司法制度改革審議会

司法制度改革審議会第3回地方公聴会(札幌)議事次第



日時:平成12年7月15日(土)9:30~12:00

場所:ホテルライフォート札幌ライフォートホール

出席者(委員、敬称略)

竹下守夫会長代理、井上正仁、曽野綾子、髙木剛、藤田耕三、山本勝、吉岡初子

(事務局)
樋渡利秋事務局長

  1. 開会

  2. 出席委員紹介

  3. 会長代理あいさつ

  4. 公述人意見発表
    大河内憲司氏函館市小児科開業医、道南市民オンブズマン代表
    金澤誠氏小樽市大学生
    小室正範氏札幌市北海道労働組合総連合事務局長
    渋谷絢子氏札幌市札幌消費者協会副会長
    庄尚子氏札幌市フリーアナウンサー
    西谷博明氏札幌市北海道中小企業家同友会経営・政策局長

  5. 公述人への委員からの質問

  6. 閉会

1.開会

○事務局長 皆さんおはようございます。これから司法制度改革審議会第3回地方公聴会を開催させていただきます。
 お忙しい中、このようにたくさんの皆様に御参集いただきまして、どうもありがとうございます。

2.出席委員紹介

○事務局長 それでは、本日出席しております審議会の委員を紹介させていただきます。向かって右側から、会長代理を務めております竹下守夫委員でございます。(拍手)
 井上正仁委員でございます。(拍手)
 曽野綾子委員でございます。(拍手)
 藤田耕三委員でございます。(拍手)
 髙木剛委員でございます。(拍手)
 山本勝委員でございます。(拍手)
 吉岡初子委員でございます。(拍手)
 審議会の委員は13名で構成しておりますが、本日はこの7名の委員に御出席いただきました。申し遅れましたが、私、司法制度改革審議会の事務局長を務めさせていただいております樋渡利秋でございます。本日のこの地方公聴会の司会進行役を務めさせていただきますが、実り多い公聴会となりますように、皆様の御協力をよろしくお願い申し上げます。

3.会長代理あいさつ

○事務局長 それでは、公聴会に先立ちまして、出席されている審議会委員を代表いたしまして、竹下守夫会長代理から一言ごあいさつ申し上げます。よろしくお願いいたします。

○竹下会長代理 おはようございます。ただいま御紹介いただきました竹下でございます。

 本日はお忙しい中を多数お集りいただきまして、誠にありがとうございます。この札幌におきまして、司法制度改革審議会第3回地方公聴会を開催するに当たりまして、一言ごあいさつを申し上げます。

 司法制度改革審議会は、御存じの方も多いと思いますが、昨年7月に内閣の下に設置されましたが、その使命は、21世紀の我が国社会において、司法が果たすべき役割を明らかにし、国民がより利用しやすい司法制度の実現、国民の司法制度への関与、法曹の在り方とその機能の充実強化その他の司法制度の改革と基盤の整備に関し、必要な調査審議をし、その結果をまとめて内閣に提言をするということにあります。

 昨年7月の発足以来、審議会として審議すべき論点項目について議論を重ね、12月には「司法制度改革に向けて-論点整理-」というものをとりまとめて公表いたしました。

 審議会の開催は既に25回を数えましたが、これまでに「国民がより利用しやすい司法の実現」「国民の期待に応える民事司法の在り方」「弁護士の在り方」「法曹養成制度の在り方」といったテーマにつきまして、審議を重ねてまいりました。

 今後も「国民の期待に応える刑事司法の在り方」「国民の司法参加」「法曹一元」などのテーマについて審議をすることを予定しております。

 また、5月にはヨーロッパ及びアメリカに参りまして、各国の司法制度の現状について勉強をしてまいりました。来月初めには3日にわたる集中審議を予定しておりまして、秋に予定しております中間報告のとりまとめに向けて、今後も引き続き精力的に審議を進める予定でございます。

 当審議会では、このような審議に当たり、国民の視点から見て司法の在り方を見直すということを基本としておりますので、国民の皆様の声を直接に伺うために地方公聴会というものを開催してまいりました。既に大阪及び福岡において公聴会を開催いたし、本日、この札幌で行いますのが、第3回目ということになるわけでございます。なお、今月末に東京で同様の公聴会を開催することを予定いたしております。

 本日は多数の応募者の中から6名の方々に御意見の発表をお願いしてございます。意見発表をしてくださる方々におかれましては、大変お忙しい中を御準備いただき、誠にありがとうございました。皆様の御忌憚のない御意見を承りたいと考えております。

 司法制度改革を実り多いものとするために、この地方公聴会が有意義なものとなりますよう、皆様の御協力のほどをお願い申し上げまして、私のごあいさつとさせていただきます。どうもありがとうございました。

4.公述人意見発表

○事務局長 ありがとうございました。

 皆様からごらんになって、この演壇の上の右側のテーブルに座っておられる6名の方々が、本日の公述人の方々でございます。

 それでは、これから各公述人に10分程度ずつお話を賜りまして、その後、委員の方から各公述人に対する質問という形でこの公聴会を進めてまいりたいと思います。

 発言の順序はお座りになっているとおりの「あいうえお」順ということにさせていただきます。

 それでは、まず最初に大河内憲司さん、よろしくお願いいたします。

○大河内氏 今、御紹介にあずかりました大河内でございます。

 私は函館で開業医をして30年経ちました小児科の医者でございます。

 平成7年に道南市民オンブズマンを結成しまして、代表として現在3件の住民訴訟に取り組んでおります。

 司法制度の改革に関しては、いろいろな分野があると思いますが、私たちが住民訴訟に取り組んだ経験を基に、一市民の視点から意見を述べさせていただきたいと思います。

 まず、1番目は、裁判が長引くことの問題点です。

 私たちが平成8年に起こした函館市交通局の官官接待訴訟は、今年で満4年を迎えても、いまだに結審しておりません。裁判長の交替は今年で3人目です。裁判官は我々が提出した書面をきちんと読んでいるのか、あるいは原告の我々の主張や争点をどの程度把握しているのか、そういう点で、私たちはその都度強い不安を覚えております。私たちが行っている住民訴訟は、特に公金の違法な支出の防止・是正を図ることを目的にしておりますので、市民はその経過や結果に非常に大きな関心を持って傍聴に出掛けてきます。裁判が長期化することは、市民の行政への関心を次第に風化させてしまいます。地方行・財政の是正は早期にされなければならないのに、結果的に4年以上も経っており、住民全体の利益が守られず、早期是正が遅れているという実態になっております。

 他方、法律の面で見ますと、住民訴訟のときの住民監査請求あるいは訴えを提起できる期間というのが法律で限定されております。制限されているにもかかわらず、肝心の訴訟が長引いて判決がなかなか出てこないという意味では、非常に矛盾した形になっていると考えます。

 さて、次に裁判官の判決というものは、多くの国民が共有している価値観とか、あるいは社会的な一般的な通念上の常識とか、国民が共有する価値基準、そういったものに依らなければならないと考えております。ところが、裁判が長引けばどういうことになるかというと、大事件であっても、世間ではいつの間にか忘れ去られてしまう。裁判官がその都度何人となく交替していく中で、結果的にはその価値基準、世間の価値基準や法律自体も10年、20年という経過の中で変わっていくでしょう。そうしますと、当然の結果として、判決が10年、20年後には最初の数年の間の判決の結果とは全く異なったものになるだろうと思います。今、死刑という刑罰があっても、10年後、20年後、その判決の時点で死刑が廃止され、無期懲役などに変わっていたら、それは判決が明らかに変わってしまうわけです。ですから、10年、20年という年月がかかるのは、我々の市民感覚からいけば、非常に変だと思われます。裁判官が自信を持って判決を下しても、その結果は何の意味もなくなってしまう。そういう点で非常に問題があるというふうに思います。

 その点を踏まえて、2番目に、裁判の迅速、スピードアップするにはどうするかという問題を取り上げます。

 私たちが関わった住民訴訟は、これまでの経験からいきますと遅くとも1年半、あるいは2年以内に判決が出されてしかるべきだと思います。そこで、原告とも協力をして、裁判所側は審理計画というものを設定していただきたいと思います。

 それから、裁判が長引くということについて我々が経験した感じでは、裁判官の数が絶対的に不足をしていると思います。裁判官が国民の期待に応えてよい審理を十分尽くして、そしてよい判決を書くことができるかというと、そういうことではできないと思います。今、司法改革に最も必要なのは、裁判官の大幅増員であろうというふうに思います。

 それによって忙しい多数の事件を抱えた裁判官がもう少し余裕を持って、きちんとした審理を尽くして判決を書けるということだと思いますので、他の司法改革でいろいろなことを、たとえやってみても、それは小手先の改革であって、本当の司法改革にはならない。絵にかいた餅になるのではないかと考えます。

 次に、市民に身近な裁判や司法というのはどういうものかと考えますと、まず、裁判官の問題であろうと思います。私たちから考えますと、裁判官というのは法律家の卵が純粋培養のような環境の中で育てられた一種のキャリア官僚だろうというふうに考えます。このような場合に、一般社会と没交渉の裁判官が法律を知っているとは言っても、固定観念にとらわれたり、あるいはその物事に多様な価値観があることを本当に認めて、固定観念にとらわれないで、裁判で確実な事実認定ができるのか、そういう点に疑問を感じます。

 私は医者でございますが、医者も弁護士も、言わば職業的には専門的、あるいはエリート的、キャリア的な専門職であろうと考えます。

 ただ、違うのは、我々医師は、医学、裁判官の法律というところと対峙して、医学という専門分野で、その限られた世界で仕事をしています。しかし、医師のほとんどは、人を毎日対象にして、人の病気を診断し、そして治療することに専念します。更には人間の心の病をも対象として、最近はその生立ち、あるいは環境、性格、社会的環境、そういったものを全部総合して、洞察力と医学的知識に裏付けされた現場の処理能力、診断能力、総合判断力が日々要請されております。

 そして、病気を診るだけでは私は一人前の医師とは言えないと考えております。ミスをしながら、患者に日々教えられながら成長して立派な医師になっていくと考えます。裁判官もそういうものであろうと考えます。

 裁判官も裁判の審理や判決で、市民に納得させるにはどうするか。それは健全な一般常識、それに支えられた価値観、あるいは人生観、そういった総合判断力を持っていなければならないと思います。それにはまず、法律漬けの閉ざされた世界から出て世間の風に当たり、医者と同じように人と絶えずいろんな病気、子どもや大人と毎日付き合うという形の医師と似ているところはあっても、医学は人の命をあずかりながら、裁判官もそういうところもあると思います。そういう形の中で、世間の風に当たって、そして、人間を洞察していく、人を扱うという形では同じだと思いますので、医学では最近小児科だ、脳外科だ、整形外科だと、いろんな形で専門分野が更に細分化されています。しかし、患者が来たときには、その部門しか診られない。結果的にはよそへ行ってくれというたらい回しの現状がいまだにあります。それは要するに、私なら小児科なら小児科の専門のことしか知らなくて、ほかの科を知らないという総合的な診断力、総合的な判断力、総合的な治療を欠いた医師が育っているということです。そういうことでは、最近はその面に関しての総合的な、何でも診られるという医師の養成がされているところであります。

 いずれにしても、裁判官を含めて法曹界は、お上意識を捨てて、市民レベルの目線にまで下りてくるべきであると考えます。日頃市民感覚を養っていただきたいと思うわけです。

 最後に、市民の、あるいは国民の司法への参加をどう図るかという問題があります。

 まず一つは弁護士さんです。市民にとってはどのような弁護士に事件を依頼するかが非常に問題です。人づてに聞いて頼むしかないんですが、どの弁護士がどの分野を得意としているか、そういったものもわからず、また困るわけです。函館市内でもどういう名前の弁護士さんがいるのかさえ情報がありません。また、突然依頼しても、初めての場合には多忙を理由に断られるケースが多いようです。私もそれは経験しております。相談できる弁護士に会うまでが大変なので、弁護士会がその困っている人を紹介する仕組み、そういったものをきちんとつくっていただきたいと考えます。

 更に、弁護士に対する住民の不信感が最近非常に強くなっております。例えば、依頼者の意思とは反対に簡単に和解を進める傾向が多いとか、相手側の弁護士と通じて勝手に取引をするとか、そういった風聞がございます。地元でないところの弁護士に依頼した方が、まだましだということを言う人もおります。いずれにしても、日常、地域住民と密着した真剣な弁護士活動が望まれるところです。

 私たちが住民訴訟に関わった経験から見ますと、まずその判決内容が、最高裁判例を非常に重視している傾向が感じられます。そして、原告の主張を簡単に門前払いをするという傾向が見られます。実質的な審理においても、住民訴訟のような場合に、法律的に厳格に判定しないまま、行政機関や市長の裁量権、あるいは公務性、そういったものを広く認め過ぎるような感じがしております。それは例えば議員の野球大会とか、そういう問題もあります。補助金を恣意的に支出している。そういうケースにも十分表れていると思います。

 いずれにしても、職業や宗教的、あるいは政治的信条、あるいはいろいろな立場の人々がそういう裁判官としてたくさん加わってきて、単一、閉鎖的、純粋培養的、無菌的なキャリア裁判官制の弊害をなくすることが一番市民の身近な感じにぴったりするものだと思います。多様な価値観を持って、そして、社会的ルールと常識に富んだ裁判官が多くなってこそ、市民の視点で物を考え、物を見ることができるんだと思います。それでこそ裁判所、ひいては司法が市民により身近なものになるであろうと考えます。

 その意味において、十分経験を積んだ弁護士を裁判官にするという制度、いわゆる法曹一元化は大賛成でありまして、是非実現していただきたいと思います。

 最後に、以上、多々述べましたけれども、これまでのいろいろな国の改革審議会の経過を見ますと、設置年月日がかなり経っているにも関わらず結論がなかなか出なかったり、小手先だけの改良で終わることが多いように思われます。

 司法制度の改革は短期間で達成はできないにしても、絶対に改革するのだという基本姿勢に立って審議委員の方々は大変でしょうが、成案を得るように尽力をいただきたいと思います。

 司法改革が中途半端なものではなく、目指す方向をきちっと決め、短期・中期・長期という具体的計画をステップ・アップして実現されますようお願いを申し上げ、終わらせていただきます。

 発言の機会を与えていただきまして、どうもありがとうございます。(拍手)

○事務局長 どうもありがとうございました。
 続きまして、金澤誠さんにお願いいたします。よろしくお願いします。

○金澤氏 おはようございます。緊張しております。皆さんよろしくお願いします。それから、委員の先生方、お手やわらかにどうぞよろしくお願いします。

 私は北大法学部3年に在学し、ゼミでは憲法学を学んでおります。また、昨年1年間は、札幌弁護士会の市民モニターに選ばれて、民事、刑事の裁判傍聴をしたり、幾つかの法律事務所を見学したり、消費者問題やごみ問題、それからセクハラ、少年法改正などについて幅広く勉強する機会を得ました。

 今日はこうした私のつたない体験を基に裁判所の改革について幾つか述べさせていただきたいと思います。

 今年の1月、私は市民モニターの行事の一環として、札幌簡易裁判所の民事裁判を傍聴する機会を得ました。一番印象に残ったのは、同じ時間帯、例えば10時とかに20件もの事件、それもサラ金や信販会社が原告となっている事件が集中して、法廷に入り切れず、廊下に人があふれ、一つひとつの事件が短時間のうちに、ごく機械的な感じで処理されていることが一番気になりました。

 一方、原告席には、こうした金融会社の社員と思われる背広姿の男性が入れ代わり立ち代わり登場して、みんなあたかも常連さんのような顔をして座り、裁判官とも平然とやりとりをしているのに比べて、被告席に登場する人々は、おしなべてみんなおどおどしていて、裁判官の言うこともなかなか理解できず、裁判官が時間を気にしていらいらする様子が、傍聴席に座っている私にも手に取るように伝わってきました。

 そして、被告が分割払い可能で、原告も受け入れられそうな事件は、当事者席につくなり、司法委員という方に別室に連れていかれ、入れ代わりにほかの当事者が入ってきて、裁判官が和解の結論だけを早口で読み上げ、次々と和解が成立していくのです。

 また、被告が出頭しないまま、原告の言い分どおりの欠席判決が出されることも多いこと。そのことも印象に残りました。一緒に傍聴していたある主婦の方は、これじゃまるでベルトコンベアーみたいねと、感想を漏らしていました。本当にそのとおりだと思いました。このたび改めて調査したところ、札幌簡裁では2階にある6つの法廷のうち、刑事裁判用の法廷や、ラウンドテーブル型の法廷を除くと、わずか2つしか通常の民事裁判に使えないそうです。たったそれだけの理由で2つの法廷に事件がこれだけ集中し、ベルトコンベアー式の裁判が続いているというのはいかがなものでしょうか。もっと法廷の数を増やし、それに見合った数の裁判官や書記官を配置するなどして、こうした過密裁判は一刻も早く解消すべきだと思います。

 そもそも私たち一般市民にとって裁判所というお役所はまだまだ近寄り難いところだと言わざるを得ません。例えば札幌地方裁判所、それは歩道からかなり奥まったところに正面玄関があります。その手前には、言わば私たちには無縁の存在である立派な車寄せがあって、更に階段を数段上って、ようやく建物に入ることができるのです。道庁や市役所などの公的機関に比べても、裁判所の建物は何だか重々しく人を寄せつけない雰囲気が漂っています。

 更にロビーの中には制服を着たこわそうな警備員さんが立っていて、何となくうろちょろしていると怒られそうな気がしてきます。

 それから、裁判傍聴などで何度か裁判所を訪れ、こうした雰囲気に幾分慣れてくると、今度は案内の不親切が目に付いてきます。例えば、ある日、どの法廷で、どんな事件の裁判が行われているのか。さっぱりわかりません。1階のロビーに大きな掲示板があります。しかし、それはどの法廷で何曜日に、どの係が裁判をやっているかがわかるだけです。自分が傍聴したい裁判をどこでやっているのか全くわかりません。全国の裁判所の中には、1階ロビーの中にその日に開かれた裁判の一覧表が置いてあるところもあるそうですが、そのような簡単なことは、今すぐにでも実現できるのではないでしょうか。

 それに比べて簡易裁判所の建物、それは大した車寄せもありません。歩道から階段も登らずに正面玄関に入ることができます。ロビー内には、軽やかなBGMが流れていて、相談窓口もガラス張りで、全体として非常に明るく、ゆったりとした雰囲気が感じ取れます。この点は評価できるのではないかと思います。

 もっとも私が期待するようなきれいなおねえさんはいなくて、地裁と同じく制服を着たこわそうなおじさんがいらっしゃって、なかなか近づきにくいという印象はぬぐえません。私は裁判所というのは一種の公的サービス機関だと思っているのです。裁判官を含め、裁判所職員のサービス意識はまだまだ不十分ではないかと思います。例えば、訴訟を起こされ被告に対し、裁判所から送られてくる呼出状の文書はかなり不親切だと思います。例を挙げてみたいと思います。

 いきなり出だしから、何もしないで欠席すると、相手方の言い分どおりの判決がなされ、ここまではいいとしても、家財道具や給料が差し押さえられることがある、などと書いてある、言わば脅しめいた言葉が並んでいるのはいかがなものでしょうか。少なくとも「答弁書は独力で書いても、法律家と相談して書いてもいいですが、内容はよく吟味して書いてください。ちなみに、こんなところに相談窓口がありますよ。」という説明くらいは付け加えられないものでしょうか。

 これは聞いた話なんですが、裁判所が証人に対して出す召喚状というのがあります。それはどのように書いているかというと、証人として出廷することは国民の義務であり、正当な理由なくして出廷を拒むと、勾引されることがありますと。更にこわい文章が並んでいるそうです。

 裁判所のお上意識とよく言われますが、それは法壇の高さや、裁判官が入廷する際の起立、礼という号令ばかりでなく、こんな文面にもよく表れているのではないかと私は思います。

 また、裁判所からの法的サービスの提供の仕方についても、まだまだ工夫が足りないと思います。例えば、自分の正当な権利を実現するため、裁判を起こしたいとき、反対に自分が裁判の被告となって対処を迫られたとき、まずは気軽に相談できる窓口が必要です。そのためには、札幌弁護士会がほかの機関とタイアップして取り組んでいるようなデパートや市役所、郵便局や女性センターなどで、法律相談、夜間相談、あるいは電話など、無料相談といったサービスを一層拡充すべきでしょう。

 でも何と言っても、裁判所自身がだれでも利用できるような総合的な相談窓口を設置するとか、もし裁判所の立場ではできないような内容の相談であれば、弁護士会、その他の相談窓口を紹介するなど、裁判所がやるべきことはまだまだたくさんあると思うのです。それから、先ほど欠席裁判のお話しをしましたが、平日の昼間に被告として裁判への呼び出しを受けても、仕事を休むわけにもいかず、結局は原告の言い分を丸のみにせざるを得ない人々のためにも、夜間や休日にも法廷が開けないものでしょうか。

 東京簡裁においては、既に夜間開廷を実施しているようですが、こうした試みは早く全国に広げてほしいものです。

 裁判所の場所一つとっても、官庁街の一角に収まっているのではなく、だれでも気楽に出入りできるよう、雑居ビルや商店街の中に裁判所を設置するとか、簡易裁判所のない町に住む人々のために、裁判官や書記官が定期的に出張して、裁判を開く巡回裁判所とか、もっと国民のために役立つ努力をすることが必要ではないでしょうか。

 これに関して、とりわけ北海道においては司法過疎の問題が極めて深刻だと思います。北海道には1つの地・家裁支部管内に弁護士がほとんどいない、いわゆるゼロワン地域と言われるものが総面積の半分を越えているそうですが、裁判所について言えば、16か所の地・家裁支部のうち、月に一回、わずか1ないし2日間しか裁判官がいない支部が9か所もあると言われるのです。

 ちなみに、こうした司法過疎の現状については、私の在席する北大法学部において、6年前、民事訴訟法のゼミの学生たちが丸1年間掛けて、道内の地裁本庁から家裁出張所に至るまで33か所全部を回って『裁判所ウォッチング北海道版94』と題した冊子、今持ってきているんですが、こういう冊子なんですけれども、こんな立派な冊子をまとめあげたのですが、そこには各裁判所の外観や内部の様子、職員の接客態度について実によく書かれています。

 また、裁判官が3名常駐している、ある地・家裁支部においては、本庁よりも事件数が多いくらいなのに、裁判官や書記官の数は半分以下に据え置かれたままで、かなりのオーバーワークに悩まされていると聞きます。

 このように北海道における司法過疎の問題は、単に弁護士の数が増えれば解決するという問題ではないのです。

 最後に、裁判官の人数や待遇面についても一言述べさせてください。

 昨日、この同じ会場で開催された「市民がつくる司法改革公聴会」で配付された資料によれば、過去100年間で弁護士の数は12倍に増えたのに対し、裁判官の数はわずか1.4倍にしか増えていないそうです。それなのに最高裁判所は現在の事件数の伸びと平均審理日数などから見て、裁判官の数は不足していないという姿勢を崩しておらず、それについて司法制度改革審議会の会合においても厳しい批判を受けていると聞いています。

 そもそも平均審理日数というのは、裁判官が判決をきらって、無理やり和解で落としているような事件も含まれているはずですから、こうした統計資料を前提とした立論そのものに問題があるのではないでしょうか。

 また、行政改革と称して省庁の数を減らしたり、公務員の数を減らしたりすること、国会議員や地方議員の数まで減らしてしまうということがおおはやりのようですが、その是非はともかくとして、司法改革をこうした行政改革と同列に論ずることは考えものだと思います。

 司法とは共生原理の中で正当な権利を侵害された者を事後的に救済する場であり、少数者の人権を守る最後の砦であるからこそ、そのシステムを維持するためには、一定のコストが掛かることはやむを得ないことであって、多数決原理が支配する政治部門と同じような効率化、縮小化が最優先されてはならないのです。

 裁判所の人的基盤の問題については、ただ単に裁判官の人数を増やすというだけでは不十分で、待遇面も見直す必要があると思います。例えば裁判官は定期的な全国規模での転勤があるため、特に大型事件、長期化した難事件の審理中に、何度も担当裁判官が交替し、その分だけ審理期間が増えるということ自体が大いに問題とされるべきです。

 私は裁判に対する国民の信頼というのは、審議中にころころ担当裁判官が交替することで損なわれるのではないかと、特に何年も掛かる事件ではその弊害も非常に大きいと思うのですが、いかがでしょうか。

 そもそも転勤制度自体が表向きの必要性はともかく、実際には最高裁の個々の裁判官に対する統制手段として使われてきたと聞くだけに、なおさら今こそ転勤を含めた裁判官の待遇の在り方を根本から考え直すべきだと思うのです。

 話したいことはまだまだあるのですが、そろそろ時間が来たようです。私のような二十歳の若僧にこのような機会を与えてくださった司法制度改革審議会の皆様に感謝しつつ、これからつくられるであろう審議会の答申が、私たち一般市民の目線に合った市民のために役立つ司法改革を提言するものとなることを心から願いつつ、私のつたない意見発表を終わらせていただきます。

 御清聴ありがとうございました。(拍手)

○事務局長 どうもありがとうございました。
 それでは、引き続きまして、小室正範さん、よろしくお願いいたします。

○小室氏 小室と申します。私は北海道労働組合総連合という労働組合の連合体で事務局長を務めております。本日の公聴会に当たりまして、この審議会がテーマにしている司法制度改革、このことについて大変大きな期待と、その一方で危惧も持ちながら、今日は意見発表という場に臨ませていただきました。

 期待というのは、今日の裁判制度は、私には到底憲法がすべての国民に保障している裁判を受ける権利と言いますか、公正に裁判を受ける権利の実現、あるいは今日の社会が司法に求めている役割からすると、これを我が国の今日の司法制度が正当に果たしているとは私には全く思われない、そのことが今回の改革を通じて国民の権利の実現という方向で、あるい基本的な権利を実現するという方向で改革がなされ、あるいは三権分立の原則が文字どおり実現することになるならば、この国の21世紀に私は希望を持って見ることができるような気がするということです。

 危惧というのは、今回の司法制度改革というこの審議会の枠組みについてもそうですが、財界の方々からもいろいろな意見があった中でこの審議会が発足していることを考えるとき、今日の日本社会が言われている規制緩和万能論が闊歩するような社会的風潮の下で、特に経済活動を中心にして、公的なあらゆる規制をなくすると。その中で生じる紛争の処理に関して、言わば社会的なインフラとして裁判制度の間口を多少広げようかということで、この司法制度改革が行われるとなるならば、そのこと自身、それからこれを理由、あるいは口実として、私が普段携っている労働分野を含めて、更にさまざまな規制、ルールが緩和されるということになると、私ども国民にとってはむしろ害悪の方が多いということにもなりかねないということを危惧するわけです。

 今日の司法制度や裁判が、私には求められている役割を果たしているとは思われないという現状について、私の思っていることをまず述べさせていただければ、裁判所の玄関には非常に高い壁が労働者にとってはあると思います。無理な配転の押し付けや、劣悪な条件への会社転籍の強要や、これに応じなかった者に対する首切りの脅迫や、考えさせてほしいと答えただけの労働者に対しても解雇が言われたり、いじめがあり、仕事の取り上げがあり、年齢や女性差別やセクハラがありということを考えたときに、私どもの事務所にも多数の相談がございますし、司法にその救済を求めている労働者の数は極めて大きなものがあると思っております。

 しかし、実際にはどうなっているかと言いますと、例えば平成11年、道労働局の発表によりますと、道内の雇用保険の被保険者、民間のサラリーマン、パートの方も含めて常用雇用の方は120万ほどですが、雇用保険失業給付を事業主都合による離職、つまり解雇されて、申請をされた方は4万1,564人に上ります。

 私の事務所にも1年間で300件を超えるいろいろな相談がございますが、この中には本人としては納得のいかない、あるいは不合理な解雇が多数に及んだと思われますが、裁判所にお聞きしたところ、道内で労働事件として裁判所の入り口を、その当否を問うために、この国の法に照らしての解雇が正当かどうかを問うことができた、裁判所に入ることができた事件は84件にすぎないとありました。この数字1つを見ても、私どもが実感している法的な紛争の多さからして、あるいは不満や憤りの声の広がりからして、余りに少ないのではないかと思います。求められているのは、公正性、公平性、迅速性、あるいは経済性、廉価であること。利便性ということですから、現在の裁判制度、裁判所の現状というのは、これに応えられるようになっていないところから、裁判所の玄関には労働者にとっては高い壁があるということになっているんだろうと思います。

 ドイツの労働裁判所には1年間で60万件の提訴があるというふうにお聞きしました。この審議会でも協議が行われて、助言あっせん機関やADR、準司法的な紛争処理機関、こういうものに当たるのかもしれまんが、イギリスのACSには54万件あると言われています。我が国では2,000件ほどにすぎません。

 事件の内容に即した裁判所の創設や裁判官の増員や職員の増員や弁護士の増員や、ADRなども含めた事件の内容に即した裁判を受ける権利、これが実現されるように当審議会で審議が行われるよう私は求めたいと思います。

 2つ目に、裁判所の前に壁があると申しましたが、それが取り除かれたとして、あるいは信頼性の問題として、私は裁判の質とか、あるいは司法の役割の面でも、今多くの人が、あるいは労働者が求めているものからすると、今の裁判の実態というのは、それにほど遠いという現実があるのではないかと感じます。

 幸いにして、私自身は、今日どういう司法の役割があるか考えたとき、北海道の95年以来の、全国で問題になった公金不正事件で北海道官官接待住民訴訟、その第1号になりまして、97年10月に住民監査請求を起こし、97年10月に札幌地方裁判所で全面勝訴の判決というか、自治体側に全額の損害賠償を命じる判決を得ることができました。

 結果、北海道庁が不正に支出した公金というのは、78億円もの巨額に及び全国一だということになりました。これを北海道の恥だと言う方もいらっしゃいましたが、私はそうは思いません。当初は道の理事者は私ども道民に何一つ公金支出の実態について知らせようとしなかった。あるいは、これをただすべき道議会でも全くまともな審議が行われなかった状態を、道民が裁判所と結び付いて、そして、この道庁の不正をただすことができました。これはすばらしい経験だったと思います。

 司法に今、求められているのは、こういう例は勿論、熱意ある弁護士さんや、あるいは正義感に支えられた裁判官の御尽力もあって、たまに実現するわけですけれども、まさにこの国の人権や民主主義や、憲法の原理、理想を実現するために裁判所が積極的な役割を果たさなければいけないという理念に立って、是非やっていただきたいということです。余り時間がないと思います。主として私が日ごろやっていることからすると、東京地方裁判所で今年の3月29日に下された北海道の国鉄労働者の解雇事件についての東京地裁労働部の判決についても一言したかったんですが、それは省略させていただくとして、ただ、この東京地裁19部の判決の中でも、労働委員会命令の取消訴訟というのが大変増えているわけですが、この判決の中で裁判所の判断、368ページに及ぶ判決ですけれども、中間で、法の不備について、営業の自由という憲法が保証する権利と、あらゆる労働組合に関わる制約に関しての調和的解釈はいかがあるべきかというふうに裁判所が論を立てられて、その論の立て方自身に私はむっとしましたが、法律に不備があると述べられて、その上で中労委の命令を取消すという判断を下されましたが、判決の内容についてあれこれするのは別にして、どうしてもこの368ページの判決を、昨日実は改めて読んでみて、これで裁判の当事者となった313人の国鉄マンの思いからすれば、どこをどう解釈すれば、あるいは自分たちがいわれのない差別を被った、そのことについての事実は消えないのに、だれにも責任はないんだという、責任を取らせることはできないという判決が下されるに及ぶ納得ある説明がこの判決でなされているとは思えませんでした。

 何故このようなことになるのかということを含めて、裁判官制度についても私は改革が求められるのだと思います。先ほども意見発表がございました。閉鎖的なキャリア・システムの問題や、裁判官養成制度の問題などもあるのだと思います。この点で言えば当審議会でも大きな論点の一つになっているとお聞きしている、陪審制、参審制、法曹一元、このことについては、当たり前のことだと私は思います。それが時代の流れなのではないか、時代の要請なのではないかということを申し上げて私の意見とさせていただきます。(拍手)

○事務局長 どうもありがとうございました。時間の方も押せ押せになってきておりますが、ひとつよろしくお願いいたします。
 それでは、次に渋谷絢子さん、よろしくお願いします。

○渋谷氏 渋谷と申します。私は30年くらいになりますでしょうか、消費者相談ということに関わってずっと過ごしてまいりました。その中で、裁判との関わりというものがたびたびございました。その中から、今日は消費者としての市民という立場からお話をさせていただきたいと思っています。

 今回の司法制度改革審議会というところに意見発表を申し出させていただきましたのは、利用者のための裁判にするためにどうすればいいのかというところを検討するということだったわけです。

 ですから、利用者として、ある意味で一番知識の少ない、本当に一番被害を受けやすい人たちが、自分自身の被害の救済という形で申立てができるようなものに、裁判所自体がどうすればなっていただけるのかというところで考えましたので、レベルが大分下の形になってお話をするのではないか。今までの方の話が非常に高尚でしたので、違うかなと思いながらここに立たせていただきました。

 まず一番目に、学生の方がおっしゃいましたように、裁判所の中で本当にクレジットの代金請求事件、それから貸金の取立て事件、こういうものが非常に多くなっています。民事事件ということで数が非常に増えておりますけれども、その中の非常に大きな部分、それがこの関わりということで裁判所の方からもお話を伺いました。このクレジットとか貸金という形の問題は、消費者の通常の取引という中で出てくる部分なんです。

 私どもの消費生活相談窓口には、道内でも毎年4万件を超える数が寄せられております。全国で言うと60万件を超えると言われております。ということは、日常的に非常にたくさんのトラブルが存在して、そのうちどのくらいが裁判という場に上がっていっているのかわかりませんけれども、上げられるというよりも、私どもでよく聞く事例なんですけれども、自分には支払えないでいる理由、例えば送られてきた商品が非常にお粗末で自分の頼んだものではないとか、それから、だまされて買わされたという形で、実質的に自分は払う責任がないというふうに思っていたから払いませんでしたと。そうすると、裁判所から何か紙がきました。でも、お上から来たものはこわいと。だから、これをそっと見ないでしまっておきました。そうしたら裁判所からもう次の段階です。確定をしまして、そして強制執行と言われる形のものが来ましたと。どうしたらいいでしょうかという形でいらっしゃる。こういう事例が本当に存在するんです。

 ということは、一般の方にとって、裁判所というものが非常に遠いと同時に、こういう買い物は、裁判所でもって争えるものなんだということ自体も知識の中には余りないということなんです。それで、私どものところとしては、なるべく知らせてくださいという形でお願いをいたしました。そうしたら、支払命令という書類が、支払督促という形の書類にはなりましたけれども、でも内容的には非常に消費者にとっても冷たいものだということなんです。

 私どものところに具体的に御相談として上がってきて、処理という形でいたします。消費者と事業者の間で、どういう形で契約がされたのかということを伺いながら、どちらかというと、聞いてあげるということの方が多いんですけれども、その形の中でどうして、ある意味では思いがけない高額な、しかも不必要な契約をしなければならなかったのかということについて伺うわけです。でも、その伺った中で事業者さんは正当に、これはその方が納得をして契約したものですから、当然払っていただきますとおっしゃいます。そうすると、「いえ、自分は」という形で払わないでいると、要は、クレジット会社さんとか、貸金業者さんから、即裁判という形を起こされていってしまいます。私どもの扱いました案件の中で、裁判の場に移されてしまったものが幾つもあります。私どもとしては、そういうときに実質的に傍聴という形でどう処理されるのかをたくさん見てきました。

 まず裁判所から届いた文書に対して異議の申立をして、そこに出ていくということだけについても、消費者の方は怖がってというか、そんなところに出たら何も言えなくなるということで、まずは第一歩引いてしまわれます。裁判の場に出て、主張さえすれば、ちゃんとあなたの主張は通ると思いますと言えるような案件に対してまで、二の足を踏んでしまうという方が結構いらっしゃいます。それだけ裁判所は怖いんです。本当は怖くないところなんでしょうけれども。

 そのほかに、せっかく勇気を出して裁判所にお出になって、そして、被告席にお立ちになってお話をなさる。非常に頑張ってお若い女性が緊張しながら話している。高齢者の方が、本当に小さな声でお答えになっている。でも、それに対して、先ほど学生の方がおっしゃいましたように、きっと審理時間がないんでしょうね。畳みかけるような質問と、結局はあなたが判を押したんですね、あなたが契約をしたんですねという一言で言えなくなってしまう、そういう事例が幾つも見られて、何とも座って聞いている方が、という場面に出合いました。

 40代の男性の方が、自分のした契約に関して、頑張っておっしゃられた。40代の男性ですから、きちんとおっしゃっていらっしゃるにもかかわらずなんですが、結局は、いろいろ言ってみても、あなた自分で判を押したんでしょうという形でこの方は何も言えなくなってしまいました。

 本来、裁判官とおっしゃる方は、裁くという立場にいらっしゃる方は、実質的な取引というんでしょうか、今の通常の消費者が契約をするときの感覚、いわゆる市民感覚をお持ちであったとしたら、自分がその立場になったらそんな契約をしたかもしれない、子どものためにそう思ったかもしれないという判断があってほしいんです。そうでなければ、こういう問題に関して、杓子定規の形で判断されたとしたら、みんな何も言えなくなってしまう。

 そこで本当を言うと、弁護士さんに頼んで、この部分はという形で、例えば裁判の経過の中で、どうしてもこの人何も言えそうもないから、何とか弁護士さんに私どもの方で声を掛けてという形で弁護士さんの方におつなぎをして、費用は勿論本人に払っていただきますが、こういう形で裁判続行という場合もありました。ですけれども、なかなか金額の少ない裁判ですと、受けていただけないのが現実なんです。それと、明確に勝てるという確信がないと、なかなか受けてはいただけないんです。だけれども、消費者事件というのは、申し出をする側の人たちがはっきりと明晰に物事がわかる人、知識のある人であれば、中には引っ掛かる人がいるかもしれませんけれども、余り引っ掛からない。被害に遭わないと思うんです。

 ですから、なかなか明確にはっきりと主張のできない人をどういう形でか引っ張っていかなければ勝てない。勝てないというよりも、被害の回復さえしていただければいいんですけれども、そういう中で弁護士さんにお願いするということが非常に難しいわけです。引き受けていただけないという一方で、どうしてもお金が掛かります。着手金が一定の割合で請求されるということになります。そうなりますと、着手金を払うということ、今買った自分の賞品の代金も払えないということでのお申立ての方に対して、着手金が高ければ、どうしても頼むことはできなくなるわけです。それで弁護士さんにお願いするなら、もうしなければならないならという形であきらめる方もいらっしゃいます。

 それと、地方はより被害が発生しやすいわけです。それだけだまされやすいと言った方がいいんでしょうか。そうすると、その地方で被害に遭った人が弁護士さんを願いしたいと思っても、お願いすべき弁護士さんは、中央、道内では札幌に集中しています。お願いして来ていただくだけでもお金が掛かるんです。そうすると、なかなか受けられません。お願いもできません。やはり弁護士さんの方でも地方のところへの、何らかの形での配慮をお願いしたいんです。

 それから、もう一つなんですが、一応消費者の取引においては、消費者側と事業者側との間には情報の格差があって、非常に消費者側が不利である。だから、消費者のする取引に関してはという形で消費者契約法ができました。とてもうれしいことなんです。とてもうれしいことなんですけれども、立証責任という部分もまだたくさん残っています。それと併せてなんですが、こうした消費者契約法ができてくる過程の中で、規制緩和ということで、事業者さんに対する事前規制が非常に緩和されました。その代わり、事後規制という形になりました。というのはどういうことかというと、消費者が契約をするに当たって、初めからある程度事業者さんの選別をというか、一定のレベルを行政が確保していてくれた部分がなくなった。完全になくなったとは言いませんけれども、かなり減りました。そうすると、その代わりという話なんですけれども、事後規制、いわゆる契約なり何なりをしてしまった後に、自分のしてしまった契約が、こういう誘い方で、こういう不適正な取引をされましたと。不適正な取引をされたことによって、私はこういう被害を受けました、ということを受けてから、自分自身で申し立てる形を取るようにということに方向が変わりました。ということは、自分自身で申し立て、そして取引の経過そのものも自分の目で確認をしながらやっていかなくてはならない。そして、自分の口できちんと申し立てをしなくてはならないんです。

 でも、裁判の場で、先ほど申し上げましたけれども、今の消費者は、今のような形の裁判がされている限りは、自分で申し立てるということはできません。もっと利用者の方に裁判所が本当に戻ってきていただいて、私ども消費者が、はい、ごめんくださいという形で裁判所に行けるような、その中でこんなことがありましてという形で行けるような、そういう雰囲気と場所であってほしいと思うんです。

 そこで私の方から、要望として申し上げたいのは、まず第一番目に、現在のような職業的な裁判官の方ではなくて、全く消費者と同じ市民感覚を身に付けて、消費者の立場に立って判断のできる人、そういう人が裁判ができるようなシステムにしてくださいということなんです。例えば、さまざまな説明とか契約をしますときにされた行為が、書面に書かれていないからということではなくて、当事者の意思がどこにあったかということをおもんぱかってくれるという、そういう理解してくれる人であってほしいということなんです。

 私が裁判を傍聴しましたときには、ほとんどわかっていただけなかったのではないかと思っています。

 2年ほど前に、カナダの少額裁判所を見学してまいりました。そのときには、10数年弁護士さんを経験なさった女性の方が判事さんとしてお座りでした。そして、その少額裁判所がある場所は、普通の商店街のビルの中の3階だったと思います。入ることにおいても抵抗感のないものでした。その中で判事になった方は女性の方でしたけれども、本当に両方の話をその場で、1つずつ主張している違いの部分を聞きただしていくという形でお聞き取りになっていました。そして、話し合いましょうよという形での判決というよりは、本当に合意点を見つけましょうという形で終わった。見学しただけで、3つくらいの案件があったんですが、ほとんどそういう形で終わりました。弁護士さんが付いていた案件もありましたが、少額の案件でしたけれども、ちゃんと弁護士さんが引き受けて主張なさっていました。こんな裁判でしたら本当に怖くありません。

 もう一つ、今は欠陥住宅問題とか医療問題とか、こういうものが市民の問題として、本当に裁判に挙げられる事態になりました。でも、判事さんが、こういう専門性のあるものについて余り知ってはいらっしゃらないからこんなことになるという話ちょっと聞いております。それと、私どもの関わりました中にも、やはり理解をしていただくのが大変なんだということでの実態も出てきています。ということは、判事として裁く方が、専門的な知識をお持ちにならないと困るということなんです。そういうものをカバーできるようなシステム、これは業界専門ごとにADRというものもありますので、そちらとの位置づけなどというところを考えていたたければと思います。

 すみません。私も時間を取ってしまいまして、大急ぎでやります。

 第2番目には、裁判の期間がどうしても長期にわたりまして、被告人になった消費者が出られないという事態がたくさん出てきております。そのためにあきらめるということがないように、短期間での集中ということをお願いをしたいと思います。

 ということは、判事さんとか、弁護士さんとか、法曹関係に携わる方が、大幅に増える必要があるのではないかということなんです。予算的にも増やさないと無理でしょうということもありますので、その辺はほかの方もおっしゃいました。

 第3番目には、先ほど申し上げましたが、地方において過疎地、過疎地には公設の事務所のような形で弁護士さんのおられる場所をつくっていただきたい。みんな平等に裁判を受けられる権利はあるんですから。

 第4番目には、今すぐに裁判関係の人を増やしたり、規模を変えたりという形は難しいかと思います。その過程の中で、もう一つ、民間のADR、裁判外の紛争処理機関というものをもう少し位置づけをされて、そして、一般的に利用できる形にしていただければ、紛争解決のためには、役に立つのではないかと思っています。

 オーバーしまして済みません。ありがとうございました。(拍手)

○事務局長 ありがとうございました。
 それでは、次に庄尚子さんにお願いいたします。

○庄氏 札幌市内でフリーアナウンサーをしております庄尚子と申します。

 私が初めて法廷に足を踏み入れたのは、大学卒業後入社した民放の記者としてでした。殺人事件の1回目の公判でした。それまで私は特に裁判に関心があったわけでもなく、被告として法廷に出るようなことは、多分これから先の人生もないだろうから、多分、一生裁判所とは縁のない生活を送るだろうと思っていました。

 初めて法廷に入り記者席に着いたときには、今思い出していも緊張感がよみがえるくらいにかちかちに緊張して肩に力が入っていました。

 すべてを見逃すまい、聞き逃すまいと必死でした。物すごい勢いでメモを取りました。それくらい必死になっても、裁判の内容はさっぱりわかりませんでした。私の勉強不足、経験不足だと思いました。何度も法廷に通いましたが、余り理解できないまま裁判が進んでいきました。そのときふとこの裁判の当事者である被告人や被害者の御遺族には、裁判の内容はわかっているのだろうかと疑問を持ちました。その後、被害者の御遺族にお話を伺う機会がありました。何があったのか、なぜ殺されなければならなかったのか、それを知りたいのに何もわからない。だれのための、何のための裁判なんでしょうとおっしゃっていました。このだれのための、何のための裁判なんでしょう。この言葉を忘れることはありませんでした。

 その後、札幌弁護士会の市民モニターに参加したり、札幌市民オンブズマンや当番弁護士制度を支える市民の会の活動を通じて、市民の立場で裁判を見続けてきました。

 更に私自身が交通事故に遭って、原告として普通の民事事件の手続に携った経験もあります。

 このように、いろいろな立場からさまざまな裁判を見てきて感じたこと、それは手続の専門性を盾に、あたかも普通の市民を拒否しているかのような裁判のやり方と、それに乗っかっている裁判所と弁護士という存在でした。特に裁判官は市民が裁判所に対してどういうイメージを持っていると思っているのでしょうか。見学や傍聴ではなく、自分が当事者となって裁判所に足を踏み入れるということが、市民にとってどれだけ大変なことか。どれだけ恐ろしくていやなことか。足を踏み入れたくない。関わりたくない。でも、裁判を起こさざるを得なかった。そういった感覚を裁判所は全く理解していないのではないかと感じました。

 司法は市民にとって身近ではなく、利用しやすくもやさしくもありませんでした。今私は司法試験を受けてみようかと考えています。私が今まで司法に対して感じてきたことや、私の社会人としての経験を生かし、昨今言われているような市民の立場に立つ弁護士より、更に一歩進んで、普通の市民のままの弁護士になれるのではないか。そう思っています。とは言え、司法試験は合格率が3%程度の日本で最難関の試験であることは承知しています。法学部出身ではなく、法律に関しては全くの素人である私が合格する可能性は極めて低いでしょう。しかし、たとえ合格することができなくても、司法試験を目指すこと、受験することによって見えてくるものがあるはずだと思っています。

 少なくとも現在の司法試験は、私のように法学部出身ではなくても、人生を遠回りした者でも受験することができます。スタートラインに立つことができるわけです。そんなふうに考え始めたころ、ロースクールができるかもしれないということを知りました。ロースクールという言葉を聞いたときに、以前見たアメリカのテレビドラマを思い出しました。40代後半とおぼしき新人の女性弁護士の、私は働きながら夜間のロースクールで勉強したのよという言葉がありました。日本でもロースクールができたら、私のような社会人も司法試験に合格しやすくなるかもしれない。今、司法試験の勉強を始めるよりも、ロースクールができるのを待って入学した方が近道なのではないか、そんなふうに考えました。

 しかし、今考えられている日本のロースクールはどんな形態のものなのでしょう。自宅から通学できるところにロースクールはできるのでしょうか。仕事をしながら学ぶことができる夜間のロースクールや、通学することが難しい人のための通信制のロースクールはできるのでしょうか。それ以前に、法学部出身ではない人や、社会人は入学することができるのでしょうか。学費はどれくらい掛かるのだろう、何年制だろう、次々と疑問がわいてきました。

 私は以前大学病院の医局で秘書をしていたことがあります。そのときに必要性を感じて臨床心理士の資格を取りたいと思ったことがありました。ところが、臨床心理士の受験資格には、心理学関連の大学院終了、もしくは実務経験者という条件があり断念しました。大学院入試の勉強をして、仕事をしながら大学院へ通うとなると、終了は何年先になるかわかりません。私立大学の大学院となれば、学費もかなりのものになります。結局、養成講座を終了すれば受験することができる産業カウンセラーの資格を取得しました。今でも臨床心理士をあきらめざるを得なかったことは大変残念です。

 ロースクールに関しても、私は同じ判断をしなければならないと思います。ロースクール終了が司法試験受験の資格ということになれば、私はスタートラインに着くことすらできなくなってしまいます。

 現行の司法試験の最大の問題点は何なんでしょう。一発勝負の試験はそんなに問題でしょうか。競争が激しいのは、優れた人材を選抜することにはならないのでしょうか。パターン化した答案が問題ならば、司法試験の出題方法や採点方法を改善することによって解決できないのでしょうか。

 法曹として活躍するために必要な能力はロースクール以外では決して身に付かないのでしょうか。

 このままロースクールが導入されれば、数年後には新人の裁判官、検察官、弁護士はほぼ同じ年齢で、ほとんどが社会経験がなく、法律の勉強ばかりしてきた人たちだけになってしまうのではないでしょうか。

 今でも司法関係者、特に裁判官は世間知らずだと言われています。ロースクールがそれを一層助長するようなシステムになってほしくありません。現在の司法試験の制度がベストだとは思いません。しかし、多様な人材を排除することなく、すべての人に公平にチャンスが与えられる現行の制度の良さを生かした司法試験改革を望みます。

 さて、私は今まで弁護士といろいろな場面でお話ししてきました。その中で学閥や派閥の存在を感じたことは一度もありません。私が学んだ理学部も、働いたことがある医学部も、激烈と言っていいような学閥、派閥、系列社会でした。ですから、この弁護士の世界の学閥や派閥がない、これは私にとってちょっと驚きと言うか、新鮮な感じがしました。そう言えば私たちは、お医者さんがどこの大学を卒業したか、この病院はどこの医局の系列かは結構気にしますが、弁護士の学歴にこだわることはほとんどないと言ってよいでしょう。

 今のところ弁護士に関しては、学力については一定の信頼ができます。お医者さんに関しては、出身大学によって結構な学力差があるかもしれないと感じているからかもしれません。

 難関大学出身のお医者さんイコール優秀なお医者さん、ではないとはわかっていても、少しでも優秀、頭がよさそうな人にお願いしたいというのが人情ではないでしょうか。ただ、お医者さん選びに関しては、それだけで判断するということはありません。口コミという強力な情報があります。あの先生は丁寧に診察してくれる。あるいは、ろくに診察もせずに山のように薬を出す。そんな情報を基に判断することができます。

 ロースクールが導入された後の弁護士選びはどうでしょうか。ロースクールの入試の難しさには差があるようだ。しかし、ロースクールを卒業した人の大半は司法試験に合格しているということは、以前に比べて司法試験の合格者に能力差があるのではないか。お医者さんと違って、弁護士に関する口コミ情報は全くと言っていいほど存在しません。私は今後も弁護士に関する口コミ情報は出てこないと思います。

 なぜなら、市民には弁護士の悪口なんか言ったら、名誉毀損で訴えられかねない。知らんぷりしているのが無難だという気持ちがあるからです。

 お医者さんと違って口コミ情報もなく、ほかに判断する物差しがないのならば、どこのロースクール出身かで弁護士を選ぶ可能性が出てくるのではないでしょうか。

 更に、あの弁護士は超有名ロースクール出身だから、依頼しても受けてもらえないんじゃないだろうか。また、あの弁護士は高そうだ。そんなことを考えているうちに、だれに頼んだらいいのかわからない。そうなってしまって、ますます弁護士の敷居が高くなってしまうのではないでしょうか。

 それでは、法曹養成、一体どうすればいいのか。そう言われても、私には具体的な考えはほとんどありません。ただ、ロースクール導入の目的の一つが、幅広い教養を養うということと、社会性を持った法曹養成ということにあるとすれば、それらは実生活で生活することによっても、十分に養われるのではないでしょうか。むしろ実生活でこそ養われるのではないでしょうか。例えば現在、受験3回目までの人に与えられている優先枠を、職業経験3年、もしくは5年以上の人にも与えるというのはどうでしょうか。これによって勉強ばかりしていて世間知らずの人しか合格しないということは少なくなるのではないでしょうか。

 最後にもう一度、多様な人材を排除することなく、すべての人に公正なチャンスが与えられる現行の制度の良さを生かした司法試験改革をお願いいたします。(拍手)

○事務局長 どうもありがとうございました。
 それでは、随分お待たせいたしましたが、最後に西谷博明さんにお願いいたします。よろしくお願いします。

○西谷氏 どうも皆さんこんにちは。私は北海道中小企業家同友会という中小企業経営者の団体の経営政策局長を務めております。

 同友会は今、全道145市町村に約5,200社の会員がおります。人材の確保と育成、そして学び合い活動を中心に活動している団体でございます。

 私どもの会と司法との関わりについて最初にお話を申し上げますけれども、1つは、同友会は経営者大学とか同友会大学とか、そういう大学がございます。そういう中で地方自治制度だとか、憲法だとか、民事訴訟法だとか、欧米の司法制度ということを勉強してまいりました。それが1つです。

 2つ目は、同友会の会員にたくさんの弁護士さんに入っていただいて、そして中小企業の実態や中小企業の悩み、苦しみを理解してもらい、また、中小企業の経営者が気軽に弁護士に相談できる。そんな体制をつくろうということで進めてまいりました。同友会ができて30年になりますけれども、ようやく弁護士さんが経営者にとっても身近な存在になりましたし、弁護士さんも、法律でこうだよという冷たい対応ではなくて、中小企業の経営者の悩みや苦しみを理解をしていただいて温く対応できる、そんな関係ができてきたように思います。

 第3番目は、私どもは経営相談活動をやっております。そういう中でいろいろな司法に関する問題、疑問が出ております。そういう関わりを踏まえて、私は3点にわたってお話をさせていただきたいと思います。

 第1は、裁判官と裁判の在り方の問題でございます。

 これは私の偏見かもしれませんけれども、日本の裁判官というのは、庶民の暮らしにそまらず、庶民とは別の世界で六法とともに暮らし、近づき難い特別の存在である。こんなふうに思っておりました。幸いなことと言いますか、残念ながらと言いますか、実際に裁判官と直接話し合ったり交流する機会がなかったものですから、そんなふうに思っていたわけです。

 ところが、昨年『日独裁判官物語』というノンフィクション映画を見る機会がございました。この映画を見ておりまして、私の裁判官に対するイメージというのは、当たらずとも遠からず、そんな思いがしたわけでございます。

 なぜかと言いますと、ドイツの裁判官というのは、地域住民の一人としてさまざまな活動に参加をし、地域の人々の苦しみや喜びを直視している。法の精神と自己の良心に従って、市民の権利を守るという姿勢で裁判に当たっている。非常に気さくで話しやすいという、そんな雰囲気を醸し出しているんだなということを感じました。

 また、法廷の裁判官席の問題ですけれども、日本のように一段被告席より高いところにあるということではなくて、被告席と同じ高さにあって、対等な立場でお互いに意見を聞き、そして考えましょうと、そんな裁判所の雰囲気でした。

 また、移動裁判所というのがありまして、例えば市の庁舎を借りて、そこが裁判所に早変わりをして、裁判が進められる。そんな場面もございました。

 その辺でこの日本の裁判官というのは、ドイツの裁判官と比べますと、庶民の暮らしから大変遊離をしているんじゃないか、そんな思いを強くしたわけでございます。

 しかも、日本の裁判官の人事権が最高裁にあると。当然人事権が最高裁にあるということは、どうしても裁判官が最高裁の方に目を向きがちと言いますか、そんな形になるんだろうと思います。市民の方に目を向けるのではなくて、人事権のある最高裁の方に向きがちになる。そんなふうな状況になるのではないかと思います。

 したがいまして、主権者である国民のチェックも受けることもない。国民の裁判に対する信頼や、関心を高めていくためには、このようなところが改革をしていくことが大事ではないかと思います。

 私どもの実感として感じることは、裁判官に限らず、すべての人ということではございませんけれども、公的な資格を得て独自の世界で仕事をしている公務員とか医師、教師とか、そういう人たちと私ども中小企業で働く従業員、経営者、そういう方々の感覚、価値観と随分違うな、こんなにも違うものかということを感じることが随分ございます。

 そういう意味では、これから裁判官もそういう庶民の、それから中小企業の経営者の悩みや苦しみ、そういうものをきちっと受け止めて裁判をやっていただけるような仕組みに変えていくことが大事ではないかなと思っているわけです。

 ですから、裁判官が司法試験を通ってそのまま裁判官になるということではなくて、例えば弁護士を十数年経験をして、中小企業や庶民の苦しみ、喜び、悩みをよく知った人たちが、この市民も参加する審査委員会等で選出をされて、そしてまたチェックを受ける。あたたかい裁判ができる。そして身近になるということが大事ではないかと思います。

 また、司法を市民に身近なものにするためにも、そしてまた、冤罪を防ぐためにも、裁判に市民が参加する陪審制や参審制を採用して、基本的人権に配慮しつつ、今裁判はマスコミに公開されていないようですけれども、テレビも入っていいと。ただし、被告の人権に配慮しながら国民にもっと開かれた裁判にしていくということも大事ではないか。そうすることによって、裁判に対する関心が高まってくるのではないかというふうに思います。第2の問題提起でございますけれども、行政に対する市民のチェック機能を強化するという問題です。

 私どものある会合で経営者がおっしゃっておりましたけれども、こんな事例がございました。例えば老人ホームの検査に来た保健所の担当官から、トイレの前だけではなくて、調理室の前にも手洗所を設けて欲しいと。それでなければ許可できませんと言われたということで、60万という多額のお金を掛けて建物が完成した後手洗所を設置したわけです。ところが、翌年また検査に来ました別の担当官が見まして、どうして2か所も手洗所をつくったのか。1か所でいいんですよと言うんです。一体どうなっているんだろうか。

 また、こういう例もありました。店舗が完成をして、消防署から査察が入りました。そのときには何も指摘されなかったわけですけれども、1年後に消防署から違う担当官が査察にお見えになりまして、検査をしました。そうしましたら、非常口という表示の位置が低過ぎる。もっと高くしなければならない。こんなふうに言われたということなんです。

 そうしますと、法律とは何なのか。担当官が法律という状況がまかり通っているんじゃないか。一体こういう状況でいいんだろうかという話が次々と出されました。

 しかし、ドイツの状況を見てみますと、行政決定に不服がある、そういうことを書いた手紙を出す、それだけで訴状として受け付けられて裁判の審理が始まる。我が国のように、原告適格がないとか、訴えの利益がないとか、そんな形で門前払いされることがないということを伺っております。我が国にもそういう制度というのが非常に求められているんじゃないか。公務員の皆さんが公僕として本来の役割を果たすためにも、市民が行政をチェックし、市民や中小企業等の法人が正当な利益を守れるように行政事件訴訟法を改正するとか、行政不服審査機能を充実をするとか、そんな形で改正をしていくことが大事ではないかと思います。

 第3番目は、長過ぎる裁判、弁護士、司法過疎を解決する方策を講じて欲しいという問題です。実際に経営者の皆さんの声を聞きますと、和議法による結審が3年経っても行われない。債権の処理に困る。一体どうしたらいいのか、そんな話も出てきております。

 また、稚内とか、岩内とか、そういう地域の人たちからは、近くに弁護士がいない。そういう状況を何とかしてほしい、そういう声が出てきております。

 先ほどから出ておりますように、ちなみに北海道は地方裁判所の支部が16あるそうですが、弁護士がゼロの地裁の支部は8か所ある。半分が弁護士不在という状況になっております。これらの問題を解決するためにどうしたらいいのかということを私なりに考えてみました。

 ただ、弁護士を増やせばいいのか。裁判所を増やせばいいのかということもあると思います。しかし、弁護士をただ増やすだけでは、弁護士の過疎は解決をしないと思います。弁護士にも生活が掛かっておりますので、最近士族(サムライゾク)と言われる弁護士さんや税理士さん、札幌でも随分増えてきております。競争が大変激化しておりまして、経営もなかなか成り立たない、そんな状況も出てきておりますから、経営の問題や生活の問題も考えなければなりません。そういう意味では、弁護士の過疎地域に公費で相談センターみたいなものをつくっていくとか、そんなことも大事になってくるんじゃないかと思いますし、また、ドイツのように移動裁判所みたいなものを設けて、それぞれの原告、または被告の近いところで裁判ができるような、そういう仕組みも大事ではないかというふうに思います。

 最後に誤解のないように申し上げておきたいと思いますけれども、この司法過疎や弁護士過疎を解決する、その基本的な視点とは何なのかということでございますけれども、弁護士がたくさん増えて、競争が激化をして、当座の生活に困るということで大局的な考え方を忘れて当面の経営の維持になってしまうような弁護士が増えてもらっても困るわけです。基本的な人権の擁護と社会正義の実現という、弁護士の社会的な役割がきちっと保証される、そういう状況の中で弁護士を増やしてほしいと思いますし、裁判官も増やしてほしい。そんなふうに思います。

 今回の司法制度改革というのは、21世紀の日本を左右する極めて重大なものだと認識をしております。委員の皆様の慎重な御審議を御期待し、以上をもちまして、意見発表を終わらせていただきます。

 どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)

5.公述人への委員からの質問

○事務局長 どうもありがとうございました。6名の公述人の方々からは貴重な御意見を拝聴させていただきました。
 それでは、これから最初に申し上げましたように、委員の方からの質問を公述人の方に受けていただきたいと思います。委員の方、どなたでも結構ですが、どなたに対して御質問なさるのかをおっしゃってから御質問していただければと思います。質問する方もお答えになる方も、そのままお座りになったままで、手元のマイクをお使いくださればと思います。

○山本委員 お若い金澤さんに質問させていただきたいと思います。
 非常にフレッシュで好感が持てました。非常に足が地についたいい体験をしながら、非常に建設的な御提案をいただけたと思います。私も何十年か前に法学部の学生だったことがありますが、とても金澤さんのように、きちんとした意見をこういうところで堂々と言う、そんな能力はなかったわけで、非常に感銘を受けたところでございます。
 金澤さんが述べられた中に、簡易裁判所の処理の問題を言われたわけでございますが、確かに簡易裁判所の場合は、金額が小さいとは言いながら、昨今の経済状況から非常に係属件数が多くなっていると伺っておりますし、それから本人訴訟と言いますか、弁護士さんが付かないケースが非常に多いということで、これは後に渋谷さんの方からも、非常にビビッドな情景が説得力を持って我々に語られたわけでございますが、いずれにしても、お二方が御提言されているように、司法の容量は非常に大きくする必要がある。それから、いろんな面で利用者の目線を十分汲んだ、言ってみれば庶民感覚の司法にしていく必要があると、全く御提言のとおりだと思いますが、当面の問題といたしまして、隣接職種と言いますか、司法書士の方々がかなりこういったところにいろいろと御助力をされていると伺っておりますけれども、その辺、金澤さんの体験の中からそういった面を感じられたことはなかったかどうかということをお伺いしたい。
 それから、金澤さんは今法学部の学生さんでいらっしゃいますけれども、後の方で庄さんの方から、ロースクールの問題についていろいろと御意見をいただきましたが、金澤さんは実際の法学部の学生として学校で授業を受けられているわけですけれども、現在の法学部のカリキュラムと言いますか、授業の内容とかいった点に何か御意見があればお伺いしたい、以上2点質問したいと思います。

○金澤氏 最初から来るとは思わなかったんで、ちょっと困ってしまいました。
 まず、いわゆる規制緩和の話についてなんです。これは弁護士法の72条とか、そういう関係のお話ですね。
 その点についてなんですけれども、私は去年弁護士会のモニターを経験して、弁護士さんのお話をお聞きして、そういうお話を聞いたんですが、個人的には本人訴訟の問題を考えたときに、実際司法書士の方が法廷の中に入ることはできなくて、傍聴席から声を大きくして、こうすればいいんだよとかいう実態がありますね。そういったことを考えれば、司法制度改革の2つの考え方、いわゆる日弁連から出ている司法改革、それから経済界から出ている改革で、経済界の方は余りいい印象を受けないようですが、個人的には経済界といいますか、そういった規制緩和といったものは別にいいんじゃないかなと私は思います。本当に国民の権利というか、そういうものを守るんであれば、簡易裁判所の司法書士の問題に関しては、認めてもいいんじゃないかなと思っております。
 もう一つ、ロースクールの方なんですけれども、これは本当に賛否両論ありまして、どう申し上げればいいのかよくわからないんですけれども、一学生として述べるのであれば、ほとんどの学生が、早ければ1年生の段階からですけれども、予備校に通うといった状況でダブルスクールという感じで、学校の授業に出ないで予備校の方へ行って、大阪の公聴会のお話でもありましたように論点学習といった方向に進んでいる。そういうことを考えたんであれば、ロースクールというのもいいんじゃないかと思うんてす。
 ただ、ロースクールがこれから司法制度改革審議会の方でどのようなものにするかといった議論がなされると思うんですが、結局は内容によってしまうんですね。ですから、これからどういう方々を講師に招くとかいった議論がいろいろ発展することを司法制度改革審議会に望んで質問の答えとさせていただきたいと思います。

○山本委員 一番最初に質問して申し訳ありません。非常に立派な回答をいただきましてありがとうございました。

○事務局長 ありがとうございました。よろしいですか。ほかに委員の方から御質問はありませんか。

○井上委員 井上と申します。今日はいろんな角度から、いろいろ教えていただきまして、すごく感銘を受けました。私は、司法制度改革審議会で、今、話題に出ましたロースクール、法科大学院という仮訳を当てておりますけれども、その関係の問題のレポーターとして、いろんな立場からいろんな意見が出されているのを論点として整理をして、議論の材料にしていただくという立場で報告させていただいたものですから、特に庄さんにお話を伺いたいというより、ある意味で私どもの情報の公開と言いますか、御説明が不十分だったかなと思うところについて、説明をさせていただきたいと存じます。
 私どもは、御存じかもしれませんけれども、数回この問題について議論をしておりまして、後で申しますような観点から、今の段階で考えられる策として、法科大学院というのは有力な一つの方策ではないかという考えを委員の皆さんがお持ちになったんですけれども、ただ、今おっしゃってくださったように、中身がどういうものになるのかによって大きく違ってくるだろうということで、その中身について現在出ているいろいろな案を技術的あるいは専門的な角度から整理をしていただいて、具体的にはこういうことが考えられるだろうというものを出していただいて、それを基に更に議論をしよう、その上で、こういう内容だったらこれは適しないんじゃないかということもあり得るということで、更に審議を進めるために検討していただこうということで、現在、事務方としては文部省なんですけれども、そちらの方で少し案を出してくださいとお願いしました。別にそこで決めてくださいということではなくて、そういう検討をお願いしているということです。
 それについては、丸投げではないかという御批判もいただいたんですが、私どもとしては決してそういうふうには思っていませんで、もし丸投げであれば無責任極まりないことになりますので、私どもとしては、そこまでの議論で、これからの法曹養成制度についてこういうものであってほしいという点で大方の一致をみたところを、「基本的考え方」ということでまとめさせていただいて、それを踏まえて、どういう案が考えられるか検討していただきたいというお願いをしたところなのです。
 その「基本的考え方」というのは、恐らく私どもの不手際で十分御承知いただいていないかと思うんですが、幾つかの法律雑誌に既に発表させていただいていますし、また、我々の審議会のホームページに載せておりますので、是非それを御参照いただきたいと思うんですが、その中では、まさに庄さんがおっしゃっていただいたような点、我々も非常に懸念をするというか、むしろ強く希望するということで、そういうことを踏まえた案にしてくださいということは、我々としては申しているつもりですし、また、今後の審議に当たっては、それは基本的な考え方としてずっと取っていきたいというふうに思っています。これは私だけの理解かもしれませんけれども、恐らく他の委員の皆さんも共通した考え方だと思うんです。
 その「基本的考え方」に盛り込まれたことと言いますのは、一番に我々が考えないといけないのは、司法制度を利用者の方々に利用しやすい、また、有効なサービスを提供できるようなものにしていく、法曹もそういうものであるべきだろうということから出発をしていまして、特に今後、複雑化・多様化していく社会の中で、さっきいろんな方々からおっしゃっていただきましたけれども、一市民と言いますか、一個人として身を守らないといけない、また、権利を主張していかないといけない。それをしっかり助けられるような法曹であってほしい、これが一番の基本だと思うんです。他方でグローバリゼーションという言葉がはやっていますけれども、国際的な競争だとか、交流だとか、そういうところにも通用するような法曹もつくっていかないといけない。これは同じ人が両方を兼ねるということでなくてもいいと思うんですが、むしろ機能分化をしないといけないんでしょうが、その両方の面で、やはり専門のプロフェッションとして、学識があり、また技能にも富んでいると同時に、視野も幅広く、社会に根差した法曹であってほしいと。
 そういう意味では、視野も広くて、足腰も強い法曹を、かなりの数、養成していかないといけない。数だけ増やせばいいというものではなくて、質を伴いながら相当数、法曹を養成していかないといけない。そういう大きな目標から見て、今の法曹養成制度というのが、果たして十分なものかどうかということが我々の出発点だったわけです。
 さっきお話に出ましたように、司法試験は非常に激烈な試験でして、これは今、選抜の方式として全く不適切だというふうには私自身は思っていません。今の制度と受験者を前提にした場合には、比較的勤勉で真面目な方が合格しており、司法修習という訓練を経て、適格のある法曹となられている。多くの方はそうだろうと思うんですけれども、私、司法試験委員もやっているんですが、そのときの印象では、試験にいかに効率的に通るかということで、試験だけを目標にして勉強されているという印象が、答案などを読むと非常に強いんです。現在、その傾向がますます強くなってきているんじゃないか。それで果たして今後要請されるような、理想的と言うか、望ましいあるいは必要とされる法曹として十分なんだろうかという危惧感、懸念をすごく強く持つようになっています。
 それは社会経験だとか、幅広い視野という意味でもそうなんですけれども、最低限必要な法律的な素養についても、果たしてこれで十分なんだろうか、このままいったら大丈夫だろうか。そこでやはり司法試験というものの呪縛から解放されるということはないかもしれませんけれども、それだけを目的にした勉強ではなくて、一定期間、深くあるいは幅広い視野から勉強して、また、今ある判例とか法制度というものをただ杓子定規に当てはめていくということではなくて、やはり生の問題の中から法的な論点を発見して、新たな解決を見つけていくということが、これからはますます要請されるんじゃないか。そういうことを一定期間かけて勉強する、あるいはお互いに討論することによって身に付けていくということがどうしても必要なんじゃないかということで、これは別にロースクールでなくてもかまわないと思うんですが、試験の前にそういうプロセスを踏まえるということが非常に必要なんじゃないかという点で、大体一致しているのではないかと思うんです。
 その際に、庄さんがおっしゃったように、バック・グラウンドが多様な方々が法曹になっていただくということがむしろ必要なことじゃないか。そういう意味で、この制度設計に当たっても、公平で解放的なものにして、多様なバック・グラウンドの人が入ってこられるようにするということを是非お願いしたいということで「基本的考え方」に盛り込み、強調しているわけです。
 すみません。大学人というのは講義をしている調子になってしまいまして。
 そういうことで、我々としては、社会に出られた、あるいはいろんなハンディキャップを負って、法学部の教育を受けられなかった方がむしろ、そういう素養を身に付けやすい制度にしていただきたい、そういう意味で公平で開放的で多様なものにしていただきたいということを申し上げておりますから、是非ホームページを御覧いただき、また、御意見をいただければと思います。
 長くなりましてすみません。

○庄氏 申し訳ございません。雑誌とかホームページでは、議事録を拝見しております。今後もいろいろ見せていただいて、勉強させていただきたいと思っております。

○事務局長 どうもありがとうございました。委員の方からは、できるだけ質問をお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。

○髙木委員 お三方から、いわゆる司法過疎、特に弁護士さんのゼロあるいはワンの問題が提起されました。これが問題であることは皆さんも共通の認識として持っておられると思うんですが、それぞれの地域としての努力がないと、仕組み論だけではないと私は思っておりまして、先ほど金澤さんには山本委員が御質問されたんで、渋谷さんと西谷さんに、それぞれの地域に住む者として、そういう問題をどう解決していくのか、それについて地域の努力として何をすべきか、お考えがあったらお聞かせいただきたいと思います。

○事務局長 では、渋谷さんの方からお願いします。

○渋谷氏 弁護士さんに相談する窓口自体がないと、まずは弁護士さんに頼むということを思い付かないという部分があるんだろうなと思いますので、地域としては、まずは相談窓口を設けていただくような形で、これは行政のようなところがやってくださればいいなと。そこが、弁護士さんに頼めるような内容ですよという形をまずは紹介していただければ地域としては一番うまくいくのでないか。その上で弁護士さんに対してのお申し出ということを、本当に地元にいらっしゃる弁護士さんということで、弁護士さんがすべての面に強いとは限らないわけです。そうすると、こういう問題に関して本当に地元の弁護士さんが詳しいのかということで不安をお持ちになる部分もありますので、地域の中で一つの、先ほど公設と申し上げましたけれども、輪番制と言うんでしょうか、そういう形で真ん中の札幌辺りから行って、何曜日は何系統の何先生というような形のものが開かれる。それを曜日だけではなくて常設の形で持つ。いきなりそこへ持っていくと集まって大変でしょうから、行政が協力をして、紹介をして、実質的にそこにいらした方を受けると。もし、件数がないのにそこに座っているのはちょっとという話もあるでしょうから、真ん中の札幌に事務所的なところ、弁護士会の真ん中のところで、電話という形でお受けになって、そしてそこへ定期的に出ていくという形でもいいのではないかなと思いますけれども、地域の人が直接自分のために来ていただくということだけでお金が掛かってしまって、二の足を踏むという部分が非常にありますので、そこまでの部分を行政なり弁護士会なりがしていただけたら、頼むということについてもできるのではないかと思います。

○事務局長 ありがとうございました。では、西谷さん。

○西谷氏 私ども経営者の団体なものですから、過疎地の問題、例えば稚内という北海道最北端の市があります。ここには弁護士はゼロなんですけれども、果たしてここで弁護士が開業して、事務所を維持していけるかという経営的観点で見ますと、恐らく不可能だと思います。ですから、弁護士過疎の問題は、その地域に弁護士が常時駐在をするという状況にはなってこないだろうと。というのは、そこにいましても恐らく商売になりません。ということは弁護士の暮らしが成り立たないということだろうと思いますので、そうではなくて、公的な制度と言いますか、常時相談できるような体制を、国なり地方自治体なり弁護士会等が、協力してつくっていくという形が一番ふさわしいのかと私は思います。ですから、相談日1週間に1回あるよということだけではなくて、できればいつでもそこに順番で弁護士さんがいらっしゃる。地方自治体の方もいろいろな努力をされて、地域住民の人たちもこんな相談をしたいんだということを上げるような体制を取りながら、そういうシステムをつくっていくと言いますか、その辺のところが大事なんじゃないかと思います。
 ただ、弁護士を増やすだけでは問題解決をしないので、弁護士の事務所が維持でき、かつ地域住民の皆さんが不便を感じないという両面をきちっと考えていかなきゃならないのではないか、そんなふうに考えています。

○事務局長 髙木委員、よろしゅうございますか。

○髙木委員 どうもありがとうございました。

○事務局長 では、竹下代理。

○竹下会長代理 私は何人かの方が触れられました、いわゆる法曹一元の問題について質問させていただきたいと思います。時間の関係で大河内さんにお答えをお願いしたいと思います。
 法曹一元の問題、何人かの方がその実現が望ましいのではないかと言われました。法曹一元の問題というのはこれまで、キャリアの裁判官か弁護士出身の裁判官かという形で議論をなされてきているように思います。しかし、真の問題は、21世紀の我が国の司法を支えるのにふさわしい資質を持つ裁判官をどうやったら選任できるかという問題だと思います。今日いろいろな方から御指摘がございましたように、確かにそれぞれの御指摘は、御自分の経験を踏まえてなさったわけですから、そのとおりだと思うんですけれども、お話を伺っていても、どうも市民感覚に欠けるのではないか、あるいは人間的なあたたかさに乏しいのではないかと思われるような裁判官が残念ながらおられるようでございます。現在は、基本的にはいわゆるキャリア・システムというもので、司法研修所終了直後から裁判官として裁判所部内で養成されるというシステムが取られておりますが、そのキャリア・システムにはどうも疑問がある。それでは、それとは別のシステムとして、弁護士出身の裁判官ということになると思うんですけれども、本来の問題から言いますと、裁判官に要求される資質、これは当然のことというふうに我々は考えているわけですけれども、勿論、裁判官は法律の専門家ですから、何といっても法律的な専門性のレベルの高い人でなければいけないし、日本の裁判官は長い間、非常に公正でありまた廉直であるということについて国際的な評価も非常に高かったわけでございます。2年ばかり前に読売新聞がやりました全国的な調査でも、80数%の方が、法律家のうち、国民の間で信頼度の高いのは裁判官であると答えているということもございます。
 しかし、そのキャリア制度には、今申しましたような、また、御指摘を受けたような難点もある。しかし、一方で弁護士出身の方が裁判官になったら、庶民感覚も身に付け、人間的なあたたかみのある裁判官が選べるかという問題も、もう一方で考えないといけないのではないかと思います。
 御承知の方も多いと思いますけれども、現在の法律制度上は弁護士から裁判官になることは可能でありまして、特に、7年か8年くらい前に最高裁判所と日本弁護士連合会とで協定を結んで、弁護士会の推薦する方は、裁判所としては積極的に裁判官になっていただきましょう、勤務地などについてもそれ相応の配慮をいたしましょうということになりました。しかし、この8年程の経験では、実際に弁護士から裁判官になられた方は40人程度という現実があるわけでございます。
 そうすると、弁護士から裁判官になっていただくのがいいと言っているときは、勿論、弁護士としても非常に優れた人望のある方に裁判官になっていただきたいと考えるわけでございますけれども、果たしてそういうふうになるのだろうかということも考えないといけないのではないかと思います。
 かと言って、私自身は、キャリア・システムをこのまま維持するのをよしとし、いわゆる法曹一元制度に反対だ、と考えているわけではないのですけれども、この問題を考えていくときに、多面的な検討が必要なのではないかと考えております。そういうふうなことについて、大河内さんはどのようにお考えでしょうか。

○大河内氏 私は法律の専門家ではございませんので、なかなか難しい問題で、これは審議委員の方にも考えていただかないといけない課題だろうというふうに思います。
 ただ、10年間くらいの経験がある弁護士さんを、という考え方は一つあるだろうと。それが10年以上と限るか限らないか。あるいは、5年以上、6年以上というふうに下げるかと。それでも世間一般的に市民が評価した場合に優れた弁護士さんであること。勿論、本人の承諾が必要でしょうけれども。そういう形の全体的ないろんな評価、そういう方法によって、法律家ということからいけば、裁判官以外で求めるとすれば、やはり弁護士さんが適当であろうというのが一つの考え方です。
 ただ、問題なのは、そのときにそれぞれの弁護士会で推薦をするという形になるんだろうとは思います。ただ、弁護士さんに関しては、市民が全く知らないと言えば知らない部分もありますが、医者のように口コミがないという問題はあるかもしれませんが、最近では多少の口コミがある。弁護士さんが少ないところでは、いろんな訴訟の中でぼやき、恨み、いろんなものが結構あって、オンブズマンをやっていますと、いい弁護士さんを紹介してくれ、どうも弁護士さんが信用ができない、という問題も実際に出てきている。
 そういうことから考えますと、もう一つは、市民組織の中で、市民レベルで、それなりの学識経験、あるいはそういう人物をある程度評価できるような経験者、そういう形の一般市民の方たちの組織ができて、そこで情報をいろいろ集めて、そして推薦をしていくと。弁護士会からだけではなくて、ということも考えてみる必要があるだろうと。
 これは本を読んだ経験からもあるんですが、例えば個々にやられている弁護士さんが、もう一つ大きな弁護士合同事務所をつくって、そこで弁護士さんが1人ではなくて、いろいろな分野、刑事が得意だ、あるいは民事が得意だ、そういう形の専門家の弁護士さんが何人か集まっている、少し大きな法律事務所。そうしませんと、1人の方がすぐ裁判所の方に入ってしまうという形になった場合には個人的にも困る問題がありますから、そういう一つの大きな法律事務所があって、その中から1人出るのならば問題はそう起きないだろうと。それもずっとということではなくて、当然の間と考えられているんだと思うんですが、何年間か裁判所へ出向するというか、身分保証された形で何年か行って戻ってくるというような方法も考えてはいいのではないかというふうに思います。私が住民訴訟をしたとき、弁護士さんが全然つかないで、自分でやってみましたけれども、いろんな意味で裁判官のほとんどの方は国民に信頼されているというふうには思うんですが、いずれにしても、原告が主張をなかなか言うにも言いずらい、聞いてももらえない形で進められていっているという現状からいけば、やはり私はいろんな社会経験や教養や知性、それから世の中のいろんなことがわかっているという人たちが、裁判所の中に入っていくんだという形が考えられてしかるべきだと実感しております。

○事務局長 ありがとうございました。

○吉岡委員 今まではどうも質問する側が意見をたっぷりと言ってしまっておりますが、実は私も意見をたっぷりと言いたいんです。というのは、ここに参加しているメンバーそれぞれに一生懸命司法制度改革について考え、勉強しておりますので、私はこう考えるということを言いたいんですけれども、それを言いますと、また時間が伸びると思いますので、そこのところはいろいろ意見はあるけれども、省略させていただきます。
 今までに質問の対象にならなかったというか、お1人だけ残っていらっしゃるのが小室さんでいらっしゃいますが、ほかの方からも御意見が出ていた問題なんですけれども、陪・参審ということでひとくくりにして御意見が出ていたと思います。
 それから、渋谷さんからは、消費者の立場で判断できる人という、そういうような表現で出ておりましたし、庄さんは社会人の参加という御意見で、裁判官への参加という意味で御意見が出ていたと思います。
 もう一歩踏み込みまして、裁判官になるというそれと、もう一つ違う立場で国民の立場で判断をする、そういう意味での陪審制度、これも司法制度改革の大きな柱の一つです。そういう意味で、小室さんが労働事件等に関わっていらっしゃるというお立場を踏まえて、陪審制度の導入についてどのように考えていらっしゃるか、御意見をいただければ大変ありがたいと思います。

○小室氏 私も法律の専門家ではないので、難しい質問かなと思いますけれども、先ほども申し上げましたが、量の面というか、利用しやすい裁判制度にしてもらいたいということと、もう一つ、今の経済社会、これから考えたときに、行政、立法府で見落とされている価値あるものについて発見して、真実を明らかにしてほしいということを、私たちは司法制度に是非求めたいと思うんです。
 そうであるならば、この国の21世紀に大変資するものに、私たちに価値あるものになるんだろうと思うんです。そのことを考えたときに、先ほど何人かの方がおっしゃっていたように、私もその陪審制度の実際の機能とかを実際に見ているわけでもありませんが、閉ざされた今の裁判官社会というんでしょうか、その中で本当に行政やあるいは立法府では見落とされていても、国民の目線から見たときに、これは価値あるものではないかという判定を下そうとしたときに、やはりたくさんの目があった方がいいんじゃないか。せいぜいそのくらいの意見なんですが、そこは司法制度だけではなくて、この国の将来にとって大事なことだと思うし、私は実際に労働事件に多数関わっている関係からすると、どうしてこういう判決になるんだと思うことがあります。それは両当事者、利害関係があるわけですから、私の方ばかりにそうなっているわけではないかもしれませんが、それにしてもという感じ、これは判検交流の問題とか、裁判官の問題とか、言い出せばいろいろとあると思うんですけれども、やはりこの国の真実や価値あるものを決定していく権利を、最高裁を頂点とする裁判官社会だけに委ねるのはどうかということではないか。そういう見地です。

○事務局長 ありがとうございました。吉岡委員、今のお答えでよろしゅうございますか。

○吉岡委員 ごめんなさい。やはり私の考えを言わせていただいてよろしいでしょうか。余り時間を取らないようにいたします。
 皆さんの御意見の中で、裁判所が敷居が高い、それから弁護士もなかなか近寄りにくいという話が出ておりました。そういう意味で国民が利用しやすい司法制度を考えたときに、国民が司法について関心を持って参加していくということが、特にこの国にとっては重要なことではないかと、そのように考えております。
 そういう意味から言うと、国民が直接裁判に関わる陪審制度というのは、司法に風穴を開けていくという意味で非常に重要な課題だと、そのように考えております。それだけ申し上げます。

○大河内氏 陪審制度に私も賛成なんですが、やはり裁判官の方で1人で判決をするということに、非常に責任というか重みを感じるという場合、私はやはり司法に国民が参加するということであれば、陪審員の形になって、おのおのが裁判官と一緒になって責任を分かち合う、審理を尽くすという形が本当ではないか。私は「12人の怒れる男」という映画をかつて見たことがあります。陪審制度の中で欠点というのもあるのかなというふうに思いますが、今の時代の流れからいきますと、国民の1人ひとりが、司法に対して、いろんな裁判に関して、責任をみんなで分かち合うんだといったときに、裁判官の1人の重みというものを少しは負担ができるのではないか。
 それから、医者の立場から言いますと、病気を直して何とか頑張っている。それは一つミスをしますと、勿論、裁判にも掛けられる。医療過誤、医療ミス、そういう形の中では、世間の目にさらされるという、最近は医療の密室性というのがだんだんなくなってきている。だけれども、やはり司法の場では、審理や判決を巡ってやはり密室性があって、それが、何かあった場合に国民1人ひとりが考えるような形にはなっていないということからいけば、きちんと世間の目にさらされてそれがどうであったかということを検証できるという意味では、やはり陪審制度というのは当然導入しなければならない時期になっていると思っております。

○事務局長 ありがとうございました。時間も押し迫ってまいりましたけれども、委員の方からほかに質問はありますか。

○曽野委員 私が伺いたいのは2つです。私はこの中で、勿論法律の素人なんですけれども、言語の方はいささか専門家でございます。2つ伺いたいんです。
 裁判官を増やしたり、それから陪審員をつくったりする。そのこと自体は誠に賛成でございますが、それが可能な人がどうやって採れるのか、採れるというとお魚みたいで申し訳ないんですが、どうやって発見できるのか。むしろ言語というのは、それに対して厳密な感覚とか、私は一つのノンフィクションを調査するのに、若く体力があるときに、心身とも疲れ果てるほどに、数人のみを動員してやるわけです。そういうことを一般の方がなさることができるか。例えばここには小児科のドクターがおられますけれども、それをやったら、恐らくお医者様はなされないだろうと。ですから、数を増やすということが、どうしたら現時点で可能となるか。
 もう一つは、ちょっと皆さんおっしゃいました、余り深くはないんですけれども、皆さんがお触れになったように思いますのは、情報公開の問題です。情報公開というのは簡単なのでございます。情報公開は、例えばインターネットでよろしいなら私は大賛成でございますが、私は今ある財団で働いておりまして、インターネットにあらゆる情報を入れておりますが、これはオンブズマンなどをやっていらっしゃる大河内先生にお伺いしますが、情報を出せと言われると、出す方は人手とお金が膨大に掛かるんですが、この点はどういうふうにお考えか。
 この2点について、これにお触れになったのは大河内さん、金澤さん、小室さん、渋谷さん、西谷さんでしたが、どなたからでもよろしいのですが、全員から伺いたい。

○事務局長 わかりました。では、まず2つの問題で御指名をされております大河内さん、できるだけ簡潔にお述べいただければと思いますが、よろしくお願いいたします。

○大河内氏 一つは、費用と人手が掛かるということと、もう一つはどういうことですか。○曽野委員それでよろしいんです。それをどうするのかということです。どちらが負担するんですか。インターネットは私も最近の情勢としては当然だと思います。ですから、インターネットの範囲でよろしいのか、それとも情報公開しろといらした方にいちいちお相手をするということか。その費用とお金はだれが払うのか。

○大河内氏 今のところは各都市で違いますが、例えばコピー代が50円のところもあれば、10円のところもあるという形で、請求者が負担をしております。
 ただ、行政がしっかりしていてくれれば、余り情報公開が多くはならないという問題はあると思います。
 やはり請求する権利というのは市民側にあるわけですから、行政側がどんどん情報公開をするという姿勢に、お金や費用、人手を掛けるということに関しては、私は当然であるという立場に立っております。

○曽野委員 行政ではなくて、個人の場合はどうですか。個人というか、プライベートなグループの場合はどうでございますか。行政は当然としても、そういうグループの場合、情報公開をしろと言われたときにはどうしたらいいのか。先生のところの小児科学会というところで情報公開をしろと言われたときはどういうふうになさいますか。

○大河内氏 最近はカルテの開示も含めていろいろな問題がありますが、私は医療の世界、医師の世界においても、カルテの開示を含め、やはり情報開示ということに関しては、病院であろうと、個人の開業医であろうと、極端な人手とそれから費用が情報公開をする方にかかることはないと。インターネットはさておいてですね。そういうお話をしますけれども、そういう意味で、大きな病院であれば病院なりに、文書を保持するという、5年間なら5年間保持をするという形では、病院が大きくなればなるほど、人手とそういう管理という部門に関しては、十分対応できるような状態になっているというふうに思いますので、当然そうあってしかるべきだなと思います。

○事務局長 ありがとうございました。ほかに曽野委員の御質問に対しまして、お答えいただける公述人はいらっしゃいますか。いらっしゃいましたらどうぞマイクをお使いくださればと思います。

○小室氏 お尋ねのことは、例えば裁判官の増員をするのに、採るというのは、そういう優秀な方がたくさんできるのかということですか。

○曽野委員 そういうことです。人間的なこの複雑な心理と言葉、裁判というのは全部これは言語です。書かれたものにせよ話されたものにせよ。それを過不足なく伝えるというのはただごとではない努力が要る。ですから、そういうことが可能な才能が必要、高等なんじゃなくても。そういう人たちの数を増やせばいいと言っても、裁判官の数が増えますと、全然こっちの言っていることがわからない裁判官に事件を任せなければいけないという不幸が出てくるだろうと、私は悪いことばかりを想像するのが任務の小説家なものですから、そう思うんです。そういうことについて教えていただけたらと思います。

○小室氏 私の考えでは、今、曽野先生は、裁判官をおやりになっている皆さんは、優秀な裁判官の皆さんだという前提でお話になっているんだと思うんですけれども、その方たちが1人平均250件も300件も裁判を抱えてやっていらっしゃるというよりも、100件なり150件というある上限を持って裁判をやっていただけるならば、万が一、今いらっしゃる方より多少レベルが低くなったとしても、その方が真実を発見していただけるのではないかと思いますし、さっき裁判所の創設も含めてと言いましたけれども、それは参審制というか、非職業的な陪審なども、労働裁判所の創設などということを考えれば、そういう専門知識のあるものも裁判に加われるというふうに、労働委員会などで現行でやられていることなども積極的に是非審議会として答申していただければと思っております。

○事務局長 ありがとうございました。

○大河内氏 それに関連して一言よろしいですか。
 今の増やすということでも、件数が少なくなるということは、やはり審理を尽くせるということですから、曽野先生がおっしゃったように、ある程度はできるのではないか。
 もう一つ、私、中央大学の通教へ行って6年掛かって卒業しました。そこで感じたのは、法学部そのものの形の中に、言語や一般社会的な教養を身に付けるようなところが全くない。場合によっては、途中から司法試験にうかっているという方もいるわけですから、そういうことからいくと、これは医者の世界でも、医師の倫理とか、そういうものを教える教育ができていないわけです。ただ、法律を教え込んでいるという今の法学部の性格自体を変えれば、今、おっしゃったような件はある程度は解決されていくだろうと思います。○渋谷氏初めの部分なんですけれども、一定のレベルの人を採るということに関しては、やはり試験という形がどうしても必要だと思いますし、その試験の内容という部分である程度考えていただくことによって、一般的な常識という部分が入れられるだろうと思うということが一つ。
 もう一つは、修習期間中に、実質的に市民の方たちとの交流というんでしょうか、その感覚が養えるような実習という部分が、その中に組み入れられていくというシステムをつくっていただけたら、ある程度できるのではないかと思います。
 それと、先ほどのように、人が増えることによって、ある程度一つの事件に関して調べる可能性、要は勉強できるという部分が増えるということ。
 もう一つは、社会が複雑になってきていますから、扱わなければならない問題が非常に範囲が広がりますので、ある程度専門的、自分はどの部分に強いというような形での区分け的なものを、おおざっぱでも結構だと思うんですけれども、やはりおやりになることが一つ必要なのではないかと思います。
 それから、もう一つの情報公開の部分なんですが、企業さんの情報というのが公開されないということが非常に問題なわけです。というのは、さまざまなトラブルを解決するに当たって、企業さんの持つ情報がなければ裁判という場に持って行くこともできないという場合がたくさんあります。ですから、その情報公開を求めるに当たって、行政の方は今もうやる方向に動いていますけれども、企業だとか、要するに先ほどおっしゃられましたようなグループという形での方はまだ。お金が掛かるのはわかります。ですから、グループの情報公開まではちょっと要求しないにしても、企業さんは当然利益を得ていらっしゃる中での商品を対象とした部分がありますので、情報公開には請求という形も含めてですが、協力をしていただく、お金が掛かることは当然とお考えいただければいいのではないかと思います。
 それから、陪・参審については、参審くらいがいいのではないかと。陪審として出ていく部分を自分に置き代えて考えてみたんですが、自信がないので、参審制くらいかなというところを一生懸命考えております。

○事務局長 ありがとうございました。時間も押し迫ってまいりました。最後に藤田委員、よろしくお願いします。

○藤田委員 簡単に伺いますが、庄さんお願いします。
 ロースクール制度についての御意見を拝聴しました。ロースクール制度を設けてその卒業を司法試験の受験資格にすると、法曹の門戸を狭めることになる。それはそのとおりだと思いますが、ロースクールで2年か3年、更に司法研修所もという説からいけばプラス1年くらいですか、余分に勉強しなきゃならんということになるんですが、そうなりますと、恵まれない家庭で育った、私も母子家庭なんですけれども、そういう人たちの法曹界への門戸を狭めるということになりかねない。それはどうしても避けなければいけないことだと思うんですが、その解消策として、一応原則的にロースクールの卒業を受験資格にはするけれども、それ以外に検定試験みたいなものを設けて、ロースクールを経ていない一般の人の受験資格も認めるという方向はどうかという考え方があるんですが、それについてどのようにお考えになりますか。

○庄氏 例えば今は、大学を卒業していない場合、大学の教養課程が終わっていない段階でも、一次試験から受験すれば司法試験を受けることができる。それに近いような感じのものを想定していらっしゃるんでしょうか。だとすれば、内容によっては、それもいいのかなと。ただし、検定試験のようなものを通った人と、ロースクールを卒業した人と、次の試験の段階では完全に平等にしていただければと思います。

○藤田委員 ありがとうございました。

6.閉会

○事務局長 ありがとうございました。よろしゅうございますか
 それでは、委員からの御質問を終わらせていただきます。司会の不手際でとうとう予定の時刻をオーバーしてしまいました。本来はここで、会場の皆様から御意見を伺うことになっておりまして、御案内状にもその旨を付記させていただいたのでありますが、当会場自体、これから後の予定がございまして、時間通りにここを明け渡さなければならなくなっております。御案内をしておきながら、とうとうお聞きできなかったのは残念でございますが、ひとつ御容赦をお願いしまして、これでこの地方公聴会を終了させていただきます。
 本日は6名の公述人の皆様、それから多数お集まりいただきました傍聴の皆様方、本当にありがとうございました。皆様方からの貴重な御意見を承りまして、委員各位におかれましても、それを参考にして今後有意義な審議を尽くしていただけるものというふうに思っております。
 本日の公聴会におきます御意見等は、当審議会の事務局で整理いたしましてから、審議会の会議におきまして、他の審議会委員の方々にもお伝えすることとしております。
 なお、当審議会のホームページにおきましても、この公聴会の内容をそのまま公表したいというふうに考えております。今後とも国民にとってより身近で利用しやすい司法制度の実現に向けまして、皆様方の御理解と御協力をお願いいたしまして、この地方公聴会を閉会とさせていただきます。
 本日はどうもありがとうございました。