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2.民事法カリキュラムの基本的考え方

2−1.法科大学院の教育理念

  法科大学院におけるカリキュラムのあり方を検討するについては、何よりもまず、法科大学院教育の理念がいかなるものかを考えなければならない。この点につき、司法制度改革審議会の中間報告は、法科大学院の教育理念として以下の3点を掲げている。

・「『法の支配』の直接の担い手であり、『国民の社会生活上の医師』としての役割を期待される法曹に共通して必要とされる専門的資質・能力の習得と、かけがえのない人生を生きる人々の喜びや悲しみに対して深く共感し得る豊かな人間性の涵養、向上を図る。」
・「専門的な法知識を確実に習得させるとともに、それを批判的に検討し、また発展させていく創造的な思考力、あるいは事実に即して具体的な法的問題を解決していくために必要な法的分析能力や法的議論の能力等を育成する。」
・「先端的な法領域について基本的な理解を得させ、また、社会に生起する様々な問題に対して広い関心を持たせ、人間や社会の在り方に関する思索や実際的な見聞、体験を基礎として、法曹としての責任感や倫理観が涵養されるよう努めるとともに、実際に社会への貢献を行うための機会を提供し得るものとする。」

  研究会のメンバーは、ここに述べられた法科大学院の教育理念を支持するものであるが、ここからつぎのような教育目標を導くことができる。すなわち、第一に要請されるのは、法曹として共通に必要とされる専門的資質・能力の習得である。第二に、ここでいう専門的資質・能力の習得とは、単に専門的な法知識の集積を意味するのではなく、創造的な思考力、事実に即した法的分析能力、法的議論の能力の育成をも含むものである。第三に、法曹としての責任感・倫理観の涵養が求められ、さらには、第四に、広く豊かな人間性の涵養、向上を図る必要がある。このうち、第三の点は、より直接的には、法曹倫理を対象とする授業科目や種々の場面における実務経験を通じて実現されることが期待されるであろう。また、第四の点は、民事法カリキュラム自体の問題というよりは、法科大学院進学前・進学後を通じて一般的に問題となるものである。
  そこで、ここでは、とくに第一の点、第二の点を中心として、民事法カリキュラムの考え方を述べることとしたい。

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2−2.専門的知識の習得と創造的思考力

  つとに指摘されているように、法的な専門知識を大量に記憶しても、それを知識として集積するだけでは、創造的・批判的な法的思考を行うことができない。単に暗記力に重点の置かれた知識積み上げ型の教育は、正解志向を助長こそすれ、新たな法的問題を認識し、これを適切に位置づけ、その合理的な解決を探るという能力を十分に育成することができない。これまで法学部の多人数授業においては主流であった一方的な大講義という授業方式は、受講者の受動的な勉学態度とも相俟って、結果的には、知識の伝達によりウエイトが置かれているかのような誤った印象を与えるおそれがなかったとはいえない。また、教科書・参考書の叙述が適切であるのか、教員の講義での説明が果たして当を得ているのか、等を問う機会が教員の側に十分に存したとはいえないであろう。司法試験予備校で行われる受験のための法学教育については、知識積み上げ型教育の弊害をより強く指摘することができよう。試験問題の解答にとって、どのような考え方をとることがより効果的であるかといった観点の重視は、試験問題の解き方という技術という点で効率的であるとしても、その問題が本来法的にどのように評価されるべきか、どのように解決されることが望ましいかという発想とは相容れないものであろう。ある箇所において一定の考え方をとり、他の場面で別の考え方をとると、体系的には相互に矛盾するというほかはないことがしばしば起こりうるが、個別の問題ごとにどの判例ないし学説にしたがうべきであるといった説明からは、そうした問題性を認識することができないのである。もっとも、正解志向という問題は、大きく見れば、単に法学専門教育の問題にとどまらず、わが国における教育システム全体に関わるものといえようが、少なくとも、これまでの法学教育が、正解志向からの脱却を図るための努力を十分に行ってきたかどうかは、疑問である。
  しかし、同時に看過されてならないのは、法的な専門知識なくして、創造的・批判的な法的思考能力を育成することはできないという点である。法科大学院における教育は、知識の伝達か、ものの考え方を教えるのかという二者択一的な問題の立て方は、それ自体必ずしも相当とはいえない。必要な法的知識なしに、社会に生起する紛争を法的に把握し、これを創造的・批判的に分析することは不可能である。とくに、わが国における民事法は、ヨーロッパ大陸法の伝統に連なって、成文の法典を備えており、これを中心とした法的ルールの十分な習得は、法曹養成のための専門教育の出発点をなすというべきである。ただ、このような意味での専門知識の習得は、どの条文にどのような内容が書かれているか、争点に関する判例の結論はどうであったかというレベルのものではなく、そのような規定・制度がなぜそうなっているのか、判例はなぜそのような結論をとるにいたったのか、これを批判する学説があるとすれば、その理由はどこにあるか、学説相互の対立が見られる場合に、その対立はなぜ生じており、それはどのような相違をもたらすのかといった理解を包含するものである。良き法律家は、これまで認められてきた解決の当否を不断に問い直し、あるいは、既存の知識・ルールを当てはめるだけでは解決できない新たな問題に直面したときに、既存の知識・ルールを応用して、法体系の中で矛盾しない答えを新たに用意することができる者であると考えられるが、このような創造的・批判的な法的思考を行うためには、既存の知識・ルールの射程と限界を正確に理解していることが不可欠である。
  もっとも、上述のように、専門的知識の習得が必要であるとしても、習得の程度には自ずから一定の限界があることも否定できない。ありとあらゆる法的知識を限られた期間の中で完全に習得することはおよそ不可能であり、また、習得した知識も、社会の迅速な変化によって陳腐化し、意味を失うことも少なくない。法曹資格を得た後に、必要に応じて知識を補充することも可能である。したがって、問題は、結局のところ、専門的知識をどの程度まで習得すれば、創造的な法的思考を行うことができ、自らの努力によって必要な専門知識をさらに補充することができるようになるかということに帰着する。法科大学院におけるカリキュラム編成についても、このような観点に立って、必要かつ十分な専門知識が何か、どの程度かを検討する必要がある。

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2−3.事実関係の分析と法的解決

  実務に携わる法律家は、当然のことながら、具体的な紛争の解決に関与するのであり、まずもって、その紛争がどのような事実であるかを把握することが出発点となる。たとえば、事件の依頼を受けた弁護士は、事実関係を正確に把握し、必要があれば欠けている事実を調査し、それらの事実を(訴訟の場面では)主張・立証することが必要となり、裁判官は、当事者の主張に基づいて、事実関係を確定することが必要となる。
  従来の法学教育は、この点につき、一定の事実関係をいわば所与の前提として、そのような事実に対して法がどのように適用されるかを主として問題としてきた。しかも、多くの場合、紛争を全体として捉えるというよりは、講義の分野ごとに、たとえば民法であれば、民法の問題点に焦点を絞って事実関係を切り取って、民法のルールの適用を考えるという嫌いがあった。これに加えて、そこで取り上げられる「事実」も、生の事実というよりは、「○月○日に売買契約が締結された」といった、すでに法的に加工された事実であったということができる。
  しかし、法律実務家が現実の紛争に関わる際には、すでに確定し、法的に整理された「事実」と向かい合うわけではない。弁護士に法律相談をしようとする一般市民は、何が法的に重要な事実であり、何が重要でないかを識別することはできず、そこで提供される第一次的情報は、法的には意味のない多くの事実を伴い、あるいは、法的に重要な事実が多く抜け落ちたものであるのが通例であろう。さらに、人間の一般心理として、意識的ないし無意識的に、自らに有利な事実は(ときとして粉飾すらまじえて)声高に主張するが、自己に不利となる事実には沈黙し、あるいは歪曲して述べることも希ではない。かくして、法律実務家は、不必要な情報を排除し、必要な情報を補充して、さらには当事者の主張と客観的な事実を区別し、生の事件を法的に意味のある事実に再編成することが必要となる。
  また、現実の紛争を起点として法的解決を考えることは、法的ルールの適用という点でも、従来の分野ごとの問題解決とは異質の作業を必要とする。すなわち、実務家は、一つの社会的事実としての紛争をある特定の分野の法律のみにしたがって解決するわけではない。紛争の法的解決は、不可避的に、多様な法分野の問題を同時に取り扱うことを必要とし、したがってまた他分野にまたがった法的判断能力が求められる。たとえば、相続をめぐる紛争において、「民法のルールは分かるが、相続税がどうなるかは知らない」といった対応は許されない。
  このように見れば、法曹養成を目的とする法科大学院においては、個々の法分野に関する重要な専門的知識の習得に加えて、とりわけ事実関係を把握・分析する能力、法分野に分断されない事件そのものを全体として把握し、多元的に分析できる能力の育成が重要な意味を持つと考えられ、また、法科大学院においてこのような能力の育成が可能となれば、法科大学院修了後に予定される司法研修所における技術的な意味での実務教育にとってもきわめて有用なものとなり、法分野横断的な教育や事実関係の把握・分析に関する教育は、理論と実務を架橋するものとしてとくに重要な役割を果たすものといえる。

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2−4.学生の能動的学習と文章作成能力の育成

  先述したように、一方的な講義の受動的な聴講は、伝達された知識の暗記的な習得をもって事足れりとする誤った学習態度を生み出す危険を伴うものであり、学年による程度の差はあるにせよ、法科大学院生が積極的・能動的に授業に参加できるような体制を作ることが必要である。このためには、学生側においても、周到な準備をして授業に臨むことが求められるとともに、授業の方式を工夫することにより、授業の中で学生が自ら考える機会を可能な限り多く与えるべきである。
  これとともに、とくに必要と考えられるのが、法的な文章を作成する能力の育成である。現在の法律家の活動の主要な部分は書面の作成によって行われており、このような能力の必要性はとくに説明するまでもないが、現在の司法試験合格者についても、こうした能力の不足が各方面から指摘されている。このような能力を養う一つの方法として、法的文書作成のノウハウを体系化して伝授する授業科目を設けることも考えられるが、より実践的に、種々の授業の中で法的な文書を作成する機会を頻繁に設けて、文書を提出させ、これを添削ないし講評するといった形で、日常的に訓練を行うことが望ましいと考えられる。

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