、あれらはみんな弁護士法違反として処罰されているんです。今、おっしゃるように、何もかにも抽象的にやるということには決してならない。現実に社会において、どのようにそれがなっているかということをお考えいただければ。もしそんなことにしようものなら、とんでもないことになりますよ。

【竹下会長代理】それは72条を全部削除すればおっしゃるとおりだと思いますけれども、今問題になっているのは、ここにあがっているような他の専門職種の方々にどの程度の法律事務を認めるかということです。

【中坊委員】裁判でなくても、示談だとか何とかといってその人たちが介入してきて、そのためにいろいろ問題が発生して、それで刑事問題になるときに、新聞でもお分かりのように、みんなあれは弁護士法違反として起訴されているわけです。それが、今のいう法律義務違反になっているわけです。

【竹下会長代理】私は別にそんなことを言っているのではなくて、今ここに上がっているこういう専門職の人たちに法律相談やADRの手続や何かに関与する資格を認めるくらいのことは考えてもいいのではないかということです。

 そのために必要な限度において、72条に踏み込んでもいいのではないかということを申し上げているので、暴力団がどうのこうのというようなことを申し上げているわけではありません。

【佐藤会長】先ほど言ったように、今の問題は制度設計の在り方と現実的対応ないし運用をどうするかの課題であって、その辺はまさに取りまとめのときに御議論いただければと思います。

【水原委員】今の問題とは関連性がないのですが、吉岡委員、石井委員からの御報告にありますとおり、弁護士人口が非常に少ない。これはそのとおりでございます。それに対してどういうふうな対応をするかということが、5業種についてこういう考え方があるというのは、北村委員からの御報告でございました。

 ここでもう一回、もう少し違った視点から、法曹人口の在り方というものを考えてみたらどうかという気がいたします。企業法務に従事していらっしゃる方々についても、何か法曹資格を与えるかどうかという議論もあってしかるべきではなかろうか。それから、もう一つは、それとの関連ですが、実際に法律事務に従事しておる者で、司法試験に合格しておらず、司法修習をしておらない者でも法律事務に従事している者がおります。例えば、検察官で言うならば、検察庁法18条の3項に認められております特任検事という、これは司法試験と同等程度の試験科目をクリアして、副検事3年を経験した者で、また口述試験も司法試験委員がそれを実施するというような、極めて厳しい試験を通ってきておる者、これについて弁護士資格が与えられていない。それから、副検事についても同様の問題がございますし、簡易裁判所の判事につきましても同様な問題もございます。

 そういう意味で、5業種だけではなくて、ほかの法律専門に従事している人々についての法曹資格をどうするかという問題も、この際念頭に置いて議論していただきたいと思っております。

【佐藤会長】分かりました。今の点も重要な点でして、どこでそれに立ち入って議論するかは考えさせていただきますが、問題の提起は留意しておきたいと思います。

 ほかの論点についてはいかがでしょうか。弁護士へのアクセスの拡充とか、今日も石井委員、吉岡委員から弁護士の規律、倫理の問題についての御指摘がありましたけれども、その辺について何か御意見はございませんか。

 共同化とか法人化のあたりは、もうコンセンサスができていると言ってもよろしいんでしょうね。

【中坊委員】弁護士会に対するヒアリング等を終えてから御判断いただければいいのではないかと思いますので、またそういう機会をいただいたら結構だと思います。

【北村委員】質問があるのですが、よく「法人化と共同化」というふうに並列的に述べられるのですが、これはどちらに重点があるのか。法人化する方に重点があるのか、共同化の一つのものとして法人化というものがあるというふうに考えればいいのか、そこがいつも分からないのですが、法人になっていないとだめなのかという点はどうなのですか。

【中坊委員】常識的な判断でいえば、法人化というのは、一つの監査法人でも会社とか法人になれるでしょう。ところが、弁護士は個人でないとだめだということになっているわけです。そうすると、その人が死んでしまったら、その仕事はいったん終わってしまうわけです。いわゆる法人になっていないということ。

 法人になれば、事務所が支店をつくるではないか、その辺の問題があって、法人化というのは今の弁護士法では一応禁じられておるということになる。

 だから、共同でやってはるというけれども、弁護士さんが共同でやっているだけで、それが一つの法人格にはなっていないわけです。その意味における法人化という問題が一つある。

 それから、共同というのは、今のところは弁護士だけの共同ですけれども、今おっしゃるようにワン・ストップ・サービスというのであれば、税理士さんやいろいろな方が1カ所で共同でやる、そういうことが今ワン・ストップ・サービスやらで求められておって、そういうことが今後行われるべきではないかというような御意見だろうと思っております。

【北村委員】何法人になるんですか。

【竹下会長代理】特殊な弁護士法人というようなものをつくることになるのだと思うのです。

【中坊委員】まだどういう法人かは。

【佐藤会長】藤田委員、どうぞ。

【藤田委員】審議会で共同事務所を見学に行きました。聞きましたら、数人で共同してやっていらっしゃるのですが、経費を分担するだけでそれぞれ独立して弁護士活動をやっていらっしゃる。つまり、収入はそれぞれの弁護士に帰属して、その中からそれに応じて経費を分担するという形でして、こういう共同事務所がかなり多いのだそうです。

 そういう事務所ですと、法人格を取得して法人として弁護士活動について契約するということになれば、法人が責任を持つという点ではクライアントが保護されるかもしれませんけれども、弁護士活動の効率化という点では、法人が契約し、収入は法人に帰属し、そして各パートナーが法人から収益の分配を受けるというアメリカ型のローファームでないとちょっと目的は達せられないのではないかという気がいたします。

【水原委員】会長から、先ほど懲戒の問題はどうかという御提言がございましたが、私もそれについて申し上げたいと思います。

 先ほど石井委員の御報告でもございましたとおり、たくさんの人間が集まれば、そのうちの 0.5%の者には不心得者が出るというのが従前から言われているという御指摘でございました。人口が増えれば増えるほど、不心得者が出てくることを考えなければならないだろう。

 ところで、現在の弁護士会における綱紀懲戒制度というのは、まず綱紀委員会で懲戒相当の議決があった場合には懲戒委員会にかけられることになっております。しかし、綱紀委員会で懲戒不相当ということになりますと、それで終結いたします。それについての不服の申立の方法も何もございません。

 綱紀委員会での議決は、弁護士だけが議決権を持っておりまして、学識経験者、裁判官、検察官、吉岡委員から提出いただきました資料3に載っておりますが、弁護士以外の者には議決権がございません。そういうことですから、綱紀委員会の判断について何らかの不服の申立ができる制度を考えておく必要がないのだろうかということを感じます。

 それから、その制度をどうするかという問題ですけれども、たとえて言うならば検察審査会的な、検察官が不起訴にした場合のそういう制度設計も一つの方法としてあり得るのかなと。

 この問題は避けて通れない問題だと思いますので、十分御討議いただきたいと思っております。

【中坊委員】吉岡さんの資料3を見ても、綱紀委員会には学識経験者とか裁判官とか検察官もお入りになっているように書いてあるし、綱紀委員会の懲戒不相当の議決に対しては、日本弁護士連合会に異議の申立ができるというふうにこの図面ではできるとなっています。

【水原委員】私が申し上げたのは、綱紀委員会につきましては学識経験者が入っております。ですけれども、これはあくまでも参考意見ということでございまして、議決権がないということでございます。参与員という形でございます。その点が検討されるべきかなというふうに思います。

【佐藤会長】 先ほど石井委員も吉岡委員も問題提起をされた事柄であり、今の水原委員の御意見もありますので。

【中坊委員】それも弁護士自治というのが関係しているので、いろいろな意味もありますから、一応、弁護士会の言い分も聞いた上で御判断ください。

【佐藤会長】それはおっしゃるとおりです。重要な問題提起として、委員の御発言があったということにしておきたいと思います。

【鳥居委員】幾つか質問がありますが、今の問題についての質問というか、意見を申し上げますと、お医者さんが悪いことをしたときには医道審議会というのにかけられまして、最も厳しい場合には医師免許の剥奪になります。そういう制度を、今の弁護士制度を前提にしないで、もっと大きくすべての司法制度を改革した後に考えられるべきではないかというふうに私は思うんです。

 今の弁護士制度は先ほど来、中坊先生が繰り返し去年から言っていることですが、要するに歴史がありますから、その歴史の中で弁護士会が自治を獲得してきたという観点に立つと、うかつに弁護士免許剥奪なんていうことは言えませんが、これからすべての制度を改革していった後に描かれる何らかの仕組みの中では、私はあってもいいのではないかと思います。

 それから、もう一つだけ、これは全体の審議の進め方と最終的な報告書に向けての会長の心づもりも関係してくると思うのですが、例えば、先ほど来髙木委員からも出ていますいろいろなタイプのタックス・アトーニーとかパテント・アトーニーとか、また今日の石井さんの御説明では医学弁護士、建築弁護士、工学弁護士といったような専門性を持った弁護士というのは、今までの司法研修制度まで考慮に入れると全く抜本的に違う何か法曹養成の仕組みを考えなければならないことなのだと思うんですが、どうも私たちの審議会発足以来やってきた審議は、そういうシステム全体を抜本的に変えるということはほとんど考えた形跡はなくて、今日初めてそういうキーワードが出たというだけで、従来の法曹三者の養成ということだけを考えてきていると思うのです。

 この後、全体としてのシステムの改革というか、法曹の構造の改革を考えるかという場を設けた方がいいのではないかと思うのですけれども、これは意見として申し上げたいと思います。

【佐藤会長】2点おっしゃいましたが、1点目は、先ほどと同じようなコンテキストの中で考えるべき問題だろうと思います。2点目は、法科大学院の在り方を考えるときにもっといろいろな材料が必要だなという感じを強くしたところでありまして、頭の中で整理・熟成する期間を与えていただきたいと思います。確かにおっしゃるような問題点があると思います。

 では、髙木委員。

【髙木委員】8月下旬あるいは9月初めに弁護士の問題の議論の機会があるということですので、弁護士の在り方に関するヒアリング項目の追加をお願いしたいと思います。石井さんのペーパーの3ページの「事務所形態の多様化」という項に、共同化、法人化の話があり、とりわけ法人化の話は石井さんのペーパーの2の(1)の三つ目のポツの一番最後の行にある「相互の雇用の解禁」というところが非常に大きな隘路になるだろうと私は思うのですが、この雇用という概念と今の弁護士資格みたいなものがどう関わるか。

 ここに「雇用の解禁」というふうに書かれましたが、昨日もちょっと申し上げました外国の巨大ローファームなり、あるいはビック5と言われるところの問題にももろに関わってくる話で、先ほど「市場」という言葉もありましたけれども、この雇用の解禁問題あるいは法人化問題は、「日本の法曹市場を外国法人に蹂躪されてもいい」、「それは嫌だ」と、突き詰めていくとその辺の議論まで及ぶ話だと思うのです。

 そういう意味では、そういった視点も議論するときにヒアリングの項目にでも入れていただいたらどうかなと思います。

【佐藤会長】ヒアリング項目は今日お手元にありますこの表に大体符合するような形で考えているのですが、今おっしゃった国際化、外弁の問題もこのヒアリング項目の中に入れることを考えたいと思います。ヒアリング項目につきましては、レポート役をしていただいた中坊委員、石井委員、吉岡委員、北村委員とも御相談しながら考えたいと思いますが、そういう取扱いにさせていただきたいと思います。

 まだいろいろ御意見がございましょうけれども、時間も予定を少しオーバーしましたので、この問題についてはこの辺にしたいと思います。

 ちょっと御相談なんですけれども、12時半くらいまで、法曹人口の問題について御議論いただきたいと思っております。もし御了承いただければということですが。そのかわり、法曹一元の問題は30分ずらし、2時にスタートするということにして。

【髙木委員】会長、12時から1時半まで休憩時間だということであらかじめ聞いておったものですから、昼の間に仕事を入れておるんです。

【佐藤会長】そうしたら、予定どおり、1時半から再開して、最初、法曹一元問題の前に、法曹人口の問題について少し御議論いただくということにさせていただきましょうか。

【竹下会長代理】鳥居委員のレポートを拝見しますと、法曹人口を考えるための基礎データのようなものが入っているので、鳥居委員のお話を伺ってからの方がよろしくないですか。

【鳥居委員】そうしていただければ大変ありがたいです。報告が後の祭になってしまうといけませんから。

【佐藤会長】では、そういう取扱いにさせていただきます。

 以上で、午前の会は終わりにしたいと思います。

(暫時休憩)

【佐藤会長】時間も来ましたので再開いたします。

 それでは、午前中の最後に申しましたように、法曹人口について御議論いただきたいと思います。会長代理の御提案もございましたので、当初は鳥居委員には法曹一元のところでお話しいただく予定でおりましたけれども、もし差し支えなければこの段階でよろしゅうございますか。

【鳥居委員】結構です。お手元に、私の資料、「司法制度改革に対する意見(要旨)」をお配りしてあります。本日は法曹人口のことを審議するのですから、そこを中心にお話をし、それ以外のところは簡単にいたします。私の意見は、司法制度改革審議会が大筋としてどういう方向を向いているかということをもう一度確認したいという思いから、まとめたものです。簡単に1ページ、2ページ、3ページを御説明します。

 1ページ目の「I. 司法制度改革審議会の任務」は、この審議会の設置法の第2条に書いてあることを列挙すれば、そこにある5つだと思います。私たちの審議は常にこの5項目を念頭におくべきだと思います。

 「II.司法制度改革の歴史的意味」、これは中坊委員から再三お話を伺っておりますし、また、論点整理では、佐藤会長からお話がありました。日本は二度にわたり大きな司法制度の改革をやってきました。1回目は明治法典の成立で、2回目が昭和20年以降の新憲法下での司法制度の再構成だと思います。明治法典の成立は、法治国家でなかった国が法治国家になるためのプロセスであり、昭和20年以降については、民主国家、資本主義経済、そして国際化ということが大きなテーマだったのだと思います。ここで申し上げたいことは多々ありますが、本日は省略します。

 珍しい話を幾つか御紹介します。それは我々にとって非常に重要だと思いますので、福沢諭吉の法治国家観について5点挙げておきました。まず(1)は、福沢にとってはイギリス型の立憲君主制というのが理想のモデルで、それはドイツ型に対するアンチテーゼであったということだと思います。詳しいことは省略します。

 福沢がいたく感心したのは、(2)で、国会と憲法と法体系がある国はすばらしいということでした。1862年-文久2年-にイギリスへ行きましたが、王制の下でも国会と憲法と法体系があることにいたく感激して帰ってきたわけです。

 (3)ですが、その際に彼が痛感したのが、「個人の尊厳と権利の保障」、当時の日本人としては考えられないことを考えたわけで、それが「一身独立して一国独立す」という言葉、その他もろもろの彼の警句となってあらわれたと思います。

 (4)ですが、福沢は官僚制の肥大への警告と安全保障能力が弱まっていくことへの警告を発し続けた人でしたので、これも我々にとっては、現在の日本の改革にとって重要なことだと思います。

 (5)は非常におもしろい記事だと思いますので御紹介しますが、小さな数ページの論文があります。『自立社会設立の記』という論文です。明治10年1月1日に書かれています。これは福沢はイギリスで見た弁護士制度と裁判制度をつくることについて強い主張をしていたわけですが、その長短について論じているものです。こんなふうに言っています。優れた人による仲裁には費用はかからない。一方、裁判をすると費用はかかる。訴訟は、元来「争い」なのだ、と非常に大事な点をついています。訴訟においては、勝っても負けても必ず不満が残り、納得はありえない。一方、真の仲裁というものが行われた場合には、恥辱・遺恨が残らない、これが大事な点なのだというふうに書いています。これは前に中坊委員が「腑に落ちる裁判」ということをおっしゃいましたが、まさにそのことを福沢はこういう言葉で表現しています。

 それから、裁判はどうしてもお上への訴えという形をとるので、その反面としてお上の威圧が高まるという関係がどうしても生ずると。このことをどう解消していくかということが、我々の司法制度改革にとっても非常に重要な課題である。私はそういう意味で、きょうこの福沢を紹介しましたのは、特に(5)の論文に書かれている ②と③は我々にとっては非常に重要な点だと思っています。

 次のページの「III.この国のかたち」はごく簡単にしますけれども、佐藤会長のリーダーシップで論点整理ができて以来大分たちますが、あの中に書かれてもおり、また、同時に行政改革の最終報告にも書かれている「この国のかたち」ということを我々はどう考えていくか、これは常に考えなければいけないと思っています。

 (1)では、行政改革会議の最終報告の理念を右側に、そして左側にはそれに対応して司法改革で何を考えなければならないかということを書いておきました。その中で、特に、「司法の一体化」と「司法のアカウンタビリティー」、この2点については、我々はもう少し視野を広げて、この審議会で議論していただきたいと思っています。司法の一体化については「法曹一元」という言葉がありますけれども、私の言う「司法の一体化」はもう少し広いのですが、機会があったら説明させてください。

 それから、司法のアカウンタビリティーについては、ほとんど我々は議論しないで来ています。これは極めて大事なことだと思います。佐藤会長先生と私とは、以前に日銀法の改正の作業に従事しましたが、日銀のアカウンタビリティーをどうつくり出すかということで大分苦労しましたが、実際、日銀のアカウンタビリティーは、今、あの当時と比べれば極端に高まりました。司法改革でも、司法のアカウンタビリティーということを真剣に考えるべきだと思っています。

 それから、(2)は、自民党の司法制度調査会の報告が5月に出ましたが、その要点を列挙しておきました。

  (3)の司法制度改革審議会の「論点整理」、我々の論点整理もきょうは省略します。

  (4)「真の三権分立を求めて」というところに書いてあるのは、国会、内閣、司法についての、私の思いのたけを申し上げたいのでキーワードだけを並べたのですが、これはまた別の機会にさせていただきます。

 4ページの「4.時代の要請」については、この審議会ではもっと議論してよろしいのではないか。問題点を列挙しておきました。特に私は「①21世紀の時代の要請」の中で、例えば犯罪の増加や行政不服の増加ですとか、特許・先端技術の権利問題の増加、国際取引が爆発的に増えていく、そういうものに対して、司法制度改革はどう対応していくのかといった議論は余り行われていないように思いますので、ぜひそこを御考慮いただきたいと思います。

 それから、従来余り議論されていない点について、 ②に私が思っていることを書いておきました。いろんな問題を考えてみますと、この問題に対して対応する法律は存在するのか。法は存在しても、その法は機能しているのかという観点で考えると本当にたくさんの問題が日本にはあると思います。こういうことはこの司法制度改革では扱うことは無理なのであろうかという思いをいつも私は持ちます。

 それから、法以外の規範も必要です。それは確立しているのかどうか考えたい。また、行政は法を執行するのが仕事だと思いますけれども、果たして行政が法を執行しているかという問題が現実の問題として余りにも多いように思います。新しい法律を必要とする場面が次々と時代とともに起こってくるにもかかわらず、その新しい法律の必要性を立法府に提起する仕組みが日本はお粗末なのではないか。行政府の各省でほとんど法律の立案は行われる。もっとダイナミックに国民のニーズ、時代のニーズを吸い上げて、立法府において法律化していくという仕組みが必要なのではないかと思います。上記のようなことをチェックするために現在の司法制度は十分機能しているか。あるいはそういうことは、今までの概念では司法には期待されていないのかということを考えたいと思います。

 5ページに参りまして、「法曹人口を考えるための基礎データ」というところの3.に「アメリカに学ぶ」ということでいろいろな資料を集めてみました。その結果、私が得た1つの結論が3-1です。要するにアメリカの Barすなわち法曹の増加の二大要因は民事訴訟の増加と刑事事件の増加なのです。まず刑事について見ていただくために、10ページから刑事関係の参考になりそうなデータを並べておきました。

 10ページは、1993年から1996年までの犯罪のデータです。グラフを見るとわかるように、1993年から1996年にかけて、全犯罪数が減っています。右端の財産犯罪をみても減っています。10ページの下の表は表のヘッドラインに殺人、強姦、強盗、加重暴行-aggravated assault-、それから、泥棒に窃盗に自動車泥棒と書いてあります。1986年から1990年ぐらいにかけては増加しています。ところが殺人のところを見ていただきますと、1992年から減り始めています。隣の強姦が1992年の 109.1をピークにあとはずっと減ってます。強盗も大体そのころから減っています。大体1990年前後から減っているのです。つまり、アメリカという国は、犯罪減少の局面に入っていると読み取ることができると思うのです。日本の司法制度改革の目的はこのように犯罪が減っていく国をつくるということもまた大切な目的ではないかと思います。

  14ページ以降は、そのためには警察制度が重要なのだということを示す資料です。警察の時系列資料は十分にとらえられていないのですが、アメリカでは警察制度を中心にして犯罪防止に本気で取り組んでいることがわかると思います。市警察と保安官事務所、州警察、特別警察という仕組みがありますが、そのほかにいろいろな機関が犯罪予防に当たっていることがわかります。表のタイトルを見るとわかるように「武器を携帯し逮捕の権限を持つフルタイムのオフィサーを 500人以上雇用する連邦機関」は、関税局、FBI、連邦刑務局、移民・帰化局から始まって一番最後の魚類・野生生物局に至るまでがあります。森林局の職員でも、武器を携帯して逮捕の権限を持つフルタイムのオフィサーなのです。こういう国であることがおわかりいただけると思います。

  15ページは一番下が連邦地裁、真ん中が連邦控訴裁判所、一番上が最高裁です。1980年から1996年までの表です。これを見ると、1,000人単位で訴訟件数が書いてあります。一番下の合衆国地方裁判所では、民事訴訟は1991年にちょっと減っているのですが、あとは増えてきています。刑事訴訟の数は民事訴訟より1桁少ない上に、刑事訴訟の数はほぼ横ばいということが読み取れます。

 16ページの一番下には、政治汚職に関する連邦起訴が載っています。また、拘置所の問題が後に問題になると思うのですが、17ページには拘置所と刑務所の統計を載せておきました。以上で刑事事件の構造がわかると思います。

  民事に関しては、これからの時代ぜひ重視していかなければならないのは、5ページの真ん中に書いておきましたが、経済が発展し、産業構造が変化し、サービス経済化が進み、プロパテント化が進むと、ますます民事訴訟が増大し、かつ複雑で巧妙なものになっていくのです。

 数字の説明の前に1つだけ強調しておきたいのは8ページです。日本では、アメリカが仕掛けてくる特許戦争に代表される経済戦争の本質がほとんど理解されていないので、あえて8ページを書いておきました。アメリカの通商政策には二大原則があります。

 (1)は、議会の決定が大統領府の決定を上回る力を持っています。最優先されるべきは議会の決定なのです。

 (2)は、対外経済交渉は二国間交渉が原則なのです。GATTに持ち込むとか国連に持ち込むというのはそもそもアメリカの原則に反するわけです。要するに二国間で相手をたたくというのはアメリカの基本的なやり方なのです。

  ところで、アメリカにもまともなことを考える人がいて、1922年にホードネーとマッカンバーという2人の代議士がHordney-McCumber Tariff Actというのを提出したのです。このHordney-McCumber Tariff Actで、それ以前は二国間交渉でなければいけなかったのを多国間交渉も認めることにしたのです。Hordney-McCumber Tariff Actは今も生きておりまして、このおかげで多国間交渉もできるようになったのです。

 その後、1930年の大不況の反省もあって1934年にReciprocal Trade Agreement(互恵通商法)というのが通りました。これによって、議会の交渉権限を暫定的に大統領に委ねるということが決められております。1934年の互恵通商法は、54年後の1988年にレーガン大統領が「包括通商競争力法」、通称「オムニバス・アクト」と呼ばれるものを結ぶまで生きていました。1934年から1988年まで50年以上にわたり、途中第二次世界大戦を挟んでこのアクトは生きていたのです。要するに大統領に暫定的に交渉権限を任せたわけです。そのおかげでアメリカはいろいろな交渉を大統領主導でやってくることができたのです。

 ところが1985年に、レーガン大統領の真っ最中ですが、「ヤング・レポート」というのが出まして、アメリカが国際競争力をつけるために巻き返しを図る時代に入ったわけです。このヤング・レポートというのは、今のアメリカの特許戦争の引き金になったレポートです。

 こういったものがいろいろありまして、結局1988年にオムニバス・アクト、つまり包括通商競争力法が通りまして、1934年の互恵通商法がキャンセルされたのです。要するにアメリカでは再び大統領ではなく議会に貿易交渉権限があるということになってしまったわけです。今はアメリカは、貿易交渉の最終決定権限は議会が持っています。ですから、東芝事件とかいろいろな事件が起こっても、それは最後は議会に持ち込まれてしまうわけです。その交渉に耐えられるだけの法的な交渉能力を持った人材を日本に育てない限り、日本はこの戦いに勝てないというのが現状なのです。

 アメリカの今後の狙いですが、Treaty on the Harmonization of Patent Laws、要するにパテント法の各国間のハーモナイゼーション(調和)を図る条約を結ぼうではないかということを今世界に呼びかけています。この呼びかけは、理屈が通っていますから、日本は断れないと思います。これに日本が合意することは数年のうちに迫っています。そのときに日本の企業が非常に弱い立場に置かれますけれども、それに十分耐えられる教育をロースクールでやらない限りもう間に合わないというのが現状です。日本は既にWTOに調印しておりますし、WIPO:World Intellectual Property Organization(世界知的所有権機関) にも加盟していますので、三方から攻められるということです。

 アメリカの特許で最近厄介な問題が3つあります。第1は、「先発明主義」、すばらしい発明をして特許が成立したにもかかわらず、それよりも先に自分が論文を書いたという人が現れれば必ず裁判になります。遺伝子関係の特許ですと、特許成立後に裁判を仕掛けられているケースは毎日のように報道されています。

 第2は、「潜水艦特許」、これは潜水艦の特許ではありません。「サブマリン特許」といいまして特許の内容を公開しなくていいという制度なのです。特許は成立しているのだけど、隠しておいていいという制度があるわけです。まさか同じ特許はないだろうと思って、こっちが特許取ると、いや、ありますよといって出してくることが可能なわけです。こんな制度が存在している国と対抗していかなければならない。

 第3に、遺伝子関係ではアメリカは大統領主導で遺伝子特許の大攻勢をかけてきていますし、ビジネスモデルについても同様です。こういうことに耐えていかなければならない。

 9ページには各国の技術貿易について比較の表がありますが、これはすべて『プロパテント・ウォーズ』という文春新書からとらせていただきました。この表を見ていただくといかにアメリカが物すごい勢いで技術特許をどんどん取っているかがおわかりいただけると思います。

 さて、5ページに戻っていただきたいのですが、そんなわけで、アメリカはそれらを押し進めるためにBar、要するに法曹の巨大な軍団を持って戦っているのです。そのアメリカの弁護士集団というのは大体どのぐらいいるのかというのが5ページの一番上にあります。

  日本は弁護士が1万 7,000人です。 アメリカは1991年ベースですが、80万 5,875人です。これをそれぞれの人口で割りますと、日本は弁護士1人につき、人口 7,230人、これはきのう中坊委員のお話の中にもありました。それに対してアメリカは、弁護士1人につき、国民 307人です。医師の数とほぼ同じです。アメリカでは、大体医師1人につき、国民 336人を背負っています。日本は左側をごらんいただきますと、医師1人につき、国民 520人の面倒を見ているのに対して、日本は弁護士1人につき 7,230人もいる。

  中坊委員が法曹人口5万人にしてはどうかということをおっしゃっている。この数を仮に置いてみますと、もし法曹人口5万人としますと、これは粗っぽい計算ですが、弁護士1人につき 2,400人ぐらいの国民の面倒を見るという、かなりの改善が見られることは確かです。

  それから、5ページの真ん中の表を見ていただきたいのですが、アメリカの法律事務所はなぜ増加したのかというのを考えてみますと、1990年と1995年を比べてみますと、一番はっきりしているのは、サービス産業の拡大、要するに経済のサービス化と非常に連動して動いています。これはいろいろな回帰分析が可能だと思います。90年から95年、サービス産業のGDPが 27.46%増えたのに対して、法律事務所の収益が27.66%、事業所数が81.8%、事業所というのは法律事務所です。そして法律事務所の雇用者数が 113%増えています。このぐらいの勢いで日本もサービス経済化が進めば、法曹需要が増えてくると思います。

  なお、下の表を見ますと、アメリカの場合は、法曹・Bar が増えたのは1970年から1980年、10年間で52.6%増えています。年率にして 5.2%ぐらいです。それ以前はそんなには増えてないのです。アメリカのサービス産業化が進んだこの1970年から1980年が一番急速にアメリカのBar が増えた時期だったわけです。日本も、まさにそういう時期を今迎えている。その時代に対応しなければいけないということではないかと思います。

  次に、議論の素材としてかなり粗い計算をしてみましたが、次のページですが、GDP(国内総生産)に対する比率を日米比較してみました。これは1991年のアメリカの法曹人口を基準にしています。

 きのう吉岡委員からの御質問で、アメリカの法曹の中身は何をしているのかという問題がありましたが、80万 5,872人、これがアメリカのBar人口ですが、そのうち裁判官が2万 1,536人、開業弁護士が58万 7,289人、関連雇用者が9万 3,849人です。

  これをベースにして、1965年の日米のGDP比で日本の数を割り出してみますと、この四角の中のように1965年のアメリカと日本のGDPの国力の比は、約5対1です。1994年ぐらいになりますと、日米の国力は大分接近してきまして1.46対1です。1.46対1のGDP比で計算したらどうなるかというのを見ると、何と日本が必要とする法曹は55万 1,967名と、中坊委員の言う5万人の1桁上になってしまうわけです。これでは議論にならないと思いますけれども、ただ事態としては、このぐらいのことが要請されている時代なのだということを理解していただきたいので、この数字をあえて出しました。もし、1965年(昭和40年)の日本の国力であったとしたら、法曹需要は16万 5,817名ぐらいです。

  さて、その法曹なるものはロースクールで教育するわけですが、そのロースクールではどのように学位を出しているかをアメリカについて見ますと、アメリカでは、1971年には1万 4,916名のJDが生まれました。1995年には3万 9,349名のJDが誕生しています。ロースクールを何人にするかということを我々は議論してきております。3,000人にするとしたら、しばらくは変えないことが前提のように思ったら間違いです。アメリカのこの勢い。必要があれば増やしていくこの社会の柔軟さ。これは我々は見習うべきではないかと思うのです。

  このJDをアメリカの1965年ぐらいのペースで誕生させるとしたら何人必要になるか、というのを試算しました。先ほど計算した上の表からとってきた16万 5,817名にアメリカの法曹とJDの比率を掛けて計算してみますと、毎年7,300人ぐらいは卒業生を出さなければ足りない。それから、1994年ベースで試算すると、毎年2万 4,000人ぐらいは卒業させなければならない。

  これはあくまでも目安でして、日本の過去のしがらみ、制度を考慮して議論しなければなりませんから、これは一つの参考数値ですけれども、本来は少なくとも 7,300人といったぐらいの法曹人口予備軍をロースクールから送り出していないと間に合わないのだということをおわかりいただければ幸いです。

  あっちへ飛んだり、こっちへ飛んだりで大変恐縮でございましたけれども、以上が私の申し上げたいことでございます。ありがとうございました。

【佐藤会長】 どうもありがとうございました。前半の方は、法曹一元の議論に入りましたときに必要に応じて御発言いただければと思います。せっかくの機会ですので、何か御質問があればと思いますが。よろしいでしょうか。それでは、必要に応じて言及していただきたいと思います。

  それでは、法曹人口についての意見交換に入りたいと思います。きのう法曹人口の問題についていろいろ御意見を伺ったわけでありますが、そのとき、少なくとも3,000人を目指すべきではないか、そういう角度からアプローチしようという考え方と、着実に積み重ねていくべきではないかという考え方と、2つのアプローチがあったように思います。大幅増員ということについては、私ども既に認識は一致しているわけでありまして、どういう角度で物を見るか、粗っぽく言うと角度の違いではないかという感じもしないわけではありません。きのうは石井委員が御欠席でしたので、石井委員の御意見も伺い、皆様からももう少し御意見を伺った上で、この問題について一応の私どもの考え方をまとめられればというように考えております。きのうの御発言に加えて、この点言っておきたいということがありましたら、御発言をお願いいたします。最初に、御欠席でした石井委員はいかがでしょうか。

【石井委員】後でまた発言させていただきます。

【佐藤会長】そうですか。それでは、他の委員の方、いかがでしょうか。

【中坊委員】きのう終わる間際に、藤田委員の方から、そういった数を具体的に言うべきではないというお話があり、水原委員も藤田委員も両方とも共通しているのは、要するに弁護士数というのはマーケットが決めるのだということをおっしゃってました。今、鳥居委員からのお話もありましたけれど、私はマーケットとか需要とか何とかというよりも、基本的に人数で割れば一応の数字が出てくるわけで、きのうも言ったように、今のままでいけば、 7,000人に1人、社会生活上の医師というにしては余りにも桁が違うではないか。だから私は、当面そういうマーケットとか何とかを論じる前に、人数で割ってしまうというような大ざっぱなところで決めていかないと、マーケットなんて、鳥居委員のおっしゃるように、産業の発達もあるわけですし、ある程度数が増えてまた変わるわけでありますから、そういう意味では、マーケットが支配するのだからマーケットを見て、マーケットを見つつなんて言っていたら、いつまでたっても決まらないのではないか。

 私としては、そういう意味では、まさに今人数をある程度明確化することによって、そして我々司法制度改革審議会が、来るべき法曹というものをどのように考えておるのか。3,000人出そうと思えば、大体8割通るとして、4,000人の学生が1学年にいるわけです。そのような数字を我々が議論しないと、検討会議の方も検討のしようがないと思うんですね。

 また最後に、藤田委員が、今の修習生が行き先がなくなって困っているではないかという話がありました。今の修習生がどうだこうだという問題ではないと思うのです。まさに21世紀の我が国の司法の在り方を決めなければいけないときに、今の修習生がどうか、ではない。私たちが関知している限りでは、きょう現在、修習生はみんな就職しているわけですよ。少なくとも日弁連はそう聞いている。

 また、私としてきょう若干強調したいと思いますのは、弁護士数が増えるということについて一番利害があるのは、実は弁護士、そして弁護士会だろうと思うんですよ。5万人、6万人、フランス並みということを、私は今年の2月に申し上げました。そして日弁連はその問題について前向きにとらえて、かつて 1,000人とかいう枠を決めたけれども、何とかその枠を取り払おうではないかという運動が今続いておる最中なんですね。だから、まさに一番利害関係のある、しかも自治権を持っておる弁護士会がそう変わりつつあるときに、審議会が、ただ相当の増加だということだけで済まされるのか。私はそのように思うし、そこのキーワード、出発点がなければ、皆さんおっしゃるように、検討会議ももう一つ具体的に決まらないし、我々のあらゆるものの出発点の法曹の数そのものが睨めないということになってくる。きょうこれから討議する法曹一元にもすべて関係してくる問題ではないかと思うので、私はぜひこの際、そのような問題について、年間3,000人新しい法曹が生まれてくる、新司法試験によって受かってくる3,000人という数は、私は前回から言っていますようにミニマムなんですね、決して多数ではない。しかし、それぐらいはとりあえず目標にして、物事を具体的に考えなければいけないのではないかということを言っている。

 しかも、ある程度、5万人、6万人というのが、一つの論議の対象になってきたのと同じように、それでは5万人、6万人を十何年先にやろうと思えば、これだけの数はどうしても要るわけですから、だから5万人、6万人ということは、大体多くの方の意見も一応コンセンサスができ上がりつつあるので、私としては、この際、ぜひ数字をもって、そういうものを明らかにすることに意味があるのではないかと思っています。

【井上委員】法科大学院の話が出ましたので、きのう申し上げたのと同じ趣旨なのですが、私も、数をもって目標を示すことには決して反対ではないのですけれども、ただ、それがどのぐらいの数として設定されて、どういうステップで増やしていくのか。それは次の問題だといえばそのとおりなのですが、法科大学院を考えていく上で、現在の受容れ能力などで数を決めるというのは適切でないというのはよくわかるのですが、ある質、質というとまた怒られるかもしれませんけれど、法科大学院の教育のレベルを一定程度に保ちながら法科大学院を増やしていくということを現実的に考えますと、やはりステップを踏んで増やしていかないといけない。現実的にはそうなるので、私が一番関心があるのは、そのステップの踏み方なんです。これをどういうふうに引き上げていくのか。目標を示すこと、それは大事だと思うのですけれども、そこはぜひお考えいただきたい。

 利害関係があるのは弁護士さんであることは間違いないのですが、本当をいうと、究極の利害関係者は利用者でしょう。ですから、利用者に良質なサービスを提供するということ、これは当然中坊先生も前提にされていると思うのです。あまり質、質と言うとまた首を締めることになりかねませんが、レベルアップを図りながら、段階を踏んでできるだけ早く容量を大きくしていくというのが現実的で、できるだけ早くといっても、一定の期間はかかるのではないかと思うのです。

【佐藤会長】鳥居委員どうぞ。

【鳥居委員】井上先生と私は、多分同じことを考えていると思います。私の考えているのも、段階をちゃんとイメージしないでこの議論はできない。ただ、その段階ははっきりしているのではないかと思うのです。

 今年が2000年で、司法制度改革審議会が中間答申を出す。そして関連法改正の第一段階が始まるであろう。2001年は法科大学院制度の制度づくりも含めた法改正と法整備が行われるだろう。したがって、2002年に法科大学院の設置の第1回の設置申請受付が行われるだろう。審査が1年かけて行われるだろう。そうすると法科大学院の開校は2003年と考えられる。私の頭の中では大体2010年には 3,000人から 4,000人の学生が卒業する事態が想像される。

  お互いにそうしたイメージがあると思うんです。そのイメージを具体的に詰めないで、抽象論として、段階を踏んでないからだめだということは言えないと思うのです。

【井上委員】 私もその点は同意見です。

【鳥居委員】 私の頭の中には大体数字があります。必要があればお出しします。

【井上委員】 数については、私は鳥居先生ほど大胆ではないものですから、そんなに一気にいくかなというふうに思います。ただ、基本的な考え方としては同じです。

【鳥居委員】 私の頭の中は非常に具体的でして、大学設置審議会では、国立大学から申請が出てきた分については「意見伺い」という形で諮ります。ですから国立大学は5校ないし10校はいきなり通るでしょう。

【井上委員】その点はまた別途・・・。

【佐藤会長】吉岡委員どうぞ。

【吉岡委員】確かに段階を追ってということは考えなければいけないと思うのですね。現実に今の法曹養成のシステムの中で考えると、1,500人ぐらいまではこのままでもいくだろうと思うのですけど、飛躍的に伸ばすとすればロースクールと並行してと。この間口を広げるところでは議論の分かれるところなんですけれども、仮にそれでやっていくと、あとは現実的にどのぐらいのステップで行けるのか、そういう問題はあると思うのです。井上委員のおっしゃる堅実というか、比較的少しずつしか増えないという考え方もあるし、それから鳥居委員がおっしゃるようなのも1つの考え方だと思うのです。現実にどういくかというのをちょっと置いておきまして、利用者の立場から見てどうなのか。

  そうしますとアメリカの弁護士は、少なくとも日本の医師並みー医師1人に国民520人ー以上になっている。アメリカの場合ですと医師1人に国民336人、弁護士1人に国民307人、そういう比較で見た場合に余りにも日本の利用者は非常に厳しいというか利用しにくい条件に置かれていると思います。そういうことから言えば、アメリカ並みまでは急には無理だろうとは思いますが、利用者の立場からすれば、もっと使いやすい人数にできるだけ早く到達させなければいけない、それは大前提として言えるのではないかと思います。

  そういうことで私は先ほどのレポートにも5~6万人と書いてしまっているのですけれども、鳥居委員の話を聞いて、私は失敗したな、5~6万人でなくてマルを1つつけておけばよかったのかと思ったくらいですが、少なくとも5万人規模という、そういう規模に早く到達させなければいけないだろうと考えます。

 いろいろなスケジュールを考えて、確かに最初のころは、条件整備に時間がかかるというようなことがありますから、最初の数年はそれほど増やすことは困難かもしれません。でも10年というような長さで見たときに5万人にするという、その目標は無理ではないのではないか。最初は増え方は少ないですけど、カーブを急に上げていくようにしないといけないと思うのですね。そういうことから言うと、10年後を目指せば、5万人あるいは6万人は不可能な数字ではない。むしろ最低限の数値だということを中坊委員もおっしゃいましたけれども、私はそのくらいにする必要が少なくとも利用者の立場から言えばあるというふうに考えます。

【水原委員】法曹人口の大幅な増加の必要性については異論のないところでございます。先ほど鳥居委員からアメリカの事情について御説明いただきましたところによりますと、アメリカの法科大学院、この卒業生の数も71年には1万4,916名だった。80年からどーんと増えていて2.5 倍くらいになっているわけです。これはなぜかというと、先ほどの御説明によると、サービス産業が発達して需要が出てきたから、その需要に柔軟に対応していることがアメリカのすばらしさの表れだと御説明いただきました。

  日本の場合に、私はどれぐらい需要があるのかということをまずいろいろな角度から検証する必要もありましょうということが第一点と、もう一つは、やはり優秀な人材を法曹に迎えなければいけない。また怒られるかもしれませんが、質の確保はどうしても避けて通れない問題だろうと思います。質の悪いのが入ってきますと被害を受けるのは国民でございまして、だから国民の立場からするならば優秀な人材を確保することが必要である。ところが法学部における優秀な人材、これは決して法科大学院のみを志す者ではなくて企業法務にも行くでありましょうし、行政職のI種を目指して国家公務員の試験にも行きましょうというところで、今のところ、どれぐらい法科大学院を志す者が来るのかはっきりわからない。

 そういうことを考えてみますと、いろいろな不確定な要素があるときに、最終目標を最初からぼんと設定するのはいかがなものであろうか。やはり1,500人、そしてできる限り早い時期に2,000人にもっていくと。それらの過程を経て、そして法科大学院の立ち上がり状況あるいは修習生の受入れ体制の問題、そして法科大学院が期待しておるところの実務修習についていろいろ期待されております。これについて受入先が消化する能力を持っているかどうか。持ってないとするなら体制整備もやらなければいけない。

  そういういろいろなものを考えていくとするならば、どんと最終的に目標を決めるのも1つの方法かもわかりませんが、1,500人から早い時期に2,000人、その状況を見た上で検討するのが筋ではなかろうかという気がいたします。

【佐藤会長】 藤田委員がさっきから手を挙げておられましたが。

【藤田委員】 やり玉に挙げられましたから答弁しなければならないと思うのですけれども、法曹人口について人数を挙げるのに全部反対というわけではありません。鳥居先生から詳細な分析がされ、アメリカの例を挙げていただきまして、なるほどと思うところも多いのですが、前にも申し上げた隣接法律専門職種をどう考えるのかということが法曹人口を考える場合に重要な要素としてあるということです。アメリカの場合には公認会計士はいるそうですが、ほかの隣接法律専門職種としてわが国で挙げられている職種は一切なくて、みんな弁護士がやっているということですし、フランスの場合も、きのうの川端二弁会長のお話によると、詳しいことは知りませんが、企業の法務部員のような者をカウントして数が増えたのだというような御説明がありましたが、そういう点から言うと、日本でも隣接法律専門職種の数を数えれば司法書士でも弁護士とほぼ同じ数いるわけです。そういう意味で、全体的にそれぞれの国の社会にふさわしい法曹人口のレベルはどうかというのは一義的にはなかなか決められないのではないと思います。

 アメリカの例が挙げられておりますが、そういう積極的な評価ももちろんありますけれども、日弁連の機関誌の『自由と正義』の7月号に鈴木仁志さんという若い弁護士の方が、アメリカの弁護士のことを書いておられます。アメリカで仕事をしておられるそうですが、アメリカの大学講師から「人に嫌われたくなかったら自分が弁護士だと言わない方がいい」と言われたので、どうしてかと思って、アメリカ社会の弁護士に対する評価について調べてみたら、弁護士に財布を見せるな、見せると中身を全部取られるとか、ローヤーとライヤーは同義であるとか、さんざん悪口が書いてあって、その最後にこんなアメリカの制度を取り入れなければならないのですかというふうにお書きになっている。それは一面的な見方かもしれません。また、この時期にそういうものを『自由と正義』の巻頭にお載せになった日弁連には敬意を表するのですけれども、いろいろな見方があると思います。

 それで弁護士数を社会の需要から考えるのはおかしいといった話がありましたけれども、国民の権利の擁護のためにもミニマムレベルは維持しなければならないわけです。それから社会的な需要というようなことも考慮しなければならないと私は思うのです。そういう意味では、全体的に日本の社会にふさわしい弁護士の数のレベルがどうだということを一義的に決めるわけにいかない。ただ、増やさなければいけないことははっきりしていますから、ロースクールを採用すると確定したわけではないにしても、いろいろ検討していただいているわけで、仮にロースクールを前提として考えるとしても、それが立ち上がって卒業生が出てくるまでにある程度の年数がかかるわけです。また、それとは別に11月1日に日弁連の臨時総会があって、 1,000人という上限値は外すと、この間、久保井会長がおいでになってお話になっておられました。1,500という数字が今までに挙げられたことがございますけれども、それを早急に実現するように努力する必要があります。ロースクールができて、卒業生が出て、新しい司法試験制度ができた段階で2,000人を目指す。更にその状況を見て、質的なレベルあるいは社会に浸透していった法曹の活動、機能というものを検討した上で3,000人という目標が可能か、適当かどうかということを検討するということが一番現実的でもあるし、日本の社会にマッチした法曹人口に達する王道ではなかろうかと思います。

【佐藤会長】 吉岡委員、先ほどから手を挙げておられましたので。

【吉岡委員】 水原委員、藤田委員がおっしゃっていることももちろんわかるのですが、ただ、人数合わせのために、隣接業種に何人いるから、だから、というのは少し乱暴な話ではないかと思うのですね。確かに隣接業種の方も勉強もしていらっしゃるし、ある分野についてはかなり知識もお持ちだということは私もわかりますけれども、だからといって、イコール弁護士ではないわけで、それをその数をもって足りているというのは少し乱暴な考え方ではないかと思います。

  それで、水原委員が言われた優秀な人材ということなんですけれども、優秀な人材というのをどういう物差しで考えているのかという、そこのところにも問題があるのではないかと思います。専門知識、法律知識、そういうことに非常にウエートを置けば、いい点を取らなければいけない、そういう人でなければ優秀ではないということが言えるかもしれませんけれども、法曹としての優秀さというのは、それだけではないと考えます。もっと生活に密着したところで発想できる。そういう中で司法をどう考えていくのか、どう処理していくのか、そういう発想ができる資質、そういうものを持っていることが重要ではないかと思います。その場合に、もし間違えていたらごめんなさい、水原委員。その優秀なというとらえ方、それを少し視点を変えないといけないのではないかと考えます。

 私はさっき5万人はちょっと低過ぎたというふうに申し上げたのですけれども、5万人というのはそんなに無理な数ではない。ただ、始まった途端に5万人増やす、それは乱暴な話だと思いますけど、目標値として10年後には5万人という、そういう目標値というのは決して難しい数字ではないと思います。確かに様子を見ながら少しずつというのも王道かもしれませんが、それは手直しであって改革ではないと思うのですね。やはり改革というからには目標をどうするのだという、そこを決めていかないといけないのではないか。それで実現するために何をやったらいいのかという逆の発想でいかないと進歩がないのではないかと、素人の私の立場ではそう思いますけれども。

【佐藤会長】北村委員どうぞ。

【北村委員】私、きのうも申し上げたのですけれども、きょう中坊委員が日弁連を代表して、日弁連も5~6万ということで納得しているのだからと。

【中坊委員】いやいや、そんなこと言ってません。

【北村委員】言ってませんか。

【中坊委員】 あなた人の言うことを(笑)。

【北村委員】 どっちでもいいのですけれども。

【中坊委員】そこは後でもうちょっと正確に言います。先ほど言うたでしょ。

【佐藤会長】まず、こっちを伺ってからにしましょう。

【北村委員】5万にしても6万にしても、例えば10年後、事務局資料の3,000人のところでいきますと、大体2012年か2013年に5万人になるわけなんですね。私は法科大学院でそういうようなものを主に養成していくというようなことを考えていきますと、10年たって5~6万になったから、それ以後は減らしていきましょうということはなかなかできないわけなんですね。だから臨時的にここで増やすといったときには、法科大学院だけではなくて、現行の司法試験も同時にやっていって増やすことは可能ですけれども、法科大学院から出てくる人を3,000人ずつ増やしていきましたと。ところがここで5~6万になりましたから、次からは 2,000人に減らしますというようなことがないような、そういうことで考えていただきたいということがあります。

 というのは、これをやるのは、どこかの機関、大学が中心になるわけです。そのほかいろいろと地方公共団体もあるかもしれませんけれども、やはりそれが今度なくなっていくということは非常に大きなことで、今まで割と司法試験の経緯を見てみますと、足りないから増やしていきましょう。公認会計士の方はよくわかるのですが、公認会計士ですと、多過ぎるから少し調整して減らしましょうとか、そういった形でやってきた経緯があるのではないかと思うのですね。

 ですから10年後において5~6万といったときには、それ以後においてはもっと増えていくという、それだけの覚悟があるのか。吉岡委員のお話はいいんです。ずっと増やしていってもらいたいということですからそれでいいのですけれども、法曹三者の方はそれでいいのかどうなのか。特に日弁連はどうなのかということを私はすごく心配するのです。

【佐藤会長】高木委員も手を挙げていらっしゃいますが。

【高木委員】先にどうぞ。

【中坊委員】私は先ほど申し上げたのは、差し当たって新司法試験で 3,000人合格ということになれば、今から勘定していっても、前回言ったように2018年にならないと弁護士の数が5万人にはなりませんよと。それほど遠い将来のことを、これから着手して決めていかなければいけない。そういうことについて、日弁連は少なくとも前向きにとらまえていますよ。そんなこと言ってしまったらとんでもないというような意見を言ってませんと。この間、小堀会長もここへ来ておっしゃいましたけれども。今まで確か弁護士会は 1,500人でしたか。

【竹下会長代理】 1,000 人です。

【中坊委員】 1,000 人までのことはいいというようなことで決議をしてたから、その決議を変えましょうと言って、今、理事会にかけていますと。私は今ここで必要なことは、司法制度改革審議会がそういうような場合にどういう位置づけを持っているかなんですね。まさに司法制度改革審議会が発信しなければ、よそが発信するわけないのですよ。だから、そういう意味では、私はミニマムの目標として 3,000人。そして、私の計算でいけば、2018年ぐらいに5万人ぐらいになりますという数字を具体的な目標として掲げていかないと、うまくいかないのではありませんでしょうかと。

 確かに北村委員のおっしゃるように利害のあるのは弁護士なんですから、その弁護士が今前向きにそういう姿勢をとっておるということは、ひとつこの審議会でも参考にしてくださいということを言っているだけです。

【高木委員】先ほど来の御議論を聞いておって思いますのは、現状を皆さんどう認識されておるのですかという疑問です。そういう意味では、中坊委員の言葉だと2割司法、小さな司法、法の支配が行き渡ってないとかいろいろなことが言われ、現に困っておるのは国民なんですね。困っている国民がまず第一義的に何を望んでいるか。それは大きな司法というかアクセスやら何やら、もちろん数だけの問題ではなく、いろんなことを仕組みとしても直していただかなければいけないと思いますし、今朝ほど、例えば弁護士の皆さんについて、こういうところも直してくださいというようないろんな御意見もあって、そういうことも並行させていきながら、アクセスもよくしていき、そのためには人数も増やしてほしい、それがそもそものスタートだという認識でいます。

 今、お話を聞いていると、職がない人ができたらどうするのだ、なんていうお話が出る。53期、54期、現に就職浪人がおられるのかどうか、私はよく知りませんけれども、ただ、私ども労働組合で雇用問題をいろいろ議論したりしますが、もし、そういう意味で流入圧力の方が多ければ、その流入した人にどういうところに仕事を用意していくのかという議論になります。例えば弁護士さんの世界で仕事を増やす対象というのはないのか。例えば専門性がどうのこうのということも問われているし、あるいはもうちょっとこういう分野に活動を広げてもいいのではないかというお話もあるし、更に過疎の問題を皆さんそれぞれ問題にされるのならば、過疎のところへ行ってくれるか、行ってくれないか、行ってもらえるような誘導の仕組みをどうやってつくるのか、そういういろんな工夫をして雇用問題を私どもも社会的にいろいろ処理してきておるのだと思います。そういうふうに発想していくのが当たり前ではないか。

 北村さんが隣に座っておられますが、私、北村さんに言いたいけれども、将来3,000が2,000になったらどうするのだというお話がありましたが、現在困っている状態を直すのが優先なのか、将来の学生あるいは大学の受け入れ人数のことがあるから、それにおもんばかるのを優先するのか、それは両方とも気を使わなければいけないところかもしれませんけど、どちらを優先させるべきかといったら、一ぺんにいかないという中で一番早く、質も量もということになるのが論理の当然の帰結であり、そういう意味で3,000人にしてしまって、後々2,000人くらいで十分だということになるかも知れないから3,000人はおかしいという論理のたて方はいかがなものでしょうか。それはそのときにどういう事情になっているのかというのをまた見直す。未来永劫そうかといったら、例えば、職業訓練校なんていうのは時代とともにどんどん中身が変わっています。

 これはちょっと言い過ぎだったらお許しいただきたいですが、先ほどのことも含めて、私は質の問題はどんなときにも、努力しろ、の範囲だと思うのです。努力しろ、でしのがなければならない世界で、これは民間企業でもそうですが、山本さんがおられるから、あるいは石井社長もおられるからあれですけれども、人を増やすとレベルが落ちるというのは、いつも増員反対の論理に使われるのです、どんな世界でも。もちろん法曹がそう安易なものだと私は申し上げるつもりはありませんけれども、そういう資質の低下につながらないためにやっていけるベストは何なのか。それは特にきのうの実務修習の話にも関連しますが、それは法曹三者の皆さんが一番責任背負わなければいけないわけですから、大学とともに、そういう努力はもちろんおやりになるという前提でも、なおかつ質の問題ありと言っておられるのだろうかと思います。

 もう一つつけ加えれば、国民が一番で、それから法曹人口が増えて競争相手が増える日弁連がその次です、この問題は。裁判所、法務省についても定員だとかいろいろおありになって、その中でも皆さんも増員のニーズがあるとおっしゃるわけですね。ですから、そういう順番やら何やら考えていったときに、藤田委員が裁判所といったら、お叱り受けるかもしれないし、水原さんが法務省・検察庁といったら、お二人はそういう世界ということですから、裁判所や検察庁のことを心配されるのは当然でしょう。あの日弁連でさえそこまで、すいません、失礼な言い方になってすみませんが、そういうようなことを見ていて、この審議会に今何が求められているのかという意味で、先ほど来の論議を聞いていたら、ちょっと論議の軸足の置き方が違うのではないか。去年7月から、忙しいのにと言ったら怒られるけれども、いろいろなきつい思いをしてこの論議に参加してきて、この何カ月間は何だったのだ、という気がしながら聞いておりましたということです。

【石井委員】私も弁護士を増やすことは、当然やらなければいけないことだと思っています。しかも、質の低下ということを第一に考えなければいけないと思っております。これは実際に関係されている方から教えていただきたいのですが、今度 3,000人にするという場合、今と比べて2,000人の差が出るわけですね。 2,000人下のレベルまで今の司法試験で受けてくる人たちを合格させると、どのぐらいのレベルの人までが合格となるのか。実際に、例えば使い物にならないような人まで入り込むのか、大学の入試などで言うと、1点の差でそこに数百人が並んでしまうという話がよくありますが、そういうことから言って、もし今のレベルよりも 2,000人下の人まで合格させたとき、どういうレベルの人材が入り込んでくるのか、どうイメージしたらいいのかということを一つ教えていただきたいと思います。

 もう一つ、鳥居委員のお話、大変興味深く伺わせていただきましたが、アメリカと日本の弁護士人数の比較のところですが、今、我々はどちらかというと、何となくフランスとの比較をしておりますので、これと同じようなことをフランスと比較してみたらどういうことになるのか、ドイツでもいいのですが。そういう数字上の比較をちょっと教えていただけたらというのがもう一つの点であります。

 私といたしましては、いずれにしても弁護士を増やすと一言で言っても、ただ、やみくもに一般の弁護士さんを増やすというのが果たして今の時代に合っているのか、そういう気がしております。先ほど鳥居委員がうまくまとめていただいたのですが、「21世紀の要請」というところに、とにかく今の我々企業が非常に困っているというのは、先生の「時代の要請」の4ページのところで書いていただいた特許・先端技術の権利問題、国際取引、この2つが本当に各企業にとって頭痛の種なわけです。したがって、これをハンドリングできるような弁護士が出てこなくては外国にも勝てないし、やっていけないということになります。ただ、いわゆる離婚の訴訟がうまい弁護士さんが何人増えても余り意味ないわけです。

 ですから、そういう意味で、私がさっき申し上げた中で、何でもいいから外国の学校へも行かせる、そのぐらいのことをやって、国際性を身につけさせるようにしなければならないと思います。これからの世の中は外国語が堪能でなければやっていけませんし、そういうことがこの審議会で余り論議されなさすぎるのではないか。そういう気がしておりますので、そこら辺のことを少し申し上げさせていただきたいと思います。今、企業が本当に困っていて、これからますます必要になってくるのが、さっき申し上げた特許関係と国際取引です。これらが最大の問題になって、日本の国力維持とかそういうことに対して非常に大きな問題になってくるのは目に見えているわけですから、これを何とか解決しなければいけないというのが1つの大きなポイントになるのではないか、そう思っております。

【北村委員】高木委員に申し上げたいことがあるのですが。さっきのことに関連してなんですけれども、高木委員が、さっき私が法科大学院のことを考えまして、3,000人というのでずっといって、多過ぎるからといって減らしていくというようなことはなるべく避けてもらいたい。でも状況がわからないのだから、そういうことはあり得るというようなことをおっしゃったのですね。

 組合の代表で出てらっしゃるのですから(笑)、法科大学院というものがそうやって消滅していくというようなことはなるべく高木委員の立場としては避けるようなことでおっしゃっていただきたいと思うんですね。私が言いたいのは、法曹人口なんていうようなものを何千人とかという形で調節していくのは非常によくないことであると、こう思っているのです。ですから3,000人なら3,000人で増やす。将来行って、もっと増やさなければならないから4,000人とかとやっていくというのはすごくよくわかるんです。ところが3,000人になって多過ぎたから2,000人にしましょうとか、そこのところがどうしても納得できない、ということなんです。

 もう一つ言わせていただくと、私は法科大学院というものと司法試験というものの二本立てがいいと思っていますので、例えば、私は3,000人に異論があるわけではなくて、3,000人になったら、両方合わせて3,000人というような形でやっていくことも考えていただければと思うのです。ですから今、法曹養成がどういう仕組みになるのかというのはまだここで詳しく議論していませんけれども、私は若干のものを残しておく必要があるだろうと思っていますから、それを合わせて3,000人なら3,000人でずっとやっていきましょうと。少なくともしばらくはまだ司法試験がずっと残りますので、この人数はある程度出てくると思うのですね。そうすると増え方はもう少し増えるのではないか。よくわからないのが、2018年が5万人とかという数字が全然わからないのです。

【中坊委員】もう一ぺん言いましょうか(笑)。

【北村委員】ここの表のどこが違っているのですか。別の表なんですね。

【中坊委員】その表ではなしにね。もう一ぺん、すいません。私は今おっしゃるように、新司法試験によって3,000名が司法試験に受かって、いわゆる法曹の入口に入ってくると、そういう前提にしますね。毎年500人は引退するから、毎年2,500人は増えることになりますと、それが1つの数字です。きょう現在は弁護士は約1万7,000人おります。いつから3,000人ができてくるかといったら、ロースクールということで、我々が来年2001年に答申して、それが現実に、学校の設置審査ですか、そういうようなことをやるのは来年、再来年になるでしょうと。そうすると恐らく採用になるのは早く見ても2003年になります。2003年に入学して、大体3年ということを仮に前提としますが、すなわち2005年になると新しい人が卒業をし始め、それから研修所に仮に1年入るとして2006年になると2,500人が増える。2006年のときに、現在の1万7,000人の人が、確かにおっしゃるようにその間も増え続けますから、それで約2006年に大体の数が1万7,000人が2万人になっていると。そしてその2万人で、それから以後は2,500人ずつ増えていくと、2016年になって4万5,000人。そして、2018年になって5万人。そうすると今から勘定すると、だいたい平成30年ごろになるとそういう数字になります。

 私はこの前から言っているように、これは極めてミニマムの数字であって、もっとこれから大きくなっていかないといけないのではないか。だけど、当面の目標としては、私はこの程度の数字、これがいわゆるフランス並みの5万人というものが2018年ですから、今から勘定して18年先ぐらいになるのと違いますかと。だから、そういう将来を今考えていますということを言っているわけです。

【佐藤会長】先ほどから山本委員が手を挙げておられますので。

【山本委員】1,500という数字はもう既にあって、これを3,000ぐらいにするという話は、中坊委員や皆さんがおっしゃるように、恐らく将来にとって必要な数字だと思うんですね。ただ、我々が今までやってきて、これからもやらなければいけないことは、日本の司法制度をどうするか、人的インフラだとか制度的インフラをどうするかをいろいろと議論することであって、それはすべて法曹なり弁護士の数に影響する事柄ですね。

 これを今、中間報告を目前にして集中審議をしている。そういう中で数をどの程度この時点ではっきり言うかというのが議論になっているのだと思うんですね。もともとかなり大量な数は必要だという話は既に出ているわけですし、フランス並みという話も一応伝わっていますね。

 そういう中で、いや、何年から何人の司法試験合格者を出して、何年までに幾らにするということをあえて言わなければいけないかどうかというのは私ちょっと疑問なんです。今おっしゃられたように、先に頭数があって、それから仕事を考えていくというのは、この審議会の仕事と全く逆だと思うんですね。ですから細かい話ですけれども、弁護士法72条の問題をどうするかとか隣接職種の問題をどうするか、弁護士の兼職の問題をどうするか。それから、新しいロースクールを出て司法試験を受けるだけなのか、あるいは司法修習をやるのか、まだ議論していませんし、司法修習までやった人が法曹であって、それ以外の人は法曹でないのかとかいろんな大きな議論がいっぱい残っているわけですね。

 そういう中で、数について日弁連さんが何かおっしゃったかどうか知りませんけれども、それをすぐに審議会としてオーソライズするというのは、これは委員会のアカウンタビリティーとしては誠にさかさの議論ではないかとさっきから思っているのですけど、言い過ぎたらごめんなさい。

 それから、鳥居委員からアメリカの話を興味深くお聞きしましたけれども、我々は今までフランスという話をいろいろやってきた。石井委員がおっしゃるように、フランスの法曹人口が、例えば1つの目標として法曹人口を考えたときに、日本の現状がどうなるか、詳しい話をしておりません。アメリカの場合は、ベトナム戦争が終わったら軍人が減って弁護士が増えたという話がありまして、ニワトリと卵の関係もあるのではないかと私は思っているのです。要するにローヤーが増えたから訴訟がうんと増えた。現にブッシュのときにクエール副大統領がアメリカの乱訴社会を嘆いて、少し何か考えなければいけないのではないかという話も聞いています。でも鳥居委員がおっしゃるように、これから我々が日米の経済戦争をやっていく上で、新しい部分のローヤーはうんと大事です。それは日本の企業はみんなそう思っています。

 そういうことはあるのですけれども、冒頭申し上げたように、どうしてもこの機をとらえてある程度の数字を言うのであれば、当審議会として、例えば何年から何人ローヤーを出して、何年までに何万人にするというようなかちっとしたものを言うのではなくて、中坊委員がずっとおっしゃっているように、10年先ぐらいまでに5万人や6万人の数が必要だというぐらいの話はできると思うんですね。それでいけないかどうかというのをちょっとお伺いしたいのです。

【高木委員】北村さんから、組合だからどうのという話があって、そんなのいちいち反論する気もないんだけど(笑)、そもそも人間社会でいろんな営みをやっていて、社会に必要な仕事をみんなしているわけです。仕事なんていうのは、時代とともに中身は変わり、製造業でも、私のところは繊維産業にかかわっているけど、かつて何百万人おったのが今何万人ですということは現実にある話なのです。産業構造の変化とともに、逆にそういう中で苦労しておるのは、仕事をその産業で用意できなくなった人をほかの産業でどうやって食べていくようにするかという立場で苦労しているのが圧倒的に多いわけだし、だから一たんつくったから、この定員が守れないのは組合らしくないとか、こだわりませんが、天下の中央大学の教授に言われる話とは私は思わなかった(笑)。

【竹下会長代理】 北村委員が先ほどから言っておられる問題は、鳥居委員に教えていただきたいのですが、医師について、北村委員が心配しておられるような問題が起こりましたね。医師が足りない足りないというので、各県に1つずつ医学部をつくった。今度は多過ぎるという問題が出てきたと思うのですけど、医師の場合はどういうような解決になったのでしょうか。

【鳥居委員】医師は多いと言っているのは厚生省ですね。なぜ多いと言うかというと、医療保険制度が破綻しそうになっています。医療保険制度の崩壊を防ぐためには医者の数を減らそうという論理から出てきているのでありまして、医者はこの表を見ていただいてもわかりますように、国民1人当たり520人ぐらいなんです。アメリカは300人ぐらい。だから、まだまだアメリカにさえ追いついてないんですね。しかも医学部の学生は年間約8,000人卒業して、大体80数%が医師国家試験の合格率です。東京大学医学部とか京大医学部ですと、90%は大体いくんですよ。だからかなりの数で医者はどんどん誕生している。私は今、大体定常状態と見ているんです。厚生省が言う医者が多いというのは東京や大都市に多いだけで、全国では決して多くないんですね。

 さて、法曹の数は、ロースクールの修了者を3,000人と仮にしますと、本当にあっという間に多くなるのか、そういうことは起きない。ただし、事務局の試算した表は非常に見事に計算されていますので、結構多くなる可能性はある。2050年には法曹1人当たり人口728人までいくという計算になっていますから、これを多いと見るか、いや、アメリカのまだ半分もいかないと見るかはまた別ですけれども、今の5万人でも多いと思っている人にとってはこれは多いです。

【竹下会長代理】 ありがとうございました。

【鳥居委員】北村先生は学校がつぶれるのではないかという御心配をしておられるのでしょうか。

【北村委員】私は、大学は、今、例えば3,000人が合格するのだと思ったならばうわっと参入してきますよね。自分のところの大学も大丈夫だと思って参入してくると思う。もし、人数がすごく少ないのだったら、少し様子見てから参入しようかなとか、いろんな判断があると思うのです。そのときに今の人数がこれだから、将来これを半分にしましょうとかというのは、これはいくらなんでも国民の利用という観点から見てもひどすぎるのではないか。これを言いたいのです。

 私は、だから同じような形でいくとか、状況によって増やしていくとか、法科大学院ができて、そこで教育された人間がだめだったと、これだったら変えていかなければしようがないと思うんですね。ところが比較的いい人間が出ているのに、これは法曹の人口の都合で減らしていくというのはまずいと、そこが言いたいところなんです。ですからそういう覚悟があるかどうかということを、多分反対なさるのは日弁連かなと思って、先ほどから日弁連の方ではどうなのかということをお伺いしたわけなんです。

【鳥居委員】 医学部は全国に79校です。その79校が 各校だいたい100人ずつ卒業させているのです。約8,000人なんです。ロースクールが80校できるという事態はちょっと想像できないんですね。100人ずつ教える学校が30校あればいい方だと思うんですよ。そうすると医師の過剰よりもはるかに少ない状況でおさまるであろうと見るんですけれどもね。

【井上委員】 数は余り自信ないのですが、30校でしかも100規模とおっしゃいましたけれど、恐らく多くのところはもっと小規模になる、半数は小規模ではないかと思います。しかも、最初から一気に全部立ち上がるわけではなく、徐々に立ち上がっていくと思うのです。いくら改革といっても、そういうことだと思うのですよ。それで私はステップ、ステップと言ってきた。鳥居委員よりは低く見積もっているということなのです。

【鳥居委員】 もう一つは、先ほど水原委員や山本委員のお話にもあったのですけれども、もっと総合的に、みんなが考えると思うんです。学校を経営する者の立場になって考えますと、法曹三者向けのコースは徹底して教育をしますが、その周辺にいろんな隣接の職業の教育をする装置をつくって、学生は横にも動けるようにしておいて、司法書士になろうとか弁理士になろう、そっちの方がパテント問題がおもしろい、という柔軟性のある学校をつくると思いますね。私はそれが先ほど水原委員がおっしゃったようなことにもつながると思います。

【藤田委員】誤解を避けるために申し上げますと、隣接法律専門職種に一定範囲内で訴訟代理権を与えたらということを言っていますが、それは法曹人口の員数を合わせるために言っているわけでありませんで、弁護士を増やしても、地方での人たちがその恩恵に浴しがたいのではないかということを地方にいて実感しているものですから、それに地方だけでなくて、先ほどの小倉での経験から言いますと、都会での簡裁事件についても弁護士の助けを得るのはなかなか難しい。それは弁護士を非難するわけでなくて、弁護士の事業としての基盤から言うと、地方に行っては成り立たない、あるいはそういう少額事件をやっていたのでは事務所が維持できないというようなことがある。刑事弁護の弱体化ということでも申し上げたのですけれども、そういうことがあるから申し上げているのです。

 それから、国民のためになる決定的な改革が必要だということは、それはそのとおりだと思うのですが、改革をした結果国民が恩恵を受けることになる。司法に関する状況が好転するなら、それはそれでいいんですけれども、必ずしもそうと言えないような状況もある。例えばミニマムレベルに達しないような弁護士が出てきたり、あるいは法曹倫理に欠けるような人が出てきたりしたような場合には、最も被害を受けるのは庶民ですから、そういう意味で、改革が改善になるような改革が必要ではないかと思っているわけです。

【水原委員】高木委員から数の設定をしないのは抑えるためではないか、こういうふうな御発言がございましたが、それは全くの誤解でございまして、私は決して増やすことについて反対しているわけではございません。相当の数を増やさなければいけないことは言うまでもございません。ただ、先ほど私は優秀な法学部の学生はいろいろな方向に行くので、どれぐらい法科大学院に来るかと。そして、その質がどういうものになるのかということを検証してみないとまだわからないのではないですかということを言っているわけです。したがって段階的に考えていきましょうと。

 優秀とは何事か、どういう内容かとこういうことでございまして、私は形式的に点が上がった者を優秀だとは決して思っていません。やっぱり人間味豊かな、そして人権感覚に優れた、基本的には分析力、人の言うことをよく聞き、そして的確な判断のできる、そういう人が法学部の学生の中の優秀な連中ではなかろうかと思うのです。その中の法律を志すものが法科大学院において勉強してもらって、そして法律家としての基礎的な知識や経験を積んで、伸びる素養のある者が育つか育たないかということを十分検証してみる必要があるのではないか。その上で立派な法曹が育っていく目安がつくとするならば、需要を見ながらどんどん増やしていく、こういうステップを踏む必要があるのではないか、こういうことを申し上げているわけです。

 論点整理の中でも「制度的基盤の強化が実を結び、結果を上げるには運用を委ねるに足りる質・量ともに豊かな人材を得なければならない」と書いてあります。何か量の問題ばかりが先走っているような気がいたします。質の問題がそれと同時に重要であるということを、何度も申し上げますが、強調したいと思います。

【鳥居委員】今の質の問題というのは複雑な問題です。今、私たちが悩んでいるのは、大学が受け入れる高校生という母集団は、大先輩の先生方には想像もつかないような若者文化の変容が起こっているんですね。具体例を挙げますと、『東京大学は変わる』という東大出版会から出ている本には「東大の三悪追放」と書いてある。

【井上委員】「駒場(教養学部)の三悪」です。

【鳥居委員】その「三悪」の第一は万引きなんです。万引き追放が東大の目標になっている。私の大学も決して例外ではありません。それほどに物の考え方が変質している。ロースクールの受験生の母集団の中に相当数そういう人が入っているわけです。ロースクールのカリキュラムの中には相当こうした時代の変化を読み込みつつ、一方で、新司法試験でもそういうことまで考慮する必要がある時代です。従来の司法試験でよくできるというだけでは不安になる。高い点数取ったけれども、万引きは当たり前だと思っている人が入っていたら絶対困るわけですよね。そこのところを新司法試験では本当にチェックしなければいけないと思う。

 質の検証という、さっきからの命題があるのですが、質の検証ではなく、むしろ積極的な教育によって、新しい世代に働きかけるという必要があると思うのです。

【佐藤会長】各委員からいろいろ貴重な示唆に富むお話をいただきました。私の率直な気持ちを申しますと、最初に申し上げたことなんですが、我々が実質的に考えているところはそう違わない、物の見方、アプローチの仕方、すなわち一つひとつ積み重ねていくべきだというアプローチと、最小限目標を立てて、そこにいかに到達するかというように考えようではないかというアプローチと、そういうアプローチの仕方の違いではないかと思えるのです。そう言うと、いやその違いが大きいのだとおっしゃると非常に困るのですけれども、大幅増員ということについては、皆さん共通してらっしゃる。例えば、2,000人までいって、また足らなかったら3,000人にしてもいいという藤田委員のお話がありました。2,000人になってもまだ足らない、まだ優秀なのを採れそうだということであれば、3,000人ということもあり得る、とおっしゃった趣旨も含めて、もしお許しいただけるなら、こういう形で本日のところを取りまとめさせていただければと思うんですけど、よろしゅうございますか。

  細かな表現は御意見次第で直すことは決していといませんので、とりあえずのところなんですけれども、一応、当面3,000人程度を目標として法科大学院の進展状況等も見定めながら速やかにその実現を目指そうではないか、というあたりのところで、もしお許しいただけるのであれば、本日のところのまとめとしていかがでしょうか。法科大学院の進展状況等も見定めつつという中には質の問題も意識しています。立派な法科大学院がどれだけできていくかはこれからの課題でありまして、我々の期待に沿うようなものになるかもしれないし、ならないかもしれません。ならないときは、日本の力というのはその程度だということになるかもしれませんし、そこはいろんな見方がありましょうけれども、一応の本日の取りまとめ方としていかがでございましょうか。

【藤田委員】 会長のおっしゃることはよくわかるのですが、早急に第一歩を踏み出すべきだという点から言うと、ロースクールは別として1,500人ということを早急に検討して実現を期すべきではないかというのは、これは最終的に何人にするかということに劣らず重要だと思うんですね。

  それとロースクールができて、ある程度軌道に乗って、その成果が出てきた段階がまた1つ区切りになると思うのですが、そういう意味で、次の目標として2,000人、軌道に乗った段階で3,000人が、さきほどるる申し上げてきたような意味での望ましいレベルになるかどうかもう一遍検証して、そこで3,000人を目指すと、そういうようなニュアンスにしていただければと思うのですが。

【佐藤会長】 私が今申し上げたことは、藤田委員のお考えになっていることと必ずしも正面から矛盾しているとは思いません。もちろん、いろんな見方、理解の仕方があり得ましょう。そして、今の試験の下でも、ロースクールができる前に、例えば来年幾らぐらいにするかといった問題があります。将来的に1,500人という数字が既に1つの線としてあるようですけれども、一応それも踏まえながら、法科大学院構想を今後の法曹養成制度の有力な方策と考え、その検討を検討会議にお願いしたわけです。検討会議では、いいものをつくろうと真剣に検討を重ねてきておられる。そして、きのう検討会議からおいでいただいて、審議会の方から目標値を設定してもらうと自分たちの議論もしやすいところがあるというようにおっしゃっていただいたこともありますので、さっきのようなまとめ方で、本日のところは御理解いただけないかということでありますけれども。

【井上委員】 これは恐らく後で文章の形で記録されるのだと思うのですが、「法科大学院を含む」あるいは「法科大学院を中核とする法曹養成制度の整備」といった言葉にした方がいいのではないかと思います。

【竹下会長代理】 ここでも法科大学院制度を採用するというのはまだ決めてないものですから、「新しい法曹養成制度の定着を見定めつつ」などという表現でないと具合が悪いでしょうね。

【井上委員】 「整備」ではないでしょうか。

【佐藤会長】 「整備」にしましょう。

【竹下会長代理】 「整備を見定めつつ」、先ほどの藤田委員のお考えを取り込むとすれば、例えば「段階的に」とか、そういう言葉を入れてはどうですか。3,000人を目指すが、とりあえず1,500 人から始めてという意味合いも含めて。

【佐藤会長】 わかりました。ここで文章をあれこれ議論しても必ずしも生産的ではありませんので、表現ぶりについては更に考えさせていただきたいと思います。最終的にここでの了解事項としてどう表現するかは、後ほどまたお諮りしたいと思います。本日のところは、正確ではありませんけれども、私が申し上げたような趣旨で御理解いただければと思うのですが、よろしゅうございますか。

【竹下会長代理】 私は賛成ですが、趣旨といわれるところの核としては、1つは3,000人を目指す。その前提として新しい法曹養成制度の整備を見定める必要があるということと、それに「段階的」というのを入れるか入れないかですね。

【井上委員】 あるいは「計画的」ですね。

【竹下会長代理】 「計画的」でも結構です。

【井上委員】 「できるだけ早く」というところも強調しないといけないわけでしょうか。

【佐藤会長】 そうですね。取りまとめのペーパーでの表現については、また御相談します。本日のところは、ややぼやっとしていますけれども、今のような趣旨で御理解いただければと思います。それではどうもありがとうございました。

  大分真剣な議論をしてきましたので休憩にしましょう。45分にコーヒーが出そうですから、コーヒーを飲みながら再開することにしましょう。一応45分まで休憩とさせていただきます。

(休憩)

【佐藤会長】それでは、45分ちょっと過ぎましたので、再開させていただきたいと思います。きのうは6時過ぎまでやって、ここの会場から大分苦情が出たそうでございますので、きょうは5時半には終わりたいと思います。

 いよいよ集中審議の最終のテーマであります「法曹一元その他関連する問題」について、きょうこれからとあした一日かけて御審議いただくということであります。「法曹一元」の問題は、我が国において非常に長い歴史を持っております。だから、そこから学ぶべきこともいろいろあるのですけれども、きょうはそういう歴史的な経緯に必ずしもとらわれることなく、この審議会の設置法に述べておりますように、21世紀の我が国社会において、司法が果たすべき役割とは何かという大所高所から率直に御議論いただきたいというように思っている次第です。ですから、「法曹一元」とは何かといった概念的な議論にいきなり入りますとなかなか難しいことになりますので、必ずしもそれにとらわれることなく、いわゆる法曹一元論を法曹の在り方、裁判制度の在り方に関する重要な問題提起と受けとめて、さっき申しましたように、21世紀我が国社会において、司法が果たすべき役割とは何か、そのためには何をどう考えるべきかといった角度から自由かつ率直に御議論いただきたいというように思っている次第です。

 レジュメのタイトルに「法曹一元その他関連する問題について」(夏の集中審議用レジュメ)とございまして、 項目として①から④まで挙げております。そして、①では「『法曹一元』をめぐる議論の根底にあるものは何か。日本国憲法が想定する司法とは」とありますが、それは今申したような趣旨からでございます。

 本審議会の所掌事務は、法曹一元の制度に関する事項が直接の審議対象とされておりました臨司(臨時司法制度調査会)の場合とは異なりまして、先ほども申しましたように、私どもの審議会の設置法によりますと、「21世紀の我が国社会において司法が果たすべき役割を明らかにし、国民がより利用しやすい司法制度の実現、国民の司法制度への関与、法曹の在り方とその機能の充実強化その他の司法制度の改革と基盤の整備に関し必要な基本的施策について調査審議する」というように書いてあります。

 御承知のように、この設置法の審議に当たって衆参両法務委員会の附帯決議がございます。論点整理の最初のところにもそれを掲げておきましたけれども、念のため申しますが、衆議院法務委員会附帯決議4項では、「審議会は、その審議に際し、法曹一元、法曹の質及び量の拡充、国民の司法参加、人権と刑事司法との関係など司法制度をめぐり議論されている重要な問題点について、十分に論議すること」とございますし、それから参議院法務委員会附帯決議2項では、「国民がより利用しやすい司法制度の実現、国民の司法制度への関与、法曹一元、法曹の質及び量の拡充等の基本的施策を調査審議するに当たっては、基本的人権の保障、法の支配という憲法の理念の実現に留意すること。特に、利用者である国民の視点に立って、多角的視点から司法の現状を調査・分析し、今後の方策を検討すること」と記されているところであります。要するに、司法の在り方全体を検討する中で、法曹一元論が提起する問題もきちんと受けとめて議論せよという趣旨ではないかというように考えるわけであります。

 私どもの論点整理では、「法曹一元の問題は、裁判官任用制度に関係しつつも、それに局限し得るものではなく、法曹人口、法曹養成制度、弁護士業務の在り方等も含めて司法(法曹)制度全体の在り方と深くかかわっている」というように書かれております。

 当審議会としては、そうした法曹一元の根底に立ち返った審議を行うことが必要ではないか。つまり、臨司における法曹一元をめぐる議論、その後の社会状況の変化も踏まえながら、21世紀の我が国社会において、法曹全体がどうあるべきかということを、根本にさかのぼって検討することが必要ではないかということであります。その上で、②国民が求める裁判官像あるいは裁判官に求められる資質・能力は何かということについて議論し、そして③そのような裁判官をいかにして確保していくかということについて率直に議論をすることが重要ではないかというように思うわけであります。さらに、その際、現行のキャリアシステムの実情、法曹一元論の長所、問題点を念頭に置きながら、裁判官の給源のみならず任用・人事の在り方を含めてトータルに検討するということが必要ではないかというように考えるわけであります。

 このような趣旨を踏まえまして、委員の皆様からできるだけ御意見を出していただければというように考えまして、会長代理とも相談の上、本日意見交換に当たってのレジュメを作成しまして、事前に委員の皆様にお送りしたわけであります。本日、お手元に同じものを配っておりますけれども、概ねこのレジュメに従って意見交換をしていただきたい。なお、このレジュメは法曹一元を中心に考えて作成したレジュメでございますので、やはり法曹一元の問題を中心に意見交換をしていただきたいと考えておりますけれども、法曹一元の問題はほかの論点にも密接に関連しております。意見交換の中で、ある意味では御自由に、関連すると思われる事項についても御意見を開陳していただきたい。そういう意味で広い論点にわたって自由な意見交換ができればというように考えている次第であります。

 まず、このレジュメの最初の①の項目、「『法曹一元』をめぐるを議論の根底にあるものは何か。日本国憲法が想定する司法とは」という項目に入りたいと思いますが、意見交換に入る前に、私の方からお手元にあると思いますが、「日本国憲法が想定する司法とは」という点について、15分ぐらいと思っておりますけれども、少しお話しさせていただければと思います。御承知かと思いますが、実は、4月25日、海外視察の前に、法曹一元について、会長代理と中坊委員と私3人が相談の結果、私がレポートするという話になっておったのですけれども、25日はああいう非常に活発な議論状況でございましたので、報告するのを控えました。その埋め合わせになるかどうかわかりませんけれども、そんな趣旨も込めて少し最初にお話しさせていただきたいと思います。

 「I 日本国憲法の規定と司法権」の中の「(1)司法権と裁判所」でありますが、憲法76条では「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」とあり、2項では「特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない」と書かれているところであります。司法権は、基本的には排他的に裁判所に帰属せしめられるということであります。

 「(2)裁判官の職権と地位」では、憲法の条文がいろいろ挙げてあります。要するに、裁判官は、法と良心にのみ従って職権を行使する、それにふさわしい身分保障をするという趣旨であります。行政ないし行政官の場合と大きく根本的に異なるところというわけです。

 「(3)国民主権と司法権」でありますけれども、6条2項、79条1項によれば、最高裁判所の長官は内閣の指名に基づいて天皇が任命する、その他の裁判官は内閣で任命するということであります。79条2項、3項等において国民審査の定めがあります。

 そして、80条1項によれば、下級裁判所の裁判官は、最高裁の指名した者の名簿によって、内閣でこれを任命する、任命権者は内閣ということであります。任期10年云々とあります。

 次のページの78条は、弾劾裁判の話でありまして、国民主権と関係しているという見方ができるところであります。もちろん政治部門と違いまして、司法権に対する民主的コントロールは弱いのでありますが、問題はその弱さを正当化するものは何かということであります。その点は後でお話しします。

 次に、「II 日本国憲法上の司法権の系譜と内容」でございます。「(1)司法権に関する英米法系と大陸法系」に述べておりますように、司法権に関しては、大ざっぱに言いまして、英米法系と大陸法系という2つの系譜があります。

 まず、英米法系の司法権ですけれども、司法権には行政裁判権、違憲審査権が含まれております。もちろん、イギリスには成文憲法典がありませんから、正式の違憲審査権とかそういうものがあるわけではありませんが、カナダとかオーストラリアとかそういうところも含めてお考えいただければと思います。そして、司法権を担う裁判官制度ですけれども、いわゆる法曹一元制がとられているということであります。

 それに対して大陸法系の司法権は、民事事件、刑事事件の裁判権に限られております。行政事件の裁判権は、行政の系列に属する行政裁判所が裁判する、そういう考え方であります。歴史的には、行政権を司法権から守るという趣旨がありました。明治憲法下の日本の司法権はまさにこのタイプでありました。20世紀に入りまして、特に第二次大戦後、この大陸法系諸国でも憲法裁判制度が導入されることになります。けれども、それは通常の司法裁判所ではなくて、それと異なる政治性の強い-それは、裁判官の任命の面などにあらわれているわけでありますが-独自の機関に行わせる。ドイツの場合ですと、憲法裁判所という、通常の裁判所とは系列の違う裁判所であります。フランスの場合は憲法院というものですが、これも政治性の強い機関です。

 第二次大戦後のドイツは、司法権に行政裁判権が含まれるかどうかというような観点ではなくて、憲法の標題には「裁判」とあるのですけれども、その「裁判」という標題の下に、そこに書いておりますように、連邦憲法裁判所、それから最高裁判所として連邦通常裁判所、連邦行政裁判所、連邦財政裁判所、連邦労働裁判所、連邦社会裁判所を設置するという行き方をとっております。いわゆる専門裁判所を多くこういうように設けているわけであります。そして、こういう大陸法系諸国の共通の特色として、司法権を担う裁判官制度としては、いわゆるキャリアシステムが採用されているということであります。

 それに対して「(2)日本国憲法上の司法権」はどうかということですが、「(イ)司法権の範囲」ですけれども、それは行政裁判権、違憲審査権も含むというように観念されてきております。細かく言うといろいろな議論があるのですけれども、大体こういう考え方でやってきている。そういう意味では英米法系の司法権に属するということになっております。

 次に、「(ロ)司法権の意義」ですけれども、そこに代表的な学説、最高裁判所の判例を挙げておきました。司法権とは何かということを定義的に言うと、具体的な争訟、具体的な事件、つまり、国民の権利義務が侵害されたという訴えに基づいて、それについて判断するという作用である、これを「具体的事件性の要件」と言っておりますけれども、こういう考え方が一般的にとられてきている。塩野教授のお話のときに、こうした司法権の理解が行政裁判権で狭くする方に作用している面もあるという指摘もあったように思うのですが、細かいことはともかくとしまして、憲法76条1項で言う司法権とは、具体的事件争訟性を基礎としているというようなとらえ方が一般的だと申してよろしいかと思います。

 そして、次のページでありますが、「(1)司法権を担う裁判官制度」として、いわゆるキャリアシステムで運用されてきているということであり、これに関連して、いわゆる法曹一元制の問題があるということであります。申すまでもなく、法曹一元制論は既に明治憲法時代から主張されてきたものでありますけれども、日本国憲法になって、司法権が英米法系であるということにも関連づけて、新たな根拠の下に主張されてきているというわけであります。

 次に、「III 公共性の空間を支える土台と二本の柱」に話を移します。「(1)公共性の空間を支える土台」ですが、先ほどの鳥居委員のお話と少しダブってくるところがあります。「公共性の空間」という言葉はいろいろなところで使われております。実は、そこに引用しておりますように、行政改革会議の『最終報告』でも使われております。その中に「『公共性の空間』は、決して中央の『官』の独占物ではないということを、改革の最も基本的な前提として再認識しなければならない」というような指摘がございます。

 この「公共性の空間を支える土台」とは何かといいますと、それは結局は権利主体であり、統治主体である国民ということではないか。そういう国民が公共性の空間を支えている土台であり、この土台の持つ意義をもっと自覚的にとらえるべきではないかというのが、行革会議の『最終報告』の根底にある考え方であります。国民は私的領域で活動する存在であるとともに、公共性の空間を支えるのは結局は国民自身だ、その点をもっと自覚すべきである、そういう趣旨であります。

 「(2)公共性の空間を支える二本の柱」ですが、それは政治部門と司法部門であります。まず、最初の一本の柱ですけれども、「(イ)政治部門-“政治のフォーラム”」ということではないかと思います。行政改革のねらいについては、いろいろな理解の仕方がありますけれど、4つに大体集約されるのではないかと思います。

 1つは、国民主権の実質化-政治主導の確立。内閣機能・内閣総理大臣の指導性の強化といったことがこれに関連しております。さらに、国家の減量-行政のスリム化、縦割り行政の弊害の除去、行政の透明性・責任制の確保。以上の4つに行政改革の骨子は集約できるだろうと思います。そして同時に、この行政改革が前提とした諸条件があります。そこに挙げていますように、規制改革の推進、これは現在も御承知のように進められているわけでありますが、あるいは地方分権の推進、情報公開制度の確立等々。既に法律が制定され、実施に移されているものもあれば、来年度から実施されるものもあります。地方行財政の改革は残っているわけでありますけれども。そういう諸前提を置いて、行政改革は考えられたわけです。

 そして、司法との関係では、そこに引用しておりますように、『最終報告』では、「『法の支配』の拡充発展を図るための積極的措置を講ずる必要がある。そしてこの『法の支配』こそ、わが国が、規制緩和を推進し、行政の不透明な事前規制を廃して事後監視・救済型社会への転換を図り、国際社会の信頼を得て繁栄を追求していく上でも、欠かすことのできない基盤をなすものである。政府においても、司法の人的及び制度的基盤の整備に向けての本格的検討を早急に開始する必要がある」、とうたわれております。

 そして、公共性の空間を支えるもう一つの柱として、「(ロ)司法部門-“法のフォーラム”」というように言っておりますけれども、要するに、裁判も1つの公共的な討論の場であるということであります。政治部門が政治的な公共的討論の場であるとすれば、こちらの方は“法のフォーラム”と言うべきものです。公開裁判の下で、当事者に公正な裁判を保障するとともに、法の適用の在り方を検証する。あるいは違憲審査権などを想定すれば、法そのものの在り方を国民の前に明らかにする、そういう意味合いを持っているフォーラムというように位置づけることができるのではないかというわけであります。

 最後の「IV 司法部門(“法のフォーラム”)を支える理念と制度」に移ります。まず「(1)司法部門(“法のフォーラム”)を支える理念」ですが、「『法の支配』の主要な実現者」と書いておりますけれども、要するに、この司法部門を支える理念を突き詰めていきますと、論点整理で書かれている言葉ですけれども、「すべての国民を平等・対等の地位におき、公平な第三者が適正な手続により公正かつ透明なルールに基づいて判断を示す」ということではないか。どんな人であれ、自己の権利・自由に関し問題だと思ったときに訴えて、適正な手続の下、自己の主張を真剣に聞いてもらえる。これが司法部門を支え、その活動を究極的に正当化するものである。ここに司法の道徳的な力の源があると私は思っているわけであります。これこそが民主的コントロールの弱さを補う。司法の本質とはまさにここにあるのではないかというように考えているわけであります。

 司法は、法原理的思考と具体的かつ現実的な事実認識に基づく自律的な秩序形成の場です。具体的に言いますと、「『理』に基づく解決であること」、「具体的な事実関係を基礎とした経験的な判断に基づく解決であること」、「当事者の主張に対して最大限配慮した秩序形成であること」、ここに政治部門による秩序形成とは違った司法部門による秩序形成の特徴があるということであります。

 司法部門を支える理念はこういうものである、そこに司法の道徳的な力があるということですけれども、もちろんそうした理念ないし道徳的な力は自己実現するわけではありません。「(2)司法部門(”法のフォーラム”)を支える制度」が必要です。そのことを言おうとしているのが論点整理で、そこに引用しておりますが、「剣の力にも財の力にも頼らない司法が、理とことばの力に基づいて、法の支配を貫徹し、国民の権利・自由を実現するという役割を有効かつ適切に果たしていくことを可能とするには何をなすべきか」。この問題をやはり避けて通れない。これこそ制度を考えるときの基本的な事柄ではないかと思うわけです。

 もっと具体的に言えば、2番目の◎で述べていること、これも論点整理で書かれていることでありますが、「国民が自律的存在として、多様な生活関係を積極的に形成・維持していくためには、画一的な行政的規制に安易に頼るのではなくて、各人がおかれた具体的生活状況ないしニーズに即した法的サービスを提供することができる司法(法曹)の協力を得ることが不可欠である。国民がその健康を保持する上で医師の存在が不可欠であるように、司法(法曹)はいわば“国民の社会生活上の医師”の役割を果たすべき存在である」ということに留意しなければならない。要するに、頼りがいのある医師として国民の信頼を得ることがまず出発点として考えられなければならない。

 さらに、もう少し具体的な制度的な側面としては、これも既に私どもが議論してきたところでありますけれども、論点整理の言葉を引用すれば、3番目の◎ですが、「国民が司法に期待するものは端的に何かといえば、それは、国民が利用者として容易に司法へアクセスすることができ、国民に開かれたプロセスにより、多様なニーズに応じた適正・迅速かつ実効的な司法救済を得られるということ、及び新しい時代状況に対応した適正な刑事司法手続を通じて犯罪の検挙・処罰が的確に行われ、国民が安全な社会生活を営むことができるということであろう」ということであります。

 そして、さらに、こうした司法の在り方を考えるときに、これから直接御議論いただくことになるいわゆる法曹一元に関連する問題があります。「法の支配の理念を共有する法曹が厚い層をなして存在し、相互の信頼と一体感を基礎としつつ、国家社会のさまざまな分野でそれぞれ固有の役割を自覚しながら幅広く活躍することが、司法を支える基盤となる」。論点整理の言葉であります。

 そしてまた、論点整理には、「法曹一元の問題は、裁判官任用制度に関係しつつも、それに局限しうるものではなく、法曹人口、法曹養成制度、弁護士業務の在り方等も含めて司法(法曹)制度全体の在り方と深くかかわっている」という文章もあるところであります。

 この文章の下に段を落して挙げているのは、臨司の法曹一元についての言及です。法曹一元の制度はわが国においても一つの望ましい制度だけれども、現段階では諸条件が整備されていないという趣旨の臨司の意見書であります。

 このページの一番下には、「主権者たる国民の公的システムへのかかわり方も多面的な広がりを見せようとするなか、司法の分野においても、主権者としての国民の参加の在り方について検討する必要がある」という論点整理の文章を挙げております。先ほど申しましたように、政治部門の場合は、国民主権の下、国民の強い民主的コントロールということが要請される。それこそが政治部門を支える正当性の根拠なのでありますが、司法の場合はそれとはいささか違う考え方をとらなければならない。さはさりながら、司法が公共性の空間を支える1つの柱として機能するためには、主権者たる国民も司法についての深い関心とかかわりを持つ必要があるだろう。具体的にそれが何かは、時代により、国によっていろいろ違いますけれども、この課題も避けて通るわけにいかないということであります。

 15分をちょっとオーバーしてしまいました。早口でしゃべりまして、ちょっと御理解しにくいところがあったかもしれません。これについての質問を受けてもいいのですけれども、議論に入らせていただいて、その過程でもし何か御質問があればそれを受けることにしたいと思います。それから、鳥居委員の先ほどのお話ですが、順番をちょっと変えましたので、前半の方、かなりスキップされたのですけれども、必要に応じてまた御発言いただければありがたく思います。

 それで、集中審議用レジュメの順番に大体従って議論を進めたいと思います。議論は、先ほども申しましたように、あちこちに行っても構わないと思います。要するに、きょうとあした一日かけて全体を議論しようという話ですので、必ずしも順番にこだわりませんが、とりあえず①のあたりのところから自由に御発言いただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

【高木委員】今の会長の御説明いただいたペーパーの2ページの「司法権に対する民主的コントロールの弱さを正当化するものは何か」ということですが、もう一遍説明していただきたい。

【佐藤会長】なかなか難しいのですけれども、政治部門の場合は、選挙ということを通じて最終的には数の論理が妥当する世界、多数決で物を決めるという世界です。国民の選挙を背景に国会は多数決によって法律を制定し、内閣はその法律に基づいて行政を行っていくという構造でありますけれども、司法の場合は基本的には選挙によって正当性を得るものではない。なぜ国民主権の下でそんなことが許されるのかという話になるわけです。大きく言えば、人類の歴史的な経験から、政治部門だけでは個人の大事なものが失われる、それだけでは公共性の空間がゆがむ危険があることを我々は学んだ。そのゆがみができるだけ生じないようにする、そして個人の権利・自由を守っていくためには、政治部門とある程度距離をおいた司法部門の存在とその活動が必要であるというわけです。

 そして、その司法という場は、相手が誰であれ、訴えたときに、対等な立場において主張し真剣に聴いてもらえる。政治部門の場合ですと、選挙、すなわちどれだけ多数の国民の支持があるかといったことが問題になるわけですけれども、この司法の場はそういうことではなくて、法の原理に従って公平な第三者的な立場で真剣に聴いてもらえる、いや、真剣に聴かせるといいますか、そういう場ではないか。そこに人間が生きていく上での大事なものがカバーされる。

 「(1)司法部門(”法のフォーラム”)を支える理念」のところで論点整理に言及しましたけれども、政治部門にはない道徳的な力、人間の実存にかかわる道徳的な何かが司法部門に備わっているのではないか。ですから、国民主権の下にあって国民の直接のコントロールは弱いかもしれないけれども、そのことを補って余りあるもの、余りあるといっていいかどうかわからないですけれども、そういうものがあるのではないか。そして、政治部門と司法部門という二本の柱が人間の社会の自由な秩序を維持していく上で必要なのだ、そういう趣旨であります。説明がつたないので申しわけないですが。

【井上委員】立法の方では多数決で決めるのですけれども、司法の方は、たとえ少数であっても理に照らしてというか、それにかなっていれば、きちんと保護する。むしろ、少数者の保護ということを重視するということですね。

【佐藤会長】少数者個人です。

【井上委員】個人ですか。

【佐藤会長】はい。

【井上委員】少数者であろうと個人を保護すると、そういうことですかね。

【佐藤会長】そういうことです。もちろん司法部門もこういう作用だけでなくて、和解というような解釈作用、あるいは非訟事件の解釈作用等を持っているわけですけれども、ぎりぎり突き詰めて司法のコアは何かということになると、こういうことではないか。このコアについての理解は、会長代理とも共有しているのですけれども、コアを大事にし、維持しながら、その上で、十分機能している裁判所を国民はより広く利用したらいいではないかということで、非訟事件の裁判とかその他もろもろの作用が裁判所に認められている、そういうように考えているわけです。このコアをぐちゃぐちゃにしてはならないというように思っています。

 私のプレゼンテーションに余りこだわらないで御議論いただきたいと思います。先ほども申しましたように、一応①からなんですけれども、②に入りましても結構でございます。

【竹下会長代理】そうですね。②あたりからの方が御発言しやすいかもしれませんね。

【井上委員】ちょっと高みにすぎて発言がしにくいですけれど。

【佐藤会長】憲法をやっていると、ついこんな話になってしまうものですから。申しわけありません。

【鳥居委員】裁判官が裁くのは、民事訴訟と刑事訴訟と行政訴訟、訴訟の三分野がありますけれども、これは裁いてもらいたいというニーズの側から言うと、そこに「人間の問題」と書いておきましたように、個人対個人、個人対法人、法人対法人、個人対行政、法人対行政、そういったようなものがあって、行政改革会議の言葉を使えば、「公的空間」における個人の権利、法人の権利を守るために民事訴訟、刑事訴訟や行政訴訟が行われる。裁いてもらうわけですね。

 その裁くとき、会長のお言葉を借りて言えば、法の理で裁いてもらうのですが、実は法の理だけではなくて、先ほど私は福沢の言葉をかりて、遺恨が残らない、恥辱が残らない、納得がいくという言葉を使いましたけれども、それはまた別の言葉で言えば、人情がわかる裁きです。福沢諭吉の言葉では、「現実の情が加味される余地のある制度」、要するに人情というのがわかった裁きというのは一体どういうものなのかということを考えてほしいと思うのです。

 どなたかに教えていただきたいのですけれども、法理というのは一体根源は何なのか。先ほど万引きの話をしましたけれども、万引きならまだしも、子供が平気で人を殺すといったときに、殺人というのは「絶対悪」だということがわからなくなり始めているような現状で、「絶対悪」だということを、アメリカなら簡単に言えるわけですね。それはバイブルに書いてあるとかタルムードに書いてあるのですが、日本ではそれがない。要するに仏様とか神様が全く心に存在しない人が相当いる人種になってしまった。一体法律の世界では、殺人はなぜ悪なのか窃盗はなぜ悪なのかというのを国民に説明するときに、どうすればよいのかわからないのですね。

 殺人や窃盗を犯したときに、その背後にはいろんな事情がありますね。その事情を斟酌するのが人情とか情なのだと思うのですけれども、それとの兼ね合いで裁判は行われるのだろうから、裁判官というのは物すごく大変な仕事だと思うのですけど、そもそもなぜこれは悪だという理屈が出てくるのか、どういうふうに説明するのですか。

【佐藤会長】まさに、それは根源的なお尋ねです。

【鳥居委員】私は裁判官の役割というのは一体何なのかというのがよくわからない。

【佐藤会長】今、鳥居委員がおっしゃったように、従来西欧ではそういう宗教的な背景があって法というものが考えられてきたところが少なからずあったのかもしれません。現在がどうかはともかくとして。一神教的な、キリスト教的な、そういうものが恐らく法文化の背景にあったのかもしれません、根源的に言いますと。

 ただ、日本の場合、あるいは日本国憲法の下でどうかと言われると難しいのですけれども、こういうような説明の仕方をよくするのです。一人ひとりがそれぞれかけがえのない命を持った自律的な存在として、本来人間はある。福沢の言う「一身独立して」ということはまさにそういうことなのだと思うのですけれども、そういう人が共生していくためには、お互いに尊重し合わなければいけない。命を奪うなんていうことは、そういう観点からすれば、根本的に人間の共生ということを否定する、相手も自律的な存在であるということを否定する、そういう考え方ではないか。これ以上説明することは、私の力量では。

【鳥居委員】私、この間、地裁の裁判を見学させていただきました。あのときに手錠かけられた若い女の被告人が出てきました。私は一番感動したのは、比較的年齢の若い検事が論告の中で、こんこんと被告を説得して、更生を促している、そういう感じがありました。私はあの検事の心の中に、自然のうちに何か我々がお経やバイブルの中から学んでくる徳性というか、そういうものがかなり強く、あの方の場合にはあって、彼は自信持って被告人を説得していて、とても検事とは思えない説得をしていたのですね。

 あれを見ていて、法に照らしてどうという判断以外の何かが相当量あるのだと感心しました。裁判官も検事もああいう素養を持った人であるべきだと思いました。

【佐藤会長】これから議論されるのでしょうけれども、私どもがアメリカ視察をしたときにシアトルでお世話になったフット教授-東京大学へ移られたようでありまして、井上委員がもっとよく御存じの方なんですが-このフット教授が、『ジュリスト』だったですかね、個人的に尊敬する非常に立派な裁判官を念頭に置きながら、理想的な裁判官像として4つの要素を挙げておられました。1つは「法の尊重」、これは当たり前といえば当たり前ですが、2番目に「公正さ」、3番目に「良心」、そして4番目に「人間的温かさ」。これは鳥居委員がお話になったことと通ずることかもしれませんが、この4つを兼ね備えたすばらしい裁判官について書いておられて、非常に心打つものがあったのですけれども、この辺の話はむしろ藤田委員、水原委員、更に中坊委員あたりにお話ししていただいた方がいいのかもしれません。藤田委員お願いします。

【藤田委員】フットさんのおっしゃったことはそのとおりだと思います。私は今まで何べんも若い裁判官の結婚の披露宴へ出てスピーチをさせられることがあったのですけれども、そのときに、当事者がどういう裁判官に裁いてもらいたいと思うかといえば、有能であるとか頭がきれるとか成績がいいとか、そういう裁判官を期待しているわけではさらさらない。犯罪を犯したなら犯したで悩み苦しんだ経緯、事情とか、あるいは民事訴訟や家事事件などでは、そういう紛争に巻き込まれて、裁判の場に出てこざるを得なかったというわけですけれども、それに至るにはいろいろないきさつがあるわけで、そういう経緯や自分の心情について温かく理解してくれる裁判官を期待しているのではないでしょうか。

 前に一度言いましたけれど、現在、最高裁判事をしてらっしゃる方が、「人の心の痛みを我が心の痛みと感じられることが裁判官にとって必要な資質である」と言われていました。これもやはり結婚式の披露宴のスピーチですけれども、私はそのとおりだと思うのです。そういう人間性が当事者に理解されれば、仮に有罪・実刑になったり、あるいは敗訴というようなことになっても、それはそれとして、その裁判に心服してくれるということになると思うんですね。そういう点から言いますと、フットさんの言われた1、2、3は当然といえば当然なんですが、「人間的な温かさが必要」というのが一番必要な資質ではないでしょうか。

【佐藤会長】検事の話も出ましたが、水原委員どうぞ。

【水原委員】検察の立場から申しますと、これは裁判官のところまで言及する前に、よく鬼だとか人を罪に落とすために調べておるのだと、こういったことを言われます。これは大変誤解を招いていると思うのです。先ほど鳥居先生が若い検事のことをお褒めいただきまして、本当に胸に詰まるものを感じましたけれども、検察官というのは決して罪人をつくるために仕事をしているのではございません。彼が本当に罪を犯した人間ならば、なぜ、そういうことをやったのか。それについてどうやったならば、この人間を立ち直らせることができるか。相手の立場になって、相手の心の痛み、苦しみ、こういうものがわかるような人間でなければ検察官としての資質・能力があるとは言えないと思うんです。

 これと同じように、裁判官も法廷で上から人を見下すのではなくて、不幸にして罪を犯してきたが、この人間はなぜこういうことをやったのかということを公正な立場で本当に被告人の立場に立って物事を正しく判断していく資質・能力が非常に高く求められるものであると思うのです。人間味あふれる心の温かさのわかる裁判官でないと、これは信頼される裁判ができるとは到底考えられません。ほとんどの裁判官はそういう気持ちで裁判をしているのだろうと思います。もちろん法を正しく、法を尊重することは言うまでもございません。それから、公平さが非常に大事だと思います。廉潔性も必要だと思います。だけれども、それらを含めて、なお、一番根底にあるものは思いやりのあるといいましょうか、心の温かい、ぬくもりのある、そういう裁判官に裁いてもらうことを、裁判を受ける側としては求めているのではないかと思います。

【佐藤会長】中坊委員、弁護士の立場から、何か。

【中坊委員】私は弁護士という立場から一番望ましい裁判官とは一体何であるのか、あるいはどういう資質が大切かということに関しましたら、最終的には当事者を納得させる、「納得」という言葉にあるのではないか。よく裁判官やらに聞くと「真実発見」かと言う方が多いです。しかし真実というのは恐らくだれもがわからないといっていいぐらいわからないものでありまして、決して罪を犯したか犯してないかということを言われても、本当の意味においてわかるということは非常に難しい。私は裁判の本質というのは納得にあると思っています。

 また、別の言い方をすれば、納得なき裁判、これは私は暴力だと思っています。しかも、暴力団の暴力よりももっと悪質でありまして、権力の名を借りていますから、いかに当事者が納得してなくても、それが強行できる。人を死刑にもできるし裁判で一方的に負かせることもできる。そういう意味において、納得させない裁判は、私は極めて社会において悪をなすというふうに思っております。

 私自身はかなりの事件を担当してきました。そういう意味では、今の我が国の裁判は必ずしも納得という精神によって裏づけられておる裁判官は、言っては悪いけど、そういう人ももちろんいらっしゃるけれども、そうでない人もかなりの数がおられる。そういう意味では非常に裁判官としては極めて問題のある人が数多いと、私は長年弁護士をいたしておりまして、そういうふうに思っておるわけです。だから、今の我が国の裁判が非常にうまくいっているか、私は代理人の立場ですけれど、決してよい裁判が我が国においては行われていないと、遺憾ながらそういうふうに思っております。

【佐藤会長】北村委員どうぞ。

【北村委員】国民が求める裁判官像というのと、人間はどうあるべきかというか、人間としての資質とは私は少し違うのではないかと思うんですね。何を言いたいかといいますと、裁判官というものはこうあるべきだという前に、人間として、こういうふうにあるべきだというのがあると思うんです。そのときに、先ほどの人間的な温かさであったり、良心の問題であったりというのは、私は裁判官特有のものではなくて、人間として必要な資質なのではないかと思っているんですね。そういうような人たちの中で、裁判官がどういうものでなければならないのかというふうに考えていくべきなのではないか。

 そうしますと、先ほど中坊委員は「納得させること」とおっしゃいましたけれども、これは私が法曹にかかわっておりませんので間違っていれば間違っているとおっしゃっていただきたいのですけれども、納得させるということはどういうことかというと、公正であるということなのではないか。だから人間的な温かみなんていうのは、もちろん必要なのであって、そこで納得させるためには公正な裁判を行える、判決を言えるというところが一番裁判官像として必要な部分なのかなと。これは専門家としての意見ではありませんが、私はそう思っております。

【中坊委員】いいですか。

【佐藤会長】どうぞ。

【中坊委員】北村さんのおっしゃるように、人間として、裁判官というのは単に人がよいとか良心的とか人間的温かみがあるというだけではなしに、やはり裁判官というのは国家権力を行使する極めて重要な人でありまして、先ほど言いましたように、納得させるために、確かにおっしゃるように公正さが要求されるのはもちろん必要な1つだと思います。しかし公正さだけでは当事者というものは納得しないものです。被告人であれ、当事者であれ、それぞれ自分の思いがありますから、思いというものに対峙して、どのようにその人の心情を酌みつつ、その人を説得できるか。説得するという、そこが非常に重要でして、単に公正であれば、それで、あの人の言う判断に従いましょうということには必ずしもならない。もちろん公正さが前提なんです。でも公正さだけではいけない。

 その意味では、先ほどから藤田委員もおっしゃり、水原委員もおっしゃっているような温かみであるとか、そういうものを総合的に論理で言うこと。あるいは理とはこういうことですよということを当事者に説く力、いわゆる説得力。それは全人格的な説得力ですから、先ほどから佐藤会長がおっしゃるように、理ということはもちろん前提ですが、理プラスそういうものもまた必要である。負けたらだれでも、そんなものは不満に思うのではないかということが前にこの審議会でも出ていたことが少しありました。しかし、それは全然そうではありません。

 私も随分裁判を受けているんですから、いつも勝つとは限らない。負けても十分納得していることは幾らでもありますし、勝っているのは満足しているかといえば、決してそうではありません。だから勝ち負けということは、基本的には勝った方が納得して、負けた方が不満というのはもちろんありますけれども、しかし、それは必ずしも必然ではない。私はそういう意味では、勝ち負けともちろん関係はあるけれども、それが唯一の判断基準ではない。勝っても非常に不満が残る判決、納得をしていない判決は極めて多いし、また和解にしてもそういう場合も多い。逆に今度は自分が不利であっても、そういうことを思う場合があります。

 先ほどからおっしゃっておられますように、そうなってくると、きょうの法曹一元と次第に近づいてくるのですけれども、私はまず何にもまして裁かれたということの経験がなくして、いつも裁く側ばかりにいって、そういうものがわかるのだろうか。私はその点について現在の裁判官を非常に疑問視しておるわけであります。やはり先ほど言う、公平さ、公正さということは、今、日本の裁判官で、中には例外がいらっしゃるかもしれないけれども、一応公正に裁いていただいているという気はします。

 また、同時に公正さ、公平さということは、非常に特殊の訓練によって成り立ってくるものではないように私は思っています。というのは、私個人は、いわゆる建設工事紛争審査会の委員を非常に長く、十数年やっておりまして、その間にいわゆる仲裁判断を何回かした例があります。仲裁判断は御承知のように異議の申し立てができないわけですから、そこ限りで終わるわけですね。私自身は仲裁判断を大阪の建設工事紛争審査会でやりますと、当事者の代理人はそれぞれ、今まで私たちの知っている人が随分多いんです。当事者本人は全然ご縁がありませんけれども、当事者について来られる代理人は今までから知り合いが多いものです。率直に言ってAという人間は、私にとって好ましい弁護士である、Bという人間は弁護士として余り好ましくないと思うことも率直に言ってしばしばありました。

 しかし、まず裁く立場に回ってきたときに一番に考えましたというか、これは公正・公平であらなければならないということが非常に使命感のように私自身をくくった経験があります。いわゆる建設工事紛争審査会の委員は、技術委員が両方に2人いらっしゃって、法律委員が1人おって、それが裁判長のような役をするというように決められておりまして、私と同じような立場の人が何人かまたいらっしゃったわけです。私と同僚の弁護士に聞きましても、私だけのそういう特殊な気持ちかと聞いたら、みんなも「いや、不思議やなあ」と。まずもって当事者から、先ほど北村さんのおっしゃったように、公正である者になりたいという意識は、私の少なくとも仲裁判断をした弁護士に聞きましてもそういうことを思っています。そういう意味では非常に私自身も裁かれる立場だけでなしに、裁く立場にもなってみて、そういう互換性というものが極めて必要だということを思いました。

 長くなって恐縮ですが、今、さっき納得させる公正さという意味では裁く側はそう思っているんです。ところが同時に予断というものが裁判官、裁く立場にとって極めて危険なものであるということを私自身は痛感をしました。だから私自身は公正であろうと思っているし、しかし今度は裁かれる立場から、自分が裁く立場になっていったときに、当事者としてはわからなかった一種の落とし穴というか魔力というか誤りに陥りやすい。それは私が悪いか、これは必ずしもあれかもしれませんけれども、人間というものは物すごく予断というものを持つものです。

 特に事実関係になったときに、これは私の恥になるのですけれども、冬になると暖房がついてまして物すごく居眠りしそうになるんですね。速記が入っているでしょう。後で速記読めばよいわという気になるのですね。そうするとうとうと寝てしまうんです。両側の委員から怒られたりしてやったことある。普通は必ずしも仲裁申し立てても和解で終わる事件の方が多いんです。しかし、いよいよもって、どうしようもなくて仲裁をしなければいけなくなってくる。そのときに初めて証人調書を読みますね。そうすると全然記憶のないところがあるんです。これは寝ておったという証拠です。その寝ていたところが、自分は要らないところだ、しようもないことを当事者が聞いておるなと、こんな争点でもないのにと思ったら、うとうとと寝るわけですね。ところがそのうとうとと寝ていた部分が、いざ調書を見てみると非常に重要であったという例にも当たっておりまして、自分はそのときには、そんなのは余り関係ない事実だと思っていたわけです。ところが実際、後で自分が仲裁判断を書く場合になったら非常に重要な事実であった。それを全然聞いてないということは寝ておったということです。だから自分が居眠りしているということの危険性というのも大変感じました。確かに立場というものは変わってみないとわからないといった印象を持っております。

【佐藤会長】水原委員どうぞ。

【水原委員】私は民事のことは率直申しましてわかりません。しかし刑事の問題で言うならば、刑事手続の目的は何かといいますと、人権の保障と公共の福祉を全うしながら、事案の真相は何かということを追求することにあるわけです。したがって何が事案の真相であるかということを見抜く洞察力と的確な証拠の判断、事実認定力、そのためには人の意見を予断を持たずによく聞く、そういう資質を持っている者でなければだめだと思うんです。これは法曹に求められる素質と全く同じでございまして、これは弁護士さんであろうが、検事であろうが裁判官であろうが、法曹に求められる素質というのは人の意見をよく聞くということ。それから、広い視野と人権感覚を持って言い分をよく理解するということ。また、事実を的確に認識し把握して分析する力を持っている人。そして、なおかつ予断を持たずに公正な立場でぬくもりを持った立場で間違いのない判断をしていくという努力をする人、これが大事だと思うのです。

 真実が何かということが、これは神ならぬ身ですからわかりません。しかしながら、できる限り真実に近づく努力と判断、これはどうしても必要だと思うんです。これは関係者の意見をじっくり聞いて、そして蓄積したノウハウといいましょうか、経験、これに基づいて誤りのない判断をしていくことによって限りなく客観的真実に近い判断ができるのではなかろうか。こういうことのできる能力、これが裁判官に求められるものではなかろうかと思います。

 私はその裁判官に求められるそういう能力というものは、弁護士を経験しなければできないのか、それとも経験をしなくてもできるのか。このことがこれから議論をする必要のあるところだと思いますので、そういう立場で裁判官というのはそういう人が求められているのだ。そのためにはどういうふうに選んだ方がいいのかということがこの場での議論だと思います。

【中坊委員】同時に、今度は水原委員にこんなこと言って悪いけれども、弁護人あるいは一般市民として、今度検察官をどう見ているかということについて少し申し上げたいと思います。検察官も裁判官も弁護士も、ある意味では法曹三者それぞれ同じことだろうと思いますけど、検察官を見ておって非常に陥りられやすい問題点を、こちら側から、いわゆる一般市民側から見たときにあることが1つあるのです。それはどういうことかといいますと、検察官はある意味では非常にいいことなんですけれども、まさに検察官というのは捜査した人を最終的に起訴したり不起訴にしたりする決定権を持つ、これが検察官の特徴というか、一般の捜査は警察がしている場合が多いのですけれども、要するに検察というのは公判を担当、刑事手法においてはそこの部分が多いわけですね。そうすると検察官というのは、自分が公判において立証できるかどうか。ある意味において当然の職務なんでしょうけれども、その立証できるかどうかということに関して物すごく面倒くさがる。私に言わせたら、こんなものは処罰しなければいけないのに全然、公判になったら面倒くさいので、当事者にそういうことで避けられる検察官が非常に多い。

 その典型例が私が豊田商事の破産管財人になったときです。あの事件は実に4年の余り、詐欺商法があれほど続きながら、何十件、全国的には恐らく何百件が告訴されても、全部不起訴になっておるんです。中には起訴猶予ということになってまして、ちょっと豊田商事に被害弁償してこいと。そうするとそれで不起訴になる。私は破産管財人になったときに、この事件の本質はまさに構造的な詐欺ではなかったかということを訴えて、そのときになって、やっと検事長さんが自らやられて、それで、いや、なるほどと。それは非常にいい話なんですけれども、検察官が、中坊さん、あんたに言ってもらってよかったと。今まで全国的には何百件という豊田商事の事件は結果的に不起訴にしてしまった。

 そういうふうにして、検察官の判断1つで、そのときの当時の決裁をした部長がおります。中坊さん、それはわかると。そうだけれども、これをやったら手間が大変だと。そう思うと、ついこの1件だけ局部的に解決すればよいと思って、ちょっとだけ、おまえ、被害弁償してやれと言って、それで大方、不起訴にしてきた。とにかく国家権力をお持ちの検察官お一人おひとりのちょっとしたことによって、誠に最も悪質な、3万人のおじいちゃん、おばあちゃんが被害に遭っているわけですから、あれを構造的詐欺とすれば、3万人の人が助かっておったわけです。

 だから、そういうふうにして、検察官というのもまたあれだし、この前も私言いましたように、宗像さんがおっしゃった。あの方は大津の検事正ですよ。両方が衝突しているというときに、JR西日本は不起訴にして、こっち側だけが悪いと、正面衝突したやつ。正面衝突したのは、片方だけが悪いということないでしょうと言っても、あの方の検事正のときに片方を不起訴にした。やっと判決で、あれは信楽鉄道の方だけでなくJR西日本も悪いということになった。そのことも言ってみれば、JR西日本を同じように起訴したら、JRが争うだろうと。そしたら、これは立証しにくいというようなことで片一方を不起訴にしてしまった。

 その余波がどれほど関係当事者を苦しめたかということがあって、まさにおっしゃるように、検察権の行使というものも非常に私の見るところ問題も多いところでありまして、決して、今おっしゃるように不公正にしようという意図は全くないと思うんです。しかし公判廷において立証するという困難性までくるとちょっとややこしい。そのときになってくると裁判官が予断の誘惑に駆られると同じように、検察官もまたおっしゃるように正義をちゃんと実現するというよりかは、むしろ技術的な公判維持のためのことに働かれて、判断が非常に間違う場合も多いということもまた事実ではなかろうかと私自身は思っています。

【佐藤会長】いかがですか。法曹関係者以外の委員はちょっと議論しにくくなってしまったかもしれませんが。

【鳥居委員】中坊委員が今おっしゃった検察に問題のあるケース、裁判官に問題のあるケースというのはよくわかりました。三者平等のために私が今度はひどい弁護士の話をします(笑)。私の大学に遺産を寄付するという人があらわれましたところ、その人の弁護士が自分を遺産相続人にしてしまって持っていこうとするのですよ。しようがないから、もう一人の弁護士を送り込んで、遺産相続の遺言を無効にする手続をして逃れるというのを3回も経験しました。

 それぞれの分野で悪い人というのはいるものだと思うんですが(笑)。統計学的に考えれば、大数法則というのがあるんです。要するにいいやつから悪いやつまでいっぱいいるわけですね。全体見たらいいやつと悪いやつが相当数混じっている大数には必ず中間というか平均値があって、この平均値のところで見たらどうかという見方で、この際考えるしかないと思うんですよ。この平均値で見たときに、今、例として挙げられたような豊田商事のようなケースが増加する社会をいかに防ぐかということです。その防ぐ方法、それが一番肝心なのではないかと思うんです。

【中坊委員】今の鳥居委員のことに同じ弁護士として一言答えさせていただくと、確かに裁判官もピンとキリとがあると同じように、検察官もピンとキリがある。また弁護士もピンとキリがあると思っています。私が見ると大変悪質な弁護士も多い。だからこそ私は弁護士の中のピンを、一番いい人が裁判官になるべきではないか。弁護士という社会が圧倒的に数が多い、9割方が弁護士ですからね。そういう人の中にピンとキリ、しかもこう言っては悪いけれども、代理人としてのピンとキリという判断と、裁判官としてのピンとキリというのがあるんですよ。例えば私なんていうのは絶対裁判官にだめなんですね。

 何かというと裁判官で一番必要な条件は、今おっしゃったように公正さ、納得でしょう。納得させる、こんなこと言ったら笑われるといけないんですが、一番の素質、必要な資質は人の意見を聞くということです(笑)。だから、裁判官で納得させる、公正さも何よりも、まず一番必要なことは人の話を聞くという人ですよ。私だったら 100%だめなんですよ。弁護士としてピンであっても、裁判官として必ずしもピンとは限らない。ピンは必ずしも一致しない。私は弁護士でピンというわけではないですよ(笑)。確かに事件を片づけるときには、私らほかの弁護士が「アホかいな」というほど確かに上手にやるときもあるんですよ。しかし決して、裁判官には向いてないなと思います。

  だから、今、言ったように仲裁判断のときも居眠りしたりとか、必ずしも私みたいに仲裁判断の委員が寝たりしてません。私は予断を持ちやすいくせがあるんですね。よく言えば、パパパパッと物が見えて「もう、わかっとるがな」とこう言いたくなるんです。そういうくせのある人はまず裁判官には向かないです。やっぱり同じように公平に見なければいけない。わかるでしょう、私の言っていること(笑)。北村さんが一番わかっている(笑)。

【北村委員】 笑って怒られた(笑)。

【藤田委員】 中坊委員のピン・キリ論は大変興味深く拝聴しました(笑)。確かに裁判官は双方を公平に見なければいけないから、のめり込んでしまったらだめなんですね。両方を突っ放して、どちらの主張が正しいか、それを冷静、クールに判断するということが必要です。だから、そういう意味で裁判官やめて弁護士になると、何となく当事者のクライアントの利益を守るというよりも、これはどうかなということで、いや、あんたの負けだよとか(笑)。ところがそれは弁護士の生粋の方に言わせると、弁護士はやっぱり当事者とともに怒り、ともに泣き、ともに喜ぶということでなければだめだとおっしゃる。そうだと思うんですが、そういう意味での心の温かさは必要なのは同じと思うんですが違うところもある。私はこういう経験をしているんですが、地方の裁判所にいたときに、今までに会った弁護士さんの中で事件の見通しの一番いい人がいたんです。つまり自分のついている当事者が勝つ事件は勝つと見通しをつけ、負ける事件は負けると見通しをつける。したがって、勝つと見通しをつけた事件は和解勧告しても受け付けないです。とにかく判決してくださいとおっしゃる。負けると見通しをつけた事件は、こちらが判決しようとすると、和解してくださいとこうおっしゃるんですね。

 一度、みんなで集まって酒飲んだときに「先生どうしてあんなに事件の見通しいいんですか」と聞いたことがあるんです。そしたら、その先生の答えは「藤田さん、わしは事件は酒の種としか考えてませんからね」と。飯の種と言わなかったのがいかにもその人らしい。大変な酒豪でしたからね。そういうふうに突っ放してみると、自分の方の当事者が有利か不利かということが冷静に判断できる。当事者にとってみれば、事件によっては、そういう判断をしてもらった方がよい場合もあるんですね。そういう意味で今のピン・キリ論というのは含蓄があるのかなと思ったんです。

 もう一つは、公正さの中身なのかもしれませんが、中坊委員が予断を持ってはいかんとおっしゃる。それはそうなんで、頭のやわらかさが必要なんですね。心証というのは双方から証拠が出てくるとその都度形成されていくわけですから、一たん原告有利だという心証をとったときに、被告側に有利な証拠が出てきても、思い込んだら命がけで、全然それが頭に入らないというタイプがあるんです。これは裁判官としては最悪なんですね。自分はこの段階ではこう思うけれども、ひょっとしたら、その判断が間違っているかもしれないという謙虚さが必要なのです。そうすると自分の今の持っている心証と違うような証拠が出てきたときに素直にそれを評価できる。それが必要だと思います。

 ただ、心の温かさとか頭のやわらかさ、謙虚さというのは、持って生まれた人間性によって左右されるところが非常に大きくて、トレーニングによってそれは改善される余地があまりないのが普通ではないか。そうすると経験も大事ですけれども、そういうような資質、人間性を持った人を法曹になってもらうのが一番いいのではなかろうかと思います。

【佐藤会長】 それぞれ含蓄のある話で(笑)。山本委員お願いします。

【山本委員】 今、藤田委員が言われたピンとキリの話で思い当たることがございまして、大変優秀な、恐らくピンの裁判官の方だと思うんですけど、長いこと高名な先生としておつき合いしたことがあったんですけど、実際に会社が被告となるときの代理は、余り芳しくなかったんですね。恐らく先生は裁判官時代のことが常に頭にあって、会社の言い分を聞くと。そうすると多少会社に利があっても、「これは大きな会社なんだから和解に応じなさい」とか(笑)、そういう先生がおられまして、二代にわたって裁判官をやられた方ですけれども、そういう経験がありますので、中坊委員や藤田委員が言われたことは恐らくそうだと思います。

 ただ、私の裁判官像というのは、個人としてというよりも、むしろ企業の立場から考えますと、企業というのは法秩序の中で多種多様な法律行為を継続して組織的にやっていく、そういう存在でございますので、訴訟というのはかなりダメージを受けるわけですね。あるいはこちら側から起こす場合もよくよくのことでございますし、また、起こされる場合も非常にダメージを受ける。したがって、できるだけ訴訟にならないようにという、コンプライアンスですけど、そういったことを事前にやって臨むわけですが、それでもやっぱり不幸にして訴訟が起こるということになりますと、やっぱりいろんな会社のたくさんやっている法律行為のあり方に影響を受けることになりますので、裁判官のジャッジというのは的確でかつ安定しているということがまず企業としては大変大事なことだと思っております。

 そういう意味では、いろんな裁判官像というのはそれぞれあると思いますけど、企業の立場からすると、そういう的確性、安定性というものは非常に大事だということをあえて申し上げたいと思います。

【吉岡委員】 中坊委員、藤田委員、水原委員、それぞれのお立場の発言をなるほどなと思って伺っておりまして、裁判官に求められる人間像といいますか、それも大変立派な人間像を求めていらっしゃるということはよく理解できたのですけれども、すごくむなしい思いで伺っていました。

 どうしてかといいますと、私が経験した裁判の多くは非常に長い年月がかかっています。そういう中で、この裁判官はわかってくれたなと思うような裁判官にも会っています。ですけれど、転勤してしまうんですね。そうするとまたはじめから証言しないと、紙の上に書かれたことだけが引き継がれるのでは十分にわかってもらえない。そういうことでまた原告として証言するということを繰り返さなければいけない。それでどこまでわかってくれるのだろうという思いをもったことは何回もあります。

 ごく最近、私たちが取り組んだ裁判でも負けたんですが、負けた裁判だからと言われますので、説得力がないかもしれませんが、結審直前にお替わりになったんですね。その新しい裁判官に引き継がれてから、比較的短期間の間で結審になった。その場合に本当にどこまでわかってくれたのか、その裁判官が資質としてよく聞くとか人間的な温かみがあるとか、そういう資質を持っていたとしても長年にわたるやりとりを把握していないわけで疑問なんですね。

 今の裁判官はよくお替わりになるんですね。この間の日比谷の公聴会で、赤ちゃんを亡くされた方が、7年間の間で5人替わったというふうにおっしゃっていました。そういうことで、本当に心が温かいとか、そういう人間的なことだけで大丈夫なんだろうか。何か制度の面、人としての裁判官像だけではなくて、やはり制度としての担保がないといけないのではないかと思って、今までの議論が 2のところにいっていますから、そうなってしまうのでしょうけれども、何かちょっとむなしいなと思いました。

【佐藤会長】水原委員どうぞ。

【水原委員】先ほど豊田商事の問題と信楽鉄道事件の問題、中坊委員から御指摘をいただきましたけれども、私は論評する立場ではございません。というのは、法律家というのは証拠関係がどうなっているのか、事実関係がどうなっているのかということがわからなければ、それについて正しかったか悪かったかということを私自身が論評できませんので、これはどうにもなりませんが、検察官がもし証拠があり事実があったにもかからわず手間がかかるから立証を考えて捜査をしなかった、不起訴にした。これは到底許すべきものではないと私は思っております。

 そういう意味で検察官が不起訴にした際の検察審査会の在り方を今後議論していただくわけでございますけれども、それはそれといたしまして、法曹、前にも申し上げたかもわかりませんが、法曹が扱う対象というのは何かということを考えてみたとき、ある裁判官経験の方がおっしゃったのは、我々実践法曹が扱う対象は判例でも学説でもない。生きた人間そのものなんだ。だから毎日毎日目にかかったちりを払いのけて、そして事実は何か、真実は何かということを追い求める姿、すなわち人間そのものの分析をすることが一番大事なんだということをおっしゃった方がいます。したがって裁判官にしても検察官にしても弁護士にしても、人間の心を見抜き、それを洞察する力が基本的になければいけない、このように考えております。そのためには公平に物を見なければいけないし、憎しみを持って物事を見てはだめだし、もちろん罪に落とすという気持ちで裁いてはいけません。やっぱり長い経験で何が真実なのかということを判断できるような素質を持った方が裁判官になることが望ましいと思います。

 もう一遍申しますが、それがどういう経験を積んだ人でなければいけないかということは、今、私がここで申し上げているわけではございませんので、その点は御議論いただきたい。

【佐藤会長】今、議論はまさに佳境にあると思うんですけれども、国民が求める裁判官像とは何かという議論の中で、既に③の方とも関連している問題もあり、あるいは①と深いところでつながっている問題もありまして、きょうの出発点としては非常にいいお話をそれぞれ関係の方々からお聞きすることができたと思います。鳥居委員のレポートもすばらしい鳥瞰図を与えてくださいました。あした一日かけて、法曹一元の全体像について御議論いただいて、何らかのまとめをというように思っておりますが、きょうは一応ここで打ち切るということにしてはいかがでしょうか。

【中坊委員】あした、少し私なりに自分の弁護士の置かれている立場と、先ほど少し出てきましたけど、まさに制度としての司法の在り方、特に佐藤会長のおっしゃった公共空間や立法・行政・司法のそれぞれの役割ということについて私なりに、実はこの前、石井委員と北村委員と吉岡委員と、弁護士の役割を中心にして少し私なりの絵をかいたりしたことがありますし、また、理念的な意味における法曹一元ということはさることながら、具体的にどういうことが問題なのかということを、次回、あすでも、図面も一遍この間見せましたので、その図面を見せて、皆さんの御意見を一遍賜ったら思っています。

【佐藤会長】ありがとうございます。ほかの委員の方も、あしたぜひ主張したいということがあれば、ペーパーを出していただいて結構でございます。出さないから発言なしということは、もちろんありませんが。

【井上委員】ペーパーの提出は義務ではないですね。

【佐藤会長】もちろん義務ではありません。

 そうしましたら、きょうのところは以上で終わらせていただきたいと思います。あした、また10時から丸一日あります。本日はどうも御苦労さまでした。ありがとうございました。