2.刑事法カリキュラムの基本的な考え方
法科大学院の教育目標は、職業法曹としての専門的知識および高度の法的思考力を修得させることにある。刑事法系の「基礎科目」(1年次)、「基幹科目」(2年次)のいずれについても、教育の方法として、比較的少人数のインテンシブかつ双方向的な授業を中核とし、学生各自の十分な準備と授業後の課題処理や演習問題研究(文書作成)等を通じて、高度な問題解決能力を体得させることを目指す。
「体得」とは、専門的知識の体系的把握を前提としたうえで、既存の知識にはない新たな状況に直面したときでも、多様な事実関係の中から本質的な法律上の問題点を発見・整理して、その解決策を案出する、職業法曹としての創造的能力を身に付け、さらには、刑事法に限らず各法律学分野を横断する統合的な法的思考力を涵養することにある。この点は民事法系の教育目標・方法と異なるところはない。
民事法とやや異なる点があるとすれば、刑法・刑事訴訟法を中核とした刑事法の機能する「場」が、刑事裁判手続を中心とし、犯罪捜査と刑罰執行を含む「刑事司法制度」という比較的完結した世界であること、その「場」では、職業法曹三者が、それぞれの立場から事案の真相解明を目指す事実認定と刑事法解釈を行いながら技術的手続を進行させてゆくことであろう。このため、教育の素材や対象となる問題状況は、民事法が扱う領域よりは狭いものとなる。
他方で、刑事司法制度に取り込まれることになる被疑者・被告人あるいは証人・犯罪被害者といった一般国民の基本的な人権や自由、プライバシイ・人格の尊厳といった高度の憲法的価値が、刑罰法令の適用実現を目指す国家機関の活動との関係で常に問題となる点が刑事法の特色である。これら職業法曹でない一般の人々の立場に十分留意する健全な想像力と、基本的人権に対する鋭敏な感覚の養成は、刑法・刑事訴訟法の解釈・適用が対象であることから必然的に、当然の前提として教育内容に盛り込まれることになる。
(1)従来の法学部における刑事法教育との相違
法科大学院における刑事法教育が、これまでの法学部における法学教育と異なる点は、前記のとおり、授業の手法が一方的な講義方式ではなく、学生の予習を当然の前提とした双方向的な手法によること、さらに授業後に課題を文書化する作業が付加されていること、刑法と刑事訴訟法についての体系的な基礎知識を与えることに留意しながらも、刑事法が機能する「場」を明確に意識しつつ、そこでの刑法・刑事訴訟法の働き(機能)を把握させることにある。それは、刑法・刑事訴訟法の現実(実務)における「使われ方」を理解させることにほかならず、最終的には、刑事手続関与者ごと(裁判官、検察官、弁護人等)に相対的な、しかもどれかに偏ることのない多面的な見方を理解させることにまで及ぶものでなければならない。また、とくに基幹科目の教育内容は、理論と実務を架橋すべく、各法律学分野を横断する統合的な内容を含むものであって、とりわけ刑法と刑事訴訟法との連繋を正確に習得させるものでなければならない。さらには、既存の実定法規の解釈論や手続運用とその前提となっている基本判例の内容を正確に理解することに加えて、理論的ないし政策論的観点から立法論的な色彩を加味したもの(いいかえれば、刑事学や刑事立法論との連繋に留意したもの)となることが要請されよう。
目次へ このように実体法と手続法の緊密な連関の統合的理解は、刑事法教育において重要な教育目標である。しかし、基礎科目はもとより、基幹科目においても、刑法と刑事訴訟法の授業は、両者の統合的な観点を常に意識しつつも、ひとまず別に設置されるのが合理的であると考える。その理由は以下のとおりである。
法律学未習者を主たる対象とした第一段階の基礎科目においては、刑法と刑事訴訟法の基礎的な知識の体系的修得が不可欠である。創造的な法的思考も、その前提となる事実関係の分析も、ケース・メソッドによる判例の射程距離分析も、既存の体系的法的枠組みの修得なしには到底不可能である。基礎科目においては、我が国の法律家が共通の「道具」として用いている実体刑法の体系的基礎知識及び刑事手続上の制度の趣旨・目的・機能の基本的理解を効率的に修得させるため、この段階では、刑法と刑事訴訟法を別個に一定時間集中的に教育する必要がある。
第二段階の基幹科目においては、基礎科目で修得された基礎的体系的知識を前提として、これを深化・体得することを目標とした授業を行う。この場合も、一つの授業科目のみで両法領域に固有の重要部分を深く検討することは困難であり、仮に基幹科目として両者の交錯領域を取り上げるだけでは断片的な論点を扱わざるを得ないことになろう。そこで、本報告書に示すモデルにおいては、一案として、刑法の論点を中心にする科目と刑事手続上の論点を中心にする科目を設定し、さらに両者の融合的な論点については、別途、総合演習科目を設定して教育するというプログラムを示した。
以上のとおり、刑法・刑事訴訟法に関する最低限の幅広い知識が身に付くことを犠牲にせずに、しかし重要な刑事法上の対象領域を素材とした法的思考能力の「深化」が可能になるよう段階的かつバランスのとれた授業内容の構想が必要になる。その際、とりわけ基礎科目としての刑法については、民法におけると同様に、従来以上に時間数を増やすようなカリキュラムは非現実的なので、伝統的な教育内容(刑法総論、各論、犯罪学、刑事政策)のある程度の再編と組み替えが要求される。個別の科目の基本的な目標等については、各授業モデルの冒頭に記述した説明を参照されたい。
取り上げられるべき教材という点から見ると、当該法分野における論点に関わる設問や比較的単純な設例、判例・裁判例、比較的詳細な設例・事実関係の記載そのもの等が考えられる。それぞれの授業では、教示すべき項目の性質に応じて、教育の素材として適宜、判例・裁判例、設例・事実そのもの、設問・法解釈上の論点そのものを取り上げ、さらには学術論文を俎上にのせることがあってもよい。
なお、本報告書で扱う刑事法カリキュラムのコア科目の履修を前提として、最終的には、生の事件記録(比較的単純なもの)を加工した教材等を用いて、事実認定と法的争点の整理という作業やロールプレイ(模擬裁判)実習を通じて、実務修習にスムースに進めるレベルまで学生の能力を引き上げることが目ざされるべきであろう。