司法制度改革審議会

司法制度改革審議会第1回地方公聴会(大阪)記録

第1回地方公聴会(大阪)次第


日 時:平成12年3月18日(土) 9:30~12:05
場 所:大阪弁護士会館6階大ホール
出席者(委員、敬称略):佐藤幸治会長、石井宏治、髙木 剛、中坊公平、藤田耕三、水原敏博
 (事務局):樋渡利秋事務局長
1.開 会
2.出席委員紹介
3.会長あいさつ
4.公述人意見発表
大東美智子氏京都府主 婦
坂本允子氏大阪府全大阪消費者団体連絡会事務局長
高津秀夫氏大阪府公務員
丸山敦裕氏大阪府大学院生
水田 宏氏兵庫県民事調停委員
山田悦子氏兵庫県主 婦
5.公述人への委員からの質問
6.会場からの意見
7.閉 会

1.開 会

【事務局長】これから司法制度改革審議会の第1回地方公聴会を始めさせていただきます。
 御来場の皆様にはお忙しい中を多数御参席いただきまして、どうもありがとうございます。できるだけ多くの方に傍聴していただこうと思いまして、いささか席が窮屈になっているかもしれませんが、どうか御理解の上によろしく御協力のほどをお願い申し上げます。 会場内は禁煙とさせていただきたいと思っております。おたばこをお吸いの方は、この会場の外側に灰皿を用意してございますので、そちらの方を御利用いただければと思っています。

2.出席委員紹介

【事務局長】まず、この公聴会に集まりました審議会の委員の方々を御紹介させていただきます。
 皆様に向かって左側の席が委員の席でございます。中央寄りから御紹介させていただきますが、佐藤幸治審議会会長でございます。(拍手)
 石井宏治委員でございます。(拍手)
 髙木剛委員でございます。(拍手)
 中坊公平委員でございます。(拍手)
 藤田耕三委員でございます。(拍手)
 水原敏博委員でございます。(拍手)
 13名の審議会委員のうち、本日は6名が集まっております。
 申し遅れましたが、私、審議会の事務局長を務めております樋渡利秋でございます。本日は司会進行役を務めさせていただきますので、ひとつ皆様の御協力をよろしくお願い申し上げます。(拍手)

3.会長あいさつ

【事務局長】それでは、まず、審議会を代表いたしまして、佐藤会長から一言あいさつを申し上げます。

【佐藤会長】佐藤でございます。
 本日はお忙しい中、お集まりいただきまして誠にありがとうございます。
 第1回地方公聴会がこの大阪で開催されることに当たりまして、司法制度改革審議会を代表いたしまして、一言ごあいさつ申し上げます。
 司法制度改革審議会は御承知のように、21世紀の我が国社会において司法が果たすべき役割を明らかにし、国民がより利用しやすい司法制度の実現、国民の司法制度への関与、法曹の在り方とその機能の充実強化、その他、司法制度の改革と基盤の整備に関しまして、必要な基本的な施策につきまして、調査・審議し、内閣に意見を述べるというための機関として、昨年7月設置されたわけであります。
 発足から2年間掛けて意見書をまとめるということになっておりまして、昨年12月には審議すべき項目を「論点整理」として公表したところでございます。
 「論点整理」では、審議すべき論点項目を制度的基盤と人的基盤という二つに分けまして、制度的基盤としては、国民がより利用しやすい司法の実現、民事司法の在り方、刑事司法の在り方、国民の司法参加という大項目を挙げております。
 それから、人的基盤としましては、法曹人口と法曹養成制度、法曹一元、それから裁判所、検察庁の人的体制の充実という大きな項目を挙げているわけであります。
 今年に入ってからは、論点項目ごとの具体的な審議に入っているところでありまして、本年10月ごろを目標に、中間報告を取りまとめたいと考えている次第であります。
 私どもの審議会では、これらの幅広い事項を国民の視点に立って審議を行っていくということでありまして、その上で参考にさせていただくために、全国各地で国民の皆様方の御意見を幅広くお聞きする機会として、地方公聴会というものを開催してまいります。
 本日はその第1回公聴会でありまして、これを皮切りに6月には福岡で、7月には札幌と東京で開催する予定であります。
 本日は、6名の方々に意見発表をお願いしております。意見発表者の方々には、大変お忙しい中、どうもありがとうございます。御忌憚のない御意見を承りたいと存じます。
 また、本日は傍聴者として多数の御参加をちょうだいいたしまして、国民の関心の強さを思い、うれしく、かつ感謝申し上げている次第であります。
 本日は第1回ということもあり、いろいろ行き届かない点があろうかと存じますけれども、なにとぞよろしく御協力のほどお願い申し上げまして、私のあいさつとさせていただきます。
 どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

4.公述人意見発表

【事務局長】 ありがとうございました。
それでは、これより6名の公述人の方々から御意見を賜りたいと思っております。
皆様から向かって、演壇右側に6名の公述人の方にお座りいただいております。これからお1人様10分程度で「あいうえお」順にお話をいただきたいと思います。
その後、一括いたしまして、委員の方からの質問にお答えいただければというふうに思っております。
それでは、まず第一番目といたしまして、大東美智子さんにお願いいたします。よろしくお願いいたします。

【大東氏】皆さん、おはようございます。トップバッターということで少々緊張しております。

 私は京都で活動しております「開かれた裁判を求める市民フォーラム」、略称「裁判フォーラム」という市民運動の事務局の1人で、大東と申します。

 この裁判フォーラムは、1991年10月1日に設立されたんです。この日が何の日か皆さん御存じですか。

 実は1928年10月1日こそが日本で陪審制度が開始された日なんです。その日を記念して現在の「法の日」、10月1日が制定されているわけです。

 1928年、つまり昭和3年から昭和18年まで15年間にわたって、日本でも陪審裁判が行われてきたことを知らない人がたくさんおります。実は私も知りませんでした。この活動に関わって、大学の先生とか弁護士さんとかから話を聞くまで全然知らなかったのです。何か陪審裁判というと、アメリカの映画とかドラマの中の話で、私たちから遠い外国の裁判のことだと思っていました。私たちには全然関係ないと思っていたのです。

 ですけれども、日本で戦前15年間の間に、484件の陪審裁判が行われていたんです。昭和18年戦況の悪化で「陪審法ノ停止ニ関スル法律」というのが公布され、そのまま現在まで中断したままになっています。この「陪審法ノ停止ニ関スル法律」の附則として、「陪審法ハ大東亜戦争終了後再施行スルモノトシ其ノ期日ハ各条ニ付勅令ヲ以テ之ヲ定ム」と記述されているにもかかわらず、戦後55年も経った現在も、いまだ陪審裁判は再開されていません。

 どうして陪審裁判が開始されないんでしょうか。一部の人の意見には、「日本人には陪審制はなじまない。」、「日本の裁判官は優秀だから裁判官に任せておけばいい。」、「陪審員は世論の影響を受けやすい。」とかいろいろありますけれども、これらの意見はすべて市民が司法に参加することを否定する意見ばかりです。そして、自ら一般市民を見下げてしまって、お上によるお裁きを期待しているものです。

 遠山の金さんの江戸時代じゃあるまいし、何もかもお上に任せてしまっていいのでしょうか。日本の警察は優秀だから、警察が間違って犯人を逮捕するはずがないなんて思っている人はもう今はいないんじゃないですか。今日お越しの山田さんの例がいい例だと思います。

 私たち一般市民は公平な裁判を受ける権利があります。そして、裁判に参加する権利もあります。私たちには裁判に参加するだけの能力はないのでしょうか。裁判フォーラムが今まで取り組んできた活動を通して考えてみたいと思います。

 まず京都を中心に各地で開催した模擬陪審裁判があります。これは全部で7回にものぼり、題材にした事件は殺人未遂、薬物中毒、放火殺人、実際に戦前旭川で行われた陪審裁判の再現などいろいろですが、どの陪審裁判でも陪審員に選ばれた方々は熱心に裁判を傍聴し、評議をしました。そして、自分の意見を出し合い、十分論議をしたんです。

 結果は、全員一致に至ったもの、時間の関係で全員一致に至らなかったものとさまざまですが、司法に関わっていない一般の人でも十分裁判に参加できる。協議には法律の知識は関係ないということを実感しました。

 後で陪審員になった人に感想文を書いていただいたところ、「裁判の中から真実を見出すことの大切さ、自分が被告人の一生を左右するのだという責任の重さを感じた。」、「事実認定には法律の知識は要らない。」など、初めて陪審員になって貴重な体験をしたという意見がたくさん寄せられました。

 もう一つの大きな活動は陰の陪審です。

 1993年6月から京都地裁で行われることになった刑事事件を、一般公募で選ばれた12人の陪審員が第1回公判から最後まで傍聴し、評議をしたものです。私も陪審員の1人として参加しました。

 事件はイギリス生まれのカナダ人の男性が大麻取締法違反で逮捕、起訴されたものです。 この裁判では、被告人が外国人ということで法廷通訳が入ったりして、時間も掛かったのですが、第1回公判から検察官の論告求刑まで、丸4年も掛かり、開かれた公判は31回にのぼりました。

 殺人事件とかの大きな事件ではないので、私は初めは1年くらいで結審するんじゃないかと思っていたんですが、検察側から証人尋問の追加とかが次々要請されたりして、私たち陪審員は、いつ裁判が終わるのか、見通しが全くたたないまま傍聴を続けました。

 そして、1997年2月の論告求刑を聞いた後、被告人は突然亡くなってしまいました。裁判は公訴棄却になって終わってしまったのです。

 私たち陪審員は、4月に最終弁論を聞き、評議をする予定にしていましたので、弁護士さんにお願いして、最終弁論を読み上げていただいて評議をすることにしました。

 評議の中で、有罪・無罪の論議はもちろんですが、まず、私たち全員の口から出たのは、日本の長過ぎる裁判への不満でした。余りにも長過ぎます。

 それから、証人、検察官、裁判官の声が、マイクロホンがないので聞こえないんです。一番前席に座って集中していないと何を言っているのかわからない、早口ですし。

 そういういろんな裁判の不備と言いますか、いろんな不満が出てきたんですけれども、これが本当の陪審裁判でやったなら、1日か2日で終わったんではないかと思いました。 陪審員は10代から60代までで、職業は学生、主婦、会社員、自営業などさまざまで、男女6人ずつ、京都、奈良、滋賀、兵庫から集まっていましたが、この4年間、陪審員が1人も欠けずに最後まで傍聴を続けられたということはすごいことだと思います。

 評議の当日は、学生さんだった方が司法試験に受かってしまって司法修習に行ってしまったんです。司法修習中の一人を除いて11人で行いました。1時間半ほどの評議時間で結果は有罪が2人、無罪が9人となりました。全員真剣に意見を出し合ったことは言うまでもありません。

 以上のように、模擬陪審、陰の陪審を経験してきて、私たちのような一般の人間でも裁判に参加することができる。事実認定にはいろんな経験を持った人がいろんな角度から意見を出し合うことが大切で、評議の場には、法律の知識は必要ないということを実感しました。

 転任で途中で代わってしまう裁判官より、私たちの方が裁判の内容に詳しいこともあったりして、裁判記録を読むだけで判決文を書くよりも、12人の目で裁判を見、みんなで意見を出し合った方が、より真実が見えてくると思いました。

 私が今日主張した陪審制のほかに、参審制の方が簡単に導入できるし、陪審制は手続が面倒だという意見もありますが、裁判官の中に交じって、一般の人がどれだけ自分の意見を主張できるでしょう。また、どういう方法で一般の中から裁判官席に座る人を選ぶのでしょうか。地域の有力者とか、何とか委員をしている人とか、そういう方にお願いするのでは、市民全員が司法に参加するという意味がなくなってしまいます。そういうわけで私は陪審制の方がよいと思います。

 戦前の明治憲法の下でさえ行われていた陪審裁判が、なぜ現在の日本でできないのでしょう。私はすべての裁判を陪審制でと言っているわけではありません。当事者が希望すれば、刑事事件であれ、民事事件であれ、陪審で裁判すべきだと思います。

 当事者が裁判官による裁判を希望すれば、それはそれでいいと思っています。先進国の中で、何らかの形で裁判に市民が参加していないのは日本だけです。今、日本の各地で住民運動が盛んになってきています。住民投票条例案も制定されつつあります。市民が自分たちの権利を正当に行使し始めているんです。今こそ市民が行政とか司法に参加するときだと思います。

 アメリカでは、陪審裁判を受けるのは国民の権利であり、陪審員になるのは義務だという意識が子どものころから培われています。日本で司法に参加するのは国民の権利だという教育がなされてこなかったことを非常に残念に思います。

 最後になりますが、私たち裁判フォーラムは、京都地裁の建て替えに際して、15号法廷というすごくすてきな陪審法廷があって、その法廷の保存を申し入れしましたが、聞き入れられなくて、有志の皆さんのお陰で、たくさんの募金のお陰で、その陪審法廷は現在は立命館大学の末川記念館の方に移設されて保存されています。

 皆さん、ぜひ一度陪審法廷を見学に行ってみてください。いつでも無料で見学できます。陪審員席が裁判官席と同じ高さにあり、それだけ陪審員の地位を重んじていたということを証明しています。

 審議委員の皆さん、今日この場にお越しの皆さん、みんなで陪審員になりましょう。それが私たちの、言い換えれば、市民の市民による市民のための裁判だと思います。もうお上の裁判は要らないと思います。

 どうもありがとうございました。(拍手)

【事務局長】どうもありがとうございました。その上、時間もきっちりと守っていただきまして、御協力ありがとうございます。
 それでは、続きまして、坂本允子さんにお願いいたします。

【坂本氏】おはようございます。この場で公述させていただきますことを感謝申し上げます。ありがとうございます。

 私は大阪府下のさまざまな府民、市民団体で構成する全大阪消費者団体連絡会の事務局長を務める者です。まず、消費者運動の経験から意見を述べたいと思います。

 大阪消団連は目下の日本社会における国際化、自由化、規制緩和の流れに伴う諸制度改革の動きには強い関心を持ち、生活の安定・安全、消費者の権利を守る立場から、さまざまな活動、運動に取り組んでおります。

 したがいまして、公正で安定的な社会秩序の最も基盤となる司法の分野において、真に国民サイドに立った改革が実行されますよう期待しているところです。

 司法改革に国民が期待するものは、身近で利用しやすいことです。何より国民のためにしっかり立つ制度改革であろうと思います。

 日本の司法、裁判制度には、そもそも法と仕組みがわかりにくい、裁判ざたにはなりたくないという意識を国民に根付かせてきたものがあると思います。これは司法、立法、行政、それぞれが権力機関として分立しつつも、互いにもたれ合う旧態依然の制度的、政治的な力関係があり、国民はいまだに「知らしむべからず、よらしむべし」という位置に置かれていることによるのではないかと思うのです。

 このことは、日本が近代的法治国家として民法を定め、戦争というつらい経験を経て、新憲法を制定し、主権者は国民となり、民主国家として発展してきたわけですが、実質はどうかという問題です。

 一人ひとりの人権は守られているか。主権者意識が育てられる環境は社会的に整備されてきたかという問題でもあります。

 例えば、身に覚えのない被害を受け、裁判で決着をと決意しても、お金と時間が掛かります。最近、多発する欠陥商品被害問題でも、とんでもない時間が掛かります。多くは「とりあえず命に関わるほどのことではない。」、あるいは「少額だから面倒を起こすよりは。」とあきらめるのが実情でしょう。ようやく我が国にも製造物責任法や情報公開法が制定されはしましたが、その状況は余り変わりません。

 更にさかのぼって言わせていただければ、日本が急速な経済成長を遂げた時期に頻発したさまざまな消費者被害、訴訟も、そのほとんどは何の責任もない被害者が、大企業、国を相手に、傷ついた体と取り返しのつかない長い時間を掛けて裁判を闘いましたが、和解という決着を付けざるを得なかったことにも示されます。

 公害とも呼ばれたこれらの社会問題は、全国民が注目しました。そして、日本の裁判システム、法そのものの問題の限界を浮き彫りにしました。目下、私たちが最も懸念を持っているのは、食品や生活用品などの安全に関する規格・基準の国際平準化です。営々と築き上げた我が国独自の安全制度や基準の多くが、規制緩和の名の下に国際基準に緩められつつあります。

 また、消費者契約法案も、私たちから見て不十分なまま、先日国会に上程されました。これらの問題とも関連して、社会の国際化、多様化に伴なうトラブルへの対応として、このたびの司法改革が行われるということですが、効率性重視や、システム上の改革のみであってはならないと思います。

 立法府、行政府との対等・中立性の確立、憲法に立脚したチェック機能など、本来国民から付託された役割に立ち帰って見直し、消費者や勤労者、中小業者、社会的弱者の権利や利益が守られる法的整備、制度を充実・強化すること、そのための基本構想が大切なのではないかと考えます。

 司法改革の根幹に関わる法曹一元制度の論議の背景、法曹人口の増員、取り分け裁判官の増員や任命制度改革の意義はここにあると思います。

 後半は大阪エリアでの司法改革に関わる市民運動を踏まえ、具体的な部分について述べたいと思います。

 昨年3月、審議会の設置に先駆け、この大阪に司法改革大阪各界懇談会が設置されました。大阪弁護士会を始め、司法書士の団体、訴訟を継続中の団体、司法に関わるさまざまな市民団体、消費者団体、労働組合など、多くの方々と交流する中で、日本の裁判官の任命制度や、その少数による過酷な環境、弁護士の役割や偏在と過疎の問題、先進諸国と比べても低い法律扶助の問題など、改革すべき具体的問題がかなり共通の認識になってきました。

 昨年11月、各界懇が企画し、司法改革市民の集いを開きました。「日独裁判官物語」という映画を上映、中坊公平委員にはビデオによる御講演をいただき、吉岡初子委員や現職の裁判官、弁護士、市民団体代表によるパネル討論など、お陰様で大変好評をいただきましたが、主催者側が感激したのは800 人近くの市民参加があったことです。

 当日アンケートも実施し、391 通が回収されました。司法改革への関心を尋ねましたところ、関心のある項目の1位は法曹一元制度、2位は当番弁護士の法制化、3位は法律扶助制度の拡充、4位が公設事務所の設置、5位が陪審制度の復活でした。

 その他の項目には、法曹人口の増員、弁護士の倫理・意識改革、司法試験・修習制度の改革、実質的三権分立など、38項目ありました。先に紹介した1位から5位の項目の順位は、それなりに妥当なものと思われます。

 もっとも私ども消費者団体の仲間うちで行ったヒアリングでは、法律扶助制度の拡充が1位であったことも付け加えたいと思います。

 ともあれ、この集いには、会社員、自営業者、主婦、学生、教員など、幅広い市民が参加し、アンケート用紙にたくさんの意見を記してくれました。少し紹介します。

 「一人よがりとしか思えない法律用語をまず直すべき。そこから市民参加も始まるはず。」、「素人にもわかる六法の編集のし直しを。」、「市民レベルの意識改革こそが必要。」、「生涯学習、初中等教育への関心の働き掛けがあればと思う。」、「裁判所のお上意識を改めるべき。とともに裁判所に対するお上意識も改めるべき。」、「小中学校で模擬裁判とか、模擬陪審裁判とか、やってみたら面白いと思う。」、「陪審制度など、外国から学ぶべきところもあり、積極的に採用すべきと思うが、それぞれの制度には、問題点もある。それを解決できるシステムを独自に我々でつくり、我々で新たな制度をつくったらどうか。」等々です。

 とりわけ陪審制度については、私が最も共感する意見です。

 以上はごく一部の紹介ですが、是非参考にしていただきたいと思います。

 私は司法改革に向けたこの間の弁護士会、弁護士の方たちの努力に心から敬意を持っています。日弁連が提唱した、「市民の、市民による、市民のための司法」に共感し、消費者運動の側でもがんばりたいと思います。

 私の周囲には、手弁当で市民運動に献身されている弁護士がたくさんおられます。しかし、そういう方ばかりでないことも確か。

 また、弁護士そのものが見えない、わからない、近付けない人々がたくさん存在するのも事実です。

 弁護士の偏在と過疎の問題解決というのも一気に実現できるものではありません。近隣職種にある方々の中には、法制度問題で市民の相談を受けたり、地域で市民と共に社会活動を積んでいられる方もおられます。このような方々の補完的な役割も、簡易裁判、調停において、大いに役立っていただけるのではないか。検討していただきたいと思います。

 司法改革に当たって、本当にたくさんの課題があることを改めて知りました。審議会の皆様の重責は誠に大変と思いますが、この激動に生きる日本国民の自律を助け、共同しあえる21世紀社会構築に向かって、真の改革へ向けた御審議をいただきますよう、心からお願い申し上げて、陳述を終わらせていただきます。

 ありがとうございます。(拍手)

【事務局長】どうもありがとうございました。
 それでは、引き続きまして、高津秀夫さんにお願いいたします。よろしくお願いいたします。

【高津氏】ただいま御紹介にあずかりました高津秀夫でございます。本日はこのような尊い公聴会におきまして、私のような一住民が意見発表させていただける機会をいただき、誠にありがとうございます。

 途中、ぜんそくのためにお聞き苦しい点があるかもしれませんが、どうかお許しください。それでは、よろしくお願いいたします。

 現在、私たちは、隣接する工場から排出される粉塵や騒音などから、自分たちの命と健康を守るため、市役所や工場、更には契約時の錯誤誘引の責任という点から、住宅会社に対しても要望書を提出したり、話合いの場を持ったりして、和解の道を模索し続けています。

 ところが、4年の歳月を掛けているにも関わらず、解決の糸口か見つからず、そうこうしている間にも、ぜんこくや鼻炎、ノイローゼなど、諸症状を訴える住民が増えていく一方で、早期解決のために裁判も辞せなくなってきました。

 そこで、法律相談を受けたのですが、本件のような公害問題では、勝訴できるとわかっていても、私たちにとって、以下のような問題点があり、裁判による早期解決は見込めません。

 一、弁護団体制を取ることになるため、裁判費用が非常に高くなると予想される。

 二、法律扶助制度はあるが、年収で判断されるため、本制度を利用できない。

 三、被害者(弱者)が加害者側の非を証明しなければならず、調査費用等がかさむ。ま  た、これらの経費は通常裁判費用と認めてもらえないので、加害者側に請求できない。

 四、本件の場合、判決が出るまでにかなりの期間を要する。

 五、法令等が形骸化され、条文に明記されているにも関わらず実施してもらえない。

 以上5点ですが、これらは私たちのような公害問題で困っている方々にとって、共通して言えることではないでしょうか。公害によって生活権は奪われますし、命までもむしばまれていきます。過去の公害訴訟を見ても、明らかに加害者側が悪いのに、審理に何年も掛かるため、結審したときには原告側の大半が生存していないといった事例は少なくないと思います。

 ですから、公害で悩む人々のために、前述の5点を改善し、泣き寝入りしなくても済むように、例えば、加害者側にその非の有無を期限付きで証明させるなどの手法により、被害者にとってより安価で、より迅速で、より勝訴の見込める公害裁判制度を確立していただきたいと思います。

 どうか1日も早く公害問題に対して、安心して暮らせる日本に変えていただきますよう心よりお願いいたします。

 御清聴、誠にありがとうございました。(拍手)

【事務局長】ありがとうございます。
 それでは、次に丸山敦裕さん、お願いいたします。

【丸山氏】本日は私にこのような機会を与えてくださり、誠にありがとうございます。

 私は現在、法学研究科の大学院生として大学に所属しておりますが、本日はこのような立場からの意見ということで、対象を限定させていただいて、報告したいと考えております。

 私の所属する法学研究科には、大きく分けて研究者志望の者、法曹志望の者、実社会に通ずる高度の専門知識習得を目指す者の三者がいると言えます。中でも、法曹志望者はより特殊な立場にあると言えましょう。というのも、彼らのほとんどは、学習の本拠を大学ではなく、司法試験予備校に置いているからです。もっともこれは大学院生に限ったことではありません。現行の司法試験は大学院生、学部生を問わず誰にとっても予備校の存在を不可欠のものとする試験となってしまっているのです。実際、司法試験合格者の大半は、予備校のある大都市に集中し、地方の優秀な学生はその優秀さにも関わらず合格困難な状況にありますし、また、他方、大都市であっても、こうした状況ゆえに、いわゆるダブルスクールを余儀なくされ、大学の講義以上に司法試験予備校の授業に熱心に出席しているというのが現実であります。

 私の友人の中にも、地方国立大学に籍を置きつつも、司法試験合格という希望をかなえるため、予備校があり、そして試験関連情報の入手が容易な東京へと転居した者が数人おります。これは決してレアケースではありません。

 これほどまでに法曹養成における大学離れと予備校依存、それに伴なう地域間格差という問題は進行しているのです。

 更にこれと関連して付け加えるべきことは、現在の司法試験が「資本試験」の異名を取っていることです。予備校通学の経済的負担を考えれば、法曹を志すこと自体がもはや必然的に学生本人や保護者の生活を圧迫するものとなってしまっているのです。

 もっともここでは予備校の存在そのものが問題なのではありません。現在のような予備校の在り方をつくり出した法曹養成ないし、司法試験制度こそが問われるべきでしょう。 つまり、それはあるべき法曹にとって必要な素養の習得をないがしろにし、資格試験に特有な暗記主義への偏重をさせてしまったような現行の制度のことです。

 こうした現状は、法曹志望者を深刻なジレンマへと陥らせます。なぜなら、彼らの多くは豊かな人間性や法律知識に限られない学問的素養を身に付けるべきであることにつき十分自覚を持っているにも関わらず、しかしながら、試験合格という直接的な目的のために、重要論点の機械的暗記という道を選択せざるを得ないからです。そして、多くの受験生の生活は、本来の理想とはほど遠いものとなってしまうのです。

 例えば、豊かな人間性を身に付けるといっても、彼らは受験勉強に専念せざるを得ないため、社会的経験を積む機会は極めて限定的となることが通常です。

 また、法律知識に限られない学問的素養を身に付けることは、合格への遠回りになるとして拒絶される傾向にあります。そればかりか、法学の分野おいてさえも、司法試験に直接関係ないという理由のみで、六法以外の領域については敬遠されてしまうのです。

 このようにして、極めて狭い視野の中で論点学習に終始するため、実際、大学のゼミなどでも、マニュアル思考に基づく金太郎飴的な報告や発言が横行し、議論が成立しないという現象が多々見られるのです。

 こうしたことは、受験生個人の当初の理想から掛け離れるという問題だけにとどまりません。機械的暗記に基づく機械的処理は、血の通わない判断を生み出すだろうし、また、論点学習のもたらす視野の狭さは、社会にとって非常識な解決を導く恐れがあります。

 更に、国際社会における現代的需要として、法曹にも外国語能力が求められておりますが、時間的、精神的余裕を持たない司法試験受験生が外国語習得にまで目を向けることはもはや絶望的であります。

 このように考えると、視野を狭めるだけの論点学習を強いる現行の法曹養成制度、ないし司法試験制度は、やはり限界に来ているのではないでしょうか。これを機に幅広い教養と豊かな人間性を涵養するのに資する新たな制度を再構築する必要があるでしょう。最近話題となっている法科大学院構想もその一つだと思います。

 ただ、この構想を実現させる場合には、是非とも基礎的教養の習得や、社会的経験の積み重ねを促すだけでなく、語学力の向上をも促すような制度構築をしていただきたく思います。

 これまでお話ししたのは法曹志望の者、つまり司法試験受験生の視点からでした。しかしながら、他方で法科大学院構想というものは研究者志望の者にとって有意義だろうと思われます。あるいは司法制度全体にとっても有意義であろうと思われます。ですから、次にこうした観点からのお話をさせていただこうと思います。

 現在の司法の在り方を顧みた場合、実務と学説とが乖離しているという点を指摘されることがしばしばあります。その理由として、研究者の側から提示される学説が具体的な事件に応用しづらいとの点が指摘されております。すなわち、現在の研究者養成システムの下では、研究者は実務特有の技術的側面に関して一切の訓練を積む必要がありません。そのため、生の事件を取り扱うという意識が稀薄となり、抽象化された理論レベルのみの思考に陥る傾向が強くなってしまうというのです。しかし乖離の原因は、より輻輳的であるように思われます。

 私は大学院でドイツ憲法、とりわけ基本権論を中心に勉強しているため、ドイツの判例、法制度、法学教育を見聞する機会がしばしばあるのですが、ドイツにおける学説と実務との関係は、日本のそれとは随分異なっているようです。ドイツでは、研究、実務、教育とが一体となっているように見えるのです。

 裁判官、行政官、弁護士が博士号を有していることは珍しくないし、また、第一線の研究者が多数、裁判官として登用されております。そのため、連邦憲法裁判所の判決が学説をリードするということもしばしばあります。

 他方、研究者もまた、すべからく法曹資格を有しており、彼らの大半は実務家も兼ねているので、この意味で実務の学際性とともに、学問の実務性といったものがここには存在しているのです。

 これは法曹養成制度の違いに起因するものなのかもしれません。ドイツの法学部では、大学卒業の際に学位が与えられるわけではないので、実質的には法曹の資格の取得が卒業に代わるものとなります。それゆえ制度上、研究者志望の者も、法曹志望の者も、一律に大学在籍の間に実務的訓練を積みます。

 他方、研究者の志望の者だけでなく、優秀な学生のほとんどが大学で博士論文を執筆するのです。恐らくこれらの点は決定的に重要であろうと思われます。最もドイツの法曹養成制度全体を見渡せば課題が多いのも確かであります。しかし、実務と学説が乖離している我が国にとって、これらの点は見習うべきところが多いように思われるのです。

 これらのことを私が最も強く意識したのは、ドイツ最高峰の法律家で、元連邦憲法裁判所判事のベッケンフェルデ教授とお会いし、一日中行動を共にさせていただいたときです。 もともと私は彼の執筆する論文や判決文から、実務の学際性と学問の実務性との融合というものをしばしば感じてはおりました。ただ、実際にお会いしてわかったのは、彼が影響を与えたドイツの公法学は、実は哲学や歴史学、政治学などといった法律学以外の幅広い学識に裏付けられているということです。実務と学問の融合も、これだけ広い教養がバックボーンとしてあるからこそ可能なのだと強烈に印象づけられました。

 このような人材を輩出し、このような人材を法曹のトップに据えられるような制度こそが現在求められているのではないでしょうか。

 やはり実体法の知識だけでは、優れた法律家は生まれないし、また、優れた判断もなし得ないように思われるのです。

 こうした経験から私が考えるのは、学説と実務とが有機的に関連し、学問の実務性と実務の学際性を共につくり出すような制度改革が望まれるということです。その意味では、現在、議論されている法科大学院構想も、狭い意味での法曹養成、すなわち裁判官、検察官、弁護士養成の観点からだけでなく、研究者、行政官をも含めた広い意味での法律家養成という観点で考えていくべきだと思います。

 法科大学院には、広い意味での法律家としての共通の足場を提供し、そこから各専門領域へと分化することが可能となるようなものであることが求められましょう。

 学説についても、こうした基礎の上にでき上がるものであるならば、生きた現実を扱うにふさわしいものとして、具体的な事件に応用可能なものとなると思われるのです。

 若干話が広がってしまいましたので、最後に言いたかったことを簡単にまとめさせていただいて結びに代えたいと思います。

 まず、現行の法曹養成制度は限界に来ており、法曹志望者が十分な基礎的教養を習得することが現実に可能となるような制度改革が必要であること。その意味で、法科大学院構想の実現が望まれること。そして、その際、現在の社会的需要にかんがみて、外国語能力の向上が極めて重視されるべきであること。

 また、学説と実務の有機的関連という視点からすれば、この法科大学院構想は研究者養成にとっても必要性を有していること。その上で制度的にはいかなる法律専門家も必ず法曹養成課程を経るような制度が望ましいということでした。

 制度全体のバランスを脇に置いた一面的な意見報告ではありましたが、これらのことが検討され、今回の司法制度改革が見事成功することを心より願っております。

 本日は誠にありがとうございました。(拍手)

【事務局長】どうもありがとうございました。
 それでは、次に水田宏さんにお願いたします。よろしくお願いいたします。

【水田氏】水田でございます。

 まず、国民が利用しやすい司法制度の実現ということにつきまして、三つのことを申し上げたいと存じます。

 その一といたしましては、弁護士へアクセスしやすい体制の整備ということでございます。

 私は現在、民事調停委員を仰せつかっているものの一人でございますが、民事調停の現場にありまして感じますことは、申立人が民事調停について認識不足ないし無理解のまま申立てに及ぶケースが多うございます。紛争の初期の段階におきまして、弁護士さんに相談しておりますれば、調停にすら申し立てることもなく、当事者同士で解決し得たと思われるケースがかなり見受けられます。弁護士さんとの法律相談が手軽に行われるならば、民事調停事件も減少するでありましょうし、調停に及んだといたしましても、当事者にとってより満足度の高い、しかも紛争をより早期に、スムーズに解決し得ることでありましょうし、ひいては民事訴訟にまで至ることを未然に防ぐこともできると思うわけでございます。ところで、現状では弁護士に手軽にアクセスできる体制にあるとは申し上げられない状況でございます。

 弁護士へのアクセスを阻んでいる要因といたしましては、弁護士の多忙、地域的な偏在、報酬の読み難さとか、広告規制による情報不足等々、種々ございましょうが、民事調停委員といたしまして切実に感じることは、弁護士さんへの相談費用をより低廉にして、相談の窓口を拡大し、そして、そのことを積極的に市民にPRするということが肝要と思うわけでございます。

 相談費用の低廉化のコストを弁護士さんサイドのみで負担し難いということでありますれば、法律扶助等の司法予算で裏付けるべきであろうと考えます。

 これは一つの例ということで、具体的に申し上げますと、仮に相談費用が30分で5,000円ということでございますならば、それを例えば3,000円下げて2,000円にすると。その下げる3,000円のうち半分の1,500円は弁護士さんサイドの広告代として負担していただく。そして、1,500円は司法予算で賄うというようにできないものだろうかと思うわけでございます。

 この点につきましては、法務省が今国会に民事法律扶助法案を提出する予定ということもございますので、その法案の中で法律相談費用が扶助の対象に含められることを期待いたしております。

 その二といたしましては、少額訴訟制度の充実ということでございます。

 平成10年に新しい民事訴訟法が制定されまして、少額訴訟制度の下で迅速な事件解決の道が開かれまして、その成果が高く評価されているところでございますけれども、簡易裁判所における少額訴訟に関わる司法委員、特に専門的または特殊な知見を要する司法委員の人口が少ないこと。また、調停委員兼務の司法委員は、調停事件で超多忙のため、要請に応えられていないというのが実態でございます。

 ニーズに応え、タイムリーに動ける司法委員の増員と、司法委員手当の増額も行い、少額訴訟制度が本来の機能を発揮するように、充実を図るべきであろうと考えます。

 司法委員の手当を具体的に申し上げることは差し控えさせていただきますけれども、調停委員の手当よりも低うございますので、少なくとも調停委員の手当と同額レベルまでは引き上げる必要があるんじゃないかと。

 更に専門的または特別な知見を有する司法委員は、おおむね本来の職業をお持ちの方が多いため、この方々が積極的に動いていただくためには、手当というもののさらなる増額も考える必要があるんじゃないかと考える次第でございます。

 その三といたしましては、民事調停の拡充でございます。民事調停の新受件数が平成元年度の5万4,000件から、平成10年度の24万6,000件へと、9年間で約4.5倍の激増ぶりを見せておるわけでございます。

 それに対しまして、民事通常第一審におきますところの新受件数は、平成元年度の11万件から、平成10年度の15万2,000件へと37%の増加でございますから、いかに民事調停のウェートが高くなってきているということは歴然としておるわけでございます。

 民事調停の新受件数が9年間で約4.5倍の激増ぶりに対しまして、民事調停委員の人口は微増にとどまっているわけでございます。

 これは私が属しております大阪簡易裁判所の例で申し上げますけれども、平成2年度に382人の調停委員が在籍しておりましたけれども、平成10年度の414名へと、約8%の増加にとどまっておりまして、勢い調停委員1人当たりの担当事件数の大幅増加によります負担過重と、それと同時に、勢い裁判官並びに裁判所職員への負担過重、更に調停室の不足によりまして、期日指定の遅延を来しておりまして、時代の要請に逆行してきているわけでございます。

 調停室を増設するということを含む設備基盤の強化、それから、裁判官や裁判所職員の増員ともバランスを取りながらの民事調停委員の増員、そして調停委員の意欲向上のための調停委員手当の改定等、人的基盤の増強によりまして、このような流れを変える必要があると考える次第でございます。

 次に国民の司法参加について申し上げます。

 まず司法に国民の意思を反映させ、司法を国民に身近なものにするということには、基本的には何人も異存はなかろうかと存じます。既に調停委員制度であるとか、司法委員制度、あるいは参与員であるとか、いろいろな制度が司法参加の道として機能しているところでございます。

 先ほどの国民が利用しやすい司法制度の実現というところで、民事調停委員や、司法委員制度の充実、機能強化について申し上げましたが、これらは同時に併せて国民の司法参加につながるわけでございますので、この面からいたしましても、その実現に向けて推進を図るべきものと考える次第でございます。

 最後に陪審制について申し上げます。

 国民の1人といたしまして、賛成いたしかねる次第でございます。陪審制におきまして、真実の発見というものが後退し、ラフジャスティスへの懸念が払拭されない以上、やはり国際的に見ても、公正で信頼性が高いと評判の高い、我が国の裁判官の判断に任せることを基本としつつ、一方で世情に疎いとか、世間を知らないということも言われることにつきましては、一定の範囲内におきまして、民間の判断を反映させるという形での参審制が望ましいと考える次第でございます。

 陪審制は司法の根幹に関わる問題でもございますので、広く民意を聞いていただきたいと思いますが、そのためには時間も掛かることでもございましょうし、まず第一段階として、簡易裁判所から試行的に参審制を導入し、段階的に上級裁判所へと及ぼしていくというように、柔軟かつ弾力化に推進すべきであろうかと考えます。

 民間的発想で恐縮でございますけれども、理念先行よりも、地に足を付けた改革を期待する次第でございます。

 以上でございます。(拍手)

【事務局長】どうもありがとうございました。
 それでは、次に山田悦子さんにお願いいたします。よろしくお願いいたします。

【山田氏】はじめまして、山田です。

 発表の前に再度マスコミの方にお願いしておきたいんですけれども、先ほどお配りした文書の内容をお守りいただくようお願いいたします。

 私これに申し込んだんですけれども、多分、私のような一冤罪者は意見発表の場は与えられないだろうと思っていたんですけれども、予想に反して、意見を述べてもいいという連絡が入ったときにはとてもうれしく思いました。このような機会を与えてくださいましてどうもありがとうございました。

 もう最後になってしまって、5人の皆さんがいろいろおっしゃったので、私の言うことはなくなったという感じになってしまったんですけれども、私は昨年まで21年間、甲山事件の被告人をやっておりました。その体験からして、陪審制度と法曹一元化は、今の日本の司法になくてはならない課題だと認識いたしました。

 私は中学校のときに青年の主張を見まして、知恵遅れの施設で働く保母さんの主張にとても感動して、甲山学園に就職いたしました。そして、2年目の春に事件が発生して、そして無罪が確定されるまで、実に25年間の歳月を費やしたわけです。その中で法の精神とか、正義というものを学びました。

 なるほど私は日本の司法によって2度も逮捕されましたけれども、そういう中で法の精神がいかなるものであるかというのを、とても学びました。

それは、一審の無罪判決のときに、私のような素人が完全無罪判決を聞いたときに、感覚的に、ああ、法の精神というのはこのようなものなんだという、魂が打ち震えました。 法の精神を享受する感覚というのは、私が体験として感得できたということは、ほかの市民も皆さんできるということです。

 甲山事件というのは、知恵遅れと呼ばれる子どもたちの園児証言をどのように判断するかによって、無罪、有罪が分かれる事件でした。

 検察官は園児の目撃証言を採択したわけです。園児証言を、園児と言いましても、10代から20に近い子までの証言なわけです。その証言を正当化するために、「知恵遅れの子どもは純真だから、『見た』ということをつくれないんだ、作話能力はないんだ。」ということを言いました。

 「見た」ということはいいんですけれども、「見た」を支える周辺の証言はとても矛盾錯綜しています。それらをカバーするために、「知恵遅れの子はうそをつけない。」という論陣を張りました。

 それに対して、弁護団は同じように、そういう検察官が抱くような偏見、「知恵遅れの子だからうそを言うんだ。」という論陣を張らなかったわけです。それはどちらも私たち社会が持っている、知恵遅れの人たちに対する偏見であります。その2つの偏見を凌駕したところで論陣を張りました。それはどういうものかと言いますと、私たち健常者も知恵遅れの人たちも、共に人格を持った1人の人間として、その証言の矛盾性を弾劾してほしいということを裁判所に訴えたわけです。それが裁判官の胸に届き、完全無罪判決が出ました。

 この甲山事件の無罪判決というのは、市民の思想に支えられたわけです。それはどういうことかと言いますと、弁護団はそのような論陣を張るために、市民の人たちと対話を持ちました。知恵遅れの人たちの実態というものを弁護士も知らないわけです。そして、本当に弁護士さんの手弁当で市民との対話で、そういう偏見でもって無罪を獲得してはならないということが徹底して話し合われました。

 3度の無罪判決が出ました。それは本当に検察官の主張を木っ端みじんにした、とてもすばらしい判決でした。その判決を引き出す論陣を張ったのが弁護士です。そして、その論陣を張らせたのが市民の思想の支えであるわけです。この連合の中で、甲山の3度の無罪判決があったわけです。

 直接法廷には立てませんけれども、甲山裁判において、見えないところで既に法の精神の闘いが発せられて、その上にあった無罪判決です。裁判官1人では出せませんでした。 そういう点からしましても、いかに私たちが無罪を獲得するに当たって、法の精神を生かす思想を市民が持っているかということを私は甲山裁判で学びました。そして、弁護士という立場の人がより近い市民と接する機会を持っていると思います。そういう方が裁判官になられて、私たちと同じ物の考え方、見方、そういう中で法廷が営まれることは、法廷をとても生き生きとしたものにすると思います。

 法の精神は、私たち市民が享受するわけです。法はごく普通に生きている市民の手中の中に絶えずないと、法の精神は維持できません。

 第二審の差戻判決を出した裁判官は、私にある日廷吏の方を通じて尋ねてきました。甲山事件というのは、そのおかしさに市民が気づきまして、本当に25年の間、多くの方々が法廷に駆け付け、公正な裁判を求め、傍聴席を一杯にしました。そのことについて裁判官が廷吏の方を通じて聞かれたわけです。それはどういうことかと言いますと、どのような人がこういうふうに支援して傍聴に来ているんだということです。それは最初どういう意味か私にはわかりませんでした。それは差戻判決の中でその答えがありました。

 とにかく犯人である人を弁護士と支援する人たちが寄ってたかって隠している、やっていないと言っているという、そういう弁護士と支援者に対してとても偏見に満ちた判決内容でした。私はとてもそのときに裁判官の閉鎖的と言いますか、市民の支援する側に対する偏見がとても根強いことを感じました。

 私の弁護団の中に元裁判官で、もうお亡くなりましたけれども、網田覚一先生がいらっしゃいました。網田覚一先生に、何度か事務所をお訪ねして、お話を聞いたことがあります。

 網田先生は、「裁判官時代は、とにかく世俗のあかにまみれないように、裁判所を出て自宅にまっすぐに帰る、誰にも会わないように。それが真っ白な心でもって法廷に臨む唯一の力なんだと僕は思っていた。」とおっしゃいました。

 網田先生は南海電車で通っていらっしゃったんですけれども、裁判官をお辞めになって、そういうことから開放されて、周りを見渡すと、南海電車にはとてもべっぴんさんが乗っていたと。こんなにべっぴんさんがこの世の中にいたのかと、それから、とても人と話をしたくなって、駅前に立って、知っている人を見ては話していたとおっしゃっていました。

 そして、「裁判官というのは、本当に狭い世界に生きて、市民の心がわからなくなっているんだ。」とおっしゃっていました。そのくせ自分が出した判決は、どういうふうにマスコミに評価されているかとても気になって、帰ってすぐに読むのは新聞だとおっしゃっていました。

 青木英五郎先生ともお話しすることがあって、「『裁判官はまず赤ちょうちんに行っては下品だ。そういう下々の行くところに行ったらだめだ。世俗のあかにまみれるから。』という、そういう雰囲気があって、人間ウォッチングするのにとても視野を狭くさせられている。」ということを語られました。

 私たち市民が裁かれるわけですから、市民を裁くとても豊富な知識を持った人が、裁きの中に法の精神も実現すると思います。そして、裁判が確定しまして、サンテレビが報道の問題で東京の外国特派員のBBC東京支局長にインタビューを申し入れました。甲山の裁判をどう思うかとインタビューを申し入れたときに、一言、「クレイジー。」とその方は言われました。外国から、特に先進国から見ると、日本の裁判制度はもうクレイジーだというふうに見られてしまっているわけです。これは今後国際化と言われることが今まで以上に重要な役割を果たす中で、決して、司法が疲弊している国は国際的な信頼を得ることができないと思います。

 司法、行政、立法の中で、主権の行使が、司法権の中ではなされていません。私は戦後民主主義の教育で育ち、主権在民、主権の行使ということを学びました。確かに私たち素人は、法律には本当に無知です。しかし、正義が何であるか、法の精神が何であるかということは、感覚としてわかります。感覚というのはまた、理性とともに共存する、私たちの理性にほかならないと私は思っております。

 この冤罪をつくり出してやまない司法、荒れた司法に本当に豊かな、緑豊かな大地のような司法にしていくために、最初のくわ入れが私は陪審制度だと思います。

 どうぞ陪審制度の実現に向けて、委員の皆さん方にお力を注いでいただけたら大変うれしく思います。

 どうもつたない話で申し訳ありませんでした。(拍手)

5.公述人への委員からの質問

【事務局長】 どうもありがとうございました。
 6名の公述人の方々には、それぞれ貴重な意見を賜りまして、誠にありがとうございました。
 それでは、これから引き続きまして、委員の方々の方から、意見を発表された方々へ質問をしていただきたいと思います。これからはお手元にありますマイクを利用していただきまして、座ったまま応答していただければと思います。どなたに対してでも結構ですし、また、どなたからでも結構でございますから、委員の方から適宜御質問をお願いいたします。

【髙木委員】私の方からお二方にお尋ねをしたいと思います。
 水田さんにお尋ねしたいのは、陪審制に対して、かなり消極的というか、最高裁の御説明のし振りと全く同じように私には聞こえたんですが、日本の国民に陪審というシステムをやらせたらうまくできないと言われてますが、もっとも私は日本の国民というのは、いろんな意味でうまくやれるんじゃないかなと。「日本の国民は真実の発見等ができないんだ。また多分いやがるだろう。」と、そんなようなことがいろいろ言われておるんですが、日本の国民の社会の公正、今、山田さんもおっしゃった法の精神、あるいは人間の理性といったようなお話もございましたけれども、そういったものについて水田さんはどのように御評価されているのか。
 それから、大東さんにお尋ねしますが、水田さんの御主張に対して、陪審を進められる立場で、どういう御反論がおありでしょうか。
 以上お二方にお尋ねいたします。よろしくお願いします。

【水田氏】先ほども申し上げましたように、私、現実に民事調停委員を仰せ付かっているものですから、その面を中心に現場の感覚から申し上げたこと、これが中心でございまして、最後に陪審制について申し上げましたけれども、あの中で私が一番中心的に感じておりますことは、先ほど髙木先生がおっしゃったように最高裁判所がおっしゃっていることと同じかどうかはちょっと確かめておりませんけれども、私、世代的に申しまして、ここにいらっしゃいます中坊先生、藤田先生、水原先生と、ほぼ同じ年ごろの生まれでございますので、その私どもが今から40何年前に大学の法学部におった当時は、そういう感覚でおりまして、その後随分時間的な経過もございますので、そういう世代のずれと言いますか、そういうことはあるかもわかりませんけれども、現実には余りそういったことについて深く考えておりませんので、そういった一つの思い込み的なものがあるかもわかりませんが、今でもそのように考えておるわけでございます。
 今、大東さんがおっしゃることについては、私、特にそうでないということを申し上げるつもりはありません。ただ、私はそのように思えてしようがないものですから、やはり判断は一番信頼できる裁判官にお任せするのを基本にして、そして、一方でいろんな国民の意見を反映するように心掛けたらいいじゃないかと考えているわけでございます。

【大東氏】陪審を是非とも早く復活させていただきたいと思っているんですけれども、ちょっとお伺いしたいんですけれども、水田さんは、調停委員になられるのはどういうふうな形で調停委員に選ばれたんでしょうか。

【水田氏】私が調停委員になった動機でございますか。

【大東氏】動機というか、どういう経路で選ばれたのかということですけれども。

【水田氏】私は民間企業の出身でございまして、学生時代に法学部に籍を置いておったものですから、法律関係には多少関心がございまして、それで法曹の道は取りませんでしたけれども、民間に入りまして、法律あるいは法というものについての関心がありましたので、第一線から身を引いたら、何か法律に関係するようなこと、司法に関係するようなことをやってみたいという気持ちがありまして、それでたまたま私の高等学校時代の友人で裁判官をやっておった者がおりましたので、その推薦もありまして、やったらどうだというふうなこともありまして、それで調停委員をやったという次第でございます。

【大東氏】ということは、裁判官の推薦ということですね。今、調停委員をされている方は、一般公募でされているんでしょうか。私が聞くところによりますと、調停委員をされている方は、有力者とか大学の先生の奥さんとか、お医者さんであるとか、わりと知識人であったり、その地域の有力者であったりという方が、何かコネで推薦されているような感じがするんです。
 一般公募で全体の中から、私がやります、ということで、その中で無差別に選んだ調停委員ならいいんですけれども、やはり選定の方法にも問題がありますし、それで私が参審制はどうかと思うのは、その参審制に参加する裁判官になる市民の方を選ぶのに、やはり陪審制度のように、選挙人名簿から無差別に選ぶというふうにしてくれるのならまだましなんですけれども、調停委員を選んだり、司法委員を選んだりというふうな形で、どこかからのコネとか、何かの有力者、長いこと何々委員をやっているからあの人は人望があるとか、そういう肩書で選んでほしくないんです。
 それに対して陪審制は選挙人名簿から無作為に抽出して、一般の方がフリーに自分の意見を出しあえるというところで市民参加ということになると思うんです。
 それと、参審制ですと、裁判官の中に市民が1人ないし2人混じるという形です。裁判官というのは、私たち市民から見ると、すごく賢い人、司法試験に受かった人という感覚があります。ですから、裁判官と対等に、私たちみたいにずっと運動を続けてきて裁判官とか弁護士さんとかと対等に話をするようになった者ならまだしも、一般の人は裁判官は偉い人、弁護士さんは賢い人、偉い人という感覚がありますので、その人たちと対等にどれだけ自分の意見が出しあえるかということも疑問に思います。
 それから、いろんな社会経験を積んだ人がいろんな角度から意見を出しあう、それで全員一致に持っていく、その論議の場こそが大切なので、参審制で裁判官から、この事件どう思いますか、というふうに言われたときに、1人、2人の市民の意見、それに裁判官の意見が入ってくる。そうしたら、市民はどうしても裁判官の意見の方が正しいのかというふうな感じになりはしないのかと思って、参審制は賛成できないんです。
 ここにいらっしゃる方も、多分、模擬陪審の陪審員とかをされた方もいると思います。陪審員になった人はみんな陪審制はいいと言うんです。だから、是非水田さんも、模擬陪審裁判がありましたら、是非陪審員として経験していただきたいんです。
 昨日も朝日新聞に神戸の兵庫弁護士会が陪審劇をやったというのを朝日新聞神戸支局の記者の方が書いておられました。今度大阪でも模擬陪審があるそうなので、是非陪審員に応募して経験していただきたいと思います。経験した者じゃないと、この陪審制の良さは実感できないと思うんです。よろしくお願いします。

【水田氏】私はそれに対して何も申し上げることはありません。

【水原委員】大東さんに一点教えていただきたいんですが。
 1991年から現在まで非常に御熱心に裁判ウォッチング等々やっていただいておられるように伺いました。感謝いたします。
 先ほど来伺っておりますと、模擬陪審や京都の地裁で現に行われた刑事事件の傍聴を通じて最終的には11名の方々が評決なさったと伺いましたけれども、その陪審員を選ばれた抽出方法についてお教えいただきたいんです。修習生になった方が入っておったり、それから大東さんのように本当に裁判に精通なさった方も、というふうに思いますので、どういう方法でお選びになられたのかということだけ教えていただきたい。

【大東氏】特別なあれはなくて、一般公募で、新聞に公募をしましたら、80人近くの方が応募してきました。そこでオリエンテーションをしまして、日本の裁判ですので、すぐ終わりません。ずっと裁判を、月1回くらいのペースですけれども、毎回裁判所へ出向けられる人。公判の期日はあらかじめわかりますので、その日お休みを取って来ていただける人、裁判に対して責任を持ってずっと傍聴し続けていただける人、というので、初めは大麻取締法違反で逮捕された人で、もともとは神戸で逮捕された人の供述で連鎖的に逮捕されたんですけれども。それで、京都に住んでいたということもあるので、京都地裁に持ってきていただいて、京都で裁判をすることになったんですけれども、一覧表をつくりまして、年代的に10代、20代、30代、40代、50代、60代、それで1人ずつ6名、男性は10代の人はいなかったと思うんですけれども、20代、30代、40代、50代、60代、そこから1名ということで、それで職業もいろんな方を検討して選ばせていただいたんです。
 たまたま学生さんとか、女の子も1人予備校生が入っていました。その子も4年間の間に大学に受かったんですけれども、4年間の間に阪神大震災もありましたし、いろんな状況が変わったんですけれども、みんながんばって、よく来てくれたと思っています。

【水原委員】ありがとうございました。

【石井委員】最初に大東さんに伺いたいんですけれども、これは今すぐお答えいただきたいんですけれども、私も感心をしてお話を伺っていまして、そもそもどうしてこういう法律的な問題について御関心を持たれるようになったのか。そこからまず伺いたいなと思います。
 後のことも一緒に申し上げてしまいますけれども、陪審制は私も大変興味を持っておりまして、これは本当に日本に合うのかどうかとか、いろんなことを考えておりまして、そういうことを見る上でも、何かの格好でシミュレーションみたいなことをしてみるのがいいんじゃないかということを何となく考えていたんですけれども、もう既に模擬裁判という形でシミュレーションをしていらしたということを知って大変感心しました。
 その中で、日本の場合、実際にそれに移る場合に、どういうふうにしてシミュレーションをするかということなんですけれども、これ陪審制をやっていくということがいいというのは、とにかく判決までが時間が短くなるということも一つの大変大きなメリットになると思うんですが、実際の裁判と結論がどのくらい違ったかということを、幾つかのケースについて何年間にわたって見ていくというのも一つの手じゃないかと思うんです。
 そのときに、陪審制だとすぐ結論が出てしまいますから、それを発表してしまうと、実際の裁判についても影響が出ると思うんで、そういうことで先に何か凍結するような、凍結するというか、出た結論は一応表面に出さないでおいて、何年後かに実際の裁判所の判決が出たときにそれと比較するというような格好でやっていかざるを得ないかなということを漠然と考えておりました。
 それにしても、陪審制はいいというお話を大分皆様から伺ったんですが、私もこれに興味を持つようになってから、実際にやっているアメリカ人、私の知っている人たち何人かに聞いてみたんです。そのときに、みんな大変胸を張って、これは、西部の開拓時代あたりかどうかよくは知りませんけれども、そういう時代からやっているんだと、胸を張って言ってはいるんですけれども、悪い面が非常に出ているということを大変強調しているわけであります。
 それはどういうことかというと、実際に陪審員になった人に対して、いろんな外からの働き、脅迫とか、場合によっては家族とか周りの人たちに対してまでいろんな影響が出てくるということで、選ばれちゃった人が、それをいかにして逃れるかということにかなり努力をしているという話を何回か聞きました。
 そういうことから、日本でももし入れるとすれば、そういう人たちを守るシステムということをかなり考えてからやらないと危ないんじゃないかなと。
 アメリカの場合も、そういう陪審員たちをいろんな脅迫するとか、そういうのが職業になっている人もいて、それが大変繁盛しているという話も聞きますので、日本の場合、もしこれを導入するということになるんならば、そういうことも含めて、よくお考えいただかなきゃいけないんじゃないかということを感じております。
 何かやれば必ずいい面と悪い面が出て、今申し上げたのは、悪い方の実際に行われている面だそうですけれども、そういうことまで十分御配慮いただきたいと考えております。 それから、皆様方に伺いたいんですけれども、今日お話を伺っていますと、今の司法システムについては、こういうまずい点があるとか欠点があるというお話がございました。何か改革と言いますと、必ず今のシステムとかに対する悪い点というのをまず挙げて、こういうところがあるから、こういうふうに直していかなければいけないんだという発想でやるわけでございますけれども、それでやりますと、掛け離れた非常にいい発想というのはどうしても出てこないんです。
 私も審議会のときに前に申し上げたんですけれども、やはり欠点列挙法でやっていくと、どうしてもいい結論、新しい発想の、例えば21世紀にふさわしいような司法システムというような考え方というのはなかなか出てこないと思うんで、何か今の日本に最も適した、21世紀の日本に最も合うような理想的な司法システムというものを先に考えて、それに合わせるように現行のシステムをどうやってもっていったらいいかという、ちょっと発想を変えたやり方でやっていく方がいいんじゃないかと申し上げたことがあるんです。そういう考え方も皆様方から少しお出しいただけたらいいんじゃないかと思うんです。
 それで皆様方に伺いたいと申し上げたことは、皆様方の中から、今申し上げたそういう司法の理想的なシステムというものはどういうものかということについての御意見がありましたら、ちょっとお教えていただけたらと考えたわけでございます。
 以上でございます。

【事務局長】皆様の中で今の石井委員の質問にお答えしようという方がいらっしゃいましたら、どうぞ。別に大東様から順番にいく必要はないのでございまして、どなたでも結構でございますから、私はこう考えるという御意見がございましたら、どうぞおっしゃってください。

【山田氏】私たちが人間の尊厳を獲得するときには、崇高な理念を掲げるわけです。それを求めて、理念だけではその精神は享受できないわけですから、実践が伴います。理念と実践のないところには、正義も存在しません。「刑事裁判の鉄則である疑わしきは罰せず。99人の犯人を逃しても、1人の冤罪を出すな。」というのが、実際の裁判では機能していないわけです。これは大阪の高裁の裁判長をお務めになった石松先生のお話なんですけれども、要するに、真実の発見というのは、冤罪で無実を訴えている人がいるとすると、その人が犯人じゃないという発見ではなくて、誰が犯人なんやというのが現在の裁判官の意識だとおっしゃいました。
 そこで私たち弁護団を含め、本当に驚いたわけです。被告人の訴えを聞くのではなくて、「あんたが犯人じゃないなら、では誰が犯人なんだ。それを弁護士が提示しろ。」というのが現状の裁判官の意識としてあるわけです。
 1人の冤罪者の声を、本当に国民から選ばれた12人の陪審員が聞く。そこからじゃないと、本当に法の精神というのは獲得できないと思うんです。
 お隣の水田さんも、法の精神を本当に私たちが享受するということには、本当に異議がないと思います。それを享受するために、何をしなければならないのかということは、本当に今、私たちの差し迫った課題であるわけです。
 先ほども申しましたように、荒野を、本当に食物が取れる豊かな耕地にするためには、第一歩のくわ入れが必要なわけです。正義は痛みを伴わないと実現しません。だからこそ正義の価値というのは、普遍的に歴史を通して私たちの中に生き残ってきたわけです。そして、明治の時代は本当に西洋の法体系を学んで、私たちは本当に憲法がとても大事だということを自分たちの心で持つことができているわけです。日本国民で憲法など要らへんという国民はいないと思います。
 そういう本当に試されてきた国民の経験があるわけです。私は陪審制度は国民性になじまないなんて全然思いません。基本的人権がいかに大事かということを私たちは知っています。第一、国家の教育として私たちは学ばされてきたんですもの。それを陪審制で実践して何が悪いのか。私たちの司法じゃないかと思います。
 だから、反対される人の意見が私はとってもわからないわけです。法の精神を求めて、何故私たちが権利のための闘争をするのがなぜいけないのか。
 水田さんも、本当に法学部で学ばれたなら、なぜ権利のための闘争としての陪審制度がいけないかのという、それを納得いくまでお答えいただけたらと私は思います。

【水田氏】私は今日、司法制度改革審議会の公聴会ということで、私も公述人として出席させていただきまして、いわゆる公開討論会に出席したつもりではございませんので、私、特にただいまの山田さんの御発言に対してとやかく申し上げるつもりは毛頭ありません。 それから、先ほど石井先生がおっしゃいました新しい発想でいくべきだと、これは誠にそのとおりだと思うわけなんですけれども、そういう意味で新しい発想という観点から物を考えるということが、至っていないのかなと。ある程度、改善と言いますか、改革に至るまでの改善と言いますか、そういうふうな発想から物を考えておったきらいはあろうかと思いますので、石井委員のおっしゃったことに対しまして、ただいまお答えするものを持っておりませんので、控えさせていただきます。

【坂本氏】私も市民運動とか消費者運動という立場でこの場で発言させていただいている立場上、陪審員制度につきましては、私がとらえ得る限りの、いろいろなヒアリングなど、おおむねの感覚として先ほど申し上げた次第です。基本的にはやはり陪審制度を早く積極的に取り入れるべきではないかと考えてはいます。それは大東さんとか、山田さんほど、実は積極的ではないかもしれませんけれども、この間、司法改革というのを勉強する過程で、やはり市民参加ということを実現させていくためには、何より一番大事なことではないかなというふうに思います。
 まず、ためらうよりも、市民の側から敷居を越えて、そういうルールづくりに自ら参加していく。ただ、市民の中の圧倒的多数は、陪審制度が日本に実はあったんだということも、今、実際にそういうことが世界の中でやられているんだということも全く知っていないわけです。その陪審制度ではどういうふうに陪審員が選ばれていくか、どんなシステムになっているかということもわかっていないわけです。
 ですから、そういうことをわかりやすく、一つの案、あるいは幾つかのシミュレーションというのに早く着手していただく。理念先行型といういつも教えていただいている考えに立って、審議会でも積極的にお考えいただければと思います。

【事務局長】ありがとうございます。
 では、丸山さん、お願いします。

【丸山氏】皆さんが言われているのとは方向性を異にする話になってしまうんですけれども、先ほどの、一応理想像みたいなものを描いてという質問についてお答えさせていただきたいんです。
 例えば、今日、陪審制だとか参審制だとかいうことがいろいろ議論されておりますが、いずれの制度を取った場合においても、その制度を運用する人とか、人材というものに何らかの、言葉は悪いですけれども、欠陥のようなものがあったりすると、その制度が思ったとおりに機能しないということがあると思うんです。そうした場合に、やはりどういった形で法に携わる者たちの人材というものを育成していくかということが制度構築の上で極めて重要になってくると思うんですが、その際に私が思うのは、職業間の交流というものが非常に現在の日本は欠けているということを感じるわけであります。
 というのは、法曹一元とかで言われる問題でしたら弁護士が検察・裁判所に移るということもあるんでしょうが、そういった法曹一元というものを超えて、企業人だとか、大学の研究者といった方々も、そういった法曹のようなものに参加できるような在り方というのが模索できないかと。
 そこで考えられるのは、かと言って、全く法に関して素養なしの状態でそういうものに挑むというのもいささか酷な話なので、そういった形での法曹養成というものを考える必要があると思います。
 そうしたときに、企業だとか実社会におられる方々が大学に入ってきて、大学にいる人たちが法曹の方に行って、法曹の方でいろいろ実務をやっておられる方が企業に行き、そして大学に来るという連関というものが必要になってくると思うわけです。
 しばしば実社会に司法や実務というものが対応していないということが言われるんですけれども、そういった実社会における最先端の議論というものも大学の方に運んでいただいて、大学で研究者を含め、議論し研究を進めていき、大学というのは研究機関であると同時に教育機関でもあるので、それを学生たちに教えていき、そういったところからまた学生たちがさまざまな方面に羽ばたくと。羽ばたいた人たちがいずれかの機会に大学に戻ってきて、それでまたほかの方に行くという形で、流動的な、そういう全体としての問題を共有できるような制度構築というものができればいいかと考えております。

【事務局長】ありどうございました。

【佐藤会長】今の丸山さんのお話、先ほどのお話も非常に共感するところが多いんですけれども、御報告の中で現行の法曹養成制度が限界にあると。同時に、あるべき法曹養成として、研究と実務との一体性、それと同時に哲学的な教養というものも非常に重要だと。そういう教育の在り方を目指すべきだとおっしゃったわけで、その辺も非常に共感するわけです。
 先ほどの石井委員の質問とちょっと逆方向になるんですけれどけも、現行の法曹養成制度の限界として、幾つか挙げられたんですけれども、二点だけ、ちょっと具体的に聞きたいんです。
 一つは、論点学習のことを挙げられましたが、そこで言われる論点学習というのは具体的にどういう学習なのかということ。
 それからもう一つ、現在は「資本試験」になっているとおっしゃったんですけれども、具体的にはどういうところが「資本試験」になっているのか。その二点だけ、ちょっと教えていただけますか。

【丸山氏】まず論点学習についてですけれども、大体司法試験では最初に択一試験があって、その後論文試験があるということなんですけれども、択一試験の場合には、非常に膨大な知識が要求されるので、ただ、膨大な知識が要求されるとは言え、経験的に余り出ないような分野というのも存在しておりまして、そういうところについて余り深く突っ込んだことをやっていると時間が間に合わないということで、ちょっと絞って勉強すると。
 その後の論文試験なんですけれども、これについては、もう少し絞った形での対策というものが練れまして、言ってしまえば広い意味での山掛けになるんですけれども、例えば司法試験受験生の人たちが非常によく勉強される科目、例えば憲法、民法、刑法とかいったものについても当然問題なんですけれども、それ以上に事態が深刻なのは、論文試験でしか要求されない商法だとか訴訟法だとかいった分野についてなんですけれども、これについては、大体択一試験の合格発表というのが5月末の辺りに行われて、7月に入って論文試験が行われるんですけれども、この2か月の間で対策を練ることも可能だと言われるくらいで、そこで山を掛けて、こういう問題が出るだろうというふうに予備校が想定して、それに対して、普通の一般的な感覚だと、論文試験というものは山を掛けることができないのじゃないと思われるかもしれないんですけれども、ある程度狙われるとか論争となっているところをピックアップすることによって、解答の立て方というか論証方法みたいなものをあらかじめ「論証ブロック」という形で暗記して、言ってしまえば、数学とかでいろいろチャート式だとかいう問題集をひょっとしたら御存じの方もおるかとは思うんですけれども、一つひとつのチャートの組み合わせでもって回答を導くことができると。そういう形で予備校は対策を立てておって、これが実際に非常に効果を発揮すると。これが論点学習で、そうすると非常に視野が狭くなってしまうということが挙げられると思います。
 もう一つの「資本試験」についてなんですけれども、大体予備校というのは基礎コースと、その後の実践形式のコースとありまして、基礎コースのすべての科目を受講しようとすると、一番最初に百万円位のお金が掛かるいうところもあると言われておりまして、実際そういうことは皆さん無理なので、誰か行ってくれる人にその情報をもらうということをやるんですが、基礎の段階はいいんですけれども、その後の、本当に受験直前のコースになると、予備校が出してくる山を掛けた問題というものが決定的に合否に影響してきますので、これを受講しないわけにはいかない。いわゆる答練と言われるものなんですけれども、これは出ないわけにはいかないと。これもまた3か月ほどで1科目確か15万くらい掛かるところもあったりとかして、一発で通ればいいんですけれども、司法試験はなかなかそういうふうにもいかないんで、そうすると、何回も試験を受けなければいけないということで、司法試験受験生の経済状態は非常に逼迫してくる。もしくはお金を持っている人たちが法曹を目指すことができるという状況にあると思います。

【中坊委員】私からも一点、丸山さんに、私も学生時代は随分前に去りましたんで、お尋ねしたいと思うんです。
 確かに学生の方で、今法曹になろうとされるとき、私個人としては、あらゆる法曹として物事を見るときに、被害者なら被害者、いろんな立場の人と同じ目線で物が見えるということがすべての大切な第一歩だというような気がしているんです。
 そこで丸山さんにお尋ねしたいんですが、そのような同じ目線で物を見るということを、今の大学ではどのような形で教えられているのか、あるいはそういうことは余り言われないのか、ということを少し教えていただきたいと思うんです。

【丸山氏】これは私の個人的な実感でしかないんですけれども、大学という場所である種の人格形成に当たるようなことというのは、余り行われてないと。教官のパーソナリティーにもよるんでしょうが、普通そういうことは余り講義でおっしゃる先生はいないと思います。
 では、どのような形でそういう幅広い物の見方、弱者の気持ちもわかるような発想というのが出てくるかというと、結局のところ、社会経験だと思うんです。社会経験というのも、職業的なものだけではなくて、そういったものを通して、さまざまな自分とは違うタイプの人と出会うということが重要だと思うんです。
 例えば偏差値が高いと言われる大学の中にあって、偏差値が高いと言われる大学を目指す予備校とかにどっぷりつかっているだけだったら、幾らアルバイトをしていも社会勉強にはならないかもしれないですし、そうではなくて、もっと普通の、同じタイプの人間が集まるというものでなくて、さまざまなタイプの人間の人が集まるようなところへと積極的に足を運ぶということを自分からしていかなければそういう経験はできないし、そういうものは養われないと思うんです。
 とりわけこういった司法制度の絡みで言わせていただくと、もし、法曹とかを目指そうとするならば、そういった時間というのは実質的に失われてしまうので、現状においてはなかなかきついのではないかというふうに私は感じています。

【事務局長】中坊委員、よろしゅうございますか。

【中坊委員】はい。

【藤田委員】高津さんに伺いたいんですが、公害の問題でいろいろお悩みということですけれども、確かにそういう国民のニーズにマッチした解決をするという観点から諸制度の改革は必要であるんですけれども、公害事件で非常に証明が難しいということで時間が掛かる、因果関係の証明でしょうね、それから、製造物責任で言えば瑕疵があるということの立証ということなんですが、それらには立法が非常に関係している。公害などについては、裁判所がいろいろ疫学的証明とか、あるいは事実上の推定という理論を使って因果関係の立証の負担を軽減しようという努力をしてきたわけですけれども、それにも限界があるんで、立法の段階でのそういう問題解決の努力も必要ではないかと思うんですが、その点をどういうふうにお考えかということを伺いたいんです。
 それから、私は質問する立場でお答えする立場じゃないんですけれども、さっき大東さんから、調停委員はコネコネで有力な人だけがなるというお話がありましたんで、ちょっと一言言わせていただきます。調停委員というのは基本的にボランティアでいろいろと御負担を掛けるという面があります。後でお話ししますが、面接するときに、週1日か2日、半日割いていただけるだけの余裕がありますか、ということを伺うんですけれども、お医者さんとか不動産鑑定士、弁護士、建築士という専門家の調停委員は、第一線で活躍している方はそういう形でお願いするのは、やはり引き受けようという方でないとお願いできないんです。弁護士会とか建築士協会に推薦をお願いして選任するということはございますが、そうじゃない一般の方の場合には、別に有力者の推薦がなければできないということではないんで、裁判所の総務課においでになって、なりたいんだというお話をされる方もございます。民事部の裁判官や書記官がお一人ひとり面接をしていろいろ伺って、裁判官会議で決めるというシステムになっておりますので、その点一言申し上げたいんです。
 水田さん、調停委員をやっていらっしゃる、司法委員もおやりになっているかとも思うんですが、昨日、大阪簡易裁判所の少額訴訟を実地に見学させていただきまして、司法委員の方が関与して活躍していらっしゃるという現場を拝見させていただいたんですが、参審制について、専門家の裁判官と対等に議論できないんじゃないかという危惧があるわけですが、調停委員あるいは司法委員としてお仕事をおやりになって、裁判官と接触して、その事件についての意見などをお述べになるのに際して、その点をどういうふうに感じていらっしゃるかということを一言だけそれぞれお伺いしたいんです。

【事務局長】まず高津さんの方からお答えいただけますか。

【高津氏】先ほどの藤田委員の方からの御質問なんですけれども、我々、本当に一住民で、私がここに座っていること自体、今の感想から言うと、間違っているなというのをすごく感じておるんですけれども、ただ、自分自身で本当に何も経験もない無知な人間でありながら、やはり家族、特に子供とかがひどくなっていく状態、アレルギーとかぜんそくとか鼻炎とかになっていく状態を見るにつけ、やはり親である自分が守ってあげないといけないなということで、私たちの地域は22戸しかないんですけれども、その裏に接する繊維工場さんの方から粉塵なり騒音なりの公害があるので、皆さんに呼び掛けて、今まで4年間、いろいろとアンケートなり会議なり、そして署名とか、自分でない頭で考えられることをさせてもらってきたんですけれども、ただ、本当に法的にも何も知らないですし、このきっかけをいただいたのは、ある市議会議員さんの方からとりあえず審議会に対して要望書を出してみたらどうかと御指導をいただきまして、それが発端でありました。どんどんやっていくにつけて、とりあえず証拠というか、集めないといけないということで、写真を撮ったり、アンケートを集計して、こういう結果が出ていますよということで、市とか工場とか住宅会社の方に訴えてまいりました。
 その中で、何も変わっていないとは言うものの、私たちレベルから見たら何も変わっていないというのは言い過ぎなんですけれども、要は、直接原因者である工場さんなどは、防塵設備とかを実際にかなりの額を掛けてつくっていただいておりますし、住宅会社さんの方でも、今回お願いしたところ、金銭的な協力はしていただけることになっております。
 ただ、そのレベルというのが、私たちにも非がある。というのは、準工業地域で、周りにそういう繊維工場があるということはわかっていました。ただ、その住宅会社の方は、粉塵の量とか、工場がもうそろそろ閉鎖しますよという錯誤誘引の説明をされたということで、それに対して責任を追及をしているんですけれども、それによって工場に対しても被害者であるということで、その三つどもえの状態の中でどう解決していくか。あくまで証明としては写真で、実際に先ほどおっしゃられました健康面での証明はしにくいのではということだったと思うんですけれども、写真で証明しようと弁護士の相談のときに見ていただいたんですけれども、確かにこれでは立証できて完全勝訴はできるでしょうけれども、そうなったときにやはり22戸の意見のばらつきもありますし、その辺の費用の負担をどう考えるかという点もあります。
 また、裁判をしたときに、実際に勝訴したとして、今聞いているお話の中では、その2、3割程度しか返ってこないんじゃないか。また、我々の要求する新しい集塵装置というものを設置してもらえるのは、多分確率的には低いということを聞いております。
 ですから、あくまで私たちに返ってくる損害賠償なり慰謝料というのは、実際の人的被害を金銭に表すしかないような現状になっていまして、それで言うと、医者の方には行っていませんけれども、通院する程度ですし、特に入院した、手術した、そういう被害にまでは至っておりません。
 公害の場合、だんだん人体内に蓄積されていくことですので、今のうちに何とかしたいという思いで、もう20回くらい地元での会議なりをさせてもらっているんですけれども、やはり弁護士さんにお願いする、あるいは専門の調査機関にお願いするといったことが必要になってきているところまで来まして、そうなると、やはり費用的に苦しいと。
 そういう意味では、我々は確かに被害を受けているから、その被害について証明するというのは、今の法律では当然なんでしょうけれども、やはり被害者または、住宅会社で言えば、そういうことは行っていないよという証明も、対等な立場で出してもらえる。お互い利益を求めて証明して、その証明を比較してもらって、裁判官の方、あるいは調停でもそうですけれども、御判断いただくという制度。一方的に被害を受けているということを証明するのではなくて、向こうもしていないということの証明、あるいはこれだけの防塵設備をつくったから、対応していますよということの証明を、対等に出し合えて、それを判断してもらえるような裁判制度を求めているつもりなんです。

【事務局長】ありがとうございました。
 では、水田さん。

【水田氏】私も民事調停委員と同時に司法委員も仰せ付かってやっております。
 先ほどの御質問ですけれども、民事調停におきましても、それぞれ民事調停委員、自分の専門分野と申しますか、それぞれ長い間経験した分野のことにつきましては、それぞれ自信を持っておりますし、また、事件の性質によって、それを担当する民事調停委員の配置は裁判所の方で勿論考えられるわけですけれども、そこで持てる民事調停委員の専門性、能力、適性を十分考えた上で2人以上の委員を配置しまして、具体的に調停が進行する過程で、常に裁判官と協議して進めておりますので、その段階でも十分民事調停委員からの意見はかなり反映しているものと考えております。
 それから、少額訴訟の方ですけれども、これは立場が違いますけれども、私も民事調停委員との兼務で忙しいものですから、少額訴訟で扱っている事件数は比較的少ないんですけれども、私なりにこれまで担当もしてまいりまして、そのときの経験から申し上げますと、その事件をあらかじめ事件簿をよく調べて、事前に裁判官にもいろいろ打ち合わせをしてみたり、自分の考えることは十分伝えたり、そして、裁判官もそれをよく聞いていただいておりまして、私としては、十分意見の反映はできておると考えております。
 また、日常、裁判官サイドからも、司法委員について、自己の専門分野というものを開示してもらって、できるだけその分野については自信を持って意見を言ってほしいというふうなことも聞いておりまして、その辺はうまく運営されているんじゃないかなと思っております。

【事務局長】ありがとうございました。実はこの後せっかくお集まりいただきました傍聴者の方々にも何か御意見がありましたら伺おうというふうにも考えておりました関係で、時間も少なくなってまいりましたが、先ほど少し石井委員の質問で途中、討論会のようになり掛けて、うやむやになった形があるんですが、石井委員どうぞ。

【石井委員】先ほどいろんなことをごちゃごちゃ申し上げたせいで、お答えが私が伺ったことと違うようなところもあったんですけれども、大東さんはどういうことから興味を持たれたのかというのに大変興味がある。興味本位で伺っちゃいけないんですけれども。
 もう一つ、陪審員をどうやって暴力から守るか。これは当然アメリカでしょっちゅう起こっている問題ですから、日本でもこれを入れたときに、裁判の結果に圧力を掛けるという意味でいろんなことが起こってくると思うんですけれども、それをこうやれば守れるという、何となくわからない気もしないこともあるんですけれども、実際問題として、どういうことができるかということを考えてみますと、なかなか難しいんじゃないかと思うんですが、そこら辺についても具体案がありましたらお教えいただきたいと思います。

【大東氏】先ほどの質問に答えてなかったので、最後に質問にお答えしようと思っていたんですけれども、私がこの裁判フォーラムに関わるきっかけになったのは、京都の若手弁護士会が模擬裁判をしまして、それで陪審員を新聞で募集しておりましたので、それにたまたま陪審員に応募して、模擬裁判を経験した。その後で若手弁護士だけじゃなくて、市民もみんな一緒に活動をしていく組織をつくろうという話が出てきまして、それで裁判フォーラムというのをその年に設立したわけです。
 陪審員に応募したというのは、私の父親が、民事ですけれども、裁判を長いことしておりまして、父と叔父が相続争いをずっとしていまして、お互いに死んでしまわないと終わらなかった。裁判は長いものというのが頭の中にずっとありましたので、陪審だとどういうふうになるのかというのも興味がありました。
 それから、陪審員に選ばれた人をどういうふうに保護するかということですけれども、2、3年前にアメリカ映画でありましたね。「陪審員」という、マフィアから自分達の思いどおりに陪審員全員を同じ意見に一致させられるというので、狙いを定められた親子がずっと狙われるという映画がありましたけれども、最後はFBIが守ったんですけれども、日本にはそういう強力な警察機構、また警察に全部頼ってしまうというのもあれですし、報道機関の問題もあります。全部実名で報道していいのかどうかという問題もありますし、陪審裁判がしょっちゅう行われると、一々陪審員に選ばれた人の名前なども公表しないと思うんですけれども、裁判の当事者で、もし危ない人が被告人とかになった場合にどうするかというのは、裁判所サイドで考えていただいてもらわないと、私たち市民の側は自分は自分で守るしかないと思っていますけれども、やはりいろいろ警察に入ってもらうというのは、私は余り賛成できませんので、裁判所の方できちっとそこら辺はこれから考えていっていただく課題じゃないかなと思います。
 それから、陰の陪審のことをちょっと触れさせていただきたいんです。
 陰の陪審の判決を、裁判所が判決したときに同時に公表したらいいじゃないかなというふうにして、私たちずっと4年間「陰陪」でずっと傍聴していまして、それで論告求刑を聞いて、それから後、最終弁論を聞いて、最終弁論のすぐ後評議をする予定にしていたんです。
 それが、論告求刑を聞いて、しばらくして被告人が亡くなった。実は自殺だったんですけれども、論告求刑が2年6か月の懲役だったんです。それに対して裁判が4年間、それも外国人に対してこんな長い裁判が日本で行われて、自分がずっと被告として被告人席に座らされる。そういうことは、やはり外国人には耐えられなかったんじゃないかという気もします。
 亡くなってしまったんで、判決を公表したり、裁判所側の判決が聞けずに終わっているんですけれども、やはり裁判所側の判決と、陰の陪審でずっと傍聴してきた判決を、比較検討してみるということは大切なことだと思っています。
 それから、さっき山田さんが述べられた理念と実践、法の精神、疑わしきは罰せず、真実の発見、そういうのを全部引っくるめて、今、一番大きく変えなきゃならないのは、裁判制度だと思います。基本的人権とか、主権在民とか、全部それが守られるのが陪審制度じゃないかと私は思っています。
 今の裁判官は、さっき山田さんがおっしゃっていましたけれども、「あなたが犯人じゃないと誰が犯人なんだ。」というふうな、こちら側で白であることを証明しなきゃいけないような感じの裁判が現実に行われているんですけれども、陪審制ですと、裁判官の説示の中にもありますけれども、合理的な疑いがあれば、それは全部無罪にしなきゃならないという鉄則があるんですね。疑わしきは罰せずにも通じますけれども。その人が有罪として、陪審員を納得させるのは、検察官の方がすべての証拠書類を出して証人も出して、一つの疑いも残さないように検察側が用意しなきゃいけないんです。被告側の方が、自分が無罪であるということを証明する必要はないんです。それが陪審制のいいところだと思います。そういうわけで是非発想の転換とか、理想的なシステムをお考えになるんでしたら、陪審制が一番いいんじゃないかなと思っています。

【事務局長】ありがとうございました。委員の方からの御質問はよろしゅうございますか。

【髙木委員】丸山さん、あなたのロー・スクールというか法科大学院構想のお考え、かなりのところ共有できると思うんですが、何でこんなふうになったのか、あなたが言う研究者と同時に教育者、その教育者という職務をサボってきたからこうなったのではないか、という自己反省のないロー・スクール論は、私は危ないんじゃないかと思うんです。
 そういう意味では、既存の大学の法学部教育と司法試験の間を、単にブリッジを架けるだけのロー・スクール構想のように思えてならない案が最近いろいろ出されておるんで、そういう意味で、佐藤会長も大学の先生ですが、余り失礼なことを言ったら怒られますけれども、私も具体的なイメージはよくわからないんですが、今の大学と司法試験の間をつなぐということのみに傾斜しない、何か新しい枠組みみたいなものを考えてみないと、本当にいい法曹養成の場になっていくんだろうかと。もっと乱暴に言えば、ロー・スクールの予備校化が心配されるという面と、それからこんなふうな法学教育にしてきた現在の大学の先生方が、本当にダイナミックに発想を変えて取り組んでいただけるようになるのか。これは失礼な話だからこれ以上言いませんが、その辺についてあなたはどんなふうに認識されておるのか、簡単にお願いします。

【丸山氏】大学の先生の怠慢については、私の口からは何とも言えないんですけれども、おおむねおっしゃるとおりだとは思います。ただ、法曹養成を考えるときに、確かにロー・スクールの予備校化という問題は懸念されると思いますし、あと、ロー・スクールに入るための予備校というものがはびこるということも恐らく懸念されると思うんですが、先ほども申しましたように、私としては、もう少し職業の枠を超えた形で交流して、全体として法律を扱える人を増やすという形での養成を考えていて、もっともっと門戸を広げていいと思っているわけです。
 それで法曹の質が低下するとかという考えが出てくるんでしたら、それは恐らく誤りで、人数が増えることによって、恐らく競争というものをかき立てられて、その競争の中でよりよい人材というものがどんどん生まれてくるのではないかと考えております。
 若干離れてしまうんですけれども、先ほど佐藤幸治先生から質問をいただいたときに、緊張してしまっていて、非常に言葉足らずの部分があったので、それについて補足させていただきたいんです。論点学習についてもう一つ重要な問題がありまして、それはある論点について、学生が学ぶということについて、法律というのは、解釈というのは本当はさまざまあって、それを基礎づける方法というのもさまざまあって、それをお互い論議しながら正しい答えというものを見出していこうという側面が非常に大きいはずなんだけれども、この論点学習をすることによって、この事例が出てきた場合には解答はこうなるという形で機械的な暗記に伴う機械的な運用というものを促してしまって、全く生きた生身の人間とか、そういう社会的背景を背負った意味での人間というものを無視してしまう側面があるという点が非常に重要な問題としてあるということが一つ。
 もう一つは、料金についてなんですけれども、ちょっと自分の中で非常にインパクトとして残った料金がさっと表に出てしまったんですけれども、額の高いところもあれば低いところもあって、基礎コースでも30万円単位のところもあるし、その後の答練でも8万円くらいでやるところもあるということを補足しておかなければいけないと思いまして、失礼いたしました。

6.会場からの意見

【事務局長】ありがとうございました。委員の方、よろしゅうございますか。
 それでは、公述人の皆様の活発な御意見と、私の司会の不手際も重なりまして、もう時間もほとんどなくなりました。先ほど少しお約束をいたしましたので、もしこの際、何か意見をおっしゃりたいという方がいましたら。ただ、本日は公聴会で、国民の皆様の御意見を伺う会でございますので、質問というよりも、何か提言と言いますか、自分の司法制度に関する御意見を言っておきたいという方がたくさんいらっしゃるんだと思うんですけれども、1人か2人、発表していただけますでしょうか。
 たくさんいらっしゃいますね。では、一番最初に挙げられた方にお願いいたします。

【傍聴者(1)】私は大阪の弁護士ですけれども、全国の市民オンブズマンの代表幹事もしておって、地方とか東京の情報にも接しておるので、司法の地域的特徴から改革の参考になればということで意見を述べたいと思います。
 東京の裁判所には、非常に優秀な裁判官がたくさんいると言われておる。それも事実なんですけれども、社会的な事件で市民の声に応えていけるのは、地方の裁判所の方がずっと多いんです。イタイイタイ病とか水俣病、それから空港などの地域的な裁判は当然として、全国共通の課題としての大気汚染問題、これなどでも四日市であり倉敷であり京都なんです。そういうところから、東京を包囲していっているという感じなんです。
 今日新聞に載った情報公開問題なども、情報公開とか官官接待とか住民訴訟、これなどもやり始めたのは仙台とか大阪とか京都、名古屋で、そこら辺りからずっと最高裁に行って、最高裁が今、最終的な判断を迫られているんですね。ちなみに私は最初に1986年に提訴した情報公開請求は、14年たってもまだ解決せずに最高裁で3年間眠っているという状況なんです。
 地方から見ていると東京の裁判の問題点は、東京は経済とか行政とか政治の力が圧倒的に強いんですね、それに対するチェック機能としての制度を持たない司法は非常に小さな存在なんです。裁判所の反応も非常に冷たいので、東京では、市民自体が司法に対する期待を失っているのではないかと思われます。
 このような原因は、やはり地方の裁判官は弁護士と非常に交流して、市民とも接触があるんです。顔が見える存在になっているということで、いろんな裁判官がいるんですけれども、そこで出世とか統制とかを克服した市民派裁判官が出てくる。東京では官僚機構に取り込まれてしまって、無難性とか顔の見えない裁判官とか、批判がないというところに紛れ込んでしまって、いいことができないのではないかと。
 だから、裁判官を3つくらいに分けたら、地方では東京志向型もいます。それから、今言った郷土市民派がおって、そのほかの人がいる。東京ではほとんどの人がエリート官僚と理論派で、あとその他がいるという感じになるのではないかと。
 弁護士について一言しておきますと、弁護士会の活動とか公的な奉仕、それは地方の単位会ほど熱心なんです。地方では8割以上の人がそういう活動に参加しておるし、大阪では5割くらい。ところが、東京では1、2割の人しか、そういう社会的な奉仕とか、公的活動に参加していない、一番低いところなんです。そういう地方間の実情も見てもらいたいと思っておるんです。
 我々の求める裁判というのは、先ほども出ましたけれども、やはりそういう出世とか官僚統制のない裁判制度が必要であって、市民の視点とか市民的感覚を持った裁判官を育てることが大事だろうと思うんです。
 それから、先ほどの公述人のところでありましたけれども、そういう市民の期待に応えようとする裁判官も制度がなくてはできない。だから、環境問題とか行政問題などについても、司法の機能が及ぶように、行政事件訴訟法を改正してもらうとか、国の税金の使途について是正できるような納税者訴訟をつくってもらうなど、外国では司法機能発揮の諸制度があるんです。そういうことをつくってもらいたいと思います。
 これらの方法としまして、いろんな不祥事と一緒だと思うんです。警察とか企業とか行政はいろいろ不祥事があって、その解決は国民の参加と監視だと言われておる。これは司法についても同じではないかと。司法に対する主権者たる国民の参加と監視であり、その具体的な方法としては、法曹一元と陪審だろうと。そして、顔の見える裁判官、地方分権による裁判官をつくっていかなければならないのではないかと思っております。
 そういうことで、近ごろは市民の司法、市民のための司法といろいろ言われてますけれども、言葉だけではなくて、具体的な制度として結実することが重要だろうと。
 そういうことをしてもらいたいということで、全国民は審議会を熱い視線で見守っているということをお伝えして終わりたいと思います。(拍手)

【事務局長】ありがとうございました。
 それでは、あとお1人くらいいかがでしょうか。先ほどから一番後ろで立っておられる方、いかがでしょうか。

【傍聴者(2)】誠に失礼します。親からは、こういうところに出たら何も言うなと言われておるんですけれども、余りにも腹が立って。中坊先生の名前はどこかで知りました。
 今の新潟監禁事件のことなんですけれども、検察庁で立件できないようなことを言っているんですけれども、ある雑誌では10年の懲役だとか言っていますけれども、こんなばかな話はありませんよ。佐藤容疑者でしたか。佐藤容疑者なんて、大久保清にも劣る死刑です。私はそう思います。今の女の子が二十歳だとすれば、福祉施設で働くより、もうほかに方法はありませんよ。こんなことが許されると思いますか。もう少しお上の方に真剣に、要請になりますけれども、司法について真剣に考えていただきたいと思います。
 失礼しました。どのような検討をしたらいいのか。もう少し検討の仕方をお教えください。

【事務局長】ありがとうございました。
 予定の時間よりも5分オーバーしておりますが、本日は6名の意見発表者の方々には貴重な御意見をいただきまして、誠にありがとうございました。 (拍手起こる)

7.閉 会

【事務局長】それから、傍聴者の皆さんも熱心に御参加いただきまして、本当にありがとうございました。
 本日の模様は準備が整い次第、当審議会のホームページで公表いたします。それから、先ほど挙手されていただきながら、御指名できませんでしたが、どうか御意見を当審議会宛てのメールなり文書なりで送っていただければ、その内容をまた審議会の委員の皆様にお配りして、御覧になっていただくようにいたしますので、よろしくお願いいたします。 なお、当審議会はこの後福岡、札幌、東京の3か所で、本日と同様の公聴会を開催することになっておりまして、意見発表者や傍聴者の募集を既に開始しております。このホールの外の受付に募集告知のチラシを用意しておりますので、お帰りの際に御自由にお取りくださればありがたいと思います。
 また、ホームページでの御案内もしておりますので、こちらも御覧いただければありがく思います。
 今後とも司法制度改革の実現につきまして、皆様方の御理解と御支援をお願い申し上げまして、閉会とさせていただきます。
 どうもありがとうございました。(拍手)