司法制度改革審議会

司法制度改革審議会第4回公聴会(東京)議事次第



日 時:平成12年7月24日(月) 17:30 ~20:40

場 所:東京都日比谷公会堂

出席者(委 員、敬称略)

佐藤幸治会長 竹下守夫会長代理、石井宏治、井上正仁、髙木 剛、鳥居泰彦、中坊公平、藤田耕三、水原敏博、吉岡初子

(事務局)
樋渡利秋事務局長

  1. 開 会
  2. 出席委員紹介
  3. 会長あいさつ
  4. 公述人意見発表
    井 出 晴 郎(いで・はるお)  氏  東京都 会社員
    小川 ひろみ(おがわ・ひろみ) 氏 東京都  大学生
    櫛毛 富久美(くしげ・ふくみ) 氏 神奈川県 専門学校講師
    河 野 義 行(こうの・よしゆき)氏 長野県  会社員
    標 博 重(しめぎ・ひろしげ)氏 東京都  団体役員
    関 口 千 恵(せきぐち・ちえ) 氏 埼玉県  自由業
    野 沢 克 哉(のざわ・かつや) 氏 神奈川県 団体役員
    堀  眞 理(ほり・まこと)  氏 東京都  会社員
  5. 公述人への委員からの質問
  6. 会場からの意見
  7. 閉 会

1.開 会

【事務局長】皆様、こんばんは。これから、司法制度改革審議会第4回地方公聴会を開催させていただきます。
 皆様には暑い最中大勢お集りいただきまして、誠にありがとうございます。

2.出席委員紹介

【事務局長】それでは、本日出席しております審議会の委員をまず御紹介させていただきたいと思います。
 私の立っておりますこのテーブルの皆様から向かいまして右側の方から紹介させていただきます。
 審議会の会長の佐藤幸治委員でございます。(拍手)
 会長代理の竹下守夫委員でございます。(拍手)
 石井宏治委員でございます。(拍手)
 井上正仁委員でございます。(拍手)
 髙木剛委員でございます。(拍手)
 鳥居泰彦委員でございます。(拍手)
 中坊公平委員でございます。(拍手)
 藤田耕三委員でございます。(拍手)
 水原敏博委員でございます。(拍手)
 吉岡初子委員でございます。(拍手)
 私、審議会の事務局長を務めております樋渡利秋でございます。
 この地方公聴会を実りあるものにしていきたいと思いますので、皆様の御協力をよろしくお願い申し上げます。

3.会長あいさつ

【事務局長】それでは、公聴会に先立ちまして、まず佐藤会長からあいさつを申し上げます。よろしくお願いします。

【佐藤会長】佐藤でございます。本日はお暑い中お集まりいただきまして、誠にありがとうございます。ここ東京におきまして、司法制度改革審議会第4回公聴会を開催するに当たりまして、一言ごあいさつ申し上げたいと存じます。

 司法制度改革審議会は、21世紀の我が国社会において司法が果たすべき役割を明らかにし、国民がより利用しやすい司法制度の実現、国民の司法制度への関与、法曹の在り方とその機能の充実強化その他の司法制度の改革と基盤に整備に関し必要な基本的施策について調査審議し、内閣に意見を述べるための機関としまして、昨年の7月に設置されました。したがいまして、ほぼ1年にならんとしております。これまで既に25回の会合を重ねまして、明日は第26回目の会合を予定しているところであります。また、この間、5月上旬には、アメリカ、ヨーロッパへと海外視察に参ったりいたしました。

 御承知のように、昨年12月、審議会として審議すべき論点項目を、「司法制度改革に向けて-論点整理-」と題する文書としてまとめまして、公表したところであります。

 この論点整理でうたっているところでありますけれども、御承知のように、我が国は明治維新後、近代的な法制度、司法制度の導入を図り、第二次大戦後、日本国憲法の制定に伴いまして、大きな制度改革をやりました。それから、半世紀余、21世紀に向けて日本の司法はいかにあるべきかということから、言わば第三の改革、大きな改革に直面しているという認識を披瀝したところであります。頼りがいのある司法、法の支配を血肉化するための大改革というように私ども認識して、審議を重ねてまいったところであります。

 司法制度改革と申しましても、大きく分けて二つの面があるように思います。一つは、制度的な基盤の整備を図るということであります。もう一つは、制度を動かすのは何と言っても人でありますから、人的基盤の整備を図る。大きくくくりますと、その2面にわたっております。

 私どもはその制度の整備を議論するに先立ちまして、人についてある種の見通しをつける必要があるということで、まず弁護士の在り方を始め、法曹人口の問題について議論いたしまして、弁護士はもとより、検察官、裁判官の大幅増員を図る必要があるという認識で一致いたしました。

 その観点から、法曹養成制度をもっと基本的に考え直す必要があるということで、いわゆるロースクール構想というものを有力な方策として位置づけまして、これも御承知のように、文部省に置かれております検討会議に、専門的な見地から御検討いただきたいということでお願いしまして、現在、鋭意検討を重ねられているところであります。

 そして、制度的基盤といたしましては、国民がより利用しやすい司法の実現、それから国民の期待に応える民事司法の在り方について議論を重ね、ある種のまとめをしたところであります。

 そして現在、「国民の期待に応える刑事司法の在り方」ということで、議論をしておりまして、これも8月4日にはある種の整理をしたいというように考えております。

 そして、8月7日、8日、9日に掛けて、集中審議を行いまして、そこで法曹人口の問題についてより具体的に検討する。あるいは法曹養成制度について、この検討会議の中間的なとりまとめを受けて検討する。それからさらに、法曹三者が力を合わせて頼りがいのある司法とするためにということで、法曹一元の問題についても、この集中審議で議論をしたいと考えているところであります。

 その後は、弁護士制度の在り方、あるいは国民の司法参加の問題についても議論を行いまして、この秋には中間報告としてまとめて、皆様にお示しできればというように考えているところであります。

 当審議会では、このような審議と並行いたしまして、国民の視点に立った審議を行う上での参考にさせていただきたいということで、これまで大阪、福岡、そして札幌において公聴会を開催してまいりました。今日ここでの公聴会は第4回目の公聴会ということになります。

 本日は、8名の方々に意見発表をお願いしております。意見発表者の方々におかれましては、大変お忙しい中御準備いただきまして、心から感謝を申し上げる次第でございます。皆様の忌憚のない御意見を賜りたいと存じます。

 司法制度改革を実り多いものとするために、この公聴会が有意義なものとなりますよう、皆様の御協力のほどをお願い申し上げまして、私のごあいさつとさせていただきます。どうぞよろくお願いいたします。(拍手)

4.公述人意見発表

【事務局長】ありがとうございました。
 それでは、これからお集まりいただきました8名の公述人の方々から、それぞれ10分程度で順次御意見を伺わさせていただきたいと思います。発表の順番につきましては、五十音順とさせていただきます。

 8名の方々の意見発表が終えました段階で10分間休憩を取らしていただきまして、休憩後、今度は委員の方から各公述人に対しまして、質問をさせていただくという方法でこの公聴会を進めてまいりたいと思います。
 よろしくお願いいたします。 ZZ なお、皆様にお配りしております着席図でございますが、通訳の方の位置の関係から、若干ずれておりますので、ひとつ御了承ください。

 それでは、順次御発表いただきますが、御発表の際には恐れ入りますが、中央の演壇の前までお進みいただいて御発表いただければと思っております。

 それでは、まず井出晴郎さんから御意見の発表をお願いいたします。よろしくお願いいたします。

【井出氏】ただいま紹介いただきました井出でございます。

 私は技術関係の仕事をしているサラリーマンで、日ごろは司法関係については縁が薄いということで生活しておりましたけれども、8年前に、本当にある日突然というようなことで、ちょっとしたトラブルに巻き込まれまして、突然相手の弁護士から話があったり、それに対抗するために弁護士を探すということで、後から思うと何だということなんですけれども、そのときには非常に困ったというような経験をして、これは弁護士、弁護士会等について何か課題があるのではないかということで、この7、8年ほど弁護士、弁護士会の在り方等を中心にささやかな活動をしてきました。

 今回、そういう中で私が感じたこと、要望することを2点、ここでお話しさせていただきたいというふうに思います。この7年間いろいろ勉強させていただいたんですけれども、全くのど素人の私が、こんなに司法には課題が多いのかということをつくづく感じたというのが実感でございます。

 それでは、まず一つ目、弁護士へのアクセスのことについてお話をさせていただきます。

 弁護士という職業は、私たち国民にとって身近にいて、法律的な問題、いろんなトラブルの相談相手になってほしいという存在ですけれども、私が少し前ですけれども、アンケートを取ったり、ほかの資料を見ても、依頼しにくい存在という、私どものアンケートでも60%~70%の人が依頼しにくいということをお話ししています。

 これは極めて月並みなというか、この6、7年の活動の中で感じたり、数字的に整理したものを、もう一度お話しするに当たって整理してみると、極めて月並みなんですけれども、まず一つとして、弁護士の情報が少ない。

 二つ目に、弁護士が少ない。

 報酬に不安がある。例えばですけれども、報酬の規定が平成8年に変わったといっていろんなことを弁護士会からお聞きしたこともあるんですけれども、弁護士会からの説明で、ユーザーと言いますか、頼む側の心、気持ちが十分分かっていないなと感じている部分でございます。

 4番として、依頼した弁護士と信頼関係が築けなかった等のときに、苦情窓口と言いますか、そういったものが必要だなということを感じるわけですけれども、それが分からない。 Z これも、弁護士の専門ということをよく言うんですけれども、弁護士さん何でもできるというんですけれども、私に言わせると、私が弁護士さんとお付き合いしたりいろいろする中では、私がサラリーマンとしていろんなことを仕事の中で関わる中では、そうではないのではないか。何でもできるというのは何にもできないと同じではないかという疑問があります。

 さらにもう一つ、弁護士さんには間違いなく特権意識があるということが感じられます。それが依頼をしにくい理由だと思います。

 私として、この改善策、先ほど弁護士の大幅増員の話が会長さんからありましたけれども、是非、今の弁護士さんの数、中坊委員は4倍、フランス並みということをおっしゃっているようですけれども、相当短期間にこのアクセスを容易にするために実施していただきたいと。裁判の迅速化とか人権問題の掘り起こしだとか、裁判官の任官、法曹一元、そういったこともあるでしょうが、企業方面への一層の進出、ADR等の裁判によらない紛争解決、そういったこと等から考えて、ますます弁護士に対するニーズというのは多くなると考えられますので、是非、裁判官、検察官はともかくとして、私が勉強した立場から言うと、弁護士の大幅、数倍増というのを、大至急やっていただく必要があるのではないかと思っておりますので、よろしくお願いします。

 あと弁護士に関係して、もう一つ、この7年間私が弁護士会、弁護士さんと付き合っていた中で感じた、非常に外から見て重大だと考えていることは、国民、市民にとって必要なことが、弁護士会の中でいつまで経っても決まらないということです。

 例えばですけれども、業務報告の話、苦情窓口の話でもいいです。こういった国民、市民の側からすぐにでもきちっと決めてやってほしいというようなことが決まりません。例えば、業務報告の話にしても昭和62年ですか、私も少し興味を持って日弁連の協議会で意見も言えということで言わさせていただいたこともあるんですけれども、とにかく業務報告の話が10年も堂々巡りで決まらないというようなことがあります。

 私としては、こういった今の弁護士システム、弁護士の数が増えるということで考えると、第三者機関で重要なことを決定すべきではないかというふうにつくづく感じているところです。やはりどうしても登録の話、懲戒その他の話、苦情窓口の話、国民にとって有益であっても、弁護士のグループにとっては必ずしも有益でない。益ということから考えたら、課題があるということも多いと思います。

 そういうことで言うと、是非、今回の司法制度改革の中で、弁護士システムを改革していただきたいと。できれば第三者機関で重要なことは決めるということにしていただくと、ありがたいと思っております。

 次に、弁護士、弁護士会の在り方関係はこれで、もう一つ、私が感じている点は、国民の意識改革のために、司法関係の情報をもっと充実してほしいということです。現在の一般の国民にとって非常に情報が少ないということで、これが無関心になっている一つの大きな原因ではないかというふうに思います。

 例えばですけれども、分かりやすい裁判、裁判の一層の公開と。例えばですが、裁判について言いますと、オウム裁判で、スケッチで、テレビ等で結果を我々聞くわけですけれども、例えばテレビで放映するとか、もっと国民の意識を変えるためには、そういったダイレクトなもの、ダイレクトな情報も必要じゃないかと思います。また、法廷傍聴等についても、もっと裁判所が積極的にされるべきではないかと思います。

 また、検察庁と言っても、我々から見ると、何をどうやっているのかよく分かりません。起訴の率がどうなのか、不起訴がどうなのか、そういった辺りについても是非、国民に分かるような制度、例えば、素人考えで皆さんお笑いになるかもしれないけれども、裁判所、検察庁はモニター制度をやれとか、そういった具体的、分かりやすい制度改革を是非お願いしたいと思います。

 そのほか、学校教育で司法の教育を余りされていないなということも、少し勉強して感じる部分もありますので、そういったことについてのことも、御検討方よろしくお願いしたいと思っています。

 私としては、国民の意識を変えることが、今回の司法改革の原点ではないかと感じていまして、そのためには、人の意識を変えるためには、徹底的に大幅に仕組みを変えるということが非常に重要ではないか。これはサラリーマン的な感じということにもなりますけれども、是非、大幅に仕組みを変えて、国民の意識を変えて、21世紀のよりよい社会生活ができるような改革を是非していただくような結論が出ることを臨んでおります。

 私の方からの発表は以上にさせていただきます。(拍手)

【事務局長】どうもありがとうございました。
 続きまして、小川ひろみさんにお願いいたします。よろしくお願いいたします。

【小川氏】亜細亜大学法学部4年の小川ひろみと申します。

 今回は、私からは、バイ・スペシャリスト(bi-specialist )、スーパー・スペシャリスト(super-specialist)としての法律家について提言したいと思います。

 法曹人口増員の流れにおいては、ジェネラル・プロフェッショナルとしての法律家に加えて、他分野の専門知識を併せ持った法律家のニーズが高まってくると思われます。

 具体的には、医学、コンピュータ技術、心理学等の専門知識も有する法律家として、医師免許を持った裁判官、工学博士の弁護士、カウンセラーとしての検察官等が挙げられますが、必ずしも他分野の専門資格を有していることを私は意図しているわけではありません。

 つまり、他分野の専門性の度合いはそれぞれ異なっていてよいと思うし、他分野の専門知識についても、教員の資格であるとか、社会人として企業で働いてきた経験等も広く含めてよいと思うのです。先ほど井出様の方からもお話がありましたが、市民に分かるように説明できるということも、ある意味専門知識と言ってよいと思います。

 少額裁判を傍聴されたことがある方もいらっしゃると思いますが、私が少額裁判を傍聴していると、手続教示が民事訴訟法の規則の方に定められているわけですが、手続教示がすごく形式的な説明に終始している裁判官をたびたび見受けることがあります。少額裁判のみならず、下した判決文について、本人訴訟の当事者に説明して上げるくらいの能力だとかサービス心がないのでは、法律家のための法律家になってしまうような気がします。

 この点について、少々脱線いたしますが、裁判官については、当事者による評価制度も取り入れてよいと思います。私、当事者が訴訟の勝敗によらず、裁判官の誠実さを評価することは、ある程度日本では期待されてよいと思います。

 市民に分かるように説明するという実習を受けた法律家たちが、他分野の専門性の強い法律家の橋渡しとして機能していくことで、司法の分業がうまくなされていくのではないかと思います。

 こうした法律家の差別化は、選択肢が増える需要側のみならず、供給側の法曹にとっても期待されるものと考えます。

 昨今、ロースクール構想が浮上しておりますが、こうした法律家を養成するには、社会人も含め、法学部以外の出身者がロースクールに入ってきやすい体制を整える必要があります。入学試験や夜間開校ロースクールもそうですが、私は個々の持っている他分野の専門知識をその度合いに応じて法曹資格認定の際に考慮していってもよいのではないかと考えております。

 これまで法律を勉強してこなかった方々、特に他分野の専門資格を既に有している方々が、わざわざロースクールに入って法律家を目指すには、それまで自分が勉強してきたこと、やってきたことに、何か積極的なメリットがないと難しいと考えるからです。

 法律を専門に勉強してきた法学部出身者には、ロースクールでのある一定期間、法律以外の分野の専門知識を学ぶ機会を与えたらどうかと思います。これには、他学部や他校の授業を受けるという方法のほかに、外国のロースクールに留学したり、NGOの活動に参加したりということも含めてよいと思います。

 確かに、例えば、半年間のこうした学習体験がその専門知識の修得に有用かという疑問もあります。 Z しかし、法の下にある現場の実情認識には役立つと思います。例えば、環境法を得意とする人が、環境問題や汚染物質に関する授業を受けるといった具合です。

 また、そこでの人的交流は、その後の実務活動でのネットワークにつながると思います。私が現在在席している大学には、半年間のアメリカ留学プログラムがあるのですが、これに参加した学生の中には、帰国後、あちらで知り合った人たちと情報交換を続けている人もいます。

 私は、こうした人的ネットワークが個々の法律家を媒介として、さまざまな分野の要請や変化を吸い上げることにつながるとともに、ひいては現代の急テンポで変化する技術や環境に対応しながら、日本の司法の水準を全体として引き上げていくことにも役立っていくと思います。

 さらに、一定期間他分野で学ぶ制度をエクスチェンジにすることで、逆に一定期間法律を学んだ看護婦なり建築家なりが生まれます。

 一般的な法律知識ならこの役割は法学部でも担うことができると思いますが、既にほかの専門分野を勉強してきている人たちにとって、学習したい法律とはその専門に付随した法律知識や紛争事例、リスク管理だと思います。そうなると、今の法学部レベルでは、余りこういう特化した法律を教える授業は少ないように思います。

 ロースクールでの授業は、単位や資格として認定するなど、その専門家に何らかのプラスになるメリットを与える必要があると思います。そして、こうした専門家に登録してもらうことが、裁判所や当事者に鑑定者の情報を提供することを可能にすることにもなると思います。

 以上のことは、ロースクールについても、何々分野で有名な何々学校という学力以外の個性重視につながるように思います。各ロースクールがその得意とする分野について、司法と連携して新しい情報創造、情報発信をしていくということになれば、日本の研究重視型法律教育の強みを生かしていくことにもなると思います。

 アメリカでは、ロースクールの実務教育が学生の勉強のためだけでなく、そこから生まれる批判や、改善案によって実務の向上にも役立っているといいます。日本では、個々のロースクールが得意分野の司法問題の調査研究を引き受け、司法に情報提供、改善案の提示をしていくようなつながりを形成していったらどうかと思うのです。例えて言うなら、司法版のTLO(技術移転機関)みたいな組織をつくったらどうかと思います。

 先ほども触れましたが、現代では、技術や環境の変化が大変早くなっています。現在の改革のみでなく、事後チェックの役割を果たす司法には、これらに対応できる体制をつくる責任があるとともに、それができなければ、将来的には外国の司法や新しい改善を試みるADR、裁判外の紛争処理機関に役割を奪われ、日本の司法は存在意義が薄れてしまうのではないかと思います。こうした議論は極論かもしれませんが、現在ある郵便局のことを考えてみると、必ずしも否定できないと思います。

 バイ・スペシャリストとしての法律家や得意分野を持つロースクールが媒体となって、各分野の先端情報をリアルタイムで吸収し、必要な改善に迅速に対応できるようにしておくこと。あるべき司法を常に保ち続けていくように体制をつくっておくこと。そういうことが日本の司法ブランドを最先端のものにしていくことにつながるのではないでしょうか。

 私からの発表はこれで終わります。(拍手)

【事務局長】どうもありがとうございました。

 それでは、引き続きまして、櫛毛富久美さんにお願いいたします。よろしくお願いします。

【櫛毛氏】ただいま御紹介にあずかりました櫛毛富久美でございます。

 私は、病院で子どもを亡くし、医療過誤裁判を7年間続けております。一審、二審敗訴、そして、どうしても納得がいかないので、この春、最高裁に上告いたしました。

 医療過誤裁判の改革のためには、次の4点が必要だと思います。第1に、立証責任の転換。第2に、裁判官に市民感覚を取り入れるために、陪審制や法曹一元化の導入。第3に、公平な鑑定人の確保と、その役割の限定。第4に、すべての証拠の情報公開。この4点が必要だと思います。

 次に、現状の医療過誤裁判がいかに理不尽で、裁判官が市民感覚を持っていないかということを、私の裁判を通してお話しさせていただきます。

 私は、7年半前に正常分娩で元気な赤ちゃんを出産し、新生児室に預けました。ところが、その夜、よく泣くからという理由で、親の知らない間に助産婦が赤ちゃんをうつぶせ寝にして、2時間半以上放置しました。そして、別の看護婦が見つけたときには、赤ちゃんは既に死んでおりました。警察の現場検証及び司法解剖の結果は、窒息死と推定されるのでした。死亡当日から病院側は窒息を認め、謝罪を繰り返しました。 Z しかし、半年ほど経って病院側の弁護士が、乳児の死因は窒息ではなく、乳幼児突然死症候群、SIDSだから、病院に責任はないと言い出し、SIDSを巡る訴訟で患者側が負けた裁判の一覧表を送り付けてきました。

 子どもを亡くして苦しんでいる私たちの神経を、さかなでするようなその対応に、非常に怒りが爆発しました。なぜ当事者でも医者でもない弁護士が、全く別の死因を言い出すのか。そして、私はすぐに裁判を起こしました。

 当初は弁護士をはじめ、私たちの周りの者も、この裁判は勝つと思っておりました。赤ちゃんは生後ゼロ日で窒息を避けることもできないし、新生児室に預けていて、2時間半見ていなかったことも明らか。まして、司法解剖で窒息となっていたのですから。

 しかし、裁判が進むにつれて、難しさがだんだん分かってきました。うつぶせ寝にしたのも、発見したのも、蘇生に関わったのも、加害者である病院側。口裏を合わせた3人の証言が証拠として残っていきました。

 一審は敗訴。窒息の可能性も否定できないし、SIDSの可能性も否定できない。証拠が足りないというものでした。判決は、解剖所見よりも、加害者である助産婦の証言をすべて採用しておりました。

 二審になって、新たに解剖所見から首のねじれと圧迫が加わっていたという客観的な証拠が見つかりました。裁判所もこの医師の意見書を高く評価して採用しましたが、しかし、この医師への証人尋問は病院側が拒否をし、却下されました。

 二審も敗訴。判決では赤ちゃんが死後2時間放置されたこと、発見時の状況について、看護婦が信用できない証言をしたことも認めていました。原告の提出した意見書丸写しの判決にもかかわらず、何故赤ちゃんの首がねじれたか、その経緯が立証できていないという理由で棄却されてしまいました。

 裁判所は、密室の中の寝かせ方まで親に立証しろというのでしょうか。このようなことから、私は司法改革の改善点として、第1に、立証責任の転換を希望いたします。

 一審、二審を通して、病院側にも裁判所にも客観的な証拠を出せと言われ続けました。しかし、病院側はSIDSであるという客観的な証拠を何一つとして出していないのです。これでは余りにも不公平です。医師は専門家であり、密室で起きた事故の当事者であり、その原因を知っています。カルテなどの証拠もすべて握っており、患者とは絶対的に力の差があります。患者が因果関係や過失を一応推定できる証拠を提出した場合、その医師が、その証拠を覆すことができなければ、医師側の敗訴とするような立証責任の転換を希望いたします。

 第2点は、裁判官に市民感覚を取り入れるために、陪審制や法曹一元化の導入を希望いたします。

 私の7年の裁判で、真ん中に座っている裁判長が4、5人替わりました。裁判長が替わるたびに裁判の方針も変わり、例えば、裁判長が産婦人科医の意見を聞きたいと言われたので、産婦人科の教授を探し、意見書を提出し、証人尋問を申請したところ、裁判長が替わり、もう必要ないと言われました。

 弁護士も、私たちも、裁判長のつぶやきに耳をすまして顔色からその心を読み取ろうと努力いたしましたが、本当は裁判長が何を聞きたいのか、どうしてそれが必要でなくなったのか、どこの部分の立証が足りないのか、裁判長の方が、裁判の中で言うべきだと私は思います。

 今年の3月に神戸のうつぶせ寝訴訟で原告が勝ちました。私の裁判と同じ資料を使い、同じ医師が意見書を書きました。なぜ裁判官によってこれほど判決に違いが出るのでしょうか。私の裁判で、裁判長が、勝った前例はあるの、あれば提出をと言われたこと。小さな病院だから2時間半放置していてもしようがないと言われたこと。そして、信じられないことに、一審でも二審でも証人尋問の際に、左陪席に座っている裁判官が居眠りをしていたのです。親が子どものために真実を求めて闘っているときにです。裁判官は市民感覚から遠く離れてしまっていると思います。

 首がねじれて死んだのは赤ちゃんの自己責任。新生児室に預けた赤ちゃんが死後2時間放置されていても責任がなし。この感覚はおかしくありませんか。

 裁判官に市民感覚を取り入れるために、陪審制や法曹一元化の導入も検討していただきたいと思います。

 第3点として、公平な鑑定人の確保とその役割の限定について説明させていただきます。

 私も5人の医師の意見書を提出しましたので、鑑定人探しに非常に苦労いたしました。医者同士かばい合うということがあって、公平な鑑定をしてくれる医師が少ないというのが現実です。医療過誤裁判は、鑑定によって判決が左右されることが多いと思います。

 今、争点の整理段階で医師が裁判官の補助者として加わる専門参審制が論議されていますが、その医師のよしあしで今以上に大きく裁判が左右されると思いますし、裁判が密室化されて、患者の反論の機会が少なくなるのではないかと危惧しております。

 それよりもまず、公平な鑑定人の確保と同時に、鑑定の役割は医学的知見にとどめて、裁判官が総合的に判断して判決を出すことを徹底していただきたいと思います。

 第4として、すべての証拠の情報公開が必要だと思います。

 私の裁判で、病院側がうそをついていることを証明したいと思い、事故直後の警察での供述調書が一番真実だと思い、申請いたしまたが、医療過誤裁判は刑事ではほとんど不起訴となるため、その供述調書を民事裁判に出してもらうことができませんでした。

 カルテや不起訴になった刑事事件としての調書など、重要な書類もすべての証拠の公開が前提とならなければ、公平な裁判は難しくなります。

 最後に、私は娘がなぜ死んだのか、病院の管理はどうだったのかを問いたくて裁判を起こしました。ですが、私にとっては、裁判はつらく、理不尽なものでした。普通の市民が裁判を起こすということは、とても勇気の要ることです。その市民が裁判を起こして、大変だったけれども、真実が明らかになって、裁判を起こしてよかったと思えるような司法改革にしていただきたいと思います。

 どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。(拍手)

【事務局長】ありがとうございました。
 それでは、続きまして河野義行さんにお願いいたします。

【河野氏】私は長野県の松本市で会社員をやっております。今日は会社を休んでこうして出てきましたが、委員の皆様方にお願いしたいこと、それは被疑者への公費弁護制度を是非実現していただきたい、こういうことで私は今日出て参りました。

 平成6年6月27日深夜、自宅周辺にサリンガスがまかれました。7名が死亡し、600 名余りが負傷いたしました。警察は6月28日、私の自宅を、被疑者不詳、殺人罪で強制捜索をいたしました。そして、自宅より薬品や名刺、住所録、あるいはビデオテープ、ありとあらゆるものを押収していったわけです。そして、6月29日から、マスコミや警察は私のことを毒ガス事件の犯人として扱いました。

 事件を振り返ってみたときに、もし、あのガスがサリンではなく、シアンガスだったら、そんな場合、あるいは、私が6月30日に弁護士さんをお願いしていたわけなんですが、もし弁護士を依頼してなかった場合、恐らく私はすぐ逮捕されて、冤罪事件から抜け出ることができなかったのではないか、そんなふうに思います。

 私は大変早い時期に弁護士さんをお願いしているわけなんですけれども、これは私のことを犯人視報道したマスコミに対して民事訴訟を起こすためです。

 何の力もない市民が巨大な力を持ったマスコミや警察権力と闘っていく。これは大変なことです。自分が闘ってこられたのは、法律という盾があって、その法律という盾を使うことができる弁護士さんが7月1日から私の言い分を聞き、サポートしてくれた。だから、闘ってこられた。そんなふうに思います。

 私は事件発生より33日間入院いたしました。この期間、私は警察というところは、自分の財産や生命、そういうものを守ってくれるところだとずっと信じていたわけです。

 弁護士さんは、警察は犯人をつくるところだと言い切っておりました。

 私は7月30日に退院して、記者会見を行った後、警察の車で任意の事情聴取に出掛けていきました。このとき、私の主治医は診断書を私に持たせてくれました。その内容は、退院したが、自宅でも安静が必要であり、しばらくは事情聴取は2時間が適当であり、それ以上は全身状態の回復の度合いで判断したい。そういう旨の診断書でした。

 警察の車で警察に着きますと、私はすぐ担当官に診断書を渡しました。そうしますと、担当官は、すぐこれに署名をしてほしいと言われまして、ポリグラフの承諾書、そういう書類を出したわけです。このとき、私は自分自身隠すことは何もない、そして嘘を言う必要もないということで、すぐその書類にサインをしたわけです。

 警察はすぐに私をポリグラフの試験室に連れていきまして、そして、ポリグラフの試験が終わったあと、反応が出た、お前が犯人だ、そんなふうに責め立てたわけです。

 私がきっぱり犯行を否定しますと、次には、見舞客の中で複数の人間が、お前が薬品の調合を間違えた、そういうふうに聞いているとか、ある確かな人がお前が長男に対して、薬品や容器を隠すように指示した、そういうふうに聞いた人がいるということで、お前が犯人だというような伝聞情報、そういうものをぶつけて、犯行を認めよというふうに迫ってきたわけです。

 自宅では、長男が3人の刑事さんに取り囲まれて、お前は薬品や容器をどこに隠した、親父はもう犯行を認めているぞというような事情聴取を行っておりました。この日の事情聴取というのは、診断書で2時間が限度ですよというものが全く無視されて、7時間半の事情聴取を受けたわけです。

 次の日も警察に事情聴取に出掛けました。大変体がつらい、そういう中で机にひじを付いておりますと、いきなり姿勢を正せというふうに言われました。そして、お前が犯人だ、さっさと本当のことを言え、そんな自白の強要を受けたわけです。自分が幾ら本当のことを言っても、警察は私の言うことを聞こうとはしませんでした。

 世間では、被疑者の人権ばかりが守られ、被害者の人権は守られていないとよく言われておりますが、警察においては、被疑者の人権はない、そんなところだと、そんなふうに私は体験いたしました。

 私は知人の紹介で弁護士さんをお願いしたんですが、このときに弁護士さんは大変私の代理人を受けるということを躊躇したそうです。それは世の中で、悪いやつの弁護を受ける、その弁護士さんも悪い人だと動いてしまって、弁護士さんをバッシングする、そういう風潮があるからです。

 弁護士さんの家族、あるいは友人、みんなそんな弁護を受けてはいけないよと反対をしたわけです。案の上、弁護士さんが私の代理人になったその日から、お前は悪徳弁護士だ、乞食弁護士だというような誹謗・中傷の電話やFAXが続いたわけです。

 こんな状況を想像できたから、弁護士さんの周辺の人たちは反対したように思います。

 被疑者への公費弁護制度を論ずるとき、どうして悪い人に税金を使って弁護するの、そんな意見をよく聞きます。公正な裁判で有罪が確定しないうちに、悪い人などと決めてしまうこと、その方が私は問題であると思います。無罪推定、黙秘権、弁護人の役割など、刑事司法の正常化は、教育によってしか改善できないものなんだろうか。そんなことを考えます。

 全国の12の都市で当番弁護士を支える市民の会が設立され、当番弁護士を支援しております。当番弁護士の出動が増えていると聞きますが、この制度は日弁連の会員弁護士による財政支出とボランティアにより支えられている、そんなふうに聞いております。

 私は警察から公式には被害者と言われながら、被害者の任意の事情聴取すら、あんなにひどい取調べが実際には行われるわけです。逮捕されていたらもっと過酷な取調べが行われているであろうことは容易に想像できます。冤罪や不当な量刑というのは、逮捕から起訴、あるいは不起訴の間に決まると言っても過言ではありません。経済的に恵まれない被疑者が、この最も大事な時期に弁護士を依頼するのを躊躇してしまう、そんなことがあるではないかと思います。

 公正な裁判を受けるという市民の当然の権利を守るのに、ボランティアに任していて本当にいいんでしょうか。私は被疑者の起訴前弁護費用は公費で賄って当然だと、そんなふうに思っております。是非このことを真剣に考えていただきたい。そんな気持ちでやってまいりました。

 失礼します。(拍手)

【事務局長】ありがとうございました。それでは、続きまして、標博重さんにお願いいたましす。よろしくお願いいたします。

【標氏】標博重でございます。私は公害環境問題の住民運動に携わっております。住みよい環境をつくる東京住民運動連絡会、道路公害反対運動全国連絡会、日の出の森トラスト運動、その他幾つかの団体の役員をしております。

 私自身も20年ほど前に、都市計画道路の事業認可取消請求訴訟の原告として、8年間裁判を闘いました。また、その後も日の出の廃棄物最終処分場建設の事業認可取消、また現在日の出の処分場は収用法が掛かっておりますので、この収用法を巡って幾つかの裁判を起こしております。これらの原告になるという形です。また、国道43号線、西淀川、川崎、尼崎、こういった道路公害裁判の支援。さらにはまた、現在東京で大気汚染道路公害裁判が東京地裁で行われておりますが、この支援団体の役員と。そういうものを通しまして、行政を相手とする行政訴訟、行政を相手とする名誉棄損の民事訴訟、あるいは損害賠償訴訟、そういったものにずっと関わってまいりました。

 これらの裁判を通しまして感ずることは、現在の裁判制度では、公害被害者を早期に救済し、また公害を未然に防ぐということは、極めて困難であることを経験いたしております。特に今、申し上げたように行政を相手とする裁判では、行政が優位にすべての点で立っておりまして、私は今回の司法改革ということにおいては、いろいろと制度上の問題が数多く改革するために議論されておりますけれども、裁判の内容、司法の内容、司法というのは私が経験したところで、裁判官と弁護士、これが私が携わった司法です。これが本当に国民本位に改革されるということを願っております。経験を通してこれから意見を幾つか申し上げたいと思います。

 まず初めに、訴えの利益が守られるよう、訴訟期間を合理的に短縮していただきたい。また、行政訴訟等において裁判中に被告の行政が事業を進行させ、訴えの利益を侵害するということを規制する仮処分等、裁判上の措置を講じていただきたい。

 公害裁判の期間の短縮ということにつきましては、国道43号線、西淀川、川崎、尼崎、名古屋等、道路公害裁判におきましては、判決までに十数年を要しております。その間に、多数の公害患者の原告が死亡しておりまして、長過ぎる裁判は訴えの利益を著しく侵害していると、そう思わざるを得ません。

 その長過ぎる裁判の原因の一つは、被告の企業や行政が、多数の同じ被害を受けている原告個々に対する必要のないと思われる、不必要な被害立証というものを長期に及んで要求しているということがございます。こういうことを訴訟指揮の面から改善をして、もっと短時間の間に事実を明らかにし、被害者の苦しみを1日も早く救済してほしいと考えております。

 次に、事業認可取消訴訟、収用事業認定及び収用の裁決取消訴訟等では、やはり一時事業や手続を停止し得るようにしてほしいと思います。事業認可取消訴訟等で裁判が長期に及ぶとき、事業はどんどん進行してまいりまして、事業完成が訴えの利益を侵害いたします。地権者のみならず、道路公害の被害を受ける沿道住民の多数が反対している場合には、事業及び手続を一時停止する、そういう処分をなし得るような裁判制度に改革してほしいと思います。

 これは同時に、国民に対する公権力の行使、これは厳しく制限されなければならないというふうに考えるものです。現在は、公権力の行使が国民の権利に優先し、政治的に乱用されているからであります。日の出のトラストや公開審理にこりて、収容法を簡素化し、改悪しようとする建設省や都知事の動きは、断じて許すことができません。

 現在の日の出の訴訟の中では、収用裁決の取消の訴訟を争っておりますが、その一方ではこの判決以前に都知事による強制代執行、これが間近に迫っていると、そういうことになりますと、収用裁決取消の訴訟という裁判自体の訴えの利益が、全く消滅するということになってしまいまして、私ども国民に与えられている訴える権利というものが、行政というものによって阻害されるということになってまいります。

 上記のような行政相手の訴訟には、事業の必要性や、またそういう観点から上記の行政相手の訴訟には事業の必要性、公害などのメリットやデメリット、それから行政の住民対応の公正性、こういうものを判断するために、私は国民による陪審制というものも必要ではないかというふうに考えております。

 2番目には、道路公害裁判等の原告適格を沿道住民に広く広げてほしいと、公害を未然に防ぐ予測可能性と回避可能性を実行させる、これが司法の役割ではないかと思います。是非司法が国民を門前払いしないでいただきたい。私が原告となった事業認可取消訴訟では、原告適格について判断をせずに審理が行われ、最終的には被告の東京都と和解をしたために原告適格の判断をされませんでした。しかし、中央環状新宿線の事業認可取消請求事件では、最高裁の判決が原告適格を地権者のみに限り、沿道住民に原告適格を認めませんでした。都市計画法は、抽象的、一般的な公共の利益は守るが、特定の地域の特定の住民の利益は守らないという解釈、それを最高裁が採ったわけでございます。

 地権者は、居住権や財産権を侵害されますが、道路公害等は関係がありません。つまり、立ち退いてしまいます。道路公害被害を受けるのは沿道住民でございます。この法解釈では公害道路の建設をやめさせ、そして公害を未然に防ぐということは、現在の法の仕組みではできません。前述の道路公害裁判では、原告が勝訴しました。つまり公害が発生して訴えれば、住民は勝訴できる。こういうことです。しかし、道路公害を未然に防ごうとする住民の訴えは認められないという、こういう大きな矛盾が現在あるわけでございます。

 しかし、道路公害裁判の判決の中で、事業者に予測可能性と回避可能性を強く要求いたしました。事業認可取消訴訟においてもこの予測可能性と回避可能性という、最高裁始め各地裁、高裁の原則というものを使って、原告適格をもっと幅広く認めていただきたい。

 門前払いというものは、環境被害の裁判とは言えないのではないかと思います。時代遅れの都市計画法を改正させるためにも、司法、裁判所や弁護士の皆さんの進んだ判断が必要ではないかと思っております。

 3番目に、都市計画法を都市計画決定を争えるようにしていただきたい。今も申し上げましたことでございますけれども、現在は事業認可取消訴訟は争えるけれども、都市計画決定を法で争うことはできないという仕組みになっております。都市計画決定の段階では、事業実施や事業範囲が確定せず、該当住民が確定していない等の理由でございますが、先に述べたように、事業認可後は裁判中にも事業は進行し、完成することもあり、訴えの利益が喪失されてしまいます。道路公害、町壊し、自然破壊等を未然に防止するには、都市計画決定の段階で争うことができなければ、訴えの利益はありません。都市計画決定は、地域や該当住民を実質的に特定はいたしております。そして、現に建築基準法では規制を設けております。

 4番目に、これは今度の司法改革と関係は、あるいはないとおっしゃるかもしれませんが、裁判と行政の関係というもので、先ほど申し上げた裁判が、より行政が優位に立っていること、この状況をやはり司法制度が関わる中においても改善してほしいと思うわけです。

 最高裁判決を行政は無視していいのでしょうか。一遍の環境庁の告示が、17年間の国道43号線の裁判闘争や、あるいは最高裁の判決を言わば無効にしているというのは不可解です。国道43号線最高裁判決は、騒音の違法の限度を、道路端から20メーター以内は、透過騒音で60デシベルとしました。ところが、環境庁は、この後すぐに国道43号線というものの判決は特定地域のものであって、一般的、普遍的ではないという態度を取りました。

 そして、同時にまた、この60デシベルという限度が一般的に世間に通用しては、もうこれから道路はつくれないというふうに考えたのでしょう。環境基準を何と70デシベルに改悪をしてしまいました。国道43号線の沿道の状況は決して特殊なものではありません。全国的に高速道路と主要幹線道路がセットになっている地域、東京の高速道路は、都市高速道路がすべて同じ状態です。共通の状況であって、国道43号線の沿道の状況は決して特殊なものではありません。問題は、行政が不当にも最高裁の判決を無視したことについて、裁判所も弁護士も口をつぐんでいるということでございます。これは私には理解できません。

 環境基準は、環境庁の告示であり、基準は行政目標であり、法的に拘束しないものだと、だから最高裁も弁護士の皆さんも、最高裁の60デシベルというものを環境庁は告示によって70デシベルに直した、変えてしまったということを不当だとはお考えにならないのでしょうか。しかもこの基準が、現在環境アセスメントで基準として使われております。また、事業認可という処分の合法性の根拠にもなっております。日常的な環境の物差しとして、現在この70デシベルというものが闊歩しているというのが現状でございます。誠に不可解でございます。

 以上申し上げたことによって、本当に司法が国民本位のもの、そして司法に対する行政の優位が、この司法改革によって覆って、本当に行政が国民に奉仕するという立場に立つように、是非とも委員の皆さん方の御努力を期待いたします。

 以上です。(拍手)

【事務局長】ありがとうございました。それでは、続きまして、関口千恵さんにお願いいたします。よろしくお願いいたします。

【関口氏】関口千恵と申します。

 私自身は、今日伺ってどういうことをお話するかと考えておりましたが、先に一つ申し上げたいことを申しますけれども、国民のための司法改革というような、司法制度改革をうたってらっしゃるので、私たちのような立場、後で申し上げますが、国民のための司法改革だと私たちは入るんだろうか、入らないんだろうかというふうにいつも悩む立場におります。それは、私自身がいわゆる国際結婚で今年で12年目なんですが、外国籍の配偶者を持っているということ、そういう立場からそのように思います。

 恐らく国民という解釈が、法制度上日本では都合のいいときは外されて、税金を払うときだけ国民の中に入るようなことを日ごろ経験しておりますので、一般の日本人にはそういうのは感じないと思いますが、よくあるわけで、私たちとしてはよく感じる疑問なわけです。

 いきなり入りましたけれども、ただ国民ということではなくして、市民のための、あるいは住民のための司法改革ということを解釈しまして、今日ちょっとお話を申し上げたいと思います。

 申し遅れましたが、私自身はフリーランスの記者を、ジャーナリストをしておりまして、フリーランスですからどちらかに所属するということではなく、新聞とか雑誌とかさまざまな媒体に日ごろから書くという形をしています。その中で、今年で9年目になりますけれども、一つだけ申し上げましたならば、法学セミナーという月間の法律雑誌がございますが、こちらの方には巻頭でずっと連載をしており、その他も司法改革のことも書かせていただいております。そういう立場ですので、オーソドックスに司法改革についての意見ということを申し上げてもよろしいかと思ったんですが、やはり今日は最後の4回目の公聴会で、ちょっと札幌の方は私まだはっきり確認をしてないんですが、公述人をされた方もそうですし、当然そちらに必ずいらっしゃる方といらっしゃらない方が、こちらの先生方ですね、いらっしゃるなと思いながら見ていたんですけれども、やはり日本人ばっかりであると。多分、自分しかこういう話をすることはないだろうということに絞らせていただいて話します。

 それは、論点の中の、先ほどもちょっと触れましたが、司法の国際化ということです。司法の国際化ということは、一般に議論されている文脈というのが当然ありますが、要するに財界、経済団体の主張、規制緩和のこの時代に、日本の企業、経済力がこのままでは国際競争の中で取り残されてしまうというような文脈でしか司法の国際化を語られておりません。ただ、これは突っ込むことはやめますけれども、私自身は正直言いますと、財界の方のそういう認識というのは極めて正しいと思っています。それだけに止めます。今日は、人権の方の話をしたいもんですから、もし後で質問をいただけましたならば、それは申し上げたいと思います。

 司法の国際化というのは、もうちょっと地に足の付いた司法の国際化を考えていただきたい。それはまず大前提として、必ず念頭に置いていただきたいことなんですけれども、今年の2月18日と4月1日に順次施行された、私たちにとっては非常に重要な法律があります。それは出入国管理及び難民認定法と外国人登録法という、日本にいるすべての在日外国人を管理する、根幹たる二本柱になる法律です。これの改正案がそれぞれ施行されたわけなんですが、それが審議されました昨年の通常国会で、先議だったものですから、私たまたま参議院の法務委員会の方で、これが私たちのような立場のものを一番直撃するような法律ですから、是非考え直していただきたいということをしゃべりました。

 しかし、残念ながらほとんどそのまま通ってしまいまして、私自身も実は似たような立場にありますので、実際に、特に80年代から多くなってきました、アジアを始めとする第三世界からのニューカマーと呼ばれる外国人、そういう外国人と婚姻している日本人の女性、男性両方いますけれども、特に女性が多いんですが、それからかなり悲痛な相談というものを受けております。昨年の法案も、非常に私たちにとっては辛い法案でしたので、何とか引き止めてほしいということを多々あれしたんですが、そういう結果になりましたので、実際に私は直接その泣いている声を聞いております。

 一つだけ言いますが、今朝もたまたまファックスで、この方は今日私がここでお話をするというのは全く知らない方です。読者の方なんですが、この方は、国籍はちょっと伏せますけれども、相手の配偶者の方が中近東の方で、2年前に強制送還、入管法でいう退去強制されました。いわゆる麻薬とかその種の凶悪犯罪には一切関わらず、いわゆる単純なオーバーステイだったと。それが、入管に行ったところ、通常1年で戻れることになっているからというので、それを信じてとりあえず納得したところが、実際にはそうではないということを2回ぐらい、今日も何か東京入管に行っているみたいですけれども、そういうようなことで、だれかに聞いてもらいたいということでファックスなんです。非常に長いファックスなんですが、たまたま外国人と結婚しただけで、結婚と同時に日本人から外国人配偶者として扱われるようになりましたと。家族が離れて暮らすことを余儀なくされて、それがいつまでも、何年になるか分からないと、夫が入国を許されないという悲しさを、まただれにも分かってもらえないと。オーバーステイそのものが行政法違反、法律違反だということは分かってはいるんですが、それが、これは冗談ではなくて何年離されるか分からないというのは、特に最近の法案の施行によって、当事者はみんな感じていることです。そういうふうな中で、置き去りにされていて、日本国籍者として国のこういう扱いはどういうことなのかという、こういう嘆きをしょっちゅう受けています。

 実は、私の配偶者はバングラデシュ、皆さんバングラデシュが分かるかどうかと思うんですが、20年ほど前にパキスタンから独立しまして、日本から見ましてビルマとインドの間にある小さな国です。そちらのバングラデシュの国籍なんですが、親戚はパキスタンにいたり、インドにいたり、イギリスにいたり、アメリカにいたりと広がっております。この配偶者と私どもが今、読み上げたようなこの方の立場と同じような状況に12年前にありました。ちょっと非常にはしょって言いますけれども、オーバーステイの人と婚姻は成立させられるんですけれども、しかしすべての外国人はビザがなかったら日本に合法的に滞在できませんから、何らかの形で合法的な資格を取らなければいけないと。それで、非常にこれもはしょって言いますと、在留特別許可というのが入管法50条にあります。50条だったと思いますが、50条にあります。50条の3項のところを活用して、それが要するに法務大臣の裁量による在留特別許可というふうな条項なんですが、それを取りました。私どもの前に、50条をそういうふうな形で取ったという方を、随分探したんですが見つかりませんで、そのような形の活用ではパイオニアケースだったわけです。そのパイオニアケースを、ちょっと宣伝のつもりじゃないんですけれども、本にいたしまして、共著の形で出したものですから、先ほど申し上げた読者の方というのは、こういう本を読んで相談に来るというような形です。

 そういう相談を受けている立場も、私の後の方、私個人の考えではなくて、私の後の方の気持ちも含めてお話ししたいと思って今日伺ったんですが、私たち自身の経験で言いますと、一番感じたことの一つは、この司法改革の絡みで感じたことで言いますと、弁護士、今日何か結構弁護士の話が出るなと思いながら、先ほどから伺っていたんですけれども、弁護士がどうしようもないなというのが正直言って本音です。私たちの立場では。本当にそうです。

 私ども実は、勿論さすがにここでは言葉に出しませんけれども、こちらにこうやって御感心のある皆さんが言えばすぐ分かるような著名な弁護士3人に、人を介してではありますけれども相談をしました。どっちにしたってオーバーステイなんだから帰れと、いや別にほかの犯罪は一切、そんな危ないことはしてなくて、オーバーステイになったというのも本人はなりたくなかったんです。これもはしょりますが、させられたという形だったんですね。どうも非常に不服だから、やはり闘いたいということでやったんですけれども、バングラデシュ、そんなの絶対無理だよというある著名な弁護士の方からのお言葉もありまして、12年前です。別にそれは余り根に持っては、その方に対して、いいお仕事を日ごろはしてらっしゃる方なんで言いませんが、こういうものなんだなとショックを感じました。多分、普通の日本人、一般の市民の方よりショックを感じたと思います。

 というのは、先ほどもどなたかいらっしゃいましたけれども、私自身も出身が早稲田の法学部なものですから、やはり司法試験の受験生も多いですし、ある程度合格者も出している大学なんです。何が言いたいかというと、要する周りの法学部の同期、先輩、後輩に、今、現役で活動している法曹がたくさんいるんです。今、日本の弁護士ってしようがないなとか、期待できないかと思ったというのは、そういう非常に身近な学校のころばかやってて、その後弁護士になったり検事になったり裁判官になったりと、そういうような人たちも踏まえて言っていることです。友達同士ですから、何でこういうことをもうちょっとしっかりやってくれないのかということを私は言うんですが、いやそんなの日本人だから分からないもんとか言うようなのりです。

 実際に私どもに、先ほども読み上げましたファックスもそうなんですが、相談に来られる方の特徴も、弁護士は付いていますと、しかし頼りにならない。いわゆる外国人を支援する団体とかいろいろありますけれども、そういう市民団体にも相談をしています。しかしやはり頼りにならないということで、最終的に一番こじれて面倒くさいケースが、もうほかにだれもいないから、別に私はただの一市民ですから、記事を書くぐらい以外のことは何もできないんですがということは、その方々も分かっていて、でもだれかに分かってもらいたいというのは、やはりこういう立場で、別にこれはオーバーステイと入管法違反でなくても、特にアジアやアフリカや中南米の配偶者を持ちますと、もう人間関係を失ってしまうんです。親も友達も失ってしまう。やはり妊娠しても一番の親友に、あなたは絶対だまされているんだから、中絶した方がいいとか、よく日本人は一般にはとてもやさしい民族でとか、礼儀正しくてと、やはりとてつもない、信じられないことを平気で言われたりして傷付くから、人間関係ががらっと変わってしまう。だから、そうすると自分たちと同じ立場の人というのが、一番分かってもらえるだろうと思って来るということが一つです。

 もう一つは、日本人の弁護士がだめだ、だめだと申し上げましたけれども、こういう経験をしなければ、自分もそうだったろうと思います。私、昨今は戦後民主主義なんかを非常に上げつらったり、正義とか人権とかいうと、何か非常に茶化したりするような傾向がありますけれども、正義とか人権を茶化すような風潮の社会というのが怖いと思うんです。

 そういうような社会でありますけれども、やはりこういう中で一番期待したいことというのは、特に私たちの生活の中では、行政訴訟が一番多くなってくるんですけれども、もう個人がいきなり国と対峙しなければいけない、その中で正義を実現してほしい、そして勿論頼るところは司法であるし、やはり人権の確立としての司法に期待をしたいと。

 ところが、もう裁判官とか検察官の批判というのは、私、済みません、批判するレベルまで行っていないんで、行ってないと言いますか、言うまでもないので、裁判官と検察官のことは今日余り言いたくなかったんです。弁護士が少なくとも、やはりある程度頑張ってくれればというところが、余りにも期待できないというのの一つが、先ほど言ったことのもう一つとして、日本人として生まれてくるとだめなんです。分からないんです。本当に私もびっくりしました。まだ、20世紀も終わりなのに、この国の入管行政、こちら今日法務省の主催なんで、でも言ってしまうんですけれども、法務省の主管たる出入国管理行政がこういうことをしているのかなということを非常にびっくりしました。

 そういうような泣いている人たちがたくさんいますと、それを昨年の国会でも申し上げたんですが、せめて、別に優先するとか、権利を優先するわけじゃないんですけれども、自国民が家族を破壊しないでくれと、何年夫と引き離されるか分からないなんていうことはやめてくれと言っているんで、一部間違った報道があるんです。

 ここに新聞記者の方いらっしゃると思うんでお願いしたいんですが、日本人の配偶者であれば必ず在留許可が出るというようなことはあり得ません。それは、たまたま運よく弁護士が付いたとかいうようなことであって、その弁護士が多少働けばそうですけれども、まだまだ泣いていて、とてもじゃないけれども声を上げられない人というのはたくさんいるわけです。

 そういうようなことで、要するに日本人というのは強制送還されませんね、当たり前って皆さん笑うかもしれませんけれども、自分の国から強制送還されてどうするとか思うと思うんですけれども、ただもし言うならばそうなんです。強制送還される怖さというのが分からない人たちでは、幾ら法律的に優秀でも、それだけじゃ足りないんじゃないか、よく裁判官や弁護士は、幾ら法律的に優秀でもどうかという意見がいろんな立場から出ますけれども、私もそう思うんです。外国人は、この間のどこかの知事の発言じゃないんですけれども、基本的に何か怪しい人たちだ、外国人の存在全体が、凶悪扱いされてしまったんですね。ですから、そういうような場合に、やはりこちらとしては150 万外国人がいますから、クラスアクションしたいとか。私はアメリカのロースクールを取材でも見てきましたし、アメリカのロースクールを出て、アメリカの弁護士資格を取っている日本人の方に、過去10年近く取材をしてきておりましたり、いろいろ友人関係もおりますので、これはクラスアクションものだねというようなことを、すぐ言うんですけれども、しかしそういった集まりでも、こういうクラスアクションをしても、私は取材しているところででも、クラスアクションをしても裁判官がやはり分かってくれるかという段階で、初めて裁判所とか裁判官の話は出ます。

 私は、この間も、やはりその件でも動きましたけれども、弁護士自体が勉強してないからとか言って、皆さんお逃げになる。お逃げになるところの一番困るのは、憲法。私も憲法はすばらしい内容だなと思っていたんですが、どちらかと言いますと私たちの立場では国際法、特に国際人権法です。国際人権法を使いたいと思うことが非常に多いので、ここ数年気付いたんですが、この国際人権法というのが、私のころの法学部とまた最近も変わっているかもしれませんが、やはり国際人権法、公法もそうですけれども特に国際人権法です。日本政府が批准する国際人権法というものを使って、今、裁判をしたいというような機運が結構あります。これは外国人の当事者とかそういうことだけではなくて、子どもの権利条約、例えば児童の虐待法が一応成立はしましたけれども、何かいろいろ、まあいいです。法の評価をするところじゃありませんから、立法府じゃありませんから。児童の虐待法についても、どうもなかなか使えないから、子どもの権利条約でいきなり訴えたいと、そういうような人たちがたくさんいるんです。受ける側が、裁判所が判決を読んでも全部国際法を無視している。解釈とかこういう提案なんかも全部無視している。それが一つと。

 あと私が非常に尊敬させていただくような、学者の方や弁護士の方というのは、大体皆さんそういう国際人権法の最先端のことを非常に勉強なさっていて、お詳しい方が多く、そういう方もいるわけです。全員がだめだということだけじゃないんです。そういう方々から見れば、逆に日本の憲法学者や何は、私もそう思うんですけれども、国際人権法についてもっと勉強してもらいたいと、国際法というのは何か私たちのころは4年の必修だったんで、一番最後にやるみたいな、それも付け足しで、みんな就職活動に走っているころ、これじゃだめだと思うんです。司法試験の科目に国際公法、私は公法よりもむしろ私法が重要だと思いますが、私法を必修にするぐらいではないと、これからやっていけないと思います。

 というのは、先ほど前提として言った二つの法案のほかに、その直後に21世紀懇談会とともに、法務省から第2次出入国管理計画と、小渕さんは亡くなりましたけれども、その私的諮問機関の21世紀懇がありましたね、あそこが同じように移民受け入れということを発表しました。要するに、高学歴専門職がほしいと、あと足りない、くだけていいますと下の世話をするような人たちを、ちょっと足りないから入れたいとかというような、大変手前勝手な、10年前にもそういう議論がさんざんありましたが、いきなりがらっと変わりました。でも、ある意味では革命的な変わり方だと思います。

 けれども、こんなことをやる前提で、今、本当にわずかなことを申し上げましたけれども、家族とさえ引き離されているような人たち、泣いていて何年経って一緒になるか分からない、日本に確実に入れるか分からないんです。そうしたら、そんな人は何年も生活設計を立てられないと、ある弁護士なんかに言わせたら、そんな信号無視したことのない人なんかだれもいないんだから、行政法違反のその程度のオーバーステイのことは、信号無視程度のことであるというようなことなんですが、実際にそういうふうに泣いている人がたくさいるような状況の中で、移民受け入れもないものだと私は思うんですが、もし移民受け入れをなさるのであれば、そういうことをこれから、当然司法改革の中で考えていだたくと。

 その場合に、今日はジュリー、私も陪審制賛成ですけれども、陪審制そのものよりも、というかその部分じゃなくて、ちょっと前後しましたが、長くなりますので固めて言いますと、ロースクールの中に、ロースクール自体の中に私はファカルティーのことや何かもありますので、今ははしょって言いますが、国際法主体のロースクールのカリキュラムにしてもらいたいということが一つと。

 先ほど、どなたかも公的な起訴前弁護のことをおっしゃいましたけれども、起訴前弁護でも特に外国人の場合には通訳です。もう裁判の段階までいかないんです。その前が余りにも問題があり過ぎてしまって。ところが、そういうようなものは裁判になりませんから、弁護士は受けてくれないんです。上手か上手じゃない以前の問題で。

 そのことと、外弁法を撤廃していただきたい。全く理想だけで無責任に言いましたら、日本人の弁護士だけでは頼れないというのは、とりあえずこうだといいと思うんです。日本人の弁護士が一応日本法をやって、必ず外国人の事件は、刑事だけでもいいですけれども、なるべくその国に近いような外国人の弁護士との組み合わせでやってもらえると、多分かなり理想に近くなるのでないかと思っています。ですから、経済団体の方々が言うのと、また別の人脈で私は外弁法を撤廃して、昔、12年前に法務省さんといろいろとけんかをしていたときもそうだったんですが、こういうときに、私の義理の叔父に最高裁の弁護士がいるんです。向こうのインド大陸はコモンロー、英米法の社会ですから、わりと私も理解がしやすくて、いろいろ見ているんですけれども、最高裁だけの事件を担当するという叔父がいまして、これだったらもし叔父さんが外弁法を撤廃されていて、簡単にこの国でプラクティスができれば、叔父さんの方がよっぽど我々の意図をくんでくれるかなとかということを非常に思いました。

 あと、当然専門特化です。入管法なんて大体自分が法学部時代も思ったんですけれども、その直前だったもんですから、そんなものやらないんですね。選択科目なんかの一番端っこにあったかないかくらいで、これを分かれという方が無理ということと、やはり自分、日本人が管理される法律じゃないですから、行政の中でも一番抽象的であいまいで、裁量行政の最たるものだというふうに私たちは入管行政を認識していますけれども、そういうようなものをそんな経験、その法律の名宛人、行政の名宛人でもない日本人が分かるというのは限界があると。ですから、そういうことでは、やはり専門特化ということと、さっき言いましたように、そういう仕組みや何かということを考えた方がいいのではないかと。

 当然、情報アクセスのことも必要です。外国法とか国際法というのを、私たちはもう一生を通じて、いろんなことでやはり両国の法律というのを見なければいけないんですが、これはもう個人ではとてもじゃないけれども無理です。ですので、そういうような情報センターが東京大学には勿論ありますけれども、それは一般市民に開かれたものではありませんから、やはりそうしたものが何らかの予算で必要だと。

 予算として私が今、考えていますので、通訳を相当予算を充てるべきだと思っていますし、あとこの情報センターの部分が相当予算を充てるべきだと。

 とにかく、当然弁護士は増やしてほしいんですが、その場合に何で司法研修所を残すのかなということもあります。あとで、質疑応答のときにもし出ましたらそのことについては申し上げますが、大体その辺りが今、私が提示したいようなことの一つです。

 そうだ、ごめんなさい。一番重要なことがありました。カナダとかオーストラリアの例が、調べるとよく出るんですけれども、独立の行政機関というのがあるんです。つまり行政に対して、そういうある処分を受けたときに、それを第三者の独立の機関がやるイミグレーションのトリビューナルというのがあるんです。そういうようことで、つまり私たちは何か処分を受けて、それに異議申立てをしても、処分をした当事者に異議申立をしなければいけないと、それでやはりちょっとおかしいですから、第三者の機関を設定して、それはすでにモデルがカナダやオーストラリア、イギリスにありますから、それはインターネットですぐ拾えます。ですので、そういうようなことも是非機関として、行政裁判所をつくるとか、憲法裁判所をつくるとか、そういうような話も漠然とはあるんですが、一番必要とされている特殊な準司法機関ですね、準司法機関としてはそれが必要だというふうに考えております。

 ちょっと長くなり過ぎたことか、あるいはその他の理由が分かりませんけれども、後でもし御質問等があれば、おっしゃっていただきたいと、御意見等あれば別の場でお願いしたいと思います。ありがとうございました。(拍手)

【事務局長】どうもありがとうございました。それでは、続きまして、野沢克哉様にお願いいたします。野沢様の場合には、手話通訳を介して意見を発表していただきます。通訳の御準備はよろしいでしょうか。では、よろしくお願いいたします。

【野沢氏】こんばんは。初めに、個人のことで申し訳ないんですが、私、7歳のときに全く聞こえなくなりまして、自分の声を自分でコントロールすることができませんので、我々が国の制度として要請してきた手話通訳に、私の手話を読み取ってもらって皆さんに聞いていただきますので、よろしくお願いいたします。

 そのために手話をしながらお話をいたします。私は現在、聴覚障害者の立場で、関東ろう連という聴覚障害者の7,000 人を組織している団体の理事長を務めております。現在、日本に75ある障害者を差別する法律を撤回することの運動を進めております。これまで、皆様方の御協力をいただいて、民法11条ですとか、民法969 条の公正証書遺言問題などについて闘ってまいりました。

 ですから、社会的弱者という言葉は好きではありませんけれども、今日はそういう社会的弱者という立場で意見を少し述べさせていただきたいと思います。

 我々障害者にとって、身近に利用しやすい司法制度の実現が必要であるというふうに考えています。現在は、障害者の社会参加、障害者雇用促進法、それから手話通訳者の国の制度化ですとか、いろいろと進んでまいりましたけれども、その中で当然ですが障害者も障害のない人たちと同じように、交通事故ですとか、財産問題、それから借金の問題ですとか、さまざまな問題に直面してトラブルを解決していかなければいけないという状態にある人たちが増えています。金銭的に乏しい障害者にとっては、法律の扶助制度の拡充、少額事件、あるいは行政事件などであっても、費用の心配なく弁護士の援助を受けられるようなシステムをつくっていただきたいと強く願っています。

 また、裁判所においても、手話通訳の費用を特に民事事件でも当事者の法廷での通訳、あるいは傍聴でも通訳の保障を公的な形で是非認めていただきたいというふうに思っています。こういうシステムがないために、裁判を起こすことさえもできないでいる聞こえない人たちが大勢います。ほかの障害者の場合にも同様であるというふうに考えています。

 2番目に、我々としましては、これまで差別法撤廃を闘ってまいりましたけれども、弁護士として社会的に経験を積み、人権感覚の優れた弁護士さん、そういった方々から裁判官に任用されるようなシステムを、是非つくっていただきたいというふうに思っています。

 先ほど、弁護士は信用できないというようなお話もございましたけれども、ともに闘ってくる中で、弁護士の人権意識を高めていくことも可能だろうと思いますので、仲よくやっていきたいというふうに思っています。

 聴覚障害者が当事者となっている事件に、私も鑑定人あるいは証人として関わってきた中で感じたことですが、聴覚障害者の生活実態を理解できない裁判官が非常に多いということです。具体的に申し上げますと、聞こえない立場で聾学校、聞こえない人の学校ですが、そこを卒業して、高等部を卒業しても、社会的な生活能力、それは勿論十分に付くわけですが、耳からの情報がないことによって、いわゆる言語力は小学校の3年生程度のレベルでとどまってしまっているということが、決して珍しくありません。そういうことがどうしてなのかが、障害者の生活の実態を知らないからそのことが理解できない。契約書の作成なども、当然聞こえなければ読めるはずだというふうに判断されてしまうというようなことが、非常に多いということです。

 我々の障害は外見から見て分かりませんので、聞こえないことによって生ずる二次的、三次的障害、例えば、言葉の幅が狭いですとか、契約書を読めない、社会的に被害を受けるような立場になりやすいというふうなことを、なかなか裁判官には理解してもらえない。そのために、我々の更生に役立たない判決を下すような裁判官が多いように感じています。

 エリートとして社会的な十分な経験もないままに裁判官になった方々が、社会的弱者である障害者の実情を、一般的な特性を、裁判の場で十分短時間で理解をしていただくということは、非常に難しい状況にあります。我々、裁判をやりますと10年、6年、これまでも非常に長い時間が掛かっています。お金の面でもとても闘い続けられないという状況です。

 また、我々が民事問題で、弁護士を頼んで連れていくと、裁判官の方からは必ず言われることが、弁護士が付いたんだから、手話通訳はいらない。全部、弁護士さんに任せておけばいいんだと。障害者は裁判に出てこないでもいいよという言い方をされる。そういうふうに言われる裁判官が現におられます。人権感覚がどこまであるのか、非常に疑問を持っています。

 そういう面もありまして、弁護士として実務経験のある、我々障害者の日常生活の中で交流のある、人権感覚豊かな弁護士に是非裁判官になっていただきたい。これが私たちの願いでもあります。

 聴覚障害または視覚障害者で、現に弁護士として活躍しておられる方が大勢いらっしゃいます。手話通訳、あるいはコンピュータ、機械等の活用でもって、実務上の問題は全く起こっていません。裁判官の採用に際しては、今お話ししたとおり、システムを是非つくっていただきたいというふうに思っています。

 最後に、現在、司法試験制度に代えて、法科大学院をつくるというような構想があるというふうに聞いておりますが、この法曹界の人材の多様性をむしろ失ってしまうのではないかという危機感を持っています。もし、どうしても法科大学院を設立しようという場合には、障害者にも門戸を開くようなこととともに、障害者自身による障害者援助なんかについても学べる場、手話通訳などを付けるという方法での学習保障なども十分配慮をしていただきたいというふうに思っています。障害者が、法科大学院から事実上占め出されることがないよう、格段の配慮をいただきたいといふうに思ってます。

 私が今回、この意見発表の中で是非申し上げたいのは、手話通訳の公費実現です。これをあらゆる方法で認めていただきたい。これが平等な人権感覚だというふうに考えております。(拍手)

【事務局長】ありがとうございました。お待たせいたしました。では、最後に堀眞理さんにお願いいたします。よろしくお願いいたします。

【堀氏】御紹介をいただきました堀と申します。私は、商社で法務担当をしておりまして、今回の司法制度改革につきまして、一応企業の法務担当者としての立場から意見を述べさせていただきたいと思います。今までの方が、かなりドラマチックな方々がいらっしゃいましたので、最後に当たり前のような人間が来て、当たり前のようなことを言ってしまうのは、大変恐縮なんでございますが、一応、「はひふへ『ほ』」だそうですので、御了解いただきたいと思います。

 経済活動をしております企業にとりましては、司法制度改革についての最大の関心事というのは、何といっても裁判時間の短縮であると思います。それは間違いないことでございますが、それは今日も何人かの方が話しておられましたように、いろいろなところで論じられていると思いますので、今回私はそれ以外の点について、ちょっと申し上げたいと思います。

 一つは、これも先ほど医療過誤の櫛毛さんのところで言われてしまったことではありますが、担当裁判官の途中交替のことです。それまで、何年も掛かって進んでいた訴訟で、裁判官が交替することによって、訴訟の流れが変わったり、終結してもう次回は判決だというふうになっていた事件で裁判官が交替したことによって、また弁論が再開され、証人尋問まで再開されてしまうというようなことがよくあるわけです。

 これは、企業にとってみれば、企業じゃなくてもでしょうが、大変困った問題に発展すると、大げさですが、そういうふうになるわけです。

 一応、企業活動の中でも、トラブルはいろいろあるわけですが、訴訟となるような案件は当然のことながらその経過とか、経緯とか、そういうものを経営陣に報告いたしておりますので、それまでの訴訟経過と異なるような展開がされたり、進行になったりしますと、結果を予見しながらいろいろと行動しておりますので、その前提が崩れてしまったり、まるで時間が戻ったような感じになってしまうわけです。それまでに、特に長く何年も掛かっているような訴訟では、そのような事態になったことを、経営陣に理解してもらうということは、非常に難しい問題でありまして、大概の場合は我々法務担当者が、あいつはこんなになるまで気が付かなかったんじゃないかというような、密やかな非難を浴びるということになってしまうわけです。

 一応、法務担当者の端くれですので、裁判官は独立しておって、交替した裁判官は自身が正しいと思う訴訟指揮をするということが、当然であるということは一応理解はしておるんですが、一般の感情としては、裁判官そのものよりも裁判所、例えば東京地方裁判所で裁判していると思っておりますので、同じ東京地方裁判所で裁判が継続していながら、まるっきり逆の展開になってしまったり、また何年も前に時間が戻ってしまったりするような事態を、それを理解しろということはなかなか難しいことなんではないかと思います。

 結果といたしましても、企業にとりましては、訴訟の経過などは引当金の問題ですとか、有価証券報告書なるものを出さなければいけない場合もございますので、いろいろな部署とか手続と連動しながらやっておりますので、裁判官が途中交替したことによって急に訴訟の流れが変更になってしまうということは、非常に困った問題であると思うわけです。

 裁判官の転勤をされる時期であるとか、転勤がどのようなときに、合理的に転勤させるのかとか、それによる裁判内容の継続性ですね、そういうところは結局のところ裁判官の人数が不足しているのではないかと、その問題がネックになっているのではないかと一応考えておるわけです。転勤を単なるローテーションとして考えた場合、裁判官の数が十分であれば、引継ぎ期間なるものを置くことによって、前後の裁判官の間で事件の引継ぎが可能になるのではないかとも思いますし、裁判の迅速という問題についても、一応計算上では裁判官の数が倍になれば、事件の処理事件は2分の1になるのではないかと、こんなように考えるわけです。

 転勤は、企業もそうですけれども、単なるローテーションばかりではないでしょうし、裁判時間もそのようにはいくもんではないと思いますけれども、新しい制度を設計される際には、裁判官の人数の問題ということを是非とも御考慮いただき、途中交替の問題であるとか、時間の短縮の問題を、今より少しでも緩和していただけるようになればと思います。

 もう一つは、裁判官の取引社会、実態への理解ということであります。

 これもまた、先ほどの医療過誤の櫛毛さんのところで言われてしまったわけですが、今、国際化なることが言われながらも、現実の日本の実体経済社会の取引では、契約書とかその他の関係書類が必ずしも作成されるというわけではありません。威張ってもしようがないのですが。また、取引について第三者と言われながら、直接の契約相手じゃなくても、取引そのものの仕掛人であったり、一方と特殊な関係にあって、単純に第三者とは言えないような場合があるわけです。

 よくあるのは、与信限度の関係とか、資金的な理由から、中間に商社とかリース会社などを介入させて、間に入れるという取引がよくあるわけですけれども、そのような取引の場合には、中間の商社やリース会社に対してどちらが依頼したかと、これによって取引行為として全然違った形態を取るわけです。何だかんだと言いましても、今の日本では、通常依頼した会社に一応義理を立てるというところがありますので、直接の交渉相手、直接の取引相手は違っても、間に入る人と自分が直接の取引があったとしても、やはり入れてきた人、依頼を通して交渉を回すというようなやり取りがあるわけです。そういうふうなところで頭ごなしの直接取引みたいなことは避けるというようなところが往々にしてあります。そういうような案件が裁判になった場合には、往々にして裁判官の方は杓子定規なところがありますので、契約書がないとか、本当は依頼した者の証言が第三者の証言だから信用できると、このように外形に重きを置いて判断をする場合があるわけですが、その場合に我々が仕掛人との取引高が多い方が関係が深いとは限りませんよとか、多額であっても古い債権者よりも、小さいけれども最近付合っている債権者の方が影響力としては大きいんですよというようなことを、利害関係があるんですよというようなことをいろいろ説明しても、なかなか御理解いただけないことが多数あります。特に取引を仕掛け、直接に代金を支払わせたような、そういう案件の場合には仕掛人としては、だまして支払わせたなどということが言われないように、経済行為であるということを強調して、直接支払いを受けた方に傾いた、有利な発言や証言をする場合もあるわけですが、そのような証言は我々は、何と言うか、単純に第三者の証言じゃないんではないかと思っているわけですが、一応そういうふうな形式的な第三者という者の証言は我々が思った以上に重く評価されて、和解とかそういう席で非常に重く評価されてしまうということがあります。

 こういう形式的な判断に接しますと、裁判官の方が、私は仕事としてこういうことに関わっていますので、すべてがそうではないとは思いますけれども、我々が常識として思っていることを、そのように思ってはおられないのでないかと、現実的な経済活動なるものを余り御存知ないのではないかと、こういうふうに思ってしまうわけです。

 基本的に、私としては、現在の裁判制度なるものを信頼しておりますけれども、裁判官の方がもっと取引の実態に踏み込んで御判断いただけるようにしてほしいと思っております。

 一応、企業の法務担当者としましては、弁護士さんにつきましては、この件はあの先生に依頼しましょうとか、弁護士さんの個性を私たちが選択すると言うんですか、選ぶことができるんですけれども、裁判官を選択するということはできませんので、数多くの裁判官の方に、そのように取引の実態に触れる機会を増やしていただきたいと思います。

 裁判官が、弁護士さんとかそういう取引社会の実態を理解した人の中から選ばれるという制度、法曹一元という制度があることも、必要な案件については参審制でしたか、そういう特殊な人を入れるという制度があるようなことは聞いておりますけれども、それは将来において必要かもしれないと思いますけれども、とりあえず現在の裁判官の方が契約書とかそういう書証や、形式的な第三者の証言を偏重して、言ってみれば無難な線を取るというようなことがないように、定期的な企業研修だけではないと思いますけれども、研修するとか、取引社会の実態に触れるような機会を増やしていただいて、踏み込んだ判断をしていただきたいと思います。

 以上です。(拍手)

【事務局長】ありがとうございました。時間が若干延びておるようでございますけれども、公述人の方々の意見発表がここで終わりましたので、10分程度休憩させていただきます。休憩時間が短くて申し訳ございませんが、35分に再開させていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

(休 憩)

5.公述人への委員からの質問

【事務局長】それでは、再開させていただきます。これからは、公述人の御意見に対しまして、委員の方から質問をしていただきます。その質問に公述人の方に答えていただきたいと思います。それで、委員の方、御質問のときには、どなたにお聞きするのかということを指名された上で御質問いただければと思います。御質問される方も、答えられる方も、お近くのマイクを御利用ください。
 それでは、委員の方、いかがですか。

【井上委員】井上でございます。
 野沢さんにお伺いしたいのですけれども、いろいろな意味で、障害を負われて、ハンディを負っておられる方について、これまで大学なども十分な配慮が不足していたのではないか、いろいろフィジカルな面でも、内容的にも。ただ、その辺は不十分かもしれませんが、最近ではできるだけその努力をするというふうになってきております。これはロースクールでも当然のことでありまして、ロースクールというものは仮にできたとしても、入学するのに不公平になるということがあってはならないのは勿論ですし、勉強する上でも種々の実質的な配慮というものが払われるべきなのは当然だろうと思います。もう一つ、お話を伺っていまして、裁判官、法律家はどうも障害を負われた方の実情、痛みを十分分かっていないのではないか、そういうことからしますと、仮にロースクールというものができた場合に、教育の内容という面でも、何かその点で配慮といいますか、何かすることがあるのではないかというふうにも思われるのですけれども、その点について何かお考えないしはアイデアがあればお教えいただきたいというふうに思います。

【事務局長】ではよろしくお願いします。
 どうぞお座りになったままで。

【野沢氏】手話でありますので、立つくせがございます。立った方が手話がやりやすいので。
 法科大学院についてですが、基本的に必要かというふうには思いますが、先ほどもちょっとお話し申し上げましたとおり、法律だけに狭めていく場合には、我々にとっては非常に危機感を持っています。というのは、先ほど、さまざまな専門分野の方を入れていくというようなお話もあったと思うんですが、我々としても、障害者問題、障害者当事者を教官として非常勤として採用して、きちんと生徒と一緒に、講義だけではなく、ミーティングなどもできる障害者施設で自習などができるシステムを合わせた大学であれば、安心できるのではないかというふうに思っています。
 理論だけではなく、体で実践できるような場、実習経験を与える。そのためには、法科大学院が5年、10年、長くなったとしても、それはそれでいいのではないかというふうに思っています。そういった考え方を持っております。(拍手)

【事務局長】ありがとうございました。井上委員よろしゅうございますか。

【井上委員】はい。

【事務局長】それでは、竹下会長代理。

【竹下会長代理】竹下でございます。最後にお話しになりました堀眞理さんにお伺いしたいと思います。
 堀さんのお話は2点ございまして、第1点は、裁判官の途中交替ということでございました。こちらの方につきましては、御指摘のことにごもっともだというふうに拝聴いたしました。
 それから第2点として、裁判官が取引の実態ということについて十分な知識を持っていないのではないか、あるいは理解を持っていないのではないかという御指摘でございました。
 少し問題を広げさせていただくと、現在の恐らく経済取引というのはかなり専門化されている分野があるのではないかというふうに思います。そういう専門的な知見を要するような訴訟というものにどう取り組むかというのが、現代の民事司法の一つの問題だろうというふうに考えております。
 冒頭に佐藤会長から、これまで私どもの審議会で行ってまいりました審議の内容に関して御紹介がありましたが、その中でも国民の期待に応える民事司法というものについて議論がこれまでなされてきたという御紹介がございました。それで、私どもとしましては、そういった専門的な知見を要する訴訟にどう取り組むかということについて、基本的には従来一般的に訴訟法で認められてまいりました鑑定人というものをどのようにして確保するか、とりわけといいますか、当然のことながら、公正な鑑定人をどうやって確保するかということが重要な問題で、この点につきましては、櫛毛さんの御指摘にもあったところでございます。あと、私どもが議論しておりますのは、鑑定人以外に、専門家にどのような形で裁判に関与していただくかという問題でございまして、これは恐らく抽象的に申すと、同じ専門的な知見を要する訴訟といいましても、その専門性には多様なものがございますので、それぞれに応じた専門家の関与の仕方というものを考える必要があるのだろうというようなことを議論しているところでございます。
 これは前置きでございますが、それで、堀さんから御指摘のありました、現在の経済取引の実態というものについての裁判官の理解不足という点でございますが、恐らく御指摘のようなことがあるのではないかというふうに思われます。
 そこで、堀さんは、当面は企業研修等によって裁判官の理解不足を補うことが望ましいのではないかというふうに言われました。私もその点はおっしゃるとおりだと思うのですけれども、今度、裁判官の方から、それでは企業に研修に行きたいといいますか、裁判所が裁判官を派遣したいというふうに考えたときに、企業としてそれを受け入れてくれる用意がおありになるのかどうかという点が一つ。
 それからもう一つは、将来の問題として留保されたのでございますが、経済取引の専門家であられる経済人の方に、専門家として裁判に関与していただくというようなことが可能なのかどうか。御承知だと思いますが、ヨーロッパには古い伝統がありまして、フランスでは商事裁判所というものがございます。要するに、経済人だけが裁判官になりまして、特別の裁判所として商事事件を扱う。それからドイツでは、商事裁判所ではございませんけれども、地方裁判所の中に商事部というものがございまして、専門の裁判官1人と、経済人2人から構成される3人の合議体で裁判をするというのがございます。
 同じようなことが日本で考えられるというふうに思うのでございますけれども、これもそういうふうになった場合に、裁判官になる経済人の方を派遣していただくというか、出していただたくというか、そういうことがないと実現しないわけでございますけれども、そういう可能性があるかどうかということについての御意見を伺えればと思います。

【事務局長】堀さん、どうぞ。

【堀氏】まず、企業の側で裁判官の方を受け入れる余地があるのでしょうかということにつきましては、私の個人的な考えではありますが、受け入れる余地はあるのではないかと思います。
 企業の中において、別に商売をやらせるわけではないですので、企業の法務部ないしはそのようなところにいていただいて、こちらの悔しい思いというか、日々の日常のどろどろとしたところを見ていただくということだけでも随分違うのではないかと、このように思います。
 それで、私が申し上げたのは、竹下先生がおっしゃっておられたような、かなり難しく専門的なことでは本当はないわけでして、常識と言ってしまうとそれまでなんですが、こちら側として当然ではないですかと思って別に手当てもしないでいた問題が、後からそれが種で引っくり返ってしまうということが一番ネックになってくるわけです。将来的にはというような言い方をさせていただきましたが、法曹一元の問題につきましても、今の裁判官の方よりも弁護士さんの方の方が場数としてそういうどろどろに触れている回数が多いのではないかというところから来ている議論ではないかと、そのように考えておるわけです。そういう意味では、それがよろしいのか、将来的にどうなるのか、また別の問題とは思いますけれども、であるならば、今の裁判官の方にもそういうところに触れる機会をまず増やしていただくことの方が先にやることなのかなという気はします。
 それから、企業人の中から裁判官が出てくるというか、手を挙げる人間がおるかというようなことだったと思いますけれども、その辺に関してはちょっと何とも言えないところではありますね。多分、手を挙げられる方はもっとお年を召した方になると思いますので、そのぐらいの方が現場をどの程度把握されているかというのがちょっと分からないところではありますので、ちょっと分かりません。

【竹下会長代理】どうもありがとうございました。

【事務局長】竹下委員よろしゅうございますか。
 では、水原委員。

【水原委員】水原です。井出さんに教えていただきたい点が2点ございます。マイクの音響の関係で、私は少なくともちょっと聞き取れなかったところもございますので、2点お尋ねするわけですが、その1点は、弁護士へのアクセスを改善しなければいけないということで、弁護士システムの基本事項の見直しを求めると御主張されました。具体的内容をもう一度お教えいただきたいというのが1点です。
 それから、もう一点は、御意見の中で裁判官、検察官と国民の交流の制度化を求めるという御主張がございました。これは具体的に言うならば、どういうことをお考えなのか、これも教えていただければと思います。よろしくお願いします。

【事務局長】では、井出さん、よろしくお願いします。

【井出氏】私が基本的に弁護士システムを変える必要があるだろうというふうに考えているのは、先ほど、例えば、ということでお話ししましたけれども、我々国民にとって非常に大事なことをすぐ迅速、適切に決定しなければならないようなことが、弁護士会の中で会内合意というようなことを称して、例えば、具体的に言えば業務広告、というより弁護士の情報公開とか、あとは苦情窓口のお話だとか、そういったこと、戻って言いますと、紛議調停、そういったことも含めてですけれども、基本事項が迅速、適切に決定できないでいるということが非常に問題で、今後弁護士の数が増えるということで考えると、現状の、例えば、私の知っている東弁さんのいろいろなシステム、日弁連さん、弁護士さんがいろいろされているような現状のやり方、制度では、明らかに限界があるのではないか。そういうことで言いますと、第三者機関で、例えば、弁護士基本事項委員会とか、そういうところで重要な問題、基本的な問題を決めていくというようなのが、私の意見でございます。
 あともう一つ、2点目の裁判官、検事等の一般国民との交流の制度化というようなことについて言いますと、一例をお話ししましたけれども、例えば、モニター制度みたいなものをやっていく、あとは、講演会みたいなものをやる、学校教育の中で講演会なり何なりみたいなことをやって、ルール化して、裁判官、検察官と国民を近づけるということもあるかと思います。
 更に言いますと、裁判の、先ほどもこれもお話ししましたけれども、一層の情報公開とか、そういう中で、裁判をテレビ放映するとか、そういうことによって裁判、裁判官と国民が近くなるというようなこともあるだろうというふうに思っています。そんなところです。

【事務局長】ありがとうございました。
 では、中坊委員、お願いします。

【中坊委員】中坊ですが、標さんに一つ感覚的にどうお考えになっているかということを教えていただきたいと思います。
 標さんは、いろいろな行政訴訟に当事者として関与してこられたということだったので、どういうふうな感覚をお持ちかということについてお尋ねしたいと思いますが、いろいろ行政の不服等に関して裁判を起こされるということになりますと、当然のように前提として行政の担当官ともいろいろ接触をされ、そしてまた、裁判を起こしてきて今度裁判官とまた接せられているわけなんですが、行政の担当官という人たちと、それから接せられた裁判官というのは、本来行政と司法というのは全く別個だと思うんですけれども、その点についてまた同じような公務員でもあるわけなんですが、どういう感覚を行政の担当官と裁判官とは全く別個だという感覚を当事者としてお受けになったのか、それとも、余りお二人とも同じだなという感覚になったのか、その点についてひとつお尋ねいたしたいと思うんですが。

【事務局長】では、標さん。

【標氏】今、日の出の関係では五つの裁判をやっておりますけれども、第2処分場の建設の事業認可の取消し、それから、収用法が適用されましたので、それについての事業認定の取消し、それからまた、収用の裁決が出ましたので裁決の取消し、それから、処分組合が私どもの運動をニュースで誹謗中傷したので、それに対する名誉毀損の裁判と、それからあと、公害裁判には直接原告でありませんが関わっております。特に、道路建設関係の役所の皆さんというのは、道路をつくらなければならないという、非常に使命感に燃えております。したがって、その道路をつくることが、例えば、環境上、それをつくることによってどういうメリット、デメリットがあるかということであるとか、あるいは、公共事業としてそれが本当に有効なものなのかどうなのか、無駄遣いであるかないかと、こういうようなことについていろいろ議論をしたいと思いましても、議論に応じてこないというのが現在の建設行政の実態ということです。
 ですから、私ども裁判を起こす前に、随分行政との交渉を申し入れて話し合いをするんですが、早い話が聞き置く、聞き捨てるという状態です。それで時間が経つに従って、今度は事業認可ということになってしまう。そうしますと、また情勢がいろいろ変わってしまう。それから、行政の方では、最後には伝家の宝刀として、土地収用法を使ってくるということです。ですから、今、道路でも圏央道には土地収用法を適用してまいりました。そういうことで、まともな話が住民との間で行われていないというのが現在の道路行政を行っている役人たちの態度です。
 それから日の出の処分場関係も、これは一部事務組合ということで、東京都から出向している人たちが処分組合の事務局。
 それからあと、処分組合の理事会は全部27の市長たちが理事会になっておりますけれども、ここがまた処分場の汚染問題について事実を隠蔽したり、あるいはうそを述べたり、それから私ども、そういう汚染問題から日の出の処分場問題に取り組んでいるんですが、そういう取り組みなどについて、そういうことで騒いだらごみを捨てるところがなくなるぞ、それでもいいのかといったような恫喝をするというような形があったり、それから、そういうことで第2処分場の建設に反対する住民や市民たちを、ただ、反対のために反対をしている住民なんだということで、多摩の市民たちのところに全戸ビラを配布してやるというようなことで、こちらの関係の自治体の職員たちもやはり住民運動がなぜこうなってきているのか、それから圏央道にしても日の出にしても、トラストを設定しておりますけれども、なぜトラストを設定せざるを得なくなったのかということについての正しい見地からの理解というものをしていない。要するに、行政のやることにけちをつけ、反対するのはけしからぬのだという態度に終始しているというのが現状です。以上です。

【中坊委員】私のお尋ねしているのは、行政の担当官がそうであるというのは分かるんですが。それが不服であるから裁判を起こされているんですよ。その裁判官は、今、おっしゃった行政官とは全く別個の立場で物を見てくれたかどうか、ということをお尋ねしたいんです。

【標氏】裁判官は、残念ながら、人によって対応が全部違います。ですから、私が原告になって事業認可取消しの訴訟を行ったときの裁判官は、訴訟指揮も大変公正で、私どもがいろいろなことで立証したいということについてはすべて受け入れてくれるということで、公正な態度でもって裁判の進行をしてくれました。
 ところが、日の出の裁判の方では、今五つやっておりますが、5人の裁判官がみんな対応が違うということで、中には、先ほどどなたかのお話にもあったように、裁判中に居眠りをするという裁判長もいます。それから、私どもの立証をうるさそうにする、もういいじゃないか、適当でいいじゃないかというふうにおっしゃる裁判官もいるということですので、正直言って、裁判官個々によって、対応が非常に違って、私どもで信頼できる裁判官もいれば、1日も早く替わってほしいと思う裁判官もいる。そういうのが実態でございます。

【事務局長】ありがとうございました。
 では、石井委員お願いします。

【石井委員】石井でございます。
 櫛毛さんに伺わせていただきたいんでございますが、先ほどお話を伺わせていただきまして、随分長い間いろいろな御苦労をなさっていらしたんだなと思いながら伺っていたんですけれども、そういうことからの結論が、市民感覚と懸け離れた判決が見受けられるから、陪審制度を導入すべきであるというふうに言われているんですけれども、日本人の国民性とか、そういういろいろなことから考えて、どういうことで陪審制度がいいというふうにお考えになったのか。それから、参審制度という、ちょっと中間的なあれがあるんですけれども、それをあえて陪審制度に持っていくというふうに考えられた根拠を教えていただけたらと思います。

【櫛毛氏】陪審制が日本人の国民性に合わないのではないかという第1点の質問ですね。

【石井委員】合うかどうかというのではなくて、日本人の国民性から考えて、合う合わないじゃなくて、外国でいっているように、ああいうふうにいくかどうか分からないと、そういう考えの下にお話ししているわけです。

【櫛毛氏】私の場合、普通の主婦で、裁判をやってなかったときは、とても人前で発言するようなことはできないような人間でした。でも、裁判に関わって、裁判について真剣に考えるようになって、自分の考えとか、性格が非常に変わってきたんです。個人的なことですけれども、そういうことからも、今、一般の市民は非常に裁判に対して興味がないと思うんですけれども、陪審制ということに、もし自分も裁判官の1人になった場合、国民性としてはとても誠実な国民だと思いますので、その裁判について誠実に、真剣に検討すると思うんです。
 2人とか3人という少人数ではなくて、例えば、アメリカのように12人の市民が評決する場合、サッカーで言えば11人の選手とコーチが付いているように、12人がいればそれほど間違えた判決は出ないのではないかと私は期待しております。
 私は自分の経験として、専門の裁判官が、真ん中の方は5人替わりましたけれども、その中で私たちに立証させてくれようとした裁判官は1人、ああ、この裁判官にずっと付きたいなと思った方は1人でした。あとの方は、例えば立証責任を課せながら、立証さえさせてくれないという裁判官もいらっしゃいましたので、それではやはり市民感覚を取り入れるというところからくれば、陪審制というのも考えてみてはいかがかなと思いました。
 あと、参審制を通り越して陪審制にするのはなぜかというような御質問ですね。
 私は、医療過誤裁判ですから医者の場合を考えてなんですけれども、例えば、医者がとてもその分野に専門にたけていて、それでいて公平な鑑定人であれば言うことはないんですけれども、なかなか専門にたけていて公平な方を選出するというのが非常に難しいのではないかと思うんです。
 例えば、私は自分の裁判だけではなくて、多くの医療過誤裁判やうつぶせ寝訴訟に関わっておりますが、その判例を見てみると、有名な小児科の教授が、定義にも、例えば、赤ちゃんという定義が一応あるんですけれども、その突然死症候群にあてはまらないような4歳の子どもをSDISとしてしまったり、あるいは小児科で有名な教授が、うつぶせで顔を真下に向けて鼻がつぶれて窒息と最初の解剖でなっている赤ちゃんを、死んだ後に赤ちゃんが顔を下に動かしたというような、一般常識では考えられないような鑑定が、裁判でまかり通っているんですね。
 その医師たちがこの専門参審制に加わる可能性が非常に私は高いと思っているんです。
 そうした場合、例えば、裁判官の補佐をしていて、これはちょっと病気だよとか、もし言われたとしますよね、裁判所の密室の中で。普通の鑑定ならば書面に出て、患者が反論することもできると思うんです。だけれども、裁判所の中でそういうふうに言われたら、やはり裁判長の心証の中に入ってしまうと思うんです。そうしましたら、患者は反論の機会さえ失うことになります。それで、専門参審制は、非常に医師の選び方に気をつけなければ、とんでもないことになるのではないかと心配しています。
 私は、SIDSの学会というのも毎年ずっと傍聴してきていますし、アメリカの国際会議にも出席して、医師というのをよく見てきている1人だと思うんですけれども、例えば、裁判所は乳児の突然死に対して、小児科医を鑑定人に選ぼうと必ず裁判長はします。だけれども、突然死ですから、ほとんど小児の専門家と言っても、そんな急死に遭遇する経験はほとんどないんです。だから、裁判では個々の事例を見なくて、一般的な事例で鑑定をしてしまう。本当のところは、赤ちゃんの事例で、解剖しているんだから法医学者の方に鑑定を持ち込まなければいけないと思うのに、やはり裁判所の選ぶ基準が、例えば、有名な国立大学の小児科の教授と、そういうふうに今は偏ってしまっているんじゃないかと思いまして、そういうような基準で専門参審制を選んだ場合、非常に危惧しております。
 以上です。(拍手)

【石井委員】どうもありがとうございました。

【事務局長】吉岡委員、お願いします。

【吉岡委員】少しダブってしまうかなと思うんですけれども、櫛毛さんにお伺いしたいんですけれども、一つは、裁判官の市民感覚のことを言っていらっしゃいましたね。だから、陪審制は、私も市民感覚という意味では、陪審制の導入を是非しなければならないと思っている1人なんですけれども、その陪審の場合でも、やはりリーダーシップを取るのは裁判官だと思うんです。その場合の裁判官の在り方についてのお考えを伺いたいんですけれども、今の裁判官というのは、司法試験を受かって研修所へ行って、それで裁判官の勉強をして、それで裁判官になる方が全員なんですけれども、もっと市民感覚のある裁判官という目で見たときに、市民の立場に立った経験のある弁護士の中から裁判官を、私たちが選んでいくという、法曹一元という言葉で一般には言われていますけれども、その辺のところについていかがお考えなのか伺いたいと思います。

【櫛毛氏】私の個人的経験、それから多くの医療裁判を見てきました経験からお話しさせていただきますが、やはり裁判官によってもいろいろと違うとは思うんですけれども、多くの場合、とても市民感覚から離れている。
 例えば、少し風邪を引いたということで点滴を打ちに行った。その点滴を打った2、3分後に容態が急変したというような場合、普通の一般市民でしたら、その点滴がどう見てもおかしいんじゃないかと思うんですが、例えば、鑑定とか病院側の弁護士が、その患者自身の特異体質かもしれないから原因は分からないんだ、因果関係はないんだということで、敗訴になる事例が結構あると思うんです。それは普通の市民感覚とは非常に離れていると思うんです。
 弁護士さんは、裁判官とは違って、一般の中でいろいろ生活していますし、いろんな経験をされていますので、今の職業裁判官よりは一般市民に近い裁判官になるのではないかと私は期待しております。
 その裁判官が指揮を取っても、陪審制はまだ実際にはやっていませんから、アメリカの事例を見るしかないんでしょうけれども、私は可能だと思います。

【事務局長】ありがとうございました。
 では、髙木委員お願いします。

【髙木委員】小川さんにお尋ねします。
 裁判官の評価について触れられまして、当事者というおっしゃり方だったと思いますが、当事者と言えば原告、被告、そういった人たちに裁判官の評価をさせろと。勝敗に関係なく誠実さを見ろというような、何となくお気持ちは分かるんだけれども、勝敗に関係なく誠実さなど見られるのか。国民の司法参加の一つとしてそういう方法もあるアイデアとして面白いんじゃないかという御提起だと思うんですが、その辺、当事者として本当に評価を勝敗に関係なくできるんでしょうかという感じがしましたので、その点。
 それから、後の方のお尋ねもあるかもしれませんが、関口さんにお願いいたしますが、たくさんのことをおっしゃられた中で、今、あなたが何が一番優先度の高いものとお考えなのか、簡単におっしゃっていただければと思います。

【事務局長】では、まず小川さんからお願いいたします。

【小川氏】私が裁判官の評価を当事者ができるのではないかと考えたのは、私が教えていただいている学校の教授が、調停のアンケートを取ったことがありまして、数的にはそんなに多いものではないので絶対的なことは言えないんですけれども、その中で調停で負けてしまっている人でも、裁判をしてよかったとか、裁判官について不服があるかという質問項目を見てみると、負けたからといって不満があるというわけではないし、勝ったからといって納得しているというわけでもなかったんです。
 やはりちゃんと見てくれているということを、意外と当事者の人というのは見られるんじゃないかと。商事裁判にしても、企業側の人というのは、その裁判官が迅速な裁判をしたかどうかというのを評価できるのではないかという観点からも思い付いた提言です。
 私が最初に思ったのは調停のことなので、裁判に実際に当てはまるかどうかというのは問題があるかもしれないんですが、実際に負けた人が悔しいという意見も中には出てくると思うんですけれども、全体の数として統計を取ってみると、やはりちゃんとした指揮をしている裁判官というのは評価されていくようになるんじゃないか。
 当事者でなくても、ロースクールならロースクールの学生なり教授なりが評価するとかというような、上からだけの評価というのは改めるべきじゃないかなと思います。

【事務局長】ありがとうございました。
 では、関口さん、お願いいたします。

【関口氏】では、一言で申し上げたいと思います。
 最後に一つだけお願いしますと申し上げましたカナダやオーストラリアにあります独立の第三者機関、準司法機関ということでございます。以上です。

【事務局長】ありがとうございました。
 では、鳥居委員、お願いいたします。

【鳥居委員】鳥居です。お2人に御質問したいと思います。1人は河野さんですが、その前に、本当に今日はどのお話を伺っても、我々の抱えている問題は本当に大きいということを痛感しました。それを最初に申し上げます。
 河野さんが遭われた、まさに不条理としか言いようのない思いをされたこの事件も、本当に聞くに耐えない事件であったと思います。私がお伺いしたいのは、この事件を通じて、自分は全然関係ないんだということを訴えても、それが聞き届けられない不条理、これをたまたま今は早目に会われた弁護士さんで何とか救われたということでありますけれども、その弁護士さんと警察とのやり取りについては、どういう思いを今思っておられるか。お話はずっと河野さん御自身の思いを語られたわけですが、私が知りたいのは、弁護士さん自身がどのような苦労をされたのか、それを少しでも聞かせていただければと思います。
 もう一方は、堀さんにお伺いしたいんですが、今日は堀さんだけが企業の法務を代表しておいでになっておられますので、御説明にはなかった問題だと思いますが、実は最初の小川さんのお話の中にありましたが、このままでは日本は外国やローヤーとか外国の法律事務所とか、外国のADRに頼むしかなくなってしまうという話がありました。実際、これから外国との取引における交渉、それを弁護士さんに任せなきゃならない。契約を任せなければならない。そこで事件が起これば、どこかの国の法廷で決着を付けなきゃいけない。そのとき今のままでは、日本のローヤーの育成の仕組みでは、とても国際的な仕事を十分にできないわけで、この辺について今、日本の企業はどう考えておられるのか、伺いたいと思います。

【事務局長】それでは、河野さんからお願いいたします。

【河野氏】私の場合は、まず弁護士さんと何をしなければいけないか考えたときに、逮捕されたらおしまいだ。それは今の世の中が、逮捕された人間それはイコール犯人だという判断の中で社会的にたたかれていく。それが分かっていたわけです。
 弁護士が何をやったかというのは、まず警察の情報、これをマコスミを使ってうまく引き出していった。警察が今何を考えているかというものをマスコミを通じて引き出していく。それに対して逮捕させないような手を打っていく。
 あの事件は薬物の事件だったわけです。そうしたときに、私も弁護士さんも、ひょっとしたらこれは証拠の捏造をやりかねないなという心配をしたわけです。そうすると、弁護士さんというのは法律の専門家でしょうけれども、薬物に対しては弱いじゃないかということで、東京に梶山正三さんという弁護士さんがおられますけれども、この方は薬物に関してはかなり専門的な方だということで、梶山正三さんを弁護士さんとして選任するとか、それから、9月半ば、あるいは11月の半ば、マスコミから、どうも別件逮捕するらしい、こんなような情報を引き出したときに、これに対しての対抗。これは市民集会を開く。江川紹子さんなどに来ていただいて「冤罪」というような問題で語っていく。そういう中で世論というものをできるだけ中立に持っていく。そんなことをずっとしていたわけです。
 いずれにしても、自分が逮捕されるかされないかというのは、ずっと綱渡り。そんな状況でした。
 それから、弁護士さんが一番大変だったこと、それはやはり弁護士さんと私との関係というのは、以前には全く面識がなかったわけです。ですから、ひょっとしたら私がやったということを自白してしまうんじゃないかとか、そういう心配も一つあったわけです。本当は何だったか、河野というのはどんな人間だったかというものを弁護士さんには分かっていないわけです。私の友人を通していろんな情報を得たわけですけれども、友人が絶対あの人の言うことは間違いないというようなことも何度も何度も確認して、その都度自分の心を落ち着かせていたということです。
 あの事件は警察、あるいはマスコミ、それからマスコミの情報を信じた国民、市民、そういう人がみんな敵になったわけです。私、あるいは弁護士さん、非常に孤立した闘いではなかったかと思います。周囲の知っている人だけは、こちらの言うことを分かってくれても、多くの場合はマスコミ情報を信じてしまうわけですので、ほとんどが敵、そういう中での苦しい闘いではなかったか、そんなふうに思います。
 以上です。

【事務局長】ありがとうございました。
 では、堀さんお願いいたします。

【堀氏】外国との国際取引などに対する現在の日本の司法制度みたいな御質問でなかったかと思うわけですが、企業の側から考えますと、司法制度というものを使うようになってしまうと、それはちょっと外国との関係では終わりではないかと思うわけです。
 というのは、実効性が一番前提になってきますので、正しい判断をいただいて勝ったとしても、それが果たして実行されるのかということになりますので、余り誤解を恐れずに言うならば、司法制度に対する期待というのは余りありません。では、企業は何をするかいうと、要はその相手先がそういう信頼に足る企業なのか、それから、相手先の国との法律関係とかいうことを、自分のところの顧問、そういう渉外を専門にやっている先生とか、そういうチャンネルを通じて、そちらの国の弁護士さんに依頼するというような手法を取りますので、紛争となってしまったときの司法制度がどちらかにあるかというのは、正直言いますと、もうそのときには終わりというところがありますので、余りそこのところに思いを致しておりません。

【事務局長】ありがとうございました。
 藤田委員、お願いします。

【藤田委員】藤田ですが、河野さんに伺います。
 公的被疑者弁護制度を御自分の体験から是非とも必要だという御意見で、私もそう思うんですが、人権の擁護ということもありますし、誤りなき裁判をするという点ではですね。
 もう一つ、先ほどから議論されている陪審あるいは参審制度を我が国に導入すべきかどうかという議論なんですが、いずれにしても、憲法で許容されるかどうかという憲法問題があるものですから、考え方の一つとして、陪審制度あるいは参審制度を導入するにしても、職業裁判官の従来の裁判と併置しておいて、被告人に選択権を認める。それで憲法問題をクリアーできないかなという考え方があるんですけれども、そうなりますと、陪審あるいは参審制度が我が国に根付いていくためには、是非とも必要なこと、被告人が陪審あるいは参審の裁判制度を選択するということと、もう一つ陪審員、参審員に選ばれた国民の人たちが、相当程度の犠牲を払ってもでも手続に協力して、職務を遂行していただくということが必要なんですけれども、大変失礼な質問かもしれませんが、まかり間違えば冤罪事件から抜けられなかったかもしれない、逮捕・勾留・起訴されたかもしれないということだと思うんですけれども、万一、そういうことになった場合に、河野さんは陪審あるいは参審の制度を選択されたでしょうか。

【事務局長】どうぞ、よろしくお願いします。

【河野氏】人が人を裁くという中で、その裁く人が一般市民から選ばれるということですね。そうした場合に、裁く人がいかに客観性を持てるかということが一番大事じゃないかと思うんです。例えば、起訴事実に対してどういった証拠が出てきて、それが本当に公正であるか妥当であるかというものをきちっと判断できる人、その人が選ばれていれば、それは有効に作用すると思うんです。ただ、雰囲気だけで、例えば、判決を出してしまった場合、恐らく6年前に逮捕されていて、例えば、陪審員の制度でやった場合、私は有罪になっていたと思います。ですから、一番大事なのは、どういう基準でその人たちが選ばれるかということだと思います。
 それから、裁判官というのは法の専門家であるわけだけれども、例えば、公害で言えば化学とかいろんな要素が入ってきます。そういうものを客観的に判断できるかといった場合、これも私は心配だと思うんです。ですから、法律の専門家、それから各分野の専門家というものがうまくリンクするようなシステム、そういうものができたらいいと思います。そんな感じです。

【事務局長】ありがとうございました。
 よろしゅうございますか。

【佐藤会長】質問ではございませんで、時間もあれしておりますので、むしろフロアからのお話を伺った方がいいと思いますから、一言だけ。
 今日のお話を伺いまして、皆様の経験から訴えられたものでありますだけに、非常に切実感を持って受け止めました。主張すべきは主張するということを通じて、人間の、ちょっと大きな言葉で言えば尊厳というものがそこに生まれてくるのではないか。これはアメリカの海外視察のときでありますけれども、さる老婦人が住居に入れなくて困っておった。リーガル・エイドによって支えられて、ちゃんと法廷で主張して入れた。これによって自分はやはり主張すべきことを通じて自分が人間であるということを実感したというビデオも拝見したことがありますけれども、それやこれやと重ね合わせて、今日のお話は非常に私にとって切実感を持つものとして受け止めさせていただきました。
 質問したいことは、委員の皆様から既にいろいろ出していただきましたので、むしろフロアの方からお話を少し伺えればと思います。

6.会場からの意見

【事務局長】ありがとうございました。
 それでは、質疑応答を終わらせていただきます。予定の時間が既にまいりました。会場の都合で余り延長はできないということになっておりますが、今会長が申し上げましたように、御案内のはがきの中でお知らせしましたところ、たくさんの方から是非意見を発表したいということのメモが届いております。ありがとうございました。
 とても全員に言っていただくわけにいきませんが、若干の許す時間を延長させていただきまして、1、2人でも御意見を伺えればと思います。御意見発表をできなかった皆様方のこのメモは、委員の皆様にお見せしてお伝えしておきますし、更に詳しく意見を述べたいというのでありましたら、どうぞメールでも手紙でも、事務局の方にお届けいただければと思います。
 勝手ながら、時間の都合で指名させていただきますが、渡邊弘様、いらっしゃいますか。手元にマイクをお届けしますので、できるだけ手短にお話し願えればと思います。

【傍聴者(1)】法政大学第二高等学校で社会科の教員をしております渡邊弘と申します。

 私は高等学校の社会の教員ですので、その社会科の科目の中で高校3年生を対象に「法と犯罪と裁判」という授業を行っております。その授業の中で、今日ここにいらっしゃっている河野さんの事件なども取り上げさせていただきました。

 私が申し上げたいのは、最近の審議会の議論の中でも多少出ておることなんでございますけれども、私たちが日々接している子どもたちというのは、いずれは学校を卒業して社会人として生活をしていくわけなんですが、そういう中でさまざまなトラブルや紛争に巻き込まれる場合が出てくると思っています。

 そういったトラブルというのは、例えば、交通事故であったり、家庭内の問題であったり、あるいは商取引に関係するものであったり、あるいは国とか地方公共団体との間の紛争であったりするかもしれません。

 ところが、そういったトラブルや紛争に出会った場合、現在、多くの市民は紛争を正当に解決する方法を知らないままで、結局、泣き寝入りをせざるを得ないというのが実情であるように思われます。

 なぜこのような状況になっているかと言いますと、私が考えますに、高等学校以下の学校教育において、自らの基本的人権や権利を守る方法というのを全く教えられてきていないという問題があるのではないかというふうに現場の教員としては考えています。

 確かに社会科の教科書には、憲法ではこれこれという権利が保障されているということは書かれてはおりますけれども、しかし、具体的にその人権や権利を確保するための具体的な手段、方法までは教えられてきていないというのか実態です。

 例えば、ほとんどの子どもたちは、法的紛争が起こった場合にまず相談すべき専門家である弁護士に相談する方法さえ知らないまま社会に出ていきます。教科書を御覧いただければ分かりますけれども、弁護士への相談の仕方という項目はどの高等学校の社会科の教科書を見ても、ほぼないと言っていいと思います。

 規制緩和が進められる中で、社会的紛争に対処するための方法として行政による事前規制から司法による事後的救済を重視する方向に社会情勢が大きく動いているということは、審議会の中でも触れられていたかと思います。

 今後、そういう情勢の中で、市民が主権者として法や裁判と自覚的に関わらなければならない場面というのは、ますます増えてくると思われますけれども、審議会の中でも佐藤会長がおっしゃられていたかと思いますが、国民が統治客体意識を脱して統治の主体であるという意識を持って司法と関わることの重要性が指摘されていたかと思います。

 そのような中で、国民が統治の主体であるという意識を持つためには、将来的に主権者となる子どものために、自分の人権や権利を守るために必要な最低限度の法的知識や法的思考能力を身に付けさせることが喫緊の課題となっているのではないかと思っています。

 とりわけ司法や裁判のシステムを利用するための能力というのは、すべての市民に求められるものになるんじゃないかと思っております。

 高等学校では2003年から新しい学習指導要領というのが実施されますけれども、そこでは問題解決的な学習を想定した総合的な学習の時間というのが新設されて、紛争解決を目的の一つとする、法や裁判に関する教育についての新たな可能性が生まれてきています。

 その反面で、例えば、高等学校の社会科の1科目である現代社会という科目は、現在、週に4時間あるんですが、これが2003年からは週に2時間に削減されるという状況の中で、司法について教えるという状況は時間的余裕が非常に少なくなるという可能性もあります。

 こういった社会情勢の変化とか学習指導要領の改定に対応して、高等学校以下の諸学校における法教育の充実に向けて、司法制度改革審議会が議論の幅を広げられて、有効な御提案をされることを希望しています。

 とりわけ論点整理の前のペーパーでこの点に触れられた吉岡委員と、それから最近の審議会の議論の中で、この件に関してペーパーで発言されておられる髙木委員には、議論のリードをしていただければと思っております。

 よろしくお願いします。(拍手)

【事務局長】ありがとうございました。
 では、もう1人の方にお願いいたしますが、津金実様お願いします。

【傍聴者(2)】前の先生が大分長い主張をされましたんで私は簡単に言います。

 私は現在、国民が司法に参加するという制度で、憲法と同時にスタートしました検察審査会制度の卒業生で協会をつくって、国の代わりに会費と手弁当でボランティア活動でこの普及と啓蒙の街頭活動をしています。これは松戸協会というところが一つの単位ですけれども、全国に200 か所以上あります。期間は3か月で、各地方裁判所の管轄下の全国を網羅しているわけです。

 ただし、残念ながらこの制度を知っている方が国民にほとんどおりません。一体これは何ということで、私も衆議院の選挙人名簿から選ばれて参加したんですけれども、裁判所に出頭せよということで、何か悪いことをしたのかと思って、行っていろいろ話を聞いて、実際に検察官が不起訴にした事件を、11人の委員と審査しました。かなりそういう意味では現場の警察官の調書とかいろんなものを見せていただいて、そういう意味で市民レベルから不起訴事件を扱いました。

 現在、参審制とか陪審制度が問われておりますけれども、現在、五十有余年経った検察審査会制度ですら国民が知らされていない。私は国の費用で小学校教育から取れ入れて、学校教育の中でも、社会科学の一貫としてこういう制度があると。ある意味では被害者救済制度、隼君事件というのが有名ですけれども、御両親がやむにやまれず検察審査会に訴えたことが事件の再審査になったわけです。

 まず、国の費用で国民にこういう制度があるということを知らせる。

 それから、司法制度改革の中で、陪審制度、参審制度、そういう方へ移行するのは結構です。それは国民に公明正大に議論の内容を知らせていただきたい。

 それから、現に法律であるわけですから、我々は不起訴相当、起訴相当、それから不起訴不当と三つの議決をして、3本立ての議決で検察側へ送り返すんですけれども、拘束力はありません。これに拘束力を持たせるということが、我々市民参加をするこの検察審査会制度に魂を入れるという意味で大切じゃないかと思っています。

 それから、期間は3か月ですけれども、少なくとも、興味を持って積極的に参加する時期が3か月では足りないので、そういう意味で選挙で選ばれた人が半年程度は活動できるような形で期間を延長すべきではないかというふうに、審査員の経験と、それから普及活動をしている協会員としての意見を発表させていただきました。(拍手)

7.閉 会

【事務局長】ありがとうございました。
 まだ、たくさんの御意見を伺いたいんでありますが、会場側の都合もございまして、ここで公聴会を閉めさせていただきます。
 本日は8名の公述人の方々を始め、また、御参加いただきました傍聴の方々からも大変貴重な御意見を承りました。
 委員各位におかれましても、今後の審議のために非常に有益であったと思われます。本日の公聴会における御意見等は、当審議会の事務局におきまして、整理しました上で、審議会の会議において他の委員にも伝えるとともに、当審議会のホームページにも載せて公表したいと考えております。
 今後とも国民にとってより利用しやすい司法制度の実現に向けまして、皆様方の御理解と御協力をお願いして閉会とさせていただきます。
 どうもありがとうございました。(拍手)